これが男だ

        ノエル・カワード作
        海老沢計慶 能美武功 共訳
  
    ジョン・C・ウィルソンに捧ぐ

(題名に関する註。原題は "This was a Man" 括弧もついている題名。つまり、「これが男だった」という原題。イヴリンの義侠心、それが昔は男らしいと思われていた、というカワードの皮肉と思われるが、訳者にそう自信があるわけではない。最初は「義侠心」という題名にしようと思ったが、止めた。)

  登場人物(登場順に)
エドワード・チャート
キャロル・チャート
ハリー・チャロナー
マーゴット・バトラー
ベリー
ボビー・ロムフォード
ゾウイー・セントメリン
イヴリン・バサースト(陸軍少佐)
ブラックウェル

  第一幕 第一場
ナイツブリッジにあるエドワード・チャートのスタジオ。午前二時半。
  第一幕 第二場
第一場に同じ。数週間後。
  第二幕 
イヴリン・バサーストのフラット。同じ日の夜。
  第三幕
第一幕に同じ。翌日の朝。
 
     第 一 幕 
     第 一 場
(ナイツブリッジにあるエドワード・チャートのスタジオ。室内の装飾は贅沢で趣味の良いもの。エドワードは成功した現代肖像画家。)
(幕が上がると、午前二時半頃。舞台左手の暖炉にはまだぼんやりと燠火(おきび)が燃えている。中央付近のテーブルには読書灯が点り、ウィスキーのデカンターや数本の炭酸水の壜、ビスケットの皿とサンドウィッチの残り、二三個のグラスなどを照らしている。煙草の箱とマッチも見える。部屋のその他の部分はぼんやりと薄暗い。表通りをスタジオに近付いてくるタクシーの音。適当な間の後、正面(玄関)の扉をガチャガチャと開ける音。キャロル・チャート登場。その後ろからハリー・チャロナーが続く。二人とも夜会服姿。キャロルは(その上に)非常に凝った愛らしいガウンを纏っている。生き生きした女。その個性は、最小限の知性と最大限のセックスアピールで構成されている。ハリーは社会的に成功した者が持つあらゆる特徴を備えている。彼は社交ダンスの卓越した踊り手。その事と比べれば、都会での彼のその他の活動は全て無きに等しい。)

 キャロル 音を立てないで。
 ハリー 立ててないよ。
 キャロル 立てたなんて言ってないわ、立てないでって言ったのよ。
 ハリー 分った。
 キャロル お酒飲む?
 ハリー うん、ありがとう。
 キャロル じゃあ、自分で注いで・・・それから私にも。
(キャロル、袖無し外套を脱ぎ、煙草に火をつける。)
 ハリー いいところで、止(と)めて。
 キャロル そこまで。(ハリー、ソーダ水をグラスに満たし、キャロルに渡す。)
 ハリー はい。
 キャロル ありがとう。
 ハリー きみって、全く不思議な人だよ。
 キャロル どうして?
 ハリー そんな風に落ち着いていられるなんて。
 キャロル そわそわする理由なんてないじゃないの。
 ハリー いつか彼にばれるとは思わないのかい?
 キャロル 勿論、思わないわ。
 ハリー 彼、どこで寝てるんだい?
 キャロル(右手の扉を指差して)あそこ。
(ハリー、大きなグラスを手に爪先立ちで部屋を横切って右手の扉に耳を寄せる。)  
 ハリー 何も音がしない。
 キャロル 鼾はかかないの。最近、かくようになっていれば知らないけど。
 ハリー(戻ってきて)きみ、僕を愛してるかい?
 キャロル 馬鹿なこと訊かないで!
 ハリー 今日は本当に素晴らしい日だった。
 キャロル(微笑みながら)そう? 
 ハリー うん僕は。君は?
 キャロル そうね、楽しかったわね。(ハリー、グラスを下に置き、キャロルを腕の中に抱く。)気を付けて・・・(キャロル、飲み物をこぼさないように、グラスを持つ方の腕を差し伸ばす。)
 ハリー 下に置いたら? ねえ、キャロル。(「ねえ、キャロル」という台詞はかなり熱っぽく言われる。)
 キャロル どうして?
 ハリー キスしたいんだ。
 キャロル また?
 ハリー そう、また、もう一度、もう一回、何度でも。(ハリー、キャロルのグラスを取り上げ、テーブルの上に音を立てて置く。)
 キャロル シーーー! ふざけないで。
 ハリー 構わないさ。(ハリー、わざとゆっくりとキャロルにキスする。)
 キャロル(優しく身を振り解(ほど)きながら)私は構うの。無神経なのは困るのよ。
 ハリー 僕のこと、昔ほどは好きじゃないんだね。
 キャロル そんなことないわ。分かってるでしょう。
 ハリー じゃあ、キスして。
 キャロル ええいいわ。(キャロル、ハリーにぐっと近付き、静かにハリーの唇にキスする。少しの間、二人ともその場にじっと動かずに立っている。)
 ハリー きみが欲しい・・・きみの全てが欲しい・・・こんな気持ちは初めてだ。
 キャロル(ハリーの横顔をなでながら)優しい人。
 ハリー 気が狂いそうなほど好きだよ。
 キャロル さあ、もう家(うち)に帰って寝なきゃだめ。
 ハリー 電話をくれるね?
 キャロル ええ。
 ハリー 何よりも先に?
 キャロル ええ。
 ハリー 約束だね?
 キャロル ええ、約束。
(二人、入ってきた扉から退場。玄関ホールでしばし囁く声。やがて静かになり、玄関の扉が静かに閉まる音。キャロル、物思わしげな表情でスタジオに戻ってくる。ウィスキー・ソーダを飲み干し、ビスケットを一つ齧る。それから袖無し外套をさっと腕に引っ掛けて、部屋の明かりを消し、ゆっくりと舞台右手奥に退場。自分の寝室の扉を閉める。少しの間の後、エドワード・チャート、暖炉の傍の大きな肘掛け椅子から起き上がる。彼はそこに観客に背を向けてずっと坐っていたのである。そしてテーブルの所へ行って読書灯を再び付け、サンドウィッチを一つまみする。しばらく何かを考えながらむしゃむしゃ食べている。やがて何かを決心した様子でプレート盆をさっと取り上げると読書灯を消し、自分の部屋へと退場する。)
                 (幕)

     第 一 幕 
     第 二 場
(景は第一場と同じ。数週間後の午後五時頃。幕が上がると、レディー・マーゴット・バトラーがやや派手なポーズで舞台前方に坐っている。美人。およそ三十五才。ちょうどエドワードは舞台奥からレディー・マーゴットをスケッチしている。しかし、イーゼルの陰になって顔は見えない。)
 マーゴット 今度のポーズの方がずっと楽ね、エドワード。
 エドワード ええ、そのようですね。ではもう一度、楽じゃないポーズをとって頂くことに致しましょうか?
 マーゴット(ポーズを取り直して)まあ、ひどい人。一体どうして人にこんな苦しいポーズを取らせたがるの?
 エドワード 苦しいポーズの方が本人も「元をとっている」という気になりますからね。もう少ししたら休みましょう。煙草にします。
 マーゴット バイオレット・ネザースンは「自分の欠点ばかりが目立つ」あなたの意地悪な肖像画に満足していた?
 エドワード それはもう大満足です。私の最高傑作のひとつなんです、あれは。
 マーゴット あなたの目からはね。でも彼女の目から見れば逆の筈よ。あなたが私に、あれと同じことをしたら、金輪際許しませんからね。
 エドワード じっとしていられないなら、もっと酷いことになりますよ。
 マーゴット もうそろそろ煙草じゃないの?
 エドワード 黙って。
 マーゴット オーケー。(しばしの間、沈黙。)あのドアの傍の絵は新しいの?
 エドワード ええ、あれはフェンウィックの娘さんです。母親の意見では、彼女はまるで原生林だそうですがね。
 マーゴット あら、原生林。セント・ジョンズの森かしら。
 エドワード モデルと取っ組み合いまでして出来た絵ですよ。
 マーゴット 素敵だわ、あの絵。
 エドワード さてと、もう休んでいいです。今日はもうこれでお仕舞い。(マーゴット、さっと立ち上がり、辺りを大股で歩く。)
 マーゴット プロのモデルになるなんて考えただけでもぞっとするわ。
 エドワード 考えるだけなら、もっと悪い仕事だってある筈ですよ。紅茶? それともカクテルか何かにしますか?
 マーゴット 今は紅茶を頂くわ。そのあとでカクテルも。
 エドワード ゆっくりしていけるんですか? 今日は。
 マーゴット 今日はボビーに迎えに来てって言ってあるの。
 エドワード(ベルを鳴らしながら)どうですか? ボビーの調子は。
 マーゴット 最高よ。私、まだ彼に夢中なの。
 エドワード そうですか。
 マーゴット 彼のこと、好きじゃないのね?
 エドワード 好きも嫌いもありません。よく知らないんです。
 マーゴット 彼、とってもいい人よ。一緒にいると気持ちが楽になるの。
 エドワード(イーゼルの後ろに立って、スケッチを見つめながら)もう一度だけ坐ってもらう必要がありそうですね。 マーゴット あなた、私とボビーの関係をよく思っていないようね。
 エドワード そんな馬鹿な。よく思わないなんて・・・どうしてです?
 マーゴット いい、エドワード、世の中は複雑、何もかも不道徳だから認めないっていうのは駄目。そんなの大の大人がすることじゃないわ。
 エドワード ちっとも本気で言っていませんね。
 マーゴット いいえ、本気よ。
 エドワード あなたこそ、世の中のことを何もかも認めていらっしゃらないんですよ、内心では。だからボビーとのことだってしょっちゅう人に話すんです。言ってみれば、それをずうずうしく押し通して、自分を正当化してしまおうっていう腹なんですよ。
 マーゴット まあ、よく言うわね。とにかく、ボビーと私のこと、話さずにいられるもんですか。あなただって、ちゃんと知ってる・・・ええ、誰だってちゃんと知ってることなんだから。
 エドワード イギリスでは、沈黙は金と言われてきたんですがね。今や廃れて金屑同然らしい。
 マーゴット 生意気な言葉・・・それ。
 エドワード ええ、まあ。・・・でも本当のところです。(ベリー登場。)紅茶をたのむ、ベリー。
 ベリー 畏まりました。
 マーゴット 私はレモンティーにして頂戴、ベリー。
 ベリー はい、畏まりました。
(ベリー退場。)
 マーゴット あなたって、ちゃんと理解しようと思うと本当に厄介な人ね。
 エドワード そうでしょうか。
 マーゴット だって一歩も譲らないでしょう? あなたって。
 エドワード 妥協するべきだと?
 マーゴット さあ、どうかしら。どんな事でも打ち明けて話し合う、腹蔵なく意見を述べ合う、それでこそ人生は面白くなるのよ。
 エドワード 見も知らない人に対しても親密さを求めるのが現代社会のようですね。みなさん誰もかも、自分の個人的な問題を、赤の他人にさらけ出して平気でいますから。
 マーゴット まあ、エドワード。私達は赤の他人じゃないわ。
 エドワード 私達は六ヶ月前に初めて会ったんです。
 マーゴット もっとずっと前から知り合いだった気がするわ。
 エドワード それから一と月も経たないうちに、ジムやボビーのことを私に洗いざらい話して下さいました。それからその二人に対する御自分の率直なお気持ちも。
 マーゴット だってそれは、あなたがとっても親身になって聞いてくれたからよ。あなたには人に心を開かせる何かがあるのよ。
 エドワード そんな馬鹿な話はありません。
 マーゴット 随分今日はあなた、邪険なのね。何か厭なことでもあったの?
 エドワード いいえ、別に何もありませんが。
 マーゴット じゃあいいわ。私、あなたがもっと機嫌がいいときでなきゃ、もう一度あなたのために、坐ってなんかあげないから。
 エドワード そう怒らないで下さい。
 マーゴット 怒ってなんかいないわ、ただ傷ついただけ。
 エドワード どうやら今日は、少し私も神経質になってるんだと思います。
 マーゴット そうよ、さっきからそう思ってたわ。
(ベリー、紅茶を持って登場。)
 エドワード まあとにかく、お茶にしましょう。ベリー、あとでロムフォード卿がみえたら、直接こちらに案内してもらいたいんだ、いいね?
 ベリー はい、畏まりました。
 エドワード それとカクテルの準備もたのむ。
 ベリー はい、畏まりました。
(ベリー退場。)
 マーゴット レモンかミルクは要る?
 エドワード いえ、どちらも結構です。全く普通の、何も入れない紅茶でいいんです。
 マーゴット あの絵はキャサリン・ローリング?(絵を見つめながら。)
 エドワード ええ、まだ未完成ですけど。
 マーゴット 彼女の絵はいつも未完成ね。そう、あまりパッとしないタイプね、残念ながら。はい、どうぞ。(エドワードに紅茶を手渡す。)
 エドワード ああ、すみません。
 マーゴット ゾウイーが帰って来たそうね。
 エドワード ええ、今朝、電話がありました。
 マーゴット どこに行ってたの? 本当のところ。
 エドワード いろいろな所にですよ。
 マーゴット 誰と一緒に?
 エドワード 一人だったと思いますが。
 マーゴット まあ! 彼女、誰かと一緒だったに決まってるわ。だって、あの人があんな大それた事をたった一人でやれたはずないでしょう? 一人だったら頭がおかしくなっていたはずよ。
 エドワード もうじきここに来ますから、一人だったかどうかお聞きになるといいでしょう。
 マーゴット あなた、彼女とは昔、婚約していたんじゃなかった?
 エドワード 突然、何を言い出すんです。
 マーゴット そうよ。確かそうだったわ。キャロルから聞いたもの。
 エドワード 実を言うと、厳密には婚約していなかったんです。私達は子供の頃からずっと友達で、やがて結婚について話し合うようにもなりましたが、結局、結婚に踏み切るまでに到らなかったんです。
 マーゴット 私、どうしても分からないの、何故、彼女がケネスとの離婚を承諾したのか。だってみんなの話じゃあ・・・
 エドワード ゾウイーは自由が欲しかったんでしょう。しかも出来るだけ早く、それを手に入れようと努力したんですね。
 マーゴット 一体どうやって、あんなことができたのか見当もつかないわ。私だったらとてもあんなこと・・・。
(訳註 マーゴットは最初ジムと結婚し子供もある。今は離婚をせずに別居中。ボビーは現在の愛人。)
 エドワード あなたにはゾウイーほどの独立心はありませんからね。
 マーゴット あなたまた、機嫌が悪くなってきたみたいね。
(ベリー登場。)
 ベリー(来客を告げる。)ロムフォード卿です。
(ボビー・ロムフォード登場。ハンサムで単純そうな若者。)
 ボビー どうも突然、押し掛けて来て済みません、チャートさん。(エドワードと握手をする。)
 エドワード ちょうどお待ちしていた所です。すぐカクテルが出ます。
 ボビー やあ、マーゴット! どう? 絵は進んでる?
 マーゴット ええ、殆ど完成。でも、エドワードが見せてくれないの。彼ったら、今日の午後はずっと、ひどく御機嫌ななめなのよ。
 エドワード さっきから、一緒に髪をとかそうって、かなりしつこく言われていましてね。
 ボビー(戸惑いながら)「一緒に髪をとかす」、ですか?
 エドワード ええ。それはまあ、比喩ですが。
 ボビー(安心して。)ああ、成程。
 エドワード 「髪をとかす」・・・つまり女性お得意の「打ち明け話」です。まあ、どんなに賢い女性でもやってることですが。
 マーゴット エドワードったら、私がちょっとでも面白そうな話をしようとすると、途端に貝のように口を閉じてしまうの。ところで、今日はどこに行ってたの、ボビー。
 ボビー バース・クラブでスカッシュだ。エヴィーと。
 エドワード 連れていらっしゃればよかった。
 ボビー ああ、後から来ると言っていました。
 マーゴット スカッシュ、彼が勝ったんでしょう?
 ボビー そう、彼の勝ちさ。いつもの通り。
(ベリー、カクテルの盆を持って登場。)
 エドワード ここに置いてくれ、ベリー。(テーブルに空きをつくる。マーゴットの方を向いて。)紅茶のお代りは如何ですか。
 マーゴット もういいわ。
 エドワード じゃあ、残りのものを片付けてくれ、ベリー。
 ベリー はい、畏まりました。(ベリー、ティーカップや皿などを積み重ね、それらを持って退場。)
 ボビー 実はチャートさん、セント・ジェームズ街でお宅の奥様をお見かけしたんですが。
 マーゴット(身を乗り出して)彼女、誰と一緒だった? 
 ボビー ハリー・チャロナー。
 マーゴット ああ、彼。あの人いい男。そう思わない? エドワード。
 エドワード まったくいい男ですよ。
 マーゴット たぶん二人は、ファニーの店へ行くところだったのね。あそこのマージャン・パーティに。珍しい催しだって、キャロルは思ってるみたいだから。本当は、私も行かなきゃいけないんだけど、止めておいたの。だって、我慢できそうにもないんですもの、香水をつけたご婦人連が点数のことで言い争って熱くなってるような場所は。
 ボビー ちょっと煙草を吸っても宜しいですか、チャートさん。
 エドワード ええ、勿論です。気が付かなくて済みません。(ボビーに煙草の箱を渡す。)そちらは?
 マーゴット 頂くわ。ありがとう。
(ベリー登場。)
 ベリー(来客を告げる)ミスィズ・セント・メリン様です。
(ゾウイー・セント・メリン登場。美しく装っている。装いは誇張されたものではなく、感じが良い。)
 ゾウイー エドワード!(エドワードの両手を取り)またお会いできて、本当に感激だわ。
 エドワード うん、全く。実に一年ぶりだ。
 ゾウイー お話したい事が山ほどあるの、でも何処からお話したらいいかしら。(マーゴットを見て)あらマーゴット、ここで会えるなんて! お元気?(マーゴットと挨拶のキスを交わす。)
 マーゴット あなたこそ輝いてるわ、素敵。ボビーのことは御存じ?
 ゾウイー(ボビーと握手して。)ボビー・・・何でしたっけ? 
 ボビー ロムフォードです。
 ゾウイー(マーゴットを優しく一瞥して)ああ、そう、そうだったわ。勿論お噂はいつも・・・
 マーゴット どんな噂? ねえ、教えて。 
 ゾウイー すぐには思い出せないわ。エドワード、私にも煙草とカクテルを下さらない? それから私のいなかった一年間のこと、みんな話して。
 エドワード(ゾウイーの頼みに自ら応じて。)煙草と・・・カクテルと・・・さあ。
 ゾウイー ありがとう。それで、どうなの?
 エドワード 何から話せばいいのかよく分からないな。君だって急に話せと言われれば困る筈だよ。
 ゾウイー キャロルはお元気?
 エドワード うん、元気すぎるほどだ。
 ゾウイー 今は何処に?
 エドワード 外出中。快楽主義者の生活の明け暮れだよ・・・マチネー、ブリッジ、マージャン、ダンス・・・
 ゾウイー その四つ、どれも大して害のない遊びじゃない。それを快楽主義者の生活の明け暮れ・・・人が陥る最も下品な行いだとでも言わんばかりに・・・
 エドワード いや、そんなつもりじゃなかったんだ、本当に。
 ゾウイー 何もすることがない人にとっては、その四つは素晴らしい「人生の抜け道」よ。
 エドワード 「人生の抜け道」・・・好きじゃないねそんなの、僕は。
 ゾウイー あらあら、御立派な態度。でもそれ、あなたの創作活動を支えるための、ただの方便じゃないの。
 マーゴット ねえ、ゾウイー、あなたの旅のお話を聞かせて頂戴・・・何処に行ってたの、それに誰と一緒だったの?
 ゾウイー(笑いながら)旅行の最中、誰と一緒だったか正確に思い出すのは厄介だわ。でも安心して。恋人は次から次とひっきり無しにいたんだから。旅の初めのホノルルでは、年輩の白黒混血児。旅の終わりのセビリアでは、引退した闘牛士。
 エドワード(マーゴットの方を向いて。)これだけ詳しい話が聞ければもう御満足でしょう?
 マーゴット そんなひどい省略ってないわ、ゾウイー。私、とっても気になってるんだから、本当に。
 ゾウイー そうね、あなたって浮いた話が大好き。特に他人の。
 マーゴット 当然でしょう。だって私の場合より、はるかに面白そうなんですもの。ところであなた、何処かでジムに会わなかった? スペインあたりで。
 ゾウイー ええ、会ったわ、バルセロナで。ちょうどヨットの旅から陸(おか)に戻ってきたところだったわ。
 マーゴット(熱心に)彼、誰と一緒だった? ねえ! 
 ゾウイー 一人だったわ。トイレからあの人が出て来たところでばったり会ったの。リッツホテルで。
 マーゴット かなり独身男性に見えたのね?
 ゾウイー ええ。とっても幸せそうだったわ。
 エドワード 御主人思いですね、実に。母性愛溢れる感情。御主人の話が出る度に私はいつも、まるで何か神聖な物の前に立っているような気持になりますよ。
 マーゴット ジムのことは私、今でもとっても好きなのよ。特に、あの人がヨットで出かけている時には。 
 ゾウイー 今は完全に別居中なの?
 マーゴット ええ、そう。でもイースターとクリスマスは別。そういう時は落ち合って、子供たちと一緒にドライコットに繰り出すことになってるの。
 エドワード(微笑みながら)実に気持ちの良い取り決めのようですね。
 ゾウイー そうね、いい取り決め。
 マーゴット(考えながら。)離婚なんてやろうと思えばすぐ出来るのよ。でも、色々と面倒だし、自由になればなったで、また危険がいっぱい。誰か別の人とまたぞろ同じことを繰り返すでしょうし・・・
 ゾウイー あら、そういう事になるものかしらね。
 マーゴット あなたにも分るわ、いつか、きっと・・・(立ち上がる。)美味しいカクテル、どうもご馳走様。今日はとても楽しかったわ、ありがとう、エドワード。私、もう行かなくちゃ。ねえゾウイー、木曜日にうちでランチパーティがあるから、いらして。出席の予定、まだレベッカだけなの。あなたにまた会えるって分かったら、あの人飛び上がって喜ぶわ。
 ゾウイー 分かったわ。一時半?
 マーゴット ええ・・・行きましょう、ボビー。じゃあね、エドワード。キャロルにどうぞよろしく。
 エドワード ええ。さようなら。
 ボビー じゃあ、これで。
 マーゴット(ドアの所で)ゾウイー、あなた向こうで一皮剥けて帰ってきたわ、そう言われて嬉しいかどうかは別問題だけど。
(マーゴットとボビー退場。) 
 ゾウイー 何? あのマーゴット! 大法螺ふきじゃない。
 エドワード そうでもないよ。ああいうタイプなんだ。
 ゾウイー ええ、でも、価値観が倒錯した世界でなきゃ生きて行けないタイプね。
 エドワード そう、その役回りでベストを尽している。
 ゾウイー 何もかもわざとズラして・・・モラルも品位も恥の感覚も。でも、良かったわ、私は。ケネスとの生活にけりを付けることができて。でなきゃ、私だってあんな風になっていたかもしれないわ。
 エドワード けりを付けるのが最良の方策かどうかは分からないよ。
 ゾウイー 勿論最良の方策よ。この世界で生まれ変わるためにはね。
 エドワード すごい意気込みだね、ゾウイー。煙草、もう一本どう?
 ゾウイー(一本取って)ありがとう。私ったら殆ど恐慌をきたしてるの。
 エドワード どういう事?
 ゾウイー 元のところへ戻って来るって、こういうものなのね? なんだかがっかり・・・意気消沈・・・
 エドワード ずっと同じところに留まっている方が、もっとがっかり・・・意気消沈だよ。
 ゾウイー 考えてみれば、ケネスと離婚する前もこんなものだったの、私の生活は。
 エドワード 不毛な生活か。
 ゾウイー 不毛・・・そう、不毛。一年経ってみんなが忘れた頃、私は戻ってきたわ、わくわく、ぞくぞくしながら。昔の友達はみんなどうなったかしらって。会うのが待ち遠しかった。でも結局、どう。みんな、相も変わらず同じことをして、同じことを喋って、同じことを考えてる。黴が生えて、腐っているの。機知もなし、魅力もなし、慎みもなし。・・・そう、きっと最初からそんなもの持ってやしなかったのね。ああ! これまでの人生で私、こんなにがっかりしたことなかった。
 エドワード 僕もきみをがっかりさせていなければいいけれど。
 ゾウイー それはないわ、エドワード。あなたは変わってない。ただちょっと暗くなったかしら。
 エドワード 暗くなった?
 ゾウイー ええ。昔の、あの漲(みなぎ)るような活力が何かのせいで、すっかり掻き消されてしまったみたい。一流って言われるようになったせいね。成功は人を蝕むの。
 エドワード うん、そうらしいな。
 ゾウイー あなた、全てに満足しているの? 今。
 エドワード うん。
 ゾウイー ご免なさい。
 エドワード どうしたんだい? 満足しちゃまづいかな?
 ゾウイー 満足はいいの。そのふりは駄目。
 エドワード ふり?
 ゾウイー ええ。昔はそんなこと決してしなかった・・・少なくとも私に対しては。
 エドワード 人はみな、物事の上っ面(つら)を信じる習慣に染まるんだ。そして、それより深いところは詮索せずに受け入れる習慣にね。
 ゾウイー 悪い習慣だわ。
 エドワード ふりをしなきゃならないんだ。分からないかな。
 ゾウイー 分からないわ。
 エドワード 僕は成功を・・・繁栄を手にしている。欲しかったものを全て手に入れたんだ。
 ゾウイー いいえ。あなたが手に入れたのは、あなたが欲しかったものじゃないの。他人の目から見て、あなたが欲しいと思ったものだけなの。
 エドワード(笑いながら)君って刺激的だね、ゾウイー・・・刺戟に満ちている。ブライトンの浜辺にそよぐ潮風のようだ。
 ゾウイー あらあなた、刺戟を求めているみたいね、とてもひどく。
 エドワード そう。
 ゾウイー 今戻って来て良かったわ、私。
 エドワード 良かった。実に僕は嬉しいよ。
 ゾウイー 何なの? 問題は。
 エドワード いろいろだ。
 ゾウイー キャロルね? 一番の問題は。
 エドワード うん。
 ゾウイー そうだと思った。
 エドワード 最初から君の言っていた通りだった。失敗だったよ。惨澹たるものさ。
 ゾウイー ご免なさい、私の言った通りになって。予言が当たるって、厭なものだもの。
 エドワード いや、全然厭な気持なんてないよ。まあ、他の誰かなら、そうなるかもしれない。でも、きみの場合は別だ。いつだって別だよ。
 ゾウイー あなたという人を私、よく知っているの。
 エドワード そう。分ってくれてる。
 ゾウイー 何をしたの? あの人。
 エドワード 平平凡凡、見え見えのことさ。
 ゾウイー 「結婚は楽しいもの」って、過大評価されているのね。
 エドワード どうも僕は打つ手がよく分らない。
 ゾウイー ええ。私もそうだった。ケネスと・・・厭なもの、あれは。
 エドワード どういう態度を取るのがいいか・・・それがね。
 ゾウイー あの人のこと愛してるの? 今でも。
 エドワード 分からない。初めの頃の激しさはない・・・そんなものは勿論消えてしまっている。でもなんとなく・・・義務だね、結婚による義務が絡み付いて・・・
 ゾウイー そうね。その義務が家庭生活を神聖にしてくれているっていう訳、有り難いことに。
 エドワード でも、それなら義務はお互いでなきゃならない。
 ゾウイー そう。
 エドワード 時々かっと頭にくる瞬間があってね、それからその怒りが蒸発してしまう。その後は冷たい無関心だけが残るんだ。
 ゾウイー いつ頃から気が付いたの?
 エドワード もう昔から。潜在的にはね。でもはっきり分かったのは、ほんの数週間前。
 ゾウイー あの人、あなたが知ってるって、分ってるの?
 エドワード いや、脳裏をかすめたことさえないよ。天晴れなものさ、いつでも自信満々だからね。
 ゾウイー 可愛い人じゃない! 身体も頭もセックスの事だけで占められてるなんて。だからなのね、自信満々なのは。
 エドワード これからもずっとこの調子でやるつもりかな。
 ゾウイー そうでしょうね。まあ、男を引き付ける力がある限りは・・・いいえ、その力がなくなってもね。それが罰なのよ、あの手の美人に与えられる。
 エドワード 酷い話だ。
 ゾウイー そうね、でも仕方ないわ。脳味噌がないんだから、堅実に暮そうっていう。
 エドワード 可哀相なキャロル。
 ゾウイー 人のことを思ってやる暇なんかないんじゃないの? 今は。
 エドワード キャロルと一悶着(ひともんちゃく)起せっていうのかい? 考えただけでぞっとするな。屈辱が倍になるって感じだ。
 ゾウイー そうね、どうしたらいいか、私にも分らないわ。あの人の裏切りはずっと前からだったの、今が初めてじゃなく?
 エドワード うん。
 ゾウイー しょっ中?
 エドワード(疲れたように。)そうだと思う。今はハリー・チャロナーだ。
 ゾウイー まあ! 愛人にはもってこいの相手じゃない。
 エドワード 今の流行だね、この手の事は。誰だってやってのけてる。戦争の落し子だ、これは。
 ゾウイー 貴族も平民も一緒くた・・・「民主主義」・・・それね、今社会が動いている方向。誰も彼もみんな平等。魅力なんてもの、薬にしたくてもありはしない。勇気、礼節、しとやかさ・・・そういう美徳は全て霞んで消えてしまい、華々しく残っているのはセックスだけ。だからみんな、本能的にそこへ突進するの。最後の力を振り絞ってね。分析してみると、悲壮感が漂ってくるわ。
 エドワード 馬鹿な奴等だ、みんな。
 ゾウイー(半分笑いながら)一流の画家になって、あなたもようやく気が付いたのね?
 エドワード うん。昔はそんな事を気にしてる暇はなかった。
 ゾウイー じゃあさっさとあなたもここを出たら? 私がした通りに。
 エドワード それは犠牲が大きい。ロンドンでの仕事を捨てなきゃならないからね。僕はようやく足場ができたばかりなんだ、ここで。
 ゾウイー 離婚は?
 エドワード 今はまだその勇気がないね。世間体の悪さ、それに、僕とキャロルに向けられる興味本位の淫らな憶測・・・厭だね、身震いがする。
 ゾウイー あなたがこれまで肖像画家として築いてきた世界・・・それがひどく気掛かりなのね。
 エドワード キャロルに対して復讐してやれという気持ちが僕にあれば、離婚の決心はずっと楽につけられるんだけれど。でも生憎、僕にはそんな気持ちはない・・・ただひどく胸くそが悪い感じ、すごくうんざりした感じがするだけでね。
 ゾウイー そんなどっち付かずの状態は駄目ね。放っておけばおくほど悪くなるだけよ。
 エドワード きっぱりとけりを付けるべきだって言うんだね。
 ゾウイー ええ、そう。一旦、漕ぎ出してしまえば、後はずっと楽になるわ。
 エドワード いや、そううまくは行かないよ。
 ゾウイー まだ彼女のこと愛しているのね。
 エドワード いやそうじゃない。でももし全てがまともな状態になれば、また好きになることもあるかもしれない。ああ、ゾウイー、僕はつくづく今の世の中が、そしてそれに関係する全てのことが厭なんだ。僕のような男は言わば「進歩し過ぎた社会」の産物なんだ。きっぱりした男らしい感情はとうに消えてしまって、人を嫌うにしろ愛するにしろ中途半端な態度しか取れない。だから良きにつけ悪しきにつけ、何か大きな事態に直面すると、ああでもないこうでもないと言い訳することばかり考える。物事の道理と自分の感情を秤にかけて、釣り合いを取ろうする。そのうちに結局うやむやになって何も決められない。もし僕に、キャロルをひっぱたいて僕の人生から永久に追い出すほどの原始的な、野蛮な感情があればね・・・或はしっかり抱きしめて離さない位の強さがあればいいんだけど・・・でもそんなものはない。結局僕はただの間抜けさ、頭でっかちで意気地のない間抜けな男さ! (どさっと椅子に身を落として坐り煙草を一本取る。)
 ゾウイー そうは言っても、あなたのように時代の申し子になるということは、その時代と戦うための才能も同時に与えられているということなの。だからそのままのあなたで、例えば、エヴィー・バサーストよりはあなたの方が、この時代に対抗して行く力はある筈よ。
 エドワード エヴィなら欲しいものには真直ぐ突き進んで手に入れるさ。
 ゾウイー 彼はあなたほど多くを望まないから。
 エドワード あいつはとにかく、僕よりはずっと幸せだよ。
 ゾウイー 失っているものも多いのね、だから。
 エドワード 何を失っていたっていいじゃないか。あいつなら僕のような立場には決してならない。そこまで放っておきはしないからね。
 ゾウイー 無口で意志の強そうな人間を信用し過ぎるのは禁物だわ、エドワード。そういう人に限って自分の守備範囲を越えた問題に直面するとあっという間に崩壊よ。私達の比じゃないの。
 エドワード エヴィのこと好きじゃないんだね。
 ゾウイー あなた忘れたの? 私の旦那様はエヴィと同じタイプの男だったのよ。
 エドワード エヴィはあんな卑劣漢じゃない。
 ゾウイー どうして分かるの?
 エドワード エヴィにはケネスのような穢いまねは、やろうたってできやしないからね。
 ゾウイー ケネスは名誉と穢れなき生活を重んじるだけの英国紳士。ただそれだけの人よ。
 エドワード でも君を捨てて離婚した。
 ゾウイー それはただ、私の方が彼にそうさせたからだわ。
 エドワード 何故ケネスはきみの方が彼を捨てて離婚するように仕向けなかったのかな?
 ゾウイー そんな事をすれば軍人としての経歴に傷がつくことになったわ。
 エドワード きみは態々(わざわざ)自分で自分を悪い立場に置いたのかい?
 ゾウイー ええ。
 エドワード それで、やるだけの価値があることだった? 本当に。
 ゾウイー ええ、そうよ。勿論。よくある倦怠期・・・それが高じて憎み合う寸前になっていた。元の関係に戻る望みは決してなかった。終わってしまった関係を続けることに何の意味があるの? 何の役に立つっていうの? だから私、自由になろうって決心したの。
 エドワード 自由になると、人は本当に幸せなのかな?
 ゾウイー 馬鹿なこと言わないで、エドワード。
 エドワード 僕にはそんな決定的なことを率先してやるだけの勇気が欠けてるんだ。
 ゾウイー 何も率先してやる必要なんてないわ。あなたはただそのチャンスを待っていればいいの。そして、それが来たらパッと掴まえるの。
(ベリー登場。)
 ベリー(来客を告げる)バサースト少佐です。
(イヴリン・バサースト登場。背が高くハンサム。軍人然とした「男らしい男」と言われている典型。相手を率直に真直ぐに見て話をする。ベリー退場。)
 イヴリン やあ、エドワード! ゾウイー、君とはもう何年も会ってなかったねえ。(二人、握手をする。)
 ゾウイー お元気? エヴィ。
 イヴリン うん、とても。そう言えばあれから君にはずいぶん責任を感じてるんだ。つまり、君の離婚の件・・・ありゃ全くひどい話だ、本当に気の毒だって手紙に書こうと思ってたんだけど。挨拶が遅れたこと許してもらえるかな?
 ゾウイー 謝ることなんて何もないわ。とにかくあの件は大成功だったんだから。
 イヴリン 成功だって! へえーっ! ずいぶんと厭な思いもしたんだろう? きっと。
 ゾウイー ええ、不愉快は不愉快。でも遠くに灯(あかり)が見えるような気分もあったわね。
 エドワード カクテル、どう? エヴィ。
 イヴリン いや、結構。
 エドワード 煙草は?
 イヴリン いや・・・いや、貰う。(一本取る。)
 ゾウイー インドはどうだったの?
 イヴリン さあね。インドには行かなかったんだ。
 ゾウイー まあご免なさい。行ったんだと思ってたわ。
 イヴリン いや。僕にはあのモロッコの暑さだけで十分だったよ。
 ゾウイー あなた、ちょうどいい時にいらしたわ。私達、ちょうどあなたの事を話していたところなの。
 イヴリン おやおや! 僕の話とはね。どういう事?
 ゾウイー エドワードは、もっとあなたのようになれたらなあって言ってたの、さっき。
 イヴリン 珍しく嬉しいことを言ってくれるね。それにその通りだし。でも何故、そう急に弱気になったんだい? 
 エドワード 急にじゃない。長い時間かけて発酵させた結果、悟ったんだよ。
 イヴリン(笑いながら。)ああ、そうだったか。まあ、誰だっていつかは正気にかえるものさ、遅かれ早かれ。
 ゾウイー いつもとは限らないわ、エヴィ。
 イヴリン 唯一、僕が感じている不満はね、エドワードには運動が不足しているという事なんだ。
 エドワード 運動はあまり得手じゃないんだ。
 イヴリン きみはちっとも努力しないじゃないか。偶(たま)には来て、一緒にスカッシュしたらどうなんだ?
 エドワード あれは運動なんてものじゃない、むち打ちの刑だよ。
 イヴリン 彼、少し顔色が悪いんじゃないか? ねえ、ゾウイー。 
 ゾウイー あなたに比べればね。
 イヴリン 働き過ぎじゃないのか?
 エドワード いや、それ程でもないよ。
 ゾウイー(立ち上がって)私、そろそろ行かなくちゃ、エドワード。 
 イヴリン 僕が来るのと入れ違いに君に帰られちゃ、明け透けに侮辱された感じだなあ。
 ゾウイー そんなことあなた、ちっとも感じてはいないでしょう? エヴィー。じゃあ、さようなら。
 イヴリン(ゾウイーと握手して)いつか軽く食事にでもどうぞ。 
 ゾウイー ええ、ぜひ。
 イヴリン 今は何処に泊まってるの?
 ゾウイー クラリッジホテル。
 イヴリン オーケー。連絡するよ。
 ゾウイー さようなら、エドワード。
 エドワード またいつでも。
 ゾウイー ええ。明日の朝、電話して。
 エドワード そうするよ。
 ゾウイー キャロルに宜しく。
(イヴリン、ゾウイーのためにドアを開ける。ゾウイー退場。エドワード、ゾウイーを見送る。見送る時、何かを考えている表情。)
 イヴリン(再び坐って。)すごいねえ、あのゾウイーってのは。
 エドワード すごい? なぜ。
 イヴリン 良く分からない。自分に自信を持っているところかな。
 エドワード(ぼんやりと。)うん。そうなる理由が色々あるんだろう。 
 イヴリン あの離婚をきっちり乗り切ったんだ、相当芯が強くなきゃ。ケネスは豚同然の卑劣な振舞いをしたらしいからね。
 エドワード ああ。
 イヴリン 一体全体どうしてあんな奴と結婚したんだろうな。
 エドワード(疲れたように。)人は何故結婚するか、か。
 イヴリン 僕は今まで一度も、「もう結婚しなきゃ」って気分になったことがないんだ。そういう例(れい)を厭というほど見せられたせいだね、きっと。
 エドワード そんなもの、見ようが見まいが関係ないよ。
 イヴリン 女って奴は一緒に暮らすには複雑極まる相手だからなあ・・・特にゾウイーのようなタイプは。
 エドワード ゾウイーが特別複雑な女だとは僕は思わないね。複雑の反対だ。頭が切れて、単刀直入に見えるけど。
 イヴリン そうか。きみの方が彼女のことはよく分ってるんだ。
 エドワード 君っていうのは、見事に一本調子だからね。
 イヴリン 一本調子?
 エドワード うん。君には生活上の公式が決めてあって、それ以上のものもそれ以下のものも、まるで目に入らないんだ。全く羨ましいよ。
 イヴリン 君には公式自体が要らないんだ。僕はいろいろ浮き沈みがあったからね。
 エドワード ええっ? 驚いたね、君と机を並べていた頃からずっと、君という人物は確固不動の生活を送っていると思っていたよ。
 イヴリン(満足げに。) 冗談はよしてくれ。
 エドワード 我らが英雄を崇拝する気持ちがまだ少しは残っているってことさ。
 イヴリン 下らん! 僕の方がちょっとばかりバランスが取れてる・・・それだけの事さ。
 エドワード それだけなら簡単な筈なんだがなあ。
 イヴリン ところで今日は話があって来たんだ。少し心配になってね。一度真面目に話しておきたいと思ったんだ。
 エドワード 何を。
 イヴリン 色々とさ。
 エドワード 成る程。それで?
 イヴリン どう切り出したものか・・・難しいな。
 エドワード なぜ難しいんだ。
 イヴリン うん・・・きみは少々怒りっぽくなるからね、偶にだけど。
 エドワード 何だい、何の話なんだ。
 イヴリン はっきりした事はまだ何も・・・少なくとも、そうあって欲しいよ。
 エドワード そうか。何の話か分ったよ。
 イヴリン そう?
 エドワード ああ。
 イヴリン 本当に?
 エドワード キャロルの事はこれまでも色々言われてるんだ。その事だろう?
 イヴリン うん。
 エドワード まあ、きみが心配することはないよ。
 イヴリン 普通なら僕なんかが出る幕じゃない。でもこの場合はちょっと違うんだ。
 エドワード いや、違わないね。これだってやはり君の出る幕じゃない。こんな事は誰にだってしょっ中ある事なんでね。ただの退屈な話なんだ、これは。
 イヴリン そりゃ、あまり賢い態度とは言えないな。
 エドワード これくらい賢い態度もないはずだが。
 イヴリン じゃあ、何もしないつもりなのかい?
 エドワード あー、もう沢山だ!(イヴリンに背を向ける。)
 イヴリン でも、遅かれ早かれしなきゃならないぜ。
 エドワード やらなきゃならないって何を?
 イヴリン 秩序回復令を宣言するのさ。
 エドワード そんな事で問題が解決できると、君、本気で思ってるのかい?
 イヴリン きみが信念をもって実行すれば、彼女だって少しは常識を取り戻すはずさ。
 エドワード 信念! それが厄介なんだ。信念なんて持った例(ためし)がないからね。
 イヴリン いい加減にしろよ。自分の女房だろう!
 エドワード (とにかく)その役は僕には無理だ。
 イヴリン どういう意味だ?
 エドワード つまり僕にはキャロルを(叩いても壊れない)アメリカ製のトランク並みに扱うことはできないってことさ。
 イヴリン(憤激して)何だいその話は、一体。
 エドワード キャロルだって人間だ、モノじゃないんだ。法律上の権利をただ振り回せばいいという訳には行かない。
 イヴリン 夫という夫が全員その調子で遣り出したら、イギリスはさぞいい国になるだろうがね。
 エドワード イギリスは今でもいい国だよ。
 イヴリン 君には時々うんざりさせられるよ、エドワード。
 エドワード そうだろうな、自分でも分かるよ。しかし、やりようがないんだ。
 イヴリン いいや、やりようはある。
 エドワード ある?
 イヴリン しっかりしろよ、少しは意地を見せろ。
 エドワード 分かってないな、君は。僕がキャロルの髪の毛を引っつかんで、ひっぱたいて、「何だ、お前の行動は!」とでも言えば、それであいつが「まあ! 何て男らしいの」ってな具合に恍惚となる・・・僕の足下にひれ伏す・・・そんな風に思ってるんじゃないだろうね。
 イヴリン そうなっても驚くには当たらない。とにかく、その方がたぶん彼女のためにはなるんだ。
 エドワード きみは背筋のピンとした英国軍人の割には、酷く筋の悪い芝居を思い付くもんだね。
 イヴリン 僕のことを血の気の多い野蛮人だと思いたきゃそれもいい。だがな、僕だったら死んだ方がましだ、自分の女房に虚仮(こけ)にされたまま何もしないでじっと坐ってるぐらいなら。
 エドワード(落ち着いた調子で。)君はそもそも女房なんて持ったことがないじゃないか、エヴィ。まあ、結婚したら君なんて、真っ先に尻に敷かれて参(まい)っちまうだろうがね。 
 イヴリン まさか! 僕はちゃんと女の御(ぎょ)し方ぐらい心得ている。
 エドワード 君のは外から見ただけの知識さ。実際は全く別ものなんだよ、夫婦ってのは。
 イヴリン おい、エドワード。一体これがどういう事かまるで分かってないんじゃないか?
 エドワード いや、良く分かってるよ。
 イヴリン 分かっちゃいない!
 エドワード 無駄なんだ、エヴィ。物事は成るようにしか成らない。
 イヴリン(軽蔑したように)今のままが一番楽だってことか? あー?
 エドワード ああ。
 イヴリン 一番楽なんてのは糞ッ食らえだ。
 エドワード キャロルにとっても自分じゃどうにもできない事なんだ。生まれつきああいう質(たち)なんだ、あいつは。
 イヴリン 馬鹿な!
 エドワード 「馬鹿な!」じゃない。あいつはいつだって周りの人間を引き付けなきゃいられない女なんだ。一人だけじゃ満足できず、次から次へとモノにしなけりゃ気が済まないのさ。
 イヴリン 君の口振りじゃまるで、男から男へ飛び回ってるのはただの遊び、面白半分だと言いたいように聞こえるぞ。
 エドワード まあそんな所だ、きっと。
 イヴリン 自分で自分に目隠しして一体何の得があるんだ。
 エドワード ああ、もう止めてくれ、エヴィ。
 イヴリン これは君が考えてるよりずっと深刻な話なんだ。
 エドワード いや、そんな事はない。
 イヴリン 深刻じゃないなら、今の君の気分はどうなんだ、正直。
 エドワード さっきも話したろう?・・・ただ退屈なだけだ。
 イヴリン そりゃ本心じゃない筈だ。
 エドワード まあいい、それならそれで。
 イヴリン 分かってるんだ。だてに何年も付き合ってきた訳じゃないからな。そう簡単に騙されやしないよ。
 エドワード じゃあ、どういう気分ならいいって言うんだ?
 イヴリン 君にはやらなきゃいけない事がある。
 エドワード やらなきゃ? 何を?
 イヴリン きみに出来ないなら、僕がする。
 エドワード エヴィ、今日の事を一言でも喋ったら決して許さないぞ。キャロルにでも、他の誰にでも。
 イヴリン ご心配には及ばない。話すよりもっと好い方法を思い付いたよ。
 エドワード 何だ。
 イヴリン まあ、任せておけよ。
 エドワード エヴィ・・・
 イヴリン キャロルは懲らしめる必要がある。
 エドワード 懲らしめる?
 イヴリン 男に対する自信に少しお灸をすえるんだ。
 エドワード(にやりとして)全くよく言うな、エヴィー。
 イヴリン いや、キャロルには一度きっちり思い知らせてやる必要があるんだ。
 エドワード まるで男を代表して、敵(かたき)を討とうっていう態度だな。
 イヴリン それもある・・・が、何より君のためさ、これは。
 エドワード 君が何故そんなにキャロルを憎むのか分からないよ。
 イヴリン そりゃ全く違うよ。僕はキャロルを好きでも嫌いでもない。何しろキャロルは僕なんか全く眼中にないんだからな。
 エドワード まさか君からそんな女の言いそうな台詞を聞かされるとはねえ!
 イヴリン それはどういう意味だ?
 エドワード いや、気にしないでくれ。
 イヴリン 僕は君が悉(ことごと)くしてやられるのをただ黙って見ている訳にはいかないんだ。
 エドワード 君という男は随分と親切なんだな、人の女房の事でそんなにカリカリするなんて。しかしこれは、君が怒る筋合いのものじゃない。必要なら僕が怒る。
 イヴリン 今がその怒るべき時なんだよ。
 エドワード その判断は僕に任せてくれ。
 イヴリン なあエドワード、いいか?
 エドワード 聞こえたろう、今言ったこと。君が干渉するべきことじゃない。これは僕の問題なんだ、僕一人の。
 イヴリン 女についちゃ、君より僕の方がよく知ってるんだ。
 エドワード 君がか? エヴィ。
 イヴリン 僕が今までに手掛けた女は全く数えきれないほどだからな。
 エドワード 手掛けただなんて、それじゃまるで仕事だな。(笑う。)
 イヴリン どうしようもない奴だな。
(ドアが開いてキャロルが入ってくる。いつものように上機嫌の様子。)
 キャロル あら、エヴィ! (エヴィと握手する。)エドワード、電話で何か私宛の伝言あった?
 エドワード いや、なかった。
 キャロル(手袋を外しながら)ひどく疲れたわ。
 エドワード 何処に行ってたんだ?
 キャロル ファニーの所で麻雀をしてたの。今日は随分、勝ったわ。
 イヴリン そいつはすごい。
 キャロル マーゴットの絵はどう? 進んでるの?
 エドワード 殆ど出来上がってる。
 キャロル エヴィ、煙草を一本とって。
 イヴリン(煙草を一本渡す。)今日は見るからに調子が良さそうだね、キャロル。
 キャロル(笑いながら。)ええ、調子はいいわ。でもエドワードの事が少し心配。
 イヴリン どうして? 僕には全く元気そうに見えるけど。
 キャロル あなたには分からないの。この人が働きすぎで疲れてるときには、ちゃんと分かるのよ、私には。ねえ、分かるわよね? あなた。
 エドワード ああ、きみにはお見通しだ。
 キャロル あなたみたいな人達が一日中、エドワードの周りをぶんぶんぶんぶん飛び回ってるせいだわ。ねえ、出掛けましょうよ、エドワード。ちゃんと休暇を取って・・・何処か静かな所へ。
 イヴリン そりゃ恐ろしく好いアイディアだ、うん。
 エドワード(笑いながら。)僕は駄目だよ・・・いずれにしろ、この先六週間は。  
 キャロル(少し肩をすくめて。)これで分かったでしょう。この人と何か一緒にしようたって土台(どだい)無理な話なの。
 イヴリン 何もかも投げ出して、ちょっと出掛けてくればいいじゃないか、えっ?
 エドワード おかしいね、今日の午後、ゾウイーもそんな事を言ってたよ。
 キャロル ゾウイーも? 彼女が戻ってたなんてちっとも知らなかったわ。
 エドワード 昨日、着いたばかりだよ。
 キャロル 何故、教えてくれなかったの?
 エドワード 僕も今朝までは知らなかったんだ。彼女の電話で起こされるまではね。
 キャロル そう、とにかく時間を無駄にしなかったってわけね、あの人。
 エドワード そう。無駄にするような女じゃないよ、あれは。
 キャロル いつもみたいに喋って喋って喋り捲(まく)ったでしょ、あの人。
 エドワード ああ、二人とも相当長いこと喋ってたな。
 キャロル 何を?
 エドワード ありとあらゆる事だね。
 キャロル 道理で疲れた顔してると思った。
 イヴリン 彼女の方はとても元気そうだったよ。
 キャロル 彼女はいつもそう。いつだって元気溌溂なんだから。
 エドワード(やや皮肉を込めて。 )ゾウイーがきみに宜しくって言ってたよ。
 キャロル(退屈そうに。)そう・・・私からも宜しくって伝えてね、また電話があったときには。 
 エドワード 彼女となら今夜、ハリントンの店で会えると思うよ。
 キャロル いいえ、駄目。あそこへは行かないから。どうせまたあの酷い弦楽四重奏があるんでしょう? 前回行って、もう懲り懲り。胃が痛くなったわ。
 エドワード じゃあ、僕一人で行くとするか。
 キャロル 私の事なら気にしないで。そうすればあなた、ゾウイーとお話できるわ。
 エドワード きみの方は何処で夕食をとるの?
 キャロル チャロナー夫妻とエンバシーホテルで。それからどこかへ行くつもりだけど。
 エドワード 車は要るかい?
 キャロル いいえ。迎えに来てくれることになってるの。
 エドワード 分かった。じゃ僕は向こうで着替えてくる。エヴィはまだいてくれ。出来れば夕食前に何処か君の行きつけの、あまり行儀のよくないクラブで軽く食前酒といきたいんだ。
 キャロル お二人、夕食も御一緒?
 エドワード いや。僕はクラブの後はロシアのバレエ団が来てて、そいつを見る予定なんだ。リチャードとシェイラと一緒にね。ボックス席か何か、取ってあるって言うんだ。
(エドワード、寝室へ退場。)
 イヴリン 今日は君、素敵だね、キャロル。
 キャロル(眉を上げて。)有難う。
 イヴリン 帽子もよく似合う。最近買ったの?
 キャロル いいえ・・・酷く古いもの。
 イヴリン 少しも、そんな風には見えないよ。
 キャロル ありがとう。(扉の方へ進む。)
 イヴリン キャロル・・・ 
 キャロル(振り返って)なに? 
 イヴリン いや別に。
 キャロル(意外に感じて)一体どうしたっていうの?
 イヴリン いや・・・本当に何でもないんだ。
 キャロル そう・・・私もちょっと着替えて来なくちゃ。じゃあ、また後でね。
 イヴリン きみが降りて来た時にはもういないと思うけど。
 キャロル まあ、エヴィったら。あなた今日は本当に変よ。
 イヴリン どうして?
 キャロル どうしてかしら。とにかく、いつもとは違うわ。
 イヴリン もう少しここにいて話でもしないか? もう随分、きみがちゃんと話をする所を見ていないんでね。
 キャロル それはあなたが悪いのよ。
 イヴリン だって君はいつも予定がぎっしりだからね。
 キャロル そう、私には空き時間は一分だってないように見えるの、人には。あーあ、快楽主義に溺れずに生きていけたらどんなにいいだろうって思うわ。
 イヴリン じゃあ何故そんな生活を続けるんだい?
 キャロル 続けてる訳じゃないわ。ただこんな風になっちゃうだけ。
 イヴリン もし君が僕の妻なら僕は滅茶苦茶に腹を立てるだろうな、その事で。
 キャロル(笑いながら) 私が奥様じゃなくて、あなたホッとしてるんじゃないの?
 イヴリン それは分らないな。
 キャロル(驚いて。)まあ、どういうこと! 私のことなんて嫌ってるとばかり思ってたけど。
 イヴリン きみを嫌ってる?
 キャロル ええ。だっていつだって酷くよそよそしいし、私の事なんてうわの空なんですもの。ああ、自分は全く相手にされてないんだって、酷く味気ない気持ちにさせられるわ。
 イヴリン それはないよ。どうしてそんな風に?
 キャロル(陽気に)そうとしか思えなかったの、本当に。あなたという人は結局は女というものが嫌いなんだって・・・ええ、そうなのよ。 
 イヴリン そりゃ全くの誤解だ。女性ほど愛しいものはないよ。
 キャロル まあ、驚きね。あなたからそんな優しい言葉が聞けるなんて。
 イヴリン 僕が君を嫌ってるなんて、そんな風に思われたまま、黙ってる訳には行かないじゃないか。
 キャロル あなたはエドワードの方に好意的だわ、とても。それでそんな気がしたのね。妻というものは夫の親友にはそんな感情を抱くものなのよ。
 イヴリン エドワードに好意的だったら、君には好意的じゃないって言うの? そんなの理由にはならないよ。
 キャロル ならない?
 イヴリン ならないさ、勿論。
 キャロル そう。なら、良かったわ。本当に。
 イヴリン じゃあ、この件はこれで解決だね?
 キャロル ええ、解決。もうこれからはあなたの事、恐い人だって思わないわ。
 イヴリン 僕を怖がるだって。見当違いも甚だしいよ。
 キャロル 見当違いじゃないわ。ごく当然の事よ。
 イヴリン 何故だか分からないな。僕なんて全く人畜無害な男なのに。
 キャロル 本当?
 イヴリン おとなしいもんさ。子猫と一緒。
 キャロル そうかしら?
 イヴリン ああ、これまでずっと君の頭の中では、僕という男は酷く恐い奴だっていうイメージが出来上がってた訳だね。全く酷い。全然知らなかった。
 キャロル 私が悪いわけじゃないのよ、ちっとも。
 イヴリン いや、君が悪いんだ。疑い深くって、人を全く信用しようとしないんだから。
 キャロル いいえ、あなたよ、悪いのは。だって、いつだってお高くとまって。
 イヴリン お高くなんかとまっていなかったよ、全然。
 キャロル でもあなた、当たり触りのないことしか私には喋ったことないわ。知り合ってから一度だって。
 イヴリン そんなことしか喋れない君の雰囲気だったからね。
 キャロル じゃあどういう雰囲気だったらよかったのかしら。
 イヴリン さあ・・・ちょっと優しくしてくれていたら・・・
 キャロル 優しい女じゃなかったって言うのね? それはどうもご免なさい。
 イヴリン いや、君は優しかったと思うよ、本当は。でも僕にはいつも、君が僕のことをつまらない奴だって思ってるような気がしてたんだ。
 キャロル あなたはつまらない人だったわ・・・これまでは。
 イヴリン(落胆して)ほら、やっぱり!
 キャロル(冷静に)私、「これまでは」って言ったのよ。
 イヴリン 僕のようなタイプの男は世間との折り合いが悪いからね。何処かしっくり行かない所があるらしいんだ。
 キャロル 折り合いが悪くて残念なの? それともいい気分?
 イヴリン まあ、正直な所、いい気分。こんな場面に急に出くわすまではね。
 キャロル あなたっておかしな人ね。
 イヴリン おかしな人?
 キャロル ええ。結局は女というものを見くびってるの、あなたは。
 イヴリン どういうこと?
 キャロル あなたはこう考えてるでしょう? 女というものは遊び上手でお喋りやダンスのうまい、そんな男が好きなだけだって。
 イヴリン 女性にとっては、それはごく当然だと思うけど。
 キャロル いいえ、そうじゃないのよ。
 イヴリン じゃあ、つまり、僕にもまだ望みはあるってこと?
 キャロル ほーら、もうやりだした。
 イヴリン 参ったね、そうはっきり言うなんて。
 キャロル ご免なさい。
 イヴリン どっちにしろ、ちょっと経つとすぐにまた僕のことを酷く退屈な男だって思うんだ、君は。
 キャロル いいえ、そんなことないわ、私。
 イヴリン 本当? 僕は言われた事は額面通り、糞真面目に受け取るよ。
 キャロル まあ嬉しい! 私の知ってる男の人って大抵、言われた事をちゃんと真面目に受け取らない人達ばかりですもの。
 イヴリン 全く凄い人だね、君って女は。
 キャロル 何がそんなに凄いの?
 イヴリン 僕は今まで女の人とこんな風に喋ったことは一度だってないんだ。その僕が君のせいでこんな風に喋ってるんだからね。凄いよ。
 キャロル 「凄い人」・・・褒め言葉として受け取っておくわ。あなたはそのつもりじゃなかったかもしれないけど。
 イヴリン 凄いって、本当だよ。本気で褒めているんだ。
 キャロル そうね。そうらしいわ。
 イヴリン 僕にも今、分かったよ。どうして君があんな快楽的な生活を送ってるのか、何故誰もがあんなに君に夢中になるのか。
 キャロル(笑いながら。)何故なの? 
 イヴリン 君って人は相手が本当は何を考えてるのか、それを上手に引き出すコツを誰よりも良く心得てるんだよ。
 キャロル いつもとは限らないわ。上手く行くのは相手が私の好きな人の時だけ。
 イヴリン 君のせいで僕は生まれて初めて孤独を感じたんだ。
 キャロル 全く嫌な女ね、私って。
 イヴリン 悪いのは君じゃない。僕の方だ。
 キャロル 悪いって、何が?
 イヴリン 僕の方こそもっと努力してこのがさつさを改めなきゃならないんだ。
 キャロル がさつな所なんてちっともないわ。
 イヴリン いや、そうなんだ・・・僕という人間は自分の事にばかり夢中になって、ある時突然誰かに教えられるまでは、自分が如何に多くのものを見落としているか、まるで気が付かない。君のお陰で今それがすっかり分かったんだ。
 キャロル 本当は別に何も見落としてなんかいないのよ、あなたは。自分でないものになろうとするなんて駄目。自分自身のままでいた方がずっといいの。
 イヴリン 親切だね、そんなことを言ってくれるなんて。
 キャロル 正直に思ったことを言っただけ。ああ、あなたには想像もできないでしょうね。いつだって同じような事を聞かされ続けて私がどんなにうんざりしているか。
 イヴリン 本当に?
 キャロル 勿論。
 イヴリン 今晩、君に夕食の予定が入っていなければなあ。
 キャロル 何故?
 イヴリン 是非とも君に来て貰いたいんだ。ゆっくり落ち着いて夕食を共に出来れば嬉しいんだが。
 キャロル ええ、是非そうしたいわ、エヴィー、でも、今日は・・・
 イヴリン ああ、分かってる。とてもそんな事できないって。でも、全くやりきれない気がしてね。僕が君のことをちゃんと理解しようとし始めた途端、今度もまた、君は僕の視界からふっと消えてしまう。
 キャロル(優しく。)今夜でなくってもあるわ、機会はいくらでも。
 イヴリン うん、あるだろうね。
 キャロル あなたのこと、もう今は恐くないわ。・・・あなたって赤ちゃんみたい。(始めは狼かと思ったけど、良く見たら可愛い兎だった、ってね。)
 イヴリン 月を欲しがる赤ん坊か。(さしずめ、お月様に思いを馳せて、地べたで泣いてる兎なんだろうな、僕は。)
 キャロル 月だなんて・・・私、そんなに高いところに自分がいるとは思ってないわ。
 イヴリン いや、君は月と同じだよ。とても手が届かない。(いや、君は正にヴィーナスさ。その体には指一本、触れることができないんだからね。)
 キャロル エヴィー!
 イヴリン ごめん。こんなことを言っちゃいけなかった。
 キャロル(少し間を置いてから。)いいわ、もう気にしない、私。
 イヴリン いい人だね、君って。
 キャロル そう?
 イヴリン 明日の朝、電話してもいいかな?
 キャロル 勿論。
 イヴリン ひょっとすると・・・そのうちいつか・・・。
 キャロル(意を決して。)私、今夜は、あなたとお食事するわ、エヴィー。 
 イヴリン キャロル!
 キャロル ええ。チャロナー夫妻との予定は先に延ばせるから。とにかく、酷く退屈なの、あの人達。あなたとお話していた方がずっといいわ。
 イヴリン 君って、本当に優しい人だ。ここまで僕に同情してくれるなんて。
 キャロル 同情! やめて頂戴。好都合だからじゃないの、お互いに。私も退屈、あなたも退屈。それが逃れられるの。夕食は何処にしましょうか?
 イヴリン 何処でも、君が好きな所で。
 キャロル 私、知ってる人に会いそうな場所だけは駄目。だから難しくなっちゃうけど。
 イヴリン 君さえ良かったら、僕の家(うち)はどう? ただ、恐ろしく殺風景だけど。
 キャロル あら、いい考えだわ。そうしましょう。それに気が向いたら、食事の後で何処かにこっそり出かけることもできるし。
 イヴリン 本当にそれでいいんだね?
 キャロル ええ、迷いはないわ。一度は二人っきりで過ごすのも素敵じゃない。
 イヴリン ただ、エドワードには内緒。
 キャロル(すぐに。)何故? 
 イヴリン うん。彼には言ってしまったんだ、今夜は夕食に付き合えないって。一人で済ませようと思ってたから。
 キャロル でも、今はそのつもりじゃないのね。
 イヴリン うん。神様に叱られちゃう行為だ。
 キャロル そう、本当。後から迎えに来て下さる?
 イヴリン うん、そうする。何時に来よう?
 キャロル 少し遅くに・・・九時頃。
 イヴリン 丁度いい頃だ・・・。
(エドワード、夜会用の礼装姿で登場。)
 キャロル 早かったわね。
 エドワード ちょっと急いだんだ。エヴィーはひどくせっかちな男だからね。君は、ハリントンの店へはやっぱり行かないのかい?
 キャロル 勿論行かないわ。何しろ我慢できないのよ、あそこは。
 エドワード うん、じゃあ分かった。僕の方で君のことは謝っておくよ。
 キャロル そうして。助かるわ。じゃあ、さようならエヴィー。また近いうちにいらしてね。
 イヴリン ありがとう。そうするよ。
 エドワード じゃ行こうか。余り時間がないんだ。お休み、キャロル。
 キャロル お休みなさい、あなた。
(エドワードとイヴリン退場。キャロルは煙草に火をつけ、電話へと進む。) 
 キャロル(電話口で)メイフェアーの七0六五をお願いします・・・ええ。(間)もしもし! あなたなの、フェイ・・・ええ。ハリーと代わって戴けるかしら。ええ、そう。今の方が。待ってます。・・・ハリー・・・ええ、私。実は、今夜の食事だめなの。何故って・・・今日は疲れちゃって。お昼に会ったときはそんな風に見えなかったかもしれないけど、今はとても・・・まあ、そんな無理を言わないで、ハリー・・・いいえ、そんな事じゃないの、全然。今夜はベットで食事を取るわ・・・だめ。もうたぶん寝てるわ・・・ええ、あなた、そんなにしつこいんだったら、私、勿論・・・あなた馬鹿よ、ハリー。そんなことを言い出すなんて! 自分で分らないの、馬鹿ってことが。さよなら!(ガチャンと受話器を置く。)はっ、脳たりん!
(キャロル、バッグと手袋を取り上げて、退場。)
                  (幕)

     第 二 幕
(イヴリン・バサーストのフラット。男性的な部屋。室内装飾は厳格に施されてはいるが、全く創造性がない。舞台左手奥にドア。ドアを開けると小ホールとその奥に正面玄関が見える。右手奥にエヴィーの寝室。左手前方にドア。これは食事等の準備に使う部屋に通じている。このドアと寝室の間に暖炉があり、暖炉の前には大きなソファーと二三脚の肘掛け椅子がある。右手の壁は窓が占めている。部屋の中央に二人用のテーブル。)
(幕が上がると、同じ日の午後九時十五分頃。ブラックウェルが最後の仕上げにかかっているところ。つまり薔薇の花束の花瓶やアイスバケットに浸けたシャンパンのボトルを整えている。自分の仕上げが完璧かどうかを確かめながら見回す。その時、玄関に鍵の音がする。ほどなくイヴリンとキャロル登場。イヴリン、ディナージャケット姿。キャロルは入念な仕上がりの、しかもシンプルなディナードレス、それに袖無し外套。)
 キャロル まあ、素敵な部屋ね!
 イヴリン ここにはもう何年も住んでてね。
 キャロル 如何にもあなたらしいわ、ここ。
 イヴリン 僕らしいって、何故分かるんだい?
 キャロル あなたらしい所よ、ここ。そう思わないの?
 イヴリン そんな事、考えたこともなかったな。
 キャロル がっちりしていて、厳粛な感じさえあるわ。
 イヴリン 嫌われてるみたいだな。
 キャロル いいえ、逆。気に入ったの。
 イヴリン そりゃ良かった。君の外套を。(外套を脱がせ、椅子の背に掛ける。)カクテルを頼む、ブラックウェル。
 ブラックウェル 畏まりました。(退場。)
 キャロル あの人、この家と同じくらい前からあなたと一緒らしいわね?
 イヴリン 実際はもっと前からだね。ブラックウェルは僕が雛(ひよ)っこの少尉だった時、僕の従卒をしていたんだ。
 キャロル(微笑んで)きっと素敵な少尉だったんでしょうね、あなたなら。 
 イヴリン いや、そんな事はないよ。エドワードに聞けば分かる。
 キャロル エドワード、あなたのことを尊敬しているわ。
 イヴリン 古い友達だからね、二人は。
 キャロル そう、不思議な感じ。だってちっとも似てないんですもの。
 イヴリン 彼は頭がいい。僕よりはずっと。
 キャロル そんな・・・
 イヴリン いや、そうなんだ。
 キャロル あなただって自分の務めはちゃんと果たしてきたでしょう。それに、負け知らず、いつだって。
 イヴリン 僕のしたことなんか、何もありはしない。
 キャロル そんなことないわ。(部屋を少し歩きまわる。写真に目をとめて。)これは誰?
 イヴリン マリー・リドル。婚約していたんだ、昔。
 キャロル ああ、そう。
 イヴリン 何故、結婚しなかったか知りたい?
 キャロル ええ、とても。
 イヴリン 駆け落ちしたんだ、良く知りもしない男とね。
 キャロル まあ、あなたって運がないわ。
 イヴリン 死ぬほどあいつを退屈させたんだ僕は、きっと。
 キャロル 彼女のこと本気で愛してたの?
 イヴリン うん。そうだと思う。
 キャロル 想像できないわ、あなたが愛してたなんて。
 イヴリン まあ、しょっ中はない。
 キャロル(微笑みながらイヴリンの腕を軽く叩く。)気にすることないわ、エヴィー。
 イヴリン 気にはしてない。却ってほっとしてるよ、本当に。
(ブラックウェル、カクテルを持って登場。二人、カクテルを受け取る。)
 イヴリン 夕食の支度を頼む。
 ブラックウェル はい。畏まりました。(退場。)
 キャロル(別の写真を見ながら)この方、あなたのお母様?
 イヴリン うん。
 キャロル そっくりね、お母様と。
 イヴリン 鼻のせいだよ。
 キャロル それに顎も。がっちりしていて、後には退かないって感じ。私、がっちりした顎って好き。
 イヴリン 見かけだけでね。
 キャロル(カクテルを一口啜って。)そうかしら?
 イヴリン そうさ。顎はがっちりしていても、弱いんだ、僕は。水みたいに。
 キャロル 信じられないわ、証拠を見せて下さらなきゃ。
 イヴリン まあ、止めておこう。
(ブラックウェル、キャビアを持って登場。)
 イヴリン さあ、こっちに坐って。
 キャロル(テーブルについて。)まあ綺麗! この薔薇。
 イヴリン ささやかな歓迎の印さ。
 キャロル 嬉しい。そうだといいんだけどって思ってた。
(ブラックウェル、キャロルにキャビアを取り分ける。)
 イヴリン(シャンパンを開けて)君に来て貰えて凄く得意な気分だよ。
 キャロル まあ、何故?
 イヴリン ただそう感じるんだ。
 キャロル 嘘ばっかり。(イヴリン、キャロルのグラスに酒を満たす。次いで自分のグラスも。)有難う。
 イヴリン 凄く得意な気分だと言ったのは、つまり、あり得ないと思ってた事が起きてるからなんだ。
 キャロル 私があなたと夕食を共にすることが?
 イヴリン そう。
 キャロル 馬鹿ね。(微笑む)
 イヴリン 君はいつも僕には恐しく眩しい女性に見えたんだ・・・いつも引っぱりだこで、常に忙しいんだって。
 キャロル 私に得意な気分にさせられたからって、それで私にお世辞使うことないのよ。
 イヴリン お世辞?
 キャロル 違う?
 イヴリン お世辞でもあり、お世辞でもなし、だ。
 キャロル ほらね? あなたは一度だって私の事ちゃんと認めたことなんてないのよ、本当は。
 イヴリン そんな事は言ってないよ。
 キャロル でもやっぱり認めてはいない・・・
 イヴリン 認めるも認めないも、分らなかったんだ、君が本当はどんな女性なのか。
 キャロル(微妙な哀愁を込めて)私にも自分がどんな女なのか分からないの、自分では。
 イヴリン 君にはそんな事、考えてる暇が無かったんだろう?
 キャロル ええ・・・そうね。
 イヴリン(勿体ぶった調子で)人は誰でも皆、一皮剥けば何を考えてるかしれやしないものさ。
 キャロル(笑いながら)まあ、エヴィーったら!
 イヴリン え? 何?
 キャロル だってそれ、随分真剣な言い方!
 イヴリン ああ、笑われちゃったか。
 キャロル いいえ、笑ってなんかいないわ。
 イヴリン いや、笑われたっていいんだ、本当は。笑われるっていうことは、君が楽しんでいるっていうことだからね。
 キャロル ええ、私、楽しいわ。
 イヴリン よかった。退屈なだけだろうって、酷く心配だったんだ。
 キャロル ほらまたよ。謙遜して見せて、その実、人の気を引こうっていう戦略。
 イヴリン もうイエローカードかい、早すぎだよ、それは。もう少しゆっくりやってくれなくちゃ。参っちゃうよ、こっちだって。(笑う。)
 キャロル 分ったわ。じゃ、ゆっくりやる。(こちらも笑う。)
 イヴリン なにせ頭の回転が遅い質(たち)だからね、僕は。たとえ目的は果たせても、時間が掛かるんだ。
 キャロル そんなことないわ!
 イヴリン イギリス陸軍はウイットには強くなくってね。
 キャロル 陸軍を侮辱する言葉は一言だって聞きたくないわ。
 イヴリン(おどけた調子で)イギリス陸軍、バンザーイ! (二人一緒に笑う。)
 キャロル 小学生ね、それじゃ。
 イヴリン 君と一緒だと、こっちは小学生の気分だ。
 キャロル 私ってそんなに老けてるの?
 イヴリン そんなつもりで言ったんじゃないさ、分かってるだろう。
 キャロル 今回は許してあげるわ。二度目はもう駄目よ。
(ブラックウェル、スープを持って登場。キャビアの皿を片付ける。)
 イヴリン こんな風に静かに夕食を取るのは久しぶりなんじゃないかな?
 キャロル ええ、何年ぶりかしら。
 イヴリン そうだろうと思った。
 キャロル あなたまた非難がましい顔になってるわ。
(ブラックウェル、スープの給仕をしてから退場。)
 イヴリン いや、羨ましいんだ、きっと。
 キャロル 羨ましい?
 イヴリン うん。
 キャロル 嘘。違うわ、その顔。
 イヴリン 君の生き方は確かに僕には合わない。でも、楽しそうだな。たまにはよさそうだ。
 キャロル じゃあ、協定を結びましょう。
 イヴリン 何の協定? まあ大体、察しはつくけど。
 キャロル 大転換するのよ、少しの間。
 イヴリン 快楽への誘(いざな)いだね。
 キャロル あちこち、お芝居やらパーティやらに出かけるの、私と一緒に・・・。
 イヴリン 僕はダンスは余り上手くないよ。
 キャロル 簡単よ、私が教えてあげる。
 イヴリン 酷く手こずると思うけど。
 キャロル ここに蓄音機、ある?
 イヴリン うん。
 キャロル じゃあ、夕食の後でやりましょうよ。
 イヴリン 分った。
 キャロル 何もかも嫌になって、うんざりした時は私、いつでもここに来て、こんな風に静かに夕食をとることにするわ。
 イヴリン そうしてくれるかい? 本当に。
 キャロル ええ勿論。但しあなたが私達の協定をちゃんと守ってくれれば。
 イヴリン 君の方が先に根負けして協定を破ることになるんじゃないかい。
 キャロル 見くびられたものね、私も。
 イヴリン 見くびるだって? とんでもない! 何故?
 キャロル 全然、信用してないんですもの。
 イヴリン いや、そうじゃないんだ。信用はしてる。ただ、この協定で僕が手に入れるものは、君が得るもの以上だっていう気がするものだから。
 キャロル そんな事ないわ。これはお互い損得なしの取り引き。私が日頃、どんなに酷くうんざりさせられてるか、想像もできないでしょうね、あなたには。
 イヴリン うんざりか、可哀想に。
 キャロル ここは平和ね、本当に平和。私、心から感謝しているわ。(二人、しばし無言のまま見つめ合う。イヴリン、微かに途方に暮れた表情。)
 イヴリン 協定、成立だ。
 キャロル 良かった。じゃ、握手。
 イヴリン オーケー。(二人、テーブル越しに握手を交す。キャロル、自分の手をイヴリンの手の中に、必要な長さより僅かに長く留めておく。)
 キャロル 木曜日の晩、「頭の丸い釘」の初日があるんだけど、見に行かない?
 イヴリン 「頭の丸い釘」? 何? それ。
 キャロル お芝居。バートン・トラスクの新作。
 イヴリン トラスク? 何? それ。
 キャロル(笑って) まあ、エヴィーったら。
 イヴリン 僕が知ってる訳ないだろう?
 キャロル これまでで一番話題になってる劇作家・・・っていうだけだけど。
 イヴリン ごめん、知らなくて。
 キャロル 「罪深き未婚の女」を書いた人。
 イヴリン ああ、去年、大騒ぎされてた例の芝居ね。
 キャロル そう。
 イヴリン かなり際物(きわもの)だったっていう話だけど。
 キャロル 別にたいしたことなかったわ、実際は。ひとりものの女が自分よりも若い男と恋に落ちるっていうだけ。でも教会がそこのところを嫌って・・・
 イヴリン ああ、なるほど!
 キャロル どうやらあなた、かなり教育する必要がありそうだわ。
 イヴリン そうらしいね。
(ブラックウェル、登場。スープ皿を片付ける。)
 キャロル 午後にちょっと話しただけで、すぐにその晩の食事に誘ったり誘われたり、少し変じゃなかったかしら? 私たち。
 イヴリン ひどく変だったよ。でもこんな幸運な日はないよ、僕にとっては。
 キャロル そんな風に言われると、気恥ずかしいわ。そう、私にとっても幸運だったわ、これ。
 イヴリン(勢い込んで)君も? 本当? 
 キャロル(下を見ながら)ええ、勿論。
(ブラックウェル、野菜を添えた山鶉(うずら)の肉料理を持って登場。二人が以下の会話を交す間、それらを給仕する。)
 イヴリン 最近、エドワードは随分、疲れてるみたいだね。
 キャロル(ぼんやりと)そう? 気が付かなかったわ。 
 イヴリン えっ? さっき自分でもそう言ってたよ。
 キャロル ええ、そうだったわ。思い出した。私が帰って来た時、あの人、青い顔をしていたわ。何を二人で言い争ってたの? あんなに熱心に。まるでフリーメーソンの秘密集会に割り込んだみたいな気分だったわ。
 イヴリン いや、大した話じゃないよ。
 キャロル ひょっとして、私のこと?
 イヴリン とんでもない。違うよ!
 キャロル 何もそんなに勢い込んで否定する必要なんかないわ。たとえそうだったとしても、私には別にどうでもいいことなんだから。
 イヴリン シャンパン、もう少しどう?
 キャロル 有難う、あと少しだけ。(キャロル、グラスを差し出す。イヴリン、そのグラスを満たしてから自分にも注ぐ。)
 イヴリン(一か八か大胆にも。)僕達が君のことを話してたなんて・・・どうして思ったんだい?
 キャロル 二人とも、まずい所を見られたなって顔してたから。
 イヴリン そんな顔をしていたっていうことは、君のことを話してはいなかったっていうことじゃないか。(もし君に対して疚(やま)しい話をしていたんだとしたら、そんな所を見せたりはしないさ。)
 キャロル 成る程、ごもっともですこと。
 イヴリン しかし参ったね、これは。
 キャロル 参った? どういうこと?
 イヴリン つまり、君の予想通りさ。実は君のことを話してたんだ。
 キャロル あら、あら。
 イヴリン やっぱり君には嘘は通じない。すぐばれてしまう。
 キャロル 私の、何の話?
 イヴリン 言わなきゃいけないかな?
 キャロル 勿論。
 イヴリン 追求、ひどく急だね。
 キャロル さあさあ、何の話?
 イヴリン エドワードに説教していたんだ。
(ブラックウェル、退場。)
 キャロル 説教?
 イヴリン そう。自分の仕事の事ばかり考えていて、彼女のことを考えてやっていないじゃないかってね。
 キャロル それで、あなた本当にそう思ってるの?
 イヴリン うん。
 キャロル それは違うわ。全くあべこべよ。私の方がエドワードを無視してるの。だから、その説教、私用にとっておいて下さったらよかったのよ。
 イヴリン いや違うな。間違ってるのは彼の方さ。あいつは忌々しいほど気取ってる。それがいけないんだ。
 キャロル そう言って下さるのは嬉しいわ。でも、ちょっとお節介ね。
 イヴリン 済まない。「お節介」の非難はあたってるよ。
 キャロル 私、非難してる訳じゃないの。ただちょっと・・・分からなくて・・・
 イヴリン 何が分からないんだい?
 キャロル あなたが何故、私の側に立って下さったのか、それがとっても不思議。
 イヴリン 事態が事態だからね。僕も考えたんだ、この問題は。
 キャロル 私にはそもそも問題自体があったなんて思えないの、まるで。
 イヴリン 今はない。でもすぐにそうなるかも知れない。
 キャロル 酷いわね、エヴィー。あなた自分で言ってること、分ってるの?
 イヴリン エドワードがどんな奴かは、僕には良く分かってるからね。
 キャロル そして、私のことは何も分ってない・・・
 イヴリン そうなんだ。僕はあいつのことは良く知ってるけど、君のことは分っちゃいなかった。だから、まずあいつの所に行ったんだ。君に話そうったって、君には僕は馬鹿にされているし、嫌われているからね。
 キャロル 馬鹿よ、そんなこと思うなんて。
 イヴリン いや、嫌われていたことは確かだからね。そんな問題のことを話そうものなら、八つ裂きにされていたかもしれないよ。
 キャロル よほど気難しい女だって思われてたのね、私。
 イヴリン それは違うよ。ただ君がこの問題をどう考えていたかは、分っていたつもりだった。
 キャロル で、今は?
 イヴリン 今は、何が何だか・・・
 キャロル 私がそうさせたっていうの?
 イヴリン そう。僕が君の考えだと思っていたものがすっかり狂ってしまったな。
 キャロル そう! 私、嬉しいわ。
 イヴリン 意地悪なんだなあ。
 キャロル さあ、だからやって頂戴、あの人にやるつもりだった説教を私に。
 イヴリン そんなもの、しないよ。
 キャロル ねえ、二人が何となく擦れ違っちゃうのは、どちらがいけないのかしら? エドワード、それとも私?
 イヴリン エドワードがいけないんだ。
 キャロル いけないのは私、さっきそう言ったでしょう、私。
 イヴリン うん。でも信じられない。
 キャロル 強情ね。
 イヴリン 本当に君のせいなのかい?
 キャロル ええ。
 イヴリン 何故?
 キャロル(真面目に。)何故って・・・言えないわ。
 イヴリン さあ。
 キャロル だって、難しいんですもの。
 イヴリン 僕は君の味方だよ。
 キャロル ええ、そう思ってるけど。
 イヴリン 君は、まだ彼を愛してるんだろう?
 キャロル ええ、まあ・・・そう。
 イヴリン でも、昔ほどではない・・・?
 キャロル ええ、昔ほどじゃ・・・
 イヴリン でもそれは、結婚生活では仕方のないことじゃないのかな?
 キャロル そうね。
 イヴリン 悲しいことだ。しかし・・・
 キャロル 悲しい、なんてことないのよ。結婚生活でそんなことを悲しいなんて感じるのは、感傷的な人間だけよ。
 イヴリン 感傷的な人間の気持ちなんて分かるのかい? 君に。
 キャロル(沈んだ調子で。)私ってそんなに強い女に見える?
 イヴリン うん、少しね。
 キャロル 本当はそうでもないんだけど。
 イヴリン エドワードは不幸せじゃないかな。
 キャロル 心の奥ではそうでもないのよ。
 イヴリン 本当にそう思う?
 キャロル 自分が不幸だと思いたければ、思わせておけばいいの。あの人の勝手よ。
 イヴリン 可哀相に、エドワード。
 キャロル あの人の方だって、私をそれほど愛してはいないんだもの。
 イヴリン 本当は愛したいんじゃないのかな。だけど君がそうさせない・・・
 キャロル エヴィー、どうして私達、こんな話をしているの?
 イヴリン 分らない。
 キャロル 私、振りをするっていうの、嫌いなの。愛してもいないのに愛してるっていう振りなんか・・・
 イヴリン それはそうだ。割りに合わないんだ、そいつは。
 キャロル あの人が不幸だからって、あの人に説教なんかしちゃ駄目よ。だってあの人が悪いんじゃないんだから。
 イヴリン うん、まあ。
 キャロル 私、あの人のこと好きよ。これからだってずっと。でも・・・
 イヴリン でも・・・何?
 キャロル この話はもう止めましょう。
 イヴリン うん、分った。君、可愛いよ、本当に。
 キャロル そう?
 イヴリン 思っていたよりずっとだ。
 キャロル まあ、エヴィーったら。
(二人、お互いを見つめる。イヴリンは真剣に。キャロルは誘うような微笑みで。ブラックウェル登場。皿を片付け、菓子(ピーチメルバ)を出す。次の会話の間、その給仕の仕事をしている。)
 イヴリン 君、ゾウイー・セント・メリンのこと、好きじゃないよね?
 キャロル 急な話ね? 何故?
 イヴリン 今日、君、そんな風に見えたもんだから。
 キャロル あの人、何か見え見えじゃない?
 イヴリン 見え見えって?
 キャロル 「私、頭いいでしょう?」って・・・
 イヴリン そうか。僕は彼女、頭いいなって思ってた。
 キャロル そう。大抵の男はそう思うの。大抵の女はそうは思ってない。
 イヴリン フーン、どうしてだろう。
 キャロル だって、女にはあんなの見え見えだから。あの離婚の話だって、ただの八百長なのよ。
 イヴリン 八百長? 酷いね、その言い方。
 キャロル 驚くことなんか何もないのよ。当り前じゃない。あんな風にいつも果敢に、挑戦的にあたる。すると男にもてるの。
 イヴリン それはゾウイーに対して厳し過ぎるんじゃないか?
 キャロル そうでもないわ。私、あのタイプってよく知っているの。
 イヴリン 彼女、エドワードの昔からの友達じゃなかった?
 キャロル ええ。だけど私、だからこんなことを言ってる訳じゃないわよ。彼女、昔、あの人と結婚したがっていたわ。
 イヴリン うん、彼の方も随分好きみたいだ。
 キャロル ゾウイーがひどくおべっかを使うから。あれが見抜けないなんて、エドワードも赤ん坊。
 イヴリン やれやれ、女の直感ってやつを持っていなくて僕は幸せだよ。そんなのがあったら人生ややこしくて仕方がない。
 キャロル 時々はとても役に立つわ。
 イヴリン 君は誰もかれもみんなそんな風に品定めするの?
 キャロル(笑って。)まあそうね。
 イヴリン 参ったな。僕は震えが出てきたよ。
 キャロル いいえ、あなたっていう人は、怖いものなしなの。
 イヴリン まさか。
(ブラックウェル退場。)
 キャロル でも、とにかく、震えたりしちゃ駄目。
 イヴリン 「・・・たりしちゃ駄目」って言うのは簡単だよ。
 キャロル あなた、私とあなたが夕食を一緒にしているってこと、エドワードには言わないで、って言ったけど、どうして?
 イヴリン(当惑して。)そんなこと、言った?
 キャロル 言ったって、ちゃんと覚えているくせに。
 イヴリン またいらぬ世話をやいているって思われるのが嫌だったんだ、きっと。
 キャロル あの人、あなたにもそう言ったことがあるの?
 イヴリン うん。
 キャロル(微笑んで。)まあ気にしないことね。
 イヴリン 気にはしないよ。エドワードにはなれているから。
 キャロル 私も。
 イヴリン でも、君からいらぬ世話をやいているなんて言われるとショックだな。
 キャロル だって、あなた、やっているでしょう?
 イヴリン ほらまただ。震えが出るよ。
 キャロル エドワードとか私のような人間は、他人が世話をやいてどうにかなりはしないの。自分達で片をつけるしかないの。
 イヴリン 分ったよ。もう僕は口を開かない。
 キャロル そんな・・・元気を出すの!
 イヴリン 僕は手のつけようのない馬鹿だよ。
 キャロル(笑って。)そうね。
 イヴリン 僕のことを好きになって貰おうといろいろやるごとに、君の笑い者になっていたんだ。
 キャロル それは違うわね。
 イヴリン いや、どうもそうらしい。
 キャロル あなたって、私がどんな女かちっとも分っていないのよ。
 イヴリン それはそうだ。
 キャロル 分りたい? あなた。
 イヴリン うん。
 キャロル 分るのは得策だとは思わないけど。
 イヴリン どうして?
 キャロル だってあなた、ショックを受けるわ。
 イヴリン そんなに酷い?
 キャロル ええ・・・そんなに酷い。
 イヴリン それは信じられない。
 キャロル まあいいでしょう。
 イヴリン 君って、繊細に出来ているんだ。とても酷いことなんか出来る訳ないよ。
 キャロル そんなの馬鹿な話よ。
 イヴリン いや、本当だ。
 キャロル どんなに繊細だって、酷いことは出来るの。
 イヴリン いいや、繊細だと出来ないんだ。
 キャロル 私の言うことに逆らわないで。
 イヴリン(ひどく乱暴に。)何故。
 キャロル 私、腹が立つもの。
 イヴリン(ゆっくりと。)喧嘩みたいになっちゃったな。
 キャロル ええ。
 イヴリン すまない。
 キャロル 敵愾心をもつのは悪い徴候だわ。
 イヴリン それ、どういう意味?
 キャロル(突然両手に顔を埋めて。)ああ、エヴィー。
 イヴリン(びっくりして。)どうしたんだい、一体。
 キャロル(泣き声で。)何でもないの。
 イヴリン キャロル、頼む。泣くのは止めて・・・(立上り、近づこうとする。)
 キャロル 来ないで。坐ってて。ブラックウェルが来るわ。
 イヴリン どうしたんだ。僕のどこがいけなかった。
 キャロル 坐って。お願い。
 イヴリン 分った。(坐る。)
 キャロル バッグを取って下さらない? あそこにあるわ。私、ちょっと白粉(おしろい)をはたきたいの。
(イヴリン立上る。イヴリンが後ろ向きになると、キャロルの顔、非常に満足の表情。イヴリン、キャロルの方を向く。キャロルの顔、再び心から悲しそうな表情になる。)
 イヴリン はい。(バッグを渡す。)
 キャロル 有難う。
(キャロル、疲れたような微笑を浮かべ、イヴリンを見上げる。ブラックウェル登場。デザートの残りを片付ける。)
 イヴリン すぐコーヒーを出してくれ、ブラックウェル。終ったら用事はそれで全部終りだ。
 ブラックウェル 畏まりました。(退場。)
 キャロル 私、もう大丈夫。
 イヴリン もう僕と食事なんか懲(こ)り懲(ご)りなんだろうな。
 キャロル 馬鹿なこと言わないで。懲り懲りだなんて。
 イヴリン 僕、君を泣かしちゃったみたいだ。
 キャロル 違うわ。あれはあなたのせいじゃないの。
 イヴリン 君のことがもう少し分るといいんだけど。
 キャロル 分らない方が嬉しいわ。
(ブラックウェル、コーヒーと酒を持って登場。イヴリンの傍に置く。)
 イヴリン 有難う、ブラックウェル。お休み。
 ブラックウェル お休みなさいませ。(退場。)
 イヴリン コーヒー?
 キャロル ええ、お願い。
 イヴリン(注いで。)砂糖は?
 キャロル 一つ。
 イヴリン(一つ渡しながら。)はい。クワントロー? それともブランデー?
 キャロル クワントローをちょっと。
 イヴリン いいブランデーなんだけど?
 キャロル じゃ、ブランデーをちょっと・・・主導権を取ってるわ、あなた。
 イヴリン もう僕のことを笑ったりしないね?
 キャロル いいえ、少しは。
 イヴリン さあ。(少しブランデーを注ぎ、自分にも注ぐ。)
 キャロル 次に来る時はもう少し楽しい話題を用意しておくわ。
 イヴリン 気分がよくない時にそんなもの用意することはないよ。
 キャロル まあ、随分優しいのね。
 イヴリン 君に充分寛(くつろ)いで貰いたいと思ってね。
 キャロル 私、今でも充分寛いでいるわ。
 イヴリン いや、少し寛ぎ方が足りないと思うな。
 キャロル そんなこと思ってくれる人なんか、今まで一人もいなかったわ。
 イヴリン 連中は全部、自分が楽しむだけで精一杯なんだ。
 キャロル でも、本当は自分で楽しんでいる人なんていやしないんじゃない?
 イヴリン そうだ。だけど、それを認めようとする人間もいやしない。
 キャロル レコードをかけて頂戴。
 イヴリン 今?
 キャロル ええ、今。でないと私、また泣き出しそう。
 イヴリン(立上って。)何をかけようか。
 キャロル 何かとても喧(やかま)しいものを。
 イヴリン 赤ちゃんだね、君って。
 キャロル そう?
(イヴリン、フォックストロットの音楽をかけ、蓄音機の傍に立ったままキャロルを見る。暫くしてキャロル口を開く。)
 キャロル この曲、好きだわ。
 イヴリン 残念ながら、少し古いものだ。最近のを仕入れておかなきゃいけないな。
 キャロル あなた、お稽古する気ある?
 イヴリン お稽古?
 キャロル ええ、ダンスの。
 イヴリン 君がその気なら・・・
 キャロル 私はその気に決まっているでしょう? さあ。(立上る。)
 イヴリン テーブルを後ろに下げよう。(下げる。)よし。
 キャロル では。(二人、踊り始める。)
 イヴリン 早さはこれでいいかな?
 キャロル 心持ち、早過ぎね。
 イヴリン ちょっと待って。(踊りを止め、少し遅らせる。)
 キャロル これならいいわ。(二人、再び踊る。)
 イヴリン あ、失礼。僕、蹴っちゃった?
 キャロル いいえ。
 イヴリン ね? 下手だからって言ったじゃない。
 キャロル もう少ししっかり抱いて。
 イヴリン 分った。(暫く黙って踊る。)
 キャロル 素敵だわ、これ。
 イヴリン 君、何も教えてくれてないよ。
 キャロル 教えることないもの。
 イヴリン 遠慮してるんだな。僕のダンス、象が踊っているようなものなんだ。
 キャロル 馬鹿なこと言わないで。誰か今突然ここに入って来て私達を見つけたら、かなり可笑しいわね。
 イヴリン そんなことはありえないよ。(暫く黙って踊る。)
 キャロル あっ!
 イヴリン どうしたの?
 キャロル 椅子にぶつかりそうになったわ。
 イヴリン ごめん。集中してなかった。
 キャロル 駄目よ、集中しないと。
 イヴリン 分った。(レコード終る。)
 キャロル 別のをかけて。
 イヴリン うん。
(イヴリン、新しいレコードを捜してかける。その間キャロル、暖炉の上の鏡でじっと自分を見る。)
 キャロル 私、とっても楽しいわ。
 イヴリン そう。本当?
 キャロル あなた、楽しくないの?
 イヴリン 楽しいよ。分ってるじゃない。(再び組む。)
 キャロル 本当にもう少ししっかり抱いて。その方がついて行くのに楽なのよ。
 イヴリン こんな具合?
 キャロル ええ、そう。
(二人、じっと立つ。キャロル、イヴリンに身を寄せ、キスされるに丁度よい位置に故意に顔を上げる。)
 イヴリン(優しく。)キャロル!
(イヴリン、キスする。二人、一瞬、強く抱き合う。それからイヴリン、しっかりと身体を引き離し、レコードを止める。)
 キャロル(ソファに深く腰を下ろし、片手で両目を覆って。)ああ、エヴィー!
 イヴリン(全く今までとは違った調子で。)思った通りだ。
 キャロル(パッと上を向いて。)どういう意味?
 イヴリン 信じ難いことだ。(二三歩大股に歩く。)
 キャロル(驚いて。)何の話? それ。
 イヴリン しかし僕は正しかった。分っていたんだ。
 キャロル(苛々と。)分っていた? 何が。
 イヴリン 僕はあんなに簡単に罠にかかる男じゃないんだ。
 キャロル(立上って。)エヴィー!
 イヴリン 何ていうすれっからしなんだ、君は。
 キャロル(怒って。)何ですって!
 イヴリン そう。いくらでも驚いたふりをすればいい。残念ながら、僕はちっとも驚かない。
 キャロル(間の後。)そう。分りかけてきたわ。
 イヴリン それはよかった。
 キャロル 本当に上手なやり方。頭がいいわ、エドワード。
 イヴリン これはエドワードとは何の関係もない。
 キャロル 嘘つき!(部屋を横切って、自分の上衣を取る。)
 イヴリン まだ行かせはしない。
 キャロル 何言ってるの。すぐ出ます。
 イヴリン 僕が許可するまでは駄目だ。
 キャロル あなたが許す? 何です、それ。私にそんな口はきかせません!
 イヴリン どんな口をきこうとこっちの勝手だ。
 キャロル 何よ、偉そうに!
(キャロル、左腕に上衣をさっとのせ、扉に進む。イヴリン、扉に立ち塞がる。)
 イヴリン まだここにいるんだ!
 キャロル(蔑(さげす)むように。)馬鹿なことを。
 イヴリン 僕は本気だ。
 キャロル 狂ったの? あなた。
 イヴリン 全然。正気中の正気だ。
 キャロル 出ると言ったら腕力に訴えるつもり?
 イヴリン そう。必要ならば。
 キャロル エヴィー・・・あなた一体、普段何を読んでいるの?(上衣を持つ手を下ろし、ソファに戻る。)
 イヴリン それでいい。
 キャロル(煙草を取って、火をつける。)あなたって馬鹿な男よ。昔からそう思ってたわ。
 イヴリン 有難う。残念ながら僕は君が期待するほどの馬鹿じゃなくてね。
 キャロル 期待? 私、期待なんかしないわ。何が起ったって。
 イヴリン 君は僕がエドワードの第一の友人だってことを忘れていたのさ。
 キャロル 第一の? 呆れた自信。
 イヴリン その資格はある筈なんだ。僕はまともな生活を送っているからね。
 キャロル 下らない!
 イヴリン だから誇りも少しはあるということだ。
 キャロル まあまあ、まともに生きて誇りだなんて。
 イヴリン 君ならそう言うところだろうな。
 キャロル そうよ。
 イヴリン 一つだけ言っておきたいことがある。
 キャロル さっさと言えば。
 イヴリン 無人島で君と二人だけになっても、君には指一本触れないね、僕は。
 キャロル そんな強がり、馬鹿なことよ。
 イヴリン(急にカッときて。)君は恥というものをどこかに捨ててきたのか。
 キャロル(微笑んで。)おやまあ。
 イヴリン 上っ調子な真似は止めろ! 自分の恥を隠そうとしているだけだ、それは。
 キャロル まあまあ、洞察力の優れていること!
 イヴリン 君が自分で思っているより、僕は君のことをずっとよく分っているんだ。
 キャロル 馬鹿!
 イヴリン 罵ったって何の役にもたたないぞ。
 キャロル 気取っちゃって!
 イヴリン 黙れ!
 キャロル(立上りながら。)もう行っていいかしら。
 イヴリン(殆ど叫び声。)駄目だ!
 キャロル 分ったわ。
 イヴリン 僕はエドワードの第一の友人なんだ。
 キャロル 聞いたわ、それ。さっき。
 イヴリン だからエドワードが君にいいように虚仮(こけ)にされているのを見るのは我慢ならないんだ。
 キャロル あなたよ、我慢ならないのは。
 イヴリン 今は僕の話をしているんじゃない。それは筋違いだ。
 キャロル(急に怒って。)何が筋違いよ。あなたこそ何の権利があってこんなことをするの。たとえあなたがエドワードのシャム双生児でも、こんなところへ私を呼んで侮辱することは出来ない筈よ。あなたがそこで、私に嫌という程話を聞かせたら、私の生き方が変るとでも思っているの? 全く三流どころの下卑た罠を私にしかけて、それがエドワードのためだなんて・・・そんなのみんな、あなたの頭の良さを自分で確かめようとしているだけの話じゃないの。「僕はこんんなに偉いんだ」って。さ、今すぐ帰らせて。聞こえてるの? 帰さないんだったら、私大声で怒鳴るわよ。(立上り、さっと扉へ突進する。イヴリン、それを遮る。キャロル、もがく。イヴリン、キャロルの手首を掴む。)行かせて! 助けて! 助けて!
 イヴリン 黙るんだ。この馬鹿!(キャロルの口を手で抑え、ソファまで引きずり戻す。キャロル、ソファに倒れ、泣く。)
 キャロル(殆どヒステリックに。)よくも・・・よくも、こんな・・・生意気に・・・何よ・・・
 イヴリン ブランデーは?
 キャロル うるさい! 話しかけないで!
 イヴリン(強く。)ブランデーはどう?
 キャロル いりません。
 イヴリン 少し飲んだ方がいい。そこにいて。(行ってブランデーを注ぎ、それを持って戻って来る。)さあ・・・飲むんだ。
 キャロル 行って! 近づかないで。
 イヴリン ヒステリーを抑えるといい。さ、飲んで。落ち着くんだ。
(片手でキャロルを起そうとする。キャロル、身を揺すってそうさせず、素早く半身を起し、自分で坐る。イヴリンの手からグラスを引ったくり、暖炉の中に投げる。)
 キャロル いらないわ。あなたの汚らしいブランデーなんか。
 イヴリン 拗(す)ねた子供だな、まるで。
 キャロル どうして私にこんなことをするの。何故、何故なの。私があなたに何をしたって言うの。
 イヴリン この世に二人といない良い男の人生を、君が滅茶滅茶にしようとしているからだ。
 キャロル(涙声で。)私が・・・どうやって。
 イヴリン やり方は君が一番よく知っている。
 キャロル あなたに関係ないことでしょう、私が何をしようと。
 イヴリン 僕は関(かかわ)ろうと決心したんだ。君が今日僕にしようとしたことは、僕以外の男にはみんなうまく行っているんだ。君はうまく連中にいちゃついて、その気にさせる。そして大抵の場合、君は相手に身を任せるんだ。
 キャロル エヴィー!
 イヴリン 君がそれを否定しようと肯定しようと、それは君の勝手だ。ただ僕は、事態が今言った通りだってことを知ってるんだ。エドワードは知らないだろうがね。君のことを愛し過ぎていて、とてもそんなことは信じられない筈だ。この、君のいわゆる二流品の汚い罠を君に仕掛けた目的は、君に分って貰いたかったからなんだ、君がどんなに彼の人生を、そして君自身の人生を滅茶滅茶にしているかをね。(この話の間中キャロル、じっとエヴィーを見つめている。エヴィー、話しながら部屋を大股で行ったり来たりし始める。)彼は自分の幸せのために夫の権利を振り回すような男じゃない。もっと繊細な、控えめな男なんだ。僕は彼が幸せでないことにずっと前から気づいていた。何かが彼の心に引っ掛かっていると。で、今日僕は単刀直入に訊いたんだ。そうしたら彼は認めた・・・(間。)
 キャロル 認めた? 何を。
 イヴリン 君のことで頭が痛いってね。
 キャロル(落ち着いて。)それで、あの人へのあなたの忠告は?
 イヴリン 君に思い知らせてやればいいと。
 キャロル 野蛮人!
 イヴリン 君のような女には多少野蛮な手術が必要なんだ。
 キャロル 私のような・・・何、その「ような」って言うの。
 イヴリン 僕にそれを言って貰いたいのか。
 キャロル いいえ。もうあなたには何も言って貰いたくないわ。
 イヴリン 君の正体は売春婦なんだ!
 キャロル(突然ゲラゲラっと笑いだす。)ああ、エヴィー。
 イヴリン(落ち着きを失って。)笑うな! こら、笑うな!
 キャロル(笑い続けて。)笑う以外に何が出来るっていうの、私に。・・・あなたって馬鹿な人・・・
 イヴリン まともな考えを持っている人間のことは、みんな馬鹿と言うんだろう、君は。
 キャロル(どうしようもなく笑い続ける。)まあまあ、呆れた・・・
 イヴリン(どんどん興奮状態が進んで。)僕がこんなに真面目に僕の一番の友達の名誉を救おうとしているのに、君は笑うのか! 君の気まぐれをただそうにも、彼は恥づかしくて手が出ないでいるんだぞ! それを僕が・・・
 キャロル(ヒステリックに笑って。)あなた、気違いよ・・・本物の・・・本当の・・・気違い・・・
 イヴリン 分らないのか。君は彼の名声を傷つけ、彼の幸福をぶち壊しているんだ。それも故意にだ! 何故か。君は抑えようとしないからなんだ、君のその・・・淫らな欲情を!
 キャロル(立上る。ヒステリーを抑えようと努めながら。)よくも・・・よくも言ったわね、私にそんな・・・
 イヴリン よくも言った? 何度でも言ってやる。いいか、淫らな欲情なんだ! 君のような女は、考えることは決まっている。狙っていることは決まっている・・・男だ。男なしでは生きられないんだ・・・男、男、男なんだ!
 キャロル(狂気のように。)止めて! 止めて! もう言わせない!(キャロル、イヴリンの顔をピシャリと打つ。イヴリン、じっと立つ。)ゲス・・・ゲス・・・ゲス!(一言発する度に平手打ちをする。イヴリン、じっと立ったまま。二人、見合って立ちすくむ。キャロル、片手で頭を抑える。)私・・・私・・・気分が悪い・・・
(キャロル、その場に頽(くづお)れる。イヴリン、キャロルをソファに運ぶ。ソファに坐らせ、ブランデーを取りに行く。イヴリンが背を向けた瞬間、キャロル、頭を上げ、イヴリンの様子を窺う。それから頭を形よくソファの背凭れにのせる。イヴリン、戻って来てブランデーを飲ませる。少しの間の後、キャロル目を開け、ソファの上に坐り、残ったブランデーを飲み干す。)
 イヴリン 気をつけて。ドレスに落さないように。
 キャロル ご免なさい。私、馬鹿なことを・・・
 イヴリン いけなかった。気分を悪くさせたりして。
 キャロル(弱々しく。)私、家に帰っていいかしら。
 イヴリン もう少し気分がよくなるまでいた方がいい。僕はもう何も言わない・・・約束する。
 キャロル 私、頭痛がするわ。
 イヴリン アスピリンはどう? たしか、どこかに置いてあるんだ。
 キャロル いいえ、いいわ。
 イヴリン 個人的な恨みでやった訳じゃないんだ。・・・ね?・・・
 キャロル いいの、そんなこと・・・いいの・・・(わっと泣きだす。)
 イヴリン お願いだ。泣かないで・・・ね・・・
 キャロル だって・・・だって・・・(もっと泣く。)
 イヴリン お願いだ・・・頼む・・・
 キャロル 私のこと、放っておいて・・・すぐ治るわ・・・
 イヴリン 癇癪(かんしゃく)をおこすつもりはなかったんだ。すまなかった。
 キャロル(また新たに泣きだして。)酷い・・・酷いわ、今日のこと・・・
 イヴリン キャロル・・・お願いだ、もう・・・
 キャロル(ひどく啜り上げて。)私、思ってもいなかった・・・あんな風に私のこと考えている人がいただなんて・・・
 イヴリン 君に証拠を見せたかったんだ、僕は。エドワードのために。
 キャロル 言わないで、もう何も。あなた、約束したわ。
 イヴリン 分った。でも、君にも分るだろう、僕が・・・
 キャロル 何故やったかは分るわ。私、泣いているのはそのせいじゃないの・・・違うの。私・・・ああ・・・
 イヴリン(泣かないよう頼みこむように。)キャロル・・・
 キャロル 私・・・泣いてるの、どうしてかっていうと・・・私、恥づかしいからなの・・・
 イヴリン(優しく。)キャロル・・・
 キャロル 私、あなたに軽蔑されたくないの・・・
 イヴリン 大丈夫だ。もう考えないで。
 キャロル あなたが私に言ったこと・・・みんなあってるわ。私、浅薄で、安っぽい人間・・・でも、あなたに分っていない理由があるわ。
 イヴリン 理由?
 キャロル あなたはエドワードの方から見た話だけを聞いているわ。そして私達の生活に深く関ってきたの・・・今までよりはずっと深く。だから、私から見た話も聞いて下さるのが公平っていうものなのよ。
 イヴリン ねえキャロル、この話はもうこれ以上するのはやめよう・・・
 キャロル 本気でそう言ってるの?
 イヴリン うん。
 キャロル(立上って。)そうね、そういうことなら・・・きっと私、それだけの女なんだわ。お休みなさい。(悲しそうに扉へ進む。)
 イヴリン キャロル・・・
 キャロル(振り向いて。)何?
 イヴリン それは勿論、君の方から見た話を聞いたっていいよ。でも、そんなことをして何の得があるっていうんだい?
 キャロル 私、このままあなたと別れたら、二度とあなたの顔をまともに見ることは出来ないって思うもの。
 イヴリン ねえキャロル、そんな馬鹿なことを言うのは止めようよ。
 キャロル あなたが思っているよりもずっと正当な理由が私にはあるの。
 イヴリン 分った。じゃ戻って。ここに坐って。
 キャロル(疲れたように戻って来て。)私、酷く疲れたわ。
(キャロル、ソファに戻る。ソファに寄り掛かってイヴリンを見る。キャロルの顔、蒼白く、非常に綺麗。)
 イヴリン さ、坐って。
 キャロル いいえ。あなたの方が坐って。私の顔が見えない方向を向いてて。
 イヴリン 分った。
(イヴリン、ソファに坐り、暖炉の火の方を見る。キャロル、その後ろに、両手をイヴリンの肩にのせ、立つ。二人の顔は観客からは横顔になる。キャロル、非常にゆっくり喋る。)
 キャロル あなたは今日、私にかなり酷いことを言ったわ。そして確かに、その中のいくつかは私に当っている。でも、全部じゃないわ。私は利己的で安っぽい女、それに虚栄心が強い・・・夫に不実を働いてきた・・・でもそれは、エドワードが私にそうしたからだわ・・・
 イヴリン(驚く。)何だって!
 キャロル(イヴリンの肩を抑えて。)静かにして、お願い。私、本当のことを言ってるの。
 イヴリン 君は彼が・・・
 キャロル 私が言っている通りなの。私、十八箇月前までは、あの人に誠実だった。十八箇月前、あの人がゾウイー・セント・メリンと関係しているのを知るまではね。
 イヴリン 何だって!(イヴリン、動こうとする。キャロル、また抑える。)
 キャロル だから私もこうなったの・・・まあ。
 イヴリン 信じられない。
 キャロル 私もそうしないではいられなかった。それは本当なの、やっぱり。
 イヴリン どうやって見つけた。何の証拠がある。
 キャロル 私、怪しいなと思ってた。でも何も言わなかった。それから我慢が出来なくなって、あの人に訊いた。そうしたら認めたの。
 イヴリン(身体を捻って後ろを見て。)僕はどうしても君の顔を見なきゃ。
 キャロル(しっかりとイヴリンの目を見て。)あの人、認めたの。
 イヴリン 信じられない。
 キャロル どうして? あの人、弱い人なの。そしてゾウイーは・・・(キャロル、悲しく笑う。)あなたもうあっちを向いて下さらない?(イヴリン、暖炉の方を向き、両手で顔を覆う。)そんなに興奮しないで、エヴィー。これはあの人と私だけの話。他は誰も知らないわ。・・・ええ、今の今まで誰も。私、あの人に誓わせたの。他の人には決して言わないって。そうでなかったら、とっくにあなたに話していたでしょうね。だってあの人、あなたには何でも話すんだから。あれ以来私の生活、かなり荒れてきたわ。でもそれ、私の心の中で何かが死んでしまったからだわ。・・・まあ、私の心の中なんてどうってことないけれど・・・
 イヴリン(間の後。)僕、立って、何か飲んでいいかな。
 キャロル ええ、もう言うことはないわ。
(イヴリン、立って飲み物を注ぐ。急に振返る。)
 イヴリン 君、嘘はついてないね?
 キャロル(威厳をもって。)私にだって、少しは恥ってものがあるわ。(振り向いて出ようとする。)
 イヴリン キャロル!
 キャロル(振返って。)何?
 イヴリン 君に僕はどう言ったらいいんだ。
 キャロル 言うことなんかないでしょう?
 イヴリン 本当にすまないと思っている。
 キャロル いいわ、そんなこと。
 イヴリン 僕は馬鹿だった。つける薬のない馬鹿だったよ。だいたい僕がしゃしゃり出ることなんか何もなかったんだ。
 キャロル(悲しい微笑を浮べて。)動機は正しいものだったわ。
 イヴリン 僕を許してくれる?
 キャロル ええ、勿論。
 イヴリン 本当に? 心から?
 キャロル(片手を差し出して。)ええ、心から。
 イヴリン 有難う。何て広い心だ。(握手する。)
 キャロル 私、一つだけはっきりさせておきたいことがあるの。
 イヴリン はっきりさせる?
 キャロル ええ。今夜私がここに来たのは、たった一つの理由のため。
 イヴリン 理由って?
 キャロル あなたを愛しているから。
 イヴリン(握手していた手を落して。)キャロル!
 キャロル 大丈夫・・・心配しないで。私、今出て行くから・・・でも私、あなたに安っぽい女だと思われたままにしたくなかったの。・・・それだけ。
 イヴリン 参った。・・・僕は参ったよ。
 キャロル 私達、随分今まで辛かったわ。違う?
 イヴリン そんな・・・本気で君、そんなことを言ってるんじゃない。そうだね?
 キャロル いいえ、本気。あなたにはちゃんと分っていたの、潜在意識の中では。
 イヴリン キャロル、僕は・・・そう、そんな酷い話って・・・ああ、僕は・・・
 キャロル 可哀相に、エヴィーったら。
 イヴリン どうしたらいいんだ。僕には分らない。
 キャロル いつか今夜のことを笑い飛ばす日が来るわよ。
 イヴリン 来るかな。
 キャロル(無理に作った陽気さで。可愛いらしく。)ええ、必ず。見ててごらんなさい。
 イヴリン 君は驚いた女性だ。
 キャロル いいえ。馬鹿な女ね、残念だけど。お休みなさい。
 イヴリン 家まで送るよ。
 キャロル いいえ、私一人で帰ります。本当。どうしても一人で。
 イヴリン でも・・・
 キャロル そこを曲ってすぐなんだもの。
 イヴリン 一人では返せないよ。
 キャロル(優しく。しかし、しっかりと。)いいえ、一人で帰らせて。・・・お願い。
 イヴリン(下を向いて。)分った。
 キャロル 私達、友達ね?
 イヴリン(下を向いたまま。)うん。
 キャロル 今日、いろんなことがあったけど。
 イヴリン うん。
 キャロル 今日のことでよけいに・・・
 イヴリン ああ、キャロル・・・
 キャロル お休み、エヴィー。(キャロル、エヴィーに近づき優しく口にキスする。キスは少し続き、キャロル急に身をふりほどく。)駄目、駄目。これは本気じゃないの。もう自分を安っぽくするのはお仕舞い。さ、そこにじっと立っていて。見ないで。私が出るまで動かないのよ。いいわね。
(キャロル、素早く退場。イヴリン、呆然自失。ちょっとの間の後、玄関の扉が閉まる音。イヴリン、その音の方を向く。)
 イヴリン(感極まった声。)キャロル・・・ああ、何てことだ!
(イヴリン、ソファに行き、その上に倒れる。両手で顔を覆い、つっぷす。キャロル、静かに登場。片方の腕にコートをかけている。イヴリンの方をチラと見、それから音をたてないようにしてイヴリンの寝室へ行く。後ろ手に扉を閉める。)
                     (幕)

     第 三 幕
(第一幕と同じ場。正午頃。第二幕から一晩経った翌日。)
(幕が上ると、スタジオは無人。玄関のベルが乱暴に鳴る。ベリー、右手から登場。左手に進み、退場。少ししてイヴリンを招き入れて登場。イヴリン、真っ青な顔。緊張している。)
 ベリー 何かお飲み物は?
 イヴリン いらない。
 ベリー 旦那様はすぐ帰っていらっしゃると思いますが・・・
 イヴリン そうか。有難う。
 ベリー 公園に散歩に行っただけですので。
 イヴリン あ、やっぱり飲み物は貰うことにしよう。
 ベリー 畏まりました。ウイスキー・ソーダで?
 イヴリン そう。頼む。
(ベリー退場。イヴリン、少しあちこちと歩きまわる。ベリー、ウイスキー・ソーダを持って戻って来る。)
 イヴリン ああ、有難う。
 ベリー 新聞をお持ちしましょうか。それとももう、御覧になりましたでしょうか。
 イヴリン 見た。有難う。
 ベリー 奥様に、あなた様がいらした事をお伝え致しましょうか。
 イヴリン いや、いい。お耳を煩(わづら)わせることはない。
 ベリー 畏まりました。
(ベリー退場。イヴリン、再び、今度はウイスキー・ソーダのグラスを持って、あちこち歩き始める。明らかにひどく興奮している様子。暫くして右手からキャロル登場。生き生きとして魅力的。イヴリンを見てちょっと驚く。)
 キャロル エヴィー!
 イヴリン(飛び上がる。・・・振返る。)僕はエドワードに会いに来たんだ。
 キャロル どうしたの?
 イヴリン 僕はエドワードに会いに来たんだ。
 キャロル(少し心配になって。)ええ。今そう言ったばかりでしょう? 「お早う」は、なしなの?
 イヴリン お早う。
 キャロル(イヴリンに近づいて。)それ以上は何もないの?
 イヴリン うん。・・・何もない。(キャロルに背を向ける。)
 キャロル(唇を噛んで。)そう。
 イヴリン 彼と二人だけで話したいんだ。
 キャロル(片手をイヴリンの腕に置いて。)エヴィー、どうしたって言うの?
 イヴリン 君、本気で僕にそんなことを訊くのか。
 キャロル さっきから変な態度。
 イヴリン(向き直って。)全く、君って女は・・・
 キャロル あなた、馬鹿なことをしようっていうんじゃないでしょうね。
 イヴリン 出来ることは唯一つしかない。それをするんだ。
 キャロル(イヴリンを揺するようにして。)エヴィー!
 イヴリン ほっといてくれ。
 キャロル でも、聞いて・・・
 イヴリン(キャロルを振り払って。)僕に触らないでくれ。
 キャロル(訴えるように。)エヴィー!・・・酷いわ、その態度・・・ねえ、お願い・・・
 イヴリン 僕は君など見たくないんだ。金輪際見たくないんだ。
 キャロル 何故・・・どうして・・・私が何をしたっていうの?
 イヴリン(椅子に坐る。顔を両手で埋めて。)ほっといてくれ。僕をほっといてくれ。
 キャロル じゃああなた、私のことをちっとも愛していないの?
 イヴリン お願いだ、止めて!
 キャロル 愛してないのよ、全然・・・
 イヴリン 黙れ、黙れ!
 キャロル 卑怯者!(窓の方に行く。)
 イヴリン 頼むから行ってくれ。君がいると事態はますます悪くなる。
 キャロル どうしてあなた、来たの?
 イヴリン ゆうべのことを話すためにだ。
 キャロル 何を話すっていうの?
 イヴリン あったことを全部だ。
 キャロル 気違いよ、あなた。
 イヴリン そう、僕は気違いだった。だが今はもう違う。
 キャロル(素早くイヴリンに近づいて。)本気じゃないわよね?
 イヴリン いや、本気だ。
 キャロル どうして! どうして! どうして!
 イヴリン 君に分るとは思わないよ。
 キャロル ねえエヴィー、落ち着いて聞いて。正気に戻るの。
 イヴリン その手はもう食わない。僕は決心したんだ。
 キャロル エヴィー!
 イヴリン(立上って。)行ってくれ。行くんだ!
 キャロル(その後について。)愛してるわ。
 イヴリン 言うな!
 キャロル 愛してる。愛してる。あなたが何と言おうと・・・屋根から怒鳴ってもいいわ。愛してる!
 イヴリン(キャロルの身体を抑えて。)黙るんだ! 静かにするんだ! 聞こえるじゃないか。
 キャロル 構わない、私。
 イヴリン 君は僕なんか愛しちゃいない・・・一瞬だって愛したことなんかないんだ。あれは全部罠なんだ。
 キャロル(怒って。)エヴィー!
 イヴリン 今じゃ僕にはみんな分ってる・・・よーく分ってるんだ。
 キャロル 何言ってるの、エヴィー。そんなのみんな間違ってるわ。
 イヴリン お願いだ。あっちに行ってくれ。
 キャロル(打つ手なく。)私、どうしたらいいか分らない。
 イヴリン 僕を一人にしておいてくれ。僕はエドワードに真実を話さなきゃならないんだ。
 キャロル 真実を? どうして?
 イヴリン 分らないのか、君には。
 キャロル 分らないわ。それで何の良いことがあるっていうの?
 イヴリン 僕は彼を騙したんだ。
 キャロル じゃあ、私を裏切るのはいいの?
 イヴリン 彼は僕のことを心から信用していたんだ。
 キャロル じゃあ、そのまま信用させとけばいいでしょう?
 イヴリン 駄目だ。僕はもう彼の信頼に足る人間じゃない。
 キャロル じゃ、私の信頼は?
 イヴリン 君のは身から出た錆(さび)だ。
 キャロル 大変な騎士道精神ね。
 イヴリン 君が僕に嘘をついたからさ。
 キャロル(しっかりと。)あなたに嘘なんかついていません。
 イヴリン 君はゆうべ言ったね? 僕を愛しているから来たんだって。
 キャロル 言ったわ。本当のことだもの。
 イヴリン 愛のせいじゃない。好奇心からだ。そして泊って行ったのは復讐のためだ。
 キャロル あなたって、何て馬鹿なの。
 イヴリン 僕まで篭絡(ろうらく)することに決めたんだ、君は。
 キャロル エヴィー!
 イヴリン 本当なんだ。・・・君が一番それをよく知っている。
 キャロル 何故なの? そんな馬鹿な話をでっち上げるのは。
 イヴリン でっち上げじゃない。本当なんだ。
 キャロル(非常にしっかりと。)あれはそんな馬鹿な話とは違うの。落ち着いて、真面目に考えれば、そんな話がどんなにとんでもないものか、すぐ分る筈よ。正気に返らなきゃ駄目、エヴィー。本当に正気に返らなければ。あなた、ヒステリーののせいで、何もかもぶち壊そうとしているのよ。
 イヴリン 何もかももうぶち壊れているんだ。僕には何も残っていない。名誉も誇りも・・・
 キャロル(静かに。)私、あなたに身を捧げたのよ、エヴィー。
 イヴリン 止めて・・・止めてくれ。
 キャロル 私、あなたにこの身を捧げたの。理由はたった一つ。あなたを愛しているから。私、今、あなたを愛しているわ。
 イヴリン キャロル、お願いだ・・・
 キャロル もしあなたがエドワードに話したら、私、出て行く。そしてもう、二人には決して会わないわ。
 イヴリン 言わないわけには行かないんだ。どうしても僕は・・・
 キャロル 言わないわけに行くわ。あなたが考えていること、全く筋が通らないの。言うことであなたは自分の名誉を救おうとしている。でもそれは、私の名誉を傷つけることよ。そんなの真面目な考えと言える? 確かに私達二人、ひどいことをやったわ。二人とも意志が弱くて、無軌道で、完全に誘惑に負けてしまった。でも、それに見合う罰は受けているわ。それだけ苦しむわ。そう、必ず苦しむことになるの。今だって二人はもう、出口のない袋小路に入ってしまっているわ。でもそれは、二人で入っているの。だから二人で一緒にそれを苦しまなくちゃ。
 イヴリン だけど、このままじゃ、僕はエドワードの顔をまともに見ることは出来ないんだ。
 キャロル 言ってしまったらまともに顔が見られるって言うの?
 イヴリン うん。
 キャロル 何故。
 イヴリン 僕に残された唯一つの名誉ある行為をしたことになるからだ。
 キャロル 苦しむ人間を一人増やすだけよ。それが無駄だって、あなたには分らないの?
 イヴリン あの恥をそのままにしておいては、僕はエドワードと顔を合わせることも出来ない。話をすることも出来ない。
 キャロル いいえ、そのままにしておかなきゃいけないの。私だってそう。私達二人がやったことの、それが罰なの。今あなた言ったわね、私にもう二度と会いたくないって。ええ、私、約束する。会わないようにします・・・二人だけでは。あなたはそれでもまだしもなのよ。エドワードを避けることが出来るんですからね。私は出来ない。私はここにいて、これから少なくとも四五箇月は何とか暮して行かなければ。
(玄関のベルが鳴る。)
 イヴリン(部屋を横切って歩きながら。)ああ、僕はどうしたらいいんだ。
 キャロル(すぐに。)何もしないこと。何もよ。とにかく。落ち着いて考えるの。あなたが黙っていることに、全てはかかっているの。
(ベリー登場。左手の方に進み、退場。)
 イヴリン エドワードかな?
 キャロル そうでしょう。あの人いつも鍵を忘れるから。
 イヴリン(決心がつかない。)キャロル、僕は・・・
 キャロル 約束して、何もしないって。
 イヴリン 駄目だ・・・約束は・・・
 キャロル(物凄い勢いで囁く。)約束するの! 少し待つの!・・・いいわね!
 イヴリン(どうしようもなく。)うん、約束する。
(ベリー、再び登場。)
 ベリー(来客を告げる。)ミスィズ・セント・メリン様です。
(ゾウイー、勢いよく登場。)
 ゾウイー お早う、キャロル。何箇月も会ってないわね。御機嫌いかが?
 キャロル(キスしながら。)有難う。あなた、帰って来たって噂聞いてたわ。
 ゾウイー あら、エヴィー!
 イヴリン(冷たく。)お早うございます。
 ゾウイー エドワードもそのうち来るんでしょう?
 キャロル ええ、多分もうじき。
 イヴリン 失礼。
(イヴリン、唐突に退場。)
 ゾウイー(驚いて。)まあ、驚いた消え方ね。こんなの私、初めてだわ。
 キャロル(気に留めていないという風に。)あの人、何か心配事があるんじゃないかしら。
 ゾウイー 心配事なんかある人じゃないでしょう? エヴィーは。
 キャロル(どうでもいい話題を作って。)帰って来てあなた嬉しい?
 ゾウイー 嬉しいわ。ロンドンの道路、どこもかしこも光り輝いているわ。
 キャロル(上の空で。)そう? 気がつかなかった。
 ゾウイー あれに気づかないってことはない筈よ。まあ、ずっと地下道ばかり歩いていたなら話は別だけど。
 キャロル どこ? 泊りは。
 ゾウイー クラリッジ・ホテル。
 キャロル ああ。
 ゾウイー あそこ、管理厳格。見事なくらい。
 キャロル え?
 ゾウイー(辛抱強く。)管理が厳格って言ったの。見事なくらい。
 キャロル ああ、そう。
 ゾウイー あなた、とてもお元気そうね。
 キャロル ええ、とても元気。
 ゾウイー 私もとても元気・・・に見えないかしら・
 キャロル ええ、勿論。旅行があなたには合ってるのね。
 ゾウイー 二人ともとても元気っていいことね。煙草戴いていいかしら。
 キャロル ええ、勿論。ご免なさい、気がつかなくて。さ。(箱を開ける。)
 ゾウイー 有難う。一本もないわ。でもいい・・・
 キャロル まあ、何て気のきかない! ちょっと待って。(左手のテーブルから別の箱を取って。)どうぞ!
 ゾウイー(一本取って。)あなた、今日はちょっと上の空ね、なんだか。
 キャロル 私、頭痛がして・・・
 ゾウイー お気の毒。そう言えば少し調子悪そう。
 キャロル 私、ちょっとアスピリンを飲んで来てもいいかしら。
 ゾウイー 勿論。私があなただったら、昼食まで少し横になっているわ。
 キャロル ええ、そうする。エドワード、すぐ戻って来る筈だから。
 ゾウイー ええ、待ってる。大丈夫よ。
 キャロル あなた、いつか是非、うちで夕食を御一緒しましょう。
 ゾウイー ええ、嬉しいわ。
 キャロル じゃ、ちょっと失礼するわ。(ゾウイーにキス。)
 ゾウイー じゃね。具合が悪いの、いけないわね。最近何かし過ぎているんじゃないのかしら。
 キャロル(苛々と。)し過ぎ? 何を?
 ゾウイー(曖昧に。)色んな事。
 キャロル 何もしてないわ。
 ゾウイー そう、それはよかった。
(キャロル退場。ゾウイー、部屋を歩き廻る。一人笑い。肖像画を見て廻る、等々。暫くしてエドワード登場。)
 エドワード ゾウイー! いつから来てたんだ。
 ゾウイー 二三分前からよ。
 エドワード ハイドパークにいたんだ。
 ゾウイー まあ、あの公園、まだあった?
 エドワード ひどく変ったと思ってるんだね、ロンドンが。
 ゾウイー 衛生的になったわ、とにかく。
 エドワード 君、キャロルに会った?
 ゾウイー ええ。今、休みに行ったところ。
 エドワード 休みに?
 ゾウイー 頭痛がするって。
 エドワード 顔色が悪かった?
 ゾウイー(笑って。)悪いどころか。健康そのもの。
 エドワード 何を笑っているんだい?
 ゾウイー あの人、いつも笑わせてくれるわ。
 エドワード 何故。
 ゾウイー 終始、首尾一貫。
 エドワード 君、僕と昼食は?
 ゾウイー いいわよ、あなたがよければ。今からスローン街に行って、メアリー・フィリップの家を見て来ようと思って。私に貸したいらしいの、メアリー。
 エドワード じゃ、帰りに寄ってくれ。
 ゾウイー 本当は夕食を一緒のつもりで来たんだけど。それからお芝居に・・・
 エドワード いいね。何が観たい?
 ゾウイー 綺麗でさっぱりした芝居。ね? エドワード。
 エドワード そうだな。席は簡単にとれるだろう。
 ゾウイー 私、旧式なの。ちっともいやらしい場面のない、恋愛物がいいわ。
 エドワード 批評家になるといいよ、君。
 ゾウイー あなたのところに帰って来ると、いつもほっとするわ。
 エドワード(微笑む。)そうかな。
 ゾウイー ええ、そう。とっかかりになる糸が、どこかにあったなって思って、あなたのところへ帰ってみると、必ずここに落ちているの。
 エドワード そんなもの、誰も落してはいないよ。
 ゾウイー キャロルって本当に馬鹿。
 エドワード 何故?
 ゾウイー あの人、その気になりさえすれば、ちゃんとあなたを繋ぎ留めておけるのに。
 エドワード ああ、退屈な話は止めよう、ゾウイー。
 ゾウイー あなた、あのこと、どうするつもり?
 エドワード あのことって?
 ゾウイー 私にはっきり言わせたいの?
 エドワード いや、言わなくたって分っている。
 ゾウイー あなた、時間を浪費しているわ。
 エドワード 浪費してはいないよ。よく働いている。
 ゾウイー 昨日もそう言ったわね。でも昨日も説得力なかったわ。今日もなし。
 エドワード いや、本当によく働いているよ。
 ゾウイー まあね。でも的が外れている。
 エドワード 的って何だい?
 ゾウイー あなたの幸せ。
 エドワード ああ、素敵な考えだね、それ。
 ゾウイー ふざけないで。
 エドワード ふざけることでやっと退屈から逃れられているんだ、僕は。
 ゾウイー 退屈? 違うでしょう? 道徳的勇気の欠如よ、それは。
 エドワード そうだね、多分。
 ゾウイー じゃ、勇気を出したら?
 エドワード 僕は人から指示されるのは厭なんだ。たとえそれが君でもね。
 ゾウイー(微笑んで。)まあ、そういうことね。
 エドワード 笑うんじゃない、僕のことを。
 ゾウイー 私、いつだっておかしい時は笑ってるの。今さら止める訳にはいかないわ。
 エドワード 残念だね、それは。
 ゾウイー 可哀相なエドワード。
 エドワード 僕にどうして貰いたいんだ。
 ゾウイー 最後通告を出すのね。
 エドワード そいつは僕の性(しょう)に合わない。
 ゾウイー 馬鹿なこと! 性だなんて。
 エドワード 僕はもともと気の弱い人間なんだ。
 ゾウイー とんでもない。あなたは怠惰な理想主義者なのよ。
 エドワード それは嬉しい定義だな。
 ゾウイー 理論的にはね。実際は「不毛な人間」という意味。
 エドワード まるで教師が子供に教えているみたいだ。
 ゾウイー あなたを奮い立たせようとしているの。
 エドワード 何故。
 ゾウイー あなたが満足していなくて、不幸だから。
 エドワード そんなこと、言ったことはないぞ。
 ゾウイー 言う必要はないの。顔中に書いてある。
 エドワード 僕が怒り狂って夫婦喧嘩をおっぱじめて、終りに最後通告でも出せば幸せになるというのか。
 ゾウイー 勿論。そうなれば少なくとも、何かは得ることになるわ。
 エドワード 何を得るんだ、例えば。
 ゾウイー 自由!
 エドワード そんなの神話だ。
 ゾウイー いいえ、違います。
 エドワード この場合について言えば、それは不可能なんだ。
 ゾウイー 何故。
 エドワード(後ろを向いて。)ああ、もう止めよう、この話は。
 ゾウイー やっぱり悩んでいるんじゃないの。
 エドワード 君の今のそのやり方、昨日のエヴィーとそっくりだよ。
 ゾウイー エヴィー?
 エドワード うん。一番いいのは、暴力を振るうことだってね。
 ゾウイー あの人ならやりかねないわ。
 エドワード キャロルを懲らしめてやりたいが、いいかって言うんだ。
 ゾウイー 懲らしめる? 何のこと?
 エドワード それ以上は説明なしだ。
 ゾウイー 可哀相に、エヴィー。
 エドワード そんなにあいつを軽蔑することはないよ。あれでいい奴なんだ。
 ゾウイー 男ってだいたい自己満足。でもあそこまで行くと・・・
 エドワード あそこまで行ってるから気が楽なんだ、あいつは。僕もああなりたいよ。
 ゾウイー あの人、そのうちひどく面倒なことを惹き起こすわ。あれだけ俗物だと・・・きっとよ。
 エドワード ねえゾウイー、もし僕が自由の身だったら、君、結婚してくれる?
 ゾウイー あら、エドワード!
 エドワード 急に今思いついてね。
 ゾウイー(笑って。)ほんと・・・随分急な話。
 エドワード ちっとも急じゃないよ。
 ゾウイー 考える時間が必要ね。
 エドワード ふざけないで。真面目に答えて。
 ゾウイー この申込みって、ちょっとせっかち過ぎるような気がするわ。
 エドワード 申込みじゃないんだ。・・・もし自由の身だったら、という話だ。
 ゾウイー それ、これが初めてじゃないわ。もう何年も昔一度やったわ。
 エドワード それが実現しなかったのは誰の責任だ?
 ゾウイー(すぐに。)あなたのよ。
 エドワード ひどいなゾウイー、それは。すっかり君の責任なんだ。
 ゾウイー いいえ、とんでもない。あなたの。これはきまり。
 エドワード 僕を断ってアフリカに逃げて行ったじゃないか。
 ゾウイー アルジェはアフリカとは言えないわ。
 エドワード いや、アフリカには違いない。
 ゾウイー もし充分愛していたら、私を追って来た筈よ。
 エドワード 帰って来るのを待っていたんだ。
 ゾウイー この話、もう止めましょう。辛くなるわ。
 エドワード とにかく二人は愛し合ってはいなかったんだ。
 ゾウイー そうかしら。
 エドワード 分らないな。
 ゾウイー とにかく難しいわ。
 エドワード うん。
 ゾウイー 私また、フランスに帰る。
 エドワード ああゾウイー、それは止めてくれないか。
 ゾウイー このままここにいたら、いづらくなるもの。
 エドワード そんなことはない。
 ゾウイー だって、私達、危険な足場の上にいるわ。
 エドワード どうしてかな。分らないね。
 ゾウイー いいえ、あなたにはちゃんと分っている。
 エドワード 本当に分らないんだ。
 ゾウイー もし留まれば、私達、愛しあうようになるわ。・・・二人とも危険な年齢なんですからね。
 エドワード そうなったって、いいじゃないか。
 ゾウイー 駄目よ。ひどいことになるわ。キャロルのことだってあるし・・・他にもいろいろ・・・
 エドワード 橋を渡る前から渡り終えた気分でいるんだよ、君は。
 ゾウイー でもとにかく、私、フランスに行く。
 エドワード 卑怯だよ、それは。
 ゾウイー いいえ、これが常識の線なの。
 エドワード 僕に対してはひどい仕打ちだ。
 ゾウイー 留まった場合に比べれば、ずっとひどくないわ。・・・長い目で見たら。
 エドワード 留まったらどうなるっていうんだ。
 ゾウイー まあ普通のことね、きっと。・・・二人の間に情事が起って、みんなぶち壊しになる・・・
 エドワード なると思えないね。
 ゾウイー 今朝はあなた、随分しつこいのね。
 エドワード 僕が君のことを本当に愛すとなれば、それは非常に抑制の効いた、素敵なやり方で愛すってことじゃないか。
 ゾウイー そんなのすぐあきるわ。二人とも。
 エドワード ゾウイー、酷い言い方だよ、それ。
 ゾウイー 現実をちゃんと見てるの、私。
 エドワード 過去にだって、二人で一緒にいたことが随分あるじゃないか。
 ゾウイー ええ、分ってるわ。
 エドワード それで、誰からも後ろ指をさされることはしていない。
 ゾウイー そう。
 エドワード じゃ、どうしてそれが続けられないって言うんだ。
 ゾウイー 私達がそうしていても、皆がそうは言わないから。
 エドワード 人が何を言おうと勝手じゃないか。
 ゾウイー 勝手ですまされないの。この数年間で私、一生分の悪評をこうむったのよ。
 エドワード 分ってる。だけど、それとこれとは・・・
 ゾウイー それから私、夫と妻の間に割り込むの、本能的に嫌いなの。
 エドワード おいおい、ゾウイー!
 ゾウイー 本当なの。戦前の古い道徳が身についてるのね。
 エドワード 道徳なんて、この際問題じゃないんだよ。
 ゾウイー 馬鹿ね。勿論問題なのよ。
 エドワード キャロルは気になんかしないよ。
 ゾウイー キャロルが気にしないからって、それでどうなの? 関係ないでしょう? エドワード、あなた今日、随分しまりがないわね、議論に。
 エドワード 止めよう、じゃ、この話は。
 ゾウイー いいわ。
 エドワード だけど、フランスに帰るのだけは止めてくれ。とにかく当座は。
 ゾウイー 考えておくわ。
 エドワード 聞いただけでがっくりきたよ。
 ゾウイー ご免なさい。
 エドワード 君の話だと、何もかも・・・何の希望もないじゃないか。
 ゾウイー そうでもないのよ。
 エドワード ええっ? そうか。そいつは知らなかった。君、策略家なんだね。
 ゾウイー 何てことを言うの。
 エドワード だってそうじゃないか。
 ゾウイー ええ、その通り・・・
 エドワード ああ、ゾウイー・・・
 ゾウイー 私、行かなくちゃ。
 エドワード 昼食のこと、忘れないで。
 ゾウイー 私がここに来て、拾って行って上げる。
 エドワード いや、来ないで。直接行く。
 ゾウイー どこにする?
 エドワード バークレイ・・・一時。
 ゾウイー 私、きっと遅刻だわ。
 エドワード 僕もだな。
 ゾウイー じゃあね、エドワード。(エドワードに近づき、軽くキスをする。)
 エドワード(驚いて。)ゾウイー!
 ゾウイー これも策略家の一つ。
(ゾウイー退場。エドワード、苛々と暫く部屋を歩き廻る。煙草に火をつけ、肘掛け椅子にドスンと坐る。電話が鳴る。「うるさいな」という声を上げ、出るために立上る。)
 エドワード(受話器に。)もしもし・・・はい、そうです。・・・どちら様で?・・・いえ、駄目ですね。キャロルは今具合が悪くて・・・
(キャロル登場。最後の台詞を聞く。)
 キャロル 誰?
 エドワード 失礼。ちょっとお待ち下さい。・・・ハリー・チャロナーだ。(ぶっきら棒に受話器を渡し、窓の方に進む。)
 キャロル(電話に。)もしもし・・・そう、私。・・・いいえ。・・・いいえ、駄目。ご免なさい。・・・分ったわ、それなら。・・・六時から七時の間にね。・・・ええ・・・さようなら。
(キャロル、受話器を置く。背を向けているエドワードを見る。キャロル、退場しようとする。その時エドワード振返る。)
 エドワード キャロル。
 キャロル 何?
 エドワード 話がある。
 キャロル 何かあったの?
 エドワード あった。坐ってくれないか。
 キャロル(坐って。)ええ。
 エドワード 僕は決まりをつけようと思う。
 キャロル 決まりをつける?
 エドワード そう。
 キャロル 何の決まりをつけるって言うの。
 エドワード 僕ら二人の関係に、現実に相応しい決まりをつけようとね。
 キャロル 何? それ。
 エドワード 聞こえただろう? 今言った通りだ。
 キャロル 私、分らないわ。
 エドワード いや、分っている筈だね。
 キャロル(この時までに、ひどく心配になっている。)私、分らない。本当よ、エドワード。
 エドワード 君は今までの行動を、これからも続けるつもりでいるのか。
 キャロル あなた、何のことを話しているの?
 エドワード 不誠実についてなんだがね。
 キャロル 何? それ。私が何か不誠実なことをしているとでも言うの?
 エドワード そう。そう言うんだ。君は僕を騙してきた。
 キャロル(立上って。)エドワード!
 エドワード(しっかりと。)まあ坐るんだ。喧嘩をしようっていうんじゃない。単に調整の作業だ。だから出来るだけ短くしたい。
 キャロル(再び坐る。)何てひどい話。
 エドワード 君、そんなことはなかったって言うの?
 キャロル 勿論。 
 エドワード キャロル、僕が知らないと思っていたとすれば、それは君が騙されていたんだ。僕ははったりで言っているんじゃない。知っているんだ。もう何年も前からね。それを否定して言い合ったりするのは時間の無駄だ。それについて、これからどうするかを決めなきゃならないんだ。
 キャロル 何て厭な人なの、あなたって。
 エドワード(疲れたように。)ねえ、キャロル、そんなことはどうでもいいんだ。
 キャロル どうしようもない人よ、あなたは。
 エドワード 頼むよ、落ち着いて話に応じてくれないか。
 キャロル あなたなんか、大っ嫌い!
 エドワード そう。その「嫌い」っていうのもちゃんと確定するんだ、君が真面目にこの話に応じてくれれば。
 キャロル じゃあなた、私に嫌われたいのね。
 エドワード 正直に言えば、そんなことは僕にはどうでもいいことでね。
 キャロル(怒って。)何よ、それ!
 エドワード ちょっと落ち着くんだ、キャロル。
 キャロル どうでもいいだなんて・・・何よ・・・何よ!
 エドワード だけど、君のやった行動というものがあってね。それに鑑(かんが)みれば・・・
 キャロル 私、出る! こんなところにいて、ただあなたに侮辱されるなんて、真っ平!
 エドワード 君は侮辱なんかちっともされてはいないよ。侮辱されているのはこの僕なんだ。もう何箇月も、君は僕が馬鹿だっていうことを世間に示し続けてきたんだ。
 キャロル それで怒っているっていうの? あなた。
 エドワード それはそうだ。だから坐って欲しいな。
 キャロル 私、部屋にかえる。
 エドワード 駄目だ。一時逃れも許さない。
 キャロル 何なの? こういうことをする目的は。
 エドワード 最初に言ったけど、つまり、現状に相応しい決まりをつけようというんだ、僕ら二人の関係に。
 キャロル(威厳をもって。)私に関する限り、その決まりは、今もうちゃんとついているわ。
 エドワード 今のその決まりは、君の満足度が大き過ぎるんだ。僕にも同等の満足度が欲しくてね。
 キャロル あなた、自分で頭がいいと思っているのね。
 エドワード 何て陳腐な言い方だ。そのうち君、アッカンベーでもするんじゃないか?
 キャロル ゾウイーね、きっと。こんなことをあなたの頭に吹き込んだのは。
 エドワード つまり君は、僕が自分の蝿も追えない男だと言いたいんだね?
 キャロル そうよ。
 エドワード それは素晴らしい意見だ。君のこの一年間の行状も、君がそういう意見を持っていたという事実にピッタリ合うからね。
 キャロル あなた、まだ私のことを愛してる?
 エドワード 君はどう思う?
 キャロル 愛してるの? どうなの?
 エドワード 「ノー」だね。
 キャロル そう。
 エドワード こんなことは全部、ピントが外れた議論なんだ。
 キャロル いいえ、外れていないわ。もしあなたが私を愛していたら、こんな話持ち出す筈がないんですからね。
 エドワード そう、その論点は認める。つまり僕が、黙って、じっと苦しんでいさえすれば、君はいよいよ快適に過せるっていうことだからね。
 キャロル あなたには感情がないの。苦しむ訳がない。苦しもうと思っても苦しめないのよ。
 エドワード 君は僕に対して何か申し開きでもしようという気はないのか。
 キャロル ないわ。
 エドワード するとこちらから最後通告を出すだけだが。
 キャロル(取ってつけたような笑い。)最後通告! 呆れた!
 エドワード この一年で、君の不誠実な行為は三度あった。・・・最初はモーリス・ヴァーニイ、次がジェフリー・プール、そして今がハリー・チャロナーだ。
 キャロル(少し蒼ざめる。)エドワード!
 エドワード 三人とも妻のある身だ。つまり情事はそのことにより一層汚らしいものになっている。
 キャロル(自制を失って。)何よ、その言い方! 私にどうしてそんな言い方が出来るの!
 エドワード(急に力を籠めて。)静かにするんだ! 君はまだ否定するつもりなのか。
 キャロル(少し静かに。)いいえ。
 エドワード それはよかった。
 キャロル(拗ねた声で。)ご免なさい。
 エドワード 急に折れて出るとはちょっと驚いたね。
 キャロル(少し泣きそうになり、長い間の後。)それで、どうするつもり? これから。
 エドワード 次を待つ。
 キャロル 次?
 エドワード そうだ。
 キャロル それでどうなるの?
 エドワード 君を離婚する。
 キャロル エドワード!
 エドワード 本気だ。次の男が既婚だろうと、未婚だろうと、関係ない。
 キャロル(下を向いて。)そう。
 エドワード そこははっきり分ったね?
 キャロル ええ。
 エドワード ところで、このハリー・チャロナーとは別れるんだ。あんな下劣な二流品と君が一緒にいるのを見せられるだけでも気分が悪い。
 キャロル(エドワードを見て。)分ったわ。
 エドワード 二人で、今までのことは全部忘れるよう最善を尽す。ちょっと努力すればうまくやって行くことは出来る筈だ。
 キャロル もうこれで話はお仕舞い?
 エドワード そう。お仕舞いだ。
(キャロル、黙って扉の方へ進む。非常に真面目な表情。扉のところまで来ると振返る。)
 キャロル(今までとは違った声で。)あなた・・・
 エドワード 何だ。
 キャロル 許して頂戴。
 エドワード この話の場合、許す許さないはあまり関係のないことだ。
 キャロル ああ、お願い・・・お願い・・・(ワッと泣きだし、エドワードの方に進む。)
 エドワード おいおい、キャロル・・・
 キャロル(エドワードの前に立ち、泣いて。)私を許して・・・お願い!
 エドワード 分った。許す。
 キャロル 私、あの三人、誰も愛していない。・・・誓うわ、愛してないわ。
 エドワード(苛々して、廻れ右する。)もういいよ、キャロル。
 キャロル あなた、もう随分長いこと、私に全く無関心だったわ。
 エドワード それはそうさ。
 キャロル いいえ、もっと前のこと・・・そう、前は違ったわ。・・・去年よ、あなたが私を愛さなくなったのは。
 エドワード もう止めてくれキャロル、そんな話は。
 キャロル 本当なの、これは・・・本当なの。私、淋しかったの。
 エドワード 馬鹿な話だよ、それは。もう止めてくれ。
 キャロル(次第に興奮しながら。)馬鹿な話じゃないの。本当に愛していたのはいつもあなたなの。ハリー・チャロナーなんて私、大っ嫌い。本当。もう長いことあの人とは別れようと思っていたの。もう何週間も前、私、あなたに不誠実を働くのは止めにするって誓いをたてたの。本当よ、誓って。私、みんな、みんな、大っ嫌い。私、あなたにどこか外国に連れて行ってって言おうとしたの。でも勇気がなかった。・・・あなたはいっぱい仕事を抱えていて・・・それにあなた、冷たくって、邪険だったわ。エドワード、エドワード・・・あなた、私をもう一度愛して下さらなきゃ。・・・ねえ、お願い。そうでないと私・・・気違いになってしまう。ねえ、お願いよ、エドワード。(キャロル、エドワードの両腕の中に身を投げる。)
 エドワード(優しく身を振りほどいて。)ほらほら・・・もういい・・・もういいから、止めてくれ。(義務のようにキスをする。)
 キャロル 私、恥づかしい。・・・本当・・・本当に・・・
 エドワード 泣くのは止めるんだ。
 キャロル 私、誓うわ。これからはいい子になる。本当、誓うわ、私。
 エドワード 分ったよ。ほら、落ち着くんだ。
 キャロル ハリーにはもう二度と会わないわ。
 エドワード それはいい。ほら、頼む。もう泣くのは止めろ。
 キャロル 私、本当にあなたを愛してるの。ね? だから余計酷いのよ、この話。
 エドワード いいからもう、しっかりするんだ。
 キャロル(目を拭きながら。)ええ、分ったわ。
 エドワード 部屋に戻って、何か飲むんだ。
 キャロル 何を飲んだらいい?
 エドワード アスピリンだ。
 キャロル さっき飲んだばかりだけど。
 エドワード もう少し飲むんだな。
 キャロル 分ったわ。ああ、私、悲しい・・・
(キャロル、ゆっくりと退場。まだ半分啜り泣き。エドワード、溜息をつく。やれやれという安堵と、苛々の混ざった溜息。再び肘掛け椅子にドスンと坐る。玄関のベル、鳴る。エドワード、呻き声を上げる。右手からベリー登場。)
 エドワード 誰が来てもベリー、私は外出中だ。
 ベリー 畏まりました。(左手から退場。暫くして再び登場。)すみません旦那様、バサースト少佐です。下にいる門番も、旦那様が御在宅だと言ってしまったようで。それに、少佐は今朝もお越しになったのです。
 エドワード それは聞いていなかったぞ。ああいい、通せ。
 ベリー 畏まりました。(退場。また登場して、来客を告げる。)バサースト少佐です。
(イヴリン登場。疲れきった表情。今までより酷い。ベリー退場。)
 エドワード ああ、エヴィー。
 イヴリン(吃りながら。)エドワード、ぼ・・・僕は・・・さよならを言いに来たんだ。
 エドワード(驚いて。)さよならを言いに?
 イヴリン うん。今朝早く来たんだが、君は出ていて・・・
 エドワード だけど一体全体どこに行くっていうんだい。
 イヴリン オーストラリアだ。
 エドワード どうしてオーストラリアなんかに。
 イヴリン(弱い声で。)昔から行きたいと思っていたんだ。
 エドワード 何だい? 一体どういうことなんだ?
 イヴリン 実はその・・・仕事があって・・・オーストラリアに。
 エドワード えらい急な話じゃないか。
 イヴリン うん、兄貴から電報が来て・・・
 エドワード 兄さんがオーストラリアにいたとは知らなかったな。
 イヴリン いや、兄貴はオーストラリアにはいない。チェルトナムにいるんだ。だけど、すぐオーストラリアに行って欲しいという電報で・・・
 エドワード エヴィー、君、どうかしたのか。
 イヴリン いや、何も。
 エドワード さっきから馬鹿な嘘ばかりついて・・・それだけじゃない。君、酷く顔色が悪いぞ。
 エドワード いや、今言ってるのは嘘じゃないんだ。僕は・・・
 エドワード 馬鹿なことを言うな。一杯やった方がいい。
 イヴリン いや、飲みたくない。
 エドワード どこか悪いのか。
 イヴリン いや、悪くはない、どこも。
 エドワード 何でもいいけど、僕に話した方がいいよ。
 イヴリン 話したいんだ。
 エドワード じゃ、話せばいい。
 イヴリン 話さなきゃならないんだ。
 エドワード だから話せよ。
 イヴリン それが話せないんだ。
 エドワード 馬鹿げてるじゃないか、それは。
 イヴリン 僕は今朝、ピストルで自殺をはかった。
 エドワード 何だって!
 イヴリン 頭をぶち抜こうと・・・
 エドワード(呆れて。)どうしてまた・・・一体。
 イヴリン(泣きそうな声。)おお、エドワード!
 エドワード エヴィー、一体どうしたっていうんだ。
 イヴリン 僕って男は・・・下の下だ・・・ゲスヤロウだ。
 エドワード おいおい、何を言いだすんだ。
 イヴリン 僕らの友情はこれっきり、永久に終りだ。
 エドワード(苛々してきて。)まるでメロドラマの台詞じゃないか。さあエヴィー、何があったか話すんだ。
 イヴリン 僕は君を裏切った。・・・完全に。
 エドワード(ひどく驚いて。)裏切った?・・・僕を?
 イヴリン(下を向いて。)そうだ。
 エドワード どう裏切ったっていうんだ。
 イヴリン(かすれ声で。)キャロルだ。
 エドワード キャロル! キャロルがどうかしたのか。
 イヴリン ゆうべキャロルと僕は夕食を一緒にした。
 エドワード ほう、なるほど。
 イヴリン そして・・・それから・・・ああ・・・(テーブルの傍の椅子に坐り、両腕の上に頭をのせる。)
 エドワード(驚いて。)まさか君・・・あったって言うんじゃ・・・
 イヴリン(押し潰された声。)そうなんだ。
 エドワード 君とキャロルが!
 イヴリン そうなんだ。
 エドワード こいつはたまらん!(ゲラゲラと笑い出す。)
 イヴリン(びっくりして、見上げて。)エドワード!
 エドワード いや、こいつは傑作だ!(もっと大声で笑う。)
 イヴリン(立上る。)エドワード・・・頼む・・・お願いだ!
 エドワード(笑いを抑えられない。)これはおかしい。・・・大傑作だ・・・参った、参った・・・(窓枠に寄り掛かって笑う。)
 イヴリン(エドワードに近づいて。)エドワード・・・頼む・・・
 エドワード(弱い声で。)ちょっと来ないでくれ・・・すぐ直る・・・
 イヴリン(だんだん怒ってきて。)狂ったのか、君は!
 エドワード そう、確かにちょっと奇妙な感じだ。(また狂ったようにゲラゲラ笑う。)
 イヴリン(怒って。)エドワード・・・君は僕が言ったことがちゃんと分っているのか。
 エドワード(自分を抑えようと努力しながら。)うん・・・完璧に。
 イヴリン それで笑えるのか!
 エドワード 煙草をくれないか。
 イヴリン(苛立って。)いいか、エドワード・・・
 エドワード(急にしっかりと。)煙草が欲しい。一本頼む。
 イヴリン ほら。(自分の箱を出す。)
 エドワード 有難う。(一本取る。)火を頼む。
 イヴリン さあ。(マッチをつける。)
 エドワード 有難う。・・・少し落ち着いてきた。
 イヴリン よし。それで、君はどうするつもりだ。
 エドワード あのベルを鳴らしてくれないか。扉の横にあるやつだ。
 イヴリン ベリーに見送られなくってもいい。出口は分っている。
 エドワード(しっかりと。)君にはまだいて貰う。さあ、ベルを鳴らして。
(イヴリン、エドワードを見る。それから扉の傍へ行って、ベルを鳴らす。)
 イヴリン いいかエドワード、僕は今朝もここに来たんだ。君との友情がある、ここはどうしても真実を話して・・・
 エドワード エヴィー、君には全く何も分ってないんだよ。・・・全く何もね。
 イヴリン 何のことを言ってるんだ。僕にはさっぱりだな。
 エドワード これは現実だ。作り話じゃない。
(ベリー登場。)
 ベリー お呼びですか。
 エドワード 奥様にすぐ下りて来るように言って欲しい。分ったなベリー。非常に重要なことだ。
 ベリー はい、畏まりました。
 イヴリン(狼狽して。)エドワード、これは酷い。いくら何でも・・・
 エドワード(有無を言わせない態度。)何が酷い。
 イヴリン これは我々二人の間の話なんだ。
 エドワード いや、我々三人の間の話だ。たしか「三角関係」という名前でよく知られているやつじゃなかったかな? これは。
 イヴリン とにかく知っていて欲しいのは、故意にやったことじゃなかったんだ。
 エドワード なるほど。下劣な男と思われるよりは、馬鹿な男だと思われたいということか。
 イヴリン 君がそう言いたいのなら、それでも構わん。
 エドワード やれやれ。
 イヴリン 最初はただ、キャロルを夕食に誘ったんだ。君のために。
 エドワード 僕のため?
 イヴリン そう。彼女を懲らしめるつもりだった。
 エドワード それで結局あっちが君を懲らしめたっていう訳だ。
 イヴリン(ショックを受けて。)エドワード!
 エドワード 君のようなタイプの人間は、運動だけやっていればいいんだ。人間心理に手を出す柄じゃない。
 イヴリン 確かに・・・柄じゃなかった。
 エドワード(機嫌よく。)分りきってるんだ、それは。
(右手からキャロル登場。イヴリンを見てギクッとする。)
 キャロル どうしたの?
 エドワード 驚くことはない、キャロル。驚いたりされるとこっちが苛々する。
 キャロル 私、分らないわ。
 エドワード どうやら君とエヴィーは・・・
 イヴリン(エドワードのあけすけな言い方に傷ついて。)エドワード!
 キャロル(イヴリンを見て。)卑怯者!
 エドワード その言い方は僕には不快だね、キャロル。
 キャロル(訴えるように。)ねあなた、お願い・・・
 エドワード どうしてそうなったのか、一部始終を知りたい。
 イヴリン さっき言った通りだ、僕は・・・
 エドワード キャロル、君が説明してくれないか。
 キャロル 勿論厭よ。
 エドワード よろしい。それでは僕が自分で成行きを構成することにしよう。
 イヴリン それは全く不要なことだ。
 エドワード 不要か不要でないかは僕が決めることだ。
 キャロル まあまあ、随分安っぽい男におなりのこと。
 エドワード(穏やかに。)いいかいキャロル、少しは君、恥というものを自覚するんだね。
 イヴリン 好きなように構成すればいいだろう。僕は一向に構わん。
 エドワード 君がいくら構ったとしても、それによって僕の台詞が変ることはない。
 イヴリン 鬼検事にでもなったつもりか。
 エドワード 黙るんだ。馬鹿なことを言うもんじゃない。この酷い状況を作ったのは、君とキャロルなんだ。だから僕が話を構成すれば、それをしかるべく聞いているのが君の義務なんじゃないのか。
 イヴリン(背を向けて。)いいだろう。
 エドワード 有難う。さてエヴィー、君は君の家にキャロルを夕食に誘った。そうだな?
 イヴリン そうだ。
 エドワード 何故だ。
 イヴリン もうさっき言った。
 エドワード キャロルを懲らしめるためだったな?
 キャロル まあ、こんなの聞いていられないわ。
 エドワード その通り。聞いていられない話だ。さて、エヴィー、懲らしめるとなれば、君は最初、どうしてもキャロルに言い寄らざるを得ない。そうだな?
 イヴリン(苛々と。)そうだ。
 エドワード で、それからどうなった。(背を向ける。)
 イヴリン なあエドワード、僕はもうこんな話は聞いていられない。僕は・・・
 キャロル 私もだわ!
 エドワード じゃ、あったことを言うんだ、キャロル。君が話しさえすれば、事は簡単なんだ。君はエヴィーを愛しているのか。
 キャロル いいえ。
 エドワード じゃ何故君は・・・ここは言い難い話だが、その・・・君は・・・
 キャロル(乱暴に。)それはこの人が私を侮辱してからよ。私を辱めたからよ。だから私、この人が自分で思っている程利口じゃないってことを見せてやろうって決心したのよ。
 エドワード 御立派! さてエヴィー、君もとんでもない自惚れ心を起したものだ。この、どんな男の心でも蕩(とろ)けさせようという、百戦錬磨の女と渡り合おうと決心したんだからな。それも、その方面の知識といったらまるでゼロに等しいその君の腕でだ。おまけにその女性が君の友人の妻であるという事実にも拘らず。君は誘惑されるとすぐに降参してしまった。そして、それで満足せず、その後、その女を裏切る態度に出た。メロドラマの読み過ぎだ。そして、こともあろうに、この家に飛び込んで来て、この恥さらしな話をぶちまけようとした。それも、そうすれば自分の名誉は取り戻せるのではないかと。ああエヴィー、何ていう馬鹿なんだ、君という奴は!
 イヴリン この僕に、もういくら悪態をついたって、全くの無駄だよ。で、君はどうするつもりなんだ、我々二人を。
 エドワード まだ決めていない。
 キャロル 何も出来る訳ないでしょう。
 エドワード 随分自信があるんだなキャロル。まあ君はいつでもそうだが。
 イヴリン ああ、頭をぶち抜いておけばよかった。
 エドワード もうそれを考えても遅すぎだね。
 イヴリン ちょっと君、残酷過ぎるんじゃないか。
 エドワード どうやらこの僕は、君達二人にとって、全くの期待外れだったらしい。見ての通り、僕には全く何の動揺もない。無感動なんだ。キャロルのことをいろいろ深く思ってやるという感情は、とうの昔になくなっているからだ。
 イヴリン それを僕に聞かせておいてくれさえしたら、僕は・・・君は友達じゃないか、どうして・・・
 エドワード 友達・・・馬鹿な言葉だ。君と僕はもう何年も前から、とっくに友達じゃなくなっている。正直に我々のつきあいを分析してみれば分ることだ。我々二人は、もう会って話しても、全く退屈なだけ。面白くもおかしくもなかったんだ。我々は学校が一緒だった。クラスは違っていたが・・・それからはずっとひとつきに一回の割合で食事を共にした。そしてお互いの秘密の悩みを打ち明けあったものだ。しかしそれは、表面上のことであって、話す材料に事欠いて仕方なく話されたに過ぎない。我々二人は、心理的にも行動面でも、全く離れていて、共通の場などなかった。この、所謂(いわゆる)、偉大な友達関係は、単に伝統によって作られた偽善的なものに過ぎない。僕の方が最初にそれに気づいた理由は、ちょっと君より脳味噌の働きが素早かったからだよ。
 イヴリン(衝撃を受けて。)エドワード!
 エドワード それからもう少しだけ言わせて貰おう。君よりは性の心理学には多少鋭いセンスが僕にはあるのでね。・・・君はキャロルの性道徳に強い不満を抱いた。それは僕のためになどでは全くない。多分君自身がキャロルの魅力に取りつかれていて、それにも拘らずちょっとしたちょっかいを出し五六度キャロルから酷い肘鉄砲を食わされた。そのせいなんだ。
 イヴリン それは違う。言うことに事欠いて、全く何てことを・・・
 エドワード それならそれでもいい。とにかく、ここからの僕の処理は簡単明瞭だ。
 イヴリン 処理? どういう意味だ。
 エドワード 今言う。キャロル、君は今すぐこの家を出る。
 キャロル(恐怖にとらわれて。)エドワード!
 イヴリン(ショックを受けて。)しかし僕は・・・僕は・・・
 エドワード ちょっと待って。今説明する。キャロル、君と僕は今や一緒に暮す何の理由もない。もし君がどこか外国に行くのなら、君が僕に簡単に離婚を言い渡せるよう、諸手続きを取ろう。また、これに君が不同意なら、離婚の請願書は僕の方から出す。関係した相手の男は勿論エヴィーだ。これで今朝二度目の最後通告を行ったことになる。僕はひどく疲れた。(坐る。)
 キャロル エドワード、あなた、本気じゃないわよね?・・・ね? こんなこと・・・
 エドワード 本気だ。こんなに本気になったことは生涯でも珍しい。
 キャロル(怒りでどっと涙を出し。)こんなことってないわ・・・厭、・・・厭・・・私は。
 エドワード その言い方はエヴィーにちょっと失礼じゃないか。
 イヴリン さぞ自分のことを頭のいい男だと思っているんだろうな。
 エドワード このところいろんな人間からその言葉を言われているんでね。実は自分でも頭がいいんじゃないかと思い始めて来たんだ。
 キャロル 鬼!・・・けだもの!
 エドワード それで・・・君の結論は?
 キャロル(泣きながら。)もう私、あなたとなんか口をきかない。・・・決して・・・決して・・・
 エドワード(立上りながら。)エヴィー、君は?
 イヴリン(むっつりと。)考える時間が欲しい。
 エドワード 時間? そうだ、何時なんだ? 今。
 イヴリン(腕時計を見て。)一時二十分。
 エドワード やれやれ、やっぱり遅刻か。君達二人、何か僕に用があれば、僕はバークレイにいる。
(エドワード退場。イヴリンとキャロル、エドワードが去るのを見つめる。暫くしてキャロル、イヴリンのところに進みより、その傍に坐る。)
 キャロル エヴィー・・・
 イヴリン 何だ。
 キャロル(優しく。)頭をぶち抜くんだったら、まだ時間はあるわよ。
                    (幕)

  平成十五年(二00三年)十一月一日 訳了


http://www.aozora.gr.jp 「能美」の項  又は、
http://www.01.246.ne.jp/~tnoumi/noumi1/default.html


Written: 1926

First New York production: Klaw Th., 23 Nov. 1926 (dir. Basil Dean; des. George W. Harris and Gladys Calthrop; with Francine Larrimore as Carol Churt, A.E. Mattews as Edward Churt, Nigel Bruce as Evely Bathurst, and Auriol Lee as Zoe St. Mervin). Banned by Lord Chamberlain in UK.

First European production: as "Die Ehe von Welt", by Max Reinhardt at Die Komodie, Berlin, 25 Nov. 1927

First European production in English: by the English Players at Thatre Albert, Paris, 11 Jan. 1928

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