アキレスの墓
       (ガブリエル・アールに捧ぐ)
          
           アンドレ・ルッサン 作
            能 美 武 功 訳

   登場人物
アシッル・ガルチエ  八十四歳 がっしりした体格、白髪。
アデッル     八十一歳 その妻
ジョルジュ   四十歳
電話会社の修理工  十九歳

(訳註 「アシッル」は、「アキレス」のフランス語。)

(初演はシャルル・ドゥ・ロシュフォール座。ヴィユ・コロンビエ座で百回以上再演される。)

(場 小さな部屋。豪華で古い家具。息のつまりそうな雰囲気。)
(幕が開くと、模型機関車の前で四つん這いになっている老人。模型機関車は、丸く輪をかいたレールの上を走っている。)
(「アシッル」・・・「アシッル」と二度呼ぶ声。)
(老人と同じ年頃の女性、登場。少し腰が曲っていて、震え声だが、まだ元気。)
 アデッル アシッル! あなた、聞こえないの?
 アシッル 何? ああ、聞こえてる。
 アデッル 私が呼んでるのに。
 アシッル うん。だから答えた。
 アデッル 答えたのは今初めてでしょう? 私もう、十五分も前から呼んでるのよ。
 アシッル どこから呼んでたんだ。
 アデッル 化粧部屋からよ。あなたのおできで。
 アシッル 化粧部屋なんかから呼んで僕に聞こえる訳ないだろう? 僕がつんぼなのは分ってる筈だぞ。
 アデッル ちょっと止めて、その汽車を。
 アシッル 止めることはないだろう? ほら、一緒に見たらどうだ。素晴しい走りだ。
 アデッル 私、リウマチなのよ。四つん這いになる年でもないし。
 アシッル 君は僕より若いんだぞ! それに、見るだけだ。四つん這いになる必要はない。
 アデッル 酷い音! うるさいわね。
 アシッル 冗談じゃない。模型機関車としては普通の音だ。
 アデッル あなた、聞こえないからよ。
 アシッル いや、聞こえる。何で僕が聞こえないんだ。
 アデッル だってあなた、つんぼじゃない。
 アシッル それほどつんぼじゃないぞ。君がアパートの端の部屋から呼べば、それは聞こえないさ。だけど汽車の音はよく聞こえる。
 アデッル いいからちょっと止めて! おできにアルコールよ。
 アシッル 夜でいいよ、そんなの。
 アデッル いいえ、今みんな用意して来ました。
 アシッル 用意したって、何を。
 アデッル 見たら分るでしょう? 脱脂綿とアルコールの壜。
 アシッル それで何をするんだ。
 アデッル 分らないの? やることが。消毒するんじゃないの。さ、立って。世話をやかせないの。
 アシッル 君こそ坐ったらいいだろう? どうして立ってるんだ。
 アデッル ガタガタ言わないで。さあ!
 アシッル ガタガタ言っちゃいない。坐れって言ってるんだ。
 アデッル いいえ、私が坐ってちゃ出来ません。あなたの首にあるんですからね、おできは。
 アシッル よく分らない話だな。そっちだ! 坐るのは。
 アデッル しようがないわね。いつだってそちらの言うことを聞かなきゃならないんだから。
 アシッル こちらの言うことをいつでも反対しているんじゃないか、そっちが。僕の言う通りにすればちゃんとうまく行くんだ。さ、坐って。
 アデッル いいわ、じゃ、坐りましょう。それでどうなるの?
 アシッル どうなるもこうなるもない。君が坐って、それで終だ。坐ったからには君はブツクサ言わんだろう? アルコールと脱脂綿を持って、立ちっぱなしにさせられたなんてはね。
 アデッル いいわ。さ、私は坐りました。脱脂綿とアルコールを持って。これで御満足?
 アシッル 御満足もへちまもない。とにかくこれで、君がもし立上がったとすれば、それは自分の意志でやったことだ。リウマチにも拘わらず、僕が無理矢理君を立たせたとは言わさない。
 アデッル そう・・・じゃ、とにかく待ってます。
 アシッル 待つ? 何を。
 アデッル あなたが立つのを。
 アシッル 僕が立つのを待つ? 何のために。
 アデッル 私も立って、あなたのおできの消毒。
 アシッル またおできか!
 アデッル いい? 私がここに来たのはそのためなのよ。
 アシッル さっき言ったろう? それは後だって。
 アデッル 後にすることはないの。私が今ここにいるんですから。
 アシッル 君がいるからやるというのか? 必要なくても。
 アデッル 必要があるからやると言っているのよ。分らない人ね。
(訳註 原文はここは言葉遊び。il pouvait t'attendre と、 il pouvait attendre の違い。苦しいが右記のようにした。)
 アシッル 分らないのはそっちだ。もういい、うるさい。黙れ。
 アデッル じゃ、やらないのね? 仕方がないわ。自分でおやりなさい。
 アシッル 何をやれって言うんだ。
 アデッル ホウタイ。
 アシッル ホウタイ、というのはつまり、アルコールをしみ込ませた脱脂綿で、おできに触る、ということか。
 アデッル ホウタイ、が嫌なら、他の名前をつけたらいいでしょう?
 アシッル 全く、馬鹿だよ、女って奴は。
 アデッル 馬鹿よ。でも、馬鹿もいなきゃ。
 アシッル 何のために。
 アデッル あなたに「包帯」をするためよ。分ってるでしょう?
 アシッル また「包帯」か。振出しに戻る、だ。
 アデッル あなた、おできが出来ているの? 出来てないの?
 アシッル 出来てるさ。だからハンカチに脱脂綿を包んで首に結わえている。それだけだ。
 アデッル だからそれを、私は「包帯」って言ってるの。
 アシッル 全くしつこい。やりきれんな。分った。その「包帯」をやるんだな。それでこの話は終りにしよう。
 アデッル やれやれ、やっと・・・
 アシッル 何が「やっと」だ。意味のないことを喋る奴だ。
(アシッル、立上がるのが難しい。)
 アデッル ほら、見てご覧なさい。
 アシッル 何が見てみろだ。
 アデッル あなたもリウマチなの。だから立つのが辛いのよ。
 アシッル 僕はリウマチじゃない。これは座骨神経痛だ。
 アデッル 同じようなものじゃない。
 アシッル 何が同じだ。似ても似つかんものだ。
 アデッル 四つん這いになって歩くんじゃなくてよかったってとこね。
 アシッル 四つん這いで歩いたってな、それはこっちの勝手でやるんだ。
 アデッル まあ精々苦しむのね。それが楽しいなら。
 アシッル そっちはリウマチ、こっちは座骨神経痛。お互い様だ、苦しむのは。(やっと立ち上る。坐っているアデッルの横に立って。)さあ、早くやってくれ。
 アデッル あなた、立ったままでするの?
 アシッル 君が立つのを待ってるんだ。君は僕の椅子に坐ってるんだからな。
 アデッル さあーって、私は立たなくちゃ・・・
 アシッル そう、そっちの椅子に君は坐りゃいいんだ。(別の椅子を指さす。)さあ。(アシッル、坐る。)痛くするなよ。
 アデッル ほら!
 アシッル 「ほら」とは何だ。痛くする気か!
 アデッル 頭を上に向けて。(首の周りのハンカチを取る。濃い髯(ひげ)の中のおできを捜す。)
 アシッル 見えるか?
 アデッル よく見えないわね。髯の中に隠れて。
 アシッル 髯の中じゃない! その下だ。
 アデッル こちらは慣れたもんなんですからね。
 アシッル 具合のいい場所にあるんだ。こっちにとってじゃない。そっちにとってだ。髯は今朝は剃らなかった。こいつがあるからだ。(アデッル、脱脂綿で軽く叩く。)おい、髯を引っ張るな!
 アデッル 髯なんか引っ張っていませんよ。脱脂綿で叩いてるの。
 アシッル 叩きながら引っ張ってる。感じるぞ、それを。痛いのはこっちだ。痛い方の判断が正しいんだ。
 アデッル おできの場所はいい所にあると、さっき言ってたでしょう?
 アシッル 鼻の上に作りたくはない。君に笑われるだけだ。ちゃんと今あるところで諦めて貰わなきゃな。
 アデッル さあ、終り。痛くなかったでしょう? 今度はハンカチ。
 アシッル 自分でやる、それは。
 アデッル 任せなさいって言ったら。さあ、坐って。頭を上げて。・・・そう。
 アシッル ああ。
 アデッル 待って。ピンよ。
 アシッル そっとやってくれよ、そいつは。
 アデッル 刺さなかった?
 アシッル 大丈夫・・・痛っ!
 アデッル どうしたの?
 アシッル 訊く奴があるか。
 アデッル 刺しちゃった? だって「大丈夫」って言ったでしょう?
 アシッル 「大丈夫」と言ったとたんに刺されたんだ。
 アデッル 待って。もう一度やり直すわ。
 アシッル 馬鹿なことを言うな。
 アデッル 馬鹿なこと? じゃ、ピンはもういいって言うの?
 アシッル もういい!
 アデッル じゃピンをその首につけて、締めないで放っておいていいっていうのね?
 アシッル 放っといてくれ! 痛っ!
 アデッル どうしたの? 私、触ってないわよ。
 アシッル 自分で刺したんだ。分らん奴だな。
 アデッル あらまあ、震えてるわ、あなた。
 アシッル 震えてる・・・震えてる! だから放っとけというんだ!
 アデッル じゃ、自分でとめなさい。
(アシッル、一人でとめようとする。そして突然怒鳴る。)
 アシッル そこでぼんやり見てないで、助けてくれたらどうなんだ!
 アデッル やるわよ。さ、動かないで。
 アシッル 刺さないようにやれよ。二度はご免だ。
 アシッル 見えないのは私のせいじゃないのよ・・・
 アシッル 眼鏡をかけろ!
 アデッル 動かないで。・・・さ、今度は刺さないかな?
 アシッル そんなことを僕に訊く奴があるか。早くとめろ。
 アデッル まあま、何て言い方!
 アシッル とめろと言っているだけだ、僕は。
 アデッル ほら。
 アシッル とまったのか。
 アデッル ええ。
 アシッル フン、ピン一つくらいのことで大騒ぎをする奴だ。
(間。)
 アデッル まあ・・・脱脂綿!
 アシッル 脱脂綿?
 アデッル 私、どうして手に持ってるのかしら。
 アシッル それを訊くのはこっちだ。何だ、忘れたのか。
 アデッル 何言ってるの。あなたとは何一つ落着いて出来やしない。怒ったり、叫んだり、震えてみたり!
 アシッル 何だと? 脱脂綿を入れるのを自分で忘れておいて、僕をせめるのか? どうかしてるぞ。
 アデッル 最初からやり直しましょう。
 アシッル ああ、そいつはご免だ!
 アデッル リンパ腺が腫れたら困るわ。
 アシッル そうなった時のことだ。
 アデッル 酷くなって死ぬこともあるのよ。
 アシッル もういい。黙れ!
 アデッル それじゃ返事にならないわ。
 アシッル それで結構。よし! もう終り! 別のことを話そう。
 アデッル そのハンカチ、綺麗じゃないのよ、アシッル。それをそのままにしておくのはよくないわ。
 アシッル よかろうと、よくあるまいと、終りだ! もう・・・終り! そんなアルコールの壜など、さっさと片づけちまえ!
 アデッル あなたがそう言うなら片付けるわ。(退場。)
 アシッル もう六十年間もあれだ。うるさくってかなわん。・・・アデッル! アデッル! こっちが呼ぶ時には来やしないし、すぐそばにいるのに聞こえたためしがない。アデッル!
(アデッル登場。)
 アデッル 何?
 アシッル 聞こえなかったのか。
 アデッル ええ。
 アシッル 君、つんぼなのか?
 アデッル そうね、ひょっとすると。
 アシッル 電話は。
 アデッル 電話?
 アシッル 直しに来るのか。
 アデッル 多分。
 アシッル 多分?
 アデッル ええ、多分。「多分」ぐらいしか私には言えないわ。だって、掃除に来てくれる女の子が聞いたんですから。「今朝、人が行きますから」って。(訳註 「掃除に来てくれる女の子」は、原文では femme de chambre。「女中」とは訳しにくいので。)
 アシッル 「今朝行く」と、あっちは確かに言ったんだな?
 アデッル 確かかどうか分らないわ。女の子が私にそう言ったんです!
 アシッル 君はそれを信じるのか!
 アデッル じゃ御自分でお聞きになったら? そしたら分るでしょう。
 アシッル 「そしたら分る」? あいつは同じことを僕に言うだけだ。何にもなりはせん。
(玄関にベルの音。)
 アデッル あら、あれだわ、きっと。
 アシッル 何があれだ。
 アデッル 今玄関で鳴ったのよ。
 アシッル 鳴った? どうして分る。
 アデッル 聞こえましたから。しようのない人ね。
 アシッル 鳴った? いい耳だな。
(扉を叩く音。)
 アデッル ノックだわ。
 アシッル ノック? どうぞ!
(四十歳ぐらいの男、登場。)
 アシッル ああ、ジョルジュ! お前か。何かよい知らせか? わざわざやって来たのは。
 ジョルジュ お早うございます、伯父さん。
 アシッル ああ、お早う。
 ジョルジュ 伯母さんも、お早うございます。
 アシッル また赤ん坊が生れたと言いに来たのか?(笑って・・・咳をする。)
 ジョルジュ 違うんです、伯父さん。母が亡くなったんです。それをお知らせに。
 アデッル 何ですって? あなた、聞こえた?
 アシッル ええっ? 何だって? まあとにかく、君は坐れ。ジョルジュ、お前もだ。どうだ? お前のお母さんは? 元気か? 心臓が悪いからな、あれは。あ、そこのレールに気をつけてくれ。
 アデッル 可哀想に、ジャンヌが亡くなったのよ、あなた。
 アシッル おい、僕だぞ、喋るのは・・・何? 今、何て言った? 本当か、それは。
 ジョルジュ そうなんです、伯父さん。今朝はそれを言うためにやって来たんです。
 アシッル いつのことだ。死因は。
 ジョルジュ ゆうべです。脳硬塞で。
 アデッル(ジョルジュに坐るように合図。その後で自分も坐って。)可哀想に、ジャンヌ!
 アシッル うん、可哀想に! それに、この私ときたら、お前を冗談で迎えたりして。いや、全く、思いもかけない話だからな。しかし、どうして電話してくれなかったんだ? あ、そうか。切れていたな。馬鹿奴が! かけてはみたんだな?
 ジョルジュ どうやってもかからないので、今朝すぐ駆けつけたんです。
 アシッル うん、よく知らせてくれた。
 アデッル 可哀想に、ジャンヌ。・・・苦しんだの?
 アシッル(熱心に。返事がよく聞こえるように、片手を耳の後ろに、扇にして。)うん、苦しんだのか?
 ジョルジュ 眠っていて死んだんです。
 アシッル そうか、それはよかった。・・・ジョルジュ、お前の母親はたいした女だったよ。
 ジョルジュ ええ、悲しいことです。
 アシッル ジャンヌ! 可哀想に、ジャンヌ! しょっ中思い出す、弟との婚約発表の日のことを。お前の父親は二十歳、ジャンヌは十七歳だった。私を加えて三人で、友人の家に行った。そこで正式にみんなに公表するんでな。アデッルと私はそれより十八箇月前に結婚していた。ああ、我々の両親も勿論行ったんだ。・・・ジャンヌは麥藁帽(むぎわらぼう)をちょっとあみだに被っていた。青地に白の水玉模様のリボンがその帽子に巻いてあった・・・よく覚えている。あの帽子をよく思い出すんだ。お前の母親によくその話をしたよ。全くよく似合っていた、あの帽子は。うっとりするようだった。将来の義理の妹だ。私は自慢だった。お前も覚えているな? アデッル。すぐ顔を赤くしてな、ジャンヌは。すると、まるで牡丹(ぼたん)の花のようだった。そうだったな? アデッル。(その思い出で笑う。そしてすぐに現実に戻り。)可哀想に、ジャンヌ!
 アデッル 苦しまなかったのが何よりだったわ。・・・あの人に相応しい死に方・・・よかったわ。すぐに天国に行くわ。あの人だったらそれが当然よ。
 ジョルジュ ええ、きっと、あの母親なら・・・可哀想に。
 アシッル しかし、いくつだったかな? お前の母親は。忘れてしまった。
 ジョルジュ 七十九歳です。
 アシッル(耳の後ろに手をあてて。)えっ?
 ジョルジュとアデッル 七十九!
 アシッル ほう!
 ジョルジュ ええ、そうなんです。
 アシッル じゃ、アデッル、君はいくつになる? 八十一じゃないか、それなら。
 アデッル そうよ。八十一。
 アシッル で、僕は八十四か。うん、そういうことか。(口笛を吹く。)フュー、やれやれ、八十四なんだ。
(玄関でベルの音。アデッル、立上がる。)
 ジョルジュ 伯父さん、実は、ここに上ったのは、他にも用があったからなんです。母の死で出て来た問題で、少し厄介なことなのですが・・・
 アシッル(耳に手をあてる。)えっ? 何て?
 アデッル 傍に寄って、ジョルジュ。片方、耳がつんぼなんだから。
(アデッル、ジョルジュに自分が立った椅子を指し示す。)
 アシッル つんぼと言ったな。賭けてもいい!
 ジョルジュ(さっきより大きな声で。)母の死以外にも用があって・・・母の死で出て来た問題で・・・
 アデッル(この時までに玄関を開けている。)はい、何でしょうか。ああ、アシッル・・・困ったわ、間の悪い時に・・・電話よ!
 アシッル(よく分らない。)何だって? 誰もいないのか? まあいい、それなら!
 アデッル 違うの。デ・・・ン・・・ワ!
 アシッル ああ、電話か。入って貰え。
 アデッル 今?
 アシッル 当り前だ。今だ。ああ、ジョルジュ、お前も構わんな? どうしても電話は直して貰わんと。昨日直っていたら、お前の母親の死だって、もっと早く分っていたんだ。(修理工に。)昨日来てくれていたら良かったんだ。えらい事が起きていたのに・・・ああ、そのレールを踏んづけないでくれ・・・義理の妹が死んだのに、電話が壊れていたので連絡が取れなかったんだ。えっ? 何? 何か言いたいのか?
 修理工 見てみますから・・・
 アシッル うん、見てくれ。それにな、受話器に何か詰まっているんじゃないか? 電話を受取ると、二つに一つ、必ず聞き取れない言葉がある。苛々するぞ、これは。そいつもよく見てくれ。
 修理工 分りました。
 アシッル 長くかかるのか?
 修理工 いいえ、すぐすむと思います。
 アシッル フン。それから、とにかく聞こえるようにしてくれ。聞こえないんじゃ、電話の用をなさん。ああ、ジョルジュ、失礼した。座骨神経痛ってやつは厄介なものでな。お間にもそのうち分る。笑い事じゃない、これは。勿論医者には診て貰っている。しかし奴等には何も分っとらん! どいつもこいつも似たりよったり、馬鹿ばかりだ。あーっ!? 何か言ったか?(修理工に。)故障の箇所が分ったら、修理にどのくらい時間がかかるか、教えてくれ。
 修理工 ああ、五分です。
 アシッル ほう。故障箇所は分ったのか。
 修理工 ええ、たいした故障じゃありません。線が切れていただけで。
 アシッル ほう、凄いな。まだ若いのに。いくつだ?
 修理工 私ですか? 十九です。
 アシッル はあ?
 修理工 十九歳です。
 アシッル 若いのになかなかやるな。で、ジョルジュ、話があると言ったな?
 ジョルジュ ええ、母の死で、厄介なことが出て来たんです。レガッルの墓に、もう場所がないんです。
 アシッル 場所がない?
 ジョルジュ ええ。
 アシッル で?
 ジョルジュ それで・・・お宅の墓に母の死骸を置けないかどうかって、訊こうと思って・・・父の死骸はあそこに入れたんですから、この話は大丈夫じゃないかと・・・
 アシッル(少し考えた後。)こっちに? いや、ジョルジュ、うちの方もいっぱいだ。
 ジョルジュ ええ・・・でも・・・母は生前よく言っていましたが・・・
 アシッル ああ、こういうことは苦手だったんだ、お前の母親は。他に長所はいっぱいあったがな。いつか自分も死ぬんだってこと・・・これは頭になかった。私は、お前の母親と会う度に墓の話はしていた。レガッルの墓にはもう場所はないということも、よく知っていたんだ。お前の母親はよくそのことを言っていた。それで私は、あそこの墓の死骸は減らしておかないとまづいと、よく言ったもんだ。最後に会った時にもその事を注意したぐらいだ。冗談にこうも言った。「なあジャンヌ、あんたの死体はあそこで誰かと一緒に押し込められちゃうぞ」ってな。つまりまあ、今回はジャンヌは押し込められるってことだな!
 ジョルジュ 勿論僕が前もって考えておくべきことだったんですけど、今となっては・・・
 アシッル そう、今となっては、目先の利かなかった男っていうことになるな、お前は。まあ、致命的だ!
 アデッル レガッルの墓に場所がなくなってって、どうしてなんでしょう。
 ジョルジュ 祖母のレガッルが死んだ時、あそこにはまだ四人分場所があったんです。
 アシッル ほう! すると、それから四人も死者が出たということか?
 ジョルジュ 今朝数えてみたんです。叔母のエリザベス、ギュスターヴ、子供のアンリ、それに、伯父のエドゥアール、これで四人です。
 アシッル(間の後。)うむ・・・しかしアンリは子供だから・・・(言い止む。考えを最後まで言わず、どこか隅っこに追いやるという動作。)(また間。それから。)なあジョルジュ、これだけは言っておく。我が家にはまだ二人分の場所が残っている。しかし、これは随分前から予約ずみだ。我々の分、つまり、お前の伯母と私の分だ。お前の母親には前から言ってある。だから当然そちらでしかるべく処理したと思っていた。
 ジョルジュ それが・・・してなかったんです。
 アシッル 分っている。考えたくなかったんだ、お前の母親は。結果はどうだ、死んでみれば、どこに納めたものか見当もつかん。
 修理工(この間ずっと本社との連絡をしようとしていたが。)もしもし? 工事部? ああ、聞こえます。・・・はい。・・・こちら、七八三四の四・・・はいどうも。
 アシッル 終りか?
 修理工 終りました。
 アシッル 受話器もか?
 修理工 よく聞こえます、受話器も。
 アシッル 私も聞こえるといいがな。あ、そこの貨車に気をつけて。踏んづけるな! いくらだ。
 修理工 修理は無料です。
 アシッル えっ?
 修理工 修理は無料です。
 アシッル ああ、そうか。じゃ、有難う、君。(頭をちょっと下げ、友好的な握手。)
 修理工 いえ。(出る時に。)では、まあ、有難うございました・・・ケチ!
(修理工、退場。)
 アデッル 礼を言ったの、あの修理工。
 アシッル 礼? 何故礼なんか・・・
 アデッル あなた、チップを渡さなかったのよ。
 アシッル チップを渡さなかった? じゃ、何であいつ、礼など言ったんだ。
 アデッル そのことを思い出させるためよ、あなたに。
 アシッル それで僕にどうしろと言うんだ。第一僕は金なんか持ってないぞ。全く、奴等、チップチップとうるさいことだ。連中、正月には会社でお年玉が出る筈だ。たいしたもんだぞ。それで満足出来ないのか。糞ったれが。づうづうしくチップを思い出させる? 呆れたもんだ。こっちに聞こえなかったのがあいつにも幸いしたぞ。聞こえていてみろ。礼儀ってものを教えてやるところだった! 礼儀だ、大事なのはな、やっぱり! ジョルジュ、お前はどう思う。
(ジョルジュ、困って何も言わない。)
 アデッル それで? あなた。
 アシッル 何が「それで」、だ。
 アデッル ジャンヌのこと、どうなさるつもり?
 アシッル うん、考えていたところだが・・・なあ、ジョルジュ、こっちの墓にもな二つしか空きはなくて、それはもう予約ずみだ。お前の伯母さんが、いや、私でもいい、明日死んだら、どこに埋める。
 アデッル でも、私達のことなら、少し経てば何とかなるんじゃない?
 アシッル 「何とかなる」? どう何とかなるんだ。別の墓を建てるのか? とんでもない話だ。今じゃ、一財産つぎこまなきゃならんぞ。なあジョルジュ、私の唯一つの望みは、今となっちゃ、死んだ後、お前の伯母さんの隣に埋めて貰うことなんだ。そうだな? アデッル。君は僕と別々に埋められたくはないだろう?
 アデッル 「今となっては」ね?
 アシッル そう、今となっては、だ。隣同士に埋めてもらいたい。それから、これに関してだけは、もう喧嘩は止めだ!
 アデッル 分ったわ。でも、それならジャンヌは?
 アシッル 君は共同屍体置場に入りたいのか? 僕は嫌だ。僕は自分の墓・・・親父、おふくろ、弟、それに君・・・と一緒の墓に入りたいね。僕のいるところへ君も埋めて貰うのさ。
 アデッル まあ、あなたが先なんて! 私が先に行かせて貰います。
 アシッル 君がそういうなら、勿論僕は君の後に死ぬさ。
 ジョルジュ 伯父さん、もしそういうことなら・・・
 アシッル 分るだろう? 現状はこうなんだ。
 ジョルジュ 僕が最初考えたのは、まづ母を一旦そちらの墓に入れて戴いて、その後すぐ、レガッルの墓の減員手続を行う。そして母をまた、こちらに移しては、という案なのですが。
 アデッル そうよアシッル、いい考えじゃない。当座の処置としては。
 アシッル しかしレガッルでは、この何年か、全く死者は出ていないぞ。死者のない状態では、減員手続は難しい。まあ、不可能だ。
 ジョルジュ 手続のことは調べます。この案に賛成して下されば、すぐ。
 アシッル(少考の後、躊躇いながら。)いいか、ジョルジュ、私はすぐ死ぬつもりは全くない。しかし、この件に関しては、三箇月以内には片をつけて貰わねばならん。
 ジョルジュ 勿論です伯父さん、僕はすぐ取りかかります。
 アシッル それから言っとくがな、ジョルジュ、私は一向に構わんと思っている・・・場所のことさえ解決すればだ・・・つまり、お前の母親に我々の墓を空けてやるというのをだ。喜んで空けてやる。ただ問題は、お前の伯母さんと私が、死後路頭に迷うことがないという保証がなければならん。それさえ保証されれば、お前の母親は勿論、お前の父親、それから我々・・・と一緒になって、何の不都合もない。待て、今お前の父親の譲渡の書類を見て来る。墓のことで自分の連れ合いをほったらかしにしろだなどと書いてある筈はない。が、お前の母親にも責任の一端はあるぞ、これは。
 ジョルジュ 可哀想に! お母さん。
 アシッル そう、可哀想だ、ジャンヌは! こういう死に方をするとは思っていなかったろうからな。しかしまあ、起きることだ。
(アシッル、隣の部屋へ退場。)
 ジョルジュ やり難い人ですね、伯父さんは。
 アデッル まあね。でも分るでしょう? 年よ。年。
 ジョルジュ いつでも模型機関車なんですか?
 アデッル ええ。それから、あれだけは誰にも文句は言わせないの。ね、ジョルジュ、今日の午後、お母様の家へ私達行くわ。午前中はちょっと時間がないでしょうからね。
 ジョルジュ ええ、午前中はちょっと・・・
(アシッル、戻って来る。)
 アシッル おいジョルジュ、考えたんだがな、モンテニヨン家のことなんだ。
 ジョルジュ はい。
 アシッル モンテニヨンのシャルルと、お前の母親は、二度目の結婚をした。それで、お前の母親は、モンテニヨン家が第一親族になったんだったな?
 ジョルジュ ええ、そうですが・・・
 アシッル 去年、モンテニヨンのエクトールは墓を建てた
うん、これは確かな情報だ。私はあいつに結婚式で会った・・・それから・・・ラショーの埋葬の時だった、あいつに最後に会ったのは。その時に言ってたんだ、「十五人分の場所があるんだ」ってな。あの家でお前の母親の墓は喜んで引き受ける筈だぞ。移設の時までの間ぐらい。
 アデッル モンテニヨン家で? あなた、本当にそうお思い?
 アシッル それは引取ってくれるに決ってる! エクトールは僕と同級生だ。もしこっちでいっぱいになっているという話をすれば、すぐ納得する。ちょっと待って。今電話してみる。見てろ、五秒で片がつく。
 ジョルジュ 僕が直接あちらに行った方がよくはないでしょうか。
 アシッル お前が行くのは当り前だ。しかしまづ、私が話してみる。電話番号はある。さあ、かけるぞ。あっという間に解決だ。(電話する。)もしもし、ガルチエさん、いらっしゃいますか?(訳註 間違えて自分の名前を言う。そしてモンテニヨンと言い直す。このおかしさは難しい。)・・・ああ、モンテニヨン、モンテニヨンさん。こちらガルチエ。・・・ええ、そうです。・・・アシッル・ガルチエ・・・そうです。(ジョルジュに。)あいつ、こっちより十倍も酷い座骨神経痛なんだ。丁度家にいた。すぐすむぞ。見てろ。・・・ああ、エクトール、・・・アシッルだ! どうだ? 調子は。・・・いや、酷いもんだ、君、酷いもんだ。・・・(三度目、非常に強く。)酷いもんだ! おい、知らせは届いているんだな? そう、夕べだ。・・・いや、眠っていて・・・ああ、エクトール、実はそのことで電話したんだ。あれの息子のジョルジュ・・・君、よく知っているな?・・・そのジョルジュが今ここにいるんだ。で、まいっちゃっててな・・・いや、困ってるんだ。うちの墓はいっぱいで、レガッルの家で丁度死骸の減員手続をやってるんだ。一、二週間待てば片がつく筈だ。・・・ついこの間君、言ってたろう? 随分ゆったりとした場所が出来たって・・・墓だよ、墓。新しく建てたさ・・・ジャンヌは僕の義理の妹だが、君にとっても、第一親族だぞ。だから、埋葬のことは喜んでそちらが引き受けてくれると思ってね・・・いや、勿論繰り返すが、当座のことだ。・・・今空いているのはそちらの墓だからな。・・・(間。あちらの返事が肯定的らしいことが、アシッルの頭の振り方で分る。)うん、エクトール、君の配慮に感謝する。家中の者を代表して礼を言うよ。まあ、電話をかける前から、君に頼れるんじゃないかと分ってはいたんだが・・・昔からの友達、それに、あの子の再婚でそちらとの絆(きづな)はまたずっと堅くなったんだからな・・・うん、そうだ。人の死・・・そいつは辛いものだ。(非常に強く繰り返す。)辛いものだ! まあ、遺(のこ)されたものの務めだ、これは。・・・我々だって、そのうち死ぬ運命なんだからな・・・(ちょっと嘲笑的な笑いを漏らして。)ああ、分ってる。今日にもこちらから行かせる。有難うエクトール、じゃあ、失礼。・・・(ジョルジュ、アデッルの方を向いて。)ああ、簡単だった。今日中にお前、あいつに会いに行くんだ。書類は整えておいてくれるそうだ。
 ジョルジュ 有難うございました、伯父さん。
 アシッル もうさっき言ったことだが、これだけは繰り返し言っておくぞ。勿論、こちらだけで解決したいのは山々なんだ。しかし今は、あっちの方がゆったりしているんだからな。この方が簡単だ。・・・電話で「一、二週間」と言っておいたが、あれは事をうまく運ぶためで、実際には、一旦入ってしまえば・・・ああ、お前、出来るだけ早く必要な手続はすませるつもりなんだな?
 ジョルジュ 分りました、伯父さん。今日の午後、すぐに会いに行きます。
 アシッル うん・・・可哀想にジャンヌ! 今でも見えるようだ、あの麦藁帽・・・まるで昨日のことのようだ。・・・それが死んでいるんだからな。そして、墓の心配をしている・・・全く、人間ってのは・・・
 ジョルジュ 伯母さん、では、僕はこれで・・・
 アデッル 私達、今日の午後、お宅にお邪魔するわ。・・・ね? アシッル。
 アシッル 何だって?
 アデッル 私達、今日行くってこと。
 アシッル どこへ。
 アデッル どこへって、ジャンヌの家へでしょう。
 アシッル ジャンヌの家! 何をしにだ、一体!(二人、呆気に取られている。その二人に向って。)どうかしているぞ。君はリウマチで動けない。それが分っていないのか。全く・・・それを、散歩するだなどと!
 アデッル 散歩じゃないわ。ジャンヌの家よ!
 アシッル(不機嫌に。言葉つきは優しく、説明する。)僕だってそれは、行きたいのは山々だ。死者の霊を拝みにな。しかしジョルジュ、お前、我々二人を許してくれるな? 二人とも動けない。老いぼれて、歩くにも足を引きずってやっとこ。そういう老人は家に留まっているのが一番だ。お前、分るな?
 ジョルジュ どうぞお大事にして、伯父さん。
 アシッル 私に代ってお前の母親に、お前がミサを上げてくれ。それから、我々二人から、お前の連れ合いによく言っておいてくれ。それから挨拶のキスをな。じゃ、ジョルジュ、これで失礼する。
 アデッル そこまで一緒にね、ジョルジュ。
(二人、退場。)
 アシッル(アデッルの後姿を見ながら、肩を竦める。)やれやれ、歩かにゃ、気がすまんということか!(間。)全く馬鹿な話だ。町中の人間が死んだあいつのベッドで寝てやらなかやならんと言うのか!(自分の汽車に気がついて、四つん這いになる。)ああ、どこで止めたんだったかな?・・・ここか・・・
(アシッル、機関車を走らせる。機関車が回るのを眺める。幕、降りる。)
                      (幕)


   平成十七年(二00五年)十二月十八日 訳了
 


Cette piece (Le Tombeau d'Achille) creee auu Theatre Charles de Rochefort a ete reprise et jouee cent fois au Theatre du Vieux Colombier.



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