眠りの森の王子(The Sleeping Prince) テレンス・ラティガン作 (1953年)

 眠りの森の美女(The Sleeping Beauty)からもじった題名。魔力によって眠らされて、真の恋人である王子の出現と、その接吻によって初めて目覚める美しい王女の話、を、男女を逆にしたもの。
 「王子」は、カルパチアなるバルカンの大国の摂政。普通ならば、この主人公は、「ローマの休日」のように、毎日の儀式、客の接待、法律の承認など、雑務でうんざり、何とかしてここから抜け出たいと願っている国主、であるのだが、これは逆。国を切り盛りするのが大好き。色恋ざたは限られた1時間ですませて、さっさとまた仕事に戻りたいという、野暮でいやな男。
 イギリス王の戴冠式に出席したついでに、芝居を見、ある女優に目をつけ、情事に及ぼうとするが、この女優が全く逆の指向。情事に至るまでには、ジプシーの音楽、香水の香り、一つ一つ消えてゆくあかり、素晴らしい誘惑の台詞、を必要とする。
 仕方なく、男はその儀式を済ませるが、男の全く驚いたことに、今度は女の方がすっかり本気になる。その熱心さにほだされて、「野暮ないやな男」から次第に「いい男」、いや、「かなりましな男」にまで変形されて行く。

 ラティガンが非常に喜んだことには、ローレンス・オリヴィエが演出と摂政役を引き受け、その妻ヴィヴィアン・リーが女優を演じることに決まった。
 初めは喜んだ彼であったが、「野暮な男」摂政をオリヴィエが出来るか、後にひどく心配になった。オリヴィエは跛でせむしのリチャード三世でさえ、非常な性的魅力をもって演じ、顰蹙を買った(ever to disgrace a stage)ほどだったのである。それに最近この夫妻は、「アントニーとクレオパトラ」に出て好評を博したばかりであり、彼の「軽い気持ちで作った芝居(trifle)」が二人の大物に相応しくないことは明らかだと感じたのだ。
 しかし、オリヴィエが「いやな男」になれるかという心配はラティガンがドレス・リハーサルの楽屋に立ち寄った時、いっぺんに消え去った。楽屋のカーテンの前には、少し貧血ぎみの、唇を横一文字に結んだ、面白みの全くない・・・右の目にかけた片眼鏡の奥で淋しそうな目が光っている男、が立っていたのだ。

 初日は1953年11月5日フェニックス劇場で行われた。珍しくサマセット・モームが来ており、その他、デイヴィッド・ニヴェン、ノエル・カワード、ジョン・ミルズが観劇。
 翌日の新聞評はさんざんであった。デイリー・エクスプレスのジョン・バーバーは、「オリヴィエには勿体ない、つまらない芝居(beneath Olivier's talents)」である。イヴニング・スタンダードのミルトン・シュールマンは「かけるに値しない芝居(alomost aggressively unimportant)」タイムズは「鉛の底で出来た長靴(leaden soled boot)」と書いた。
 その後、イートン・スクエアでラティガン主催のパーティーがあった。オリヴィエは立ち上がり、約百人の聴衆を前にして言った。「役者として妻及び私は、そして演出家として私個人は、テリー、あなたの芝居を滅茶滅茶にしてしまった(mucking up your play)ことにお詫びを申し上げる」と。ラティガンは飛び上がるようにして立ち上がり言った。「とんでもない。お二人に謝るのは私の方だ。こんなつまらない馬鹿な芝居(such a trivial little play)を書いて、申し訳なかった」と。カワードが立ち上がって言った。「君たち全てに代って私は言う。いいですか。私は作者、演出家、役者として、滅茶滅茶に書き、滅茶滅茶に演出をし、滅茶滅茶に演じ、そしてまだ、生き残っているのです」と。
 これ以後も日曜の新聞評は相変わらず悪いものばかりだった。しかし、客の入りはそれに全く影響されることなく、「ブラウニング版」のダブルビルが収めた大成功を上回る勢いであった。それはオリヴィエ夫妻の契約が切れるまで続いた。


(この「眠りの森の王子」は274回のロングランであった。この274回でオリヴィエ夫妻の契約が切れた。)
  
(St. Martin's Press社, Geoffrey Wansell 著 Terence Rattigan  による。)
        (能美武功 平成11年5月31日 記)