ハートからハートへ
            テレンス・ラティガン 作
             能 美 武 功 訳

   登場人物
デイヴィッド・マン
ペギー・マン
フランク・ゴッドセル(製作者)
ジェスィー・ウェストン(製作秘書)
サー・スタンリー・ジョンスン
レイディー・ジョンスン
ストックトン(番組制作総監督・調整官)
ミス・ノット
サー・ジョン・ドースン=ブラウン王室弁護士
ジョー(司会者)
技術主任
ミッキー(電気技師)
ルー(音響係)
トム(小道具係)
デイヴィッド・マンの運転手
ウイリアム(イートンスクエアーのエレベーター係)
喫茶店のウエイトレス
サー・スタンリー・ジョンスンの秘書
その他スタジオの中の人物達

(タイトルの字が出る前に、デイヴィッド・マンの大写し。熱心に椅子から乗りだしている姿。)
 サー・ジョン ええ、そういうことになりますね、ミスター・マン。
 デイヴィッド(鋭い声で。)サー・ジョン、自分の人生を生きる、ということは、どうすれば可能になるのでしょう。
(別の大写し。今度はサー・ジョン・ドーソン=ブラウン。著名な人間と分る顔。(有名な王室弁護士)。五十五歳ぐらい。デイヴィッドは三十五歳ぐらい。いつもは苛立つことのないサー・ジョンであるが、ここでははっきりと苛々が見える。躊躇(ためら)いながらの答をする。)
 サー・ジョン その場限りの切り抜けで生きるのではなく、正しいと思ったことをやっているのだという自覚がある時、自分の人生を生きていると言えるのでしょう。
 デイヴィッド その場限りの切り抜けと、自覚をもって正しいことをやっている、この二つは区別出来るものでしょうか。
 サー・ジョン 区別出来ると思います。
 デイヴィッド 判定の基準は?
 サー・ジョン 良心というものがあります。
 デイヴィッド 良心は様々でしょう? ある人にはある行為が正しいと見え、他の人には誤りと見える・・・
 サー・ジョン ええ、私も絶対的な基準があると言っているのではない。しかし、人生でただ一つ確かな規則は、幸福は自分の義務を果たすことに存する。そして自分の義務とは、その時自分に正しいと思われたことを果たすこと・・・たとえそれが最終的には悪い結果になろうとも。
 デイヴィッド そして、たとえそれが自分自身以外の人間を害することになろうとも?
 サー・ジョン そう。害することになろうとも・・・です。人は自分の義務を、つまり、その時に正しいと思ったことを、果して行かねばならない。そこから逃げることは出来ないと思っています。
(カメラ、後ろに下って、スタジオ全体を見渡す。ここで初めて導入の音楽が聞こえてきて、二人の会話はそのかげに隠れて呟きのようになる。タイトル「ハートからハートへ」が現れる。バックに少しづつ後退して行くカメラの列、アーク燈、マイク・ブーム(マイク自在釣り下げ装置車)、その他、テレビ局特有の設備。そのずっと後方に、デイヴィッドとサー・ジョンが強い光の下で向きあって坐り、話している。しかし音楽によってその会話は聞こえない。暫くしてタイトルは消える。ここから先は、無理にテレビのインタビューであることを強調する必要はない。カメラもカメラマンもステージの助手達も、それぞれ普通の日常業務を果している姿・・・勿論能率よく・・・が示されていればよい。ただ、サー・ジョンは相変らず緊張の表情。)
 デイヴィッド 裁判の仕事での経歴は、もう相当におなりですね、サー・ジョン。
 サー・ジョン 三十五年です。
 デイヴィッド 法廷弁護士としての最初の年の稼ぎは?
 サー・ジョン 丁度十五ポンド。
 デイヴィッド そして去年は?(サー・ジョンが躊躇っているのを見て。)税務署の役人を気になさらなくてもいいんです。もし調査があれば、あれは口が滑ったのだと仰れば。(まだ躊躇っているのを見て。)千倍の、一万五千ポンドとしては?
 サー・ジョン ええ、まあ、そうしておきましょう。
(放送管理室。ここの大雑把な様子を見てもらうために。モニター画面とそれに見入っている様々な人達・・・そのうち名前を知らねばならないのは、製作担当のフランク・ゴッドセルとその秘書のジェスィー・・・が写される。放送のスクリーンによって今放映されているインタビューの様子が分る。)
 デイヴィッド(姿は見えない。)するとサー・ジョン、あなたの人生は、長い成功続きの旅だったと言えましょうか。
 ジェスィー(マイクに。)三番カメラ。
(三番カメラに代えた結果、放送モニターのスクリーンにサー・ジョンの異った角度の映像が写る。)
 サー・ジョン 長い・・・確かに。しかし「成功した」という意味が単に所得の増加のみで測られるとするならば・・・
 デイヴィッド 成功の一つの測り方ではありますね? 所得の増加は。
 フランク あいつ、もたついているぞ。(マイクに。)ジョー、デイヴィッドは時計を見ていないんじゃないか。あと九十秒しかないのが分っているのか?
 サー・ジョン(その間に。)一つの測り方という観点なら賛成です。しかし、一番良い方法は、私の考えでは・・・
(袖で、進行係のジョー、カメラの横に立って、デイヴィッドに「急げ」の合図を送る。)
 デイヴィッド(急に。)サー・ジョン、残念ながら、時間が迫ってきました。私の最後の質問に移らなければなりません。
 サー・ジョン(微笑んで。)では勇気をもって迎え撃つことにしましょう。
 デイヴィッド 自分の人生を生きる、ということはどうすれば可能になるのでしょう。
 サー・ジョン(驚く。)それはたった今聞かれた質問ですよ。
(放送調整室。フランク、恐怖の表情で頭を抱える。)
 フランク(唸る。)やったな!(ジェスィーに。)あいつ今日・・・
(フランク、飲む動作をする。ジェスィー、落ち着いて肩を竦める。それから頷く。証拠はないが、その疑いは充分にあるという意味。)
 ジェスィー(マイクに。)四番カメラ、タイトルに。
(放送モニター・スクリーン、遠ざかる画面。)
 ジェスィー チャーリー・・・音、カットの用意・・・
(インタビューのテーブル。デイヴィッドが必死の巻き返しを試みているところ。)
 デイヴィッド 私は時々鍵になる質問を二度することにしています、サー・ジョン。時として二度目の時、異った答が出てくることがあるのです。弁護士として多分、証人に訊問するとき、同様のことをなされるのではないかと思っておりますが?
 サー・ジョン(固い表情。)法廷では私は、一度した質問を繰り返すことは許されていません。
 デイヴィッド(穏やかに。)しかしサー・ジョン、ここは法廷ではありません。ここは「ハートからハートへ」です。さあ、これで時間になりました。この番組の第五十九番の被追求者の役をお引き受け下さいましてサー・ジョン、心から感謝いたします。実に有益な、実に光栄な体験でした。有難うございます。
(デイヴィッド、にこやかに片手を差し出す。サー・ジョン、握手する。)
(放送調整室。フランク、ほっとして額の汗を拭う。)
 フランク 巻き返しの天才だ、あいつは。
 ジェスィー 本当。(マイクに。)キュー・・・番組。(フランクに。落ち着いて。ジェスィーは落ち着いた女性である。)でも、それがあの人の仕事。(マイクに。)二番マイク。いつも通り追って・・・
 フランク タイトル。キュー・・・アナウンサー・・・
 アナウンサー この番組は「ハートからハートへ」。イギリステレビの提供でした。
 フランク 被追求者にカメラ・・・
 アナウンサー 「ハートからハートへ」、今夜の被追求者は、サー・ジョン・ドーソン=ブラウン王室弁護士・・・
 フランク カット。デイヴィッドにカメラ。タイトルかぶせて・・・
 アナウンサー そして追求者は、いつものデイヴィッド・マンでした。
 フランク タイトル外して。キュー・・・デイヴィッド。
(インタビューのテーブル。デイヴィッドがカメラに直接放しかけている。大写し。放送用モニターに写っている。)
 デイヴィッド(魅力ある、プロ特有の自信にあふれた微笑を湛えて。)さあ、これで今夜の「ハートからハートへ」はお仕舞です。明日の夜、いつもの九時十五分から、このシリーズ最後のインタビューをお届けします。記念すべきこの最終回の被追求者になって下さるのは・・・皆様きっと全員賛成して下さるに違いない・・・実に特別な方・・・
(観客は一瞬パニックに陥ったデイヴィッドの目の表情を見る。ただしほんの一瞬のみ。後は穏やかな、にこやかな笑顔。)
 デイヴィッド ・・・その流星のような出現で政界を賑わし、国民を上げて評判となった・・・
(デイヴィッド、「名前を頼む」という目の合図を一瞬進行係に送る。)
 デイヴィッド ・・・そしてつい二週間前、大臣に指名され、イギリス中の家庭で話題となった・・・
(放送調整室。)
 フランク(パニックを起している。)ジョー、あいつ、名前を忘れたんだ。(急いで。)早く黒板を出すんだ。「ジョンスン」と書いて。早く!
 デイヴィッド(その間。)・・・その名前は皆さん、もしお聞きになれば、なるほど最終回に相応しい人物だと必ず膝をうって賛成なさる筈の・・・
(ジョー、この時までに黒板を持ち上げている。デイヴィッド、それをチラと見る。)
 デイヴィッド(にこやかに。)そう、その通り。国会議員、労働大臣に指名されたばかりの、サー・スタンリー・ジョンスン・・・です。どうぞ明晩の「ハートからハートへ」に、お忘れなくスイッチをお入れ下さい。明日もまた、真実を、本当の真実を、そして核心をついた真実を、お届けします。
(放送調整室。)
 フランク プログラム終了。終りのタイトル。ゆっくりとフェイド・・・よーし、これで終りだ。
(放送用のモニター。「ハートからハートへ」のタイトル、スクリーンから消える。次の番組が始まる前のコマーシャルが続く。)
(スタジオの舞台。前方にモニター・スクリーン。カメラの列。デイヴィッドとサー・ジョン、その向こう側。)
 デイヴィッド ジョー、あれは何だ! 合図を出しただろう? 一晩中かかるのか、あれが出るまで。
 進行係 オーケー。解散だ。(デイヴィッドに。)すまない、デイヴィッド。だけどね、まさかスタン・ジョンスンの名前が出てこないとは思わなかったからな。
 デイヴィッド(照明係に怒って。)それにミッキー、お前、俺を焼き殺す気か。ライトをあんなに近づけやがって、毎回毎回。
(その間サー・ジョン、やっと役目が終り、この時までに席を立って、技術者の一人と話をしている。進行係が近づく。)
 進行係 サー・ジョン、ちょっと写真を一枚、いいでしょうか。さっきの席で。(呼ぶ。)デイヴィッド・・・スチール写真だ。
(デイヴィッドとサー・ジョン、元の席に坐る。その間カメラマン達、写真を撮る用意。)
(放送調整室。前面にジェスィーとフランク。フランクはまだ頭を抱えている。さっきの緊張がまだほぐれていない。ジェスィー、煙草に火をつけて、同情の目でフランクを見る。)
 ジェスィー もう大丈夫よ。あの人、度忘れよ。・・・木に触るのね。(註 「木に触ると幸運が来る」という迷信。)
 フランク 放送調整室のどこに木なんかある。
 技術主任(ずっと離れたところから。)シェファーズの森にありますよ、フランク。古いマホガニーが。
 フランク(立上りながら。)いらないね、フレッド。チャンネル五のモットーは「友情」だ。木はいらない。
(フランクとジェスィー、扉へ進む。)
 技術主任 BBC放送でも、ですかね?
 フランク 連中はいい仕事をやってるんだ、ビル。だからスタッフは楽なもんだ。十六人全員がね。
(放送用舞台。デイヴィッドとサー・ジョンが写真を撮られている。)
 サー・ジョン この仕事の前は、何をしていたんだね?
 デイヴィッド オックスフォードで経済学の講義を受け持っていました。
 サー・ジョン ほう、それは随分な変化だ。
 デイヴィッド ええ、かなりな変化です。
 進行係 どうも有難うございました、サー・ジョン。これで試練の時はお仕舞です。
(進行係とカメラマン達、退場。その時までにフランクとジェスィー、来ている。)
 サー・ジョン(熱心に。)ああ、ミスター・ゴッドセル、どんな出来栄えでしたかな?
 フランク(心から。)実によい出来でした。こちら製作秘書のミスィズ・ウェストン。
 サー・ジョン(殆どジェスィーには注意を払わず。)始めまして。どうでしたでしょうかな? ミスィズ・・・アー・・・
 ジェスィー(淀みなく。)五つの指に入る最高の出来ですわ。
(フランクと同様にジェスィーも何度かこの質問を受け、常に同じ答を返している。しかし、彼女の落ち着いた冷静な声が、必ず相手に確信を与える。今回もそう。)
 サー・ジョン(デイヴィッドを顎で指し示しながら。)いや、かなりきつい質問をやられましたからな。この若いのに・・・
 デイヴィッド それが私の仕事ですので、サー・ジョン。真実を引きだすためには・・・
(語尾が心もち上り、疑問符がついた言い方。それとはっきりはさせないが、疑問の意は感じ取られる。)
 サー・ジョン そうです。私の場合もそれが仕事です、勿論。
 デイヴィッド(静かに。)しかし全く同じではありませんね? 多分。そちらのお仕事の場合、真実そのものではなく、真実の側面のうち、被告に都合のよいものを引きだすのが・・・
 フランク(途中で遮る。放送後の議論で、こじれることがままある。)終了後にまた「ハートからハートへ」を蒸し返すのは止めましょう。
(この時までに男登場。チャンネル五の階級から言うと、その服装、態度から、かなり上位の人物。名前はスィリル・ブラウン。)
 スィリル 調整官が呼んでいるぞ、フランク。
 フランク(怒って。)ええっ、まだいるんですか? あの部屋を自分の住み家と間違えているんじゃないですか。
 スィリル まあ、テレビを見るのが好きなんだろうな。
 フランク 自宅にはないんですか? テレビが。
 スィリル 奥さんが「戴冠式通り」が好きでね。それに、テレビを見ながら話しかけてくるらしい。
 フランク(たっぷり、意味を籠めて。)話しかける? あの人に? やれやれ、全く。分りました。じゃ、サー・ジョンを頼みます。
 スィリル よしきた。(フランク、急いで出て行く。その肩ごしに。)ああデイヴ、よかったよ、今日は。
 サー・ジョン じゃ、これで、ミスター・マン。
 デイヴィッド 失礼します、サー・ジョン。
 サー・ジョン それから、私には手加減してくれたようだ。感謝する。
(デイヴィッド、頭を下げる。微笑む。スィリルとサー・ジョン、影の中に消える。デイヴィッドとジェスィー、二人だけ残る。)
 デイヴィッド そうだったかな?
 ジェスィー 私はそうは思わないわね。
 デイヴィッド 手加減? 僕が下手だったということじゃないか。あいつは食わせ者なんだ。
 ジェスィー ええ、よく出ていたわ。
 デイヴィッド それに日和見主義だ。
 ジェスィー それも。
 デイヴィッド 性生活にも異常ありだね。
 ジェスィー それは見えなかったわ。
 デイヴィッド そいつは暴く必要はないからね。心の奥底とは、それは関係がない筈なんだ。
 ジェスィー そのことに私、答えた方がいいの?
 デイヴィッド いや。(坐る。)僕と一杯つきあってくれないか? ミスィズ・ウェストン。
 ジェスィー(隣に坐って。)呑むのを見ていて上げるわ。付き合って欲しいのなら。
 デイヴィッド 飲むんだ、一緒に。(呼ぶ。)おーい、トム。コップを二つ持って来てくれないか。
 声(暗いところから。)超過勤務禁止です。組合と面倒事を起すのは厭ですからね。
 ジェスィー 壜から私、直接飲むわ。
 デイヴィッド(呼ぶ。)分った、トム。いらない。(ジェスィーに壜を渡す。)優しいね、付き合ってくれるとは。
 ジェスィー(一口飲んで。)ちっとも優しくはないわ。酷く杓子定規なのかもしれないわよ。(壜を指さして。)ひょっとすると、これ、没収するかもしれないもの。(と、口では言うが、壜を返す。)
 デイヴィッド 君をテレビから締め出さなきゃいかんな。(わが身を振り返り。)まあ、僕自身が今夜テレビから締め出されなければの話だ。(ゴクゴクと、かなり長い一口。)どのくらいまづかった? 今日のは?
 ジェスィー かなりのまづさでしたわ、ミスター・マン。
 デイヴィッド どうしていつもミスター・マンなんだ?
(ウイスキーの壜をポケットに入れる。立上って歩く。ジェスィー、後ろに従う。この場は以下、人気(ひとけ)のないスタジオ・・・暗くて、撮影機具の並んだ場所・・・を通り過ぎる二人の姿。)
 ジェスィー 私のことはいつもミスィズ・ウェストンでしょう? だから。
 デイヴィッド 君が結婚している女性だということを忘れないようにと思ってね。
(間。)
 ジェスィー そう。ところで、ミスィズ・マンの御機嫌はいかが? 
 デイヴィッド いいね。有難う。
 ジェスィー 新しいアパート、お気に召しているんでしょうね?
 デイヴィッド ああ、それは大変。
 ジェスィー(明るく。)それはいいこと。
(影の中から人影が現れる。グラスを持って来いと言われて断った男。)
 トム じゃあ、また明日。失礼します、デイヴ。
(トム、去る。)
 デイヴィッド 明日はまだあるんだろうな。まさか、それまでに首には出来ないだろう。違うか?
 ジェスィー(静かに。)新しい契約はしない可能性があるわね。
 デイヴィッド(溜息をついて。)それで?
 ジェスィー そうね、ミスター・マン。今夜のはあなたの「苦い成功」っていうところね。
 デイヴィッド(溜息をついて。)えーい、何が苦い成功だ。正真正銘の成功でも、それが地獄ってことがあるんだ。確かにこれは決り文句だ。言い古されてもいる。だけど、だからと言って、嘘とは限らないぞ。
 ジェスィー 成功が地獄・・・よく言うわね。私に分っているのは成功じゃなくて、失敗が地獄ってこと。失敗は決して天国にはならない。
 デイヴィッド 失敗か・・・こんなサーカスをやる前は、僕の人生は失敗じゃなかったんだ。
 ジェスィー(真面目に。)ええ、そう。でも、これから、今まで通りのやり方でこのサーカスを続けていたら、あなた、必ず失敗よ。
 デイヴィッド カメラに立つ前に、どうしても二、三杯やらないと駄目なんだ。どうしてもだ。神経のせいじゃない。疲れでも、ストレスでもない。こんな簡単な仕事、逆立ちしてだって出来るんだ。朝飯前なんだ・・・
 ジェスィー そんなことを続けていると、そのうち・・・
 デイヴィッド(怒って。声を荒げて。)説教は止すんだ! それだ、それが原因の一つなんだ・・・その説教ってやつが。
(デイヴィッド、両手で頭を抱える。ジェスィー、それを見る。心配そうに、しかし賢明にも、黙っている。)
 デイヴィッド この商売をしている連中はみんな自分の仕事をぼろくそに言う。・・・そうやって、やっと正気でいられるんだ。(ジェスィーを見上げて。)他の職業では、自分の仕事を悪く言うことはしないんだろうなあ。
 ジェスィー 百姓は言うわね。私は知ってるわ。田舎で育ったから。
(間。)
 デイヴィッド どうして僕は飲むんだ。君には理由が分るか?
 ジェスィー 一つだけ言えるわ。あなたには飲むだけの金があるの。百姓にはない。・・・せいぜいが土曜日の夜だけね。(デイヴィッド、ジェスィーを見つめているので。)これは説教じゃないの、ミスター・マン。ただの決り文句。もう私達、出た方がいいんじゃない? そろそろ門を閉められてしまう。そうしたら私、完全に噂の種だわ。
 デイヴィッド(じっとジェスィーを見て。)明日の朝、閉め殺されるているのが発見されるぞ。
(この時までにジェスィー、立上っていて、デイヴィッドを立たせている。デイヴィッド、この時初めて、明らかに酔いが出ているのがはた目に分る。)
 ジェスィー いよいよ噂の種ね。
 デイヴィッド ミスター・ウェストンはそれを聞くと嬉しくない?
 ジェスィー ええ、酷く嫌がるわね。そして勿論ミスィズ・マンも。
(デイヴィッド、歩き始める。少しふらつきながら。灯で「出口」と示してある扉の方へ進む。)
 デイヴィッド(すまなさそうに。)ご免・・・壜から直接飲んで。最後の二口が利いた。
 ジェスィー 壜から直接飲んで、最初の六口が利いた、というところでしょう?
 デイヴィッド 百姓は自分の職業を恥と思っているのかな?
 ジェスィー(平坦な声で。)じゃ、あなたは?・・・どうして自分の職業を恥と思っているの? ミスター・マン。
 デイヴィッド(間のあと。考えを纏めて。)まづ第一に、猛烈なギャラを貰っている。
 ジェスィー 私だったらそんな恥、我慢出来るわね。その十分の一貰っていたって。(デイヴィッドが怒ってジェスィーを見ているので。)分ったわ。これは説教の一種ね。じゃ続けて。第二は?
 デイヴィッド こんな仕事は、ちょっとした知性、普通の常識、少しの勤勉、回転の速い頭、さえあれば、誰だって出来るんだ。その条件にかなう人間など、何千人、何万人と・・・
 ジェスィー 何千人でとめておくのね。
 デイヴィッド(これを無視して。)・・・いるんだ。僕の十分の一の値段で、喜んでやる奴がね。
 ジェスィー そしてアルコール抜きでね。
(ジェスィー、扉を開け、デイヴィッドを優しく先に出してやる。)
(回廊。長く、飾りのない、綺麗に洗った壁の回廊。どころどころに不思議な照明。)
 デイヴィッド(言葉が迸(ほとばし)り出るように。)だが僕はベルグレイヴィアの高級アパートに住んでいる。ベントリーのコンバーティブルを持っている。何故か。理由は一つ。たった一つ。これだ。(職業用の微笑をやってみせる。カメラの前でついさっき見せた微笑。)
 ジェスィー 何?
 デイヴィッド(今は顰め面にしていて、その頬を指さす。)これだ。ここらあたりにえくぼがある筈だ。神様だけが知っているという奴・・・
 ジェスィー 神様とあなただけがね、ミスター・マン。
 デイヴィッド これで一千万人の馬鹿が騙されるんだ。どうしてなんだ。
 ジェスィー 私に訊かないで。私はその一千万人のうちの一人じゃないの。
 デイヴィッド これを始めた頃のファンレター二、三通は褒め言葉、次に来た百通ばかりが奇妙な感想、今じゃただのやじり倒しだ。あーあ、僕はイギリス中で有数の経済学者なのにな。(悲しそうに。)いや、昔はそうだった、ということだ。(悲痛な表情。)僕はもうこれだけの値打しかないのか。
 ジェスィー 一週三百ポンド以上の値打・・・だったわ、さっきの話では。
 デイヴィッド もういい。お休み、だ。
(デイヴィッド、急に後ろを向き、回廊を二、三歩進む。ジェスィー、その後を走って追う。デイヴィッドの肘を取り、「緊急出口」の方へ導く。)
 ジェスィー デイヴィッド・・・こっちの方がいいんじゃない?
(デイヴィッド、振り向く。)
(二人は駐車場にいる。沢山の車。)
 ジェスィー 自分で運転?
 デイヴィッド いや、運転手つき。つけたてのほやほや。一週十四ポンド。
 ジェスィー あら、高給ね。
(間。)
 デイヴィッド なあ、ジェスィー。どうやら僕は自分のことをぼやくだけの退屈な男らしいな。
 ジェスィー いいえ、デイヴィッド。あなたってそんな人間じゃないわ、私には。
 デイヴィッド 少しはまともなことを言っているかな。
 ジェスィー ええ、勿論。(優しく。)それに、いざとなったら、また経済学に戻ればいいし。
 デイヴィッド もう戻れない。君にも分っているんだ。僕はもう背水の陣なんだ。
 ジェスィー それなら、そのえくぼでこれからも切り抜けて行くのね。
 デイヴィッド 荒っぽい哲学だ。その調子じゃ、君の御亭主、気違いになっちゃうね。
 ジェスィー まあね。でも、アル中にはならないみたい。
 デイヴィッド 不思議だね。詩は売れてるの? 最近。
 ジェスィー ええ。・・・三週間前に・・・週刊誌が買ってくれたわ。受取った金は・・・約十ポンド。
 デイヴィッド どうして定職につかないんだ? ジャーナリズムか何か・・・テレビでも・・・
 ジェスィー 社会制度への屈服だと思っているのね。(苦味を込めて。)そして子供を作るのはブルジョア家庭主義への屈服。
 デイヴィッド すると当分の間、御亭主は君をそっちのけで生きて行くわけだ。
 ジェスィー そうよ。天才は誰かをのけ者にして生きて行かなきゃ駄目なの。
(ジェスィー、ひどくくたびれたモリス・マイナーのドアを開ける。)
 ジェスィー これが私の豪華なコンバーティブル。運転手のコンウェイは今夜は休み。あなたのはちゃんといる?
 デイヴィッド いる筈だがな。
(デイヴィッドの背後に、運転手つきの大きな新しいベントリーのコンバーティブルが静かに近づいて来るのが見える。)
 デイヴィッド 最後に一つ。こいつを言わしてくれ。今の僕の仕事、うまく行ってるんだな? 少なくとも「フェイスからフェイス」以来、一番正直な番組だ。そうだろう?(乱暴に。)これには正直に答えるんだぞ。余計なお説教を言ってみろ、首を締めてやる。
 ジェスィー 説教はしないわ。そう、一番正直な番組。それから、ちゃんと言葉が発音できる程度にしらふでいられれば、まだきっと続くわね。
 デイヴィッド 有難う、ミスィズ・ウェストン。おやすみ。
 ジェスィー お休みなさい、ミスター・マン。
(ガリガリと酷い響きでギヤが入り、古いエンジンからガーガーと音がし、奇妙な爆発音も混じり、ジェスィーの車が出て行く。デイヴィッド、振り返り、自分の車に乗る。扉は運転手が開けている。デイヴィッド、車の中に消える。)
 
(調整官ストックトンの部屋。偉い人を前に、フランクがかしこまって坐っている。)
 調整官 そう。あいつが事態を切り抜けて、そのあと、無難にこなした点は認めよう。それから、何かまづいことが起ったらしいと気づいた視聴者は千人に一人だという点も認めよう。しかし、問題はその千人のうちの一人なんだ・・・
 フランク あの男は確かに飲ん兵衛です。レッテルを張られると、また本物になるもので・・・
 調整官 冗談を言っている場合じゃないんだ、フランク。これは深刻な事態なんだぞ。
 フランク 私は深刻とは思いません。アル中じゃないんです。(立上って。)でも、とにかく彼には話します。それはお約束します。
 調整官 奴に言うんだ。この業界では、必ず代りはいるんだ、とな。
 フランク その通りの言葉を伝えます。
 調整官(皮肉は無視して。)それから、次のシリーズの契約はまだ終っていない。そうも言うんだ。
 フランク そのことは知っている筈です。その話になれば、私の契約もまだです。(扉に近づきながら。)それを除いては、番組は如何でしたか?
 調整官(質問が当を得ていないと言いたげに。)いいか、フランク。あれは君の番組なんだ。私は君に何の干渉もするつもりはない。そのことをよーく頭に叩き込んでおくんだな。
(フランク、扉の傍に立ち、疑わしそうな表情。「実際は丸々そちらの番組なんでしょう?」という顔。)
 調整官 しかし、今夜はやつの正体をぐさりと突いたようだな。あのジョニー・ドーソン=ブラウン、とんだ赤恥をかかされたな。
 フランク そうです。赤恥で丁度いいんです、あんな奴。
 調整官(冷たく。)そうかもしれん。しかし、あいつは偉い男でもある。それに偶然だが、私の親友だ。勿論、これはあいつの偉さとは何の関係もないが・・・
 フランク ええ・・・はあ・・・
 調整官 さて、明日の夜は大臣だ。多少は手加減しないといかんな、女王陛下勅任大臣では。(間の後。)どうだ?(フランク、答えない。)デイヴィッド・マンに一応は言ってみろ。勿論命令じゃない、提案だ。(人差指を振って警告。)しかし、さっきのやつ・・・アルコールだ・・・あれは命令だ。それから言うのはお前だ。お前の番組だ。自分の頭の蠅は自分で追うんだ。
 フランク そしてこの業界では、必ず代りはいるんだ、と。
 調整官(今度は皮肉は許さない、という表情。)そうだ。(苦い微笑み。)じゃ、お休み、フランク。
 フランク(微笑みはない。)お休みなさい、ミスター・ストックトン。
(フランク退場。暫くして調整官、驚くべき勢いで、ファイルを机に叩きつける。)
 調整官(呟く。)製作の奴ら!

(デイヴィッドのアパートの居間。イートン・スクエアー辺りのペントハウス。この部屋で一番顕著なのは窓。スライディング・パネル形式のひどく横に長いもの。今はカーテンがかかっている。そのカーテンの前でデイヴィッドの妻、ペギー・マンが思案の表情で立っている。モデルにしてもいいような大きな目、高い頬骨、それに肉体的魅力に溢れている女。少なくとも夫にはそう見えている。)
(ペギーはリガ生れ。五歳の時リガを離れ、オックスフォードに来る。精神的な緊張がある時だけ、強いオックスフォード訛りが出て来る。)
(玄関ホールからデイヴィッド登場。しかしペギーは、後ろを向かず、そのままカーテンを眺めている。)
 デイヴィッド ああ、ペギー。
 ペギー(振り返らず。)お帰りなさい、あなた。うまくいった?
 デイヴィッド(飲み物の盆に進み。)見てくれなかったのか?
 ペギー ええ。来客。ウィルキンスン夫妻。
 デイヴィッド(ウイスキーにしようか、迷う。が、結局オレンジ・スカッシュにする。)その二人と一緒に見ればいいのに。
 ペギー あの人達、テレビが嫌いなの。
 デイヴィッド なるほど。
 ペギー(意を決したように。)駄目なのよ、あなた、あれじゃどうしても駄目なの。
 デイヴィッド(ペギーに近寄って。手にグラスあり。)何が駄目なんだ。
(デイヴィッド、ペギーのうなじを愛撫する。)
 ペギー あのカーテン。(苛々と頭を振って。)よして。髪が乱れるわ。
 デイヴィッド 髪が乱れるのが好きだった時もあるんだがな。
 ペギー あの頃はあの頃。今は今。
 デイヴィッド(ペギーの腰の辺りに手を廻して、また愛撫。)あの頃がよかったな。カーテンが駄目だって、どういうこと?
 ペギー(自分の主張を説明するために、デイヴィッドから離れて。)この大きさでカーテンが一色。それは無理なの。どうしても部屋が冷たくなる。剥(む)きだしっていう感じ。ウィルキスン夫妻、二人とも気に入らなかったわ。
 デイヴィッド あの二人は気に入らない物が多いからね。
 ペギー あら、いい人達よ。
 デイヴィッド 君がそう思っているのは知ってるよ。
 ペギー あの夫婦、バーバラ・ミルチェスターの親友なのよ。
 デイヴィッド そうか。すると、少なくとも二人はあの夫婦が好きだという訳だ。君とレイディー・ミルチェスターの二人がいるからね。僕は嫌いだ。イギリス中捜したって、連中ほど退屈な人間はなかなかいるもんじゃない。そう、あのカーテンだがね、まだ代金を払っていないんだ。まづ払いだ。それまでに取り換えるなど、問題外だ。
(デイヴィッド、坐る。鞄から二三枚の紙を引っ張りだし、調べ始める。ペギー、不思議そうにデイヴィッドのグラスの中味を覗く。デイヴィッドの傍の電話が鳴る。デイヴィッド、受話器を取る。)
 デイヴィッド はい・・・あ、ウイリアム、何だ?・・・婦人? 何の婦人だ・・・
(ロビー。夜。夜勤のウイリアムが電話ボックスの中で受話器に話している。近くに女がいて、それに聞かれないようにと気を使っているが見てとれる。女は中年。また、かなり目立つ服装、似合わない帽子、ということ以外は、はっきり見えない。)
 ウイリアム 会ってお話がしたいと言っているんです。生死に関る問題だと・・・いいえ。ですから、正面で待たせてあるんです。いつも裏口から出ていらっしゃるのは知っていましたから・・・ええ、ただ、どうも、こんなに遅くなっては普通来ないものですから、ひょっとして、と思って・・・
(居間。)
 デイヴィッド 正式にテレビ局宛、面会の要求を書面で出せと言うんだな。そんなことじゃない、もっと個人的なことだというんなら、頭を冷やして出直して来いと言うんだ・・・
 ペギー(デイヴィッドが受話器を置くのを見て。)何? それ。今飲んでるの。
 デイヴィッド オレンジ・スカッシュ。
 ペギー どうして?
 デイヴィッド 喉が乾いているからさ。
 ペギー どうしていつものようにウイスキーじゃないの?
 デイヴィッド いつものようにウイスキーを飲んでいたら、飲み過ぎになったからさ。
 ペギー その言い方、まだ充分には飲んでいない言い方よ。
 デイヴィッド 帰って来る途中でサンドイッチとエスプレッソで酔いざましだ。それまではフラフラだった。おまけに番組でとちる寸前だったんだ。スタンリー・ジョンスンの名前が出てこないとはな。スタンリー・ジョンスンがだぞ!
(デイヴィッドが仕事の話を始めると、その瞬間からペギー、ただ聞いているふりをして、カーテンに考えを戻す。)
 デイヴィッド あれはあいつらの失策なんだ。この僕に・・・視聴者との距離、それに威厳を守るべきこの僕に・・・次回の予告をやらせるなんて、それがそもそも間違いなんだ。僕は断ればよかったんだ。だいたい考えたって分ることじゃないか。・・・よし、次のシリーズでは必ず断ってみせるぞ。君、僕の言ってること、聞いてるのか?
 ペギー(ぼんやりと。)ええ。次のシリーズでは広告はやらないのね? そうよ、あなたの言う通り。(カーテンを指さして。)このカーテン、本当にまだ払ってないの?
 デイヴィッド うん。まだだな。
 ペギー もうお金をすませたカーテンもある筈だわね。
 デイヴィッド うん。テレビのある部屋のカーテンだ。あの部屋は使わないんだから、金の無駄だったかな。
 ペギー あなた、今日は機嫌が悪いのね。(ソファの腕に坐る。)少し飲んだ方がいいんじゃないの?
 デイヴィッド(読み続けながら。少しペギーが近くに寄ってきたことを意識して。)いや、飲まない方がいい。
 ペギー 明日は必ず見るわ、あなた。
(間。デイヴィッド、ペギーを見つめる。少し違った表情。)
 ペギー(奇妙な顔をして。)どうしたの?
 デイヴィッド 何でもない。この角度からの君の顔がいいんだ。
 ペギー 別に事新しいわけじゃないでしょう?
(デイヴィッド、荒々しくペギーをソファに引き寄せる。ペギー、手で髪をおさえる。)
 デイヴィッド 髪なんかどうでもいいだろう。
 ペギー どうしたの? 急に。
 デイヴィッド 急じゃない。この八年間ずっとこういう気持だ。君もそれを知ってるんだ。
(デイヴィッド、猛烈にキス。)
 デイヴィッド それにちっともよくならない。悪くなる一方だ。
 ペギー(少し煩わしい。)反対なんでしょう? よくなる一方なのね?
 デイヴィッド(乱暴に。)違うな。悪くなる一方だ。
(デイヴィッド、再びキス。)
 デイヴィッド いいか、マルガレーテ・ゲッツネヴィッチ・・・
 ペギー ペギー・マン・・・でしょう?
 デイヴィッド リガのマルガレーテ・ゲッツネヴィッチ。
 ペギー リガは関係ないでしょう? リガなんて私、五歳の時に出て来たのよ。
 デイヴィッド その後が北オックスフォード、バンバリー通り、一九六B。(抱擁を放して。)あの二部屋でいくら払ったんだ? 一週二ポンドか?
 ペギー 一ポンド十七シリング。(思い出しながら。)全く大変なこと。父は一九三九年に長期の契約をやっておきながら、何度も、もっと安いところに移らなきゃあって考えていたんだから。あれより安いところ! 考えても御覧なさい。勿論、戦争が始まってからは、大家の方だって追い出す訳には行かなくなったわ。
(ペギー、ソファに進み、デイヴィッドの腹に頭を乗せる。顔は上を向いている。デイヴィッド、ペギーの顔を見下ろす。ペギー、デイヴィッドが部屋に入って来た時から持っていたカーテンの生地のサンプルを手で弄(まさぐ)っている。)
 ペギー 今から考えると不思議なこと。父親はニュー・カレッジの講師・・・
 デイヴィッド そしてその娘は現在デイヴィッド・マンの妻。
 ペギー ええ。誇りに思っているのよ、本当に。
 デイヴィッド チャンネルを捻るほどには誇りに思っていない、か。まあいい、この話は。
(間。)
 デイヴィッド マルガレーテ・ゲッツネヴィッチ・・・覚えているかな? 僕の君への最初のプレゼントは何だったか。
(ペギー、眉を顰めて考える。しかし、明らかに覚えていない。)
 デイヴィッド 陶器の猫さ。
 ペギー ああ、そうそう、勿論。可愛いかったわ。
 デイヴィッド あれは丁度四ポンド六シリングした。君は泣いてくれたんだ。
 ペギー それは泣いたわ。可愛いかったんだもの。
 デイヴィッド あれは八年前。あれから君、欲しいって言ったもので断られたことがある?
(間。その間ペギー、何か例を上げて、言い返そうとする。が、駄目。)
 ペギー(呟く。)ないわ。
 デイヴィッド だから、銀行に充分な金が入り次第、君の新しいカーテンは手に入る筈なんだ。そう思わないかい?
(この議論が納得のいくものであることを理解するのに少し暇がかかる。それからペギー、嬉しそうに振り向いて、熱っぽくキスする。)
 ペギー ああ、デイヴィッド、私って幸せなのね?
 デイヴィッド 僕はそう思ってるんだけどね。しかしそれなら、僕だって幸せな夫な筈なんだ。
(デイヴィッド、お返しにキス。しかしそのやり方で、夫婦という定義が、ペギーの考えているものとは全く違っていることが明らかに見てとれる。)
 ペギー(やっとデイヴィッドの抱擁から出て、到って平静に。)ね、これがカーテンのサンプル。これだったらあなた、気に入るわ。
 デイヴィッド それは、君が気に入っているっていう意味だろう?
(玄関にベルの音。)
 デイヴィッド 誰か来ることになってる?(ペギー、頭を振る。)とにかく君が出た方がいい。僕を捜している気違い女がいるって、さっき電話がかかってきた。ウイリアムはうまくやりすごして、こっちに来たのかもしれない。
 ペギー(玄関に出て行きながら、心配そうに。)その人、私の目を引っ掻いてくるかしら。
 デイヴィッド(後ろから。)そんな隙を与えないんだ。だったらこっちから引っ掻いてやればいい。
(玄関ホールからペギーが用心深く扉を開けているのが見える。それからパッと扉を開け、フランクを導き入れる。)
 フランク やあ、ペギー。(ペギーの頬にキス。)デイヴィッドはいるね?
 デイヴィッド(呼ぶ。)やあ、ここだ、フランク。
 フランク(居間に入って来ながら。)門番から伝言だ。(ウイリアムの声を真似して。)女は諦めて行っちゃいました。でも、明日は分りませんよ。あんたがどこにいるかは分っているんですから。
 デイヴィッド 明日の僕の居場所が分っているのは当たり前だよ。今夜どこにいるか分っているのが困るんだ。ペギー、フランクに飲み物を出して。
 フランク ああ、それは止めとこう。
 デイヴィッド 止めとく? 仕事じゃないんだろう? この時間は。
 フランク うん・・・今から言うことを考えると、ちょっと・・・
 デイヴィッド(頷いて。)なるほど。だけど下らんよ、それは。ペギー、やっぱり出して・・・その方が楽な筈だ、後が。
 フランク じゃ、自分でやるよ。ペギー・・・すまないが、ちょっと・・・
(デイヴィッドと二人だけになりたいという動作。)
 ペギー(振り向いて、出て行こうとする。)いいわよ。馴れているの、それ。
 デイヴィッド いや、フランク。ペギーは、いる方がいい。さあ、ここへ坐って、ペギー。君も話を聞くんだ。
(ペギー、言われた通りにする。少し奇妙な顔。)
 デイヴィッド 君にも参考になる話だ。さあフランク、聞こう。
 フランク どうやらもう分っているようだな、こちらの台詞は。
 デイヴィッド だけど、これ(ペギーを示して。)は知らないからね。これの前で頼むよ。
 フランク いや、どうもまづい。それは遠慮する。
 デイヴィッド じゃ、僕がやる。間違っていたら直してくれ。(ペギーに。)フランクは調整官に呼ばれたんだ。僕が今日、カメラの前で酔っ払っていたのでね。
 フランク(静かに。)ああ、酔っ払ってというのは違うんだ、ペギー。少しとちっただけでね。
 ペギー(今ではひどく驚いていて。)ええ、さっき話してくれたわ。でも・・・
 デイヴィッド(容赦なく続けて。)だからフランクは調整官から僕に伝言しろというお有難い命令を受けて来たんだ。飲みませんと一筆書かなければ、次のシリーズの契約はおろか、テレビの仕事は今後一切なしだ、とね。いや、それとも、一筆書くまでもなく、駄目なのかな?
 フランク いや、一筆も必要ない。首じゃないんだ。
 デイヴィッド しかし、今後はいい子にしていなきゃならん、と。
 フランク(肩を竦めて。)まあ、そんなところだ。
 デイヴィッド(敵の台詞はこうだと。)「テレビの仕事では、代えはいくらでもあるんだ」。
 フランク うん。それははっきり言ったな。
 デイヴィッド 思った通りか、やはり。(ペギーの手を、慰めるように掴んで。)じゃフランク、一杯たっぷり注いでくれ。
(フランク、飲み物のテーブルに進む。)
 ペギー(驚いて。)まあ、何それ。どういう気?
 デイヴィッド(ペギーを無視して。フランクに。)最後の一杯だ。それぐらいはいいだろう。
(フランク、注ぎながら、頷く。)
 ペギー(フランクに。)じゃ、次のシリーズに出られない可能性もあるっていうこと?
 フランク それはないよ、ペギー。次のシリーズには必ず出られる。(デイヴィッドにウイスキーを渡す。)ほら・・・
 ペギー(デイヴィッドに。)でもあなた、今までどうして話してくれなかったの?
 デイヴィッド 何度も話そうと思ったさ。だけど君は何の興味もなさそうだったからね。
 ペギー(フランクに。)いい? フランク。新しい契約が来ない可能性があるようだったら、必ず私に言って。私、何とかする。きっと何とか出来る。
 フランク(デイヴィッドに、面白そうに目配せして。)分ったペギー、頼りにしてるよ。有難う。
 ペギー もうこれからは、この家ではアルコールは一切禁止。
 デイヴィッド(フランクに聞かせて、一緒にペギーを揶(からか)うため。)すると君の友達はどうなるんだ、ペギー。大変だぞ。(フランクに。)キャロライン・ウィルキスンという酒豪がいてね、ジン一本を軽く空けるんだ。
 ペギー(急に泣きそうになって。)ね、私のこと、揶わないで。(デイヴィッドが近寄って来るのを避けて。)こういう時なの、私、一番国籍の違いを感じるのは。(涙が出そうになる。)私、あなたが分らないわ、デイヴィッド。ウイスキーは飲むわ、あなた・・・時々は飲み過ぎるぐらい・・・でも、あなたの友達、誰だって飲むじゃない。あなたはショーに出る。・・・ええ、確かに私、いつも見てる訳じゃない。・・・だから悪妻かもしれない。でも、私が見る時はいつだってちゃんとしている。私、幸せになる。なんて立派な人と私は結婚したんだろうって。そしてあなたは家に帰って来る。ちょっとウイスキーを飲んで・・・何も困ったことなんかなさそう。それで私、カーテンについて愚痴を言う。そしたらあなた、急にいけないんだって・・・ひどくいけないんだって・・・そんなの・・・そんなの・・・
 フランク いけなくなんかないんだ、ペギー!・・・
 ペギー(今は涙を流している。)会社のことを言っているだけじゃないの。本当にいけないことがあるの。本当にいけないことがあるから飲むの・・・カメラの前で、いけないことをしたりする程飲むの。・・・本当にいけないこと・・・私、この人の妻なの。そして、その本当にいけないことは、話して貰えない。最初に私に話すのが本当でしょう?
 デイヴィッド(震えているペギーの腕を取り、眉のところにキスをして。)そうだよ、君に最初に話すのが本当だ。(非常に優しく。)そして僕はいつも最初に・・・
 ペギー(怒って。)いつ、いつよ。私に話したなんて。
 デイヴィッド いつだってだ・・・もう、一年も前からだ。・・・この仕事が始まるその時からね。それで君が耳を傾ける気になったのは、やっと今。この職を失う危機に到って初めてだ。
 ペギー じゃ、どうしてあなた、飲むの? 私のせい?
 デイヴィッド いや、僕のせい、僕のこの仕事のせいだ。
 ペギー じゃ、私のせいじゃない。この仕事を奨めたのは私だもの。
 デイヴィッド 僕にだって、自分の意志があるんだよ、ペギー。
(間。その間二人、目を見合わす。デイヴィッドは自分が嘘をついていることを自覚して。ペギーは夫のその嘘を見抜いて。)
 ペギー(やっと。静かに。)手を放して、デイヴィッド。あなたのこと、殴ったりしないわ。ものも投げないし。私、鼻をかみたいの。
(デイヴィッド、手を放す。ペギー、ハンカチを出して鼻をかむ。)
 ペギー じゃあ、あなた、私に話そうとしたって言うのね?それで私は聞かなかった。それであなた、誰に話したの?
 デイヴィッド 君以外に僕が話す気になる人がいると思うのか。
 ペギー 私、話そうと思った人って言わなかったわ。「誰に話したの?」って言ったの。
 デイヴィッド(やっと。)誰にも話さないさ。
 ペギー まあ、何て返事? そんな答にはピシッと言って上げる言葉があるんだけど、今は止めておくわ。フランクの前ですものね。お休み、フランク。二人で話すことがあるんでしょう? 夫婦喧嘩なんか見せちゃってご免なさい。それが最後の一杯よ、デイヴィッド。フランク、あれがこの人の最後の一杯なんですからね。
 フランク 分った、ペギー。お休み。
(ペギー、寝室に退場。)
 デイヴィッド(嬉しそうに。)やった。切り抜けたぞ、フランク。切り抜け方、うまかったろう?
 フランク 内輪の話は僕にはほっといてくれ。
 デイヴィッド 君だって僕に内輪の話をするじゃないか。こっちの話を聞かない法はない。ところで、ミュリエルはどうしてる?
 フランク(身震いして。)ああ、その話は止めよう。
 デイヴィッド うん。止めとこう。(寝室を指さして、まだ嬉しそうに。)それから、あの言葉はどうだ。聞いたか、あれを。「なんて立派な人と私は結婚したんだろう」・・・あれだ。な?
(デイヴィッド、自動的にもう一杯注ごうとする。フランクの手がそれを止める。)
 フランク う・・・うん、聞いたよ、確かに。
 デイヴィッド 気に入らないな。その気のない返事。それに聞いたろう? あのやっかみを。ペギーがやっかむなんて!「それであなた、誰に話したの?」ときた。
 フランク(静かに。)で、君は誰と話したんだ。
(間。)
 デイヴィッド 答を聞いたろう?「誰にも話さないさ。」
 フランク うん、それは聞いたよ。
 デイヴィッド それも気のない返事だな。
 フランク 悪い。でも、その程度しか出て来ないな、今夜は。よし、もう一杯貰う。残酷だが、君もこれに慣れなきゃいけないんだ。(飲み物の盆に行く。背中をデイヴィッドに向ける。)
 フランク で、君はどっちの方を本当に愛しているんだ。
(間。)
 デイヴィッド 君が喧嘩を売ってきたのなら、外へ出ろ、と言うところだが・・・
 フランク まあ、あっさりと僕の質問に答える方が疲れなくてすむんじゃないか。
 デイヴィッド(寝室の扉を指さして。)あっちだ、勿論。
 フランク 「勿論」という言葉が余計だろう?
 デイヴィッド その通り。賢明なプロデューサー殿。(再び指さして。)あっちだ。これならいいんだな?(フランク、頷く。)とにかくあれは僕の妻で、もう一人の方は夫のある身だ。待てよ、これも無駄な注釈かな?
 フランク いや、それは余計じゃない。台詞の適不適は、視聴者の層の幅と、放送の時間帯で決る。まあ、今の話には、事を複雑にさせる、赤ん坊の存在がないからね・・・
 デイヴィッド いればいいのにと思ってるんだがね。
 フランク 最初の子供が駄目で、もう生めないって?
 デイヴィッド いや、違うんだ、フランク。事を複雑にさせるものは何もないんだ。
 フランク 何もない?
 デイヴィッド そう。出だしの質問がまづいんだよ。僕はこの手の質問にかけてはプロだ。だからその辺のことが分るんだ。「どっちの方を」と訊く時、すでに誤った仮定のもとに質問がなされている。つまり、男は同時に二人の女性を同等に愛することは出来ないとね。
 フランク なるほど。同等に愛する。しかし別様にか。
 デイヴィッド その通り。僕の代りに追及者が出来るね。
 フランク やってみるか。
 デイヴィッド まあ、酷いことになるね。
 フランク うん。
 デイヴィッド それに君にはえくぼがない。
 フランク 手術を受けるさ。明日の晩のサー・スタンリー某(なにがし)だが、あいつに矛先(ほこさき)を緩(ゆる)めなきゃいかん・・・
 デイヴィッド(オレンジスカッシュを注ぐ手を止めて。)何て言った?
 フランク 調整官の指示だ。女王陛下勅任大臣・・・志願してなっている大臣じゃない。国益を考えろ・・・云々云々だな。
 デイヴィッド(間の後。苦々しく。)おい、フランク。明日の晩だけあの番組のうたい文句を変えるんだ。この番組の狙いは、真実の半分を視聴者の皆様に御提供申し上げることでございます、とな。(怒ってきて。)調整官がそんなことを前例にしたいのなら、次のシリーズからにして貰おう。
 フランク 次のシリーズなど、消えてるぞ。
 デイヴィッド いや、まだあるさ。
(フランク、頷く。ウイスキーを終え、デイヴィッドの肩に触れ、それから扉の方へ進む。)
 フランク 明日は八時半だ。ここが彼の住所。(紙を渡す。)
 デイヴィッド(身震いして。)八時半? どうして八時半なんだ。
 フランク 十時から閣議なんだ。
 デイヴィッド(住所を見て、唸る。)それにルイスリップ? 何故ルイスリップなんかで。
 フランク ベルグレイヴィアに住むほどの金はないんだろう。遅刻は駄目だぞ。
 デイヴィッド 今夜は彼女、僕を寝かせてくれないぞ。ああ言い、こう言い、六時まで目はパッチリだ。
 フランク いい女房はそう来なくちゃな。お休み、デイヴィッド。
 デイヴィッド お休み。
(フランク退場。デイヴィッド、心配そうに暫く寝室の扉を眺め、自動的に飲み物の方に手を出す。思い直し、止める。それから寝室へ進む。)

(寝室。ペギー、ベッドの上で上半身を上げている。デイヴィッドが動き廻っているのを、大きな目で見つめている。デイヴィッド、着替える。部屋の暗い部分で、時々見えなくなる。)
 ペギー 悪妻だわやっぱり、私。
 デイヴィッド 違うよ。
 ペギー あなたは自分の困っていることを私に話すの。でも、私はちっとも聞いてはいない。
 デイヴィッド まあ、いつもはね。だけど、だからと言って悪妻ってことにはならないよ。
 ペギー 今からは私、あなたの言う言葉、一言も逃さないわ。一言も。
 デイヴィッド 有難いね。僕も会話を面白くするように努めるよ。
 ペギー それに、鷹のような目であなたを見ているわ。見てないことが、一分も続くって、ないようにする。
 デイヴィッド いいね。大変いい。
(上半身裸でデイヴィッド、ベッドに直角の方向に横になる。ペギーにキス。)
 ペギー(やっと。)私の役目、これだけね?
 デイヴィッド(キスして。)違うよ。しかし、大きな割合は占めているね。
(開いている足でデイヴィッド、扉を蹴る。扉、ゆっくりと閉まり、画面、暗闇になる。)
 
(サー・スタンリーの家の外。太陽があたっている。じみな造りの郊外の別荘。)
(まづ車の音だけが聞こえて、次に車が現れる。ジェスィーの車。道を上って来るガーガーという酷い音。家の傍で車が止まる。ジェスィー、車から出、デイヴィッドのベントリーが既にあるので驚く。運転手がその傍に立っている。二、三人の新聞社のカメラマン達。)
(カメラマンの後ろに昨夜の女。昨夜とは違う帽子を被っているが、その酷さは昨夜と変らない。初めて見る正面からの顔から判断すると、歳は六十ぐらい。日に焼けた、一筋縄ではいかない顔。ジェスィーを無表情に眺める。)
 ジェスィー(信じられないように。)ミスター・マンは、もう来てるの?
 運転手 はい。十五分ほど前に。
 ジェスィー(別の車を見つける。こちらは明らかにフランクのもの。)まあ大変。私が最後だわ。
(ジェスィー、玄関の扉に急ぎ、ベルを鳴らす。)
(扉、すぐ開く。開けたのは、落ち着いた雰囲気の、どちらかというと野暮ったい感じのする中年の女性。大臣の家などには不案内なジェスィー、この女性を女中か何かと勘違いする。)
 ジェスィー(早口で。)大臣にお会いする約束があるんです。
 レイディー・ジョンスン ああ、テレビの方ね。どうぞ。
(ジェスィー、中に入る。レイディー・ジョンスン、猫を抱え上げて、撫でる。)

(サー・スタンリー家の玄関ホール。)
 レイディー・ジョンスン(猫に。)駄目よ、チャールズ。出たら駄目。(ジェスィーに。)主人は今、朝食中ですの。もうすぐ終りますわ。他の方はこちらで待っていらっしゃいます。
(ジェスィー、これが夫人だと知り、ギョッとする。居間へと導かれる。)
 レイディー・ジョンスン(囁く。)これに(と、サイン帳を出して。)あの素敵なミスター・マンにサインが戴けたら嬉しいんですけど。ちょっと添え書きもつけて・・・
 ジェスィー 奥様御自身でお貰いになった方が・・・レイディー・ジョンスン・・・
 レイディー・ジョンスン あら、私、とてもそんな勇気が・・・
(サー・スタンリーの怒った声が玄関ホールを越えて聞こえて来る。)
 サー・スタンリー(舞台裏で。)メイベル! 秘書はまだ来ないのか。
 レイディー・ジョンスン(答えて。)まだですわ、あなた。
 サー・スタンリー ちょっと来てくれ。手を貸して欲しい。
 レイディー・ジョンスン はい、今すぐ。(床に猫を置き、猫に。)いい子にしてるのよ、チャールズ。
 サー・スタンリー(再び舞台裏で。)メイベル!
 レイディー・ジョンスン はい、只今。
(レイディー・ジョンスン、玄関ホールから退場。ジェスィー、周囲をよく観察した後、居間の、他のみんなのいる所へ退場。)

(サー・スタンリーの居間。この部屋も、他の部分と全く同様。デイヴィッドの運転手の家でも、これよりはもっと趣味のある、凝った造りにしてあるだろうと思われるほど。)
(ジェスィー登場。デイヴィッドは二日酔いで、調子が悪そう。昨夜、調べていた、タイプ打ちの書類の上に屈み込んでいる。その書類を持つ手はあまり確かでない。)
 フランク お早う、ジェスィー。
 ジェスィー お早う、フランク。お早う、ミスター・マン。
(デイヴィッド、書類から目を離さず、片手を上げる。しかし何も言わない。)
 ジェスィー あらあら、宿題をやってこなかった追及者。その典型ね。
(サー・スタンリーの秘書、玄関に登場。)
 フランク(ジェスィーに。)どう思う? この造作(ぞうさく)。
 レイディー・ジョンスン(舞台裏で。)サー・スタンリーがお待ちよ。
 サー・スタンリー(舞台裏で。)おお、今来たのか。
 ジェスィー かなり印象的なものね。(引用の括弧つきで。)庶民の味方、サー・ジョンスン新労働大臣、は、全く暮し方を変えていない。今まで通りだ。権力を握ること、それは他の人間を腐敗させるかもしれない。しかし、我がサー・スタンリーを腐敗させることは出来ない。
 フランク おいおい、本気か?
 ジェスィー そっちが先じゃないの、言ったのは。
 フランク まあ、見掛けを取繕(とりつくろ)っているんだ。ウエスミンスターの高級なアパートの方が彼にはずっと似合ってる。それに、それだけの金はあるんだ。これは新聞用だ。君の意見は?
 ジェスィー これは本気。それが私の意見。あんな絵を飾っておく人よ。本気なのよ、きっと。(ヴィクトリアのハイランドの絵の複製を指さす。)あなたの意見は? ミスター・マン。
 デイヴィッド ああ、ブランデー一杯、キュッとやりたいな。それからだ、話は。
(フランクとジェスィー、デイヴィッドを見る。)
 デイヴィッド その後なら、少しはましな意見も出て来る。
(大きな印象的な声(全く平民的な発音でもなく、完全に「教育ある」人間の発音でもない)が、扉の外で聞こえる。サー・スタンリーの声である。扉が開く。サー・スタンリーが開けながら秘書に言っている言葉だと分る。秘書はおどおどして、取り乱している。片手にブリーフケース、片手に公用の大臣専用の箱を持っている。サー・スタンリーと対照的に、秘書の方は非の打ち所のない服装。短い黒の上衣に縞のズボン。)
 サー・スタンリー よーし、分った。今回は許すことにしよう。いや、二度目もな。もし私の機嫌がよければ。だが、言っておくが、三度目は・・・これは本気だ。正真正銘の本気だ・・・首だ。永久に首だ。(秘書から大臣専用の箱を受取る。)時間を守らないことぐらい、私の我慢ならないことはないんだ。
 秘書 どうも本当にすみません、サー・スタンリー・・・しかし、道路が混んでいて・・・
(サー・スタンリー、バタンと扉を閉め、言い訳の言葉を切る。彼の登場は、その声と同様、印象的、かつ飾りのないもの。)
 サー・スタンリー 失礼、諸君。こんな朝早い、酷い時間に来て戴いて。しかし、今日はこの時間しかどうしても都合がつかなかった。閣議が午前中、午後は賃金対策の討議があるんだ。
(話しながら机に進み、坐る。時計の鎖についている鍵で箱を開ける。)
 フランク(おどおどと。)お会い出来るだけで光栄です、サー・スタンリー。BTVを代表して私ども、心から感謝を申し上げます・・・
(この時までにサー・スタンリー、書類を箱から取り出して、それを読んでいる。)
 サー・スタンリー ああ。失礼。ちょっとこれを読んでからでいいですかな? 重要事項らしい。どうか皆さん、坐って。
(サー・スタンリー、書類を読んでいる。デイヴィッド、両手で頭を抱えている。フランクとジェスィー、心配そうにデイヴィッドを見る。サー・スタンリー、書類を読み終る。箱に入れ、鍵を閉める。それから愛想よく皆の方に。)
 サー・スタンリー よし、諸君。では、始めよう。
 フランク(立上って。)ではまづ、私の自己紹介を致します。私は「ハートからハートへ」の製作者、フランク・ゴッドセルです。そしてこちらは、製作秘書、ミスィズ・ウェストン。そしてこれが、(と、指さして。)ミスター・デイヴィッド・マンです。
 サー・スタンリー ああ、かの偉大なるマン、その人ですか。(フランクとジェスィー、礼儀正しく笑う。(訳註 マンと「人」とが、かかり言葉になっているため。)デイヴィッド、やっとのこと笑顔を作る、という様子。)偉大なるマン、偉大なる男。勿論誰かこの洒落は言ったろうがね。
 フランク 私自身は記憶にありませんが、サー・スタンリー。(デイヴィッドはただチラリとフランクを見るだけ。笑わない。ジェスィーは微かな微笑。二人の反応をちゃんとサー・スタンリー、見てとる。)さて、ミスター・マンが質問に入る前に、私から・・・
 サー・スタンリー この番組の趣旨等の説明ならそれは不要だ。妻から充分聞いている。あれはこの番組を毎晩見ている。どうやらこの若い追及者氏に、ぞっこんらしい。・・・(再びデイヴィッド以外みんな笑う。)そう。うたい文句は、「真実を、本当の真実を、そして核心をつく真実を」でしたな。それに、完全ライブ。決められた台詞なし。リハーサルなし。準備は全くなし・・・するとこの会合は一体どういうものなんですかな?・・・まあいい。それはおいておくことにして。この種のショーの中では、この番組だけがそうであると。さて、すると私は、今夜何時にスタジオに出向けばいい訳ですかな? 後は私の全身柄(みがら)をこの追及者氏に委ねることとして・・・
 フランク 九時十五分始まりです。ただ、プログラム調整官が、その三十分前にスタジオで一杯出来れば有難いと言っておりますが。
 サー・スタンリー 喜んでお受けしよう。さて、ミスター・マン。質問をどうぞ。
 デイヴィッド その必要はなさそうです、サー・スタンリー。大臣の時間をただ浪費するだけのようですので。
 サー・スタンリー 何か質問があるのではないのか?
 デイヴィッド いや、ありません。(タイプ打ちの書類を叩いて。)ここにみんなあります。単純明快なものです。
(間。)
 サー・スタンリー(フランクに。)うまい。本番で恐怖心を抱かせようという作戦だ。どんな質問が出て来るか、戦々恐々として、精神的に参っている男として、今夜私にカメラの前に立たせようとな。
 デイヴィッド お聞きする質問は、生い立ち、政界に入る時の苦労、今日に到るまでの経歴のみです。少し退屈で、奥様はもう私のご贔屓を打ち止めになさるかもしれません。
(間。明らかにサー・スタンリー、困ったような、騙されているのではないか、という表情。そして細かい観察眼のある人なら、少し心配そうな表情を見抜くかもしれない。)
 サー・スタンリー フム、あまり退屈なものは困るな。つまりその・・・経歴の「浮き」「沈み」は含まれるんだろうな?
 フランク 「沈み」もあったのですか? 大臣の経歴に。
 サー・スタンリー 「沈み」があったかとは恐れ入る。私の人生の大部分は「沈み」で成り立っているようなものだ。ダーラムでの選挙、五万票もの差をつけて勝つと予想されていたのが、五十票で落選。一九五五年、賃金凍結の件で緊急登院命令を受けたこと。それに、あのアップルトン・コミッション事件・・・(デイヴィッドの方を急に向いて。)これについて質問をする予定だな? きっと。
 デイヴィッド ええ。一つ二つ。
 サー・スタンリー(力を込めて。)喜んでお答えするつもりだ、本当に、心から喜んで。
 フランク アップルトン・コミッション?
 サー・スタンリー 一九五八年の話だ。野党から収賄の追求があった。商務省はロペスとかいうブラジルの男に、ホテルの支払い、高級ヴィ・・・ヴィ・・・正確な発音は知らないが、高級ヴィクーニヤ織物のコート等と引き換えに、技術に関する利権を与えたというものだ。
 フランク ああ、覚えています。三年前ですね? でも、大臣がこれに絡んでいらした訳ではないでしょう? 
 サー・スタンリー(印象的な軽蔑の表情で。)絡んでいた? 絡んでいたどころか、私が主犯にされていたんだ。
 デイヴィッド それは正確な言い方ではないのではありませんか? 大臣のその頃のボス、商務大臣が非難の矢面(やおもて)に立っていた訳で・・・
 サー・スタンリー そう。矢面に立っていたのは、ボスのロジャーだ。しかし、ロジャーが悪いなら、当時その秘書をやっていたこの私も同じ穴の狢(むじな)だ。私が無傷でいられる訳がない。あの頃、下院の喫煙室では、私こそが真犯人だというもっぱらの噂だった。ロジャーが私の言うことなら何でも聞いたというのは連中の常識だったからだ。(爆発するように。)ロジャーが私の言うことを聞く! 当たり前だ。私を何と思っている! あいつのホモの相手だとでも思っているのか!(ジェスィーに。)失礼、ミスィズ・・・ああ・・・(ジェスィー、メモを取るのに忙しく、ちょっと頭を下げ、微笑むだけ。)ただ、私が言わねばならないのは、一つだけ大事な書類を決してロジャーは私に見せてくれなかった・・・(突然、言葉を切って。)何だ、あの猫は。こんなところで何をしている。
(この時までにレイディー・ジョンスンの猫が窓から入って来ていて、机の上に飛び乗っている。)
 サー・ジョンスン すまないが、追っ払ってくれないか。私は触るのも厭なんだ。
(フランクとジェスィー、チャールズを掴まえ、扉から外へ出す。)
 サー・スタンリー(その間に。)妻は猫が好きなんだ。妻の好きなようにやらせておけば、この家は猫だらけになる。普通の家にいる鼠と同じ数にだ。
(フランクとジェスィー、笑う。フランク、本当に可笑しそうに。ジェスィーは大きな声で。デイヴィッド、再び真面目な顔のまま。少し顔を顰める。)
 サー・スタンリー(ジェスィーに。)ああ、気に入ってくれましたか? ミスィズ・・・ああ・・・私もこれはかなり気に入った。下院では評判がよくない。私の悪い癖だと言ってな。自分の冗談を自分で笑ってしまう。確かによくない。
(猫の邪魔が入った間に、サー・スタンリーは立上って、ブリーフケースと大臣用の箱を取り上げている。デイヴィッドに片手を差し出す。)
 サー・スタンリー さてと、ミスター・マン。お手柔らかに頼む。今夜は君のいい餌食だ。私はインテリに弱くてな。君は勿論、判官贔屓だ、原則として。そうだな?
 デイヴィッド 原則ではありません。時々は確信を持って、そうです。
 サー・スタンリー なるほど。すると、八つ裂きにされた私が晒される訳か。一千万人の視聴者に。
 フランク 一千五百万人です。
 サー・スタンリー(喜んで。)ほほう、一千五百万。驚いたね。(デイヴィッドに。)首相が、君の相手に私を選んだというのはどういうことかな。頭のいい奴は、他にいくらでもいるんだが。いや、この私を選ぶには、何か考えがあるんだろう。(フランクとジェスィーに。傍白。)よくやる手なんだ、首相の。(デイヴィッドに戻って。)首相は、自分が新しく任命した大臣が少し羽目を外すのを大目に見ようという腹らしい。まあ、私は羽目ばかり外してここまで来たような男だからな。しかし、首相が見抜いてくれていることがもう一つある。それは私の(胸を指して。)ここにある。止むに止まれぬもの。(頭を指して。)ここにあるんじゃない。(胸を指して。)ここにある、祖国への気持、国民の将来に対する心配、それが、一千五百万の視聴者に、輝かしい知性を持った頭のいい他の十何人の大臣よりも、大きな印象を与えると踏んでくれたんだ。だから君も、今夜、少しはそちらの方向での話を・・・いや、最後のところでちょっとだけでいい・・・やってくれると、助かるんだが。
 デイヴィッド 勿論です、サー・スタンリー。ただ、そういう方向での何かヒントでもあると有難いです。(タイプ打ちの書類を叩いて。)これはただ、事実のみで。何かそういうことをお書きになったものは?・・・
 サー・スタンリー 書いたもの? 私が? 私は書くのは苦手でね。次々と何かを書くなんて、とても出来やしない。うん、そうだ。いいものがある。先週の木曜日、マンション・ハウスでやった、私の演説を聞いたかな?
 デイヴィッド いえ、残念ながら・・・
 サー・スタンリー あれはラジオ放送もされたし、テレビでもやった。録音はある筈だ。
 デイヴィッド フランク?(フランクが頷くのを見て。)分りました、サー・スタンリー、聞きます。
 サー・スタンリー 良かった。聞いた後、何か質問でもあれば、今日午後、私のところに来てくれ。秘書に予め話してから。(扉を開けながら。)では、失礼。閣議に遅れてはいけない。特に私の最初の閣議だ。遅刻などとんでもない。

(サー・スタンリー家のホール。秘書が待っている。出て来たサー・スタンリー、大臣専用の箱を秘書に渡す。)
 秘書 外でカメラマンが待っています。車に乗り込むところを撮りたいようです。
 サー・スタンリー ああ。(呼ぶ。)メイベル!
 レイディー・スタンリー(出て来る。猫を抱いて。)はい。なあに、あなた。
 サー・スタンリー 写真を撮るんだ。
 レイディー・ジョンスン 駄目、写真は。洗いものをしていたところ。この格好じゃ・・・
 サー・スタンリー 構わないよ。(他の者達に。)テレビ関係者は写らないな? 写ったりしたら、今夜の番組、全部やらせだと思われてしまう。一千五百万人の視聴者にな。(レイディー・ジョンスンに。・・・この間、レイディー・ジョンスン、肩に乗っている猫に邪魔されながら、必死に髪を整えている。)おいおい、メイベル。そんなに写りを気にして美人になられちゃ、女房じゃなく愛人と思われてしまうぞ。それから、猫は下ろすんだ。早く。
 レイディー・ジョンスン(下ろそうとしながら。)ええ、じゃ・・・
 サー・スタンリー いやいや、そのままがいい。写真の写り映えがする。しかし、こっちには近づけんでくれ。
(この時までに秘書、玄関の扉を開けている。サー・スタンリーとレイディー・ジョンスン、出る。開いた扉から、カメラマン達、それから、ちょっとした人だかりが見える。その中に、例の、似合わない帽子の女もいる。カメラマン達、シャッターを切る。サー・スタンリー、機嫌よく手を振る。)
(テレビのスタッフ三人は、玄関ホールの「カメラに写らない場所」に佇(たたづ)んでいる。)
 デイヴィッド(苦しそうな声で。)コーヒーだ。コーヒーが欲しい。
 ジェスィー(扉から覗いて。)道の向こう側に一軒あるわ。
 デイヴィッド エスプレッソを出してくれそうな店か?
 ジェスィー 駄目ね、きっと。店の名前がエスプレッソ・コンチネンターレですものね。
 デイヴィッド 今はとても冗談を聞いて楽しめる気分じゃないんだ、ミスィズ・ウェストン。
 ジェスィー(窓から外を見ながら。)よーし、車に乗ったわ。みんな出てよし。
(三人、扉に向って進む。帰って来るレイディー・ジョンスンに会う。)
 レイディー・ジョンスン さようなら。(ジェスィーに。)お願いしていたもの・・・(おづおづとデイヴィッドを指さす。)
 ジェスィー あ、忘れていました。(バッグからサイン帳を取り出す。)これ、持って行くところでしたわ。(レイディー・ジョンスンに渡す。)いけないわ。
 レイディー・ジョンスン 無くしても大丈夫だったわ。まだたいしたサインは入っていなかったから。首相とロード・ブースビーだけ。(ジェスィーに。また渡して。)お願い出来るかしら?
 ジェスィー(デイヴィッドに。)奥様からよ。あなたのサインが欲しいって、ミスター・マン。
 レイディー・ジョンスン(泣くような声で。)ちょっとした添え書きでも・・・
 ジェスィー(はっきりと。)ちょっとした添え書きでも。
 デイヴィッド よーし。(ジェスィーとフランクに。)行ってエスプレッソを頼んでおいてくれ。三倍に濃いやつを。ジェスィー去る。レイディー・ジョンスンに。)どんな言葉がいいでしょう。
 レイディー・ジョンスン(うっとりとなって。)頭に浮んだ言葉、何でもいいですわ、ミスター・マン。
 デイヴィッド(思いきった微笑を浮べて。)どうも今朝は頭の廻りがよくなくて。何が出てくるか分りませんが、まあやってみましょう。

(サー・スタンリーの家の外。ジェスィーとフランク、出て来て、道を横切り、「エスプレッソ・コンチネンターレ」へ進む。家の外の人だかりとカメラマンは消えている。ただ、不似合いな帽子の女だけが残っている。ジェスィーとフランクが傍を通った時、二人を見る。が、動かない。じっとジョンスン家の玄関の扉を見守っている。)
 (その視線の行きつくところで、デイヴィッド、サインをすませて、サイン帳をレイディー・ジョンスンにお辞儀をしながら返すのが見える。それからデイヴィッド、ステップを下り、中年の女の傍を通り抜け、通りに出て横切り、「エスプレッソ・コンチネンターレ」に進む。)

(喫茶店「エスプレッソ・コンチネンターレ」の中。二三年前に店が出来た時は「モダン」だったらしいが、今は少し古ぼけている。客席はブースに分けられている。この時間、人は殆どいない。)
(ジェスィーとフランク、ブースに坐って、丁度註文をすませたところ。そこにデイヴィッドが来る。フランクの横の席に、くたびれきって坐る。)
 ジェスィー 素敵な言葉は見つかった?
 デイヴィッド 「同じく真実を愛しておられるレイディー・ジョンスンへ」
 ジェスィー 駄目ね。「同じく私を愛しておられるレイディー・ジョンスンへ」とすべきだったわ。
 デイヴィッド(ジェスィーを憎らしそうに見て。)ミスィズ・ウェストン、僕は今日、君が嫌いだな。
 ジェスィー 私もあなたの魅力にフラッとなっていないわ、ミスター・マン。
(似合わない帽子の女、入って来て、三人のブースの反対側のブースに坐る。三人からは見えない位置。)
(次の台詞の間、暫くはカメラは三人に焦点をあてている。しかし、ウエイトレスが三人から離れ、女の方に註文を聞くため近づいて行く姿がはっきりと見える。女はすぐに註文を言う。(これは聞こえない。)それから、デイヴィッドを指さし、封筒をウエイトレスに渡し、デイヴィッドに持って行くように合図。)
(ウエイトレス、いやいやそれを受取る。その間こちらの三人、コーヒーを飲んでいて、話、途切れている。)
 フランク(デイヴィッドに。)さてと・・・
 デイヴィッド(気乗りしない。)うん・・・
 フランク どう行くかだ。(デイヴィッド、コーヒーを飲むのに気を取られて生返事。)庶民の代表という線で行くんだな。率直で、正直なスタン・・・
 ジェスィー それほど正直でもないわね。ジェイムズ・サーバー(訳註 James Thurber アメリカの漫画家、エッセイスト、小説家。福田恆存の翻訳あり。)からこっそり盗んだりして。
 デイヴィッド(よく気がついたと、少し驚いて。)えっ? 気がついてた?(調子を変えて。)じゃ、どうしてあんなに笑ったんだ。まるでハイエナの吠え声だったぞ。
 ジェスィー 可笑しかったからよ。サーバーがあれを書いた時も可笑しかったわ。
 フランク 分った、分った。僕は聞き逃したな。どの台詞なんだ。
 デイヴィッド 「この家は猫だらけになる。普通の家にいる鼠と同じ数にだ」よくも噴き出してくれたよ、ウェストン女史は。
 ジェスィー まないたの鯉が笑う時には、私は笑う主義。
 デイヴィッド(コーヒーを飲み終えて。)それにしよう、フランク。「庶民の代表」・・・相手のお望みの顔を立てることにする。ついでに「保守党のホープ」の線でね。調整官の指示もそれだったんだ。今夜は軽く「よいしょ」で行く。他に手がありそうにもないし・・・
(この時までにウエイトレスが封筒を持って近づいている。)
 ウエイトレス あそこの御婦人から、これを、と。
(デイヴィッド、受取る。ウエイトレスの指さす方向を見る。デイヴィッドから見えるのは、ただ、女の手がティー・カップに伸びて、小指が曲げられて、把手を摘(つま)むところ。)
 デイヴィッド 有難う。御婦人にはどうぞ僕からよろしくと・・・
 ミス・ノット(姿は見えない。あちらのブースから。突慳貪な、但し、魅力はある声で。)お読みなさい、ミスター・マン。面白い筈よ。
(デイヴィッド、他の二人を見て、肩を竦める。)
 デイヴィッド(あちらのブースへ。丁寧に。)勿論読みますよ。今すぐ、この場で読みます・・・
(ゆっくりと封筒を開ける。その間話し続ける。)
 デイヴィッド とにかく奴が野心家であることは間違いない。一マイル先からでも臭いがする。「私は書くのは苦手でね。次々と何かを書くなんて、とても出来ない」なんてのは嘘だ。リバプールでちゃんと学位を取っている。・・・確か、歴史と経済だ。
(デイヴィッド、封筒の中から奇妙な形の紙を取り出す。形、大きさ、堅さは、丁度大型の葉書ぐらい。)
(デイヴィッド、話を続けて、その紙を見ない。ジェスィー、素早く紙を取る。デイヴィッド、話し続ける。)
 デイヴィッド さてと、いつものように払いはミスィズ・ウェストン。支出金額を四倍に水増ししてと。じゃ、僕は君達二人と・・・(「出会おう」と言うつもり。)
 ジェスィー(非常に鋭い声で。)ちょっと、坐って!(デイヴィッド、坐る。)読んだ方がいいわ、これを。
(ジェスィー、デイヴィッドに紙を渡す。)
 デイヴィッド(眼鏡を取り出しながら、溜息をついて。)本当に読まなきゃいけないのか?
 ジェスィー あなた宛ですもの。
(この時までにデイヴィッド、読み始めている。顔を顰める。最初奇妙な顔、それからハッとなる。あちらのブースで、ミス・ノットの手が紅茶をかき混ぜているのが見える。デイヴィッド、目を見開いてジェスィーを見る。)
 デイヴィッド こいつは悪い冗談じゃないのか。
 ジェスィー(親指であちらのブースを指さして。)あの人に訊いたら?
 デイヴィッド 待てよ、待てよ。これが冗談じゃないとしたら、強請(ゆすり)だ。僕は強請の片棒など担(かつ)ぐ気はない。これは破り捨てた方がいい。
 ジェスィー じゃ、破り捨てたら?
 デイヴィッド(再び紙を見る。)日付はちゃんと合う。しかし、そんな偽造は簡単だ。
 フランク 二人のどちらでもいいけど、僕に教えてくれないか。
 ジェスィー この人が破り捨てる気でいるのなら、あなたに内容を知らせない方がいいわ。
(間。)
 デイヴィッド(静かに。)これはなフランク、ホテルの領収書の写しなんだ。カンヌのミラボー・ホテル・・・二十五万八百五十二フラン・・・新フランじゃない、旧フランだ。連中、随分開けっ広げにやったものだ。上の方に「サー・ジョンスン、そしてレイディー・ジョンスン殿」とある。受領印がついている。フランス式のアルファベットの書き方だ。・・・全く連中も手間暇かけて作ったものだ。
 フランク(苛々と。また、心配そうに。)「連中」っていうのは誰のことだ。それに、ジョンスン夫妻が南フランスで休暇を楽しんで、どこが悪い。
 デイヴィッド(フランクを無視して。)領収書の上にべったりと、大きな肉太のサインがある。(領収書をフランクに、テーブルの上にすべらせて。)どう読める? 君には。
 フランク(やっと読み取れるという風。)マニュエレ・ロペス。
 デイヴィッド 僕にもそう読めるな。
(間。) 
 フランク この男は例の・・・
 デイヴィッド うん。
 フランク 今はどこにいるんだ? こいつは。
 デイヴィッド ブラジルだ、多分。火の手が上らないうちにずらかったんだ。
 フランク じゃあ、あれは根拠のない話じゃなかったってことか。
 デイヴィッド 根拠? 根拠はあったに決っている。ロペスは閣僚の誰かを買収しようとしたんだ。それはアップルトン調査委員会が証明している。
(ジェスィー、この会話を聞きながら、向かいのブースの婦人の手が取り澄まして紅茶をかき混ぜているのを見ている。)
 フランク その時に、サー・スタンリーが怪しいという話が出たのか。
 デイヴィッド 全く何も出ていない。他の誰よりも嫌疑がかからなかったぐらいだ。忠実に、自分のボスにかかっている疑いの霧を晴らす役割を演じて。僕は今夜ロペス事件に話が移ったら、このことを訊いてみようと思っていたところなんだ・・・
(デイヴィッド、急に言い止む。手の中にある書類を疑わしそうに眺める。一瞬、これを本当に破り捨てそうになる。それから急にホッとした顔になって微笑む。)
 デイヴィッド なあんだ。こんな領収書には引っかからないぞ。連中もえらい間違いをやっている。見てみろ、フランク。(領収書の一項目を指さす。)クワフォール・ダーム(訳註 婦人用理髪代金)二万五千七百フラン。九日で二十ポンド。こんなに髪に金をかけるか? あの(向かい側の家を指さして)ミスィズ・ジョンスンが。(立ち上る。)よし、待ってろ。これは警察の仕事だ。
(デイヴィッドが向こう側のブースに近づくのをカメラが追う。)
(ミス・ノット、落ち着いて紅茶を飲んでいる。デイヴィッドが近づいて来るのを見て、にこやかに微笑む。)
 ミス・ノット ああ、ミスター・マン。どうぞお坐り下さい。
 デイヴィッド(陰気に。)いや、それは遠慮しておきましょう。
 ミス・ノット それなら御勝手に。でも、私の名前ぐらいはお知りになりたいでしょう?
 デイヴィッド いや、特別には。勿論警察に届け出る時には、必要となるでしょうが。
 ミス・ノット ノットです。ミス・ノット。住所は西ケンジントン、レインスター・ガーデン、ハイタワー・マンションです。電話帳にも名前は載っています。でも、もしサー・スタンリーが訴えを起したいのなら、私の住所などとっくに知っていますわ。この十三年間、変えていませんし、そのうちの十年間、私はあの人の秘書だったんですから。
 デイヴィッド(間の後。)それを証明出来ますか?
 ミス・ノット(バッグを開けて、手紙を取り出す。)解雇を宣告された手紙です・・・
 デイヴィッド またコピーですか?
 ミス・ノット(静かに。)いいえ。こんなもの、コピーを取る価値はありませんわ。
(ミス・ノット、手紙を渡す。)
 デイヴィッド あれを私に見せたというのは、御自分では強請が出来ないという意味なのですか。
 ミス・ノット(また紅茶を注ぎながら。)強請・・・強請は考えていなかったわね。でも、やろうと思えば出来る筈。状況証拠ですものね、とにかく。(デイヴィッドが手紙を読むのを見て。)そこの金額、かなりなものでしょう? 私を首にする時の・・・普通、自分の秘書を解雇する時に出す金額にしては桁が違います。その小切手が来た時、私、送り返したわ。これをあなたに話せるって、少しいい気分。
(デイヴィッド、手紙を読み終り、ミス・ノットに返す。)
 デイヴィッド 分りました。ミス・ノットと呼ばれる婦人が、彼の秘書だった・・・それであなたが当の本人であると・・・
 ミス・ノット(みなまで言わせず、バッグからパスポートを取り出し、それをデイヴィッドに手渡して。)あまりいい写りではありませんけど・・・それを撮る時、酷い帽子を被っていて・・・
 デイヴィッド(見て。戻す。)分りました、ミス・ノット。それで、この原本はどこにあるんです。(領収書のコピーを叩く。)
 ミス・ノット 取引銀行の金庫の中です。
 デイヴィッド(乱暴に。)つまり少なくともあなたは、前の雇い主の書類を盗んだことは認めている訳ですね。
 ミス・ノット いいえ、盗んでなんかいません。私、いろんな点で悪い女ですけど、人の物を盗んだことは生涯ないんです。見つけたんです。それも二箇月前に。
 デイヴィッド どこでです。
 ミス・ノット 私のスーツケースの、普段は決して何も入れない秘密のポケットにです。あの晩は私、きっとそこに入れるしか手がなかったんです。帰国の際、税関のことを考えておかなきゃいけませんからね。
 デイヴィッド ということはつまり、カンヌにはあなたも同行したということですね?
 ミス・ノット ええ。この種の旅行には、私はいつも同行していました。サー・スタンリーは、ミスター・ロペスと直接会うことを避けていました。ですから、私が栄光あるメッセンジャー・ガールの役目を仰せ付かっていました。ミスター・ロペスのヨットと、サー・スタンリーの間を、行ったり来たり。大抵、とんでもない金額のキャッシュを運ばされて。特にサー・スタンリーがカジノで不調な時には、真夜中でもお構いなしでした。(声を落して。)そして波止場には、若い荒くれ男達が屯(たむろ)しているんですからね。あの、私を見る時の目付き。その目付きが特別にいやらしい時には、私、考えましたわ。ああ、あの人、この私を見てくれていて大助かり。もしバッグの方に目をつけられたら、それこそ大変って。一度なんか、カプリで・・・
 デイヴィッド(途中で遮って。コピーを叩いて。)すみませんがね、私はまだこれが偽物だと思っているんです。いや、思っているんじゃない。事実、偽物なんだ。
 ミス・ノット あら、偽物? 何故?
 デイヴィッド サー・スタンリーに十年も仕えたんですね? だからその奥さんについてはよく御存知の筈です。
 ミス・ノット ええ、存じていますわ。随分行き来しましたもの。
 デイヴィッド じゃ、何故です、こんな幼稚な過(あやま)ちをするなんて。あなたとは言いません。あなたの共犯者かもしれませんが。(領収書を指さす。)クワフォール・ダーム、二万五千七百。
 ミス・ノット(数字を横目で見ながら。)でも、この金額、あの子にしては安いわ。
 デイヴィッド あの子? レイディー・ジョンスンでしょう?
 ミス・ノット(笑って。)ああ、そういうことね? でも、ミスター・マン、それは間違い。私、気がつきもしなかった。レイディー・ジョンスンだなんて。あの帳場に坐っていた男、勘違いもいいところ。そう、あの二人、そこのところはちゃんとしていたの。本当に公明正大にね。女の子の方は別の部屋を取っていたし、宿帳にもちゃんと本名を書いていた。居間だけは共通にしていたけれど・・・(領収書の上の部分を指さして。)ほら、ちゃんとここに・・・
(間。)
 デイヴィッド その女の子の名前は。
 ミス・ノット クレイ。ミス・イーニッド・クレイ。うさぎ顔ね。前歯がこう、飛び出ている。(自分の前歯を剥き出して。)演技なんて出来る子じゃなかったわ。
 デイヴィッド 今はどこに。
 ミス・ノット きな臭い話しになって来た時、サー・ジョンスンは、さっさとお払い箱にしたわ。たしかオーストラリアに行って結婚した筈。
 デイヴィッド ちゃんとした証人がみんないなくなっている。ロペスも、クレイも。話がうますぎるじゃありませんか?
 ミス・ノット(陽気に。)でも、私はまだここにいるわ。でしょう?
 デイヴィッド あなたに証人の資格があるとは思えませんね、ミス・ノット。法廷では、あなたの証言は全く無効でしょう。
 ミス・ノット(鼻をパフで叩きながら。)そうね。無効でしょうね。「首になった秘書、元の雇い主に反抗。三年もの沈黙の後、領収書のコピーを持って逆襲。」その領収書だって、自分の物とはいえない。嫉妬と解釈されるのがおちね。雇い主に惚れていて・・・
 デイヴィッド そう、惚れていたのか。
 ミス・ノット ええ、まあね。
 デイヴィッド それで、このイーニッド・クレイに嫉妬した・・・もし、架空の人物でなければ・・・
 ミス・ノット 架空じゃない。ちゃんといる。私、嫉妬はしていなかった。当たり前の話でしょう? あんな無害な、馬鹿な子に嫉妬する方がどうかしている。あの子のことは、可哀相だと思っていたわね。あんな酷い男に捕まったりして。
 デイヴィッド じゃ、あの人を酷い男と思っているんですね。あなたはそれに、惚れていたとも言った。矛盾するじゃありませんか。
 ミス・ノット 何の矛盾もないわね。何て馬鹿な質問! 酷い奴だと思ったら、惚れることは出来ないとでも言うつもり?
(デイヴィッド、ちょっと呆気に取られ、詰まる。向こう側のブースでこちらを窺(うかが)っているジェスィーの顔を見る。「どう?」という彼女の顔にデイヴィッド、ただ肩を竦めるだけ。)
 デイヴィッド どうしてまた、私のところに。
 ミス・ノット あの人に牢屋に入って貰いたい訳ではないの。ただ私、これでも国を思う気持はあるの。私が首になった頃のあの人、たいした人物じゃなかった。今では閣僚の一人。それに、次期首相はあの人しかいないっていう下馬評。(明るく。)そんなの厭でしょう? ミスター・マン。あなただって、理想ってものがある筈よ。
 デイヴィッド(容赦なく追求して。)強請のためでなければ、どうしてこれがコピーなんです。
 ミス・ノット でも、それ、強請のためですもの。ちゃんとあの人にも送っているわ。書留で。手紙もつけて。
 デイヴィッド(立上って。)失礼しました。もうこれで話は終です。
 ミス・ノット(デイヴィッドを掴んで。声を上げて。)金のためじゃないの、この強請は。
 デイヴィッド じゃ、何のためです。色恋のためですか。
 ミス・ノット 意地悪ね。違うわ。ひどく簡単なこと。それに、あの人に簡単に出来ること。おかしいわね、あなたに想像がつかないなんて。
 デイヴィッド 何なのです。
 ミス・ノット 閣僚の仕事は辞めることです。
(間。)
 デイヴィッド ああ!
 ミス・ノット そんなにこれが嘘に聞こえますか? ミスター・マン。あなたが私の立場だったら、やはり同じことをしたでしょう?
 デイヴィッド あなたの立場だったら、調査委員会で本当のことを言ってたでしょうね。
 ミス・ノット 違うわね。あなただって嘘をついたでしょう。勿論、あなたは良心の男ってことになっているけど、人は時々は譲歩するものですからね。問題は、どれだけ譲歩するかっていうこと。サー・スタンリーが国会議員・・・そこまでね、私の譲歩は。それ以上は許せない。今夜は私が見てますからね。(ふざけて、デイヴィッドをつつきながら。)このお姐(ねえ)ちゃんが見ているのよ。ね? ミスター・マン。(誠実な、訴えるような調子に変えて。)私をがっかりさせないで頂戴。お願い。いえ、私だけじゃない・・・私達・・・国民全部をがっかりさせないで。バン・・・バーン・・・サー・ジョンスン、ノックアウト。これが見たいの。それに、必ず見られると思っているわ。
(ミス・ノット立上り、扉に進む。外に出そうになった時、デイヴィッド、自分がまだ領収書の写しを持っていることに気づき、追いかけ、扉のところで追付く。)
 デイヴィッド(写しを渡しながら。)これは持って行った方がいい。
 ミス・ノット(軽く拒否して。)ああ、取っといて。こんなの、いくらでもあるの。あ、私、あのバスに乗るの。走らなきゃ。これ、ウエイトレスに。お願い。
(ミス・ノット、飛び出す。デイヴィッド、その後姿を見る。表情なし。)

(映写室。デイヴィッドと映像編集員の頭を越して、スクリーンが見える。スクリーンで、サー・スタンリーが演説を始めると、その像が画面全体になり、観客から見ると、直接にその演説を聞いているような雰囲気。しかし、映像編集員が別の場面を見つけるために早廻しをすると、映像は速くなり、声はキイキイと聞え、滑稽な効果。この早廻しの時間はいづれも短い。観客は、従って、マンション・ハウスの夕食で、五百人の客と共にサー・スタンリーが行った演説をそのまま見、そして、聞くことになる。)
 映像編集員 いいですか? 廻しますよ。
 デイヴィッド こんなものまで、よくとってあるもんだね。
 司会者(スクリーンの中で。)市長閣下夫妻殿、それに、御列席の皆さん、どうぞ御静粛に。サー・スタンリー・ジョンスン労働大臣です。
(サー・スタンリー、大きな拍手に迎えられ、立上る。その様子だけで、彼が、人気のある人物で、また、食後のスピーチのうまい人間であると皆から期待されていることが分る。燕尾服姿。白いネクタイ、貴族の称号を示す勲章とリボンをつけている。)
 サー・スタンリー 市長閣下夫妻殿、御列席の皆さん。(印象的に。)今年、女王陛下の政府に入るようにと、私に白羽の矢が立ったのであります。(十分に計算した間を取って。)「白羽の矢が立つ」・・・何て馬鹿げた表現だ。そうでしょう、皆さん。政治で、この事が何を意味しているか、その意味は、それは・・・それは野党の党首ならずとも誰だって知っている。ちょっと上にいる誰かが、「スタン、今年はお前、やってみろや」と言ったってことです。(笑い。)「新入りはお前だ」ってね。(また笑い。)「お前ならうまくやれそうだからな」(次に教養ある英語のアクセントで。)「この職務を貴殿に委託することに決定した」(普通の調子に戻って。)だがな、ヘマをやって見ろ、即刻その首、叩き切ってやる。
(大きな笑い。これはサー・スタンリーの期待通り。その隙を狙ってメモをちらりと見る。)
 デイヴィッド 何分やったんだ?
 映像編集員 四十分です。
 デイヴィッド もっと笑わせるのか?
 映像編集員 ええ、すごいのがこの後。カットしましょうか?
 デイヴィッド いや、続けてくれ。
 サー・スタンリー(スクリーンから。)しかし、これは重責です。市長殿、私のような経験の浅い人間にとり・・・
 映像編集員 謙(へりくだ)って見せるんです。彼一流のやり口です。
 サー・スタンリー(スクリーンから。)このようなお偉い方々の集まりにおいて、女王陛下の政府を代表してスピーチをしろと要請されるのは、そしてなお且つ、格調の高いものにしろと言われては。(かなり芝居がかった調子で市長の方を向き。)市長殿、この席でこの事を申し上げるのはいささか気が咎(とが)めるのでありますが、申し上げねばなりますまい。この不況の最中(さなか)、シタビラメに、去年よりもさらに凝ったソースをかけて客に振舞うとは一体どういうことでありましょう。(劇的に。)これこそ正真正銘のインフレーションではありませんか。
(大きな笑い。デイヴィッドの「もういい、先に」という声、その笑いにかぶせて響く。)
 映像編集員 真ん中の方にしますか?
 デイヴィッド うん。まともな話をしているところが聞きたいな。
(映像編集員、スイッチを操作する。先ほど述べた早廻しの効果がおき、カメラは再びサー・スタンリーを捕える。スピーチは好調に進み、丁度客が笑い終ったところ。)
 サー・スタンリー このような集まりにおいては、政党の党派など全く問題外であります。こうやって見回しますと、野党の代議士諸氏は(テーブルの向こう側にお辞儀をする。)滅多にないことでありますが、テーブルの上に足も上げず、行儀正しく・・・
 デイヴィッド 駄目だ。また冗談だ。
(映像編集員、また早廻し。)
 映像編集員(早廻しの間に。)でも、彼はなかなかいいですよ。「我々は仲間だ」というこの調子は効き目があります。保証しますよ。今までにないタイプです。彼が首相になるのなら、一票を投じてもいいですね。
(デイヴィッド、「まあまあね」という動作。)
(再びサー・スタンリー、緊張した顔。非常に真面目。)
 サー・スタンリー しかし、誤解のないように申し上げます。これは大変な挑戦であります。しかし、一体この偉大な国が・・・「この偉大な国」、こういう古くさい表現を敢て用いましょう・・・一体、この我々の偉大な国が、かって挑戦して、見事になし得なかったことが一度としてあったでしょうか。一度もありません。我々は党派としては別れている。しかし理想は一つであります。そしてこの国の歴史が始まって以来、この「理想は一つ」という点では、常に一致していたのであります。
 デイヴィッド(スピーチの途中で。)ああ、理想だ。もう少しそのまま。
 映像編集員 もうあとあまりありません。あとは神です。たしか、彼はいつも神でスピーチを終えるんです。
 サー・スタンリー さて、市長殿、私がここで言う挑戦とは一体何か。・・・かく言う私よりも、聞いていらっしゃる皆様の方がずっと教育を受けていらっしゃる訳で・・・
 映像編集者 謙遜なスタン・・・またやった。
 サー・スタンリー 私のような単純な・・・
 映像編集者 馬鹿な。
 サー・スタンリー 平凡な・・・そして、こう言っても許して下さると思いますが・・・正直な男、から見ると・・・
(デイヴィッド、振り返り、映像編集者の顔を見る。映像編集者、反応なし。)
 サー・スタンリー この挑戦については、専門家或は知識人と呼ばれている人々から、私はさんざん批判や報告書で悩まされましたが、私には、この挑戦の骨子は、彼らとは全く違った角度から見ることにより、もっとずっと簡単明瞭なものに見えるのであります。
 映像編集者 知識人ってやつはいつもその見方ってやつをスタンから盗むんだ。
 サー・スタンリー(この時までに、自分の言葉を効果あらしめるため、ポーズを作っている。)その骨子とは何か。私にとっては即ち・・・いえ、ここで私はこの問題の、私流の、馬鹿な単純化を皆さんに笑って欲しくないのであります。・・・この時代は世間で言われているほど、それほど腐敗し、実利主義に堕しているのでありましょうか。・・・そう、たしかにそう言われています。男も女も、もはや自分自身に利がなければ。決して働かない、と。それはもう、取り返しのつかぬ所にまで来てしまっているのでしょうか。或は、何かの理想に・・・我々の祖先の基準に・・・戻ることは出来ないのでしょうか。つまり、あの永遠の問題、「私にそれが何の関係があるか」・・・この疑問文の主語を複数に変えること、「我々にそれが何の関係があるか」に出来ないものでしょうか。「我々」つまり「我々同胞」・・・「我が国民」・・・に。そうすれば、必ずや問題は、我々自身に関ってくる。こうして問題を我々自身のものにしようではありませんか。こうすることにより、神は我々を導き、国民に選ばれた指導者の導きにより、この挑戦を我々自身のものとすることが出来る。私はこれを信じて疑わないのであります。
(サー・スタンリー、坐る。拍手、止まず。映像編集員、スイッチを切る。スクリーン、暗くなる。それから映写室全体が明るくなる。)
 映像編集員 あれがスタンの正体です。立派なもんじゃありませんか。
 デイヴィッド 立派ね。立派は分らない。
(デイヴィッド、扉に進む。)

(労働省のサー・スタンリーの事務所。)
(大きくて、人を圧するような部屋。大きな机あり。サー・スタンリー、ここの席には坐っていない。多くの革ばりの肘掛け椅子あり。そのうちの一つにサー・スタンリー、坐っている。丁度三人の労働組合の代表と話をし終ったところ。三人とも、サー・スタンリーの人の良さと魅力に印象づけられ、気持が楽になった様子。)
 サー・スタンリー さて諸君、こんなところでほぼ良さそうですな? それでは皆さんの中庸の美徳に感謝致します。(立上る。微笑んで。)労働組合会議のメンバー諸氏は、皆さんが示して下さった御理解の半分も・・・(入って来た秘書に。)何だ? 
 秘書 ミスター・デイヴィッド・マンです。約束のお時間で・・・
 サー・スタンリー(「皆さんもお分かりでしょう? テレビには敵いませんからね」という顔を客に見せて。)ああ、テレビ。それは待たせるわけにはいかないな。では皆さん、失礼しますよ。(秘書に。)お通しして。
 客の一人 どうぞどうぞ。今夜はご出演なんですね? 必ず見ます。楽しみにしています。
 サー・スタンリー(一人一人に握手して。)私なら止めときますね。裸にされて面白い人物じゃありませんからな、私は。(入って来たデイヴィッドに。)ああ、どうぞ坐って。(客達に。)では失礼します、皆さん。先ほどの同意点を文書にしてお送り致します。
(秘書に促されて、三人、退場。サー・スタンリー、デイヴィッドに対する。)
 サー・スタンリー さてと、あのスピーチは聞いてくれましたか? 欲しいものが見つかったかな?
 デイヴィッド ええ、まあ。
 サー・スタンリー どうもああいう場では、あまり真面目な調子で話をすることは出来ないもので。しかし、私の考え、私の理想の骨子は、あれでほぼご想像がつく・・・
 デイヴィッド(強く遮って。)サー・スタンリー、これをお見せするのは私の義務と考えまして。
(デイヴィッド、コピーを見せる。サー・スタンリー、たいした関心がないという顔で、それを眺める。)
 サー・スタンリー ああ、彼女はあなたのところにも来ましたか。行くんじゃないかという予感はしていましたよ。何しろ、イギリス中の誰かれに、機会があればこれを渡している。新聞社はどこも相手にしていない。相手にしてくれるところがあればいいのにと、私は思っているんだが。これぐらいの中傷で私が参る筈がないからな。それから、野党の党首にも。・・・彼はあの女を逮捕させようとしたんだ。私が止めたがね。それから首相も・・・
 デイヴィッド 首相は何と言いました?
 サー・スタンリー 非常に深刻に受け止めたね。「これは本当なのか」と、私に直々に訊いたな。葉巻はどうだね?
 デイヴィッド いえ、結構です。それで、何とお答えに?
 サー・スタンリー(葉巻に火をつけて。)「その日付の時に確かにミラボーにいた。その金額を使った」・・・ほぼ、こんな具合な返事だ。そして、「確かにこれは、私の領収書だ。しかし、その上に書いてあるサインは偽造だ」と。
 デイヴィッド(静かに。)偽造ですか? かなり本物に見えますが? 私には。
 サー・スタンリー(笑って。)御自分でお調べになったという訳ですな? ロペスのサインをどこで見つけました?
 デイヴィッド アップルトン報告書の中には、ロペスのサインつきの手紙の写しがあります。
 サー・スタンリー ああ、そうだ。ある。しかし、あれは全く教育のない男だ。殆ど自分の名前を書くこともできない。ましてやサインなど。二つサインすれば、二つとも全く違ったものだ。
 デイヴィッド どうして分ります。
 サー・スタンリー(愛想よく。)私の事務所で、私が訊問を受けるのかね? まあいい。勿論ロペスの書類をいろいろ見てきたからね。あの汚職事件には、私も巻き込まれたんだ。見ざるを得なかった。
 デイヴィッド そうでしたね。ええ。
 サー・スタンリー さあ、こんな馬鹿げたことじゃなく、本題に入ろう。
(サー・スタンリー、領収書の写しをポケットに仕舞う。)
 サー・スタンリー 今夜、君がする質問の話だ。
 デイヴィッド(静かに。)それをお返し願えませんか?
 サー・スタンリー(一瞬、何のことか分らない。)ええっ? ああ、これ?
(サー・スタンリー、ポケットから写しを取り出し、机の上を滑らせ、デイヴィッドに近付ける。)
 サー・スタンリー 勿論、記念品として持っておきたいのなら。
 デイヴィッド いいえ、記念品としてではありません。(ポケットに入れる。)本題に移る前に、この馬鹿なことについて、少々お聞きしたいことがあります。新聞、野党の党首、或は首相は、そのミラボーのレジ係に電話をしてみなかったのですか。
(間。初めてサー・スタンリーの目、自分の内心を見せてしまう。しかし、彼の声はまだしっかりしている。)
 サー・スタンリー ということは、君はかけたということかね?
 デイヴィッド ええ。
 サー・スタンリー で、返事は?
 デイヴィッド 確かにミスター・ロペス自身がサインしたと。あなたと同伴の婦人は、その夜発つ予定で、そのサインを支払いとして認めたと。レジ係は勿論、ロペスをよく知っていました。あなたが下りて来て、領収書を見た時、あなたの秘書ミス・ノットにひどく怒りました。不注意にも程があるぞ、と。秘書は答えました。「いえ、不注意なのはミスター・ロペスの方です。あの人はこの払いのために、私に金を預けて行きました。それなのに、またサインしたのですから。サインつきのこの領収書は破って、また領収書を作って貰いましょうか。お金はここにあるのですから。」あなたは言いました。「間抜けな奴め。」・・・これは確か、この通りの言葉だったと思います。とにかくテープに全部入っていますから・・・あなたは現金はそのまま秘書から受取り、立ち去った。ミス・ノットは領収書をそのまま持っていた。(間。)
 サー・スタンリー(この時まで、ゆっくりと葉巻をふかしていたが。)フン、なるほど。それで・・・三年後もそれだけはっきりと彼は覚えていた訳だ。
 デイヴィッド ええ、どうやら。
 サー・スタンリー 大変な記憶力だ。
 デイヴィッド 大変な出来事ですからね。
 サー・スタンリー 彼は英国に来て法廷でそれを証言するつもりなのかね?
 デイヴィッド 「今話したことは、どうぞ御自由に証言としてお使い下さい」とのことでしたから。
 サー・スタンリー(態度、急変する。)そんなことは中止出来る。心配はいらん。フランスの外務省に一言(ひとこと)言ってやれば・・・或は、駐仏大使にでも・・・
(デイヴィッド、笑う。急な、そして鋭い笑い。サー・スタンリー、デイヴィッドを見る。混乱している。今となっては、自分を暴露してしまったことが明らか。)
 サー・スタンリー(すらすらと。取繕いの醜態は全く見せず。)強請に対しては、強硬な手段を取っても構わんという意味だ、今のは。
 デイヴィッド 違いますね。それから、ご安心下さい。レジ係は証言は拒否しています。でもとにかく、有難うございました、サー・スタンリー。私の心配事はこれですっかり晴れました。ミス・ノットは気違いであるかもしれず、レジ係は嘘つきであるかもしれません。しかし、あなたからの証言が戴けた今、少なくとも私には、真実が分りました。
 サー・スタンリー(微笑んで。再び葉巻に火をつけながら。)「真実、核心をついた真実」?
 デイヴィッド そうです。
 サー・スタンリー 今夜はそれを使おうという訳か。
 デイヴィッド そうです。
 サー・スタンリー 君も五チャンネルの担当者も、いや、BTVの理事会も、刑事裁判所でひどい目に逢うぞ。根拠のない中傷に対しては、かなり刑は長い筈だからな。
 デイヴィッド ちょっと私の番組の作り方を忘れていらっしゃるようですね、サー・スタンリー。あれは私の意見を述べる番組ではありません。私が質問をする番組なんです。
 サー・スタンリー 質問が中傷になる可能性もある。分っているだろうが。
 デイヴィッド ええ。「いつから連れ合いを殴るのを止めるようになりましたか?」という類(たぐ)いですね? 知っています。しかし、今夜の私の質問は、決して中傷にはならない筈です。私のする質問のどれ一つをとっても、あなたには必ず、こういう全てのことが誰かの陰謀だと主張する可能性が残されています。そしてあなたが、本当に、純真な、普通の、正直な、人物であり、この国の運命を憂い、我々祖先から引き継いできた伝統と理想を守り、かつ、マニュエレ・ロペスによって支払われた領収書は決して受取ったことがないと主張できる可能性が。
(間。)
 サー・スタンリー 録音したテープも使うつもりなのか。
 デイヴィッド テープなどありません。電話の会話を録音したことは今まで一度もありません。やり方を知らないんです。
(また間。)
 サー・スタンリー(考えながら。)すると君は、何の証拠も持っていない訳だな。
 デイヴィッド(ポケットを叩いて。)これだけです。
 サー・スタンリー さっき言った筈だ。それは何の証拠にもならない。
 デイヴィッド ええ、法廷では。
(間。)
 サー・スタンリー するとここには、倫理の問題があるという訳だな。で、君は法を守る国民、国の権威が守られねばならないと信じている人間という訳か。
 デイヴィッド そうです。
 サー・スタンリー それで、君はテレビによる裁判を認めるということなんだな?
 デイヴィッド いいえ、認めません、それは決して。
 サー・スタンリー(優しく肩を竦めて。)それなら・・・?
 デイヴィッド ただ例外が一つだけあります。法が暴くことが出来ない真実を私が知っている時・・・そしてそれを暴くことが公けのためになる場合。
(間。)
 サー・スタンリー(相変らず優しく。)Pro bono publico.
(プロ・ボーノ・プーブリコ)公衆の利益のために、か。君と私、二人で今夜リングへ上るわけだ。
 デイヴィッド そうです、サー・スタンリー、二人だけです。
 サー・スタンリー フム、私は闘うのは好きだ。今までも避けたことはない。
 デイヴィッド 私もです。
 サー・スタンリー これは特に面白そうだ。
 デイヴィッド ええ、面白そうです。
 サー・スタンリー 勿論何でもありだな?
 デイヴィッド ええ、何でもありです。
 サー・スタンリー どうです昼飯は? 一緒に一杯。
 デイヴィッド いいえ、止めてるんです。
 サー・スタンリー まさか。するとこれは最近だな?
(間。デイヴィッド、扉のところで敵をじっと見る。油断のならない相手だという尊敬の目。「何でもあり」の第一段がここで示されたわけだ。)
 デイヴィッド そうです、サー・スタンリー。つい最近です。
(デイヴィッド退場。すぐにサー・スタンリー、電話に手を伸ばす。)
 サー・スタンリー 英国テレビ会社、チャンネル五に繋いでくれ。ミスター・ストックトンに話がある。

(調整官の事務室。ストックトンとその助手スィリル・ブラウン。調整官は怒って高飛車に相手に怒鳴っている。)
 調整官(怒鳴る。)時間がないのは分っている。あいつが放送の数時間前に急に気違いになる・・・いや、飲み過ぎか・・・そして大臣を強請に行くなんて、この私にどうして予測がつくんだ。(電話が鳴る。)
 声(電話から。)ミスター・マンです。
 調整官 マン? よし、入れろ。(スィリルに。怒って。)しかし、漫画だけは駄目だ。漫画以外にしろ。
 スィリル(悲しそうに。)じゃ、旅行記ですか。(不服そうに。)九時十五分に旅行記! イギリス中のテレビがチャンネルを変えている音が今からでも聞こえますよ。
 調整官 まあ、慌てるな、スィリル。まだ決った訳じゃない。私があいつに負けるとでも思っているのか。(力強く。)代りの番組など必要ないようにしてやる。そんなことがあってたまるか。しかし、デイヴィッドみたいな気違いを相手にする時は、私だって予防策だけは講じておかなきゃならんということさ。
(以下はわざとデイヴィッドに聞かせるためにスィリルに、いかにも調整官らしい抑えた調子で、言う。)
 調整官 じゃあ、それで行くぞ、スィリル。もし万一の事態が起ればだ!(デイヴィッドに。)ああ、デイヴィッド。すぐすむ。ちょっと待ってくれ。(スィリルに。)もし万一の事態が起れば、ミスター・マンの出演不可能の「お知らせ」を番組の合間に入れるんだ。七時から九時までの三十分毎にある合間にだ。九時十五分からは、君の提案通りのフィルムを流す。いいな、スィリル。それだけだ。分ったな。
 スィリル 分りました。失礼します。
(スィリル退場。デイヴィッド、オーバーを着たまま、窓の傍に立って外を見ている。扉が閉まる音を聞いて、話し始める。)
 デイヴィッド 私の出演不可能とはどういうことですか。サー・スタンリーでしょう、不可能なのは。
 調整官(落ち着いて。)何故なら、不可能なのは君の方であって、彼の方じゃないからだ。オーバーを脱いで坐りたまえ。
 デイヴィッド このままでいいです。(静かに。)九時十五分に私が不可能とはどういうことでしょう、ミスター・ストックトン。その時間には私はちゃんとステージ五にいます。ちゃんと着替えてカメラの前に立っています。もしその時サー・スタンリーがいないのなら、こちらで推測出来ることは、彼の方が、非常に急に、非常に奇妙なことに・・・そして疑いの気持をもって見れば、非常に見え見えに・・・病気になったということです。そしてそのことこそ「お知らせ」で述べる必要があります。私が来られなかったなどと嘘をついて番組を傷つけることはありません。
 調整官(こちらも静かに。)いいかね、デイヴィッド。ここで二人が言い争っても仕方のないことなんだ。争う必要もない。その写しというのを見せて貰えるかな?
(デイヴィッド、ポケットから取り出し、渡す。)
 調整官(くすくす笑って。)フム、あの女、なかなかうまく作ったもんだ。これは褒めてやらなきゃな。これなら君みたいな頭のいい男でも騙される。無理もないよ。
 デイヴィッド そちらも頭のいい人ですよ、ミスター・ストックトン。騙されたらいいでしょう、そちらも。
 調整官 私はスタン・ジョンスンを知っているからね。君は知らないから騙されるさ。(調整官、写しを返す。)あの男はこういうインチキには決して引っ掛からないんだ。(デイヴィッド、何か言おうとする。)ああ、君がレジ係に電話をしたのは聞いた。なあデイヴィッド、分るだろう? 彼はこんなことを私に話す必要は全くなかったんだ。こんな話、全部が、ただのでっち上げだと言えばそれですんだんだ。だけど、そうじゃなかった。その真反対だ。私との電話で、サー・スタンリーは、君の言っていることが全部正しいと言ったんだ。
 デイヴィッド それに、私がうまい昼飯にありつけたかもしれないのに、とも?
 調整官(怒って。途中で口を入れる。)ウイスキーを誘うのは当たり前だろう。君のその経歴ならな。
 デイヴィッド どうして私の経歴を彼が知っているんです。(調査官が口を開く前に。)そう、あなたと知りあいなんですからね、彼は。レジ係については、彼は何と言ったんです。
 調整官 あいつのことは覚えている。今じゃはっきり・・・
 デイヴィッド 昔の話としてでしょうね。
 調整官 そうだ。あいつはイーニッド・クレイにぞっこんだったんだ。
 デイヴィッド イーニッド・クレイを調整官は御存知で?
 調整官 当たり前だ。知らない奴がどこにいる。
 デイヴィッド 私は知りませんでした。
 調整官(「面白い、こっちはもっと知っているんだ」というそぶりで、肩を竦める。)今はモデルをやっている。(優しく微笑んで。)政治家だって人間なんだ、デイヴィッド。
 デイヴィッド そのときの「人間」とはどういう意味なんでしょうね。
 調整官 とにかく君は、彼の性に対する態度は好きじゃないんだな?
 デイヴィッド 嫌いです。でも、レジ係には好感を持ちます。イーニッド・クレイに惚れていたって言いましたね?
 調整官 そうだ。だから勿論、そのパトロンに対して妬(や)いていたんだ。サー・スタンリーはあいつに随分てこずったことを覚えている。今だってサー・スタンリーをやっつけるためなら、何でもするだろう。あのレジ係に電話したのはまづかったな、デイヴィッド、
 デイヴィッド そう、大変まづかった。しかし、電話はしたんです。そして私は、相手の言った事一つ一つを全部信じました。今でも信じています。それに、今日の九時十五分になってもやはり信じているでしょう。それから、そういう馬鹿な嘘をあなたに話したサー・スタンリーを今よりもっと軽蔑しているでしょう。さ、それで私にどうしろと言うんです? あなたの提案は?
(間。)
 調整官(静かに。)私は提案などしない。あれは私の番組だ。提案などこの際場違いだ。私は事実のみを君に伝える。事実一。私はサー・スタンリーに約束した。今夜インタビューが行われるとすれば、アップルトン報告については何一つ言及しない。ロペスという名前も出て来ない。インタビューの始まる前に、君のポケットの中にある写しは、サー・スタンリーに渡される。事実二。インタビューの総合的印象は、友好的で、かつ建設的であるべきこと。また、視聴者から見て、サー・スタンリーが好感のもてる人物であることを示すべきこと。事実三・・・
 デイヴィッド 事実三は不要です。その条件では、私はインタビューを行いません。
(デイヴィッド、振り返って、立ち去ろうとする。)
 調整官(静かに。)事実三は言っておく必要がある。それは、もし「ハートからハートへ」がもし今夜放映されなければ、重役会への報告書は、「現在のインタビューアーは、今後信頼に足らざるものと判断する」なる文章にならざるを得ない。
 デイヴィッド「ならざるを得ない」はいいですね。
 調整官(怒って。)勿論いい。仕方がない。本当なんだ、それは。糞っ! 次のシリーズで君を私が失いたいとでも思っているのか。重役会への報告には、ゆうべのことは一言も書いていないんだ。今後も書くつもりはない、ただ・・・
 デイヴィッド ただ、私がやんちゃをすれば・・・
 調整官 ただ、私に余儀なくさせるようなことがあれば・・・
(デイヴィッド、頷く。廻れ右をし、扉に進み、開ける。)
 調整官 六時四十五分までに電話を頼む。決心を聞かせてくれ。
 デイヴィッド(相手を見ずに。)決心はもうお話しました。
 調整官(優しく。)とにかく、電話を頼む。
(デイヴィッド退場。調整官、机の上の受話器を取る。)
(受話器から声。)
 声 はい。
 調整官 下院のサー・スタンリー・ジョンスンに伝言を頼む。「今夜のインタビューは行われる予定。条件はクリアーしたものと思われます」と。
 声 畏まりました、ミスター・ストックトン。
 調整官 その後、ミスィズ・デイヴィッド・マンに繋いでくれ。
 声(微かに驚いた声。)ミスィズ?
 調整官 そうだ。
(調整官、スイッチを切る。坐る。静かに考える。表情はそう暗くない。)

(デイヴィッドの居間。夕方。デイヴィッド、玄関ホールから登場。ペギー、デイヴィッドがオーバーを脱ぎ、椅子に投げ、優しく自分にキスするのを見ている。ペギー、キスに反応しない。じっと立って、両手は垂れ下がったまま。デイヴィッド、何かあったな、と感じる。)
 デイヴィッド(やっと。)誰かが話したな。誰だ。フランクか。
(ペギー、答えない。デイヴィッド、飲み物の盆のところに行く。)
 ペギー フランクじゃなかったわ。
 デイヴィッド(ウイスキーをたっぷり注いで。)そうらしいな。分ってた。じゃ、誰なんだ。ジェスィーでもないな。
 ペギー(ハッと緊張して。)何をやっているの。
 デイヴィッド ウイスキーを注いでいるんだ。
(ペギー、二三歩進み、デイヴィッドの手からグラスを叩き落す。デイヴィッド、ペギーを見つめる。間。そして。)
 デイヴィッド 誰が話したかは知らないが、どうやら本当の話をしなかったようだな。今夜は僕は出ないんだ、ペギー。だから飲みたきゃ、いくら飲んだって構わないんだ。
(デイヴィッド、屈んでグラスを拾い上げる。グラスは壊れていない。)
 デイヴィッド ウイスキーはしみにならない。みんなそう言っているけど、絨毯はどうかな?
(デイヴィッド、立上る。ペギー、デイヴィッドからグラスを取り、盆の上に置く。)
 ペギー 絨毯は後でいいの。お坐りなさい、デイヴィッド。叩き落したのは悪かったわ。でも、私がどれだけ心配しているかは分ったでしょう?
(ペギー、微笑む。ヒステリーはまだ本当には収まっていない。しかし、表面はしっかり取り戻して、デイヴィッドをおだて、すかし、説得する決心。デイヴィッド、相変らず誰が言ったか見当がつかず、ペギーを見つめている。それからやっと分る。)
 デイヴィッド そうか、ストックトンだ、勿論!(怒るより面白がって。)参ったね。何でもありか。
 ペギー(まだ微笑んでいて。)何でもあり? 何なの? それ。
 デイヴィッド レスリング用語。相手の急所を殴ってもいいっていう意味だ。
 ペギー じゃ、私があなたの急所っていうこと?
 デイヴィッド そうさ。君は僕の急所だ。
 ペギー 私、あなたとは議論しないの。議論したって始まらない。女が議論に勝つなんて、ありっこないもの。私が言いたいのは、あなたは自分が正しいと思ったことをやればいいって言うこと。あなたが何をしても私、愛してるわ。それにいつまでも、いつまでも。あなたのこと、大好きよ。
(間。)
 デイヴィッド(微かな微笑み。)女が議論に勝つなんて、ありっこないか。
(立上って、飲み物の盆のところに行く。)
 デイヴィッド 僕は飲む。
 ペギー(立上る。鋭く。)駄目、デイヴィッド。
 デイヴィッド(優しく。)ねえ君、僕はさっき絨毯の上にウイスキーをこぼしたんだ。だから今度はこぼさない。しっかり注ぐんだ。
 ペギー あなたなんか、肩から仰向けにどすんと落されればいいの。これレスリングの手でしょう?
 デイヴィッド うん。
 ペギー あなたが職を失う時は、私を失う時よ。
(間。デイヴィッド、微笑む。)
 デイヴィッド それで、僕が何をしても愛しているんだね。いつまでも、いつまでも、僕のことが大好きなんだね?
 ペギー(誠実に。)そうよ。
 デイヴィッド 誰のベッドに入って?
 ペギー あなたに関係ないわ。
 デイヴィッド ジョン・ウィルキンスンのベッドなら、もう塞がってるぞ。
 ペギー 離婚すればあくわ。
 デイヴィッド(惨めに。)そうか。離婚か。
(デイヴィッド、飲み物の盆へ行き、少し震える手でウイスキーを注ぐ。)
 ペギー(好奇心から。)あなた、いつから知ってたの?
 デイヴィッド 一九五九年六月三十日からだ。日記につけてある、この日付は。ヘンレイにあるあいつの家に週末に行った時だ。キャロラインは気がつかなかった。僕は分った。
 ペギー どうして何も言わなかったの。
 デイヴィッド(ウイスキーを見ながら。飲まずに。)何故なら、君を失いたくなかったからだ。
(ペギー、デイヴィッドに一歩近寄る。)
 デイヴィッド(鋭く。)それ以上、近寄るな。
(ペギー、立ち止まる。しかし、デイヴィッドをじっと、同情を込めた目で見つめる。デイヴィッド、ウイスキーを見つめたまま。)
 デイヴィッド それに、そんなに度々じゃなかった。二箇月に一回だ、だいたい。それとも、こちらの過小評価か?
 ペギー 過小評価じゃないわ。それより少ないぐらい。
 デイヴィッド それに、僕には分っていた。君はあいつが欲しかったんじゃない。あいつが属している社交界が欲しかったんだ。レイディー・ミルチェスターのお近付きになりたかった。(ウイスキーをぐっと一口飲む。最初の一口。)一度彼女には会ったことがある。魅力のある婦人だ。僕の名前も知っていた・・・デイヴィッド・マンとね。(ウイスキーを飲む。今度は長い一口。)僕は離婚するつもりはない。
 ペギー それはそうでしょう。
 デイヴィッド(飲んで、グラスを空にして。)離婚の理由があるとすればただ一つだ。キャロライン・ウィルキンスンと結婚するため。
 ペギー ジェスィー・ウェストンとじゃないの?
 デイヴィッド あれは既婚者だ。いつから知ってるんだ。
 ペギー 私は盲(めくら)じゃありませんからね。
 デイヴィッド 僕らは寝てはいない。分ってるんだな。
 ペギー(微かな笑いで。)言われなくても知ってるわ。自分の男が取られて、黙って見ているような女じゃありませんからね、私は。それに、あなたを捨てて、ジョン・ウィルキンスンなんかのところへ行く馬鹿でもないの。そんな馬鹿な女がどこにいると思って?
(間。)
 デイヴィッド いいか? ペギー。これを君に言えるようになるまで八年かかった。だが、今じゃ言えるんだ。僕は君を軽蔑する。
 ペギー(微笑む。この場の主導権を取っているのは自分だとはっきり自覚している。)でも私だって自分を軽蔑しているのよ。あなた、分っているでしょう? 私はお金が好き、イートン・スクエアーの高級アパートが好き、運転手つきのコンバーティブル・ベントリーが好き、毛皮のコートも、バルマンのドレスも・・・
 デイヴィッド あいつ、君に毛皮のコートをくれたのか。
 ペギー いいえ。どうしてあの人が?
 デイヴィッド しかし、あの黒いドレスはそうなんだろう。長い袖のついた、あの・・・
 ペギー ええ、あれはバルマン。
 デイヴィッド ハロッズのセールで買ったと言ったな? たしか。
(ペギー、頷く。)
 デイヴィッド あの・・・パリに行った時だ。そうだな?
 ペギー そう。
(間。)
 ペギー どうぞ軽蔑して頂戴。いいの、それで。素敵な女の子達は、私のようなことはしない。あんなものが好きだなんて言いはしない。でも、その子達、五歳の時餓えを経験してはいないわ。十八歳の時、父親の同僚の娘のお古を着せられたりはしなかったわ。素敵な女の子達は、自分の夫を愛している。夫の信条を自分の信条として尊敬しているわ。でもね、その子達は自分の父親の信条を押し付けられて生きる必要はなかった筈よ。(急に乱暴に。)お父さんったら! 何故リガに留まっていなかったの! ロシア軍が来たからって、さっさと逃げて! そのままいて、物理学者でいたら、ここでの給料の三倍は貰っていたわ。このニューカレッジでの三倍はね。
 デイヴィッド そうだろうね。スプートニクだって、お父さんの名前がついていた・・・
 ペギー 悪い? それが。
 デイヴィッド いや、悪くないよ。(元気なく。)ただね・・・お父さんがリガにいたままだと・・・君と僕とは会わなかったろうからね。
 ペギー そう。でもジェスィー・ウェストンとは結婚出来たわ。
 デイヴィッド まあね。
 ペギー そして、幸せに暮しましたとさ、終り。
 デイヴィッド (元気なく。)幸せに、はどっちかな。しかし、とにかく「暮した」な。
 ペギー(微笑む。この場面は完全に自分の支配下にあるという自信。勝利は決定的。)ジェスィーとだったら・・・「暮した」ってことになる?
(間。)
 デイヴィッド バラエティー番組でよく言うやつだね。「暮す」ということの定義によるさ。
 ペギー(軽い笑い声を上げて。)「暮す」って、あなたの定義知ってるわ。そう、私が一番よく知ってる。(デイヴィッドにすり寄る。)それ、私の定義でもあるの。勿論あなた知ってるわ、誰よりもよく。
(ペギー、デイヴィッドに微笑む。間。)
 デイヴィッド おいおい、怪しい場面にしているんだな。そういうシーンはサイレント映画では暗転になるんだぞ。・・・それに、虎の毛皮の絨毯が必要だよ。それから、照明もちゃんとしたやつだ。こっちはそれよりウイスキーだな。
 ペギー(片手をデイヴィッドに預けたまま、優しく。)勿論もう一杯ね。注いで上げるわ。
(ペギー、注ぐ。グラスに目を近付けて、きっちり測る。ほんの少しの量。)
 デイヴィッド これでウイスキーって言えるのか?
 ペギー 言えるわ。私がそう言うんだから。
(間。)
 ペギー さあ、計画のこと話しましょう。別れるとなったら、いっぱい話すことがあるんじゃない? これからの計画・・・
 デイヴィッド 怪しいね・・・いよいよ怪しい。
 ペギー(振り向いて、デイヴィッドを見て。)あなたの目、少し赤いわ。泣いたの?
 デイヴィッド うん。
 ペギー いつ。
 デイヴィッド 三十分ぐらい前だ。スタジオのトイレで。
 ペギー(心配そうに見ながら。)でも大丈夫。照明の下でならばれないわ。
(ペギー、優しくデイヴィッドをソファに引き寄せる。)
 ペギーどうして泣いたりしたの? デイヴィッド。
(間。)
 デイヴィッド 僕はいかさまは嫌いだ。君のこと、大嫌いだ。
 ペギー(微笑んで。)勿論嫌いよ。私だって、私が大嫌いなんだから。
 デイヴィッド しかし、理由は違うぞ。僕が君を嫌いな理由と、君が君を嫌いな理由は。
 ペギー 違いって何かしら・・・
 デイヴィッド 一番大きな違いはな・・・
 ペギー(静かに。)ええ、それは・・・
(デイヴィッド、ペギーの胸に顔を埋める。ペギー、とにかく自分の勝ちを感じて、同情の気持を込めてデヴィッドを見る。)
(デイヴィッド、答えない。動きもしない。) 
 ペギー それは何?
(再びデイヴィッド、答えない。ひょっとするとデイヴィッド、泣いているのかもしれない。しかし、その声も聞こえない。ペギー、自分の腕時計を見る。落ち着いて、その時刻を確認し、自分の頭を優しくデイヴィッドの身体に傾ける。)
 ペギー ねえ、デイヴィッド。正気に戻りましょう。私達、まだ沢山話し合わなくちゃならないわ。沢山・・・

(テレビのスクリーン、コマーシャルが丁度終ったところ。時刻の刻む音が入り、それからアナウンサーの声。)
 
(スクリーンに非常に美人のテレビ写りのよい女性アナウンサーが現れる。)
 アナウンサー(テレビ用の微笑を浮べて。但し、情熱的な期待を煽(あお)る声で。)今晩九時十五分から「ハートからハートへ」の第六十回が始まります。追及者はいつものデイヴィッド・マン。被追求者は、新労働大臣サー・スタンリー・・・
(デイヴィッドとサー・スタンリーのスチール写真、サー・スタンリーは陽気な、しかし、政治家らしい顔。)
 アナウンサー あと十五分で、厳しい追求の始まりです。皆様、どうぞチャンネル五にお合わせ下さい。

(調整官の事務室。調整官、ジェスィー、それにフランク。音響遮断の窓ガラスを通して、事務室から隣の広間が見える。そこに二十人ばかりのスタッフが、コーヒーなどを飲んでいるのが見える。その中にサー・スタンリーもいる。デイヴィッドはいない。)
 調整官(フランクに。)分ったな、今の指示が。
 フランク 分りました。
 調整官 アップルトン報告書、ロペス、或はその他何でも、危険な材料が持ちだされそうになったら、すぐに音を消すんだ。
(フランク、頷く。)
 調整官 ミスィズ・・・アー・・・君も分っているんだな。
(ジェスィー、これまで書き止めていた手を休ませず、頷く。)
 調整官 一秒の何分の一かが問題になる。いいな?
 ジェスィー でも、あの人、約束したんじゃありませんか?
 調整官 実は正確に言えば、あいつは何も約束してはいない。ただ、あれの連れ合いから電話があって、番組はやると言って来たんだ。
 ジェスィー こちらの条件のもとででしょう?
 調整官 そのもとでのはずなんだ。彼も連れ合いも、その条件は分っている。その上で引き受けたとあれば、条件を受け入れたと解釈するのが普通だからな。しかし、この男に関して言うと、アルコールの問題があるから・・・(言い止んで、フランクに。)失礼。御婦人の前では、これは失言だな・・・ミスィズ・・・アー・・・
 フランク ええ。失言です。
 調整官(ジェスィーに。)今私の言ったことは忘れて欲しい、ミスィズ・・・アー・・・ウェストン。君があれこれ心配する問題じゃない、これは。
 ジェスィー はい。
 調整官(フランクに。)音を消す件だが、私はこの事務室にも技術主任にオープンラインを引いて貰う。だから、たとえ君達二人がミスをしても・・・そんなことはあり得ないと思うが・・・たとえミスをしても、私の方で切るから大丈夫だ。(指をパチンと鳴らす。)映像はそのまま残って、「只今音響不調。可及的速やかに復旧させます」のテロップを流す。後で、技術的ミスについて・・・
(デイヴィッド登場。)
 調整官 ・・・視聴者に弁明する。ああ、デイヴィッド・・・インタビューの再放送については、曖昧(あいまい)な約束をしておけばいい。(デイヴィッドに。非常に陽気に。)ああ、これは気にしなくてもいい。技術ミスの話だ。そんなことは起りっこないんだがね。
(デイヴィッド、頷く。フランクに微笑む。それからジェスィーと目が合う。ジェスィーの目、しっかりとデイヴィッドの顔を見つめている。)
 デイヴィッド ああ、フランク。やあ、ジェスィー。
(二人、挨拶を呟きで返す。)
 調整官(デイヴィッドに。)何か私に言いたいことがあるのかね?
 デイヴィッド いいえ、調整官、何もありません。全く何も。
 調整官 そうか。じゃ、位置につくとするか。(窓から隣の部屋を見て。)サー・スタンは機嫌がいい。スィリルがついているからな。
 デイヴィッド ちょっとミスィズ・ウェストンに話があるんですが・・・技術的な問題で・・・
 調整官 勿論。さあ、フランク、行こう。
(調整官、フランクと共に退場。ジェスィーとデイヴィッド、二人だけが残る。)
 デイヴィッド 僕はどうしたらいい?
 ジェスィー もう決めたんでしょう?
 デイヴィッド(怒って。)僕は何も約束してはいないぞ。
 ジェスィー 奥さんがしたわ。
 デイヴィッド そんなことで僕が縛られるか。
 ジェスィー あの人が電話するのをちゃんと聞いていてあなた、止めなかったんでしょう? それに、後から電話をかけたりしなかったわ。それは縛られているっていうこと。(はっきりと。)あなたはちゃんとここにいて、どうやらしらふのようだわ。(立上る。)技術的な問題はもうなさそうね? そうでしょう? ミスター・マン。
 デイヴィッド(哀願するように。)頼む、ジェスィー、そうきつくあたらないでくれ。
 ジェスィー(真正面からデイヴィッドを見て。)じゃ、どういう風にあたれっていうの。
 デイヴィッド いや、ただ・・・
(間。)
 ジェスィー ただ、何なの。
 デイヴィッド 僕は君が必要なんだ。愛してるんだ、ジェスィー。
(間。)
 ジェスィー 呆れた。何て話!
 デイヴィッド ジェスィー、今日、この番組をやるためには、僕一人では駄目なんだ。少なくとも君が僕についてくれているという自信がなくちゃ。
 ジェスィー 「少なくとも」?・・・何、一体、それ。私を放っておいて頂戴。
 デイヴィッド 僕を助けてはくれないのか、君は。
 ジェスィー(自分を取り戻して。)助けるって、どうするの。もう手遅れでしょう、何をしたって。私は命令されているの。もしあなたがちょっとでもアップルトン報告書に関することを言ったら、音を切れって。それであなたに何が出来るの。
 デイヴィッド じゃ、音を切らせるまでの話だ。
 ジェスィー それで何になるっていうの。
 デイヴィッド 分らない。君に教えて貰いたいんだ。
 ジェスィー 分ったわ。言って上げましょう。今夜テレビを見ている人は、新労働大臣に対して、何一つ新しい情報は得られない。サー・スタンリーは相変らず立派なサー・スタンリー。そして立派なデイヴィッドは、これでテレビ界をおさらば。それだけ。
 デイヴィッド いや、もう一つある。これは君は知らない。もし僕が今夜やろうとしていることを実行したら、僕は妻がいなくなるんだ。
 ジェスィー あらあら、かなりなものね。
 デイヴィッド そう。かなりなものだ。だけど、それでも僕は何とかやっていける・・・もし・・・もし・・・(途中で言い止む。調整官が下から手を振っている。)(ジェスィーに。)あ、下りないと・・・
 ジェスィー 「もし」って言ったわね。もし私が離婚すれば?
 デイヴィッド だって君は好きでさえないんだろう? 相手を。
 ジェスィー 私って変っているの、デイヴィッド。私が結婚したっていうことは、その気で結婚したっていうこと。さ、分ったでしょう? これで全部お仕舞。(デイヴィッド、後ろを向く。)デイヴィッド、やるのよ、今夜は。サー・スタンリーに。鋭く、ぐさりと。さ、下りましょう。

(階段。そして、スタジオ。デイヴィッドとジェスィー、階段を下りている。)
 デイヴィッド その時の僕の言葉は誰にも聞こえないんだから・・・
 ジェスィー いいえ、聞こえるわ。調整官にね。サー・スタンリーには聞こえるに決っているし、そういう話になれば、私にも聞こえるわ。
 デイヴィッド そう、君に聞こえるということが大事なんだ。
 ジェスィー 私に聞こえることが大事?
 デイヴィッド うん。僕には助けがいる。調整室にいる、製作担当秘書の・・・道徳的支持・・・以上の何かが。
 ジェスィー 製作担当秘書の道徳的支持? あなたが受けてるのは、そんな軽い支持じゃないわ。ジェスィー・ウェストンの心からの支持があるのよ、あなたには。いいわね? ミスター・マン。でも、製作担当秘書の願いは、いつも番組がすんなり行くこと。技術的ミスなしにね。ご免なさい、デイヴィッド・・・あなたにはあなたのやり方があるわね。さ、開始よ。
(二人、人の集まっている場所に近づく。この場面の間中、集まっている人達の人声、バックに聞こえている。)
(何人かは時間が迫っているため、既に去っている。しかし、まだかなりの人数が残っていて、かなり大きな会話の声は聞こえている。但し、意味までは聞き取れない。調整官が扉の近くにペギーと一緒に立っている。デイヴィッドとジェスィーが下りて来る時、二人、振り返る。)
 ペギー(愛情が籠った声。)ああ、今日は、ジェスィー。
 ジェスィー 今日は、ミスィズ・マン。
 ペギー あら、素敵よ。イヴニング・ドレス姿のあなたって、あまり見たことがないわね。それ、新しいの?
 ジェスィー ええ、新しいですわ。たった五年前のものですもの。失礼します。私、フランクに話が・・・
(ジェスィー、愛想よくペギーに微笑む。人の集まりの中に入って行く。)
 調整官(その間に。)やあ、デイヴィッド。調子はどうだ?
 デイヴィッド ええ、いいです。
 調整官 技術的問題は全てチェックずみだな?
 デイヴィッド ええ、完璧です。
 調整官(サー・スタンリーの背中に触れて。)スタンリー、これが君の今日の追及者だ。
 サー・スタンリー(振り返る。陽気で、緊張の様子なし。)ああ、今晩は。(握手を求めて、手を差しだす。デイヴィッド、ちょっと躊躇った後、それを掴む。)カメラマンはどこだ?
(調整官、パーティーで宣伝用写真を撮っていた二人のカメラマンに手で合図。)
 サー・スタンリー(自分達を指さして。)この二人を撮っておくのは今が一番だぞ。(デイヴィッドとポーズを取って。)後だったら、この若いのに一発食らわしている場面しか撮れないかもしれないぞ。
(近くの人々から礼儀正しい笑い声。)
 サー・スタンリー(デイヴィッドに。)さあ、笑って。ヘビー級のボクサーでも、重量チェックの時には笑うものだ。そうそう、音に聞こえたかのえくぼを出すんだ。
 カメラマン 笑って・・・ミスター・マン・・・
(デイヴィッド、えくぼを消す前にシャッターが切られる。ペギー、愛情を込めてデイヴィッドの腕を取る。)
 ペギー ああ、デイヴィッド、愛してるわ。
 サー・スタンリー(デイヴィッドの肘を叩いて。)運のいい男じゃないか。(ペギーを指さして。)こんないい奥さんがいて。テレビに出ればいいのに。
 デイヴィッド 演技が出来るとは思えませんから。
 サー・スタンリー 分らないじゃないか。やらせてみなきゃ。
 デイヴィッド 見たことがあるんです、彼女の演技を。
 ペギー(デイヴィッドの腕を優しく抱いて。)この人、馬鹿なことばっかり。冗談なんですよ、サー・スタンリー。私、演技なんかしたことないんです。
 サー・スタンリー やってみるべきだな。いい演劇学校に行かせるんだ。王立演劇協会でも・・・
 デイヴィッド そこですか? イーニッド・クレイが行っていたのは。
(調整官、近づく。このやり取りは聞いていない。)
 進行係 五分前。スタジオ、五分前!
 調整官(サー・スタンリーとデイヴィッドに。)進行係の五分前の合図です。セットの準備がもうすぐ完了します。じゃ、頼んだぞ。いいショーになると期待している。
 女性の案内係 モニターテレビはこちらです、レイディー・ジョンスン。
(調整官、去って行く。背景に彼の後ろ姿。パーティーの客達に、手で解散の合図をしているのが見える。入れ替わりにテレビカメラ、及び技術者達が位置につくため入って来る。レイディー・ジョンスン、夫のところに近づいて、その腕を取る。)
 レイディー・ジョンスン しっかりね、あなた。
 サー・スタンリー(デイヴィッドに。)バーミンガム演劇学校だ。
 デイヴィッド(ペギーを見ていたが。)えっ? 何ですか、それ。
 サー・スタンリー イーニッド・クレイだ。君は彼女の出身校を訊いたろう? バーミンガム演劇学校だ。
(レイディー・ジョンスン、ハッとして夫を見る。デイヴィッドはそのままの表情。イーニッド・クレイという名前が彼女に与える苦痛を見てとる。他の人にはその表情の変化は読み取れない。)
 デイヴィッド 情報、有難うございます。
 サー・スタンリー どう致しまして。インタビューの前に訊いておきたいことがあったら、遠慮はいらない、何でも言ってくれ。いいな?
 デイヴィッド ええ、遠慮はしません。ただ、もう充分準備してありますから・・・
 進行係(叫ぶ。)五分前。開始位置に!(サー・スタンリーに近づいて。)どうぞこちらへ、サー・スタンリー。
(ペギー、デイヴィッドに近づき、キス。)
 ペギー しっかりね、あなた。今晩は、少なくとも私、見るわ。
(デイヴィッド、何も言わない。ペギー、微笑み、去って行く。)
(デイヴィッド、サー・スタンリーの前の席につく。カメラ、ライト、マイクの移動車、手慣れた動きで、所定の位置につく。)
 進行係 三分前です、みなさん。三分前!

(調整室。昨晩と同じ顔ぶれ。雰囲気も至って平静。ただ、ジェスィーとフランクの顔が大写しになると、何か非常に異ったものが現れる。)
 ジェスィー(マイクに。)マイクのテスト、いいですか?
(インタビューの舞台。進行係がデイヴィッドに近づく。)
 進行係 マイクのテスト、準備OKか? チャーリー。
 チャーリーの声 OK。
 進行係 デイヴィッド。
 デイヴィッド 一、二、三、四、五、六。さあ、行きます、サー・スタンリー。最近何か面白いものを読まれましたか?
 サー・スタンリー うん、読んだね。一、二冊、非常に面白いものがあった。非常にね。
 デイヴィッド 例えばどんなものです?
 サー・スタンリー ああ、書類でね、大部分は。その他、報告書類・・・
 デイヴィッド 休暇はどうでしょう。素敵な休暇がありましたか?
 
(調整室。フランク、両手で頭を抱えている。)
 フランク あいつ、まづい!
 サー・スタンリーの声(モニタースクリーンから。)そりゃもう、時々は素敵な休暇があるよ。
 ジェスィー(マイクに。)音・・・OKです。そこまで。一番カメラ、通常の位置。二番、タイトルの後、サー・スタンリーの大写し。(フランクに。)何か?
 フランク 聞いたろう、今のを。
 ジェスィー あっちのマイクが働いている時は、ここでいくら唸ってもいいですからね。
(電話が鳴る。技術主任がでる。)
 技術主任 もしもし・・・ああ、はい、ミスター・ストックトン。

(調整官の事務室。調整官が電話に出ている。背景にテレビ。丁度今、ニュースの放送。音は絞ってある。)
 調整官 技術主任か?・・・よし。この線はこの番組の間中オープンにしておく。分ったな?

(調整室。)
 技術主任 分りました、ミスター・ストックトン。・・・はい、ずっと繋いでおきます。・・・はい、勿論です、ミスター・ストックトン。一言指示があれば、すぐ・・・はい。了解です。・・・
 ジェスィー(フランクに。)私達二人、全く信用されていないってことね。(マイクに。)九十秒前。ジョー、サー・スタンリーに撮影中の合図の説明を。
 進行係 OK。
 
(舞台。デイヴィッドとサー・スタンリー、所定の位置につき、顔を見合っている。それをカメラ係、ライト係、等々が取り巻いている。)
 サー・スタンリー 煙草を吸ってもいいかな?
 デイヴィッド どうぞ。気持が落ち着きます。
(進行係、近づいて来る。)
 進行係 サー・スタンリー・・・
 サー・スタンリー(手で進行係を追い払う。デイヴィッドをぐっと睨んで。)ちょっと待て。あの書類は貰えるんだろうな? 今。
 デイヴィッド 何の書類でしょう? サー・スタンリー。
 サー・スタンリー どの書類か分っている筈だ。誤魔化すな。
 デイヴィッド ああ、あれですか。あれ? どこに入れたかな? どこかに入れた筈なんだが。(進行係に。)ああ、ジョー。サー・スタンリーに撮影中の合図の説明を頼む。
 サー・スタンリー あの書類が必要だ。
 進行係 スタンバイ、スタジオ・・・ちょっと待って・・・
 デイヴィッド(ゆっくりとポケットを捜す。)すぐお渡しします、サー・スタンリー。どこかに入っている筈ですから。ちょっと進行係の説明を聞いていて下さい。もう一分で始まりますから。さあジョー、やってくれ。
 進行係(サー・スタンリーに。)サー・スタンリー、私が片手を降ろします。すると映像が写っています。しかし、音は入っていません。この間、タイトルがスクリーンに出ているわけです。タイトルは、あなたとミスター・マンの映像にかぶさって出ています。つまり、お二人の姿は見えますが、声は聞こえません。次にもう片方の手も降ろします。すると、音が入ります。つまり、視聴者には、映像も声も聞こえるということです。スタートの瞬間に、多分ミスター・マンもあなたに合図します。そこでお二人に微笑んで戴きます。
 デイヴィッド ああ、どこへ行ったんだろう。忘れてしまった。番組開始の時には、微笑みを交さなくちゃいけません、サー・スタンリー。・・・ヘビー級のボクサーでも、体重チェックの時は笑うんですからね。
 サー・スタンリー 領収書を渡すんだ。早く・・・
 デイヴィッド 勿論です。どこへ入れたかだけが問題なんですから。
 進行係 さっきの説明でいいですね? サー・スタンリー。片手を降ろす。画面が見える。両手を降ろす。音も聞こえる。タイトルが消える時、あの灯(あかり)が(差し示す。)つきます。そこから開始です。
 サー・スタンリー(デイヴィッドに。)領収書を渡さなければ、番組は止めだ。・・・これははっきり言っておく。さ、領収書を渡せ。
 デイヴィッド 見つけたら渡します。ちょっと失礼。(マイクに。)ジェスィー? 
 ジェスィー はい、デイヴィッド。
 デイヴィッド 合図を出したら、例の挿入用クローズアップを頼む。
 ジェスィー 挿入用クローズアップ? 何の?
 デイヴィッド あのスティール写真だ。ホテルの領収書の。
 進行係 二十秒前。
 ジェスィー(素早く。)OK、デイヴィッド。
 デイヴィッド それから、テープ・レコーダーに録音した、例の会話もだ。
 ジェスィー 分ったわ、デイヴィッド。あと十秒よ、ジョー。
 進行係 十秒前。
 デイヴィッド 合図は分ってるね?
 進行係 六秒前。
 ジェスィーの声 六秒前。
 サー・スタンリー 挿入用のクローズアップとは何だ。
 進行係 四秒。
 サー・スタンリー それにテープレコーダー? 持っていないって言ったろう、君は。
 進行係 二秒。
 サー・スタンリー レジ係との話など、ないと。
 デイヴィッド(微笑んだまま。)ええ、そう言ったと思いますが。
 サー・スタンリー 何のつもりだ、あの嘘は。
 デイヴィッド(相手が自分を笑わせようとした、というふり。軽く笑う。)さあ私と二人、千五百万人の視聴者の前です。(カメラの照明がつき、サー・スタンリー、さっとそちらを向く。)ええ、照明もつきました。でも、あちらはどうか御覧にならないように。カメラは見ないことになっています。私の方を御覧下さい。(サー・スタンリー、従う。)さあ、一、二、三、四、と言って。それが合図で笑います。猛烈に傑作な、すごい冗談が飛び出したという具合に。声はまだ出ません。いいですか? 行きますよ。一、二、三、四と・・・はい。
 サー・スタンリー 一、二、三、四。この大法螺ふきめ!
 デイヴィッド(ゲラゲラっと笑って。)ああ、それが良かったですよ、サー・スタンリー。クリーンヒットです。
 フランク(調整室で。)第二キャプション、かぶせて。はい、アナウンサー。
 アナウンサー BTV提供、第六十回「ハートからハートへ」。今夜の被追及者は、新労働大臣のサー・スタンリー・ジョンスン。追及者はいつものデイヴィッド・マンです。
 サー・スタンリー(微笑んで。)はったりだってことは、分ってるんだ。テープもありはしないし、領収書の写真も作っちゃいない。
 デイヴィッド(微笑んで。)じゃ、やってみることですね。あと十五秒で声も出ます。
 サー・スタンリー(微笑んで。)買収金額はいくらだ。
 デイヴィッド(微笑んで。)諦めるんですね。
 サー・スタンリー(今度は本気で笑って。)いい度胸をしている。
 デイヴィッド(大声で笑い返して。)そう、なかなかのものでしょう?
(その間のモニターテレビの音は「ハートからハートへ」のタイトル音楽。そしてアナウンサーの声。画面はデイヴィッドとサー・スタンリーのお互いの冗談に笑っている顔。)
 ジェスィー(マイクに。)音、入ります。
 フランク よし、デイヴィッド。
 デイヴィッド この番組にようこそ、サー・スタンリー。大臣に直接質問をする機会を持つことが出来、実に有難いと思っています。
 サー・スタンリー 質問にお答えするのは、こちらも大変嬉しいですな。ただ、お答え出来る質問ならば、ということですが・・・
 デイヴィッド(笑いながら。)ということは、お答えになれない質問もあるということでしょうか? サー・スタンリー。
 
(調整官の事務室。調整官、いつでも電話をかけられるように、受話器を口のところに当てて、じっとテレビの画面を見つめている。)
 調整官(受話器に。)技術主任、聞いているな。
 技術主任 はい、調整官。
 サー・スタンリー(テレビの画面から。愛想よく笑い返して。)おやおや、こいつは最初から気をつけなければまづいな。もう少しで罠にかかるところだ。いや、どんな質問でも構わない。相手をはめるような、そんな質問でも。「はめる」は、放送禁止用語だったかな? まあいい。もう言ってしまったんだから。・・・こっちは単刀直入、ズバリと答えてみせよう。
 デイヴィッド(テレビの画面から。)ズバリ、単刀直入・・・ご評判通りのお答を期待しています。さてまづ、先週の木曜日の午後、マンション・ハウスでなさったスピーチについてお聞きしましょう。
 調整官(受話器に。)出だしは大丈夫だ。待機しているな? 技術主任。

(調整室。普段の通常業務という雰囲気はまだある。しかし、フランクが、モニタースクリーンを見もせず、次から次と煙草を吸っては灰皿にもみ消していることから生ずる緊張で、その雰囲気がかなり損なわれている。そしてまた、調整官に電話で答えている技術主任の態度によっても。)
 技術主任 はい、調整官、待機しています。
 フランク 二番カメラ、用意。
 ジェスィー(静かに、マイクに。)二番カメラ、追及者のクローズアップ。
(モニタースクリーン、デイヴィッドの顔が大写しになる。)
 デイヴィッド(モニター・スクリーンから。)さて、サー・スタンリー、腐敗についてお話になったと思っています・・・たしか、「この時代の腐敗」というのが正確な言葉だったと思いますが、そうでしたね?・・・「腐敗」と・・・
 フランク 三番カメラ。
 ジェスィー(マイクに。)三番カメラ、被追及者、クローズアップ。
(モニター・スクリーンに、サー・スタンリーの顔だけが現れる。)
 サー・スタンリー(モニター・スクリーンから。)そう、それが私の使った言葉だ。
 デイヴィッド(モニター・スクリーンから。声だけ。顔は見えない。)どういう腐敗を頭においていらしたのでしょう。

(舞台。デイヴィッド、余裕のある表情で、サー・スタンリーを見ている。サー・スタンリーも微笑んでいるが、少し緊張あり。汗も少しかいている。)
 サー・スタンリー そう、腐敗だ。至る所に腐敗がある。違うかな?
 デイヴィッド ええ、至る所にあります。
 サー・スタンリー 私の言いたいのは、今の世の中は「あり余っている時代」だ、ということだ。「ああ、私は大丈夫だ」それから、「私にそれが何の関係がある」の時代だということだ。
 デイヴィッド ええ。(ポケットから領収書の写しを何げなく取り出し、それを眺める。メモ書きを見るような素振り。)「私にそれが何の関係がある」・・・そう、その通りの言葉でしたね? あのスピーチでも・・・

(調整官の事務室。)
 デイヴィッド(テレビのスクリーンから。)「私に何の関係がある」・・・この言葉が時代を代表する台詞だ。そう仰りたいんでしたね?
 調整官(受話器に。)何だ、あの紙は。あいつが見ているあの紙は。

(調整室。)
 技術主任(ジェスィーに。)調整官が訊いています。あの見ている紙は何かって。
 フランク(怒鳴る。)何の紙か、こっちに分る訳がないだろう!(マイクに。)四番カメラ。二人とも入れて。半分、大写し。
 技術主任(受話器に。)ただの紙です、調整官。
 サー・スタンリー(その間、モニター・スクリーンから。)そう、それが時代を代表する台詞だ。君もよく知っている筈だ・・・例えば・・・そうだ、君の仕事を例にとってみよう・・・

(舞台。サー・スタンリーの微笑は、もうすっかり消えている。汗びっしょりの顔がはっきりと分る。)
 デイヴィッド(優しく。)いいですよ、サー・スタンリー。私の仕事を例にとりましょう。
 サー・スタンリー 君はそれを慈善事業でやっている訳ではあるまい。どうだ。
 デイヴィッド ええ、違います。金のためです。でも、この仕事も、金も、投げ出すでしょうね・・・腐敗の圧力に屈してインタビューを行うぐらいなら。
 サー・スタンリー(笑おうとする。)つまり、誰かが君のところにやってきて、君の知っているある事実を喋らないでくれ・・・そう、五万ポンド出すから・・・いや、もう少し高くしよう・・・十万ポンド・・・
 デイヴィッド つり上げる必要はありません。僕はそいつの顔に唾を吐いてやります。
 サー・スタンリー(笑って。)テレビにかな? 千五百万人の視聴者の前で?
 デイヴィッド(笑い返して。)放送が終るまで待ちますけどね。
 サー・スタンリー すると、少なくとも君は、腐敗してはいないと言えそうだな。
 デイヴィッド いや、それほど清廉潔白だと言っているんじゃありません。とにかく私には、破ることが出来ない二三の原則があって、たまたま今の例は、この原則に関るものだったというだけのことです。(優しく。)しかしサー・スタンリー、このインタビューは、私に対するものではありません。あなたへのインタビューです。話題を戻して、腐敗の話にしましょう。(デイヴィッド、領収書の写しに目をやりながら。)ここで私は一つ、特別にお訊きしたいことがあるのですが・・・
(サー・スタンリー、急に振り向き、カメラの方を直接向く。・・・ダミーではなく、現在撮影中のカメラに。)
 サー・スタンリー どのカメラだ、今撮っているのは。こっちか。

(調整官の事務室。テレビスクリーンの中で、サー・スタンリーの視線、離れている。)
 サー・スタンリー(スクリーンから。)それともこっちか。
 調整官(受話器に。)画面消去準備。
 デイヴィッド(まだ画面に姿が見える。)赤い灯がついているカメラです。
 調整官(受話器に。怒った声で。)まだだ。そのまま。いつ消すかは指示する。まだだ。
 サー・スタンリー(スクリーンから。上の台詞の間も話は進む。)そうか、これか。(向きを変える。カメラを真直ぐ向く。)クローズアップでお願いする。私だけを写すんだ。この男はいい。もう「テレビ裁判」はうんざりだ。私は視聴者諸君に、直接話したい。この男は確かにうまい。諸君はこれが裁判だとは思いもかけないだろう。だが、事実は、これは裁判なのだ。
(調整室の全員に混乱が起る。お互いに顔を見合わせ、次にフランクを見る。)
 技術主任(この台詞は、スクリーンからのサー・スタンリーの声とかぶさる。)フランク・・・どうするんだ、一体。
 フランク(平静な声で。)三番カメラ、被追及者のクローズアップ。
(サー・スタンリーの顔、画面いっぱいに写る。)
 サー・スタンリー これで私が写っているんだな?(誰か、多分、進行係が、合図を送る。)で、カメラはこれなんだな?(多分「そうだ」という合図を受ける。)よろしい。さて、紳士淑女諸君。このような事態になって、洵(まこと)に申し訳ない。諸君の期待していたものとは違ったことになってしまった。それに、正直のところ私も、こんな事態は想像だにしていなかった。私は正直だ。このインタビューをそのまま続けていれば、この男は多分、反対のことを言っただろうが、私は正直なんだ。カメラ、私が写っているな?
 進行係(見えないところから。)写っています、サー・スタンリー。
 サー・スタンリー よろしい。声も入っているな? 私は視聴者の諸君全員に聞いて貰いたいのだ。

(調整官の事務室。)
 調整官(受話器に。興奮の極。)さっきの私の指示はキャンセルだ。音を入れておけ。カメラ、もっと大写し。
(テレビスクリーンに、サー・スタンリーの顔、もっとクローズアップ。サー・スタンリー、額の汗を拭う。)
 サー・スタンリー(にっこり微笑んで。)照明が暑いな、どうも。・・・いや、失礼。さて、紳士淑女諸君。事態は実に簡単明瞭だ。一言ですむようなものだ。しかし、説明はしなければならない。そして、説明は、この私がやらねば。何故なら、彼を通してやると・・・
(サー・スタンリー、親指を出して、見えないデイヴィッドを指さす。)
 サー・スタンリー 彼一流の誘導で、事実を少し曲げられて・・・少し別の方向へ・・・行かされるかもしれない。インテリ独特のやり方で・・・

(調整官の事務室。スクリーンでサー・スタンリーが再び汗を拭いているのが見える。)
 サー・スタンリー(微笑んで。)汗・・・後ろめたいからじゃない。どうも照明が暑くて。それから、悪い癖。「どうだビールを一杯」と言われると、断れない性質で。・・・いや、どうも、ここは居心地がいいとは言えない・・・精々控えめに言って、「居心地悪い」。どうもこれはひどい話し方だ。申し訳ない。もう少し上品に、雄弁にやらなきゃいかんのだが・・・テレビに出る政治家は大抵、もっと立派にやるものだ。しかし、これが私。私の正体だ。いいならいい。嫌いなら嫌いだ。勝手にしてくれ。多分嫌いだってことになるんだろう。これから話すことを聞けば、愛想をつかされるのが落ちだ。あまりいい話じゃないんだから。明日、首相宛に、労働大臣の辞表を提出する予定にしている。受理されるかどうかは、首相の腹一つにかかっている。勿論首相の決定に、当方で否やはない。首相の決定は当然、視聴者一人一人の決定でもあるのだ。

(テレビの部屋。大きなスクリーンを見ている客の中に、レイディー・ジョンスンとペギーがいる。サー・スタンリー、相変らず大写しで写っている。)
 サー・スタンリー さて、話はこうだ。ここにいるこの男は・・・諸君には見えないだろうと思う。・・・当たり前だ。私は二度と彼の顔など見たくないんだから。・・・この男は、ある書類を持っている。・・・あるホテルの領収書の写しだ。・・・カンヌのミラボー・ホテル・・・南フランスのあのカンヌだ。・・・四年前女房と私はそこへ旅行に行った。女房は少し具合が悪くて、休養が必要だった。・・・私は・・・女房が何か言えば、私は嫌(いや)も応(おう)もない。さて、問題はどこにあるか。その領収書には、マヌエレ・ロペスとサインがしてある。諸君はこの名前を覚えておられないかもしれない。が、このロペスという男は、アップルトン委員会の報告書で、悪党とされている札つきの人間で・・・そう、この報告書は、商務省での収賄事件を扱ったものだ。我々の仲間がその嫌疑者として上げられた。(額を再び拭う。)・・・ここでビールを一杯ぐっとやりたいところだ、皆さん。・・・しかし、勿論我々は誰も賄賂は受け取っていなかった。・・・誰一人だ。その時にこれはきちんと証明された。しかし私は、実に馬鹿なことをやっていた。・・・そう、諸君の中には、この私の行為をひどく悪くとる人がいるかもしれない。・・・いや、そうされても、私には一言も弁解の余地はない。・・・首相もそうお考えかもしれない。・・・私はこのロペスなる男から、外貨を受け取ってしまった。私は彼の正体をその頃全く知らなかった。商務省と彼の関係もだ。・・・何一つ。いいですか。私は彼に、してやられたのだ。彼が外貨でこの領収書分の金を払い、私は彼に、その相当額のポンドを支払った。しかしこれは、当時の外国為替法には違反する行為なのだ。つまり私は、外国為替法に違反した。即ち、私は法を犯したのだ。私は内閣の一員だ。それで法を犯したのだ。この点で、この若いのは、私を追求しようとした。・・・

(調整室。)
 フランク デイヴィッドの反応を撮るんだ。四番カメラ、その大写しがいい。
 ジェスィー スタンバイ・・・四番。
 技術主任 調整官の指示です。カメラ・・・被追及者のまま。
 フランク いつからストックトンがここの製作者になったんだ。糞っ! 仕様がない。そのままだ。
 ジェスィー 四番、キャンセル。二番カメラのまま。
 サー・スタンリー(その間に。)・・・それで、この若いのは、この領収書の大写しを見せようと謀った。(領収書を摘み上げる。)これがそれだ。ロペスとサインがしてある。
 ジェスィー そんなことぐらいでどうして失脚するっていうの。
 フランク(マイクに。)四番。もっと大写し。領収書のサインが分るところまで。
 サー・スタンリー(スクリーンから。)見えるかな? これが。見えるとは私には思えない。しかしとにかく、これはサインだ。・・・マヌエレ・ロペス・・・そして、これは本物だ。勿論私はこれを偽物だとここで言い切ることも出来た。やろうと思えば出来たのだ。しかしそれは、私の流儀ではない。もし私が悪いことをしたら・・・今のこれがそうだが・・・たとえその悪いことが当時何千人という人が毎日やっているようなことであっても、その悪いことには何の変りもない。・・・私はその非を潔(いさぎよ)く認める。今夜ここでやったように。そして、自分で撒いた種は、自分で刈り取る覚悟だ。
 フランク 四番。もう領収書はいい。顔の大写し。出来るだけ大きく。
 ジェスィー 大写ししたって、中味までは写らないわ。
 フランク 写らない、確かに。しかし、あの汗で少しはね。
 ジェスィー 汗でも駄目よ。売り物の「正直スタン」の正直スタンたるところって思われるだけ。
 フランク それでもいいよ。いいテレビには違いない。(ジェスィーの肩を叩いて。)やったよ、これは。こいつは偉大なテレビだ。
 サー・スタンリー(その間、モニター・スクリーンから。)弁解は全くない。全くないが、やっとこさ言えるとすれば・・・女房とこの休暇がどうしても必要だったということだ。女房にはどうしても必要だった。・・・何が何でも必要だった。・・・その理由は・・・今日の夕刊に多分載っていると思うが・・・うちには猫がいる。・・・ジェイムズだ。そう、私達は猫が大好き。女房も私も・・・私達は犬も好きだ、勿論。・・・しかし、猫・・・猫こそ女房が、なしではいられない大切なものだ。・・・いや、私だってそうだ。うちには猫が何匹かいる。普通のうちにいる鼠と同じ数だ。今の猫、ジェイムズの母親・・・それがエリザベス三世だった・・・
 フランク やりすぎだ、これは。
 ジェスィー 違うわね。丁度これくらいでいいのよ。
 サー・スタンリー(その間に。)・・・それが、ひき殺されてしまった。・・・酷い事故だった。・・・可哀相に。少しは息があったが・・・いや、詳しく話すのは止めよう。このテレビを女房が見ているかもしれない。女房にはこの話は酷だ。・・・
 
 (テレビの部屋。レイディー・ジョンスンが画面を見ている。全く無表情。ペギー、それを奇妙な顔で眺めている。)
 レイディー・ジョンスン(呟く。)エリザベス三世・・・猫にはいい名前ね。覚えておかなくちゃ。
 サー・スタンリー(その間に。)とにかく、女房には休暇が必要だった。何が何でも必要だったんだ。しかし、そんなことは私のやったことの何の言い訳にもならない。言い訳にしようと思ってもいない。私は法律を破ったのだ。そして、その責任は取らねばならない。明日からは私はただのスタン・ジョンスン。・・・労働大臣ではない・・・いや、国会議員でもないかもしれない。もし私の選挙区が私を追い出せば。・・・選挙区は当然その権利を有している。・・・そう。すると私は、ただの「年寄りスタン」だ。あいつ、四年前にヘマをやって、今じゃ首さ。
 レイディー・ジョンスン(ペギーに。溜息をついて。)あの人、テレビの仕事をやればいいのよ。
 サー・スタンリー さて、これで私の話は終りのようだ。こんな風な終り方をするなんて、諸君、どうも申し訳ない。・・・それで、結論として・・・

(調整室。)
 フランク ジョー、あの演説が終ったら、すぐに最終キャプションだ。終了準備の練習もなし、デイヴィッドの来週の予告もなし。全く何もなしだ。分ったな。
(下の方で進行係が、振り返って、両手の親指を上げて、「全く異常事態だ」という合図をしているのが見える。)
 ジェスィー タイミングも何も、滅茶滅茶ね。とにかく、この番組全体、イカレちゃったわ。
 フランク 全部僕の責任だ。君の責任じゃない。
 サー・スタンリー(モニター・スクリーンから。その間に。)このように皆さんの期待を裏切るような行為をして、実に申し訳ない。今の時点で私に言えることは唯一つ。もし万一、将来において、この「年寄りスタン」を許して下さることがあれば、それが、どういう公共の仕事であろうと、「年寄りスタン」は喜んでその仕事につき、皆さんの手となり足となって働くでありましょう。またもし・・・いや、こちらの方が可能性は高い・・・もし皆さんが、この「年寄りスタン」をお許し下さらなければ、その時は私は、潔くこれを甘受し、もう二度と皆さんの前に姿を現すことは止めましょう。皆さんは二度と「年寄りスタン」のことを聞くことはないでしょう。勿論、「年寄りスタン」は、誰も非難などしない。ただ自分を非難するのみ。他には誰も。無論、かの厳しい追及者、デイヴィッド・マン氏を非難するなど、もっての外だ。さて、これでこの素晴らしい番組「ハートからハートへ」の放送は終りだ。お休み、紳士淑女諸君。
(サー・スタンリー、領収書の写しをデイヴィッドに返す。)
 フランク タイトルの時間はあるな。もし彼の選挙区が、奴を放り出せば、テレビで使えるぞ、あの人物は・・・
 ジェスィー(マイクに。)音、カット。タイトル。一番カメラ、いつものショット。キュー・・・プログラム。
(モニター・スクリーンに、声のない画面・・・サー・スタンリーとデイヴィッドが握手しているところ・・・が、写されている。)
 ジェスィー(フランクに。)彼の選挙区が、あの人を放り出す、ですって?
 フランク フン、ここはうまく切り抜けると思っているんだな?
 ジェスィー 職業を決める能力って、切り抜ける腕ね。何故あなたがプロデューサーで、私がただの下働き?
 フランク キュー・・・アナウンサー。じゃ、デイヴィッドはどうだ。
 ジェスィー そうね。・・・そっちの方がいい質問だわ。煙草を頂戴。(フランク、渡す。)あなた、残れる方に賭けるのね? 賭け金は対等?(フランク、肩を竦める。)今日のことは世界中の新聞の一面を飾るわ。ストックトンだって、とっておきの名文句でも吐くんじゃないの?「我々はテレビの歴史を築いたのだ」なんて。被追及者、クローズアップ。
 アナウンサー(最後の三行に重ねて。)御覧戴きましたのは「ハートからハートへ」の第六十回。ブリティッシュ・テレビの提供でした。今夜の「ハートからハートへ」。被追及者は労働大臣のサー・スタンリー・ジョンスン。追及者はいつものデイヴィッド・マンでした。今回がこのシリーズの最終回。次回からは新しいシリーズに入ります。追及者は再びデイヴィッド・マンです。
 サー・スタンリー あのカメラの奴、まだこっちを見ているのか?
 デイヴィッド ええ。写らなくなったら、合図します。
 サー・スタンリー おい、こっちを見て笑うのはまづい。今の全部が、二人で仕組んだ作り話に見えるじゃないか。
 デイヴィッド(微笑んで。)飼い猫のエリザベス三世が死んで、自分の連れ合いを慰めるために外貨為替法違反をやった人間を、私が仏頂面をして認めない。それをあからさまに視聴者に知らせた方がいいですかね? 今の猫チャールズの母猫が死んで。
 サー・スタンリー チャールズ! 糞っ! まあいい。あれの本当の名前を知っている奴なんか、そんなにはいないだろう。カメラはまだか?
 進行係 カメラ、終りです。・・・スタジオ。
 デイヴィッド ええ、終りです、サー・スタンリー。
 進行係(スタッフに。)お疲れさま。予定通りじゃなかったが、まあ、こっちの責任じゃないからな。
 サー・スタンリー やれやれ、終ったか!
(サー・スタンリー、立上り、伸びをする。)
 サー・スタンリー(愛想よく。)さてと。どっちの勝だ?
 デイヴィッド(疲れて。まだ坐ったまま。)勝ち?
 サー・スタンリー この戦いだよ。
 デイヴィッド 戦い?
 サー・スタンリー 君と私の、この戦いだ。
 デイヴィッド(ぼんやりした目で見上げる。今観客は彼がどんな緊張を耐えてきたのか、初めて見てとる。)ああ、あなたとの戦いですか。そちらの勝ちです。あっけない勝ちですよ。
 サー・スタンリー じゃ、他に戦いがあったというのか?
 デイヴィッド(立上る。少しふらつく。)ええ。あなたとのじゃありません。自分と自分との戦いです。(ヒステリックに。両手で顔を覆って。)多分私の勝ちだ。勝ったと思う。私と私との戦いなんですからね。どっちかは勝つに決っています。そして、勝つのは私なんだ。
 サー・スタンリー おい、気が変になったのか? そうだ、スライドにテープ、あれはあったのか?
 デイヴィッド 勿論ありません。
 サー・スタンリー ないだろうと思っていた。しかし、危ない橋は渡れないからな。そうだろう?
(フランクとジェスィー、近寄ってくる。デイヴィッド、やっと気を取り戻す。)
 デイヴィッド 視聴者からの電話、すごかったろう?
 ジェスィー(すぐにメモのノートを見て。)チェックしたわ。今までに二百八十四本。その二百八十四のうち・・・
 デイヴィッド うん。
 ジェスィー 二百七十二がサー・スタンリー、辞職反対。
 フランク 残りの十二のうち、五は、「あれは全部作り話だ」。
 サー・スタンリー(デイヴィッドに。少し怒って。)そらみろ。後でにっこり微笑んだりするから・・・
 フランク その残りのうち四は、「あの放送のテープはとってあるのか。明日の晩、もう一回見て、どう考えるべきか決めたい」と。
(間。)
 デイヴィッド あと三つ残っている。
 フランク うん。その三つが・・・サー・スタンリーは辞職すべきだ、と。
(調整官とペギー、近寄って来る。調整官は満面に笑み。誰か、階級の上の人物に褒められたばかりという表情。・・・また、実際そうなのだ。ペギーはあたりを見回しながら、落ち着いて、背景の中にいる。暫くすると調整官に促されて前面に出るが、その時まで、ただ立っている。)
 調整官(機嫌よく。)いやいやいや、ちょっと出入りがあったな。うん。
 フランク はい、すみませんでした。
 調整官 すみませんことはない。・・・我々はテレビの歴史を築いたんだ。(フランクとジェスィー、目配せする。調整官、サー・スタンリーの方を向く。)スタンリー、全く大丈夫だ。電話の結果を聞いたろう?
 サー・スタンリー うん。いや、実に有難い。
 調整官 その情報が、明日までに全国に流れるよう、私は色々手配しておいたよ。確かな筋から探りを入れた結果だが、例の人事権を握っている重要人物が、これほどはっきり出ている国民の総意を無視するとは思えないね。
 サー・スタンリー うん。まあ、民主主義では、長い時間をかければ国民の総意に従うというのがルールだがね。とにかく、私の辞表は今夜提出される。それは・・・
 調整官 うん、それは勿論だ。じゃ、とにかく一パイント行くとしよう。
 サー・スタンリー 一パイント? ビールはテレビ用だ。私の好みは分っているだろう? ダブル二杯分のブランデーだ。(レイディー・ジョンスンに。)ああ、お前、どうだった? 今日のは。
 レイディー・ジョンスン(長い間の後。)私、恥ずかしかったわ、あなた。ウエストのポケットが綻(ほころ)びてるの。今朝私、見つけていたんだけど・・・
 サー・スタンリー うん、そうか。(調整官に。)ブランデーが欲しいね。
 調整官 今すぐだ。(行きながら、振り返って。)ああ、デイヴィッド・・・
 デイヴィッド はい。
(間。)
 調整官 ペギーを連れて来たよ。(ペギーを前に出す。ペギー、微笑んでいる。)
 デイヴィッド ええ、分ってました。
(デイヴィッド、ペギーを見る。ペギー、相変らず微笑んでいる。)
 調整官 君にニュースがある。私が彼女に話しておいたんだが、多分、彼女の口からの方がいいだろう。
 デイヴィッド(ペギーを見ながら。)有難うございます、ミスター・ストックトン。お気遣いをどうも。
 調整官 うん。じゃあ、お休み。(フランクの方に行く。)いや、実に・・・いいショーだった、フランク。素晴らしい手際(てぎわ)だった。そう、そちらも・・・エー、ミスィズ・・・・ミスィズ・ウェストン。
(調整官、ステージの袖のカメラマン等に手を振る。カメラマン等は、無感動の態度。いつもの仕事をしているという風。)
 調整官 お休み、諸君。今夜のショーは素晴らしかった。実に立派だ。心から諸君に礼を言う。
(影の中から、曖昧な返事。)
 調整官 諸君には自覚がないだろうが、今日我々はテレビの歴史を築いたのだ。
(再び曖昧な返事。あまりに曖昧で、すぐにシーンとしてしまう。調整官去る。ペギー、前に進む。デイヴィッドの頬にキス。)
 ペギー ああ、デイヴィッド、デイヴィッド。私、ずっとはらはら、どきどき。もうこれ以上何も言わないわ。ほら、ここ、触ってみて。
(デイヴィッドの手を取り、自分の胸にあてる。)
 ジェスィー(急に。)フランク・・・私、今日車がないの。送って頂戴。
 デイヴィッド(まだペギー、デイヴィッドを離さない。そのままの姿勢で。)僕の家に来ればいい。
 ジェスィー(腕時計を見て。)駄目。うちの人が待ってるわ。
 デイヴィッド フランク?
 フランク 駄目だな。一杯やらなきゃならん。いや、十杯だな。
 デイヴィッド じゃ、ペギーを連れて帰ってくれないか。僕はジェスィーを乗っけて行く。
 ペギー(ジェスィーをちらと見る。・・・面白い、という目付き。)デイヴィッド、私、とてもいいニュースがあるの。ね? 調整官がさっき私に・・・
 デイヴィッド 家に帰ってからでも、それは遅くないよ。フランクと帰っていてくれ。
 ペギー(陰気に。)分ったわ。
(ペギー、再びデイヴィッドにキス。今回はさっきより少し「この人、私のものよ」という気分。)
 ペギー 素敵だったわ。私、あなたが自慢。(フランクと一緒に行きながら。)フランク、あなた、心臓麻痺を起しそうだったんじゃない? あの調整室の中で。あのモニター・テレビを見ている時の私の気持がどんなだったか、あなた分るでしょう?
 フランク ええ。ええ、勿論分りますよ。
(殆ど真っ暗になった人気のないスタジオに、デイヴィッドとジェスィー、二人だけが残っている。二人がゆっくりと出口に進む時、カメラは前夜この同じ場所を二人が通ったことを観客に思い出させるよう気をつける。)
 デイヴィッド つまり僕は失敗した訳だ。
 ジェスィー(「追及者」の口調で。)「失敗」という言葉で何を意味しているかによりますね、ミスター・マン。
 デイヴィッド(心から辛そうに。)止めてくれ。
(西部劇の舞台セットまで進む。デイヴィッド、同じ岩に坐る。(訳註 「同じ」とあるが、昨晩のところにはこの岩なし。作者が忘れたか。))
 デイヴィッド 僕は失敗は嫌いだ。
 ジェスィー 成功が嫌いなのと、どっちが嫌いかしら。(デイヴィッド、ジェスィーを見る。)あれは失敗じゃないわ。
 デイヴィッド 失敗だ、あれは。三対・・・いくつだったか・・・二百八十六。
 ジェスィー 百人中一人より少し多いわ。この国の選挙民、全員で何人?
 デイヴィッド(相変らず惨め。)君の方が詳しい。教えてくれ。
 ジェスィー 知らないわ。ただ私に分っていることは、今日の三人が、明日には三千人、次の日には三十万人、それからいざとなった時、三百万人になっているかもしれないっていうこと。
 デイヴィッド(ジェスィーを見上げて。)女って、いつも大袈裟に言う。それに、君のその計算、馬鹿げてるよ。
 ジェスィー そうね。でも、これだけは確か。正直者のサー・スタンリーはもうこれで首相にはなれない。これは女性の誇張じゃないわ。あなたの名前はイギリスの政治史に載るわ。脚註として。
 デイヴィッド 脚註? くだらない。脚註なんか、誰が問題にする。
 ジェスィー あなたよ。あなたが問題にするわ。(デイヴィッドを引っ張り起す。)さ、行きましょう。
 デイヴィッド(ジェスィーを抱擁して。)ジェスィー、僕は君に嘘をついたことはない。僕は君を愛しているんだ。君が必要なんだ。今夜のような時、僕一人じゃどうしようもないんだ。
 ジェスィー ちゃんとやったじゃない?
 デイヴィッド 僕一人じゃなかったからだ。
 ジェスィー まあね。(デイヴィッドの手を取って。)行きましょう。ラブシーンには相応しくないわ、このセット。
 デイヴィッド ラブシーンって、誰が言った。
 ジェスィー(二人、出口に進みながら。)あなたよ。愛してるって言ったわ。西部ではね、(セットを指さす。)それを言ったら、本気っていうこと。
(デイヴィッド、ジェスィーにキスしようとする。再びジェスィー、デイヴィッドを押し退ける。)
 ジェスィー 駄目よ。もうセットから出ているんだから。
(二人、扉のところまで黙って進む。)
 デイヴィッド 僕はね、ジェスィー、もう少しであの鼠野郎の化けの皮をヒン剥いてやるところだったんだ。信じてくれるね? 連中は、僕を番組から干して、首にしてしまうかもしれない。でもやろうと思っていたんだ。仕事も、アパートも、ベントリーも、ペギーも、みんな捨ててね。・・・やろうとしたんだ。それは信じてくれるね?
(ジェスィー、じっとデイヴィッドを見る。長い間。)
 ジェスィー(優しく。やっと。)「ペギー」という言葉はリストの最後に出て来たわね。
 従業員の一人(デイヴィッドに近寄る。)デイヴ・・・失礼します、ミスィズ・ウェストン・・・妹があなたの大ファンなんです。すみません、サインをお願い出来ますか?
(デイヴィッド、サインをする。ジェスィー、先に進む。追いついて。)
 デイヴィッド 君、それは信じてくれるね?
 ジェスィー 信じているわ。そうでなきゃ、愛していっこないでしょう? あなたのことを。
(デイヴィッド、じっとジェスィーを見る。ジェスィーの目の表情、鋭い。デイヴィッド、ジェスィーを掴んでいた手を緩める。)
 ジェスィー お休み、デイヴィッド。
 デイヴィッド 送って行くよ。
 ジェスィー いいえ、私、バスにする。
 デイヴィッド 送らせてくれ。
 ジェスィー 駄目。
 デイヴィッド 僕はそんなつもりじゃ・・・
 ジェスィー(今度は非常に静かに。微笑んで。)ええ、そんなつもりじゃないって、よく分ってるわ。
(間。)
 デイヴィッド(静かに。)糞っ! 何てことになってるんだ! こんな具合じゃなきゃ、素晴らしい筈なのに。(少し間。挑むように。)分ったよ。「素晴らしい筈」という言葉で、何を意味しているかによりますね、か。
 ジェスィー いいえ。「こんな具合じゃなきゃ」という言葉で、何を意味しているかによるのよ。家にお帰りなさい、デイヴィッド。
(間。)
 デイヴィッド 三対二百八十四か。
 ジェスィー そう。
 デイヴィッド その三人に会ってみたいな。
 ジェスィー 家に帰って、その三人の夢でも見るのね。
 デイヴィッド きっと面白い連中なんだ。
 ジェスィー ええ、私も家に帰って、その三人を面白がらせた人のことを夢に見るわ。
 デイヴィッド お休み、ミスィズ・ウェストン。
 ジェスィー お休みなさい、ミスター・マン。
(カメラ、ジェスィーの背後から撮る。その肩ごしにデイヴィッドが自分の車に乗り込むのが見える。車、出発する。道の片側に「未来の夢」とある立て札。その傍を車が通って行く。)
(照明、暗くなる。ジェスィー、その立て札の方向に歩いて行く。)
                      (終)

   平成十四年(二00二年)五月二十七日 訳了

http://www.aozora.gr.jp 「能美」の項  又は、
http://www.01.246.ne.jp/~tnoumi/noumi1/default.html


"Heart to Heart" was first broadcast on December 6th, 1962, in the B.B.C. Television service with the following cast:

David Mann ... Kenneth More
Sir Stanley Johnson ... Ralph Richardson
Jessie Weston ... Wendy Craig
Peggy Mann ... Jean Marsh
Miss Knott ... Angela Baddeley
Frank Godsell ... Peter Sallis
Controller ... Jack Gwillim
Lady Johnson ... Megs Jenkins
Sir John Dawson-Brown, Q.C. ... Derek Francis
Cyril Browne ... Martin Wyldeck
Floor Manager ... John Matthews
Announcer ... Bill Cartwright
Electrician ... Roy Wilson
T.O.M ... Stephen Hancock
Vision Mixer ... Patrick Parnell
Prop Boy ... Henry Green
William ... John Rae
Chauffeur ... Stan Hollingsworth
Parliamentary Private Secretary ... Alan Howard
Waitress ... Jean Alexander
Film Editor ... Trader Faulkner
Toastmaster ... Harold H. Dean
Tuc Official ... George Betton
Announcer ... Anthea Wyndham
Second Engineer ... Peter Layton
Photographer ... Vincent Harding
Wardrobe Assistant ... Susan Armstrong

Produced by Alvin Rakoff
Designed by Barry Learoyd

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Agent-Japan: Martyn Naylor, Naylor Hara International KK 6-7-301
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These are literal translations and are not for performance. Any application for performances of any Rattigan play in the Japanese language should be made to Naylor Hara International KK at the above address.