いも
            マルセル・アシャール 作
             能 美 武 功 訳

(題名に関する訳註 原題は Patate 。これは普通は「さつまいも」のこと。但し、本文中にあるように、作者アシャールは「じゃがいも」のつもり。今までの邦訳でも「じゃがいも」が題名に選ばれている。この訳では、渾名が「じゃがいも」は面白くないと思い、「いも」とした。)

     第一幕 
一九五六年十一月の朝。フォック街キャラディンヌ家。
     第二幕
夜八時十五分。レオン・ロロの家。
     第三幕
第二幕の直後。レオン・ロロの家。
(第一幕の後に一回だけ幕間をおく。)

   登場人物
ロロ
キャラディンヌ
下僕
エディット・ロロ
ヴェロニック・キャラディンヌ
アレクサ

     第 一 幕
(キャラディンヌ家の居間。)
(本物の趣味の良さ。素晴らしい家具。壁には名画。)
(扉は二つ。一つは控えの間に通じ、一つはアパートの廊下に通じる。)
(幕が開くと、エディットとロロが坐っている。二人ともよそ行きの格好。エディットは帽子。よく似合う。つまり、二人は他家を訪問中であることを示している。二人ともかなり長く待っている様子。しかしまだ辛抱強く待っている。姿勢を崩さない固い態度で数秒。それからロロ、急に立上る。辛抱しきれなくなったのである。)
 ロロ 君は待つのは平気か。
 エディット いいえ、別に。
 ロロ 僕は厭だね。ぞっとする。
 エディット 待つのは慣れてないって言いたいのね?
 ロロ 当り前だ。慣れてる筈がないだろう? 僕は気が短いんだ。
 エディット あら、そうだったの・・・
 ロロ まあ、死刑の執行を待つんだったら、そりゃ長い方がいいかもしれん。しかしこいつは死刑じゃないんだ。
 エディット そうね。
 ロロ うん。まあとにかく・・・死刑そのものとは違う。
 エディット ねえ、待つっていうことは、大抵の場合、何かを期待しているっていうことよ。
 ロロ こんなに長く期待させられるのは僕はご免だ。
(間。)
 ロロ なあ、あいつ、こっちを馬鹿にしているんだ!
 エディット(微笑んで。)いいえ、違います。
 ロロ お前、感じないのか。あいつが僕達を馬鹿にしているって。
 エディット(ロロをなだめるように。)感じないわ。
 ロロ(腕時計を見る。)もう四十一分待った。
 エディット 分ってるわ。
 ロロ 誰だって今頃はとっくに出ているところだ。扉をバタンと閉めてな。
 エディット(皮肉に。)でも、私達は待ってる。
 ロロ 人を待たせるにも普通限度があるぞ。五分・・・まあ、最高十五分だ。それがあいつときたら、四十一分。
 エディット ここで待ちたくないなら、よそで待つのね。
 ロロ それに、四十一分じゃすまないぞ。お前にもすぐ分る。
 エディット そう、すまなそうね。
 ロロ あいつめ、後どのくらい俺達を虚仮(こけ)にしやがるんだ!
 エディット 汚い言葉。意味が通じないわ。
 ロロ 後どのくらいして出て来なかったら、お前、認めるんだ、あいつが俺達を馬鹿にしているって。
 エディット さあ、分らないけど・・・十五分かしら。
 ロロ 認めるのに後十五分もかかるのか。
 エディット ええ、まあ・・・
 ロロ まあ見てろ。十五分経ったって、出て来やしない。
 エディット それに、それを認めて何かいいことある? 私達に。
 ロロ それを認める・・・つまり、馬鹿にされているってことをか?
 エディット ええ。
 ロロ ないね、何も。
 エディット どうせやっぱり待つんでしょう? 馬鹿にされても。
 ロロ 当り前だ。
 エディット(物の分った人間の言い方。)証明終り。
 ロロ 一番しゃくに触るのは、わざわざあいつ、こう言ったんだ、「九時かっきりに来るんだぞ」って。
 エディット(つい微笑んで。)九時かっきりに?
 ロロ おまけに「時間厳守だぞ。僕の時間は貴重なんだ。それに引き換え、君の時間など、どうせどうでもいい代物なんだ。」
(エディット、笑う。)
 ロロ おかしいか。
 エディット ええ。正直言って、これは笑えるわね。
 ロロ そいつはよかったな。僕はもう我慢ならん。鳴らすぞ。
(ロロ、本当にベルを鳴らす。)
 エディット(陽気に。)さーて、何が起るやら。
(下僕すぐに登場。大柄な男。良い服装。明らかにロロを見下している。その皮肉な、人を馬鹿にした態度が、慇懃さの裏にすぐ読み取れる。)
 下僕 お呼びになりましたでしょうか。
 ロロ 当り前だ。もう四十五分も待っているんだ。
 下僕 ええ、ええ、そう、そう。分っております。
 ロロ ムッシュー・キャラディンヌには伝えてあるのか。
 下僕 ええ、およそ四十五分前に・・・
 ロロ それでどうなっている。
 下僕 「どうなっている」? とはどういうことで?
 ロロ どういうことで、とはどういうことだ。
 下僕 はい、わたくしは、もう既に御主人には来客のことをお伝えしました訳で。それ以上何かわたくしの出来ることでも?
 ロロ(皮肉な調子を強く込めて。)御主人様にだね、もう少し長くかかりましょうか、とか何とか言えるだろう? どうなんだ。
 下僕(返事だけはいいが、相変わらず人を馬鹿にした態度。)はい、ではそのように。
 ロロ 頼む。
 下僕 はい、畏まりました。(下僕退場。)
 ロロ キャラディンヌの奴、こっちを馬鹿にするだけじゃ足りず、下僕にまでこっちを馬鹿にするよう言いつけていやがる。
 エディット(この時までじっと下僕を見つめていたが。)そうらしいわね。さ、帰りましょう!(エディット、立上がる。)
 ロロ 君、出る? あいつめ、うまくいったと思うぞ。
 エディット えっ? そう?
 ロロ あいつ、こっちが物を頼みに来たって、分ってるんだ。
 エディット あなた、物を頼みにここに? そんなこと、私には言わなかったわ。
 ロロ(自分に嘲(あざけ)るように。)まさか君、僕があいつと会うのが楽しみで来たとは思っちゃいまい。
 エディット じゃ、どういうことを頼みに?
 ロロ 五十か六十万フラン、僕の発明に金を出してくれないかと。
 エディット あなたって、気違いよ!
 ロロ いや、違うね。
 エディット じゃ、あの人が気が違っていると思うの?
 ロロ いや、あいつは正気だ。
 エディット でもあなた、いつも言っているでしょう? 馬鹿なものだ、俺の発明は、って。
 ロロ 馬鹿なものさ、それはな。だけど、他の連中がやっている発明を見てみろ。それと比べればたいした違いはないさ。
 エディット それでもし、五十万フランあの人が貸してくれたとして、あなたそれをその発明に注ぎ込むつもりでいるの?
 ロロ まだその質問までは行かない筈だぞ。借りちゃいないんだからな。
 エディット 答えて頂戴、正直に。
 ロロ(真面目に。)五十万フランしか貸さなかったら、勿論仕事なんかやらないね。あいつは何億って持っているんだからな。
 エディット まあそうね。
 ロロ 何億って金だ。それをあいつは僕から盗んだんだ。
 エディット あら、盗んだの?
 ロロ(強く。)そうだ。盗んだ! あいつが取ってなきゃ、あれは僕の物だった。
 エディット ひょっとしたらね。
 ロロ 何がひょっとだ。僕を怒らせるつもりか!
 エディット 女って、いろいろ考えを変えるもの。だから私、「ひょっとして」って言ったの。
 ロロ じゃあ訊くがね、あの時ヴェロニックは脳に異常をきたした。違うのか?
 エディット ええ、そう。脳に異常をきたしたわ。
 ロロ この僕のためにだ。そうだな?
 エディット まあ、そうかもしれないわ。
 ロロ 「まあ、そうかも」じゃないんだ! 客観的な事実なんだ!
(その時までに下僕登場していて。)
 下僕 ええ・・・申し上げます。旦那様から、大変申し訳ないとの伝言でして。すっかり忘れておりました、と。
 ロロ 忘れていた、だと?
 下僕 ええ、すっかり。申し訳ないと、謝っておられます。ただ今お風呂の最中で。
 ロロ 待っている。
 下僕 では。お好きなように。
(下僕退場。)
 エディット もう出ましょう! お願い、出ましょう!
 ロロ 出る訳には行かないね。ここまで恥を忍んだんだ。恥のお返しに、金は取らなきゃ。
 エディット さあ、行きましょう。早く!
 ロロ 恥と金の取り合いで、おあいこだ。一日中でも待つぞ!
 エディット どうしてあの人からお金なんか借りる気になったの?
 ロロ あいつが嫌いだからだ。
 エディット 変な理由!
 ロロ 僕には立派な理由だ。
 エディット いつでも「嫌い」って言ってるけど、私はそうは思ってないわ。
 ロロ 君は思ってないだろうよ。だけど、嫌っているんだ。本当なんだ、これは。
 エディット それであなた、恥づかしくないの? あなた、借りたら返さないっていうことまで分っているんでしょう?
 ロロ(皮肉に。)君、君は僕があいつに負けた方がいいと思ってるの?
 エディット(ショックを受けて。)まあ、あなた、何てことを・・・
 ロロ 僕はね、自分の顔だけは立てたいんだ。
(二人、困ったような沈黙。少しの間。)
 エディット(信じられないように。)あなたに嫌われてるって、あの人は知らないの?
 ロロ 分らない。ただ、僕があいつに、面と向ってそんなことは言わないと、あいつはよく知っている。
 エディット どうして?
 ロロ こちらの失うものがあまりに大きいからね。
 エディット まあ。あなたって人、気位(きぐらい)の高い人間じゃなかったの?
 ロロ そういう自分を厭な奴だと思うだけの気位は持っている。何を借りるにしたって、そのために頭を下げりゃ、頭を下げた者の犠牲の方が、貸した奴より大きい犠牲を払っているんだ。そうだろう?
(少しの間。)
 エディット ちょっと教えて頂戴。あの人、何故あなたにお金を貸すの?
 ロロ 憐れみだ、理由は。
 エディット それで、あなた借りるつもり?
 ロロ 勿論。
 エディット おまけにあの人を嫌っているのに。
 ロロ(決まり文句を言うように。)不幸な人間は恩知らずなものさ。僕だって自分が不幸だと認めるからには、その埋め合わせをしなくちゃな。
 エディット(当惑したように。)まあ!
 ロロ それにあいつ、僕に絡(から)まれるのが好きなんだ。
 エディット(じっとロロを見て。)あなた、本当はあの人を嫌ってはいないのね。
 ロロ(表情を変えずに。)まあね。
 エディット ただ、「嫌いだ」って言うのが好きなの。
 ロロ(しっかりと。)僕だって不幸のままじゃいない。必ず芽が出るさ。
 エディット(疑わしそうに。)それに、あの人を嫌っている理由っていうのが・・・
 ロロ 理由がおかしいって言うのか?
 エディット 子供じみてるわ。
 ロロ それはそうだ。子供の頃から奴が嫌いだったからな。
 エディット あの名前の話だって、ふざけた理由。
 ロロ 名前? ああ、あいつはノエル、 NOEL(エヌ、オー、イー、エル)だ。(怒って。)ノエル! 丁度同じ四文字、この僕がLEONのレオンだとはな!
 エディット(楽しそうに。)レオン! いい名前だわ。
 ロロ 僕はノエルの方がいい。君だってそうなんだ。
 エディット 私は違うわ。
 ロロ 優越感がそれで満たされないのか、あいつめ、僕に渾名(あだな)までつけやがって。それに、何て渾名だ!
 エディット 私、有難いことに・・・
 ロロ 聞こえるぞ!
 エディット(勘違いして、坐り直して。)あら、やっと・・・
 ロロ 違う。聞こえるんだ、あいつが言っている台詞が。「そうか、あのジャガ芋野郎、また金がいるってやって来たか。」
 エディット それであなた、「そうだ」って言うんでしょう?
 ロロ 君、正直に言ってくれ。僕はいもに似ている?
 エディット(誠実に。)いいえ。
 ロロ 僕のどこを捜したって、いもに似ているところなんかないんだ!
 エディット ないわ。
 ロロ 鼻だって似てやしない。パスポートにだってちゃんと書いてある、「鼻・・・普通」ってな。役所の連中なんて、厭らしい奴らなんだ。少しでもいもに似ていたら、「鼻・・・いも鼻」って書いてるところだ。
 エディット そうよ。
 ロロ 肥満のせいなんて言わせないぞ。生まれつき肥っていたわけじゃないんだ。
 エディット ええ、違うわね。
 ロロ 十二の時なんだ、あいつがいもってつけたのは。その時まではみんな僕のことを「針金(はりがね)」って呼んでいたんだからな。
 エディット(面白がって。)あらあら。
 ロロ 何が面白い。
 エディット いいえ、別に。
 ロロ 有難いことに、いもを恐れる奴なんて誰もいない。いもは毒きのことは違うんだ。(相当意地悪な調子で。)いもには毒がないことになっているんだからな。
 エディット あら、あなた、急に意地悪い顔になったわ、今。
 ロロ 随分はっきり言うんだね、君は。
 エディット あなたは、私に、思ったことを口に出して貰いたくないの?
 ロロ 口に出すも何よりも、そんなことを考えないで欲しいな。
 エディット(意味深長に。)今のその言葉で私、あなたのことが分っていないんじゃないかって気がしてきたわ。
 ロロ(陽気に。)そうさ、君は僕のことを知り過ぎているからね。だからふとそんな気になるんだ。
 エディット(ゆっくりと。)あなたを見ていて、分ってきたことがあるわ。
 ロロ(相変わらず冗談を言う口調で。)僕を見ていて?
 エディット あの人を痛めつけられる機会が与えられれば、あなた、容赦なくやるわね。
 ロロ(直接に答えるのは避けて。)痛めつけるって、何をやるんだ?(冷笑する。)
 エディット(同じ線で押す。)もしその機会が与えられたらよ。
 ロロ 「痛めつける」の中身が知りたいね。
 エディット あの人を破産させる・・・あなたの前で両膝をつく・・・
 ロロ(ゲラゲラっと笑って。)どうぞお金を貸して下さい・・・か?
 エディット まあね、それでもいいわ。
 ロロ(考えるように。)そいつは面白いがね、しかし、「痛めつける」となれば、また他の考えもあるぞ。(脅すように。)うん、他にある!
(「毒きのこ」の後に出て来たこの台詞なので、エディット、ひどく心配になる。夫の顔をじっと見た後。)
 エディット 薄気味悪いわ、あなた。
 ロロ(南部訛りで。)いや、冗談だ、冗談。ムッシュー・キャラディンヌを僕は好(この)まんからな。(訛りを止めて。)おまけに、この待ちぼうけ。一時間以上だ。ますます嫌いになってる。しかし、この嫌い方、生易しい。本来なら、もっともっとでなきゃならんところだ。
(扉の後ろで音がする。)
 エディット(元気よく。)あ、お出ましよ。
 ロロ 僕が苛々してきたら合図するんだぞ。あいつに見えるようにだ。足でつつくな。肘を使うんだ。おおっぴらにだぞ。君に宥(なだ)められているのをあいつに知らせてやるんだ。
 エディット 分ったわ。肘ね。
(ヴェロニック・キャラディンヌ登場。気品のある美人。服装、一流品。異国風で魅力的。時々人を見る目付に、皮肉と厳しさが混じる。)
 ヴェロニック よかった、まだいらしたのね。もうとっくにお帰りかと・・・(言い直す。)もうお帰りになってしまっているんじゃないかって、心配していましたわ。
 ロロ 君が思うより僕らは辛抱強くてね。
 ヴェロニック(エディットに。)きっとあなたがいらっしゃるのを奥に伝えなかったんだわ、ユジェーヌは。(ベルを鳴らす。レオンを指して。)あなたが一人で来たんだって、きっとノエルは思ってるわ。あなた一人なら、あの人ちっとも気にとめないから。
 ロロ それが友情の証(あか)しだと思ってるんだな、あいつ。しかし、そいつは困るんだ。エディットがいるんだからな。
 ヴェロニック(エディットと握手する。)ご免なさい。(それからロロに近づき、ロロの両頬にキスする。)いらっしゃい、ロロ。
 ロロ こんちわ、ヴェロニック。
 ヴェロニック(エディットに。)ご免なさいね。私、あなたのことはよく存じ上げていませんけど、この人は昔からのお知り合いで、実は私、一度ひどく熱を上げましたの。
 ロロ ああ、あの頃は君、綺麗だったよ。
(下僕登場。)
 ヴェロニック ユジェーヌ、あなた、旦那様に言わなかったね? マダム・ロロもお待ちだってことを。
 ユジェーヌ はい、それは・・・
 ヴェロニック 何故です。
 ユジェーヌ お客様のお言いつけは、「僕が来たと伝えるんだ」というものでしたので・・・きっと旦那様は奥様のことは御存じないものと・・・
 ヴェロニック 旦那様は今何を?
 ロロ(皮肉たっぷりに。)まだ風呂だ。な?
 ユジェーヌ 来客のお相手を・・・
 ヴェロニック 来客? どなたです!
 ユジェーヌ 困りました。申し上げてよろしいかどうか。
 ヴェロニック 言いなさい。
 ユジェーヌ お風呂の後、寝ておしまいに・・・
 ロロ 寝た?
 ヴェロニック(困って、ロロに。)忘れたのね、あなたのことを。
 ロロ(軽い調子。非難する様子は表立っては見えない。)そう、僕のことはあいつ、すぐ忘れるんだ。
 ヴェロニック 早く旦那様にお伝えして! ロロ御夫妻がいらしてますと。
 ロロ 一時間前からだぞ!
 ユジェーヌ 畏まりました、奥様。
(ユジェーヌ退場。)
 ヴェロニック 驚いたわ、私も。・・・ノエルは、いつもきちんと礼儀を守る人ですのに。
 ロロ(はっきりと、下僕を指さして。)あのユジェーヌの奴、即刻首にするんだな。
 ヴェロニック(事務的な口調。)いいえ、それは出来ません。大変役に立つ下僕ですから。あなたが来た時だけ例外で。
 ロロ(陽気に。)そいつは悪かったな。
 ヴェロニック(ロロに、逆襲するように。)私のおいもちゃんにまたお会い出来て、私、本当に嬉しいわ。
 ロロ(冷たく。)君のおいもちゃんなんかじゃないぞ、僕は。いもなんかにぞっこん、なんて、ある訳がないんだ。
 ヴェロニック(エディットに。)この人、あなたに一部始終を?
 エディット(ひどく困って。)ええ、ぼんやりとは・・・
 ヴェロニック この人、こういう話は決してぼんやりとはやらないの。
 ロロ 君が考えているよりは、僕には技術があってね。
 ヴェロニック さあ、どうでしょうね。(エディットに。)じゃあ、私がそのお話をしましょう。その「ぞっこん」の話を。
 ロロ(不満そうに。)駄目だよ。まるで下手だよ、君じゃ。
 ヴェロニック(驚く程強い調子で。エディットに。)いいですか、あなた。私はね、この、あなたの旦那様に、ボーッとなったんです。身も心も蕩(とろ)けんばかりに、本当にボーッと。
 ロロ 全く、出だしからこれだ。参っちゃうな。
 ヴェロニック それに私、相手も私と同じ気持だって、思いこんでいたの。
 ロロ(非常に誠実に。)何を言ってる! 相手も同じだったんだ。全く同じ気持だったんだ!
 エディット(我にもあらず。)怒鳴らないで! そんなに。
 ヴェロニック 私は十四歳、相手は十七。あなた、やっかまないでね。
 エディット ええ、やっかみませんわ。
 ロロ(この時までに紙入れから写真を取り出している。)見て御覧。ほら、こらがその時の僕らだ。
 ヴェロニック(熱心に。)見せて!
 ロロ(おもねるように、説明。)トゥーケーの写真屋で撮ったんだ。ほら、これは本物の砂じゃない。似せてある砂。この小屋もそう。帆船も本物じゃない。絵だ。だけど二人だけは本物だからな。
 ヴェロニック(ちょっとの間の後。)あなたはね。でも、私は違う。この写真の子、これは私が生んだ子、可愛いがって育てて、死んでしまった子供・・・そんなものよ。
 ロロ(気まづくなった空気を元に戻そうと。)だけど、この僕はどうだ? ハンサムじゃないか。顔にまでかかっているこの髪の毛、この大胆な目付き、これを見れば分る、こういう男を愛さなきゃ、女じゃないってね。
 ヴェロニック 愛さない女がいたって、私が証明したわ。
 エディット(笑って、ロロに。)いい気味。うぬぼれが強いんだから。
 ヴェロニック この写真、いつも持ち歩いているの?
 ロロ だって・・・これはこんなに小さいものだし・・・死ぬほど恋い焦がれた相手の写真だ。その証明書だからね。
 ヴェロニック(意地悪く。)本当?(話を元に戻して。)この人と私は・・・
 ロロ そう、僕は君のために克己の精神を奮い起こして・・・
 ヴェロニック(不愉快そうに。)そんなにいつも邪魔されたら、私、自分の話が出来ないわ。
 ロロ(素直に。)そうだね。綺麗な話だからな。僕の知っている中で一番綺麗な話だ。
 ヴェロニック(エディットに。)十何回も私達、キスしたのよ。
 ロロ(訂正して。)十何回じゃきかない。正確には五十三回。まづいよ、君の話し方は。
 ヴェロニック 五十三回?
 ロロ 確かめるのは訳はない。ノートにその度につけてあるから。勿論唇と唇が合わさったキスしか数えてないよ。
 エディット(苛々と。)それはそうでしょう。
 ヴェロニック 夏休みに、一人で海の別荘に行ったのは、この年が初めて。予感がしたわ、私。「ああ、その時が来たんだ」って。
 ロロ 「その時が来た」・・・馬鹿な!
 ヴェロニック ある日二人は浜辺で会う約束をした。一日中そこで、年寄りの漁師と三人で過そうと。その日はいい天気だった。とてもいい一日になる筈だった。でもこの人は来なかった。
 ロロ 当り前じゃないか。君はその前の晩、一晩中カジノで踊っていたんだ。僕をそっちのけにしてね。
 ヴェロニック この人はパリに帰ってしまった。十日間も誰か友達の家に隠れて、私には何の知らせもくれなかった。その仕打ちで、私、人事不省(じんじふせい)に落ちいったの。
 ロロ その件に関しては、僕はもう君に謝ったよ。
 ヴェロニック 病気は直った。恋の病(やまい)も。私はこの人のことを忘れた。完全に。根こそぎ。この人が私を見舞いに病院にやって来た時、私はそれが誰か分らなかった。
 ロロ(「何を言っているか」という調子で。)アー、ララー!
 ヴェロニック どうしたの?
 ロロ いや、今ので言いつくしている。
 ヴェロニック(苛々と。)独り言を言い始めたらもう終りね。気違いの始めよ。
 ロロ(いたづらっぽく。)心配は御無用。独り言は自分は聞いてはいないから。
 ヴェロニック 十年間私はこの人に会わなかった。九年九箇月経って、私はノエルと結婚。その三箇月後に、ノエルがこの人をお昼に招(よ)んだの。
 エディット(感心して。)素敵なお話。それに、この話、あなたが立派な人であることを証明しているわ。
 ロロ そう。僕が立派であることも証明しているんだ。
 エディット あなた、あの頃は意地があったのね。
 ヴェロニック そう。あの頃私達、この人のことを、「レオン、この征服しがたき男」って呼んでいたの。
 ロロ(自分自身を嘲るように。)「征服しがたき」か!
 エディット(勢いよく。)そう、未だに征服されていないわ。(ロロの片手を取り。)勿論、少しは征服されているわね?
 ヴェロニック(エディットに。)あなた、可愛い人ね。私、ちょっと妬(や)ける。あなたのせいでこの人、ちっとも私のことを思ってくれない。
 エディット(ロロを庇(かば)って。)そんなことないわ、ちっとも。
 ヴェロニック(話題を変えて。)お子様は如何? あの素敵な娘さん・・・
 エディット 最近、元気がないんです。すぐお会いになれますわ。
 ヴェロニック(ロロに。)どうやら大金が狙いのようね。家族あげての御訪問では・・・
 ロロ 一万フラン。僕の発明にね。僕は中途半端なことは言いたくないんだ。
 ヴェロニック 元気がいいこと。(思わず鋭い調子で。)あれからはあなた、誰かにぞっこんってこと、なかったようね。
 ロロ(自分では気づかず。意地悪な調子で。)そんな奴に会ってないんだ。しようがないだろう?
 ヴェロニック(誠実に。)お可哀想に。
 ロロ 有難う、同情してくれて。
 ヴェロニック ノエルを急がせるわ。(エディットに。)あなたが来ていると知ってあの人、おめかしを始めたのよ。
 ロロ おめかしか! あいつなら、もう一時間はかかるぞ。
 ヴェロニック 三分だけお待ち下さいね。何をやっていても引っ張り出して来ますから。(行きかけて、思い出して。)私は後で来ますわ。仕事の話が終った頃。(退場。)
 エディット(公平な評価。)綺麗な人だわ。
 ロロ(無造作に。)昔から僕は趣味がよかったんだ。
 エディット もう綺麗だとは思わないの?
 ロロ(独特に身振りで。)綺麗に見えるってのは、君の目が悪いからだよ。
 エディット そう、確かに。何か目に、厳しい、人を許さない雰囲気があるわ。
 ロロ ああ、それは僕のせいだ。
 エディット あの人、旦那様のことを愛しているのかしら。
 ロロ 僕を愛していたようにね。そりゃきまってるよ。尊敬して、愛して・・・それに、すごいやっかみ屋なんだ。ただ、あのノエルの奴、それを承知でいやがる。厭らしいよ。それをいいことに、ちっとも大人しくしていない。
 エディット あなた達二人、変な関係。
 ロロ ヴェロニックと僕のことか?
 エディット ええ。あの人、あなたのことを尊敬していて、そして少し怖れているわ。
 ロロ(喜んで。)怖れて?・・・君、そう思う?
 エディット とにかくあの人の不幸の原因はあなただったんだもの。
 ロロ(考えながら。)そう。僕は生涯にただ一度自惚れた。・・・自尊心を持った。・・・それで危うく人を殺すところだったんだ。(陽気に。)今僕が自惚れも自尊心も持っていないからといって、何の不思議もないだろう?
 エディット(意味深長に。)あなた、それと一緒に捨てたものは、他に沢山あるのよ・・・
 ロロ それを知らない僕じゃないさ。そう、その通りだよ、エディット。そこが僕の悩みの種だんだ。この胸の中・・・ひどいものさ。
 エディット(優しくロロに近づき、両手を取る。)あなた!
 ロロ(エディットから手を離す。他の考えに移る。)二人の写真をヴェロニックの奴、じっと見てたろう? あいつ、あの頃が恋しいんだ!
 エディット(呆れかえって。)あなた、何を言ってるの?
 ロロ とにかく、何ていう大物をこの僕は逃したんだ! 一億だぞ、あの当時で。今じゃもっとだ。銀行も、保険会社も、織物工業も、その他あらゆるもの・・・そいつがこの僕の手にあったんだ・・・(夢見る顔になる。)
 エディット(気高く。)あなた、私の前でそんなことを言っていいんですか。それに、夢を見たって仕方ない。あなた自身でそう言ってたでしょう? あの人はノエルにすっかり参っているんだからって。
 ロロ ノエルが何だ。あいつがいようといまいと、あの女、ちゃんと僕の腕にはいっていたところなんだ。丁度あの時、全く馬鹿なことに、君ってものを愛しちまったんだ!
(エディット、さっと立上がる。)
 エディット(真っ蒼。)レオン!
 ロロ 何だ? どうした。
 エディット(非常に辛い。)何でもないわ。
(エディット、一瞬よろめいて、それからどっとソファに倒れる。)
 ロロ(驚いて。)おい、どうしたんだ、エディット。僕が何か変なことを言ったか? 分ってないんだよ、君は。僕はね、君を愛したことを後悔しちゃいないんだ。そいつが馬鹿な結果を生んだことを後悔しているだけなんだ。
(エディット、気を失っている。頭が後ろに倒れている。)
 ロロ こいつも言っちゃいけないことだった。良かった、聞こえてない。エディット! おい、エディット! 正気に返ってくれ。キャラディンヌの奴、来るじゃないか。こんなところを見られちゃ、かなわんよ。なあ、僕が言ったのは、意地悪じゃないんだ。言うだけ馬鹿な、阿呆な台詞だったんだ。おい! おい!(平手で頬を叩く。)エディット! なあ、おい!(叩く。)
(キャラディンヌ登場。非常に上品。ヴェロニックと同様、優雅。きちんとしているところは、ロロのなげやりな性格と正反対。若い頃はとてもハンサムだったと想像される。)
 キャラディンヌ おいおい、奥さんを引っぱたくためにこの家に連れて来たのか? それだけは勘弁して貰いたいものだね。
 ロロ 馬鹿なことを言うな。これは今、気分が悪いんだ。
 キャラディンヌ 君のせいだな? それも僕に対して何かの効果を狙ってのようだ。
 ロロ(この時までに立上がっていて。)何を言う。違うよ。
 キャラディンヌ(エディットに。)ご気分、直りましたか? 奥様。
 エディット ええ、有難う!
 キャラディンヌ じゃ、これで君、帰るんだな?
 ロロ 何だって? 帰る訳ないだろう。
 キャラディンヌ 奥方がこういう調子じゃ、君、仕事の話は無理じゃないか?
 ロロ これの調子はいいんだ。そうだな? エディット。
 エディット ええ、大丈夫。大丈夫よ、私。
 キャラディンヌ 運転手に迎えに来させますが・・・
 ロロ しつこいぞ、おい!
 エディット この人、あなたにお話したいことがあって・・・
 キャラディンヌ(エディットの顔をじっと見た後、ロロに。)こんな素敵な奥さんに、君、ちゃんとお仕えしているのか?
 ロロ その質問は僕の方が君にしたいと思っていたやつだ。
 キャラディンヌ(エディットに。誠実に。)なんてお綺麗な目だ。(溜息をつく。)残念という他はないな・・・
 ロロ(途中で遮(さえぎ)って。)僕と結婚したのが・・・そう言いたいのか。
 キャラディンヌ(遮られたのを意に介さず。)残念という他はないな、君が奥方を今まで一度も連れて来なかったのは。君のそのうんざりする顔も、奥方と一緒なら大分緩和される。・・・ああ、そんな顔するなよ。
 ロロ(南部訛りで。)冗談だな!
 キャラディンヌ うん、冗談だ。さあ、立ったままということはない。どうぞお坐りになって。(三人坐る。)どうしたんだ、君。もう死んだのかと思ってたよ。
 ロロ うん、僕も自分が死んでたと思ってた。このところずっと。
 キャラディンヌ 分る分る。(額を叩いて。)ここがうまく働かないとね。・・・(かなり長く叩いて。)人は誰でもそう思うものだ。
 ロロ 経験者は語る、って訳か。
(短い間。)
 キャラディンヌ(不安を隠して。南部の強い訛りで。)冗談だな? そいつは。
 ロロ(南部の訛りで。)そうさ、こいつは冗談さ。
 キャラディンヌ 君の冗談はいつだって面白いよ。(きっぱりと。)頭は悪いが、気のきいたことを言う男だからな。(エディットに。)あ、失礼。こいつとは昔からのつきあいで、いつもつい・・・(言葉が過ぎて。)
 エディット 構いませんのよ。どうぞ・・・
 ロロ(エディットに。)おい、それはないだろう・・・
 キャラディンヌ 悪口を言いあって初めて友情が成り立つってもんだろう?
 ロロ 体裁のいいことを言う男だ。
 キャラディンヌ 君は頭が悪い。それが君の弱みなのさ。
 ロロ えらく念を押したもんだな。
 キャラディンヌ 念を押す? そんな生易しいもんじゃない。岩に文字を刻(きざ)んでるんだ。だけどすぐその後で、「体裁のいいことを言う男だ」という台詞で緩和しているだろう? 何故だ、これは。
 ロロ(敵の手にのって。)何故緩和したかって聞いているのか?
 キャラディンヌ そうだ。
 ロロ まあ、答はそちらに預けよう。
 キャラディンヌ 何故なら・・・僕は君の友達だからさ。
 ロロ フン、たいした友達さ。自分が破産しても僕に貸してくれるほどのね。
 キャラディンヌ 本音が出てきたな。つまり君は金が欲しいのか。
 ロロ(きっぱりと。)そうだ。
 キャラディンヌ ホホウ、昔馴染みのおいもちゃんは、お金が欲しいと仰るか。
 ロロ 愛でいいのは、「信じられている」っていうあの気持。友情でいいのは、「理解されている」っていうあの気持だ。
 キャラディンヌ そう。僕はすぐに理解した。
 ロロ 「すぐに」ね。
 キャラディンヌ 「理解」とは、うまいことを言ったもんんだ。君が僕に理解させようとする事柄は、いつだって同じものなんだからね。
 ロロ それで?
 キャラディンヌ 倍賭け方式を使ってヴィシーで稼いだんじゃなかったのか? 何百万も。
 ロロ ヴィシーに行くのは健康のためだ。他の目的では行かない。
 キャラディンヌ なるほど、なるほど。
 ロロ 次に君が言う台詞は分ってるよ。「健康ほど大事なものはないからな」だ。
(ロロ、意味もなく大声で笑う。)
 キャラディンヌ いくらだ。
 ロロ(時間稼ぎに。)いくら欲しいかって訊いてるんだな?
 キャラディンヌ 友情の値段、そいつはいくらだ。
 ロロ 五十。
 キャラディンヌ 五十フラン?
 ロロ 五十万フランだ。
 キャラディンヌ(表情を変えずに。)今日は高く出ると思っていた。
 ロロ 気のきいた台詞は出て来ないが、頭はあるからな、君は。
 キャラディンヌ(怒りを表して。)何だ、貴様! 俺を馬鹿にするのか!
 ロロ(南部訛りで。)冗談だな? それ。
 キャラディンヌ 奥さんを連れて来た理由がこれで分ったよ。
 ロロ 女房をこの話に巻き込まないで欲しいな。
 エディット この人が私を巻き込んだのではありません。私が自分で・・・
 キャラディンヌ この人の前でなら僕が金を断り難いと思ったんだ。しかしその読みは甘いぞ。五十万フランだったら、誰だって断る。恥などない。
 ロロ お前さんは別だよ。恥と思う筈なんだ。
 キャラディンヌ 五十万フランを断るのは普通の話だ。良識があるという証拠にさえなる。お前さんがそのお人良しのいもの顔でやって来て、この僕から二万、五万とふんだくって行く。まあいい。大盤振る舞いで十万でもいい。小切手にサインしよう。だがな、お前さんの相場はそこどまりだ。
 ロロ(本当に怒って。エディットに。)おい、俺を肘でつつくんだ。
 キャラディンヌ(驚いて。)何だって?
 ロロ(同じ怒った調子で。)俺は苛々してきたんだ。だから俺を肘でつつくようにこれに頼んでいるんだ。
(キャラディンヌ、ゲラゲラっと笑いだす。)
 キャラディンヌ いつものことだが、君は笑わせてくれるよ。
 ロロ(怒って。)笑わせる?
 キャラディンヌ(もう用心せずに。)そうさ。肘で突く? 全くね。これは笑っちゃうよ。
 ロロ(つられて。)ああ、笑っちゃうか。
 キャラディンヌ(エディットに。)失礼しました、奥様。つい怒鳴ったりして。
 エディット(立上がって。)いいえ、怒らせるようなことをこちらから言ってるんですから・・・さ、帰りましょう、レオン。
 ロロ 帰る訳ないだろう、僕が。一体どうしたっていうんだ、エディット。帰るなんて。
 エディット 先方の意志ははっきりしているじゃありませんか。
 ロロ 意志がはっきり? とんでもない。坐るんだ、エディット。あの金は貸してくれるんだから、先方は。
 キャラディンヌ(機嫌よく。)まあ一部をな。十万。それでいいだろう?
 ロロ(憤慨して。)十万・・・たった十万で僕に何が出来る。
 キャラディンヌ 何が出来ようと、そっちの勝手だ。十万なら貸す。それ以上は駄目だ。鐚(びた)一文も。なかなか寛大な処置だと思うがな。
 ロロ(苦々しく。)君は変ったよ、ノエル。変ったよ・・・
 キャラディンヌ 僕が?
 ロロ そうさ。君がそんなに冷たくなっていなければ、こっちだって少しは親しみを感じるところなのさ。
 キャラディンヌ 十万で君、冷たいと思うのか。
 ロロ 冷たくはないが・・・熱くはない・・・ぬるま湯だ。
 キャラディンヌ(この時までに登場していて。)私も同じ意見。
 ロロ 有難う、ヴェロニック。
 エディット 行きましょう、レオン。私、恥づかしいわ。
 ロロ(格言を言う時の口調で。)己(おのれ)の義務を果たさんとする時、恥などあろうか。
 キャラディンヌ 僕から五十万ふんだくるのが、君の義務だというのか。
 ヴェロニック(エディットに。)それにねえ、あなた、あなた出て行けはしないわ。だって、娘さんをここで待ってなきゃいけないんでしょう?
 キャラディンヌ 娘が来る? 何だい、全く。
 ヴェロニック 細工は流々ってことよ。
 キャラディンヌ すると娘さんにも分っているんだな? 君のこの訪問が何のためだかっていうことは。
 ロロ(自分に対して皮肉に。)まあ、大凡(おおよそ)はな。
 キャラディンヌ あの昔会ったお嬢ちゃんが、うちに来てくれるなんて、実に喜ばしいな。きっと今、十二か十三だね?
 エディット(急に熱が籠って。)十八です! でも、もっと年上に見えます。
 キャラディンヌ なるべくなら隠しておこうという主義なんですね? この人は。二進(にっち)も三進(さっち)も行かなくなってから、初めて家族を連れて来るんだから。
 ロロ 二進も三進も行かないとは何だ。そんなことにはなっていない。
 キャラディンヌ(優しく。)おいおい、金を借りに来て何てことを言うんだ。困ってなくて貸せと言われたら、こっちの立場はないだろう? 少しは口実ってものを拵えてくれなきゃな。
 ロロ ちゃんとある。それも立派なやつだ。
 キャラディンヌ じゃ、言ってみろ。
 ロロ その五十万・・・君にとっては雀の涙だが・・・
 ヴェロニック 雀の涙!
 ロロ 僕の発明を商売にするための金だ。
 キャラディンヌ(呆気にとられる。同時に驚いて。)君が・・・発明?
 ヴェロニック 雀の涙を捻り出す発明だわ、きっと。
 ロロ(苦々しく。)気のきいた台詞だ、全く!
 キャラディンヌ で、その発明ってのは何だ。君の本来の職業って言えば、まあ発明家ぐらいのものだ。しかし、本当に発明をしたのか?
 ロロ(ひどく困って。)まあ、正確に言えば、発明とは言えないかもしれんな。
 キャラディンヌ まあいい。それで?
 ロロ いや、やっぱり発明は必要なんだ、それと分るためには。しかし、本物の発明と言えるかとなると、別だ。
 ヴェロニック ちゃんと聞きたいわね。
 ロロ まあ、一種のアイディアだ。
 キャラディンヌ アイディア・・・君のアイディアか。怪しいもんだな。
 ロロ アイディアといっても、その、遊びみたいなもんだがね。
 エディット(静かに。)私は天才的なアイディアだと思っていますけど。
 ヴェロニック まあ! あなたがそう仰るっていうことは・・・
 エディット でも、それが商売になるかどうかは分りませんわ。
 キャラディンヌ どんなものでも商売には出来ますよ。
 ヴェロニック さ、話して!
 ロロ(乗り出して。)星占いを双六(すごろく)に適用したものなんだ。
 キャラディンヌ(すぐに興味を引かれる。)ほほう!
 ロロ 手相だとか、タロットカード、コーヒーの表面に出来るミルクの模様・・・或いは星座。いろんなもので人は占うが、それの代わりになるものなんだ。
 キャラディンヌ(同じ姿勢。非常に興味を引かれている。)なるほど。
 ロロ(キャラディンヌの反応がよいので、元気づいて。)八卦(はっけ)と星座占いを合わせたものだ。「自分でも出来る運命判断」・・・賽子(さいころ)を使うところがミソなんだ。
 ヴェロニック でも・・・
 キャラディンヌ 黙って。
 ヴェロニック 何ですか、あなた。
 キャラディンヌ 失礼。まづ話を聞こう、と言おうとして・・・
 ヴェロニック(ロロに。)ええ、それで?
 ロロ 出だしは、生まれた日の星座だ。(キャラディンヌに。)例えば君は四月二十七日、牡牛座だ。「怒りっぽい。頭がいい。けち。」
 キャラディンヌ けち!
 ロロ 誰でもそんなことは知っている。星座占いのイロハだ、これは。
 キャラディンヌ フン、それで?
 ロロ しかしそれは出だしだけだ。四月二十七日生まれの別の人間は・・・
 ロロとエディット また別の運勢がある。
 エディット(一人で。)賽子(さいころ)の目で。
 キャラディンヌ そいつはいい!
 ロロ 今の世の中、何でもかでも賽子だ。こんな間抜けなものを信じるっていうのは一体どうなっているんだ。
 ヴェロニック 信じていなくても気晴らしにはなるわ。
 エディット ええ、本当。
 ロロ 全く・・・理想的なのは、教会であんなものを禁止すればいいんだ。
(間。キャラディンヌ、考えている。他の三人、それを見ている。)
 キャラディンヌ(頭を上げて。)ちょっと足りないな・・・
 ロロ(途中で遮って、心配そうに。)考えに足りないところがあるからって、無礙(むげ)に否定するのは駄目だぞ。
 キャラディンヌ 考えじゃない、足りないのは。金だ。五十万じゃ不足だ。
 ロロ 足りるんじゃないのか?
 キャラディンヌ こういう仕事には二、三百万いる。君には分ってないんだ。詩的だよ、この発明は。独創性がある。アメリカ人が喜びそうだ。連中に一個五ドルで売りつける。二百万投資して、五百万にして見せるぞ。
 ロロ(うんざりして、エディットに。)いつでもこれだ。
 エディット(心から。)いいじゃないの、これで。
 キャラディンヌ 五十万は君に出す。特許許可料だ。しかし勿論、君にこの仕事はやらせない。
 ヴェロニック でも、儲けの何パーセントはこの人に行くんでしょう?
 ロロ(強く。)そうだ。
 キャラディンヌ そんなものやれるか! こいつは僕を騙そうとしたんだ。それに、自分のアイディアに自信があった訳でもない。まあ、いい罰だ。
 ロロ(相手の非難は内心納得はしているが。)自信がなかっただと? この僕が。
 エディット(優しくたしなめる。)レオン!
 ロロ(エディットを無視して。)お前なんかに干されてたまるか。
 キャラディンヌ(怒って、立上がりながら。)干される? 僕が君を干すっていうのか!
 ロロ そうだ。干ぼしにする気だろう。
 キャラディンヌ(自分を抑えて。)まあいい、分ることだ。(坐り直す。)特許を取ったのは君なんだな?
 ロロ あー・・・違う。
 キャラディンヌ 誰なんだ。
 ロロ 魅力的な御婦人だ。スィモンヌ・スーシーという・・・
 エディット スィモンヌ・・・私、知ってる。可愛い人!
 キャラディンヌ その人に君はいくら払った。
 ロロ あー・・・はっきりとは覚えていないな。
 キャラディンヌ 言うんだ!
 エディット 二万。
 ロロ(エディットに。怒って。)二時? 時間なんか、聞いてやしないぞ!
 ヴェロニック 二万!
 キャラディンヌ 四十八万、そっくり利益。それで干ぼしか。
 ロロ そこが問題じゃないんだ、この話は。
 キャラディンヌ それで君は、そのスーシーは干ぼしにしてはいないって言うんだな?
 ロロ う・・・うん。
 キャラディンヌ 儲けの分け前は、そのスーシーにやるぞ、僕は。
 ロロ 君・・・君は僕が何故ボクシングが好きか知ってるか?
 キャラディンヌ 知らないね。それに、一体今の話と何の関係がある。
 ロロ どうしてかって言うとな、実生活じゃペコペコしなきゃならない自分より強い相手でも、殴れるからさ。
 キャラディンヌ 僕のことを言ってるんだな、それは。
 ロロ リングに上がれば自然に分るさ。
 キャラディンヌ すると君は、僕のことが嫌いな訳だ。
 エディット(強く。)この人が? とんでもない!
 ロロ とんでもない!(南部訛りで。)こいつは冗談だ。
 キャラディンヌ(ゆっくりと。真面目な顔で。)そう冗談でもなさそうだ。君、ブルディーユを覚えているか?
 ロロ ブルディーユ?
 キャラディンヌ ほら、覚えてるだろう? マンモスの奴が、そいつに毎週月曜日、黒板に書かせたじゃないか。「僕は今までクラスで一番びりでした。僕は今クラスで一番びりです。僕はこれからもクラスで一番びりでしょう」ってさ。
 ロロ(明るく笑って。)ああ、あいつ・・・ブルディーユ。
 キャラディンヌ 一週間前のことだ。僕はあいつに会ったんだ。あいつが話してくれたこと、想像がつくかな?
 ロロ(少し心配そうに。)いいや。いろんなことを喋るからな、あいつは。
 キャラディンヌ もう二十年も前のことだ。夜、あいつ、ジャンソンから出て来た。すると君が学校の手提げ鞄であいつの頭をぶん殴ったっていうんだ。気絶するところだったそうだぞ。
 ロロ 冗談にやったんだ、多分。
 キャラディンヌ まあな。それから後も冗談かもしれん。そいつが半分グロッキーになって起き上がったところを、また君は二三発フックを食らわして、次にアッパーカット・・・そいつが誰か分らぬままにだ。
 ロロ まあ、やるかもしれないな。
 キャラディンヌ だけどな、君はそいつがブルディーユだと分るや、服をはたいてやったり、髪をなでつけてやったり、もう大変な折れようだった。そして君はあいつに言ったんだ。「いやあ、すまんすまん。てっきりキャラディンヌだと思ったもんだから。」
 ロロ(腹を抱えて笑う。)はっはっは。思い出した、思い出した。
 キャラディンヌ 二日間寝たきりだったんだ。
 ロロ(考えながら。)仕返しにどんなことを君からされたか、もう覚えてないな。
 キャラディンヌ あいつ、あの時には僕に何も言わなかったのさ。君を怖がってね。何しろ、「ばらしてみろ、入院数箇月の目に会わせてやる」と君に言われてはね。
 ロロ たいした奴だよ、ブルディーユは。
 ヴェロニック(キャラディンヌに。)この馬鹿な話の行きつく先は?
 キャラディンヌ(怒りをぐっと抑えて。)あんまりはっきりしていなかった事が、この話でうまく説明されたってことじゃないのか?
 ロロ(無邪気に。)はっきりしていなかった事って何だい?
 キャラディンヌ 君から質問を受けたいとは思わないね。
 ロロ 僕は質問が大好きなんだ。
 キャラディンヌ じゃ、今のとは違うのを考えるんだな。
 ロロ 君に気に入るのが思いつかなくてね。
 キャラディンヌ 忠告だ。もう黙れ。
 ロロ 僕はおとなしくしている。
 キャラディンヌ(だんだんと怒ってきて。)今のは忠告以上なんだ。警告なんだ。
 ロロ そうか。転ばぬ先の杖なんだな。
 キャラディンヌ 諺(ことわざ)は諺で・・・「最後に笑うものが最もよく笑う」んだ。
 ロロ 最後に笑うものは、笑わなかったものからぶん殴られて歯がなくなるのさ。
 キャラディンヌ(不意を打たれて。)何だって?
 ロロ 歯のない笑いは、あまり見好いもんじゃないからな。
 エディット あなた! どうしたの。
 ヴェロニック 二人ともどうかしちゃったんじゃない?
 キャラディンヌ 僕はいい人間だ。厭らしい人間にはなるまいと努力している。
 ロロ 訂正が必要だな。君は厭らしい人間だ。しかしいい人間になろうとはしている。
 エディット レオン!
 キャラディンヌ いいか、いも、よく聞け。いもっていうのはな、殴れば潰(つぶ)れるものなんだ。
 ヴェロニック ノエル!
 ロロ(怒りを抑えられず。)もう一言言ってみろ、特許を売ってやらんぞ!
 キャラディンヌ けち!
(間。)
 ロロ(自分を抑えて。南部訛りで。)冗談だ、今のは。
 キャラディンヌ(こちらもやっとのこと抑えて。)こっちもだ。
 ロロ 心の底では君が好きなんだ。
 キャラディンヌ こっちもだ。
 ヴェロニック ああ、よかった。
 エディット 二人とも人をびっくりさせるのね。
 ロロ 全くやれやれだ。あれやこれや喋っているうちに、酷いことまで口走ってしまう。
 キャラディンヌ 全くだ。
 ロロ 人を苛立たせることを言った。そいつは認める。
 エディット 本当にそう。
 キャラディンヌ こっちもあまり良くなかった。
 ヴェロニック そう、ひどく良くなかったわ。
 ロロ 僕のことは分ってるな? ちょっと洒落た事を言うためだったら、親でも殺しかねない・・・幸い僕は孤児だった。
 キャラディンヌ そう、幸いだったよ。
 ロロ 君が僕のことを干ぼしにするなんて、ちっとも思っちゃいなかったんだ。ただこいつは決まり文句でね。もう少し儲けようっていう時につい出てしまう。
 キャラディンヌ(わざと荒っぽく。)腐りかかったいもなんか踏みつぶして、僕が面白いわけないだろう?
 ロロ(笑って。)まあ、意地悪だ、そんなことをしたら。
 ヴェロニック そう、今のその調子が有難いわ。さっきの五分間、女性二人、怖くて身体が硬直してたわ。
 エディット 特に私!
 キャラディンヌ 寝起きはいつでもこうでね、僕は。
 ロロ 僕もだ。幸いなことに、寝起きっていうのは一日に一回しかない。(笑う。)
 下僕 お客様のお嬢様がいらっしゃいました。
 ヴェロニック お通しして。
 キャラディンヌ(熱心に。)お待たせしてはいけない!
(下僕退場。)
 ロロ あれは待たされたりすると、どうなるか。
 ヴェロニック あら、待たされるの、好きじゃないのね?
 ロロ(威張って。)まあ、たいした奴なんだ、あの子は。
 エディット あなたの宣伝なんかいらないの。見て貰えばすぐ分ること。
(アレクサ登場。エディットの以前言った言葉は彼女を評して正確なものであったことが分る。「あの子は美人。でも十八よりは上に見えるわ」。アレクサは一風変っている。攻撃的で、頭の回転が速い。その点はロロに似ている。この場の間中ずっと陽気な態度であるが、そこに何か作り物の感あり。そして、少し苛々が混じっている。喋る調子に不自然さが時々入る。エディットとロロは二人ともアレクサの闊達(かったつ)な態度を、感嘆の目で見る。それぞれの反応の仕方で。しかし、その言動には、初めて訪問した家でとる態度にそぐわない、何か奇妙なものがある。)
 アレクサ ご免なさい。私、少し遅刻しちゃった。
 ロロ(安心させるように。)この素敵なキャラディンヌ家ではね、どんなに遅くたって、遅刻ってことはないんだ。
 アレクサ 今日は、マダーム。(片足を少しひいて、足を曲げるお辞儀。)今日は、ムッシュー。
(それからアレクサ、エディットと長いキス。)
 ロロ(その間に。)ねえアレクサ、このおぢさんが、お前の年をどう思ったか・・・まあ、お前には分らないだろうな。
 キャラディンヌ(狼狽(うろた)える必要もないのにひどく慌(あわ)てて。)おいおい、頼むよ・・・
 ロロ お前がまだ十二歳だと思っていたんだ。
 アレクサ(皮肉に。)時は過ぎて行くものって、分ってないのね。
 ロロ(キャラディンヌに。)この子の言いたいことはつまり、君が年をとっていることを自分じゃ気づいていないっていうことさ。
 ヴェロニック また始めるんじゃないでしょうね・・・(喧嘩を。)
 アレクサ(ロロに。)私の言ってることを解説しなくていいの。私、解説なら自分でやる方が好き。
 キャラディンヌ あなたは頭がいい。それにお綺麗だ、お嬢さん。
 アレクサ 何ですって?
 キャラディンヌ(強く応じられて、言ってよいものか自信なく。)あなたは頭がいい。それにお綺麗・・・
 アレクサ 言い寄られるのは一週間に二回。それが平均。
 ヴェロニック(この言葉を認めて。)あら、自信たっぷりね。
 アレクサ 週二回以上は望んでも無理。今の状態では。
 キャラディンヌ 言い寄られるのか。・・・週に二回!
 アレクサ いい時でも、悪い時でも・・・だいたい。
 エディット(その言葉を支持して。)この子、何でも話してくれるんです。そう、週に二回・・・
 ヴェロニック じゃ、一番最近のは?
 アレクサ 夕べ。
 キャラディンヌ 夕べ?
 ヴェロニック 気持のいい言い寄り方?
 アレクサ いいえ。ホッペタを叩いて。
 キャラディンヌ ホッペタを叩いて?
 ヴェロニック(冷たく。)お嬢さんの言うことをいちいち繰り返さないの。苛々してくる。
 アレクサ 私もちゃんと返礼したわ。ピシッと叩き返した。そうしたらその人、私のことを淫売呼ばわりしたの。
 ヴェロニック 言い寄っておいて。何て話! 男っていうのは・・・
 アレクサ だから私、言ってやった。「御挨拶ね。でも有難いわ。そちらからそう言うなら、こちらでそれを証明する手間が省(はぶ)けるもの。」
 エディット 酷い答。若い娘の言う言葉じゃないわ。
 ロロ 誰だったんだ、そいつは。ぶん殴ってやる。
 キャラディンヌ お父さんの言う通りだ。そいつ、行儀をしてやる必要がある。
 アレクサ あらまあ、中世の騎士のつもり?
 ヴェロニック そう。この人達、古いの。でも、あなた、とてもモダンなのね。
 アレクサ いいえ、モダンにはなりたくない、私。モダンって、今じゃ時代遅れだもの。
 ヴェロニック ご免なさい。知らなかったわ。
 アレクサ 坐っていいかしら。私、若いのに・・・疲れちゃって・・・(坐る。)
 ヴェロニック(エディットに。)娘さん、なかなかの人物なのね?
 エディット ええ。
 アレクサ(エディットに。)ママ、許してね。私、授業、抜けちゃったの。
 ヴェロニック あら、あなた、学校に?
 アレクサ ええ。今一年生。私、もし運がよくて、誰か友達がノートを写させてくれて、もし試験が難しくなかったら、三年後に薬剤師・・・まあ、なれれば。
 エディット(「抜ける」という言葉の使い方があやふやだが。)いけないわ、アレクサ、授業を抜けるのは。
 アレクサ(ロロを指さして。)だってパパがここに来いって・・・九時から十時の間に。
 ロロ(おどけて。非難するように。)もう十時半だぞ。
 アレクサ 分ってる。もうパパもママも帰ってて欲しいって思ってた。出て来た人に言ってやりたかった。「あら、もう帰ったの? じゃ、どうぞ私のことは取りつがないでね」って。
 キャラディンヌ それは親切じゃありませんね、お嬢さん。
 アレクサ(横柄に。)いいえ、その方が親切でしょう? だいたいパパがあなたのことを懐柔(かいじゅう)するためにママと私を使うなんて卑怯なのよ。
 ロロ お前の意見など誰も聞いてないぞ!
 エディット ほら、私もあなたにそう言ったでしょう?
 アレクサ パパには当然、あの五十万フランは断ったのね?
 キャラディンヌ いや、出すことにした。
 ロロ そらお前、怒るんなら、さっさと怒るんだな。
 アレクサ(憤慨、極に達したように。)五十万フラン。そんなのさっさと断るべきよ! だって、パパだってそんなの断られたって、ちっともその人を不人情だなんて思いはしないわ!
 ロロ さっきも言ったろう。そのためにお前を呼んだんじゃないんだ!
 アレクサ お金なんか貸して、あなた、パパに良いことをしたと思っているんでしょう。そんなの大間違い。パパが怠け者なのはそういうあなたのせいなの!
 ロロ こいつはひどい。腹が立ってきたぞ・・・
 アレクサ まさかあの発明に脈があると思った、なんて言うんじゃないでしょうね。
 キャラディンヌ いやいや、脈があると思いましたね。
 ロロ 勿論さ。脈ありと判断しての話さ。
 アレクサ 馬鹿なことを・・・(言い過ぎたと。)あ、ご免なさい。
 キャラディンヌ 失言、許しますよ。でも、この話、馬鹿とは思いませんね。
 アレクサ(嘲(あざ)笑って。)「金持はたかられて当然」なんていうけど、そんなの馬鹿よ。
 キャラディンヌ それは違いますよ。
 ロロ あれで五千万フラン儲かると思ってるんだ。それだけのことさ。
 アレクサ まあ、そうだったの・・・あれでいい商売になるんだったら、よけい・・・
 ヴェロニック よけい・・・何なの?
 アレクサ(話題をわざと外して。)じゃ、パパ、スィモンヌの取分もちゃんと貰うのね?
 キャラディンヌ(微笑んで。)それはちゃんと。
 ヴェロニック あらまあ。私、確かにこの子、気に入ったわ。
 エディット そう、きっとお気に入ると思ってましたわ。
 ヴェロニック ただ、ちょっと乱暴だけど。
 エディット アレクサ、お前のこと、奥様は気に入ったって仰ってるのよ。
 アレクサ(思い掛けない強い口調で。)気に入るなんて、大間違いよ!
 エディット それにちょっと乱暴だって。
 アレクサ そう。私は乱暴!
 ロロ(父親らしい優しさで。)ねえアレクサ、授業を抜けたって言ったけど、それなら十時半まで何をしてたんだい?
 アレクサ 身体の調子が悪くて、医者に言ったわ。
 キャラディンヌ(熱心に。)身体の調子が悪かったって?
 アレクサ ええ、ひどく。とても疲れて。
 キャラディンヌ そんなに若いのに・・・
 エディット(しつこく。)で、お医者様は何て?
 アレクサ(答えたくない。)この家、綺麗だわ! うちにもルノアールがある。ここのよりずっと綺麗。でも残念だわ、複製だもの。
 キャラディンヌ(金持の言う言葉。)複製、今はとてもいいですからね。
 アレクサ あなた、魔法使いみたいにお金持。でも、だからといって、パパを堕落させる権利はないわ。あのお金は断って頂戴。
 ロロ あれで儲かるんだ、こいつは。そのチャンスを捨てることはしないよ。
 エディット(優しく、前の質問にこだわって。)さっきの質問に答えて。お医者様は何て?
 アレクサ(人を驚かせる程の不愉快な口調で。)たいしたことは言わなかった。あなたは健康です。疲れるのは当り前。ただそれだけ。これでいいでしょう?
 エディット なんて言い方。それも私に向って。
 アレクサ ご免なさい、ママ。
 ヴェロニック まあ、この子のあなたに似てることったら、驚く程ね。
 ロロ それほどとも思えないがな。
 アレクサ 顔が似てるって仰るのなら、親切な言い方じゃないわ。
 ロロ(傷ついて。)何だ、御挨拶だな。
 ヴェロニック 精神的によ。機嫌の悪さ、変った言動、機転のきかなさ。
 ロロとアレクサ あら、ま。
 ヴェロニック 顔だって似てるわ。目の隅っこにある皮肉な光、食いしん坊の唇。
 ロロ(喜んで。)おお、僕は食いしん坊の唇か。
 キャラディンヌ 厭なことを言うんじゃないよ、ヴェロニック。こっちはこんなに綺麗な娘さんだぞ。いもに比べられてたまるか。ああ、レオン、許してくれるな? この悪口。
 ロロ まだ小切手にサインしてくれていないんだ。許すもんか。
 キャラディンヌ 君を怒らせるつもりはなかったんだ、なあいも。だけど、この子が君の娘でないことは一目見りゃあ誰だって分るさ。
 ロロ(悲しい気持。)まあな。
 ヴェロニック あら、じゃ、エディット、あなたのお子さん?
(アレクサ、エディットの坐っている肘掛け椅子の腕に坐り、悲しそうにエディットにキスしながら。)
 アレクサ 残念なの私、ディディの子供でもないの。
 ロロ この辺(へん)にしておこう。この子はこの話をされるのが嫌いなんだ。
 アレクサ 今日は違う。今日はとても話したい気分。だって私、(はっきりと言葉を切りながら。)ムッシュー・キャラディンヌの態度、気に入らないの。パパに対するその態度が。
 キャラディンヌ えっ?
 ロロ(おだてられて少しいい気分。)無駄だよ。こいつに分る訳がない。
 キャラディンヌ 二十年来のつきあいなんだよ、僕らは。
 アレクサ それで知っていると思っているのが間違い。
 ロロ(陽気に。)いやー、僕は複雑な男だからな。
 アレクサ 私がパパの子供ではないのはよくご存じね。でも、どうしてそういう関係になったかは知らないでしょう。
 キャラディンヌ そう。それは知らない。
 アレクサ 私が三つの時、父親は私を孤児にすることに決めたの。
 キャラディンヌ 意味が分りませんね、その話は。
 アレクサ 母が父を裏切ったの。それで父は、母をピストルで撃ち殺した。それでもうこの世に生きている甲斐もなくて、自分も・・・
 キャラディンヌ ああ、失礼した。それは知らなかったな。
 アレクサ(自分の話を続けて。)パパとママは・・・
 ロロ(途中で遮って。)つまり僕とエディットのことなんだ、これは。
 アレクサ パパとママはうちと同じ階に住んでいたの。エディットは、私に逢う度に必ずボンボンやチョコレートをくれていたわ。だから、その日私が行ったのは当然エディットの家。きっとこう言ったのね。「ディディ、チョコレート頂戴。だって、二人とも身体中真っ赤なの。そして、私に答えてくれないの。」
 ヴェロニック 可哀想に。
 アレクサ エディットはすぐ家に来た。そして私を保護したの。エディットとおいもさんは、私を育てることを決心してくれた! 二人とも何の文句も言わなかった。お金はちっともなかった。でも二人口は食べられなくても、三人口は食べられるって・・・二人が貧乏なのは、ムッシュー・キャラディンヌ、あなたが一番よくご存じだわ。もっと苦しくなるのを二人は受け入れた。だって私がまだたった三歳で、たとえ私の両親がお互いに愛し合うことが出来なかったからって、何も私の責任じゃないって、ちゃんと分っていたから。いいですか、ムッシュー・キャラディンヌ、だからあなた、あんな調子でパパに物を言っちゃいけないの。
 キャラディンヌ 分った。これは僕がいけなかった。
 ロロ 今まで僕は、君にこの話をしたことはなかったな?
 アレクサ 去年まで私、二人を本当の両親だと思っていた。アパートの管理人なの、話したのは。・・・事件の時にもあそこにいた人・・・パパが二箇月分家賃を溜めたから、その腹いせに私に話したの。
 ロロ(思い出しながら、キャラディンヌに。)丁度君は外国に行ってたんだ。
 アレクサ(乱暴に。)あの管理人、あれから死んじゃった。いい気味よ。あんな奴に死後の平安なんて祈るもんですか。私、あいつのせいで、二度孤児になったんだから。
 エディット 駄目よ、そんなこと言っちゃ。
 アレクサ だけど、お陰で私、愛について高貴な考えを持つようになった・・・
 キャラディンヌ で、あなたの苗字は?
 アレクサ ロロ。
 キャラディンヌ もう一つの方・・・
 アレクサ ああ、偽物の方ね。フラニガン。パパはアイルランド人だった。私、だけど、この人、尊敬しているわ、今は。
 ロロ(ひどく嫉妬心をもって。)なんでそんなことを言うんだ、お前は。
 アレクサ だって私のママを殺したんだから。それに、六箇月待ったのよ、殺すまで。ママの正体を知ってから六箇月も。
 ヴェロニック(少し心配そうに。)普通じゃないわ、その考え。
 アレクサ どうしたのかしら、私。喋って、喋って・・・一人で喋りまくっている。あなたがいけないの、ムッシュー・キャラディンヌ。あなたがあんなに威張りくさってたから・・・
 キャラディンヌ どうも僕は、あなたに対して親切じゃなかったようだ・・・
 アレクサ 私のことをとても育ちが悪いって思ってるんでしょうね。
 キャラディンヌ さあ、言って。僕は親切じゃなかったかな? あなたに対して。
 アレクサ そうよ。・・・特に今日は!(言い直す。)馬鹿ね、「今日は」だなんて。小さい時にしか会っていないんだから、「今日は」だなんてないわ・・・ああ、私、疲れた。私、当り散らして・・・それが何になるっていうの。
 エディット あなた今日、ちょっと変よ。
 アレクサ(エディットを見ずに。)でも、ムッシュー・キャラディンヌ、あなた、かなりのものよ。立派だし、年にしては生き生きしていて、まだ美男子。
 キャラディンヌ そう、まだ形を保っている・・・僕にも何故かよく分らないんですよ、お嬢さん。ただ仕事で齷齪(あくせく)働いているだけだし、恐ろしい敵だっていくらでもいるのに。
 ロロ 敵のことを悪く言うのは駄目だね。そいつを作ったのは君自身だからな。
(少しの間。)
 ヴェロニック(不意を突かれて感心して。)あら、すごい考え。あなた、今は頭も使うのね。
 ロロ まあ、暇つぶしにね。
 キャラディンヌ 僕がいけなかった、お嬢さん。あなたを不快にするようなことを言って。
 アレクサ(相手をもっと虐(いぢ)めようと。)私が好きな人、それは、「この人のためにお役に立とう」って思えるような人だけ。
 キャラディンヌ これは厳しいな。
 アレクサ そう、私、自分を面白くしようとしているの。
 ヴェロニック それにはあなた、成功しているわ。あなたのお母さん、呆気(あっけ)にとられていらっしゃるもの。
 アレクサ いいえ、ママは用心しなくちゃいけないわ。パパと私はただ大騒ぎをするだけ。でもママは、この三人の中で唯一人、本物の人間なの。だから。
 エディット そんなのでたらめよ。
 アレクサ 私、同級生の子供達を驚かせる言い方があるの。出かける時には「さ、寝よう」って言って、寝る時には「さ、出かけよう」って言う。私の年頃の子のいたずらね、これ。
 キャラディンヌ(アレクサの言葉に呼応するように、唐突に。)小切手にサインしよう。
 ロロ 何だって?
 アレクサ 私の前では駄目。そんなの、私、見たくない。
 ロロ いや、見物(みもの)なんだぞ、これは。
 アレクサ いや! いやったらいや! そんなの見たくない!
 ロロ じゃ、目をつぶってろ。
 アレクサ もし私の目の前でやったら、引きちぎってやるから。本当よ!
 ロロ 全く、何てことを言い出すんだ。
 キャラディンヌ じゃ、銀行だ。三時頃銀行でやろう。
 ロロ その間に考えが変りやしないか?
 キャラディンヌ このキャラディンヌが誓う。
 ロロ いいだろう。その方が簡単でもある。全く、アレクサの奴。おいアレクサ、お前のせいだぞ。
 アレクサ ええ、私のせい。
 ヴェロニック エディット、私、あなたの娘さんと知り合いになれたの、光栄よ。この子、特別製。
 エディット またそれを。この子、気分がよくないんです。
 ヴェロニック あなたのことを愛していて、尊敬していて・・・
 エディット 愛とは、それを思っている人のもの。
 ヴェロニック(驚いて。)まあ、この家(うち)、哲学者の家庭。
 ロロ 今、何て言ったんだ?
(エディット、黙っている。)
 ヴェロニック 「愛とは、それは思っている人のもの」って。
 ロロ(怒鳴る。)何だそれは! 俺を非難しているのか!
 ヴェロニック 違うわね、きっと。確認・・・それに私もやったことがあるわ・・・確認・・・
 エディット では、失礼します、ムッシュー。
 キャラディンヌ さようなら、マダーム。
 ヴェロニック では、玄関まで。
(エディットとヴェロニック、退場。)
 ロロ じゃ、さよならだ。それから・・・有難う。
 アレクサ あっちの方でしょう? 礼を言うのは。パパはいい商売を持って来たんだから。
 キャラディンヌ(その通りだ、と。)ああ、本当だ。有難う、レオン。
(二人、握手。)
 キャラディンヌ では、失礼します、お嬢さん。
(アレクサ、何も答えず、退場。)
 キャラディンヌ ああ、レオン、特許のこと、忘れるなよ。
 ロロ(部屋を出ながら。)大丈夫だ。お役に立てて嬉しいよ。
(キャラディンヌ、一人になる。アレクサが机の上に忘れて行った小さな白いバッグを見つける。顔、明るくなる。面白がっている様子。放っておけば開くところ。そこにアレクサ、慌てて駆け込んで来る。)
 キャラディンヌ 連中のお陰で酷い芝居をうってしまったね。
 アレクサ こんなこと、したくはなかったの。でも、どうしても会わなきゃいけないから。
 キャラディンヌ それは嬉しいな。
 アレクサ 私、話すことがある。
 キャラディンヌ じゃ、明日、うちで。
 アレクサ 今夜。九時。
 キャラディンヌ そんなに急を要するの?
 アレクサ そう。
(ヴェロニック登場。)
 アレクサ(非常に可愛いらしく。)私、バッグを忘れたの。さようなら、ムッシュー。私のこと、恨まないでね。さようなら、マダーム。
 ヴェロニック さようなら。
(アレクサ退場。)
 キャラディンヌ あの子、面白いね。
 ヴェロニック(ちょっとの間の後。)そうね。
                    (幕)

     第 二 幕
(ロロの家の居間。ボヘミア風、或いはノミの市のよう。しかし、趣味は悪くない。扉は二つ。一つはエディットとロロの部屋へ通じ、もう一つはアレクサの部屋に通じる。舞台奥に非常に小さな部屋。そこを曲ったところに玄関の扉がある。但しこの扉は観客からは見えない。)
(ロロが金属製の何かを小さな金槌(かなづち)で叩いている。)
 エディット(部屋から苛々しながら出て来て。)うるさいわね、その金槌。(急に優しい声になって。)あら、あなた? 仕事なの?
 ロロ 勿論だ。
 エディット 何? それ。
 ロロ 発明だ。
 エディット そのようね。でも、何の発明?
 ロロ おもちゃ。
 エディット 何のおもちゃ?
 ロロ 僕にも分らない。まだ出てこないんだ。
 エディット 可哀想に。
 ロロ 県の名前が全部言える人形が出来ないかなと思ってね。
 エディット そんなの無理よ。
 ロロ まあ、そいつは僕にも言えないんだからね。
 エディット 発明はいいけど、金槌を使わない発明にして。私、苛々してくるの。
(エディット退場。)
 ロロ 何故駄目? うまく行ってるんだぞ。
(ロロ、後ろを見るともうエディットがいないので驚く。)
 ロロ 金槌なしで発明だ? いい加減にしろ!
(電話が鳴る。)
 アレクサ(部屋から出て来て。)私に用だったら、私、まだ帰ってないのよ。
(アレクサ、普段着に着替えている。安いもの。しかし、よく似合う。)
 ロロ すぐ帰るのかって言われたらどうするんだ?
 アレクサ さっさと出て! 出たら分るの。
 ロロ(受話器を取り、話し口に手で蓋をして。)ジェロームだったらどうするんだ。お前をデートに誘って、もう十回も家にはいないって言ってるんだぞ。
 アレクサ またかけさせればいいのよ。
 ロロ だけどな、またあいつが十回かけてくれば、こっちは十回答えなきゃならんのだからな。
 アレクサ 分ってる。
 ロロ 厭なんだよ、十回も答えるのは。
 アレクサ 分ってる。
 ロロ 少しはこっちのことを考えてくれ。
 アレクサ ねえパパ、男の子が電話をかけてきて、一発で私がオーケーした方がいいの? それじゃまるで、私が待っていたみたいでしょう?
 ロロ しかし、嬉しくないよ、こっちは。
 アレクサ 私が少し、謎の女に見えた方がいいと思わない? ジェロームにちょっと気を持たせるの。
 ロロ どうしてもって、お前、言うのか?
 アレクサ だから私、帰ってないの。
 ロロ 分った。
 アレクサ だから私、いつ帰るかも分らないの。
 ロロ 分ったよ。
 アレクサ それに、簡単でしょう? だってパパは何も知らないんだから。
 ロロ そうだ。(受話器に。)もしもし・・・(間。)もう切ってるぞ。
 アレクサ(怒って。)諦めるの、早過ぎよ。
 ロロ いくじなしめ!(受話器を置く。)
 アレクサ パパにかけてきた人よ、きっと。
 エディットの声(自分の部屋から。)誰?
 ロロ 僕に用があったらしい。
 アレクサ(笑って。)笑わせるわね、いつも、パパは。
(アレクサ、自分の部屋に戻る。)
 ロロ エディット!
 エディットの声 何?
 ロロ あのキャラディンヌの野郎、全くいけすかない・・・
 エディット また何か言ったのね? キャラディンヌ。
 ロロ さっき、こっちに五十万フラン渡すっていう時、あいつめ・・・
(ロロ、部屋に入ろうとする。その時電話が鳴り、足が止まる。)
 アレクサ(部屋から出て来て。)すぐ出て。ジェロームにはどうしても、私はまだ帰ってないっていうことを知らせておきたいんだから。
 ロロ(受話器に。)もしもし、もしもし。こちらゴブラン二二ー四四、レオン・ロロ。
(ロロ、振り返る。呆れた顔。アレクサに。)
 ロロ 出ないぞ。
 アレクサ 切っちゃったのね?
 ロロ 違う。息は聞こえるんだ。おい、何か言ったらどうだ。誰だお前は。冗談だとしたら、こんなのは馬鹿な冗談だぞ! ドキドキしていやがるな? おい、何だその鼻息は。こっちにわざわざ聞かせたいのか!(驚く。)えっ? また切りやがった。
(ロロ、受話器を置く。)
 アレクサ あらあら!
 ロロ(断定的に。)お前にかけてきたんだ。
 アレクサ(皮肉に。)相手が答えなかったら、私?
 ロロ(きっぱりと。)さっきかけてきた同じ奴だ。
 アレクサ 電話の音で分るのね? パパは。
 ロロ 誰なんだ。
 アレクサ 受話器を渡してくれればよかったの。息で誰か分ったかもしれないわ。
 ロロ あいつ、お前と話したかったんだ。パパには分っている。お前もそれは百も承知だ。
 アレクサ(頷く。)ええ、そう・・・
 ロロ(陽気に。)相手にな、ちゃんと説明しておくんだ。答えもせず、息だけを強く受話器に吹きかけるなんて、馬鹿なことだってな。第一、親はそんなことをされると心配するだろう?
 アレクサ パパはそれで・・・心配なの?
 ロロ うまい手があるから教えとくんだ。どこか喫茶店に行ってマスターに自分の代わりに電話して貰うんだ。娘が出りゃしめたものだし、父親か夫だったら、「バルザック00ー0一ですか?・・・ああ、間違いでしたか、すみません」とやって貰えばいいんだ。
(電話が鳴る。ロロ、アレクサより早く受話器を取る。)
 ロロ もしもし・・・いいえ、チュルビゴ一二ー四0ではありません。ついでに言っておきますがね、娘はまだ帰っちゃいません。それから、この私、父親ですがね、お前さんなんか糞くらえだ!
(ロロ、受話器を置く。)
 アレクサ(どうしようもなく。)パパ! どうしてあんなこと言ったの。
 ロロ うんざりだからさ。
 アレクサ どうして、まだ帰ってないなんて言ったの。
 ロロ だってお前、そう言えって・・・
 アレクサ(大きな声。)今の人には駄目なの!
(間。ロロ、アレクサをじっと見つめる。)
 ロロ(鋭く。)今の人?
 アレクサ(苛々と。)もうあの人、かけて来ないわ!(肩を竦めて。)まだ帰ってないなんて言うから、もう決して・・・
 ロロ(からかうように。)失礼。ちょっとそれは予想出来なかったな。
 アレクサ 何言ってるの。糞くらえだなんて! 随分下品な言葉つきよ。
 ロロ(誠実に。)心配するなよ。本当に間違い電話だったのかもしれないだろう?
 アレクサ 残念だけど、あれはあの人。今夜はチュルビゴにするって言ってたもの。
 ロロ ははあ、その男はあのやり方を知っているんだな?
 アレクサ 私が教えたの。
 ロロ すると、あの、火曜日にかかって来たやつ・・・あれもそうだったのか。小さな女の子が「アガット伯母ちゃまいる?」って訊いてきた。(アレクサ笑う。)全く僕も間抜けな対応をしたもんだ。ここは違うんだって親切に言ってやって・・・
 アレクサ パパ、随分滑稽だったらしいわ。
 ロロ 誰なんだ、そいつは。
 アレクサ パパは知らないわ。
(ロロ、アレクサの身体を自分の方に向け、非常に優しく。)
 ロロ いいか、可愛いアレクサ。パパはね、野蛮な人間じゃない。お前だって野蛮な父親に虐(しいた)げられた、哀れな娘じゃない。この十五年間で一度だってお前に対して手を上げたことはないんだ。出かけたい時には出かけさせているし、帰って来て冗談を言えば最初に笑うのはパパだ。このパパをお前は愛している筈だよ。嘘なんかつく必要はないぐらいね。
 アレクサ だってこの人のこと、パパ、知らないんだから!
 ロロ そういう理由で断るというのは、パパの一番気になるところだ。名前だけ聞いている奴はいくらでもいる。ジェローム、クリスチアン、マルク、エルヴェ、ミシェッル、ジャン・フランスワ、ステファンヌ、ジョルジュ・・・まだ他に十以上ある。それなのにどうしてこいつだけ教えたくないんだ。お前が悪いことをするような娘じゃないことをよーく知っているから、よけい心配なんだ。
 アレクサ 今何時?
 ロロ 八時十五分だ。
 アレクサ 私、着替えなくちゃ。
(アレクサ、ロロから身を離そうとする。しかしロロは離さない。)
 ロロ パパはね、いいパパになろうとしてきたんだ。これ以上いいパパになれなくてご免。
 アレクサ(優しく。)馬鹿ね、パパったら。
 ロロ 悪いパパでもパパはパパだ。お前の気に入らなくてもな。だから、ちゃんと答えるんだ!
 アレクサ ね、パパ。私、九時に会うって約束してるの。
 ロロ 待たせればいい。
(電話鳴る。二人、受話器に突進する。ロロ、先に着き、勝利の目配せをして受話器を取る。)またチュルビゴを使ってる。今度は女だ。
 アレクサ ああ。
 ロロ さっき「お前なんか糞ったれだ」って言ってやったが、そこは聞こえなかったらしいな。
(アレクサ、隙を見て受話器を引ったくる。)
 ロロ 酷いことをするな。
 アレクサ(心配そうに。)もしもし・・・もしもし!
 ロロ(相変わらずおどけて。)相手の声を聞かせろよ、おい!
 アレクサ そう、私。アレクサ。本人に代って。
 ロロ そいつの声を聞かせてくれよ。からかってやるから。
 アレクサ(激しい調子で。)パパ、お願い!
 ロロ ああ、分った、分った。
(ロロ、部屋の隅に行き、アレクサの挙動を面白そうに眺めている。)
 アレクサ(受話器に。)いいわよ。話して。(驚く。)何ですって!(怒って。)何よ。私の知ったことじゃないでしょう? 勝手にして!
 ロロ(からかって。)こいつはよかった。
 アレクサ(受話器に。)そうよ。あなたに言えるのはそれだけ。九時よ。十時じゃ駄目。さよなら!
(アレクサ、受話器を置く。)
 ロロ おやおや、電光石火の処理だね、これは。
 アレクサ これ以上苛々させないで、パパ。そうでなくても私・・・分るでしょう?・・・神経が参っちゃいそう。
 ロロ(陽気に。)このチュルビゴの奴のことだがね、もうパパにはかなりのことが分っているんだ。
 アレクサ そう? どうやって?
 ロロ パパには第六感があるんだ。それに・・・
 アレクサ 私、着替える。パパ、もう、うるさいわ。
 ロロ おい、聞くんだ、この野郎!(南部訛りで。)失礼。今のは冗談だ。
 アレクサ 馬鹿な冗談。私、もう、うんざり。
 ロロ(相変わらず陽気に。)お前の言い訳をね、聞いてやることにする・・・
 アレクサ(怒鳴る。)厭、もう厭! 黙って!
 ロロ(アレクサを圧倒する大声で。)このパパに黙れと言うのか、お前は!
(間。)
 アレクサ 私、心臓が止まりそうだったわ。
 ロロ こっちもだ。ほら、見て御覧。まだ震えている。
 アレクサ(少し落着いて。)パパを見てるとすぐ笑いたくなっちゃう。
 ロロ いいことだ。笑えばいい。ねえ、アレクサ、パパはお前のことが大好きなんだ。たいしたことを一つお前に言ってやろう。もしパパが自分の子供を選べたとしたら、選んだのはお前だったろう、きっと。
 アレクサ 私もお返しに一つ、たいしたことを言うわ。私の父親、自殺して本当に私にいいことをしてくれたのよ。
 ロロ それはちょっと言い過ぎなんじゃないか。
 アレクサ(しっかりと。)いいえ、私にいいことをしてくれたの。
 ロロ 有難う。じゃあ一つ、お前に、腹を割って話したいことがあるんだが。
 アレクサ いいわ。どうしてもって言うのなら。
(ロロ、アレクサを自分の膝の上にのせる。)
 ロロ たった今・・・五分前のことだ。お前をこの私を嬉しがらせてくれた。パパはあの時思ったんだ。あっ、この子はわっと泣き出すぞ。パパを両手でドンドンと叩いて、それからひょっとすると、「私、悪かったわ」って言うんじゃないかってね。
 アレクサ それで、そうなってたらパパ、嬉しいの?
 ロロ 嬉しいね。ああ、やっぱり娘だな。これが娘の反応っていうもんだってね。
 アレクサ そう。
 ロロ(説明する。)チュルビゴの話をしたら、お前は厭がった。それからパパを怒らせるようなことを言った。まあいい、それは。ずるいやり方だが、女性特有の遣り口でもあるからな。
 アレクサ 褒めてるの? それ。
 ロロ うん、そうだ。だいたいお前は、いつも正直すぎる。男みたいだ。勇気がありすぎる。お前もそこは承知だ。だからパパは、お前のことを、坊や、と呼んでみたり、時々は「この野郎」と言ったりする。ママだってそうだ。お前のことを「まるで男の子ね」って言ってる。お前は考える方が先に立つ。頭でっかち・・・身体はまだ成熟していないんだ。
 アレクサ そう思う?
 ロロ お前が誰かにぞっこんになったら、その時には、もう少しは甘ったれて、もう少しは隠し事がある風をして、それから、もう少し色気を出さなくちゃな。
 アレクサ(皮肉を込めて。)色気?
 ロロ パパを馬鹿にしちゃいけない。今のを親が言うなんて、全くひどい忠告なんだ。だけどママはいつも言ってる。「地下運動をやってたら、私、恐ろしいゲリラの隊長になっていたわ」ってね。
 アレクサ 半分鉄仮面、半分クレオパトラね。
 ロロ 真面目な話なんだ、これは。
 アレクサ じゃあ真面目に。いい? パパ。もし私が誰かにぞっこんになって、その人とどうしてもって決めたら、そんな生易しいやり方はしないわ。
 ロロ ほほう、これはかなり込み入ってるぞ。「もしお前が誰かにぞっこんになって、その人とどうしてもって決めたら、そんな生易しいやり方はしないわ」か。うん、やっぱりややこしいぞ、これは。しかし、女の子の台詞としちゃ、綺麗な言葉だ。
 アレクサ(辛そうに。)ああ、パパ、私、女の子なの。悲しいことに!
 ロロ 悲しい?
 アレクサ(もっと辛そうに繰り返す。)女の子なの、パパ!
 ロロ 女の子なのが厭だとはね。これはこれは。
 アレクサ こんなに厭だったこと、今までにないわ!
 ロロ(冗談めかして。言った台詞が全く冗談と受取られなかったのを確認して。)そう、お前が思っているよりずっとずっと女の子なんだ、お前は。だって・・・さあ、お前の大好きなパパに煙草を下で買って来てくれるのは誰かな?・・・(アレクサ、黙っている。)さあ、誰だろう? 買って来てくれるのは。
 アレクサ いいのパパ、その冗談は。私、おかしくない。行かないわ、私。
 ロロ フーン、確かにお前、今日は変だ。(ロロ、エディットを呼ぶ。)エディット!
 エディットの声 何?
 ロロ ちょっと来て。
 アレクサ (断固とした言い方。)ママも買いには行けないわ。私の着替え、手伝ってもらうんだから。
(エディット登場。)
 ロロ(エディットに、すぐ。)どうしたんだ、一体!
(エディットの顔、事実、驚きと心配とで、ひどくやつれている。)
 エディット(うまく嘘がつけない。)私? 何も。
 ロロ お前のことは分ってるんだ。悪い知らせだな? いつ知ったんだ。
 エディット(心配をうまく隠せない。)そんなのじゃないわ。
 アレクサ(小声でエディットに。)黙ってて!
 ロロ 何を言ったんだ今、お母さんに。
 アレクサ(軽い調子で。)私?
 ロロ この俺に隠し事をしているな。だがな、二人ともいいか、俺には第六感がある。エディット、お前は確かに気が動転している。どうしてだ。
 エディット(少し落着きを取り戻して。)動転していないわ。
 ロロ いや、している。お前、一日中部屋に籠っていたな。それはどういうことなんだ。
 アレクサ ねえ、ママを放っておいて上げて!
(ロロ、二人を長い間見つめる。それから。)
 ロロ エディット、お前変だぞ。お前の娘も、お前も、両方ともだ。全く、今の時代、誰もかれも変になっていやがる。
 アレクサ そう、その通りよ。
 ロロ あのキャラディンヌの奴もだ。一体、何て奴だ!
 アレクサ 私達二人とは関係ないでしょう? あの人。
 ロロ 今日の午後あいつ、五十万フラン渡したんだ。だけどその時の言い草と言ったら、全く・・・
 アレクサ(安心して。)あ、それは後で話して。
(アレクサ、ロロを押すようにして、出て行かせる。)
 ロロ 後の方がいいか。まあいい。なんて奴だ、あいつ!
(ロロ退場。)
 アレクサ キャラディンヌ、キャラディンヌって、パパうるさいわね!
(玄関の扉を閉める音が聞こえる。)
 エディット(厳しく。)お前、パパを責める資格あるの?
 アレクサ 落着いて、ママ。厭だわ!(静かに。)ママ、手紙を見つけたのね?
 エディット(苛々と。)見つけたわ。
 アレクサ どこで?
 エディット 鰐(わに)革の、お前のバッグ。
 アレクサ 私って、何て馬鹿。あんな手紙をバッグに放っておくなんて。
 エディット(やっと自分を抑えて。)お前、悔むのはそんなこと?
 アレクサ ご免なさい、ママ。今朝から私、生きた心地ないの。
 エディット 私があれを見つけたのはついさっき。キャラディンヌ家から帰って。
 アレクサ(驚く。)分らないわ。私、医者に行く前、引き出しは全部ひっくり返したもの。何も残っていなかった筈だわ。
 エディット そう。引き出しの中じゃなかった。あなた、玄関にバッグを置き忘れたのよ。
 アレクサ 玄関に! まるでパパに見てくれって言ってるみたい。よかった、ママ。ママに私、本当に感謝する。
(アレクサ、エディットにキスしようとする。エディット、それを拒む。)
 エディット アレクサ、お前、それ、どういうこと? 全く呆れた子だね、お前は。
 アレクサ 呆れてるのは私の方。ママ、あんな顔しちゃって。もう少しでパパにばれてた。パパにもう二言三言、詰め寄られていたら、ママ、白状するところだったのよ。
 エディット(何ていうことを言う子か、という気持。相手を咎めて。)お前、心配だけなの? 後悔はないの?
 アレクサ 後悔は出だしのところだけ。入り込んじゃったら、後悔なんて出る幕ないの。
 エディット(悲しみに沈んだ声。)そう。じゃ、その相手の人、もうお前の愛人なのね?
 アレクサ ママ、そんなこと、ママとする話題じゃないわ。
 エディット ああ、アレクサ、お前には愛人がいるのね?
 アレクサ 同じことを繰り返さないで。
 エディット でもどうしてそんなことに・・・
 アレクサ こんなことママ、難しいことだとでも思ってるの?
 エディット 皮肉なんか言わないの。お前らしくもない!
 アレクサ 皮肉じゃないわ。こんなこと、ママと話すのが厭なだけ。
 エディット 相手の人、お前に夢中みたい。
 アレクサ 私だって夢中。
 エディット で、お前、その人のことを愛してるの?
 アレクサ ママはどう思う?
 エディット さ、愛してるの?
 アレクサ 愛だの、愛人だの、大袈裟な言葉!
 エディット 答えなさい!
 アレクサ 私、後悔なんかしない。決して!
(間。)
 エディット(苦しそうに。)お前、相手が結婚していてもいいて思ったんだね?
 アレクサ(強く。)どうして分ったの? 結婚してるって。
 エディット どの手紙にも奥さんのことが書いてあるじゃない。あなたに会えないのは、いつも奥さんのせい。奥さんを怖がってるってピーンと来るわ。
 アレクサ(辛そうに。)そう。手紙で分る・・・
 エディット それであなた、悩んでるのね?
 アレクサ 今の時代、悩むなんてないの。厭な奴って思うだけ。あの人の奥さん、嫌い。大っ嫌い。
 エディット 奥さんをお前、知ってるの?
 アレクサ 知らないわ。
 エディット じゃあ、旦那さんの方は?
 アレクサ それは知ってるわよ。
 エディット(間抜けな質問だが。)もう隠さないで。誰なの? その人。
 アレクサ 言わない。
 エディット(しっかりと。)その人の名前を私に言いなさい!
 アレクサ 母親の権力、もう私にはきかないわ。
 エディット(考えながら。)マクスィッム・・・マクスィッムって知らないわ。
 アレクサ 知らない、私だって。
 エディット 手紙の署名はいつでもマクスィッム。
 アレクサ 馬鹿な冗談、私達二人だけの。説明するには長過ぎるわ。
 エディット 誰なの、それは。
 アレクサ(見事な可愛らしさで。)糞くらえ!
 エディット 下手ね、その言い方。パパならうまい言い方、教えてくれるわ。
 アレクサ そうね。きっとパパ、私にそう言うわ、もしママが私のことを言いつけたら。でもママ、言いつけはしない。
 エディット えっ、どうして?
 アレクサ だって、そんなことをしたらパパ、私を追い出すわ。いいえ、何より・・・言いつけたって何にもならないもの。
(短い間。)
 エディット でもお前、その人と一緒でも幸せじゃないんでしょう?
 アレクサ 幸せかどうかは問題じゃないの。それが今の時代の考え。
 エディット この人、離婚はしないよ。
 アレクサ ええ、決して。
 エディット この人とお前、一緒には暮せないのよ。
 アレクサ 一緒に? いいの、私なんか。今の若い者に未来なんかないの!
(この絶望の言葉を聞いてエディット、突然アレクサを引き寄せ、キスをする。)
 エディット アレクサ!
 アレクサ(心をうたれて。)ご免なさい、ママ。やっぱり私、ご免なさいは言う。子供が馬鹿なことをして、もしその子の親が本当の親だったら、謝るのは両親。だって、その子をそういう風にしたのは親だもの。でも、私のパパもママも責任がない。だってあのフラニガンだもの、責任があるのは。
(非常に短い間。)
 エディット でもパパには? パパにはどう言うの?
 アレクサ 私、言い抜けの言葉はいつも考えてある。
 エディット 私は駄目。全部言うつもり。
 アレクサ(驚く。)ママに対してそんな力があるの? パパは。
 エディット あの人を愛してるの、私。お前には分らないわ。(言い直す。)いいえ、もう今では分っているのね、お前には。悲しいことに。
 アレクサ いいえ、分らない。みんな言わなきゃならないなんて。私、私のこの人に自分の言いたいことしか聞かせはしないわ。
 エディット もしレオンが私をじっと見たら、私、抵抗なんてとても無理だわ。
 アレクサ 古い人達って!(命令を下すように。)さあ、もうこんな話はお仕舞い。パパには私が病気だって言うの。父親なんて、娘の操を心配するより、健康を心配してる方がずっと気が楽な筈よ。
 エディット あの人、すぐお医者様に電話するわ。メルスィエ先生に。
 アレクサ あの先生、パパをすぐ安心させるわ。お嬢さんはただちょっと気が変になっているだけで、とか何とか。
 エディット お前のこと、病気だって・・・診断しているんじゃないの? 先生は。
 アレクサ 病気? 私が?
 エディット お前、あまり変だから、私きっと・・・
 アレクサ いいえ、安心して、それは。パパはまだお祖父さんにはならないわ。
 エディット ああ。・・・良かったわ、それは。
 アレクサ 孫が出来ることがパパの夢だと思ってたけど、私。
 エディット いいえ、あのパパは違う。
 アレクサ さ、手紙を返して。
 エディット ええ。(胴衣から手紙を出す。)
 アレクサ ママの胴衣、いい隠し場所じゃないわ、パパには。
 エディット(心から厭そうに。)私、この人、本当に嫌い。お前に使うあの厭らしい冗談!
 アレクサ(恋人には寛大な態度で。)ああ!
 エディット それに何てこと・・・あんな・・・卑猥なことをお前宛に・・・
 アレクサ いいじゃない。私のことをセクスィーだと思ってるんだから。
(アレクサ、部屋着を半分脱ぐ。その下に男を魅惑する白い肌が見える。アレクサ、その姿で鏡の前に進む。)
 アレクサ それに私、セクスィーだもの!
 エディット あんなこと書かれてお前、厭らしいって思わないの?
 アレクサ 別に。だって普通のことよ、あんなこと。
 エディット あれが普通?(偶々開いたところを読み上げる。)「君の身体は奇跡だ。その素晴しさを知り、それを君に説明する。何て喜びだ、これは。君はもう、自分の胸を鏡で見る時、僕の言った言葉を思い出さずにはいられない筈だ。」
(この時までにロロ、こっそり登場していて、エディットが手紙を読み始める時には、これを聞いている。)
 ロロ 自分宛のラブレターを、娘に読んで聞かせているとはな。
 アレクサ 違うわ!
 ロロ(エディットに。)そうか。お前の身体をお前に教えたい男がいると言うんだな?
 エディット レオン!
 ロロ 俺は教えたことはないからな。無理もない話だ。
 アレクサ そんなことじゃないの!
 ロロ お前のその・・・(言い難い。)おっぱいの話だったな。そいつの言い方、まるで自分が初めて見つけたような・・・それも、他の誰よりも自分の言い方がうまいと自信たっぷり。何てきざな奴だ!
 エディット 他の誰よりも!
 ロロ(殆ど不平を言うように。)お前の身体が奇跡だくらいのこと、この俺はとっくに知っている。一九四四年にちゃんとお前にそう言ってある。
 エディット そうよ、レオン!
 ロロ そのお前がそんな・・・(激しく。)手紙をよこすんだ!
(エディット、手紙を渡す。ロロ、それを引ったくる。)
 アレクサ 馬鹿よ、渡すなんて!
(アレクサ、手紙を取り戻そうとする。ロロ、乱暴にアレクサを押し退ける。)
 ロロ 母親を助けようとするのはいい心掛けだ。しかしこれは、夫婦だけの問題だ。
 アレクサ パパがそう思っているだけのことでしょう?
 ロロ(素早く署名に目をとめて。)マクスィッム! マクスィッムという名は初めてだぞ。
 エディット(優しく。)さ、手紙を返して。あなたまた、気分が悪くなるわよ。
 ロロ(乱暴に。)こんな時に気分など悪くなってたまるか。
 エディット いいえ、きっとなります。
 ロロ(一つ手紙を取り出して。)何だと?「ほら、私の言った通りでしょう? って言いながらスカートの裾を持ち上げる。・・・あれはたまらないね。」(エディットに、歯を食いしばって。)この男の前でお前、スカートの裾を持ち上げるのか。よし、俺の前でそいつをやって貰おう。この十五年間、一度も見せてくれなかった手だからな、こいつは。
 エディット 可哀想に、レオン!
 ロロ 出て行け! 今すぐだ。出て行け!
 アレクサ 馬鹿なことは言わないの。ママのこと、そんなにパパは知らないの?
 ロロ そうだ。俺は知らなかった。こいつのことは、全く。
 アレクサ 正気に返って、パパ。ママにこんなこと書く人いる訳ないでしょう? 私によ。これ、私宛。
 ロロ 何だと? 「ワタシアテ」?
 アレクサ 私に宛てて書かれた手紙よ。
 ロロ 何だって?
 アレクサ 他のもみんな。
 ロロ 感心な娘だ、お前は。母親を助けようっていうんだな? 気に入った。(エディットに。)出て行けとさっき言ったぞ。
 アレクサ だから、読んで! 読むの、早く。
 ロロ 読めない。気分が悪くなって来る。
 アレクサ 「可愛い子ちゃん」「愛(いと)しい君」って沢山書いてあるわ。でも、時々は私の名前で呼びかけているから!
 ロロ 信じられない。酷過ぎる話だ。
 エディット 私宛の方がよかった?
(間。ロロ、別の手紙を取り上げる。)
 ロロ(読む。)「僕は君が誇らしいんだ、可愛いアレクサ。だって、君は僕に、愛を再び蘇らせてくれたんだから。」(ロロ、打ちのめされて、再びモグモグと繰り返す。)アレクサ!
(間。)
 アレクサ 何か言って。
 ロロ 何か言えだと? 何も言うことなんかないだろう、この僕に。自分じゃ何もしていない。ただ偶然に分っただけなんだからな。
 エディット 可哀想なレオン。
 ロロ 何か言うとなれば、こうとでも言うか。「僕は君が誇らしいんだ。だって君は僕に、愛を再び蘇らせてくれたんだから。」
 アレクサ ああ、そう。分る? あの人、そう言ったの。
 ロロ(エディットに。)お前の言った通りだ。僕は気分が悪くなってきた。
 アレクサ 私、人にとやかく言える立場じゃないって分ってるけど・・・ね、パパ。パパはママに謝らなきゃいけないんじゃない?
 エディット(厳しく。)生意気よ、アレクサ! 何てことを!
 ロロ ほっとけ! 僕はこの方がいい。こっちの方が自然なんだ、この子には。さっき、偽(にせ)の涙を流して、ワッと泣き出したりしたら、僕はこの子が嫌いになっていた筈だ。
 アレクサ さっき言ったことに戻るとね、ママは酷い目にあったのよ。怒鳴られて、侮辱されて、出て行けって言われて。それも下らない娘のお陰。汚い阿婆擦(あばず)れの娘のせいでよ。
 ロロ それをこの俺は、感心な娘、正直過ぎる娘だと思ったんだ。
 アレクサ そう。私、正直過ぎるの! ひょっとしたら。
 ロロ 正直過ぎ。考える方が先に立つ。頭でっかち。身体はまだ成熟していない。全く俺もよく言ったもんだ。それが、愛を再び蘇らせる女だとはな。
 アレクサ お世辞に言ったのよ、あの人は。
 ロロ お前のことを女よりも男に近いって思っていたんだ。男まさりな娘だと。それが、スカートの裾を持ち上げる! 何てことだ。
 アレクサ いつもじゃないわ。
 ロロ 謝るのはお前の方だ。母親に謝れ!
 エディット そんなこと、されたくないわ。
 アレクサ いいえ、ママ。私、喜んで謝る。きっと一人じゃ出来なかったわ。だって恥づかしいんだもの! でも無理矢理やらせられて私、嬉しい。ママ、私、心から悪かったわ。ご免なさい。
 エディット(アレクサを抱き起して。)何を謝ってるの。私の方よ、礼を言うのは。結婚生活で私、初めてよ、レオンに焼きもちをやかれたの。この人が本当は私のことが好きだって、あなたのお陰で初めて確信出来たわ。
 アレクサ(ロロに。)今の聞いた? やっぱり私が今朝言った通りだった。(エディットに。)私達三人の中で本物の人間、それはママって。
 エディット 二人とも嬉しいことを言ってくれたわ。でも私残念。家(うち)に悲劇が起っているお陰で言われた言葉だもの。
 アレクサ 悲劇?
 エディット お前、これを悲劇だと思わないの?
 アレクサ 悲劇なんて、もうとっくに・・・世界大戦前になくなっているわ。それをまだママったら、悲劇だなんて。
 ロロ そいつはお前を手籠めにしたのか。
 アレクサ レオン! そんなの、中世の話よ。
 ロロ おい、パパと呼ぶんだ、パパと。
 アレクサ 呼びたいのは山々なのよ。でも、気を使った方がいい・・・私が娘だって、思い出させるような言葉は遠慮しようと思って。
 ロロ(弱い声で。)お前は娘だ。私の可愛い娘だよ。その娘が私に与えた苦痛、それを私は考えているんだ。私は世間体、体裁が悪いから苦しんでいるんじゃない。世間体なんか糞食らえなんだ。何故苦しいか、それは、分らないからだよ。私には皆目、さっぱり、お前のやった事が分らない。これが苦しいんだ。
 アレクサ パパ!
 ロロ その私なんだからな、お前に色々話してやって、おまけに、もう少しは色っぽくしたらどうだとまで。
 アレクサ(おづおづと。)じゃ、パパ、私を追い出さないの?
 ロロ 追い出す? とんでもない。お前のせいじゃないんだ、これは。私が悪かったんだ。私はお前を信用し過ぎた。仕舞いには本当にエディットが生んだ子だと思ったぐらいだ。
 アレクサ 私、色々やったけど無駄だったわ。私はやっぱりあの母親の子供だった。
 ロロ 大袈裟な!
 アレクサ(甘えのある気分で。)私、どこか狂ってるの。落着いているもの、大嫌い。しとやかで、論理的で、慣習的なもの、みんな大嫌い。同じ人生だ。荒々しく、思い切って生きなければ損だって・・・しみったれて、人生を少しづつ使うなんて、そんなの嫌って・・・
 ロロ うんうん、分った、分った。だから正直に言ってくれ。「マクスィッム・誰」なんだ?
 エディット この子、言いたくないの。
 ロロ 「マクスィッム・誰」なんだ。
 アレクサ ママが答えたわ。
 ロロ そいつの正体、分って見せるぞ。よーし、必ず分って見せる。
 アレクサ 無理ね。
 ロロ そいつの顔をぶん殴るためだ。お前をいくら愛していたって、糞野郎に決ってる。そんな奴は。それから、お前と結婚させるんだ。
 アレクサ 糞野郎と私を結婚させたいのね?
 エディット(つい口から出てしまう。)それはかなり難しいわね。
 ロロ(聞き咎(とが)めて。)難しい? 何故だ。結婚しているのか。
 アレクサ(しっかりと。)いいえ、両親よ。両親が「うん」と言わないわ、決して。
 ロロ(エディットに。)お前もそう言いたかったのか。
 エディット(嘘が上手でない。)ええ。
 ロロ そいつは奇妙だ。
 アレクサ 何が。
 ロロ こんな御時世に、子供が親を怖がるなんてな。
 アレクサ いいでしょう? 怖がったって。
 ロロ ひどく金があるのか。
 アレクサ(不安そうに。)金って?(訳註 原文では、ロロの台詞は家庭が女性名詞であるため「彼女に金があるのか」とも受け取れ、アレクサは、「妻に金があるのか」とロロが言ったのかと思いギクリとする。しかしこれはうまく訳せなかった。)
 ロロ そいつの親にだ。マクスィッムの。そんなに親が怖いなら、そうだろう。
 アレクサ ええ、とても。
 ロロ それなら分る。(議論を戻して。)いや、結婚しているんじゃないのか?
 エディット 違うって言ってます。
 ロロ そう言っている人間には、お前も含まれているんだな?
 エディット 私は知りません。この子がそう言っているんです。
 ロロ ジェロームの友達か。
 アレクサ いいえ。
 ロロ クリスチアンか。
 アレクサ(苛々しながら。)いいえ。マルクの友達でも、エルヴェのでも、ジョルジュのでも、ステファンヌのでもないわ。
 ロロ ジャン・フランスワのバンドの一人か。
 アレクサ ええ、そう。
 ロロ(思い出しながら。)フン。ジャン・フランスワのバンドの一人・・・僕の知っている男・・・
 アレクサ パパが知っているとは私、言ってないわ。
 ロロ 今は言ってない。が、さっき言った。
 アレクサ さっき?
 ロロ さっき電話の声を聞かせなかったろう。それは僕がそいつの声が分るからだ。
 アレクサ まあまあ、御立派な推論。
 ロロ いいか、アレクサ、マクスィッムってのはチュルビゴだ。
 エディット(呆れて。)何なの? そのチュルビゴって。
 ロロ さっきのチュルビゴの奴なら、かなりのことが分ってるんだ。
 エディット 今夜のあなた、訳の分らないことばかり言うのね。
 ロロ アレクサには分ってるんだ。
 アレクサ 私に? 分ってなんかいないわ!
 ロロ(探偵の言う言い方。)いいことを教えてやろう、アレクサ。マクスィッムはジャン・フランスワのバンドの一人なんかじゃない!
 アレクサ あら、そう?
 ロロ それには年をとり過ぎている。
 アレクサ 年をとり過ぎ?
 ロロ チュルビゴの電話が終った時に言ったろう。「もうパパにはかなりのことが分っているんだ」って。
 アレクサ ああ、私が苛々っとした時ね?
 ロロ そうだ。若い男だったら、お前がしたような返事に黙っちゃいない筈なんだ。
 アレクサ(よく計算された言い返し。)私、「何?」「何ですって?」しか言ってないわ。
 ロロ それがね、ひどい言い方だったんだ。
 エディット 一旦女の子を好きになってしまったら、男なんてみんなあけて通すものよ。
 ロロ それから、「私の知ったことじゃないでしょう、勝手にして!」だからね。
 エディット この子、ジェロームに何度でもそんなこと言ってるわ。
 ロロ 「九時よ。十時じゃ駄目!」
 エディット 正確さだけに焦点があったのよ。
 ロロ(突然エディットに。)おい、エディット、お前、マクスィッムが誰だか分ってるんだな?
 エディット(心からの叫び声。)知らないわ、有難いことに。
 アレクサ 知ってたら今までにもう言ってたでしょうね。
 ロロ(エディットを疑い深そうに見る。それから話を戻して。)繰り返し言うが、マクスィッムはジャン・フランスワのバンドのメンバーじゃない。
 アレクサ いいえ、メンバーです!
 ロロ それに、どうして二十歳ぐらいの若い男の子が、今どき自分をマクスィッムなんて呼ぶんだ。せいぜいがマクスィミリアンだ。
 エディット だって、この人、マクスィッムって名じゃないもの。
 アレクサ(叫ぶ。)ママ!
 エディット(失敗と知ってがっくりする。)お前の助けになると思ったんだけど。
 ロロ そうか。こいつマクスィッムっていう名じゃなかったのか。有難う、エディット。マクスィッムという名前がひどく引っ掛っていたんだ。
 アレクサ あら、そう?
 ロロ じゃ、どうしてマクスィッムなどとサインするんだ。
 アレクサ 二人だけの馬鹿な冗談・・・
 ロロ 冗談? まあいい、説明してみろ。
 アレクサ 最初に出会った時、この人、ひどく立派に見えたの。だから私言った、「ラ・ロシュフコみたいな顔」って。
 ロロ それで?
 アレクサ だからじゃないの。ラ・ロシュフコの箴言(しんげん)・・・マクスィッム・ドゥ・ラ・ロシュフコ。
 ロロ 馬鹿な話だ。
 アレクサ そう、馬鹿な話。
 ロロ(考えながら。)ジャン・フランスワのバンドの中に、立派な顔ってのは一人もいないな・・・
 アレクサ がっかりだわね。
 ロロ(思い当る筋を追って。)誰か立派な顔・・・名前がマクスィッムではない・・・
 アレクサ(からかって。)クロスワード・パズルのヒントみたい。
 ロロ(考えても誰も出て来ない。)立派な顔の知り合いなんて、誰もいないな。
 エディット 一人ぐらいはいるでしょう。
 アレクサ(勢いよく。)親戚を一人一人上げてみたら?
 エディット(呆れて。)嫌よ。
 ロロ(遠くから手紙を眺めて。)そいつを調べれば、何かは分って来る筈なんだが・・・読むなんて、思っただけで気分が悪くなる。
 エディット そうね。この人、身体のことしか書かないんだから。
 ロロ 卑猥な奴だ、全く。(突然。)この筆跡、見覚えがあるぞ。
 アレクサ(ぎょっとするところを見事に抑えて。)あら、それは驚きね。
 ロロ 筆跡を隠して書いているんだ! しかし、この書き方は見覚えがある!
 アレクサ(本当に驚く。)筆跡を隠して? まあ!
 ロロ 可哀想に、アレクサ。お前、筆跡を隠して手紙をくれるような奴が好きになったんだぞ。
 アレクサ あらあら。
 エディット(信じられず。)筆跡を隠すなんて・・・どうしてそんなことを・・・
 ロロ このゼッドは見覚えがある。よく知っているゼッドだ、これは。
 アレクサ(確信をもって。)探偵ごっこはやめて。パパはこの人を知らない。それに、ゼッドなんて知りっこない。
 ロロ ホホウ、じゃ、どうしてさっき声を聞かせたがらなかったんだ?
 アレクサ だって、その人には訛りがあるんだもの。パパがからかうと厭なの、私。
 エディット 訛り? それは残念ね。
 ロロ 訛りだと?
 アレクサ 酷いの、それも。
 ロロ キャンタル出身なのか。
 アレクサ いいえ、メキシコ。
 ロロ ラ・ロシュフコはメキシコ人なのか。
 アレクサ(スペイン語の訛りで。)ドゥ・メクスィコ。
 ロロ それなのに立派な顔?
 アレクサ そう。それなのに。
 ロロ チャチャチャをお前、練習していたな? そいつを喜ばせるためか。
 アレクサ そう。
 ロロ 名前は何なんだ。
 アレクサ(躊躇なく。)フェルナンドー・モンテス。
 エディット メキシコの人が好きになるなんて・・・厭ね。
 ロロ(ふざけて。)花婿を紹介しよう。さあ、フェルナンドーだ、これが。
 アレクサ(悲しそうに。)まだ花婿じゃないわ。
 エディット それであの手紙も説明がつくわ。メキシコ人て、とても卑猥なんだから。
 ロロ(大きな声で。)分った!
 アレクサ(心配そうに。)分った?
 ロロ そうか。よくも騙してくれたな。
 エディット 本当に分ったの?
 ロロ 僕は知ってる、そのアズテックを。
 アレクサ 本当?
 ロロ メキシコ人じゃないんだ。この僕と同じにね。
 アレクサ 勝手に想像するのね。
 ロロ 糞っ、あいつめ、全く!
 エディット どうしたの?
 ロロ あいつの筆跡だよ。僕はよく知っているんだ。あいつの筆跡は。こんなのはあいつ以外には書けっこない。
 アレクサ(少し心配になって。)あら、そう?
 ロロ なかなかいい考えだったよ、フェルナンドーは。このゼッドを忘れるところだった。全くうまい目くらましをやるもんだ、お前は。
 アレクサ ね、うまいでしょう?
 ロロ ただ僕には第六感がある。それにこのゼッドがちゃんと分るからな。
 アレクサ 御立派!
 ロロ もう逃げようったって駄目だ。
 アレクサ 逃げたりしないわ、私。(笑う。)
 ロロ お前は今朝もそいつに会った。これは確かだ。
 アレクサ(笑い、止まる。)今朝?
 ロロ ほらみろ、ギョッとなった。
 アレクサ 全然。
 ロロ なったさ。真っ青だ。
 エディット でもこの子、今朝誰と会ったの?
 ロロ 今朝誰と会ったか、お前が僕に聞くのか?
 アレクサ(もう少しで叫び声が出そう。)そう、私、誰に会ったの?
 ロロ 医者だ! あのメルスィエだ!
 アレクサ(ホッとして。)・・・
 ロロ メルスィエの奴、実に医者らしい字だ。筆跡を隠す必要なんかない。処方箋にはいつもゼッドが書いてあるしな。
 アレクサ そうね。処方箋には必ずゼッドがあるわね。
 エディット(裏切られた気持で。)お前、メルスィエ先生が好きなの?
(アレクサ、曖昧な動作。)
 ロロ みんな符合するぞ。若くはない、親が厳しい、すごい金持、ジャン・フランスワの仲間でもある。・・・おまけにとても卑猥!
 アレクサ そう、ぴったり。
 ロロ 全くぴったりだ。・・・しかし・・・
 アレクサ しかし?
 ロロ お前の愛人じゃない。
 アレクサ(素直に。)ええ、違うわ。
 エディット 私もそう思った。あの人、あんなに育ちがいいんだから・・・
 ロロ(考えながら。)もしメルスィエだったら、お前は隠したりはしない。自慢する筈だ。それに、両親が猛反対など・・・いや、メルスィエじゃない・・・
 アレクサ そう、違うわ。
 ロロ しかし、もしメルスィエじゃないとして・・・今朝お前が会った男・・・そうか! 分った!
 アレクサ(心配そうに。)そう、分ったの。
 ロロ(少し怪物的な喜びを含んで。)こんなことがあるとはな。
 エディット まさか、ムッシュー・キャラディンヌではないでしょう?
 ロロ 全く信じられん。いい話過ぎるぞ、こいつは!
 エディット(はっきりした答でないので、憤慨して。)まあ!
 アレクサ(平静を装って。)ムッシュー・キャラディンヌのことを言ってるんじゃないのよ、パパは。
 ロロ いや、言ってるんだ!
 エディット(憤慨して。)でも、そんなの無茶よ。
 ロロ そう、お前に賛成だ。全く無茶な話だ!(恐ろしい勢いで。)よーし、こいつはただじゃすまさんぞ。見てろ! 見てろ!
 アレクサ そんなの無茶っていうものじゃないわ。馬鹿げてるわ!
 ロロ(賛成して。)そうだ、馬鹿げてもいる。しかしな、これは誰の責任なんだ?
 アレクサ 映画の話だと思ってるのね?
 ロロ この筆跡は処方箋の最後にあるやつじゃない。小切手の最後にあるやつだ。
 アレクサ 違うわ。
 ロロ(怒ると同時に、憐れみを込めて。)そう、このゼッド。いいか? このゼッドはな、「この金額をムッシュー・ロロに支払うべし」の最後のゼッドだ。「支払うべし」・・・ゼッド・・・(訳註 フランス語の命令形は最後がゼッドで終る。)
 アレクサ(強く。)違うわ。私、パパにそんなことさせない。あの人にそんな酷いことを決して・・・
 ロロ 可哀想に。お前、あいつを弁護しようというんだな? 本当は非難してしかるべきところなのに。
 アレクサ(急に。出任せに。)仕様がないわ。こうなったら全部言います。私、今朝その人に会ったの。医者に行ったって言ったけど、そうじゃなくて、その人のところに行ったの。キャラディンヌ家に行く前に。
 ロロ 事をややこしくしようっていう腹だな?
 アレクサ 信じないの? 私の言うこと。
 ロロ ほーら、見てご覧、この子を。すっかり慌てふためいて。この僕がお前の言うことを信じるなんて、もうとても無理だよ。お前にはそんな力はないよ。
 アレクサ(エディットに助けを求めて。)ママ!
 エディット 私達二人、どう言っても駄目ね、こうなったら。
 ロロ(思い出して。)電話の声を聞かせなかった理由もこれで分ったぞ。
 アレクサ(弱い声で。)訛りのせいよ!
 ロロ 例のチュルビゴの手もな、お前があいつに教えたんじゃない。この僕だ、教えたのは。マドゥムワゼッル・ミシャレの家にキャラディンヌと二人で電話をかけた。この時に使った手なんだ。一九三一年だ、あれは。分るか? アレクサ。一九三一年のことなんだ。
 エディット フランスワーズ・ミシャレ?
 ロロ そうだ。
 エディット(苦々しい気持で。またロロをからかう気分も混って。)マドゥムワゼッル・ミシャレ・・・あの人の話、このところずっとしてなかったわ。
 ロロ キャラディンヌだ。そう、キャラディンヌだったんだ。あいつのことを何故思いつかなかったんだ、この俺は! この二十年間、俺は五分だってあいつのことが頭になかったことはない。いつだってあいつのことばかり考えてたんだ。それが、一番大事な「この時こそ忘れちゃいかん」という時に思い出さない! 何ていう馬鹿だ!
 エディット そうね。
 ロロ 何故あいつのことが嫌いだったのか、これで分ったぞ! こいつがもう見えてたんだ!
 アレクサ 二十年前からね!
 ロロ 俺にはすぐ分る筈だったんだ! ただお前がそいつのことを「立派な」男って言ったからな。
 エディット 立派でどうして分らないの?
 ロロ 当り前じゃないか。あいつは「立派」じゃない。だから分らなかったんだ!
 エディット あら、あの人、立派な風貌よ。
 ロロ 何だと?
 エディット ええ、勿論えげつない人よ。でも、立派な風貌。
 アレクサ 的外れよ、この話。
 ロロ 立派だろうと何だろうと、俺は奴を・・・奴を叩き潰してくれる。
 アレクサ あの人じゃないって、私、言ってるでしょう!
 ロロ 無駄な言い逃れだ。こっちには証拠がある。
 アレクサ 証拠?
 ロロ あいつの手紙・・・俺にくれたただ一つの手紙だ。いつも肌身離さず持ってる。(財布からそれを取り出す。)マクスィッムの手紙と比べてみればすぐ分るさ。
 エディット(二つの手紙を比べて。)可哀想に、アレクサ。
(アレクサ、エディットに近づく。)
 ロロ(激しい口調で。)見るだけだ! 触っちゃいかん!
 エディット パパの言う通り。この人、筆跡を隠してるわ。
 アレクサ(ひどく傷ついて。)下品! 何て!
 ロロ 分ったか、これで。奴にたっぷりお礼が出来るぞ。他のものもみんなひっくるめてな。
 アレクサ でも、どうしてあの手紙、パパは持ってたの?
 ロロ あいつが俺に恩を着るような立派なことを俺はあいつにやってやった・・・その証拠なんだ、これは。
 エディット(そんな行為は二人の女遊びに他ならないという非難の気持は全くなく。)最近の話? それ。
 ロロ 違う。一九三二年だ。そう、三十二年の四月だ。
 エディット 話してくれたことなかったわね、その話。
 ロロ お前にはね。謙虚なんだ、この僕は。(エディットに手紙を渡して。)読んでごらん!
 エディット(読み上げる。)「下に署名するこの私、ノエル・キャラディンヌは、下記の二つのことに対し、永遠の感謝をレオン・ロロに捧げる。まづ第一に、アンリ・マルベール社において、私、ノエル・キャラディンヌが犯した窃盗を、彼、レオン・ロロが、代りに罪をかぶってくれたこと。また第二に、その後アンリ・マルベールによる酷い折檻にもじっと耐え、決して私、ノエル・キャラディンヌの名を明かさなかったこと。有難う、レオン。」(エディット、目を上げる。)一九三二年! あなた、十七歳だったのね。
 ロロ 聞いたか。こういう男が俺の娘を誘惑したんだ!
 エディット 本当に・・・えげつない!
 ロロ それに今朝、この子が来る前に、あいつ、「娘さん、十二歳になっているだろうな」なんてしらばっくれて。
 エディット 酷い二枚舌!
 ロロ そうだエディット、あいつはお前を侮辱したんだ。お前を犯したんだぞ、あいつは。
 アレクサ(殆ど消え入らんばかりに。)パパ、私、エディットの子供じゃないわ。
 ロロ(アレクサに。)あいつをどこで知ったんだ。
 アレクサ(優しく。)パパを苦しませることになるわ。
 ロロ どこで知ったんだ。
 アレクサ スキーで。
 ロロ やれやれ、お前の健康を思って行かせてやっていたのが・・・
 アレクサ ある日、シャモニーでヒッチハイクしてた・・・サン・ジェルヴァまで行こうとして。・・・拾ってくれたのがあの人。
 ロロ(苦々しく。)拾ったのか、お前を。
 アレクサ そう、拾ったの、私を。それからあの人、夕食に誘ったわ。
 エディット 他に楽しい仲間がいて、この子、その子達とも話してみたかったの。
 ロロ どうしてお前がそんなことを知っているんだ。
 エディット 手紙にあったわ、それは。
 ロロ 手紙には身体のことしか書いてないと言ったぞ、お前は。
 エディット(それには答えず。)他の三人の男の子には、一人づつ女友達がいて、あの人にはいなかった。アレクサを見てあの人、他の女にアレルギーを起した。
 ロロ(驚いて。)他の女にアレルギー?
 エディット 手紙にそう書いてあるのよ。
 ロロ ああ・・・それで!
 エディット(誇らしそうに。)でもこの子、すぐには落ちなかった。
 ロロ 当り前だ。
 アレクサ 私、六週間突っ放したの。スキーではこれ、記録よ。
 エディット 何言ってるの。スキーの時には、落ちたことないんでしょう?
 アレクサ ええ、まあ。私、話を短くしようと思って。
 エディット パリでもなのよ。
 ロロ そいつはよかった。
 エディット この子、自分が思っているよりはずっといいのよ。
 アレクサ(思わず自分に対して皮肉になり。)私、ずっといいのね?
 エディット あの人、六箇月待ったのよ。
 ロロ 可哀想に。お前も頑張ったんだな。
 エディット 六箇月よ!
 アレクサ あの人、そんなに私のこと好きでたまらなかった癖に、その間ずっと筆跡を誤魔化していたなんて!
 ロロ(話を戻して。)それで、お前は落ちた。いつだ。どうやってだ!
 エディット いいでしょう? そんなこと。
 ロロ いつだ。どうやってだ!
 アレクサ そんなこと話したら、パパ、苦しいだけでしょう?
(間。)
 ロロ そう。もっともだ。有難う。そこは飛ばそう。
 アレクサ ええ。
 ロロ(再び怒鳴る。)だけど、何故あいつ・・・よりによって、何故あいつ・・・なんだ!
 エディット 運が悪かったのね。
 ロロ(また怒って。)それにヴェロニック! 何をしていたんだその間、ヴェロニックは!
 アレクサ あの人、スキーが大嫌いなの。
 ロロ そんなのんきなことで、何が嫉妬深いだ!
 エディット でも、ちゃんと・・・
 ロロ 今朝あのヴェロニックの奴、お前のことを、「あなた、私に親切ね」なんて言ったんだ。全く、第六感の働かないやつだ!
 アレクサ(憂鬱に。)パパ以外にそんなもの働く人、いないのよ。
 ロロ 六箇月もあいつ、キャラディンヌをほったらかしにするなんて! 僕はな、六週間だってエディットを一人にしてはおかないぞ!
 アレクサ あの奥さん、ちゃんとスキーの仲間の中にスパイを入れておいたの。コンスタンスを。
 ロロ コンスタンス・アルドゥアンか?
 アレクサ そう。
 ロロ(心からの叫び。)美人だ、あれは。
 アレクサ コンスタンスと寝たのよ、ノエルは。口止めのために。
 ロロ 厭な奴だ、全く。
 アレクサ その後、すぐ捨てちゃった。
 ロロ いよいよもって酷い奴だ。
 アレクサ でも、口止めは続く程度にね。
 エディット それでヴェロニックは怪しいと思っていないのね? 全然。
 アレクサ ええ、ちっとも。それにあの人、嘘が上手なの。パリでも、サン・トロでも、手を替え品を替え、冗談で誤魔化して。それはうまいものよ。
 ロロ お前、驚いたんだな? また。嘘つきってものがどういうものか知って。
 アレクサ でも、可笑しいのは、あの人がそれほどまで奥さんを怖がっているっていうこと。
 ロロ そうか。卑怯者を知って、また驚いたわけだ。
 アレクサ 嘘つきだの、卑怯者だの・・・私だってそれだわ。私、エディットの子供じゃないの。
 ロロ そうさ。エディットの操にゃ、お前は縁がないんだ!
 エディット(苛々と。)ほっといて頂戴、私の操なんて。二人とも私のことを何て思ってるの。まるで私が、誰からも言い寄られたことがないって決めつけてのね!
 ロロ(驚いて。)何だって?
 エディット 私、確かに用心はしてるわ。でも、私のこと欲しいって思う男だっているの。例えばキャラディンヌよ。私に言い寄ったんだから。
 ロロ ええっ? お前にもか。
 エディット そうよ!
 ロロ 娘に慊(あきた)らないで、母親にもか!
 エディット いいえ、私のは昔。この子はまだ七つだった。
 ロロ 全く、こういう手合いには、別に法律を設けるべきだな。
 エディット あの人、魅力はあったわ。それは言っておかなくちゃ。でも私、ちゃんと抵抗した。だって有難いことに、私、その頃、愛していた人がいたもの。
 ロロ 誰だ! そいつは。
 エディット あなたじゃないの。馬鹿ね。
 ロロ 頭が変になりそうだ。
 エディット アレクサに言い寄る時よりはしつこくなかったわ。まあせいぜい二週間。(アレクサに、素敵な微笑を浮かべて。)お前ほど気に入られなかったの、私は。
 ロロ 俺をわざわざ怒らせたいのか。そんな話をして。
 エディット その頃お話しなかったのは、もうあなた、その頃でも酷くあの人を嫌っていたからよ。
 ロロ(怒鳴る。)そんなことをしておいてあの野郎、九時丁度には来いなどと。おまけにあんなに待たせやがって!
 エディット 私にも同じ目に!
 ロロ そうだ、お前にもだ! ずうずうしく、金をくれてやるだなどと。
 アレクサ だって、頼みに行ったんでしょう?
 ロロ 真面目な発明に対してだ! それをあの野郎、ボロ儲けの種にしようと・・・汚い奴だ。
 エディット ちょっと言い過ぎね。
 ロロ 娘の操を俺からふんだくって、あの野郎、この一家全体を恥づかしめたんだ!
 アレクサ 落ちついて話しましょうよ。
 ロロ あいつの顔にさっきの金を叩きつけてやる!
 エディット いい考えよ、それ。
 ロロ(最高潮に達したところでつまづいて。)あっ!(情けない声で。)ああ・・・ああ・・・全く、何てこった!
 エディット どうしたの?
 ロロ 仕立屋に払ったんだ。せいぜい投げつけて四十三万五千フランだ。
 アレクサ じゃ、止めとくのね。
 ロロ 全く、仕立屋に払うなんて、何のつもりだったんだ、この俺は!
 アレクサ パパはノエルに何の借りもないのよ。あれは売ったんですもの。
 エディット あの人、買うしかなかったのよ。
 ロロ そう思うのか、お前は。
 エディット そう。買うことなんかなかったの。
 ロロ あっ、それに、スィモンヌ・スーシーのことがある。
 アレクサ(冷たい皮肉を込めて。)そう、それがあるわ。
 ロロ スーシーに損をさせる訳にはいかない。
 アレクサ そうよ。
 ロロ よし、もうこのことは終だ。なるようにしかならない。
 アレクサ そう。商売は商売。
 ロロ(急に嬉しそうな顔になり。)さあて、すると、ムッシュー・キャラディンヌ、これは金抜き、商売抜き、男と男の対決だぞ!
 アレクサ(ひどく心配になり。)何をするの? パパ。
 ロロ 別に何もしやしない。復讐さ。お前の復讐も兼ねてな。
 アレクサ 私の復讐? 私、復讐なんてして貰いたくないわ。
 ロロ この僕から盗んで行った金を返して貰うんだ。
 エディット 何を言ってるの、あなた。
 ロロ あいつを殴り倒すのにブルディーユの助けなど、もういらないぞ。(手紙を指し示しながら。)これだ。これがダイナマイトだ! ムッシュー・キャラディンヌを粉々に吹っ飛ばしてくれるぞ!
 エディット レオン!
 ロロ(聞き手を恐れさせる、物凄い調子で。)ボン! ボン! パッ! パッ! 空中に飛び散るんだ、ムッシュー・キャラディンヌは!
(ロロ、自分の首を手で絞める。窒息させる真似をする。)
 エディット(呆れて。)何の真似です、あなた! 頭がどうかしたんですか!
 ロロ 嬉しいんだ。
 アレクサ 酷いわ、これ。
 ロロ(異常な高揚。とりつかれたように。)待ってたんだ、俺は。この時を!
 エディット 手を放しなさい! 喉から。
 ロロ(陽気に。)どうして。俺は気分が悪かった、ついさっきまで。酷く気分が悪かったんだ! 今、俺は生き返った!
 アレクサ(あからさまに不快感を表に出して。)生き返った?
 ロロ あいつを叩き潰して、踏み潰して、粉々にしてやるんだ! こんな風に。
(花瓶を取り、床に叩きつける。花瓶、割れる。)
 エディット(悲しそうに。)あなたのお母さまのかたみなのに!
 ロロ(空にいる誰かに向って。)ご免、ママ。僕は嬉しくて!
 エディット(膝をついて、欠片(かけら)を拾う。)すっかり粉々じゃないわ。くっつけられる、きっと。
 ロロ 粉々になったあの野郎は、くっつけられっこないぞ!
 エディット(立上がって。)あなた、私、心配。頭、どうかなったんじゃない?
 ロロ うん、どうかなった。嬉しくてな。
 アレクサ 何をしようっていうの? 一体。
 ロロ 僕がか? 僕は何もしない。あいつがやるんだ、全部。あの手紙だ。あの嬉しい手紙が間(あいだ)にはいって、後は全部あいつがやるんだ。
 アレクサ(呆れて。)あの手紙を使うっていうの?
 ロロ「ほら、私の言った通りでしょう? って言いながらスカートの裾を持ち上げる。」そういう女があいつにいるってことを、もしヴェロニックが知ったら・・・後は大運動会さ。
 アレクサ ヴェロニックにあの手紙をパパ、渡すって言うの?
 ロロ 当り前だろう。
 アレクサ(叫ぶ。)パパにその権利ないわ! あの手紙、私のものよ!
 エディット そう、この子の言う通り。あなたにそんな権利ない! ヴェロニックは死ぬかもしれないわ!
 ロロ 脳に熱が出たことは昔あるんだからな。それに、あれだけ幸せな暮しがあったんだ。あれで十分だ。俺達のこの惨めな生活をこれからは経験して貰うさ。飼っていた良い旦那様が、蓋を開けてみればただの女たらしだったってことなのさ。
 エディット レオン、あなた・・・ヴェロニックはあなたのこと、愛していたことがあるのよ。
 ロロ そう。まあ、あいつには少しは悪いって気持はあるね。しかしキャラディンヌの尻尾は掴まえたんだ。もう逃がしはしないぞ。
 アレクサ 酷いパパ!
 ロロ あの野郎が物乞いをする姿・・・いい気味だ。控えの間で待たせておいて言ってやるぞ、「ああ、失敬した。忘れていたんだ。」風呂に入って、それから寝てやるぞ。下僕にさんざん嫌味を言わせてやるんだ。
(ロロ、自分の首を絞めていた手を緩める。少しふらふらする。)
 エディット 倒れるわ、あなた!
 ロロ まだだ。もう少しでばったりかもしれないがな。こっちが倒れるまであいつのことを笑ってやらなきゃ。そう、この絨毯の上に這いつくばらせてやる!
 アレクサ パパはそんなこと、しっこないわ。
 ロロ いや、やるんだ、俺は。これはもう芝居じゃないんだ。本気で笑ってやる。(ロロ笑う。気味の悪い、淋しい笑い。)
 エディット(驚いて。)お止めなさい! 変になるわよ、そんなことをしていたら。
 ロロ まるで病人扱いだな。言ってるだろう? 僕は幸せなんだ。分るな? 幸せいっぱいなんだ!
 エディット 私、何か飲み物を持って来るわ。
 ロロ いい考えだ。この僕の勝利を祝うためにな。今度はあいつがなるんだ・・・「いも」に!
(エディット、アレクサに目配せをして退場。)
 アレクサ その顔!・・・自分で見てみたら?
 ロロ あの野郎は、お前を知った日のことを呪うようになるぞ。
 アレクサ それ、私が喜ぶと思って言ってるの?
 ロロ そんなこと、思いはしない!
 アレクサ(優しく。)パパ、少しは私のことを思って下さらない?
 ロロ 悪いがな、時間がないんだ。
 アレクサ パパのその、華々しい働きの後、私はどうなるの?
 ロロ いつまでもお前を笑わせる役ばかりはしていられないのさ。
 アレクサ パパが手紙を渡す。ヴェロニックはあの人を追い出す。あの人はヨブのように貧乏になる。パパは幸せ。でも私はどう?
 ロロ それでもお前はあいつを愛し、結婚する。それとも若気の過ちと知ってあいつを路頭に迷わせたまま放っておく。
 アレクサ 若気の過ちじゃないわ、あれは。
 ロロ 過ちそのものでなくても、過ちから出て来たものだ。
 アレクサ パパは私を少しは幸せにしたいと思ってくれないの?
 ロロ 金がなくても幸せにはなれるぞ。
 アレクサ あの人の金がなくなる原因はこの私なのよ。その私と一緒で幸せになんかなれっこないでしょう? あの人。
 ロロ 後悔することはないさ。あんな奴と一緒で誰が幸せになれるっていうんだ!
 アレクサ パパ! ねえ、パパ!
 ロロ 泣き落としになどひっかからんぞ! この僕の優しさをあてにしているな。それともこの僕のアホさ加減に期待しているか。(怒鳴る。)終りだ! 優しさなど! アホさ加減にもおさらばだぞ! キャラディンヌの奴を救おうったって、誰も何も出来るもんか。
 エディット(台所から登場。手にグラスを持っている。)さ、飲んで。オレンジ・キュラソーよ。これ、落着くには一番!
 ロロ(グラスを押し退けて。)もう落着いてる。
 エディット お願い。
 ロロ 僕はとても落着いている。
 アレクサ(陰気に。脅すように。)私だって落着いてるわ。パパ、聞いて。パパがもしこんな馬鹿な復讐を止めることにしたら、私・・・よく人が言ってるあれ・・・一生涯、息を引取るまで、パパのためにお祈りするわ。もし止めないんだったら・・・
 ロロ 止めないんだったら?
 アレクサ もし止めないで、あの人のことを破滅させたら、パパは私も失うの。
 ロロ 泣き落としの後は脅しか。
 エディット お前、家を出て行くっていうの?
 ロロ そういう意味だろう、きっと。
 アレクサ(エディットに。)ママにはこっそり会いに来るわ。
 エディット で、パパは?
(アレクサ、黙っている。)
 ロロ そう。パパはどうするんだ。
(アレクサ、黙っている。)
 ロロ アレクサ、お前は本当に大変なことをやってくれたんだ。パパはこんな辛い目にあったことは今まで一度もない。(ロロ、声が詰まる。)あまりに辛くて、こんなことは止めようと思った。だけど、言っておく! それは一瞬だけだった。たった一瞬だ、躊躇(ためら)いは。可哀想に、この俺! 可哀想に、この家族! しかしやらなきゃならん! どうしても、これは!
 アレクサ(強く。)それはちっとも、私があの人の女になったからじゃないわ。あの人がママに言い寄ったからでもない。ただ一九三一年のあの話のせいなのよ! 私達のはただの口実よ!
 ロロ(真面目に。)それは違う。
 エディット この子の言う通り。きっとフランスワーズ・ミシャレのせい。
 ロロ 何だ、お前もか!
 エディット 私もって・・・何?
 ロロ お前は少なくとも、落着いて貰いたいんだ。
 エディット そうね、そうだったわ。
(エディット、オレンジ・キュラソーを飲む。電話が鳴る。)
 ロロ(自分の腕時計を見て。)九時十分だ! 待ちきれなくなったな。
(アレクサ、自分の部屋に戻ろうとする。)
 ロロ(雷のような声で。)いるんだ! ここに。
(アレクサ、従う。)
 ロロ あいつに言ってやるんだ。待ち合わせ場所を変えた。家に来いってな。
 アレクサ(冷たい声で。)どうして私がするの、そんなこと。
 ロロ この私が命令しているからだ。
 アレクサ 聞く訳ないでしょう。
 ロロ この私が頑固なのは知っているな?
 アレクサ 私、パパの子供なのよ。
 ロロ そうでなくなるって話だったな、さっき。
 エディット(懇願するように。)パパの言う通りにして、アレクサ。
 ロロ どうしても言うことを聞かせるぞ! こっちだって脅しぐらい出来るんだ。
 アレクサ 怖くないわ、何をされたって。
 ロロ お前にしようっていうんじゃない! もしお前が言うことを聞かなかったら、明日あいつの事務所で、いや、レストランでもいい、会議中でも、ヴェロニックの家でも、どこでもいい、あいつを殴り倒してやる。理由もちゃんと言ってな。(陽気に。)忘れるな、この私は怒り狂った父親なんだ。それに筋肉隆々のな!
 アレクサ 聞かないわ、パパの命令なんか。
 ロロ ちゃんと言うことを聞きさえすれば、あいつには指一本触れないと約束する。さもなきゃ、あいつは必ず病院行きだ。
(アレクサ、受話器を取る。ロロ、その手を止める。)
 アレクサ(腹を立てて。)放して! 放してったら!(受話器に。)ええ、私。私、とても疲れてるの。それより家に来て。みんな、お芝居に行ってる。
 ロロ いいぞ。
 アレクサ 扉のところに鍵を置いとく。すぐ入れるわ。・・・えっ? 私が? おかしくないわよ、ちっとも。じゃ、待ってる。
(アレクサ、受話器を置く。)
 ロロ 扉のところに鍵か。慣れたもんだな。
 アレクサ(乱暴に。)乱暴はしないって。約束よ!
 ロロ うん、約束する。
 アレクサ ママの首に賭けて、誓って。
 ロロ 信用がおけないのか?
 エディット あなた、気違い。気違いには気をつけなきゃ。
 ロロ 誓う!
 エディット 私の首に賭けて。
 ロロ お前の首に賭けて。
 エディット(アレクサに。)これなら大丈夫。
 ロロ ボーイフレンドは、ここからすぐのところだな? 勿論。
 アレクサ サンジェルマン通り。
 ロロ やっぱりな。・・・よし、じゃ、お二人にお引取り願おう。これからは、僕とそのラ・ロシュフコー・フェルナンド・モンテス氏とただ二人の対決だ。
 アレクサ(絶望的に。)ああ、もうそれ、止めて欲しいわ。
 ロロ エディット、扉のところに鍵だ。それから、自分の部屋に入って、じっとしているんだぞ。
 エディット 落着いてね、あなた。
 ロロ 落着いてなんかいられるか。嬉しいんだ! 幸せいっぱいで、筋肉は弛(たる)みっぱなしさ。
 エディット ということは、あなたにとって幸せとは・・・(エディット、玄関の扉の方に退場。)
 アレクサ あの人にさよならを言うの、許してくれるわね?
 ロロ 分ってる。パパは獣(けだもの)じゃないんだ。
(ロロ、アレクサを部屋に閉ぢ込めるための鍵を試す。)
 アレクサ 私を部屋に閉ぢ込めるの?
 ロロ 変な時に出て来られて、折角のお膳立てを壊されるのは厭だからね。
(エディット、帰って来る。二人に構わず、自分の部屋に入る。)
 アレクサ 心配いらないのに。死刑執行を見たいって、入場券を要求するような人間じゃないわ、私。
 ロロ まあ、念には念を入れろ、だ。
 アレクサ(悲しみと嫌悪を込めて。)じゃ、御勝手に!
(アレクサ退場。ロロ、その部屋に鍵をかける。一人になる。ポケットから手紙を取り出し、読み始める。)
 ロロ 糞っ! 何て奴だ! 何て奴だ!
(突然ある場所に出くわし、そこを念入りに読む。)
 ロロ フン、こいつはいい!
(外の廊下に足音。ロロの顔、明るくなる。電気を消す。一つだけを残す。隅に隠れる。キャラディンヌ登場。)
(キャラディンヌ、誰もいないのに気づき、ひどく驚く。用心深くアレクサの部屋に進む。ロロの大声で足を止める。ロロ、大声を出すと同時に電気をつける。)
 ロロ(スペイン語で、陽気に。)アリバ、フェルナンドー!
 キャラディンヌ(飛び上がる。)何だって?
 ロロ ケ・タル・アミーゴ!
 キャラディンヌ 何だ、その言葉は。
 ロロ 分らんだろうな。しかし、こいつは面白い話なんだ。
 キャラディンヌ(今では全く楽な気分で。)フン、面白い話か。それはどうだか。ま、とにかく、今のには驚かされたよ。
 ロロ 出だしに過ぎないがね。まあ、坐れ!
                    (幕)

     第 三 幕
(同じ場。第二幕のすぐ後。)
 キャラディンヌ(第一幕と同じ態度で。)また少し金が必要なのか。
 ロロ 金? ほんの今朝方のことじゃないか。僕の顔を五十万フランの札束でひっぱたいたのは。
 キャラディンヌ そう、その通り。奥方はどうした。
 ロロ 有難う。元気だ。
 キャラディンヌ で・・・その・・・娘さんは?
 ロロ(相手の躊躇(ためら)いに気がつかない様子で。)ああ、あれも元気だ。
 キャラディンヌ お二人にご挨拶したいものだな。
 ロロ 駄目だ。
 キャラディンヌ 何故駄目だ。
 ロロ エディットはもう寝ているだろう。それからアレクサはサンジェルマン通りに、友達に会いに行っているからな。キャラディンヌ、反射的に立上がる。)おい、どうした。坐れ!
 キャラディンヌ つまりその・・・僕は急いでいて・・・
 ロロ 「こんなところにいたくない」というのはいいがな。「急いでいる」というのは駄目だ。
 キャラディンヌ いや、本当なんだ。
 ロロ(狙った鼠は逃がさない、と。)君とは二十年来の仲だ。しかし、その間一度だって僕を訪ねたことはなかった。今日訪ねてくれる決心をしたとなれば、君は急いでいないという意味なんだ。さあ、坐れ!
 キャラディンヌ(狼狽して。)分った・・・急いでない・・・急いでない!
 ロロ(しっかりと。)さっきから僕はそう言ってるだろう? さあ、坐れ!
 キャラディンヌ(再び坐る。)君が出かけているんじゃないかと、内心心配していたんだ。
 ロロ(何も気づいていないという顔でキャラディンヌを見つめて。)それでも来た。実に親切だ! それに、本当だったら、会えないところだったんだ。エディットと僕は芝居に行くことになっていたからな。それが急にエディットの奴、気分が悪くなって・・・
 キャラディンヌ(思わず。)ああ、それで・・・
 ロロ ああ、それで・・・何なんだ。
 キャラディンヌ 娘さんに僕が会わなかったのは不思議だな。
 ロロ 何故。
 キャラディンヌ だって君、さっき言ったろう? 娘さん、友達に会いにサンジェルマン通りの角に行ったって。僕も今、そこから来たんだ。だから・・・
 ロロ 娘がここをいつ出たかは言ってないぞ、僕は。
 キャラディンヌ ああ、そうか。
 ロロ おい、君。君の態度はな、まるで家(うち)の娘が君にここに来いと言って、君が来てみたらいなかったっていう、そんな態度だぞ。(キャラディンヌ、立上がる。)何故じっと坐ってないんだ。そういちいち立上がられちゃ、落着かなくっていけない。
 キャラディンヌ 君はまるで僕が・・・
 ロロ まるでもへちまもない。娘のことだがな、全く笑えるよ。君は今朝まであの子が十二歳のおねんねだと思っていたんだからな。
 キャラディンヌ(話の方向が変り安心して。)そうだ、その通りだ。
 ロロ 早く坐れったら!
 キャラディンヌ(坐る。)で、その・・・(サンジェルマンに出かけたという話をしようとするが、思いとどまり。)で、その・・・君のその金はいらないという話だが、信じられないね、ちょっと。
 ロロ 君の目から見ると、綺麗事すぎるって訳だ。
 キャラディンヌ まあね。
 ロロ(人のよさが却って凄みになる調子で。)君から借りるどころか、今までの分、全部耳を揃えて返してやろうってね。そう、一度で全部。何から何まで!
 キャラディンヌ ホウ、それは凄い。
 ロロ ただちょっと、その前に、相談にのって欲しいことがあってね。
 キャラディンヌ それは任せろ。(ふざけて。)相談にのるということは、金を貸す必要はない。いい考えを出せばいいだけだからな。
 ロロ 実はその、エディットと僕に困ったことが起きてね・・・アレクサに男が出来たんだ。
 キャラディンヌ あの年なら、別に大事件でもないだろう。
 ロロ(面白がって。)まだ十二歳だと思っているのか? 男が出来たって言ってるんだぞ。それもかなり進んでいる。若い男とだ。
 キャラディンヌ 何だって!(立上る。)
 ロロ また立つのか!
 キャラディンヌ 失礼。(再び坐る。)
 ロロ そう。若い男。ハンサムで、魅力があって、陽気で、家庭もいい。ジェローム・ジャッケだ。
 キャラディンヌ ああ、あいつなら二三度僕も会ってる。しかし馬鹿だぜ、あいつは。ただ背伸びしているだけの男だ。
 ロロ 可哀想に。そいつは囮(おとり)でね。
 キャラディンヌ おとり?
 ロロ 罠さ。そいつを、アレクサは利用しているだけなんだ。目隠しだ。夫婦で見事に騙されてたよ。
 キャラディンヌ 目隠し?
 ロロ ジェロームが怪しい、と二人でそっちに気を取られている間、アレクサの奴、本命とよろしくやっていた・・・年をくってる。僕と同じぐらいの。酷いバカで、酷い金持で、酷く狡(ずる)い奴だ。
 キャラディンヌ どうしてそれが分った。
 ロロ エディットがそいつの手紙を見つけたんだ。
 キャラディンヌ えっ!(立上がる。)
 ロロ またか。よく立つ男だ。
 キャラディンヌ(再び坐って。)そうだな。僕はどうなっちゃったんだ。・・・それで、君はそいつを知ってるのか。
 ロロ 厭な野郎なんだ。
 キャラディンヌ あー・・・うん。
 ロロ そいつの苗字は分らない。名前はマクスィッムという。
 キャラディンヌ 苗字は分らないんだな?
 ロロ そう。アレクサにそれを訊いた。答は、マクスィッム・ドゥ・ラ・ロシュフコだ。
(キャラディンヌ笑う。安心した様子。)
 ロロ 何が可笑しい。
 キャラディンヌ(優しく。)今時の若い女の子っていうのは、おかしいからな。
 ロロ 父親にとっちゃ、ちっともおかしくないぞ。
 キャラディンヌ(金のシガレットケースから一本煙草を取って。)いいかな?
 ロロ ああ。(続けて。)いいか、ノエル。そいつがな、その厭らしい、すけべ爺(ぢぢい)が間違い電話の手を使って、家(うち)に電話をかけてきたんだ。
 キャラディンヌ まさか。
 ロロ 「そちらはチュルビゴか」ってな。
 キャラディンヌ(相手をあまく見て。)フム、そいつは僕にはとても思いつかない手だ。
 ロロ ノエル、お前・・・(言い止める。)いや、まだ早い。この段階では駄目だ。順序正しくやらなきゃな。
 キャラディンヌ(再び少し心配になって。)君、今夜はひどく機嫌がいいんだな。
 ロロ(これには答えず。)ノエル、僕は君とは一九二八年からのつきあいだ。
 キャラディンヌ ほほう、まづは歴史を振り返る、か。
 ロロ 君との最初の思い出は、「悪臭玉(あくしゅうだま)」の一件だ。
 キャラディンヌ(陽気に笑って。)ああ、そうだったな。
 ロロ 悪臭玉の話は君、よく覚えているのか?
 キャラディンヌ うん、まあな。
 ロロ 数学の教師の鞄の中に六個・・・僕が入れといたんだ。
 キャラディンヌ 数学のマンモス親父ね。
 ロロ そう、マンモス親父。鞄が臭ってきて、凄かった。
 キャラディンヌ 凄かった、あれは。
 ロロ 僕はやったって、誰かが言い付けたんだ。マンモスの奴、僕をあいつの車の中に閉じ込めやがった。それも、玉の臭さが最高の時にだ。
 キャラディンヌ あの時の君の顔ったらなかったな。
 ロロ 誰だ、言い付けたのは。
 キャラディンヌ(即座に。)僕だな、多分。
 ロロ そう、君だ。・・・一九三二年に君はマルベールで盗みをやった。そして僕は代りに罰を受けた。君は一生僕に感謝しなけりゃならん立場だ。
 キャラディンヌ(相変わらず陽気に。)それで僕は感謝していない。
 ロロ(キャラディンヌを見ながら続ける。)僕達二人は学校の校門で女の子を待ち伏せして誘った。君はいつでも一番のブスを僕にあてがった。
 キャラディンヌ そんな事を言ったって、話なんか連中とした訳じゃない。ただそうなっただけだぞ。
 ロロ それにしたって、とにかく僕には一番のブスがいつも残っていた。おまけに一九三二年十月、君は僕からフランスワーズ・ミシャレを取り上げた。
 キャラディンヌ うん、覚えている。しかしちゃんと翌年の七月には返したぞ、君に。
 ロロ 「返した」が、聞いて呆れるよ。あれが返したことになるか! 男にはもううんざりで、君を忘れるために誰とでも寝るっていう状態だったんだからな。
 キャラディンヌ そうだったな。あいつ、君が好きだと言って騙して、さんざん他の男と寝ていた。君はそれを知らなかった。浮気されていた期間・・・そいつは記録物だったぞ。
 ロロ 十七歳の時に浮気もへちまもあるもんか。だけどとにかく僕は怒り狂ったね。
 キャラディンヌ こんな昔のことをほじくり返して、一体何だって言うんだ。
 ロロ 君はうまくヴェロニックと結婚した。僕のことを脳がおかしくなるまで愛していたヴェロニックとだ。
 キャラディンヌ 君の彼女を幸せにしたからと、君は僕を責めるのか?
 ロロ(嘲笑う。)幸せに?・・・まあいい。後だ。一九三六年、僕が全く予期しなかった事が・・・
 キャラディンヌ(再び尊大な様子を作って。)僕を馬鹿にしたようなその口調、そいつが気に入らないな。
 ロロ 君が気に入らないことはこれからさ。さかんに出てくるんだ、これから。ま、聞くんだ。
 キャラディンヌ どういう話になるんだ一体、これは。
 ロロ(前置きはこの辺でいいと判断し。)言ってやろう。一九二八年、三三年、そして五七年、貴様っていう奴は糞野郎だったと証明してみせたかったんだよ、なあノエル君。
 キャラディンヌ(立上る。)そいつは言い過ぎじゃないか、いくら何でも。
 ロロ そして貴様は今でも糞野郎なんだ。さあ、坐れ。
 キャラディンヌ そして貴様は酔っ払いのいもだ。失礼する!
 ロロ 坐れと言ったら!
 キャラディンヌ 失礼する!
 ロロ 坐るんだ。ぶん殴るぞ!
 キャラディンヌ 気違いとは話は出来ん。
 ロロ(自分も坐る。)まあそうだな。いいか、ノエル、僕はエディットの首に賭けて誓ったんだ。君を叩きのめすのは止めると。しかし、君だって僕を怒らせないよう、少しは努力してくれなくっちゃな。
 キャラディンヌ 僕を叩きのめなさいと誓った?
 ロロ 君は信じてくれるかどうか分らないが、とにかくエディットに、拝み倒されたんだ。君を殴らないようにってね。まあいい、僕は誓ってしまったんだ。だから頼む、動かないでくれ!
 キャラディンヌ 君の方が僕より強いからな。分ったよ。
 ロロ 当り前だ。一九三六年のボクシング・アマチュア・チャンピオン、柔道黒帯、それに、怒らせたら何をするか分らない。
 キャラディンヌ(尊大に。)そう。怒らせたら何をするか分らない!
 ロロ またその威張りくさった調子か。ノエル、僕はな、君のその口調が気に入らないんだ!
 キャラディンヌ それはお気の毒様!
 ロロ いいかノエル、お前はな、アレクサが十二歳じゃないってことをとっくの昔に知っていたんだ。
 キャラディンヌ(驚いて。)僕がか?
 ロロ お前は女房を裏切っているんだ。誰も知らないと思っているだろう。特に女房はな。その間お前は誰と寝ていた! 俺の娘とだ!
 キャラディンヌ 馬鹿なことを言うな! お前、酔っ払ってるな。
 ロロ あいつはなかなか落ちなかった。六箇月抵抗したんだ。しかし最後には負けた。
 キャラディンヌ そんなこと、あるもんか!
 ロロ あいつは負けた。ヴェロニックの言う通りだ。あいつはかなりの「乱暴者」でね。
 キャラディンヌ(遅まきながら、別方向からの攻撃を思いついて。)自分の娘をよくまあそんなに自堕落な女呼ばわりをするもんだ。恥づかしくないのか!
 ロロ 否定したって駄目だ。いいか、お前をここへおびき出すようあいつに命令したのは、この俺なんだ!
 キャラディンヌ 何だって?
 ロロ お前が「二号宅」から出て来て、あいつに会えなかったのはそのためなんだ。
 キャラディンヌ 何が「二号宅」だ。このおいぼれめ!
 ロロ (叫ぶ。)こっちには証拠があるんだ、証拠が。まさか貴様思っちゃいまい、この俺が証拠なしで貴様のことをこんなに侮辱できるなどとはな。第一、そんなことをしたら、これから先貴様に金をたかることは出来ないんだからな。(キャラディンヌ黙る。)フン、この理屈には参ったようだな。俺がこういう風に酷い言い方をして、初めて貴様には分るんだ!
 キャラディンヌ(まだ虚勢を張って。)しかし僕は否定する!
 ロロ すけべ親父っていう奴なんだ、貴様は!
 キャラディンヌ 馬鹿なことを言うな!
 ロロ(手紙を引用して。)「ああ、君。君は僕に恋を蘇らせてくれた。」・・・「何ていう奇跡だ、君の身体は。そして僕はそれに磨きをかけてやるんだ。」
 キャラディンヌ 誰だってそのくらいの馬鹿は書いてよこすさ。
 ロロ しかしこれは誰だってという訳には行かないぞ。「今夜ニコはブラジル行きだ。飛行機で発つ。ひと月まるまる君と幸せな時が送れる。ああ、僕の天使!」
 キャラディンヌ 僕がそれを書いたって言うのか?
 ロロ 馬鹿なことを書いたものだよな? ちゃんと僕は知ってるんだ、ヴェロニックをニコと呼ぶのは君だけ。それから、君がブラジルに用があって、ヴェロニックが六月十二日にブラジルに発った。そして丁度一箇月そこに滞在したっていうことをね。
 キャラディンヌ(観念して。)やれやれ。
 ロロ マクスィッムなんて署名して、筆跡も変えて、御苦労なこった。
 キャラディンヌ 正直に言う。僕はアレクサが大好きなんだ・・・
 ロロ 今ここで一挙にもう一つのことも片をつけるんだ。十年前君はエディットに言い寄った。
 キャラディンヌ(真面目に。)ああ、そんなことはしなかった!
 ロロ しなかった?
 キャラディンヌ 娘さんのことは確かに認めるがね。
 ロロ それはもう運命だったって言うんだな?
 キャラディンヌ(力をこめて。)しかしエディットは違う。そんなことはしない!
 ロロ 言い方が強過ぎるぞ!
 キャラディンヌ 確かに魅力的ではある。しかし僕のタイプじゃない。
 ロロ 「そんなことはしない」、それに、「タイプじゃない」とくるのか。
 キャラディンヌ いや、本当にしていない。少しは間違ったことを言ってるかもしれない。しかし、決して言い寄ってはいない。
 ロロ エディットはこんなことで自慢するような女じゃないぞ。特にこんなこと、もともと自慢の種になるようなことじゃないんだからな。
 キャラディンヌ 悪いが、それだけはない!
 ロロ 糞っ! これだけははっきりさせるぞ。(呼ぶ。)エディット!
 エディットの声 なあに? あなた。
 ロロ ちょっと来てくれ。
 エディットの声 はい、すぐ行きます。
(エディット登場。)
 ロロ この大馬鹿野郎が君に言い寄ったことはないと言うんだ。
 エディット(困って。しかし、しっかりと。)だって、関係ないことでしょう? そんなこと。
 ロロ それにこいつ、君は自分のタイプじゃないと・・・
 エディット そんなに怒らないで、あなた。もう随分昔の話。覚えていないのよ、この人。
 キャラディンヌ ちょっと失礼ですが、その・・・言い寄ったと言っても、あそこまでは・・・
(キャラディンヌ、途中で言葉を切る。)
 ロロ 当り前だ。そこまで行ったと言っちゃいない。
 キャラディンヌ それじゃ・・・だってそこまで行った連中だって全部覚えている訳じゃない。まして・・・
 ロロ(エディットに。)そうか。じゃ、お前のははったりか。
 エディット はったり?
 ロロ 自分がもてる女だということを示したい。お前のお陰でこっちはこいつの前で赤恥をかいたんだぞ。
 エディット(目に涙を浮かべて。)ご免なさい、ノエル。この人に私、あの話をしたのがいけなかったの。でも私、侮辱されたままは厭だと思って、つい・・・
 キャラディンヌ ええ、分りますよ。でも、僕にはどの話か・・・
 エディット(少し難詰する調子で。)ほら、ノエル、サン・ジャン・ドゥ・リュッスの噴水・・・
 キャラディンヌ(思い出す。)ああ、そうか!
 エディット あの時丁度ヴェロニックはあなたが嫌いになっていた。あなた、私にレオンと離婚してくれとまで言ったわ。
 ロロ 俺と離婚?
 キャラディンヌ そうだった。忘れる訳がない。
 エディット(寛大に。)でも、二週間だけの話・・・
 キャラディンヌ そうだったよ、レオン。僕は君の奥方に惚れたんだ。
 ロロ そうだと思っていたよ。
 キャラディンヌ だけど僕にはすぐ分ったんだ。僕にチャンスがある訳はない。ただ、がっかりするだけだってね。
 ロロ(エディットに。)ああ、もう行っていいよ。
 エディット ご免なさい、ノエル。思い出させたりして。でもあれ、私には大切な思い出なの。私が綺麗だって言ってくれた人、あなただけだったから。
 キャラディンヌ(優しく昔を思い出して。)サン・ジャン・ドゥ・リュッス・・・
 エディット こんなこと、話したりしなかった筈なの。でも、ちょっとしたいきさつがあって・・・ご免なさいね、ノエル、この話のせいでこの人、余計あなたに辛くあたるわ。
 キャラディンヌ いや、それは仕方がない。僕が悪いんだ。君のことを忘れていたりして。
 ロロ 万歳(ばんざい)を言うのは終ったんだろう? 速く部屋に戻れ。
 エディット 思い出したってすぐ言って下さって有難う。
(エディット、ロロに対し、勝利の身振りをして、自分の部屋に退場。)
 ロロ やっぱりな。貴様っていう奴は本当にとんでもなく忌わしい男なんだ!
 キャラディンヌ(エディットの部屋の方を向き。)確かに言い訳の余地はない。あんな素敵な女性・・・君はついてる男だよ、ロロ。
 ロロ お前の方がよっぽどついてる男だ。しかしそのつきも今日で終だ。
 キャラディンヌ 君がそのつきを止めるって言うんだな?
 ロロ 君は自分の胸に聞いてみたことはないのか、総決算の時がいつかは来るんじゃないかと。
 キャラディンヌ 何の総決算だ。
 ロロ こんなに長い年月、君が不等にも享受した幸せのだよ。しかしまあ、何ていう享受の仕方だ!
 キャラディンヌ(傲慢さを全く捨てず。)それで、その日が来たって訳だ。
 ロロ そうだ、親愛なるノエル君。このポケットにはマクスィッムの署名のある手紙が八通ある。僕は明日の朝にも、これをヴェロニックに持って行く。必要な説明はちゃんとつけてな。ヴェロニックには腕利きの弁護士がいる。君を一文なしで道路にほっぽり出すさ。(ロロ、両手を擦りあわせる。)君の後半生・・・それはこの僕が追いやるところにあるんだ。
 キャラディンヌ(表情を変えず。)そんなことはしないよ、君は。
 ロロ 僕から盗み取った何百万フランを君は返却するのさ。
 キャラディンヌ 君から盗んだ?・・・覚えがないな。
 ロロ(おどけて。)僕のところにたかりに来ても無駄だ。僕はキャラディンヌ氏にたかれない限り、文なしなんだからね。
 キャラディンヌ その手紙を僕が買い取るっていうのはどうだ?
 ロロ それはちゃんとこっちの読みにあった。ゆすりの逆手だ。
 キャラディンヌ 一通百万フラン!
 ロロ(手を振り上げる。思い直す。)誓ったんだったな、ぶちのめさないと。
 キャラディンヌ ヴェロニックが可哀想だとは思わないのか? 君は。
 ロロ ヴェロニックをだしに、君が・・・その貴様が、僕を泣き落とそうっていうのか。(嘲笑って。)自殺でもするっていうのか? 彼女が。
 キャラディンヌ 自殺?・・・いや、それはしない。
 ロロ 有難い。そんなことになったら、ひどく厭だからな。恨みは君に対してあるんだ。彼女にじゃない。
 キャラディンヌ あれは苦しむ。それは確かだ。ひどくね。
 ロロ(誠実に。)可哀想に・・・
 キャラディンヌ しかし、いくら苦しんでも、あれは僕への復讐しか考えない。
 ロロ(うっとりとなって。)そいつはいい!
 キャラディンヌ 君を好きになって、それからうまく行かなかったことに懲りて、あれは僕との結婚の時ひどく用心してね。
 ロロ さすがヴェロニックだ!
 キャラディンヌ 僕には一文も渡さず結婚したんだ。放り出す時も何一つ渡しっこない。
 ロロ そうだろうと思っていたよ。
 キャラディンヌ しかし、そんなことでおさまるあいつじゃない。
 ロロ(喜んで。)もういいよ、それ以上話してくれなくて。
 キャラディンヌ いや、話す。マズゥキアン事件を覚えているか?
 ロロ マズゥキアン? 金(きん)の密売か?
 キャラディンヌ 僕も一枚加わっていたんだ。
 ロロ やれやれ、ノエル君、君もやるもんだね。
 キャラディンヌ 誰にも迷惑はかけなかった。詐欺師を騙しただけなんだ。
 ロロ しかし法律はそう見てはくれないって訳だな?
 キャラディンヌ そう。だからヴェロニックは払いに払った。大金だ。マズゥキアンはうまく対応してくれた。ただ一つ僕にまづいことが残った。ヴェロニックにそいつ、僕の手紙を全部渡したんだ。検察官が捜しまくっていた証拠の手紙だ。
 ロロ(陽気に。)よく書く男だよ、君は。
 キャラディンヌ 僕は確信をもって言うね、もしヴェロニックがマクスィッムの手紙を見たら、僕がマズゥキアンに書いた手紙を官権に渡すよ。
 ロロ で、どうなるんだ。
 キャラディンヌ 五年から十年の拘留だ。
 ロロ すごいね。
 キャラディンヌ すごい。
 ロロ その刑は確実なのか?
 キャラディンヌ どういう意味だ、それは。
 ロロ 執行猶予はないのか?
 キャラディンヌ 十年じゃないことになっている。
 ロロ すまん。法律を知らないもんだから。すると君は十年くらう訳か。
 キャラディンヌ 最低五年だ。
 ロロ フーム、かなり高額の詐欺だったんだな、そいつは。
 キャラディンヌ(これには答えず。)牢屋の中に入っている僕を見て、君、さぞ満足だろうな。
 ロロ みかんを持って行ってやるよ。
 キャラディンヌ 馬鹿な奴だよ、君は。
 ロロ(全く怒らず。)そう。そうそう。まあ、充分に罵(ののし)るんだな。
 キャラディンヌ そんなに僕のことを嫌っているのなら、僕の正体をもう少しは分っていてくれて良さそうなものだがね。
 ロロ いや、君には色々驚かされた。しかし、その度に僕は楽しんだね。
 キャラディンヌ 君は僕が十年・・・いや、五年でもいい・・・そういう刑を食らうと思っているのか?
 ロロ 五年や十年の刑・・・耐えられないっていうものじゃないからね。
 キャラディンヌ 僕の勘は当っていたよ。君はやっぱりいもさ。
 ロロ そう。君をやっつけるいもだ。
 キャラディンヌ それでもいもはいもだ。君は自分の標準でしか人を判断出来ない。確かに君だったら五年間、ちゃんと刑期を勤めるだろう。まあ、十年でも平気だ。おまけに勤め上げたことに満足感さえ覚えるんだ。それに、逃げ道など到底想像もつかない。ところが僕にはちゃんとあるのさ。
 ロロ それは楽しそうだ。聞かせて貰いたいね。
 キャラディンヌ なあ、ロロ君、僕みたいな男が馬鹿なことをやった時は、ちゃんとその決着のつけ方を知っているんだ。
 ロロ 馬鹿なことを二つもやってるんだからな。決着のつけ方は知っている方がいい。
 キャラディンヌ ちょっとその前に聞くがね、君の本当の望みは何なんだ? 復讐か? これで何もかも終りっていう・・・二十五年来の君の望みか? それが。で、具体的には僕がどうなれば一番嬉しいんだ。
 ロロ エー・・・
 キャラディンヌ 僕が死ぬことか?
 ロロ 勿論だ。ただ僕は、君にそんなこと、頼めやしないからね。
 キャラディンヌ 頼んでみろよ。引き受けてやる。
 ロロ(南部訛りで。)冗談だろう?
 キャラディンヌ ヴェロニックに手紙を渡すなんて無駄なことだ。僕は今夜死ぬ。
 ロロ(疑わしそうに。)言うのは誰でも簡単に言うがね・・・
 キャラディンヌ 僕の死が公になったら、すぐ手紙を破棄すると誓ってくれ。そうすれば僕は死ぬ。ただ、エディットの首に賭けて誓ってくれなくちゃな。
 ロロ 全く、みんな何を考えてるんだ。すぐエディットの首に賭けて、だ。
 キャラディンヌ 誓うんだ。
 ロロ(少し躊躇(ためら)った後。)誓う。
 キャラディンヌ エディットの首に賭けて。
 ロロ エディットの首に賭けて。(非常な好奇心をもって。)どうやってやるつもりなんだ。一発頭にぶちこむのか。
 キャラディンヌ あれは時代遅れだ。
 ロロ そうでもないんじゃないか?
 キャラディンヌ 僕は間抜けな交通事故で行く。僕の運転する車が木に正面衝突するんだ。ここで君、さよならを言うんだな。
 ロロ まさか。しないんだろう?
 キャラディンヌ 明日の朝刊を見るんだな。
 ロロ じゃ、やるのか?
 キャラディンヌ まあ、見てくれ。
 ロロ だけど、それは・・・馬鹿げてる。ついさっきまでは勿論、ざまあ見ろっていう気分だったんだが・・・とにかく命だからな。・・・命だ・・・命ね・・・
 キャラディンヌ 当り前だろう? 笑わせちゃいけない。僕が十年後に監獄から文無しで出て来て、昔の友人達に物乞いをしながら生きて行く・・・そんな馬鹿なことが想像出来るかっていうんだ。
 ロロ 僕は想像出来るな。そいつこそ僕の望んだ筋書きだからね。
 キャラディンヌ そんなことにはならない。僕を殺すしかないね。
(間。キャラディンヌ、扉の方へ行こうとする。)
 ロロ 待て!(さっきやったようにキャラディンヌの胸ぐらを掴む。)糞っ! この俺は一体どうしたんだ!
 キャラディンヌ(心配しているふり。)嬉しそうだな。嬉しくて死にそうだって顔だ。
 ロロ 全くどうなってるんだ、この俺は。信じられん話だ!
 キャラディンヌ そっちだろう? この成行きにしたのは。
 ロロ そう、確かに君だったら死ぬだろうな。僕には分る。
 キャラディンヌ 僕にも分るな。
 ロロ そこまでは僕は望んじゃいないんだ。
 キャラディンヌ やると決めたことは綺麗にやってのける、これがいつもの僕のやり方でね。
 ロロ 僕は嬉しい筈なんだ。
 キャラディンヌ その筈だね。
 ロロ 今までの君の僕に対する仕打ちを考えれば、嬉しい筈なのに・・・
 キャラディンヌ そう。嬉しい筈だ。
 ロロ しかし、どうも思っていた程じゃない。
 キャラディンヌ こっちとしては君への最大のサービスだ。
 ロロ(考えた後。)そう、そこまでやることはない。・・・君を抹殺するまではやることはないんだ。それじゃ面白くない。
 キャラディンヌ 最初の勢いはどうしたんだ? ロロ。
 ロロ 面白くないと言ってるんだ。そんなことをやってくれと君に頼みはしない。
 キャラディンヌ そうか。それなら手紙を返してくれるんだな?
 ロロ 何を馬鹿な。そんなことするもんか。
 キャラディンヌ ああ、それは駄目だ。この際二つに一つしかない。手紙をおとなしく返すか、さもなきゃ、僕が死んで、誓い通り手紙を破棄するか。君が手紙を持ったままでは、僕は生きられない。圧力が強過ぎる。
 ロロ 何だ、今度はそちらの方から命令か。
 キャラディンヌ いや、僕はただ事実を述べているだけだ。
(電話が鳴る。)
 ロロ(受話器を取って怒鳴る。)もしもし、もしもし。またその息を吹っかけるやつか! 糞っ! あざらしめ! 答えたらどうなんだ!
(ロロ、怒り狂って受話器を置く。)
 ロロ すると、さっきの奴はお前じゃなかったんだな?
 キャラディンヌ 僕があざらし? 受話器に息を吹っかける?
 ロロ そう。
 キャラディンヌ 覚えてないのか? レオン。僕の遣り口は知ってるだろう? チュルビゴなんだ。
 ロロ(喋り出す前にちょっとキャラディンヌを見てから。)僕は何故ここまで来ても嬉しくないのか分ったよ。
 キャラディンヌ ああ、そう。
 ロロ 君が相変わらず僕を蔑r(さげす)んでいるからなんだ。君が相変わらずその偉そうな態度を変えないからだ。自分に自信があって、僕の腹一つでどうとでもなるというのに、そうやって平気でいる・・・それなんだ。
 キャラディンヌ まあ、それほどじゃないがね。
 ロロ 僕は君を殺せる。しかし殺したって僕が優位には立てない。君を本当には支配しちゃいない。自分で死のうと言ってるんだからな。そんなのは厭だ! 君が僕に泣いて頼むんだ! 膝をついてな!
 キャラディンヌ 冗談言うなよ。
 ロロ 膝まづけ! このおいもさんに、泣いて頼むんだ!
 キャラディンヌ さっき君に話した処置の方が僕は好きだね。交通事故!
 ロロ いや、あんなものじゃすまされない。あれ以上、あれ以上のものだ。僕は見つけた。
 キャラディンヌ まさか。
 ロロ 僕の前で膝まづくんだ。そして泣いて頼む。
 キャラディンヌ 馬鹿なことを!
 ロロ アレクサのせいで、君はそうしなくちゃすまなくなる。
 キャラディンヌ(自信を失って。)アレクサのせい?
 ロロ 勿論マズゥキアン事件なんか話しやしない。アレクサの年じゃ、あんなもの、却って君に同情するくらいのものだ。ちゃんと事件を理解してもね。僕にはもっといい話がある。
 キャラディンヌ いい話?
 ロロ もっと早くどうして思いつかなかったんだ、この俺は。だけど無理もない。貴様には材料があり過ぎて、どれが一番有効かなかなか捜せなかったんだ。
 キャラディンヌ まあ、そうだな。
 ロロ(ゆっくりと、言葉を切りながら。)お前とフランスワーズ・ミシャレの恋物語をアレクサにしてやるのさ。
 キャラディンヌ(叫び声。)駄目だ! それは。
 ロロ 最後に何の希望もなくほっぽり出したところまでね。
 キャラディンヌ(重々しく。)それは止めて欲しい。
 ロロ 膝まづくんだ、それが厭なら。今すぐに。
 キャラディンヌ 僕が死ぬだけじゃすまないというのか。
 ロロ 勿論。そんなものじゃすまない。
 キャラディンヌ アレクサにちゃんとした思い出だけを残しておきたいという僕の希望は受け入れられないのか。
 ロロ 何かちゃんとした思い出? そんなもの糞食らえだ!
 キャラディンヌ アレクサ、随分苦しむぞ。
 ロロ(声を低くしたまま。)卑怯な奴・・・それで俺が苦しむのをあてにしているんだな。
 キャラディンヌ いや、僕はあの子を愛しているんだ。今では僕の人生で、唯一つの美しいものなんだ、彼女は。
 ロロ この俺には違う!
 キャラディンヌ 頼む。お願いだ!
 ロロ 膝まづけ! 泣いて頼むんだ、この僕に。
 キャラディンヌ かくなる上はやむを得んか!(適当な場所を長いことあれこれ捜し、ロロの前に膝まづく。)両膝か?
 ロロ 当り前だ!
 キャラディンヌ 君、さぞかし満足だろうな?
 ロロ いや、理由はちゃんと分っている。「まあ、他には誰もいないからな」と思っている。そいつが気に入らないんだ。(ロロ、呼ぶ。)エディット!
 エディットの声 なあに? あなた。
 ロロ ここに来て・・・見るんだ。
 エディットの声 すぐ行くわ。
 キャラディンヌ(立ち上がりかける。)エディットの前じゃ駄目だ。
 ロロ フン、じゃ、アレクサの前でやるのか。
(キャラディンヌ、ロロに押さえられた姿勢でエディットが入って来るのを見る。)
 エディット まあ!
 ロロ エディット、こいつ、俺の前で膝まづいてるんだ。今から僕に泣いて頼むところだ。
 キャラディンヌ そう。その通り。泣いて頼むところ。
 エディット(ロロに。)何て恥さらしなことを。あなたって!(キャラディンヌに。)起きて。どうか。
 ロロ 動くな!(支離滅裂な調子。)エディット、お前には分ってるな? 僕がこの瞬間をどれほど待ち望んでいたか。やっと来たんだ、その時が。僕の前にこいつ、膝をついて泣いて頼むんだ。他にこいつに何をやらせてくれよう! 何でもやらせられるんだ、僕は!(怒って。)エーイ、糞っ! この二十年間、僕は自分の人生を無駄に使ったっていうのか!
 エディット 私、怖い・・・あなたが。
 ロロ そんな馬鹿なことがあってたまるか! 糞っ! 何もないなんて! エーイ、ノエル、俺の後について言うんだ。「レオン、君は僕より頭がいい」。さあ、言え!
(ヴェロニック、他の人に気づかれず、登場。)
 キャラディンヌ レオン、君は僕より頭がいい。
 ロロ レオン、君は僕より美男子だ。
 キャラディンヌ レオン、君は僕より美男子だ。
 ロロ レオン、君の話はいつも僕より面白い。
 ヴェロニック ご免なさい。鍵が扉に挟まったままだったの。私、ちゃんとノックはしたわ。でも、返事がないの。だから入って来た。
(キャラディンヌとロロ、驚く。身じろぎもしない。)
 エディット(非常に友好的に。)まあ、ヴェロニック。今晩は!
 ヴェロニック 今晩は、エディット。ノエル、あなた一体どうしたの?
 キャラディンヌ(この時までに立ち上がって、ズボンの塵をはたいている。)どうもしないよ。いや、全く何もない。
 ヴェロニック(非常に心配そうに。)マズゥキアン?
 エディット 何? そのズゥキアン。また新しい冗談?
 ヴェロニック(エディットの軽い調子に安心して。)そうね、どちらかというと古い冗談ね。
 エディット 古いの? じゃ関係ないわ。(勢いよく、即興で話を作って。)全くこの二人ったら馬鹿なの。下らない賭けをやって、レオンが勝ったのよ。
 ヴェロニック(重々しく。)そう。
 エディット ノエルが負け。だから、自分よりレオンが頭がよくて、美男子で、話も面白いって認めなきゃならなくなったの。
 ヴェロニック そうなの? ノエル。
 キャラディンヌ(自分を取り戻して。)いつも勝つという訳にはいかないもんでね。
 ヴェロニック レオン?(ロロ、黙っている。)聞いてるのよ、私。
 ロロ(懇願するエディットの目に合い、仕方なく。)そう。(やっとのことで。)馬鹿な賭けだ!
 ヴェロニック 二人とも馬鹿ったらありゃしない。
 ロロ 特に僕だ!
 キャラディンヌ(行儀正しく。)そんなことはない。こっちだって君と同じくらい馬鹿だ。
 ロロ エーイ、こっちなんだ、馬鹿なのは。うるさく言うな!
 キャラディンヌ まあ、それほどまで言うなら・・・
 ヴェロニック 四十にもなって、人形芝居もないものでしょう?
 ロロ(意味深長に。)糞っ! あれが人形芝居か! 何て話だ!
 ヴェロニック(驚く。)あら、あなた、今の賭け、本気だったって言うの?
 ロロ(心から悲しそうに。)君には分らんさ。僕が勝ったように一見(いっけん)見えるが、本当のところは僕の負けなんだ。
 ヴェロニック 複雑ね、その話。
 ロロ ちっとも。
 ヴェロニック ノエル、あなた、どう思うの? 複雑でしょう? この人の話。
 キャラディンヌ 全然。なかなか気がきいているんじゃないのかな。僕が勝って、あっちが言わなきゃならない台詞を考えると特にね。
 ロロ(脅迫的に。)よし、もう一度やるか。
 キャラディンヌ(軽く。)いや、もう無理だね。この環境じゃ、君、出来ないよ。
 ロロ(唸る。)何を! いい気になりやがって!
 ヴェロニック まあ、怖いわね。何かちっとも分らないけど。
 エディット 怖いわ!
 ロロ ああ、ヴェロニック、君、ここに入るなり、何か名前を言ったね? あれは僕、興味があるんだけど。
 ヴェロニック 名前? 何?
 ロロ マズゥキアン。
 ヴェロニック ああ、あれ?
 ロロ マズゥキアンはノエルと何か関係があるのかな?
 ヴェロニック 全然。
 ロロ そんなことないだろう? 冗談抜きに教えてくれたらどうだ?
 ヴェロニック あれはノエルの話。私、この人が言えって言わなきゃ教えない。
 キャラディンヌ 言えなんて、僕は言わないよ。
 ロロ そいつは残念だ。
 ヴェロニック(キャラディンヌに。)それにこの人が今ここにいるっていうのはどういうことなのかしら。クラブの夕食会に出席している筈の時間よ。
 エディット(勢いよく。)偶然にレオンに出会ったの。レオンがここに誘ったのよ。ほら、さっきの賭けのことで。
 ヴェロニック そう。その賭けについて話しましょう。
 エディット 話すことはもうないわ。すっかりあなた、見たでしょう? 結果まで。
 ヴェロニック そう、結果はね。でも、何の目的であの賭けをやったのか、それを知りたいわね。
 キャラディンヌ(非常に軽い調子で。)ね、だけど君、君は一体どうしてここに来たんだい?
 ヴェロニック 独りで家にいるのがつまらなくなったの。今朝この人達に会って、それは面白かったでしょう? だから、どこで、どんな風に暮しているのか知りたくなって。
 ロロ まるでこっちは動物園の猿だね。まあ無理もない。このすぐ近くに植物園はあるんだから。
 ヴェロニック それに、お宅のあの「変り者ちゃん」にも会って話したくなって。
 エディット(少し相手を咎めるように。)アレクサのことをあなた、「変り者ちゃん」って呼ぶの?
 ヴェロニック(微笑んで。)ええ、ご免なさい。あの子、私、気に入ってしまって。
 ロロ(突然決心する。)君、アレクサに会いたくない?
 ヴェロニック ええ! 勿論会いたいわ。
 ロロ お安い御用だ。
(ロロ、部屋の方に行き、鍵を突っ込んで回す。)アレクサ、さ、出て来て。「今晩は」って言うんだ!
(アレクサ、外出着に着替えている。アレクサ、キャラディンヌはいるだろうと思っていたが、ヴェロニックは予想していない。驚くが、それがはっきりとは外に出ないようにする。最初の言葉は用心深く。)
 アレクサ まあ、沢山の人!
 ヴェロニック あなた、この子を部屋に閉じ込めていたの?
 アレクサ 私、お行儀が悪くて。(片足をつき、スカートを広げるお辞儀をして。)今日は、マダーム。今日は、ムッシュー。
 ヴェロニック そう、あなた、ノエルに膝まづかせるために、自分の娘を閉じ込めたのね?
 アレクサ(同情をもって。そして、「何て卑怯な」と言わんばかりに。)ああ、あなたを膝まづかせたのね? パパは。
 キャラディンヌ(虚勢を張って。)君のお父さんと馬鹿な賭けをしてね。
 アレクサ(キャラディンヌをじっと見た後。)私、十二時からずっと閉じ込められていたの。まさかあれから今までずっと膝まづいていたんじゃないでしょうね?
 ヴェロニック(安心して。)あら、じゃ、あなた、行儀が悪かったの?
 アレクサ 行儀が悪いじゃすまされないぐらい。
 キャラディンヌ あなたに限って、そんな・・・
 アレクサ 有難う。でも私、酷く悪い子で。
 ロロ 全くだ!
 ヴェロニック(優しく。)話して。そんなに酷い話である訳ないもの。
 アレクサ いいえ、酷い話。私、「私の本当の母」の子だったの、やっぱり。
 ヴェロニック(少し冷く。)ああ、ああいう悪い話だったの。
 アレクサ この私が、他にどういう悪いことが出来るっていうの?
 ヴェロニック じゃ、だれかを愛したのね?
 アレクサ 知らないわ。
 キャラディンヌ こういうことに、知らないっていうことはないものなんだ。
 アレクサ 私の場合は知らないの。きっともう終りなのよ。
 エディット そう、そうよ、アレクサ。もう終りなの。
 アレクサ ええ、そう思いたいわ。でもまだはっきりしなくて。
 ヴェロニック でも、まだその人を愛しているんだったら、結婚すればいいでしょう?
 アレクサ 私って、御想像以上の馬鹿なの。その人、奥さんがいるの。
 ヴェロニック あら、(以前よりもっと冷く。)それはいけないことよ、あなた。
 アレクサ ええ、分ってた。だから、好きにならないよう、一生懸命・・・六箇月。パパも言ってくれたけど、私、よくやったわ!
 ヴェロニック その、奥さんのある人、あなたを六箇月も追い掛けたの?
 ロロ しつこいったらありゃしない。厭な奴さ!
 アレクサ 私はそれが嬉しかったわ。
 ヴェロニック で、その人の奥さんていう人、何も気づかなかったの?
 ロロ 全く。そいつも馬鹿な女さ!
 アレクサ ええ。奥さんが馬鹿なんじゃないの。その男が用心深かったの。私、あんなに奥さんを怖がる男って、見たことがないわ。
 ヴェロニック(本気で。)自分の連れあいが怖い? 馬鹿な話ね。ノエル、あなた分る? そんな話。
 キャラディンヌ 分らないね。馬鹿な話だ。
 エディット(ロロに。)あなたが私を怖がるって、そんな話だもの!
 アレクサ 私に手紙を書く時は、筆跡を変えるの。
 ヴェロニック 厭な奴!
 ロロ その言葉を言わせたのは僕じゃないよ。
 アレクサ 私ったら、本当にお馬鹿さん。その男から来た手紙の一語一語にキスしたり・・・
 キャラディンヌ それはきつい言葉だなあ!
 アレクサ あー、私って何て間抜けなの。一人で喋って、喋って。いつもそう。でもマダーム、あなたに少し責任があるんです。何やかや、色々お聞きになるんですもの。
 ヴェロニック ご免なさい。
 アレクサ いいえ。私、厭じゃないの。いらして下さって嬉しいくらい。だって私、いらっしゃるのをうまく利用して、今からこの父に頼みごとをしようと思っていますの。だって、あなたの前だとこの父、断り難い筈ですわ。
 ロロ(優しく。)言ってご覧、アレクサ。どんなことでも断りはしないよ。
 アレクサ 安請け合いは駄目。(ロロの腕に身を投げて、涙が出ないよう必死にこらえながら。)大好きなパパ、私、出て行きたいの。
 ロロ 何だ、自分が過ちを犯しておいて、僕に罰を与えようって言うのか?
 エディット 出て行く?
 ロロ それに、ママにも罰を与えたいのか?
 アレクサ 私、すぐ発ちたい。でも、長いことじゃない。二三週間だけ。もっと物がよく見えるようになるまで。
 ヴェロニック もっともなことだわ!
 キャラディンヌ(つい口から出てしまう。)発つってどこに?
 ロロ フン、それは知りたいだろうな、君なら。
 ヴェロニック 何て馬鹿なことを。この人に何の関係があるって言うんです。
 エディット レオン、ちょっと考えたら分るでしょう? この人に何の関係があるの?
 ロロ(横柄に。)そうだな。(キャラディンヌに。)おい、ノエル、何の関係があるんだ。
 キャラディンヌ 何もない。勿論。
 アレクサ(キャラディンヌをじっと見た後。)聞きたかったんじゃないのよ、別に。ただ、発つって、どこにだろう? どこに行くのかなって、独り言。
 ヴェロニック そう。それ以上の意味、ある訳ないでしょう?
 アレクサ そうね、別に当てなんてない。ただブラッと。
 キャラディンヌ 一人で?
 ロロ 当り前だろう!
 アレクサ いいえ、一人じゃない! 一人だったらいいのになんて思わないことね。今のこの世の中、どこに行ったって、隠れおおせるなんて出来っこない。だから私、男の子と発つわ。例の男と私の間の楯になって貰う、その男の子に。
 ヴェロニック もしあなたがその男をまだ愛しているとしたら、それしか手段はないわね。
 エディット(両腕でアレクサを抱えて。)アレクサ、お前、そんなことはしないわね?
 アレクサ いいえ、これはするの、ママ。今、このパリで、まだ自分の幸せを知らないでいる男の子がいるわ。私、その子に贈り物をするの。そしてびっくりさせてやるわ。
 ロロ(キャラディンヌに。)おい、どうした。「そいつは誰だ」と言わないのか。
 キャラディンヌ いや、別に。
 ヴェロニック そう。一筋縄では行かないの、この人。
 ロロ 変なことに興味を持つくせに、全く興味を持たない事柄もあるんだな。
 アレクサ(話題を変えるために。)ジェロームは電話して来なかった?
 ロロ うん、かけてこないね。
 アレクサ 本当に?
 ロロ 本当だ。(突然あることに思い当って。)お前、ジェロームと一緒に発つっていうのか?
 アレクサ ええ。
 ロロ そいつはいいね。
 エディット ええ、それはいいわ。
 アレクサ(微笑んで。)可哀想に、ジェローム!
 ヴェロニック その人、そんなに行儀がいいの?
 エディット とても育ちのいい子。
 ロロ うん、いいな、育ち。お前が馬鹿なことを誘っても、とても言うことを聞きそうにない。
 アレクサ それほど育ち、よくないわよ!
 エディット でもお前、あの子を愛していないんでしょう?
 アレクサ 愛するなんて、その気になれば誰とだって!
 ヴェロニック そう簡単じゃないわね、それは。私、あなたのパパ以外の人を愛するようになるまで、何年もかかったわ。
 アレクサ ええ、パパはそうかも・・・でも、その例の男、パパとは雲泥の差。
 ロロ(上品に。)有難う。
 エディット(悲しそうに。)そうしたら、お前はまた、誰かの女になるって言うの?
 アレクサ(笑いながら。)ママらしくないわ、そんな言い方。
 ロロ それにしてもママの言う通りではあるな。
 アレクサ ジェロームって、とても優しいの。パパ達がいいのなら、あの子と私、結婚するわ。
 ロロ(公式な言い方。)いや、僕はいいね。断然賛成だ、僕は。
 アレクサ そう、あの子の望みは私との結婚。私の方よ、躊躇うとすれば。
 ロロ で・・・あっちの方の男は?
 アレクサ ねえパパ、私、その男に、さよならも言わないわ。それはパパに約束する。
 キャラディンヌ 君、それはいくら何でも酷いんじゃない?
 ヴェロニック あなた、何を考えてるの。
 キャラディンヌ その男、君に何か言うことがあるんじゃないかな。君が思っているより卑怯な男じゃないかもしれないし。とにかくその男にはきつ過ぎるよ、その処置は。
 ロロ きつい? どうして分るんだ、君に。
 キャラディンヌ さよならの一言もなしに発つなんて。それは多分その男にとっては最悪の事態だろうな。
 アレクサ こうなるかもしれないってことは予告はしてあるの!
 キャラディンヌ それにしても相手に言い訳の一言も許さずに・・・
 ヴェロニック まあまあ、随分な弁護ね、その男に対して。でも確かに、ついつり込まれる話ではあるわ。
(電話の音。ロロ、受話器を取る。)
 ロロ もしもし・・・また奴だ。受話器に息を吹き掛けてる。
 アレクサ ジェロームなの!
 ロロ 確かか?
 アレクサ さっきは思いつかなかったの。でも私、電話は待ってたわ。そう、それ、きっとジェローム。
 アレクサ(電話に出て。)もしもし、あなたでしょう? ジェローム。あなた、もう二度かけてきたわね? うちに。その度にあざらしの真似したんでしょう?(他の人達に。)そう、やっぱりジェローム。(電話に。)そんなに苛々して喋ったんじゃ、何かちっとも分らないでしょう? ゆっくり、はっきり、話して。(他の人達に。)私に構わないで。そっちは勝手に話して。
 ヴェロニック 勝手に話してって言われても、そちらがそう面白いんじゃ・・・
 アレクサ(受話器に。)ええ、会うわよ、今夜。あなたと。・・・でも、そんなに長くは駄目。ふて腐れないの。それより、「どうして?」って訊いて。・・・どうしてかって言うとね、明日朝五時、二人で旅に出るから。・・・午後の五時じゃないの。午前五時。・・・そう、あなたと二人だけで。・・・何ふて腐れてるの? ジェローム。
 ロロ(面白がって。)ええっ? それでふて腐れてるのか?
 アレクサ(受話器に。)あなたにはだから、今夜は長くは会っていられないの。両親にさよならを言わなきゃいけないから。・・・じゃ、いつものバーで。十分後。・・・来る時に事故起さないのよ。
(アレクサ、受話器を置く。)
 ヴェロニック いいじゃない? 今の子。きっとあなたを幸せにしてくれるわ。
 アレクサ 私、あの子を愛するのは駄目そう。
 エディット そんなことないわよ!
 アレクサ 愛すことが出来さえすれば・・・事は簡単なのに・・・
 キャラディンヌ 例の不幸な男には結局一言もなしに・・・
 ロロ 不幸なとは何だ。あんな奴。「あの惨めったらしい奴」、そう言いたいんだな?
 キャラディンヌ まあ、僕にはどっちでも同じだ。
 アレクサ そうね。確かに仰る通り、一言言うのは普通だわ。じゃパパ、そのマクスィッムに会ったら・・・
 ヴェロニック マクスィッム? 何て名前! 馬鹿げた・・・あ、失礼。
 アレクサ 私からって言っといて。私、心を傷めてはいないって。自分でやって行くって。あの人のこと、恨んではいませんて。楽しかったけれど、何事にも終りはあるものって。パパ、私より上手に言えるわね?
 ロロ 勿論。
 アレクサ さ、パパ、マクスィッムの手紙を私に渡すの。
 ロロ 厭だよ、それは駄目だ。
 アレクサ 私、パパにそれをとっといてなんて頼まなかったわ。それに、差出人不明の手紙をとっておいて何になるの?
 ロロ(この台詞が気に入って。)フン、こいつはうまい。
 アレクサ それから、そんな手紙、利用したりするものじゃないわ。
 エディット(勢いこんで。)それにあなた、利用なんて何も出来ないことはよく分っているんでしょう?
 アレクサ さ、頂戴。パパの前で火に投げ込むんだから。
 ロロ 僕の大変な犠牲なんだぞ、お前の頼んでいることは。
 アレクサ そう。だから私、パパのこと、偉いって思ってあげる。
 エディット さあレオン、本当に勇気のいる行為っていうものよ、それ。
(やっとのことロロ、ポケットから手紙の束を取り出す。最後の躊躇いがあり、それからアレクサに渡す。)
 アレクサ(ロロのことをよく分っている。)八つあった筈。
 ロロ 約束は約束か。
(ロロ、ポケットからもう一つ取り出し、エディットに渡す。)
 エディット あらあら、一つだけ隠してるなんて!
 アレクサ 八つ! これで全部!
 (アレクサ、束にして暖炉に投げ込む。ロロ、呻き声が抑えられない。)
 エディット 苦しいのね、あなた。
 ロロ ばれちゃってるかな?
 エディット 分らない。でも私には見え見え。
(エディット、ロロの手を握る。それからアレクサに向き、言う。)
 エディット さ、ジェロームのところに行ってらっしゃい。
 アレクサ ご免なさい、ママ。でも私、全部焼けるのを見届けたいの。
 キャラディンヌ(大喜び。爆発せんばかり。ロロの肩を叩いて。)レオン! 君、君はやっぱりすごい男だよ!
 ロロ(不機嫌に。)おい、そっとやってくれ。こっちは潰されちまう。
(アレクサ、キャラディンヌの喜びをじっと見る。そして回れ右する。)
 ヴェロニック あら、何故かしら。私、何か肩の荷がおりた気分。
 ロロ 全くだ。何故か分らんね。
 アレクサ(外套を着終って。)私の恋・・・もうこれで殆ど何も残ってないわ。やれやれね。次の時にはもっとちゃんとやらなくちゃ。さようなら、みなさん。(退場。)
 ヴェロニック あの子私、本当に気に入ったわ。それにひきかえ、このマクスィッムっていう人・・・
 ロロ 全く、厭らしいを絵に描いたような奴なんだ、そいつは。
 ヴェロニック ノエル、あなた、その人のこと知ってる?
 キャラディンヌ(不意を突かれて。)何て質問だ、それは。
 ヴェロニック あなたさっき、ひどくその人のことを弁護していたもの。
 ロロ それは弁護しなきゃな。マクスィッムって奴、タイプとすればこいつとそっくりなんだから。
 エディット(訂正して。)ただ、もっとずっと若いけど。
 ヴェロニック ああ、その人、若いの。若いのはいいわね。そこは気に入ったわ。
 ロロ そいつはよかった。ただ、こっちにとっちゃ、若かろうと年寄りだろうと何も変りはしない。
 ヴェロニック 誰? その人。
 エディット(勢いよく。)あなたの知らない人。
 ヴェロニック レオン?
 ロロ これの言葉を信じないのか? 君は。
 キャラディンヌ(引きずられて、熱心に。)我々二人は知らない人間なんだ。そいつははっきりしてる。それ以上言うなよ。
 ヴェロニック(キャラディンヌを長いことじっと見てから。)エディット、あなたの娘さんの言う通り。あなたって大変な人ね。
 エディット(笑う。)そんなことないわ、ちっとも。
 ヴェロニック いいえ。あなたは無口、それに、口を開いたってろくに意見さえ言わない。でもあなたって役に立つ人。私にだって役に立つ人だわ!
 キャラディンヌ 君にだって? どういうことだい。
 ヴェロニック 私、自分の言ってることは分ってるの。分らないのはあなた。
 エディット 私って女、でも底が浅いわ。すぐ人に分ってしまう。
 ヴェロニック(熱心に。)あなたが分り易い人? とんでもない。こんな惨めなレオンと一緒に朽ち果てようとしているあなた・・・この凡庸な、怠け者の、貧乏な、将来もなく野望もない、本当のおいもちゃんと一緒に黴(か)びて行こうとしているあなた。(ロロに。)悪口、ご免なさい。
 ロロ(平然と。)君だって僕を愛してくれたことがあるからね。
 ヴェロニック それで、このエディットが誰をふったか分ってる? あのシャルル・スゥブリエよ。頭がよくて、弁がたって、二人といない美男子で、おまけにうなるほど金がある。あの人が何が何でも結婚したいって言ってたのに。(ロロに。)あなた、シャルルを知らないんでしょう。
 ロロ いや、知ってる。・・・エディットはみんな話してくれたから。
 ヴェロニック それであなた、それが当り前だと思ってるの?
 ロロ(心配になって。)今まではその・・・当り前だったんだが・・・今の話を聞くと・・・
 エディット(優しくロロに。)ヴェロニックには分らないのよ。
 ロロ 僕にも分らない。
 エディット(さらに優しく。)後で教えてあげる。
 ヴェロニック 私には分らなくて結構!
 キャラディンヌ 全くだ!
 ヴェロニック(キャラディンヌに。)さ、行きましょう、マクスィッム。
(全員ギョッとなる。)
 キャラディンヌ(震えを押さえながら。)マクスィッム?
 ロロ 何だい一体、それは。
 ヴェロニック 何でもない。馬鹿な話。潜在意識が働いたのね、きっと。今の話で私、知らないうちに気が動転していたんだわ。
 ロロ まあそんなところだろうな。
 ヴェロニック ノエル、あなた、お二人にさようならを言って。そのさよなら、かなり長いものになるかもしれないから、丁寧にね。
 キャラディンヌ(驚いて。)えっ? 長いさよなら?
 ヴェロニック ブラジルでの仕事があるでしょう? それに私達二人、このところバラバラで暮し過ぎたわ。ブラジルで二度目の新婚旅行よ。
 キャラディンヌ(表情なく。)いいな、それは。
 ヴェロニック エディット、私、キスのお別れを・・・
 エディット 行ってらっしゃい、ヴェロニック。
(女性二人、キス。)
 キャラディンヌ お別れだな、レオン。
 ロロ いもと呼んでいいぞ、今なら。
 キャラディンヌ 信じてくれるかどうか分らないがね、もう君に会えないというのは悲しいよ。
(ヴェロニックを導いて、エディット退場。その二人の後からキャラディンヌ退場。)
 ロロ(呼ぶ。)エディット!
(玄関の扉が閉まる音が聞こえる。エディット、戻って来る。)
 ロロ(せわしなく。)さ、説明してくれ。あいつの言う通りだ。僕は凡庸で、怠け者で、貧乏で、将来もなく、野望もない。それでも君は愛してくれているのか?
 エディット ええ、そうよ。
 ロロ それでもあのシャルル・スゥブリエよりはいいんだな?
 エディット ええ、そう。
 ロロ(絶望して。)全く何て奴だ、この俺って男は。隣にこんなすごい女がいて、一緒に十五年も暮してきたというのに、この俺の頭にはあの糞ったれのキャラディンヌの奴しかなかったんだからな。
 エディット 可哀想なレオン!
 ロロ それでもその間、君はずっと僕のことを?
 エディット よく分っているでしょう? あなた。
 ロロ いや、それほどまでとはな・・・分っちゃいなかった。
 エディット(それを裏打ちするように。)そう、それほどだったの。
 ロロ 僕のことを恨みに思ってたろうな。
 エディット 私、あなたのことがうらやましかった。私を幸せにする力が、あなたにはあるんですもの。でも私は、あなたを幸せにする力がなかったわ。不公平な話って思ってた。
 ロロ よーし、これから僕は、君に追い付くんだ。他の誰にも目もくれないぞ。ちょっと利己主義にならなきゃな。
 エディット 今からじゃ遅過ぎね。だって私、もう昔ほど綺麗じゃないもの。
 ロロ そんなことはないよ。
 エディット 今すぐ始められたら何ていいんでしょう。あなたは私のこと、自慢できるし、私は美人のロロ夫人になれるのにね。
 ロロ 君はいつだって美人だよ。
 エディット さ、とにかく急ぎましょう。幸せが似合う二人になって、外から見ても幸せな二人だって見えるように。
(少しの間。)
 ロロ 僕は君に許して貰いたいよ。
(電話が鳴る。)
 ロロ もしもし・・・えっ、君か。(エディットに。)キャラディンヌの奴だ。飲み屋から電話している。(受話器に。)えっ? 何の話だ?・・・(怒って。)何だと!・・・(怒りで蒼くなって。)糞っ! 何て奴だ、貴様は!(受話器を下ろす。)
 ロロ あいつ、今何て言ったと思う。あの野郎、今朝、俺をはめやがったんだ! はめたんだぞ! 今度はちゃんとした小切手を送る。そして抜かしやがった! 金額ももっと多いぞ! あの野郎! 糞っ! 糞っ! 糞っ!
 エディット(優しく。)また始めたわよ!
 ロロ(落着きを取り戻して。)ああ、もう止めだ。もう決してやらんぞ。どれだけ今まであいつにやられてきたか。あいつもそのうち酷いしっぺ返しを食う筈だ。・・・それにもう、フランスにはいないとなっても・・・まあいい、あいつのことなんか、僕に関する限り、もう幕だ!
(このロロの台詞に合わせるように。)
             (幕、降りる。)


     平成十六年(二00四年)三月十日 訳了

Cette piece a ete representee pour la premiere fois au theatre Saint-Georges dans les decors d'ACKERMAN et la mise en scene de Pierre DUX, le 24 janvier 1957.

Rollo Pierre Dux
Carradine Maurice Teynac
Le Valet Pierre Huchet
Edith Rollo Simone Renant
VEronique Carradine Jandeline
Alexa Sophie Daumier


   あとがき
この Patate は訳者が大学時代、教科書に使われていたものである。三年、四年と二年かけて読み上げられた。その時の教授、川口篤先生に感謝する。