アレクサンダー大王
                テレンス・ラティガン 作
                  能美 武功 訳

   登場人物(登場の順)
パーディカス(マケドニアの士官)
プトレミー(マケドニアの士官)
マザレス(ダリウスの召使)
アレクサンダー
デルフォイの巫女
ヘーファエスティオン(マケドニアの士官。)
フィロタス(マケドニアの士官、パーメニオンの息子。)
侍女
ダリウス(ペルシャの王)
ベサス(バクトゥリアの大守)
母王(ダリウスの母)
スタティラ(ダリウスの妻)
スタティラ王女(ダリウスの娘)
クレイタス(マケドニアの士官)
パーメニオン(アレクサンダーの第一将軍)
ペルシャの侍従
ロクサーナ
ギリシャの兵士(三人)
ペルシャの兵士(三人)
ペルシャの奴隷

            場
          第 一 幕
プロローグ  宮殿          バビロン
第一場  寺院            デルフォイ
第二場  吊り庭の隅        バビロン
第三場  ダリウスのテントの中    イサス
第四場  吊り庭にあるテント    バビロン
第五場  アレクサンダーのテント   ガウジメラ
第六場  岩の間           パルティア

     第 二 幕
第一場 アレクサンダーのテント    バクトリア
第二場 吊り庭の隅         バビロン
第三場 アレクサンダーのテント    アレクサンドリア
第四場 第三場に同じ
エピローグ  宮殿          バビロン

 芝居は九年間の物語。およそ紀元前三三六年から三二三年まで。場と場の間の時間差は示されていない。
     
     プロローグ
(場 宮殿。バビロン。)
(すべての場で、舞台の奥より半分は壇になっており、十八インチ高くなっている。その前方に九インチの高さの段がある。左手には出口あり。その前に二段の階段。右手にも出口。左手と同様に二段の階段があるが、その階段の前に九インチの壇があり、正面の壇の前の段から幕まで延びている。プロローグの間、舞台の両側は暗く、奥も明かりなし。ただ中央の大きなベッド・・・これは赤い毛布で覆われているが・・・のみ照明があてられている。ベッドの頭の方に、長い槍が掲げられている。)
(幕があくとアレクサンダー、ベッドで。赤い毛布の下に横たわっている。顔と両手だけが見える。そして両手はあるリズムをもって、苛々と赤い毛布を摘みあげている。アレクサンダーが声を出すと、その囁きは舞台の上にいる人物には聞こえず、観客だけに聞こえている。隠しマイクとスピーカーによりそれがわかるようにする。ベッドの左手にマザレスが立っている。アレクサンダーの左手の手首を取って、脈をみ、屈んで心臓に耳をあてて聴いている。母王がマザレスの左手に立ち、その左にロクサーナが立っている。パーディカスが中央右手に、プトレミーが左手に立っている。ペルシャ人の奴隷達が、ベッドの頭の方、右左にかすかに見える。右手舞台裏から、アレクサンダーの軍隊の、王の容体を心配して呟く声が聞こえる。マザレス、姿勢を伸ばす。パーディカスに頷く。そして母王にも。母王、息をのむ。ロクサーナ、母王の腰に腕を回し、慰める。パーディカス、ベッドの右手にゆっくりと進み、その傍にうづくまる。)
 パーディカス 陛下。(少し大きな声で。)陛下。(間。)パーディカスです。聞こえますか。(頭をアレクサンダーの身体に近付けて。)パーディカスです、陛下。お分かりになったら、何か合図を。
(アレクサンダーの手、ちょっと動きを止め、その片手が毛布の上方およそ五六センチ上がる。それから力なくまた毛布の上に落ちる。)
 パーディカス どうか、後継者の名前を。
(プトレミー、パーディカスに近寄る。)
 プトレミー(真剣に。)どうか、陛下。
(パーディカス、頭を振る。)
 プトレミー もう一度。
 パーディカス(声を上げて。)陛下、その時が来ています。どうか後継者の指名を。誰なのですか。
(答、なし。両手は相変わらず揉みしだいている。)
 プトレミー(パーディカスの隣に膝まづいて。)プトレミーです。後継者は私ですか? 分かるようにどうか合図を。(間。)では、パーディカスですか?(間。)クレイテラスですか。(間。)ではお子様に?(立ち上がる。パーディカスに。)何か言われたぞ。
 パーディカス 口が動いた。
 プトレミー(アレクサンダーに。)聞こえませんでした。どうかもう一度。
 パーディカス(間の後。)どうかもう一度仰って。後継者は誰に。
(再び二人、耳をすませる。マザレス、再びアレクサンダーの脈をみる。)
 プトレミー 陛下、どうぞもう一度。誰なのですか、後継者は。
 マザレス ではまた、暫くしてから。今はこれで。
(プトレミーとパーディカス、右手に下がる。)
 プトレミー(パーディカスに。)何か聞こえたか?
 パーディカス いや、何も。
 プトレミー 確かに何か言われた。「誰を死刑に処すべきか」のように聞こえたが・・・
(右手舞台裏のざわめき、大きくなる。)
 パーディカス うん、そんな言葉だったな。
 プトレミー(マザレスに。)以前の感覚を取り戻される可能性は?
(マザレス、肩を竦める。)
 プトレミー(パーディカスに。)もう一度やってみよう。(振り返り、ベッドの右手に行く。やってみなければ。
 パーディカス(疲れた様子。)うん、大事なことだ、それは。
 プトレミー(パーディカスの方を向く。ちょっと間をおいて。「大事」などと簡単に言うな、という気分。)大事!
(右手のざわめき、いよいよ高まる。それを抑える号令の声。)
 プトレミー うるさいな。止めさせることはできないのか。
 パーディカス 連中もよく辛抱している。もう十時間も中庭にいるんだからな。
 プトレミー(パーディカスに近づいて。)何人ぐらいいるんだ。
 パーディカス 一隊から二人づつだ。全員下士官の連中だ。
 プトレミー まづいな。事が起こらなければいいが。
 パーディカス 王を見さえすれば事など起こりはしないが。
 プトレミー 入れてやった方がいいというのか。
 パーディカス うん。
 プトレミー 控えの間に呼んでおいて、一人づつここに入れるか。ベッドの傍を通らせて外へ出す。誰をあてよう。
 パーディカス クレイテラスがいい。
 プトレミー よし、私が呼ぶ。
(プトレミー、右手から退場。暫くすると外のざわめき、静まる。パーディカス、ベッドの右手に進み、母王の方を見る。母王、アレクサンダーの方を見、両手をその方向に上げるが、力なくまたその手を下ろす。ロクサーナ、再び母王の腰に両手をまわす。この四人が黙ってこの死に行く男を見つめている間、少しの間あり。そして突然、アレクサンダーの声が静かな囁き声でスピーカーから流れる。傍の四人動かない。アレクサンダーはこの四人に話し掛けているのではない。)
 アレクサンダー 私は死ぬのか。アレクサンダーは死ぬのか。神よ、おお、神よ。寝床で私を殺すのか。寝床は止めてくれ。戦場だ。戦場でこそ・・・
(プトレミー、右手に登場。パーディカスの右手に寄る。)
 アレクサンダー こんな終わり方だったとは! 神よ、何故予め教えておいてくれなかったのだ。やり直しはもうきかないのか。
(プトレミー、右手舞台奥に頭で合図。最初のギリシャ兵、右手から登場。アレクサンダーを恐る恐る覗く。槍を使って敬礼。それから膝まづく。自動的にアレクサンダー、それに答えて片手を上げる。兵士、立ち上がり、左手に移動。そして退場。)
 アレクサンダー どこからだったのか、奇妙な具合になったのは。
(二番目の兵士、右手から登場。敬礼。膝まづく。それから両手で顔を覆う。アレクサンダー、一番目と同じ弱々しい返礼。)
 アレクサンダー さらばだ。有難う、私へのその気持ち。
(二番目の兵士、立ち上がり、左手に進み退場。三番目の兵士、右手から登場。)
 アレクサンダー どこからだったのか、狂ってきたのは。
                        (幕)

          第 一 幕
          第 一 場
(場 デルフォイの神殿。)
(二階の部屋。舞台の縁はバルコニーになっている。この建物の主要部分は階下。これは見えない。中央奥、バルコニーの壁の向こうに、巨大なアポロ像の頭の後ろと背中が見える。そしてそのまた向こうに寺院の柱が一列に並んでいるのが見える。寺院は山の入口に建てられている。右手の扉は岩の洞窟に通じ、左手の扉は一階に降りる階段に通じている。中央奥の段の上に絨緞。左手の扉の前にも絨緞。右手に机。その奥にスツール。左手の扉の少し奥に大きなアラバスターの火鉢が三つ足の台の上にのっている。)
(幕が上がると、舞台は無人。遠くで人の歌う声。楽器の伴奏。暫くしてデルフォイの巫女、左手から登場。少し離れてお付きの女(一人)登場。巫女は儀式用の重々しいガウン姿。四十代はじめ。お付きの女、巫女がガウンを脱ぐのを手伝う。それから左手に退場。巫女が中央に移動し、観客に背を向けて膝まづき、両手を上げて拝む。その間、歌が続く。暫くしてヘーファエスティオン(二十一歳のマケドニアの兵士)、左手から登場。部屋の様子に圧倒されて立ち止まり、巫女のいることに気づかず、辺りを眺める。それから巫女に気づき、中央左手に近づく。)
 ヘーファエスティオン 失礼ですが・・・
(巫女、見上げる。)
 巫女 いけません。ここは禁じられた場所です。(立ち上がり、振り返る。)足を踏み入れることはなりません。今すぐお立ち去り下さい。
 ヘーファエスティオン ここには命令でやって来ているのです、私は。
 巫女 デルフォイに対して命令を下せるものは、アポロ神しかありません。そしてその神のお告げは、この私の口を通じてしか世に出ることはないのです。
 ヘーファエスティオン 事は急を要しているのです。私の主人がどうしても神託を聞かねばなりません。そして今夜発たねばならないのです。つまり今、あなたに私の主人の話を聞いて戴かねばならないのです。
 巫女(中央に進んで。)なるほど。ではご主人に申し上げるのです。その願いは拒絶されたと。神託は神から神聖なる恵みとして与えられるものです。(右手のテーブルの左側に移動して。)占い師に物を訊ねるような態度は許されません。
 ヘーファエスティオン 私の頼み方が悪かった。失礼を許して戴きたい。(中央に進んで。)私の主人はアポロ神の前に敬虔に膝まづき、自分の疑問に答えて欲しいと願っている。
 巫女 それなら、その願いを書面にするのです。デルフォイ神託最高委員会宛の請願書です。請願書は他にも沢山出ています。もし彼の請願がその中から選ばれれば、彼は所定の斎戒沐浴、断食と祈りを経た後、神によって定められた日、時刻にその答を聞くことになるでしょう。申し上げねばならないことはこれだけです。(振り返り、右手のテーブルに行く。)お下がり下さい。
 ヘーファエスティオン しかし、それでは・・・
(マケドニアの士官、フィロタス(二十七歳)右手から急いで登場。部屋の佇まいにあまり驚いた様子なし。ヘーファエスティオンの反応と大きく異なる。)
 フィロタス(中央左手に行って。)どうした。いつまで待たせるんだ。
 ヘーファエスティオン(振り返り、フィロタスの方に進み。)外で待っていろと言ったはずだぞ。
 フィロタス 分かっている。(立ち止まり、辺りを見回して。)なるほど。ここがギリシャで最も神聖な場所というわけだ。(中央に進んで。)確かに圧倒されるな。昔犯した罪があれこれ思い出されてしまうな。
 巫女 お前はこの男の上に立つ人物なのか。
 フィロタス(中央右手に行く。)ある点ではな。すべてではない、残念ながら。レスリングはあっちの方が強い。しかし「上に立つ」というのが、「王なのか」という意味なら、それは違う。俺の名はフィロタス。そこにいるのは・・・まだ名乗っていないなら・・・ヘーファエスティオンだ。ご覧の通り二人のこの鎧で分かるだろう。俺達は王の護衛部隊の統率を預かっている。近衛の将校だ。
 巫女 鎧を見ても判断できません、私には。でもその態度、それは明らかにマケドニア人。(右のテーブルの左側に移って。)するとその王・・・あなた方の話しているそのアレクサンダーが、例の新しいマケドニアの王なのですね。
 フィロタス そうだ。そして全ギリシャの総督でもある。
 巫女(フィロタスの右手に移って。)おやおや、そんなにお若いのに、大層な称号ですこと。それは父親のものではないのですか。それとも、その称号まで相続したとでも?
 フィロタス(間の後。)それは巫女の口から出た言葉とも思えませんな。神に仕える身ならばとっくに知っていていいはずだ。アレクサンダー王はコリントで行われた自由投票により、父王の代りに総督に選ばれたのだ。もう一週間も前の話だ。
 巫女 あら、そう。自由投票・・・たしかあなた、そう言いましたね。
 フィロタス そうだ。自由投票だ。ただ俺達は投票者に贈り物は贈った。残念ながらそう安くはつかなかった、この贈り物はな。
 巫女(振り向いて、右手のテーブルに近寄り。)それにきっと、選挙民を外敵から守るため、お前さん達が、コリントへ引連れて行った軍隊の費用、それも安くなかった・・・
 フィロタス 何を! いいか。確かに俺はご指摘の通りマケドニア人だ。そういう類いの冗談を受け止める腹は出来ている。しかしそれを外国人から言われて放っておけると思っているのか。たとえそれがデルフォイの巫女だろうとな。
 巫女 放っておけない? するとどうなさるお積もり? 知りたいものですわね。
 フィロタス(巫女に一歩踏み込む。刀の柄に手をかけ。)遣りようがあるぞ。いいか。
(巫女、テーブルから呼び鈴を取り上げ、鳴らす。)
 フィロタス どうなるか分かっているのか。さあ、王は下で待っている。お前がロビーに降りて来るのを待っておられるのだ。
(侍女、左手から登場。)
 巫女 王の要請に対するお答は既に致しました。この方が、(ヘーファエスティオンを指さす。)王にそれをお伝え下さるでしょう。
 ヘーファエスティオン もう我々は行った方がいい、フィロタス。
 フィロタス 行くんだな。護衛は我々が引き受ける。
 巫女 いいえ。しかし、護衛のお申し出で、感謝致しますわ。(侍女に。)外への扉をお開けして。お二人が出て行かれます。
 フィロタス(右手のテーブルの左に回り、刀を抜き始める。)哀れなことだ。ものの分かった女に見えるのに。(こんなことで命を落とさねばならぬとはな・・・)
(巫女、静かにフィロタスを見る。ヘーファエスティオン、素早く進み、片手でフィロタスの左腕を抑える。)
(フィロタス、刀を鞘に戻す。パチンと音がする。ヘーファエスティオンの奥の方を通り、左手の扉へ向かう。)
 巫女 殺されて哀れなのは私ではありません。その汚れた血を見なければならない神様なのです。
(フィロタス、立ち止まり、振り返る。)
 巫女 あなた方二人がここにいるだけで、神への汚れになっているというのに。
 フィロタス デルフォイには巫女だけか。男の僧はいないのか。それが残念だ。
(フィロタス、言い負かされ、怒って左扉から退場。その後に侍女、続いて退場。)
 ヘーファエスティオン 失礼の段、お詫び申し上げる。
 巫女 あの人は若いのです。
 ヘーファエスティオン いや、もう年寄りです。二十七歳ですから。
 巫女 で、あなたは?
 ヘーファエスティオン 二十一。王よりも一歳上です。
 巫女(ヘーファエスティオンの方へ進んで。)王にお伝え下さいますよう。王に対して私が特別に無配慮な仕打ちをしているのではないということを。そして、もっと適当な時、所においてならば、十分な敬意をお示し申し上げますと。
 ヘーファエスティオン(左手の扉の方に進んで。)そう申し伝えます。(振り向いて。)しかし王はお気に召されまい、この処置を。なにしろ初めてのことですからね、拒絶されたという返事を私の口から伝えるのは。
 巫女 王が怖いのですか。
 ヘーファエスティオン 王が怖い? とんでもない。一番の親友だ、王は。
(侍女、左手から登場。)
 巫女 そうですか。王を一番の友としている。誇らしいでしょうね。
 ヘーファエスティオン(軽く。)いや。アレクサンダーを一番の友としている、それが誇らしいのです。
(ヘーファエスティオン、回れ右をし、左手から退場。巫女、微笑。出て行くのを見守る。それから侍女に。)
 巫女 戸締まりをして。(侍女に出て行くように、頭で合図。)
(侍女、お辞儀。左手から退場。巫女、後ろを向き、右手のテーブルに行き、スツールに坐る。書類を取り上げ、調べ、何か書き始める。暫くの後、中央右手のバルコニーの壁に上衣が下から投げ上げられて、掛かる。それからアレクサンダーの頭が現れる。軽々とした身のこなし。バルコニーを越え、部屋に飛び降りる。巫女、何も聞こえない。仕事に没頭。アレクサンダー、巫女の後ろ姿を暫く眺める。)
 アレクサンダー(中央に動きながら。)あなたが巫女か。
(巫女、驚いて見上げる。手近の呼び鈴を鳴らそうとする。)
 アレクサンダー ああ、どうかそれは鳴らさないで。鳴らしても無駄だ。あなたが巫女か。
 巫女 そう。
 アレクサンダー 私はマケドニアのアレクサンダー。
 巫女 そうだと思っていました。
 アレクサンダー 硬貨にかかれている肖像に少しは似ていたかな。
 巫女 硬貨は見たことがありません、私は。
 アレクサンダー そうか。まだそんなに流通してはいないのか。
 巫女 扉は閉まっていた筈です。どうやってここに。
 アレクサンダー アポロの導きだ。(彫像を眺める。)
 巫女 アポロ?
 アレクサンダー そう。木登りは昔から得意だった。
 巫女 アレクサンダー王、あなたはこの場所を汚しているのです。今すぐお引き取り下さい。
 アレクサンダー 分かった。今行く。(右手のテーブルの左側に行く。ただ用件だけは済ませておかないと。願いを書き物にして提出せよとのことだったな。(上衣から書類を取り出す。)だから書いて来たのだが。(巫女に渡す。)これだ。
(巫女、受け取り、読む。)
 巫女 アポロに提出したいという質問が、本当にこれなのですか。
 アレクサンダー そうだ。何か変か? 綴りでも間違っている? それとも意味のとれない文章かな?
 巫女 綴りに誤りはありません。この文章に意味があるかないか、それは私が言えることではありません。(間。)いいでしょう。委員会にこれを出しておきます。
 アレクサンダー でも、何故、今ここで答えて下さらない。
 巫女 何故? 理由はただ一つ。(巫女、スツールに坐り、紙をテーブルに置く。)不可能だからです。
 アレクサンダー なるほど。(間。後ろを向いて、中央左手に進み。)私は昔、私の家庭教師に訊いたことがある。人間はどうすれば神になれるかと。答は、「人間にとって不可能なことを成し遂げたものが神なのだ」だった。神になりたくはないのか、あなたは。
 巫女 いいえ。あなたは? 神になりたいのですか?
 アレクサンダー(不可能を成し遂げたいのかという質問ならば、「そうだ」と答える。しかし、)たとえ私が不可能を成し遂げたとしても、それは私が神になったからではない。私がアレクサンダーとして生まれたからだ。(間。)今答えて下さらないのなら、(右手のテーブルに近づいて。)それはお返し願いたい。
(巫女、アレクサンダーに紙を返す。)
 アレクサンダー 敵の手に渡るのは好ましくない。
 巫女(微笑んで。)この神殿にペルシャの手の者を置いていると言いたいのですか。
 アレクサンダー 用心に越したことはない。ダリウスのスパイは至る所にいる。(振り返り、中央の壁の方に進む。)
 巫女 可哀相なダリウス。(アレクサンダーの手の中にある紙を指さして。)ダリウスは震え上がるわきっと、その紙を見たら。
 アレクサンダー(右手のテーブルの左側に進み。)なるほど。からかっていますね、私のことを。(上衣の内かくしに紙を入れて。)しかし今にすぐ分かります。そのうちにすぐ、あなたにも。
 巫女 集めれば味方はどのくらいの軍勢になるのかしら。
 アレクサンダー 運がよければ、三万五千。
 巫女 で、ダリウスの方は?
 アレクサンダー ざっと二十五万。本気に集めれば、二百万。しかし私は彼にその猶予を与えない。決して。
 巫女(優しく。)そうね、その猶予を与えてはいけないわ。
 アレクサンダー なるほど。またからかいましたね。誰もがからかうんです。しかしペルシャの王国ががらがらと崩れ落ちた時には、そんな笑い方はなさらないでしょう。
 巫女 崩れ落ちる? 世界で最大の王国ですよ。いえ、世界そのものと言ってもよい。
 アレクサンダー 図体の大きいものには奇襲がきくのです。小人のように小回りがききませんからね。いいですか、私の戦略を言いましょう。ひどく簡単なものです。(中央右手に膝をつく。)まず、ヘレスポントスの橋をおさえる。これは父の時代の総指揮官、パーメニオンにやらせる。彼は現在、私のもとでもその職についている男です。主力部隊は私が指揮。まっすぐ内陸に向かう。地方の太守が差し向けて来るどんな軍勢にも対抗出来るだけの充分な集中力を維持しなければならない。とにかく今から私が連中を率いて行くこの戦闘は、並の激しさではないのだ。さて、敵の太守との戦いに勝ちを収めたら、私は海岸沿いに進む。そこに散在するギリシャの植民地を次々と開放する。ダリウスとの決戦の地点はシリア。彼がこの時までに集めてくる軍勢に拮抗出来るだけの数は用意出来たつもりだ。
 巫女 シリアが決戦の場所になるのはどうして?
アレクサンダー ダリウスが攻め降りてくる。私が攻め上って行く。そのスピードを計算した結果だ。シリア峡谷はどうしてもこちらが先に突破しなければ、勿論。
 巫女 その峡谷って、何なの?
 アレクサンダー 世界中で最も守るのに適した場所。細くて長い峡谷。横一列には、高々三人しか並べない。しかしここは必ず突破する。スピードだ、肝心なのは。アジアの人間はスピードの大切さを知らない。敵が教科書通りの戦いを仕掛けて来ると思っている。私のことを知らないのだ。とにかく今のところは。
 巫女 そうね。それで次は?
 アレクサンダー(ゆっくりと立ち上がり。)それからは戦場でダリウスと会う。彼を負かし、殺す。或いは生け捕りにする。
 巫女 なるほど。二十五万の軍勢に立ち向かう三万五千の兵。
 アレクサンダー そう。勿論これが容易な戦いだとは私は思っていない。
 巫女 そうね。そう思っている様子ね。ダリウスを殺した後はどうするの?
 アレクサンダー アジアに新しい秩序を打ち立てる。
 巫女 なるほど。(立ち上がる。)そしてあなたがその首(おさ)。
 アレクサンダー(間の後。)そう。多分。(中央左手に動いて。)それは考えていなかったな。そこは重要じゃないんだ。新国家を収めるのに、私より相応しい人物がいれば、そいつにやらせればいい。ただ勿論、ギリシャ人でなければ駄目だ。
 巫女 それはそうね。
 アレクサンダー ギリシャ的世界の建設だ。(壇へ。中央左手に腰掛ける。)ギリシャ諸都市は今のままでいい。習慣、法律、憲法、一切手を触れない。但し国家元首は廃止しなければならない。しかしこれは世界国家の建設とその平和維持の代償とすれば軽い犠牲だ。
 巫女(右手のテーブルの左手によって。)そうね。軽い犠牲。それで、ギリシャ人でないもの、ペルシャ人、エジプト人、その他、それはどうなるの。
 アレクサンダー 同胞ですね。ギリシャ人と同じ権利を持つ。但し、ギリシャ人の支配下に置かねばならない。ペルシャ人の代りに。しかしそれも・・・
 巫女 ・・・軽い犠牲だ。世界国家とその平和維持の代償とすれば。
 アレクサンダー 私のことを気違いだと思っているんでしょうね。
 巫女(アレクサンダーの右手に進んで。)いいえ。ただ、若いわ、と思って。
 アレクサンダー 理想主義というものは少し狂っているのです。アリストテレスは誰よりも狂っている。
 巫女 その人があなたの家庭教師ね?
 アレクサンダー ええ。だったのです。今はアテネに帰っていますが。彼も世界国家をよしとする立場です。
 巫女 なるほど。だからあなたは彼の意思をついだ。
 アレクサンダー しかし彼は、私の意図をよしとしなかった。
 巫女 不思議ではないわ。
 アレクサンダー この意図によらない。彼は私のことを全く認めていない。いつだったか、私がイリアッドを読んでいるのを見て、文学の好みがなかなかよろしい、と褒めた後、それでどこが一番気に入ったか、と訊いた。「どこが気に入ったかと言われても困ります。私はこれを軍事戦略の教科書として読んでいるのですから。」と答えたら、怒ったのなんの。実にユーモアのセンスがない。私はホメロスは好きなのだ。非常に。(間。)
(巫女、笑う。)
 アレクサンダー どうですか、本当に私の質問には答えられないのですか。
 巫女(右手のテーブルの左手に行き。)それは勿論、私の答なら出せます。でもそれはアポロ神の答ではありませんよ。
アレクサンダー あなたが一人で答を出すなら、それは「不可能」なのでしょう? 無理はありません。世界中の誰だってそれは賛成でしょうね。
 巫女 こんな気違い沙汰を何故する気になったの? アレクサンダー。
 アレクサンダー 大見得を切った手前、後に引けなくなって。
 巫女 大見得? どんな。
 アレクサンダー 父親が母を離婚して二度目の結婚式を上げた時・・・私に参列を命じた。嫌がらせの機会があればそれを逃すような父親ではない。そこで二度目の花嫁の父がスピーチをやった。「これでやっと玉座の跡継ぎたるべき人間が唯一人でなく、王の家来すべての人間に広がったのだ」と。参列者は三百人。私には味方は一人もいなかった。私の友人は誰一人参列を許されなかったのだ。私は立ち上がった。(アレクサンダー、立ち上がる。)そして言った。「なるほど。それで私の肩書きも決まった訳だ。「ててなしご」か。」言うが早いか、ワインをその顔にぶっかけた。会場は一瞬どよめいた。
 巫女 それはどよめくわね。よく分かるわ。
 アレクサンダー その時父が立ち上がった。勿論酔っ払っていた。刀を抜いた。実にゆっくりと。誰も止めなかった。満場水をうったように静かになった。全員王を見つめていた。王は私に近づいてきた。私は刀を抜かなかった。ただそこに立って、待っていた。それからだ、例のことが起こったのは。こぼれていたワインに彼は足を滑らせた。ひっくり返って二つの椅子の間に真っ逆さまだ。片足だけ宙におっ立てて姿が消えてなくなった。びっこの方、古傷のある足だけだ、見えていたのは。実に滑稽な光景だった。(間を置く。)しかし誰も笑わなかった。私だけだ、笑ったのは。私は王を指さして言った。「諸君、見たまえ。ヨーロッパを出てアジアへ進軍だ、というのが彼の口癖だ。それが見ろ。あのざまだ。一またぎの距離を進むのも満足に出来はしない。このギリシャにおいて王権が正統な跡継ぎに移る日も間近いようだ。その時には、国民全員が歓呼の声を上げるだろう。」私は、「正統な」という言葉を強調した。あっけに取られている宮廷人を尻目に、私はにっこり笑って出て行ってやった。
 巫女 勇気のある行動ね、随分。
 アレクサンダー 勇気? 勇気とは思わなかった。洒落た遣り方だと思っていたんだが。(間。)しかし父親の前で大見得を切った。そいつは果たさない訳にはいかない。
 巫女(アレクサンダーに近づいて。)でもお父さまはもういない。
 アレクサンダー いようといまいと、果たすのが義務だ。(間。)じゃあ、巫女殿、これで。私の質問には答えないという決心、それは本当に変わらないんですね?
 巫女 もう私の答は出した筈。
 アレクサンダー でも神からの答は? そちらが戴きたいな。どうしても。何とかして。
(巫女、頭を振る。微笑。)
 アレクサンダー ああ、アポロのために新しい宮殿を建造する金があったら。しかし内実は金なんか一文もない。収入の全部を軍隊につぎ込んでいるのだ。
 巫女 全部を? 自分には全く何も残っていない?
 アレクサンダー 残っているのは希望だけだ。
 巫女(回れ右をし、右手に進みながら。)覚えておくわ、そのことは。
 アレクサンダー(巫女の方に一歩踏み出し。)頼む、巫女殿、どうか答を。
(上衣から紙を取り出す。)
 巫女(振り向いて、笑いながら。)駄目、それは駄目よ。
 アレクサンダー(進み寄って。)駄目ではない。答えてくれなければ。お願いだ。(巫女の両手を掴み、その中に紙を押し込む。)もし答えてくれれば、死ぬまで忘れない。神に祈る時には必ずあなたのことも。・・・約束する・・・敬虔な人生を送る。・・・アポロへの生贄は毎晩捧げる!
 巫女(笑って。)まあまあ、アレクサンダー、あなたには叶わないわ。誰だって叶わない。
(アレクサンダー、巫女の両手を掴んでいた手を放す。身体を堅くして沈黙する。)
 巫女(右手のテーブルに紙を置く。)神に祈って上げるわ、あなたへの答を下さるように。
 アレクサンダー(静かに。)有難う。しかしもうその必要はありません。(間。)
(巫女、アレクサンダーの方を向く。訝(いぶか)しげな表情。)
 アレクサンダー 神託はもう下りました。
(間。)
 巫女(囁き声で。)誰も叶わない・・・
 アレクサンダー さようなら、巫女殿。
 巫女 神の声ではないわ、あれは。
 アレクサンダー いいえ、神の声です。(振り返り、中央に進む。)
 巫女 待って。ここへ来て、アレクサンダー。分からないのよ、あれが神の声かどうかは。
 アレクサンダー (振り返って。)いつか分かることになります。それを二人で見届けましょう、巫女殿。(上衣を拾い上げる。)
 巫女(バルコニーの中央右手に進んで、アレクサンダーの右手に立ち。)アレクサンダー、一つだけ私に分かっていることがある。他のことはどうあれ、どうしても克服しなければならない一つのものがある。
 アレクサンダー 何を克服するのです。
 巫女 あなた自身をです。
 アレクサンダー 心配は無用だ。ここへやって来て、祭壇の上にあるあの書き物に目が向かない男はいない。
 巫女 自分自身を知るのです、アレクサンダー。
 アレクサンダー 私は自分を知っている。
 巫女 本当? アレクサンダー。自信をもって?
 アレクサンダー ええ、自信をもって。(バルコニーの上に片足をおいて、次にそれをまたいで坐って。)さらばだ、巫女殿。(もう一方の足もバルコニーをまたぐ。)それから、有難う。(舞台の下に姿を消す。)
 巫女(バルコニーから下に向かって。大きな声で。)いいのね、アレクサンダー、一つ戦いが終わっても、必ずまた次の戦いがあるのよ。
 アレクサンダー(舞台裏で。声を上げて。)それにも必ず勝つ。私に叶うものはいないのだ。さようなら、巫女殿。
                      (幕)

     第 一 幕
第 二 場
(場 つり庭の一角。バビロン。)
(この一角は夏の暑い盛り、ダリウスが好んで坐る憩いの場所。中央の壇の上に、長くて幅の広い、彫刻が施されている長椅子。クッションもよく効いている。左手に出口。右手の出口は垂れ下がった装飾品で隠されている。壇の下、中央右手には、大きなクッション。中央左手には長いす。)
(幕が上がると、中央にペルシャの王、ダリウスが坐っている。三十代前半。美男子。母王、名前はスィスィガンビス、とその右手に女王、名前はスタティラ、は中央右手のクッションに坐っている。二人で綴れ織りの刺繍をしている。母王はおよそ五十五歳。往時は大変な美人であったことが分かる。スタティラはおよそ二十七歳。内気な性格。壇の上のクッションに王女スタティラ。十一歳。左手の長椅子に坐っているのが、バクトリアの太守、ベサス公。およそ五十歳。長閑な夏の日の中でうたた寝、頭をこくりこくり動かしている。母王、それを見てスタティラをつつく。二人、ベサスを見て微笑む。そしてまた刺繍に戻る。)
 ダリウス(至急報告便を読み終り、微笑んで。)この若造、なかなか味なことをやりおる。褒めてやりたい気分だぞ。
 スタティラ 今度は何を?
 ダリウス フリジアからのこの至急報告便にある話だ。かなり確かな話らしい。
 母王 いいえ、ダリウス。そんな話はやめて。くちばしの青い気違い小僧の話より、何かもっと楽しい話をしましょう。
 ダリウス しかしこれは笑える話ですよ。ベサスには読んでやらねば。ベサスはきっと面白がる。(呼ぶ。)おい、ベサス。起きろ。
 ベサス(目を開けて。)陛下、お間違えになってはいけません。私は眠ってはおりません。考えておったところです。
 ダリウス 考えていた? 何をだ。
 ベサス 次の戦(いくさ)のことを。
 ダリウス 馬鹿な。戦ではあるまい。女だろう。今度はどんな女がいるかな、と。
 母王(鋭く。)おやめなさい、ダリウス。(王女の方を指さす。)
 ダリウス 見ろ、お前のせいだぞ、ベサス。母王を驚かせてしまったじゃないか。しかし夢を見ていたことは間違いなかろう。
 ベサス はい。しかし、ご指摘の話とは違いましたな。(母王に。)この暑さのせいです。この暑さに慣れる時が来るとはとても思えません。この時期にもうこんな暑さ。全くバビロンというところは。これから先、どうなるのでしょう。
 ダリウス 窯だ。バビロンは窯になるのだ。ただ進軍は北の方向だ。
 スタティラ あなたのお国では、ベサス、この時期にはまだ寒くて火に当たっているのでしょうね。
 ベサス そうです。川でさえまだ凍っています。
 ダリウス(ベサスに。)これはゴーディアムのスパイから届いた手紙だ。アレクサンダーはそこで冬をすごすことにしたようだ。うん、ここが面白いくだりだ。(読む。)「ゴーディアムの城塞に古くから伝わる荷車がある。これに関する迷信があって、それによると、その荷車と柱を結んでいる縄の縄目を解き放つことが出来る者は誰でも、世界の支配者となるであろう、と。アレクサンダーは部下達を失望させないようにと、その謎を解くことに決めた。そしてこの手紙の主は、アレクサンダーに狡いことをさせないため、大勢の町の人々がそこに立ちあえるよう計画した。
 ベサス それは頭がよかった。
 ダリウス 頭が良すぎたんだ、私から言わせれば。それで、(読む。)「暫くその結び目を眺めていたアレクサンダーは、さっと劒を抜いて、結び目を切り裂いた。」どうだベサス、この話には一昔前のてんやわんやの趣があるとは思わないか。お前の好みのやつだ。違うか。
 ベサス 私の好み・・・とも言えません。度が過ぎています。こういう類いの気違いが一番危険なのですから。
 ダリウス 危険・・・こいつがもし大軍勢の頭(かしら)に立つというなら確かに危険だ。しかしやっと小競り合いが出来る軍勢の頭にいて、何が危険か。
 ベサス グラニカスの戦い以後、彼の取った兵力増強の手段は何なのですか。
 ダリウス あの小競り合い用の軍勢で、ペルシャの一部隊を破ったことを私に思い出させようという腹だな。礼儀正しい言い方だ、なかなか。
(ベサス、「そんな、とんでもない。」という身振り。)
 ダリウス いいか、あの戦いはアレクサンダーが勝ったのではない。あの馬鹿なアーサイツが、自滅しただけの話だ。指揮官としてのアレクサンダーは愚劣の一語につきる。報告ではみなそうなっている。重戦車に向かって大将自身が親衛隊と共に突進する。ホメロスの詩を吟じながらな。(間。)重戦車に騎馬が突進!! 考えてもみろ。奴の軍勢がそこでどれほど人命を失ったか。想像するだに哀れになる。
 王女 お父さま、私、今日またテントを数えたの。六十二個増えていましたわ。
 ダリウス おお、そうか。偉いな。よく数えた。
(王女立ち上がり、ダリウスの右手に行き、その隣に坐る。)
 ダリウス(ベサスに。)パルチアの騎馬隊だな、多分。今朝到着する予定だったからな。(手紙をそばの座席の上に置く。)
 ベサス これで騎馬隊の人数はどれほどに。
 ダリウス 五千をちょっと切れる数だ。
 ベサス 三万の軍勢に五千の騎馬。よい割合ですね。
 ダリウス これで十分な筈だ。
 母王 分からないわね、私には。何故お前がそんなに力を入れているのか。全身全霊よ、まるで。
 ダリウス グラニカスの轍を踏みたくありませんからね。
 母王 チャリデマス将軍の考えがここではいいのではないかしら・・・フリジアで敵が全滅するのを待つの。どうせシリアの峡谷は通過出来っこないのですからね。そのうちに疲れて帰って行くわ。お前も無駄な金を使わずにすむのに。
 ダリウス このダリウスの名前がそれを許してくれないのですよ、母上。もうこれ以上挙兵のための運動はしません。約束しますよ。しかしとにかく、あの敗戦の報復はしなければ。(王女に。)アレクサンダーを捕えて来る。お前はそれをどうする。
 王女(暫く考えて。)マーダックの檻に入れてやるわ。
 ベサス 何ですか、そのマーダックというのは。
 ダリウス ライオンの子供だ。王女のペットでね。(王女に。)ここに連れて来たのか。
 スタティラ いいえ、ダリウス。私が許しませんでした。
 ダリウス 何故許さなかった。
 母王 ライオンが身近にいるのは、嬉しくありませんからね。
 ベサス それで思い出しましたが、大王、よく家族をお連れになりましたね。私には思いつかない考えです。
 ダリウス 考えつかないか、ベサス。家族と別れて暮らす方が私には考えつかないな、たった三箇月といえどもだ。
 ベサス しかし、予期せぬことも・・・起こりうることですし・・・
 ダリウス 予期せぬこと? 例えば?
 ベサス 疫病、それに、悪路・・・
 母王 まあまあ、そんなものが大変なものですか。私達女だって、バビロンのお城の外も見たいのですよ。見聞を広めたいの。この風景、私、気に入ってるわ。
 ダリウス(意味を込めて。)ベサス、お前は誰も連れて来なかったのか。たった一人なのか?
 ベサス(困って。)いや、その・・・若い女性は・・・我々は旅の辛苦にも耐えるでしょうし・・・勿論その他にも有り難いことが・・・つまりその、こまごました仕事もやってくれますから、その・・・
 ダリウス 話題を変えた方がよさそうだな・・・(母王に。)母上、母上はどうなさいます? 捕えたアレクサンダーを。
 母王 殺します、勿論。
 ダリウス 私は違うな。話し相手にするつもりだ。面白いに違いない。
 母王(ショックを受けて。)ダリウス! 野蛮人ですよ、相手は。
 ベサス 先方でも我々のことを野蛮人と呼んでいるでしょうな。
 ダリウス そう、我々を野蛮人と呼んでいる。その理由がふるっている。政治的には連中は実に遅れている。連中は民主主義という政体をいまだに固持している。我々が何世紀も前に卒業した政体をだ。その結果だ勿論、毎年何千という人間を、殺し合いで失っている。我々ならああいう戦いは内戦と呼ぶだろうが、連中は国家間の戦いと呼んでいる。
(ペルシャ人のお付き、ダリウスの召使、マザレス、左手から登場。何事が起きてもびくともしない表情。至急便を持ってくる。)
 ダリウス 二百年もの間、戦争らしい戦争が全然なかったこの我が帝国の存在は、連中には全く想像もつかないのだ。連中が我々を野蛮だというのも無理はない。そうでもしなければ連中の自負心が収まらないだろう。
(マザレス、ダリウスの左手にある長椅子の左手に進み、膝まづき、地面に頭をつけ、お辞儀。それから手紙を差し出す。)
 ダリウス(マザレスに目も止めず、手紙を受け取る。)しかし連中の文学は悪くない。(手紙を目で追いながら話し続ける。)
(マザレス、立ち上がり、左手に下がり、直立。)
 ダリウス それに絵画、建築・・・私の趣味からすると、形式的で堅苦し過ぎるのだが・・・まあ、原始的な良さというものがある・・・(急に言葉を切る。手紙の内容に釘付けになる。)
(間。)
 母王 何なのです、ダリウス。
(長い間。それからダリウス、目を上げる。)
 ダリウス(手紙を指さして。)アレクサンダーはシリアの峡谷を突破した。
(間。)
 ベサス(立ち上がる。)どうやって?
 ダリウス 奇襲だ。七十マイルを二日しかかけなかった。不可能な筈だな?
 ベサス 不可能です。
(間。)
 ダリウス(ゆっくりと。)分かるだろう、私がこの男に会うのを心待ちにしているのが。全く、実に楽しみだ。
                      (幕)

     第 一 幕
     第 三 場
(場 イサスにあるダリウスのテントの中。)
(テントの中全体が舞台。広々としていて、王の住居に相応しい。ペルシャの大王は、軍事行動をとる時でも、王らしい様式、豪奢さを保つ住環境の中で暮らした。これは、それ以後の世界では決してあり得ない。テントの中の調度品は豪華で豊富。戦場におかれた総司令官の本部というよりは、お城の中の玉座の間という雰囲気。主な出入り口は中央奥。そこからテントの外の様子が垣間見られる。左手の出口は寝室に通じる。右手の出口は垂れ下がった飾り物で隠されている。その前に壇があり、天蓋つきの、彫り物の施された立派な玉座。ここからかってダリウスが命令あるいは軍略の指揮をした筈である。左手に長椅子あり。中央右手に彫りのある象眼の施された十二角形のテーブル。右手奥に宝物を入れる大きな重い櫃。左手奥に照明用の背の高いシャンデリア。左手出口の玉座の下に、立派な絨緞。中央奥にも絨緞。床には贅沢な刺繍のついたクッションが五、六個散らばっている。左手の壇がきれるところからは、ライオンの革が敷いてある。背の高い花瓶(複数)と絹製の掛け物が壁の表面を飾っている。)
(幕が開くと夜である。中央奥の出口から空が夕焼けで赤くなっているのが見える。舞台裏で遠くから絶え間なく、男達の声が聞こえる。時々は笑い声。明らかに喜びの場面。中央奥の出口に、このテントを守っている二人のギリシャ兵の背中が見える。中央右手のテーブルには、ワインで満たされた金製の壜、金のコップ、それに果物、肉、などが盛られた金の皿。トルコ産の酒のつまみが入っている小さな金の箱がのっている。マケドニア軍歩兵隊の将校クレイタス、見るからに恐ろしそうな髭を蓄えた老練のギリシャ兵、が、外の喧騒に気も止めず、また、普段馴染みのないこの豪勢な部屋が大いに気に入り、手当たり次第食いまくり、飲みまくっている。戦闘が終わったばかりであることが、その服装、そして足にある傷から分かる。マザレス、ダリウスに仕えていた時と全く変わらない無表情な顔をして、テーブルの右手に膝まづいて、クレイタスの給仕をしている。遠くから女の金切り声が響く。その後から男達の笑い声。クレイタス、頷く。一人でにやりと笑う。握っていたコップをぐいと突き出す。マザレス、すぐにそれに酒を注ぐ。クレイタス、飲む。そしてつまみものを片手いっぱいに掴む。金の箱が目に止まる。コップを置き、箱を手に取る。テーブルの上にその中味をぶちまけ、上衣の内ポケットに箱を押し込む。次につまみをのせてある皿に目が止まる。皿のつまみをテーブルに空け、着物の袖で皿を拭い、それも上衣の内ポケットに入れる。マザレス、礼儀正しくクレイタスに別の皿を渡す。クレイタス、それを引っ掴むや、乱暴に左手に投げ捨てる。)
 クレイタス(怒鳴る。)貴様、俺を騙すつもりか。あの食い物が身体に悪いことぐらい貴様分かってるだろう!
 マザレス いいえ、ご主人様。騙そうなどと。わたくしはただ、給仕の役目を。
 クレイタス 何だ、貴様はギリシャ語を喋るのか。
 マザレス はい。
 クレイタス すると俺はお前を殺さねばならん。
 マザレス それは何故でしょう。
 クレイタス スパイかもしれん。
 マザレス もしわたくしがスパイだとしましたら、ギリシャ語を話せることを隠した筈です。
 クレイタス なるほど、それもそうだ。名前は何という。
 マザレス マザレスです。
 クレイタス ひどい名前だな。さすが野蛮人だ。(コップを取り、飲み干す。詰め込んだ物で膨れている上衣の中にまた場所を見つけてコップを入れる。)貴様は何も見ていない。いいな。さもないと殺すぞ。
 マザレス わたくしは何も見ておりません、ご主人様。
(中央出入口の外に、アレクサンダー軍の司令官、パーメニオン将軍の声がする。)
 パーメニオン(第一の兵士に。)何故このテントを守っている。
 第一の兵士 はっ、命令であります。
 パーメニオン(舞台裏で。)よし、通るぞ。
(クレイタス、舌打ちをする。二人の兵士、槍を十字の形に上げて、パーメニオンの行く手をふさぐ。)
 第一の兵士 失礼ながら。
(中央出入口の奥にフィロタス登場。フィロタスも、身体、服装に戦闘の跡が見える。)
 フィロタス 馬鹿野郎! お前らは自分達の司令官も知らないのか。こちらはパーメニオン将軍だぞ。
(兵士達、槍を下げて両側に離れる。パーメニオン、フィロタスの後から登場。テントに入る。パーメニオンは約六十歳。威厳のある顔つき。パーメニオンにも戦闘の跡あり。クレイタス、急いで立ち上がり、気をつけの姿勢。マザレスも立つ。)
 パーメニオン(中央前方に進んで。)クレイタス。
 クレイタス はあ。
 パーメニオン お前はここで何をしている。
 クレイタス テントの守りであります。
 パーメニオン(辺りを眺めて。)ふん! これがダリウスの居場所だったところだな。
(フィロタス、左手に行き、休めの姿勢。)
 クレイタス はい、その通りです。王がここにいらっしゃるまで守っておくべきだと考えまして。誰にも触らせないように。
 パーメニオン(クレイタスを疑わしげに見ながら。)それはそうだ。何か書類でも?
(フィロタス、左手から退場。)
 クレイタス えー、私はまだその・・・時間がありませんでして・・・
(そう言っている時に、上衣の内ポケットから皿が落ちる。)
(パーメニオン、その皿を拾い、クレイタスに返す。)
 クレイタス(皿を受け取り、困って。)記念にと思いまして。女房への土産のつもりで。ダリウスの紋章が彫ってありますし。(皿をテーブルの上に置く。)
 パーメニオン そうだな。それは喜ぶだろう。
(フィロタス、左手から登場。)
 フィロタス うーん、豪勢なものだ。これがダリウスの暮らしだったのか。お父さん、こういうのを今までに見たことがありますか。 パーメニオン(回りを見て、冗談でなく。)いや、実に、生まれてこのかた、見たことがないな。しかし軍参謀本部のある場所とはとても思えない。特に、野戦の。
 クレイタス(礼儀正しく。)そうです。反吐が出そうです、全く。 フィロタス(左手の長椅子の向こうに進んで。)反吐が出そう?いや、豪勢なもんだ。それが俺の感想だ。
 クレイタス なるほど、それが感想か。
 パーメニオン(マザレスを指さして。)この男は何者だ。
 クレイタス ダリウスの召使です。ベッドの下に隠れているのを私が見つけました。(左手の出口を指さす。)召使は二十人以上いたらしいです。ただ私より早くここに着いた兵隊達が・・・
 パーメニオン みんな殺したのか。
(クレイタス、頷く。)
 パーメニオン それは残念なことをした。訊問すればいろいろ分かった筈だが。あれはギリシャは喋れるのか。
 クレイタス 喋れます。
 パーメニオン(マザレスに。)王の書類はどこにある。
 マザレス(静かに。)焼けました。
 パーメニオン 焼けた? 誰が焼いた。
 マザレス 私です。
 クレイタス(刀を抜いて。)何だと? この敵の犬めが。そんな奴の命を俺は助けていたのか。(刀を振り上げる。)
 パーメニオン(間に立って。)まあ待て、クレイタス。まだ役に立つ。(右手にある櫃を指さして、マザレスに。)何があるのだ、あの櫃には。
(クレイタス、刀を鞘に収める。)
 マザレス(上衣から鍵を取り出し。)開けてご覧になりますか、ご主人様。
 パーメニオン うん。
(マザレス、パーメニオンの方に進み、鍵を渡す。)
 パーメニオン(鍵を受け取り、フィロタスにそれを投げる。マザレスに。)あそこに入っておれ。(左手の出口を指さす。)あとでまた呼ぶ。
(フィロタス、立ち上がり、櫃に行き、開ける。マザレス、左手から退場。)
 フィロタス(櫃の中味に驚いて。)これは!
(パーメニオン、櫃の傍へ行き、中を見る。クレイタスも右手の端によって遠くから覗きこむ。)
 パーメニオン(間のあと。)うん、諸君・・・これだけあれば、兵隊への支払いの滞りも解消できる。
 フィロタス 偏(ひとえ)にダリウスのお蔭ということか。
 パーメニオン 戦場の真っ只中でこれだけ持っているということは、本営にはどれだけあるか、想像もできないぞ。
 クレイタス(テーブルの観客側を回り。)全くあいつら野蛮人の富ときたら・・・吐き気がする。
 フィロタス(中央左手に、壇に上って。)そうかな、吐き気はしないな、俺は。
 パーメニオン(櫃を指さして。)君達はどう思う。この財宝は何のためだったのか。
 クレイタス 殊勲をあげた者への褒美でしょう。
 フィロタス(あざ笑うように。)今日の戦いっぷりじゃ、褒美に値するものなどいはしない。そんなものは不要だったな。
 クレイタス そうかな、連中の戦いぶり、悪くはなかった。ペルシャ人にしては、だが。
 フィロタス ほほう、するとあんたの考えでは(両軍一人一人は同様によく戦ったとすると)我々が勝ったのは数の差だと言いたいのか。
 クレイタス(壇の方に行き、テーブルのあちら側で。)おい、お若いの、そいつは皮肉のつもりか。貴様ら騎馬隊こそ何だ。逃げ腰になっている新米の兵隊達にだけ、つっこんで行く。俺達密集歩兵部隊の働きを見たか・・・
 フィロタス(クレイタスの方に進み、悠々と。)見ろと言われても、なかなか難しかったな。密集部隊にしては足並みのえらく速い部隊だ。さっきここにいたかと思うと、次にはあちらだ。全く呆れるばかりのスピードだ。
 クレイタス(威嚇するように。)それは当て擦りか。俺達が逃げていたとでも言うのか。
 パーメニオン(二人の方に近づき、優しく。)おいおい、二人ともどうした。我々は別々の戦(いくさ)をしていたんじゃない、あれは、同じ一つの戦いだったのだ。
 クレイタス それはそうです。しかしまるで我々密集部隊が逃げたかのように、この男が・・・
 フィロタス 逃げたとは言っていない。逃げてはいない、確かに。戦いの場から離れる後方への移動だ。女神ヘーラーの指図によるものだろう。(左手の長椅子に行く。)ヘーラーは歩兵に対していつも親切だからな。(坐る。)
(クレイタス、挑みかかるようにフィロタスの方へ一歩踏み出す。)
 パーメニオン(クレイタスを抑えて、鋭く。)止めろクレイタス。あれは冗談だ。何がどうなったか、私にはよく分かっている。第二歩兵密集部隊には、一旦持ち堪(こた)えたさせて後退する役目を当てた。見事な後退ぶりだった。クレイタスの部隊の役割は違った。敵の守備隊に亀裂を入れる役だった。よくそれを果たし、味方の他の部隊もそこに突撃した。騎馬隊の働きも同様、計画通りだった・・・
(クレイタス、右手に下がる。)
 パーメニオン つまり、敵の左手に回り込んで撹乱する役割。お前は自分の部署で起っていることしか見えなかった筈だ。全体像が掴めるわけがない。(中央に進んで。)それにしても実にいい攻撃作戦だった。作戦通りということはまづあり得ない話なのに、これは例外だった。君たちも戦の天才に仕えた事を誇りに思うんだな。
 フィロタス 戦の天才ですって? お父さん。
 パーメニオン そうだ。私は天才と言った。私はこの目で今日確かめた。いいか、私は彼の父親にも仕えた身なんだからな。
 フィロタス 総大将としてのアレクサンダーへの私の評価を言えば、騎馬隊の隊長として素晴らしいということと、つきまくっている男だということ。この二つだけだ。
 クレイタス 将軍、この男は私を侮辱するだけではすまない。王までも侮辱しようという腹です。いいのですか、これで。
 フィロタス(怒って。)王を侮辱? 馬鹿野郎! この俺が王を侮辱だと? 貴様よりは俺の方がずっと王に近しい男なんだ。
 クレイタス(中央に一歩踏み出して。)あるものか、そんなこと。
 フィロタス 貴様の、次に言う台詞は分かっている。「子供の頃よく抱いてやったものだ。グラニカスでは命を救ったのだ。王は私を親父とも思ってくれている。」もう聞き飽きた、この話は。
 クレイタス(刀に手をかけながら、パーメニオンに。)将軍、このまま済ます訳にはいきません。(フィロタスに。)さあ、表に出ろ。
 パーメニオン 馬鹿は止めろ、クレイタス。(フィロタスに。)お前のその舌、いつかその身を滅ぼすことになるぞ。
 フィロタス そうでしょうきっと。真実を喋る舌は屡々そうなる。
 パーメニオン 二人とも、もう部署に帰った方がいい。用のある時はまた呼ぶ。
 フィロタス それは命令ですか、お父さん。今私が部署に帰ろうものなら、連中はえらい迷惑な筈です。
(クレイタス、左手に進み、退場。)
 パーメニオン 何だって?
 フィロタス 連中に一時間前、送ってやったものがありますからね。
 パーメニオン 送った? 生きたものをか。
 フィロタス ええ、泣いたり、喚いたり。
 パーメニオン 恥を知るべきだぞ、お前は。
 フィロタス ええ、明日になれば。そう、明日になればきっと恥を知ります。
(クレイタス、左手から登場。上衣はもう膨れていない。)
 フィロタス しかし、女神にはちゃんと立派な生贄を捧げますよ。それで帳消しです。
 パーメニオン(右手に動きながら。)これが私の息子か。酷いものだ。私は呪われているのか、こんな息子を持って・・・
 フィロタス(間の後。)戦争に女どもを連れて来るなどと、ペルシャ人のやる事といったら、全く・・・
 パーメニオン 連中はいつでもこれだ。戦闘意欲のためにはひどくまづい。
 フィロタス 連中にはまづいでしょうが、こっちには大いに好都合だ。
 パーメニオン その意見には賛成出来ない。今すぐ本部に戻せと命令しようかと思っているところだ。
 フィロタス そんなことをしようものなら暴動ですよ。クレイタスに訊いてみるんですね。真っ先に反対するのが彼ですよ。
 クレイタス(長椅子の向こうから、中央に移って。)それはどういう意味だ。
 フィロタス 俺の言っていることぐらいすぐ分かる筈だ。しらばっくれて。嫌な野郎だ。お前が連中を陣屋に入れたのを見ていたんだからな。
 クレイタス 連中を?
 フィロタス 三人だ。
 パーメニオン 三人? おい、クレイタス。
 フィロタス お前の陣屋、あそこのテントだ。歩兵の護衛をつけてな。そうだクレイタス、気をつけた方がいい。貴様の歩兵達のことは貴様が一番よく知っている筈だからな。
 クレイタス(威厳をもって。)将軍、あなたの息子さんがとやかく言い立てている女達というのは、三人の大切な捕虜のことだと思います。王が直々に検閲されるようにと、私は護衛をつけておいたのです。
 フィロタス クレイタス、言い逃れも大抵にしておくものだぞ。あの禁欲主義の王のためにだと? 嘘にしてももう少しましなものを考えた方がいい。
 クレイタス(パーメニオンに。相変わらずきっぱりと。)ご覧の通り、あなたの息子さんはこの私を厳しく責めている。しかし、私の話は嘘ではありません。それは保証します。
 パーメニオン 分かったクレイタス、信用しよう。その捕虜とは一体誰なのだ。
 クレイタス(中央前面に降りてきて。)失礼ながら将軍、それは私の口から王へ直々に申し上げたいのですが。
 パーメニオン そうか。分かった。(明らかにクレイタスを信用していない。フィロタスを見る。)
(フィロタス、パーメニオンに目配せ。)
 パーメニオン(テーブルの方へ戻り。)さあ、三人丁度ここに居合わせたんだ。ペルシャの酒で乾杯といこう。
 クレイタス(テーブルの後方に行き。)かなりいける代物ですぜ。ああ、実はその、待っている間にちょっと一杯やりまして。
 フィロタス(テーブルの左手に進み。)勿論やっただろう。何しろ酷い戦闘だったんだからな。やらずにはおられなかったさ。
 クレイタス なんだと。
 パーメニオン(鋭く。)止めろ、二人とも!(コップを上げて。)
王に!
(三人、飲む。)
 フィロタス(間の後。)ひとこと私にも。(コップを上げて。)この、我々三人に!
(三人、飲む。パーメニオン、右手の玉座に進み、坐る。クレイタス、壇の上。玉座の後ろに坐る。)
 フィロタス 世界の半分を征服する日など、毎日あるわけじゃないからな。(今日ぐらい飲んでもいいだろう。)
(フィロタス、テーブルの向こう側、壇の上に坐る。)
 パーメニオン 世界の半分などと飛んでもない。やっと息つく場所だけだ、征服したのは。
 フィロタス 何ですって? 死者七、八万人、それにあのような捕虜ですよ。
 パーメニオン 半数は逃げた。それにダリウスは生きている。
 クレイタス アレクサンダーが追いかけていた。追いついている、きっと。
 パーメニオン 万に一つも無理だ。最後のあの逃げるときの隊列の混みよう。人も動物も区別はない。息がつまりそうだった。そしてダリウスはその先頭をきって逃げていたのだ。あの混雑を突っ切れる人間がいるとは思えない。
 クレイタス(年寄りの威厳をもって。)アレクサンダーがいる。
 フィロタス(静かに。)アレクサンダー ・・・神か、半神か。
 クレイタス(こちらも静かに。)いや、ただのアレクサンダーだ。
 フィロタス(間の後。)なかなかいい酒だ、これは。ペルシャ人の奴等、生き方というものを心得ている。
(舞台の裏でファンファーレ鳴る。「万歳」その他、喚声、近づく。クレイタス、立上る。)
 パーメニオン(立上って。)有難い。どうやらお帰りのようだ。
 フィロタス(立上りながら。)ダリウスを捕虜にして。それが貴様の意見だな。
 クレイタス(左手に進みながら、挑むように。)そうだ、捕虜だ。
 フィロタス(静かに。)呆れたもんだ。
(喚声、ついに止む。兵達がまづ武器を運びこみ、次にアレクサンダー、中央から登場。戦闘用の鎧、頭には非常に目立つ白い羽根のついた兜。戦場ではいつもこれを被っている。左腿の傷のため、ひどい跛(びっこ)をひいている。暫くの間アレクサンダー、テントの様子をゆっくりと見る。他の者はこれを黙って見ている。
 アレクサンダー(呟く。)なるほど、王とはこういうことを言うのか。(微笑が浮ぶ。中央に跛をひいて降りる。)パーメニオン・・・
(パーメニオン、アレクサンダーに近付き、握手する。)
 アレクサンダー フィロタス・・・
(パーメニオン、右手に下がる。フィロタス、アレクサンダーに近付き、握手。)
 アレクサンダー 先陣争いはそちらの勝ちだったな。二人とも実によくやった。
 パーメニオン 手傷を受けられましたな。
 アレクサンダー いや、何でもない。(クレイタスの方を向く。)
おお、クレイタス親父。(クレイタスを抱く。笑う。)
(ヘーファエスティオン、中央から登場。分捕り品の弓とマントを持っている。)
 アレクサンダー 無事だったか、親父。よかった。戦死の噂が立っていたからな。
 クレイタス いやいや、なかなか。噂ぐらいで死ぬわけにはまいりません。
(ヘーファエスティオン、中央右手、壇の端に下がる。)
 アレクサンダー 嘘だということは分かっていた。この大事なクレイタスを私から取り上げるなど、いくらペルシャの奴等でも出来はしまい。
 クレイタス(心配そうに。)ちょっと傷をお見せ下さい。(アレクサンダーの左手に膝まづき、傷を調べる。)
 アレクサンダー 騒ぐような傷ではない、クレイタス。ヘーファエスティオン、それを皆に見せてやれ。
(ヘーファエスティオン、右にいるフィロタスに弓とマントを見せる。)
 クレイタス(アレクサンダーの傷を見て。)これは包帯をしなければ。(立上る。)
(フィロタス、弓をヘーファエスティオンから取り、調べ、またそれを右にいるパーメニオンに渡す。)
 アレクサンダー ちょっと待て。(衣服を脱ぎ、左手の長椅子の上に放り投げる。)
 クレイタス(厳しく。)静かに。(左手を向き、怒鳴る。)おい、お前、さっきの奴・・・おい。
(マザレス、左手から登場。)
 クレイタス 手桶に水を。それから包帯。
(マザレス、お辞儀。左手から退場。)
 アレクサンダー(分捕り品を指さして。)おい皆、そいつはダリウスのマントだ。
(パーメニオンとフィロタス、はっとする。)
 クレイタス(すぐに。)捕えたので?
(パーメニオン、フィロタスに弓を返す。)
 アレクサンダー いや、それは無理だった。ただ、彼の戦車は見つけた。溝に捨てられていた。
(パーメニオン、右手に下がる。)
 アレクサンダー 戦車は捨てて、馬に乗って逃げたのだ、きっと。どうだ、このマントは。(ヘーファエスティオンからマントを取る。)なかなかいいじゃないか。
 ヘーファエスティオン 着てご覧になれば。
 アレクサンダー(両肩にマントを掛ける。)どうだ、似合うかな。
(マザレス、黄金の器に入れた水と、包帯を持って左手から登場。)
 フィロタス(声に少し刺(とげ)がある。)まるで、ご自分で誂えたマントのようですな。
 マザレス 水です。旦那様。
(クレイタス、振返る。容器と包帯をマザレスから取る。マザレス、一礼、左手から退場。フィロタス、中央扉の方に進み、弓の強さを試す。)
 アレクサンダー(クレイタスに。)ちょっと見せてくれ。(クレイタスから容器を取り、じっと眺める。)野営地での調度品。ペルシャの大王殿の趣味はなかなかいい。(クレイタスに容器を返す。)
(クレイタス、膝まづいてアレクサンダーの傷を洗いにかかる。ヘーファエスティオン、中央に進み、フィロタスの左手に行く。)
 パーメニオン(右手の櫃のところに進み。)野営地への携帯品としてもっとお気に召すものがここにありますが・・・
 アレクサンダー ほう、見せてくれ。(振返り、跛をひきながら、櫃に近づく。)
(クレイタス、苛々する。立上って、左手の長椅子の方に行き、長椅子の方に容器と包帯を置く。)
 アレクサンダー(櫃の中を覗く。間の後。)これは役に立つ。どれぐらいある? 支払いの滞りを埋められるか?
 パーメニオン 埋められるどころか。
 アレクサンダー(振返り、左手の長椅子の方に進み。)では全員に特別慰労金だ。(坐る。)
 パーメニオン しかし、それはあまり得策とは思えませんが。(中央に行き。)貯えが必要です、我々は。
(次の台詞の間にクレイタス、アレクサンダーの下手に行き、傷の手当てをする。)
 アレクサンダー 貯え? 何のために。
 パーメニオン 将来のためにです。
 アレクサンダー 将来は将来だ。何とかなる。フィロタス。
 (フィロタス、振返る。)
 アレクサンダー この櫃に護衛をつけて、味方の陣屋まで運べ。給金の支払いをやる。
(パーメニオン、右手の玉座に行き、坐る。)
 フィロタス 今夜ですか?(弓をヘーファエスティオンに渡す。)
 アレクサンダー 出来るだけ早くだ。兵達を陣屋に戻すのに一番いい方法だとは思わないか。
 フィロタス それは確かに。(中央の出口に向かって呼ぶ。)お前達!
(第一と第二の兵士、その後に第三の兵士、中央から登場。)
 フィロタス 櫃を運べ。(言い止み、アレクサンダーの方を向く。)あらかじめ数えておく必要は?
 アレクサンダー 何の・・・
 フィロタス(急いで。)「何のために」とはおっしゃらないように。さもないと私はその理由を言わなければならなくなります。
(第一と第二の兵士、槍を第三の兵士に渡す。二人で櫃を持ち上げる。)
 アレクサンダー 理由の説明は不要だ、フィロタス。さあ、欲しいだけ取れ。
 フィロタス そんな。それじゃ勿論、私に取れっこありません、一文だって。(兵士達に。)いいぞ、二人とも。前へ進め!
(兵士達、櫃を運んで中央から退場。フィロタスも後に続き退場。第三の兵士は、中央出口の外に留まり、歩哨に立つ。ヘーファエスティオン、進みよって弓を置き、中央右手のテーブルにつく。)
 クレイタス(包帯をすませ、立上って。)あれは気違いざたですよ、アレクサンダー。全くの狂気です。
 アレクサンダー そうだ。皆がそう思っている。(包帯を見る。)有難う、クレイタス。素晴らしい看護婦だ。
 クレイタス 明日また私に見せなければいけませんよ。
 アレクサンダー まあな。
 クレイタス まあな、ではありません。これは必ずです。さてと、ちょっとびっくりさせるものがあるのですが。
 アレクサンダー びっくりさせる? 何だ。
 クレイタス すぐに帰って来ます。お目にかけましょう。そのままでお待ちを。
(中央出口に進み、退場。)
 アレクサンダー(パーメニオンに。)何だろう。
 パーメニオン(立上り、中央左手に進み。)特別の捕虜でしょう、女の。
 アレクサンダー 女! 全くクレイタスらしい。しかしどうして誰もかれもが私に動物の真似をさせたがるのか。何故なのだ。
 パーメニオン 何故なら、誰もかれもが動物のような振舞をしているからでしょう。
 アレクサンダー そうだな。賛成だ。・・・なあパーメニオン、私が、「いずれは死すべき身だ」と思い知らされる二つのことがある。それは、性行為と睡眠なのだ。
 パーメニオン だからなのですか、いつもその二つを極端に避けていらっしゃるのは。
 アレクサンダー 多分な。
 パーメニオン 昨夜は一睡もしていらっしゃらないのでは?
 アレクサンダー ヘーファエスティオン、戦争の前夜に、私がかって睡眠をとったことがあったかな?
 ヘーファエスティオン いいえ、一度も。
 パーメニオン 少なくとも、今夜は・・・
 アレクサンダー そうだな。・・・そうだ、パーメニオン。お前に感謝する、有難う。心からの感謝だ。
 パーメニオン 有難う? 何のことですか?
 アレクサンダー 私のためにこの戦いを勝ち取ってくれた。それに対してだ。
 パーメニオン それは違います。私が勝ち取ったのではありません。
 アレクサンダー そうか? そうかもしれない。私には分からない。とにかく我々は勝った。お前に感謝する。
 パーメニオン 感謝は神々に。私にではありません。
 アレクサンダー では両方にだ。(間。)パーメニオン、私の親父のことだが、戦争の後、お前に礼を言ったことがあるか?
 パーメニオン(答え難そうに。)はい。(中央右手に行く。)時々は。
 アレクサンダー 大抵は、酔いつぶれて忘れていたんだ。多分な。もし彼が生きていて、今日のことを見ていたら、どう思うだろうな。
 パーメニオン(振返って。)ご自分のお子様を大変誇らしくお思いになるでしょう。
(間。それからアレクサンダー、笑う。)
 アレクサンダー 彼のことはあまりよく知らないんだろう、パーメニオン。どうだ。
 パーメニオン 他の人を知っている程度には存じているつもりですが。
 アレクサンダー すると、私を知っている程度には知っているか。・・・なるほど。(微笑む。)行ってクレイタスに伝えてくれ。馬鹿なことは止めろ、と。頼む。
 パーメニオン(中央に動いて。)畏まりました。彼を見つけられれば。
 アレクサンダー それから夕食の時にまた来てくれ。
(パーメニオン、左手から退場。間あり。)
(アレクサンダー、急に頭を後ろに倒し、目を瞑り、身体を固くし、緊張する。歯の間から吐き出すように。)
 アレクサンダー おお神よ、・・・天には正義というものがないのか。・・・父親に知らせてやるんだ。今日私がやったことを。私のこの姿、ダリウスのテントの中で、ダリウスのマントを着ているこの私の姿を。この光景で彼の両眼を焼き尽くしてやるんだ。(しばらく両目を閉じたままにして、それから目を開け、ヘーファエスティオンに微笑む。)ヘーファエスティオン、お前はこの私が気違いだと思うだろうな。
 ヘーファエスティオン(静かに。)ええ、アレクサンダー、・・・時々は。
 アレクサンダー 私もだ。・・・時々は。酒をくれないか。
(ヘーファエスティオン、壜からコップに注ぐ。立上る。アレクサンダーの方へ進む。)
 ヘーファエスティオン(アレクサンダーにコップを渡しながら。)めったにないことです、これは。
 アレクサンダー(コップを受取って。)喉が乾いているのだ。(飲む。)ウッ、何ていう味だ、酒っていうやつは。こんなものを美味いと思って人は飲むのか。到底分からないな。(ヘーファエスティオンにコップを渡す。)母親には何を送ったものだろう。
 ヘーファエスティオン あのマントがいいです。
 アレクサンダー(ぶっきらぼうに。)駄目だ。あれとは離れられぬ。(辺りを眺める。)何か王の紋章がついているものがいいな。
 ヘーファエスティオン 私は故郷へ送るものは決めています。
 アレクサンダー 何だ。
 ヘーファエスティオン ライオンの子供です。
 アレクサンダー ライオンの子供?
 ヘーファエスティオン はい。(テーブルのところに行き、コップを置く。)首輪つきです、素晴らしい宝石で飾られた。(テーブルの右端に行く。)陣屋にうろついているところを見つけたのです。今は私のテントの中に入れてあるのですが、多分私の着物は全部噛まれて駄目になっているでしょう。なかなか魅力的な分捕り品だと思いますが。
 アレクサンダー そうだな。(長椅子の上、ヘーファエスティオンの傍にある容器を指さして。)クレイタスが私の足の傷を洗ったその容器を母親には送るとしよう。歴史的意味を添えて見てくれるかもしれないからな。(間。立上り、右手の玉座を指さして。)あれがダリウスの玉座だな。
 ヘーファエスティオン はい。なかなか威厳のある・・・
 アレクサンダー いや、非常にだ。
 ヘーファエスティオン 戦争に運んでくるべきものとも思えませんが。
 アレクサンダー 世界の王者だ。常にその威容を保たねばならんのだ。彼は今どこにいるだろう。
 ヘーファエスティオン 何が世界の王者でしょう。どこか溝の中にでも隠れているところですよ。
 アレクサンダー(呟く。)人間はどうすれば神になれるか。アリストテレスの答をお前は覚えているか。
 ヘーファエスティオン 人間に不可能なことをすることによって。
 アレクサンダー(中央に進み。)二十五万の敵に対して三万五千を率いてこれを撃ち破る。・・・私は不可能事を成し遂げたのだろうか、ヘーファエスティオン。
 ヘーファエスティオン(立上り、左手の長椅子の右に来て。)王の神性は保証されています。(からかいと服従の気持で。)天上に駆けのぼる炎の車に乗られるのも間近です。あの天上のオリンパスでは、さぞお寒いのではないかと心配致しますが。
 アレクサンダー(考えながら。)寒くて、寂しいだろうな。
 ヘーファエスティオン(冗談に。)いいえ、そんなことは。寂しいなどありえません、オリンパスでは。
 アレクサンダー オリンパスの話ではない。(玉座を見つめる。)この地上でだ。(間。)
(ヘーファエスティオンの微笑、アレクサンダーを見ているうちに消えてゆく。)
 アレクサンダー 本当の皇帝とは、人間の間に立ちまじっている神なのだ。
 ヘーファエスティオン(居心地悪そうに。)今夜はアリストテレス先生の予言をひどく気になさっている御様子ですね。
 アレクサンダー そうだ。忘れることは出来ぬ。(間。それから玉座の方を顎で示し。)あの座は寂しい場所だ。またそうでなければならない。
 ヘーファエスティオン しかし、わざわざそうする必要は・・・
 アレクサンダー いや、そうでなければならないのだ。
 ヘーファエスティオン では何故・・・人はそれを知りながら、そこに坐ろうとするのでしょう。
 アレクサンダー 難しい質問だそれは、ヘーファエスティオン。人間はどんな敵に打ち勝てても、自分自身の運命には勝てないから、なのかも知れない。(考えながら。)もし今日(一、二歩玉座に近づく。)ダリウスを殺していたとしたら・・・(言い止む。間。それから急に、声の調子が変って。)どのくらい我々は彼に近づいたかな。
 ヘーファエスティオン あと二十歩というところです。
 アレクサンダー 世界の帝国から二十歩と離れていない・・・うーん、次の戦いが今日よりもっと運のいいことを祈ろう。(左手の出口に進む。)分捕り品の残りを調べることにしよう。さあ、こっちだ。
(左手に退場。ヘーファエスティオン、続いて退場。間。それから中央出口でクレイタスの声がする。)
 クレイタス(舞台裏で。)さあ、こっちだ。泣くのは止めろ、このガキ。止めんと本当に泣く目にあわせるぞ。
(第一と第二の兵士、中央から登場。出口の両側に立つ。母王、スタティラ、王女、それにクレイタス、その後から登場。王女は泣いていたのをクレイタスの最後の脅しで泣き止んでいる。母王とスタティラは無表情。しっかりと地面を見つめている。クレイタス、三人を壇の中央へと追いやる。)
 クレイタス よーし、そこへ立て。(三人を荒々しく引き立て、左手を向かせて一列に並ばせる。)よし。膝まづけ。
(母王、壇の下、中央に膝まづく。スタティラと王女、母王の少し右手後ろに膝まづく。)
 クレイタス それでよし。(中央に進み、呼ぶ。)陛下。
(二人の兵士、中央出口の外へ行き、そこで歩哨に立つ。)
 アレクサンダー(舞台裏で。答える。)何だ? 何の用だ。
 クレイタス 珍しい捕虜です。陛下のお目通りをと。
(アレクサンダー、左手から登場。ヘーファエスティオン、続いて登場。長椅子の後ろに行く。)
 アレクサンダー(クレイタスの方へ行き、怒って。)クレイタス、この道化者めが! パーメニオンをやって、お前を止めさせたのに。
 クレイタス そうですか。しかし、いづれにせよ、止められるものではなかったでしょうな。(くすくす笑って。)如何です、この女達。
 アレクサンダー(膝まづいている姿を見て。)大変よろしい。しかし頼む、もう連れて行ってくれ。
 クレイタス 名前をお訊きになりたくはありませんか。
 アレクサンダー 名前など知りたくない。(間。女達に。)膝まづくのは止めて欲しい。どうか立って。
(母王とスタティラ、立上る。しかし、相変わらず床を見つめるのみ。王女、立上り、アレクサンダーを見る。)
 アレクサンダー クレイタス、連れ出してくれ、早く。
(廻れ右をし、左手の出口に向かおうとする。)
 王女(突然、叫び声を上げる。)お母様、あの人の着ている着物、お父様のだわ。
(アレクサンダー、女達に背を向けたまま急に立ち止まる。その場に釘づけ。それからゆっくり振返る。)
 アレクサンダー(間の後、荒々しく。)クレイタス、お前は逮捕だ!
 クレイタス 陛下!
 アレクサンダー お前は逮捕だ。何という不届きな。私はお前を許さんぞ、決して。
 クレイタス しかし・・・しかし私は喜んで戴けるとばかり・・・このことのどこに不届きな・・・
 アレクサンダー 出て行け、この野蛮人! 出て行くんだ。いいか、このテントを生きて出て行けることを幸運と思うんだぞ。
(クレイタス、後悔し、言葉もなくお辞儀をする。廻れ右をし、中央出口から退場。アレクサンダー、母王の左手に進む。)
 アレクサンダー(母王に。)最大の侮辱でした。申し訳ありません。これを埋め合わせるために、どんなことでもお申しつけ下さい。必ずそれは果たします。
 母王(疲れて。)侮辱などありません。私共はあなたの捕虜です。お好きなようになさることが出来るのです。
 アレクサンダー(間の後。)あなたはダリウス王の母君なのですね。
 母王 そうです。
 アレクサンダー お子様は戦死してはいらっしゃいません。それに捕らわれの身にも。
(母王、スタティラの方を向く。片手を顔にあて、泣き声を抑える。スタティラ、王女を両腕に抱きしめる。)
 アレクサンダー どんな戦士にも劣らぬ立派な戦いぶりでした。ただ運がなかった。それだけのことです。
 母王(間の後。)では、まだ生きていると?
 アレクサンダー そうです、陛下。兵力を立て直し、また戦いを挑むでしょう。(振り向いて。)ヘーファエスティオン。
 ヘーファエスティオン はい。
 アレクサンダー このご婦人達の面倒はお前に任せる。(母王に。)もともと、どのテントだったのですか? あなた方は。
 母王 この隣にある二つのテントがそうでした。
 アレクサンダー(ヘーファエスティオンに。)そこへご案内せよ。護衛のための歩哨をつけろ。それから召使を数人。便宜は全て享受できるように。
 ヘーファエスティオン 畏まりました。
 アレクサンダー(母王に。)安心して彼にお任せ下さい。決して悪いようにはしません。彼は私の一番の親友でありまた、相談相手なのです。
 母王 有難うございます。
 アレクサンダー 行かれる前に、何か私自身に出来ることがあれば・・・
(母王とスタティラ、静かに首を振る。)
 王女(母王の右手に行って、早口で。)ええ、お願い。マーダックを捜して。
 アレクサンダー マーダック? 誰なのです?
 王女 私のペット。子供のライオンよ。多分盗まれたんだと思う。だって、恐ろしい声で吼えているのが聞えたもの。
(アレクサンダー、ヘーファエスティオンと目配せする。)
 アレクサンダー 分かりました。マーダックは捜させましょう。それに、盗んだ者も発見出来る筈です。その盗人にどういう扱いをしましょうか。
 王女(慎重に考えて。)マーダックと同じ檻に入れるの。
(スタティラ、王女を引き戻す。)
 アレクサンダー 素晴らしいお考えです。(ヘーファエスティオンに。)ヘーファエスティオン、今の命令が実行されるように。
 ヘーファエスティオン(嫌々。)畏まりました。(中央出口に進む。)
 (スタティラと王女、ヘーファエスティオンに続き中央出口から退場。)
 アレクサンダー(母王に。)では、お休みなさい。お許し戴いて、明日の朝、快適に過ごされているかどうか、見にまいりますが・・・
 母王(中央に動きながら。)どうぞ。お申し出、喜んでお受け致しますわ。(立上り、振返って。間の後。)このようなことをお訊きするのは大変失礼なことと分かっているのですけれど・・・私の息子の話・・・あれは私共の気持を慮(おもんぱか)ってのことではありませんか? あの子は本当に生きて。安全なところに・・・
 アレクサンダー それは保証いたします。彼が逃れ去って行くのを私自身が見ましたから。
 母王 逃れ去る?
 アレクサンダー 丁度そこでの戦闘では、ペルシャ側は多勢に無勢だったのです。
 母王 分かりました。有難うございます。(振返り、中央出口に進もうとする。)
 アレクサンダー 陛下。
(母王、立ち止まる。)
(素早い動作で、着ていたダリウスのマントを脱ぎ、母王の傍に近寄り、両肩にそれを掛ける。)
 アレクサンダー 夜、冷えるといけませんから。
(母王、アレクサンダーに背を向けたまま、急な動作で両手で顔を覆う。肩が一瞬震える。しかし泣き声は漏れない。それから肩をしゃんとさせ、マントを自分の身体に引き寄せ、中央出口から退場。)
(アレクサンダー、暫くその後姿を見送る。それから振返り、中央前方に戻る。そして左手の出口の方に声をかける。)
 アレクサンダー おい、そこの者。私に風呂の用意を。
 マザレス(舞台裏で、返事。)畏まりました、旦那様。
(アレクサンダー、振返り、暫くじっと玉座を見つめる。それからゆっくり、決然とそこへ進み、坐る。その腕木に両手を滑らせる。マザレス、左手から登場。アレクサンダーに近づく。四、五歩の位置で止まり、額を床につける。ヘーファエスティオン、アレクサンダーの気づかないうちに中央から登場。冷たい沈着な目でそれを見つめる。)
 アレクサンダー(マザレスに、静かに。)何だ?
 マザレス(見上げて。)お風呂はすっかり準備出来ました、陛下。
(アレクサンダー、頷く。マザレス、ゆっくりと立上り、左手の出口の方に後ずさりして行く。出口まで来ると、そこで非常に深くお辞儀をし、退場。アレクサンダー、じっと物思いに耽りながら、それを見つめる。それから頭を回し、ヘーファエスティオンを見る。微笑む。ヘーファエスティオン、無表情のまま。)
 アレクサンダー(立上り、ゆっくりと左手に進んで。)さあ、来てくれ。帝王の入浴姿を見届けて欲しい。
(アレクサンダー、左手から退場。ヘーファエスティオン、立ったまま動かない。)
                         (幕)

     第 一 幕
     第 四 場
(場 吊り庭の中の四阿(あずまや)。バビロン。)
(この吊り庭で舞台全体を占める。天井まで届いている柱が数本。その低いところに欄干あり。その欄干が舞台の回りを巡っている。欄干の向こう側に生け垣があり、その向こうは空。右手壇の上に、第二場で使っていたのと同じデザインの玉座。左手に出口。右手の出口は垂れ下がった装飾品で隠されている。左手に長椅子。中央の壇の上には絨緞。)
(幕が上ると、ダリウス、玉座についている。その両側に一人づつペルシャの兵士が立っている。ベサス、中央右手に、ダリウスより少し奥のところに立っている。中央に宮廷の役人が立っている。役人、膝まづき、額を床につけ、それから頭を上げて。)
 役人 マケドニア王の使者が、陛下のお目通りを待っております。
 ダリウス 通せ。
(役人、立上り、お辞儀。左手から退場。)
 ベサス ここで謁見はなりませぬ、陛下。公的な場所、玉座でなさらなければ。
 ダリウス(疲れたように。)公的、公的・・・私は「公的」に疲れたのだ。
 ベサス しかし、少なくとも謁見中、ご自分の称号は明らかにしてお話しになりませんと。
 ダリウス 私の称号を聞いて敵の使者が縮こまるとも思えないな。なにしろその称号のある国々の半分を敵が既に奪っているのだ。
 ベサス だからこそ陛下、余計に公的な立場が大切なのです。
 ダリウス(苦く。)私の公的な立場は、未だに「世界の支配者」だというのだな。
 ベサス 勿論です。
 ダリウス 妻も娘も母親までも敵の手に渡っているのだぞ。
 ベサス すぐに返されるではありませんか。
 ダリウス 敵に取られないで残っている国の半分を身の代にしてか。
 ベサス あのご提案は明らかに気前がよすぎます。議会での私の発言を覚えて下さっていますね、陛下。
 ダリウス(苦く。)覚えている、ベサス。お前は反対した。しかし、何といっても、虜になっているのは私の家族だ、お前の家族ではない。
(左手舞台裏でファンファーレが鳴る。ベサス、玉座の左手に進む。ギリシャの兵一、二、左手から登場。出口の両側に立つ。左手からペルシャの役人登場。その後からフィロタス登場。フィロタスは宝石その他装身具で、光り輝く衣装。中央に進み、ダリウスと向き合って立つ。ダリウスをジロジロと見る。ベサスの方は全く無視。どちらにもお辞儀をしない。役人は左手の長椅子の左の方に立つ。)
 ダリウス(フィロタスに。)ようこそ、バビロンへ。快適な旅だったであろう。
 フィロタス その通り。実に。
 ダリウス 昨夜なのだな、到着したのは。
 フィロタス その通り。
 ダリウス エジプトから真直ぐにここへ?
 フィロタス 旅程は十一日。
 ダリウス 速いな。それは非常に速い。王はメンフィスにおられるのか。
 フィロタス 違う。アレクサンドリアに。
 ダリウス アレクサンドリア?
 フィロタス(何でもないことのように。)ナイルのデルタ地帯に現在建設中の都市。世界で一番の港となる筈。お聞き及びになっていると思いましたが。
 ダリウス 知らなかったな。(微笑。)こちらのスパイ達に緩みがあるようだ。正確な位置はどこになる。
 フィロタス エジプトの地理はご存じで。
 ベサス(怒って。)ここなるは、エジプトのファラオーなるぞ。
 フィロタス ああ、なるほど。(ダリウスに。)確かに今のは称号の一つだった。
 ダリウス(優しく。)その通り。それで、位置は?
 フィロタス マレオティス湖と海に挟まれた場所。
 ダリウス 実にいい場所だ。奇妙なことだ。私も丁度あそこに港を建設しようと思っていた。私の場合は、名前はダレイアにしたろうが。いや、雑談はこのぐらいにしないと。多分、明日開かれる会議にそなえて、ご使者として色々参謀の人達と相談の事項がおありでしょうからな。
 フィロタス 参謀の人達? そのようなものはいない。
 ダリウス すると、お一人で?
 フィロタス 勿論。
 ダリウス しかし、この取引にはいろんな要素が含まれていますが・・・例えば国境の問題・・・かなり複雑なものです。あなたお一人で本当に・・・
 フィロタス ええ、一人で。ただ、その取引ですが、お考えになっているような複雑なものにはならない筈です。
(間。ダリウスとベサス、目配せを交す。)
 ダリウス なるほど。
 フィロタス それに、エジプトに明日朝、夜明けと共に帰らねばなりません。従って、お許し願えれば、さっそく今から仕事にかかりたいのですが。
 ダリウス 王としてこれを許す。
 フィロタス(皮肉を込めたお辞儀。)有難うございます。アレクサンダー王は貴方(きほう)から出された和平条件につき、次のように回答する。まづ、ご家族の身代金一万タラントに関して。アレクサンダーは現在金銭的に困った状態ではない。またもし金が本当に必要ならば、人質などより、他の手段がある。
 ベサス 盗みにより、か。
 フィロタス 征服により、だ。
 ダリウス 先を続けて。
 フィロタス 王女、即ちあなたの娘、とアレクサンダー王との将来の結婚の提案に関しては、アレクサンダーはこれに感謝すると。但しまた、次のように言えとも命ぜられて来た。即ち、もし万一このような結婚がアレクサンダーの心に浮んだとなれば、娘の父親の許しなど必要とは思わぬと。
 ベサス 何だと。勇敢この上ないな、貴様は。そんな伝言をここで述べて、無事にすむと思っているのか。
 ダリウス 静かに、ベサス。(フィロタスに。)さ、先を続けて。
 フィロタス 最後にそちらからの国土の提供、即ち、エジプト、小アジア等ユーフラテス以西の諸国、の譲渡に関して。アレクサンダーは、これにも感謝する。しかし、既にアレクサンダー王の旗下にあるこれら諸国を、何故わざわざダリウス王が提供する労を取られるのか、甚だ理解に苦しむ。これがもし、ユーフラテスの東、ペルシャ帝国の諸国であるならば、これを受け入れるであろう。そして更に、ダリウス王ご自身の降伏を要求する。
(ベサス、ダリウスを見る。)
 フィロタス そのお身柄には決して何の害も与えない。そう、この私の口からはっきり申し述べるようにと。以上の条件以外の場合は、両者の戦争は続行されることになる、と。
 ダリウス(立上って。)つまり、この私に、全くの無条件で帝国を明け渡せというのだな。
 フィロタス 条件は一つ。ダリウス王ご自身には危害を加えないという。
 ダリウス(間の後。)どうぞ、あの欄干へ。そして下を見て欲しい。平原の方を。(と再び玉座に坐る。)
(フィロタス、中央に進み、欄干から外を見る。)
 ダリウス 見えるものは?
 フィロタス(振返って。)野営地。軍隊の。
 ダリウス 何も感じないかな、その大きさに。
 フィロタス(中央前方に進んで。間の後。)単に大きさのみでは、まづ何も感じるものではありません。
 ダリウス 私の旗下に現在既に五十万を越える軍勢が集まり、この冬いっぱい、訓練に当ってきた。それにまだ加わってきているもの、後を断たない。(間の後。)アレクサンダー王は本気で勝てると・・・ユーフラテスを越え、この大陸の真っただ中に、自分の基地からはるか何千マイルも離れたこのバビロンの大平原で・・・君も分かるだろう、私は同じ轍は踏まない。イサスでの山の戦いを繰り返すようなへまはもうしない・・・大平原での戦いだ。敵は今言った大軍団・・・これを相手に、万に一つもギリシャに生きて帰れると、アレクサンダーは思っているのか。
 フィロタス 思っているのでしょう。さもなければ、このような返答を送るため、私を使者として出しはしなかったでしょうから。それで、ダリウス王からの御返事は何と?
 ダリウス こう伝えてくれ。私の出した提案は、公平で誠実なものであった。それに寛大でもあった。何故か。唯一つの理由のためだ。世界で一番大切に思っている、それなしでは私は生きてゆけない、三人の家族の者を、彼が捕虜にしているからだ。その三人のために、私は自分の国を裏切り、不名誉な和平にも踏み切ろうとしたのだ。しかしアレクサンダーは私を救ってくれた。私にはもうそのような選択は残されていない。このようにして本来の義務に私を引き戻してくれたアレクサンダーに、私は感謝の気持がある程だ。今や私は、彼に対してもまた家族に対しても、何の容赦もなく戦える。そして勿論勝つ。他の結果は有り得ぬ。さ、護衛をつける。そちらの野営地にお戻りを。
(役人、お辞儀。左手から退場。)
 フィロタス(間の後。)ちょっとお待ちを。行く前に義務が。大変辛い仕事が私には残っております。公的な仕事ではありません。しかし、果たさずに戻ることは出来ないのです。お知らせしなければならないことが・・・
 ダリウス(間の後。)それは?
 フィロタス スタティラ女王が・・・(言い止む。)・・・お加減がお悪いことは、お聞き及びで?
 ダリウス(間の後。)聞いている。
 フィロタス どうやら女王は・・・当方、出来る限りの手は尽くしました・・・が、思ったようには恢復せず・・・ただの風邪、それだけのことだったのです。・・・医者の責任でもありません。御自身に生きる意志がおありにならなかった、そう噂しております。
 (間。)
 ダリウス そうか。
 フィロタス(間の後。)申し訳ありません。もっと言葉を選んで御報告しなければなりませんでしたのに。このような外交的使者として、私は全く不慣れでして。(間。そして、鸚鵡が習い覚えた台詞を言う時のような言い方で。)アレクサンダー王より、深く哀悼の意を申し伝えよとの命令でありました。
 ダリウス(間の後、囁くように。)私に代って感謝の意をアレクサンダー王に述べられたい。
 フィロタス 畏まりました。(上衣から一束の手紙を取りだす。)御家族からの手紙です。
(フィロタス、これをベサスに渡す。廻れ右して左手から退場。その後、ギリシャの兵達が続く。ダリウス、身動きもせず坐っている。ベサス、ダリウスの前に膝まづき、手紙を差し出す。)
 ベサス 心よりお悔み申し上げます、陛下。さぞお心落としのことと・・・
 ダリウス(手紙を受取って。)有難うベサス。今夜会議を招集してくれ。総動員令だ。
 ベサス 畏まりました。
 ダリウス 訓練は強化せねばならぬ。彼が砂漠を越えるまで半年ある。今度は賭けは許されぬ。(間。)アレクサンダーは必ず殺さねば。
(手紙を開け、読み始める。)
 ベサス(立上りながら。)そうです。宮殿の門を彼の首で飾るのです。(お辞儀。そして、左手の出口へと進む。)
 ダリウス この手紙はどうだ、ベサス。
(ベサス、立ち止まる。振返り、中央に止まる。)
 ダリウス 娘からのものだ。(読む。)「葬儀はお祖母様と私にとって大変辛いものでした。お母様は十分に王家の扱いを受けました。アレクサンダーも列席していて、ひどく涙を流していました。そのあと、私達と一緒に家に帰り、私を元気づけようとして、ゲームを一緒にしてくれました。それから一週間、毎日私達のところへやって来て、その度に違った贈り物を持って来ました。本当に紳士的で優しい人です。ちっとも兵士らしくない。お父さまの敵でなければと、心から思います。お父さまもきっとお好きになるわ、お祖母様も私も今大好きなように。」(ベサスを見る。)我々が敵としているこの男は、一体どういう人間なのだ。
 ベサス(無関心に、肩を竦めて。)気違いです。
 ダリウス 奴の心には悪魔が住んでいる。私には分かる。
 ベサス そうです。その悪魔が彼を慈悲深く破滅に導いているのです。
 ダリウス 奴の破滅か、それとも我々の?
 ベサス 両方の。しかし、確実なのは、彼の破滅。(お辞儀。)会議の招集にまいります。
(ベサス、振返り、左手から退場。ダリウス、宙を見つめながら坐る。)
                          (幕)

     第 一 幕
     第 五 場
(場 ガウジメラの、アレクサンダーのテント。)
(イサスで分捕ったダリウスのテント。あれ以来、アレクサンダーはこれを自分用に使っている。但し、豪華な家具はすべて外されていてその結果は、著しく簡素に見える。但し玉座は右手出口の前、壇の上にそのままある。右手出口はやはりカーテンで隠されている。中央出口と左手の出口もそのまま。右手の長椅子はもっと長いものに置き換えられ、右手前方に三つの箱が離して置いてあり、その上にテーブルの代用となるのであろう、板が数枚乗せてある。(二つの箱の中には分捕り品の繊維類が入っている。)左手にも箱があり、テントの中には七個のストゥールあり。そのうちの五個は仮テーブルの傍に、一つは玉座の横、もう一つは中央左手。照明は背の高い二つの燭台。一つは右手に、一つは左手出口のところに。以前よりずっと小さな絨緞が壇の上にのせてある。)
(幕が上ると夜。燭台が灯っている。パーメニオン、フィロタス、クレイタス、ヘーファエスティオン、パーディカス、それにプトレミーが、左手長椅子の右に集まって、低い声で話をしている。暫くして中央からアレクサンダー登場。集団は話し止め、アレクサンダーを見る。)
 アレクサンダー(壇の中央に動いて。)全員揃っているな。
 パーメニオン(一歩前へ進み。)全員います。
 アレクサンダー 坐ってくれ。(左手に寄る。)
(集団は、それぞれ自分のストゥールに移動する。クレイタスは玉座の横のストゥール、あとはテーブルの回りのストゥール。玉座に一番近い席がフィロタス、あと、プトレミー、ヘーファエスティオン、パーディカス、パーメニオン、の順に遠くなる。)
 アレクサンダー(中央に進む。テーブルに面して立ち、話しかける。)プトレミー、お前にも出席を依頼したのは他でもない。私の一身に何か事あらば、私がパーメニオンに託した特別な義務をお前に果して貰うためだ。勿論その場合はパーメニオンが私の代りに総司令官の役割を果たすことになる。
 プトレミー 分かりました。
 アレクサンダー さて諸君、ここで全般的な概況の長い説明が必要であるとは思わない。諸君は熟知している筈だ。一マイル先に、ガウジメラという名の村の前に、我々がイサスで戦った数の二倍の敵軍が我々を待ち受けている。敵に猶予を与えていたら、その数は四倍になっていたと思われる。ただ我々の砂漠越えの時間が非常に短かった。これが敵の意表を突き、四倍には至らなかった。しかしながら、敵の数は約五十万。ここに至っては、後に退くこと、即ちこのアジアの真っ只中で退却、は論外だ。我々の目的は単純だ。あそこにいる敵を撃ち破ることだ。さもなければ、我々が全滅するだけだ。(間をおく。)この点はいいな? よし。さて、両軍の間に横たわっている地面だが、よく偵察させた。その結果はパーディカス、お前の言った通りだった。確かに手が加えられていた。
 パーディカス 落とし穴ですか。
 アレクサンダー いや、その全く逆だ。横幅が五百歩の、長い回廊を作り、そこをよく地ならししている。これで敵の作戦も明らかになった。大鎌つきの重戦車を我が部隊の真ん中に・・・即ち、歩兵第六部隊と騎兵第一部隊の間をめがけて突っ込ませ、ここを分断するつもりだ。少なくとも、もし私がダリウスならば、分断する目標をそこに置く。(間。)さて諸君、敵の意図がそこにあると分かった現在、私は、諸君に昨日提示した私の作戦のうちの、第二を採用することにする。つまり、敵部隊の密集度が薄い点をつく作戦だ。詳細はよく知っている筈だ。ここでは概略だけを述べる。まづ敵に我が部隊の両翼を包囲させる。いづれにせよ、あの大平原、それに敵のあの大部隊では、包囲されるのは時間の問題だ。従って真ん中を中空にした、四角い陣形で突き進む。勿論最初からそうではない。敵の包囲が我々の後方にまで来た時にだ。それからはダリウスの作戦をそのまま借りることにする。即ち、騎馬隊全部を突撃させ、敵を分断し、真直ぐダリウス自身のいる中心部隊に突入する。我々の目的は敵の総大将ダリウスの死、捕獲、あるいは逃走させることにある。(間。)何か意見があるか。
(間あり。それからパーメニオンが躊躇いながら立上る。)
 パーメニオン 発言していいでしょうか。
 アレクサンダー 勿論。
 パーメニオン 只今の作戦をとやかく言おうというのではありません。人の数にして十倍もの敵を相手に戦うには、只今の作戦をおいて、他にはあり得ないと思います。しかし私は敢えて別の作戦を。
 アレクサンダー うん。何だ、それは。
 パーメニオン 夜襲です。
 アレクサンダー この戦いは真向から行く。勝利を掠(かす)め取るようなことはしない。(間。)他に何か意見は?(テーブルを見回す。)
(全員、頭を振る。)
 アレクサンダー よろしい。では諸君、解散だ。各自、持ち場へ帰って明日のための命令を下せ。
(全員立上る。パーディカス、プトレミー、ヘーファエスティオンの三人は、左手の長椅子の右手に集まる。クレイタスとフィロタスは右手に進む。)
 プトレミー(パーディカスに、二人がすれ違う時。)パーディカス、あのテッサロニア第二部隊は大丈夫かな。どうもあの部隊は力が弱いように思うが。
 アレクサンダー 夜明けの一時間前に、兵に食事を取らせるように。夜明けと共に進軍を開始する。出来るだけ休息を取らせるように。歩哨と雑役も最小限にする。(パーメニオンに。)一つだけ確実なことがある。敵は決して夜襲をかけてはこない。
 フィロタス(アレクサンダーに。)夜中に敵軍に二、三度ちょっかいを出しておくのはどうだろう。許しがあれば、少数の者を率いて、物凄い音を出して混乱をおこさせてやりますが。連中がもし一晩中眠れなくさせることが出来れば大成功ですが? 明日敵の奴等は半分眠った状態で戦うことになる筈です。
 アレクサンダー(中央上の方に立ち。)よしフィロタス、計画を立てろ。
(パーメニオン、ヘーファエスティオン、パーディカス、プトレミーの四人は、中央出口に進む。)
 アレクサンダー しかし、お前自身は行ってはいかん。
 フィロタス(失望して。)はい。しかし・・・
 アレクサンダー 戦闘前にお前の不慮の事故は避けたいのだ。
 フィロタス(残念そうに。)王の考えがそうだと分かっていたら、あの提案はしなかったところだが。
(中央出口に進む。)
(アレクサンダー、笑う。それから振り向いて、出口にかかっている集団に。)
 アレクサンダー もう一言。これは我々の最後の戦いだ。もしこれに勝てば世界は我々のものだ。もし敗ければ、死だ。言っておかねばならないのはこれだけのようだな。お休み、諸君。夜明けまでぐっすり眠ってくれ。
(パーメニオン、パーディカス、フィロタス、プトレミー、ヘーファエスティオン、「お休み」と呟く。そして中央出口から退場。)
 アレクサンダー(呼ぶ。)ヘーファエスティオン。
(ヘーファエスティオン、立ち止まる。そして振返る。)
 アレクサンダー(にっこり笑って。)今夜も寝ずの番を付合ってくれるかな。
 ヘーファエスティオン 勿論。
 アレクサンダー これまでもずいぶんお前の睡眠時間を奪ってきたな。生涯で総計どのくらいになるだろう、ヘーファエスティオン。
 ヘーファエスティオン(あっさりと。)睡眠など奪ってはおられません。陛下が起きておられるのに何故私が眠くなりましょう。
 アレクサンダー(微笑んで。)じゃあ、戻って来てくれ。いてくれると有難い。
(ヘーファエスティオン、頷く。廻れ右をし、中央出口から退場。)
 クレイタス 明日は本当に用心して下さらなければ、アレクサンダー。グラニカスでやったような戦車の突撃は、おやめになるように。
 アレクサンダー(微笑んで。)お前が傍にいないから私を救えない。だから言うんだな、クレイタス親父。
(クレイタス、笑う。中央出口に進む。)
 アレクサンダー 私のことは心配するな。大丈夫だ。
 クレイタス(振返って。)いえ、心配しているのは王のことなのではない。我々自身のことだ。このアジアの真っ只中で、もし王を失ったら、どうやってギリシャまで帰ることが出来るか、皆目見当もつかない。その方法を知っている人物はどうやら王ただ一人のようだからな。ではお休み。
 アレクサンダー(中央に、クレイタスの方に歩みより、クレイタスを抱いて。)お休み、クレイタス親父。自分の身を大事にするんだ。
 クレイタス 大丈夫。心配は御無用。
 (クレイタス、廻れ右して、中央出口から退場。アレクサンダー、廻れ右して観客の方を向き、身動きしない。暫くすると身体が、次に手が震え始める。アレクサンダー、両手を目の高さにまで上げ、それが震えているのを呆れたように眺める。マザレス、左手から登場。お辞儀。アレクサンダー、素早く両手を脇の下に入れる。)
 アレクサンダー 何だ。
 マザレス お寝床を御用意致しましょうか。
 アレクサンダー いらぬ。一晩中ここだ。
(マザレス、お辞儀。後ずさりして、左手から退場。)
 アレクサンダー(再び両手を上げ、震えているのを眺める。囁くように。)何故私の手は震えるのだ。おお、神よ、神よ。この恐れを取り除いてくれ。私は一体何を恐れているというのか。怪我、捕虜になること、痛み、死、そんなものを今まで恐れたことはない。では今になって何を恐れるのだ。戦いに敗けることを恐れているのか。しかし敗けることはあり得ぬ。私には「誰だって叶わない」のだ。それなら何を恐れている。戦いに勝つことをおそれているのか。神よ、もしそうなら、それなど無意味だ。明日私は世界の支配者・・・即ち死すべき身でありながら、神の列に上る。さもなければ死だ。どちらにしても、恐れとは無関係だ。どうか、神よ。だからこの苦しみを取り去ってくれ。(再び自分の震えている手を見る。それから長椅子の右にあるストゥールまで行き、そこに膝まづいて祈りのように。)父よ! 父、フィリップよ、この俺を見ろ。今のこの姿を。そしてあざ笑え。言え。「これが俺の息子か。まあ見てみろ。女の腐ったような、この意気地無しを。」さあ、フィリップ、そう言うんだ。存命中、何度それを私に言ったことか。あの台詞を今もう一度だ。そして私を助けてくれ。もう怒ることでしか、この恐れを静められないのだ。(両手、ゆっくりと震えが止まってくる。そして、収まる。)やはりそうだ。有難う、父、フィリップ。(立上る。)恩に着る。
(パーメニオン、中央から登場。)
 アレクサンダー(振返る。)入ってはいかんと言っておいた筈だぞ。
 パーメニオン(中央に立ち止まり。)余儀なくまいりました。御報告せねばならぬことが二つ。両方とも王のお命に関ることです。
 アレクサンダー(興味なさそうに。)フン。
 パーメニオン まづ最初の方。報告によりますとダリウスは、騎馬の分隊を作り、それに特別な使命を与えたそうです。つまりアレクサンダー王の居場所へ真直ぐ突撃、王を撃ち倒すこと。それのみを使命に、小隊の名前も「不死身隊」と。隊員の各々は誓いを立てたそうです。敵を殺すか、さもなければ自分が死を、と。
 アレクサンダー(相変わらず無関心に。)すると全員死ぬのだな。「不死身」の隊としては面白い結末だ、それは。
 パーメニオン もう少し真面目に事態を考えて戴きたいのですが。それで提案なのですが、王は明日どうか、ブセファラスにはお乗りになりませぬように。それから真紅の装束もおやめ下さいますよう。
 アレクサンダー 何故だ。
 パーメニオン 両方とも目立ちすぎます。
 アレクサンダー その通り。
 パーメニオン それで、恐れながら、誰か別のものが・・・
 アレクサンダー 誰だ、例えば。
 パーメニオン(躊躇いながら。)私が・・・髭を剃りまして・・・
 アレクサンダー(笑って。)髭を剃ってもまだ四十歳は多く見えるな。それに、その男ぶりではな。第一、戦争の時、私以外の人間が万一ブセファラスに乗ったら、あいつは一生私を許してはくれないよ。駄目だ、パーメニオン。提案は有難く聞いておく。私は目立つようにしよう。その「不死身」の連中に、私がよく分かるようにな。いや、叫んでやろう。「ここだ、ここだ、アレクサンダーは。」もう一つのこととは何だ。
 パーメニオン こちらの方はもっと重大です。この陣屋内での陰謀です。
 アレクサンダー それは面白い。で?
 パーメニオン これは敵のスパイを捕え、拷問によって聞きだしたことです。陛下をこの陣屋で毒殺しようというものです。
 アレクサンダー なるほど。で、誰が毒を盛るのだ。
 パーメニオン 内部にいる仲間です。
 アレクサンダー 誰だ、その仲間とは。
 パーメニオン ペルシャの、あの母王です。
 アレクサンダー(間の後。笑って。)可哀想に、そのスパイも。役にも立たぬ使命を与えられたものだ。
 パーメニオン(急に。)その使命は達せられたのです、陛下。そのスパイはその使命を果たし、ペルシャ側へ戻るところを捕えられたのです。母王は彼に、依頼されたことを実行すると約束したそうです。(間。)これは陛下にとって、大変な驚きでありましょう。今まで御自身の母親とも思われるような、手厚いもてなしをして来られたのですから。お察し申し上げます。しかし、あの方がペルシャの人であることをお忘れなく。それに、現在あの方の子供の一番の敵が陛下なのですから。
 アレクサンダー どう毒殺するのだ、具体的には。
 パーメニオン あの方は陛下に毎晩薬を調合しておられると聞きましたが。
 アレクサンダー そうだ。
 パーメニオン お気づきのことと思いますが、あの方は今晩はまだ・・・
 アレクサンダー(鋭く。)まさか、お前・・・
 パーメニオン いえいえ、私は何も。陛下にこれはお任せを、と思いまして。
 アレクサンダー 何も言ってはいないだろうな、あの方に。
 パーメニオン 何も言っておりません。ただ数分前、歩哨を通じてあの方にここに来られるのを止めさせました。まだ会議中だからと。そのことで御機嫌は悪くなったのです。薬が冷めるではないかと。
 アレクサンダー(左手の出口を向いて呼ぶ。)マザレス。
(間あり。それからマザレス、左手から登場。お辞儀。)
 アレクサンダー 母王にお伝えしろ。薬を持って来てよろしいと。
 マザレス 畏まりました。
(マザレス、お辞儀。中央出口へ進み、退場。)
 パーメニオン(間の後。)お腹立ちのこと、お察し申し上げます。
 アレクサンダー 分かった、パーメニオン。これもお前の仕事だ。(致し方ない。)私を一人にしてくれ。
 パーメニオン 畏まりました。(上衣から書類を出し。)訊問のやりとりがそのまま記してあります。あの方とのやりとりで、もし必要でしたら。
 アレクサンダー(書類を受取って。)行ってよい。
(パーメニオン、廻れ右をし、中央に進む。少し行って振返り。)
 パーメニオン(振返って。)用心のために陛下、歩哨を中に入れましょうか。
 アレクサンダー いや。お休み、パーメニオン。明日の夜明けに。
(パーメニオン、振返り、中央出口から退場。アレクサンダー、左手の長椅子の方に行き、坐り、書類を読む。暫くして、マザレス登場。その後ろに二人の兵士。これは入り口のところに留まる。マザレス、中央に進み、お辞儀。)
 マザレス 母王陛下がお目通りを。
 アレクサンダー お通しして。護衛は役目終だ。後でカーテンは締めておけ。
(マザレス、二人の兵士に合図。二人、人が通れるよう間を開ける。母王、湯気の出ているコップを持って、中央から登場。マザレス、中央から退場。二人の兵士もその後に続いて退場。出るときにカーテンを締める。アレクサンダー、立上る。)
 アレクサンダー(微笑んで。)冷めてはいないのですね。
 母王(中央に進んで。)ずっと暖めておきましたから。
 アレクサンダー(間の後。)夜のペルシャ軍をご覧になりましたか? 野営地ごとに散らばっている焚火を。
 母王 ええ。
 アレクサンダー(長椅子の右のストゥールを指さして。)どうかお坐り下さい。
(母王、アレクサンダーにコップを渡す。それからそのストゥールに坐る。)
 アレクサンダー(コップを受取って。)ギリシャ語はお読みになれましたね?
 母王 ええ、御存じの通りですわ。
 アレクサンダー(書類を取りだして。)では、私がこれを飲んでいる間にちょっと目を通して。
(母王、書類を取り、読み始める。アレクサンダー、左手の長椅子に腰をかけ、ゆっくりとコップの中味を飲む。暫くして母王、アレクサンダーを見上げる。)
 母王(やんちゃな子供に言って聞かせるように。)アレクサンダー、いけませんよ、そんなことをしては。
 アレクサンダー(坐り直し、床にコップを置いて。)何故です?
 母王 この報告の通りだったかもしれませんよ。
 アレクサンダー だったかもしれません。そう思います。
 母王(立上って。)あんな風な危険を冒すものではありません。(書類を返す。)
 アレクサンダー ええ、そうかもしれません。この男には会ったのですか?
 母王 ええ。
 アレクサンダー その男は私を毒殺しろと?
 母王 ええ。
 アレクサンダー で、やります、と?
 母王 私が断っても、どうせ他の人に頼むでしょうからね。ペルシャ人は私一人ではありませんから、この野営地では。
(アレクサンダー、椅子の背に凭れ、じっと母王を見る。母王、微笑む。)
 アレクサンダー(優しく。)どうして殺そうとなさらなかった。(間。)明日、息子さんを私は殺そうとしているのですよ。
 母王(涙を隠して、顔を背けて。)アレクサンダー!
 アレクサンダー(起き直って、母王の左手を取り。)泣かないで。どうか、泣かないで。(母王の顔を自分の方に向けて。)今夜泣きたいのは私の方です。
 母王(間の後。)どうしてあの子と戦わなければならないの、アレクサンダー。
 アレクサンダー 分かりません。分かっていたらお話している筈です。戦わねばならない、ということは分かっているのです。
 母王 ダリウスはほんの一マイル先。あそこにいるのです。私が行きます。今すぐにでも。和平を求めに。
 アレクサンダー そんなものを受け入れたら、彼は馬鹿です。
 母王 私からなら受け入れます。行きますよアレクサンダー、私は。あなたからのお許しが出さえすれば。
 アレクサンダー いいえ、私は行かせません。
 母王(涙ながら。)あの子は立派な優しい男です。あなたと同じです。あの子があなたに何をしたというのです。
 アレクサンダー 何も。
 母王 では何故あの子を嫌うのです。
 アレクサンダー 私は嫌ってはいません。母親があなたのような人なのです。私はきっと彼のことが好きになる筈です。
 母王 でもやはりあなたは殺さなければならない。
 アレクサンダー そうです。
 母王 ああ、アレクサンダー。
 アレクサンダー(両手を取って。)泣かないで。どうか、泣かないで。
(母王、長椅子の右端に坐る。間あり。)
 アレクサンダー 私の母は遠くにいます。ずっと遠くに。
(背中をつけてあおむけに寝る。頭はクッションの上。)
 母王 ええ(間。)今日手紙を書いたのですか。
 アレクサンダー 時間がありませんでした。(両足を長椅子の上に上げる。)でも明後日には書きます。(間。それから独り言のように。)明後日には。(間。)ちょっと休むことにしよう。(間。)ダリウスは父親を嫌っていましたか?
 母王 いいえ、大好きでしたわ。何故? 何故嫌うなどと・・・
 アレクサンダー どうかな、と思って。父王の死は?
 母王 もう二十年も前になりますわ、きっと。
 アレクサンダー そして、あなたもその方を?
 母王 ええ、心から。
 アレクサンダー(眠そうに。)奇妙だ。
 母王 何故? どこが奇妙なのです。
 アレクサンダー(目を瞑りながら。)分かりません。(殆ど眠りかけて、呟きで。)お休み、お母さん。
 母王 お休みなさい、ぼうや。(屈みこんで、優しくアレクサンダーの眉にキスする。)
(ヘーファエスティオン、中央から登場。長椅子の右手のストゥールに進み、坐る。ヘーファエスティオンと母王、じっと動かずアレクサンダーを見る。)
 アレクサンダー(呟く。)明後日だ。(仰向けの姿勢から、片側を下にする。寝に入る態勢。)
                     (幕)

     第 一 幕
     第 六 場
(場 岩の間。パルティア。)
(岩の間にある場面。右手の壇は取り払われて、左右の出口も隠されている。右手に岩と岩の隙間があり、そこが出入り口になっている。小さな荷車が・・・両側の板が取れ、すっかりいたんでいる・・・舞台の中央に立っている。牛の骸骨が車輪の軸に横たわっている。)
(幕が開くと、朝。まだ非常に早い時間。舞台は薄暗い。ダリウスが毛布にくるまって、荷車の後ろの方に横になっている。暫くして右手からベサスの呼ぶ声がする。)
 ベサス(舞台の裏から呼ぶ。)ダリウス、ダリウス。
(ベサス、右手から登場。髪はバサバサ。疲れていて全身が汚れている。肩に、紐付きの水筒をかけている。ダリウス、ゆっくりと起き上がり、坐る。)
 ベサス(ダリウスに近付き、揺する。)ダリウス、起きるんです。どうか起きて下さい。すぐに出発です。一刻も猶予はなりません。
 ダリウス(泣き声で。)水を。
(ベサス、嫌々ながら肩から水筒を下し、蓋を取り、ダリウスに渡す。)
 ベサス 一口だけですよ。貴重なんです。
(ダリウス、飲む。)
 ベサス 真っ昼間に行進しなければならないのですから。(ダリウスから水筒を取り上げる。)それで終です。(蓋を閉め、肩にかける。)
 ダリウス(弱々しく。)頼む・・・(水筒に手を伸ばす。)
 ベサス 駄目です。そんな余裕はありません。(ダリウスの両肩を持ち上げる。)聞くんです、ダリウス。事態を分かって下さらないと。アレクサンダーはもう、一時間かそこらに迫っています。
(ダリウス、坐り直し、弱々しく笑う。)
 ベサス 聞えましたか、私の言ったことが。
 ダリウス 聞えた。
 ベサス 今得た情報によると、アレクサンダーはこの前の村から真直ぐこちらに迫っていると・・・つまり、砂漠を突っ切って近道を・・・
 ダリウス(再び弱々しく笑って。)砂漠は無理だとお前は言ってたな。
 ベサス 正気な人間ならそんなことはしない、と。
 ダリウス 私が言ったことを覚えているか、お前は。私が言ったことを・・・
 ベサス(苛々と。)覚えています。あなたが正しくて私が間違っていました。さ、立って下さい。(ベサス、ダリウスを引っ張り上げて立たせる。)出発しなければなりません。
 ダリウス 私はこう言った。あいつは人間じゃない、神だ。正気じゃない、気違いだとな。(また蹲(うずくま)ってしまう。)
 ベサス さあ、立って下さい。(立たせようとする。)
 ダリウス ベサス、お前、おかしいとは思わんか。あいつは神なのに、我々に追いつくのにこんなに暇がかかるとはな。
 ベサス まだ追いつかれてはいないのです。それに、もしバクトゥリアの山の中に入れば、もう決して追いつくことはありません。彼がゼウスだとしても。(やっと立たせることが出来て。)元気を出して下さい、元気を。
 ダリウス バクトゥリアまでどれだけある。
 ベサス 八百マイルは切れます。
 ダリウス 随分近そうに聞えるな、その言い方は。
 ベサス もうその倍以上の距離を来たのですから。
 ダリウス 我が帝国はこれほど広かったのか。知らなかった。荷車に乗りたい。私をあそこで寝かせてくれ。(くずおれるように、荷車の後ろの方によりかかる。)
 ベサス(荒々しく。)起きるんです。起きて下さい。(ダリウスの頭を平手で殴る。そして一歩下がる。)
(間あり。ダリウス、立上る。)
 ダリウス もう私をほっといてくれ、ベサス。お前は逃げろ。私にしてくれた色々なこと、それに心から感謝する。有難う。いつかそれに報いる日もあるだろう。今はほっといてくれ。眠らせてくれ。
 ベサス(ダリウスの膝にガバと伏せて、必死に。)どうぞ陛下、部下が外で御命令を待っています。
 ダリウス 部下? まだ何人残っている、今朝は。
 ベサス 三百です。
 ダリウス まだ三百も。もう脱けていくものはいないのか。三百・・・大変な軍勢だ。それだけいれば・・・もし私がアレクサンダーなら・・・世界でも征服出来るぞ。(荷車の後ろの方に再びくずおれる。)
 ベサス(立上り。)それだけあればダリウスでも、世界を再び征服出来るのです。バクトゥリアに着きさえすれば、何千何万の軍隊を再び・・・
(ペルシャの兵、右手から急いで登場。ベサスの右手にひれ伏す。)
 兵士(喘ぎながら。)一マイル以内のところです。真直ぐこちらに走って来ています。
 ベサス 人数は。
 兵士 約五十。
 ベサス アレクサンダーもいるのか。
 兵士 白い馬に赤い鎧が。
 ベサス 飛んで火に入る、だな。我々の数を知らないのだ。(ダリウスに。)聞えましたか、ダリウス。真直ぐこちらへアレクサンダーが。五十対三百ですよ。(兵士に。)戦闘の隊形を取らせろ。
 兵士 取らせようとしました。しかし私では駄目です。脱落して行く者、降伏したいという者、手に余ります。
 ベサス(ダリウスの方を向き。)ダリウス、どうか戦列に。御自身で兵達に命令を。おん自らの号令ならば必ず動きます。出て行くのが無理ならば、ここからでも構いません。大声で。兵達には聞えます。(素早く右手に行き、怒鳴る。)ペルシャの兵達よ、王ダリウスの声を聞け。(振返り、ダリウスの方へ行き、立上らせ、再び右手の方へ走って行く。)
(兵士、頭を地面につけ、平伏。)
 ダリウス(ベサスの方を向いて。)ペルシャの兵達よ、ペルシャの王、アジアの支配者、私、大王ダリウスは、お前達に命ずる。武器を捨ててアレクサンダーに降伏せよ。(荷車の後部を握り、身体を支える。)
(右手にファンファーレが鳴る。ベサス刀を抜き、急に振返り、ダリウスに飛びかかり、刺す。ダリウス、荷車に倒れる。弱々しく呻く。)
 ベサス(兵士に。)馬はどこだ。私をそこへ。
 兵士(恐れおののいて。)王が・・・
 ベサス 私が王だ。さ、馬はどこだ。
(長い間。この間にファンファーレ再び鳴る。兵士立上り、恐れをもってベサスを見る。振返り、右手から走り退場。ベサス、急いで彼の後を追う。)
 ダリウス ベサス、ベサス。
(ファンファーレ、再び鳴る。)
 ダリウス(やっとのことで起き上がって坐る。)何故私は独りなのだ。誰か、早く来てくれ。早く。誰か。(膝を立てて起きようとする。)世界の支配者が死のうとしているのだ。後継者の指名が必要だ。(哀れな声。)お付きの者達は?(弱々しく呼ぶ。)マザレス、どこだ、お前は。アルトバザス、スピタメネス、早く来てくれ。手遅れになるぞ。誰かは聞かねばならぬ筈だぞ、これから私が言うことを。この帝国を私が誰に譲るのか、それがどうであってもいいというのか。(荷車の車輪の上に倒れる。間。それから荷車の床の上に這い上って、坐る。)誰か。誰か。
(ギリシャの兵士、用心深く剣を構えながら、右手から登場。荷車の右手に進む。)
 ギリシャの兵士 誰だ、お前は。
 ダリウス(兵士を見て。)敵方だ。さ、こっちへ来るんだ、お前。そして、聞いてくれ。(膝を下にして坐る。)
(兵士、剣を構える。何か罠がないか、用心しながらダリウスに近づく。)
 ダリウス 私はもう死ぬ。聞いてくれ、今から言うことを。
 兵士 聞いている。
(ダリウス、兵士の腕を掴み、姿勢を正しくする。)
 ダリウス ペルシャの大王、私、ダリウスは・・・
(兵士、ぎょっとなって、後ろへ下がる。支えがなくなってダリウス、荷車の中へ落ちる。やっとのことでまた起き上がり、車輪にすがって立つ。)
 ダリウス まだ声は聞えるか、ギリシャ兵。ペルシャ大王、私、ダリウスは、私の正統な後継者としてマケドニアのアレクサンダーを指名する。(途中で言い止む。喘ぐ。そして車輪の上に覆いかぶさるように倒れる。)
(兵士、畏怖と恐怖を以て用心深くダリウスに近づき、じっと見る。それから振返り、右手から走って退場。ファンファーレ、再び鳴る。ちょっと間。それからアレクサンダー、右手から登場。その後にヘーファエスティオン、三人のギリシャ兵も。アレクサンダー、黙って荷車の左手にゆっくりと近づく。そして死んだダリウスを暫く見つめる。三人のギリシャ兵、畏怖の念に打たれて中央右手に固まっている。)
 アレクサンダー(鋭く。)何を見ているんだ、お前達は。死体を見るのがこれが初めてだとでも言うのか。
(三人のギリシャ兵、廻れ右をし、黙って右手から退場。)
 アレクサンダー(殆ど囁くように。)私が戦ったのはダリウス、あなたではないのだ。それは信じて欲しい。信じられないなら、理解して欲しいのだ、私がこうしなければならなかったことを。いや、これ以外のやり方は私にはなかったということを。(胸がいっぱいになって、間を置く。ヘーファエスティオンに。)一口話にしてくれるなヘーファエスティオン、死んだダリウスを見た時アレクサンダーが泣いて許しを乞うたことを。
 ヘーファエスティオン 何も言いません、アレクサンダー。
 アレクサンダー 遺骸はペルセポリスに送ろう。彼の妻、スタティラ女王の隣、王家の墓に納めよう。お前はバビロンに行ってくれ、ヘーファエスティオン。このことを母王に知らせるのだ。
(ヘーファエスティオン、頷く。)
 アレクサンダー 結末がこうだとは。思いもかけないことだったな。
 ヘーファエスティオン 農夫の荷車の中で・・・ゴーディアムでのことを覚えておいでですか。
 アレクサンダー ゴーディアム? ああ、城塞の中の荷車の謎か。うん、覚えている。
 ヘーファエスティオン 帝国は荷車の中に。これがそれです。
 アレクサンダー これがそれか。(自分のマントを脱いで。)君のマントを着たことがあったな、ダリウス。今度は私のマントを君が着る番だ。(死骸に自分のマントを着せる。それから膝まづく。)結局私にはあの謎は解けなかったのだ。そうだな、ヘーファエスティオン。刀などで謎が解ける訳がない。解けたと思ったら大間違いだ。
(アレクサンダー、ヘーファエスティオンを見る。ヘーファエスティオン、返事をしない。)
                         (幕)

     第 二 幕
     第 一 場
(場 アレクサンダーのテント。バクトゥリア。)
(元ダリウスのものだったテント。最初の豪華さが戻っている。中央奥の絨緞は大きなものに再び変えられ、壁の飾り物も復活。床にはクッション(複数)が置かれてある。玉座は以前と同じ右手前方。しかし、左手の長椅子は現在右手奥。そして左手には現在テーブルが置かれてあり、ストゥールが三個。一個は左側に、二個が右側に。)
(幕が上ると、プトレミー、パーディカス、クレイタス、マザレス、それにペルシャ兵一、ペルシャ兵二、ギリシャ兵一の七人。プトレミーは玉座の左手に立ち、書類を調べている。パーディカスは左手前方。クレイタスは中央左手。マザレスは現在宮廷侍従長の役割、中央左手奥に立っている。ペルシャ兵一、二は、中央出口の左右に歩哨として立ち、ギリシャ兵一は、たいまつの傍、左手中央に立っている。暫くしてマザレス平伏する。アレクサンダー、中央出口から登場。玉座に進む。ペルシャ王の衣装を纏って、ペルシャ風に王冠を被っている。マザレス立上る。アレクサンダー、マザレスに頷く。マザレス、ギリシャ兵一に合図。ギリシャ兵一、中央出口から退場。マザレス、進み出て、玉座の下の位置に立つ。間の後、ギリシャ兵二、三に引き立てられて、ベサス登場。泥に塗れた服装。しかし顔は無表情。中央に出る。三人、右向け右をし、アレクサンダーにあい対す。プトレミーが手に持った書類を読み始める。)
 プトレミー(読む。)「マケドニアの王、ギリシャの総大将、エジプトのファラオー、バビロニアの王、諸国土の領主、ペルシャの大王、世界の支配者、アレクサンダーは、次の宣告を下す。バクトゥリアの前領主かつ支配者ベサスに、これまでかけられていた全ての罪状に関し、有罪と認める。罪状一。貴下の正当な支配者であるところのアレクサンダー王に対し・・・」
 ベサス アレクサンダーは私の正当な支配者ではない。
 クレイタス 黙れ!
 プトレミー「武器を取り、卑劣な反逆を行った。その結果、王の忠良な兵士の多数の死を惹き起した。罪状二。罪状一に述べた武力反逆の効果あらしめんがために、神性を汚す王位継承を騙る挙に出た。即ち、正当なるペルシャ王、アルタクセルクセス四世を名乗った。罪状三。神を冒涜する最大の罪。正当且つ神聖なる大王、故ダリウス王を殺害した。」(間を取る。)「これらの罪により、アレクサンダー王は被告をエクタバナに送り、そこでメディア人及びペルシャ人による最高委員会において決定される方法により、死刑を執行せられる。」(言葉を切り、上を見る。)ベサス・・・バクトゥリアの前太守。何かここで言いたいことがあるか。
 ベサス お願いが。許されるならば。
 プトレミー 許す。
 ベサス 私は軍人です。私がしたことは全て・・・ダリウス殺害も含め、このことは自分の口から進んで告白しますが・・・我が国土の侵入者に対してこれを阻止するために戦った、その点に尽きるのです。私は死の覚悟は出来ております。しかしその死を、罪人としてではなく、軍人として受けたい。私はペルシャの法律をかなり詳しく知っております。多分現在のペルシャ大王よりはずっと深い知識を・・・
 プトレミー 十分だ。もう止めろ!
(アレクサンダー、プトレミーを片手を上げて押しとどめる。ベサスに先を言うよう促す。)
 ベサス 従って、メディア、ペルシャの最高委員会が王殺害の廉(かど)で私に課す刑のいかなるものであるか、推測出来ます。それは表現を最小に控えて言ったとしても、「不快」なものです。それを恐れているのではありません。ただ、出来ることならば避けたいと。私の願いの筋は、この陣屋で、軍隊式に軍人として処刑されたいということです。
(間あり。微動もせずベサスの話を聞いていたアレクサンダー、この願いを黙って考える。)
 アレクサンダー 願いの筋、却下する。
(プトレミー、玉座に膝まづく。アレクサンダーに書類を渡す。マザレス膝まづき、アレクサンダーにペンを渡す。アレクサンダー、書類に署名し、プトレミーに返す。プトレミー、立上る。マザレス立上り、ペルシャの兵一、二に合図する。ペルシャの兵一、前方に進み出てプトレミーから書類を取る。ペルシャの兵一、二、ベサスを中央に引き立て、退場。ギリシャの兵二、三、後に続き退場。)
 プトレミー(緊張を解いて、中央に進みながら。)これでアルタクセルクセス四世もおしまいか。彼に神の加護のあらんことを。
(パーディカス、テーブルのストゥールに坐る。アレクサンダー、まだ緊張を解かず、前方をじっと見つめている。)
 クレイタス(中央右手に行きながら。)アレクサンダー。
 アレクサンダー 何だ、クレイタス。
 クレイタス 願いは聞き届けてやってもよかったのに。願いの筋、尤もではなかったのか。
 アレクサンダー 尤もではない。(王冠を脱ぎ、マザレスに渡す。)
(マザレス、王冠を受取り、玉座の左手に行き、お辞儀。それから左手の出口まで進み、再びお辞儀。廻れ右をして退場。)
 アレクサンダー 彼はダリウスを殺したのだ。
 クレイタス それはそうとしても。
 アレクサンダー 私がダリウスの正統な後継者であることを忘れているようだな、クレイタス。彼は私を名指しで選んだのだ。
 クレイタス ただ夢うつつの状態でな。
 アレクサンダー 自分の言っていることは分かっていた筈だ。
 クレイタス 誰がそれを信じよう。
 アレクサンダー まだいない(それを信じる者は)、誰も。しかしそのうち、全世界が信じるようになる。
 クレイタス 何故このことがそんなに大事なのです。私にはとんと・・・
 アレクサンダー お前は家に帰りたいのだろう、クレイタス。
 クレイタス 仰せの通り。
 アレクサンダー そうだ。帰りたいのだ。お前には限らない、誰もがみんな帰りたがっている。ダリウスは死に、ベサスは捕まった。我々全員に富はもう十分ある。何故家に帰れないのだ。これが私がいない時お前達が話していることなのだ。
 プトレミー 陛下。
 アレクサンダー(立上りながら。)言を左右しなくてもよい、プトレミー。こういうことを私は知らねばならない。その手段も手の内にある。
(居心地の悪い沈黙が漂う。)
 アレクサンダー いいか、これがそれに対する私の答だ。我々は戦いで得たものを確固たる我々の物にしなければならない。確固たる我々の物にする、それはどういうことか。ペルシャ人が我々を野蛮な征服者だと思うのを止め、我々を正統な支配者として受け入れた時、を言うのだ。私はペルシャの正統な・・・後継者として筋の通った・・・大王なのだ。世界中がこのことを知るようにと、私は今、私の前任者ダリウスを殺害した人物を、彼の要請にも拘らず、ギリシャの軍律に則らず、メディア人及びペルシャ人の法律に委ねたのだ。そこでは王殺しという罪状で裁かれることは明らかではあった。しかし敢えてそうしたのだ。(間。)クレイタス、これでお前への疑問の答になったか。
(プトレミー、中央左手のストゥールに移動し、パーディカスの右に坐る。)
 クレイタス 分かりました。ただ私はあの男を可哀想だと思って・・・
 アレクサンダー(クレイタスの方へ進み。)そう思っていないと思うのか、この私が。
 クレイタス(右手をアレクサンダーの左肩に置いて。)悪かった。頭の廻らぬ馬鹿な年寄りだ、私は。
 アレクサンダー いつまでも親父クレイタスだ、お前は。変ってくれなどと思ってはいない。(クレイタスの横を通り、中央に出る。)さて諸君、サグディアナへの進軍のことは既に聞いているな? 命令は出しておいた。このことに関して何か意見はあるか。
 パーディカス サマルカンドにおいて四編隊が合併するその日時ですが、あまりに早過ぎはしないでしょうか。あの国はここよりもっと山が多く、荒れています。ゲリラ戦にはもってこいの場所です。この短期間にその危険性を除去するのは無理と思われますが。
 アレクサンダー 日程は既に決めた。サマルカンドでお前の報告を受ける頃には喜ばしい報告、即ち、全ての抵抗活動は終ってしまっている、と聞けることを期待している。春の声を聞くまでには、我々はインドへの山越えの準備が整っていなければならぬ。
 プトレミー インドへ? すると噂は正しかったのか。
 アレクサンダー そうだ、プトレミー。噂は正しかったのだ。何か言うことがあるか。
 プトレミー(急いで。)いいえ、ありません。ただ聞くところによりますと、インドは莫大な人口の国だと・・・
 アレクサンダー ペルシャもそうだった。
 パーディカス インド侵攻は征服したものの地固めよりも優先するのですか。
 アレクサンダー そうだ。(右手のテーブルの奥へ進み、コップに一杯ワインを注ぐ。)地図を見てみるのだ。理由は明らかだ。(飲む。そしてテーブルの上にコップを置く。)
 クレイタス(右手の壇、玉座の奥へ行き、坐る。)これはこれは。インド! 故郷に帰るなど、とんでもない話ですな。それももう決まっている! 女房が何というか。やれやれ。
 プトレミー 奥さんに象を送るんですね。買い物の時乗って行けるように。そうすれば許してくれますよ。
 アレクサンダー(中央に行きながら。)サマルカンドに着くまでには、インド遠征の戦略は出来ているようにする。従って、サマルカンドで私の案を議論出来る筈だ。よし諸君、他には言うことは?
 プトレミー はい、あります。ヘラットから今朝報告を受けました。かなり深刻な事態です、残念ながら。守備隊が暴徒によって全滅しました。暴徒を指揮したのはどこかの酋長で、名前はたしか・・・ああ、オクシアルテス。どうやら彼は・・・
 クレイタス オクシアルテス? 古ネズミめが。奴と交渉したのは、この私だ。
 アレクサンダー プトレミー、早速懲罰隊を派遣せよ。
 プトレミー はっ、畏まりました。
 アレクサンダー そして今度の守備隊の充分な強化をはかれ。
 プトレミー この守備隊の役目が現在最も軍で評判の悪いものです。自殺ものだ、と連中は言っています。多分暫くすると、あそこでは脱走兵が続出すると思われます。
 アレクサンダー 悪魔の国だな、ここは。宥める方法はないのか。(クレイタスに。)この酋長から人質は取っていないのか。
 クレイタス 取っています。彼の娘です。
 アレクサンダー(プトレミーに。)娘の首をその男に送り付けてやるんだな。どこにいるんだ、娘は。この陣屋か。
 クレイタス(困った顔。)はあ、実はその・・・間違っているかも知れませんが、多分その・・・つまり王はその娘を御存じの筈で・・・
 アレクサンダー 私の知っている?
 クレイタス つまりその・・・他の二人の捕虜と一緒に、この間の夜その娘をここに連れて来て・・・
 アレクサンダー それで?
 クレイタス その三人のうち、ここに置けと言われたのがつまり・・・
 アレクサンダー(左手の出口を向いて、呼ぶ。)ロクサーナ。
(ロクサーナ、左手から登場。入口で目を伏せて従順な様子で立つ。アレクサンダー、片手を、呼び寄せるように、上げる。ロクサーナ、アレクサンダーの右手に来る。そして長椅子の前方、壇の方に進む。)
 アレクサンダー これか、お前の言っている娘というのは。
 クレイタス そうです。この娘です。おやおやおや。
 プトレミー(にやにや笑って。)どうもこれは。出した命令をすぐ引っ込める事態ですな。
 アレクサンダー 何故そう思う。
 プトレミー 何故と言って・・・事態が事態ですから・・・
 アレクサンダー 事態は一つだ。父親が反逆者。従って、彼女の命はない。これだけだ。
 クレイタス(立ち上る。アレクサンダーの口調に少しショックを受けて。)ロクサーナ、お前、今の言葉を聞いたか? お前の親父さんがいけないんだ。可哀想に。
(ロクサーナ、アレクサンダーの方を見る。微笑む。)
 アレクサンダー ギリシャ語もペルシャ語も駄目なのだ。山岳地帯の奇妙な方言だけだ、通じるのは。
 クレイタス(ロクサーナを見る。)可愛い顔ですな。実に可愛い。
(ロクサーナ、ゲラゲラっと笑う。長椅子に坐る。)
 クレイタス(困った表情。)やれやれ、こいつはなかなか悲しいことですな。
 アレクサンダー 守備隊の全滅もなかなか悲しいことだ。
 クレイタス ええ、勿論。・・・勿論そうでした。ちょっと私も今考えていたところなのですが、人質を殺すという戦略ですが・・・それは、この国のこのあたりでは、あまり効き目がないのではないかと・・・
 アレクサンダー 効き目あらしめねばなるまい。それとも他に名案があるのか。娘を父親に、私からの祝福を添えて返却するとか・・・
 クレイタス いいえ、それは馬鹿げています。私はただその・・・扱いを今まで通りに・・・特に何も変えず、今まで通りに彼女を・・・彼女と・・・まあその・・・とにかく、あの顔をご覧下さい。可愛らしいあの顔。それを何してしまうのは、損失ですからなあ。
 アレクサンダー 時間の浪費だ。(クレイタスに。)軟弱な話だ。馬鹿だぞ、お前も。(玉座に進む。)いいか、我々は本拠地からもう三千マイルも離れたところにいるのだ。バビロンでなら、生ぬるいやり方も可能だ。ここ、アジアの東の端では、生ぬるいやり方など、贅沢でしかない。(玉座に進む。)他に何かあるか。
 プトレミー ちょっとお待ち下さい。もう少し、この娘のことを。只今のクレイタスの発言、いつもの彼の馬鹿な考えとは違い・・・
 クレイタス 何だと、お若いの! 言わせておけば・・・
 プトレミー(クレイタスを無視して。)なかなか良い意見だと思います。現状は、我々が判断する限り非常に厳しく、かなり思い切った政策が取られなければ、解決は無理です。暴動が散発であり、各地でばらばらに起っている間はまだ大丈夫ですが・・・
(クレイタス、テーブルに左手に行く。)
 プトレミー もし山岳のいくつかの酋長が連合するようなことがあれば、そして我々の連絡線を断つ手段に出るようなことがあれば、インドはおろか、二度と故郷を見ることは出来ません。そして今、この瞬間にも、そういう動きがあっておかしくないのです。これを恐れる理由は充分に揃っております。
 クレイタス(コップに酒を注ぎながら。)私は恐れるべきだなどと、何も言ってはおらんぞ。
 アレクサンダー 静かに、クレイタス。(プトレミーに。)それで?
 プトレミー 対抗する政策は二つあるのみです。一つはテロ、もう一つは宥和政策。
 パーディカス 両方ともやってみた。二つとも駄目だったぞ。
 プトレミー そうだ。理由は唯一つ。両方とも徹底していなかったからだ。味方に充分な軍力があればテロは失敗しなかっただろう。宥和政策も同じだ。もし心底徹底的にやれば、失敗しっこないのだ。
 アレクサンダー(怒鳴る。)何だと? プトレミー。貴様、私にどうしろと言うのだ。バクトゥリアの酋長一人一人全員に頭でも下げろと言うのか。
 プトレミー(立ち上り、中央に行きながら。落着いて。)そうです。その通りのことをなさるのです。
 アレクサンダー 何だと?
 プトレミー この美しいバクトゥリアの御婦人を仲立ちにして。もしこのバクトゥリアを二、三日で、また何の代償も取られずに懐柔なさりたいなら、ここにその道があるのです。
(間。)
 クレイタス(爆発するように。)まさか、プトレミー! お前、俺と同じことを考えているんじゃあるまいな。
 プトレミー(クレイタスの方を見て。)勿論、同じだ。
 クレイタス アレクサンダーはこの娘と結婚すべきだとか。
 プトレミー ちゃんとした結婚である必要はない。つまりその・・・我々の習慣通りでなくてよいのだ。
 クレイタス マケドニアの王、世界の皇帝、が、蛮族の百姓女と結婚するのか。
 プトレミー 彼女は蛮族の百姓女とは違う。歴(れっき)としたバクトゥリアの酋長の娘だ。権利だけから言えば、一国の王女といってもよい身分だ。(ロクサーナに向かって。)そうだろう? お前さん。
(全員ロクサーナを見る。ロクサーナ、自分の話しかけられたと知り、ゲラゲラっと笑う。)
 クレイタス 全く気違いだ、その考えは。アレクサンダーは世界中のもの笑いになるぞ。
 プトレミー 私には何故かそんな気がしない。アレクサンダーが何をしようと、アレクサンダーはアレクサンダーだ。それに、これが美談になる理由はいくらでもころがっている。捕虜の女、一目で落ちた恋、騎士の精神をもった征服者結婚を迫る、・・・等々だ。
 パーディカス 驚いたな、プトレミー。お前がそんなに想像力のある男だとは知らなかった。
 プトレミー(頑固に。)とにかくだ、もしここの酋長に強い印象を与えたいのなら、彼女の首を切って相手に投げ付けるよりは、今の提案の方がずっと良いに決まっている。そしてここはどうしても強い印象を与える必要があるのだ。そういう局面なのだ、もし我々が生き残りたいのなら。そして私は生き残りたい。こう言って私は自分を恥とは思わないぞ。
(全員アレクサンダーを見る。)
 アレクサンダー(間の後。)将来の花婿殿に発言権があることを思い出してくれたようだな。感謝する。
 プトレミー 勿論です。お決めになるのはアレクサンダー御自身です。
 アレクサンダー 有難う、プトレミー。自分で決めよう。ちょっとみな外してくれ。暫くしてフィロタスを呼ばねばならぬ。
(間あり。)
 パーディカス(立ち上りながら。)しかし、それなら・・・我々が残っていた方が・・・
 アレクサンダー いや、私一人で会う。
 パーディカス では歩哨を入れて・・・
 アレクサンダー それは侮辱だぞ、パーディカス。武器のない男を私が恐れると思うのか。
 パーディカス(中央出口に進みながら。)しかし、相手は一か八(ばち)かで・・・
 アレクサンダー こちらも一か八かだ。
 パーディカス はい、分かりました。
(パーディカス、廻れ右。中央出口から退場。)
 プトレミー 私の提案をどうかよく・・・
(クレイタス、中央に進む。)
 アレクサンダー 取り持ち役、感謝するぞ、プトレミー。
 プトレミー 見掛けほど馬鹿な考えではないのです、あれは。
 アレクサンダー 分かっている。
 クレイタス 気違い沙汰です、勿論。いや、気違いよりもっと悪い。卑猥なのだ、アレクサンダー。もし私に対して少しでも敬意の念がおありなら、こんな馬鹿な提案には決してお乗りにならないよう。
 アレクサンダー 敬意は持っているのだ、クレイタス。大きな敬意の念だ。しかし部下全員の命と比べれば、後者の方により大きな敬意を払っているのだ。だから耳を傾けねばならない。(プトレミーに。)これは非常な危険を伴う賭けだぞ。
 プトレミー アレクサンダーが危険を恐れますか。
 アレクサンダー この件に関しては、危険を恐れる。(間。)多分アレクサンダーの答は「ノー」だ。
 クレイタス(喜んで。)偉い。いい子だ。・・・いや、その、陛下の決定は実に賢明で・・・
(クレイタス、廻れ右。中央から退場。)
 プトレミー(中央に進みながら。)よくお考え下さい。
(プトレミー、ロクサーナを見る。それからアレクサンダーを。廻れ右して中央から退場。アレクサンダー振返り、ロクサーナを見る。ロクサーナ、顔を上げてアレクサンダーを見る。アレクサンダー立ち上り、彼女の傍へ行き、片手でその顎を上げる。)
 アレクサンダー 一目で落ちた恋か。(長椅子の端に坐り、短刀を抜く。)騎士精神の征服者・・・それとも、(ロクサーナの首を斬るふりをする。)
(ロクサーナ、ゲラゲラっと笑う。)
 アレクサンダー 少なくとも一つ、お前には私の妻としての貴重な資質がある。(短刀を鞘に納める。)喋れないことだ。(優しく。)行きなさい。(左手の出口の方を、頷いて示す。)行きなさい。
(ロクサーナ、頷く。お辞儀をし、優美な動きで左手に下がり、退場。その間にヘーファエスティオン、中央から登場。)
 ヘーファエスティオン アレクサンダー。
 アレクサンダー(立ち上る。喜んで。)ヘーファエスティオン!
(ヘーファエスティオン、アレクサンダーに近より、抱く。)
 アレクサンダー 有難い。よく帰って来てくれた。何時着いた?
 ヘーファエスティオン 一時間前です。
 アレクサンダー 元気そうだな。旅は大変だったろうな。
 ヘーファエスティオン 長い旅でした。前回お会いした時からこちら、随分と広い土地をお取りになりましたね。
 アレクサンダー 二、三箇月するともっと広大な土地になる。明日はまづサマルカンド。サンズ河を越えて行くのだ。それから最後の河、海の大河、そこに新しい都市を建設する予定だ。名前は「世界の果てのアレクサンドリア」。どうだ、この名前は。
 ヘーファエスティオン 悲しい響きですね、「この世の果てのアレクサンドリア」・・・
 アレクサンダー そうかな。(間。左手のテーブルに進み。)私には素晴らしい響きだがな。ワインはどうだ。
 ヘーファエスティオン(アレクサンダーの右手に行き。)有難うございます。
(アレクサンダー、ワインを二つのコップに注ぐ。一つをヘーファエスティオンに渡す。)
 アレクサンダー(コップを上げて。)こちらから向こうの世界へ。
 ヘーファエスティオン(微笑んで。)幽霊の世界ですね?
 アレクサンダー いや、人間の世界だ。幽霊とは戦えない。
 ヘーファエスティオン 幽霊では征服出来ませんね。
(二人、飲む。コップをテーブルに置く。兵士、中央から登場。敬礼。)
 アレクサンダー 通せ。
(兵士退場。ヘーファエスティオン、長椅子に行き、坐る。短い間。フィロタス、中央から登場。その後から一人の兵士。フィロタス、身体の具合、悪そう。少し精神も。酷い跛(びっこ)を引き、両手に枷(かせ)がしてある。)
 アレクサンダー(兵士に、鋭く。)何故枷がしてあるのだ。
 兵士 プトレミー将軍の仰せせ。一週間前からです。
 アレクサンダー(怒って。)あいつめ、よくもこんな命令を。(フィロタスに。)これは私に何の関係もない。信じてくれるな。
 フィロタス(軽い調子で。)ええ、勿論信じますよ、アレクサンダー。ああ、ヘーファエスティオン、どうだい? 牢屋に会いに来てくれればよかったのに。アレクサンダーはよく来てくれたんだ。一度泣いてもくれたな。俺も胸がつぶれそうだった。勿論この一週間は来てくれていない。(両手を上げて、見せる。)これがあるようになってからはな。
 ヘーファエスティオン 無理だったな、行くのは。俺はバビロンにいたんだ。
 フィロタス バビロンに? 父に会ったか?
 ヘーファエスティオン 会った。伝言が沢山ある。
 フィロタス 父は知らないんだな?
 ヘーファエスティオン 知らない。
 フィロタス それはいい。どんな具合だった。
 ヘーファエスティオン 元気でおられた。
 アレクサンダー(兵士に。)連れて行って枷を外せ。
(フィロタス、アレクサンダーを見る。それからヘーファエスティオンを。微笑んで、中央出口から退場。その後、兵士も退場。間の悪い沈黙。)
 ヘーファエスティオン では、本当だったのですね。
 アレクサンダー 至急便が届いていなかったのか?
 ヘーファエスティオン 届きました。しかしまあ、多分・・・(言い止む。)アレクサンダー、あんな簡単な書き方では分かる訳がありません。とても信じられませんでしたから。
 アレクサンダー それはそうだ。信じられないだろうと思った。(少し苦々しそうに。)それで、お前のその「しかしまあ、多分」の後はどうなると思ったんだ。(テーブルの左側の隅に坐る。)
 ヘーファエスティオン 懲らしめのために一日二日牢に入れておけば終だと。今頃はとっくに自由の身になっているだろうと。
 アレクサンダー 二箇月前だ、逮捕は。そして裁判は来週だ。
 ヘーファエスティオン(間の後。惨めな口調。)では、有罪だったので?
 アレクサンダー 有罪? どの話のことをそう言っている?
 ヘーファエスティオン お命を奪おうという。
 アレクサンダー いや、それはなかった。
 ヘーファエスティオン やれやれ。
 アレクサンダー 私の命を狙う計画は別にあった。ディムノスという名の気違いがいてな、私が死んだ方がいいと思った。(立ち上り、中央に行きながら。)故郷の妻のところに帰りたかったのだ。これはこの男には限らない。私の部下は殆ど誰でもそう思っている。(中央奥に立つ。)そしてその一番の近道が、私の死だと思ったのだ。それで誰かに話し、その誰かがまた誰かに話し、その誰かがフィロタスに報告した。(中央前方に来て。)フィロタスは何もしなかった。やけっぱちの作り話だと思ったのだと言っている。一方私の手の者も噂を聞き、ディムノスを逮捕したが、その瞬間彼は短刀で自分の首をかっ捌(さば)いて死んだ。私をやろうと研ぎすましていた短刀でだ。フィロタスが一枚加わっていなかったとしたら、これは全くお話にもならない小事だった。ところがディムノスのことを黙っていたという事実は、最も軽い表現でも、どこか胡散臭いものに見えたのだ。
 ヘーファエスティオン でも今では、その嫌疑は全く霽(は)れているのですね?
 アレクサンダー そうだ。その事に関する嫌疑だけは霽れている。
 ヘーファエスティオン すると他の罪状が?
 アレクサンダー そうだ。山とある。
 ヘーファエスティオン それがみんな、由々しいものだと?
 アレクサンダー 軍法会議の委員はそう思っている。
 ヘーファエスティオン で、アレクサンダー御自身はどう・・・
 アレクサンダー 私自身の考えは重要ではない。
 ヘーファエスティオン いえ、それこそが重要な筈です。
 アレクサンダー 私はもう遠征に出ている。裁判の時、ここにはいないのだ。(間。)
(へーファエスティオン、立ち上り、中央右手に行く。)
 アレクサンダー もう少しワインはどうだ。
 ヘーファエスティオン 結構です。
(間。)
 アレクサンダー すると、バビロンでパーメニオンに会ったんだな?
 ヘーファエスティオン はい。
 アレクサンダー 息子のことについては何も言わなかったんだな?
 ヘーファエスティオン 勿論言いません。
(間。)
 アレクサンダー(左手に動いて。)母王のことだが、ダリウスを殺したこの私を罰しようという気分は、相変わらず変らないままというんだな?
 ヘーファエスティオン その感情は変っていないと伝えて欲しい。これが母王の言葉でした。
 アレクサンダー 私に会うことも、話すこともしない。手紙も書かないと言うんだな?(間。)彼女は忘れているのか、この私はその気になれば、命令も出来るのだということを。(テーブルの左手に動く。)
 ヘーファエスティオン それは分かっている筈です。ダリウスの母なのですから。
 アレクサンダー(ゆっくりと。)私が何者であるかを教えた方がよいのか。
(フィロタス、両手が自由になって、中央から登場。兵士がその後から登場。)
 アレクサンダー(テーブルの右手のストゥールを指さして。)坐ってくれ、フィロタス。
(兵士退場。)
 フィロタス(テーブルの右手のストゥールに進んで。)坐れるとは有難い。御命令による訊問がこのところかなり・・・厳しくて。
 アレクサンダー 命令によるものではない。お前は今、軍法会議の委員の手にあるのだ。私はそれには全く関っていない。
(ヘーファエスティオン、長椅子に進み、坐る。)
 フィロタス ほほう、関っていない。
 アレクサンダー 酒はどうだ。
 フィロタス 勿論。いらないと言ったことは今までに一度もない筈だ。
(アレクサンダー、コップに注ぐ。)
 フィロタス 有難う。(飲む。)酒の味がどうだったか、この間から思い出そうとしていた。想像上の味よりは本物の方がずっといい。他の楽しみも同じだろう、きっと。そうだ、アンティゴーネはどうしている。
 アレクサンダー 元気だ、きっと。
 フィロタス 会わせてくれたってよさそうなものだ、あの女に。
 アレクサンダー(間の後。)軍法会議で許可がおりなかった。お前に対して不利な証言をしているからな。
 フィロタス 愛したんだ俺は、あの売女(ばいた)を。
 アレクサンダー(テーブルの左手にあるストゥールに坐って。)残念ながら、罪は重い・・・非常に重い。
 フィロタス それはそうだ。そういうことになる、きっと。
 アレクサンダー お前が信じないかもしれないがフィロタス、私はお前を助けたいのだ。
 フィロタス じゃあ助ければいい。俺を自由にするんだ。俺の命令権を復活させ、俺を誹謗した者達を罰するんだ。(コップの酒を飲み干す。)
 アレクサンダー(テーブルから書類を取り上げ。)お前を最も誹謗している者、それはお前自身ということになるぞ。お前がその口で言ったと報告されている事柄を今ここで読み上げる。いいな。
 フィロタス 寝床の中で喋った事が不利な証言などに取り上げられてはかなわない。
 アレクサンダー これは寝床の中で言われたこと、アンティゴーネに喋ったこと、だけではない。読んでみようか。
 フィロタス それが仕事ならな。その間にもう一杯酒が戴きたい。
(ヘーファエスティオン、立ち上り、テーブルに進み、フィロタスからコップを取り、注ぐ。渡す。)
 フィロタス これは大事な時間だからな。せいぜい利用しなければ。
 アレクサンダー(読む。)「人間の偉大さは何をしたかで計られるのではなく、何であるかで計られねばならない。この立場に立つとアレクサンダーなど、俺の小指ほどの大きさに過ぎない。」
 フィロタス(間の後。)うん、覚えている。エジプトで行われた宴会の席でだった、そいつを言ったのは。俺は酔っていた。
(ヘーファエスティオン、長椅子の方に進み、坐る。)
 アレクサンダー それを言ったのを忘れるほどには酔っていなかったようだな。(読む。)「人々はアレクサンダーを神だと言う。しかし神のいる場所はオリンパスだ。アジアの玉座に坐ってはいない。」
 フィロタス 無神論者の言だな。どんなことにも例外は存在しないという主義で言うと、そうなる。
 アレクサンダー 軍法会議ではその見方はしないようだ。
 フィロタス 冗談を言うのは罪なのか。
 アレクサンダー これは冗談なのか、それでは。
 フィロタス アレクサンダーは神だという冗談と同じ程度の冗談だな。
(アレクサンダー、暫くじっとフィロタスを見つめる。それから書類に戻り。)
 アレクサンダー(読む。)「最初の最初、振り出しの時、我々は何であったか。マケドニアにある夢想家がいた。そいつの仲間だった。その末路はどうだ。東洋の専制君主の奴隷じゃないか。」(目を上げて。)これも冗談なのか。
 フィロタス いや、それは真実だと思っている。
 アレクサンダー(立ち上って。)どうだヘーファエスティオン、どうすればいいのだ、この私は。われから自分の命を絶とうとしているこの男を。(書類をテーブルの上に置く。左手に進む。振返る。フィロタスに。)フィロタス、私を東洋の専制君主にしたてているのはお前なんだぞ。(誠実に。)そんなものに私がどうしてなりたいのだ。お前だって分かっている筈ではないか。専制君主など、思っただけで身震いがする。今のこの私を忘れることは出来ないか。私が昔、一介のギリシャ兵だった、そしてお前の友人だった、そのアレクサンダーだと考えることは出来ないのか。
 フィロタス いや、それは簡単なことだ、アレクサンダー。そう考える方が気が楽だからな。
 アレクサンダー これら一連の発言があっても、私はまだお前の友人だ。そしてどうしても命を助けたいと思っている。お前は私のことを専制君主だと言う。専制君主以外にはなりようがないのだ。この広大な帝国を治めるのに、専制君主以外の方法があり得ようか。アテネでなら民主主義もいいだろう。毎年革命があってもよい。(ここでは駄目なのだ。)お前は私を「自分のことを神だと思っている」と非難する。お前はアリストテレスの言葉を覚えているか。彼はよく言っていた。本当の王とは、人間に立ち交じる神である。ゼウスは国や法律に縛られない。それと同様に本物の王は、国や法律に縛られない。何故なら彼自身が法だからだ。私のこの孤独の中で、私が時々自分のことを神に近いものとして考えても、そんなに非難されるにはあたらないと思うがどうなのだ。(間。そして振返る。)ちょっとした慰めだ。それに誰も害するわけではない。(テーブルの左手に行く。)
 フィロタス 自分にだけだ、害は。
 アレクサンダー(怒鳴る。)余計なお世話だ。この嘘はお前に与えているのだからな。(お前に害がなければそれでいいではないか。)いいか、人間の正体など、どうでもいいのだ。その人間がすること、それが全てだ。私が何者であるか、あるいは、私の思想、行動に対して私自身が取る内面の行為、そんなものはどうでもいいのだ。私は自分のやったことを一番気にするのだ。私の成し遂げてきたことを、敵の活動や、あるいは味方の揶揄、嘲笑でぶち壊されるのは断じて阻止する。だからなのだ、友、フィロタスよ、お前がこの二、三日のうちに死んで貰わねばならないのは。(間。)この書類が軍法会議の手に渡れば、死刑は免れないからな。
 フィロタス では、何故その書類を渡すのだ。
 アレクサンダー お前が唯一つの条件さえ満たしてくれるなら、これは焼き捨てる。
 フィロタス 公衆の面前で膝まづき、アレクサンダーを神と崇めよ、というんだな。
 アレクサンダー 裁判の席で、今までのお前の発言を全て取消し、お前の神聖なものに賭けて、このような発言は二度としないと誓うのだ。
 フィロタス(間の後。静かに。)それはさっき俺が言った通りのことだ。公衆の面前で膝まづき、アレクサンダーを神と崇めよと。(立ち上る。ワインを飲み干し、テーブルの上にコップを置く。)酒を有難う、アレクサンダー。(振返り、呼ぶ。)歩哨!
(兵士、中央から登場。ヘーファエスティオン、立ち上る。)
 フィロタス 人殺しを牢屋へ戻すのだ。(中央に進む。)
 アレクサンダー フィロタス、頼む。(中央左手に進んで。)よく考えてくれ。
 フィロタス(アレクサンダーの方を見て。)ああ、よく考えたんだ、アレクサンダー。随分長いこと考えた。牢獄に一日中いて、いや、昼だけではない、夜もだ。それ以外の何を考えられる。もう考えるのは飽きた。
 アレクサンダー 私の頼んでいることは友人の頼みとしてそんなに大変なことなのか、フィロタス。
 フィロタス 敵からの頼みならば、それは簡単なことだ。もしこれがダリウスからの頼みならば、そんな簡単な条件を蹴って自分の命を捨てるなど、馬鹿のすることだ。しかし、これは敵からの頼みではない。友人、アレクサンダーからの頼みなのだ。従ってその頼みは、我々二人が共に征服した世界全体よりも大きいのだ。
 アレクサンダー お前は、私がお前に慈悲をかけるべきだ、と思っているのか。
 フィロタス いや。アレクサンダーのなさねばならぬこと、それはよく分かっている。
 アレクサンダー フィロタス、頼む。お前自身を哀れと思えないならば、この私を・・・
 フィロタス 哀れと思っているのだ、奇妙なことだが。哀れな二人、可哀想に。(間。)二杯目は飲むのではなかったな。空きっ腹には毒だったようだ。(アレクサンダーに近づき、手を差し出す。)さようなら。
(アレクサンダー、その手を握る。)
 フィロタス 遠征、征服、面白かった。結末も見てみたかったのだが。(ヘーファエスティオンの方を向いて。)さようなら、ヘーファエスティオン。
 ヘーファエスティオン フィロタス、頼む。アレクサンダーの言う通りにしてくれないか。
 フィロタス 私はアレクサンダーではない。そいつが問題だ。不可能を可能には出来ないのでね。(兵士の方を向いて。)さあ、君、前へ進め、だ。
(兵士、中央から退場。)
 フィロタス(廻れ右をして、間の後。)俺には殺害の意図は全くなかった。知っての通りだ。しかし今、馬鹿な気を起して私を釈放などすれば、今度はやる。それにあのアホなディムノスのようなへまはしない。
(廻れ右して、中央から退場。アレクサンダー、動揺している表情。ヘーファエスティオンを見る。こちらもじっと見返す。間。)
 アレクサンダー(中央に行きながら。)ヘーファエスティオン、命令がある。
 ヘーファエスティオン(中央右手に行きながら。)何でしょう、アレクサンダー。
 アレクサンダー 他に頼める人間はいないのだ。
 ヘーファエスティオン 頼りにされるのは有難いです。
 アレクサンダー バビロンに戻り、歩兵大隊の指揮を取り、パーメニオンを逮捕する。
 ヘーファエスティオン(理解出来ない。)パーメニオンを?
 アレクサンダー そうだ。パーメニオンだ。
 ヘーファエスティオン でも、何故。彼が何をしたのです。
 アレクサンダー(テーブルの右手に行き。)何も・・・今の段階では。
 ヘーファエスティオン では何の罪状で、逮捕を?
 アレクサンダー 保護監禁だ。(テーブルの右のストゥールに坐る。)フィロタス反逆の噂は、大勢の人間を怒らせることになる。そこでフィロタスの父親にその矛先が向けられる。
 ヘーファエスティオン(つまり、パーメニオンが殺されるかもしれないからと?)でもまさか、そんなことを本気でお考えに? パーメニオンは皆から崇拝されているのです。
 アレクサンダー(鋭く。)崇拝される? それがけしからんのだ。フィロタスもそう言っていただろう。パーメニオンの崇拝者は多すぎるのだ。
 ヘーファエスティオン 彼のことを恐れておいでに?
 アレクサンダー そうだ。恐れている。彼は私の帝国の心臓部を抑えているのだ。(立ち上り、右手に進む。)糞ったれ! あいつを何故あそこに残しておいたのだ、私は。頭がどうかしていたのだ、きっと。
 ヘーファエスティオン アレクサンダー、私は彼の忠誠心に対して命を賭けますが。
 アレクサンダー(振返って。)そんなことはしない方がいい。お前の命は私にとって本当に大切なものなのだ。
 ヘーファエスティオン それにしても何故・・・
 アレクサンダー(怒って。)お前はいつでも現状を見る。現状そのままをだ。決してなるかもしれない未来を見ようとはせぬ。パーメニオンは忠実だとお前は言う。今までずっとそうだったからだ。私は賛成だ。もしそうでなければ、何故彼一人に大部隊を任せてバビロンに残しておいたりしたか。しかし私が彼にその役目を与えた時、私は彼の息子を死刑に処すなど思ってもいなかったのだ。
 ヘーファエスティオン 分かりました。義務を果たしましょう。私一人を行かせて下さい。武器なし、護衛なしで。そして彼に息子の死刑のことを伝えるのです。
 アレクサンダー それで反乱の芽を育ててやるのだな。私の一番大切な人間を人質に取られて。
 ヘーファエスティオン 彼が反乱の芽とはとても思えません。
 アレクサンダー それが証明されるのを待つつもりはない。(テーブルの左手に行き。)以下の命令を下す、ヘーファエスティオン。お前はバビロンに行き、宮殿に留まる。自分の部下、ペルシャ方の護衛を、目立たぬよう武装させる。(次に)本部にいるパーメニオンに使いを出し、宮殿に来るよう要請する。アレクサンダーからの大事な言伝(ことづて)あり、又、自分は体調を崩しているので自分から出向くことが出来ない、と言う。フィロタスの裁判はまだ一週間後だ。パーメニオンが怪しむ理由はない。
 ヘーファエスティオン それは勿論。
 アレクサンダー その後、お前は軍に宣言書を読み上げる。これは私が書いて署名、それに私の封印を押しておく。宣言の内容はこうだ。パーメニオンは、その息子と同様、アレクサンダーに反逆の意図があった。動かし難い証拠も上っている、と。
 ヘーファエスティオン(衝撃を受けて。)意図があった?
 アレクサンダー 逮捕を拒めばその場で死だ。
 ヘーファエスティオン そんな。
 アレクサンダー 他に方法はない。
 ヘーファエスティオン(テーブルの上手に動いて。)駄目ですこれは、アレクサンダー。
 アレクサンダー 私が好き好んでこんなことをすると思うのか。証拠もなく公開裁判にかけて、一体どうなるというのだ。ああ、あいつには一大隊、一万五千の武装した軍勢がいるのだ。どうしてこんな危険を私は! 彼はその場で殺さねばならぬ。取りうる手段はこれただ一つだ。
 ヘーファエスティオン それでは私以外の誰かをお捜し下さい。私は駄目です。
 アレクサンダー お前でなければならないのだ。私が信用出来る唯一の男なのだ、お前は。
 ヘーファエスティオン それは誤りです、アレクサンダー。この件に関しては、私は信用出来ません。もしバビロンに私が行けば、裏切りを行うことになるでしょう。
 アレクサンダー 賭けだ。私は賭けてみる。
 ヘーファエスティオン 私は乗りません、その賭けには。誰か他の者を捜して下さい。
 アレクサンダー(立ち上りながら。)命令に従わないと言うのか、お前は。
 ヘーファエスティオン この命令には。(間を置いて。)自分の剣で死ねとご命令下さい。それには従いましょう。しかしたとえ大王のためでも殺人は出来ません。
 アレクサンダー そんな弱虫だったのか、私の友人は。
 ヘーファエスティオン(惨めな表情。)そうです。(間。)私も生かしておいてはならぬ人物ではないのですか。何故殺さずに・・・
 アレクサンダー それは神のご意志に任せる。神々も嫉(そね)んでいるだろうからな。死すべき運命のただの人間に、このような光り輝く美徳、高貴な人格があるのを見れば。ここまで神がお前を生かしておいた事が不思議だ、ヘーファエスティオン。
 ヘーファエスティオン もう下がっていいでしょうか。
 アレクサンダー 友人というものがどんなに大切なものか、それが今分かった。この瞬間を私は決して忘れないぞ。この瞬間こそ、アレクサンダーにはただ一人の友人もいないことに気づいた時、そしてこれからはただ一人で立って行かねばならぬと知った時、なのだ。下がってよい。
(ヘーファエスティオン、振返り、中央に進む。)
 アレクサンダー もうどうなろうと構わぬ。お前は二度と私の前に現れるな。
(ヘーファエスティオン、振返る。アレクサンダーをじっと見る。)
 アレクサンダー パーディカスを呼んでくれ。
(ヘーファエスティオン、廻れ右をし、中央から退場。)
(アレクサンダー、コップにワインを注ぎ、一息に飲み干す。それからテーブルの左手にあるストゥールに坐る。両手をテーブルの上にのせ、見る。暫くして呼ぶ。)
 アレクサンダー マザレス!
(マザレス、左手から登場。お辞儀。)
 アレクサンダー ガウジメラの前夜のことを覚えているな? マザレス。
 マザレス はい、陛下。
 アレクサンダー あの夜、私の手は怖れで震えていた。覚えているな?
 マザレス はあ、それは・・・陛下。
 アレクサンダー 今も手が震えているぞ、マザレス。明日戦争がないというのにな。(笑う。少し酔っている風。)ああ、いっそ戦争があれば。(テーブルの上のデカンターを指さして。)入れて来てくれ。
(マザレス、黙ってコップを取り上げ、左手に退場。)
 (アレクサンダー、ペンを取り上げ、書き始める。暫くして、左手からロクサーナ、ワインを満たしたデカンターを持って登場。テーブルに行き、静かにアレクサンダーのコップに注ぐ。コップをテーブルの上に置き、右手に行く。アレクサンダー、コップに手を伸ばし見上げ、ロクサーナを見る。)
 アレクサンダー そうだったな。忘れていた。酒の係りをお前は自分で志願したのだったな。有難う。
(ロクサーナ、微笑む。長椅子に行き、坐る。)
 アレクサンダー(コップを持ち上げ、立ち上り、ロクサーナに近づいて。)乾杯の言葉は何にする? 王への忠誠を誓う? それとも王の敵の全滅にしようか。そうだ、これがいいね。(コップを持ち上げて。)王の敵の全滅に。(飲んで、ロクサーナの左手、床の上に坐る。)
(ロクサーナ、おずおずとアレクサンダーの片方の腕に手を置く。少しの間。)
 アレクサンダー(ロクサーナを見て。)敵の全滅、それは当然、お前の父親の死も含まれている。可哀想なことだ。だが、仕方がない。そうだろう? お前。父親は好きか? 父親はお前を愛しているか?
(ロクサーナ、陽気に笑う。)
 アレクサンダー 訊くのさえ馬鹿げていると思っているのだな。なるほど。そんな質問をするこちらの方がおかしいかもしれない。(ロクサーナに膝を立てて近づき、コップを渡す。)ほら。
(ロクサーナ、コップを取り、ちょっと啜る。)
 アレクサンダー(立ち上る。くすくす笑って。)その可愛い手で、父親の全滅に乾杯だ。
(ロクサーナ、もう一度啜る。)
 アレクサンダー そう、それでよい。さあ、あちらへ行っていてくれ。お前の父親以外にも、敵がいてな。(中央に行き。)世界の支配者には沢山の敵がいるのだ、ロクサーナ。
(ロクサーナ、立ち上り、アレクサンダーの右手に行く。)
 アレクサンダー アレクサンダーは好んで敵を作りたいのではない。皆に愛されたいのだ。愛され、且つ、世界の支配者でいたいのだ。(ロクサーナを優しく左手の出口に導く。)さあ、行くのだ。
(ロクサーナ、テーブルに進み、コップをその上にのせる。)
 アレクサンダー(自分の指から指輪を抜き取る。)ロクサーナ。
(ロクサーナ、振り向いて、アレクサンダーと向き合う。)
 アレクサンダー(短刀を抜いて片手に持ち、一方の手には指輪を持って、両腕を伸ばし、ロクサーナに近づく。)なあ、ロクサーナ、片手にはほら、指輪だ。綺麗だろう。これは母親のものだった。もう一方の手には短刀だ。これも綺麗だろう? 父親のものだった。さあ、ちょっとした遊びをやろう。お前は私の手を選ぶのだ。左手か、右手か。
(ロクサーナ、嬉しそうに微笑む。アレクサンダー、両手を後ろに回し、二つの品をどちらがどちらか分からないように持ち変える。後ろに品物を持ったまま、ロクサーナに選ぶよう促す。少し考えた後ロクサーナ、左腕に触れる。アレクサンダー、左手を前に出す。それは指輪である。)
 アレクサンダー そうか。お前はいい妻になるな、ロクサーナ。(短刀を床に投げ、ロクサーナの指に指輪を嵌める。)お前にも運がついているらしいな。(額にキスし、急に廻れ右をし、テーブルの左手に行き、坐り、書き始める。)
(ロクサーナ、非常に低くお辞儀。短刀を見る。それから立ち上り、振返り、アレクサンダーに嬉しそうにほほ笑み、左手から退場。)
                        (幕)

     第 二 幕
     第 二 場
(場 吊り庭の隅。バビロン。)
(場は「第一幕、第二場」と同じ。但し、中央奥にあった玉座は右手手前に、長椅子は左手になっている。出口は右手と左手前方。)
(幕が上ると、母王が左手の長椅子に坐って、書類を読んでいる。パーディカスがその左手に立っている。暫くして母王、目を上げて地平線をじっと眺める。)
 パーディカス その書類の方が私の口からよりは事態をよく説明しているかもしれません。
 母王 説明は完璧です。私はあなたの捕虜なのです。
 パーディカス いいえ、決してそんなことは。王はインドに発たれる前に是非お会いになりたいと。
 母王 王がこのような書き方で希望を述べる場合には、それは命令と同じなのです。その実行のために一大隊と王の最も信頼する将軍を送るということになれば・・・
 パーディカス バビロンまで私が参りましたのは、母王陛下をお伴申し上げるためばかりではありません、他にも仕事がありまして。
 母王 何なのです、それは。おお、お訊きしてはいけませんでした。分かりました、将軍。出発は何時なのですか。
 パーディカス 明日です。
 母王 分かりました。それで王は、今どちらに?
 パーディカス この時点ではサマルカンドです。しかし遠征はもう始まりますから、我々が追付くのは多分そこから二、三百マイル東に進んだあたりと思われます。
 母王 世界の縁(ふち)から落ちないよう、王は気をつけなければ。
 パーディカス まもなくそこに達するだろうと王は信じています。
 母王 そうでしょうね。(微笑する。)この年になって世界の果てまで旅をするのですもの、将軍のような素敵な方のお伴は大変嬉しいですわ。
 パーディカス 旅が快適なものになりますよう、最善の努力を致します。
 母王 有難う。このお使いをアレクサンダーはどうしてフィロタスにさせなかったのでしょう。その方が親切でしたのに。父親はバビロンで淋しく暮らしているのです。子供の顔を見てきっと、大喜びしたでしょうに。
 パーディカス フィロタスは拘置されています。
 母王 拘置? 何の罪です。
 パーディカス 反逆罪です。
 母王 そう。(間。)可哀想なアレクサンダー。
 パーディカス は?
 母王 「可哀想なアレクサンダー」と言ったのです。
 パーディカス 仰る意味がちょっと・・・
 母王 お分かりになるとは思っておりませんわ、将軍。これ以上お引き留めしてはいけません。他にお仕事がおありなのですから。
 パーディカス はい。
 母王 夜明けまでには出発の用意をしておきます。(お辞儀。パーディカスに、「行ってよい」と合図。)
(パーディカス、お辞儀。長椅子の前を通って左手から退場。母王、再び書類を見る。舞台裏右手に王女の明るい笑い声がする。暫くして右手から登場。その後にパーメニオン。)
 王女 お祖母様、ほら、庭を歩いていらしたのをお連れしたのよ。(長椅子の向こう側を通り、左手の出口に進み、外を見る。)
 母王 パーメニオン将軍、なんて嬉しいのでしょう。私達に会いに来て下さったのですね。
 パーメニオン(母王に進みより、片手にキスして。)残念ながら、宮殿にまいったのは、皆さまにお会いするためではなかったのです。今日は仕事だったのです。パーディカスに会わねばなりません。
 母王 あら、そうでしたの。あの人は確かに宮殿にいますわ。
 パーメニオン 病気で床についているそうですね。
 母王 床についてはいません。それは誓って。たった今、ここから出て行きましたもの。
(王女、長椅子の方へ進み、母王の左手の方に坐る。)
 母王 病気について申しますと、そうかも知れません。けれども、随分上手にそれを隠していたことになりますわ。
 パーメニオン 奇妙ですな。病気で床についているという知らせを受取りましたな。
 王女(母王が手に持っている書類を見て。)あら、お祖母様、それはアレクサンダーの筆跡だわ。見せて。
 母王 いいえ。お前によろしくとありました。
 王女 他に何て?
 母王 私に、あちらに来るようにと。残念だけど、二、三箇月、お前とは離れ離れになるわ。聞き分けてね。
 王女 でもお祖母様、私も一緒に行けないの?
 母王 いいえ、いけません。
 王女 まあ。でもお祖母様、それなら何故いらっしゃるの? もう決してあの方とは口をきかないって誓言なさったじゃありませんか。
 母王 気持を変えたのです、私は。
 王女 まあ。(立ち上り、左手の出口の方へ進み、外を見る。)
 パーメニオン アレクサンダーへの飛脚の役をお願いしなければなりませんな。色々、王に伝えたいことがありますので。
 母王 喜んでお持ちしますわ。
 パーメニオン それから勿論息子へ。
 母王 ええ、勿論。
 パーメニオン あのきかん坊がまた何かやらかしたという噂です。アレクサンダーにまたなまいきを言ったのでしょう。クレイタスに自分の言うことを聞けとか何とか。
 母王(呟き声。)そうでしょうか、それは・・・
 パーメニオン まあ、実害はないでしょう。少しは息子に薬になればいいくらいのものです。歩兵専門の人間が騎馬隊を指揮するというのは私も好みませんが、とにかくアレクサンダーには何かの考えがあるのでしょうから。
 王女(振返って、左手の方を指さしながら。)見て、お祖母様、兵達の数が随分増えたわ。
 母王 そうね。
 王女 随分な数だわ。(長椅子の向こう側に行き。)ペルシャの護衛もいつもの二倍いる。どうしたの? お祖母様。
 母王 パーディカス将軍を護っているのでしょう。
 パーメニオン パーディカスを?
 王女(パーメニオンの左手に行き。)あら、あの人、そんなに偉かったの?
 母王 大変偉いのよ。
 パーメニオン パーディカスが偉い? それは初耳ですね。
 王女(壇の右手の方に行き、坐って。)何か起きているみたい。何か大変なことが起っているのよ、きっと。
 パーメニオン(右手の上に行き。)これで私は、おいとまを・・・
 母王(立ち上って。)パーメニオン将軍・・・
 パーメニオン はい、母王陛下。
 母王(パーメニオンの方に近づいて。)庭に入られた時、どの門からでしたの?
 パーメニオン ここの通用門です。断りもなく母王陛下専有の場所を通過いたしました。何か失礼なことでも・・・? いつでもお通り下さいとのお許しを・・・
 母王 誰かに見られましたか。
 パーメニオン いいえ。
 母王 門に歩哨はいなかったのですね?
 パーメニオン いいえ、いた例(ためし)はありません。
 母王(間の後。)私のことをどうかしているとお思いになるかもしれませんが、どうか是非これからお願いすることを、その通り実行して下さいませんか。すぐ軍本部にお帰りになるのです。――同じ門を通って――そしてパーディカスに、自分は病気だから、そちらから来て欲しいと使いをお出しになるのです。(左手の方を心配そうに見る。)
 パーメニオン でも、私は病気ではありませんが。
 母王(意味を込めて。)それはパーディカスも同じですわ。
(左手からファンファーレが鳴る。パーメニオン、母王を見る。さっと母王の意味することが分かる。)
 パーメニオン(左手の出口に近づきながら。)そう、彼も病気ではない。(左手から外を見る。)アレクサンダー直属の護衛兵だ。(母王の方を向いて。)宮殿の軍勢はどれほど?
 母王 一大隊がそっくり。誰かが言ってましたわ。
 パーメニオン(長椅子の観客側の方に来て。)なるほど。
 母王(パーメニオンに近づいて。)どうか将軍、どうか、私の言った通りに・・・
 王女 お祖母様・・・何か悪いことが?
 母王 いいえ。(パーメニオンに。)将軍、お分かりになりますわね、私の申し上げていること。
(間。)
 パーメニオン(考えながら。)何故なのでしょう。それです、私の分からないのは。何故なのか。
 母王 パーディカスが・・・(何かを企んで・・・)
 パーメニオン いや、あいつはやらない。切れない男です。戦場では役に立つ優秀な士官ですが、信用は出来ます。それにアレクサンダー直々の命令でここに来ているのです。手紙を見ましたから。
 母王 ええ、それは私も。
(間。パーメニオン、地面を見つめ、髭を撫でる。)
 パーメニオン 何故だ。一体何故。何故かお分かりですか。
 母王 たとえそれが分かっても、何にもならない問いなのではありませんか、それは。
 パーメニオン ええ、でもそれは問わずにはいられません。どうしても問わねば・・・
 母王 ひょっとすると・・・お子様が何か、と仰っていましたね。
 パーメニオン 息子?
 母王(間の後。)噂に聞きました。想像なさっていらっしゃるものよりも、もっと悪いのではないでしょうか。
(パーメニオン、急に長椅子に坐る。)
 母王 将軍、これは私の、ただの想像なのですから。
 パーメニオン いいえ、そうではありません。ここまで年を重ねますと、勘が冴えて来るものです。一瞬にして全てが分かるのです。はっきりと、丁度絨緞の模様が見えるように。(間。)もう死んでいましょうか、私の息子は。
 母王 いいえ、将軍、そんなことは。
 パーメニオン いや、死んでいます、きっと。
 母王(慰めるように。)今はお子様のことは考えないで、どうか、御自分のことを。
 パーメニオン そうですね。自分のこと、自分のことを考えなければ。(立ち上る。母王の右手に行き、首からロケットを外す。)アレクサンダーにお会いになった時に、どうか私からと、これを。(母王にロケットを渡す。)彼の父親から貰ったものなのです。自分の手に戻ってきて喜ぶ筈ですから。さようなら、母王陛下。本当の友達でいて下さって有難うございます。(お辞儀。そして母王の手にキスする。王女の方を向く。)
(王女、立ち上る。)
 パーメニオン さようなら、王女様。どうぞお元気で。
 王女 さようなら。
 母王(右手を指さして。)宮殿を出られる時は将軍、どうか木に近く・・・見つからないように。
(パーメニオン、ゆっくりと長椅子の方に近づき、刀を外す。)
 母王 将軍、まさか、あなたは・・・
 パーメニオン(振返って。)パーディカスに会いましょう。アレクサンダーの書簡ありと。ですから、(刀を長椅子の上に置く。)勿論刀はいらない筈です。さようなら。
(パーメニオン、廻れ右をし、左手から退場。母王と王女、黙って彼を見送る。)
                       (幕)

     第 二 幕
     第 三 場
(場 アレクサンダーのテント。世界の果てのアレクサンドリア。)(幕が開くと、アレクサンダー、観客に背を向けてテーブルの上にのしかかるように、地図を調べている。プトレミーがテーブルの右手向こう側に立っている。クレイタス、右手の長椅子に背を凭せて坐っている。クレイタスとプトレミーは手にワインの入ったコップを持っている。アレクサンダーのコップはテーブルの上、彼の目の前にある。)
 アレクサンダー インドには大きな河が五つ。五個目を越えると、そこが世界の南端だ。
 プトレミー 楽しみですな。それを見るのは。
 クレイタス 楽しみなものか。私にとっては、見るのが楽しみなところはただ一つ。二人ともそれがどこか、よく御存じだ。
 プトレミー(笑って。)ペラだ。そうだろう。あそこも世界の端だ、別の意味で。私個人の意見を言えば、あんなところはもう一生見なくても平気だな。(飲む。)
 クレイタス(坐り直して。怒って。)アレクサンダー、こんなことを言わせておいていいのですか。我が王国の首都ですぞ、ペラは。
 アレクサンダー(背をしゃんとして。)マケドニアは我が王国ではない。我が王国の一、田舎だ。それに、小さくて、取るに足らない田舎だ。
 クレイタス(立ち上って。)何ですと!
 アレクサンダー まあ坐れ、クレイタス親父! もう一杯やるんだ。
 クレイタス いや、結構。(中央へ動く。)いいかな、アレクサンダー。ちょっと言わせてもらうが・・・
 アレクサンダー 馬鹿なことは止めろ。まあ坐って・・・
 クレイタス(振返って。中央の出口に行き。)自分の国をからかわれていい気持はしないのだ、私は。
 アレクサンダー(素早くクレイタスに近づいて。)許せ、親父。悪い冗談だった。結婚の日なのだ。花婿に多少のわがままは許して欲しい。(クレイタスの右腕を掴み、中央右手に導く。そしてテーブルの右手にあるストゥールに坐らせる。)気を静めてくれ、結婚式なのだ。どんな戦闘でも必ず私の隣にいてくれた親父だ。結婚式の時にほったらかしにするような真似はしないな?
 クレイタス(コップをテーブルの上に置いて。)これだけは隣にいたくない戦闘だな。
(ヘーファエスティオン、中央から登場。中央右手の壇の端へ進む。気をつけの姿勢。)
 ヘーファエスティオン 陛下、私をお呼びで。
 アレクサンダー そうだ。(クレイタスとプトレミーに。)ちょっとヘーファエスティオンと二人だけにしておいてくれ。(左手の方を指さす。)ペルシャの習慣だ。花嫁にキスしてもよいぞ。しかしやりすぎは遠慮してくれ。(プトレミーにワインのデカンターを渡す。)それからこれを。
(クレイタス、立ち上り、左手から退場。プトレミー、後に続く。アレクサンダー、ヘーファエスティオンの様子を眺める。間。)
 アレクサンダー 式次第だ。自分の役割は読んだのだな?
 ヘーファエスティオン はい、読みました。
 アレクサンダー その後宴会がある。それに出席して貰いたい。
 ヘーファエスティオン はい、畏まりました。(廻れ右して、行こうとする。)
 アレクサンダー それからな、ヘーファエスティオン。
(ヘーファエスティオン、立ち止まり、振返る。)
 アレクサンダー そこで私の右手に坐ってもらいたい。
 ヘーファエスティオン 分かりました。有難うございます。これで全部ですね? 
 アレクサンダー 違う。(間。)私は謙(へりくだ)らねばならないようだ。(また間を置く。)許してくれないか、ヘーファエスティオン。
 ヘーファエスティオン 許すことなど陛下、何もありません。
 アレクサンダー(右手に行き、荒々しく。)お願いだ、頼む!(振返る。)私は何をしたらいいというのだ。着物を引き裂き、頭から塵(ちり)を被り、お前の足下にひれ伏し転がれというのか。お望みとあれば私はやるぞ。(間。ヘーファエスティオンに近づく。)私に叶うものはいない・・・それは間違いだった。お前の勝ちだ。私は敗北を認める。私の征服者に心から頭を下げたいのだ。(手を差し出す。)
(暫くの間の後ヘーファエスティオン、その手を取る。)
 アレクサンダー(長椅子を指さして。)坐ってくれ。
(ヘーファエスティオン、長椅子の左端に坐る。)
 アレクサンダー(その右手に坐る。間の後。)パーメニオンは死んだ。今朝連絡を受取った。
 ヘーファエスティオン パーディカスが戻って来たのですか?
 アレクサンダー いや、彼は一週間後だ。その前に早馬をよこした。フィロタスはひとつき前に処刑された。
 ヘーファエスティオン ええ、それは聞いています。
 アレクサンダー お前が今私に、どういう感情を抱いているか、よく分かっている。
 ヘーファエスティオン 抱いているのは感情ではありません、アレクサンダー、同情です。
 アレクサンダー 有難う。この二、三週間、私は辛かった。私にはお前が必要だった。
 ヘーファエスティオン お力になれませんでして、どうも。
 アレクサンダー クレイタスもプトレミーも、この種の悩みには全く助けにはならない。(立ち上る。)私は人殺しではない。(中央に行く。振り向いて、ヘーファエスティオンに。)信じてくれるか。
 ヘーファエスティオン はい。
 アレクサンダー 専制君主だ、私は。それは仕方がない。しかし私には理想がある。この征服を始めた時からの理想だ。世界国家だ。人間であり同時に神である者によって治められる世界国家・・・その者の言葉が法律であり、その人生は何百万の臣民の福祉のために捧げられる。(間。)もはや戦争もなく、圧制もなく、盗賊もいない。全能の神々に祝福された普遍的平和。(間。)見る価値のない夢だろうか、これは。
 ヘーファエスティオン いいえ、見る価値のある夢です。
 アレクサンダー(ヘーファエスティオンに近づいて、その左肩に手を置き。)その実現は今か、あるいは永遠にやって来ないか、どちらかだ。世界は今、年を取り、皮肉になって来ている。もし私が失敗すれば、他に誰が出来る。
 ヘーファエスティオン 誰も出来ません。
 アレクサンダー だから失敗するわけにはいかないのだ。(ゆっくりと中央に進む。)フィロタスを救うことは簡単だった。パーメニオンもだ。そしてアレクサンダーに異名がつく。アレクサンダー親切王、アレクサンダー慈悲王・・・ところがこれは、アレクサンダー弱虫王、アレクサンダー敗北王の別名に過ぎない。アレクサンダーは敗北してはならないのだ。敗北とは、アレクサンダー自身を、そしてその夢を、二つともどもに裏切ることだからだ。(テーブルに進む。)酒はどうだ。(コップに注ぐ。)
 ヘーファエスティオン(立ち上って。)いいえ、今は遠慮を。
 アレクサンダー おいおい、(右手に進む。手にコップを持って。)泥酔したことはないのだろう。しかし私の結婚式の時ぐらい、酔ってくれなければ。退屈だったか、私の政治学の講義。許してくれ。先生のアリストテレスに似た台詞だったかな。
 ヘーファエスティオン(微笑んで。)少し。
(クレイタス、少し酔って、左手から登場。)
 クレイタス 花嫁は仕度完了です。(テーブルの前方に来て。)愛する花婿殿にお姿をお見せしたいと。こちらに来てもいいですかな?
 アレクサンダー(中央右手に行き。)よろしい。皇后陛下のお姿を拝することにしよう。
(ヘーファエスティオン、右手に移動する。)
 クレイタス(鋭く。)皇后陛下だと? まさか、まさか、あの女が、その地位に・・・?
 アレクサンダー 今日だけだ。――式ではそうなる。
 クレイタス さよう。そうでなければ。つまりその・・・ペルシャ人じゃ駄目なんだぞ。(振返って、左手に呼ぶ。)よし、入っていいぞ、娘っ子!(テーブルの左手に行く。)
(美しく、また王家としての装飾で飾られたロクサーナ、左手から登場。アレクサンダーの右手に行き、振返る。プトレミー、その後から登場。左手に行く。)
 アレクサンダー 花壻が花嫁に、恭(うやうや)しく頭を下げよう。その姿、形の見目麗しさを讚えるだけではないぞ、その結納の品をも讚えるのだ。
 クレイタス(自分のコップに酒を注ぎながら。)結納の品?
 アレクサンダー 約三万の兵の命、それに討伐に要する六箇月の時間だ。讚えるに値すると私は思うが、どうだお前は、クレイタス。(コップを飲み干す。)
 クレイタス(アレクサンダーの奥を通って、ロクサーナに近づき。) 勿論讚える。それからな、もしお前さんが、私の帰郷を六箇月早めてくれたら、花嫁様々だ。なあ。(ロクサーナの額にキス。それからロクサーナを長椅子へと導く。)
(ロクサーナ、長椅子に坐る。)
 アレクサンダー(テーブルに行き。)もう少し酒が必要だ。(コップに注ぐ。)随分込み入っているものだ、ここの結婚式は。まだ充分に飲み込めていないところがある。母王がいれば助かるのだがな。懐かしい母王、早く、もう一度会いたいものだ。
 クレイタス(アレクサンダーに近づいて。)何故あの人を母と呼ぶのかな、アレクサンダー。あんたの母親はあの人じゃない。マケドニア人なんだぞ。
 アレクサンダー ペルシャの母王こそ、私の母なのだ、クレイタス。あの方はお前の女王でもある。
 クレイタス 私にとってもあれが女王! マケドニアのオリンピアスが私の女王だ。ペルシャ人の乞食女など、何が女王なものか!
 アレクサンダー(怒って。)クレイタス!
 プトレミー(驚いて。)クレイタス、こっちに来い。
 クレイタス これは王に対する不敬ではない。それはよく分かっている筈だぞ、アレクサンダー。(テーブルの右のストゥールに行き、坐る。)私が嫌なのはただ、野蛮人に対するあのお辞儀、腰かがめ、平伏なんだ。全くこいつには反吐が出る。
 アレクサンダー(プトレミーに。)親父のこの荒れ方はどうしたのだ。酒の他にも何かありそうだな。
 プトレミー 今さっき、インド遠征にあたり、ペルシャ近衛部隊の結成の話をして・・・
 アレクサンダー ああ、あれが怒らせたのか。
 クレイタス ペルシャ近衛部隊! そもそもこの遠征は何のために始めたのか、そいつを聞かせて貰いたい。ペルシャ近衛部隊!(呆れたものだ。)マケドニアの奴隷達に床屋をやって貰って、全員巻き毛にすればいいのだ。
 プトレミー(テーブルのあちら側に行って。)クレイタス、・・・おい。(デカンターを上げて見せる。)
(クレイタス、コップを差し出す。プトレミー、それに注ぐ。アレクサンダー、ロクサーナの左手に行く。)
 クレイタス(呟く。)次に出来るのはインド近衛部隊さ。(飲む。)
 アレクサンダー(ロクサーナの手を取り、ヘーファエスティオンに。)どうだ、私の花嫁の好みは。
 ヘーファエスティオン 大変よい好みで。
 アレクサンダー あれの王冠を運ぶのは、確かお前の役だったな。
 ヘーファエスティオン いいえ、王のです、私の運ぶのは。
 アレクサンダー ああ、そうだ勿論。すると、あれの王冠は誰だったかな。クレイタス、お前か?
 クレイタス(ストゥールの上で身体を廻して。)何です?
 アレクサンダー 行列でロクサーナの王冠を運ぶのはお前だったな?
 クレイタス そうです。(立ち上り、アレクサンダーの左手に行く。)任せて下さい。ちゃんと覚えています。彼女の先に立って歩く。王冠の台を捧げ持って・・・一、二分したら、腕が疲れて落としてしまうんじゃないかな。・・・壇まで来ると私は一歩右による。すると彼女はそのまま進み、階段を登り、席に着く。次に私が上って行って、彼女の頭に王冠をのせる。これでよし、ですな。
 アレクサンダー それでよしだ。一つだけ抜かしているが。お前はオベイサンスを忘れている。
 クレイタス オベイサンス? 何だ、それは。
 アレクサンダー 玉座の足下で膝まづく。頭を地面につけるのだ。しょっ中見ているだろう、お前は。
 クレイタス それは見ている。しょっ中。しかし私はやらん、あんなことは。
 アレクサンダー やらねばならん。
 クレイタス ええっ? ペルシャ人に? 断じて駄目だ。
 アレクサンダー 馬鹿なことを言うな、クレイタス。
 クレイタス 馬鹿。ええ、よごさんす、馬鹿。野蛮人の前で泥を被るなど、真っ平ご免だ。
 アレクサンダー クレイタス、気をつけるんだ。
 プトレミー(テーブルのあちら側に行って。)自分で希望を出したのだぞ、この役に。
 クレイタス(プトレミーの方を向き。)それは出した。しかし、予めこんなことが分かっていたら・・・こんなろくでもないお神輿(みこし)担ぎが・・・
 アレクサンダー「お神輿担ぎ」と言ったな。いいか、それが大切なのだ。ペルシャの大王が嫁をとる。従ってその大王の祖先の習慣、仕来(しきた)りにそって儀式が執り行われなければならないのだ。
 クレイタス(中央左手に一人抜け出て。)その大王の祖先の? 呆れたことを聞くものだ。それがあのフィリップの息子の口から出た言葉か。
 アレクサンダー(右手のヘーファエスティオンに近づき、静かに。)あいつをここから出せ。
 プトレミー(クレイタスの左手に行き、彼の腕に手を当てて。)クレイタス、さあ、行こう。
 クレイタス(その手を払い除けて。)その大王の祖先、それがペルシャ人か。それなら、実に残念だったな、あのマラトンの戦いでギリシャ軍に敗けたのは。あれにさえ勝っていれば、この八年間我々がやってきた戦いは全てなしで済んでいたのに。
 ヘーファエスティオン(クレイタスに右手に行って。)止めてくれ、クレイタス。お願いだ。アレクサンダーの言いたいことはそんなことじゃない・・・
 クレイタス(ヘーファエスティオンを舞台奥へと押して。)アレクサンダーの言いたいこと? そんなことは分かっている。「自分がギリシャの総大将? そんなことは忘れた」、こう言いたいのだ。
 アレクサンダー(振返って。)こういう調子だ。それでよく他人のことを野蛮人と言えたものだ。あそこにいるあの娘に比べれば、この男の方が何倍も野蛮人だ。
 ヘーファエスティオン 式では私が彼の役をやりましょう。彼には私の役を。
 アレクサンダー そうしよう。とにかく彼をここから出してくれ。あの野卑な態度はかなわん。
 クレイタス よろしい。出て行きましょう、大王殿。そして世界の支配者殿。それから、今夜私が王の冠(かんむり)を持つことに致します。しかし言っておきますぞ。その足下にひれ伏すなど、金輪際やるものではないからな。私は自由なマケドニア人だ。そんなことをするくらいなら、死んだ方がましだ。
 アレクサンダー(怒る。)言ったな。その最後の言葉、果たす気になれば、簡単に果たせる。
 クレイタス 簡単? 当たり前だ、パーメニオンも殺したのだ。この私など殺させるのは屁でもなかろう。
(アレクサンダー、怒ってクレイタスに近づき、コップの酒をクレイタスの顔にかける。ヘーファエスティオンとプトレミー、すぐにクレイタスの腕を抑える。)
 クレイタス 本当の話がお嫌いか。それならマケドニア人と酒を飲むのは止めるんだな。ペルシャ人の奴隷とだけ飲めばいい。
 アレクサンダー(左手に進んで、歯の間から。)連れ出せ。すぐに。いれば殺す。
(ヘーファエスティオンとプトレミー、中央出口へとクレイタスを無理矢理引きずる。クレイタス、二人を振り払い、振返る。ロクサーナ、立ち上り、長椅子の向こうに縮こまる。)
 クレイタス フィリップが生きていなくてよかったぞ。息子のこの恥を見ずにすむからな。
(アレクサンダー、泣き声を上げ、テーブルから短刀を取り、クレイタスに駆け寄る。ヘーファエスティオン、アレクサンダーに飛びかかり、手から短刀を叩き落とす。そしてテーブルの後ろに引き戻す。)
 アレクサンダー 放せ。
(プトレミー、クレイタスを中央出口から退場させようとする。)
 クレイタス(出て行く時、叫ぶ。)息子と違ったぞ、フィリップは。少なくともあれは男だった。
 アレクサンダー 護衛を呼べ。クレイタスを殺せ。
(兵士、投げ槍を持って左手から走って登場。)
(アレクサンダー、ヘーファエスティオンを床に投げ付ける。兵士から投げ槍をひったくり、中央出口に駆け寄る。注意深く狙いをつけて、投げ槍を投げる。その後、暫く動き止まる。それから中央左手に戻る。)
(クレイタス、急に中央出口から登場。アレクサンダーを見つめる。目を大きく開け、驚きの表情。ヘーファエスティオン、立ち上る。)
 クレイタス アレクサンダー、私は酔っ払っていただけだ。あれを本気に取るとは・・・。私の本心はな・・・(よろめく。ぐらっとして床に、顔を下にして倒れる。背中には投げ槍が深く突き刺さっている。)
(ロクサーナ、叫び声を上げる。長椅子の傍に、膝をがっくりとさせ、坐る。プトレミー、中央出口から登場。死体の右手に立ち、それを見つめる。ヘーファエスティオン、死体の舞台奥の方へ行く。アレクサンダー、死体の左手に両膝を落とす。)
 アレクサンダー(囁く。)これは以前に起ったことだ。結婚式の宴会だった。私は父を殺したのだ。あちらが私を殺そうとした。それで殺したのだ。刀を抜いて私の方へ進んで来た。そして滑ったのだ。見たな、ヘーファエスティオン、お前はあれを。(急に大きな声で。)私は父を殺した。父親殺しだ、私は。死ね、死ぬんだ、アレクサンダー。(立ち止まり、素早くテーブルに進み、鞘に入った短刀を掴む。)
(ヘーファエスティオン、素早くアレクサンダーに近づき、意外なことに、拳(こぶし)で乱暴な一撃を顎に食わせる。アレクサンダー、床に倒れる。ロクサーナ、啜り泣き。)
 ヘーファエスティオン プトレミー、運ぶのを手伝ってくれ。
                      (幕)

     第 二 幕
     第 四 場
(場 同じ。)
(テントの中はほぼ空っぽ。残っている物は、玉座とその前の小さなテーブル。右手の大きな箱、中央左手の包み、ともう一つの包みが中央に。それだけ。)
(幕が上ると、ギリシャ兵一、二、中央右手のヘーファエスティオンに監督されながら、中央左手の包みを持ち上げているところ。右手にギリシャ兵三がいる。)
 ヘーファエスティオン 注意して運べ。壊れ物が入っている。
 ギリシャ兵一 はい。
 ヘーファエスティオン 王専用の荷車に運ぶんだ。
 ギリシャ兵三 はい。(右手にある箱を取る。)これは?
 ヘーファエスティオン もう一つ重いやつがある。それと一緒だ。(左手に進む。)
 ギリシャ兵三 分かりました。
(ギリシャ兵三、他の二人が抱えている包みの間の場所に入り、一緒に運ぶ。中央出口から退場。パーディカス、中央出口から登場。)
 ヘーファエスティオン パーディカス! 良かった、帰って来て。間に合わないかと思った。
 パーディカス どうしたんだ。野営地を解いているじゃないか。
 ヘーファエスティオン インドだ。
 パーディカス インド? あとひとつき半先じゃないか。
 ヘーファエスティオン 明日だ。明日の朝、夜明けと共にだ。
 パーディカス 気違い沙汰だぞ、それは。山越えなど、とても無理だ。早すぎる。麓(ふもと)でさえ、雪が残っている。
 ヘーファエスティオン 神々のお情けを祈るんだな。
 パーディカス(中央に進み。)どうしたんだ、この予定変更は。何か理由があるのか。
 ヘーファエスティオン 知らない。
 パーディカス クレイタスか。
 ヘーファエスティオン(パーディカスの左手を引き。)聞いたのか、あれを。
 パーディカス うん。脱走兵を二人捕まえた。まづい事件だ。ひどくまづい。士気に悪い影響がある。
(三人のギリシャ兵、中央から登場。右手の箱を担ぎ上げ、中央から運び出す。)
 パーディカス 我々の部隊を待たずに出発する予定だったんだな、すると。
 ヘーファエスティオン(中央の包みの上に坐って。)そうだ。お前は三日遅れたからな。
 パーディカス 我々には責任はない。河の状態が酷かったのだ。それで母王をどうするつもりなのだろう。世界の果てのアレクサンドリアと言ったかな、ここは。そのここに、残しておくのか。
 ヘーファエスティオン(ぶっきら棒に。)インド遠征に連れて行くのだ。
 パーディカス それは! 途中でもう生きてはいないな。
 ヘーファエスティオン 分かっている。俺はアレクサンダーに言った。何度も。
 パーディカス どうしたんだ、王は。頭がおかしくなったのか。
 ヘーファエスティオン(間の後。)で、仕事はどうだった。
 パーディカス 酷いものだ。勿論他に途(みち)はない。それはよく分かったのだが。嫌な仕事であることに変りはない。
 ヘーファエスティオン とにかく、首尾はよかったのだな。
 パーディカス そう。首尾はよかった。(騙し討ちだからな、)その瞬間は汚いものに見えた。しかし、アレクサンダーの宣言文が効いた。
(アレクサンダー、中央から登場。ヘーファエスティオン、立ち上る。)
 アレクサンダー(玉座の左手に行き。)パーディカス。(鋭く。)あと数時間遅れれば、軍法会議にかけるところだ。
 パーディカス 申し訳ありません。洪水で河が溢(あふ)れて。母王の安全を考え、危険を冒すことは出来ませんでした。
 アレクサンダー どこだ、母王は。
 パーディカス 昔のテントに。
 アレクサンダー すぐここに。
 パーディカス 眠っておいでかも知れませんが。
 アレクサンダー 私は眠っていない。連れて来るんだ。
 パーディカス はい。
(パーディカス、廻れ右。中央出口から退場。)
 アレクサンダー 夜明けまで何時間だ。
 ヘーファエスティオン 約二時間です。
 アレクサンダー まだ二時間か。今夜は明ける時がないような気分だ。ホメロスの本がない。お前、見なかったか。
 ヘーファエスティオン いいえ、見ません。
 アレクサンダー クレイタスに貸したのかもしれん。そうだ、きっと。彼の所持品を捜してみてくれ。
 ヘーファエスティオン 分かりました。捜します。
 アレクサンダー 行進の順序はいいな?
 ヘーファエスティオン はい。今までに何度となくやっています。
 アレクサンダー 凍傷にやられないよう、よく注意させてくれ。
 ヘーファエスティオン はい。命令は下してあります。
 アレクサンダー 明日はブセファラスに乗る。戦闘の時と同じだ。(玉座の傍のテーブルに行き、コップに酒を注ぐ。)
 ヘーファエスティオン はい。
 アレクサンダー そう。ブセファラスにもう一度乗るのだ。可哀想に、年老いたブセファラス。
(母王、パーディカスの後ろから中央出口に登場。母王の顔は静かで、無表情。目は伏せている。イサスの戦いの後とった態度と同じ。)
 アレクサンダー(ヘーファエスティオンとパーディカスに。)よし、二人だけにしてくれ。
(ヘーファエスティオン、廻れ右。中央出口に進む。パーディカス、中央出口から退場。)
 アレクサンダー ヘーファエスティオン。
(へーファエスティオン、立ち止まり、振返る。)
 アレクサンダー 邪魔が入らないよう、見張りを頼む。
 ヘーファエスティオン はい。(母王に。)お越し下さって私は本当に嬉しいのです、母王様。このような酷い状態でありましても。
(母王、微かに頭を下げる。見上げない。そして中央前方に進む。ヘーファエスティオン、振返り、中央出口から退場。)
 アレクサンダー(母王の右手に行き。)旅行中の御不便、まことに申し訳ありませんでした。耐え難い程でなければよかったのですが。
 (母王、静かに首を振る。)
 アレクサンダー なるほど。誓いは破らぬという訳ですな。いいでしょう。お好きなように。どうせインドへのヒマラヤ越えの途中で、その誓いを破りたくなる時がいつか来るでしょう。その、これ見よがしの沈黙を破りたくなる時が。
(母王、何の反応も示さない。間。)
 アレクサンダー そう。インドまで同行して戴きます。公然と敵方の態度をとっている人物をバビロンに残したままインドへ出発するような馬鹿ではありませんからね、私は。その人物は昔の家来の忠誠心を呼び覚ます力をちゃんと持っているのですから。私は人が噂しているように、気違いかも知れません。しかし、その人物を放置する程ひどい気違いではないのです。(玉座の傍のテーブルに進み。)酒は?
(母王、首を振る。)
 アレクサンダー それでは、私の方は失礼して。(コップに酒を満たす。)先回お会いして以来、(玉座に坐る。)私は酒が手放せなくなって。バビロンでは多分、アレクサンダーは酔っ払いだという噂がたっているでしょう。しかし、それは違います。酒は私を酔わせることが出来ない。いよいよ頭が冴えて来るのです。(飲む。そして玉座の傍のテーブルにコップを置く。)何ですか、その手に持っているものは。
(母王、手を開ける。そこにはパーメニオンのロケットがある。)
 アレクサンダー(立ち上る。)何ですか、それは。(母王の右手に行く。)ロケット。私にと?
(母王、頷く。)
 アレクサンダー(母王の手からロケットを取る。)有難う。これは見覚えがる。そうだ、思い出した。父親のだ。誰かにやった筈だな、これを・・・(アレクサンダー、急にロケットを床に叩き付ける。暫く怒りで口をきくのが難しい。)危険なことです、このようなことを・・・今の私の気分の時に。(母王を通り越して、左手に行く。)先日だ。私は人を殺した。この自分の手で。これよりもっと小さなことで。(振返る。)もう行きなさい。
(母王、膝をついてロケットを拾おうとする。)
 アレクサンダー 拾うな! 放って置くのだ! そこでそのまま腐らせろ。その持主の身体と同様にだ。行け。二時間後に出発だ。その準備を。
(母王、立ち上る。廻れ右。ゆっくりと中央出口に進む。)
 アレクサンダー(優しい、哀願する声で。)お母さん、・・・お母さん、振返って。
(母王、振返る。)
 アレクサンダー 私を見てくれ、お母さん。(素早く母王に近寄って。)どうか、見て欲しい。
(母王、首を振る。中央前方にある包みに進む。)
 アレクサンダー あなたは私の捕らわれ人だ。だから命令する。(母王の左手に行き。)目を上げて、私を見てくれ。
(母王、振返る。ゆっくりと目を上げる。アレクサンダーを見つめる。少しの間。)
 アレクサンダー 何が見える。言ってくれ。私はそんなにひどく変ってしまったか。まだ少しは昔のアレクサンダーが残っているか。言ってくれ。私はどうしたらよいのだ。あなただけだ、それが言えるのは。他の誰にもそれは出来ない。(母王に近づいて。)口をきいてくれ。頼む。
 母王 アレクサンダー。
 アレクサンダー(膝まづいて、母王の片手をとり。)有難う、有難う、お母さん。
 母王(頭を撫でながら。)そんなに変ってはいないんだよ、お前は、アレクサンダー。
 アレクサンダー いいえ、変りました。分かっているのです。でもどうしようもなかった。他にはやりようがなかった。本当なんです。誓います、お母さん。
 母王 ええ、分かっています。最初から分かっていました。一旦一歩を踏み出せば、もう後には退けないのです。前進があるだけなのです。
 アレクサンダー ガウジメラの前ならば、出来た。
 母王 そう、ガウジメラの前ならばね。
 アレクサンダー そう。あの時言って下さった・・・覚えていらっしゃいますね。・・・暗いところを一マイル歩けばペルシャの陣営です。私が行きます、と。息子さんに和平を申し込んであげます、と。どうしてそれを頼まなかったのか。あの時ならば、きっとそれでうまく行った筈なのに。
 母王 駄目でしたでしょうね。(中央の包みの上に坐る。)あなたには悪魔が住んでいる。それがそうはさせないの。
 アレクサンダー 私の中の悪魔、それを殺すことは出来ないのか。いや、過去にいつか殺せた時があったろうか。
 母王 ええ、それは。昔なら・・・そう、大昔なら。もし私があなたの本当の母親だったら、あなたのために、その悪魔を殺していたかも知れない。
 アレクサンダー 「汝自身を知れ」、これは巫女が言った。最初の征服は自分自身だ、その後で初めて世界が征服出来る。
 母王 その巫女は賢い人だったのですわ。
 アレクサンダー 今から私はどうしたら?
 母王 辛い終局まで突き進むのですね。
 アレクサンダー 終局は辛いもの?
 母王 ええ。
 アレクサンダー 何故でしょう。
 母王 何故なら、あなたがアレクサンダーだから。あなたの悪魔があなたを結局は征服する。
 アレクサンダー(蹲踞の姿勢で坐って。)世界を征服する、それが何でしょう。アレクサンダー征服王、その名で呼ばれ、記憶される。この自分ではない、私のなしたことによって記憶される。
 母王 でもあなたのなした事があなたを作ってゆく。
 アレクサンダー なるようになれ! そんなアレクサンダーでも構いはしない。ただ、怖くて惨めなのは、独りぼっちなこと。今はあなたが一緒だ。急に力が湧いてきた。明日はインド、インドも征服しますよ、お母さん。
 母王 ええ、私のぼうや。あなたはきっと征服するわ。
 アレクサンダー インドの後は・・・今度は西だ。そして西の次は北だ。まだやることは沢山ある。私には行動が必要だ。神々が私に行動をお与え下さる時、私は幸せなのだ。考える暇などない。行動、行動、行動・・・それだけがこの世界では大事なのだ。
 母王 ええ、アレクサンダーの世界では。
 アレクサンダー(膝まづいて。)アレクサンダーにはアレクサンダーの世界で充分。彼にとってはそれが最高の世界。
 母王 そうね、他の世界を知らないから。
 アレクサンダー ええ、でももし他の世界を知っていたら、それも征服です。(間。)お母さん、私に祝福を。
 母王 幸せがお前の上に・・・(額にキス。)
(パーディカス、中央から登場。中央の壇の端に行く。)
 パーディカス お話中誠に申し訳ありません。請願の儀がありまして。テッサロニア第二騎兵隊からです。
(アレクサンダー、立ち上る。)
 パーディカス 最初の征服の際、彼等はヘレスポントス越えの先陣部隊でした。このインド遠征のヒマラヤ越えにも先陣の栄誉を戴きたいと。
 アレクサンダー 先陣を許可する。
 パーディカス 分かりました。
 アレクサンダー それからパーディカス、お前は出来るだけ早く戻って来て、インド征服隊に合流する。
 パーディカス 戻って来て・・・合流?
 アレクサンダー そうだ。バビロンから戻って来る。
 パーディカス でも私は、バビロンから戻って来たばかりで。
 アレクサンダー お前は明日バビロンに戻る。母王を護衛するのだ。
 パーディカス これは! またはるばる一千マイル。
 アレクサンダー いいな、パーディカス。
 パーディカス はい、畏まりました。
(パーディカス、廻れ右。中央出口から退場。)
 アレクサンダー テントにお戻りになりますね?
 母王(立ち上りながら。)はい、アレクサンダー。
(アレクサンダー、中央出口へと母王を導く。)
 アレクサンダー 明日またさようならを言いに伺います。それから、「有難う」を。
 母王 何を「有難う」と?
 アレクサンダー 誓いを破って戴いて。
 母王 私の誓い? そう、忘れていました。(溜息をつく。)また一つ・・・アレクサンダーの征服。
 アレクサンダー 彼の征服の中では一番大きい・・・今までで。
 (母王、中央出口から退場。アレクサンダー、振返り、中央前方に進む。ヘーファエスティオン、中央出口から登場。アレクサンダーの左手に、アレクサンダーの位置より観客に近い場所にまで、進む。)
 アレクサンダー ヘーファエスティオン、新しい命令がある。
 ヘーファエスティオン はい、陛下。
 アレクサンダー 「陛下」は止めろ。気になる・・・お前からだと。兵達の荷物が多すぎるように思うが。
 ヘーファエスティオン はい。下士官達にそのことを話しました。しかし・・・
 アレクサンダー 連中は言うんだな、王が二十もの荷車を持って行くなら、俺達だって一つぐらい、と。
 ヘーファエスティオン 連中に説いて聞かせたのですが・・・
 アレクサンダー もう説いて聞かせることはない。こうするんだ。お前と二人で大きな焚火(たきび)を作る。でかいでかいやつをだ。子供の時にやったな? 覚えているか。
 ヘーファエスティオン ええ、よく。
 アレクサンダー その上に、二十個の荷車を全部投げ入れる。一つづつだ。最後にこのテントを投げ込む。
 ヘーファエスティオン このテントをですか?
 アレクサンダー そうだ。綺麗だぞ。すごい焚火だ。そしてその上にこの玉座を投げ込む。
(二人振返り、玉座を眺める。)
 ヘーファエスティオン 分かりました。見物ですね。あれが焚火の上にある姿。
 アレクサンダー しかし、燃えるかな。
 ヘーファエスティオン 神に祈りましょう、燃えるように。
 アレクサンダー そうだ、祈ろう、ヘーファエスティオン。二人で祈ろう。
                       (幕)

     エピローグ
(場 プロローグと同じ。)
(幕が上る前に、アレクサンダーの小さな囁き声がスピーカーを通して聞えてくる。)
 アレクサンダー しかし、それは燃えなかった。征服した玉座、それはどうしても燃えなかった。ヘーファエスティオン、ヘーファエスティオン、どこにいるのだ、お前は。そうだ、お前は死んだ、勿論。そうだったな。あれはどこでだったか。インド? 違う。あれはインドの後だった。インダス河を船で下っている時だった。お前の頭は勝利の月桂樹の冠で飾られていた。覚えているか、ヘーファエスティオン。何で死んだのだったか。熱病・・・そういう話だった。熱病か。それとも失意のせいか。
(幕が上る。プトレミーとパーディカスが、ベッドの右に。マザレス、母王、それにロクサーナが左側に。丁度プロローグの最後の場面と同じ。第三の兵士がお辞儀、膝まづく。アレクサンダー、弱々しく片手を上げて、返礼。)
 アレクサンダー 覚えているぞ、お前のことは。槍の使い手だった。一度表彰したこともあったな。何故泣いている。(こうなったら、)マケドニアに帰れるではないか。それとも女房がバビロンにいるのだったかな。とにかく・・・さらばだ。
(第三の兵士、立ち上り、ゆっくりと左手に進み、退場。)
 アレクサンダー 本当にこれが終なのか。神よ、おお、神よ。なんという冗談だ、これは。世界の征服者が、風邪で死ぬ。それも三十二歳の若さで。
(プトレミー、右手の出口に進み、外を見る。)
 アレクサンダー 父、フィリップよ、さぞかし笑いが止まらないことだろう。まあいい、俺は見せつけてやったのだ。そうだろう。目にもの見せた筈だ。
 プトレミー(パーディカスに近寄り。)あの兵士が最後だった。
 パーディカス クレイテラスに言おう。
 プトレミー うん。もう一度王に御返答を頼むことにする。
(パーディカス、右手から退場。プトレミー、ベッドの右手に行く。)
 プトレミー 陛下、陛下、聞えますか。聞えるならば、合図をお願いします。
(アレクサンダー、弱々しく片手を上げる。)
 プトレミー アジアの玉座には誰を後継者に。世界の支配者の玉座には誰を?
 アレクサンダー 「世界の支配者を誰に」だと? 死刑を誰に宣告するか。(同じ問いだ、それは。)
 プトレミー(マザレスに。)また唇が動いた。・・・しかし、何も聞えなかった。(アレクサンダーに。)陛下、もう一度・・・
 アレクサンダー 誰を死刑に。誰も死刑にはしない。これが私の最後の慈悲だ。自分達で勝手に戦って決めろ。ではさらばだ。征服は終。これで征服者は眠りにつくぞ。
                     (幕)

    平成十二年(二000年)六月二十九日 訳了

http://www.aozora.gr.jp 「能美」の項  又は、
http://www.01.246.ne.jp/~tnoumi/noumi1/default.html


Produced at St. James's Theatre, London, S.W.1, on March 17th, 1949, with the following cast of characters:
(in the order of their appearance)
Perdiccas (A Macedonian Officer) Antony Baird
Ptolemy (A Macedonian Officer) Raymond Westwell
Mazares (Servant to Darius) Marne Maitland
Alexander Paul Scofield
The Pythia Veronica Turleigh
Hephaestion (A Macedonian Officer) Robert Fleming
An Attendant Nastasha Wills
Darius (King of Persia) Noel Willman
Prince Bessus (Satrap of Bactria) William Devlin
The Queen Mother of Persia Gwen Ffrangcon-Davies
Queen Statira of Persia Hazel Terry
Princess Statira of Persia June Rodney
Cleitus (A Macedonian Officer) Cecil Trouncer
General Parmenion (Alexander's Chief of Staff) Nicholas Hannen
A Persian Palace Official Walter Gotell
Roxana Joy Parker
Three Greek Soldiers Stanley Baker, John Van Eyssen, Terence Longden
Two Persian Soldiers Frederick Treves, David Oxley
Two Persian Slaves


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