涙なしのフランス語

          テレンス ラティガン 作
           能 美 武 功 訳
   登場人物
ケネス・レイク
ブライアン・カーティス
アラン・ハワード
マリアンヌ
マンゴー
ビル・ロジャーズ
ダイアナ・レイク
キット・ネイラン
ジャックリーヌ・マンゴー
ヘイブルック卿
   
   
第一幕   七月一日 朝
第二幕  第一場  七月十四日 午後
     第二場    同   夕刻
第三幕  第一場    同   夜中
     第二場   次の朝

(フランス西海岸の小さな海岸町の別荘ミラマールの居間が舞台。)
   
        第 一 幕
(時 七月一日 およそ午前九時。)
(家具はあまりない。中央に飾り気のない大きなテーブル。八個の椅子あり。背景の壁に崩れかかった肘掛椅子。壁紙は灰色で汚れている。左手に小さな庭に通じる二つのフレンチウィンドウ。今、二つとも開け放たれていて陽が当たっている。右手奥にホールに通じる扉。もっと右手に台所に通じるもう一つの扉。テーブルは朝食の用意。中央に巨大なコーヒーポット、それにロールパン。)
(幕が上がるとケネスがテーブルについている。およそ二十歳。頭は空っぽ。しかしハンサム。右手はノートに何か書き、左手でロールパンを齧っている。目の前には辞書あり。ドスンドスンと階段を下りる音がしてうしろの扉が開き、ブライアン登場。ケネスより年上の男。二十三、四歳。大柄で太っていて赤ら顔。ひどく汚いグレイのフランネルのズボン、よれよれの茶色のツィードの上着に白いセーター。)
 ブライアン よう、ケネス。早いな。
(ケネス、見上げない。ブライアン、テーブルにつき、手紙を取り上げ開く。)
 ケネス(考えながら上を見上げて。)彼女はお高くとまっている。
(訳注 She has ideas above her station. の訳)
 ブライアン なんだい、そりゃ。
 ケネス フランス語で言うんです。
 ブライアン 何を。
 ケネス 彼女はお高くとまっている。
 ブライアン 彼女はお高くとまっている。お高くとまっている、ねえ。
(ポケットに手紙をつっこみ、台所の扉に行き、怒鳴る。) ブライアン マリアンヌ!
 声(台所から。)Oui,monsieur. (はーい。)
 ブライアン(ひどい発音で。) Deux oefs, s'il vous plait. (卵二つ頼むよ。)
 声 Bien, monsieur. (はーい。)
 ブライアン Avec un petit peu de jambon. (ハムを少しつけてね。)
 声 Oui,Monsieur. Deux oeufs brouilles, n'est-ce pas? (はーい、卵はスクランブルでしょう?
 ブライアン Brouilles? Ah, oui, brouilles. (スクランブル? ああ、そう。)(扉を閉める。)こいつにどっぷり漬かってしまったなあ。これじゃあイギリスに帰るのが一苦労だぜ。
 ケネス そんなにどっぷり漬かっているんなら、教えて下さいよ。彼女はお高くとまっている。
 ブライアン そうか、そうか、忘れていたよ。簡単じゃないか。Elle a des idees au-dessus de sa gare.(彼女は駅の上で考えを持っている。)
 ケネス そりゃ、変ですよ。au-dessus de sa gare はひどいです。そういう「駅の泊まり」と「泊まり」違いですよ。
 ブライアン(自分のカップにコーヒーを注ぎながら。)じゃあ、訊かなきゃいいじゃないか。
 ケネス どっぷり漬かっているっていう話でしたから。
 ブライアン まあ本当のことを言えば、どっぷり漬かっているってのはあたらないか。フランス人が俺に「小母さんのペンは何処にありますか。」って訊くとする。これは俺の答えられる質問だってんで、勢いよく、「それは庭師のポケットの中にあります。」ってな返事をする。まあ、こんな所だろう。
 ケネス なるほど。でもそれじゃあ、あんまり助けになりませんね。
 ブライアン すまんな、ケネス。
 ケネス 逐語訳をするしかないのかな。親父さん、怒り狂うだろうなあ。
 ブライアン それでも困りゃしないんだろう?
 ケネス 貴方が外交官志望じゃないって親父さん知ってるから、貴方に対してはそれほどじゃないんですよ。
 ブライアン それはどうかな。昨日のレッスンの時、顎髭全部落ちるような勢いで叱りおったぞ。
 ケネス そうか。しかし全部落ちても気にしないだろうな、顎髭なんか。何か僕がへまをやらかすと、心底がっくりくるみたいなんです。僕もそう思っているし、親父さんもそう思っているようですけど、僕が外交官になるってのは千に一つも駄目ですね。
 ブライアン(陽気に。)まあそう言うなよ。気が滅入ってくるよ。
 ケネス(陰鬱に。)ええ。でも事態はそうですからね。(再び書き始める。)
 ブライアン しかしこの間アランが言ってたぞ。お前のことで。「あいつはかなりチャンスありだ。」って。
 ケネス(顔を上げて。)本当ですか?
(ブライアン頷く。)
 ブライアン あいつはその辺のことはよく分かるんだろ? なにしろ親父さんの本命馬だからな。外交官ステークスの。
 ケネス もっと本気をだせば通るだろうな。いや、本気を出さなくても結局は通りますよ。
 ブライアン 今年の試験結果のオッズ表を作るか。アランはオッズ二だな。しなやかな動き。一級品の三歳馬。ペース配分を間違えなければ入賞確実だ。
 ケネス 僕はどうですか。
 ブライアン オッズ三だね。
 ケネス 三? 二十ってとこじゃないですか。
 ブライアン それほどひどくはないだろう。見場(みば)のいい若馬、満を持すというところか。ただゲート出が悪いな。まあ、オッズ三・五か、そうすると。
(アランが後の扉から登場。二十三歳ぐらい。浅黒く、陰気な顔。きちんと折り目のついたグレイのフランネルのズボンにドイツ風スポーツジャケットを着ている。)
 ブライアン よう、アラン。丁度お前のことを話していたんだ。
 アラン おう、ブライアン。よう、ケネス。(テーブルの自分の席を見る。)手紙一本来ていず、か。僕のことを話していたって?
 ブライアン 外交官ステークスのオッズ表を作っているんだ。お前はオッズ二にしておいたよ。
 アラン(座りながら。)随分けちってるな。
 ブライアン おいおい、本命なんだからしようがないよ。
 アラン 本命が名簿から抹消されるっていう恐ろしい噂はどうなんだ。
 ケネス(パッと上を向いて。)ええっ? 編集の人、貴方の小説を採用したんですか?
 アラン これが採用された顔に見えるか。
 ブライアン 採用された時の顔ってのを、生憎(あいにく)知らないものでね。
 アラン いつかその顔を君に見て貰いたいもんだよ。
 ケネス 名簿から抹消っていう話は何なんですか。
 アラン 君が通る確率を増やそうっていう訳さ。
 ブライアン まさか本気じゃないだろうな。
 アラン まあね。
 ケネス なにしろそんな話ってありませんよ。小説を書きたいんなら、何もやめなくったって、外交官になっていて出来ます。気違いじみてますよ。
 アラン うちの親父に似たことを言うじゃないか。
 ブライアン お前の親父さん、ハワード閣下、の意見をついでに聞こうじゃないか。
 アラン ハワード閣下の意見は、僕がどんな職業を選んでも構わんとさ。但し、その職業が閣下自身の選んだものでありさえすればね。
 ブライアン なかなか太っ腹じゃないか。
 アラン そう。親父はあらゆる問題に答えを二つ用意しているんだ。彼自身の答え――こいつはいつも正解。それ以外の答え――こいつはいつも誤り。
 ケネス だけど真面目な話、本気で小説を自分の職業に?
 アラン ケネス、もうこの話は止めにしよう。だいたい抹消するって僕ははっきり言ってはいないだろう?
 ケネス はっきりじゃないけど、それを考えているって。さっき。
 アラン そう。御明察だな。考えている。それどころか、考えている事っていったら、それしかないくらいだ。しかしまあ、結局は考えるだけだよ。だからこんなくだらないことで君の大事な頭を悩まさない方がいいよ。
(ブリオッシュでケネスの頭を叩く。ケネス陰気に宿題に戻る。)
(マリアンヌ登場。スクランブルエッグとベーコンののった皿をブライアンの前に置く。)
 ブライアン Ah, mes oeufs. (ああ、卵だ。)確かに。
 マリアンヌ(アランに。)Monsieur le Commandant, va-t-il aussi prendre des oeufs avec sa dejeuner, Monsieur? (ロジャーズ中尉も朝食に卵を召し上がるかしら。)
 ブライアン エー、そのー、アー。(アランに。)おい、アラン。答えてやれよ。
 アラン Je ne sais rien des habitudes de Monsieur le Commandant. (中尉の習慣を知らないのでね、マリアンヌ。)
 マリアンヌ Bien, Monsieur. Alors voulez-vous lui demander s'il les veut, Monsieur, lorsqu'il descend? (じゃあ、中尉が下りてきたら、卵がいるかどうか訊いて下さる?)
 アラン Bien. (分かった。)
(マリアンヌ退場。)
 ブライアン 何て言ったんだい?
 アラン 中尉が朝食に卵を食べるかってさ。
 ブライアン そうだ。訊こうと思っていたんだった。ゆうべ着いた時、あいつに会ったのか。
 アラン うん。親父さんと出迎えに行った。
 ブライアン どんな奴だい?
 アラン まさに海軍の将校といった奴さ。
 ブライアン それはそうだろう。だけど、どんな奴だい。
 アラン 潮の匂いをいつでも、どこへ行ってもプンプンさせている奴さ。
 ブライアン 此処でそんなものをプンプンさせても無駄だな。もともと此処は海岸の町なんだから。千鳥足をしていたろう?
 アラン 着いた時は素面(しらふ)だったがな。
 ブライアン 素面だろうが、酔っぱらっていようが、関係ないんだ。船乗りってのは千鳥足をしてるのさ。
(マンゴー、後ろの扉から急ぎ足で登場。およそ六十歳。恐ろしい顔。白い髭。)
 マンゴー Bonjour--Bonjour--Bonjour. (お早う、お早う、お早う。)
(三人共起立。一人一人に握手。テーブルの三人の反対側の端に座る。)
 マンゴー Mon Dieu, que je suis en retard ce matin! (やれやれ、今日はなんて遅くなったんだ。)
(手紙を開く。)
 ブライアン(ひそひそ声でアランに。)で、本当はどんな奴なんだ?
 アラン(ひそひそ声で。)かなりひどい奴だよ。僕の観察では。
 ブライアン ひょっとこ顔なんだろう?
 マンゴー(手紙を見た儘、大声で。) Francais! Voulez-vous parler francais, messieurs, s'il vous plait. (フランス語! 諸君、此処ではフランス語。分かってるね。)(間。手紙から顔を上げて。)Qu'est-ce que c'est que ca hyottoko-gao? (ひょっとこ顔とはどういう意味だ?)
 アラン Nous disions que Monsieur le Commandant avait une figure de vase de nuit, Monsieur. (溲瓶のような顔をしていると言ったんです。)
 マンゴー Ah, mais c'est pas vrai. (フン。しかしそれは違うな。)
 アラン Nous exagerous un peu.(勿論、誇張しての話です。)
 マンゴー Je crois bien. (それはそうだろう。)(手紙に戻る。)
(ケネス、こっそりと自分のノートをアランの方に押し、ある文章を見せる。アラン激しく首を振る。ケネス、お願いだというようにアランを見る。アラン、ちょっと考えて答えを言おうとする。その時マンゴー、手紙から目を離し、二人を見て言う。「ヘイブルック卿」の所は、再び手紙の方を見て。)
 マンゴー Dites-moi, est-ce que vous connaissez un Lord Heybrook? (ヘイブルック卿とか言う人を知っているかね。)
 アラン Non, Monsieur. (いいえ。)
 マンゴー Il voudrait venir le quinze Juillet. (七月十五日に来たいそうだ。)
 アラン(ブライアンに。)君は知ってるか。
 ブライアン ヘイブルック卿だって? 知らないな。(こっそり。)実を言うと、一人だけ貴族なるものを知っていたんだが、そいつも死んじゃったよ。ところでヘイブルック卿って何だい?
 アラン 十五日に来るんだってさ。
 マンゴー(怒鳴る。)Francais, Messieurs---Francais! (フランス語! フランス語で話すこと!)
(間。)
(マンゴー、新聞「マタン」を取り上げ、読み始める。ケネス、再びノートをアランの方へ押す。アラン、何か言おうとする。)
 マンゴー Ah, ce Hitler! (新聞を床に投げる。)Quel phenomene! (ああ、このヒットラーの奴! なんていう顔だ。)
(アラン、口を閉じ、ケネス、慌ててノートを引っ込める。)
 マンゴー(ブライアンに。)Aha, Monsieur Curtis, vous etiez saoul au Casino hier soir, n'est-ce pas? (ああ、カーティス君、ゆうべ君、カジノで酔っぱらってたな。)
 ブライアン(分からず。) Saoul?
 アラン 酔っぱらって。
 ブライアン Oh, non, Monsieur. Pas ca. Un peu huile, peut-etre. (いいえ、先生。酔ってはいません。少しいい気持ちになっていただけです。)
(ロジャーズ中尉登場。およそ三十五歳。浅黒く、背が低い。身嗜みよく、少し勿体ぶっている。全員起立。)
 マンゴー Ah, Bonjour, Monsieur le Commandant, et comment allez-vous? J'espere que vous avez bien, dormi? (ああ、中尉殿、おはよう。いかがですかな。よく眠れましたかな。)Ah, pardon. (ああ、失礼。)(他の者達を紹介する。)Monsieur Curtis---Monsieur le Commandant Rogers. (カーティス君――こちらロジャーズ中尉殿。)Monsieur Lake---Monsieur le Commandant Rogers. (レイク君――ロジャーズ中尉殿。)Monsieur Howard---vous connaissez deja. (ハワード君。あ、彼のことはもう・・・)(ブライアン、ケネス、ロジャーズと握手。)
 アラン Bonjour! (ロジャーズに。)
 ロジャーズ ああ、ゆうべお会いしましたな。(椅子を指差して。)此処に座ってもよろしいか?
 アラン 実はそこはキット・ネイランの席で、こちらが中尉殿の席では・・・(マンゴーの隣の席を指差す。)
 マンゴー(立ち上がって。)Ah! Pardon, Monsieur le Commandant. Voila votre place. Asseyez-vous donc et soyez a votre aise. (ああ、失礼、中尉殿。此処がお席です。お座り下さい。それからどうぞお楽に。)
 ロジャーズ では失礼。(座る。)
 アラン 先程中尉殿に訊くよう頼まれたのですが、そのー、朝食に卵がいるかどうか。
 マンゴー Oui, Monsieur. Mais vouslez-vous parler francais, s'il vous plait. (分かった。しかしアラン君。フランス語で頼むよ。)
 ロジャーズ(すまなさそうに笑って。)しかし私は、エー、お国のなにはからきしですが・・・
 マンゴー オクニノナニ? Ah, oui, langue. C'est ca. Mais il faut essayer. (お国の何? ああ、フランス語。そう。しかし努力はしてくれなくちゃ。)やってみるんです。
 ロジャーズ(まずマンゴーに、次にアランに。)Oui---Non. (はい――いいえ。)
 アラン え?
 マンゴー Pardon? (何ですか。)
 ロジャーズ Oui. Je ne ----- 卵いらない。
 アラン オーケー。マリアンヌに言って来る。(立ち上がって台所に行く。)
 マンゴー(ロジャーズに。)Il faut dire: Je ne veux pas des oeufs pour mon petit dejeuner. (こう言います。――朝食には卵はいりません。)(ロジャーズ微笑む。分かったような分からないような顔。マンゴー笑う。)Ca viendra. Ca viendra. (そのうち慣れます。)
(アラン再び登場。)
 ブライアン 中尉殿、船旅は如何でしたか。
 ロジャーズ かなりひどいものでした。しかしまあ気にはなりません。全く。
 ブライアン いやあ、さすがに海軍中尉殿。(アラン笑う。)そりゃそうでしょう、そうでしょう。
(マンゴー立ち上がる。)
 マンゴー Eh, bien. Par qui vais-je commencer? (さてと、誰からかな、今日は。)
 ケネス Moi, Monsieur. (私です。)
 マンゴー Par moi.(私からです。)(立ち上がって。)Alors, allons dans le jardin. (じゃあ、庭で。)(お辞儀をして。)Messieurs! (では失礼。)(庭の方に出る。ケネス先に立つ。)
 アラン ケネスの奴かわいそうに。半殺しの目にあうぞ。
 ロジャーズ え? どうしてですか。
 アラン(首を振りながら。)Elle a des idees au-dessus de sa gare. (彼女は駅の上出考えを持っている。)
 ロジャーズ 何ていう意味なんですか。
 アラン「彼女はお高くとまっている。」の意味にはならないんですよ。
 ロジャーズ かなり厳しい先生のようですな。
 アラン 仕事になると急にサディストになるたちで。
 ロジャーズ それは有り難い。此処で出来るだけフランス語を詰めこまなきゃならんのです。それもゼロから始めて。
 ブライアン フランス語を習わなければならない特別な理由でも? 中尉殿。
 ロジャーズ 七箇月後に通訳の試験があって・・・
 アラン 七箇月も此処にいたら、完全にフランス人になるか死んでるか、どっちかですよ。
 ロジャーズ どのくらい此処に?
 アラン 出たり入ったりして一年。でもフランス人になっていない。この呪(まじな)いのせいですよ。(ドイツ風上着を指差す。)
 ロジャーズ ドイツ贔屓って訳ですか。
 ブライアン あんな上着を着ているのは、ただ親父さんを苛々させる為なんです。
 ロジャーズ なるほど。じゃあドイツでは何を着るんですか。
 アラン 普通はベレー帽。木靴はあまり不便すぎて。
(ロジャーズ、お義理に笑う。間。突然庭から大声で怒鳴る声がする。)
 マンゴー(舞台裏から。)Aha, ca c'est formidable! Qu'est-ce que vous me fichez la donc? Elle a des idees au-dessus de sa gare! Idiot! Idiot! Idiot! (ハッハー、これはいい。よくそんな馬鹿なことが言えたな。彼女は駅の上で考えを持っている。馬鹿、馬鹿、馬鹿。)
(怒鳴り声収まる。アラン、首を振る。)
 アラン ケネスの奴かわいそうに。だけど身から出た錆だよ。
 ブライアン お前が今朝起きてくる前から戦々恐々としていたんだ、あいつ。それから、通る確率は千に一つもないだろうって。
 アラン ないな。
 ロジャーズ 通るって?
 アラン 外交官試験。
 ロジャーズ ははあ、じゃあ、此処にいるのはみんな外交官の卵。
 ブライアン 僕だけ違うんです。僕はその・・・商売の為で。
 アラン もう言葉の知識は充分なんです、こいつ。「いくらですか。」ってフランス語で言えるんですからね。これさえあればいい、っていう言葉ですよ、これは。そのー・・・商売の世界では。
 ブライアン(可笑しそうに笑う。)そうだ、そうだ。それにまだあるぞ。これだって言える。「五フラン? 冗談じゃない。こちとら、体が金で出来てるんじゃないぜ。」
 アラン(笑いながら。)Cinq francs? Crois-tu que je sois construit d'argent? (五フラン? 冗談じゃない。僕の体が金で出来てるって思ってるのか。)
(二人共、ロジャーズが笑っていないのに急に気付いて笑い止める。何となく気まずい空気。アランとブライアン、目配せしあう。ブライアン、口だけで「ひょっとこ面」を発音する。)
 ロジャーズ (ボーっとした顔の儘。)この他に今誰がいるんですか。
 アラン あとはキット・ネイランだけです。まだお会いにはなっていないと思いますが。
 ロジャーズ ああ、やはり外交官に?
 アラン ええ、(ブライアンに。)あ、そうそう。ブライアン、あのステークスで、キットにはいくつオッズをつけたんだ。
 ブライアン まだつけてないけど、二・五倍ってとこじゃないか。
 アラン そうかな。この二、三週間で、ひどく悪くなっているんじゃないか。三とか四とか。
 ブライアン そうか? ああ、ダイアナね。そいつは考えていなかった。かなり有望な馬が大レース直前に出場中止ってこともある。そういう話か?
 アラン それはないな。ダイアナはあいつと結婚しやしないよ。まあ少なくとも他の可能性を全部つぶした後でなくっちゃね。
 ロジャーズ えー、ダイアナって誰なんですか。
 ブライアン ケネスの姉さん。此処で暮らしているんです。
 ロジャーズ じゃ、やっぱりフランス語を?
 ブライアン 習ってるんじゃなくって、こっちの習うのを邪魔しているんですよ。両親達が全部インドに行ってしまって、行く所がないもんだから、此処で暮らしてるんです。
 ロジャーズ こんな所じゃ随分退屈でしょうなあ。
 アラン あいつなら、無人島でだって退屈しやしませんよ。
 ブライアン 本当に、無人なら退屈するだろうけど。
 アラン それはそうだな。だけどあいつがいれば、無人島でもすぐ無人島でなくなっちゃうよ。
 ロジャーズ それはどういう意味ですか。
 アラン 口から出任せですよ。いやいい女です。好きになりますよ、きっと。(ブライアン、笑いを殺す。)好きにならなくっても、それは中尉殿の方の責任です。
 ロジャーズ(礼儀正しく。)ちょっとついて行けない議論ですな。
 アラン 失礼しました、中尉殿。中尉殿はもうとっくにこんなことには気をつける年齢に達していらっしゃる筈でしたから。
 ロジャーズ(気色ばんで。)私を中尉殿と呼ぶのはやめてくれませんか。(アラン、眉をあげる。)どうやらこの女の子は・・・その・・・奔放のようですな。
 アラン どうやらじゃないんです。それに「ようです。」でもなく、奔放そのもの。そこら辺にいる女達の中では最も奔放。
 ロジャーズ ほほう。(再び食事をとり始める。)
 ブライアン(宥めるように。)悪口をいってるんじゃないんです。彼の意味するところはただダイアナが生きる喜びに溢れている女だっていう事で、別に変な奴じゃありません。仲良くするのが好きなんですよ。
 アラン(小声で。)闘い、戦闘が好きなんだろ。
 ロジャーズ 恨みがあるようですね。
 アラン 恨み? とんでもない。恨みだなんて。(ロールパンを勢いよく二つにちぎる。)ブライアンも僕も、理由は今此処では差し控えますが、彼女の攻撃を免れています。ただあの子に会われる前にこれだけはお知らせした方が。つまりいろんな点で、なかなかいい奴なんですが、色恋沙汰になるとちょっと信用が置けない。これがダイアナ・レイクだっていうこと。
 ロジャーズ じゃあ、このキット何とか氏に、惚れてはいないっていうことかな。彼氏の方じゃ結婚したいのに。
 アラン 惚れてはいないって僕が思う唯一の理由は、彼女が惚れてるって言っているからなんです。まあ、僕にはそれで充分な証拠ですがね。
(間。ブライアン立ち上がる。)
 ブライアン さてと、親父さんのフランス語練習帳が俺を呼んでいるようだ。
 ロジャーズ(話題が変わったのを喜んで。)フランス語練習帳。僕にもくれましたよ。
 ブライアン それはよかった。暫くすれば、薬局に行って、完璧なフランス語で、「ちょっと匂いのきつい方の歯磨き粉が欲しいんですが。」って言えるようになりますよ。
 ロジャーズ ははあ。
 アラン それに嬉しいことに、こんなことだって言えるようになりますよ。列車に乗っていて、隣の席の人に、「踏切番がさっき旗をあげたそうです。この列車は脱線したんですよ。」ってね。
 ロジャーズ なんだか時代遅れのような気がしますなあ。
 ブライアン 親父さんのお祖父さんが作った練習帳だそうですから。
(電話が鳴る。ブライアン、振りかえる。)厭な予感がする。チチの奴じゃないかな。
 ロジャーズ チチって誰ですか。
 ブライアン 本名じゃないんです。
(マンゴーの声が庭から。)
 マンゴー(舞台裏から。)Monsieur Howard. (ハワード君。)
 アラン(立ち上がり、答える。)Oui, monsieur. (はい、先生。)
 マンゴー(舞台裏から。)Voulez-vous repondre au telephone, je vous en prie?  (電話に出てくれないか。)
 アラン Bien, Monsieur. (はい。)(電話に行き受話器を取る。)もしもし・・・Bien. (オーケー。)
(ブライアンに受話器をわたす。)
 ブライアン 俺? しようがないな。(受話器をとる。)もしもし・・・ああ、もしもし。Chichi, comment ca va? Quoi?(こんちわ、チチ。こんにちは・・・何だって?)Quoi? (何?)ちょっと待って、チチ。(受話器を手で抑えて、アランに。)俺の替わりに答えてくれないか。チンプンカンプンなんだ。
(アラン、来てとる。)
 アラン もしもし。Oui. Il ne comprend pas. (うん、あいつ分からないから。)・・・ Bien. Je le lui demanderai. (よし、訊いてやる。)(ブライアンに。)今日カジノで会えるかって。妹に会わせたいって言っている。
 ブライアン 火曜日に会った妹と同じ女かどうか訊いてくれ。
 アラン(電話に。)Il voudrait savoir s'il a deja rencontre votre soeur ... Bon. (前に会ったことがあるかなって訊いてるけど・・・ああ。)(ブライアンに。)違うって言ってる。
 ブライアン オーケー。行くって言ってくれ。
 アラン(電話に。)Il dit qu'il sera enchante. ... Oui. ... Au revoir.(喜んで行くって。・・・オーケー・・・じゃあね。)(電話を切る。)
 ブライアン 此処には電話するなって言っといたのに。
(マンゴー、フレンチウィンドウから登場。)
 マンゴー Alors. Qui est-ce qui vient de telephoner? (で、誰だったんだ、電話は?)
 ブライアン(ばつが悪そうに。)C'etait quelqu'un pour moi, Monsieur. (私にかかってきたんです。)
 マンゴー Pour vous? (君に?)
 ブライアン Oui, une fille que je connais dans la ville. (ええ、町で知っている女なんですが。)
 マンゴー Une fille qu'il connait! Ho! Ho! (知ってる女。はっはっは。)
 ブライアン なんだい、あれは。
 アラン「フィーユ」ってのは、「女の子」と違うんだ。
 ブライアン 辞書にはそう書いてあるぞ。じゃ、どういう意味なんだ。
 アラン「街の女」だよ。
 ブライアン ハハア。(一瞬考えて。)こう言わなきゃならんのは残念だが、事実を厳密に眺めるとすれば、チチの身分の正確な表現はそれになるな。じゃあ、お二人さん、昼飯の時にまた。(退場。)
 アラン ダイアナ・レイクの魅力の餌食になることからブライアンが免れている理由・・・それがこれなんですよ。
 ロジャーズ(冷たく。)そう。
 アラン(軽く。)ええ。(間。煙草を取る。)ボートに乗っていた後だったら、此処の生活はかなりな変化でしょうね。
 ロジャーズ(ムッとして。)船のことですな。
 アラン ボートではいけませんでしたか。
 ロジャーズ それは随分違います。
 アラン そうですね。ボートと船じゃあ。そういう社会的慣習がいけないんです。王への乾杯の前に女の人の名前をだすとか、ハロー大学のことを話すとかと同じように。
 ロジャーズ そう、悪い習慣です。
(ダイアナ・レイク、庭から登場。海浜着を水着の上に羽織っている。ゆったりと着ているので水着が見える。およそ二十歳。非常に美人。)
 ダイアナ おはよう。(ロジャーズを見て口を噤む。礼儀正しく海浜着の襟を引っ張って水着を隠す。ロジャーズとアラン、立ち止まる。)
 アラン やあ、ダイアナ。ロジャーズ中尉にはまだ会ってなかったね。
(ダイアナ前に出て握手する。)
 ダイアナ はじめまして。
 ロジャーズ はじめまして。
 ダイアナ(ロジャーズに。)お着きになったの知らなかったわ。きっとゆうべね。
 アラン 覚えていないのか。何時の列車って僕に訊いたじゃないか。
(ダイアナ、テーブルを回ってアランに近寄り、頭のてっぺんにキスをする。)
 ダイアナ どうぞお座り下さい、ロジャーズ中尉。(ロジャーズ座る。)調子はどう? アラン。
 アラン(水着に触って。)泳いだ訳じゃなさそうだな。
 ダイアナ 泳いだわよ。
 アラン ザブンと?
 ダイアナ ザブンと。キットに聞いてみたら?
 アラン(驚いて。)ええっ? キット? まさか泳ぐのにキットを誘ったんじゃないだろうな。
 ダイアナ 誘ったのよ。今私のタオルを取りに行ってくれてるわ。忘れちゃったの。
 アラン やれやれ、女っていうのは。
 ダイアナ どうしたの?
 アラン 何の良心の呵責もなく、ちょっと心に浮かんだ気まぐれから、キットの最も神聖な、固く心に誓った原則を破らせるんだから。
 ロジャーズ その原則っていうのは? もし訊いてよければ。
 ダイアナ(強く。)どんなことがあっても、健康に良いと言われていることはやらない。
 ロジャーズ(挑むように。)個人的には私は朝早く泳ぐのは好みですがね。
 アラン(その言葉を言うと、口が焼けるかのように。)朝・・・早く・・・泳ぐ・・・のが?
 ロジャーズ そう。健康に良いって言われていると思いましたが・・・
 アラン だからキットが・・・
 ダイアナ 賛成だわ、中尉さん。朝食の前に泳ぐことくらい素敵なことってあるかしら。灰皿ですの?(ロジャーズに渡す。)
 アラン まあ、うまい口実だよ。水着で朝食をしに来られれば、君はそれでいいんだからね。
 ダイアナ 驚いた? 入って来た時?
 アラン ショックだったね。口もきけないくらい。
 ダイアナ じゃあ、着替えてくるわ。
 アラン いや、やめた方がいい。お色直しは一日に一度。その方が効果があるよ。
 ロジャーズ どうも会話について行けませんが。
 アラン こいつには分かってるんですよ。な、ダイアナ。
 ダイアナ(優しく。)また小説断られたのね、アラン。
(アラン、不意をつかれて返す言葉が見つからない。)
(間。)
(キット、フレンチウィンドウから登場。およそ二十二歳。金髪。美男子。水着を着て、上からガウンを羽織っている。片手に二つのバスタオル。)
 キット(陰気に。)やあ。
 アラン(優しく、非難する口調。)おや、おや、おや。
 キット(恥ずかしそうに。)うん・・・まあいいじゃないか。
(アラン、やれやれと言うように首を振る。)
 アラン ロジャーズ中尉には会っていなかった筈だね。
 キット(握手して。)はじめまして。来られると聞いていました。(バスタオルで手を拭き始める。もう一方のタオルをダイアナに投げて渡す。)
 アラン なあキット、ダイアナは泳いだのか。
 キット いや。
 ダイアナ キットってなんて嘘つき。
 キット 今日の分のサービスは終わりだ、ダイアナ。嘘をつくサービスまではもうしないよ。(陰気に座り、コーヒーを注ぐ。)アラン、君には見られたくなかったんだがな。僕のこの恥を。
 アラン こともあろうに、君が早朝スイミングとはね。
 キット(震えながら。)そんな風に言うなよ。事実よりもっとひどく聞こえるじゃないか。九時起きのスイミングぐらいにしてくれよ。なんだ、このコーヒー。冷えきってるな。マリアンヌ!
 アラン 言い方を変えたって事実は動かせないよ、キット。こいつが決心したら君にピレネー山脈をサイクリングさせることだって出来るぜ。まあ賭けてもいいな。
 キット そうだろうな。それが辛いところさ。
(少し間。)
 ロジャーズ 私はピレネー山脈をサイクリングしたことがありますが。
 アラン え?
(キット、同時にコーヒーを吹き出す。)
(ジャックリーヌ、台所から登場。二十五、六歳。魅力的でないことはないが、ダイアナの容姿とは比べものにならない。エプロンをつけて髪にはスカーフ。)
 ジャックリーヌ マリアンヌは二階よ。何かご用? (ほとんどフランス語のなまりのない英語。)
 キット やあ、ジャック。
 アラン おはよう、ジャック。
 ジャックリーヌ(ロジャーズの方へ進み。)はじめまして、ロジャーズ中尉。お会い出来て嬉しいですわ。
 ロジャーズ(握手して。)あー、はじめまして。
 ジャックリーヌ 不便なことがあったら、何でも仰って。
 ロジャーズ ええ、有り難う。
 ジャックリーヌ 朝食に卵がいるかどうかお訊きしましたかしら。
 ロジャーズ 卵はいらないんです。どうも。
 ジャックリーヌ 分かりました。どうぞ御遠慮なく何でも仰って下さい。ついでですけど、食事中にはワイン? それともビールになさいますか。
 ロジャーズ(座りながら。)ビールにして下さい。一杯の缶ビールに勝るものはありません。
 アラン そりゃないでしょうね。
 ジャックリーヌ(キットに。)ところで何を怒鳴ってたの?
 キット ねえ、ジャック。コーヒーが冷えきっているんだけど。
 ジャックリーヌ 勿論冷えきってるわ。朝食に三十分も遅刻ですからね。
 キット うん、分かっているけど・・・
 ジャックリーヌ マリアンヌはさっきから部屋の仕事にかかっているの。もう駄目。
 キット ねえ、ジャック。君に頼みたいんだ。君が僕のことをいかに愛してくれているか、そこに甘えたいんだよ。
 ジャックリーヌ 勿論駄目よ。第一この家の規則に反するわ。それにもう行って着替えなさい。五分後には私の授業よ。
 キット 近い将来僕が外務大臣になった時、フランスに宣戦を布告するかどうかに大きな影響力を持つことになるな、此の事件は。
(ジャックリーヌ、キットを椅子に押して座らせ、コーヒーポットを掴む。)
 ジャックリーヌ 分かるわね。私があなたにしてあげるの、これが最後だわよ。(台所に退場。)
 キット(ダイアナに。)な? 外交官としての実力、大だろ?
 アラン 外交的実力じゃなくて単なるゴリオシじゃないか。
 ロジャーズ あれが先生の娘さん?
 キット ええ、名前はジャックリーヌ。
 ロジャーズ ジャックリーヌ?(やっと分かったという顔。)ああ、だからジャックと呼んでいたのか。
 キット(不愉快そうに彼を見て。)ええ、ですからジャックって呼んでいるんです。
 ロジャーズ あの人、英語が上手ですね。(訳注 この台詞、日本語版では意味なし。)
 キット 人生の半分はイギリスで過ごしてきたんですよ。将来は英語学校の校長にでもなるつもりじゃないのかな。あの人が気にいる筈ですよ。愉快な娘さんです。(まだ体を拭いている。)畜生! まだ濡れていやがる。
(ダイアナを睨みつける。ダイアナ、キットの後ろに廻って、自分のタオルでキットの髪を拭いてやる。)
 ダイアナ 綺麗な髪の毛ねえ。だから乾かすのに暇がかかるのよ。
 キット(アランに。)なあアラン、優しいだろう?
 アラン(椅子を後ろに少し倒しながら、ダイアナを見て。)うん、優しい。それに素敵だ。
(ロジャーズ立ち上がる。)
 ロジャーズ さあ、二階に上がらなきゃ。軍艦式に整頓だ。
 アラン キャビンみたいに。
 ロジャーズ(アランに怒った視線を投げて。)そうだ。キャビンみたいに。文句はないだろう。
 アラン(軽く受け流して。)文句は全くありません。お好きなだけキャビン風に。
 ロジャーズ(固くお辞儀して。)御忠告いたみいる。失礼。
(ロジャーズ退場。)
 アラン(考える様子で。)どうやら嫌われちゃったかな。
 キット 君を嫌わない奴なんかいないよ。まあ僕ぐらいのものだ、我慢できているのは。それもほんの少しだぜ。
 ダイアナ ケネスは尊敬してるみたいよ。貴方の事をあんまり真似するので可笑しいくらい。
 アラン 君の弟は、時々人がはっとするような鋭いことをやるからな。
 ダイアナ それに勿論私だって尊敬してるわ。分かってるでしょう?
(キット、椅子をぐるっと廻してダイアナを引き寄せ、膝の上に置く。)
 キット おいおい、冗談じゃない。僕以外の人間を君には決して尊敬させないんだ。分かるな。(キスをする。)
 ダイアナ キット、あなた、アランのこと妬いてるんじゃないでしょうね。
 キット 僕は妬くんだ。君がちらっとでも見たりするような男は誰でも。
 ダイアナ あらそう。じゃこれからは、あなたしか見ないことにするわ。
 キット 約束だぞ。
 ダイアナ 約束ね。
(アラン、椅子を少し後ろに倒した儘口笛を吹く。)
(ダイアナ、キットの手に触り。)キット、あなた、冷たいわ。
 キット うん、寒い。コーヒーを待っていられないな。着替えなきゃ駄目だ。(立ち上がる。)これじゃ肺炎になるぞ。君がくれた肺炎だ。構いはしない。君が僕のことをばらばらに引きちぎって、上から踏んづけたって、やっぱり僕は愛しているだろうな。
 ダイアナ 嬉しいこと言ってくれるわ。これ持って上がって下さらない。ついでに。(タオル二つを渡す。)
(キット退場。)
 アラン そんなことしちゃいけないよ。な、ダイアナ。
 ダイアナ そんなことって?
 アラン ばらばらに引きちぎって、上から踏んづけちゃう。
(ダイアナ、部屋を横切って、窓の方へ行き、立って外を眺める。)
 アラン だからもうキット以外の男は見ないんだよな。
(ダイアナ、答えない。アラン、立ち上がって窓の方へ行く。ダイアナの腰に手を廻して頬を頬に付ける。)
 アラン(暫くして。)こうやっても、君に悩殺されてるっていう訳じゃないよ。
 ダイアナ(優しく。)あら、そうなの? アラン。
 アラン うん。そう。
(アラン、部屋を横切って、肘掛椅子に座る。)
 ダイアナ 残念だわ。
 アラン 中尉殿はどう?
 ダイアナ 素敵じゃない?
 アラン うん。(優しく。)うん。あれは上手い出だしじゃなかったよ。残念だけど。本当に。
 ダイアナ 馬鹿なこと言わないで。
 アラン うん。確かに不味い出だしだった。何故か分かるかい? 僕が中尉殿に警戒警報を発しておいたからだよ。
 ダイアナ 警戒警報?(アランの方に寄って。)何を話したの?
 アラン 君の正体をだよ。
 ダイアナ(静かに。)正体って何?
 アラン 君はそれを知らないの?
 ダイアナ 私あなたのこと好きなんだけど、時々は締め殺したらなんてせいせいするだろうって思うことがあるわ。
 アラン 今が例えばその時?
 ダイアナ そうよ、アラン、今がそう。
 アラン 丁度僕も締め殺されたいなと思っていたんだ。
 ダイアナ 今度のはちょっと新しい役どころね。中尉さんのお守(も)り役なんて。
 アラン 嵌まり役ってところだね。
 ダイアナ ミスキャストよ。どうしてこんな事をする気になったの?
 アラン 中尉殿が好きだからじゃないんだ。それどころか、君があいつをキリキリ舞いさせたら面白いだろうと思っているぐらいさ。だけど僕はキットが好きでね。それが理由さ。だから海軍さん相手にいないいないバアは禁止だよ。さもないと・・・
 ダイアナ さもないと?
 アラン 君につらくあたらなきゃならなくなるな、ダイアナ。君もそれは厭だろ?
 ダイアナ 私のことを全然分かってないのね、アラン。
 アラン 君のことなら頭の天辺から足の爪先まで隈なく分かってるよ。だからこんなにうまくいってるんじゃないか。
 ダイアナ(涙が出そうになるのをぐっと堪えて。)あなたのこと嫌いになりたいわ。
 アラン やってみるんだ。うまくいくよきっと。(ダイアナの首の後ろにキスする。)さあそろそろ行って親父さんの宿題を仕上げなくっちゃ。じゃお昼にね。
(扉へ進む。)
 ダイアナ アラン?
 アラン(扉のところで振り向いて。)え?
 ダイアナ いないいないバアって言ったけど、それ何?
 アラン 僕に態々訊くことはない筈だぜ。(退場。)
(ダイアナ、悔しそうにフレンチウィンドウを開け、小さな鏡を取り出し、顔を見る。)
(ジャックリーヌ、台所からコーヒーポットを持って登場。)
 ダイアナ あら、有り難う。悪いわ。
 ジャックリーヌ キットは何処?
 ダイアナ 着替えに二階へ行ったわ。寒くなったって。
 ジャックリーヌ 本当にあの人らしいわね。言っといて頂戴。今度はコーヒーが欲しいってどんなに泣き喚いても決してだしてあげないんだから。
 ダイアナ 言っとくわ。それにあなたがそう言うの無理ないわ。
(ロジャーズ、後ろの扉から登場。)
 ロジャーズ(困ったように。)やあ。
(ジャックリーヌ、台所へ退場。)
 ダイアナ(明るく。)あら、中尉さん。
(ロジャーズ、壁の本棚に近づく。)
 ダイアナ 何かお捜し?
 ロジャーズ ええ、フランス語練習帳なんですよ。どこへ行ったのかな。(屈みこんで何か引き出す。)ああ、これだ。(題名を見て。)違うな。
 ダイアナ ちょっと私に捜させてみて。場所知ってると思うわ。
 ロジャーズ ああ、それは有り難いな。
(ダイアナ、本箱の下の方に屈んで一冊取り出す。)
 ダイアナ ほら。(彼に手渡す。)
 ロジャーズ 助かった。どうも有り難う。
 ダイアナ(テーブルに戻って。)この家の第一印象は如何?
 ロジャーズ 随分そのー・・・陽気なところのようですね。
 ダイアナ お気に召せば嬉しいですけど。
 ロジャーズ ええ、そりゃもう。
 ダイアナ 素敵な男の人達だし・・・そうでしょう?
 ロジャーズ エー、まあ、何人かは。(扉の方へ進もうとする。)
 ダイアナ(素早く。)アランはちょっと変わっているかしら。
 ロジャーズ アラン?
 ダイアナ ドイツ風の上着を着た・・・
 ロジャーズ ああ、彼は少し変わってますね。エート、私はもう行かなくっちゃ。
 ダイアナ どうして? もう片付けは終わっているんでしょう? もうすっかり船(ふね)流のお部屋に仕上がって。
 ロジャーズ ええ、まあ。
 ダイアナ じゃ暫くいらして。私がコーヒーを飲んでいる間に何かお話を聞きたいわ。煙草お持ち?
 ロジャーズ(近づいて。)ええ、持ってます。(一本差し出す。)
 ダイアナ(取って。)有り難う。そう。アランの話をしていたわね。
 ロジャーズ マッチは?
 ダイアナ 有り難う。(火をつける。)何の話でしたかしら。
 ロジャーズ アランの。
 ダイアナ ああ、そうそう、アラン。あの人いい人なんだけど、言ってること、全部真面目にとっては駄目よ。
 ロジャーズ ええ、分かってます。そんなことはしませんよ。
 ダイアナ あの人、ほんのちょっとだけど(自分の額を指差して。)釣り合いがとれてないの。
 ロジャーズ ああ、なるほど。
 ダイアナ これは話しておいた方がよいと思って。
 ロジャーズ 御親切に、どうも。
 ダイアナ 面倒な話になると困りますもの。
 ロジャーズ ええ、そりゃー。
(間。)
 ダイアナ かわいそうなアラン。ひどく応えているんだわ。
 ロジャーズ 何がでしょう。
 ダイアナ ええ・・・(背凭れによりかかって空中に煙を出す。)こんなことは本当は言ってはいけないんだけど。(間。ロジャーズが意味を察したかどうか横目でちらりと見る。勿論察していない。)
 ロジャーズ はあ。
 ダイアナ 勿論、私あの人のこと、かわいそうだって思ってるの。
 ロジャーズ(分からない。しかし礼儀正しく。)そうですか。
 ダイアナ 本当に可笑しいわ。だって、あの人のすることなすこと、みんな私が大嫌いっていう態度でしょう?
 ロジャーズ ええ、まあ。(間。)そうじゃないって訳ですか?
 ダイアナ(笑う。)逆なの。まるで逆。
 ロジャーズ(やっと分かったという顔。)ああ、そうか。あなたにぞっこんっていうことですか。
 ダイアナ こんなことばらしてしまうなんて、狡いんですけど。あの人、私のこと告げ口しているでしょう。きっとそうですわ。私が(にっこり笑って。)男の人を態と迷わせようと企む女だって。でもこんなことを信用するなんてどうかしてるわ。
 ロジャーズ それはそうです。しかしどうして彼はあなたの事を私に告げ口したりするんでしょう。
 ダイアナ(言い難そうに。)それは・・・ 私、アランのことを好きなんです。でももっと好きでいて貰いたいんじゃないかしら。アランが私のことを好きなくらいまで。だから、袖にされてるっていう気持ちがあるんだわ。きっと。
 ロジャーズ ああ、なるほど。
 ダイアナ(陽気に。)この話はもう止めにしましょう。話して楽しい話題じゃないんですもの。あなたご自身のお話、海軍のお話が聞きたいわ。私、海の話になるといつもわくわくしますわ。
 ロジャーズ それは嬉しいな。
(間。)
 ダイアナ 素晴らしい生活でしょうね。
 ロジャーズ ええ、まあ、全体的にはいい生活です。
 ダイアナ 夢があって、ロマンがある。海の生活。
 ロジャーズ ええ、まあ。
 ダイアナ ハラハラした事。命を賭けた事件、いっぱい経験なさっているんでしょうね。
 ロジャーズ ええ、まあ。海軍ですからいろいろな事がありますけど。
 ダイアナ そうでしょうね。(間。)でも海軍の方って、あまりご自分のことは話をされないんでしょう?
 ロジャーズ ええ、まあ。不言実行とかなんとか言って。
 ダイアナ ええ、分かるわ。でも私には「不言」をあまり実行して貰いたくないわ。だって本当にいろんなことを知りたいんですもの。
 ロジャーズ(微笑んで。)ではあまり「不言」は実行しないことにしますか。
(間。)
 ダイアナ 今朝は何をしていらしたの?
 ロジャーズ 特に何も。何故ですか。
 ダイアナ この町をご覧になりたくはないかしらと思って。
(ジャックリーヌ、台所から登場。)
 ジャックリーヌ キットはまだ降りてこないの?
 ロジャーズ(ダイアナに。)それは見たいですよ。
 ダイアナ じゃあ着替えて来るわ。ご案内しましょう。
 ロジャーズ でもお邪魔じゃないかな。
 ダイアナ いいえ、全然。御一緒出来て嬉しいわ。
 ジャックリーヌ ねえ、ダイアナ。
 ダイアナ え?
 ジャックリーヌ(コーヒーを注ぎながら。)キットの部屋の前を通るんでしょう? これを持って行って下さらない? (コーヒー茶碗を手渡す。)
 ダイアナ いいわよ。(ロジャーズに。)お勉強の邪魔にならないかしら。そちらの方が心配。
(ジャックリーヌ、台所へかえる。)
 ロジャーズ それは大丈夫ですよ。まだ宿題も何も出ていないんですから。
 ダイアナ それなら行って着替えてくるわ。
(廻れ右をして出て行こうとした時、扉の所でアランとぶつかりそうになる。)
 ダイアナ(振り返りながら。)じゃあ、十五分後に此処で。
 ロジャーズ オーケー。
(ダイアナ、ロジャーズに微笑む。アランの方を見向きもせず擦れ違い、退場。)
 アラン(テーブルに進み、座りながら。)健康保全の歩行訓練ですか、中尉殿。(手に持っていた数冊の本をテーブルに置き、ノートを開く。)
 ロジャーズ そう。(アランに背を向ける。)
 アラン(ポケットから万年筆を取り出し、キャップを外しながら。)それには絶好のお天気ですね。(間。ノートに何か書き込みながらローレライを口ずさみ始める。ノートから目を離さず。)なかなかいい歌ですね。ローレライって。
 ロジャーズ いいと思えばいい。悪いと思えば悪い。
 アラン そう。(手を休めずに。)いずれにせよ、馬鹿な言い伝えですよ。声を聞いたら危ないって予め知らされているのに、態々引っ掛かりに行くっていう話ですからね。そんな船乗りがいるかなあ。
 ロジャーズ(急に振り向いて。)いくら君が馬鹿馬鹿しいと思っても、私は思わんね。
(ケネス、フレンチウィンドウから登場。)
 ケネス ああ、ロジャーズ中尉。親父さんがちょっと話があるそうです。
(間。ロジャーズ、テーブルを隔ててアランと真向かいに立っている。アラン、手を休めない。)
 ロジャーズ 分かった。すぐ行く。(ドスン、ドスンと庭へ退場。)
 アラン(間の後。)さっきは親父さんに殺されていたな。
 ケネス(疲れて。)今日は特別でしたよ。
(間。アラン、手を休めない。)
 アラン(手を休めず。)ケネス、僕は君の姉さん、嫌いだよ。
 ケネス(テーブルを廻って、アランの肩ごしに、書いているものを見ながら。)そうですか? 僕はその反対だと思っていましたけど。それもかなりの程度に。
(アラン、見上げる。)
(台所からジャックリーヌ登場。エプロンを外し、髪からスカーフを取っている。)
 ジャックリーヌ お早う、ケネス。
 ケネス お早う。Mad'selle. (ジャックリーヌさん。)
 ジャックリーヌ レッスンは終わり?
 ケネス ええ、でも全部やり直しですよ。(扉へ行く。)この人みたいな頭があったらなあ。いいんだけど。(退場。)
(アラン、ケネスが出て行くのを見守った後、自分の仕事に戻る。)
 ジャックリーヌ(腕時計を見て。)キットってひどいわ。今まで一度だって時間通りレッスンに来たことないのよ。(フレンチウィンドウに近づき、外を見る。)
 アラン (目を上げて。)頭をどうしたの? ジャック?
 ジャックリーヌ(振り向いて。)これどうかしら。(髪型がダイアナと同じにセットされている。)
 アラン(立ち上がり、彼女に近づき、両手を肩におき、腕の間隔で髪を眺めて、首を横に振る。)駄目だね、ジャック。ダイアナと髪型を同じにしても、彼女には勝てないよ。
 ジャックリーヌ あの人は気にいってくれるわよ、アラン。きっと。
 アラン 気がつきもしない筈だよ。
 ジャックリーヌ 気がつくわよ。
 アラン 気がつかない方に五フラン賭けるな。
 ジャックリーヌ じゃあいいわ。賭け、成立よ。
 アラン まだ間に合うよ。行っていつものようにクシャクシャにして来るんだ。
 ジャックリーヌ (笑って。)駄目。
(間。)
 アラン かわいそうなジャック。惚れるんなら別の男にし なくちゃいけなかったな。誰か捜してやろうか。
 ジャックリーヌ 好きだってことをあの人に言いさえしなければ、あなたが何をしたって構わないわ。
 アラン キットみたいに鈍い男って知らないな。あいつ以外の男だったら、疾(と)うの昔に気付いている筈だよ。
 ジャックリーヌ 私ってそんなに見え見えかしら、アラン。私、あの人にうるさがられたくないの。それだけが心配。
 アラン 髪型を変えてくるんだね。
 ジャックリーヌ 若しダイアナがあの人の線から外れたら私、チャンスあるかしら。
 アラン あいつを線から外そうって考えているのかい?
 ジャックリーヌ(微笑んで。)そうよ。私自身は全然傷つかないで。
 アラン「傷つかないで。」って? どういうこと?
 ジャックリーヌ 私あの人に対して、嫉妬の気持ちがないの。だから傷つかないの。
 アラン それはそうだ。成程。
 ジャックリーヌ 本当のこと言ってね、アラン、あの人がキットを幸せにするんだったら私、全然構わないの。でも違うでしょう? 惨めな気持ちにさせて楽しんでるの、あの人。それから今度は、あの中尉さん。だからもっとひどくなるわ。私の言ってること分かるでしょう?
 アラン 分かるよ。
 ジャックリーヌ 何か出来ることはないのかしら。
 アラン あるよ。髪型を変えて来るんだね、ジャック。それだけ。出来ることって。
 ジャックリーヌ 厭。それだけは駄目。
(キット登場。正装している。)
 キット(ジャックリーヌに真っ直ぐ進みより、彼女の両手を熱心に掴んで。)ジャック、僕は君に告白することがあるんだ。(アランに。)アラン、ちょっとあっちへ行っててくれ。これは秘密なんだ。
(アラン、テーブルに戻り、宿題を始める。)
 ジャックリーヌ 何? キット。
 キット 君の出した宿題をやっていないんだ。
 ジャックリーヌ ああ・・・(訳注 この「ああ」は期待外れの意あり。)どうして?
 キット 実はゆうべはダイアナをカジノに連れて行って・・・
 ジャックリーヌ キット、本当に・・・
 キット その罪滅ぼしに、今朝はラ・ブリュイエールを翻訳するよ。な?(彼女の手をとり、肘掛椅子のところに引っ張って行く。)
 ジャックリーヌ あの宿題は態々あなた用に出してあげたのよ。面白いだろうと思ったし。それに試験前だからあまり息抜きの問題もいけないと思って、特別に出したのに・・・
 キット(彼女用の本を渡して。)さあ座って。ラ・ブリュイエールを読むんだからね。静かに聴いて。椅子は大丈夫? (自分の本を開いて。)百八頁だ。アラン、君も聴くと為になるぞ。フランス語が美しい英語に翻訳されるんだ。第四章。(訳す。)心情について。
 ジャックリーヌ 愛について。
 キット「愛について。」だ、じゃあ。(訳す。)純粋な愛には清い香りがある。
 ジャックリーヌ「純粋な友情には。」
 キット(訳す。)異性の間にも友情は成立しうるのだ。
 アラン まさか。
 キット 僕が言ってるんじゃない。ラ・ブリュイエールが言ってるんだ。(訳す。)異性の間にも友情は成立しうるのだ。下品さを全くそこに入れずに。
 ジャックリーヌ 不純な考えをそこに入れずに。
 アラン いないいないバアをそこに入れずに。
 ジャックリーヌ 不純な考え。
 キット 下品さを全くそこに入れずに。(上を向いて。)意味、よく分かるなあ。此処が何時も悩みの種なんだ。ジャック、君、髪型変えたね。
 ジャックリーヌ(アランに素早く目配せして。)そうよ、キット。変えたの。
 キット アラン、見ろよ。ジャックが髪型変えたぜ。
 アラン(見上げて。)ハハーン。成程。変わってる。変わってる。
 キット 最初見た時から何か変わってるとは思ったんだ。(ジロジロ見る。)しかし変な感じだなあ。なんだか馬鹿に・・・
 ジャックリーヌ(熱心に。)なんだか馬鹿に・・・何? キット。
 キット「いかすよ。」って言おうとしたんだ。
(冗談を言ったというように、大声で笑う。ジャックリーヌも笑う。)
 ジャックリーヌ とにかく気にいったんでしょう?
 キット いやあ、気にいった。実に気にいったよ。
 ジャックリーヌ この儘にしておいた方がよくって?
(キット答えようとした時、ロジャーズ、庭から登場。)
 ロジャーズ すみませんが・・・親父さんが授業を始めるって言うので・・・ダイアナ・・・いや、レイクさんに、散歩は延期って伝えてくれませんか。
(間。)
 アラン ええ、伝えておきます。
 ロジャーズ 有り難う。(庭へ退場。)
 ジャックリーヌ(沈黙を破って。)この儘にしておいた方がよくって?
 キット (ゆっくり振り向きながら。)この儘って?
 ジャックリーヌ 髪。
 キット ああ、髪なんかで、そんなにうるさく言うなよ、ジャック。うん、まあ、その儘にしておいたら? とにかく笑いを誘うことは請け合いだよ。
(さっと退場。間。ジャックリーヌ、本をパチッと音をさせて閉じ、立ち上がる。)
 ジャックリーヌ アラン、五フランは私のものよ。
                    (幕。)
   
     第 二 幕
     第 一 場
(場 第一幕と同じ。)
(時 二週間後。午後二時頃。)
(昼食が終わった所。第一幕に登場した人物が全員テーブルについている。マンゴー、左端。その右手にロジャーズ、ダイアナ、キットの順。三人は観客に面している。マンゴーの左手にブライアン、ケネス、ジャックリーヌ、がこの順に。アランはマンゴーの正面。)
(幕が上がると、一斉に話をしている。アランはジャックリーヌと。ブライアンはマンゴーと。ロジャーズはダイアナと。数秒経って会話が途切れ、ロジャーズの声だけが聞こえる。)
 ロジャーズ うん、そう。タピー・ジョーンズっていう男なんだ。こいつはベリジャレントに住んでいてね、よく知っている男なんだ。陽気な男でね。(一人でクスクス笑う。)傑作な話があるんだ、この男には。ポーツマスで、ある時ひどく酔っぱらってね、持っていた小型の空気銃で、交通標識のベリーシャ・ビーコンを七つもぶっ壊したんだよ。
(訳注 Belisha Beacon 頂上に黄色の球をつけた立標で、歩行者に横断箇所を示す。このロジャーズの話は全く面白くないものである事に注意。ベリーシャ・ビーコンに何か意味があって面白いのではないかと考えると、この場面の楽しさは分からない。)
 マンゴー(真面目に、ロジャーズの方を向いて。)Eh, bien, Monsieur le Commandant, voulez-vous raconter votre petite histoire en francais? (ロジャーズ中尉、今の話をフランス語でして貰えませんかな。)今の話をフランス語で願います。
 ロジャーズ(困って。)い、いや、それは困ります。まだよく話せませんので。
 マンゴー もうかなり進んだ筈ですよ、中尉殿。
 ロジャーズ 進んだって。まだ幾日もやっていませんよ。
 マンゴー もう二週間になります、中尉殿。二週間経つと此処では小話などはフランス語で出来る程進んでいる筈です。
 ロジャーズ でもこれはちょっと無理ですよ。それに小話という程のものでもありませんし。
 アラン(意地悪く、前に乗り出して。)Au contraire, Monsieur, l'histoire de Monsier le Commandant etait excessivement rigolo. (いやいや、これはかなり傑作な話ですよ、先生。)
 マンゴー Bien. Alors, racontez-la vous-meme. (じゃ、アラン君、君が話して。)
 アラン Il parait qu'il connait un type qui s'appelle Tuppy Jones. Alors ce bonhomme, se promenant un soir par les rues de Portsmouth, et ayant un peu trop bu, a brise, a coups de pistolet a vent, sept Belisha Beacons. (中尉殿はタピー・ジョーンズという名の男を知っているそうです。この男がある晩、相当酒を飲んで、ポーツマスの町を歩いていましたが、その時小型の空気銃で七個のベリーシャ・ビーコンを壊したんです。)
 マンゴー(耳の後ろに手をやって注意深く聴いていたが。) Et puis? (それから?)
 アラン C'est tout, Monsieur. (これで終わりです、先生。)
 マンゴー C'est tous? (終わり?)
 キット Vous savez que ce Tuppy Jones etait d'un esprit le plus fin du monde. (このタピー・ジョーンズっていう男は世にも繊細な神経の持ち主で・・・)
 マンゴー Je crois bien. Au meme temps, je n'ai pas tout a fait compris. Qu'est ce que ca veut dire---Belisha Beacon? (まあ、そうだろうな。だけど私にちょっと分かっていないことがある。このベリーシャ・ビーコンていうのは何かな。)
 アラン Ah, ca c'est un peu complique.(ああ、それはちょっと複雑で・・・)
 ブライアン(フランス語の腕の示し時とばかり。)Belisha Beacons sont des objets...(ベリーシャ・ビーコンというのは・・・その・・・)(詰まる。)
 アラン Qui se trouvent actuellement dans les rues de Londres ..(実際にロンドンの通りにある・・・)
 キット Et qui sont dedies au salut des passants. (歩行者の救済の為に献納されているものです。)
(訳注 次の誤解を導くよう、態と言ったもの。)
 マンゴー Aha, des emblemes religieux? (ははあ、すると宗教的なお守りのようなものだな。)
 アラン C'est ca. Des emblemes religieux. (そうです。宗教的なお守りのような。)
 マンゴー(ロジャーズに。)じゃあ、イギリスではこの宗教的お守りのようなものを空気銃で壊すと可笑しいって感じる訳だな。
 ロジャーズ(意味が分からず。)ええとー。(マンゴー気まずそうに両肩を上げる。)(ロジャーズ、かつがれたと知り、怒ってアランに。)やったな、ハワード。
 ブライアン アランが悪いな、こりゃ。
 アラン なかなか面白い話だと思ったんだがな。
 マンゴー(ワインを飲み終えて、立ち上がりながら。)Bien, Messieurs, Mesdames, la session est termine. (さあ、諸君。昼食の時間は終わりだ。)
(全員立ち上がる。)
 マンゴー(片手を上げて。)ちょっと待って。分からないといけないので、これは英語で話す。今日、仮装舞踏会と、花戦争がカジノであるが、みんな行くかな。行くものは手を上げて。
 キット(アランに。)え、驚いたな。今日はパリ祭か、ちっとも知らなかった。
(全員手を上げる。)
 マンゴー 全員だな。よろしい。舞踏会は八時に始まる。此処では夕食は休む。いいな。
(マンゴー、フレンチウィンドウに進み、途中で立ち止まる。)
 マンゴー えーと、歴史の授業は二時半からにする。と言うことは、これから二十分後だ。大丈夫だな。
(庭に退場。)
(ロジャーズとダイアナ、フレンチウィンドウに進む。キットが二人に追いつく。)
 キット(ダイアナに。)コリントゲームはどう? ダイアナ。
 ダイアナ(ロジャーズを指差して。)ビルと今やることにしたのよ、キット。じゃあ、その後でね。行きましょう、ビル。
 ロジャーズ 悪いな、ネイラン。
(ロジャーズとダイアナ、一緒に退場。キット、肘掛椅子に行き、塞ぎ込んで座る。ブライアンはこの時までに 財布を開けて中身を調べている。アラン、フレンチウィンドウから庭へ出ようとする。ケネス、アランを追い掛けて、出る前に追いつく。)
 ケネス アラン、例の宿題、今手伝ってくれませんか。いつかやってやるって言ってくれてたやつなんだけど。
 アラン え? 今? 駄目だよ。一人でやれないの?
 ケネス 出来ることは出来るんだけど、やってたら今夜のダンスに行けないんです。手伝ってよ。ロベスピエールなんです。彼については僕は何も知らないんですよ。
 アラン ラヴィッス百科辞典に彼の項目があるよ。そいつを写しといたら。親父さんは気がつきゃしないさ。こんなものフランス語じゃない、とかなんとか言うだろうが、知ったこっちゃないさ。
(アラン退場。)
 ケネス(後ろから大声で。)アラン、スポーツマンらしくやってよ。
 アラン(舞台裏で。)スポーツマンて一番嫌いなんだ。
 ケネス 畜生!
(ケネス、悲しそうに廻れ右してキットを通り越し、後ろの扉へ進む。)
 キット(陰気に。)あんな奴蹴っ飛ばしてやりゃいいんだ。
 ケネス(扉の所で。)それはよく分からないけど。
(ケネス退場。ブライアン、財布をポケットに戻す。)
 ブライアン おいキット、おれに五十フランちょっと貸して・・・くれないだろうな。
 キット くれない。少なくとも、貸してある百フランが戻ってくるまではな。
 ブライアン うん、分かるよ。その論点は。(陽気に。)まあ、キット、悪く思うな。ただチチの件を今夜は延期すりゃすむことだからな。
 キット 彼女をカジノでやるダンスに連れて行こうなんて考えてたんじゃないだろうな、まさか。
 ブライアン いや、連れて行こうかなと・・・
 キット おいおい、親父さんが見たら、エラいことだったんじゃないか。
 ブライアン それは平気だった筈だ。イギリス領事の娘を連れて行くって親父さんには言っておいたんだ。
 キット チチってイギリス領事の娘で通る顔してるのか。
 ブライアン 大丈夫だ。どうせ仮装してることになってるんだ。イギリス領事の娘が町の女、ナナに変装しているってことにならあな。ただ親父さんがあいつに実際に会って話をしたら確かに可笑しいとは思っただろうな。なにしろあいつの話せる英語といえば、「愛してるよ、あんたァ。」 だけだからな。
 キット じゃあ君はどうやって話をしているんだい。
 ブライアン ああ、そんなことは、うまくいくもんだよ。 ちゃんとね。(フレンチウィンドウに近づきながら。)借金の話だけど、三十フランならどうかな、キット。
 キット 駄目だね。それにチチだってそれじゃ駄目なんじゃないか。
 ブライアン そうかそれもそうだな。車でひとっぱしり行って、今夜は駄目だって言った方がよさそうだな。
 キット ああ、そうだ、ブライアン。君、誰か連れて行きたいんなら、ジャックを連れていったら?
 ブライアン 誰か一緒に行ってやるんじゃなかったのか。
 キット 僕がその役目だったんだが、その・・・
 ブライアン(驚いて。)え? 君が? ダイアナはどうなったんだ。
 キット ああ、あれは中尉殿の役目になってね。
 ブライアン ははあ。
(間。)
 ブライアン 正直の話、俺も行けるかどうか分からないんだ。花戦争なんて柄じゃないんだ、俺は。
 キット その話になれば僕だって柄じゃないよ。
 ブライアン そんなことはないよ。少なくとも俺が投げる花よりはましな花を君なら投げるさ。じゃあな。
(ブライアン退場。キット、爪を噛みながら座っている。スポーツカーの猛烈にふかす音がフレンチウィンドウを通して聞こえてくる。キット、飛び上がる。)
 キット(ウィンドウ越しに叫ぶ。)うるさーい。音がでかいぞ。
 ブライアン(舞台裏から、エンジンの音に混じってかすかに。)なんだってー? よく聞こえんぞー。
(車が通りを過ぎて行き、音、小さくなる。ジャックリーヌとマリアンヌ、登場。マリアンヌは盆を持っている。)
 キット(振り返って。)あいつ何故あんな車に乗らなきゃいけないんだ。ヒットラーが五人一度にどなっているような音じゃないか。
 ジャックリーヌ(マリアンヌの片付けを手伝いながら。)あの人の性格に合っているのよ、キット。乗っていて聾(つんぼ)になるような、痙攣が起きるような車じゃなきゃ、車じゃないと思っているんだわ。
 キット(再び座って。)ブライアンみたいに明るくて健康的でいるってのはどんな気分なんだろうな。
 ジャックリーヌ ひどく厭な気分だわ、きっと。
 キット いやいや、快適な気分なんじゃないかな。だいたいあいつが機嫌悪かったなんていう時の記憶があるかい?
 ジャックリーヌ ないわ。機嫌が悪くなるほど頭がよくないんじゃない?
 キット 機嫌が悪くなるためには頭がよくなければならない、なんて事はないよ。犬とか猫とか、時々は機嫌が悪いぜ。うん、まあ、ブライアンは馬鹿かもしれない。しかしあいつは心の持ち方は正しいよ。第一、僕達の中じゃあいつが一番「生きる術(すべ)」ってものを心得ているじゃないか。
(マリアンヌ、片づけた食器を下げる。――退場。)
 キット そして、その術ってやつが安上がりときている。時々五十フランの出費をすればいいんだ。僕もそれで行きたいところなんだがな。
 ジャックリーヌ やってみさえすれば出来るんじゃない?
 キット やろうとしたことはあるよ。何度も。
(ジャックリーヌはテーブルクロスを畳んでいる。)
 キット 君にはショックかい?
 ジャックリーヌ どうして?
 キット どうかなと思って。
 ジャックリーヌ 私って世長(よた)けてるのよ。
 キット(微笑んで。)その真反対の人間だよ、君は。ねえ、ジャック。僕は君があんまり好きなもんだからね、時々君が女だって事をすっかり忘れていることがあるんだ。
 ジャックリーヌ ふーん。
(畳んだテーブルクロスをテーブルの引き出しの中に入れる。閉める時、少しバタンと音をさせる。)
 ジャックリーヌ あなたって女好きなのかと思っていたけど。
 キット 男が女を好きって訳にはいかないんじゃないか。惚れることはあってもね。そしてこれは全く別のことだし。でも僕は君が好きなんだ。これが変わってるところだよ。
 ジャックリーヌ(明るく。)有り難う、キット。私もあなたのこと好きよ。
 キット うん。だから二人は幸せっていう訳だ。な。
(フレンチウィンドウの方に又目を向ける。ジャックリーヌ、又癇癪を起こしてテーブルの足を蹴る。)
 キット あ、気をつけて。(躓いたら駄目だよ。)
 ジャックリーヌ(跛(びっこ)をひきながら別の肘掛椅子まで行き、座る。)今夜着て行くもの、見つけた?
 キット 僕が行かないって言ったら君、気を悪くする?
 ジャックリーヌ そうね、どちらかっていうと、私、今夜は楽しみにしていたの。
 キット アランに連れて行って貰えよ。あいつの方が僕よりダンスうまいよ。
 ジャックリーヌ(間。)兄のギリシャの服はどうかしら。あなたに似合うわ。
 キット ねえ、ジャック。僕は花戦争なんか真面目にやってられないよ。(振り向き、ジャックリーヌと目が合う。)君の兄さんの服って僕に入るかな。
 ジャックリーヌ はいるわ。少しはきついかもしれないけど。
(アラン、フレンチウィンドウから登場。)
 キット そうだ。それで思い出した。今夜は随分飲めるっていう話じゃなかったかな。
(訳注 きつい(tight) は「酔う」の意があるので。)
 アラン(不機嫌に。)どうせそれしかないよ。畜生め、あいつはぶっ殺してやらなきゃ。
 ジャックリーヌ 誰のこと?
 アラン 中尉の奴だよ。
 キット それなら僕の権利じゃないか。
 アラン あいつがダイアナとコリントゲームをやっているのを今見ていたんだ。コリントゲームなんて簡単な遊びだと思うだろう? 木の球が穴に入るか、入らないか、それだけの話さ。だけど、中尉殿の手にかかると、あれが急に戦艦同志の戦いになるんだからな。恐れ入るよ。一発あいつが球を弾く。その度にのたまうんだ。「敵艦に命中せず。水柱たつ。」「弦側命中。敵艦傾斜せり。」「敵艦撃沈。」やれやれだよ。
 キット 少なくともダイアナがそれで面白がってるっていう言い訳があるよ。あいつには。(立ち上がる。)アラン、第三者の公平な目で見た君の説明が聞きたいよ。ダイアナがあいつと一緒にいて何が面白いんだ。二分もいりゃ、うんざりな筈じゃないか。
 アラン 勿論さ。ただあいつは今、ダイアナに惚れて行く過程にあるんだからな。
 キット うん。それは見え見えだ。だけど・・・
 アラン 鮭が釣針に食いつく。すると暫くはリールの巻き方に注意を払って、鮭と上手に付き合って行かなきゃいけない。付き合い方が下手だと、逃げられてしまうからね。
 キット 冗談のつもりか。
 アラン 勿論さ。だが鮭が一旦あがってしまう。そうしたら、しめたものだ。今度は水に滑り落ちないように、時々蹴っ飛ばすぐらいのことをして置きさえすればいいんだ。
 キット(怒って。)馬鹿なことを言うなよ。
 アラン 明日はヘイブルック卿とかいう人物が現れる。だからダイアナとしては、出来るだけ早く中尉殿を魚鉤(うおかぎ)にかけてしまいたいんだ。そうすれば、丸々と太った鮭が二匹岸にのたうちまわって喘いでいることになって、安心して三匹目にとりかかれるっていう寸法さ。
(間。キット、突然ゲラゲラと笑い出す。)
 キット 無理もないな。君の小説を誰も採用しないっていうのは。
 アラン(ムッとして。)何の関係があるっていうんだい。僕の小説が採用されないっていうことと牝狐の陰謀との間に。
(ジャックリーヌ、驚いて立ち上がる。)
 キット(アランの方に進みより。)牝狐とは何だ、アラン。そんなことを僕の前でもう一遍言ってみろ・・・
 ジャックリーヌ(急いでアランに。)キットの言う通りよ。そんなことを言うもんじゃないわ。
 キット(彼女の方に荒々しく。)ジャック、君こそ余計な口を出さないでくれ。
 ジャックリーヌ だってアランが・・・
 キット もういい。あっちへ行っていてくれ。これはアランと僕との問題なんだ。
 ジャックリーヌ 御免なさい。(庭に退場。)
 キット アラン、いいか。これは分かっていて貰いたい。僕はダイアナを愛している。ダイアナも僕を愛している。これは君にとってそんなに理解し難い事柄じゃない筈だ。分かり難かったらもう一回ゆっくりと繰り返し聞かせてやってもいい。
 アラン(愛想よく。)いやいや、それには及ばない。こういったことは本で読んだことがあるよ。中尉殿は彼女の単なる年寄りの友達で、彼女がこんなに小さい時からの知り合い、そういう事だな。
 キット 中尉殿は彼女に惚れている。しかし、だからといってダイアナを責める訳にはいかない。
 アラン 勿論責めちゃいないさ。彼女の手管のうまさに驚嘆しているだけだよ。
 キット(怒りを呑み込みながら。)「あんたなんかうんざりよ。」って言えないんだ、彼女は。
 アラン そう。それだけ気持ちが優しいんだ。だからあいつの事を「あなた」なんて、甘えた声で言ってみたり、いちゃいちゃべたべた、ところ嫌わずくっついていたりしてるんだ。
(間。)
 キット 僕はさっき君のことを「第三者の公平な目で。」と言った。が、公平な目なんかじゃない。君自身がダイアナに惚れているんだ。
 アラン いい事を言ってくれるな、ネイラン君。正に大正解だ。可能性としては、最後には僕がダイアナと結婚する、それが大いにありそうだね。
 キット 可能性としては・・・何だって?
 アラン しかし、それが実現するには・・・今度は狩猟の譬えでいけばね、牝鹿が狩人に追い立てられて、水際で疲れ果て、進退きわまって、くずおれる時だね。
(間。)
 キット(怒気を含んで。)今の言葉は彼女に対する完全な侮辱だ。僕は君に(決闘を)・・・
 アラン やめてくれ。馬鹿馬鹿しい。二人の道化師を拵えたいのか。
(ダイアナとロジャーズの声が庭から聞こえる。)
 アラン それに君はよく知っている筈だ。僕が女のことで争うなんて主義に反するっていうことをね。
(ダイアナ、フレンチウィンドウに現れる。ロジャーズ、後に続く。)
 ロジャーズ(ウィンドウから入りながら。)だろう? だから私としてやることは只一つさ。命令を出したよ。全員甲板に集合!(キットとアランの姿を見て言い止める。)
 アラン それで集合しましたか。
 ロジャーズ (アランを無視して、ダイアナに。)庭に出ようか、ダイアナ。
 ダイアナ(ぐったりして肘掛椅子に身を投げて。)暑いわ、ビル。此処にいましょうよ。
 キット 次は僕とコリントゲームをやる約束だったんじゃないか、ダイアナ。
 ダイアナ 許して。気にしないわね。ひどく疲れちゃったの。
 キット(怒って。)当たり前だ。気になんかするものか。
(キット、庭に出る。間。アラン、ローレライを口ずさみ始める。ロジャーズ、ウィンドウに進む。)
 アラン あ、中尉殿、二人っきりで残されるのは困ります。どうしても僕と一緒がお厭なら僕の方が出て行きますから。
(ロジャーズ、立ち止まる。アラン、後ろの扉へ進む。)
 アラン では、アラン・ハワード、マストに登ります。
(アラン退場。)
 ロジャーズ 不真面目な奴だ。私の船に乗せてやりたいよ。性根から鍛え直せるんだが。
 ダイアナ そうね。あの人の自惚れがぺしゃんこになるでしょうね。
 ロジャーズ そりゃいっぺんにぺしゃんこだよ。最近はどう? 君にまだうるさくする?
 ダイアナ(諦めの身振りをして。)ええ、そうねえ。でも私、あの人がかわいそうで。
 ロジャーズ 実は時々、君のことが分からなくなるんだが・・・
(ダイアナの隣の椅子に座る。ダイアナ、彼の手を軽く叩く。)
 ロジャーズ 少なくとも、私は君を理解しているように思っているんだが。君、気にしないね、私がこんなことをいっても・・・君は親切過ぎる、私に言わせれば。本当に親切が過ぎているよ。
 ダイアナ(溜め息。)ええ、そうかも知れないわ。
 ロジャーズ 例えば・・・君、何故キットに言わないの?
 ダイアナ(立ち上がりながら。)ビル、止めて。
 ロジャーズ このことにこだわって君にはわるいんだがね、ダイアナ。君がまだあいつに気があるっていう態度を見る度に、あいつが心底気の毒になるんだ。君にはこの気持ちが分からないかなあ。
 ダイアナ でも私言えないわ、そんなこと――少なくとも今は。(優しく。)だってそんなことしたら随分残酷よ。そうでしょう?
 ロジャーズ 残酷にして却って親切になる。これがそのいい例じゃないかな。
 ダイアナ そうね、ビル。確かにそうだわ。でも私、残酷っていうのは体が受け付けないの。私、蝸牛を間違って踏みつけても、かわいそうで一日中塞いじゃうっていうタイプなの。
 ロジャーズ 言わなきゃ駄目だよ、ダイアナ。そうしないとあいつにひどく不公平だ。言うんだよ、今。
 ダイアナ(間髪を入れず。)駄目、今は。
 ロジャーズ じゃあ今晩。
 ダイアナ そうね。じゃあやっては見るわ。でも随分つらいことよ。もう倒れちゃってる人を蹴っ飛ばすみたい。
(ロジャーズ、腕をダイアナの腰にまわす。)
 ロジャーズ ねえ、ダイアナ。こんなことをしなきゃいけないっていうのは確かに厭なことだよ。それは同情するよ。本当に。だけど義務は義務なんだ。
 ダイアナ(頭をロジャーズの胸につけて。)ああビル。私イヤーな気持ちだわ。
 ロジャーズ そりゃそうだろうな。だけどこうした事はあるものだよ。
 ダイアナ ねえビル、私には分からないことがあるの。キットのこと愛していたわ――少なくとも愛していたと思っていたわ。それからあなたが現れて――それから――それからは――ねえビル、あなたが会う女の人って皆こうなるのかしら。
 ロジャーズ エー、こうなるって?
 ダイアナ 女の人の足を掬(すく)ってしまうの。すると今まであったいろんなことは全部忘れてしまって、あなただけが残ってる・・・
 ロジャーズ ねえ、ダイアナ。これから訊くことに正直に答えてくれないかな。
 ダイアナ ええ、勿論よ、ビル。
 ロジャーズ 君の私に対する感情は単なるそのー、憧れみたいなもの? それとも本当に、本気で愛してくれているのかな。
 ダイアナ まあビルったら。愛してるって分かってるじゃない。
 ロジャーズ(キスして。)じゃあキットのことはもう本当に愛していないんだね。
 ダイアナ まだ好きなことは好きなのよ。
 ロジャーズ でも愛してはいない。
 ダイアナ そう。愛してはいない。
(ジャックリーヌ、フレンチウィンドウから登場。ロジャーズ、反対向きなのでジャックリーヌが見えない。ダイアナ、さっと立つ。)
 ロジャーズ で、あいつにそう言うんだね?
 ダイアナ ああ、ジャックリーヌ。
 ジャックリーヌ こんにちは、ダイアナ。暑いわね。
(部屋を横切って、台所に退場。)
 ダイアナ(動揺している。)私達見られたんじゃないかしら。
 ロジャーズ 知らないな。
 ダイアナ 扉のすぐ外でずっと聴いていたかもしれない。あの人ならやりかねないわ。
 ロジャーズ そんなこと関係ないじゃないか。いずれすぐ分かることなんだ。
 ダイアナ(考えながら。)あの人何でも喋っちゃうタイプだから・・・
 ロジャーズ 喋らせておけばいい。
 ダイアナ(ロジャーズの方を向き。)ビル、あなた分かってないわ。私達のお互いの感情って神聖なものなのよ。下品な噂話で汚されてはいけないの。
 ロジャーズ うーん、分かった、分かった。だけどね、永久に隠して置くなんて無理だよ。
 ダイアナ「永久」じゃないわ。でも素敵じゃない。私達二人に他の誰も知らない秘密があるなんて。だってこれは私達の愛なんでしょう? 他の人達がそれを知ったり噂したり、そんなの意味ないのよ。
 ロジャーズ それは分かってるんだよ・・・だけど・・・
(キット、フレンチウィンドウから登場。不機嫌にダイアナとロジャーズを見て肘掛椅子に座る。と同時に新聞を取り上げ、読み始める。ロジャーズ、こっそり彼を指差して「今彼に言え。」と、口で声を出さずにダイアナに言う。ダイアナ、激しく首を振る。ロジャーズ首を動かしてダイアナに強く促す。キット見上げる。)
 ダイアナ(急いで。)これから皆さん授業だったわね。
 キット 五分後だ。
 ダイアナ あら、もう。じゃあ私はちょっと散歩に出てくるわ。(フレンチウィンドウに進みながら。)四時頃にひと泳ぎね、ビル。
 ロジャーズ オーケー。
(ダイアナ退場。間。)
 ロジャーズ(軽く。)どうだ、ネイラン。最近の調子は。
 キット ひどいね。
 ロジャーズ そりゃ残念だ。何が問題なんだい。
 キット 何もかも。(新聞を取り上げる。)
 ロジャーズ(間のあと。)今夜のカジノでの催しはかなり陽気なものになるんじゃないか。
(キット、新聞を下げて、ロジャーズを見る。再び持ち上げる。)
 ロジャーズ 君は誰を連れて行くんだ。
 キット(新聞に向かって。)ジャックリーヌ。
 ロジャーズ ジャックリーヌ?
 キット(大声で。)そう。ジャックリーヌ。
 ロジャーズ おお。(陽気に。)あれはいい娘さんだ。賢くて、楽しくて、別嬪で。嫁さんにすればいい女房になるよ。
(キット、鼻をならすような音を出す。)
 ロジャーズ 何か言ったか?
(キット、答えない。)
 ロジャーズ 彼女はフランス語で言うサンパチックな女だよ。
 キット ほう、フランス語ではそう言うのか。知らなかったな。
 ロジャーズ そう言うじゃないか。サンパチック。現代風のミーハーよりはよっぽどいい。例えば最近のイギリスの女の子を例にとってみると・・・
 キット 例に取ろうと手玉に取ろうと勝手にしたらいいだろう。新聞を読ませてくれないかな。
(背中を向ける。ロジャーズ困って肩を竦める。ブライアンの車の音が聞こえてくる。ロジャーズ、本箱に行き、自分のノートを取り出す。)
(庭でブライアンの声がする。「誰かが彼女を取っちゃった」を歌っている。)(訳注 Somebody Stole My Girl. )
(キット、立ち上がる。)
 キット(フレンチウィンドウ越しに怒鳴る。)このドテカボチャ。
 ブライアン(フレンチウィンドウに現れて。)どうしたんだ、キット。俺の声、気にいらない?
 キット 当たり前だ。それに何だ、その歌。
 ブライアン「誰かが彼女を取っちゃった」? だけどこりゃー(キットからロジャーズに目を移して。)そうか、まあな。さっきのは此の俺の歌にしては不出来だったかな。(包みをテーブルの上に置く。)アラン宛の荷物だ。どうやら奴の小説らしいぜ。(本箱に行き自分のノートを取り出す。)信じてはくれないかもしれないが、これでも小学校じゃあコーラスで歌ってたんだ。ラグビーのメンバーだったから歌わせられただけだがね。(キットの隣に座る。)(訳注 ラグビーとコーラスの関係、意味不明。)親父さん今日は何をやるんだ。
 キット 中近東だろ。昨日で終わらなかったからな。
 ブライアン ええっ? 昨日、あれは中近東だったのか。俺はてっきり普仏戦争の話だと思っていた。
 キット それは随分ためになる授業だったろうな。
 ブライアン 単語百個言われてたった一つ分かるといった割合だったな。
 ロジャーズ 私もほぼ同じだ。
 ブライアン ノートを見せてくれ。親父さんが生意気に質問でもした時には少しは役に立つだろう。
(キットのノートを取り、読み始める。アラン、後ろの扉から登場。ケネス、後ろに続き登場。)
 アラン(テーブルに近づき、包みを拾い上げて。)ああ、著者へ御返却申し上げ候、か。
 ブライアン 開けてみろよ。御採用仕り候、かもしれないぞ。
 アラン 分かってるんだ。開ける必要はないよ。
(テーブルの席につき、包みを押し退ける。)
 ブライアン 残念だな。
(ケネス、包みを取り、紐を解き始める。)
 ブライアン だけど希望は捨てちゃ駄目だぜ。最初の本ってやつは何百回と拒否されるもんさ。俺の知ってる男で、小説とか芝居とか、そんなものを書いている奴がいてな、もう五十になるけど、まだ希望を捨てないでやってるよ。そういう奴もいるんだ。
 アラン 有り難う、ブライアン、勇気が湧いてくるよ。
(ケネス、包みから手紙を取り出し、読んでいる。)
 ロジャーズ(優しく。)いつか読ませてくれないかな。
 アラン(喜んで。)え? 読んでくれる? ああ、だけど嫌いだろうな。
 ロジャーズ どうして? 何の話なんだ。
(ケネス、手紙をアランに渡す。)
 アラン(手紙に目を通す。くしゃくしゃにして投げる。)若い二人の男がいて誓いをたてる。戦争が始まったら自分の国を捨てて、アフリカの農場で生活するんだ、と。
 ロジャーズ(居心地悪そうに。)ああ。
 アラン 戦争が始まる。二人の内一人は妻を連れて行く。二人の男はアフリカに行く。が、戦うのが怖いからじゃない。どんな場合にも暴力はいけないと信じているからだ。で、全世界が狂気になろうと、二人が正気でいること、これが自分達の義務だと思っている。
 ロジャーズ 知ってる。良心的兵役忌避者だ。
 アラン そう。良心的兵役忌避者。農場へ着く。すると一方の男がもう一方の男の妻に恋をする。それで二人は戦うことになる。
 ロジャーズ ははあ、それはなかなか良い。
 アラン しかし戦っているうちに気がつく。こうやっているのは、祖国に帰って、国のために戦っているのと同じくらい悪いことだと。何故なら、いづれの場合にも、理性の声を聞かず、本能の命ずる儘になっているんだから。人間ではなく野獣になっているんだから。
 ロジャーズ なんだ、その理屈は。もし人が国の為に、或いは自分の妻の為に戦っているなら、それこそ彼が人間であるっていう証拠じゃないか。兵役忌避者なんか人間じゃない。
 アラン 僕の小説の登場人物は狡くないんでね。自分の動物的本能を祖国愛とか男らしさとかで、正当化したりはしないんだ。動物的本能っていうのはおぞましいものだ。それを表に出すのは恥ずべき事だと認めている。
 ロジャーズ(怒って。)恥ずべきもの? 馬鹿な。
 アラン しかし、彼らは次のことも認めざるを得ない。つまり、彼らの理性はこのおぞましい本能に逆らうに充分な程強くはないと。そこで彼らは祖国に帰り、戦う。
 ロジャーズ うん。それは尤もらしい。結局連中の考えが間違っていたと証明された訳だ。
 アラン 彼らの理想が誤っていた訳じゃない。彼らがその理想の通りには生きられなかったのだ。そこがこの本の狙いなんだ。
 キット(自分の居る所から動かずに、陰気に。)理想通り生きられないと分かっていたら、理想なんて何の意味があるんだ。
 アラン これから百年経つとする。すると百年後の連中は、我々の理想通りには生きる事が出来るかもしれない。連中の理想通りには生きられないかもしれないが。
 ケネス(興奮して。)そうだ。それが進歩ですよ。
 キット 進歩! 糞食らえだ、そんなもの。
 ロジャーズ じゃ、ちょっと訊くが、君は平和論者か何かの類(たぐい)か。
 アラン そうです。僕は平和論者か何かの類(たぐい)です。
 ロジャーズ それで外交官になろうっていうのか。
 アラン それでなろうっていうんです。中尉殿の常識じゃあ、このボケナスっていう所でしょうが、僕の責任じゃありません、これは。偶々父親が外交官なので。
 ロジャーズ フン。だがさっきの話だ。君に好きな女がいるとする。何処かからやくざな奴がやって来て、彼女を奪おうとする。君は戦わずに放って置くというのか。
 キット(見上げて。)その質問は僕に訊くべきじゃないのか。
 ロジャーズ(ぐるっと向きを変えて。)何だって?
 キット(立ち上がりながら。)そして答えは、「放っては置かない。」だ。
 ロジャーズ(皮肉たっぷりに。)ふうん、成程、そりゃ面白い。
 アラン(面白がって。)ところで言うのを忘れていたが、僕の小説ではその二人の男が祖国に帰る時、女はアフリカに残して置いたんだ。女を争って戦った二人だが、冷静になって考えてみると、結局女の方が二股膏薬の阿婆擦れだったという結論になった。そんなことならもっと早く分かっていればと思うんじゃないか。
 キット 殴られるのもお前のせいだぞ。
(アランに殴りかかる。アラン、止めようとする。しかし、二人とっくみあう。)
 アラン 馬鹿なことは止めろ。
(ロジャーズ、歩み出て、アランを殴り倒す。)
 キット(怒ってロジャーズの方に向き直り。)自分で何をやっているのか分かっているのか、このウスラトンカチ。
(キット、ロジャーズに殴り掛かる。ロジャーズ、これをかわす。拍子に椅子を引っ繰り返す。ケネス、キットの加勢に駆け寄る。ブライアン、走って登場。ケネスとキットを止めにはいる。)
 ブライアン 止めろ、あほな事は。(怒鳴る。)キット、 ケネス、頼む、正気に返れ! あ、親父さんだぞ。
(アラン、立って、ロジャーズに掛かろうとする。その時、マンゴー、庭から登場。小脇に分厚いノートを抱えている。ロジャーズとアラン、睨み合う。マンゴー、倒れている椅子を直し、テーブルまで引っ張って行く。その椅子に座ってテーブルにノートを広げる。)
 マンゴー Alors, asseyez-vous, Messieurs. Le sujet cet apres-midi sera la crise de mille huit cent quarante en Turquie. (さあ、諸君座って。今日の午後は一八四〇年、トルコの反乱についてだ。)
(アランとロジャーズ、座る。まだお互いに睨み付けている。)
 マンゴー Or, la derniere fois je vous ai explique comment le gouvernement ottoman d'Egypte, Mehemet Ali, s'etait battu contre son souverain, le Sultan de Turquie. Constatons donc que la chute du Sultanat... (さて、先回説明したところは、オットーマン朝エジプトの大守、モハメッド・アリが如何にトルコの王サルタンと戦ったか、その話だった。此処でよく確認しておこう。サルタン行政の失脚は・・・)
                 (幕)
   
     第 二 幕
     第 二 場
(場 同じ。)
(時刻 六時頃。)
(ダイアナが肘掛椅子に座っている。両足をもう一つの椅子に上げている。煙草を吸いながら、落ち着かない様子でフレンチウィンドウの外を見つめている。ジャックリーヌ、後ろの扉から登場。ババリアの服装をしている。)
 ジャックリーヌ あら、ダイアナ、まだ着替えていないの?
 ダイアナ(首を廻して、それから立ち上がる。ジャックリーヌを繁々と眺める。)あなたそれ素敵よ。ババリア風ね。
 ジャックリーヌ 気に入って?
 ダイアナ 大好き。よく似合うわ。(観察を続けながら。)もし私だったらその帽子をもう少し阿弥陀に被るわね。ほら、こんな風に。(帽子を直す。)あら、これじゃちょっと駄目ね。待って。いっそのこと帽子がない方がいいんじゃない? (帽子を取る。)あ、駄目。帽子は被らなきゃ。
 ジャックリーヌ 髪が悪いんだわね、きっと。
 ダイアナ そうでもないわ。ただその髪型、ババリア風じゃないから。(ジャックリーヌ、帽子を被る。)それで良く似合うわよ。(服をあちこち引っ張って。)あ、此処。ちょっとおかしいわね。(かがんで洋服を直す。)
(間。)
 ジャックリーヌ ダイアナ、私、あなたにお話があるの。今言っても構わないかしら。
 ダイアナ ええ、勿論いいわよ。(洋服を引っ張って。)あら、此処がほつれてるわ。
 ジャックリーヌ え? 本当?
  ダイアナ 今かがってあげる。
 ジャックリーヌ あそこの籠の中を見て頂戴。針と糸があるわ。(椅子の一つの上に載っている籠を指差す。)
 ダイアナ そう。(籠に進む。)
 ジャックリーヌ でもいいわ。放っておいて。
 ダイアナ(針と糸を取り出しながら。)大丈夫よ。今やっておいた方がいいわ。こういうの、私、好きなの。(糸を針に通しながら。)何か私に話?
 ジャックリーヌ 今日お昼にあなたと中尉さんが話しているのを聞いてしまったの。
 ダイアナ(針に糸が通らず、光の方を向く。)全部? それとも一部だけ?
 ジャックリーヌ あなたが中尉さんを愛していてキットを愛していないっていう所。
 ダイアナ あら。(ジャックリーヌの足元にうずくまる。)ね、私、間違って針を刺しちゃったら、痛いって言ってね。(縫い始める。)話ってその話なの?
 ジャックリーヌ キットのことを愛していないってあの人に言うつもりなのかしらと思って。
 ダイアナ(せっせと縫いながら。)言わないつもりって言ったら?
 ジャックリーヌ そしたら私が言おうかと思って。
 ダイアナ(ちょっとの間のあと。)まあジャックリーヌ、キットのこと、あなたがそんな風に思っているなんて知らなかったわ。
 ジャックリーヌ いいえ、知っているのよ。あなたにはちゃんと分かっているの。もう大分前からそれを楽しんでいたわ、あなた。
 ダイアナ あら、そう。じゃ、とにかく幸運をお祈りするわ。
 ジャックリーヌ それは御親切様。(跳び上がる。)痛っ!
 ダイアナ 御免なさい。刺しちゃった?
 ジャックリーヌ あなた、言うつもり?
 ダイアナ いいえ。
 ジャックリーヌ じゃあ、私が言うわ。
 ダイアナ それはひどく馬鹿げているんじゃない? あの人は信じはしない。不機嫌になる。それに一番たちの悪いことに、あの人あなたに対してカンカンになるわよ。
 ジャックリーヌ(考えて。)そうね。きっとそうね。
 ダイアナ(糸を噛み切って、立ち上がりながら。)出来上がり。どう? これで。
 ジャックリーヌ 有り難う。助かったわ。で、あなたはキットのこと放っておいてくれないのね。
 ダイアナ ねえ、ジャックリーヌ、愛だの恋だの、そんな面倒な話は止めて、只事実だけを話しましょうよ。あなたと私は今、同じ一人の男が欲しいの。
 ジャックリーヌ でもあなたはキットは・・・(欲しくないって・・・)
 ダイアナ 欲しいの。
 ジャックリーヌ じゃあ、中尉さんは?
 ダイアナ も欲しいの。
 ジャックリーヌ まあ。
 ダイアナ そんな酷い顔しちゃ厭だわ。ね、私、あなたとは違うの。あなたは賢いわ。ちゃんとした話し方が出来るし、あなたはいい人なの。
 ジャックリーヌ いい人。酷い言葉。
 ダイアナ いい? 私はいい人じゃないの。賢くもないし、ちゃんとした話し方も出来ない。私にあるのはたった一つのことなの。それがないなんてあなたは言わない、と私思うわ。それは、男の人をボーッとさせる何かの天分なの。
 ジャックリーヌ あら、それはあなたにあるわ。否定するなんてとんでもないわ。
 ダイアナ 有り難う、ジャックリーヌ。否定されるとは思っていなかったわ。ね、分かるでしょう? あなたはいっぱい天分を持ってこの世に生まれてきた。そしてその天分を充分生かしている。私はどう? 天分っていったらたった一つしかないのよ。それを充分生かさなきゃいけないんじゃないかしら。
 ジャックリーヌ あなたが私にあると言ってくれている天分は少なくとも社会的に支持されるものよ。でもあなたのは、社会の秩序を乱すものだわ。
 ダイアナ 社会なんて私はどうでもいいの。私の人生は男の人をボーッとさせること、それしかないの。あなたには確かに分かり難いことかも知れないけど、仕方ないでしょう? あなたは人にいい人だって思われるけど、私はいい人とは決して思われないの。
 ジャックリーヌ もういい人は止めて。私、他の皆から嫌われたって構わない。ただキットに愛されたいの。
 ダイアナ そんな。いい人って思われて、それに愛される。両方なんて無理よ。キットはあなたのことをいい人だなあって思っているんだから・・・
 ジャックリーヌ(突然怒って。)いい人なんて思われたくない! ボーッとなって貰いたいの。
 ダイアナ 本当は私の方があなたのことを羨ましい筈なのよ。みんなと友達でいられるって何て楽しいんだろうって思うもの。
 ジャックリーヌ 若しキットにあなたの気持ちを正直に言えば、友達になれる筈よ。
 ダイアナ あら、ジャックリーヌ、私、あなたのこと、知的だって言ってたのに。こんな簡単なことが分からないの。キットは私を軽蔑しているの。私に夢中でなきゃ嫌うしかないの。だから私、放っては置けないの。
 ジャックリーヌ(哀願するように。)分かったわ私、あなたの物の見方。あなたはだから、男の人をボーッとさせなきゃいけないのね。でもそれは中尉さんに、中尉さんだけにして置いて下さらない?
 ダイアナ 駄目。私、「数は多い方が安全」っていう主義なの。
 ジャックリーヌ 明日はヘイブルック卿っていう人が来るでしょう? その人と中尉さんはいいってことにしても駄目?
 ダイアナ 駄目。私、他のことなら何でもあなたにして上げられる。でもキットが欲しいのなら正々堂々の戦いで勝ち取らなきゃいけないわ。
 ジャックリーヌ(涙声になる。)でもあなたが相手じゃそのチャンスはないわ、百に一つも。
 ダイアナ ええ。私も正直に言えばそうだと思っている。
 ジャックリーヌ 何かあなたがへまをやればいいのね。あなたのそういう考えがキットに分かってしまうへま。
 ダイアナ(威厳を持って。)私はへまはしないの。あなたは今日、キットとカジノへ行くんでしょう?
 ジャックリーヌ ええ、でもあの人荒れているわ。だってあなたが中尉さんと一緒に行くでしょう? だから。今日はあの人、私に当たり散らすわ。
 ダイアナ それは大丈夫。私行かないの。その気にならないの、なんだか。
 ジャックリーヌ え? そのこともう中尉さんには話したの?
 ダイアナ ええ。真っ赤になって怒ったわ、あの坊やちゃん。でもいい薬よ、あの人に取っては。
 ジャックリーヌ(間の後。)あなた自覚してるの? 随分な面倒を引き起こしているのよ、あなたのせいで。今日、あなたのことで喧嘩があったの知ってる?
 ダイアナ 知ってるわ。アランもその中にいたんですってね。それはいいことだわ。
(ジャックリーヌ驚く。ダイアナ微笑む。キットの声が舞台裏から「ジャック、何処にいるんだ。」と、聞こえる。ジャックリーヌ、急に脅えた顔になり、ダイアナの方を向く。)
 ジャックリーヌ キットはあなたが今夜行かないって知ってるの?
(キット、後ろの扉から登場。腰から下はギリシャ、エヴゾーンのフリルスカートで覆われている。スカートの下は普通のソックス。靴下止めで止められている。上はクリケットシャツにネクタイ。腕にはチューニックを抱えている。)
 キット ジャック、こんなもの着て行けっこないよ。ひどい服だ。
(ダイアナ、ゲラゲラっと笑う。)
 ダイアナ キット、可愛いわよ。鏡で見てみた?
 キット うるさい。黙れ。
 ジャックリーヌ ちょっとはきついかも知れないって言ったでしょう。
 キット だけど、これはきつ過ぎだよ。君の兄さんてピグミーじゃないか。
 ジャックリーヌ そのシャツを脱いで着てみて。
 キット ジャック、僕が行かなかったら、ひどく詰まらない? ちょっと酔っぱらいの女ダンサーのような恰好で外へ出たくないんだがな。
(ダイアナ、又ゲラゲラと笑う。)
 ジャックリーヌ 馬鹿なこと言わないで。よく似合って素敵じゃないの。
 キット 正直言って、どうも行きたい気持ちにならないな。ね、いいだろ?
 ジャックリーヌ よくない。ひどくよくないわ。
 キット アランも行かないんだ。アランが行かないんじゃ、僕はちょっと・・・ケネスに訊いたら、ケネスは喜んで君と行くって言ってたよ。(ダイアナの方を向いて、無造作に。)ダイアナ、君、行かないんだってね。
 ダイアナ ええ、行かないの。あなたと同じ。ちょっと気が向かなくて。
 キット(ダイアナに。)ねえ、今夜は通りでもダンスはやるんだ。遅くになって他の奴らを蒔(ま)いて、二人で出ないか。外のどんちゃん騒ぎに加わるんだ。どうだい?
 ダイアナ あら、それはいい考えだわ、キット。
 キット(ジャックリーヌの方を向いて。)悪いけどね、ジャック、正直言ってどうも・・・
 ジャックリーヌ いいわよ。私、ケネスと行くから。ケネスと楽しく過ごしてくるわ。
(さっと後ろの扉から退場。)
 キット ジャックは何か変だな。本当に僕と行きたかったのかな。
 ダイアナ 私に分かる訳ないでしょ。
 キット 今夜こっそり出て行くことだけどね、ダイアナ。どうしても中尉殿は蒔いてしまわないと駄目だぜ。ばれたら言い訳のしようがないよ。
 ダイアナ あの人を蒔くって難しいわよ。鳥もちみたいにべったりくっついているんだから。でもやってはみるわ。
 キット「あんたなんかうんざり。」って、どうして言えないの?
 ダイアナ(優しく。)そんなこと言うなんてちょっと・・・残酷じゃない?
 キット こういう時のことを言うんだ。残酷にして却って親切って。
 ダイアナ ええ。確かにそうね。でもキット、私残酷っていうのは体が受け付けないの。私、蝸牛を間違って踏みつけても、かわいそうで、一日中塞いじゃうっていうタイプなの。
 キット しかし考えてみろよ、ダイアナ。あいつにずーっと「希望がある」って思わせておくのは気の毒じゃないか。
 ダイアナ かわいそうなビル。ああキット、此処に来てキスして頂戴。そして愛してるって言って。
(ロジャーズ、フレンチウィンドウから登場。)
 キット 勿論、喜んで。(キット、キスする。ダイアナ、ロジャーズに気付いて、押し退けようとする。)愛してるよ。
 ロジャーズ(キットに。)何をやってるんだ!
 キット 当ててみたら。ヒントは三つだそう。
 ロジャーズ こんなことが続くのはもうごめんだ。そろそろそこの坊やに、行儀を教える時期らしい。
 ダイアナ(二人を引き離して。)馬鹿なことを言わないで、ビル。
 ロジャーズ そこを退(ど)くんだ、ダイアナ。
 キット 中尉殿の言う通りにしてくれ、ダイアナ。
 ダイアナ(まだ二人の間に立って。)二人とも常軌を逸しているわ。
(マンゴー、後ろの扉から登場。スコットランド高地の服装。ブライアンとアラン、彼を感嘆の目で見ながら登場。キット、ロジャーズ、ダイアナ、さっと別れる。)
 アラン(感嘆して拍手しながら。)Mais, c'est exquis, Monsieur! Parfait! (先生、こりゃすごい。完璧ですよ。)
 マンゴー N'est-ce pas que c'est beau? Je l'ai choisi moi-meme. Ca me va bien, hein? (たいした衣装だろう? 自分で選んだんだ。よく似合うだろう?)
 アラン C'est tout ce qu'il y a de plus chic. (最高。最高です。)
 ブライアン Vous ne pouvez pas dire la difference entre vous et un reel Highlander. (本物のスコットランド高地人と区別がつかないですよ、先生。)
 マンゴー Mais oui. Ca...c'est un veritable costume ecossais. (そりゃそうさ。なにしろ本物のスコットランドの衣装なんだからな。)
 ダイアナ ホント。素敵だわ。
 マンゴー(ダイアナの前を通って見せて。)Et aussi je connais quelques pas du can-can ecossais. (そう思うかい? そう。それに私はスコットランド本場のダンスステップを知っているんだ。)
 アラン Amusez-vous bien, Monsieur. (楽しんで来て下さい、先生。)
 マンゴー Merci. (有り難う。)
 ブライアン J'espere que vous baiserez beaucoup de dames, Monsieur. (先生、沢山の女の人とベゼしてくるんですよ。)(訳注 ベゼ(baiser)はキスだが普通はそれ以上のことをさす。)
 マンゴー(恐ろしい事を言ったなという、ハッとした表情。)Ha? Qu'est-ce qu'il dit, ce garcon-la? (はあ? この男、何て言った?)
 ブライアン Ai-je dit quelque chose? (何か僕、変なことを言いましたか?)
 マンゴーUne betise, Monsieur. On ne dit jamais baiser---embrasser. Il ne faut pas me donner des idees. (馬鹿な事を言ったんだ、君。ベゼとは決して言わない。アンブラッセと言うんだ。私に変な考えを起こさせないでくれよ。)
(クスクス笑いながら退場。アラン、ブライアン、ダイアナ、フレンチウィンドウに進み、マンゴーが通りに出て行くのを見守る。キットとロジャーズ、気まずそうに立って睨み合う。)
 アラン 驚いたなあ。なんていう恰好だ。
 ダイアナ あら、可愛いじゃない。
(ジャックリーヌ登場。ケネスが続く。ケネス、水兵の服装。)
 ブライアン 親父さん、丁度出て行った所だ、ジャック。今から急げば追いつけるよ。
 ジャックリーヌ そう。(明るく。)じゃあね、皆さん。みんな馬鹿よ、来ないなんて。行ったら楽しいのよ、本当に。
 ケネス(アランに。)アラン、考えを変えて、行きませんか。
 アラン いや、やはり遠慮する。楽しんで来るんだな。
 ケネス アラン・・・
 アラン 僕は一杯やりに行くよ。だれか付き合う奴は?
 ブライアン ああ、いいね。
 ダイアナ 私も。
 アラン と言うことは、僕持ちということか。
 ダイアナ そういうことね。
 アラン 君達二人は?
(ロジャーズとキット、顔を見合せ、首を振る。)
 ロジャーズとキット いや。
(ダイアナ、ブライアン、ケネス、ジャックリーヌ、話しながら退場。)
 アラン そうか、二人でダンスでもするつもりなんだな。
(アラン、他の者達を追って退場。)
 キット さて、これで話が出来る。
 ロジャーズ 話す事はあまりないが。
 キット 僕の方にはある。さっきダイアナから伝言を頼まれた。分かって貰いたいとのことだ。お気持ちは大変有り難い。すまないと思っている、が、彼女のあなたに対する同情の気持ちに、付け入っては困る。この儘では彼女の人生への重荷だ。止めて貰いたい。こうだ。
 ロジャーズ そうか。なかなかいい冗談だ。こっちには冗談じゃなく、真実がある。今日ダイアナが君に言ってくれと頼んだ。勿論丁重を極めて言ってくれと前置きがあったが。以前の君に対する感情はすっかり変わってしまった。今ではこの私を愛している。こうだ。
 キット(呆れて。)よくもまあそんな出鱈目が言えたものだ。彼女がどんなことを貴方に関して言っているか、分かってるんですか。(怒鳴る。)退屈な爺さん。鳥餅みたいにべたべたくっついて来て本当にうんざり。こうだ。
 ロジャーズ フフン、ダイアナが言ったって言うんだな。
 キット そう。もっと酷い事も言っているが、繰り返すのは気の毒だからな。
 ロジャーズ よくもそんな大嘘が言えたもんだ。今の今までお前をかわいそうな奴と思っていた。だがこんな嘘を抜け抜けと言える男なのか、お前は。よし、焼きを入れてやる。構えろ。
 キット(拳を作って、構えて。)望むところだ。
(二人、立ち上がって構え、睨み合う。間。突然ロジャーズ、吹き出す。)
 ロジャーズ(胸を膝にくっつけるまで、体を折り曲げてゲラゲラ笑う。笑いながら椅子に座る。)全く傑作だよ、君のその恰好は。
 キット(自分の足を見下して、こちらもゲラゲラ笑い出す。)ちょっと普通じゃないな。
 ロジャーズ かわいい妖精の女王様が泥んこになってるっていう姿だ。
 キット 着替えて来る。
 ロジャーズ(真面目になって。)いや、行かないで。着替えたらおっぱじめなきゃならない。君がその恰好でいる限り、私は殴り合う気にならない。つまり君がそのアホな衣装を着ている限り、我々はアホにならないですむって言う事さ。
 キット へえ、これは驚いた。恐ろしく気が利いた台詞じゃないか。
 ロジャーズ そうだろう? 私は君達お若いのが考えているようなどうしようもない馬鹿じゃない。実際、筋道をたてて、物を考える事ぐらい出来る男なんだ。今のこの件だって落ち着いて君と議論する余裕はある。で、この事だが、君は私に恨みがある。
 キット 恨みなどない・・・落ち着いて議論しても。
 ロジャーズ いや、ある。落ち着いて議論すれば。君の恋人を君から引き離したんだからな、私が。
 キット(微笑んで。)そんな事を貴方は何もしていない。
 ロジャーズ(片手を上げて。)いや、ちょっと最後まで聞いてくれ。私はその点に関しては、総て私の責任とは言えない所もあるんだが、全面的にすまないと思っているんだ。此処で詫びを入れる私の心持ちを汲んで、許して欲しいのだが・・・
 キット(信じられないといった面持ち。)貴方は本当にダイアナが貴方を愛していると思っているんですか。
 ロジャーズ 勿論。
 キット そう思ってもいい理由が何かあるんですか。
 ロジャーズ 彼女がそう言ったんだ、私に。
 キット(笑って。)まさか、そんな馬鹿な。
 ロジャーズ 落ち着いて議論する事にしたんじゃなかったのか。
 キット それはそういう約束です。でもこんな華々しい冒頭陳述から始められると、つい・・・
 ロジャーズ という事はつまり、「彼女がそう言った。」という話が嘘だ、と言いたいのか。
 キット その通り。
 ロジャーズ(ぱっと立って。)よし分かった。立て。スカートでもズボンでも何でも構わん。
 キット ちょっと待って。この瞬間にこそ理性の最後の声を聞かなくっちゃ。でないと、動物的感情に身を任せる事になる。まず落ち着いてこちらの話を。
 ロジャーズ(座って。)そうか。分かった。
 キット 丁度今、ダイアナと話した所です。貴方が彼女に夢中だ、という話。で、僕は彼女に言った。中尉殿が現在立っている位置を、正確に知らせるのが、公明正大なやり方じゃないのか。つまり、彼女は僕を愛していて、中尉殿には全くチャンスはないんだと話すべきだ、と。彼女の答えは、「それは貴方の言っている通りだけど・・・」
 ロジャーズ そんな事は言ってはいない筈だ。
 キット(片手を上げて。)最後まで最後まで。(続けて。)「それは貴方の言っている通りだけど、そんな事は言えないわ。だって残酷じゃない。」
(ロジャーズ、ぎくりとする。)
 キット で、僕は言いました。なかなか上手い言い方だったと思うんです。つまり、「これは残酷にして、却って親切っていうケースじゃないか」ってね。
 ロジャーズ 君が、何て言ったって?
 キット 残酷にして却って親切。
 ロジャーズ で、彼女は何と?
 キット 私、残酷っていうのは体が受け付けないの。蝸牛を間違って踏みつけても、かわいそうで一日中塞いじゃう。
 ロジャーズ ええっ? 本当にそう言ったのか。
 キット そうですけど。
 ロジャーズ 蝸牛を間違って踏みつけても、かわいそうで一日中塞ぎ込む?
 キット そう。
 ロジャーズ(深い感慨を持って。)ホホウ。成程。
 キット どうかしましたか。
 ロジャーズ これは酷い。(立ち上がって、歩き回る。)信じられない。とても信じられない。これは怪物的な謀略だ。(ぐるっと廻ってキットを見て。)待てよ。君、お昼の、私とダイアナの会話を盗み聞きしてたんじゃないか。
 キット どうしてそんな事を。
 ロジャーズ 私も言ったんだ。残酷にして却って親切って。すると君への答えの通りの返事だった。
 キット(間の後。)蝸牛の話?
 ロジャーズ そう。蝸牛の話。
 キット と言うことは、つまり二股かけていたって訳か。いや、それは酷すぎる。今のは作り話でしょう?
 ロジャーズ いや、作り話であって欲しいよ。
 キット そちらの話が嘘じゃないって事、どうしたら分かるだろう。
 ロジャーズ 私の言葉を信じればいい。
 キット 信じる気にならない。
 ロジャーズ 殴り合えば信じる気になるか。
 キット 殴り合えばね。
(間。)
 ロジャーズ あーあ、殴り合う気になんかならないな。
 キット(突然どっかと座って。)あー。理性がない方がよっぽど幸せだなあ。何故なんだ。
 ロジャーズ それはそうさ。理性を働かせると、ひどく自分の自尊心を傷つけてしまうからなあ。
 キット 理性を働かせると、ダイアナは二股膏薬って言う事になる。
(ロジャーズ、半分椅子から立ち上がる。)
 キット 理性! 理性!
(ロジャーズ、収まる。)
 ロジャーズ 確かにそうだ。いやな現実でも直視しなけりゃならん。ダイアナは二人の内どちらも愛してはいない。ただ二人をからかっただけだ。
 キット 僕には分からない。どちらも愛していないっていうのは、違うかもしれない。ひょっとして一方には嘘を、一方には真実を・・・
 ロジャーズ それは君の理性が語っている事かな?
 キット 違う・・・なあ。
(間。二人とも陰気になる。)
 キット 何だか吐き気がして来た。
 ロジャーズ 君より私の方が胃が丈夫なんだな。
(間。)
 ロジャーズ 君の方が私よりもっとダイアナを愛していたんだ。きっとそうだよ。
 キット 愛していた? 今でも愛しているんだ。畜生!
 ロジャーズ 正気に返った今となっては愛すなんて出来ないんじゃないか?
 キット そんなの何の関係もありはしない。僕はあいつの顔に惚れている。あの歩き方に惚れている。あの声に、あの姿、形に、惚れているんだ。そのどれ一つとったって、何も変わってはいない。
 ロジャーズ(同情をもって。)かわいそうに。それなら、私の方が事は簡単か。ショックはこっちの方が大きいだろうが。なにしろ、私が惚れていたのは、彼女の気立てだからな。
(間。)
 キット よくあれとキスをしたんでしょうね。
 ロジャーズ(悲しそうに。)それは、もう。
 キット まさか、あの・・・あれは・・・
 ロジャーズ(強く。)私は彼女の気立てを愛したんだ。(間の後。)で、君は?
 キット ない。その関係は。
 ロジャーズ そうか。
(間。)
 キット これからどうしよう。
 ロジャーズ 彼女と対決するんだ。二人であっさりと訊いてみよう。我々の内どちらに惚れているのかって。
 キット 若し僕の方だと言ったら、僕はまた元の木阿弥だ。
 ロジャーズ まさか信じるつもりじゃないんだろう?
 キット 嘘だって事は分かりきっている。しかしやはり信じるだろうな。
 ロジャーズ じゃあ、俺に惚れてるって言ったら?
 キット それだけが頼りだなあ。
 ロジャーズ じゃあ、君の為に、彼女が俺の方だって言ってくれる事を望むよ。
 キット そいつは有り難いや、ビル。もうビルで、それにぞんざいな言葉でいいだろ、ビル。
 ロジャーズ 勿論だ、キット。
(間。)
 ロジャーズ 今やりたい事、それは出て行って、ぐでんぐでんに酔っぱらって、帰って来る事だね。
 キット それとも海に出かけて行って、二人とも溺れて土左衛門になっちゃうか。
 ロジャーズ それよりは俺の考えの方がましじゃないか。
 キット うん、それもそうか。じゃ、行こう。
 ロジャーズ だけど君、その恰好じゃどうかね。
 キット じゃあ、カジノの方へ繰り出すか。
 ロジャーズ 着るものが何もないんだ。
 キット(チューニックを差し出して。)それの上からこれを引っ掛けたらいい。
 ロジャーズ そりゃいい。ちょっと着せてくれ。
(アランとブライアン、登場。キットがチューニックのボタンをとめてやっている。アラン、ブライアン、呆れて立ち止まる。)
 アラン 何だ、これは。
 キット(興奮気味。)ビルと僕はカジノに繰り出すんだ。アラン、君も来いよ。
 アラン ビルと君? 何だ、これは。何かかつごうっていうんだな。
 キット 早く着替えて来いよ。ブライアン、君もだ。
 ブライアン いや、俺は駄目だ。俺はパスしとく。
 キット 早くしろよ、アラン。ダイアナが帰って来るまでには家を出ていたいんだ。ところであいつ、何処へ行ったんだ。
 ロジャーズ 何処に行こうと知った事じゃないよ。
(キット、笑う。)
 アラン(頭をかきながら。)どうなっているんだ一体、これは。大体僕を誘うとはな、君と中尉殿が。
 キット もう中尉殿は止めなんだ、アラン。こいつはビルなんだ。
 アラン こいつ? ビル?
 キット そう、ビルだ。こいつはいい奴だ。世界でも稀に見るいい奴だ。
 ロジャーズ ぐでんぐでんに酔っぱらいに行くんだ。なあキット。
 アラン キット?
 キット 底が抜けるくらいな。なあビル。
 アラン(後ろの扉へ突進しながら。)待ってろ。すぐ着替えて来る。
(アラン退場。)
 ブライアン パーティーみたいになってきたな。
 キット なあブライアン、君のチチはどうやったら見つかるんだ。今日カジノへ行くのか、チチは。
 ブライアン 行く、行く。
 キット どうやったらチチって分かるんだ。
 ブライアン 見逃す筈はないよ。いやとにかくあっちの方が見逃す筈がないよ。少なくとも一人でバーへ入りさえすれば。
 キット 恰好いいのか?
 ブライアン 俺は好きだね。ただ俺は水準が低いからな。横から見るとエス字型なんだ。分かるな、俺の言っている意味。
(アラン、下りて来る。ドイツ風のコートを着ている。)
 アラン こいつを着てると今日はリンチだな。
 キット よし行こう。出発だ。
(フレンチウィンドウに進む。キット、ロジャーズの肩に手を廻して。)
 ブライアン おい、ちょっと待てよ。ダイアナには何て言ったらいいんだ。
(三人、立ち止まる。)
 ロジャーズ 残酷にして却って親切。こいつを実行中、って言ってくれ。
 キット それから、蝸牛を踏みつけないよう、くれぐれも御用心、ってね。
 アラン お前なんかうんざりだって言うんだな。そしたらあいつ絶対間違えっこないよ。
(三人退場。ブライアン、呆れて三人を見つめる。)                    (幕)
     第 三 幕
     第 一 場
(場 同じ。)
(時刻 二、三時間後。)
(幕が開くと、アランはソファに、キットは肘掛椅子に、ロジャーズはソファの端の床に寝そべっている。三人共カジノへ出かけた時の服装。シガーをふかしている。ロジャーズは半分ねている。)
 キット(眠そうな声。)僕は賛成しない。全く賛成しないね。女はいいとか悪いとかの基準では判断できないんだ。
 アラン 女には基準ってものがないんだ。だから判断なんてもともと出来やしないんだ。
 キット だいたい判断しようっていうのが間違いなんだ。女っていうのはただ其処に存在する。何の理由もなくただ其処にいるんだ。だけどその理由なくいるという事、その事が存在理由なんだ。そういう風に作られているんだ。だからその儘受け入れるか、受け入れないか、そのどちらかなのさ。僕は受け入れるね。
 ロジャーズ(夢見心地で呟く。)俺はアイスクリームを受入れたいね。
 キット ダイアナは結局浮気女なんだって言ったな、アラン。それはそれでいい。個人的には僕は浮気女が好きだっていう事だよ。
 アラン だけど、好きな儘にしておいて、愛さないでいたらどうなんだ。愛ってのは純化されたセックスに過ぎないんだろ。
 ロジャーズ(少し体を持ち上げ。)変な話だな。俺の友達でフロイドっていう奴がいて丁度それと同じ事を言っていたよ。あれは、あいつと最後に会った時だった。「なあ、ビル、俺は嘘は言わん。愛なんてのは、単に純化されたセックスなんだ。」(また眠りの体勢に入りながら。)フロイドの奴が言った通りの言葉だ、これが。
 アラン どうやらビルは彼のよく言う、「半分海心地」の状態だな。
 キット 酔っぱらって寝られるなんて全く幸せだよ。こっちはあの汚いカジノで、飲めば飲むほど目が冴えてくる。しようがない話さ。純化されたセックスなんて言ってたが何が言いたかったんだ。
 アラン ダイアナに対して抱いている気持ちが若しあれなら、純化させることなんかないじゃないか。(そうだろって言おうとしていたのさ。)
 キット ああ、そりゃね、ダイアナがそれを感じさせない程頭がいいって事だよ。
 アラン あの所謂道徳って奴が非合法になったら、ことは随分楽になるんだがな。そうすれば何でも、やりたいか、やりたくないか、で、済んじゃう。
(ロジャーズの頭、椅子の足元に落ちる。)
 アラン「やりたいけど、やっちゃいけない事だから。」なんて逃げ口上は許されない。大体この言葉が総てのごたごたの原因なんだ。ああ、中尉殿は完全にお休み遊ばされたか。なあ、キット、(勢いよく。)僕は彼が好きだ。人物が分かってくると、なんていい奴なんだ。驚く程だよ。
(ロジャーズの顔に微笑が浮かぶ。)
 キット 分かるよ。
 アラン ダイアナが居なかったら、どうなって居たと思う? 僕たちは中尉殿を好きになるなんて永久になかったんだぜ。
 キット それはそうだ。その点は彼女に感謝しなきゃな。
 アラン どうして今日の夜までは彼をあんなに嫌っていたのかな。
 ロジャーズ(水平の姿勢の儘。)答は私が言おう。
 アラン え? 眠りこけていると思っていた。
 ロジャーズ 海軍の将校は決して眠りこけない。
 アラン 軽いアル中の状態でただ床の上に横たわるだけ、そういうこと?
 ロジャーズ その通り。
(アラン、ロジャーズを助けて、座る姿勢に直してやる。)
 ロジャーズ 君達は私が此処へ来る前から私を嫌う決心をしていた。ダイアナだけだった、そう決めていなかったのは。だからもう着いた瞬間から時代遅れの石頭として扱ったんだ。こんな不愉快なオタンコナスばかり揃っている所はこれが初めてだったな。
 アラン どうせ石頭のコチンコチンだろうと決めていたんだ、確かに。
 ロジャーズ そりゃ、コチンコチンだと思ったろうな。こっちはそんな馬鹿と思われたくないもんだから、却って体中を固くして全くがんじ搦めだったんだから。船で陸上の休暇を貰うといったってせいぜいが一回に二、三日。そんな生活を続けていて、さて長期の陸上滞在になってみれば、フランス語を話す変な奴ばかりで、時には英語を喋るといったって、その英語っていうのが、フランス語に負けず劣らず難解ときている。こっちの方が頭がおかしいのかと疑ったくらいだ。コチンコチンになるのは当たり前だよ。
 アラン それは悪かった。本当に。
 ロジャーズ 実は君達のことは気に入っていたんだ。
 アラン それなら少しは助かった気がするな。
 ロジャーズ 君達の意見には大抵は賛成出来なかった。だけど議論を聴くのは面白かった。だから議論に加わりたかったんだが・・・そのチャンスは与えないっていうやり方だ。大体海軍の人間に脈絡の長い話なんか到底できっこないと、皆思っていたんだ。ウィスキーで口をなめらかにしようとしたって、とても出来ない相談だったな。
 アラン しかしなかなか攻撃的な議論には思えたけど。
 ロジャーズ 攻撃じゃない。防御一方だよ。仕掛けて来たのは何時もそちらだ。
 アラン(すまなさそうに。)いや、悪かった。
 ロジャーズ いいんだ。それどころか私にはいい薬になった。軍隊なんかにいると、殻に閉じ籠(こも)ってしまうからな。ついつい忘れてしまうんだ、世の中には自分と違った考えの人間がいるって事をね。外交官だってその点じゃ同じじゃないか?
 アラン そう。それが辞めたい理由の一つだよ。
 ロジャーズ それについて、一つ君に忠告していいかな。その機会がないかと何時も狙っていたんだが。もしそんなことをしたら、頭を食い千切られるんじゃないかと、心配していたんだ。
 アラン 忠告? どうぞ。
 ロジャーズ うん。辞めたらいいんだ。さっさと辞めて、作家になるんだ。
(アラン、驚いてロジャーズを見る。シガーの煙を大きく吐き出す。)
 アラン イギリスに明日帰るつもりにはしているんだが・・・ただ・・・(言い澱む。)
 ロジャーズ ただ・・・何だい?
 アラン 作家になれるかどうか、これが一つだな。
 ロジャーズ なれないなんて君なら十に一つもないな。可能性のことで辞めたりして貰いたくない。とにかく私は、君がやりたいと言っている事を支持したいんだ。
 アラン 可能性が本当の理由じゃない。
 ロジャーズ それだけの腹がないっていう事かな。
 アラン 僕の言い方だと少し違うが、まあそういった所だろう。僕はどうもはっきりした目的に向かって邁進するっていうタイプじゃないんだ。勿論親父は怖い。しかしそれだけじゃない。外交官になるよりはっていう職業が十以上はある。現在っていう時代は興味津々の時代だ。時には兵隊を志願して何処かで戦って来ようと思う事もある。捜せば戦争は何処かにあるんだろう?
 ロジャーズ 平和主義者じゃなかったのか?
 アラン 関係ないよ。平和主義者で外交官になろうっていうんだから。
 ロジャーズ さぞかし、いい兵隊さんになるだろうな。
 アラン これでも適応性はあるんだ。
 ロジャーズ(立ち上がって、欠伸をしながら。)さてと、やりがいのある忠告はしたし、と。本物の酔っぱらいの睡眠に移るとするか。
 アラン まだ行っちゃ駄目だな。ダイアナが来るのを待たなきゃ。
 ロジャーズ(大仰なジェスチャーで。)ダイアナ・・・ハハーン。
 アラン「ダイアナ・・・ハハーン」と言うのは簡単だけど、この膝がくがくの、骨抜きの、ナメクジ男は、未だにダイアナが頭から離れないんだ。
 キット(ボーっと考え事をしていたが。)僕のことを言っているのか。
 アラン ダイアナがちょっと小指を上げさえすれば、彼女のもとへ突進だ。それも「御免。僕が悪かった」って言いながらね。
 ロジャーズ じゃあ、小指を上げさせないよう、工夫しなきゃいかんな。
 アラン そう。だから、此処で我々は彼女と対決しなきゃならん。
 ロジャーズ(どっかと座って。)共同戦線をはる訳だ。水柱の立つ不命中弾で彼女を沈没させるか。
 アラン いや、まずいよ。それはやめとこう。
 キット(陰鬱に。)「やっぱり愛しているわ。」の一言でどうせ振り出しに戻っちゃうな。
 アラン なあ、キット。お前とビルとどちらを選ぶかって事になれば、それはお前をとることになる。ビルより若いし、ハンサムだし、金持ちだし。そうだろ? ビル。
 ロジャーズ それは私より若いし、私より金持ちではあるな。
 アラン(キットに。)毅然としなきゃ駄目だ。強くならなきゃ。少しでも弱みを見せたら、男じゃないぞ。
 ロジャーズ そうだ。此処のところはひとつ腹を据えてかからなきゃな。
 キット 喋るだけなら簡単だよ。だいたい分かってないんだ。いったん彼女が・・・
 アラン 彼女の攻撃を一箇月間僕がかわし続けて来たことは認めるだろう?
 キット あんなのは彼女にとってはほんの前哨戦に過ぎないよ。彼女の総力攻撃を受け止めるってことがどういうことか、想像もつかない筈だ。そりゃもう、絶望さ。助けてくれるのは有り難いが、直接攻撃をまともに食らったらもうそれで終わりだ。僕にはよく分かっている。
 アラン 中尉殿、お聴きになりましたか。これでは敵に後ろを見せたかどで軍法会議にかける必要ありと認めますが、如何でしょうか。
 ロジャーズ 軍法会議は被告を有罪と認める。(威厳をもって立ち上がり。)ネイラン君、私は君に男を廃業してズボンを脱いで貰う事を要求する。ええっ? ズボンを穿いて出廷しなかった? いたし方ない。ではそのスカートを脱いで貰おう。
 キット 取れるものなら取ってみろ。
 ロジャーズ 一晩中それが目障りで仕方が無かったんだ。ようし、脱がしてやる。いくぞ、アラン。
(キット、椅子から跳び上がり、部屋を横切って走る。ロジャーズとアラン、追い掛ける。追い詰められて、小競り合い。ダイアナ、品位ある悲しい顔でフレンチウィンドウから登場。扉のところで五秒ほど立つ。ロジャーズ、気付く。)
 ロジャーズ あっ。(他の二人の肩を叩く。三人、立ち止まる。)
(気まずい沈黙。)
 ダイアナ(部屋に入りながら。)皆さん、カジノは如何でしたか。楽しかったでしょうね。
 ロジャーズ(他の二人を見ながら。)ええ、まあ。有り難う。
 ダイアナ ブライアンから聞きましたわ、皆さんの伝言。でもよく意味が分かりませんの。今説明して戴きたいわ。
(間。アランが、まずキットを、次にロジャーズを見る。ロジャーズ、アランに、「言ってくれ」と頼む様子。)
 アラン さてと、誰が艦砲射撃の火蓋を切るのかな。
(答なし。)
 アラン さあ、どうなんだ。
(答なし。)
 アラン よろしい。諸君に代わって僕が君達の敵と相対しよう。ダイアナ、此処にいる二人は愛情を君に弄(もてあそ)ばれたと思っている。キットには、キットを愛していてロジャーズにはうんざりだ。ロジャーズには、ロジャーズを愛していてキットにはうんざりだ、と、君は言っている。だから二人とも確かな事が知りたいんだ。この二人の内どちらを愛していてどちらにうんざりしているかを。
 ロジャーズ(強く頷きながら。)そうそう。そうなんだ。
 ダイアナ(軽蔑を籠めて。)あら、そうなの。
 アラン 彼らの質問に答えてくれるかい?
 ダイアナ 勿論答えないわ。私が誰を愛していて、誰を愛していないか、それは私自身の問題でしょう? こんな侮辱って聞いた事がないわ。
 アラン(ロジャーズとキットを向いて、クスクス笑いながら。)侮辱? これはいいや。これは最高だ。いやあ、これはたいしたもんだ。
 ダイアナ(怒りを抑えて。)さあ、もう私、部屋に帰ってもいいわね。
 アラン(通せんぼをして。)この質問に答えるまでは駄目だ。
 ダイアナ 通して下さった方がいいんじゃないかと思うけど。
 アラン 単純明解な質問に対して、単純明解な答が出るまでは駄目だね。
(間。ダイアナ、ついに一歩退く。)
 ダイアナ いいわ。私が愛しているのは誰か知りたいのね。では言いましょう。(アランに。)あなたを愛しているの。
(アラン怯む。深い沈黙。ダイアナ、アランを通り抜けようとする。アラン、ダイアナの手首を掴む。)
 ダイアナ お休みなさい!
(アラン、手を離し、二、三歩退く。びっこをひきながら進み、椅子にくずおれる。)
(ダイアナ退場。)
 ロジャーズ(頭を掻きむしる。)我々がやった事は、これは、成功だったのか? 誰か教えてくれないかな。
 アラン(苦々しく。)成功? (唸る。)なんていう奴だ! なんたる女だ。
 キット(陰鬱に。)僕に関する限り、成功だった。
(間。)
 アラン 僕は恐ろしい。僕は本当に恐ろしい。
 ロジャーズ 何だって?(厳しく。)アラン。君からそんな言葉を聞くとは思ってもいなかったぞ。
 アラン しかたがない。本当なんだから。僕は駄目になりそうだ。ああ、僕には分かる。僕は駄目になるぞ。
 ロジャーズ 君は毅然としなきゃ。強くなくちゃ。我々は共同戦線を張るんだ。
 アラン 君達二人、僕に約束してくれ。僕をダイアナと二人だけにしないようにしてくれ。お願いだ。
 ロジャーズ 卑怯の最たるものに思えるがな。
 アラン 卑怯なんて糞食らえだ。僕がどんな危険に陥っているか考えてもみてくれ。あいつと二人だけで一分間でもいてみろ。何が起こるか考えただけでぞっとする。あいつは、あいつは(囁き声で。)この僕と結婚もしかねないぞ。
 ロジャーズ それはないだろう。
 アラン 本当なんだ。どうしよう。簡単に結婚にまで追いこまれてしまうぞ。(他の二人に頼むように。)なあ分かるだろう。頼む。放っておかないでくれ。一秒たりとも、僕から目を離さないでくれ。僕が膝をついて君達に、「頼む、ダイアナと二人きりにしてくれ。」と拝んでも、決して許さないでくれ。約束してくれるか。
 ロジャーズ 分かった。約束する。
 アラン キット、君にも頼む。
 キット(頷く。)分かった。
 アラン 有り難う。試験まであと三週間しかないが、その間、此処であいつと顔をあわせて暮らすとなれば、それは猛烈に長い時間だ。
 ロジャーズ 明日来ることになっている、ヘイブルック卿が唯一の救いだな。ダイアナだって、もう既に貴族でいる男と将来貴族になるかもしれない男とどっちが価値があるかは、分かっているだろうからな。(立ち上がる。)まあしっかりやるんだな。(扉のところで。)明日の朝食には君の部屋に迎えに行く。それまで下りないことだな。お休み、キット。(退場。)
 アラン ビルは真の友だ。君にも同様の自己犠牲を頼むよ。
 キット 何故そんな大騒ぎをするんだ。僕には見当もつかないね。幸せ一杯というところじゃないか。
 アラン 幸せ?(皮肉に。)すると君はこの数週間、さぞかし幸せだったという事になるがね。
 キット ある点では幸せだったな。
 アラン その点は僕の点じゃないな。畜生! 僕はもともと理想とか主義とかで生きる男なんだ。ロマンチストなんだ。僕が主義として惚れなきゃならない女性像を言ってみようか。それはダイアナとは似ても似つかないってことはすぐ分かる筈だ。まず第一に、浮気女じゃないってことだ。
 キット(無関心に、肩を竦めて。)うん、まあね。
 アラン 第二に、あらゆる主題に関して自由に、また知的に、僕と会話出来ること。政治でも、哲学でも、宗教でも。第三に、あらゆる男性的美徳の持ち主であり、決して女性的悪徳の、持ち主であってはならないこと。第四に、僕に誠実であることが可能な程度に不美人であり、かつ、僕に情欲を喚起するに足るだけ充分な魅力があること。第五に、僕に惚れていること。まあこれだけの条件だが。
 キット 条件としてはたいして厳しくもないな。確かにダイアナがその条件に合っているとは言えない。しかし君の描くその理想の女ってこの世にいるとでも思っているのか。
 アラン いる。第一、この家にいるんだ。今の条件を満たす人物がね。但し、第五条件を除いてだが。
 キット(座り直して。)ええっ? まさかジャックのことを言っているんじゃないだろう?
 アラン どうしてジャックじゃ駄目なんだ。
 キット だけど、ジャックに惚れる訳にはいかないだろう。
 アラン 僕は惚れちゃいない。だけど彼女はまさに僕が惚れるべき女なんだ。
 キット(微笑んで。)ジャックに・・・惚れる。惚れるってのはジャックとは結びつかないよ。僕はあいつのこと、恐ろしく好きだけどね。どうもその・・・何故か分からないが・・・あいつとキスしたり、やったりっていうのは考えられないよ。
 アラン たまには試してみたらいいんだ。
 キット 誰が? 僕がかい? 駄目駄目、駄目だよ。
 アラン 魅力はあるじゃないか。
 キット そりゃある。ある点で確かに、非常に魅力的だ。だけどあいつを相手に・・・いないいないバアを、改めてやり直すなんて・・・無理だ。それには知り過ぎてしまったよ。いまさらやったって吹き出されてしまう。それが落ちだよ。
 アラン フフーン。吹き出す・・・ねえ。(キットの方を向いて。)キット、お前は馬鹿だよ。ジャックはこれでもう二箇月も、お前にぞっこん惚れているんだ。
 キット(間の後、馬鹿なことを言うな、といった調子で。)はっ、はっ。
 アラン よーし、「はっ、はっ。」でいいだろう。信じないで、今言ったことは忘れてくれ。ジャックに約束したんだ。君には決して言わないからって。
(間。)
 キット カジノで何抔飲んだ。
 アラン 君よりは少ない。
 キット 素面なんだな、全くの。
 アラン 素面も素面。微積の問題が解けるくらい。
(訳注 原文は As ten Lady Astors. この意味不明。「微積の問題が解けるくらい」は、仕方無しの訳。)
(外で話声が聞こえる。)
 キット(はっとして立ち上がる。)あ、いかん。
(マンゴー登場。後ろからジャックリーヌ、ケネス。)
 マンゴー Aha! Le Grec et l'Allemand. Vous vous etes bien amusees au Casino? (ははーん。ギリシャとドイツか。カジノではどうだった?)
 ジャックリーヌ あら、キット。
 アラン Tres bien, Monsieur. Et vous? (楽しかったです、先生。先生の方は如何でしたか。)
(キット、口を大きく開け、息を飲み、ジャックリーヌを見つめる。)
 マンゴー Ah! Oui! C'etait assez gai, mais on y a mange excessivement mal, et le champagne etait tres mauvais et m'a coute les yeux de la tete. Quand meme le quatorze ne vient qu'une fois par an. Alors je vais me coucher. Bonsoir, bonne nuit et dormez bien. (うん、楽しかった。まあまあな。だけど食い物は不味いし、シャンパンは目の玉の飛び出る程高いし・・・まあ仕様がない。一年に一回しか来ないんだからな、パリ祭は。さてと、寝るとするか。では諸君、お休み。よく眠って。また明日だ。)
全員 Bonsoir. (お休みなさい。)
(マンゴー、後ろの扉から退場。これより前にスリッパに履き替えているので、スコットランド高地の靴は手に持って退場する。)
 ジャックリーヌ 何故貴方方、あんなに早く帰っちゃったの?
 キット(喘ぎながら。)さあ、どうしてだろう。
 ジャックリーヌ 貴方の衣装のこと、皆が噂していたわ、キット。あれ何の意味かしらって。皆私に訊くんだから。
 キット(落ち着かず。)あ、そう。
 アラン 楽しかったかい、ケネス。
 ケネス まあまあです。もうお休みなさいを言わなくちゃ。感想文の宿題、明日朝が締切なんです。
 ジャックリーヌ じゃあね、ケネス。有り難う、今夜のこと。
 ケネス お休みなさい。
(ケネス、後ろの扉から退場。むっつりした儘。)
 アラン ケネスがあんな調子じゃあ、さぞかし楽しい夜だったろうな。
 ジャックリーヌ ケネスはどうしたの? 一晩中、ああだったのよ。
 アラン 感想文を僕が手伝ってやらなかったんだ。行って仲直りして来なきゃいかんな、これは。(扉のところで。)まだちょっと寝ないでね、ジャック。話があるんだ。二、三分したら戻って来るから。
(アラン退場。間。キット、ひどくばつが悪そう。)
 キット ジャック?
 ジャックリーヌ ええ、何? キット。
 キット 面白かった? カジノは?
 ジャックリーヌ(不審の面持ち。)ええ、有り難う。
 キット それはよかった。ええーと、君を連れて行かなくて御免。
 ジャックリーヌ いいのよ。(微笑んで。)あの女の人、ブライアンのあれね。貴方とアランが踊っていた。どうだった? あの人。
 キット ひどいもんだよ。
(間。)
 キット ねえ、ジャック。
 ジャックリーヌ 何?
 キット いや、何でもないんだ。(立ち上がって、何ということもなく、部屋を歩き回る。)帰って来た時、雨降ってた?
 ジャックリーヌ いいえ、降ってなかったわ。
 キット 僕等が帰って来た時は降ってたんだ。
 ジャックリーヌ あら、そう。
(間。)
 キット うん、かなりひどくね。
 ジャックリーヌ じゃ、それから晴れたのよ。
(間。キットはマッチの箱をいじくりまわしている。)
 キット(急に決心して振り向いて。)ジャック、僕は君に言わなきゃ・・・(振り向く時にマッチをバラ蒔いて仕舞う。)あ、畜生。こぼしちゃった。
 ジャックリーヌ あなたみたいなぶきっちょのアンポンタンは見たことないわね、キット。(両膝をついて拾う。)私ずっとあなたの後を追っ掛けて後始末をしなきゃいけないみたい。ほーら。
(ジャックリーヌ立ち上がる。突然キット、不器用にジャックリーヌの口にキスする。ジャックリーヌ押し退ける。二人共当惑。気まずい雰囲気。)
 ジャックリーヌ(間の後。)キット、あなた匂うわ、ウィスキーが。
(アラン登場。)
 アラン おお。
 キット もう寝なきゃ。お休み。(退場。)
 ジャックリーヌ あの人どうしたの。酔っぱらったの?
 アラン いや違う。実は君に白状しなきゃならない事があるんだ。
 ジャックリーヌ(はっとなって。)まさか話したんじゃないでしょうね。
 アラン 黙っていられなくって。
 ジャックリーヌ なんて事をしてくれたの、アラン。
 アラン 頼む、許してくれ。
 ジャックリーヌ 許さない。決して許さないわ。何もかも目茶目茶じゃないの。(涙が出そうになる。)あの人、私にお天気の話をしたわ。
 アラン あいつも気まずいんだろうな。まあ当然だが。
 ジャックリーヌ これからは私の事を避けようとばかりするわ。偶々二人だけになったら、今度は私がキスして貰いたいかどうかばかり考えて。そしてお天気の話!(後ろを向いて。)ああ、ひどい。
 アラン 御免よ、ジャック。よかれと思ってやったんだ。
 ジャックリーヌ 本当に男って馬鹿ね。
 アラン どうもそうらしいな。許してくれるかい?
 ジャックリーヌ(疲れて。)勿論許すわよ。仕方ないでしょう?(間の後。)もう寝るわ。
 アラン よし、じゃ、この事は朝、また話そう。「キット、あれはみんな冗談だったんだ。」とあいつを説得する事だって出来るかもしれないし。
 ジャックリーヌ(扉のところで。)お願い。もうキットには何も言わないで。そうでなくても、もう充分あの人に害を与えているわ。(矛先を緩めて。)お休み、アラン、あなたって口先だけね、強がりは。心の中は、優しくて蕩(とろ)けそうなのよ。
 アラン 僕が?
 ジャックリーヌ ええ、そう。あなたが。お休み。
(ジャックリーヌ退場。アラン、一人残って煙草に火をつける。それから後ろの扉に行き、開く。)
 アラン(呼ぶ。)ジャック。
 ジャックリーヌ(舞台裏で。)なあに?
 アラン ブライアンが部屋にいるか見てくれないか。いたら鍵を締めたいんだ。
 ジャックリーヌ(舞台裏で。)オーケー。(間の後。)いないわ。まだ外らしいわ。
 アラン じゃあ、あいつに締めて貰う様、置き手紙を書いておくか。
(扉を閉め、ポケットから封筒を出し、万年筆をひねる。書いている間にダイアナ、静かに登場。彼の後ろに立つ。アラン気付かず。)
 ダイアナ(優しく。)アラン。
 アラン(跳び上がって。)ああ、びっくりした。
 ダイアナ ちょっとお話していいかしら。
 アラン(ぼんやり天井の方を指差しながら。)丁度寝ようと思っていたところなんだ。(庭の扉に突進する。)
 ダイアナ(狙った獲物は逃さないという態度。)さっき私が言った事、信じて貰えないようね。(アランを捕まえる。)
 アラン(助けを呼ぼうと絶望的にあたりを見回す。)信じない。それは信じない。
 ダイアナ(静かな、諦めの表情。)そうね。信じては貰えないと分かっていたわ。勿論、ああいう事があった後、貴方にそれを期待する方が無理だわ。でも信じては貰えなくても、これだけは聞いて戴きたいの。
 アラン(乱暴に。)朝にしてくれ、ダイアナ、頼む。明日の朝に。今日はひどく疲れているんだ。それに・・・
 ダイアナ お願い、聞いて頂戴。最初から貴方だったの。最初私達が会ったあの瞬間からそうなの。キットとビルは私には何の意味もないの。それは私、あの人達のこと、好きだって思わせるようにしたわ。でもそれは貴方に焼き餅を妬いて貰いたかったから。本当にたったそれだけの事なの。
 アラン 成功しなくてお気の毒さま。
 ダイアナ 私のことを貴方がどう思っているか、それはよく分かっているわ。それに私って、その通りの女よ、きっと。(心を籠めて。)私、今までにあんまり嘘ばかりついてきたから、本当のことを言っても、もう信じて貰えないのね。
 アラン 狼! と叫んだ少年か。
 ダイアナ(アランの方に再び近寄って。)でも、これは本当なの。この気持ち。この貴方への気持ちは誠実なものなの。今まで他の誰にも感じた事のないものなの。(率直な気持ちで。)愛しているわ、アラン。今までもそうだったし、これからもきっとそうだわ。
 アラン(苦しんで。)ああ、あっちに行ってくれ。お願いだ、あっちに行って。
 ダイアナ いいわ、嘘を言っていると思っているのね。それも無理ないわ。でもこれは違うの、アラン。これは本当に嘘じゃないの。それが不思議なところだわ。
 アラン(嘆願するように。)ああ、神様、助けて下さい。
 ダイアナ(扉の所で。)お休みなさい、アラン。(飾り気なく、素直に。)貴方を愛しているわ。(涙を浮かべてアランに微笑む。アラン、煙草を捨て、ダイアナに近づく。)
 アラン 畜生! もう一回言ってみろ。
 ダイアナ 愛しているわ、貴方を。
(アラン、激しく抱き締める。)
 ダイアナ(抱擁を解きながら、うっとりと。)これは真実なんじゃないかしら。
 アラン 糞っ。君にはとっくに分かっている事じゃないか。
 ダイアナ 声に出して言って頂戴、私の大切な人。
 アラン(分からない振り。)何を言うんだい。
 ダイアナ 愛しているって。
 アラン 言わなきゃいけないのか。ええい、知るもんか。(叫ぶ。)俺は愛してるんだ、君を。
 ダイアナ(後ろを向きながら、うっとりして。)アラン、ああ私、胸がいっぱい。
(ブライアン、フレンチウィンドウから登場。)
 ブライアン やあ、アラン。やあ、ダイアナ、元気かい?
(ダイアナ、ブライアンを見て急に後ろの扉に進む。)
 ダイアナ(優しく。)お休みなさい、アラン。また明日の朝ね。(退場。)
(アラン、椅子に沈むように座る。)
 ブライアン あれを見たか、アラン。ダイアナに睨み据えられちゃったよ。あいつは俺に怒り狂ってるんだ。こいつは君に話さなきゃな。実際、猛烈に傑作な話なんだ。お前達が出かけて行った後、俺はダイアナを夕食に誘ったんだ。一本ワインをあけて、二人共えらく陽気になってな。喋りまくったんだが、その間、ダイアナの奴、ずっとその・・・青信号を出しっぱなしなんだ。
 アラン 青信号?
 ブライアン そうさ。ゴーゴーのサインだよ。で、こっちもその・・・ワルツを一曲お誘い申し上げたんだ。ワルツを一曲。分かるな? この意味。
 アラン うん、分かる。
 ブライアン 俺の気持ちでは皆は出て仕舞っているし、このチャンスを逃すことはあるまいっていうことさ。なあ、アラン。あいつどうしたと思う?
 アラン 分からん。
 ブライアン 俺の口に猛烈な一撃を食わせたのさ。
 アラン それで、どうした、君は?
 ブライアン で、俺は言ったさ。「何だ、君が欲しいのがこれじゃないんなら、一体欲しいものは何なんだ。」あいつは立ち上がって、出て行った。俺は笑っちゃったね。あんなに笑った事は今までにないよ。
 アラン(愕然として。)笑った?
 ブライアン お前だって笑うんじゃないか。
(アラン、驚きと感嘆の目でブライアンを見つめる。)
 ブライアン さてと、俺は寝るぞ。さっきそこの玄関のところで、猛烈なかわい子ちゃんに会ったんだ。これがまた見事なエス字型でね。名刺をくれたよ。ほらこれだ。コレット。ポンテ夫人宅。ラファイエット通り、二十三。入浴料、五十フラン。明日ブラリと行って、風呂にでも入って来るとしよう。
 アラン(立ち上がり、ブライアンを畏敬の念で見つめ。)おお、ブライアン。君っていう男はなんて正気なんだ。
 ブライアン 俺が? 正気?
 アラン 君は全くいい時に、僕の前に現れてくれたよ。なんて素晴らしいお手本だ。これがどんなに僕の助けになったか、君には想像もつかない筈だ。僕のとらなきゃならない態度はこれではっきりした。僕を導く光が見えて来たよ。
 ブライアン 何を言ってるんだ、アラン。お前、気は確かか?
 アラン なあ、ブライアン、今晩ダイアナから青信号を受けとったのは君だけじゃない。僕もだ。
 ブライアン 俺は驚かないな。もともと黄色だとか、赤だとかはあまり出さないたちだぜ、あいつは。
 アラン うん。ただ僕は君みたいな男らしい名誉ある態度でこれに応じなかった。しかしまあ、この際、「覆水盆に返る。」で行こう。(扉の方に進み。)今から二階へ行ってくるぞ。君と同じ台詞を試してみるんだ。「ワルツは如何。」と。
 ブライアン 俺だったらやらないな、アラン。「ノー」に決まってる。それに相当ひどい言葉でな。あとのショックがでかいぞ。
 アラン もし「ノー」なら、一目散に逃げるだけだ。君みたいにラファイエット二十三番地に行ければいいんだが、残念ながら、君特有の崇高な気質を持ち合わせていないからなあ。明日ロンドンに帰るよ。
 ブライアン 試験とか何かはどうするんだ。
 アラン すっぽかすのさ。さてと(扉を開けながら。)僕の人生の賭けだ。運を天に任せるか。外交官か、作家か、どっちになるだろう。ダイアナが決めるんだ。
(アラン退場。)
 ブライアン(独り言。)気違いだ。
(どうしようもない、という風に首を振る。 少しの間の後、立ち上がり、テーブルに進み、立ち止まって考える。)
 ブライアン(考えながら。)入浴料五十フランか。(小銭を取り出し、数え始める。)十、二十・・・三十・・・四十・・・四十一、四十二、四十三・・・四十四・・・畜生。
(扉のバタンと閉まる音が聞こえる。アラン登場。)
 アラン 作家だ。作家に決まりだ。ブライアン、荷作りを手伝ってくれないか。
(退場。ブライアン、「やめた方がいいんじゃないか。」など、諌めの言葉を呟きながら、後に従う。)
                    (幕。)
   
     第 三 幕
     第 二 場
(場 同じ。)
(時 次の朝。)
(マリアンヌが朝食後の片付けをしている。ジャックリーヌ、手伝っている。ケネス、フレンチウィンドウから登場。マンゴー、後に続いて登場。二人、丁度授業を終わった所。)
 マンゴー(フレンチウィンドウの所で。)Dites a Monsieur Curtis que je l'attends. Il ne vaut pas la peine de continuer. Vous n'en saurez jamais rien. (カーティス君に、私が待っていると言ってくれ。君、もう続けることはないよ。どうせ何も分かる筈がない、こんな調子じゃあ。)
 ケネス(悲しそうに。)Oui, Monsieur. (はい、先生。)
 マンゴー Je serai dans le jardin. Oh, ma petite Jacqueline, que j'ai mal a la tete ce matin. (私は庭にいるから。ああ、ジャックリーヌ、今朝はなんて頭痛がするんだ。)
 ジャックリーヌ Pauvre Papa! Je suis bien fachee. (かわいそうなパパ。元気を出して。)
 マンゴー Ca passera ---ca passera. Heureusement le quatorze ne vient qu'une fois par an. (そのうち大丈夫になるさ。有り難い事にパリ祭は一年に、一回だけだからな。)
(庭へ再び退場。)
 ケネス(呼ぶ。)ブライアン。
 ブライアン(舞台裏で。)何だ、ケネス。
 ケネス 次の番ですよ。
 ブライアン(舞台裏で。)すぐ行く。
(ケネス、扉を閉める。悲しそうにゆっくりと本箱に近づく。)
 ジャックリーヌ ケネス、あなた、随分悲しそうね、今朝は。
 ケネス アランの話、聞いたでしょう?
 ジャックリーヌ ええ、父が話してくれたわ。
 ケネス ひどい話だと思わない?
 ジャックリーヌ いいえ。第一私、アランが真面目にあんな事言ってるとは思っていないもの。
 ケネス ところが大真面目なんですよ。なんて馬鹿なんだ。僕だったら、通る確率がアランの半分でも、放り出して逃げたりはしないのに。
(ブライアン登場。ノートを手に持っている。)
 ブライアン お早う。親父さんは?
 ケネス 庭で待ってますよ。
 ブライアン おお。(心配そうに。)なあ、ケネス。どうだい、今朝の親父さんの機嫌は? 陽気で、幸せで、すべて世はこともなしっていう具合か?
 ケネス いいえ。ひどい頭痛。それに気違いみたいに荒れ狂ってますよ。(退場。)
 ブライアン(「それはいかんな。」という気持ちの舌打ち。)ゆうべの酒の飲み過ぎが祟(たた)ってるな、さては。
 ジャックリーヌ 私の父親の健康を気づかってくれて恐縮だわ、ブライアン。
 ブライアン いや、これから親父さんの神経系統に、ひどいショックを与えなきゃならないと思うと、気の毒でね。ワーテルローの戦いについての感想文を仕上げておかなきゃならなかったんだが。あれやこれや、いろいろとあってね。充分とは言えない状態なんだ。
 ジャックリーヌ 充分でないって、どの程度?
 ブライアン(読む。)La bataille de Waterloo etait gagnee sur les champs d'Eton. (ワーテルローの戦いはイートンの原で決した。)
 ジャックリーヌ そんなのが感想文?
(ブライアン、頷く。)
 ジャックリーヌ まあ、私だったら、それは見せない事にするわね。五枚分の感想文を作ったんですが、何処に行ったか分からなくなって仕舞いましてって言うわ。
 ブライアン(疑わしそうに。)うん、しかしどうもそんな話、とても信用してくれそうにない。悪い予感がするよ。
(マンゴー登場。)
 マンゴー Eh bien, Monsieur Curtis, qu'est-ce qu'on attend? Vous etes en retard. (ああ、カーティス君、何をしているんだ。遅刻だよ。)
 ブライアン(弱々しく。)Ah, Monsieur, vous etes bien---ce matin, j'espere? (ああ、先生。今日は如何ですか。爽快でいらっしゃると・・・いいんですが・・・)
 マンゴー Non, j'ai affreusement mal a la tete. (いや、ひどい頭痛だ。)
 ブライアン(同情の気持ちを籠めて。)Oh, c'est trop mauvais. (ああ、それはまずいですね。)少し二日酔いで? peut-etre (ひょっとして。)Un tout petit peu suspendu? (ほんの少し二日酔いで?)
 マンゴー Vous etes fou, ce matin? (今朝、君はどうかしているのか。)
(二人退場。マンゴーのブライアンを責める声が聞こえる。)
 ブライアン (舞台裏でフレンチウィンドウから微かに声が聞こえる。)Il est tres triste, Monsieur. J'ai perdu mon essai.  (困った事になっちゃったんです、先生。感想文書いたのをなくしちゃって・・・)
(ジャックリーヌ、微笑む。片付けを終わって、エプロンを取り、髪を覆っていたスカーフを取る。携帯用の鏡で顔を見る。後ろの扉、非常にゆっくりと開き、アランの頭が現れる。)
 アラン(囁き声で。)ジャック!
 ジャックリーヌ(振り向いて。)あら、アラン。
 アラン ダイアナ、居る?
 ジャックリーヌ 庭にいるわよ。貴方と話があるんだって。
 アラン そりゃあるだろうな。こっちの方はそのチャンスを与えまいと懸命なんだ。
(用心深く部屋に入る。出かける為の服に着替えている。)
 アラン 本を取りに来たんだ。(本箱に進む。)
 ジャックリーヌ アラン、貴方まさか本気じゃないでしょう?
 アラン 僕の人生でこれくらい本気だった事は今迄にないよ、ジャック。(本箱から本を集めている。)
 ジャックリーヌ 貴方のせいでダイアナ、相当こたえているわ。
 アラン へえー。だけどダイアナがそれを君に言ったんじゃないだろ?
 ジャックリーヌ それは言わないわ。あの人、私に弱みを見せる様な事はしないわ。でも貴方の事、少し愛してるのよ、あの人。
 アラン そう。それを一番恐れているんだ、僕は。
 ジャックリーヌ ねえ、アラン。貴方しかいないのよ。この世でたった一人、ダイアナと張り合って無傷で居られる人。
 アラン(素早く振り向いて。)そんな事は言わないで。縁起でもない。まだ僕はこの家から出ていないんだ。
(本箱の方を向く。ダイアナ、フレンチウィンドウから静かに登場。)
 ジャックリーヌ(素早く。)気を付けて、アラン。
 アラン(ダイアナを見て。)あ、いかん。
(部屋から跳び出す。その時本を全部ほったらかしにする。ダイアナ、後を追い掛けて退場。間に合わず、すぐ戻って来る。)
 ダイアナ(悲しそうに椅子に座る。)あの人、本当に出て行く事に決めちゃったみたい。私がいけないんだわ。みんな私の責任。作家になるとかなんとかいう話、あんな事は関係ないの。あの人、ただ私から逃げて行くだけなの。
 ジャックリーヌ 確かにあの人だけを責める気にはならないわね。
 ダイアナ 私の為だけに一生をなげうつなんて、随分私をたてているみたいだけど、私そうは受け取れないの。私困ってるの。本当に。
 ジャックリーヌ そんな風には見えないわ。
 ダイアナ でも本当。本当に困ってるの。どうしてあの人私から逃げ出そうとしているのか、私には分からないの。私の何が怖いのかしら。
 ジャックリーヌ あなた分からないの?
 ダイアナ 二人だけで話す機会さえ与えられたら、必ず行かないよう説得出来るのに。
 ジャックリーヌ そうね。私もそう思う。アランもそう思っているみたい。でもその機会は与えられないでしょうね。
(マリアンヌ、台所から登場。)
 マリアンヌ(ジャックリーヌに。)S'il vous plait, M'mselle, voulez-vous venir voir la chambre de Lord Heybrook? Je l'ai preparee. (ヘイブルック卿の部屋を見て下さいませんか。私、掃除をすませたんですけど。)
 ジャックリーヌ Bien, Marianne. Je viens tout de suite . (分かったわ。すぐ行きます。)
(マリアンヌ退場。ジャックリーヌ、扉の所までマリアンヌに従う。)
 ダイアナ このヘイブルック卿っていう人、今日到着?
(ジャックリーヌが台所の扉まで丁度来た時、もう一方の扉が開き、アランが入って来る。ジャックリーヌ、彼の安全を思い、ダイアナの事を言おうとするが、アランの後ろにロジャーズが歩いて来るのを見て安心する。ジャックリーヌ、微笑んで退場。アラン、用心深くダイアナを見ないようにし、本箱へ進み、先程落として行った本を拾う。ロジャーズ、アランとダイアナの間の位置を取り、なにくわぬ顔をして天井を眺める。)
 ダイアナ(静かに。)ビル、出て行って頂戴。私、二人だけでアランと話したいの。
 ロジャーズ ええーと、そのー。
 ダイアナ(そっけなく。)ビル、聞こえてるんでしょう? 出て行って。
 ロジャーズ(しっかりと。)すまないが、出て行かない。
 ダイアナ(状況を掴めて、威厳をもって一歩退いて。)こんな風なことをするって、どうかしているわ。
 アラン 言いたいことがあれば、言ったらいい。ビルの前なら平気じゃないか。
 ダイアナ いやだわ。言えないわ。
 アラン なら、言わなきゃいい。
 ダイアナ(少しの間の後。)分かりました。そんな子供っぽい手段をとるのね。じゃいいわ。ビルに聞かれても。(非常な誠実さを籠めて。)アラン、自分の気持ちは自分が一番良く分かっている筈。もし貴方が私から逃げて行かなきゃならないなら、仕方がないわ。もう私には止められない。私なしで幸せになって頂戴。私は貴方なしでは幸せにはなれないわ。
 アラン(陥落しそうになりながら。)すぐ慣れるさ。
 ダイアナ 慣れるかしら。分からない。時々は手紙を頂戴ね。
 アラン 勿論。毎日でも。
 ダイアナ 新しい仕事、貴方にはどんな具合でしょうね。心から成功をお祈りするわ。
 アラン 有り難う。
 ダイアナ 貴方の事を何時も考えて居るでしょうね。
 アラン それは御親切に。
 ダイアナ そう。私が言わなきゃならないのはこれだけ・・・だわ。(口籠もりながら。)私、さよならを言いたいんだけど・・・其処に、ビルに仁王様みたいにつっ立っていられると・・・ちょっと。
(長い間。)
 アラン(突然。)ビル、出て行ってくれ。
(ロジャーズ、動かない。)
 アラン 出て行ってくれ、ビル。
(ロジャーズ、聞こえない様子。アラン、威嚇するようにロジャーズに近づく。)
 アラン 出て行け、この野郎!
 ロジャーズ(ゆっくりと。)それは理性から出た声だろうか、親愛なるアラン君。
(アラン、ロジャーズを見つめる。はっと我に返る。)
 アラン あ、有り難う、ビル。そうだ、二階にこの本を運ぶのを手伝ってくれないか。それから、汽車に乗り終わるまで僕の傍を離れないでくれ。
(二人、扉へ進む。)
 ダイアナ じゃあ、さよならはないのね。
 アラン(扉の所で。)それはあるさ。さようなら。
(退場。ロジャーズ、後に続く。)
(ダイアナ、かっとなり、二、三冊本を扉に投げつける。)
 ダイアナ ほら、忘れ物よ。
(台所の扉へ進む。)
 ダイアナ(呼ぶ。)Marianne, a quelle heure arrive ce Lord Heybrook? (マリアンヌ、ヘイブルック卿は何時に着くの?)
 ジャックリーヌ(台所から。)十時十五分よ。(扉の所に出て。)今すぐにでも着くわ。
 ダイアナ(困った顔。)あら、有り難う。
 ジャックリーヌ アランとは上手く行った?
 ダイアナ(つっけんどんに。)いいえ。
 ジャックリーヌ 理性の声を聴こうとしないのね、あの人。
 ダイアナ ねえ、ジャックリーヌ。私もうその事は話したくないの。止めて下さらない?
 ジャックリーヌ あの人と一緒にイギリスに行けばいいのよ。だって、その気持ちはあるんでしょう? ダイアナ。
 ダイアナ 海を越えてあの人を追っ掛けるの? そんなこと出来ないわ。少しはプライドってものがあるのよ。
 ジャックリーヌ ええ、そう。プライドがあるわよ、ねえ。
 ダイアナ それに私がいない方が幸せって思うなら、私に出来る事なんか何もないわ。
 ジャックリーヌ そうね。何もないわね。(唐突に。)かわいそうなヘイブルック卿。
 ダイアナ 何の関係があるの、ヘイブルック卿に、これが。
 ジャックリーヌ 何も。(なにげなく歩いて、フレンチウィンドウに近づく。)一泳ぎするには絶好の朝だわ。冷たい風があるし、海は荒いわ。でもそんな事ぐらいで怯むようなあなたじゃないわよね。
 ダイアナ あら、ジャックリーヌ。あなた、年をとるにつれて、意地悪くなるんじゃない?(挑戦するように。)でも、そうね。私やっぱり、一泳ぎして来るわ。一緒に来ない?
 ジャックリーヌ いいえ。私の水着、あなたのと比べて魅力ないもの。それに午前中ずっと授業だわ。(時計を見て。)この時間にはもうやっていなきゃいけないのに。キットったらいつものように遅いわ。
 ダイアナ ああ、そうそう。キットとはどう? うまく行ってる?
 ジャックリーヌ 駄目ね。残念だけど。
 ダイアナ それはいけないわ。あの人私のことを随分怒っているでしょうね。
 ジャックリーヌ 心配しないでいいわ。出来るだけ慰めている所なんだから、私が。
 ダイアナ 私、あの人に酷くつらく当たったわ。アランがいなくなったら、埋め合わせに今までの倍、優しくしてあげなくちゃ。
 ジャックリーヌ(驚いて。)あら、止めて。
(ダイアナ、眉を上げる。)
 ジャックリーヌ ねえ、あなた、どうしてアランとイギリスに行かないの? 私、アランに出て行けとは言わないわ。だって私に意地悪した事なんかないんだもの。でもあなたにこの家を出て行って貰う為だったら、相当ひどい事でも出来る気分だわ。
 ダイアナ あなた方フランス人て、かなりきつい人種だわ。これいつも言っている事だけど。
(キット登場。)
 キット(ダイアナを無視して。)御免、ジャック。遅くなっちゃった。
 ジャックリーヌ いいのよ、キット。
 ダイアナ あら、お邪魔だわね。(扉へ進む。)ちょっと一泳ぎして来るわ。
(ダイアナ退場。キット恥ずかしそうに立つ。手にノートを持っている。)
 ジャックリーヌ(先生の態度をとって。)お座りなさい、キット。宿題は終えましたか。
(二人、テーブルに着く。キット、ノートを手渡す。)
 ジャックリーヌ ははーん、一生懸命やったんですね。
(ジャックリーヌ、ノートを覗き込む。キット、ジャックリーヌを見つめる。)
 キット(突然。)ジャック、昨日のことだけど・・・
 ジャックリーヌ(急いで。)これは駄目ね。(単語の下に線を引く。)フランス語ではこうは言わないの。ひっくり返さなくちゃ。(ノートに何か書き込む。)分かる?
 キット(肩ごしに見ながら。)ええ、分かります。
(ジャックリーヌ、読み続ける。)
 ジャックリーヌ あらまあ、キット。(読む。)Une pipe remplie avec du tabac. (煙草で詰められたパイプ。)これはどう言うの?
 キット Remplie de tabac. (煙草を詰めた。)です。勿論。
 ジャックリーヌ ならそう書けばいいじゃないの。(別の単語に線を引く。)キット、ここら辺、全部駄目ね。これやってる時、一体何を考えていたの。
 キット 君のこと。
 ジャックリーヌ もう一度やり直しね。
 キット(困って。)ええっ? やり直し?
 ジャックリーヌ 当たり前です。どうして私のことを考えていたの?
 キット(威厳をもって。)では次の宿題。ラブリュイエール。
 ジャックリーヌ いいでしょう。
 キット 百八頁。
(威厳のある沈黙を保ちながら、二人、本を見る。)
 ジャックリーヌ これをなしにしたら、話しますか?
 キット 話しましょう。
 ジャックリーヌ よろしい。なしにします。でも気をつけて下さい。これのやり直しが前と同じ程ひどかったら、もう三つ同程度の宿題を出しますからね。では言って下さい。何故私の事を考えていましたか。
 キット 僕は考えていた。そして迷っていた。次のどっちにすべきか。一つは「先生、ゆうべのことは僕が悪かったんです。許して下さい。」と、謝っちゃうか、もう一つは、肩でも竦めて陽気に笑って誤魔化しちゃうか。
 ジャックリーヌ で、どっちに決めました?
 キット これは先生に決めて頂こうと。
 ジャックリーヌ 肩を竦めて、陽気に笑って誤魔化す方がいいわね。
 キット じゃあ、そちらの方を一つ・・・(立ち上がる。)
 ジャックリーヌ いいです。態々遣らなくっても、やったことにして上げます。
 キット(座る。)有り難うございます。ではこの件は完了。永久に終了。さ、それでは・・・(本を開く。)第四章、愛情について。純粋な友情にはよい芳香がある。
 ジャックリーヌ(キットの態度を不審がり。)分からないわ。貴方が謝るべきだと私が思った・・・どうしてそんな事を? 友情関係でもキスぐらいはあるでしょう?
 キット 君がカンカンになって怒っているって、今朝アランが僕に言ったんだ。だから僕は・・・
 ジャックリーヌ あら、アラン、私の話をしたの? あの人、今度は何て言ったの?
 キット うん。これは話してもどうっていう事はない筈だ。ゆうべアランは大分飲んだ。少し酔っぱらったんだ。で、ちょっと僕の事をからかってやろうっていう気になって僕に話したんだ。(両手で顔を覆う。)次がちょっと言い難いな。でもまあ、いい笑い話だよ。アランによれば、この二箇月、君が僕に死ぬ程惚れていたって。(顔から手を取り、大笑いされるのを待つ。大笑い来ず。)それで、その、僕も酔っぱらっていたせいか、本当の話だと思っちゃった。で、少し感傷的な気分になって、君にキスしたんだ。覚えているだろう? 君は僕に凭れ掛かって、「ああ、やっと、やっと分かってくれたのね。」とか何とか言ってくれると思ったのさ。それが違うじゃないか。そしたら今朝アランが、お前あんな冗談を本気にするから、ジャックが怒っちゃったじゃないかって言ったんだ。美しい友情をめちゃめちゃにしちゃって。あんな馬鹿な事をするなんて、ってね。だから今朝は一番に謝っちゃおう、って。
 ジャックリーヌ(突然、激しい調子で。)なんて馬鹿なの! アランって。
 キット そうだよ、からかうにしてもネタが悪いよ。あいつらしくない。
 ジャックリーヌ ねえ、キット。もし私があの時、貴方に凭れ掛かって、「ああ、やっと、やっと分かってくれたのね。」とか何とか言ったら、貴方どうした?
 キット そしたら、また激しくキスを返して、「僕は・・・僕は気付いて居なかったんだ。でもずっと前から君を愛していたんだ。」てな馬鹿な事を言ってたろうな。
 ジャックリーヌ まあキット、其処までやってた?
 キット(謝るように。)いやゆうべは相当感傷的になっていたからね。ダイアナに対して僕はなんていう馬鹿だったか思い知らされたその直後に、君が僕のことを愛してくれていたなんて聞いたもんだから・・・それに酔っぱらっていたし・・・
 ジャックリーヌ 今朝はもう感傷的な気分じゃないの?
 キット ああ、それはもう大丈夫だ。僕に用心しなくてもいいよ。今朝はちゃんとしている。
(本を取り上げ、集中しようとする。)
 ジャックリーヌ いつかまた感傷的になるっていう機会はないかしら。
 キット ないない。君は安心していていいよ。
 ジャックリーヌ 二、三杯貴方に飲ませて、ゆうべアランが言ったのは本当なのよって言ったら? この二箇月貴方が好きで好きでたまらなくって、貴方と二人でいる時はいつだって、ああ、キスしてくれないかなって思っていたのって言ったら、少しは感傷的になる?
 キット そうだな、どんな気持ちになるか、ちょっと・・・
(間。)
 ジャックリーヌ 私、飲むもの持ってないの、キット。二、三杯必要?
(ジャックリーヌ立ち上がる。キット、ジャックリーヌを抱き締める。)
 ジャックリーヌ(少し甲高く。)ああ、やっと、やっと分かってくれたのね。
 キット 僕は・・・僕は気付いていなかったんだ。でも、ずっと前から君を愛していたんだ。
 ジャックリーヌ てな馬鹿なことを言うのね。
 キット 本気だよ、ジャック。
 ジャックリーヌ 真面目にならないで、キット。お願い。これは冗談なのよ。偶々二人共、同時に、少し感傷的になったから。それだけのこと。(キットを離して。)でもひょっとして貴方真面目?
 キット 真面目じゃなくて、こんな事、出来る?
 ジャックリーヌ 分からないわ。ダイアナの「いないいないバア」の真似をしたくないの、私。(どう? キット。今、)ダイアナの時のような、魚鉤にひっかけられたような、あんな気分ある?
 キット 胃のところが、なにか奇妙な感じなんだ。それから、頭がブンブン鳴っている。どうやら君にボーとなっちゃったみたいだな。これは愛だ。
 ジャックリーヌ 貴方は愛って言ったら駄目なの。
 キット 君はいいのかい?
 ジャックリーヌ だって二箇月の優先権ありだもの。これから二箇月、貴方には愛って言わせないわ。ああキット、これから二箇月の間で、私に感傷的な気持ちを持ってくれるようになるかしら。
 キット オッズ十かな。
 ジャックリーヌ その間、私に甘くしたら駄目よ。今までと同じ態度、厳しい事ばかり言わなくちゃ。でないとガタガタよ。
 キット やってみるよ。しかし難しいな。
(アラン、用心深く、扉から頭を突き出す。)
 アラン ダイアナいる?
 ジャックリーヌ 入って、アラン。安全よ。それにニュースがあるわ。
(アラン登場。後ろにはロジャーズ。)
 アラン ニュースって?
 ジャックリーヌ 中尉さんに聞かれたくないわ。(ロジャーズに。)席を外してって頼んだら失礼かしら。
 ロジャーズ いやいや、全く構わんよ。終わったら合図でもして。
(退場。)
 アラン さあて、ニュースって?
 ジャックリーヌ キットが言ってくれたの。二箇月経ったら、私に対して感傷的な気持ちになれるだろうって。
 アラン ホッホー。これはこれは。頭にちょっと触られても、これじゃノックダウンだな。
 キット アラン、君には充分な説明を求める権利があるな、僕には。一体全体、何故ああ言い、こう言い、嘘ばかりついてきたんだ。
 アラン へえーえ。それがこの僕に言う台詞かい? 苦心惨憺、工夫に工夫を凝らしてやっとのこと、もともと愛し合っている二人にその事を気付かせたんだ。感謝されるべきだぜ。
 ジャックリーヌ「愛し合っている二人」じゃないの。「二人の友達」なの。
 キット 感傷的な友達。
 ジャックリーヌ いいえ、時々は感傷的になる友達。
 アラン まあ、何でもいいや。適当に決めて。とにかく祝福だ。おめでとう。時間が迫っている。さよならを言いに来たんだ。
 ロジャーズ(扉のところに現れて。)もう入っていいだろう?
 ジャックリーヌ どうして分かったの?
 ロジャーズ 男の直観というのは女のそれと違って・・・その・・・鍵穴から聞いていたんだな。
 アラン ジャック、分かるかい? 今此処を出て行って一番心残りなのは、ビルと別れなきゃならない事なんだ。好い奴だなあって丁度分かった時にね。
 ロジャーズ 又会えるさ。心配することはない。結局はお互い、似たもの同志なんだな。
 アラン ああジャック、ダイアナは何か言っていたかい? 僕と一緒にイギリスに行くんだとか・・・
 ジャックリーヌ いいえ。きっぱり此処に停まるって。貴方の幸せが第一なんだからって。
 アラン 僕の身代わりにヘイブルック卿を教育して。ヘイブルック卿様々だよ。
(ケネス登場。)
 ケネス アラン、本当に行くの?
 アラン うん。行かなきゃならないんだ。この胸から重荷を取り払わなきゃ。これはダイアナの事だけじゃないよ。
 ケネス 自分のやっている事、分かっているんですか。分かっていないんじゃないかな。
 アラン いいや。分かっているんだよ。
(車の音がして、マンゴー、フレンチウィンドウに現れる。)
 マンゴー ジャックリーヌ、ジャックリーヌ。Je crois que c'est Lord Heybrook qui arrive. Es-tu prete?(あれはヘイブルック卿じゃないか。出迎えの準備はいいんだな。)
 ジャックリーヌ Oui, Papa. (いいわよ。)
 マンゴー Bien! (なら、よろしい。)
(マンゴー、又、飛び出して行く。)
 ジャックリーヌ(興奮して。)ヘイブルック卿! 誰かダイアナにそう言って来て。出だしに失敗しちゃうわよって。
 キット(扉の方へ走って。)おーい、ダイアナ。ヘイブルック卿だぞ。
 ジャックリーヌ ヘイブルック卿ってどんな人? ケネス。
 ケネス それが・・・よく見えないんです。親父さんの方が、日の当たる方に居て・・・
 アラン なあ、皆、座って。新人にはチャンスを与えなくっちゃ。
 マンゴー(舞台裏から。)マリアンヌ。Les bagages. (荷物を。)
(ダイアナ登場。水着を着ている。無頓着といった様子で、フレンチウィンドウに背を向けて立っている。)
 マンゴー(舞台裏で。)Par ici, Milord! (こちらです。閣下。)
(ヘイブルック卿とマンゴー、フレンチウィンドウから登場。ヘイブルック卿は十五歳位の、子供子供した少年。)
(マンゴー、ヘイブルック卿を部屋に案内しながら。)
 マンゴー Alors vous etes arrive. J'espere que vous avez fait bon voyage ---etc (さてと、着きましたな。旅は如何でしたか。快適な旅で・・・)
(ヘイブルック卿、恥ずかしそうに笑って、マンゴーに導かれて退場。ジャックリーヌ、キットの胸に縋って、大笑い。他のものも笑い始める。)
 ダイアナ 誰か、私の荷造り、手伝って。私もあのロンドン行きの列車に乗るの。決めたわ。
(後ろの扉から退場。)
 アラン(ダイアナを追い掛けながら、絶望的に。)いや、止めてくれ、それだけは。頼む。(扉のところで振り返って。)笑うのを止めろ! この馬鹿者ども! おかしくなんかないんだ。最大の悲劇なんだぞ、これは!
(しかし、全員ただ笑うだけ。)
                   (幕)
   
     平成二年(一九九〇年)六月六日 訳了

http://www.aozora.gr.jp 「能美」の項  又は、
http://www.01.246.ne.jp/~tnoumi/noumi1/default.html

   
French without Tears was first produced at the Criterion Theatre, London, on November 6th, 1936, with the following cast:
   
   KENNETH LAKE      Trevor Howard
   BRIAN CURTIS      Guy Middleton
   HON.ALAN HOWARD     Rex Harrison
   MARIANNE        Yvonne Andre
   MONSIEUR MAINGOT    Percy Walsh
   LT. CMDR. ROGERS    Roland Culver
   DIANA LAKE       Kay Hammond
   KIT NEILAN       Robert Flemyng
   JACQUELINE MAINGOT   Jessica Tandy
   LORD HEYBROOK      William Dear
   
        The play directed by HAROLD FRENCH
   


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