お日様のあるうちに(While the Sun Shines) テレンス・ラティガン作 (1943年)
 
 原題は、Make hay while the sun shines. (お日様のあるうちに干し草は乾せ)からとったもの。
 初演は1943年のクリスマスイヴ。グローブ座で。芝居が終わると、熱狂的な拍手で、ヒヤヒヤしていたラティガンはほっとする。6年後にラジオ放送でラティガンは語った。「私が関係した芝居のうちで最も楽しい思い出になっている。初日から楽しかった。神経質な作家にとっては、初日はいつも惨めなものなのだが。」
 新聞評もよかった。デイリーメイルは、「クリスマスイヴに観客は笑い転げた。隣で(アポロ劇場ではまだ「炎の道」がかかっていた。)やっている彼の芝居(これも第2年目に入っているが)よりはもっと長く続くだろう。」
 しかしラティガンはサンデータイムズの批評に最も驚いた。涙なしのフランス語以来、ラティガンを貶(けな)し続けてきた批評家アゲイト(James Agate) がラティガンをオスカー・ワイルドにたとえて、
 「バーナード・ショーは、ワイルドの「理想の夫」の初演の時次のように評した。{テーマのない芝居について語るのは無駄である。そしてこの「理想の夫」は全く芝居(英語ではplayは「遊び」)・・・即ち遊び以外の何ものでもない。ワイルド氏は単に遊び屋(playwright ・・・劇作家・・・掛けことば)なのである。彼は何とでも遊ぶ。才知と遊び、哲学を遊び、劇と遊び、役者、観客と遊び、劇場全体と遊ぶ。}今日、これと同じ評が、ラティガン氏になされるべきであろう。真面目にとりあっては危険な頭脳の持ち主、彼は遊び屋なのである。」
 アゲイトは結論として、
 「フランス中尉の取扱だけが間違いである。結婚の唯一の条件は情熱であるなどと、何故彼に言わせるのだ。・・・しかし、こんなことは小さな傷にすぎない。他に6つの点で大きな成功を収めているではないか。そして芝居を判断する規準はもともと「真実」にはない。「楽しみ」にあるのだ。この芝居は純粋に楽しい。上位者に対する痛快な無礼、それを表現している最高傑作である。」
 ラティガンはぶすっとして演出のアスクイスに言った。「涙なしのフランス語の時には彼は僕のことをゴミ(nothing)だと言った。コメディー2作目で、ゴミから急にオスカー・ワイルドになるものかね。だいたい、2作目だって1作目をお手本にして作ってあるんだ。」

(この「お日様のあるうちに」は1154回のロングランとなった。)
  
(St. Martin's Press社, Geoffrey Wansell 著 Terence Rattigan  による。)
        (能美武功 平成11年5月17日 記)