科学者大先生
             トーマス・シャドゥウェル 作
               能 美 武 功 訳

     プロローグ
 前回の芝居が皆さまには大層お気に召して、今晩も同じように面白いものと、期待して来られたのでしょう。でも、これがお口にあうかどうか、皆様方は前回の芝居で、もう口が奢っていらっしゃるのではありませんか? 作者はそれを心配しております。お口の中は素敵な韻文でいっぱいで、新しい味が来ても、それを楽しまれないのではないかと。しかし、そこまで御満足戴けるものを作るには、時間と努力が必要で・・・作者の痩せ腕には残念ながら身に余る仕事。機知があっても、それが良い芝居になるまでには、陶器を作る時のように、長い時間醸す必要があるのです。あの名作家ジョンソンの書いた完璧な芝居、あれ以来、あれほどの上質なものにはお目にかかっておりません。一年に二本書かねばならぬ、昨今のこの芝居事情。これではやっつけ仕事も出てくるというものです。肥った怠け者のお医者さんがのうのうと暮している。一方そのすぐ傍で、痩せた教区の牧師さんが、齷齪(あくせく)働いている時代なのですからね。前回のお芝居では多少の機知もお見せ出来ました。このお芝居では沢山の道化、洒落者、嫌われ者が、町中をわが物顔に暴れます。いづれも吐き気を催す嫌な奴。でも今までこういう連中が舞台に上ったことはありません。皆さまを楽しませる訳にはまいりますまいが、目新しい連中です。皆さまきっと、「おお、これは本当の話だ。」と言って下さるのではないかと、作者は期待しています。機知においては他の作者の芝居に劣るかもしれませんが、道化はよく書けているわい、と言われたいのです。「ああ、あの道化、機知のある男をよくやっつけているじゃないか。あの意地悪は見事だ。なかなかの見物(みもの)だ」と。しかし、どんな端役の登場人物も、どんなつまらぬ冗談も、ただ単発に出て単発に笑わせる、こんなことはありません。必ず他と重なり合い、散らばっていたものは一つになり、最後には成る程と頷いて戴けましょう。作者は申しております。これら新式の登場人物達が、もし皆さまに喜んで戴けたら、これから先、年に二度、これと同じような新式のお芝居をお目にかけたいものだと。

     登場人物
 サー・ニコラス・ジムクラック 科学者大先生。
 サー・フォーマル・トゥライフル 雄弁家、目立ちたがりや。
 スナール 年とった、気難しい男。伝統を愛し、昨今の乱れを糾弾する。しかし、実際は看板とは異る。
 サー・サミュエル・ハーティー 元気のよい、惚れっぽい、思い切った事をする、しかし運の悪い男。気のきいた面白いことを口にしては、自分には機知があると思い込んでいる。
 ロングヴィル ミランダに恋している男。機知とよいセンスの持主。
 ブルース クラリンダに恋している男。機知とよいセンスの持主。
 水泳の教師
 ハザード レイディー・ジムクラックの恋人。
 レイディー・ジムクラック 科学者大先生の妻。
 クラリンダ ロングヴィルに恋している女性。科学者大先生の姪。
 ミランダ ブルースに恋している女性。科学者大先生の姪。
 フラート 科学者大先生の女(売春婦)。
 フィガップ スナールの女(売春婦)。
 ベティー クラリンダの女中。
 ブリジェット レイディー・ジムクラックの女中。
 下男 科学者大先生の家の。
 その他 リボン職人 病人達 門番達 召使達 ジムクラック家の執事 仮装舞踏会の人々

 場 ロンドン

     第 一 幕
(ブルース、ガウンを着て本を読んでいる。)
 ブルース おお、ルクレチウス、お前は偉大だ。機知とセンスに溢れたお前の文章。なまなかの詩人ではないよ、お前は。馬鹿な詩人はいくらでもいる。ありえぬ事をさもあるように書きまくる奴、大袈裟に表現していても内容は空っぽな奴。しかしお前は違う。お前は哲学と詩を融合させたのだ。そして歴史上唯一人、詩と良識とが両々相俟つことを証明して見せたのだ。(読む。)
omnis enim per se divum natura necessest
immortali aevo summa cum pace fruatur
semota ab nostris rebus seiunctaque longe.
nam privata dolore omni, privata periclis,
ipsa suis pollens opibus, nil indiga nostri,
nec bene promeritis capitur neque tangitur ira.
(神々は、自然から与えられた権利によって、完全な心の平静を保持している。我ら人間から、そして人間の煩わしい些事から遠く離れて。危険にも、愛情にも接近されることなく。彼等自身で満ち足りていて、人間どもが何をしようと何の影響も与えられはしない。よい行いで喜ばせようとしても、悪い行いで怒らせようとしても。)
 ロングヴィル おい、ブルース、お早う。一体どんな偉大な作者なんだ、君が反芻しているのは。朝のこの時間だ。君は頭痛に吐き気の最中だと思っていたんだが。
 ブルース 毎朝二日酔いと決まったものじゃないさ。時々は考えるということをしなけりゃな。
 ロングヴィル ルクレティウスじゃないか! 偉大なルクレティウス。いやあ、高貴なエピキュリアン殿。しかしそれにしても君、少し流行遅れじゃないのか、こんな時代にラテン語を読むなんて。
 ブルース そうなんだ、ロングヴィル。僕は勇敢な男だよ、今時こんなことを敢えてするんだからね。きざな奴、昔のものを読むなんて、と思われているんだ。それに紳士という種が馬よりももっと退化した種に成り下がっているこの時代にだ。
 ロングヴィル そうなるのも無理はないさ。だいたい紳士と言われている人間が子供を生むとき、血統のことを考えてもいない。そして息子が生れてきたって、育て方に全く気を配らない。誰の子供でも構わない。男の子でありさえすればいいのさ。男の子なら後嗣ぎに出来るんだからな。その中でもましな連中が受けている教育、それがなんと無頼漢を育てるための教育ときている。だから今の若い連中はどいつもこいつもみんなとっちゃん坊やだ。今年ズボンを脱いだばかりだというのに、もう年寄り面だ。
 ブルース 連中が最初に教わる先生と言えば、若くて無知な、その家で雇った知ったかぶりの男だ。その家の女主人を恐れて自分の生徒を鞭で打つことさえ出来ない。それから、英語もまだろくに出来ていない、文法上の結合も解剖も習わない内に、養育係だか、家庭教師だか、全くろくでもない無教養な人間と一緒に、フランスへ送られる。何が家庭教師か、馬の鞍ほどにも役に立たない。何が養育係か、パリへ行く時に乗る早馬を抑えることさえ出来ない癖に。フランスから帰って来る頃には、お有難い「万国共通語」が少しは喋れるだろうと考えてのことだ。ところが自分の国の言語ときたら、ろくに書くことも出来はしない。
 ロングヴィル しかし連中はフランス語がうまく喋れると言って珍重されるんだ。
 ブルース どうやらフランス語ってやつはセンスがなくても喋れるんだな。英語はそういう訳にはいかない。
 ロングヴィル それはそうだ。しかし、フランスに行かない連中もいる。こいつらが有望な男達か? 連中は女の姉妹(きょうだい)、それに親戚としか付合わず、母親の大のお気に入りだ。ただ、他の誰からもつまはじき。躾けがまるでなっていなくて、はやばやと十六歳にはもう「街の男」になっている。
 ブルース そいつらだ。酔っ払って、わめきながら芝居小屋にやって来る。そして座席の上に立ったまま、空っぽの頭につけたかつらを振り立てて、まだ声変わりのしていない黄色い声で怒鳴るのだ。「おい、何だこれは。ひどい芝居だぜ。こんなものは止めて、女でも買いに行こうぜ、ジャック。」すると、めかし込んだその相棒が薬瓶を出しながら答える。「それがまづいんだ、トム。俺は調子が悪くてな。これが俺の三度目の淋病だぜ。その薬がこれさ。」とてもそんなものに罹(かか)るほど年がいってはいないのに。
 ロングヴィル やれやれ、まるで時期はづれの果物だ。熟す前に腐ってしまっている。
 ブルース 動物だって、こいつらよりはもっと頭を使っている。いや、動物とは言わない。植物だって、連中よりは想像力があるさ。
 ロングヴィル この調子で進むと、次の世代には紳士なんて払底してしまうんじゃないか。人殺しをやっても、牧師のところへ頼み込む才覚さえなくなるぞ。
 ブルース 我々が身につけなければならない最高の美徳とは、形式を整えること、機知を持つこと、それに言葉を磨くことだ。これは他人の真似をすることによって手に入れる。しかし連中のお手本ときたら、酔っ払いの洒落た言葉だ。またその練習をするのに、わざわざしらふの時にやる。酔っ払いの真似をしらふの時にやられたんじゃ、みっともないこと限りなしだ。これでは折角機知のある男だって最後には悪徳しか身につきはしない。一人前の紳士が半人前の見習いに物を習っているようなものさ。
 ロングヴィル 悲しいことだが、それが現実だ。しかし僕はそういう連中がいくら多くても、そいつらのために一肌脱ごうなんて気にはさらさらならないね。
 ブルース それはそうだ。我々が何をどう言おうと、社会っていうのは手に負えないものさ。自分の行きたいところにしか進みはしない。改革家なんて、何の役にも立ちはしない。馬鹿なことさ。
 ロングヴィル お蔭さまで僕にはそういう公共心は毛ほどもない。僕自身に関係のないことのために楽しみを一瞬でも割かれるなんて真っ平だね。
 ブルース 哲学者だよ、君は。そうだ、個人的楽しみと言えば、クラリンダとミランダに対する我々の恋はどうなんだ。そら、あの科学者、サー・ニコラス・ジムクラックの二人の姪との話だよ。そうだ、君は二人に会いに教会に行こうと言ったんだが、僕は危ないからそれは駄目だ、と言った。あの二人をなんとかして見たい。でも、危険が大き過ぎるとね。
 ロングヴィル 教会で? そいつは危ない。捕まってしまう。僕がそんなことを思いついたのか?
 ブルース それにしても不思議だね。僕らはいろいろ悪いことはやって来たぜ。しかし、全部センスのある人間として、紳士としての悪事だ。ところがどうだ。最後に行き着いたのが、この陳腐な、どんな馬鹿でも、田舎地主のおっさんでもひっかかる悪徳、恋の虜(とりこ)になるとはね。
 ロングヴィル 恋の虜になっている阿呆どもをどれほど二人で笑ったか。そいつが君と僕とで呆(あき)れ合わなきゃならないとはね。実際、君のクラリンダへの執念には僕は呆れているんだ。
 ブルース 僕だって笑ってるぞ。君のミランダへの気持をね。僕らは魔法にかかったんだろうか。これぐらい危険な恋はないんだぞ。あの科学者殿ときたら、イタリア人そこのけの嫉妬深さだ。またその連れあいのレイディー・ジムクラックの警戒の厳重なこと。あの売春婦なみの厚かましさと意地悪さでやられては、言寄る手立てがない。確かに我々からの手紙はあちらに届いている筈なんだが、まだ返事を貰っていない。あと、どんな手があるっていうんだ。
 ロングヴィル 膝まづいて僕に感謝するんだね。実に恰好の人間を見つけたんだ、僕は。道具となって働いてくれる、これほどお誂え向きの人間はまづそんじょそこらにはいないよ。
 ブルース と、聞いただけで力が湧いてくるね。誰なんだ、それは。
 ロングヴィル やくざな男でね。ただ、科学者殿を尊敬して、諂(へつら)って、そのお蔭で信頼されている。科学者殿が唯一人姪達を預けておける男だ。こっそりそいつは僕に打ち明けたよ、君のあのクラリンダが大好きなんだとね。
 ブルース なんだい、それは。恋敵(こいがたき)じゃ、この役は務まらないじゃないか。
 ロングヴィル ところがさにあらずだ。あんまり自惚れが強くて、他人を嫉妬する余裕がないのさ。全くおかしな奴でね。言葉を操る事にかけてはあいつの右に出るものはいない。キケロ顔負けだ。世界第一の修辞学者だな。何を言うにしても、ああ言い、こう言い、飾り立てずにはおかない。一言で言えば、言葉あって智恵足りずだ。つまりあのサー・トーマス・トゥライフルさ。
 ブルース ああ、彼か。ペラペラ男。噂は聞いたことがある。
 ロングヴィル 奴に話をしたんだ。我々二人がいかに物を考えるのが好きな男であるか。従って、かの科学者殿を、そしてその業績を、いかに尊敬しているかをね。やっこさん、すっかりその気になってくれて、僕をサー・ニコラス科学者殿に会わせてくれると言うんだ。まづロブスターの解剖実験を見学、その後、彼と一緒に昼飯だ。君にもその旨伝えるために、今日ここにやっこさん、来てくれるんだぞ。
 ブルース すごい。何ていう頭のよさだ。しかしそこまで話が進んでいたのなら、どうして最初からその話をしてくれなかったんだ?
 ロングヴィル 君を驚かせようと思ってね。ただ、君が興味を示さない時には黙っていようと・・・
(ブルースの下男登場。)
 下男 サー・サミュエル・ハーティー様がいらっしゃいました。
(下男退場。)
 ブルース また馬鹿が来た。種類としては別種だが、こいつは人間の楽しみは騒音にありと思っている。だからしょっ中怒鳴りちらし、馬鹿笑いだ。陽気でいいかと思うとさにあらず。ただただ退屈だ。口を開けば洒落と冗談。それが頭のよさを示していると自負している。とんだ御門違いだ。
 ロングヴィル しかし、彼の性格で極め付けなのは、その背後にある、猛烈に惚れっぽいところなんだ。そしてそれがすぐ行動に出る。恋のための衣装が別に四十着も用意してある。怪人四十面相か。ところが、一度として恋が成就したためしがない。実に不幸な男だ。そらやって来た。
(サー・サミュエル登場。)
 サー・サミュエル いやあ、お早う、トム・ブルース。こんちは、ジャック・ロングヴィル。どうだ? 調子は。夕べ君達が一緒にいなかったのは実に残念だったよ。楽しい連中が十四、五人集まって、いや、歌ったり怒鳴ったり、大暴れだ。飲んで笑って騒いで、鞘から出た短剣、実に上機嫌だ。おいお前、歌うんだ・・・さあ、そっちもだ・・・あっはっはっは・・・そうだよ、君達も来ればよかったんだ。
 ブルース そうだな。行けばよかった。
 サー・サミュエル いやあ君達、金なんか俺達が払ってやっていたさ。実に景気よく遊んだんだからな。全く陽気なものだった。半マイル先からでも俺達の声が聞えた筈だ。
 ロングヴィル そいつが聞えたとすれば、随分いい耳だ。
 サー・サミュエル 俺は酒の相手としては模範的に振舞ったぞ。行儀正しいこと、この上なしでね。その席に一人、機知ある男と自負している奴がいたのだが、そいつに商売の話など許す暇を与えずだ。奴が生意気な台詞を吐くやいなや、俺は言ってやったね。ターチェ、ターチェ、お静かに。ターチェは分かっているね? ラテン語の「静かに」だ。それを、「ターチェ、ラテン語で蝋燭」。こう言うんだ。またそいつが何かやりだす。すかさず俺様の台詞だ。「ターチェ、ラテン語で蝋燭」。ついにやっこさんは降参。白旗を上げやがった。はっはっは。あいつめ、一言もなかった。一言もだ。はっはっは。
 ロングヴィル(ブルースに。)ほら、見ての通りだ。愉快とは騒音にありだ。それから、機知、よく人を黙らせる、が信条なんだ。本当に黙らせているのは、奴の無礼さなのに。
 サー・サミュエル いやあ、少しふざけが酷過ぎたかな。そのあと急にやって来たはげの男がいた。そいつを鞭でひっぱたいた。それからけつを思いきり蹴っとばして、酒を飲ませた後、階段から蹴落としてやった。やっこさん、上って来るのにかかった時間の十分の一で下まで届いたな。はっはっは。
 ブルース しかし、そんなことをすれば、決闘ものじゃありませんか。
 サー・サミュエル 決闘! 喜んで受けて立ちましょう。奴の肺に風穴があいて、その穴から風が吹く。蝋燭が消えるわ、はっはっは。それだけじゃすまない。日の光がそこを通って丸見えだ。いや、奴は鈍感だからな、そこからタオルを通されたって、何のことか気がつきもしない。はっはっは。
 ロングヴィル(ブルースに。)呆れたな。こいつの脳味噌、ビールの泡と同じだ。どっかに吹っ飛んでしまったんじゃないのか。
 ブルース(ロングヴィルに。)こんな元気のいい馬鹿は見たことがないな。
 サー・サミュエル そう。我々三人は、選ばれた優秀な紳士なのだ。この友情を大事にしなければならん。いや、実は今夜、ある婦人と秘め事の約束がしてあってな。ちょっと変装をする必要がある。つまりその、仮装舞踏会を催すわけだ。君方も出来れば、出席を願いたいな。いやなに、明日は明日。明日の夜になればまた吾輩は酔っ払いだ。はっはっは。
(ブルースの下男登場。)
 下男 旦那様、サー・フォーマル・トゥライフル様からのおことづてでして。「私のドゥヴワールを果たしにまいりました。」とのことです。この言葉をどうしても使えとの厳命ですので。意味は私、分かりませんが、そのままお伝え致します。
 ブルース 変った言い回しだ。お通しして。
(下男退場。)
 サー・サミュエル ああ、あの御仁には、サー・ニコラス・ジムクラック、つまり科学者殿の家でよく会いますな。いやあ、実に真面目な男で。いやあ、その、実に才走った男で。いやあ、独特のスタイルがありますな、あの御仁には。
 ロングヴィル 独特のスタイルのある御仁が紳士であることは滅多にないものですけれど?
 サー・サミュエル いやあ、あの御仁は能弁家、いやあ、実に立派な話振りで。特に気分の乗った時、それはまた実に、実に、実に立派なもので・・・
(サー・フォーマル・トゥライフル登場。)
 サー・フォーマル 皆々様方、小生は辞を低くして皆々様方お一人お一人の手に接吻をいたすものでございます。(ブルースに。)特にあなた様には、特別の礼儀をもちまして。
 ブルース サー・フォーマル、私こそあなた様のしもべ。この御訪問、私にとり、最高の栄誉でございます。
 サー・フォーマル いえいえ、あなた様のように厳格な礼儀の教育を躾けられ、また鍛えられていらっしゃる方が、素晴らしい応接の態度をお示し下さらない可能性があるなどと、いくらこの私めの貧弱な想像力をもってしても、とても許されるものではございません。
 ブルース これはどうも、御挨拶、恐れ入ります。
 サー・フォーマル あなた様のそのお心の寛さ、それにあなた様のその立派なお値打ちに甘えまして、言葉を飾ること、不必要なお世辞などは一切省かせて戴くことに致します。正直に申しまして、私も必要とあれば喜んで、美しく、気のきいた表現を使用致すこともございます。なにしろ、こういう機知と雄弁とを用いますと、人間の心はとかく動かされ易いものですから。また、これら機知、雄弁、柔らかいペンのタッチ、それにきめの細かい絹の衣を着せますと、一層でございます。しかし私は、友人に対してこのような修辞を用いますものではございません。いえいえ、決して。私、只今、あなた様のことを「友人」と申してしまいました。どうぞ、お許しを戴きますように。(傍白)うまく言えたかな?
 サー・サミュエル(ロングヴィルに。)ほらほら、言ったろう? 素晴らしい舌だ。銀の舌だよ。
 ロングヴィル(サー・サミュエルに。)いえ、金の舌です。(傍白)馬鹿を褒めるとはな。上には上があるものだ。褒める奴がいなければどうするつもりなんだろう、このサー・フォーマル雄弁家殿は。
 ブルース 小生、あなた様のしもべとしてお仕えする者と心得ます。
 サー・フォーマル いやはやブルース殿がこのサー・フォーマル・トゥライフルの恭順かつ従順なしもべの一人であるなどと、そのようなお言葉をお発しになる機会など私が、決してお与え申す筈もないことをどうぞお心におとめ下さいますよう、お願い申し上げる小生のこの厚かましさをお許し下さいますよう。さて、親愛なるロングヴィル殿。今朝既にあなた様への小生のドゥヴワールは果たし終えましたるにより、小生はあなた様にお伝えすることはもはや何もないことと理解致しおります。つまりは小生、あなた様の恭順なるしもべということで。(傍白。)どうかな。華々しくも簡潔に行ったかな?
 ロングヴィル 確かにいらして戴きました。
 ブルース(ロングヴィルに。)雄弁家を自称する奴等ほど酷いごろつきはいないな。早口でまくし立てて、奴等の馬鹿な考えを正統なものとして押し付けてくる。ペラペラした薄っぺらな言葉をセンスの良さだと勘違いさせようという腹だ。
 ロングヴィル(ブルースに。)いかさま賭博の連中の方がよっぽど腹が白いな。
 サー・フォーマル(サー・サミュエルに。)サー・サミュエル殿、小生は最近の、貴殿とサー・ニコラス科学者殿との仲違いを、実に実に遺憾に思っております。これがため小生、貴殿の手に接吻するという光栄に浴する機会を奪われたという次第。
 サー・サミュエル いやいや、サー・フォーマル殿。しもべはこちらの方で。確かに仲違いは不幸なことで。しかし、貴殿と酒を酌み交わし、科学者殿のために乾杯し、陽気に騒ぐことなら大歓迎です。実際、科学者殿はよいお方で。ただ機知というやつがお好きでないようですな。
 サー・フォーマル さて、ミスター・ブルース、私が特別に敬意をお払いしております、ここにおでましになっている皆様方への御挨拶はこれで終ることに致しまして、私がここに参りました本来の目的、サー・ニコラス殿が貴殿を、貴殿の友人と共に御招待申し上げていることをお伝えすることに致します。立派な哲学者でいらっしゃり、従って当科学者殿の崇拝者でいらっしゃるブルース殿、どうか今日の午後、通常呼ぶところの、いわゆるチチェスター産ロブスターの解剖に自宅までお越し下され、またその後、実験などを話題に午餐を共に致したく、また、ワインも用意致しおり、これまた一献傾けられればと、御招待申し上げる次第でございます。
 サー・サミュエル(傍白)はっ、これは人を招待する言葉のお手本だな。
 ロングヴィル(傍白)急ぎの用には雄弁家を使え、か。我々を昼飯に招待するだけのことに、あれだけの飾りをつけるとはな。
 ブルース サー・ニコラス、それにあなた様のような、大学者のお二人の御好意を無にするなど、とても考えられないことでございます。
 サー・フォーマル また、飛んでもないことを仰せられますな。サー・ニコラス科学者殿と私を同列にお扱いになって。私など、サー・ニコラス科学者殿の影、しがない崇拝者に過ぎません。下働きなどをちょっとさせて戴くだけ。その名声のよって来たる所は、皆さまの期待よりはるかに、サー・ニコラス科学者殿御自身の行動により明らかになることでありましょう。事実、その思考する所他の追随を許さず、その思想はまた人間技とは思えないものであります。その好奇心の卓越した所、その、ギリシャ語で言う所のマレテティックス、即ち反省及び熟考の規則、に長けている人物は他に類を見ません。彼にかかっては、どんな動物も、いや動物とは限らない、植物、そう、花、いや、そこらに生えている雑草にも、その口を開かせ、その心を開かせるのです。即ち、ある種のプロソペイア、擬人法により、もの言う物に変るのです。勿論私もあの科学者殿を貶(けな)すやからがいることを知らないわけではありません。しかし、簡単に申し上げましてあの方は、現存する哲学者の中で最も好奇心の強く、最も探求心のある方だと思っております。皆様方があの方の実験に御興味がおありであることを早速お伝えすることに致します。実験はあと二時間ほどで始まります。どうぞお宅までお運び下さい。
 ブルース 必ず参ります。(ロングヴィルに。)何ていう口上だ。まるで人形芝居の木戸でやっているやつだ。
 ロングヴィル(ブルースに。)化物屋敷の呼び込みか、六本足の牛のための呼び込みの方がまだましだ。全く酷い馬鹿がいたもんだ。
 サー・サミュエル サー・ニコラス殿によろしくお取りなし下さるよう、心からお願い申し上げます。どうも小生、機知の発露と思いましたものが、あの方のお怒りにふれましたようで、今後はサー・ニコラス殿の御気分に合わせまして、当方も少し機知を鈍いものに致します覚悟です。先日のあれ、あれは確かに当方、あまりにも口が軽く、滑り過ぎましたようで。しかしこれからは真実、あの方の忠実な召使かつ懐刀(ふところがたな)のお役目を果たす覚悟。あの方及びあの方の哲学に対する、いかなる敵に対しても、さっとこれを抜き放ち、お助けする所存。どうぞこのことをあの方のお耳に入れて戴きたく。
 サー・フォーマル お引き受け致しました。仰せの通りこの私め、お伝え申し上げます。では皆さま、再びお手に接吻を。
(サー・フォーマル退場。)
 ロングヴィル サー・サミュエル、科学者殿を怒らせたあなたのその機知とは、どんなものだったのでしょう。
 サー・サミュエル いやあ、機知それ自身はいいものだった筈だ。しかし見ての通り、この小生の口の軽さ、陽気さ、ひょうきんさでは、あの真面目な科学者殿の気分には合わない。あの人は機知を全く理解されない。いやあ、君方二人もあの方に気に入られるのは難しかろう。
 ブルース どうしてでしょう。
 サー・サミュエル それは小生を気に入らなかったことから明らかだ。科学者全般に言えることだが、とにかく機知そのものに対して嫌悪感を抱いておられる。
 ブルース それは確かに。もし機知を愛される人なら、あなたのことを愛さないわけはないでしょうから。
 サー・サミュエル まさにしかり。それは自惚れなしに言える。しかしこれは言ったかな、小生がミランダ殿に恋しておるという話は。
 ロングヴィル(傍白。)この野郎、何を言いだすんだ。
 サー・サミュエル 本件小生、自慢ではないが、先方もその気になってくれた筈なんだ。ところが残念なことに、あの性根の悪い姉クラリンダが、小生の企みを知りおって。それでサー・ニコラス殿は小生に出入り差し止めを言い渡したという次第だ@
 ブルース しかしまさか、その理由をそのまま使いはしなかったんでしょう? サー・ニコラスは。
 サー・サミュエル そう。「うちの姪に機知が近づくことを禁ずる。「機知」即ち、お前だ。従って、お前が近づくことを禁ずる」と。これが彼の台詞だった。
 ロングヴィル 「機知」が即ち「あなた」! おやおや、「らくだ」が即ち「あなた」の方がまだしもでしたね。
 サー・サミュエル お黙りなさい! ターチェ! ラテン語で蝋燭! はっはっは。な? 君方でも小生は黙らせられる。はっはっは。つまり彼は小生のことを「機知」と呼んだ。「安ピカの機知」とな。それでひとつ、ものは相談なんだが、小生のこの「色ごと」に、何とか手助けを願えんものだろうか。
 ブルース 手助け? どうやるのですか。
 サー・サミュエル 君方は招待された。小生、君方の下僕に化ける。君方に仕えるのだ。こういう時のために、かつらも四十以上ちゃんと用意がしてある。場面がそうなって必要なら、小生を鞭で打ったって構わない。小生、立派に下僕の役を演じおおせる。
(ブルースとロングヴィル、離れて話す。)
 ブルース ロングヴィル、やらせてやろう。面白いじゃないか。思う存分やっつけてやるんだ。
 ロングヴィル 冗談じゃない。あの僕の大好きなミランダに、あいつを会わせるなんて。
 ブルース あんな馬鹿を相手にやっかんでるのか? 君。
 ロングヴィル 女ってのは急に何が好きになるか知れたものじゃないからな。女の病気に貧血というやつがあって、身体の貧血は炭とか埃(ほこり)が好きになる。これはたいした害ではない。しかし、精神の貧血になると、馬鹿と阿呆が好きになるんだ。
 ブルース おいおい、彼女は機知ある女だぜ。それに、あいつに下男の御仕着せを着せるだろう? で、今日一日中、君の好きな時にあいつを蹴っ飛ばしてやれるんだぞ。あいつがそんな衣装を嫌がれば別だが、そこは大丈夫な筈だ。
 ロングヴィル うん、そいつは面白そうだな。
 サー・サミュエル いやあ、なかなかの名案じゃないか。どうだ?
 ロングヴィル サー・サミュエル、ちょっと困難な点もあるのですが、他ならぬあなたのためです。私の下男の御仕着せをお貸ししましょう。丁度今朝、誂えておいた新品の御仕着せが数着届いたんです。一着お譲り致しましょう。
 サー・サミュエル ありがたい。よし、これをうまくやってのけられないようでは小生、雑巾の息子だ。
 ロングヴィル おお、ミスター雑巾殿。では早速。
 サー・サミュエル 言うにや及ぶ。あなやと言う間もあらばこそだ。
 ブルース あなやと言う間も?
 サー・サミュエル 小生自慢の表現さ。あなやと言う間もあらばこそ。いや実に名表現。では今すぐに。
(サー・サミュエル、退場。)
 ロングヴィル 全くひどい馬鹿がいたもんだ。言葉を風よけほどにも思ってはいない。その大切さを知らないんだ。あいつにとっちゃ、言葉は自分の考えを表現するためのものじゃないんだ。その考えるという事が元々ないんだからな。
 ブルース 機知、何が機知だ。全く退屈な野郎だ。あれで科学者か。さあ、十分にこの機知殿に蹴りを入れてくれるぞ。その機会があったら逃さないようにしろよ。
 ロングヴィル あいつ蹴っ飛ばされるのが好きな筈はない。ちゃんとセネカを読んでいるんだからな。だけど、変装する度にいつだって蹴っ飛ばされるんだ。
 ブルース 変装していなくたって蹴られるのはいつものことさ。さあ、僕は着替えてくる。
(二人退場。)

     第 一 幕
     第 二 場
(庭にミランダとクラリンダ登場。)
 ミランダ あーあ、イギリス中で私達ほどひどい目にあっている女性がいるかしら。イタリア人よりもっと馬鹿な叔父さんに預けられて、その言うことを聞かなくちゃならないなんて。私、死んだ人の悪口を言いたい訳じゃないのよ。でも、うちのお父さん、亡くなる時正気じゃなかったのよ。あんな馬鹿な科学者の叔父さんに私達の後見(こうけん)を頼むなんて。その理由だって酷いわ。叔父さんの最初の妻がお父さまの妹だったからって。
 クラリンダ そう。叔父さんなんて馬鹿もいいところよ。顕微鏡を買うのに二千ポンドも払ったのよ。酢の中の虫、チーズの中の虫の性質を調べるためだって。それにプラムについているあの青いしみ、あれも生き物だって喜んでいるんですからね。
 ミランダ 蛆虫(うじむし)の性質の研究に脳みそをしぼり、二十年かけて新種の蜘蛛を発見した。でも人間を理解しようなんてちっとも考えたことがない。
 クラリンダ 叔父さんの二度目の連れあい、私達のあの叔母さんの嫉妬深さと意地悪といったら。私達、あの人からはもう決して解放されないのかしら。
 ミランダ 叔父さんは私達のことになると、むきになって厳しくする癖に、あの叔母さんのことになるとロンドン中誰にも負けないほど甘い。だから叔母さんたらいいように他に男を作る。
 クラリンダ あの人、私達がそれに気付いていることを知っているの。だからよけい私達を嫌うの。あーあ、こんなに監視されて、うるさくあれこれ言われるの、もう本当に飽き飽き。
 ミランダ 犬だって縛られていたら怒るのよ。私達自由な女じゃない。怒るのは当然よ。
 クラリンダ 牢屋でも、良い人が来ればまだましよ。でもここに来る人と言ったら、山師か馬鹿。その中でも一番酷いのがあの馬鹿、口先だけのいかさま師、サー・フォーマル。
 ミランダ そう。あの人うまくやったわね。サー・サミュエルをお払い箱にしたんですものね。あの人私にうるさく付き纏って・・・馬鹿な人。でも気晴らしにはなったわ。軽い調子で。よく訓練された犬ね。物を投げる。さっと走って行ってぱっと銜(くわ)えて御主人のところへ持って来る。それに人間のする芸だって出来る。この町の若者の間では人気もあるのでしょうね。芝居小屋で新しい流行歌(はやりうた)など歌ったりするんですからね。
 クラリンダ まだいる、この家にはやっかいものが一人。サー・ニコラスの叔父さん、スナール。あの人は現代という時代が大嫌い。機会がある度にそれをまくしたてる。鈍い癖に皮肉屋。道化よ。新しいことには必ずけちをつける、若者というと悪口を言う。
 ミランダ そう。気違い犬と同じ。キャンキャン吠えたてて誰にでも噛みつく。あんな人は、ひっ捕まえてどこかで処理しなきゃいけないのよ。
 クラリンダ だから二人で時々あの人のことをからかうのね。でも私、あの人が自分の甥サー・ニコラスをやっつけるのを聞くのはいい気持だわ。遺産をあてにしているものだから叔父さんはじっと辛抱して聞いているの。大叔父さんはそんなこと御構いなし。誰にだって容赦はしない。思いついたことは何でも言うし、何でもやってのけるのね。でもミランダ、私達こんなことどころじゃないわ。教会で本当は神様のことを考えていなきゃいけないのに私達、男の人のことを好きになってしまったのよ。その男の人達二人とも才能があって、楽しくて、この町一番の人達。それにひきかえ惨めな私達。もう他の人のことなんか考えられないんですもの。
 ミランダ それだけだったら、まだ悲観することはない。ちゃんとあの人達をその気にさせて、結婚だって可能だわ。でもこの話で困ったところは、私の好きな人はあなたの方を、あなたが好きな人は私の方を愛している。あの人達からの手紙を見ると、どうやらそのよう。それに、会える場所と言ったら教会か芝居小屋。そのどちらでも私達、あの意地悪な鋭い監視人、叔母さんが付き纏っているんだから。
 クラリンダ こっそりあの人達と会うことが出来さえしたら、きっと何か出来る筈よ。会って、言寄って来る方の人を邪慳にするの。そしてこっちが好きな方には優しくするのよ。虚栄と虚飾のこの世の中でしょう? 顔だけで決めるのが危険だってことぐらい、あの人達十分に分っている筈よ。
 ミランダ もしこれが実現したら私、私達の自由の妨げになるものに負けてはいないわ。ただ困るのは私達が叔父さんの後見のもとにあるってことね。叔父さんを怒らせたら私達、契約年限が来るまで遺産が入ってこないわ。
 クラリンダ あの遺産をかたにお金を借りればいいのよ。いつか噂に聞いたわ。お父さんが首をつって、その息子がそれで生活したって。貸してくれる人、必ずいるわよ。
 ミランダ それで私達の信用を失うの? それよりは今のまま辛抱していた方がいいわ。
 クラリンダ 私はもう何が来ようと平気。突き進む決心だわ。叔父さんに邪魔なんかさせないわ。
 ミランダ あの遍歴の騎士さん達も、それぐらいの決意があれば嬉しいんだけど。そうしたらすぐよ、捕らわれの二人の姫君が、お城から救われて出て行けるようになる日も。
(スナールとその召使、登場。)
 スナール(召使に。)いい天気だ。パイプとマッチを持って来てくれ。わしは庭にいる。
(召使退場。)
 クラリンダ(ミランダに。)スナール大叔父さんが来たわ。パイプを取って来いだって。またよ、パイプから出るあの煙、まるで台所の煙突。
 ミランダ(クラリンダに。)少しからかってやりましょう。からかうと面白いんだから。・・・お早う、大叔父様。
 スナール 何だ、お前達か。今朝は馬鹿に早いじゃないか。いつもは十一時までまるで雌鶏のようにベッドを暖めている癖に。いや、雌鶏より役立たずだ。ただ懶(なま)けているだけなんだからな。さぞかしいい奥方になることだろうさ。体よく他に男を拵えてな。だいたい粧(めか)したてることしか仕事はないのか? 健康で善良な田舎娘の方がお前達より何層倍か価値があるぞ、全く。
 ミランダ そうね。粗野な人の方が大叔父さんの好みなんだから。のびたき(鳥の一種)の料理よりサーロインステーキ。胃だって荒っぽく出来ている。
 スナール そうさ、都会の女と丁々発止やるには胃は荒っぽくなきゃな。繊細だとすぐ壊れてしまう。何という奴等の変身の術だ。洗う、塗る、貼付ける。それに見られたざまか、あのニューファッションとかいうドレス。あれを見て男はどう考えたらいいんだ。皆目見当もつかん。全く余計な努力だ。あんなことで身持ちのよさが評判になるとでも思っているのか。
 クラリンダ 大叔父さんは旧式なの。ドレスは先王の戴冠式時代のものでなきゃ、どれもこれもつまらないと思っていらっしゃるのよ。
 ミランダ そして女はみんな、一六四○年代のようでなきゃね。あの頃だけが正直で立派。現代の自由な行動をする女はみんな駄目。
 スナール 自由だと! そうだ、今の時代は自由だ、たしかに。糞食らえの自由だ! 昔は純真無垢の時代だぞ。このすれっからしめ。自由、即ち跳ねっ返りだ、見せびらかしだ、だらしのなさだ。昔の女は身持ちを大切にしたものだ。お前達は不身持を評判にしようとしていやがる。次の時代が思いやられる。この調子だと、生れてくる子供はみんな父(てて)なし子だ。それにまた、男がだらしない。女の腐ったような奴等だ。それで女がみんな売春婦ときているんだ。始末におえない。
 クラリンダ まあまあ、皮肉屋ね、大叔父さんたら。自分はもう、今の時代に生きていないんだから、今のことを貶すのはへいちゃらなのね。
 スナール 何を生意気な。どうせお前らは自分達が美人だと思い腐っとるんだろう、ええっ? 見ろ、その頭を。髪を山のようにくっつけた鬘(かつら)だ。それにそのつけぼくろ。一体お前達の顔は前を向いているのか? 全く今の女にはキスをする気にもなれん。馬にした方がずっとましだ。
 ミランダ そのお心がけ、なかなかいいですわ、大叔父様。私達も助かりますもの。
 スナール 大体つけ黒子(ぼくろ)っていうやつは、あばただとか見にくい黒子がある女が考えついたものさ。綺麗な顔をした女までがつけ黒子。若い男の連中がフランス人を真似るのと何の違いもありはしない。九月のミカエル祭の時に、大きく胸を空けた夏のファッションがあっちからやって来た。すると冬中そいつを着ているんだからな。それから長胴のボタンがきっちり咽まで来る、まるで猿そっくりの冬のファッションは、三月にやっと御到来だ。するとこちらの若い男どもは、夏中そいつを着ていやがる。全く男も女もこの街のやつらは頭というものがないのか。
 クラリンダ でも大叔父様、若い頃、同世代の女の人達には悪い感情をお持ちではなかったんでしょう? 恋もなさったんでしょう?
 ミランダ そうね、自分自身によ、きっと。
 スナール お前達みたいな奴にじゃないぞ。そいつは誓って言う。そんな馬鹿じゃないんだからな。いや全く、わしはそんなねんねえじゃないんだ。
 クラリンダ そうね、大叔父さんなんか、もう過去の人。針の取れた蜜も取れないミツバチ。何時いなくなってもいい人なのよ。
 スナール 何だと、このあまっこめが。酒にでも酔っ払っているのか。全く何てことを言うんだ。
 ミランダ そう。楽しみといったら酒、煙草、それにどた靴をはいてボロ馬に乗ること。大叔父さんなんか、ハイゲイトで一杯ひっかけながら、パイプを吸ってればそれでいいのよ。
 スナール 生意気なあまっこめが。わしにお説教をしようと言うのか。しかしこんな上っ調子な馬鹿な時代に、わしのような人間は何を楽しみに生きてゆけるというのだ。実際生きているのが恥ずかしいくらいのものだ。
 クラリンダ それならどうぞ、お死に下さい。それも早い方がいいわ。
 ミランダ 楽しみがないのなら、お芝居はどうかしら。
 スナール 今の芝居にのこのこ出かけて行くような、そんな頓馬じゃないんだ、このわしは。一度ブラックライアーに行ってみた。あれで懲りた。全く何だあれは。まるでお人形じゃないか。昔はよかった。ジョセフ・テイラー、ローウィン、それにスワンステッド。ああ、あいつらがいたら、今でも芝居小屋が震えるような声を聞かせる筈だが。なにしろ今は女まで舞台に上る。あれはかなわん。男がいい、役者は。
(スナールの下男、パイプを持って登場。)
 クラリンダ でも今は沢山新しい芝居が出てるわ。
 スナール 新しい芝居! 何が新しいだ。だれきった茶番劇だ。わさびのきかない皮肉、韻を踏まない詩文。お下劣な主人公。昔の二流品「太陽の騎士」「アマディス・ドゥ・ゴール」よりもっと悪い。全体、わしは今、何だってこんな碌でもない女達と話をしているんだ。――おい、パイプをここに。マッチもだ。・・・ウーン、(煙草を吸う。)よし、今度はビールを一杯だ。ナッツメグと砂糖を入れて来るんだぞ。
(下男退場。)
 ミランダ(クラリンダに。)いい? あなたは杖を放り投げるのよ。私はパイプを壊すわ。悲しがるわよ、涙が出るほど。
 クラリンダ 分った。何なの、大叔父さん、淑女の前で汚い煙草をふかして、臭い息を吹きかけて。それで育ちがいいと思ってるの?
 ミランダ こんなもの!
(クラリンダ、杖を取って放り出す。ミランダ、パイプを壊す。)
 スナール 何をする、このあばずれ! よし、どうしてくれよう。ええい、杖を取りおったな、悪がきめ。見ていろ、いつかあの杖がお前らに仕返しをするぞ。(屈んでパイプを拾う。)ああ、有難い、粉々にはなっていない。
(ミランダ、スナールの帽子と鬘(かつら)を剥いで投げ捨てる。クラリンダ、屈んでいるスナールを蹴っ飛ばす。)
 スナール ええい、何だこれは、全く。とんでもない下衆(げす)女だ。やい、女郎(めろう)ども、いいか、甥のやつに、貴様達を家から叩き出すように言い付けるからな。こいつが聞かれないようなら、お前に遺産は遣らんと言ってな。ええい、この糞あまめ!
 クラリンダ やれるものならどうぞ、だわ。こちらだってその前に沢山お二人には御挨拶出来るのよ。
 スナール この女郎! あばずれ!
(スナール、帽子と鬘を拾って退場。)
 ミランダ さ、逃げましょう。仕返しに来るわ。
(サー・フォーマル登場。)
 サー・フォーマル お嬢様方、大層お楽しそうで。それに、そのようにお急ぎの御様子、どちらにいらっしゃるので? ところで、サー・ニコラス殿は御在宅で?
 ミランダ さあさあ、クラリンダ、行きましょう。
(ミランダ退場。)
 サー・フォーマル(クラリンダを捕まえて。)まづ、私めにどうぞお許しを。このお綺麗なお手に激しく接吻を。どうぞこの私めを今日一日、召使としてお使い下さいますよう。私ごときが召使を申し出るなど、却ってあなた様の美しさを汚(けが)すことにもなりましょう。しかしお嬢様、お嬢様もよく御存じでいらっしゃいましょう、早咲きの花があまりにその花を早く開かせたために、旬の盛りであるべき時に厳しい天候のため、萎(しお)れてしまうことがあるということを。どうぞ、悪天候を遮(さえぎ)る恵深き覆いの役も、早咲きの美しい花には必要であることを御考慮下さいまして・・・
 クラリンダ 放して。私、急いでますの。
(クラリンダ退場。)
 サー・フォーマル これはまたぶっきらぼうな。
(スナール登場。)
 スナール あばずれ! 売女(ばいた)め!
 サー・フォーマル おお、親愛なるスナール殿。小生、最初に貴殿にお会い致しました時より、尊敬これおく能(あた)わざる気持を抱いておりました。それはそれ、当然のことと貴殿はお考えのことでありましょう。また、貴殿の貴殿たる人物に惹かれ、大勢の崇拝者がおられましょう。しかしそれは承知の上・・・
 スナール ええい、あのあまっ子め、何としても仕返しをしてやるぞ。
 サー・フォーマル ええ、承知の上、このサー・フォーマルめを貴殿の崇拝者の一人にお加え下さる訳にはまいりますまいか。きっとその中でも最も熱き心をもった一人となりましょうほどに。
 スナール 馬鹿野郎。何をぐだぐだ言ってるんだ。それが言葉を飾るというやつか。糞食らえだ、そんなもの。
 サー・フォーマル おやおや、そのようにお怒りになられるとは、どうも。この「言葉を飾る」、つまり修辞の学というものに、どうぞお腹立ちのなきよう。私めは、この修辞の学こそ学中の学、言葉を華やかに用いることこそ、美徳中の美徳と心得ますもので。これこそ王者の学問・・・
 スナール 何が王者だ。亡者の学問だ。修辞の心得のある奴に碌な奴はいない。ごろつきだ。馬鹿だ。口先だけのへなちょこだ。判断の基準などあった例(ためし)がない。その時ばかりの風見鶏だ。三十分と同じ意見を保っていたことがあるか。連中から本音など俺は聞いたことがないぞ。犬に食われてしまえ、修辞学など。
 サー・フォーマル これはこれは、私めを大層誤解なさっていらっしゃる御様子。私めはそのような・・・
 スナール そう、丁度そのような男なんだ、貴様は。臍(へそ)でも噛んで死んじまえ、貴様など。
 サー・フォーマル これは御冗談を。しかし正直なところ、私はあなた様の崇拝者でございまして、世界中、私ほどあなた様のことを御尊敬申し上げている者は他に・・・
 スナール 何が尊敬だ。糞食らえだ、貴様など。わしを崇拝してどうだって言うんだ。うるさい野郎め。
 サー・フォーマル これはこれは陽気な御性分でいらっしゃる。陽気なお方、本当にお羨ましい。
 スナール 陽気? 羨ましい? 正気で言っとるのか。このアホ、間抜け! 嘘を言うな。
 サー・フォーマル どうか、感情に走ることだけはお避け下さいますよう。感情に走りますと、あなた様の場合どうしても身体がそれにおぼれ、心の働きに障害が現れますようで。私のような澄みきった心の持主ですと、これがさにあらず。この身体は心の重し或いは枷。感情が走りますと、この重しから感情が解き放たれるような次第で。
 スナール 何が澄みきっただ。何が解き放たれるだ。貴様の身体など、汚(けが)れも汚れ、腐りきっているんだ。貴様など首を吊って死んじまえ。そうすりゃ、その心と身体、うまく解き放たれるってものだ。
 サー・フォーマル これはまた。私は引き取ることと致しましょう。あなた様の物言い一つ一つは、私めに影響を与えますよりはむしろ、あなた様御自身に害がおありのようですので。ではこれでお暇(いとま)を。
(サー・フォーマル退場。)
 スナール お暇、お暇。これでせいせいした。たいした生活だ、ここの暮しは。あのはねっかえりのあまっ子二人、それに甥の女房、あんなに鼻もちならん馬鹿な女も珍しい。それに甥だ。この二十年間、しらみだの蜘蛛、その他くだらん昆虫の生態を研究。おまけに月の地図を作成中だ。あいつ、わしの遺産をあてに、ただでここで食わしてくれている。それがなきゃ、さっさと出て行くところなんだが。しかしこいつはまだしもだ。あのサー・フォーマルときたら、世界中の退屈な連中をシラミ潰しに捜したって、あれほど厭な奴はいない。どんな馬鹿でもやって来い。だが修辞学の輩(やから)はお断りだ。あいつらただの言葉好き。意味などまるで考えやしない。
(スナール退場。)

     第 ニ 幕
     第 一 場
(ロングヴィル、ブルース、それにロングヴィルの下男の御仕着せを着たサー・サミュエル登場。)
 ブルース さあて、科学者殿の家にやって来たが、当の御主人も、例の式典執行係殿もいないぞ。ああ、今ここで、あの御婦人達に会えるといいんだが。
 サー・サミュエル 会えるといい。会えるといい。さすれば小生のおでましだ。それ行け、ハイ・ドウ。ミランダ殿に突進だ。
 ロングヴィル(傍白)全くこいつには嫌になるな。馬鹿につける薬はないと言うが、これは酷いことになりそうだ。
 サー・サミュエル 頭のてっぺんから足の爪先まで、みごとに変身したぞ。俺ほど変装のうまい人間はいない筈だ。いたらもう、二度と仮装舞踏会になど行きはせん。踊りながらこっそり女性に近づいて愛を囁くのも止めてやる。いや、実にうまい変身、それ行けサー・サミュエル、突撃だ。
 ブルース しかしサー・サミュエル殿。もし正体がばれるようなことがあれば、この家から一気に退却ですよ。我々も御同様、すぐに逃げ出します。
 サー・サミュエル がってん、お任せ。もしばれたら、貴殿二人を抱えて、牡蛎の殻の閉じる間もあらばこそ、一目散に逃げおおせて御覧にいれる。しかし、どうも困った。愛する人に身を隠しておくのは難しそうだ。綻(ほころ)びから小生の愛がチラチラと相手に見えてしまうのではないかな。いや、こちらでたまらず爆発するかも知れん。
 ロングヴィル あ、御婦人方の到来だ。おいサム、離れておれ。
 サー・サミュエル「離れておれ」! あ、御婦人方だ・・・お伴なしで御登場だぞ。よし、俺が君方を紹介して進ぜる。俺に任せろ。さ、まづあちらにひっこんで。いい子だ、さ、さ、早く早く。
 ロングヴィル サー・サミュエル、あんたは私の下男ですよ。もっとうまく芝居をやってくれなきゃ。さもないとその衣装を剥ぎ取りますよ。
 サー・サミュエル 何だ、これは。風上に立つのはお前の方だと言うのか? おい頼む、ロングヴィル。へらず口は止めて俺のパンツにその鼻先を入れて口を閉じてくれ。俺だって自分の役は心得ている。俺の禿げ頭、だてについているんじゃない。
 ロングヴィル 禿げ頭? あてになるものか。いいか、ひっこんでろ。前へ出たらその禿げ頭、切り落すぞ。
 ブルース 言うことを聞かないとサム、御主人様は怒りっぽいんだ。どうなるか分らんぞ。
 サー・サミュエル どうなるか分らん? どうなろうと知るか。隅に立っていて何が出来る。やい、おい。頼む。こら・・・(訳註 ここでロングヴィル、腕に物を言わせてサー・サミュエルを押さえ付ける。)
(クラリンダとミランダ登場。)
 ロングヴィル(サー・サミュエルに)いいか、そこでじっとしているんだぞ。分ったな。
 サー・サミュエル(傍白。)何だ、あいつら。一体どうしたんだ。朝から酒を飲んで来やがったな。ぼうっとしていて、自分のやっていることが分らんのだ。
 ロングヴィル お嬢様方、小生お二人にお仕え致す者・・・
 ブルース お手にキス出来ますよう、どれだけ神に祈ったことか。
 クラリンダ あらあら、すると時々は信心深くなることもおありなのね?
 ロングヴィル 最初お会いした時から、信心深さはお見せしていた筈です。あれは教会でしたもの。
 ミランダ 教会が最初! 私達運がよかったこと。滅多にいらっしゃるところではないのに、教会なんて。
 クラリンダ きっとこの方達、芝居小屋にでも来るような気分で教会へいらしたんだわ。どこかレストランでお昼をすませて、何もすることがないのでフラッと・・・
 ミランダ そうね、きっと。でもそれにしては感心だわ。どこかの浮かれ男がやるように、シャンペンを聞こし召して馬鹿なことを怒鳴り散らしたりなさらないところは。
 ロングヴィル でも、お二人が教会にいらっしゃるなんて、どんなお積もりか知りませんが、随分罪なことですよ。
 ミランダ あら、何故?
 ブルース のぼせる性質(たち)ではあったんですけど、あなた方のせいですよ、こんなに頭に血がのぼってしまって。
 クラリンダ 血がのぼっても決して毒にはなりませんよ。保証しますわ。
 ロングヴィル 本当に罪なことをなさったのですよ。僕の心の平静はすっかり破られてしまったんですからね。
 ミランダ でも不思議だわ。私の心がフラフラとお二人の方に彷徨(さまよ)い出た筈はありませんのに。
 ロングヴィル すると熱心に神様のことを? その熱心さがおありになるのは嬉しいですね。天上に対するそのような熱心さは、必ず下界においても発揮されます。そのようにお二人のお心が様々のものに夢中になれるのは有難いことです。だって、十回の内少なくとも一回は、恋にそのお鉢が廻ってくる筈ですからね。
 ブルース あなたに対する私の熱心さを見てとって戴けないようですね、お嬢様。私が神様を思って、空中高く舞い上がっていないとしても、私の責任ではありませんよ。地上に引き寄せているあなたの魅力のせいなのですから。
 クラリンダ もともと高く飛ぼうとなどなさっていらっしゃらないの。だから餌でも見せようものなら、すぐ舞い降りて攻撃だわ、きっと。
 ミランダ あなたはきっとラブレターを送って下さった方ね。絹のリボンで結んだ綺麗な封筒で。
 ロングヴィル ええ、何通かお送りしました。でも全部、なしのつぶてでしたけど。
 ミランダ 一目でそれと分るラブレターにお返事など出せないでしょう? 覚書の取り交わされている取引先なら話は別ですけど。若い駆け出しの相手先だったら、用心しなければ。
 ロングヴィル 若い駆け出しでも、責任ある商人と分っていれば、返事は出しても・・・
 ミランダ その商人さん、他にも沢山ひきあいを出しているかも知れないわ。気が大きいの。だから破約の可能性も大きいわ。
 クラリンダ そう。気が大きいの。恋をそんな商人の手に預けるなんて、お金を金貸しに預けるより危険が大きいわ。それに女性から金を借りると男ってすぐ踏み倒すという話じゃない? 危ない、危ない。お手紙の中には、どこかへ行こうって、いろいろお誘いを受けましたけど、どうしたものか考えこんでしまったわ。
 ブルース そんな、考えこむだなんて。怪しい所へなど、お誘いするわけないじゃありませんか。もしそんなことをお考えになったとしたら、お二人の品位を下げてしまいますよ。
 クラリンダ だって、悪い企(たくら)みがあるかも知れないわ。
 サー・サミュエル(傍白。)何だ、こいつらの話していることは。こんなところに突っ立っていたら、俺の大事な人は、ああ言われ、こう言われ、やり込められてしまうぞ。連中、口がうまいからな。やれ責任ある商人、やれ取引先、気が大きいの、小さいの。世の中のありとあらゆること、総動員だ。
(サー・サミュエル、クラリンダに近づこうとする。)
 ロングヴィル(サー・サミュエルに。)何を勝手に動く! このオタンチン!
 サー・サミュエル オタンチンでも構うもんか・・・お嬢さん・・・(ミランダの袖を引っ張る。)
 ロングヴィル この、厚かましい犬め。(サー・サミュエルを蹴っ飛ばす。)
 サー・サミュエル(傍白。)何を、これしき・・・へいちゃらだ、これぐらい。俺様は十分鍛えられているんだ。色事にはこいつはつきもの。今までだってどれだけ殴られたか、蹴られたか。・・・お嬢さん、お嬢さん。私のこと、分りませんか?
 ミランダ まあ、何て厚かましい。下男のくせに。何てことでしょう。
 ブルース このオタンコナス! よし、十分に行儀をしてやる。
 サー・サミュエル(傍白。)はっはっは、こいつはいい。オタンコナスだと? はっはっは、殴れ、蹴れ! 俺達色事のプロは、こういうことには泣きが入っている、鍛えられているんだ。・・・さあロングヴィル、馬鹿な真似はよせ。俺は正体を現すぞ。
 ロングヴィル 無礼者! あっちへ行け。行かないと今度こそ酷いぞ。(ミランダに。)お嬢さん、折角神様がお与えになったこの機会です。どうぞ聞いて下さい。窮屈な生活を送っていらっしゃることは知っています。お会い出来るなんて滅多にあることではありません。ですから手短かに言わせて下さい。僕はあなたに恋しています。本当に、心から、絶望的に。
 サー・サミュエル(傍白。)おお、何たる裏切り! 今の話は一体何だ。よし、すぐ姿を現すぞ。ぼやぼやしていると先を越されてしまうぞ。
 ミランダ(傍白。)本当に会える機会なんて滅多にない。でも恋の行く先は変えなくちゃ。今のところはここまでにしておいた方が。――ロングヴィルさん、あなたを有頂天にさせて置くのもこの辺までにしておかなければいけませんわ。だって私、あなたのことを本当に、心から、絶望的に、恋していませんもの。これからだってそれは変らないわ。
 ロングヴィル そんな。それはきっぱりと、絶対的にもう決まっているのですか?
 ミランダ ええ。きっぱりと。
 ロングヴィル それを聞いて安心しました。女の人というのは、きっぱりと決めたことは必ず反対を実行するものですから。
 ブルース(クラリンダに。)まさか、今の話をお手本になさるのではないでしょうね。まだ蕾のうちに恋の芽を摘み取ってしまうなど。私のこの恋が、収穫出来る素敵な果実と実るまで、温かく慈しんで下さいますね?
 クラリンダ いいえ、はぐくみませんわ。だって私にとっては危険な果実ですもの、その恋は。実らせたりしたら大変。
 サー・サミュエル(傍白。)よし、歌だ。歌がいい。二人ともあの歌が好きだった。あいつを歌えば俺のことが分る。よーし、殴られたって構うか。歌ってやるぞ。("She tripped like a barren doe etc." 「彼女は鹿のようにちょこちょこ歩く。等々」と歌う。)
 ロングヴィル 何だこれは! 一体どういうつもりだ。
 ブルース よくやるよ。糸車をひいて歌うお婆さんの歌よりもっとまづいぞ。
 クラリンダ あら。これ、どこかで聞いたことがある。そう。よくここへ来ていたあの道化、サー・サミュエルがよく歌っていたわ。
 サー・サミュエル(傍白。)道化だと? よくも、よくも! しかし思い出すとは偉い。俺があいつを愛さないもんだから、俺にはいつも辛くあたっていやがった。しかし道化とは何だ、このアホめが。
 ブルース ええい、もう化けの皮をひん剥くか。
 ミランダ(傍白。)たしかにあの人。でも何のつもりかしら。いつだって何かを企む人だから・・・
 サー・サミュエル もう黙っちゃいられん。お嬢さん、私のことが・・・
 ロングヴィル この下司野郎! 堪忍袋の緒が切れたぞ。これでも食らえ。(蹴る。)
 サー・サミュエル 何のこれしき。何のこれしき。恋のためなら、何でも堪えるぞ。・・・お嬢さん、私のことがまだお分かりには?
 クラリンダ(傍白。)やっぱりあの人。でも知らないふりをしていよう。いいようにからかえるわ。
 ミランダ(男二人に。)待って頂戴、ちょっと。私、この人と話していいかしら。何のつもりか聞いてみたいの。
 ロングヴィル こいつめ!
 サー・サミュエル(ロングヴィルに。)少し黙れ! 「ターチェ」ラテン語で蝋燭。黙るんだ!(傍白。)歌が功を奏したか。風向きが変ったぞ。(ミランダに。)お嬢さん、このサー・サミュエルがお分かりに? この忠実な召使めが?
(ミランダとサー・サミュエル、少し離れた場所へ行く。)
 ミランダ ええ、でも気をつけて。姉に知れたら終ですよ。
 サー・サミュエル 大丈夫。用心深く、うまくやります。
 ミランダ お気の毒に。随分酷く叩かれて。それに、蹴られて。
 サー・サミュエル 何の何の、これしきのこと。たいしたことではありません。イギリス中どんな人間が来たってへこたれるものですか。矢でも鉄砲でも持って来いです。
 ミランダ 用心して。姉が何か怪しいと思っている様子・・・
 サー・サミュエル よろしい。ここは任せて。
 クラリンダ 召使のくせに、何て厚かましい。叩き直すの、その性根を。あっちへ連れて行って。顔も見たくない。
 ミランダ たしかにずうずうしいわね。でも作法を覚えて行くんでしょう、そのうち。
 サー・サミュエル(傍白。)うまい。知らぬふりだぞ。俺への愛が芝居をうまくしているんだ。ずるいヒキガエルちゃん。
 ロングヴィル この犬め! 後でちゃんと行儀を教えてやる。あっちへ行け。(蹴る。)
 サー・サミュエル こいつめ、主人の役もそれじゃやり過ぎだ。いい様に蹴りやがる。
 ロングヴィル いいか、馬鹿ふくろう! 庭からとっとと出て行け。行かんとその腹に、この刀で穴を開けて呉れるぞ。
 ブルース おい、ロングヴィル。殺すのは止めろ。それはちょっと礼儀にかなってないぞ。
 サー・サミュエル 「ちょっと礼儀にかなってない」だと? 何を言っていやがる。礼儀どころか、殺人だぞ、それは。全く何てことを言う・・・よし、ここのところは一旦引き揚げるとしよう。殴られたことは忘れないからな。・・・それにしても愛する女に声もかけらないとは、全く聞いたこともない話だ。いやいや、このまま引込んでいるような俺様ではないぞ。必ず仕返しをしてやるからな。
(サー・サミュエル退場。)
 クラリンダ 私達、ちゃんと道化が誰か、見抜きましたわ。サー・サミュエルのような、あんな人を連れて来るなんてどういうことですの?
 ミランダ 御自分達だけでは、私達に気晴らしが出来ない、だからあの人に助けて貰おうって。そうね?
 ロングヴィル そう。気晴らしと言えば、先程の僕達に対するつれない言葉、気を晴らしてあれを変えて戴かなければ。
 ブルース そうそう。もしあの残酷な決定をお変えにならないと仰るなら、我々二人は「うち萎(しお)れ、溜息をつく男」・・・それも女性ゆえに・・・
 クラリンダ その「女性」は私達じゃないわね。きっとどこかの怪しげな女性達・・・
 ミランダ きっとそう。お二方の顔や心に近づいて、それを変えてしまうなんて、とても私達普通の女には出来るわけないもの。
 ロングヴィル どんな偉大な将軍でも、必ず負け戦はあるもの。これは尻尾を巻きました。
 ブルース 御婦人方の目の力、その砲火にじっと耐えていましたが、ついに命中。当方、身体は木っ端微塵。
 クラリンダ お口だけね。お腹(なか)の中では「何を言う、この堅気女は」って思っていらっしゃる。
 ミランダ 落ち着いた真面目な結婚となるとすぐに尻込み。浮わついた、けばけばしい、どこの馬の骨とも知れない町の女となら、すぐ、いちゃいちゃ、いちゃいちゃ・・・
 ロングヴィル まいった、まいりました。これは白旗です。
 ブルース そう、これは白旗だ。
 クラリンダ 白旗と言われても、そう簡単に信じては差し上げられないわ。
 ミランダ 男の方ったら正直を捨てるのは簡単になさるけど、御自分の意見をお捨てになるのはとても大変って聞いていますもの。
(レイディー・ジムクラックとサー・サミュエル、登場。)
 レイディー・ジムクラック ブルースとロングヴィルが姪と話しているというんだね、お前は。あの子達はここに来た獲物は何でも食らいつく気持でいるのかね。何を話しているんだい?
 サー・サミュエル それはもう恋の調べでございます、奥さま。若い男女が会って話すとなれば、話題はそれしかございません。
 レイディー・ジムクラック 生意気なあまっ子達め! あの姪達を放っておける若い男は一人もいないのかね。それで、男どもは姪に愛を囁いていると、そうお前は言うんだね?
 サー・サミュエル はいはい、奥様。只今その真っ最中。喋々喃々、喋々喃々。いやいや、お熱い、お熱い。では、私はこれで失礼をば。
(サー・サミュエル退場。)
 レイディー・ジムクラック ああ、あれはミスター・ブルース。素敵な紳士。率直で楽しい人。顔もいい。もう一人はミスター・ロングヴィル。甘い顔。それに男らしいわ。運動で鍛えたあの身体。困ったわ、お目当ての人、どちらにしようかしら。待って、待って。どちらが好きなのかしら、私は。ミスター・ブルース、素敵! でもミスター・ロングヴィル、こっちも素敵! あっちも素敵、こっちも素敵。あっち、こっち、どっち、そっち? いいや、二人とも私のお目当ての人。姪の奴等にあの二人、どちらも取らせてなるものか。
 クラリンダ ねえミランダ、男の人を取り換えましょう。そうしたら困ることないもの。
 ミランダ いいわ、これ、方向が違うのよ。変えたら気分、ずっと楽になるわ。あ、駄目。叔母さんだわ。
 レイディー・ジムクラック あら殿方、まあまあ。(姪二人に。)お前達は殿方というとすぐ馴れ馴れしく口をきいて。もうお入りなさい。それが淑女の嗜(たしな)みというものよ。
 ロングヴィル サー・ニコラス殿が、家におられるとお聞きしまして。お庭でお待ちしようと・・・
 ブルース 丁度その時、この二人の御嬢様方に、たまたまお会いすることが出来まして、楽しい会話を・・・
 レイディー・ジムクラック ほんとに生れも育ちも悪くて。失礼なことを申し上げましたでしょう? お許し下さいね。粗野な娘達で。
 クラリンダ 粗野・・・そうね。叔母様ほど経験を積んでいませんもの、まだ。
 ミランダ そうね。長い経験をお積みになった、生れも育ちも立派なレイディー・ジムクラック。どうぞその深い智恵を殿方にお示しになって。私達はこれで失礼致しますわ。
(クラリンダとミランダ、退場。)
 レイディー・ジムクラック どうぞあの馬鹿な子が言ったことをお気に止めませんように。「経験の積んだ」・・・私のことを年寄りだと当てこすって。・・・違いますわ。私は二十二歳。それより一つでも越えることはありませんわ。
 ロングヴィル(ブルースに。)こいつはいいぞ。二十年前、この女、もう二十は過ぎていた。それが今二十二歳だ。
 ブルース(ロングヴィルに。)全くだ。僕も覚えている。(レイディー・ジムクラックに。)ええ、ええ。奥さまが二十二歳以上だなんて、とてもとてもそんなことは・・・
 ロングヴィル 今が盛りと咲き誇っていらっしゃるお年・・・
 レイディー・ジムクラック まあ、嬉しいことを仰って下さって。でも私、これでもなかなか苦労が多いんですわ。本当に私の結婚は意に沿わないものでしたのよ。これがなければもっとずっと綺麗でいられたでしょうに。でも今更仕方がありませんわ。こうなってしまったんですから。
 ブルース(ロングヴィルに。)どうやらこれは、自分の夫が好きでないと知らせるためらしいな。
 ロングヴィル(ブルースに。)僕達のうちの誰かか、それとも両方に聞いて貰おうというんだ。
 レイディー・ジムクラック それは確かに、サー・ニコラスは孤独な学者、素敵な人よ。でも私の性分から言ったら、もっと明るくて、楽しい、若い情熱が相応しいのね。年寄り臭い、不毛な沈思黙考は合わないの。
 ロングヴィル ええ、奥様には、若さがお似合い。奥様御自身がお若いのですもの。ところで私共はサー・ニコラス殿とお約束致したのですが、本当にお会い出来るものでしょうか。
 レイディー・ジムクラック 実を申しますと、家(うち)におりますのよ。ちょっと私事で。でもお二人のような立派な方に来て戴いて、お待たせすることはありませんわね。今、水泳を習っておりますの。
 ロングヴィル お宅にプールか何かおありなのですか?
 レイディー・ジムクラック 水の中で練習するのではありませんの。
 ブルース 水の中ではない? すると、どこで?
 レイディー・ジムクラック 研究室です。広々としていて、実験器具などが置いてありますけれど。
 ロングヴィル 研究室で・・・水泳を? どうやるんでしょう。
 レイディー・ジムクラック 水泳の先生が来て教えるのですわ。
 ブルース 水泳の・・・先生! それは前代未聞。(傍白。)これは変っている。よほどの変人だぞ。
 レイディー・ジムクラック 蛙の腰に紐をつけて、盥(たらい)で泳がせるのです。サー・ニコラスはテーブルの上に腹這いになって、その盥を目の前に置きます。そうして、紐の一方の端を口に銜(くわ)えて蛙が水を蹴ると、その真似をして自分も後足で蹴ります。水泳の先生がそれを見て、今の蹴りはよかったとか悪かったとか、批評をするのですわ。
 ロングヴィル(傍白。)うーん、確かに変り者だ。聞いたことがない、こんな馬鹿な話は。
 ブルース 科学者で、そこまでの境地に達する人は滅多にいません。いや、実に立派な発明をされていらっしゃる。
 レイディー・ジムクラック このたぐいなら他にいくらでも。あんな発明家はまづそこいらにはいませんわ。大学でも教授の採用を断って来たのですよ。才能が嫉ましいのですわ、きっと。
 ロングヴィル この水泳の新しい練習方法を見せて戴くわけにはまいりませんでしょうか。
 レイディー・ジムクラック 他ならぬお二方からの御依頼、喜んで。さあ、どうぞこちらへ。
(三人退場。)

     第 二 幕
     第 二 場
(サー・ニコラスがテーブルの上で水泳を習っているところ。サー・フォーマルと水泳の教師が横に立っている。)
 サー・フォーマル いや、実に実に、これは立派な発明ですな。この発明ならば、水の科学、即ち「流体」における秘密などたちまちあばかれ、サー・ニコラス殿が世界中のいかなる蛙より速く泳げるようになられること、疑いなしですな。それは勿論、蛙は水陸両棲の生きもの、水泳は生まれつきお手のもの。それでもすぐにその域に・・・
 水泳の教師 いいですぞサー・ニコラス! 今の蹴りは。見事なものでした。イギリス中を捜しても、今の泳ぎに勝るものはありません。さあ、蛙をよく見て下さい。両腕をもっと身体に近付けて。それからさっと、強く前に出すのです。両足はもう少しくっつけて。はい、よろしい。完璧です。
(ブルース、ロングヴィルとレイディー・ジムクラック、登場。)
 ブルース このまま見ていましょう、奥様。邪魔をしないで。
 ロングヴィル これは偉大な発明だ。
 レイディー・ジムクラック 大学では思いもつかなかったものですわ。
 サー・ニコラス ちょっと一息入れよう。いや、サー・フォーマル君、この小動物の動きを観察すると実に面白いね。こいつの腰に紐を結わえて、私が歯でその紐を銜えて、彼の動きを制限しているのだ。だからこいつは、動きを止められたり、水に沈ませられたり。しかし、それにも拘らず、不撓不屈の動きをもって、自分の身体をこの水面上、即ちこの液体の表面上に保っているのだからな。
 サー・フォーマル まさに不撓不屈。しかし先生の才能は、必ずこの小動物の力を越えるに至るでありましょう。いえ、この小動物に限りません。地球に住むいかなる蛙といえども、先生の泳ぎには遠く及ばなくなる日がすぐにまいりましょう。
 サー・ニコラス いや、私も疑ってはいない、私がそのうち水陸両棲人間になるだろうことをな。人間は技術によって自分をいかなるものにも変形させることが可能なのだ。今現在、空を飛べると言われている科学者は沢山いる。しかし私のは、ただ単に飛べるなどという生易しいものではない。あの雁の仲間の大きな鳥、バスタードよりも速く飛べるのだ。どんなに足の速いグレイハウンドが追いかけて来たって、私が翼さえつければ追いつけるものではない。いや、空飛ぶ技術が改良されてちょっと翼さえつければ、月まで行けるようになる日も間近だ。丁度今サセックスまで行くのに、気楽に防水用長靴を買っているが、その頃になればそれと同じように、翼をつけることなど手軽なことと考えられていることだろう。
 サー・フォーマル 月まで行ける、まことに左様で。先生がこれまでになさって来られた科学の業績を考慮に入れますと、そのようなこと、何の困難もあろう筈がありません。またそうなりますと、各界のお偉方からの問い合わせも殺到することでございましょうな。何せ月の世界からの知識となれば、今日の政治に無限の示唆を与えてくれることでしょうから。
 サー・ニコラス その通り。月はドミナ・フミディオ・オーラム、即ち水分を含む物質を支配する力を持っておる。つまり地球上の島という島は全てこの、月の支配下にある。また人間の頭脳に狂いが出てくるのもまた、この月のせいなのだ。島も頭も水が含まれておるからな。しかしそれはそれ、この間に呼吸の運動のお蔭で、私の肺は十分に熱を取り去ることが出来た。そろそろ水泳に戻るとしよう。
 水泳の教師 いや、素晴らしい! 見事な泳ぎ! ヨーロッパいちの泳ぎです。
 サー・フォーマル ああ、先生! 先日よりお話致しておりました、紳士かつ哲学者たる二名、先生のお手に接吻をと小生、招待致しておりましたが、只今ここに。このような卓越せるお方々の間を取り持つ役を仰せ付かるとは小生、全く光栄この上なく、実に誇りに思っておる次第でして。
 ブルース 私ども、サー・ニコラス殿そしてサー・フォーマル殿に恭しくお仕えする者です。
 ロングヴィル このように高名な科学者殿とお知りあいになれますことを誠に光栄に思っております。
 サー・ニコラス このように貧弱な研究室にようこそおいで下さいました。科学に関することで私がお役に立てることがあれば何でもお申し付け下さい。私は生来、拡散的な性分でして、知りあいは多いのです。必要とあれば喜んでそれぞれその道の優秀な専門家に一筆書いて差し上げますが。
 ロングヴィル いえいえ、他の方に御紹介などと。私共は科学者サー・ニコラス殿の御高名をお慕い致しまして・・・
 サー・フォーマル サー・ニコラス殿こそまさに科学の世界全体で誇るべき方でいらっしゃる。また、物理・機械方面では、さらに特別な扱いをお受けになるべき・・・
 サー・ニコラス 確かにその方面では多少な。サー・フォーマル君の修辞学に誰も叶う者がいないとすれば、まあ、私の物理・機械方面の知識もまんざらではないと言えようか。
 ロングヴィル(傍白。)お互いによくまあ恥ずかしげもなく・・・
 ブルース われら二人、サー・ニコラス殿の熱心な崇拝者でして。しかし、どんなに珍しい発明が他に色々ありましょうとも、この水泳の練習ほど素晴らしいものがあるとは到底想像がつきません。
 サー・フォーマル なにしろたった二週間の練習で、ヨーロッパいちの泳ぎ手にまでなれるという単純明解な訓練法なんですからな。いや、ヨーロッパいちではきかない、今や魚にも負けるものではありません。
 ロングヴィル 水の中でお試しになったことがあるのですか?
 サー・ニコラス いや、水の中でなど試す必要はない。陸上で立派に泳げているのだ。
 ブルース 水でお試しになってみる予定は?
 サー・ニコラス 水でだと? とんでもない。私は水が嫌いだ。水になど入る気持はない。
 ロングヴィル すると、水泳の意味はどこにあるのでしょう。
 サー・ニコラス 私は水泳の理論的な面に興味があるのだ。実用は好きではない。実用まで下るのは私のやり方ではない。知識を得るのが私の究極の目的なのだ。
 ブルース もっともなことです、先生。美徳もそうですが、知識も、それ自身で既に価値があるのですから。
 サー・フォーマル 実用のための研究は、欲得づくで下品ですな。平静な科学者のよく目的とするところにあらざる物ですな、実用など。
 サー・ニコラス いや、正にその通りだ、サー・フォーマル君。物理は例外だが、他のいかなる事柄も、私は実用のために研究してはおらん。ただ、医学はこれ、貧しい人々のためにと思ってな。多分お分かり戴けると思うが。
 ロングヴィル 先生、どうかお教え下さい。最近医学の上で発見なさったことは何なのでしょう。
 サー・ニコラス そう、最近の発見と言えば、呼吸の働きについてですな。即ち、呼吸とは胸部あるいは肺の運動であり、これにより空気が、鼻、口、次に気管を通り肺に入る。次にこの肺において、血液に働きかけ、これを冷却し、煤(すす)、或はその他の濁った成分を分離する。これ即ち呼吸と言う。
 ブルース(傍白。)なんてやくざな話だ。これが呼吸の秘密か。
 サー・ニコラス もう一つ、呼吸に関する私の発見を披露すると、動物は気管の途中を切られても、もし肺に外から空気を、例えばふいごを用いて、送り込めば、それが呼吸の代りになるということだ。
 (註 実に残酷。訳者の用いているテキストの註にはまた次の記載あり。「一六六七年十月十日、ロイヤル・ソサイアティーにおいて、ロバート・フックが犬を使って実験した。」)
 ロングヴィル 口からの呼吸は止めても、お尻から空気を入れることによって動物は生きるという話も聞いたことがありますが・・・
 サー・ニコラス それは屡々ですな。それに、これは私が発明したわけではありませんが、血液を移行させることによる目覚ましい効果について様々な実験をしましたな。即ち、ある動物の血液を他の動物に注入するわけですが。
 サー・フォーマル 私は誓って申します。発明者ではないとはいえ、この発明を完璧の域まで高めたのは他ならぬサー・ニコラス大先生なのです。他のどんな科学者も先生には叶いません。実際に私は、二匹の動物にこの実験をなさり見事な結果を出された時立ち会ったのですからな。その一匹はガツガツと物をよく食うスパニエル犬、もう一匹はあまり食欲のないブルドッグ。しかしこの話は先生から直接お聞きしましょう。(訳注 イギリスでは通常、スパニエル犬は貴族を代表する犬、ブルドッグは庶民を代表する犬、と考えられている。)
 サー・ニコラス 通常は片方からもう一方へ血液を移行するのですが、私の実験ではこれを、お互いに行う。即ち、前者の血液を後者に、同時に後者の血液を前者に移行するというものでした。結紮(けっさつ)糸で堅く血管を縛り、頚静脈を膨張させ、両動物の頚動脈と頚静脈を同時に切り開き、互いに相手の方へと血液を移行したのです。
 サー・フォーマル そして実験の結果は驚くべきものでした。スパニエル犬はあまり食欲を示さなくなり、ブルドッグはガツガツと物を食べるようになったのです。
 サー・ニコラス いや、実は結果はもっと目覚ましく、スパニエルはブルドッグに、ブルドッグはスパニエルになったのです。
 サー・フォーマル その意味ですが、つまり、スパニエルがブルドッグの持つ優しくて教養のある気質を持つようになり、ブルドッグが躾けの悪い野蛮な性格を持つようになったということです。正にこれ、奇跡の名に値する実験ではありますまいか。
 ブルース 銅像に値する実験ですな、これは。
(クラリンダ、ミランダ、サー・サミュエル、登場。)
 クラリンダ 申し訳ありません、ちょっとお邪魔致します。実は妹が嫌な目にあっていまして。このことは叔父様のお耳に入れなければと・・・
 サー・サミュエル 何だこれは。何をやるつもりだ。
 サー・ニコラス うん、ミランダが、厭な目に?
 クラリンダ サー・サミュエル・ハーティーが、この召使にミランダ宛の手紙を託したのです。誘惑の手紙です。この通り。
(クラリンダ、サー・ニコラスに手紙を渡す。)
 ミランダ(サー・サミュエルに。)姉はすぐ言い付けるんだから。私は心配ないわ。あなたも我慢してね。
 サー・サミュエル(ミランダに。)ええ、立派に堪えて見せます。矢でも鉄砲でも持って来いってんだ。もう今までだって相当ぶん殴られてるんですからね。とにかく愛のあるところ、殴られたって、蹴られたって・・・
 ロングヴィル(傍白。)こいつめ、俺達のことを言いつける気か。
 サー・ニコラス あの男から手紙を託されて姪に近づくとは、不届き千万。実にけしからん奴だ。あの男はイギリス中に名の通った色男だぞ。道楽者で、女たらし。不埒(ふらち)極まる奴なのだ。
 サー・サミュエル(傍白。)俺のことを完膚(かんぷ)なきまでにやっつけたな。厭な野郎だ。こんな厭な野郎は捜そうったって、そうざらにはいない。
 サー・フォーマル サー・サミュエルという男、あれでなかなか取柄はあるのです。粋で礼儀正しく、快活で、物言いも簡潔。しかしちょっと軽いですな。すぐに蒸発するほど軽い。あれでもし固体の性質、どっしりした重みがつけば、かなりな人物になれましょうものに。
 サー・サミュエル(傍白。)はっ、固体とは良かった。どっしりとした重みか。あいつが自分でそう思っていやがるんだ。こっちが足でものっけてやりたいぐらい鈍い男のくせに。
 ロングヴィル あれは私の下男で。しかしもう首です。ポンプで十分に水をかけて、その後、毛布で胴上げをしてやりましょう。
 サー・ニコラス うん、それはなかなかいいお仕置きだ。では君の許しを得て、そいつを実行させるとしよう。おい、人を呼べ。
 サー・サミュエル ま、待って下さい。何てことをなさろうというのです。サー・サミュエルはこの手紙を私に託したのです。私があの方を尊敬しているのを知っていたからでしょう。それだけの話なんです。そうです、あのサー・サミュエルは機知のある面白い方です。
 ロングヴィル おい、私の召使達も手伝え。
(召使達登場。)
 ロングヴィル おい、お前達、こいつの衣装をひっ剥ぐんだ。
 サー・サミュエル おいおい、待って呉れ、ロングヴィル! そんなことをしたらたちまち風邪を引いてしまうぞ。おい、気でも狂ったか。
 サー・ニコラス 命令は聞いたか? こいつをあっちに連れて行け。ポンプで水を十分にかけて、その後、毛布で胴上げだ。
 ロングヴィル 厚かましい奴め! さあ、連れて行け。
 ミランダ 十分に水をかけるのよ。本当に厚かましい!
 サー・サミュエル(傍白。)何て奴だ。この俺のことは知っているくせに。空とぼけて!
 サー・ニコラス さあ、十分にやってやるんだ。それから外へおっぽり出せ。
 サー・サミュエル どうなるんだ、この俺は。まあいい、彼女は俺を愛している。さあ、どうともしろ。俺のたくらみはうまく行ったためしはないんだからな。
(召使達、サー・サミュエルを引っ立てて退場。)
 クラリンダ お仕置き、見て来ましょう。
 ミランダ 行きましょう。面白いわよ、きっと。
 サー・ニコラス 輸血の話をしていましたな。
 ロングヴィル たしか、羊の血を人間に、それも気違いの男に注入する実験がありました。珍しい実験ですね。
 サー・ニコラス 数ある中の一つ。面白いものですな。一匹の羊から六十四オンスの血液を取り、これを人間の血管に注入しました。羊はこの手術で死にましたが、人間はまだ生きています。最初羊の血液が異物であるため、かなり苦しみましたが、暫くすると自分の血液と同化しました。
 サー・フォーマル なんとまあ素晴らしい実験ではありませんか、皆さん。しかし続きを聞くことに致しましょう。
(スナール登場。)
 サー・ニコラス その患者はすぐにいきり立つ乱暴な男でしたが、羊のように大人しくなりましたな。ひっきりなしに「メーーー」という声を出しましたが、胃の中にあるものを口に出して反芻するようになりました。毛が身体一面に生え、また暫くすると、肛門のあたりからノーサンプシャー羊特有の尻尾が出てきました。
 スナール 全く大抵にしないか、ニコラス。恥ずかしいぞ、私は。何かというとすぐその輸血の話。そいつは大嘘の大法螺だ。そんなことならロバの血と科学者の血を交換してみればいいんだ。どっちも大馬鹿だからな。輸血後も何の違いも発見出来まいて。
 サー・ニコラス ああ、叔父さん、いつもの冗談ですね。なかなか面白いですよ、それ。
 スナール 何が面白いだ。馬鹿め! 嘘ばかりつきおって。いい加減にしろ。これは冗談じゃないぞ。怒っとるんだ。貴様のようなアホな野郎に対してな。
 サー・フォーマル いや、まことにもって愉快な冗談、実に機知に溢れるユーモア。
 スナール そして貴様はこの大山師の太鼓持ちだ。
 サー・ニコラス 叔父さん、ちょっと今、邪魔は止めて。さあ、諸君に納得して戴くための証明がここにあります。患者の一人からの手紙ですが、随分卑下して、自分のことをこの私の敬虔なるしもべと自称して、私に皮膚に生えてきた羊毛を送ってくれた。そのうちこれがかなりの量になるので、織って私の服を拵えようと思っています。毛の質も良くて、ビーバーの毛より滑らかです。羊の血液を用いた治療への感謝の言葉、つまりそれがこれです。
 スナール 感謝の言葉など言えるか。ただメーメーと言うだけさ。全くお前は絞首刑にあっても当然なんだぞ。私の知っているだけでも、その輸血で四、五人は殺しているんだからな。
 サー・ニコラス いえ、死んだ者達はすべて、手術が原因ではなく、もともと連中はカコキマイアス、即ち体液異常があり、内蔵が悪化、即ち体内の諸器官に壊疽が出来たのです。
 スナール カコキマイアスだか体液異常だか、そんなのは勿体をつけた誤魔化しだ。死んだことは事実なんだからな。まあいい。こんな勿体と嘘はこのぐらいにして、飯にしよう。さもないとお前らの方が羊になってしまうぞ。
 ロングヴィル これはまた陽気で武骨な御老人。
 ブルース 輸血をむやみに非難するのはしかし、誤りですね。ある生き物を他の生き物と交換する実験によって、有益な効果を生むかもしれないんですから。
 ロングヴィル 植物に接ぎ木とか、接ぎ芽があるように、我々の食する動物にこれを施して、非常な改良をすることが出来るかもしれません。
 サー・ニコラス そうなのだよ君、そこなんだ、私の狙いも。
 スナール 馬鹿馬鹿しい。発明するなら「鼠取り」ほどの役に立つものでもやってみたらいいんだ。そうすれば少しはお前の嘘にも付合ってやろう。そうだ、この間お前、まんまと騙されおったじゃないか。内部に毛の生えている卵がありました、と言って持って来た奴がいた。そいつを一個一シリング出してお前、買ったな。そいつを俺は調べた。そうしたら何のことはない。小さい穴を開けて毛を入れた跡があった。こいつは俺の発見だぞ。
 サー・フォーマル いや、実に素晴らしい冗談ですな、ミスター・スナール。諸君、どうかこの方を皆様方に御紹介させて下さい。実に機知溢れる愉快な方なのです。
 スナール 貴様が俺を紹介? 口から先に生れて来た馬鹿者! 黙っておるんだ! 全く貴様ぐらい浮ついたペラペラ野郎はいないぞ!
 ブルース お近づきになれて大変光栄です。
 スナール この頃の若いものとは近づきにならんのが私の主義でな。
 ロングヴィル それはまたどういう訳で?
 スナール 当たり前だ。本も碌に読めやせん。無教養を絵に描いたような奴等だ。芝居小屋に行って、怒鳴ってふざけるだけが能だ。顔を隠した得体の知れない売春婦に近づいては適当にあしらわれていやがる。もっとも敵もさるもの、こういう女にかかっちゃ、手も足も出ないのも無理からんところだが、街の女が手近にいないとなりゃ仕方がない、若い者同志がペチャクチャやるんだが、まともな人間に笑われるのがおちだ。
 ブルース おあいこというところではないでしょうか。そのまともな人間というのが、若い連中に馬鹿にされるのですから。
 ロングヴィル 自分と比べて他人を笑う、これで人間は幸せなんです。お互いに相手を笑いあって、それで世の中が丸くおさまっているのでしょう?
 スナール しかし人間てやつは何も考えない動物だ。いつでも退屈していて一人じゃいられない。いつだって人生が短いと愚痴を言っている癖に、時間があっても何をしていいやら分かりもしない。
 ブルース (傍白。)この男、人に突っ掛かるだけかと思うと、たまにはまともな事を言う。
 スナール 若い者の教育と言えば片言のフランス語を喋るのがせいぜいだ。フランスに行って何をやって来るんだ。学んで来た悪徳をイギリスに帰って来てひけらかすだけなんだからな、全く。フランス流堕落というのがまた天下一品。面白いことを言ったつもりだろうが、洒落にもなりはしない。退屈極まりない冗談だ。
 サー・ニコラス 叔父さん、お願いです。この人達は私の友人なんですよ。少し優しく扱って下さらなきゃ。
 スナール この頃の若い者の話になると、もう黙っていられなくてな。
 ロングヴィル 年をとった馬鹿は若い馬鹿をやっかむものだ。
 スナール 自分の理解出来ない事はすぐ信じる。信じるだけじゃない、言い張るんだ。その癖生き方の技術をちゃんと心得ている人物を馬鹿にする。紳士の持っている礼儀、嗜(たしな)みをてんで理解しない。そして自分のやることと言えば、居間で鏡に向って鬘(かつら)をつけ、ニヤニヤ笑い、囁き、足を組み、表情を拵え、一時間も二時間も費やすのだ。そんな時間があったら洒落た文句の一つでも考えればいいのだ、全く。
 ブルース 若者にはかなり手厳しいな、このスナールのおっさん。
 ロングヴィル 若い者には楽しみがある。酒、女、若さから来る喜び、年をとるとそいつがなくなって、後は嫉妬、意地悪、年から来るいやみ、それが残るだけになるのかな。
 スナール それに一番悪いのがあのふしだら女ってやつだ。全くあれにはこっちの顔が赤くなる。一昔前はしとやかさの時代だったんだ。
 ブルース あの頃だってあばずれはいたんだ。ただうまく誤魔化していた。密通に偽善という悪徳を付録につけていたんだ。今は偽善がなくなって悪徳が二つから一つに減ったってことか。
 ロングヴィル(ブルースに。)実はなブルース、こいつ口だけは立派だが、いろ女がいるんだ。後で話すよ。
 サー・ニコラス この叔父の口の悪いのを私に免じてお許し下さるように。なにしろ誰に対しても矛を緩めることがありませんので。さて皆さん、これで失礼致しますよ。実はお約束のロブスターの解剖が出来なくなりましてな。いつもやって来る魚屋が、今日は来なかったのです。このロブスターの解剖はラスティシアス、即ち甲殻類の中で最も面白いものなのですがな。残念です。
 サー・フォーマル では我々三人はギリシャ、ラテンの文献を逍遥致すことに。片方は心に関する、もう片方は身体(しんたい)に関する深遠なる省察ですが。
 ロングヴィル ではお伴致します。
 サー・ニコラス 午餐の後、昆虫の性質に関する講義を行いましょう。同時に観察器具等をご覧にいれましょう。顕微鏡、望遠鏡、温度計、晴雨計、気体ポンプ、それにステントゥフォニカル・チューブ、即ち物言うトランペット、その他の器具ですな。
 ブルース 大変有難う存じます。(ロングヴィルに。)しかしこんなもの全部に付きあっていちゃ、お嬢さん達とは会えなくなってしまうな。
 ロングヴィル(ブルースに。)こんな阿呆どもに付きあっちゃいられないぞ。なんとか逃げる方策を考えるよ。
 サー・フォーマル 皆さんどうか、前方にお進みを。私めが先導を仕ります。
 ブルース ではお後を。
(全員退場)

     第 三 幕
     第 一 場
(ロングヴィルとミランダ、登場。)
 ロングヴィル お嬢様、どうか少しはこの恋こがれている私のことをお考え下さって・・・
 ミランダ あらまあ「恋こがれる」ですって? 現代の洒落た殿方の仰る言葉ではありませんわ、「恋こがれる」なんて。現代は「恋」ではなくて「囲う」時代ですもの。芝居小屋からけばけばしいのを連れて来て、自分の好きなようにいやらしい事を教え込むの。まるで気違いだわ。それが現代の紳士のやる事よ。丁度、生前金が貰えなかった後継ぎ息子が、父親が死んで遺産が入り、気違いじみた乱費をするのと同じ。
 ロングヴィル 僕はそんな人間じゃありませんよ。年をとってよぼよぼになれば分りませんけど、狩で獲物を取れば、籠に飼うよりは殺して食べてしまう方です。それに、飼って育てたものを食べるよりは、同じ種類なら野生のものを食べます。女性でも囲って飼いならされた人より、自由に活動している人の方が好きですね。
 ミランダ その方が自然よ、確かに。
 ロングヴィル 僕も根っからの悪人じゃないんですよ。さっき随分こっぴどくあなたから叩かれて降参の白旗を上げてしまいました。もう恥も外聞も忘れて、町の洒落者、放蕩者の非難も敢えて受けて、この際結婚の殉教者になる決心を・・・
 ミランダ 駄目ですわ、そんなの。他人の警告をすぐ真に受けるなんて! 結婚をした友人がいらっしゃるでしょう? その人達がちゃんと忠告をしたでしょう、悪いことをしてはいけないと。絞首台に上るのとおんなじだぞって。
 ロングヴィル たとえそうであっても、恋人も悪事を働く人間も、自分の責任において一歩を踏み出すものですよ。その結果、一方は結婚生活を、一方は絞首刑を経験することになるのですが、いづれ逃げられない運命なのです。
 ミランダ 女性にとってはどちらも耐え難いですわね。二つのうち一つを選ぶのは大変。
 ロングヴィル 御婦人方がお嫌でなければ、男どもはもう少し楽な道を提案致しますが?
 ミランダ その楽な道っていうのは、さっきの二つよりもっと恐ろしいものですわ。
 ロングヴィル どうやってもするりと逃げておしまいですね。どうすれば捕まえられるのでしょう。
 ミランダ これだけははっきり申し上げておきますわ。あなたにはどうしても私は捕まえられないんですからね。
 ロングヴィル 随分恋に対して辛くお当たりになるのですね。恨みに思って町中の嫌われ者をあなたにあてて敵討ちするかもしれませんよ。
 ミランダ それも恋がなせる技ですの? ならどうぞご勝手に。私、もう決して恋は口に致しませんわ。
 ロングヴィル 魔法の本を読むと悪魔が出て来るからって怖がっている人がいますね。それと同じですよ。愛について話すと何か出て来るんじゃないかと怖がっていらっしゃるのは。
 ミランダ そう。あなたが恋のことを口になさる度に私には悪魔が出て来てしまうんですもの。でももう私、行かなければ。叔父はきっとあなたのことを待っていますわ。
 ロングヴィル お願いです。今日の午後もう一度会う機会を与えて下さいませんか。
 ミランダ 愛を語らないというのが条件よ。それから、叔父、叔母には見られないように。では一時間後、庭の東側の小道で。(傍白。)でもご免なさい。私、別の人と会う予定。
(ミランダ退場。)
 ロングヴィル 有難う。なんて嬉しいんだ。・・・あ、あっちからブルースとクラリンダが来る。僕は行かなきゃ。
(ロングヴィル退場。)
(ブルースとクラリンダ、登場。)
 ブルース 狩人がどの鹿に狙いをつけようか決める時より、もっと大変でしたよ、あなたに狙いをつけて二人だけになるのは。
 クラリンダ 狙いをつけるの、お上手ではないわね。狩人がそんな調子なら、鹿の方はもっと安心していられるでしょう、きっと。それに私は野生、そう簡単には撃たせないわ。
 ブルース 恋人の撃つ矢は速いんですよ。飛んでいてもあたる。
 クラリンダ でも私、もっと速く飛ぶ。あなたから逃げるんですもの、もっともっと速いの。
 ブルース ああ、駄目だ駄目だ、この線で行くのは。別の方向から試すことにします。ああ、お嬢様、どうか私に対するその残酷な扱いをおやめ下さい。このまま行くと私は、哀れこの上もない、惨めな恋する男・・・一人腕を組み、呟きながら森をうろつき、小川の流れに囁きかける。或はやけになって山を駆け上り駆け降り、木の皮に恋心を彫り込み、風に悲しみを物語る。風は哀れがって私に溜息をつくでしょう。
 クラリンダ あらまあ、急に風向きが変わって詩人の言葉? 優男(やさおとこ)の嘆きの歌ね。
 ブルース 普通の話し方で道理を説いてもお気に召さないようなので、哀れな犬の泣き声で恋を語るロマンチック路線はどうかと思いまして。
 クラリンダ そんなの嫌。こんなことを聞くぐらいなら、他人のくだらない噂話でも聞く方がまだまし。いえ、気違いじみたお説教、いえいえ、もっと酷いもの、退屈なお芝居、下品な主人公が神様に大声で怒鳴りちらすだけの芝居、そんなものでも聞いている方がまだましだわ。
 ブルース 当方、そちらのお気に召すよう、いかなる恋の方法でもやってみます、お嬢様。粋で上っ調子の恋人役、羽根飾りをいっぱいつけて、愛する女のまわりを雄の七面鳥のように羽根をシャラシャラ鳴らしながら反り返って歩く。軽快な動きと下らない流行の品で女性の気を引けると思い込んで、鬘をはめ、装身具を身につけ、「フィリスとスィリア」の阿呆臭いソネットを歌う。いや、それとも、芝居の幕切れの台詞、或は二番煎じの冗談で機知のあるところを見せたつもり。ところがとんだ空証文、すぐ化けの皮が剥がれるという、こんな役でも演じましょうか。
 クラリンダ いいえ、結構。そんな紳士は今、掃いて捨てる程いますわ。金ピカの安物、ただ光っているだけ。最初の押し出しはなかなか見事、でも錆び方が早過ぎるの。ちっとも長持ちしない。
 ブルース でも僕のは混じりっけなしの金属、よく持ちますよ。砥石にかけても減りません。結婚にかけても大丈夫。
 クラリンダ でも結婚してからじゃなければ、砥石にかけて試せないわ。損な取引。
 ブルース 最初に砥石で試すんです。お気に召さなかったら、お引き取りします。
 クラリンダ そう、勿論損のないようにしましょう。でもこんな恋の話はもうおしまい。私、聞きたくないの。それにあそこから叔母が来るわ。じゃ、さようなら。
 ブルース お願いです。もう一度お会いする機会を。そのつれないお心、なんとか少しでも変えることが出来ないか。このままでは僕はあまりに惨めです。
 クラリンダ 私のつれない言葉をもう一度お聞きになりたいのでしたら、一時間後に、その野原の向こう側、緑の小道でお話し致しますわ。では。(傍白。)でも、ご免なさい。あなた、そこで別の人に会うのよ。
(クラリンダ退場。)
(レイディー・ジムクラック、別の扉から登場。)
 ブルース 奥様の忠実なしもべ。私は綺麗な空気を求めて丁度庭に出ようと・・・
 レイディー・ジムクラック 私も同じ気持で。まあ嬉しいこと、「紳士その人」というお方とご一緒出来て。
 ブルース 「紳士その人」とはとんでもない。そのような光栄は私には勿体なくて。
 レイディー・ジムクラック いいえ、とんでもない。そこまでに達していらっしゃる方。さぞ世のご婦人達の尊敬を集めていらっしゃることでしょう。お幸せですわ。
 ブルース(傍白。)おやおや、どこへなんだ、この会話の行きつくところは。
 レイディー・ジムクラック 女性とは弱いものですからね。特にこのような素敵なお方の傍では。
 ブルース 奥様、若い未熟な男性をそのようにおからかいになってはいけません。
 レイディー・ジムクラック からかうなどと、そんな、決して。何と言っても、素晴らしい評判のお方、そのような方とたった二人だけでお会いするなんて。私、もしサー・ニコラスと名誉ある契りを交していなかったとしたら・・・ええ、この、名誉ほど私に大きな力を与えてくれているものは他にありませんのよ。・・・そう、決して二人だけでお会いするなんて、あり得ることではありませんわ。でも名誉がありますもの、誓ってこれは申し上げますわ。
 ブルース 御婦人方が私共しもべに、そのようなお話をなさるとは・・・私共、ただただ苦しむだけなのです。
 レイディー・ジムクラック まあ、私の言葉を冗談とおとりになっているのね。飛んでもない。真面目ですわ。名誉があるからこそ・・・その名誉が今までいろいろな場面で私を支えてきてくれていますのよ。・・・ですからこそ、こうして私の弱さを試す機会をあなたにお与えしているのですわ。いえいえ、他の御婦人方と比べて私の方が名誉に対する態度が弱いと言っているのではありませんのよ。でも「機会」というものは魔法の力がありますものね。・・・いえいえ、でも名誉には叶いません。・・・いえいえ、でも「機会」は強い力が・・・ええ、本当に大きな力がありますわ。
 ブルース ええ、「機会を逃さない」・・・これこそは確かに大きな力です。
 レイディー・ジムクラック まあ、なんてことを。滅相もないですわ。「機会を逃さない」だなんて! そんなことを考えてはいけませんわ。私、決して許しませんわ。どんなことがあっても。そんな考えはどうかお捨てになって。私の名誉が私を支えてくれます。私が機会を利用するですって? いえいえ、そのようなことをする女では私、決してありませんわ。誓って。
 ブルース(傍白。)やれやれ、随分用心深い話だな。よし、クラリンダへの愛も精神面は止めて、実行に走ることにするぞ。しかし、そこまで行くには長い道のりだ。その途中に他の罠がしかけてあれば、放って置く手はない。今のこの罠だってそうだぞ。
 レイディー・ジムクラック でも申し上げますけど、機会っていうもの、なかなか手強(てごわ)い魔法を持っていますもの。女はみな、この「機会」に気をつけなければいけませんのよ。私達、清純無垢であればこそ、機会など何でもなくあしらうのですけれど、もしそうでなかったとしたら、機会ってどのようにも利用出来ますもの。
 ブルース(傍白。)全く、こうあからさまにやられたんじゃ、どんな男でもげんなりするだろうな。しかし俺は違うぞ。据膳食わぬは男じゃないからな。しかしそれにしても、露骨にしなだれかかってくるのは吐き気のするものだな。
 レイディー・ジムクラック あそこに涼しいほこらがありますわ。参りましょうか、二人で。口さがない人達はきっと奇妙に思うことでしょうね。でも名誉がありますもの、私には。名誉は稀なもの。その名誉さえあれば、誘惑など立派に挑んでみせますわ。
 ブルース 御婦人の面倒は男性がみなければなりませんのに。ほこらのことなどそちらから。恐縮です、これは。でも、あのほこらに入ったことは、私は一度もないのです。ここはひとつ、奥様のお伴を致すことにいたします。
 レイディー・ジムクラック ええ、どうかお伴をお願いしますわ。でも、もしそちらに何か悪巧みでもおありなら、必ずいいことはありませんわよ。もし変なことをなさるようなら私、きっと大変腹を立てることになりますわ。
 ブルース どうぞ私をお試し下さい。
 レイディー・ジムクラック ちょっとちょっと、御自分のなさることに十分注意を払って下さらなければ。名誉のおありにならない方なら私、入りませんわ。冒険ですもの。止めにしますわ。
 ブルース 私の名誉はどうであれ、奥様に名誉がおありなら、ことは簡単なのですよ。
 レイディー・ジムクラック ええそう。それが私を守ってくれる筈。どうぞ御自由に私を誘惑なさる事ね。二人であそこに入っても、いえ、たとえ扉を閉めたとしても、私、何の怖れもありませんわ。私自身に名誉がある限り何の問題もある訳がありませんもの。さあ、行きましょう。
 ブルース あ、あちらからロングヴィルがやって来ました、奥様。
 レイディー・ジムクラック あ、どうか私からお離れになって。あの人、私の名誉をお疑いになるかもしれませんもの。
 ブルース(傍白。)偶然とは面白いものだな。これで僕は潔白だ。イギリス中どこに行っても恥ずかしくない潔白なる恋人で通るな。・・・もう一歩でどんな言い訳もきかないという事態だったが。やれやれ。
(ブルース退場。)
(ロングヴィル登場。)
 レイディー・ジムクラック あらあらあら、何て驚いたこと! 心臓が口から飛び出しそうになりましたわ。大変! 胸がどきどきして元に戻りそうもありませんわ。
 ロングヴィル どうなさいました、奥様。
 レイディー・ジムクラック 驚いた。あなた、亡くなった私の初恋の人にそっくり。その人と私、愛情と堅い結婚の誓いを交しましたのよ。あなた、その人にそっくりなんですもの。その人の幽霊かと思ってしまって・・・
 ロングヴィル 光栄です、奥様のお好きになられた人と少しでも似ているなんて、実に。
 レイディー・ジムクラック 私、あの人への愛をすっかり忘れていました。でもあなたの姿を見て何か私、奇妙な・・・ジュ・ヌ・セ・クワ(仏語 「私にもはっきりと分らない・・・」)感情があなたに対して沸き起こりましたわ。もし私が今、誰かに嫁いでいる身でなかったら・・・きっと・・・いいえ、私お喋りのしすぎ・・・
 ロングヴィル(傍白。)ここまで言われてその意味が分らないほど馬鹿じゃないぞ。俺はもう相手の性格は承知なんだからな。――奥様、そんなに私のことを持ち上げて下さって感謝感激です。その感謝を表すのに、言葉ですむというものでしょうか。いえいえ、行動が初めて真の感謝を表すことになりはしますまいか。
 レイディー・ジムクラック 行動! まあ、行動って、何の行動ですの? 勿論節操のある行動のことを仰っているのでしょうね。私、身体中の血が顔に上ってきてしまって、顔が真っ赤ですわ。行動って、あなた仰ったんですわね? あなたって節操あるお方の筈。いいですわね? 世界中でどんなものより節操が大事なんですわよ。どんなことがあっても私、節操に関する評判を落すことだけはしませんからね。
 ロングヴィル 寛(くつろ)げる所に参りましょう、奥様。私がそこで節操のある人間であることをお示し出来ないようなら、お暇(いとま)を下さればよろしいのです。
 レイディー・ジムクラック 寛げるところ? まあ、なんてことを! ここでも十分に寛げますのに・・・あら、あなたのお顔、見れば見るほど私の初恋の人に・・・本当にそっくり・・・
 ロングヴィル(傍白。)ミランダ、許せ。これは我慢出来ない。鋼(はがね)のように君には誠実なんだが、美人が現れるとこの鋼、石に打ち付けて火花が飛ぶんだ。――あのほこらでちょっと一休みしましょうか、奥様。
 レイディー・ジムクラック あらまあ、私を誘惑なさるおつもり? 私にその機会を作ろうと仰るの? どうか私の節操のことを考えて。私を所有している人間は他にいるのですわ。
 ロングヴィル その所有権を変更しようというのではないのです、奥様。私は奥様をちょっとお借りするだけ。用が済み次第、所有権者にはお返しするのですから。さあ奥様、寛げる所へ。
 レイディー・ジムクラック 用が済み次第ですって? 何のことです? それ。恐ろしいことを仰る。私、口から心臓が出てきそうですわ。私、そんな人間ではありません。誤解なさらないで。女の自由を取り違えては駄目。私はしません、決してそんなことは。――こんなことになったのは、あなたの責任。いいですか、そこを動くんじゃありませんよ。――でもこんな過ち、あなたはこれが初めてなのですわね。許して差し上げますわ。
 ロングヴィル すみません。奥様を怒らせてしまって。でもやはり、ほこらに行きましょう。許して戴いて、その感謝の言葉をゆっくり、十分に申し上げなければ。
 レイディー・ジムクラック あら、大人しくおなりになったのね。これなら会話が出来るわ。会話のためでしたら、さ・・・私、会話は大好きなの。
 ロングヴィル(傍白。)俺は狡い奴だ。許せよミランダ。この一回だけだからな。――さ、参りましょう、奥様。
 レイディー・ジムクラック ではお後を。でも、ようございますね? 馴れ馴れしい態度がちょっとでも見えたら私、大声を上げますからね。よくこの注意を覚えておいて下さいよ。変なことはお考えにならないこと。本当に大声ですからね。あれは駄目。いいですね。あれは駄目。
 ロングヴィル 分っております。大声なんですね。分っております。(傍白。)「あれは駄目」とは、どうもご念のいった事。
(サー・フォーマル登場。)
 サー・フォーマル ロングヴィル殿、サー・ニコラス科学者殿がお待ちですぞ。これから昆虫の秘密について、御開陳遊ばされるとのこと。その秘密たるや、古今東西いかなる学者といえども、サー・ニコラス科学者ほどの発見は誰もなし得なかったと断言出来ますものです。
 ロングヴィル では早速、お後に。
 サー・フォーマル では奥様、その手に恭しく接吻を。
(ロングヴィルとサー・フォーマル、退場。)
 レイディー・ジムクラック 可哀想に、運の悪い人。二人の姪とあの二人の紳士、それぞれ好きな相手が違っている。いいことを見つけたわ。これをうまく利用しなければ。
(レイディー・ジムクラックの女中登場。)
 女中 奥様、奥様宛の手紙でございます。使いの者は、特に私にと言って手渡しました。
(女中退場。)
 レイディー・ジムクラック おや、私のあのハザードからだわ。(読む。)「奥様、いつもの逢引の場所にて。小生、辛抱しきれぬ気持でお待ち致しおります。愛を込めて。そしてまた、多少取引のお話も。敬具。」これは行かなくちゃ。ちょっとお金がかかるけど。「多少取引のお話も」と言うのは、お金のことだもの。男が女を抱(かか)える、だから女が男を抱えたって構わないじゃない。あの素敵な二人の紳士のことはまたにしましょう。明日の鶏より、今日の卵。確実なものから手をつけなくちゃ。(退場。)

     第 三 幕
     第 二 場
(スナールとミスィズ・フィガップ、登場。)
 スナール おお、わしは幸せだ。こんなに愛されるとはな。町の馬鹿者どもと付きあってくたびれきっていたところだ。やっとねぐらに帰った気分だ。
 ミスィズ・フィガップ ああ、私の可愛い子ちゃん、いらっしゃい、いらっしゃい。可愛がって上げるからね。さあ、さあさあ。
 スナール やれやれ、悪いやっちゃ、お前も。そうだ、あの女はどうした。例のわしの甥のジムクラックのいい女、お前さんの友達のミスィズ・フラートは。
 ミスィズ・フィガップ フラート! 何さ、フラートなんか。あいつの名前なんか、聞きたくもない!
 スナール どうしたんだ急に。何があったんだ? お前。
 ミスィズ・フィガップ 汚い奴! 我慢ならない、私。何さ、何さ、何さ。
 スナール どうしたんだ一体、フィガップ。あいつがお前に何をしたっていうんだ。
 ミスィズ・フィガップ 絶交よ! 私に息がある限り、あいつを許すもんか。もうあいつの話は止めて。いけすかない奴! もうあいつの名前なんか口にしないで。絶交なんだから。
 スナール そうか。あいつはお前を怒らせたのか。この可愛いお前を。よしわしが懲らしめてやる。悪い奴だ。
 ミスィズ・フィガップ 嬉しいわ、あんた。でもどうせあんな奴、商売女よ。あんたみたいな人が出て行ってどうこうする事じゃないの。いいのよ、どうでも。
 スナール よし、何が何でもわしは知らねばならん。あいつがお前にした事を。さあ、わしに話して聞かせるんだ。さもないと愛してやらんぞ、いいか。
 ミスィズ・フィガップ じゃいいわ、話す。でも笑っちゃ駄目よ。
 スナール 分った、笑わない、わしは。
 ミスィズ・フィガップ でもあんた、笑うから嫌。
 スナール いや、約束する。わしは笑わん。
 ミスィズ・フィガップ あの人が何て言ったか、あの嫌らしい雌犬が。あんた想像もつかないわよ、絶対に。こう言ったの。あんたよりも、サー・ニコラス・ジムクラックの方がハンサムだって。まあ、憎らしい。私、自分に息のある限り、あんな奴許してやるもんか。
 スナール おお、おお、そうか、そうか。可愛い奴だ、お前は。
 ミスィズ・フィガップ 誰にでもくっつく馬鹿女! でもあの女だけじゃない。女がみんな悪くなってるの。厚かましくなってるの。もう私、女として恥ずかしいわ。慎(つつし)み深さなんて薬にしたくてもないんだから。
 スナール 全くだ。実に悪辣な時代だ、今は。人間に良心というものがない。一昔前はみんな慎みがあり道徳の観念があった。互いの家を訪問しあい、女性達とトランプをしたものだ。礼儀正しく、上品で、育ちの良さがあった。
 ミスィズ・フィガップ 町に出ると恥知らずの男達。私、顔が赤くなるわ、考えただけで。
 スナール 全くだ。女房持ちは女房をいじめる。女房を持たない奴は、自分の屋敷に女を入れる。下品な町の女をだ。この国における家庭生活の崩壊は、全く目に余る。わしの心臓はこれを想像しただけで血を流しておるわ。
 ミスィズ・フィガップ それに今の若い娘達! どの面(つら)下げて町中(まちなか)が歩けるの! あんな恰好をして町中を歩いて、人にさんざん嫌な気持をさせて!
 スナール いや、もっと酷いのが、今の若い男達だ。飲む、女は買う、物は壊す、怒鳴る、わめく、冒涜の言葉を吐く。いやはや、わしはこんな悪徳の時代に生きているのが厭だ。しかし、慰めがある。それがお前だ。
 ミスィズ・フィガップ ああ、ああ、可愛いあんた。もうこんな話はよしましょう。あんな奴等にはみんな、唾でも吐きかけてやればいいの。私には素敵なあんたがいるんだもの。さあ、キスして頂戴。
 スナール おお、可愛い奴。おお、悪い奴! 二人は睦まじい仲だ。そのどこが悪い。
 ミスィズ・フィガップ 本当、どこが悪いっていうの。さ、キスして、もう一度。
 スナール おお、可愛い奴。そうだ。さあ、この財布を取るんだ。いいんだ。さ、取るんだ。
 ミスィズ・フィガップ 駄目、お金なんて。お金じゃないのよ。私、あなたを愛しているの。真面目で、奥ゆかしくて、一時代前の、本物の紳士!
 スナール おお、悪い奴だぞ、お前は。よし、お前の唇を噛んでやる。本気で噛むぞ、いいか。ああ、火がついたぞ。わしの血液にお前、火をつけたな。おお、我慢出来ん。ああ、実に、実に、我慢出来んぞ。そうだ、道具はどこだ。あの折檻の道具は。おいおい、そう顔を顰(しか)めるな。いいか、早速やるぞ。今すぐ。
 ミスィズ・フィガップ あんた、どうしてあんなものが好きなの。私がこんなに嫌がっているのに。
 スナール 中学校の寄宿舎でな、よくやったんだ。あれから癖がついてな。
 ミスィズ・フィガップ しようがないわね。絨毯の下だわ。
 スナール そうかそうか。悪い奴。愛(う)い奴じゃ、お前は。なあ、いいか。痛くても我慢するんだ。わしはお仕置きが大好きなんだ。(絨毯を引っ張ると、三、四本の鞭が出てくる。)おお、これはなかなかいいぞ。
(舞台裏から声「おい、中にいる奴、ドアを開けろ。この野郎、叩き割るぞ。誰だ、お前と一緒にいる奴は。斬り殺してやる。」)
 ミスィズ・フィガップ(傍白。)あら大変、どうしよう。あれは兄さんだわ。
 スナール ええい、参ったな。どうすりゃいいんだ、こいつは。
 ミスィズ・フィガップ さ、早くあそこの木の穴に隠れて。あの人は私が追っ払います。隠れた後、ちゃんと板で蓋をして。さ、早く。
 スナール 糞っ! 威張りちらしおって。こんな奴、一昔まではいやしなかったぞ。やくざ者め! 犬め! おちおち女とよろしくやっていることも出来ん。すぐ兄貴が邪魔に現れるとは。全く馬鹿にしていやがる。
 ミスィズ・フィガップ さ、早く早く。私は出て、あの人を宥(なだ)めますから。
(二人退場。)

     第 三 幕
     第 三 場
(サー・ニコラス、サー・フォーマル、ブルース、ロングヴィル、登場。)
 サー・フォーマル さて、お二方に申し上げますが、人間の性格はサイズの小さな動物、或は昆虫の振るまいによく似ているものです。例えば蟻、はえ、まるはな蜂、はさみ虫、やすで、豚のしらみ、蛆(うじ)、チーズの中に住くう虫、おたまじゃくし、みみず、いもり、蜘蛛、それから太陽の光により自然発生する様々な虫、などに。
 サー・ニコラス そうですな。こういった小さな生き物に、私は大変奇妙な現象を発見してきました。これらより身体の大きな動物には見られない面白い現象を、です。
 ロングヴィル 蟻というのは大変奇妙な動物だと私は思っておりますが。
 サー・ニコラス オウヴィパラス(訳注 ヴィにアクセントあり。)即ち、卵から発生するいかなる動物といえども、この蟻ほど奇妙な生物はありませんな。蟻には三つの種類があります。黒蟻、茶黒蟻、朽葉(くちば)色蟻、の三種ですな。
 ロングヴィル なるほど。
 サー・ニコラス 黒が茶黒に出会うと、容赦しません。鋏を使って茶黒が死ぬまでいためつけます。茶黒も朽葉に対して同様の行動をとります。彼等の卵を顕微鏡のプレパラートの上に載せ、切り開いてみますと、その中に小さな蟻がいるんですな。そして、その蟻のアナス、即ち肛門のあたりに、小さな黒いしみのようなものがついており、これがまたヴァーミル、即ち小さな蛆なのです。この観察は実に興味深く、私は一昼夜丸々これを眺めておりました。サー・フォーマル君にいたっては、丸々三十時間これにかかりきりだったのですからな。
 ロングヴィル 実に立派なお仕事で。
 サー・フォーマル その小さな蛆虫は、長い間ただ伸びたり縮んだりしていただけでしたが、ついに蟻になりましたよ。
 ブルース 蟻の性質を知って、何か人間の役に立つのでしょうか。
 ロングヴィル そりゃ君、分っているじゃないか。科学者殿にとっては、知識が大切なんだ。知識そのものが先生方には重要なんだぞ。
 ブルース そうか。確か蟻は昆虫の中でも、最も政治的な行動をとるものでしたね。
 サー・フォーマル 核心をつく議論ですな、これは。蟻というのは実に、世界で最良の政府を有しているものですぞ。如何です?
 ロングヴィル 確かに。立派な共同体といえますね。
 サー・ニコラス いや、実に立派なご意見。皆さま方、たいした観察力をお持ちだ。蟻の世界、それは即ち共和国、あのオランダ議会に勝るとも劣らない共和国ですぞ。
 ブルース 確かにオランダ人は忙しい、よく働く動物ですねえ。蟻顔負けの。
 サー・フォーマル さて、この辺で先生、この方々に例の蜘蛛と呼ばれる狡猾かつ深遠な動物の奇妙な観察結果を披露することに致しましょう。
 サー・ニコラス 私のこの蜘蛛に関する性質、現象の発見は、現存するいかなる人間のそれよりも卓越していることを、まづ申し上げておきます。ご覧下さい。イギリスには三十六種の蜘蛛がおりますが、その中でもお馴染みの蜘蛛は、ハウンド蜘蛛、グレイハウンド蜘蛛、密猟犬蜘蛛、スパニエル犬蜘蛛、といったものですな。
 ロングヴィル その中でも目覚ましいのは、あの兎狩り犬の蜘蛛ではありませんか?
 サー・ニコラス 知っております。兎狩り犬蜘蛛、実に見事に蠅を捕(つか)まえますな。丁度兎狩り犬の兎の捕え方と同じ方法で。
 ブルース(ロングヴィルに。)いや、実にうまいな、この馬鹿どもは。嘘の餌を与えると、すぐ食い付く。
 ロングヴィル(ブルースに。)嘘つきはすぐ乗って来る。必ず食い付く。こういう所で決して後ろに引くことはしない。普段嘘ばかりついているから、どこから嘘らしくなるか、その境目(さかいめ)を知らない。何でもあると思ってしまうんだ。
 サー・ニコラス また、この蜘蛛の作る糸、或は繊維。その素晴らしいこと。
 サー・フォーマル 科学者大先生の指導のもとで、私も観察を行いましたが、その動きの巧みなこと、目を瞠(みは)るばかりですな。例えばテーブルの上に獲物を見つけたとしましょう。蜘蛛はテーブルの下を伝って蠅に近づき、時々見上げては獲物の後足の傍に辿(たど)りつきます。その時偶々この蠅が、クルーラルの動き、即ち羽根の振動、により飛び立とうといたしますな。すかさず蜘蛛はこの不注意な哀れな蠅に飛びかかり、これを食する。その食欲が満たされ、かつまた、蠅に残りがある場合においては、この残骸を自分の巣、或は住み家、に運ぶのであります。
 サー・ニコラス 蜘蛛はまた、若い蜘蛛に狩りの教育も行います。この時、若い蜘蛛が過ちを犯すと、厳しい罰を与えます。躾けが厳しいのです。それから年輩の蜘蛛も、獲物取りに失敗すると、自分の部屋に引き下がり、閉じこもり、それから十時間あまり、恥じたり、嘆いたり、苦しんだり、それは大変です。
 サー・フォーマル いや、実にその通りで。私も先生の指示のもとで、何度か獲物取りの失敗を観察しました。
 さー・ニコラス しかし諸君、また、この蜘蛛ほど可愛い動物も少ない。私は四、五匹飼って、馴らしたのですがな。
 ブルース それは珍しい話ですね。蜘蛛が人に馴れたという話は、聞いたことがありません。
 サー・ニコラス 中でもすごいのが一匹。名前をニックとつけたのですが、自分の名前が分るんですな。家中私の後をつけて歩きます。餌は生きた蠅。気立てのよい、実に調教のやりやすい蜘蛛でした。私も始めての経験ですなあ。サー・フォーマル君、君もニックはよく知っているな? スパニエル犬蜘蛛だったな?
 サー・フォーマル 知っている、などと、そんな水くさい表現ではニックが怒るでしょう。
 ロングヴィル(ブルースに。)馬鹿につける薬はないとは良く言ったもんだ。
 ブルース(ロングヴィルに。)こういう馬鹿がいるという発見が連中の最大の発見になる筈だがな。
 ロングヴィル タランチュラという蜘蛛を観察なさったことは?
 サー・ニコラス 実にいい。実にいいところをお突きになった。私はイタリアを旅行しましたよ。他には全く目的を持たず、ただただこの素晴らしい昆虫、タランチュラの秘密を知るためにです。
 ブルース かの地の政治、文化、習慣、などを観察なさらなかったと?
 サー・ニコラス そんな下らぬことを! 人間とか習慣など、科学者たるものが、その頭を煩わすに値するものではありません。私の興味は昆虫にあり、ですからな。さて、私の観察したところによると、このタランチュラは、音楽が大好きで、この性質を利用してその毒を抜き取ることが出来るのですな。これが即ち、かの「音楽による心の和らぎ」というものですかな。
 ロングヴィル そんなにタランチュラは音楽が好きなのですか?
 サー・ニコラス それはもう、想像をはるかに越えるものがあります。タランチュラには黒、灰色、赤と三種がいますが、種類によってその好む音楽の様式、あるいは形式が異るのですな。
 ブルース これは珍しい調査ですね。どうやって実験なさったのでしょう。
 サー・ニコラス 三種のタランチュラをそれぞれ別の容器に入れておき、その傍で音楽家に演奏して貰ったんですな。最初は重々しい曲、即ちパヴァン、それにアルマンドです。すると黒のタランチュラのみがこれに反応して動きましたな。ゆっくりした重々しい動き、丁度治安判事だとか裁判官のような、普段椅子に坐って仕事をする職業の人達の動き、その動きをやるのです。
(召使登場。)
 召使 旦那様、ラップランド、ロシア、その他の国々にお手紙をお遣わしになる紳士が、その国々宛のお手紙を受取りに参っております。今託されますか?
 サー・ニコラス よし、今行く。(召使退場。)北の国々との手紙の遣り取りは怠らぬようにしています。これらの国々には珍しい現象が沢山ありましてな。私は、私の哲学の多くの部分を、フィンランド、ラップランド、ロシア、他の国々に負うておるのです。手紙で様々な質問を送ったりしましてな。・・・さあフォーマル君、彼を送りだすのを手伝ってくれるか?
 サー・フォーマル 喜んでお手伝い致します。
 サー・ニコラス(ブルースとロングヴィルに。)庭の方にお出でになっていて下さらぬか。かの男の見送りが終り次第、今度は庭で、顕微鏡による発見についてお話し致しましょう。
 ブルース 畏まりました。(サー・フォーマルとサー・ニコラス、退場。)解放されたぞ。これは有難い。
 ロングヴィル 僕はハザードに手紙を書いて頼んでおいたんだ。一、二時間、ジムクラック夫人の面倒をよろしくと。
 ブルース 細工はこちらもだ。下男に言って、サー・ニコラスの女を捜させている。見つかり次第その女、サー・ニコラスに逢引の手紙を送る筈だ。
 ロングヴィル 美徳、哲学、がいくら身についていても、この馬鹿な大先生、やはり流行にも従うという訳だ。後はあの口からでまかせ野郎のサー・フォーマルさえ片づければ、二人の淑女とゆっくり出来るぞ。さあ、一旦はそれぞれの逢引の場所へ行って見ることにしよう。
(二人退場。)

     第 三 幕
     第 四 場
(ミランダ、庭に登場。)
 ミランダ ブルースには何て言ったらいいんだろう。あーあ、習慣て、何て不公平。女はいつも受身。解かれるための暗号のようなもの。自然は本当に私達女を、数字の羅列のつもりで創(つく)ったのかしら。
(ブルース登場。)
 ブルース あれはクラリンダだ。ああ、胸が・・・(近づいて。)お嬢様、有難う。何ていう光栄だ。
 ミランダ 光栄と本当にお思いなら、この機会を有益にお使い下さいな。
 ブルース おや、ミランダさん? これは予期せぬ光栄・・・
 ミランダ あら、どなたをお待ちになっていたの? あまり嬉しい御様子ではなさそうだわ。
 ブルース ミランダさんだとは思っておりませんでした。
 ミランダ がっかりというお顔ね。
 ブルース そんなこと。罰があたります。ただ、私はお姉さまの方だと思っていて・・・
 ミランダ 姉ですって? じゃ、私は不適格というわけね?
 ブルース いえ、実はその、この出合いをあまり私が喜びますと、友人を裏切ることになりそうで・・・
 ミランダ あらあら、お友達思いでいらっしゃること。でも私、あの方に思われるの、少し迷惑ですの。
 ブルース 彼には富もあり、名誉もあり、ミランダさんには本当に相応しい人物だと思っていますが。
 ミランダ 世の中って、そんなに不毛ではないの。私、もっと相応しい人を見つけたわ。でもそれよりあなたの方の話。あなたがここで待っていた人は姉じゃない、私の叔母、レイディー・ジムクラックだったのよ。あなたって、操の正しいお方。あのほこらは睦事(むつごと)にはいい場所ですものね。叔母だって、けっこうその気。邪魔が入って本当にお気の毒さま。
 ブルース(傍白。)何だ一体、これは。何故こんなことを知っているんだ。しかしここはぐっと辛抱しなきゃ。――そのお話、どうもよく分らないのですが。でもそれはとにかく、ミランダさんはお姉さんのことを思い過ぎますよ。お姉さんの心に嫉妬しているんじゃありませんか?
 ミランダ いいえ、姉の心に嫉妬しているわけはありません。だって私、はっきりと分っているんですの、姉がその心を私に譲り渡してしまったことを。
 ブルース(傍白。)何だ、これは。何の話だ、一体。するとこの人、自分で自分を嫉妬することになるのかな。何か意味のある話らしいんだが。
 ミランダ(傍白。)私って、何て話し方をしているのかしら。これじゃ支離滅裂。収まるところへも収まりはしない。――あらあら、あなたお困りのようね。姉の秘密、それにあなたと叔母とのこと、を私に言われて困っているんでしょう? さあ、ちょっと歩きましょう。そして考えましょう。
 ブルース(傍白。)驚いたな。どう切り抜けたものか、この急場を。
(二人退場。)
(ロングヴィルとクラリンダ、登場。)
 クラリンダ そのキョロキョロした目、兎狩りをしている人のよう。どうなさいました?
 ロングヴィル 妹さんがここにいらっしゃるとばかり・・・それで・・・
 クラリンダ ええ、そうでしょうね。妹は私をここに来させたんですの。厭な仕事は姉の私に、と。
 ロングヴィル なるほど、妹さんはそうお考えですか。
 クラリンダ お分かりでしょう? 私、妹のためにこの厭な役を買って出たのですよ。
 ロングヴィル するとここでお叱りを受ける訳ですね、僕が。
 クラリンダ いえいえ、お叱りなど。妹は私にも託しませんでしたし、他の誰にだって頼む気はありませんわ。
 ロングヴィル(傍白。)何なのだ? これは。さっぱり分らない。
 クラリンダ もっと分かりやすくお話しましょうね。妹は他の人に心を移したのです。ただ、完全な廃棄処分はしないで。
 ロングヴィル それなら何故御自分で私に会ってそれを話さないんです。
 クラリンダ 私の方が適役だと。それに、その間に自分の好きな方の人と会えるからと。
 ロングヴィル するとあの人はあなたにもつらく当たっているという訳ですね? 自分の好きでない男にわざわざ会わせるんですから。
 クラリンダ さあ、どうでしょうね、それは。だって私はそれによって、自分の厄介事から逃れることが出来たかもしれませんよ。妹が自分の好きでない男を厄介払い出来たように、私だって。ね?
 ロングヴィル 女性の喋ることはまるで謎だな。女の顔にはマスクがかかっていて、直接には見られないというが、心も同じだ。マスクがかかっていて、見えやしない。
 クラリンダ あ、サー・フォーマルが来ましたわ。内輪の話はもうこれで。
(二人退場しかけると、ブルースとミランダ登場。)
 ロングヴィル そうかブルース、君は幸せな奴だよ。
 ブルース 君の方こそだ。君と僕とで了解をつけなきゃならないことがあるようだな。
 ロングヴィル 僕達はお嬢さん方にちょっとお話があるのですが・・・しかしどうやら、サー・フォーマルの奴めが・・・
 クラリンダ 私達の方もお話がありますわ。・・・さ、ミランダ、サー・フォーマルに罠を。
 ミランダ ここに地下室へ行く上げ蓋があるわ。叔父さんはそこに空気を入れた壜を色々貯めているの。重さを計るためですって。あなた方、その話、あとで聞かされるわ。さあ、あの人をこの中へ閉じ込めちゃいましょう。そうすれば、ゆっくりお話が出来るわ。
(サー・フォーマル登場。)
 クラリンダ ここは任せて。最後のところは私がやるわ。
 サー・フォーマル 皆さん! 紳士、淑女、諸氏! 私の高貴なる先生サー・ニコラス殿は只今所用あり、皆さま方のお相手を致すことままならず、不肖私サー・フォーマルめを貴殿達に質種(しちぐさ)として預ける。しかして、所用すみ次第サー・ニコラス殿御自身で質種を受けだしますとの御伝言。
 ミランダ 風変わりな御挨拶ですこと。私達、あなたがいらっしゃればいいと思っていたところなの。
 クラリンダ そう、私達丁度噂をしていたところ。あなたのその素晴らしい才能、言葉を巧みに操る能力について私、このお二人の紳士にお約束しましたのよ。そのあなたの力をお見せするため、「題」を差し上げようと。
 サー・フォーマル 題を戴けますとは、これはこれは。どうぞなんなりと。私の力の及ぶ限りやってみましょう。正直に申しまして、小生多少は弁舌に爽やかさがあろうかと自負しております。
 ミランダ さあお姉さま、どうか題を。どんな大演説が聞かれるか楽しみだわ。どんな題だって同じよ。大きくても小さくても。
 サー・フォーマル その通りです、お嬢様。我々名演説家にかかっては、どんな題でも同じです。私の演説は非常によく工夫されておりますので、何かひとつの物を誉め称える演説が、ほんの少しの変更によって、全くその逆の物を誉め称える演説にも出来るのです。
 クラリンダ じゃ、題は「ねずみ取りにかかったねずみを見て」にするわ。
 サー・フォーマル いいでしょう。私はどんなことにでも対応できますからな。
 クラリンダ ではそこに立って頂戴。私達は両側に立つわ。
 サー・フォーマル お手に接吻します、お嬢様。さて、だんだんとインスピレーションが湧いて来ましたぞ。エヘン、エヘン(咳払い。)さて、、高貴な聴衆の皆さん、ある日私はぼんやり物思いに耽るという、人間にありがちなあの独特の気分で、書斎に坐っておりました。ふと見ると、いえ、それは最初から私の視界には入っていたものに違いありません。ねずみ取り。人間の発明した素晴らしい器械、下男が以前そこに仕掛けておいたもの。その中にねずみが掛かっているではありませんか。孤独なねずみ。憂いに沈んだ捕らわれ人。自己の不幸を、そして浅はかな試みのため罠に掛かったことを嘆いている。自分を囲っている堅い木材、それより頑強な鉄のワイヤーに、引っ掻き、体当たりし、自由を求めて必死のあがき。そして到頭この小さないたずら者は、脱出のための実りのないあがきに、その四肢はだるくなり、全身全霊疲れ果てた。さて牢獄を破ることも出来ず、罪重きため恩赦も、はたまた保釈もきかず、到頭坐りこんでしまった。そして悲しみ、考えた、このままこの牢獄で衰弱して死んで行く自分の運命の厳しさ辛さを。これを眺めているうちに、ふと私はこの不注意な小動物を突然破滅に至らしめた、当該ねずみ取りなる器具を創案した人間の、その思い付きと完成に至る努力に思いを致した。そしてその破滅の直接の原因が、みかけの立派な餌、即ちチェシャー・チーズであることに気がついた。この小動物にはこれが自分の命を長らえるべき、そして自分の舌に最もよく合う絶好の食物に見えたのだ。それが何という不幸、死に直接繋がる罠だったとは。自分の命を求め、却ってその破滅へと導かれるとは。さて、しかし――
 クラリンダ さあ、罠にかけろ!
(サー・フォーマル、穴に落ちる。)
 サー・フォーマル 「さて、しかし」って言ってるんです!
 クラリンダ 「さて、しかし・・・捕まえたぞ私は、大演説家を」・・・これが私の台詞。
 サー・フォーマル 助けてくれ! 助けてくれ! 人殺し!
 ロングヴィル ペラペラ男は暫く穴蔵にいて貰いましょう。
 ミランダ そう。あの人にはいい勉強。
 ブルース ねずみ取りに関して、よくまあ美辞麗句を連ねたものだなあ。アレクサンダー大王の事績をほめる時のような調子だったぞ。
(サー・サミュエルが、女の衣装を着て登場。)
 サー・サミュエル(傍白。)この衣装、これこそ色事において赫々たる功績を上げてきた由緒ある衣装。今日一日、大変な目にあった。蹴られ、殴られ、水をかけられ、毛布で胴上げされ・・・しかし、どんな目にあっても俺は怯(ひる)まぬ。恋の道において俺を妨げるものなどあり得ぬ。そこのところを彼女に見て貰わねば。それ行けサー・サミュエル、突撃だ。
 ロングヴィル 何だ、これは。何者だ。
 サー・サミュエル 御婦人方、私はレイディー・プレザントから御紹介を受けまして、これこのように色々な品物をお持ちしました。お気に召しましたらどうぞお買い上げ下さいませ。
 ミランダ 何でしょう、一体。
 クラリンダ レイディー・プレザントからの紹介なら、見てみなきゃ悪いわね。
 サー・サミュエル さあさあ、これ、この通り。手袋、琥珀、それに香水の数々。オランジェリー、ジェノア、ローマン、フラジパーンド、ネロリ、テューバーローズ、ジャスミン、マーシャル、それから髪飾り。また、いろんな種類の鬘、ロックストアーズ、フラウズィーズ、それにお化粧水、アーモンド・ウオーター、マーキュリー・ウオーター。口紅もありますよ。ほら、ピーターにスパニッシュ・ペイパー。それからヨーロッパいちのポマード、それも羊の大網膜と五月の露で作った特別製。そして昔の若さを取り戻し、現在の美しさを保つための錠剤もありますよ。これは水銀と豚の骨で製造した特効薬。もしこの商売で私を負かす者、私より良い物を持って来るような奴がいりゃ、それこそ俺はろくでなし・・・(傍白。)こいつはしまった。馬鹿なことを言ったぞ。ばれたかな?
 ミランダ 「俺はろくでなし」? 何ですか? 「俺」とは?
 サー・サミュエル いや、ふざけて男の言葉を使うことがあって・・・はっはっは。
 ブルース(傍白。)こいつ、サー・サミュエルの変装だな。
 サー・サミュエル(ミランダに。)さ、お嬢さん、まづ手袋をお試し下さい。(囁く。)私が分かりますね?
 ミランダ 何が分るっていうの?
 サー・サミュエル サー・サミュエルは心からお嬢様を愛しておいでに・・・
 クラリンダ 何でしょう、二人だけで話なんて。
 サー・サミュエル(傍白。)またあいつのやっかみだ。いつでも邪魔に入って来る。よし、この手袋に手紙を入れる。これが舌の代りをしてくれるぞ。さ、ここにこう。ビシっと決まりだ。(クラリンダに。)いえいえ、二人だけなどと飛んでもない。(ミランダに。)どうぞ、この手袋をお試し下さって。(囁く。)分りませんか? 私はサー・サミュエルです。
 ミランダ 何でしょう、ここに何か紙が。
 サー・サミュエル(ミランダに。)どうぞ、後で読んで。
 クラリンダ 手紙じゃないの? サー・サミュエルからの。まあ呆れた。じゃ、この人、取り持ち役ね? 大かたりの女衒だわ。
 ロングヴィル そうだ。あのごろつきの取り持ち役だ。
 ブルース よし、こんな奴は八つ裂きだ。
 ミランダ 逃がさないで。荷車引きの見せしめの刑にしてやりましょう。叔父さんが来るまでちゃんと捕まえておいて、ブライドウエルに送りこんでやりましょう。散々鞭打たれた上、荷車引きの刑にされるわよ。
 サー・サミュエル(傍白。)チェッ、思いもかけない成り行きだな、こいつは。細工は流々だと思ったのに。――放して下さい。私は真面目に自分の商売をしている堅気の女ですよ。ええい、何をする。こんなことをしやがって。俺は真っ正直な男だぞ。貴様達を訴えてやる。
 ロングヴィル 何だ? こいつ、男か? よし、それなら構いはしない。殴れ、殴れ。
 サー・サミュエル 止めて、止めて頂戴。女を殴るなんて。流産をしてしまうわ。お腹に赤ん坊がいるんですよ。死んでしまうじゃありませんか。
 ブルース 「俺は真っ正直な男だぞ」と言ったじゃないか。
 サー・サミュエル すみません。言い間違いです。時々男の言葉を使うもんだから。私は女。ええ、証拠をお目にかけます。
 ミランダ(クラリンダに。)これ、サー・サミュエルなのよ。ねえ、この人もあそこへ入れちゃいましょう。サー・フォーマルのところへ。叔父さんが来るまで閉じ込めておくの。面白いわよ、きっと。
 クラリンダ(ミランダに。)じゃ、あなたが罠にかけるのよ。うまく行くかしら。
 ミランダ(サー・サミュエルに。)ねえ、サー・サミュエル。可哀想に。痛かったでしょうね。さ、こっちの方へ来て。こっちに。
 サー・サミュエル えーい、こうなったらどうともなれ。どうなろうと今よりはましだ。
 ミランダ 今よ、姉さん。
(サー・サミュエル、穴蔵に落ちる。)
 サー・サミュエル ああ、人殺し! 人殺し! ええっ? これは誰だ。悪魔か。
 クラリンダ さあ、これで邪魔者は綺麗さっぱり。庭を散歩しながら私達の問題を考えましょう。
(四人退場。)

     第 四 幕
     第 一 場
(穴蔵の中のサー・フォーマルとサー・サミュエル。)
 サー・フォーマル(傍白。)こいつはどうもたまらんぞ。暗闇の中で、好都合にも女が現れるとは。(悪の仲立ちってやつだな、これが。)むずむずする。こいつはたまらん。よし、ひとつこの女の貞操を試すことにしよう。絹の衣装だ。美人、それに貴族の女に決まっている。――お嬢様、思いもかけず暗闇の中に押し込められたる我らが二人。あなた様のお顔を拝見すべき太陽の光もここにはなく・・・
 サー・サミュエル なんて言葉の巧みなお方。でも私、自分の手も見えない。なんて暗いんでしょう。
 サー・フォーマル おお、お嬢様、すべてをあまねく照らし、万物はそのお蔭によって生きるという、あの明るい太陽はまだその光をここまで届けておりませぬ。
 サー・サミュエル(傍白。)何をペラペラと。こいつがまた修辞の学か。しかし俺はどうなるのかな。正体を知られるか、(そいつは何としても避けねば。)それともブライドウエルに送られて、散々鞭で叩かれるか。いや待てよ。もうあれ以上罰を受けることはない筈だぞ。今日一日であれだけ殴られ、蹴られ、したんだからな。
 サー・フォーマル(傍白。)よーし、こんな素敵な獲物がやって来たんじゃ、捨ててはおけんぞ。綺麗な、柔らかな、とろけるような手だ。今までいろんな手にキスをしてきたが、こんな上等なのは初めてだ。エーイ、むずむずして来たぞ。よし、この手でいくか。――どうかこの財布を御受納あって。どうぞ、その中味ともども。
 サー・サミュエル(傍白。)よし、財布は戴こう。どうなろうとままよ。
 サー・フォーマル 可愛いお嬢様、どうかゆったりと、身体を楽になさって。
 サー・サミュエル まあ、何をなさるの。まあ! どういうことです? これは。あっちに、あっちに行って下さい。
 サー・フォーマル ああ、どうかその、あなた様の唇に近づかせて下さい。その不死鳥の巣よりも甘い、アラビアの高貴な香料よりもかぐわしい唇に。
 サー・サミュエル 親切なお言葉。でもどうか我慢なさって・・・
 サー・フォーマル ああ、どうか暫くじっとして。こちらも静かに致します。誓って。
 サー・サミュエル まああなた、おやめになって。私、そんな人間ではありませんもの。まあ、なんてことをなさるの。あなたは全く見知らぬ方ですわ。いいわ、じゃお好きなように。私、顔が真っ赤ですわ。(傍白。)追われている身でなかったら・・・変装がばれて、鞭打ちの刑が待っているような、そんな危険がなかったら・・・どこの誰だか知らないが、この馬鹿と結構楽しくやれるのに。
 サー・フォーマル ハイブラの甘い蜜の香ですな、あなた様の唇は。どんな春のかぐわしい花も、かほどの香気には叶いますまい。
 サー・サミュエル まあまああなた、そんなお世辞を。(傍白。)あ、しまった。俺の息は煙草の臭いがするんだ!
 サー・フォーマル 時間が切迫しております、お嬢様。どうか多少の手荒さはお許し下さいますよう。私の熱情が私をかくも急(せ)き立てており・・・さ、愛するクロリス! さ、さ・・・
 サー・サミュエル なんて素敵な名前ですこと。私、クロリスなどと呼ばれたことはまだ一度も。
 サー・フォーマル さあ、愛するニンフよ、我々をして、さらに友情を深めしめ給え。この場所の孤独な暗闇が我々を静かな愛の楽しみへと誘っている。さあ、愛するクロリス、我々をして、あの甘美な愛の楽しみを・・・
 サー・サミュエル あら、何をなさいます、あなた。これはどういうこと? 何のためにそんな。あっちに行って。大きな声を出しますわよ。駄目! そこにいて。
 サー・フォーマル 普段は穏やかなこの私の心を、汝は怒らせましたな。私の心は憤激の極にありますぞ。よろしい、汝のそのしっとりとした柔肌(やわはだ)・・・
 サー・サミュエル あっちへ行って! 柔肌ですって? 私は貞淑な女です。あなたのその言葉、大嫌い! 大声を出しますよ。私の操がかかっているのですから。
 サー・フォーマル 操は全く大丈夫。誰も見ていない。見ていないものを誰が暴けますか。
 サー・サミュエル あっちへ行って。あっちへ行くんです。この豚め! 私は貞淑なんです。操が大切なんです。助けて! 助けて! 強姦です! 助けて!
 サー・フォーマル 騒ぎ立てても無駄。外に聞えはしない。さあ、本当に怒ったぞ。この穏やかな性格に怒りの火をつけたな。強姦でも構わん。よし、やるぞ。よし、何が何でも。
 サー・サミュエル(傍白。)参ったな。こいつめ、性別の分るところまで侵入して来るぞ。そいつはまづい。仕方がない。腕力を使うか。――エーイ、色気違いめ! さかりのついた山羊め! これでも食らえ!
(サー・サミュエル、サー・フォーマルを殴り、蹴り、投げ飛ばす。)
 サー・フォーマル 助けて! 助けて! 人殺し!
 サー・サミュエル 騒ぎ立てても無駄よ。外に聞えはしないわ。
 サー・フォーマル この女、アマゾンか。えらい力だ。これですめばいいが・・・
 サー・サミュエル まだ私の貞操を? 色気違いさん、もし足りなければ、ボコボコにしてあげますよ。
 サー・フォーマル や、やめて、やめて下さい。お願いです。分かりました。仰ること、よく分かりました。
 サー・サミュエル 分ったならばよろしい、色気違いの豚さん。あっちへ行きなさい。
 サー・フォーマル 行きます、行きます、お嬢様。しかし、どうなっているんでしょう、この穴蔵。ここで行き止まりなのか、それともまだ先があるのか・・・
(二人退場。)

     第 四 幕
     第 二 場
(寝室。スナールとミスィズ・フィガップ、登場。)
 スナール さあ、ここなら安全だ。この宿なら何をしようと邪魔は来ないぞ。全くけしからん。うるさい奴等だ。恥ということを知らんのか。人の邪魔をしおって。御婦人との楽しみのためにちょっと引き籠ろうとすると、すぐこれだ。怒鳴る、騒ぐ。全くどうしようもない酷い時代だぞ、この現代ってやつは。
 ミスィズ・フィガップ ねえあんた、この部屋の鍵を誰か別の人も持っているってことないかしら。(傍白。)私、知ってるけど、この人にはそんなこと言えないわ。色事にはこういうこと、付き物だもの。
 スナール 心配するな。女将(おかみ)が請け合った。俺しか鍵は持っておらんとな。あいつにはこういう時のためにと、毎週一ギニー握らせているんだ。いや、ここはいい。実にいい宿だ。御婦人を連れて来ても、宿の人間さえ気がつかないって所だからな。ぺルメルの町中捜したってこんないい場所は他にはあるまい。便宜だけなら他にもあるだろうがな。嬉しいぞ、わしは。おい、お前、愛(う)いやつじゃな。なあ、お前・・・
 ミスィズ・フィガップ あ、あんた、扉に音がする・・・
 スナール 本当だ。これはまずい。どうやら鍵を持っている様子だぞ。おい、あの穴に早く隠れよう。見つかると大変だ。早く、早く!
(ハザードとレイディー・ジムクラック、登場。)
 ハザード さあ奥様、どうぞお入りを。ここなら何の邪魔も入りません。なんて嬉しいんでしょう。このように御贔屓にして戴いて。
 レイディー・ジムクラック 御贔屓はいいですけどね、もしあなたが不実なことをなさったら私、ただではおきませんことよ。いいですわね? 恋敵(こいがたき)なんて私、許すものではありませんからね。
 ハザード 奥様を愛する幸せから道を外そうなどと、飛んでもないこと。それより恋敵については私の方こそ敏感なのですよ。奥様恋しさのあまり、旦那様のことを考えると、私の心は痛むのです。
 レイディー・ジムクラック 夫のことなど考えることなどありませんわ。夫なんてものはどうせ相場は決まってますわ。鈍感で融通がきかなくって、粋なあなたのような人がどうして気にかける必要があるでしょう。夫なんていつも上の空、自分のしたことなんて覚えてもいない。
 ハザード なるほど。「恋をして言い寄って、大騒ぎして結婚する。何のため? ただ女房に浮気させるため。」
 レイディー・ジムクラック そう、その通り。
 ハザード 実際、夫なんてものは、気の抜けた、馬鹿な動物ですわ。もう流行遅れだ、あんなものは。
 レイディー・ジムクラック もう夫なんて制度、辞めにすればいいの。宮内庁の侍従のように時代遅れ。あの公式行事用の細長いタイツ、香水に白手袋の凝った衣装、あれと同じ時代錯誤。
 ハザード しかし、連中は仕事が出来なくなると他の出来る人間にとって代られるということがありますよ。でも夫ってやつはただのお荷物。秣(まぐさ)桶の犬。他人から金(きん)を取り上げ貯め込んで、自分はそれを使えもしない。ただのけち。
 レイディー・ジムクラック いえいえ、それよりもっと悪い。そのけちは少なくとも自分の好きなものを貯め込んでいるの。夫なんて人種は好きでもないものを貯め込んでいる。夫なんて糞食らえ。あんなもの、虫よ。いつも巣に籠って働かない雄の蜂。眠ってばかりいる栗鼠鼠(りすねずみ)。
 ハザード 結婚生活の吹き出物――
 レイディー・ジムクラック 冬のかっこう――
 ハザード 愛する気持を鈍らせる麻酔剤――
 レイディー・ジムクラック 魂のない抜け殻――
 ハザード かゆの中のパン屑――
 レイディー・ジムクラック 卵の白身――
 ハザード 気の抜けたビール――
 レイディー・ジムクラック 出稼ぎ人――
 ハザード 逃げ口上――
 レイディー・ジムクラック 日用品――
 ハザード 困った時のマント――
 レイディー・ジムクラック 哀れな台所用品――
 ハザード 恥を免れさせる役。借金を肩代わりする役。自分の妻の子供を育てる役。それ以上は役立たずの役――
 レイディー・ジムクラック とどのつまり、夫は夫。それでおしまい。でも愛人は――
 ハザード 言葉なんかじゃ表せない。表せるのは行動だけ。よし、奥様、夫への腹いせに、愛人とはいかなるものか、行動でお示し致しましょう。さあさあ、――糞っ、扉に鍵の音だぞ。
 レイディー・ジムクラック ああ、どうしましょう。
 ハザード さ、あの穴に隠れて。早く。楯の役は私が。それに、ひょっとするとこれで何か面白いことが見つかるかもしれないぞ。
(レイディー・ジムクラック、穴に隠れる。)
(サー・ニコラスと、ミスィズ・フラート、登場。)
 サー・ニコラス さ、お前、入って。丁度女将がいない時だった。いればちょっとした食事も取れるのに。
 ミスィズ・フラート まあ、何、これ! ハザードじゃない!
 ハザード 何事だ、一体! 私の部屋に勝手に侵入するとは!
 レイディー・ジムクラック(穴の中で。人がいるのに気づき。)キャー! 何? これ。化け物! 化け物!
(レイディー・ジムクラック登場。)
 レイディー・ジムクラック まあ! 何てこと! あなた! 何ですか。女なんか連れて!
 サー・ニコラス お前こそ何だ! 何たること! 色男を連れてこんなところへ! おお、何たる不名誉、何たる!
 レイディー・ジムクラック あなたこそ何ですか。私は長いことあなたのことを怪しいと思っていたのです。これで全て明らかになりました。あなたって、何ていう・・・
 サー・ニコラス 何を言う。お前こそ何という汚らわしい!
 レイディー・ジムクラック 私で十分じゃなかったのですか、あなた! こんな女と。何て嫌らしい。あなたなんか、顔を見るだけで吐き気がする。ああ、ああ、私、気絶しそう。ああ、ああ、倒れる!
 ハザード 大変だ。奥さんをお助けして!
 サー・ニコラス そんな女、首に縄をかけて吊るせばいいんだ。ああ、女! 女とはこういうものか。妻がここにいるとこの人に言われて私はやって来たんだ。お前が取り乱すのも無理はない。都合が悪いところを発見されたんだからな。何という女だ。不道徳な! 人を騙しおって!
 レイディー・ジムクラック こんな人、どこかへ連れて行って! 顔を見たくもない。ああ、でないと私、死ぬわ。こんなに従順にあなたにつくしてきたこの私に報いるのに、これは何ていう仕打ち? どうもあなたの挙動がおかしい。それでハザードさんの助けで鍵を手に入れてこの部屋に入って見たら、何? ここは厭らしい曖昧(あいまい)宿じゃない。もう行って! 汚らわしい! あんたの顔なんか金輪際見たくもない!
 サー・ニコラス 悪い女め! 厚顔無恥、嘘の塊! 目にもの見せてくれるぞ。やっと私はお前の汚らしい浮気の、正にそのねぐらを見つけたんだからな。
 レイディー・ジムクラック まあ呆れた。御自分の悪事を棚に上げるだけじゃすまなくて、無実のこの私を中傷しようとなさるのね。
 ミスィズ・フラート(ハザードに。)あなたって何て人? 私があれだけあなたに尽してきた、その御褒美がこれ? こんなことをされて私が黙っているとでも思っているの! あんた。
 ハザード(傍白。)これは拙いぞ。この女が喋り出すと、夫人と俺とはこれで終だ。
 レイディー・ジムクラック まあ、私はなんてことを聞かされるんでしょう。(ハザードを指さして。)この人があなたと? まあ、なんてこと。私は誰からも裏切られて!(ハザードに。)私への感謝だの献身だのと言っていた本当の意味がこれなのね!
 ハザード 奥様、この人は大変な財産の持主で、実は私はこの人と結婚することになっていたのです。しかし、こういうことが起っては、私の幸運はどうやら去って行くような気配。
 サー・ニコラス(ミスィズ・フラートに。)何だ? お前、この男と? 私のお前に対して尽してきた親切は、こういう報いを受けていたのか。(ハザードに。)この悪党め、貴様はこの私から大事な女を二人とも奪い取っていたのか。
 ミスィズ・フラート(サー・ニコラスに。)間違えないで。この人、(ハザードを指さす。)勝手に私を金持と思って結婚しようとした、それだけ。(男二人に。)私、立つ瀬がないわ。お二人からそんなことを言われて。
 レイディー・ジムクラック(ハザードに。)結婚なんて作り話。私は信じません。それも今度は「勝手にそう思っていた」だなんて。そんな話も嘘。それで私との今までのことはどうなるの? それをはっきりさせて戴きましょう。
 ミスィズ・フラート(レイディー・ジムクラックに。)ああ、やっと私、私の不幸の原因が分ったような気がしますわ。(ハザードに。)あなたは夫にすれば、いい人かもしれないの。だけど恋人の役は酷く下手なのよ。
 ハザード 私に対する君の非難はよく分った。すべて的外れだ。ここではこれだけをはっきりさせておく。君とサー・ニコラスがこの宿屋にしょっ中来ているという噂を聞いた。私は君に仕返しがしたかった。サー・ニコラスに対しての奥様の仕返しもだ。だから二人でここに駆け付けたんだ。
 ミスィズ・フラート しょっ中ここへですって! こんな所、今まで見たこともないわ!
 サー・ニコラス 妻の不貞はもうこれで十分明らかだ。哲学者たるものが、剣など使用するのは男を下げるのだが、しかし罰するためには致し方がない。私は抜くぞ。
 ハザード ちょっとお待ちを。刀にもの言わすなら、まづ私と。
 サー・ニコラス 何だ貴様は。種馬だと思っていたら、懐刀(ふところがたな)も演じようというのか。
 レイディー・ジムクラック ああ、私ほど惨めな女がこの世にいるでしょうか。私自身の命よりも大切に、心から愛してきた人に裏切られるなんて。自分の命など、その人に尽すためには、惜しみなく投げ出す気持でいたのに。ああ、なんて残酷な。そしてその残酷さの極に、私の名誉に疵をおつけになったのですわ。私の命よりも大切なものが汚されたのですわ。どうぞ命をお取り下さい。(ハザードに。)私を庇(かば)うことはありません。あの人にこの胸をひと思いに突かせて下さい。あの人の姿しか刻まれていないこの胸を。――さあ、あなた、どうか刺し貫いて!
 サー・ニコラス これはどういうことだ。
 ミスィズ・フラート(サー・ニコラスに。)お願い、私のことを明かさないで。本当のことが知れたら、私もうおしまい。
 ハザード サー・ニコラス殿、私の名誉にかけて、奥様の潔白は明らかです。繰返しますが、この曖昧宿に、あなたとこの婦人が度々来られるという噂を聞き、怒りに任せて奥様にお話したのです。今日この婦人の手紙があなた宛運ばれるのを見届け、すぐに奥様に連絡をとり、二人でここへやって来ました、すると・・・
 サー・ニコラス 勿論私はこの婦人とは面識がある。女性の科学者ではあり、哲学の問題を議論していた間柄ですからな。しかし、今まで決してここに来たことはない。今日初めて噂を聞き付けてやって来たのだ。君達二人がここへ来たという、この婦人からの知らせ、それから、妻が私をおいて一人で外出したという事実で、これは怪しい、と思ったのだ。
 ミスィズ・フラート(ハザードに。)私、あなたと奥様がペルメルで親しく話をしているのを見つけました。あなたのことを疑ったわ。それであなたと奥様を現場でとっちめてやろうと、サー・ニコラスに使いをやった。それから二人でここまで後をつけて来たのよ。
 サー・ニコラス しかし、さっきのそちらの話だが、我々を追って現場を取り押さえようというのなら、何故うちの奴はその穴に隠れたんだ。おかしいじゃないか。
 ハザード あなた方の会話を盗み聞きして、動かぬ証拠を掴みたかったのですよ。
 レイディー・ジムクラック 分ったでしょう? あなた。この薄情者!
 サー・ニコラス(独白。)こっちの方はうまく嘘で誤魔化せたらしいぞ。あっちの二人の話はどうやら本当らしいな。(レイディー・ジムクラックに。)お前の話は筋が通っているようだ。分った、もういい。お前の言う事を信じる。こちらも言っていることは正しいんだからな。
 ミスィズ・フラート(ハザードに。)この嘘、あの人には通用しても、私はちゃんと分っているんですからね。いいわね、ハザード、私あんたを許しちゃいないんだから。
 ハザード(ミスィズ・フラートに。)頼む、この場は黙っていてくれ。俺は彼女に助けられ、お前は旦那に助けられたんだ。分るだろう? な?
 サー・ニコラス 神もご照覧あれだ。私は潔白なんだ。
 レイディー・ジムクラック 私の潔白も神が御存知ですわ。
 ハザード 万事平和に収まって、大変喜ばしいですな。
 サー・ニコラス しかしお前、あの穴の中で何を怖がったんだ?
 レイディー・ジムクラック 誰かがいるんですわ、あそこに。
 ハザード さあて、こっちが決着しましたから、ひとつ見てみますか。――さあ、出て来い。(着物を引っ張る。)何だ、女か?(ミスィズ・フィガップが出て来る。)
 レイディー・ジムクラック まあ、恥知らずな。こんなところにこっそり隠れたりして。賭けてもいい、商売女に決まってるわ。汚らわしい。何て嫌なんでしょう。(傍白。)ああ、どうしよう。ハザードと私のお喋りを聞かれているかもしれないわ。
 ハザード お、ここに男もいるぞ。――出て来い。(踵を掴んで引っ張り出す。)これはミスター・スナール、あなたでしたか。
 サー・ニコラス やれやれ叔父さん、現代の悪徳に非を鳴らし、美徳の涵養を唱える人の所業ですか、これが。
 レイディー・ジムクラック(傍白。)どうしよう、盗み聞きされていたら私、永久に終だわ。よし、試してみよう。――叔父様、私達ここで、間違ってはち合ってしまったんですけど、誤解はすっかり解けましたのよ。でも叔父様のここへいらした目的はどうやら大変いけないもののようですわ。
 ミスィズ・フィガップ 何を仰います、奥様。私は潔白、疚(やま)しいことなどありませんわ。
 スナール そうだ、この婦人の言う通りだ。疚しいことなどありはせん。この婦人だがな、わしは美徳の涵養を目的として会っておる。私はこの婦人を落ち着いた気持で、慕い、崇めているのだ。お前達現代人、汚らわしい好色なけだもの連中、のやる事とは訳が違う。
 サー・ニコラス もう尻尾は捕まえたんですからね、叔父さん。これまでさんざん私の哲学、それに高貴な科学的考察にけちをつけ、詰(なじ)って来られましたが、これからはもう許しませんぞ。
 スナール いいかお前、言っておくがな、貴様は馬鹿なんだ。馬鹿そのものだ。今からこの婦人の潔白を証明して見せてやる。そのお前の女房が潔白であるのと全く同様に潔白であることをな。それを証明するものは、(さっと剣を抜く。)この刀だ! この刀で、この婦人の身の証しをたててくれるぞ! 誰でもいい、厚かましくもこれに反対する者は、さあ、抜け!
 サー・ニコラス 何ですか一体、これは。何のつもりですか。
 ハザード こんなことにそれほど関心を持つ奴は誰もいませんよ。――しかし、あの人を引っ張り出したときに一緒に出てきたこの鞭は何でしょう。どういうものでしょう? これは。
 スナール(傍白。)こいつは参ったぞ。これで一巻の終りか。――はっ、鞭だと? そんなものをこのわしが知る訳がない。この家の女主人が学校の先生でもしているんだろうよ。
 ハザード そうだ、この婦人はたしか、躾けの厳しいことで有名な小学校を経営しているんです。立派な紳士となるべき教育を施すための。
 ミスィズ・フィガップ ほら、これで私の名誉は保証されましたね。行きましょう、あなた。こんなところにはいられないわ。あのフラートの奴がいるんだから。あんな奴、顔を見たくもない。あなたの事を貶(けな)したんですからね。
 スナール さあ行こう、行こう。実際、酷い世の中だ。まともな人間が、会って差し向いで親しく話をしようとしても、お前らのような奴が来て邪魔をするんだからな。とにかくこの婦人の名誉はしっかりと守ってみせる。しっかりとだ。我々二人はこれで失礼する。さらばだ。
(スナールとミスィズ・フィガップ、退場。)
 サー・ニコラス(ミスィズ・ジムクラックに。)さあお前、家に帰ろう。お前を疑ってすまないことをした。お前に対する嫌疑はもうすっかり霽(は)れたぞ。さあ、行こう。
(四人、退場。)

     第 四 幕
     第 三 場
(ロングヴィル、ブルース、ミランダ、クラリンダ、それにクラリンダの女中、登場。)
 ミランダ もう恋の話は飽き飽き。昔から語り尽されてきていて、何が話されてもちっとも新しくない。さあ、今から(女中を指さして。)この子に、この間習ってきた新しい歌を歌わせます。それでも聞いて頂戴。
 クラリンダ でもあまり期待しないことね。最近、詩人達はみんな、よい亭主に納まりかえって、歌を作るのにあまり熱が入らない様子だもの。
 ミランダ 韻律がよく出来ているのと、メロディーね、取柄は。
 クラリンダ どんなに内容が無意味でも、旋律とメロディーがよければ聞くに耐えるものですわ。歌手がよければもっとそれがよく分る。
 ミランダ 調子がいいものだから、味わう暇もなくすいすいと頭を通り過ぎて行く。扇動家の嘘でも、町の珈琲ハウスやクラブで喋られると、よく咀嚼もされず呑み込まれてしまうのと同じ。
 クラリンダ でも・・・さ、聞きましょう。
 女中(歌う。)
  「恋をするとは、奴隷になること、
   本当の楽しみを捨てること。
   何故なら、喜びには必ず悲しみが忍びこんで来る。
   恋の望みが達せられないと、心は苛立つばかり。
   他のどんな楽しみも色褪せてしまい、
   お前の恋は成就していないぞ、とお前を責める。」  

  「恋の相手はフラフラと、他の女に目を移す。
   恋は月と同じ。満ちたり、欠けたり、
   決して同じ姿で留まらない。
   今嬉しさでいっぱいになったと思うと、次は涙。
   恋人の震える胸の中で、
   喜びと心配の渦と流れ。」

  「だから私は決心した。もう恋には引き回されない。
   自由よ、自由こそ私の求めるもの。
   あの人なしに、楽しみを持ってみせる。
   どんな牢屋の中へでも、私の身体を閉込めてみせる。
   恋なんていういたずらおもちゃの鎖に、
   私の心を縛りつけられるよりは。」
(女中退場。)
 ロングヴィル これはいい歌です、お嬢さん。
 ブルース でも僕らにとって、恋ほど素敵な音楽はないのですけど。それに、好きあって、恋人同志が醸すハーモニーほどいいものは。
 ミランダ でも、音楽もそれを奏でているうちにだんだん変って行くように、恋も奏でているうちに悪く変って行くのですわ。ですからもう、恋の話は止めにしましょう。
 クラリンダ 恋人同志のハーモニーが、最初どんなに素敵なものでも、暫くたつとすぐ汚らしい、厭らしいものになってしまう。ですから私達がこの、恋という危険なものから離れよう、離れよう、としているのもお分かりでしょう?
 ロングヴィル どうやら私達が奏でているのは、不協和音のようですね。でも音楽ではいつもそうですが、良い音楽なら必ずその後にまた和音が続くものですよ。
 ブルース 演奏している楽器が次々に勝手な音を出していると、しまいには調子外れのただの騒音になってしまいます。
 ロングヴィル だからその時には、また音合わせをして最初からやり直さなければ。
 ミランダ その比喩はここではきかないわ。恋が一旦調子外れになると、捩(ねじ)れて縺(もつ)れが出来て、元の通りには決して戻らないの。
 クラリンダ そう。恋が捻られ、曲げられると、やがて折れてしまうの。
 ブルース 骨折して時には、添え木をあてて治すんです。すると骨は今までよりもっと強くなる。
 ミランダ 恋の骨折は、折れる場所が多すぎるて、添え木さえあてられなくなるわ。
(ミランダの女中登場。)
 女中 ちょっと失礼致します。サー・ニコラスと奥様がお戻りになりました。
 クラリンダ まあ、何てこと。もう?
 ミランダ しようがないわね。
 クラリンダ 叔父さんを出迎えに行かなくちゃ。
(クラリンダとミランダ、退場。)
 ロングヴィル 庭でも待ち合わせに、わざわざ相手を変えてやって来るなんて。連中の意図は明らかだな。僕達はどうやら、相手を間違えているらしいぞ。この恋を成就させようとすれば、僕らも相手を取り換えなければ駄目だな。
 ブルース 確かに取り違えているらしい。しかし、二人とも美人で、金があって、気立てがいい。女性で三拍子揃うってのはそうあるものじゃないぞ。
 ロングヴィル 確かに。僕らも今まで随分遊んできた。そろそろ身を固める時期だよ。少し真面目になって、公の場でもきちんと身を処し、子孫を増やし、国家に尽すことを考えなきゃ。ちょっと二人で考えてみよう。
 ブルース そうしよう。そこらを歩きながら二人で考えることにしよう。
(ブルースとロングヴィル、退場。)
(サー・ニコラス、レイディー・ジムクラック、クラリンダ、ミランダ、登場。)
 サー・ニコラス 何? 物売りの女が、手紙まで託されて来たと? 連中はみな、男との取り持ち役をやっているのか。けしからん。だいたい女の化粧品、装身具を売るということからして、男の取り持ち役を意味しておるのだ。だが、手紙だと? それは正真正銘の女衒の役だ。
 ミランダ 叔父様、悪い女への見せしめに、そういう女は懲らしめなければいけませんわ。
 クラリンダ ですから私達、ここの穴蔵に押し込めたんです。
 サー・ニコラス それはよくやった。罰を与えるのが相応しい女だ。
 ミランダ でも奇妙なことがあるんです。サー・フォーマルもその淫らな女のいる穴蔵の中に入り込んで、今も一緒にいるんです。
 クラリンダ ええ、そうなんです。何のつもりか、私には分りませんけど。でもとにかく、人聞きの悪い話ですわ。
 サー・ニコラス おお、モンストラス・ホレンダム!(註 ヴェルギリウスの「アエネイス」三・六五八、一つ目の大僧、ポリフェマスのことを言う台詞。「恐ろしいけだものめ」の意。)見かけは立派な紳士、この私の友人が、こんな罠にかかるとは。
 レイディー・ジムクラック おお、美徳よ、汝はそもいづこへ立ち去りしか! この家がそのような汚れに会おうとは! 私、色事の話を聞くと気絶しそうになるの。ああ、あなた、私もう倒れそう。私、この家にはもういられません。早く、早く、どこかへ引っ越しましょう。
 サー・ニコラス おいおい、お前、落ち着くんだ。
 レイディー・ジムクラック ああ私、とても落ち着いてなんかいられませんわ。色事、町の女と・・・ああ厭! あんな連中みんな首を吊って殺せばいいの!
 ミランダ(傍白。)見上げたものだわ。あの偽善者ぶり。
 サー・ニコラス おお、神こそ讚えられめ。かような妻を持った私の幸せ! 実にけしからん男だ。我が家でこのような破廉恥な行為を! 次の裁判の時、こいつを必ず突きだすぞ。鞭打ちの刑の後、車で引き回しの刑を受けさせてやる。さあ、あいつをここへ連れて来い。
(召使達、サー・フォーマルとサー・サミュエルを引き立てて登場。)
 サー・ニコラス おい、サー・フォーマル、何たる破廉恥な行為だ。科学者ともあろうものが、好色な女とこのような挙に出るとは。
 サー・フォーマル いえ、決してそのようなことは・・・
 レイディー・ジムクラック お黙りなさい! このようなおぞましい行為が発覚した後で、厚かましくも何か言えるというのですか。自分の雄弁でなんとか取繕えるとでも思っているのですね。でも、聞く耳持ちません。あなたはこの家を汚し、好色の気を部屋中に漂わせたのです。
 サー・フォーマル 奥様、私は・・・
 ミランダ 何です、その言い草は。私達が見つけたのを怒っているのですか。
 クラリンダ またあの下らないお説教を始めるおつもり? あんなもの、役に立った例(ためし)がない。害があるだけだわ。
 サー・フォーマル 先生、私は謀(はから)れて・・・
 レイディー・ジムクラック 声を聞くのも厭。我慢ならない。罰せられて当然よ、こんな人。美徳を、心の潔白を、振り回していた、これが同じ人なの? 修辞の学をひけらかしていたその結果がこれ?
 サー・ニコラス これでは弁護のしようもないな。お前は首だ。こんな好色な人間を家においておく訳にはいかん。お前にこんな破廉恥なことが出来るとは思ってもみなかったぞ。悪いが、この処置は致し方がない。全ての科学者にとばっちりがかかるからな。
 サー・フォーマル さぞかし潔白なことでしょうよ。汚い女といちゃいちゃして、それも、ブスもブスも大ブスの商売女と。
 サー・サミュエル お言葉を返すようですが、ブスは違います。商売女も違います。誓って。とにかくブスとは酷い、ブスとは。
 サー・フォーマル どうしても聞いては戴けないので? 雄弁もその所を与えないと仰るのですか。
 レイディー・ジムクラック その雄弁とやらでまた私達をケムに巻こうという腹なんでしょう。でも事実は事実、あなたはこの家を汚したのです。
 サー・フォーマル 確かに醜聞と見える現象はあります。しかし、何ほどの時もいらない。小生、すぐにそれを説き明かしてみせます。
(レイディー・ジムクラックとサー・フォーマル、以下の台詞を同時に言う。)
 レイディー・ジムクラック 聞く耳など持ちません。説き明かすなど飛んでもない。
 サー・フォーマル 穴蔵でこの婦人と二人だけで私は見つけられました。確かにそれはそう。それは認めます。しかし、だからと言って・・・
 サー・ニコラス(レイディー・ジムクラックに。)おい、お前、ちょっとこいつの言うことも聞いてやろう。
 サー・フォーマル このように私の舌が疎(おろそ)かに扱われたことは初めてです。私が口を開いて無駄なことを言ったことがあるでしょうか。確かに認めます、私が・・・
 ミランダ そら御覧なさい、認めるって言っているじゃありませんか。それ以上の何を言うことがあるのです。
 クラリンダ この婦人と一緒にいた点について、何か叔父様、疑念でもおありに?
 サー・ニコラス ちょっと黙ってくれ。こいつの言う事を聞きたい。
 サー・フォーマル 確かに二人でいたことは認めるんです、でも・・・
 ミランダ ほらまた言ってるでしょう? 認めるって・・・
(スナール登場。)
 サー・フォーマル 今度はあいつか。また口うるさいのが。
 スナール ほほう、かの雄弁な馬鹿者が商売女と一緒にいるところを捕まったんだと? それもブスの商売女と。貴様の汚れた厭らしい肉体が機能せず、その高貴な精神だけが働くと、こういう行動になるということだ。この偽善者め! 全く、この現代という時代はたいした時代だ!
 サー・ニコラス いや、私は今や、この男は潔白だと信じるようになったぞ。
 サー・サミュエル この人が潔白? まあ、何ということを! この人、私を犯していたところですわ。私がたまたまこの人より強かったので、殴り倒して事なきを得ましたけれど、私の名誉はそのため随分傷つけられたのですわ!
 サー・フォーマル 「オオ、テンポラ、オオ、モレス」(註 ラテン語「おお、何という時代! 何という道徳!」キケロ First Oration against Catiline. 1.1.2)私は信じて疑いませんぞ、この私への非難が後に晴天の如く晴れわたる事を。この際何を言われても心の平静をもってじっと耐えることに致します。
 スナール 馬鹿野郎! 貴様のような雄弁家の言う事を誰が信じるか。こいつらはみんな犬のような嘘つきだ。わしは雄弁家が縛り首にあう場面なら、五十マイルの道のりでも物ともしないぞ。雄弁家のごろつきめ! 国家に対する毒虫め! 何にでもすぐ口を出し、飾り立てた言葉で国家の事業をあれこれ喋りたて、邪魔をする。自分がしゃしゃり出さえすればそれでよし。国家などどうでもいいんだ、貴様達は。
 サー・ニコラス サー・フォーマル君、私は君の言うことを信じる。(二人の姪に。)さあ、お前達、もう下っていいぞ。
 ミランダ 叔父様はこの女の言うことを信じないのですか。
 サー・ニコラス 取り持ち役の女衒の言葉を私に信じろと言うのか。こいつは名誉を汚している女だぞ。もともとお前達に手紙を託す役を引き受けて来たんじゃないか!
 サー・サミュエル 女衒ですって! 何というお言葉! あれは立派な紳士から託された手紙なんですよ。愛を誓い、結婚を申し込むための。
 スナール それこそ取り持ち役だ! 最低の仕事だ!
 サー・ニコラス そうだ、取り持ち役、女衒の仕事! これが最もけしからん。人の一生をこれで駄目にするのだからな。さあ、この女を連れて行け。緑の部屋に閉込めておくんだ。後で十分に罰を与えてやる。
 サー・サミュエル(傍白。)まづいぞ。また鞭でひっぱたかれる・・・いや、それはまだしも、今夜計画していた仮装舞踏会がフイになる。町の人達をがっかりさせることになるぞ。まあいい。保釈金を払って何とかしよう。何とかなるだろう。
 ミランダ(サー・サミュエルに。)元気を出して。姉のせいでこんなことになってしまって。でも私が何とかするわ。安心して。
 サー・サミュエル(傍白。)何という嬉しいこと。恋の成就だ。こうなったら、殴られたって、蹴られたって、鞭打たれたって、構うものか。天国と地獄が一緒に来たようなもんだ。
 レイディー・ジムクラック さあ、こっちへ引っ立てなさい。この汚い動物がちゃんと押し込められるのを私が見届けます。
(レイディー・ジムクラックと引っ立てられるサー・サミュエル、退場。)
 クラリンダ(サー・フォーマルに。)穴蔵に落されたなんて、一言でも言ったら承知しませんよ。でも、言わなければ親切にして上げます。
 サー・フォーマル(クラリンダに。)お嬢様のためならどんなことでもじっと我慢を。
(クラリンダとミランダ、退場。)
(ロングヴィルとブルース、登場。)
 スナール 諸君、ちょっと遅かったな。もう少し早ければ、このペラペラ野郎が商売女といる所を見られたのに。汚らわしいブスの商売女といる所をな。
 サー・フォーマル 名誉にかけて申し上げますが、私は罠にかけられたのです。でも、この方はジャーマン通りで一時間前に、さる婦人といるところを、それも鞭と一緒に取り押さえられたのです。
 ロングヴィル ははあ、この旧時代の美徳溢れる紳士が!
 ブルース あんなにも立派に現代人の道徳の腐敗を嘆いていた方が、まさかそのようなことを!
 スナール 糞っ、この犬めが。やい、ニコラス、よくもこのわしを中傷したな。ただではおかんぞ。だいたいこのわしがそんなことをすると思うのか。飛んでもない話だ。この口先ペラペラ男め。お前なんか売春婦から生まれた男じゃないか。ニコラス、貴様も哲学者づらをした馬鹿だ、やくざ者だ。こっちは口から出任せの舌先三寸男の役立たず、あっちも役立たず。ただやることと言えば下らん実験、蠅だの、蛆(うじ)虫だの、酢の中にいるうなぎだの、プラムの中の青じみだの、これが貴様の言うところによると、生き物だというんだからな。こういう馬鹿げた物の実験をして得々としているがな、世間では阿呆扱いなんだ、貴様など。お前ら二人とも、梅毒にでもかかってかさぶたでも作れ、全く。おい、ペラペラ野郎、このお礼は後でとっくりとお見舞い申すからな。この俺様が商売女と一緒だったと? 何を言いくさる。馬鹿にしおって。(退場。)
 サー・ニコラス いやあ、怒ったな。しかし、あの話は本当なんだ。(確かに女と。)サー・フォーマル君、もうあの叔父の悪口(あっこう)を辛抱して聞くことはないからな。――そうだ、うなぎで思い出した。実にこれが、酢の入った小さな皿に、何百万といるんです。それをお見せしましょう。普通のうなぎに形はよく似ているんですが、動きが異るのです。普通のうなぎはこう、横に動いて行くのですが、これは上下、あるいは下に、こう動くのです。非常にゆっくりと。
 ロングヴィル ええ、よく聞きます、その話は。
 サー・ニコラス もう一つの違いは、このうなぎは尻尾に鋭い針があることです。そして、強い酢に住むうなぎほど、この針が発達しているのです。
 ブルース 酢のきついのは、舌を刺すようですね。それを飲んで生きているから、針が発達するのでしょう。
 サー・ニコラス いや、あなたは立派な観察眼をお持ちだ。確かにそうでしょう。――(傍白。)フーム、この線で考えていくと、この謎は解けそうだぞ。――私も昔、そのように結論づけたものでした。さて、空気中に住む生き物の話ですが、太陽の光に透かして埃と間違えられている生物があります。が、それより何千倍も見えにくい生物が、この空には溢れているのです。私はこれを顕微鏡で調べ、はっきり認識しております。
 サー・フォーマル 不思議中の不思議。実に自然の中に隠されている玉手箱ですな。
 ブルース(傍白。)全く、科学者を四十人集めてきたって、煉瓦職人一人分の役にも立ちはしない。このアホな科学者殿は、このことを考えたことがあるのか。
 サー・ニコラス(註 以下の台詞はすっかり、ロバート・フック Micrographia P127 の引き写し。)それから、あのプラムの上の青じみですが、これは確かに生き物の集合体ですな。私の観察したものは、ウオール・プラムですが、これを顕微鏡で調べたのです。四、五千ポンドをかけて作成した、世界最高級の顕微鏡でです。すると、最初はご存じの青じみが現れる。次にオービキュレイション、即ち、丸く球のようになり、次にフィクセイション、即ち凝固が起る、次にアンギュリゼイション、即ち角ばった部分が現れ、次にクリスタリゼイション、即ち結晶を形づくる。而して、次にジャーミネイション、或はエビューリション、即ち熱せられて泡立つ動きですな。次にヴェジテイション、即ち植物体が形成され、次にプラントアニメイション、即ち植物が動物の動きを真似るんですな。次にアニメイション、即ちすっかり動物の動きとなり、次にセンセイション、即ち感覚が作られる。次にローカル・モーションがおき、すっかり動物となる。(フックの原書では、この「ローカル・モーション」が「イマジネイション」となっている。)
(サー・ニコラスの召使、登場。)
  召使 旦那様、只今病人が大勢玄関ホールに参りまして、先生の診断を、と待っております。
 サー・ニコラス ではお二方、今から私の診断の方法などお目にかけましょう。――サー・フォーマル君、行って連中を分類しておいてくれ。
 サー・フォーマル では、いつものようにやっておきます。――ではお二方、恭しくお手に接吻を。
 サー・ニコラス 病人を仕分けしておいて呉れるんです、彼は。病気の種類、重さの程度、などによって。手間が省けますからな。
(召使、再び登場。)
 召使 旦那様、先ほど監禁しておきました女を引き取りに警察が令状を持ってやって参りましたが。
 サー・ニコラス よし、では早速あの女を官憲の手に引き渡すことにしよう。さて、引き渡しが終り、病人の診察も終ったら、ひとつ新鮮な空気でも如何ですかな。そうだ、予め訊いておいた方がいい。諸君はどこの田舎の空気を最も好まれますかな。
 ブルース 田舎の空気と言われましても、今から旅行という訳にもまいりませんから・・・
 サー・ニコラス 旅行! いや、まだ説明をしておりませんでしたかな。旅行などしません。空気を、締め切った部屋の中で吸うのです。
 ロングヴィル しかし、締め切った部屋では、汚い煙の空気を吸うだけではありませんか。
 サー・ニコラス それは間違いです。どこでもお好みの場所の空気を言って下さい。ちゃんと私の部屋でそれを用意しましょう。ニュー・マーケット、バンステッド・ダウン、ウィルトシャー、ベリー、ノーウィッチ、どこでも構いません。
 ブルース(ロングヴィルに。)科学者なる人種はこんな贅沢をするのか。誰にも到底想像も出来ないな。
 ロングヴィル(ブルースに。)全くだ。連中の発見するものの馬鹿馬鹿しさも想像を絶しているが、連中の発明する贅沢も人知を越えている。――そんなにいろいろな場所の田舎の空気をお部屋に入れることが可能だと仰るのですか?
 サー・ニコラス その疑問はもっともです。私はイギリス中、いろんな場所に人を雇ってあるのです。空気調査官ですな。連中が空気を壜に詰め込み、重さを計り、その壜を密封し、私宛送ってきます。あの穴蔵はそういう田舎の空気の壜で一杯です。
 ブルース 空気の重さを計って、先生宛送ってくる!
 サー・ニコラス ええ、テネリッフ山の頂上にも調査官を一人送りましたよ。あそこは一番空気が軽いです。随分大量の空気をあそこから送らせました。一番重いところはシアネスとアイル・オヴ・ドッグズですな。私が今、田舎の空気を吸う気になれば、ベリーの空気四十ガロンを持って来させればいいんです。窓と扉を全部締めて、部屋中をそれで満たせばそれで準備は完了です。
 ブルース 素晴らしい発明ですね。
 ロングヴィル 空気の重さを計る目的は何なのでしょう。
 サー・ニコラス それはこれからベリーの空気を吸いながらお話することにしましょう。でもまづは、あの女の方から片づけなければ。どうやら、引き渡しの用意は出来たようです。
(三人、退場。)

     第 四 幕
     第 四 場
(部屋に閉込められているサー・サミュエル。)
 サー・サミュエル どうなっているんだ、この俺の運命は。恋の殉教者も哀れなものだ。蹴られ、殴られ、水をかけられ、毛布で胴上げされ・・・次には鞭打ちの刑が待っているとは。しかし彼女はこの俺を愛している! よし、ちっとも悪くはない。いい運命なんだ。しかし予定していた仮装舞踏会が流れるのがまづいんだ。まあいい、判事を買収してやれ。そして逃げるんだ。裁判官らしくない判事もいるんだ。ごろつきみたいな奴が。いちかばちか、金を握らせてみるんだ。しかし山ほど金がかかるぞ。あの科学者大先生のおっさん、火のついたように怒っていたからな。告訴も厳しいぞ、きっと。おや、ここに縄がある。助かった! ラビー・ビズィーよろしくずらかりだ。(註 ラビー・ビズィーはベン・ジョンソンの Bartholomew Fair の登場人物。)ここから庭に滑りおりればいい。庭の扉は開いている。これで買収用の大金も助かったぞ。仮装舞踏会も予定通りだ。やい、サー・ニコラス、俺の尻でも喰らいやがれ。俺様はここにいりゃ取り持ち女だが、下に降りりゃ、サー・サミュエル様だ。(衣装を脱いで。)よし、綺麗なおべべちゃん、お前はここにいるんだ。これからは騎士様なんだからな。実にうまく行ったぞ。これでおさらばだ。
(サー・サミュエル退場。)
(サー・ニコラス、ロングヴィル、ブルース、レイディー・ジムクラック、クラリンダ、ミランダ、召使達、判事、官吏達、登場。)
 サー・ニコラス あの女はどこだ。よーし、見せしめにしてくれるぞ。ここだな? おい、女! おやっ? いないぞ。
 レイディー・ジムクラック 私、ちゃんと鍵をかけたのを見届けましたけど。
 召使達 確かに鍵をかけました。着物もここにありますし。
 ロングヴィル 着物を脱いで裸で逃げたか。
 レイディー・ジムクラック 大変、逃げるなんて、悪魔の仕業よ。この家には悪魔が住んでいるんだわ。
(サー・フォーマル登場。)
 サー・フォーマル 病人を整理しました。先生の御診断を待っております。
 ミランダ あら、サー・フォーマル、あなたのいい人(ひと)逃げちゃったわよ。ほら、着物だけ残して。
 レイディー・ジムクラック 扉はきっちり閉まっていたの。煙突をくぐって逃げたんだわ。だから悪魔よ、あの女。あなたとあったんでしょう? あの女(ひと)。あなたの身体、粉々に破裂するわよ、気をつけないと。
 サー・フォーマル いえ、決してそのようなことは。
 サー・ニコラス あれは確かに悪魔だ。もう前から私はそれに気付いていたのだが、諸君を怖がらせるといけないと思って、言わなかったのだ。
 ブルース 何ですって? あれは悪魔だったと仰るので?
 サー・ニコラス 諸君には知らせていなかったのだが、私はロシクルーシアン学、即ち心霊術及び悪魔学の権威でしてな。ここに普通に突っ立っているだけで、心霊との意思の疎通が可能なのだ。あの女を見た時、他の心霊達との意見の交換を行い、あの女が悪魔であることが私には分っていたのだ。
 クラリンダ(傍白。)科学者大先生の真価発揮ね。そのサー・サミュエル心霊さんが、今夜仮装舞踏会を開くんですからね。私達こっそりうまく抜け出して、それに参加するのよ。
 ブルース お嬢様方、仮装舞踏会のことは覚えておいでですね?
 ミランダ ええええ、悪魔や心霊が出てくるわ、きっと。
 レイディー・ジムクラック(傍白。)よし、恋の行き違いは見届けた。姪達め、今に見ているがいい。
 サー・ニコラス 諸君が人間だと思って会話をしている者達も、我々ロシクルーシアン学の権威から見ると、心霊や悪魔である場合があるのだ。さて、この辺で、病人のところへ行ってやらねば。
(全員退場。)

     第 四 幕
     第 五 場
(中庭。ちんばの人達、或は病人でいっぱい。サー・ニコラス、サー・フォーマル、ロングヴィル、ブルース、それに召使一人、登場。)
 病人 先生様、先生様。
 サー・ニコラス さあ、諸君、諸君の病気はすべて研究ずみだ。それに処方箋もその病気に応じて予めすべて作ってある。これが私のやり方なのだ。諸君にはこれを無料で配布する。
 サー・フォーマル イースキュラピアスの寺へお百度参りはもう不要。あんなものより、わが科学者大先生の治療の方がずっと霊験あらたかですからな。病気で苦しんでいる皆さん、皆さんがこの大先生の名声をいやが上にも称えようとして下さっているのも無理からぬ話です。なにしろ、弱り苦しんでいる人々を、その卓越せる技術により、不治の病から毎日何人となく救ってきているのですからな。
 ロングヴィル(傍白。)全くこのサー・フォーマル、よくまあ大先生を称えたものだ。
 サー・ニコラス イタリアで蔓延(はびこ)っている不治の病には、私は未だにかかわっておりましてな。こちらから指示を出し、必ずそれが成功しておるのです。さてここに処方箋がありますぞ。病人の名簿はどうなっておるかな。呼び出してくれ。
 サー・フォーマル 痛風患者、どうぞ。
 痛風の患者二名(びっこをひきながら出て来て。)はい。
 サー・ニコラス これが処方箋。一枚を二人で使いなさい。
 サー・フォーマル 結石病。
 結石病患者二名 はい。
 サー・ニコラス これが処方箋。二人で一枚。
 サー・フォーマル 壊血病。
 壊血病患者四名 はい。
 サー・ニコラス これが処方箋。四人で一枚。
 召使 さあ早く。入って来た道から出て行って。
 サー・フォーマル 結核。
 結核患者一人 はい。
 サー・ニコラス これが処方箋。
 サー・フォーマル 水腫病。
 水腫病患者二名 はい。
 サー・サミュエル これが処方箋。二人で一枚。
 サー・フォーマル 一人狂人がおります。輸血のためこれは別扱いにしてありますが。
 サー・ニコラス よろしい。実際は輸血をしても狂人は狂人のままなんだが。次は?
 サー・フォーマル 最後ですが、これがかなりの人数。かさっかき。
(多数の男女、登場。)
 全員 はい、はい、はい。
 サー・ニコラス 四、五枚用意しておいた。みんなで使え。
 全員 有難うございます。
(全員退場。)

     第 五 幕
     第 一 場
(サー・フォーマルとクラリンダ、登場。)
 サー・フォーマル お嬢様、どうか私にほんの少しでも優しい言葉を。どんなに私はそれを待ちこがれていますことか。その期待に私の胸は膨れ、それが裏切られる度に私の胸はしぼむのです。
 クラリンダ ねえ、サー・フォーマル、あなた私にこんなによく尽してくれているわ。それから私、叔父の監視のもとで汲々(きゅうきゅう)として暮すの、もう飽き飽き。私とうとう決めたの、あなたの助けを借りて叔父から自由になろうって。
 サー・フォーマル 待って下さいお嬢さん、嬉しさで息が詰まりそうです。突然の幸福、私はもう有頂天、恍惚としています。魂がこの肉体の枷(かせ)から外れて、どこかへ飛んで行きます。今私には肉体がありません。お嬢さん、どうかそのお手に接吻を。その雪のような、・・・いや、雪もこのお手に比べれば、日焼けして薄汚れて見えます。
 クラリンダ もうそのくらいに。でもまづ、今夜私と妹を仮装舞踏会に行くため、裏口から出して下さるのよ。だって門番は、ちゃんとあなたの言うことは聞くんだもの。それから、あなたは叔父のところへ戻って、お相手をした後、道化の衣装を手に入れて、着てくるの。あなたってことがそれで私達にも分るもの。それから後は、私はあなたのもの。
 サー・フォーマル 何て嬉しいお話。私はもうサー・ニコラスなどおさらばです。もうこれっ限りおさらば。いや、サー・ニコラスに限りません、イギリス中の科学者全員におさらばです。それでお嬢さん、あなたのことはどうやって捜せばいいのでしょう。仮装をしていらっしゃるのでしょう?
 クラリンダ 私の方からお捜ししますわ。それに仮装していても、ほら、この指輪と腕輪、これが目印。私、女中も一緒に連れて行きます。もう帰らないつもりなんですから。さあ、妹にも言わなくちゃ。今からすぐ。
 サー・フォーマル お嬢様のお言い付け通りに。もう私は一国をやると言われても欲しくはありません。お嬢様のお声がこの胸に・・・
(二人退場。)

     第 五 幕
     第 二 場
(サー・ニコラス、ロングヴィル、サー・ニコラスの召使、登場。)
 召使 ブルース様がいらっしゃいました。
(召使退場。ブルース登場。)
 サー・ニコラス ああ、ブルース君。(召使に。)では壜を開けて空気を出して。諸君、空気を吸い込む準備はいいですかな。おお、このベリーの空気は実にうまい。実に清々(すがすが)しい気分だ。
 ブルース 素晴らしいです。この空気を吸うためにベリーにわざわざ行くなんて無駄なことです。
 サー・ニコラス そう、全くの無駄だ。それにここでの方がずっと良い空気が吸えますぞ。ワインもそうですが、壜に入れて保存しておくと、さらに良いものが出来るのです。空気も同じです。何故なら、一般に液体を稀薄にしたものが気体ですからな。気体も密閉することによってその味を増すのです。
 ロングヴィル ワインと同じように、世の人々はどうして壜詰めの空気を飲む習慣がないのですかね。実に馬鹿なことです。
 ブルース 馬鹿は死ななきゃ治らないって言いますが、全くですね。空気を求めて貴族達は馬車を仕立ててハイド・パークに行く、郊外の連中はてくてく徒歩でラムズ・コンデゥイットやトッテナムに行く、洒落者は馬でエプソムに行く、下賎の者は女房孝行に、子供達を女房と二人で腕に抱いて、イリントンやホグズドンに行く・・・
 サー・ニコラス いやはや、御苦労なことだ。
 ロングヴィル しかしこの、空気の重さを計るというのは、何のためでなのでしょう。
 サー・ニコラス 空気の重さを計る・・・目的と仰いましたかな? 知識です。知識とはいいものでしてな。私は事細かに言えますからな、イギリス中どの場所における空気でも、その一ガロンが何グラムの重さがあるか。
 ブルース すると先生のお使いになっていらっしゃる空気ポンプはすべてこの、空気の重さを計るために使用されているのでしょうか。
 サー・ニコラス いや、空気ポンプで空気を稀薄にすることによって、腐ったものから出る光を弱める実験を行いましたな。例えば腐った木、悪臭を放つタラやエイ、腐った肉、等から出る光ですな。
 ロングヴィル 腐った木は時々光りますが、腐った肉も光を出すのですか?
 サー・ニコラス 出しますとも。ストランド産の牛のサーロインは、かなり明るいですな。(註 ロバート・フックの実験にあり。)馬鹿な奴はこれが、燃えているためだと思うようですが、腐敗のため牛肉が凝固し、結晶を作る、その時に光が出るだけのことなんですな。これは屡々起きる現象です。私自身、ジュネーヴ印刷の聖書を、豚の肉で読んだことがあります。
 ブルース 豚の肉で聖書を読む、ですって?
 サー・ニコラス ええ、これほど読書に良い光は世界中捜してもないでしょう。その豚肉を入れた容器から空気ポンプで空気を吸い取りますと、豚肉の光は弱まります。しかし、空気を入れてやると再びもとのように明るくなります。
 ロングヴィル 随分変った光ですね。
 サー・ニコラス その通り。実に素晴らしい光です。現在私は蛍の研究をしておりますが、これも面白い。蛍は奇妙な生き物です。そのうち私はこの蛍の光を一年中貯めておく方法を発明するでしょう。すると私の書斎は蛍と、それを入れておく硝子の器さえあればよいことになりますな。
 ブルース そう言えばたしか、「物言うトランペット」とかいうものがありましたが・・・
 サー・ニコラス ああ、あの「ステントロフォニカル・チューブ」ですな。これは私の発明ではありませんが、私の改良によって、大方の予想を越える素晴らしいものになりましたよ。
 ロングヴィル 海上で一リーグ離れている人間の耳にもはっきり聞えるようになったという話ですね。
 サー・ニコラス 一リーグどころではありません。私は八マイル離れて聞えるものを作りました。もっともっと改良するつもりです。技術に終点はありませんからな。しかし、世界にはいろいろな言語がありますが、ギリシャ語が一番はっきり聞えますな。「オイオー」のイオニア方言で発音したものはとても響きがいい。サー・フォーマル君に何度もこれで試してもらいましたよ。
 ブルース サー・フォーマルは、いろんな才能がある人なんですね。
 サー・ニコラス このまま改良を続け三箇月も経てば、高い山にこの「物言うトランペット」をのせれば、そこの一郡全住民に声が聞えることになるでしょう。
 ロングヴィル すごい話ですね、それは。
 サー・ニコラス これを使って私は、国王へのお助けが出来るのではないかと思っておるのです。つまり、これを完成したあかつきには、一郡に一人しか牧師は必要でないということになりますからな。つまり一郡に一個の礼拝堂を残し、あとの教会、及びその所有地は全て国王の手に入るというわけで。
 ロングヴィル これは大変な計画ですね。しかし、失業した牧師はどうするのでしょう。
 サー・ニコラス 簡単なことです。連中には毛織物の製造を習わせ、国家の手工業を進歩させるのですな。或は、漁網の作り方を習い、漁業の改良を行うとか。僧服を着て、ただぼんやり坐って仕事をしている連中ですからな。いい勉強になる筈ですよ。
 ブルース(ロングヴィルに。)教養のない科学者大先生方は教養のある階級がどうもお嫌いらしい。
 ロングヴィル(ブルースに。)可哀想な連中だ。非難は出来ないな。――技術に終点はないというお話ですが、すると先生のお考えでは、このトランペットで、国と国とが話し合えるようになるのでしょうか。
 サー・ニコラス なるでしょうな。そこまで私は改良するつもりです。
 ブルース すると皇室の方々はわざわざ大使をお遣わしになることなく、外国の代表と会話をし、もてなし、お祝いを述べ、お悔みを述べることが出来るということに?
 サー・ニコラス そうなることを期待しています。しかし、サー・フォーマル君はどうしたんでしょう。まだ帰って来ませんな。月を観測するための望遠鏡を庭に設置するように言っておいたんだが。
 ロングヴィル やはり月というのは地球と同じものなのでしょうか。そう信じているというお話でしたが。
 サー・ニコラス 私が・・・信じている! 飛んでもない。私はそれを知っているのです。もう少したつと、私は月の地図を出版する予定です。月は地球とほぼ同じ大きさです。山もあり谷もあり、海や湖もあります。いや、そればかりではない、いろんな種類の動物もいます。象もらくだも、公共の建物、それに船も容易に見ることが出来ます。月で何度か戦争がありましてな。大砲でやります。ですから勿論火薬を使っておりました。城攻めに象を使うんですな。はっきりと見えましたよ。
 ブルース(ロングヴィルに。)新事実の発見にやっきとなるとこうまで狂人じみたことを言い出すものか。こんな馬鹿はまづいないね。
 ロングヴィル(ブルースに。)違うな、それは。もっと酷いのが科学者種族にはいるさ。これなんか序の口だよ。
 サー・ニコラス 月には現在、強力な君主がいましてな。至る所同盟国に味方の兵力を置いておるのです。その旗の色が似ていますから分かります。彼に反対する国々も沢山あるのですが、その君主には野心があって、月全体の王になろうとしているようです。しかしまだ、対抗国を全部平定するまでには到らないのですな。
(サー・フォーマル登場。)
 サー・フォーマル 望遠鏡を庭に据えました。私の目が間違っていなければ、今丁度例の君主がある町に攻撃をしかけた所です。町は苦戦しているように見えます。
 サー・ニコラス さもありなん、だな。早速見てみましょう。しかしその前にサー・フォーマル君、このトランペットでギリシャの詩を二、三篇吟じてみてくれないか。
 サー・フォーマル 喜んで。
(サー・フォーマル、ホーマーから二、三の詩を吟ずる。)
(サー・ニコラスの召使登場。)
 召使 旦那様、大変です。家が暴徒に取り囲まれました。旦那様を家から引きずり出して八つ裂きにすると言って騒いでおります。
 サー・ニコラス おだやかでないな。何事だ。
 召使 連中はリボン作りの職人達です。旦那様が機械で動く自動織機を発明した人だという噂を聞いて、憤慨のあまり手に手に得物を持って押しかけて来たのです。敵(かたき)は必ずうつ、と息巻いております。ほら、ここからでも聞えます。
 サー・ニコラス ああ、私はどうなるのだ。諸君、諸君、お願いだ、何とかしてくれ。連中は誤解しているのだ。私は今まで役に立つものなど何一つ発明したことはないんだ。これは神かけて言う。違うんだ私は。
 ブルース(傍白。)こんな男と一緒にいる所を見つけられれば、したたかに殴られるな。まあこれも自業自得だ。
(外で騒音。)
 サー・ニコラス 助けてくれ! 何ていう音だ。ああ、諸君、どうしたらいいだろう。
 ロングヴィル 銃とピストルを用意するんですね。暴徒なんて野生の動物と同じです。飛び道具に弱いんです。
 サー・ニコラス じゃお願いだ、早速頼む。
 サー・フォーマル 今こそ私の腕の見せ所です。私には飛び道具以外の武器があります。連中には私一人で立ち向かって見せます。
 サー・ニコラス お前の武器とは何なのだ。
 サー・フォーマル 雄弁です。任せておいて下さい。私一人で大丈夫です。私が連中と対決します。
 サー・ニコラス ああ、そいつは無理だ。相手は聞き分けのない暴徒だからな。ああ、我々はどうなるのか。
 サー・フォーマル 雄弁の魔力は皆さん御存知の筈ではありませんか。私はある時テンプルの階段の近くで、酔っ払った消防士達に出会ったことがあります。連中は酒をしこたま聞こし召していました。その酒もたちが悪く、火事の現場よりもっと荒れ狂った代物だったのでしょう。大トラになった連中の勢い、手がつけられません。周囲の者達に嫌がらせの大暴れ。火消し役が火付け役に回ったようなもの。そこで私はその真っただ中に躍り込み、連中の煮えたぎるアルコール、沸き返る怒りを、修辞の力をもって落ち着かせ、鎮めたのです。今のこの暴徒も同じ修辞の力をもって鎮圧できること、それに私は何の疑いも持ちません。
 サー・ニコラス では早速頼む。私がこの件には何の関与もしていない、私は何の発明も生涯したことがないと、よく話して聞かせてやってくれ。さあ早く。
(全員退場。)

     第 五 幕
     第 三 場
(通り。暴徒達大勢。スナール、その他。)
 スナール 誰が何と言おうと、この機械じかけの自動織機を発明したのは、サー・ニコラスとそのお付きのサー・フォーマルなのだ。お前達リボン職人の大敵はあいつらなのだ!(傍白。)あの二人め、これで仇(かたき)がうてるぞ。
 織工一 悪党め! やつらを斬り殺してくれる。科学者の正体とはこういうものなのか。十四年間も研究したなどとぬかしやがって、それはこのためか。
 スナール そうだ。奴等は無益なだけじゃない、人に迷惑をかけているんだ。こんな奴等のせいで貧乏人がひどい目にあう。何ていうことだ。そうだろう? みんな。
 織工二 科学者が悪いことしかしない人間だなんて、思いもしなかったなあ。
 織工三 悪党はどこだ。――巣窟から出て来い。
 全員 出て来い、科学者。どこに隠れている。
 織工一 家をぶち壊せ! 扉を開けるんだ。さもないとぶち壊すぞ。
 門番(内から。)何をする。門から離れろ!
 織工一 生意気に、何をほざく。この馬鹿者! 自動織機を出せ。それから、そいつを発明した男も出すんだ!
 門番(内から。)自動織機など、ここにはない。悪党もいなきゃ、発明者もいないぞ。
(サー・フォーマル登場。)
 サー・フォーマル(傍白。)この俺の雄弁を試す時が来たぞ。――さあ諸君、諸君は何がお望みなのだ。諸君の不満はそも、いかなる事に存するや。(群衆、呆気に取られる。)(傍白。)これぞ雄弁の力だぞ。――さあ、さあ、さあ・・・
 織工一 こいつは悪党の一味だぞ。引っ捕らえろ。
 サー・フォーマル 何をする。
 織工二 八つ裂きにしてしまえ。
 サー・フォーマル 諸君、私は・・・
 織工三 まづ耳だ。耳を切れ!
 織工一 次の合図で、こいつを吊るすんだぞ。
 サー・フォーマル お願いだ・・・
 全員 よーしきた。吊るせ、吊るせ。
 サー・フォーマル 待ってくれ、待ってくれ、待って。私に喋らせてはくれないのか。
 織工一 喋らせてやるさ、勿論。ただ、吊るした後でな。
 サー・フォーマル 諸君、私は諸君の味方なのだ。怒りにまかせて間違いを犯すと、後悔することになるぞ。「クアレ・フレムエルント・ジェンテス・・・」
 群衆の何人か こいつに喋らせよう。
 他の何人か いや、喋らせちゃ駄目だ。吊るすんだ。
 織工一 いや待て。喋らせてみよう。ひょっとするとこの件で、何か新しいことが聞けるかもしれんぞ。
 全員 よし、喋らせろ。
 サー・フォーマル 余は知らぬ、いかなる機会、いかなる偶然により、この前代未聞の激怒の奔流が、かくもそのまったき燃焼を見ることになったか。まさか、かの大英帝国、かの善良なる共同体の成員、真面目で真摯なリボン職人が、熱情の嵐の、危険な竜巻の、急激な力により、押し流されたものでは、よもやあるまい。
 織工一 なかなか立派な喋り方だ。
 織工二 弁の立つ男には違いないだろう。
 サー・フォーマル 余は強く訴える。熱情により動かされる者は、その激烈な回転によって惹き起される遠心力により、屡々難破の憂き目にあうことを余儀なくされるのである。その結果、目は廻り、頭はぐらぐらし、判断の羅針盤により理性の舵(かじ)を取ることがもはや不可能となるのである。
 織工一 よく廻る舌だ。しかし何を言っているのか、さっぱり分らんな。
 サー・フォーマル 諸君、余は・・・
 織工二 馬鹿野郎、貴様にはもう喋らせないぞ。今の話が自動織機に何の関係がある。
 織工三 こいつは発明者の一人だ。吊るしてしまえ。他の連中はどこだ。家を叩き壊せ。
(サー・ニコラス、ブルース、ロングヴィル、舞台上方に登場。)
 サー・フォーマル 話を聞いてくれ!
 織工一 聞くものか、このごろつきめ。
(群衆、サー・フォーマルを殴り、蹴り、オレンジをぶっつける。)
 サー・フォーマル ただ聞いてさえくれれば諸君、余は何をされても耐えてみせる。余も男だ・・・
 織工二 へっ、男だとさ。何が男だ、このごろつき! やくざ! へっぽこ科学者め!
 サー・フォーマル いや、聞いてくれ諸君、余は・・・
 織工一 何が「余」だ。余もへちまもあるか。貴様など犬扱いで充分だ。
 サー・フォーマル 「クオ・ウスクエ・タンデム・エフレナタ・ジャクタビト・アウダチア」(註 ラテン語 キケロが Catiline を非難した最初の演説の出だし。「お前達の歯止めのきかぬ厚かましさは、どれだけ続くのか」)こんな野蛮な行為、スキタイ人でも顔を赤らめるぞ。
 織工一 何だと、俺達のことをスキタイ人だと? 生意気な。吊るしてしまえ。
 サー・ニコラス どうやら雄弁術は効き目がなかったようだ。どうしたらいいだろう。
 織工一 お、あそこにいるぞ! 降りて来い。来なければ引きずり下ろしてやる。発明品の自動織機もな。
 ロングヴィル そろそろ攻撃開始の時だな。
 ブルース さあ、ピストルを渡してくれ。
 サー・ニコラス 聞いてくれ諸君、私は自動織機など今までに発明したことはない。神もご照覧あれ、それは誤解だ。自動織機など私は何も発明しておらん。自動クリームチーズ削り機さえ発明していない。我々科学者は役に立つ物は何一つ作らないのだ。それは我々の主義に反するのだ。
 織工一 何が主義だ。主義もへちまもあるか。この大嘘つき科学者め。
(下に、ロングヴィル、ブルース、ピストルを持って登場。召使も登場。)
 ブルース 犬め、覚悟はいいか。
(二人、ピストルをぶっぱなす。群衆、逃げる。)
 サー・フォーマル 人殺し! 人殺し!(倒れる。)
(サー・ニコラス、ラッパ銃を持って、恐る恐る登場。)
 サー・ニコラス ごろつき共はどこに行った。
 ロングヴィル(召使に。)警官を呼んで来てくれ。連中、また出直して来るかもしれない。
(召使退場。)
 ブルース サー・フォーマルが撃たれたぞ。奴等は全員、無傷で逃げた。
 サー・ニコラス おお我が友サー・フォーマル! サー・フォーマル!
 サー・フォーマル 命は大丈夫です、先生。でも弾があたって・・・
 サー・ニコラス どこだ、どこにあたった。いや、着物には穴がないぞ。
 サー・フォーマル(傍白。)フーム、血が出ていないな。たしかに弾があたったと思ったんだが。――とにかく私はひどく殴られて打ち身が。命には関らなくても、したたかにやられました。
 サー・ニコラス 君の雄弁も効き目はなかったようだな。
 サー・フォーマル ええええ、野蛮人には雄弁の価値が理解出来ないのです。しかしちょっと私は失礼させて戴きます。傷の手当てをしなければ。
(サー・フォーマル退場。)
 ブルース(ロングヴィルに。)これはチャンスだ。科学者殿にはおさらばして、仮装舞踏会へとしけこもう。
(召使登場。)
 召使 旦那様、もう警官達は暴徒を鎮圧にやって来るところでした。二、三人は逮捕、あとは追い散らしました。
 ロングヴィル これで安心ですね。では我々はこれで失礼を。明日また参ります。
 サー・ニコラス ではまた。
(ロングヴィルとブルース、退場。)
 サー・ニコラス(門番に。)家内と姪はどこだ。
 門番 お出かけになりました。
 サー・ニコラス こんな夜中にか。で、三人は一緒に出かけたのか。
 門番 いいえ、奥様はお一人で。
 サー・ニコラス 何だと? するとお前は家内が一緒でないのに姪達を出したのか。
 門番 いいえ、サー・フォーマル様が御一緒でしたので。
 サー・ニコラス(傍白。)何だ? これは。怪しいぞ。さては仮装舞踏会に行ったな。家内の奴も一人で! 実に怪しい。昼間のあのジャーマン通りでの一件も腑に落ちん所がある。よし、これは嫌でも探り出さねば。
(全員退場。)

     第 五 幕
     第 四 場
(大きな部屋。仮装をした大勢の人。様々な衣装。サー・サミュエルとハザード、登場。)
 サー・サミュエル さ、ハザード、大いに楽しもう。俺は色事を企んでいる時か仮装している時でなきゃ、本当の自分になっている気がしないんだ。これで君にも俺の正体を見せられるぞ。
 ハザード そうだよ、サー・サミュエル。あんたはこういう事をやっている時が一番だ。
 サー・サミュエル うん、こいつにかけちゃ俺が一番。俺の右に出るという奴が出てみろ・・・まあいい、こんなことは。どうだ、俺のこの仮装は。立派なもんだろう。
 ハザード うん、たいしたもんだ。
 サー・サミュエル 仮装用の衣装は四十着以上もあるんだ。さてと、仕事にとりかかるか。(クラリンダに。)私が分かりますか?
 クラリンダ いいえ、でもその仮装からすけて見えますわ、あなたが馬鹿な人だってことは。
 サー・サミュエル 馬鹿な人! 冗談じゃない。それは間違いです。お嬢さんの生涯で最大の間違いですよ、誓って。
 クラリンダ あら、そうは思いませんわ、私。仮装はその人の欠陥は隠すでしょうが、馬鹿さ加減は隠しませんもの。あなたの態度、物腰は道化のものですわ。身体全体の動きがあなたの精神の弱さを表していますわ。
 サー・サミュエル 随分お威張り遊ばしたもんですね、これは。(傍白。)糞っ! 言いたい放題言いやがって。俺の糞でも喰らいやがれってんだ。もうこいつとは話さん。
 ハザード(ミランダに。)私が分かりますか?
 ミランダ いいえ、でも知りたくもありませんわ。
 ハザード 好奇心が少ないと、楽しみも少ないですよ。
 ミランダ どうやらあなた、外側と同様中味も悪そうね。
 ハザード その両方、お試しになっては如何? 意見が変るかもしれませんよ。
 ミランダ 試す価値など全くなさそうだわ。
 レイディー・ジムクラック(傍白。)このどちらがハザードかしら。でも今はそんなことはいい。別の男に用があるんだから。
 サー・サミュエル 今の二人とも随分機嫌の悪いご婦人達だったな、ハザード。それに引き換え、さっき会った二人はよかった。ちょっとしたもんだったぞ、あれは。すべすべした手、腕、首、それに立派な衣装、高貴な家柄の出だ、あれは確かに。
 ハザード そうとは限らないさ。売春婦も立派な服を着るが、堅気の女と違いはありはしない。連中の仕事着がそもそも立派な服ときている。
 サー・サミュエル しかし受け答に機知があったぞ。それを考えると良い家柄としか思えん。連中、ちゃんとこの俺のことを見破って、それで親切にしてくれたんだ。
 ハザード 私の考えでは、まあ相当品の悪い商売女というところですがね。
 サー・サミュエル 口を慎みおろう。「ターチェ!」ラテン語で蝋燭。こういう色事には、俺はたけているんだからな。
(ロングヴィルとブルース、マスクをして登場。洋服はそのまま。)
 クラリンダ(ミランダに。)ロングヴィルとブルースだわ。何をするか見ていましょう。
 ミランダ(クラリンダに。)育ちのよい男の人達のやること、相場は決まっている。目についた女、誰にでも手を出すわ、きっと。
 サー・サミュエル 参ったぞ、これは。レースのハンカチがなくなっている。
 ハザード あ、私のもだ! 糞っ! 金もやられた。有り金全部ないぞ。
 サー・サミュエル えっ、金? 畜生、俺もだ。全部やられている。綺麗さっぱり。
 ハザード 綺麗さっぱりだ。何が高貴な出の女ですか。連中も消えているじゃありませんか。色事とか、こういう仕事は任せておけ、とはどなた様の言葉でしたっけ。
 サー・サミュエル そりゃ、「騙されるもんか」とは言ったさ。しかし今までにもよくやられたよ。連中も腕がいいからなあ。覆面など被りおって。まあ色事に生きる男はこれしきのこと、我慢しなきゃ。さあ、ぶつくさ言わずに突撃だ。愚痴を言っても始まらん。
 ロングヴィル これはなかなか上品な集まりだ。馬車どまり、待合室、よく気を配ってある。
 ブルース 舞踏会は品のないものになりそうだぞ。今夜は到る所で姦通罪だ。
 ロングヴィル 内気な人間が、マスクなしじゃとても恥ずかしくて出来ないことを、思い切ってその気にさせるようでなきゃ、仮装舞踏会なんて意味はないさ。おや、君がお目当てなんじゃないか、あの婦人。君を見ているぞ。
(レイディー・ジムクラック、ブルースを見る。)
 ブルース ああ、あれがクラリンダだったらいいんだが。
 ロングヴィル あれはミランダじゃないか? 姿が似ている。まずいな、方向が違うんだ。
 サー・サミュエル さあ、ヴァイオリン、用意はいいな。――(クラリンダに。)では一曲、私めと・・・ブーレを。
(サー・サミュエル、クラリンダと踊る。)
(サー・サミュエル、クラリンダと離れる。クラリンダ、別の男と踊る。)
 クラリンダ クーラントを。
 ブルース(レイディー・ジムクラックと踊りながら。)失礼ですが、お名前をお伺いしてよろしいでしょうか。
 レイディー・ジムクラック あなたを憎からず思っている女だ、と申し上げることで十分ではございません? それにこれだけのことでも、とても仮面がなければ申し上げられませんわ。
 ブルース(傍白。)姿、形もいい。宝石も立派だ。これだけのものはかなりの貴族でないと持てないぞ。――さあ、その美しい顔を覆っている、そのマスクを取って、誰かまずい顔にかけてやりましょう。
 レイディー・ジムクラック いいえ、マスクは取れませんわ。でも、もし別の部屋まで一緒にお出で下されば、もっと私の心の内をお話しますわ。
 ブルース 誘惑はあまりに大きい。こいつは断れないぞ。さあ、行きましょう。
(二人、退場。)
(道化達、登場。踊る。)
 サー・サミュエル いいぞ、いぞ、こいつはいい。(傍白。)ミランダは一体どこなんだ。どうしても見つけ出せない。
 クラリンダ(ミランダに。)あなた、見なかった? ブルースが女の人とこっそり出て行ったわ。
 ミランダ(クラリンダに。)見たわ。腹が立つ。私って馬鹿、こんな馬鹿とは思っていなかった。
 サー・サミュエル 待てよ、刀はどこだ? 踊っているうちになくなったぞ。あれはフランス製だ。十五ピストルもした代物だぞ。糞っ、盗まれたか、あの刀め。――しかし、しようがない。愚痴を言っても始まらん。
 ロングヴィル ブルースの奴、長いな。どうも気になる。女はクラリンダかミランダか。よし、ここでどっちかを見つければ、僕の疑念もはれる。捜そう。――さてと、誰ですか? あなたは。
 ミスィズ・フィガップ(操り人形の声で。)何の権利があって、お聞きになるの?
 ロングヴィル おやおや、これは人形さん。
 ミスィズ・フィガップ あなたが囲っている女の役者さんと、いつでも交替いたしますわよ。
 ロングヴィル 御門違いでしたね。僕は女優を囲う趣味はないんです。芝居そのものが好きですから。女優には誇りを持って貰いたいですね。それより悪い仕事にはついて貰いたくないんです。
 ミスィズ・フィガップ それじゃ、本当に御門違い。ご免なさい。
(ブルースとレイディー・ジムクラック、登場。)
 ブルース あなたが誰なのか知るまでは、どうしても落ち着きません。こんなに懇ろにして戴いて。
 レイディー・ジムクラック しつこくお訊きになるのね。では正体を明かす書いたものをお渡し致しますわ。でもこの舞踏会が終るまでは決して開かないと、名誉にかけて誓って下さらなければ嫌ですわ。
 ブルース ええ、名誉にかけて誓います。
 レイディー・ジムクラック(書いたものを渡して。)さあ、名誉を示して下さいよ。
 ブルース 言うには及びません。
(サー・フォーマル、道化の衣装で登場。)
 クラリンダ あそこにサー・フォーマルが来たわ。お前の出番よ、ベティー。
 ベティー うまくやって来ますわ、お嬢様。(サー・フォーマルに。)ほら、私約束通り来ましたわ。
 サー・フォーマル(傍白。)腕輪にペンダント・・・確かにクラリンダ。――お嬢様、何が何でもこのお手に接吻を。・・・いえ、もう一度・・・
(レイディー・ジムクラック、別の変装で登場。)
 レイディー・ジムクラック(傍白。)これでもう一人の方(ほう)にも罠をしかけて、と。あの二人の姪にいたずらをして、がっくりさせてやらなきゃ。
(レイディー・ジムクラック、ロングヴィルを誘って退場。)
(スナール登場。マスクなし。素顔。)
 ミランダ(クラリンダに。)ロングヴィルが誰か女と出て行ったんじゃない?
 クラリンダ(ミランダに。)そのようね。二人ともよく相手を見つけること。
 スナール 全く酷いぞ、ここは。ベッドラムの精神病院は引き払われて、ここに移ったか。古い、壊れた人形の集まりだぞ、ここは。全員、かさっかきになっちまいやがれ。しかし、フィガップの奴、どこにいるんだ。こんな淫売学校に来るなど、わしが許さんぞ。だいたい学校になんか行く必要はないんだ。その道じゃ、プロ中のプロなんだからな。
 サー・サミュエル やあ、スナールさん! どうしたんですか、一体。仮装舞踏会に素顔で御登場ですか?
 スナール 当たり前さ。わしはごろつきや、売春婦とは違ってな、自分の顔を晒しても恥ずかしくないのさ。誰だ、この馬鹿は。
 クラリンダ あら、私と踊りましょう。
 スナール 踊るもんか。冗談じゃない。有難いことに、わしはそんな馬鹿じゃないぞ。わしの顔が踊るような、そんなアホ面に見えるたのか、ああ?
 ミランダ じゃ、何のためにこんな所へいらしたの?
 スナール こんな所へ来るほど馬鹿でない奴がいるかもしれないと思ってな。
 ミスィズ・フィガップ(傍白。)あ、あれは私のことだわ。私、見つけられてしまう。
 クラリンダ 誰のこと? ああ、あの、木の穴に隠れた女の人?
 ミランダ ジャーマン通りの曖昧宿の?
 スナール(傍白。)まづいぞ。町中にあの噂、広まったか。
(サー・ニコラス登場。)
 サー・ニコラス(傍白。)ええっ、叔父の奴、こんなところに。
 クラリンダ その人のことを、お捜しなの?
 スナール ええい、生意気な、生意気な。何をほざきおる。キーキー、キーキー。うるさい奴等だ。かさっかきにでもなっちまいやがれ。
 ハザード(サー・サミュエルに。)さあ、スナールをからかうんだ! サー・サミュエル。
 サー・サミュエル(キーキー声で。)あなたにこっそりお訊きしたいことがあるんですけど。
 スナール(からかうように。)何をだ、こっそり訊きたいとは。
 サー・サミュエル 今日ジャーマン通りの曖昧宿で、踵から引っ張り出された女と一緒じゃありませんでしたか? あなたは。
 スナール 何だと? この悪党め。思いっきりひっぱたいてくれるぞ、この・・・
 ハザード ジャーマン通りで御一緒だったその女は、学校の先生だったそうじゃありませんか。
 スナール(傍白。)まづい。わしの恥が町中に。――何だと、貴様も、このキーキー声の仲間か。お前らみんな宦官だな。去勢されているからそんな声しか出せんのだろう。
 ごろつき一 何だ何だ。紳士づらして、商売女といる所を、こいつ踏み込まれたって?
 ごろつき二 一番効き目があるのは樺の木なんだそうですね?
 サー・サミュエル そう、懺悔の苦行の鞭には、樺の木が一番。このお方、懺悔が大好き。
 ハザード 素敵な白髪。初老の好紳士。それが現場を取り押さえられるとは。
 サー・フォーマル 石部金吉さんが、まあ、こんな恥をお晒しになって・・・
 スナール 何だと? 糞っ、生意気に。(サー・フォーマルを蹴る。)
 サー・フォーマル おお、これはまた乱暴な――(ベティーに。)さ、お嬢様、我々はここらで退散を。
(二人退場。)
 スナール ええい、こんなアホとごろつき連中に、このわしがやられてしまうのか。そんな馬鹿なことがあってたまるか。
 ごろつき一 アホとごろつきだと? よくも言ったな。
 スナール おお、言ったとも。お前らみんなアホとごろつきだ。それに女はみんな売春婦だ。あるいはな、その十倍も性悪の、素人女の尻軽だ。こんな淫売が平気で行われるとは、国家の恥だ。わしの心は血を流しているぞ。一昔まではこうじゃなかったんだ。ええい、何だわしは。貴様みたいなアホに、こんな説教をして。ああ、わしはここに、或る女性を捜しに来たんだぞ。今ここに出て来なかったら、わしはもう知らんぞ。
 ミスィズ・フィガップ ああ、いとしの君、私はここよ。怒られるんじゃないかと思って、出なかったの。
 スナール 何だお前、やっぱりここか。よくもまあこんな汚らわしい、淫猥な、醜聞の巣に来たもんだ! さ、早く出よう、こんな所。
(スナールとミスィズ・フィガップ、退場。)
(ロングヴィルとレイディー・ジムクラック、登場。)
 ロングヴィル 何ていう軽い身のこなし。それに、何て素晴らしいそのお顔。どなたなのか、お明かし下さいませんでしょうか。
 レイディー・ジムクラック 随分おせがみになることね。では書いたものをお渡ししますわ。でも、名誉にかけて誓って下さいね。舞踏会が終るまでは決して開かないと。
 ロングヴィル お約束します。
 サー・ニコラス 何だ、ここにいたの。道理で見つからないと思った。(訳註 サー・ニコラスが妻に言うのだから、「おいお前、こんなところにいたのか」と言うところ。但し、ここではこう言わないとハザードと勘違いされることはありえない。英語はこの違いがないので自然だが、日本語ではサー・ニコラスがこの時だけちょっと丁寧な言葉を使ったとする。)
 レイディー・ジムクラック あらハザード、あなたなのね。嬉しい。運がよかったわ。
 サー・ニコラス(傍白。)こいつめ。何という酷い女だ!
 レイディー・ジムクラック 面白かったわね、今日は。胸がすーっとした。サー・ニコラスにあんなにうまく騙しが効くとはね。
 サー・ニコラス そうだ、実にうまくいったな。はっはっは。(傍白。)女はみんなこうなのか、糞っ!
 レイディー・ジムクラック あのお馬鹿さん、私達に何もなかったんだって、今頃は思い込んでいるのよ。おかしいったらありゃしない。これからはもうあなた、大手を振って家に来られるわよ。
 サー・ニコラス(自分の姿を現して。)そういうことになるかな、奥さん。
(レイディー・ジムクラック、金切り声を上げる。)
 サー・サミュエル 何事だ、女に暴力をふるうとは! 
 ハザード これは誰? あ、奥さん!
 レイディー・ジムクラック(ハザードに。)夫なの、この人。お願い、私がここから逃げる間、あの人を引き留めて。
(レイディー・ジムクラック退場。)
 ハザード この乱暴者め! 女に暴力とはどういうことだ!(蹴る。)
 サー・ニコラス 蹴られても構わん。ここは姿を現すわけには行かんぞ。
 ハザード(サー・サミュエルに。)こいつはサー・ニコラスだ。意趣返しのいい機会だぞ。閉込めてしまえ。
 サー・サミュエル 言うにや及ぶだ。――おい、そこの者、こいつを引っ立てて、ぶち込んでおけ。後で私がゆっくり処置をする。
 サー・ニコラス 大変なことになったぞ。私はどうなるんだ。
 ロングヴィル(傍白。)仮装の女性はほぼ全員あたってみたんだが、どれもこれもあの二人とは違っていた。参ったな。
 ごろつき一 貴様、嘘をついたな!
 ごろつき二 何を! 貴様こそ!
(二人、刀を抜く。全員刀を抜く。女性達、悲鳴を上げる。サー・サミュエルを除いて、全員退場。)
 サー・サミュエル あのごろつきめら! 俺の舞踏会をめちゃめちゃにしおって! 馬鹿めが! 女もみんないなくなったか。まあいい。今夜はこれからミランダの部屋にこっそり忍び込むとしよう。
(サー・サミュエル退場。)

     第 五 幕
     第 五 場
(ロングヴィル、ブルース、門番、登場。)
 ロングヴィル 先生はご在宅ですか?
 門番 いいえ、でも奥様と二人のお嬢様は帰っておられます。奥様は旦那様の書斎に、お嬢様方は庭に出ていらっしゃいます。
 ブルース 夕方起った自動織機に関する暴動について、先生に御報告しようとやって来たんだが。つまり、暴動は鎮まり、首謀者達も処置されたと。
 門番 そのうちお帰りの筈です。(退場。)
 ロングヴィル クラリンダもミランダもいないな。だけどとにかく奇妙な具合だった、あの仮装舞踏会は。
 ブルース 君の話を聞くと、我々二人は実に似た経験をしたことになる。女の衣装が違っていなければ、相手は同じ女だと思うところだ。二人とも書いたものを渡され、帰るまでは開けるなと指示され・・・
 ロングヴィル 君のメモを見せてくれ。僕のも見せる。月の光で充分に読める。(傍白。)これで何か分るぞ。
 ブルース 分った。(傍白。)これでどうなっているのか分るぞ。(読む。)「私の恥を雪(すす)いで下さらない限り、御親切をお示しする訳にはまいりません。紳士として立派に私のために闘って下さることを。 クラリンダ。」
 ロングヴィル 何だ! こちらも同じだぞ。ただ署名がミランダになっている。君の卑劣さについては、これ以上議論の余地はない。そしてこれは紳士の風上にもおけぬ不埒な行為だぞ。
 ブルース 何を! 僕のことをぬけぬけと卑劣と言うか。そちらこそ不埒じゃないか。さあ抜け。
 ロングヴィル 勝負する気か。面白い。目にもの見せてやる。
(二人、闘う。)
(クラリンダとミランダ、登場。)
 クラリンダとミランダ 止めて、止めて。お願い。止めて。
 クラリンダ こんなところで抜き合うなんて、気違い沙汰よ。
 ブルース 闘っている理由はお分かりの筈ですよ。
 ロングヴィル クラリンダさんがお分かりにならなければ、ミランダさんが教えてくれるでしょう。
 ミランダ 何のことです。さっぱり分りませんわ。
 ブルース ミランダさん、あなた、この男と舞踏会の最中、別室へ行きましたね。そして、この男に心のたけを・・・
 ロングヴィル そうでなければクラリンダさん、あなた、この男と別室へ・・・
 ミランダ 何ていうことですか、この気違いじみた話は。私、お二人のどちらともあそこでは言葉を交しておりませんわ。
 クラリンダ 私も! でもお二人がそれぞれ女の人とこそこそ別室に行くのはお見かけしましたわ。
 ブルース この筆跡は、じゃあ、誰のものです。
(クラリンダにメモを見せる。)
 ロングヴィル こちらにもあります。誰の手です。
(ミランダにメモを見せる。)
 クラリンダ 私の署名!
 ミランダ こっちも私の!
 クラリンダ このいたずらの犯人は明らかだわ。これは叔母の筆跡。
 ミランダ こちらも叔母の手。何てあくどいいたずらでしょう。それに、私達のことをそんな風に考えてるなんて、何て嫌らしい人達なんでしょう。
 クラリンダ 私達のことを簡単に誘惑出来ると自惚れているから、こんなことになるの。自分達はさも良い男だって。だから私達のことをそんなに悪い女だって信じ込めるの。
 ロングヴィル ああ、僕達は何て酷いことをしたんだ! 許して下さい。僕は本当にいけなかった。
 ブルース どうかお許しを。膝まづいてお願いします。こんなに素晴らしいお嬢様のことを、誤解してしまって。
 クラリンダ もうあっちに行って。嫌な人達。もう二度とお会いしません。
 ミランダ こんなに私達を貶(おとし)めた人を生涯許すことはありませんからね。
(クラリンダとミランダ、退場。)
 ロングヴィル あの叔母の奴、僕達を騙すために二人別の女に化けたんだ。よし、諦めないぞ。なんとしてもこの醜態は挽回しなければ。二人の後を追おう。
 ブルース うん、距離をおいて、後をつけよう。
(ロングヴィルとブルース、二人の後をつけて退場。)
(クラリンダとミランダ、登場。あづまやの中に入る。)
(ロングヴィルとブルース、登場。)
 ロングヴィル あづまやの中に入ったぞ。これ一回こっきりだ、紳士の道に外れたことをやろう。盗み聞きだ。
 ブルース よし。どういう風に憤慨しているか、それが聞きたい。
(ロングヴィルとブルース、あづまやに近寄り、隠れる。)
 ミランダ 私達、あの人達にもう少しよそよそしくしなくちゃいけないわ。距離をおいて初めてお互いの良さが分るってことがあるもの。
 クラリンダ 距離をおく・・・そうかもしれない。でも私、ロングヴィルが好き。あんまり好きで、とてもよそよそしくなんてしていられない。私、あの人のことなら、何でも許せる。
 ミランダ 私もブルースが大好き。気も狂わんばかり。どんなことがあっても許すわ。尊敬するわ。
 クラリンダ 命より大事なこの恋。私、名誉まで賭けたって構わない。でもこの恋、すれ違いなんだもの。駄目ね。
 ミランダ 今までだってすれ違いのため、溝は大きかったわ。でも叔母さんのあの意地悪、あれで、もっと拡がってしまった。あっ、誰か盗み聞きしている!
 クラリンダ 大変! あの二人だわ!
(二人、悲鳴を上げて、走り退場。)
 ロングヴィル ああ、これではっきりしたな。恋の成就の望みは全くないんだ。たとえこちらの希望が叶えられたとしても、それは身体だけの恋の成就だ。心は別のところにある。
 ブルース それじゃ強姦と同じだ。だけど、ミランダが僕のことをあれほど思ってくれていると分って嬉しいよ。クラリンダさえ良ければ、僕は変えてもいい。
 ロングヴィル クラリンダの言葉を聞いて、僕も君と同じ気持だ。君さえ良ければ、僕はクラリンダにする。クラリンダへの感謝の気持が、ミランダの魅力に打ち勝ってきている。ミランダには嫌われていたしな。
 ブルース 僕達の愛は、その植えた場所では育たなかったんだ。植え変えなくちゃ。
 ロングヴィル 愛も太陽の光と同じように、照り返しがないと暖たまらない。よし、じゃ、今話し合った方向で。
 ブルース さあ、二人を追おう。金属でも、熱いうちの方が曲り易いからな。
(二人、退場。)
 
     第 五 幕
     第 六 場
(サー・ニコラスとレイディー・ジムクラック、登場。)
 サー・ニコラス けしからん奴だ! 悪い女め! お前のその破廉恥な行為には、必ず仕返しをしてやる。
 レイディー・ジムクラック 私、あなたの書斎を探して、ほら、これだけ手紙を見つけました。みんな、あなたがかよっていた売春婦からのもの。五、六人はいるようね。これに私が仕返しをせずにおくとでも思っているの?
 サー・ニコラス この家から出て行け! お前は離縁だ。この家の新しい女主(おんなあるじ)を私はもう決めている。――さあ、入って。
(ミスィズ・フラート登場。)
 サー・ニコラス さあ、ここにある全てのものの管理は、これからはあなただ。(レイディー・ジムクラックに。)出て行くんだ!
 レイディー・ジムクラック あなたと哲学の問題を論じ合う女っていうのが、この女なのね。さようなら。友人達のお蔭で私もちゃんと住む場所があるわ。それに、私にも立派な紳士がついてくれることになったの。――さあ、入って、あなた。――私の身柄、それに名誉を守ってくれる人が、この人。
(ハザード登場。)
 サー・ニコラス お前に住居を提供してくれる奴がいるだと? そんな奴らは犬に食われてしまえ。――悪い奴らだ。
 レイディー・ジムクラック あなた、私はあなた宛の売春婦達からの手紙をぜーんぶ出版しますからね。そしてグレシャム・カレッジにそれを送ってやります。今までだってあそこでは相当軽蔑されているでしょうけど、これが止(とど)めね。
 サー・ニコラス(傍白。)こいつは参った。今までの中で最大の打撃だな、これは。――お前がそのぐらいのことはやるだろうと覚悟はしていたんだ。私が一級の哲学者たるところを見せてやる。いいか、私は一向に構わん。これはもうお前との戦争だ。やりたいだけいくらでもやれ。こっちだって好きなようにやる。
(執事登場。)
 執事 旦那様、お知らせを持って上がりました。それが、何という不幸なお知らせでしょう。
 サー・ニコラス まだあるのか、この上に!
 執事 硝子職人達、技師達、その他旦那様が実験のためにお雇いになったいろいろな者達が、代金の支払いの執行を要求して来まして、旦那様所有の全ての土地が差し押さえられました。
 レイディー・ジムクラック いい気味。何にもしないでただ空気の壜詰め、蜘蛛や蛍の観察、臭い魚や腐った木の実験、ばかりやっているからよ。
 サー・ニコラス この災難はいくら何でも大き過ぎる。おいお前、私は決心した。私はお前を許す。これからはいい夫になる。一から出直そう。
 レイディー・ジムクラック いいえ、結構。私の決心は自分一人でつけたもの。邪魔者は不要。それに一番の邪魔者はあなた。
 (サー・フォーマルと変装のままのベティー、登場。)
 サー・フォーマル 先生、私はここでへりくだって先生にお許しを。愛が・・・この愛こそ私の力ではいかに抗しようと抗しきれず・・・この愛が私に惹(ひき)起しました犯罪・・・
 サー・ニコラス 愛が惹起した犯罪? 何だ、何のことだ。
 サー・フォーマル 私はクラリンダと結婚しました。この可愛いいたずらさんは、仮装のままで結婚しようと言うものですから。先生、どうかお許しを。愛は天の定め、人間の力ではどうにもならないもの。
 サー・ニコラス えーい、こんなおまけまでついて来たか。――いや、許さんぞ。狡い男め。決して許さん。
 ベティー(仮面を取る。)旦那様、お許しになってもようございますわ。そして、この人も。何故って、愛は人間の力ではどうにもならないのですから。
 サー・フォーマル これは驚いた。口がきけないほどの驚きだ。いや、もう喋ることは出来ない。
 サー・ニコラス 可哀想に、サー・フォーマル君。いや、人の心配をする時ではない。私はどうなる。そうだ、叔父がいる。叔父の金でなんとか・・・あ、丁度来た。
(スナールとミスィズ・フィガップ、登場。)
 スナール 科学者大先生の、わしの甥殿はここにござらっしゃったか。やい、お前はこのわしが、ジャーマン通りで商売女と一緒にいたと言いおったな。そこのお前の女房もそうほざきおった。いいか、よく聞け。その商売女なる女はな、お前の叔母だぞ。ざまあ見やがれ。
 サー・ニコラス 何ですって? どういう事です。
 スナール どういう事もこういう事もあるか。この女はな、わしの女房だ。わしらは結婚したのさ。
 ミスィズ・フィガップ ええ、そう。結婚しましたの、確かに。
 サー・ニコラス(傍白。)これは最悪の事態だぞ。土地、財産が転がりこんで来るからと、ここまであの毒舌、へそ曲がりに耐えてきたというのに。
(ロングヴィル、ブルース、クラリンダ、ミランダ、登場。)
 レイディー・ジムクラック(傍白。)あら大変、もうこの四人、分ったのかしら。私はおしまい。何て嫌な奴等!
 スナール ああ、君達、いい時に来てくれた。このアホな科学者大先生、それにこのペラペラ人形のサー・フォーマルの二人は、生意気にも言いおった、ジャーマン通りでこのわしが、商売女と一緒だったとな。いいか、これがその女だ。わしの女房なんだ。
 ハザード サー・フォーマル殿にもお祝いを言って下さい。女中のベティー殿と結婚したんですから。
 サー・フォーマル クラリンダさん、随分酷い仕打ちですね。あなたの代りに自分の女中をあてるなんて。でも、私はこれでいいです。何も言いません。
 クラリンダ ベティー、おめでとう。サー・フォーマル、この人は立派な女性よ。あなたに負けないくらい。
 スナール こいつは良かった。ペラペラ男もついに捕まったか。それも女中とはな。はっ、いいざまだ。
 サー・フォーマル お言葉を返すようですがね、私は売春婦を掴まされてはいませんからね、誰かさんとは違って。
 ロングヴィル おやおや、一昔前の美徳溢れる紳士が、大変なものを掴まされて!
 ブルース なるほど、一昔前の美徳溢れる紳士は商売女と結婚していたのか。
 スナール うん、そうだ。一昔前の奴等は変なものを掴まされないように大騒ぎをしたものさ。しかし、結婚すりゃ女はわしのものだ。それにな、結婚するなら自分の女とが一番確かだ。そうでない奴と結婚してみろ、本当に自分の女になる場合なんてのはまづ五十のうち一つだ。
 サー・ニコラス(傍白。)よし、まだ希望があったぞ。――実はな、クラリンダにミランダ。私の土地、財産は全て差し押さえられてしまったんだ。お前達から預かっている金だけが、今は頼りなんだ。お前達、私を助けてくれるな?
 クラリンダ 私、後見人の言うことに従わなければならないの。後見人は丁度さっき、ミスター・ロングヴィルにしたところなの。
 ミランダ 私もミスター・ブルースがその役を引き受けて下さるって、さっき。
 サー・ニコラス(傍白。)頼みの綱も切れたか。姪達からは、かなりのものが引き出せると思っていたのに。――ロングヴィル、ブルース両君、君達が私の哲学を知りたいとやって来たのは、このためだったんだな。
(二人の配達人、登場。箱(中にサー・サミュエルが入っている)を運んで来る。)
 サー・ニコラス 何だ一体、何を持って来たんだ!
 配達人一 ミランダ様宛の箱です。直接お嬢様にお手渡し願いたいとのことで。
 ミランダ 私宛? そこに置いて。
 配達人二 お部屋にお運び致しましょうか、お嬢様。
 ミランダ いいえ、(チップを渡して。)じゃ、これを。行っていいわ。
(配達人達、退場。)
 クラリンダ ここは邪魔ね。(下男二人に。)さあ、これをあっちに立てかけて。
(下男二人、箱を逆さまにしようとする。サー・サミュエルは逆立ちになる。)
 サー・サミュエル 止めてくれ! 苦しい! 人殺し!
 サー・ニコラス 何だ? 泥棒か、それともごろつきだな。入っているのは。――引っ張り出せ。
(二人の下男、サー・サミュエルを引っ張り出す。)
 サー・サミュエル 泥棒かごろつきですと! けしからん話だ。
 スナール またしゃれ男か。箱の中に隠れるとは! わしの飼っていたひひだってもっと常識があるぞ。
 サー・サミュエル 私はミランダ様に会いに。ミランダ様に結婚を申し込もうと。
 ブルース それならまづ、この私に許可を得なきゃならんぞ。彼女は私を後見人に選んだのだからな。そして、私の返事はだ、二度と彼女に近づくな! さもないと、その咽笛、かき切ってくれる!
 サー・サミュエル お嬢さん、この男の言う通りでいいのですか?
 ミランダ 後見人ですもの、仕方ないわ。
 サー・サミュエル 何だ一体、これは。蹴られ、殴られ、水をかけられ、毛布で胴上げされ、あれをやられ、これをやられ、それで無駄骨か。全く今度の企ては、全て水泡に帰すだ。しかしいくら言っても無駄なこと。愚痴を言っても始まらん。
 サー・ニコラス(この時までサー・フォーマルに何か話していたが。)なあ、サー・フォーマル君、君は私にそれを断ることはしないだろうな。
 サー・フォーマル 先生、私の結婚相手は、自分を支えるのがやっとという地位の女です。先生のご依頼は受けかねます。
 サー・ニコラス 私という男は何て人間を知らなかったのだ。蜘蛛や昆虫の代りに人間を研究しておくべきだった。――(レイディー・ジムクラックに。)なあお前、まさか私を放っては置かないだろうな。
 レイディー・ジムクラック 私、今すぐここを出るつもり。
 サー・ニコラス そうだ、私にはまだ一人いた。(ミスィズ・フラートの方を見て。)いつも私を愛してくれている――何度となく私にそう言ってくれたな?
 ミスィズ・フラート そんなこと真に受けないで。この私の職業では、金の切れ目が縁の切れ目なの。
 サー・ニコラス そうか、私はみんなに見捨てられたか。よし、今こそ役に立つ物を研究する時だ。石を金(きん)に変える方法を見つけるぞ。去年、もう少しで完成するところだったんだ。乾いた季節だったから失敗、あれが五月の露がある頃だったら・・・
 ロングヴィル さあ、お嬢様方、私達に財産は委託して下さいましたね? 次は御自身を委託して下さらなければ。
 ミランダ 新しい恋人を受け入れる前に、昔の恋人にさよならを言わなくちゃならないわね。少し時間がかかるわ。
 クラリンダ 時だけがそれを解決するのね。
 ブルース 僕達は希望を与えられたのです。その希望を頼りに生きましょう。その愛が最初はたとえ細くても、まもなくしっかりした物になるでしょう。だって、
  「もし女が家の外で愛を贏(か)ち得たら、
   家の中での愛など、簡単なもの」
(全員退場。)

     エピローグ
 さて、平土間にお坐りの、芝居の品定めをなさるみなさん、みなさんは、あらを探さなければ、機知を示したことにならぬ、とお考えでしょう。また、自分自身にはかなり甘い点をつけて、自分の馬鹿さ加減は棚に上げておくのでしょう。
 この芝居の作者は、そういう人のお慈悲を期待してはおりません。どうせその人達は、自分以外の人間には誰にでも噛みつくのですから。だから、もし舞台に誰か、自分に似ていない人物が現れると、すぐ嫌いになって、傷ついた鹿に犬の群が襲いかかるように、そいつをやっつけにかかる。
 しかし、この作者が一番がっかりしているのは、この頃の観客、特に御婦人達です。どうしてあんな、哀れっぽい、感傷的な、退屈な芝居が好きなんでしょう。必ず、弱々しい、哀れな女が現れて、馬鹿で惚れっぽい男と恋をする。男も全くだらしない。思い焦がれて、溜息をつき、涙を出せば、それで主人公。
 勿論この男、たった一人で軍隊をやっつけ、王様達を叱りつけ、神に逆らい、不可能事を成し遂げる。身の危険もなんのその、怪我をしようと、血を流そうと、笑い飛ばす剛の者。ところが女が現れて、こいつにちょっと小言など言われたが最後、この腰抜け野郎、たちまちその場で気絶する。全くこんな芝居、機知も道徳もありはしない。一緒に酒を酌み交わそうと、思える主人公もいやしない。
 だけど早速、観客の皆さんから、非難の声が上るのが聞える。「お前の芝居、品がない。それに衣装も綺麗じゃない」と。しかし、そういうお芝居は、女性の作者に任せましょう。私は男、お許しを。女性の仕立て屋が、男性のそれとは違うように、女性の作者は男性のそれとは違うのです。
 しかし覚えておいて下さいよ、育ちのよさというものは、細かい、瑣末なことに現れるのではなく、全体のセンスの良さに現れるのですから。でも御婦人方、どうぞ舞台の道化達を、少しは認めてやって下さい。だって、実際の生活では、みなさん相当下らない、しゃれ者でも、相手をしてやっているでしょう?
 それに今まで人気者になった舞台の主人公だって、たいした機知の持主では、ないじゃありませんか。どうせ皆さんが相手にしているしゃれ者といったって、こいつらの真似に過ぎないんじゃありませんか? 何と言っても芝居の主人公は人気者、人はすぐその真似をしたがるものですからね。
 しかし私どもの作者は何と言っても機知のある人間が好き。下らないしゃれ者は、すぐ機知のある人間の餌にしてしまう。
 さあ、この芝居が出来るときの作者の苦労や悩みを、洞察力のある皆さんは、すぐ見抜いたでしょうね。その欠陥もその長所も、見逃すことはなかったでしょう。欠点は捨て、長所は取り立てて下さい。それによってこの作者、立つも転ぶも決まるのです。まあ、運命がどうあろうと、それを甘受する覚悟ではおりますが。
 もしこの芝居が、まだ充分に完成したものでなくて、みなさんの御支持が得られず、その死を免れないようでしたら、多分、月足らずだったのでしょう。この作者は、流産とは知らずに作品を世に出してしまったのでしょう。
                    (終)

    平成十三年(二○○一年)三月九日 訳了
     
http://www.aozora.gr.jp 「能美」の項  又は、
http://www.01.246.ne.jp/~tnoumi/noumi1/default.html

これは、Thomas Shadwell "Virtuoso" を翻訳したもの。テキストは、University of Nebraska Press Lincoln and London (Edited by Marjorie Hope Nicolson and David Stuart Rodes) "The Virtuoso" (TomasShadwell) を使った。註とあるものはこのテキストにあるものの翻訳。

謝辞 Antony Cundy 氏は、訳者の面倒な質問にメイルで答えてくれた。この場を借りて感謝の意を表する。