毒薬と老嬢
       ジョセフ・ケッセルリング作
       海老沢計慶 能美武功 共訳

   登場人物
アビイ・ブルースター
マーサ・ブルースター
テディ    アビイとマーサの甥
モーティマー   テディの弟
ハーパー牧師
エレーヌ    その娘
ブロフィー    警官
クライン     警官
ジョナサン       
アインシュタイン博士
ギブス
オハラ      警官
ルーニイ巡査部長
ウィザースプーン     

   第 一 幕
(時は現代。九月の午後遅い時刻。ニューヨーク、ブルックリンに古くからあるブルースター家の居間。この部屋はここに住む二人の姉妹、アビイ・ブルースターとマーサ・ブルースター同様、ヴィクトリア朝そのもの。二人の他にはこの家には二人の甥のテディが暮らしている。)
(舞台には二階へと続く階段があり、途中の(四五段上の)踊り場で折れている。踊り場には窓があり、そこからはフロントポーチが見える。階段を登りきった所にはバルコニーと二階の寝室へ通じる扉がある。そこには他にアーチ状の通路があり、その先に最上階への階段(下の数段が見えるだけ)がある。居間には大きな窓があり、その窓の下に、幅の広い、人が坐ったり寝たり出来る大きさの箱がある。地下室に通じる扉、台所に通じる扉、それから、正面玄関へ通じる扉がある。玄関の扉を開けるとポーチに出られる。)
(幕が上がると、アビイ・ブルースターがお茶のテーブルで主人役をつとめている。六十代終りの小柄で太った愛嬌のある老嬢。テーブルには幾つか蝋燭が灯っている。アビイの左隣りにハーパー牧師が肘掛け椅子に坐っていて、右側にはテディが立っている。テディは四十代で、フロックコートに黒いリボン付きの鼻掛け眼鏡。大きな黒い口髭を生やしている。話し方や動作、顔のメーキャップが、大統領セオドール・ルーズベルトそっくりである。)
 アビイ ええ、ほんと。あれから何度も私、姉のマーサと、先週の日曜日、先生のなさったお説教の事を話してるんですよ。本当に素敵なお話でしたわ、ハーパー先生。此処へいらしてたった二年、それなのに先生はもうブルックリンの精神を身につけておしまいになったって。
 ハーパー いや、それはお褒めにあずかって・・・
 アビイ 私達、これまでずっと此処で、教会の隣で、暮らしてました。それで、随分色々な牧師様たちがいらしては去ってゆくのを見てまいりましたわ。そして「親しみやすさ」こそブルックリンの精神だっていつも話し合っていますの。そして、先生のお話って、お説教というより、「親しみやすい」お喋りみたいなものなんですもの。
 テディ お喋りか・・・個人的に言うと、我輩はギボンズ枢機卿とのお喋りが一番楽しかったな・・・待てよ、我輩はギボンズ枢機卿とはまだ会っていなかったかな?
 アビイ ええ、まだよ。(さっと話題を変えて。)ビスケット、お口に合いますかしら?
 テディ(ソファに坐る。)サイコー!
 アビイ ビスケット、もう少し如何ですか、先生。
 ハーパー あー、いや。夕食どきに食欲が出ないといけませんから。ついつい、お宅のあの素晴しいジャムに釣られて、いつもビスケットを食べ過ぎまして・・・
 アビイ でも先生はまだ、マルメロのマーマレードジャムはお試しになったことありませんわ。宅のはあまり酸っぱくないように、いつも林檎をちょっと入れて作りますのよ。
 ハーパー 折角ですが、止めておきます。
 アビイ じゃあ、後で一壜お届けしますわ。
 ハーパー いやいや。それはぜひ此処に置いておいて頂いた方が。ビスケットと一緒にここで頂くのが、私の楽しみでして。
 アビイ もう代用小麦粉なんて、終りにして貰いたいわ。あれを使わされるのは私、こりごり。結局、今度の戦争のことだけど。困るわねえ、あれは。私って心が寛いとは言えないかもしれないけど、ミスター・ヒットラー、あれはきっとキリスト教徒じゃないと思うわ。ええ、ほぼ間違いなし。
 ハーパー(溜息をついて。)ヨーロッパだけ別の惑星にあればいいんですがねえ。
 テディ(鋭い口調で。)ヨーロッパですと? 先生。(上手を指差す。)
 ハーパー ええ。
 テディ 逆です、先生! 鉄砲はあっちに向けるんだ!(下手を指差す。)
 ハーパー 鉄砲ですって?
 アビイ(テディの気を鎮めようとして。)テディ、テディ。
 テディ 鉄砲は西だ! 西に向けるんだ! 西こそ危険だ! 先生の敵はすぐ西にいる! ニッポンだ!
 ハーパー えっ? ・・・ああ、なるほど。
 アビイ テディ!
 テディ はい、分りました、アビイ伯母さん。ヨーロッパの話は止めます。話すなら運河のことにします。
 アビイ そうね、戦争の話はもう止しましょうね。あなた、紅茶、もう一杯いかが?
 テディ いや、もう結構です、伯母さん。
 アビイ 先生は?
 ハーパー いや、私も結構。実を言えば、わたしには戦争も暴力もこんな田舎には縁のない、まるで遠い世界の出来事のようにしか思えなくてねえ。
 アビイ 此処って、平和ですものねえ。
 ハーパー ええ。平和ですよ。過ぎ去りし日の美徳・・・それがちゃんと此処には、この家にはある。蝋燭の灯火(ともしび)、礼儀作法、安い税金、そうしたものと一緒に今では消え去った立派な美徳というものがね、此処にはあります。
 アビイ(自分の周りを満足そうに眺めながら)此処はブルックリンでも一等古い家ですからねえ。この家はお祖父様が建てて家具を設えた、殆どその時のまま、今も・・・電気の設備を除けばね。それにその電気だって出来るだけ使わないようにしておりますし。甥のモーティマーなんです、電気を入れるように私達を説き伏せたのは。
 ハーパー(表情が固くなり始める。)ええ、その点は私にも理解できます。お宅の甥子さんは電気の照明しかお使いにならないようですな。
 アビイ 本当に可哀想な子。いつも夜遅くまで仕事なんです。今夜もまた、あの子がお宅のエレーヌさんをお芝居にお誘いしてるようですわね。テディ、モーティマーがもうすぐ戻ってきますよ。
 テディ(歯を見せてワニ笑い)そりゃー・・・結構!
 アビイ(ハーパーに)私達、本当に喜んでおりますの、モーティマーがお芝居に誘ったのがお宅のエレーヌさんだってこと。
 ハーパー まあ、夜中の三時まで娘が家に戻るのを起きて待っているというのも私には初めての経験でして。
 アビイ まあ、ハーパー先生。どうかモーティマーのことを悪く思わないで下さいね。
 ハーパー ええ、まあ。
 アビイ モーティマーとのおつき合いがお気に召さないのでしたら、それは私達の責任ですわ、姉のマーサと私の。だってお宅のお嬢さんがモーティマーと出会ったのは、この私達の家だったんですからねえ。
 ハーパー そうなんです、ミス・アビイ。だから私もモーティマー君が立派な紳士だと認めるに吝(やぶさ)かではないのですが・・・ただ、うちの娘との交際の進み具合を見ておりますと、鳥肌が立つ程心配になってきまして・・・その理由なんですがね、ミス・アビイ。
 アビイ 胃のことでしょう、あの子の。
 ハーパー 胃?
 アビイ 胃弱ですからねえ、あの子は。そのせいでいつもゲップ。
 ハーパー いいえ、ミス・アビイ。この際、はっきり申し上げましょう。私の心配は、お宅の甥子さんが選りに選って芝居なんかに入れ込んでいることなんです。
 アビイ 入れ込んでいる? とんでもない、ハーパー先生。モーティマーはニューヨークの新聞に載せる記事を書いてるだけですよ。
 ハーパー ええ、分かってます、ミス・アビイ。でも芝居の劇評を書くためには四六時中、劇場に足を運ばなきゃなりませんから、結局、どうしたってお芝居に夢中になる。これは疑う余地がありませんよ。
 アビイ いいえ、モーティマーに限って決して。それはあなたの杞憂(きゆう)です。だって、あの子、お芝居は大嫌いなんですから。
 ハーパー 本当ですか?
 アビイ 本当ですとも。その証拠にいつもこき下ろしてばかりいます。そんな厭なことを書かなきゃならないのも、あの子のせいじゃないんです。元は不動産の欄を担当していて、その事ならかなり通じてましたから、面白くやっていたんです。それがこんな遅番の、詰まらない仕事に変えられたせいなんです。可哀想に。
 ハーパー おや、おや。
 アビイ でもあの子の話では、お芝居なんてどの道そう長くは続かないそうですよ。まあ、続いているうちは、これで食って行くんだがって。(一人悦に入って)ええ、お芝居なんてもう一二年も経てば、ひょっとすると・・・。(扉にノックの音。)まあ、今頃、どなたかしらねえ? (全員立ち上がる。アビイ、扉に進む。と同時にテディも扉へ歩き出すが、アビイに止められる。)あなたはいいわ、テディ。私が見て来ます。(アビイ、扉を開ける。二人の警官、ブロフィーとクラインがいる。)お入りになって、ブロフィーさん。
 ブロフィー 今日は、ブルースターさん。
 アビイ 御機嫌よう、クラインさん。
 クライン 今日は、ブルースターさん。
(二人、机の側に立っているテディに近づく。そして挙手の礼。テディ、挙手の礼を返す。)
 テディ 何か新しい情報があったのか。
 ブロフィー いいえ、閣下、ご報告することは何もありません。
 テディ 大いに結構! 御苦労だった、諸君! 楽にしたまえ!
(警官、挙手の礼を解く。アビイ、この時までに扉を閉めている。二人に振り向いて。)
 アビイ ハーパー先生は御存じね。
 クライン ええ、勿論。今日は、ハーパー先生。
 ブロフィー(アビイの方を向き、帽子をとって)街のクリスマス会に玩具(おもちゃ)をご寄付頂けると伺って来たのですが。
 アビイ ええ、用意してありますわ。
 ハーパー(テーブルの下手に立って。)慈善事業・・・素晴しいですな、皆さん。恵まれない子供たちに少しでもクリスマスを楽しんで貰おうと、壊れかけた玩具を集めて修繕する・・・善いことです。
 クライン 交番で坐ってなきゃならない時には、丁度やる事が出来ていいんです。よく云うじゃありませんか、ポーカーにも飽きて、拳銃の手入れを始める・・・その途端、自分の足をバン! ってね。あれよりはずっと安全です。(クライン、何気なく窓の下の箱に進む。)
 アビイ(テディに近づく。)テディ、二階に行って、マーサ伯母さんの部屋にある、あの大きな箱を取って来て頂戴。(テディ、舞台奥の階段へ進む。)
 アビイ(ブロフィーに。)今日は奥様のお加減はどう? ブロフィーさんの奥様、この頃具合がお悪いんですって、ハーパー先生。
 ブロフィー(ハーパーに。)肺炎なんです。
 ハーパー あー、それは大変お気の毒なことで。
 テディ(階段の踊り場の所で立ち止まり、腰から想像上の剣を引き抜いて叫ぶ。)突撃ーッ! (階段を猛烈な勢いで駆け上がり、バルコニーから退場。他の者たちはこれを無視する。) 
 ブロフィー いえいえ、今は大分よくなりました。ただちょっとまだ、身体に力が入らなくて・・・
 アビイ(台所へ歩き出して。)今、牛肉のスープを持ってきますからね。奥様に差し上げて。
 ブロフィー どうぞお構いなく! ミス・アビイ。今までにもう充分色々して戴いていますから。
 アビイ(台所の扉の所で。)丁度今朝作ったところ。あの可哀想なベニツキーさんにあげなくっちゃって、姉のマーサが今持って行ったわ。私、すぐ戻ってきますからね。皆さん坐ってて。ゆっくりなさって。(アビイ、台所へと退場。)
(ハーパー、再び腰を下ろす。ブロフィー、テーブルへ進み、他の二人に話し掛ける。)
 ブロフィー あれは親切が過ぎるっていうものです。あんなにしてはいけない。
 クライン そう、止めて貰わなくちゃ、あの親切は。・・・おまけにタダ! それに、選挙の時だって、誰に入れろなんて要求もなし、なんだから。(窓の下の箱に座る。)
 ハーパー 私がブルックリンに呼び出されて、隣へ引っ越して来た頃には、妻はもう具合が悪くて・・・あれが息を引きとった時も、それにそれ迄の数カ月も、あの方たちのお陰で・・・そう、もしこの私が他人の純粋な思い遣り、本当の寛大さとは何なのか知っているとするならば、それはあのブルースター(の)ご姉妹(きょうだい)と知り合えたお陰なんです。
(この時、テディ、パッとバルコニーに現れて、会議召集のラッパを吹き鳴らす。全員、バルコニーを見上げる。)
 ブロフィー(舞台奥へ一歩進み出て諫言する。)閣下、ラッパはもう吹き鳴らさないというお約束でしたが。
 テディ しかし我輩は至急、兵糧補給を解除する為に内閣を召集し閣議を開かねばならんのだ。(テディ、突然向きを変え、脱兎のごとく退場。)
 ブロフィー 以前はあれを、真夜中にやったんです。近所の人たちが警察に訴えて来て・・・とにかく彼のことをこのあたりの人たちは少し怖がっているんです。
 ハーパー いやー、彼は全く害のない男ですがね。
 クライン テディ・ルーズベルトならテディ・ルーズベルトだと思わせておけばいいじゃないですか。他の誰かよりよっぽど害がないですよ、ルーズベルトは。
 ブロフィー 忌(いま)わしい事です・・・こんな素敵な家にあんなカケスが生まれるなんて。
 クライン でも、彼の父親・・・つまりあの親切なブルースター姉妹(しまい)の弟さんて方は・・・一種の天才だったんでしょう? それにその父親も、つまりテディのお祖父さんも、確かちょっと気が変だったって聞いたように思うんですが。
 ブロフィー いやあ、尋常じゃなかったそうですね、あの狂い方は。それで百万ドル稼いだんです。
 ハーパー 本当ですか? このブルックリンで?
 ブロフィー ええ。薬の特許で。ある種の山師ですな。退職したエドワーズ警部が覚えておられて。そのお話では、この家を当時は診療所か何かに使っていて・・・生身の人間を実験台に使っていたそうです。
 クライン そう。私も聞きましたが、その実験、時々うまくいかなかったそうですよ。
 ブロフィー 警察がうるさく云わなかったのは、時々署で「検死」が必要な時に、とても役に立ったからなんだそうです。特に毒による死の場合には。
 クライン まあ、彼が何をしたにせよ、娘さんたちの命には別状なかったってことですね。有り難いことに。
 ブロフィー 自分の命でもあの人達、自分のためには全く使わないんですからねえ。
 ハーパー ええ、そう。みんな他人のために。あの方達の慈善は私、よく知っていますよ。
 クライン 感心するのはまだ早いです。私が行方不明者の担当だった時のことですが、失踪したある老人の足どりを追っていて・・・その老人、ついに見つからなかったんですがね・・・(立ち上がる)そうそう、この家に家具付きの貸し間があるって御存じでした? いや、実際はここで部屋を貸しているんじゃないんです・・・でも、不動産屋で案内をみてここまで部屋を探しに来るとしますね、すると必ずここで御馳走にありつけて、どうやらポケットにはお札(さつ)まで二、三枚押し込まれて帰れるって事になるそうなんです。
 ブロフィー 可哀想な人達を捜す手段なんですよ、その「貸し間」っていうのは。そうやって色々良くしてやろうっていうんです。
(マーサ・ブルースター登場。アビイ同様、ヴィクトリア朝時代の魅力を備えた優しい老嬢。アビイとお揃いの古風なドレスを着ているが、首を被う高いレースのカラーが付いている点が異なる。男達全員、起立。)
 マーサ(扉の所で)まあ、皆さん、居心地はお宜しいかしら? (扉を閉める。)
 ブロフィー(マーサに近付き)こんにちは、ブルースターさん。
 マーサ 皆さんお元気? ブロフィーさん。ハーパー先生。それにクラインさんも。
 クライン こんにちは、ブルースターさん。クリスマス会用の玩具を戴きにあがっていた所です。
 マーサ ええ、用意してありますわ。テディの陸軍と海軍の玩具。使い古しですけど。荷造りはできていますから。(階段へと振り向く。ブロフィー、引きとめて。)
 ブロフィー さっき閣下自ら取りに上がられました・・・内閣の承認が必要だとか仰ってましたが。
 マーサ ああ、そうね。ブロフィーさん、奥様はもう大分およろしいんでしょう?
 ブロフィー ええ、大分良くなりました。ミス・アビイがスープを取りに行って下さってます。
 マーサ ああ、あれねえ、今朝作ったんですよ。丁度今、私もあれを可哀想な方にお届けしていたところ。何でもあっちこっち骨を折っちゃったとかで。
 アビイ(蓋をした鍋をもって台所より登場。)まあ、戻ってたのね、マーサ。ベニツキーさんの様子はどう?
 マーサ ええ、それがねえ、酷く悪いの、心配だわ。お医者様も見えていて、明日の朝には足を切らなきゃならないだろうって。
 アビイ(期待して。)私達もそばにいてあげていいかしら?
 マーサ(がっかりと。)駄目だって。私、先生にお願いしてみたんだけど、病院の規則ですからって。(サイドボードへ進み、鍋を置く。肩掛けと帽子を脱いで小さなテーブルに置く。)
(テディ、大きなボール紙でできた箱を持ってバルコニーに登場。階下の机へと降りてきて、スツールの上にその箱を置く。クライン、玩具箱に近付く。その間にハーパー、マーサとアビイに話し掛ける。)
 ハーパー お二人がいらしても幾らも助けにはならんでしょう・・・むしろもっと御自分のために何かなさるべきですよ。
 アビイ(ブロフィーに。)はい、スープよ、ブロフィーさん。きっと体も暖まって元気になるわ。
 ブロフィー ええ、有難うございます。
 クライン うん、こいつはいい・・・きっと子供たちが大勢喜びます。(玩具の兵隊を取り出して見せる。)特にオマリーくんは兵隊が大好きだから。
 テディ それはマイルズ将軍だ。我輩が彼を退役させたのだ。(クライン、船を取り出す。)おや、それは何だ! 戦艦オレゴンじゃないか!
 マーサ テディ、さあ、元に戻して。
 テディ しかしオレゴンはオーストラリアに出航させねばならん。
 アビイ さあ、テディ。
 テディ 駄目だ。我輩は既にボブ・エバンズ艦長にこれを与えると約束済みだ。
 マーサ でもねえ、テディ。
 クライン ボブ・エバンズ艦長・・・大いに結構です。あの船を貰うのがどの子だろうと、大して違いはありません。イッズィー・コーエン艦長だって同じですよ。
(クライン、箱を持って扉へ進み、開ける。ブロフィー、後に続く。)
 クライン じゃこれで失礼します。どうも有難うございました。
 アビイ どう致しまして。
(警官二人、玄関口で立ち止まり、テディに挙手の礼、退場。)
 アビイ さようなら。(こう云いながら扉を閉める。テディ、二階へ歩きだす。)
 ハーパー(ソファーへ進み、帽子を取り。)では私もそろそろお暇(いとま)せねば。
 アビイ ああ、その前に、先生・・・。
 テディ(この時までに階段の踊り場まで行っていて。)突撃ーッ! (二階へと突進し、上がり切った所で立ち止まる。そしてバルコニーの手すり越しに、「皆一斉に自分について来い」という、手を大きく回す動作。そして、次の台詞を言う。)丸太ん棒砦(とりで)にーッ、突撃ーッ! (寝室の扉を勢いよく通り抜け、後手に扉を閉める。)
(ハーパー、テディの行動に見入る。マーサ、自分のドレスに付いたピンをいじっている。アビイ、ハーパーの右側に立つ。)
 ハーパー 丸太ん棒砦?
 マーサ あの階段がいつでも、サン・ジュアンの丘なんですの。
 ハーパー あなた方は今迄、テディに「あなたは本当はテディ・ルーズベルトじゃありません」って、説得しようとなさった事はないんですか?
 アビイ そんなこと、一度も。
 マーサ あの子はテディ・ルーズベルトでいる時が一番幸せなんですよ。
 アビイ でも、一度だけ。ずっと前に。(マーサの方に歩いて来て。)覚えてない? マーサ。ほら、「気分転換に、ジョージ・ワシントンにしたら?」ってあの子に言ったことがあったわね?
 マーサ でもそうしたらあの子、ベッドの下に潜り込んじゃって、もう誰にもなりたくないって、何日もぐずったわ。
 アビイ そう、それで結局私達、ミスター・ルーズベルトでいてくれる方が誰でもないよりはずっとましだって思ったのね。
 ハーパー まあ、それで本人が幸せなら・・・いや何よりあなた方がそれでお幸せなら・・・。(内ポケットから青い裏地の法律上の書類を取り出して。)では、この書類をテディに渡して、サインさせるようにして下さい。
 マーサ 何です? これ。
 アビイ ハーパー先生が全部テディのために手配して下さったの。私達が死んだ後であの子がハッピー・デイルの療養所に入れるように。
 マーサ でも何故テディのサインが今必要なのかしら?
 ハーパー 今の内に全て決めておいた方がいいでしょうな。もし主(しゅ)の御心により、あなた方が急に召されることになったとしたら、療養所に一切を託すようテディを説得する事は、たぶん我々の手には負えんでしょう。そうなれば嫌でも不愉快な法律上の手続きに従うことになります。ウィザースプーンさんもよく分っていて、この書類の執行が必要になる時まで、ちゃんと秘密裏に保管しておくと言っておられますから。
 マーサ ウィザースプーンさん? それ、どなた?
 ハーパー ハッピー・デイルの所長さんです。
 アビイ(マーサに。)明日か明後日、家(うち)にお寄り戴いてテディと会って下さるように、ハーパー先生がみんな手配して下さったの。
 ハーパー(玄関の扉へ進み、開けながら。)もう駆け足で戻らねば。娘のエレーヌが心配してこちらまで探しに来るといけませんので。
 アビイ(退場するハーパーの後から声をかけ。)エレーヌさんにどうぞ宜しく。それとハーパー先生、どうかモーティマーのこと、劇評家だからって、悪くお思いにならないで下さいね。誰かがしなきゃならない事を、あの子はしているだけなんですから。
(アビイ、扉を閉め部屋に戻る。)
 マーサ(サイドボードの上に書類を置く。お茶の道具がまだテーブルの上にあるのに気付いて。)あらアビイ、あなた、今、お茶? 随分、遅いお茶ね。
 アビイ(秘密を打ち明けるように。)ええ、遅いお茶。それに、夕食も今日は遅くなるの。
(テディ、バルコニーに登場。踊り場まで降り始める。)
 マーサ(アビイの方へ一歩出て。)夕食も? どうして?
 アビイ テディ! (テディ、踊り場で立ち止まる。)好い知らせよ。あなたにはまたパナマで、一区画、新しい運河を掘って貰うことになりそうよ。
 テディ そりゃー凄い!(ワニ笑い。)最高! 言う事なし! じゃあ直ぐに旅の支度を整えます。(振り返り二階へ行きかけるが、「やるのを忘れていた」という顔で立ち止まり、踊り場へとって返して、叫ぶ。)
 テディ 突撃ーッ!(階段を駆け上がり退場。)
 マーサ(嬉しそうに。)アビイ! じゃあ、私が留守の間に? 
 アビイ(マーサの手を取って。)そうなの! 私、あなたが帰るまで待てなかったの。だっていつ戻るか分からなかったし、ハーパー先生はすぐ来そうだったし。
 マーサ でも全部一人でやったの?
 アビイ ええ、全部ちゃんとやれたわ!
 マーサ じゃすぐ下へ行って見て来るわ。(うきうきと地下室への扉へ歩き出す。)
 アビイ いいえ、そっちじゃないの。時間もなかったし、それに私一人だったから。
 マーサ(居間から台所まで辺りを見回して。)それじゃあ・・・。
 アビイ(はにかんで。)マーサ、ちょっと、窓の下の箱の中を見てみて。
(マーサ、殆どスキップせんばかりで箱に近づく。丁度、箱に達した時、玄関扉にノックの音。マーサ、立ち止まる。二人、扉の方へ目をやる。アビイ、急いで玄関へ行き扉を開ける。エレーヌ・ハーパー登場。二十代の魅力的な娘。牧師の娘にしては驚くほどあか抜けている。)
 アビイ(マーサに。)エレーヌよ。(扉を開ける。)さあ、どうぞ、入って。
 エレーヌ 今日は。ミス・アビイ。今日は。ミス・マーサ。父がこちらにお邪魔していると思いまして。
 マーサ(テーブルの左手に一歩出て。)たった今、お帰りになったところ。会わなかった?
 エレーヌ(窓の方を指差し。)いいえ。私、近道して来ましたから・・・墓地の方から。モーティマーはまだですの?
 アビイ ええ。
 エレーヌ そうですか。ここで会うからって言われて。私、待っていても宜しいでしょうか?
 マーサ ええ、勿論どうぞ。
 アビイ こちらにお掛けになったら?
 マーサ でも、あなたをこんな目に合わせたりして、モーティマーには後で私達からちゃんと言っておきますからね。
 エレーヌ(椅子に坐り。)こんな目って?
 マーサ ああ、もっときちんとした子に育てたつもりだったんだけど。紳士が若い女性をデートに誘う時はちゃんとその人の家まで迎えに行くべきだって。
 エレーヌ(二人に。)でも牧師館まで女性を迎えに来るのって、相当な勇気が要りますわ。取り繕う事をしない人ならなおさら。
 アビイ でも、こうしょっ中じゃ・・・ちゃんと私達から言っておきますからね。
 エレーヌ ああ、どうかお構いなく。今までの男の子達って、みんな私を夜のお祈りに誘うの。それしか思いつかないのね、私が牧師の娘だから。そんなのに比べたら、今は天国。彼、殆ど毎晩、私を劇場に連れて行ってくれるんですもの。
 マーサ そりゃ私達にもその方が有り難いのよ、だってモーティマーが見なきゃならないお芝居って、みんなああでしょう? 牧師さんのお嬢さんの隣に坐って見ているって思ったら、本当に安心。(マーサ、テーブルの後ろへ行く。)
(アビイ、テーブルの後ろへ行き、お茶の道具を盆の上へ片付け始める。エレーヌとマーサ、それを手伝う。)
 アビイ 酷いでしょう、エレーヌ、こんな時間までお茶の片付けをしてないなんて。これじゃどう思われても仕方ないわね。(アビイ、盆を取り上げ、台所へ退場。)
(マーサ、蝋燭を一つ吹き消し、それをサイドボードへ。エレーヌも蝋燭を吹き消し、サイドボードへ持って行く。)
 マーサ(アビイの退場の際に。)ねえ、台所の片付けは今じゃなくてもいいわ、モーティマーが戻って来てからで。後で私も手伝うから。(エレーヌに。)モーティマーはもうすぐ戻りますからね。
 エレーヌ ええ。でも家に私がいないので、父はきっと心配してると思うんです。私、ちょっと行って、お休みの挨拶だけしてきます。(玄関の扉へ進む。)
 マーサ そう、ご免なさいね、待ちぼうけで。
 エレーヌ(扉を開けながら。)もしモーティマーが帰って来たら、私のこと、すぐ戻りますってお伝え下さい。
(エレーヌ、扉を開けきった所で丁度モーティマーが外にいるのを見る。)まあ、お帰りなさい。モーティ!
 モーティマー(中に入りながら)やあ、エレーヌ。
(エレーヌを通り越してマーサに近付き、二人の間に身を置きながら、後ろに手を伸ばしてエレーヌのお尻を軽く叩く。それからマーサを抱擁する。)ただいま、マーサ伯母さん。 マーサ アビイ、モーティマーが帰ったわ!(と言いながら、台所へ退場。)
(エレーヌ、ゆっくりと扉を閉める。)
 モーティマー(振り向いて。)何処か行くの?
 エレーヌ 父に「私のこと、待ってないで、先に寝てて」って言いに帰ろうと思って。
 モーティマー へえー、ブルックリンにもまだそんな古き良き習慣が残ってたんだ。(ソファの上に帽子を投げる。)
(アビイ、台所から登場。マーサも後に続き、戸口に立つ。)
 アビイ(モーティマーに近付いて)お帰りなさい、モーティマー。 
 モーティマー(アビイを抱擁し、キス)ただいま、アビイ伯母さん。
 アビイ どう? 元気なの?
 モーティマー 元気です。伯母さんもお元気そうですね。昨日と少しも変わっていません。
 アビイ まあ、私ったら、あれは昨日だったのね? そう、最近はよく会いに来てくれるものね。(部屋を横切り椅子に腰掛けながら。)さあ、こっちに来て坐って、さあ。
 マーサ(アビイを止めて。)アビイ、私達、台所でやること、なかった?
 アビイ えー?
 マーサ ほら、お茶の後の。
 アビイ(突然はっと、モーティマーとエレーヌを眺めると、状況を理解して。)あー、そうそう! お茶の後片付け。(台所の方へ後ずさりして。)じゃあ・・・後はゆっくり二人だけでね。二人で・・・。
 マーサ ごゆっくり。
(二人、台所の扉から退場。アビイ、扉を閉める。)
 エレーヌ(キスしてもらおうとモーティマーに近寄る。モーティマーが乗り気でないので。)ねえ、せっかくの伯母さん達の機転よ。
 モーティマー(不満そうに。)そうかな・・・あれじゃまるで見え見えだよ。はっきり言って、機転のキの字も感じられない。
 エレーヌ(二人の折角の好意をモーティマーが評価しないので少しがっかり。テーブルに近付き、ハンドバッグをその上に置く。)そうね、きっとそう言うだろうと思ったわ。
 モーティマー(机の所で。ポケットから色々なメモの紙きれを取り出して、その中からドル紙幣を選り分ける。)夕食は何処にする?
 エレーヌ(バッグを開けて手鏡を覗き込む。)何処でもいいわ。そんなにお腹すいてないの。 
 モーティマー そう、僕は朝、食べたきりなんだけど、まあ夕食は芝居の後まで我慢しようよ。
 エレーヌ でもそれだとかなり遅くなっちゃうんじゃない?
 モーティマー いや、今日のは下らない代物だ。さっさと抜けられる。十時までにはブレイクの店に行けると思うよ。
 エレーヌ ちゃんと最後まで観てあげたら?
 モーティマー それだけの価値のあるものをやってくれないんだから仕方がないよ。
 エレーヌ でもミュージカルの時は途中で抜けるなんて事ないわ、あなた。
 モーティマー ああ、君、あのミュージカルのことを言ってるの? 今夜はあれはやってないんだ。
 エレーヌ(がっかりして。)やってないの?
 モーティマー あのねえ、ミュージカルには法則があるんだ。これは覚えてないと。まづミュージカルとは、常にタイトルが四回は変わるものであり、公演が三回は延期されるものである。たとえニューヘイブンで当ったとしても、まだまだたっぷり書き直しが必要である。
 エレーヌ そうよ! それこそ本物のミュージカルだわ。
 モーティマー 良く知らないからそんな暢気なことが言えるのさ。
 エレーヌ いいえ、ミュージカルの効用ならちゃんと知ってる。だってミュージカルを見た後はあなた、優しくなるもの。(モーティマー、エレーヌをちらっと見る。)真面目なお芝居だと、あなた、その後はボロ地下鉄。労働者階級の乗客と一緒。そして私に演劇論の講議をぶつの。でも、ミュージカルだと、その後はタクシーで家まで送ってくれて、(エレーヌ、モーティマーから目を逸らせて。)それとなく口説こうとするでしょ。
 モーティマー ちょっと待てよ。それは事実と違うよ。
 エレーヌ(テーブルの端に凭れて。)そう、ちょっとは違うこともある。ベールマンの芝居を観た後、「君のその顔はまさに美そのものだ」って言ったわ。でもこんなこと、若い娘に言う言葉としては最低。でも、初めてミュージカルを見た後、あなたこう言ったのよ。「君の脚ってとっても素敵だね」って。そう、私の脚、綺麗なの。
 モーティマー(一瞬エレーヌの脚を見つめる。テーブルまで歩きエレーヌにキスする。)牧師の娘にしては、君って随分よく知ってるんだね、世の中のことを。一体、何処で習ったんだい?
 エレーヌ(すらりと。)教会の二階席よ、聖歌隊が歌う。
 モーティマー 教会の中か・・・君にはいつか説明してあげるよ、エロチシズムと宗教の間には、密接な関係があることを。
 エレーヌ 神様の目は教会の二階までは届きっこないわ、決して。(テーブルの下手に行き、バッグを手に取る。)そう、それで思い出したわ。私父に、今夜は先に寝ててって言ってこなくちゃ。
 モーティマー(殆ど独り言。)どうなっちゃってるんだ、この僕は。
 エレーヌ えっ、何?
 モーティマー ブルックリンの女の子と恋に落ちるなんて、全く・・・
 エレーヌ 恋に落ちる? あなた、何か言い間違いしているんじゃないの?
 モーティマー(これには答えず。)君をニューヨークへ連れて行って、もう返さないこと。僕が自分の自尊心を取り戻す方法はこれしかなさそうだな。
 エレーヌ(二三歩、彼に近付き。)もう私を返さないって、あなた言った?
 モーティマー いや、その・・・君が法律的に正しい関係を望んでいることは僕にもちゃんと分かってるからね。
 エレーヌ(さらに近付く。モーティマー、後ずさりする。)そう。私、まだ後数年は一人でいてもいいって思ってるんだけど?
 モーティマー(後ずさりを止め、彼女を抱き締める。)そんなに長くは待てないよ。さっさっと結婚できる所はないかな、今晩どう?
 エレーヌ 父が承知しないわ。自分が司祭を務めない式なんて。
 モーティマー(彼女から顔をそむけて。)ああ! あのお父さんなら聖書の朗読、無味乾燥。それがたとえ、結婚式の司祭役の時でもね。
 エレーヌ あら、それ、何かの劇評?
 モーティマー ああ、ご免ご免。もう病気だな、これは。
(エレーヌ、優しくモーティマーに微笑み、彼に近寄る。モーティマーも歩み寄り一緒になった所で、二人は暫し甘い抱擁とキスに我を忘れる。二人我に返り、モーティマー、さっとエレーヌから遠ざかる。)
 モーティマー 今夜の芝居には僕は甘いぞ。ひどくいい点をつけそうだ。
 エレーヌ まあモーティマー、私のこと、そんなに愛してるってふりしなくてもいいのよ。
 モーティマー(洗練された女好きの目付でエレーヌを見る。それから彼女に近付き、念を押す言い方で。)今夜は君、お父様に、待ってないで、先に寝ててって言うんだね?
 エレーヌ(どうせ父親は自分を待って起きているだろうし、モーティマーも信頼出来ないと感じて、舞台奥へと後ずさりしながら)いいえ、やっぱり今夜は、「起きていて」って言うわ。
 モーティマー(エレーヌの後を追いながら)教会に結婚式の予告を貼り出してもらうよう、僕からウィンチェルに電話するよ。これでいいだろ?
 エレーヌ(後ずさりしながら。)でも、それじゃ・・・問題は父よ。
 モーティマー 分かったよ。何もかも世間のしきたり通りにやろう。同棲もなし。全て法律的にきちんと手続きを踏んで。でも、来月以内に式は挙げる。いいね。
 エレーヌ(モーティマーの腕の中に飛び込んで。)ああ、良かった! 私、父に相談してみる。式の日取りも。
 モーティマー 式の日取りはね・・・いや、まづは、どんな芝居がいつリハーサルに掛かるか調べておかなきゃ。それに十月は公演の初日も目白押しだからね。
(テディ、バルコニーより登場。熱帯地方で着る服を着、日よけのヘルメット帽を被って、階下へ降りて来る。階段を降りきった所でモーティマーを見、近付いて握手をする。)
 テディ やあ、モーティマー!
 モーティマー(重々しく。)ああ、大統領閣下、お元気でいらっしゃいますか。
 テディ おお、元気だぞ! 有難う。実に元気だ! 何か新しい情報を持って来たのか?
 モーティマー いえ、閣下。情報と言えば、国民が皆、これまで通り閣下を支持しているということだけです。
 テディ(微笑んで。)うん、分かっている。素晴しい事じゃないか。(再びモーティマーと握手をし。)では、これで。(エレーヌに近付き、彼女とも握手。)では、失礼。
(テディ、地下室の扉へ進む。)
 エレーヌ 何処へいらっしゃるの? テディ。
 テディ パナマだ。(地下室の扉から退場。扉を閉める。エレーヌ、何か聞きたげにモーティマーを見る。)
 モーティマー 地下室がパナマなんだ。テディはあそこで運河を掘っていてね。
(エレーヌ、モーティマーの腕を取り、二人はゆっくりとテーブルへ進む。)
 エレーヌ あなた、あの人にとても優しいのね。それに向こうもあなたのこと、とても気に入ってる。
 モーティマー うん。兄弟の中じゃ、いつもテディが一番、僕と気が合ったんだ。
 エレーヌ(立ち止まり、振り返って。)「兄弟の中じゃ」って、じゃ他にもいるの? 兄弟が。
 モーティマー うん、もう一人、兄貴が・・・ジョナサンっていう。
 エレーヌ それ、初耳。伯母さんたちも何も仰らないわね。
 モーティマー うん。この家じゃ誰もジョナサンの話はしたがらない。随分前にブルックリンを出て行って・・・いや出て行かされたんだ。ジョナサンって奴はミミズを二つにちょん切って喜ぶような子供だった・・・それも自分の歯でね。
 エレーヌ 今はどうしてるの?
 モーティマー さあ、分らない。祖父と同じように、外科医を志望していたんだ。だけど、医者になるための勉強をする気なんて端(はな)っからなかったし、何をやってもすぐ揉め事を起こしたからね。
 アビイ(台所から登場。)あなたたち、お芝居、遅刻しやしない?
 モーティマー(エレーヌの首に腕を回したまま腕時計を見て。)僕たち、夕食は後にするつもりです。だからまだ、三十分は余裕がありますから。
 アビイ(台所へ引っ込みながら。)じゃあ、私はあっちに行きますからね。あとはまたお二人、仲良く・・・
 エレーヌ どうかお気遣いなく。(モーティマーから離れ、彼の前に移動し。)私、丁度もう、父の所に行くところですから。(モーティマーに。)私があなたと出掛ける時は、その前にちょっとお祈りしたいって言うのよ。(玄関に駆けて行き、扉を開け、外側のドアノブに手を掛けて。)私、すぐ戻ってくる・・・墓地の中を通って近道するわ。
 モーティマー(エレーヌに近付き、彼女の手に自分の手を重ね。)まあ、ゆっくりお祈りして貰うといいよ。短いのでいいんなら、代わりに僕が君のために聖水をひとふりしてあげられるんだけどね。
(エレーヌ、笑って退場。モーティマー、扉を閉める。)
 アビイ(嬉しそうに。)モーティマー、私、初耳よ。あなたが聖水のことを話すなんて。まあ私達、エレーヌがあなたに良い影響を与えるだろうって、ちゃんと分ってたけど。
 モーティマー(笑ってアビイの方を向く。)ところで伯母さん、僕、エレーヌと結婚するつもりなんです。
 アビイ あら、そう!
(アビイ、駆け寄ってモーティマーを抱擁する。それから台所の扉へ急ぎ駆け寄る。モーティマー、窓に近付き外を見る。)
 アビイ マーサ、マーサ!(マーサ、台所から登場。)早く来て。素晴しい話よ・・・モーティマーとエレーヌが結婚するんですって!
 マーサ 結婚! まあ、モーティマー!
(マーサ、窓から外を見ているモーティマーへ駆け寄って抱擁しキスする。アビイ、モーティマーの左側へ。モーティマー、二人の肩に腕をまわす。)
 アビイ こんな日がいつか来るんじゃないかって思っていたわ。
 マーサ そうね。エレーヌはきっと世界一幸せな女の子になるわ。
 モーティマー(カーテンをさらに開き外を見る。)幸せか! ああ、走って行く。墓石の間をまるで飛ぶようだ。(窓の外を見るモーティマーの視線、急にあるものに引き付けられる。)あれ? 何だ? あれは。
 マーサ(彼の肩越しに外を見て。)何よ。何があれよ。
 モーティマー ほら見て、あの彫刻・・・あれはホルンディニーダ・カルニーナじゃないか。
 マーサ 何言ってるの。あれは、エマ・B・スタウトの彫像・・・天国に召された・・・
 モーティマー いやいや、そのスタウト夫人の左耳に止まっている、あの鳥ですよ。あれは赤カンムリツバメ。僕は今までに、一度しか見たことがない。
 アビイ(テーブルに椅子を押し込みながら、その上手を回って近づく。)変な子ねえ。どうしてこんな時に小鳥の事なんか考えられるのかしら・・・一体それ、エレーヌとの婚約や色々大事なお話とどう繋がるの?
 モーティマー あれは絶滅寸前の種なんです。(窓から離れて。)ヘンリー・ソーローがとても愛した鳥ですよ。(机に近付き、あちこち引き出しや書類を見てまわる。)ところで、先週、この辺りに大きな封筒を置き忘れたと思うんですが。ソーローについて、今書いている本の一部なんです。見ませんでした?
 マーサ(ひじ掛け椅子をテーブルに寄せながら。)さあ、ここに置き忘れたんなら、その辺にあるはずよ。
 アビイ あなたたち、いつ結婚するつもり? 計画はどうなってるの? ねえ、エレーヌのことで私達に話さなきゃいけないこと、他にもまだあるんじゃないの?
 モーティマー エレーヌですか? ああ、ええ。彼女もとてもよく出来てるって。(サイドボードに近付き、棚や引き出しを調べる。)
 マーサ よく出来てるって、何が?
 モーティマー ソーローに関する僕の評論が。(ようやく引き出しに入っていた原稿の束を見つけ、テーブルの上に出して目を通している。)
 アビイ とにかく、エレーヌが戻ってきたら、私達でちょっと御祝いして上げましょうね。二人の幸せのために乾杯。マーサ、あのケーキ、まだいくらか残っていたかしら? レディ・ボルチモア・ケーキ。
(アビイが話している間に、マーサ、サイドボードから鍋を、テーブルから肩掛け、帽子、手袋を取り出す。)
 マーサ ええ、残ってるわ!
 アビイ それとワインも開けましょ。
 マーサ(台所へ退場しながら。)そう、この部屋で知り合ったのよ、あなた方二人は!
 モーティマー(原稿に目を通し終わり、部屋を見回しながら。)さてと、あれは何処に置いたんだっけ。
 アビイ モーティマー、今夜はあなた、フィアンセが隣に坐ってるのよ。こんな時なんだから、何か楽しいお芝居だといいわ。ロマンチックなものなんか・・・それで、何ていうお芝居なの?
 モーティマー 「白昼の殺人」!
 アビイ あらあら!(次のモーティマーの台詞を聞き流して台所へ退場。)
 モーティマー 幕が上がると、まず最初に観客の目に、死体がぱっと飛び込んでくるんです。(モーティマー、窓際の箱(腰掛け)の蓋を開け、中を見る。自分の目が信じられず、元通り蓋を閉めると舞台前方へ歩き出す。が、急に立ち止まり引き返して、箱の蓋をぱっと開けてじっと中を見る。しばし気がふれたようになる。後ずさりする。すると、ハミングしながら部屋に戻ってくるアビイの声が聞こえる。モーティマー、蓋を元通り閉め、手で押さえたまま部屋の中を見回す。アビイ、消音用の敷物とテーブルクロスをもって登場。ひじ掛け椅子の上にそれらを一時置いて、テーブルの上の原稿の束をサイドボードの引き出しの中にしまう。モーティマー、やや緊張した声で話し掛ける。)
 モーティマー アビイ伯母さん!
 アビイ(サイドボードの所で。)なーに?
 モーティマー 確か伯母さん、言ってましたよね。テディが例の療養所に・・・ハッピーデイルに入れるよう話を進めているって。
 アビイ(サイドボードから関係書類を取上げ、モーティマーの所へ持ってきながら。)ええ、そうよ。ちゃんと話は進んでるわ。今日もハーパー先生がこの書類を持ってきて下さったの。テディにサインさせるために。これがそう。
 モーティマー(書類を受け取って。)今すぐ、こいつにサインさせなきゃ!
(アビイ、テーブルの上に消音用の敷物を配置する。マーサ、盆に銀食器と皿をのせて台所より登場。盆をサイドボードの上に置く。)
 アビイ ハーパー先生も同じ事、仰ってらしたわ。そうすれば私達が死んだ後でも、法律的に厄介な事にならずに済むだろうって。
 モーティマー 死んだ後? いや今すぐです! 今すぐ、この書類にサインさせなきゃいけません! テディは地下室にいるんですね・・・すぐにここに呼んで下さい。
 マーサ(テーブルクロスを広げながら。)そのことなら、そんなに急ぐことありませんよ。
 アビイ そうね。あの子、一旦運河の仕事を始めちゃうと、人が何と言っても他の事には見向きもしないから。
 モーティマー テディは今すぐハッピーデイルに入らなくちゃ駄目です・・・そう、今晩にでも。
 マーサ まあ、どうしたの、一体! そんな事、私達が死んだ後でいいの。
 モーティマー 今すぐです、お願いだから、今すぐ!
 アビイ(モーティマーの方に振り返って。)どうしたの? モーティマー。何だってそんな事を言うの。いいこと? 私達が生きている限りは、あの子と離れるつもりなんて、ありませんからね。
 モーティマー(冷静になろうとしながら。)いいですか、伯母さん。実は非常に残念なことに、僕はお二人に大変悲しいことをお伝えしなきゃなりません。(アビイとマーサ、支度の手を止め、何を言い出すのかと、モーティマーを見る。)どうか・・・どうか落着いて聞いて下さい。これまで僕達はテディにその・・・調子を合わせるようにしてきました。でもそれはテディが人畜無害だと思っていたからです。
 マーサ だって人畜無害でしょう? あの子。
 モーティマー ええ、昨日までは。でも今は違う。今は「害あり」なんです。だからすぐにもハッピーデイルに入所させなきゃならないんです。閉じ込めなきゃならないんです。
 アビイ(モーティマーに近寄って。)モーティマー、何だって急にテディのこと、悪く言い出したりするの。実の兄さんじゃないの。
 モーティマー どっちみちいつかは話さなきゃならないなら・・・今言うことにします。実はテディは、人を殺してしまったんです!
 マーサ(笑いながら。)止して頂戴。
 モーティマー(立ち上がり、窓際の箱を指差す。)この中に、死体が入ってるんですよ!
 アビイ ええ、知ってるわ。
(アビイとマーサ、再びテーブル支度に一生懸命になる。)
 モーティマー(二人の様子を見ている。まさかアビイが「知っている」という言葉を言ったとは、最初思いもかけない。が、暫くして相手の言っていることに気づき、ぎょっとして。)知ってるって?
 マーサ ええ勿論。でもそれはテディとは何の関係もないの。(サイドボードから盆を取る。そして、テーブルの上に銀食器や皿を並べる。)
 アビイ さあ、モーティマー。そんな事は忘れるの。ね? 誰かがそこに入っていたなんて、そんな事は。いいわね?
 モーティマー 忘れろって?
 アビイ まさかあなたがそこを覗いてみるなんて、夢にも思わなかったから・・・
 モーティマー でも、じゃ一体誰なんです、あれは。
 アビイ ホスキンズさんよ、アダム・ホスキンズ。それしか知らないの、あの人のことは。ああ、それとメソジスト派だってこと以外は。
 モーティマー それしか知らないって? じゃあ、どうしてこの人はここにいるんです? どうなっちゃってるんです?
 マーサ 見て分かるでしょ。死んでるのよ、そこで。
 モーティマー そこで死んでるって・・・ねえ、マーサ伯母さん。勝手にこんなものの中に自分で入って、そして死ぬなんて、そんな馬鹿なことはある訳ないでしょう?
 アビイ ええ、勿論。だから、入る前に死んだの。
 モーティマー だから、どうして死んだんです?
 アビイ ああ、モーティマー。あなた、いつからそんなに詮索好きになったの? その紳士はね、毒が入ったワインを飲んで、それで死んだのよ。
 モーティマー ワインに毒! どうしてワインに毒が?
 マーサ 毒はワインに入れるのがいいの。臭いがあまり気にならなくなるから。紅茶に入れると、嫌な臭いがするのよ。
 モーティマー じゃ、ワインに毒を入れたのは伯母さん達なんですね?
 アビイ ええ、そうよ。でも、ホスキンズさんをその箱の中に入れたのは、私。だって、ハーパー先生がいらっしゃる頃だったから。
 モーティマー ええっ! じゃ、悪い事だって分っててやったんですね? ハーパー先生から死体を隠したってことは。
 アビイ 隠したって訳じゃないの。だって、お茶の時間だったでしょう? 見て気分のいいものじゃないからよ。さあ、モーティマー、全部分かったんだから、この事はもう忘れてしまいなさい。私たちにだって小さな秘密ぐらい持つ権利、あるはずよ。(アビイ、サイドボードに行き、棚からゴブレット(台付きの酒杯)を二つ取る。一方、マーサ、サイドボードから塩を盛った皿と胡椒入れを取ってテーブルへ運ぶ。)
 マーサ それと、この事はエレーヌには話しちゃ駄目よ!(サイドボードへ戻り、棚から三つ目のゴブレットを取って、アビイの方へ振り返る。アビイ、棚から盆を取り出しているところ。)
 マーサ そうそう、アビイ。私、外出のついでにシュルツさんの奥さんの所に立ち寄ってみたの。あの人、大分良くなっていたわ。でも、下の子をまた映画に連れて行って貰えないかって頼まれたの。
 アビイ じゃあ、明日か明後日にでも連れて行かなくちゃね。
 マーサ ええ、でも今度は私達が見たい映画にしましょうよ。(台所の扉へ歩きだす。アビイ、後につづく。)またホラー映画を見せられるのは、ご免だもの。
(二人、台所へ退場。モーティマー、身体をぐるっと回し、後ろ向きになって二人を見送る。アビイ、扉を閉める。)
 モーティマー(呆然と部屋の中を見回す。視線が机の上の電話にとまる。近付いて電話をかける。電話口に。)編集部を頼む! ・・・ああ、アル。僕が誰か分るな? ・・・そう。なあ、アル、僕がオフィスを出るとき、僕はこれから行く所があるって言ったろ? 何処へ行くって云ったか、覚えてるか?・・・うん、うん。オフィスからブルックリンまではだいたい三十分だ。君の時計、今何時だ?(自分の腕時計を見る。)時間は合ってる。どうやらここはブルックリンだな。(電話を切り、ちょっと坐るがすぐに椅子から跳び上がって台所へ。)アビイ伯母さん! マーサ伯母さん! こっちに来て下さい!(二人の伯母、気忙しく登場。マーサの手には盆。その上には皿、カップ、ソーサー、スープカップ。)どうするんです? これから。ねえ、どうするんです?
 マーサ 何をどうするっていうの?
 モーティマー(窓際の箱を指差して。)あそこに入ってる死体のことですよ。
 アビイ ああ・・・ホスキンズさんね。
 モーティマー そうですよ! まったく! 伯母さんたちを警察へ引き渡す訳にも行かないし。僕は一体、どうすればいいんだ。
 マーサ とにかく、そんなに興奮しないで頂戴。
 アビイ それにお願いだから、そんなに心配しないで。この事は全部忘れてって言ったでしょ、さっき。
 モーティマー 忘れろだって! ねえ、アビイ伯母さん、何か手を打たなきゃ。僕の云ってること、分かりませんか?
 アビイ(少しきつい調子で。)モーティマー、さあ、もっとしっかりなさい。いい年をして、そんな風におろおろするものじゃないわ。
 モーティマー でも、ホッチキスさんが・・・。
 アビイ(サイドボードに行きかけて止まり、モーティマーの方へ振り返って。)ホスキンズさんよ。(再び歩き出し、サイドボードの引き出しからナプキンとナプキンリングを取り出す。マーサ、カップと皿の載った盆をテーブルに置く。モーティマー、この間、話し続ける。)
 モーティマー 名前なんか関係ありません。とにかく、あの人をあのままにしておく訳にはいかないじゃないですか。
 マーサ あのままになんてしておきませんよ。
 アビイ(ナプキンとナプキンリングを持ってテーブルに近付き。)ええ。今、テディがちゃんと、地下室にそのための区画を掘ってくれてるわ、運河の。
 モーティマー と言うことは、ホッチキスさんを地下室に埋めるつもりなんですか?
 マーサ(彼に歩み寄り。)ええ、そう。他の人たちもそうして上げたんだから。
 モーティマー(離れて行きながら。)駄目です! 地下室に埋めるなんて!(はっとして。二人に近付き。)他の人たち? 
 アビイ そうよ、他の人たちも。
 モーティマー 他のって、つまり、他にもまだ? 一人じゃないんですか?
 マーサ ええ、そうよ。ええと、この人で十一人。(アビイに。)違ったかしら、アビイ。
 アビイ 違うわ。十二人よ、マーサ。
(モーティマー、後ずさりして二人から離れる。呆然と机の電話の方へ。)
 マーサ そう? いいえ、そうじゃないわ、アビイ。やっぱりまだ十一人よ。
 アビイ 違うわ、マーサ。だってホスキンズさんが初めてここにいらしたとき私、ああ、この人で丁度一ダースになるわって思ったこと覚えてるもの。
 マーサ あなた、あの最初の人を数に入れちゃ駄目よ。
 アビイ ああ、私は、あの最初の人も数に入れてたわ。だから十二人になるのね。
(電話が鳴る。モーティマー、ぼーっとそちらへ振り向き受話器を取らずに、「はい!」と言う。)
 モーティマー(近付いて受話器を取る。)はい、もしもし。君かアル。ああ、ほっとしたよ、君の声が聞けて。
 アビイ(まだ「十二」という数にこだわりながら)まあ、とにかく、地下室にいるのは、全部で十二人で・・・。(と云いかけて遮られる。)
 モーティマー(伯母に) しーっ・・・。
(アビイとマーサ、サイドボードに行き、一番上の棚から枝付き燭台を取って一番下の棚に置く。)
 モーティマー(電話口に。)いや、違うよアル。完全にしらふだ。ただちょっとピランデルロの気分になっちまって電話したんだ。・・・芝居だよ・・・ピランデルロ・・・ああ、どうせ知らないな、君は。・・・とにかく良かった、電話をかけてくれて。君、今すぐジョージをつかまえてくれないか。今夜の芝居の批評は、あいつにやらせる。僕は行けないんだ。・・・違うよアル、そうじゃないんだ。事情は明日ちゃんと話すから。とにかく、今夜の芝居にはジョージを行かせるんだ!・・・この欄の責任者は僕だぞ。僕が仕切ってるんだ! だから君は、ジョージをつかまえるんだ!
 モーティマー(電話を切り、気持ちを落ち着けようと暫し腰を下ろす。)さあ、話はどこまででしたっけ。(突然、丸椅子から跳び上がり。)十二人!
 マーサ ええ、アビイは、最初の人も入れるって言うの。そうしたら勿論、十二になるけど。
(サイドボードへ引き返す。)
 モーティマー(椅子を中央に置く。マーサの手を取って、そこへ連れてきて坐らせる。)いいでしょう。それで・・・最初の人は誰だったんです?
 アビイ(テーブルの上手からモーティマーに近寄って。)ミッジリーさん。バプティスト派だったわ。
 マーサ あの人を数に入れるのはやっぱり駄目。だってあの人、ただ死んだだけだもの。
 アビイ マーサが云ってるのはね、あの人は私達の助けなしに死んだっていうこと。でもね、ミッジリーさんは、ここに部屋を探しにいらして・・・。
 マーサ あれはあなたがニューヨークに引っ越したすぐ後・・・
 アビイ そう。だって、あんなにいい部屋を空けたままにしておくのは良くないことだって思ったの。住む所がなくて困ってる人が大勢いるっていう時にね。
 マーサ とっても淋しそうなお年寄りで・・・。
 アビイ 親類縁者は一人残らず、お亡くなりで、この世に頼れる者は一人もなし。一人ぼっちの可哀想な人でね・・・。
 マーサ あの人、本当に気の毒だったわ。
 アビイ ええそう! 突然心臓発作。あの椅子に坐ったまま死んじゃった。(ひじ掛け椅子を指差す。)でも、その死に顔と云ったら、本当に幸せそうで・・・覚えてる? マーサ・・・それで私達、その場で心に誓ったの。もしまた、孤独なお年寄りがそんな風に幸せに死ねるお手伝いができるんだったら、きっと二人で幸せにしてあげなくっちゃってね!
 モーティマー(一心に耳を傾けている。)突然、死んだ! あの椅子で! 死体が目の前に! そいつは酷いショックだ!
 マーサ いいえ、別に。だって昔はそうだったもの。死体がいつでもその辺に一つ二つ転がっていてね・・・お前のお祖父さんの仕事で。テディだって死体、ちっとも怖がらなかった。黄熱病で死んだんだと思ったのね。それに、お誂え向きに、丁度パナマ運河を掘っていてくれたし・・・
 アビイ あの子が黄熱病って言うもんだから、それならすぐに埋めなきゃっていうことになって・・・
 マーサ そう、それで三人であの人をパナマに運び下ろして、運河の穴に埋めたの。(立ち上がり、アビイの肩に腕をまわす。)さあ、これで分かったでしょう。あなたが心配することは何もないって云った訳が。どうすればいいかはちゃんと心得てるんだから。
 モーティマー なるほど、それが事の起こりか・・・ある日、男がここにやって来て、突然、死んでしまった。
 アビイ そうなの! でも、いつもそんな偶然が起きてくれるとは思えないでしょう? それで・・・。
 マーサ(モーティマーに近付き)あなたも覚えてるでしょう? あの毒薬のいろんな壜。お祖父さんの実験室の棚にずっと置きっぱなしだったあの壜。
 アビイ マーサ伯母さんがモノを混ぜ合わせる天才だって、あなた知ってるわね? ほら、あの刻み野菜のピッカリリーだって、あなたいつも美味しい、美味しいって食べてたでしょ。(訳註 ピッカリリーは野菜を細かく刻んだ辛い漬け物のこと。)
 マーサ まあ、とにかく、まづ砒素(ひそ)剤を茶さじ一杯、ストリキニーネを茶さじ半分、それと青酸カリをほんの少々・・・それを一ガロンのエルダーベリーワインに入れる。そしてよくかき混ぜて、出来上がり。
 モーティマー(感心して。)それじゃ、いちころですね。
 アビイ ええ、いちころ。ああもすうもなし。たった一人ね、「こりゃ、美味しい!」って云ってから死んだ人は。
 マーサ さあ、そろそろ私、台所の仕事に戻らなくっちゃ。
 アビイ(モーティマーに。)あなた、夕食は家(うち)でどう?
 マーサ あなたには特別新しいお料理を考えてあげるわ。
 モーティマー 夕食をここで? まさか!
(マーサ、台所へ退場。) 
 アビイ(マーサの背に呼び掛ける。)私も後から行くわ。(椅子をテーブルに寄せる。)よかった。話しちゃってすっきりしたわ。そうそう、あなたここで、エレーヌを待ってるのよね。(にっこり笑う。)幸せいっぱいってとこね。(台所へ進む。)じゃ、私はお邪魔ね。あっちに行くわ。エレーヌのこと、ゆっくり考えなさい。(アビイ、扉を閉め退場。)
(扉の閉まる音でモーティマー、我に返る。窓際の箱に近付き膝をついて蓋を持ち上げ、中を見る。信じられないといった様子で、蓋を下ろす。目をこすって、もう一度、蓋を持ち上げる。今度はホスキンズをしっかりと見る。パタンと蓋を閉じ、立ち上がって後ずさりする。駆け出して窓のカーテンをさっと閉じる。テーブルに戻る。その上の水の入ったグラスを見る。手に取って、唇まで持っていくが、急に、毒入りワインの一件を思い出し、慌ててそれを下に置く。地下室への扉に近付き、それを開ける。エレーヌ、登場。玄関で音がしたため、モーティマー、慌ててバタンと扉を閉める。エレーヌが机の上にバッグを置いたとき、モーティマー、振り返り人影を見る。そして、それがエレーヌであることにようやく気が付く。)
 モーティマー(少し驚いた声で。)ああ、君か。
 エレーヌ(近付いて、モーティマーの手を取り。)遅くなってご免、怒らないで。すぐ父に見破られちゃったのよ、興奮しているのを。だから結婚のことを話して、それで中々抜けられなくなって・・・でも、聞いて。父は今夜は私のこと待ってないで、先に寝るって。
 モーティマー(窓際の箱を見ながら。)君はもう帰って、エレーヌ。明日、電話する。
 エレーヌ 明日電話?
 モーティマー(苛々と。)僕は毎日、いや少なくとも一日置きには君に電話してるだろう?
 エレーヌ でも今夜は私達、お芝居を見る筈だったでしょ。
 モーティマー いや、芝居は止めだ! 今夜は。
 エレーヌ どうして?
 モーティマー(向き直って。)それどころじゃなくなったんだ。 
 エレーヌ ねえ、どういう事? ・・・あなたクビになったのね!
 モーティマー いや、違う、クビにはなっていない。ただ、行けなくなったんだ、今夜の芝居には。(エレーヌを玄関の方へ押しながら。)さあ、君はもう帰るんだ、エレーヌ。
 エレーヌ 何があったのか教えてくれなきゃ、いや。ねえ、ちゃんと話して頂戴。
 モーティマー いや、駄目なんだ。
 エレーヌ 私達、結婚するんでしょう? それなら当然・・・。
 モーティマー 結婚?
 エレーヌ 私にプロポーズしたこと忘れちゃったの! あれからまだ十五分も経ってないのよ!
 モーティマー(ぼんやりと。)プロポーズ? ああ、そうか。そうだったな。あれはまだ有効か。(再びエレーヌを帰そうと。)さあ、君はもう帰るんだ、エレーヌ。僕にはしなきゃならない事がある。
 エレーヌ ついさっきプロポーズしておいて、今度は家から放り出そうっていうの? そんなのないでしょう?
 モーティマー(嘆願するように。)君を放り出そうなんて思ってないよ、ね、頼むから帰ってくれないか。
 エレーヌ いやよ。私、帰らない。(モーティマー、台所の方へ進む。エレーヌ、窓際の箱に進む。)どういう事か説明してくれるまでは。(エレーヌ、窓際の箱に坐ろうとする。モーティマー、咄嗟にエレーヌの手を掴んで坐らせないようにする。電話が鳴る。)
 モーティマー エレーヌ! (モーティマー、エレーヌの手を引っ張って電話口へ行く。)もしもし。ああ、君か、アル。ちょっと待ってくれ。・・・勿論、のっぴきならない状況なんだ、こっちは。・・・でも、少しぐらい待てるだろ。このまま切らないでくれ。いいな!
(モーティマー、受話器を机の上に置き、そこにあったエレーヌのバッグを取ると彼女に押し付けて、玄関まで手を引っ張って行き、扉を開ける。)いいか、エレーヌ。君は素敵な人だ。僕は君が好きだ。だけど、今は駄目なんだ、考えなきゃならない事があって。だからこのまま家(うち)に帰ってくれ。後で電話する。
 エレーヌ(玄関口で。)何? その威張った言い方。
 モーティマー(困って。つい決まり文句を言う。)結婚して、夫が困っている時には、妻はもう少し理解を示して、機転を利かせて欲しいな。
 エレーヌ 結婚して・・・ええ、もし結婚したらの話だけど・・・もっとマトモな夫になって欲しいもんだわ! (エレーヌ、退場。)
 モーティマー(エレーヌを追ってポーチまで駆け出す。) エレーヌ! エレーヌ!(中に駆け戻って扉を閉める。窓際の箱へ進み、窓を開けようと、その上に膝をつく。急に箱の中身のことを思い出して、跳び退る。台所へ駆け出すが、アルとの電話を思い出して、電話口にとって返す。)
 モーティマー もしもし、アル? もしもし・・・もしもし・・・。(受話器のフックを押し下げ、ダイヤルを回そうとする。その時、玄関のベルが鳴る。モーティマー、それを電話の音だと勘違いする。アビイ、台所から登場。)もしもし。もしもし、アル?
 アビイ(玄関へ行き扉を開ける。)玄関のベルよ。電話じゃないわ。(モーティマー、フックを押し下げ、ダイヤルを回し始める。ギブス氏、玄関口に登場。)あら、いらっしゃい。どうぞ、どうぞ。
 ギブス 貸し間があるそうですが。
(マーサ、台所より登場。回転盆(註:調味料などを載せて食卓の中央に置く盆のこと。)をサイドボードの上に置き、テーブルへ進む。)
 アビイ ええ。さあ、こちらへどうぞ。
 ギブス(部屋へ入る。)あなたが大家さんですか?
 アビイ ええ、アビイ・ブルースターと申します。こちらが姉のマーサ・ブルースター。
 ギブス 私はギブスと申します。
 ギブス(椅子へ導いて)さあ、お掛けになって。すみませんね、今丁度、夕食の支度をしていたもので。
 モーティマー(電話に)もしもし・・・もう一度、アルにつないでくれ。編集部の。・・・アル! 編集部だ! 何だって? あっ、すみません、間違えました。(電話を切り、再びダイヤルし始める。ギブス、彼を見る。)
 ギブス(立ったままアビイに向き直り。)部屋を見せて戴けますか? 
 マーサ ね、少しお掛けになって。一緒にお話でも。
 ギブス しかしまづは部屋を見てから・・・見て気に入らなかったら、お話でもないですからね。
 アビイ お宅はブルックリン?
 ギブス 家(うち)などありません。ずっとホテル暮らしです。そのホテルが気に入らなくて。
 モーティマー(電話に)もしもし。編集部を頼む。 マーサ ご家族はブルックリンにいらっしゃるの?
 ギブス 家族はありません。今迄ずっと一人で。
 アビイ(しめた! と内心。)全くお一人?
 ギブス そうです。
 アビイ ねえ、マーサ・・・(マーサ、嬉しそうにサイドボードへ行き、棚からワインボトルとワイングラスを一つ取って、テーブルに置く。アビイ、ギブスに椅子を勧めながら話し続ける。)ここはあなたのような方にはぴったりの家(うち)ですよ。さあ、お掛けになって。
 モーティマー(電話に。)もしもし、アル?・・・僕だ。さっきは途中で切れちまった。なあ、今夜はやっぱり芝居には行けないよ。・・・行けないって言ったら、行けないんだ!
 マーサ おたく、宗派はどちら? うちはすぐお隣りが英国聖公会派の教会になってますのよ。(と言って、窓の外を示しているうちに、窓際へ来てしまう。箱に坐る。)
 ギブス 私は長老教会派です。ずっとそうです。
 モーティマー(電話に)何! ジョージの野郎、一体、バーミューダで何してるんだ!(立ち上がり、声が大きくなる。)・・・ああ、あいつにバーミューダへ行けって言ったのは確かにこの僕だ。・・・いいじゃないか。この欄を仕切ってるのは僕なんだ。いいな? とにかく、誰かつかまえてくれ。他に事務所にいるのは誰なんだ。(二番目の椅子に坐る。)
 ギブス(モーティマーの苛々した様子に当惑し、立ち上がってテーブルの前へ進む。)ここはいつもこんなに騒がしいんですか?
 マーサ いえ、あの子は私たちとは別所帯です。
(アビイ、腰を掛ける。)
 モーティマー(電話に。)その辺に誰かいるだろ! そうだ、アル、雑用掛りの若いのがいたろう。ほら、頭のいい奴が。・・・そう、俺達が嫌っているあいつだ。・・・そこにいないなら捜せ。このまま待ってる。
 ギブス とにかくまづは部屋を見せて下さい。
 アビイ 部屋は二階です。でもその前にうちのワインを一杯、お飲みになってみません?
 ギブス いや、ワインは全くやらんのです。
 マーサ これ、自家製ですのよ。私達二人で作った・・・エルダーベリーのワイン。
 ギブス(マーサに。)エルダーベリーのワイン。うーん、懐かしい。子供の時分に飲んだっきり、エルダーベリーワインにはすっかり御無沙汰でした。では戴きます。(ギブス、肘掛け椅子を引き出して坐る。アビイ、ボトルのコルク栓を外し、ワインをグラスに注ぐ。)
 モーティマー(電話に。)じゃあ、まだその辺に印刷掛りが残ってるだろ。ほら、アル、いつも僕の原稿の写しをとってくれる奴。あいつなら僕が書きそうなことが分かるはずだ。ジョーっていうんだ。左から三番目の機械の所だ。・・・でも、やらしてみなきゃ分からんじゃないか。案外、第二のバーンズ・マントルになるかもしれないぞ!
 ギブス(マーサに。)じゃあ、お宅にはエルダーベリーの木があるんですか?
 マーサ いいえ、でもお隣の墓地にいっぱい生えてて。
 モーティマー(電話に)いや、酔っちゃいないよ。でも、酔っぱらいたい気分だ。
 ギブス ここは賄(まかな)い付きですか?
 アビイ ええ、お望みなら。でもまづはうちのワインがお口に合うかどうか、ちょっと味見をして頂戴。
(モーティマー、電話を切り、机の上に電話を戻す。テーブルの上のワインを見る。サイドボードへ行き、グラスを取る。それを持ってテーブルへ来て、ワインを注(つ)ぐ。一方、ギブスは手にしたグラスからまさに一口飲もうとしているところ。)
 マーサ(モーティマーがワインを注ぐのを見て)モーティマー! えーっ、えーと、おっほん!
(ギブス、飲むのを止め、マーサを見る。モーティマー、マーサの合図に気付かない。)おっほん、えー、おっほん!
(モーティマー、グラスを口に持っていく。アビイ、さっと手を伸ばして彼の腕を押さえ下に引き留める。)
 アビイ モーティマー、それは駄目。
(モーティマー、まだ気が付かない。テーブルにグラスを置く。それから突然、ギブスの存在に気付く。彼が丁度グラスを口につけ、まさに飲もうとしているのを見て、初めて事態を悟り、テーブル越しにギブスを指差し、「おおー」と猛烈な叫び声。ギブス、それを見てグラスを下に置く。モーティマー、まだギブスを指差したままテーブルを回ってギブスに近付く。ギブス、「こいつは気狂いだ」と思ってそっと立ち上がり、戸口の方へ後ずさり。さっと振り返ると扉へ一目散に駆け出す。モーティマー、後を追う。ギブスが扉を開けるや、モーティマー、彼を外へ押し出し、扉を閉める。それから振り返り、扉に背をもたせてどっと疲れたような安堵の溜息。この間に、マーサは立って肘掛け椅子へ行き、アビイは立って部屋の中央へ行っている。)
 アビイ(非常に落胆して。)あなたのせいで何もかも台無しね。(ソファーに行き、坐る。)
(マーサ、肘掛け椅子に座る。モーティマー、二人の伯母の顔を順に見つめ、やがてアビイに言う。)
 モーティマー 伯母さん、あんなことしちゃ駄目ですよ。言ってもこれじゃ分って貰えそうにないな。とにかく法律を犯しているだけじゃありません。間違った行(おこな)いです!(アビイ、顔を背ける。モーティマー、マーサに言う。)良い行いじゃありません。(マーサ、同じく顔を背ける。)誰にも理解して貰える筈がないんです。(ギブスが出て行った扉を指差し。)あの人だって、分かっちゃくれませんよ。
 マーサ アビイ、モーティマーになんか話さなきゃよかったわね。
 モーティマー いいですか、伯母さん達。こんなことをやっていると、もう止まらなくなっちゃうんだから。
 アビイ(立ち上がる。)モーティマー、私達、あなたが気に入ってる事なら、それを無理に止めさせようなんてしないでしょ。あなたが何故、私達の邪魔をしたがるのか、私、ちっとも分らないわ。
(電話が鳴る。モーティマー、返事をする。マーサ、立ち上がる。)
 モーティマー もしもし? (再びアルから。)・・・分かった、一幕目だけ見る。それでこっぴどい批評を書いて終りにしてやる。ああ、アル。実は、ちょっと頼みたいことがあるんだ。オブライエンをつかまえてくれ・・・うちの顧問弁護士だ、法律課の主任だよ。劇場で落ち合えるようにしてくれないか。頼む。いいな?・・・オーケー。これからすぐ出るよ。(電話を切って、伯母達に。)伯母さん、僕はこれから劇場に行かなきゃなりません。代わりがどうしても見つからなくて。でも行く前に一つだけ約束して貰えませんか?
 マーサ 何を約束するの? それをまづ言ってくれなくちゃ。
 モーティマー 僕は伯母さん達が大好きなんです。お二人だって僕のこと、好きなんでしょう? 僕は伯母さん達のためだったらどんなことだってやるつもりでいるんです。ですから、これからお願いするほんの些細な事ぐらい、やって欲しいんですよ。
 アビイ 何をして貰いたいって言うの?
 モーティマー 何もしないで欲しいんです。何もしない、つまりなんにもです。誰もこの家に入れないで下さい・・・それにミスター・ホスキンズもあのまま、今いるあの場所に、そのままにしておいて欲しいんです。
 マーサ どうして?
 モーティマー 僕に考える時間を下さい。考えなきゃならないことが山のようにあるんですよ。僕はね、伯母さん達の身に何か起ったら大変だって思っているんです。
 アビイ 何か私達に起るって、何のこと?
 モーティマー(逆上して。)何のこと?・・・エーイ、もういい。とにかく今僕が言ったこと、分りましたね?
 マーサ そうねえ・・・私達、夕食前にはお葬式を済ましちゃう予定だったんだけど・・・。
 モーティマー お葬式!
 マーサ(やや憤然と。)当然でしょ。あなた、まさか私達がお葬式もせずにホスキンズさんを埋めるなんて思ってるんじゃないでしょうね。それに、あの人はメソジスト派だったの。だから、お式は完璧にメソジスト派でやることになってるのよ。
 モーティマー それは僕が戻るまで、待って貰う訳にはいきませんか?
 アビイ ああ、じゃあ、あなたもお式に出たいのね。
 モーティマー(もう自棄(やけ)になって。)ええ! ええ、そうです!
 アビイ ああ、モーティマー、あなたが出席してくれたら素敵よ。・・・讃美歌が映(は)えるわ。(マーサに。)ねえ、マーサ、まだ声変わりする前のこの子、聖歌隊で本当にいい声で歌っていたわね? 覚えてる?
 モーティマー 覚えてなきゃならないのは、僕が留守の間はこの家に誰一人、入れちゃいけないってことです。いいですね、約束ですよ!
 マーサ でも・・・
 アビイ マーサ、言う通りにしてやりましょう。だってモーティマー、お葬式を手伝うって言ってくれてるんじゃない。(モーティマーに。)じゃあ、分かったわよ、モーティマー。
(モーティマー、安堵の溜め息をつく。ソファに行き、帽子を取り上げる。玄関の扉へ行きかけて立ち止まる。)
 モーティマー そうだ、ちょっと何か書く紙はありませんか? 出来るだけ早く帰って来ますからね、僕は。(コートのポケットから書類を取り出しながら。)ただ、この人にはどうしても会わなきゃならないからな・・・。
(この間にアビイ、用紙を取りに机へ行っている。便箋を取ってモーティマーに渡す。)
 アビイ 便箋ならあるけれど。これでいいかしら?
 モーティマー(便箋を受け取って。)ああ、いいです。芝居に行く途中で批評を書いておけば、時間が節約出来ますからね。(退場。)
(アビイとマーサ、甥の後姿を見つめる。マーサ、行って扉を閉める。アビイ、サイドボードから燭台を二つ取りテーブルへ運ぶ。次いでサイドボードからマッチを取って、蝋燭に灯を点(とも)す。)
 マーサ 今日のモーティマー、何か変だったわ。
 アビイ(蝋燭に火をつけながら。)ええ、でもまあ当り前ね。私には、あの子の気持ち良く分かるわ。
 マーサ(屋内ランプをつけながら。)あの子の気持ち?
 アビイ だって、あの子、婚約が決まったばかりでしょ。そういう時って、男は必ず神経がぴりぴりするの。
 マーサ(次の台詞の間に、最初の踊り場まで上がって、窓のカーテンを閉める。次いで階下へ来てスイッチを切る。)エレーヌもきっと幸せ・・・モーティマー、ハネムーンでやっと一息つくわね。あの子、この夏、殆ど休んでないのよ・・・でしょう?
 アビイ (あの子、危ないところが好きだから。)でも、今度は中国にもスペインにも行ってないんじゃない?
 マーサ どうしてあんなところに行きたいのか、全く私分らないわ。
 アビイ あの子、芝居の批評なんか、ちっぽけな、下らないことだと思っているの。何かもっと大きなことを批評してみたいのよ。・・・例えば人類、とか何とか。(燭台(複数)をテーブルに配置する。)
 マーサ あらいやだ、アビイ、あの子がホスキンズさんのお葬式に戻ってくるとしたら、もう一冊、賛美歌集が必要になるわね。確か一冊、私の部屋に・・・。(二階へ行きかける。)
 アビイ ねえ、マーサ、今度のお葬式、聖書を読むのはほんとは私の番だけど、ホスキンズさんがいらした時、あなたここにいなかったでしょ。だからお祈りはあなたにして欲しいの。
 マーサ(喜んで。)まあ、嬉しい・・・でもほんとにやっていいの?
 アビイ ええ、その方が公平でしょ。
 マーサ じゃ、私、喪服は黒のボンバジーンにして、胸には母の形見のブローチをつけようかしら。(再び二階へ行きかけるが、この時玄関のベルが鳴る。)
 アビイ(机の所まで行き)私が出るわ。
 マーサ(囁き声で。)駄目よ、私達、モーティマーに約束したでしょ、誰も中に入れないって。 
 アビイ(扉の窓のカーテン越しに誰が来たのか覗こうとしながら)あなた、誰だと思う?
 マーサ 待って、私が見てみるわ。(踊り場の窓の所に引き返し、カーテンの外をそっと覗く。)男が二人いるわ。見たことがない人達。
 アビイ 見たことがない?
 マーサ 車道のへりに車が停まってる・・・きっとあれで来たんだわ。
 アビイ 私にも見せて!(階段を急ぎ上る。扉にノックの音。アビイ、同じくそっと覗く。)
 マーサ あなた、誰か分かる?
 アビイ いいえ、知らない人達ね。
 マーサ 居留守を使えばいいのよ。(二人、踊り場の隅へ背を丸くして隠れる。)
(もう一度、ノックの音。ノブが回され、扉がギーとゆっくり開く。背の高い男が中の様子を見回しながら入って来る。この部屋を良く知っているという、ゆったりと落ち着いた態度。男にはどこか不吉な感じが、居るだけで人をぞっとさせる何かがある。それは歩き方にも、挙動にもあり、また奇妙にフランケンシュタイン俳優、ボリス・カーロフに似ていることにもよる。アビイとマーサ、踊り場から男の様子を見ているが、恐ろしくて声も出ない。一通り部屋の検分が終わると、男は振り返り玄関の外の誰かに話しかける。)
 ジョナサン 入っていいぞ、ドクター。
(ドクター・アインシュタイン、登場。何となく鼠のような風貌。いつも酒を飲んで、朦朧となっている男によく見られる、優しげなにやにや笑いを顔に浮かべている。破門された聖職者という雰囲気も漂っている。登場して、扉のすぐ内側に立つ。おずおずと、しかし、成行きはどうなるだろう、という顔つき。)
 ジョナサン ここが若い頃、俺が住んでた家(うち)だ。餓鬼(がき)の頃はここから逃げ出すことばかり考えてたもんさ。・・・それが今じゃこうして逃げ込めて有り難がってる始末だ。
 アインシュタイン(室内に背を向けて戸を閉める。)こりゃチョニイ、いい・・・いい隠れ家。
 ジョナサン どうやらここにはまだブルースター家の者が住んでるらしいな。ブルースター家の人間には、ブルースターっていう独特の臭(にお)いがある。ああ、この放蕩息子の俺様のご帰還を祝って、何かうまいものでも出てこないかなあ。
 アインシュタイン ああ、私も、腹ぺこ。(ふと見ると、テーブルの上にワインの入ったグラスが二つ、二人を歓迎するかのように置いてある。)ねえ、チョニイ、酒! 酒!(テーブルに駆け寄る。)
 ジョナサン まるで俺たちが来るって分かってたみたいだ。こいつは幸先がいい。
(二人、グラスを口に運ぶ。と同時にアビイ、階段を二三段下りて声を掛ける。)
 アビイ 誰? あんたたち。そこで何してるの?
(二人共、グラスを下に置く。アインシュタイン、肘掛け椅子から自分の帽子を取って、逃げる身構え。ジョナサン、アビイの方を向く。)
 ジョナサン おやおや、アビイ伯母さん! そっちはマーサ伯母さん! ほら、ジョナサンだよ!
 マーサ(びっくりして。)出てって頂戴。
 ジョナサン(伯母達に近付き。)ジョナサンが分らないっていうのか?・・・あんた達の甥の、ジョナサン。
 アビイ いいえ、何がジョナサン。ちっともジョナサンの顔じゃない。ジョナサンだなんて止して頂戴! さあ、とっとと、ここから出てって!
 ジョナサン(さらに近付いて。)だがな、俺はジョナサンなんだ。そしてこっちが(アインシュタインを指差し。)ドクター・アインシュタイン。
 アビイ 何がドクター・アインシュタイン。馬鹿なこと。
 ジョナサン そう、ドクター・アルバート・アインシュタインじゃないがね。ドクター・ヘルマン・アインシュタインだ。
 アビイ(もう一段下りて。)ねえ、あなた誰? どうして甥のジョナサンだなんて言うの?
 ジョナサン(アビイが伸ばした手をじっと見て。)まだその指輪をつけてるな。おばばがイギリスで買ってきたやつだ。ガーネットのいい指輪だからな。(アビイ、息を呑み指輪を見る。)それに、マーサ伯母さん、相変わらず高いカラーか。おぢぢの薬品が飛んで出来た傷はやっぱり隠さなきゃな。
(マーサ、喉に手をやる。二人の伯母、ジョナサンをよく見る。マーサ、アビイの後ろまでもう二三段下りて来る。)
 マーサ 声はジョナサンね、どうやら。
 アビイ(階段を下り切って。)あなた、何か事故にあったの?
 ジョナサン(顔に手をやって。)いや。(顔を曇らせ)顔・・・この顔にしたのはこいつなんだ。ドクター・アインシュタインは整形外科医。人の顔を自由自在に作り変える。
 マーサ(アビイの所まで下りてきて。)でも私、その顔、前に見たことがあるわ。(アビイに。)アビイ、ほら、この間二人でシュルツさんとこの坊やを映画に連れてったでしょう? 私、恐くて恐くて! あれよ。あの時の顔だわ!
(ジョナサン、急に緊張した顔になり、アインシュタインを睨み付ける。)
 アインシュタイン 待て、チョニイ。まあ、待って。(伯母達に。)伯母さん、心配ない、心配ない。私、この五年、チョニイと・・・それで、三回新しい顔・・・この顔も変える、すぐに。この今の顔・・・私、映画見た・・・そう、同じその映画・・・手術のちょうど前・・・私、あの顔に酔ったある。
 ジョナサン(アインシュタインに近付きながら言う。声が徐々に危険な激しさをおびる。)いいか、ドクター・・・貴様、何てことをしてくれたんだ、この俺に。実の家族でさえ、こんな調子じゃ・・・
 アインシュタイン(なだめようと。)なあ、チョニイ、あんたは家だ・・・ふる里だ。綺麗、綺麗な家だ。(伯母達に。)この人、いっぱい、いっぱい、いつも、いつも話す・・・ブルックリン・・・この家のこと・・・伯母さん達のこと・・・愛する、愛する、伯母さん達・・・(ジョナサンに。)チョニイ、この人達、あんたのこと、分る。(アビイをジョナサンの方へ導きながら。)お二人、分る・・・これ、ジョナサン・・・言って・・・言って・・・分るって。(二人を残してテーブルからふらふらと遠ざかる。)
 アビイ じゃあ、ジョナサンなのね・・・ずいぶん久しぶりね。一体あんた何してたの? こんなに長い間。
 マーサ そうよ、ジョナサン。一体あんた何処に行ってたの?
 ジョナサン(落ち着きを取り戻して。)イギリス、南アフリカ、オーストラリア・・・この五年はシカゴ。仕事があってな、俺とドクターとで。
 アビイ あら、私達もシカゴには行ったわ、世界博覧会を見に。
 マーサ(何も言うことがなくて、無理に。)そう・・・シカゴって酷く暑い所。
 アインシュタイン そう、あそこ、暑い。私達、尻に火がついた。
 ジョナサン(ご機嫌をとる作戦に方針を変えてアビイの上手へ進み、伯母達の間に身を置く。)いやあ、嬉しいなあ、ブルックリンの土をまた踏めるなんて。それに、アビイ伯母さん、マーサ伯母さん、あんた達もちっとも変ってない。昔のままだ・・・優しくて、感じが良くて、客を大事にしてくれる。(伯母達、この誉め言葉にも大して反応しない。)そう言えば、テディは・・・(八才から十才位の子供の背丈を手で示して。)政界に入ったかい? (アインシュタインの方を向いて。)俺の弟は、大統領になることになってたんだが。
 アビイ ああ、テディなら元気よ! ほんと元気! それにモーティマーもね。
 ジョナサン(軽蔑した調子。)モーティマーのことなら知ってる。新聞に写真が載ってた。あいつの書くコラムの見出しにな。昔から減らず口を叩くのがうまかったが、そいつが見事に実を結んだって訳だ。
 アビイ(庇うように。)あら、モーティマーはいい子よ、ほんと。
(少し間。マーサ、扉の方へ何か身ぶりをしながら、不安げに次の台詞を言う。)
 マーサ ねえ、ジョナサン、あんたとまた会えたのは、ほんと嬉しいのよ・・・。
 ジョナサン(顔をほころばせ。)ありがとう、マーサ伯母さん。(椅子へ行き、坐る。)家(うち)に戻るっていいもんだ。
(アビイとマーサ、驚きと困惑の混じった顔で互いに目を見交わす。)
 アビイ ねえ、マーサ、台所のレンジ、あれ、見てこなきゃ。火が付けっぱなしだったでしょ。
(アビイ、台所へ行きかけるが、マーサがついて来ないので、引き返し、マーサの腕をぐいと引き、再び台所へ。マーサ、ついて行きながら、ジョナサンに。)
 マーサ そうだったわ。ちょっとごめんなさいね、ジョナサン。あなた、すぐ行かなくちゃならない所なんて、ないわね?
(ジョナサン、マーサを見る。不吉な目付き。マーサ、テーブルへ行き、ワインの壜を取って、それをサイドボードに仕舞い、台所へ。アビイ、扉の前でマーサが来るのを待ち、二人、退場。アビイ、後ろ手に扉を閉める。アインシュタイン、ジョナサンの後ろへ来る。)
 アインシュタイン なあ、チョニイ。私達、ここから何処へ行く? 考えなきゃ、今すぐ。警察。警察、その顔の写真、もう持ってる。私、あんたの手術、すぐやらなきゃ。私達、そのための場所、見つけないと、どこかに。・・・それと、スペナルゾーのための場所も・・・
 ジョナサン あの鼠野郎のことは心配するな。
 アインシュタイン でも、チョニイ、あれ、危ない。あれ、持ってたら、危ない。
 ジョナサン(帽子をソファーに投げ出し。)スペナルゾーのことは忘れろ。
 アインシュタイン でも、車の後ろ座席、あの死体、置いたままは駄目。あんた、あいつ、殺しちゃいけなかった、チョニイ。あれ、いい奴。私達に車、乗せてくれて・・・なのに、殺すなんて・・・
 ジョナサン(思い出して苦々しく。)あいつは俺を見て、フランケンシュタインそっくりの顔だって言ったんだ!(訳註 原文ではボリス・カーロフ)
(アインシュタインに詰め寄り。)あれは、貴様のせいだ、ドクター。俺がこんな顔になったからだぞ!
 アインシュタイン(後ずさりでテーブルから離れる。)分かった、チョニイ・・・私達、どこか場所見つける。私、あんたの顔、すぐ直す!
 ジョナサン 今夜だ!
 アインシュタイン チョニイ・・・私、腹ぺこ。まづ食べる。私、今、元気ない。
(伯母達、台所から登場。アビイ、ジョナサンの方へ来る。マーサ、台所口に残る。)
 アビイ ジョナサン・・・私達、あなたが私達を覚えていてくれて、わざわざ家(うち)まで、挨拶に来てくれた事は嬉しいのよ。でも、あなた、この家じゃちっとも幸せな事なかったでしょ。それにあたし達も、あなたがここにいる間、ちっとも幸せじゃなかったの。・・・だから、もうあなたにはこれでお引き取り願おうと思って出て来たのよ。
 ジョナサン(アビイの方に脅(おど)すような一歩を踏み出すが、すぐまた元の御機嫌取り作戦に戻って。)アビイ伯母さん、俺が突然戻ってきて、伯母さん達が今、どんな気持ちでいるか・・・それが嬉しい驚きじゃないって事は俺にも分かってるんだ。
しかし、俺の方は、ずっと長いこと、後悔してきたんだ。伯母さん達が胸を傷めるような事を子供の頃、散々やっちまったことをね。
 アビイ ほんと、困った子だったわ、あなたは。
 ジョナサン でも、何より残念なのは、実はもうドクター・アインシュタインに・・・(アインシュタイン、ちょっと驚く。)約束したんだ。俺達がたとえどんなに急いでブルックリンを通り抜けなきゃならないとしても、マーサ伯母さんの手料理の御馳走だけは、きっと食べさせてやる、そのためだけでもここにお前を連れてきてやるってね。
 マーサ(この言葉に少し身を浮かして。)まあ・・・
 アビイ 悪いわねえ、あまりもう残ってないの。
 マーサ アビイ、ビーフ・ローストならあるわ、丁度いい大きさのが。(訳註 原文はポット・ロースト。鍋で牛肉などを蒸し焼きにしたもの。) 
 ジョナサン ビーフ・ローストだって!
 マーサ 私達に今できるのは精々・・・。
 ジョナサン ありがとう、マーサ伯母さん! じゃあ、夕食によばれるとしよう。
 アビイ(少しも嬉しくない様子で、台所へ引き返しながら。)じゃあ、急いでやりましょ。
 マーサ ええ!(台所に退場。)
 アビイ(途中で立ち止まり。)ああ、ジョナサン、あんたもし顔を洗ってさっぱりしたければ、お祖父さんの古い実験室の洗面所、分かるわね?
 ジョナサン(アビイに近付き。)あれ、まだあそこにあるの?
 アビイ ええ。お祖父さんが使ってた時のままよ。じゃあ、私はマーサのお手伝いに行くわ・・・忙しいから後でね。(アビイ、台所へ退場。)
 アインシュタイン あー、とにかく俺達、飯にありつくな。
 ジョナサン おぢぢの実験室か! (二階を見上げる。)しかも昔のままだということは。おい、ドクター、手術に最高の場所だぜ。
 アインシュタイン 残念・・・使えないの。
 ジョナサン (使えるさ。)俺の手術が済んだら・・・そうだ、ここでひと稼ぎだ。実験室はある・・・屋根裏部屋の広い病室・・・ベッドは十台。ドクター、今にブルックリン中、あんたの腕前を見たいっていう奴らで一杯になるぜ。
 アインシュタイン 取らぬ狸ね、チョニイ。とにかく、私達、ブルックリンに来るの・・・一年遅すぎ。
 ジョナサン あんたはこの町のことを知らないんだ、ドクター。ブルックリンじゃ、誰もかれもが新しい顔を欲しがっているんだ。
 アインシュタイン でも、古い顔が要らない奴ら、もうとっくに監獄入り。たくさん。
 ジョナサン 沢山じゃない、一握りだ。ブルックリンじゃ、チンピラでさえ、監獄行きにならないためなら、気前よく金を出す。有名な話だ。
 アインシュタイン だって、チョニイ、ちょっと考えて。あんたの伯母さん達・・・ここに私達、いて欲しくない。
 ジョナサン 俺達はここで、夕食を御馳走になるんだぞ。違うか?
 アインシュタイン あー、でもその後は?
 ジョナサン(ソファーに近付き。)まあ、俺に任しておけ。うまくやるさ。ああ、この家は俺達のメイン・オフィスにする。この先ずーっとだ。
 アインシュタイン ああ、そうなりゃいいな、チョニイ! この素敵な静かな家。あの親切な、あんたの伯母さん達。私、さっきからあの人達、気に入ってる。バッグ、取って来るか?
 ジョナサン(引き止めて。)待て! まだいい。俺達がここに招かれるまでは待つんだ。
 アインシュタイン でも、あんた、さっきは・・・。
 ジョナサン 招かれることになるさ。
 アインシュタイン でももし、駄目、言われたら?
 ジョナサン その時は・・・所詮、老いぼれの婆さん、二人ぐらい・・・。(ソファーに坐る。)
 アインシュタイン(尻のポケットから携帯用の酒壜を取り出し、栓をひねって開ける。窓際の箱に進む。) まるですばらしい夢の、かなうような気、するな・・・ああ、ただの夢じゃないといいな。(酒壜から一口啜りながら、窓際の箱の上で伸びをする。)ここは、静かだなあ。
 ジョナサン(ソファーの上に寝て、伸びをする。)だからさ、この家は俺達にはもってこいの場所なのさ・・・全く静かだ、ここは。
(テディ、地下室から登場。恐ろしい勢いでラッパを吹く。ジョナサン、上半身を起して坐る。テディ、ラッパを吹きながら階段へ行進し、そのまま最初の踊り場まで行進を続ける。二人の男達、テディの服装を見つめる。それはギラギラの飾りが幾つか付いた熱帯地方用の服である。)
 テディ 突撃ーッ!(階段を駆け上がり、消える。)
(ジョナサン、階段の下からテディをじっと見る。アインシュタイン、窓際の箱に坐り、酒壜からさっと一口、らっぱ飲みする。)

     第 二 幕
(場面は同じ。その日の夜遅く。ジョナサン、夕食後の葉巻きを手に、テーブルの上手の肘掛け椅子ですっかり寛いでいる。アビイとマーサ、窓際の箱に腰掛け、その様子を焦れったそうに見ている。丁度、もうお帰り願いたい客を前にした主人の態(てい)。アインシュタイン、テーブルの下手の椅子で幸せそうに寛いでいる。夕食の皿などは片付けられ、テーブルには赤いクロスが掛かっている。ソーサーがジョナサンの灰皿に使われている。部屋はきちんと片付けられ、扉は全て閉まっており、窓のカーテンはすべて閉められている。)
 ジョナサン そう。シカゴで暮らしたこの五年間は俺の人生で一番忙しい、しかも一番楽しい時期だった。
 アインシュタイン シカゴの後は、インディアナ州のサウス・ベンド。(あんな所に行くんじゃなかった、という風に頭を振る。)
 ジョナサン(相棒を一瞥し。)インディアナでの話なんて、伯母さん達には面白くなかろうぜ。
 アビイ ねえ、ジョナサン、あんたが随分、面白い人生を送ってきたって事は分かったけど・・・もう夜も遅いし、私達、いつまでもあんたの話を聞いてばかりもいられないの。(アビイ、立とうとする。ジョナサン、声の調子でそれを制する。)
 ジョナサン ロンドンでドクター・アインシュタインに会った事が、言ってみれば、俺のその後の人生をすっかり変えちまったのさ。さっきも話したけど、俺達はそこから南アフリカへ行ってダイアモンドを仕入れた。それから、それを売りにアムステルダム。それで俺はまた南アフリカへ戻りたかったんだが・・・その時、この先生の御陰でそれがうまく行ったって訳さ。
 アインシュタイン あの手術はうまく行ったな、チョニイ。(伯母達に。)包帯、剥がすと、まるで違う顔。看護婦、びっくりして、チョニイに私のこと、紹介したね。
 ジョナサン あの顔は良かったなあ。俺はまだあの時の写真、持ってるぜ。(上着の内ポケットからスナップサイズの写真を取り出し、ちょっと見てから、マーサに渡す。マーサ、写真を見、それをアビイに渡す。)
 アビイ こっちの方がまだしも面影があるけれど、あんたって分るのはやっぱり無理ね、これじゃ。
 ジョナサン おい、この顔に戻そうぜ。
 アインシュタイン ああ、それ、今はもう大丈夫ね。
 アビイ(立って。)あんた達、もう決ったのね?・・・これから行くところ。
 ジョナサン(前にも増して寛いだ感じで。)伯母さん達の御陰で・・・今夜は美味しい御馳走をたらふく食ったせいか・・・あー、もう一歩も動けないよ。
 アインシュタイン(同じく寛いで。)ああ、ここ、すっかりいい気持ち。
 マーサ(立って。)もう夜も遅いし・・・あんた達・・・
(テディ、日除けのヘルメット帽を被って、バルコニーに登場。手に開いた本ともう一つヘルメット帽を持っている。)
 テディ(階段を下りながら)あったぞ! あった!
 ジョナサン 何があったんだ? テディ。
 テディ 我輩の人生の記録・・・伝記だ。ほら、我輩が常々云っていた写真がこれだ、将軍。(テーブルの上に本を開いて置き、アインシュタインにその中の写真を示す。)二人ともここにいる。「ルーズベルト大統領とゴエサル将軍。クーレブラの谷にて写す。」(訳注 クーレブラの谷はパナマ運河のために切り開かれた長さ十三キロの人工の谷のこと。)これが我輩だ。そして隣りが、将軍、あなただ。
 アインシュタイン(写真を見て。)おー、私、この頃、随分若かった。
 テディ(アインシュタインを見、少し戸惑うが、すぐに元の調子で。)いや、実はこの写真はまだ撮られてはおらんのだ。クーレブラの谷を切り開く作業には、まだ着工さえしておらん。今はまだ、運河のための区画を掘っている段階だ。さあ、将軍、我輩と二人、パナマへ行き、新たな区画を探査しようではないか。(ヘルメット帽を彼に渡す。)
 アビイ 駄目よ、テディ・・・パナマは駄目。
 アインシュタイン いつか別の日、行こ。パナマ、遠く離れた所。
 テディ 馬鹿な! パナマはすぐ地下室だ。
 ジョナサン 地下室だって?
 マーサ 私達、この子にパナマ運河を掘らせてるの、地下室で。
 テディ(厳しい口調で。)ゴエサル将軍! 合衆国大統領として、また、陸軍及び海軍総司令官として、さらにはこの任務をかつて君に与えた上官として、我輩は要求する。新たな区画探査のため、君は我輩に同行するのだ。
 ジョナサン テディ! お前はもう寝る時間だ。
 テディ 今、何と言った! (鼻掛け眼鏡をかけながら、ジョナサンに歩み寄る。)お前は誰だ!
 ジョナサン 俺はウッドロウ・ウィルソンだ。さあ、ベッドに行け。(訳注 ウィルソンは米国第二十八代大統領。ルーズベルトは第二十六代。)
 テディ いや、お前はウィルソンじゃない。しかし、お前の顔には見覚えがある。待てよ・・・お前は今、我輩が知っている人間ではないな。すると、これから会う男か。とすれば・・・アフリカに狩猟に行くときに・・・そうか、お前は我輩がジャングルで遭遇する誰かに似ているぞ。
(ジョナサン、硬直する。アビイ、テディの前に進み、彼とジョナサンの間に立つ。)
 アビイ これはあなたの兄のジョナサンよ。
 マーサ(立って。)顔を変えたんだって。
 テディ そうか、最初から分っている。・・・生まれついてのイカサマ師だ!
 アビイ ねえ、あなたもう寝た方がいいんじゃなくて、テディ・・・ジョナサンはお友達と、もうホテルに戻らなきゃならない時間なの。
 ジョナサン(立って、アインシュタインに。)ゴエサル将軍、運河の探査に行け!
 アインシュタイン(立って)分った、大統領。私、パナマ、行ってくる。
 テディ パナマー、サイコー! (地下室の扉に進み、それを開ける。)付いて来い、将軍。(アインシュタイン、テディの左側に立つ。テディ、アインシュタインが手にしたヘルメット帽を軽く叩く。次いで自分の頭のヘルメットも。)パナマはずーっと南、下の方だ。(テディ、階下へ退場。)
(アインシュタイン、大き過ぎてぶかぶかのヘルメット帽を被る。地下室へ行く途中で振り返り。)
 アインシュタイン じゃあ、ボンボヤージュ。(扉を閉め、退場。)
 ジョナサン ところでアビイ伯母さん、さっきホテルがどうとか言ってたけど、勘違いしないでくれ。俺達にはホテルなんかない。ここに直接来たんだ。
 マーサ ねえ、このすぐ三ブロック先に、小じんまりしたとってもいいホテルがあるから・・・。
 ジョナサン(遮って。)ホテル?・・・ここは俺の家だろ。
 アビイ でも、ジョナサン、ここに泊まるのは駄目。私達にも自分達の部屋が要るの。
 ジョナサン 自分達の部屋が要る?
 アビイ ええ、下宿人を置くためのね。
 ジョナサン(驚いて。)下宿人? 今、この家にいるのか?
 マーサ いえ、今って訳じゃ。でも、これから置くつもりなの。
 ジョナサン(再び遮って。)それなら、俺の昔の部屋はまだ空いてる筈だ。
 アビイ でも、あんたのお友達の寝る場所はないわ。
 ジョナサン(テーブルに近付き、ソーサーに葉巻きの灰を落とす。)あいつは俺と同じ部屋でいい。
 アビイ いいえ。やっぱり、ここに住むなんて駄目。
(ジョナサン、ソーサーで葉巻きを揉み消す。そして伯母達の方へ歩き始める。マーサが先に、後からアビイもテーブルを回って後ずさり。ジョナサン、引き返して、テーブルを逆に回ってアビイに近付く。)
 ジョナサン あいつと俺には、眠るための場所が必要なんだ。いいか、さっき思い出したことを忘れるな。俺は餓鬼の頃から、いざとなったら何をやらかすか分らない男なんだ。何やかやぐだぐだ言ってると、お互い、厭な目に・・・
 マーサ(恐くなって、アビイに。)どうかしら、今夜はここに泊めていいってことに・・・
 アビイ ええ。じゃあ一晩だけよ、ジョナサン。
 ジョナサン これで決まりだ。じゃあすぐ、部屋の支度を頼む。
 マーサ(二階へ。アビイも後に続く。)すぐ済むわ。部屋の空気を入れ変えるだけだから。
 アビイ 部屋はいつも、下宿人にすぐ見せられるようにしてあるの。たぶんあんた達も気に入るでしょ、あの部屋なら。
(ジョナサン、二人について最初の踊り場まで行き、階段の角の柱に寄り掛かる。伯母達二人、バルコニーに進む。)
 ジョナサン 偉い客なんだ、ドクター・アインシュタインは。前代未聞だろうよ。まあ伯母さん達は(今は)あいつの腕を認めてないだろうが、(すぐに分かるさ)。一週間もすれば、俺は全く新しいジョナサンに生まれ変わる、それをその目で見ることになるんだからな。
 マーサ ここで手術なんて、駄目よ。
 ジョナサン(無視して。)俺とあいつが手を組んで・・・仕事をまた始めたら・・・そうだ、言い忘れてた。おぢぢの実験室、あれは手術室にするぜ。これから忙しくなるだろうな。
 アビイ ジョナサン、この家を病院にするなんて許しませんからね。
 ジョナサン(笑って。)病院だって! はっ、とんでもない。病院じゃない、美容院だよ。
 アインシュタイン(地下室から興奮して登場。)おい、チョニイ、地下室に・・・。(伯母達を見て言い止む。)
 ジョナサン ああ、お前か・・・伯母さん達がな、俺達に、ここで一緒に暮らさないかって言ってくれたんだ。
 アインシュタイン ああ、あれ、話、ついた?
 アビイ まあ、今夜はここに泊まるのね。
 ジョナサン じゃあ早速、部屋の支度を頼む。 
 マーサ だけど・・・
 アビイ 今夜だけなんだからね。
(アビイとマーサ、アーチ状の通路を通って退場。ジョナサン、階段のすぐ下まで来る。)
 アインシュタイン チョニイ、地下室で私、何、見たと思う?
 ジョナサン 何だ。
 アインシュタイン パナマ運河。
 ジョナサン(うんざりした調子で。)パナマ運河だ?
 アインシュタイン あれ、スペナルゾーにちょうど、いい。テディが掘った穴。縦六フィート、横四フィート。
 ジョナサン(成程と閃(ひらめ)く。地下室の扉を開き、見下ろして。)地下か!
 アインシュタイン まるで私達がスペナルゾー、連れて来るを知ってたみたい。親切って、このこと。
 ジョナサン(地下室の扉を閉め。)こいつは傑作だ。・・・まさか婆さん達、自分達の家の地下室に死体が埋まってるなんて思いもしないだろうからな。
 アインシュタイン 死体、どうやって運ぶ?
 ジョナサン どうぞ玄関からお入り下さい、って言う訳にはいかんな。(壁側の窓を見る。)まづ、車を移動して、この家と墓地の間につける。その後、婆さん達がベッドに行っちまったら、二人であの窓から中に入れるのさ。
 アインシュタイン(例の酒壜を取り出し。)ああ、ベッド! そうだ、今夜は私達、ベッドがある!(ぐいとひと飲みやろうとする。)
 ジョナサン(アインシュタインの腕をつかんで。)おい、よせ。明日は手術だ。忘れるな。今度はちゃんと、素面でやるんだ。
 アインシュタイン それはもう・・・きれーいに直す。
 ジョナサン もし失敗したら・・・(アインシュタインを扉の方へ突き飛ばす。)
 アビイ(マーサと共にバルコニーに登場。)ジョナサン! 部屋の支度、できたわよ。
 ジョナサン じゃあ伯母さん達、さっさと寝るんだ。俺達は車を家の横に移動しておく。
 マーサ 車? あそこでいいのよ。・・・朝まであのままで。
 ジョナサン(扉を開け、その扉の所で。)あのまま通りに置いておきたくないんだ。あれじゃ法律違反かもしれないんでね。(退場。)
(アインシュタイン、扉を閉め、ジョナサンの後から退場。アビイとマーサ、階下へ下りて来て、テーブルの下手に行く。)
 マーサ(アビイに。)ねえ、これからどうする?
 アビイ とにかく、あの二人をここに泊めるのは今夜限りね。「ブルースターさんの所じゃ、来た時と帰る時で人の顔が変わっちゃうそうよ」なんて事になったら、近所の人達だって気味悪いでしょう?
 マーサ ホスキンズさんの事はどうしましょう?
 アビイ(窓際の箱に近付く。後からマーサも。)ああ、ホスキンズさんねえ。あの箱の中じゃ、あまり居心地がいいとは言えないわね。それにもう随分、あの中でご辛抱戴いてるし。気の毒だったわ。いいわ、テディに言って、すぐにホスキンズさんを地下室に運んで貰いましょ。
 マーサ(きっぱりと。)ねえ、アビイ・・・私、ジョナサンをお葬式に呼ぶ気なんかないわよ。
 アビイ ええ、勿論よ。あの人達がベッドに行っちゃうまではじっとしてましょ。お葬式はその後、下りて来てすればいいわ。
 テディ(地下室より登場。テーブルの上の本を取って。)ゴエサル将軍は、御満悦でした。例の運河がちょうど良い大きさだと言って。
 アビイ テディ! テディ、実はまた黄熱病の犠牲者が出たの。
 テディ(鼻掛け眼鏡をはづし。)おやおや・・・きっと卒倒するでしょうな、将軍は。
 マーサ ええ、だから、この事は彼には話しちゃ駄目よ。
 テディ(マーサに)しかし、この件は彼の管轄ですからな。
 アビイ いいえ、この事は将軍の耳に入れてはいけないの、テディ。そんな事が分かったら、折角の将軍のご訪問が台無しになっちゃうでしょ。
 テディ 残念ですが、アビイ伯母さん、その件は私の管轄ではありませんので・・・やはり彼に話さなければ。軍の規則です。
 アビイ 駄目よ、テディ、この事は私達だけの秘密にしておかなきゃ。
 マーサ そうよ!
 テディ(伯母達を愛しているので譲歩して。)国家機密ですか?
 アビイ ええ、国家機密よ。
 マーサ 守れる?
 テディ(問うも愚かな事と頷く。)合衆国大統領の言葉に嘘はありません。(胸で十字を切る。)我輩の命と名誉に賭けて。(唾を吐く。)さて、そうなると・・・(鼻眼鏡を掛け、両腕を伯母達の肩に回し。)如何にしてその秘密を保持するか、(そこが思案のしどころだ、)ですね。
 アビイ いいこと? あなたは一旦、地下室に戻る。私が明かりを消して、部屋が真っ暗になったら、あなたは上がって来るの。そして、今話した気の毒な犠牲者を運河に運び下ろすの。(テディを地下室の扉へせき立てる。テディ、扉を開ける。)さあ、いいわね?
 マーサ 私達も後で行く。お葬式はそれから。
 テディ(扉のところで。)その時は「大統領閣下から一言、御悔みの言葉がございます」と言って下さい。(行きかけて戻り。)どこにあるんです? その気の毒な死体は。
 マーサ 窓際の箱の中よ。
 テディ どうやら、感染は拡大しているようですな。以前はあんな所に黄熱病の犠牲者が出ることはなかったんだが。(扉を閉め、退場。)
 アビイ ねえ、マーサ。ジョナサンとドクター・アインシュタインが戻ってきたら、あの二人にはすぐに寝て貰うように、こちらから言ってみましょうよ。
 マーサ ええ、それがいいわ。二人が眠ってしまう頃には、私達もお葬式のための着替えが済むでしょうし。(突然、思い出して。)アビイ、そう言えば私、ホスキンズさんの顔、まだ一度も見てなかったわ。 
 アビイ あら、そうそう。・・・あなた出てたんだったわ。じゃあ、ちょっとこっちに来て。今からでも顔を見ておくといいわ。(アビイが先になって、二人、窓際の箱に近づく。)とっても男前よ、メソジスト派の割には。(二人が箱の蓋を持ち上げようとした時、外側からジョナサン、ガタンと音を立てて窓を勢いよく開く。伯母達、きゃーと叫んで後ろへ飛び退(の)く。ジョナサン、カーテンから頭を突き出す。)
 ジョナサン 中に入れようと思って・・・荷物をここから。
 アビイ ジョナサン、部屋の支度はとっくにできてるわ。さっさと二階へ行って頂戴。
(ジョナサン、窓から登場。アインシュタイン、二個の汚れたバッグと手術用具の入った大きな道具箱を窓越しに手渡す。ジョナサン、それらを受け取り、床に置く。)
 ジョナサン 俺達がブルックリン時間を守ってないのは謝る。だけどそっちは、もうとっくに寝る時間だろう?
 アビイ そちらこそ二人とも、長旅で疲れてるんでしょ・・・私達はいつもまだ寝ないの、こんなに早くには。
 ジョナサン いやー、もう寝なくちゃ。俺が戻って来たからには、伯母さん達の健康を気づかうのは俺の責任でもある。
 マーサ でも、私達まだ寝られないの。だって・・・
 ジョナサン(強い調子で。)マーサ伯母さん! いいか、何度も言わせるな、俺はもう寝る時間だって言ったんだ! 
(マーサ、怖れて二階へ行きかける。アインシュタイン、窓から登場し、二個のバッグを手に持つ。ジョナサン、道具箱を拾い、それを窓際の箱の上に置く。)朝になったら、その道具箱は実験室へ運ぶ、それまではここだ。(アインシュタイン、階段を上り始める。ジョナサン、窓を閉める。アインシュタイン、階段の途中にいるマーサを追い越す。)じゃあみんな、寝るんだ。(ジョナサン、階段へ。アビイ、部屋の明かりを消しに行く。)
 アビイ あんたが二階へ行くまで待ってるわ。その後で明かりを消すから。
(ジョナサン、階段を上りながら見ると、アインシュタインはバルコニーの扉の前に立ち止まり、マーサはバルコニーまでもう一歩の所。)
 ジョナサン もう一つ上だ、ドクター。(マーサに。)さあ、行くんだ、伯母さん。(マーサ、慌てて通路へ進む。アインシュタイン、アーチをくぐって三階へ進む。ジョナサン、バルコニーのところまで上る。アビイは明かりのスイッチの所。)アビイ伯母さん、もういいぜ。
 アビイ(ぐずぐずと、テディのいる地下室の扉を気にしながら)私もすぐ行くわ。
 ジョナサン もういい、アビイ伯母さん。明かりを消すんだ!
(アビイ、明かりを消す。舞台、暗くなる。ただ一筋、アーチから階段へ落ちるスポットライトが残っている。アビイ、マーサが待っている寝室の扉の前まで上がって来る。アビイ、逆光の中で増々不気味なジョナサンの顔を、びくびくしながら見て、退場。マーサ、扉を閉め、退場。ジョナサン、アーチをくぐり、アーチの扉を閉め、退場。(訳註 扉はアーチ状の階段の奥にあり、ここでは扉を閉める音がするという事らしい。)街の明かりが玄関扉の窓から舞台に射し込んでいる。テディ、地下室の扉を開ける。次いで地下への階段の明かりを付けると、その姿が通路に浮かび上がる。テディ、窓際の箱に近付き、蓋を開ける。蓋が開くギーという音。中へ手を伸ばし、ホスキンズを引き出す。彼を肩に担ぐと、窓際の箱の蓋は開けたまま、地下室の扉へ行き、地下へホスキンズと共に消える。扉が閉まる。ジョナサンとアインシュタイン、アーチから登場。暗がりでマッチを擦り、伯母達の寝室の扉にしばし聞き耳を立てる。アインシュタイン、口をきる。)
 アインシュタイン いいぞ、チョニイ。
(マッチの火が消える。ジョナサン、もう一度マッチを擦る。二人、階段の下まで下りて来る。)
 ジョナサン 俺が窓を開けるから、お前は外へ回って、奴を中へ入れろ。
 アインシュタイン でも、あいつ、重すぎる。あんたが外行って押してくれ・・・私、ここにいて、引っ張る。それであとは、二人でパナマに運び下ろす。
 ジョナサン 分かった。(マッチの火を吹き消し、玄関へ行って扉を開く。)ちょっと家の外を調べてくる。俺が窓ガラスを叩いたら、お前は中から窓を開けろ。
 アインシュタイン オーケー。
(ジョナサン、扉を閉め退場。アインシュタイン、マッチを擦る。暗がりを進むうちドンとテーブルにぶつかり、マッチの火が消える。そこから窓際までは手探りで進む。不意に聞こえる叫び声と物音。アインシュタインが窓際の箱の中に誤って落っこちたのである。箱の中で再びマッチを擦り、ゆっくり中腰の姿勢になって辺りを見回す。マッチの火を吹き消し、身を引きずるように箱の外へ出る。)
 アインシュタイン ちくしょっ! 誰だ、蓋開けたまま。(蓋を閉める。蓋の軋む音。暗闇の中で窓を叩く音が聞こえる。窓を開ける。)
 アインシュタイン(かすれた声で)チョニイか? オーケー。アレーッ、オーップ。待て・・・ちょっと待て。奴の脚、片っぽ、どこ行った? ああ、あった・・・いいぞ、つかんだ。いいぞ・・・うわー。
(アインシュタイン、床に尻餅をつき、死体の下敷きになる。窓の外から「シィーーー」という声。)
 アインシュタイン こけちゃいました。手ー、滑ったよ、チョニイ。
 ジョナサン 気をつけろ!
(間)
 アインシュタイン おや、靴片っぽ、どこ行った? だいじょぶ、チョニイ。ああ、いました! (玄関でノックの音。)チョニイ! 誰か来た! 早く行け。いい、こっちは。私、なんとかやる。さあ、早く!
(再びノックの音。舞台は一瞬、シーンとなる。アインシュタイン、窓際の箱の蓋を開ける。蓋がギーと軋む音。さっき迄、ホスキンズがいた場所にスペナルゾーを入れる。三度目のノックの音。アインシュタイン、まだ死体と格闘中。四度目のノックの音。アインシュタイン、仕事を終え、箱の蓋を閉める。蓋がギーと軋む音。アインシュタイン、扉の窓から見られないように姿勢を低くしたまま、あわてて机の脇へちょこちょこと走る。エレーヌ、登場。静かに中へ呼び掛ける。)
 エレーヌ ミス・アビイ! ミス・マーサ! (外からの薄暗い光の帯の中で、バルコニーに向かって呼び掛ける。)ミス・アビイ! ミス・マーサ! (突然、ジョナサンが玄関から登場し、扉を閉める。エレーヌ、その音で振り返り、息を呑む。)わーーー、誰! あなたなの! テディ。(ジョナサン、近付いて来る。エレーヌ、椅子の方へ後ずさり。)あなた・・・誰?
 ジョナサン お前こそ、誰だ。
 エレーヌ 私はエレーヌ・ハーパー。隣りに住んでる者よ!
 ジョナサン じゃあ、ここで何をしてるんだ。
 エレーヌ ブルースターさん達に会いに来たの。
(この時までにアインシュタイン、暗い中を忍び足でジョナサンの後ろを通って明かりのスイッチの所まで、達している。)
 ジョナサン(エレーヌを見張りながら、相棒を振り返らずに。)おい、明かりをつけろ。(明かりがつく。エレーヌ、ジョナサンの顔を見て息を呑み、椅子に坐る。ジョナサン、しばしエレーヌを見る。)人の家を訪問する? 随分と奇妙な時間じゃないか。(ジョナサン、窓際の箱に近付く。スペナルゾーを探すが、見当たらない。顔を上げ、テーブルの後ろ、窓の外を見てから、部屋の中央へ戻って来る。)
 エレーヌ(勇気を奮い起こして。)今度はあなたの番よ。ここで何をしてるのか、説明して。
 ジョナサン 俺達はここの住人って事さ。
 エレーヌ 住人? ありえないわ、そんな話。私、毎日この家に来てるけど、一度も会ったことないわよ、あなたには。(恐しい考えが浮かぶ。)ねえ、アビイは何処? マーサは何処にいるの? あの二人に何をしたの、あなた。
 ジョナサン どうやらまずは自己紹介をした方が良さそうだな。こっちは(指し示して。)・・・ドクター・アインシュタイン。
 エレーヌ(彼を見て。)アインシュタイン博士ですって? (またジョナサンに振り返る。エレーヌの背後でアインシュタイン、スペナルゾーの居場所をジョナサンに身ぶりで伝えようとする。)
 ジョナサン 非常に優秀な整形外科医でね・・・(スペナルゾーを探してテーブルの下を見るが、そこにはいない。)それに手品(てじな)もうまい。
 エレーヌ 相棒はアインシュタイン博士で、自分はフランケンシュタインだって言うつもりじゃ・・・。
 ジョナサン 俺は、ジョナサン・ブルースターだ。
 エレーヌ(跳ぶように身を引いて)えっ! じゃあ、あなたがジョナサンなのね!
 ジョナサン 俺の事を知ってるらしいな。
(アインシュタイン、ふらふらとソファーの前へ。)
 エレーヌ ええ・・・でも、今日の午後、聞いたばかりよ、それもはじめて。
 ジョナサン(詰め寄る。)で、何て言ってた、俺の事を。
 エレーヌ 別に・・・ただ、ジョナサンっていう名前の兄弟がもう一人いたって、それだけよ。(心を落ち着けて。)そうね、これで全部、説明がつくわね。あなたが誰か、分かった以上・・・(玄関扉へ走り寄り。)私はもうさっさと家に帰ることにするわ。(扉は鍵が掛かっている。エレーヌ、ジョナサンに振り返る。)さあ、扉の鍵を外して下さい。
(ジョナサン、エレーヌの方へ進む。彼女に達する前に向きを変え、扉へ行き鍵を外す。アインシュタイン、ふらふらと下手の椅子の方へ。ジョナサン、半分ほど扉を開ける。エレーヌ、扉へ歩き出す。ジョナサン、振り返り、身ぶりで彼女を制止する。)
 ジョナサン 「これで全部、説明がつく」だって? 一体そりゃ、どういう意味なんだ? そもそもあんたは何故、こんな夜更けにここにやって来たんだ?
 エレーヌ 家の周りを誰かがうろうろしてるのが見えたと思ったの。あれ、あなただったのね。
 ジョナサン(扉を閉め、再び鍵を掛ける。鍵は鍵穴に差したまま。)家の周りを誰かがうろついてるのが見えた?
 エレーヌ ええ・・・あなたさっき、外にいなかった? あれ、あなたの車じゃないの?
 ジョナサン 誰かが車の所にいるのを見たんだな?
 エレーヌ ええ。
 ジョナサン(エレーヌに近付く。エレーヌ、後ずさり。)他に何を見たんだ?
 エレーヌ 誰かがこの家伝いに車の方へ歩いて行くのが見えただけよ。
 ジョナサン それだけじゃないだろう、何を見たんだ、えっ?
 エレーヌ それだけ・・・本当にそれだけ。だから私、ここに来てみたの。ミス・アビイに警察を呼んだ方がいいって言おうとしたの。でも、私が不審に思った人はあなただったんだし、それにあれはあなたの車。だから、ミス・アビイの手を煩(わずら)わせることなんか何もなかったんだわ。私、戻る。(扉の方へ一歩進む。ジョナサン、それを塞ぐ。)
 ジョナサン その不審な男は車のところで何をやっていた。
 エレーヌ(興奮して。)知らないわ。だって私、通りかかっただけなんですもの。
 ジョナサン どうやら嘘を言ってるな。
 アインシュタイン チョニイ、彼女、嘘は言ってないよ。もう放してやろう。な?
 ジョナサン いや、嘘を言ってるな。こんな夜更けに家に入り込んで来て・・・この女は危い。逃がすのはまずい。(ジョナサン、エレーヌの腕を掴む。エレーヌ、悲鳴を上げる。)
 エレーヌ 手を放して!
 ジョナサン ドクター・・・
(テディ、地下室から登場。後ろ手に扉を閉める。アインシュタイン、驚く。テディ、ジョナサンを見、それからアインシュタインに話しかける。)
 テディ(全く普通の調子で。)これが本当の密葬ってやつなんだ。(テディ、階段を最初の踊り場の方へ進む。エレーヌ、止めるジョナサンを引っ張りながら、机の方に進む。)
 エレーヌ テディ、テディ! この人達に、私が誰だか教えて上げて!
 テディ(振り返り、エレーヌを見て。)ああ、その人は私の妹、アリスだ。(階上へ駆け上がり。)突撃ーッ!
 エレーヌ(ジョナサンを振りほどこうともがきながら。)違う。違うでしょう、テディ!
(この時までにジョナサン、エレーヌの手を後ろ手に締め上げ、もう片方の手でエレーヌの口を抑えている。)
 ジョナサン ドクター、ハンカチをくれ。(アインシュタイン、ハンカチを渡す。受け取る時ジョナサン、手がエレーヌの口から離れる。エレーヌ、金切り声を上げる。ジョナサン、再び口を塞ぐ。地下室の扉を覗き見る。アインシュタインに言う。)地下室だ!
(アインシュタイン、走りより、地下室の扉を開ける。駆け戻って来て、電気のスイッチを切る。真っ暗になる。ジョナサン、エレーヌを地下室の扉に押し入れる。アインシュタイン、駆け戻って来て、エレーヌと一緒に地下室の階段を降りる。ジョナサン、扉を閉め、一人舞台に残る。その時アビイとマーサ、喪服姿でバルコニーに登場。暗闇。明かりはただ、外の街灯のみ。)
 アビイ 何かしら。
 マーサ 物音がしたわね。(マーサ、扉を閉める。アビイ、バルコニーにあるスイッチを入れる。二人、下の部屋を覗きこむ。それから、話しながら降り始める。)
 アビイ 何かしら。(最下段に着く。とその時、ジョナサンに気づく。)何してるの? あんた。
 ジョナサン 泥棒を捕まえたんだ。・・・空き巣だ。ここには用はない。部屋に戻って。
 アビイ じゃ、警察を呼ばなきゃ。
 ジョナサン もう警察は呼んだよ。ここはもう俺達に任せるんだ。部屋に戻って。さ、早く。
(玄関のベルが鳴る。ドンドンというノックの音。アビイ、扉に走りより、開ける。モーティマー、スーツケースを持って登場。丁度その時、地下室からエレーヌが走り出て来て、モーティマーの腕に身体を投げる。ジョナサン、エレーヌを掴もうとする。が、外す。アインシュタイン、ジョナサンの陰に隠れる。)
 エレーヌ モーティマー!(モーティマー、スーツケースを落す。)あなた、どこにいたの?
 モーティマー ノラ・ベイズ劇場だ。あんなあほらしいところ・・・行かなきゃよかった。(ジョナサンを見る。)参ったな・・・まだ劇場の中だぞ、これは。
 アビイ これ、あんたの兄さんの、ジョナサン・・・こっちはドクター・アインシュタイン。
 モーティマー(アビイとマーサが喪服を着ているのを見て。)これが夢じゃないのは分っているんです。何ですか、一体それは。
 ジョナサン 俺は帰って来たんだ、モーティマー。
 モーティマー(ジョナサンを見て、それからアビイに。)この男、今何て言ったんです?
 アビイ お前の兄さんのジョナサンだよ。顔は手術で変っているの。ドクター・アインシュタインがやったの。
 モーティマー(ジョナサンに近づいて、じっと見て。)ジョナサン! これが兄貴のジョナサンか! そうでなくても酷い奴だった・・・でも、顔まで酷くする必要もなかろうに。
(ジョナサン、モーティマーの方に一歩進む。アインシュタイン、その袖を引っ張る。エレーヌとマーサ、机の方に退く。)
 アインシュタイン 止めろ! チョニイ。止めるんだ!
 ジョナサン 俺達が子供だった頃、俺がお前にやったことを忘れちゃいまいな? モーティマー。ベッドの柱にお前を括(くく)りつけてお前の爪の下の肉に針を・・・
 モーティマー そうか、こいつは本当にジョナサンだ。おお、覚えているとも。お前ぐらい厭な奴はこの世の中でいるもんか。お前は蛇だ! 毒蛇だ!
(ジョナサン、怒る。アビイ、間に割って入る。)
 アビイ 駄目じゃないの、二人とも。会ってすぐ喧嘩を始めるなんて。
 モーティマー 喧嘩なんて誰がしますか。ジョナサン、何故こんなところにうろついている。さっさと出て行くんだ。
 ジョナサン フン、ドクター・アインシュタインと俺はな、今夜ここに招待されているんだ。
 モーティマー まさか・・・伯母さん!
 アビイ そうなの。今夜だけ。
 モーティマー こんな奴と一緒に僕はいたくないですよ。
 アビイ でも、今夜はとにかく泊っていいって言ったの。約束を取り消すなんて、よくないことだから・・・
 モーティマー(嫌々ながら。)分った。今夜だけだぞ。だけど、明日になったら朝一番に出て行くんだ。いいな。(スーツケースを取り上げる。)二人はどこで寝るんです?
 アビイ ジョナサンの昔の部屋。
 モーティマー すると僕は、昔の僕の部屋で寝るわけか。(階段を上り始める。)そう、あそこにします。いづれにせよ、この家には居(い)ることにするか。
 マーサ ああモーティマー、有難う。
 アインシュタイン チョニイ、俺達はここで寝よう。
 モーティマー そうさ、そこで寝るんだ。二人はそこで寝るのが一番なんだ。
 アインシュタイン(ジョナサンに。)あんたはソファで、私はあの箱の上で、寝る。
(アインシュタインが箱という言葉を言った時、モーティマーは階段の踊り場のところまで達している。帽子を洋服かけに引っ掛けた後モーティマー、ゆっくりと階段を、次の台詞を言いながら降りて来る。そして窓際の箱のところに行く。)
 モーティマー 箱! ああそうだ、どこで寝るなんてことでガタガタ言うのは止めよう。僕は箱で充分だ。僕が箱の上で寝るよ。(モーティマーが机の傍を通り過ぎる時、アインシュタイン、行くのを止めようという動作をする。が、間に合わない。モーティマーが窓際の箱に坐るのを見てアインシュタイン、ジョナサンの方を向いて。)
 アインシュタイン なあチョニイ、誰がどこに寝る、だなんて話してると・・・ミスター・スペナルゾーのことを思い出すなあ。
 ジョナサン スペナルゾー!(スペナルゾーのいる辺りを再び見て、階下にいた方が都合がいいと分り、モーティマーに言う。)なあモーティマー、そんな風にお互いに迷惑をかけるのは悪い。俺達がここで寝るよ。
 モーティマー(立ち上がって。)ジョナサン、気味が悪いじゃないか、急にそんな親切な言葉は。
 アインシュタイン(階段を上がりながら。)さあチョニイ、荷物を部屋から出そう。
 モーティマー そんなこと、しないでいいんだ、ドクター。
 ジョナサン 実はな、ドクター、俺、ミスター・スペナルゾーがどこへ行っちまったんだか、すっかり分らなくなったんだがな・・・
 モーティマー 何ですか、そのミスター・スペナルゾーっていうのは。
 アインシュタイン(踊り場から。)ああ、友達です。チョニイが彼を捜していて・・・
 モーティマー 厭ですよ、また誰か連れて来るなんて。
 アインシュタイン 大丈夫、チョニイ。ミスター・スペナルゾーのこと、あんたに後で教える。荷物を片付けながら。(アインシュタイン、上に上がり、アーチの後ろに退場。ジョナサン、階段を降り始める。)
 アビイ モーティマー、あんた、ここで寝ることはないよ。私がマーサの部屋で寝る。あんたは私の部屋で寝ればいいの。
 ジョナサン(この時までにバルコニーに上がっていて。)一緒に寝るなんて、しなくていいんだよ、伯母さん。俺達、荷物はすぐ下ろす。モーティマー、お前はだから、あの部屋で寝られるんだ。(アーチから退場。)
(モーティマー、ソファの方に進む。マーサ、肘掛け椅子の方に行く。モーティマーが話している時、床の上にあるスペナルゾーのスポーツシューズの片方に気づき、拾い上げる。(この靴はアインシュタインが暗闇の場面で誰にも知られず、そこに置いたもの。)マーサ、靴に気づいたことを隠すため、スカートの裾を払う振りをする。)
 モーティマー そんなことを言っても駄目だ。僕はここで寝る。さっき言っただろう?
 エレーヌ(今までじっとしていたが、ジョナサンとアインシュタインがいなくなって、スツールから跳ね上がるようにして、モーティマーの腕に飛び込む。)モーティマー!
 モーティマー どうしたんだい? エレーヌ。
 エレーヌ(半狂乱で。)私、殺されるところだったのよ!
 モーティマー 殺されるところ?(さっとマーサとアビイの方を見て。)アビイ! マーサ!
 マーサ 違うわよ。ジョナサンよ。
 アビイ この子を空き巣と間違えたの、ジョナサンが。
 エレーヌ いいえ、そんなもんじゃなかったわ。あの人、気違い。モーティマー、私、怖い。
 モーティマー おいおい、君、震えているじゃないか。(ソファに坐らせる。アビイとマーサに。)気付け薬はありませんか?
 マーサ あるわ。でも、熱い紅茶? それともコーヒー? モーティマー コーヒーがいい。僕にも頼みます。それにサンドイッチも少し。僕は夕食を食べてないんだ。
 マーサ 二人に何か作って上げるわ。
(モーティマー、エレーヌに問いかける。アビイ、自分の帽子と手袋を脱いで、サイドボードの上に置く。その間にモーティマーと同時に台詞を言う。)
 アビイ マーサ、帽子はいったんここに置いておきましょうね。
 モーティマー(振り返り、アビイを見る。)えっ、どこかへ出かけるつもりだったんですか? こんな時間に。何時だと思っているんです。もう十二時ですよ。(十二時という言葉でハッと我に返る。)十二時!(エレーヌの方を向く。)エレーヌ、君、家に帰らなきゃ駄目だ!
 エレーヌ 何ですって?
 アビイ 何を言っているんです、モーティマー。二人に今サンドイッチを作ってくれと言ったばかりよ。すぐ出来るんだから。(アビイ、台所に退場。)
(モーティマー、エレーヌを見ている。マーサは二人から見えない場所(モーティマーの背後、エレーヌからはマーサの手のあたりは見えない)から、さっき拾った靴を手にさげて、モーティマーの後ろから近づく。)
 マーサ それに、さっき言ったばかりでしょう? 忘れたの? あんた達二人の結婚をお祝いしなくちゃって。(「結婚」という言葉を言うとき、二人を指差すために靴を持っている右手を持ち上げる。マーサ、その時まで靴を持っていたことを忘れていたが、ここでハッと靴に気づき、なぜ自分の手の中にこんなものがあるのか不思議な顔。一瞬じっと靴を見つめる。(エレーヌとモーティマーには勿論それは見えない。)それからテーブルの上に靴を置く。それから再びモーティマーの方を向き。)そう、私達が祝って上げる。素敵な夜食を作りますからね。(台所の方に行きかけ、また戻って来て。)それからワインも開けましょうね!(台所に退場。)
 モーティマー(ぼんやりと。)そう、開けるの?(急に思い直し、台所の扉に突進して。)駄目だ、ワインはなしだ!(扉を閉め、戻って来る。エレーヌ、ソファから立上がる。エレーヌ、怒っている。)
 エレーヌ モーティマー、何なの? この家は。一体何が起っているの。
 モーティマー(不思議な顔。)この家に・・・何が起っているかだって?
 エレーヌ 今夜は夕食と、そしてお芝居に連れて行ってくれる約束だったのよ。それをすっぽかして・・・あなた、私と結婚したいって言った・・・私はそれを受けたのよ。そうしたら、何。五分後には、私をこの家から外に放り出したの。そして今、あなたの兄さんが私を絞め殺そうとしたっていうのに、あなた、私を一人で家に追い返そうとしている。いい? ミスター・ブルースター、私、家に帰るまでに、これだけははっきりさせておきたいわ。あなた、私を愛しているの?
 モーティマー(エレーヌの両手を握って。)僕は君を愛している。心から・・・心底・・・心から・・・だから、僕は君と結婚出来ないんだ。
 エレーヌ あなた、急に気違いになったの?
 モーティマー 多分まだなってないと思う。しかし、それは時間の問題だ。(二人、ソファに坐る。モーティマー、説明し始める。)分るだろう? 君、この家には狂気の血が流れている。(モーティマー、二階を見、そして、台所を見る。)そう、「流れる」なんか生易しい。狂気の血が「駆け巡って」いる。だから僕は君と結婚出来ないんだ。
 エレーヌ ちょっと待って。だから、あなたがそれを挽回すればいいでしょう?
 モーティマー 挽回など到底無理なんだ。ブルースターの血は・・・もし君がこの家の家系を知ったら・・・ああ、それが治せると思う方が、それこそ気違い沙汰だ・・・ストリンドベリーがヘルザポピンを書けると思うようなものだ。
 エレーヌ 気違いって言ったって、テディだけでしょう? それを大袈裟に・・・
 モーティマー 違う。もっと遡(さかのぼ)るんだ。メイフラワー号でやって来た初代のブルースター・・・その頃はインディアンが、欧州からやって来た人間達の頭の皮を剥(は)いでいたんだ。が、その初代は、インディアンの頭の皮を剥いでいたんだ!
 エレーヌ モーティマー、そんなの、昔、昔、大昔の・・・
 モーティマー 違うんだ。それ以来ずっと・・・(立ち上がり、サイドボードの上方にある祖父の写真を指差して。)あの僕の祖父、あれは自分の発明した薬で人は死なないことを証明するために、死人にその薬を飲ませたんだ。
 エレーヌ あの人、そんなには気違いじゃないわ。何百万ドルもの財産を薬で作ったんでしょう?
 モーティマー それからジョナサンがいる。君自身言っていたじゃないか。「あの人、気違い。私、殺されるところだった」って。
 エレーヌ(立上がり、モーティマーに近づき。)でも、あの人、あなたの兄さんよ。あなたじゃないわ。私、あなたを愛しているの。
 モーティマー それにテディだ。テディは君も知っている。自分がルーズベルトだと思っている。そうなんだ。ブルースター家の者は結婚しちゃいけないんだ。今では僕には分っている。親父が僕の母親と結婚しようとしたその時に、もし僕がいあわせたら、僕は全力でそれを阻止した筈なんだ。
 エレーヌ ねえモーティマー、あなたがいくら気違いの証拠を挙げたって、あなた自身が気違いだってことにはならないわ。それに、あの伯母さん達を見て御覧なさい。あの二人、ブルースター家の人でしょう? あんなにまともで、あんなに優しくて・・・私、あんな素敵な人達、見たことがないわ。
 モーティマー(窓際の箱のところに進みながら言う。)あの二人にだって、変ったところはあるんだ。
 エレーヌ(振り返り。)そうよ。変っているわ。でも、変り方が本当に素敵じゃない。親切で、気前がよくて、暖かみがあって・・・
(モーティマー、エレーヌが丁度こちらに背を向けていることを確かめ、窓際の箱を少し開け、覗く。ホスキンズの代わりに、スペナルゾーが入っている。窓際の箱を閉め、テーブルの方によろめきながら進み、それに寄り掛かる。)
 モーティマー(独り言で。)ま・・・また別のが・・・
 エレーヌ(モーティマーの方に振り返り。)ええ、それはまだまだ別の性質はあるでしょうよ。でも、お宅のおばさん達についての悪口は、私許しません。
 モーティマー いや、言うつもりはないよ。(エレーヌに近づいて。)ねえエレーヌ、君、本当に家に帰るんだ。大変なことが持ち上がったんだ、ここで。
 エレーヌ どこから持ち上がったっていうの。ここにいるのは私達二人だけじゃないの。
 モーティマー 確かに僕の行動は変かもしれない。しかし、僕が気違いブルースター家の一員であることで、そこは大目に見てくれなきゃ。
 エレーヌ あなた、自分を気違いにして、ここを切り抜けようっていうのね。そんなのどうかしてる。あなたは私と結婚しないつもりかもしれないけど、私はそのつもりなんですからね。愛しているんですから、私は。・・・その間抜けさんのあなたを。
 モーティマー(エレーヌを玄関かに誘い出しながら。)分った、分った。愛してくれているのなら、頼む。ここはまづ、外へ出てくれ。
 エレーヌ 分ったわ。でも、少なくとも、家まで送って頂戴。私、怖いの。
 モーティマー 怖い! 墓地をちょっと横切るだけじゃないか。
 エレーヌ(扉まで行き、戦略を変え、モーティマーの方を向く。)モーティマー、お休みのキス、して下さらない?
 モーティマー(両手を拡げて。)ああいいよ、勿論。(モーティマーの想像していたのは、軽いちょっとした挨拶のキス。エレーヌ、それを濃厚な濡れ場のキスに変える。モーティマー、戦略にかかり、かなりボーっとする。が、やっとのこと踏みこたえ。)お休み、エレーヌ。明日か明後日、必ず会いに行く。
 エレーヌ(送ってくれるところまでは行かなかったので、怒る。冷たい怒り。扉まで行き、モーティマーの方を向き。)何よ・・・劇評家!(後ろ手にばたんと扉を閉める。)
(モーティマー、どうしようもなく、扉を眺める。それから振り返り、台所の扉に進む。)
 モーティマー(扉のところで。)伯母さん! 伯母さん! 二人とも、来て! ここに!
 アビイ(舞台裏で。)すぐ行くよ、モーティマー。
 モーティマー 早く。今すぐ!(窓際の箱の傍に立つ。)
 アビイ(台所から登場。)分ったよ。・・・あれ? エレーヌはどうしたの?
 モーティマー 僕がここにいない間、誰もここに入れちゃいけないって言ったでしょう? そして、ちゃんと約束したでしょう?
(次の台詞はかぶさって交される。)
 アビイ だって、ジョナサンは勝手に入って来て・・・
 モーティマー ジョナサンのことを言っているんじゃないんです。
 アビイ ドクター・アインシュタインは、ジョナサンについて来たんだから・・・
 モーティマー ドクター・アインシュタインのことでもありません。誰です、あの箱の下にいる人物は。
 アビイ 言った筈よ、あなたには。ミスター・ホスキンズ。
(モーティマー、窓際の箱を開け、一歩下がる。)
 モーティマー ほら、これはあの人じゃありませんよ。
(アビイ、不思議そうな顔をして窓に近寄り、中を見る。それから非常に無邪気に言う。)
 アビイ あら、これ誰?
 モーティマー この人物に会ったことがないというつもりなんですか?
 アビイ 当り前でしょう。でもまあ、随分な「今日は」ねえ。誰でもこの家に勝手に入り込んで平ちゃらって言う風になったのかしら。
 モーティマー 伯母さん、誤魔化すんじゃありません。この人物もやっぱり伯母さん達の例の「お客さん」なんでしょう!
 アビイ モーティマー、あなた、何てことを言うの。この人は勝手に入り込んで来た人よ。ちゃんとここの地下室に収められるとしたら、それは当て外れなんですからね。
 モーティマー 伯母さん、伯母さんはちゃんと認めたでしょう? ミスター・ホスキンズは箱の下に入れたって。
 アビイ ええ、認めましたよ。
 モーティマー フーン、ここに隠れた方がいいなんて、この男がミスター・ホスキンズから聞く訳もないしな・・・待てよ、それでミスター・ホスキンズはどこなんだ?(地下室へ通じる扉を見る。)
 アビイ パナマに行ったのね、きっと。
 モーティマー ああ、もう埋めちゃったってこと?
 アビイ いいえ、まだ。下でお葬式をあげてからよ、埋めるのは。式がまだなの。ジョナサンが来たり、何やかやで。(ジョナサンという言葉を聞いてモーティマー、箱の蓋を閉める。)そうそう、私達、一度に二人の葬式がしたいって、いつも言ってた。(マーサを呼ぼうと台所の扉に進む。が、思い直して。)でも、全然知らない人のために聖書を読んであげることは出来ないわね。
 モーティマー(アビイに近寄って。)全然知らない人? 伯母さん、そんなこと僕が信じられると思いますか? 地下室にはもう十二人も・・・全員伯母さん二人で毒殺したんでしょう?
 アビイ ええ、殺しましたよ。でも、それとこれとは違います。知らないものは知りません。嘘なんかじゃないの。マーサ!(台所に進む。)
(それと同時にジョナサン、アーチから登場。急いで階段を降りて来る。モーティマーに気づき、近づく。)
 ジョナサン ああモーティマー、ちょっと話がある。
 モーティマー(立ち向かうようにして。)お前の話などちょっとで充分だ、ジョナサン。お前とあの相棒のドクター、今すぐここを出て行くんだ。
 ジョナサン(柔らかく。)なるほど、やっと気がついたようだな、お前と俺はここには一緒には住めないんだ。しかし、結論は間違っているぞ。出て行くのはお前だ。そのスーツケースを持って、さっさと出て行け。(ジョナサン、窓際の箱に行こうと、モーティマーの方へ進む。しかしモーティマー、ジョナサンを迎えうつように進み、二人、対峙する。)
 モーティマー お前にはもううんざりだ、ジョナサン。ブルックリンでのお前の活躍はこの一晩で沢山だ。さあ、出て行け!
 ジョナサン おいモーティマー、学をつけて、少し新聞に書くようになったからって、一人前だと思ったら大間違いだぞ。(ジョナサン、さっとモーティマーを回り込んですりぬけ、箱に行き、坐る。)俺がここに留まる。お前が出て行く。いいな、俺は本気だぞ!
 モーティマー(ジョナサンに近づき。)お前のことをこの僕が怖がるとでも思うのか。お前のどこが怖いって言うんだ!
 ジョナサン(立ち上がる。二人、顔をつきあわせる。)いいかモーティマー、俺は奇妙な人生を歩んで来た。しかしな、確実に一つのことは修得したんだ。それは、俺には怖いものがないということだ!(二人、同じ剣幕で睨み合う。その時アビイ、次にマーサ、台所から登場。)
 アビイ マーサ、ほら、あの箱の下に何があるか、ちょっと見てみて・・・
(モーティマーとジョナサン、同時にパッと箱に坐る。)
 モーティマーとジョナサン(同時に。)待って、伯母さん!
(モーティマー、ゆっくりとジョナサンの方に顔を向ける。ハハーンと察しがつく。モーティマー、にやりと笑い、確信をもって立ち上がる。)
 モーティマー ジョナサン、マーサ伯母さんに、この下に何があるか見て貰うことにしよう。(ジョナサン、真っ蒼になる。危険な顔。モーティマー、アビイに近づく。)伯母さん、僕が間違っていました。すみません。(アビイの頭にキス。)伯母さんにいいニュースがありますよ。ジョナサンは出て行くんだそうです。ドクター・アインシュタインも一緒です。ついでに、冷たくなったもう一人の相棒も連れて行くんです。(ジョナサン立ち上がる。まだ自信を失っていない。)ジョナサン、あんたはそれでもやっぱり、僕の兄さんだ。ブルースター家の一員だ。証拠を連れて逃げるのなら、それは見逃そう。それ以上は頼んでも無駄だ。(ジョナサン、動かない。)フン、そういうことなら、警察を呼ぶしかないな。(モーティマー、電話に近づき、受話器を取り上げる。)
 ジョナサン 電話に触るな。この俺に楯つく気か。スペナルゾーと同じ運命になるぞ。
 マーサ スペナルゾー?
 アビイ そう。やっぱり知らない人だったのね、あれは。
 ジョナサン いいか、お前もそいつと同じ道を辿るんだ。
(玄関の扉にノックの音。アビイ、扉に行き、開ける。警官オハラが顔を覗かせる。)
 オハラ 今晩は、ミス・アビイ。
 アビイ ああ、オハラさん。何かありましたの?
(モーティマー、受話器を置き、オハラに近づく。ジョナサン、こいつはまづいと、後ろを向く。)
 オハラ 家に灯りが見えましたので、病人が出たんじゃないかと思って。(モーティマーを見る。)ああ、お客様だったんですか。これは失礼しました。余計な心配を・・・
 モーティマー(オハラの腕を掴み。)いえいえ、どうぞお入り下さい。
 アビイ そうそう、お上がりになって。
 マーサ(扉のところに行き。)さあさあ、オハラさん。(モーティマー、オハラを導き入れ、扉を閉める。)これは甥のモーティマーなんですの。
 オハラ ああ、これは始めまして。
(ジョナサン、台所の方に行こうとする。)
 アビイ(ジョナサンを呼び止めて。)そして、こちらがもう一人の甥、ジョナサンですの。
 オハラ(モーティマーの横に少しずれ、警棒を上げて挨拶する。)やあ、これはお初に。(ジョナサン、これを無視。オハラ、アビイとマーサに話しかける。)お二人も甥御(おいご)さんが訪ねて来るなんて、いいことじゃありませんか。甥御さんは二人とも、二三日泊っていらっしゃるんですかな?
 モーティマー 私は泊ります。兄は今丁度出るところで。
(ジョナサン、階段の方に進む。オハラ、それを呼び止める。)
 オハラ ちょっとあなた、あなたにはどこかでお会いしたような・・・
 アビイ そんな筈はありません。もう何年もこの人、家には帰ったことがありませんから。
 オハラ この顔にはどこか馴染みがある。どこかでこの人の写真を見たんだな、きっと。
 ジョナサン まさか。(階段を急いで上がる。)
 モーティマー そうだジョナサン、急いだ方がいい。荷物はどうせ纏めてあるんだろう?
 オハラ そうか、これは別れの場面ですな。では私は退散することに・・・
 モーティマー そんな。お急ぎになることはありません。兄が出て行くまでここにいて下さる方が有難いんです。
(ジョナサン、アーチを通って退場。)
 オハラ 病人が出たんじゃないかと思って入って来ただけなんですから・・・
 モーティマー すぐコーヒーが出ます。どうか御一緒に飲んで行って・・・
 アビイ そうそう、私、コーヒーのこと、忘れていたわ。(台所へ退場。)
 マーサ(台所の扉に進みながら。)そうだ、サンドイッチを作って来るわ、私。オハラさんていつもおなかをすかせている人。見たらすぐ思い出さなくっちゃいけなかったわ。(台所へ退場。)
 オハラ どうぞお構いなく。私はもうすぐ巡回に行かなくちゃいけないんですから。
 モーティマー コーヒー一杯ぐらい、いいじゃありませんか。兄はまもなく出て行きます。(オハラをひじ掛け椅子に導いて。)どうぞおかけ下さい。
 オハラ エート・・・あなたの兄さんのことですが・・・どこかであの人の写真を見たような気がするんですがね。
 モーティマー いや、そんなことはないでしょう。(テーブルの椅子に坐る。)
 オハラ 確かどこかで見たような・・・
 モーティマー 映画じゃないですか? 映画に出て来た誰かに似ていて・・・
 オハラ 私は映画は見ないんです。大嫌いでしてね。母親がよく言っていましたよ。映画のどこが芸術だ。あれはカスだってね。
 モーティマー そうですね。馬鹿なものが沢山あります。お母上の話ですって? それ。
 オハラ そうです。母親は役者でして・・・芝居のです。ひょっとするとあなたも御存じかもしれない。ピーチズ・ラトゥールっていうんですがね。
 モーティマー ああ、どこかのプログラムで見た名前だな。どんな芝居に出られたんです?
 オハラ 「マット・アンド・ジェフ」・・・これが大ヒットだったんですよ。三年のロングランだったんです。その三年目の旅公演の時なんです、私が生れたのは。
 モーティマー そうですか。
 オハラ そう。アイオワ州スィウー市でした。第二幕が終って、楽屋で生れたんです。母親はそのまま三幕を演じたんです。
 モーティマー 豪傑・・・お母上のいいエピソードですね、きっと。実は僕は、芝居のことを仕事にしていまして・・・
 オハラ ええっ? あなたはあの、モーティマー・ブルースターじゃありませんか? 劇評家の。
 モーティマー そうです。
 オハラ ああ、これは嬉しい。お会い出来て嬉しいですよ。(モーティマーと握手するため、帽子と警棒の位置を変える。その時以前マーサがふとテーブルの上に置いたスポーツシューズの片方を摘み上げる。そしてそれをテーブルの端に置き直す。モーティマー、それを見、はっとする。)実はですね、ミスター・モーティマー、私はあなたと同じ線上の仕事をしているんですよ。
 モーティマー(まだ靴に気を取られている。)はあ・・・同じ線上・・・
 オハラ そう。私は劇作家なんです。ああ、この警察の仕事・・・これはただ臨時の仕事でしてね。
 モーティマー で、どのぐらい警察にはいらしてるんです?
 オハラ 十二年です。芝居の材料を捜しているんです。
 モーティマー それはいろいろと好都合でしょうね。
 オハラ まあそうです。警官をしていて、いろんなドラマに巡りあいましたよ。このブルックリンでどんなことが持ち上がっているか、ちょっとあなたには想像もつかないでしょう・・・
 モーティマー ええまあ、私は私なりに・・・(スポーツ靴を自分の椅子の下に入れる。時計を見て、それからバルコニーを眺める。)
 オハラ 今何時ですかな?
 モーティマー 一時十分です。
 オハラ いかん、もう巡回に行かなきゃ・・・(扉の方に進む。モーティマー、それを止める。)
 モーティマー ちょっと待って、オハラさん。あなたのその芝居のことですが、私、お力になって上げられるかもしれません。(オハラを椅子に坐らせる。)
 オハラ(有頂天になって。)お力に!(立上る。)今夜ここにやって来たのは、天の恵みだ! よし、じゃ早速筋を聞いて下さい。
(この時ジョナサン、バルコニーに登場。後ろからアインシュタインも。二人ともバッグを持っている。また同時にアビイ、台所から登場。モーティマー、ジョナサンさえ出て行けばもうオハラには用はない。それでモーティマー、オハラの芝居の筋を聞こうとしない。オハラを後ろに残して、降りて来るジョナサンに話しかける。)
 モーティマー ああ、出て行くんだな? いいことだ! 急いだ方がいい。時間がもうないぞ。
 アビイ みなさん、コーヒーもサンドイッチも用意が出来ましたよ。(階段を降りて来て、ジョナサンとアインシュタインを見て。)ああ、ジョナサン、あなた出て行くのね? さようなら。さようなら、ドクター・アインシュタイン。(道具箱が窓際の箱の上にあるのを見て。)ああ、この箱もあなたのじゃなかった?
(この言葉でモーティマーも、スペナルゾーのことを思い出す。)
 モーティマー そうだぞジョナサン、忘れ物は何一つしても駄目だ。(もうオハラに用はないと、モーティマー、オハラの方を向く。)ああ、オハラさん。お会い出来てよかったです。またいつかお会いしましょう。お芝居の話はその時に・・・
 オハラ(出て行こうとしない。)いや、私はまだ行きませんよ、ミスター・ブルースター。
 モーティマー 何故です?
 オハラ さっき芝居のことで助力を申し出て下さったばかりでしょう? 今から例の芝居を二人で書きあげるんです。
 モーティマー それは出来ませんよ。僕は作家じゃないんですから。
 オハラ 作家じゃなくても、商売柄台詞は作れる筈ですよ。筋は任せて下さい。私にあります。
 モーティマー しかし、そんなことを言ったって・・・
 オハラ いいえ、ミスター・ブルースター。私に筋を話させて下さい。さもないと私は、ここを立ち退(の)きませんからね。(部屋を横切り、窓際の箱に坐る。)
 ジョナサン(扉の方へ進みながら。)そういうことならな、モーティマー、俺達は行くぞ。
 モーティマー 待った。まだ駄目だ。忘れ物は何一つしないで行くんだ。分るな?(振り返り、オハラが窓際の箱に坐っているのを見て駆け寄る。)ねえ、オハラさん、出て行ってくれますね? 兄が今、丁度出るところなんですから・・・
 オハラ いや、私は待つ。もう十二年間も待ってきたんだ。これしきのこと・・・
(マーサ、台所からコーヒーの盆とサンドイッチを持って登場。)
 マーサ すっかりお待たせしちゃったわね。ご免なさい。
 モーティマー それ、ここに持って来ないで。オハラさん、台所で一緒に如何です?
 マーサ 台所で?
 アビイ(マーサに。)ジョナサンが出て行くところなのよ。ね?
 マーサ ああ、そう。それはよかった。じゃ、オハラさん、こちらへいらして。(マーサ、台所に退場。)
(オハラ、台所の扉の方に進む。その間にアビイが言う。)
 アビイ オハラさん、台所で食べるの、お嫌いじゃないでしょうね?
 オハラ だって、あなた方もそちらで食べるんでしょう?
 アビイ さようならジョナサン、また会えて嬉しかったわ。
(オハラ、台所に退場。続いてアビイも。モーティマー、台所の扉に行き、扉を閉め、ジョナサンの方を向く。)
 モーティマー ジョナサン、あんたがブルックリンに帰って来たのは嬉しいよ。ここからあんたをほっぽり出す楽しみがこれで出来たんだからな。出て行く最初の人間は、何と言ってもあんたの友人のミスター・スペナルゾーだ。
(モーティマー、そう言いながら、窓際の箱の蓋を開ける。オハラ、手にサンドイッチを持って台所から登場。モーティマー、蓋を下ろす。)
 オハラ さあ、ミスター・ブルースター、さっきの話をここでやろう。
 モーティマー(オハラを台所に押すようにして入れて。)いやいや、こっちにしましょう。
 ジョナサン やれやれ、お前が警官と共同で芝居を書くようになるとはな。
 モーティマー(台所の扉から顔を出して。)さっさと行くんだ。お前達三人とも。(扉を閉める。)
(ジョナサン、バッグを下に置き、窓際の箱に行く。)
 ジョナサン おい、ドクター、俺はな、あの弟との話は、必ず決着をつけてやるからね。
 アインシュタイン(道具箱を取るために窓際の箱に行き、階段の下にそれを運ぶ。)なあチョニイ、もう行こうよ。
 ジョナサン(厳しい口調で。)俺達は行かない。ちゃんと今夜はここで寝るんだ。
 アインシュタイン 箱にはミスター・スペナルゾー、台所には警官、それで俺達、ここで寝るっていうのか?
 ジョナサン(窓際の箱の蓋を下ろしながら。)こいつだけだ、あいつが俺達の尻尾を掴んでいると思っているのは。だからこいつは片付ける。ここから運んで、海の中にぶち込むんだ。それでここに帰って来る。それであの野郎が泊らせないと言おうものなら・・・
 アインシュタイン なあ、チョニイ・・・
 ジョナサン ドクター、あんたは知ってる筈だ。俺が一旦こうと決めたら・・・
 アインシュタイン 分ってる。一旦こうと決めたら、あんたはその時から気違い・・・私、ブルックリンに来るんじゃなかった。
 ジョナサン(反対を許さない口調。)ドクター!
 アインシュタイン 分った分った。内輪もめはもっといけない。(バッグの方に行く。)そのうち二進(にっち)も三進(さっち)も行かなくなるんだろうが・・・私達、どうせ戻って来る。このバッグ、置いとくんだな?
 ジョナサン うん、置いとく。地下室に隠しておけ。早くやれ!(ジョナサン、バッグの方に近づく。その間にアインシュタイン、道具箱を持って地下室に退場。)窓から入れたものは窓から出すか。(ジョナサン、窓際の箱に乗り、窓の外を窺う。それから窓際の箱の蓋を上げかける。そこにアインシュタインが興奮して戻って来る。)
 アインシュタイン おいチョニイ、来て見ろ。
 ジョナサン(アインシュタインに近づいて。)どうしたんだ。
 アインシュタイン ここの地下室に穴がある。それは知っていたな?
 ジョナサン うん。
 アインシュタイン 穴の中に切札がある。来るんだ。(二人、地下室に退場。ジョナサン、扉を閉める。)
(モーティマー、台所から登場。二人の荷物がまだそこにあるのを見る。窓際の箱の蓋を上げ、スペナルゾーがまだいるのを見る。窓から顔を出し、窓の外に向って叫ぶ。)
 モーティマー ジョナサン! ジョナサン!(ジョナサン、地下室からモーティマーの背後に、気づかれずに登場。アインシュタインも、部屋の中央に登場。)ジョナサン!
 ジョナサン(静かに。)何だ? モーティマー!
 モーティマー(テーブルの方に飛び退いて。)どこにいたんだ二人とも。出て行けと言った筈だぞ・・・
 ジョナサン 俺達は出て行かない。
 モーティマー ほほう、出て行かない。本気で言ってるんだな? オハラが知ってもいいんだな? あの箱の下のものを。
 ジョナサン 俺達はここに留まる。
 モーティマー(テーブルを回って、台所の扉に向う。)よーし、そっちが言い出したんだからな。これでオハラもあんたら二人も厄介払いが出来るというもんだ。(台所の扉を開け、叫ぶ。)オハラさん! 来て下さい!
 ジョナサン 箱の下にあるものの話をしてみろ、俺は地下室にあるものの話をしてやるからな。
(モーティマー、素早く台所の扉を閉める。)
 モーティマー 地下室?
 ジョナサン どうやら、年輩のおっさんがいるようだ。それもすっかりくたばっちまってる奴がな。
 モーティマー 何をしていたんだ、お前は。あの地下室で。
 ジョナサン 何をしているんだ、あのおっさんは。あの地下室で。
(オハラの声が舞台裏から聞こえてくる。)
 オハラ もう本当に結構です。充分いただきました。有難うございます。
 ジョナサン さてと、お前があの警官に何て言うか、そいつが楽しみだな。
(オハラ、台所から登場。)
 オハラ ああ、ミスター・ブルースター、あの芝居の筋を君の伯母さん達も聞きたいと言っておられるんだが、ここに連れて来ましょうかな?
 モーティマー(オハラの袖を引っ張って。)いや、あの話は終りです。あなた、巡回に行くんでしょう?
(モーティマーが玄関の扉を開けようとするのをオハラ止めて。)
 オハラ 何が巡回だ。巡回など糞食らえだ。おばさん達を連れて来る。私は筋を君に聞いて貰う。
 モーティマー(オハラを掴んで。)いやいや、あの二人は不要です。私だけで聞きます。いつか・・・別のところで。
 オハラ ケリーならまだ開いてる。あのレストランの別室でどうだ?
 モーティマー ああ、それがいい。じゃ早速巡回に行って下さい。ケリーで落ち合いましょう。
 ジョナサン(窓際の箱のところで。)ここの地下室でやればいいじゃないか。
 オハラ 名案だ、そいつは。(地下室の扉に進む。)ここですね? 地下室は。
 モーティマー(オハラを再び掴まえて。扉の方に戻しながら。)駄目! 駄目です。ケリーにしましょう。まづ巡回・・・それからケリー。いいですね?
 オハラ(出て行きながら。)オーケー。巡回なんかものの二三分だ。(退場。)
(モーティマー、洋服かけから帽子を取って、扉の方に進む。)
 モーティマー あの男をまいて、五分したら戻って来る。その時までにはいなくなってるんだぞ。(考えを変えて。)いや、待ってるんだ。(退場。)
(アインシュタイン、テーブルの椅子に腰掛ける。)
 ジョナサン あいつを待つんだ、ドクター。こういうチャンスを俺は待ち望んでいたんだ。
 アインシュタイン いやー、うまい。うまく行った。危機一髪の時に、あいつをとっちめる材料が見つかった・・・あいつの顔・・・あの後ろめたそうな顔・・・
 ジョナサン(立上がり。)さあ、荷物をまた俺達の部屋に運ぶんだ。
(アインシュタイン、バッグを取り、階段の下まで運ぶ。アビイとマーサ、台所から登場。アビイ、入りながら言う。)
 アビイ ジョナサン達、行ったかしら。(ジョナサンとアインシュタインに気づく。)あら・・・でも誰か出て行く音はしたと思ったけど。
 ジョナサン モーティマーさ。あいつも二三分したら戻って来る。台所に何か食うものないかな。二人とも腹ぺこなんだ。
 マーサ でもあなた方、時間がない筈よ。
 アビイ モーティマーが帰って来て、あなた方がまだいたら、きっと厭な顔をするわ。
 アインシュタイン 厭どころか、ハッとする筈ですよ。
 ジョナサン ちょっと何か持って来てくれないかな。俺達がミスター・スペナルゾーを地下室に埋めている間に。
 マーサ(テーブルの方に行きながら。)そんな、地下室だなんて。
 アビイ その人、地下室には入れさせませんよ。駄目ですジョナサン。その人はあなた、自分で持って行きなさい。
 ジョナサン モーティマーの相棒も、地下室にいる。その相棒は、モーティマーに持って行かせるんだな。
 アビイ モーティマーの相棒?
 ジョナサン あいつの相棒も、ミスター・スペナルゾーに格好の相手だ。二人ともしっかりくたばっちまってるからな。
 マーサ この人、ミスター・ホスキンズのことを言っているらしいわ。
 アインシュタイン ミスター・ホスキンズ?
 ジョナサン 伯母さん達、地下室にあるもの、分ってるの?
 アビイ 勿論分ってますよ。あれはモーティマーの相棒なんかじゃありません。私達のお客様です。
 アインシュタイン お客様?
 マーサ 言っておきますけどね、あの地下室に知らない人は埋めさせませんからね、決して。
 ジョナサン(マーサの言っている意味が分らないまま。)でも、ミスター・ホスキンズだって・・・
 マーサ ミスター・ホスキンズは知らない人じゃありません。
 アビイ それに、ミスター・スペナルゾーの場所などありませんよ。あそこはもう、いっぱいなんです。
 ジョナサン いっぱい? いっぱいって、どういうことだ。
 アビイ もう十二個、あそこには墓があるの。
(ジョナサンとアインシュタイン、たじたじとなる。)
 ジョナサン 墓が十二個!
 アビイ だからもう、余裕はないの。それに、あってもそれは私達が使います。
 ジョナサン ということはつまり、伯母さん達二人で殺人をしたと・・・
 アビイ 殺人! 勿論違うわ。お慈悲の一種ね。
 マーサ(軽蔑するように。)慈善事業なんですよ、これは。
 アビイ(外を指差して。)さあ、さっさとそのミスター・スペナルゾーを連れて行って!
 ジョナサン(まだ信じられない。)ということは、ここでやっつけて・・・(床を指差して。)下に埋めたと・・・
 アインシュタイン チョニイ、私達、世界中追い回されている。なのに、ここのこの二人、平気な顔でここにいる。あんたのやったのと同じことをやってのけて・・・
 ジョナサン(アインシュタインの方を向いて。)何だと?
 アインシュタイン お前さんも十二人、この二人も十二人。
 ジョナサン(ゆっくりと。)いや、俺は十三人だ。
 アインシュタイン いいや、十二人。
 ジョナサン 十三人だ!(指を使って数える。)ここのミスター・スペナルゾー、最初がロンドンで一人、ヨハネスブルグで二人、シドニーで一人、メルボルンで一人、サンフランシスコで二人、アリゾナのフェニックスで一人・・・
 アインシュタイン フェニックス?
 ジョナサン ガソリンスタンドでだ。シカゴで三人、サウス・ベンドで一人、これで十三人だ。
 アインシュタイン サウス・ベンド・・・あれは違う。あれは肺炎・・・肺炎で死んだ。
 ジョナサン あいつを撃ったのはこの俺だ。撃たれてなきゃ肺炎にも罹(かか)らなかったんだ。
 アインシュタイン(強く。)いいや、チョニイ、あれは肺炎。数に入らない。
 ジョナサン 俺は数に入れる。だから十三だ。
 アインシュタイン 違う、チョニイ。あんたは十二。あっちも十二。(マーサとアビイに近づいて。)あいこだ、これは。この勝負はあいこ。
(マーサとアビイ、嬉しそうに微笑む。ジョナサン、振り返り、三人に顔を向け、脅すように言う。)
 ジョナサン フン、あいこか。あいこならあいこでいい。手慣れたものだ。世話は楽な筈だ。あとたった一個なんだからな。入れればいいんだ。
(モーティマー、急いで登場。後ろ手に扉を閉める。心配そうな微笑を浮かべ、四人を見る。)
 モーティマー さてと、帰りましたよ!
(ジョナサン、振り返り、目を大きく見開いてモーティマーを見る。問題を解決したという表情。)

     第 三 幕
     第 一 場
(場 同じ。その夜。もっと更けている。窓際の箱の蓋は開けてあり、その中が空であることが観客に分る。肘掛け椅子はテーブルの右手に寄せられている。窓のカーテンは閉めてある。地下室に通じる扉だけ開いていて、他の扉は全て閉まっている。アビイの賛美歌の本と黒手袋はサイドボードに、マーサの賛美歌の本と黒手袋はテーブルの上。他のものは全部前幕と同じ。)
(幕が開くと、地下室から、開いた扉を通して言い争いの声が聞こえる。台詞は怒りと興奮を込めて、重ねて言われる。暫くしてマーサとアビイ、地下室から登場。)
 マーサ お止めなさい、そんなことをするのは!
 アビイ これは私達の家よ。ここは私達の地下室よ。あなたに勝手な真似はさせません。
 アインシュタイン 伯母さん方、どうか、上に上がっていて。
 ジョナサン 伯母さん! さっさと上に行くんです、
 マーサ そんなことをしたって何の役にも立たないのよ。どうせまた、掘り出しちゃうんだから。
 アビイ 私達が駄目って言ってるんですからね。すぐ止めるんです、そんなことは。
 マーサ(地下室から登場。)いいでしょう。分ったわ。思い知らせて上げる。ここは私達の家なんですからね。(扉のところまで行き、開け、外を見、それからまた閉める。)
 アビイ(登場して。)私はもう注意はしましたからね。止めた方が身のためよ。(マーサに。)モーティマーはまだ?
 マーサ まだね。
 アビイ 恐ろしいことよ、これ・・・敬虔(けいけん)なメソジスト派の人を、見も知らない人と一緒に埋めるなんて。(アビイ、窓際の箱に近づく。)
 マーサ(地下室の扉に近寄りながら。)いいえ、私、誰にだって決してこの地下室を汚(けが)すようなことはさせません!
 アビイ(窓際の箱の蓋を閉めて。)ホスキンズさんには、キリスト教に則(のっと)ってちゃんとした葬式を上げるって約束したんですからね。それにしてもモーティマー、どこに行ったのかしら。
 マーサ 知らないわ。でも、何かはやっているんでしょう。だってジョナサンにあの子、言ってたもの、「いいか、待ってろ。これはちゃんと決着をつけてやる」って。
 アビイ(サイドボードの方に行きながら。)家を出ておいて、家のことを決着つけるなんて、無理な話よ。あそこで起っていることに決着をつけなきゃいけないんですからね。
(モーティマー登場。扉を閉める。)
 モーティマー(全てに決着をつけて来たという表情。)万事オーケーだ。さてと、テディはどこですか?
(マーサとアビイ、モーティマーの態度に苛々する。)
 アビイ モーティマー、あなた一体、どこへ行ってたんです。
 モーティマー お医者さんですよ・・・ギルクライスト先生のところへ。テディの拘留令状にサインして貰ったんです。
 マーサ モーティマー、あなた、どうかなっちゃったの?
 アビイ こんな時間に書類にサインして貰いに走りまわるなんて。
 マーサ ジョナサンが今やっていること、あなた、分ってるの?
 アビイ ホスキンズさんとミスター・スペナルゾーを一緒に埋めようとしているのよ。
 モーティマー(地下室の扉に進んで。)ああ、埋めようとね・・・まあ、埋めさせておけばいいんです。(地下室の扉を閉める。)テディは自分の部屋に?
 マーサ テディは何の役にも立ちません。
 モーティマー テディがこの書類にサインしてくれれば、僕はジョナサンをやっつけることが出来るんです。
 アビイ 何の関係があるっていうんです、そんな書類が、この事態に。
 モーティマー 伯母さん達、仕方なくジョナサンに話したでしょう? 下の十二個の墓のことを。でも、もしあの墓の責任は全部テディにあると僕が証明出来れば、僕は伯母さん達を守ってあげられるんです。分るでしょう?
 アビイ 何のことかさっぱりね。それに、私達の身を守ってくれるのは警察よ。だってそのために税金を払っているんですからね。
 モーティマー(階段を上がりながら。)すぐ戻って来ますからね。
 アビイ(テーブルから手袋と讃美歌の本を取って。)さあ、マーサ、警察に行きましょう。
(マーサ、サイドボードから手袋と讃美歌の本を取る。二人、扉に行きかける。)
 モーティマー(踊り場のところで。)待って。(振り返り、二人がいる扉のところまで駆け降りる。)警察! 警察になんか行っちゃ駄目です。
 マーサ どうして?
 モーティマー(扉のところで。)ミスター・スペナルゾーのことを警察に話して御覧なさい。ミスター・ホスキンズまで見つかってしまいます。(マーサに近寄って。)連中は不思議に思うでしょう。そこらへんを調べまわって、十二人全部見つかっちゃいますよ。
 アビイ モーティマー、あなた、警察のことを知らないのよ。私達の方がよっぽどよく知っている。個人的なことには介入しないよう頼めば、決してあの人達、首を突っ込んで来るようなことはしないわ。
 モーティマー でも、あの十二人を見つけたら、必ず連中は中央に報告しますよ。
 マーサ(手袋をはめながら。)そんなことにあの人達がかかずらう訳がないでしょう? 長い長い報告書になるのよ。警察が一番嫌いなこと、それは書くっていうことですからね。
 モーティマー そんなことを当てに出来るものですか。漏れてしまいますよ、必ず。そうしたら裁判官も陪審員も、伯母さん達のことを分ってくれる筈がありません。
 マーサ カルマン裁判官ならきっと分ってくれるわ。
 アビイ あの人をよく知っていますからね、私達は。
 マーサ いつだって教会にいらしてるわ、お祈りに。・・・選挙の前には。
 アビイ それから家にも来るって言って下さってるのよ、お茶に。約束したんですからね。
 マーサ そうそう、アビイ、そのこと、もう一度あの方に念をおしましょうね。(モーティマーに。)二三年前に奥様を亡くされたの。だからとてもお淋しいの。
 アビイ さあ、行きましょう、マーサ。(アビイ、扉の方へ行きかける。モーティマー、一足先に扉につく。)(訳注 話しているうちに三人は一旦部屋の中央あたりに戻って来ているらしい。)
 モーティマー いいえ、駄目です。僕が行かせません。二人ともこの家を出ちゃいけません。それに、カルマン裁判官をお茶に招待することも許しません。
 アビイ だってあなた、ミスター・スペナルゾーをどうこうする気は全くないんでしょう? 私達はそれをどうかしようとしているの。
 モーティマー 僕だってその気はありますよ。伯母さん達も暫くしたら警察に言いに行くことにはなるんです。でもそのために準備を整えてからにするんです。
 マーサ じゃあなたは、まづ最初にジョナサンを追い出すのよ。
 アビイ それから、ミスター・スペナルゾーもね。
 モーティマー じゃとにかく、僕のやり方でやらせてくれますね?(モーティマー、階段を上がり始める。)僕はテディに話すことがある。
 アビイ(階段にいるモーティマーの方を向く。)じゃ、いい? モーティマー。あの人達が朝までにここを出て行かなかったら、私達警察を呼びに行きますからね。
 モーティマー(バルコニーで。)約束します。朝までにはきっと! さあ、寝て下さい。それから、その着物は脱いで。お願いですよ。まるで幽霊じゃありませんか。(モーティマー、ホールに出る。扉を閉める。)
(マーサとアビイ、モーティマーを見送る。マーサ、アビイの方を見る。)
 マーサ アビイ、今の話なら安心だけど?
 アビイ そうね。もしモーティマーが約束通りやってくれるのなら、今ジョナサンがやっていること、みんな無駄ってわけね? ジョナサンに言って来てやらなくちゃ。(アビイ、地下室の扉に向おうとする。その時ジョナサン登場。二人、ソファの前で出会う。ジョナサンの服、汚れている。)ああ、ジョナサン、あなた、今やっていること、止めた方がいいわよ。
 ジョナサン もうやっちゃったよ。さっき聞こえてたの、モーティマーの声?
 アビイ いくらやっちゃっても、どうせ元に戻さないと駄目なのよ。朝までにあなた方みんな、出て行くんですからね。モーティマーが約束したもの。
 ジョナサン ああ、そう? じゃ、伯母さん達、さっさと寝るんだね。朝までぐっすりと。お休み。
 マーサ(ジョナサンが何となく怖くて、すぐに階段を上り始める。)そうね。さ、行きましょう、アビイ。
(アビイ、マーサに続いて階段を上がる。)
 ジョナサン お休みなさい。
 アビイ お休みじゃないのよ、ジョナサン。さようならよ。明日私達が目を醒ます頃には、あなたはこの家からいないんですからね。モーティマーの約束なの、それは。
 マーサ(バルコニーで。)あの子はちゃんとやり方も心得ているの。
 ジョナサン じゃ、あいつやっぱり、帰って来ている?
 アビイ 帰っていますよ。今テディと話しているところ。
 マーサ さようなら、ジョナサン。
 アビイ さようなら、ジョナサン。
 ジョナサン 伯母さん達、さようならを言うのなら、モーティマーに言った方がいいんじゃないかな。
 アビイ ああ、モーティマー? あなた、すぐあの子に会うわ。
 ジョナサン(スツールに坐って。)そう、俺はあいつに会う。
(アビイとマーサ退場。ジョナサン、じっとして動かない。考えていることは人殺し。アインシュタイン、地下室から登場。足を上げて、ズボンの折り返しから泥を落とす。履いているものはスペナルゾーのスポーツ靴。)
 アインシュタイン やれやれ、やっと片付いた。湖の表面と同じ。あの下に何かあるなんて、誰も気づかない。(ジョナサン、相変わらずじっと坐ったまま。)ああ、ベッドが恋しい。四十八時間、一睡もしていない。(階段を上がり始めて。)さあ、チョニイ、上がろう。
 ジョナサン あんたは忘れているぞ、ドクター。
 アインシュタイン えっ?
 ジョナサン 弟のモーティマーのことだ。
 アインシュタイン チョニイ・・・今夜? 明日・・・いや、明後日にしよう。
 ジョナサン(爆発しそうになるのをやっと抑えて。)いや、今夜!・・・いや、今だ!
 アインシュタイン(下に降りて来て。)チョニイ、お願いだ・・・私、疲れた・・・それに、明日は手術・・・
 ジョナサン そう、明日は手術だ。そして、あいつを片づけるのは今夜だ。
 アインシュタイン(ジョナサンの前に膝まづき、宥(なだ)めようと。)なあチョニイ、今夜は無理・・・今夜は寝よう・・・な?
 ジョナサン(立上がる。アインシュタインもピンと立上がる。)ドクター、この俺の目を見ろ。いいか、こいつは今夜やる。どうしても・・・見えるだろう。
 アインシュタイン(後ずさりしながら。)ああ、チョニイ、見える。これはいつもの・・・あの目・・・
 ジョナサン もうここまで来てドクター、あんたが俺と組むのを止める訳には行かないぞ。
 アインシュタイン 分った。やる。しかし、早く終るやつだ。ロンドンでやった、あの方式。(両手で人の首を絞める格好をする。その時、絞め殺される時の「キッ」という声を出す。)
 ジョナサン いや、駄目だ、ドクター。モーティマーは別の方式だ。(ジョナサン、アインシュタインに近づく。非常に嬉しそうにニタリとする。)そう、メルボルン方式でな。
 アインシュタイン チョニイ、あれは駄目。二時間かかる! それに、全部終った時・・・な? 考えてくれ。ロンドン方式だって、死ぬのは死ぬ・・・な?
 ジョナサン ロンドンじゃ、手早くやっつける必要があったんだ。美的鑑賞に耐える何もあれにはなかった。だが、メルボルン方式、あれはよかった。記憶するに足る何ものかがあったよ。
 アインシュタイン 記憶するに足る?・・・あれが?(身震いする。)ああ、厭だ。厭だ。駄目だ、チョニイ。メルボルン、あれは駄目だ・・・私は降りる。
 ジョナサン いや、やるんだ、ドクター。道具はどこだ。
 アインシュタイン 私は厭、チョニイ。私、したくない。
 ジョナサン(アインシュタイン、後ずさりする。ジョナサン、詰め寄って。)道具を取って来るんだ!
 アインシュタイン 厭だ、チョニイ。
 ジョナサン どこにある。そうか、地下室に隠したな。どこだ。
 アインシュタイン 私、言わない。
 ジョナサン(地下室に行きながら。)よーし、見つけてやる。(ジョナサン、地下室に退場。扉を閉める。)
(テディ、バルコニーに登場。口に銜(くわ)えたラッパを上に上げ、吹き鳴らす。モーティマー、走り登場。テディの腕を掴む。その時までにアインシュタイン、地下室の扉に突進している、が、この騒ぎで立止まり、二人のやりとりを扉の傍で聞く。)
 モーティマー 閣下、それはお止め下さい。
 テディ 閣議に相談なしで声明にサインすることは出来ぬぞ。
 モーティマー しかし閣下、これは秘密の書類なのです。
 テディ 声明なのに秘密? それは変っているな。
 モーティマー それがサインされるまでに日本(にっぽん)に知られると具合が悪いのです。
 テディ ニッポン! あの黄色人種の悪魔め! よし、それならすぐサインしてやる。(モーティマーから書類を受取って。)よーし、我輩は宣告する。秘密のサインではあっても、必ず後程閣議には報告するぞ。
 モーティマー ええ、そうです。では早速行ってサインを。
 テディ お前はここで待っておれ。秘密の声明は秘密裏にサインされねばならぬ。
 モーティマー しかし、急を要しております、閣下。
 テディ サインをする時の衣装に着替えねばならぬな。(テディ退場。)
(モーティマー、下に降りて来る。アインシュタイン、洋服掛けからモーティマーの帽子を取り、モーティマーに渡す。)
 アインシュタイン(モーティマーを家から出そうと。)ああ、あなた、出るところ?
 モーティマー(帽子を受取り、机の上にそれを置く。)いやドクター、僕は今、待ってるところなんだ。大事なことが起きるんでね、それを・・・
 アインシュタイン お願いします。行って下さい・・・
 モーティマー ドクター、僕はあなたに、個人的には何も恨みはない。あなたはいい人らしい。僕の忠告を聞いて、ここから出るんだ。出来るだけ遠くに逃げるんだ。
 アインシュタイン 大事あります。あなた、すぐ逃げる・・・
 モーティマー 逃げないんだな? よーし、僕は知らないぞ。ちゃんと言ったんだからな、僕は。
 アインシュタイン 私こそ言ってる。早く逃げて。
 モーティマー 今すぐにでも、何が起きるか分らない状態なんだ、ここは。
 アインシュタイン 聞いて・・・チョニイ、今、酷く悪い気分。チョニイがこの気分の時、チョニイ、気違い。・・・大事、起る・・・恐ろしい事、起る。
 モーティマー もうジョナサンなんか、僕は怖くないんだ。
 アインシュタイン ああ、ヒンメル!(独語 天よ。)あなた、いろんな芝居、見てる。芝居で、色々教わること、ある筈・・・
 モーティマー 教わる? 何を。
 アインシュタイン 芝居の人、少なくとも、理性的に行動します・・・あなたより、ずっと理性的・・・
 モーティマー(この言葉に興味を引かれて。)ああ、そう思うの? あなたは。芝居の人物は理性的に動くんだって? ああ、このところ、色々見てるけどね、そういうのをあなたに見せたいよ。例えば・・・そう・・・今夜見たやつだ。この芝居で、あの男が出て来る。頭がいいということになっているんだ。(この時ジョナサン、道具箱を持って地下室から登場。扉のところに立ち、モーティマーの言葉を聞く。)そいつは、人殺しの連中がいる家に自分が一緒にいることを知っている。だから危険だってことが分っていなきゃならないんだ。おまけに、その家を出ろって警告まで受けている。それで出ると思うだろう? ところが出やしない。さあ、ドクター、あんたさっき、芝居の人間は理性的に行動すると言ったね? これが理性的だっていうのか? あんたは。
 アインシュタイン 私にあんた、それを訊く?
 モーティマー そいつは怖がるとか、用心するとか、そんな気にさえならない程馬鹿なんだ。例えばそいつに、人殺しが、坐るように勧める。
 アインシュタイン(モーティマーがジョナサンの方を見ないようにするため、少し動いて。)つまりその・・・「どうぞお坐り下さい」と?
 モーティマー(アインシュタインから目を離さず、後ろに手を伸ばして肘掛け椅子を引き寄せる。)全くしようがない話なんだ。その男、それにも引っ掛かって・・・
 アインシュタイン ええ、どうするんです?
 モーティマー(肘掛け椅子に坐りながら。)坐るんだ、そいつは。な? 分るだろう? この男は頭がいいってことになってるんだ。それが、そこに坐って、やっつけられるのをただ待ってるんだからな。それから、人殺し達がそいつを縛るんだけど、何で縛ると思う?
 アインシュタイン さあ・・・
 モーティマー カーテンの紐なんだ。
(ジョナサン、窓の両側のカーテンの紐を探る。窓際の箱の上に上がって、ナイフでコードを切り取る。)
 アインシュタイン カーテンの紐・・・まづい? 便利じゃない。
 モーティマー あまりにもお手軽だっていうんだ。劇作家はイマジネーションがなきゃならないっていうのに、カーテンの紐とはね!
(この時までにジョナサン、紐を切り取っている。そしてモーティマーの背後に近づいて行く。)
 アインシュタイン で、そいつは、それを見ていない?
 モーティマー 見る? とんでもない。それに背中を向けて坐っているんだ。毎晩毎晩こんな阿呆らしいものを見せられているんだ。そして、連中の言い草は、「劇評家が芝居を駄目にしている」・・・冗談じゃない。劇作家の方だ、芝居を駄目にしているのは。いいか? だからこの大馬鹿者は・・・頭がいいってことになってるんだぞ・・・そいつはやっつけられて、ギュウと言わせられるのを、ただ待っているだけなんだ。
(ジョナサン、モーティマーの肩に、輪にしたカーテンの紐を投げかけ、ギュッと絞める。それと同時に床からもう一本の紐をアインシュタインの方に渡す。アインシュタイン、まづモーティマーの口にハンカチで猿ぐつわを噛ませ、カーテンの紐を受取り、モーティマーの足を椅子に縛りつける。)
 アインシュタイン(縛り終って。)あんたの言った通り。・・・そいつは頭、よくない。
 ジョナサン さてとモーティマー、折角だからな、お前の今の話の決着をつけてやるよ。(ジョナサン、サイドボードに行き、蝋燭立てを二つ取り上げ、テーブルに運び、蝋燭に火をつけながら喋る。アインシュタインはモーティマーの傍に膝をついて坐っている。)俺はな、モーティマー、ここを出て二十年間、可愛い弟のお前を忘れたことはなかったぞ。いつでもお前はこの俺の頭の中にあった。ある晩、メルボルンではな、お前の夢まで見た。それからサンフランシスコに着いた時、俺は奇妙な満足感を覚えたんだ。もう一度お前と俺とは、同じ国にいるんだっていうな。(この時ジョナサン、蝋燭に火をつけ終る。ジョナサン、スイッチの所へ行き、ひねる。舞台暗くなる。ジョナサンがスイッチの所へ行く時、同時にアインシュタイン、立上がり、窓際の箱の所に行く。ジョナサン、地下室の扉の傍にあった道具箱を取り上げ、二つの蝋燭立ての間にあるテーブルの上に道具箱を置き、蓋を開ける。蓋の裏についている道具と、道具箱の底にある道具が観客に見える。)さあ、ドクター、取りかかるぞ!
(ジョナサン、道具箱から機具を取り出し、慈(いつく)しむようにその刃を指で確かめる。その間アインシュタイン、テーブルの左手にある椅子の上にうずくまる。アインシュタインは事の成行きが嬉しくない。)
 アインシュタイン なあチョニイ、頼む。私のためを思って・・・早い方に!
 ジョナサン ドクター! これは何といっても美的でなきゃ駄目なんだ。由緒正しい批評家様の前でやる演技なんだよ、これは。
 アインシュタイン チョニイ!
 ジョナサン(怒る。)ドクター!
 アインシュタイン(負けて。)分った。やる・・・やるよ。(アインシュタイン、カーテンをきっちり締め、窓際の箱の上に坐る。ジョナサン、箱から、もうあと三四個の器具を取り出し、指で刃を試す。やっとすべての器具がタオルの上に並べられ、ゴム手袋をはめ始める。)
 ジョナサン さあ、準備は万端だ、ドクター!
 アインシュタイン 私は一杯やる。やらないでは、この仕事、無理。
(アインシュタイン、ポケットから壜を取り出す。飲む。空であることが分り、立上がる。)
 ジョナサン しっかりするんだ、ドクター。
 アインシュタイン 私、飲まなきゃ。今日ここへ着いた時、確かここにワインがあった・・・覚えてるね? どこに連中、置いたかな?(サイドボードを眺め、思い出す。サイドボードに行き、開け、壜とワイングラス二個を取り、テーブルに置く。)さあ、チョニイ、飲めるぞ。(ワインをグラス二つに注ぐ。壜、空になる。モーティマー、それを見ている。)これで全部だ。あんたと分けたぞ。二人ともどうしても一杯やらなきゃ。(アインシュタイン、グラスを一つ、ジョナサンに渡す。それから自分のグラスを口に持って行く。ジョナサン、それを止める。)
 ジョナサン ちょっと待った、ドクター。礼儀を忘れてはいかん。(モーティマーを見て。)なあモーティマー、お前のお陰なんだからな、俺がこのブルックリンに帰って来られたのは・・・(ジョナサン、ワインを見る。グラスを上げたり下げたりしながら、匂いを嗅ぐ。どうやら危険物はないと確信・・・なぜなら、グラスを上に持ち上げるから。)ドクター、乾杯だ。俺の可愛い弟モーティマーに・・・
(二人、グラスを唇に持って行く。その時テディ、バルコニーに登場。恐ろしい音でラッパを吹く。二人驚き、グラスを落とす。グラス割れ、ワイン、こぼれる。テディ、回れ右をし、退場。)
 アインシュタイン アッハ、ゴット!
 ジョナサン 糞っ、あの野郎!(ジョナサン、階段を上がろうとする。アインシュタイン、とおせんぼをする。)あいつは次にやる・・・さっさと次にやってやる!
 アインシュタイン 駄目だ、チョニイ。テディは駄目・・・そこまでは私、駄目! テディ、駄目!
 ジョナサン 後でならいいだろう。この後なら。
 アインシュタイン 駄目。やるの駄目、テディは。
 ジョナサン エーイ、じゃ、まづこっちだ。さっさとやるぞ!(モーティマーのところに戻る。アインシュタインもモーティマーの前に立つ。)
 アインシュタイン さっさと・・・じゃ、ロンドン方式だ・・・な? チョニイ。
 ジョナサン そうだ。早いやつだ!(ジョナサン、内ポケットから大きな絹のハンカチを取り出し、モーティマーの首に巻く。)
(この時、玄関の扉がパッと開き、オハラ登場。興奮している。)
 オハラ こら! 閣下! ラッパは止めるんです!
 ジョナサン(ジョナサンとアインシュタイン、さっとモーティマーの前に立ち、モーティマーを隠すようにして。)大丈夫だ、警部。ラッパは俺達に任せてくれ。
 オハラ 朝になったら、さんざん住民に油を絞られるんだ。二度とあれはやらせないと、ちゃんと連中には約束してあるんだからな。
 ジョナサン 二度と起きることはない、警部。請け合う。じゃ、お休み。
 オハラ 私は自分で閣下と話をつけなきゃならん。電気のスイッチは?(オハラ、スイッチのところへ行き、ひねる。階段を上がりかけ、モーティマーに気づく。)なあんだ、私に待ちぼうけを食わせたな。ケリーで一時間も待っていたんだぞ。(オハラ、階段を降り、モーティマーに近づき、見る。それからジョナサンとアインシュタインに言う。)どうしたんだ? これは。
 アインシュタイン(素早く言い逃れを思いつく。)この人、夕べ芝居観た。それ、私達に説明していた。その時の主人公、こんな具合・・・
 オハラ(モーティマーに。)夕べあんたが観た芝居は、こんな具合だったのか?(モーティマー、頷く。)そうか。連中、私の芝居の二幕を盗んだんだな。(オハラ、自分の芝居を説明し始める。)そう、第二幕の中頃で・・・(モーティマーの方を振り返り。)いや、最初からやった方がいい。一番最初から。幕が開くと、私が生まれるところだ。私の母親の楽屋でな。ただ、まだ生まれてはいない・・・(モーティマー、自分の靴を擦り合わせ、オハラの注意を引こうとする。)えっ? 何だ?(オハラ、モーティマーの口から猿ぐつわを解こうとする。そして思い直す。)いや、まづこの筋を聞いて貰ってからにする。(オハラ、近くのスツールを取り、モーティマーの右手に持って来て坐る。芝居の筋を語り続けるうちに幕降りる。)いいか、母親が楽屋でメイキャップをしている。すると扉がさっと開くんだ。黒い鼻鬚をはやした男が登場する。そして母親の方を向き、言うんだ。「ミス・ラトゥール、あんたは私と結婚するんだ。」この男は母親が妊娠しているのを知らない・・・
                    (幕)

     第 三 幕
     第 二 場
(場 同じ。次の朝早く。窓に朝日が差し込んでいる。扉は全部閉まっていて、カーテンは全部開いている。モーティマー’は相変わらず椅子に縛りつけられたまま。どうやら半分気絶している様子。ジョナサンはソファで寝ている。アインシュタインは酩酊の様子。椅子に坐って、頭をテーブルの上につけている。オハラは制服を脱ぎ、カラーをはだけて、スツールから半分立上がって、モーティマーに話をしている。オハラの芝居の最高潮の場面。テーブルにはウイスキーの壜と、水を入れたタンブラー。また、皿の上に沢山の煙草の吸殻。)
 オハラ ・・・彼女は気絶して、下着のままテーブルに横たわっている・・・中国人の悪漢は、すぐその傍で、斧を振り上げて立っている。(オハラ、そのポーズをとる。)私は椅子に縛られて・・・そう、丁度今の君の状態だ・・・あたりは火の海・・・火事なんだ・・・その時だ! 窓から・・・ラガーディア市長が飛び込んで来る。(アインシュタイン、頭を上げ、窓の外を見る。人影がないので安心し、ウイスキーの壜に手を伸ばし、自分に一杯注ぐ。オハラ、さっとアインシュタインに近づき、壜を取り上げる。)おい、私が買って来たウイスキーだぞ。気安くやるな!
 アインシュタイン だけど、私・・・聞いている。・・・な?(アインシュタイン、ソファの上のジョナサンに近寄る。)
 オハラ ここまでの筋、どうだ?
 アインシュタイン うん・・・でも、チョニイ、寝ている・・・からな。
(オハラ、壜に口をつけて一口飲み終ったところ。)
 オハラ そいつはほっとけ。それだけの興味しかないなら、そいつには飲ませない。(アインシュタイン、グラスを持って奥の椅子に坐る。それと同時にオハラ、机のところに行き、スツールを机の下に、壜を机の上に置き、また中央に戻り、芝居の続き始める。)よーし、その三日後だ。私は配置替えをさせられた。譴責(けんせき)を受けたんだ。私のバッジが誰かに盗まれたからだ。(次の台詞の間、身振りをつけて説明する。)そう、私はステイテン島の、私の巡回地区を歩いていた。四十六番地だ。・・・あの男をつけていたんだ。ところが突然私に分った。この、私がつけている男が、実は私をつけているのだと。(扉にノックの音。アインシュタイン、踊り場まで階段を上がり、そこの窓から外を眺める。カーテンの後ろにグラスを置く。)誰も入れるな。そこで私はその男をまくことに決めた。角(かど)に空家がある。私は中に入った。
 アインシュタイン 警官だ!
 オハラ 空家の暗闇の中で、私はじっと立っていた。すると扉のノブが回るのが見えた。
 アインシュタイン(階段を駆け降りる。ジョナサンの肩を揺する。)チョニイ! 警官だ! チョニイ!(ジョナサン、動かない。アインシュタイン、二階に駆け上がり、アーチから退場。)
(オハラはこの間、筋の続きを話している。)
 オハラ 私は拳銃を抜いた。・・・ピッタリ壁に背中をくっつけて言った。「入れ。」(ブロフィーとクライン、登場。オハラが自分達に拳銃を構えているのを見て両手を上げる。それからオハラであることに気づき、手を下ろす。)やあ、こんちは。
 ブロフィー 何だ、一体、これは。
 オハラ(ブロフィーに近づいて。)おい、ブロフィー、知ってたか、こいつはな、モーティマー・ブルースターなんだ。私と一緒に芝居を書くって言ってくれてな。私が今、その筋を話していたところさ。
 クライン(モーティマーに近づき、紐を解きながら。)筋を聞かせるために、縛りつけたのか? お前は。
 ブロフィー (オハラに。)おいジョー、すぐに詰所に連絡するんだ。全員で今あんたを捜索中なんだぞ。
 オハラ あんたら、私を捜しにここに来たのか?
 クライン お前がここにいるなんて、知るわけないだろう?
 ブロフィー 私達はここのお二人に知らせに来たんですよ。お二人が酷い目に合わないように。閣下がまた、夜の夜中にラッパを吹いたんです。
 クライン 近所の人達の騒ぎ方と言ったら、フラットブッシュ街にドイツ軍の爆弾が落ちたんじゃないかって思う程だったからな。
(この時までにクライン、モーティマーを解き終っている。紐をサイドボードの上に置く。)
 ブロフィー 巡査部長はお冠(かんむり)だ。閣下はどうしてもどこかへ移さなきゃならんと言っている。
 モーティマー(立上がる。フラフラしながら。)そう、その通りです。
 オハラ(モーティマーに近づいて。)ミスター・ブルースター、私は行かなきゃならないんで・・・それで、第三幕はすっとばしてやっちまいますが・・・
 モーティマー(よろめきながら。)行っちまえ、お前なんか。
(ブロフィー、クラインにちょっと目配せ。電話に行き、ダイヤルする。)
 クライン(オハラに。)おい、お前。今何時だと思っているんだ。もう朝の八時だぞ。
 オハラ ああ、そう?(モーティマーの後を追い、階段のところまで行き。)ミスター・ブルースター、最初の二幕はちょっと長くかかり過ぎた。しかし、三幕なしって訳には行きませんからね・・・
 モーティマー(もう踊り場まで近づいていて。)三幕どころか、一幕も二幕もみんななしだ。
(ブロフィー、ソファの上のジョナサンに気づく。)
 ブロフィー 何だ、こいつは、一体。
 モーティマー(もう少しでバルコニーにつくという場所。階段の手すりから。)僕の兄だ、それは。
 ブロフィー ああ、出奔(しゅっぽん)していた例の・・・すると帰って来たわけか。
 モーティマー そう。帰ってきたんだ!
(ジョナサン、動く。起きようとしているらしい。)
 ブロフィー(電話に。)こちらブロフィー。マックを頼む。(階段の最下段に坐っているオハラに。)おい、ジョー、お前が見つかったってことは報告しとくぞ。(電話に。)マックか? 巡査部長に、捜索は終りだと言ってくれ。奴を見つけたんだ。ブルースター家にいたんだ。(ジョナサン、これを聞き、急に目がさめる。左手のクラインをまづ見、次に右手のブロフィーを見る。)奴をそっちに連れて行きますか? ああ、分りました。奴はちゃんとここにおさえてありますから。(受話器を下ろす。)巡査部長はもうこっちに向っている。
 ジョナサン(立ち上がりながら。)フン、すると俺のことはばれたっていうことだな?(ブロフィーとクライン、興味をもってジョナサンを眺める。)そうか、ネタは割れたっていうことか!(モーティマーの方を向く。モーティマーはバルコニーにいて、下を覗いている。)おい、モーティマー、お前とあのカケスのテディとで、お尋ね者の賞金は山分けするつもりなんだな?
 クライン お尋ね者?
(本能的にクラインとブロフィー、ジョナサンの腕を両脇から捕まえる。)
 ジョナサン(二人を引きずりながら。)俺の方にだって、ばらすことがあるぞ。あの二人の伯母は、優しいお婆さんだと思っているだろう。ところがどっこいだ。地下室に行ってみろ、十三個も死体があるんだ。
 モーティマー(テディの部屋に駆け込みながら。)テディ、テディ、テディ!
 クライン 貴様、何を喋っているんだ。
 ブロフィー おい、言葉には気をつけた方がいいぞ。あのお婆さん達はな、俺達の友達なんだ。いいか。
 ジョナサン(怒り狂う。二人を地下室の方に引きずりながら。)見せてやる! 証拠を見せてやる! 一緒に地下室に来るんだ!
 クライン 待て! おい、待て!
 ジョナサン 死体が十三個だ。埋めてあるところもちゃんと分っている!
 クライン(からかわれるのはご免だと。)ああ、死体ね。
 ジョナサン 地下室に行ってみたくないのか。
 ブロフィー(ジョナサンの腕を放す。クラインに。)おい、エイブ。お前、こいつと地下室に行ってみろ。
 クライン(ジョナサンの腕を放す。一歩下がってジョナサンを見る。)こいつと一緒に地下室? 俺は厭だね。あの顔を見ろ。フランケン・シュタインだぜ。(ジョナサン、フランケン・シュタインと聞き、クラインに躍りかかり、喉を締め始める。)おい、何をする。・・・おい、パット、こいつを何とかしてくれ。
(ブロフィー、警棒を掴む。)
 ブロフィー この野郎! 何をするんだ!(ジョナサンの頭を警棒で殴る。ジョナサン、頭を下にして、気を失って倒れる。)
(クライン、気絶したジョナサンを床に放り出す。喉をさすりながら後ずさりする。)
 クライン 全く、何て奴だ!
(扉にノックの音。)
 オハラ どうぞ。
(ルーニイ巡査部長、どかどかっと入って来る。後ろ手にバタンと扉を閉める。ルーニイは断定的、命令好きな警官。)
 ルーニイ 何だ、お前達。私はちゃんと言っといた筈だ。処理はみんな私に任せろとな。
 クライン いえ、その、我々は丁度その・・・(クラインの目、ジョナサンに向く。ルーニイ、ジョナサンを見る。)
 ルーニイ どうしたんだ。こいつか、騒ぎを起したのは。
 ブロフィー いいえ、ラッパを鳴らしたのはこの男ではありません。これはその兄です。こいつはクラインを絞め殺そうとしたんで。
 クライン(喉に触りながら。)私はただ、こいつがフランケンシュタインに似ていると言っただけで・・・
 ルーニイ(顔がパッと晴れやかになる。)ひっくり返せ。
(クラインとブロフィー、ジョナサンを仰向けにする。クライン、後ずさりする。ルーニイ、ブロフィーの前に進み、ジョナサンを覗き込む。)
 ブロフィー こいつ、お尋(たづ)ね者のような気がするんですが・・・
 ルーニイ 気がする? 気がするとは何だ。署に貼ってあるお尋ね者の一覧表を見ていないのか、お前は。見ていたならせめて、「毒薬と老嬢」ぐらいは読んでおけ。勿論こいつはお尋ね者だ。インディアナ州のな。囚人の気違い病院から脱走したんだ。こいつは終身刑の身なんだ。一目見りゃ分る筈だぞ。ちゃんと「フランケンシュタインそっくり」と書いてあった。
 クライン 懸賞金が出ていたんですか?
 ルーニイ 出ていた。私が申請する。
 ブロフィー こいつ、一緒に地下室に行こうってきかなかったんですが。
 クライン 死体が十三個あるんだと言って・・・
 ルーニイ(ちょっと不審な気持。)地下室に死体が十三個?(馬鹿な話だと決めて。)これで貴様達にも分るだろう。こいつが気違い病院から逃げて来たという話が。
 オハラ どうもはなからおかしい話をする奴だと思っていましたよ。
(ルーニイ、始めてオハラに気づく。オハラの方を向き。)
 ルーニイ ああ、シェイクスピア!(オハラに近づく。)一晩中どこをほっつき歩いていたんだ! そうだ、そんな話を今訊くことはない・・・
 オハラ 私はずっとここにいたんで。モーティマー・ブルースターと一緒に芝居を書いていたんです。
 ルーニイ ほう、芝居をね。これからはいくらでも書く時間があるぞ。貴様は停職だ! さっさと署に戻って、報告書を書くんだ。
(オハラ、コートと警棒と帽子を机の上から取る。扉に進み、開く。そこでルーニイの方を見て。)
 オハラ 時々は署に行って、署のタイプライターを使ってもいいですか?
 ルーニイ ならん! さっさと出て行け。(オハラ、走って退場。ルーニイ、扉を閉め、ブロフィーとクラインの方を向く。テディ、バルコニーに登場。みんなに知られず階段を降りて来る。そしてルーニイの背後に立つ。)そいつをどこかへ連れて行け。そして正気づかせるんだ。(ブロフィーとクライン、ジョナサンを抱え上げようとする。)共犯者についても調べあげるんだ。(ブロフィーとクライン、何のことか分らず、ジョナサンを放して突っ立つ。ルーニイ、説明する。)そいつが逃げるのを手助けした奴だ。そいつもお尋ね者なんだぞ。ブルックリンがこんな状況にあるのも、全く無理はないよ。貴様達のようなボケ茄子(なす)が警察官なんだからな。いいようにロクでもない話につられやがっって・・・地下室に十三個の死体があるだなどと・・・
 テディ しかし、死体は確かに十三個、地下室にあるぞ。
 ルーニイ(振り向いて。)誰だ、お前は。
 テディ 我輩はアメリカ合衆国大統領、テディ・ルーズベルト。
 ルーニイ 何だこれは、一体。
 ブロフィー 彼がつまり、ラッパを吹く人物でして。
 クライン お早うございます、閣下。
(クラインとブロフィー、テディに挙手の礼をする。テディ、それに挙手の礼で応じる。ルーニイもつられて敬礼。バツ悪く、慌てて手を下げる。)
 ルーニイ 閣下、あれが閣下の最後のラッパにして戴きます。
 テディ(床の上のジョナサンを見て。)やれやれ、可哀想に。また黄熱病の被害者か。
 ルーニイ 何だって?
 テディ 地下室の十三の死体は全部黄熱病の被害者だからな。
(ルーニイ、苛々と扉の方に進む。)
 ブロフィー いいえ閣下、これはホワイト・ハウスで我々が捕えた敵のスパイです。
 ルーニイ(ジョナサンを指差して。)こいつをさっさと運んで行け!
(ブロフィーとクライン、ジョナサンを台所へ引きずって行く。テディ、その後に続く。モーティマー登場。階段を降りて来る。)
 テディ(途中で振り返り、ルーニイに。)スパイは我輩の管轄下だぞ。
 ルーニイ ここは我々に任せるんだ!
 テディ 何を言う。忘れては困るぞ。大統領は秘密警察の長でもあるのだ!
(ブロフィーとクライン、ジョナサンを引きずって台所に退場。この時までにモーティマー、下に降りている。)
 モーティマー 警部殿、私はモーティマー・ブルースターですが。
 ルーニイ ほう、なるほど。
 モーティマー ちょっと兄のテディについて、お話したいことがあるのです。例のラッパを吹いたテディのことなのですが。
 ルーニイ ミスター・ブルースター、彼については問答無用ですな。ここには置いておけません!
 モーティマー 私もそれに賛成なのです。それに、外に出すための手続きは全て終っています。かかりつけの医者、ドクター・ギルクライストがサインしてくれました。これがその書類です。それに、テディ自身もサインしています。ほら、ここです。私も一番近い親戚としてここに・・・
 ルーニイ 外に出すとはどこにだ。
 モーティマー ハッピー・デイルです。
 ルーニイ よろしい。ここさえ出れば、どこに行ったってかまわん。
 モーティマー ああ、それは必ず。で、ここで起ったことについてなのですが、あれは全部テディに責任があるのです。つまりその・・・地下室にある十三個の死体ですが・・・
 ルーニイ(十三個の死体にはもううんざりしていて。)そうそう、地下室の十三個の死体! 近隣の人々をさんざん驚かせておいて、それでも足りず、ラッパまで吹いて、全く人騒がせな! それで地下室に十三個の死体があるなどと馬鹿な話を言いふらしてみろ! そう、おまけにさっき彼は何と言った、黄熱病で死んだだと? いやはや、呆れて物も言えん!
 モーティマー(ひどくほっとする。誤魔化し笑いをしながら。)十三個の死体。そんな話、誰が信じますかね?
 ルーニイ いや、予断は許されんぞ。馬鹿丸出しっていう奴がいるからな。そいつらが何を信じるか知れたものではない。一年ほど前、グリーン・ポイントで殺人があったと噂をたてた奴がいて、こっちはそれが嘘だと証明するだけのために、そこら一面を掘り返したんだ。
(扉にノックの音。)
 モーティマー ちょっと失礼。(モーティマー、扉に行き、開ける。エレーヌとウィザースプーン、登場。ウィザースプーンは年寄りの、口を引き締めた、厳格な人物。ブリーフケースを持っている。)
 エレーヌ(はきはきと。)お早う、モーティマー。
 モーティマー(この訪問をどう考えていいか分らぬまま。)お早う、エレーヌ。
 エレーヌ こちら、ミスター・ウィザースプーン。テディに会いにいらしたの。
 モーティマー テディに?
 エレーヌ ハッピー・デイルの所長さんよ。
 モーティマー(熱心に。)ああ、どうぞどうぞ、お入り下さい。(二人、握手。モーティマー、ルーニイを指差し、紹介しようとして。)この警部さんは・・・
 ルーニイ 巡査部長のルーニイだ。いや、所長、いいところに来てくれた。今日にも彼は、連れて行って貰わねば。
 ウィザースプーン 今日? それは知りませんでしたな。
 エレーヌ(間に割って入って。)今日は駄目よ!
 モーティマー ねえエレーヌ、僕はやらなきゃならない仕事がある。君、ちょっと家に帰っていてくれないか。後から電話するよ。
 エレーヌ 馬鹿なことを!(窓際の箱のところに行き、坐る。)
 ウィザースプーン こんなに急だとは知りませんでしたな。
 ルーニイ 必要書類には全部サインしてあります。今日です! 今日!
(テディ、台所から登場。台所の方を向きながら、厳しい口調で話す。)
 テディ けしからん。何たる不服従! 我輩は弱虫ではないぞ! 今に、目にもの見せてくれん!(台所の扉をバタンと閉め、テーブルに進む。)アメリカ合衆国大統領が、あのような仕打ちを受けるとは・・・この国の将来が危ぶまれる。
 ルーニイ 所長、あれがその男です。
 モーティマー ちょっと待って!(モーティマー、テディに近づき、子供に話すように言う。)閣下、これはいいニュースですよ。実は閣下は、これで任期満了なんです。
 テディ 今日は三月四日なのか?
 モーティマー そう。丁度その日。
 テディ(考えながら。)フーム・・・終り、終り、終り!・・・そうだ、そうなればアフリカで狩が出来るぞ。よし、すぐに出発だ。(部屋をさっと通ろうとする。ウィザースプーンにもう少しでぶつかるところ。)何だ? この男。我輩が出て行く前に、もうホワイト・ハウスにやって来たのか? 無礼な奴だ!
 モーティマー えっ? この人物が誰だと?
 テディ(ウィザースプーンを指差して。)副大統領、タフト!
 モーティマー これは違うんだ、テディ。こちら、ミスター・ウィザースプーン。アフリカで狩のガイドをして下さる。
 テディ(熱心にウィザースプーンと握手。)そいつはいい。最高だ! じゃ、狩の道具を。(階段の方に行く。この時までにマーサとアビイ、バルコニーに登場していて、階段を降りて来る。)狩の仲間達がやって来たら、待つように言っておいてくれ。(アビイとマーサの傍を通り過ぎる時、立ち止まらずに二人に握手。)じゃあね、アビイ伯母さん、じゃあね、マーサ伯母さん、僕、アフリカに行くんだ。・・・いいだろう?(この時までに踊り場についていて。)突撃ーッ!(階段を駆け上がり、退場。)
(アビイとマーサ、階段の下にいる。)
 モーティマー(アビイとマーサに近づいて。)お早うございます、アビイ伯母さん、マーサ伯母さん。
 マーサ ああ、お客様なのね?
 モーティマー(ルーニイを差して。)こちら、ルーニイ巡査部長さん。
 アビイ(進み出て、握手をして。)始めまして、巡査部長さん。おまわりさん達みんなあなたのことを、「騒ぎ立て屋」って言ってるけど、そんな風には見えないわ。
 モーティマー 何故この方がいらしたかというと・・・昨日、夜中にテディがまたラッパを吹いたんですよ。
 マーサ そう、そのことはよくテディに話さないと・・・
 ルーニイ 話すぐらいじゃすみませんな、ブルースターさん。
 モーティマー(アビイとマーサをウィザースプーンの方に連れて来る。この時までにウィザースプーン、ブリーフケースを開けて、書類を取り出している。)まだミスター・ウィザースプーンには会っていませんでしたね? 伯母さん達は。ハッピー・デイルの所長さんなんですよ。
 アビイ ああ、所長さん・・・始めまして。
 マーサ テディに会うためにいらしたのね?
 ルーニイ(強い口調で。)あの男を連れて行くために来たんです。
(アビイとマーサ、怪訝(けげん)な顔をしてルーニイの方を見る。)
 モーティマー(出来るだけ軽く受け取れるように。)今日、もう入った方がいいって・・・警察が・・・
 アビイ 今日! 駄目!
 マーサ(アビイの後ろで。)私達が生きているうちは駄目。
 ルーニイ 心中お察ししますが、これはどうしても承諾して戴かなければ。必要書類には全てサインがしてあります。所長と、今日、行って貰います。
 アビイ 許しませんわ、それは。ラッパはちゃんとあの子から取り上げます。それはお約束します。
 マーサ テディと別れるなんて、駄目ですわ。
 ルーニイ 申し訳ありませんが、規則は規則ですから。彼は法を犯した。だから行くんです・・・
 アビイ そう。あの子が行くのなら、私達も行きます。
 マーサ そうですとも。私達を一緒に連れて行って下さらなくちゃ。
 モーティマー(それはいい考えだ、と、ウィザースプーンに近づいて。)どうでしょう、二人も一緒に・・・
 ウィザースプーン(モーティマーに。)心を打つ話ですが、不可能ですな。ハッピー・デイルには正気の人間が入る場所はありません。
 マーサ(ウィザースプーンの方を向いて。)所長さん、もし私達二人がテディと一緒にそこで暮せるなら、私達、遺産をハッピー・デイルに遺しますわ。それもかなりの額を。
 ウィザースプーン 遺産・・・それはもう、願ってもない話ですが・・・ただ・・・
 ルーニイ さあさあ、無茶なことは言わないで。そうでなくても、この私は今朝、随分時間を無駄にしているんですぞ。署では重大事件が待っているというのに。ブルックリンで殺人事件があるっていうんですからな。
 モーティマー えっ! 殺人!(やっとのことで誤魔化す。)ああ、殺人事件ですか・・・
 ルーニイ 近隣の人達がラッパを怖がっているうちはまだしも、事態はもっと悪化するかもしれません。ここの地下室を掘り返せって、みんなが騒ぎだしたらどうします。
 アビイ ここの地下室ですって?
 ルーニイ そう。あのテディ・・・ですか? 彼の話だと、この地下室に十三個の死体があるっていうんですからな。
 アビイ だって、地下室にはちゃんと十三個の死体がありますもの。
(ルーニイ、うんざりという顔。モーティマー、ゆっくりと地下室の方に進む。)
 マーサ そのせいでテディがハッピー・デイルに行かなきゃならないっていうんですか? じゃ、地下室に降りて、死体を見て下さい。私達二人でちゃんと説明して御覧に入れますわ。
 アビイ 勿論ミスター・スペナルゾーは説明出来ませんよ。あれは私達二人のお客じゃなかったんですからね。すぐにでも出て行って貰おうと思っているんです。でも、あと十二個はちゃんと私達二人のお客様ですわ。
 モーティマー 巡査部長さんは、地下室に降りたいとはお思いにならないですよ。いつだったか、噂だけで半エーカーの土地を掘り返さなきゃならないはめになったそうですよ。ね? 巡査部長さん。
 ルーニイ その通り。
 アビイ(ルーニイに。)掘り返すなんて、そんな手間はいらないわ。お墓には全部印がつけてありますもの。それに私達、日曜日には必ずお花を飾っていますからね。
 ルーニイ 花?(アビイの方に二三歩近づき、また振返ってウィザースプーンを見て。)所長、このお二方に住んで戴く部屋はそちらにあるんじゃないのかな?
 ウィザースプーン エート・・・その・・・
 アビイ(ルーニイに。)さあ、一緒にいらして。お墓を見せてあげますわ。
 ルーニイ 見るには及ばない。その言葉を信じる。私は忙しいんだ。所長、今の話・・・
 モーティマー テディはちゃんと自分で書類にサインしました。この二人も出来るんじゃありませんか? 書類にサインして、それで・・・
 ウィザースプーン それは出来ますよ、勿論。
 マーサ(ウィザースプーンがテーブルから引き出した椅子に坐って。)テディと一緒に行けるのなら、書類にサインぐらい何でもないわ。どこ? 書類は。
 アビイ(テーブルの別のところに坐る。モーティマーが椅子を引いてやる。)私も。どこ? 書類は。
(ウィザースプーン、ブリーフケースを開けて、書類を取り出す。クライン、台所から登場。)
 クライン 巡査部長、奴は気がつきました。
 アビイ お早う、ミスター・クライン。
 マーサ お早う、ミスター・クライン。あなたもいたの?
 クライン ええ、ブロフィーと二人でもう一人の甥御さんを台所に引っ張って行ったんです。
 ルーニイ さあ、所長、お二人にサインさせて。ここの件はもう片づけたいんだ。(ルーニイ、台所の扉に向う。退場する時に首を振りながら。)やれやれ、十三個の死体か!
(クライン、その後に続いて退場。モーティマーはアビイの横。手に万年筆を持っている。ウィザースプーン、マーサの右側。同じくペンを持っている。)
 ウィザースプーン(マーサにペンを渡して。)この右にサインを。(マーサ、サインする。)
 モーティマー アビイ伯母さんも、ここに。(アビイ、サインする。)
 アビイ 私、ここを出て行くの、本当に楽しみ。だって、近所の人達、昔とはすっかり違ってしまったんですもの。
 マーサ 前の芝生の話だってそうだったでしょう?
(アインシュタイン、アーチから登場。スーツケースを持って階段を降り、玄関の扉へ進む。途中、洋服掛けから帽子を取る。)
 ウィザースプーン そうそう、まだちょっとサインが足りません。
 マーサ 何ですって?
 ウィザースプーン 医師のサインも必要なんです。
 モーティマー ああ。(扉から逃げようとしているアインシュタインを見つける。)ドクター・アインシュタイン! ちょっとこちらに来て下さい。書類にサインして貰いたいんです。
 アインシュタイン いや・・・私はその・・・
 モーティマー(アインシュタインに近づいて。)ちょっとこっちに、ドクター。夕べ私を手術しようとした人物はひょっとしてあなたじゃなかったですかな?(アインシュタイン、仕方なくテーブルに近づく。)さあ、ここにサインを、ドクター。
(アインシュタイン、最初アビイの書類に、次にマーサの書類にサインする。ルーニイとクライン、台所から登場。ルーニイ、机に近づき、電話器のダイヤルを回す。クライン、台所の扉の傍に立つ。)
 アビイ ドクター、あなた、出て行くの?
 アインシュタイン ええ、私・・・出て行く。
 マーサ あなた、ジョナサンのこと、待ってないの?
 アインシュタイン 私達二人、・・・同じところ・・・行かない。
(モーティマー、窓際の箱のところにいるエレーヌを見つけ、近づく。)
 モーティマー やあ、エレーヌ、会えて嬉しいよ。まだここにいるんだろう?
 エレーヌ 安心して。まだいてあげる。
(モーティマー、マーサの椅子の後ろに立つ。ルーニイ、受話器に向って。)
 ルーニイ ああ、マックか。ルーニイだ。インディアナで捜索の依頼のあった男を逮捕した。そいつの共犯者の人相がそこらへんにある筈だが・・・そう、机の上に・・・読んでくれないか。(アインシュタイン、ルーニイを見る。台所の方に逃げようとするが、クラインがいて出られない。テーブルのところに戻り、仕方なく最後の瞬間を待つ。ルーニイ、電話から聞こえて来る人相書を繰り返す。その間ぼんやりとアインシュタインを見ている。)ああ・・・およそ、五十四歳・・・五フィート六インチ・・・百四十ポンド・・・青い目・・・ドイツ訛りの発音・・・有難う、マック。(電話を切る。その時ウィザースプーン、手に書類を持って近づいて来る。)
 ウィザースプーン これで完璧です、巡査部長。このドクターが、必要なサインを全部やってくれました。
(ルーニイ、アインシュタインのところへ行き、握手する。)
 ルーニイ 有難うドクター、あなたのこのサインは、ブルックリンへの実に大きな贈物だ。
(ルーニイとクライン、台所へ退場。)
(アインシュタイン、一瞬呆然となる。それから、自分の帽子とスーツケースを握り、扉から退場。アビイとマーサ、立上がり、部屋を横切り、アインシュタインの後を見送る。アビイ、扉を閉め、扉の傍に立つ。)
 ウィザースプーン ミスター・ブルースター、一番の近親者として、ここにサインを。
(アビイとマーサ、そのサインの間に、こそこそと何か囁き合う。)
 モーティマー 分りました。ここですね?
 ウィザースプーン ええ、それでいいです。
 モーティマー これで全部完了・・・つまり、法的に全部?
 ウィザースプーン そうです。
 モーティマー(ほっとして。)やれやれ、これで伯母さん達、安心ですよ。
 ウィザースプーン(アビイとマーサに。)さてと、いつここを出られますかな?
 アビイ ああ、ちょっとその前に、上に上がってテディに訊いて下さいません? あの子、何か持って行きたいものがあるかもしれませんから。
 ウィザースプーン 上に上がる?
 モーティマー じゃ、僕が一緒に・・・
 アビイ(それを止めて。)いいえ、モーティマー、あなたはここにいて。ちょっと話があるの。(ウィザースプーンに。)ええ、上なんです。上がって、右の部屋・・・
(ウィザースプーン、ブリーフケースをソファの上に置き、階段を上がる。アビイとマーサ、ウィザースプーンが上がって行くのを目で追いながら、モーティマーに話す。)
 マーサ さてと、モーティマー、私達、これで出て行きますからね。この家は本当にあなたのものになるのよ。
 アビイ そう。私達、あなたがここに住んでくれるの、嬉しいのよ。
 モーティマー いいえ、アビイ伯母さん、ここは思い出があり過ぎて、僕にはちょっと・・・
 マーサ だってあなた、エレーヌと結婚するんでしょう? そうしたら、家がいるわ。
 モーティマー でも伯母さん、それはまだ決定という訳ではありませんし・・・
 エレーヌ(立上がり、モーティマーに近づいて。)いいえ、決定です。私達、すぐにも結婚するの。
(この時までにウィザースプーン、バルコニーから退場。テディの部屋に入っている。)
 アビイ モーティマー、私達・・・あることで、とても心配しているの。
 モーティマー でもあれ、ハッピー・デイルで思い出すには、とてもいい思い出じゃありませんか。
 マーサ ええ、それはもう。ここで起ったこと、みんないい思い出よ。でも、一つだけちょっと・・・私達、完璧主義なの。ちょっとでも間違ったことがあっては・・・
 アビイ 書類にしたサイン、あれ、全部確かめられるのかしら。
 モーティマー 大丈夫です。ドクター・アインシュタインなんて、調べられる訳ありませんよ。
 マーサ いいえ、あの人のサインじゃないの。心配しているのは、あなたのサインなの。
 アビイ あなた、私達の近しい親戚としてサインしたでしょう?
 モーティマー ええ、しましたよ。当り前でしょう?
 マーサ そう、これはね、本当はあなたには決して言いたくなかったことなんだけど・・・もうあなたは大人だし、それに、エレーヌだって知っておいた方がいいことだから・・・実はね、モーティマー、あなたは本当はブルースター家の人間じゃないの。
(モーティマー、目を見開く。エレーヌも。)
 アビイ お前の母親はね、ここに料理女として雇われて来たの。そして、三箇月後にあなたが生まれたの。でも、その娘さん、とてもいい子でね、それに料理も上手だったから、私達、手放したくなかったの。それで弟がその子と結婚したの。
 モーティマー すると僕は・・・本当は・・・ブルースター家の血はない?
 マーサ 悪く思わないでね、モーティマー。
 アビイ エレーヌ、あなた、それでも決心は変らないでしょう?
 モーティマー(ゆっくりとエレーヌの方を向き、その声、急に高くなって。)エレーヌ、聞いた? 分った? 僕はよそものの子なんだ!
(エレーヌ、モーティマーの腕の中に飛びつく。アビイとマーサ、二人を見る。それからマーサ、二三歩進んで。)
 マーサ これじゃ、本当に朝食の用意が必要ね。
 エレーヌ(モーティマーの手を引っ張って、玄関の扉の方に進み、扉を開けながら。)モーティマーは家(うち)に来ます。父はフィラデルフィアに発って行ったの。モーティマーと私、二人で食事をしますわ。
 モーティマー そう、僕はコーヒーが飲みたいな。酷い一夜だった、夕べは。
 アビイ そうね、きっとあなた、すぐベッドが欲しいんじゃないの?
 モーティマー(エレーヌをちらと横目で見て。)そう、すぐベッド・・・(二人退場。扉を閉める。)
(ウィザースプーン、バルコニーに登場。水筒を二つ持っている。(訳注 サファリ用のもの。)ウィザースプーン、階段を降り始める。その時テディ、大きなカヌーの櫂(パドル)を持って登場。背中に荷物。パナマ帽他、サファリのいでたち。)
 テディ 待て、ウィザースプーン、これを持って行ってくれ!(パドルを渡し、また部屋へと退場。ウィザースプーン、階段を降り、ソファまで来る。ソファに二つの水筒を置き、パドルを壁に立て掛ける。)
(それと同時にルーニイ登場。その後ろからブロフィーとクライン、ジョナサンを引っ立てて登場。ジョナサンの手首には手錠。)
 ルーニイ 囚人輸送車はいらんぞ。私の車が外にある。
 マーサ あら、ジョナサン、あなた行くの?
 ルーニイ そう。インディアナへな。これから先、一生面倒を見てくれるところがある。そこへだ。
(ルーニイ、玄関の扉を開ける。ブロフィーとクライン、ジョナサンを引っ張って扉に進む。)
 アビイ あら、ジョナサン、面倒をみてくれるところがあって良かったわね。
 マーサ 私達もここを出て行くのよ。
 アビイ ハッピー・デイルに行くの。
 ジョナサン するとこの家にはもうブルースター家のものは住まないことになるな。
 マーサ モーティマーがこの家に住まなかったらね。
 ジョナサン 俺には提案がある。いっそのこと、ここを教会に寄付したらどうなんだ?
 アビイ あら、それは考えていなかったわね。
 ジョナサン とにかく墓地が一部にあることは確かなんだから・・・
 ルーニイ よーし、話は終りだ。私は忙しい人間なんだ。
 ジョナサン(最後の言葉を放って、自分の地歩を確保しようと。)じゃあな、伯母さん達、俺も記録を伸ばすことは出来ないが、そっちだって条件は同じだ。そこは俺の満足のゆくところだな。記録はあいこ。十二対十二だ。(ジョナサンとブロフィー、クライン、退場。アビイとマーサ、それを見送る。)
 マーサ(扉を閉めるために玄関に行きながら。)ジョナサンて、昔から負けず嫌いだったわ。相手には決して勝たせたくないの。(マーサ、扉を閉める。)
 アビイ(喋りながらゆっくりと振り向く。)そうね、あの子の鼻を明かしてやりたいところね!(ウィザースプーンに目が止まる。じっとウィザースプーンを観察する。マーサ、扉のところで振り返り、アビイの見ているものに気づく。アビイ、優しく話しかける。)所長さん?(ウィザースプーン、振り返り、二人の方を見る。)ハッピー・デイルであなた、御家族と一緒にお暮し?
 ウィザースプーン 私は、家族はない。
 アビイ ああ。
 マーサ(部屋に戻りながら。)そうすると、ハッピー・デイルの人達全員が家族だと思っていらっしゃるのね?
 ウィザースプーン どうも誤解があるようですな。私は組織の人間だ。孤高を保つべき地位にある。
 アビイ それはそれは。ということはつまり、お淋しいんですね? きっと。
 ウィザースプーン そう。淋しい。しかし、これが私の義務だ。
 アビイ(マーサの方を向いて。)じゃあ、マーサ・・・(マーサ、合図を理解する。サイドボードに行き、ワインの壜を取る。食器棚の壜は空。マーサ、それを元に戻し、別の棚から、ワインの入っている壜を取り出す。マーサ、壜とワイングラスをテーブルに運ぶ。アビイ、話が続いている。)所長さんに朝食を召し上がって戴けないのなら、少なくともエルダーベリーのワインは飲んで行って戴きたいわ。
 ウィザースプーン(厳しい声で。)飲んで行けですと?
 マーサ 自家製のワインですの。
 ウィザースプーン(少し和らいで。)自家製ですか。なるほど・・・(再び厳しい声で。)勿論ハッピー・デイルでは我々の関係はもっと公的なものでなければならん・・・が、まあ、ここでは・・・(ウィザースプーン、椅子に坐る。マーサ、ワインをグラスに注ぐ。アビイ、マーサの傍。)最近ではエルダーベリー・ワインは少なくなった。・・・ずっと以前に飲んだあれが、最後のエルダーベリー・ワインだったと観念していた・・・
 アビイ いえいえ、そんなことは・・・
 マーサ(グラスを渡しながら。)ちゃんとここにありますよ・・・
(ウィザースプーン、アビイとマーサにグラスを上げ、乾杯の気持。そして、唇にグラスを持って行く。しかし、飲む前に・・・幕、降りる。)
                    (幕)

     平成十六年(二00四年)七月十五日 訳了


http://www.aozora.gr.jp 「能美」の項  又は、
http://www.01.246.ne.jp/~tnoumi/noumi1/default.html