お日様のあるうちに

        テレンス・ラティガン 作
          能 美 武 功 訳

  登場人物
ホートン
ハーペンデン(侯爵)
マルヴェイニー(中尉)
レイディ・エリザベス・ランドール
エヤー・アン・スターリング(公爵)
コルベール(中尉)
メイベル・クラム

  第 一 幕 朝
  第 二 幕 その夜
  第 三 幕
     第 一 場  その夜中
     第 二 場  翌朝

(場 ロンドン オールバニーにあるハーペンデン卿のアパートの居間。)

          第 一 幕
(場 ロンドン オールバニーにあるハーペンデン卿のアパートの居間。広い四角い部屋。十八世紀後期の重厚なマホガニー製の家具。中央奥に両開きの扉。これは寝室に通じる。左手の片開きの扉。これは玄関ホールに通じる。右手の壁いっぱいに、大きな窓。)
(ハーペンデン卿の召使ホートン、朝食の盆を持って登場。それをテーブルの上に置く。およそ五十歳。痩せて陰気な表情。寝室の扉を叩く。返事がないので扉を開け中に入る・・・とすぐ飛び出て来る。扉を閉め、ちょっと考え、それから今度は強くノックする。やはり返事なし。再びノック。ハーペンデン卿、疲れて眠そうな表情で登場。二十三、四歳。ちょっと華奢な風貌。)
 ハーペンデン 何だ?
 ホートン ああ、旦那様。朝食の用意が出来ました。
 ハーペンデン そのようだな。しかしどうしたんだ? 入って来たと思ったら、飛び出たじゃないか。まるで怯えた兎だ。
 ホートン は、どうも失礼致しました。
(ハーペンデン、鏡で自分の顔を見、「酷い姿だ」という心持ちで肩を竦める。携帯用の櫛で髪をとかす。)
 ハーペンデン ああ、ホートン、もう一人分朝食を頼む。
 ホートン はい、畏まりました。
 ハーペンデン 何がある?
 ホートン はい、肉の缶詰が。
 ハーペンデン ああ、あれは勿体ない。あれは夜中のサンドイッチ用だ。ソーセージはないのか。
 ホートン はい、捜してみます。
 ハーペンデン よし、それだけだ。
 ホートン えー、紅茶ですね? 旦那様。コーヒーではなく。
 ハーペンデン(この時までに「タイムズ」を取り上げていて、それを見ながら。)紅茶? どういうことだ。
 ホートン ミス・クラムは朝食には紅茶の方をお好みで・・・
 ハーペンデン ミス・クラム? 誰も何も言ってないぞ、ミス・クラムのことなど。
 ホートン ではあの方は、ミス・クラムではないと・・・?
 ハーペンデン 違う。ミス・クラムではない。
 ホートン(疑い深く。)随分似ていらっしゃるようにお見受け致しましたが。
 ハーペンデン(声を荒らげて。)お見受けしようとしまいと、あれはミス・クラムじゃない。ミス・クラムでないどころか、ミスなんとかじゃないんだ、あれは。
 ホートン では、ミスィズ・チャペルで?
 ハーペンデン ホートン、お前、忘れているんじゃあるまいな。僕は明日は結婚する身なんだぞ。
 ホートン はあ、それは忘れておりません。
 ハーペンデン よろしい。さ、あの部屋に入って、カーテンを開け、よく眺める。それから出て来て僕に言うんだ、大変失礼致しました、とな。
 ホートン それはなるべくなら差し控えたいもので。
 ハーペンデン つべこべ言うな。さあ。
(ホートン、寝室に入る。カーテンの開く音。そして再びホートン現れ、扉を閉める。)
 ホートン 大変失礼致しました、旦那様。
 ハーペンデン うん、分かったな、ホートン。
 ホートン 不思議です。ミス・クラムそっくりでした。くるっと丸くなって、両手を顔にあてているあの寝姿・・・
(急にハーペンデン、悲しい叫び声を上げる。その声でホートン、台詞を止める。ハーペンデンは自分の朝食の蓋を開けて中を見たのである。)
 ハーペンデン ホートン、卵はどうしたんだ。お祖母さんが送ってくれた、あの卵は。
 ホートン それがその・・・
 ハーペンデン 確かに二つ送られて来た。お前も知っている筈だ。昨日一個食って、今日の分はどうした。
(ホートン、言い出す勇気なく、ちょっと黙る。)
 ホートン 事故が発生致しまして、旦那様。
 ハーペンデン 事故! まさか!
 ホートン それが、確かに起こりまして・・・
 ハーペンデン(強い非難の調子。)おお、ホートン!
 ホートン 冷蔵庫から取り出しまして、フライパンで割ろうとした瞬間・・・
 ハーペンデン もういい、ホートン。それ以上聞くに耐えん。涙が出て来る。
 ホートン はあ、確かに。申し訳ございません。
(電話が鳴る。ホートン、受話器を取る。)
 ホートン もしもし・・・はい、お嬢様。(受話器を置いて。)レイディー・エリザベスです。
(ハーペンデン、近づき、受話器を取る。ホートン退場。)
 ハーペンデン ああ僕だ。どう? 調子は。旅行はどうだった?・・・一晩中?・・・寝台車が取れなかった?・・・お父さんに言えば寝台車くらいすぐじゃないか。・・・空軍省から頼めばさ。・・・そりゃ国際的な重要性があるに決まっているじゃないか。だって僕と結婚する身なんだろう?・・・で、どう? 調子は。・・・ああ、それならよかった。で、出発の時は? 大丈夫だった? ・・・いつ? ・・・水曜日? ・・・あと六日だな、すると・・・
(マルヴェイニー登場。二十歳代後半の、若いアメリカ人。裸の体に毛布を縛りつけている。)
 ハーペンデン(マルヴェイニーに。)お早う。
 マルヴェイニー お早う。(部屋を見回す。日の光で眩しそう。)
 ハーペンデン(電話に。)いや、違う、違う。君の知らない人だ。・・・ああ、今朝は駄目だ。海軍省で面接試験なんだ。昼飯にしよう。プルニエで、一時。いいね? 今どこにいるの? ブラウンズ・ホテル? ・・・よく予約出来たね。・・・三週間前?・・・いやいや、お静かに就寝だよ。十時に床についた。・・・そんなことないったら。・・・そう。本当だ。・・・じゃ、お昼に。・・・さよなら。(受話器を下ろす。マルヴェイニーに。)ああ、君、ガウンを着たらいい。
(ハーペンデン、寝室に行く。マルヴェイニー、相変わらず、じろじろと部屋を見ている。圧倒された様子。ハ ーペンデン、ガウンを持って登場。それをマルヴェイニーに渡す。マルヴェイニー、頷いて受け取る。)
 マルヴェイニー 失礼ですが、ここは何処なんでしょう。
 ハーペンデン 僕の個室。場所はオールバニー。
 マルヴェイニー 個室?
 ハーペンデン アパート。
 マルヴェイニー で、場所はオールバニー?
 ハーペンデン そう。ここは個室・・・あ、アパートが沢山あるところでね。ピカデリーのはづれにある。
 マルヴェイニー で、また大変失礼なんだけど、君は誰?
 ハーペンデン 名前はハーペンデンっていうんだ。
 マルヴェイニー 僕はマルヴェイニー。初めまして。
(二人握手する。)
 ハーペンデン 初めまして。僕、食っていいかな? 君のは今来る。
 マルヴェイニー どうぞ、どうぞ。で、僕がゆうべ寝たあのベッド、あれは君の?
(ハーペンデン、朝食のため坐る。)
 ハーペンデン うん。
 マルヴェイニー じゃ、僕はゆうべ、十時からずっとここに寝てたのか。
 ハーペンデン 十時? ああ、違う違う。僕の婚約者は躾けのひどく厳しい家で育っていてね、そんな子にわざわざ「ジュビリーで殆ど夜明かしだったよ」なんて言う必要はないだろう?
 マルヴェイニー ジュビリー? ああ、それが思い出す鍵だな。聞いたことがある。僕はそこにいたの?
 ハーペンデン いた? うん、覗いたんだ。
 マルヴェイニー(頷いて。)それで・・・出た?
 ハーペンデン 「出た」と言うのは自発的な響きがあるがね。自発的とはどうも言えないな。
 マルヴェイニー ああ、思い出して来た。あいつら、殴りかかって来たんだ。
 ハーペンデン 多分そんなところだろうね。僕は実際にその場は見ていない。僕が見たのは、君が入って来て、突然ア・パ・ソッル(a pas seul バレー用語、独り舞台。)をやって、次の瞬間には通りに出てたことだ。
 マルヴェイニー ア・パ・ソッルって何だい。
 ハーペンデン バレーで、一人で踊るやつだ。
 マルヴェイニー なるほど。ア・パ・ソッルか。
 ハーペンデン それだけなら、ただで見られるショーなんだがね。
 マルヴェイニー するとただでないショーもついたんだな。
 ハーペンデン ミスィズ・ウォーナーのお尻をつねった。
 マルヴェイニー ミスィズ・ウォーナー? 誰だい、それ。
 ハーペンデン ジュビリーの女将(おかみ)。
 マルヴェイニー そうか。だから身体中が痛いんだ。通りに出て、それでどうなった?
 ハーペンデン それから三十分して僕は店を出た。そして君の身体につまづいた。暗くてね。
 マルヴェイニー ほほう、すると三十分も僕は意識不明でころがってた訳か。
 ハーペンデン 半分、意識不明で。
 マルヴェイニー ノックアウトだ。
 ハーペンデン ノックダウンだな。
 マルヴェイニー 違いは? 説明出来る?
 ハーペンデン いや、その議論は今は止めとこう。
 マルヴェイニー オーケー。分かった。はづみってものがあるなあ。はづみで妙なことになるもんだ。
 ハーペンデン そう。そのはづみのお陰で、僕は臭いジンの息を吹っかけられて、「ダルスィー」なんて呼ばれてね。
 マルヴェイニー ダルスィー? そんなことを言ったのか、僕が。
 ハーペンデン 他にも、好きだ、愛してる、色々言ったけどね。
 マルヴェイニー なんでそんな馬鹿なことを。分からんな。
 ハーペンデン 僕にも分からない。ダルスィーなる人物を知らないからね。
 マルヴェイニー 国で、僕のガールフレンドだ。
 ハーペンデン そうだろうとは思っていたけど。
 マルヴェイニー あの子には君は全く似ていないのに・・・
 ハーペンデン 悪かったな。
 マルヴェイニー で、それからどうなったんだ。
 ハーペンデン いくら訊いても、住んでる場所を教えないんだ。もっとも、オハイオ、エリザベス・スィティー、オリノコ・アヴェニュー、八五六っては、繰り返し言ってたけど。
 マルヴェイニー そう。国での住所は確かにそこだ。
 ハーペンデン しかし当座の役には立たない。君を寝かせなきゃならないんだ。
 マルヴェイニー ジュールズ・クラブかどこか、米軍のキャンプに連れて行けばよかったんだ。
 ハーペンデン それはすぐに考えた。しかし米軍の習慣を知らないんでね。朝四時に、酔っぱらった将校が車で乗り付けて、出て来る男に抱きついては、ダルスィー、ダルスィー、なんて言った日にゃ、えらいことになるかもしれないと思って・・・
 マルヴェイニー(ちょっと考えて。)まあ、大丈夫だったろうな。
 ハーペンデン 軍法会議にかけられちゃ可哀相だと・・・
 マルヴェイニー だからここに連れて来てくれたのか。
 ハーペンデン 管理人と僕とで、運び上げてね、ベッドに入れたんだ。
 マルヴェイニー 君のここでの評判が、僕の為に傷ついたんじゃないだろうな。
 ハーペンデン そんなことはない。もう百年以上も歴代の管理人は、人を担ぎ上げてはベッドに入れてるんだ。ロード・バイロンも、オールバニーに個室を持っていたんだからな。
 マルヴェイニー へえー、バイロンが。そいつはすごいや。するとこの辺は由緒正しい場所なんだな。
 ハーペンデン うん、まあ。僕はここが好きでね。家族はここで暮らしていた。
 マルヴェイニー で、今も?
 ハーペンデン いや、もう家族はない。両親が死んで、兄弟がいないんだ。
 マルヴェイニー 独りか。大変だ、そりゃ。だけど、バイロンが眠っていた場所で眠ったとは、こいつは豪勢だ。じゃ、彼の詩で、このあたりで作られたものがあることになるね、きっと。
 ハーペンデン まあ、そうだろうな。
 マルヴェイニー(朗誦する。)
     夜が更けてきた。
     もう彷徨(さまよ)い歩くのは止めよう。
     だけど心は・・・
続きはどうだったかな。
 ハーペンデン さあ、バイロンは読まないんでね。
 マルヴェイニー (思い出して。)
     だけど心は、君を思って・・・
     だってまだ、月があんなに明るいじゃないか。
なんだ、君がバイロンを読まないとはね。
 ハーペンデン まあね。
 マルヴェイニー ちょっと変だよ。
 ハーペンデン(少し怒って。)何が変だ。バイロンを読まない人間はいくらでもいるさ。
 マルヴェイニー だって、君はここに住んでるんじゃないか。
(ホートン、もう一つの朝食の盆を持って来る。)
 ハーペンデン ああ来た来た。君のだ。
 マルヴェイニー(ホートンに。)ああ、相棒、これはいい。持って行って呉れ。僕は食わない。
(ホートン、どうしようかとハーペンデンを見る。)
 ハーペンデン ちょっと何か食べた方がいいよ。こいつは効き目があることになっている。「はずみ」にね。
 マルヴェイニー そうか。じゃコーヒーは頂くか。
(ホートン、コーヒーを注ぎ始める。)
 マルヴェイニー そうだ、忘れるところだった。助けて呉れたんだ。お礼を言わなきゃ。
 ハーペンデン いや、いいよ。いつか僕が同じ目にあった時は頼む。
 マルヴェイニー それは請け合う。君がエリザベス、スィティーにやって来て、スモーキー・ジョーの店から放り出されたら、その時には僕に任せろ。
 ハーペンデン ホートン、これはもう引いてくれ。
(自分の盆を指差す。)
 ホートン 畏まりました、旦那様。
(マルヴェイニー、ぎょっとなる。ホートンとハーペンデンをじろじろと見る。まるで変わった生き物を見るかのように。)
 ハーペンデン 君は空軍なんだね。
 マルヴェイニー(ハーペンデンを相変わらず見つめて。)うん。
 ハーペンデン 地上? 空?
 マルヴェイニー 空。爆撃機。
 ハーペンデン 機種は?
 マルヴェイニー フォーツだ。
(マルヴェイニー、相変わらずじろじろ見る。ハーペンデン、当惑ぎみ。その間ホートン、ハーペンデンの盆を 片付け終わる。)
 ホートン 軍服になさいますか、旦那様。
 ハーペンデン うん。一番いいやつを頼む。海軍省に行くんだから。
(マルヴェイニー、コーヒーカップを置く。手が震えてカタカタいう。)
 マルヴェイニー(ホートンに。)おい、旦那様って、芝居じゃないんだな。
 ホートン 芝居じゃありません。
 マルヴェイニー(ハーペンデンに。)すると君は貴族なのか。
 ハーペンデン うん。まあ。
 マルヴェイニー 名前はハーペンデンって言ったな。
 ハーペンデン そう。
 マルヴェイニー すると君はハーペンデン卿なのか。
 ハーペンデン そう。アール・オヴ・ハーペンデン。侯爵。
(ホートン退場。)
 マルヴェイニー なるほど。アール。侯爵か。
 ハーペンデン そういうことになるな、どうやら。
(間。その間マルヴェイニー、ハーペンデンを見つめる。)
 マルヴェイニー 侯爵っていうものを見たのはこれが初めてだ。
 ハーペンデン いや、ざらだよ、そんなもの。だって・・・
 マルヴェイニー 変だな。君、ちっとも違わないぜ、そこらにいる普通の男と。
 ハーペンデン そうさ。僕はそこらにいる普通の男だから。
 マルヴェイニー そう言うな。侯爵なんだろう? そうだ、僕は君のことをどう呼べばいいんだ?
 ハーペンデン 友達はボビーって呼んでいる。
 マルヴェイニー そいつは使えないな、僕には。
 ハーペンデン どうして。
 マルヴェイニー 気軽過ぎる。それは駄目だ。
 ハーペンデン ゆうべはダルスィーだったぞ。
 マルヴェイニー(赤くなる。)ああ、そうだった。失敬。
 ハーペンデン 君の・・・名前は?
 マルヴェイニー ジョー。
 ハーペンデン よし。じゃ、これからはジョーとボビーだ。さてと、僕は着替えをしなきゃ。休暇は? 何時まで?
 マルヴェイニー 七日間。
 ハーペンデン ロンドンでの滞在場所は?
 マルヴェイニー まだ決めてない。昨日からの休暇で・・・
 ハーペンデン よかったら、ここでもいいよ。
 マルヴェイニー いや、それは駄目だ。それは出来ない。
 ハーペンデン 大丈夫だよ。明日から僕はここにいないんだ。結婚するんだ。その後二人とも休暇で、オックスフォードで過ごす。
 マルヴェイニー そいつは豪勢だ。おめでとう。
 ハーペンデン 有り難う、ジョー。
 マルヴェイニー すると君の連れ合いは何になるんだ? つまりその・・・アールの女性形は?
 ハーペンデン カウンテス。
 マルヴェイニー(失望して。)なんだ、カウンテスか。その称号になった女の子を知っていてね。そいつはイタリアの男と結婚してなったんだ。
 ハーペンデン そう。
 マルヴェイニー その後、離婚して、今はエリザベス・スィティーに帰ってるんだが・・・カウンテスはその儘なんだ。
 ハーペンデン うん。まあ、イタリアのカウンテスはたいした意味はないからね・・・あ、失敬。君の友達にけちをつけてるんじゃないよ。
 マルヴェイニー いいよ、そんなこと。エリーはいい奴だけど、生まれつきのカウンテスじゃない。
 ハーペンデン その子の話はそこまで。じゃ、いいね? 休暇の間はここっていうことだ。
 マルヴェイニー 悪いな、ボビー。恩に着るよ。
 ハーペンデン 君の世話はホートンがやる。僕の付き人だ。
 マルヴェイニー(ゲラゲラ笑う。)付き人・・・ホートン。いかすなあ。
(ハーペンデン、礼儀正しく微笑。)
 ハーペンデン じゃ、ちょっと着替えに。
 マルヴェイニー ちょっと待って。大変その親切な申し出でなんだけど、気にかかることがあって・・・つまりその・・・男って奴は時々淋しくなって、その・・・
 ハーペンデン ああ、分かってる。ホートンは口が堅い。大丈夫だ。
 マルヴェイニー いや、今言ったのは全く仮定に立った話だ。この町じゃ僕は誰も知らないんだから・・・
 ハーペンデン 誰も? そいつは早速何とかしよう。君の好みは? 特別な注文がある?
 マルヴェイニー 年齢、五十歳未満。
(ハーペンデン、この時までに電話のダイヤルを廻し始めている。)
 ハーペンデン 今電話してるこの子はね、可愛くって、面白くって、アメリカ人贔屓なんだ。(受話器に。)もしもし、内線五六五一。(マルヴェイニーに。)空軍省に勤めてる。・・・タイピスト・・・
 マルヴェイニー 何イスト?
 ハーペンデン タイピスト。速記。
 マルヴェイニー ああ。
 ハーペンデン(受話器に。)もしもし。ミス・クラムをお願いします。こちら、ハーペンデン。・・・(マルヴェイニーに。)一杯やりに来るように言うから、君は夕食か何かに誘う。・・・(受話器に。)ああ、メイベル。ボビーだ。どう調子は?・・・だから言ったろう? ポーランド人とは駄目だって。・・・可愛いってのは分かってる。だけど、そこじゃないんだ、問題は。・・・うん、うん。ね、君。あの厭な課長の奴、今日は何時に君を開放してくれそう? ・・・ああ、そう。じゃ、どう? ここに一杯やりに来ない? ・・・ここ? オールバニー。・・・じゃ、これから一時間したら。・・・ここに会わせたい男がいる。アメリカ人。・・・うん。いい奴だ。・・・飛行機乗りでね。爆撃機だ。・・・ブレーメンを攻撃した時の話、すごいよ。ハラハラドキドキだ。・・・よし。それで行こう。・・・僕は出てるかも知れない。だけどとにかく彼はここにいる。・・・なるべくいるようにはするよ。だけど海軍省で面接なんだ。・・・長くはかからない。・・・よしよし、いい子だ。・・・うん。それは明日。・・・ハノーヴァー・スクエヤー・セント・ジョージだ。来てくれるよね。・・・そりゃ会ったことあるさ。一年前。カクテル・パーティーで。・・・そう。髪は茶色、目はグレイ。・・・おいおい、僕は愛してるんだぜ、その子を。・・・そりゃそうさ。愛してるんだったら。・・・勿論君もだよ。だけど違うんだよ、愛し方が。・・・オーケー。じゃあな。
(受話器を置く。)
 ハーペンデン 朝来るってさ。今日は休みを取ったんだ。だから昼飯に誘うといい。
 マルヴェイニー ブレーメン攻撃には僕は行ってないぜ。
 ハーペンデン(ぼんやりと。)ああそう。気にしないよ彼女、そんなことを。
 マルヴェイニー ああ、とにかく有り難う。こいつは親切だ。
 ハーペンデン いや、礼なんかいいよ。まあ、お互い様だ。今度の時は頼むさ。
(ハーペンデン、寝室に入る。)
 マルヴェイニー(呼んで。)ああ、ボビー、電話を使っていい?
 ハーペンデン(寝室から。)勿論。どうぞ。
(マルヴェイニー、電話に行き、ダイヤルを廻す。)
 マルヴェイニー もしもし、マーフィー大佐を。こちら、マルヴェイニー。中尉だ。
(ホートン登場。部屋を横切って、寝室に進む。)
 ホートン(扉のところで。)朝食はお気に召したでしょうか。
 マルヴェイニー(威厳をもって。)うん、上等だった。有り難う、ホートン。
(マルヴェイニー、言い終わって、ゲラゲラっと笑う。ホートン、眉を上げる。不快の表情。寝室へ退場。)
 マルヴェイニー(受話器に。)ああ、スパイク? ・・・どうなっちゃったんだ、ゆうべは、一体。・・・ああ、そこまでは覚えてる。だけど、どうして俺独りでジュビリーとかいう飲み屋に行くはめになったんだ。・・・ええっ? それで、どんな女だったんだ、そいつは。・・・そうか。それで、その後の話なんだ。嘘だとしか思わないだろうがね、俺はアールと同じベッドに寝たんだ。ガールじゃない、アール。侯爵だよ。アール。・・・法螺じゃないスパイク、本当なんだ。・・・(怒って。)本人が言ってるんだからそうに決まってるじゃないか。・・・こんなことではね、人は嘘はつかないものなんだ。・・・
(ホートン、寝室から出て来る。片腕にマルヴェイニーの軍服をのせている。)
 マルヴェイニー 冠なんか被ってない。ウェスミンスター寺院に行く時だけだよ。知ってるんだ俺は、それくらいのこと。・・・(ホートンが目に止まる。)おい、どうするんだ、俺の服を。
 ホートン ブラシをかけますので。かなり念入りにかけませんと・・・この状態では。
 マルヴェイニー ああ、頼むぜ、おっさん。(またゲラゲラっと笑う。)
(ホートン退場。)
 マルヴェイニー(受話器に。)あれがその男の付き人なんだ。名前はホートン。「付き人」、いかすだろう?・・・ああ、若い。侯爵は若いんだ。俺より若いよ。・・・そりゃお前だってなれたかも知れない。小さい頃ならな。小公子の話、あるじゃないか。・・・お前だって公爵だ、そうなりゃ。・・・馬鹿野郎! 全く人の話を信じないんだから・・・場所? オールバニーって言うんだ。・・・古き良き時代のアパート地だな。もっとも連中はアパートとは言わない。「個室」だ。・・・何? 「トイレ」みたいだ?何言ってるんだ。・・・そう。バイロンも住んでたんだぜ、ここには。・・・バイロン卿だよ。・・・死んでるよ。馬鹿だな、お前は。B十七を操縦することしか知らないんだからな、全く・・・
(ホートン登場。)
 マルヴェイニー 名前はハーペンデン。アール・オヴ・ハーペンデン・・・いい奴だよ。(ホートンがいるのに気づく。)最高にいい奴さ。・・・じゃ、今晩クラブでな。・・・オーケー。じゃあな。(電話を切る。)
 ホートン ボタンも磨いておきましょうか。お訊きするのを忘れておりまして。
 マルヴェイニー あー、いや、いい。普通ボタンは磨かない。
 ホートン 畏まりました。(行きかける。)
 マルヴェイニー ちょっと待って。話がある。
 ホートン はあ。
 マルヴェイニー ここで彼の付き人を何年やってるんだ?
 ホートン お生まれになった時からずっとです。その前は、そのお父上に。
 マルヴェイニー 君だけじゃないんだろう? 付き人ってのは。
 ホートン はい。田舎に二箇所お屋敷がございまして。戦争前は、それを維持するのに相当な要員を必要と致しました。
 マルヴェイニー 戦争前は屋敷二つ? それで今はどうなってる。
 ホートン 一つは病院に。もう一つは空軍に引き取られました。
 マルヴェイニー 引き取られた? えらいこった。
 ホートン 「えらい」ですと?
 マルヴェイニー 読んだことがある。英国貴族の没落って話を。
 ホートン 失礼ながら、それは違います。没落とはほど遠いのです。もともと田舎の屋敷は、維持して行くだけで赤字だったのです。戦前から。
 マルヴェイニー 田舎は赤字? じゃ、何でやって行ってるんだ。
 ホートン 家賃です。主にロンドンでの。
 マルヴェイニー 不動産か。相当な金額にのぼるんだろうな。
 ホートン はい。現在の価格で、ざっと見積もって二百万ポンド。
 マルヴェイニー まいったね。八百万ドルか!
 ホートン はい。実際はもっとずっと多いと推定されます。
 マルヴェイニー フーム。
(マルヴェイニー、ちょっと考える。ホートン、忍耐強く次の質問を待つ。)
 マルヴェイニー 生まれた時からそれだけのものを持っていて、全く働く必要がないっていうのはどうなんだ。俺は賛成出来ないね。
 ホートン アメリカでもそういう話はあると思いますが。
 マルヴェイニー うん、そりゃあるな。しかし俺達はそいつらをアールとは呼ばないぜ。
 ホートン それはその通りで。
 マルヴェイニー いや、気にしなくていいんだ。どうせ俺は無知なアメリカ人なんだからな。
 ホートン 私もアメリカ人でして。アメリカ人を父親に持ち、アメリカで生まれました。
 マルヴェイニー ほほう。
 ホートン 母親もアメリカ人でして。ニューヨークに出て来て、モーガン家に女中として住み込んだのです。そしてアメリカのオペラ歌手と結婚し、私を生みました。
 マルヴェイニー ほほう、オペラ歌手とね。するとどうしてなのかな。君自身が歌手でないのは。
 ホートン どうやら受け継いだ才能が、父親のより母親のものだったらしく・・・それに良い歌手でもなかったようです。では、失礼ですが、この辺で。仕事に戻りませんと。
 マルヴェイニー そりゃそうだ。引き止めて悪かった。
 ホートン いいえ、そのようなことは。同郷の方とお話でき、楽しうございました。
(ホートン退場。マルヴェイニー、今までとは違う表情で部屋を見回す。)
 マルヴェイニー(独り呟く。)八百万ドルか!
(ハーペンデン、寝室から出て来る。普通の水兵の制服。但し靴は履いていない。マルヴェイニー、ハーペンデンに気付かない。ハーペンデン、マルヴェイニーに近づく。ストッキングの足なので、音がしない。)
 ハーペンデン 剃った方がいいかな。
(マルヴェイニー、制服を見てギョッとなる。)
 マルヴェイニー 驚いたな、こいつは!
 ハーペンデン どうしたんだ。
 マルヴェイニー それ、仮装用の衣装? それとも君、本物の水兵さん?
 ハーペンデン 本物の水兵さんだよ。・・・剃った方がいいかな。教えてくれ。
 マルヴェイニー(顎を触って。)剃らなくていいよ、これなら。
 ハーペンデン(疑わしそうに。)狐の目をした海軍のお歴々の面接にパスしなきゃならないんだ。(顎を撫でる。)畜生! こいつは剃らなきゃ駄目だな。
 マルヴェイニー じゃ、剃りゃいいじゃないか。
 ハーペンデン 刃がガタガタの古いやつが一枚あるきりなんだ。それに今のところ、新しく買えやしないし。
 マルヴェイニー 八百万ドル持っててね。フーン。
 ハーペンデン(玄関ホールを開けて呼ぶ。)ホートン、靴を頼む。
(自分の恰好を鏡で念入りに調べる。)
 マルヴェイニー 驚いたもんだ。アール殿が水兵さんだとはね。
 ハーペンデン その「水兵さん」ってのは止めてくれないかな。これでも立派な海軍なんだ。
 マルヴェイニー オーケー。海軍ね。で、乗ってる船は?
 ハーペンデン 駆逐艦だ。
 マルヴェイニー 戦闘をやったことは?
 ハーペンデン 多くはない。時々古い潜水艦を沈めるぐらいだ。そうそう、ナルヴィックではちょっとやったかな・・・昔の話だ。
 マルヴェイニー ナルヴィック? そいつは大昔の話だぜ。一体どのくらいいるんだ? その船に。
 ハーペンデン 三年。
 マルヴェイニー 三年? そんなに長くいて、連中、まだ君を士官にしてくれないのか?
 ハーペンデン まだだな。今日してくれるかも知れないがね。海軍省でやる面接ってのがそれなんだ。
 マルヴェイニー どうなってるんだ? 三年間も試験をやらずにほったらかしておくってのは。
 ハーペンデン いや、ちゃんと試験はあったよ。年に一度。これはきまりだ。
 マルヴェイニー それで君を連中、毎回落としたのか?
 ハーペンデン うん。全くにべもなくだ。
 マルヴェイニー 君、侯爵なんだろう? それに金だって・・・
 ハーペンデン 金、侯爵、まあね。だがどうやら、結論を認めるのは厭なんだが、僕が軍隊にはひどく向いてないってことだな。
(ホートン、靴を持って来る。)
 ホートン 靴です、旦那さま。
 ハーペンデン 有り難う、ホートン。
(ハーペンデン坐る。ホートン、その前に屈み、靴を履かせる。マルヴェイニー、信じられないという目つきでこれを眺める。)
 マルヴェイニー どうなってるんだ、こいつは!
 ハーペンデン 君、着替えた方がいいよ。メイベル・クラムが来るぞ。寝巻姿じゃまずい。
 マルヴェイニー オーケー。
(マルヴェイニー、扉の方に進む。ハーペンデンの前を通る時、急に立ち止まる。)
 マルヴェイニー(真面目な表情。からかって。)士官が通るんだぞ。どうなんだ、イギリスの海軍では。兵隊は起立するんじゃないのか。
(ハーペンデン、にやりと笑って、きりっとした態度で立ち上がり、気をつけをする。)
 ハーペンデン 失礼いたしました。
 マルヴェイニー うん。そうこなくっちゃな。(起立の姿勢を点検した後。)よし。直ってようござる、旦那さま。(クスクス笑って。)こいつはいいや。
(マルヴェイニー、寝室に入る。ハーペンデン、再び坐る。その間ホートン、もう一方の(長)靴に取りかかっている。)
 ホートン アメリカの人、陽気なものでございますね。
 ハーペンデン うん、陽気だ。ところでホートン、明日からはあの男の面倒を頼む。ここを貸すんだ。
 ホートン(ちょっと間あって。)それはどのようなものでございましょう。ここには壊れやすいものが置いてありますし・・・
 ハーペンデン 心配はいらない。僕より大事にするよ、あの男は。
(玄関にベルの音。)
 ホートン はい、分かりました、旦那様。
(ホートン、玄関ホールに行く。暫くしてホートンの、客に挨拶する声が聞こえる。)
 エリザベス(舞台裏で。)お早う、ホートン。
 ホートン(舞台裏で。)お早うございます、お嬢様。
(ホートン登場。)
 ホートン 旦那様、エリザベス様で。
(ハーペンデン、驚いて立ち上がる。エリザベス登場。ホートン退場。エリザベスは若く非常な美人。また、美人であることに気付いていない様子。空軍婦人補助部隊(WAAF)の伍長の制服を着ている。)
 ハーペンデン ああ、お早う。(頬にキスする。)言ったじゃないか。僕はすぐ出るんだよ、面接に。
 エリザベス 御免ね、ボビー。「幸運を祈るわ」って言いに来たかったの。
 ハーペンデン ああ、それは嬉しいな。僕には必要だよ、その言葉。で、調子はどう?可哀相に。旅行、ひどかったんだってね。
 エリザベス 最低。
 ハーペンデン 全然寝られなかったんだって?
 エリザベス 一睡も。
 ハーペンデン でも、元気そうだな、それにしちゃ。(腕章を指差して。)あれ、一階級落ちたんじゃない? この間会った時は確か、曹長だったぞ。
 エリザベス ええ、そうなの。
 ハーペンデン どうしたんだい。
 エリザベス 上官がひどい奴なの。
 ハーペンデン その話になりゃ、こっちだって同じだ。可笑しいね、僕等二人ともこの仕事にはあまり向いてないようだ。
 エリザベス 私は向いてるわ。今度は運が悪かっただけ。
 ハーペンデン 今度は何をやったんだい。
 エリザベス 防衛本拠地の見取り図を無くしたの。
 ハーペンデン ええっ!
 エリザベス 後でちゃんとあったわ。トイレに置き忘れてたの。
 ハーペンデン 何だ、それじゃ別にどうってことないじゃないか。運が悪いなあ。
 エリザベス いい加減ね。でもあなたのこと愛してるわ。
 ハーペンデン ほんとに?
 エリザベス ほんとはね、よく分かってないの。
 ハーペンデン 厭だな。式間近になって心配になって来るってやつか?
 エリザベス 違うのよ、ボビー。愛してる、とか何とか、あなたには簡単に分かることなの。でも私は駄目。
 ハーペンデン どうして。
 エリザベス 私、今までに男って言ったら、あなたしか知らないの。何しろ躾けが厳しいんですもの、北部は。でも私、あなたのこと好き。それは分かっている。特にあなたが水兵さんになってから。だってその制服、とてもよく似合うんだもの。ローネック、それにだぶだぶのズボン。
 ハーペンデン 海軍省のお歴々もそう思ってるみたいだ。僕にはこれが一番似合ってるってね。
 エリザベス 私はだから、あなただけでしょう? あなたは違う。何百人って女の子を知っている。いや、何千かな?
 ハーペンデン そりゃ多過ぎだ。何百どまりだ。
 エリザベス だからあなたにはすぐ分かるのよ。
 ハーペンデン 分かる? 何が。
 エリザベス 私を本当に愛しているかどうかってこと。
 ハーペンデン 本当に愛してるよ。(キスする。)
 エリザベス メイベル・クラムを愛してるよりもっと本当に?
 ハーペンデン 誰? メイベル・クラムって。
 エリザベス あらあら、あの人を知らないってことはないの、あなたは。私だって知ってる。インヴァネスにいたって、噂は届くの。
 ハーペンデン よく分からないな、何の話か。
 エリザベス 分かってるの。(非難するように。)ボビー、あなたってしようがないわね。
 ハーペンデン しようがないって、何が。
 エリザベス メイベル・クラムのこと。だってかなりの酷さよ、あの人。
 ハーペンデン どうして分かるんだい。
 エリザベス だってパパだって知ってるのよ、その人を。
 ハーペンデン へえー。どうしてなんだ。大佐、エア・アン・スターリング公爵のお知り合いという人物ならば酷いというのは。
 エリザベス だってパパってひどく趣味が悪いんだもの。あなただって知ってるでしょう?
 ハーペンデン これは酷い。強烈だ。
 エリザベス 覚えてる? 一年前、あなたの送別のパーティーの時、私その人を見たの。私、知らない振りをしていたわ。だってまだ正式の婚約はしていなかったでしょう?でもあなた、この頃またその人に会っているっていう噂。
 ハーペンデン そんな話、お父さんの馬券の金額の噂と同じだ。全く信用に値しない。メイベル・クラムにはね、僕はもう何箇月も何箇月も会っちゃいないんだ。あの子の消息さえ知らないな、僕は。(そわそわと扉を見、それから時計を見る。)
 エリザベス(非難するように。)ボビー!
 ハーペンデン 何だい? ボビーって。
 エリザベス 私、あなたが嘘をつく時、すぐ分かるの。だって・・・
 ハーペンデン だって・・・何だい?
 エリザベス 必ずあれをやるんですもの。言わないわよ「あれ」って何か。結婚してから役に立つもの、これ。だって、あなたまたメイベル・クラムに会うことになるでしょう? その時にすぐ分かるわ、これで。
 ハーペンデン エリザベス! 何てことを言うんだ。それは道徳ってものが、全く分かってないっていう言葉だよ。
 エリザベス(真面目に。)ええ、私、分かってないの、道徳って何か。
 ハーペンデン 驚いたな。これが僕と結婚する相手だとは。
 エリザベス 大丈夫よ、私のことは。心配なのはあなた。論理的に考えるわよ、いい?結婚前にあなたはメイベル・クラムに会っていた。じゃあ、結婚後、どうして会ってはいけないか。いけないことなんかないでしょう?
 ハーペンデン いけないんだ、それは。結婚の誓いってやつがあってね。あの文句にあるんだ。
 エリザベス それをあなた、守るつもり?
 ハーペンデン 守るよ。
(エリザベス、じっとハーペンデンを見る。)
エ リザベス そうね、今度のは嘘じゃなさそう。やらないわ、あれを。御免なさい、ボビー。(頭をハーペンデンの肩にのせる。)私、男って何も知らないの。知ってる男っていったら、パパだけなんだから。
 ハーペンデン 人類の未来のために敢えて言うけどね、君のパパってのは、どうもいいお手本じゃないよ。
 エリザベス 今朝ここに来るって言ってたわ、パパ。仕事の話だって。
 ハーペンデン ええっ? 軍政部では仕事がないのかな。
 エリザベス ないんでしょう、きっと。ダングルノンの土地供与との交換条件だけのことだもの、パパに仕事がはいったのは。
 ハーペンデン で、その仕事ってのは?
 エリザベス 外事官。ポーランドとの。
 ハーペンデン え? じゃ、お父さん、ポーランド語喋れるの?
 エリザベス いいえ。でも要点は分かるって言ってるわ。
 ハーペンデン 供与の代償には仕事じゃなくて、ただお金を貰う方が良かったんじゃない?
 エリザベス お金も貰ったのよ。出納係の手にはもう届いている筈だわ。そうそう、それで思い出したけど、ズィッピー・スナップスに投資しちゃ駄目よ。どんなことがあっても。
 ハーペンデン あのね君、そこに坐って、「ズィッピー・スナップスに投資しちゃ駄目よ」なんて、気軽に言うけどね、そんなに簡単じゃないんだよ、それは。だけどまあ、今日だけは大丈夫だ。お父さんには会わないですみそうだ。もう行かなくちゃ。(ソファから立ち上がる。)
 エリザベス あ、そうそう、ボビー、思い出したわ。どうしましょう。もっと早くに言っておくんだったわ。今朝もう一人ここに来る人がいるのよ。
 ハーペンデン そう。誰?
 エリザベス 私、来いなんて言わなかったのよ、本当に。
 ハーペンデン 何だい? 一体。
 エリザベス 汽車で一睡もしなかったっていう話はしたわね? その車両には八人の乗客がいて、私の隣にいたのがフランス人の中尉さん。話が面白い人なの。可笑しいでしょう?
 ハーペンデン 笑えちゃうね。涙まで出そうだ。
 エリザベス で、一晩中話してたの。大抵はフランス語で。だから他の人には分からなかった筈よ。
 ハーペンデン ええっ? 君達二人、十時間もいかがわしい話をしてはゲラゲラ笑ってたって言うの?
 エリザベス 違うわよ、ボビー。でもあなたも知ってるでしょう? フランス人てどういうものか。いろんな話をしたわ。あの人の個人的なこと、私の個人的なこと、それにジロー将軍・・・
 ハーペンデン ねえ、もう脱線は止めて、要点を言ってくれないかな。
 エリザベス 分かったわ。とにかくあの人、休暇なの。で、どこに泊まったらいいか、困ってたの。それで私・・・(ハーペンデンがギョっとなるのを見て。)どうしたの?
 ハーペンデン ここに泊まれって言ったんだな?
 エリザベス ええ、そうよ。どうせ明日からあなた、ここにはいないんだし、今晩の一晩くらい、あなたと一緒のベッドで寝たって構わないって・・・
 ハーペンデン あのね、あそこはもう先約があるんだ。でっかいアメリカ人の爆撃機乗りでね。今現にあそこで着替えの最中だ。いくら君のためでも、フランス国家のためでも、三人でベッドに寝るのは僕はごめんだ。
 エリザベス えっ? アメリカ人て、それ何?
 ハーペンデン 今すぐには話せないな。君、それ、小さいフランス人って言ったね?
 エリザベス ええ、小さいわ。でも坐っているところしか見てない。
 ハーペンデン ソファでどうかな。
 エリザベス ええ大丈夫。きっと。ソファで。
 ハーペンデン よーし、じゃ君、ここに残ってそいつが来たら事情を説明するんだ。いいね? 僕はもう行かなくちゃ。じゃ、昼飯にね。さよなら。
(ハーペンデン、はっと思い当たることあり。「こいつはまづいぞ」という顔。心配そうに、マルヴェイニーのいる部屋の扉を見つめる。)
 ハーペンデン 待てよ。ちょっと考えたんだけど、ホートンから事情を話して貰うことにしようか。つまりその・・・君にわざわざ・・・
 エリザベス 大丈夫。ここにいてちっとも構わない。午前中何もすることないんだから。
 ハーペンデン ああ、これは有り難いな。
(間。)
 ハーペンデン ねえ、僕ちょっと、電話をかけていいかな。
 エリザベス あら、急いでたんじゃないの?
 ハーペンデン ああ、ちょっとこれだけはやっておかなくちゃ。今思いついたんだ。上司の命令があったんだよ。(そう言いながら、ダイヤルを廻して。受話器に。)ああ、空軍省? 内線五六五一を。・・・もしもし、こちらハーペンデン。今朝かけた侯爵の。・・・その時に話した女性をお願いしたいんだが。・・・名前を忘れてしまって・・・そう。勿論これじゃいけないんだが。どうも失礼。(エリザベスに。)名前が覚えられないたちでね。(受話器に。)ああ、もしもし・・・ええ、こちらハーペンデン。今朝、ある件についてお話したものですが、覚えて下さってますね? 即座の対応をなさらなかった御様子で・・・ええええ。その方が有り難かったんです。・・・新しい事態が発生して、あの件は暫く保留にして戴きたいと・・・ええ、そうです。その通り。ええ、その通りなんです。・・・じゃ、また御連絡します。では失礼。
 エリザベス(怪しむ様子なく。)空軍省に用事って何なの? ボビー。
 ハーペンデン いや、RAFとはいろいろあってね。水際作戦・・・水上飛行機・・・空軍も海軍もないんだ、今は。共同作戦の時代だ。(時計を見る。)あ、こいつはいかん。じゃ、また後でね。
(ハーペンデン、エリザベスにキス。玄関でベルが鳴る。)
 ハーペンデン あれ、もう来ちゃったぞ、君のフランス人。頼むよ、彼のことは。
(玄関ホールに声がする。)
 公爵(舞台裏で。)お早う、ホートン。
 ホートン(舞台裏で。)お早うございます、公爵様。
 エリザベス 違ったわ。あれはパパよ。
 ハーペンデン まいったな。
(ホートン、外から扉を開ける。)
 ホートン 公爵様です。
(公爵登場。大佐の制服姿。およそ五十五歳。少し腹が出ているが、昔のハンサムだった面影を十分に残している。)
 公爵 おおボビー、いたか。よかった、間に合って。どうだ、調子は。まあまあの様子だな。オゾンのお陰か? どうなんだ。
 ハーペンデン はい、そのようで。ところで僕はちょっと・・・
 公爵 いいんだよ。大丈夫だ。一秒と引き止めはしない。急ぎの仕事でな。ちょっと話せばすむんだ。いや全く、仕事ってやつは無粋なもんだ。しかし避けて通るわけにもいかんのでな。
 エリザベス パパ、ボビーは海軍省で面接なの。今でないともう遅刻なのよ。
 公爵 面接? そいつはいかん。海軍省で遅刻は許されん。遅刻は厳禁だ。
 ハーペンデン そうです。時間厳守です。
 公爵 だからすぐ要点を話す。今君の顧問弁護士に会って来た。例の結婚契約書を二人で検討したんだがね。いや、よく出来た契約書だ。実によく出来ている。ただ一箇所ね・・・
 ハーペンデン ちょ、ちょっと待って下さい。それはまたいつか別の機会に。この面接に遅れたら僕は・・・
 公爵 いや、遅刻はいかん。しかしこれは一分とかからん。そうだ、面接試験の委員長は誰なんだ?
 ハーペンデン そんなの僕に分かりっこありませんよ。
 公爵 よし、そいつの名前を調べとくんだ。君がもし遅刻したら、今日の午後私から電話をかけておく。君は私と一緒だったんだからと。
 ハーペンデン 有り難うございます、ご親切に。しかし・・・
 公爵 いやいや、礼には及ばん。お安い御用だ。ああいう連中はみんな懇意にしていてな。大抵私のためなら何でもやってくれる。大抵の奴はな。十把一からげの連中さ。・・・何の話だったかな。あ、そうそう、契約だ。あれによると君、君の妻の家族に対しては、びた一文払わんという話になっているようだが?
 ハーペンデン ええ、そういう了解ですが。
 公爵 了解って、誰の了解なんだ。私は了解などしておらんぞ。
 ハーペンデン ええ、お訊き致しませんでした。お嬢さんの顧問弁護士の了解です。
 公爵 そうらしいな。しかしそこには重大な見落としがあると言わねばならん。わが家族には、一、二、非常な注意を払うべき案件がある。例えばエリザベスの叔母、アミーだ。
 エリザベス パパ、アミー叔母さんは、あの老人ホームで楽しくやっているじゃない。お金だってたーっぷりあるわ。
 公爵 その通りだ。しかし、もう少しあっても邪魔にはならん。
 エリザベス それにあの叔母さん、自分はカール・マルクスだと思っているのよ。だから・・・
 公爵 確かにあの幻影は不幸なことだ。しかし、だからと言って、わざわざ惨めな晩年をおくる必要はない。十分な財産はあるのだからな。だがまあ、お前がそう言うならアミー叔母さんは除外することにして・・・配偶者にもう少し近しい関係にある人物の件に移れば・・・
 ハーペンデン 未来の父上に対しては、確かに何もお譲りしないことになっています。しかし、その理由はご存じの筈です。口頭ではそれをお約束しているからです。
 公爵 そう。確かにそうだ。しかしこういった事は、やはり書きものにしておかんと。書類にして、サインして、封印をして、発効させておく・・・
 ハーペンデン 何故そんなことが・・・分かりませんね、僕には。
 公爵 この今の時代ってやつだよ。我々は嫌でもこの現実に直面せねば・・・
 エリザベス(鋭く。)ボビー?(自分の時計を指さす。)
 ハーペンデン こいつはいかん! 本当に遅刻するぞ。すみませんが、直面はまた後にして・・・
 公爵 いいから、いいから。車で来てるんだ。海軍省までは送ってやる。車の中で話そう。どうだ?
 ハーペンデン いいでしょう。でも今すぐ願います。
 公爵 大丈夫だ。任せろ。
(ハーペンデン、玄関ホールに突進する。公爵立ち上がり、急に何かを思いつき、電話に進む。)
 公爵 おっと、危うく忘れるところだったぞ。
 エリザベス(必死に。)パパ、お願い。早くして。
 公爵 大丈夫だ。一秒とかからん。
 エリザベス 海軍省で面接なのよ、ボビーは。
 ハーペンデン(再び登場して。)参ったな。今度は何ですか。
 公爵 電話をな、ちょっと。いや、待たせはせん。すぐ終わる。
 エリザベス 大丈夫よ、ボビー。
 公爵(受話器に。)もしもし・・・マクドゥーガル・アン・スタインベック事務所?・・・こちら、プリムローズ・パースだ。・・・プリムローズ・パース。・・・両方で五十ポンド欲しいんだが。・・・何だって?投函したぞ、それは。私が自分で投函した。・・・おいおい、この私が言ってるんだぞ。・・・その前の勘定だって? ああ、あれはちょっと手違いだった。下男が投函するのを忘れたんだ。・・・そう。酷いもんだ。迂闊な。・・・あのね君、私が誰だか、君には分かってるんだろう? どうなんだ?・・・フン、分かってるんだな。・・・なるほど、そいつは結構な扱いだ。・・・よろしい、そちらがその気なら、預金は他に移す。それでいいんだな?・・・何? 「これで失礼」? こっちこそ失礼してやる!(怒って電話を切る。)共産党!(また別の電話をかけ始める。)
 ハーペンデン ええっ? また?
 エリザベス(公爵の手を取って。)パパ・・・
 公爵(呟く。)マクドゥーガル・アン・スタインベック。何ていう奴らだ。ヤフーめが。(受話器に。)ああ、門番につないでくれ。・・・やあ、バーカー。こちらはエア・アン・スターリングだがね。・・・ああ、そう。公爵、公爵だ。・・・すまんが君、三時半発走のベルナドッテに五十ポンド賭けておいてくれないか。・・・そう。(苛々しながら。)そうそう、そう。・・・じゃまた。
(公爵、電話を切る。玄関にベルが鳴る。)
 公爵 これでよしと。じゃ、行くとするか。用意はいいんだな?
 ハーペンデン ええ、何時でも。(扉の方へ向かう。)
 公爵 おい、ちょっと待て。そんなかかしみたいな格好じゃ、海軍省には行けんぞ。
(公爵、ハーペンデンのカラーを引っ張り、直そうとする。ハーペンデン、悲鳴を上げ、エリザベスのところへ
駆け寄る。)
 ハーペンデン 頼むよ。
(エリザベス、カラーを直してやる。)
 エリザベス ほら、これで大丈夫よ。
(ホートン登場。)
 ホートン コルベール中尉という方が・・・
 ハーペンデン 一難去って、か。
(コルベール登場。背の低い、髭を綺麗に剃った、非常に清潔な感じのするフランス軍士官。ハーペンデン、彼 に駆け寄る。)
 ハーペンデン やあ、今日は。初めまして。どうぞゆっくりして。僕はちょっと失礼。
(ハーペンデン、玄関ホールに退場。コルベール、呆気に取られて、ハーペンデンを見送る。)
(それからコルベール、エリザベスに会釈。)
 エリザベス 今日は。こちらは私の父。・・・こちら、コルベール中尉さんよ。パパ、急いで!
(エリザベス、ハーペンデンの後を追い、走って退場。)
公爵(酷いなまりのフランス語で。)Enchante, Monsieur, enchante. (初めまして、これは。初めまして。)(握手。)Il fait chaud aujourd'hui, n'est-ce pas? (今日は暑いですなあ。)
 コルベール Oui, Monsieur. Je l'ai remarque moi-meme. (ええ、暑いです。私も気付きました。)
 公爵 Votre figure me semble familiere. Vous connaissez Paris? (お見かけした顔ですな。パリに住んでらしたことは?)
 コルベール Oui, Monsieur, je connais Paris.(ええ、あります。)
 公爵 パリか。ヂュック・ドゥ・カーズがグランプリで勝った。あれは大穴だった。あれ以来だな。好きだった、パリは。春のパリ・・・レストラン・・・カフェー・・・ブルヴァール・・・
 コルベール それに女・・・女・・・女・・・ですか? 大佐殿。
 公爵 そう。女・・・女。思い出すな。あの頃はまだ若かった。実にいいのが・・・
 コルベール いいの?
 公爵 Un charmant petit morceau... (女・・・実にいい・・・)
(ハーペンデンとエリザベス、部屋に飛び込んで来る。)
 ハーペンデン 公爵、お願いです・・・
 公爵 分かった、分かった。今行く。(コルベールに。)またいつか必ず。Vous devez avoir un morceau a manger avec moi, a mon club ... (一緒に飯でも食おう。私のクラブで。)・・・Turf. (クラブの名はターフと言うんだが。)
 コルベール Avec plaisir. (喜んで。)
 公爵 Capitale. (最高だ。)(エリザベスに。)ああ、後で拾いに来る。(ハーペンデンに。)では、行くとするか。
(公爵退場。ハーペンデン後につづく。)
 ハーペンデン(公爵を追いながら。)参ったな。
 公爵(声が玄関ホールから聞こえる。)契約の話なんだがな、そいつをある種の保険の形式にしようと・・・
 エリザベス どうぞ坐って。
 コルベール 有り難う。(坐る。)
 エリザベス この部屋、使っていいって。ただ、今夜だけはソファーで寝ることになるんだけど。
 コルベール それは有り難いです。で、あの水兵さんは誰なんですか?
 エリザベス あれが私の婚約者。ボビー・ハーペンデン。
 コルベール ええっ? フィアンセ?
 エリザベス 驚いた?
 コルベール 相手は侯爵だって聞いてましたからね。ああいう格好をしているとは思いませんでした。
 エリザベス 王冠を被ってると思った? それに白貂(てん)のコート・・・
 コルベール それは違いますけど、もう少し年がいってると・・・それに大きな口髭・・・鉤鼻・・・どうしてかな、そう思ってましたね。
 エリザベス ハンサムでしょう? どう?
 コルベール いや、私にはどうも・・・ちょっと・・・Qu'est-ce que c'est fade? (fadeって、英語で何て言うんでしたっけ。)
 エリザベス とろい。
 コルベール そう。とろい顔。
 エリザベス まあ。
 コルベール 御免なさい、ミラディー。でも思っていることは言わなくっちゃ。
 エリザベス いいのよ。でもミラディーは止めて。
 コルベール ええ。しかし、どう呼べばいいんだろう。
 エリザベス ゆうべ、暫く話してるうちに、すぐルネ、エリザベスって呼びあってたじゃないの。
 コルベール ゆうべはゆうべ。
 エリザベス で、今日は今日? 違い、分からないわ。
 コルベール ミラディー、・・・あ、エリザベス・・・私はゆうべ、過ちを犯しました。言い過ぎの過ちか、それとも言い足りない過ちを・・・
 エリザベス 言い過ぎてはいなかったわ。
 コルベール じゃ、言い足りない過ちです。
 エリザベス もっと、何が言いたかったの?
 コルベール もっと、もっと・・・言い足りなかった。
 エリザベス じゃ、今言えば?
 コルベール あなたを怒らせちゃう。いや、黙っていた方がいい。
 エリザベス じゃ、御勝手に。
(間。コルベール、急に自分の膝を叩いて立ち上がる。)
 コルベール いや、言おう。これはどうしても言わなきゃ。エリザベス! あいつと結婚しちゃいけない。
 エリザベス いけない? ボビーと? 何故?
 コルベール お願いです。止めて。手遅れにならないうちに。
 エリザベス でも私、愛してるのよ、あの人を。どうして?
 コルベール 愛してる・・・そう。ゆうべもあなたはそう言った。だけどこうも言ったんです。「でも私、あの人に対して、何かが足りないの。焼けるような、真っ赤な何か・・・それが欠けているの・・・」
 エリザベス あら、私、そんなこと言った?
 コルベール この儘の言葉じゃなかったけど、でも言ったことはこれだった。あなたは彼を愛してる、それは認めます。だけど、その愛は、兄弟への愛、飼っている犬に対する愛、と同じなんです。男女間の愛じゃない。違うもの、全く違うものなんです。僕は請け合う。
 エリザベス でも、愛かも知れないのよ、これ。ただ私がそれに気付いてないだけ・・・そうなのかも知れないの。それに、この落ちついた、静かな、普通の愛って、結婚にはいいんじゃないの? あなたの言う「焼けるような、真っ赤な何か」か、何か知らないけど、そんな愛より。
 コルベール 違うんです、エリザベス。そこなんです、根本的に間違ってるのは。私にはよーく見えてます。イギリスの二つの名門。あなた達二人が、もう小さい時から、決められていた結婚・・・親の言うことをきく素直な二人の子供・・・
 エリザベス 違うわ、それは。私達二人とも、誰を選ぼうと全く自由なのよ。
 コルベール 親に騙されてるんです。そう思わせられているだけなんです。
 エリザベス でも、たとえ私がボビーを愛していないとしてもよ、そんなこと私、決して、決して認めはしないけど、たとえそうだとしてもよ、あの人は私を愛してるわ。
 コルベール そうですか。じゃ、クラムなる人物はどうなんです。
 エリザベス あら、私、そんなことまで言った?
 コルベール 思い止まるんです、エリザベス。さもないと、貴方がた二人の人生、もうめちゃめちゃですよ。
 エリザベス でも一体何? これ。あなた、何の権利があって、こんなこと、私に言ってるの?
 コルベール ほら、やっぱり怒った。だから最初に言ったんです。
 エリザベス 私、ちっとも怒ってなんかいない。ただ馬鹿げてるの、こんなこと。私がボビーと結婚しないで、どうなるって言うの? インヴァネスに帰る、そして戦争が終わっても、ずっとダングルノンに住む。ボビーと同じくらいハンサムな人とは、誰にも会わないでよ。それに・・・ええ、言ったって構わないわ。あの人と同じくらい金持ちの人とも。そして、その儘オールドミスになって、老けこんで行っちゃうの。
 コルベール あなたはオールドミスになんかなりません。それから、老けこんで行きもしない。その顔にはそう書いてないんです。(エリザベスに近づいて。)あなたは美人だ。だけど、美人なんて問題にならないものがあなたにはある。その目です。その目には欲望があります。生きる喜びがあります。人生を楽しもうという強い炎があります。それは消そうとしたって決して消えない。
 エリザベス そうかしら。
 コルベール 早まってはいけません、エリザベス。待つんです。きっと今に現れる、その目に相応しい恋人が。
 エリザベス 現れるって、どうして分かるの?
 コルベール 私には分かるんですから仕方がない。あなたは待てばいいんです。それに、その待つ時間だってそんなに長くはありません。
(間。エリザベス、明らかに自分の追うべき話の筋を理解した様子。)
 エリザベス 何、一体、これ。どういう理由があってあなた、そんなことを言うの。
 コルベール それは私が答えたくない質問ですね。
 エリザベス あなた、私に言い寄ってるのね。
 コルベール そう言われても、反論はありません、ミラディー。
 エリザベス 私、あなたが言ったこと、一つ残らずみんなボビーに言いつけるわ。
 コルベール いいでしょう。彼、右フックで僕を殴るだろうな。そいつは運が悪いですが。
 エリザベス 右フックだけじゃない、左フックもよ。
 コルベール(諦めて。)ああ、やっぱり怒っちゃったなあ。怒ること、全然ないんです、もし私の言ったことが、全く違ってたら。本当だからあなた、怒ってるんです。違ってたら笑う筈なんですよ。
 エリザベス 笑ってるの、私。あなたが言ったことみんなみんな、馬鹿馬鹿しくて、私本当に笑っちゃう。(涙が出そうになる。)顔で笑ってないかも知れない。でも、心では、心では、大笑いよ。
(間。)
 コルベール 失礼します。(立ち上がり、扉のところまで行き、振り返り。)繰り返し言います。引き返すんです、エリザベス、手遅れにならないうちに。この侯爵って奴、あなたを愛しちゃいません。地位があっても、金があっても、それにクラム嬢がいたって。
 エリザベス もう行って!
(コルベール退場。明らかにエリザベス、動揺している。強く鼻をかむ。左手隅に大きなラジオあり。それに近づき、扉を開け、スイッチをひねる。少しの間の後、ダンス音楽が聞こえてくる。甘く感傷的な旋律。マルヴェイニー、寝室から、陽気に口笛を吹いて登場。米軍の制服。空軍の肩章。エリザベスを見てはっと立ち止まる。エリザベスを品定めするように、上から下まで眺める。満足の微笑。)
 マルヴェイニー さてさてさて、と。やっと現れましたな。
 エリザベス(おずおずと。)今日は。
 マルヴェイニー 自己紹介した方がよさそうだな。僕はマルヴェイニー。中尉なんだ。
 エリザベス 初めまして。私・・・
 マルヴェイニー(握手して。)ああ、いい、いい。自己紹介は不要。君の友達の侯爵がみんな話してくれている。
 エリザベス(丁寧に。)あなたのことも話してくれたわ。
 マルヴェイニー うん。分かってる。(エリザベスを感にたえたように見つめる。)うーん、これはすごい。話してはくれていたが・・・半分も話されてはいなかったな。(もう一度しげしげと見て。)完璧だ!
 エリザベス(気詰まりで微笑して。)有り難う。
 マルヴェイニー 彼が話してくれていた中に、君がアメリカ軍に弱いっていうのがあったけど・・・
 エリザベス あら、そう。ええ、勿論アメリカ、好きだわ。
 マルヴェイニー すると、君と僕、友達になれるってことかな。
 エリザベス ええ、まあ。
 マルヴェイニー ここだけの話だけど、僕にも弱いところがある。君のタイプだ。こいつに弱い。
 エリザベス そう。
 マルヴェイニー 何しろすごいや、こいつは。どう? 一杯。僕はその気分だな。
 エリザベス(やっと聞こえる声で。)ええ、私も。
 マルヴェイニー 侯爵殿は、どこにお入れ遊ばすのかな、もしあるとすれば。
 エリザベス(指さして。)あそこ。戸棚の中。
 マルヴェイニー それは先刻ご承知のはず。ご承知どころかって、いうところかな。(戸棚を開ける。)ピタリだ。スコッチときた。
 エリザベス シェリーはないかしら。
 マルベイニー シェリー? 冗談じゃない。上品ぶらなくってもいいんだ。どうせスコッチさ。本音はこっちに決まってるだろう?(タンブラーにかなり十分注ぎ、生(き)の儘エリザベスに差し出す。)
 エリザベス とても私、そんなの飲めないわ。ちょっと・・・
 マルヴェイニー まづくしてくれってんだな。オーケー。
(マルヴェイニー、グラスにほんの少しソーダを入れる。エリザベスに手渡す。マルヴェイニー、この時までに自分にもウイスキーを注いでいる。生の儘。)
 エリザベス まだ強過ぎだわ。
 マルヴェイニー 何言ってるんだ。それで大丈夫だよ。(自分のグラスを上げて。)米英協同連合に。
 エリザベス(間の後、呟く。)協同連合に。
(二人、飲む。マルヴェイニー、一息に飲み干す。エリザベス、ちょっとなめて、顔を顰める。)
 マルヴェイニー どうした?
 エリザベス 強過ぎるわ。
 マルヴェイニー おいおい、僕におねんねだと思われていいのかい? その制服で。さあ、飲むんだ。イギリス空軍の名誉がかかってるぞ。
(エリザベス、空軍の名誉と聞いて、はっとなる。グラス全部を一息に飲み込む。咳き込む。マルヴェイニー、
エリザベスの手からグラスを取り、テーブルに置く。)
 マルヴェイニー うん、それでいい。
 エリザベス(弱々しく。)私、こんなに強いの、飲んだことないの。それに朝、こんな時間に。
 マルヴェイニー(微笑む。)うんうん、分かってる、分かってる。よーし、これから何をしよう。
 エリザベス 分からないわ。
 マルヴェイニー 石版画の名作があるの。お見せしたいわ。なんて言うんじゃないだろうな。
 エリザベス ああ、あるわ。お見せしましょうか。
 マルヴェイニー うん、そりゃ彼、持ってるだろうな。
(マルヴェイニー笑う。エリザベスが冗談を言ったので、それを笑う、という調子。エリザベス笑う。しかし不思議そうな顔。)
 マルヴェイニー 君が制服で来るって彼、言わなかったな。でも似合うよ、それ。うーん、この制服の青。君の目が引き立つなあ。
 エリザベス あら、そう?
 マルヴェイニー そうさ。その目。いかす目だなあ、曹長さん。(エリザベスの腕章を見て。)君、曹長?
 エリザベス いいえ。ただの伍長。
 マルヴェイニー すぐに上がるさ。賭けてもいい。そうだ。空軍のお偉方、みんな君に夢中なんだろう?
 エリザベス そんな様子はないわ。
 マルヴェイニー なんだ、連中みんな空き盲なんだ。いいかい、もし君がアメリカ空軍にいたとするよ・・・
 エリザベス ええ、どうなるの? そしたら。
 マルヴェイニー 総司令官だよ。
 エリザベス あら、じゃアメリカ空軍にいたらよかった。
 マルヴェイニー そう。君だけじゃないよ、来たがってるのは。そうそう、君、アメリカ人のどこが好き?
 エリザベス 私、あまり知らないの。今いる部署が部署だから。でももしあなたが典型的なアメリカ人だったとしたら・・・(言い止む。)
 マルヴェイニー だったとしたら? どうなの?
 エリザベス ちょっと普通の人とは変わってるわ。
 マルヴェイニー 良い方に? 悪い方に?
 エリザベス(ちょっとの間の後。)良い方に。
(間。マルヴェイニー、ぱっと立ち上がる。)
 マルヴェイニー オーケー。よし、もう一杯行こう。
 エリザベス 駄目よ、もう。
(この間にマルヴェイニー、戸棚のところまで進んでいる。)
 マルヴェイニー こんな上等な御神酒に出合ったんじゃ、誰だって脱帽だよ。僕ももう一杯やりたい。君ももう一杯やりたい。だから二人でもう一杯やるのさ。戦争前の代物(しろもの)だ、きっと。匂いで分かるよ。(グラスにかなりの量を注いで、エリザベスのところに来る。自分にも注いである。)さ、一息にぐっと行こう。チビリチビリは駄目だ。
 エリザベス まあ。私、止めときたいわ。
 マルヴェイニー よーし、もし君が、僕が終わるまでに飲み干していなかったら、君を膝の上にのっけてお尻を百叩きだ。
 エリザベス 本気みたいね。
 マルヴェイニー 本気も本気、その綺麗な目に賭けてね。さ、(グラスを持って。)より深い米英協同連合に。
 エリザベス(呟く。)より深い米英協同連合に。
(エリザベス、眼を閉じて、一気に飲み干す。マルヴェイニーより早い。)
 エリザベス(意気揚々と。)ほーら。(ゲップを抑えて。)おねんねはどっち?
 マルヴェイニー(感心して。)すごい。おねんねじゃない。
(マルヴェイニー、エリザベスの手からグラスを取って、テーブルに置く。エリザベス、ソファに直立不動で坐っている。真っ直ぐ前を見つめて。マルヴェイニー、傍に坐る。)
 マルヴェイニー そうだ。ブレーメンの話をしようか。
 エリザベス(ゆっくりと頭を廻し、微笑んで。)ええ、聞きたいわ。
 マルヴェイニー 敵は雲霞のように我々を取り巻いた。宙返りをした。もう退くも進むも、のっぴきならない。
 エリザベス まあ、大変。
 マルヴェイニー で、どうしたと思う?
 エリザベス どうしたの?
 マルヴェイニー もう少し寄って。話すから。
(エリザベス、近くに寄る。)
 エリザベス(少し酔った調子。)どうしたの?
 マルヴェイニー 態勢を立て直した。敵を蹴散らした。そして基地に帰ったんだ。
 エリザベス 機体、蜂の巣になって?
 マルヴェイニー そう。機体、蜂の巣になって。
 エリザベス なんて素敵!
 マルヴェイニー どうってことはないさ。
 エリザベス どうってことあるわ。なんて素敵。それで貴方、コングレッシュ、コングレッショナル・・・受けた?
 マルヴェイニー 何て?
 エリザベス(発音に注意して。)コングレッショナル勲章、受けたの?
 マルヴェイニー ああ、勲章? もっと他のものを考えてくれているみたいなんだ。
 エリザベス 素敵じゃない?
 マルヴェイニー いや、たいしたことないよ。
(エリザベス、マルヴェイニーに微笑む。ここで初めてマルヴェイニーの手が自分の膝の上にあるのに気付く。
 エリザベス、その手を見つめる。怒るよりもむしろ、不思議だという表情。マルヴェイニー、さっと立ち上がり、蓄音機に近づく。)
 マルヴェイニー これ、どうやったら動くのかな。君、知ってるね?
 エリザベス 知ってるわ。私やる。
(エリザベス、立ち上がる。不安定な足取り。蓄音機に近づき、スイッチを入れる。マルヴェイニー、両手を広げ、ダンスに誘う。エリザベス、近づく。二人、身体を揺らし始める。)
 マルヴェイニー ああ、素敵だなあ、君は。今までの人生で、一番素敵な人だよ、君は。嘘じゃない。
 エリザベス(ちょっとの間。マルヴェイニーを見上げて。)貴方も素敵よ。かなり。
(マルヴェイニー、もっと近くに抱き寄せる。まだダンスの姿勢。それからエリザベスの顎に手をやり、顔を上げ、キス。一瞬エリザベス、激しく抵抗。次に従う。長いキス。電話が鳴る。二度、三度。二人、答えない。やっとマルヴェイニー、身体を放す。)
 マルヴェイニー 出た方がよさそうだ。
(マルヴェイニー、電話に近づく。エリザベス、恍惚となって、直立。真っ直ぐ前を見つめる。)
 マルヴェイニー(受話器に。)もしもし。いや、今いませんが。・・・誰ですって?・・・メイベル?・・・(恐れの表情。)分かった。言って置きます。・・・ちょっと、名前をもう一度。・・・ああ、そう聞こえてはいたんだが・・・
(マルヴェイニー、切る。エリザベスを、恐れと当惑の表情で見つめる。)
 エリザベス(眠そうに。)誰だったの?
 マルヴェイニー 誰でもない。本当に誰でもない。
 エリザベス ダンスはもう終り?
 マルヴェイニー(もごもごと。)いや、実はその・・・急がなきゃ・・・今すぐ・・・大佐に会うんだ・・・もう遅刻だ。・・・
(マルヴェイニー、玄関ホールに突進。エリザベス、ソファーにどっと腰を下ろす。満足の表情。公爵登場。)
 公爵 ああ、お前いたのか。待たせてしまったな。退屈していたんじゃないか?
 エリザベス(眠そうに。)違うわ、パパ。退屈なんかしていなかった。全然。ちーっとも。(片側を下にして横になる。)じゃあね、パパ。私寝る。お休みなさい。
(公爵、不可解の面持ち。驚いてソファーに近づき、娘を見下ろす。エリザベス、もう眠っている。)
 公爵 一体どうなっているんだ、これは。驚いたもんだ。
                                           (幕)
                  (第一幕 終)

     第 二 幕
(場 同じ。同夜、およそ十一時。)
(幕が上がると、男が女を膝にのせ、同じ肘掛け椅子に坐っている。男の方はどうやらマルヴェイニー。)
(ハーペンデン、玄関ホールから登場。入って来ながら、鍵をポケットに入れる。水兵の帽子を阿弥陀に被っている。)
 ハーペンデン(椅子を通り過ぎる時に、気軽に。)やあ、メイベル。
(マルヴェイニー、慌てて立ち上がろうとする。そのため膝にのっていたメイベルを床に落としそうになる。メイベルはエリザベスより年上。しかし純情そうな大きな目。エリザベスのよりももっと純情と言っていいほど。)
 メイベル あら、ボビー。
(ハーペンデン、メイベルの頬に軽いキス。飲み物の戸棚の方へ進む。)
 マルヴェイニー(当惑した表情。)もう少し遅いと思ってたな。
 ハーペンデン ごめん、ジョー。一人でパブに行ったんだが、退屈してね。
(ハーペンデン、自分にウイスキーを注ぎ、ソーダを入れる。)
 ハーペンデン 友人はみんな町から出て行ってるんだ。
 メイベル フレディー・ドーソンは?
 ハーペンデン あいつも休暇が召し上げになってね。今日の午後、戦線に逆戻りだ。
 メイベル あの人だったんじゃないの? 結婚式の立会人になる予定だった人・・・
 ハーペンデン そうなんだ。実動部隊の男を選んだのは間違いだったよ。・・・ジョー、君、代わりにやってくれないかな。
 マルヴェイニー(具合悪そう。)うん・・・そいつは親切な申し出なんだがな、ボビー・・・実に光栄だよ、本当。・・・だけど僕はまあ、止めとこう。
 ハーペンデン 何故だい。
 マルヴェイニー だって・・・僕はアメリカ人だよ。それに君の家族だって賛成しないよ。
 ハーペンデン 言ったろう? 僕には家族はいないんだ。例外は一人いるんだが、ひどい年寄りのおばあちゃんでね、ベッドから起き上がれない。時々僕に卵を送ってくれるんだ。
 マルヴェイニー 家族って、君のじゃない。花嫁の方のだよ。
 ハーペンデン 気にするもんか。喜ぶよ。
 マルヴェイニー(苛々と。)違うな、ボビー、そりゃ。喜ぶとは思えないよ。
 ハーペンデン どうしてだ? より緊密な米英協同連合の確立に貢献するんじゃないのか。
 マルヴェイニー うん。うまいこと言うな。いや、ボビー、普通だったら喜んで引き受ける。僕を選んでくれたことに感謝もするさ。だけど、頼む、今回だけは外してくれ。
 ハーペンデン そうか。うん。・・・メイベル、君はどうだ? 僕が水兵さんに変装させてやるよ。
 メイベル 駄目。私、自信がない。悔しくって、わっと泣きだして花嫁の目をガッてくり抜いちゃうかも知れない。
 ハーペンデン(メイベルの腰に手をやって。)な? ジョー。いい子だろう? 気にいっただろう?
 マルヴェイニー(熱の籠もらない声。)うん。気にいった。
 メイベル いいえ。気に入らないの。私のことを最低だと思ってるみたい。
 ハーペンデン 僕が入って来た時の二人の様子じゃ、とてもそうとは思えないね。
 メイベル 違うの。あれはただ、私の目に入ったものを取って貰っていたところなの。
 ハーペンデン うん、さすがだね。目の中にいろんなものを入れて置くんだ。容貌に気をつかう女の子は。
 マルヴェイニー ね、君、さっき、僕が君のこと最低と思ってるみたいって言ったね。どういうことだい? それ。
 メイベル(ハーペンデンに。)この人、今朝会った女の子にぞっこんなの。
 マルヴェイニー(ギョッとなる。)おいおい、何だいそれ。なんでそんな馬鹿なことを思い付いたんだ。
 メイベル この人、喋りづめだったのよ。なんて素敵なんだ。なんていい女なんだ。なんて優しくて魅力的なんだ。ですって。どうやら強烈なラブシーンもあったんだわ。だって思い出す度に赤くなるんだもの。
 マルヴェイニー おいおい、そんなこと僕は・・・
 ハーペンデン 誰なんだい? それ。
 マルヴェイニー ああ、誰でもないさ。でっちあげたんだ、自分で。
 メイベル 婦人補助空軍隊員みたいよ。
 ハーペンデン その話を聞きたいな、ジョー。
 マルヴェイニー なあボビー、頼むよ。この話だけは勘弁してくれ。忘れたいんだ、こいつは。
 メイベル それが忘れられなくて・・・
 ハーペンデン 強迫観念ってやつだな。こびりついてるんだ。怒りっぽい親父かな、それとも、いきり立った婚約者の思い出・・・
 マルヴェイニー 止めてくれないか。それより君自身の話は? 面接試験はどうだったんだ。さっき電話した時訊くのを忘れてたんだが。
(ハーペンデン、暗い顔をして頭を振る。)
 マルヴェイニー 何がまづかったんだい。
 ハーペンデン 出だしからバツだ。十五分の遅刻なんだから。次が僕の態度。あけっぴろげの学生、お歴々を前に、「やあやあ」といった調子。そいつを窘(たしな)められると、今度はビクビクした一兵卒に早変わり。「はっ、その通りであります」「はっ、その通りであります」。お次が算数。半クラウンでこれこれのスタンプが何枚買えるかって。答えられやしない。髪は長すぎだし、髭を剃ってもいない。早い話、この戦争中に、もう四回、海軍省でお墨付きを貰ったってことさ。つまり、この男は金輪際士官にはなれないってね。
 マルヴェイニー うーん、そいつはいかんな。(用心深く。)そうだ君、今日君の婚約者に会った?
 ハーペンデン 数秒だけ。お茶の時間の頃だったかな。ホテルに行ったんだ。昼飯に会う約束になってたんだが、電話がかかって来てね。頭痛で寝てる。昼飯は駄目だって言ってきたんだ。
 マルヴェイニー(ネクタイを直しながら。)フン、頭痛か。(元気よく。)さてと、これからの僕なんだけどね、失礼する。今から寝るよ。
 ハーペンデン おいおい、僕をこの男殺しと二人だけにするっていうのかい? 結婚式の前夜なんだぜ、今日は。
 マルヴェイニー ああ、男殺しなんて、飛んでもないよ。大西洋のこっち側には、男殺しなんて女はいなさそうだ。
 ハーペンデン(メイベルに。)あんなこと言わせていいのか? 誇りが傷つくだろう?
 メイベル アメリカ人て、見え見えの方が好きみたい。深みのあるのはお好みじゃないのね。
 マルヴェイニー 本物の男殺しなら、エリザベス・スィティーに任せろだ。僕が会わせてやる。
 ハーペンデン ダルスィーかい?
 マルヴェイニー 違う違う。ダルスィーじゃない。エリーだ。
 ハーペンデン ああ、カウンテス・エリーか。
 マルヴェイニー ダルスィーはいい奴だ。惚れてるんだ、僕は。(ちょっと考えた後。)と、思ってはいるんだがな。
(マルヴェイニー、寝室へ行く。ちょっとして再び頭が現れて。)
 マルヴェイニー(すまなそうに、メイベルに。)ああ、ミス・クラム・・・僕は頭がどうかしちゃったらしい。君を家に送らなきゃいけなかったのに。
 メイベル 大丈夫よ、中尉さん。自分で帰れるわ、私。
 マルヴェイニー だけど、ロンドンのはづれなんだろう? 家。ケンジントンとかいう村か何か・・・
 ハーペンデン 大丈夫だ、ジョー、僕が送る。君はもう寝ていいよ。
 マルヴェイニー オーケー。じゃあな。お休み。
(マルヴェイニー、寝室に入る。ハーペンデン、扉のところへ行き、開ける。)
 ハーペンデン(扉ごしに。)窓に近い方へ寄ってくれよ。ベッド全体を占領しないでくれ。ゆうべはまいったんだからな。僕は壁に押しつけられて、息をするのがやっとだったんだ。
(マルヴェイニーの頭、扉に現れる。)
 マルヴェイニー 君がダルスィーだと思ってたからな、ゆうべは。
 ハーペンデン 今日はヒトラーだと思ってくれ。
 マルヴェイニー うん、その線にしよう。
(マルヴェイニーの頭、消える。ハーペンデン、扉を閉める。)
 ハーペンデン どう? あいつ。
 メイベル 可愛いわ。
 ハーペンデン 君にあっちゃ、誰だって可愛いの一言だからね、少なくとも連合軍側の人間なら。そうじゃないんだ。君がどう思ってるかを聞きたいんだ、あいつのことを。
 メイベル そんなことを聞いてどうするの?
 ハーペンデン どうするって・・・君がもうそろそろ身を固める頃だと思ってね。
 メイベル あらあら。でもアメリカ人は駄目。
 ハーペンデン どうして。
 メイベル 結婚はしないわね、アメリカ人とは。
 ハーペンデン フーン。まあ本人が一番よく分かっていることだろうからね。
 メイベル それにダルスィーって誰よ。
 ハーペンデン ダルスィーなんて海の遙かかなただよ。問題じゃないだろう?
 メイベル(誠実に。)可哀相なダルスィー。
 ハーペンデン うん、可哀相。ところでどうだった? 今日の夜は。何してたの?
 メイベル 二人で映画を見に行って、それから、サヴォイで食事。あの人本当に優しいの。でも上の空だったわ。今朝何かひどいことがあったのよ。確かにそう。
 ハーペンデン そう?
 メイベル なにしろ酷い状態・・・原因が何であったにしろ・・・夕食が終わったらすぐ公園か何かに駆けつけて、そこでゆっくり考えてみたい・・・そう言ってたわ。
 ハーペンデン アメリカ人ってのは、物を考える時に、公園に行くのか。
 メイベル 公園から出ようとしなかったのよ、あの人。私言ったの、ボビーが怒るわよって。あの人に一言も言わないでいなくなるなんて、酷いわよって。あの人、それでも落ちつかなかった。何か、逃げようとするの。引き止めるのに本当に苦労したわ。
 ハーペンデン あんな風に急に部屋に入り込んで、悪かったよ。
 メイベル ちっとも。ここだけの話だけど、あの人も私も、あなたが入り込んで来てホッとしたの。
 ハーペンデン へえー。まづいね、それは。どうしてなんだろう。
 メイベル あの人、私のこと好きじゃないの。それに私・・・あなたのことが大好きだから。
 ハーペンデン 水兵さんにはみんな同じことを言ってるんだろう?
(ハーペンデン、メイベルの頭にキス。)
 メイベル あなたほど優しい水兵さんはめったにいないわね。それに、お宝二百万ポンドがふところに入っている水兵さんもね。
 ハーペンデン ギャラカー大蔵大臣殿が、僕のふところからふんだくって行くまでの短い間だけどね。
 メイベル ええ、でもその短い間でも、かなり楽しめるわ。今までだって、たいした楽しみ方。
 ハーペンデン 「たいした楽しみ方」ってのは、僕の墓碑銘になるな。オールバニーから僕が追い出された後の。
 メイベル 酷いわ、そのユーモア。病的よ、ボビー。
(間。)
 ハーペンデン あのね・・・僕が帰って来たのは、クラブで退屈したからだけじゃないんだ。僕は君に会いたかった。
 メイベル あら、そうなの?
 ハーペンデン(言い難そうに。)うん。最初は手紙にしようかと・・・でも手紙じゃちょっと・・・ね。分かるだろう?・・・それでどうしても会って、自分の口から・・・辛いのは分かってるんだけど、やはり会って・・・と・・・
(メイベル、ハーペンデンを同情をもって見る。ハーペンデン、目を逸らす。まともに目が合わないように。)
 ハーペンデン 分かってるよね。僕等、いい友達だった。だから、どんなことがあっても二人は・・・エーイ、これじゃ駄目だ。要点に届きっこないよ、この言い方じゃ。
 メイベル(静かに。)大丈夫。分かってるの、要点は。今夜が過ぎれば、もう私には決して会わない。これでしょう?
(間。)
 ハーペンデン なんて凄いんだ、君って女は・・・
 メイベル でもボビー、当たり前のことよ、こんなこと。そんなに私、あなたに度々会ってた訳じゃないわ。だって休暇っていうのがもともと少ないんですもの。それで結婚するっていう知らせでしょう? それで私、ああそうかって分かったの。あの人、消えて行くんだわ。もう二度と会えないんだわって。手紙も来ないわって。だってあなた、手紙は大の苦手なんですもの。でも言って下さって嬉しかった。
 ハーペンデン 僕は何も言ってないよ。君が言ったんだ。
 メイベル でも言おうと努力はしたもの。もう一杯いい?
 ハーペンデン 勿論。
(メイベル、立ち上がって飲み物の戸棚に進み、一杯注ぐ。ハーペンデン、机に進み、引き出しから、既に金額を書き込んだ小切手を取り出す。メイベルの背中をまだ踏ん切りのつかない気持ちで眺める。それから彼女のバッグをソファから取り上げ、その中に小切手を入れる。メイベル、振り向いてそれを見る。)
 メイベル 何をしてるの、私のバッグに。
 ハーペンデン 別に、何も。
(メイベル、片手にグラスを持った儘、バッグを取り返し、中を見る。小切手を取り出す。)
 ハーペンデン(心配そうに。)いや、帰りのタクシー代だよ。
(間。その間メイベル、小切手の金額を確かめる。)
 メイベル(やっと。)まあ、あなた、何て馬鹿なの。(慎重に小切手を畳んで。)そうね、ここで私がしなくちゃいけないこと、それは決まってるわね。これを細かく千切って、足で絨毯にもぐり込ませて、わっと泣きだして、「侮辱だわ、こんなの。」って言うことね。
 ハーペンデン それはしないで欲しいな。
 メイベル しないわ。この侮辱、私好き。(小切手をじっと眺めて。)このゼロの数。目眩(めまい)がして来るわ。
 ハーペンデン いちどきには使わないで貰いたいな。
 メイベル(考えながら。)三ヵ月分の家賃を前払いする。歯医者の支払いをすませる・・・あのお医者さんきっと卒倒するわ、可哀相に・・・あの厭なボージョー・スプロット、あいつに借りた金全部返してやる。利子までつけて・・・ミンクのコートを買うわ・・・ジンの代金も払って・・・サファイアのブローチを買おう・・・そうそう、ブレンダが手術したわ。手術代払ってやろう・・・残りは戦時のための貯金だわ。(小切手をバッグに仕舞う。)駄目、そのニヤニヤ笑い。それから、お金の使い方に、とやかく言うのも止めて頂戴。ねえ、私には決してなかったって、信じてくれるわね、うしろ心なんか。
 ハーペンデン 駄目。下心。
 メイベル じゃ、下心。こんなことなんて(バッグを触る。)決して考えたことなかったんだって・・・今まであなたに対してどんな・・・優しいことをして上げたとしても。お金の使い道、あんなにべらべら言ったけど、みんな今、今思いついたものなんだって。そうでなかったら私、小切手を破り捨てて、あなたと喧嘩をしてたわ。信じてくれるわね?
 ハーペンデン うん、信じるよ。
 メイベル それだけ。・・・後は、そう・・・さよならね。
(メイベル、ハーペンデンの首に腕を廻す。ハーペンデン、キスする。)
 メイベル それから、本当に・・・有り難う。(振り返り、笑おうとする。)目にまた何か入ったわ。
 ハーペンデン じゃ、それもキスだ。
(ハーペンデン、メイベルに近寄ろうとする。その時玄関にベルの音。)
 ハーペンデン 誰なんだ、一体。
 メイベル エリザベスじゃないかしら。
 ハーペンデン それは違うな。こんな夜更けには来ないよ、彼女。
 メイベル どうして?
 ハーペンデン どうしてって・・・古い型の人間だからね・・・こういうことに関しては。
(もう一度、性急な、大きなベルの音。)
 ハーペンデン ホートンはもう寝てる。(扉の方に進み、また帰って来て。)そうだ、何かあったらいけない。ちょっと台所にいてくれないか。
 メイベル 台所へ? どうして?
 ハーペンデン 他に退避する部屋がないんでね。
 メイベル 分かったわ。
 ハーペンデン グラスを忘れないで。それに煙草を。
(メイベル、頷く。)
 ハーペンデン よし、じゃ階段を上がって、左に曲がる。右は駄目だよ。そこはホートンの部屋だ。(テーブルから新聞を取り上げて。)新聞持って行く? ニューステイツマン。(手渡す。)それとも人間の方がいいかな? 彼に付き合わせようか?
(メイベル、新聞の第一面を眺める。)
 メイベル あなた、どう思って?
(メイベル退場。執拗な大きなベルの音、また鳴る。)
 ハーペンデン(怒鳴る。)分かった。今出る。(寝室の戸を叩く。)ジョー、ジョー、起きてくれ。そこを空けて欲しいんだ。
 マルヴェイニー 何だい。何か起きたのか。
 ハーペンデン そう。起きて欲しいんだ。台所に行って、メイベル・クラムの相手をしていてくれ。
 マルヴェイニー 台所? どうしたんだ。そんなところで何をする?
 ハーペンデン 状況説明の時間はないんだ。さ、この壜を。ジンだ。(マルヴェイニーをホールに続く扉へ押しやる。)階段を上がって、左だ。
(マルヴェイニー、不審の表情の儘、ホールに出る。ハーペンデン、一緒に出る。少しの間の後、ハーペンデンの声が聞こえる。)
 ハーペンデン(舞台裏で。)あ、失礼しました。まさかお父さんとは・・・
 公爵 いいんだ、いいんだ、そんなことは。
(公爵登場。その後にハーペンデン。)
 公爵 君に会わなきゃならなくなってな。急のことなんだ、これは。もし君が家にいなかったら、一晩中外で待っているつもりだった。
 ハーペンデン(辛抱強く。)ええ、そのことなんですが、僕もお電話しておけば良かったんです。今日の午後、弁護士にもう会いに行って・・・
 公爵(苛々と。)何の話だ? それは。
 ハーペンデン 結婚の契約です。お父さんが仰った条項を入れさせておきました。
 公爵 ああ、入れさせたのか。それはすまない。親切に、どうも。実に親切だ。
 ハーペンデン どう致しまして。
 公爵(爆発するように。)畜生!
 ハーペンデン(驚いて。)は? 今なんと?
 公爵 君、今君、ショックに耐えられる精神状態か?
 ハーペンデン ええ、まあ、そう思ってますが・・・何か?
 公爵 私は今、娘のところからやって来たんだ。あの子と四時間以上も話合った。頑固だ。実に頑固だ、あの子は。
 ハーペンデン 頑固って、何がですか。
 公爵 いいか君、覚悟は。
 ハーペンデン 覚悟? はあ、いいですが。
 公爵 君とは結婚しない、とあれは言うんだ。
(間。)
 ハーペンデン ははあ。
 公爵(苛々と。)君、私の言ったこと、聞こえてるのか。
 ハーペンデン はあ、聞こえていますが。それで、その理由は?
 公爵 それなんだ、君。分からないんだ、私には。
 ハーペンデン ははあ。
 公爵 いや、喋るには喋ってるんだ、下らんことを。やれ、政略結婚の愚だの、二人の人生をめちゃめちゃにするだの、燃えるような熱い何かが不足しているだの・・・
 ハーペンデン 燃えるような熱い何か? 何ですか、それは。
 公爵 言葉を正確に覚えている訳じゃないのでな。・・・官能の炎だったかな・・・いや、違うな。・・・あ、思い出したぞ。・・・「焼けるような真っ赤な何か」だ、たしか・・・とにかく早い話、あれはもう君を愛していないんだと・・・
 ハーペンデン ははあ。
 公爵(苛々と。)その「ははあ」は止めてくれないかな。
 ハーペンデン 「ははあ」ぐらいしかここで言う台詞は思い当たりませんので・・・
 公爵 何だと。こんなことに出くわして、君の反応は只それだけなのか。
 ハーペンデン しかし、彼女が僕のことを愛していないとなると・・・
 公爵(ショックを受けて。)何だって、ロバート。私は君に呆れたよ。いや実際呆れた。いいか、もし私が君だったら、君、分かるか? 私の取る態度が。
 ハーペンデン いや、分かりません。どうするんですか。
 公爵 私だったら、天地を引っ繰り返しても、彼女に思い直させる。いいか、天地を引っ繰り返してもだぞ。
 ハーペンデン それはつまり、僕がブラウンズ・ホテルの前に立って、一騒動起こせということですか?
 公爵(苛々と。)違う違う。そんなことを言ってはいない。あの子に直接あたるんだ。言い寄って、力づくでも取り返すんだ。
 ハーペンデン そいつはどうも、僕には似合わないな。
 公爵 驚いたな。私は君を男だと思っていたんだが。
 ハーペンデン その男っていうのは何でしょう。定義は。
 公爵 こういう瞬間に何かをする人間だ。それが男だ。そこにただぼーっと突っ立って、しょげかえっているんじゃない。萎れた百合じゃあるまいし。
 ハーペンデン 萎れた百合? 僕がそうだって仰りたいんですか。
 公爵 そうだよ、君。自分の顔を見てみたまえ。
 ハーペンデン すると、こういうことになりますか。娘さんは私を愛していない。しかし、それでも私との結婚を望んでいらっしゃると。
 公爵 勿論だ。私はこの結婚を望んでいる。これは素晴らしい結婚だ。
(公爵、身住まいをただし、ハーペンデンに近づき、右腕をハーペンデンの肩に廻す。)
 公爵 私は君が好きなんだ。分かってくれているな。君のことは自分の息子ほどにも感じているんだ。
 ハーペンデン 有り難うございます。
 公爵 で、君・・・これからどうする。
 ハーペンデン(間の後。)ちょっと一杯やります。
(飲み物の戸棚に進む。)
 公爵 ロバート・・・君にはがっかりだ。
 ハーペンデン そちらも・・・何か。
 公爵 ポメリーを一杯。・・・ポメリーあるかな?
 ハーペンデン ありません。
 公爵 ウイスキー・ソーダにしてくれ。
 ハーペンデン 一体何があったんでしょう。気持ちが変わるなんて。
 公爵 私もそれを考えていたんだが、思いついたことがあった。今朝だ。今朝何かが起こったんじゃないかと。
(ハーペンデン、公爵に飲み物を渡す。)
 公爵(自動的に。)じゃ、乾杯だ。(飲む。)
 ハーペンデン 今朝何があったと?
 公爵 おっそろしく怪しい何かだ。そこいら中変な匂いがする。実に怪しい。車で君を海軍省に送りつけた後だ。・・・あ、そうそう、君、遅刻はどうだった? 遅刻なんか問題じゃなかったろう?
 ハーペンデン 問題でした。・・・あ、でも、こんなことは問題じゃない。
 公爵 そいつはすまなかった。首席試験官に明日電話する。名前は何だったかな・・・あの共産党・・・
 ハーペンデン アレクサンダー。でもお願いですから止めて下さい。それより、その「実に怪しいこと」・・・何が起こったんです。
 公爵 うん。私はあの子をひろいにここに帰って来た。すると・・・いや、実に奇妙としか言いようのない状態にあったんだ、あの子は。
 ハーペンデン 奇妙? どう奇妙だったんです。
 公爵 どうもこうもない奇妙さだ。ここだけの話だがね、君。・・・それから、これは厳重に他言無用だ。・・・もしあれがあの子じゃなかったら、結論は簡単だ。へべれけだったんだ。
 ハーペンデン へべれけ? エリザベスが?
 公爵 そう。Stinko ... profundo.(イタリア語 「へべれけ、完全に。」)
 ハーペンデン 信じられません。
 公爵 両足をソファに上げて眠る、と言うんだ。すぐに、その場で、だ。
 ハーペンデン 頭痛だったんでしょう。お昼を断ってきた時、そう言ってましたよ。
 公爵(陰気に。)うん、後ではな。後では、確かに頭痛がした。しかし、その時は違った。その時は陽気も陽気、まるで蜜蜂だ。(小声で。内緒に。)それから、息が・・・
 ハーペンデン シェリー?
 公爵 ウイスキー。
 ハーペンデン でも、ウイスキーは嫌いな筈・・・
 公爵 いや、君が何と言っても・・・あれは間違いなくウイスキーだった。私を騙せっこない。うちの家系にあるんだ、その血が。
 ハーペンデン ええっ?
 公爵 いや、実は話はそれで終わらないんだ。私がこの居間に入ろうとした時・・・そうそう、玄関ホールでホートンと話していたんだが、若い男が部屋から飛び出して来て、あっと言う間に消え去って行った。風のようにっていうやつだ。
 ハーペンデン 誰だったんです? それは。
 公爵 知らんな。見たこともない男だった。
 ハーペンデン エリザベスは知ってるんですか、その男を。
 公爵 それは私も訊いてみた。するとあの子の答え、これがまた実に怪しい。「あの人、空から舞い降りて来たの。」最初私は、なるほど、パラシュートで下りて来たのか、と・・・
 ハーペンデン どんな男だったんです?
 公爵 浅黒くて、背の高い・・・そう、軍服を着ていた。我々のじゃない。多分あれはなんだな・・・アメリカ軍の制服だ。最近ロンドン中で見かける、例の・・・
 ハーペンデン アメリカ軍! じゃ分かりましたよ、その男。
 公爵 分かった? よし、じゃ事は簡単だ。そいつと連絡を取るんだ、そのやくざなヤンキーと。
 ハーペンデン 連絡を取る必要はないんです。つまりその、その男はここにいるんです。
 公爵 ここ? どこに。
 ハーペンデン 台所です。
 公爵 台所だと? 台所なんかで一体何をやってるんだ、そいつは。
 ハーペンデン さあ、ちょっとそれは・・・
 公爵 何をぼやっとしてるんだ、そんなところにただ突っ立ってないで、早くそいつを下ろすんだ、ここへ。
 ハーペンデン(そんなことをしてどうなるものかという表情。)さあ・・・どうですか、それは・・・
 公爵 君がやらないなら、私がやる。
(公爵、玄関ホールに出て、大声で怒鳴る。)
 公爵 おい、上のその台所にいる奴、今何をやってるか知らんが、すぐ下りて来るんだ。どこのどいつでも構わん。今すぐだ。下りて来い。分かったな、すぐだぞ。さあ、これでどうなるか、だ。
 ハーペンデン 何て言ったらいいんでしょうね、僕は。
 公爵 私に任せるんだ、それは。
(マルヴェイニーとメイベル、二人で下りて来る。)
 公爵(ハーペンデンに。)女? 何だ、あの女は。
 メイベル(明るく。公爵に。)あーら、あんたなの。可愛い子ちゃん、お元気?
 公爵 何だ、メイベル、お前か。
(公爵、メイベルに軽いキス。それからマルヴェイニーに。)
 公爵 おい君、君に訊きたいことがある。
 ハーペンデン(落ちついた声で。)ところでこちら、マルヴェイニー中尉・・・こちら、エア・アン・スターリング公爵・・・デュークの方の。
 マルヴェイニー デューク! 驚いたな。
 公爵 いいか、四の五の言わずに、今から訊くことにさっさと答えるんだ。私の娘に君は言い寄ったのか。つまり、ちょっかいを出したのか。どうなんだ。
 マルヴェイニー(間の後。)エー、こういう訳なんです、閣下・・・あ、どうお呼びすればいいのでしょう。
 公爵 どう呼んだって構わん。私の質問に答えるんだ。
 マルヴェイニー(ハーペンデンに。)エア・アン・何とか公爵っていうのは、君の父親になる人物?
 ハーペンデン なるか、ならないか、そこが問題なんだ。
 メイベル いいわ、ハムレットね。
 公爵 黙れ! メイベル。こんなところにいちゃいかんのだ、お前は。
 ハーペンデン ね、メイベル。いい子だから台所に戻って。頼むよ。
 メイベル ねえ、いさせて。お願い。面白いわ、これ。
 公爵(雷が落ちるように。)戻るんだ、メイベル! 今すぐ!
 メイベル(不機嫌に。)分かったわ。(扉のところで。)そうそう、エリザベスに言っといてね。もしこの人がちょっかいを出していたんだったら、私が相談にのるからって。
(メイベル退場。ハーペンデン、新聞を掴んで、扉越しにそれをメイベルに渡す。)
 ハーペンデン 可愛い子ちゃん、ほら、新聞だよ。(扉を閉める。)
 公爵 さて、君の答は?
 マルヴェイニー では公爵、答を申し上げます。イエス、です。確かに私は娘さんに言い寄りました。
 ハーペンデン(傷ついて。)ジョー!
 マルヴェイニー ボビー、すまない。これは話しておくべきだったようだな。しかし僕にはその勇気がなかった。だいたいこの話は酷い間違いから起こったんだから。
 公爵 間違い? 何というけしからん話だ。あの子に目が止まり、誘惑して、事もあろうに、相手をぼーっとさせる。と、今度は掌(てのひら)を返すように、間違いだっただと?
 マルヴェイニー しかし本当にこれは間違いだったんです、 公爵。私は娘さんのことを、メイベル・クラムだとばかり・・・
(公爵、呆れて暫く物が言えない。ハーペンデン、素っ頓狂な声を上げる。)
 ハーペンデン ああ、そうか。なーる程。それで分かった・・・
 公爵 メイベル・クラムだと思ったと言ったな、私の娘が。
 ハーペンデン そう。そうそう。勿論、それはそうなるに決まってますよ、彼としては。
 公爵 彼としては、そうなるに決まってる? 説明が欲しいな、私としては。
 ハーペンデン(マルヴェイニーに。)ジョー、僕は君を許す。君がやったことを全部。しかし、君が彼女に何を言ったか知らないが、とにかく、そのせいで彼女は僕との結婚を止めると言いだしたんだ。
 マルヴェイニー(驚くより、むしろ嬉しそうに。)そう。彼女、止めるって? すごいね、それは。
 公爵(態勢を立て直し、再び攻撃。)しつこいようだがね君、この男が何故私の娘をメイベル・クラムだと思ったのか、それははっきりさせて貰おう。
(玄関にベルの音。)
 ハーペンデン まいったな。ジョー、頼む、誰か見て来てくれ。誰が来ても僕は外出中だ。
 マルヴェイニー オーケー、外出は分かってるさ。
(マルヴェイニー、玄関ホールに退場。)
 公爵 君はあの男の説明で納得がいったようだがね、私にはさっぱりだ。実にけしからん。あの子のことを、メイベル・クラムだと思った? 何ていう話だ。
 ハーペンデン いいじゃないですか、もう。あいつはそう思った、思ったんだから仕方がないでしょう?
公爵 駄目だ!
(マルヴェイニー、帰って来る。)
 マルヴェイニー フランス人だ。ここで寝ていいと言われたと言ってるぞ。
 ハーペンデン あ、そうだ。今どこにいる。
 マルヴェイニー ここだよ。玄関ホールだ。
(ハーペンデン、扉を開ける。)
 ハーペンデン どうぞ、入って。
(コルベール登場。ハーペンデン握手する。)
 ハーペンデン やあ、初めまして。会えて嬉しいよ。すぐで悪いんだけどね、ちょっとの間だけど、台所にいて貰いたいんだ。
 コルベール 台所?
 ハーペンデン そう。上にあがって左なんだ。すぐ分かる。
 マルヴェイニー 大丈夫だ。居心地はいいから。肘掛け椅子が二つ、それにジンの壜一本。
 ハーペンデン それに女の子だ。君に会ってきっと喜ぶよ。
(ハーペンデン、コルベールを扉に押しやり、外に出す。)
 ハーペンデン(マルヴェイニーに。)なあ、ジョー、これは何とかしてくれなきゃ困るな、君が。
 マルヴェイニー 何とかするって、僕に何が出来るんだ。
 ハーペンデン 一番いいのは君がブラウンズ・ホテルに行って、一部始終を話すことだな。
 公爵 そんなことをして何になる。この男はどうせまたあの子に言い寄るだけだ。
 ハーペンデン いや、そんなことはしませんよ、彼は。
 マルヴェイニー(惨めな表情。)僕がしないってどうして分かる?
 ハーペンデン ジョー、まさか。
 公爵(勝ち誇ったように。)そらみろ。この男が信用出来ると思っているのか。
 ハーペンデン(呆れて。)ジョー、君、本気なのか。
 マルヴェイニー 本気だ。今までこんなに本気になったことは一度もない。
 ハーペンデン しかし・・・しかし君、君がエリザベスに会ったのは今朝が初めてなんだぞ。
 マルヴェイニー 君は生まれた時から彼女を知ってるって言うんだろう? 何の違いがあるんだ。
 ハーペンデン まいったね、こいつは。
(ハーペンデン、椅子にどっかと坐る。)
 マルヴェイニー 今こんな話をしているのは、あっちの方がそうだと分かったからなんだ。そうでなかったら、言いはしなかった・・・
 ハーペンデン エリザベスの気持ちは今の君と同じだと君は言うんだな。
 マルヴェイニー 君にはそう見えないか。
 ハーペンデン いや、見えるな。参った、これは。
(これまで当惑の表情で一方から一方へ目を移していた公爵、ここでマルヴェイニーに近づく。)
 公爵 すると何か、糞も味噌も一緒、瓢箪から駒。そういうことなんだな。
 マルヴェイニー(丁寧に。)は? ちょっともう一度・・・
 公爵 いいか、君はさっき、私の娘に言い寄った理由は・・・汚らわしい、名前は言わん・・・ある婦人と間違えたからだと言った。いいか、それなのに今は何だ。君の動機は誠実で、意図も怪(け)しからんものではなかったと、そう言い張るのか。
 マルヴェイニー どうか公爵、もっと事を簡単に考えることにしましょう。私はあなたの娘さんを愛しています。そして、私の感じでは、娘さんも私のことを・・・それだけではありませんか。
 公爵 やれやれ、全く・・・
 マルヴェイニー 申し訳ない、ボビー。こんな、恩を仇で返すようなことをやって。
 ハーペンデン(陰気に。)謝るなんて止めてくれ。いよいよやり切れなくなる。
 公爵 オー、やり切れなくなるって言ったな。それで君は、目の前で自分の女が取られて行くのを指をくわえて見ているのか。
 ハーペンデン 他に何か僕の出来ることがあると?
 公爵 少なくとも喧嘩が出来るじゃないか。こいつをぶん殴って、窓から外に放り出す・・・
(ハーペンデン、肘掛け椅子にどっかと坐る。マルヴェイニーを見上げる。)
 ハーペンデン 相手がでか過ぎる。それに僕はこいつが好きなんだ。
 公爵 好き? 好きがどうしたって言うんだ。
(コルベール、静かに登場。)
 公爵(苛々と。)引っ込んでるんだ、君。Allez-vous en! (仏 あっちに行け。)
 コルベール マドゥムワゼル・クラムの話では、ここでのいちゃもんは、ミラディー・エリザベスに関することだと。ひょっとして彼女がミロード・ハーペンデンとの結婚を破棄されようというんじゃありませんか。
 ハーペンデン そうだ。その通り。
 コルベール もしその理由をお捜しなら、私がその原因です。私一人に責任があるんです。
 公爵 何だって?
 コルベール 今朝私はあの人に、この方と結婚しないよう忠告したんです。
 公爵 すると何か、君は私の娘に言い寄ったと、そういうことか。
 コルベール ええ、そういうことになります。
 公爵 しかし何故。Pourquoi? (仏 何故だ。)そうか、貴様もまた、いかがわしい女と間違えて、と言うんだろう。
 コルベール いいえ、とんでもないです。愛です。愛したからです、あの方を。
(間あり。三人ともコルベールを不思議そうに眺める。)
 コルベール それに、今聞いたことによりますと、どうやらあの方は、僕の忠告を聞いてくれた。すると私の愛が受け入れられたということのようです。
(また間あり。公爵、突然玄関ホールへの扉に進む。)
 公爵 諸君、私は引っ込むことにする。暫くして諸君の結論が出たら聞かせて下されば心から感謝する。一体国際連合参加国のうち何カ国の男たちが、私の娘と恋愛関係にあったか、その結論を。私自身としては、この際台所に上がってメイベル・クラムとジンを一杯やった方が良さそうだ。
(公爵退場。間あり。その間、ハーペンデンとマルヴェイニー、険悪な顔をしてコルベールを見つめる。)
 コルベール(静かに。殴られるのを覚悟で。)僕を殴り倒すんですね、ミロード。
 ハーペンデン 君は確かに彼よりは小さい。しかし君を殴り倒して何が得られるか、僕には分からない。
 マルヴェイニー 満足が得られるじゃないか、十分なね。
(マルヴェイニー、殺気立ってコルベールに近づく。しかしハーペンデン、それをとどめる。)
 ハーペンデン 待てよ、ジョー。腕づくの話は止めとこう。もし君があいつをやっつけたら、僕が君をやっつけなきゃならない。それから、奴が息を吹き返す。すると僕は奴とも一戦交えなきゃならない。一晩でこれだけやるのは多過ぎだ。それより、国際調停をやる方がいい。
 マルヴェイニー 何を言ってるんだ、ボビー。こんな奴とどうして国際調停が出来る。厭な奴だぜ。だいたいこいつ、自分の言ってることが分かってるのか。二人でボコボコにして階段から叩き落とそう。その方がいい。
 コルベール Tiens!(仏「あらあら」)二人を敵にしたようですね。これは驚いた。(マルヴェイニーに。)あなたの方はこっちの味方だと思っていたんですがね。だってこの人の婚約者を盗んだっていう濡れ衣を着せられていたのを、僕が名誉回復したんですからね。
 マルヴェイニー(怒って。)濡れ衣が何だ! エリザベスは僕のせいで、彼から離れて行ったんだ。
 コルベール そうは思いませんね、Monsieur, 私のせいですよ、それは。
(ハーペンデン、眉を上げて、二人を見つめる。)
 マルヴェイニー(殺気立って。)いいか、俺は彼女に言い寄ったんだぞ。
 コルベール 私も言い寄りましたね。
 マルヴェイニー 僕の人生で、こんなに素敵な人は初めてだ、と僕は言ったんだ。
 コルベール 私も同じですね。なんて綺麗な人なんだ、と。
 マルヴェイニー それなら言うが、僕はな・・・僕はキスをしたんだぞ。
(少しの間。)
 ハーペンデン(丁寧に。)どうぞ続けて、Monsieur.  ここで負けていちゃ駄目だ。僕の婚約者に何をしたか、彼に聞かせてやるんだ。
 マルヴェイニー(ハーペンデンの方を見て、恐縮して。)すまない、ボビー。こいつのせいですっかり頭に来てしまって、つい・・・
 コルベール(マルヴェイニーに。)その最後に言った君の行為なんですけど・・・何時だったんですか、それは。
 マルヴェイニー 時間がどうしたっていうんだ。何の関係がある、今話していることと。
 コルベール それが大ありなんです。どうか思い出して下さい。十一時よりは後でしたか?
 マルヴェイニー そんなに後じゃなかった。
 コルベール でも、後ではあった?
 マルヴェイニー うん、後だったな、きっと。
 コルベール 幸せなんですよ、あなたは。Sacre nom d'un Pipe! (仏 なんてこった!)そしてあの人は、そのあなたの行為に応じたというんですか?
 マルヴェイニー 応じたと思う。(ハーペンデンがいるのを思い出し。)すまない、ボビー。
 ハーペンデン(皮肉に。)いや、構わんよ。僕はいないものと思ってくれ。そうだ、僕はそこに転がって、本を読んでるから。
(ハーペンデン、ソファに坐り、本を取り上げ、開き、読むふりをする。)
 コルベール すみません、ミロード。あなたの前でこんなことを言わなきゃならない羽目になって。
 ハーペンデン いやいや、僕のことは気にしないで。(再び本を取り上げ、目の位置に下ろす。)あ、そうだ、諸君が次の議論に進む前に、これだけは言っておかなきゃ。諸君があまり腹を立てないことを望むんだが、僕自身も今朝、僕の婚約者にちょっとした愛情の表現を行った。行き過ぎた行為だったかも知れないが、キスまでやった。諸君に謝らなければならないな。どうか大目に見て、許して貰いたい。
 コルベール そのキスしたという時刻なんですが、ミロード、何時だったんでしょう。
 ハーペンデン あ、そうかそうか、時刻が大切だったんだな。エート、待ってくれ・・・十一時十分前だった、確か。
 コルベール 十一時十分前? それなら大丈夫です。それから暫く経ってからですからね、私があの人に言ったのは。あなたと結婚しちゃいけない、もっとあなたに値する人と結婚しなければ、と。
 ハーペンデン なるほど、「あなたに値する人」とね。
 コルベール そうです、ミロード。勿論私の気持ちでは、それは私のことだったんですが、それを口に出して言う程私も厚かましくはありませんから。ところが事の成り行きを見ますと、どうやらあの人は、私の忠告を飛んでもない馬鹿な方向に適用した様子です。つまりこの中尉に・・・
 ハーペンデン(立ち上がって。)あ、失礼。まだ紹介がすんでいなかった。こちら、マルヴェイニー中尉。こちら、コルベール中尉。
 マルヴェイニー 何が紹介だ。糞っ。(コルベールに。)おい、お前、お前は何の権利があって、この男の婚約者にそんなことが言えるんだ。
 ハーペンデン(ソファから。)はっ!
 マルヴェイニー(ハーペンデンに。)いや、僕は違う。僕がああなったのは、それなりの理由があるじゃないか。こいつにはないんだ。
 コルベール いや、ありますよ、私にだって。十分あります。郷に入れば郷に従えって言いますね。ですから、普通イギリスの列車では、私は死んだように静かにしています。でもあの機会を逃す訳には行かなかった。この空軍婦人部隊の伍長さんは、私の想像していたのとはまるで違っていたんです。完璧なフランス語を話す人で、ちょっと話しているうちに、もうお互いの個人的生活の細々した事まですっかり話し合う仲になっていました。その人は次の日、若くて、非常に金持ちの貴族と結婚することになっている・・・ところがその男を・・・彼女の話の色々な点から私が推定するに・・・その男を彼女は愛していないことは確実で、それに、これも同様に確実なことなんですが、その男も彼女を愛していない・・・
(ハーペンデン、突然立ち上がる。)
 ハーペンデン(猛烈に。)どうしてそれがそんなに確実なんだ。
 コルベール その男は女を囲っているんです。
 ハーペンデン 僕が女を囲っている?
 コルベール あの人です。台所で私がさっき見た。そうなんでしょう?
 ハーペンデン いや、違う。あれはメイベル・クラムだ。
 コルベール 私がそんなに野暮な人間だと思わないで下さい、ミロード。そういう機微が分からない訳じゃないんです。それは確かに何百人と女を囲って、それで幸せな家庭を持つことだって出来ます。しかし、その男が・・・メイベル・クラムとか言う女を囲っていると知った時、私はこの男がとてもエリザベスを同様の愛情、同様の親密さ、同様の焼けるような、真っ赤な何かの気持ちでエリザベスを愛するわけにはいかない筈だと・・・
 ハーペンデン ははあ、焼けるような真っ赤な何だか、かんだか・・・
 コルベール 「何だか、かんだか?」
 ハーペンデン その通りの馬鹿な台詞だったんだ、父親に僕との結婚を破棄したいと彼女が言ったのは。
 コルベール その台詞? 素晴らしい。するとあの人は、僕の愛に応えてくれるかも知れない。まだ可能性はあるぞ。
 マルヴェイニー おい、お前、お前なんか、いくら惚れても無駄だ。「おととい来い」と手紙が返ってくるだけさ。
 コルベール ちょっと待って下さい、Monsieur.  今は罵倒しあって事が解決する場面じゃないんです。行き止まりに来ているんです。あなたは自分が愛されていると思っている。私は私が愛されていると思っています。どちらが正しいか、決着をつける手段を考えなければ。
(ハーペンデン、さっと受話器に進み、番号を捜す。)
 マルヴェイニー いい考えだ、ボビー・・・ただ、おい、・・・俺にも話させるんだぞ。
 コルベール もし彼が話すのなら、私も話させてくれなきゃ。それがフェア・プレイですよ。
 ハーペンデン フェア・プレイ? いいか、僕はかなり辛抱強い男だ。今だって殆どずっと黙っていた。君達二人が、僕の愛する女性をいかに口説いたか、汚い、厭らしい言葉で微に入り細を穿って怒鳴り合っていた時にもだ。しかしこの事は覚えていて貰いたい。ここは僕の家だ。君達は僕の家の屋根の下にいるんだ。だから間違っても電話で僕の婚約者に言い寄るなど、この僕が決して許しはしないってことを。
 コルベール しかしミロード、あの方は今日の夕方から、もうあなたの婚約者とは言えないんじゃありませんか?
 ハーペンデン よーし、それを確かめることにしよう。(受話器に。)もしもし、ブラウンズ・ホテル? レイディー・エリザベス・ランドールを。・・・ああ、君? ボビーだ。・・・あ、切らないで。頼む。・・・分かった。その話はしない。ただ僕には知る権利がある筈だ、何故・・・うん、分かってる。だけど君のお父さんの話じゃちょっとよく分からないんだ。それで・・・ああ。で、それ、何時話してくれる?・・・明日? でも僕は今日知りたいんだ。・・・ねえ君、泣かないで。・・・何が起こったのか、それを知りたいんだよ・・・どうして駄目なんだ。・・・うんうん、だけど、何の違いがあるんだ、愛しているっていうのと、好きでたまらないっていうのに。・・・分かった分かった。じゃ、誰か他に好きな人がいるっていうの?・・・分からないって、それ一体どういうことなんだ。・・・いや、僕にも分かってることがある。実はね・・・
(マルヴェイニー、受話器を取ろうとする。ハーペンデン、激しく突き放す。)
 ハーペンデン 分かってるんだ、それは。君が想像しているよりずっとね。二人のうちのどっちかなんだろう?
 コルベール(急いで。)フェアー・プレイですよ、ミロード。
 ハーペンデン 何がフェアーだ! 糞ったれ。・・・あ、御免、君・・・ああ、分かった。だけど、とにかく聞いてくれ。あいつらの正体を知っておく必要があるんだ。一人は蛇だ。悪辣なフランスの蛇なんだ。汽車で軍服を着た女性を見るとすぐにじり寄って来る。もう一人は色気違いのヤンキーだ。君のことを売春婦と間違えたんだ。
 マルヴェイニー おい、何だそれは。この胡麻の蠅!
(再びマルヴェイニー、突進して受話器を取ろうとする。が、跳ね返される。)
 マルヴェイニー(懸命に、受話器に声が入るよう大声で。)信じるな、エリザベス。こいつの言ってることを。
 ハーペンデン いや、何も僕には聞こえないな。混線なんだろう、きっと。・・・そうなんだ君、売春婦と・・・そう。どうやら僕の居間にあいつ、売春婦がいると思ってたんだ・・・(怒って。)分からないよ、僕には、何故だか、そんなこと・・・分かってるだろう、君にだって。あいつらヤンキーっていうものがどんな奴らか。あいつらどこへ行っても、売春婦がいると思ってるんだ。・・・ねえ君、本当なんだから。・・・
(マルヴェイニー、一瞬の隙を狙って、受話器を取ることに成功。)
 マルヴェイニー(必死に。)信じちゃ駄目だ、エリザベス。君のことを僕は売春婦なんて思ったんじゃない。愛してるんだ、君のことを。
 コルベール(マルヴェイニーから受話器を奪い取って。)Ecoutez,Elizabeth.(聞いて、エリザベス。)蛇じゃないんです、僕は。悪辣なフランスの蛇じゃない。・・・愛してるんです、私は。誠実に、焼けるような、真っ赤な・・・切られてしまった。
 ハーペンデン 当たり前じゃないか。
 コルベール 呆れましたよミロード、あなたには。あれがイートンのラグビー場で習ってきたことなんですか。
 ハーペンデン 僕はイートンじゃない。ハローでね。
 マルヴェイニー(自分の大きな拳骨を見せながら。)その顔の真ん中をぶん殴ってやりたくなったな。
 ハーペンデン 殴れるものなら殴ってみろ。いいか、君達二人、憤慨しているようだがな、そんな憤慨なんかちゃんちゃら可笑しいんだ、僕の憤慨に比べれば。僕は・・・僕はエリザベスともう二十年間も付き合っている。君達は何だ。それに比べてたった・・・
 コルベール Palsambleu! (何!)何がたったですか。
 ハーペンデン 何だって?
 コルベール もうすっかり時代が違っているんです。いいですか。あなたとエリザベスの結婚が最初に計画されたあの頃とは全くね。Les droits de seigneur(貴族の特権)など、消滅しているんです。二度と戻っては来ないんです。亡び行く階級なんです、あなたは。
 ハーペンデン 亡び行く階級、いいだろう、それはそれで。しかし、僕が愛する女と結婚するということ、これとは何の関係もないじゃないか。
 コルベール 大ありです。その相手がエリザベスなんですから。あの人はどんなことがあっても、亡び行く階級なんかと運命を共にしてはいけないんです。
 ハーペンデン 左翼か。
 コルベール そう。社会主義賛成。
 ハーペンデン 僕だって左翼の新聞「ニュー・ステイツマン」の購読者だ。
 コルベール 講読してたって、亡び行くことから免れはしません。
(この間黙りこくって考えていたマルヴェイニー、玄関ホールの扉の方にフラフラと進む。ハーペンデン、それに気付く。)
 ハーペンデン(鋭く。)おい、どこに行くんだ。
 マルヴェイニー(少し恥ずかしいという表情が浮かんで。)ちょっと散歩に行こうと・・・
 ハーペンデン その散歩、行く先がブラウンズ・ホテルっていうんじゃないだろうな。
 マルヴェイニー ブラウンズ・ホテルなんて、場所を知らないよ。
 ハーペンデン そこで、警察に訊こうっていう腹なんじゃないだろうな。
(ハーペンデン、マルヴェイニーと扉の間に立つ。)
 ハーペンデン いや、駄目だ、散歩は。今夜はここから出られないんだ、君は。
 マルヴェイニー どうやって止めるつもりなんだ。
 ハーペンデン 分からない。しかし最大の努力をするだろう。
 コルベール(マルヴェイニーに。)ミロードを攻撃するなら、僕も相手だ。
 マルヴェイニー ふん、二人を相手か。よし、突破して見せよう。
 コルベール 可能かも知れませんね、あなたなら。しかし我々はここで、ミロードの厄介になっているんですよ。それを考えなきゃ。
 マルヴェイニー だからといって、僕をここに閉じ込めておく理由にはならないぞ、一晩中子供みたいに。散歩に出たけりゃ勝手に出る。何が悪い。僕は自由な人間だ。違うのか。
 ハーペンデン 運動不足なら、寝室にボート漕ぎ練習機がある。
 マルヴェイニー なあ、ボビー、あの子は今胸も潰れる思いをしているんだぜ。可哀相に。僕のことを恋い焦がれて。糞っ!
 コルベール それはまだ確定した訳じゃありませんよ、Monsieur. 当の相手が私だっていう可能性もあるんです。
 ハーペンデン 諸君は気がついていないようだがね、今朝の十一時から、今のこの時間までもう随分経っているんだ。その間に何が起こっているか、ポーランド人、チェコ人、ベルギー人、デンマーク人・・・どんな人種がその間に彼女に言い寄っているか、或いはブラウンズ・ホテルのドアマンにポーっとなっているかも知れないんだ。
 マルヴェイニー(哀願するように。)ボビー、頼む、馬鹿なことを言うのは止めよう。どうしても今夜僕はエリザベスに会わなきゃならないんだ。
 コルベール 彼が行くなら私も行きます。
 ハーペンデン 君達二人が行くなら、僕だって行く。
 コルベール これでまた行き止まりだ。解決策は一つしかありませんね。
 ハーペンデン 解決策? つまりフェアープレイか。
 コルベール そう。フェアープレイです、ミロード。一人一人、順番にブラウンズ・ホテルに行くんです。
 マルヴェイニー よし。だけど、誰が最初に行くんだ。
 コルベール(明るく。)アルファベット順?
 マルヴェイニー 駄目ですな、Cのコルベール君。
 コルベール じゃ、コインを投げるか。
 ハーペンデン 冗談じゃない。嫌だ、こんなの、僕は。
 コルベール スポーツマンシップはどうしたんですか、ミロード。
 ハーペンデン そんなもの、ハローのラグビー場に埋めてきた。
 コルベール 私の提案に賛成なさらない場合は仕方がありません。私はこの腕っぷしの強い中尉殿の味方になります。そうなるとミロードの勝てるチャンスはあまりないと思いますが?
 マルヴェイニー そうだ、いい考えが浮かんだ。君達、クラップス知ってるだろう?(ポケットからサイコロを二個取り出す。)
(訳注 クラップス 二個のさいを用い、第一回に七か十一ならば勝ち。二、三、十二ならば負け。それ以外ならば投げ続け、七が出れば負け、初回と同じ数ならば勝ち。)
 コルベール やったけど、昔です。忘れてしまっています。
 マルヴェイニー 簡単なんだよ。ボビー、君知ってるよね?
 ハーペンデン(不機嫌に。)まあ、ぼんやりとね。七かなんか出すんだろう?
 マルヴェイニー そう。七か十一ならそれで勝ちだ。二か三なら負け。それ以外の数、例えば六とか八の時にはその同じ数が出るまで振る。それで出れば勝ち、その前に七が出れば負け。分かった?
 コルベール ええ、分かったと思います。
 マルヴェイニー(ハーペンデンに。)じゃあボビー、まづ君とだ。
(二人、床に坐る。)
 マルヴェイニー さ、サイコロを取って、フリップして。
 ハーペンデン フリップ?
 マルヴェイニー こうやるんだ。(やって見せる。)よし、僕が「投げ」だ。僕が投げて勝負を決める。(サイコロを振る。)八だ。よし。じゃあ、七が出る前に八が出れば僕の勝ちだぞ。
(公爵、玄関ホールから入って来る。三人とも気がつかない。公爵、三人を眺める。)
 マルヴェイニー(歌うように。)出ろよ、出ろよ、八、出ろよ。ホーラ、ホラホラ、八、出ろよ。言うこと、聞け!(サイコロを振る。)
 公爵 ほほう、三人とも、楽しんでいるようだな。
 コルベール ええ、お蔭様で、Monsieur.
 公爵 何をやっているのか、訊いていいかな。
 マルヴェイニー クラップスです、公爵。
 公爵(冷たく。)私が出て行った時、三人で揉めていた下らない一件は、どうやら満足のいく決着をみたようだな。
 ハーペンデン その決着をつける手だてと言えますね、この勝負は。
 マルヴェイニー(歌うように。)五と三でろよ、五と三よ。四と四でもいいんだぜ。
 公爵(怒って。)私の娘をサイコロで決める? 何だ、これは!
 コルベール そうです。誰が最初にプロポーズするか、それを決めるんです。
 公爵(雷の落ちるような勢いで。)何ていう不謹慎な! 聞いたことがないぞ、こんなことは。まるで・・・十八世紀だ・・・(一歩踏み出して。)止めろ、今すぐ!
 マルヴェイニー そこをどいて下さい、公爵。投げられませんよ、それじゃあ。(振る。)やった! 四と四だ。よし、フランスのおっさん、今度はお前さんとだ。どっちが「投げ」かを決める。一つ取って振るんだ。
 公爵(呆れ顔で。)何だ、これは。こんな話ってあるのか。
(コルベール、公爵を無視。サイコロ一個を振る。)
 マルヴェイニー よし、お前が「投げ」だ。
 公爵(吠える。)何て失敬な。いいか、私の娘なんだぞ、そのサイコロの目的は。
 コルベール(振る。)九だ。勝ちか?
 マルヴェイニー 勝ちじゃない。しかしチャンスはまだある。次に、四と五を出す。或いは三と六だ。
 コルベール そいつは楽じゃないな。(振る。)
(公爵、また近づき、見る。)
 コルベール 四だ。(また振る。)八。近いぞ。
 マルヴェイニー 七にも近い。
 コルベール(振る。)十だ。ちょっきり。
 公爵 七が出れば負け、九が出れば勝ち、っていうことなんだな?
 マルヴェイニー そうです。
 公爵(思い出して。)そうだ、このゲームで、ひと財産すった奴がいる。チキン・ハートップだ。あれはマイアミだった。
 マルヴェイニー これでよくそれをやるんです、公爵。そいつ一人だけじゃありません。
 公爵 長いことやってないな、私も、クラップスは。
(公爵、坐り込んで、見る。コルベール、再び振る。)
(ゆっくりと幕下りる。)
                  (第二幕 終)

     第 三 幕
     第 一 場
(場 同じ。次の日の午前三時。幕が開くと、公爵がサイコロを振っているところ。ハーペンデン、むすっとした顔でそれを見ている。二人ともウイスキー・ソーダのグラスを手に持っている。コルベール、肘掛け椅子に坐り、足をスツールに乗せている。)
 公爵 さあ、二と四ちゃん、出て頂戴。さあ、パパのためだよ、二と四ちゃん・・・(振る。)そーら、出た。可愛い奴。ほら六だ。(数字の書き込みのある紙にまた何か書き加える。大変上機嫌。)これで君の負けは・・・エート・・・五百六十五ポンド十シリングだ。いいんだな?
 ハーペンデン(陰気に。)いいんでしょう、きっと。
 公爵 そう言わないで、見てみろ、この結果を。(紙をハーペンデンの目の前に振って見せる。)
 ハーペンデン まあいいんでしょう。とにかく、僕は足し算が出来ないですから。(グラスを飲み干し、立ち上がる。)
 公爵(くすくす笑って。)足し算が出来ないって? じゃ、無理もないな、連中が君を昇進させないのも。(グラスを飲み干して、差し出す。)立ってるついでだ。もう一杯頼む。
(ハーペンデン、グラスを受け取る。)
 公爵 さてと、今度は一馬(ひとうま)賭けることにしよう。(点数表を見て。)二十五ポンドだ。いいな?
 ハーペンデン いいでしょう。でも僕が帰って来るまで振っては駄目です。
 公爵 君、君、私を何だと思ってるんだ。
(ハーペンデン、それに答えようと口を開けるが、思い止まる。)
 コルベール まだ帰ってこないんですか?
 ハーペンデン まだだな。(腕時計を見て。)もう三時間と五十分だ。
 コルベール(平気な顔で。)どうってことないでしょう。会ってくれなくて、まだ玄関ホールで待っているのかも知れないし。
 ハーペンデン(陰気に。)ジョーは違うな。あいつは扉を蹴破っても意思を通すタイプだ。
 コルベール(そうなればいいという顔。)じゃ、今頃は刑務所ですね。
 ハーペンデン そううまくはいかない。
 公爵(苛々と。)そこに突っ立って、お喋りをしている場合じゃないぞ。私は一馬賭けたんだ。
 ハーペンデン(戻って来て。)失礼。下らない、取るに足らない話をしていましてね。貴方の娘さんの将来についてなんです。
 公爵 娘の将来? ああ、そうか。あの男はまだ帰って来ないんだな?
(ハーペンデン、首を振る。)
 公爵 あいつがうまく行かない方に猿三つ賭ける。一猿五百ポンドだから、千五百だ。あいつがうまくやったら、そちらの勝ちで、猿一つ。どうだ。
 ハーペンデン その賭け、乗りましょう。
 公爵(ちょっとの間・・・の後。)行ってどのくらい経つんだ?
 ハーペンデン ほぼ四時間です。
 公爵 ふうん、父親としてこういう賭けをするのはどうもまづそうだな。この賭けは止めだ。すまんな、ボビー。さてと、二十五ポンドがかかってるぞ。私の「投げ」だ。いいな。(振る。)七だ。まいったな、これは。(本心から言っているかどうか不明だが、次の台詞。)今度は君の勝ちだと思ったんだがな。(紙片に数字を書きながら。)これで、六百ポンド十シリングになるな。切りの良い数だ。
 ハーペンデン ちょっと待って下さい。(公爵から紙片をひったくっる。)五百九十ポンド十シリングですよ。
 公爵 えっ? そうか?(紙片を調べる。)そうだ。馬鹿な計算間違いだ。足し算が出来ないというさっきの話はどうなったのかな?。
(公爵、また詳しく点数を調べる。ハーペンデン、急に外の物音に耳をすませる。玄関ホールに突進する。)
 公爵 おい、ロバート、今度こそは君にチャンスを与えよう。賭け金を五十にしてやるよ。(ハーペンデンがいないのに気がついて。)どこに行ったんだ?
(ハーペンデン、帰って来る。がっかりした様子。コルベール、「どうだった?」というようにハーペンデンを見上げる。)
 ハーペンデン 隣だった。
(コルベール、頷き、再び睡眠に戻る。)
 公爵 私は言っていたところなんだ。今度こそは君にチャンスを与えて、賭け金を・・・
 ハーペンデン(途中で遮って。)ええ、それはどうも。でも僕は止めです。
 公爵 しかしそれは悪いよ、君。こんなに貰っちゃ。もう二、三回君に取り戻して貰ってからにしなきゃ。
 ハーペンデン ご親切に。有り難うございます。もう二、三回取られて仕舞うよりはましですから。
 公爵 しかし君のためを思って言ってるんだが。
 ハーペンデン ええ、よく分かっています、しかし損害は損害、負けた分は支払います。
 公爵 フン、なるほど。もうやらんという訳か。こんなに君からふんだくって、ひどく悪いと思ってるんだが・・・そうか。(計算書を眺めて。)五百九十ポンド十シリング。(大盤振る舞いをしてやるという調子で。)よし、この十シリング、こいつをなしにしてやろう。どうだ。
 ハーペンデン いいえ、結構です。しかし、そのお気持ち、有り難うございます。
 公爵(伸びをして。)いやあ、疲れた。何だ? もう四時か。無理もないな。(苛々と。)あのヤンキーの奴、一晩中私の娘を独り占めにしているのか。どうなってるんだ、これは。
 ハーペンデン ヤンキーもヤンキーですが、あなたの娘さんも娘さんだっていうことになりませんか。
 公爵 こいつは心配だ。四時間か。このヤンキーの奴を追い返すのに四時間もかかってる。こいつは全くまづい。(ハーペンデンの方を向いて。)みんなお前のせいだぞ、ロバート。こんなドタバタになったのも、みんなお前の不注意からなんだ。
 ハーペンデン はあ、その通りです。
 公爵 そこでぼさっと突っ立っていないで何故ホテルに電話をかけないんだ。
 ハーペンデン 萎れた百合のようにしおらしく、ですか?
 公爵 そうだ。
 ハーペンデン ちゃんとかけてたんです。一時から、四回も。四回目はほんの十分前。あの時は丁度計算表と睨めっこしていらっしゃる時でした。どうやって十ポンド余計に僕からくすねてやろうかと、その対策を考慮中で。だからもう僕は今さら電話はかける気になりませんよ。
 公爵(思いやりのある調子で。)そうか。君も疲れただろうな。そう思うよ。その顔を見りゃ分かる。うん。そう言えば君が電話をかけていたのも覚えている。ホテルは何と言ったんだ。
 ハーペンデン レイディー・エリザベスは十二時ちょっと前にアメリカ人の紳士と外出され、まだ帰っていらっしゃいません。
 公爵 フン、何ていう厚かましさだ。あいつ、娘を乱痴気パーティーの飲み屋に連れて行ったな、さては。ジュビリーかどこか。
 ハーペンデン 私の推測では、ハイド・パークですがね。
 公爵(呆れて。)ハイド・パーク? 午前四時にか? それで、もし君がそう思うんなら、何故そこに捜しに行かないんだ。
 ハーペンデン どうやってですか。懐中電灯でも下げてですか。
 公爵 勿論。懐中電灯を下げてだ。
 ハーペンデン 捕まっちゃいますよ。それに、広すぎます、ハイド・パークは。グリーン・パークかも知れないし。
 公爵 セント・ジェイムズかも知れないしな、そうなれば。あのうるさい鴨のいる・・・そうか。あの男が帰るのをじっと待つしか手がないのか。私は君のベッドで暫く寝ることにする。いいな?
 ハーペンデン どうぞ。
 公爵(寝室に進みながら。)本当に構わないんだな?
 ハーペンデン(しっかりと。)本当に構いません。どうぞ。
 公爵(コルベールに。)君はどうなんだ? Monsieur.
(コルベール、肘で体を起こす。)
 コルベール Pardon, Monsieur? (何ですか?)
 公爵 Voulez-vous rouler avec moi un peu? (どうだ、一丁? 俺と一緒に回らないか?)
 コルベール Comment? (はあ?)(訳注 酷いフランス語で、意味不明のため。)
 ハーペンデン ああ、何でもないよ。君とサイコロの勝負をしたいのさ。
 コルベール ああ、お誘い、有り難うございます、公爵。でも私は賭け事はやらない性質(たち)で。
 公爵 賭け事はしない? さっきはどうなんだ。娘のことで、賭けていたじゃないか。
 コルベール ああ、そういうことのためなら、全財産だって賭けますよ、私は。
 公爵 それで、その全財産ってのは、どのくらいなんだ?
 コルベール 金額にしておよそ二十ポンドです。
 公爵 二十ポンド? なるほど。(威厳をもって。)それでは、君と話し合うことがこれ以上あるとは思えないな。
(公爵退場。)
 コルベール 変わってますね、あの公爵。イギリスの公爵って、まさかみんなああなんじゃないでしょうね。
 ハーペンデン それはそうさ。
 コルベール ナチのあのヘスが会いに来た公爵ってのは、ひょっとしてあの人の事だったんですか?(訳注 第二次大戦の前には、親ナチのイギリスの貴族がいた。)
 ハーペンデン もしそうだとしたらヘスさん、今頃しこたまズィッピー・スナップの株を持たされている筈だな。
 コルベール 何ですか、そのズィッピー・スナップっていうのは。
 ハーペンデン あの公爵閣下が大変御興味をお持ち遊ばされている発明でね。(コルベールを意地の悪い目付きで睨みつけて。)実際、天才的な発明なんだ、これは。金が儲かること請け合いだね。君のその虎の子の二十ポンドはそれに全部つぎ込むべきだよ。
 コルベール 私にそんなにあたることはないでしょう? 我々は同類項なんですよ、アメリカにしてやられた点で。
 ハーペンデン してやられてなんかいないぞ、僕は。君とは同類項じゃないんだ。
 コルベール(溜め息。)やれやれ、イギリス人の美徳、それは負けを認めない彼らの態度だって言いますがね、この件に限って言えば、単に負け犬の遠吠えじゃないですか。
(間。ハーペンデン、大股で部屋の中を往復している。)
 コルベール 檻の中の虎はもう止めて下さいよ。苛々してきます。
 ハーペンデン よかろう。(歩くのを止めない。)
 コルベール どうしてそんなに苛々してるんですか? 本当はあの人を愛してもいないのに。
 ハーペンデン 君はね、僕が彼女を愛してないと、一晩中言ってるがね、もう聞き飽きた。もう一遍それを言ってみろ、どうなるか・・・
 コルベール どうなるんです?
 ハーペンデン これが君を蹴っ飛ばすんだ。(履いている海軍の長靴を見せる。)僕が愛してるってのが分からないのか、君は。
 コルベール じゃあ、クラム嬢は?
 ハーペンデン クラム嬢とはもう話し合いは終わっている。結婚後は二度と会わないんだ。
 コルベール Tiens!(おやおや)本当はああいう人なんですけどね、あなたが必要としている女性は。情婦としてだけじゃない、伴侶としてもね。
 ハーペンデン 伴侶としても? どういうことなんだ。
 コルベール あなたの面倒をこまめに見てくれる女性、それがあなたに相応しいんです。母親の役が出来るんですね、つまり。レイディー・エリザベスなんか、あなたの面倒どころか自分の面倒さえ見られないじゃありませんか。
 ハーペンデン こまめに面倒を見る女が取り立てて僕に必要だって言うんだな? 何故なんだ。
 コルベール 何百万ドルか知りませんが、それがなくなった時のことを考えてみて下さい。今のあなたはただの水兵さんです。どうして士官になれないか、分かってるんですか?
 ハーペンデン 連中の偏見なんだ。僕がパブリックスクール出なもんだから。
 コルベール そう、この現代という時代になって・・・
 ハーペンデン もう止めてくれ、「亡び行く階級」は。気が滅入ってくる。働きさえすれば、週一ポンドぐらいは稼げるんだろう? 失業対策事業で。厚生大臣サー・ウイリアム・ビヴァレッジが支払って呉れるんじゃないのか。(カーテンの後ろに行く。ちょっと経って出て来て。「これは良い徴候だ」という調子で。)サーチライトが出だした。いいぞ。そのうちサイレンが鳴る。
 コルベール あの二人には聞こえやしませんよ、サイレンなんか。それどころか、空をロマンチックに照射する
サーチライト、事態は益々悪くなりましたね。
(間。)
 ハーペンデン(激しく。)糞っ! エリザベスの奴、何で僕をこんな目に・・・
 コルベール そう。あわせているんです、あなたを。あのミラディーは。
 ハーペンデン 破れた靴下のような扱いをしているんだ。この僕をポイッとごみ箱の中に放り込みやがって! それもちょっとした色男のヤンキーが色目を使ったっていうだけで! この俺のことを一体何と心得てるんだ、あいつ!
 コルベール うん、その意気です。
 ハーペンデン 全くあいつ、どういう神経をしているんだ! 結婚式の前の日だぞ。何の配慮もないのか、この俺に、あいつは!(エリザベスの口調を真似て。)私、あなたを愛していないんだわ、ボビー。好きなのよ、好きは好きなの。でもこれ、愛じゃないんだわ。どうしてこんな馬鹿な考えが浮かんだか、それは単にあの悪辣な蛇が、女と言えばすぐに言い寄るフランスのオタンチンめが、焼けるような、真っ赤な・・・下らんものを吹き込んだからに過ぎないじゃないか。
 コルベール ブラーボ。こいつはいい。
 ハーペンデン 全く自分勝手もいい加減にするんだ! あいつはよーく知ってる。知りすぎるほど知ってるんだ、この僕が上官に膝をついて、本当に文字通り膝をついて、頼まなきゃならなかったことを。結婚するのでどうか、休暇を下さいと。あいつは知ってるんだ、僕は詳しく手紙を書いたんだから。この休暇がどんなに取り難いものだったか。・・・前の休暇の時のごたごたのせいなんだが。とにかく膝をついたんだ僕は、上官に。「よろしい、二等水兵ハーペンデン君。」と、そいつは言った。「今度のこの話は本当なんだろうな。もしまたこれがインチキで、期日までに帰って来ず、結婚もしていないとなったら、いいか、その時には必ず営倉にぶち込んでやる。分かったな、二等水兵ハーペンデン君。」営倉の中で頭を抱えて泣いたりわめいたりしている僕のことなどあいつは屁とも思っていないのか。あいつめ、何て奴だ。全く何て奴。・・・今頃あいつは公園で、まるで女王様。従えているのがあのヤンキーのデカズウタイの爆撃機乗り。そしてイチャイチャだ。こっちはどうだ。本物のフィアンセのこの俺は。面目丸潰れ、世間に顔向けも出来ず、軍隊での将来もこれで終だ。まだ始まってもいないのに!
 コルベール ブラーボ、ブラーボ。これは本物。本物の怒りです。立派なもんです、ミロード・ボビー。
(メイベル登場。眠そうで不機嫌。)
 メイベル 何なの、この大騒ぎ!
 ハーペンデン あれ? メイベル、何してるの君、こんなところで。
 メイベル 知らないわ。あなたが教えてくれるんじゃない?
 ハーペンデン 今までの間、ずーっと君、台所にいたって言うの?
 メイベル いろって言われたと思ったけど。でも降りて来たわ。何かあまり酷い騒音なんですもの。あれ、ハムレットの練習? あら、ひどいわ、腰。(腰をさする。)昔よく変な場所に寝て、腰をおかしくしたけど、台所の椅子に寝たのは初めてだわ。もうこれが最後にして欲しいわね。
 ハーペンデン ああ、御免、御免。君が上にいるのをすっかり忘れていた。どこが痛む?(腰をさすってやる。)
 メイベル もうちょっと上の方ね。ああ、そこそこ。
 ハーペンデン 御免。許してくれるね?
 メイベル 馬鹿ね、謝るなんて。あなたの方がずっとずっと大変だったじゃない、今夜は。
 ハーペンデン そうだな。普通の夜よりはね。
メ イベル 有り難う、もういいわ。(伸びをする。)一杯やっていい?
 ハーペンデン 勿論。僕が取ろう。(飲み物のテーブルに進む。)
 メイベル エリザベスとは終なの?
 ハーペンデン そうらしいな。
 メイベル あの人のせい?(コルベールを指さす。)
 コルベール いいえ、Mademoiselle, マルヴェイニー中尉のせいなんです。
 メイベル 悪くないわ、あの人。でもやっぱり馬鹿ね、エリザベス。
 コルベール 金、金で、物を決めないたちだからじゃないですか? あの人が。
 メイベル(実のこもった言い方。)ええ、私もあの人が金で物を決めるなんて思ってないわ。あの人が捨てた人、その人の方が、あの人が拾った方の人より十倍も素敵なんだって。だから馬鹿って言ってるの。
 コルベール 偏見があるからじゃないですか? Mademoiselle.
 メイベル 男の人に関しては私、偏見がないの、全然。ほら見てご覧なさい、あの姿。(ハーペンデンを指さす。丁度飲み物を持って席に帰って来るところ。)あれ以上何がいるっていうの。最高よ、あの人。
 ハーペンデン 君は水兵さんが好きなんだ。それがまた問題なんだがね。
 メイベル それは私、好きよ。仕方ないわ。(飲み物を受け取って。)これを飲みおえて私、家に帰るわ、トコトコと。
 ハーペンデン こんな夜更けにどうやってケンジントンまで帰るんだ。この時間だとタクシーも呼べないぞ。
 メイベル いいの。歩くから。
 ハーペンデン 駄目だよ。歩くのは無理だ。
 メイベル ここには泊まれないのよ、ボビー。だから仕方ないでしょう?
 ハーペンデン いや、泊まれるよ、勿論。泊まれるに決まってる。僕の婚約者にちょっかいを出して平気でいる毛虫のような連合国中尉殿達には自分の部屋を貸して、僕の本当の友達には貸さないなんて、そんな馬鹿な話があるもんか。君がここに泊まるのは当然中の当然なんだ。
 メイベル でも私、あの椅子はもう厭だわ。
 ハーペンデン 分かってる。君はホートンのベッドに寝るんだ。
 メイベル じゃ、ホートンは?
 ハーペンデン だから部屋から出すんだよ。
 メイベル それはそうでしょうけど、どうするの? あの人を。
 ハーペンデン ソファに寝て貰う。
 コルベール 私はどうなるんでしょう。
 ハーペンデン フン、他に方法はないな。僕と一緒だ。(寝室を指さす。)とてもマルヴェイニー中尉殿が今夜この私めと褥(しとね)をともにするなどという栄誉を与えてくれそうには思えないからね。
 コルベール なるほど、イギリス流ジェントルマンとは何か、少し分かったような気がするな。
 ハーペンデン(メイベルに。)ちょっと待って。今ねまきになるものを持って来る。(寝室の扉を開け、中を覗く。)おやおや、公爵殿は熟睡中だ。ひどい形相だなあ。
(ハーペンデン、中に入る。)
 メイベル あの人、エリザベスにひどく怒ってるんでしょう?
 コルベール そうなんですよ。全く驚きですがね。
 メイベル 驚きじゃないでしょう? だってあの人、エリザベスを愛してるんですもの。
(ハーペンデン、腕にパジャマを二枚抱えて登場。それをメイベルに渡しながら。)
 ハーペンデン ねえメイベル、僕と結婚してくれない?
(メイベル、ハーペンデンを見つめる。不思議そうな顔。間。)
 メイベル 何故?
 ハーペンデン 君を愛してるからだよ。
 メイベル 他には?
 ハーペンデン 二人でうまくやっていけると思うんだ。君はいい奥さんになるよ、僕の。
 メイベル そうね。で、他には?
 ハーペンデン うん。この休暇の間にもし誰かと結婚しないと、上官とひどくまづいことになるんでね。
 メイベル(笑う。)まあボビー、あなたっていいわ。(ハーペンデンの首に両腕を巻き付けて。)あなた、私と結婚したいんじゃないのよ。誰か他の人を思いつかないの?
 ハーペンデン いや、思いつかないんだ。
 メイベル 二百万ポンドの財産、それに貴族の称号、これがあるんですもの、選り取りの筈よ。
 ハーペンデン 選り取りじゃないんだ。僕は君がいいんだ。僕はね・・・(下手なことを言いそうになる。)
 メイベル(その口を手で抑えて。)黙って。もっと酷くなりそう。
 ハーペンデン 僕は本気なんだ。本気で結婚を申し込んでるんだ。勿論君が厭なら・・・
 メイベル 厭だなんて。ねえボビー、正気な女性で誰があなたのことを厭だって言うと思う?
 ハーペンデン 一人いたからね。
 メイベル だってあの人、正気じゃないもの。私は正気なの。でも最終的な返事を出す前に、私あなたにもう一度よーく考えて貰いたいわ。私より結婚していい人、本当にいないかどうか、よーく。
 ハーペンデン 分かった。
(ハーペンデン、目を閉じてちょっと考える。この間ずっとコルベール、肘掛け椅子から熱心に一部始終を見ている。)
 ハーペンデン(やっと。)うん、いないな。ルースィ・スコットがいるだけだ。だけどあいつは僕より背が高い。
 メイベル でもいい人よ、とても。あの人。
 ハーペンデン うん。だけど僕はそれほど好いてはいないな。
 メイベル それほど好いていないんならいいわ。
 ハーペンデン だから結局君しかいない。君、結婚してくれる?
 メイベル もしここで私が「イエス」って言ったら、あなたもう取り消せないのよ。後戻りはなしなのよ。いいの?
 ハーペンデン 勿論いいよ。
 メイベル 何があっても?
 ハーペンデン 何があっても。
 メイベル 約束ね?
 ハーペンデン 約束だ。
 メイベル 私、「ロンドン中の笑い物」っていうのには、決してなりたくないの。分かったわ、ボビー。私あなたと結婚するわ。
 ハーペンデン 有り難う。感謝する。
(コルベール、椅子から立ち上がり、二人に近づく。)
 コルベール 私、祝福していいでしょうか、お二人を。
 ハーペンデン なんだ、君ずっとそこにいたのか。台所に追い返しておくんだったな。
 コルベール そうして下さらなくてよかったです。イギリス式求婚っていうのを見たことがなかったですから。何が何でも見て置きたかったです。
 ハーペンデン(メイベルに。)これ、無礼っていうやつ?
 メイベル 勿論無礼だわ。(コルベールに。怒って。)だけどねあんた、何て名前か知らないけど、ムッシュー、言っておきますけど私、これまでに何百人ってフランス人に求婚されたわ。フランス人だけじゃない。ポーランド人、チェコ人、ノールウエイ人、その他いっぱいね。だけど、イギリス式の求婚・・・今のボビーのような、正直で、あけすけなやり方の方がずっとずっと好き。何よ、手にキスしたり、腕をさすったり、「ああ、マドムワゼッル・・・なんて素敵な人なんだ」式の求婚・・・それが何だっていうの!
(メイベル退場。ハーペンデン、後に続こうとする。しかし扉のところで立ち止まる。)
 コルベール 理論的にはあれ式でうまく行く筈なんですがね。
 ハーペンデン で、実践的には?
(間。)
 コルベール(感情を込めて。)ムッシュー・ハーペンデン。本当におめでとう。心から祝福致します。
 ハーペンデン 何言ってる!(思い直して。)フン、とにかくこれで連中は僕を営倉にはぶち込まないぞ。
(ハーペンデン退場。コルベール、にやっと笑って、肩をすくめ、電話に進む。電話帳を見て、ダイヤルする。)
 コルベール(受話器に。)もしもし、ブラウンズ・ホテル? ・・・レイディー・エリザベスはお戻りになりましたか?・・・まだ?・・・いえ、伝言は結構。
(ホートン登場。不機嫌な顔。毛の夜着を着ている。)
 ホートン お早うございます。
 コルベール ああ、お早う。
(コルベール、ソファに行き定位置につき、順序正しく毛布を左、右、とかけ、その中にくるまる。)
 ホートン(それをじっと見た後、ややあって。)お休みなさいませ。
(玄関ホールに声がする。エリザベスとマルヴェイニー登場。二人ともひどく陽気。ホートン立ち上がる。)
 ホートン お早うございます、お嬢様。
 エリザベス ごめんなさい。お邪魔したようね。
 ホートン いえいえ、そんなことは。どうやら特別な夜のようです、今夜は。わたくしの方が邪魔な様子で。玄関ホールに下がっておりますから、わたくしは。
 (ホートン退場。)
 マルヴェイニー(元気よく。)やあ、フランスのおっさん。どうだ、調子は。
 コルベール まあまあです。そちらは?
 マルヴェイニー いやあ、実に素晴らしい夜だった。なあ、リズ?
 エリザベス 素敵だったわ、ジョー。
 コルベール 公園にいたんですか?
 マルヴェイニー そうだよ。どうして分かった。
 エリザベス 忘れられない夜だわ。満月。まんまるのお月さま。
 マルヴェイニー サーチライトがまた良かった。背景にピタリだったな。
 コルベール そうでしたね。
 マルヴェイニー(コルベールに。)ちょっと君、すまないが暫く消えてくれないか。まだリズに話すことがあってね。
 コルベール ああ、分かりました。
(コルベール、二人を長い間眺める。深い溜め息をつく。肩をすくめる。そして寝室にはいる。)
 マルヴェイニー さてと。
 エリザベス そう、「さて」ね。
 マルヴェイニー ここが結論を言う場所のようだね。
 エリザベス ええ。
 マルヴェイニー すごかったね、この成り行き。
 エリザベス 「すごい」って言うのは、酷く言い足りない表現じゃない? この二十四時間に起こったことを表すのには。
 マルヴェイニー こういう成り行きで君、本当に満足してる?
 エリザベス ええ、ジョー、満足よ。
 マルヴェイニー 僕はよく分からないんだ。
 エリザベス(微笑んで。)あなたにはダルスィーなの。
 マルヴェイニー あいつはいい奴だ。近いうちに君のことを話して聞かせるよ、あいつに。
 エリザベス 私だったら用心するわね。米英の親密な関係を壊したくなかったら。
 マルヴェイニー ああ、あいつには分かるさ。結局君には感謝する筈だよ。いろんな点で。
 エリザベス 落ち着いて考えればそうでしょうけど、・・・でも、その人どうかしら。
 マルヴェイニー ボビーはどうかな。僕に感謝するかな。
 エリザベス するわよ。いいえ、しなくちゃいけないわよ。危(あやう)くなった二人を、元の鞘に収めてくれた人じゃない。
 マルヴェイニー しかしその危くさせた張本人が、元の鞘に収めさせた男なんだからなあ。
 エリザベス いいえ、あなたが危くさせたんじゃないの。最初からそれはあったのよ。私もボビーに不安を感じていたし、ボビーの方だって私に。それはちゃんと結婚はしていたでしょう、きっと。でも・・・そう、私の冒険好きの性格を考えたら、後で何が起こったか、分かったもんじゃないわ。
 マルヴェイニー 今となってはもう、そんなことは起こらないって?
 エリザベス(微笑んで)ええ。あなたが約束を守ってくれれば。そして二度と私の前に現れなければ。
 マルヴェイニー 何だい、それは。僕は安全な男だよ。もうそれぐらい分かってもいい筈じゃないか。ところでどのくらいあのベンチに坐っていたんだろう、二人で。
 エリザベス ほとんど四時間ね。
 マルヴェイニー その四時間の間、僕一回でも・・・
 エリザベス いいえ。でも議論はしたわ、沢山。
 マルヴェイニー 議論なんて問題じゃないよ。
 エリザベス 相手が誰かによるわ、それは。いいえ。あなた、自分ではそう言ってるけど、「安全」じゃないわ。魅力がありすぎ。あなたは「思い出」になった方がいいの、私には。感傷的な、そして遥か彼方の「思い出」に。
 マルヴェイニー じゃあ、今だね、あれを言う時は。
 エリザベス ええ。言う時ね。さようなら、ジョー。
 マルヴェイニー さようなら、リズ。(両手を広げる。)
 エリザベス 駄目よ、ジョー。
 マルヴェイニー 何を言ってるんだ、リズ。これでもう永久にお別れっていうさよならなんだぞ。離れたまま出来っこないだろう?
 エリザベス 私、今日は結婚式なのよ。忘れたの?
 マルヴェイニー じゃ、昨日の朝は? あれは何なんだ。
 エリザベス あれは別よ。だってあなた、私のことを売春婦だって思っていたんでしょう?
 マルヴェイニー じゃ、君はあの時、僕のことをどう思ってたんだ。
 エリザベス いつか手紙に書くわ、そのことは。・・・さようなら。
(エリザベス、マルヴェイニーにキス。コルベール、扉のところに現れる。エリザベス、離れる。)
 コルベール(マルヴェイニーに。)邪魔をして実に悪いんですが、その、公爵がどうしても話したいと。寝室にいらっしゃいますが。
 マルヴェイニー オーケー。だけど、どうなってるんだフランスでは。部屋に入る時にノックはしないのか。全く。
(マルヴェイニー、寝室に入る。)
 エリザベス パパはまだいたの? 私も話があるわ。
 コルベール 待って下さい、ミラディー。私は言います。これは言わなくちゃ。ミラディー、あなたは間違っています。酷い間違いを犯しています。
 エリザベス(ギョッとなる。)何ですって?
 コルベール 思い直すんです。まだ間に合う内に。あなたは一人だけじゃない。二人の男を駄目にしようとしているんです。
 エリザベス ああ、馬鹿ね、おチビさん。もうあっちに行って。
 コルベール そうです。今は馬鹿なおチビさんかも知れません、私は。でもいつか、いつか必ずそのチビをあなたは別の角度から見る。そして光り輝いて見えるんです、そのチビが。
(マルヴェイニー、寝室の扉のところに現れる。)
 コルベール あのヤンキー。何ですか、あんな奴。ただひとときの快楽、一夜の恍惚、それだけ・・・
 マルヴェイニー(コルベールに近付き。)それがこいつの正体か。
 エリザベス ほっといて、ジョー、そんな人。気高く立つの。そんな人には構わず。
 マルヴェイニー 気高く立つ? それより言い考えがある。気高くぶっ飛ばしてやるんだ。
(コルベール、素早く坐る。公爵登場。)
 公爵 そうだと思った。最高だ、この結論は。全く最高だ。やっと正気に戻ってくれたな、お前は。(優しくエリザベスにキス。)いや、疑ってなどいなかったぞ、私は。全然。お前という人間をよく知っているんだからな。無鉄砲なんだ・・・時々は嵌めを外す。しかし行き過ぎはやらん。お前の母親と同じだ。行き過ぎてもうまく行った話など、みんな作り話だ。
(ハーペンデン、玄関ホールから登場。公爵、急いでハーペンデンに近づく。)
 公爵 ああ、ロバート、君のニュースは聞いたぞ。最初の祝福は私にやらせて欲しい。
 ハーペンデン(面食らった顔。)はあ、有難うございます。
 公爵(陽気に。)ロバート、お前さん、なかなかやるな。驚いたよ。引き戻すとはな。どうやってやったか、それが知りたいもんだ。
 ハーペンデン 引き戻す? はあ、まあ、そんなに難しくは・・・
 エリザベス ちょっと待って、パパ。パパの言っていること、ボビーに分かっているとは思えないわ。(マルヴェイニーに。)ジョー、あなた言って頂戴。
 マルヴェイニー よしきた。ボビー、エリザベスはな、俺を完全に振ったんだ。今や、全く明かになったからだそうだ、彼女が君を愛してるっていうことがね。
 ハーペンデン おお。
 エリザベス あら、「おお」だけ? ボビー。他に言うこと、ないの?
 公爵 心配はいらんよ。お前が何を言ったって、あの返事だったじゃないか。なあ、ボビー、そうだったな?
 ハーペンデン(困ったような微笑。)ええ、まあ。
 公爵 おい、ロバート。何をぼんやり突っ立ってるんだ。言うんだよ今、「リズ、なんて僕は嬉しいんだ・・・」
(メイベル登場、パジャマ姿。)
 メイベル(入って来ながら。)酷いわ、ボビー。あなたったら、いつだってこの青いパジャマを渡すんだから・・・(エリザベスの姿を見て言い止む。)
 公爵(怒って。)メイベル!
 メイベル 分かったわ。「台所に行け!」でしょう?
(メイベル退場。)
 エリザベス あれがミス・クラムね。
 公爵(落ち着かない表情。)そう。ミス・メイベル・クラム。大変身持ちのよい・・・
 エリザベス おお!
 公爵 おいおい、勘違いしちゃお前、いけないよ。実際あの子は一晩中出たり入ったりしていたんだ。そうだな? 諸君。
 コルベール そうです、Monsieur.
 マルヴェイニー ええ、そうです、公爵。
 エリザベス おお。(「あなたが何を言うの」という口ぶり。)
 公爵(苛々と。)お前も「おお」の連発か。止めてくれ。いいかい、お前。私は一晩中ここにいたんだ。そしてその私が言うんだ。ここでは何も変なことはなかったとな。だからお前も安心していい筈だろう?
 エリザベス ええ、その筈だわ。でもどうしてか分からない。安心出来ないわ。
 公爵 お前の取り越し苦労だよ、それは。あれはかわいい子だし、我々はみんな好いている。だけどロバートとは金輪際何もないんだ。そうだな、ロバート。
 ハーペンデン ええ、「何もない」・・・いや、「何かある」と言うべきか・・・
 公爵 何だそれは。はっきりしない言い方だな。あるのか、ないのか、どっちなんだ。
 ハーペンデン ええ、実はその・・・僕はあの子に結婚を申し込んだのです。
 公爵 ええっ? 「僕はあの子に・・・」何だって?
 コルベール ええ、今のは本当です、Monsieur.  私はちゃんとその場に居合わせました。その結婚を彼に勧めたぐらいです、私は。
 公爵(怒鳴る。)ほっとけ。お前の出る幕じゃない! このオタンチン・パレオロガスめ!
 コルベール(興味をもって。)Qu'est-ce que c'est オタンチン?
 公爵 Qu'est-ce que c'est オタンチン? C'est ... c'est ...  誰か教えてやれ!
 ハーペンデン Imbecile.  (仏 「馬鹿」)
 公爵  Imbecile  だ、お前は。人の邪魔ばかりしおって。 Allez-vous en!  (仏 あっちへ行け。)Retournez au kitchen!  (仏 台所へ戻るんだ!)
(コルベール、ぶつぶつ言いながら退場。)
 公爵 さてと、ロバート。何だ、今の話は。お前、頭がどうかしたんじゃないか? メイベル・クラムに結婚を申し込んだだと?
 ハーペンデン はい、そうです。
 公爵 しかし、何故だ、一体。
 ハーペンデン(絶望的に。)なかなか良い考えだと思ったものですから。
 公爵 良い考え? あいつと結婚するのが良い考えだと? 誰とでも寝てきたあの女が! トムだろうが、ディックだろうが、ハリーだろうが・・・
 エリザベス 「あいつは良い奴だ」っていうのが、パパの批評だったんじゃないの?
 公爵(エリザベスの方を向いて。)お前の出る幕じゃない。男が処理する問題なんだ、これは。いいか、ロバート・・・
 エリザベス ああ、パパ。こんなことやっても何の意味もないわ。帰りましょう、家に。
 公爵 ちょっと待て。
 エリザベス(金切り声で。)今すぐ! (ハーペンデンに。)あなただって何でも出来るわ。その権利はあるの。私だってあなたを一回捨てたんですもの。
 ハーペンデン エリザベス、僕は・・・
 エリザベス(鋭くハーペンデンから顔を背けて。)さあ、行きましょう、パパ。
 公爵(威厳をもって。)分かった。私もこんな家には一分も残っていたくない。こんな気違い屋敷に。
(公爵、エリザベスと扉に進む。ちょっとあることを思い出して。)
 公爵 ああ、お前、ちょっと待って。(ハーペンデンの方を向いて。)あの、貸している金だがね・・・
 ハーペンデン 何の金です。
 公爵 あの、六百ポンドのことなんだが・・・
 ハーペンデン ああ、あの五百九十ポンド十シリングですね。ええ、あれがどうしました?
 公爵 君はどう思うかしらんが、あれを送ってくれたら、慈善事業団体に寄付しようと思うんだが。
 ハーペンデン 慈善事業団体? つまり例の、マクドゥーガル・アン・スタインベック社ですね、おそらく。
 公爵(口を開ける前に暫く間。)馬鹿侯爵どもに振られた哀れな女性達救済慈善事業団体にだ。(エリザベスに。威厳をもって。)行こう、エリザベス。
(エリザベスと公爵、退場。)
 マルヴェイニー 僕は彼女に言い寄ったりしなかった。分かってくれるね。
 ハーペンデン(大儀そうに。)そう。どうしてだ。
 マルヴェイニー あちらが許さなかったんだ。
(間。)
 マルヴェイニー 新たな婚約、おめでとう。
 ハーペンデン 有難う。
(間。)
 ハーペンデン(ゆっくりと。)あのコルベールのやつめ。半殺しの目に合わせてやる。
 マルヴェイニー 僕も一枚加わるよ、そいつには。
(コルベール、玄関ホールから登場。非常に機嫌がよい。ハーペンデンとマルヴェイニー振り返り、コルベールを睨みつける。)
 コルベール おやおや。どうやら、アングロサクソン共同戦線との対立になったようですね、私は。(伸びをして、欠伸。)一晩中でしたからね、騒動は。ミロード・ボビー、あなたの御親切な申し出をお受けして、あなたのベッドをお借りしたいですね。
 マルヴェイニー(ハーペンデンに。)こいつ、俺達のベッドに寝るっていうのか?
 ハーペンデン そう。
(二人に、同時に、ある考えが浮かぶ。)
 マルヴェイニー フム。
 ハーペンデン フム。
(二人一緒に、寝室の扉に進む。マルヴェイニー、開ける。そしてコルベールに対し、丁寧なお辞儀。)
 マルヴェイニー お先にどうぞ、Monsieur.
(ハーペンデンも同じくコルベールに、寝室に入るよう促す動作。コルベール、ちょっと躊躇う。明らかに怖がっている様子。それから、決心した表情で、肩をまっすぐに立てて。)
 コルベール(呟く。)フランス万歳!
(コルベール、ギロチンに進む貴族よろしく、寝室に入る。マルヴェイニーとハーペンデン、後に続く。そして扉を閉める。)
                    (幕)
             (第三幕 第一場 終)

     第 三 幕
     第 二 場
(場、同じ。その日の朝十時頃。ホートン、玄関ホールから登場。大きな盆を持っている。ホートン、これをテーブルに置き、寝室の扉をノック。そして入る。短い間の後、朝食の盆を持って再び登場。玄関ホールに進み、 退場。玄関ホールに呼鈴の音。)
 公爵(舞台裏で。)お早う、ホートン。
 ホートン(舞台裏で。)お早うございます、公爵様。
 公爵(扉のところで。)タクシーに払ってやってくれ、細かいのがないんだ。
 ホートン 畏まりました、公爵様。
(公爵、窓に進み、それから椅子の方へ。ホートン登場。)
 公爵 誰も起きて来ないのか。
 ホートン つい先程部屋に入りましたが、お三方ともお休みでした。窓の一番近くにありました体を揺すりました。・・・それが主人のものと思いましたからで・・・しかし間違いでございました。アメリカの方のお体で。私に「トンチキ」と。多分この意味は、昨晩は酷い一夜であった。今は放って置いて貰いたい、朝食もいらない、とこういうことらしいと判断致しました。
 公爵 お前、ニュースは聞いているんだろうな、ホートン。
 ホートン 主人のクラム嬢との結婚のことで? はい、公爵様。昨晩、主人から聞きました。(陰気に頭を振る。)
 公爵 お前に賛成だ、ホートン。これは一大ショックだ。しかし、旦那様はきっぱりお決めになったと言うんだな?
 ホートン どうやらそのようでして、公爵様。私もある特別な目付きを致しまして、反対の意を表しましたが、一向にそれにお気づきになる様子はありませんでした。第一次大戦後の新秩序から没落を免れるにはこれしかないのだ、と仰って。
 公爵 ベヴィンのような言い方だな。頭がどうかしているのだ。
 ホートン 私もそれが心配でして、公爵様。
 公爵 いや、最悪の事態に対しても、常に対応策は完ぺきでないとな。クラム嬢はどこだ。
 ホートン 台所でして。
 公爵 フン、なるほど。何をしているんだ。
 ホートン 多分コーヒーを飲んでいらっしゃるところで。
(メイベル登場。正装。)
 メイベル ああ、パパちゃん。さっきの玄関のベル、パパちゃんのね?
 公爵 うん、そうだ。お早う、メイベル。君に会おうと思ってね。わざわざやって来たんだ。
 メイベル あら、そうなの? 優しいわ。
 公爵 優しくはないんだ、ちっとも。真面目な用件でね。それに加えて緊急も要する。
 メイベル 分かったわ。で、何なの?
(メイベル坐る。公爵も。公爵、どう切り出したものか、当惑している様子。メイベル、煙草を取り出す。公爵、火をつけてやる。)
 メイベル 何なの、パパちゃん。気をもたせないでよ。
 公爵 うん。どう話を切り出したらいいか、困ってるんだ。
(間。公爵、立ち上がり、メイベルの椅子のところまで進む。)
 公爵(急に。)なあ、メイベル。君、ズィッピー・スナップスって、聞いたことある?
 メイベル 勿論よ。見せてくれたことあるじゃない。うまく動かなかったわ。
 公爵 動かなかった? そいつは奇妙だ。壊れていたやつなんだ、きっと。とにかくあれは素晴らしい発明だ。女性の着物には革命だよ、これは。ズィッパーを上げたり下ろしたり。それが不要になるんだからな。パチン、パチンと押すだけで、もうさっと外出出来る。そうだ、(メイベルに握手して。)忘れてはいけない。話を進める前に君におめでとうと言わせてくれ。ロバートとの婚約を。
 メイベル あら、あの人、もう話したの?
 公爵 うん。ゆうべな。本当のことを言うと、ちょっと二人で言い合う場面もあった。私もがっくり来てね、娘のことを思うと。
 メイベル それはそうよね。
 公爵 しかし今朝そのことを考え直してみた。それで思ったんだが・・・戦後のこの・・・まあいい。覆水盆に返らずだ。ここで一番いいのは、さっさと二人に会いに行って、この素晴らしい婚約におめでとうを言う    ことだと。
 メイベル 有難う、パパちゃん。
 公爵 あいつは本当にいろんな点で馬鹿な奴なんだ。ああ、今はこんな話をする時じゃない。とにかく二人が幸せになってくれることを希望する。・・・うん、そこでさっきのズィッピー・スナップスなんだがね。
 メイベル ねえ、パパちゃん。私、お金一銭もないのよ。
 公爵(怒って。)金がないのは分かってるよ。私が欲しいのは君の金じゃない。君自身が欲しいんだ。
 メイベル(ギョっとなって。)私自身が欲しい?
 公爵 その通り。現在開発中のズィッピー・スナップスは、主として女性を標的にしているものだ。社長として私が常々主張してきたことは、重役会の一員に、どうしても女性が必要だと・・・
 メイベル(信じられないという表情)と言うことはつまり、私に重役になって欲しいっていうこと?
 公爵 そうだ。君は正に重役としてうってつけの人材だ。若くて、溌剌としていて、新しいものに敏感に反応する。それに鍛え上げられた企業意欲。
 メイベル ええ。でもこれには将来私が、カウンテス・ハーペンデンになるからという条件は含まれていないのね?
 公爵 うん。それは勿論、君に嘘を言っても始まらんから言うが、考慮には入っている。カウンテスというその地位、それはわが社の重役として、実に・・・
 メイベル じゃ、私がボビーと結婚しなかったら? それでも私、必要?
 公爵(慰めるように。)勿論必要だよ。言っただろう? 我々が必要としているのは君の才能、企業家としての力、それなんだ。(「何故そんなことを言うんだ?」という顔で。)しかし君、君はボビーと結婚するんだろう?
 メイベル そうね。あの人、結婚を申し込んだし、私は「イエス」と返事したわ。
 公爵 よろしい。最高だ。これで全部決まりだからね。今朝私は副社長に電話した。彼も私と同意見でね。すっかり賛成してくれた。結局、重役会全員一致で賛成なんだ。君の答は?
 メイベル いいわ、パパちゃん。
 公爵 じゃ、決まりだ。署名して、封印して、発効させる。そしてロバートを驚かせてやろう。あいつ、誇りに思うぞ、メイベル・クラムが一体何になったか、それを知ったら。ええと・・・ここにタイプライターはあったかな。
 メイベル なかったと思うけど。どうして?
 公爵 覚書を拵えようと思ってな、公式の。一通は私から君宛。もう一通は君から私宛。それに二人でサインすれば事は終だ。(玄関ホールに出て、舞台裏で呼ぶ。)ホートン! ホートン!
(公爵、戻って来る。)
 メイベル だけどパパちゃん、それで副社長って誰?
 公爵 ロード・フィンチングフィールド。
 メイベル あら、あのフィンチー? あの人、また出てきたの?
(ホートン登場。)
 ホートン お呼びになりましたか、公爵様。
 公爵 ああ、ホートン。ここにタイプライターはなかったかな、ボビーの。
 ホートン いいえ。でも、私のはあります。
 公爵 どこにある。
 ホートン 上に。台所にあります。
 公爵 じゃ、連れて行ってくれ。そこにいるんだぞ、メイベル。すぐに戻って来る。
(公爵退場。メイベル、一人残されて、ラジオに進み、スイッチを入れる。スウィングの音楽がかかる。メイベル、聴いている。マルヴェイニーの頭、寝室の扉に現れる。眠くて半開きの目。ラジオの方に手探りで進み、スイッチを切り、また寝室に戻る。)
(玄関に呼鈴。メイベル、すぐに玄関ホールに出る。)
 メイベル(舞台裏で。大きな声で。)出なくていいわ、ホートン。私が出るから。
(ちょっとの間の後、メイベル、エリザベスと登場。)
 メイベル あなただと思ったわ。もっと早く来られなかったの?
 エリザベス これがやっと。荷造りがありましたからね。
 メイベル とにかく来て下さったの、嬉しいわ。電話であんまりあなた、酷い調子だったから、来ないんじゃないかと心配したわ。どうぞ、お坐りになって。
(エリザベス、ソファに坐る。)
 エリザベス 言いたいこと、さっさと言って下さらない? 私、十時四十五分の汽車で発つの。
 メイベル(時計を見ながら。)五分とかからないわ。ボビーが私に結婚を申し込んだ話、あの人から聞いたのね?
 エリザベス ええ。そう。
 メイベル 私が承知したって、そう言ってた? あの人。
 エリザベス いいえ。でもそんなこと必要ないことでしょう?
 メイベル ええ、まあ。私、承知はしたわ。何故だか分かる?
 エリザベス(微かに笑って。)分かると思うわ。
 メイベル あなたに分かるとは私、思ってないわ。いい? 私が承知したのは、あの人が好きだから。そして、いい奥さんになれると思ったから。
 エリザベス(丁寧に。)そう?
 メイベル 誰か面倒を見て上げる人が、あの人には必要なの。私、それは出来ると思って。
 エリザベス そうね。あなた、自分の面倒は自分で見てきた人ですものね。
 メイベル ええ。あなたとは違うの。そうする以外には道はなかったの。
 エリザベス その点ではよくやってきたのね、あなたって人。
 メイベル 有難う。自分ながら、よくやってきた、そう思ってる。
 エリザベス それでカウンテス・ハーペンデンになるの。出世ね、大出世。
 メイベル(残念そうに。)ええ。もしそうなってたらね。きっと大出世。
 エリザベス そうなってたら? どういうこと?
 メイベル だって、そうならないつもりですもの、私。それがあなたに言いたかったこと。
 エリザベス 本気? それ。
 メイベル ええ。本気。私、あの人が好きだって言ったわね。結婚しない理由はそれ。あなた、分かる?
 エリザベス 分からない。
 メイベル 分かる筈よ、よく考えれば。ねえ、あんた・・・あ、ご免なさい・・・レイディー・エリザベス・・・あなたの規準からすれば、私ぐらいひどいことをしている女はいないってことになるでしょう。まあ、お金のことで仕方ないって割り引いて下さることはあったとしても・・・ああ、何言ってるんでしょう、私。こんな上品な言い方をしたって、やってることは何も変らない。ええ、私は売春婦。その通りよ。でもお金のためじゃないの、本当は。
 エリザベス じゃ、何のため?
 メイベル 体・・・男の。
 エリザベス まあ。
 メイベル ゆうべ私、台所でボビーに言ったわ。私、結婚したらもう浮気はしないって。勿論本気だった。でも今朝、冷たい朝の光で、冷静に振り返った時、私には分かったの。とても出来ないことだって。
 エリザベス でも、本当に、本気で努力したら・・・?
 メイベル 駄目ね。いくら本気にやっても。私、ボビーには嘘は厭。だから残念だけど、きっぱりとあの人を振るの。それと一緒に二百万ポンドと称号を振るのよ。ちょっとしたものでしょう? ね?
 エリザベス ええ。本当にちょっとしたものだわ。賛成よ。驚いたわ、私。
 メイベル ええ、私も驚き。・・・でもこれしかないわ。ボビーって本当に良過ぎる人。騙すのなんてわけないの。だから私には出来ないわ。勿論パパちゃんみたいな馬鹿な人になら、いくらでも・・・
 エリザベス 私の父親のこと? それ。
 メイベル ご免なさい。あなたのお父さんだってこと、忘れてた。(エリザベスを見て。)あなたには想像も出来ないだろうと思って。でもこれが真相。あなたの侯爵様をお返しするわ。熨斗(のし)をつけて。まだあの人のこと、欲しい?
 エリザベス 分からないわ。
 メイベル あの人の方は、まだ欲しいのよ、あなたが。
 エリザベス あそこにいるの? ボビーは。
 メイベル 連合軍が勢ぞろい。
 エリザベス 他の二人を起こさないで、あの人を連れて来られる? あなた。
 メイベル やってみるわ。難しそうだけど。でもいい? 今日の午前中に結婚するのなら、あなた方、顔を合わせるのは縁起が悪いのよ。
 エリザベス(驚いて。)今日の午前中? 結婚?
 メイベル お客様達にもう断りの連絡をしたの?
 エリザベス いいえ。その時間はなかったわ。後で新聞にでもお知らせを出そうと思って。
 メイベル それは良かったわ。今からでも急げば間に合う。お客様みんなをがっかりさせるのはよくないわ。
 エリザベス ええ。でも・・・私には分からない。とにかくあの人に会わなくっちゃ。
 メイベル 分かったわ。メイベルおばさんにお任せね。あなたはそこに立つの。(寝室の扉にエリザベスの背中をつけて、立たせる。)いいわね。振り返っちゃ駄目よ。後は私がやる。
(メイベル、寝室に入る。暫くしてハーペンデンを連れて登場。ハーペンデン、疲れて、眠くて、不機嫌。目を瞑(つぶ)って歩く。水兵のズボンに、チョッキ姿。)
 ハーペンデン(不満そうに。)だけどどうして目を瞑らなきゃいけないんだ。お願いだ、眠らせてくれ。一体何なんだい、これは。
 メイベル 一分とかからないわ。すぐ話してあげる。さあ、ここに。(ハーペンデンをエリザベスと背中合わせにする。)さ、目を開けていいわよ。
(ハーペンデン、目を開ける。日の光でまぶしそう。)
 メイベル 振り向いたら駄目よ。前だけを見るの。
 ハーペンデン 分かった。前を見てる。(疲れて。)何だい。いいことを急に知らせて驚かせるって、あれみたいじゃないか。
 メイベル そうなの。私、あなたとは結婚しないの。
 ハーペンデン(喜んで。)えっ? しない?(明らかな喜びはまづいと、隠すように。)しないって、どうしてなんだ? メイベル。
 メイベル そのことを詳しく話す暇はないわ、今。ただこう言っておくことにしましょう。私、結婚は、制度として認めないって。
 ハーペンデン 君、本当に僕のこと、振るって言うの?
 メイベル ええ。きっぱり。
 ハーペンデン それは残念だよ、君。ひどく残念だ。
 メイベル 目に嬉しそうな光があるわね。それがなかったらその言葉、本当に聞こえるんだけど。さようなら、ボビー。あなた、どのくらいエリザベスのこと、好き?
 ハーペンデン だいっ好きだ。
 メイベル そうだと思った。(玄関ホールの扉の方に進み。)振り返ったら駄目よ。これが私の最後。台所に上がって来るから。
(メイベル退場。)
 エリザベス ボビー?
 ハーペンデン(振り返らず。)何? エリザベス。
 エリザベス 私がここにいるの、分かってたの?
 ハーペンデン うん。らしいなって。
 エリザベス だから言ったの? 「だいっ好き」って?
 ハーペンデン いや、あれは本当だ。
 エリザベス どうして今私達、顔を合わせないのかも分かってる?
 ハーペンデン うん。だいたいね。
 エリザベス あなた、まだ私と結婚したい?
 ハーペンデン したいね。どんなものにかえても。
 エリザベス 今まであんなことがあったけど、それでも?
 ハーペンデン 君がまだ僕と結婚したい気持があれば、それでいいんだ。
 エリザベス まだあなたと結婚したいわ。いいえ、「まだ」じゃない。今までより、ずっと、ずっと。
 ハーペンデン 焼けるような、真っ赤な、なんとかかんとか、がなくても?
 エリザベス それは間違いなの。真っ赤な何かが必要な人もいるかもしれないわ。でも私にはいらないの。
 ハーペンデン それから、僕の将来なんだけど、危ういんだ。これは言っておいた方がいい。
 エリザベス 危うい? どういう風に?
 ハーペンデン 没落貴族。
 エリザベス いいの、そんなの。あなたとなら、没落だって。
 ハーペンデン いいなあ。今まで君の言った中で一番素敵な言葉だな。
 エリザベス 私、もっと素敵なことが言えると思う。それに本当のこと。
 ハーペンデン 何だい? それ。
 エリザベス ボビー、あなたを愛してるわ、私。
 ハーペンデン うん、一番素敵だ、それは。
(エリザベス、扉に進む。)
 エリザベス 振り返ったら駄目よ。じゃあ、五分後にね、教会で。さよなら。
 ハーペンデン さよなら。
(エリザベス退場。ハーペンデン、玄関の扉がバタンと鳴るまでじっと立っている。それから寝室の扉に突進し、開ける。)
ハーペンデン(叫ぶ。)おい、起きろ、二人とも。着替えを手伝ってくれ。僕は結婚するんだ。
(ハーペンデン、今度は玄関ホールの扉に突進。)
 ハーペンデン(叫ぶ。)ホートン、僕の長靴を下ろして、カラーにアイロンだ。超特急だぞ。
(再び寝室の扉に突進。急に立ち止まり、顎に手をあて、「糞っ」と呟く。電話に駆け寄り、電話帳を必死にめくる。コルベールとマルヴェイニー、寝室の扉に現れる。半裸の状態。)
 マルヴェイニー 何だい、この大騒動は。
 ハーペンデン(ダイアルしながら。)僕は結婚するんだ。
 マルヴェイニー それは分かってるよ。
 ハーペンデン 分かってない。分かってっこないんだよ。(受話器に。)ああ、ブーツか? ・・・ハーペンデンだ。新しい剃刀の刃が欲しいんだが。・・・ない? ないなんて、そんな馬鹿な。結婚式なんだぞ、こっちは。・・・ああ、分かった。
(電話を切る。ホートン登場。)
 ホートン カラーにアイロンをかける時間がないのですが、旦那様。本当にお急ぎなので?
 ハーペンデン お急ぎ? 大急ぎだ。結婚式なんだ、五分後に。・・・ええい、三分後だぞ。糞っ。まあいいや、髭をはやすところだって言やあいいんだ。
(寝室に飛び込む。)
 ホートン 結婚式って・・・どなたとでしょう。
 マルヴェイニー さあね。
(ハーペンデン、扉のところに現れる。シャツの袖に手をいれようと苦闘しながら。)
 ハーペンデン ガス・マスクつけるのかな、結婚式では。
 マルヴェイニー 誰と結婚するのかによるんじゃないのか、それは。
 ハーペンデン 馬鹿なことを! 式ってのはみんな正装だろう? 結婚式ってのは、ガス・マスクつきの正装なのかどうか、僕はそいつが知りたいんだ。ホートン、お前知ってるか。
 ホートン はあ。多分ガス・マスク正装ではないのではないかと。しかし、二等水兵に対してはどうか分かりません。私の存じておりますのは、私の兄の場合でして。これは少佐でしたが、式はガス・マスクなしでした。
 ハーペンデン 分かった、ホートン。アイロンだ。すぐやってくれ。
 マルヴェイニー おい、ちょっと待てよ。誰と結婚するのか、ホートンだけじゃない、我々だって知りたいぞ。
 ハーペンデン ああ、言わなかったかな。エリザベスだ。
 ホートン 安心致しました、旦那様。すると式の後はオックスフォードにお帰りで?
 ハーペンデン そうだ。
 ホートン 畏まりました、旦那様。
(ホートン退場。)
 マルヴェイニー ああ、ボビー。何と言っていいか、言葉もないよ。
 ハーペンデン それが祝福の言葉だろう? 分かってる。(握手。)有難う、ジョー。
 コルベール 私の方は言葉ありですよ。イギリスの奴、またうまく切り抜けやがった。
(公爵の声が玄関ホールに聞こえる。)
 ハーペンデン 何だ? おっさんまだいたのか。さ、二人とも寝室で着替えだ。式に来るんだったら、正装だぞ。
(二人を寝室に押しやる。振り向いた時公爵とメイベル、登場。公爵は紙(二枚)を持っている。)
 ハーペンデン ああ、お父さん。じゃ、教会で会いましょう。
 公爵 お父さん? 教会? 何だ、一体。
 メイベル(急いで。)何かしら。分からないわね。
(メイベル、公爵から紙を取り上げ、机に持って行く。)
 公爵 教会で会う? あいつ頭がどうかしたんじゃないか。
 メイベル そうね。頭、おかしいのよ。どこにサインするの?
 公爵 一番下だ。
(公爵、指し示す。メイベル、さっとサイン。公爵、机につこうとする時ホートン、カラーとブーツを持って、玄関ホールから突進。部屋を横切って寝室に飛び込む。)
 公爵 何だ、一体。ホートンはどうかしたのか。
 メイベル さあね、何でしょうね。はい、サインして。
(公爵、書類をまた眺め直す。その時ホートン、また寝室から走って来て、玄関ホールに戻る。)
 公爵 ホートンも頭がおかしくなったのか。
(公爵、サインのためペンを取り上げる。マルヴェイニー、さっきよりは少し服を着ている状態で、寝室から駆け出て来て机に行き、公爵のことは構わず引きだしを乱暴に開けたり閉めたりする。)
 マルヴェイニー 失礼します、公爵。(大声で。)おおい、ボビー。どっちの引きだしなんだ? カフスは。
 ハーペンデン(舞台裏から。)右の上だ。
 マルヴェイニー(大声で。)オーケー、あったあった。失礼、公爵。
(マルヴェイニー、寝室へ駆け戻る。手に小さい宝石箱。公爵、マルヴェイニーが捜している間、むすっとしてペンを置いている。)
 公爵(怒鳴る。)ヤンキーのカウボーイめ。糞ったれが。今朝はどうしたんだ。この家では全員が気違いになったのか。
(メイベル、ペンを取り上げ、公爵の手にそれを入れる。)
 メイベル さ、パパちゃん。私、もう役所に遅刻だわ。
 公爵 分かった。(サインする。)
(ハーペンデン登場。正装。メイベルに駆け寄る。)
 ハーペンデン メイベル、頼む、カラーを。
 メイベル(カラーを直して。)はい、これでいいわ。ねえ、ボビー、いいでしょう? 私今、ズィッピー・スナップス株式会社の常務取締役になったところ。
 ハーペンデン そう? メイベル。よかったね。君、頭いいよ。
 メイベル あなたから二千ポンド戴いたし、重役にはなるし、ついてたわ、この何時間。
 公爵(くすくす笑って。)たった二千ポンド? 婚約の贈り物としちゃ、恐れ入った金額だ。
 ハーペンデン 何? 今の話?
 メイベル 何かしら。今朝パパちゃん、頭おかしいのよ、きっと。じゃ、さよなら、ボビー。
 ハーペンデン 君、来ないの?
 メイベル ええ。仕事があるの。行かなくちゃ。
 ハーペンデン そう。じゃ、さようなら、メイベル。(二人、キス。)君に感謝する。本当に天使だよ、君は。
 メイベル 違うわ。ただひっかき回しただけね。
(メイベル、扉に進む。)
 ハーペンデン 教会に来てくれればと思ってたんだけど。
 メイベル 行かない方がいいの。私、気が変わるかもしれないわ。さようなら、ボビー。(公爵の方を向いて。)さよなら、パパちゃん。じゃ、重役会でね。
(メイベル退場。)
 公爵 二言目には教会、教会だ。あいつが「来てくれれば」だと? 一体何のことだ。
 ハーペンデン おやおや、知らないんですか?
 公爵 知らない? 何を知らないんだ。
 ハーペンデン エリザベスと結婚するんですよ、僕は。
 公爵 えっ? 何時?
 ハーペンデン(時計を見て。)ああ、もう二分過ぎちゃった。二分前にです、だから。
(公爵、一瞬ハーペンデンを見つめる。そして玄関ホールに突進する。)
 公爵(舞台裏で。叫ぶ。)おい、メイベル、メイベル、待ってくれ。話がある。待つんだ。
(マルヴェイニーとコルベール登場。二人とも正装。)
 マルヴェイニー おい、ボビー、付き人は俺だよな。
 コルベール あなた、一度断ったでしょう? 優先権は私にあるんです。
 マルヴェイニー(怒って。)何が優先権だ。ある訳ない。あんなにひっかき回しておいて、何が優先権だ。
 コルベール(これも怒って。)ひっかき回した? どっちですかそれは。花嫁を酔っ払わせたのは誰なんですか。
 マルヴェイニー フン、こいつを解決するには、方法は一つだな。(ポケットからさいころを出す。)フェアー・プレイだ。
 コルベール よし、フェアー・プレイですね。
(二人、床にしゃがんで、一人一人、一個のさいころを振る。公爵、戻って来る。)
 ハーペンデン 捕まりましたか?
 公爵 駄目だった。全く一杯食わされたよ。あのインチキ雌猫め。
 ハーペンデン メイベル・クラムを誹謗する言葉は一切聞きませんよ、僕は。
 公爵 メイベル・クラム! 会社の設立趣意書にこの名前が載るのか。何という破廉恥な。(訳注 「クラム」はパンなどの屑の意で、貴族の名前でないことはすぐ見てとれる。)
 マルヴェイニー(床に坐って。歌うように。)そーら、九(きゅう)だぞ、九でろよ。五と四、ピッタリ出るんだぞ。
 公爵 何だ? またさいころか?(二人に近づく。)
 ハーペンデン 僕の付き人を決めてるんです。
 公爵 呆れたね。何をやりだすか、知れたものじゃない。
 マルヴェイニー(歌うように。)付き人ちゃんになりたいよ。
 コルベール(歌うように。)この人、付き人ちゃんになりたいんだって。
 公爵 どっちがいいんだ? 君は。アメリカ? フランス?
 ハーペンデン 僕はどっちでも。
 公爵 じゃあ君はアメリカだ。私はフランスを持つ。
 ハーペンデン いいですよ。
 公爵 五百?
 ハーペンデン いいでしょう。五百。
 公爵 よし、賭け、成立だ。(コルベールに。)Monsieur, 私は君に一猿(ひとさる)賭けたぞ。
 コルベール Comment? Monsieur? (仏 何ですって?)
 公爵 J'ai mette (訳注 原文の侭。正しくは mis。)un singe sur vous. (仏 一猿賭けたんだ。)さあ、勝つんだぞ。英仏和親協定のためにもな、 Monsieur.
(四人、一列になって、しゃがんでいる。歌と野次が続く。そして決着がつかないまま、幕降りる。)
                    (終)

    平成十一年(一九九九年)四月十六日 訳了

http://www.aozora.gr.jp 「能美」の項  又は、
http://www.01.246.ne.jp/~tnoumi/noumi1/default.html

While the Sun Shines was first produced at the Globe Theatre, London, on December 24th, 1943, with
the following cast:

  Horton Douglas Jeffries
  The Earl of Harpenden Michael Wilding
  Lieutenant Mulvaney Hugh McDermott
  Lady Elisabeth Randall   Jane Baxter
  The Duke of Eyr and Stirling Ronald Squire
  Lieutenat Colbert Eugene Deckers
  Mabel Crum         Brenda Bruce

  The play directed by Anthony Asquith



Rattigan Plays © The Trustees of the Terence Rattigan Trust
Agent: Alan Brodie Representation Ltd 211 Piccadilly London W1V 9LD
Agent-Japan: Martyn Naylor, Naylor Hara International KK 6-7-301
Nampeidaicho Shibuya-ku Tokyo 150 tel: (03) 3463-2560

These are literal translations and are not for performance. Any application for performances of any Rattigan play in the Japanese language should be made to Naylor Hara International KK at the above address.