蠱惑草(Love in Idleness) テレンス・ラティガン作 (1944年)
 
 題名のLove in Idleness は、シェイクスピアの夏の夜の夢で、妖精の王オベロンが女王タイタニアに嗅がせて馬の首の化け物に惚れさせる、魔法の花の名。
 最初ラティガンは、この女主人公を、カワードの「私生活(Private Life)」の主役を演じたガートルード・ロレンス(Gartrude Laurence) を念頭において書いた。出来上がって彼女に送ったところ、読むのさえ拒絶された。
 あらすじはハムレットのパロディ。カナダの学校に寄宿舎通いしていた高校生マイケルが卒業してイギリスに帰ってみると、父親は死んでいて、母親オリヴィアは妻のある身の男、実業家で戦争期の大臣を務めているジョン・フレッチャーと同棲している。マイケルはふてくされ、「漆のように黒い上着」を着、毒薬の本を読む。ジョンとオリヴィアは、「家庭の殺人 (Murder in the Family)」だと言ってお互いに笑いあう。ハムレットと同様「着替えの間の場面」があり、オリヴィアはジョンと別れることを決意、マイケルと二人で小さなみすぼらしいアパートに住むことになる。マイケルにはシルヴィア・ハートというつれない恋人がいるが、この女に冷たくされ、それに対抗するにはジョンの地位と富が有利であることを悟り、最後に三人ハッピー・エンドとなる。
 ガートルードの拒絶にはあったが、丁度その頃、アメリカの人気役者、ラント夫妻 (Alfred LuntとLynn Fontanne)が、ロンドンでもう少し芝居をやりたいと思っており、適当なものを捜していた。ラティガンは運良くその二人と接触する機会を得た。アルフレッド・ラントは、芝居の書き換えを条件に、出演を承諾した。
 その書き換えはラティガンにとって辛いものであった。ジョンがハムレットのクローディアスと同様の悪人で、かつ、それほど重要でない人物に作ってあった為、全面的な書き換えを必要としたからである。後にラティガンは、「ラントの提案は良いものであった。最初のものよりずっと素敵なものになった。」と語っている。
 また、演出もラントが担当することになった。当時のラティガンの言葉によると、「アスクイスの演出を見慣れた私にとって、ラントの演出は面白く(exciting)、気晴らし(refreshing) になった。しかし、マイケル役のブライアン・ニッセンは酷いしごかれ方をした。3行の台詞を3時間かけてもまだラントは納得せず、仕舞にはニッセンは泣きだし、ヒステリーを起こした。しかし、もし彼がこの試練を乗り越えることが出来れば、イギリス演劇の若い役者の中でも、ピカ一のものになるだろう。」と。
 興行主のボーモン(Binkie Beaumont)は、費用の一部をカワードにもって貰えないかと、リヴァプールの地方巡業の時、カワードに観て貰った。芝居がはねるやカワードは楽屋に飛び込み、ラント夫妻に、「こんな馬鹿な芝居はすぐ止めろ」と酷評(was scathing about it)を下した。その後また、カワードはラント夫妻をアデルフィ・ホテルに呼び、筋道をつけ諄々(じゅんじゅん)と(systematically)、何故この芝居がつまらないかを説いた。しかしカワードの作戦は功を奏さなかった。ラント夫妻はラティガンに言った。「カワードが何と言おうと私たちはこの芝居をやります。」
 ロンドンでの初演は1944年12月20日、リリック劇場である。(イギリスでは、まづ地方巡業をやって、それから本格的にロンドンで幕をあける。)
 翌朝デイリー・メイルは、「定評のある役者なら、{ちょっと、そこの辛子取って}と言っただけでどっとくるものである。昨晩、ラティガンの「蠱惑草」で、ラント夫妻は絶妙な演技で(with their consummate art)観客の笑いの嵐(riot of laughter)を巻き起こした。」と批評した。
 ラティガンを貶す男、サンデー・タイムズのアゲイトは、「ラント夫妻は第1幕で完ぺき(superb)第2幕でも良好(good)。しかし第3幕で崩れる(crumbled away)。しかしそれは、彼らのせいではなく、第3幕で作者の誠実さ(sincerity)が失われたからである。」と。

(この「蠱惑草」は213回。ラント夫妻は最初3箇月しか演じる予定でなかった。)
  
(St. Martin's Press社, Geoffrey Wansell 著 Terence Rattigan  による。)
        (能美武功 平成11年5月20日 記)

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