平等、平等、平等
              ノエル・カワード 作
               能 美 武 功 訳

(題名に関する註 原題は Relative Values (「相対的価値」)カワードの、この芝居を書いた意図が、昨今の「平等主義」への皮肉だと知り、標記の題を選んだ。)

   登場人物
クレストウェル
アリス
ミスィズ・モクストン(モクスィー)
フェリスィティー(マーシュウッド伯爵夫人)
レイディー・ヘイリング
サー・ジョン・ヘイリング(提督)
ピーター・イングルトン(下院議員)
マーシュウッド伯爵(ナイジェル)
ミランダ・フレイル
ドン・ルーカス

(舞台は東ケントのマーシュウッド邸)
(時 現在)

     第 一 幕
第一場 土曜日の午後。昼食後。
第二場 それから数時間後。

     第 二 幕
第一場 夕食前
第二場 夕食後

     第 三 幕
次の朝

     第 一 幕
     第 一 場
(場 土曜日。昼食後。マーシュウッド邸の図書室で最も重要な特徴は、それが図書室ではないという点である。過去にはそうであったかも知れないし、将来そうなることもあるかも知れないが、現在は決定的に、ここは居間である。但し、ここかしこに本があることはある。部屋は快適かつ魅力的に家具が置かれているが、特に変ったところはない。更紗の覆いは古く、少し色褪せている。家具の製作年度は一定していない。気まぐれにちょっと置いておくうちに、気に入られてそのまま定着したものが残っているといった雰囲気。)
(舞台奥に観音開きの扉。これは玄関ホールに通じる。舞台前方、観客から見て左手に、ナイジェルの書斎に通じる扉。右手にフレンチウインドウ。旗立てのあるテラスと、庭に通じる。ケント風の庭では大抵そうであるが、内部的には実はがっちり出来ているのだが、外見はそう見えず、雑然としている。庭の向こうに、こんもりした森。その向こうに海がある。海もそう離れていない。)
(幕が上ると、七月の土曜日の二時半頃。)
(執事のクレストウェル・・・五十代半ばのハンサムな男・・・が、使用ずみのカクテルグラスを集めて、台所に運ぶため、盆の上にのせている。アリス・・・およそ十八歳の若い小間使い・・・が、灰皿の灰をごみ捨てにあけている。)
 アリス ・・・それで、映画がもうこれで終りっていう時に、男には分るの。その女の人が、自分がずーっと愛し続けてきた人だってことが。そして二人で手に手を取って、丘に登って、ラストの音楽が高らかに鳴り響いて・・・
 クレストウェル 有難う、アリス。これだけ聞いたら、私はもう映画は見なくていいんだね?
 アリス 女の人、素敵なのよクレストウェルさん。本当に素敵なんだから。
 クレストウェル まあ、そうだろうね。
 アリス お嫌いなんですか? クレストウェルさん、あの人が。
 クレストウェル お嫌いも何も、一度も見たことがないからね。
 アリス でも、何かでは見てるんじゃありません?
 クレストウェル オデオン座で、飴をしゃぶりながら、馬鹿なものを見ている暇なんかなくってね。空いた時間にする事は他にいくらでもあるんだ。
 アリス 「愛は私の信仰」は今週ずっとディール座でやっているわ。初期のものだけど、素晴らしいのよ。木曜日に行って来たわ。あの尼さんをやるの、あの人。
 クレストウェル どの尼さん?
 アリス 日本人に捕まってしまう尼さん。
 クレストウェル さあ、さっさと灰皿を片づけなきゃ。ぼやぼやしているとみんな日本人に捕まっちゃうぞ。
 アリス 日本人たら、その尼さんにひどい事をするのよ。でも彼の居所は決して言わないの。
 クレストウェル 彼って?
 アリス ドン・ルーカス。
 クレストウェル さ、早くしないと、アリス。もうすぐみんなやって来るぞ。
 アリス あの人とドン・ルーカス、実生活でも愛しあっているのよ。私、「スクリーン・ロマンス」で読んだわ。
 クレストウェル 誰を愛してるだの、誰を愛してないだの、放っておくんだね。お前さんには何の関係もないだろう? それに、ああいう映画雑誌に書いてあることは信じないことだ。あることないことを、お前さんみたいな馬鹿な女の子が興味を持つようにでっち上げたものなんだ、全部。
(ミスィズ・モクストン(モクスィー)登場。四十六歳。明るい、気持のよい顔。伯爵夫人の侍女に相応しい清楚な服装。しかし今は暗い表情。)
 クレストウェル 奥様は何をおなくしになったって?
 モクスィー 教会のお祭りの出し物のリスト。レイディー・ヘイリングにお見せになりたいって。今朝確かに奥様のバッグに私、入れた筈なんだけど。(机の方に進む。)
 アリス クレストウェルさん、明日の昼、うちの姉が来て、お茶の手伝いをしていいかしら。
 クレストウェル お茶の手伝い? 何のために。
 アリス 頭巾とエプロンは私のを貸すわ。誰も気がつきっこないわ。
 クレストウェル 二年前、お前の姉さんは、今お前さんがやっている仕事をしないかって勧められたんだ。そうだったな?
 アリス はい、そうです。
 クレストウェル それでさっさと断っちまった。女中の仕事は品がないからだとな。そうだな?
 アリス(困って。)はい、そうです。
 クレストウェル それで今はディールのレストラン「フィッシャマンズ・レスト」で働いている。バーテンダーの助手をやっているんだ。どうやらこの仕事は、マーシュウッド邸で働くよりは品があるらしい。そうだな?
 アリス(居心地が悪い。)私にはよく分りません、クレストウェルさん。
 クレストウェル では何故この、上昇志向の女性・・・水着コンテストにおいて二位入賞のこの女性が、突然奴隷の衣装を羽織る私儀に到ったのだ?
 アリス えー・・・私・・・そのー・・・
 クレストウェル(調子を上げて。)彼女はこうでも考えたのか。「マーシュウッド邸では人手が足りないわ。アミーは、カンタベリーにいる病気のおばあさんの看護のため、帰ったし、メイは、帯状疱疹(たいじょうほうしん)で起きられないし・・・」
 モクスィー(リストを捜して、机の中をあれこれ見ながら。)馬鹿なことを言うのはお止めなさい。アリスの仕事の邪魔です。
 クレストウェル(制止を無視して。)それともこう考えたか。「あのミスター・クレストウェル、そろそろ脳天がいかれてきた。可哀想に。今こそ私は傲慢な誇りを捨て、進んでこのマーシュウッド邸の難局を背負って立たねばならぬ。」と。
 アリス 私・・・分りませんわ、クレスト・・・
 クレストウェル(怒鳴る。)答はなアリス、「ノー」なのだ。答はなアリス、お前の姉さんは、最近の上っ調子の奴等と同じ人種で、映画狂の、屑の、大馬鹿野郎だってことなんだ。お茶の手伝いが聞いて呆れる。ただミス・ミランダ・フレイルを、ずーっと近くから・・・それも本物のミス・ミランダ・フレイルを・・・見たい、或はうまく行けば、サインを頼めると思ってなのさ。いいか、その耳をかっぽじってよーく聞くんだ。サインなど貰えるようなことがあれば、それは私の死骸を踏み越えてだ。分ったか。
 モクスィー もう行っていいよアリス。もうここにはお前、十分に長くいたからね。
 アリス はい、ミスィズ・モクストン。
(アリス、グラスの盆を持って退場。)
 モクスィー あの子にあんな言い方をして一体どういう気? あの子、あなたの言ってることの半分も分ってやしないわ。
 クレストウェル 長い間の修練でねドーラ、私はこのインチキで、泰然自若と災難を逃れて来たんだ。私の言っていることの半分も、相手は理解出来ないからね。
 モクスィー じゃ、少し台詞を減らして、息を無駄にしないようにすることね。
 クレストウェル どうしたんだいドーラ、この二、三日、変だぞ。誰にでも当たり散らしている。
 モクスィー(やっと見つけて。)あ、あった。
 クレストウェル どうした?
 モクスィー 何もどうもしないの。これを持って行かなきゃ。奥様がお待ちなの。
 クレストウェル あの知らせが入ってきてからこっち、君は塞ぎの虫、悲劇の女王様だよ。君には何の関係もない筈じゃないか、あんなこと。
 モクスィー 関係あるの、私に。全員に関係があるでしょう?
 クレストウェル 映画雑誌に書いてあることを信じているんじゃないだろうね。
 モクスィー 映画雑誌なんて私、読みません。
 クレストウェル 読まないことはないな。つい先週、君の部屋に三冊あるのを私は見たんでね。
 モクスィー 私の部屋であなた、何をしたの。
 クレストウェル(威厳をもって。)君は私に仕事用の籠を持って来てくれと頼んだ。私は持ち前の騎士道精神をもって・・・この騎士道精神、社会革命の崩壊的な力をもってしても、この小生の身体から抜き去ることは出来なかった代物なんだが・・・こいつを発揮して、階段を駆け上がり、籠を君に取って来てやった。
 モクスィー 持って来てって頼んだけど、部屋を覗いたり、探ったりして欲しいとは言わなかったわ。
 クレストウェル(辛抱強く。)あの籠はねドーラ、ベッドの脇のテーブルにあったんだ。その傍に、三冊の雑誌があった。「スクリーン・プレイ」、「フォト・プレイ」、それから、「スター達の愛情物語」。この三冊目の雑誌の表紙は、水着で抱きあっている男女のカラー写真。女の方は将来のマーシュウッド伯爵夫人、ツーピースの水着。男の方は現在のマーシュウッド伯爵、ワンピースの水着。
 モクスィー アリスが部屋の片づけをした時に、置き忘れた本。
 クレストウェル よろしい。その説得力のない説明を納得しましょう。
 モクスィー 新しい女御主人様がどんな方か、見たいと思っても不思議はないでしょう?
 クレストウェル この私の予期せざるスパイ行為は、先週行われたんですぞ、ドーラ。御主人様が再婚なさるなどと、我々全員、誰も夢にも思っていなかった、その時に。
 モクスィー あなたには本当に驚くわ。あなた、私よりこの家に勤めているの、長いのよ。それなのに気にならないの? ちっとも。こんなひどい事が起っているのに、ただあなた、冗談事ですませているなんて。
 クレストウェル 困ったもんだね、君にも。ちょっと保守的過ぎるんだよ。
 モクスィー 前回の選挙の時、じゃ、どっちに入れたの、あなた。
 クレストウェル 保守党に入れたからって、保守主義とは限らない。二つの悪(わる)のうち、程度の低い方に入れるだけのことだからね。
 モクスィー 若旦那様ったら、あんな、御自分と同じ階級の人じゃない人間を選ぶなんて。
 クレストウェル 「階級」! 驚いたな。階級なんて言葉、もう意味を忘れたな。クロスワードパズル辞書を見てる時、忘れないで言ってくれないか。ひいてみるよ。
 モクスィー あなたは忘れたかもしれないけど、私はよーく覚えている。
 クレストウェル それはドーラ、敗北の証明だよ。今は進歩、進歩・・・進歩の進軍ラッパだ。君はそれに故意に耳を塞いでいることになる。
 モクスィー 馬鹿な進軍ラッパ。
 クレストウェル 君には夢があった筈だぞ。それに野望も。このままではいけない、なんて言ってたのは、どうなったんだ。
 モクスィー 言ったことない。夢もないわ。
 クレストウェル おいおい、「私はこのままで幸せなの。神様が私をこういう境遇にお置きになったの」なんて言いだすんじゃないだろうな。
 モクスィー もうそれ以上馬鹿なことを言うのは止めて頂戴。あなたはこれを故意に軽く見ようとしているの。何でもないことっていう振りをして。でもそうして欲しくない・・・少なくとも私に対しては・・・私、本当にそんな振りをして貰いたくない・・・(後ろ向きになる。)
 クレストウェル(優しく。)ねえ君、そんなに深刻に考えるもんじゃないよ。思ってる程悪くはないかもしれないじゃないか。
 モクスィー あなたは私と同じくらい、これが厭でたまらないの。そうでしょう?
 クレストウェル 厭だったとして、それがどうしたって言うんだい? そんなことで胸を痛めても、意味がないだろう? 事態を客観的に眺めて、事の次第が良い方に動くのを期待するしかないんじゃないのか?
 モクスィー ハリウッドの、塗りたくった、下品な女が、マーシュウッド伯爵夫人でござい、と乗り込んで来るのに、あなた、「良い方に動くのを期待して」いて平ちゃらって言うのね。
 クレストウェル まあそれが、ここの奥様の取っていらっしゃる態度だからね。さっき昼食の時、レイディー・ヘイリングが来られて、食事の間中ずっと奥様をこのことで詰(なじ)っていたよ。奥様は話題を変えようと色々手を尽したんだがね、全く駄目だった。
 モクスィー 奥様も私達と同じ。内心では困っていらっしゃるのよ。
 クレストウェル 奥様がそう仰ったのかい?
 モクスィー いいえ。でも私には分るの。
 クレストウェル この事に関して、奥様と話したことがあるのかい?
 モクスィー(ぶっきら棒に。)ないわよ。
 クレストウェル まあいいじゃないか。ミス・ミランダ・クレイルはそんなに下品な女じゃないかもしれない。何と言っても、イギリスで生まれたんだからな・・・まあ、これは「フォト・プレイ」に書いてあったことの受け売りだが。
 モクスィー 生まれなんか、チンブクツーでだって構いはしない。あの女の血の色が、青でも、黒でも、黄色でも、国籍だって、イギリス、フランス、ロシア、中国、どこでもいいわ。とにかくあの女がこの家に足を一歩でも踏み入れたら、私は出て行きます。
 クレストウェル(冷淡に。)すると、今からもう、荷造りをして方がいい。六時には到着の予定だ。
 モクスィー(陰気に。)そのつもりよ。
 クレストウェル どうも君、あまり深刻に考え過ぎているように思うがね。
 モクスィー そうかも知れないわ。でも本当にそう感じているんだから仕方がないわ。あなただろうと、他の人だろうと、何を言っても変りっこない。
 クレストウェル 勿論、彼女の人物がどうであるか、によるだけなんだけどね。
 モクスィー 人物がどうであったって、あんな奴と結婚しちゃいけないのよ。
 クレストウェル こいつは驚いた。ショックだね。その専横的な言い方は。
 モクスィー そうかしら。
 クレストウェル 君の「どうでもいい主義」は、どうなったんだい?
 モクスィー こんな不愉快なことがあったから、その主義、どこかへ飛んで行っちゃったんだわ。
(フェリスィティー、即ちマーシュウッド伯爵夫人、の登場により、この会話、途切れる。その後ろに、レイディー・ヘイリング、サー・ジョン・ヘイリング提督、ピーター・イングルトン下院議員、が続いて登場。)
(フェリスィティーは五十代。よく美貌を保っている。二十代には、紛う方なき美人であった。その名残を未だに止めている。)
(レイディー・ヘイリングも五十代。陽気な女性。但し、説教癖が出るときあり。)
(サー・ジョン・ヘイリング提督はおよそ六十歳。典型的な海軍の男。青い目、率直な態度。)
(ピーター・イングルトンは三十五から五十歳のどの年齢でもよい。申し分のない服装。いたずら好きの目の動き。)
 フェリスィティー モクスィー、あなた、見つけた?
 モクスィー(リストを手渡して。)はい奥様、これです。(振り返って、行こうとする。)
 フェリスィティー ちょっと。行かないで。手を貸して欲しいの。あなたもよ、クレストウェル。教会のお祭りに手違いがあって、計画を立て直さなきゃならないの。・・・屋敷の地図はどこにあるのモクスィー。
 モクスィー(机の方に進んで。)吸い取り紙の間に挟んである筈です。
 フェリスィティー あの、ピーセリック少佐を暗殺して来て貰いたいわね、クレストウェル。
 クレストウェル はい、畏まりました、奥様。
 フェリスィティー あの人、私達の計画の回転木馬に、文句をつけて来たの。今電話で話したところ。全く厭な言い方。酷いものよ。
 モクスィー はい、地図です、奥様。
 ピーター(モクスィーの肩ごしに地図を見る。)そこのその空いている場所は?
 フェリスィティー ミスィズ・バレッジのミニ・ゴルフと、お茶のテントよ。これは動かせない。みんなが文句を言うわ。
 ピーター じゃあその、右手の端っこは? 小さい四角が並んでいるところ。
 フェリスィティー これはねピーター、お墓。回転木馬のために墓地を削ることは出来ないでしょう?
 ピーター(指さして。)じゃあ、ここは?
 フェリスィティー その端も駄目。教会の土地なの。教会の祭りは年中行事、うんざりだけど、教会にあたる訳にはいかないわ。
 クレストウェル 仕方がありません。最後の手段は奥様、軍楽隊の移動です。
 ジョン・ヘイリング それは問題外だ。旅団長がウンとは言わん。帝国海軍が、戦いの最後の瞬間に、守備位置を変えろと言われるようなものだ。
 ピーター 海軍の役目はそこにこそあると思っていましたがね。
 フェリスィティー リストを読んで見て、モクスィー。動かせるものがあるかも知れないから。
 モクスィー(気のない読み方。)富籤(とみくじ)・・・ミスィズ・エッジコーム。「ケーキの重さを当てましょう」・・・ミスィズ・ブルース。福袋・・・ミス・ホッドマーシュ・・・
 ピーター ミス・ホッドマーシュ? あの人もやるの? 驚いたな。
 フェリスィティー 黙って、ピーター。続けて、モクスィー。
 モクスィー(続ける。)ごたまぜ屋台・・・ミスィズ・ポレットとミスィズ・ディント。スターと飲み物を冷やしましょう・・・ミス・ミランダ・フレイル。(読むのを中止する。)
 フェリスィティー これはまだ公けじゃないの。まだあの人に頼んでないから。でも断る理由なんか何もない筈。
 ピーター これを断るなんて、よっぽどどうかしているぞ。
 レイディー・ヘイリング その「よっぽどどうかしている」方じゃない?
 フェリスィティー スィンスィア! また蒸し返すの? もういいでしょう? お昼を食べながら充分にやったじゃない。・・・モクスィー、ミスター・ダーラムに頼んで、ミス・ミランダ・フレイルって名前をデカデカとペンキで書いて貰うようにね。
 モクスィー(押し潰されたような声で。)畏まりました、奥様。
 フェリスィティー どうしたの? モクスィー。
 モクスィー 何でもありません、奥様。ちょっと頭痛がするだけです。
 フェリスィティー お昼はちゃんと食べたの?
 モクスィー はい、戴きました。
 フェリスィティー じゃ、その退屈なリストは私に頂戴。私の洗面所にアスピリンが置いてあるからね、お前持ってなかったら、それを使うんだよ。
 モクスィー(リストを渡して。)有難うございます、奥様。では私はこれで・・・
(モクスィー、逃げるように部屋から退場。)
 フェリスィティー モクスィーが困るような何か特別なことがあったの? クレストウェル。
 クレストウェル この三日間、どうも調子が狂っているらしく思われます。
 フェリスィティー あらあら、何か変な病気じゃないでしょうね。メイの帯状疱疹の時のことを覚えているわね? クレストウェル。
 クレストウェル ええ。確かに変な具合でした。今日治ったかと思うと、翌日また出て来てみたり。随分驚かされました、あれには。
 フェリスィティー パートリッジ先生に診て貰った方がいいんじゃないかしら。
 クレストウェル いいえ、それは不要だと思います。あの不調の原因は肉体的なものではなく、情緒的なものと思われますので。
 フェリスィティー 情緒的?
 クレストウェル あの急な、若旦那様の御結婚の知らせが、大きなショックだったように見受けられます。
 ジョン・ヘイリング 我々みんなにショックだったんだ。彼女だけに特別なことではない。
 フェリスィティー お前、このことについて、あれと話したのかい?
 クレストウェル いいえ、殆ど。ただ、皆さま方がここに来られるちょっと前に、ほんの少し。
 フェリスィティー あれが隠して置きたいと思っていることがあれば、それは私に言わなくていいからね。その範囲内で、あれがどうしてこの結婚にそんなショックを受けているのか、何かお前に話しませんでしたか?
 クレストウェル どうやらこの結婚の、社会的観点からくるショックであると、私には思われました。
 フェリスィティー つまりナイジェルが、自分より社会的地位の低いところから配偶者を選んだということ?
 クレストウェル そうです、奥様。私も色々と言って聞かせました。心の持ち方をもっとゆったりすべきである。それに、この変化しつつある世界の、変化しつつある価値観を指摘したり致しまして。しかし、回転木馬に関するピーセリック少佐と同様、いったんこうと決めたら梃でも動かないといった具合でして。
 フェリスィティー 有難う、クレストウェル。
 クレストウェル これで私はよろしいでしょうか、奥様。
 フェリスィティー 回転木馬以外はね。ミスター・ダーラムのところへこのリストと地図を持って行って、何かよい考えがないか訊いてきて頂戴。
 クレストウェル(リストと地図を受取って。)畏まりました、奥様。
 フェリスィティー お茶の後に、どうせ私も会うことになっていますけど、予め話してあれば、その間にいい考えが出るかも知れませんからね。
(クレストウェル退場。)
 フェリスィティー クレストウェルなしで私、やって行けるのかしら。彼とモクスィーと私三人で、戦争中ずーっとこの家を切り盛りして来たんですからね。あのテキパキした空軍婦人部隊にも、一歩も引けを取らずにね。それに彼、ウォーデンの警防団のメンバーだったし。彼がいなくて色々不便でしょう、これからは。
 レイディー・ヘイリング 彼がいなくてって、どういうこと?
 フェリスィティー ナイジェルのために彼はここに置いておかなくちゃ。私が連れて行くことは出来ないわ。
 レイディー・ヘイリング ナイジェルはあなたに出て行って貰いたいって言うかしら。
 フェリスィティー 出て行けとは言わないでしょう。でも姑(しゅうとめ)が一緒に住むのは、私反対。ジョウンの時で、もう懲り懲り。
 ピーター 今度のはジョウンとは違うんじゃないかな。
 フェリスィティー 少なくともあれほど鈍い女ではないでしょう。あれには誰だって叶わない。
 レイディー・ヘイリング 鈍かったかも知れないけど、少なくともジョウンは貴族だったわ。
 フェリスィティー(笑って。)まあ、また?
 レイディー・ヘイリング 分ってるんでしょう? 私の言ってること。
 フェリスィティー ええ、分ってるわ。でもとにかく、ミランダ・フレイルはいい女優で、綺麗な足がある。少なくともそれは、動きがよいということよ。ジョウンはダンス場を歩くのに、まるで深い雪の中を膝までつかって歩いているようだったもの。
 レイディー・ヘイリング でもナイジェルったら、どうしてこんな女と結婚する気になったのかしら。今まで誰とも結婚したいって思わなかったんでしょう?
 フェリスィティー そこがあなたの考えの違っている所なのよ。あの子は誰とでも結婚したがっていたの。責任感が強くて、独身の女がいると申し込むのが自分の義務だと思っていたのね。ただこの界隈(かいわい)では適齢期の娘さん達はみんな結婚してしまっていた。
 ジョン・ヘイリング ジュディー・レイヴェナムは独身だったがな。
 フェリスィティー ジュディーは全く違うタイプ。何でもやってみようという行動派。だからナイジェルが初めて会った時には、もう他の人にお輿入れは事実上すんでいた。
 レイディー・ヘイリング あら厭だ。フェリスィティーったら。
 フェリスィティー ジョウンも内心では何でもやってみようってタイプだったのね。ただそれを実行するに必要な魅力と勇気が欠けていただけ。ボージー・ウィタッカーが現れたのは、本当に運がよかった。ジョウンに考える暇も与えず、一緒にケニアに高跳びしてくれたんですからね。そうでなければ、ジョウンはまだここにいたわ。
 レイディー・ヘイリング 本当にあなたって分らないわ、フェリスィティー。一度目の結婚が災難に終っているんですからね。二度目はもっともっと慎重にならなきゃいけない筈でしょう? それをあなた、そんな風にのんきに。
 フェリスィティー 一度目の結婚は災難なんかじゃありませんでした。あれは大成功なの。第一に、たった二年間しか続かなかったのに、息子、つまり後継ぎが出来ました。それに、もめ事もなく、別れる時はあっという間でしたからね。
 ジョン・ヘイリング あっという間?
 フェリスィティー そうですよ。もう少しで私、この手でジョウンを締め殺すところでした。素手でね。丁度その時、あの人出て行ったの。私は信心深い女じゃないわ。でもこのボージー・ウィタッカーのことを考えていると、何時でも私のお祈りの御利益(ごりやく)だったんだと思ってしまうわ。
 レイディー・ヘイリング 確かに私にはよく分っているわ。現代は全ての社会的枠が取り払われて、誰もがみな同じ、階級的差別など仄(ほの)めかそうものなら、笑い飛ばされてしまう・・・
 フェリスィティー それだけよく分っているのだったら、何故あなた、あんな大騒ぎをするの?
 レイディー・ヘイリング そんな現代思想の信奉者じゃないからよ、私が。あなただって心の中ではちょっとも信奉者じゃない。自分でもよーく分ってるの。もしナイジェルがあんな合成人間の人造人間と結婚するようなことになったら、私達みんな、墓場へ足を半分突っ込んじゃうってことを。
 フェリスィティー(笑って。)あらあらスィンスィア、あなたのその立派な言葉づかいに、そんな品のない言い回しを混ぜちゃいけないわ。
 レイディー・ヘイリング あなたとは何も真面目に話せないわ。すぐ混ぜっ返すんだから。
 フェリスィティー スィンスィアを、もうどこかへ連れて行って、ジョン。この人あまり見当違いのことを吠えたてるものだから、声がかれてきちゃったわ。
 レイディー・ヘイリング 見当違いじゃないの。みんな的を射ているの。
 フェリスィティー 的を射てても射てなくっても、もう止めましょう。疲れてきたわ。
 レイディー・ヘイリング 少なくともジョンは私に賛成。そうでしょう? あなた。
 ジョン・ヘイリング そう。賛成。私の意見を言えば、まだ時間がある間に、みんなで知恵を出しあわなければ、ということだね。
 フェリスィティー 三人よれば文殊の知恵ね。
 ジョン・ヘイリング 私に言わせれば、ナイジェルが何か罠にかかったんだ。自分からこんなことをするような馬鹿じゃないからな、彼は。
 フェリスィティー それが、馬鹿なのよあの子は。あの子は私の息子。おして知るべしなの。
 ピーター ナイジェルが女性問題ではへまばかりやっていたというのは賛成ですね。でも何か、この女性にはいいところがあったんでしょう。結婚したいほど惚れた訳ですからね。
 レイディー・ヘイリング ナイジェルはミスィズ・クリフォード・ハーグレイヴにも惚れたわ。この女にどこかいいところがあったかしら。
 フェリスィティー ミスター・クリフォード・ハーグレイヴにでしょう?
 レイディー・ヘイリング(呆れて。そっぽを向いて。)よく言うわね、そんな無茶なこと。
 フェリスィティー でも、本当。夫の方よ、素敵だったのは。ねえ、ピーター。
 ピーター 素敵か・・・素敵な鈍さ、と言うべきですね。
 フェリスィティー いつでも物事をいい方にとって・・・
 ジョン・ヘイリング(皮肉に。)まあ、行儀正しいんですな。
 フェリスィティー この家のことを本当に気に入ってくれていたわ。あの事件が全部終って、あの人もいなくなった時、急に淋しくなって・・・
 レイディー・ヘイリング さあ、行きましょう、ジョン。もう三時半近いわ。四時にはレンショー老人のおでましよ。じゃあね、フェリスィティー、夕食の時にまた。
 ジョン・ヘイリング 出来るだけ力になりますからね、フェリスィティー。どんな戦略でも、うまくバックアップしてみせますよ。
 フェリスィティー(優しく。)有難う、ジョン。心強いわ。でも、この件に関する限り、何もしないのが最良の戦略のようだわ。勿論船を出す前には、海図を調べて、よく方向を見定めなければいけないけれど。
 ピーター さあ、碇を上げて。
 レイディー・ヘイリング 行きましょう、ジョン。
 ジョン・ヘイリング(ピーターを無視して。フェリスィティーに。)八時半頃まいります。元気を出して。
(二人、フレンチ・ウインドウから退場。)
(フェリスィティー、溜息をつく。)
 フェリスィティー 可哀相に、スィンスィア。私、ずいぶんなことを言ってしまったわ。でも時々私もかっときてしまって。
 ピーター 夫婦とも酷い俗物ですね。まあ、今に始まったことじゃありませんけど。
 フェリスィティー まあそうね。でも古い友達だから。もうずーっと昔からの。スィンスィアは学校でも一緒だったし。
 ピーター 数学はクラスで一番、それにラクロスのチームでは主将。そんなところですね、きっと。
 フェリスィティー それに「リチャード二世」でボーリングブルックをやったわ。鬘が落っこっちゃって。
 ピーター ちゃんと被り直したんでしょう、今のあの調子だと。
(モクスィー、静かに登場。扉のところに立つ。)
 フェリスィティー 何? モクスィー。私、何か大事なこと、忘れたかしら?
 モクスィー いいえ、奥様。私、ちょっとお話がしたくて。でも、また後に致します。
 ピーター モクスィー、大丈夫だよ。私は村に行って来るんだ。二人で話せるよ。
 モクスィー(押しつぶされたような声で。)いいんです。どうぞ・・・私、また参りますから。
(モクスィー、急いで退場。)
 フェリスィティー まあ。
 ピーター ちょっと重症だな、これは。
 フェリスィティー 困ったわ。あんなに重症になってるっていうのは。あなた、どう思って? 何故だと思う?
 ピーター このことについて、二人で話したことは?
 フェリスィティー ないの。ちょっと私が言いかけると、すぐ話題を変えるの。ひどく怒ってるのね、きっと。
 ピーター ナイジェルに?
 フェリスィティー ええ。あの子はナイジェルがお気に入りで。そう。一番最初あの子がここに来た時から。ナイジェルは十五歳だった。よく一緒にマチネに出かけて行って、その後ガンターズでお茶を飲んで。あの子、ナイジェルの格が下ったように感じているのかも知れない。
 ピーター まあ格は下ったろうな。
 フェリスィティー でもまだ分らない。そうでない可能性もあるわ。
 ピーター まづ、百に一つの確率ですね。
 フェリスィティー それはまだ分らないわ。イギリス貴族が女優と結婚するのは今度が初めてではないのよ。昔の一時期、大流行(おおはやり)だった。勿論家族は大もめにもめたでしょう。でも、長い目で見ると、大抵はうまく行ってるわ。グロリア・ベインブリッジを見てご覧なさい。リンカシャーであの人、生きながら埋葬されたような扱い。でも意気軒高。リリー・グラントワースだって、頑丈な男の子を何人も生んで。貴族階級は役者達に感謝しなくちゃいけないわ。
 ピーター ハリウッドの俳優が役者と言えますかね。もっとけばけばしくて、宣伝用のものじゃありませんか。
 フェリスィティー 宣伝だから悪いってことはないでしょう? 現代は宣伝の時代。それを楽しんだらいいのよ。
 ピーター それが大変お嫌いだって、ちゃんと知ってますよ。初日の舞台に出かける。するとフラッシュを焚かれる。大嫌いなんでしょう? これが。ドーチェスターのレストランに行く。口いっぱいにアスパラガスを頬ばっている時にバシャっと撮られる。うんざりなんでしょう?
 フェリスィティー あれはサービス精神。じゃあ、あなたはどうなの? 鉄道で、空港で、人を見送る度に写真を撮られて。あなた、それに反逆しているんでしょう?
 ピーター 反逆はしません。嫌いなだけです。旅行会社を経営しているんですからね。仕事の一部ですよ。この商売は宣伝なしでは成り立ち行きませんから。
 フェリスィティー 現代のイギリスの社会で困ったことは、友達が商売しなきゃいけないっていうこと。そしてまた、みんな商売が下手なの。
 ピーター わが社、即ち、「イングルトン・レイル・スィー・アンド・エア・オフィス」は、そのテキパキとした仕事ぶりで知られているんですがね。
 フェリスィティー あの、眼鏡をかけた陰気な顔の女の子のお蔭でしょう? あの事務員がいなければ、どんな客だって、フォークストーンより遠くに旅行を手配することは無理ね。
 ピーター あらあら、それ、八つ当たりじゃありませんか? 自分の息子が女優と結婚するからといって、僕の会社まで貶すことはないでしょう?
 フェリスィティー 私も少し疲れているの。もうあなたには言ったと思うけど、かなりな波状攻撃でしたからね、この三日間。まづがスィンスィア。チェーンソーみたいにガリガリ、ガリガリ。次がモクスィー。なんだか落ち込んでしまって。三つ目がクレストウェル。嗜虐的な目で事態を眺めて。最後がローズ・イーストリーからの手紙。きっぱりと断るのよ、云々、云々。とても高飛車なもの。
 ピーター ローズ・イーストリー! 何の関係があるっていうんです? 彼女に。
 フェリスィティー あなた、訊いてみればいいでしょう、直接。あなたの叔母さんでもあるんですから。
 ピーター 遠回しにね。回転木馬のように。
 フェリスィティー 勘弁して、その言葉。もう一回聞いたら気違いになるわ。
 ピーター 落ち着いて。一番手近にある問題に集中するんです。
 フェリスィティー そう。集中しようとしているの、私は。ところが邪魔ばかり入って来て。ミランダ・フレイルを受け入れようと心に言い聞かせているの。偏見なしに・・・彼女が実際にどんな酷い女であるかが分っても・・・
 ピーター 全く酷くないかも知れない。魅力たっぷりで、悪ずれが全然してなく無垢で、一日中意図しない笑いで家中を明るくするような・・・
 フェリスィティー 一番厭なタイプね。
 ピーター 憂いを含んだ女かも知れない。人生に少し疲れて、傷ついて・・・そう、「まだ馬鹿なままでいて」のミランダ・フレイルのような・・・
 フェリスィティー その映画だったの? エドワード・G・ロビンソンにひどく殴られる役だったのは。
 ピーター いや、それは「女は恋を馬鹿にする」ですね。
 フェリスィティー 私が困っている根本のところは、事があまりに急だったこと。それ以外ではないの。
 ピーター へえー、そうですか。
 フェリスィティー そう。そうなの。だからそんな疑わしそうな顔をすることはないの。あまりに急だったことだけが問題・・・私はこれを信じこもうとしているの。
 ピーター 賢明な処置だ、それは。
 フェリスィティー 自分の感情は決して分析しないように。それから、心の奥底にもやもやと浮んで来るものは、見ないようにしているの。そんなことをしたら、自分が今思っているより、ずっとずっと不幸になるんじゃないかと思って。
 ピーター いよいよ賢明。
 フェリスィティー(熱を込めて。)勿論、私はこうでなかったらよかったのにと思っている。勿論私は、あの子がもっとギンギラギンの女の子じゃない誰かを選んでくれていたら・・・マーシュウッドを切り盛りする人間としてもう少し相応しい女を選んでくれていたら・・・そしてもう少しはジェレミーの義理の母親になれそうな女を・・・と思っているに決まっている。
 ピーター それは勿論。
 フェリスィティー そして勿論、ナイジェルが好むものを好んでくれて、ナイジェルが知っていることを知っている女だったら、どんなに快適で楽しいだろうにって。
 ピーター つまりは同じ階級の人間を、と? 
 フェリスィティー そう・・・結局は・・・自分と同じ階級の女。ほら、これであなた満足?
 ピーター 満足ってわけじゃありませんが・・・安心しましたね、すっかり。
 フェリスィティー(怒って。)安心するようなこと、何もないでしょう? 私が心を奮い立たせて、認めまい、認めまいとしていることを無理矢理私の口からあなた、言わせたの。意地悪な人よ、あなたって。
 ピーター まあ、いいじゃないですか。頑張ってフェリスィティー、今までのところ、実によくやってますよ。
 フェリスィティー 笑わないで、私のことを。全く厭なことなの。理性と本能が戦っているんですからね。
 ピーター モクスィーと同じだな。
 フェリスィティー そう。あの子も過去の常識・・・現代では相手にされないもの・・・に拘(こだわ)って生きている。だから惨めな気持になるの。
 ピーター クレストウェルはどうかな。
 フェリスィティー どういう意味? それ。
 ピーター クレストウェルもやはり過去に拘っているんじゃないのかな。
 フェリスィティー ええ、でも感情は抑えられるの。モクスィーは違う。それに彼は順応性があって、世の中の動きをよく見ている。私達が束になっても叶わないぐらい。社会革命、国際連合、西欧の没落・・・あの人の論じるのを聞いてご覧なさい。面白いわよ。
 ピーター ダニー・ケイについてはどう論じるのかな。
 フェリスィティー それに読むものに幅があるわ。「ニュー・ステイツマン」から「デイリー・ワーカー」まで。
 ピーター かなり狭い範囲だな。
 フェリスィティー モクスィーは「タイムズ」だけ。だから目を白黒させているの。
(電話が鳴る。)
 フェリスィティー 出てピーター、お願い。また新聞よ。一日中かけてくるの。あなた断って。権柄づくでやるの。私よりうまいでしょう?
 ピーター(電話に進みながら。)いや、そちらの方がうまいと思うけど。(受話器を取り上げて。)もしもし・・・そうです、こちら、二一五八ですが・・・はい、ちょっとお待ち下さい。(フェリスィティーに。)直接本人宛電話。ロンドンから。
 フェリスィティー 誰からか、訊いて。
 ピーター(電話に。)誰からですか?・・・ああ、分りました。お待ち下さい。(フェリスィティーに。)放蕩息子さんからですよ。
 フェリスィティー ナイジェル! まあ。(ピーターから受話器を受取る。)酷い音がする。鼾(いびき)をかいているような音。・・・(電話に。)もしもし、ナイジェル?・・・ええ、勿論私。・・・何?・・・もっと大きな声で。何も聞えない。・・・(ピーターに。)あちらも聞えていないみたい。(電話に。)どこなの?・・・「どこなの」って言ったの。・・・ああ、そう。今出発なのね?・・・それはいいわ。如何? 二人とも。・・・違う。「如何? 二人とも」って言ったの。・・・出来るだけやってるの。「バンシー」みたいに怒鳴ってる。・・・「バンシー」。ボトルのビー。アンダルシアのエイ。ネブカドネザールのエヌ。・・・いいの、こんなの。・・・大事じゃないから、全然。どんなに怒鳴っているか、説明しようと思っただけ。・・・(ピーターに。)気が狂いそう。
 ピーター 受話器を揺すってみて。
 フェリスィティー そんなことをしたら、切れないかしら。・・・ああ、よくなった。鼾が消えたわ。(電話に。)よくなったわ。今度は聞える。そちらは聞える?・・・よかった。・・・何だったのかしら、本当に。・・・誰かさんが変なベッドで寝ているからかと思ったわ。(受話器を手で抑えて、ピーターに。)いけない事言っちゃった。ミランダを非難しているように受取られるわ。(電話に。)いいわよ、ナイジェル・・・いいえ、ピーターとヘイリング夫妻だけ。最初の晩は静かな方がいいでしょう?・・・ミランダ、カナスタが出来るかしら。・・・ああ、いいの。教えるわよ。みんなで。・・・腕なんて関係ないんだから、カナスタは。八十パーセント以上が運よ、あれは。・・・いいの、気にしなくて。ちょっとどうかなって思っただけなんだから。じゃあ、六時から七時の間ね?・・・勿論分ってるわよ。魅力的なんでしょう?・・・(ピーターに。)言わなきゃよかった、こんなこと。お世辞に聞えてしまうわ。(電話に。)ああ、あれ? あれは全然大事じゃないの。・・・ネブカドネザール。そうそう、そう言ったのよ。だから、そう聞えたでしょう。もういいの、ネブカドネザールは。今説明出来ないわ。複雑過ぎて。・・・ええ、じゃあね。(受話器を置く。)馬鹿な電話。こんな馬鹿な電話したの、生まれて初めて。
 ピーター どうだった? 元気そう?
 フェリスィティー ちょっと苛々。でも、電話のせいかもしれない。
 ピーター いや、苛々しているだろうな。
 フェリスィティー 私、あの子に辛くあたっていなかった? 不機嫌な口調なんか、出なかった?
 ピーター(突然、優しくキスをして。)いや、よかったよ。実に優しいもんだ。心の中じゃ大変だろうに。気持は分る。同情しますよ、心から。
 フェリスィティー 止めて、同情は。優しい、ちょっとした目付きでも、気を張っているせいか私、崩れそう。あーあ、あの馬鹿女、カナスタが出来ないなんて。いい逃げ道だと思っていたのに。今夜は酷いことになりそうだわ。お願い、モクスィーを捜して来て。あれは片づけなきゃ。きっとそこいらにいる筈。
 ピーター よし、呼んで来る。そちらで元気づけに失敗したら、僕がドライヴに行こうと言ってたと言って。お茶の前にドーヴァーまで。外の風にあたりたいって言うと思うよ。
 フェリスィティー そこまでしなくても大丈夫よ。ちゃんとお互い、納得の行くまで話せば。
(ピーター退場。)
(暫くしてモクスィー登場。落ち着いている。決心は固めた、という表情。)
 フェリスィティー 入って、モクスィー。他に人はいないわ。
 モクスィー はい、奥様。
(間。)
 フェリスィティー(優しく。)あなた、随分悲しそうよモクスィー。心配事でもあるの?
 モクスィー 申し上げなければならないことがあって、それが心配なのです。
 フェリスィティー 私に話って、まさかそんなに酷いものじゃないんでしょうね?
 モクスィー いいえ、酷いものです。ひどく。
 フェリスィティー(ソファの、自分の隣のところを軽く叩いて。)ここに坐って。ゆったりとして。それから話して。
 モクスィー 私、立ってお話します。坐ったりしたら私、泣いてしまいます。そして、みっともない恰好になってしまいそうですから。(ちょっと間。それから、辛そうに。やっと。)奥様、私、お屋敷を出て行かなければなりません。
 フェリスィティー 出る? どうしたの? モクスィー。何が・・・(あったの?)
 モクスィー それもすぐに。今日です。悪い知らせが入って。
 フェリスィティー まあ可哀相に。知らせって、何なの?
 モクスィー 叔母なのです奥様、母方の。重病で、たった一人なのです。
 フェリスィティー どこに住んでいらっしゃるの?
 モクスィー(ちょっと躊躇った後。)南太平洋です。
 フェリスィティー どうして一人なの? 誰か一緒にいないの? モクスィー 連れあいが、つまり叔父が、面倒を見ていたのですが・・・二日前に・・・エー・・・亡くなったのです。近所の人からの電報でそれを知ったのです。
 フェリスィティー であなた、すぐ発たないといけないの?
 モクスィー はい、奥様。
 フェリスィティー まあモクスィー、可哀相に。じゃ、いつ帰って来られそう?
 モクスィー そのことなのです奥様。私、帰っては来られないのです。
 フェリスィティー 何ですって?
 モクスィー 叔母は独りぼっちなのです・・・それに、この先どれぐらい生きているか、分りませんし。
 フェリスィティー じゃあ、あなた、私から離れたいって言うのね? 永久に・・・今・・・ここで、すぐ・・・
 モクスィー 別れたいのではありません奥様。どうかそれは信じて。・・・他にどうしようもないのです。
 フェリスィティー でも、この叔母さんていう人、どうなったの? 何の病気なの?
 モクスィー 私もよく知らないんです。お医者さん達もどういう病名にしたらいいか、決めかねている様子なのです。
 フェリスィティー 入院は出来ないの?
 モクスィー ええ、動かすのは無理だと。
 フェリスィティー で、その・・・今まで面倒を見ていた、その人の連れあいっていう人、どうしてそんなに急に亡くなったの?
 モクスィー 車にひかれたのです。陸軍の車だったそうです。
 フェリスィティー(追求を緩めず。)どこで?
 モクスィー サウス・パレード桟橋の、丁度向かいで。
 フェリスィティー そんなに詳しく、どうしてあなた知ってるの?
 モクスィー 電報に書いてあったのです。
 フェリスィティー 長い電報ね。叔母さんの近所の人って、お金持ちなのね?
 モクスィー(暗い声。)ええ、奥様。
 フェリスィティー モクスィー、あなた、私と何年一緒にいたんでしたっけ?
 モクスィー 女中としてここに参りましたのが、二十年前のことです。
 フェリスィティー その一年後に、私のお付きの小間使いになったのね?
 モクスィー はい。
 フェリスィティー それ以後ずっと、私のお付きの人、私の友達、家族の一員として付合って来たのね?
 モクスィー(明らかに悲しい気持。)はい、奥様。
 フェリスィティー だから私達は、この十九年間、一緒に暮らし、一緒に旅行し、一緒に笑い、一緒に噂話をしあったのね?
 モクスィー はい、奥様。
 フェリスィティー あなた、その間ずーっと私のことを洟垂れ小僧の大馬鹿だと思っていたの?
 モクスィー(まわれ右をして。)すみません奥様、お話しても信じては下さらないと思っていました。
 フェリスィティー 陸軍の車じゃ、ちょっと無理よ。あなたって嘘が下手。あの子の結婚が問題なのね? それであなた、困ってるのね?
 モクスィー ええ・・・そうなんです。それが問題なのです。
 フェリスィティー あなた、それが厭だから私から逃げて行きたいっていうの?
 モクスィー 奥様、どうかもう・・・
 フェリスィティー でも、どうして? モクスィー。どうしてこれがそんなに出て行かなきゃならない程問題なの?
 モクスィー 奥様、どうかもう、お訊きにならないで。行かせて下さい。ここには私、もういられないんです。
 フェリスィティー でもあなた、ここにはいなくていいのよ。いたって、ほんの少しだけ。私、出来るだけ早く、ここは出るつもりなんだから。あなたは私と一緒にここを出るの。
 モクスィー それでも駄目なんです、奥様。私は今すぐ出なければ。
 フェリスィティー でも、どうして?
 モクスィー 個人的な問題です。
 フェリスィティー そして、それを言うことは出来ないというのね?
 モクスィー ええ奥様、それは出来ません。
 フェリスィティー そうすると、もう何も話すことはない、と。そういうこと?
 モクスィー(涙が出そうになる。)ああ、奥様。
 フェリスィティー どうやら私はお前を止めておくよう、無理強いは出来ないようね。それから、その理由を言わせることも。私は今、腹が立ってきているところ。当たり前でしょう? でも不幸せなことに、怒れない。それが長続きしないことを知っているから。暫くすると怒りは去って、何故怒ったの、という気持、そして悲しくなって、それから後は厭な厭な後悔が残るから。さあ、荷造りをしなさい。それが終ったら、ここへ来てさよならを言うの。
 モクスィー 畏まりました、奥様。(扉に進む。)
 フェリスィティー(さっと立ち上り、モクスィーのところへ行き、両手で包むように抱いて。)ああモクスィー、これは本当に現実とは思えないわ。私、出来るだけのことをしてこれは辞めさせなければ。私の力の及ぶ限りのことは何でもして。ねえ、言って。どうして出て行かなきゃならないのか。お前が、本心は出て行きたくないのはよく分っています。必ずお前の気持を理解出来るよう努力しますから。ね? モクスィー。
 モクスィー(くずおれて。)言えないんです。とても、とても恥ずかしくて・・・
 フェリスィティー(はっと思い当たって。)ナイジェルが・・・ナイジェルがお前に何か・・・
 モクスィー(仰天して。)飛んでもない・・・いいえ、決してそんなこと・・・
 フェリスィティー じゃあ、じゃあお前、ひょっとして、あの子を愛しているんじゃ? どうしようもないぐらい・・・
 モクスィー(気持をひきしめて。)いいえ奥様、違います。それは神かけて。勿論私、おぼっちゃまを愛しております。小さい時からずっと。でも、そういうのではありません。
 フェリスィティー(宥めるように。)そう。愛されていて幸せ、あの子も。それがあんな結婚を。私達みんな、あの婚約を心配しています。でも、努力しなければ。事態を冷静に、分別をもって見るようにしなければ。この数十年間で、世界は随分変ったのよ、モクスィー。それも、私の生きている間に。私が若かった頃、とても大切だったことが、今では全く問題にならないことになってしまって。今まで分っていることから考えると、ミランダ・フレイルは、純真で優しくて、魅力のある女性であることは確かなようよ。だから、あと大事なのは、ナイジェルを幸せに出来る人かどうか、だけでしょう?
 モクスィー 幸せには出来ません。
 フェリスィティー そんなこと、言い切れることじゃないでしょう?
 モクスィー 世界中をつまようじで捜しても、あの女ほどおぼっちゃまの奥様として、このお屋敷の女御主人様として、相応しくない人間を捜すのはとても不可能です。
 フェリスィティー ずいぶんはっきり言うのね。どうして分るの?
 モクスィー それは奥様、ミス・ミランダ・フレイルは、私の妹だからです。
                        (幕)

     第 一 幕
     第 二 場
(場 第一場から二時間が過ぎている。)
(フェリスィティー、ティー・テーブルの向こう側に坐っている。ピーターが手に紅茶茶碗を持って、うろついている。)
 フェリスィティー もう坐って、ピーター。そんなにうろつき廻ったって何も出て来ないでしょう? 本当に。ドッジェムみたいに。
 ピーター ドッジェム? 何ですか? それ。
 フェリスィティー 遊園地にある小さい車。それでみんな、ぶっつけあいをやるの。
 ピーター 私はまだ、みんなにぶっつけたりしていませんよ。
 フェリスィティー 考えを集中しなければ。これは大事件よ。
 ピーター 顔が黒くなるまで集中して考えたって、何も出てきやしませんよ。解決法はたった一つしかない。分ってるんでしょう? 御自分でも。モクスィーを連れてすぐ海外旅行に発つんですよ。
 フェリスィティー そんなの、解決法じゃありません。ただの一時しのぎ。それに、今すぐ海外になんか行けっこありません。パスポートは今ロンドンにあるし、通貨統制がありますからね。二月に私、自分の割当ては使いきってしまった。それにその時だって、ヘンリエッタに借りなきゃならなかったわ。
 ピーター また彼女に借りるんですね。
 フェリスィティー 今あの人、モロッコにいるわ。
 ピーター モロッコだってどこだっていいでしょう?
 フェリスィティー たとえバリアー・リーフに行ったって、そこに永久にはいられないわ。それにモクスィーは、暑い気候が駄目なの。発疹が出るのよ。
 ピーター じゃあ彼女は別のところへやればいいでしょう? 涼しくて快適なところへ。
 フェリスィティー もう何度も言ったでしょう? 私はモクスィーと離れることは出来ません。必ずあれと一緒に暮すのです。
 ピーター とにかくちょっとの間、海外にいさえすれば、こっちはすぐ片がつきますよ。ナイジェルを説得して結婚を止めさせ、彼女をハリウッドに送り返します。今の話しだと、酷い女のようだから、説得は・・・
 フェリスィティー 容易って言うのね? でも、どうやって?
 ピーター まづ自分の将来の妻の姉が、自分の母親の小間使いであるというのは、かなりな打撃でしょうよ。それから、苗字は何でしたっけ・・・その・・・家族の名前は・・・
 フェリスィティー バーチ。ブリストンとクラハムの間のナイチンゲール・レインというところで乾物屋をやっていた。二人の娘がいて、妹の名がフレダ。これは私の将来の嫁。小さい時から蓮っ葉な女。姉がドーラ。これがモクスィー。モクストンなる人物と結婚。彼はエディス・ハリントンのお抱え運転手。一児あり。しかし死亡。モクストンも死去。そこでドーラは、乾物屋に戻り、母と暮した。
 ピーター で、フレダは?
 フェリスィティー 今の話よりずっと前、家出。家出の前から、かなり酷い人生を始めた様子。
 ピーター 酷いって、どう酷い?
 フェリスィティー 普通によくある酷い人生。赤ん坊を作りそうで、最後には結局作らない・・・
 ピーター 集中力に欠けていたか。
 フェリスィティー どうやら家で大喧嘩があったらしいわ。母親は卒中。フレダはグリーンバーグという演劇エイジェントの男とアメリカに逃亡。それ以後モクスィーは彼女を見たことがない。
 ピーター 母親はその時に亡くなった?
 フェリスィティー ええ。そして店は破産。その後暫くして、モクスィーはここにやって来た。
 ピーター(考えながら。)二十年というのは長い時間だ。
 フェリスィティー 忠誠心と愛情が生まれ、それが切っても切れないほどに成長するに十分な時間。
 ピーター ひょっとするとこのフレダ・・・いや、ミランダ・・・まあいい、名前は。モクスィーのことが分らないんじゃないか。
 フェリスィティー 勿論分るわよ。あの子は全然変っていないんだから。
 ピーター でも、変えることは出来る。
 フェリスィティー どういう意味? それ。
 ピーター いい考えがあるんだ。
 フェリスィティー(からかって。)変装させるのね?
 ピーター いや違う。地位を上げるんだ。それが最初。変装は後でやってもいいことだけど。
 フェリスィティー 無理よ、そんなこと。
 ピーター いや待って。これは可能だよ。きっと出来る。
 フェリスィティー 何をやろうって言うの? あの子に王冠でも被らせて、デヴォンシャー伯爵夫人でございます、とでも?
 ピーター いや、そんなのじゃない。だけど可能なんだ。
 フェリスィティー(苛々して。)何が可能だって言うの?
 ピーター 現在の状況で、一番困った点は、モクスィーが女中・・・あるいは小間使い・・・いづれにせよ。社会的劣等の地位にあることなんだ。
 フェリスィティー 何が劣等なの。あの子は劣等なところなど何もありません。社会的だろうと何だろうと。
 ピーター 分ってる、分ってる。僕だって全く同感・・・いや、同感以上だ。しかしそれは議論の的を外しているよ。
 フェリスィティー 地位を上げるって、何をしようっていうの?
 ピーター 一つ上に上げるんだ。話し相手、或は、秘書にするんだね。
 フェリスィティー でもあの子、着物にアイロンをかけたり、私の髪を結ったり、盆で物を運んだりするのよ。
 ピーター 人前では今だってそんなことはしないだろう?
 フェリスィティー ナイジェルは? ナイジェルはどう言うかしら。
 ピーター ナイジェルは喜ぶだけじゃないかな。だって、彼の姉さんなんだからね、結局のところ。
 フェリスィティー まあ!
 ピーター その「まあ!」という言い方には昔の階級制度の名残が響いていたように思いましたが?
 フェリスィティー いいえ、そんな響きはありません。あまりに馬鹿げた意味のない考えです、それは。モクスィーはモクスィーなんですからね。女中であろうと、秘書であろうと、何の違いがあるというのです。
 ピーター ほほう、そうですかね。それははっきり違うでしょう。現実を見なければ。いいですか? 例えば、バレーの初日にいらっしゃるとします。その時に、あの若いスティーヴン・ブリストウをお誘いになる。その後、サヴォイ・グリルで食事を御一緒に。誰か変に思う人がいるでしょうか。
 フェリスィティー それはいませんよ。あの子、なかなか魅力的よ。
 ピーター でも、クレストウェルを、まさかお誘いにはならないでしょう?
 フェリスィティー バレーが嫌いですからね、あれは。デカダンだとか言って。
 ピーター とにかく連れては行きません。二人とも当惑するに決まっていますからね。それに、お友達のみなさんもきっと当惑します。スティーヴン・ブリストウはフォークストーンの煙草会社社長の息子ですし、クレストウェルはセヴン・オウクスの警官の息子ですからね。この二人の自分の職業への打ち込みようを比べれば、甲乙ない筈です。二人とも熱心な働き手、真面目なイギリス人です。しかし偶々一方はゴルフのインストラクター、もう一方は執事。その地位の開きは、所謂平等社会でも、ポッカリ深淵のように口を開けていて、未だに橋がかけられない状態です。
 フェリスィティー モクスィーが私の秘書になると、どういう風に当面の問題が解決されるのか、相変わらずピンと来ないわね。だいたいあの子、速記もタイプも出来ないのよ。それに綴りだって満足に書けないし。
 ピーター さあ、そう言ってらっしゃるお方も、自信がおありですか? 綴りに。
 フェリスィティー あの子が私の小間使いだということは誰もが知っている事実です。あの子を私の秘書だなどと言えば、私が耄碌したと皆は思います。
 ピーター じゃあ、話し相手。
 フェリスィティー 話し相手というのは、食事はどこでするの?
 ピーター それはその話し相手になってやっている人物とですよ。今彼女はどこにいます?
 フェリスィティー 二階の、自分の部屋。動いちゃいけないって言ってあるの。私が、あらゆる角度から事態を考慮し終るまで。
 ピーター 話し相手・・・となると、すっかり服装を変えなきゃ駄目だな。
 フェリスィティー 駄目ねピーター、これは。あの子、ウンと言う筈がないわ。
 ピーター 何故ですかね。
 フェリスィティー あの子にはプライドがあるわ。自分の妹と同じ社会的地位に立つために、自分の「分を越えよう」とするなんて、とても嫌がる筈だわ。
 ピーター とにかく本人に訊いてみなければ。
 フェリスィティー あの子に直接に訊く前に、クレストウェルの意見を聞いてみたいわ、私。ベルを鳴らして。
(ピーター、ベルを鳴らす。)
 ピーター クレストウェルだって、必要なら家族会議を開いて、こちらの遠い親戚だってことに出来ますよ。
 フェリスィティー 馬鹿なこと言わないで。
 ピーター あの子を見違える程作り替えることなら、簡単に出来ますよ。まあ、化粧と髪型ですがね、ポイントは。
 フェリスィティー ちょっと話が飛び過ぎよ、ピーター。仮装舞踏会をやろうと言ってるんじゃないの。私、モクスィーを馬鹿にするようなことは出来ないの。
 ピーター 馬鹿にするなんてこと、この話のどこにもありませんよ。困った状況から抜け出る最良の方法じゃありませんか。社会的地位を一歩上に上げるという計画に対して何の不満があるというのです?
 フェリスィティー それが善からぬ理由から出て来た計画だからですよ。
(クレストウェル登場。)
 クレストウェル お呼びですか、奥様。
 フェリスィティー ええ。ミスィズ・モクストンはお部屋?
 クレストウェル はい。あまりに元気がないので、先ほどお茶を持って行かせまして。
 フェリスィティー それは親切だったわ、クレストウェル。
 クレストウェル ちょっと前、私自身も見に行きました。すると随分小奇麗にしていて、タイムズのクロスワードパズルをやり初めているところでした。それで私も少し手助けを。ヒントの意味を捕えるのは非常に適確なのですが、綴りに弱点があって。それがうまくいかない原因のようでした。
 フェリスィティー そう。綴りね・・・
 ピーター 一の縦、覚えていないなかな。どうもこれで私はつっかえていてね。六文字で、たしかミルトンの引用の筈なんだ。
 クレストウェル ああ、あれは 'nursed' (「ナースト」(育てられた)です。「リサイダス」に出て来ます。「何故なら我々は、全く同じ丘の上で育てられたのだ」。
 ピーター そうか。それだな。有難う、クレストウェル。
 フェリスィティー 家の切り盛りのやり方を少し変えようかと思っているんだけど、クレストウェル。
 クレストウェル はあ、切り盛りのやり方を、ですか?
 フェリスィティー ええ。それで、最終的に変えてしまう前に、お前の意見を聞いておこうと思ってね。これはモクスィーに関係することなの。
 クレストウェル はい。
 フェリスィティー あの子を昇進・・・つまり、社会的地位を上げようと思っているの。他の召使達に、どの程度の影響があるか、それを知りたいと思って・・・
 クレストウェル コックだけです、本当に問題があると思われますのは。メイは今、帯状疱疹で、それどころではありませんし、アミーとアリスは勘定に入りません。それに新入りのフランクはいづれにせよ、ここにはそう長くはいないでしょうから。
 フェリスィティー ここを出るの?
 クレストウェル ええ。今の仕事が好きでないのです。今の若い者はみんなそうですが、社会的平等の観念が非常に発達していまして、召使のするような仕事は本来別の誰かがやるべきものであると言って・・・
 ピーター それで、コックは?
 クレストウェル ある程度までは物分かりのいい女です。ただ折角の自分の努力が外部の状況のため甚しく妨げられると癇癪を起すことがあります。しかし、十分に人の話を聞く耳は持っています。
 フェリスィティー 彼女はミスィズ・モクストン・・・モクスィー・・・のことを、好いているかしら。
 クレストウェル 「好き」という言い方は少し違います。「尊敬」の気持です。時々、茶の葉で占いをやって、モクスィーの運勢を教えたりもします。しかし、二人の関係が完全に親密なものであると言いきれる訳ではありません。
 フェリスィティー もしモクスィーが、女中の身分から上って、私の秘書になるとしたら、そのコックは何て言うかしら。
 クレストウェル(信じられない様子で。)秘書・・・ですか?
 フェリスィティー ええ、まあ・・・話し相手兼秘書・・・
 クレストウェル どの程度までその変身によって生活状況が変ることになるのでしょう。
 フェリスィティー それがあまりはっきりしないんだけど。つまり、非常に用心しながら一つ一つ決めていかないと・・・
 クレストウェル 例えば、食事は?
 フェリスィティー(お手上げ。)そう。一番に来るわね、その問題が。
 クレストウェル 確かに問題ですが、手はうてます。奥様他、身内だけの時には、皆さま方と一緒に食堂で・・・
 フェリスィティー ええ・・・ええ、ええ・・・そう。勿論、それでいい筈ね。
 クレストウェル それから、もっと公的な・・・お客様がある場合には、彼女だけ盆で二階に上って。例えば二階の日本間を彼女専用の居間にあててもよいかと考えます。今あそこは誰も使っていませんし、それに眺めのいい部屋ですから、彼女の居間になれば、皆も地位の上ったことを納得するでしょう。
 フェリスィティー いい考えだわ、クレストウェル。でもちょっとあの子、淋しくないかしら。
 クレストウェル 変化があればそれに必ず伴う何かはあるものです、奥様。地位が上ればそれに応じた重荷が。海軍でも、新設の司令官の地位につくと、別室に移され、共同士官室の埃(ちり)から遠くなり、淋しい思いをすると聞きました。
 フェリスィティー モクスィーのことを、新設の海軍司令官とは思っていないんだけど・・・
 クレストウェル しかし、これを同類の事と考えるのは当たっているように思いますが。
 フェリスィティー あなた、私の最初の質問には、まだ答えていなかったわね。あの子の地位を上げる事自体についてのあなたの考えは?
 クレストウェル 彼女自身とは、もうこの話はおすみで?
 ピーター まだなんだ。お前の反応をまづ見ようと・・・
 フェリスィティー あの子が嫌がると思っているのね? あなたは。
 クレストウェル こういう非常に特殊な事態ですので・・・ひょっとするとイエスと言うかも知れません。
 ピーター「非常に特殊」?・・・お前、どこまで知っているんだい?
 クレストウェル そこここにいる普通の人間と同様に、知っていることは非常に少ないのです。しかし、想像力というものがありますので。
 フェリスィティー お願い、クレストウェル。曖昧に言わないで。私は本当に困っているの。
 クレストウェル はい、確かにそのように思われます、奥様。
 フェリスィティー(きっぱりと。)息子の将来の花嫁、ミス・ミランダ・フレイルは、偶然にも、ミスィズ・モクストンの妹だったのです。
 クレストウェル 有難うございます、奥様。決して秘密は漏らしません。御安心下さい。
 フェリスィティー もう察していたの?
 クレストウェル あれとこれとをくっつき合わせて、後は簡単な推論で、かなり奇妙な具合になっているな、と・・・
 フェリスィティー そう。その通りよ、クレストウェル。これ以上「奇妙な具合」っていうのはないぐらい。
 クレストウェル イギリスの上等なコメディーには、偶然がつきものでして。サマセット・モーム氏なら、こういう偶然をどう料理するか、大変興味のあるところです。
 ピーター 彼はいかん。馬鹿にするだけだ。他の作家に願いたいね。
 クレストウェル あえて申し上げますと、彼より後の劇作家達は、微妙な綾を出し損ねています。いろんな場面で腰くだけです。「礼儀作法の喜劇」は、社会に礼儀も作法もなくなると、急に時代遅れになって。
 フェリスィティー 手を貸してくれるね? クレストウェル。
 クレストウェル どのようにでしょう、奥様。
 フェリスィティー 出来る限りのことをして。あなたは頭の良い人。それに、人を説き伏せる力があるわ。
 クレストウェル 有難うございます、奥様。
 フェリスィティー 戦時中のことを忘れないわ。あの空軍婦人補助部隊の人、しょっ中家に来て、酔っ払って、真夜中に自転車で帰って行った。あの女を説き伏せたもの、あなたは。
 クレストウェル あれは、説き伏せたというよりも、道徳的脅迫の類いでした。
 フェリスィティー モクスィーを呼んで来て頂戴。ここに。
 クレストウェル 畏まりました。只今。
(クレストウェル、お茶の盆を持って退場。)
 フェリスィティー そんなに、人の困っているのを喜ぶものじゃないの、ピーター。
 ピーター クレストウェルと結婚するっていうのはどうです? いっぺんに何もかも解決してしまいますよ。
 フェリスィティー(相手にしないで。)本当に困った事態だわ、これは。
 ピーター それほどじゃないんですよ。きちんと対応を取りさえすれば。
 フェリスィティー 別のことで私、モクスィーが急に心配になり始めたの。とても恥かしいことに気がついてしまって。
 ピーター 何です? 一体。
 フェリスィティー あの子のことを本当は何も知ってやっていないってこと。
 ピーター 何ですか? 何のことかさっぱり分りませんね。
 フェリスィティー あの子は私のことはよく分っている。これは確かなの。私の、その時々の気分を理解していて、それに合わせて私の意志を実行してくれている。私が抱えている問題で、知らない事は何一つないし、私の親戚だって、全部知っている。それだけではないの。他の誰も知らない、あの子だけが知っている事がある。病気の時には看病してくれるし、私が涙を流している姿、着物を脱いだり着たりする姿、顔中パックしている姿、目の縁まで化粧をしている姿・・・みんなあの子は知っている。でも、この十九年の間、私の方があの子の部屋着姿を見たのはただの一度。ジェノアのステーションホテルで、私が魚にあたって、あの子が急いで介抱してくれた時、その一度だけ。
 ピーター 部屋着を着ている時に初めてその人の性格が分るというものでもないでしょう。
 フェリスィティー あの子は私の付人として、上手に、忠実に仕えてきてくれたわ。私を慰めて、甘やかして、私の心の襞は残らず知ってしまった。私の方はどうかというと、あの子に妹がいるっていう事さえ知らなかったわ。
 ピーター モクスィーは妹を恥と思っているんですよ。自分の人生から締め出そうとしているんです。そんな人物のことを話す訳がないでしょう?
 フェリスィティー モクスィーには私、自分の恥と思うことをいくらでも話しているわ。
(クレストウェル登場。その後から、モクスィーも。)
 モクスィー クレストウェルから、お呼びだと聞きましたので。
 フェリスィティー そうよ、モクスィー。急用なの。坐って。
 モクスィー はい、奥様。
 フェリスィティー そのソファの方に。クレストウェル、あなたも。これは家族会議。立ったままでは何も出来ないわ。
 クレストウェル 分りました、奥様。
(二人、ソファに坐る。)
 フェリスィティー ピーターも。
 ピーター(坐りながら。)はいはい。これはちょっと、メモ用紙と鉛筆を持たなきゃ、恰好がつかないぞ。
 フェリスィティー ねえモクスィー、私こっそり事態をピーターに話したの。どうしても誰かと相談しなきゃならなかったし、この人なら完全に秘密は守られると分っていたから。
 モクスィー はい、分ります、奥様。
 フェリスィティー それからクレストウェルにも。もっともこの人にはおよそ想像はついていたようだけど。
 モクスィー(クレストウェルに、少し険悪な一瞥を送って。)本当ですの? 奥様。
 クレストウェル 簡単な推論でね、ドーラ。原因とその結果という奴なんだよ。
 モクスィー 推論なんてもの、私は知りません。私の分っているのは、用もないのに他人のことをあれこれ嗅ぎ廻る人が世の中にはいるっていう事。
 フェリスィティー クレストウェルの事を怒らないで、モクスィー。この人、本当に力になってくれようとしているの。
 モクスィー 本当に御親切なことですわ。
 フェリスィティー あなたがこの家にいると不幸だというのなら話は別だけど、そうでない理由でこの家から、そして私から、去って行くのは、私には耐えられないことなの。
 モクスィー でもそれが理由ですわ。私はここでは不幸です、きっと。それは、今の状況では、目に見えています。
 フェリスィティー そう。「今の状況では」、あなたの言う通り。だから、よーく考えた末、その状況を変えようと決心したの、私は。
 モクスィー どういう風にでしょう。
 フェリスィティー この時点から、あなたは私の小間使いという地位を辞めて、私の秘書兼話し相手ということにするの。
 モクスィー 駄目ですわ。それは出来ません。
 フェリスィティー どうして?
 モクスィー 私、馬鹿みたいに見えますわ。それに、そんなこと、正しいことではありません。
 クレストウェル なあドーラ、それはちょっと頑固っていうものだぞ。
 モクスィー これは私の問題なんですからね、フレッド。あなたには関係ないの。今まででもあなた、十分に口出しして来たの。もっと自由に話せる場所で、あなたには言わなきゃならないことがあるわ。
 フェリスィティー ここで自由に何を言ってもいいのよモクスィー。
 モクスィー この人に気の毒ですから、それは止めておきます、奥様。
 フェリスィティー 秘書兼話し相手になるっていうのが、どうして正しいことではないのかしら。
 モクスィー 第一に私、タイプライターが打てません。それに、私の綴りは酷いです。
 クレストウェル 実際に秘書の仕事をするかどうかじゃなくて、その秘書という地位が問題なんだ。
 フェリスィティー(心配そうに。)そういう事なんだけど?
 モクスィー 妹が来た時、私の本当の地位についているより、偽の地位にいる方が、妹は困らないですむっていう事でしょうか。
 ピーター 一本!
 モクスィー 秘書も女中も、給料を支払われている身です。奥様は本当に、秘書の方が女中より地位が高いとお考えですか?
 フェリスィティー 勿論私はそうは思いません。でも、世間の目から見れば、多分地位は違うでしょうね。
 モクスィー これが実行に移されたとして・・・仮にです・・・一体どういう風に事態がよくなるのでしょう。
 フェリスィティー この家での、お前の暮し方が違ってくるわ、モクスィー。例えば、食事は私と一緒よ、お客様がいない時は。
 モクスィー(食い下がって。)お客様が、では、ある時は?
 フェリスィティー(言い淀みながら。)その数にもよるけど・・・日本間をあなたの居間にあてて・・・時々は盆をそこに持って行って・・・一人で静かに・・・
 モクスィー 時々は妹をその日本間に連れて行って、二人仲良くおやつでも食べられるっていう訳ですね?
 フェリスィティー 怒らないで、モクスィー。どうか怒らないで。
 モクスィー 怒っているんじゃないのです、奥様。本当に違うんです。考えて下さっていることはよく分ります。感謝致します。でも、うまくいきませんわ、これは。決して。
 フェリスィティー 「決して」って、どうしてそう言いきれるの?
 モクスィー でも、当然じゃありませんかしら。結局私が問題なのです。私に出来なければ、それでお終いですわ。私が出て行った方がいいのです。他にいい解決法はありませんわ。
 ピーター しかし、出て行っても解決にはならない。相変わらずマーシュウッド卿の義理の姉であることには変りがない。どこへ行こうとね。
 モクスィー 誰も知りっこありませんわ。
 フェリスィティー あなたにそんな犠牲を強いることは出来ません、モクスィー。どんなことがあっても駄目。そんなことをさせたら、私一生、自分を許さないでしょう。
 モクスィー どうか奥様、そんなに深刻にお考えにならないで。またいつもの頭痛が始まりますわ。
 ピーター 奥様の提案をどうしても聞けないというのかい? 成り行きを見て、その後はまた考えるということにしても?
 モクスィー うまく行きっこありませんわ。それに、正しいことではありません。
 クレストウェル 正しいって・・・ドーラ・・・
 モクスィー(乱暴に。)私、本性が出て、癇癪を起すわよ。もうあんたはいい加減黙ってなさい!
 フェリスィティー まあ!
 モクスィー すみません奥様、本当に申し訳ありません。でも私、このことで精根尽き果てました。身体を真直ぐにしているのがやっとなのです。どうしたらいいか考えて、もう三晩も寝ていません。このお屋敷を出たくないのです。それに奥様とも別れたくない。もう十九年もここに暮して、私は他の家で暮すことなど、出来なくなっているのです。
 フェリスィティー だから出て行くなんて問題外なのよモクスィー。そこはどうしてもはっきりと分ってくれなきゃ。
 モクスィー どうしても駄目なのです、奥様。偽の私になるっていう今の提案は、何の解決にもなりません。私は私。何の恥じることもないんですから。
 クレストウェル 恥じることがないことなんて、みんなよく分っているんだよ。そんなに興奮してもしようがないだろう?
 モクスィー(追い詰められて。)興奮するの、仕方がないでしょう? それだけの理由はちゃんとあるの。あなたはいいわよ、クレストウェル。これはあなたには何の関係もないんだから。その得意の哲学的物の見方っていうのを、こちらの咽喉に嫌という程押し込んで、それですました顔をしていればいいんですからね。あなたは安泰。誰もその止まり木から追い立てるようなことはしない。確かに執事としても、悪い執事じゃない。かなり出来る方よ。ただ、銀の食器を扱う時は、もう少しちゃんと手は洗うものよ!
 クレストウェル おやおや、お手柔らかに頼むよ、ドーラ。
 モクスィー そう、私なの。私が一番辛い立場にあるの、このことでは。奥様より私が酷い目にあっているんです。勿論奥様はお嫌でしょう。色々困った立場に立つことがおありでしょう。でも、それで失うものは・・・実質で失うものは・・・ないのですわ。でも私には・・・もしこの結婚が執り行われたら・・・私には何も残らないんです。仕事がなくなる。それと同時に、私の自分自身に対する誇りがなくなる。それに、どこかに属しているという、落ち着いた気持もなくなるのです。私は死ぬまでこの屈辱の下で生きるのですわ。
 フェリスィティー(哀れんで。)ああ、モクスィー!
 モクスィー(涙が出そうになる。)私は自分の仕事に誇りを持って生きてきた。そして、精いっぱいやって来た。そのことを蔑(さげす)むなんて、そんな人がいたら私・・・私、その人を・・・
 クレストウェル(しっかりと。)なあドーラ。もう自分を虐めるのは止めにして、少し落ち着こう。誰も君を蔑んだりしちゃいないんだ。君がよく働いているのは、皆知ってる。君が困ってるのも、その理由も。だから、そのことを議論したって意味がないんだ。それから、君だけが犠牲になって、一人でここを出て行くっていうのも、何の解決にもならない。だから、君のためにも、奥様のためにも、何かをしなくちゃならない。もう時間もあまりない。だから、早く何かを考えつかなきゃならないんだ。
 モクスィー(怒って。)その言い方、私が悪いみたいじゃない・・・
 クレストウェル ちょっと黙って。提案があるのですが、奥様。いいですか?
 フェリスィティー 勿論。ちょっと黙って、モクスィー。この人の言っている通り。(クレストウェルに。)何? 提案は。
 クレストウェル まづ最初に、秘書兼話し相手というのは、ある決定的な理由があって、うまくいきません。
 ピーター その理由は?
 クレストウェル 地位が十分でないのです。
 モクスィー まあフレッド、何てことを言うの。
 クレストウェル この人の妹が、この屋敷についた時、勿論彼女はここの家族の一員として受け入れられるのですね?
 フェリスィティー ええ、勿論そうよ。
 クレストウェル それならドーラも、家族の一員です。
 ピーター なるほど。言っていることは分ってきた。
 フェリスィティー 私も。でもどうやって家族の一員に出来るか、そこのところが・・・
 クレストウェル ちょっと奥様、いいでしょうか。
 フェリスィティー どうぞ。
 クレストウェル 若旦那様は、もう四箇月以上もここにはいらっしゃらなかった。そうですね?
 フェリスィティー そうよ。
 クレストウェル その間に、ドーラの叔父が・・・オーストラリアで死んだ。遺産を沢山遺して。一生涯働かなくてもすむほど。
 フェリスィティー 読めてきたわ。続きは?
 クレストウェル 感情的には、この家に属している・・・こういう表現になると思うのですが・・・属しているため、彼女はマーシュウッドを離れたくない。たとえ金銭的には独立していても・・・どうでしょう、彼女は?
 フェリスィティー さあ。どうなの? モクスィー。
 モクスィー ええ、勿論離れたくありませんわ。
 クレストウェル(得意そうに。)だから彼女はここを離れない。少なくとも暫くの間は。ここで奥様の個人的友人として。それで彼女の妹が来た時、召使の一員としてではなく、同等の立場で顔を会わせる・・・
 フェリスィティー 分ったわ。でも、この話をどうやって皆に納得出来るよう説明すればいいのかしら。
 ピーター ナイジェル以外の人間には、説明はいらないよ。ここへ着き次第、ナイジェル一人を呼んで、モクスィーの叔父さんの話をすればいい。モクスィーは、ここで女中をしていたっていう経歴を気にしているから、決して言ってはいけないと付け加えて。
 フェリスィティー ヘイリング夫妻はどうしよう。
 ピーター あの二人は私がやります。夕食前に出かけて行って、事情を話します。勿論洗いざらいではなく、要点のみを。そして、秘密を守らせます。
 フェリスィティー これが自分で出来ると思う? モクスィー。
 モクスィー 気が進みませんわ、奥様。とにかく、正しいことではありませんもの。酷く気に入りませんわ。
 フェリスィティー 私も。でも、やって見る価値があるわ。気に入る、入らないは別として。
 モクスィー 本当にそうお考えですの? 奥様。心から?
 クレストウェル さあさあ、ドーラ。もういいじゃないか。
 モクスィー 黙ってフレッド。私、奥様に訊いているの。(フェリスィティーに。)それで、その後はどうなるんですの?
 フェリスィティー その後?
 モクスィー 結婚式が終った後のことです。ずっと私、ここにいるのでしょうか。妹がいるこの家に。
 フェリスィティー(お手上げ。)分らないわ。その時が来たら決めなくちゃいけないでしょうけど。私は多分出て行くでしょうね。あなたは当然私と一緒。
 モクスィー でも、秘書兼話し相手でもなく、友達としてでもなく、奥様の小間使いとしてですね? 今までと同じように。
 フェリスィティー 分ったわ、モクスィー。それは約束します。
 モクスィー 分りました。やってみます。出来るかどうか。とにかく最善を尽します。
 フェリスィティー 妹さん、あなたのこと、分ると思う?
 モクスィー 分りません。もう二十年以上も顔を合わせたことがないのです。でも、分ろうと分るまいと、あれには言ってやりたいことがありますわ。家出をして、ママと私をほったらかしにしたことはまだ許せます。でも、身の程も知らず、ここへ、この家にやって来るなんて、決して許しませんわ。
 ピーター 妹さんを憎んでいるの?
 モクスィー いいえ、憎むなんて。憎む価値もない女です、あれは。こまっしゃくれた、自分の得になると思ったことには何にでもしゃしゃり出る女。お尻をピンピン叩く必要がある女がいるとすれば、あの子が第一番目ですわ。
 ピーター それは夕食後の行事として考えておく必要があるな。
 フェリスィティー 黙ってピーター。(モクスィーに。)あなた、今夜は私の、モリノで仕立てた服を着なさい。他の衣装は明日の朝また考えましょう。
 モクスィー では、お茶は三十分、いつもより早くお持ちします。
 フェリスィティー ピーターがヘアスタイルは考えてくれるわ。あなた、言うことを聞くのよ。ピーターはヘアスタイルには強いのよ。
 モクスィー 分りました、奥様。(ピーターに。)有難うございます。
 フェリスィティー クレストウェル、モクスィーに更紗の部屋を使えるようにして。持物を全部そちらに移動するの。いいわね?
 クレストウェル 畏まりました、奥様。では私はこれで退散・・・でしょうか?
 フェリスィティー そう。私達もね。
(車の到着する音。クラクションが派手に鳴る。)
 フェリスィティー 早く、モクスィー。まあ、もう着いたの! 早く、早く、モクスィー。急いで。
 モクスィー(ゲラゲラっと笑って。)まあ奥様、私・・・私・・・とても出来ない。
(モクスィー、フェリスィティーのところへ行き、片手を掴む。)
 フェリスィティー 勇気を出すの! モクスィー。
 モクスィー(急に背中をしゃんと伸ばし、違った声の出し方で。)クレストウェル、アリスに言って私のお風呂の用意を!
 クレストウェル(従順に。)畏まりました、ミスィズ・モクストン。
 モクスィー その唇に浮べている笑いは何? 用を言い付けている時に、その笑いは許しませんよ。
(モクスィー、クレストウェルの脇を通り、退場。)
                      (幕)

     第 二 幕
     第 一 場
(場 前場から約二時間が経過。フェリスィティーとナイジェルの二人が部屋にいる。二人とも晩餐用の服。ナイジェルは三十五か六。美男子で魅力あり。ちょっと気持に弱さがあるかも知れない。それから怒りっぽいところも。しかし全体に好感の持てる男。今はしかし、少し苛々している。)
 ナイジェル でもお母さん、僕にはどうもよく分らないんですがね。
 フェリスィティー こんなに簡単な話はないと思うんですけど?
 ナイジェル それは僕はモクスィーのことは好きですよ。今だってそうです。でもどうも、この変化は・・・これはちょっと過激ですよ。
 フェリスィティー こういうやり方で、新しい人生を始めようと決めたの。例えば誰かがローデシアへ行くとするでしょう? 生活の仕方を変えるでしょう?
 ナイジェル それは彼女がローデシアへ行ってくれた方が話はずっと簡単ですよ。
 フェリスィティー 私は嫌よ。だだっぴろい場所は私は苦手。私は閉所恐怖症の反対なんですからね。
 ナイジェル 彼女が行くところへは、どこでも必ずついて行かなきゃ駄目って言うんですか? 死ぬまで。
 フェリスィティー そう。死ぬまで。私はあの子が好き。そしてあの子は私が好きなんですからね。
 ナイジェル だけど、経済的に独立して、もうお母さんの小間使いじゃなくなったのなら、無理に傍において用をさせたりは出来ないでしょう?
 フェリスィティー モクスィーはたとえ百万長者になっても、私の面倒をみてくれるのよ。
 ナイジェル どうも酷く馬鹿馬鹿しい話にしか思えませんね。お母さんは「常識外れ」って、人に言われたくはないでしょう?
 フェリスィティー 「常識外れ」、一向に構わないわ。「常識外れ」もなかなかいいものよ。あのおばあさんのモード・ニーザーソウルを見てご覧なさい。朝から晩までまるでコオロギみたいに陽気なものよ。
 ナイジェル あれは「常識外れ」なんかじゃないですよ。ただの気違いだ。
 フェリスィティー あなたがこのことでそんなに大騒ぎする理由が分らないわね。モクスィーはもう何年も家の人間なのよ。私達と一緒に食事をして、お互いに名前で呼びあって、何がいけないっていうの?
 ナイジェル 「何がいけないか」ですって? お母さん、正気でそんなことを訊いているんですか?
 フェリスィティー だから、何でもいいわ。一つでいいから駄目な理由を言ってご覧なさい。
 ナイジェル あのモクスィーが僕らを名前で呼ぶ。少し変じゃありませんか。それに、ひどく気まづい。分るでしょう? お母さん。
 フェリスィティー スィルヴィア・ファウラーは私達のことを名前で呼んでいるわ。うるさいぐらい。
 ナイジェル それは話が違いますよ。あの人はジャック・ファウラーと結婚していて、ジャックと僕らは昔からのつきあいなんですから。
 フェリスィティー スィルヴィアはセルフリッジズで、マニキュア塗りの女だったのよ。
 ナイジェル ハロッズです。セルフリッジズじゃありません。
 フェリスィティー 酷くいけすかない女よ。それに首がないじゃない、あの人。
 ナイジェル あの人の頭が両肩の間にめり込んでいたって、今の僕らの話とは何の関係もありませんよ。
 フェリスィティー いいえ、大ありです。あの首のない、大声で話す品のない女を、対等に扱うのは何でもない癖に、何故あの可愛いモクスィーを袖にするの? あの人、自分の人生の大事な時期を私達に尽してくれたんですよ。
 ナイジェル モクスィーを袖にしたりなんかしませんよ。ただ、お互いに気まづいだろうって言っているんです。モクスィーがドライマテニをチビチビやりながら、一日中この家でブラブラしたりしていては。
 フェリスィティー まさか、酒場じゃないんですからね、この家は。
 ナイジェル ローズ叔母さんは何て言ってるんですか?
 フェリスィティー あなたが映画スターと結婚するっていうので大おかんむりよ。とてもモクスィーのことを考えている余裕なんかないわ。
 ナイジェル おかんむり? 何の権利があって、叔母さんがおかんむりになれるっていうんだ。叔母さんには何の関係もないじゃないか。
 フェリスィティー モクスィーのことも関係ない筈ね。
 ナイジェル ミランダは素敵な女だ。世界中捜したって、そういやしない。夢と幸せを沢山の人に与えてきたんだ。
 フェリスィティー ローザ叔母さんには与えなかったようね。
 ナイジェル 糞食らえだ、叔母さんなんか。
 フェリスィティー じゃあ、モクスィーの件、あなた、合わせてくれるのね? みんなに。
 ナイジェル そりゃみんなに合わせるよ。だけど、僕は賛成じゃないんだからね。大反対なんだから。
 フェリスィティー それから、このことは誰にも言わないのよ。約束するわね? ミランダにもよ。
 ナイジェル どうしてそんな馬鹿なことを。遅かれ早かれ、みんな分るに決まっているでしょう?
 フェリスィティー 約束ね?
 ナイジェル 本気で言ってるの?
 フェリスィティー 本気。これはとても大切なことなの。
 ナイジェル 分ったよ。じゃ、約束する。
 フェリスィティー それに、どうせ長いことではありませんからね。二人とも、そのうち出て行くんですから。
 ナイジェル どうして。
 フェリスィティー だって、ここはあなたの家ですからね。あなたもミランダと二人で暮したいでしょうし。
 ナイジェル お母さんの家でもあるんですよ、ここは。
 フェリスィティー あなたが独り身である間だけね。義理の母親なんていやなもの。ミランダに悪いですからね。
 ナイジェル ジョウンとはうまくやっていましたよ。
 フェリスィティー ジョウンとうまくやったのは、私の一生一代の大芝居。あれ以来私の神経系統は未だに恢復していないの。
 ナイジェル(思い出すように。)可哀相にジョウン。あれほど退屈な女も珍しい。どうして僕はあんな女と結婚したんだろう。
 フェリスィティー 「どうしてあんな女と結婚したんだろう」。私も、よくそう思ったわ。特にジョウンがピアノを弾いていた時。
 ナイジェル キイを強く叩き過ぎる癖はあったけど、それほど悪くはなかったんじゃない?
 フェリスィティー 離婚した後、すぐ調律させたわね、あのピアノ。
 ナイジェル ミランダのこと、気に入った? お母さん。
 フェリスィティー 挨拶だけだもの、まだ。すぐ眠りたいからって・・・
 ナイジェル 車で長かったですからね。それにいつも昼寝をする習慣ですから。
 フェリスィティー それはいい考えだわ。
 ナイジェル(しつこく。)ミランダのこと、気に入ってくれるようになるかな。
 フェリスィティー 好きになりたいわね。魅力ある人のようだもの。勿論眉毛は全然ないけど。
 ナイジェル どうも今日は人の身体的欠陥に目の行く日ですね。
 フェリスィティー 欠陥と言っているんじゃないの。ただ眉毛がないと。
 ナイジェル 純真で、可愛い子なんです。映画から想像するのとは大違いなんですから。
 フェリスィティー まづ看護婦ね。次にギャングのいろ女、尼さん、それから皇帝エカテリーナ。私が観たのはこの四つ。これじゃ、どういう女性か想像するのは無理だわ。
 ナイジェル 僕はとてもあの子を愛しているんです。
 フェリスィティー そうでしょうね。
 ナイジェル とてもショックだったんでしょう?
 フェリスィティー ここに到る前に、もう少し予備工作をしておいて欲しかったわね。
 ナイジェル そんな暇もない、あっという間の出来事だったんです。
 フェリスィティー 出来事って、何?
 ナイジェル その・・・彼女に出逢って、好きになって、結婚を申し込む・・・この出来事。本当にあっという間。一瞬パッと強い光が当ったような・・・
 フェリスィティー あの子の方は、それには慣れているでしょうね。しょっ中フラッシュライトを浴びているんですから。
 ナイジェル 全部キャップ・ダンティーヴで起ったんです。僕達二人だけでいかだに乗って・・・
 フェリスィティー コンチキ探検隊ね。
 ナイジェル その時分ったんです。二人はもう昔から、見えない糸で結ばれていたんだって。
 フェリスィティー それは、結び目をほどくなんて、大変なことですものね。
 ナイジェル さっきから、軽口の連発ですけど、それはお母さんの彼女に対する本当の気持を隠すためなんですか?
 フェリスィティー 本当の気持も何も、今はまだないわ。顔を合わせただけですもの。
 ナイジェル お母さんには偏見がありますよ。とにかくそれは見え見えです。
 フェリスィティー じゃ、帰って来る前、どうだと思っていたの?
 ナイジェル もう少しは理解があると思っていましたね。確かに大変急ではありました。もっと下準備をしてからやるべきだったかもしれません。でも、僕の好み、僕の判断に、もう少しは信頼していてくれると思っていましたね。
 フェリスィティー 十八歳からこっち、あなたの恋愛の履歴を眺めると、あなたの好み、あなたの判断を信頼する気にはちょっとなれませんからね。
 ナイジェル それはミランダの罪ではありませんよ。ミランダのことは、まだ御存知ないんですから。少なくとも、ミランダについては白紙で考えて下さらなければ。
 フェリスィティー(優しく。)ええ勿論、白紙どころか、あの人についてはゼロとして考えているんですよ。
 ナイジェル 酷いですねお母さん、その言い方。全く公正を欠いていますよ。
 フェリスィティー(きっぱりと。)馬鹿なことを言ってはいけません、ナイジェル。公平を欠いてなどいませんよ。私はあなたの母親なんです。そしてミランダ・フレイルは私の義理の娘になる女なのです。偏見をもって見るのは当然でしょう? あの人の個人的な習慣で私が知っていることと言えば、昼寝をすること、それに泳げること、の二つしか知らないんですからね。
 ナイジェル あの子は素晴らしい性格なんです。正直で、すれてなくて、成功をちっとも鼻にかけていない、見せびらかしが嫌い、普通で単純な生き方・・・例えば田舎の生活、縫い物、読書・・・などが好き、それに、子供が大好き。
 フェリスィティー 子供を生んだことがあるの?
 ナイジェル いいえ、ありません。子供を持ったことがなくても、好きと言えるでしょう?
 フェリスィティー 前に一度、結婚歴はあるのね?
 ナイジェル ええ、グリーンバーグという名前の男と。彼女を騙したんです、この男は。
 フェリスィティー どういう風に?
 ナイジェル あるゆる風に。残酷で、いつも出歩いていて、彼女を何週間も独りぼっちにして・・・
 フェリスィティー それじゃ、好きな縫い物と読書はよく出来た訳ね。
 ナイジェル お母さんはあの子にもう意地悪をしようと決めてかかっているんです。もう僕は何も言いません。
 フェリスィティ(ちょっとの間の後。)新聞で、俳優のドン・ルーカスが、イギリスに着いたとあるのを見たわ。
 ナイジェル それで何が言いたいんです? お母さん。
 フェリスィティー ミランダにとっては、ちょっと具合が悪いんじゃないかしら。
 ナイジェル ドン・ルーカスとミランダの噂を僕が知らないと思っているんですか?
 フェリスィティー いいえ、それは知っているでしょうね。新聞にデカデカと書き立てられているんですから。私はただ、あの人が丁度今やって来たというのが運の悪いこと、と言っているのです。ドン・ルーカスがあの人の恋人ということは、とにかく世界中に知れ渡っていますからね。
 ナイジェル 前に言ったように、ミランダは僕には何もかも正直に話してくれているんです。何も隠そうと思ったことなどないのです。彼女のあの男との恋愛の話は、みんな彼女の口から聞いています。もうあんなものはずっと昔に終っているのです。まあ、報道されている話の四分の三はデマですがね。
 フェリスィティー それは良かったわね、ナイジェル。
 ナイジェル 新聞に書いてあることを信じるのは馬鹿げていますよ。
 フェリスィティー 分っています。誰もがそう言います。そして、誰もが信じていますけど。
 ナイジェル 映画の広告業者は全く恥知らずですからね。連中にとっては、とにかくスターが噂になりさえすればいいんですから。ミランダとドン・ルーカスは三度共演した。もうそれだけで書きたてるには十分な材料なんですよ。
 フェリスィティー 尼さんの映画があったわね。あの映画ではドン・ルーカス、大変よかったわ。
 ナイジェル 酷い飲んだくれなんです、彼は。
 フェリスィティー ミランダが可哀相。で、あなた、結婚はいつにするつもり?
 ナイジェル 出来るだけ早く。
 フェリスィティー ああそう。あの人の家族は? 親戚はどうなの?
 ナイジェル 十八の時に母親に死なれたんです。ひどいショックで。アメリカに渡ったのも、それに一因があるんです。
 フェリスィティー 家族の他の人達は?
 ナイジェル 一人で生きなきゃならなくなって、それでプロのダンサーになったんです。
 フェリスィティー アクロバット? それとも社交ダンス?
 ナイジェル 知りません。それは大事なことなんですか?
 フェリスィティー 勿論大事なことではありません。空中ぶらんこで宙返りするのがあの人の若い頃の仕事であったって、そんなこと問題ではありません。私はただ、あの人の下地となっている昔の話を知りたいだけです。姉妹(きょうだい)はあるんですか?
 ナイジェル(嫌々ながら。)姉がいたのです。彼女よりはずっと年上の。姉についてはあまり話したがらないんです、彼女は。
 フェリスィティー どうして?
 ナイジェル どうやら、悪い道に進んだらしくて。
 フェリスィティー 泥棒とか、そういったはっきりした悪の道? それとも漠然としたもの?
 ナイジェル 知りません。僕が知っているのはただ、彼女が姉の力になろうと真剣に努力したということだけです。
 フェリスィティー どんな風に?
 ナイジェル しょっ中送金したんです。でも、駄目だった。全部お酒に消えたんです。
 フェリスィティー 可哀相にミランダ。飲んだくれに悩まされる星に生まれたのね。その姉さんて、まだ生きているの?
 ナイジェル いいえ。多分死んでいると思います。
 フェリスィティー その方がいいわね。結婚式に突然現れて、酒壜を出席者に投げ付けたりされては困りますからね。
 ナイジェル ミランダの人生は楽なものではなかったのです。そういうものから逃れたくて、身を落ち着ける気になったんだと僕は思っています。
 フェリスィティー そうでしょうね。イギリス貴族には、荒(すさ)んだこの社会に恰好な隠れ家を提供してきた歴史があります。
 ナイジェル 今度は皮肉ですか?
 フェリスィティー 何だか今夜は足場をしっかり決めることが出来ないでいるわ。駄目ね、これじゃ。
 ナイジェル もうこの時間だったら、クレストウェルがカクテルの用意をしに入って来ている筈なんじゃありませんか?
 フェリスィティー 呼びましょう。(ベルを鳴らす。)今ちょっと手薄なの。メイは疱疹にかかっているし・・・
 ナイジェル 疱疹? うつりませんか?
 フェリスィティー うつらないと思うけど。いづれにしたって、メイに会って長い話をしようなんて気持はないんでしょう?
(ピーター登場。夜会服姿。)
 ピーター 植込みのところにガールスカウトの子が二人いますよ。窓から見えました。
 フェリスィティー 何をしているの?
 ピーター 何もしていません。ただいるだけです。
 ナイジェル サインをねだるのが目的なら、追い払わなければ。ミランダはサインをねだられると苛々してくるんです。
 フェリスィティー 可哀相に。
(クレストウェル、カクテル用の盆を持って登場。氷のバケツを持ってアリスが続く。)
 フェリスィティー 確かに植込みのところに女の子がいるわね、クレストウェル。
 クレストウェル ええ、あの子達、午後になってからずーっとあそこにいるんです。一人は多分、マンビー家の娘の筈です。
 ナイジェル 誰でも構わない。追っ払うんだ。
 フェリスィティー エルスィー・マンビーがその中にいたら、とても追い払うのは無理ね。村中の人が武装して攻めて来るわ。
 ナイジェル 何故。
 フェリスィティー 弟を井戸から救ったの。このあたりの英雄よ。
 クレストウェル 氷をそこに置いて、アリス。連中の用事を訊きに行ってくれ。
 アリス ミス・フレイルのサインが欲しいんですわ、ミスター・クレストウェル。郵便局のミス・ルートンも、弟のビリーをよこして来ました。ビリーはバイクで来ています。
 クレストウェル 連中のサイン帳を貰って来るんだ。明日の朝渡すからと言って。
 アリス はい、行きます。
 クレストウェル 連中と一緒になって、ゲラゲラ笑ったりしないんだぞ。
 アリス はい、分りました。
(アリス退場。)
 フェリスィティー 有難う、クレストウェル。これからこういうことが続くわ、きっと。
 クレストウェル 新聞のインタビューの問題があります。彼らには何と言うか、予め私に指示しておいて下さらなければ。
 ナイジェル 追っ払うんだ、そんなもの。
 クレストウェル 「ケンティッシュ・タイムズ」の、あの若いウィリスは、とにかくしつこいです。七回電話で、二回足を運んで来ました。
 ナイジェル 「糞食らえだ」と言ってやればいい。
 フェリスィティー 馬鹿なことを言わないで、ナイジェル。あのミスィズ・ウィリスの息子に「糞食らえ」なんて言えっこないでしょう? コテッジ病院の委員会であの奥さん、私の意見の忠実な支持者なんですからね。それにバザー用の毛糸のマットを一人で拵えてくれて・・・
 クレストウェル 若旦那様、もし明日ミスター・ウィリスにちょっと時間をさいて下されば、それから、ほんの少しで構いません、もしミス・フレイルに彼を紹介して下されば、非常に喜ぶと思いますが。彼は意欲的な若者で、激励に値する男です。
 ナイジェル ミス・フレイルをここに連れて来た理由の一つはなクレストウェル、新聞屋、サインねだり、その他彼女にうるさく付き纏う者たちを引き離そうというためなんだ。
 フェリスィティー(きっぱりと。)あなた、ウィリスには会わなきゃ駄目。ミス・フレイルもです。選挙の時、あの人は私達の強い味方です。それに、毎年教会のお祭りの時、新聞の半ページをこれに当ててくれているのです。(クレストウェルに。)ウィリスに電話をかけて、明日の朝来るように言って。
 クレストウェル 畏まりました、奥様。
(クレストウェル退場。)
 ナイジェル お母さん、随分ですね。思い遣りがありませんよ。
 フェリスィティー 馬鹿なことを言うものではありません。イギリスの小さな村に住む決心をしたということは、宣伝の攻勢にも耐える決心をしたということです。(ピーターに。)カクテル、私が作りましょうか?
 ピーター ナイジェル、君に頼むよ。お母さんはどうもジンをしっかり入れない癖があるんでね。
 ナイジェル じゃ僕が。みんなマテニでいいんだね?
 フェリスィティー ええ、お願い。
 ピーター いや、実にお祭り気分だな。あれやこれやで。
(ミランダ登場。完璧な出立ち。清楚な夜会服。宝石も派手過ぎない。刺繍枠などが入っている仕事用の更紗の袋を持っている。)
 フェリスィティー ああミランダ、よく休めましたか?
 ミランダ(気取りなく。)眠って、目が覚めたら、別の世界に来たような気がしましたわ。
 フェリスィティー あらあら、世界が二つあったのね。
 ミランダ 長いドライヴの後で、疲れてちょっと気分も塞いでいましたわ。それに、心配でした。みなさんに私がどう思われるか。でも、目が覚めて、あたりが違って見えました。お部屋のせいかも知れませんわ。何て素敵なお部屋なんでしょう。あそこに幽霊が出るんですの?
 フェリスィティー 誰がそこにいるかで変って来るでしょうね、それは。
 ピーター ジュディー・レイヴェナムがあそこにいた時は、あの部屋の名前はヴィクトリア駅だったんです。
 ナイジェル(飲み物のテーブルから。)止めてよ、ピーター。
 フェリスィティー さあ、ここに来て坐って。
 ミランダ(進んで。ソファに坐って。)私、刺繍を持って来たんですの。刺繍をして、構わないかしら。
 フェリスィティー どうぞ。誰も気にしませんよ。
 ナイジェル 君、マテニ?
 ミランダ いいえ、出来たらアルコールのないものがいいんですけど。
 ナイジェル レモン・ジュース? ちょっとソーダを入れて。
 ミランダ ええ、お願い。(フェリスィティーに。)私、神経をはっきりさせておきたいんですの。新しい印象をしっかりと取り込みたいのです。分って戴けるかしら、この新しい雰囲気を私の身体になじませたいんですの。
 ナイジェル ピーター、手伝って。
(ピーターとナイジェル、飲み物をみんなに配る。)
 フェリスィティー 着いた最初の夜に大勢知らない人が来ても、きっと困るだろうと思って、今日は家にいる人以外は、提督とその夫人のレイディー・ヘイリングだけをよんであるの。この夫妻は御近所に住んでいて、昔からの知りあいなのよ。
 ミランダ この家にいる人って、どなたなんですの?
 フェリスィティー ピーターと・・・モクスィー。(ナイジェルの方をさっと見る。)
 ミランダ モクスィーって、渾名(あだな)なんですの?
 フェリスィティー ええ、まあ。正式には、ミスィズ・モクストン。ずっと長い間の知りあいで、家族の一員と同じように暮しているの。
 ミランダ 私のことを認めて下さるといいんですけど、その方。
 ナイジェル(ミランダの謙遜な言い方が気に入らなくて、苛々する。)認めないなんて話、どこから出て来るんだ。
 ミランダ 古い家柄では、その家族の人自身よりも、その友人達の方が侵入者を嫌うものですから。
(この時モクスィー登場。濃い青の夜会服。ヘアスタイルもよし。真珠の首飾りが二本。右手首に非常に高価な腕輪。大きな角つきの縁の眼鏡をかけている。フェリスィティーの方に歩みよる。)
 モクスィー 遅刻じゃなかったかしら。
 フェリスィティー 勿論大丈夫よ、モクスィー。
 ナイジェル(無理をして、やっと。)やあ、モクスィー。
 モクスィー お帰りなさいませ、ぼっ(「・・・ちゃま」を呑み込んで。)あーら、お元気そう。とても。
 フェリスィティー(急いで女性二人を引き合わせる。)ミス・ミランダ・フレイル・・・ミスィズ・モクストン。
 ミランダ(少女のような言い方で。)始めまして。私、お噂は随分聞きましたのよ。お友達になれると嬉しいですわ。
 モクスィー もうずっと以前からあなたのことを知っているような気持ですわ、ミス・フレイル。
 ミランダ(「ミス・フレイル」に即座に、魅力的に対応して。)ミランダと呼んで下さいません?
 モクスィー ええ。喜んで。
 ミランダ(誠実に。)有難う。有難うございます。皆さん全員、私のことをどうしたらいいだろうと思っていらっしゃると思います。だって、誰も私のことをご存知ないのですもの。私の、この上辺(うわべ)から判断しなければならないんです。そして、上辺って、とても中味と違っている場合が多いんですもの。
 フェリスィティー ええ。幸いなことにね。もし最初の一瞥で中味が全部分ったら、人生って随分暮し難いでしょうからね。
 モクスィー まあ、こうしてお会いすることが出来るなんて、夢のよう。私、あなたの大ファンなのよ。
 ミランダ(感謝して。)有難うございます。
 モクスィー お願いピーター。私に飲み物を取って。私、咽喉からから。
 ナイジェル(怯む。しかし、気を取り直して。)シェイカーにはもう氷しかないですよ、ピーター。作り直しましょう。君、マテニだね? モクスィー。
 モクスィー ええ、ぼっ・・・お願いします。
 ミランダ(目立つように、眼鏡をかけ、袋の中を探って。)見てくれなんか気にしないで、昔の眼鏡をかけて、ゆったりした気分になれるって、本当に素敵だわ。
 ナイジェル だけど、その眼鏡、君によく似合うよ。
 ミランダ(投げキスを送って。)有難う。優しいわ。
 ピーター(ミランダが刺繍の枠を袋から取出し、じっと見ている時。)刺繍とか縫い物、昔からお好きだったんですか? ミス・フレイル。
 ミランダ ええ、ずっと昔から。子供の頃からですの。家で私の仕事といったら、いつも縫い物。それに繕い物でしたわ。家は酷く貧しかったのです。通りで遊んでいるとよく母が呼んで、ストッキングの綻びを繕わせたり、スカートの裾を縢(かが)らせたりしたものですわ。ミシンなど家になかったのです。
 モクスィー 通りで遊んだ、ですって?
 ミランダ(陽気に小さく笑って。)ええ。小さい頃の遊びは屑拾い。・・・よその家のゴミ捨ての箱の中に、トランプを見つけて・・・それで人形の家を拵えた・・・これ、その頃の思い出の一つですわ。
 モクスィー お住まいはどこだったのかしら。
 ミランダ 酷いスラム街。・・・ええ、ブリクストン・ハイ・ストリートノの近く。
 モクスィー(鉄の自制で、ぐっと堪(こら)えて。)酷いスラム街?
 ミランダ(思い出すかのように。)ええ。今でも浮んで来る。・・・土曜日の夕方、人込みと街灯の中を、母のためにパブで一パイントのビールを買って、水差しの中に入れて家に持って帰る。ある晩、手回し風琴を鳴らしている人がいて、私はそれに合わせて踊った・・・
 モクスィー いくつの頃のこと?
 ミランダ 五つ・・・たしか。
 モクスィー パブの外で手回し風琴に合わせてあなたは踊った・・・五つの頃だった・・・
 ミランダ(昔を懐かしむ微笑。)ええ、踊りを習った最初がこの時・・・ひとりでに・・・(我に返ったように。)子供の頃のこんな薄汚れた思い出をさらけ出してしまって・・・皆さまを厭なお気持にさせてしまいましたわ、きっと。
 ナイジェル 飛んでもない。みんな厭な気分になんかなってないさ。
 フェリスィティー その反対。なんて魅惑的な話。ねえモクスィー?
 モクスィー ええ、魅惑的・・・
 ミランダ 私はスラムの生まれ。ボウ教会の鐘の音の聞える所で。私はロンドン・コックニー。そしてそれが私の誇り。
 フェリスィティー そうね。立派な誇りね。
 ミランダ 昨日私、ナイジェルにも言わないで、古い着物を着て、ベールを着けて、電車でブリクストンに行きました・・・たった一人で。
 モクスィー どうだったの? そのスラム街。
 ミランダ 随分変っていました。二十年て長い時間ですわ。でも、家(うち)の建物はちゃんと残っていました。母の部屋の窓を見た時、胸が締めつけられるようでしたわ。母が亡くなった部屋の。
 モクスィー 献身的に尽したんでしょうね、亡くなられた時。
 ミランダ(飾り気なく。)出来るだけのことは。でも十分ではありませんでしたわ。
 ピーター で、その時、あなたお一人? お父さんもご兄弟もなし?
 ミランダ 父は私が生まれてまもなくして死にました。姉はいました。私よりずっと年上でした。・・・可哀相なドーラ・・・
 ピーター 可哀相? どうかしたんですか? そのお姉さん。
 ミランダ 女の人が生活をよくしようとする時、常に起きることが起ったのですわ。
 フェリスィティー 常に起きることって?
 ミランダ ええ。出来ることから始めたのです。その最初がいけなかったのです。私は運のよい星に生まれたのです。私には、心の奥底に強い確信がありました。私はいつか這い上がるんだ、この泥沼から。私には成功しようという強い意志が生まれついてあったのです。でもこれは考えてみると、随分不公平なことですわ。生まれた時からそういう意志がある人とない人がいるんですもの。ドーラが私を嫌っていた本当の理由はこれ・・・私にはその意志が十分にあり、彼女にはなかった、そのことですわ。
 ピーター お姉さんはあなたに意地悪でしたか?
 ミランダ いいえ。意地悪ではありませんでした。ただ、私のことが理解出来なかったのです。
 ピーター 実際に虐(いじ)めたりはしませんでしたか? 殴ったり、蹴飛ばしたり・・・
 ミランダ いいえ、決して・・・しらふの時は。
 モクスィー(きっぱりと。)私、マテニをもう一杯戴きたいわ。
 ピーター(彼女のグラスを取って。)みんなもう一杯いりそうだな。(飲み物のテーブルに行く。)
 フェリスィティー その後、お姉さんはどうなったの? まだご存命?
 ミランダ いいえ。何年か前に死にました。随分遠廻りの筋道で、私の耳に入って来たのです。それまで何年も音信不通でしたから。それ以前にはちょっとしたお金、それに食べ物の小包などを時々送っていましたが、姉からは感謝の葉書一つ来たことがありませんでした。送ったお金は全部アルコールに消えたのだと思います。
 ピーター すると送った食べ物は、アルコールを消す吸い取り紙になったかな。
 ミランダ 姉がとても酷い、惨めな死に方で亡くなったと聞いた時、私、信じられない程動揺しました。私は自分をなんとか落ち着かせなければなりませんでした。それで旅行に・・・パーム・スプリングズに行きました。
 フェリスィティー パーム・スプリングズ、いい名前ね。聖書に出てきそうな・・・
 ミランダ 私、生まれて初めて挫折感を味わったのです。思ったことがうまくいかなかった。姉を救うことに失敗したのです。私の罪でした。私は責任を感じ、心から恥じたのです。勿論これは私の責任ではないのでしょう。でも、人って、ついついそんな風に考えてしまう。馬鹿ですわ。
 フェリスィティー よく分るわ、その自分のせいにするってこと。私も妹が二人いて、二人とも酷い酒飲み。まだ勿論生きていますけど。でも二人から電報が来る度に、「キャロライン、またやったのね」「サラが飲み過ぎたんだ」って思ってしまう。
 ピーター さあマテニだよ、モクスィー。フェリスィティー?
 フェリスィティー(カクテルを受取って。)随分色が薄いわね。ベルモットはちゃんと入れるためにそこにあるのよ。
 ピーター(ミランダに。優しく。)あなたの将来の義理の母親について、これだけはあなたに教えておいた方が親切でしょうね。この人は重要でないことになると、酷くうるさいんですよ。
 フェリスィティー ベルモットは重要なことですよ。
 ピーター 勿論重要な事柄になると、とたんに寛大さを発揮するんです。それが欠点と思われるぐらいまでね。着ている着物でもさっと他人にやってしまうようなところがあるんだ、ねえモクスィー。
 モクスィー(自分が貰っているから、うろたえて。)ええ、ええ、そう。ミスター・・・ミスター・・・ミスター・バグショットも言ってたわ、ついこの間・・・
 ピーター(意地悪に。)ミスター・バグショットって誰?
 フェリスィティー(助太刀に入って。)新しい牧師さんですよ、ピーター。
 ナイジェル 新しい牧師? じゃ、ユースタス・パーカーはどうなったんです。どこかへうつったんですか?
 フェリスィティー そうよ。・・・雲がくれ。
 ナイジェル 手紙でそのこと、全然知らせてくれなかったじゃありませんか。
 フェリスィティー 書けなかったのよ。手紙に書けないことってあるでしょう?
 ナイジェル 穏やかないい奴だったのに。一体彼が何をやったんですか。
 フェリスィティー 彼が何をやったか、何の証拠も残っていないのよ。いつもよくある話だったのよ。
 ナイジェル いつもよくあるどういう話だったんです。
 ピーター いつもよくある気違いじみた話。
 フェリスィティー また後で話してあげます、ナイジェル。今はあまり話したくない気分。ミランダ、あなた、もうそろそろちゃんとした飲み物にしたらどう? レモネードじゃ、あんまり惨めだわ。
 ミランダ いいえ、この方がいいんです。私、アルコールは一切。おかしいんですけど、私に禁酒を教えたのはハリウッドでしたわ。それに、他にもいろいろ自分を躾けなければいけないと教えたのは。
 ピーター 映画にはずっと出て欲しいですね。私達のために。いや、世界全体のためにもです。まさか、もう一生映画には出ないなどと・・・
 ミランダ いいえ。私、もう決めましたの。(ナイジェルに微笑んで。)ピートと結婚生活を送ることを一生の仕事にしようって。
 フェリスィティー ピート?
 ミランダ(笑って。)あら、つい出てしまって。私、いつもこの人のことをピートって呼ぶんです。馬鹿な癖。この人も私のことをピートって呼ぶんですよ。
 フェリスィティー ごっちゃになるでしょうに。
 ミランダ(ナイジェルに。)何とか分るわね? ナイジェル。
 ナイジェル 映画の仕事はこれっきりにしようと言い出したのはミランダの方なんです。個人的には、一年に一本は出るのが、大衆に対する義務だと僕は思うんだけど、どうしても厭だと言って・・・
 ピーター 何故なんですか?
 ミランダ お分かりにならない? 本当に?(感銘を与えるように。)ナイジェルを愛しているからですわ。私、心の底から愛しています。ですから私、決心したんですの。マーシュウッド伯爵夫人を演じることを、私の一番長い、一番立派な役にしようって。
 フェリスィティー やれやれ、こんな役、うんざりってことにならなければいいですけど。
 ナイジェル お母さん!
 フェリスィティー 本気で言っているのよ、私は。もう随分私、その役を演じてきたんですからね。ナイジェルの父親が主人公、私はヒロイン。技術的にはかなり疲労のたまり易い役ね。
(クレストウェル登場。)
 クレストウェル(来客を告げる。)サー・ジョン提督と、レイディー・ヘイリングのお越しです。
 ピーター(フェリスィティーに。苦しい声で囁く。)どうしよう! 予め言っておくのを忘れていた!
(提督とレイディー・ヘイリング、登場。)
(クレストウェル退場。)
 レイディー・ヘイリング 遅くなってご免なさいフェリスィティ。丁度出かける時になって、ユースタス・パーカーが来たのよ。それで、教会のお祭りについて、長々と話し始めてね・・・
 ナイジェル ユースタス・パーカー?
 フェリスィティー(急いで。)あら、あの人、帰って来たの? 良かったわ。じゃ、結局噂が飛んだだけだったのかしら。
 レイディー・ヘイリング あなた、何を言ってるの? フェリスィティー。
 フェリスィティー 別に何も。後で話して上げる。
 ジョン・ヘイリング(ナイジェルと握手して。)やあ、ナイジェル。
 レイディー・ヘイリング お帰りなさい、ナイジェル。(キスする。)
 フェリスィティー スィンスィア、ジョン・・・こちらがミランダ。ミランダ・フレイル。
 ジョン・ヘイリング(突慳貪(つっけんどん)に。)始めまして。
 レイディー・ヘイリング(ミランダと握手。)遠くからですけど、いつもあなたのこと、見てましたわ。
 ミランダ(この時までに立ち上って、眼鏡を取っている。)有難うございます。
 レイディー・ヘイリング(モクスィーを見て。)モクスィー! まあ、素敵な着物! それに髪形! すまないけどね、モクスィー、私達、食事をしている時にハンドバッグの綻びを繕って下さらない? 家を出る前に、ソーンダースに頼むつもりでいたのよ。それが、つい忘れちゃって・・・
 モクスィー(ちょっとの間の後。)あらスィンスィア、忘れてはいけないわ。この次には、ご自分の頭までお忘れになるわよ。
 レイディー・ヘイリング(呆れる。むっとして。)何て言ったの? あなた。
 フェリスィティー(レイディー・ヘイリングの腕を抑えて。)スィンスィア、ジョン、ちょっとお二人に話があるの。療養所の話。看護婦長について厭なことが起ったの。私、本当にどうしたらいいか。看護婦長、今度ばかりは誰が考えたって、行き過ぎ。お二人ともちょっと書斎へ。みんなの前では話せないの。こういう事ではお二人とも、とても健全な考えをお持ちだから。ね? お願い・・・ピーター、カクテルを作っておいて。二、三分したら帰って来ます。
(フェリスィティー、二人を書斎へと無理矢理引き込み、後ろ手に扉を閉める。)
 ナイジェル お母さん、今夜はどうしたんだ。あれは完全なヒステリー状態だ。
 ピーター あの看護婦にかかっちゃ、誰だってヒステリーになってしまうよ。まるで気違い犬そのものだからな。
 ナイジェル ミスィズ・ギャスキンでしょう? 看護婦長は。あの人、このあたりで、誰もが尊敬している人ですよ。
 ピーター ミスィズ・ギャスキンのことじゃないんだ。新しい看護婦長の話だよ。
 ナイジェル 新しい? いつから?
 ピーター(飲み物のテーブルから。)ミスィズ・ギャスキンが死んでからさ、勿論。
 ナイジェル えっ? 死んだ? 可哀相に。いつのことです?
 ピーター 三週間前だったかな、たしか。
 ナイジェル 死因は何だったんです?
 ピーター 私に訊いても無駄だよ。ここにいなかったんだから。それに、ミランダに悪いよ。興味は全くない筈だからね。こんな田舎の小さな事件の話なんか。
 ミランダ いいえ、とても興味がありますわ。私の新しい生活の一部ですもの、それは。何でも知りたいんですの、少しづつ。一歩一歩学んで行かなければ。このイギリスのおかしな世界、私の故郷となるこの世界のことを。とても大切なんです、本当に。
 ナイジェル(ミランダの手を優しく叩いて。)ミランダ! 
 ミランダ(ナイジェルを見上げて。すべてを捧げるという目で。)最初はきっと大変だわ。村の人達に、私のことを信用して貰わなきゃならないんですから。そして私を友達として見て貰うようにしなきゃいけないんですから。でもきっとやって見せるわ、私。どんなに時間がかかっても。きっと。
(フェリスィティーとヘイリング夫妻、書斎から登場。同時にクレストウェル、登場。)
 クレストウェル(宣言する。)お食事の用意が出来ました。
 フェリスィティー(ヘイリング夫妻に。)あらまあ、私がさらって行ったものだから、お二人ともカクテルを飲む間もなくなって・・・
 レイディー・ヘイリング じゃ、持って入りますわ、私達。
 フェリスィティー 気になさらないなら、どうぞそうして。最初の料理はスフレなの。
 ピーター では私が持って行きましょう。
 フェリスィティー ではみなさん・・・ミランダ・・・
(フェリスィティー、ミランダの手を取り、退場。他の者達も、陽気に喋りながら従う。モクスィー、扉のところまで来て立ち止まり、小さい声で、「私ちょっと・・・後で参ります」と言い、部屋に走り戻る。自分のバッグを捜すふりをする。他の者が全て退場した時、ソファに沈む。)
 クレストウェル ドーラ。
 モクスィー 出来ないわ、私・・・私には駄目。
 クレストウェル 元気を出すんだ。
 モクスィー あんなのを黙って聞いてなきゃならないなんて。パブから水差しに入れてビールを運んだ・・・何てことを言うんでしょう。お母さんは生涯一滴だってアルコールを口にしたことはなかった。立派なお母さん。生まれた時から死ぬまで、神様に対して敬虔な気持を持っていたお母さん、それを・・・
 クレストウェル おいおい、ドーラ。生まれた時から神に敬虔な気持を持つなんて、いくらなんでもそりゃ無理だよ。
 モクスィー 今のこの状態、なかなか笑えるなってあなた、思っているんでしょう。
 クレストウェル それは否定出来ないね。この一連のドタバタには確かに、何とも言えないユーモアがある。
 モクスィー あなた、あの女が言う話を聞いていないからよ。あの意地悪な嘘、あの嘘を聞けば、いくらあなただって、そんな・・・
 クレストウェル そこは違うんだよドーラ。工夫はちゃんとしてあって、一から十まで君の妹の話は聞いているんだ。簡単な工夫でね。鍵穴に耳をつけるというだけのことなのさ。
 モクスィー 私、決して許さない。あんな奴、決して、決して。
 クレストウェル さあ、行かなくちゃ。君がどうしたのか、怪しみ始めてぞ、みんな。
 モクスィー(涙が出そうになる。)ああ、フレッド・・・
 クレストウェル さあさあ。もうぐずぐずは止めて。(半分まで入っているマテニを取って。)さあ、こいつをぐっとやるんだ。
 モクスィー 駄目、それは。止めといた方がいいわ。本当に。
 クレストウェル 飲むんだ。これっぽっちの酒、何でもない。さ、早く。
(モクスィー、一息に飲み込む。)
 クレストウェル それでよし。さあ、行くぞ。顎を上げて、唇を閉めて。歯を噛みしめて。肩を車の後ろにあてて、ぐっと一押しだ。
 モクスィー まあ、フレッド。
 クレストウェル 最近、何か面白い本をお読みになりましたか?
(モクスィーの腕を取って、扉に進む。)
                      (幕)

     第 二 幕
     第 二 場
(場 約一時間後。)
(アリスが鼻歌を歌いながら、カクテルグラスを盆の上にのせて片づけている。暫くしてクレストウェル登場。)
 クレストウェル ほらアリス、急いで。台所で手が足りないんだ。早くして。
 アリス はい、ミスター・クレストウェル。
 クレストウェル 二人だけになったこの時間を利用して、お前に言っておくがね。大事なお客様に給仕を許されて、たしかに興奮するのは分る。しかし、あんな大きな鼻息をするものじゃない。分るね?
 アリス すみません。
 クレストウェル 人参のお皿を将来のマーシュウッド伯爵夫人に出す時のお前の鼻息といったら、まるで貨物列車がカーブにさしかかった時のようだったぞ。
 アリス しようがなかったんです、本当に。木曜日に日本人に拷問を受けているのを見ていて、土曜日には私がその人に人参を出しているんですもの。息もつけませんわ。
 クレストウェル それだけの興奮を味わわせて貰ったのなら、文句もつけない訳だな?
 アリス はい、ミスター・クレストウェル。
 クレストウェル それから、ミスィズ・モクストンを、あんな風に口をポカンと開けて、目の玉が飛び出さんばかりの顔をして見つめるのも、昔からの召使の礼儀にかなっていない。
 アリス びっくり仰天ですもの。あんな風に着飾って、テーブルについて。私、卒中を起しそうだったわ。
 クレストウェル お前に卒中の気(け)があるなら、予めそう言っておいてくれなきゃ駄目だよ、アリス。
 アリス あれはどういう意味なんでしょう。
 クレストウェル 何がどういう意味なんだ。
 アリス ミスィズ・モクストンです。私達と一緒じゃなく、あの人達と一緒にお食事をして。それに、奥様のブレスレットをして・・・
 クレストウェル 我々には不確かなものではあったが、昔から言い伝えられたある仮定があった。即ち、神の目から見ると、人間は全て平等だとね。今回それを、人間の目の前でも平等かどうか、社会的実験をしてみようということになってね。
 アリス まあ!
 クレストウェル それがそんなにうまくいかない、或は決して成功しないということが分れば、理想主義者達も、ユートピアの実現に、それほど熱心にはならないだろうからね。
 アリス ユートピアって、何ですか?
 クレストウェル 社会の構成員一人一人に極限まで精神衛生を施した結果生まれる社会さ。そこでは誰もが「やあやあ」と言い交して、食事時でも給仕をする人間はいない。
 アリス ああ、分りました。ピクニックのお弁当の時ですね。
(呼鈴が鳴る。)
 クレストウェル 玄関だ! 一体こんな時間に誰なんだ。さあ、早く片づけて、台所だ。
 アリス はい、ミスター・クレストウェル。
(クレストウェル、急いで退場。)
(アリス、ものすごい勢いで灰皿をごみ箱にあけ、残ったカクテルグラスを盆にのせ、退場しかける。その時クレストウェル、ドン・ルーカスを部屋に案内して登場。アリス、その場に釘付けになる。ドン・ルーカスを口をポカンと開けて、見つめる。ドン・ルーカスは三十代後半。非常にハンサム。日焼けの肌、丁度よい黒さ。スポーツ服姿。ハリウッド・スタイルから見ると完璧。少し酔っている。)
 クレストウェル ご来訪を若旦那様にお伝えしてまいります。少々お待ちを。
 ドン おい、待ってくれ。僕は侯爵は知らないんだ。僕は彼に会いたいんじゃない。ミス・フレイルなんだ。ミス・ミランダ・フレイルに会いたいんだ。
 クレストウェル 畏まりました。(振り返って、行こうとする。)
 ドン ちょっと、ちょっと待ってくれ。(アリスを見る。)・・・行く前に、君に話があるんだ。
 クレストウェル(アリスに。)大きく息を三回。鼻でだ。口をきっちり閉めてな。それから行くんだ。
 アリス はい、ミスター・クレストウェル。
(アリス退場。)
 クレストウェル 話があるということでしたが?
 ドン いいか、僕はな、僕はドン・ルーカスなんだ。
 クレストウェル はい、すぐ分りました。多少の眩惑(げんわく)、なしとしませぬが、大方は喜びの気持を伴いまして。
 ドン よく分らないな。何て言った?
 クレストウェル どうやら、ミス・フレイルとのお話は内密に行いたいとのご希望のようで。
 ドン そうなんだ。そうそう、ミス・フレイルと僕とは昔からの友達でね。
 クレストウェル お手前をドン・ルーカス殿と認めましたるは、私の喜び。その瞬間に暗き影。それが只今のお手前の台詞にて。
 ドン お手前の台詞にて?
 クレストウェル 真空地帯のケントの片田舎に、隔絶した暮しをしておりましても、外界の大きな流れに全く無縁という訳ではありませぬ。それはそれ、銀幕もありまた、それに付随する定期的刊行物あり。お手前の公私にわたるご活躍を追認・・・いやいや、非常な興味をもって追認・・・するに、困難なき現今の状況です。このあたりでは、あなた様は実に人気のある男優です。
 ドン 有難う。手元にすぐあれば、スコッチが戴きたいんだが。
 クレストウェル 畏まりました。どのように致しましょう。ハイボール、ストレート、またはオンザロック?
 ドン(感心して。)おい、君はすごいね。何でも答が出て来るんだね。
 クレストウェル 只今の私への答は戴いておりませんが。
 ドン 分った。君の勝ちだ。オンザロックにしてくれ。
 クレストウェル(飲み物のテーブルに行き。)畏まりました。
 ドン 有難い。君の名前は何て言うんだ?
 クレストウェル(オンザロックを作りながら。)クレストウェルと。フレデリック・クレストウェルと言います。
 ドン なあフレッド、助けて貰いたいんだ。僕は今、ごたごたに巻き込まれてね。
 クレストウェル どのようなごたこたでしょう。ごたごたには三種類あります。職業的ごたごた、法律的ごたごた、それに、感情的ごたごたですが。
 ドン 驚いたね。こういう会話が出来る人間なら、ハリウッドに行けばシナリオ・ライターとして一山稼げるぞ。
 クレストウェル 私にも稀な内省(ないせい)の時間がありまして。そんな折、その考えが浮んだこともあります。しかし、全般を考慮に入れ、結局は現状が最善であると。(ドンにオンザロックを渡す。)
 ドン 有難う。(受取って。一口飲む。)君を男と見込んで話があるんだが。
 クレストウェル 男以外の者に見込まれますのは困った事態でして。
 ドン 若旦那様の、その侯爵なんだが、本気でミランダと・・・いや、ミス・フレイルと・・・結婚しようとしているのかね、それとも単なる宣伝の材料にするためなのか。一体どういう風に料理されているのか、僕は知りたいんだ。
 クレストウェル 長いドライヴでお腹がおすきでしたら、コールド・チキンとサラダぐらいはすぐ出させますが。
 ドン(苛々した様子を見せて。)冗談はちょっとおいといてくれ。こいつは僕には心底真面目な問題なんだ。三日前にラジオでこのニュースを聞いて、すぐ飛行機に飛び乗ってやって来たんだ。僕は何が何でも知りたい。この結婚が、本気で計画されているものなのか、それとも映画界の方からの宣伝の材料なのか。
 クレストウェル 本気です。残念ながら。
 ドン 彼女が僕にそんな仕打ちを! そんなこと出来るものか、あいつに! 頼むフレッド、彼女に会わせてくれ。僕はあいつにどうしても会わなきゃならん。二人だけで。今すぐ。フレッド、何とかやってくれ。頼む。
 クレストウェル 今丁度、全員夕食の最中でして。一世一代の勝負なしには、ここへお連れすることは困難と思われます。
 ドン 僕のことは言わなくていいんだ。そうだ、「ライフ」からの記者が来たと言うんだ。「ライフ」のためなら彼女は何でもやるさ。
 クレストウェル 説明不可能な衝動ですな。有名人に共通な。
 ドン 四頁の記事だ。彼女の写真が表紙を飾るってな。この餌には食い付く筈だ。まあ、誰だってかかるがな。
 クレストウェル では、最善を尽してまいります。
 ドン 有難い。頼むぞフレッド。それからこれだ。(二十ドル紙幣を渡す。)
 クレストウェル(それを見て。)二十ドル! 政府がこれを知ったら、私にサーの称号をくれますよ。
(クレストウェル退場。)
(ドン、真直ぐ飲み物のテーブルに行き、スコッチを生(き)のまま注ぐ。部屋を行ったり来たりする。いても立ってもいられない気持。)
(暫くしてミランダ登場。ドンであることを知り、すぐに後ろ手に扉を閉める。)
 ミランダ(信じられないように。)ピート!
 ドン(自棄ぎみに。)ピート!
 ミランダ(怒って。)よくもあんた、こんなことを!
 ドン(もっと自棄に。)ピート!
 ミランダ よりによって、こんな卑劣なことを! もう私、あんたを許さない。決して、決して許さないわ。
 ドン(ミランダに近づいて。)ピート・・・僕は話があるんだ。どうしても話したいんだ。僕は気が狂いそうだ。
 ミランダ 近寄らないで、この・・・蛇!
 ドン ストラト・ライナーで遥々大西洋を越えて飛んで来たんだ。混んでいて、寝台も取れなかった。やっと着いて聞かされる言葉が「蛇」だとはな。
 ミランダ 蛇よ。だって、蛇じゃないの、あんた。あんたの顔なんかもう見たくない。別れた時にそう言ったでしょう? 今も同じよ!
 ドン 本気で言ってはいないんだピート。心の底では君は違うんだ!
 ミランダ 本気よ。私の人生から、あんたというものを私、切り離したの。萎(な)えた手足を切り離すように。
 ドン ピート!
 ミランダ 私をピートと呼ぶのは止めて。そういうのはもう終ったの!
 ドン(元気のあるところを見せて。)萎えた手足なんかじゃないぞ、僕は。君にも分っている筈だ。(ミランダの肩をぐっと握る。)僕を見るんだ!
 ミランダ(もがいて。)ほっといて!
 ドン(強引にキスをして。)どうだ、これで。・・・これでも萎えた手足か。
 ミランダ(身を引き離して。)何てこと・・・何てことをするの!
 ドン 僕は君なしじゃいられない。この三年間ずーっと君のことで頭がいっぱいなんだ。
 ミランダ(軽蔑的に。)私のことで頭がいっぱい? 何よ! じゃ、ビージー・ルメアはどうなの。ゼンダ・ヒックスは。ダリル・ザニュックがパーティーをしてやった、あのポーランドの偽伯爵夫人はどうなの。
 ドン あんな奴らは僕には何の関係もないんだ。君だって分ってるじゃないか、何の関係もないことぐらい。連中はただ、夜中に通り過ぎて行った汽船なんだ。
 ミランダ 汽船ね。そうかもしれない。でもその汽船が大海原に出て行く前に、サンタ・モニカのあんたのビーチ・ハウスに停泊して行ったことは確かなんですからね。
 ドン またこれの蒸し返しか。
 ミランダ 当たり前でしょう、蒸し返すのは! 私は、私の全てをあんたに捧げたんですからね。私の心、私の夢、私の情(なさけ)・・・
 ドン 全てじゃないぞ。主演二人を同列にタイトルに出すのは、断ったじゃないか、「静かにして、馬鹿な心」の時。覚えているだろう?
 ミランダ 題名の後に続く配役の名前では、一番だったじゃない。いい役で出た映画はあれが最初だったのよ、あんた。あの位置にあって不足な筈はないわ。
 ドン まあ、注目はされたさ。
 ミランダ 「注目はされた」? 何ていう言い方? ハリウッド・レポートではベタ褒めだった。ニューヨーカーではさんざん叩かれた。どっちにしたって、「注目はされた」なんかじゃすまされない良い扱いよ。そうじゃないって言うなら私、禁酒でもして見せるわ。
 ドン(怒って。)何を言ってるんだ。自分の都合のいいように。まあいい。こんなことは今じゃ話す必要もないさ。今じゃ僕は、君が落ち目になるちょっと前の最高の時より、上の人気があるんだからな。
 ミランダ(怒って。)落ち目! 私が!
 ドン 君がこのサーのついた男と何故結婚するのか、僕が知らないとでも思っているのか。世界中知らない人間なんていやしないさ。どうしてか。それはな、「女帝エカテリーナ」以来、君が下り坂だからなんだ。
 ミランダ(蒼くなる。)私が下り坂? あんた知らないでしょうけどね、MGMは、「邪悪な年月」に出てくれるなら、私の言いなりの値段にするって言ってきてるのよ。もう何週間もうるさく付き纏ってるんだから。
 ドン はっ! 「邪悪な年月」。いやらしい台本だ。MGMはこの十八箇月、ハリウッドのスターと見れば見境なく誰にでも、うるさくせっついてるんだ。
 ミランダ 出て行ってドン。こんな話、うんざり。出て行って!
 ドン 僕がその気にならない限り、出て行くもんか。僕は君の侯爵様とやらに、ちょっと話があるんでね。
 ミランダ(戦略を変えて。)ドン、お願い。行って頂戴。私達、いい友達だったじゃない。いい思い出も沢山ある。ね? それを大事にして。ね? お願い。こんなところに乗り込んで、醜態を演じて、何もかも打ち壊すようなことは止めましょう。お願い!
 ドン 君はこの男を愛しているのか。
 ミランダ ええ、勿論よ。
 ドン 本当に愛しているのか? 君が僕を愛したようにか。
 ミランダ(鋭い悲しみが襲う。)お願い。ね、お願いドン。誰か来るわ。今すぐにも。
 ドン(あとに退かない。)君が僕を愛したようにか。
 ミランダ それは違うわ。別の人なら、愛し方は別になるでしょう?
 ドン 僕には君しかいないんんだ、ピート。僕はそうじゃないって自分に言い聞かせようとした。君を忘れようとした。覚えているだろう? 君と大喧嘩をした。君は僕にさよならを言った。僕も君にさよならを言った。君は一九四九年アカデミー賞の楯を僕に投げ付けた。あの大喧嘩からこっち、僕はずーっと君を忘れようとしたんだ。この胸の中から、君を追い出してやろうとしたんだ・・・
 ミランダ(心を動かされて。)止めて。お願い。それ以上言わないで!
 ドン(近づいて。)ピート!
 ミランダ 行って。お願い。出て行って!
 ドン(男らしく。)分った。行くよ。僕らは終ってたんだ。今やっと分ったよ。僕にはもう、全く望みはないんだ。ただ僕は、それが確かめたくってね。それでここまで来たんだ。(ミランダを優しく見つめて。)さようなら、ピート。続いていた間は素晴らしかったよ。
 ミランダ (震え声で。)さようなら、ピート。
(非常に優しくドン、ミランダを両腕に抱え、キスする。この時、フェリスィティー登場。ミランダとドン、飛び退いて離れる。)
 フェリスィティー あなたのこと、助けようと思ってやって来たのよ、ミランダ。でも必要なかったようね。
 ミランダ(あっぱれな落ち着きぶりで。)こちら、私の古い友達なんですの。丁度さよならを言うところだったんです。
 フェリスィティー だって、今着いたばかりでしょう?
 ドン 私はロンドンに帰らなければなりませんので。
 ミランダ(落ち着いて。)こちら、ドン・ルーカス。こちら、レイディー・マーシュウッド。
 フェリスィティー(感激して。)そうじゃないかって、一目見た時から思っていたわ。でも、自分の目が信じられなくて。驚いたわ。それにまあ、何て嬉しいんでしょう。
 ドン(感謝して。)有難うございます、奥様。
 フェリスィティー まさか、これからロンドンまで車を運転なさるおつもりじゃないんでしょうね。
 ドン いいえ、残念ながら、今日帰らないと・・・
 フェリスィティー そんな馬鹿な。そんな事、私が聞きませんからね。こんな夜遅く、長くて退屈な道を。おまけに土砂降りの中を。
 ミランダ 雨は降っていませんわ。
 フェリスィティー カンタベリーを過ぎる頃には降って来ます。私の勘は外れることはないの。それに、ミスター・ドン・ルーカスがこの屋敷にこっそり忍び込み、そのまままたこっそり出て行くのを手を拱(こまね)いて黙って見ていたなんて、私にそんなことが出来る訳がありません。村中の人達に石を投げつけられてしまいます。
 ミランダ 今晩ロンドンに帰っていなくちゃなりませんの。朝一番で重要な会議があると・・・
 フェリスィティー 日曜の朝なんかに、どうして会議があるのです。聞いたことがありませんよ。ミスター・ルーカス、明日まではどうしてもここに留まって戴きます。それから、明日までというのは、最低の条件ですからね。(断固とした態度でベルを鳴らす。)
 ミランダ でも、レイディー・マーシュウッド・・・
 フェリスィティー(陽気に。)ねえミランダ、あなたは私の言うことを聞かなければならないのよ。まだナイジェルと結婚していないんですからね。ここの主人は私。最後の最後の瞬間まで、鉄の鞭で私のやり方を通しますからね。(ミランダの腕を優しく叩いて、ドンの方を向く。)パジャマ、ひげ剃り、歯ブラシ、必要なものは全てクレストウェルがやってくれます。お願い、ミスター・ルーカス! これを断ったりなされば、私、大変傷つきますからね。
 ミランダ でも・・・
 ドン(ミランダを見ながら。)有難うございます、レイディー・マーシュウッド。では、お言葉に甘えて・・・
 ミランダ ドン!
(クレストウェル登場。)
 クレストウェル お呼びで? 奥様。
 フェリスィティー ああ、クレストウェル。ミスター・ドン・ルーカスが今晩お泊りになるの。手落ちのないようにね。
 クレストウェル 畏まりました、奥様。日本間にお泊りで?
 フェリスィティー そうよ。(ドンに。)日本間でお困りになるようなことは何もありませんわね? 戦争か何か・・・
 ドン ありません。
 フェリスィティー 良かったわ。そんなに日本日本している日本間じゃないの。壁紙がちょっと日本風、それに、さっと掃いたようなタッチで描かれた鯉の絵。眺めはいいのよ。それに、よく晴れた日にはドーヴァー城も見えますよ。ドーヴァー城にいらしたことは?
 ドン ありません。実はイギリスに来たのは、これが初めてなんです。
 フェリスィティー あれこれ状況を考えると、一番いい時期に来られたわけじゃないわね。それでも、お見せして誇りに思えるもの、まだ色々とありますわ。クレストウェル、若旦那様にすぐ伝えて。ミスター・ドン・ルーカスがいらしたって。それからみんなに急いでって。ここでみんなでコーヒーにするんだから。
 クレストウェル 畏まりました、奥様。
(クレストウェル退場。)
 フェリスィティー まあ不思議な気持。私、お二人に会った最後の場面、覚えているわ。あなたがミランダを抱えて・・・そう、殆ど裸の姿のミランダを・・・焼け落ちてゆく村から逃げて行くところ。それが今二人でここに。何か飲み物は如何?
 ドン 有難うございます。すみません。
 フェリスィティー あそこに全部揃っていますよ。どうごご自由に。ミランダ、あなたもう、食事には戻らないでしょう? あんな甘いものなんて、食べたってしようがないものね。
 ミランダ(諦めて。)ええ。
 フェリスィティー じゃ、お坐りなさい。そして楽にして。本当。楽にしなくちゃ。大変な一日でしたもの。あなたとナイジェルが帰って来るし、(ドンを指さし。)あなたも夜中をおしてやって来られるし、それに、ガール・スカウトの子供達が、塀を乗り越えて庭に入って来るし・・・
 ドン(新しく飲み物を入れて来て。)ガール・スカウト?
 フェリスィティー とてもイギリス流の制度なんですよ。ハリウッドにもあるかしら。いい考えなの、なかなか。女の子がいろんなことを訓練されるんです。人口呼吸から、火を焚き付ける方法まで。・・・濡れた枝でですよ。・・・そう、ミスター・ルーカス、あなたもこの家にいるということが知れたら、きっとこの屋敷、密集部隊を組んで攻撃されるわ。
(ナイジェル登場。少し緊張の面持ち。)
 フェリスィティー(陽気に。)来たわね、ナイジェル。こちらがミスター・ドン・ルーカス・・・息子のマーシュウッドです。
 ドン(進み出て。)やあ!
 ナイジェル(熱烈な歓迎という訳には行かない。)始めまして。
 フェリスィティー 遥々ロンドンから車でミランダにさよならを言うためにいらしたのよ。二人は古い友達なの。知ってるでしょう?
 ナイジェル ええ、知っています。
 フェリスィティー それが、こともあろうに、またすぐ車で帰るって。そんな馬鹿な話、聞いたことある? 少なくとも今晩だけは泊っていらっしゃいって、今やっと説得したところよ。
 ナイジェル 一晩泊る!
 フェリスィティー そうよ。心配しないでいいの。クレストウェルがみんなやってくれるから。景色がいいから、日本間にしたわ。
 ナイジェル ええ、日本間、いいですね。いい考えですよ、お母さん。
(レイディー・ヘイリング、モクスィー、ジョン・ヘイリング、ピーター、登場。)
 フェリスィティー(紹介して。)スィンスィア、こちら、ミスター・ドン・ルーカス。紹介など必要ないわね? こちら、レイディー・ヘイリング。
 レイディー・ヘイリング(ドンと握手して。)始めまして。
 フェリスィティー ミスィズ・モクストン・・・ミスター・ルーカス・・・ヘイリング提督・・・それに、甥のピーター・イングルトン。
(「始めまして」の声、交される。レイディー・ヘイリング、ミランダの隣、ソファに坐る。モクスィー、フェリスィティーの近くの椅子。男性は暫く立ったまま。)
 フェリスィティー(会話を作るため。)ミスター・ルーカスは、これが初めてのイギリス訪問なんですって。驚きでしょう?
 レイディー・ヘイリング まあ、そう?(ドンに。)イギリスは楽しいですか?
 ドン ええ、楽しいです。
 ジョン・ヘイリング 私もアメリカに行ったことがありますな。一九二二年でした。ヴァージニアのノーフォークです。ご存知ですか?
 ドン いいえ。
 ジョン・ヘイリング 西インド諸島で巡洋艦を指揮していました。ボイラーの故障でノーフォークに停泊を余儀なくされたのですな。馬鹿に暑いところだった、あそこは。
 フェリスィティー ボイラーの故障と聞いただけで暑いですよ。ね?
(クレストウェル、コーヒーの盆を持って登場。テーブルの上に置く。)
 フェリスィティー 有難うクレストウェル。書斎にブリッジテーブルの用意をね。後でするかも知れないから。
 クレストウェル 畏まりました、奥様。
(クレストウェル、書斎に退場。)
 フェリスィティー ミスター・ルーカス、あなた、ブリッジおやりになる?
 ドン やるならポーカーの方ですが。
 フェリスィティー 亡くなった主人は、それはポーカーが好きだったのよ。残念だわ、主人がいなくて。
(次の会話の間にフェリスィティー、コーヒーを注ぎ、ピーターとナイジェルがカップを配る。)
 ピーター(ドンに。)長い逗留なんですか? イギリスには。
 ドン いいえ、すぐ帰らなければなりません。新しい映画が始まるんです。
 フェリスィティー 面白いこと! 何の話なのかしら。それとも秘密?
 ドン(ミランダをしっかりと見て。)いいえ、秘密じゃありません。昔からよくある話です。それは「バム」についての話なのです。
 フェリスィティー「バム」! お尻? まあ、変った映画ですこと。
 ピーター フェリスィティー、「バム」はアメリカではお尻じゃないんですよ。
 ドン(相変わらずミランダを見つめて。)アメリカで「バム」というのは、行き場のない男のことを言うんです。生きるあてもなく、ただブラブラと、早く死ぬことだけを願って・・・
 ミランダ(ドンを鎮めようと。)ドン!
 フェリスィティー 悲しい話のようね。ハッピーエンドなのかしら? それ。
 ドン(自棄ぎみに。)いいえ、奥様。そんなのじゃありません。ハッピーエンドだなんて、とても。・・・失礼。
(ドン、突然フレンチウインドウから退場。)
 フェリスィティー(ちょっとの間の後。)可哀相に、ミスター・ルーカス。何か気にかかることがあるのね。ピーター、面倒を見て上げて。それから、生け垣の近くには決して行っちゃ駄目よ。エルスィー・マンビーに見つかりでもしたら、みんなを集めて突撃されますからね。
 ピーター それは任せて。
(ピーター、ドンの後を、走って追う。)
 ナイジェル ミランダ、君、あいつが来るのを知ってたのか。
 ミランダ 勿論知らなかったわ。
 ナイジェル お母さん、どうしてあいつを泊めるなんて言ったんですか。随分考えなしじゃないですか。
 フェリスィティー 泊めない方がよっぽど考えなしですよ。こんな真夜中にロンドンまで追い返すなんて。考えなしどころか、人をもてなす礼儀に反しますよ。
 ナイジェル 僕はミランダのことを考えて言ってるんです。
 フェリスィティー あの人だってミランダのことを考えているんです。だからあんな風に気もそぞろなんです。あの人に元気をつけて上げなくちゃ可哀相でしょう? 日本間よりも、子供部屋の方がよかったかしら。あなた、小さい時、あそこの壁の兎の絵がとても好きだったもの。
(クレストウェル、書斎から登場。)
 クレストウェル ブリッジテーブルを用意しました、奥様。
 フェリスィティー 有難う、クレストウェル。コーヒーはこのままにしておいて。まだ飲むかも知れないから。
 クレストウェル 畏まりました、奥様。
(クレストウェル退場。)
 ナイジェル(どうやら何か企みを感じ取った様子。酷く怒って、冷たい調子で。)夕食の前にお母さんは僕に訊きましたね、いつミランダと僕は結婚するかって。
 フェリスィティー ええ、訊きましたよ、勿論。みんなとてもそれが知りたいんですから。
 ナイジェル 僕の答、覚えてますか? 出来るだけ早く、と言ったんですけど。
 フェリスィティー 勿論覚えていますよ。
 ナイジェル 僕は考えを変えました。
 ミランダ ナイジェル!
 ナイジェル 出来るだけ早く、なんて止めです。月曜日です。月曜日に結婚します。もう許可証は取ってあるんですから。月曜日の朝、二人でロンドンに車で行って、午後に結婚します。
 フェリスィティー 随分せっかちじゃないの、それは。
 ナイジェル いくらせっかちに見えても構いません。これが僕の決定です。
 モクスィー(立ち上って。)いくらそれがあなたの決定でも、決してそうはなりませんよ、坊っちゃま。
 フェリスィティー モクスィー、お願い。
 ナイジェル(モクスィーに。)何の話なんだモクスィー、君の出る幕じゃないぞ。
 モクスィー(悲しみでいっぱい。)ご免なさい、奥様。もう私、我慢出来ない。我慢出来ません。
 ナイジェル 一体何のことを話しているんだ、これは。
 モクスィー あなたとミス・ミランダ・フレイルの話です。あなたは月曜日だろうと、他のどんな曜日だろうと、この女と結婚などするもんですか。そんなことがあってはならないんです。
 ナイジェル どうしたんだモクスィー。君、頭がどうかしたんじゃないのか。
 フェリスィティー モクスィー、お願い。もう言わないで。黙って。言ったって、何にもならないの。
 レイディー・ヘイリング 言わせてやりなさい、フェリスィティー。もうここまで来たんだから、後には退けないわ。それに、少なくとも、綺麗さっぱりとはする筈よ。
 ナイジェル 綺麗さっぱり?
 モクスィー(フェリスィティーに。)折角の奥様のお考えだったのに、ぶち壊してしまって本当にすみません。でも私、もうこれ以上続けることは出来ません。正しいことではないのです、これは。最初からこんなことに賛成してはいけなかったのです。坊っちゃまがこのようなところまで追い詰められておしまいになったのですから、もうどうしても知って戴かなければなりませんわ、あの女が私の妹であることを。
 ミランダ(驚いて。飛び上がって。)まあ! ドーラ!
 モクスィー そうよ。私はドーラ。酔っ払ってはあなたを虐(いじ)め、酷い状態で死んでいったドーラよ。
 ミランダ こんなところで何をしているの。私には分らない。あなたは死んでいるものとばかり・・・
 モクスィー そんなことをあなた、考えたことあるものですか。私が生きていようと死んでいようと、気にする訳がないでしょう。でもこれからは、少しは気になるでしょう。あなたがこの家の奥様で威張りちらすことになればね。だって私はこの家で、十九年間女中として勤めてきたんですからね。
 ミランダ(堂々と。)お願いナイジェル。あなたさえよければ、私、部屋に帰りたいわ。これはとても不愉快!
 モクスィー ちょっと待って。あなた、この場から逃げようとしているのね。それならその前にこれだけは聞いて貰わなくちゃね。あなたはもう、化けの皮は剥がされたの。今さらいくらお嬢さんぶったところで、取り返しはつかないの。
 ミランダ(憤然となって。)我慢ならない! こんなこと。
 モクスィー そう。こんなこと、全く我慢ならない! 何よ、あなたのあの、人の心を打つ話。スラム街に立って、自分の家を、母親が亡くなった部屋の窓をじっと眺める。・・・いいですか、あなたは知らないようだから言って聞かせますがね、母親はセント・トーマス病院で亡くなったのです。それにね、お母さんはあんなに早く亡くならなくてすんだの。あんたさえちゃんとしていたら、あんたがちゃんとしてお母さんを悲しませるようなことをしていなければ。あんたさえ淫売の真似をして、あんなインチキの映画野郎とアメリカに駆け落ちなんかしなければ・・・
 ミランダ まあ、私に何てことを。聞かないで皆さん、この人の言うことを聞かないで。
 モクスィー これはみんな本当のことなの、フレダ。あんたがそれを一番よく知っている。それに私だってこんなこと、決して言いはしなかった。あんたが言い出したから。浮浪者のような生活だの、ゴミ箱のトランプを拾っただの。何が貧乏よ。何が薄汚れた生活よ。ボウ・ベルズが聞えるロンドン・コックニーですって? いい? あんたはスィドカップ・ステイションロード・三番で生まれたの。もしあんたが、スィドカップからボウ・ベルズが聞えたとすれば、あんたの耳、鹿狩りの犬の耳よりもっといい耳よ。
 ミランダ(ソファに倒れて。)もう我慢出来ない! もう、もう。ナイジェル、お願い。私を連れて行って。
 モクスィー いい? フレダ。若旦那様があんたをここから連れ出して行って、あんたと結婚して・・・一回だけじゃない、三回結婚したって、私があんたの姉であることは変りないんですからね。よくそれを覚えておくことね。
 フェリスィティー モクスィー、もういいわ。あなたもう、言いたいことは言い尽したでしょう?
 モクスィー いいえ奥様、もうあと少し残っています。これを言うのは私、本当に辛いのです。私、永久にこの家から出て行きます。明日の朝一番で。私はもう奥様の小間使いとして働くことは出来ません。どうしても。これで何もかも終です。(泣きそうな声で。)さようなら、奥様。
                    (幕)

     第 三 幕
(次の朝。ほぼ九時半。)
(ピーター、「オブザーバー」を読みながら、ソファに仰向けに寝そべっている。)
(クレストウェル登場。)
 クレストウェル お呼びですか?
 ピーター うん。どうも淋しいな。墓場のようだ。みんなはどうしているんだ?
 クレストウェル 若旦那様は朝早くお出かけになりました。馬で遠くまで行って来るからと。奥様はいつもの時間にお起ししましたが、まだ降りていらっしゃいません。ミス・フレイルは朝食をまだご指示になりませんし、ミスター・ルーカスもまだです。
 ピーター モクスィーは?
 クレストウェル 意気消沈です。荷造りをしています。
 ピーター 本当に出て行くのか。
 クレストウェル はい。ベックスヒルに、と。友達がいるんだそうです。ディール発十一時十五分に乗るんだと。今日は日曜日ですから、三度も乗換えをしなくちゃならないのですが、決意は堅いです。
 ピーター 可哀相に、モクスィー。随分不公平な話だ、これは。
 クレストウェル ハッピーエンドの可能性がまだ残っているのに、それを捨てて出て行くなんて、早まった話なのです。女性の欠点は感情に任せて突っ走ることにあるのですが、ミスィズ・モクストンはご他聞に漏れません。そこへ行くと奥様は違っていらっしゃいます。
 ピーター ハッピーエンドか。そうなるといいんだがね。
 クレストウェル ちょっと悪い言葉を許して戴きますと、「あったり前のコンコンチキ」でハッピーエンドですよ。
(ドン登場。陰気な顔。)
 ピーター ああ、お早う。どうだい?
 ドン 最低!
 ピーター 二日酔いだな。
 ドン 参ったな。その目は千里眼なんですか。
 クレストウェル 迎え酒を一杯きゅっとやれば、そんなものたちどころに退散ですよ。
 ドン ああ、駄目だね。四、五杯キュッとやったって、歩けるようにさえならないな。まして運転は不可能だ。
 クレストウェル まさか、お帰りになるつもりでは?
 ドン まさかじゃない。どうしてもだ。こんな馬鹿なところにぐずぐずしていられるものか。すぐ出て行かなきゃ。
 クレストウェル ちょっとお待ち下さい。すぐ持ってまいります。失礼。
(クレストウェル、急いで退場。)
 ピーター 坐ったらどうだい?
 ドン いや、立っています。坐ったら最後、きっと立ち上れませんから。
 ピーター ゆうべ僕らは庭で話をして、君は約束したぞ。微笑みをもって将来に力強い一歩を踏み出すんだって。
 ドン あれはゆうべの話です。今日は今日です。
 ピーター あれから君、また泣いたんじゃないのか。
 ドン なあピート・・・(急に気がついて。)いかん!
 ピーター どうしたんだ。
 ドン あんたのことをピートと呼んだりして。つい出てしまったんです。
 ピーター 一向に構わないよ、私は。
 ドン ピートは、僕には世界中でただ一人しかいないんですよ。
 ピーター それは私にはとても親切な言葉だね。
 ドン ゆうべあんたは、僕に本当によくしてくれた。あれを僕が忘れるなんて思ったら、あんたは本物の馬鹿だよ。そう、僕らは友達なんだ。な?
 ピーター それは勿論。
 ドン そう言ってくれるの、嬉しいな。正直嬉しいよ。
 ピーター それは良かった。
 ドン 友情ってのは、滅多にあるものじゃない。世界中捜したって、なかなか見つからないものなんだ。僕、あんたと握手していいかな。
 ピーター 勿論。君が必要だと思うなら。
 ドン(強く手を握って。)やったぜ!
(フェリスィティー登場。)
 フェリスィティー あら、何をしているの?
 ピーター 握手ですよ。
 フェリスィティー お早うございます、ミスター・ルーカス。よかった。丁度あなたにお話があるの。ピーター、あなたちょっと庭に出ていて下さらない?
 ピーター 庭は少し飽きてきたところなんですけど。
 フェリスィティー じゃ、書斎でも。・・・どこでも。私、ミスター・ルーカスと二人だけでお話がしたいの。
 ピーター ああ、いいですよ。
(ピーター、「オブザーバー」を取り、書斎に退場。)
 フェリスィティー さ、坐って、ミスター・ルーカス・・・えー、ドン。あなたのこと、ドンと呼んでも構いませんわね? 何だか昔からの友達っていう感じがするの、私。
 ドン 有難うございます、奥様。
 フェリスィティー あ、それから私のことはフェリスィティーって呼んで頂戴。「奥様」は堅苦しくって、あなたからそう呼ばれると私、演説をしなくちゃならないような気分。
(クレストウェル登場。ブランデーの細長い壜とジンジャーエール、それにアスピリン三個を持って来る。)
 クレストウェル(ドンに。)迎え酒、覿面(てきめん)ですよ。
 ドン(受取って。)有難う。
 クレストウェル まづアスピリン三錠を飲み込みます。それからゆっくりとブランデーを。
 フェリスィティー(陽気に。)昔を思い出すわね、クレストウェル。亡くなった主人はいつもこれ。ただあの人、アスピリンは噛み砕いて飲んでいたけど。
 クレストウェル ウィリスが記事を取りに来ています。もう八時半からです。
 フェリスィティー 待っているように言って。もう少ししたら、素敵な特ダネが出来るんですから。
 クレストウェル 畏まりました、奥様。
(クレストウェル退場。)
 ドン ゆうべは頭がどうかなってしまって、よたさんがやるようなことをして。どうもすみませんでした。
 フェリスィティー 「よたさん」どころか、ごろつき卑劣漢のやるようなことをたとえなさっても、私は理解出来ますわ、ドン。だってあなた、大変な精神的苦痛を味あわされたんですもの。そうでしょう?
 ドン ええ、まあ。
 フェリスィティー それで、今朝もまだその苦痛が?
 ドン(力を込めて。)おく・・・フェリスィティー・・・もうそれにはおさらばしようと決心したんです。だって僕は、ふられたんですからね。
 フェリスィティー 弱気は駄目よ、ドン。元気を出すの。
 ドン こんなところに押しかけて来て、馬鹿づらを晒すべきじゃなかったんです。今になってやっと分ったんです。僕を見て何も感じない奴に、こっちだけかっかして惚れたって、駄目なんです。ミランダは僕に、もうずっと前から愛想をつかしていた。でも僕にはそれが信じられなかった。結局僕が鈍かったってことです。
 フェリスィティー あなたそれ、本当に確信があるのかしら。
 ドン どういう意味ですか?
 フェリスィティー 私はナイジェルの母親です。ですから、大変言い難いんですけど・・・私、あなたを信用していいのかしら。私の思っていることを言っても?
 ドン 勿論。どうぞ。
 フェリスィティー 私は感情を大切にする女です。これはひょっとすると、馬鹿げた考えかも知れません。でも私は、本当に愛しあっている二人だったら、その二人の仲を裂くことは、世界中の誰にも許されていないと堅く信じているのです。ミランダとうちの息子との結婚は間違い・・・悲劇・・・飛んでもない誤りです。何故かというと、彼女が愛しているのはあなただからです。心の底から、本当に愛しているのはね。そうあの人が私に言っていますもの。
 ドン(信じられない。)そう・・・言って・・・いる?
 フェリスィティー(優しい微笑。)言葉ではないけれど。でも、私は女。私はあなた方二人が一緒にいるところを見てすぐ分ったわ。あの人があなたを見る時のあの目付き。あの人があなたに話す時のあの口調・・・あの人の心・・・あの人の頑固で、そして気まぐれな心・・・それはあなたのものなの。
 ドン 僕のことを蛇だと言ったんですよ。萎えた身体、とまで言ったんだ。
 フェリスィティー あの人は情熱的にあなたのことを愛しているのね。そうでなければ、とてもそんなことを言える筈がないわ。まあまあドン、あなたには呆れるわね。
 ドン(立ち上り、部屋を歩き廻って。)僕はどうすればいいんだ。あいつは結婚してしまうぞ。そいつは決まっているんだ。
 フェリスィティー あらあらドン。あなたにはがっかりね。燃えさかるあの村でのあなたの大活躍。意志は堅く、勇気のあるあの姿。それが、今のそのあなたと同じとはね・・・
 ドン あれは映画です。本物の人生では、ああうまくはいかないんですよ。
 フェリスィティー それは通常、映画とは違うものですよ。でも時々は同じように恰好よく行ったっていいでしょう?
 ドン だけど、僕は一体どうすればいいんです。
 フェリスィティー 何もしないの。ただ待つんです。でも、とにかく、心に勇気を持って。敗北を認めないのです。
(ナイジェル、フレンチウインドウから登場。乗馬服を着ている。)
 フェリスィティー お早う、ナイジェル。馬での散歩、どうだった?
 ナイジェル 駄目ですね。
 フェリスィティー(立ち上り、書斎の扉に進み、呼ぶ。)ピーター。
 ナイジェル(不機嫌に。ドンに。)お早う。よく眠れた?
 ドン(困って。)ええ。まあ・・・有難う。
 ピーター(登場して。)どうしましたか?
 フェリスィティー どうもする訳ないでしょう? 日曜日の朝に何もあるわけないんですからね。ドンが教会を見たいんだって。・・・ね? ドン。ピーター、あなた、案内して上げて。(ドンに。)塔はノルマン時代のもの。他はみんなそれからずっと後期。
 ドン コウキ?
 フェリスィティー ついでに、ミスィズ・ダンロップの古い家も案内して上げたら? そんなに遠くはないんですから。
 ピーター 教会は構いませんが、ミスィズ・ダンロップはどうも・・・一線を画しているんです、あそことは。
 フェリスィティー 大丈夫、大丈夫。旦那さんが亡くなってからあの人、すっかり愛想がいいのよ。さ、二人で行ってらっしゃい。
 ドン はい。では、おく・・・フェリスィティー。
 ピーター(諦めて。)じゃ、行くか。
(ドンとピーター、退場。)
 フェリスィティー 「おくさま、フェリスィティー」って、随分アメリカ的じゃない? 親近感溢れる言い方。「モーゼズおばあちゃま」「ゴッダおかあちゃま」なんて言うんでしょうね。
 ナイジェル お母さん、僕、話があるんです。
 フェリスィティー(机の方に進んで。)今は駄目。教会に行くまでにすることが山ほどあるの。お昼のメニューでミスィズ・クラッブ(コック)に指示を与えなきゃいけないし、ウィリスが八時半から来ているし・・・
 ナイジェル ウィリス?
 フェリスィティー ええ、そうよ。あなたもミランダもインタビューには応じないんでしょう? そうしたら、私が代りにやらなくちゃ。「ケンティッシュ・タイムズ」に特ダネは上げなくっちゃね。話しちゃいけないことまで話すんじゃないかって、心配することはありませんよ。私はミランダの例の子供の頃の話をするだけです。あの話が正確じゃないなんて、気にすることは全くありません。ウィリスがどうせ適当に話は膨らませてくれるでしょうからね。
 ナイジェル ミランダの子供の頃の話など、お母さん、決してしちゃいけません。それは僕が禁止します。
 フェリスィティー あなたがそれで困るようなことは何一つないのよ。このインタビューが活字になるのは週の半ば頃だし、その頃にはあなた、ミランダとハネムーンでしょう? あなた、結婚式の後にハネムーンをしないなんてことないわね?
 ナイジェル 僕を騙そうったって、そうはいきませんよ。ゆうべのことがあって、それで今まで通りだなんて、ありっこないでしょう? お母さんだってそんなこと、百も承知じゃないですか。
 フェリスィティー ゆうべは確かにゴタゴタしたわね。でも、だからと言って、何がどうなるってこともあり得ないでしょう?
 ナイジェル お母さん!
 フェリスィティー あなた、特別許可証をもう持っていて、明日の午後、ミランダと結婚するんだって、かなり大きな声で言ったんじゃなかった? それならそうなるんじゃないの? 村の人達は、それは驚くわ、勿論。みんな興味津々じゃない? こんな田舎で、事件といったら、サウス・フォアランドの沖合で船が沈没して以来、今まで何もないんですから。
 ナイジェル どうしたらいいのか、僕には分らなくなってるんです。ゆうべは一睡もしていません。お母さんはミランダを今朝見ましたか?
 フェリスィティー いいえ。あなたは?
 ナイジェル 僕も見てないんです。
 フェリスィティー それはいけないわ。すぐ会ってやらなくちゃ。あの人だって、随分悩んでいる筈よ。
 ナイジェル お母さんは嫌いなんですね、彼女が。
 フェリスィティー 勿論嫌いに決まっているでしょう? あの子は大馬鹿よ。
 ナイジェル お母さん!
 フェリスィティー スラムだの、パブだの、ごみ箱あさりだの、勝手な作り話。スィドカップで普通にちゃんと育てられているのに。あんな馬鹿な話って、聞いたことがない。
 ナイジェル 自分の生い立ちをちょっとロマンチックに考えたかっただけですよ。ちっとも害はありませんね、僕の考えを言えば。彼女は今までずっとそれで通してきて、結果的にはそれが成功してきたんです。それで、それが習慣になったんでしょう、多分。
 フェリスィティー それはもう止めて貰わなくちゃね。新しいレイディー・マーシュウッドがそこいら中歩き廻っては、飛んでもない嘘をみんなにまき散らすのは嬉しくありませんからね。
 ナイジェル 初めてここに来て、落ち着かなかったんですよ。そして、上っていたんです。多分、自分の言っていることも上の空で、何を言っていたか、自分でも分ってはいなかったんです。
 フェリスィティー それにしては落ち着きはらっていましたね。レモネードなんて馬鹿な飲み物を、そこに坐ってチビチビ飲みながらね。どうして他の者達と同じように、健全なマテニを飲めないの、全く。
 ナイジェル それは随分意地悪な言い方ですよ、お母さん。
 フェリスィティー あなたを見ていると、あなたのお父さんのことが思い出されるわ。
 ナイジェル 何の話ですか、それは。
 フェリスィティー あなたのお父さんはね、根っからの下品っていう女じゃないと、見向きもしなかったの。だから、家のパーティーでは私、すっかり安心していられた。でも、競馬場では片時も目が離せなかった。
 ナイジェル でも、お母さんを愛していたんでしょう?
 フェリスィティー 飛んでもない。愛だなんて。しょっ中私に耳ざわりな事を言って揶(からか)うという愛情を、なんとか自分なりに作り上げていったけれど、私を好きになるなんて、そんなことは全く。ハネムーンの時あの人がまづ私に言ったこと、それは「随分な大根足だねえ、お前の足は」って。
 ナイジェル そうか。その父親なら、今の僕の苦境に立っても、打開策を見つけるかも知れないな。僕じゃまるで駄目だ。
 フェリスィティー 私も駄目。実際、苛々することね。
 ナイジェル よりによって、こんな偶然!
 フェリスィティー 本当に賛成。でも、これが現実。だから何とかしてそこから這い上らなくちゃ。
 ナイジェル モクスィーは出て行くの?
 フェリスィティー ええ。ベックスヒルに。ディール発十一時十五分に乗って。
 ナイジェル ベックスヒルに?
 フェリスィティー いい場所じゃない? ベックスヒル。ここでの騒動が一段落したら、モクスィーのところに行ってやるつもり。モクスィーは私のこの気持は勿論知らないわ。可哀相に。そんな話、してやれる状態じゃとてもないものね。
 ナイジェル お母さんがベックスヒルに住む! そんなこと無理ですよ。
 フェリスィティー そこに住むとは言っていません。そこのホテルに二、三日逗留して、自分の骨をどこに埋めるか、じっくり考えてから決めるのです。
 ナイジェル 骨を埋める! やれやれ、お母さんがここを出ることを真面目に考えているなんて、僕が信じっこないでしょう? 前の結婚の時だって出て行きはしなかったんだから。
 フェリスィティー そこがあなたの誤解。あなたがミランダと結婚したら、私は勿論この家から出て行きます。刺繍をやっているあの子の姿を見るなんて、一週間も続いたらこっちが気が変になるわ。
 ナイジェル(その話題は無視して。)どうやったら僕は今彼女と結婚出来るんだ! こんな状況のもとで。
 フェリスィティー 本当は、五歳の時手回し風琴に合わせて踊りなんか踊らなかった。あの話が嘘だったから結婚を取り消しますなんて、言えっこありませんからね。
 ナイジェル その冗談は酷過ぎますよ。趣味の悪い! お母さんでも許しませんよ!
 フェリスィティー 私を責めても無駄ですからね。勝手に自分で寝床を作って、その上に出来るだけ早く寝るんだからと公言して、今さらそれは出来ないもないものでしょう。遅過ぎますよ。
 ナイジェル 僕は「今さらそれは出来ない」なんて言ってやしません。僕は「どうやったら僕は今、彼女と結婚出来るだろう、こんな状況のもとで」と言っただけです。繰り返して言いますよ。どうやったら結婚出来るんだろう。
 フェリスィティー ミランダはどう思っているの?
 ナイジェル 分りません。ゆうべは大泣きに泣いて、僕の目の前でぴしゃっと扉を閉めたんです。
 フェリスィティー 私があなただったら、素敵な散歩に連れて行くわね。よーく話し合って納得の行く結論を二人で出すわ。ああ、散歩よりは車でドライヴの方がいい。美味しいピクニックのお弁当を持ってね。セント・マーガレット湾にでも行くのよ。
(ドンとピーター、フレンチウインドウから登場。二人ともぜいぜい息を切らしている。)
 フェリスィティー あらまあ、もうお帰り?
 ピーター 門から外へ出られないんですよ。村中の人が集まっています。
 フェリスィティー(ドンの手を見る。ドン、ハンカチで手を叩いている。)まあドン、手をどうなさったの。
 ピーター エルスィー・マンビーですよ。赤インキが飛んで来て・・・
 フェリスィティー 早く洗い場を教えて上げて、ピーター。
 ピーター(ドンに。)ああ、こっちだ。乾くと取れなくなっちゃうぞ。
(ピーター、ドンを連れて退場。)
 フェリスィティー 今朝起きた時、今日は何か大変な日になりそうって予感がしたけど、やっぱり当っていたわ。
 ナイジェル あの薄のろ間抜けめ! いつまで家にいるつもりなんだ!
 フェリスィティー あの人、薄のろでも間抜けでもないわ。魅力的な人じゃないの。あなたに少しでも「貴族の義務」ってものが分っていたら、結婚式の時のあなたの付人には、あの人を選ぶべきなのよ。
 ナイジェル(苦々しく。)何から何までお気を使って戴いて、頼りになるのはお母さんだけですよ、全く。
(ナイジェル退場。扉をバタンと閉める。)
(フェリスィティー、溜息をつく。机に進む。その時クレストウェル登場。盆の上にサイン帳を山のようにのせている。)
 クレストウェル これも前のに重ねて置きましょうか、奥様。
 フェリスィティー ええそうして、クレストウェル。それからウィリスにはもう帰って貰って。今日、もう少し遅くならないと特ダネはないからって。
 クレストウェル 畏まりました、奥様。
 フェリスィティー それからねクレストウェル、ルーカスさんの車をこちらに廻しておくように言って。あの車が必要になるかも知れないから。ミス・フレイルには私からの伝言、伝えてあるわね?
 クレストウェル はい、奥様。もう少しで降りていらっしゃる筈です。
 フェリスィティー あの人、どんな具合?
 クレストウェル 蒼い顔です。ゆうべよくお眠りになれなかったのでは。ロンドン行きの汽車についてお尋ねになりましたので、十五分があります、但しアシュフォードとタイドストーンの二回の乗換えが必要ですとお答えしました。
 フェリスィティー あの汽車、発車出来るものかしらね。それに、たとえ動いたって、みんなの行きたい所へは連れて行ってくれないんじゃないかしら。
(ミランダ登場。顔色が悪い。黒い服を着ている。)
 クレストウェル では私はこれで。よろしいでしょうか、奥様。
 フェリスィティー ええいいわ、クレストウェル。
(クレストウェル、図書室に退場。)
 フェリスィティー お早う、ミランダ。よく眠れた?
 ミランダ 私、殆ど寝ていませんわ。
 フェリスィティー 可哀相に。それじゃあ、疲れきっているわね、きっと。コーヒーでも如何? それとも牛肉のエキスか何か?
 ミランダ いいえ。何か私に急用がって・・・あの執事が。何のお話ですの?
 フェリスィティー まあ、急用があるなんて言ったの? 馬鹿ね、クレストウェルったら。急用なんてものじゃないのに。ただ私、・・・あなたにお願いしたいことがあって。
 ミランダ 私にお願い?
 フェリスィティー ええ。ここの地方新聞の特別インタビューに応じてやって欲しいの。あなたがこんなこと、うんざりで、厭でたまらないのは分っているんですけど、ウィリスは私達を特別贔屓にしてくれているの。あなたがウンと言って下されば、あの人大喜びなんですけどね。
 ミランダ 残念ながら無理ですわ、レイディー・マーシュウッド。私、出て行くつもりですから。
 フェリスィティー 出て行く?
 ミランダ 私、とてもこの家には居残ってなどいられませんの。あの姉がここにいる限り。
 フェリスィティー でも、あの人の家はここなんですよ。もう十九年も住んでいるんですからね。
 ミランダ 姉の家がどこにあろうと構いません。私、姉とは二度と顔を合わせたくないんです。
 フェリスィティー そんな無理を言われても困るわね。あの人がいないと私、二進(にっち)も三進(さっち)もいかないんですから。私はすっかりあの人に頼りきっているんです。
 ミランダ 私を侮辱して、恥をかかせて・・・私、死ぬ時が来るまで姉とは口をききません。
 フェリスィティー あの人にもその方が楽でしょうね。いづれにせよ、この二十年間、あなた方二人、特に仲が良かったわけでもないんでしょう?
 ミランダ この状況・・・とても我慢出来ない!
 フェリスィティー まあ困難な状況ね。でも我慢出来ないほどではない筈。モクスィーと私はしょっ中家にいる訳ではありません。よく外出します。いろいろな訪問がありますからね。
 ミランダ(ぎょっとなる。)まあ、私達が結婚した後もここに住むおつもりなのですか?
 フェリスィティー ええ勿論。ここは私の家ですからね。あの子の最初の結婚の時にも、ちゃんと住みましたよ。長い結婚生活ではありませんでした。でも私のせいではないのです、それは。少なくとも私はそう思ってはおりません。
 ミランダ それからドーラ・・・モクスィー・・・どう呼ぶかご勝手ですけど・・・あの人もここに?
 フェリスィティー 勿論。
 ミランダ そんなの無茶ですわ。とても耐えられないでしょう? 分っているじゃありませんか。
 フェリスィティー あの人がいなくなると、私がとても耐えられませんのでね。
 ミランダ でも・・・
 フェリスィティー あの人がいないと私、何にも出来ないのです。
食事一つ、時間通り席につくことは難しいでしょう。髪の毛はバサバサ。頭の先から足の爪先まで、安全ピンで止めなきゃならなくなりますね、きっと。
 ミランダ ねえ、レイディー・マーシュウッド。この件に関してはやはり、お互いに歩み寄って、どこか落ち着くところに落ち着かせないといけませんわ。
 フェリスィティー いいでしょう。あなたの提案は?
 ミランダ どこかいい場所にドーラのための家を拵えて、年金を与えるんです。これは私、まだナイジェルと相談していませんけど、あの人きっと・・・
 フェリスィティー ええ、きっと賛成するでしょうね。でも髪がバサバサになるのはナイジェルではなくて私なんです。それも毎朝。
 ミランダ 私、ドーラに酷いことをしてしまって、後悔しているんです。出来ればドーラに埋め合わせをしたいと思って・・・
 フェリスィティー さっきあなたが言った言葉は「私、死ぬ時が来るまで、姉とは口をききません」だったわね。
 ミランダ ええ、いけない事を言いましたわ。すみません。ゆうべ一睡もしていないので神経がおかしくなっているんですわ。
 フェリスィティー トランキライザーはどうかしら。私の部屋にあるわ。モクスィーならどこにあるか分るけど。
 ミランダ いいえ、結構です。
 フェリスィティー 今朝はみんな疲れ切っているんです。ナイジェルね、一番頭のいいやり方をしたのは。馬で散歩に行ったの。でも、全員がやろうって言っても、それは無理。だって馬がみんなに行き渡るほどいませんからね。でも自転車なら一台、今メイが使っていないのがあるわ・・・
 ミランダ ナイジェルと私との結婚を望んでいらっしゃらないんでしょう?
 フェリスィティー ええ、今はね。でもそのうち慣れてくる筈だわ、きっと。私、大変適応性がありますからね。最初のうちちょっとお互いに用心しあいながら・・・そのうちにはだんだんとエッチラオッチラ、二人三脚・・・
 ミランダ エッチラオッチラ?
 フェリスィティー ええ。まあ、こういう言い方をしてあまり希望はもてないようですけど。私の言っていること、お分かりでしょう?
 ミランダ ええ。私、みんなが考えている程馬鹿じゃないんです。
 フェリスィティー それは良かったわ!
 ミランダ それにちゃんと分ってますからね、ドーラをあんなに着飾ったりして。ナイジェルの前で私が馬鹿に見えるよう細工なんかなさって。
 フェリスィティー そうね。あなたのご協力があって、最後にあんなにうまく行くなんて、思ってもいなかったわね。
 ミランダ じゃあやはり、私を馬鹿に見せるためのお芝居だったのですね?
 フェリスィティー いいえ。実際はそうじゃなかったわ。即興劇ではあったの。それは認めます。でも目的は違いました。モクスィーの気持が楽になるようにと。それにあなたの気持もね。少なくとも、一時的にはあれで凌(しの)げるって、愚かにも考えたの。
 ミランダ 私がそんなことを信じるとお思い?
 フェリスィティー 信じようと信じまいと、それはあなたの勝手。でも、事実はそうだった。勿論あなた方二人が姉妹(きょうだい)だって、そのうち分るだろうとは思っていました。でも、その間に、あなたと私は十分分りあって、十分にお互いが好きになって、この事態を落ち着いて話し合えるようになっているだろうと思っていました。残念ながら、事はそう運びませんでしたけど。
 ミランダ そんな風に事が運ぶだろうなんて、呆れた話!
 フェリスィティー あなたの想像上の色々な話で、モクスィーはすっかり逆上してしまって、芝居を途中で投げ出してしまいましたけれど、私としては彼女を責める気持にはならないわね。
 ミランダ 責める気にならないですって! 私は責めますわ。
 フェリスィティー あの人をあなたが責めるのは当然だわ。だって、あの人、アル中で死んでいないんですから。
 ミランダ(癇癪を起し始める。)私、今ここではっきり申し上げておきますわ。私がナイジェルの妻としてここへ足を一歩踏み入れる前に、あの人はここから出て行って貰います。永久に。
 フェリスィティー いいえ。その反対になるでしょう。あの人はあなたをこの家の玄関で、ご主人として迎えるでしょうね。勿論あなたに対しては、深々とお辞儀をさせます。新聞のカメラマンはこういう図が大好きですからね。
 ミランダ 忘れていらっしゃる事がありますわ。ナイジェルは私を愛してくれています。私が公けの場で侮辱されるなんて、決して許さない筈ですわ。
 フェリスィティー 自信がおあり?
 ミランダ どういう意味ですか? それは。
 フェリスィティー ナイジェルは父親の子供です。父親の血が流れています。そしてその父親は、気質上の最大の弱みを持っていました。それは、不調和を嫌う性癖です。家庭内のいざこざを見るのは堪らない。ちょっとでもその兆(きざ)しが見えたら、いの一番に逃げて行く。
 ミランダ そうすると、こういうことになりますの? ドーラがここで女中をしている。そのことでナイジェルは私とは結婚しないだろうって。
 フェリスィティー いいえ、そんなことはありません。ナイジェルは約束を守る男ですからね。私はただあなたに予めちょっと注意をしておいた方がいいと思ったからですよ。
 ミランダ 私、注意なんか結構ですわ。
 フェリスィティー まあミランダ、あなたは世界的に名を知られた女優。そんな大成功をおさめた女性がこんな大馬鹿だとはねえ。
 ミランダ まあ何ていうことを! この私に!
 フェリスィティー あなた、よく分っていないようね。私は実際にはもう既に、あなたの義理の母親ですよ。まあいいでしょう。どうせこれから二、三年は、こういう弛(たゆ)む間のない言い争いが続くことは決まっているんですから。今のこの戦いはここで幕にしておきますよ。(扉の方に進んで。)日曜日はいつも十一時ちょっと前に、教会に行くんですからね。
(フェリスィティー退場。)
(ミランダ、一人残って両手を握り締めたり伸ばしたりして、部屋を歩き廻る。ナイジェル登場。ネイビー・ブルーの背広に着替えている。)
 ナイジェル ミランダ! まだ君、眠っているのかと思っていた。
 ミランダ まだ眠っている! 私、一睡もしていないわ。
 ナイジェル ご免ね、ミランダ。
 ミランダ 私発つわ、今朝。ディール発十一時十五分に乗るわ。
 ナイジェル そんなの駄目だよ。
 ミランダ 何が駄目なの。理由が聞きたいわね。
 ナイジェル あれは酷い汽車なんだよ。二回も乗換えなきゃならない。アッシュフォードとメイドストーンで。
 ミランダ お母さまに私、侮辱されたの。
 ナイジェル そんな。彼女が本気でそんなことする筈がないよ。母をあまり真面目に取っちゃ駄目だよ。ただガタガタ言うだけなんだから。言ってる半分も本気じゃないんだ。ね?
 ミランダ この家にずっと住むんだって・・・私達と一緒に・・・本当なの?
 ナイジェル それはそうさ。ずっとここで暮してきたんだから。
 ミランダ ナイジェル!
 ナイジェル さあ、落ち着いて、ミランダ。どうせ一緒に暮したって、顔を合わせることなんかあまりないんだ。夕方だけだよ、会うのは。日中は山のように仕事がある。いろんなところに行ってね。ここの村の中にだって、行かなきゃならないところがあるんだ。会議、会議、会議。次から次さ。母親の身体が何とか団体っていうようなもんさ。
 ミランダ じゃああなた、私が、私の人生も経歴も、何もかも全部犠牲にして、何とか団体と一緒に暮すことがお望みなのね?
 ナイジェル 君に犠牲なんて、何も求めてはいないよ、僕は。人生、経歴って言うけど、君はカンヌで言ったじゃないか。そんなもの全部から逃げたいって。名声、成功、そんなものみんな、空ろな、人を馬鹿にしているものに見える。私は淋しい、って言っていたじゃないか。カジノのパームビーチへ出た時、若い男が君のスナップ写真を撮ろうとした。あの時君は、わっと泣きだした・・・
 ミランダ あなたのお母さんは、私が嫌いなの。分るでしょう? 私が大嫌いなの。
 ナイジェル 馬鹿なことを。君はただ、事を悪く悪くとっているだけなんだよ。母は今朝はちょっと苛々しているかも知れない。夕べのことがあったからね。それに、台所に手が足りなかったり、何やかや・・・女中が一人、今病気なんだ。それに、金曜日にやる教会の祭りでゴタゴタしていたり。辛いことがあったんだよ、母には。
 ミランダ あの人に辛いこと? じゃ、私はどうなの? 私は。
 ナイジェル ねえミランダ、お願いだ。ねえ。
 ミランダ(涙が出そうになる。)あなた、私のこと愛していないのよ。今はもうはっきりしたわ。夕べだって、私のところに来てくれやしないし。
 ナイジェル だって、僕の目の前でガチャンとドアを閉めたじゃないか。
 ミランダ 今朝だってそうよ。私には同情も思い遣りもないの。私に一言も声をかけずに、乗馬で散歩したりして。
 ナイジェル 「乗馬で散歩」とは言わないんだ。単に「馬で散歩」って言うんだけど。
 ミランダ 私、あなたのお母さんと一緒にこの家に住むなんて、真っ平。金輪際いや!
 ナイジェル(冷たく。)ミランダ、僕は君に、僕の妻として、僕と一緒に暮すことを期待する。それから、僕の言う事をきくこと。それから僕の母親とうまくやってくれることをね。僕は家庭のもめ事ってのは嫌いなんだ。嫌いじゃすまない。我慢ならないんだ。あの母親は、相手の気持が分る女だ。君に何かあるなと思ったら、すぐあちらから譲歩してくる筈だ。それに、お互いに譲り合う気持を持って暮せば、必ず何とかやっていける筈じゃないか。
(ナイジェル、非常な威厳をもって退場。後ろ手に扉を閉める。)
(ミランダ、怒りの叫び声を上げ、ソファの上にわっと泣き伏す。)
(暫くして、ドン登場。)
 ドン ピート!
 ミランダ あっちへ行って。
 ドン 泣かないで、ピート。君が泣くと、僕の胸はいつも締めつけられるようになっちまうんだ。
 ミランダ 私、もう我慢出来ない。・・・もう駄目・・・
 ドン どうしたんだ、ミランダ。あの薄のろ間抜けが、君を怒らせるようなことを何か言ったのか?
 ミランダ(見上げた努力で、ぐっと自制して。)いいえドン、何でもないの。あっちに行って頂戴。すぐ私、よくなるわ・・・
 ドン こんな状態で君を放っておける訳がないだろう?
 ミランダ 行って、ドン。どうか行って頂戴。あなたに出来ることはないの。ね。(立ち上り、ドンから離れる。)これは私の問題。私が自分で解決しなきゃならないの。
 ドン もし、あの紳士づらしたイギリスのしらみ野郎が、君を泣かすような事を言ったんだったら、僕はあいつを許さない。顔をまともにぶん殴ってやる。
 ミランダ 駄目よドン、そんなことをやっちゃ。・・・それに、何の効果もないわ。
 ドン 君、どうして泣いてたの?
 ミランダ(男らしく。)一瞬の弱気。ただそれだけ。急に淋しくなって、それに、どうしたらいいんだろうって心配になって・・・
 ドン(期待した弱気の答でなく、がっかりして。)ああ、ピート。
 ミランダ(映画用の台詞。)人生って時々は本当に残酷なものね、ドン。特に私のような、ひどく敏感な人間・・・他人をすぐ信用する馬鹿な人間・・・には、人生は酷く辛くあたる事があるわ・・・
 ドン 君は馬鹿じゃないよ、ピート。君は頭がいいんだ。今までいつだって切れ者だったじゃないか。それに、「何糞!」って頑張る人間なんだ。その負けず嫌いなところが僕が惚れた所じゃないか。君にはガッツがあるんだ。
 ミランダ 有難うドン・・・ピート・・・
 ドン 君はこんなへなちょこ連中にやられっぱなしになんかしておくものか。君はミランダ・フレイルなんだぞ。そんな風になるなんて、どうかしているんだ!
 ミランダ こんなこと話してもしようがないのよ、ピート。私、どうかしちゃったのかも知れない。私、馬鹿なことしてしまったのかも知れない。でも、今出て行く訳には行かないわ。もう契約にサインしてしまっているもの。
 ドン 契約にサイン? 何だ、そんなもの。「夢は正夢」の時を忘れたのか? 撮り始めてから二週間も経っていたじゃないか。それを君は蹴ったんだぞ。あの意気はどこに行ったんだ。その後、連中は君を三箇月も日干しにした。でも君は、鼻で笑っていたじゃないか。君を日干しに出来る奴なんて、世界中どこにもいないんだ!
 ミランダ ここではもっと酷い事が出来るの。ここの人達、苦しめて、辱(はずかし)めるのよ・・・(言葉が詰まる。)ここの人達、私の胸が張り裂けるようなことをするの。
 ドン(両腕にミランダを抱いて。)僕が傍にいる限り、連中にそんなことをさせるものか。いいか? 僕は君を愛しているんだ。
 ミランダ(心を打たれて。)ああ、ピート・・・
(フェリスィティー登場。その後ろにナイジェルとピーター。三人とも教会用の服装。)
 フェリスィティー まあミランダ。またこれ? いつもこれじゃ、しようがないわね。
 ミランダ(ドンの抱擁を解きながら。)レイディー・マーシュウッド、私達もうこれ以上お話することは何もないようですわ。
 フェリスィティー するとここでの私達二人の長い冬の夜は、かなり退屈なものになりそうね、残念ながら。結局テレビを買った方がいいっていうことかしらね。
 ナイジェル(威厳をもって。)これはどういうことなんだ、ミランダ。
 ミランダ(威厳をもって。)私がここを出て行くということですわ。
 ナイジェル 出て行くのは知っている。さっき君は僕にそう言った。昼食が終ったら、僕が車を運転する。汽車で行くのは到底無理だ。
 ミランダ 昼食の前に出るわ。ドンが運転してくれる。そうね? ドン。
 ドン あったりき!
 フェリスィティー まあまあ。誰が運転するかなんて話、こんなところで付合っていられないわね。教会に遅くなってしまう。
(クレストウェル登場。)
 クレストウェル ミスター・ドン・ルーカスの車を玄関につけておきました、奥様。
 ドン(喜んで。)ピタリだ。こいつはピタリだぞ。行こう、ピート!
 ナイジェル ピート・・・ミランダ、君、ミスター・ルーカスの車でロンドンに行くのはあまり勧められないがね。
 ドン(脅すように。)これからは止めるんだな、その命令口調で彼女に物を言うのは。彼女は僕と一緒に来るんだ。今だ、それも。
 フェリスィティー 怒鳴るのは止めて、ドン。怒鳴るなんて、ここでは不要。日本人達から誰かを救っている場面じゃないんですからね。
 ドン ご免なさい、おく・・・フェリスィティー。彼女、僕と一緒に来てくれるんですよ。今すぐ。ここで苦しめられて、辱めを受けるのは、もう懲り懲りだって。
 ピーター(フェリスィティーに。)どうやら我々は結局日本人のようですね、この人にとっては。こういうのを職業上の強迫観念と言うのかな。
 ナイジェル もう止めて、ピーター。(ミランダに。)君はどうしてもミスター・ルーカスと出て行くのか。
 ミランダ 当り前でしょう! こんなところにいられるものですか。こんな人達と。(フェリスィティーを毒のある目で睨みつけて。)どうして一緒に住めるって言うの。大丈夫だって、一瞬でも思った私は大馬鹿だったわ。あなたとはこれが最後よ。ご免なさいナイジェル。でもこれが成り行き。姉には私からって言って頂戴。あなたのお母さんの髪の仕事、これからいくらでも安心して出来るんだからって。さ、行きましょう、ドン!
(ミランダ、颯爽(さっそう)と退場。)
(ドン、ちょっとフェリスィティーに気まずそうな表情をする。そして、ミランダを追って退場。)
 フェリスィティー 可哀相なミランダ! あの子、朝からずーっと機嫌が悪かったわ。
 ナイジェル これはみんなお母さんの仕業(しわざ)ですね。さぞご満足なことでしょうよ。一から十まで綿密に計画を立てて。最後には上手にミランダをあのごろつきの手に追い込むように。
 フェリスィティー それは違うわね。私が追い込む必要なんか、まるでなかったわ。あの男の人がここに来た瞬間から、ミランダはあの人の腕の中。後はもう、ビックリ箱みたいなもの。ちょっと覗いて見ると、あの男の腕からパッと出て来る。
 ナイジェル 酷いですよ。お母さんの行動は一から十まで。僕は恥ずかしいです。
 フェリスィティー 私の方もあなたのことが恥ずかしいわね。あなたは貴族の端くれよ。王党派の一員なのよ。愛する女が、自分の目の前で攫(さら)われて行くのを、一言の反駁もなく指を銜(くわ)えてただ見ているなんて、全く信じられない話だわ。
 ナイジェル 言うことを欠いて、何ですかその話は。心にもない。ミランダを追い出したかったんでしょう? そして見事にうまくいった。大喜びっていうところじゃないですか。
 フェリスィティー そう。それであなたは? あなた、恋に破れて、胸が締めつけられるような気分? 冗談じゃないの。私はあなたの母親よ。六月、アスコット競馬の週にあなたを生んで、それ以来あなたのことは隅から隅まで見て来たんですからね。ミランダなんか、あなた、愛してはいないの。その他、誰のことだって、あなた、愛したことなんかないの。勿論私は大喜び。私だけじゃない。家の者みんな大喜びよ。さ、こんな話はもう終。行きましょう。大遅刻よ、もう。最後のベルなんて、とっくの昔に鳴り終っているわ。
(モクスィー登場。コートと帽子の旅行姿。)
 フェリスィティー ああモクスィー。どうなっちゃったのかと思っていたわ。
 モクスィー お別れを言いに参りました、奥様。
 フェリスィティー 何て馬鹿な話! さ、早く帽子を脱いで。モタモタしないで。さ、早く!
 モクスィー でも、奥様!
 フェリスィティー ぐずぐず言わないで、言われた通りになさい。そうそう、お願い。小銭を頂戴。お賽銭用の。もう心配はいらないの。詳しい話は今時間がないけど、クレストウェルがしてくれるわ。さ、みんな、早く・・・
(モクスィー、フェリスィティーに小銭を渡す。)
 フェリスィティー 有難う。モクスィーにシェリーを飲ませて。この子、気絶しそう。さ、ナイジェル、帰国後最初の日曜日よ。何も起らなかったって顔をするんですからね。それに、よく考えてみれば、結局たいした事は起ってないわ。
(フェリスィティー、フレンチウインドウから颯爽と退場。ピーター、後に続く。)
(ナイジェルも後に続こうとして、ふとモクスィーの表情を見る。)
 ナイジェル 元気を出すんだ、モクスィー。みんなうまくいったんだよ。
(ナイジェル、優しくモクスィーの肩を叩く。そして二人の後を追って退場。)
 モクスィー(その後を、震え声で。)有難うございます、坊っちゃま。有難う・・・
(モクスィー、椅子にくずおれる。バッグを探り、ハンカチを出そうとする。)
 クレストウェル もう終! 忘れるんだ、ドーラ。若旦那様の言葉、聞いたろう?
 モクスィー あんたなんかいいわよ。自分のことをさらけ出したりしていないんだし、一晩中泣き明かしてもいないんだから。
 クレストウェル(飲み物のテーブルに進んで。)まあたとえ僕がそういう目にあったとしても、今となったら、平ちゃらな顔にしておくな。
 モクスィー 足元の地面がぱっくり開いて、自分自身の血と肉で、自分を辱めたのよ。私もう、とても顔を上げて歩けない。本当よ。
 クレストウェル(陽気に、シェリーを二つのグラスに注いで。)それじゃ、ゆっくりと飲みながら対策でも考えなきゃ。(グラスを渡す。)さ、憂鬱おさらばだ。キュッと行こう!
 モクスィー(受取って。元気なく。)有難う、フレッド。
 クレストウェル 事態を冷静に眺めるとねドーラ、君は棒の二つの端のうち、損な方を握ってしまったんだ。本来君が恥ずかしい思いをすることなど何もなかったんだ。君、自分の失敗がどこにあるか分ってる? まあちょっと、僕に非難がましい台詞を言わせて貰えば、君を辱めた例の君自身の血と肉っていう女を、思いっきりひっぱたいてやるべきだったっていう事さ。正にそのチャンスって場があったんだからね。
 モクスィー(少しクスクスっと笑って。)まあ、フレッド!
 クレストウェル(グラスを上げて。)さあ、君に乾杯だ、ドーラ。私は厳かに、このつつましい、しかし名誉ある職業についている我々二人に盃(さかづき)を上げる。また、特権の重荷に喘ぎながらも、何とかその体面を保っている奥様、若旦那様にも、盃を上げ、さらに、馬鹿な人間の心を悩ます、とても実現など不可能な、矛盾そのものの夢、社会的平等なる戯言(たわごと)に・・・乾杯!(飲む。)
 モクスィー まあまあ大演説。あなたを黙らせるって、誰にも出来ないわね?
 クレストウェル まあね。ヘラクレスにでも頼まなきゃね。ああ、だけど君、その気になったら一言言って見て。君なら効き目があるかも知れない。
 モクスィー あらあら。じゃ、いつかね。(再びクスクスっと笑う。)
 クレストウェル じゃ、もう一杯アモンティアード(シェリー)は?
 モクスィー ええ、喜んで戴くわ。
                    (幕)

   平成十三年(二○○一年)六月十三日 訳了

http://www.aozora.gr.jp 「能美」の項  又は、
http://www.01.246.ne.jp/~tnoumi/noumi1/default.html

First London production: Savoy Th.
28 Nov 1951
dir. Coward;
des. Michael Relph;
with Angela Baddeley as Mrs. Moxton,
Gladys Cooper as the Countess of Marshwood,
Ralph Michael as Nigel,
Richard Leech as Crestwell,
Judy Campbell as Miranda.

Coward plays © The Trustees of the Noel Coward Trust
Agent: Alan Brodie Representation Ltd 211 Piccadilly London W1V 9LD
Agent-Japan: Martyn Naylor, Naylor Hara International KK 6-7-301
Nampeidaicho Shibuya-ku Tokyo 150 tel: (03) 3463-2560

These are literal translations and are not for performance. Any application for performances of any Coward play in the Japanese language should be made to Naylor Hara International KK at the above address.