不思議でない奇跡

        エフゲーニイ シュヴァルツ 作
         能 美 武 功 訳
      城 田 俊  監修
   登場人物
主人
   女主人
   熊
   王
   王女
   庶務大臣
   総理大臣
   女官
   オリンチア
   アマンダ
   居酒屋の主人
   猟師
   その弟子
   死刑執行人
   
        序 詞
(幕の前に男登場。男、静かに、ゆっくり観客に話しかける。)
 不思議でない奇跡ーーなんて奇妙な名前でしょう。もし奇跡なら、不思議な筈です。そして、もし不思議でないなら、奇跡ではない筈です。
 これは愛についての話なのです。若者と娘が愛し合います。別に不思議はありません。喧嘩をします。これもよくあること。愛の為にほとんど死にかけます。そしてとうとう二人の感情は頂点に達し、本当の奇跡を生むに到ります。これが驚くべきことであると同時に、また、不思議ではない事なのです。
 愛について人々は語り、歌います。しかし私達はこれをおとぎ話にしてみました。おとぎ話ですと、当たり前の物の隣に不思議なものを自然に並べることが出来ます。そしてそれをおとぎ話だと思って見ますと、容易に理解出来るのです。丁度子供の時の様に。隠された意味など捜そうとされたら困ります。おとぎ話は決して人が考える事を隠そうとし、語られるのでは有りません。逆にそれを人の目にはっきり見せるためにあるのです。
 このお芝居の登場人物の中には、最も普通の人に近いひと、ああ、こんな人いるいると、すぐ思い当たる人、が、います。例えば王様。皆さんはこの王様の中に巣くっているものが何か、すぐ見抜かれるでしょう。普通の家庭の、横暴な主(あるじ)、病弱でわがままな人、自分で無法な事をしていながら、きまりだとか原則だとか言って、それを正当化する男、心臓病、神経衰弱、(果ては)遺伝、のせいにする人。このおとぎ話ではこういう人を王様にしました。その性格の特徴が、ぎりぎりのところまでだせるからです。その他、狡い食料品調達係の庶務大臣、狩りの名人、など。普通人の登場人物です。
 でもこの話の主人公はもっと奇跡に近い人物たち、日常生活の染みのついていない人達です。 例えば魔法使い、その妻、王女、そして熊。
 こんなに異質な登場人物が活躍出来る共通の場なんてあるでしょうか。あります。普通の生活の場です。話の発端も簡単です。ある魔法使いが結婚します。落ち着きがでます。家政に専念します。しかし、いくらうまく魔法使いを飼いならしたところで、根が魔法使い、魔法を使わないではいられない。動物に変身の悪戯をしてしまう。そこから大事件。始めにお話しした、若い二人の愛の話に関わることになり、話はもつれにもつれ、最後になって急にほぐれます。奇跡にはすっかり慣れっこになっている魔法使いさえ、この結末には驚いて、あっと言うのです。
 愛し合う二人。悲しみの中で幕が閉じるのか、めでたし、めでたしで終わるのか、お終いまでごゆるりとご覧下さいますよう。  (退場)

     
     第 一 幕
(カルパチア山脈の中にある屋敷。大きな部屋。目を見張る様な、清潔さ。炉にはピカピカ光る銅製の湯沸かしが掛かっている。髭を生やした背丈の大きな、肩幅のある男が部屋を掃除しながら大声で独り言を言っている。この家の主人である。)
 主人 いや、たいしたもんだ、立派なもんだ。働いて、働いて、一家の主として誰にも後ろ指など指されないぞ。誰が見ても褒めて呉れる筈だ。ほーら、此処には魔法の匂いのするものなんか何一つない。野蛮な獣みたいに歌ったり、踊ったり、でんぐり返ったりもしない。ちゃんとしたお屋敷の主は、野牛みたいに吼えてもいけないんだ。 清く、正しく、美しく・・・あっ! (耳をすませる。手で顔を覆う。)あ、妻だ。 あの足音・・・結婚してからもう十五年も経つと言うのに、私はまだ妻に惚れている。子供みたいに。いや本当。ああ、来るぞ、来るぞ。(はにかむように、ヒヒヒと笑う。)馬鹿なこと。こんなに胸がドキドキ、痛いくらいに。今日は、奥様。(女主人登場。まだ若い。非常に魅力的な婦人。)今日は、奥様。今日は! 長い間お会いしていませんね。たった一時間しか経っていないのに、一年も会っていないみたいに嬉しい。それほどお慕い申しているのです、この私は。(驚く。)あれ? どうしたんだい? 誰が怒らせたんだ?
 女主人 貴方です。
 主人 まさか・・・ああ、私が悪いのか! かわいそうな奥様。そんな悲しそうな顔をして。首を振って・・・困った事。このいけない私が、一体何をしたんでしょう?
 女主人 自分で考えてご覧なさい。
 主人 どこからどう、何を考えていいのやら・・・そう苦しめないで教えて呉れないかな。ハラハラしちゃうよ。
 女主人 今朝、鶏小屋で何をしました。
 主人(大声で笑う。) 愛しているからこそ、やったんだがな。
 女主人 愛、なんて愛なんでしょう。鶏小屋を開けてみたでしょう? そうしたらどうでしょう。雛が皆、四本足。
 主人 別に悪い事じゃ無いだろう。
 女主人 親鶏には髭、兵隊さんみたいな。
 主人 は、は、は。
 女主人 性格を直すと、約束なさったのは何方? 普通の人と同じ様に生きると約束なさったのは何方?
 主人  ああ君、嘆きたまう事なかれ。ああ君、怒りたまう事なかれ。ああ君、我を許したまえ。しようがないや。だって、僕は魔法使いなんだからなあ。やっぱり。
 女主人 それがどうしたっていうんですか。
 主人 時は春。日は朝。朝は七時。あげひばり名乗りいで・・・心は弾んで、体を持て余しちゃうんだ。それでつい悪戯を・・・
 女主人 だったらもう少し役に立つ悪戯をして欲しいわね。家計の足しになる様な。小道の補修の為に砂を運んで来てあるでしょう。あれをお砂糖に変えるとか・・・
 主人 それじゃあ、悪戯にならないよ。
 女主人 納屋の傍に積まれてあるあの石をゴータチーズに変えるとか。
 主人 可笑しくないからねえ。
 女主人 どうしたらいいんでしょうね。私がこんなに努力しているのに貴方ってあい変わらず野蛮な猟師、山の魔法使い、無分別な髭男なのね。
 主人 僕だって、一生懸命やっているんだよ。
 女主人  そう。ちゃーんとうまくやってるの、普通の人とおーんなじに。そしていきなり、ドーンと。雷、稲妻、奇跡、変身、おとぎ話、伝説、それをガーンと・・・かわいそうな人・・・ (彼にキスする。)さあ、行ってらっしゃい。
 主人 どこへ。
 女主人 鶏小屋。
 主人 何しに。
 女主人 悪戯を元に戻すの。
 主人 出来ないな。
 女主人 どうぞ、さあ。
 主人  無理だよ。君だって知ってるだろう。世の中ではどうなっているか。時々は悪戯も元に戻せるよ。だけど一旦パチンと(指を弾く。)やってしまって、もう終わりって言うのもあるんだ。あの雛の連中なんだけどね、僕は魔法の杖で打って、ぐるぐるっと空に舞上げ、稲妻を七回掛けちまったんだよ。もう無理だな。つ、ま、り、もうこれは逆戻りなしっていうこと。
 女主人 本当にしようがないわね。親鶏の髭は私が毎日剃る事にするわ。そうでもしないと見ていられないわ。さ、今度はもっと大事な事。貴方誰を待ってらっしゃるの。
 主人 誰も。
 女主人 私の目をじっと見て。
 主人 見てるよ。
 女主人 さあ、何が始まるの。話して頂戴。どんなお客様がいらっしゃるの。人なの?それとも幽霊? 貴方とさいころの勝負に? いいからおっしゃい。あの若い修道女の幽霊だったら、わたし嬉しいくらいだわ。だってこの間約束してくれたんですもの。三百年前に流行していた袖の広いジャケットの型紙を、あの世から取ってきて呉れるって。あの型がまた流行してきたの。あの人が来るの?
 主人 いや。
 女主人 残念だわ。 じゃ、誰も来ないのね? そう? まさか私に何か隠せるとでも思っては居ないでしょうね。それはむり。自分の考えをご自分に隠して置く方が楽な位よ。そーら、耳が赤くなった。ほーら、目から秘密がこぼれ落ちて・・・
 主人 まさか。どこに。
 女主人 ほらほら、あそこに。あんなに光ってる。もう怒らないから、おっしゃい。さあ、そら。
 主人 分かった。来る、来るよ、客が。今日。許して呉れないかなあ。これでも努力しているんだ。めったに外にも出ない様にしているし・・・でもどうもこの・・・魔法の心って奴がね・・・これが僕を呼ぶもんだからつい・・・あ、怒らないで。
 女主人 どんな人に嫁いだかは知っていたつもりだったけど。
 主人 来る、来るんだ、客が。今すぐにでもだ。
 女主人 ほら、ほら。襟をちゃんとして。袖も伸ばして・・・
 主人 (大声で笑う。)そーら、来た、来た。来たぞ。
(蹄の音が響く。)
 主人 とうとうやって来た。
 女主人 誰なの?
 主人 若者さ。これで大事件が勃発するんだ。面白いぞ。楽しみだな。
 女主人 若者って言うけど、言葉通りの若者?
 主人 そう。
 女主人 良かったわ。丁度コーヒーを沸かして居た所。
(扉にノックの音。)
 主人 どうぞ。随分待ったよ。よく来て呉れたね。
(若者登場。スマートな服装。控え目。率直。物静か。黙って二人にお辞儀をする。)
 主人(主人、肩を抱いて。)いや、よく来て呉れた、よく来て呉れた。
 女主人 どうぞ、テーブルについて。コーヒーを一杯召し上がれ。お名前はなんて言うの?
 若者 熊です。
 女主人 なんておっしゃって?
 若者 熊です。
 女主人 似て居ないあだ名だわ。
 若者 あだ名じゃないんです。僕、本当に熊なんです。
 女主人 まさか・・・でもどうして? みごなしは上手だし、話し方は優しいし・・・
 若者 七年前、人間に変えられたんです。ええ、御主人様にです。全く素晴らしい出来ばえ。御主人様は偉大な魔法使いです。黄金の腕です。本当に。
 主人 有り難う、君!
 女主人 今の話、本当?
 主人 昔の事だよ、お前。七年も前の事さ。
 女主人 何故その時すぐに話して下さらなかったの。
 主人 忘れちまったんだ。ほんとに、ふっと忘れちゃったんだ。しようがないだろ。森を歩いていたんだ。ね、見ると熊がいた。まだ少年の熊だった。額が広くて、目が賢そうでね。話をしたんだ。一言一言、みんな気にいった。で、くるみの枝を折って魔法の杖を拵え、一、二、三、とやると、此の若者。いや、怒られる事はないと思うけど。全く分からないよ、怒る気持ちが。天気は良かったし、空は青かったし。
 女主人 お黙りなさい、怒るわよ。自分の気晴らしの為に動物を苛(いじ)めるなんて。象にはモスリンのスカートを穿かせてダンスをさせたり、鶯は鳥籠に入れて仕舞ったり、虎にブランコの揺らし方を教えたり。貴方、辛い?
 熊 ええ、奥様。実際、本当の人間になるっていうのは難しいです。大変。
 女主人 かわいそうな子。(夫に。)貴方何を大口開けて笑ってらっしゃるの。酷い人ね。
 主人 いやー、嬉しい。我が労作に見ほれているんだ。彫刻家は死物の石から彫像を彫って上手くできるとどんなもんだと言う顔をする。それなら、生き物で作れば、もっと生き生きするだろう。これがその作品さ。
 女主人 これのどこが作品ですか。悪戯以外の何物でもないわ。ああ、御免なさいね。(ここからТЫ)この人貴方の事を予め話して置いて呉れなかったものだから、コーヒーの中にお砂糖を入れちゃったわ。
 熊  どうも有り難うございます、奥様。でも、何故御免なさいなんですか。
 女主人 蜂蜜の方が良かったんじゃないかと思って。
 熊 とんでもない。見るのも嫌です。熊の頃を思い出しちゃうんです。
 女主人 すぐ、今すぐこの人を熊に戻して上げなさい。もし私に愛情があるのなら。この人を自由にして上げなさい!
 主人 そう慌てないで。落ち着いて。そのうちちゃんとなるんだから。この子が此処へ来たのもその為なんだ。つまりまた熊になる為なんだよ。
 女主人 そう、それならいいけど。じゃ、貴方、今此処で変えるのね。私、隣の部屋に行ってるわ。
 熊 お急ぎにならないで下さい、奥様。残念ながらそんなにすぐにとは行かないのです。私が再び熊に戻れるのは、何処かの王女様が私を愛しキスをする。その時に始めて、なのです。
 女主人 エエッ? 何ですって? もう一度。
 熊 何処かの王女様が此処へ来て、私を愛し、キスをする。すると私はたちまち熊に変わり、生まれた時の熊の毛皮を着て、生まれたあの山へと立ち去る、と言う筋書きです。
 女主人 まあ、なんて悲しいこと。
 主人 いやまいるね。またお気に召さない。どうして。
 女主人 その王女様のこと、考えて上げないの?
 主人 考えてるよ。恋するという事はいい事なんだよ。
 女主人 恋に落ちた娘が若者にキスをする、途端に野蛮な獣に変身。なんてかわいそう。
 主人 それが浮世の習いだろ。
 女主人 その後、男は森へ逃げて行くなんて。
 主人 それも浮世でよくあること。
 女主人 じゃ、貴方、愛して呉れる女の子をその儘捨てて仕舞うのね。
 熊 僕が熊なのを知って、百年の恋も覚めるという訳です。
 女主人 子供のくせに。貴方恋について何を知って居るっていうの! (夫を脇に寄せて、小声で。)あの子を脅かしたくはないけど、でもこれは危険、危険だわ、貴方のもくろんだこと。地震を利用して、牛乳を攪拌、バターを作ったり、雷で釘を打ったり、台風を起こして、町から家具だとか、食器、鏡、螺鈿のボタンなどを取ってきたり、こんな事にはもう慣れて仕舞ったわ。でも、今度は私、心配。
 主人 どうして。
 女主人 台風、地震、雷・・・こんなものはどうでもいいの。でも今度のは人間が相手なのよ。それも若い。その上、愛し合って居る二人が相手。予感がするわ。きっと、きっと、思いも掛けない事が起こるわ。
 主人 だけど何が起こるっていうんだい。王女が好きにならないかも知れないって? 馬鹿な。見てご覧。凄くいい男じゃないか。
 女主人 でも、もし・・・
(ラッパが鳴る。)
 主人 ここで議論するには遅すぎたね、奥様。もう手筈は整えて仕舞ったんだよ。今、街道を通っている王様に、急にこの屋敷に来たくなる様に仕向けたんだ。
(ラッパが鳴る。)
 主人 ほーら、やって来るぞ。おつきの者達と一緒だ。お歴々の大臣に一人娘の王女も。(熊に。)君、ちょっとあっちに行ってて。我々夫婦で出迎えるとしよう。必要になった時呼ぶ。
(熊、走り退場。)
 女主人 王様が此処へ。貴方恥ずかしくないの?
 主人 ちっとも。僕は王様ってやつは嫌いなんだよ。はっきり言うと。
 女主人 そんな事言って。お客様ですよ。
 主人 あんなやつ、構わんさ。おつきの者の中に死刑執行人がいるんだぜ。それに荷物の中にはギロチンも。
 女主人 ただの噂じゃないの?
 主人 すぐ分かるさ。今此処に不作法で乱暴な男が入って来てね、騒いだり、命令したり、わがままを言ったりするのさ。
 女主人 でも若し違ったら? 恥ずかしくて穴にはいらなくっちゃならなくなるわよ。
 主人 今に分かるよ。
(扉にノックの音。)
 主人 どうぞ。
(王、登場。)
 王 今日は、諸君。私は王様。今日は!
 主人 今日は、陛下。
 王 何故か分からないのですが、この屋敷がひどく気に入りました。街道を進んで居たのですが、こっちの山の方に曲がり、お屋敷までどうしても登って来たくなって。二三日、客として滞まる事をお許し下さい。
 主人 あらららら・・・こいつはちと変だぞ。
 王 どうかなさいましたか。
 主人 いえ。想像していた王様と全く違うので。物腰が柔らかくって礼儀正しいとは・・・でもこれはどうでもいい事。こっちの話で。お客様は何時でも大歓迎。
 王 しかし煩い客でして、これが。
 主人 そんな事はどうでもいいんだ、細工はりゅうりゅう、仕上げがなるか、それが問題。(これは傍白。ーー訳注。)どうぞお座り下さい。
 王 あなたは素敵な方ですな、ご主人。(座る。)
 主人 狸親父め。
 王 で、何故私達が煩い客か、ご説明しましょう。いいですか。
 主人 どうぞ、どうぞ。
 王 私は恐ろしい人間です。
 主人 (喜ぶ。)ほう。
 王 ほんとに恐ろしい。暴君なんです。
 主人 わっはっはっは。
 王 専制君主。いや、それだけじゃない。狡猾で、執念深くて、おまけに気まぐれと来ているんです。
 主人 ほら見てご覧。言ってた通りだろ?
 王 此の話で一番けしからんのは、これが私のせいじゃないっていう事なんです。
 主人 ほほう。誰のせいですかな。
 王 祖先の。ひいじいさん、ひいばあさん。大叔父さん、大叔母さん、父方の先祖、母方の先祖。この連中がまるで豚の様な人生を送りました。それで因果応報、親の祟りというやつで。連中は全くのダニ、ウジムシ。いや、本当です。どうも表現がきつくなって失礼。私は生来好人物で頭も良い。音楽は好きだし、釣り、猫も好き。それなのに、泣きたくなる様な悪いことを、突然やって仕舞う。
 主人 どうしても自分が抑えられない?
 王 そう。私は家の宝も受け継げば、家の下劣な血も引き継いで居るのです。(嬉しそうな顔ですな。)ご満足ですかな? この話。悪事を行う。皆は陰口。しかし誰も本当は原因の方が悪いんだっていう事を分かろうとしないんです。それがつまり叔母のせいだって事を分かっちゃ呉れないんです。
 主人 こりゃいいや。(笑う。)笑いが止まらない。(笑う。)
 王 陽気な人ですね。貴方も。
 主人 傑作、大傑作です。王様。
 王 それはいい。(肩に掛けている袋から、胴太の編み物でくるまれた瓶を取り出す。)奥さん、グラスを三つ。
 女主人 どうぞ。さあ。
 王 高価な、三百年寝かした王家のワインだ。いやいや、遠慮は無用。我々の出会いを祝って、乾杯しましょう。(ワインを注ぎ分ける。)色。この色を見て下さい。服もこの色で作ったら・・・羨ましがるぞ、他の王様連中。さあ、我々の出会いを祝って、乾杯!
 主人 飲んではいけない。(妻を止める。)
 王 それはどういう意味ですか。
 主人 文字通り、飲むなという。
 王 顔を潰そうというんですな。
 主人 そういう訳ではないんだが。
 王 侮辱するのか、客を。(刀を掴む。)
 主人 落ち着いて、落ち着いて。余所様(よそさま)にお邪魔している身ですよ。
 王 私に説教をするつもりか! 瞬きをする間に、お前なぞこの世に居なくなるぞ。此処が余所の家だろうと俺の知った事か。役所が死亡証明を作り、私が悔やみを述べる。そしてお前は永遠に冷たい土の中に横たわる。余所だろうと何だろうと(構わん。)厚かましい奴め。まだ笑っている。飲め。
 主人 駄目。
 王 何故だ。
 主人 何故ならこれには毒が入って居まして、王様。
 王 なーんだって?
 主人 毒、毒薬ですよ。
 王 毒? 酷いことを思い付く男だ。
 主人 さ、先に飲んで下さい。そら、そら。(笑う。)ほら、こんなもの。(杯を三つとも暖炉に捨てる。)
 王 勿体ない。飲みたくないなら、壜に戻すのに。旅では必需品なのだ。外国じゃあ、毒は手に入り難いからな。
 女主人 なんて破廉恥な。
 王 しかし私のせいではない。
 女主人 じゃ、誰のせいです。
 王 叔父のせいだ。叔父はお喋りで、自分の事をさんざん自慢しては自己嫌悪に陥る。其だけ神経が細かい、繊細な傷つき易い性格だった。だからもうこれ以上苦しみたくない。急に相手に毒を盛って仕舞う。
 主人 酷い奴だ。
 王 これが本当の犬畜生。因果を残して呉れた訳だ。あの悪党は。
 主人 するとこの叔父さんが悪い?
 王 そう。叔父だ。叔父、叔父。笑う事はない。私は読書人だ。良心もある。他の奴等だったら、自分の卑劣さを、友人の、上司の、隣人の、妻のせいにするだろう。私は違う。私は、先祖のせいにする。あの世の人のせいにする。連中には迷惑は掛からないし、私も一寸は気が楽だ。
 主人 しかし・・・
 王 黙れ! 言いたいことは分かっている。自分の悪行、愚行を近しい人のせいにせず、自分で責任を取れ。こう言いたいんだろうが、しかしこれは人間の手には余る。私は天才ではない。そこらに幾らでも転がっているただの王様だ。さあ、もうこんな話はやめだ。もうすっかり分かって仕舞った。私には諸君の事が。諸君には私の事が。ぶったり、気取ったりはもう不要。そんな顰めっ面をする事はない。有り難い事に、ピンピンしている。生き残っている。何も問題はなしだ。
 女主人 一寸(ちょっと)教えて下さい、王様。王女様も同じ遺伝で・・・?
 王 (非常に柔らかく。)ああ、違う。とんでもない。あの子は全く違っています。
 女主人 かわいそう。
 王 そう。私のあの子はいい子ですよ。素晴らしい子です、あれは悪い事は出来ません。
 女主人 お母上は御健在?
 王 死にました。あれがうまれて七分後に。だからと言ってあの子の気持ちを傷つけん様にして下されよ。
 女主人 そんな。(当たり前でしょう。)
 王 ああ、娘を眺めて居る時、娘の事を考えて居る時、私は、王様は廃業です。ねえ、お二人さん。私が自分の娘しか可愛くないのは、何という幸せでしょう。 もし誰か他の奴を、これだけ可愛がって居たとしたら、私はそいつに顎で使われていますよ。 そうなりゃ、この私はご崩御、今頃はとっくにお棺の中・・・全く・・・
 主人(ポケットから林檎を取り出す。)林檎をどうぞ。
 王 有り難う。今はいりません。
 主人 美味いですよ。毒は入っていませんし。
 王 知っています。実はその・・・お話ししたい事があって。私の心配事、悲しみについて。一旦話したいとなるともう駄目。とても我慢できない。話しても宜しいかな?
 主人 そんな事、態々訊くまでも有りませんよ。さあお前、座って。もっと居心地よくして。火の傍へ来て。私は此処に座ろう。これでいいですかな。水をお持ちしましょうか。窓は閉めた方が?
 王 いやいや、お構いなく。
 主人 さあ聞きますよ、陛下。どうぞ、お話し下さい。
 王 有り難う。ところで私の国がどこにあるのか、御存知でしょうか。
 主人 知っています。
 王 まさか。じゃ、何処に。
 主人 遠い、遠い、所。
 王 そう。その通り。そんなに遠くからはるばる何故やって来たか、今お話ししますが、あの子が原因なのです。
 主人 王女が?
 王 左様、あの子です。実はあの子がまだ五歳にもならない内に、あれが全く王の娘らしくない事に気付いたのです。最初私はぎくりとしました。とうとう亡くなった妃の操を疑う気さえ起こしました。で、調べました。あれこれ訊ね回りましたなあ。途中で止めました。(やっぱりそうだったのです。)いや、驚きました。それ以前に娘の事を好きになっていて本当によかった。その後は、あの子が王家に似つかわしくない、その事さえ気にいる様になりました。子供部屋に入ります。すると、言うのも恥ずかしいですが、私が、この、いい人間になるんですな。へへへへへへ。王の位なんてもうどうだっていいって・・・ここだけの話しですよ、お二方。
 主人 勿論、勿論ですとも。
 王 終いには少し変になる位まで。例えば、誰かの死刑の判決に署名しています。すると急に笑いが込み上げてくる。あの子のおどけた仕種とかちょっとした言葉を思い出しては、です。お笑いでしょう、全く?
 主人 いいえ、全然。
 王 こういった具合に我々は暮らしてきました。あの子も物心が付き、段々一人前になってきました。本当の優しい父親だったら、私の立場でどうしたらよいのでしょう。娘に少しずつこの浮世の厭な事、残酷さ、狡さ、そういった物を教えたでしょう。この私、恐ろしい利己主義者は、娘の傍で心安らかに過ごすのに慣れ親しみ過ぎたんですな。あの子を駄目にしそうだと思われる全ての物を、あの子から引き離したのです。悪い事ですね。そうでしょう?
 主人 違います。とんでもない。
 王 悪い事、そう、悪い事です。国中から錚々たる人物ばかりを宮殿に集めて、娘のお守りをさせたのです。宮殿のなかは、それこそ私自身でも気味悪くなる様な社会です。お城での暮らしぶりがどんなものか、多分御承知でしょう?
 主人 ウッ。反吐が出る様な厭な所です。(その動作をする。)
 王 そう、その通り。互いにやっつけ合い、血の繋がった兄弟を斬り殺し、姉妹の首を締め、一言で言えば、在り来たりの平々凡々の生活です。ところが一歩王女の部屋に入るや、音楽です、素晴らしい人物についての会話です、詩の話です。壁で隔離された永遠の休日です。ところがその壁が全くつまらない事でガラガラと崩れ落ちたのです。今でも覚えています。あれは土曜日の事でした。私は座って大臣達同士の密告を一枚一枚調べていました。 娘は傍に座って私の誕生日の為に襟巻に刺繍をして呉れていました。静かで、穏やかな雰囲気、小鳥が囀っていました。突然、式部官が入って来て告げました。叔母の公爵婦人がやってきたのです。私はあの叔母には我慢がならない。キンキン声の厭な女です。侍従に言いました。「居ないと言え。」よくある話ですね。
 主人 よくある話です。
 王 貴方とか私にはよくある話ですむのです。普通の人間ですから。でも娘は、まるで温室で育った様なあのかわいそうな娘は、これを聞いて気を失ったのです。
 主人 えっ?
 王  本当なんです。パパが、あの子のパパが嘘をつくなんて、ひどく驚いた。お分りでしょう。がっかりして、塞ぎ込んで、悩み始めました。で、私は困って仕舞いました。すると突然母方の血が私の体の中で目を覚ましたんです。この祖父は駄々っ子でした。苦しむのがシンから厭だったので、どんな小さな不幸ででも、すぐ気を失う。物を計画しても実行したためしがない。何時もその内なんとかなると思っている。目の前で、自分の最愛の妻が、締め殺された時だって、傍で只つっ立って「我慢して。今に楽になるからね。」と、言い聞かせるだけ。葬式で棺が運ばれて行くその後から口笛を吹きながらついて行く。そしてバッタリ倒れて死んでしまった。たいした祖父でしょう。
 主人 たいしたもんです。
 王 祖父の血がいい時に目を覚ましてくれました。お判りでしょう。どんな悲劇が起こり始めたか。あの子は城をフラフラ歩き回り、ぼんやり眺めたり、聞いたり、物思いに沈んでいました。私ときたらただ手をつかねて、口笛を吹くだけ。知られたら今度は気絶どころか死んでしまう様な事があるのに、あの子の前でなすすべもなく笑みを浮かべるだけなのです。しかし或る晩私は突然目を覚ましました。飛び起きました。馬車に馬を付けるよう命じ、夜明けには私達はもう大通りを疾走していました。わが愛する国民の恭しい挨拶に親しく応えながら。
 女主人 あらあら、なんて悲しいんでしょう。
 王 隣の国で道草など食いませんでした。お隣は或ること無いこと流す、大の金棒引きだと言うことは誰でも知っていますから。とにかく先へ先へと急ぎました。そしてこのカルパチア山脈に辿り着いたのです。ここでは誰も私達の事は知りません。空気はきれい、山の香りがします。どうぞ、客として暫くおいて下さい。その内私もここにお城を作りますから、その時まで。あらゆる設備の整った、庭つき、牢獄つき、運動場つきの・・・
 女主人 残念ですけど・・・
 主人 (妻に、そっと。)いいじゃないか。頼むよ。お願いだ。こんなにうまく(予定通り)行っているじゃないか。これだけ、今度だけ・・・(王に。)さあ、行きましょう、陛下。部屋に御案内いたします。
 王 有り難い。
 主人(王の後に従い。)どうぞ、こちらの方から、陛下。お気をつけて、一段高くなっていますよ。はい、そう。(妻の方を向いて、囁く。)一日でいいんだ。今日だけ楽しませてくれよ。恋する事はいい事なんだから。死ぬようなことはないんだから。本当だよ!(走り、退場。)
 女主人 悪い人。楽しませてくれですって。あんなやさしい女の子だったら耐えられる訳がないじゃないの。どうなるかしら。自分の目の前で立派な若者が、けむくじゃらの熊にかわったら、すれっからしの女だってぞっとするはずよ。これは許せないわ。かわいそうだけど、あの熊にはもう少し待って貰うよう頼もう。別の王女にしなさいって。もっと性質(たち)の悪い王女のときにって。あ、あそこにあの子の馬が鞍をつけたまま休んで、おなかもいっぱいの様子だわ。さっと乗って山を越え、暫くして帰ってくればいいのよ。(呼ぶ。)ぼうや、ぼうや。何処にいるの。(退場。)(舞台裏から引き続き彼女の声がする。「何処なの、ぼうや。」。熊、走り登場。)
 熊 ここです。
 女主人(舞台裏で。)こっちに。庭に出てきて。
 熊 すぐ行きます。(扉を開ける。扉の後ろに娘が手に花束をもって立っている。)ごめんなさい、つき飛ばしたんじゃないかな、僕。君は素敵だなあ。
(娘、花を落とす。熊、それを拾い上げる。)
 熊 君、どうしたの? 驚かしちゃった?
 娘 いいえ。ただ一寸ボーッとなって。だって、今迄に一度だって私、「素敵だ。」なんて言われた事ないんですもの。
 熊 気を悪くさせるつもりはなかったのです。
 娘 気を悪くだなんて。そんな事ないわ。
 熊 やれやれ、僕の悪い癖だ。いつも本当の事を言っちゃうんだから。素敵な女の人に逢うとすぐその人にそう言っちゃうんだ。
 女主人の声 坊や、坊や、何処なの?
 娘 貴方の事を呼んでるの? あれ。
 熊 うん。
 娘 貴方、この家の子供?
 熊 いや、孤児なんだ。
 娘 あら、私もよ。父は生きているけど、母は私が生まれて七分もしないうちに亡くなったの。
 熊 でも君には沢山友達がいるんだろう?
 娘 どうしてそう思うの?
 熊 分らないけど、皆、君の事好きになる筈だから。
 娘 どうして?
 熊 君って素敵なんだもの。本当だよ・・・ねえ、君、花で顔を隠したりするの、それは怒ったっていう印?
 娘 いいえ。
 熊 じゃ、僕これも言わせて貰うよ。君は綺麗だ。本当に綺麗だ。驚くほど綺麗だ。恐ろしいくらい綺麗だ。なんて綺麗なんだ。
 女主人の声 坊や、坊や、何処にいるの。
 熊 行かないで、お願いだから。
 娘 でも貴方の事を呼んでるわよ。
 熊 うん、呼んでる。僕これだけは君に言わなくちゃ。僕は君が好きだ。好きだよ。会ったその時から。(娘笑う。)可笑しいかい?
 娘 いいえ。 でも・・・私、どうしたらいいのかしら。今までそんな風に話された事、一度もないんですもの。分らないわ。
 熊 それは嬉しいや。あ、何をやってるんだ、僕は。君はきっと長旅で疲れて、おなかを空かせているのに、こんなに喋りまくって。坐って。ほら、牛乳だよ。搾りたてだよ。飲んで。そらパンも。パンも食べて。
(娘、従う。牛乳を飲み、パンを食べる。その間、熊から目を離さない。)
 娘 ねえ、あなた。貴方は魔法使いじゃないの?
 熊 ええっ? とんでもない。
 娘 じゃ、何故私あなたの言う通りにしているのかしら。私ついさっき、五分位前に、おなか一杯食事をしたばかりなのよ。なのに、牛乳を飲んで、パンを食べているわ。あなた、本当に魔法使いじゃない?
 熊 違う。
 娘 でも、どうしてかしら。「君が好きだ。」って、言われた時、何か、肩のへん、手のへん、力が抜けて仕舞った様に感じたわ。ごめんなさい。こんな事訊いて。でも他に訊く人いないの、私。私達、急に友達になったのよ。そうね。
 熊 うん、そう。
 娘 訳が分らないわ・・・今日は何かの記念日?
 熊 知らない。うん、そうだ。記念日だ。
 娘 そうだと思った。
 熊 ところで、教えて呉れないかな。君は誰? 王様のおつきの人?
 娘 いいえ。
 熊 ああ、分った。王女様のおつきの人だろ?
 娘 その王女様だったら?
 熊 違う、違う。そんなひどい冗談はやめて。
 娘 どうしたの。真っ青になって。私何を言ったのかしら。
 熊 違う、違う。 君は王女様なんかじゃない。違う。僕は世界中を歩き廻った。王女なんて何人も知っている。君は全然あの連中とは違う。
 娘 でも・・・
 熊 やめて。僕を苦しめないで。何を話してもいいけど、これだけはやめて。
 娘 ええ・・・いいわ・・・あなた、世界中を廻ったって言ったわね。
 熊 うん。僕は勉強したんだ。ソルボンヌでも、ライデンでも、プラハでも。人間として生きて行くって大変だなって思って、悲しくなって、そして勉強を始めたんだ。
 娘 それでどうだった?
 熊 無駄だった。
 娘 勉強する前と同じ? やっぱり悲しい?
 熊 何時もじゃないけど、悲しいな。
 娘 変だわ。だって私、貴方って、とても単純な、陽気な、悩みなんかない人だと思っていたわ。
 熊 単純で陽気なのはね、ぼくが熊みたいに健康だからなのさ。あれ、どうしたの。急に赤くなったりして。
 娘 自分でも分らないわ。私、この五分間であんまり変わったので、すっかり自分のことが分らなくなっているの。本当に一体どうなっちゃったのかしら。わたし・・・私、びくっとしちゃったの。
 熊 何故?
 娘 あなた言ったでしょう。「熊みたいに健康。」って。熊・・・冗談に言った言葉なのに、私ったら本当に熊だと思ったの。怒った?
 熊 僕に手を出して。
(娘、手を出す。熊、片膝をついて手に接吻する。)
 熊 もし僕が君に怒る様な事があったら、雷よ、その場で僕に落ちて来い。君が何処へ行こうとも僕はそこへ行くだろう。君が死ねば、僕もその時死ぬだろう。
(ラッパが鳴る。)
 娘 あら、私、あの人達の事をすっかり忘れていた。おつきの人達やっと着いたんだわ。(窓に近寄る。)なんて生気のない、昨日と同じ顔なんでしょう。あの人達から隠れましょうよ。
 熊 うん、そうしよう。
 娘 小川の方へ行きましょう。
(手を取って、走り退場。すぐに女主人、部屋に入って来る。涙。同時に微笑んでいる。)
 女主人 ああ、なんていう事でしょう。私、あの人達の話、窓の外から、一言も漏らさず聞いてしまった。(途中でもいい。)ここに入って来て、二人を引き離さなきゃいけなかったのに。何故、何故私は馬鹿みたいに泣いて、笑っているのかしら。本当にお馬鹿さん。だってこの結末がいい訳がない。それを知っているのに、心の中はほのぼのとしている。さあ、暴風雨、心の嵐だわ。恋の始まりですもの。かわいそうな子供達。幸せな子供達。(扉に内気なノックの音。)どうぞ!
(非常に物静かな、身なりのあまり良くない男が手に包みを持って入って来る。)
 男 今日は、奥様。入ってもよろしゅうございましょうか。お邪魔ではございますまいか。ひょっとして出た方が・・・
 女主人 いいえ、いいえ。どうぞお座り下さい。
 男 包みを下ろしてもようございますか。
 女主人 勿論。どうぞ。
 男 御親切に、どうも。ああ、なんて暖かい。それに便利良くできた暖炉ですね。焼き串のための支えはあるし、やかんをかける鉤もついているし。
 女主人 あなた、王様づきのコックさんなの?
 男 いいえ、奥様。私は総理大臣です。
 女主人 何ですって?
 総理大臣 王様の総理大臣を勤めています。
 女主人 ああ、それは失礼しましたわ。
 総理大臣 いいえ、怒ってなんかいません・・・かっては一目見ただけで、私が総理大臣だってことが分ったものです。私はそれほど光り輝いて、堂々としていたのです。物知り達も言っていました。総理大臣と王様の猫達、何方が立派で偉いのか、これは決めにくいなあって。ところが今ではどうです・・・ご覧の通りです。
 女主人 何故こんな事になったのです?
 総理大臣 旅ですよ。奥様。
 女主人 旅?
 総理大臣 或る余儀ない事情から、我々宮廷人の一群は其までの居心地の良い環境からひっぺがされ、異国へと向かわせられました。其だけでも辛いところなのに、加えてあの暴君です。
 女主人 暴君て、王様?
 総理大臣 なんてことを。国王陛下には私達は以前から慣れっこになっています。暴君、それはあの庶務大臣の事です。
 女主人 でもあなた総理大臣でしょう? 庶務大臣なら部下じゃないですか。それがどうして暴君なんですか。
 総理大臣 それが、権力を握って。あいつの前では皆震え上がっています。
 女主人 どうしてそんな事になったんですか?
 総理大臣 私達の中で、旅行を取り仕切る事が出来るのはあいつだけなんです。駅で馬を手に入れ、馬車を手配し、私達に食事をさせて呉れるのがあいつです。勿論ひどく手際は悪いですが、私達ときたら、全く手も足も出ないんですから文句は言えません。私が不満たらたらだったなんてあいつに言っちゃ駄目ですよ。食後にデザートなしになっちゃいますから。
 女主人 王様にどうして言いつけないんですか。
 総理大臣 あいつは王様に対してだけは、その、政治的用語で言うと、「奉仕、用達、万事怠りない。」ので、国王は私達に耳を貸そうとなさらないのです。
(二人の侍女、オリンチアとアマンダ、と女官一人登場。)
 女官(優しい声で、大きな声でなく、貴族的な明晰さで言葉をはっきり区切りながら発音する。)こん畜生め。いつ終わりやがるんだ、この旅は。あのけち大臣が私らに石鹸をくれなきゃ、ここで私ら、しらくも野郎になっちまうぜ。やあ、失礼、奥さん、ノックもせずに闖入して。私らは旅のせいで野蛮になって畜生同然でさあ。
 総理大臣 そう、旅のせいです。男は恐れのために静かになり、女は逆に恐ろしくなる。紹介しましょう。陛下のおつき、美人で誇り高き第一女官です。
 女官 ほほう。こんな優しい言葉を聞かなくなってから、随分経ったなあ。(膝を曲げてお辞儀をする。)はじめまして、こん畜生。(女主人に紹介する。)王女のおつき、オリンチアとアマンダ。
(侍女、膝を曲げてお辞儀をする。)
 女官 奥さん、失礼。私はあったまにきていて。犬野郎の庶務大臣が、今日私らに白粉と香水を呉れない。おまけに石鹸がなければ、肌は荒れてかさかさになるのに、これもくれない。きっとこの土地の人に横流しだ。信じて貰えるかな、国から出て来たときはあいつの持ち物といったら、汚い帽子の空き箱だけ。入って居る物はコッペパンと見すぼらしいあいつのステテコ。(総理大臣に、)震えないで、大臣さん、旅の途中で見たのだ。ちゃんと。繰り返しいう。ス、テ、テ、コ。それがどうだ、今ではあの鉄面皮は宝石箱三十三個、トランクが二十二個、良い便を見つけては家に送ったものを加えたらどれだけになるか。
 オリンチア それに一番恐ろしいのは、今では食事のことしか話題がないこと。朝食、昼食、それに夕食。
 アマンダ 本当に、こんなことのために故郷を捨てて来たのかしら。
 女官 あの家畜ったら、分ろうとはしないんだ。この旅で一番大事なのは王女の気持ち、王様の気持ち、詰まり繊細な気持ちだってことが。私らは繊細な優しい女らしい女だった。だから旅に連れて来られたんだ。私今でも苦しむのなんか平気。夜寝なくてもいい。王女様にお仕えする為なら死んだって構わない。でも何故余計な、なんの必要もない屈辱的な苦痛を耐えねばならないの。それもあの恥知らずのらくだ野郎のために。
 女主人 皆さん、旅の疲れを洗い流しては如何?
 女官 だって石鹸が!
 女主人 必要なものは全部用意しますわ。それに熱いお湯はいくらでも。
 女官 貴方は聖者。(女主人にキスをする。)洗い流す。お城の生活を思い出すなあ。幸せ。
 女主人 さあさあ、ご案内しましょう。(これは女達に言う。)あなたはお座りになって。すぐコーヒーをお持ちしますわ。(女官達と退場。総理大臣は暖炉の傍に座る。庶務大臣、登場。総理大臣、ぱっと立ち上がる。)
 総理大臣 (おずおずと。)今日は。
 庶務大臣 なぬ?
 総理大臣 今日は、と申し上げたのですが。
 庶務大臣 さっき会っただろ。
 総理大臣 ああ、貴方は何故私にそんなに不作法なのですか。
 庶務大臣 私は一言だって君に不作法な言葉を使ってはいない。(ポケットから手帳を出し、何か計算に没頭する。)
 総理大臣 ちょっとすみませんが・・・私の荷物は・・・?
 庶務大臣 またこれだ。大衆の考える事といったら何時だって自分の事、自分の事だけ。
 総理大臣 しかし、私は・・・
 庶務大臣 これ以上邪魔してみなさい。朝食なしですよ。
 総理大臣 分ってます。 ええ、ええ。私はただ・・・あ、自分で捜しに行きます。荷物なんか自分で。やれやれ、こんな生活、何時まで続くんだろう。(退場。)
 庶務大臣 (呟く。計算に没頭している。) 二ポンドは女官達に。四ポンドはピンハネ。三ポンドは王様に。一・五ポンドピンハネ。一ポンド王女に。〇・五ポンドピンハネ。締めて六ポンドのピンハネか。今朝の食事だけで。偉いぞ。頭いい。
(女主人、登場。庶務大臣、彼女にウィンクする。)
 庶務大臣 夜中の十二時に。
 女主人 十二時がどうかしまして?
 庶務大臣 納屋のところに来て下さい。忙しくて口説く暇がないからね。あなたは美人。私は美男。時間の無駄はよしにしよう。じゃ十二時に、納屋で。待っています。損はしませんよ。
 女主人 なんて厚かましい。
 庶務大臣 そう、厚かましく大胆に。私は王女にも相当思い切った色目を使っているんですがね。まだあのお馬鹿さんには、意味が分らん様子で。チャンスを見逃す様な男ではないんです、この私は。
 女主人 あなた、気がふれているの?
 庶務大臣 とんでもない。それどころか、あんまり正常なので、自分でも驚いているくらい。
 女主人 じゃ、単なる人非人、ゲスよ。
 庶務大臣 へっ。どこに立派な人間がいますか。誰だって、いや、何だって一皮剥けばこんな物です。恥ずかしい事なんかありはしない。例えば、今日、蝶々が飛んでいるのを見ました。頭は小さくて脳味噌なんかありはしない。羽根をばたばた動かしてただふらりふらり。この光景を見ていたら急に腹が立ってきて、王様から金貨二百枚つい盗んじゃいました。なに、遠慮なんか無用。何もかも私の気にいらない様に出来上がってるんですから。白樺はのろま、樫はばか。川はとんまで、雲はアホ。人間はペテン師。みんな。赤ん坊だってただ吸い、ただ眠る事が生きがい。其だけ。赤ん坊なんかくそくらえ。そこに何の意味がありますか。来ますね?
 女主人 行くもんですか。早速この事を夫に話しましょう。きっと貴方を鼠に変えて仕舞うわ。
 庶務大臣 えっ? 魔法使いなの?
 女主人 ええ。
 庶務大臣 こういう事は予め言っといてくれなくちゃ。そういう事なら・・・今までの無礼、どうぞお忘れ下さい。(早口に。)不作法な過ちと反省しています。私はひどく卑劣な男です。後悔しています。後悔しています。どうぞお許しを乞うチャンスをお与え下さい。はいっ、以上終わり。ところであのやくざな女官達め、どこへ言ったんだろう。
 女主人 どうしてそんなに嫌うんですか。あの人達の事を。
 庶務大臣 自分でも分らない。一緒に長く暮らせば暮らす程、嫌いになってくる。
 女主人 城に帰っても皆貴方の事決して忘れないわね。
 庶務大臣 なにを馬鹿な。帰れば優しくなって、楽しくなって、忙しくなって、みんな忘れて仕舞う。
(ラッパが鳴る。総理大臣、女官、侍女達、登場。)
 庶務大臣 諸君は何処をほっつき歩いているんですか。 一人一人別々に居所を捜すなんて私には出来ないんですから。あっ。(女官に。)あなた、風呂に入りましたね。
 女官 入ったがどうした。
 庶務大臣 予め注意しておきましょう。私を差し置いて風呂に入ったりするなら、私はこの職をやめさせて貰います。秩序とはどんなものか知って貰わなきゃ。私がいなきゃ、みんな自分でやるはめになるんですぞ。実際何だと思っているんですか。
 総理大臣 しっ。王様がいらっしゃる。
(王と主人登場。宮廷人達深くお辞儀。)
 王 本当の話、此処はとても気にいりました。家全体が甚だ立派に、愛情溢れる組立てなので、ふんだくってやりたくなる位だ。私が自分の城に居ないことが幸いして居るんですぞ。城でなら我慢なんかするもんですか。あなたを市場の広場にある鉛の塔に監禁して仕舞うでしょうな。 そこは酷い場所ですよ。昼は猛暑、夜は震え上がる寒さです。囚人達があまりに苦しんでいるもんですから、牢番さえも時々は同情して泣く位です・・・そこへ監禁して仕舞うでしょうな。そしてこの家は自分のものに・・・
 主人 (大声で笑う。)たいした悪者ですな。貴方は。
 王 どんな風に想像していたんですか。王様なんて言うのは頭のてっぺんから足の爪先まで悪党。祖先は十二代まで遡りますが、悪党、悉く悪党です。皆さん、娘は今何処ですか。
 女官 陛下! 王女様は私共に此処に停まっていなさいとお命じになって、御自分は花をお摘みに、あのうっとりする様な野原へ、さざめく山川の辺に、たった一人でいらっしゃいました。
 王 子供をたった一人でほって置いただと! 草むらには蛇が居るかもしれんぞ。川からは冷たいヒンヤリした風も吹いてくるし。
 女主人 大丈夫、王様、それは大丈夫。王女様は心配はいりませんわ。(窓を指差して。)ほら、あそこに。生き生きと、元気よく。
 王(窓に飛びつく。)本当だ、いやあ、全く。あそこ、あそこに私の一人娘が歩いて行く。(大声で笑う。)笑った! (沈む。)今度は物思いに沈んでいる・・・(パッと明るくなる。)今度は微笑んだ。なんて和やかな、優しい笑顔! なんだ? あの若者は。娘はあの子が気にいって居るらしいぞ。と言うことは、私もだ。あの子の素性は?
 主人 魔法の出。
 王 結構。両親は?
 主人 二人とも死亡。
 王 いよいよ結構。兄弟は?
 主人 居ません。
 王 これ以上は望めない位、好都合。あの子に位(くらい)と財産を与えて、この旅に加えてやろう。悪い奴ではなさそうだ。我々がこんなに気に入っているんだからな。奥さん、あれは立派な男なんでしょう?
 女主人 ええ、大変。でも・・・
 王「でも、」と言うことがあるか。 生まれてこのかた娘が喜ぶ顔を見た事がないんだ。それなのに、「でも、」だなんて。もう結構だ。わしは幸せなんだ。それでいいじゃないか。今日は陽気に遊び惚けるぞ。開けっ広げに。どんな突飛な事だってやってのけよう。金魚を歯で噛んで、掴まえようとした大叔父のように。さあ、ワインの樽をあけるんだ。一樽じゃきかん。二樽、いや三樽だ。大皿をどんどん用意しろ。みんな次から次と叩き割ってやる。乾燥小屋から穀物を出すんだ。小屋に火をつけてやる。(ガラス窓が割れるから、)町からガラスを仕入れとけ。それにガラス屋も呼んでおけ。幸せなことだ。嬉しい事だ。何もかもうまくいくぞ。いい夢を見ている時みたいだ。
(王女と熊、登場。)
 王女 皆さん、今日は。
 宮廷人達 今日は、王女様。
(熊、恐怖で気が遠くなる。)
 王女 確かに貴方方みんなに今日、もうお会いして居ますね。それなのにお会いしたのはずっと以前の様な気がします。皆さん、この人は私の一番いい友達です。
 王 王子の位を与えよう。
(宮廷人達、熊にお辞儀。熊、恐怖を持って見渡す。)
 王女 有り難う。パパ。皆さん。子供の頃、私は何時も、兄さんのいる女の子が羨ましかった。傍に私達女とは全く違った、向こうみずな、荒っぽい、そして陽気な存在が居るって、とても素敵な事に思えた。その存在は貴方を愛してくれる。だって血をわけた兄弟なんですものね。でももう私羨ましがらなくってもいいの。私にはこの人が・・・
(熊の手を取る。熊、身震いする。)
 王女 血を分けた兄弟より素晴らしい人に思えるんですもの。兄弟だって喧嘩する。でもこの人とはわたし決して喧嘩なんかしない。そういう気がするわ。私が好きなものは好いて呉れるし、私がはっきり言わない時だって分って呉れる。だからこの人と一緒だと気持ちが楽なの。私この人のこと自分の事のようによく分るの。見て、ほら、すごく怒っているでしょう? (笑う。)何故か分る? 私、王女だって事を隠していたの。この人王女なんて大嫌い。私、この人に私が普通の王女達とどんなに違うか見て貰いたかったの。 私だって、普通の王女なんて大嫌いなんですもの。いや。いや。そんな怖い顔をして、私を見ないで。お願い。ね。これ、私よ。思い出して。怒らないで。私を驚かせないで。止めて。私・・・キスしてもいいかしら。
 熊 (恐怖をもって。)いやだ。
 王女 分らないわ。どうして・・・
 熊(静かに、息も絶えんばかりに。)さようなら。絶望だ。もうこれでお終いだ。(走り去る。)
(間。女主人、泣いている。)
 王女 私、あの人に何をしたのかしら。帰って来るんでしょう?
(慌ただしい蹄の音。)
 王(窓へ行って。)何処へ行くんだ。(走り退場。)
(宮廷人達と主人、あとを追って退場。王女、女主人に駆け寄る。)
 王女 あの人の事を坊やって呼んでいたわね。あの人の事は分ってらっしゃるのね。教えて。私あの人に何をしたの?
 女主人 何にも。何にも悪い事なんかしていない。信じて。頭なんか振らないで。
 王女 いいえ。いいえ。私、分った。みんな分ったわ。皆の前に手を引っ張って行った時、震えて居たわ。ひどく。それに、それにあれ。わたし、兄さんの話をした。 なんて馬鹿らしいんでしょう。私は言ったわ。「私達女とは全く違った存在が居るって、とても素敵な事。」って・・・存在・・・なんて文語調。なんて馬鹿らしい。それとも・・・それとも・・・なんて私ったら恥ずかしい。キスしてもいいかしら、なんて言って・・・あの人きっと・・・
(王、主人、宮廷人達、登場。)
 王 あいつめ、気が狂った様に、道だろうが道でなかろうが、構わず山に駆け込んで行きおった。
(王女、走り去る。)
 王 姫、何処へ行くのだ。姫。 (王女の後を追う。)
(鍵が錠に掛かるのが聞こえる。王、戻って来る。別人の様な顔付き。)
 王 死刑執行人!
(死刑執行人、窓から顔をだす。)
 死刑執行人 お呼びですか。陛下。
 王 用意しろ。
 死刑執行人 畏(かしこ)まりました。陛下。
(虚ろな太鼓の音。)
 王 宮廷の諸君、神に祈る事だな。姫は部屋に閉じ籠もって、私を締め出して仕舞った。お前達全員、死刑に処する。
 庶務大臣 王様!
 王 全員だ。おい、そこのお前、砂時計を持って来い。
(従者登場。机の上に大きな砂時計を置く。)
 王 砂時計が切れない内に、姫に何が起こったか、どうしたら姫を救えるか、説明出来た者だけは助けてやろう。 よく考えるんだ。諸君、よーくな。砂時計はすぐ切れるぞ。順番に話せ。正確に、簡潔に。総理大臣!
 総理大臣 陛下。私の考えでは大人は子供の恋愛沙汰にはちょっかいを出してはいけません。勿論、子供が良い子の時にですが。
 王 大臣。お前は一番最初に死ね。(第一女官に。)女官、お前の番だ。
 女官 昔、昔の事です。陛下。私は窓の所に立っていました。ある若者が、黒い馬に乗って私から去って行きました。山へ向かって。静かな静かな月の夜でした。 蹄の音はどんどん小さくなり、遠ざかって行きました。
 庶務大臣 もっと早く話せ。ブス、ババア。砂が切れる。
 王 邪魔するな!
 庶務大臣 だって砂時計一回落ちる間に全員でしょう? 時間なくなっちゃう。
 王 さあ、続きだ、女官。
 女官(急がず、勝ち誇って庶務大臣を見ながら。)心からお礼を申し上げます、陛下。そう、静かな、静かな月の夜でした。蹄の音はどんどん小さくなり遠ざかって行き、とうとう永久に消えて仕舞いました。この時以来、私はこのかわいそうな若者に会った事はありません。そして御存知の通り、陛下、私は別の人に嫁いで行きました。そしてこの通り生きています。静かに、誠実に、陛下にお仕えしながら。
 王 それでその男が去ったあと、お前は幸せだったのか。
 女官 いいえ、その後一分たりとも。
 王 お前もその頭を死刑台の上に載せるのだ。
(女官、堂々とお辞儀をする。)
 王(庶務大臣に。)お前の番だ。
 庶務大臣 王女様をお慰めする一番良い方法、それは誰かと結婚する事です。実務的な、人生を知っている、王様に仕えて、もろもろの処置がテキパキ出来る人物と。
 王 例えば死刑執行人とか。
 庶務大臣 まさか、陛下。彼がこの方面で有能だとはとても思えませんが。
 王 有能な事が今分るぞ。アマンダ!
 アマンダ 王様、もうお祈りはすませました。いつ死んでも構いません。
 王 どうしたらいいか、お前も名案はないのか。
 オリンチア 女の子には、こんな時好きにさせる他、ないんじゃないですか。どうしたらいいかは王女様だけが御存知の筈。
(扉が大きく開く。王女敷居に現れる。男装をして、剣を帯び、ベルトには二丁のピストル。)
 主人 はっはっは。素晴らしい娘さんだ。でかした。
 王 どうしたんだ、お前。私を驚かすような事をして。何処へ行こうというのだ。
 王女 それは誰にも言いません。馬に鞍をつけて!
 王 そう、そう。行こう、行こう。
 庶務大臣 それがいい。死刑執行人、お前はもう行ってよし。御苦労だった。あちらで一杯やってくれ。砂時計は持って行くんだ。さあ、諸君、馬車で出発だ。
 王女 お黙りなさい! (王へ近づいて。)パパのこと大好きよ。パパ、怒らないで。私一人で出て行くわ。
 王 駄目だ!
 王女 私のあとをつけて来る者は誰であろうと殺します。絶対。いいわね。
 王 私でもか。
 王女 私は私。自分で生きる。誰にも分りはしない。だからこれ以上何を言っても始まらない。私は独りぼっち。独りになりたいの。これで金輪際皆さんとはお別れ。(退場。)
(王、暫くの間、つっ立った儘茫然としている。蹄の音で我に返る。窓に駆け寄る。)
 王 馬で行くぞ。道もない所を。山へ、山へ。あれじゃあ、道に迷って仕舞うぞ。風邪を引くぞ。落馬して鐙に絡まって仕舞うぞ。続け。何をぼやぼやしとる!
 庶務大臣 陛下、王女様は後をつける者は皆殺しにすると、はっきりおっしゃいました。
 王 構わん。遠くから追跡だ。石の陰、灌木の陰から、そして草の中に隠れて娘を追うのだ。あれを見捨てはせんぞ。あとに続け!
(走って退場。宮廷人達も続く。)
 女主人 どう? これで満足?
 主人 大満足。
                   (幕)
   
     第 二 幕
(居酒屋「エミリア」の大広間。夜遅い。暖炉には大きな火。明るい。快適。壁が狂った様な風で震える。カウ
ンターの後ろに居酒屋の主人が居る。背の低い、身のこなしの速くて優美な男。)
 居酒屋の主人 なんて言う天気だ。吹雪、嵐、雪崩、地滑り。野性の山羊でさえ驚いて、この家の中庭に避難しに来た位だ。ここに何年住んでいたろう。この山のてっぺんに、万年雪の真ん中に。だけどこんな大嵐は初めてだ。この家のつくりが城みたいに頑丈なのは有り難い。それに蔵は食料で一杯。暖炉は明るく燃えているし。 居酒屋エミリア。エミーリア・・・ああ、よそう。此処には猟師達がやって来る。樵(きこり)達もやって来る。マストにする松の木を切り出して。見知らぬ人達が疲れた足取りで何処から来たとも分らず、何処へ行くとも知れず、やって来る。 まず、鐘を鳴らし、次に扉を叩く。入って来て一息つき、お喋りをし、笑いを交わし、不平をこぼす。そして、この俺といったらまるで阿呆の様に、何かの奇跡で突然あいつが来て呉れはしないかと、鐘が鳴る度に。あいつも今ではもう白髪。白髪のお祖母さん。ずっと以前に結婚して・・・それなのに、この俺ったら、あいつの声でも聞けたらとそればかり・・・ああ、エミリア・・・エミーリア。
(鐘の音。)
 居酒屋の主人 おやおや。
(扉を叩く音。居酒屋の主人、急いで開ける。)
 居酒屋の主人 お入り下さい。どうぞ。ようこそ。
(王、二人の大臣、宮廷人達、登場。全員、頭から足まで雪に覆われて居る。)
 居酒屋の主人 火の傍へ、皆さん、火の傍へ。泣かないで、貴方。(これは女性達への呼び掛け。)お願いですから。分りますよ、不愉快なのは。顔には風が吹きつける、襟には雪が入り込んで来る、吹き溜まりには足を突っ込んで仕舞う。でも雪の方では悪気は全くないんです。無邪気に、ただ遊び廻って居るだけです。ちょっと失礼、手をお貸ししましょう。そう。それでよしと。熱燗のワインをどうぞ。さあさあ。
 総理大臣 なんて素晴らしいワインだ。
 居酒屋の主人 お褒めに与りまして。何しろ自分で葡萄を育て、自分で潰し、自分で地下室にねかし、自分の手でこうして人にお出しするんですから。これが本当の手作り。私は若い頃は人間嫌いで。しかし、人間嫌いというやつも悲しいものでして。第一、何もやりたいことがない。不毛なうらさびしい考えで頭が一杯になって仕舞う。今はご覧の通り人に奉仕しています、するとだんだんと人が好きになるんです。女のみなさんには、さあ、ミルクですよ。そう、私は今人に奉仕しています。其を誇りに思って居ます。私の考えでは、居酒屋の主人の方がアレキサンダー大王よりは上ですよ。大王は人を殺すだけでしょう。わたしの方は人に食べさせ、陽気にさせ、悪天候から人を守るんですからね。勿論私はこういうことをやっておかねを戴いていますよ。だけど、アレキサンダー大王だってただで働いてるわけじゃありません。もうう一杯ワインをどうぞ。失礼ですが、何方様で? いえ、よろしゅうございます。お名前を伏せてお置きになりたいお客様には慣れております。
 王 あるじ、わしは王様だ。
 居酒屋の主人 今晩は、陛下。
 王 うん。あるじ、わしはひどく不幸せだ。
 居酒屋の主人 よくあることです、陛下。
 王 馬鹿な。わしのは古今未曾有の不幸せだ。この酷い嵐のせいで、折角少し忘れて居ったに、此処で今暖まって人心地がついた途端、あらゆる不安、あらゆる悲しみが、又息を吹き返し居った。何という世の中。もう一杯、酒を呉れ。
 居酒屋の主人 どうぞ、どうぞ。
 王 わしの娘が居なくなったのだ、あるじ。
 居酒屋の主人 おやおや。
 王 こいつら、役立たずの居候奴らが、娘の監視を怠って、その間に娘は恋をし、男に身を変えて隠れて仕舞った。ひょっとして、此処に立ち寄ってはおらんか。
 居酒屋の主人 残念ながら、陛下、その様な事は。
 王 此処には誰が居る。
 居酒屋の主人 高名な猟師とその二人の弟子が居ます。
 王 猟師? そいつを呼べ。娘に出会って居るかも知れん。猟師って者は、いろいろ歩き廻るからな。
 居酒屋の主人 残念ながら、陛下、この猟師は今では全く猟をしないので。
 王 じゃあ、何をやっているのだ。
 居酒屋の主人 自分の名誉の為に戦って居るのです。彼は自分が高名である旨を保証する証明書を既に五十枚も手に入れていますし、彼の腕前を誹謗する者達を怪我させて居るんです。六十人も、鉄砲で。
 王 こんな所でそいつが何をしているんだ。
 居酒屋の主人 バカンスです。名誉の為に戦う。これほどうんざりする話が他にありましょうか。
 王 そんな奴は地獄にいっちまえ。おい、そこにいる、死刑を宣告された連中! 出発だ。
 居酒屋の主人 どこへ出発なさろうと、陛下? 少しはものをお考え下さい。今度こそ本当にお陀仏ですよ。
 王 うるさい! わしには外の方が気が楽なんだ。顔に雪が吹きつけ、背中を風が押しまくる、あの風が。出発!
(宮廷人達、立ち上がる。)
 居酒屋の主人 お待ち下さい、陛下。自棄(やけ)を起こしてはいけません。運命に対して嫌がらせをする為に、態々運命の足元に身を投げ出すなんて駄目です。私の経験では不幸が起こると同じ所にじっとして居る事が出来なくなるんですが・・・
 王 出来るものか。じっとなんか。
 居酒屋の主人 しかし、時にはなさらなくては。このような夜には誰もみつかりはしません。無理して出掛ければ、ご自身が行方不明になるだけ。
 王 それでも構わん。
 居酒屋の主人 自分の事だけを考えてはいけません。子供ではないでしょう、本当に。一家の主じゃありませんか。さあさあ、顰め面は止めて。拳骨なんか握りしめないで。歯ぎしりは止めて。さあ、言うことを聴いて。聴いて損じゃ有りませんよ。此処はお客様の便宜の為のあらゆる設備が整って居ます。噂で聞いた事がおありでしょう。今じゃ、離れていても、人が意思を通じ合う方法があるんです。
 王 城で学者が何か話していたな。何時でも居眠りしていたからな。
 居酒屋の主人 居眠りは駄目ですな。今からこの部屋を一歩も出ずに、近所の者に、かわいそうな王女様の事を訊いてみましょう。
 王 そんな事が出来るのか。
 居酒屋の主人 出来ますよ。此処から馬で五時間の所に修道院があって、そこの管理人として私の親友が働いて居るんです。こいつは修道士でもあるんですが、いや、ひどく好奇心の強い男で、百キロ以内で起きた事なら何でも知っているんです。これからそいつに事情を全部伝えてやります。暫くしたら返事が来る筈。静かに、静かにして、皆さん。 ガサガサ動かないで。溜め息もつかないで。精神を集中させるんですから。さあ、これでよしと。信号を送るぞ。
 「アーウー、アーウー。もーし、もーし。修道いーん。九号しーつ。管理にーん。もーし、もーし。アーウー。男装をした女の子が、山で道に迷っている。何処にいるか、お知らせ乞う。以上。居酒屋より。」
 これでよしと。ちょっと泣かないで下さい、御婦人方。返事が返ってきた様子ですが、御婦人方の涙が邪魔で・・・ ええ、そう。これならよしと。お静かに願いますよ。受信に移りますから。
 「居酒屋エミリア宛。主に。残念ながら消息不明。山羊の肉二頭分、修道院宛送付ありたし。」
 了解! 管理人は残念ながら行方を知らない様子です。それから修道院の食堂に肉を・・・
 王 肉なんかどうでもいい。どこか他を呼び出せ。
 居酒屋の主人 残念ながら、陛下。あの修道士が知らなかったら、他を当たっても駄目です。
 王 それなら火薬の袋を飲んでやる。そして腹を叩いてやるぞ。そうすれば、このわしは木っ端微塵だ。
 居酒屋の主人 そんな家庭的な解決策は何の役にも立ちませんよ。(鍵の束を取って来て。)陛下。一番大きな部屋にお連れしましょう。
 王 そこでわしは一体何をするのだ。
 居酒屋の主人 うろうろと部屋の中を歩き廻るんです。夜が明けたら一緒に捜索にでかけましょう。お手伝いしますよ。はい、鍵です。他の皆さんもお部屋の鍵をお渡ししますよ。今日出来る事はこれだけ。これが一番分別のあるやり方です。さあ皆さん、部屋に行きましょう。休んで力を蓄えて。蝋燭をお願いします。はい。 さあ、私の後について来て下さい。(退場。王、宮廷人達、従う。すぐに高名な猟師の弟子が登場。用心深く見回した後、鶉の鳴き声をする。椋鳥の声がそれに答えて、猟師が部屋に首だけ出してきょろきょろ見回す。)
 弟子 大丈夫です。誰も居ませんから。
 猟師 さっき来たのが猟師達だったら、お前を兎のように撃ち殺してやるからな。
 弟子 僕には関係ないでしょう。厭になるな。
 猟師 黙れ! どこへ行って休んでも到るところ厭な猟師のやつらがうろついている。嫌いだ。それに又、猟師の女房連が、狩りとは何だ、だとか、やたらに研究なんかしおって。チェッ、馬鹿めが。
 弟子 やれやれ、僕に当たる事はないでしょう。
 猟師 よく覚えておくんだ。 来た奴が猟師だったら、出て行かなければならん。馬鹿。死ななきゃ分らん奴だな、お前は。
 弟子 どうしてそんなことを僕に言うんですか。先生は僕の事苛めてばかり、僕は・・・
 猟師 うるさい。先生が怒っている時は弟子は黙っとれ。ほんとに殺されると思っているのか。馬鹿な奴だ。このわし、本物の猟師が、むだにタマを撃つ訳がないだろう。わしはな、弟子をかかえなきゃならん。わしが悪口を言った時誰かに聞いて貰いたいんだ。わしには家族が居らんからな。まあ、我慢せい。手紙は出したか?
 弟子 嵐になる前にもう行って出しました。それで帰りに・・・
 猟師 うるさい。全部出したんだな。大きな封筒のやつも出したな。
 弟子 全部、全部出しました。それで帰りに足跡を見つけたんです。兎のも、狐のも。
 猟師 足跡なんか糞くらえだ。このわしにそんなちっぽけな事にかかずらわっている時間があると思っているのか。わしを妬(やっか)んでいる馬鹿者共が落とし穴を掘って嵌めようとしているのに。
 弟子 まさか、落とし穴を?
 猟師 そう。落とし穴だ。やつらのやる事は分っている。
 弟子 それならやらせておきましょう。こっちは沢山鳥を撃てばいい。終いには僕等の事を恐れる様になりますよ。連中は僕等を落とし穴で嵌めようとする。こちらは獲物を取る。僕等は偉く、連中は卑怯って事になりますよ。鳥を沢山とりましょう。
 猟師 馬鹿め。沢山とりましょうだと? 一発、一発撃つ度に、ああだこうだと批評がましくいろんな事を言うのにか。まっぴらごめんだい。連中の言いぐさじゃ、このわしが去年と同じ撃ち方で狐を撃ったなどと言いおる。狩りの技術になんの進展もなしだ、などと。そんな時に万一撃ち損じでもしてみろ。今まで一度だってうち損ねた事のないこのわしの顔はどうなる。もうお前は黙れ。殺すぞ。(非常に優しく。)所で新しい弟子はどこだ。
 弟子 鉄砲掃除です。
 猟師 偉い。
 弟子 そりゃそうでしょうよ。先生にとっちゃ、新しい弟子は何時だって偉いんですから。
 猟師 当たり前だ。第一に、わしはあいつの事は何にも知らん。だからあいつに偉い才能があると考えたってかまわんし、第二に、あいつはわしの事を何も知らん。だから無条件に、何の留保もなしに、このわしを尊敬しとる。お前とは違う。(鐘の音。)こいつは驚いた。誰か来たぞ。こんな天気に。賭けてもいい。こりゃきっと猟師だ。嵐の日に態々出掛けて後で自慢しようって言う腹だ。
(扉を叩く音。)
 漁師 馬鹿め。早く開けろ。ぼやぼやしていると撃ち殺すぞ。
 弟子 やれやれ、僕がどうしてこんな事しなけりゃならんのか。
(扉開いて、熊登場。熊雪だらけ。茫然とした顔。辺りを見回す。)
 熊 此処は一体何処?
 猟師 火の近くに、体を暖めて。
 熊 有り難うございます。此処は宿屋ですか。
 猟師 そうだ。主はすぐ出て来るよ。君は猟師か?
 熊 ええっ。とんでもない。
 猟師 何故そんなに恐ろしそうな顔をするんだね。
 熊 猟師は好きじゃなくて。
 猟師 猟師を誰か知っているのか、君は。
 熊 ええ、出会った事があって。
 猟師 この世の中で一番立派な人間、それが猟師なんだ。名誉ある、素直な若者達だ。自分の仕事を愛している。沼に嵌まったり、山の頂上に攀じ登ったり、獣だって気味悪くなるような場所をうろついたり、其でも平然としている。儲けようとか、有名になってやろうとか、そんな事の為に苦労するのでもない。彼らを捉えて放さないのは、高貴な熱情なのだ。分るか?
 熊 いいえ、分りません。しかし、お願いですから、喧嘩は止めましょう。でもどうしてそんなに猟師がお好きなのですか。
 猟師 誰が。わしがか? そう、わしは猟師の事を悪く言う奴が居ると、我慢出来んのだ。
 熊 分りました。もう悪く言いません。僕それどころじゃないんです。
 猟師 何を隠そう、わしこそ猟師!
 熊 ええっ。猟師。
 猟師 わしは今までに、鹿五百頭、山羊五百頭、狼四百頭、それに熊九十九頭を殺した。
(熊、びくっとする。)
 猟師 何で飛び上がる。
 熊 熊を殺すなんて、子供を殺すのと同じです。
 猟師 子供とはよかった。大体熊の爪をお前は見た事があるのか。
 熊 あります。猟師が持っている短刀よりはずっと短いです。
 猟師 じゃ、熊の腕力は?
 熊 獣を態々怒らせるのがいけないんです。
 猟師 怒った。わしは怒った。喋る言葉もない。撃ち殺す他はない。(怒鳴る。)おーい、小僧。此処へ銃を持って来い。すぐ。お若いの、今此処でお前を殺してやる。
 熊 どうぞ、御勝手に。
 猟師 おーい、こら、何処にいる。銃を、銃を持って来い。
(王女、登場。手に銃を持って居る。熊、飛び上がる。)
 猟師(王女に。)いいか、よく見て置けよ。このろくでなしのわからずやを、今殺してやるからな。命乞いしても駄目だ。こいつは人間じゃない。芸の道という物がまるで分っていないんだ。銃をよこせ。何故抱いて放さないんだ。赤ん坊じゃないぞ、銃は。
(居酒屋の主人、走って登場。)
 居酒屋の主人 どうしたんだ。ああ、分った。さあ、銃を渡してやりなさい。心配することはない。この高名な猟師殿が食休みをしている間に、弾は全部抜いておいた。私の尊敬すべき客殿の癖はよく知って居るからな。
 猟師 こん畜生!
 居酒屋の主人 こん畜生なんかじゃないぜ、高名なる猟師殿。 機先を制せられて、内心喜んでいるんじゃないか。この人騒がせ爺さん。
 猟師 この恥知らず。
 居酒屋の主人 分った、分った。狩人焼き、二人前奢ろう。これでも食べて。
 猟師 おっと、こいつは有り難い。それに酒二人前頼む。
 居酒屋の主人 そう、その調子。
 猟師(弟子に。)さあ、お前達、座って。明日もし天気が好くなったら、狩りに行くぞ。
 弟子 万歳!
 猟師 浮世の辛さ果敢なさにとりまぎれて、狩りがいかに高貴な、いかに素晴らしい芸であるかを忘れていた。この馬鹿奴が煽り立てて思い出させて呉れたよ。
 居酒屋の主人(熊に。)落ち着け。(熊を隅に連れて行って、椅子に座らせる。)さあ、此処に座って。どうしたの、君。気分が悪いんじゃないか。今直して上げよう。いい薬があるんだ・・・君、熱があるの?
 熊 分らないんです・・・(囁き声で。)あの娘さんは誰?
 居酒屋の主人 ああ、分った。片思いのあまり、気がふれかかっているんだ。それなら残念ながら効く薬はないな。
 熊 あの娘は誰?
 居酒屋の主人 此処には娘なんか居ないよ。かわいそうに。
 熊 いるじゃないですか。ほら、あそこに。猟師と小声で話している・・・
 居酒屋の主人 君にそう見えるだけだよ。あれは娘じゃない。男だ。高名な猟師の弟子。分るね。
 熊 有り難う。分りました。
 猟師 そこで何をヒソヒソ話しとる。わしの事だな。
 居酒屋の主人 あんたの事ではないよ。
 猟師 つべこべ言うな。見ほれる様に見られるのは我慢ならん。こうなったら、食事は部屋に持って来てくれ。お前達、さ、行くぞ。
(居酒屋の主人、食事の載った盆を運ぶ。猟師、弟子、王女、従う。熊、後を追う。熊、王女に追いつく寸前に
扉開く。敷居の上に王女いる。暫くの間、王女と熊、黙ってお互いを見る。王女、熊の傍を通って、さっき座っていた机に行き、そこに置き忘れていたハンカチを取り、熊を振り向きもせず、出口に向かう。)
 熊 失礼ですが・・・君、妹か、姉さんいない?
(王女、首を振る。)
 熊 ちょっと此処に居て呉れない? お願いだ。君は僕の知っている女の子にすごくよく似てるんだ。僕はその女の子の事を、今すぐにでも忘れなきゃいけないんだけど、どうしても・・・ちょっと待って。(立ち上がろうとする王女を止める。)
 王女 どうしても忘れなきゃならない人を思い出させるのはまずいなあ。
 熊 ああ、声も同じだ。
 王女 頭がどうかしてるんだろ。
 熊 そんなところだ。頭に霧が掛かってる。
 王女 相当ひどいな。
 熊 三日三晩、休みなく、あてどもなく馬で走りに走った。もっと先に行かなきゃいけないんだけど、この宿屋を通り過ぎようとしたら、馬が泣いてね。まるで赤ん坊みたいに。
 王女 君、人を殺したんだろ。
 熊 殺す? 酷い事を言うな。
 王女 じゃ何故罪人みたいに逃げ回るんだい。何から逃げてるんだ。
 熊 好きな人から。
 王女 いい加減な話。よく言えるな。
 熊 笑うな。君は若い。だから残酷なんだ。それ位僕にも分ってる。(人の痛みが分かるほど、)充分長く生きて居ない、それが若いっていう事なんだ。僕も三日前まではそうだった。それからは少し偉くなったんだ。君、恋した事ある?
 王女 恋なんて愚劣さ。
 熊 僕もそう思ってたんだ。そして恋して仕舞った。
 王女 誰に? 訊いてよければ。
 熊 だから、君にすごくよく似ている女の子にだよ。
 王女 冗談言うなよ。
 熊 お願いだ、笑わないで。本気で好きになったんだ。
 王女 そうだろうとも。軽い惚れ方ならこんなに遠くには逃げて来ないだろうからな。
 熊 ああ、君には分らないよ・・・僕は好きになった。幸せだった。長い時間じゃなかった。だけど生涯あんな事はもうないって言うくらい。そしたら・・・
 王女 そしたら?
 熊 そうしたら、その女の子には、何もかもひっくり返る様な何かがあるって事が急に分っちゃったんだ。それに、なお困った事には、僕の方も好かれているらしいって、はっきり分ってしまったんだ。
 王女 そりゃショックだったろうな。惚れている身にしては。
 熊 僕の場合はまさに恐ろしいショック。だけどもっとおそろしかったのは、その子が僕にキスすると言った時なんだ。もうこれまで、と思ったな。
 王女 馬鹿な女だ。
 熊 なんだって?
 王女 厭な女だ。
 熊 そんなひどい事を言うのか、君は。
 王女 だってそんな奴じゃないか。
 熊 君に分ってたまるか。素敵な女の子なんだ。世間擦れしてなくって、人を疑う事を知らない。丁度、丁度僕みたいに。
 王女 君の様? 狡い、お喋りのほらふきの癖に。
 熊 僕が?
 王女 そうさ。たまたま会った者に、すぐさま内心自慢たらたらで、自分の引っ掛けた女の話なんか始めたりして。
 熊 君は僕のことをそんな風に思ってるのか。
 王女 そうさ、それがどうした。それにその女だって馬鹿だし。
 熊 あのひとの事はもっと敬意を持って話すんだ。
 王女 そいつは、馬鹿、アホ、トンマさ。
 熊 うるさい。なまいきな青二才め、懲らしめてやる。(刀を抜く。)さあ抜け。
 王女 望むところだ。
(激烈に戦う。)
 王女 二度殺したって、飽きたらないやつめ。
 熊 こっちは死に場所を求めているんだ。
 王女 それなら勝手に死ね。他人の助けは要らない筈だぞ。
 熊 健康が邪魔で死ねないのさ。
(熊、突きで、王女の頭から帽子をうち落とす。 王女の重いお下げが殆ど地面に達するまで落ちる。熊、刀を落とす。)
 熊 王女様、なんて嬉しい。ああなんて悲しい。君だったのか、そうだったのか。君、どうしてここに?
 王女 三日間私は貴方を追った。嵐のせいで足跡を見失ってしまった。猟師に会った。その弟子にして貰った。
 熊 三日間、僕の事を追い掛けた?
 王女 そう。貴方なんか、私にはどうでもいい人なんだって言う為に。いい? 貴方なんか本当にどうでもいい人なの。貴方が何処の馬の骨だろうと、他のどんな人だろうと、構わない。それに私、キスしようなんて、思いもしなかった。あなたの事なんかちっとも好きになんかならなかった。さようなら。(退場。又帰って来る。)私の事をあんまり侮辱したから、貴方には仕返しをする。貴方なんかどうでもいい人って言うことを見せてあげる。私、死んでみせる。そうしたら分るでしょう。(退場。)
 熊 逃げるんだ。今すぐ逃げるんだ。あの人は怒っていた。僕を罵っていた。で、僕と言ったら、ただあの人の唇を眺めていたんだ。そしてキスをするのは今だ。今キスするんだ、と、それしか考えて居なかった。厭な熊だ。逃げるんだ。逃げるんだ。でもひょっとしたら、もう一回、本当にこれっきりでいい。あの人に会えないか。あの人の目、なんて澄んで居るんだろう。あの人はここにいるんだ。今此処に。壁のむこうに。二三歩歩けばすぐの所に・・・(笑う。)あの人がこの同じ屋根の下に居る・・・そう考えただけでも幸せだ・・・僕は何をしているんだ。あの人と僕を殺そうとしているのか。おい、けだもの! 此処から出るんだ。出発!
(居酒屋の主人、登場。)
 熊 僕は出て行きます。
 居酒屋の主人 それは無理だね。
 熊 嵐で駄目って言うんでしょう。嵐が何ですか。
 居酒屋の主人 勿論、勿論。でもほら、聴いてご覧、ね? えらい静かでしょう。
 熊 本当だ。どうしてだ、これは。
 居酒屋の主人 さっき、納屋の屋根が壊れて居ないか、中庭に出て見ようとしたんですがね。駄目だった。
 熊 駄目?
 居酒屋の主人 家ごと、雪の下に埋まってるんです。この三十分間に降ったのはただの雪ではない。積もった雪そのものがその儘落ちて来たんだ。僕には魔法使いの友達が居て、今は結婚して落ち着いているけど、そうでもなきゃ、あいつの悪戯と思う所だ。
 熊 出るのが駄目なら、僕を閉じ込めて。
 居酒屋の主人 閉じ込める?
 熊 ええ、鍵を掛けて。
 居酒屋の主人 どうして。
 熊 あの人に会っちゃいけないんだ。僕はあの人を愛して居るんです。
 居酒屋の主人 誰の事を言ってるんだ。
 熊 王女様を。
 居酒屋の主人 ええっ。此処に居る?
 熊 ええ。男に変装していました。僕にはすぐ分った。なのに僕の言うことを信じて呉れなかったじゃないですか。
居酒屋の主人 じゃ、本当にあの人がそうなんだね。
 熊 そうに決まってるでしょう。ああ、今になって・・・あの人の顔が見えない今になって、初めて分り始めたぞ。僕の事を侮辱したんだ、あの人は。
 居酒屋の主人 それは違う。
 熊 どうして違いますか。あの人が此処で僕に何て言ったか、それを聴いては居ないんでしょう。
 居酒屋の主人 聴いては居ない。しかし、そんな事はどうだって同じさ。私には色々の事があった。だからよく分るのさ。
 熊 僕は、男と男の話として、悲しい恋の成り行きを、あの人に話したんだ。何も包み隠さず。まるで盗み聞きじゃないか。卑怯な奴。
 居酒屋の主人 男と男、恋の成り行き、盗み聞き。何ですかこれは。
 熊 あの時は、あの人に似ている男に、話していると思っていたんだ。(こっちはまるで無防備。)僕の気持ちなんか、すっかり分る筈じゃないか。もうお終いだ。もう一言も口なんかきかないぞ。絶対に許すもんか。道が歩ける様になったらもう一度だけあいつの顔を見て、出て行ってやるんだ。閉じ込めて。僕を閉じ込めて。
 居酒屋の主人 ほら鍵だ。さあ、あっちが君の部屋。いやいや。私は、鍵は掛けないよ。扉に新しい錠を付けたばかりだからね。壊されるのが厭なんだ。じゃ、お休み。さあ、お休み。
 熊 お休みなさい。(退場。)
 居酒屋の主人 お休み、とは言ってもたやすくお休みは出来んだろう。お休みなんて贅沢品は何処を捜したってありはしない。たとえ修道院に入ったって、独りで居ると恋しい人を思い出す。行きずりの居酒屋にはいったって、ノックの度にあの人かとハッとする。
(女官、登場。)
 女官 失礼。部屋の蝋燭がしょっちゅう消えやがるんで。
 居酒屋の主人 エミリア! 夢じゃないか。確かにエミリアだね。
 女官 そう。名前はエミリア。で、何か・・・
 居酒屋の主人 エミーリア!
 女官 こりゃあ、おったまげた。
 居酒屋の主人 分ったんだね。僕が誰か。
 女官 エミール。
 居酒屋の主人 と言う名前だった。その若者は。 薄情な娘の為、遠い遠い万年雪の山の中に逃げて行くしか術(すべ)のなかった、その若者は。
 女官 私を見ないで。もうおばあさんの顔なの。いいや、構うもんか。どうぞ見て。これが私。滑稽だわね。
 居酒屋の主人 二十五年前の君と何処も変わってないよ。
 女官 ご挨拶。
 居酒屋の主人 どんなに混んだ仮装舞踏会でも、君がどんなマスクを被って居ようと、すぐ君が分ったものだった。
 女官 そうだった。
 居酒屋の主人 時が君に被せたマスクなど見破るのはわけはない。
 女官 でもすぐには判らなかった。
 居酒屋の主人 着て居るものに騙された。笑うな。
 女官 涙なんか忘れて仕舞った。私が誰かは判っても、私の事は分らない。私は意地悪になった。特にこの頃。パイプある?
 居酒屋の主人 パイプ?
 女官 近頃は吸うの。こっそり。水夫が吸う煙草。おそろしく強いやつ。私の部屋の蝋燭がしょっちゅう消えるのは、この煙草のせい。酒もやってみたけど不味くてやめた。これが今の私の正体。
 居酒屋の主人 君は昔からそうさ。
 女官 昔から?
 居酒屋の主人 そう。昔から、頑固で、はなっぱしが強くって。ただ、今はその現れ方が変わっただけ。それだけの違い。結婚はしたんだね。
 女官 した。
 居酒屋の主人 誰と。
 女官 貴方の知らない人。
 居酒屋の主人 此処に居るのか。
 女官 死んだ。
 居酒屋の主人 あの若い小姓は? てっきりあいつと結婚するんだと思っていた。
 女官 あの人も死んだ。
 居酒屋の主人 えっ。病気で?
 女官 溺れて。末息子が海で嵐にあって、助けに行って。息子の方は通り掛かった船に助けられ、父親は溺れ死に。
 居酒屋の主人 そうか、するとあの若い小姓は・・・
 女官 死んだ。後年は白髪の学者だった。あの人によく腹を立てて居たわ、貴方。
 居酒屋の主人 (当たり前だ。)いつもバルコニーであいつとキスをしていたじゃないか。
 女官 だって貴方ったら何時でも、あの将軍の娘とダンスじゃない。
 居酒屋の主人 いとも礼儀正しくね。
 女官 あんな事言って。何時も耳に何か囁いて居たくせに。
 居酒屋の主人 そう、囁いて居たよ。一二三、一二三、一二三、と。運動神経がなかったからな、あの子は。
 女官 滑稽。
 居酒屋の主人 正に滑稽。涙が出て来る。
 女官 結婚してたら、私達幸せだった? 確信ある?
 居酒屋の主人 そりゃそうさ。君は疑う? 黙ってるの? 何故?
 女官 永遠の恋なんてない。
 居酒屋の主人 此処で酒のみの相手をしているといろんな恋を聞かされるんだ。君みたいに断定は出来ないよ。理性的でよく観察出来るのは君の方だったじゃないか。
 女官 そうだった。謝ろう。あの小姓とキスをしたこの呪われた私を、お許し召され。さ、手を。
(エミールとエミリア、手を握る。)
 女官 こんな事しか残されていないのね。やり直しはきかないわ、人生って。
 居酒屋の主人 それでいいよ。君に会えたんだ。好かったよ。
 女官 私も。でも今の私もっと馬鹿。涙なんか枯れて仕舞った。ゲラゲラ笑ったり、罵ったりするだけ。他の事を話しましょう。差し支えなければ。さもないと、馬方の様に怒鳴ったり、馬のように嘶(いなな)いたりしそう。
 居酒屋の主人 あ、そうだ。話す事があった。愛し合っている二人の子供がいるんだ。助けてやらなければ死んで仕舞うかも知れない。
 女官 誰? その子達。
 居酒屋の主人 王女と若者。王女は若者を追って家を出た。君達はその王女を追って此処まできたんだ。若者は君達の後に此処に着いた。
 女官 二人は出会ったの?
 居酒屋の主人 出会った。もう喧嘩もやった。
 女官 太鼓ー叩け。
 居酒屋の主人 何を言ってるんだい。
 女官 ラッパー吹け。
 居酒屋の主人 何のラッパだい。
 女官 気にしないで。お城での癖。火事、洪水、台風の時、こうやって命令するの。番兵、構えー銃(つつ)。何かすぐやらなくちゃ。王様にお伝えしなければ。子供達が死んで仕舞う。構えー刀(とう)。戦闘、用意。突撃! (走り、退場。)
 居酒屋の主人 分った。 エミリアは近衛兵と結婚していたんだ。ラッパー吹け。太鼓ー叩け。構えー刀(とう)。煙草。悪口。かわいそうな、誇り高い、優しいエミリア。夫には分っていなかったろう。自分がどんなに素敵な女と結婚して居たか。あの野郎。
(王、総理大臣、庶務大臣、女官達、侍女達、走り登場。)
 王 姫を見たのか。
 居酒屋の主人 はい。
 王 真っ青で、痩せ細り、立って居るのがやっとだったか。
 居酒屋の主人 陽に焼けて、食欲があって、子供の様に走り廻っていました。
 王 はっはっは。偉いぞ。
 居酒屋の主人 有り難うございます。
 王 お前ではない。姫が偉いのだ。まあいい。ついでにお前も偉いことにしておこう。で、男も居るのか。
 居酒屋の主人 はい。
 王 惚れとるんだな。
 居酒屋の主人 ぞっこん。
 王 はっはっは。そうか、そう来なくっちゃ。苦しんどるか。
 居酒屋の主人 ひどく。
 王 それでいいんだ。はっはっは。あいつは苦しんどる。姫は元気、健康、平静、陽気・・・
(猟師、弟子を連れて登場。)
 猟師 薬を呉れないか。
 居酒屋の主人 何の。
 猟師 それが分れば苦労はせん。わしの弟子が病気なんだ。
 居酒屋の主人 お前が?
 弟子 僕? 僕なんて死んだって先生は気がつかないさ。
 猟師 わしの新入りが病気なんだ。食べもせんし、飲みもせん。返事も上の空。
 王 姫だな。
 猟師 誰だって?
 居酒屋の主人 お前の新入りってのは、変装した王女様なんだ。
 弟子 おったまげた。僕はもうすこしであいつに拳骨を食らわすところだった。
 猟師(弟子に。)馬鹿、とんま、おまえは男と女の区別もつかんのか。
 弟子 先生だって。
 猟師 こんなあほな事につきあっている時間が有るかっていうんだ。
 王 黙れ! 姫はどこだ。
 猟師 おいおいおい、おっさん。わしはな、繊細な、微妙な仕事に携わって居る男だぞ。怒鳴り声は我慢ならん。(この俺様によくそんな事が訊けるな。)殴ってやる。
 居酒屋の主人 こちらは王様ですよ。
 猟師 ええっ。(深くお辞儀をして。)お許し下さい、陛下。
 王 姫はどこだ。
猟師 王女様は私共の部屋の暖炉の傍にお座り遊ばされ、じっと火の燃えるのを、ご覧になっています。
 王 わしをそこへ案内しろ。
 猟師 喜んで、陛下。どうぞこちらへ、陛下、案内いたしますから。私に証明書をお願い致します。右の者、正に王女に狩りの技術を指導したる者なり。と。
 王 分った。あとでな。
 猟師 有り難うございます、陛下。
(退場。庶務大臣、両耳を塞ぐ。)
 庶務大臣 さあ、そろそろピストルの音がするぞ。
 居酒屋の主人 何故。
 庶務大臣 後をつけて来る者は誰でも殺すと誓ったじゃないか、王女は。
 女官 まさか父親は撃たないでしょう。
 庶務大臣 私は人間と言うものを知っている。一旦誓ったら父親だって例外じゃない。
 居酒屋の主人 弟子の方は弾を抜いておかなかったなあ。
 女官 さあ走って。王女様を説得しなければ。
 総理大臣 しっ。王様が帰って来る。怒っているぞ。
 庶務大臣 また死刑を始めるぞ。僕は風邪を引いているのになあ。すまじきものは宮仕え。
(王と猟師、登場。)
 王(大きな声でなく、さっぱりと。)私は悲しい。あの子は火の傍で、静かに、うちひしがれて、座っている。独りで、そう、たった独りで。家から出て行き、私の手の届かない所へ言ってしまった。たとえ軍隊を総動員しようと、王のあらゆる権限をあの子に譲り渡そうと、あの子には何の役にも立たない。どうしてこんな事になったんだ。私はどうしたらよいのだ。あれを育て慈しんできた此の私が急に何もしてやれなくなるとは。あれは私から遠く離れた所に行って仕舞った。あれの所に行ってやってくれ。問いただして呉れ。ひょっとするとまだなんとか助けてやれるかも知れない。さあ、誰か行け。
 庶務大臣 撃たれちゃいますよ、陛下。
 王 それがどうした。どうせお前達は死刑を宣告されているじゃないか。呆れたもんだ。よく、そうころころと気分が変わるもんだ。私の可愛い娘は何処に行った。恋に傷つき、暖炉の傍に座っている。そう、傷ついて。私には分る。私は今までさんざん人を侮辱してきた。しかしその侮辱を全部併せても、この侮辱には叶わない。あいつが娘に何をしたか、娘に聞くんだ。あいつをどう扱ったらいいか聞いてくるんだ。死刑か。そいつはお手のもの。あいつと会って来いと言うのか。それなら会いもしよう。さあ、誰か行け。
 居酒屋の主人 王様、私に行かせて下さい。
 王 許さん。よそ者は駄目だ。城の身内の者に行かせる。
 居酒屋の主人 恋する者にとって身内は他人です。すべては変わって仕舞うのに、身内は変わらないですからね。
 王 それには気付かなかった。正しい意見だ。しかし命令は変えられん。
 居酒屋の主人 何故。
 王 なぜ? なぜって頑迷固陋(がんめいころう)、馬鹿だから。れいの叔母の血が、馬鹿は死ななきゃ直らない、あの血が私の体のなかで目覚めて。帽子を寄越せ。
(総理大臣、王に帽子を渡す。)
 王 紙!
(居酒屋の主人、王に紙を渡す。)
 王 さあ、籤をひくとしよう。と。これで良し。十字の印を引いた者が王女のところへ行くんだ。
 女官 十字の印なんかでなく、この私に行かせて下さい、陛下。王女様にお話ししたい事があるのです。
 王 許さん。私には王権が授けられて居る。私が王様じゃないとでもいうのか。籤だ、籤だ。総理大臣、お前が最初だ。
(総理大臣、籤を引く。紙を広げる。)
 総理大臣 ああ、悲しや。
 庶務大臣 ああ嬉しや。
 総理大臣 十字の印なし。
 庶務大臣 あほ。悲しや、なんて言うな。紛らわしい。
 王 静かにせい。女官、お前の番だ。
(籤を引く。)
 女官 私が行くことになりました、陛下。
 庶務大臣 心の底からおめでとう。ご冥福を祈るよ。
 王 さあ、籤を見せろ、女官。(女官から籤をひったくる。見て首を振る。)なんたる嘘つき。なんていう頑固な家来共だ。何処までこの哀れな国王を馬鹿にせねばならんのだ。次! (庶務大臣に。)お前の番だ、今度は。何処へ。何処へ逃げる、この馬鹿。目を瞑(つぶ)ったって変わりはしない。帽子はお前の前にある。さあ、引くんだ。
(庶務大臣、籤を引き、見る。)
 庶務大臣 はっはっは。
 王 何が、はっはっはだ。
 庶務大臣 即ち、私は、「ああ、残念。」と、言いたかったんです。正直なところ、私は運のない男だ。十字の印がないんだからな。ああ、残念、何という屈辱。次!
 王 おい、籤を見せろ。
 庶務大臣 籤? 誰の?
 王 お前のだ。早くしろ。(籤を見る。)十字の印がないだと?
 庶務大臣 ありませんが。
 王 じゃ、これは何だ。
 庶務大臣 これがどうして十字ですか。おかしい、実際。だってこれエックスって言う字でしょう。
 王 馬鹿め。これこそ十字の印だ。行け。
 庶務大臣 皆さん。皆さん、正気に返って下さい。私達のやって居ることは、一体なんでしょう。政務をすて、地位と財産を放りだして、山へ、山へと馬を駆ってきました。橋を渡り、獣道(けものみち)を通って。私達は何の為にこんな事までして居るんでしょう。
 女官 愛の為です。
 庶務大臣 皆さん、どうか真面目に話しましょう。この世に、愛なんかありはしないんですよ。
 居酒屋の主人 ある。
 庶務大臣 恰好つけちゃって。恥を知れ、恥を。居酒屋の主(あるじ)なんだろ。酒でも出していりゃいいんだ。
 居酒屋の主人 なんと言われても、この世に愛がある事を証明してみせます。
 庶務大臣 愛なんかあるものか。私は、人間なんか信用した事がないんだ。信用しようにも、連中の事を知りすぎているんだ。その知りすぎた私が、一度も人を愛した事がない。つまり愛なんかないってことだ。そのないもの、偏見、虚構のために、この私は死にに行くんだ。(馬鹿らしい。)
 王 ぐずぐずするな、馬鹿者。自分さえよければいいんだ。お前っていう男は。
 庶務大臣 分りました、陛下。自分さえよければ、というのは、止めましょう。でもお聞き下さい。密輸業者が深い谷間に棒を渡して渡る時、商人が小さな船で大海原に乗り出す時、これは立派な事、理解出来る事です。だって連中は金を稼ごうとして居るんですからね。でも今の此の私、一体何の為に命を失うんですか。愛、の為。いちゃいちゃして、ちちくりあって、いい気持ちになる。(愛なんて、それだけの事じゃないか。)こんな事の為に死ねるか。
 女官 お黙りなさい。なんて下劣な。
 庶務大臣 陛下、この女に怒鳴らない様、命令して下さい。(女官に。)ねえ、君。そんな顔をして私を見るなよ。まるで自分が言って居ることを、本気で信じている顔だ、それは。人間なんて豚野郎じゃないか。それを認めるか、勿体をつけて認めないふりをするか、その違いだけさ。 俺は下劣じゃない。悪人じゃない。悪いのは、上品ぶった殉教者、放浪の伝道者、吟遊詩人、流しの音楽家、下品な語りべ。あいつらなんだ。俺は(こいつらとは違う。)上品ぶったりしちゃいない。誰の目にも、俺の欲しい物は見え見え。(見られていても構わず)皆から少しずつピンハネ。(今は金持ち。)だから今じゃ、もう怒ることは何もない。陽気に、楽しく、悠々と座って、算盤を弾いている。(詰まり私は悪人じゃない。)だけど人の感情を膨らませるあの連中、人の心を迷わせるあいつらが、本当に悪い奴なんだ。お上も掴まえられない人殺しなんだ。奴らが、此の世に良心があるなどと嘘を言い、思い遣りはいいもんだと、言い触らし、忠誠、誠実を称え、勇気を教え、それで騙された馬鹿共を、死に追いやるのだ。愛をでっち上げたのも奴らなんだ。愛などあるもんか。私の言うことを信じればいいんだ。しっかりした、財産のあるこの私の言う事を。
 王 じゃ、何故姫は悩んでいる?
 庶務大臣 まだ若いからです、陛下。
 王 よろしい。それがお前のこの世での最後の言葉だ。お前も死刑だ。同情の余地などない。行け! 一言も許さん。撃ち殺すぞ。
(庶務大臣、ぐらつきながら退場。)
 王 あの悪魔め。一体何故あんな奴の言う事を聞く気になったんだ。急に叔母の事を思い出したじゃないか。あの叔母は誰の言う事でもすぐ信じた。だから十八回も結婚した。ただ惚れたなんてのは数知れない。本当に愛はこの世にないんだろうか。王女もただ扁桃腺炎か気管支炎に罹っているだけ、それなのに、私が心配しているっていう事なのか。
 女官 陛下・・・
 王 何も言うな、エミーリア。お前は神を信じている女だ。(お前に聞いても、答えは分っている。)若い者に訊こう。アマンダ、お前は愛があると思うか。
 アマンダ いいえ、陛下。
 王(女官に。)そらみろ。(アマンダに。)何故だ。
 アマンダ 昔、ある人を愛しました。それが余りひどい人だったので、愛なんて信じなくなりました。それからは、誰もかれも惚れちゃう事にしたんです。どうせ皆同じです。
 王 見てみろ。お前はどうだな、オリンチア。
 オリンチア 真実以外なら、陛下の御意の儘に。
 王 どういう意味だそれは。
 オリンチア 愛について真実を語るのは恐ろしくて、また辛い事。全く出来なくなりました。今では、人が私に言って貰いたいと思っている事を言うことにしています。
 王 お前は私にただ一つの事を言えば良い。この世に愛はあるのか。
 オリンチア あります、陛下。ある方が都合がよいと仰(おっしゃ)るなら。私自身も一度だけ恋をした事がございます。
 王 ひょっとすると、ないのではないか。
 オリンチア ありません、陛下。あって欲しくないと仰るなら。あるのは単に、いちゃいちゃ、べたべた、そのあとくっついて離れて、それでお仕舞い。
(ピストルの音。)
 王 これがお前の言うお終いか。
 猟師 ああ、神様、彼を天国に召したまえ。
 弟子 ひょっとして撃ち損ねたら。
 猟師 何を言うか。わしの弟子だぞ。だが・・・
 弟子 弟子と言える程長く教えているのかなあ。
 猟師 誰の事を言っとる。誰の前で言っとる。気をつけて物を言え。
 王 静かにしろ。私の邪魔をするな。私は嬉しい。はっはっは。あの子をこの年寄りの馬鹿な私が、温室育ちにしたんだが、やっとその温室から抜け出たか。これであの子も普通の人間らしく振る舞うぞ。厭な事があれば、誰でも構わずぶっぱなす。(啜り泣きをする。)あの子も大きくなった。おい、あるじ、死体は片づけておくんだ。
(庶務大臣、登場。手に煙の出ているピストル。)
 弟子 撃ち損ねた。はっはっは。
 王 これはどういう事だ。きさま、何故生きとる。
 庶務大臣 だって撃ったのは私ですから、陛下。
 王 お前だと。
 庶務大臣 はい、さようで。
 王 誰を。
 庶務大臣 誰。誰をって・・・王女様ですよ。いえ、いえ、驚かないで。生きていらっしゃいますから。
 王 おい、お前、ギロチンを持って来い。それに死刑執行人とウオッカだ。ウオッカはわしのため。他はこいつのためだ。早くしろ。
 庶務大臣 慌てないで、パパ。
 王 パパとは何だ。何のつもりだ。
(熊、登場。扉の所でとまる。)
 庶務大臣 パパって、王様、あなたの事です。だって、パパなんですから。慌てないで。王女様と私は婚約したんです。
 女官 太鼓ー叩け。ラッパー吹け。構えー銃(つつ)。
 総理大臣 あいつめ、とうとう頭に来たか。
 居酒屋の主人 そうだったら有り難い。
 王 何の事だか分る様にはっきり話せ。さもないと撃ち殺すぞ。
 庶務大臣 喜んで話しますよ。うまくいった事を話すのは嬉しいもんです。どうぞお座り下さい、皆さん。構いません。私が許可します。ああ、座りたくない? それならそれで結構。さて、本題と。つまり・・・行かされたんですな、無理やり、私は、あの子の所へ。行ったんです、ですから。扉を少し開けて思いましたね、ああ、殺されるんだって。喜んで死のう、そう思いました。御列席の皆様方と同じ気持ちですね、つまり。王女様は扉の軋む音で振り返り、跳び上がりました。私の方は、皆さんお判りでしょう。あっ、と言いましたよ。言うが早いか、ポケットからピストルを抜き、皆さん誰でも私の立場だったらそうするでしょう、王女様にぶっ放しましたよ。王女様はそれに気がつきもしない様子で、私の手を取って言ったのです。私考えたわ、暖炉の傍に座って。そして誓ったの。今から出会った一番最初の人と結婚するんだって。はっはっは。見てみろ。ついている。何という運のよさだ。弾が外れたのがまたうまくいった。ついてる。じつについてる。
 女官 かわいそうな王女様。
 庶務大臣 横から口を出すな。私は訊きました。それじゃ、私はあなたのお婿さん? 王女様は答えました。だってしかたないでしょう? 貴方が急に現れてきたんですもの。見ると、唇は真っ青、指は震え、目には感情が溢れ、首の血管がドッキンドッキン脈打っているんです。(息を切らして。)どきっ、どきっ、どきっ。
(居酒屋の主人、ウオッカを王に持って来る。庶務大臣、ひったくって、一息に飲み干す。)
 庶務大臣 万歳! 私は王女様を抱き締めて、チュッしました。唇に。
 熊 黙れ。殺してやる。
 庶務大臣 大丈夫、大丈夫。今日もう殺されかかったではないですか。それがほら、どうですか。何処まで話していたんだっけ。あ、そうそう、二人でチュッしたところまで。
 熊 黙れ。
 庶務大臣 王様、話の腰を折らない様、皆に命令して下さい。そのぐらいして下さっていいでしょう。私達はチュッしました。それから王女様は言いました。「行ってパパに報告して頂戴。その間に私、女の服に着替えるわ。」で、私は言いました。「ボタン掛けるの手伝わせて。紐で結んだり、締めたりするの手伝わせて」ってね。へへへへへ。すると王女様ったら媚態(しな)を作って、「あっちへ行って」だって。で、私も、「またすぐお目にかかります、王女様。可愛い、可愛い、ボインちゃん」って。へへへへへ。
 王 こん畜生め。おい、お前、そこの者・・・薬箱から何か捜して持って来い。気が遠くなりそうだ。それなのに頭にこびりついて居るものがある。その正体がわからない。まずい事が起こっているのに何もできない。だから音楽が聴きたい、花を見たい。誰かを斬り殺したい。
(王女、登場。父親に身を投げ掛ける。)
 王女(すてばちな気持ちで。)パパ、パパ! (熊に気付く。落ち着いて。)今晩は、パパ。私結婚するの。
 王 誰とだ。姫。
 王女(庶務大臣を顎で差して。)あの人と。こっちに来なさい。私の手を取って。
 庶務大臣 喜んで。へっへっへっへ。
 王女 いやな笑い方は止して。撃ち殺しますよ。
 王 あっぱれ、これでわが娘。
 王女 結婚式は一時間後にします。
 王 一時間後? それはいい。結婚式は何時だって、楽しく陽気な行事だ。あとはどうにでもなるだろう。事実、娘は、見つかったし、全員無事で元気。酒も余る程ある。荷物を解け。皆一張羅を着るんだ。ありったけの蝋燭をつけろ。その後はその後で、何とかしよう。
 熊 待て!
 王 何だ?(これは希望を持って言う。)おいおいおい、さあ。口がきけんのか。
 熊 (抱き合って立っているオリンチアとアマンダの方を向いて。)結婚して下さい。 僕の妻になって下さい。僕です。この僕です。若くて、健康で、純真です。いい男です。決して辛い思いはさせません。僕の妻になって下さい。
 王女 答えてはいけませんよ!
 熊 何だって。君にはよくて、僕には駄目だって。
 王女 私は誓ったのよ。最初に会った人の所へ行くって。
 熊 僕だってそうさ。
 王女 私・・・ もういい。もう沢山。もうどうなってもいい。(出口へ進む。)さあ、お前達(これは女官達に。)行きますよ。婚礼衣装を着るのを手伝っておくれ。
 王(男達に。)さあ、お前達も奥へ。婚礼の料理を用意するのだ。あるじ、お前にも手伝って貰わねば。
 居酒屋の主人 かしこまりました、陛下。どうぞお先に。後から参ります。(女官に、ひそひそと。)どんな口実でもいいから、王女様をもう一度此処へ、この部屋へ連れて来てくれ。
 女官 力ずくでも引っ張って来る。首を掛けてもいい。
(熊とアマンダ、オリンチアを除いて、全員退場。女の二人は壁の所で、抱き合って立っている。)
 熊 (二人に。)僕の妻になって下さい。
 アマンダ ねえ、ちょっと訊きますけど、私達のうち何方にプロポーズしてるの。
 オリンチア ここには二人いるのよ。
 熊 ごめんなさい。気がつかなかった。
(居酒屋の主人、走って登場。)
 居酒屋の主人 逃げなさい。さもないと死ぬ様な目にあいますよ。恋人同士が喧嘩をしている時に近づき過ぎると危険です。死ぬ程危険。遅くならないうちに逃げなさい。
 熊 行かないで。
 居酒屋の主人 黙るんだ。縛るぞ。お前はこの娘達がかわいそうとは思わないのか。
 熊 僕の事を誰もかわいそうとは思ってくれない。僕だって思ってやるもんか。
 居酒屋の主人 そら聞いたろう。逃げるんだ。早く逃げるんだ。
(オリンチアとアマンダ、辺りを見回しながら退場。)
 居酒屋の主人 ねえ、君、馬鹿だよ。しっかりするんだ。お願いだ。頼むから。分別のある優しい言葉、それさえあれば君はまた幸せになれるんだ。分るだろう? 王女様、聞いて下さい。そう言うんだ。僕が悪かった、許して、怒らないで。ぼくはもう決して・・・僕はどうかしていたんだ。そう言ってパッとキスしちゃえばいいんだ。
 熊 いやだ。
 居酒屋の主人 強情を張らないで。キスするんだ。ただぐっと強くだぞ。
 熊 駄目だ。
 居酒屋の主人 時間がないんだ。結婚式まであと四十五分しかない。仲直りの時間があるかないかギリギリのところだ。急ぐんだ。正気に返るんだ。足音が聞こえる。あれはエミーリアが王女を連れて来る所だ。さあ、顔を上げて。
(扉がさっと開く。豪華な衣装をきた女官が部屋に入って来る。おつきのもの達が蝋燭のついた燭台を持って登場。)
 女官 皆さん、御成婚をお祝いしましょう。
 居酒屋の主人 聞いたか。坊や。
 女官 我々全ての悲しみと不幸に終止符を打つ時が来た。
 居酒屋の主人 あっぱれ、エミーリア。
 女官 王女様の御命令により、四十五分後に執り行われる予定の、庶務大臣との婚礼の式は・・・
 居酒屋の主人 偉いぞ。それで?
 女官 もうまもなく挙行されます。
 居酒屋の主人 エミーリア、正気に戻れ。これは不幸な事なんだ。それなのに笑って居られるのか。
 女官 命令がそうなの。私に触らないで。勤務上の義務を果たして居るのです。呪われても仕方がない。(嬉しそうに)どうぞ、陛下、準備は整いました。(居酒屋の主人に。)だって、私に何が出来るって言うの。王女様は強情・・・丁度、丁度何時かの私達みたいに。
(貂(てん)のマントを着、王冠をつけて、王登場。婚礼の衣装をつけた王女の手を取って導く。離れて後ろに庶務大臣が従う。彼の十本の指には、ダイヤの指輪が光っている。その後ろに着飾った宮廷人達。)
 王 じゃあ、結婚式を始めるか。(期待を持って、熊を見る。)本当に今始めるぞ。冗談じゃないぞ。一二の三。(溜め息をつく。)結婚式開始! (厳かに。)我等が王国の名誉聖者、名誉大殉教者、名誉ローマ法王として、婚礼の秘蹟をとり行う事にする。婚姻を約束したる者達よ、手を!
 熊 やめてくれ。
 王 やめてくれか? それで、さあ、それから。遠慮は要らん。次は?
 熊 みんな出て言ってくれ。二人だけで話したいんだ。出て行ってくれ。
 庶務大臣(前に進み出て。)このごろつきめ。
(熊、すごい勢いで突き飛ばす。庶務大臣、扉の方まで吹っ飛ぶ。)
 女官 万歳! あ、失礼、陛下。
 王 いや、構わん。私も嬉しい。こう見えても父親だからな。
 熊 出て行って。お願いだ。二人だけにして。
 居酒屋の主人 陛下。陛下。行きましょう。悪いですから。
 王 とんでもない。俺様も二人の話の成り行きが知りたいんだ。
 女官 陛下!
 王 下がりおれ! あ、まあよかろう。どうせ鍵穴から話は聞こえるさ。(爪先で走り去る。)さあ行こう、さあ、行こう。わるいから、わるいから。
(王女と熊を除いて退場。)
 熊 王女様、もうみんな言ってしまいます。お会いしたのは不幸でした。愛しあったのは不幸でした。僕は・・・僕は熊なんです。若しキスをされると熊に戻って仕舞うんです。
(王女、手で顔を覆う。)
 熊 僕だって嫌です。僕のせいじゃない。、魔法使いのせい。あの人にしてみればただの悪戯。でも哀れな僕たち。このひどいもつれよう。だから逃げたんです。そして誓ったんだ。君を悲しませるぐらいなら死んだ方がいいんだって。御免なさい。だけど僕じゃない。あの人が悪いんだ。御免なさい。
 王女 あなたは、急に熊に変わって仕舞うの?
 熊 ええ。
 王女 私がキスした瞬間に?
 熊 ええ。
 王女 檻の中みたいに部屋の中をあっちへこっちへ、ふらふら歩き廻るのね。人間の言葉では決して話しかけてはくれないのね。私が長話で貴方をうんざりさせたら、私に向かって、獣の声で吼えるのね。この二三日の、あの激しい喜びと悲しみが、こんなに暗い終わり方をする。そうなの?
 熊 ええ。
 王女 パパ! パパ!
(王、走って登場。おつきの者すべて従う。)
 熊 パパ、この人・・・
 王 分ってる。分ってる。ちゃんと聴いて居たよ。残念だなあ。
 王女 馬に乗ってすぐ出て行きましょう。
 王 待てよ、待て待て。わしの心の中に何か恐ろしいことが起こりかけている。優しい何かーー恐ろしい事だーー優しい何かが心の中に目覚めたようだ。ちょっと待って呉れ。ひょっとして追っ払わなくてもいいんじゃないか。な? 人間でないものが住んでいたって・・・なあ。熊だ、スカンクじゃない。毛を整えてやったり、馴らしたり出来るじゃないか。時々は我々に踊りをみせて呉れるって事もあるかも知れない。
 王女 駄目。私あの人を心から愛していて、とてもそんなこと出来ないわ。
(熊、一歩前へ出て立ち止まる。頭を垂れる。)
 王女 さようなら。これっきり。さようなら。(走り去る)
(熊を除いて全員退場。突然音楽が鳴り始める。、窓がひとりでに開く。太陽が昇る。雪は全くない。山の傾斜には草が生えて居る。花が風に揺れて居る。わっはっはの笑い声と共に主人登場。熊をちらっと見て、すぐ微笑みを止める。)
 主人(大声で叫ぶ。)おめでとう、おめでとう。ご結婚、おめでとう。
 女主人 黙って。馬鹿ね。
 主人 何故馬鹿なんだい。
 女主人 見当違いの事を大声で言って。結婚式に喜びではなく、その代わりに悲しみが・・・
 主人 え、何だって? そんな馬鹿な。僕は態々連中をこの居心地のよいホテルに連れて来て、雪で全部の出入り口を塞いだんだ。 これは好い思いつきだった。あんまり気に入ったもんだから、万年雪も解けちゃって、山の斜面も太陽に当たって、草が生えて来ている。彼女にキスしなかったのか。
 熊 ええ、だって・・・
 主人 臆病者。
(悲しい音楽。緑の草。花の上に雪が降りかかる。頭を垂れて、誰の方も見ず、王女、王に腕を凭れて部屋を横切って進む。彼らの後におつきの者全員が従う。行列は窓の外を、降る雪の下を進む。居酒屋の主人、旅行鞄を持って走り登場。鍵束を振る。)
 居酒屋の主人 皆さん、皆さん。ホテルは店終いです。私は出てゆきます。皆さん。
 主人 分った。鍵は僕が預かろう。全部閉めて置くよ。
 居酒屋の主人 これは有り難い。猟師を急がせてな。免許状を詰め込んでいる所なんだ。
 主人 分った。
 居酒屋の主人(熊に。)かわいそうに、君。あのね・・・
 主人 早く行った方がいい。こいつには僕から話すから。急がないと遅れるぞ。おいてきぼりになるぞ。
 居酒屋の主人 これは大変。(走り退場。)
 主人 ねえ、君。あの子にキスをしないなんて事、どうして出来たんだ。
 熊 だって、それがどんな結末になるか、あなただって知っているじゃないですか。
 主人 僕が? 知らないね。君はあの子を愛していなかったんだ。
 熊 それは違う。
 主人 愛して居なかった。愛していたとしたら、魔法の様な無分別の力が君を捉えていた筈だ。あの崇高な感情で一杯になって居るとき、誰が判断力や予測する力を持つ余裕があるというのか。位の低い、武器を持たない者達でも、近しい者への愛情から、王を玉座から追い払おうとさえする。祖国への愛の故に、兵士達は死を死とも思わない。すると死の方が一目散に逃げてゆく。真理への愛の故に、賢者は空に上ったり、地獄に潜ったりする。美への愛の故に、人々は地球をつくり変えて行く。王女への愛の故に、君は一体何をしたんだね。
 熊 僕は拒絶した。
 主人 たいした行為だ。ところで君は知っているか。愛する者には一生のうちでたった一度、何でも可能になる日があるという事を。君はその幸運を無駄にやり過ごして仕舞ったのさ。これでさらばだ。もう君には力になってやらない。それどころか、これからは全力で邪魔してやる。こんな事になって仕舞ったとは・・・もともと陽気で悪戯な僕も君の為につい説教をやって仕舞ったな。さ、行こう、お前、鎧戸を閉めに。
 女主人 行きましょう、悪戯っ子さん。
(鎧戸を閉める音。猟師と弟子、登場。二人の手には大きな紙鋏がある。)
 熊 百頭目の熊を仕留めませんか。
 猟師 熊? 百頭目?
 熊 そう。もうすぐ、僕は王女様を捜してキスするんだ。僕は熊に変わる・・・その時僕を撃つんだ。
 猟師 分った。そいつはいい。名案だ。しかし君の親切に甘え過ぎて悪いな。
 熊 構わないさ。遠慮は要らない。
 猟師 王女様はどう思うかな。
 熊 喜ぶさ。
 猟師 それじゃあ・・・芸の道には犠牲がつきものか。承知した。
 熊 有り難う、相棒。さあ、行こう。
                   (幕)
   
     第 三 幕
(階段状に海へと下がっている庭。糸杉。棕櫚。柔らかい緑。花。広々としたテラス。その手すりに居酒屋の主人が座っている。全身白づくめの夏服を着ている。血色がよくなり、若返っている。)
 居酒屋の主人 アウー、アーウー。もーし、もーし。修道イーン。修道イーン。どうぞー。管理ニーン。何処にいるー。ニュースがあるんだー。いいかー。ニュースだよー。まさかこれを聞きたくないっていうんじゃないだろうね。それとも、離れた所から意思を通じ合う方法を全く忘れちゃったのかな。この一年間ずっと君を呼び出していたのに駄目。うんともすんとも返事をして来ない。管理ニーン。アーウーウー。もーし。もーし。(跳びあがる。)万歳! もーし。もーし。やあ、今日は。やっと出たか。あ、そんなに怒鳴るなよ。耳が痛いよ。そんな事どうでもいいよ。僕だって嬉しいさ。あ、怒鳴らないで。何だって? いや、まずそっちが話せよ、この一年間にあったこと全部。それからだ、僕の話は。うんうん。あったこと全部話すさ、何一つ落とさず。心配するな。分った、分った。そんなに溜め息をついたり、泣いたりせず、仕事、仕事。情報、情報。うん、うん、なるほど。それで君がどうしたって? 修道院長? それで彼女が? はっはっは。 はしっこい女だ。なるほど。それで残していった僕の居酒屋は? 営業している? まさか。うん、うん。もう一回言って。(啜り泣きをし、鼻をかむ。)それはいい。涙が出てくるね。 ちょっと待って、書き留めておくから。ここではいろんな不幸、嫌な事ばかりあってね。楽しい話は、だから集めておくと役にたつんだ。えっ? 人が何て言ってるって? 彼が居ない宿屋は魂なしの体だけだって? 彼って僕の事? 有り難う。嬉しがらせて呉れるなあ、君は。それから何だって? それ以外は変わりなし? ぜーんぶ同じだって? 奇跡だねこれは。僕がそこに居ないのに、何にも変わった事がない? 驚いた。驚いた。分った。今度はこっちの話す番だな。まず自分の事から。僕は苦しんだ、辛かったよ。いや、考えてみてくれ。僕は国に帰った訳だ。そうだろう? まわりは皆素晴らしいよ。な。みんな明るく、楽しく、丁度僕が若かった頃と同じ。ただ僕だけが昔の僕じゃなかったんだ。折角の幸運のチャンスも欠伸をしてやりすごして仕舞ったんだ。ひどい話だよね。こんな事を僕は何故陽気に話せるんだろう。やはり故郷だからだなあ・・・だから辛くて堪らない事だらけでも五キロも体重が増えてしまった。どうしようもないね。これが生きると言うことか。この他にね、苦労は苦労として、僕は結婚したよ。彼女とだ、彼女と。そらあのエ、エ、エ、と。どうして分らないんだ! エだよ。彼女の名前は全部は呼ばない。だって結婚した後でもエを尊敬しているんだ。僕と結びついているこの名前を世界中に広めるなんて出来ないね。ぶつくさ言うことはないよ。君は恋なんてどうせ分りはしない修道士だからね。何だって? そんなものがどうして恋なんだ。馬鹿。(間)問題はそこなんだ。(間)ええっ? 王女様はどうかって? まずいね、兄弟。悲しい事だよ。こちらへ来てどっと病みついてね。君が信じていないものが原因で重い病(やまい)に・・・そう、そう。恋の病。そこに問題があるんだ。医者の話だと命に関わるとのこと。勿論こんなこと信じたくないさ。そんなことになったら不公平じゃないか。いや、あいつは来なかった。来てないよ。猟師はきたがね。熊はさっぱり行方が知れないんだ。恐らく庶務大臣閣下が手を変え品を変えて、此処に来させない様にして居るんだよ。そう、驚いたろう? 庶務大臣は今や閣下で、悪魔の様に威勢がいい。金の力だよ、兄弟。金持ちも金持ち、大金持ちになって、怖いくらいだ。やりたい事は何でもやる。魔法使い? まあ、似たようなもんだね。もうやめよう。あんな奴の事話すのはぞっとしてくる。猟師はどうしてるかって? いや、狩りはやっていないね。狩猟の理論について本を書こうとしているよ。何時出版かって? 分らないね。まだ断片を印刷しようとしているだけなのに、同業者と撃ち合いの喧嘩をおっぱじめて、いやコンマのつけ方で意見が合わなくて・・・王様の狩りの時にはとりしきって居るよ。それからこの人結婚したよ。ほら王女様のおつきのアマンダと。娘が生まれて名前がムーシュカ。猟師の弟子もオリンチアと結婚。男の子が生まれて、名前がミーシェン、という具合だ、兄弟。王女様が苦しんで病にふせっていても、生活の方はそれなりに流れて行く。何だって? 魚は君の所よりこっちが安いな。牛肉は同じ値段だな。何? 野菜はね、兄弟、信じられない様な奴があるんだ。あまり金持ちでない家庭はかぼちゃを別荘として借りるんだ。避暑客はかぼちゃの中で、かぼちゃを食べて生活するという仕組み。西瓜も別荘用に貸し出されたけど、すいかじゃ湿気が多くて暮らし難いから止めたのさ。じゃ、失礼するよ、兄弟。王女様のおでましだ。悲しいことだ、兄弟。じゃ、失敬。明日又、今の時間に連絡するから。ああ、浮世にはいろいろあって・・・
(王女、登場。)
 居酒屋の主人 今日は、王女様。
 王女 今日は、エミール。貴方には今日まだ会ってなかったかしら。お話ししたわね、今日私が死ぬって言うことを。
 居酒屋の主人 そんな、死ぬなんて滅相もない。
 王女 そう言って下さるの、嬉しいわ。でも死ぬしか道は無さそう。もう息をするのも、見るのも苦しい。本当に疲れて居るの。でも誰にもこんな弱気は見せない。だって子供の時から人前で涙を流さない事になって居るんですもの。打ち身が出来る程痛いときでも。でも貴方は例外。味方ですものね。
 居酒屋の主人 そんな弱気な事は仰らないで。
 王女 でも今日死ぬ事になるわ。パンが無ければ死ぬでしょう? 水が無ければ、空気がなければ、やはり死ぬわ。それと同じ。私には幸せがないの、だから死ぬんだわ。
 居酒屋の主人 それは間違って居ます。
 王女 いいえ、人は恋をすると自分ですぐ分るものでしょう? それと同じ様に死が近づくとすぐ分るのです。
 居酒屋の主人 やめて下さい、王女様。お願いです。
 王女 悲しい話だって事は分っています。でもお別れを告げないであの世に行ってしまったら、貴方や他の人をもっと悲しませるでしょう。今手紙を書いて、持ち物を整理します。その間に皆を此処に集めて、此のテラスに。そうしたら出てきて皆さんにさよならを言いますわ。いいですね。(退場。)
 居酒屋の主人 なんて悲しい事。なんていう不幸。いやいや、僕は信じない、こんな事が起こっていいとはおもえない。立派な王女様、優しい王女様。誰にも何の悪いこともしていないのに。皆さん! 友達の皆さーん。早く来て。此処に。王女様のお呼びですよ。皆さーん。
(主人と女主人、登場。)
 居酒屋の主人 おや、あなた方でしたか、何と嬉しい、何たる幸せ。あなた方にも私の声が聞こえたんですか。
 主人 聞こえましたとも、勿論。
 居酒屋の主人 じゃ、お近くにいらして?
 女主人 いいえ、家で表の階段のところに座っていたんです。すると此の人が突然飛び上がって「さあ、行こう。呼んでいる。」ですって。大きな声でしたわ。それから私を両手で抱きかかえて、空高く舞い上がりました。そして真っ直ぐ貴方の所に、此処に下りてきたのです。今日は、エミール。
 居酒屋の主人 ようこそ、ようこそ。皆さん、此処で起こって居ることは、御存知でしょう? お助け下さい。庶務大臣が世継ぎの君になって、熊を王女様に会わせない様に邪魔するんです。
 女主人 ああ、それは庶務大臣じゃない。
 居酒屋の主人 じゃ誰が。
 女主人 私達。
 居酒屋の主人 まさか。自分で濡れ衣を着ることはないでしょう。
 主人 黙りなさい。泣いたり恐れたりする。ただただハッピーエンドを期待しているからです。一体どうなっちゃったんですか、貴方は。そんな終わり方は有り得ない。逆戻りなど出来ないんだ。あまったれちゃって。そういうのを堕落というのだ。南の棕櫚の木の下でふやけて仕舞ったのか。女房を貰ってやれやれなんて気分になって浮かれているんだろう。そう。そうなんだ。あの子を此処に来させなかったのは、この私なんだ。
 居酒屋の主人 ええっ? どうして。
 主人 王女が落ち着いて、品位をもって死に直面して貰いたいからだ。
 居酒屋の主人 ああ!
 主人 ええっ、とか、ああ、とか言うのはやめなさい。
 居酒屋の主人 でも、若し奇跡が起こって・・・
 主人 僕はね、君にホテルの経営の仕方とか、愛において真心を保つ方法とかを教えようとした事はなかった筈だよ。それなら君が僕に奇跡の事を云々するなんて変じゃないか。奇跡も他のあらゆる自然現象と変わらない。やはり自然の法則に則って起こるんだ。あのかわいそうな二人を窮地から助け出す力なんてこの世にはない。何が望みなのだ。あいつが僕達の目の前で熊に変わって、猟師に撃ち殺されるのが見たいのか。悲しいが、静かな終焉、そのほうがいいんじゃないのか。泣いたりわめいたり、しっちゃか、めっちゃか、そのほうがいいと言うのか。
 居酒屋の主人 いや。
 主人 じゃ、この事について話すのは止めよう。
 居酒屋の主人 しかしそれでも、あの子がどうかこうかして此処に辿り着く・・・
 主人 それは有り得ない。どんな静かな川でも、僕が頼んでおいたから、足を踏み入れただけでも、洪水を起こして道を妨げるし、いつも家にばかりいる山だって、石をぎいぎい言わせ、森をざわめかし、自分の位置を変えて、彼の行く手を妨げる。台風のことは言うに及ばずだ。あれは人の邪魔をするのが好きだからね。いや、これだけじゃない。僕も嫌だったんだが、悪い魔法使いに、意地悪をするよう頼んでおいた。ただ殺すのだけは禁じたがね。
 女主人 それから病気にさせるのも禁じたわ。
 主人 だけどそれ以外はみんな許した。だからあいつの乗っている馬を、大きな蛙が待ち伏せしていて、そこからパッと飛び出して、ひっくり返したり、蚊が刺したり。
 女主人 ただマラリアにはならないのよ。
 主人 そうは言っても、蜜蜂みたいにでかい蚊。それが恐ろしい勢いで刺すんだ。その上あの子を恐ろしい夢が苦しめる。あの熊の様に頑丈な奴だって、途中で怖くって最後まで見切れずに、目を覚ます。そんなおそろしい夢。悪い魔法使い達も全力を尽くしてやって呉れている。何しろ連中は我々良い魔法使いの手下なんだから。いやいや、みんなよくなるよ。みんな悲しく終わるんだから。さあ、皆を呼んで。王女に別れを告げよう。
 居酒屋の主人 みなさーん。みなさーん。
(エミーリア、総理大臣、オリンチア、アマンダ、猟師の弟子、登場。)
 居酒屋の主人 皆さん、(実は・・・)
 エミーリア いいの、もう話さなくて。みんな聴いたわ。
 主人 猟師は?
 弟子 トランキライザーを貰いに医者に。心配で、心配で、病気になりはしないかって。
 エミーリア おかしいわね。でも笑う元気もない。友達が死ぬ時って(悲しくって)何もかもみんな許しちゃえっていう気になってしまう。
 主人 エミーリア、エミーリア。大人じゃないですか。しっかりして。悲劇的幕切れには偉大さがなくっちゃ。
 エミーリア 偉大さですって?
 主人 そう。それは生き残った人々を深い思いに沈ませる力があるからです。
 エミーリア それが何故偉大です? 主人公を殺す、それも、冷たい心の人を一寸ほろりとさせ、無感動の人の心を一寸揺り動かす、ただそれだけのために。無駄な事。ああ嫌だ。聴いて居られないわ。話題を変えましょう。
 主人 うん、話題を変えよう。王様は何処ですか。あのかわいそうな王様は? 泣いているんだろう?
 エミーリア トランプの最中、あのおっちょこちょい。
 総理大臣 奥様、罵るのはいけません。こうなったのもみんな私のせい。大臣というものは王様に真実を報告しなければいけないのに、私は陛下を悲しませまいと・・・ああ、王様に目を見開いて戴かなければ。
 エミーリア 王様は、目は開いて居ますよ。
 総理大臣 いえ、開いては居ません。悪いのはあの庶務大臣閣下、王様は全く素敵、非のうちどころなし。今度こそ王様にお会いしたら、お目を見開いて戴きます、きっと。すると必ず王様は王女様をお助けになる、と言うことは、我々全員を助けて下さる、と言うこと。
 エミーリア 助けられなかったら?
 総理大臣 それなら私は謀叛を起こすぞ。見ていろ。
 エミーリア あ、王様がこちらへ。さあ、やるんですよ。(やれるのかしら。)私、貴方の事だって、笑う元気がないくらい。
(王、登場。大変陽気である。)
 王 皆さん、御機嫌よう、御機嫌よう。 素晴らしい朝ですなあ。今日は如何かな。姫はどうしておる? いや、答えんでもよい。すべて世は事もなし、ちゅう事は、皆の顔を見ただけでわかる。
 総理大臣 陛下・・・
 王 わしは眠い。
 総理大臣 父親が娘を救わないで、誰が救いますか。王様の血を分けた、たった独りの娘では有りませんか。ここでどうなっているか、少しは目を見開いて見て下さい。心も理性もないペテン師、厚かましい山師が、この国を牛耳っています。ここでは誰もが、ただこの山師の財布にペコペコしている。到る所あいつの手下共が荷物の包みを辺り構わず、あっちからこっちへと運んでいる。葬式の行列だって無視して通るし、結婚式は中断させるし、子供は突き飛ばすし、老人は押し退ける。庶務大臣閣下を追い出すよう命令して下さい。そうすれば王女様は、今までより楽に息がつけるでしょう。そして恐ろしい例の結婚の約束も王女様を悩ます事はなくなるでしょう。陛下!
 王 何も、何も、わしはしてやれん。
 総理大臣 何故ですか。
 王 何故? わしが退化しつつあるからだ。わからん奴だな。本を読んでみろ。実行出来ない事を王様に要求してはならんこと位すぐ分る筈だ。姫が死ぬと? しかたがない。そうなりそうになったら、わしはすぐ自殺だ。大分前からわしは毒薬を用意していたんだが、このあいだトランプの遊び相手にこいつを試してみた。いや、見物だったな。そいつは死ぬ時気がつきもしなかった。何をぎゃーぎゃー叫んでいるんだ。このわしの事で心配は無用だ。
 エミーリア 王様の事なんか心配しては居ません。王女様の事を。
 王 お前達の王だぞ。それを心配しないと?
 総理大臣 しません。閣下。
 王 えっ? 何と言った、今?
 総理大臣 閣下と。
 王 此の私、王の中の王である私を、一段低い称号で呼ぶのか。それは謀叛だぞ。
 総理大臣 いいです。これは謀叛です。あんた、あんたなんか、王の中の王であるもんですか。ただ少し優れた人物、そんな程度のもんですよ。
 王 ああ。
 総理大臣 こたえましたか。はっはっは。 もっと言いましょう。あんたが神聖なる血統ですって? 法螺(ほら)ですよ。名誉聖者の名を戴いている? 功労があったからじゃない。ただの禁欲者ですよ。
 王 おお。
 総理大臣 苦行者!
 王 うう。
 総理大臣 隠者! だけど聖者なんてとんでもない。
 王 水!
 エミーリア 水を出しては駄目。本当の事を聴いて貰いましょう。
 総理大臣 名誉ローマ法王? はっはっは、ローマのパパどころじゃない。だいいち、パパそのものでもない。そこに全ての根があるのです。
 王 ええい、これはあんまりだ。死刑執行人!
 エミーリア 来られませんよ。あの人詩を書いているんです。それを新聞に載せる為、今、庶務大臣のところで働いていますから。
 王 庶務大臣! 庶務大臣! ここへ。皆が私を侮辱する!
(庶務大臣、登場。今や、大変勿体をつけた態度になっている。話し方も重々しくゆっくりとしている。)
 庶務大臣 それは一体どういう理由で、どういう訳で、誰が、侮辱するのですか。 我々の名誉ある、言うなれば、ざっくばらんな、好人物の、あの王様を。
 王 こいつらは私を叱るんだ。そして、君を、庶務大臣を、追っ払えと私に命令する。
 庶務大臣 なんと言う忌まわしい。それは、言うなれば、陰謀だ。
 王 それに、連中は私を脅迫する。
 庶務大臣 なんて?
 王 姫が死ぬと言って。
 庶務大臣 それはまた何故?
 王 恋の為にだとか。
 庶務大臣 それは、私に言わせて戴きますなら、でたらめですな、いうなれば、譫言(たわごと)ですな。私共の、即ち王様と私の共通の、かかりつけの医者が丁度昨日、王女様を診察して、その健康状態につき報告してくれました。王女様には、恋から生じた病のいかなる徴候をも見出す事が出来ずと。これが先ず第一点。第二に、恋患いと言うものは、言うなれば、単に笑い話の恰好の種。それに治る病だ。治療さえすれば必ず治る。死ぬわけがない。
 王 そら見ろ、言った通りだろう。医者には分っているのだ、姫が危篤か危篤でないかぐらい。
 庶務大臣 王女様は直に回復なさると医者が首を賭けて請け合いました。王女様は、言うなれば、単にご結婚前の熱に浮かされてお出でになるだけ。
(猟師、走り登場。)
 猟師 大変だ。大変だ。医者が逃げた。
 王 何だと。
 庶務大臣 嘘をつくな。
 猟師 おい、お前、わしは大臣方は好きだが、不作法な大臣は御免だね。忘れて貰っては困る。わしは芸の道に生きる男、ただの男とは訳が違う。撃ち損じはない筈だ。
 庶務大臣 これは失礼しました。働き過ぎて疲れており・・・
 王 話してくれ、早く、猟師殿。お願いだ。
 猟師 承知しました、陛下。私はトランキライザーを貰いに、医者の所へ行きました。するとどうでしょう。部屋の扉は開けっぱなし、引き出しは引き出しっぱなし、棚は空っぽで、机の上には手紙が。これがそれです。
 王 私にそんなものは見せるな。見たくない。私は怖いんだ。これはどういうことだ。死刑執行人はいなくなる。 憲兵はとりあげられる。脅かされる。お前らは豚だ。臣下ではない。うるさい。あとについてくるな。何をほざこうが、聞こえん、聞こえん、聞こえん。(耳を塞いで、走り退場。)
 庶務大臣 王様も年をとられた。
 エミーリア あんたと一緒じゃ、誰だって年をとる。
 庶務大臣 そんな事は、言うなれば、下らんお喋り。止めて貰いたいね。さあ、猟師殿、手紙を見せて貰おう。
 エミーリア 皆に分る様に声を出して読んで、猟師さん。
 猟師 では失礼して。実に短い物です。(読む。) 「奇跡でも起こらなければ、王女様はもう助からない。王様、貴方が殺したのです。 でも、罪は私にきせようとなさっている。医者だって人間です。欲があります。死にたくはありません。さようなら。侍医より。」
 庶務大臣 畜生、この期に及んで。 医者を掴まえろ。すぐに連れ戻せ。全部あいつのせいにしてやる。急げ。(走り去る。)
(王女、テラスに登場。旅装をしている。)
 王女 いいえ、いいえ、立たないで。その儘でいて、皆さん。あ、貴方も、魔法使いさん、貴方もいらっしゃるんですね。嬉しいわ。それになんて今日は特別な日。何でも思った通りになるの。もう無くしたと思った物はひとりでに出て来るし、髪に櫛をあてると、自然にとけるの。それから昔のことを思い出すと、楽しい思い出だけが浮かんで来る。別れの時だからだわ。人生が私に微笑んでくれている。私が今日死ぬんだって事、皆さん御存知?
 女主人 ああ。
 王女 そうなの。そう。死ぬって、思っていたよりずっと恐ろしい事だったわ。死神って下品な神様。それに汚いの。袋一杯に、ぞっとする様な、医者の道具に似た器具を詰めてやって来る。その中には、人を叩く為の、よく磨いてない灰色の石で出来た槌だとか、心臓を破裂させる為の、錆びた折れ釘だとか、もっと忌まわしい、ここでは言いたくない装置が入っている。
 エミーリア そんな事をどうして御存知なの、王女様。
 王女 死神があんまり近くに来たのでみんな見えちゃったの。でも、こんな話はこれまで。皆さんは何時も私に優しくして下さいました。だけど、今日はもっと優しくして下さい。みなさんご自身の悲しみは暫くおいて、私の人生の最後の瞬間を飾って下さい。
 エミール 命令して下さい、。王女様。なんでも私達はやります。
 王女 何か話をして、私に。冗談を言って、笑って下さい。何でも好きな事を話して。私に思い出させないようにして、これから私に起こることを。オリンチア、アマンダ、貴方方、結婚して幸せ?
 アマンダ 初め思っていたのとは違いますけど、幸せです。
 王女 何時も?
 アマンダ 何時もではないけれど、充分幸せ。
 王女 貴方方はいい奥さん?
 猟師 そりゃもう。猟師仲間がやっかんで。
 王女 駄目。これは妻が自分で答えなくちゃ。貴方方いい奥さん?
 アマンダ 私には分りません、王女様。まずまずのところかしら。でも、夫と子供を愛し過ぎて居るんだわ、きっと・・・
 オリンチア 私もそう。
 アマンダ 時々、理性をちゃんと保つ事が出来なくなるんです。
 オリンチア 私もそう。
 アマンダ 永いあいだ、不思議に思っていました。何故妻って夫婦喧嘩の時あんなに馬鹿になるのか、後先が考えられなくなるのか。恥も外聞もなくあけすけになるのか。
 オリンチア そして私達、今その馬鹿な事をやっているんですわ。
 王女 幸せな人達。そんな風に変わるにはもっと生きなければ、もっと豊かに感じなければ。でも私ったら、ただ塞ぎ込んでいるだけ。命、命が・・・あれは誰? (庭の奥を見つめる。)
 エミーリア 王女様、なんて事を。あそこには誰も居ませんよ。
 王女 足音、足音。聞こえる?
 猟師 女の人の?
 王女 いいえ、男の人の。ああ、あの人の。
(熊、登場。全員うごき出す。)
 王女 あなた・・・来てくれたのね。
 熊 うん、今日は。何故泣いてるの?
 王女 嬉しいの。皆さん・・・あれ? 皆何処に?
 熊 僕が入って来たら、抜き足差し足で、出て行っちゃった。
 王女 その方がいいわ。私、今、秘密があるの。一番近しい人にだって打ち明けられないような。言えるのは貴方だけ。秘密。私、貴方を愛している。そう。そう。本当。本当なの。愛しているの。だからどんな貴方でもいい。貴方は何をしてもいいの。熊になりたいなら・・・いいわ、おなりなさい。ただ、行かないで。此処でたった独りではもう死ねないわ。どうしてもっと早く来られなかったの? いいえ、いいえ、答えないでいいの。止めて。聞かない。来なかった、っていうことは、来られなかった、っていうこと。非難なんかしない。ね、私、優しくなったでしょう? お願い。私を独りにしないで。
 熊 しないさ。当たり前じゃないか。
 王女 今日、死神がやって来たの。
 熊 まさか。
 王女 本当、本当なの。でも死神なんか怖くないわ。ただニュースをお知らせしただけ。なにか悲しい事が起こった時、ちょっと目を引く事があった時、何時でも、「あ、あの人が来る。そうしたら話そう。」と、思ってきたの。どうしてこんなに遅くなったの?
 熊 いや、僕はこっちに向かっていたんだ。毎日少しずつ進んできたんだ。僕はたった一つの事しか考えていなかった。此処へ来て言おう、「怒らないで。来てしまったけど。どうしようもなかったんだ。」そう言おうと思って。(王女を抱き締める。)怒らないで。来て仕舞ったんだ。
 王女 これでいいんだわ。嬉しくて、死ぬなんて嘘みたい。悲しみなんて嘘みたい。特に今、貴方がこんなに私の近くに居るんですもの。今まで誰もこんなに私の傍に近づいた人はいない。しっかり、まるでその権利があるっていう風に。嬉しいわ。本当に嬉しい。ほら、こんどは私の方があなたを抱き締めるの。貴方の事、指一本でも他の人に触らせはしない。行きましょう、行きましょう。私の部屋を見て頂戴。私がいっぱい泣いた部屋。バルコニーを見て頂戴。貴方が何時来るかって何時も眺めていたバルコニー。それに熊の事が書いてある本、本棚いっぱい。これも見てね。さあ、行きましょう。
(二人退場。すぐ女主人、登場。)
 女主人 神様、本当にどうしたらいいんでしょう。本当にどうしたら。かわいそうに。私は木の陰に隠れて聴いていた。あの子達の言葉、一つ一つを。そしてお葬式の時の様に泣いた。さう、丁度お葬式。かわいそうな子供達。かわいそうに。こんなに悲しいことが他にあるかしら。決して一緒になれない二人の婚約者。
(主人、登場。)
 女主人 悲しい事ね。
 主人 うん。
 女主人 あなたの事好きだわ。怒ってなんかいない。でも何故、何故こんな悪戯を思いつくの?
 主人 僕はそんな風に生まれついているんだ。何か悪戯を思いつかないでは居られない性質(たち)なんだ。ねえ、君、可愛い奥さん。僕は君と愛について語り合いたかった。だけと僕は魔法使いでね。(不言実行ってやつさ。)突然人を集めて混ぜちゃったんだ。連中の生き方ったらなかったね。それを見て君は一喜一憂しただろう? これが魔法使い流の、君を愛すやり方さ。生き方の良い奴も、悪い奴もいたね?そういうものさ。その儘受け入れるしかないよ。消しゴムで消すような事は出来ない。人間なんだ、言葉じゃないんだからね。例えばエミールとエミーリアの二人だ。僕はこの二人があの若い二人を助けて呉れると期待していたよ。自分達の過去の悲しみを思い出してね。とんでもない。突然結婚するんだからね。突然結婚だよ。はっはっは。 これには参った。だからといって、連中を抹殺する訳にはいかなかった。結婚なんかしおって、全く可愛いお馬鹿さん。はっはっは。結婚するなんてなあ。
(妻の隣に座る。肩を抱く。静かに彼女の肩を揺すりながら、眠らせるかの様に話す。)
 主人 結婚するなんてなあ。馬鹿な奴らだ。まあさせておくんだな。させておくんだ。眠れ、わが妻よ、楽にして。私は不幸なことに不死の男。お前が死んでも生き続けねばならない。お前を偲んで永久に。しかし、それまでは、お前は私と、私はお前と、一緒だ。幸せで頭がおかしくなりそう。お前は私と、私はお前と一緒。こんな幸せにも全て終わりがあると知りながら、愛することを敢えてする勇敢な人に拍手を送らなくちゃ。自分には死なんかやって来はしないと、平気で生きる愚か者にも栄光あれ。死も恐れて退却する事があるんだ。はっはっは。お前だって死なずに生き続けるかもしれないぞ。木蔦(きづた)になって僕の体に巻き付いて呉れるという事だってあるかもしれない。この馬鹿な俺に。はっはっは。(泣く。)この俺は樫の木になって。きっとそうだよ。俺のことだ、ありうるさ。こういう具合で誰も死ぬものはいない。全てはハッピーエンド。 はっはっは。それなのにお前はしょっ中怒って、ぶつくさ文句を言っている。まあ見ていな。いいこと思いついたから。眠るんだ。目覚めた時にはもう明日になっていてあらゆる悲しみは昨日の事になっている。眠れ、眠れ、わが妻よ。
(猟師、登場。手には猟銃。弟子、オリンチア、アマンダ、エミール、エミーリア、登場。)
 主人 悲しみに沈んでいるんだね、諸君。
 エミール ええ。
 主人 座って下さい。悲しみに呉れましょう、一緒に。
 エミーリア ああ、私は昔、話に聞いた事があるあの国に、行ってみたい。そこでは空は灰色、しょっちゅう雨が降る。それに風がひゅうひゅう鳴るの。でもこの国にはスふいにセって言う言葉がないの。物事は順序通りに進んで行く。よその家に行っても予期した通りの物があるし、うちに帰ってみれば、出掛けた時の自分の家。それなのに不平ばかり言っている。恩知らずな人達。そこでは不思議な事があまりに起きないものだから、それに出会った時だって、気がつきもしない。死ぬ事でも、其処では分り切った事の様に思われている。特に他人が死ぬ事は。そこには魔法使いも奇跡もない。若者が娘に接吻しても、熊に変わりはしない。いや、たとえ変わったとしても、それに意味を与えようとする人は誰もいない。驚いた世界、幸せな世界・・・あ、失礼。脱線してこんなありもしない世界の話をしたりして。
 主人 そう、駄目、駄目。世界は、そのありの儘を受け入れなければ。雨は雨として。(風は風として。)だけど奇跡もある。驚くべき変身もある。それに心休まる夢もある。そう、そう。心休まる夢。眠れ、眠れ、諸君、眠れ。回りの者は全部眠って、愛し合う二人が最後の別れをするのだ。
 総理大臣 眠ってもいいんですか?
 主人 勿論。
 総理大臣 宮中の仕事は?
 主人 終わった。地上に二人の子供だけを残す。二人に最後の別れを告げさせ、周囲には誰も居させない。これで行くんだ。眠れ、眠れ、諸君、眠れ。目覚めた時にはもう朝だ。あらゆる悲しみは昨日の事になっている。眠れ。(猟師に。)何故君はねないんだ。
 猟師 誓ったからな、俺は・・・しっ。逃がして仕舞うじゃないか。
(王女、登場。その後に熊。)
 熊 どうして僕から、(走って)逃げたの?
 王女 怖くなったの。
 熊 え? 怖いことなんか、何もないじゃないか。戻ろう。君の部屋へ行こう。
 王女 ほら、見て。皆、眠っている。塔の上の見張りも、玉座にいる王様も、鍵穴の傍の庶務大臣も。今は真昼なのに。辺りは静か。真夜中みたい。何故かしら。
 熊 何故なら、僕が君を愛して居るから。君の部屋へ行こう。
 王女 急に私達二人だけ。世界中でたった二人。お願い、私を苛めないで。
 熊 苛めるなんて。
 王女 いや、いや。怒らないで。(熊を抱き締める。)貴方の思う通りにして。あら、不思議だわ、そう決めたら急に心が軽くなったわ。私って馬鹿。こんなに楽になるなんて思ってもいなかった。そう、貴方の言う通りにするわ。(その儘、熊に接吻。)
(全体、真っ暗になる。 雷の音。音楽。光が燃え上がる。王女と熊、両手を取り合って、お互いを見つめている。)
 主人 見ろ。奇跡だ。奇跡だ。人間の儘だぞ。
(遠くに離れて行く大変物悲しい鈴の音がだんだん消えて行く。)
 主人 はっはっは。聞こえたろう。死に神が白い馬に乗って、去って行く。当てが外れて逃げて行く。奇跡だ。奇跡だ。王女がキスをしたのに、人間の儘だ。死に神は、幸せな二人から退却だ。
 猟師 いや、わしは見たぞ。あいつは確かに熊に変わった。
 主人 そうかも知れん。数秒間な。こんな場合には誰だってそのくらいの事は起きるさ。しかし、それからどうなったか。ほら見てみろ。あれは人間だ。人間が道を歩いている。自分の愛しい人と。静かに話している。愛が彼をすっかり変えてしまい、もう熊にはなれなくしたのだ。俺の馬鹿さ加減ときたら呆れた物だが、その結果がこの素晴らしさだ。はっはっは。いや許してくれ、私の奥さん。今から奇跡をやるけれどこれは力がありあまってむずむずしているから、仕方ないんだ。ほーら、生きている花で出来た花輪。ほーら、生きている猫で出来た花輪。怒らないで、奥さん。猫達も喜んであそんでいる。アンゴラ猫。シャム猫。シベリア猫。血を分けた兄弟のようにこのよき日に宙返りをして居る。素晴らしい。
 女主人 それはそれで良いけれども、あの二人の為に何か役に立つ事をしてあげたら?そう。たとえば、庶務大臣を鼠に変えるとか。
 主人 よろしゅうございますとも。(両手をふりまわす。ひゅっという音、煙、きしる音。ピーピーいう音。)一丁上がり。地下室で怒ってチューチュー鳴いているのが聞こえるだろう。他に何かご注文は?
 女主人 王様もやっちゃったら・・・ちょっと遠くへ。贈り物になるわ。あんなお舅(しゅうと)なんか居ないほうが。
 主人 あれが舅だって? 奴は・・・
 女主人 こんな好い日にあの人の話なんか止めましょう。悪い事よ。貴方、王様を小鳥に変えて。怖くないし、害にもならないわ。
 主人 よろしゅうございますとも。どんな小鳥が宜しいかな?
 女主人 はちすずめ。
 主人 面白くないな。
 女主人 じゃ、かささぎ。
 主人 それならいい、か。(両手を振り回す。)
(火花がとぶ。透明な雲が解けて庭を過ぎて飛んで行く。)
 主人 はっはっは。あれは鳥になる資格もないか。鳥にかわらないで、雲みたいに解けて仕舞った。存在さえしなかったようだ。
 女主人 それで結構。でも子供達は? あの子達は私達の方を見もしない。ねえ、私達に何か言って!
 王女 今日は。今日私、皆さんみんなに、お会いしましたわね。でもそれはずーっと昔の事のよう。皆さん、此の人、私の夫になる人ですの。
 熊 ええ、そうです。僕が夫になるんです。
 主人 さあ、信じて生きよう。お互いに愛し合って。そう、皆で共に愛し合って、冷たい気持ちは捨てて、一歩も退かない決心で行こう。そうすれば、幸せになれる。そして、これが本当の奇跡なんだ。
                                              (幕)
   
     昭和六十二年(一九八七年)三月三日 訳了

http://www.aozora.gr.jp 「能美」の項  又は、
http://www.01.246.ne.jp/~tnoumi/noumi1/default.html

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これは、文法を重視した翻訳であり、上演用のものではありません。
上記芝居  (Obyknovennoe Chudo) の日本訳の上演は、必ず国際パテント貿易株式会社(上記住所)へ申請して下さい。