蠱惑草
            テレンスラティガン 作
             能 美 武 功 訳

(題名に対する訳註 シェイクスピア「夏の夜の夢」でオベロンがパックに取って来させる魔法の花の名前。)

   登場人物
オリヴィア・ブラウン
ポウルトン
ミス・デル
サー・ジョン・フレッチャー
マイケル・ブラウン
ダイアナ・フレッチャー
シーリア・ウェントワース
サー・トーマス・マーカム
レイディー・マーカム

 第一幕  ウェスミンスターにある家。
 第二幕  同じ。四日後。
 第三幕  バロンズ・コートにあるアパート。三箇月後。

     第 一 幕
(場 ウェスミンスターにある家の一室。家具も装飾も豪華で趣味のよいもの。右手に扉。これはサー・ジョン・フレッチャーの書斎として使われている小さな部屋に通じる。右手に両開きの扉。これは玄関ホールに通じる。舞台奥はカーテンの掛かった大きな窓。)
(時 およそ午後七時。)
(幕が開くとオリヴィア・ブラウンがソファに横になって電話をしているところ。ネグリジェ姿。受話器は腹部に、予約帳が腿の上に置かれている。幸せな様子。ソファの前、床の上に、何冊かの雑誌が散らばっている。幕が上がる間にダイヤルを回す。そしてビッグベンが三十分を打つのが聞こえる。)

 オリヴィア 大蔵省? 内線三五九八七をお願いします。・・・ああ、ディッキー? オリヴィア。大臣、お願いしたいの。・・・何言ってるの。どうせあなたとトランプをやってるところなんでしょう?・・・ほんと。二、三秒ですむんだから。国家の予算を私がちょっとくすねようって、そんなことを私が考えると思って?・・・さあさあ、ディッキー。・・・分かったわ。今週の金曜日、ちゃんと付き合ってあげる。・・・ええ、いいわ。(間の後。)サー・トーマス? オリヴィア・ブラウンです。お忙しいってよく分かっているんですけど。すみません、お邪魔して。木曜の夜のことなんです。いらっしゃれますわよね?・・・まあ、残念ですわ。シーリア・ウェントワース、作家なんですけど、ご存じですわね? あの人が会いたいって。それはとても楽しみにしていましたわ。最近お出しになったあの「手記」。あれにすっかり夢中。小説家としての才能を政治の世界で無駄にお使いになってらっしゃる。職業をお間違えになったんだわって。・・・あら、嬉しいですわ。本当に有難うございます。あの人、お目にかかれると知ったらそれはもう有頂天・・・ええ、八時半に。有難うございます。では・・・
(オリヴィア、電話を切る。すぐに電話が鳴る。)
 オリヴィア ハロー?・・・ああ、ミス・ウェントワース。私、一日中電話してたのよ。こちらオリヴィア・ブラウン。木曜日の夜、いらっしゃれない? いらっしゃいよ。・・・じゃあ、あのバレー、はねてから。・・・八時半よ。それより遅くは駄目なの。ジョンがまた会議で、官邸に戻らなきゃならないの。・・・じゃ、バレーの後の方、すっぽかせば? え?・・・あらあら、何度付き合えば気がすむの? 同じじゃない。・・・大きな白鳥がまたあの馬鹿な男を追っかけるところ・・・私、大蔵大臣をよんだのよ。あの人、あなたの熱心なファン。・・・ええ、あなたのあの「輝く谷」が大好きだって・・・あら、そう? よかった。・・・ええ、八時半。住所分かってるわよね? 電話帳でフレッチャーの項を見ればいいの。・・・ジョン・フレッチャー・・・そう。
(オリヴィア、電話を切る。手帳に何か書き付ける。間のあと、また電話が鳴る。)
 オリヴィア ハロー・・・私ですけど?・・・ああ、ハロー、ジョウン。あなただったの? 声、分からなかったわ。・・・あら、そう?・・・ジョンは何も言ってくれないから。あなたが言ってくれないと何も分からないわ。・・・で、誰が次の陸軍省事務次官ですって?・・・あら、フレディーなの? まあ。・・・良かったわ。あの人、長い間冷飯を食わされていたんですもの。ローラが喜ぶわ、きっと。電話して上げなくっちゃ。・・・ニコリともしないで苦虫を噛みつぶしたような顔で何年もじーっとあそこへ坐っていたのが無駄じゃなかったってことね。特に一言も言わないっていうのが効果があったのね、多分。・・・黙って何か考えてたのかって? 何も考える訳ないでしょう?・・・それはあなたの間違い。リベラルだったことなんかないのよ、あの人。イートンだってちゃんとあぶり出されたんですからね。・・・あぶり出されたって?・・・行儀が悪くて退学になったっていうこと。・・・勿論賞なんかとったことないわよ。賞なんか取ったら大臣には決してなれないのよ。学生の時に賞を受けたなんていう人、本当に可哀相。出発点からもう将来がないってことを保証されたようなものですもの。・・・(小間使のポウルトン、盆の上に電報をのせて登場。ポウルトンは小間使ではあるが、非常に堂々としている。オリヴィア、電報を開けて見せるよう手真似で指示する。)ええ、そりゃジョンは違うわ。行ったところって言えばカナダの男女共学の学校だし、それに成績だって・・・何て言うのかしら。そりゃ勿論いい成績では卒業したのよ。でもアイスホッケーがとても上手で・・・でもあの人なんか勘定に入らないのよ。閣僚って言ったって、戦時のですもの・・・(この時までにオリヴィア、電報を読み終えて、今叫び声を上げる。)
(ポウルトン、扉のところで驚いて立ち止る。)
 オリヴィア まあ、ご免なさい。素敵な知らせだったの。マイケルからの電報なのよ・・・マイケル、うちの子。イギリスに帰って来たって。
(ポウルトン、退場。)
 オリヴィア(読む。)「無事着く。今夜遅く帰宅の予定。」あの子、カナダを発ったっていうことは知っていたの。でも、もう船に乗っていたなんて、知らなかったわ。あの子ったら何も言わないんだから・・・ええ、そう。もう五年も会ってないの。一九三九年にカナダに出したっきり。・・・ポウルトン、ポウルトン。・・・あなた、私、悪いけど電話を切るわ。もうそわそわしちゃって。・・・明日また電話するわ。
(ポウルトン、再び登場。)
 オリヴィア ポウルトン、あの子、イギリスに着いたの。
 ポウルトン(行儀よく微笑。)ええ、奥様、電話でお話しになっているのをお聞きしましたわ。良かったですわね。
(ポウルトン、オリヴィアの腹のところにある電話器を取って、テーブルに置く。)
 オリヴィア 有難う、ポウルトン。本当にいい知らせよ。(再び電報を読む。)馬鹿な子! どの駅に着くのか、これじゃ分からないでしょう。迎えに行こうにも行けやしない。
 ポウルトン 勿論誰か学校からのお付きの人がついているんでしょう? 奥様。
 オリヴィア さあ、きっといないでしょう。
 ポウルトン(呆れて。)じゃあ奥様、ぼっちゃんはあんなにお小さい身でたった一人カナダからお帰りに?
 オリヴィア そんなにお小さい身じゃないのよ、もう、ポウルトン。出て行った時が、そうね、十二歳ちょっとだったわ。だから今はもう、自分で自分の面倒がみられる年頃よ。
 ポウルトン(オリヴィアを見つめて。)まあ、そんなことって、とても信じられませんわ。
 オリヴィア 有難う、ポウルトン。もういいわ。(鏡の方へ進みながら。)コックに何か冷たいものを残しておくようにって。それから私の隣の部屋、泊れるように用意してね。
(ミス・デル登場。)
 ミス・デル(ポウルトンに。)書斎はもう片付けていいわ、 ポウルトン。私、今日はこれで終。お休み。
 オリヴィア ああ、ミス・デル。
 ミス・デル(オリヴィアに。)サー・ジョンに御伝言願います、ミシズ・ブラウン。今夜ももしお仕事でしたら、私は八時半からはあいていますからと。それからサインが必要な書類を二、三枚机の上に置いておきましたからと。
 オリヴィア また夜中まで仕事? いけないわ。お疲れが出ている御様子じゃない? ミス・デル。
 ミス・デル 私もそのことを申し上げようかと思っていたところですの、ミシズ・ブラウン。奥様の力でなんとか少しお仕事を減らして戴くように出来ませんかと。寝不足だとまた神経がピリピリですもの。
 オリヴィア ええ、やってみるわ。私の力で出来る限り。マイケルが丁度イギリスに着いたの。
 ミス・デル まあ。それは良かったですわね。(扉に進みながら。)それからアール・エム・ビー・スリーから二度電話があって、至急お電話を戴きたいと。
 オリヴィア(上の空。)ええ。あなたどう思って? あの子が着く港はグラスゴーかしら、リヴァプールかしら。
 ミス・デル さあ、どこでしょう。でも捜してみますわ。それからサー・ジョンの奥様の弁護士から電話です。明日までに返事が戴きたいと。
 オリヴィア あらそう。何かしら。
 ミス・デル バートン・アンド・バージェス事件で。
 オリヴィア 何? それ。
 ミス・デル サー・ジョンはご存じですわ。
 オリヴィア あら。教えてくれないの?
 ミス・デル 本当にたいした事じゃありませんから。アール・エム・ビー・スリーをお忘れにならないよう。お帰りになったらこれはいの一番にお願いします。
 オリヴィア 分かったわ。必ず。
 ミス・デル 今夜どうしても必要だと仰っておられた報告書を取りにまいります。これでお会いしないこともあるかも知れません。今「お休みなさい」を。
 オリヴィア ああ。お休みなさい、ミス・デル。
(ミス・デル退場。)
(ポウルトン、書斎から登場。)
 オリヴィア ポウルトン、サー・ジョンは今夜はクラブにお泊まりになるかも知れないわ。お泊まりのための荷物を纏(まと)めておいてね。それからマイケルの食べるものをコックに頼むよう私、頼んだわよね。
 ポウルトン ええ、奥様。おいしいミルク・プディングを作っておくよう言うつもりでしたけど。
 オリヴィア あら、プディング? もっとちゃんとした、おなかの足しになるようなものがいいんじゃない?
 ポウルトン でも奥様、夜遅くにそんな重いものをお召し上がりになると、小さなポンポンが凭(もた)れるのではありませんか?
 オリヴィア(嬉しそうに。)それは違うわ、ポウルトン。あの子のポンポンはそんなに小さくない筈よ。さっきも言ったけど、今では相当大きなポンポンだわ、きっと。
 ポウルトン あら。
 オリヴィア でもはっきりそうだと言いきれる訳じゃないけどね、ポウルトン。コールド・ミートにサラダの方がいいんじゃない?
 ポウルトン 分かりました、奥様。そういうことでしたら・・・
(電話が鳴る。)
 オリヴィア(受話器を取って。)ハロー・・・いえ、今ちょっと出ていますけど。どちら様? 役所にはおかけになって?・・・ああ、それならもう着く頃ですわ。この時間ですといつもはもう・・・いいえ、秘書はもう帰りました。・・・御伝言を承りますけど。・・・いいえ、レイディー・フレッチャーではありません。・・・分かりました。六時以前に帰りましたら、そちらに電話させます。
(サー・ジョン、この最後の台詞が終る前に登場。約四十五歳。フォーマルな背広姿。オリヴィアから受話器を受け取る。)
 ジョン フレッチャーだ。
 オリヴィア あら、お帰りなさい。
(オリヴィア、ジョンの頬に挨拶の軽いキス。ウイスキーとグラスの置いてある盆の方に進む。ジョンが電話している間にオリヴィア、グラスに注ぐ。)
 ジョン うん。・・・分かった。しかし報告書が来るまでは仕様を渡す訳にいかないな・・・
 オリヴィア ウイスキー? (ジョン、頷く。)
 ジョン 午後には受け取っていなきゃならなかったんだが・・・いや、秘書が持って来ることになっている。今夜読む。結果は明日の朝一番に知らせる。・・・うん。じゃ。
(ジョン、電話を切る。)
 オリヴィア(飲み物のテーブルから。)ジョン、あなた、今夜も遅くまでお仕事? それは駄目よ。
 ジョン どうして?
 オリヴィア 疲れたって顔をなさるからって。ミス・デルが。私も賛成だわ。
 ジョン そうだ。ミス・デルで思い出したけど、僕に何か伝言がなかった?
 オリヴィア ああ、とても大事なのが。奥さんの弁護士に電話して下さいと。
 ジョン あ、そう。(靴を脱ぎ始める。)
オリヴィア バートン・アンド・バージェスの件で、明日の朝一番で電話して欲しいって。
 ジョン 分かった。
 オリヴィア あなた、バートン・アンド・バージェスの件て何?
 ジョン バートン・アンド・バージェスっていうのは、妻の持っている出版会社だ。経営がうまく行かず、酷い赤字になっている。僕らが離れてから赤字になったんだが、妻の弁護士は僕がそれを埋めるべきだと思っていて、僕はそう思っていない。これがバートン・アンド・バージェスの件だ。他に伝言は?
 オリヴィア なかったわ。ねえ、あなた。私、その赤字、埋めて上げるべきだと思うけど?
 ジョン 僕は思わないね。僕から充分過ぎるほど慰謝料を取っているんだ。うまい話に引っ掛かって出した損失なんだ。そんなのは慰謝料のうちから払うべきだし、簡単に払えるさ。他に伝言はなかったって、確かなんだね?
 オリヴィア 待って。慥か、電話をしなきゃいけないところがあったわ。アルファベット三文字と数字のところ。アールなんとか。あなた、それ払いさえすれば、不愉快なこと避けられるんじゃなくって?(ソファに坐ってジョンにグラスを渡す。)
 ジョン そういう風な見方は僕はしないんだ。電話のことだけど、あと二文字と数字、君、思い出さない?
 オリヴィア 待って。慥か、アールとビーはあったわ。
 ジョン アール・ビー・ワイ・フォー?
 オリヴィア それよ。すぐに電話して。
(ジョン、電話に手を伸ばす。)
 オリヴィア それともアール・エム・ビー・スリーだったかしら。
 ジョン(辛抱強く。)それともビー・アール・エフ・シックス?
 オリヴィア それ!・・・いや、違うかしら。駄目だわ。思い出さない。
 ジョン いいよ、それなら。また電話してくるさ。とにかく僕は今夜、徹夜で仕事なんだから。
 オリヴィア(困って。)えーと、それは・・・
 ジョン どうかした?
 オリヴィア もし徹夜だったら、ここじゃなくて今夜はクラブでお願いしたいわ。
 ジョン クラブ? 何故。
 オリヴィア マイケルが帰って来たの。
 ジョン マイケル?
 オリヴィア 二、三時間したらここに着くわ。
 ジョン ああ、君の子供?
(オリヴィア、頷く。)
 ジョン それは良かった。
 オリヴィア 良かったような顔じゃないわ、あなた。
 ジョン 君には良かったろうという顔なんだ。
 オリヴィア あの子きっとあなたと気が合うわ。政治にひどく興味を持っているし、弁論部で活躍していたわ。面白い子なの。あなたもあの子のこと気に入るわ、きっと。
 ジョン 僕のことを?
 オリヴィア 勿論よ。
 ジョン 確信を持って言うね。どうして?
 オリヴィア 私が気に入った人ですもの、あなたは。あの子だって。
 ジョン すると彼がここいらにいる限り、僕はずっとクラブっていうことかい?
 オリヴィア そうじゃないわ、勿論。今夜だけ。
 ジョン 明日は戻れる?
 オリヴィア 勿論よ。
 ジョン ところで、いくつなんだい? 彼は。
 オリヴィア 十六は越えているわ。
 ジョン 帰る、ということは、あっちの学校が終ったっていうことなんだね。
 オリヴィア ええ。そう。
 ジョン じゃあ、十七歳以上だ。
 オリヴィア ひょっとすると。
 ジョン 自分の子供の年を知らないの? 君。
 オリヴィア ええ、まあ、はっきりとは。そうね、戦争が始まった時、あっちに行ったんだけど、その時が十二歳・・・
 ジョン 誕生日は?
 オリヴィア 計算、計算だわね。五月十四日。
 ジョン じゃあ丁度十七歳八箇月だ。
 オリヴィア あら、まだそれだけ? じゃあ、子供じゃない。
 ジョン あっちの方でそう思っているかどうかは、疑わしいな。
 オリヴィア ポウルトンがあの子の年を訊くから教えたの。そうしたら何て言ったと思う? 信じられませんわって。
 ジョン 僕も信じられないね。だけど、新聞の台詞じゃないが、我々は現実を直視しなければならない。そしてその現実とは、「君の子供はもう大人だ・・・」
 オリヴィア でも・・・(抗弁しようとする。)
 ジョン なりきってはいなくても、もうほとんど大人だ。僕らのこの事態を知ればすぐさま口を出して来る年頃だ。それなのに君はまだどうやらこの事態について、手紙で彼に説明する勇気は全くなかったようだからね。
 オリヴィア(抗弁するように。)だって、ジョン、あんなこと手紙に書ける訳ないでしょう? 検閲に通りっこないわ。
 ジョン チェンバレン首相だったら気にするかも知れないがね。戦時検閲局と首相は何の関係もないんだよ。(チェンバレンとの関係不明。)ごっちゃにしてるんじゃない? まあいい。とにかくどんな言い訳があるか知らないけど、君、彼に何も説明してないんだろう?
 オリヴィア それは話してるわよ。何もってことはないわ。
 ジョン じゃあ、何を。
 オリヴィア あなたに出会ったって。あなたが素敵なんだって。
 ジョン それはどうも。で、いつそれを?
 オリヴィア それは勿論初めて会った時。二年くらい前。
 ジョン 二年前ね。それから後は?
 オリヴィア それから後は・・・時々お芝居に一緒に行ったとか、一緒に食事をしたとか・・・
 ジョン とか、とか、ね。その「とか」は含みが多いよ。
 オリヴィア ジョン、あの子はまだほんの子供よ。話して分からない事を言ったってしようがないでしょう?
 ジョン あのね、彼はもう「ほんの子供」じゃないんだよ。
 オリヴィア いいえ、ほんの子供。十七になったからって、大人ってことはないわ。あの子の手紙を見たらすぐ分かる。「すげえ」だの、「いかす」だの。ハツカ鼠にパチンコ。こんなことしか書いてないわ。子供なのよ。何も分かりはしないの。
 ジョン じゃあ、どんなことを話して聞かせるつもりなんだい?
 オリヴィア 真実をよ。
 ジョン 今の君の話だと、ハツカ鼠とパチンコにしか興味がないんだろう? そんなこと話して彼に分かるって言うの?
 オリヴィア だからあの子に分かる分(ぶん)だけの真実を教えるのよ。
 ジョン 分かる分だけって、どれぐらい?
 オリヴィア 厭だわ、あなたって。私の言ってること、よく分かっている癖に。
 ジョン しつこく訊いて悪いんだがね、オリヴィア、これは君の人生で初めての危機なんだ。・・・そういうことを言えば僕の危機でもある・・・いいかい、よく聞いて。僕は三年間君と一緒に暮らしてこれだけははっきりしているんだ。こういうことを君一人に任せておくと必ず目茶苦茶にしてしまうってね。そうだろう? オリヴィア。
 オリヴィア 違うわ。これだけは違う。だってあの子は私の子よ。自分の子供の扱い方ぐらいちゃんと心得ているわよ。
 ジョン 分かった。とにかく君には無理だって決め付けても何にもならない。具体的に彼にどういう風に話すのか、それを聞けばいいんだ。ちょっとリハーサルをやってみよう。まづ彼に何て言うの?
 オリヴィア(やっと。)えーと、そうね。「三年前、お父様が亡くなったわ。それで私、セント・ジョンズ・ウッドに引っ越した。」
 ジョン 四年前だよ。それからスイス・コテッジだ、最初に移ったところは。
 オリヴィア 邪魔しないで、話している時に。
 ジョン 僕は今マイケルなんだ。彼が母親とは違ってちゃんとした時間、空間の概念を持っているかも知れないんだ。それは充分想定できるからね。ところで彼は父親をひどく慕っていた?
 オリヴィア ひどくってことはない筈だわ。とにかく私の方をずっと好いてくれていたわ。
 ジョン 成程。それはこちらに有利な情報だ。それで?
 オリヴィア まあ、そんなに怒らないで。
 ジョン 怒ってはいない。僕は心配になるといつも怒ったような口調になる。それだけだ。
 オリヴィア さ、ソファの上に足をのっけて。楽にして。
 ジョン いいから早くやるんだ!
 オリヴィア(ジョンを押して、両足を上げさせる。)そうね、こう言うわ。「イースル伯母さんを知ってるわね。ガス燈とコーラの会社をやっている社長と結婚して、パークレーンに住んでいる・・・。あの伯母さんがカクテルパーティーを開いて、それに行ったことがあるの。そうしたら、そこでジョン・フレッチャーという人に会った。その時私、その人があのジョン・フレッチャーだとは気がつかなかった。カナダのアクセントがあったのに。だってあんまり楽しい人だったんですもの。それに若くって。まさか会社の社長で、それに閣僚の一人だなんて思いもかけなかった。それに私のことを気に入ったみたいだったんですもの。」
 ジョン 大分差し引いた言い方だね。だがまあ・・・。それから?
 オリヴィア それから二、三度彼とお昼を一緒にして、それからある晩夕食・・・
 ジョン か、何かを一緒に。
 オリヴィア 混ぜっ返さないで。「それでその時彼、僕は君を愛してるって・・・」
 ジョン そんなことは言わない。彼はもっと用心深いんだ。
 オリヴィア そうね。じゃあ・・・「政治家独特の、遠まわしで、すぐには分からないやり方だったけど、とにかく私のことが嫌いじゃないって分からせたの。だけどそれ以上進展も出来ないっていうことも。それは彼には妻がいて、別居しているんだけど・・・厭な女よ。浮気女・・・」
 ジョン 何だい、君、それは。
 オリヴィア 「彼にはもう妻がいたの。夫のことを理解しない妻だったけど。それでも離婚はこの戦争が終るまでは駄目なの。本当にゲッペルスのせい。だから・・・」
 ジョン ねえ、ちょっとちょっと。空回りだよ、それじゃ。ゲッペルスがどういう関係にあるか説明しなきゃ、マイケルには分からないと思うがね。
 オリヴィア 「その妻っていう人、いつ離婚されたって当然。そういう酷いことを夫にしていたの。でも彼、離婚は出来なかった。政府から呼ばれて戦車を作らせられる事になったの。戦時閣僚ね。それが離婚する。ベルリンの新聞の一面にでかでかと、英国閣僚の一人、離婚、なんて書かれて、おまけにその後、ロンドン、ダウニングストリート十番地のサロンで、散々話の種にされる。そんなことは出来ないって。」これならどう?
 ジョン まあまあだ。で、次は?
 オリヴィア 「それで彼は私に訊いたわ。非常に行儀正しく。この戦争が終るまで結婚は待って戴けますかって。私は嫌って言った。そんな馬鹿なこと。だって私達、もう若くないのよ。それに戦争はこれから何年も何年も続くかも知れないのよ。」そうよね? その頃は本当に終りっこないって感じだったわよね?
 ジョン(面倒くさそうに。)うんうん。そうそう。
 オリヴィア 「すると彼は言ったわ・・・また非常に行儀正しく・・・じゃあ僕は閣僚を辞める。そして離婚の方を進めるって。駄目。それは駄目って私は言った。あなたは政府にとって大事な人。戦車を作らなければ。それに私、「男を狂わせる女」になりたくなかった。そう言われるような女になりたいなんて、そんな軽々しい愛し方じゃないの・・・
 ジョン 君、そんなこと言った?(両手でオリヴィアの両頬を挟む。)
 オリヴィア 勿論私言ったわ。「そしたらあなた、またずっと・・・(二人一緒に。)行儀正しくなった。(一人で、続けて。)この件に関して誰もが満足の行く方式を必ず考えるからって、あなたは言って下さった。だから私、もうその晩に自分の荷物を纏めて、こちらに引っ越して来た。それからは幸せいっぱい。この素敵な家庭生活に、波風一つたったことはなかった・・・」これ、シーリア・ウエントワースの書きっぷり。
 ジョン 誰だい? そのシーリア・ウエントワースっていうの。
 オリヴィア 作家。木曜日の夕食会に、その人ここに来るのよ。トム・マーカムもだけど。(テーブルからリストを取ってジョンに渡す。)これがリスト。ランドール夫妻もよ。
 ジョン そのランドールってのは誰?
 オリヴィア あら、ジョンったら! お芝居の世界で今ランドール夫妻って言ったら、世界的に有名じゃない。それにあの二人、決して、決して、決して外で夕食はしないのよ。
 ジョン だけど木曜日にはここに来るんだろう?
 オリヴィア(誇らしげに。)そうよ。
 ジョン どうやってやったんだ。
オリヴィア まあ、才能ね。
 ジョン するとその、・・・何故そんなことをしたの、と訊くとどうなるのかな。
 オリヴィア 面白いからって。でもひょっとすると、私が俗物だからだわ。
 ジョン ああ、それは違うだろうな。
 オリヴィア そう。私も違うと思う。ひょっとすると私、潜在意識的に、まだジョン・フレッチャー夫人でないのが悲しいのかも知れないわ。それでひょっとすると、その妻の特権っていうのを早く行使して見たいって・・・私の言ってること分かる?
 ジョン 痛いほど分かるよ。訊いて悪かった。(オリヴィアの頭の上にキス。)馬鹿だったよ僕は。そんなこと訊くなんて。
 オリヴィア いいの。酷く馬鹿なことに見えるわね、きっと。サロンを作ってやろうなんていう私の野心。私、時々自分のことを笑ってしまう。
 ジョン 出席者のこのリストを見れば、とても笑うどころじゃないよ。立派なもんだ。
 オリヴィア ね? 悪くないでしょう? ジョン。私ってこんな俗物なの。許して下さる?
 ジョン 許すさ。君には何だって許されてるんだ。
 オリヴィア 駄目。これは本気なの。本気で許して戴きたいの。
 ジョン 本気だよ。・・・いいかい? 僕はね、君が楽しいと思うものは、その君が楽しいというだけの理由で、もう楽しいんだからね。なまいきな言い方だったら謝る。だけどこれは真面目にそうなんだ。
 オリヴィア サー・ジョン。私、あなたのこと大好き。
 ジョン 僕も君のことが大好きなんだ、ミシズ・ブラウン。
 オリヴィア ウイスキー、もう一杯?
 ジョン いや、これにちょっと水を入れて。悪いけど。
(オリヴィア、立ち上がってグラスを受取り、飲み物のテーブルに進む。)
 オリヴィア 私、あなたの小間使。それだけの女。
 ジョン(眠そうに。)小間使、小間使か・・・
 オリヴィア ねえ、さっきのマイケルに聞かせる話、どう? あれでいいかしら。
 ジョン あれで良くなきゃ。だってあれが真実なんだから。
 オリヴィア 勿論あんなこと私、マイケルに話しっこないけど。
 ジョン ええっ? 何だって?(ジョン、目を開け、突然頭をぐっと後に動かす。)
 オリヴィア ほらほら、ジョン。ゆっくり眠って。
 ジョン ゆっくり眠っていられたら驚きだよ。そんな、僕に心臓麻痺を起こさせるようなことを言ってる時に。
 オリヴィア あんなぐだぐだした話を私がもう一度やると思って? やったって何の役にも立たないのに。
 ジョン じゃあ、今やったリハーサル、あれは何のため?
 オリヴィア それは、あなたがやれって仰ったからよ。あの子にはただ、あなたは私の古くからの友達、それに戦争が終ったら結婚するつもりっていうことだけを話すの。
 ジョン そう。じゃ、それはいいとして、これは?(部屋全体を腕を大きく動かして示す。)これはどう説明するつもりだい?
 オリヴィア どうって、普通でしょう? あなたは私のお客様なの。
 ジョン 有難う。
 オリヴィア どう致しまして。お好きなだけどうぞお泊まり下さい。
 ジョン それは御親切に。
 オリヴィア(考えながら。)そうね。今の考え、駄目かも知れないわね。あなたの私設秘書っていうのはどう? これなら大丈夫じゃないかしら。
 ジョン 君にはもう僕の考えは分かっている筈だよ。あった通りの話が一番安全なんだ。真実にちょっとでも色がついていたら致命傷になる。これが僕の考えだよ。
 オリヴィア そう。じゃ、私設秘書は駄目?
 ジョン(立ち上がりながら。)私設秘書、駄目。
 オリヴィア 気前のよい友達、駄目?
 ジョン 気前のよい友達、駄目。
 オリヴィア じゃあどう言ったらいいか、分からないわ。
 ジョン 真実だよ。本当のことを話せばいいんだ。
 オリヴィア この真実はとても十六歳の子供に話して適当なものとは思えないわ。
 ジョン あのね、君の子供はもうすぐ十八なんだ。こういう話は飲み友達から伝え聞くよりも、母親の口からじかに聞いた方がいいと思うがね。
 オリヴィア ああ、ジョン。私困ったわ。私、こういう類(たぐい)のことで困ったことなんか一度もなかった。今度が初めて。それにちょっとその事を思っただけで真っ赤になってしまう。私ぐらい悪い女はいないって感じなの。(オリヴィア、隅に立って、恥ずかしいという様子。)
 ジョン 大抵の人間から見ると、君はそれなんだ。悪い女なんだよ。
 オリヴィア この時期に、そしてこの年で、悪い女?
 ジョン この時期で、その年で、そうなんだ。
 オリヴィア そうしたらあなたはもっと悪い人よ。女誑(た)らしっていうことになるのよ。
 ジョン そう。酷い女誑らしだ。
 オリヴィア あなたが女誑らし!(笑う。)
 ジョン そのどこが可笑しいんだい?
 オリヴィア 蠅一匹誑らし込むことも出来ないの、あなたは。
 ジョン そうかな。若い頃は僕は相当ならしたもんだったぞ。
 オリヴィア ならしたのね。どこかの鐘でもついて鳴らしたんでしょう?
 ジョン 君がそう思ってるんならそれでいいよ。僕は往時には何百人と誘惑したんだからね。
 オリヴィア 一人でいいから名前を上げてご覧なさい。一人、たった一人でいいわ。
 ジョン まあいい。とにかく僕は君を誘惑したよ。
 オリヴィア いいえ。それは違うわね。誘惑なんてものがあったとしたら、それは私の方がやったんだわ。
 ジョン(考えながら。)そう・・・だね。まあ、真相を言えば。
 オリヴィア そう。それが真相。さ、もう寝て。
 ジョン(挑むように。)いや、寝ない。約束してくれなきゃ寝ないぞ。君が彼に真実を全て、そして真実以外のことは言わないと約束してくれなきゃ。
 オリヴィア(ジョンを抱擁しながら。)ええ、約束するわ。悪い悪い女誑らしさん。
 ジョン だけどその約束を僕は、信じて大丈夫なのかな。
 オリヴィア 全然。
(ポウルトン登場。オリヴィアとジョン、睦まじい二人の姿勢を全く崩さない。)
 ポウルトン 下着など、お荷物は詰めましたが・・・
 ジョン え? ああ、有難う、ポウルトン。(オリヴィアに。)糞ったれ!
 オリヴィア ええ、そうね。本当にご免なさい。でもこれ、今夜こっきり。
 ポウルトン 何か書類もお詰めするのでしたかしら。
 ジョン いや、書類はもう少し後で来る。だから自分で詰める。有難う、ポウルトン。
 オリヴィア そうそう、ポウルトン、あの子が帰って来るって言うので慌ててしまって言うのを忘れていたけど、木曜日のお客様のこと。お料理の手筈など、全部書いて置きましたからね。まづ・・・ああ、そうね、あなた読んで置いて頂戴。
 ポウルトン 十二人でしたわね、奥様。
 オリヴィア そうよ。そうだ、そろそろ配給の品物、節約しなきゃ。だからサー・ジョンと私、今夜は外で食事よ。
 ジョン なんだ。今日は外かい?
 オリヴィア そうよ。今日だけ。木曜日のために節約。
 ポウルトン サヴォイに電話してテーブルを予約して置きましょうか、奥様。
 オリヴィア そうして頂戴。いつもの場所にってね。
 ポウルトン 畏まりました。
(ポウルトン退場。)
(ジョン、欠伸をする。)
 オリヴィア(明かりを消して。)疲れる一日だった?
 ジョン そう。疲れる一日だったなあ。討議の時間に僕は怒鳴られたよ。
 オリヴィア ひどく?
 ジョン ひどくだ。今度採用しようとしている戦車についてだ。出席者のうち十人までが、詰腹を切れって言わんばかりだったよ。
 オリヴィア その十人、ここに連れて来て怒鳴り返してやりたいわ、私。
 ジョン そうしてくれると助かるんだがね。
 オリヴィア あなたがどんなに一生懸命やっているか、その人達知らないのよ。
(ジョンはソファの上に横たわっている。オリヴィアはその後方に立っている。二人、暖炉の火で微かに見える。)
 ジョン 一生懸命やったかどうか、自信なくなったよ、オ リヴィア。あの会議での議論を聞いてたら、君だってきっと疑うようになるさ。凄い質問が次から次でね。一段落した時に僕は感じたね。この後もう一人誰か立って、酷い質問をしたら、僕はその場でそいつの膝に顔を埋めて泣き出すだろうってね。
 オリヴィア(怒って。)ジョウンは言ってたわ、あんな素晴らしい戦車はないって。
 ジョン あの時の評価としてはあれでいいだろうけど、今はそう言えないね、僕は。
 オリヴィア あなたが言えなくったっていいわ。私だったら会議の時、皆に食ってかかっていたでしょうね。
 ジョン 君だったらそうだろうね。だけどまだ不備な点が秘密事項の中に入っていてね。
 オリヴィア だからそれ秘密なんでしょう? その人達、それを上げつらうっていうの、どういうことなの?
 ジョン 分からないね。頼むよ、オリヴィア、もし僕のことを愛してくれていたら、あの戦車のことはもう止めてくれないか。
 オリヴィア 分かったわ。ご免なさい。(ジョンを見下ろして。)さあ、ゆっくり眠って、大きな赤ちゃん! 私、手紙書いてますからね。
 ジョン あまり遠くに行かないで。
 オリヴィア どうして?
 ジョン(眠り声で。)大好きだからだよ。
(オリヴィア、椅子に進み、坐る。その時ビッグ・ベンが四十五分を打つ。音が鳴り終るまでにポウルトン登場。少し慌てている様子。)
 ポウルトン(入って来ながら。)奥様。
(マイケル登場。)
 マイケル ハロー、ママ。
 オリヴィア(金切声を上げる。)あら、マイケル!(部屋を横切って、マイケルを抱擁。)電報だと、今夜遅くなるって。あと何時間もかかるって思ってたわ。
(ジョン、突然起きる。)
 マイケル 朝の汽車を一晩待つなんて、馬鹿馬鹿しいと思ってたんだ。そしたら丁度知ってるパイロットがレディングまで飛ぶのが分かって、便乗だ。だから僕は今レディングから来たんだよ。
 オリヴィア(再びマイケルを抱擁して。)お前、昔の儘ね。ちっとも年をとっていない。でも痩せたんじゃない? あっちで食べる物十分出してくれなかったの?
 マイケル 出してくれたよ。いくらでも。
 オリヴィア まあ嬉しいわ、マイケル、会えて。
(オリヴィア、電気をつける。その時までにマイケル、ジョンに気づいている。ジョンは目立たないように、スリッパから靴に履き替えようとしている。やっと片方の靴を履き終えた時マイケル、ジョンの方を向き、紹介されるのを待つ。)
 オリヴィア(当惑の様子なく。)あら、ご免なさい。こちら、サー・ジョン・フレッチャー。これは私の子供のマイケル。
 ジョン 始めまして。
 マイケル 始めまして、サー。(訳註 この「サー」は生硬だが他にどうしても思いつかなかった。)
 オリヴィア(急いで。)可哀相に。靴がきつくて・・・
 マイケル あ、そう。
 オリヴィア(陽気に笑って。)足が痛むのなら、お脱ぎなさいって、私言ったの。
 マイケル ああ。
 ジョン(こちらも陽気に笑って。)もう痛くなくなったんでね。構わないんだったら、また靴を履こうかと思って。
オリヴィア どうぞ、どうぞ。(マイケルと一緒にジョンの方に近づきながら。)お前、覚えているわよね。私、手紙で随分この人のこと、書いたもの。仲よくして頂戴ね。お願いよ、マイケル。だってこの人、私の古くからのお友達なんですもの。だから特に親しく・・・(次を言いよどむ。)
 マイケル(硬く。)はい。
 ジョン どうだったかな、旅は。快適だったかな。
 マイケル はい。有難うございます、サー。
 オリヴィア そんなに硬くならないの、マイケル。そうだわ、この方のことは「おじさん」って呼んで頂戴。「ジョンおじさん」って。
 マイケル 「おじさん」? 何故。
 オリヴィア だってその方が・・・親しみがあるし・・・
 ジョン(急いで。)僕はマイケルに賛成だな。おじさんでないものをおじさんと呼ぶことはない。
 オリヴィア(不満そう。)ええ。でも・・・あなたは私の古くからのお友達なんですもの。
 ジョン それはそうだが、それとこれとは別だよ。
(ジョン、オリヴィアを睨みつける。)
(マイケル、部屋を眺める。初めてその立派さに気づいた様子。)
 オリヴィア どう? マイケル、この部屋。(マイケルの方に進む。)
 マイケル うん。悪くない。内装はお母さんの指示?
 オリヴィア ええ、まあ・・・そんなところかしら。
 マイケル(暖炉の上の絵に気づいて。)ああ、このシッカートの絵、まだあったんだね。
 オリヴィア そうよ。その絵、そこで映えるでしょう?
 マイケル(「どうかな」という感じで。)うーん。バロンズ・コートの家での方がサマになってたな。
 オリヴィア そう?
 マイケル そうか、分かった。額縁を換えたんだ。そうだね?
 オリヴィア そう。前のは重すぎたもの。部屋、どう? その他のことでは。
 マイケル すごいよ。管理人のおばさんもなかなか良さそうだし。
 オリヴィア 管理人のおばさん?
 マイケル 僕をここまで案内してくれた人。
 オリヴィア 違うわ、あれは。あの人はここの・・・そうね、小間使・・・
 マイケル 変わってるよ、あのおばさん。(ソファを指差して。)それを倒すとベッドになるんだろう?
(二人、ソファの背に回る。ジョン、立ち上がる。)
 オリヴィア 違うのよ、マイケル。
 マイケル じゃあ、どこに寝るの? お母さんは。(マイケル、部屋を見回す。)
 オリヴィア(小さな声で。)二階。
 マイケル 二階にまた別の部屋があるの?
 オリヴィア そうよ。
 マイケル じゃ、僕はここで寝ればいいんだ。僕はきっと、今夜はどこか外で泊まるんだ、と思ってた。
 オリヴィア あなた用の寝室もあるのよ、上に。小さいけど。
 マイケル まだ別に?
 オリヴィア そうよ。
 マイケル ええっ? 贅沢だな。家賃どのくらい払ってるの?
 オリヴィア(マイケルにキスして。)たいした金額じゃないのよ。
 マイケル それでやっていけると思ってるの?
 オリヴィア(片手をマイケルにかけて。)そんな話、今は止めましょう。他所(よそ)の人もいらっしゃるのよ。
 マイケル うん、そうだ。いけなかった。(ジョンに。)飲み物をお持ちしましょうか、サー。
 ジョン え? ああ、大丈夫。もうこれで。(オリヴィアに。)オリヴィア、君、マイケルと二人だけになりたいんじゃないか、と思うんだが。あの書類が着くまではどうもまだ出られなくて。僕らの・・・いや、ちょっとこっちの部屋に引っ込んでいていいかな。(書斎の扉を指差す。)その間仕事もして置こうと思って。
 オリヴィア いいわよ、ジョン、どうぞ。
 ジョン あの書類が来たら僕はすぐ退散するから。
 オリヴィア あら、退散は必要ないわ。ほら、食事一緒にする予定だったでしょう?
 ジョン うん。それはそうだったけど、もう君達だけの方が・・・
 オリヴィア いいえ。こちらは大丈夫。それより三人一緒はどう? どう、マイケル? 楽しいじゃない。
 マイケル(熱心さの込もらない言い方で。)ああ、いかすよ。
 オリヴィア(ジョンに。勝ち誇ったように。)ね、見てご覧なさい、ジョン。いかすのよ。
 ジョン(意味を込めて。)二人で話さなきゃならないこと、いっぱいあるんじゃないの? 夕食前にそれ、終る?
 オリヴィア 心配はいらないのよ、ジョン、それは。
 ジョン ふーん、それならいいけど。(マイケルに。)じゃ、また後で。
 マイケル はい。
 ジョン ところで、マイケル。君、今いくつ?
 マイケル 十七歳と八箇月です、サー。
 ジョン ああ、もう。それじゃ、君を、ほんの子供なんて呼ぶわけにはいかないね。
 マイケル(爆発するように。)そんな呼び方をする奴がいたら僕は・・・
 オリヴィア(鋭く。非難するように。)マイケル!
(ジョン、喜んで書斎に入る。)
 マイケル(怒り狂って。)何のつもりなんだ、一体。ほんの子供だって?
 オリヴィア マイケル!
 マイケル あんなことを言うなんて何のつもりだ。あの馬鹿親父め!
 オリヴィア(優しくたしなめて。)ほんの子供なんかじゃないって、確かめたかったの。それにあの人、馬鹿親父じゃないわ。
 マイケル お母さんがそう言うだけさ。
 オリヴィア あの人誰か、お前知っているんだね。
 マイケル 戦車担当の大臣だろ?
 オリヴィア そうよ。閣僚の一人。
 マイケル 閣僚の一人だって、馬鹿は馬鹿だ。
 オリヴィア マイケル!
 マイケル カナダで弁論部の仲間達がどう噂してるか、聞いたらいいんだ。
 オリヴィア 勿論、高く評価してるんでしょう?
 マイケル とんでもない。まあ、少なくとも僕の友達は違うな。産業再編成に対する癌だ、あいつは。そう言ってる。
 オリヴィア(ソファに沈み込んで。)まあ、そう言ってるの。
 マイケル あいつの書いた本、読んだことある?
 オリヴィア いいえ、時間がないの・・・
 マイケル 「産業の分散化体制を守れ」
 オリヴィア 赤十字の仕事があったりして・・・
 マイケル 僕は読んだ。反吐(へど)が出そうだったよ。
 オリヴィア まあ。
 マイケル この間、あいつの主張する政策について討論会をやったんだ。その結論、何だったと思う?
 オリヴィア 分からないわ。
 マイケル 汚い独占資本擁護、保守反動。これが結論さ。
 オリヴィア まあ。
 マイケル 唾棄すべき思想だ。
 オリヴィア まあ。
 マイケル(坐りながら。)あいつのことなんか話すのはもう止めよう。お母さんはどうだった? お母さんの方の話をしてよ。
 オリヴィア ええ、いいわ。
 マイケル ちょっと顔色が悪いんじゃないかな。大丈夫?
 オリヴィア 顔色が悪い?
 マイケル うん、少し。ちょっと窶(やつ)れたんじゃない?
 オリヴィア 窶れた?
 マイケル そうだな、年齢のせいだけなのかな。
 オリヴィア そうよ、マイケル。私、年をとったの。
 マイケル(陽気に。)年をとったって、それほどじゃないよ。これからだって楽しいことはあるさ。
 オリヴィア ええ、有難う。
 マイケル 可哀相に、お母さんたら。僕がいない間、よっぽど酷い生活だったんだね。だけどもう安心して。僕が帰って来たんだ。お母さんの力になって上げられるんだ。
 オリヴィア(涙が出そうになる。)まあ、マイケル!
 マイケル(片手をオリヴィアに回して。)どうしたの?
 オリヴィア(涙が出そうになるのを踏み留まって。)大丈夫。ご免なさい。あなたがこんな風になってるなんて、想像もつかなかったものだから。
 マイケル もう僕は子供じゃないんだ。
 オリヴィア まだ子供に見えてるのよ、私には。
 マイケル あのね、お母さん。僕は・・・
 オリヴィア もういいの、年のことは。(両腕をマイケルに回して。)お前はまだ私の可愛いマイケル。子供なの。カナダはどうだった?
 マイケル いかしたよ。
 オリヴィア カナダの訛り、ないわ。
 マイケル そう? 学校にはイギリスの生徒が多かったからな。それでよく僕らだけで話したし。
 オリヴィア(微笑む。)で、学校はちゃんと扱ってくれてたのね?
 マイケル 扱う? そうだよ。特別扱いだ、本当。素晴らしかったよ、下宿も学校も。僕、みんな書いただろう? 手紙で。あれ、どうだった? あの文章の書き方。
 オリヴィア 素敵だったわよ。ちゃんとしていた。
 マイケル 一行だって読んでないんじゃないかな、お母さん。
 オリヴィア 何を言ってるの、マイケル。お前の手紙は全部引き出しにとってあるわ。出してきては繰り返し読むのよ。下宿のこと、大家さんの御夫婦のこと、近所の人達のこと・・・それにあのどもりのメイスン先生! あなた、その真似をしていたら先生に見つかっちゃって・・・いけない子よ、あんなことをするの・・・それから池の辺(ほとり)に大きな家を持っているウイルバーさん一家。いつもお前を釣に誘って下さる・・・ほらね、ちゃんと読んでるでしょう?
 マイケル ああ、分かってるんだね。前言取消しだ。
 オリヴィア 随分皆、親切にしてくれたみたいね。
 マイケル その半分もお母さんには分かっちゃいない筈だよ。お父さんが亡くなった時ね・・・そう、僕はそれまでに随分大家さんには両親の話をしていたんだけど・・・大家さんの奥さん、泣いてくれたんだよ。本当に涙を流したんだ。僕は忘れないな、何故か、あの時のことを。
 オリヴィア あの時、本当に親切な手紙が来たわ。
 マイケル そのお父さんの話、手紙で書いてあったことの他に、まだ何かない? それとももう話したくない?
 オリヴィア ねえ、マイケル。あのことではもう話すことはあまりないの。お前がカナダへ行く前からもうお悪かったろう? 働き過ぎ。それに戦争が始まってから余計。私、止めさせようとしたわ。でもあの御気象でしょう? お聞きにならなかった。もっとしつこく言うべきだったのかしら・・・私には分からない。
 マイケル 勿論お母さんは出来るだけのことはやったんだよ。
 オリヴィア そうだといいんだけどね、マイケル。本当にそうだと・・・
 マイケル 可哀相に、お母さん、随分力落としたんだね。
 オリヴィア 有難う、マイケル。
(マイケル、オリヴィアの袖を軽く叩く。それからその生地を摩(さす)って、驚く。)
 マイケル すごいなこれは。すごい良い生地だ。
 オリヴィア 気に入った?
 マイケル ポンティングで買ったものじゃないね、きっと。
 オリヴィア ええ、違うわ。
 マイケル じゃ、デリー・アンド・トムズだ。
 オリヴィア いいえ、デリー・アンド・トムズでもないの。
 マイケル じゃ、何処で?
 オリヴィア ちょっとした店。名前はきっとお前、知らないわよ。
 マイケル 何て名?
 オリヴィア モリノ。
 マイケル 聞いたことないな。
 オリヴィア そう?
 マイケル デリー・アンド・トムズはどうなったの?
 オリヴィア どうもならないわ。今でもあるわよ。でも、モリノはもうちょっと・・・近いの。
(電話が鳴る。オリヴィア、立ち上がり、受話器に進む。)
 オリヴィア あらあら、すぐ電話が鳴るのね。お前、私の秘書をしてくれなくっちゃ。(受話器を取って。)ハロー、・・・ああ、ハロー、フレディー。今度の昼食の約束、忘れてないわ。・・・ああ、あの人、面白い人。・・・ボビーのパーティーで会ったわ。・・・
(マイケル、立ち上がり、オリヴィアを見る。)
 オリヴィア それは連れていらっしゃいよ。・・・お会いするの、楽しみよ。・・・いいわ。じゃ、ドーチェスターで一時十五分に。・・・今度は忘れないわ。じゃあね。(電話を切る。メモ帳を取り上げる。)
(マイケル、まだオリヴィアを見ている。)
 オリヴィア 忘れては駄目ね。
 マイケル お母さんて、随分変わったんだね。
 オリヴィア 変わった? 良い方に? 悪い方に?
 マイケル 分からない。ただ、変わったんだ。
 オリヴィア(坐りながら。)そう。
 マイケル 声まで変わっちゃった。電話で今話しているのを聞いてたけど、まるでイースル伯母さんが話しているみたいだったな。
 オリヴィア あの人、いい声してるわよ。
 マイケル パーク・レインばりじゃないか。
 オリヴィア(非難するように。)あの人、パーク・レインに住んでるの。
 マイケル 知ってる。ねえ、お母さん、どうしてバロンズ・コートを引き払ったの?
 オリヴィア だって、あそこ少し陰気だったでしょう? そう思わなかった? それに空襲がひどくなって、防空壕つきの家に・・・スイス・コテッジにある家に・・・
 マイケル それからここ?
 オリヴィア ええ。(メモ帳で顔をあおぐ。)
 マイケル 前の家、人に貸すことは出来たの?
 オリヴィア 不動産屋に預けてあるわ。もう何年もどうなったか聞いてない・・・
 マイケル それはどうなってるか調べなきゃ。一週に二、三ポンドでも入ればそれだけ助かる筈だから。
 オリヴィア そうね。
 マイケル お父さんが遺した金は多かったの?
 オリヴィア いいえ、そんなには。
 マイケル そうか。じゃ、早く僕が稼げるようにならなきゃいけないな。
 オリヴィア そうそう、マイケル、それで思いだしたわ。あなた頻りに手紙に書いていたわね。卒業してから、召集がかかるまでの間、どうしても何か仕事をしなきゃって。
 マイケル(身を乗り出して。)うん。何か見つけてくれたの?
 オリヴィア ええ、そう。それもかなり良い何かをね。
 マイケル 週にどのくらい?
 オリヴィア 七か八ポンド。
 マイケル それはすごいや。何なの? それ。
 オリヴィア 明日の朝、そう、たしか、ミスター・シモンズと言ったわ。その人に会いに行くの。まだ約束してくれてはいないけど、もしお前がその人に好い印象を与えたら、仕事をくれるわ。戦車製作省で。
(間。)
 マイケル あいつが関わってるんだね、これには。(立ち上がる。)
 オリヴィア 「あいつ」なんて言わないで、あの人に感謝して。そうよ。あの人が肩入れしてくれたの。
 マイケル 七か八ポンドだって? そりゃ贅沢は言えないや。仕事の方もそれだけの価値があればいいんだ。でもあいつが・・・彼がボスだってのは、どうも気に食わないな。
 オリヴィア だってマイケル、あの人、大臣なのよ。そんなに顔を合わすことなんかある筈ないでしょう?
 マイケル(挑むように。)そうさ。あっちがその気だってこっちが願い下げだ。
(間。)
 オリヴィア(マイケルの傍に膝まづいて。)ああ、マイケル、あなたのそれ、偏見よ。あの人をもう少し好きになって。お願い。あなたがそうなってくれるのが私にはとても大切なことなの。
 マイケル どうして。
 オリヴィア だって・・・あの人、古くからの友達なの。
 マイケル 今は止めよう、この話。またいつかだ。
 オリヴィア あのね、マイケル。私、お前に話さなきゃならないことがあるの。
 マイケル うん。どんな話?
 オリヴィア(立ち上がりながら。)ああ、駄目ね。話し難いわ。(また屈んで、マイケルにキスしながら。)帰って来て、本当に嬉しいわ、マイケル。
 マイケル うん。僕もだ。
(オリヴィア、マイケルから離れて、少し歩く。)
 オリヴィア マイケル、お前どう思う? 私もう、ひどく老けちゃったかしら。
 マイケル(元気づけるように。)そんなことないよ、お母さん。そんなじゃない。ただちょっと、中年・・・って言うところかな。
 オリヴィア そう。それからお前、覚えているわね。私がお前のお父さんをどんなに愛していたかって。
 マイケル うん。勿論覚えているよ。
 オリヴィア 私、だから、私の後の人生を、たった一人で生きなきゃならないって、そんなことはないわね?
 マイケル 勿論、一人ってことはないよ。だって、これからは僕がいるんじゃないか。
 オリヴィア そう。そうよね。それは嬉しいわ私。あなたが一緒にいてくれるって。でもねマイケル、お前だっていつかは結婚するでしょう? そしたら私、また・・・
 マイケル 大丈夫さ、それは。結婚したら、お母さんも一緒に住めばいいんだ。
 オリヴィア そう。
 マイケル それにね、僕、結婚はしないんだ。
 オリヴィア まあ、どうして?
 マイケル だって、あんまり面白そうじゃないもんね。
 オリヴィア そう。
 マイケル ねえ、いいからさっさと話したら、お母さん。さっき言いかけていたこと。
 オリヴィア(急に勇気を出して。)ねえマイケル、お前、何て言うかしら、私が再婚したいって言ったら。
 マイケル 再婚? (ゲラゲラっと笑い出す。)
 オリヴィア(当惑して。)お前、何を笑ってるの?
 マイケル あーあ、再婚か。まいったな。はっはっは。
 オリヴィア まいった? 何なの? それ。
 マイケル(笑ったことを後悔して。)ご免なさい、笑ったりして。僕がいけなかった。ただ・・・(またゲラゲラと笑いそうになる。)
 オリヴィア ただ・・・何?
 マイケル いや、何でもない。いいよ、そりゃ。さっさと結婚すればいいんだよ。ただお母さんに合うちゃんとした男の人を捜せばいいんだ。だけどね、ちょっと・・・
 オリヴィア(急に怒って。)何ですか。だけどちょっと、とは・・・
(ポウルトン、ジョン宛の書類を持って登場。)
 オリヴィア ああ、何? ポウルトン。
 ポウルトン あ、失礼しました、奥様。サー・ジョンはこちらにいらっしゃるとばかり・・・ミス・デルからことづかりました。情報省からの書類です。
(ポウルトン、箱をオリヴィアに渡し、退場。)
 オリヴィア あ、有難う、ポウルトン。(呼ぶ。)ジョン、書類が届いたわ!
 ジョン(舞台裏で。)有難う。今行く。
 マイケル それだけ? 僕に話っていうのは。
 オリヴィア ええ。・・・そうね、それだけよ。
 マイケル(箱から煙草を取り出して。)僕・・・煙草吸っていいかな。
 オリヴィア まあ、マイケル。お前、まさか煙草を・・・
 マイケル 吸うよ。一日に四、五本。
 オリヴィア まあ、一日に四、五本? 多いわ、それは。
(マイケル、煙草に火をつけ、気楽な様子で煙草の輪を出す。)
 オリヴィア まあ!
 マイケル どうかした?
 オリヴィア いいえ、何も。ただ、お前が煙草を吸っているのを見ていられないの。胸がなんだか、抑(おさ)えられるような・・・
(ジョン、書斎から出て来る。)
 ジョン(喜んで。)ははん、煙草ね。するとウイスキー・ソーダかな?(飲み物のテーブルに進む。)
 オリヴィア 馬鹿なこと言わないで、ジョン。
 マイケル ウイスキーを貰おうかな。僕は好きなんだ、ウイスキー。
 オリヴィア 何を言ってるの。駄目よ、そんなもの。どうしてもっていうのなら、せめてシェリーになさい。
 マイケル いいよ。シェリーがあるのか。イギリスでは手に入れるのは難しいって思ってたがな。
 ジョン 難しい。しかし不可能じゃない。
 マイケル すみません。(ジョンからグラスを受取る。)
 ジョン 僕も一杯やっていいかな。
 マイケルとオリヴィア(同時に。)どうぞ。
(この時までにマイケル、窓際に進んでいる。そしてちょっとの間、二人に背を向けている。ジョン、無言、かつ身振りで、マイケルに話をしたか、と訊ねる。オリヴィア、首を振る。ジョン、どうしてだ、と身振りで。オリヴィア、「打つ手なし」と肩をすくめる。ジョン、「今やればいい。でなければ怒るぞ。書斎にまた戻るぞ」と身振りで。オリヴィア、首を激しく振る。ジョン、仕草を続けるが、マイケルが振り返るので、素早く止める。)
 マイケル モントリオールから帰って、こうやって見ると、ロンドンて不思議に小さく見えるな。
 ジョン それは・・・
 オリヴィア 小さいなんて・・・大きいのよ、見かけよりはずっと。
 マイケル だけど家がみすぼらしいな。モントリオールのマウント・ロイヤル・ホテル、ああいうのを建物って言うんだ。(ジョンに。)ああ、勿論ご存知でしたね。忘れていた。
 ジョン しかし最後に見てから随分経ったな。(書類の箱に進みながら。)さてと。僕はまたひっこんで、これを読まなきゃ。
 オリヴィア(さっと椅子から立ち上がって、扉に進みながら。)いいえ、もう少しいてマイケルと話すの。私、夕食のための着替えをして来ます。
 ジョン だけど・・・まだマイケルに話すことがあるんじゃないの? もっとずっと。
 オリヴィア それは夕食の後。この子の方があなたに話があるんじゃないかしら。お礼も言いたいと思っているでしょうし。それに二人、仲良くなれるわ、きっと。「いかすよ」ってお互いに言えるように。
(オリヴィア退場。)
(ジョン、マイケルのグラスを取って。)
 ジョン もう一杯?
 マイケル いいえ。
 ジョン ああ、そうね。
 マイケル サー・ジョン。僕、あなたに会えて良かったと思ってるんです。
 ジョン ああ、私もだね。会えて良かった。
 マイケル 僕らの仲間で先日、あなたのことについて議論したんです。
 ジョン あ、そう。それは光栄だね。
 マイケル ええ。まあ。
 ジョン それで何か結論が?
 マイケル 出ましたね、沢山。でもここで話す訳にはいきませんね。
 ジョン そう? どうして?
 マイケル そんなの、分かってるじゃありませんか。
 ジョン そう。
 マイケル でも母には話しました。
 ジョン で、お母さんは何て?
 マイケル 「まあ」と。
 ジョン 君のお母さんは素敵な人だよ、マイケル。
 マイケル そうですか。
 ジョン 素晴らしい。実に素敵だ。
 マイケル そうですか。
 ジョン(煙草の箱を差し出して。)もう一本?
 マイケル いえ、結構です。吸ったばかりですから。
 ジョン あ、それはそうだな。あまりすすめるのは良くない。そうだね?
 マイケル ええ。
 ジョン ねえ、マイケル。お母さんは君の就職の話をしたかな。僕のところで働くっていう。
 マイケル ええ。有難うございます。
 ジョン いや、どういたしまして。
 マイケル どういう仕事なんですか。
 ジョン(マイケルに坐るよう促して。)僕の下にシモンズというのがいて、彼の部で働いて貰おうと思っている。彼の面接に受かる必要はあるがね。最初からこき使うなんてことはしない筈だ。始めの二、三週間はみんなにお茶を出すっていうのが仕事かな。
 マイケル お茶を出す?
 ジョン(謝るように。)ご免、ご免。冗談だ。
 マイケル ああ。
 ジョン しかしとにかく、最初は責任のある仕事は任されない。どうしても小さい仕事だ。
 マイケル ええ。そうでしょう、それは。
 ジョン それでも、君の同年配の連中に比べれば、遥かに高いサラリーだ。僕の場合、どのくらいだったか分かるかな?
 マイケル さあ、いくらだったんです。
 ジョン 週十七シリング。走り使いが最初の仕事だった。
 マイケル(冷たく。)そうかな。僕の仲間の話では、フレッチャー財閥を父親から引き継いだ・・・あの寝技(ねわざ)のフレッチャー、カナダ全労連を潰そうとした、あの寝技師(ねわざし)から。
(間。)
 ジョン 僕の父親が寝技師と呼ばれていたとは知らなかった。彼が当時カナダ経団連の会長であったことは確かだがね。しかし私は他の誰とも同じように、一から始めなければならなかった。
 マイケル しかし勿論、一番トップに近い一からね。
 ジョン 違う。本当に一からだ。そうだな、君は思想的には相当左なのかね。
 マイケル いいえ。普通の人間とたいして違いません。反ファシストなんです。
 ジョン 反ファシスト。今は誰もがそうなんじゃないのか。
 マイケル そうかな。誰もがかな。
 ジョン とにかく、それを相手に我々全員は戦っている、違うのかな。
 マイケル 戦っている。我々全員かどうかは分からないけど。
 ジョン ははあ、全員じゃないって言うんだね。
 マイケル ジェイムズ・ピー・ウイッツタブルの言うところによれば、前回の戦争は、国家主義、帝国主義の、縦一列で戦った。しかし今度の戦争は、労働戦線の横一列で戦っているのだ・・・
 ジョン 誰が言ったって?
 マイケル ジェイムズ・ピー・ウイッツタブル。僕らの組織で、会計係をやっている。
 ジョン 会計係? ただの?
 マイケル もう一つ言っていることがある。我々の本当の敵は、一見こちらの陣営にいて、味方のふりをしている敵なのだ、と。
 ジョン 良いことを言うじゃないか、このジェイムズ・ピー・ウイッツタブル氏は。
 マイケル 年は十九を越えたぐらい。
 ジョン なるほど。もう少しで二十歳になろうというところだ。
 マイケル もう一つ彼の言っていること、それは、ファシズムはいつも茶色の制服を着ていると思ったら大間違いだ。黒の背広に白いカラーをつけていることだってある。
(間。)
 ジョン(白いカラーを手で隠しながら。)その当の彼、ウイッツタブル氏がここにいたら、僕も何か答えられたかも知れないがね、マイケル。しかし僕はこういう議論から今ではすっかり離れていて・・・なにしろこの三年間毎日十四時間、働きづめなんだ。戦争の原動力を作成中でね、敵を殺すための・・・最大の効率をもって・・・
 マイケル 最大の効率?
 ジョン そう。出来るだけ沢山の敵を殺そうと。だからね、マイケル、僕は少し疲れているんだ。
 マイケル そうでしょうね、サー・ジョン。それはお疲れでしょう。なにしろ聞いたところでは、新しい戦車は・・・
 ジョン(哀願するように。)ああ、マイケル、頼む。戦車の話だけは止めてくれないか。
 マイケル(容赦なく。)そうだ。そう言えば今朝読んだばかりだったんだ。
 ジョン マイケル、君、カナダでスケートを随分やったんじゃないかい?
 マイケル やりましたね、かなり。イヴニング・スタンダードによれば、かなりひどいもんだそうじゃないですか、この新しい戦車ってやつは。
 ジョン(絶望的に。)アイスホッケーは? やったんだろう?
 マイケル やりましたね。(ジョンの耳に囁くように。)防御の鉄板に穴が開いていて、そこから手でも突っ込めるって話じゃないですか。
 ジョン 違う。
 マイケル 仲間で海軍の奴がいるんですが、そう言ってましたよ。
 ジョン(かすれ声で。)オリヴィア!
 マイケル 母は着替え中です。それから別の奴も言ってました。砲の台座がまた目茶目茶なんだって。
 ジョン 違う。
 マイケル それからまた聞きましたよ。その戦車ってやつは、坂を登るのに、バックでなきゃ駄目だってね。そうなんですか。
 ジョン 違う。誰なんだ、それを言ったのは。また海軍の奴か。
 マイケル 戦車隊にいる人の友達がいて、そいつの弟から聞いたんですよ。妙な話じゃないですか。三年もかけて出来た、それも最高ってやつがこんな代物とは。(笑う。)これが効率っていうものですか。驚きましたね。まあ大実業家についてはどんな噂が出ようと、非能率だということだけは決して言われないんでしょうね。
 ジョン(両手で顔を覆っている、その手の間から。)有難う、マイケル。
 マイケル そう。この話で一番馬鹿げているのはそこなんだ。大実業家達に公共の仕事をやらせるっていうことがね。どうせ足を引っ張りあうんだ。そして私腹を肥やす。そして三年たって正常な方向では坂も登れないないような戦車が出来ているのを見て、大衆は驚くんだ。
(何か、啜り泣きのような声がジョンから聞こえてくる。)
 マイケル どうやら反論もなさそうですね。まあたいして驚くにも当たりませんよ。
(オリヴィア登場。ジョンを見て驚く。)
 オリヴィア さあ、用意出来たわよ、ジョン。まあ、ジョン、あなたどうなさったの?
 ジョン(頭を上げて。)何でもない、オリヴィア。何でもないよ。
 マイケル(無邪気に。)僕が何か言ったんだ。それが気に触ったんだよ、多分。
 オリヴィア 何かって、何?
 ジョン(弱々しく。)新しい戦車。それにアイスホッケー。
 オリヴィア まあ!(マイケルに。)仲良くなれるようにって言った筈ですよ。
 マイケル 分かってたんだ。だけどつい政治の話になっちゃって。
 オリヴィア もういいの。さ、サー・ジョンにお謝りなさい。さあ。
 マイケル(ジョンの方に一歩進んで。)すみませんでした、サー・ジョン。気分を悪くしてしまって。
 ジョン いや、構わない。
 マイケル 夕食前の休戦協定ですね?
 ジョン うん。休戦協定だ。
 オリヴィア それでいいわ。(マイケルを扉の方に連れて行きながら。)さ、あなたは二階に上がって。ポウルトンが部屋を案内してくれるわ。
 マイケル ポウルトン?
 オリヴィア 小間使の名前。
 マイケル ああ、小間使。
(マイケル退場。)
 オリヴィア どうだったの、ジョン。駄目?
 ジョン 駄目だね。
 オリヴィア 政治のこと?
 ジョン 政治だ。それだけじゃない。非難だ、非難。親の七光り、公金横領、詐欺、無能力、それに裏切り行為だ、とね。
 オリヴィア まあ、なまいきね。
 ジョン なまいき。随分控え目に言ったもんだね。なまいきじゃすまされないよ。
 オリヴィア あの子、問題児なのね。
 ジョン うん。問題児だ。
 オリヴィア じゃ、分かったわね、私が何故あの子に話しづらいか。
 ジョン 分かったよ。いやという程知らされたよ。
 オリヴィア 私が言ったでしょう? あの子はまだ成人していないんだって。あなたはもうとっくに成人しているって言ってたわね。二人とも間違い。あの子、どっちでもないのよ。
 ジョン そうだった。尻を叩いて折檻するには年をとり過ぎている。かと言って、本気で顔を殴るには若過ぎだ。
 オリヴィア イギリスから離れて生活したのが長過ぎたんだわ。
 ジョン あのね、オリヴィア、僕だって随分何年もイギリスから離れて暮らしたんだよ。
 オリヴィア でもあなたっていう人は違うのよ。いいえ、私の言ってるのは、イギリスから離れたことが悪いんじゃなくて、私から、家庭から離れたのがいけないと思ってるの。そのためなのよ、あの子の頭に変な考えが一杯詰まっちゃったのは。それをみんな取り除かなきゃいけないわ。
 ジョン そりゃいい。君に打つ手がなくなったら言ってくれ。僕も協力するよ。
 オリヴィア 駄目よ、ジョン。これはあなたの口出しすることではないの。
 ジョン ちょっと。僕はただ・・・
 オリヴィア 待って。今良い考えが浮かんだところなの。
 ジョン 失敬。
 オリヴィア どう扱えばいいか、分かってきたの。
 ジョン ついさっきまで君・・・
 オリヴィア そう。どうしていいか分からなかった。でも今浮かんだの。あの子がベッドに入るまで待つの。それから温かい素敵なココアを作って持って行ってやる。
 ジョン それに何かをちょっちょっとたらしてね。
 オリヴィア いいえ。(アルコールは抜き。)私はベッドの傍に坐る。そして、あの子を完全な大人、四十ぐらいの男だと思って相談するの。お兄さんに相談しているように。あの子はそうして貰いたいのよ。そうしたら、ほんの二、三分よきっと。あの子分かってくれるわ。この方法どう? ジョン。
 ジョン(元気なく。)親子の麗しい図だね。ココアを布団の上にこぼして、全てはおじゃんだ、多分。
 オリヴィア(ソファの背から乗りだしてジョンにキス。)膨れっ面のおじいさん。でも可愛いわよ。
 ジョン どうも可愛いって感じにはなれないな。
 オリヴィア あなた、子供が欲しいって言ってたじゃない。
 ジョン ああいうのとは違うのがね。
 オリヴィア あの子は可愛いのよ。昔から可愛いの。
 ジョン 昔からああいう調子だったって言うのかい?
 オリヴィア 心配しないで。二、三週間経ったらきっとあなた方二人、仲が良過ぎて、私がやきもちをやくようになるわ、きっと。(部屋を横切って鏡を見る。)あの子、随分若く見えるわ。違う? ジョン。今夜、ジョウン(ジョウンはJoan。女の名。三頁にも出てくる。)が来るわ、サヴォイに。
ジョン(箱の中の書類をガサガサ捜している。)その二つの間に何か関係があるのかな。(急に。)まいった、こいつは。泣きっ面に蜂だ。
 オリヴィア どうしたの?
 ジョン 書類が間違っている。これじゃないんだ。
 オリヴィア まあ。困ったわね。
 ジョン(ソファから立って電話器に進む。)頼みの綱だったのに、これじゃ話にならん。お手上げだ。(ダイヤルしながら。)大馬鹿野郎のオタンチンパレオロガス。何を考えてるんだ! ちゃんとした経営を行なっている企業だったら、こんな奴等は一週間でくびだ。全員前線へ出たって構いはしない。面と向かって言ってやるぞ、それを。
 オリヴィア そうよ、あなた。言ってやったら。
 ジョン(受話器に。)ハロー、アール・エム・ビー・スリーか? 君は誰だ?・・・ああ、パーカー将軍か。ジョン・フレッチャーだ。報告書を送れと頼んだな?・・・うん。着いた。安全には着いた。しかしだ、頼んだものとは違うぞ、あれは。・・・え? 封筒が違っていた? そうだろう。それで分かったよ。・・・いや、構わん。・・・正しいものを頼む。三十分後にサヴォイ宛だ。・・・そうだ。いいな。じゃ。(電話を切る。)
 オリヴィア ああいう言い方もあるわね。
 ジョン こちらの声の調子で感づいたらしいんだ。
(マイケル登場。)
 マイケル お母さん、僕ちょっとサー・ジョン・フレッチャーと二人だけで話があるんだけど。
 ジョン(急いで後ろに下がりながら。)ああ、そいつは・・・(ごめんだ。)
 オリヴィア(ソファから立ち上がって。)でも何故? マイケル。新しい戦車の話だったらもう・・・
 マイケル 戦車の話じゃないんだ。
 オリヴィア あら、違うの・・・(後ずさりして暖炉の傍のジョンのところまで進み、ジョンの手を取る。)
 マイケル 僕は事情を聞きたいんだ。この家で起こっていることは何か怪しい。
 オリヴィア お前、私の前で話せない事柄なんかない筈よ。そうでしょう?
 マイケル いいよ、それなら。話をしていたんだ、さっきの・・・何だったかな、名前・・・あ、ポウルトン。そう、ポウルトンの話だと、この家はこの人(ジョンを指さす)のもの。それに、家の中にあるもの全部そうなんだと。本当?
 ジョン そう。本当だ。
 マイケル だから僕はお母さんの部屋に行ってみた。そしたら驚いた。衣装戸棚の中にドレスが五十着。みんな僕の見たこともないものばかり。
 オリヴィア(急いで。)マイケル、着物も今は配給なのよ。そんな数、ある訳ないでしょう?
 ジョン そんなにはないだろう。
 マイケル(怒って。)あの服の代金をあなたが出したのか、出さなかったのか。どっちなんだ。
 ジョン 僕が出した。
 マイケル それから着替え用のテーブルにある宝石類、あれも全部?
 ジョン あれも全部だ。
 マイケル それから浴室にあった体重計も?
 オリヴィア(急いで。)いいえ、あれは私が買ったの。
 マイケル お母さんのお金で? それともこの人から貰ったお金で?
 オリヴィア それは・・・(ジョンの方を見る。)
 ジョン 僕が渡した金でだ。
 マイケル 分かった。これで十分だ。どういう話かこれでもうよーく分かった。
(マイケル、突然部屋を出る。)
 オリヴィア(マイケルを追って。)違うわ、マイケル。あなたには何も分かっていない。話を聞いて。全部聞いてから判断して頂戴。
 マイケル(舞台裏で。)聞く必要なんかあるもんか。弱い女、それに悪い男だ!
 オリヴィア(舞台裏で。)マイケル、何てことを言うの。お止めなさい、母親にそんなことを言う人がありますか。分かりますね。
 マイケル(舞台裏で。)分かったよ。もう何も言わない。これからどうするかよく考える。決まるまで口なんかきくものか。
(オリヴィア、帰って来る。)
 オリヴィア(絶望の表情でジョンを見る。それから今からしようとしていることを身振りで示したあと、鋭い声で呼ぶ。)マイケル!
(マイケルがやって来るかどうか二人、身を乗りだして見る。)
(オリヴィア、再び呼ぶ。今度は優しい、なだめるような声。)
 オリヴィア マイケル! マイケル! マイケル!
(マイケル、戻って来る。中央の椅子の方にゆっくりと進む。)
 オリヴィア マイケル、ここに来て。坐って。これから話します。(オリヴィア、ソファに坐る。)今から三人で出て食事。夕食を取りながら私達二人の話をします。最初から最後まで。いいわね?
 マイケル いい。だけど条件がある。この夕食は僕もちだ。
 オリヴィア でもマイケル、それは・・・
 マイケル 僕はこの人に出して貰う訳には行かないんだ。
 オリヴィア でもお前、サヴォイなのよ。お前には無理でしょう?
 マイケル それは無理だ。だからサヴォイは止めだ。そうだ。タック・インにする。
 オリヴィアとジョン(一緒に。)タック・イン?
 マイケル お母さんは覚えている筈だよ。バロンズ・コート。ベルベデア通りのはずれ、パフィンズ・コーナーにある。
 オリヴィア ああ、あれ。でも話をするのにいい場所かしら?
 マイケル いい場所だよ。いかすじゃないか。
(ジョン、立ち上がり、電話器に進む。)
 マイケル 一ポンド四ペンス出したら素敵な三皿のコースが食べられたじゃないか。覚えてるだろう? 誕生日だとか、アニー(訳註 女中の名)の休みの日にはよく連れて行ってくれたよね。それに店の人達、僕達のことを覚えてくれていて、サービスもいい筈だよ。
 オリヴィア でも遠いわ。もっと近くのどこかで・・・
 ジョン(もうこの時までには受話器を取り、ダイヤルし終っている。)アール・ビー・エム・スリーか? パーカー将軍を頼む。・・・ああ、ジョン・フレッチャーだ。報告書のことだが、サヴォイでなく、タック・インに頼む。バロンズ・コート、ベルベデア通り、パフィンズ・コーナーにある。・・・違う、違う、違う。ベルベデア通りだ。・・・バロンズ・コート。・・・パフィンズ・コーナー・・・タック・イン。
 オリヴィア(マイケルに。)ひどく遠いわ・・・ここからだと。
 マイケル 地下鉄で行けばすぐだ。三十分あれば着くよ。
 オリヴィア(消え入りそうな声で。)ジョンの車が外にいるんだけど・・・
 マイケル 悪いけど・・・その車は使えない。(確固たる調子。)地下鉄で行くんだ。
 ジョン(急に挑むように。)いや、地下鉄じゃない、バスだ。
 マイケル(膨れ面で。)バスじゃ行き方を知らないよ。
 ジョン いや、僕が知っている。並んでまづ二十四番に乗り、トラファルガー・スクエアーで降りる。そこでまた並んで、今度は九十六番に乗る。サウス・ケンシントンで降りて、また並ぶ。四十九番に乗ると、これがベルベデアー・ロードまで行く。そこで降りて、それからは歩く。
(長い間。)
 オリヴィア(立ち上がって扉へ進み。)歩くのなら私、靴を替えてくるわ。
 ジョン(その後ろ姿に呼び掛けて。)それからレインコートだ。雨が降りそうだからね。
(オリヴィア頷く。そして退場。マイケルとジョン、二人とも両腕を組んで坐っている。狂暴な表情で睨み合う。)
                                                                       (幕)

          第 二 幕
(場 同じ。二、三日後。)
(午後七時頃。)
(オリヴィア、机について、家計簿をつけている。ジョンは部屋を行ったり来たりしながら、ミス・デルに口述中。演説の原稿作り。)
 ジョン(口述。)さて、最後に結論として我々が現在最も気にかかっている問題を論ずる。困った問題でありまた、私が本来取り上げる資格のない問題、しかしそれでも取り上げざるを得ない問題、(ここで切って。)ちょっと「問題」が多すぎるかな、ミス・デル。
 ミス・デル いいえ、それほどではありません。もっと多い時もあります。
 ジョン そうか。(口述。)しかし他のどんな人物よりも、少なくともこの私が主張し、意見を表明せねばならない問題・・・
 ミス・デル 問題・・・
 ジョン そうだな。しかしここは仕方がない。(口述。)私の言っているのは勿論、この戦争が終った直後の、平和時におけるイギリス企業のあり方であります。
(電話が鳴る。)
 ジョン さて、本件を論じる前に、予め次のことははっきりさせておかねばならない。
(電話、再び鳴る。)
 ジョン 即ち、再びこの電話が鳴れば、私は気違いになるということであります。
 オリヴィア ご免なさい、ジョン。
 ジョン 電話の番はポウルトンにやらせたらどうなんだ、ホールで。
 オリヴィア でもどうせ取り次いでまたこの電話が鳴るわ。それに直接取った方がいい大事な電話もあるわ。・・・(受話器に。)ハロー・・・ああ、ジョウン、あなただったの・・・
 ジョン(絶望の身振り。)これでまた三十分だ、ミス・デル。
 オリヴィア ジョウン、悪いけど私、あまり話せないの。今ジョンがここで仕事をしていて・・・書斎を改造中なのよ。だからあの人、可哀相にどこにも逃げるところがないの。・・・いいえ、緑色。アップル・グリーン。書斎にはいい色でしょう? 落ち着いて。・・・素晴らしいって言ってたわよ、サイビルは。・・・
(オリヴィア、ソファに坐ろうとする。が、ジョンと目が合い、慌てて立ち上がる。)
 オリヴィア まあ、あの人、そう言ってたの?・・・もう私、本当に切らなくっちゃ。ジョンが何か物を投げ付けそう。
(ジョン、立ち上がる。)
 オリヴィア 大事なことって? 何かあったかしら。・・・ああ、マイケル。・・・そうよ。可愛いわよ。・・・十六歳をちょっと過ぎたって年。・・・ああ、職はいいの。当座は見つけたの。・・・そうよ。私達よーく話をするわ。だってまだ若いから何も知らなくて。・・・
(ジョン、「注意しろ」と、空咳をする。ミス・デルがいるからである。ミス・デルはメモを読んでいる。電話
の会話には耳をかしていない様子。)
 オリヴィア(口を受話器につけるようにして。)ちょっと今話せないのよ、ジョウン。Il y a une personne ici. (仏語「誰かがいるの、ここに」)・・・Oui, c'est ca. (仏語「ええ、そう。」)・・・ええ。じゃあね。(電話を切る。)ご免なさい、ジョン。でも分かるでしょう? あの人の電話・・・
 ジョン(どっちもどっちじゃないか、という表情。)そうね。
 オリヴィア 電話をガチャンと切る以外に手があるように思えないわ、あの人。マイケルのこと、可愛いって。
 ジョン そう。
 オリヴィア この何箇月、会った人の中で一番感じいいって。
 ジョン そう。
 オリヴィア(自分の机に戻って。)さ、演説に戻って。素敵な演説じゃない? どこでやるの?
 ジョン ダンフライズだ。
 オリヴィア(もう家計簿に没頭している。)あら、それはいいわね。
 ジョン ダンフライズで演説だと何がいいんだい?
(間。オリヴィア、計算に没頭していて答えない。)
 ジョン(前より大きな声で。)ダンフライズでだと、何がいいんだって訊いてるんだけどね。
 オリヴィア えっ? 何のこと? 邪魔しないでね、ジョン。今計算しているところなんだから。
 ジョン 悪かったね、ミス・デル。
 ミス・デル いいえ、大丈夫ですわ。
 ジョン どこまで行ったかな。
(マイケル登場。)
 ミス・デル(メモを見ながら。)さて、本件を論じる前に、予め次のことははっきりさせておかねばならない。
 ジョン そうだった。これだけははっきりさせておかねばなら・・・
 マイケル(母親に近づいてキスをして。)只今、お母さん。
 オリヴィア ああ、マイケル、事務所はどうだった?
 マイケル まあまあだな。
 ジョン(マイケルが登場してきた時に立ち上がっていたが、ここで声をかける。)今晩は、マイケル。
 マイケル(固い、小さな御辞儀。)今晩は。
 オリヴィア ひどくこき使われているのかしら。心配だわ。九時から七時までって、お前の年頃じゃ長過ぎるんじゃないかしら。
 マイケル(坐りながら。)七時まで拘束しておくなんてまるで無意味なのさ。六時以降は仕事がないんだからな。後は何もしないで坐ってるだけさ。
 オリヴィア それは馬鹿げているわね。ジョン、あなた、何とか出来ないの?
 ジョン(怒り狂いそうになるのをやっとのこと抑えて。)オリヴィア、うちの省にはね、およそ五千人が働いているんだ。一週間に延べ三万時間のロスが出るような命令を出せる訳がないだろう。それもマイケルがちょっと早く家に帰れるようにするため、なんていう理由でね。
 オリヴィア それは駄目だわ。このことをそんな風にとらえていらしたんじゃ。
 ジョン 他にどんな風なとらえ方をすればいいのか、僕には皆目分からないね。
 マイケル だけどね、誰もが皆七時まで縛りつけられていなくてもよさそうなんだ。かなりの人間は七時前にこっそり抜け出てもいいことになっているらしい。僕は気付いたんだけど。
(マイケル、これを言いながらジョンの方に流し目をやる。ジョンの忍耐もだんだん切れてきていることがその苛々した指の動きで分かる。)
 ジョン 私のことを当て付けているのなら、ほっといて欲しい、マイケル。このところ、辛い責任のある仕事が次から次に入ってきていて、それどころじゃないんだ。(ミス・デルに。)どこまで行ったかな。
 ミス・デル さて、本件を論じる前に、予め次のことははっきりさせておかねばならない。
 ジョン ああ、まだそこまでだったかな。
(マイケル、音を立てないよう爪先で机の方まで歩いて行く。ジョン、それに気付く。)
 ジョン(ミス・デルに。)何のつもりなんだ、あれは。
 オリヴィア 何でもないの。本を取りたいだけ。引き出しに入れてしまって。ほら、マイケル。
(オリヴィア、引き出しから本を取りマイケルに手渡す。オリヴィア、誤って引き出しを強く締め、大きな音をさせてしまう。)
 オリヴィア シッ、静かにね、マイケル。
(マイケル、椅子に爪先立ちで戻る。椅子に坐り終った時、ジョン、ミス・デルを見る。)
 ミス・デル(囁き声で。)さて、本件を論じる前に、予め次のことははっきりさせておかねばならない。(自分が囁き声で言っていることに気付き、普通の声で言いなおす。)
 ジョン さて、本件を論じる前に、予め次のことははっきりさせておかねばならない。即ち、私は政治家ではないのだ。閣僚として迎えられたのも実業家としてなのだ。そして諸君に話しかけている今のこの私も実業家、ただ単なる、純粋な実業家としてなのだ。
(ジョン、マイケルと視線を交わす。マイケル、読むのを止めてジョンを睨みつけている。)
 ジョン 「ただ」と「純粋な」は削ってくれ、ミス・デル。諸君に話しかける今のこの私も、実業家、単なる実業家としてなのだ。
(マイケル、頷く。ジョン、それを見ないふり。)
 ジョン 諸君もご存じの通り、私は生まれはカナダ。カナダ人だった。それが理由になるかどうか、私は終始一貫英連邦の企業同盟、企業間の協力に努めてきた。従って左翼系の諸君からは常に保守反動政策をとるものとして攻撃され続けてきた。良かろう、それはそれでいい。もしそれが反動なら、もしそれが帝国主義なら、私は保守反動だ、私は帝国主義者なのだ。私はそれを恥じているか。とんでもない。正にとんでもない、だ。私はこの自分の確固不動の姿勢を誇りにこそ思え、恥じてなどいはしない。
(マイケル、全く表情を変えずじっとジョンを見つめている。)
 ジョン インテリと自称している若い左翼系の諸君、君達は私を笑いたければ笑うがいい。この私の頭に呪詛の言葉でも浴びせるがいい。私はこの現在の私の立場にしっかと踏み留まるのだ。
 オリヴィアとマイケル(同時に。)しっかりと。
 ジョン 「しっかりと」など踏み留まらないぞ、私は。私は「しっかと」踏み留まるんだ。石が、棒が、飛んできて、この私の骨を折ろうとも、またどんな中傷を浴びせられようと、私はびくともしない。
 マイケル 「ギクリ」ともしない。
 ミス・デル 「ビク」ともしない。サー・ジョンが正しいです。「ビク」ともしない、です。
 マイケル(立ち上がって。)いや、正しいのは「ギクリ」ともしない、だ。
 ミス・デル いいえ、ミスター・ブラウン、「ビク」ともしない、です。
 オリヴィア(ソファのところまで来て。)「ピクリ」じゃないかしら。「ピクリともしない」。私はこう習ったわ。
 マイケル 違うよ、お母さん。「ピクリ」は可笑しいよ。「ギクリ」だ。「ギクリともしない」。
 ミス・デル(確固たる態度で。)いいえ、「ビクともしない」ですわ。「どんな中傷にもビクともしない」。
 ジョン(抑えた怒り。)そうだ、ミス・デル。言葉遣いそのものは君の方が正しいかもしれない。ただこれだけは言える。今の二人の言葉は僕をビクつかせ、ギクつかせ、ピクつかせたぐらいじゃすまない。僕の胸をグサグサグサッと(ジョン、立ち上がる。)さあ、お願いだ。頼むから十分、十分だけ静かにしていてくれないか。十分なんてたいした時間じゃない。その十分だけだから。それだけあれば、この演説をすませられる。
 ミス・デル すみませんでした、サー・ジョン。
 ジョン いや、いい。さ、続けよう、ミス・デル。
(マイケル、椅子に戻る。ジョンは長椅子。ジョン、オリヴィアを見る。オリヴィアは右手の指を順番に頬に当てて呟く。)
 オリヴィア(呟く。)しかし、ピ、ク、リ、と、も、しない。
(オリヴィア、頭を振る。それからまたこれを繰り返そうとする。その時ジョンが睨んでいるのに気付き、急いで自分の机に戻る。)
 ジョン(演説の続き。)さて、手短に私がよって立つ経済政策の概要を明らかにしておこう。イギリス連邦は一家族である。その家族が・・・その家族に・・・その家族を・・・(マイケルに突然。)そんなに見つめないで欲しいんだがな。
 マイケル 僕は考えているんです。
 ジョン そこで回れ右した方が光の具合はいいんじゃないかな、君には。
 マイケル いえ、このままでよく見えます。
(オリヴィア、自分の席からマイケルに微笑みながら、入念なパントマイムで、「ジョンを怒らせないの。回れ
右しなさい」と指示する。マイケル、肩をすくめて同意し、アクロバッティックな動作で回れ右し、ジョンに背
を向ける。ジョン、これら一連の動きを見て怒り、立ち上がる。)
 ジョン イギリス連邦は家族である。その家族の枝は現在、地球の四分の一を占める面積に広がっている。子供というものはその母親に血のつながりと愛情という目に見えない、そして永遠の絆で結ばれている。その絆を絶ち切ろうとするどんな障害にも災いあれかし、である。それと同様に、世界経済の分野においても家族の神聖な絆は・・・
(マイケル、短いが鋭い笑い。ジョン、オリヴィアの方を向く。)
 ジョン あっちの部屋でやっていいかな、オリヴィア。
 オリヴィア(立ち上がってジョンに近づき。)あっちは駄目だわ、あなた。パーティーの準備で召使い達がテーブルを動かしているところ。
 ジョン 分かった。有難う、ミス・デル。今日はこれで終りだ。
 ミス・デル(立ち上がって。)はい、分かりました、サー・ジョン。
 ジョン 明日の朝もう一回全部やり直しだ。
 マイケル(扉の方に進みながら。)僕が邪魔なら今出るから大丈夫だ。どうせ二階に用があったんだから。
(マイケル退場。)
(ミス・デル、「どうします?」という表情で。)
 ミス・デル じゃ、続けましょうか。
 ジョン いや、いい。続けるだけの価値がない。どうも今日はその気分じゃない。出来が悪い、とにかく。
 ミス・デル そういうことでしたら・・・おやすみなさい、サー・ジョン。おやすみなさい、ミシズ・ブラウン。
 ジョン おやすみ、ミス・デル。
(ミス・デル退場。)
 オリヴィア(ジョンを抱擁して。)可哀相に、ジョン。でも心配しないで。明日には書斎の内装終るわ。
 ジョン いいんだ。だいたい目茶苦茶に疲れている時にこんなことを始めるのがいけないんだ。本当だよ。
 オリヴィア 可哀相なジョン。
 ジョン(オリヴィアの頬を撫でて。)これ、新しい香水だね。
 オリヴィア そうよ。お気に召して?
 ジョン うん。いい匂いだ。本当にいい匂いだ。
(マイケル登場。後ろの机の方に進む。ジョンとオリヴィア、最初マイケルに気付かない。)
 オリヴィア 私、この香水(「どこどこで手にいれたの」と言うつもり。)・・・(オリヴィア、振り向いてマイケルがいるのに気付く。)ああ、マイケル。
 マイケル これ、借りていいかな。(その時までにメモ用紙と鉛筆を手に取っているが、それを見せて言う。)
 オリヴィア いいわよ。手紙?
 マイケル いや、メモを取るんだ。
 オリヴィア メモ? 何の?
 マイケル 今読んでるこの本の。
 オリヴィア 何? その本。(小脇に抱えている本を取って題名を読む。)毒薬の製造と取り扱い。マイケル、何のためにこんな本を。
 マイケル(ジョンの方に一瞥をくれて。)面白い主題だと思ったからだよ、勿論。
(マイケル退場。)
 オリヴィア あの子、あなたを毒殺しようとしているのかしら。
 ジョン 僕は驚かないね。ただこちらもただ腕をこまねいているだけじゃないからね。先にやられないよう御用心さ。
 オリヴィア(心配して。)あの子、まだ不仕合わせなのかしら、私のことで。
 ジョン 不仕合わせ? 違うね、そりゃ。今が華だよ、彼の人生の。
 オリヴィア(疑わしそうに。)そうかしら。
 ジョン そうさ。楽しんでるんだよ。面白くてしようがないといった所さ。
 オリヴィア それはどうかしら。最初は私、あの子はすぐ立ち直るって思っていた。でも最近、特に今日なんか、とても塞ぎこんでいて・・・
 ジョン 塞ぐ! それはそうさ。ハムレットを演じているんだからな。
 オリヴィア ハムレット? 何? それ。
 ジョン 何だ、気がついていないのか? 見りゃすぐ分かるさ。
 オリヴィア 時々妙な目つきをするけど、あれがそれ?
 ジョン そうさ。それが彼の「時にとって、必要とあらば、随分奇怪な振舞も敢えてして見せねばならぬかもしれぬ」だよ。どうやら役所でもあれをやっているらしい。シモンズが報告してきた。部屋に入ってくる時、必ずタイピストに悪魔のような目つきをするらしい。女の子達が怖がってね。それから見たろう? あの黒いネクタイ。
 オリヴィア 黒いのが規則じゃないの?
 ジョン やれやれ。そんなことに規則なんかあるわけないだろう。ネクタイなんて、何をして来たって構わない。「この漆のように黒い上着」、そいつの代わりなんだ、あれは。
 オリヴィア まあ、それならあの子、このことで怒っているんだわ。
 ジョン 馬鹿な。君自身言ってたじゃないか。彼は父親のことはあまり好きじゃなかったって。それに死んでからもう三年以上も経っているんだ。単なるお芝居さ。それに観客は僕らだ。
 オリヴィア そう言えばあの子の学校で一度ハムレットをやったんだわ。
 ジョン(勝ち誇って。)そら見ろ。彼は王子ハムレットをやったんだよ。
 オリヴィア それは違ったわ。慥かお付きの女か何か。
 ジョン やった役は何でもいいさ。とにかく芝居は知ってるんだ。気をつけていないと化粧部屋の場面を演じさせられるぞ、オリヴィア。「おおハムレット、お前はこの胸を真二つに裂いてしまった。」「おお、それならその汚い方を棄てて残ったきれいな方で清く生きて下さいますよう」
 オリヴィア そんなことしたら、お尻を叩いてお仕置きね。(オリヴィア笑う。)でもあの場面やるの、なかなかいいじゃない?
 ジョン あの芝居の結末を知っているとそう呑気なことは言えないな。(何かにはっと気付き、笑って。)あの本! あの意味、君、分かる?
 オリヴィア いいえ。何?
 ジョン 僕が彼の父親を知ってた。そう認めさせようとやっきだった。憶えてる?
 オリヴィア ええ、そうね。しようがないから私も、知らなかったはずよって言ったわ。そしたらあの子、かかりつけの医者だったに違いない、ただお母さんが知らなかっただけなんだ、ですって。そんなこと私が知らない訳がないでしょう?
 ジョン ほらね。幽霊がいないもんだから、僕が彼の父親を毒殺した場面ていうやつを見つけたいんだ。
 オリヴィア 酷いわ、それ。
 ジョン 君の息子はなかなかの想像力の持主だよ。そりゃ面白いだろうよ。ぴったりの筋書きだからね。しかしとにかく君が僕の共犯者という線は避けるはずだ。(くすくす笑いながら。)「母に危害を加えてはならぬ。・・・天の裁きに委ね、心のとげに身をさいなませるがいい」こちとらは悪党だ。「血にまみれた女たらし! 恥知らず、恩知らずの悪党! 人非人! 好色漢! おお、復讐!」(ジョン、ぞっとなる。)おやおや、こいつは参ったな。薄気味が悪くなってしまった。
 オリヴィア でもこんな馬鹿げた話ってないわ。あの子がまさかそんなことを・・・
 ジョン 君は自分の息子を知らないんだよ。
 オリヴィア あの子とちゃんと話せばすぐ分かるのよ。
 ジョン(嘲笑するように笑う。)はっはっは。
 オリヴィア 何がそんなに可笑しいの。
 ジョン いや、何でもない。ウイスキーのデカンタをあっちに運んでくれないか。そっちに移ってちびちびやりたいんだ。
 オリヴィア(立ち上がって。)あなたの奥さんて、私みたいにこんなに痒い所に手が届くような仕え方をしたのかしら。
 ジョン 逆だったね。僕の方がその役さ。
 オリヴィア だから別れたの?
 ジョン そう。半分はね。そしてあとの半分は、あいつが、僕よりどこかの近衛士官に抱いてもらった方がいいらしかったからね。(ジョン、長々と長椅子に寝そべる。)
 オリヴィア あの人を愛していた期間て、どれくらい?
 ジョン 約十日だね。
 オリヴィア それであの人の方は?
 ジョン 今日は君、ずいぶん訊きたがり屋だね。どうしてかな。
 オリヴィア 特に今日がってことないけど。どうして? 前に訊いたかしらこれ、もう。
 ジョン 勿論だよ。
 オリヴィア あら。・・・でも答は忘れているわ。
 ジョン 忘れてなんかいないさ。ただ君は、僕がその答を言うのを聞くのが好きなんだ。あいつは僕を愛したことなど一度もなかった。僕と結婚したのは僕の持っている金のためさ。
(オリヴィア、ジョンにグラスを渡す。)
 オリヴィア ああ、それで思い出したわ。あなた、あの出版社の赤字をなんとかしてあげることにしたの?
 ジョン いや。
 オリヴィア してあげるつもり、なし?
 ジョン なしだね。
 オリヴィア すると、どうなるの?
 ジョン バートン・アンド・バージェスが八百ポンドの借金を棒引きにするか、裁判ざたにするか、どっちかだね。
 オリヴィア あなたって厳しい人だわ。私だってあなたのお金が目当てで同棲しているのかもしれないのよ。それを考えたことある?
 ジョン うん。君はお金が目当てなんだよね。
 オリヴィア 私、真剣に言っているのよ。そうだって思ったことないの?
 ジョン そんな気違いじみた質問には答える気持ちはないね。
 オリヴィア そんなに気違いじみた質問じゃないわ、これは。だってマイケルはそうだと思ってるのよ。
 ジョン(マイケルは何だって考えるさ。)僕があれの父親を毒殺したと思ってるんだからね。
 オリヴィア でも私のことでは、あの子が正しいかもしれないわ。
 ジョン 君も例の「随分奇怪な振舞も敢えてして見せねばならぬかもしれぬ」気分なのかな。
 オリヴィア いいえ。あの子のせい、これは。あの子が私をこんな考えにさせるの。
 ジョン(立ち上がってオリヴィアに近づき。)そんな考えはさっさと捨ててしまうんだ。
 オリヴィア あなたを愛していない、なんて言うんじゃないの。私、愛しているってよく分かっている。でも私、こういうものも(あたりを指差して)みんな愛しているの。
 ジョン それはそうさ。嫌いな人間なんていないさ。
 オリヴィア いるのよ。マイケルはその一人。
(間。)
 ジョン 糞っ。何て奴だ、あいつ。(ジョン、オリヴィアの手を取る。)
 オリヴィア あの子は私のことを何の役にも立たない寄生虫だと思っているの。
 ジョン くちばしの黄色い若僧の言うことなんかほっとけばいいじゃないか。
 オリヴィア(惨めな表情。)あの子は私の子供なの。
(マイケル登場。ゆっくりと机に進む。)
 ジョン ハロー、マイケル。
 オリヴィア ああ、マイケル。
(二人、暫くマイケルを見る。)
 ジョン いいメモ、出来た?
 マイケル(机に寄りかかる。二人には背を向けたまま。)ええ、まあ。
(ジョン、伝統的なハムレットのポーズで椅子に坐る。)
 ジョン(囁く。)「生か死か、それが疑問だ。」
(オリヴィア、怒ってジョンに止めさせようとする。)
 オリヴィア(陽気に。)ねえ、マイケル。シェリーを一杯、どう?
 マイケル(机から離れて扉の方に進みながら。)いや、いい。今はいい。
 オリヴィア どこへ行くの、お前。
 マイケル 二階。
 オリヴィア でも降りて来たばかりじゃないの。
 マイケル うん、分かってる。
 オリヴィア いなくなる前に忘れているといけないから言っときますけど、今夜パーティーがあるのよ。黒い服に着替えておくんですよ。
 マイケル パーティー? 何の。
 オリヴィア 知らないふりなんかして。駄目よ。今夜のパーティーのことは話しておいた筈よ。
 マイケル 僕、行かなくていいかな。
 オリヴィア ああ、マイケル。私、お前をみんなに見て貰いたいのよ。
 マイケル 僕は一人でいたいんだ。
 オリヴィア そう。仕方ないわね。
(マイケル、この時までに扉のところまで来ている。その時ジョン、立ち上がる。)
 ジョン(憂鬱な調子で。)マイケル、君が二階に上がることはない。僕が出る。
 オリヴィア 出るって?
 ジョン うん。事務所にちょっと用があるんだ。
 オリヴィア じゃあ、夕食に遅れないようにね。
 ジョン 分かってる。
 オリヴィア それで思いだした。私も・・・
 マイケル お母さんも出るんじゃないだろうね。
 オリヴィア 出るんじゃないの。二階へ。夕食のための着替え。どうして?
 マイケル いや、別に。そうだ。明日の晩二人とも何か予定ある?
 オリヴィア 私はないわ。あなたは? ジョン。
 ジョン 僕もなかったと思う。何故?
 マイケル 僕と一緒に見に行って欲しいものがあるんだ。
(オリヴィアとジョン、目配せ。オリヴィアは明らかに嬉しそう。)
 オリヴィア まあ、親切だわ、マイケル。それはもう二人とも喜んで。(急に用心深く。)でも入る前に長い行列っていうんじゃないでしょうね。
 マイケル いや、大丈夫だ、これは。席は取ってある。それも良い席でね。一等席の前列だ。
 ジョン で、何なんだい? 出し物は。
 マイケル ええ、その、スリラーもの。慥か、「家族の殺人」だったかな。
(ジョン、突然ゲラゲラと笑い出す。明らかに喜んでいる様子。ジョン、マイケルには答えず、部屋を出る。)
 マイケル(怒って。)何だあれは。
 オリヴィア(鋭く。)馬鹿は止めるんです、マイケル。分かりましたね。
 マイケル(すねて。)何が馬鹿なんだ。僕には分からない。
 オリヴィア ハムレットの真似。止めるんです。
 マイケル 分からないな、何のことか。
 オリヴィア 分かっているの、お前には。いいですか、マイケル、もうこれは冗談ですまされないの。(マイケルのネクタイを指差して。)そしてこの馬鹿なものもすぐ外すんです。
 マイケル 馬鹿なものって、何が。
 オリヴィア この黒いネクタイです。(小さな子供に言うように。)さ、早く外して。今すぐ。
(マイケル、ネクタイを外して母親に渡す。)
 オリヴィア そう、それでいいの。これからはオタンチンの脳足りんの真似は止めて、もっとしゃんとするんです。いいですね。
 マイケル はい、お母さん。
 オリヴィア それならいいの。
(この時までにオリヴィア、冷たい、威厳のある態度で扉に近づいている。しかしここで急に崩れ、マイケルの方に戻って来る。)
 オリヴィア マイケル、私、お前にいぢわるをしているんじゃないの。ほら、返します。
(オリヴィア、ネクタイを返そうと、手を伸ばす。マイケル、受け取ろうとしない。)
 マイケル いい。もういらない。
 オリヴィア ほら、受け取りなさい。
 マイケル いいんだ。取っといて。
 オリヴィア ああ、マイケル、マイケル。
 マイケル 何?
 オリヴィア 笑って。私に微笑んで頂戴。
(マイケル、無理矢理笑いを捻りだす。オリヴィア笑う。)
 オリヴィア それでいいわ。さあ、返します。(オリヴィア、マイケルの膝の上にネクタイを置く。)絹の黒いタイツでも履きたければお履きなさい。私は構わない。(オリヴィア、扉の方へ進む。)でもなるべく止めて。ジョンが気にするから。
(オリヴィア退場。)
 ポウルトン(舞台裏、ホールで。)食器を並べるの、奥様なさいます? それとも私が?
 オリヴィア(ホールで。)やって頂戴。あなたの方がずっと上手だもの。私、上で着替えをしてきますからね。
(マイケル、窓際に進む。その時ポウルトン、カクテル・シェイカーをアイスバケット、それにナプキンをのせた盆を持って登場。それを飲み物用テーブルに置く。マイケル、ポウルトンに近づく。)
 マイケル ちょっと訊いていいかな、ポウルトン。
 ポウルトン ええ、どうぞ。でも難しい質問はいやですわよ。
 マイケル これはちょっと難しいかもしれないな。この家で起こっていることをどう思ってるか、それが訊きたいんだ。
 ポウルトン(用心深く。)サー・ジョンとミシズ・ブラウンについて・・・ですの?
 マイケル うん。
 ポウルトン 私の見方はこうですわ。ちょっとお気に召さないかもしれませんけど私、結婚をしないで男と女が暮らすっていうのは認めないんです。罪深い暮らし・・・こんなこと申し上げて、随分勝手な申し分ですけど・・・
 マイケル そんなことはないさ。罪深い暮らしには違いないんだから。
 ポウルトン でも違うんですの。サー・ジョンとミシズ・ブラウンの場合は全く違うんです。あのお二人、もう何年も何年も前から正式に結婚されたお二人のような御様子ですわ。お二人を見ていて、そうでないなんてとても想像できません。神に祝福されたお二人なのですわ。
 マイケル(「奇妙だ」という表情で。)でも悪いことだとは思わないの?
 ポウルトン 悪いこと? そんな風に思ったら私、この家に留まってはいませんわ。これだけははっきり申し上げられます。私は不道徳には決して組しません。どんな形式をとった暮らし方でも、許されていない同棲なんて、私は認めません。そういうことをしている男も女も認めません。(盆を取って部屋を出ようとする。)それだけですか、ぼっちゃま。
 マイケル それだけだ、ポウルトン。有難う。
 ポウルトン では失礼します。
(ポウルトン退場。)
 マイケル 何ていう話だ!(窓の傍による。扉にベルの音。)大丈夫だ、ポウルトン、これは。僕の客だから。僕が出る。
(マイケル、ネクタイをアイスバケットの上に置き、退場。やがて舞台裏でダイアナ・フレッチャーと二人で話
しながら扉に近づくのが聞こえる。)
 マイケル(舞台裏で。)こちらの方からどうぞ。
 ダイアナ(舞台裏で。)有難う。
 マイケル(舞台裏で。)こっちの部屋なんです。
 ダイアナ(舞台裏で。)あら、この絵、いつか見たことがあるわ。
 マイケル(舞台裏で。)ちょっと急いで下さると有り難いんですけど。僕、人に見られたくないんです。二人がいるところを。
(二人登場。ダイアナはおよそ二十五歳。派手な衣装。)
 ダイアナ 謎謎謎の、ミスター・ブラウンて、あなたのこと?
 マイケル ええ、僕です。
 ダイアナ 電話だとあなた、もっと年がいってると思ってたわ。
 マイケル そうでしょう。僕は見かけより実際年がいってるんだから。えーと、ちょっと間違いがあるといけないから訊くんですけど、あなた、レイディー・フレッチャーなんですよね。
 ダイアナ ええ、そうよ。
 マイケル サー・ジョン・フレッチャーの奥さんの?
 ダイアナ(皮肉な目つきで。)ええ、まあ、そういう言い方もあるわ。
 マイケル お坐りになって、どうぞ。
 ダイアナ 有難う。
 マイケル これで拭いて下さい。
 ダイアナ 拭くって?
 マイケル 涙です。
 ダイアナ あら、マスカラ、涙に見えたかしら。
(ダイアナ、長椅子の方へ進む。)
 マイケル ああ、煙草は如何ですか。
 ダイアナ いいえ、結構。(この時までに坐っている。)悪いけど、これ一体何のことか話して下さらない? 私、人に会う大事な用があるのを・・・
 マイケル ええ、分かってます。今すぐ。とにかく来て下さって実に感謝しています。
 ダイアナ あなたが、人の命に関わることだって、それから私の利益に直接関係のあることだからって言うから・・・
 マイケル ええ、そうなんです。今言います・・・(突然ネクタイをしていないことに気付く。)あ、失礼。ちょっと。(アイス・バケットの方に進む。)大変失礼なことを。なんて奴だとお思いになったでしょうね、ネクタイを締めないで。
 ダイアナ あなた、いつもネクタイを氷で冷やして?・・・
 マイケル いいえ。母が僕から取り上げたもんだから、僕が投げ込んだんです。
 ダイアナ あら、そう。
 マイケル 今日は本当に誰もいなくてよかった。こっそり僕の寝室に忍びこんで来て貰って話さなきゃならないかと・・・
 ダイアナ あら?
 マイケル あ!
 ダイアナ そういう話でしたら・・・
 マイケル 違うんです・・・つまり、ただ話すだけ・・・それでも・・・違うんですから・・・ここを・・・
 ダイアナ お会いできて素敵でしたわ、ミスター・ブラウン。でも私、どうやら帰った方が・・・
 マイケル 違うんです、レイディー・フレッチャー。危険なんか何もないんです。このまま帰ったら、後で必ず後悔することになるんですから。
 ダイアナ じゃ、今すぐその大事なことっていうのを話して下さらない? 私・・・
 マイケル 分かりました、レイディー・フレッチャー。急いでお話しすると余計な心配をおかけするからと思ったんですが・・・いえ、とにかくお話はしなければ。僕の義務です。
 ダイアナ 義務!
 マイケル レイディー・フレッチャー。この家が誰のものかご存じですか。
 ダイアナ いいえ。で、どなたの?
 マイケル ご主人のです。
 ダイアナ あら、ジョンの?(急いで立ち上がる。)ここには居られないわ。あの人と会うのだけは避けないと。
 マイケル それは大丈夫です。今事務所ですから。あと何時間もいる筈です。分かります、会うのがどんなに辛いか。彼のあなたに対する仕打ちを考えれば。
 ダイアナ 仕打ち?
(ダイアナ、白粉のパフを取り落とす。マイケル、それを拾う。)
 ダイアナ あ、すみません、落としたりして。有難う。(回りを見て。)あの人の趣味と違うわ。
 マイケル その通りです。誰の趣味か分かりますか。
 ダイアナ いいえ。誰のかしら。あなたの?
 マイケル いいえ。
 ダイアナ じゃ、誰の?
 マイケル(シューシューと鳴る声で。)彼の情婦の趣味です。
 ダイアナ 情婦? 何人もいるの?(訳註 mistress's taste と mistresses' taste と同じ発音だから「複数?」と訊きかえされる。)
 マイケル(ショックを受けて。)いえ、一人です。
 ダイアナ そう。それならここが二人の住んでいる家なのね。私、その人のことはさんざん聞かされたわ。・・・オリヴィア・ブラウンね?
 マイケル ええ。
 ダイアナ あなたはその弟さん?
 マイケル いいえ。
 ダイアナ あら、息子さん?
 マイケル(身を乗りだすようにして。)どうして僕が来て欲しいと言ったか、これでお分かりでしょう?
 ダイアナ いいえ。何故かしら。
 マイケル 母に会って話して欲しいんです。
 ダイアナ まあ、とんでもない。
 マイケル お願いです、レイディー・フレッチャー。
 ダイアナ 直談判?
 マイケル そうです。事の筋道を話してやって欲しいんです。このような生活が悪徳に塗(まみ)れた事なんだと。
 ダイアナ 悪徳に塗れた事?
 マイケル そう。今のこの生活が。
 ダイアナ あらあら、まあまあ。悪徳だなんて。あの人が一体何をしたって言うの?
 マイケル あなたの夫と罪の生活を送っている母。
(ダイアナ、突然マイケルの言っている意味が分かって、静かに笑う。)
 ダイアナ あら、あなた可愛いわ。そうだったの。
 マイケル 可愛い? どういうことですか?
 ダイアナ 私に直談判して貰いたいんでしょう? そして事の筋道を話して・・・
 マイケル ええ。
 ダイアナ その生き方の誤りを知らせる。
 マイケル ええ。そう。
 ダイアナ 「男を迷わす女」、それは駄目って・・・
 マイケル(傷ついて。)これは冗談じゃないんです。
 ダイアナ(すまなそうに。)ご免なさい、ミスター・ブラウン。冗談で言ったつもりじゃないの。悪かったわ。
 マイケル それはいいんです。そちらの方なんですから、お辛いのは。あんな仕打ちに遭えばそれは誰だって・・・
 ダイアナ ええ、まあ・・・でも私、直談判も、事の筋道も駄目だわ。だって・・・結局、私には関係のないことですもの。
 マイケル 関係ない? 関係大ありじゃないですか。あなたのご主人なんですよ、彼女の愛人っていうのは。
(ダイアナ、笑う。)
 マイケル どうして笑うんですか。
 ダイアナ 別に。ただ、その「愛人」っていうのがジョンにはちょっと似合わなくて。それだけ。
 マイケル だけど、実際その通りなんでしょう?
 ダイアナ ええ、まあね。実際その通りっていうのが楽しいところね。あら、これ、ショックだった? ミスター・ブラウン。
 マイケル(愛人関係を仄めかされて、始めてショックを受ける。)僕が? ショックだって? こんなことでショックなんか受けるもんか。世の中で起こっていることぐらい僕は何でも知ってる。ネルソンとレイディー・ハミルトン、ルイ十五世とマダム・ポンパドゥール。そんなのは構いはしない。だけどこれは別なんだ。
 ダイアナ どうして?
 マイケル あの男に夢中になるなんて、彼女には無理なんだ。
 ダイアナ あら、どうして?
 マイケル 無理に決まってる。もう年をとり過ぎているんだ。
 ダイアナ そう? 何歳? ジョンと同じぐらい?
 マイケル まさか。あんな年じゃない。あいつのどこがいいっていうんだ。あいつにボーとなる女なんて気が知れないよ。まあ、金のためだっていうんなら話は分かるけど。
 ダイアナ その、金っていうのが、あの人の強みではあるわ。
 マイケル(大声で。)お母さんなんて、大っ嫌いだ。あんな金持ちのいやらしい男の妾になったりして。
(ダイアナ、ゲラゲラと大きな声で笑う。)
 マイケル(すまなさそうに。)すみません。あなたのご主人でした。失礼。
 ダイアナ いいのよ、そんなこと。有難う、気を使って戴いて。
 マイケル もうあの人を愛してはいないっていうんですか。
 ダイアナ 「もう」かしらね。愛したことがあったかどうか、それも怪しいわ。
 マイケル 本当に戻って来なくて平気なんですか。
 ダイアナ 本当に、本当。
 マイケル なんてこった!
 ダイアナ なーに、ミスター・ブラウン。
 マイケル 夫を返してくれって母に頼んで呉れると思ったのに。
 ダイアナ 可哀相に。このことで随分悲しい思いをしていらっしゃるのね。
 マイケル そんなじゃないさ。たいして。
 ダイアナ それならいいんだけど。(再び笑い始める。)
 マイケル おいくつなんですか、年は。
 ダイアナ(突然笑うのを止めて。)どうしても答えなくちゃいけないかしら。
 マイケル いいえ。訊いてはいけない質問だったようです。ただ想像していたよりずっとお若かったので。あ、これも言ってはいけませんでしたね。
 ダイアナ(再びひどく嬉しそうに。)いいえ、そう思って下さって嬉しいわ。有難う。
(オリヴィア登場。)
 オリヴィア あら、お前にお客様とは知らなかったわ。
 マイケル こちら、母です。・・・レイディー・フレッチャー。
 オリヴィア(ほとんど驚きを見せずに。)あら、始めまして。
 ダイアナ(この応対にひどく安心して。)始めまして。(しかし言い方が少し大袈裟になってしまう。)
 マイケル(母親の落ち着きはらった態度が心配で。)サー・ジョンの奥さんなんだけど。
 オリヴィア(陽気な態度を崩さず。)ええ、それはそうでしょうね。(ダイアナに。)嬉しいですわ。よくこんな風に訪ねて下さいましたわね。
 ダイアナ 訪ねたって・・・実はそうじゃないんです。お子様から来るようにと言われて、それで・・・
 オリヴィア あら、そうでしたの? じゃ、偶然だったのね、出会ったのは。どこでだったのかしら。
 マイケル 偶然じゃ・・・
 ダイアナ(素早く、息を伸ばすようにして。)公園・・・ええ、ハイド・パークで。可笑しいでしょう?
 オリヴィア 驚いたわ。狭いわ、世の中って。
 ダイアナ 勿論私、想像もつかなかった・・・お子様がご自分をブラウンだと仰って・・・
 オリヴィア それはそうですわね。ブラウンなんてありふれた名前ですし。どうぞ、お坐り下さい。お茶でも・・・
 ダイアナ ご親切にどうも。でも私、お茶は・・・
 オリヴィア(飲み物のテーブルに進みながら。)いいじゃありませんか。私も今丁度お茶にしようと思っていたところですの。今夜はパーティー。配給が厳しくて本当に大変ですわ。でもジョンが、友人をもてなすのが好きで・・・それに当然私もそれに応えなければ・・・
 ダイアナ そうですわね。本当に戦時っていうのは困りますわね。楽しみというものは何でも駄目。でも私、お許し戴ければ家に帰りたいんですけど。友人が来ることになっていまして・・・
 オリヴィア ああ、そういうことでしたら、お引き止めするのはいけませんわね。(明るく片手を差し出して。)こんな機会でしたけど、とにかくお会いできて幸せでしたわ。
(二人、握手する。)
 ダイアナ 楽しうございましたわ。勿論私の方にもいつか必ずお立ち寄り下さいますわよね。
 オリヴィア それはもう、必ず。今どちらにお住まい?
 ダイアナ グロウヴナー・ハウスに。番地は電話帳にありますわ。あ、お子様がもうご存じですけど。
 オリヴィア あら、そうでした? えーと、こんなこと申し上げたらどうか、心配ですけど、そのお帽子なんてよくお似合いなんでしょう。
 ダイアナ(有頂天になって喜んで。)あら、嬉しい。アーゲ・サーラップの作なんですの。私用にと。いいセンスでしょう? ね?
 オリヴィア 腕がいいわ。本当に腕が。このところ行ってないけど、また行ってみなくちゃ。
 ダイアナ(振り返って、再び握手。)ではこれで。
 オリヴィア では。
(二人、にっこりする。その時ジョン登場。)
 ジョン ダイアナ!
 ダイアナ ハロー、ジョン。
 ジョン 何だ、これは。どういうことだ。
 オリヴィア(素早く。)本当に偶然なのよ、あなた。公園でマイケルに偶然出会ったんですって。そしてマイケル・ブラウンが、このブラウンだなんて思いもかけず、一緒にここまで来て・・・
 マイケル(挑むように。)違うんだ、それは。僕を庇(かば)おうとして作った作り話だ。本当は僕が電話して来て貰ったんだ。
 オリヴィア(素早く。)馬鹿な子! 電話をしようと、公園で会おうと、同じことでしょう?(ダイアナに。)馬鹿な子でご免なさいね、レイディー・フレッチャー。どうぞこの子を許してやって。
(オリヴィア、マイケルの肩に手をかける。)
 ダイアナ 許すだなんて、感謝していますわ。だってお陰でお会いすることができましたもの。
 オリヴィア そう言って戴ければ・・・
 ダイアナ 私もう本当にお暇(いとま)しなければ・・・
 オリヴィア 家でお友達がお待ちなんですって、ジョン。
 ジョン ああ、うん。まあ、彼によろしく言っておいてくれ。
 ダイアナ 言っておくわ。どんな具合? ジョン。
 ジョン うん、快調だ。君の方はどうなんだ、ダイアナ。
 ダイアナ ええ、どうにかね。
 ジョン ひどく気まずい気分だったかな。それなら僕から謝る。
 ダイアナ いいえ、全然。楽しいぐらい。ほんと。じゃ、私、これで・・・
 オリヴィア さ、マイケル。送って行って上げて。
(マイケル退場。)
 ダイアナ(再び握手して。)さようなら、ジョン。また会えて嬉しかったわ。それから、失礼しますわ、ミシズ・ブラウン。お子様をあまりお叱りにならないでね。善かれと思ってなさったことですもの。
(ダイアナ退場。)
 オリヴィア(声をひそめて。)気まずい気分だなんて、どうしてあんなこと仰ったの、ジョン。
 ジョン 当たり触りのないことだけを話して切り抜けられる場面じゃなかったじゃないか。
 オリヴィア 当たり触りのないことだけで、どんな場面でも切り抜けられる筈よ。(オリヴィア坐る。)あーあ、こんなにひどい五分間を過ごしたこと、今までにないわ、私。
 ジョン(オリヴィアの手を取って。)たしかにこんなにひどい五分間てなかったろうな。同情するよ。
 オリヴィア 一体何のつもりかしら、本当に、あの子。
 ジョン まあ、またハムレットだね、きっと。
 オリヴィア 違うわ、ジョン。それは違うと思う。
 ジョン 心配はいらないよ、とにかく。
 オリヴィア(絶望的に。)心配、私。本当に心配。
(マイケル、戻って来る。)
マ イケル(むっつりと。)どうやら僕の読みは外れたようだ。
 ジョン そうだ。君の読みは外れた。さてと、二階に上がって貰おうか、お若いの。ちょっと話があるんでね。
 マイケル(悲壮な程無礼な態度で。)へーえ、そりゃ面白そうだ。(マイケル、回れ右をし、両手をポケットに突っ込む。)
 ジョン(マイケルに進み寄り。)ただ面白いでは済みはしないぞ。・・・おい、マイケル。私が話をしている時に背を向けるとは何ごとだ。・・・手をポケットから出すんだ・・・
(オリヴィア、立ち上がり、ジョンの方へ進む。)
 オリヴィア ジョン、あなた、ちょっと二階へ上がって、食事のための着替えをしてきて。マイケル、こっちへいらっしゃい。
(ジョン、退場。)
 オリヴィア お前の考えていることが私に分かったらね。
 マイケル(呟く。)どうかな。分かったら、余計嬉しくないんじゃないかな。
 オリヴィア 分からない、どっちか。時々あなたは私とジョンを相手にして・・・いえ、あなたも含めて、三人で、自分で企んだ芝居をしようとしているように見えるの。そんな時よ、私がかっとくるのは。でも時には・・・そうね・・・何だかよく分からないの。とにかくあなたに不仕合わせになって貰いたくないの、私。
 マイケル 不仕合わせじゃないよ。心配はいらない。
 オリヴィア ジョンもそう言ってるわ。今が人生の華だって。面白くってたまらない時だって。
 マイケル そんなこと言ったの、彼。
 オリヴィア ええ。一人芝居だって。私もそう思わざるをえないわね。
 マイケル そう。一人芝居、かも知れない。僕にはよく分からない。
 オリヴィア そうね。認めているんだから・・・やっぱりね。
 マイケル だけど、もし僕が芝居をしているとしたら、それは他に方法がないからだ。ああいう人物を相手に戦うとなったら、他に何が出来るだろう。
 オリヴィア 戦う? どうして戦う必要があるっていうの。
 マイケル だって僕は彼が憎いんだ。
 オリヴィア 憎い。そんなの無理よ。あの人のことでどんな意地悪なことを考えても、それはあなたが無理に捻り出したもの。ジョンを憎むなんて誰も出来はしないの。
 マイケル 僕は嫌いだ。憎んでいる。世界中のどんなものよりも僕はあいつが憎い。あいつがお母さんにした事を考えると。
 オリヴィア 私にした? それ、どういうこと?
 マイケル(熱情的に。)あいつがお母さんにした事が分からないの? お母さんを変えちゃったんだ。もう僕のお母さんじゃないっていう風にしてしまったんだ。今のお母さんだったら、ドーチェスターあたりに何百といる社交婦人を勝手に選んできたって変わりはしないや。お母さんはそれぐらいもう、前のお母さんじゃないんだ。だから僕はあいつが憎いんだ。
 オリヴィア お前それ、本当にひどい話よ。本気でお前、そう思ってるの?
 マイケル 自分でそれが分からないの? サンドリガム・クレセントにいた頃を思い出したらいいんだ。お父さんが生きていて、僕ら三人だけでいた頃を。あの頃お母さん、幸せだったんだろう?
 オリヴィア 不幸じゃなかったわ、マイケル。
 マイケル でも、じゃ、お父さんのこと、愛していなかったの?
 オリヴィア 愛した・・・それは昔、昔のこと。最初がどうだったか、思い出すの、難しいわ。
 マイケル 最初? じゃ、あの頃はもう愛してはいなかったっていうこと?
 オリヴィア ええ。残念だけど、あの頃はもう、愛で暮らしていたんじゃないわね。
 マイケル ええっ? でも、それ、何故?
 オリヴィア こういうことには何故も何もないのよ、マイケル。そういう風になって、それで終なの。結婚したのが若過ぎたのかもしれないし、結婚してからの生活があまりに辛かったからかもしれないわね。
 マイケル でもお父さんは医者の仕事で随分収入はあったんじゃない?
 オリヴィア 随分、じゃなかったのよ、マイケル。それに時間が経つにつれて、どんどん減ってきたわ。
 マイケル 成功者じゃなかったって言いたいんだね?
 オリヴィア ええ。あの人、運が悪かったの。
 マイケル でもお母さん、僕は・・・僕は、お父さんが・・・
 オリヴィア それは成功したと思っていたでしょう。お前はまだ小さかったんだから。こういうことをお前には隠しておけて本当によかった。あの人が成功しなかったのを私が嫌がっていたなんて思わないで頂戴。あの人にはあの人生が一番よかったんだって、今でも思っているわ。お前とあの人と三人の生活・・・そう、お前の方が私の生きがいになったんだわ、きっと・・・(オリヴィア、マイケルにキス。)あのままで、バロンズ・コートのはやらない医者の妻で、一生を終わっても私、きっと満足していたわ。
 マイケル 死んだ後でそんな風にお父さんのことを話すなんて汚いよ。
 オリヴィア まあ。芝居の続き? マイケル。
 マイケル(惨めに。)そう。芝居。だって、次に来る台詞が見え見えなんだから。
 オリヴィア 見え見え? じゃ、言ってご覧なさい。
 マイケル 「私、サー・ジョンに出会った時、生まれて初めて愛するとはどういうことか分かったの。」
 オリヴィア(静かに。)そう。その通りよ、言おうと思ったこと。だって本当なんですもの。
 マイケル 「私、こういう贅沢、こんなものみんな全然なくても平気。スラム街だってあの人とならきっと幸せだわ。」
 オリヴィア いいえ、それは言うつもりなかった。あなたの言い方で言うと、こういう贅沢、これはみんな私にとって大切なもの。私、この家に移ってきて初めて自分が生きているんだって感じたわ。その気持とジョンへの愛、それは切り離せない。だから私がジョンを愛するようになったためにドーチェスターの社交婦人になって、お前が以前の私と見分けがつかなくなったとしても、それは悪いけど、仕方のないことだわ。
 マイケル 仕方がない?
 オリヴィア ええ。どうしようもないわ。
 マイケル そうか。(立ち上がり、飲み物のテーブルに進む。)シェリー一杯、いいかな。
 オリヴィア どうぞ。
 マイケル じゃ、これで決まりなんだね。
 オリヴィア(しっかりと。)そうよ、マイケル、これで決まり。
 マイケル それで僕はどうなるんだろう、当面。
 オリヴィア それは勿論、今まで通り私達と一緒に暮らすのよ。
 マイケル(静かに。)いや、それは駄目だ。
 オリヴィア(鋭く。)マイケル! お前、私を脅迫しようって言うの?
 マイケル いや、これはさっきまでの芝居とは違う。これははっきり言える。
 オリヴィア お前が出て行ったら、この私はどうなるか、お前には分かってるの?
 マイケル お母さんこそ、僕がこのままここに留まっていたらどうなるか、分かってないんだ。
(間。)
 オリヴィア それでお前、どこに行くつもり?
 マイケル 住めるところを見つけるさ。遠くじゃない。会おうと思えば会えるさ。
 オリヴィア(皮肉を込めて。)それはいいわね。たまに会えるっていうの。
 マイケル(惨めに。)ご免よ、お母さん。他に名案は浮かばないんだ。
 オリヴィア(固い声で。)そうね。なんと言ったって、お前はもうすぐ十八にもなるんだからね。自分一人で生活したいのなら、当然していいわけだわ。
 マイケル うん。
(マイケル、飲み物のテーブルの傍にいるが、飲み物に手をつけていない。オリヴィアと向き合っている。やがてパイプを取り出す。)
 オリヴィア いいわ、じゃあ。明日二人で出かけましょう。住む所を捜しに。
 マイケル 明日は丁度都合がいいや。役所に行かなくていい日なんだ。
(間。)
 オリヴィア(激しく。)吸うのはお止めなさい。それもそんな馬鹿げたパイプで!(気を取り直して。)もう行っていいわ、マイケル。そろそろお客様がいらっしゃる時刻。
 マイケル うん。分かった。
(マイケル、扉に進む。)
 オリヴィア マイケル、お前、もう少しはジョンのこと好きになれないかしら。
 マイケル 駄目だな。嫌いなものは嫌いだ。どうしようもないよ。
 オリヴィア そう。でも、お前と私は、まだ友達なのよね。
(間。マイケル、急にオリヴィアの膝にくずおれる。そして小さな子供のように啜り泣く。)
 マイケル お母さん、もう止めてよ、その鋭い調子。僕、悲しいよ。お母さーん、お母さーん。
(オリヴィア、驚く。マイケルの頭をなでる。)
 ジョン(ホールで声。)いや、マイケルは部屋にはいなかったよ、ポウルトン。
 ポウルトン(舞台裏で。)じゃあ、居間ですわ、きっと。
(マイケル、慌てて立ち上がる。そして暖炉に進む。その時ジョン登場。)
 ジョン そろそろ八時半になるよ。
(間。)
 ジョン マイケル、君、今夜本当に何もすることがなかったら、シモンズが多分・・・
 マイケル(ジョンに背を向けたまま。)僕のことが気になるのかな。
 ジョン いや、そうじゃない。ただあまり退屈な夜になると気の毒だと思って。しかしとにかく君の好きなようにすればいい。
 マイケル そうするよ、言われなくたって。
(マイケル退場。)
(マイケル去った後、少し間。)
 ジョン カクテルは僕が作ろうか、それとも君がやる?
 オリヴィア(飲み物のテーブルに進み。)私がやるわ。
(オリヴィア、上の空で三種の酒を混ぜる。ジョン、部屋の反対側からこれを見て不思議、かつ心配そう。)
 ジョン 君のパーティーに十分相応しいかな、この服。
 オリヴィア え? 何。
 ジョン(煙草の火をつけながら。)君のパーティーに十分相応しいかな、この服。
 オリヴィア ええ。(やっとのことで気を取り直して。)新しく作ったのね、それ。
 ジョン 違う、違う。古いやつだ。何年も着ている。そうだ、君の姉さんのところで初めて会った時着てたのは、この服じゃなかったかな。
 オリヴィア(静かに。)いいえ、あれはグレイだったわ。
 ジョン あ、そうだったね。ちゃんと覚えとかなきゃ。
(また間。オリヴィア、カクテルを混ぜながら。)
 オリヴィア ジョン。
 ジョン 何だい。
 オリヴィア あの子の勝ち。
 ジョン マイケルの?
 オリヴィア ええ。あなたかあの子か、どっちかだって。
 ジョン で、君はあっちを、か。
 オリヴィア ええ。
(また、間。)
 ジョン こうなるんじゃないかと思っていたよ。
 オリヴィア そうらしいわね。
 ジョン ということは、僕とはお別れなんだね。
 オリヴィア ええ。
(間。)
 ジョン どう言ったらいいか分からないんだが、オリヴィア。こう言っても何も変わらないかな。君っていう人が僕を愛してくれた。僕の人生でこれほど素敵なことは起こったことがなかった。そして君は僕から離れてゆく。これぐらい僕にとって大きな打撃は今までに一度もなかった。そう言っても?
 オリヴィア 嬉しいわ、そう言って下さるの。でもどうしようもないわ、私。
 ジョン 明日大臣を辞めて、離婚を成立させて、結婚を申し込んだら?
 オリヴィア それでも結局、あなたかマイケルか、どっちかだわ。
 ジョン 君のいない人生なんて考えられないんだ。・・・僕は自殺するぞと君を脅したり、君の同情を買おうとしたり、そんなことをしようとしているんじゃない。これは単純な事実なんだ。君のいない人生は、生きる価値がない。ただそれだけさ・・・
 オリヴィア もう言わないで、ジョン。どんなに私が鳴き喚いても、変わりようがないの、これは。
(ポウルトン登場。)
 ポウルトン(来客を告げる。)ミス・ウェントワース。
(ポウルトン退場。)
 オリヴィア(客に挨拶するため近寄って。)まあ、ミス・ ウェントワース。よくいらっしゃいました。
 ミス・ウェントワース ご招待戴いて本当に嬉しいですわ。
 オリヴィア サー・ジョン・フレッチャーはご存じですわね。
(電話が鳴って、ジョン、受話器を取る。)
 ミス・ウェントワース ええ、勿論。
 オリヴィア そうそう、ボビーのパーティーでお会いになってらっしゃるわね。
 ミス・ウェントワース もうあれから随分経ちますわ。
 ジョン(電話に答えて。)ええ、構いませんとも。お会いするのを楽しみにしています。
 オリヴィア(ミス・ウェントワースに。)他の皆さんがいらっしゃる前に申し上げますけど、この間出されたあの本、なんて素敵なんでしょう。
 ミス・ウェントワース 嬉しいわ。
 オリヴィア(「社交」の笑みを浮かべて。)思い出すと今も涙が浮かんできますわ。感動的だわ。本当に感動的。
 ジョン(受話器を置いて。)ランドール夫妻は遅れる。まだ劇場だそうだ。
 ミス・ウェントワース まあ、ランドール夫妻がいらっしゃるの? 素敵だわ。
 オリヴィア 新しい喜劇のリハーサルが長引いたのね、きっと。
(ポウルトン登場。)
 ポウルトン(客を告げる。)サー・トーマス、レイディー・マーカム。
 オリヴィア(扉に進み、ミス・ウェントワースを肩越しに見て。)こういう時局には、人を泣かせるより、笑わせなければ。そうですわね。
(オリヴィア、サー・トーマスとレイディー・マーカムに挨拶のため進む。その間に幕下りる。)
 オリヴィア まあ、長い間、ご無沙汰でしたわ・・・
                      (幕)

     第 三 幕
(場、三箇月後。バロンズ・コートのアパートの居間。)
(故ミスター・ブラウンの趣味がオリヴィアのそれより色濃く出ている。そしてそれは趣味の悪いもの。このアパートはヴィクトリア朝の建物の最上階にある。広い居間、台所、オリヴィアの寝室、マイケルの寝室からなる。台所への扉は中央奥で、扉が開くとその一部が見える。二人の寝室は左手にあって、オリヴィアの方が暖炉の上手、マイケルの方は暖炉の下手にある。玄関ホールへの扉は右手にある。ゴシック風の窓が右手にあって、その屋根が通りに突き出ているのが見える。)
(幕が開くと舞台は無人。左手にあるラジオが鳴っている。マイケル登場。帽子と手袋と、紙袋に入った月刊「労組」と雑誌「タトラー」を長椅子の上に投げ、坐る。また立ち上がってラジオを消す。再び坐って「労組」を読み始める。)
 オリヴィア(台所から出てきて、マイケルにキスし。)お帰りなさい、マイケル。どうだった? 今日は。
 マイケル ああ、今日もまあまあだ。そっちは?
 オリヴィア こっちも、まあまあ。すぐ食事にして欲しいんでしょう?
 マイケル うん、出来ればね。七時四十五分にデートなんだ。
 オリヴィア(台所に入りながら。)いいわよ、じゃあ。今すぐね。
(マイケル、立ち上がり、テーブルにつく。相変らず「労組」を読んでいる。オリヴィア、台所からオムレツと野菜サラダの入ったタリーン(壷)を持って戻って来る。ここで観客に、オリヴィアの様子が以前と変わっている事がはっきりとなる。質素なグレイのスカートに、かなり騒々しい模様のエプロン。)
 オリヴィア また乾燥卵のオムレツなの。悪いわね。
 マイケル おいしそうだよ。お母さんは食べないの?
 オリヴィア まだお腹がすいてないの。私は後で何か食べるわ。
 マイケル ということは、またパンとチーズと紅茶だけ・・・そうね?
 オリヴィア 夜には私、食欲がないの。
 マイケル もっと食べるようにしなくちゃ心配だよ、僕は。
 オリヴィア(台所に入りながら。)自分で料理したものが食べにくいの。それが問題。そのくせいくらでも食べてしまう。ここへ来てから体重、五ポンドも増えたのよ。
 マイケル それは食べたせいじゃないよ。
 オリヴィア(台所から再び登場。別のタリーンとパンを持って来る。)じゃあ何のせいかしら。心の正しさ? そうね、そうかもしれない。さ、オムレツ、ちゃんと作ったんだから、食べてね。(マイケル、食べ始める。)デイトってどこ?
 マイケル フォーラムで映画を見るんだ。
 オリヴィア 誰と?
 マイケル(陰欝に。)シルヴィア。
 オリヴィア シルヴィア・ハート? あの子とはとっくに終わったんじゃないの? そう思ってたけど。
 マイケル(佗びしく。)僕もそう思ってたんだ。だけどあんな風に電話をかけて来られて、さんざん謝られたんじゃ、またやりなおして見ようって気になっちゃうんだ。(深い溜息。)
 オリヴィア それにしては嬉しそうじゃないわね。
 マイケル うん、それがね・・・その電話をかけてきた理由が、ただスパーキー・スティーヴンスが休みでいなくなって、ビル・エヴァンズもそうで、誰もどこかへ連れて行ってくれる男がいなくなったからなんだ。
 オリヴィア(お茶用の布を持って台所へ入りながら。)そう。役所の女の子はどうなの?
 マイケル ああ、それが駄目なんだ。九十人もいるんだけど、一番若いのが二十八歳。
 オリヴィア(台所からまた出てきながら。)可哀相に。そんな年で働いているのね。不思議だわ。
 マイケル(「労組」を読みながら。)凄いな、ラスキーの論文が出てる。好きだな、僕は、彼が。お母さんは?
 オリヴィア(曖昧に。)知らないわ、その人。
 マイケル 知ってる筈だよ、お母さん。先月号にも載ってて、お母さんに僕は読むよう薦めた筈だよ。「貿易不均衡と輸出の問題」
 オリヴィア(聞いていない。)ああ、そうだったわね。
 マイケル これもあとで読んで貰うよ。あ、そうそう、お母さんの「タトラー」が来たよ。(マイケル、長椅子からオリヴィアに、紙袋に入った雑誌を渡す。)
 オリヴィア あら、今月号も? ジョウンて優しいわ。まだ忘れてない。
(間。この間にオリヴィア、紙を開けて「タトラー」を出す。)
 マイケル えっ、驚いたな。知ってた? 一九二六年、イギリスの未経験労働者の平均賃金は、たった二十八ポンド三ペンスだったんだ。
 オリヴィア あらまあ、ローラ・ライド・デイヴィスったら。この髮何?
 マイケル(くすくす笑う。)相変らずいかすなあ。また政府を徹底的にやっつけてるぞ、ラスキーの奴。
 オリヴィア サイロがまた開店したのね。知らなかった。お前、知ってた?
 マイケル 何? ああ、知らなかったよ。
 オリヴィア お前どうしたの? 早くオムレツを食べて。冷めちゃうわよ。
 マイケル もう終りだ。有難う。
 オリヴィア そんなに酷い味だった?
 マイケル いや、おいしかったよ。ただお腹がすいてなくて。それだけだ。
 オリヴィア(皿を取りにテーブルに進みながら。)ラジオの料理番組で言ってた通りに作ったつもりなんだけど。私、うまくいったためしがないわ。(台所に行く。)耐乏用ケーキっていうのを作ってみたけど、膨らまなくって。缶詰でも開けなきゃ駄目だわ。いつか乾燥卵じゃない本物の卵でやってみる。それならちゃんとできる筈。(果物の皿を持って戻って来る。)
 マイケル 有難う、お母さん。(再び食べ始める。本から目を離さずに。)へえー、こいつは面白いや。
(オリヴィアはタトラーに戻る。)
 マイケル(読む。)「政府の赤字政策により一九三一年には人為的な不況を生ずることになったが、これは戦時の対インフレーション経済政策により、一箇月以内に完全に解消される見込みである。」
 オリヴィア(鋭く。)まあ!
 マイケル どうしたの?
 オリヴィア 何でもないの。ただちょっとタトラーに・・・
 マイケル 何?
 オリヴィア たいしたことじゃないの。
 マイケル ちょっと見せて。(オリヴィアに進みより、その肩越しに読む。)「サー・ジョン・フレッチャーとその美人妻、サイロ再開にあたり来店。妻にジョークを一言。」へえー、あの人だよ、これは。
 オリヴィア そうよ。それでいいんでしょう。まだ仲が良かったのよ。もとの鞘に収まればいいの。そうすれば万事うまく行くの。さ、早く食べて。遅れるわよ。
(マイケル、テーブルに戻る。オリヴィア、また写真を眺める。)
 オリヴィア あらあら、この人まだあの馬鹿な帽子を被ってるわ。ほら、この間お前が連れて来た時に被っていたあの帽子。
 マイケル 素敵な帽子じゃない。お母さんだってあの時態々そう言ったじゃないか。
 オリヴィア それは言ったわ。あんな馬鹿なものに執着している時には、何か言ってやるか、ぷっと吹き出すか、どっちかしかないのよ。可哀相に。この顔、何かに似ているわ。そうそう、苛々している牝の孔雀ね。(写真をよく眺めて。)ジョンは本当に写真うつりが悪いわ。
 マイケル そのうつりはいいと思ったがな。
 オリヴィア いいえ、酷いわ。実物はこれよりずっといいのよ。見出しは何だったかしら。「妻にジョークを一言」そうね、この帽子をからかってジョークを一言ね。
 マイケル お母さん、気にしないで。
 オリヴィア 気にしてなんかいません。私には何の関係もないことなの、これは。のこのこ出かけて行って皆の笑い者になればいいのよ。
 マイケル でもそれを言うぐらいは気になっているんだね?
 オリヴィア(野菜の入ったタリーンを二つ取って台所に運びながら。)そんなことが気になる暇が私にあると思う? お前に食べさせて、このアパートをきちんと掃除して・・・他にいっぱいやることがあるの。自分が幸せかどうかなんて、考える暇もないわ。(挑むように。)いいえ、私、この三箇月、完全に幸せだったわ。
 マイケル(強く。)えっ? それ、本当?
 オリヴィア(台所から戻ってきながら。)本当に決まってるでしょう。良心に曇りがないせいね。オムレツは食べられたものじゃない。ケーキを作っても膨れてはくれない。でも、なんとか努力しているわ、私。誰かさんとは大違い。サイロで妻にジョークを一言。ドーチェスターで幸せな気分! 自分達がどれだけ馬鹿かって分かっているのかしら。お前の新聞には何か書いてある? これについて。
 マイケル(喜んで。)ああ、ラスキーは言ってる。新しい世界では、みんなが額に汗して働くんだ。そうでない奴は弾き出されるんだってね。
 オリヴィア その通りよ。
 マイケル ラスキーの意見だと、あいつらもう完全に終りだ。自分じゃそれに気付いていないが、って。
 オリヴィア(熱を込めて。)その通りよ。世の中から弾き出されればいいのよ。あんな人達みんな。その記事どこ? 読まなくっちゃ。
 マイケル(熱心に薦める。)「インフレーションと賃金の均等化」に出てたな。あ、ここだ。
 オリヴィア(少し意気挫けて。)ああ、そうね。じゃ、ベッドで読むことにするわ。(椅子から自分のハンカチを取り、また台所へ行く。)
 マイケル ここでたった一人いて時々退屈にならない?
 オリヴィア(台所から。)いいえ、そんなじゃないけど。どうして?
 マイケル どうかな、と思って。下にダンガーフィールドっていう人が住んでいるよね。あの人、ここに上がって来ることない?
(マイケル、使った皿を台所に運ぶ。)
 オリヴィア ミスター・ダンガーフィールドね。来るわ。お前が出かけて行くとすぐにね。それにお前が玄関の鍵をしめ忘れるもんだから入って来るの、簡単なのよ。
 マイケル あの人のこと、好きじゃない?
 オリヴィア(台所から出てきながら。)大嫌い。
 マイケル そいつは残念だな。
 オリヴィア 何が残念なの?
 マイケル 僕は考えたんだ・・・その、あの人、いろんな点でいい人だし・・・最近退職して年金も相当貰える身だし・・・
 オリヴィア(テーブルクロス類を畳み、それを引き出しの中に入れながら。)どうやらお前、あの人と私を結婚させたいようね。勿論善かれと思ってのことでしょうから怒りはしませんけどね、これだけははっきり言っておきます。そんなことをしても無駄。あんな退屈な馬鹿。何だって言うの!(引き出しをばたんと締める。)
 マイケル そう。
 オリヴィア シルヴィアに会うの、遅くならない?
 マイケル(片手を胃にあてる。まるでシルヴィアと名前を聞いて痛みでもしたよう。)そうだ、そろそろ用意しなきゃ。
 オリヴィア その子のこと、好きなの?
 マイケル 好き、以上だな。
 オリヴィア(マイケルに近づいて。)まあ、じゃ、愛してるっていうこと?
 マイケル 時々はね。時々は違うけど。
 オリヴィア 今、この瞬間は?
 マイケル 愛してる時だな。
 オリヴィア まあ、マイケル、可哀相に、お前!(両手でマイケルの顔を挟む。)あちらの方もお前を?
 マイケル それは大違いだ。もっともあいつは誰のことも愛しちゃいない。それから僕は彼女の好きな順番から言うと、五、六番目だ。僕には彼女をサヴォイに連れて行く余裕はないからね。
 オリヴィア そんなことを聞くと、その子、素敵な人のようには思えないけど。どうしてそんな子がいいの?
 マイケル(陰欝に。)男ってのは、そういう感情にはどうしようもないんだ。
(マイケル退場。)
 オリヴィア それはそうよね。
 マイケル(舞台裏で。)お母さんと一緒に外出したいんだ、そりゃ。・・・だけど・・・
 オリヴィア(机の方に進みながら。)分かってるわよ。いいわよ、マイケル。
 マイケル(舞台裏で。)いつもお母さん一人残して出かけるの、悪いんだけど・・・
 オリヴィア それはいいの、マイケル。私、一人で出来る趣味で素晴らしいことをやり始めたの。タイプライターの練習。お前のタイプで。
(オリヴィア、緊張の表情でタイプの前に坐る。)
 マイケル(舞台裏で。)まさか。本当に始めたの? そいつはいいや。
 オリヴィア ミスター・ラスキーは認めてくれるかしら。
 マイケル(舞台裏で。)そりゃ認めるさ。それに僕だって。
 オリヴィア(タイプしながら口に出して言う。)「だ、れ、で、も、こ、れ、だ、け、は、しっ、て、い、る・・・」打ち方本当によくなったのよ。お前だって驚くぐらい。ただY(ワイ)がうまく捜せなくて。それにこのベルの音がいいわね。タイピストってどのぐらい貰うの? マイケル。
 マイケル(戻って来て。)あまり多くないな、残念ながら。
 オリヴィア でも年とった時一人で食べていけるぐらいはとれるんでしょう? あらマイケル、その髮どうしたの? 全部下ろしちゃって。酷いわ、それ。
 マイケル お母さんは嫌い? これ。
 オリヴィア 嫌いだわ。あの子は好きなの?
 マイケル さあ、分からない。
 オリヴィア この髮、本当に酷いわ。(額にキスして、さっと後ろに体をひく。)マイケル! あなた、何をつけたの?
 マイケル つけたって?
 オリヴィア 何か匂いがするわ。何なの? これ。
 マイケル ああ、その・・・僕、オーデコロンを買ったんだ。いや、本物じゃない。まがいものなんだけど、匂いが似てるから。
 オリヴィア お前がそう思うならそれでいいのよ、マイケル。さ、今夜は十分におめかしをしたのね。あの子が感激してくれるといいけど。
 マイケル うん。そうだといいんだけど。いづれにしてもあいつとはもうはっきりと白黒を決めなくちゃいけないんだ。
 オリヴィア そうね。
 マイケル 今夜は必ずやるぞ。
 オリヴィア その意気よ、マイケル。そのオーデコロンでまづうっとりさせるのね。それからしっかりした調子で論陣をはるの。
 マイケル(心配になって。)うっとり? つけ過ぎかな?
 オリヴィア 大丈夫。冗談よ。いい匂い。さ、行って。ちゃんとやるのよ。
 マイケル 有難う、お母さん。じゃあね。
 オリヴィア じゃ、行ってらっしゃい。
(マイケル退場。)
(オリヴィア、机に進む。タトラーを取り上げ、見る。ダイアナ・フレッチャーの顔を真似る。タトラーを紙屑籠の中に投げ捨てる。台所へ行き、一つ二つ、物を食器棚に入れる。汚れた皿類を眺め、洗おうかどうしようか考え、放っておくことに決める。(訳註 これは台所の中でのことだが、観客からは見てとれる。)次に居間に入って来る。丁度タイピストとして働いているオリヴィアが、事務所に入る時にように。扉のところで「お早うございます、ミスター・ジョウンズ」と左手にいる紳士に挨拶。次に左手奥の紳士に「お早うございます、ミスター・ピーターズ」。それから中央に向かう。架空の質問に答えて「あら、遅刻でしたかしら? まさか。えっ? そうですか」と。それから机につき、非常に神経を集中させてタイプを始める。ほとんどは一本指で、時たま勇気を出して二本指で。)
(玄関から音もなくジョン登場。ひどく息を弾ませているが、音はさせない。呼吸が収まるのを待つため、壁に 寄りかかる。その間オリヴィアの頭を後ろから見る。それから眼鏡を取り出し、かけ、オリヴィアの後ろへ爪先立ちで近づき、肩越しにタイプライターの紙を眺める。)
 ジョン(読む。)「誰でもこれだけは知っている。」
 オリヴィア(ぎょっとなって。)ジョン!
 ジョン 「ダイアナ・フレッチャーが馬鹿なあばずれだっていうことを。」おやおや、これはこれは。
 オリヴィア ジョン! 出て行って。すぐに出て行って!
 ジョン まづちょっと息をつかせてくれないか。家(うち)に来るには登山用の杖が必要だと、来客には予め知らせておいてくれなきゃ。
 オリヴィア どうやって入って来たの。
 ジョン どうやるもこうやるも、玄関からだけど。
 オリヴィア(立ち上がりながら。)本当に馬鹿な子。また玄関に鍵を締めなかったんだわ。出て行って、ジョン。ミスター・ダンガーフィールドを呼んで摘み出して貰うわよ。
 ジョン ダンガーフィールド? 誰だい? そりゃ。
 オリヴィア 下の階に住んでいる人。牛みたいに強いんですからね。
 ジョン うん。それは呼んだ方がいい。どうも運動不足ぎみなんだ、このところ。
 オリヴィア(嘆願する口調。)ジョン、お願い。出て行って。あなた、私に、神かけて誓った筈よ。もう決して私に会おうと努めることはしないって。
 ジョン そうなんだ。僕はそんな誓いをしてしまったんだ。ね?
 オリヴィア そうよ。そうなの。だから恥を知りなさい。
 ジョン うん。恥を知ってるよ。
 オリヴィア じゃ何故出て行かないの。ここにいる時間がちょっとでも長くなればそれだけあなた、不利になるの。分かってるでしょう?
 ジョン うん。不利になる。余計不利になる。
 オリヴィア いいですか。あの部屋にはマイケルがいるんですからね。
 ジョン いや、マイケルはいない。三十分もあのパフィンズ・コーナーで車の中からじっと彼が出て行くのを待っていたんだから、それは大丈夫だ。なかなかスリルがあるものだね。ギャング映画みたいだった。僕の運転手だな、しかし、一番好奇心をかきたてられたのは。国際スパイ団の巣を見張ってるんだ、なんて言ったんだから。
 オリヴィア あの子は角を曲がった所に煙草を買いに行ったんですからね。今すぐにでも戻って来るわ。
 ジョン それは違うな。ガールフレンドと映画を見に行ったんだ。・・・ミス・シルヴィア・ハートとね。何時間も帰って来ることはないよ。
 オリヴィア どうしてそんなことを・・・
 ジョン マイケルはね、戦車製作省に務めているんだ。つまり僕の省にね。
 オリヴィア 酷いわね、ジョン。あなた大臣なのよ。それが何? 小さな子供の動静をスパイするなんて。それもその母親がいつ一人になるか調べるために。呆れたわね、実際。
 ジョン その点はさっきもう言ってる。僕は実に恥ずかしい。穴があったら入りたいよ。
 オリヴィア ちっともそうは見えないわ。
 ジョン 大臣ていうものはね、自分が恥じていることを外から見抜かれるようじゃ勤まらないんだ。ああ、オリヴィア。君に会えて僕は本当に嬉しいよ。君、前よりちょっと肥ったんじゃない? それとも僕の気のせいかな。
 オリヴィア 肥ったりするもんですか、痩せたぐらいよ。
 ジョン 痩せようが肥ろうが、どっちだって君には似合うよ。(辺りを見回して。)なかなかいい部屋だよ、これは。
 オリヴィア 身内の人間が言うようなことは言わなくてもいいの。まだよくしつらえてないのは分かってるの。
(ジョン、台所の扉に進み、扉の前に飾ってある二本のオールを見る。)
 ジョン これで充分立派なものだ。(オールに書かれているものを読む。)「J・F・ブラウン、ガイズ病院、ボート部。一九二二年より一九二三年まで主将を務む。」なかなかいい。
 オリヴィア(怒って。)他にどこに置いたらいいって言うの。
 ジョン いや、ここでいいじゃないか。ここが一番似合うよ。(ソファを指さして。)ここがソファになるんだね。(シッカートの絵が暖炉の上にあるのを見つける。)ははあ、シッカートはここに来たか。なるほど。
 オリヴィア 私のなんですからね、それは。額はあなたのだった。だからそれは外してきたでしょう?
 ジョン(静かに。)うん、確かに君は額を外して行った。(またジョン、笑い始める。)
 オリヴィア 何を笑ってるの。
 ジョン そのエプロンだよ。
 オリヴィア エプロンがどうかした?
 ジョン いや、何でもない、何でもない。ただエプロン姿の君ってのは見たことがなかったもんだから。いや、よく似合ってるよ。
 オリヴィア そう言うだろうと思った。だからつけたことないのよ。
 ジョン そうらしいね。
 オリヴィア(怒って。)あなた、私を揶(からか)いに来たの。
 ジョン 違う、違う。揶うなんて、それは違う。
 オリヴィア そうよ。そうに決まってる。このアパートを笑って、(オールを指さして。)あれを笑って、シッカートはちゃっかり持って来たなって非難して、私が樽のように肥ったって揶って、あげくの果てに、このエプロン姿を笑うの。いい? ジョン、このエプロンはね、私が誇りに思っている着物なんですからね。
 ジョン それはそうだろう。僕にはちゃんと分かってるよ。
 オリヴィア 分かってるもんですか。あなたには何も分かってはいないの。あなた、それにあなたの階級の人達・・・そういう人達に分かる訳がないでしょう? 私がやっと自分で自分の道を切り拓くことが出来た、この素晴らしい気持ちが。あなたの階級の人達、それはね、ジョン、もう終りなの。完全に終り。新しい世界ではあの階級は・・・このあとの表現はあなたがよくご存じの筈よ。
 ジョン 籾殻のように吹き飛ばされる。
 オリヴィア 違ったわ。吹き飛ばされるんじゃなくて・・・
 ジョン 弾き出される?
 オリヴィア(勝ち誇ったように。)そう、それよ。弾き出されるの。あの階級の人達、全員。月刊「労組」に何て書いてあるか読んだらいいのよ。ほら、あの何とかいう人の書いた記事を。
 ジョン イヴォール・モンタギュー?
 オリヴィア 違う、違う。
 ジョン パーム・ダット?
 オリヴィア 違う、違う・・・何とか教授。
 ジョン ラスキー?
 オリヴィア そう。ラスキー教授。新世界について彼がどう言っているか、読むべきなのよ。
 ジョン 僕は読んでる。
 オリヴィア 読んでいる?
 ジョン うん。かなり有効な議論だ。僕が賛成する論点も多い。但し金融問題に関しては彼とは僕は意見を異にする。この点に関する君の意見はどうなのかな。
 オリヴィア(涙が出てきそうになる。)私の意見ですって? 勿論私、ラスキー教授の意見に賛成よ。
 ジョン そう? しかし、インフレーションの惰性に必ず揺り返し、反動があるんだが、この点で彼の論点はどう正当化されるんだろう。
 オリヴィア(いよいよ涙が出そう。)インフレーション、惰性、揺り返し、反動・・・私がこんなこと知ってる訳がないでしょう、ジョン。あなたよく知ってる筈よ。とにかくそんなこと、私のエプロンに何の関係があるっていうの。どうぞ、どうぞ出て行って、ジョン、ウエスミンスターに。ミシズ・フレッチャーのところへ帰って。あの人あなたを両手を拡げて待っている筈よ。・・・(オリヴィア、ジョンから後ずさりしながら離れる。)
 ジョン(オリヴィアの方に進んで。)何の話だい? それ。
 オリヴィア スパイが出来るの、あなただけだと思ったら大間違いよ。
 ジョン まさか君、僕が本当にダイアナのところへ帰ると思っているんじゃないだろうね。
 オリヴィア 帰ろうと帰るまいと私の知ったことじゃないわ、ジョン。私はあなたとはもう終わったの。分かるでしょう? もうあなたとは永久に終りになったのよ。
 ジョン 本気で言っているのかい? それを。
 オリヴィア 当たり前よ。私、もう決めたの。もとには戻らない。だからもうこんな風にひょっこり現われるなんてしないで下さると嬉しいわ。
(間。ジョン、どうすることも出来ない。ジョン、煙草を求めて暖炉の方へ進む。)
 オリヴィア 煙草なんかそこにないわよ。どこかの人達とは違って、家のあちこちに煙草をばらまいて置く身分じゃないんだから。
(オリヴィア、エプロンのポケットからくしゃくしゃになった箱を取り出し、その中から一本取ってジョンに渡す。)
 ジョン 有難う。
 オリヴィア でもそれを吸い終えたら出て行って。永久に。分かったわね。
 ジョン 分かった。
(オリヴィア、じっとジョンの髮の毛を見る。)
 ジョン どうかした?
 オリヴィア この三箇月で随分白くなったのね。
 ジョン うん、白くなった。
 オリヴィア 働き過ぎ?
 ジョン そう。しかし、白くなったのは働き過ぎが原因じゃないな。
 オリヴィア(ピシャリと言う口調で。)何なの、それなら。サイロで夜更かしが過ぎたのね。
 ジョン オリヴィア、僕は君が出て行ってから一晩、それもその一晩だけ夜外出した。仕事の話でダイアナをサイロに連れて行ったんだ。
 オリヴィア 何の仕事かしら。
 ジョン 真面目な仕事だ。バートン・アンド・バージェスの件でね。
 オリヴィア あの人、あなたを相手どって、訴訟を起こしたって聞いたわ。
 ジョン そう。
 オリヴィア まさか譲って、払うことにしたんじゃないでしょうね。
 ジョン 君の意見はそれだったんじゃなかった? 不愉快なことがそれで避けられるなら・・・と言って。覚えていないかな。
 オリヴィア とにかくそんなこと私には何の関係もないわ、ジョン。あなたの人生なんですし、好きなように破産でもすればいいの。
(間。)
 ジョン オリヴィア、僕と結婚してくれないか。
 オリヴィア 何ですって?
 ジョン 僕と結婚してくれないかって言ったんだけど。
 オリヴィア 何? それ。どうして? どういうこと?
 ジョン 僕は大臣を辞めたんだ。
 オリヴィア ジョン! まさか私のためじゃないでしょうね。
 ジョン いや、それは違う。誓ってそれは違う。僕は辞めさせられたんだ。
 オリヴィア そんな! そんな酷い話って! 駄目よ、ジョン。
 ジョン いやいや、同情はいいんだ。勿論気持ちは嬉しいけど。僕の仕事は終わって、戦車製作省も廃止になったんだ。今から十分前のことだよ、大臣の席を離れたのは。
 オリヴィア 首相は好意を持ってあなたを・・・?
 ジョン そう。それは。
(ジョン、胸のポケットから長い葉巻を取り出す。)
 オリヴィア そうだったの。新しい戦車が成功したのね。
 ジョン そう。成功した。
 オリヴィア そうよ。私、最初から分かっていた。あんな意地悪な閣僚の発言、あんなことみんな嘘に決まってるって。他に首相はどんなことを?
 ジョン その話はまた別の時にしたいな。今は違うことで頭がいっぱいなもんだから。僕は君に結婚を申し込んでいるんだ。
 オリヴィア ジョン、あなたには妻があるのよ。
 ジョン あれは離婚に同意したよ。
 オリヴィア どうして分かるの?
 ジョン ちゃんと約束を取付けたんだ。
 オリヴィア バートン・アンドバージェスの件で? あなたって本当に狡い狐ね。老練な。動機なしに物事をするって決してないのね。油断も隙もないわ。
 ジョン 結婚してくれないか。
 オリヴィア 出来ないって分かってるでしょう?
 ジョン どうして?
 オリヴィア 理由は分かっている筈よ。
 ジョン まだマイケルが?
 オリヴィア そう。まだ。
 ジョン 反対する権利など彼にはない筈だぞ。
 オリヴィア 権利は関係ないの。相変らずあの子かあなたかどっちかなの。そして残念なことにあの子はあなたが大嫌い。
 ジョン 僕はあいつが大嫌いだ。
 オリヴィア そんなこと言わないで!
 ジョン(立ち上がりながら。)言わないでって言っても、本当なんだから仕方がない。我々二人の人生は、あの少女趣味の、道徳マニヤのお陰で真二つにされたんだ。あのエディプス・コンプレクスの塊(かたまり)、芝居気たっぷりのミスター・ハムレットにね。
 オリヴィア あの子にレッテルをつけて罵っても何の役にも立たないわ。
 ジョン 僕には役に立つんだ。すっきりする。彼の今の役どころは? ウッドリー?(これは不明。)それともフルハムの狂ったカサノヴァっていうところかな。
 オリヴィア そう。じゃ、プロポーズがここへ来た目的っていうことね。
 ジョン そう。それが、僕がダウニング・ストリート・十からパフィンズ・コーナーへ足を運んだ理由だ。
 オリヴィア じゃ、どうしてそれを最初から言わなかったの?
 ジョン 最初から言うには勇気が足りなかった。
 オリヴィア イエスという答えが返って来ると思っていたのね。何故?
 ジョン 三箇月バロンズ・コートに住んで、君の鉄の意志も少し緩んだかもしれないと・・・無理かもしれないと少しは思ったが・・・
 オリヴィア 鉄の意志じゃないの、これは。本能が命じているの。三箇月ここに暮らして、その本能は同じ方向を強く示しているわ。ちっとも弱まっていない。私はここで幸せなの。
 ジョン 僕と一緒の時は幸せじゃなかったのかい?
 オリヴィア それが何の関係があるっていうの?
 ジョン 知りたいんだ。それだけだよ。
 オリヴィア 勿論私、幸せだったわよ、ジョン。栄光ある幸せ。それはあなたもよく知っている筈。でもマイケルの言っていたことは正しかったわ。あの幸せは砂上の楼閣なの。ああいう生活を続けていたら、新世界が来た時私どうなると思って?
 ジョン いいかい、オリヴィア。僕は明日フレッチャー財団を辞職する。全財産を・・・そう、月刊「労組」に寄付する。ベスナル・グリーンの十階建のアパートに住む。エレベーターもソファも電話もないアパートに。君とマイケルの新世界に合わせるためなら何でもやる。
 オリヴィア(たまらなくなって。)駄目よ、ジョン。それでも駄目。あなたは新世界なんか大嫌いなのよ。
 ジョン 僕は君が欲しいんだ、オリヴィア。君を手に入れられるなら、古い世界だろうが、新しい世界だろうが、中古の世界だろうが、地獄だろうが、構いはしない。全く、何の、ほんの少しの望みもないんだろうか。
 オリヴィア マイケルが一緒にいる限り、全く、全然。
 ジョン 今のあの女とマイケルが結婚したら?
 オリヴィア ありえないわ、そんな馬鹿なこと。マイケルは若すぎるし、それに相手の子はとんでもない跳ねっ返りなのよ。
 ジョン 彼は愛しているのかな。
 オリヴィア 愛していると思っている様子ね。
 ジョン 女の方がつれないっていうことかな?
 オリヴィア それはひどく。可哀相なマイケル。
 ジョン(嬉しそうに。)いい気味だ!
 オリヴィア そんな風に意地悪になるの、似合わないわ、あなたに。
(間。)
 ジョン もう行った方がいいな。(この時までにソファから帽子を取っている。)
 オリヴィア ええ。何か飲む物を出したいんだけど・・・
 ジョン だけど・・・置いておくだけの余裕がない・・・分かるよ。
 オリヴィア 薬箱に慥かウイスキーを入れておいた筈なんだけど・・・
 ジョン 大丈夫。全然飲みたくはないんだから。僕は明日カナダに発つよ、オリヴィア。
 オリヴィア カナダへ?
 ジョン うん。
 オリヴィア まあ。長いこと?
 ジョン うん。かなり。
 オリヴィア 分かった。もう帰って来ないつもりなのね。そこに腰を落ち着けて、いつか結婚するのね?
 ジョン 二度と結婚する気はないよ。
 オリヴィア するわよ、あなたは。今度はダイアナみたいな人は止めるのよ。
 ジョン 僕がどうなったって知るもんか、じゃなかったのかな。
 オリヴィア やっぱり気になるんだわ、少し。
 ジョン 君、これから先、大丈夫?
 オリヴィア 大丈夫、私のことは。心配いらないわ。
 ジョン 本当に幸せを祈っているよ。
 オリヴィア 私の方もよ。
(二人、歩みよる。)
 ジョン さようなら。(急に回れ右をする。)
 オリヴィア 今からどこへいらっしゃるの? 家にお帰り? ウエスミンスターの。
 ジョン うん。少しやることがある。
 オリヴィア(扉の方へ進んで。)夜更かしは駄目よ、ジョン。夕食も取らないつもり?
 ジョン 夕食なんか、そんなもの。
(ジョン、退場。)
(オリヴィア、ソファに戻り、泣き始める。間の後、ジョン、戻って来る。)
 ジョン ね、オリヴィア、君が一緒なら僕は夕食を食べてもいいんだけど。
 オリヴィア いけないわ、それは。ひどく不道徳よ。
 ジョン 僕の台詞をよく聞いたろ? 僕は「か何か」って言わなかったよ。
 オリヴィア それがなくっても・・・不道徳だわ。
 ジョン ね、行こうよ、オリヴィア。これが最後の食事になるんだよ。(間。)結婚のことは口にしないよ。約束する。
 オリヴィア それから、マイケルのことも?
 ジョン うん。マイケルも。
 オリヴィア それなしで話題あるかしら。
 ジョン(熱心に。)ほら、新しい戦車の話があるじゃないか。それに首相が僕にどう言ったか、あれが。
 オリヴィア そうだったわ。私、どうしてもそれは聞きたかったんだわ。どこにする?・・・もし行くとしたら。
 ジョン サヴォイ?
 オリヴィア 駄目よ、ジョン。サヴォイは駄目。もしどこかに行くとしたら、私、こじんまりした好い所を知ってるわ。バロンズ・コート駅の近く、アントワンヌ。フランス料理よ。
 ジョン たしかに名前はフランス風だ。
 オリヴィア 静かなの。値段にしてはいいものを出すのよ。
 ジョン 好さそうじゃない。
 オリヴィア ええ。
 ジョン じゃ、決まりだ。
(オリヴィア立ち上がり、扉の方に進む。ジョン、後に従う。)
 オリヴィア あ、洗い物があったわ。でもいい、帰ってからにすればいいわ。これが最後の夕食なんですもの。いい? ジョン、約束は守って下さるのよ。新しい戦車、首相の話、だけ。結婚、駄目。マイケル、駄目。いいわね?
(ジョン、胸で十字を切る。)
 オリヴィア いいわ。じゃ着替えてきます。すぐ済ませて来るわね。
(オリヴィア退場。ジョン、部屋を見回す。それからラジオをつける。上着を脱ぎ、台所に行き、食器棚にかかっているエプロンをつけて、洗い物を始める。)
(マイケル登場。辛そうで不機嫌。帽子、手袋、月刊「労組」をベンチに投げ、自分の部屋に入ろうとする。その時ラジオが鳴っているのに気付く。戻ってラジオを消す。再び自分の部屋の扉まで来た時、ジョン、台所の扉から頭を出す。)
 ジョン ああ、早かったね、マイケル。
 マイケル(一瞬驚きで口がきけない。)ええっ? 一体こんなところで何をしてるんです?・・・
 ジョン 洗い物だよ。
 マイケル そりゃ分かってるけど、ここにいるっていうことからして一体どうなってるんだ。(マイケル、台所の方に進む。)
 ジョン 君のお母さんに結婚を申し込みに来たんだよ、マイケル。
 マイケル えっ? 結婚を? 申し込みに?
 ジョン そう。
 マイケル で、もう会った?
 ジョン うん。
 マイケル 答は?
 ジョン 「ノー」だったね。
 マイケル それは良かった。
 ジョン しかしね、マイケル、断わられたことで、一つだけいいことがあるんだ。今まで厭でしようがなかったんだが、これからは君に礼儀正しくする必要がないってことだ。気をつけた方がいいぞ、君、今度何か僕に気にいらないことがあれば、泣く嵌めになるのは僕じゃなく、君なんだからね。
 マイケル ということは、・・・アパートに住んでいる人間を、その場で襲うつもりなのかな。
 ジョン 違うな。ズボンのベルトをひっ掴んで、六階から一階へ引きずりおろす。そしてそのアパートの真ん前、舗道の上で、叩きのめすんだ。
 マイケル(少し心配そうに。)それだと六箇月は食らうな。
 ジョン(優しく。)六箇月! 随分甘く見積ったもんだ。この僕の君への気持ちを考えれば、首を吊られたって構いはしない。
 マイケル そうだ。今は分かるな、その気持ち。前は分からなかったけど。
 ジョン 分かってくれて嬉しいよ。
 マイケル だけど、態々野蛮人になる必要ないんじゃないかな、僕達。僕はあなたが嫌い、あなたは僕が嫌い、これはしようがない。だけど、だからと言って、野生の猿みたいにいがみ合う必要はない筈でしょう?
 ジョン それはないだろう。しかし僕が本気になって怒れば、簡単に野獣になる。猿にでも何にでも。これは覚えておいて欲しい。
 マイケル 大丈夫です。負けっぷりのよさを示して下さっています。僕も勝って誇らずの態度で臨むつもりです。どうぞお坐り下さい。
 ジョン 今、何て?
 マイケル どうぞお坐り下さい。
 ジョン(テーブルの上手にある椅子に進んで。)有難う。
 マイケル ソファの方にどうぞ。その方がゆったりします。
 ジョン(坐りながら。)ここで充分ゆったりだ。有難う。
 マイケル(回りを見ながら。)まだよくしつらえてないので、この部屋。
 ジョン 今君、何て言った?
 マイケル まだこの部屋、よくしつらえてないので。
 ジョン うん、そう言ったようには聞こえたんだが、あまりお母さんにそっくりな台詞だったのでね。
 マイケル ああ、そうですか。で、どうですか? この部屋。
 ジョン ここ? うん、なかなかいいよ。
 マイケル ああ、いい訳ないんだ。礼儀を守ってるだけなんだ。ああ、酷い所でしょう? ここ。
 ジョン それがどうしたっていうんだい? たとえそうであったにしろ。
 マイケル(坐りながら。)不便なんだ、ものすごく。エレベーターはないし・・・僕は引越を考えてる。本気で。
ジョン ああ、引越。どこに?
 マイケル モンペリエ・スクエアーに小さいアパートがあるのを見つけた。一階が空いてた。アダムズィズ・ハウス。
 ジョン アダムズィズ?
 マイケル 本当はアダムズなんだけど。母が僕を揶(からか)って。母は入れるとは思っていないもんだから。
 ジョン 君は入れると思ってるんだね?
 マイケル ええ。あの程度の所に入れない訳がない、と。・・・何か飲み物を出しましょうか。
 ジョン 飲み物なんか一滴もないって、お母さんは言ってたけど。
 マイケル(立ち上がって尻のポケットから瓶を取り出す。そして台所へ行く。)母が知らないことなんか山ほどありますよ。唯のジンで。それに酷い代物の筈ですけど。とにかく僕は、女の子をこれでもてなそうと思ってた。彼女が来てたとしたら、飲み物はこれしかなかった。
 ジョン なるほど。それで彼女はどうなったんだい、マイケル。今時分はまだ二人で映画館にいる筈じゃなかったのかい?
 マイケル(舞台裏で。)ああ、喧嘩です。二人で映画館について出し物を見たとたん、見たくないって言い出して。
(マイケル、ジンを二つのグラスに注いで持って来る。)
 ジョン なるほどね。で、出し物は?
 マイケル マクシム・ゴーリキーの生涯、第六部。
 ジョン なるほど。
 マイケル すごくいい映画なんだ。僕は二回見た。でも、あなたは好きじゃないと思う。
 ジョン 何故?
 マイケル 反ファシスト的なんだ、すごく。(気まずい間あり。マイケル、体を少し後に引く。それからグラスを上げて。)じゃ、乾杯!
 ジョン 乾杯!
(二人、少し飲む。マイケルは明らかにこの味に慣れていない。咳をして、奇妙な表情をする。ジョンの表情から、このジンがかなり強いものであることが分かる。それからちゃんとしたジンの味でもなさそう。)
 マイケル(軽蔑の口調。)女の飲み物だ!
 ジョン 賛成だね。
 マイケル これでちゃんとしたジンですか?
 ジョン うん、かなりいいものだね。
 マイケル それはそうでなきゃ。僕は十六シル四ペンス払ったんだから。闇市で。
 ジョン(呆れて。)闇市で?
 マイケル ええ。勿論そんなもの、僕は認めちゃいない。でも・・・彼女がジンが好きなので・・・
 ジョン その彼女っていうのを少し説明して貰えないかな、マイケル。
 マイケル シルヴィア・ハートを?
 ジョン うん。美人なのかな?
 マイケル(陰気に。)世界中で一番の美人。女優なんだ。
 ジョン ほほう。で、何に出てる?
 マイケル 今何かに出てるってことはないんだけど。分かりますよね、僕の言ってること。とにかく今舞台には出ていない。
 ジョン そうか、役者以外での大活躍ってやつだね?
 マイケル 演劇学校を出たばかりで・・・
 ジョン まだ役が回って来ない?
 マイケル ええ。あの有名な役者のコルダに先週会えそうだったって。それからあとは僕なんかまるで子供扱いですよ。ああ。たった一度だけ僕を人間並みに扱ってくれた時があったなあ。彼女をオッデニーノに連れて行った時です。
 ジョン じゃあ、そこにまた連れて行けばいいじゃないか。
 マイケル そんな余裕が・・・
 ジョン ああ。
 マイケル それにスパーキー・スティーヴンスはサヴォイに連れて行くんだから。
 ジョン じゃ、今夜も二人はそこかな?
 マイケル まづそうですね。勿論明日になれば彼女は嘘をつくに決まってますけど。真っ赤な。それでまた僕には何が何だか分からなくなる。
 ジョン 僕が確かめてみるっていうのはどう?
 マイケル それはもう。出来れば。
(ジョン、電話器の方へ進む。)
 ジョン このスパーキー・スティーヴンスっていうのは、肩書きのある男なのかね。
 マイケル ええ。空軍中尉です。この空軍ってのがまた彼女の好みで。最近なんですよ、彼が現われるようになったのは。
 ジョン それでこのギンギラギンの空軍中尉殿はどんな衣装を身につけているのかな。(電話のダイヤルを回しながら。)
 マイケル 緑色の制服、カラーには何とか言った、赤い物がついている。
 ジョン (受話器に。)レストランのミスター・ゴンドルフォを。(マイケルに。)彼女の目印は? 頭に何か?
 マイケル ベールみたいなものを天辺にピンで止めてあります。
 ジョン(受話器に。)ああ、ミスター・ゴンドルフォ? こちらはジョン・フレッチャーだ。ちょっと教えて貰いたいんだが、今夜空軍中尉スパーキー・スティーヴンスとかいうんだが、彼、予約しているかな?・・・え? 今入って来た?・・・若い婦人と?
 ジョンとマイケル(同時に。)緑色の制服、カラーには何とか言った赤いものがついてる?
 ジョン ああ、どうも有難う、ミスター・ゴンドルフォ。いや、今夜は行かない。他で食事なんだ。・・・じゃ。(電話を切る。)どうやら君の予想は何もかもピタリのようだな。
 マイケル(陰気に。)全くあの女らしい。そうですね?
 ジョン ミス・シルヴィア・ハートが何者か、君から聞いた後では、そうだねと答えるしかないな。
 マイケル 仕返しにどういうことをするもんでしょう、こういう時には。
 ジョン 仕返しなんてあり得ないんじゃないかな、マイケル。僕自身の経験から言うとね。よりによってこんなシルヴィア・ハート流の女に引っ掛かるような不幸に会ったら、やることは一つだ。じっと後ろに引き下がって、何が起きてもただ耐えて、過ぎ去るのを待つんだ。(ジンをまた少し飲む。以前と同じ効き目があったことがジョンの表情で分かる。)
(間。)
 マイケル ご自分の奥さんの話なんですね? それ。彼女にもスパーキー・スティーヴンスがいたんですか?
 ジョン(苦い思い出。頷いて。)名前は違ったがね。ルーピー・バックリッジ。
 マイケル(興味を惹かれて。)その人、口髭は?
 ジョン あったね。ふさふさした、柔らかい毛の・・・近衛兵タイプのね。
 マイケル スパーキーもです。でかいやつ。空軍タイプの。
 ジョン それにしてもよく合ってるもんだね。そうだ、そのスパーキー君は、話の時よく狩猟の音を出さなかったかい?
 マイケル 飛行機の音です。
 ジョン 苛々するね、ああいう音は。そうだ、公衆の面前で逆立ちをしないか? そいつは。
 マイケル リジェント・パレスでバックテンをやったことがありますよ。
 ジョン シルヴィアは笑ったんだろうな。
 マイケル(苦々しそうに。)笑った? 金切声ですよ。キャーキャーキャーキャー。それからはいつもこの話題。
 ジョン(心を動かされて。)分かるよ、君。可哀相に。同情するよ。
 マイケル どうやってダイアナから逃げられたんですか。
 ジョン 僕は運がよかったんだ。あっちの方が逃げてくれたんだ。
 マイケル その時でも、どうやって好きだっていうのを止められたんだろう。
 ジョン その点でも僕は運がよかった。別の人を愛するようになったからね。・・・あれよりずっと、ずっといい。
(間。)
 マイケル(立ち上がって。)もう一杯如何ですか。(グラス二つを取って台所へ入る。)
 ジョン いや、僕はもういいよ、マイケル。
 マイケル(舞台裏で。)僕はもう少しだな。
 ジョン 僕が君だったら、止めとくがね。
 マイケル(舞台裏で。)そうだ、止めとこう。頭をはっきりさせておいた方がいい。
 ジョン 君の頭なんか、はっきりしようがしまいが、関係ないがね。
(マイケル、これが聞こえなかったか、あるいは無視することに決めたか。)
 マイケル 僕はあなたが母を愛したっていうことが全く信じられないんだ。
 ジョン どうもそうらしいね。
 マイケル ダイアナのようなところは何一つ母にはないんだから。
 ジョン 僕が愛したのはその点が一つ大きいだろうね。
 マイケル たとえそうだとしても何か少しおかしいよ。だって母はもう年寄なんだ。
 ジョン 僕だって年寄だよ。
 マイケル(部屋に入って来ながら。)だけど・・・だけどとにかく僕には信じられない、あなたが母を愛しているなんて。
 ジョン(熱心に。)ねえ、マイケル、君がこの部屋に入る。そしてほら、そこにシルヴィアがいたとする。君はその時どんな風に感じる? みぞおちのところをガンと殴られたような気がするんじゃないか?(ジョン、自分の胃のあたりを叩く。)
 マイケル ええ・・・まあ・・・そうです。
 ジョン そして彼女に話しかける段になると、まるでめちゃめちゃな事を言うんだ。
 マイケル ええ、だいたい・・・いつも。
 ジョン どもったり、赤くなったり・・・
 マイケル ええ。
 ジョン 夜になると、彼女がどんな顔だったか思い出そうとする。そしてやっと思い出した時、やはりここのところをガンと殴られたような気がするんじゃないか。それからあとは鳩が何羽もバタバタと・・・
 マイケル そう。そうだ。僕はそうだ。
 ジョン これが君の愛の兆候だ。そして年を言うと僕は君の倍以上だ。だから僕の場合君の倍以上になるんだ、君のお母さんを思う時。
 マイケル(一瞬説得されそうになるが、やっと持ちこたえて。)母の方はあなたに対してそんな感情はない筈です。
 ジョン どうしてそれが分かるんだ、マイケル。
 マイケル 僕には分かるんです。それで終りです。
 ジョン(立ち上がって。エプロンを外して。)分かったよ、マイケル。もうこれ以上は言わない。またこの話を持ち出してきて悪かった。君がさっき言っていたように、確かに僕の負けで君の勝ちだ。このところで終りにしておこう。しかしとにかく君は認めるね、君のお母さんがとても美しくて、魅力のある女の人だっていうことは。
 マイケル ええ、それは・・・まあ。
 ジョン さてと、それで君のお陰で彼女は新世界への道を進むことに決めたわけだ。実に正しい、実に適切な決定だ。ただちょっと教えてくれないかな、その、美と魅力の使い方なんだが・・・確かに今のこの時代は厳しい。これは認めるにしても・・・ただ台所で奴隷のような生活を送る、これ以上に何かあるんじゃないのかな。僕はただ、君から情報を得ようとしているだけなんだ、マイケル、これからは君達の世界になる。君達の世代がその新世界を牛耳るんだからね。
 マイケル(熱して。)そうだ。僕らが牛耳るんだ。保守反動の因循姑息な老人などの手を借りずに・・・
 ジョン 分かってる、分かってる。ただこれだけは覚えておいてくれ。これから十年たって、君は新世界の支配者、パークレーンの大邸宅に住んで・・・そうだ、あのアダムの天井つきだ・・・お妾さんの一人にはシルヴィア・ハートもいる。闇市で買ってきたジンの瓶はそこらにごろごろして、君は飲み放題。そんな時僕は国家管理で製造されたマッチを道端で売っている。その時の僕のニヤリと笑っている顔、それを忘れないで欲しいんだよ。
 マイケル(軽蔑するように。)そいつは脱線論だ。
 ジョン 何だい? それは。
 マイケル(質問に少し驚いて。)脱線論?
 ジョン そう。脱線論。
 マイケル えーと、それは・・・
 ジョン それは?
 マイケル(驚く程の率直さで。)ああ、議論で何も言えなくなった時に僕がいつも言う言葉なんだ。
 ジョン 相手がシルヴィアでも?
 マイケル(鳥がパッと飛び立つ時のように立ち上がって。)シルヴィア!
 ジョン(マイケルの真似をして。)シルヴィア!
 マイケル(苦しんで。)ああ、今この瞬間も彼女はあの大馬鹿野郎のパーキー・スティーヴンスと一緒にいるんだ!
 ジョン(嗜虐的に。)スピットファイヤーの音を真似してるんだろうな、今。彼女はキーキー声を上げて嬉しがってる。
 マイケル 糞っ。僕は意地悪な気持ちが浮かんできたぞ。行ってあいつらを驚かしてやるんだ。
 ジョン それはいい。やって見るんだ。
 マイケル でも、先立つものが・・・
 ジョン あるよ、ほら。
(ジョン、ゆっくりと財布を出し、そこから五ポンド紙幣を取り出す。)
 マイケル いや、駄目だ。
 ジョン どうして。
 マイケル 何年たっても返せない、きっと。
 ジョン 大丈夫だ。気にしないよ。
 マイケル 何箇月も返せない、ではすみませんよ。
 ジョン 構わない。何年たっても。
 マイケル いや、駄目だ、やはり・・・でも、お気持ち有難うございます。
 ジョン それは君のいいように。
 マイケル(紙幣を手に取って。)いや、お借りします。本当にすみません。僕に席を取ってくれるでしょうか。
 ジョン(立ち上がって。)じゃ、僕の名前を使うことにしよう。(ジョン、電話器に進む。)
 マイケル あ、お願いします。丁度彼らの真ん前に。睨みつけてやるんだから。
 ジョン(受話器を取り上げて。)だんだんと、このミス・シルヴィア・ハートに気の毒な気持ちになってきたなあ。
 マイケル ちょっと待って。もっといい考えが浮かんできた。
 ジョン もっといい?
 マイケル(怖る怖る。)夕食はもうお決まりですか?
 ジョン うーん、「もっといい」っていうのは具体的には?
 マイケル 僕と一緒に食べてくれませんか?
 ジョン サヴォイで?
 マイケル ええ、勿論。サヴォイで。
 ジョン それはどうも御親切に。大変有り難いんだが、実は・・・
 マイケル(興奮して。)ああ、お願いです、どうか。そうなったら、これは大違いですよ。そうだ、あなたと一緒に入って行った時の彼女の顔! 想像するだけで笑えるぞ。そりゃもう大恐慌だ。
 ジョン 大恐慌って、何故?
 マイケル 僕が閣僚の一人と一緒! 彼女、一生涯忘れることはないですよ。ひどい俗物なんだから。
 ジョン(実際的、という姿勢を崩さず。)しかし、僕が何者か、彼女に分かるかな。
 マイケル あ、そうか。それは考えていなかった。
 ジョン(受話器を置きながら。)ちょっと待って。いい考えが浮かんだ。給仕頭を僕ら二人に先導させて、連中のテーブルを通る時に大きな声で言わせるんだ。「ライト・オナラブル・サー・ジョン・フレッチャー・バート、そしてその友人、ミスター・マイケル・ブラウン。御予約の席はそちらです」と。
 マイケル(喜んで。)友人はちょっと。ただのミスター・マイケル・ブラウンの方が・・・
 ジョン いやいや、「友人」の方がいい。これなしだともっと堅苦しくなる。
 マイケル ええ。そうかもしれません。
 ジョン(マイケルの肩に片手を回して。)そして連中にこちらの話が聞こえる距離の所で立ち止って、僕は聞こえよがしに君に言うことにしよう。首相が僕にあの新しい戦車について何て言ったか、その話をね。
 マイケル それはすごいや。
 ジョン それから君は突然シルヴィアに気付いたふりをするんだね。礼儀正しい固い会釈をしてやるんだ。スパーキーにもね。そして我々は自分の席の方に進む。相変らず少し大きい声で、首相とした戦車の話をしながらね。
 マイケル 何て名案なんだ!
 ジョン だけど君、出来る? 今までの君との付き合いで、君に芝居が出来るってことは見てきたんだが、この役、本当にやれると思ってる?
 マイケル じゃあ、試してみて下さい。
 ジョン よし分かった。では、(両手を拡げて。)ここがサヴォイだ。ラジオで音楽をやっているかな?(マイケル、ラジオのところに行く。)サヴォイではだいたいキャロル・ギボンがピアノを弾いている。スパーキーとシルヴィアはそこに坐っていて、我々の席はあっちだ。この辺に階段がある。躓かないように気をつけるんだ。(二人、サヴォイに登場する準備をする。マイケルはジョンの前、少し上がり気味。)さあ、行ってみよう。ここらにいる人間は皆知っているという顔をするんだ。いいね?(二人、歩き始める。)首相は言ったよ、ああ言って、こう言って・・・
(マイケル、ハッとした様子をし、シルヴィアとスパーキーを見る。固い会釈。それから二度、非常に形式的な御辞儀。その時、両手が脇から突き出ている。ジョン、笑い出す。マイケル、困った表情。)
 ジョン そうなんだ。そいつを僕は怖れていたんだ。君のは堅すぎる。それに少しわざとらしい。ちょっと僕のを見てみて。僕が君の役をやる。君は僕の役をやって。さ、やり直しだ。
(二人、最初の位置に戻る。再び登場の構え。ジョンが今度は先に立つ。堂々とした自信のある態度。マイケル、すぐその後に続く。自信のあるというよりは、注意を集中させている態度。ソファを回って、今度はテーブルも回り、席につく。)
 ジョン(歩きながら。)そんなことを首相に言ったんですか、サー・ジョン。驚きましたね。
(この台詞は丁度テーブルを回って席につく時に言われる。ジョン、シルヴィアとスパーキーが坐っていると仮定されている席がよく見える場所に席を取る。)
 ジョン あそこに坐っている若い御婦人はまだ気絶してないようだけど、たいしたもんだ。
 マイケル いや、たいしたもんだ。
(オリヴィア、登場。)
 ジョン(オリヴィアに「社交会」での口調。)ああ、ハロー。さ、君も入って。状況を説明するとね、ここがサヴォイなんだ。ほら、あそこで、気を失った女性が運ばれているだろう? あれがミス・シルヴィア・ハート。
 オリヴィア(急に頭が変になったのではないかと心配して。)ジョン、ジョン、落ち着いて。楽にするのよ。このソファの上に暫く足をのっけて、じっとしていた方がいいわ。
 マイケル(扉の方に進みながら。)心配はいらないんだ、お母さん。
 オリヴィア 働き過ぎなのよ・・・
 マイケル(退場しながら。)サー・ジョンは大丈夫なんだ。僕ちょっとみなりを整えて。すぐ戻って来るよ。
(マイケル退場。)
 ジョン さ、君も入るんだ。
 オリヴィア 相変らず、ここはサヴォイ?
 ジョン そう。サヴォイ。
 オリヴィア ここで一体何が起こったのか、教えて下さらない?
(二人、テーブルにつく。)
 ジョン うん。地平線に少し赤みがさして来てね。君と僕にだけじゃない。世界にだ。
 オリヴィア 大丈夫なの? あなた。気は確かなの?
 ジョン 奥様、あなたの息子さんはすこーし大人になって来ていますな。
 オリヴィア あの子が大人になって、世界に希望が湧いて来る? どういうこと?
 ジョン そう。地平線に希望。まだほんの少し赤みがさしているだけだが、これが立派な日の出となる。
 オリヴィア ジョン、あなた、酔ってるのね。
 ジョン そう。ジンを飲んでね。君の息子と。
 オリヴィア この家にジンがあるなんて、ちっとも知らなかったわ。
 ジョン 母親が知らないことなど、山ほどあるもんだよ。
 オリヴィア ジョン、何? それ。
 ジョン 踊らない?
 オリヴィア ジョン!
(しかし、オリヴィア立ち上がる。二人踊り始める。)
 ジョン そうだ、忘れていた。君はダンスが巧いんだった。
 オリヴィア このところ練習不足よ。
 ジョン 練習すれば巧くなるってもんじゃないよ。
(二人、開いて踏むステップ。その後また組む。その時マイケル戻って来る。ダンスを見て一瞬二人を睨みつける。それからラジオを消し自室に戻ろうとする。が、気を変え、扉の所で立ち止る。)
 マイケル(やっと。)三人分予約した方がいいんじゃないですか、サー・ジョン。
 オリヴィア(嬉しそうに。)マイケル! あなたも一緒に?
 マイケル 違うよ。僕が増えるんじゃない。僕は奢る方だよ。
(ジョン、電話器の方に進む。)
 オリヴィア お前が? 素敵だわ。ジョン、あなた電話はいらないわ。アントワンヌはいつもあいているのよ。
 マイケル 僕ら、サヴォイに行くんだ。
 オリヴィア(ショックを受ける。)サヴォイ? まあ、サヴォイは駄目よ。アントワンヌの方がいいわ、ずっと。
 マイケル いや、アントワンヌは駄目だ。
 オリヴィア アントワンヌは素敵よ。
 ジョン 僕はアントワンヌでもいいんだけどね。しかし、マイケルは正しいよ。この際はサヴォイだ。
 オリヴィア 駄目駄目。サヴォイは駄目。
 マイケル ね、お母さん、行こうよ。サー・ジョンの車が外で待ってるよ。
 ジョン そう。パフィンズ・コーナーだ。
 マイケル このままの格好で行けるんだ。
 オリヴィア ジョンの車?(しっかりと。)どうしてもサヴォイに行かなきゃならないのなら、分かったわ。車は駄目。歩くの。
 ジョンとマイケル 歩く?
 マイケル でも、どうして? 車があるんだよ。
 オリヴィア 歩くの。でなければバス。
 ジョン バスを使ってどう行くか、分かってる?
 オリヴィア 勿論分かってるわ。七十二番に乗って・・・あら、七十三だったかしら。
 ジョン 七十四かな、それとも。
 オリヴィア いや、まづノッティング・ヒル・ゲイトへ行くの。そこで乗り換える。でも七十二番はノッティング・ヒル・ゲイトへ行ったかしら。
 ジョン それは丁寧に頼めばなんとかなるさ。
 オリヴィア いいわ。とにかく乗って、乗り換えるの。いくら何でもサヴォイにぐらい着けるわよ、いつかは。
 ジョン 二、三日たってやっとね。
 オリヴィア マイケル、あそこのタイプライターにカバーをして頂戴。
(マイケル、ソファから立ち上がってタイプライターの方へ進む。ジョン、帽子と手袋を取ろうとソファへ進
む。オリヴィア、立ち上がって上手の方に進む。その時に洗い物がまだ残っているのが目に止る。)
 オリヴィア あら、洗い物が残ってたわ。(暫く恐ろしい沈黙の瞬間。)ああ、でも後にすればいいのね。あなた方二人本当に酷いんですからね。夕食をとりながらしっかりと説明して戴きます。マイケル、階段の電気を消して来て頂戴。
 マイケル(母親にキスしながら。)うん、分かった。
 オリヴィア 私のレインコートを取って、ジョン。
 マイケル 急いでね。頼むよ。
(マイケル退場。)
 オリヴィア 雨が降るかもしれないんだから。分かるわね?
(ジョン、台所の壁に掛かっているレインコートを取る。そしてオリヴィアに着せる。ジョン、優しくオリヴィ
アを抱擁する。)
 ジョン ああ、オリヴィア、何て好きなんだ僕は、君のことが。(レインコートを脱がせて、それをソファに投げる。)こんなものいるもんか。今夜は素敵な空になるんだ。
 マイケル(舞台裏で。)ねえ、もう早くしてよ。間に合わないよ。
 ジョン(マイケルに返事。)分かった、分かった。今行く。いいな、忘れては困るぞ、マイケル。君のお母さんと僕とはうまく行ってるんだぞ。分かってるね。
(ジョン、オリヴィアにキス。)
(幕)

http://www.aozora.gr.jp 「能美」の項  又は、
http://www.01.246.ne.jp/~tnoumi/noumi1/default.html



     平成八年(一九九六年)八月二日 訳了


Love in Idleness was first performed on December 20th, 1944, at the Lyric Theatre, London, with the following cast:

OLIVIA BROWN     Lynn Fontanne
POLTON     Margaret Murray
MISS DELL     Peggy Dear
SIR JOHN FLETCHER     Alfred Lunt
MICHAEL BROWN     Brian Nissen
DIANA FLETCHER     Kathleen Kent
CELIA WENTWORTH     Mona Harrison
SIR THOMAS MARKHAM     Frank Forder
LADY MARKHAM     Antoinette Keith

THE Play directed by ALFRED LUNT



Rattigan Plays © The Trustees of the Terence Rattigan Trust
Agent: Alan Brodie Representation Ltd 211 Piccadilly London W1V 9LD
Agent-Japan: Martyn Naylor, Naylor Hara International KK 6-7-301
Nampeidaicho Shibuya-ku Tokyo 150 tel: (03) 3463-2560

These are literal translations and are not for performance. Any application for performances of any Rattigan play in the Japanese language should be made to Naylor Hara International KK at the above address.