深く青い海(Deep Blue Sea) テレンス・ラティガン作 (1952年)
 
 演出はフリス・バンバリーに決まった。ラティガンはローレンス・オリヴィエに演出及びサー・ウイリアム・コリヤーの役をやって貰いたかったのだが、興行主ボーモンが他の興行主テネントがからむのを嫌い、また、はやく「シルヴィアって誰」を終にし、次の芝居をかけたかった。客の入りが悪く、ラティガン自身が金を興行の三分の一出してくれてはいても、これ以上「シルヴィア」を続けたくなかった。
 バンバリーは「お日様のあるうちに」のヨーロッパ巡業の時、ロナルド・スクワイヤー、ロバート・フレミングと一緒に役者として出ていた。その後 Waters of the Moon, The Holly and the Ivy の二つの芝居を演出し、成功を収めていた。
 1951年7月、バンバリーは役者を決める仕事に取りかかった。女主人公へスター・コリヤーには、マーガレット・レイトン、あるいはスィーリア・ジョンソンもよいと思ったが、結局ペギー・アッシュクロフトが最適だと判断した。彼女を説得する役はボーモンである。バンバリーは言った。「ペギーはセクシーな人だが、へスターのような女に見られるのは嫌うと思う。」実際、本を読むなり、アッシュクロフトは「馬鹿な女(a silly woman)ね」と言って、即座に断った。ボーモンは食い下がり、10月にやっと承諾させた。ラティガンはニューヨークにいるフリードマンに電報を打った。「ビンキー(ボーモンのこと)はこれを自分の最大の勝利だと思っている」と。
 へスターの夫、サー・ウイリアムは、クライヴ・ブルックに断られた後、ローランド・カルヴァーに決まった。謎の男ミラーは、アレック・ギネスに断られた後、ピーター・イリングに決まった。へスターが駆け落ちする男、フレディーは、トレヴァー・ハワードに断られ、バンバリーはジミー・ハンリーを推した。しかし、カルヴァーが推薦する若い新人の役者がいた。彼がゴルフの時に偶々出会ったケネス・モアである。最初やらせてみた時、ラティガンもボーモンも気に入らなかった。しかしラティガンはひょっとするとカルヴァーの言っている通りかも知れないと、次の立会いの時モアに度の強い酒を二杯飲ませた。リラックスしたモアは完璧な演技を見せた。このフレディーの役がモアを一躍スターにしたのだった。
 アッシュクロフトは自分の役が相変わらず気に入らなかった。「まるで、着物なしの裸で、舞台を歩いている気分だわ」と演出に言った。バンバリーにはこれが却ってヒントになった。「そうなんだ。それがヘスターなんだ。だから君は名演技をしているんだ。」
 1952年2月ブライトンでの試し公演が行われた。アッシュクロフトは次の場面にリハーサルでやったことのない新解釈でヘスターを演じた。会話の間中、ただじっと窓の外を見ていたのだ。バンバリーは言った。「あれは僕の演出じゃない。ペギーの邪魔をしないだけ。それが僕の演出だ」と。効果は素晴らしい(utterly absorbing)であった。

へスター 今私達が言いかけていた言葉。「愛」って言えば、当たり障りがないでしょう。時間の節約にもなるわ。
コリアー あいつの君に対する感情は、あれから変わっていないって、さっき言ったんじゃないのか。
へスター 変わってはいないわ、ビル。それは変わりようがないの。最初からゼロなの。少なくなりようがないでしょう?
 (間。)
コリアー 何時それに気がついたんだ。
へスター 最初から。
コリアー だけど、君は最初僕に・・・
へスター 違う事を言ったかもしれないわ、ビル。嘘を言っていたらご免なさい。私の育ちのせいだわ。子供の頃から教えられてきたのね。こういった場合、愛を与えるのは女じゃなくて、男の方。その方がふさわしいって。だから・・・
 (間。)
コリアー しかし、愛を与える代りに何のお返しもしないような男。君はさっきそう言ったね。そんな男を愛し続けるなんて、一体出来るのか。
へスター ええ。でもあの人、お返しに私に与える事が出来るものがあるの。そして与えてくれるわ、時々は。
コリアー 何だい、それは。
へスター あの人の體。

 1952年3月6日ダッチェス劇場で初日があがった。最後の幕が降りると、観客は割れるような拍手を送った。その音は、この芝居が始まってから観客が出した最初の音であった。マンチェスター・ガーディアンのフィリップ・ウォレスは「観客は、よく書かれ、素晴らしく演じられた感動的な芝居をどのように称えるか、それを明らかに知っている{まごうかたなき、緊張した沈黙(unmistakable hush)}をもって聴き入った」と。また、デイリー・メイルの見出しは、「ラティガン、再びトップに躍り上がる」であった。

(この「深く青い海」は513回のロングランであった。)
  
(St. Martin's Press社, Geoffrey Wansell 著 Terence Rattigan  による。)
        (能美武功 平成11年5月28日 記)