銘々のテーブル

     窓ぎわのテーブル

            テレンス ラテイガン 作
             能 美 武 功  訳

  登場人物
メイベル
グラデイス・マシスン
モード・レイルトンベル
ミーチャム
ドリーン
ファウラー
アン・シャンクランド
パット・クーパー
ジョン・マルコム・ラムズデン
チャールズ・ストラットン
ジーン・タナー

  時      冬
第 一 場  食堂  夕食
第 二 場  広間  夕食後
第 三 場  食堂  朝食

        第 一 場
(場 ボーンマス近くにあるボーリガードホテルの食堂。小さく装飾品少なし。実用のみの部屋。後ろの扉は広間に通じ右手のスイングドアは台所に、右手奥の扉は、玄関および他の部屋へ通じる。左手に窓。現在カーテンがしてある。冬の夕方七時頃。客達は食事中である。
 客達は一人一人、小さな別々のテーブルに座っている。例外は若い二人、チャールズ・ストラットンとジーン・タナーで、これは他の定住の客とは違い、短期滞在の為、二人一緒にテーブルについている。このテーブルは他のテーブルと異なり飾りがなく、部屋の隅にある。 他のテーブルは定住の客の銘々のテーブルのため、薬の壜、お気に入りの漬物入れ、個人的な装飾品、が置いてある。若い二人、なかなか魅力的な二人なのに全くお互いを無視し、本を読んでいる。二人の間に花瓶あり。
 きわだった場所にレイルトンベル夫人のテーブル。 場所だけでなく、見ただけで他の婦人よりきわだっている。ジーンだけは、スラックスを履いて例外だが、婦人達は皆夕食には何かに着替えて来る。しかしこのレイルトンベル夫人はいつも他の婦人よりは目立つ何かに着替えて来る。他の婦人達(ジーンは例外)は毛皮のストールをつけているが、レイルトンベルは銀狐のストールである。他の婦人達(ジーンは例外)は小さな宝石を身につけているが彼女は他と比べものにならない大きな宝石。
 ミス・ミーチャムが彼女の近くに座っている。眼鏡をかけず、非常に目を近付けて競馬情報誌「今日のレース」を読んでいる。レイルトンベル夫人ー約六十五歳ーと同じ年頃だが彼女よりずっと派手な衣装である。但しそれによる効果は全くなく、若くは見えない。その傍にマシスン。役人の未亡人。そのため、この中では一番貧しい。年金生活者である。但し、他の二人よりは若い。灰色で、鼠に似た顔。衣装は申し分なし。ファウラーは男。元パブリックスクールの校長。七十歳。 静かで感情を表に出さない。離れて座っている。
 窓際のテーブルには人がいない。それからもう一つ中央に近いレイルトンベル夫人の近くのテーブルにも人いず。
 二人のウエイトレス――一人は中年のメイベル、もう一人は若いドリーン――が給仕をする。メイベルは無口で陰気、仕事を任せられる。ドリーンは気まぐれ、おしゃべり、仕事を任せられない。現在、メイベルだけが場にいる。マシスンに料理を持ってくる。)

 メイベル メダイロンでしたかしら、それともグーラッシュ。
 マシスン(発音を直して。) メダイヨンよ。
 メイベル すみません、グーラッシュだと思って。
(持ってきたグーラッシュを持ってキッチンドアの方へ進む。)
 マシスン 多分私の間違いね。
 メイベル(陰気に)ええ、多分。
(ミーチャムを通り過ぎる時に。)
 メイベル ミーチャムさんはグーラッシュでしたわね。
 ミーチャム(本に没頭している。) 何ですって。ああ、そうよ、メイベル。有難う。
 メイベル(グーラッシュを置きながら。) デザートは何になさいますか、ムース・アンジェリック? それともターンオーバーですか。
 ミーチャム あなたのお薦めのものは。
 メイベル ターンオーバーをお薦めしますわ。
 ミーチャム じゃあ、ターンオーバー。
(メイベル退場。)
 レイルトンベル コックが最近腕を上げたんじゃないかしら。パイの皮、できがよくなったわ。
 ミーチャム そうでもないわ。昨日のお茶の時のタルトはどう。大砲の弾みたいに堅かったわ。
 レイルトンベル あら、あれ、お嫌いでしたの。私はおいしく頂いたわ。火曜日のあのピンクのケーキよりはずっとましだった。
 ミーチャム ピンクのケーキは私嫌いじゃなかったわね。あのタルトを食べたあとおなかがぐるぐる鳴ってしかたがなかった。おかげでひどい夢を見てしまったわ。
 レイルトンベル(かすかに微笑む。)あら、夢だったらいつものことじゃないの。
 ミーチャム いいえ、この夢はいつもとは違ったの。私、いつもは見たい夢しか見ないもの。この時の夢はひどかったわ。意味のない悪夢。棍棒を持った男に追いかけられたの。(少し間のあと)木曜日の夜はちゃんとしていた。ルイ十五世と話をしたの。
 レイルトンベル(からかい半分に。)あら、そうお。
 ミーチャム このグーラッシュおいしいわ、メダイヨンよりよかったんじゃない?
(本に戻る。しばらく間あり。この間ミーチャム近視の目で、競馬の本を子細に見る。)
 レイルトンベル ミス・ミーチャム、明日の勝ち馬わかりましたか。
 ミーチャム これによればマーストンラッドがよさそうね。一、二ポンド賭ける価値はありそうよ。
 レイルトンベル 最近私、競馬はやらないわ。(思い出すように、少し間を置いて。)夫が生きていた頃は、あの人、私によく五ポンドも賭けてくれていたわ。
 ミーチャム(見上げながら。)父が健在だった頃、私、二十五ポンド単位で賭けたものよ。配当もちゃんと貰ったわ。
(競馬の本に戻る。)
 レイルトンベル(突然いらいらして)どうして眼鏡をかけないの。
(ミーチャム、本を下げる。)
 ミーチャム これで見えますもの。
(また本に戻る。この時までに、もう一人のウエイトレス、ドリーンがはいってきていて、ファウラーに近づいている。)
 ドリーン すみません、ファウラーさん。グーラッシュはもうおしまいなんです。
(ファウラー、ぼんやりと見上げる。)
 ファウラー え? ああ、じゃあコールドパイは?
 ドリーン 私だったらあれはやめにするわ。はいっているものがものですもの。私ならタンにするけど。
 ファウラー 分かった。じゃあ、それにして。
(ドリーン、台所に入る。)
 レイルトンベル(マシスンに意味ありげに。)あの子は続かないわ。きっと。
 マシスン そうね。
 レイルトンベル ですけどグーラッシュがもうなくなるなんてどうかしているわ。まだ二人も残っているじゃありませんか。
 マシスン そうね。
 レイルトンベル 勿論、マルコムさんは時間通りに帰ったためしはないんですから(窓際の席を指さして。)食べるものがなくなったって自業自得ですけど(もう一つ内緒の話があるという風に。)もっとも、いつもクラブであんなに飲んで帰ってくるんですもの。自分で何を食べているかわかったことなんかないんでしょう、きっと。でも今日着いたご婦人(別の空席を指差す)――あの人がどう思うかしら。
 マシスン 私、あの人見たわ、着いた時。
 レイルトンベル そう?
 マシスン あなたは?
 レイルトンベル(少し困って。)それは私、広間にはいたわ。でも――こう言ってはあなたに悪いけど――わざわざ窓からのぞくのはね――どうかと思って。
 マシスン(きっぱりと。)私は広間にいたんではありません。玄関ホールにいたんです。
 ミーチャム 私は階段のところで会ったわ。
 レイルトンベル あら、そう?
 ミーチャム(本から目を離さず。)名前はシャンクランド、ミスィズ・シャンクランドね。ロンドンからだって。汽車で。スーツケース四つに帽子の箱。滞在予定は二週間。
 レイルトンベル(不愉快だが、思わず感心する。)スーツケース四個?
 ミーチャム それに帽子箱一個。
 マシスン いいもの着ているの、それが。派手じゃなくって――いい趣味・・・メイフェアーなのよ。分かるでしょう、私の言っていること。
 レイルトンベル そう。(このじぶんにとって面白くない話題をはずそうと。)今日はとても暖かでいい天気だったわね、グラデイス。十二月にしては、だけど。
 マシスン 私、外に出なかったの、今日。テレビのホームコンサートでシベリウスをやっていたので。
 レイルトンベル また音楽? あきれたわね。ファウラーさんは?
 ファウラー え? ああ。いや、出ませんでしたな。電話を待っていたんです。
 レイルトンベル じゃあ外に出る勇気のあったのは私だけ? あらまあ。
(急に言い止める。玄関ホール側の扉開き、アン――新しい客――登場。約四十歳。入ってきてちょっと恥ずかしそうに辺りを見る。このホテルには全く場違いな雰囲気を持っている。服装がスマート過ぎるというのでもない――もちろんスマートであるが――髪形が派手過ぎるのでもない――勿論派手ではあるが――そういう個々のものではなく、彼女自身の持つ雰囲気が、ベルグラビアなど、ロンドン一流のレストランにこそ相応しいものなのである。アン、まるでその高級レストランの給仕頭がテーブルに案内するのを待っているかのように立っている。他の客達、誰も彼女を見ない。ミーチャムに給仕していたメイベル、振り返ってアンを見る。)
 メイベル 新しい方ですね。
 アン ええ。
 メイベル ここの席です。
(メイベル、中央の席を指差す。)
 アン あ、有難う。
(テーブルに行き、座る。相変らず沈黙が支配している。メイベル、アンにメニューを渡す。アン、メニューをながめる。その間、他の客達、チラチラとアンを見る。)
 メイベル スープはブラウン・ウインザーになさいますか、それともプチット・マルミット?
 アン スープはいいわ。グーラッシュを頂きます。
 メイベル かしこまりました。ちょっとですが残っています。
(ファウラー、メイベルが彼を通り過ぎる時、睨みつける。しかし文句を言うのは思いとどまる。アン、辺りをみまわすと全員目を伏せる。沈黙が続いてやっとレイルトンベル夫人、口を開く。心持ち、以前よりもっと上流の人間らしい言葉遣いにしようという意識あり。)
 レイルトンベル(マシスンに) 十二月のお天気について話していましたわね・・・
 マシスン え? ええ。
 レイルトンベル(マシスンに)この頃のお天気って見かけで騙されてしまうの。特にこちら、南海岸ではそう。今日だって外は太陽が燦燦と輝いているように見えたの。でも私、毛皮のコートを着て出たわ。それも一番暖かいペルシャラムのコートを。
 マシスン それは用意がよかったわね。
(若い二人急に立ち上がり、広間の扉に進む。二人とも本を持って。我々の見る限り、二人はまだ一言も口をきいていない。レイルトンベル、二人を軽蔑の目で追う。)
 レイルトンベル(あの子)晩餐にスラックスを履いてくるなんて。
 マシスン そう、失礼ね。
 レイルトンベル 男の方だってそう。態度がちっとも変わりはしない。ミス・クーパーは、何も言わないのかしら。それにオックスフォードではいいお行儀っていうものを教えているはずじゃないの。
 マシスン そうよ。そのはず。(少しの間のあと) 私の夫、オックスフォード出だったの。
 レイルトンベル(優しく)ええ、以前その話聞いたわ。うちのはバーミンガム。あそこのエンジニアリングコースが素晴らしいからって。でも嫌っていたわ。勿論。
(この時までにクーパー登場している。そしてアンの方に近づいている。クーパーは若い雰囲気。男のような容貌に落ち着いた態度。)
 クーパー 今晩は、ミシィズ・レイルトンベル。
 レイルトンベル 今晩は、ミス・クーパー。
 クーパー 今晩は、レイデイ マシスン。
 マシスン 今晩は。
(ミーチャム、見上げない。クーパー、そのまま進んでアンのテーブルに達する。)
 クーパー 御不自由な点はありませんか、ミシィズ・シャンクランド。
 アン いいえ、何も。
 クーパー テーブルに御案内すべきでしたのに失礼しました。ロンドンから丁度電話がかかってきまして。お料理など伺っていますかしら。
 アン ええ、有難う。
(この時までにメイベル料理を運んできていて、アンの前に置く。)
 クーパー(鋭く。)スープは?
 アン いいんです。スープは飲まないことにして居るんです。脂肪がつくので。
 クーパー あら、そんなことを注意しなければなりませんの? 想像もつきませんでしたけど、ミシィズ・シャンクランド。
 アン 注意しないといけないんですわ。モデルの仕事ですから。
 クーパー ここには暫く休養のためっていうことですの?
 アン ええ、そう。
 クーパー お部屋が快適だといいんですけど。
 アン ええ、それはきっと。
 クーパー 御不便なことがありましたら、どうぞご遠慮なくお申し付け下さいね。
 アン ええ、有難う。
(クーパー、アンに親しみのほほえみを与え、振り返るとぱっと真面目な顔になっている。 窓ぎわの空の席を見、仕草でメイベルを呼ぶ。)
 クーパー メイベル、マルコムさんの部屋へ行って。
 メイベル 行って来ました。いらっしゃらないんです。
 クーパー そう。あの方に温かい料理を何かとってあるんですね。
 メイベル はい。でも、もう五分以内にいらっしゃらないと、冷たいものを召し上がって戴くようになります、と裏で話していますけど。
 クーパー そう。それまでにはいらっしゃるでしょう。
(メイベル、疑わしそうな顔。クーパー玄関の扉に進む。ファウラー、テーブルから立ち上がり、クーパーを止める。)
 ファウラー さっきロンドンからの電話とか言っていましたね。
 クーパー ああ、あの電話、あれはちがいます、ファウラーさん。あなたの生徒さんからの電話ではありませんでしたわ。ポロック少佐からの、次の滞在地の住所を知らせておきます、と。
 レイルトンベル ロンドンから長距離? まあ随分贅沢なこと。少佐にしては。
 クーパー(かすかな微笑み。)御友人宅からの電話のようでしたわ。来週の火曜日に帰るからとのお話でした。
 ミーチャム(本から目を離さず。)帰らなくってもいいのに。あんなくだらない奴。
 ファウラー フィリップのやつどうしたんだろう。駅に迎えに来てくれって言ったって、何時の汽車か分からないんじゃ。
 クーパー こちらからお電話は?
 ファウラー エエ、二度。出ないんです。二度とも。もう一度かけてみるか。
(ポケットに手を入れて小銭をさぐる。)
 クーパー もうちょっと遅すぎますわ、ファウラーさん。ロンドンからの汽車はどうせ一本しか残っていませんし。
 ファウラー(扉へ行きかけながら。)予約した部屋については御心配なく、ミス・クーパー。万一あいつが来ない時でも・・・これはないと思いますが・・・私が払いますから、必ず。
 クーパー それは構いませんの、ファウラーさん。でもいらっしゃるかどうかは、できるだけ早く知りたいんですけど・・・
(ファウラー、ホールの扉から退場。クーパー、テーブルから花瓶をとる。)
 レイルトンベル(同情した声。) ご迷惑ですね、クーパーさん、これで三度目でしょう?
 クーパー 今度は大丈夫じゃないかしら。ただ電話をかけるのを忘れているだけ。放浪癖のある今の若い人達のやり方ご存じでしょう?
(クーパー退場。)
 レイルトンベル(マシスンに) 憚りさま。ご存じなんかあるもんですか、放浪癖のある今の若い者たち。なんていけすかないんでしょう。(内緒話のように声を低めて)ここにだっているじゃないの、ちゃんと一人。(頭で窓ぎわのテーブルをさし示す。)それにファウラーさんの生徒。しょっちゅう話にでるあの若い画家、あの人架空の人物じゃないかしら。疑わしくなったわ、私。
 マシスン 架空の人物じゃないわ。いつかその人の記事を見せてくれたわ。「現代絵画」にでていたのを。ファウラーさんの秘蔵っ子だったのね、トンブリッジで。本当にあの生徒のことを誇りにしていて話し始めると次から次に話題が出てくるの。聞いていると、ファウラーさんのあの人への優しさが伝わってくるわ。
 レイルトンベル じゃあ、こんな風にあの人をすっぽかすなんて随分失礼な話ね。
 ミーチャム 馬鹿馬鹿しい。
 レイルトンベル (驚く。) なんですって?
 ミーチャム 失礼でも何でもありはしない。私達おいぼれの御用ずみが若い者たちに何を要求できるっていうんですか。思いやりを? とんでもない。私達はもう人生を終えてしまったの。若いものはこれから。私達を見て何が楽しいって言うの。ただ老人の惨めさと死を待つ姿だけ。私にはね、姪っこが二人いるの。二人ともそれは美人。そう、写真をお見せしたことがあったわね。あの子達、私に近寄ろうともしない。当然のことよ。たとえ来たいって言ったって私の方からお断わりよ。こんな醜い姿になるのよって見せびらかす必要がどこにあるっていうの。
(ミーチャム、広間の方に行く。本を持って。)
 レイルトンベル(マシスンの方に内緒話。)あの人私、少し心配だわ。
 マシスン そう、あの人此頃だんだんおかしく・・・普通でなくなってきているわ。
 レイルトンベル あの、見たい夢だけを見るなんていう話だって・・・ええ、私は別に害があるとは思っていないけど・・・精神科の医者だったら何て言うか分からないわ。人間の心ってとても繊細に出来ているんでしょう。よく主人がそう言っていたわ。本当、どうなるか分かったものではないわ。さあ、(威厳をもって立ち上がる。マシスンに。)広間で待っていましょうか。それともあなた、夜の音楽番組の方で予約ずみかしら。
 マシスン いいえ。今夜は聽く価値のあるものはなかったわ。
 レイルトンベル じゃあ、広間でね。待ってるわ。
(堂々と広間の方へ退場。マシスン、デザートに手をつける。この時までに、アン、グーラッシュをつつくのを
終えている。深い沈黙が支配する。メイベル登場。)
 メイベル(アンに。)はい、ターンオーバーです。もう一つのデザートよりお口にあうと思って。
 アン ああ、有難う。
(メイベル、皿を取り替え、退場。再び沈黙が支配する。扉がかなり乱暴に開かれ、ジョン・マルコム登場。四十代前半。くたびれた顔。身なりもきちんとしていない。髪はもしゃもしゃ。口を開くとかすかに北部のなまりあり。素早く時計を見、それから台所の扉を見る。次に窓際のテーブルの方に進む。達するまでにアンの傍を通り過ぎねばならない。彼がアンを見るまでにすでにアン、彼を見ている。今では見つめている。表情を全く変えず、遠くから見ているかのような顔。ジョン、視線を感じてアンの方を向く。観客を背にしたまま、動き、全く止る。暫くの後、自分のテーブルに進み席につく。この席はアンと向かいあっている。ジョン、テーブルクロスを見つめる。ドリーン、入って来る。)
 ドリーン あーら、帰ってきたのね。助かった。いつまでも残ってなきゃならないかと思ったわ。どこに行ってたの? クラブ?
 ジョン うん。
 ドリーン そうだと思った。グーラッシュはもうないよ。メダイロンしか。
 ジョン(まだテーブルクロスを見つめて。)それでいいよ。
 ドリーン スープはブラウン・ウインザー? いつものように。
 ジョン うん。
(ドリーン退場。アン、ジョン、マシスン、三人、全く口をきかず。マシスン、デザートを終え、立ち上がり、
広間に出る。この時ドリーン、ジョンのスープを持って登場。)
 ドリーン ほら、スープ。さあ、かきこんだり、かきこんだり。でもまあクラブで水分をとりすぎていたら、もうはいらないかもしれないけど。
(ドリーン退場。ジョン、パンのかけらをもみつぶして屑にする。ゆっくりとテーブルクロスから目をあげ、アンを見つめる。)
 ジョン(ようやく。)これは偶然なのか。
 アン 勿論よ。
 ジョン こんな所で何をしているんだ。
 アン 仕事のあとの骨休め。
 ジョン なぜここなんだ。ほかにいくらでもあるじゃないか。
 アン 推薦があったの。
 ジョン 誰が推薦した。
 アン どこかのパーティで会った人。
 ジョン 僕がここにいるってそいつは言わなかったのか。
 アン 新聞記者がいるとは聞いていたわ。ジョン・マルコムっていう。あなたのこと?
 ジョン そうだ。
 アン ジョン・マルコム。ああ、そうね。あなたの洗礼名だったわ。
 ジョン(荒々しく。) どうしたんだ、一体全体。ロイヤルバース、ノーフォーク、ブランクサム・タワーズ、いくらでもあるじゃないか、一流のホテルは。どうしたんだ、一体。
(ドリーンが来るのを見て言いやめる。)
 ドリーン あとは何にする? だってコックはもうそろそろ終の時間なの。ターンオーバーが一番いいよ。
 ジョン それにする。
 ドリーン スープは終?
 ジョン うん。
 ドリーン 触ってもいないのね。やっぱり水分のとりすぎ・・・
(スープを持って台所に退場。)
 アン 一流のホテルなんて余裕なかったの。
 ジョン 別居手当てはでているんだろう。
 アン 年七百五十よ。楽じゃないわ。いつも仕事はある訳じゃないし。
 ジョン あいつ金持ちだと思ったがな。
 アン マイケルが? いいえ、骨董屋でずいぶん損をしたの。
 ジョン 新聞なんかではひどく名前が売れているがな。
 アン そう。たいした名士。初日はかかさず見に行くとか、そんなことではね。
 ジョン 正確には何年一緒だったんだ。
 アン 三年と六箇月。
 ジョン 僕の方が六箇月負か。あの時の新聞の見だしは見たよ。かなり人目を惹くものだったな。だけど我々の時にはかなわなかった。君だって認めるだろう、それは。慥かまた暴力だったな。
 アン ええ。
 ジョン あいつも君を殺そうとしたのか。
 アン(静かに。)いいえ。
(ドリーン、ジョンのメインディッシュを運んでくる。)
 ドリーン ほーら、メダイロンよ。いつもの野菜? (ジョン、うなずく。ドリーン、野菜をとりわける。)今日はふさぎの虫ね、どうかしたの?
 ジョン いや。
 ドリーン ならいいけど。早く食べてね。友達が待ってるのよ。
(ドリーン退場。ジョン、全く食事する気なし。)
 ジョン あいつの暴力ってのはどんなものだったんだ。
 アン 小出しに、手を変え、品を変えっていう方法。とにかく女は嫌いだっていう言葉で要約されるわね。
 ジョン じゃなぜ結婚なんかしたんだ。
 アン 妻というものが欲しかったのね。
 ジョン そして君は夫が欲しかった。(アン、頷く。) 君の最初の夫とはえらい違いだ。きみも一番目ので少しは懲りてもよかったんじゃないか。
 アン そうね。でもあの人優しくて親切で、笑わせてくれて、私、好きだったの。ちゃんと目を見開いて、冷静そのもので、自分の行動をはっきり見つめながら飛び込んで行ったの。今度は大丈夫だと思った。でも私の間違いだった。(ジョン突然笑う。)何がおかしいの。
 ジョン 女性雑誌のいい質問だな。女性達よ、どちらの夫を君達は望むか。君達を全く愛さない夫か、それとも愛し過ぎる夫か。(間のあと。)次は大丈夫さ。三度目の正直だからな。
 アン そうね。
(間。)
 ジョン どのぐらいいるんだ、ここに。
 アン 二週間の予約。
 ジョン じゃあ、僕はロンドンに行く。
 アン やめて、そんなに嫌なら私の方がよそのホテルに行くわ。
 ジョン その方が楽だな。
(間。)
 アン ジョン、どうして私がいたら・・・
 ジョン ここのおばあちゃん連中がすぐ嗅ぎ付ける。君だって分かるだろう。連中は一日中人の噂をして過ごしているんだ。僕らの話を嗅ぎ出すのに丸一日とかかりはしない。時間なんてくさるほどあるんだからな。それでなくったって僕のことを怪しいと思っているんだ。ケイトーのペンネームで僕がニューアウトルックに記事を書いているのをもう知っていやがる。どうやって見つけ出したんだ。全く見当もつかない。だいたい連中はニューアウトルックみたいなまっかっかの新聞には触るのだって汚らわしいと思っているはずなんだ。それなのに・・・
 アン 私は毎週読んでいるわ。
 ジョン としとってから赤に転向か。
 アン(静かに。)としとって?
 ジョン 何歳なんだ、君は。
 アン あなたに最後に会った時の年に八をたした数。これでいいでしょう。
 ジョン うん。その年には見えない。
 アン 有難う。でも自分ではそれを感じるわ。
(間。)
 ジョン 僕がぶちこまれていた時どうして来てくれなかった。
 アン 行きたかったわ。でもとめられていたの。
 ジョン 誰だ。とめた奴は。
 アン 父と母。
 ジョン 牢番の目の前で君をしめ殺すんじゃないかと思ったんだろうな。君の依頼した弁護士をもう少しでしめ殺しそうになったんだから無理もないか。
 アン 私が会えば余計あなたがつらくなるからって。
 ジョン 育ちのよいキリスト教的な考えだ。僕の義理のご両親様、どうしてる?
 アン 父は死んだわ。母はだいたいこういう風なところ、ケンシントンの。
(間。ジョン、アンを熱心に見つめる。)
 ジョン(やっと。)じゃあ明日は出て行ってくれるんだな。
 アン ええ。
 ジョン それは有り難い。(硬く。)無理矢理不便をかけさせてすまない。
 アン いいの。それは。
(ジョン、急にテーブルから立ち上がりアンに近づく。アン素早く立ち上がる。)
 ジョン さてと、別れの挨拶は・・・握手でもするのか。
 アン また会えて嬉しかったわ、ジョン。
(アン、ジョンの頬に優しくキスする。)
 ジョン 同じ言葉が返せないのは僕が野暮で、田舎者で、乱暴者だからだ。許してくれ、アン。しかしどうせ野暮で乱暴者なんだからしかたがない。実際にそれを証明するものがあるからな。君の頭の左側には、まだあの傷跡が残っているだろう。
 アン もうなくなったわ。
 ジョン なくなった? 五針縫って一週間の入院の傷が?
 アン 八年たてば大抵の傷跡はなくなるものよ。
 ジョン 大抵のはね。分かる。しかし全部じゃない。じゃあこれで。おやすみ。
(ホールの扉に進む。達するまでにクーパー登場。)
 クーパー ミスィズ・シャンクランド――(ジョンを見て。)ああ、今晩は、マルコムさん。
 ジョン 今晩は。
(クーパーの脇を通り過ぎようとする。)
 クーパー あら、マルコムさん、食事で何かありましたか? 私がいませんでしたから何か行き届かないことが・・・
 ジョン 食事はすみました。有難う。ちょっと外出して来ます。
 クーパー あら(心配の気持ち。)ひどい夜ですわ。マルコムさん。どしゃ降りになってきたんですよ。
 ジョン 雨? 雨なんか。
(玄関ホールに出る。)
 クーパー(後を追って。)じゃあ玄関をあけなくちゃ。もう閉めてしまっているんです。ちょっと失礼。ミシィズシャンクランド。
(後を追って退場。アン一人残されて再び椅子に座る。長い間。手鏡を出して自分の顔を眺める。クーパー帰ってくる。)
 クーパー 広間にコーヒーをだしますので、ミスィズ・シャンクランド。夕食がおすみになったら、ここの他のお客様達にご紹介致しますわ。 新しいお客様と最初なかなか打ち解けないっていうことが時々ありますの。どうしてでしょう。(私には分かりません。)とにかく、お客様に寂しい思いをおかけしないようにと心がけていますの。(打ち解けた風に。)寂しさって本当に恐ろしいことですもの。違うかしら。
 アン ええ、そう。恐ろしいことですわ。
(アン、テーブルから立ち上がる。)
 クーパー あら、おすみですか、じゃ一緒に参りましょう。広間はこちらなんです。
(広間の扉の方へ案内する。)
 アン ええ、では・・・
                    (暗転)

     第  二  場
(場面 広間。二時間後。食堂に行く扉は右手に、玄関ホールに通じる扉は中央奥。左手にフレンチウインドウ。今はカーテンが閉められている。硝子を打つ雨の音。右手に暖炉。電気ストーブがついている。チャールズとジーンだけが部屋にいる。二人一つのソファの両側に座って熱心に本を読んでいる。時々メモを取る。)
 チャールズ(長い沈黙を破って、本の方を向いたまま。)嵐になりそうだな。
 ジーン 私濡れるの嫌い。
 チャールズ(間のあと。)皆はどこへ行ったんだ。
 ジーン 新しく来た人は自分の部屋、女王様と鼠のおともはテレビのある部屋、カール・マルクス氏は外で飲んだくれている。チップス先生は画家の、昔の生徒に電話中。
 チャールズ あいつは来っこない。
 ジーン 勿論来っこないわ。(本を閉じ、伸びをする。)私、この本おしまい。解剖学の進み具合どう?
 チャールズ 君が口を開かなければ、進むんだがな。
 ジーン(窓の方へ行き。)この話、私が始めたんじゃないわ、あなたよ。あなたのお父様、私のことご存じ?
 チャールズ(メモを取りながら。)うん。
 ジーン 何て言ったの。
 チャールズ 何が?
(ジーン、チャールズの本をひっくり返して彼の膝にのせる。読む邪魔である。)
 ジーン なんてお父様には話したの。
 チャールズ やめてくれよ、ジーン。このリンパ管のやつ、なかなか難物なんだ。丁度面倒くさいところにさしかかってるんだ。
 ジーン 何てお父様には話したの。
 チャールズ(怒って)えーい、くそ。うるさいな。二人は恋愛関係にあって結婚するつもりだって言ったさ。
(チャールズ、本を元に戻し、またかがみこんで、メモをとろうとする。)
 ジーン じゃあ、まっかな嘘を話したのね――結婚するだなんて。
 チャールズ なんだって? ああ、そんな風な言い方をしなきゃ、親父にはわかりっこないじゃないか。なあ、もう黙ってくれよ。
 ジーン このへんでやめた方がいいのよ。これ以上やったらまた眠れなくなって年よりふけちゃうわ。
(チャールズ、本を取られるままにする。)
 チャールズ それもそうか。ページを分からなくしないでくれよ。(伸びをする。)畜生、年より早くふけるか。ふける――老人――年寄ってみんなここにいる連中みたいに惨めなのかな。ひどいもんだ、ここは。
 ジーン 惨めじゃないわ、ちっとも。夢のおばあちゃんを見てご覧なさい。いつだってウキウキしているじゃないの。(死んだ)歴史上の人物と意思を通じあったり、競馬の結果を待ち焦がれたり。女王様だって幸せよ。銀狐の毛皮をまとって、威風堂々じゃないの。身のまわりの世話はあの人の娘さんがやくし・・・
 チャールズ あの人に娘さんがいるの?
 ジーン あなた、何を聞いているの? あの可愛い娘のシビルの話をしないでは夜も日もあけないじゃないの。うちの子は私とは親子の関係じゃありません。友達の関係なんですよ。うちの子は私なしでは生きてゆけないんですの・・・
 チャールズ へえー?  その娘さん、ここであいつと一緒に暮らしてるって? 驚いたな。そりゃ散々な人生だ。僕は見たことがないけど・・・
 ジーン 二週間ばかり伯母さんのところへ行っているって話だわ、どうやら。とにかくあの女王様、猛烈な自己中心主義で、とても不幸なんかにはなれやしない。鼠のおともちゃんは確かにしょんぼりしていて灰色の人生だわね。でもあの人だって楽しみにしている音楽があるわ。チップス先生は昔の教え子がいるじゃない。もっとも会えたためしはないけれど・・・カール・マルクス氏は・・・そうね・・・
 チャールズ 見てみろ。カール・マルクス氏が惨めでないとは言わせないぞ。あいつぐらい惨めな敗残者は見たことがないな。
 ジーン それほどでもないんじゃない。まず飲んだくれる楽しみ。ニューアウトルックに載る自分の記事。何か過去に横たわる薄暗い事件。それに時々仄めかす昔の栄光。(真面目に。)違う、チャールズ、私がホンットに惨めな人だと思っている人、このホテルにいるんだけど、それ誰だか分かる?
 チャールズ ミス・クーパー?
 ジーン(軽蔑的に。)ミス・クーパー。惨めであるもんですか。ここをうまくキリモリしているじゃない。トイレに注意書きをベタベタ張り付けたり。はつらつだわ。いいえ、新しく来た女の人。
 チャールズ ミスィズ・シャンクランド? だけど君、一目見ただけだろ? 一時間前に。
 ジーン 女は女の目をごまかせないの。いくら奇麗な服を着たって、陽気にふるまったって、明るい笑顔を見せたって。なにかひどーい目にあったのね、あの人。だって、一体こんなところで何をしようって言うの。あの姿、形、顔、それにあんなにちゃんと着飾って・・・ロイヤル・バース・ホテルかなにか、それでやっと釣り合いが取れるのに・・・(暗い表情。)それにあの人結婚指輪していなかったわ。
 チャールズ なーんだ、ジーン。君にまでここのおばあちゃん連の噂癖がうつったのかい。こわれているのかもしれないじゃないか。
 ジーン 私の結婚観は私達二人にだけ通用するの。私はキャリヤーウーマンになる予定。あなたは有名な外科医になって、診察室に自分の子供達がウロチョロは駄目。つまり子供はいらない。でも普通の人は思慮が足りないの。私達とは違う。結婚して思った通りにいかなくなると惨めになるの。ありがたいことに、私達はそうはならない。一人で自己完結してるの。少なくとも私はそう。だからあなたもそうであってほしいわ。
 チャールズ じゃあ来てキスしてくれよ。僕が一人でどれだけ自己完結しているか見せてやるよ。
 ジーン そのカラーに口紅がつくのがおちよ。それでおばあちゃん達に見破られちゃう。
 チャールズ ねえ、ジーン、時々僕はね、君が少しは自己完結していなくて、僕を頼ってもいいのになという気になるんだがな。
(チャールズ、大股に進み、ジーンにキスする。ジーンも抱擁を楽しんでいる様子。ホールに声。)
 チャールズ 畜生!
 ジーン(落ち着いて。)口を拭いて。
 チャールズ ほっとけ! あいつらだって若者のいちゃいちゃぐらい知ってなきゃならんはずだぜ。
 ジーン 知ってはいるでしょう。でも好きじゃないわ。
(レイルトンベル、マシスン登場。)
 レイルトンベル そう、あの人あざやかだったわ。あの改革派の論敵を徹底的に論破して・・・(冷たく。)今晩は。お勉強は終?
 チャールズとジーン(同時に。)ええ。ええ、終わりました。これから上に上がるところです。
 レイルトンベル  おやすみなさい。
 チャールズ、ジーン(同時に。)おやすみなさい、ミシィズ・レイルトンベル。おやすみなさい、レイディ・マシスン。
(二人退場。)
 レイルトンベル あの人達いちゃいちゃしてたのよ。
 マシスン どうして分かるの。
 レイルトンベル あの目つき。私がはいってきたら慌ててハンカチで口を拭っていたわ。口紅がついていた。
 マシスン じゃあ恋人同志ね。何かあるとは思っていたわ。
 レイルトンベル でもここには勉強のためだけに来たことになっているのよ。昔馴染みとか何とか言って。ミス・クーパーが聞いた話はそう。もし恋人同志ならどうしてそう言わないんでしょう。私、こそこそするのは大嫌い。あら、何の話でしたっけ、
(二人暖炉のそばの椅子に座る。席は決まっている様子。)
 マシスン テレビの討論会。素敵な論客の話。
 レイルトンベル そうそう。あの人の素晴らしい論点があったわね。何でしたっけ。
(外からフレンチウインドウが開かれ、カーテンが内側に激しくはためく。)
 レイルトンベル あら、まあ。
(膨らんだカーテンの中からやっとこさ、ジョン現われる。ずぶ濡れのレインコートを着ている。)
 レイルトンベル 早く、早く、閉めて。風がはいってきます。
 ジョン 風? ああ、そうか。
(ジョン、再びカーテンの中に隠れる。 レイルトンベル、マシスンと無言で言葉を交わす。その口は「酔っ払い」を示している。)
 マシスン あの人が言っていたのは何だったかしら。そうそう。国民総生産をどうするか。つまり国家のパイをどうするのか、と。
(ジョン、やっとのことでフレンチウインドウを閉める。 再びカーテンから出て来て、レインコートのまま火の傍の椅子に進み、両手を暖める。二人の婦人、これを見る。レイルトンベル、彼の存在を無視することに決める。)
 レイルトンベル それで思い出したわ。生活水準を上げるとか、下げるとかの話の時にあの人が出した素晴らしい解答よ。覚えてる? こう言ったのよ。社会主義者達はただただ国家のパイを平等に切って分配することしか念頭にないが、保守主義者達はこのパイ自身を大きくしようとしているのだって。
(レイルトンベル、ジョンを見る。「これが聞こえたか」と言わんばかり。ジョン相変らず両手を火にかざしたまま、聞こえている様子なし。)
 レイルトンベル それからこう言ったわ。今の段階で労賃を上げることはパイが小さいままでそれを細かく切って・・・
 ジョン(ぶっきら棒に。)誰が言ったんです、それを。
 レイルトンベル サー・ロジャー・ウイリアムスン。テレビで。
 ジョン あいつが言いそうな事だ。
 レイルトンベル(憤然として。)どうやらあの方の意見に反対のご様子ですね、マルコムさん。
 ジョン 勿論反対です。僕が反対することぐらい先刻ご承知じゃありませんか。反対とか賛成を言っているのではありません。僕が不思議に思うのは、何故選りに選ってあんな馬鹿をテレビに出したかっていうことです。保守党にはいくらでもいい人材がいるのです。あんな作り声をしたオットセイの間抜け面を出さなくってもね。おまけにあいつの考えときたら知恵遅れの八歳の子供にも劣るっていうのに。
 レイルトンベル それは私達のサー・ロジャー観とはちがいますわね。
(ジョン沈黙。一瞬何か思い出に耽っている様子。)
 ジョン ロジャーのやつもかわいそうに。女遊びがひどかったんだな。どうしてもこの際少々でも泡銭(あぶくぜに)をかせぐ必要があったんだ。
 レイルトンベル(あっけにとられて暫く口もきけない。)そんな立ち入ったことをおっしゃると言うのはサー・ロジャーと個人的なお付き合いがおありだったということなんですね、マルコムさん。
(ジョン振り向く。あたかもこんな女がここにいたのか、という表情。)
 ジョン いや、會ったこともありません。
 レイルトンベル じゃ、あなたにどういう権利があって・・・
 ジョン 何の権利もありません。噂です。噂。それだけ。
 レイルトンベル 随分人を侮辱した話ですわね。失礼ですが。
 ジョン そうです。この話が真実だとすると、もっと侮辱したことになるでしょう。ところでサー・ロジャーは他にどんなことを言いましたか。造船労働者のサボタージュについて何か言いましたか。
 レイルトンベル よくご存じですこと。言っていましたわ。だいたい造船労働者には愛国心のかけらもないのか・・・
 ジョン 連中ぐらい愛国心のある人間はイギリス中どこをさがしたっていはしない。
 レイルトンベル そのおっしゃり方、随分強うございますわね。噂でお聞きになっただけの話ではないような。
 ジョン ええ、聞いただけの話とはちがいます。私自身昔ドックで働いていましたから。
(間。)
 レイルトンベル(やっと。)そう伺っても、こう申し上げては失礼かもしれませんが、私ちっとも驚きませんわ。
 ジョン 驚かれない。まあそうでしょう。こちらも驚かれないと聞いて驚きませんから。(軽くゲップをする。)失礼。ウイスキーの飲み過ぎで・・・
(ジョン、座る。レインコートのまま。レイルトンベルと マシスン、お互いに目配せする。ジョン、それを遮る。)
 ジョン 身体はあったまりますからね。ところでお二人はニューアウトルックをお読みになっていらっしゃる?
 レイルトンベル あんなもの読むものですか。手が穢れるだけですわ。
 マシスン 私、時々は見ます。ええ。(急いで。)でも勿論政治面ではありませんわ。あれにはとてもいい音楽評論が載っていますから。
 ジョン なるほど。するとあなたですか。ケイトーの正体が私だと見破ったのは。切れる頭ですな、なかなか。しかしどうして分かったんです。
 マシスン(混乱して。)エー、いつかあそこのテーブルにタイプ打ちの原稿が置きっぱなしになっていたんです。何か分からないまま手に取ってちょっと最初の一節だけを読んだのですわ。それ以上は読みませんでした。でも一週間くらい経った後、印刷になったものを見た時、それと分かるには十分でしたわ。
 ジョン そうか。じゃ僕の失策だったんだ。これは恨んでいた僕が悪かった。(再びゲップをする。)失礼。それは何について書いたものでしたっけ。
 マシスン 配当と賃金について。
 ジョン 読んだのですか。全部?
 マシスン ええ。
 ジョン で、ご感想は?
 マシスン(思いがけない勢いで。)お聞きになりましたからお答え致しますけど、あれは呆れ返った議論ですわ。本当に呆れ返った。もう少しであなた宛に投書しようと思った位ですわ。
 ジョン なさればよかった。僕は反論されるのが好きなんです。しかしどうやらこの問題を個人的なこととして受け取っていらっしゃるようにお見受けしましたが。
 マシスン 個人的なこととして受け取りましたとも、勿論。他に考えようがあるでしょうか。申し上げておかなければならないのは、私は現在造船労働者の所得の半分以下で生計をたてていかねばならないということです。夫は国家公務員でした。が、年金制度が実施になる前に亡くなったのです。それでも残された金額は当時、配当金によって生活するに十分に思われました。しかし今となっては・・・
 ジョン わかります。現在あなたはラジオを修理に出すのもままならない。ラジオはあなたの命だというのに。去年ここで値上げがあった時、あなたはうしろの小さな部屋に移らざるをえなかった。大好きな映画は週に一度。それも最前列の安い席。多分ニューアウトルックを買う余裕もない――これは人から借りてお読みになる。要約すれば、中流の水準をどんなに下にとったところであなたの生活水準は貧困の最低線に近い。さてレイデイ・マシスン、私は困窮者の味方、常に彼らに同情を払ってきました。従ってあなたも私の同情を得て然る可き人物なのです。
 マシスン 結構です。あなたの同情などなしに十分やっていけます。
 ジョン そうでしょうか。でも、あなたの不幸の原因は我々ですよ。我々革新派の改革の犠牲になったのです、あなたは。あなたばかりではありません。ミス・ミーチャムも、ファウラー氏も、他の人達も。従って我々革新派の同情に当然訴えるべきなのです、レイディ・マシスン。
 マシスン 革新派に一票を投ずることによってでしょうか。
 ジョン それが最も現実的な方法でしょう、当面。
 マシスン(しっかりと。)なんていう破廉恥な、死んでもしませんわ。
 レイルトンベル ちょっとお尋ねしますけど、犠牲者のお話の時何故私の名前が出なかったのかしら。
 ジョン あなたは、まだ犠牲者のうちに、はいっていないからです。そのうち我々の不労所得に対する課税法案が通るでしょう。するとあなたの後生大事に守ってきた少々の蓄えもすっかりガタがくることになります。(その時になってから我々に同情を求めに来られることですな。)
 レイルトンベル(カンカンに怒って、マシスンに。)グラディス、行きましょう。マルコムさんにはここでゆっくり寝て、頭を冷やして貰いましょう。
(二人立ち上がる。)
 ジョン ああ、あちらにいらっしゃいますか。では礼儀だけは守るとしまして・・・
(ジョン、椅子から立とうとする。足ふらつく。)
 ジョン いや、なかなか楽しい会話でしたな。お忘れなく、次の選挙には、革新に清き一票を。
 レイルトンベル 私達がいけなかったんだわ、グラディス。こんな赤の飲んだくれの議論に巻き込まれるなんて。
(明らかにこれを捨て台詞にしようとしていた様子。しかし退場のタイミングをうまくこれに合わせることがで
きない。丁度マシスンが一生懸命何かを捜しているからである。)
 レイルトンベル(いらいらして。)さあ、グラディス、行きましょう。
 マシスン 読書用の眼鏡が何処かへ行ってしまって。
(クーパー、コーヒーポットとカップの盆を持って登場。)
 クーパー (明るく。)ここにいらしたの。ミスィズ・レイルトンベル。お待ちになりました? コーヒーをお持ちしました。
 レイルトンベル(含みのある言い方。)有難う、ミス・クーパー。でも今夜はコーヒーはいりませんわ。私。
(いらいらと、マシスンに。)まだ見つからないの、グラディス。
 マシスン 椅子の方をもう一度見てみるわ。
(マシスン、自分の椅子の方へ進む。その間クーパー素早く見回し。これまでの状況を推測する。盆を置き、きつい顔でジョンを見つめる。)
 クーパー(管理者の声。)マルコムさん、フレンチウインドウから入ってきましたね。
 ジョン(従順に。)ええ。
 クーパー このホテルはそれを禁じているのです。ご存じですね。
 ジョン 忘れていました。すみません。
 クーパー 床中泥だらけですよ。(彼の椅子に近づいて。)あら、レインコートを着たまま椅子に座って、椅子がびしょ濡れ。
 ジョン すみません。
 クーパー 早くそのレインコートをかけて来てください。そのためにちゃんとハンガーが用意されているんじゃありませんか。それから靴もマットで拭ってきて下さい。そのためのマットなんですよ。
 ジョン 分かりました。すみません。
(ジョン、レイルトンベルの横を通り、ホールに出る。マシスン、相変らず、椅子のあたりを捜している。)
 クーパー(心配そうに。)なにか不都合なことがございましたの?
 レイルトンベル 不都合! 不都合で済めば結構なこと。
 クーパー あら! どんなことでしたの。
 レイルトンベル 今はお話したくありません。(非常にいらいらと。)お願い、グラディス。何をぐずぐずしてるの? あの嫌な男、叉入ってくるわよ。早くしないと。
 マシスン(嬉しそうに。)あったわ、やっと。椅子の下にあったのよ。
 レイルトンベル どうして真っ先にそこを捜さなかったんでしょうね。すぐ分かりそうなものなのに。
 マシスン 夕食の後、私ファウラーさんの椅子に座ったの。だって新しく来たあの人が私の椅子に座っているんですもの。そりゃ知らないんだから無理もないけど・・・で、私・・・
 レイルトンベル そんなことどうでもいいわ。早く行きましょう。早く。
(扉を通る時マシスンに「シーッ」と唇に指を立てる。クーパーの方に向き直り。)
 レイルトンベル 明日朝食後にお話がありますわ、ミスクーパー。おやすみなさい。
 クーパー おやすみなさい。ミスィズ・レイルトンベル。
(レイルトンベル退場。クーパー溜息をつく。ジョンが座っていた椅子に進み、そこからクッションを取り、火の傍に置く。ファウラー登場。書き物机に進む。)
 ファウラー ああ、ここでしたか、ミス・クーパー。メモ用紙を取りに来たんです。
 クーパー 電話、通じました? ファウラーさん。
 ファウラー 駄目です。もちろん何度でもやってみるつもりでいますが、とにかく何かの間違いですよ。電報を出したけど、ここの宛名がちゃんと書いてなかったとか、そんな。
 クーパー そうでしょうねえ。
 ファウラー 夜っぴて誰かに起きていて貰う訳にはいきません。私の部屋から玄関のベルは聞こえますから、私が自分で開けてもよろしいでしょうか。
 クーパー それは一向に構いませんけど、でも、こんな時間になってまだいらっしゃる可能性があるとお思いですの?
 ファウラー 車を拾って来るかもしれません。 あいつは出費など全く気にかけない男ですから。ご存じでしょう? ああいった絵かきの連中のやること。ではまあ、おやすみ。
 クーパー おやすみなさい。ファウラーさん。
(ファウラー退場。クーパーあちこち歩いて絨毯の泥を調べる。クーパー膝をつく。と、ジョン帰って来る。沈黙の儘、陰気に椅子に座る。クーパー、一つ一つ紙で泥を拭く。紙屑箱へ行き、その紙を捨てる。レイルトンベルに断られた珈琲に進み、カップに注ぐ。ミルクは入れず二つ砂糖を入れる。黙ってそれをジョンに渡す。ジョン受け取り、クーパーを見ながらすする。クーパー、彼の椅子の腕に座り、優しく自分の頭をジョンの肩に乗せる。)
 クーパー(優しく。) ひどく酔ってるの?
 ジョン いや。
 クーパー 何杯飲んだの。
 ジョン 金のある限り。たいした有り金じゃなかった。
(間。クーパー、ジョンの手をとる。)
 クーパー 何かあったのね。
 ジョン 何かというほどのこともないが・・・
 クーパー 話して戴けない?
 ジョン これは無理だ。
 クーパー(陽気に。)じゃ、いいわ。おばあちゃん達には何を話したの。
 ジョン 喋り過ぎだ。なんてアホなんだ。俺って奴は。
(ジョン、コーヒーを置く。立ち上がってクーパーから離れる。クーパー心配そうに彼を見る。)
 ジョン ここを出て行かなきゃならん。
 クーパー(強く。) それは駄目!
 ジョン 駄目でも駄目だ。きっと。
 クーパー 駄目でないようにします。あの人達は任せて。でも、そんなにひどいことを?
 ジョン(苦々しく。)それほどでもなかったと思うんだが。ただ酔いにまかせていつもの持論をぶちまけた。見せびらかしだ。二人のおばあちゃんを前にして僕がどんなに頭の切れる政治評論家かっていうところをね。ちらちらと僕の過去がいかに偉大であったか仄めかして。おまけにドックで働いていたことがあるとまで口走った。馬鹿なことだ!
 クーパー まあ。
 ジョン ロジャー ウイリアムスンと付き合いがあったとまで。まあ、こいつはうまくごまかしたとは思うが。
 クーパー ごまかしが効いていることを望むわ、私も。それが効いていなかったら、あの女王様、警察犬のように嗅ぎまわるわ。他には?
 ジョン 分からない。考えたくない。朝になったら嫌でも思い出すよ、これは。(惨めに。)パット、すまない。
(ジョン、優しくクーパーに腕をまわす。)
 クーパー 大丈夫、うまくごまかすわ。さあ、コーヒーを飲んで。
(ジョン、従順に再びカップをとりあげる。)
 ジョン 何故俺はこんなことをするんだ。昔はちゃんと抑えられたのに。
 クーパー(頬にキスしなから。)過去が過去ですもの、無理はないわ。
 ジョン 芝居の登場人物みたいに扱わないでくれ。さっき自分でうんざりするぐらいやったばかりなんだ。俺って奴は何でもない男だったのかもしれない。
 クーパー 新聞の切り抜きを見せてくれたじゃない。ここに偉大な政治家の卵が・・・
 ジョン 政治予想屋が勝ち目のない馬を本命と書きたてただけさ。何も起こらなければそのまま忘れ去られるし、僥倖で何かが起きれば、「見ろ、俺は二十年前にこのことを見抜いていたんだ。」って・・・
 クーパー でも、あなたは三十にもならないうちにもう政務次官を務めたんでしょう?
 ジョン(突然立ち上がり。)そうそうそう。こんなことはどうでもいいんだ。有望な若い政治家で、中年になって目が出ない奴なんて掃いて捨てるほどいるんだ。別にどうってことはない。全く何ってことはない。
(ジョン、この時までにクーパーから離れて立ち、床を見つめている。)
 クーパー(静かに。)何かがあったのね。これほど荒れる何か。話して下さるといいんだけど。
 ジョン いや、これは話せない。言ったろう。だけど大事な事じゃないんだ。
 クーパー ウイスキーを浴びなきゃならない程度には大事だったんでしょう。
 ジョン その程度の大事さならいくらでもあるよ。ウイリー・バーカーが大臣になったと聞いた時は一本あけた。
(間。)
 クーパー もう一度戻れないかしら。
(ジョン、鋭く笑う。)
 ジョン そんなことになってご覧。保守党の新聞は大喜びさ。ジョン・マルコム・ラムズデン氏、労働党代表として立候補する。思いおこせば一九四五年期の政務次官であったラムズデン氏は一九四六年、酔にまかせて彼の妻に暴行を働き、止めにはいった警察官に襲いかかり、公務執行妨害のかどで六ヶ月の禁固刑を申し渡された。見だし。監獄入りの有望株、再起す。御免だ。僕はジョン・マルコムで結構。新聞記者。中年の飲んだくれ。先頃までボーンマス・ボーリガード・ホテル在住。おばあさん連中の恐怖の的。この方がずっといい。本当だ。
(ジョン、再び彼女から顔を背けている。クーパー、彼に静かに近寄り、両肩に両腕を置く。)
 クーパー ねえ、ジョン。何があったかは聞かないことにするわ。でも私に何かできないかしら。何か。
(ジョン、振り返り、クーパーを見つめる。)
 ジョン(さっぱりと。)ねえ、パット、僕は君を愛しているんだ、誠実に。
 クーパー(微笑む。)「誠実に」ねえ。お兄さんが妹に言うような言葉だわ。
 ジョン(微笑み返す。)君はもう知っているじゃないか。僕の君に対する感情が肉親の愛をとっくに越えていることを。
 クーパー ええ。でも、そうは言っても・・・御免なさい。感謝していないような口ぶり・・・もっと証拠が・・・
(二人近づく。ホールの方から物音がする。二人自然に離れる。長い間の習慣のよう。アン、入って来る。)
 クーパー(明るく。)ああ、今晩は、ミスィズ・シャンクランド。もうおやすみになっていらっしゃると・・・
 アン ええ、上には上がったんですけど、まだベッドには・・・本を読んでいましたの。
 クーパー あの部屋の椅子、如何でしたか。なかなかいいでしょう、座り心地。
 アン ええ、大変。
(アン、入り口はいったすぐの所に立ってジョンを見ている。ジョン、一目見ただけで視線を逸らす。)
 クーパー 何か下に御用がおありでしたか、ミスィズ・シャンクランド。
 アン(おずおずと。)いいえ、ただちょっと少しお話がしたいと思ったのですけど・・・マルコムさんと。
 クーパー(再び明るく。)あら、お知り合いでしたの?
 アン ええ、随分昔。
 クーパー え?
(クーパー、ジョンを見る。名前を隠している現在の状況から判断して「人違いです。」という言葉をジョンから期待するが、ジョン、何の反応も示さない。)
 クーパー ああ、いいですわ。 ではどうぞお二人で。何か御用がありましたら暫くしてここに回って来ますから。
(クーパー退場。扉を閉める。アン、ジョンを見続ける。ジョン、相変らず彼女の視線を避けている。)
 アン お互いに何も言わないでこのまま別れてしまいたくなかったの、ジョン。いけなかったかしら。
 ジョン いけない? 何がいけないんだ。
 アン 夕食の時、テーブルから鉄砲玉みたいに跳びだして行ってしまったんですもの。私の顔を見るのもお嫌なのかと思って。
 ジョン(ゆっくりと、始めて真正面からアンを見る。)君の顔を黙ってじっと見ること、これだけだね、僕が君に関して嫌じゃないことは。
 アン(少し笑う。神経質な笑い。)あら、それは聞いて嬉しいことではないわ。あまり。
 ジョン 顔のことをほめられて嬉しいっていう時期はもう過ぎたのか。君のナルシシズムはおわったのか。
 アン いいえ、まだあるわ、きっと。でもあなたから嫌われるのは嫌だわ。
 ジョン へえー、そうかな。昔は嫌われるのが好きだった。
 アン それは誤解よ、ジョン。あなたいつだって誤解していた。
 ジョン(静かに。)そうは思わないな、アン。君は僕から嫌われようとしていた。だから僕は君の行動が何か言いあてることができたんだ。(僕の一番して欲しくないことをやるにきまっているんだからね。)
 アン あなたは私がやる事は何でもお見通しだっていつでも言っていたわ。私、この言葉がひどく嫌いだった。「お見通しだった。」って言われて、それが間違っているって事を証明するのは不可能ですものね。
 ジョン そう、そうそう。御尤もだ。もう上に上がった方がいい、アン。そして明日静かにいなくなるんだ。その方がいいよ。本当。
 アン いいえ、ジョン。もう少しいさせて。私、座ってもいいかしら。
 ジョン それは僕の行儀の悪さを指摘するためかい?  君が立っている間、僕は座っていちゃいけなかったんだ。
 アン(優しく笑って。)随分お堅いわ。以前よりももっとお堅くなったみたい。(座る。)あなたいつもお行儀がよかったわ。
 ジョン 違うな。チクチクとよく行儀を直されたな。
 アン ええ、まあ時々ね。 私みたいに、あなたの事をよく分かっていない人が客に来た時は、仕方ないでしょう?
 ジョン(微かに微笑む。)ああ、その答も分かっていた筈だなあ。ただ、今の場合少し時間が足りなかった。
 アン(微笑んで。)まあ、私のすることってそんなにあなたには見えすいているのかしら。それは最初の最初から?
 ジョン うん。
 アン じゃあ、何故私と結婚を?
 ジョン また僕の返事を聞いて、君の自尊心を満足させたいんだな。よろしい。何故ならあの時、僕は狂ったように君が恋しかった。君への憧れで、胸は張り裂けそうだった。だから、君が頼むものは僕には何一つ断れなかった。結婚でさえ断れなかったんだ。これが破滅に終わることを僕の理性が冷徹に僕に告げていたにも拘わらずだ。
 アン 何故それがそんなに破滅に終わる運命にあったのかしら。
 ジョン 階級の差だな、主に。
 アン 階級? まあ、それは馬鹿な話よ、ジョン。自分で低い階級って決めて掛かっているせいだわ。
 ジョン いや、決めて掛かっているからだけじゃない。ケンシントンゴアの高級住宅地とドック労働者のスラム街の差はいまだに大きい。僕は、何度も君に話したが、八人家族で育った。母親は子供を育てるため、亭主の無事安泰のため、自分自身の健康と力と安逸を全て犠牲にした。僕はそれを見て育った。だから僕の主婦観はどうしてもこれに影響を受けずにはいない。勿論僕は自分の妻にこれほどの自己犠牲を要求しはしない。しかし最低線、つまり家庭の適切な切り盛り、それに子供を生み育てる事、このぐらいは(含まれているんだ。)
 アン(かっとなって。)子供については私は最初からはっきりさせていた筈・・・
 ジョン そう。君は、はっきりさせていた。名の通ったモデルは(自分の)子孫のために自分の容姿を犠牲にすべきではない。僕はこの条件は受け入れたんだ、アン。無条件にね。僕には不満はないよ。
 アン(怒って。)あるのよ。ジョン。あなたには不満があるの。昔からちっとも変わっていないわ。あなたの不満、結婚のその時から私があなたを愛していないって・・・
 ジョン ああ、またそれか。八年経ってまたそれをやらなきゃならないのか。
 アン ええ。やらなきゃならないの。はっきりさせておく必要があるわ。あなたは今認めたわ、結婚を望んだのは私の方だったって。いい? もしそれが本当なら――実際本当なんですけど――愛以外の何が動機になったと言えて? ええ、まあ、あの頃、確かにあなたは政務次官だった。でも公平に考えてみましょう。あの頃地位だけで言えばもっと高い人達が私達の・・・
 ジョン(遮って。)分かってるよ、アン。細かいところまでいまだに全部覚えているんだ。男爵に、オーストラリアの百万長者、それに映画のプロデューサー。
 アン そうでしょう、見てご覧なさい。
 ジョン(静かに。)君はこわかった。 だから結婚したんだ。三十になろうとしていた。もうこれからの人生は、自分の姿を鏡に写していつも満足する訳にはいかない。容色とみに衰えるからね。自分に言い寄る男達を次々と軽くあしらう楽しみもそう長くは続かない。その数はめっきり減るからね。
 アン いい台詞だわ、ジョン。でもそれは貴方を何故選んだかは説明していないわ。男爵でも百万長者でもいいはずよ。
 ジョン 何故なら連中じゃあ、値段が払えないんだ。
 アン 値段?
 ジョン 君が自分につけた値段だ。嫌々ながらだが結婚するんだ。君は自分に値段をつけた。
 アン 男爵の地位では買えない値段?
 ジョン 買えない。
 アン 百万長者でも?
 ジョン 買えない。
 アン その値段て、じゃあ、何?
 ジョン 君が牛耳る権利。夫の隷属化だ。
 アン あら、ジョン、何てお馬鹿さんなんでしょう。この非難もう昔にも聞いたわ。
 ジョン そうだろうな。
 アン 私が牛耳る権利だなんて。じゃあ、どうして貴方が相応しいの? 他の人なら私が牛耳る権利を持てないっていうの?
 ジョン 違うよ、アン。連中は最初から牛耳られている。雇っている庭師にまで牛耳られているような奴等だ。そんな奴を君が牛耳ったって面白くもなんともありはしない。君はもっと大きな獲物が欲しかった。荒々しい獲物だ。君は最大の武器を持っている。夫婦の交わりを拒絶するという武器だ。君がその武器を使った時、あのおとなしい男爵だの、オーストラリアの百万長者だのに、何が出来るっていうんだ。行儀が良すぎて抗議も出来はしない。ベッドの時間、それも丁度その時間に「私、頭痛がするの。」すると連中は言うのさ。「そうか、かわいそうに。明日の朝には良くなるよ。気をつけるんだよ。そういやあ、僕も今日は少し疲れたか。」とんでもない、アン。こんな連中に君の大事な武器を使って何が面白い。この俺だったらどうだ。ドック労働者あがりの、本物の、生きている、おたけびも荒々しい野獣。こいつにその武器を使う。彼の当然の権利、甘い優しい接触、結合、あの喜び、それへの希求に彼をひれ伏させるのだ。ひれ伏すまいと彼が決心したらどうなる。浴びるほど飲んで、怒り狂って、鍵をかけて閉じ篭っている君の部屋を蹴破って、君を殴り倒して壁にぶっつけ、気絶させるのさ。これが本当に面白いっていうものなんだ。
 アン(やっと。)まあ、呆れた、ジョン。なんていう話かしら。
 ジョン そうだ。呆れた話だ。君は僕を許してくれなくちゃいけない。挫折した政治家の繰り事なんだ。それに今夜は普通以上に酔っ払っている。
 アン(その言葉に縋るように。)私を見たため?
 ジョン うん。
 アン 御免なさい。
 ジョン 君は御免とは思っちゃいないよ。
(アン、笑う。今ではかなり陽気に。自信が出てきたのである。)
 アン あなた、変わらないわ。
 ジョン そうか、変わらないか。
 アン 昔からのジョン。ちっとも変わらない。本当のこと、半分本当のこと、それを歪めてみたこと、みんないっしょくたにして奔流のように吐き出すの。するとどういう訳か、それらしい奇麗に筋の通った話になっている。貴方の話になっているの。でも、人間てそんなに単純じゃないの、ジョン。あなたの話のようには。あなたは一番大切なことを全く考慮に入れていないわ。
 ジョン 大切なこと?
 アン ええ。それはね、あなたはこの世界中で、私が好きになった、たった一人の人っていうこと。私、今、「好き」って言ったわ。「愛」っていう言葉を言わなかった。貴方に反論されないよう用心したの。煙草を頂戴。(ジョン自分のポケットから箱を取り出す。)あら、まだこのひどい吸い口つきのを吸っているのね。私、自分のにするわ。バッグを取って。
(アンの声に、優位に立った者の強い響きあり。ジョン、従順にバッグを渡す。アン、シガレットケースを取り出す。)
 アン 私の「好き」っていうことに反論があるかしら。
 ジョン 僕に言えることは、君の好き方は異常だっていうことだね。不意打ちで來るんだ。
 アン 私、玄関の足拭きじゃありませんからね。時々は逆襲しなければ。そうでしょう?
 ジョン そうだろうな。武器の選び方だ、不公平なのは。
 アン だって他に私には何もないんですもの。貴方には頭があるし、雄弁があるし、私を安っぽい人間に思わせる能力があるわ。今だって早速やったじゃないの。
 ジョン 僕が? それはすまない。
 アン とにかく、敵の弱みに付け込むというのが戦争の鉄則でしょう?
 ジョン 戦争の鉄則だろうけど、結婚の鉄則ではないな。
 アン 結婚も戦争のうちよ。
 ジョン 君にとってはね。
 アン(微笑んで。)貴方にとってもよ、ジョン。そうでないとは言わせないわ。
 ジョン そして君が突く僕の弱点は、僕の君に対する気も狂わんばかりの愛か。
 アン そういう言い方がいいなら、それでもいいけど、もっとスマートじゃない言い方もあるでしょう?
(訳註 「私の身体が欲しいだけ」という言い方もある、の意)
(ジョン、沈黙。アン、ホルダーで煙草を吸っている。それをジョン、じっと見る。アン、今ではすっかり自信あり。)
 アン それに貴方と私は、結婚生活のそちらの面では、お互いに合意のとれたことは一度もなかったわ。
 ジョン そう。なかった。
 アン どうしてそんなに見つめるの。
 ジョン 理由は分かっているじゃないか。
 アン(嬉しそうに。)ええ。でも止めて。困ってしまうわ。
 ジョン そうか。
 アン 本当に私、あまり変わっていないかしら。顔、形、のことだけど。
 ジョン(顔を見ずに。)全然。
 アン メイキャップが上手なだけね、きっと。
 ジョン そうは思わない。
 アン 従順で頼りがいのある家庭の主婦がお望みなら、そういう人と結婚すればよかったじゃないの。ここで働いているさっきの人なんか格好じゃない。そういえば、私が入ってきた時のあれ、ラブシーンでしょう?
 ジョン ラブシーンか。君の言い方で言うとそうなるか。
 アン どうしてあの人と結婚しなかったの。
 ジョン 愛がないんだ。
 アン そんなこと問題になるの?
 ジョン ぼくは旧式でね。それは問題なんだ。
 アン 「愛は生まれてくる。」そう言うわ。駄目なの? あの人、貴方のタイプよ。
 ジョン 世界中捜しても僕のタイプは唯一つだ。こんなことを君の前で認めるなんて全くいまいましいったらありゃしない。僕にはプライドもあるんだ。しかし自分のことで嘘をつくのは相変らず嫌いだからしかたがない。(再びアンを見て。)タイプは唯一つそれも原形がある。
 アン(静かに。)嬉しいわ。
 ジョン そうだろうと思った。ねえ、アン。君のこと褒めるとやはり今でもあの効果があるのかな。例のみぞおちにガンと一発食らうような。
 アン ええ、あるわ。以前よりも余計あるくらい。だってもう私四十ですもの。ね、私年を言ってしまった。
 ジョン さっき、計算はすんでいたよ。
(二人、静かに笑う。ジョン、アンのシガレットケースを取る。)
 ジョン なかなかいい物だ。誰から? 二番目の夫?
 アン ええ。
 ジョン 趣味がいい男だ。
 アン 宝石に関してはね。
 ジョン あいつに対してゴーサインを出したんだろうな。君に相応しい男に見えるものな。
 アン 男じゃなかったわ、あの人、鼠ね。
 ジョン あいつは君を褒めなかったのか。
 アン 褒め過ぎ。ちっとも本気じゃないのに。
 ジョン みぞおちにガンと来ない?
 アン 全然。
(アン、突然ジョンの手を親しみある手つきで握る。)
 アン ジョン、私、今不幸せなの。
 ジョン それはまずいな。
 アン あなたがよく言っていた、お前はこうなるぞって。その通りになってきたの。
 ジョン 例えば?
 アン 孤独・・・が、その一つね。
 ジョン 友達がいないのか。
 アン 多くはいないわ。才能がないの。
 ジョン 才能なんかいらないよ、友達を作るのに。自分に夢中にさせる、それには才能がいる。君はそれを持っている。
 アン(苦く。)持っていたの。
 ジョン 持っている。
 アン とにかく私、独りぼっちは嫌い。 ああ、本当に嫌い。例えばここ。寂しい生活。背筋が寒くなってくるわ。
 ジョン(怪しむ気持ちなく。)じゃあ何故ここへ来たんだい。
(ちょっとの間、アンぎくりとする。しかしすぐ落ち着きを取り戻す。)
 アン こんな風だなんて想像もつかなかったの。ああ、なんていう生活。あれが数年後の私の姿だわ。あの一人一人別々のテーブルに座っている私・・・
 ジョン つきあっている人物は?
 アン いないの。これは、という人は。それに時間はどんどん過ぎて行く。あっと言う間もないわ。
 ジョン 僕の方は違った。この八年間、時間はほとんど進まなかった。
 アン かわいそうに。ひどい生活だったのね、ジョン。(ジョンの手を強く握る。)でもこんな風にまた会えるなんて運がよかった。こんないい運を放ってはおけないわ。これからはお互いにもっと会うことにしましょう。だって運命の女神がわざわざ私達をあわせてくれたのよ。想像も出来ない計らいだわ。なにかこれには意味があるのよ。明日私を追い出さないで。もう少しいさせて、お願い。
(ジョン、答えない。じっとアンを見つめる。)
 アン(優しく。)邪魔にならないようにするわ。
(ジョン、まだ黙っている。じっと見つめたまま。)
 アン 本当よ、ジョン、決して邪魔にならないようにするわ。
 ジョン(やっと、重々しく、呟く。)君は邪魔にはならないよ。
(ジョン、突然激しくアンを抱擁する。アン反応する。暫くしてアン、何か言おうとする。)
 ジョン(荒々しく。)今は黙って。お願いだ。黙っていてくれ。この瞬間をぶち壊しにしないで。
 アン ねえ、ジョン。私、「ぶち壊し」になっても何か言わなきゃならないわ。ここは大広間よ。誰が來るかわからないわ、お願い。それからもう一つ。私の部屋はちょっと離れているの。ミス・クーパーが親切に、離れにしてくれたらしいわ。部屋の番号は・・・(ポケットから鍵をとりだす。)十九。貴方のその吸い口つきのひどい煙草を頂戴。私丁度きらしてしまった。
(ジョン、箱を取りだし、ぐいっとアンに差し出す。アン、一本取る。ジョン、ライターを持つ手を伸ばす。手が震えている。)
 アン ああ・・・手が震えているわ。
(アン、ジョンの手を握って自分の煙草に火をつける。ジョン、手を上着のポケットに入れ、いれた侭にする。アン立ち上がる。黙ってバッグを取り上げ、服の皺をのばし、髪を直し、ジョンの方を向く。)
 アン 私いいかしら、これで。
 ジョン(呟くような声。)いい。
 アン(嬉しそうに投げキスをして。)じゃあね、ジョン。
 ジョン(返事を仕草では返さず。)じゃあ。
 アン 三十分後にね。
(アン、扉に進む。扉に達する前にクーパーの「ミシィズ・シャンクランド」と呼ぶ声がホールから聞こえる。アン立ち上がり、ジョンを振り返る。)
 アン ほらね。
(扉開き、クーパー入って來る。)
 クーパー ああ、ミシィズ・シャンクランド。お電話です。ロンドンから。
 アン ロンドン? 電話は何処ですか。
 クーパー ご案内します。こちらです。
(二人出る。一人になるとジョン突然どっかと腰を下ろす。膝がきかず、立っていられない。両手で頭を抱える。この姿勢の時、クーパー帰る。暫くジョンを眺めた後、口を開く。)
 クーパー あの人ね、そうでしょう。
 ジョン 何が。
 クーパー ミスィズ・シャンクランド。あの人なんでしょう。
 ジョン うん。
 クーパー 貴方が言っていた通りの人ね。氷で作った彫像。そう表現した事があったわ、貴方。
 ジョン そうだったかな。
 クーパー これからどうなるの、ジョン。
(ジョン答えず、クーパーを見る。間。)
 クーパー(静かに、やっと。)そう。私には分かっていたわ。貴方が今でもあの人を愛している、そしてこれからもずっとそうだろうっていうことが。このことで私をごまかそうなんて貴方は一度もしたことはなかった・・・
 ジョン(訴えるように。)パット、僕は・・・
 クーパー いいえ、何も言わなくていいの。分かっているの。じゃ、貴方、出て行くのね。
 ジョン 分からない。ああ、僕には分からない。
 クーパー 出て行くわ、きっと。あの人もう逃がしはしないっていう顔をしていた。わざわざこんな所まで貴方を追い詰めにやって来たんですもの。決心も堅かった筈だわ。
 ジョン わざわざ追い詰めに来たんじゃない。これは偶然なんだ。
 クーパー 偶然? 本当にそんなことを信じているの?
 ジョン うん。
 クーパー じゃあ、分かったわ。もう何も言わない。
 ジョン え? 何かあるのか。
 クーパー 何もないわ。
(ジョン跳び上がり、荒々しくクーパーの腕を掴む。)
 ジョン(猛烈な勢い。)言うんだ。言え。言わないと・・・
 クーパー(静かに。)私を殴り倒さないで、ジョン。私、あの人じゃないの。
(ジョン、手を緩める。)
 クーパー 分かったわ。言います。もし偶然だとしたら何故あの人、今ニューアウトルックの編集長と話をしているのかしら。
 ジョン 何だって?
 クーパー 編集長はワイルダーっていう名前でしょう?
 ジョン そうだ。
 クーパー 局番はターミナスね?
 ジョン そうだ。
 クーパー その人、貴方の正体も住所も知っているんでしょう?
 ジョン そうだ。
 クーパー その人、ウエストエンドにもよく行ってカクテルパーティーなどに出席することもあるんでしょう?
(ジョン、ここで再び座る。「そうだ」の声なし。)
 クーパー でも違うワイルダーさんかもしれない。一つ思いがけない偶然があったんですもの、もう一つあってもおかしくないわ。
(アン、戻って來る。幸せで穏やかな表情。)
 アン(クーパーに。)有難う、ミス・クーパー。私、もう上に上がるわ。八時三十分にモーニングコール、そしてお湯とレモンをお願いできるかしら。
 クーパー かしこまりました。ミスィズ・シャンクランド。
 アン じゃあ、おやすみなさい。おやすみなさい、マルコムさん。
(ジョン、さっと椅子から立ち上がる。)
 ジョン アン、君は暫くいるんだ。パット、君は行ってくれ。
 クーパー(急いで。)今は止めて、ジョン。あしたの朝まで待って。(訳註 この「ジョン」は思いきった台詞。)
 ジョン 今だ。今でなきゃ駄目なんだ。
(クーパーのために扉を開け、出るよう促す。)
 ジョン 二人だけにしてくれ、パット。お願いだ。
(クーパー、静かに去る。ジョン、扉を閉め、アンの方を向く。)
 ジョン 運命の女神がわざわざ俺達を会わせてくれた。 想像もできない計らいだ。何かこれには意味があるんだ。そうだな、アン。
 アン ええ、それは私が言った言葉。
 ジョン(かすれ声で。)ワイルダーには何て言ったんだ。
(アン、何か言おうとする。)
 ジョン いや、いい。嘘を嘘で固められるのはもうごめんだ。君が言った台詞を僕が言おう。「ワイルダーさん? あの計画、見事に成功よ。いろいろお力になって戴いてありがとう。十分もかからなかったわ。わが軍門に下るのに。ほんとにおかしいのよ、貴方。ちょっとキスをしただけであの人の手、震えて震えて、私の煙草に火をつけられなかったぐらい。その場にいらしたらよかったわ、おかしくって笑いころげるでしょう。本当よ。あの人私の足元にひれ伏したの。これで大丈夫。もうこれからはその気になった時はいつだって、あの人を踏み付けに出来るわ。」
(この時までにジョン、ゆっくりとアンに近づいて、面と向かって立っている。アン、しっかりと立っているが、少し脅えている。)
 アン(誠実に。)ジョン、お願い。そんなに怒らないで。そんなにひどいことをしてはいないわ、私。貴方にもう一度どうしても会いたかったの。会いたくてどうかなってしまいそうだったの。それに会える方法って言ったら、これしか考えつかなかった。
 ジョン これしか、ね。そうなんだ。君はこれしか考えつかない、勿論。手紙を書くとか、電話をかけるとか、あそこで最初に会った時本当の事を話すとか(食堂の方向を指差す。)そういったことは思いつかないんだ。君は征服しなきゃ、無条件降伏をかちとらなきゃ気がすまない。それも嘘をついて騙して手に入れれば余計いい。満足感もそれだけ大きいという訳さ。
 アン それは違う。違うわ、それは。ええ、勿論貴方にお話しすべきだった、ジョン。あの時すぐ話さなきゃいけなかったわ。でも、でも今だって私、少しはプライドが残っているわ。
 ジョン そりゃこっちも同じだ、アン。有り難い事にね。こっちも同じなんだ。
(ジョン、アンの両腕に両手をおいて自分の方へ引き寄せる。アンの顔を見つめながら。)
 ジョン そうだ、今度は見えてきた。メイキャップだ。そうだ、アン。以前にはなかった小さな皺がここにあるぞ。もうたいして暇はかからない。この顔が崩れてきて、男達を気違いのように恋い焦がれさせる力もなくなってくるのだ。
(この時までにジョン、両腕を滑らせてアンの咽につけている。)
 アン(静かに。)おやりなさい、どうぞ。
(ジョン、アンを數秒間見下ろす。それから激しくつき倒す。アン、座っていた椅子から転げ落ち、そこらにあったテーブルへ身体をぶっつける。ジョン、フレンチウインドウに進み、引いて開け、走って外へ出る。風のためカーテンが内側にはためく。アン、床から立ち上がって立つ。全く動かない。表情なし。暖炉の上に鏡あり。自分の顔を長い間見つめる。突然振り返り、啜り泣き始める。最初は静かに、だんだん激しく。泣きながら立ち上がってホールの扉に盲滅法に進む。 泣き声抑えがたい。クーパー、アンが扉に達するまでに入って來る。アン、クーパーが道を塞いでいるのを見て部屋に走り戻る。啜り泣きは続いた侭。クーパー、落ち着いてフレンチウインドウを閉める。アンの方を向く。アンに近づき、片手を肩に置く。)
 クーパー どうぞ、私の部屋に、ミシィズ・シャンクランド。ストーブがあります。座り心地のよい椅子もあります。シェリーもあった筈ですわ。あそこだったら落ち着きます、きっと。誰も来ませんし。
(クーパー、アンを扉の方へ動かし始める。)
 クーパー ここはいつ誰が來るか分からないでしょう? 来たら困るわ。ねえ、ミシィズ・シャンクランド。さあ。
(クーパー、扉の方へ導く。)
                  (暗転)

     第 三 場
(場 食堂。次の朝。 ミーチャム、自分の席に座って朝刊のスポーツ欄を、目を近付けて見ている。二人の学生、席について本を読んでいる。他のテーブル――窓際のテーブルとアンのを除いて――は食事済んでいる。クーパー広間から入って來る。)
 クーパー(広間からの声。)ええ、ミシィズ・レイルトンベル、必ずその旨お話しします。
(レイルトンベルの呟き声が舞台裏から聞こえる。)
 クーパー ええ、全く破廉恥な事ですわ。おっしゃる通り、マルコムさんには私から厳しく申し伝えますから・・・
(クーパー軽い溜息をついて扉を閉める。)
 クーパー(明るく二人の学生に。)お早うございます、ミス・タナー。 お早うございます、ストラットンさん。
(二人、モゴモゴと挨拶する。すぐに二人とも本に戻る。)
 クーパー お早うございます、ミス・ミーチャム。やっと湿気のない良いお天気になりそうですわね。
 ミーチャム ニューベリーでも湿気がないかしらね。それが問題よ。ウオールドガーデンはからっとした日じゃないと全く走りが悪いの。
 クーパー 負けたわね、ミス・ミーチャム、お天気の話でも馬になってしまうのね。
(メイベル登場。)
 メイベル マルコムさんが、お部屋にいらっしゃらないんです、ミス・クーパー。さっきお茶を片付けに行って分かったんですけど、ベッドも使われていない様子です。
 クーパー(安心させるように微笑んで。)分かっているのよ、メイベル。
 メイベル ご存じでしたの?
 クーパー 勿論あなたには言っておくんでした。すっかり忘れてしまっていて。夜中にロンドンに用事ができたの。
 メイベル じゃあ朝食には、いらっしゃらないんですね。
 クーパー ええ、その筈よ。
(二人の学生、広間へ出て行く。)
 メイベル 何かあったのね。もう十時、それなのに、まだ。新しいお客様は? まだ降りていらっしゃらないんですけど。
 クーパー いいえ、もう降りていらっしゃるのよ、メイベル。でも朝食はいらないはず。
 メイベル 朝食がいらないんですって?
 クーパー ええ、肥ると仕事によくないの。
 メイベル(陰気に。疑わしそうに。)仕事によくなくっても、身体によくないわ。餓えて死んだらおしまいなのに。
(メイベル、台所に入る。)
 ミーチャム あの人出て行くんでしょう? あの新しい人。
 クーパー ええ、そう。どうしてお分かり?
 ミーチャム「荷物を下に運んで」って頼んでいるのが聞こえたの。とても耐えられないって分かっていたわ。
 クーパー(きっとなる。)耐えられない? このホテルがですか、ミス・ミーチャム。
 ミーチャム いいえ、とんでもない。ここはボーンマスいちよ、値段にしては。いつでもそう言ってるの、私。いいえ。ここの生活のこと。ほら――(空席を指差す。)――ね。あの人ひとりのタイプじゃないの。
 クーパー ひとりのタイプっていうのがあるんですの? ミス・ミーチャム。
 ミーチャム ありますとも。そう簡単にいる訳じゃないのよ、勿論。でも、あなたはそのタイプだわ。
 クーパー 私が? ひとりのタイプ?
 ミーチャム そうよ。そりゃ、馬鹿な考えを起こして、誰かに恋しちゃって、結婚したりするかもしれないわ。だけど私の言ってるのは、あなただったらそんなことをしない方が幸せっていうこと。あなたは自分で足りているっていうタイプなの。
 クーパー(少し疲れた声。しかし丁寧に。)そう思って下さって嬉しいわ、ミス・ミーチャム。なんだか勇気をつけて下さっているみたい。
 ミーチャム それどういうことかしら。(訳註 鋭く言う。)
 クーパー 自分でもはっきりとは分かっていないんですわ。今朝は私、疲れていて・・・ゆうべは殆ど寝ていないんです。
 ミーチャム そうね。ひとりタイプって言われて本当は嬉しくないって事ね。多分あなたは態度を決めなければならないっていう、抜き差しならない場面に立ったことがまだないのよ。私はもうとっくの昔にそういう場面に出会ったの。こんな汚らしいおばあさんになるずっと前。若くて奇麗でお金と地位があって、求婚者も沢山いた時にね。(思い出すように。)そう、かなりの数だったわ。そのどれも選ばなかった。後悔したことは一度もないわ。一度も。私、昔から人と付き合うのが怖かったの、少し。人って複雑でしょう? だから私、死んだ人の方がいいの。やっかいなことは何もないし、嫌になったらさっさと他の人にすればいいの。テレビのチャンネルを替えるのと同じ。
(ミーチャム、立ち上がる。)
 ミーチャム そう、私がいつも言っているのは一人でいるのが本当に幸せな状態っていうこと。勿論その素質がなくっちゃ駄目だけど。あのメイフェアーの、新しい女の人、あの人にはないの、それが。一目で分かるわ。こんなところに二週間もいてご覧なさい。ガス自殺ね。お昼はポークでしたっけ。
 クーパー ええ、そうです。
 ミーチャム 私、ポークが嫌いなの。そうそう、賭けるんだったらウオールドガーデンよ。馬場の状態さえよければ必ずはいるわ、この馬。
(ミーチャム退場。一人になってクーパー、ミーチャムの座っていた椅子に疲れてどっかと腰を下ろす。ミーチャムのカップを洗ってコーヒーを注ぐ。 すする。疲れ切った頭を胸の中に埋める。疲労困憊。暫く経ってジョ ン、ゆっくりとホールから登場。辺りを見回した後、クーパーに近づく。)
 ジョン(低い声で。)パット、ちょっと頼みたいことが・・・
(クーパー、目を開けジョンを見上げる。彼と分かるとぱっと立ち上がる。)
 クーパー ジョン、貴方、大丈夫?
 ジョン 大丈夫だ。
 クーパー 何処へ行っていたの?
 ジョン 分からない。ほっつき歩いていたんだ。
 クーパー 一晩中?
 ジョン いや。屋根のあるところに少しはいた。パット、僕は金がいるんだ。ゆうべクラブで一週間分の小切手、全部使い果たして文無しなんだ。
 クーパー いくら欲しいの?
 ジョン 汽車に乗って何処かへ行って二、三日滞在していられるだけの金。三、四ポンドかな。頼む、パット。
 クーパー そんなことしなくて大丈夫よ、ジョン。あの人出て行くわ。
 ジョン 出て行く?
 クーパー ええ。
 ジョン 今何処にいる。
 クーパー 私の部屋。事務室。大丈夫。ここには来ないわ。
(クーパー、ジョンの服に触る。)
 クーパー ずぶ濡れになったの?
 ジョン うん、多分そうだったんだろう。今は乾いた。
 クーパー 座って朝食をおとりなさい。冷たいわ、手。氷のよう。
(クーパー、ベルを鳴らす。)
 ジョン 食べるものはいらない。お茶だけにしてくれないか。
 クーパー わかったわ。座って。ネクタイを真直にして。カラーをおろして。そうそう。それでいいわ。それでちゃんとした。
(ジョンに座らせるよう椅子を引く。ドリーン登場。)
 ドリーン お呼びでしたか。(ジョンを見て。)あーら、帰って来たの? こんな時間にまで朝食出ると思ってるの?
 クーパー お茶だけ、ドリーン、お茶だけでいいの。
 ドリーン 分かった。お茶だけならオーケーだよ。
(ドリーン、台所に退場。)
 クーパー あの子は辞めさせないと。(ジョンの方を向く。)やれやれだわね。貴方のやり方。あんな真夜中に跳びだして。心配したのよ。二人とも。
 ジョン 二人とも?
 クーパー そう。貴方がとんでもないことをするんじゃないかって。あの人警察に電話するっていうのを、私とめたの。
 ジョン じゃ、君達は話をしたのか。
 クーパー ほとんど一晩中。ちょっとヒステリーぎみになっていて落ち着かせるのに苦労したわ。医者は呼びたくなかったし。
 ジョン そうか、パット、あいつは大丈夫だったのか。怪我は?
 クーパー 咽のこと? 大丈夫。
 ジョン あいつを突き飛ばしたんだ、慥か。倒れてぶっつけたように思った。頭か何か――違ったかな。前の時とごっちゃに。
 クーパー(しっかりと。)大丈夫。何もなかったの。傷も打ち身も、何も。
 ジョン(呟く。)やれやれ、助かった。
(ドリーン、紅茶を皿を持って登場。)
 ドリーン ビスケットを持ってきたわ。好きだもんね。
 ジョン 有難う、ドリーン。本当に有難う。
 ドリーン あーら、転んだのね。腕が泥だらけ。
 ジョン ええっ? ああ、そうだ。転んだんだ。今思い出した。暗やみでね、つまずいて。
 ドリーン 後で渡して。落としとくから。
(ドリーン退場。)
 クーパー さっき気がつかなかった。ご免なさい。
 ジョン いいんだ。酔っ払って転んだぐらいにしか思わないよ。あいつは、今朝はどうなんだ。
 クーパー 気分が悪いの。でも少し収まっているわ。あの人、薬を飲んでいるの。知ってた?
 ジョン 薬? どんな薬だ。
 クーパー 普通の睡眠薬なんだけど通常の三倍ぐらい飲まないと効かないの。それにお昼にも飲むの。
 ジョン 何時(いつ)頃からやり始めたんだ。
 クーパー 一年前から。話を聞いた限りでは。
 ジョン 馬鹿な奴だ。どうしてそんな事をするんだ。
 クーパー(肩をすくめて。)じゃあ貴方、飲んだくれるの、どうしてなの?
(間。)
 クーパー そうね、あなた方二人、丁度同じ事をしているのね。一緒にいれば相手をめちゃめちゃにしないと気がすまないし、離れていれば自分をめちゃめちゃにしないと気がすまないの。問題だわ、これは。
(間。)
 ジョン ゆうべどうして僕に言わなかったんだろう、そのことを。
 クーパー それがあの人らしいところよ、勿論。自分が不幸だっていうところを貴方には見せられない。だってどんなに貴方が必要かを見抜かれてしまう。それはあの人が決してしないこと・・・何百年何千年経ったって、それだけはしないわ。勿論ここに来た理由だって本当の事は言いっこない。私ゆうべだって、もうそんな事分かっていたのに、悪いことをしたわ。ワイルダーなんていう名前を言うんじゃなかった。焼き餅なのね、結局。いけなかったわ。
 ジョン あいつ何時に発つんだ。
 クーパー 貴方のことが心配で残っているだけなの。私ボーンマスの病院に、はじから電話しようと思っていたところなの。あの人が私に頼むものだから。
 ジョン なるほど、よしと。このビスケットが終わったら何処かへ出て行くか。あいつには大丈夫だからと言っておいてくれ。それから、あいつが出て行ったら僕に知らせてくれればいい。
 クーパー 大丈夫だっていうこと、自分で言った方がいいんじゃないかしら。
(間。)
 ジョン いや。
 クーパー それは貴方の勝手ですけど・・・でも、もし私が貴方の立場だったら自分で言うわ。
 ジョン(荒々しく。)僕の立場にいるってことがどんなことか君に分かるもんか。想像もできない筈だ。
 クーパー(静かに。)想像は出来ると思う、私には。ああ本当に疲れた。こんなところで貴方と話なんかしてはいられない。いっぱいやらなきゃならない仕事があるの。貴方はここにいるからって言ってくるわ。
 ジョン いや、それは止めてくれ。なあ、パット、あいつに何故僕がまた会わなきゃならないんだ。理由を教えてくれないか、一つでいい、たった一つで。
 クーパー いいわ。じゃあ一つだけ。でもこんなこと私の口からわざわざ言う必要はないの、全く。理由はね、貴方があの人を愛しているから。そしてあの人が貴方を必要としているから。
(間。)
 ジョン ゆうべ君たち二人の間に何があったんだい。あいつはどうやって君を手なづけたんだ。
 クーパー 手なずける。まあまあ、そんなことが出来ると思ってるの? 呆れたわね。私の貴方への気持ちは分かっているでしょう? あの人はそんな事、そぶりにも見せなかった。ひと芝居うつなんてそんなことは。ありの儘のあの人をちゃんと見たわ。あの人について貴方が言っていた事は多分本当ね。慥に虚栄心は強いし、甘やかされている。利己的で人を騙すのを何とも思わない。貴方はあの人を愛しているものだから、それが大きな大きな罪悪のように見える。歪んだ鏡に写しているのね。それを見ると、貴方はついカッとなって・・・そう、ゆうべのような事をしでかしてしまう。でも私には普通の人間の、普通の欠点に見えるわ。誰でもが持っているありきたりの欠点に。特に女にね。男にも時々あるけど。私、こういう欠点嫌い。でも嫌うより先にかわいそうになってしまう。だってあの人、不幸せで、希望はなくって、病気で、助けを必要としているんですもの。今まで私が会ったどんな人よりもね。さあ、どうしましょう。あの人を呼びましょうか?
 ジョン いや、止めてくれ、パット。間をとりもったりしないでくれ。成り行きに任せよう。あいつはこのままロンドンに帰って自分の人生を送るんだ。僕もここで余生を送る。波風の立たない余生をね。
 クーパー(静かに。)それはいい考えだわ、ジョン。でもその前にちょっと意見が聞きたいわ。貴方のここでの波風の立たない余生ってどういうものかしら。
 ジョン うん。しかしまあ、余生には違いないよ。
 クーパー そうかしら。余生って少なくとも生きていなけりゃならないのよ。貴方の人生、生きていることになるの?
(ジョン、答えない。)
 クーパー ねえ、ジョン。 正直に答えて頂戴。そうね、勿論、政治評論の仕事はあるし、クラブに友達もいるわ。でも、それで生きていることになる?
(間。)
 ジョン(やっと。ぶっきら棒に。)それでも生きていることにするよ。
 クーパー(微かな笑い。)有難う。正直な言い方だわ。張り切って生きている、なんて言われたら困ってしまう。でも私、努力したのよ。私達が最初始めた頃。もう随分以前になるけど――貴方に生活らしい生活をして貰おうと思って。私、正直なことを言えば、とても一生懸命やってみたわ。
 ジョン 知ってる。
 クーパー だけど間もなく分かってしまったの。どうやっても駄目だって。
 ジョン 僕を責めないでくれ、パット。よく言うやつさ。「自分の力じゃどうしようもない。」これなんだ。
 クーパー 貴方の力じゃどうしようもない? ええ、まあそうね。(非常に明るく。)考えてみると不幸なことね。貴方方二人が出会ったっていうこと。
 ジョン うん、そうだ。大きな不幸だ。
 クーパー(明るく。)もし会っていなかったら、あの人は百万長者の奥さん。貴方は総理大臣、私は銀行のホプキンズさんと結婚していたわ。そして三人とも幸せだったのに。じゃ、今から私、事務室に帰って、あの人に貴方がここにいるって言うわ。その前にファウラーさんに会って、使わなかった部屋のことで少し話をしますから、その間に逃げたかったらお逃げなさい。扉はあそこ。通りはその外。ちょっと行けばクラブ。まだ少し早いけど、貴方なら入れてくれるでしょう。
(広間へ去る。)
 クーパー(退場する時に。)ああ、ファウラーさん、お呼びだてして済みませんでした。ちょっとお話があって・・・
(扉、クーパーの後ろで閉まる。一人残され、ジョン、迷っている様子。まず立ち上がる。次に座る。ドリーン登場。)
 ドリーン 終わり?
 ジョン もう少し。
 ドリーン 諦めが肝心よ。
(他のテーブルを片付ける。アン、広間から登場。ジョン、アンを見ていない。)
 ドリーン あら、ミスィズ・シャンクランド。朝食だったら遅すぎよ。ご存じなかったのね。でもコーヒーは少し残ってる。それによかったら紅茶も。それからビスケットだったらあるよ。それでいい?
 アン 有難う、ご親切に。じゃあ、コーヒー。
 ドリーン オーケー。(ドリーン、台所に退場。)
 アン(ジョンのテーブルの傍に座って、訴えるように。)ジョン。(ジョン見上げる。)ジョン。
 ジョン(静かに。)自分のテーブルについた方がいい。あの子がすぐ戻ってくる。
 アン ええ、ええ、分かったわ。
(アン。自分のテーブルにつく。ジョン、自分の席の侭。)
 アン 貴方のこと死ぬ程心配したわ。
 ジョン その必要はなかったよ。僕は大丈夫だ。君の方はどうだ。
 アン 私も大丈夫。(間の後。)私、今日出るの。
 ジョン うん。聞いた。
 アン もうお邪魔はしないわ。決して。ご免なさいだけを言おうと思って。貴方に嘘なんかついて。
 ジョン いいんだ。有難う、アン。
 アン どうして嘘なんかついたのかわからない。貴方が言った理由からじゃないと思うけど。その理由もあったかもしれないわ。もう自分のことがよく分からなくなってしまったの。ご免なさい、ジョン。
 ジョン いいんだ、そんなこと。
 アン 私って嘘つきなの、ひどい嘘つき。小学校のころからそう。自分でも分からないの。どんな簡単なことでも本当のことを言うより嘘を言った方が私には面白かったの。 (弱々しい微笑み。)昔私達が喧嘩したの、大抵何時だって私の嘘からだったわね・・・覚えてる?
 ジョン うん、覚えてる。
(アン、頭を下に向ける。突然涙が落ちる。)
 アン ああ、ジョン。私どうなっちゃったのかしら。
(ドリーン、盆を持って登場。 アン、素早くドリーンから顔をそらす。ドリーン、まずジョンのテーブルに行く。ビスケットの皿を置く。)
 ドリーン もう少しいると思ったんだ。図星でしょう?
(ドリーン、アンのテーブルにもビスケットを持って行く。 アン、やっと間に合って涙を拭き終わっている。)
 ドリーン はい、ビスケット、ミスィズ・シャンクランド。
 アン 有難う。
 ドリーン コーヒーも、もうすぐね。
(ドリーン退場。何も気づかない。)
 アン(再び微笑む。)見つかるところだったわ。ご免なさい。今朝は涙もろいわ。
 ジョン シャンクランドは君に年いくら出したんだ、正確のところ。
 アン 言ったでしょう、七百五十。(ジョンと目が合う。とうとう恥ずかしそうに。)千五百。
 ジョン それだけあれば幸せなもんじゃないか。
 アン もう私、物では幸せにはなれない。いくらあっても。
 ジョン ロンドンには人間がいるじゃないか。いい友達はいないかもしれないけど、知り合いなら腐るほどいる。連中と楽しく暮らせるはずだ。
 アン ロンドンで暮らすっていうのはここで暮らすより寂しいのよ、ジョン。ここでなら少なくともテーブル越しに話が出来るわ。ロンドンでは電話よ。それに大抵の場合、応答なしね。
(間。)
 ジョン アン、薬は止めなきゃ駄目だよ。
 アン あの人が話したの?
 ジョン 薬で何とかしようとしたって無駄だよ。
 アン ええ、分かってはいるんだけど。
 ジョン 全部ごみ捨てに捨てるんだ。あれは身体に悪いよ。
 アン できないわ。やろうと思っても。それだけ自分が強くないのね。でも減らすようにする。出来れば。
 ジョン やってみるんだ。
 アン ええ、やってみる。約束するわ。
(間。)
 ジョン なあ、アン。君が僕を必要とすると言う時、君が言っているのは、この僕なのか、それとも僕の愛なんだろうか。もしそれが僕の愛だと言うのなら、それは君の手中にある。君はそれをよく知っているんだ、今では。君の生きている限り、それは保証されているよ。
 アン 貴方よ、私が必要なのは。
 ジョン でも何故だ。君に対して何が出来るっていうんだ、この僕が。
 アン ただ一緒にいる。それだけでいいんだわ。だって貴方は私じゃないものだけで出来ている人なの。正直で、真面目で、誠実で、頼り甲斐があって・・・(言い止む。微笑もうとする。)あら、これ、貴方の美徳の目録。退屈だわね・・・貴方も答えようがないし。ご免なさい。それにあの変なウエイトレスが叉入って来て泣いているのを見られてしまう。
 ジョン(ゆっくりと。)昔はそういう美徳があったかもしれないよ、アン。だけど、今僕にそれがあるかどうか疑わしいな。だから君の必要とするものを僕は満たせないだろう。それからこれははっきりしているんだ。言い難いけど。つまり、君は僕の要求を満たしてはくれないということ。
 アン どうして分かるの?
 ジョン 経験だよ。
 アン この八年で私が変わっていたら?
 ジョン 僕の問題としているところは変わりっこないんだ。
 アン それでも試してみたい。
 ジョン 僕だって試してみたいさ、アン。僕だって。だけど、どうせまた失敗さ。
 アン どうして言いきれるの、そんな風に。
 ジョン どうしてかって言うとね、二人の要求、それは夫々別個だと何の害もない。丁度酸素と水素みたいなものさ。だけど二つを試験管に入れてちょっと火花でも飛ばせば、ドカンと爆発するのさ。
 アン(肩をすくめて。)それでも試してみたいわ。爆発して死んでもいい。だって世の中には死よりも嫌な事があるもの。ね?(見回して、人のいないテーブルを指差す。)ゆっくりと、じわじわと、人の心をむしばんで行く孤独。恐ろしいわ、ジョン。本当に恐ろしい。(アン、うつ向く。また涙がこぼれる。)私弱虫なの、ひどい弱虫。一人で何か出来たことなんか一度もないの。空襲だって、病気の時だって、手術だって。私一人では駄目だったの。そして今、私は老いて行く。その老いて行くことも一人では駄目なの。
(ジョン、ゆっくりとテーブルから立ち、アンのテーブルに近づく。アン、その時までにうつ向いて目にハンカ チを当てている。やっと少し落ち着いた時、始めてジョンが自分のテーブルに座っているのに気づく。アン、何も言わずジョンを見る。ジョン、アンの手を握る。)
 ジョン(優しく。)アン、分かるだろう? 僕達はほとんど何の希望もないんだ。
(アン、頷く。ジョンの手を強く握り返す。)
 アン そんなに私達、離れ離れなのかしら。
(ドリーン、アンのコーヒーを持って登場。二人、手を離す。)
 ドリーン(二人を見て。)ああ、(ジョンに。)あそこのお茶、こっちに持って来ましょうか。
 ジョン ああ、頼む。
(ドリーン、運ぶ。アンにコーヒーを置く。)
 ジョン 有難う。
 ドリーン これからは二人一緒に座るのね。その方がいいなら、それでいいわよ。
 ジョン そうしよう。
 ドリーン じゃあ、お昼は二人分盛り合わせにして持って來るわ。まあ出来ればの話だけど・・・
(ドリーン、台所に退場。ジョン、再びアンの手を取る。)                     (幕)

     銘々のテーブル
     七番目のテーブル
                
            テレンス ラテイガン 作
             能 美 武 功   訳

  登場人物
ジーン ストラットン
チャールズ ストラットン
ポロック
ファウラー
パット クーパー
モード レイルトンベル
シビル レイルトンベル
グラディス マシスン
ミーチャム
メイベル
ドリーン
           
  第一場  広間  お茶の後
  第二場  食堂  夕食

     第 一 場
(場 ボーリガード・ホテルの広間。第一幕から約一年半経ったある日。椅子が夏向きにカバーがしてあるほかは、椅子等の配置、変化なし。チャールズ・ストラットン、フランネルのズボンにスポーツシャツ。ソファに座って分厚い医学の論文集を読んでいる。開いているフレンチウインドウからジーン・ストラットン――第一幕のジーン・タナー――乳母車を押して登場。)
 ジーン (赤ん坊に――赤ん坊は観客からは見えない。)いらっちゃい、パパの所へいらっちゃい。パパがチュッちてくれるわよ。それからおやちゅみの挨拶と・・・
(チャールズ、また邪魔が入ったかという顔。)
 チャールズ なんだ、もう寝る時間なのか。
 ジーン 六時過ぎよ。勉強はどう?
 チャールズ 大幅な遅れだね。次から次に邪魔が入るんだからな。ここへやって来たのがそもそも間違いだよ。先回の時で懲りるべきだった。デイヴィッドの別荘にすりゃよかったよ。
 ジーン テムズ川の汚い空気? 赤ちゃんによくないわ。ボーンマスの空気の方がずっといい。(赤ん坊に。)ね、そうでちょ? おチビちゃん。「ママ、ここいいよ。いい空気、いい日差し、赤ちゃん元気に育つ。」って言ってるわ。
チャールズ そんなこと言ってるもんか。そいつが言えるのは「グー」だけじゃないか。僕は少し心配しているんだ。
ジーン 馬鹿なこと言わないで。五ヶ月で何が言えるっていうの。エリオットの詩でも暗唱して貰いたいような言い方ね。
 チャールズ 僕はね、その「いらっちゃい」式の言葉で話しかけるのは危ないと思ってるんだ。あとになって知恵遅れの原因になる可能性があるぞ。
 ジーン(満足そうに。)馬鹿なこと言わないで。
(この時までにジーン、ソファのチャールズの隣に座っていて、優しく彼にキスする。チャールズ、少し唐突に抱擁から離れる。)
 ジーン ちゃんとキスして頂戴よ。
 チャールズ(呟く。)チスするんじゃなくてキスするのか。
(チャールズ、以前よりは念入りにキスする。離れる。)
 ジーン もっと。
 チャールズ これで終。
 ジーン どうして。
 チャールズ まだ早すぎ。
 ジーン あなたって急にそっけなくなる時があるの。だから私考えちゃう。どうしてこんなに貴方のこと好きなんだろうって。だけど好きなんだから仕方がないわ。酷い話。今日だって、午後いっぱい、ずーっと貴方の事を考えていたの。どうしてこんなに好きなのかって。変だわ。じわじわ、じわじわ、酔が回るみたいに「好き」っていうのが回ってきたの。貴方はどうだったの、結婚する前。もう回っていたの? それとも好きだって嘘をついていたの?
 チャールズ 嘘をついていたんだ。さあ、もう、そいつをおねんねちゃんに連れて行って、僕をおちごとちゃんに戻してくれよ。そうしないとおいちゃちゃまになれないよ。
(庭から大きな陽気な声がする。)
 ポロック(舞台裏で。)やあ、やあ。ミス・ミーチャム。ご勉強ですな。相変らず。明日のレースでうまいのがありますかな。
 ミーチャム(舞台裏で。)そうね・・・
 チャールズ ええい、くそっ。少佐の奴だ。ジーン、早く行ってくれ。赤ん坊を見られたらおしまいだ。何時間もあいつの議論につきあわなきゃならなくなる。ポリネシアにおける子供の福祉についてだとか、何だとか、かんだとかにね。
 ジーン 分かったわ。(赤ん坊に。)いらっちゃい、それなら。――(ジーン、チャールズと目が合う。しっかりと。)いらっしゃい。それなら。ヴィンセント・マイケル・チャールズ。お風呂の時間よ。それから、おやすみの時間。これならいいのね。
 ミーチャム(舞台裏で。)レッドロビンがいいわ。これは穴ね。
 チャールズ いい。
(ジーンが、乳母車を押してホールに出て行く時チャールズ、ジーンに投げキスを送る。出る時、赤ん坊の泣き声。)
ジーン (出て行く時。)あーら、いけないママね。マイケルちゃんを明るい所から、くらーい所へ連れて行ったりして、いけないママよ。
(ジーンの声小さくなる。チャールズ、本に戻る。)
 ポロック(舞台裏で。)三時三十分のレッドロビン。よし、覚えとこう。この頃は賭けるにもあまり余裕がなくてね。昔は良かった。馴染みの馬券屋にさっと電話をかけて頼んでおいたもんだが。いい天気ですな、ミス・ミーチャム。
 ミーチャム(舞台裏で。)ええ、そうね。
(ポロック登場。五十半ば。刈り込んだ軍隊式鼻髭。ひどくきちんとした服装。実際、服装でも顔つきでも、これが退役少佐でございといった典型。典型過ぎて本物に見えない程。)
 ポロック やあ、ストラットン君、相変らずやってるな。
 チャールズ(お義理でちょっと本から目を上げるだけ。)ええ。
 ポロック よく続くなあ。いや、それだけ続くってのは信じられんぐらいだ。実に敬服すべき勤勉さだな。
 チャールズ ええ、まあ。どうも。
(間。ポロック座る。)
 ポロック 勿論私だってサンドハーストにいた頃には・・・あ、失礼。これは君の邪魔になるな。
 チャールズ(礼儀正しく、本を下ろして。)いいえ、構いません、ポロック少佐。えーと、サンドハーストにいらした頃は?
 ポロック いや、何、大体君と同じだったって言おうとしていたんだ。当番あけで、先輩、同輩連が女の子の尻を追っかけに、街へ繰り出している間、私はよく自室に閉じこもったり、図書館へ行ったりして詰め込んだものだ。気違いのようにね。戦争の歴史――世界的に有名な戦役――クラウゼヴィッツ――この類(たぐい)だ。クラウゼヴィッツについてはかなり喋れた時もあったな。
 チャールズ ははあ、今は駄目なんですか。
 ポロック 今は駄目だな、残念ながら。昔話。みんな昔話だ。しかしあの頃の猛勉強を後悔はしていない、今でも。いや、よくやったよ、サンドハーストでは。
 チャールズ じゃあ、成績優秀の表彰組でしたね。
 ポロック いや、それはね・・・しかし、いいところまでは行っていたんだ、勿論。かなりの所までね。ただ勉強したからって、後がよかった訳じゃない。まあ、隊長付きにはしてくれたがね、デスクワークを認められて。実を言うと隊長にもなれたんだが、断っちまったんだ。同僚がドンパチやっている時に何マイルも後方に下がっていい思いをしているっていうのが気になってね。馬鹿な事をしたものさ。少将までは行けたんじゃないかな。我がブラックウオッチ隊じゃ昇進が厳しすぎた。他の隊にすりゃよかったよ。
 チャールズ(明らかに会話を終わらせようと。)そうですね。
 ポロック また邪魔をしてしまったな。失礼。さあ勉強を続けてくれたまえ。どうも私はお喋りが過ぎる。これが退役将校の悪い癖だ、な?
 チャールズ そんなことはありません。でももし構わないんでしたら、僕はこれをやりますが・・・いっぱいあるんです。片付けなきゃならない事が。
(間。チャールズ、読書を続ける。少佐、立ち上がり、音をたてないよう、必死の努力。抜き足差し足、テーブルに近づき、雑誌を取り、抜き足差し足戻って來る。チャールズ、その間ずっと少佐の行動を意識している。それが傍目にも分かる。ファウラー、フレンチウインドウから登場。手紙を持っている。)
 ファウラー ああ少佐! 嬉しい手紙が来たんですよ。
 ポロック(唇に指を立ててチャールズを指差し。)シッ。
(チャールズ諦めて立ち上がり、扉へ進む。)
 ポロック ああ、ストラットン。僕らのせいらしい。すまない。
 チャールズ いや、いいんです。普通は部屋での方が集中できるんですから。
 ポロック だけど、赤ん坊がいるんだろう? うるさい。
 チャールズ ええ、でも、うるさくない赤ん坊ですから。まだ口がうまく回らないんですよ。
(チャールズ退場。)
 ポロック おお、ファウラー、手紙って誰からだい。昔のいい人からかな。
 ファウラー(嬉しそうにくすくす笑って。)昔のいい人? いなかったですね、そういうのは。そちらの方は颯爽たる少佐殿にお任せです。
 ポロック いや、こう言っては何だが、昔はならしたものだった。隊では私のことをみんなバッコー・ポロックと呼んだものだ。バッコー、例の歴史上の人物、色事でならした・・・(訳註 バッコーは不明。)しかしこんな事はもう昔話ですな。光陰矢のごとし。エフュー・フュガシス・ポスチューム・ポスチューム。
 ファウラー(発音を直して。)エヘウ・フガセス・ポスツーメ・ポスツーメ。ウエリントンでは新しい発音で教えなかったんですか。
 ポロック いや、旧式でしたな。
 ファウラー(ウエリントンには、)何年頃在学で?
 ポロック えーと、慥か一九一八年に入学して・・・
 ファウラー もうその頃には新しい発音だった筈ですが。古典の主任教授がウエリントン出で、彼がはっきりこう言ったのを覚えているんですがね・・・
 ポロック じゃあ、そうなんでしょう。私が忘れていただけですな。何分得意でなかったですからな、ギリシャ語は。
 ファウラー(ギョッとする。)ラテン語です。ホラチウス。
 ポロック ホラチウス。そうそう。なんて馬鹿なんだ、俺は。(明らかに話題を変えて。)さてと、どなたからの手紙でしたかな。
 ファウラー 昔うちにいた学生で、もう十年以上も音沙汰なかったんです。優秀だったなあ、あいつは。その後も順調でしてね、私がここにいるってどうして分かったのかな。便りをくれるなんて思いもかけませんでしたね。
 ポロック 画家になった教え子がいましたな。あれはどうなりました。
 ファウラー 時々新聞で見ますよ、まだ。でも個人的な連絡は今はあまりないんです。残念ながら。そう、ちょっと疎遠になってしまいました。
(クーパー、小脇に新聞を抱えて登場。)
 クーパー ああ、ここにいらっしゃいましたか、少佐。お捜しのウエストハンプシャー週間ニュース、手にはいりましたわ。
 ポロック(熱心に。)これは有り難い、ミス・クーパー。恩に着ます。
 クーパー(新聞を手渡しながら。)三つ目の売店にやっとあったんですよ。ジョーに行ってもらったんですけど。
 ポロック いや、有難う。
 クーパー 何か事件でも?
 ポロック いや、その、ちょっと見てみたくて・・・今まで一度も・・・その・・・見たことがないんです、ここの地方紙っていうやつを・・・ここにもう・・・その・・・四年もいるっていうのに。
 クーパー 無理もありませんわ。それにはたいした事が載っていた例(ためし)がないんですもの。せいぜいが駐車違反か牛の品評会。
(ポロック、回れ右して、新聞を開く。)
 ポロック いずれにせよ、どうも有難う。
 ファウラー ミス・クーパー。私に手紙が来たんですよ。もう十年以上も会っていない、手紙も貰ったことのない奴なんですがね・・・
 クーパー(明るく。)あら、それはよかったわ。
 ファウラー 返事を出してここに二、三日来ないかって言ってやるつもりなんです。勿論たいして来たいとは思わないでしょうけど・・・でも、ひょっとして來るような時には・・・あの部屋、空いてますか?
 クーパー 今は駄目ですわ。ファウラーさん。飛び込みのお客様が多いんですの。でも九月の終になれば・・・
 ファウラー わかりました。じゃあその頃に、と言ってやりましょう。
(二人のこの会話の間、ポロック、二人の見えない所で新聞を次々と捲っている。突然ある記事が目に止る。新聞を元に畳み直す。その時紙が鋭い音を立てる。ファウラー、ポロックを見る。)
 ファウラー アラメインでは、高地部隊にいらしたっていうお話でしたね、慥か、少佐。
(すぐに返事が返ってこない。ポロック、目を上げるとその目は虚ろ。一点を見つめている。)
 ポロック え? いや違います。高地部隊じゃありません。
 ファウラー そうでしたか? 高地部隊に所属、と思っていましたが・・・
 ポロック(ほとんど怒鳴るように。)そんな事を言った覚えはありません!
 ファウラー いや、ただ、この私の昔の生徒が・・・名前はマクレオド・ジェイムズ・カーリー・・・まてよ、ジョンだったかな・・・あいつは何時でもカーリーと呼ばれていたので、今名前が不確かなんですが・・・この手紙に書いてあるんです、高地部隊に所属しているって。ひょっとして知っておられるんじゃないかと・・・
 ポロック マクレオド? いや、知らないな。
 ファウラー それは勿論知ってるっていう方が珍しいくらいの話に決まっていますが・・・でもまるで可能性がない訳じゃありませんから・・・
(ファウラー、扉へ進む。この時までにクーパー、クッションを直したり、ゴミを取ったりしている。ポロック 座る。新聞を握った儘、空間をじっと見つめている。)
 ファウラー(独り言。)カーリー・マクレオド。いつかギリシャ語で落第点を取った事があったっけ。
(ファウラー、くすくす笑いながら退場。ポロック、再び新聞を見る。クーパー、クッションの位置など直し終わって立ち上がる。と、ポロック、なにげなく新聞を眺めている振りをする。)
 ポロック 確かにつまらない。ご忠告の通り。
 クーパー 何のお話ですか。
 ポロック この新聞です。どうせあんまり読まれちゃいないんでしょうな。
 クーパー この地方の人達だけですわ、多分。お百姓、不動産屋・・・そういった人達ね。
 ポロック ここの人達で読んでいるのを見たことがありませんが・・・どうですか。
 クーパー いいえ、いらっしゃるわ。ミスィズ・レイルトンベル、あの方毎週。
 ポロック え? 何のために読むんだろう。
 クーパー 分かりません。何でも知っておきたいっていう人ですから。この世で起きる事は何でも。この片田舎のウエストハンプシャーで起きる事でも逃したくはないんだわ。それと、そのための週四ペンスぐらいなら出せるのね、あの人。
 ポロック(陽気に笑って。)それはそうだろうな。だけど変だな。あの人がこの新聞を読んでいるのを見たことがない。
 クーパー ええ、それはそう。全然読まないものだって取ることは取る、という人ですもの。そのテーブルに重ねてある新聞、大抵はあの人のもの・・・
 ポロック そうそう。そう言えば。じゃあ、今朝のこの新聞だって、もうあの人に届いている?
 クーパー ええ、きっと。
 ポロック なあんだ、馬鹿な事をした。四ペンスの無駄使いか。あの人のを見せて貰えたんだ。知っていりゃ。
(ポロック、陽気に笑う。クーパー、礼儀正しく笑い、片付けを終え、扉へ進む。)
 クーパー ヴェニゾンはお嫌いでしたわね、ポロック少佐。ですからお昼はチョップを特別に用意させました。このこと、他の人には伏せておいて下さいね。
 ポロック 勿論、勿論。有難う、ミスクーパー。
(クーパー退場。ポロック、素早く新聞を広げ、暫く見つめる。熱心に読む。それから急に一頁分引き千切り、丸めてポケットに突っ込む。 次にテーブルに行き必死になって捜す。ウエストハンプシャー週間新聞を見つける。引き千切るべき頁を捜している時に、レイルトンベル、ホールから登場。その後ろにシビル登場。おどおどしていて活気なし。三十代。眼鏡を掛けている。服装みすぼらしく、化粧なし。)
 レイルトンベル(部屋に入って来ながら。)そういう事が言いたかったの、シビル。じゃはっきりそう言わなくちゃ駄目じゃないの。もう少し言い方を考えなくちゃ。でないと分からないでしょう? あら、今日は、ポロック少佐。
 ポロック 今日は、ミシィズ・レイルトンベル。(陽気にシビルに。)やあ、ミス・アール・ビー。
(ポロック、新聞を掴んでいる。隠す事も出来ず、もとの場所に置く暇もなかったのである。レイルトンベルが
それを目にしているのを知る。)
 ポロック いや、失礼、ちょっとこのウエストハンプシャー・ニュースを眺めていた所なんです。貴方のでしたな、これは。ちょっと貸して戴けませんか。見たい記事があるんです。
 レイルトンベル いいですわ、少佐。ただ、必ずお返し下さいね。
 ポロック 勿論。
(ポロック、扉へ進む。その時までにレイルトンベル、自分の席に進んでいて、さっきポロックの落としたウエストハンプシャー・ニュースを床から拾い上げている。)
 レイルトンベル あら、これは? 同じウエストハンプシャー・ニュースだわ。
 ポロック(驚きを装って。)え? ウエストハンプシャー・ニュースですか?
 レイルトンベル ええ。
 ポロック これは驚いた。
 レイルトンベル 床の上に、この辺にあったわ。
 ポロック 別に頼んだ人がいるのかな。
 レイルトンベル こちらの方を持って行って下さらない? 私は私の新聞を戴きたいわ。
 ポロック(それもどうかと思う、という気で。)その新聞の持ち主が困りはしないかな。
 レイルトンベル どうせここに落ちていたんですわ。読み終わったものでしょう、きっと。お差しつかえなければ、私の新聞を戴きます、ポロック少佐。
 ポロック(敗北を認めて。)オーケー。じゃあ元に戻して置きます。
(元に戻す。レイルトンベルから自分の新聞を受け取る。)
 ポロック さてと、ちょっと外をぶらついて來るか。
 シビル(おずおずと。)あのー、ポロック少佐。私、ご一緒出来ませんかしら。私も散歩はまだなんですの、今日は。
 ポロック(困って。)お申し出は有り難いんですが、そのー、ミス・アール・ビー。いや、本当に。しかしちょっと・・・途中から友人宅に、寄るつもりなので・・・それが・・・ちょっと・・・
 シビル(ポロックよりもっと恥ずかしそうに。)いいえ、いいえ。いいんです。ご免なさい。
 ポロック いやいや、謝るのはこっちの方です。じゃあ、バアイ。夕食の時また。(ポロック退場。)
 レイルトンベル「バアイ」だなんて。使うべき言葉じゃないわ。品のない。でもあの人自身、品のない人なんだから・・・
 シビル あら、ママ、そんなことは・・・あの方随分立派な隊にいらしたのよ。
 レイルトンベル 近衛部隊にいたって下品な人は下品なのよ、シビル。(優しく。)ねえ、シビル。お前お嫌だろうけど、私の言う事を少し聴いて頂戴。年寄の繰り事ってお前、思うだろうけど。
 シビル(諦めて。)はい。
 レイルトンベル あの人のあんなごまかしを、その儘聞き流すのはあんまり賢明なやり方じゃないと思うのよ。
 シビル あれはごまかしじゃないわ、ママ。あの人、本当にお友達に会いに・・・
(レイルトンベル、分かっているというように、また同情するように微笑み、頭を少し横に振る。)
 シビル 私分かってるの。だってあの人とよく散歩に出るんですもの。
 レイルトンベル 知っています。それに知っているのは私だけじゃないわ。ここの人は大抵それに気がついているのよ。
(間。シビル、母親を見つめる。)
 シビル(やっと。)まさか、まさか。そんな事を・・・
(シビル、飛び上がり、両手で急に頬を抑える。)
 シビル 酷い、酷い。酷いわ、酷いわ。
 レイルトンベル(鋭く。)静かになさい。またいつもの発作がおきますよ。さあ。
 シビル 大丈夫、ママ。もう発作はおこらない。ただ、あんまり酷い。そんな事を考えるなんて、本当に酷い。こういう話が嫌いなの、私。こういう話、考えるだけで恐ろしいの。
 レイルトンベル(なだめるように。)分かっています、シビル。でもその方面の話って人生には必ずあるものなの。だから他人に間違った印象を与えないように、いつも気をつけていなければいけないの。少し収まった?
 シビル ええ、ママ。
 レイルトンベル 良かったわ。こんなことで気分が動揺しないようにしなくちゃ。分かる?
 シビル あの人と散歩するのは、話が面白いからなの。聞いていると楽しいの。ロンドンの話、戦争の話、軍隊の話・・・あの人いろんなことを知っていて・・・私の方は知らないものだから・・・
 レイルトンベル それどういうこと、シビル。何が言いたいの。
 シビル 私ただ・・・(抗弁するのを止める。)ご免なさい。
 レイルトンベル(非情に、狙った獲物はのがさない勢い。)勿論お前には人生の楽しみ・・・社交会でのダンス、カクテルパーティ。そういった事が欠けているのは分かっています。お前の年頃の上流の娘達ならそういう楽しみが確かにあります。私だってお前にそれを経験させてやりたいのは山々なのよ。余裕さえあれば・・・私、これでもせいいっぱいやっているの。それは分かって頂戴。
 シビル 分かっています、ママ。
 レイルトンベル 去年はローマ、その前は北欧へ船の旅・・・
 シビル 分かってる、ママ、よく分かってるわ。 私、有り難いって思ってるの。本当に、ただ、(言い止める。)
 レイルトンベル(優しく頷いて。)ただ・・・何?
 シビル 私、自分で何か出来ないかと思って。だってもう私、三十三なの・・・
 レイルトンベル まあまあ。この話は何度もした筈よ。どこへ勤めたってお前は、三週間と、もった事がないじゃないの。ジョーンズ アンド ジョーンズを覚えている?
 シビル あの時は地下室で働かなきゃならなかったからだわ。私、地下室だと息が詰まって気が遠くなってくるの。でも何か出来る事が他にある筈だわ。
 レイルトンベル(シビルの手を軽く叩きながら。)あなたの身体はそんなに強くないの。それをよく頭に入れておかなくっちゃね。神経が人より過敏に出来ているの。
 シビル あの発作のこと? 此頃ずっとないわ、私。
 レイルトンベル 確かにそうね。このところお利口さんよ。よく気をつけてくれているわ、本当に。でもヒステリーの発作がおきないからといって、じゃ仕事につけるほど丈夫かっていうと、それは違うでしょう?(この議論にきっぱり結論を下して。)あの新聞を取って頂戴。
 シビル どの新聞?
 レイルトンベル ウエストハンプシャー。何に興味があったんだろう、あの少佐。
(シビル、新聞を渡す。レイルトンベル、ポケットを探る。)
 レイルトンベル あらまあ。私ってなんてお馬鹿さん。眼鏡と本を置いて来てしまったわ。ラグーサ・ロードのバスの待合所に。盗まれていなければいいけど。まだあると思う。ねえお前、分かるだろう? 私いつだってお前が頼りなのよ。今日のお昼、お前は頭痛で私と一緒じゃなかった。そしたらたちまち忘れ物。
 シビル 私行って来ますわ。
 レイルトンベル あら悪いわね。 有り難いわ。私のためにこんな事やらせるのは本当に気の毒なんだけど、私今、足が疲れて。年をとると駄目ね。海が見える待合所の一番はじなの。
 シビル 二人でよく座る所でしょう? 分かってるわ。
(シビル退場。レイルトンベル。新聞を開き、目を非常に近付けて見る。過去の経験から、面白い部分は分かっている様子。突然新聞を動かしていくのを止める。観客は彼女の顔が見えない。しかし読むにつれて新聞が震えてくるのが分かる。マシスン登場。)
 マシスン あら、モード、もうそろそろニュース番組の時間よ。
 レイルトンベル (緊張した声。)グラディス、あなた眼鏡ある?
 マシスン あると思うけど。(ポケットを探る。)ええ、あったわ。
 レイルトンベル ここの所、私に読んで下さらない?
(新聞を渡し、指差す。)
 マシスン(底意あることに気づかず。)どこ? タンクローリーの運転手、免許証を失う?
 レイルトンベル いいえ、退役軍人御用。
 マシスン(明るく。)あら。(読む。)「退役軍人御用、映画館での破廉恥行為」(見上げて。)映画館で? まあ・・・あなた本当にこれが聴きたいの? モード。
 レイルトンベル(陰気に。)ええ、そう。続けて。
 マシスン(諦めて読む。)「先週の木曜日、ボーンマス祭の始まる前、デイヴィッド・アンガス・ポロック、五十五歳、住所(マシスン、激しく反応する。)ボーリガードホテル、モーガンクレセント、は・・・」(熱にうかされたような囁き声。)ポロック少佐よ、まあ。
 レイルトンベル 続けて。
 マシスン(読む。)「(ポロックは)シネマ・ボーンマスにおいて、いかがわしき行為のかどにより訴えられる。」まあ、まあ。「訴えたのは、オズボーン夫人、四十三歳(息を切らして。)住所、ストゥットランド通り、四」あの人酔っていたのよ。
 レイルトンベル 酒は飲まないわ、あの人。
 マシスン あの晩一晩だけ・・・
 レイルトンベル いいえ。続けて。
 マシスン「証人、オズボーン夫人によると、ポロックは彼女の隣の席に座るや、夫人の腕に執拗に触り、その後さらに大胆な行為に移ろうとした。夫人はここで席を立ち、案内嬢に事情を話した。もう一人の証人フランクリン警部によると、シネマ ボーンマスの経営者から電話があり、早速二、三人の警察官を派遣、午後三時五十三分より七時十分まで、ポロックを見張らせた。この間ポロックは五度以上席を替え、その度毎に女性の横に座った。警部の証言によると、慥かに最初の女性以外には訴える者はいなかったが、こういう場合それは珍しいことではないと。映画館を出る時ポロックは逮捕された。罪状を述べ、注意を与えると、ポロックは次の様に述べた。「諸君は恐ろしい誤りを犯した。人違いだ。ここに来たのはたった三十分前なのだ。私はスコットランドガードの少佐なんだぞ。」後になって彼は罪状を認めた。ポロックの弁護人、ウイリアム クラウザーは、ポロックに代わって次のように述べた。ポロックは一時的に錯乱状態に陥った。このことを遺憾に思っており、また恥じている。以後決してこのような馬鹿げた不穏当な行動はとらないよう気をつける。弁護人はまた、彼の傷のない過去の経歴も考慮に入れて欲しいと要請した。ポロックは一九二五年入隊、一九三九年にロイヤル・アーミー・サービス・コープに少尉となった。戦時中はオークニー島の輜重部隊において責任ある地位にあり、一九四六年中尉の位で引退した。ポロックは実刑を免れた。裁判長は判決にあたり、次のように述べた。「君の行為は恥ずべきものである。しかしどうやらこれが君の初めての犯罪行為であるので、寛大な処置を取る事に決めた。」被告は十二箇月の謹慎となった。
(マシスン、新聞を下げる。心の底から困って動揺している。)
 マシスン まあ、なんていう事でしょう。まあ。
 レイルトンベル(完全に自分を抑えているが、興奮していて。)木曜日、じゃあ水曜日ね、これがあったの、きっと。覚えてる? あの人、水曜日は夕食を取らなかったわ。
 マシスン そう? そうそう。そうだったわ。まあいやらしい。しつこくですって。まあ嫌だこと。
 レイルトンベル あの木曜日、あの人ひどくいらいらして、沈んでいたわ。思い出すわ。それから金曜日になって、また急に明るくなった。 勿論この新聞を読んでこれで無罪放免になったと思ったのね。運が良かった。この新聞を毎週読んでいて。
 マシスン 運が良かった? モード。良かったのかしら。
 レイルトンベル 勿論良かったんじゃない。そうでなかったら知らない儘になっていたのよ。
 マシスン その方が良かったんじゃない?
 レイルトンベル グラディス、あなた何を言ってるの?
 マシスン 私、分からないわ。もう何が何だか分からない。頭が変になって・・・そうね、知らない方が良かったなんて事はないわね。こういうことは知っておかなくちゃね。でも時々どうして知る必要があるんだろうって思うこともあるわ。
 レイルトンベル じゃあ言いますけど、私達のすぐ傍に、嘘つきの詐欺師がうろうろしていて、全然疑われもせず自由にしている、それを放っておけばいいって言うの。そんな事をさせておいたら、そのうち恐ろしい大犯罪が起きるかもしれないのよ。
 マシスン ええ、でもあの人ここにもう四年もうろうろしていて、それで大犯罪なんか起こらなかったわ。(軽い溜息。)私達、もう年寄のおばあさんなのね。
 レイルトンベル(冷たく。) 私には娘があるのよ、グラディス。
 マシスン そうそう。かわいそうなシビル、あの人とあんなに仲良くしてたのに・・・
 レイルトンベル そう。
 マシスン(ちょっと苦しそうに考えた後。)ねえ、モード、勿論これは私の言うことじゃないんだけど、それにあなた、母親として子供を守ってやる義務はあるわ。でも・・・でもね、シビルって変わっているでしょう? 興奮し易いし、はにかみやだし・・・それにいろんな点でまだ大人じゃないわ、あの子・・・
 レイルトンベル 何が言いたいの、グラディス、はっきりしてよ。
 マシスン ええ、はっきり言うわ。あなた、この事をシビルに話しちゃ駄目よ。
 レイルトンベル 話しちゃ駄目?
 マシスン ええ、全部は。細かい事は。あの人が破廉恥漢だった、っていうぐらいはいいわ。でもモード、あの映画館の話はいけないわ。(突然あることを思いついて、当惑して。)まあ、私、これからあの人にどんな顔をして会ったらいいのかしら。
 レイルトンベル 会う必要なんかないのよ。(この時までに椅子から立ち上がっている。自分のこれからの行動に重みをつけるためである。)ミス・クーパーに今会って来るわ、私。そしてあの人に、今日の夕食までに出て行って貰うよう要求するわ。
 マシスン そんなことまでしなくてもいいんじゃない?
 レイルトンベル なんて事を言うの。今日あなた、どうかしているわね。勿論要求するわ。
 マシスン でもあなた、あのミス・クーパーっていう人を知っているでしょう? 自分の意見がある人よ、あの人。それに頑固になる時があるわ。賛成しないんじゃないかしら。
 レイルトンベル 勿論賛成するわよ。私達みんなが言えば仕方がない筈よ。
 マシスン でも、みんなじゃないわ。まだ私達二人だけよ。他の人と相談してからじゃない?(突然この言葉の意味を考えて。)あら大変。そうしたら、みんなにこの話をしなくちゃいけないわ。
 レイルトンベル(嬉しそうに。)それはいい考えだわ、グラディス。ファウラーさんはどこ?
 マシスン 自分のお部屋ね、きっと。
 レイルトンベル あの若い人達は? 入れましょうか。そうね、あの人達、もう長期滞在組に入れていいわね。そうだわ、入れましょう。
 マシスン 厭だわ、陰口をたたかなくちゃならないのね。
 レイルトンベル 陰口?(大仰に新聞を指差して。)陰口じゃないの。もう世界中に知れ渡っているのよ。
 マシスン でも正確に言えばウェスト・ハンプシャーにだけだわ。
 レイルトンベル ぐずぐず言わないの、グラディス。(フレンチウインドウを指差して。)ミス・ミーチャムは庭ね。でもあの人には話さなくていいんじゃないかしら。変わってる人。何を言いだすか分かりはしない。それに日に日に変わり者の度が強くなってるわ。あ、シビルだわ。行ってみんなを呼んで来て頂戴。私はシビルに言って聞かせなくちゃ。
 マシスン モード、まさか・・・
(シビル登場。)
 マシスン 私がさっき言ったこと、忘れないでね。
 レイルトンベル 分かっているわ。大丈夫。さあ、行って来て。
(マシスン退場。)
 レイルトンベル(シビルに。)有難う。見つけてくれたのね。
(シビルから本と眼鏡を受け取る。間。)
 レイルトンベル(やっと。)ねえ、シビル。あなた部屋に戻りなさい。その方がいいわ。
 シビル どうして、ママ。
 レイルトンベル 長期滞在の客だけで集まって話をするの。たった今、緊急の事態が起こって、そのことでみんな集まるの。
 シビル まあ。話合い? ドキドキするわ。私もいていい? だって私も、考えてみれば長期滞在の客だわ。
 レイルトンベル わかってるわ。でも話し合う事が事ですもの。あなたには不向きなの。
 シビル どうして、ママ。何の事なの?
 レイルトンベル まあ、お前って何て聞きたがりやなの。分かったわ。じゃあこれだけ話しましょう。それ以上は駄目よ。私達が話すのはミス・クーパーに言ってポロック少佐をこのホテルから出て行って貰って二度と足を踏み入れないようにして貰おうっていうことなの。
 シビル(茫然として。)何ですって? 分からないわ。何故なの、ママ。(レイルトンベル答えない。)ねえ、ママ教えて。何故なの。
 レイルトンベル 教えられないわ、シビル。それこそ気が動転してしまうもの。
 シビル でもママ、私どうしても知らなくっちゃ。知っておかなくちゃいけないわ。あの人が何をやったのか。
 レイルトンベル(少し躊うだけで。)お前本当に私に言えっていうのね。
 シビル ええ、ママ。
 レイルトンベル(溜息をついて。)それなら分かったわ。これ以上隠しておく事はできないって言うことね。
(素早い動作で新聞をシビルに渡す。)
 レイルトンベル これをお読みなさい。真ん中の欄、上から二番目の記事、「退職将校御用」ってところ。
(シビル読む。レイルトンベル、シビルを見る。突然シビル座る。目は見つめているがぼんやりとしている。マシスン登場。すぐにシビルに気づく。)
 マシスン(ショックを受けて。)モード、あなた、酷い事を・・・
 レイルトンベル 出来るだけの事はやったわ、グラディス。でもこの子がどうしてもって言い張るもんだから。
(保護者の顔で、娘の椅子に上から屈み込む。)
 レイルトンベル ご免なさい、シビル。お前には驚きだったろうね。でも、私達だってそうだったのよ。分かるでしょう? お前大丈夫?
(シビル、眼鏡を外す。新聞を小さく畳んで椅子の腕に置く。返事をしない。)
 レイルトンベル(少し前より鋭く。)大丈夫なの、お前?
 シビル(殆ど聞こえない。)ええ、ママ。
(ジーン登場。迷惑そうな様子。)
 ジーン 何ですの、ミスィズ・レイルトンベル。私ちょっとしか、いられませんわ。子供をほったらかしにして来ているんですの。
 レイルトンベル 長くはお引き止め致しません。お約束しますわ。どうぞお座りになって。(シビルの方を向き、鋭く。)シビル、お前、何をやっているの。
(チャールズ登場。)
(レイルトンベル、シビルの眼鏡を手に取る。)
 レイルトンベル ほら、眼鏡を壊しちゃって。
 シビル(呟く。)馬鹿な事をしたわ。
 チャールズ あらあら、手を切っちゃってるよ。
 シビル 切ってないわ。
 チャールズ 切っている。見せて。
(プロの手付きで、硬直している手を取り、調べる。)
 チャールズ たいした事はない。ガラスの破片も刺さっていない。さあこれを、きれいですから。
(清潔なハンカチを胸ポケットから取りだし、手に結ぶ。)
 チャールズ 後で消毒して薬をつけておきましょう。
(この時までにファウラー、登場している。)
 レイルトンベル ああファウラーさん。これで揃いましたね。どうぞお座りになって。すぐ始めます。若いお二人さんが、お急ぎのようですから。残念ながらこれは皆さんにとって非常に悪いニュースと申し上げねばなりません。
 チャールズ またボイラーが故障ですか。
 レイルトンベル いいえ、そんなつまらない事であったらよいのにと思いますわ。
 チャールズ 冷たい、茶色の水で髭を剃るってのが、つまらない事とは思えませんがね。
 レイルトンベル 冗談はお止めになって、ストラットンさん。
 ファウラー(心配そうに。)また値上げですか。
 レイルトンベル いいえ、このニュースはそれよりもっと重大です。
 ファウラー 値上げより重大な事、そいつは想像つかない。
 レイルトンベル これからお話しする事がそれにあたりますわ。
 チャールズ ねえ、ミシィズ・レイルトンベル、クイズをやっているんじゃないんですよ。さっさと話したらどうなんです。
 レイルトンベル(怒って。)どう切り出したらいいか困っているんです。それぐらい厭な話なんです。だから躊っているんじゃありませんか。でももし皆さんがお望みなら、言葉も選ばず、ズバリとお話ししましょう。(芝居がかった間の後。)ポロック少佐・・・この人は少佐でも何でもなく兵隊上がりの中尉にすぎませんが・・・
 チャールズ(興奮して。)そうか、やっぱりそうだったのか。僕には分かっていた。あいつの陸軍士官学校の話は臭いっていつも言ってたんだ。なあ、ジーン。
 ジーン そうね。でも最初に言ったのは私よ。ほら、あのナプキンについてあの人が冗談を言った時・・・
 ファウラー(急いで割って入って。)私も怪しいと思っていたんです。パブリック スクールの教育を受けたっていう、その点ですがね。今日ですよ、今日。ホラチウスの引用に、考えられない間違いをやったんです、あの人。ひどい間違いを・・・
 レイルトンベル(声を高めて。)ちょっと皆さん、ちょっと待って。ここはまだ出だしです。これからが本論。もっと恐ろしい、もっとぞっとすることが控えています。
(この言葉で静かになる。再び芝居がかった間の後。)
 レイルトンベル 彼は逮捕されて有罪と宣告されたのです。
 マシスン 宣告までは行っていないわ。
 レイルトンベル お願い、グラディス。どっちでも、たいした違いはないでしょう。「罪を糾弾された。」これならいいの? とにかくあの人ボーンマス シネマで、少なくとも六人の女性にいかがわしい行為をしかけたのです。
(あっけに取られた沈黙あり。)
 チャールズ(やっと。)驚いたな。なかなかやるもんだ。
 マシスン モード、あなたの言い方正しくないわ。六人にいかがわしい行為をしたかどうかは分からないでしょう。確かに一人にはしたわ。その人は受付嬢にそれを言いに来たんですから。でも、私に言わせれば、この人だって少し変だわ。どうして少佐にその場で、「そんなことをなさるのは止めて下さい。」って言わなかったんでしょう。私だったらそうするわ。他の五人については何にも分かっていないのよ。少佐がその人達に何をしたか、それは全く分かってはいないの。
レイルトンベル 勿論いかがわしい行為をしたに決まっているわ。あの人自身が、あの映画館に行ったのはそのためだったって認めているじゃない。五度も席を変えているのよ。それに必ず女の人の隣の席に。
 チャールズ すると五人じゃなくて十人だ。両方の肘を使えばいいんだ。
 ジーン 最初の人を入れると十一人、いや、十二人かもしれないわ。
 レイルトンベル そんな瑣末な事を言っている場合ではありません。この話の要点は、少佐が・・・いや、少佐と称していたこの人物が、いかがわしい行為をしたかどで、警察に訴えられたという点です。私の質問はここで、私達ホテルの長期滞在客はこれに対していかなる行動をとるべきか、という事です。
 ファウラー で、あなたの提案は? ミシィズ・レイルトンベル。
 レイルトンベル 私の提案は、ミス・クーパーにこのことを話して、あの人にこのホテルを出て行って貰うよう要請する、ということですわ。
 チャールズ そいつは反対だ。
 レイルトンベル 賛成なさらない?
 チャールズ 賛成しません。いやどうか、この事を軽く考えていると思わないで下さい、ミシィズ・レイルトンベル。彼のやったことは、いやもし彼がやっていたらの話ですが、私にとって汚らわしくて、吐き気を催す行為です。私は昔から性的表現において、こそこそしているってやつがひどく嫌いなんです。ですから心情的には、ミシィズ・レイルトンベル、あなたの味方です。しかし筋を通して戴くとなれば賛成する訳にはいきません。
 レイルトンベル(遮って。)ちょっと、ストラットンさん、あそこへお立ちになってお話し下さい。ご議論、ゆっくりお聞きしますわ。
 チャールズ いや、ここでいいです。どうも。議論といってもたいしたもんじゃありません。少佐の行為を私が嫌う・・・それは筋が通らない、という話をしていたところでした。筋が通らない・・・つまり、私が彼の行為を嫌う正当な理由がないという事です。多分これは、私が彼のことを理解出来ないのが原因なんでしょう。私の求愛行為は、彼の方には分かるでしょう。彼の求愛行為は私には理解できません。これが分かりさえすれば私には偏見がないことになり、彼を裁く権利があるでしょうが、分からないのです。ですからこの理解の方向は一方通行。即ち私には偏見がある。つまり私は、嫌いとか好きとかいう基準では彼を裁くことはできない。従って、残った部分は、単純なキリスト教的倫理、即ち、「他人に害を及ぼしたか」に照らして裁くだけです。で、自分自身に訊いてみます。「この男は一体何をやったのか。」慥かにある婦人の腕を少し触った。婦人は案内嬢に訴えたのですからね。これは確かでしょう。訴えた動機に関しては全く不可解。この点はレイディ・マシスンと私は同意見です。ですから女性の手を触ったというこの事実、これが一つです。それからもう一つ、自分の過去について我々に嘘をついた事、これも考えてみれば涙をそそるようなものです。第一我々だって時には多少なりともやっている事ですからね。 ・・・とにかく嘘をついた事。この二つだけです。私はこれが彼をこのホテルからつまみだして路頭に迷わせる十分な理由になるとはとても思えませんね。
 ジーン(熱をこめて。)呆れた。私は反対よ。私もこそこそしたこのやり方、だいっ嫌い。これは貴方と同じ。それからこのだいっ嫌いと思うのは正しいと思っている。ここは貴方と違う。私、厭なの。ちっとも偏見だと思わない。こんな風な事をする人、民衆の敵よ。どんな目にあったって当然じゃない。
 チャールズ こんな事でそんなにかっかするなんて、何かあやしいぞ。精神分析にかかる必要があるな。
 ジーン 何を言ってるの。私の方こそ筋が通っているわ。あの子がこの次・・・
 チャールズ(うんざりして。)そうそう、あの赤ん坊が二十年経って映画館でポロック少佐の隣に座ってみろって言うんだろう?
 ジーン そうよ。(チャールズ笑う。)笑いごとじゃないわ。貴方どう思って? もし・・・
 チャールズ  もしあの子が肘をうまく使ってあいつの急所に一撃食らわせなかったら、そりゃ恥ずかしく思うね。
 ジーン 貴方ってなんて馬鹿な話を・・・
 レイルトンベル ちょっとお静かに。ここはお二人の個人的な議論を展開する場ではありません。ストラットンさん、今のお話ですと、この件に関していかなる行動も取るべきでないとお考えのようですね。(チャールズ頷く。)全く何もですね。(チャールズ頷く。)抗議の表明もですね。
 チャールズ 夕食に非難の一瞥を与える。これどまりですね。
 レイルトンベル(嫌悪の表情を浮かべる。次にジーンの方を振り向く。)あなたの方は、私がミス・クーパーに掛け合うことに賛成なさるんですね。
 ジーン(しっかりと。)ええ。
 チャールズ(ジーンに囁く。)焚書坑儒か。
 ジーン(かっとなって。)これが焚書坑儒と何の関係があるって言うの。
 チャールズ 焚書そのものじゃないか。
 レイルトンベル(命令口調で。)静かにして下さい。(ファウラーに向かって。)ファウラーさん、あなたのご意見は?
 ファウラー(迷う。)これは難しい問題です。実際難しい。しかし、ストラットン君の意見には賛成できませんな。さっきのは非常に新しい考えです。第三者から見て検証可能な行為の伴った罪、のみを悪とする。それ以外は悪と見做さない。これは新式の考え方です。しかしこの考えをキリスト教的倫理と呼ぶのは正しくありません。キリスト教は勿論それより深いものです。ある種の行為はそれ自身――検証出来ようと出来まいと――不純で不道徳であり、またそれ故に悪なのです。私の意見では戦後の我が国における悪の横行、異常な性の氾濫は、この古い善悪の基準の崩壊によるものであると考えます。若い世代にとってみれば、この基準は感情的であり筋の通らないものに見えるでしょう。しかし私はこの基準を支持します。寛容さを示すのがいつもいいとは限りません。悪に対する寛容さはそれ自身悪と言えます。そう、慥かアリストテレスです。彼が言ったのは・・・
(ミーチャム、庭から登場。)
 ミーチャム まあまあ、大袈裟な話。アリストテレスを引用なさるんでしたら、その前にちょっと私、ここを通らせて戴きたいわ。
 レイルトンベル 今の話はお聞きになって? ミス・ミーチャム。
 ミーチャム 聞こえてくるんですもの、仕方がないわ。私、こんな話聞きたくもなかった。いつもの精神統一をやっていて注意力を一点に集めなきゃならなかったのに、ピッタリこっち側の壁に椅子をくっつけて座っているもんだから、聞かなくても聞こえちゃう。他の場所に移ればいいって言うかもしれないけど、日当たりがいいのはそこしかないし、あなた方のために寒い思いをするのは厭でしたしね。
 レイルトンベル 事実関係はもうご存じだとすると、ご意見を伺ってもよいと思いますけど、如何ですか。
 ミーチャム 意見などありません。
 レイルトンベル 何かはおありになるでしょう。
 ミーチャム ある訳ないでしょう。私はとっくの昔にこの世の中との関係を断っているんです。あなた方の誰よりも早くにね。それに私、道徳とか倫理にはまるで関心がないの。少し考えるのは小説を読む時位のものね。でも私の読むものといったら大抵は探偵小説。探偵小説じゃたいして道徳はいらないわ。ピーター・チェイニーの書いたものを読むけど、主人公はポロック少佐よりずーっとひどいことを女の子にやっているわ。だけど誰も気にしている様子はないわね。
 レイルトンベル ピーター・チェイニーの主人公は今の話とあまり関係がないように思いますけど、ミス・ミーチャム。あなたご自身のポロック少佐に対するご意見を伺いたいのですわ。
 ミーチャム あら、そう。あの人に対する意見ね。恐ろしく退屈な男、それにひどい食わせ者っていうことね。最初からそう思っていた。だから汚い男だっていうこの話を聞いたって、驚きもしない。ちょっと悪い言葉を使わせていただくとね、こんなのどっちにころんだって私の知ったこっちゃないわ。
(ミーチャム退場。間のあと、レイルトンベル、ファウラーに。)
 レイルトンベル えーと、ファウラーさん、そうすると貴方は行動をおこすのに賛成、と言うことになりますわね。
 ファウラー 私は昔、学生に退学処分をした事があります。校長をやっていた十五年間にただ一回。この時だけですが。私はこの件では悩みました。ひどく悩みました。しかし処置は正しかったのです。あいつは駄目な男でした。はじめコソドロ、次にゆすりや、そのあと酷い事をやってのけました。酷い事。(少しの間の後。)かわいそうな奴。あいつにはあいつの人生があったのか・・・
 レイルトンベル(いらいらして。)行動をとる事に賛成なんですか、どうなんですか。
 ファウラー(仕方なく。)ええ、まあ・・・賛成という事になるでしょうな。
 レイルトンベル(マシスンに。)あなたはどうなの、グラディス。
(マシスンが躊っているので。)
 レイルトンベル 他の人達みたいに議論を展開する必要はないのよ。ただ賛成か反対か、だけで。
(間。)
 マシスン(やっと。)厭だわ。
 レイルトンベル なにをぐずぐずしているの、グラディス。こんなこと大嫌いっていつも言ってたじゃない。国中にこんな悪徳がはびこっている。なんて厭なことって。こんな人すぐ牢屋に入れてしまえばいいの、とも言ってたでしょう。
 マシスン(やっと。)厭だわ。
 レイルトンベル(本当にいらいらして。)どうしたの、グラディス。早く決めて頂戴。ストラットンさんに味方して悪徳の擁護に一票を投じるか、ファウラーさん、ミシィズ ストラットン、私、に味方してキリスト教的美徳の擁護に一票を投じるか、どうなの。
 チャールズ これは酷い。いくら自分の意見に傾かせようったって、こんなに歪曲した表現って聞いたことがない。マッカーシー上院議員にこの技術を教えてやりたいぐらいだ。
 レイルトンベル お黙り下さい! さあ、グラディス。どっちなの。
 マシスン それはあなたの意見に賛成に決まってるわ。だけど・・・
 レイルトンベル(チャールズに。)これで、ストラットンさん、五対一ですわね。一は貴方。ミス・ミーチャムは中立として。
 チャールズ 五? ジーン、ファウラーさん、レイディ マシスン、あなた、で、四ですけど?
 レイルトンベル 娘の一票がありますわ。これは私に賛成なんですから。
 チャールズ どうして分かります。
 レイルトンベル こういう事に関して娘の感じ方は分かっていますから。
 チャールズ 直接にその意見が述べられるのを聞きたいですな。
(シビル、この議論の間中、椅子に座ったまま身じろぎもしない。両手は腿の上に置かれたまま。片手はハンカチで縛られている。じっと正面の壁を見つめている。)
 チャールズ シビルさん、あなたの意見は?
 レイルトンベル ストラットンさんがお前に聞いているんだよ。
 シビル 何? ママ。
 チャールズ あなたのご意見は?
 シビル 私の・・・意見?
 レイルトンベル(はっきりと子供に言うように。)ポロック少佐に関するお前の意見。私達がどういう行動をとるべきか。
(シビル、質問の意味分からず。返事をしない。)
 レイルトンベル(他の人達に傍白の心持ち。)ショックをうけたんだわ。(シビルに再び。)その新聞で読んだろう? お前どう思うの?
 シビル(囁き声。)厭な話。
 レイルトンベル 勿論そうよ。私達もみんなそう思ったのよ。
 シビル(次第にトーンが上がって終には怒鳴る。)厭な話。厭な話。厭な話。厭な・・・
 レイルトンベル(すぐにシビルに近づき、抱擁して。)分かっています。分かっているの。ね、落ち着いて。大丈夫だから、ね。
 シビル(母親の腕に顔を埋めて。)私、気分が悪いの。ママ、行って休んでもいいかしら。
 レイルトンベル 勿論よ。そうなさい。じゃあ読書室に行きましょう。ソファがあるし、誰もあそこには来ないし。(ホールの方へシビルを連れて行く。)もういらいらしないのよ。こんないやなことはみんな忘れるの。なかったって思うのよ。こんなことみんな。ポロック少佐なんてどこにもいなかったって。そう思えばいいの。
(二人、ホールへ退場。)
 マシスン あんな話をシビルにはしてはいけなかったわ。あれはあの人の間違いだわ。
 チャールズ(怒って。)そうです。あの子がもし精神の障害を起こしたら、当然そりゃ、あの母親の責任ですよ。
 マシスン(自分の発言内容を越えて解釈されるのは困る、という姿勢。)ストラットンさん、それは私の話とは違いますからね。今のお話を私が言ったと思われては困ります。私はただ、「間違い」と言っただけで・・・
 チャールズ 失礼しました。そうです。これは私の意見です。私の責任における発言です。
 ジーン あの人の意見を聞くなんて、貴方がいけないのよ。
 チャールズ そこにしーずかに座っていたんだぜ。外から見た様子だと、聞いているように見えた。抑圧されたヒステリー状態にあるなんて想像もつかなかったんだ。そりゃ、今から考えれば、そこに思いあたっても不思議はないんだが、とにかく僕は今回だけはあの人に一本立ちして貰いたかった。余計なお節介だけど、他人の目の前で母親に、自分の意見は違うと言って貰いたかった。あの人の一生のうちでこの一度だけはね。そうしていたら、あの人の魂は救われていたかもしれないんだ。
 ファウラー ほほう。現代の精神分析も「魂」などという、古くさい感傷的な言葉を使うんですかね、ストラットンさん。
 チャールズ 魂。私は精神の意味で使ったんですが・・・いつか暇を見つけて、その違いを教えて下されば有り難いですね、ファウラーさん。
 ファウラー そうしましょう。
 チャールズ(立ち上がりながら。)それはまたいつか。今日は解剖学にかかずらわっていて・・・ごっちゃになると困りますから。(ジーンに。)じゃ行くか。
(ジーン、立ち上がる。何となく言い足りない気持ち。)
 ジーン チャールズ、今夜の貴方どうかしているわ。俺だけが正しいんだっていう、なまいきな態度だったじゃない。
 チャールズ ちょっと謝らなきゃいかんかな。どうやら調子にのり過ぎたようだ。常識的な人間の常識的な判断だと思ったら、それが少数派になっていたもんだから。こういうのを「孤高を保つ」というんですかね、ファウラーさん。
(チャールズ退場。ジーン、扉から戻って來る。)
 ジーン(ファウラーとマシスンに。)あの人勉強のしすぎなんですの。明日になったら全く違った考えになっていますわ。(二人に約束する気持ち。)きっとそうさせますわ。
(レイルトンベル登場。)
 レイルトンベル あの子はもう収まりました。いつでもすぐ回復するんですの。今は読書室で休んでいますわ。
 マシスン 良かったわ。
 ジーン 夫のことで、今謝っていたところですの、ミシィズ・レイルトンベル。
 レイルトンベル それは有り難いわ。でも私がいつも言っているのは、人は誰でも自分の意見を持っていいっていうことですわ。その意見がどんなに奇妙で、危険で、厭らしいものであっても。 (きっぱりと。)さあ、みんなで一緒にミス・クーパーに会いに行きましょうか、それとも代表で私が行って来ましょうか。
(自分が行きたいのは見え見えである。暫くして皆、遠慮がちに話し始める。)
 マシスン それはあなたが代表で行った方がいいんじゃない。
 ファウラー 代理を出すっていうのはどうかな。
 ジーン 代わりに行って下さった方がいいわ。
 レイルトンベル 分かりました。
(レイルトンベル、新聞を取り、扉へ進む。)
 レイルトンベル 嬉しくてこんな役目を引き受けているのではありませんのよ。分かって欲しいわ。
(退場。)
 ファウラー(マシスンに。)皆を代表して進言する・・・もっとあからさまに嬉しそうな顔をしてもいいんじゃないのかな。
 マシスン(賛成しかねて。) 義務を果たすのが喜び・・・そういう人達もいるものですわ。私は違いますけど。私は弱い人間。こういうことは全く駄目・・・
 ジーン(扉の所で。)私が代表で行ったっていいわ。あんな厭な奴!(出る時独り言。)赤ちゃん、泣いていなければいいけど。
(退場。)
 ファウラー 情容赦ないな、あの女(こ)。
 マシスン 今時の若い女の子ってみんなそうじゃないかしら。
 ファウラー(含みのある言い方で。)若い女の子だけじゃない・・・ですね。
 マシスン(仕方なく。)そう・・・ですわね。(溜息。)嫌だわ。こんな事って。私、ひどく惨めな気持ちになってしまった。
 ファウラー 私もです。惨めな気分ですなあ。(溜息をついて立ち上がる。)正義の味方につく、まあ今の場合我々がそうなのですが・・・すると自分が人を非難出来るほど潔白でない事に気づいて厭な気分になるんです。テレビでも見に行きましょう。この鬱陶しい気分をさっぱりさせたいですよ。
 マシスン(立ち上がりながら。)ええ、そうね。ニュースはもうそろそろおしまいですけど、そのあとフィリップ・ハーベンの素敵な番組があるわ。ただあの番組でいくら楽しい生き方を聞いてもちっとも実行していないわ。
 ファウラー(二人、退場する時。)そうですね。楽しむだけ楽しんでいて、実際は苦しみの多い生き方を選んでいる。これは、今日いうところのマゾヒズムってやつですかな。
(二人退場。暫く部屋は空。開いたフレンチウインドウから、ポロック顔を覗かせる。部屋を用心深く探る。誰もいないのに満足して入って來る。レイルトンベルの新聞が重ねてあるテーブルに素早く近づく。捜している新 聞は既に、元あった場所にはないことをすぐ知る。狂気のように、積み上げた新聞をひっかきまわす。次に部屋を捜す。どうしようもなく、茫然と暖炉の傍に立つ。この時扉が開き、シビル登場。ポロックを見てはっと立ち尽くす。ポロックも動かない。)
 ポロック(やっと、痛々しい陽気さを見せて。)やあ、ミス・アール・ビー、調子はどうですか。
 シビル ママの新聞を捜していたのね。
 ポロック え? 何を言ってるんだい? 新聞だったら別のやつを持って行ったから・・・
 シビル ごまかさなくってもいいの。ママは読んだの、あれ。
 ポロック えっ。
(長い間。少佐の肩落ちる。テーブルに手をついて身体を支える。)
 ポロック 君も読んだの?
 シビル ええ。
 ポロック ああ。
 シビル それに他の人も。
 ポロック ミス・クーパーも?
 シビル ママが言いに行ったわ。
(ポロック頷く。万事休す、という顔。)
 ポロック(やっと。)そうすると、これで終か。
 シビル ええ。
 ポロック やれやれ。
(ポロック坐る。床を見つめる。シビル、ポロックをじっと見る。)
 シビル(熱を込めて。)何故あんなことをなさったの。どうして。
 ポロック 分からない。答えられればいいんだが。どうして人はしてはいけない事をやるんだろう。酒を飲み過ぎる奴がいる。一日に五十本も煙草を吸う奴がいる。何故なんだ。ただ止められないから。そうじゃないのかな。
 シビル じゃ、これは初めてじゃないのね。
 ポロック(静かに。)初めてじゃない。
 シビル ひどいわ。
 ポロック 勿論ひどい。弁護しようとは思わない。君には分からないかもしれないけど・・・僕は大学の頃から女の人が怖かった。死ぬほど怖かった。考えてみれば、人間なら誰でも怖かった。でも特に女の人が。大学では・・・これは勿論ウエリントンじゃなくて普通の公立の大学だったが・・・大学ではひどかった。臆病でおどおどしている奴はつまはじきだ。連中は僕を容赦なく扱った。親父も僕の事を軽蔑した。親父はブラックウオッチで特務曹長まで行った。僕を軍隊に薦めたのも親父だ。しかし親父にとって僕は、期待外れの息子だった。僕が将校になる前に死んだ。将校になったのもただのまぐれ。戦争が始まって昇進が甘くなったんだ。しかし僕は天にも昇る心地だった。敬礼はされ、「サー」とは呼ばれ、急に偉くなったような、一かどの人物になったような気がした。ひょっとするとこうなったら、僕だって誰か女の子がなびいて来て僕と・・・(言い止める。)しかしそんな事は一度も起こらなかった。僕は生まれつき変な風に出来ていて、それを変える事は無理だった。何時でも暗い所でなきゃならなかったし、赤の他人でなきゃ駄目だった。どうしてかって言うと・・・
 シビル(両手で耳を抑えて。)止めて、止めて。聞きたくない。胸が悪くなって・・・
 ポロック(静かに。)ああそうだね。こんな話だから・・・あたり前だね。どうしてこんな事をって訊かれたもんだから、つい・・・それに僕も誰かには話してみたかったんだ。こんな事を話すなんて、生涯ただの一度だってありはしなかったんだからね。
(ポロック、立ち上がり、シビルの袖に優しく触れる。)
 ポロック 驚かせてしまって悪かった。特にシビル、あなたをね。
(ポロック、テーブルに進み、本を二冊取る。)
 シビル 何故特に私なの。他の人じゃなくて。
 ポロック ああ、他の連中なんて僕にはどうでもいいんだ。連中はそれぞれ勝手な解釈をして暫くは噂話の種にする。それでおしまいなんだ。だけどシビル、君は違う。僕のことで悩むんじゃないかと思ってね。
 シビル 初めてだわ、私のことシビルって呼んだの。
 ポロック そうだったかな。今さらミス・アール・ビーなんて言ったってはじまらないからね。
 シビル 私、他の人と違うって、どうしてかしら。
(この時までにポロック、部屋の隅から別の本、それからパイプを取り上げている。この言葉で振り向きシビルの方を見る。)
 ポロック 君が、性・・・あ、この言葉はまずいんだな・・・「人生」と、言っておこう。(これならいやらしい響きがないからね。)・・・君が「人生」をひどく怖がっているからだよ。君と僕とはだから、ひどくよく似ているんだ。このホテルでも僕達はよく取り残されて、気がついてみると二人だけになっていた。それはそのためなんだ。
 シビル どうして二人が似ているなんておっしゃるの。私はあんなことは・・・(言い淀む。言葉を続けられない。)
 ポロック 分かっている。君は僕がしたような事は決してしないし、その気になることさえない。運がいいんだ。いや、本当に運がいいんだろうか。どっちが運がいいかなんて、誰にもわかりっこない。いや、とにかく僕の言いたい事は、僕等は人間が怖かった。二人とも。だから二人一緒にいて、やっとその怖さを忘れることができた。僕のことを言うと、このことでは君に感謝している。決して忘れないだろう。勿論君がどう思っているか、そんな事はいいんだ。
 シビル 何をしていらっしゃるの。
 ポロック 荷物を纒めているんです。僕の物入れをどこかで見ませんでしたか。
 シビル ここですわ。
(シビル、テーブルに進み、物入れを取る。ポロック受け取る。)
 ポロック(苦く笑って。)ウエリントンの記念の色だ。
 シビル どうしてあんな酷い嘘をおつきになるの。
 ポロック ここにいるこの自分っていうものが嫌いなんだろう。だから自分の代わりの人間をこしらえてしまうんだ。本当はそんなに害があることじゃない。誰だって多かれ少なかれ、自分でない人物をこしらえている。僕のは他の人よりちょっとやり過ぎているだけなんだ。自分自身が本当に少佐だと思いこんだ事もかなりあるな。(はっとして。)誰かホールにいる?
 シビル(耳をすます。)いいえ、いないわ。どこにいらっしゃるおつもり?
 ポロック 分からない。ロンドンに知り合いがいる。一日二日は泊めてくれると思う。あまり気がすすまないんだが・・・
 シビル どうして?
 ポロック(少しの間。)そのー、まあ・・・そいつも僕と同類項なんだ。(つまり、人生を怖がる点でね。)
 シビル 行ってはいけないわ。そこへ行ってはいけないわ。
 ポロック 他に行く場所がないんだ。
 シビル 別のホテルにすればいいわ。
 ポロック ボーンマスとかこの近くじゃ駄目だ。するとロンドンしかない。ロンドンじゃ僕が払えるホテルなんかあるだろうか。僕は知らない。
 シビル お金をお使い下さい。お貸ししますわ。
 ポロック そんな、それはいけない。
 シビル いいえ、どうぞ。私、債券があるわ。それをお使いになればいいわ。必要なら株式も・・・
 ポロック(シビルの手を握って優しく。)有難う、シビル。好意は有り難いが・・・それは出来ない。
 シビル でもそうでないと、今のその人のところへ行くんでしょう?
 ポロック いや、別の所を捜す。
 シビル 別の所?
 ポロック 心配しないで。何とかやるよ。
(クーパー登場。後ろ手に扉を閉める。)
 クーパー(明るく。)ここでしたの、ポロック少佐。ちょっと事務所までいらして戴けません?
 ポロック わざわざ事務所まで行かなくても、ここで大丈夫です、ミス・クーパー。お話は分かっています。私はすぐここを出ますから。
 クーパー そうですか。すると御自分から出るとおっしゃるのですね。
 ポロック 勿論。
 クーパー 何故お訊きしたかと言いますと、私の方からは全く出て戴く必要はないことをはっきりさせておきたかったからですの。もし留まりたいとお思いなら、一向にさしつかえありませんのよ。あなたの方でお決めになる事ですわ、これは。
(間。)
 ポロック そうですか。これはご親切に。しかし勿論私は出て行かねば。
 クーパー そのお気持ちは分かりますわ。では予告期間の一週間分は戴かないことに致します。何時お発ちになりますか。夕食前?
 ポロック ええ、勿論。
 クーパー どこかに落ち着かれるまで一時的にいらっしゃれるホテルのご案内を致しましょうか。
 ポロック そんなにご好意に甘えることは出来ません、ミス・クーパー。
 クーパー ご遠慮なさることは何もありません。 ボーリガードグループ経営のホテルがロンドンに二つあります。一つは西ケンシントン、もう一つはセントジョンウッドです。値段はほぼ同じです。どっちになさいますか。
 ポロック(間のあと。)西ケンシントンの方を。
 クーパー 慥か、ここに名刺があった筈・・・ああ、ありました。
(暖炉の方に行き、小さなホルダーから名刺を取り出す。ポロックに渡す。)
 クーパー 代わりに私から電話しましょうか。
 ポロック 有難う。でも私がかけます。その方がいい。あとで面倒な事になるといけない。このことであなたに、必要以上にご迷惑をかけたくありませんから。事務所の電話を使ってもいいですか。
 クーパー ええ、どうぞ。
 ポロック 電話代は払います、勿論。
(ポロック、扉に進み、ホールに誰かいないか覗く。)
 ポロック シビル、あなたにはもうこれでお会いする機会はないかも知れない。その時には手紙でお別れを書きます。
(ポロック退場。クーパー、シビルの方を向く。)
 クーパー お母様は上で夕食のための着替えをなさっていますよ、ミス・レイルトンベル。お母様に言われて私、たった今あなたを読書室に捜しに行ったところでした。ご伝言ですわ。もしよろしければ、二階で夕食をお取り下さいと。
 シビル いいの、下でとります。
 クーパー(同情をもって。)如何ですか、ご気分は?
 シビル(ぶっきら棒に。)ええ、有難う。
(クーパー、シビルに近づく。)
 クーパー 何か私に出来ることないかしら。
 シビル(怒って。)いいえ、ありません。 それから、そんな事はおっしゃらないで。また気分が悪くなります。それに私、変な事をやってしまいそう。今もそんな気分。あの人行ってしまう。いい気味。私、あの人を軽蔑する。
 クーパー 何故? 私には分からないわ。
 シビル あの人、悪い人。いけない人だわ。あんなひどい事をして。それにこれが初めてじゃないのよ。自分でも認めたわ。
 クーパー 私は違うと思います。
 シビル それなのに、「もしよろしければ、このホテルにいてもいい。」なんて、これもいけない事だわ。
 クーパー じゃあどうやら、私もいけない人間なのね。(クーパー、シビルの腕に手を置く。)ねえ、シビル。
 シビル どうして今夜は私のことをみんなシビル、シビルって呼ぶの。厭だわ。私を泣かせるだけじゃない。
 クーパー そんな気持ちで言ったんじゃないの。ただ力になってあげたくて。
(シビル、急にくずおれる。しかし今度はヒステリーはなく、静かに。クーパー、シビルを支える。)
 クーパー それでいいの。それで楽になるわ。
 シビル 酷い話だわ。
 クーパー ええ、そうね。あなたには特に・・・
 シビル あの人、私達は似たもの同志だって言ったわ。あの人と私のことを。
 クーパー そう?
 シビル 私達は怖がっているんですって。人生を。人間を。それに性的なものを・・・ああ、私、この言葉を言ったわ。 あの人、私がこの言葉を言うのだって怖がっているって言った。それは本当。私、「性的なこと」って口にするのも怖いの・・・あら、どうしたんでしょう。私、どうかしちゃったわ。
 クーパー どうもしていないのよ。普通のこと。坐りましょうか。(クーパー、優しくシビルをソファに坐らせ、自分も隣に坐る。)
 シビル 私って、変わり種なんだわ。
 クーパー(事務的な調子で。)「変わり種」? どういう意味なのかしら、それ。他の人とは違うっていうだけの意味なら、あなたがそうだって言ってもいいでしょう。でも人間てみんな少しずつ違っているわ。もしそうでなかったら、人生って随分退屈じゃない。
 シビル 普通の人になりたいわ、私。
 クーパー 普通の人って私には分からない。私、そういう人を見たことがないの。私にとってはどんな人も一人一人みんな変わっている。この仕事ではね、あらゆる種類の人に会うのよ。ここで五年間やって学んだこと、それは「普通の」っていう言葉は人間には決してあてはまらないっていうこと。それに、もし「普通の」なんて言葉が人間に使えるようだったら、私達をお作りになった神様に失礼じゃないかしら。ある決まった型の人間しか、お作りになれなかったっていうことになるもの。
 シビル ママはとても賛成しないような意見だわ。
 クーパー そうね。お母様は賛成なさらないでしょう。お父様はいつおなくなりになったの?
 シビル 私が七歳の時。
 クーパー 学校にはいらしたの?
 シビル いいえ。私は繊細過ぎるんですって。だからママが暫くの間家庭教師を雇ってくれて・・・でもほとんどはママだわ、私を教育してくれたのは。
 クーパー そう。お母様から離れたことって、だから、一度もないっていうことだわね。
 シビル 仕事をしたことがあるの。ちょっとだけ。(誇りをもって。)ロンドンの大きな店で物を売った事があるの・・・ジョーンズ アンド ジョーンズ社で。電気スタンドを売ったわ。でも病気になって止めなきゃならなくなったの。
 クーパー(明るく。)残念だったわ、それは。でもまたいつか働くんでしょう?
 シビル ママはいけないって。
 クーパー ママがいけないって? そう? でもやってみるんでしょう? そのためにはまずママに、いいって言わせなくっちゃね。
 シビル どうやってやったらいいか分からないわ。
 クーパー やり方? 簡単よ。出て行くの。そして自分で仕事を見つけるの。それならママだって、いいって言うしかないでしょう?
(クーパー、力づけるようにシビルの膝を軽くたたいて立ち上がる。)
 クーパー さあ、仕事をやって来なくちゃ。(扉に向かう。)
 シビル(急いで。)あの人、大丈夫かしら。
 クーパー 少佐のこと? さあ。でも大丈夫でしょう。
 シビル あの人、あんなことをしたけど、罰が当たればいいなんて思えないわ。悪いことがないようにって思うの。西ケンシントンのそのホテル、いいホテルかしら。
 クーパー いい所よ。
 シビル そこでいいお友達に会えるかしら。あの人さっき、私に感謝しているって言ったわ。人間を怖がっている自分を、私のお陰で忘れることが出来たって。
 クーパー あなたもあの人には感謝しているんでしょう?
 シビル ええ。
 クーパー(間のあと。)次のホテルでいい友達が見つかるといいわね。
 シビル ええ。ああ、本当に見つかるといいけど。
(ポロック登場。)
 ポロック(早口で、クーパーに。)大丈夫でした。ちゃんと予約を取りました。ご安心下さい。自分のことを単にポロックと言いました。ポロック少佐ではなくってね。あなたの名前も、ここのホテルの名前も言わないですみました。早速上に行って荷造りをします。
(シビルの方を向き、手を差しだす。)
 ポロック さようなら、シビル。
(シビル、暫く躊った後、ポロックの手を握る。)
 シビル さようなら。
(シビル、ポロックの手を離し、扉へ駆けだす。)
 シビル(振り返らずに。)どうぞ、お元気で。
(シビル退場。)
 ポロック ひどい動揺?(クーパー頷く。)これを私は一番恐れていたんだ。あの子は変わっている。ほとんど事例研究の材料になるぐらい。心はまだ子供で、時々は全く意味のないことを口走る。でも私にとってあの子の存在は大きかった。
 クーパー あの人にとってもあなたの存在は大きかったんじゃないかしら。
 ポロック そうでしょう、多分。でも、大きかったんです。勿論今は違う。あの子が好きだったのはイキな退役将校で、この今の私は・・・(言い止める。)私の正体はもう全部話したんです。この方がいいんだと思っています。いつか分かってくれる時もあるでしょう。いや、一生分からないかな。
 クーパー 一生無理じゃないかしら。
 ポロック 人はよく自分に言って聞かせるもんです。 「まあいいや、こうやったってそんなに害はないだろう。」ってね。だけど害があるんですね、時々は。こう考えると実際いやになってきます。ちょっとホールを見て来て下さいませんか。みんなに会いたくないんです。
(クーパー、扉を半分開ける。)
 クーパー ミス・ミーチャムが電話中。
 ポロック 畜生。
 クーパー 何時の汽車ですか。
 ポロック 七時四十五分のに・・・
 クーパー まだ時間はありますわ。
 ポロック 物が多いんです。ひどく多い。四年間ですからね。引越。気が重いです。新しい場所での最初の数日のことを考えると恐ろしいんです。「恐ろしい」では言葉が足りません。新しい人達と会うことを考えると、怖くて身体が震えてくるんです。文字通り震えるんです。また例の「少佐」の作り話に逃げ道を見つけようとするんじゃないかと、それが心配です。
 クーパー それはしない方がいいわ。
 ポロック 勿論したくはない。しないように努力はする。だけどうまくいくか・・・
(扉の方へ用心深く進み、戻って來る。)
 ポロック まだいる。畜生。(帰って来て。)こんなに親切にして戴いて感謝しています。何故こんなにして戴いたのか、私には分からない。それに値しない男なのに・・・しかし感謝しています。有難う。
 クーパー いいんです。そんなこと。
 ポロック 私がこんなことを言うのはおかしいが、あなたは変わっている。そのテキパキとした支配人然とした顔の下にどんな想念が渦巻いているか、誰にも想像はつかない、とても。何か過去にあったんですね。
 クーパー ええ。
 ポロック ひどく悪いこと?
 クーパー ええ。でももう、乗り越えました。
 ポロック 訊いてよければ・・・
 クーパー 愛した人がいて、その人は他の人を。
 ポロック まだ愛している?
 クーパー ええ。一生続くでしょうね。
 ポロック 望みはなし?
 クーパー(明るく。)ええ。全くなし。
 ポロック それでそんなに明るくしていられる?
 クーパー 他にどんな顔をしていたってしようがないですわ。この境涯が自分の運命だと思うことにしたんです。希望を全く捨ててしまうと、陽気になれますわ。本当に不思議なくらい。それに何もかもみんな無くなっている訳ではありません。思い出が残っていますわ。楽しい思い出。
 ポロック(頷く。)成程。 なかなかの哲学ですな。(自分に言い聞かせるように。)「なかなかの」「ですな」これはこれからは止めた方がいいな。ミス・ミーチャムがいてもいなくても、もう荷造りを始めなくちゃ。汽車に乗り遅れてしまう。
(扉に向かう。)
 クーパー 留まったら如何ですか。
 ポロック(振り向く。信じられないという顔。)留まる。このホテルに?
 クーパー 新しいホテルが恐ろしいっていうお話でしたもの。
 ポロック 今じゃこのホテルの方がもっと恐ろしいです。
 クーパー そうね。そうでしょうね。でもここなら、また「少佐」を始める必要はありませんわ。
(間。)
 ポロック「少佐」を始める必要はないが・・・もっと他のことを始める必要が出てきそうだ。もっと決定的なこと・・・昔使っていたピストルを取り出してズドンと・・・よくある話・・・絨毯をひどく汚してホテルに悪評をたてさせる・・・
 クーパー(軽く。)賭ね。私は留まることを薦める方に賭けますわ。お話の通りになれば私もくびですけど。
 ポロック ミス・クーパー。ご好意身にしみます。でも駄目です。意気地なしです、私は。卑怯者です、私は。
 クーパー そう? 残念ですわ。御自分がそうでないことを証明するいい機会じゃないかと思って・・・
(間。)
 ポロック(やっと。)シビルのことも考えて言ってくれているんですね。
 クーパー ええ。
 ポロック 颯爽とした退役将校。それをあの子の目に復活させようと・・・
 クーパー そう。
 ポロック 私が自分を取り戻し、立ち直ることが出来たのはあの子の力によるものだと(あの子に)思わせる?
 クーパー ええ。
(再び間。)
 ポロック(ホッと溜息をついて。)駄目だ。望みはない。どこを捜してもつっついても、希望のかけらも出て来ない。それだけ私は意気地なしなんです。
 クーパー 本当は違うんじゃないかしら。
 ポロック(悲しそうに。)いや、違わない。僕にはよく分かっている。でもとにかく留まることを薦めて下さって感謝します。
(ポロック、注意深くホールを覗く。)
 ポロック 障害物なし。
(ポロック、振り向き、長い間クーパーを見る。クーパーもじっと見て目を離さない。)
 ポロック(やっと。)九時何分かの汽車もありましたね。
 クーパー 九時三十二分です。
(迷っているかのように、ポロックまた暫くクーパーを見る。それから恥ずかしそうな表情になり。)
 ポロック やはり七時四十五分にします。
(ポロック退場。)
                     (暗転)

     第 二 場
(場 食堂。第一幕の最初の時のように丁度夕食の最中。但し窓際のテーブルは若い「飛び込み」のカップルで占められている。二人は自分達だけに関心あり。他に気をとられない。一つのテーブルだけが空席で、テーブルの上に何もなし。他はいつもの通り。)
(明かりがつくと全員が喋っている最中。もっと正確に言うと「飛び込み」の若い二人は囁き声で話している。ストラットン夫妻は議論の最中。マシスンとファウラーはテーブル越しに話。レイルトンベルはシビルに話を聞かせている。メイベルが、「今日のレース」に没頭しているミーチャムに近づく。)
 メイベル(背景の会話よりはっきり聞こえるように。)フリカッセでしたかしら、それともケンブリッジ・ステーキでしたか?
 ミーチャム え? ああ、どっちでもいいわ。まずいことには変わりないんだから。
 メイベル それではコールドチキンになさったら?
 ミーチャム ホットなチキンが出ないうちに、もうコールドが出せるって言うの?
 メイベル 私だったらフリカッセにしますけど。いいお味ですよ。兎なんです。
 ミーチャム じゃあ、フリカッセ。
 ファウラー チーズはないかな、メイベル。
 メイベル ええ。残念ですけど。
 ファウラー チーズがあったためしがないな。
(メイベル、ミーチャムにフリカッセを出し、台所にドスンドスンと退場。)
(レイルトンベル、マシスンの方に身体を近付けて。)
 レイルトンベル 今夜テレビで新しい番組が始まるんじゃなかったかしら。
 マシスン ええそう。番組紹介で詳しく読んだわ。いい番組のようね。私、来週は必ず見るわ。
 レイルトンベル あら、今日は見ないの? 何故?
 マシスン とても疲れたの。夕食がすんだらすぐ休むわ。
 レイルトンベル そうね。(声を低めて。)本当に神経が疲れる一日だったわね。今日のことは決して忘れないわ、きっと。私もすっかり滅入ってしまって。(シビルに。)ソースを取ってね、シビル。
(マシスン頷く。レイルトンベル、ワインをすする。)
(この時までにポロック、静かに食堂に入って来ている。レイルトンベル、振り返り、信じられないといった目つきで、ポロックを見つめる。ポロック、自分のテーブルに近づき、坐る。食堂の会話、死んだように沈まる。)
(電気のようなものを感じて、若い二人の「飛び込み」の客も、理由は分からない侭、黙ってしまう。沈黙はドリーンが入って来て、ポロックを見ることで破られる。)
 ドリーン(台所の扉をあけると、その場で台所の方に向かって言う。)メイベル、七番テーブルありよ。あなた、夕食からあそこは「なし」って言ってたけど。
 メイベル(舞台裏で。)ジョーがそう言ったのよ。夕食前にチェックアウトだからって言ったわ。
 ドリーン ご免ね、少佐。手違いがあったみたい。すぐ用意するからね。
(ドリーン、台所に帰る。相変らず沈黙が支配している。ドリーン、盆をもって帰って来て、素早く少佐のテーブルの用意をする。)
 ドリーン 何にする? フリカッセがおいしいよ。
 ポロック じゃあ、それにする。有難う。
 ドリーン まず、スープ?
 ポロック いや、いい。
 ドリーン(食器を並べ終わって。)さてと、これでよしと。フリカッセにしたのよね。
 ポロック そう。
(ドリーン、台所に入る。シビル、ポロックを見つめる。ポロック、目をあわせない。目を伏せて自分のテーブルを見つめている。ポロックの存在が気づまりで、他のものも目を伏せている。例外はシビルとレイルトンベル。レイルトンベルは少佐と他の客とを代わる代わる睨み付ける。この沈黙は突然チャールズの神経質な甲高い挨拶で破られる。)
 チャールズ(少佐に。)やあ、今晩は。
 ポロック(呟く。)やあ。
 チャールズ 雲り空ですね。ひょっとするとこれは雨ですよ。残念ながら。
(ジーン、怒って夫を睨み付ける。この時までにレイルトンベル、チャールズを黙らせようと、椅子を回してポロックを睨む。)
 ポロック そう、雨のようですね。
 ミーチャム 一雨(ひとあめ)来た方がいいのよ。 こう乾いては馬場がすっかり荒れてしまう。(ポロックに。)ニューマーケットをご存じでしたわね。
 ポロック いや、知りません。
 ミーチャム でも以前貴方言ってたでしょう・・・(意味が分かり。)ああ、そうね。とにかく馬場が乾きすぎるとレースの予想がし難いの。でももし明日雨が降ったら火曜日の勝ち馬は教えてあげられるわ。
 ポロック 有難う。ご親切に。ただその・・・私は火曜日にここにいるかどうか・・・
 ミーチャム あらそう。分かった。それなら住所を教えておいて頂戴。電報で連絡してあげる。勿論電報代は戴きますよ。
 ポロック 有難う。感謝します。
 ミーチャム 負けたら感謝はないでしょうけど。
(ミーチャム、再び「今日のレース」に戻る。)
(クーパー登場。)
 クーパー(明るく。)今晩は、ミスィズ・レイルトンベル。今晩は、レイディ マシスン。今晩は、ポロックさん。
(「さん」は「少佐」とも聞こえるように発音する。クーパーの少佐に対する態度は他の二人に対すると全く同
様。儀礼的なもので、特別な感情を込めていない。)
 クーパー テーブルの用意を忘れていましたそうで、失礼致しました。
 ポロック いや、構わんです。
 クーパー フリカッセが今日はいいですわ。今日のは本当によく出来ていて。
 ポロック ええ、さっきそれにしました。
 クーパー そうですか。それはよかった。(次に進む。)今晩は、ストラットンさん。奥さん。何か御用はありませんか。(ストラットン夫妻、何もないという意志表示。)そう。それなら・・・
(クーパー、飛び込みの若い客には他の人より軽い挨拶をし、退場する。)
(レイルトンベル、すきま風がある、というふり。そして。)
 レイルトンベル(マシスンに。)急にこの部屋、寒くなったんじゃない? グラディス。
(マシスン、居心地悪そうに頷く。)
 レイルトンベル 私、椅子を少し回してすきま風を避けなくっちゃ。
(椅子を回す。明らかに少佐への嫌がらせで、ポロックに背を向ける。ファウラー、静かにテーブルから立ち、扉へ進む。このためにはポロックの傍を通らねばならない。一、二歩通り過ぎた後、ポロックに向き直り、頷き、微笑む。)
 ファウラー 今晩は。
 ポロック 今晩は。
(この恥ずべき裏切り行為が誰によってなされたかを確かめるために、レイルトンベル、鋭く頭を後ろにまわす。)
 ファウラー 今日はハンプシャー、なかなかうまくやりましたね。。五人投げる間に三百八十点とはね。(訳註 クリケットの試合の話。)
 ポロック もっと打撃が続くとよかったんですがね・・・まあ、とにかく・・・
(ファウラー、微かに微笑み、広間に退場。レイルトンベル「ふん、呆れた。」と聞こえるように、怒って呟く。急に、偶然に、ポロックとマシスン、目が合う。自動的にマシスン、頭をさげ、微かな微笑みを返す。ポロック、挨拶を返す。)
 マシスン(ポロックに。)今晩は。
 レイルトンベル(囁き声で。)グラディス!
(マシスン、さっきの会釈はただ自動的に頭が下がったのだが、この時初めてそれに気づく。しかしもう、毒を食らわば皿まで、という気持ちになって。)
 マシスン(急に勇敢になり、大きな声で。)アップルシャルロッテが美味しいわよ。それになさったら。
 ポロック 有難う、それにします。
(マシスン、自分のしたことの重大さに気づき、心臓が止りそうな気分になる。デザートとアップルシャルロッテに屈み込み、必死に詰め込む。向こうから、信じられないといった目つきで睨み付けているレイルトンベルの視線を避け続ける。レイルトンベル、マシスンの反応が得られず、ついに諦めてナプキンを畳み立ち上がる。)
 レイルトンベル(静かに。)さ、シビル、行きましょう。
 シビル(同様に静かに。)まだ終わってないの、ママ。
 レイルトンベル(この普通と違う返事に驚いて。)そんなこと関係ないでしょう。広間に行きましょう。
(シビル、立ち上がる様子なし。母親を見上げた儘、間あり。)
 シビル いいえ、ママ
(間。)
 レイルトンベル(鋭く。)シビル、いらっしゃい。來るんです。
 シビル(言葉に静かな強さあり。)いいえ、ママ。私、ここにまだいます。夕食をここですませます。
(レイルトンベル、躊う。明らかに、自分がいかなる行動をとるのがよいか考えている様子。ついに残された唯一の行動を取る。即ち名誉ある退場である。母親が扉に到達する前に、シビル、ポロックに話しかける。)
 シビル 今日はお月様が奇麗な筈だわ。あとでみんなで見に行きましょう。
 ポロック ええ、そうですね。
(レイルトンベル、自分の世界が崩れ去って、広間に退場する。そのちょっと前にドリーン、ポロックの料理を持ってどたどたと入ってきている。ドリーン、ポロックに料理を出す。)
 ドリーン 遅くなっちゃって。だけどそちらも遅刻だったんだからね。
 ポロック そう、こちらの責任だ。
 ドリーン あら、今日はどうしたの。「いや、吾輩の失策だ。」っていうんじゃないの?
(ドリーン、自分の胸を叩いて見せる。明らかにいつものポロックの動作の真似である。)
 ポロック そうだな。まあ、同じ意味だ。
 ドリーン それもそうね。(料理を出し終り。)さてと、召し上がれ。朝食はどうするの?
 ポロック 朝食?
 ドリーン ジョーはチェックアウトだって言ってたけど、あれ、間違いなんでしょう?
(間あり。シビル、じっとポロックを見つめる。ポロック目を上げ、その視線を受けとめる。)
 ポロック(やっと、静かに。)そう。間違い。
 ドリーン そうね。じゃ、朝食はいつも通りね。
(ドリーン、台所に退場。ポロック、フリカッセを食べ始める。シビル、デザートを食べる。飛び込みの若い二人の声が時々聞こえる他は、沈黙が再び支配する。ボーリガードホテルの食堂でたった今終わった戦闘は、この四つの壁の中に、もう全く跡を留めない。)
                     (幕)

  平成三年(一九九一年)二月十一日 訳了

http://www.aozora.gr.jp 「能美」の項  又は、
http://www.01.246.ne.jp/~tnoumi/noumi1/default.html


Separate Tables was first produced at the St. James's Theatre, London, on September 22nd, 1954, witht the following cast:

Table by the Window
Mabel Marion Fawcett
Lady Matheson Jane Eccles
Mrs. Railton-Bell Phyllis Neilson-Terry
Miss Meacham May Hallatt
Doreen Priscilla Morgan
Mr. Fowler Aubrey Mather
Mrs. Shankland Margaret Leighton
Miss Cooper Beryl Measor
Mr. Malcolm Eric Portman
Charles Stratton Basil Henson
Jean Tanner Patricia Raine

Table Number Seven
Jean Stratton Patricia Raine
Charles Stratton Basil Henson
Major Pollock Eric Portman
Mr. Fowler Aubrey Mather
Miss Cooper Beryl Measor
Mrs. Railton-Bell Phyllis Neilson-Terry
Miss Railton-Bell Margaret Leighton
Lady Matheson Jane Eccles
Miss Meacham May Hallatt
Mabel Marion Fawcett
Doreen Priscilla Morgan

The plays directed by Peter Glenville
Docor by Michael Weight


Rattigan Plays © The Trustees of the Terence Rattigan Trust
Agent: Alan Brodie Representation Ltd 211 Piccadilly London W1V 9LD
Agent-Japan: Martyn Naylor, Naylor Hara International KK 6-7-301
Nampeidaicho Shibuya-ku Tokyo 150 tel: (03) 3463-2560

These are literal translations and are not for performance. Any application for performances of any Rattigan play in the Japanese language should be made to Naylor Hara International KK at the above address.