気違いジュルジョーン
   (モリエールの主題による三幕の喜劇)
          
          ミハイール・ブルガーコフ 作
            能 美 武 功 訳

 登場人物
ルイ・ベジャール  男優(舞台ではジュルジョーン)
ユベール  男優(舞台ではジュルジョーン夫人)
モリエール夫人  女優(舞台ではリュスィーリ)
ラグラーンジュ  男優(舞台ではクレオーント)
ヂェーブリー夫人 女優(舞台ではドリメーナ)
ラトリリエール  男優(舞台ではドラーント侯爵)
ボーバリ夫人 女優(舞台ではニコーリ)
カヴィエーリ  男優(舞台ではクレオーントの下男)
ヂェーヴリ  男優(舞台ではフェンシングの教師)
ヂュ・クルワズィ  男優(舞台では哲学者パンクラース)
芝居と音楽の教師
ダンスの教師
ブレンダヴワーン  モリエールの召使(舞台ではジュルジョーンの下男)
仕立屋
公証人
ドン・ジュアーン
騎士団長の彫像
男の踊り手達
女の踊り手達
音楽奏者達
コック達

(場は、一六七0年、パリ。)

     第 一 幕
 ベジャール(幕の隙間(すきま)から登場。レインコートに帽子。カンテラを持っている。少しびっこ。)お天道(てんとう)様、有難う! 日が暮れたなあ。みなさんに白状しますがね、私は疲れた。このびっこの足も疼(うづ)いてきて・・・この足にきく薬は何かって? それはもう、マスカット酒に決ってる。そいつがどこで飲めるかって? スターラヤ・ガルビャートナ通りの酒場に行けばある。さあ、スターラヤ・ガルビャートナへ行こう。(小声で歌いながら、退場しかける。)
 ブレンダヴワーン(幕の隙間から登場。カンテラを持っている。)ベジャールさん、そんなに急がないで。旦那様に手紙ですよ。
 ベジャール(聞こえないふりをする。そして歌いながら先に進む。)ラーラーラーラ・・・
 ブレンダヴワーン ねえ、ねえ、旦那様。待って下さいよ。手紙なんです。
 ベジャール えっ? 何だ? 誰か私を呼んだかな?・・・いや、空耳に違いない。(進む。)ラーラーラーラ・・・
 ブレンダヴワーン 違いますよ、旦那様。空耳じゃありません。待って下さい。私です・・・
 ベジャール ああ、君か、ブレンダヴワーン。全然見えなかったな。どうだ? 調子は。ああ、調子いい・・・それはよかった。じゃ失敬、ブレンダヴワーン。ちょっと急いでいるんでね。
 ブレンダヴワーン いいえ、駄目です。あなた様に手紙ですから。
 ベジャール ところがね、親愛なる、親愛なるブレンダヴワーン、そいつは私は開けたくないんだ。だって、中味が何か、ちゃんと分っているんでね。
 ブレンダヴワーン でも、手紙だけじゃないんです。包みもあるんです。
 ベジャール 包み・・・いよいよ駄目だね。包みなら「役」だ。「役」に決っている。何度となくやられたからな、包みで役をあてられるのは。特にその結び方、実にそれらしい。ひどく投げやりな結び方だ。ああ、全く、その縄で首でも吊ってしまいたい気分だよ。まあいい、とにかく明日の朝まで待とうじゃないか。哲学者がよく言うだろう? 夜より朝の方がずっと賢明だってな。まあ、石橋も叩いて渡って初めて安心なんだ。
 ブレンダヴワーン ええ、分ります。分ります。私だって、哲学をするのは大好きなんです。でも今は、残念ながらその時間はありません。なにしろ親方からの命令なんです。どうしてもこの仕事を、それも一刻も早くあなた様に引き受けて貰えと。
 ベジャール フン、一刻も早くか。(手紙を開ける。)やっぱり思っていた通りだ。実に御苦労だったなあ、ブレンダヴワーン。今夜は酒場は止めだ。さらば、スターラヤ・ガルビャートニャ! なあブレンダヴワーン、この手紙の走り使いに感謝して、ひとつ役を引き受けてくれんか。
 ブレンダヴワーン 滅相(めっそう)もない、旦那様。私は舞台に立ったことは、今まで一度もありませんで・・・
 ベジャール だから余計面白いじゃないか。
 ブレンダヴワーン とんでもない。私は役者ではありません。親方の召使いなんです。
 ベジャール 召使いだって芝居をすればいいんだ。親方、モリエール様がお書きになっているものには、必ずお前のことが出て来るじゃないか。まあいい、お前にぐだぐだ言ってもこっちが疲れるだけだ。さあ、みんなを呼んで来てくれ。
(ブレンダヴワーン、幕の隙間から退場。音楽、小さくなる。)
 ベジャール シャンボールか。全く何て貧弱なんだ、この私の想像力は。マスカット酒をたらふく飲んでいる自分が何故想像出来ん。ああ、あの酒場で友達と楽しく話している自分、さいころで一勝負やっている自分・・・こんな時、詩の女神とよろしくかたらって芝居をうとうっていう気分には全くなれないな。・・・ああ、幕だ。
(幕が開く。舞台は真暗。)
 ベジャール 明りだ、ブレンダヴワーン。明りを持て! おお、ぽっかり開いた口よ。二十年間というもの、お前はこの私をその口の中に飲み込んで来た。今日もまた私は、お前を避けることが出来ぬ。・・・フム、どうも声の調子がよくない。・・・お前、絶望と霊感の源、暗い口よ。・・・糞っ、何時になったら出て来るんだ。
(ハッチが開く。そこから登場人物達が、カンテラを持って上がって来る。)
 ユベール 何の用だ、ちんば、呼び出したのは。
 ベジャール 新しい芝居だ。シャンボールで王様に明日見せることになっている。丁度親方が病気になってしまった。リハーサルは私が指揮する。おいおい、そんなに一度に怒鳴られちゃ、何も聞こえない。ブレンダヴワーン、お前がプロンプターだ。
 ブレンダヴワーン はい、分りました。
 ベジャール よし。じゃ、手短かに言う。親方は病気だ。従って、主役のジュルジョーンは私がやる。肝心なところは、私が気違いになるということだ。
 ユベール ずっと前からそいつは気がついていた。
 ベジャール ユベール!・・・私が言いたかったのはだ、私、つまり、パリの裕福な町人ジュルジョーンは、貴族になりたいという気違いじみた行動をとるということだ。(モリエール夫人に。)親方の奥さん、あんたはリュスィーリ・・・私、ジュルジョーンの娘だ。現実の生活におけると同様、魅力的な女性。
(モリエール夫人退場。)
 ベジャール(ラグラーンジュに。)お前、ラグラーンジュは、クレオーント・・・女に惚れる役だ。
(ラグラーンジュ退場。)
 ベジャール ヂェールビイ夫人・・・あんたは侯爵夫人、ドリメーナをやる。嘘つきで狡(ずる)い女。現実のあんたとはまるで違う。
(ヂェールビイ夫人退場。)
 ベジャール ラトリリエール、お前には詐欺師ドラーントをやって貰う。申し訳ないが。
(ラトリリエール退場。)
 ベジャール ボヴァーリ夫人! あんたはリュスィーリの召使、ニコーリだ。特に言うことはない。
(ボヴァーリ夫人退場。)
 ベジャール ヂュ・クルワズィ・・・哲学者、衒学者、口煩(うるさ)い教師、パンクラース。
 ヂュ・クルワズィ 失礼だが、ちょっとそれだけでは短か過ぎる。どういう役だか、もう少し知りたいね。
 ベジャール フィリベール、私がお前に何か教える? 教師なんてもの、お前が一番よく知っているだろう? かつら、可笑しな帽子、それに雨がっぱ。さあ、ハッチから消えろ。ヂュ・クルワズィ。
(ヂュ・クルワズィ、ハッチに入る。すぐに「衒学者」の姿で跳び出して来る。)
 ベジャール そうそう、お前さんは仕事が早いので有名だからな。
(ヂュ・クルワズィ、消える。)
 ベジャール(残った役者のうちの一人に。)カヴィエーリ、お前はカヴィエーリをやる。クレオーントの召使・・・狡猾(ずるがしこ)い男の役だ。
(カヴィエーリ、消える。)
 ベジャール(三人の役者に。)最後にヂェールビイとあと二人・・・フェンシングの教師、音楽と芝居の教師、それに、ダンスの教師だ。可哀想なジュルジョーンにぴったりくっついて、ことある毎に金を巻き上げる。ありとあらゆる技をやってのけてな。
(三人、消える。)
 ベジャール フム・・・仕立屋、公証人、踊り手達・・・みんな揃っているな・・・ブレンダヴワーン! 魔法の照明だ! ジュルジョーン様を引き立ててくれ!
(場、魔法のように変化する。)
 ユベール 私はひょっとして、役なしで?
 ベジャール 冗談じゃない、ユベール。お前は私の古くからの忠実な妻だ。(ユベールを抱擁し、三度キスをする。)
 ユベール あーあ、女の役は飽き飽きだなあ!(ハッチから消える。)
 ベジャール ブレンダヴワーン、ズボンを脱がしてくれ。
(ブレンダヴワーン、ベジャールのズボンを脱がす。)
 ベジャール ああ、そうそう、ここには観客のみなさんがいらっしゃる。それを忘れていた。ブレンダヴワーン、さ、我々は寝室だ。皆さん、ちょっと御説明を。・・・朝が来るんです。ジュルジョーン様の一日が始まるのです。音楽の教師が幕の隙間(すきま)から、ブレンダヴワーンがジュルジョーンの着替えを手伝っているのを覗き見しています。さあ、芝居の始まりでーす。
(ベジャール、ブレンダヴワーンと扉の後ろに隠れる。音楽の教師、観客に背を向けて、幕の隙間から覗く。別の扉が開き、ダンスの教師登場。)
 ダンスの教師(一人言で。)おお、ここだ。もういたぞ。素早いもんだ。(大きな声で。)お早う。
 音楽の教師(隙間から目を離さず。)お早う。
 ダンスの教師(スツールの上に立って中を覗きながら。)何か見えるか?
 音楽の教師 今、ブレンダヴワーンが旦那にズボンをはかせているところだ。真っ赤なやつをね。
 ダンスの教師 フン、真っ赤なズボンか。(間。)ああ、君ね、見てると、毎日ジュルジョーンの旦那のところに来ているようだな。
 音楽の教師 そうだよ。君だってそうじゃないか。
 ダンスの教師 だけど君は、朝、まだあけぬうちからっていうやつだぞ。朝っぱらからセレナーデを聞かされるのはうれしくないんでね。
 音楽の教師 それは勿論、君としてはあのお客が音楽を習うよりダンスをしたい、って言ってくれた方が嬉しいだろうがね。
 ダンスの教師 それは大声を張り上げるよりはよっぽどダンスの方が役に立つさ。
 音楽の教師 そうそう、役に立つ、役に立つ、ダンスの方がね。・・・足を引っ張ったり伸ばしたり、朝早くから御苦労なこった。
(間。)
 ダンスの教師(囁き声で。)どうやら我々は、喧嘩をしない方がよさそうだ。・・・そうだな?
 音楽の教師 今分ったのか?
 ダンスの教師 うん・・・私の考えを言おう。この旦那が気が狂ってから、次から次と旦那の尻を追いかける奴が現れて、今では大変な数だ。だから、ここで二人が喧嘩なんかすれば、損をするのは我々だ。誰か別の奴に我々の出場(でば)を取られる訳だからな。
 音楽の教師 おお、頭がいい、あんたは。
 ダンスの教師 お褒めの言葉、いたみ入る。では、手を握るんだな? 二人は。
 音楽の教師 うん、手を握ろう。
 ダンスの教師 私は、例えば、あの長劍を佩(は)いた、のっぽのおべっか使いが嫌いでね。
 音楽の教師 フェンシングの教師か?
 ダンスの教師 そう。あいつは何としても追い出してくれねば・・・シッ・・・ジュルジョーンだ。
(堂々とジュルジョーン登場。その後ろにブレンダヴワーン。)
 ジュルジョーン お早う、教師諸君。
 二人の教師 御機嫌麗(うるわ)しう、旦那様。
 ジュルジョーン お待たせしてしまったようだな、諸君。しかし悪いのは私ではない。仕立屋だ。あいつめ、仕立屋じゃない。アホテヤだ。こんなきついズボンを作りおって・・・動こうにも動きがとれん。どうだ? 諸君、このズボンは。
 音楽の教師 申し分のない出来栄(できばえ)で。
 ジュルジョーン 貴族仲間の錚々(そうそう)たる連中は、朝は必ずこういうズボンを穿くのだ。だからこれは、私の朝のズボン。
 ダンスの教師 とてもお似合いで・・・特にそのお顔に・・・
 ジュルジョーン 有難う。さて、今日の舞台関係の授業は、何から始めるのかな?
 音楽の教師 まづは最初に、旦那様、セレナーデから。これは私共音楽教師仲間の一人が作曲したもので・・・
 ジュルジョーン 大変よろしい。ブレンダヴワーン!
 ブレンダヴワーン 何御用で? 旦那様。
 ジュルジョーン 何も用はない。お前がいるかどうか確かめただけだ。いや、まあいい。私にガウンをかけてくれ。
(ブレンダヴワーン、ジュルジョーンにガウンを着せる。)
 ジュルジョーン ブレンダヴワーン! ガウンはとってくれ。考えが変った。・・・よし。さてと、セレナーデを聞くぞ。
(二番目の幕が開く。そこはステージになっていて、男性及び女性の歌手達が並んでいる。弦楽器の伴奏で歌う。)
 歌手達 ああ、この苦しみ・・・昼も夜も・・・
     どんな人の慰めも、何の助けにもならぬ。
     ああ、イリースよ、素晴しいイリース・・・
 ジュルジョーン ああ・・・糞っ! もう我慢ならん!
(歌、急に止む。)
 音楽の教師 どうもすみません、旦那様・・・
 ジュルジョーン あの野郎、靴屋じゃないぞ、あいつは。いかさま野郎だ。こんなにきつくちゃ、もう我慢ならん。ブレンダヴワーン、靴を脱がせてくれ。・・・さ、続けてくれ、諸君。
 歌 素敵な、素敵な、イリースよ。
   私の心臓は血に濡れている。
   ああ、あなたへの愛で、私の命はもう・・・
 音楽の教師 如何です? この歌は。
 ジュルジョーン うん、少し暗いな。墓場へ引っ張られて行くようだ。正直言って、これを習おうとは思わん。このところ毎日、私が聞いている歌がある。実に良い歌だ。(歌う。)
   ああ、あの可愛いジャンネッタはもういない。
   愛したんだ私は、あのジャンネッタを。
   ジャンネッタの奴、私を誘(おび)きよせて、
   そして私を捨てちゃった。
いい歌だろう。
 ダンスの教師 素晴しいです。可愛いし、それに簡単です。
 ジュルジョーン で、私の歌い方は?
 音楽の教師 それはもう完璧で。申し分ありません。ではこれを習うことに・・・
 ジュルジョーン うん、歌はこれでいい。次はダンスだ。
 ダンスの教師 では、メヌエットを。
 ジュルジョーン よーし、大好きなんだ、メヌエットは。
(メヌエットが演奏される。男女の踊り手達、踊る。)
 ダンスの教師 さあ旦那様、位置について。・・・後について下さい・・・
(全員歌う。ラーラーラーラ・・・)
 ジュルジョーン 実はな、私は少し恥づかしいのだ。びっこだからな。
 ダンスの教師 びっこ? 誰のことで? 旦那様が?・・・どうしてそんなことを、旦那様。
 ジュルジョーン まさかびっこが見えないとでも?
 音楽の教師 びっこなどと・・・気づきもしません。
 ダンスの教師 さあ、行きますよ。ア、ラーラーラーララー・・・肩を揺すらないで、爪先を上げて・・・ア、ラーラーラーララー・・・
 音楽の教師 ブラーヴァ・・・ブラーヴァ〜
(フェンシングの教師登場。)
 フェンシングの教師 お早うございます、ジュルジョーン殿。
 ジュルジョーン あー。
 ダンスの教師(音楽の教師に。)現れおったぞ、ごろつきが。
 ジュルジョーン よーし。では諸君、次はフェンシングの授業・・・
 フェンシングの教師 ははーん、これはけしからん。フェンシングの授業の前にダンスをやったな。疲れてしまうではないか。
 ダンスの教師 憚りさま。ダンスをしたって疲れるなんてことはありません。フェンシングですよ、疲れるのは。
 フェンシングの教師 いいですか、ジュルジョーン殿。こんな、ダンスの教師ごときの言葉を聞いてはなりませんぞ。
 ダンスの教師 旦那様、いいですね? 聞くんじゃありませんよ、こんなチャンバラの教師の言うことなんか。
 ジュルジョーン さあさあ、諸君、喧嘩は止めよう。ちゃんとした人間なら、ダンスもフェンシングも両立させる筈ですよ。
 フェンシングの教師 では、ジュルジョーン殿、どうぞ刀を。お辞儀をして・・・身体を立てて・・・頭を真直ぐ立てて・・・そうです。・・・一、二(こう言いながら、刀を左右に振る。)さ、始めます。・・・突いて・・・その突き、失敗・・・(ジュルジョーンを突く。)
 ジュルジョーン おお、突かれた・・・
 フェンシングの教師 もう一度・・・一、二、・・・突いて・・・その突き、失敗・・・(ジュルジョーンを突く。)
 ジュルジョーン ああ、聖母マリア様・・・
 フェンシングの教師 さ、下って・・・突いて・・・その突き、失敗。(ジュルジョーンを突く。)
 ジュルジョーン ああ、神様・・・
 フェンシングの教師 助けてくれませんぞ、神様も。前に跳んで・・・突いて!・・・その突き、失敗。(ジュルジョーンを突く。)
 ジュルジョーン(突く。花瓶を割る。)おお!・・・
 フェンシングの教師 上手な突き!(ジュルジョーンを突く。ジュルジョーンの胴着、切れて、口が開く。)
 ジュルジョーン(床に坐って。)参りました。降参です!
 フェンシングの教師 よろしい。今回はこのぐらいでよいでしょう。分りましたな? ジュルジョーン殿。フェンシングの技術とはいかなるものか。
 ジュルジョーン 分りました。分りました。
 フェンシングの教師 フェンシングの技術というものは、こんな、ダンスだとか、音楽だとかの技術よりはずっとずっと高級なものですからな。
 ジュルジョーン 諸君、ちょっと失礼。私は胴着を替えて来ます。ブレンダヴワーン!(ブレンダヴワーンと共に退場。)
(間。)
 ダンスの教師 あんた、今、ダンスよりフェンシングの技術の方がずっと高級だと言ったな。
 フェンシングの教師 言った。
 音楽の教師 それから、音楽や芝居よりも高級だと。
 フェンシングの教師 言った。
 ダンスの教師 厚かましい。何て話だ!
 フェンシングの教師 何が厚かましいだ。それが分らんのはそっちが馬鹿だからだ。
 ダンスの教師 失敬な。殴るぞ。
 音楽の教師 こっちも加勢だ。
 フェンシングの教師 殴る? 面白い。やってみな。
 ダンスの教師 やってやるとも!
 フェンシングの教師 ほら、ほら、やってみな!
 ダンスの教師 やるさ、やるとも!
 フェンシングの教師 ほらほら・・・ほらほら・・・
 ダンスの教師 そっちが言ったんだからな。(フェンシングの教師を殴る。)
 音楽の教師 そうだ、そうだ!
 フェンシングの教師 よーし。お辞儀。身体を立てて。一、二・・・突き!
 音楽の教師(後ろへ下がって。)その突き、失敗!(フェンシングの教師を殴る。)
(ダンスの教師、フェンシングの教師から刀を奪い、殴る。)
 フェンシングの教師(叫ぶ。)助けてくれ! 人殺し!
 ニコーリ(登場して。)あら、まあ! 何てこと!(叫びながら退場。)旦那様! 旦那様! 先生同志が喧嘩です!
 ジュルジョーン(別の胴着に着替えて、走って登場。)諸君! 諸君! 何をやっているんです! 落着いて!
(照明が変る。ハッチから哲学者パンクラース登場。)
 パンクラース 何ですか、この喧噪は。この騒ぎは。私には人間の殺しあいのように見えますが。
 ジュルジョーン 全くその通りだ、哲学者先生。二人してこの人を危なく殺すところだったんです。諸君!・・・ああ、哲学者先生、お願いです。三人を鎮めてやって下さい。・・・諸君、御紹介する。こちらは私の哲学の先生、パンクラースさんだ。
 パンクラース 分りました。三人は私にお任せを。(フェンシングの教師に。)どうしました? あなた。
 フェンシングの教師(泣きながら。)二人で私をやっつけるんです。
 ジュルジョーン どうしてやり返さないんです? フェンシングの先生でしょう?
 フェンシングの教師 よーし、二人とも思い知らせてやる。裁判沙汰にしてやるぞ!
 パンクラース お静かに! その前にあなた、あなたのその表現方法に問題があります。「二人が私をやっつける」はいけません。「二人が私をやっつけるように思われる」と言わなければ。
 フェンシングの教師 何ですって?「思われる」・・・ですと?
 ジュルジョーン さあさあ、この椅子に坐って。いいですか。この先生はとんでもなく立派な先生ですからね。すぐちゃーんと説明してくれます。
 フェンシングの教師 「思われる」・・・何が「思われる」だ!
 パンクラース いいですか、あなた。哲学は我々に教えてくれています。決定的な判断というものは存在し得ない、とね。ですから、あなたにはある何かが、そういう風に見えたかもしれない。しかし、実際はそんなものは全く存在しなかった可能性があるのです。
 ジュルジョーン ほーら、見て御覧なさい。
 フェンシングの教師 何が「見て御覧なさい」です。戯言(たわごと)じゃないですか、そんなのは。
 パンクラース そうそう、その通り。あなたにはこれが「戯言のように見える」訳です。
 ジュルジョーン ほーら、言った通り。素晴しい解説。
 フェンシングの教師 しかし、失礼ですが、これ、これを見て下さい。殴られた証拠に、痣(あざ)が出来ています!
 パンクラース あなたには、それが、痣であるかのように見えるのです。
 フェンシングの教師 何という寝言だ! 全くとぼけたことを!
 パンクラース そう、あなたには寝言に思われ、とぼけたことのように、思われるんです。でもすぐに分ります。さあ、あったことを私に述べて下さい。
 フェンシングの教師 それはもう・・・いいですか、この二人のろくでなしが・・・
 音楽の教師 ろくでなし?
 ダンスの教師(音楽の教師と同時に。)ろくでなしはそっちだ!
 ジュルジョーン お静かに! お静かに!
 パンクラース その前にまづ、あなたはどういう舌で・・・何語で、私に述べようとしておられるのか、それから伺いましょう。
 フェンシングの教師 何語もへちまもあるか。この口から出た言葉でやるまでだ。
 パンクラース あなた、お分りになっていないようですね。
 ジュルジョーン あなた、お分りになっていないようですね。
 パンクラース 「どういう舌で」・・・つまり「どういう言葉で」ということです。ギリシャ語で?
 ジュルジョーン おお・・・ギリシャ語・・・
 フェンシング教師 いや。
 パンクラース ラテン語で?
 フェンシングの教師 いや。
 パンクラース シリア語で?
 フェンシングの教師 いや。
 パンクラース ユダヤ語で?
 フェンシングの教師 いや。
 パンクラース アラブ語で? さあ、さあ、何語で?
 フェンシングの教師 何語と言われても・・・
 パンクラース イタリア語、スペイン語、英語、ドイツ語?
 フェンシングの教師 いや、母国語で。
 パンクラース ああ、何だ、母国語か。それならこっちに来て。この右の耳に頼みますよ。左側の耳は外国語用でしてな。右の耳は母国語専用になっていますから。
 フェンシングの教師 あんたは阿呆(あほ)だ。哲学者なんかじゃない。
 パンクラース 阿呆・・・そう、お前さんにはそう見える、ということ。
 ジュルジョーン そう。そう見えるということだ。
 フェンシングの教師 阿呆!(パンクラースに唾を吐きかける。)
 ジュルジョーン 何ていうこと! 哲学者先生、どうかお許しを。
 パンクラース いや、大丈夫、大丈夫。届かなかった。
 フェンシングの教師 何だあんたは。それでも人間か!
(フェンシングの教師、パンクラースに飛びかかる。)
(ジュルジョーン、止めようと進み出て、平手打ちを食う。)
 ジュルジョーン 何をする! どういうつもりだ!
 パンクラース いやいや、どうかお気になさらず。私にはかすりもしなかった。
 ジュルジョーン 失礼ですが・・・
 パンクラース いやいや、とにかく大事なことは、怒らないということだ。
 ジュルジョーン 怒ったりするものか。おい、その二人。このオタンコナスを連れて行け! もう二度とこの家の敷居を跨(また)ぐことはならん!
 音楽の教師 承知しました。
 ダンスの教師(音楽の教師と同時に。)引き受けました、喜んで。
(音楽の教師とダンスの教師、フェンシングの教師を引っ立てて、退場。)
 パンクラース 怒らないで、怒らないで、ジュルジョーン殿。
 ジュルジョーン 怒ってなんかいません。・・・糞っ、あのアンポンタン!
 パンクラース さてと、今日は何をおやりになりますか? 
 ジュルジョーン それがその・・・実は・・・私は今、好きな女がいまして・・・先生はこういうことをどう御覧になりましょうか・・・
 パンクラース それは、そういうこともあるでしょうな。
 ジュルジョーン それが・・・実に魅力的な女性でして・・・
 パンクラース それは、そういうこともあるでしょうな。
 ジュルジョーン で、その女性にラブレターを出したいのですが。
 パンクラース それは、そういうこともあるでしょうな。詩で? それとも散文で?
 ジュルジョーン 詩でもなく散文でもなく・・・
 パンクラース ああ、そういうことはあり得ないのです。
 ジュルジョーン 何故です。
 パンクラース 詩か、さもなければ散文。それ以外には何もないのです。詩か散文でなければ、話すことも出来なければ、ましてや、文章を書くことも出来ません。
 ジュルジョーン これは驚きました。大発見です。ではお訊きしますが、お芝居ではどうなっているんでしょう。私はお芝居でやるように綺麗なラブレターを書きたいんですから。
 パンクラース 芝居?・・・それは散文もありますし、詩もありますよ。
 ジュルジョーン 音楽とお芝居の先生!
 音楽の教師(登場して。)はいはい・・・ここです。ここにおりますよ、旦那様。
 ジュルジョーン すまないがね、散文だけで出来ている芝居を何か見せてくれないか。
 音楽の教師 お安い御用です、旦那様。そう、モリエール作「ドン・ジュアーン」の最後の場をお見せ致します。
 ジュルジョーン 哲学者先生、どうかそこの椅子にお坐りになって・・・
 音楽の教師 それではジュルジョーン旦那様のために、「ドン・ジュアーン」の最後の場を。
(照明変化する。幕が開く。場にドン・ジュアーン。騎士団長の彫像、登場。)
 騎士団長の彫像 待てドン・ジュアーン。昨日お前は、わしと夕食を共にすることを約束した筈だ。
 ドン・ジュアーン 分っている。どこへ行く。
 騎士団長の彫像 その手を貸せ。
 ドン・ジュアーン 手を?・・・そら。
 騎士団長の彫像 ドン・ジュアーン、持って生まれたお前のその性悪の根性が、恐ろしい死へとお前を導くのだ!
 ドン・ジュアーン おお、これは何だ! 目に見えない火がジリジリと私を焼いて行く・・・
 ジュルジョーン これが散文?
 パンクラース そう、散文です。
 ジュルジョーン夫人(突然登場して、彫像に怒鳴る。)あっちへ行け!
 騎士団長の彫像 何です? これは誰なんです。
 ジュルジョーン夫人(ドン・ジュアーンと彫像に。)出て行け! 今すぐ・・・今すぐ、この家から出て行くんです! あの穴から落ちて行け!
(ドン・ジュアーンと彫像、ハッチから退場。)
 パンクラース 見たところどうやら、これはジュルジョーン殿の奥方のように見えますが。
 ジュルジョーン 残念ながら、これは「見える」ではすまされない。今度ばかりは「奥方」そのもの。ああお前、頼むよ。散文で先生方のことを悪く言うのはよしてくれ!
 ジュルジョーン夫人 何ですか、あなた。こんなやくざなことを。それも自分の家で!
 ジュルジョーン やくざなこと? 何がやくざなことだ。ただ「ドン・ジュアーン」を見ていただけじゃないか。
 ジュルジョーン夫人 家で一番良い花瓶を割って・・・それも「ドン・ジュアーン」でしょう。さっきの馬鹿騒ぎ・・・足を踏み鳴らして、まるで馬・・・あれも「ドン・ジュアーン」ね! この家で一体何をしようっていうの、本当に。
 ジュルジョーン おお、おお、可愛いお前。落着いて。ね、落着いて・・・
 ジュルジョーン夫人 何が「可愛い」の、何が「可愛いお前」なの! ただ私をからかっているだけでしょう! 全くあんたっていう人は! 性懲りもないオタンチン!
 ジュルジョーン まあざっとこんなもんです、哲学者先生、うちでの散文のやりとりは。で、今度はこちらの耳に切り替えて・・・切り替えはやはり駄目か・・・
 パンクラース まあまあ、どうか奥方・・・怒らないで・・・
 ジュルジョーン夫人 またこの馬鹿が口を出す!
 ジュルジョーン お前、何てことを! これは哲学者パンクラース先生だぞ。(パンクラースに。)先生、授業はまた別の機会に。今日のところはこれで・・・
 パンクラース そうですな。見たところ、これではちょっと・・・では、失礼しますよ、ジュルジョーン殿。(退場。)
 ジュルジョーン夫人 一体何よ、これ! 恥さらしな! 自分のことを偉い貴族だなどと思い始めてからこっち、すっかりあんたは気が狂ったの。朝っぱらからどんちゃん騒ぎ。何がお芝居! 何が音楽! 近所の人の物笑いよ。それで自分はちゃんとした人間のつもり! すっかり頭がいかれてしまって! ゆっくり椅子にでも坐っていればいいものを、馬鹿騒ぎで何をしようっていうの!
 ジュルジョーン 黙れ! 無学な女め!
 ジュルジョーン夫人 無学な女? よく言ったわね。そっちこそ何よ! 家の中にならず者というならず者を呼び込んで。レースつきのズボンを穿いたあんな名うてのペテン師を引っ張って来て、何のいいことがあるっていうの! ああいう人間をね、イカサマって言うのよ!
 ジュルジョーン 何だと? イカサマだと?
 ブレンダヴワーン(登場して。)侯爵、ドラーント様です。
 ジュルジョーン シーッ、黙るんだ、今は。
 ドラーント(登場して。)これはこれは、お懐かしいジュルジョーン殿。まづお訊ねします、御健康でいらっしゃいましょうか。
 ジュルジョーン おお、これは侯爵殿。何という光栄。私の健康のことをお訊ねで?・・・いや、実に、健康そのもので・・・
 ドラーント しかしジュルジョーン殿、まづはともあれ、どうかお帽子を! お帽子をお被りになりませんと・・・そのままではお風邪をお召しになってしまいます。
 ジュルジョーン いえいえ、とんでもない、侯爵殿。(無帽のままでいる。)
 ドラーント ジュルジョーン殿、それでは私から少し離れて下さいとお願いするようなはめに・・・
 ジュルジョーン えっ? 私が離れなければ?・・・それはもう、帽子を被ることに致します。
 ドラーント おお、何という御立派ないでたち! 朝早くからこのように立派な衣装を身につけておられる・・・そのような方には滅多にお目にはかかれません。やっと宮中の近衛の騎士の方々ぐらいでしょう。
 ジュルジョーン えっ? 私が宮中の近衛の騎士に似ていると言って下さるのですか?
 ドラーント もし似ていないなどといういうことがあろうものなら、この舌がなくなっても構いません。
 ジュルジョーン 侯爵殿の舌がなくなる・・・そんなことが起きようものなら、この私が死んでしまうでしょう。
 ドラーント ジュルジョーン殿がお亡くなりになる・・・そんなことが起きようものなら、この私が死んでしまうでしょう。勿論悲しみのために。どうかジュルジョーン殿、あなた様に接吻することを私めにお許し下さいますよう。
 ジュルジョーン とんでもない。私がそのような光栄に浴することはとても出来ないことです。
 ドラーント いえいえ、今朝私は、目を覚したとたん、ふと心に浮かんだのです。今日はとても楽しいことが私を待っている・・・そうだ、ジュルジョーン殿に接吻するのだ・・・とね。(ジュルジョーンにキスする。)これで片方の頬、さて、今度はもう片方の頬・・・
 ジュルジョーン夫人 全く、何ておべっか使い!
 ドラーント(ジュルジョーンに。)失礼しますよ。ああ、奥様! まあ、私としたことが・・・全然奥様に気がつきませんで・・・
 ジュルジョーン夫人 いいんですの・・・いいんですの。
 ドラーント お手をどうか、奥様。・・・どうか・・・
 ジュルジョーン夫人 ほっといて下さい。ほっといて・・・
 ドラーント 奥様は御機嫌ななめでいらっしゃる。
(ジュルジョーン夫人、何かぶつぶつと呟く。)
 ドラーント さあて、親愛なるジュルジョーン殿、実は私はあなたとの勘定を精算しようと思ってやって来たのです。
 ジュルジョーン(小声で、ジュルジョーン夫人に。)ほら、見て御覧。お前は馬鹿なんだから。(ドラーントに。)侯爵殿、あんなもの、お気になさることではありません。
 ドラーント そう仰らずに、ジュルジョーン殿。こういう事では、正確を期すのが私の性分でして。ところで、いくらの借りでしたでしょう、私は。
 ジュルジョーン 私は記憶が悪くて・・・たしか・・・最初私は二百ルーブルお渡しした筈で・・・
 ドラーント そうそう、全くその通り・・・
 ジュルジョーン その後、たしか三度、私がお支払いしました。一つは仕立屋。これが五千ルーブル・・・それからお店で・・・それから馬の鞍の職人のところへ行きました。・・・全部で五千八百ルーブル・・・
 ドラーント 全くその通り。さあ、私は今ここに二百ルーブル持って来ました。これをその一万五千八百に加えると、丁度切りよく、一万六千になります。
 ジュルジョーン夫人 何て話! この悪党!
 ドラーント 失礼、奥様。今何か仰いましたか?
 ジュルジョーン夫人 いいえ、何も。ただ、うちの人が何て馬鹿なんだろうって・・・
 ドラーント いえいえ、とんでもない、奥様。御主人は大変聡明な方でいらっしゃいます。
 ジュルジョーン夫人 厭な奴!(唾を吐いて退場。)
 ジュルジョーン 畏まりました、侯爵殿。今すぐお金を持って来ます。(退場。)
 ドラーント(一人になり。)観客の皆さん、酷いものです、この私のやっている事は。特に酷いのは、私がドリメーヌに結婚を申込んでいるのを、あのお馬鹿さんには隠していることです。そしていいようにあのお馬鹿さんに、ドリメーヌを惚れさせているんですからね。ところで私はドリメーヌと何が何でも結婚しなければならないんです。ドリメーヌの財産が私の手に入らないことになりでもしようものなら、私はたちまち債権者達の手に落ちてしまうんです。全く私のこの役は厭な役ですよ。でも他に手の打ちようがないんですから。(登場してきたジュルジョーンに。)ひょっとして、大変御迷惑だったのではありませんか? ジュルジョーン殿。
 ジュルジョーン 何の何の、侯爵殿。侯爵殿のためなら、どんなことでも・・・(金を渡す。)
 ドラーント 今度は何か、こちらでお役に立てることを・・・
 ジュルジョーン(囁き声で。)実は侯爵殿、・・・その・・・例の・・・
 ドラーント ああ、半分聞けば私にはちゃーんと分ります。ドリメーナ侯爵令嬢のことですね? 愛している、素晴しい方だ、と仰っている・・・(一人言で。)よーし、次は指輪の話らしいぞ・・・
 ジュルジョーン それで、例の指輪のことなのですが・・・
 ドラーント 半分聞けば後は分ります。この間私を通じて、あの方に贈り物として差し上げた、あのダイヤの指輪が、あの方にお気に召したかどうか・・・それをお聞きになりたい・・・
 ジュルジョーン そうそう、その通り。
 ドラーント それはもう、大喜びで・・・
 ジュルジョーン じゃ、教えて下さい。いつ・・・
 ドラーント 半分聞けば、後は分ります。
 ジュルジョーン夫人(静かに登場。)あのひそひそ話は、どうも気に入らない。(囁き声で。)ニコーリ!
(ニコーリ、静かに登場。)
 ジュルジョーン夫人(小声で。)あの二人、何を話しているか、盗み聞きよ!
 ドラーント(小声で。)明日の夕食に、あなたを私の家にお招きします。その時、ドリメーヌ侯爵令嬢を・・・
 ジュルジョーン ああ、何という幸せ・・・まさか、そんな幸せが私を・・・
 ドラーント あなたを待っているのです。
 ジュルジョーン 長年連れ添ってきたが、あの女房は厄介払いして・・・(ニコーリのいることに気づき、平手打ちする。)この馬鹿!(ドラーントに。)さあ、行きましょう。(ドラーントと共に退場。)
 ニコーリ(頬を抑えながら、ジュルジョーン夫人に。)ほら、奥様・・・あんな具合です。
 ジュルジョーン夫人 可哀想に、ニコーリ。大変だったね。有難う。で、二人は何の話?
 ニコーリ 奥様、旦那様はドリメーヌ侯爵令嬢とかいう女に、何かよからぬことを企んでいらっしゃる御様子ですわ。
 ジュルジョーン夫人 あの人でなし! 結婚してまだ二十四年しか経っていないっていうのに、この私に愛想をつかしたっていうのね!
 ニコーリ どうか奥様、お取り乱しにならないで・・・
 ジュルジョーン夫人 取り乱したりしてはいないの。ただ、私は心配、あの人が財産をすっかりなくしてしまうんじゃないか、そして娘に持参金もつけてやれないんじゃないかって。よし、もうこんなことをぐずぐず続けさせる訳にはいかない。さあ、ブレンダヴワーンを呼んで。クレオーントのところへ行かせて。娘との結婚をさっさとすませるの。そうでもしないと、何もかも駄目になってしまう。
 ニコーリ 分りました、奥様。すぐ呼んで来ます、急いで。
(ジュルジョーン夫人、退場。)
 ニコーリ ブレンダヴワーン、ブレンダヴワーン!
 ブレンダヴワーン(登場して。)何か用か? ニコーリ。
(ブレンダヴワーン、幕のところに行きかける。)
 ニコーリ 奥様のお言い付け。すぐクレオーント様をここへ呼んで来てって。
 ブレンダヴワーン いくら奥様のお言い付けだと言っても、呼びに行くことは出来ないな。だってもうこれで幕だ。
 ニコーリ(観客に。)皆様、休憩です。
                     (幕)

     第 二 幕
 ニコーリ(ブレンダヴワーンに。)さあ、早く、クレオーント様のところへ行って。
 ブレンダヴワーン おやおや、行く必要などないな。丁度二人でやって来る。
(ブレンダヴワーン退場。)
(クレオーントとカヴィエーリ、登場。)
 ニコーリ ああ、なんて間がいいんでしょう、クレオーント様。お呼びしようと、ブレンダヴワーンをやるところでしたの。今日は、カヴィエーリ。
 クレオーント お前なんか、悪魔に食われてしまえ!
 ニコーリ まあ、何てことを!
 クレオーント あの裏切者のお嬢様のところへさっさと行け。そして言ってやるんだ、このクレオーントは、人様の笑い者になってすごすごと引き下がるような男じゃないんだとね。
 ニコーリ まあ、これ、どういうこと? 何が何だかさっぱり。カヴィエーリ、何なの? これ。
 カヴィエーリ 消えろ、ニコーリ。
 ニコーリ 分りましたわ。旦那様は気が狂うし、この二人も狂っちゃった。奥様に言って来よう。(走って退場。)
 クレオーント 誠実で献身的に愛している男に対してとる態度か、あれが。
 カヴィエーリ そうです、旦那様。全く何てことでしょう。私達の恋人は実際こちらを馬鹿にしていますよ。
 クレオーント カヴィエーリ、お前、誰か私以外の人間で、あの人のことをこんなに優しく、こんなに熱烈に愛している男を知っているか? 誰でもいい、名前をあげることができるか?
 カヴィエーリ いません、旦那様。名前なんかあげられっこありません。
 クレオーント あの人に私は丸二日会っていなかった。それが私には呪わしい二百年にも思われたのだ。そして昨日、ああ、何ていう幸運、街であの人を見かけた。私はあの人に駆け寄った。・・・ああ、あの時の私の顔・・・どんなことが書いてある顔だった? カヴィエーリ。
 カヴィエーリ 喜びと、そして燃えるような恋の炎・・・それですね、書いてあったのは。この首を賭けたっていい。
 クレオーント だろう? それがどうだ。あの薄情な女は、私から視線を逸(そ)らし、まるで私に生まれて初めて会ったかのような顔をして、傍を通り過ぎて行ったんだ。何だ一体、これは、カヴィエーリ。
 カヴィエーリ しようがありませんよ、旦那様。あのニコーリだって、私に同じ態度をとったんですからね。
 クレオーント あの人の膝の上に、私は何度涙をこぼしたことか。そんなことのあった後で、あれだ!
 カヴィエーリ えっ? 涙ですって? 旦那様。私の方は井戸から何度水を運んだか。
 クレオーント バケツで水? 何だ、一体。
 カヴィエーリ ニコーリのことですよ、これは。
 クレオーント この胸を恋の炎で、どれだけ焼いたことか!
 カヴィエーリ 串に刺した肉を、ぐるぐる、ぐるぐる、竈(かまど)の上でどれだけ回して焼いたことか。
 クレオーント 竈(かまど)? ああ、ニコーリのことか。
 カヴィエーリ そうです、旦那様。
 クレオーント 糞っ! 怒りの持って行きどころもない!
 カヴィエーリ 持って行くところなんかありませんよ。
 クレオーント ああ、あの人を罵(ののし)ってくれ、カヴィエーリ。あの女の顔の缺點を暴きだして、私にあの女を忘れさせてくれ。
 カヴィエーリ 畏まりました、旦那様。あの方は目が小さいですよ、旦那様。
 クレオーント 何を馬鹿な! そうか、小さいかもしれない。しかし、その小さな目から出て来る、炎のような光!
 カヴィエーリ それに、口は大きいし。
 クレオーント それは本当だ。しかし、魅力溢(あふ)れる口だ。
 カヴィエーリ 背は低いし。
 クレオーント だけど、何て均整のとれた・・・
 カヴィエーリ 頭が悪いですよ、あの方は。
 クレオーント 笑わせるんじゃない。あの繊細な頭脳!
 カヴィエーリ 何だ、旦那様。あの人を罵(ののし)ろうとしたってそれじゃ何にもなりませんよ。
 クレオーント いやいや、頼むからやってくれ。
 カヴィエーリ 浮気女ですよ、あの方は。
 クレオーント いや、今回だけだ。すぐなくなる、浮気なんか。
 カヴィエーリ もういいです、旦那様。私は疲れました。誰か私以外の人にやらせて下さい。私はもうご免です。
(リュスィーリとニコーリ、登場。)
 クレオーント あっ、私はあれとは話したくないんだ。分るな? カヴィエーリ。
 カヴィエーリ 分ってます。どうぞ御安心を、旦那様。
 リュスィーリ 何なの? あなたのその態度は、クレオーント。
 ニコーリ どうしたっていうの? カヴィエーリ。
 リュスィーリ 唖(おし)にでもなったの? クレオーント。
 ニコーリ あんたもどうしたのよ、カヴィエーリ。言葉を忘れちゃったの?
(間。)
 クレオーント 性悪女とはこういう女を言うんだ!
 カヴィエーリ 裏切り者のユダ!
 リュスィーリ ニコーリ、あんたの言ってたこと、本当ね。この人達、気が狂ったのよ。ああ、そうそう。昨日のあの出逢いのことが気になっているのなら、私、今説明する。
 クレオーント いや、聞きたくない。
 ニコーリ ねえ、私に説明させて。
 カヴィエーリ いやだ。
 リュスィーリ 昨日の朝は・・・
 クレオーント 聞きたくない。
 ニコーリ 昨日の朝はね・・・
 カヴィエーリ そこをどけ!
 リュスィーリ クレオーント、待って!
 クレオーント 嘘、作り話はもう沢山だ。
 ニコーリ ねえ、聞いてよ、カヴィエーリ。
 カヴィエーリ 聞く前から分ってる。嘘に決ってるんだ。
 リュスィーリ もういい、聞く耳持たないって言うのなら。さあ、行きましょう、ニコーリ。
 ニコーリ 行きましょう、お嬢様。
 クレオーント そうか。じゃ、聞くよ。昨日のあの態度はどうしたんだ。
 リュスィーリ いいえ、もう私、話したくない。
 カヴィエーリ さあ、言うんだ。
 ニコーリ いいえ。
 クレオーント お願いだよ。
 リュスィーリ 離して頂戴。
 カヴィエーリ さあ、さあさあ。
 ニコーリ いや、いやいや。
 クレオーント そうか。君は行っちゃうのか。よし、じゃいい。つれない人。それなら僕も行っちゃう。そして死ぬんだ。カヴィエーリ!
 カヴィエーリ 旦那様、私もお供します。溺死(できし)します。
 リュスィーリ 待って、クレオーント。
 ニコーリ 待って、カヴィエーリ。
 カヴィエーリ 分りました。待ちます。
 リュスィーリ 聞いて。昨日の朝、私、父と一緒に散歩することになったの。父が言うことには、道で決して誰とも挨拶をしてはいかん。相手が侯爵の時だけ挨拶するんだ、と。だから、あなたに頭を下げるのも怖かったの。
 カヴィエーリ なあんだ、そうだったのか。酷い話だ。
 クレオーント 君、僕を捨てたんじゃなかったんだね? リュスィーリ。
 リュスィーリ 誓ってもいい。違うわ。
 クレオーント じゃ、僕のこと、愛してる?
 リュスィーリ ああ、クレオーント!
 ニコーリ カヴィエーリ!
(二組、キス。)
(足音が聞こえる。リュスィーリとニコーリ、走って退場。別の扉からジュルジョーン夫人登場。)
 ジュルジョーン夫人 ああ、クレオーント、会えてよかったわ。
 クレオーント 奥様!
 ジュルジョーン夫人 ああ、クレオーント、私本当に困っているの。
 クレオーント どうしたんです? 困ったって。
 ジュルジョーン夫人 馬鹿な男が悩みの種なの、クレオーント。
 クレオーント 馬鹿な男・・・悩みの種・・・それは酷いです、奥様。
 ジュルジョーン夫人 まあ、私、あなたのことを言っているのではありませんわ、クレオーント。
 カヴィエーリ じゃ、私のことだ。
 ジュルジョーン夫人 馬鹿な男・・・それは私の夫なの。ええ、ええ、こんなこと、認めたくないわ、私。でもあの人、気が狂ったの。自分が有名な貴族だと思い込んでしまった。だからあなた、今すぐにでも、私の娘と結婚して。あの人が全財産を使いはたす前に。あの娘(こ)はあなたが好き。それに私もあなたが大変気に入っている。
 クレオーント ああ、奥様、何て嬉しいお言葉。天にも登る心地です。
 ジュルジョーン夫人 さあ、キスして頂戴、クレオーント。
(カヴィエーリ、ジュルジョーン夫人にキス。)
 ジュルジョーン夫人 あら、あなた! あなたが私に何か御用?
 カヴィエーリ ああ、奥様、正直なところ、私にも計画があります。私はお宅の小間使い、ニコーリを愛しています。奥様は私達の結婚を邪魔などなさらないでしょうね?
 ジュルジョーン夫人 邪魔などしませんよ。
(カヴィエーリ、ジュルジョーン夫人にキス。)
 ジュルジョーン夫人 お待ちなさい。今あの人を呼びますから。(退場。)
 ジュルジョーン(登場して。)ああ、あなたですか!
 クレオーント ジュルジョーン様、どうかこの願い、お聞き届け下さいますよ。私はお嬢様の連れ合いになり、あなた様の義理の息子になることを、光栄この上もないことと思っております。どうかあなた様のお手にお縋(すが)りして、お嬢様との結婚をお許し下さい。伏してお願い申し上げます。
 ジュルジョーン ほほう、これはこれは。しかし、何はともあれ、何語で私とお話しになりたいか、まづそれを伺ってからにしませんと。
 クレオーント それは、もしお許しが戴けますなら、ジュルジョーン様、母国語で。私は外国語というものが全く駄目ですので。
 ジュルジョーン では、右の耳にお願い致します。母国語はもっぱら右の耳で聞くことにしております。左の耳は外国語用で。
 クレオーント 分りました。(そちらに移る。)
 カヴィエーリ 全く、何て話だ!
 クレオーント では、ジュルジョーン様・・・
 ジュルジョーン ちょっとお聞きしますが、私との話は、詩でなさいますか? それとも散文で?
 クレオーント 散文です、もしお許しが戴けますなら。詩ではとても話せませんので。
 ジュルジョーン それは残念。では、あなたの散文をお聞きすることに・・・
 クレオーント つまりその・・・ジュルジョーン様、私は、お嬢様と結婚致したいので!
 ジュルジョーン(よく考えてから。)フム、可能性はありますな。
 クレオーント お嬢様を御尊敬申し上げているのです、ジュルジョーン様。
 ジュルジョーン(ちょっと考えてから。)フム、それも可能性はある・・・
 クレオーント(心配になって。)それで、あなた様は私に何と仰るのでしょう、ジュルジョーン様。
 ジュルジョーン それは不可能・・・と。
 クレオーント ああ、ジュルジョーン様。
 ジュルジョーン お聞きするが、あなたは貴族かな?
 クレオーント いいえ、ジュルジョーン様、私は貴族ではありません。それははっきりと申し上げます。私は嘘をつくのに慣れておりませんので。
(カヴィエーリ、しきりにクレオーントに目配せして、ブツブツ言う。)
 クレオーント 何だ? お前、その目配せは。
 カヴィエーリ(咳をして。)目配せなど私はしておりません。旦那様の勘違いです。どうかお続け下さい。でも、どうか言葉にお気をつけて。
 クレオーント そうです、ジュルジョーン様。私は嘘はつけない。私は貴族ではありません。
 カヴィエーリ あーあ、やってしまった!
 ジュルジョーン その単刀直入の言葉、大変気に入りました。では、お互いにキスを。
(二人、キスする。)
 ジュルジョーン(キスを終えて。)但し、娘はあなたにはやれん。
 クレオーント 何故です。
 カヴィエーリ 散文ではこうなる運命だ。
 ジュルジョーン あの娘は、侯爵にやると固く決めているのでな。では、失礼致しますよ、あなた。召使い達が沢山いて、あれこれ指示を出さねばなりませんのでな。ではこれにて。あなたの恭順な僕(しもべ)ジュルジョーンは、お暇(いとま)致します。(退場。)
 クレオーント(椅子にどっかと腰をおろして。)どうだ一体カヴィエーリ、このなりゆきは。
 カヴィエーリ 詩でお答えするんですか? それとも散文で?・・・詩にしましょう。旦那様はアンポンタン!
 クレオーント 何だお前、笑っているのか。
 カヴィエーリ これがどうして笑わないでいられましょう。旦那様はこれで一生、独身ですよ。
 クレオーント しかし、私の口から嘘は言えないよ。
 カヴィエーリ 嘘よりももっと、馬鹿の方が厭ですね、私は。旦那様には心からの感謝の言葉を申し上げなければ。結局のところ、私の話もぶち壊しておしまいになったんですからね。あの人は言いましたよ、ニコーリの相手も、侯爵に仕えている召使いでなければ、と。(だんだん怒ってきて。)全く呆れましたよ、旦那様には。相手は気違いなんですよ。何でも適当に相手になってやるのが務(つと)めじゃありませんか。母国語でならこっちの耳・・・その耳に何でもいい、言ってやればよかったんです! もう私を首にして下さい。どこかの侯爵の召使いになります。私は結婚したいんですからね。
 クレオーント カヴィエーリ、それはないよ。裏切り行為だ。こんな酷い目にあっている時に私をおいて行こうなんて。頼む、カヴィエーリ、何か名案を考えてくれ!
 カヴィエーリ しようがないですね、旦那様。自分では何も考えられない。いつだって考えるのは私なんですから。
(間。)
 クレオーント カヴィエーリ!
 カヴィエーリ 待って下さい、旦那様。名案が熟してきたところです。気違いが相手なら、どんな手段をとったって・・・フム、フム・・・よし、これで・・・これで熟しました、名案が。
 クレオーント カヴィエーリ、お前は天才だ!
 カヴィエーリ そう、天才。では旦那様、夕方までには私が旦那様を、有名な人物に仕立て上げます。
 クレオーント 有名な人物? また、どうやって・・・
 カヴィエーリ それはこっちの腹の中に。ではまづ、お金を下さい、旦那様。
 クレオーント いくら欲しい。
 カヴィエーリ 純粋な支出が五十ピストル。それに、私用に十ピストル。
 クレオーント さあ、これが金だ。
 カヴィエーリ ではと、まづ、あの二人の詐欺師、音楽とダンスの教師を誘って私は食事です。旦那様はもう家に帰って私の指示を待っていて下さい。ジュルジョーン殿にうるさくしたらいけませんよ、くれぐれも。(退場。)
 ジュルジョーン夫人(登場して。)おや、クレオーント・・・
 クレオーント(泣く。)ああ、奥様、旦那様は私をお断りに・・・
 ジュルジョーン夫人 まさか! 全くあの人、何を考えているのやら。いいです、私に任せて!(叫ぶ。)ジュルジョーン! ジュルジョーン!
(クレオーント、走って退場。ジュルジョーン夫人に手を振りながら。)
 ジュルジョーン(登場して。)どうやらお前、私を呼んだようだな。
 ジュルジョーン夫人 あなた、クレオーントを断ったのね。何故? あの人はいい人。それに、あなたの娘を愛してくれているのよ。
 ジュルジョーン 私もあの人物は大変気に入っている。
 ジュルジョーン夫人 まさかあの人が、ちゃんとした人物でないと言うんじゃないでしょうね。
 ジュルジョーン いや、ちゃんとしている。あの男のことを考えれば考えるほと、実に納得だ・・・ちゃんとしている。
 ジュルジョーン夫人 リュスィーリがあの人を愛していないとでも?
 リュスィーリ(走って登場して。)私、あの人を愛しているわ。
 ジュルジョーン 愛している、愛している。その通りだ。
 ジュルジョーン夫人 すると、あの人の方が愛していないとでも?
 リュスィーリ いいえ、ちゃんと愛してくれています!
 ジュルジョーン そんなに怒鳴ることはない。お前はちゃんと愛されているよ。
 ジュルジョーン夫人 あの人には財産もあります。
 ジュルジョーン 言うには及ばん。素晴しい財産だ。
 ジュルジョーン夫人 じゃ、何故あなた・・・
 ジュルジョーン いや、これだけは譲られん。譲られんのだ。侯爵でないからな。
 ニコーリ(突然登場して。)で、旦那様、旦那様は侯爵ですか?
 ジュルジョーン ああ、お前もか。お前は分っておらんのだ。私は残念ながら侯爵ではない。しかし、つきあいは侯爵達とだ。将来もずっと侯爵達だけとつきあうのだ。
 ジュルジョーン夫人 私の娘を不幸にすることは、私が許しません。一体誰があの子を生んだと思っているんです。
 ジュルジョーン 私だ! 生んだのは・・・エーイ、糞っ! 妙なことを言いおって! お前だ、お前が生んだのだ。私をほっといてくれ!
 リュスィーリ 私、クレオーントとでなかったら、誰とも結婚しません。もしお父様がこの結婚に反対なさるのでしたら、私、お父様とはこれっきり縁を切ります。
 ニコーリ お嬢様、それだけはおよしになって・・・
 ジュルジョーン やれやれ、お前達のうるさいこと!
 リュスィーリ(泣く。)ああ、私、何て不幸せ・・・
 ジュルジョーン夫人 見て御覧なさい。あなたですよ、娘をこんな目に合わせて・・・
 リュスィーリ ママ! 私、出て行く・・・
 ジュルジョーン夫人 どこへ・・・お前、どこへ出て行くっていうんだい!
 ニコーリ そうです、お嬢様、どこに!
 リュスィーリ 身を投げて、私・・・死ぬ・・・でなかったら、叔母さんのところへ・・・(走って退場。)
 ジュルジョーン夫人 ニコーリ、来なさい。あの子をほっておいてはいけません。(二人、走って退場。)
 ジュルジョーン 御覧下さい、お客様、この気違い一家を! おい、ブレンダヴワーン!
(ブレンダヴワーン登場。)
 ジュルジョーン 頼む、私の頭に湿布(しっぷ)だ。
 ブレンダヴワーン 旦那様、侯爵ドラーント様がいらっしゃいました。誰か女のお連れの方と・・・
 ジュルジョーン ああ、来たか、来たか。やっと来たか。あの女・・・何て運がいいんだ。家の者が全員出ているとは! すぐ入って・・・いやいや、入るのはまだだ。そう、待って貰って・・・そう、まだ・・・まだだ・・・糞っ、何だ私のこの服は。・・・そう、入って貰え。そして言うんだ。少々お待ち下さい、主人はすぐ来ますからと。(退場。)
(ドラーントとドリメーナ、登場。)
 ドリメーナ ドラーント、こんな、知らない人の家に軽はずみにやって来て・・・私、心配・・・
 ドラーント おお、可愛いドリメーナ、下らないことを言うんじゃないよ。誰にも知られないで、君と食事が出来るところが他にどこにあるっていうんだ。分っているだろう? それは。
 ドリメーナ このことだけじゃないのよ、ドラーント。私に贈物を下さるのは、本当にもう止めにして下さらなければ。この指輪だって、どうして私にこんな・・・
 ドラーント ああ、ドリメーナ!
(ジュルジョーン登場。)
 ドラーント さあ、われらが親愛なるジュルジョーン殿のお出ましだ。
 ジュルジョーン これはこれは、侯爵令嬢様、お越し戴くとは全く光栄な・・・いや、お越し戴く光栄にあづかるとは・・・このような光栄をお授け下さるとは・・・わが家を御訪問下さるというような、この光栄を・・・侯爵令嬢様・・・
 ドラーント 光栄はもう結構、ジュルジョーン殿。そのような御挨拶は無用に願いたいとの侯爵令嬢からのお申し出で・・・
 ドリメーナ ええ、ジュルジョーン様は本当に優雅なお方ですから、どうぞ御無用に・・・
 ドラーント(囁き声で、ジュルジョーンに。)実はちょっと・・・その・・・この方に差し上げた、例の指輪のことは決して話題にしてはいけませんぞ。
 ジュルジョーン(囁き声で。)しかし、少なくとも、気に入ったかどうかだけは知りたいものですが・・・
 ドラーント いやいやいや、それは全く礼儀に反するというもの。指輪など気がつきもしないという顔をしなければ・・・
 ジュルジョーン それは悔しい・・・何とか・・・
(三人、坐る。)
 ドリメーナ この指輪が気になっていらっしゃるようですわね。本当に素晴しいものでしょう?
 ジュルジョーン 気もつきませんでしたな、指輪など。しかしまあ、無理にでも批評するとなれば、下らない、取るに足らない物ですよ、そんなもの・・・
 ドラーント(空咳。)クハッ、クハッ、クハッ・・・
 ドリメーナ 取るに足らない? まあ、ジュルジョーン様って、随分へそ曲がりの方なんですのね。
 ジュルジョーン 手に入れようったって、このような指輪は、とてもとても・・・
 ドリメーナ あら・・・?
 ドラーント(独り言。)糞ったれ!
(ブレンダヴワーン登場。湿った布切れを持って来て、ジュルジョーンの額に当てる。)
 ジュルジョーン 何だ、これは。
 ブレンダヴワーン 湿布です、旦那様。
 ジュルジョーン(囁き声で。)とっとと出て行け、この馬鹿・・・
(ブレンダヴワーン退場。)
 ジュルジョーン どうぞ、お気になさらないで、侯爵令嬢殿。あの召使はちょっと気がふれておりますので。ブレンダヴワーン!
(ブレンダヴワーン登場。)
 ブレンダヴワーン 何御用で?
 ジュルジョーン 食事はどうした。
 ブレンダヴワーン すっかり用意が整っております。
 ジュルジョーン 皆様、どうか皆様を御招待・・・申しあげる光栄を・・・お許し下さいますよう・・・どうか、お食事を・・・ささやかな私の気持・・・どうか・・・
 ドリメーナ ジュルジョーン様、感謝致しますわ、本当に・・・
 ジュルジョーン おい、音楽だ! 食事だ!
(ステージに音楽家達現れる。床から豪勢に設(しつら)えられたテーブルが上る。テーブルには四人のコックがついている。コック達、踊りながら食事の用意をする。)
 ジュルジョーン 侯爵令嬢様、さあ、どうぞ!
 ドリメーナ お宅では何て豪華にしつらえられているんでしょう!
 ドラーント 侯爵令嬢、ジュルジョーン殿は、我々がここで食事をすることを大変光栄に思ってくれていて・・・
 ジュルジョーン これしきの食事、なんのその・・・
 ドリメーナ 繰り返しますけれど、ジュルジョーン様、あなたって、随分へそ曲がり・・・
 ドラーント さあ、侯爵令嬢、ワインを・・・
 ドリメーナ 何ていい香り・・・
 ドラーント 素晴しいワインだ!
 ブレンダヴワーン これしきのワイン、何のその!
 ジュルジョーン おい、ブレンダヴワーン、やり過ぎだぞ。
 ブレンダヴワーン いえいえ、これしきのこと、何のその!
 ジュルジョーン さあ、次の料理だ!
 ドラーント 楽しみだぞ、この気前のよい御亭主が、次にどんな料理をふるまってくれるか・・・
 ジュルジョーン 見ていて下さい。料理人の秘密なんです。
(床からテーブルが飛び上がる。その上にジュルジョーン夫人が坐っている。)
 ジュルジョーン おお、これは!
(間。)
 ジュルジョーン夫人 まあまあ、結構なお客様ですこと。女主(おんなあるじ)が留守の時、亭主がやることはこれ・・・どこかの陽気な遊び女とその色男を連れ込んで、財産を張り込んで豪勢な食事・・・やれやれ、呆れたもの! 全く呆れ返ってものも言えない!
 ジュルジョーン ああ、ぶち壊しだ!
 ドラーント 奥様、何ていう事、何ていう言い方です、それは。第一、この食事は私持ちです。決してジュルジョーン殿の・・・
 ジュルジョーン夫人 お黙りなさい、この胡麻の蠅(ごまのはえ)!
 ドラーント 奥様!
 ジュルジョーン夫人 何が奥様! 奥様が聞いて呆れる! 私はね、二十三年、ちゃんと奥様をやって来たの! 私があんたの何が奥様! 恥づかしくないの、あんたは。のこのこ他人(ひと)の家に押しかけて・・・おまけに食事!
 ジュルジョーン ああーっ、駄目だ、これは。
 ドリメーナ 何て話でしょう。ああ、ドラーント、お願い!
 ドラーント 落着いて、お願いだ、ドリメーナ。
 ドリメーナ 今すぐ、今すぐ、ここから連れ出して、私を!
 ドラーント(ジュルジョーン夫人に。)恥を知りなさい、あなた!
 ジュルジョーン めちゃめちゃだ・・・ぶっ壊しだ!
(ドラーント、泣きじゃくるドリメーナを連れて退場。)
 ブレンダヴワーン テーブルを片づけましょうか? 旦那様。
 ジュルジョーン そうしてくれ。(ジュルジョーン夫人を指差して。)あいつも・・・テーブルも・・・みんな片づけろ・・・ああ、とんだ恥かきだ・・・
 ブレンダヴワーン 湿布をお持ちしましょうか、旦那様。
 ジュルジョーン 糞っ! 地獄へ落ちてしまえ!
 ブレンダヴワーン 地獄へ?・・・よろしうございます、旦那様。丁度時刻もお誂(あつら)え向き・・・二幕の終です。
                     (幕)

     第 三 幕
(夜。ジュルジョーン一人。)
 ジュルジョーン(悲しそうに。)あーあ、女房のやつにどでかい一発を食(くら)ってしまった。やれやれ。あーあ・・・恥づかしくて、人に会うことも出来ない。それに連中もあれからすぐこの私を忘れてしまったようだ。・・・誰も訪ねて来る者はいない。・・・教師連もどこへ雲がくれしたか、さっぱりだ。・・・哲学でもしてみるか・・・あのパンクラース先生・・・たいした人物だったなあ・・・あの人の言葉を聞くとほっとしたものだ。・・・それに哲学・・・実に立派な学問だ。・・・そうだ、確かにあの食事・・・あのスキャンダル・・・あんなものは存在しなかった・・・ただ私にそう見えただけのことだったかもしれない・・・そうだ、私の心にこれを吹き込む必要がある。・・・スキャンダルはなかった・・・スキャンダルはなかった・・・いや、やっぱりスキャンダルはあったなあ。哲学をしても、ちっとも面白くない。・・・そうか、メヌエットでも踊るか。おい! ブレンダヴワーン!
 ブレンダヴワーン(登場して。)何御用で? 旦那様。
 ジュルジョーン 面白くないんだ、私は、ブレンダヴワーン。
 ブレンダヴワーン では何か、お召し上がりに?
 ジュルジョーン いや、何も欲しくない。奥さんは今、留守か?
 ブレンダヴワーン はい、お留守です。
 ジュルジョーン うん、丁度いい。メヌエットが踊りたい。皆を呼んでくれ。
 ブレンダヴワーン 音楽家達はどこかへ行ってしまっていまして・・・
 ジュルジョーン ふん、なるほど。・・・神は我を見捨てたまうたか・・・ブレンダヴワーン、お前、メヌエットを歌え。
 ブレンダヴワーン 私はその、歌は酷く下手で・・・
 ジュルジョーン 構わん。二人でやろう。
(二人でメヌエットを歌う。ジュルジョーン、それに合わせて踊る。)
 ジュルジョーン アー、ラーララー、ララーラーラー・・・駄目だ。ちっとも面白くない。もういい、ブレンダヴワーン、お前がいると余計つまらん。
 ブレンダヴワーン 畏まりました、旦那様。(退場。暫くしてまた登場。)旦那様、旦那様に、何かトルコの方がお会いになりたいと・・・
 ジュルジョーン ラーラーラー・・・トルコの方? お前、酔っているんじゃないだろうな、ブレンダヴワーン。この私にトルコの方が何の用があるっていうのだ。
 ブレンダヴワーン 私にも分りません。何故トルコの方なんでしょう。
 ジュルジョーン まあいい、入ってもらえ。
(ブレンダヴワーン退場。すぐに戻って来る。カヴィエーリ、トルコ人の服装をして、その後から登場。)
 カヴィエーリ 旦那様、ひょっとして・・・私のことを御存じでいらっしゃいましょうか?
 ジュルジョーン いいえ・・・
 カヴィエーリ 私の方は旦那様、旦那様のことをすこーし存じ上げておるのですが・・・
 ジュルジョーン ほほう、それはどういうことでしょうかな。
 カヴィエーリ 旦那様は御幼少の頃、まことに、まことに面白いお子様でいらっしゃいました。御婦人方は、先を争って旦那様のお手を取ろうとしたものでございます。その小さいお手に口づけをしようと、先を争って・・・
 ジュルジョーン これは嬉しいお話を・・・ただ、・・・「口づけ」ですと? 古風な仰り方ですな。あなたはまだ、とてもとてもお若い方という印象ですが・・・
 カヴィエーリ 無理もありません、若く見えるのは。私は、このところずっとトルコで暮しておりましたから。
 ジュルジョーン ははあ・・・
 カヴィエーリ そうです。実は旦那様、私は旦那様のお父上に、非常に親しくして戴いておりました。ああ、あの、亡くなられたお父上は、実に、実に、本物の貴族と言えるお方でしたなあ・・・
 ジュルジョーン 何ですと? あなたは、私の父とお知り合いだったと仰るのですか?
 カヴィエーリ そうですとも。
 ジュルジョーン そしてあなたは、父のことを貴族だったと仰るのですな? 間違いはありませんな?
 カヴィエーリ 間違いなど・・・正真正銘の貴族でいらっしゃった・・・
 ジュルジョーン(カヴィエーリの手を握る。)いや、こんな嬉しいお話をお聞かせ下さるとは・・・さあどうぞ、どうぞ、お坐り下さい。全く、このパリでは、しようもない連中が沢山いるもので。私の父が商人だったなどと、とんでもない噂を広めているんですからなあ・・・
 カヴィエーリ 何ていう馬鹿な話を・・・お父上は、それはちゃんとした方でいらっしゃいました。ラシャ、その他、色々な製品に目がお利(き)きになって・・・いろーんな製品をお買いになっていらしては、お知り合いにお配りになったのです。配るといっても勿論、お金は取りました。ただで物を貰うと、人は自尊心が傷つけられることをよく御存じだったからです。
 ジュルジョーン おお、何という素敵な話!
 カヴィエーリ ちょっとその・・・私が旦那様のお宅にお邪魔しましたのは、実は素晴しいお話があるからなのです。このパリに、トルコのスルタンの王子殿下がいらしているのです!
 ジュルジョーン そんな話は聞いたこともありませんが・・・
 カヴィエーリ で、実は旦那様、私がその殿下の通訳なのでして・・・
(ジュルジョーン、立上がる。)
 カヴィエーリ どうぞ、お坐り下さい。私になど、敬意は不要です。・・・ここで、実に重要な事柄があるのですが・・・盗み聞きしている者はいないでしょうな?
 ジュルジョーン ブレンダヴワーン、下がってよい。
 ブレンダヴワーン 畏まりました、旦那様。(退場。)
 ジュルジョーン どうぞ、御遠慮なくお話し下さい。
 カヴィエーリ 殿下がお宅のお嬢様に恋をされたのです。
 ジュルジョーン えっ?・・・ああ・・・いつ・・・何故・・・エー、どこで私の娘に会われたのでしょう。
 カヴィエーリ 偶然です。道で。しかし、どこで会ったか、そんなことはどうでもよろしい。大切なことは、殿下があなたの婿殿になりたいという、この一点でして。
 ジュルジョーン おお、通訳殿、これはあまりの衝撃で・・・
 カヴィエーリ 今朝私は殿下とお話をしておりました。すると突然殿下が「アクチーム・クローリ・サリェール・スンシャアッラー・ムスタファ・ギデーッル! アマナーヘム・ヴァラハーニ・ウッセルカルブラート」と仰せになったのです。
 ジュルジョーン ほう、そのようなことを・・・
 カヴィエーリ そう、殿下の口うつしのお言葉がこれで・・・で、如何です?
 ジュルジョーン(独り言で。)糞っ! 父親の奴、トルコ語を私にちゃんと教えておいてくれれば良かったのに!
 カヴィエーリ 如何です? これを聞いてどんなお気持です? 相手はトルコのスルタンですぞ。
 ジュルジョーン 通訳殿、申し訳ない。白状致しますと、私は勿論少しはトルコの言葉が話せます・・・しかし、何せ、お分りでしょう? 例の女家庭教師というのは、その・・・ですから、半分ぐらいは分ります。・・・しかし、その・・・
 カヴィエーリ いえいえ、どうぞ御心配なく。今訳して差し上げます。さっきの殿下のお言葉は「お前、あの素晴しいお嬢さんを見たか? ほら、パリの貴族のジュルジョーン、あの人のお嬢さんを。」私は恭しく答えました。「はい、勿論」いや、勿論これをトルコ語でですよ。殿下は仰せになりました。「アーハ・マラバーバ・サーヘム!」訳しますとつまり、「ああ、何て私はあの娘に恋していることだろう」と・・・そして私に命じました。「行ってジュルジョーン殿のお手を求めて来い。そして説明するのだ。さすれば汝ジュルジョーンをママムーシの位につけてやるぞ」と。
 ジュルジョーン ママムーシ?・・・それは勿論・・・いやいや、その「ママムーシ」とはどんな地位で?
 カヴィエーリ 侍従です。
 ジュルジョーン アーイ、アーイ、アーイ、アーイ!
 カヴィエーリ いや、これだけではない。実は殿下直々にこちらにおいでになると仰せになっておられる。
 ジュルジョーン まさか・・・私は・・・
 カヴィエーリ 何ですか? それともひょっとして、この結婚に反対だとでも?
 ジュルジョーン 通訳殿、何故私がそんな大それたことを。ああ、それにしても何て不幸なこと! 実はその、私の娘リュスィーリというのは、それは無鉄砲な女でして、クレオーントとかいう男に今、夢中なのです。白状しますが、その惚れ方が尋常でなく、梃(てこ)でも動かんというやつで・・・
 カヴィエーリ ジュルジョーン殿、それは心配ありません。お嬢様がこのスルタンの王子を一目御覧になれば、一遍に片がつきます。これは内緒ですが・・・いいですか、国家的秘密なんですからね、このことは・・・このトルコの王子は、そのクレオーントという若者に瓜二つなんです。私も道で逢ったことがありますが、それはそれはよく似ていて・・・しかし、ジュルジョーン殿、こんなことを喋ってぐずぐずしている時ではありません。すぐお着替えを・・・トルコ風の衣装にして戴かなければ・・・
 ジュルジョーン それは無理です。トルコの衣装など、私には全く・・・
 カヴィエーリ いえいえ、準備は万端整えてあります。今、トルコ宮廷お抱(かか)えの仕立屋がやって来ます。その者がすぐさま着付けを・・・おい!
(仕立屋登場。)
 ジュルジョーン 何だこれは。うちの仕立屋じゃないか。おい、トルコ宮廷お抱えの仕立屋というのはお前か。
 仕立屋 はい、私で。トルコの王子様に認められまして。では、お着替えを・・・寝室の方へどうぞ・・・
(ジュルジョーンと仕立屋、退場。)
 カヴィエーリ(扉の方へ。)おい! みんな!
(音楽の教師とダンスの教師、登場。)
 カヴィエーリ 二人とも準備は万全だな? それに秘密は守ってくれるんだな?(二人に金を渡す。)
 ダンスの教師 どうぞ御心配なく。私どもは、藝につかえる正真正銘の人間です。ですから勿論、藝のためにお金を下さる方には、つべこべ言わず、直ちに御仕えする者です。
 カヴィエーリ うん、そうこなくちゃな。では頼むぞ。王子はまもなくやって来る。
(二人の教師退場。ドラーント登場。カヴィエーリ、顔を隠す。)
 カヴィエーリ こいつはえらい時に・・・まづいな、これは・・・
 ドラーント 今日は。(カヴィエーリの顔を覗きこむ。)
 カヴィエーリ カリガール・コムバート。
 ドラーント えっ? 今何と?
 カヴィエーリ アムパスウ?
 ドラーント あなた、フランス語が駄目なんですか?(独り言。)どこかで見た顔だぞ、これは。
 カヴィエーリ フランス語・・・私・・・駄目・・・
 ドラーント トルコ人なのかね? 君は。
 カヴィエーリ トルコ人・・・私。おお、・・・ミコースィ・・・
 ドラーント 何がミコースィだ。君はカヴィエーリじゃないか。
 カヴィエーリ シーッ・・・お願いです、どうか・・・
 ドラーント 何です、一体、その仮装は。
 カヴィエーリ どうか正体を明かさないで。お願いです。今私の主人のクレオーントが、トルコの王子として、ここに現れます。
 ドラーント 勿論、君の悪智恵だな?
 カヴィエーリ ええ、隠しだては致しません。私が考えて・・・
 ドラーント 何故そんなことを。
 カヴィエーリ あの旦那は、貴族ではないからと言って、娘を私の主人に許そうとしないのです。
 ドラーント ああ、そうか。
 カヴィエーリ ですから、お願いです・・・
 ドラーント おお、こいつは失敗、私は家に財布を忘れて来たぞ!
 カヴィエーリ いくら入っていたんです? 財布には。
 ドラーント 二十ピストル。
 カヴィエーリ どうぞ、旦那様。この二十ピストルをお使い下さい。
 ドラーント すまない。なあ、カヴィエーリ、ここに侯爵令嬢のドリメーヌを連れて来てもいいかな? このお笑い劇を見せたいんだ。勿論仮面をつけて来させるが・・・
 カヴィエーリ それはもう・・・どうぞ、どうぞ・・・
 ドラーント よし、分った。(退場。)
(ジュルジョーン登場。トルコ風の衣装を着ている。その後ろから仕立屋も登場。)
 ジュルジョーン やあ、通訳殿・・・私の衣装はこれでいいかな?
 カヴィエーリ ほほう・・・ちょっと後ろを見せて・・・よろしいです。
(通りから音楽が聞こえて来る。それから、灯りがチラチラ見えて来る。)
 カヴィエーリ さあ、王子様ですよ!
(クレオーント、お付きの者達に導かれ登場。トルコの衣装。)
(音楽の教師とダンスの教師、登場。その後ろに役者達。全員トルコの衣装。)
 クレオーント アンブザーヒム・アキバラーフ・サラマレーキ!
 ジュルジョーン 通訳殿、頼む!
 カヴィエーリ 「ジュルジョーン殿、あなた様のお心は、年を経るに連れて、柔らかい薔薇の花びらのように、花開いていらっしゃいます」と。
 ジュルジョーン 王子様の従順な僕(しもべ)、ジュルジョーンでございます。
 クレオーント ウスチーン・イオーク・バーゼ・モラーン。
 カヴィエーリ あなた様に神が、ライオンの勇気、蛇の智恵、が授けられますように。
 ジュルジョーン どうぞ、王子様にもその同じものが授けられますように!
 カヴィエーリ(クレオーントに。)オーサ・ビナメーン・サドーク?
 クレオーント ベーリ・メーン。
 ジュルジョーン 何という意味でしょう・・・「ベーリ・メーン」・・・
 カヴィエーリ 「ベーリ・メーン」とは、「できるだけ早く結婚の式を上げねばならぬ。何故なら、今にも私は汝の娘御にお会いしたいから。そして速(すみや)かに結婚の式を終えたいから。ことほどさように、私の彼女に対する愛は深く、またその愛は私の心に深く食い込んでいるからである」、終り。
 ジュルジョーン ほほう、これだけ沢山のことが、たった二言、「ベーリ・メーン」で。・・・素晴しい言葉だ。フランス語よりずっと優秀だ。
 カヴィエーリ そんなもの、比べものになりませんよ。ああ、お客様がいらっしゃいました。
(ドラーント、ドリメーヌを導き、登場。)
 ドラーント ジュルジョーン殿、お許し戴けますでしょうな? 我々の参列を。
 ジュルジョーン おお、これは侯爵殿。大歓迎です。(ドリメーヌに。)よくいらっしゃいました、侯爵令嬢殿。先日の家内のあのようなおぞましい登場で、すっかり愛想をつかされてしまったことと、観念しておりましたのに、またこのように御来駕下され、洵(まこと)に恐縮の到りでございます。
 ドリメーナ ああ、あの事・・・つまらない事ですわ。私、すっかり忘れてしまいました。それに私、今日はマスクをつけますの。そうすれば、奥様にも、私だとはお分りにならないでしょうし。そうそう、ジュルジョーン様、今度は立派な地位におつきとの事、おめでとうございます。
 ジュルジョーン そうです。侍従の地位を与えられましてな。(ドリメーヌに片手を差し出す。相手にキスをさせるため。)
(ドリメーヌ、嫌々ながら、その手にキスをする。)
 ジュルジョーン いや、このような虚礼、私とても厭でたまらないのだが、貴族の義務・・・致し方のないもので・・・(クレオーントに。)殿下、サラマーンキー、御紹介申し上げます。こちら、侯爵令嬢、ドリメーナ・・・おっと、これではお分り下さいませんね・・・ベーリ・メーン・・・おい、通訳殿!
 カヴィエーリ(ドラーントを指し示して。)コーズリー・マーナ。これは、「御紹介致します。こちらはドラーント侯爵です」という意味で・・・
 ジュルジョーン(ドラーントに小声で。)ほらほら、手を接吻して・・・
 ドラーント(カヴィエーリに。)何だ、こんなことまでやるのか!
 カヴィエーリ お願いです、キスをどうか。目論(もくろみ)をぶち壊さないで・・・
 カヴィエーリ さあ、花嫁の御登場!
 ジュルジョーン(心配そうに。)そうだ、花嫁に御登場願おう。
(音楽。それから舞台裏から、リュスィーリの金切り声が聞こえる。)
 ジュルジョーン ブレンダヴワーン、リュスィーリはどこだ。
 ブレンダヴワーン 今お連れするところで・・・しかし、ひどくおむづかりで・・・
 ジュルジョーン そうだと思った・・・ままならぬものだ。
(トルコ人達、嫌がるリュスィーリを連れて来る。)
 ブレンダヴワーン さあ、いらっしゃいました、旦那様。
 ジュルジョーン(リュスィーリに。)カリガール・コンバート。これはトルコ語で、「お前は今からこのトルコの王子と結婚するんだ」という意味だ。
 リュスィーリ 助けて!
 ジュルジョーン ブレンダヴワーン、ブレンダヴワーン、娘を抑えるんだ!
 ブレンダヴワーン 旦那様、抑えているのがやっとです!
 ジュルジョーン 何をやっている、リュスィーリ。ウスチーン・マラーフ・・・お前もトルコ語を勉強しなければな・・・ブレンダヴワーン、頼む、その手を、その手を抑えるんだ。・・・王子様、どうか、娘の狂態にお気をおとめになりませぬよう・・・馬鹿な娘で・・・ベーリ・メーン
 リュスィーリ 誰か・・・誰か来て・・・助けて!
 ジュルジョーン ベーリ・メーン・・・ベーリ・メーン・・・
(突然、公証人登場。二、三册の本と、カンテラを持っている。)
 公証人 失礼ですが、ここで結婚式があるとか・・・で、ここに来るように言われたものです・・・私は公証人で・・・
 カヴィエーリ ここです、そう、ここです。どうぞ、どうぞ・・・
 ジュルジョーン 公証人だと?・・・呼んだ覚えはないが・・・サラマレーキー・バズーリ・・・全く、何て有様だ、これは・・・ブレンダヴワーン!
 ブレンダヴワーン 旦那様、私はもう駄目です・・・お強いお嬢様で・・・もうへとへと・・・
 リュスィーリ アーアーアー・・・
 公証人 何ですか一体これは。実際驚きましたね。何が結婚式ですか。準備も何もありはしない!
 カヴィエーリ いえいえ、準備は万端・・・ええ、万端・・・どうか行かないで。お願いです、公証人様。今はこんな状態ですが、すぐ結婚式になるのです。どうか・・・(公証人に目配せをする。)
 公証人(困って。)分りませんな。それに、その目配せ・・・一体何です?
 カヴィエーリ シッ、黙って。目配せなど何も・・・どうぞ、さあ、お坐りになって。(リュスィーリに。)お嬢様、お願いです。どうか、どうか、王子様を御覧になって・・・一目・・・一目・・・
 リュスィーリ いや! いや! お前なんかあっちへ行け! いや!
 公証人 生涯でこんな結婚式は見たことがありませんな。花嫁がいやだと言っている。無理強いはいけませんな。
 カヴィエーリ 今すぐ・・・今すぐ承諾します。必ず・・・すぐ!(リュスィーリに。)さあ、こっちを。私を見て。ほら、カヴィエーリですよ・・・ほら・・・ほら、ほら・・・
 リュスィーリ 何ですって? カヴィエーリ?
 カヴィエーリ シッ! 
 ブレンダヴワーン よーし、やっと静かにさせたぞ、この私が。
 カヴィエーリ さあ、王子様の顔を見るんです。
 リュスィーリ(クレオーントの顔を見て。)あっ!
 クレオーント リュスィーリ!
 ニコーリ(突然走って登場。)私のお嬢さんに何をしているんです! トルコの人と結婚させるなんて、私が許しません!
 ジュルジョーン こいつを縛りあげろ、ブレンダヴワーン!
 ブレンダヴワーン いえいえ、旦那様、それは御勘弁を!
 公証人 とんでもない結婚式があったもんだ。
 カヴィエーリ(ニコーリに。)大人しくするんだ、この気違い!(こっそりと。)私はカヴィエーリ、王子はクレオーント!
 ニコーリ あっ! お嬢様、どうぞ・・・どうぞ、結婚に同意なさって・・・
 リュスィーリ お父様、私、結婚に同意しますわ。
 ジュルジョーン あーあ、やっと・・・どうぞ殿下、娘は同意しました! ベーリ・メーン・・・これで一件落着だ。
(突然床が大きく開き、ジュルジョーン夫人登場。)
 ジュルジョーン と思ったら、一難去ってまた一難。これはこれはエライところへお出ましだな、奥方殿。天が獅子の智恵をお前に与えたというところか。この老いぼれの蛇め!・・・そうか、こんな話はどうせ通じないな・・・とにかくトルコの方々に無礼な真似だけは止めてくれ・・・さあ、あっちに行くんだ・・・ウスチーン・イオーク・・・殿下、実は、これが私の妻で・・・似ても焼いても食えない女・・・
 ジュルジョーン夫人 老いぼれのイカサマ師、今度は一体何を企んだ! 自分の娘を殺そうというの! ブレンダヴワーン! すぐ警察を呼びなさい!
 公証人 何ですと? 結婚式に警察? 分りました。私はもう出て行きます。
 カヴィエーリ 待って、お待ち下さい。もう少しだけ。(ジュルジョーン夫人に。)奥様、どうか、王子の顔を見て。お願いです。
(ジュルジョーン夫人、カヴィエーリに平手打ちを食わせる。)
 公証人 これは勇ましい。よしよし、面白そうだ。もう少しいてみよう。(坐る。)
 カヴィエーリ 奥様、顔を殴る前に、どうかこの顔を見て下さい。
(床からパンクラース登場。)
 パンクラース ジュルジョーン殿、パリの哲学者仲間、それに、一般庶民の間に流れる噂により、お宅でお祝い事があることを知りました。どうか、祝福の言葉を一つお許し下さいますよう・・・
 ジュルジョーン 何ですと? お祝い事? まあ、ここのこの有様を御覧下さい。この猛り狂った復讐の女神が、トルコの通訳殿を平手打ちして、これでは祝言の後、トルコと戦争が始まってしまいます・・・
 ブレンダヴワーン 戦争?・・・それは起りますよ、きっと。
 カヴィエーリ いえいえ、戦争など起りません。平手打ちなどサヨナラです。(ジュルジョーン夫人に小声で。)奥様、私はカヴィエーリ、そしてこちらはクレオーント。
 ジュルジョーン夫人 あっ!(ジュルジョーンに。)賛成ですわ、私。さあ、娘をトルコの王子様に。どうぞ!
 ジュルジョーン おお!・・・殿下、神様が殿下の懇願をお聞き届けになりました。女房に天から智恵が降って来ましたぞ!
 カヴィエーリ 公証人殿、さあ、あなたの出番です!
 公証人 そのようですな。思いもかけぬ進展で、あれよあれよという間に、納まるところへ納まりましたな。・・・では、新郎新婦の名前を・・・
 ジュルジョーン では、こちら側に、トルコのスルタンの息子・・・
 公証人 スルタンでは分りませんな。名前をどうぞ・・・
 カヴィエーリ(小声で。)あれは冗談で。書いて下さい。こちら側にクレオーント、その横にリュスィーリ・ジュルジョーン。
 公証人 フム、それなら話は別だ。(書く。)
 カヴィエーリ(公証人に。)第二の組、こちら側に召使いカヴィエーリ、その横に小間使い、ニコーリ。(ジュルジョーンに。)旦那様、白状しますが、実は私は、旦那様の小間使いに惚れていまして・・・
 ジュルジョーン 小間使いに惚れるなどと、通訳殿、それは馬鹿なことですぞ。それほど結婚の必要があるのなら、私の女房となさったらよろしい。それならトルコでも幅がきく。
 カヴィエーリ いえいえ、旦那様。そのような旦那様の幸せをぶち壊すようなことは、とても、とても・・・
 ジュルジョーン それはまあ、お好きなように・・・そうだ、御列席の方々、誰か私の女房と結婚したい方はおられませんかな? 私はこれと離婚するつもりでして・・・丁度運良く公証人もおられることで・・・そうそう、哲学者先生、先生は如何です? どうせ先生なら、「結婚したように見える」だけですむ筈ですから・・・
 パンクラース いやいや、そんな手間を取ることはありません、「現在ジュルジョーン殿に見えている通りのこと」をお続けになればよろしい。
 ドラーント そうだ、これはよい機会だ。ドリメーナ、結婚・・・いいんだね?
 ドリメーナ 勿論ですわ、ドラーント様!
 カヴィエーリ(公証人に。)では、書いて・・・こちら側に・・・その横に・・・
(公証人、書く。)
 ジュルジョーン どういうことだ、これは、侯爵。(ドリメーナに。)あなたはその・・・私の指輪を・・・
 ドラーント 指輪!・・・ジュルジョーン殿、大金持のあなたらしくもありませんぞ。端金(はしたがね)ではありませんか。私とこの素晴しい婦人の結婚の祝いに、贈物として下さってもよいではありませんか。
 ジュルジョーン ベーリ・メーン・・・
 カヴィエーリ さあ、これで全てはうまく纏(まと)まってと・・・ハッピー・エンド!(ターバンを取って。)ジュルジョーンの旦那様!
 クレオーント(ターバンを取って。)ジュルジョーンの旦那様! お許し下さい。愛しあっている、幸せな二つの心を結びあわせるために、どうしてもこの変装が必要だったのです。そう、私はクレオーントです。ほら、お嬢さんの、この幸せそうな顔! どうか私達のことを怒らないで。仲直りしましょう!
 ジュルジョーン 何だ、これは。カンテラを持って来い。(よく相手を見て。)カヴィエーリ! クレオーント! 何だ、何だ何だ、これは! 幻(まぼろし)に取り囲まれているのか、この私は! マラバーバ・サーベム! アクチヤーム・クローク・サレール!・・・トルコ人じゃないのか、お前達は!(音楽の教師からターバンを取る。)音楽の教師!(ダンスの教師からターバンを取る。)ダンスの教師! 何だ、何が起ったんだ! もう私は何も信じないぞ! もう私は誰も信じないぞ!
 教師達と役者達(声を揃えて。)おめでとうございます、ジュルジョーン様! 若い者達に幸せがやって来ますように!
(音楽、轟く。)
 ジュルジョーン夫人 愛(いと)しいあなた、どうかもう正気に返って。病気になる前の、あの優しい、楽しい生活に戻りましょう。
 リュスィーリ(ジュルジョーンに飛びつき、抱擁して。)お父様! 私、幸せ!
 ジュルジョーン 違う! 違う! これはみんな幻だ!(ジュルジョーン夫人に。)お前が私の妻だなどと、私は信じるものか!(ジュルジョーン夫人の、女の衣装を剥ぎ取る。)そら見ろ! こいつはユベールじゃないか! おお、私は本当に気違いになったぞ! 私を支えてくれ!
 全員 落着いて、ジュルジョーン様!
 ジュルジョーン 哲学者先生を! こちらへ・・・頼む。私を落着かせてくれ!
(パンクラース、ジュルジョーンの傍に現れる。)
 ジュルジョーン パンクラース先生、頼みます。何か楽しい話を!
 パンクラース お安い御用で。・・・これで芝居は終!
 ベジャール(ジュルジョーンの衣装を脱ぎ、黒いレインコートを着て、カンテラを持つ。)全員、解散!(オーケストラに。)指揮者! 退場の行進曲だ!
(音楽。)
(登場人物全員、床から下へ降りる。)
(幕、下りる。)
 ベジャール(レインコートにしっかり身を包んで、幕の隙間から。)さてと、これで私を呼びとめる者は誰もいないぞ。お天道(てんとう)様のお陰だ。今日も一日終る。ともしびも消えて行く。スターラヤ・ガルビャートナに行くとしよう。好物のあの酒、マスカット酒が私を待っている。アーラーラーラ・・・
(音楽に合わせ、退場。)
                     (終)

   平成一七年(二00五年)七月十五日 訳了


原題は Poloumnyi Zhurden



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