The Lady Vanishes

(この映画は、1938年製作です。僕の生まれる一年前の映画。)

 まづ配役です。

Margaret Lockwood  マーガレット・ロックウッド

(この人はこの映画でしか知りません)

as Iris Henderson 映画の役、アイリス・ヘンダスン

 

Michael Redgrave  マイケル・レッドグレイヴ

(「八点鐘のなる時」のハンスレット役の父親です)

as Gilbert  映画の役、ギルバート

 

Paul Lukas    ポール・ルーカス(この映画でしか知りません)

as Dr Hartz(脳外科。ドイツ側のスパイ。悪い奴です)

 

May Whitty   メイ・ウィッティー(よく見る顔でせう? どこでか、覚えてゐますか?)

as Miss Froy ミス・フロイ

(スパイですが、イギリス側のスパイです)

 

Cecil Parker  セスィル・パーカー(「Ladykillers」の時の泥棒の一人。気の弱い将校の役でしたね)

as Mr. Todhunter トッドハンター といふ役をやりますが、これも、浮気をしてゐる男の役で、気が弱いくせに狡いことを言つたりやつたり。

 

Linden Travers リンデン・トゥラヴァース (この映画でしか知りません)

as "Mrs." Todhunter パーカーの浮気の相手です。この役はなかなか面白いです。

 では、明日から始ります。

 

(雪深い駅。その近くにあるホテル)

(ホテルのフロント。そこへメイ・ウィッティー来て、部屋を予約し、部屋へ行く)

(工事屋二人やつてきて、大声で、ドイツ語で喋る)

(フロントの男、電話がよく聞えない)

(フロントの男、電話、やつと聞え、待つてゐる客たちに、まづイタリア語で、次にフランス語で、「汽車は明日にならないと動きません」と)

(待つている客のうち、男1、隣の男2に)

~~~1. What's all this fuss about, Charters?

「チャーターズ、何だ? 何でみんな大騒ぎをしてゐるんだ?」

~~~2. I'm hanged if I know.

「知るもんか、この僕が。」

~~~フロントの男. Danke schön. Danke schön.

「ダンケ・シェーン、ダンケ・シェーン。」

Ladies and gentlemen, I'm very sorry. The train is little bit uphold. And if you wish to stay in my hotel, you have to register immediately.

「皆さん、申訳ありません。汽車が動けないでゐます。もしこのホテルにお泊りになるのでしたら、すぐ御予約をお願ひ致します。」

~~~1. Why the deuce didn't he say so in the first place?

「何だあのフロントの男。まづ最初にそれを言へばいいぢやないか。」

(フロントの男、丁度今扉から入つてきた女性三人に)

~~~フロントの男. Ah.

「アー。」

(と、フロント席から出て来て女性三人に近づき)

~~~フロントの男. Oh, how do you do, Miss Henderson? How do you do, ladies? It's a great honor to have you with us again.

「ああ、御機嫌如何ですか? ミス・ヘンダースン。みなさんもようこそ。皆さんで来て戴いて、光栄至極です。」

~~~Iris. Nice to see you too, Boris. You haven't changed a bit since last Friday.

「あなたに会へて嬉しいわ、バリース。先週の金曜日から、あなた、ちつとも変つてないわ。」

~~~2. I see you haven't shaved either.

「あなた、相変らず髭、剃つてないわね。」

~~~2. Is everything ready?

「用意は整つてるの? 全部。」

~~~Boris. Everything is ready. I didn't change anything.

「何もかも揃つてをります。何も動かしてありません。」

~~~Iris. Not even the sheets. We know. Lead on, Boris.

「シーツも変へてないんでせう。分つてるわ。さ、連れて行つて、バリース。」

~~~Boris. You see, I didn't expect you to come so quickly.

「だつて、みなさん、こんなに早くまたお越しになるとは思つてをりませんで。」

~~~Iris. Well, our legs gave out on us.

「さ、早くして。足、草臥れたわ。」

~~~Boris. That's odd.

「ほう、それは不思議ですな。」

~~~Iris. We had to do the last lap in a farm cart.

「最後の行程、あとちよつとといふところは、荷車に乗らなきやならなかつたの。」(これは多分、汽車不通のため)

~~~Boris. Oh!

「おやおや。」

~~~2. I see we've got company. Don't tell me Cook's are running cheap tours here.

「沢山人がゐるわね。まさかこのホテル、クック旅行案内会社(から金を貰つて)で、安い経営が出来るんぢやないでせうね。」(この訳、自信なし。クックは有名な旅行案内会社。)

~~~Iris. What is it, Boris?

「何なの、この混雑、バリース。」

~~~Boris. It's the avalanche.chをチと発音する)

「雪崩(なだれ)でして。」

~~~2. Avalanche?

「アヴァラーンチ?(「チ」と発音するので、分らない)」

~~~Iris. Avalanche, Boris. Avalanche.

「アヴァラーンシュよ、バリース。アヴァラーンシュ。」

~~~Boris. You see, in the spring we've got many avalanches.

「エー、春には、ここらあたりには雪崩がよく発生するんです。」

You know, the snow goes like that: Bloop! And everything disappear. Even train disappear under the avalanche.

「雪崩・・・雪がかう・・・ブループ! とね。それで何もかも消えるんです。汽車だつて、アヴァラーンシュの下で消えてしまふ。」

~~~Iris. But I'm going home tomorrow. How long before they dig it out?

「でも私、明日は家に帰るのよ。汽車を掘出すのにどれぐらゐかかる?」

~~~Boris. By morning. It's lucky for you.

「明日の朝までには掘出せるでせう。あなた方、運がいい。」

You can leave by this train instead of your own. How you said it? Is a bad wind that blow nowhere no good.

「予定してゐたあなたの汽車でなくて、この汽車で発てるんですからね。エーと、英語で何て言ひましたつけ。『不幸中の幸ひ』でしたか?」

(「どこにも害しか与へない風はない。どこかには善を施す」)

~~~3. Talking of wind, we haven't eaten since dawn.

「風といへば、わたしたち、朝から何も食べてないわ。」

(風と空腹は何の関係があるか不明。ちよつと下品ですが、windは「おなら」の意味もあります。それかもしれませんが)

~~~Iris. Serve us some supper, Boris, in our room.

「夕食を出して、バリース、部屋に運んでね。」

~~~2. I could eat a horse.

「馬一頭でも食べられる気分だわ。」

~~~Iris. Don't put ideas into his head. Uh, some chicken, Boris.

「本当に馬を出されるわ。この人ならやりかねない。あー、チキンをお願ひ、バリース。」

~~~Boris. Yes.

「畏りました。」

~~~Iris. And a magnum of champagne.

「それからシャンペンの大壜。」

~~~Boris. Absolutely.

「それはもう。」

~~~Iris. And make it snappy. Bandrika may have a dictator, but tonight we're painting it red.

「それから、早くして頂戴。バンドリーカは司令官を持つてゐるかもしれないけれど、今夜は私たち、それを赤く塗るつもり。(これ、不明。多分、赤信号を掲げるから、早くしろ、といふ意味。)」

(こちら、男1と男2

~~~1. Meanwhile we have to stand here cooling our heels, I suppose, eh? Confounded impudence.

「その間我々はここでおあづけか? やれやれ、無礼きはまる。」

~~~2. Oh, third-rate country. What do you expect?

「三等国ぢや、仕方ない。こんなところで最高のサービスは無理だ。」

~~~1. Wonder who all those women were.

「何だ? あの若い女たちは。」

~~~2. Hmm. Possibly Americans, I should think. You know, almighty dollar, old man.

「まあ、アメリカ人だな。なにしろドルの力だよ、君。」

~~~1. I suppose we'll have to wait here. If only we hadn't

missed that train at Budapest.

「まあ我々はここで足止めだな。ブダペストで、あの汽車に間に合ふといいが。」

~~~2.I don't want to rub it in, but if you hadn't insisted...

on standing up until they finished their national anthem -

「蒸し返すのは悪いが、君、あの時しつこかつたからな。国歌を最後まで聞かうつて、きかないもんだから・・・」

~~~1. Yes, but you must show respect, Caldicott. If I'd known it was going to last 20 minutes -

「しかしな、コールディコット、少しは敬意といふものを表さなければな。ただ、あれがもう後20分も続くと最初から分つてゐれば・・・」

~~~2. Well, it's always been my contention that The Hungarian Rhapsody... is not their national anthem.

「僕は昔から、ハンガリーの国歌はハンガリア狂詩曲ではない、と言つてゐるんだ。全く、何てこつた。」

In any case, we were the only two standing.

「それにだ、あそこでつつ立つてゐたのは我々二人だけだつたぞ。」

~~~1. That's true.

「うん、それはさうだ。」

~~~2. Well, I suppose we shall be in time after all.

「まあいい、とにかく最後には我々は間に合ふさ。」

~~~1. I doubt it. That last report was pretty ghastly. Do you remember? "England on the brink."

「さあ、どうかな。最後に読んだ記事はかなり深刻だつたぞ。覚えてゐるか? 『崖つぷちに立つイギリス』・・・」

~~~2. Yes, but that's newspaper sensationalism. The old country's been in some tight corners before.

「まあな。しかし、新聞つてやつは騒がしく書き立てるのが仕事だからな。以前だつてイギリスが崖つぷちに立つたことはあるぞ。」

~~~1. It looks pretty black.

「しかし今度はかなり状況が暗い。」

Even if we get away first thing tomorrow morning, there's still the connection at Bâle. We'll probably be hours.

「明日朝一番でここを発つたとしても、バールでの乗換へがまだある。そこでまた何時間も待たされるぞ。」(国の話から、また急に自分たちの話、笑へますね。)

~~~2. Mmm, that's true.

「ウーン、さうだな。」

~~~1. Well, somebody surely can help us.

「誰か助けになる人物がここらにゐる筈だ。」

(近くにゐる男に)Oh, sir. Would you happen to know what time the train leaves Bâle for England?

「エーと、失礼ですが、バールからの汽車がイギリスに発つのは何時か、お分りですか?」

~~~近くの男. Ich spreche kein Englisch.

「イッヒ・シュプレッヘ・カイン・エングリッシュ。」

~~~1. Oh. Really? Fella doesn't speak English.

「ああ、さう? この男、英語は喋れないんだつてさ。」

(バリース、階段を降り、フロントの席につく。沢山の客が押し掛ける)

(バリース、構はず電話をかける)

~~~Boris.(電話に)Hello? Alex. Champagne. Miss Henderson.

「ああ、アレックスか。シャンペンをミス・ヘンダースンの部屋に。」

(セスィル・パーカー、バリースに)

~~~Parker. Monsieur.

「ムスィユ・・・」

(と何か言いかける)

(こちら、男1と男2。男1、時刻表を見ながら)

~~~1. Here's one leaves Bâle 2120.

2120分にバール出発の汽車がある。」

~~~2. 2120?

2120分?」

~~~1. Yeah.

「うん。」

~~~2. Twenty. Twenty. Twelve from 21 is -

20、ね、2021から12を引くと・・・」

~~~1. Twenty-one -

21から・・・何だつて?」

~~~2. Eleven. No. Yes. Eleven.

11か。いや、うん、11だ。」(これ間違ひですね?)

(バリースと客たち。今はパーカーが相手)

~~~Boris. I regret, sir, there is only left two single room in front... or a little double room at the back.

「残念ながら、玄関側にシングルが二部屋と、裏側にダブルの小さな部屋が一つ、しか残つてをりません。」

~~~Parker. We'll, uh, take the two singles.

「ぢや、シングル二部屋、頼む。」

~~~Boris. Very well, sir. Here is.

「畏まりました。はい、これで。」

~~~Parker. Thank you.

「どうも。」

~~~Boris. Thank you.

「有難うございます。」

(パーカーの連れの女はリンデン・トゥラヴァース)

~~~Travers. At least you might have asked me which I preferred.

「あなた、少なくとも、どつちがいいか、私に訊くべきぢやない?」

~~~Parker. My dear, a small double room at the back in a place like this -

「ねえ君、こんな場所で、裏側のダブルの小さな部屋を予約してみろ・・・(どんな噂が立つかしれたものぢやない)」

~~~Travers. You weren't so particular in Paris last autumn.

「去年の秋、パリでは、あなた、そんなに気にしてゐなかつたわ。」

~~~Parker. It was quite different then. The exhibition was at its height.

「あの時はあの時だ。博覧会が酣(たけなは)で、どこも込んでゐたぢやないか。」

~~~Travers. I realize that now. There's no need to rub it in.

「分つたわ。蒸し返すことない。シングル二つでいい。」

(また、フロント。大勢の客、押し掛けている。男1と男2、バリースに)

~~~2. We want a private suite with a bath.

「バスつきのスイートが欲しいんだがね。」

~~~1. Facing the mountain.

「眺めのいい、山が見える側。」

~~~Boris. Yes.

「畏まりました。」

~~~2. With a shower, of course.

「シャワーつきだ、勿論。」

~~~1. Hot and cold.

「湯も出るやつ。」

~~~2. A private thingummy if you've got one.

「『はなれ』がいいね、もしあれば。」

~~~Boris. Sorry, gentlemen. The only things I've got is the maid's room.

「すみません、お客様。今残つてゐる部屋は女中の部屋だけで。」

~~~1. The what?

「何だつて?」

~~~2. Maid's room?

「女中部屋?」

~~~Boris. I'm sorry. The whole hotel is packed. Jammed to the sky.

「すみません。ホテルは満杯なんです。空までいつぱいです。」

~~~2. That's impossible. We haven't fixed up yet.

「そんなことつてあるか。やつと辿り着いたばかりといふのに。」

(他の客、さつさと逃げてどこかへ行く)

~~~1. You can't expect to put the two of us up in the maid's room.

「女中の部屋に我々二人を寝かせるつもりか? 馬鹿な。」

~~~Boris. Well, don't get excited. I'll remove the maid out.

「いやいや、どうか落ちついて。女中は部屋を出るやうにしますから。」

~~~1. Yes, I should think so. What? What are you talking about?

「それはさうしてくれないと。えっ何? 何だつて?」

~~~2. I think I'd sooner sleep on the train.

「さつさと汽車で寝た方がいいんぢやないか?」

~~~1. Would you?

「さうかな。」

~~~Boris. There is no 'eating on the train.

「汽車にはしかし、『イーティング』がありませんよ。」

~~~2. No eating on the train?

「ええっ? 『イーティング』がない?」

~~~Boris. Yes. I mean -(「ハー」と声を出し、「ハヒフヘホ」の準備を整えてから)Heating.

「私の言ひたいのは、・・・『ヒーティング』がない、と。」

~~~2. Heating. There's no heating on the train. That's awkward.

「ヒーティングか。汽車にはね。それはちよつとまづいな。」

(これは停つてゐる汽車の話なのでせうね)

~~~1. All right. We'll take it.

「分つた。女中部屋でいい。」

~~~Boris. Just a minute. With one condition. You have to have the maid comes to your room, remove her wardrobe.

「ちよつと待つて。一つ条件が。女中を呼んで衣裳をどかせなくちや。」

Anna. She's a good girl, and I don't want to lose her.

「アンナといひますがね、良い子なんです。あの子に出て行かれるのは嬉しくないですから。」

(ボリース、アンナ、アンナと呼ぶ。アンナと呼ばれた女中、来る。ボリース、何かイタリア語で言つて聞かせる。アンナ、面白がつて、男1と男2にウインク)

~~~1. We'd better go and dress.

「もう、行つて着替えた方がいい。」

~~~2. Rather primitive humor, I hope.

「冗談としても、随分原始的な冗談だ。」

~~~1. Grown-up children, you know. That was rather an awkward situation over that girl.

「あの女、大人子供だ、まだ。あの女が相手だと、かなり気まづい場面が生じるぞ。」

~~~2. Pity he couldn't have given us one each.

「フロントが我々に一対一で与へてくれたらよかつたんだが。」

~~~1. Eh?

「何だつて?」

~~~2. I mean, uh, a room apiece.

「あー、つまりその、一人に一部屋づつな。」

~~~1. Oh.

「ああ。」

\\

(アイリスの部屋。アイリス、立つて、二人の同僚の女に演説口調で)

~~~Iris. I, Iris Matilda Henderson... a spinster of no particular parish... do hereby solemnly renounce my maidenly past...

「私、ある教区の独身女性、アイリス・マチルダ・ヘンダースン、は、ここに厳かに、過去の処女の生活をすて、」

and do declare that on Thursday next,

「そして重々しく宣言する、即ち、来週の木曜日、」

(この演説の間に、他の二人は着替へ。)

(ウェイター、そこに食事の盆を持つて来る。あられもない姿の三人の女性に、閉口の表情)

the 26th inst., being in my right mind... I shall take the veil and the orange blossom... and change my name to Lady Charles Fotheringail.

「今月の26日、正気も正気、正気の沙汰で、ヴェールを被り、オレンジの花を手に持ち、私の名前をレイディー・チャールズ・フォザリンゲイルに変へるのである。」(この映画の最後で、これは駄目になるのでしたね)

~~~2. Can't you get him to change his name instead?

「あなたの代りに、あの人の名前を変へればいいのに。」

(たしかにフォザリンゲイルとは奇妙な名前ですね)

~~~3. The only thing I like about him is his mustache.

「あの人でいいところといつたら、あの口髭だけね。」

~~~Iris. You're a couple of cynics.

「二人とも、随分皮肉屋ね。」

~~~2. I'm very fond of him.

「まあ、私、あの人好きだけど。」

~~~3. Well, I'm fond of rabbits, but they have to be kept down.

「さうね、私、兎は好き。でも、しつけはちやんとしないとね。(この文章、不明)」

~~~Iris.(給仕に)Rudolph, give me a hand.

「ルドルフ、手を貸して。」

(給仕、アイリスを支へて、机から下してやる)

~~~3. Have you ever read about that little thing called love?

「あなた、あのよく言はれる『恋』つてもの、読んだことある?」

~~~2. It used to be very popular.

「昔は随分流行したものよ。」

~~~Iris. Child, the carpet is already laid at St. George's, Hanover Square.

「馬鹿ね、恋だなんて。もうハノーヴァー・スクエアーには、(結婚式用の)絨毯は敷いてあるのよ。」

And Father's simply aching to have a coat of arms on the jam label.

「それに、父は(結婚式の連れ添い用の)服を着たくて仕方がないの。」

~~~2. To Iris and the happy days she's leaving behind.

「アイリスに乾杯! そして、彼女が結婚した後に残して行く幸せな日々に、乾杯!」

~~~3. And the blue-blooded check-chaser she's dashing to London to marry.

「そして、この人がロンドンまで追ひかけて、結婚しやうとしてゐる、相手の男に、乾杯!」

~~~2. The blue-blooded check-chaser.

「お坊ちゃまに、乾杯!」

~~~Iris. I have no regrets. I've been everywhere and done everything. I've eaten caviar at Cannes... sausage rolls at the docks.

「私、後悔なんかないわ。私、今迄に行きたいところへは全部行つたし、したいことは全部した。カンヌではキャビアを食べ、ドックではソーセージ・ロールを食べた。」

I've played baccarat at Biarritz... and darts with the rural dean. What is there left for me but... marriage?

「ビアリッツではバカラをやり、ルーラル・ディーンでは、ダーツをやつた。私がまだやつてないこと・・・結婚だけぢやない?」

(と、女三人、乾杯)

\\

(ウエイター、扉から廊下へ出る。そこへアンナ(女中)通りかかつて、ドイツ語で「私、部屋を開け渡したの」)

~~~ウエイター. Oh!

「おお!」

\\

(女中の部屋。男1、と男2、荷物を整理しながら)

~~~1. It's this hanging about that gets me. If only we knew

what was happening in England.

「こんな風に足止めをくらつてゐること自体が、私を苛々させるんだ。ああ、イギリスで今何が起つてゐるか、心配だ。」

~~~2. Mustn't lose grip, Charters.

「まあやめとくんだな、苛々するのは、チャーターズ。」

(ノックの音)

~~~1. Come in.

「どうぞ。」

(アンナ、入つて来てドイツ語で何か言ふ)

~~~1. Did you follow that?

「おい、あれが分つたか?」

~~~2. I did.

「うん、分つた。」

~~~1. Tell her this has gone far enough.

「ぢや、言つてやれ。それは行き過ぎだと。」

~~~2.(アンナに)No, uh - No change, uh - change here. Um, outside. She doesn't understand.

「ああ、ああ、着替へは駄目。駄目だ、ここでは。ああ、外でやつてくれ。分つてくれないやうだ。」

(アンナ、男の言葉に構はず、服を脱ぎ始める)

~~~1. No. Come on.

「駄目だこれは。出よう。」

(と、男二人、部屋の外へ出る)

(男1、男2、階段を降り、フロントに来て新聞を見る)

~~~1. Nothing newer than last month.

「先月からこつち、何も新しいことはない。」

~~~2. I don't suppose there is such a thing as a wireless set hereabouts.

「ここらに無線機などといふ気のきいたものはないだらう。」

~~~1. Being in the dark like this - our communications cut off in a time of crisis.

「こんな風に真っ暗闇の中にゐるのはかなはん。通信を断たれるなんて・・・」

~~~Boris.(電話に)Hello, hello, hello! London? You want Mr. Seltzer? Yes. Hold on. I'm going right to - to find where he is.

「ハロー、ハロー! ロンドンですか? ミスター・セルツァーを? はい、お待ち下さい。すぐに捜して来ます。」

(と、受話器を机の上に置いてセルツァーを捜しに階段を上る)

(男1、男2、受話器を見て)

~~~1. London.

「ほほう、ロンドンからか。」

~~~2. Go on. Risk it.

「出ろ、出ろ。やつてみるんだ。」(これは酷いですね、勝手に他人にかかつてきた電話に出るなんて)

(男1、受話器を取つて、話す)

~~~1. Hello. Hello. You. You in London. Huh? No, no, no. I'm not Mr. Seltzer. Name's Charters. I don't suppose you know me. What?

「もしもし、あんた・・・あんた、今、ロンドン? えっ? いやいや、私はミスター・セルツァーではない。名前はチャーターズ。いや、あんたと知合ひだとは思はない。何だつて?」

Well, you needn't worry. They've just gone to fetch him. Tell me.

「いや、心配はいらない。今捜してゐるところだ。ちよつと教へてくれ」

What's happening to England? "Blowing a gale"? No, you don't follow me, sir. I'm inquiring about the test match in Manchester.

「今イギリスではどうなつてゐる。『突風』? そんなこと、訊いてはゐない。マンチェスターでの試合がどうなつてゐるか、だ。」

Cricket, sir! Cricket! What? You don't know? You can't be in England and not know the test score. Fella says he doesn't know.

「クリケットだ。クリケットに決つてゐるだらう? えっ? 知らない?ぢや、あんた、イギリスにゐるつてのは嘘だらう。テスト・スコアーも知らないなどと。(男2に)こいつ、知らないんださうだ。」

~~~2. Oh, silly ass.

「ええっ? 馬鹿な奴。」

~~~1. Hello. Can't you find out? Nonsense. It won't take a second. Oh, all right.

「もしもし。スコアー、分らないつて? 馬鹿な。すぐ分る筈だ。よーし、分つた。」

(と、受話器を置いてしまふ。電話はこれで切れる)

~~~1. If you won't, you won't! Wasting my time. The fella's an ignoramus.

「分らうとしないから分らないんだ。エーイ、時間の無駄だ。こいつ、大馬鹿だ。」

~~~Boris. Mr. Seltzer...(と、受話器を上げて)at last your call

come through to London. Hello. Hello, hello. London. Huh?

「ミスター・セルツァー、あなたの予約してゐた電話、やつとロンドンに繋がりました。もしもし、もしもし、ロンドンですか?」

\\

(階下のレストラン。満員。席が一つあくので、男1、男2、近づく。ミス・フロイと女、その向ひに男1、男2、同席する)

~~~1. Thank you, waiter.

「有難う、ウエイター。」

(ウエイター、ドイツ語で男二人に文句をいう。男1、これを無視して、男2に)

~~~1. What do you say to a grilled steak?

「ステーキにしようか。どう? 君は。」

~~~2. That's a very good idea. Well done for me, please.

「いいね、ステーキ。僕はウエル・ダンだ。」

~~~1. On the red side for me.

「こちらはレアだ。」

(ウエイター、またドイツ語で何か言う)

~~~1. These people have a passion for repeating themselves.

「ここの連中は同じことを何度も言ふ癖があるやうだな。」

~~~Miss Froy. I - I beg your pardon.

「ちよつと・・・失礼ですが。」

~~~1. Mm-hmm?

「ええっ? 何です?」

~~~Miss Froy. He's trying to explain to you that, owing to the large number of visitors, there's no food left.

「このウエイターですけど、あまりに客が多くて、もう厨房には、全く食べる物がないと説明してゐるんです。」

~~~1. No food? What sort of place is this? Expect us to share a blasted dog box with a servant girl on an empty stomach?

「食べるものがない? 何だ、ここは。奇妙なメイドの、汚い部屋に押し込んだかと思ふと、今度は食ふ物がない、だと?」

Is that hospitality? Is that organization? (ウエイターに)Oh. Thank you.

「おお、これが歓待といふものか。これがホテルといふものか。ああ、君、いい。」

(ウエイター、去る)

~~~1.(ミス・フロイに)I'm hungry, you know. What a country. I don't wonder they have revolutions.

「私は腹が減つてゐるんです。何て国だ。革命が起るのも無理はない。」

~~~Miss Froy. You're very welcome to what's left of the cheese. Uh, of course, it's not like beefsteak, but it's awfully rich in vitamins.

「チーズが残つてゐます。もし、およろしかつたら、どうぞ。勿論ステーキといふわけにはまゐりませんけど、ビタミンはたつぷりありますわ。」

~~~1. Really. Thank you very much.

「いや、それはどうも。」

~~~Miss Froy. I'm afraid they're not accustomed to catering

for so many people.

「こんなに多くの人達を扱ふのに、ここの人達、馴れてゐないんです。」

Bandrika is one of Europe's few undiscovered corners.

「何と言つてもバンドリーカは、ヨーロッパの片田舎ですからね。」

~~~1.(チーズを切りながら)Yes. That's probably 'cause there's nothing worth discovering, I should think.

「さうですね。だからですよ、ここに見るべきものが何もないのは。」

~~~Miss Froy. You may not know it as well as I do. I'm feeling

quite miserable at the thought of leaving it.

「あなた方、ここをよく知らないからですわ。私はもう随分長いの、ここには。ここを去らなければならないと思ふと、本当に惨めな気持。」

~~~2. After you with the cheese, please.

「君、全部食べないで欲しいな。僕も食べたいんだ。」

~~~1. Certainly, old man. Why not? So you're going home?

「ああ、勿論、残す。残すよ、君。(ミス・フロイに)で、故郷にお帰りで?」

~~~Miss Froy. Tomorrow. My little charges are quite grown up. I'm a governess and a music teacher, you know.

「明日、帰るんです。子供達が大きくなつてしまつて。私は音楽の家庭教師をしてゐたんです、ここで。」

In the six years I've lived here, I've grown to love the country, especially the mountains.

「六年間ここに住んでゐるうちに、この田舎が本当に好きになつてしまつて。特に山ですね、好きなのは。」

I sometimes think they're like very friendly neighbors. You know, the - the big father and mother mountain with their white snow hats.

「あの山々、私のことを好いてくれてゐるんぢやないかと。お分りかしら、あのパパ山、それにママ山。白い雪の帽子を被つた、あの姿。」

And their nephews and nieces. Not quite so big. With smaller hats.

「それにそんなに大きくない、その甥や姪達。もつと小さな帽子の姿。」

Right down to the tiniest hillock without any hat at all. Well, of course, that's just my fancy.

「もう少し下つたところには小さな丘。それは帽子を被つてゐない。勿論これは全部、私の幻影ですけれど。」

~~~1. Oh, really.

「ああ、なるほど。」

~~~Miss Froy. I like to watch them from my bedroom every night when there's a moon. I'm so glad there's a moon tonight.

「私、月があるときは、毎晩寝室から、あの山々を見ます。素敵なの。今夜は月があるわ。最後の晩に月。嬉しいわ。」

Do you hear that music? Everyone sings here. The people are just like happy children... with laughter on their lips and music in their hearts.

「あの音楽が聞えますか? ここでは誰もが歌ふんですよ。人々は子供のやう。幸せな子供。唇には笑ひを、心には音楽を持つてゐる子供。」

~~~1. It's not reflected in their politics, you know.

「その気持、政治には反映されてゐないやうですね。」

~~~Miss Froy. I never think you should judge any country by its politics. After all, we English are quite honest by nature, aren't we?

「政治でその国を判断するなんて、そんなの、駄目。イギリス人だつて、心の底では、みんな正直な人たちなんでせう?(この言ひ方、イギリスは政治的には嘘つき、と言つてゐるやうに聞えますね。)

You'll excuse me if I run away. Good night. Good night.

「これで失礼しますけど、どうぞお許しを。さようなら。お休みなさい。」

(と、一人、立上る。隣の女性は同伴者ではなかつた)

(男1、男2、立上り、おじぎ)

~~~1、男2. Good night.

「お休みなさい。」

(二人、また坐り)

~~~1. Queer sort of bird.

「あれは鳥か。それにしても奇妙な小鳥だな。」

~~~2. Trifle whimsical, I thought.

「突拍子もないことを考へる小鳥だ。」

~~~1. Well, after six years in this hole, we'd be whimsical.

「こんなところに6年も住んでゐると、我々だつて突拍子もなくなる。」

~~~2. Oh, I don't think so, old man. She was very decent about that cheese.

「いや、さうとは限らないぞ。チーズに関しては、彼女、実に礼儀にかなつてゐたよ。」

~~~1. Mmm. I see she's finished the pickles.

「ウム。だけど、ピックルズは残しておいてくれなかつたな。」

(こちら、アイリスの部屋。女2、女3、アイリスの部屋から出て来て、廊下から扉のそばにいるアイリスに)

~~~2. Good night, Iris. Listen. Someone's serenading.

「お休み、アイリス。あら、誰かが外でセレナーデを歌つてるわ。」

~~~Iris. Oh, let him. Nothing will keep me awake tonight. Good night, my children.

「ああ、歌はせておけばいいの。私眠くて。今夜は何が起つたつて、眠りは邪魔されないわ。お休み。」

(と、二人の額にキス。二人、去る)

(ミス・フロイ、階段を上つて来る。アイリスに目で挨拶。アイリス、部屋に入る)

\\

(ミス・フロイ、部屋に入る。セレナーデが聞えて来る。上の階で、それに合せ、足踏みをする音。ミス・フロイ、部屋を出る。丁度アイリスも部屋を出て来る。二人で、足音への不満)

~~~Iris. What's happening? An earthquake?

「何です? あれ。地震?」

~~~Miss Froy. That would hardly account for the music, would it?

「あれで伴奏だなんて、言へないわね?」

What a horrible noise. What can they be doing?

「何て酷い音。一体、何をやつてゐるんでせう。」

~~~Iris. I don't know, but I'll soon find out.

「分りませんわ。でも、すぐに分ります。」

(と部屋に入り、フロントに電話する)

~~~Iris.(電話に)Hello.

「もしもし。」

~~~Iris.(ミス・フロイに)Musical country, this.

「ここは音楽の国ですから。」

~~~Miss Froy. Yes. I - I feel quite sorry for that poor singer outside... having to compete with this.

「ええ、ですから、外で歌つてゐるあの歌ひ手さんが気の毒。こんな音と競争しなくちやならないんですもの。」

~~~Iris.(電話に)Boris, Miss Henderson speaking. Look. Someone upstairs is playing musical chairs with an elephant.

「バリース、こちら、ミス・ヘンダースン。ねえ、誰か、この部屋の上で象と一緒に音楽をやつてゐる者がゐるの。」

Move one of them out, will you? I want to get some sleep. All right.

「追出して。お願ひ。私、眠りたいの。いいわね。」

(と、電話を切る)

~~~Iris.(ミス・フロイに)That ought to settle it.

「これで大丈夫な筈ですわ。」

~~~Miss Froy. Thank you so much. Some people have so little consideration for others...

「有難うございます。他人に対して配慮のない人が世間にはゐるものですからね。」

which makes life so much more difficult than it need be.

「それで世の中が、ひどく暮し難くなるんです。」

Don't you think? Well, good night. Thank you so much. I expect you'll be going on the train in the morning.

「さう思ふでせう? ぢや、お休みなさい。有難うございました。あなた、明日、汽車でお発ちになるんでせう?」

~~~Iris. Yes.

「ええ。」

~~~Miss Froy. I hope we shall meet again under - under quieter circumstances. Good night.

「またお会ひしたいわね・・・今度はもつと、静かなところで。お休み。」

~~~Iris. Good night.

「お休みなさい。」

(と、去る)

(バリース、階段を上つて来てアイリスに)

~~~Boris. Miss, please, I'll fix everything.

「ミス・ヘンダースン、どうぞご安心を。今言つてきますから。」

~~~Iris. You'd better.

「ええ、お願ひ。」

\\

(三階の部屋。バリース、ノックして入る)

(縦笛を吹いてゐる男(レッドグレイヴ)、それに合せて二人の男と一人の女、足踏みして踊つてゐる)

~~~Redgrave. Hold it. Steady. Don't move. Don't move.

「止つて。そのまま。動かないで、動かないで。」

(レッドグレイヴ、何かメモしてゐる)

~~~Boris. Uh -- If you please, sir -

「ああ、ちよつと失礼・・・」

(と言つて、レッドグレイヴに近づく)

~~~Redgrave. Get out!

「出て行け!」

(バリースに構はずレッドグレイヴ、笛を吹く。三人踊る)

~~~Redgrave. One, two -

「一、二・・・」

~~~Boris. Please, sir. Will you kindly stop? They are all complaining in the hotel. You make too much noise.

「失礼ですが、そのー、それを止めて戴けませんか? ホテル中苦情です。あまりの騒音で。」

~~~Redgrave. Too much what?

「あまりの何だつて?」

~~~Boris. Too much noise.

「あまりの騒音。」

~~~Redgrave. You dare to call it a noise. The ancient music with which your peasant ancestors...

「よくも騒音だなどと。あんた方の祖先なんだぞ、この古い音楽を、」

celebrated every wedding for countless generations.

「何世代にも渡つて、結婚式の時には必ず奏(かな)でたのは。」

The dance they danced when your father married your mother... always supposing you were born in wedlock, which I doubt.

「そして踊つたんだ。君の親父さんが君のおふくろさんと結婚したときにな。神様の意志でもう最初から決つてゐた二人だと。まあこれには僕は疑ひを持つがね。」

(踊る三人を指差し)

Look at them. I take it you're the manager.

「ほら、あの三人を見ろ。ああ、どうやら君はここのマネジャーらしいな。」

~~~Boris. Sure I am the manager of this hotel.

「さうです。私はここの支配人です。」

~~~Redgrave. Fortunately I'm accustomed to squalor. Tell me. Who's complaining?

「まあいい、どうせ僕は苦情には慣れてゐる。で、誰なんだ、苦情を言つて来てゐるのは。」

~~~Boris. This young English lady underneath.

「この下の階の若いイギリス女性です。」

~~~Redgrave. Well, you tell the young English lady underneath...

「階下のイギリス女性に言ふんだ、」

that I am putting on record for the benefit of mankind...

「『俺は、人類の利益のために、記録を取つてゐるのだ』と。」

one of the lost folk dances of Central Europe...and furthermore, she does not own this hotel.

「『失はれ行く、中央ヨーロッパのフォーク・ダンスの記録を、だ』それに、『彼女がこのホテルを所有してゐるんぢやないだらう』とね。」

(と、バリースを部屋から追出す)

(バリース、部屋から出ながら苦情)

~~~Boris. But, sir, don't you understand?

「しかし、あなた、分つて下さいよ・・・」

(レッドグレイヴ、構はずまた笛を吹く)

~~~Redgrave. Now, one, two -

「さあ、一、二・・・」

(三人、踊る)

\\

(二階。アイリスの部屋。ボリースがアイリスに話)

~~~Boris. You know what he said? "Who she think she is? The queen of Sheba? She think she owns this hotel?"

「彼が何と言つたと思ひます? 『その女、何様だと思つてゐるんだ。シバの女王とでも思つてゐるのか。このホテルの所有者だと思つてゐるのか』と。」

~~~Iris. Well, can't you get rid of him?

「で、あなた、追出せなかつたの?」

~~~Boris. Impossible.

「無理ですよ、そんなこと。」

~~~Iris. Are you sure?

「本当に?」

(と、アイリス、財布から金を出すので)

~~~Boris. Uh, I begin to wonder. It's come back to me. I've got an idea. You see, the German lady. She will call him up on the telephone.

「エーと、待てよ。浮んで来たぞ。これは名案だ。ああ、ミス・ヘンダースン、ドイツの婦人がゐるんです。あの人に頼んで、彼の部屋に電話するんです。」

She say, "Young man. It's my room. I did pay for it. Get out quickly." How's that, huh?

「そして言はせる、『あなた、その部屋、私の部屋よ。私、金を払つたの。すぐそこを出て頂戴』つてね。これ、どうでせう?」

~~~Iris. Good enough.

「ええ、それでいいわ。」

(と、バリースに金を渡す)

(バリース、部屋を出ながら)

~~~Boris. We'll eject him with a little - He'll never forget as long as he live.

「あいつを追出すと、面倒なことになるかな? 少なくともあいつは、一生このことを覚えてゐるだらうな。」

(こちら、男1、男2。ベッドで新聞を拡げて読んでゐる)

~~~1. Nothing but baseball. You know. We used to call it rounders. Children play it with a rubber ball and with a stick.

「野球のことしか載つてない。野球、これを我々は『まはりつこ』と呼んでゐるんだ。(ベースを回るからでせうね。クリケットは、行つて、帰つてくるだけです)子供たちはこれを、ゴムのボールと棒で遊ぶんだ。」

Not a word about cricket. Americans got no sense of proportion.

「クリケットのことは何一つない。アメリカ人てやつは、バランスの感覚がないからな。」

(ノックの音)

~~~1. Come in.

「どうぞ。」

(女中、入つて来て、帽子を脱ぎ、帽子箱に入れる。そしてまた出て行く。)

~~~1. I can't stand this ridiculous lack of privacy.

「エーイ、かう勝手に入られちやたまらない。何だ、これは。」

(女中、また入り、「Gute Nacht」と。そして出る)

~~~1. Lock the door.

「鍵を閉めるぞ。」

(男1、鍵を閉めやうとすると、また女中入つて来て、「Gute Nacht」と。そして出て行く。男1、びっくりして、はりに頭をぶつつける)

~~~1. Oh!

「糞つ!」

\\

(二階のアイリスの部屋。アイリス、寝ている。レッドグレイヴ、戸を開け、中に入る)

~~~Iris. Who are you? What do you want?

「あなた、誰? 何をするの。」

~~~Redgrave.(笛を吹いて)Recognize the signature tune?

「この笛で、君、分るね?」

~~~Iris. Will you please get out.

「どうぞ、出て行つて下さい。」

~~~Redgrave. Oh, this is a much better room. Definitely an acceptable room.

「ほほう、これは素敵な部屋だ。あつちよりずつといいぞ。実に快適な部屋だ。」

~~~Iris. What exactly do you think you're doing? Keep away.

「一体何をしようつて言ふの。出て行つて!」

~~~Redgrave. Would you hold those for a minute?

「ちよつとこれを持つてゐてくれないか。」

(と、箱をアイリスに渡す。アイリス、それを床に投げつける)

(レッドグレイヴ、構はず所持品をベッドの上に置く)

~~~Iris. Put those back at once.

「それをさつさと片づけて。今すぐに。」

~~~Redgrave. Now, which side do you like to sleep?

「さてと、君はどちら側に寝るんだ?」

~~~Iris. Do you want me to throw you out?

「あなた、放り出して貰ひたいの?」

~~~Redgrave. Oh, in that case, I'll sleep in the middle.

「さういふことなら、僕は真中で寝ることにしよう。」

Smart of you to bribe the manager. An eye for an eye... and a tooth for a toothbrush.

「支配人を賄賂で釣るとは、なかなか頭がいいね。こちらは目には目を、だ、そして歯には歯ブラシを、ね。」

(と、レッドグレイヴ、バスルームに入る)

~~~Iris. I suppose you realize you're behaving like a complete cad.

「あなた、自分が全く馬鹿なことをやつてゐるつて、分つてゐるんでせうね?」

~~~Redgrave. On the contrary, you're perfectly at liberty to sleep in the corridor if you want to.

「とんでもない。君、やりたいなら、君一人で廊下に寝るんだね。それは君の勝手だ。」

(アイリス、受話器を取り、電話に)

~~~Iris. Hello.

「もしもし。」

~~~Redgrave. Oh, I shouldn't if I were you. I'd only tell everyone you invited me here.

「ああ、僕だつたら、それは止めるね。僕は、君が僕をここへ呼んだと言ふだけだ。」

And when I say everyone, I mean everyone. And I have a powerful voice.

「それに、僕はみんなに言ふ。みんなと言へば、本当にみーんなにだ。みんなに聞えるだけの大声は出せるんだ。」

(と、バスルームの戸を閉める)

~~~Iris. Come out of there at once!

「そこから出て来なさい、すぐに!」

~~~Redgrave. Not until you bribe the manager to restore me to my attic.

「またあの支配人に賄賂をやつて、僕を屋根裏部屋に返すんだね。それまでは駄目だ。」

~~~Iris. Come out of that bathroom!

「バスルームからすぐ出て来なさい!」

(アイリス、受話器を取り)

~~~Iris. Hello. Boris? Look. I was thinking. I - I might change

my mind about that room upstairs if -

「ああ、バリース? 私、ちよつと考へたの。上の階の、あの部屋のことだけど、私、考へを変へるわ・・・」

(レッドグレイヴ、着替へてバスルームから出て来る)

~~~Redgrave. Oh, by the way, you might have my things taken upstairs. Would you?

「ところで、君、僕の荷物は、君が上に上げてくれるんだね?」

~~~Iris. You're the most contemptible person I've ever met in all my life!

「私、生涯で、あなたほど厭な人間に逢つたことがないわ!」

~~~Redgrave. Well, confidentially, I think you're a bit of a stinker too.

「うん、さう言はれてみると、君も、かなり、厭な女だね。」

\\

(ギターを弾いて歌つている男。ミス・フロイ、窓を開け、それを聞いてゐる)

(歌つてゐる男の後ろから手が伸びて、その男の首を絞め、殺す)

(フロイ、歌の男に金を投げてやり、窓を閉める)

(歌の男のベランダ、に落ちてゐる貨幣の映像)

(フロイ、今聞いた歌を口ずさんでゐる)

(朝。駅。男1、男2、現れる)

~~~2. Well, if we get to Bâle on time, we should see the last day of the match.

「バールに時間通りに着けば、試合の最終日には間に合ふぞ。」

~~~1. I hope the weather's like this in Manchester. Perfect wicket for our fellas.

「マンチェスターでこんな天気なら、絶好のクリケット日和だ。」

(パーカーとリンデン、現れる)

~~~Linden. We're somewhere along here.

「ここらあたりぢやなかつたかしら。」

~~~Parker. If you don't hurry, Margaret, we shan't get that compartment to ourselves.

「マーガレット、急がないと、あのコンパートメント、誰かに取られてしまふぞ。」

~~~Linden. Does it matter?

「それ、そんなに大事なこと?」

(アイリスと女1、女2、現れる)

~~~3. Well, there's still time to change your mind, Iris.

「アイリス、あなた、決心を変へるのなら、まだ間に合ふわよ。」

~~~2. Yes. Why not send Charles a greetings telegram and tell him he's all washed up?

「チャールズに電報を打つておいたら? ごめんなさい、みんな、ご破算です、つて。」

~~~Iris. No. It's too late. This time next week... I shall be a slightly sunburnt offering on an altar in Hanover Square. I shan't mind, really.

「いいえ、もう駄目。来週のこの時間、私はハノーヴァー・スクエアーで、少し日焼けした顔をして祭壇の前に立つてゐるわ。私、もういいの、本当に。」

(その女三人のところへミス・フロイが来て)

~~~Miss Froy. Oh! Good morning. I can't find my bag. It's a brown holdall, you know.

「ああ、お早うございます。私、鞄がなくなつたの。大きな、茶色の鞄なんだけど。御存じない?」

Have you seen - No. Of course not. Uh, thank you. Well, I gave it to the porter. I can't imagine what happened.

「見なかつた? ええ、そりや、見るわけないわね。有難う。ポーターに渡したんだけど。あの鞄、一体どうなつたのかしら。」

(と、ミス・フロイ、もと来た方へ引き返す。女三人、顔を見合せて笑ふ。アイリス、下に落ちてゐる眼鏡に気づき)

~~~Iris. Oh, she dropped her glasses. Say, you dropped your glasses.

「ああ、あの人眼鏡を落したわ。ちよつと・・・眼鏡を落しましたよ。」

(と、ミス・フロイを追ひ、眼鏡を渡さうと走る。行き着いて渡す)

~~~Miss Froy. Oh. Thank you, my dear.

「あら、ありがたう、あなた。」

(その時、階上から物が落される。アイリスの頭に当る)

~~~Iris. Oh!

「あつ、痛い!」

~~~Miss Froy. Oh, dear, oh, dear, oh, dear!

「あらあら、まあまあ。」

~~~2.(駆けつけて来て)Darling, are you hurt?

「あなた、怪我、なかつた?」

~~~3.(これもびっくりして)Oh!

「まあ!」

~~~Iris. I don't know. What was it?

「分らない。何でせう、一体。」

(駅長、乗り遅れるから、と、呼びに来る)

~~~駅長. Never mind about that.

「汽車に遅れます。何でもいいから、乗つて下さい。」

(その駅長に女3、文句を言ふ)

~~~3. This cock-eyed station of yours has practically brained my friend.

「あなたの管理してゐるこの駅、一体何? 私の友達の頭、壊れてしまつたぢやない!」

cock-eyed~~~やぶにらみの、かしいだ

~~~Miss Froy. Yes indeed!

「本当に!」

~~~2. Well, what are you going to do about it?

「どうしてくれるの、あんた!」

~~~Miss Froy. He says he cannot hold the train.

「(駅長のドイツ語を聞いて)この人、列車は止められないつて言つてる。」

~~~2. I like that!

「呆れたもの!」

~~~3. Hurry up! It's going.

「あ、急いで! 動き出した!」

~~~Miss Froy. Yes, my dear.

「あら、大変。」

~~~Iris. I'll be all right.

「私、大丈夫。」

~~~Miss Froy. Are you sure?

「本当に?」

~~~2. Be careful now. Careful.

「さ、気をつけて。ね、気をつけて。」

~~~Miss Froy. Don't worry. I'll look after her. Such carelessness.

「大丈夫。私がこの人のこと、診ますから。全く、何ていふ不注意でせうね。」

(アイリスとミス・フロイ、汽車に乗る)

(女2と女3、ホームからアイリスを見送つて言ふ)

~~~3. You sure you're all right?

「あなた、本当に大丈夫?」

~~~2. Send us a copy of the Times.

「タイムズ(新聞)を送つてね。(結婚の記事があるから)」

~~~3. Write and tell us all about it.

「結婚の話、手紙で知らせて。」

~~~2. Good luck.

「幸せにね。」

~~~3. Look after yourself.

「身体に気をつけて。」

\\

(列車の中)

(アイリス、打つた頭が痛く、気が遠くなる。暫くして座席に坐つてゐる自分に気づく)

(ミス・フロイが正面の席にゐて)

~~~Miss Froy. There, there. You'll be all right in a minute.

Just take everything quietly.

「ほーら、あなた、もう大丈夫よ。だんだんとよくなるから、じつとしてゐて。」

(ミス・フロイのこの台詞の間にアイリス、コンパートメントの客を見る。フロイの左隣に男と女、アイリスの右隣に子供とその母親)

~~~Miss Froy. Put some of this eau de cologne on your head.

「オーデコロンを額につけて。」

(と、ハンカチにオーデコロンをつけ、アイリスに渡す。アイリス、それを額にあてる)

~~~Miss Froy. Do you feel any better?

「少しは楽になつたでせう?」

~~~Iris. Yes, thank you. I'm all right now.

「ええ、有難う。私、もう大丈夫。」

~~~Miss Froy. What you need is a good, strong cup of tea. I'll ring for the attendant.

「美味しくて、濃い紅茶、それが一番効き目があるの、今のあなたには。乗務員を呼んで、頼むわ。」

~~~Iris. No, no. Please don't bother. I'll go to the dining car myself. I need some air.

「いいえ、止めて。私、独りで食堂車に行きます。ちよつと新鮮な空気を吸ふ方が良ささうですわ。」

~~~Miss Froy. Oh, well, in that case, I'll come with you. If you don't mind, that is.

「ああ、それなら、私、一緒に行くわ。勿論、お邪魔でなければ。」

~~~Iris. No, of course not.

「あら、それはすみません。有難うございます。」

(二人で通路を歩いて食堂車に向ふ)

(ミス・フロイ、つまづいてコンパートメントの入口にぶつかる)

~~~Miss Froy. Ah -

「あつ・・・」

(これはパーカーとリンデンのコンパートメント。パーカー、すぐにシャッターを下す)

~~~Miss Froy. Oh! I - I beg your pardon. I'm so sorry.(アイリスに)You can always tell a honeymoon couple, you know. They're so shy.

「あら、失礼。ご免なさい。あれ、新婚旅行ね。新婚旅行では、みんなとても恥かしがり屋だから。」

(パーカーとリンデン・トラヴァースのコンパートメント)

~~~Travers. Why did you do that?

「何故あんなことをするの?」

~~~Parker. Well, we don't want people staring at us.

「人にじろじろ見られたくないからね。」

~~~Travers. Anyone would think the whole legal profession were dogging you.

「あんなことをするなんて。法律関係の仕事をしてゐる人がみんなで、あなたのことを偵察してゐる、つていふやうだわ。」

~~~Parker. Oh, one would be enough.

「ああ、一人で沢山だ。」

~~~Travers. You even thought that beggar in Damascus was a barrister in disguise.

「ダマスカスでもさうだつたわね。あの乞食、変装した検事だとでも、あなた、思つたの?」

~~~Parker. I merely said his face was distinguished enough for a judge.

「あの乞食、偉さうな顔をしてゐた。判事でも通りさうな顔だつたよ。」

~~~Travers. You hurried off in the opposite direction, I noticed.

「私、見てゐたけど、あなた、急いで反対側に走つて逃げたわね。」

~~~Parker. That's not true. I was looking for a street called "Straight."

「それは違ふ。『真直ぐ』つていふ名前の通りを捜してゐたんだ。」

(これは多分、浮気といふのが『真直ぐ』な道ではないので、トラヴァースへのあてつけでせう)

~~~Travers. You weren't so careful the first few days.

「最初の二三日、あなた、そんなに用心深くはなかつたわ。」

~~~Parker. I know. I know.

「分つてる、分つてる。」

~~~Travers. And anyway, as for you meeting someone you know, what about me? Robert thinks I'm cruising with Mother.

「それに、とにかく、あなた、誰かに逢つたら、私のことはどう言ふつもり? ロバート(これはトラヴァースの夫でせう)は私が母とクルーズィングに行つてゐると思つてるのよ。」

(食堂車。男1と男2が坐つてゐる。通路を挟んでその反対側にミス・フロイとアイリスが坐る)

~~~Miss Froy. If one's feeling a little bit shaky, I always think it's best to sit in the middle of the coach. Preferably facing the engine.

「元気が出ないな、と感じたら、乗り物の真中に坐るのがいいの。そして、なるべくなら、エンジンのすぐ前にね。」

(そこに給仕が来る)

Uh, a pot of tea for two, please.

「二人分、お茶、お願ひ。」

~~~給仕. Very good.

「畏まりました。」

~~~Miss Froy. Oh, and - and just a minute. Will you please tell them to make it from this?

「エーと、ちよつと待つて。これを出して貰へないかしら。」

(と給仕に茶の葉の箱を渡す)

~~~Miss Froy. I don't drink any other. Uh, and - and make

absolutely sure that the water is really boiling. You understand?

「他のお茶は私、飲まないの。エー、それでね、お湯は本当にグラグラに湧かしてよ。分るわね?」

(アイリスに)It's a little fad of mine. My dear father and mother... who I'm thankful to say are still alive...

「これ、私の気まぐれ。父も母も・・・二人ともまだ生きてるのよ」

and enjoying good health, invariably drink it.

「そしてとても元気。その二人がこれを飲んでるの。」

And so I follow their footsteps. Do you know a million Mexicans drink it? At least that's what it says on the packet.

「だから私も二人の真似。メキシコ人は大抵これを飲んでるつて、知つてる? 少なくともこの箱にはさう書いてあるわ。」

~~~Iris. It's very kind of you to help me like this.

「こんな風に助けて下さるなんて、有難うございます。」

I don't think we've introduced ourselves. My name's Iris Henderson. I'm going home to be married.

「まだ、お互ひに紹介はすんでゐませんでしたわね? 私、アイリス・ヘンダースンて言ひます。結婚のために、家に帰るところですの。」

~~~Miss Froy. Really? Oh, how very exciting. I do hope you'll be happy.

「あら、まあ。何て素敵。どうぞお幸せにね。」

~~~Iris. Thank you.

「有難うございます。」

~~~Miss Froy. You'll have children, won't you? They make such a difference.

「あなた、お子さんは作るんでせう? 子供つて本当にいいわ。」

I always think it's being with kiddies so muchthat's made me -

「私、今の自分があるのは、子供たちと一緒だつたお陰だと思つてゐるの。」

If I may say so - young for my age. I'm a governess, you know. My name's Froy.

「さう、自分より年の少ない、さういふ人のお陰。私、家庭教師なんです。名前はフロイ。」

(丁度汽笛が鳴る。アイリス、聞えない)

~~~Iris. Did you say Freud?

「エー・・・今『フロイド』と仰つた?」

~~~Miss Froy. No. O-Y. Not E-U-D. Froy.

「いいえ、『オイ』。『オイド』ぢやないの。『フロイ』。」

~~~Iris. I'm sorry. I can't hear.

「ご免なさい。聞えません。」

(ミス・フロイ、窓ガラスに指で「FROY」と書く)

~~~Miss Froy. Froy. It rhymes with "joy."

「フロイ。『ジョイ(喜び)』と韻を踏むの。」

(給仕、茶を持つて来る)

~~~Miss Froy. Thank you. Uh, please reserve two places for lunch, will you? That is if you'd care to have it with me.

「有難う。それからお昼のために二つ席を予約、お願ひ。(アイリスの方を見て)勿論、あなたがお厭でなければ、ですけど。」

~~~Iris. Of course.

「どうぞ、お願ひします。」

(こちら、男1と男2

~~~1. There's nothing moot about it. It simply wasn't out. That's all. But for the umpire's blunder, he'd probably still be batting.

「あれには全く曖昧なところなどないさ。あれは単純にセーフだ。それだけのことだ。審判だよ、馬鹿をやつたのは。だからあのバッター、まだ打つてゐるところなんだ、正確な判定ならな。」

(野球の言葉でクリケットを説明すると、バッターは一試合、一回しかバッターボックスに立てない。但し、一塁まで行ければ、また打つ。何度でも。アウトになるまでバッターボックスに立つ。)

~~~2. What do you mean? I don't understand.

「どういふことなんだ? 僕には分らないな。」

~~~1. I'll show you. Look here.

「いいか、かうなつてたんだ。見てろ。」

(と、角砂糖を入れ物から出し、並べる)

I saw the whole thing. There. Now then. There's Hammond. There's the bowler. There's the umpire.

「僕はちやんと一部始終を見てゐたんだ。いいか、かうだ。ここにハモンド、ここにピッチャー。ここにアンパイヤ。」

(こちら、アイリスとミス・フロイ)

~~~Miss Froy. Sugar?

「お砂糖?」

~~~Iris. Two, please.

「ええ、二個。」

~~~Miss Froy. Dear me. There is no sugar.

「あら、お砂糖がないわ。」

(男1と男2

~~~1. Now watch this very, very carefully, Caldicott.

Grimmett was bowling.

「さあいいか、コールディコット、ここをよーく見ておくんだ。今グリメットが投げる・・・」

(ミス・フロイ、隣のテーブルの男1に話しかける)

~~~Miss Froy. May I trouble you for the sugar, please?

「お手数ですが、ちよつと、砂糖を渡して下さいませんか?」

~~~1. What?

「何だつて?」

~~~Miss Froy. The sugar, please.

「砂糖です。」

(男1、仕方なく砂糖を拾ひ、不機嫌さうにミス・フロイに渡す)

~~~Miss Froy. Thank you so much.

「有難うございます。」

(ミス・フロイ、アイリスをコンパートメントに連れて帰る)

~~~Miss Froy. If I were you, I'd try and get a little sleep. It'll make you feel quite well again.

「もし私があなただつたら、ここでちよつと眠るわ。眠りさへすれば、ずつとよくなる筈ですもの。」

There's a most intriguing acrostic in The Needlewoman. I'm going to try and unravel it before you wake up.

「『編物教室』(これは雑誌)に面白いクロスワードがあるの。あなたが目を覚ます前にこれを解いておくわね。」

(ミス・フロイの左隣に、子供連れの男。男、子供にハンカチで手品をやつて見せてゐる。それを見るアイリス)

(汽車、走りに走る)

(アイリス、目を醒す。正面の席にミス・フロイ、ゐない)

(昼食の係、昼食の注文を取りに来る)

~~~. Reservations for lunch, please.

「昼食の予約をなさる方、いらつしやいませんか?」

(個々に尋ね、アイリスの番になり)

~~~. Madame has booked for lunch?

「昼食、もう予約なさいましたか?」

~~~Iris. Oh, I think my friend did. She's got the tickets.

「友達がやつてくれたと思ひます。予約券は友達が持つてゐますわ。」

(係、出て行く。アイリス、通路を覗き、それから部屋の人に)

(まづ、ミス・フロイの左隣の男に訊く)

~~~Iris. Have you seen my friend?

「私のお友達、どこに行つたか、御存知?」

~~~. No.

「いいえ。」

~~~Iris. Um, my friend. Where is she? La signora inglese. The English lady. Where is she?

「私のお友達のことですけど、どこに行つたのでせう。ラ・スィニョーレ・イングレーゼ。イギリスの婦人ですけど。御存知ない?」

~~~男の左隣の女. There has been no English lady here.

「ここにはイギリスの婦人なんて、ゐませんでしたわ。」

~~~Iris. What?

「何ですつて?」

~~~. There has been no English lady here.

「イギリスの婦人なんてゐませんでした、つて言つてるんです。」

~~~Iris. There has. She sat there in the corner. You saw her. You spoke to her. She sat next to you.

「あそこにゐたぢやありませんか。ほら、その隅のところに。あなた、見たでせう? あなた、その人に話しかけてゐたぢやありませんか。あなたの隣に坐つてゐたぢやありませんか。」

(男、「知らない」という手振り)

~~~Iris. But it's ridiculous. She took me to the dining car and came back here with me.

「だつて、そんな馬鹿な話。あの人、私を食堂車に連れて行つてくれて、ここに二人で戻つてきたでせう?」

~~~. You went and came back alone.

「あなた、一人で出て行つて、一人で帰つてきました。」

~~~Iris. Maybe you don't understand. I mean the lady who looked after me when I was knocked out.

「あなた、分つてないのよ、私の言つてゐることが。ほら、私、頭に物が落ちて、痛かつた時、私の看病をしてくれた、あの婦人のことよ。」

~~~. Ah. Perhaps it make you forget, eh?

「ああ、すると、頭を打つたせゐですかな?」

~~~Iris. Well, I may be very dense, but if this is some sort of a joke, I'm afraid I don't see the point.

「それは私、少しはぼうつとしてゐるかもしれないけど。だけど、こんなこと、何かの冗談。私、あなた方のこと、よく分らないわ。」

(と立上り、通路へ出る)

(通路を行き、捜すが、ミス・フロイ、見えず。食堂車の給仕に会ひ)

~~~Iris. Oh, steward, you served me tea just now.

「ああ、給仕さん、さつきあなた、私にお茶を出してくれたわね?」

~~~給仕. Yes, madame.

「はい、マダーム。」

~~~Iris. Have you seen the lady I was with? The English lady.

「その時、私と一緒のご婦人を見たでせう? イギリス人のご婦人。」

~~~給仕. But madame was alone.

「いいえ、あなた、お一人でした。」

(そこに昼食の係が来て)

~~~. Pardon, madame. He make mistake.

「失礼しました。この給仕、間違ひでした。」

~~~Iris. Well, of course. He must remember the little English lady. She ordered the tea and paid for it.

「ええ、さう、当り前よ。この人、あのイギリス婦人を覚えてゐるに決つてるわ。その婦人、お茶を注文して、お金を払つたんですから。」

~~~給仕. No. It is you who paid.

「いいえ、お金を払つたのは、あなたです。」

(給仕、係に何かを外国語で言ふ)

~~~. He say to look at the bill. I will look, madame.

「給仕はお茶の勘定書を見ろと言つてゐます。今見てきます、マダーム。」

~~~Iris.(給仕に)But she gave you a special packet of tea. You can't have forgotten that.

「だつてあの人、特別なお茶を、箱であなたに渡したでせう? あれを忘れるなんて、どういふこと?」

~~~給仕. The tea was ours, madame. I received no packet.

「お茶はこちらで使つてゐるものを出しました、マダーム。私は箱など受け取つてはをりません。」

~~~Iris. But you did. I know what happened.

「あなた受け取つたわよ。私、ちやんと見てゐました。」

~~~. Pardon, madame. The bill. Uh, tea for one.

「(そこへ係が来て)失礼しました、マダーム。勘定書、お茶は一人分です。」

~~~Iris. But that's not right.

「そんなのつて・・・違ふわ。」

~~~. Perhaps madame would care to examine the bills herself.

「勘定書をご自分でお確かめ下さいますか?」

~~~Iris. No, I wouldn't. The whole thing's too absurd.

「いやよ、そんなこと。こんな馬鹿なことつて!」

(と、二人を残し、去る)

(アイリス、他の車両へ行き、男に話しかける)

~~~Iris. Please, have you seen a lady pass through -

「ちよつと失礼。あなた、イギリスの婦人がここを通るのを見ませんでした?」

(アイリス、その男がレッドグレイヴだと分り)

~~~Iris. Oh.

「まあ!。」

~~~Redgrave. Well, well. If it isn't old stinker.

「おやおやおや、これはこれは、あの厭らしい、狡い、女性。」

If I thought you were going to be on this train, I'd have stayed another week in the hotel. Uh, lady? No. Why.

「君がこの汽車に乗つてゐると知つてゐたら、僕はもう後一週間、あのホテルに泊つてゐたね。ところで、何だつて? イギリス女性? 知らないね。どうして?」

~~~Iris. It doesn't matter. You probably wouldn't recognize one anyway.

「いいの、もう。あなた、あの人を見てゐたつて覚えてゐつこないわ。」

(と、去らうとするが、頭が痛くなる。右手で頭を抑へる)

~~~Redgrave. Hello. Feeling queer?

「おや? 気分が悪いの?」

(レッドグレイヴの友人ジョージが、アイリスに近づいて、「どうしたのか」といふ仕草。それを見て レッドグレイヴ)

~~~Redgrave. It's that pipe of yours, George. Why don't you throw your old socks away? Never mind. Thanks for your help all the same.

「おいおい、ジョージ、そのパイプのせゐだぞ。そんなもの、どこかへ捨ててしまへ。ああ、まあいい。とにかくこの人のことを気にかけてくれて有難う。」

(ジョージを去らせ、アイリスに)

Come on. Sit down. Take it easy. What's the trouble?

「さあ、坐つて。楽にして。どうしたんだい?」

~~~Iris. If you must know, something fell on my head.

「さうあなたが言ふなら・・・頭の上に物が落ちたの。」

~~~Redgrave. When? Infancy?

「いつ? 子供の時?」

~~~Iris. At the station.

「あそこの駅で。」

~~~Redgrave. Oh. Bad luck. Can I help?

「ああ、それは運が悪かつた。僕に出来ること、ないかな?」

~~~Iris. No. Only by going away.

「ない。あなたがゐなくなつてくれさへすれば治るわ。」

~~~Redgrave. No, no, no. My father always taught me never desert a lady in trouble. He even carried that as far as marrying Mother.

「いやいやいや、それは駄目だ。父はいつも、困つた女性は、決して放つておいてはいけないと僕に言つてゐた。最後には、僕の母と結婚するまで、その主義を徹底させたんだ。」

~~~Iris. I say, did you see a little lady last night in the hotel? In tweeds.

「ぢや聞くけど、夕べ、あのホテルで、可愛い女性を見なかつた? ツイードの服を着た。」

~~~Redgrave. I only saw one little lady. She was hardly in tweeds.

「可愛い女性なら一人見たけど、ツイードぢやなかつたな。」

~~~Iris. But she was in my compartment, and now I can't find her.

「その人、私のコンパートメントにゐたんだけれど、今はその人、どこにゐるか、全然分らないの。」

~~~Redgrave. She must be still on the train. We haven't stopped since we started.

「この汽車にはゐるに違ひないよ。だつて、走り出してから今まで、これ、止つてゐないもの。」

~~~Iris. Of course she's still on the train. I know that.

「勿論ゐるわ、この汽車に。それは分つてるの、私。」

~~~Redgrave. All right. Nobody said she isn't.

「よーし。それでは結局、我々二人とも、彼女がゐないとは言つてゐないわけだ。」

~~~Iris. Yes, but that's just what they are saying.

「ええ、さうね。だけど、誰も彼も、彼女はゐないつて言つてゐるの。」

~~~Redgrave. Who?

「誰も彼も、つて、誰が。」

~~~Iris. The rest of the people in the compartment and the stewards. They insist they never saw her.

「私のコンパートメントにゐる人達全員、それに、汽車の乗務員。その人達みんな、あの人を見たことがないつて。」

~~~Redgrave. All of them?

「みんな?」

~~~Iris. All of them.

「ええ、みんな。」

~~~Redgrave. You were saying you got a knock on the head?

「君、頭を打つたつて言つてたね?」

~~~Iris. What do you mean?

「それ、どういふこと?」

~~~Redgrave. Never mind. Do you talk the lingo?

「いやいや、いい。君、外国語、話せる?」

~~~Iris. No.

「いいえ。」

~~~Redgrave. Well, they probably thought you were trying to borrow some money. Come on. Let's knock the idea out of their stupid heads.

「連中みんな、ひよつとすると、君が金でも借りようとしてゐゐる、と思つてゐるのかもしれない。さあ、さあ、連中のその馬鹿頭から、そんな考へを叩き出してやることにしよう。」

(アイリスがこちらを睨んでいるので)

A most unfortunate remark. I beg your pardon.

「(「頭」と 「叩く」がまづい言葉だつたと分り)あ、失礼。まづい言葉だつた。謝る。」

(二人で車両を進む。話をしてゐる二人の男がゐる。アイリス、その一人を指差して)

~~~Iris. That's one of them. The little dark man.

「あの人もさう。あの小さい色の黒い方の人。」

(レッドグレイヴ、その男に近づき)

~~~Redgrave. I say. Excuse me. I think there's been a little misunderstanding. This young lady seems to have lost her friend.

「ちよつと失礼します。何か誤解があるんぢやないでせうか。この若い婦人は、友人がゐなくなつたと言つてゐますが。」

~~~背の高い方の男. Yes. I have heard. This gentleman has been explaining to me.

「ええ、聞いてゐます。この人が今説明してくれてゐるところです。」

~~~Redgrave. Ah.

「ああ。」

~~~背の高い男. Most interesting. And I think under the circumstances, we shall all introduce ourselves.

「これは面白い話だ。すると、状況から考へると、皆で自己紹介した方がよささうだ。」

~~~帽子の男. I am Italian citizen. My wife and child.

「私はイタリア人。これは妻と子供。」

~~~Redgrave. How do you do? Oh, bonny little chap. How old is he?

「初めまして。ああ、可愛い子供さんですね。おいくつ?」

~~~帽子の男. 1934 class.

1934年生れ。」

~~~Redgrave. Ah.

「ああ。」

~~~帽子の男. Sì. And the lady in the corner is the Baroness Atona.

「さう。そしてその隅の女性はアトーナ男爵夫人。」

~~~Redgravev. Oh, yes. I met her husband. He presented prizes at the folk dance festival. Minister of propaganda.

「ああ、アトーナ男爵にはお会ひしました。フォーク・ダンス祭で、賞を渡してゐた人。広告大臣。」

~~~Hartz. And I am Dr. Egon Hartz of Prague. You may have heard of me.

「そして私は、プラハのドクター・エゴン・ハーツ。名前は聞いたことがあるんぢやないかな。」

~~~Redgrave. Not the brain specialist?

「脳の専門家ぢやありませんか?」

~~~Hartz. Yes. The same.

「さうです。その通り。」

~~~Redgrave. You flew over to England the other day and operated on one of our cabinet ministers.

「先日イギリスまで飛んで、誰か、大臣の手術をしたとかいふ・・・」

~~~Hartz. Oh, yes.

「さうです。」

~~~Redgrave. Tell me. Did you find anything?

「何か見つかりましたか?」

~~~Hartz. A slight cerebral contusion.

「軽い脳震盪でしたね。」

~~~Redgrave. Oh, well, that's better than nothing.

「まあ、何もないよりはましでしたね、それは。」

~~~Hartz. But I am picking up a similar case at the next station, but so much more complicated.

「しかし、次の駅では、同じ脳の病気を診なければなりません。今度はイギリスのよりはずつと複雑さうです。」

I shall operate at the national hospital tonight. Among other things, a cranial fracture with compression. Do you understand?

「今夜国立病院で手術をする予定です。頭蓋骨の圧搾座礁です。分りますか?」

~~~Redgrave. Oh, yes. A wallop on the bean.

「分ります。まあ、踏みつぶされた大豆ですね。」

~~~Iris. I suppose you haven't seen my friend.

「あなたは、私の友達を見かけなかつたでせうね。」

~~~Hartz. Unfortunately, no.

「残念ながら、見ませんでしたな。」

~~~Redgrave. I'll just take a word with the baroness. Uh -

「ちよつと、あの男爵夫人と話してみよう。エー」

(と、コンパートメントに入り、アトーナの隣に坐り、イタリア語で、「老婦人を見たか」と聞く。「いいえ」と)

(次に、アイリスの右隣の女性にイタリア語で「老婦人を見たか」と。「いいえ」と答)

~~~Iris. What do they say?

「あの人たち、何て言つてた?」

~~~Redgrave. Well, they both say they've never seen her.

「そんな人、見たことがない、と。」

~~~Iris. But that's not true. She was sitting where you are.

「そんなの嘘。あの人、今あなたが坐っている場所にゐたのよ。」

~~~Hartz. Can you describe her?

「どんな人だつたか、言へる?」

~~~Iris. Well, it's a bit difficult. You see, she was sort of middle-aged and ordinary.

「ちよつと難しいわね。中年、まあ、普通の人・・・」

~~~Redgrave. Well, what was she wearing?

「着てゐたものは?」

~~~Iris.(目を瞑つて思ひ出しながら)Tweeds, oatmeal flecked with brown... a three-quarter coat with patch pockets... a scarf, a felt hat,

「ツイードの服、オートミール色の下地に茶色の・・・ポケットつきの四分の三コート、スカーフ、それにフェルトの帽子。」

brown shoes... a tussah shirt and - and a small blue handkerchief in her breast pocket. I can't remember any more.

「茶色の靴、やままゆが(絹の一種)のシャツ、それに・・・胸ポケットに小さな青いハンカチ。これ以上は覚えてないわ。」

~~~Redgrave. You couldn't have been paying attention. Now listen. You both went along to tea.

「それだけ見てゐたらたいしたもんだよ。よく聞いて。君達二人、一緒に食堂車にお茶を飲みに行つたんだね?」

~~~Iris. Yes.

「ええ。」

~~~Redgrave. Well, surely you met somebody.

「そのとき、誰かには、出逢つたらう?」

~~~Iris. I suppose we did, but - Wait a moment. Let me think. Oh, yes. There was an Englishman who passed the sugar.

「ええ、逢つたやうに思ふ。待つて、ちよつと。考へる。ああ、さうさう、イギリス人の男の人がゐたわ、砂糖を渡してくれた。」

~~~Redgrave. Right you are. Let's go along and dig him out.

「よし、それだ。行つてみよう。その男を捜すんだ。」

~~~Hartz. Pardon me. I'll come with you. This is most interesting to me.

「失礼ですが、私も行かせて下さい。これは私に、非常に興味のある問題です。」

~~~Redgrave. Well, we don't like people muscling in, but we'll make you a member.

「他人が割り込んで来るのは好きぢやないんだが、まあいい、あんたは入れてあげよう。」

(アイリス、レッドグレイヴ、ハーツ、三人で廊下を歩いて行く)

~~~Iris. Wait a moment. There was somebody else.

「ちよつと待つて。あのイギリス人の他に、まだゐたわ。」

As we passed this compartment, Miss Froy stumbled in. There was a tall gentleman and a lady.

「このコンパートメントを通り過ぎるとき、ミス・フロイが、ここでつまづいたの。ここに、背の高い紳士と婦人がゐたわ。」

~~~Redgrave. Now we're getting somewhere. If we can find someone who saw her, we'll have the place searched.

「よし、それで一歩前進だ。ミス・フロイを見た人物を、これで捜せる。ここにゐるはずだからね。」

(レッドグレイヴ、扉をノックする。パーカー、出て来る)

~~~Parker. Can I be of any assistance?

「何か、ご用ですか?」

~~~Iris. That's the gentleman.

「この人だわ。」

~~~Redgrave. Do you happen to remember seeing this young lady pass the compartment with a little Englishwoman?

「お聞きしますが、この女性と、小さいイギリスの老婦人が一緒に、ここを通りかかつたのを、あなた、覚えていらつしやいますか?」

~~~Parker. I'm, uh - I'm afraid not.

「エー、アー・・・覚えがありませんな。」

~~~Iris. But you must have. She almost fell into your compartment. Surely you haven't forgotten. It's very important.

「そんな筈はないわ。その婦人、あなたのコンパートメントに、ぶつかつたんですもの。忘れるはずないわ。これ、大変大事なことなんです。」

Everybody's saying she wasn't on the train, but I know she is... and I'm going to find her even if I have to stop the train to do it.

「その婦人がこの列車にはゐないつて、誰もが言つてるんです。でも私は、ゐたのを知つてゐるんです。それで私、列車を止めてでも、その婦人を、見つけるつもりなんです。」

(男1、廊下に出てゐて、このやりとりを聞いてゐる。ドアをノックする。

~~~1. Caldicott. This is Charters. Can I come in?

「コールディコット、チャーターズだ。入れてくれ。」

(男2、顔を出す)

~~~1. You know that girl we saw at the hotel? She's back there kicking up a devil of a fuss. Says she's lost her friend.

「おい、ホテルで見た例の女の子、知つてるな? あいつが今そこへ来て、大騒ぎをやつてゐるんだ。友達がゐなくなつたつてな。」

~~~2. Well, she hasn't been in here, old man.

「ああ、あの老婦人のこと? 彼女、ちやんとここにゐたぢやないか。」

~~~1. But the point is she threatens to stop the train.

「ゐたかどうかは問題ぢやないんだ。その女の子、汽車を止めるつて言つてるんだ。」

~~~2. Oh, Lord.

「やれやれ、それはひどい。」

~~~1. If we miss our connection in Bâle, we'll never make Manchester in time. This is serious. Let's hide in here.

「バールでの乗換へに遅れたら、マンチェスターには決して時間通りには着けないぞ。こいつは大事件だ。ああ、ここに隠れてゐよう。」

(こちら、パーカー、アイリス、ハーツ、レッドグレイヴ)

~~~Parker. I'm sorry. I haven't the faintest recollection. You must be making a mistake.

「すみませんが、私は全く覚えてゐなくて。そちらの間違ひではありませんか?」

(と、部屋に入る)

~~~Redgrave. Well, he obviously doesn't remember. Let's go and look for the other fellow.

「うん、どうやら彼は覚えてゐないやうだ。誰か別の人間にあたつてみよう。」

(パーカーとトラヴァースの部屋)

~~~Travers. Who were you talking to outside?

「誰? 今、外で話してゐたのは。」

~~~Parker. Hmm? Oh, nobody. Just, uh, some people in the corridor arguing.

「ああ、誰でもない。廊下でガタガタ話してゐた連中だ。」

(アイリス、男1と男2を見つける。レッドグレイヴに)

~~~Iris. There he is. That's the man.

「ああ、あそこにゐた。あの人がさうなの。」

~~~Redgrave. I say. I'm so sorry. I wonder if I can bother you.

I wonder if you can help us.

「(男1に近づき)ちよつと、失礼ですが、お邪魔してよろしいでせうか。お聞きしたいことがあつて。」

~~~1. How?

「何です?」

~~~Iris. I was having tea about an hour ago with an English lady. You saw her, didn't you?

「私、一時間程前に、イギリス婦人とお茶を飲んでゐました。あなた、その婦人を見ましたね? きつと。」

~~~1. I don't know. I mean, definitely. I was talking to my friend. Wasn't I?

「分りませんな。いえ、覚えてゐません。この男と話をしてゐましたから。さうだな?」

~~~2. Indubitably.

「うん、話してゐた。」

~~~Iris. But you were sitting at the next table. She turned and borrowed the sugar. You must remember.

「あなた方、私たちの隣の席でしたわね。その婦人は、振向いて、あなたから砂糖を受け取つたわ。それ、覚えてゐる筈ですよ。」

~~~1. I recall passing the sugar.

「ああ、砂糖は渡しましたね。覚えてゐます。」

~~~Iris. Then you saw her.

「ぢや、あの婦人を見ましたね?」

~~~1. I repeat. We were deep in conversation. We were discussing cricket.

「繰返し言ひますが、我々は話に夢中だつた。クリケットの話をしてゐましたからな。」

~~~Iris. I don't see how a thing like cricket can make you forget seeing people.

「どうしてクリケットなんかのことで、人を見たのを忘れることが出来るんでせう。私には分らないわ。」

~~~1. Oh, don't you? If that's your attitude, obviously

there's nothing more to be said. Come, Caldicott.

「ほう、あんたには分らない。よし、そちらがさういふ態度なら、こちらもあんたに言う言葉など何もない。さあ、行かう、コールディコット。」

"A thing like cricket."

「『クリケットなんかのことで』ときた。呆れたね。」

~~~2. Hmm.

「うん。」

(と、二人でアイリスとレッドグレイヴから、去る)

~~~Redgrave. Wrong tactics. We should have told him we were looking for a lost cricket ball.

「戦略がまづかつたね。我々はクリケットのボールを捜してゐるんだ、つて言へばよかつた。」

~~~Iris. But he spoke to her. There must be some explanation.

「でもあの人、ミス・フロイに話しかけたのよ。何か説明があつてよささうなものだわ。」

~~~Hartz. There is. Please forgive me.

「説明・・・といへば。失礼ですが。」

I'm quite possibly wrong... but I have known cases where a sudden shock or blow... has induced the most vivid impressions.

「私は間違つてゐるかもしれませんが、突然の衝撃、或は打撲が、非常にはつきりした印象を人に与へた例を、個人的に知つてゐますので・・・」

~~~Iris. I understand. You don't believe me.

「ああ、分つたわ。あなた、私のことを信用してゐないのね。」

~~~Hartz. Oh, it's not a question of belief. Even a simple concussion may have curious effects upon an imaginative person.

「信用不信用といふ問題ではないのです、これは。想像力のある人に対しては、軽い脳震盪でも、奇妙な効果があるものなのです。」

~~~Iris. Yes, but I can remember every little detail. Her name - Miss Froy. Everything.

「ええ、でも私は細かいことまでちやんと覚えてゐます。あの人の名前、ミス・フロイ。その他何でも。」

~~~Hartz. So interesting. You know, if one had time, one could trace the cause of the hallucination.

「それは面白い。もし時間さへあれば、その幻覚の原因を追跡することも出来るんだが。」

~~~Redgrave. Hallucination.

「幻覚ね。」

~~~Hartz. Oh, precisely. There is no Miss Froy. There never was a Miss Froy. Merely a vivid subjective image.

「さう、幻覚です。ミス・フロイなる人物はゐない。存在したことはないのです。単なる主観的イメージです。それも活き活きした。」

~~~Iris. But I met her last night at the hotel.

「でも私、夕べあのホテルで彼女に会つたのよ。」

~~~Hartz. You thought you did.

「会つたと思つただけなのです。」

~~~Redgrave. Yes, but what about the name?

「まあさうだとして、名前が出て来るといふことはどうなんです?」

~~~Hartz. Oh, some past association. An advertisement or a character in a novel, subconsciously remembered.

「過去の連想でせうね。広告とか、小説の登場人物、潜在的記憶による名前。」

No. There is no reason to be frightened... if you are quiet and relaxed.

「いや、怖がることは何もありません。静かに、ゆつたりとした気分でゐれば、そのうち治ります。」

~~~Iris. Thank you very much.

「ご忠告、有難いわ。」

~~~Hartz. Dravka. If you will excuse me, this is where my patient comes aboard. Excuse me.(アイリスを指差して)Most interesting.

「ああ、ドゥラーフカだ。では、失礼させて戴いて。私の患者がここで乗つて来るんです。失礼しますよ。ああ、面白いケースだ。」

(と、汽車を降りる用意)

(アイリスとレッドグレイヴ、二人になつて)

~~~Redgrave. We're stopping.

「汽車が停まるね。」

~~~Iris. This is the first stop, isn't it?

「ここが最初でせう? 停まるの。」

~~~Redgrave. Mm-hmm.

「うん。」

~~~Iris. Then Miss Froy must still be on the train. Look. You look out of this window and see if she gets off this side. I'll take the other.

「それならミス・フロイはまだこの汽車にゐるわ。見てゐて。こちらの窓から見はつて、あの人が降りるかどうか。私はこつち側を見る。」

(レッドグレイヴ、アイリスの目を覗き込んで)

~~~Redgrave. Most interesting.

「フム、面白い。」

~~~Iris. Oh.

「まあ!」

~~~Redgrave. What was she dressed in? Scotch tweeds, wasn't it?

「何を着てゐるんだつたつけ。スコッチ・ツイードだつたかな?」

~~~Iris. Oatmeal tweeds.

「オートミール・ツイードよ。」

~~~Redgrave. Oh, I knew it had something to do with porridge.

「ああ、さうか、何かお粥に関係があるとは思つてゐたんだ。」

(向うで、ハーツ、汽車を降りる。顔を包帯でぐるぐる巻きにした患者が担架で運ばれ、汽車に乗せられる。レッドグレイヴ、それを見てゐる)

(こちら、パーカーとトラヴァースの部屋)

~~~Travers. How long does it take to get a divorce? Eric.

「離婚にはどのくらゐかかるの? エリック。」

~~~Parker. Hmm? Oh, I beg your pardon. I wasn't listening.

「え? 何だつて? もう一度言つてくれ。聞いてなかつた。」

~~~Travers. I said, "How long does it take to get a divorce?"

「『離婚にはどのくらゐかかるの』つて聞いたの。」

~~~Parker. Oh, that depends. Why?

「ああ、それは場合によるね。どうして?」

~~~Travers. I was only wondering whether we could take our honeymoon next spring. I mean the official one.

「私たちのハニムーン、私、来春にするのはどうかなつて思つてゐたから。正式のハニムーン。これぢやなくて。」

~~~Parker. The difficulties are considerable. For one thing,

the courts are very crowded just now.

「困難なことが山ほどあるね。第一に、今法廷はひどく込んでゐてね。」

Although I suppose we barristers ought not to complain about that.

「まあ、僕は法廷のことに関して不平を言ふ立場にはないんだが。」

As a matter of fact, with the - with conditions as they are now, my chances of becoming a judge are very rosy.

「いや、不平どころか、現状の状態のままだとすると、僕が判事になる確率は実に高いといふわけだからね。」

That is, if, uh, nothing untoward occurs.

「つまりその・・・もし具合の悪い事柄が起らなければの話だが。」

~~~Travers. Such as you being mixed up in a divorce case yourself.

「あなた自身が離婚問題に関るといふやうな事態がなければ、つてことね?」

~~~Parker. Uh, yes.

「うん、まあね。」

~~~Travers. In that first careless rapture of yours you said you didn't care what happened.

「うつとりとなつてゐた、あの最初の頃、あなた、『僕はもう、どうなつたつて構はない』つて言つてたわ。」

~~~Parker. My dear, you must think of it from my point of view. The law, like Caesar's wife, must be above suspicion.

「ねえ君、君だつて、僕の立場からものを見てくれなきや困るよ。シーザーの妻は、疑ひを持たれるだけでも駄目なんだ。あれと同じだ。それが法といふものなのだ。」

~~~Travers. Even when the law spends six weeks with Caesar's wife?

「法がシーザーの妻と6週間一緒に暮しても? それでも駄目?」

(パーカーは、無実でも疑はれることがある、と言ふ。トラヴァースは「無実もへちまもないでせう? あなた、私と既成事実を作つて、もう6週間になるのよ」と言ふ)

~~~Parker. Look here.

「おいおい、待つてくれ。」

~~~Travers. Now I know why you've been running around like a scared rabbit. Why you lied so deliberately a few minutes ago.

「これで分つた、あなたが何故、オドオドした兎のやうに、あちこち走り回つてゐるのか。さつき、あんな見え透いた嘘をついたぢやない。」

~~~Parker. I lied?

「僕が嘘を?」

~~~Travers. Yes. To those people in the corridor. I heard every word you said.

「さうよ。廊下のあの人達に。あなたが言つた、全部の台詞を私、覚えてゐるわ。」

~~~Parker. It was merely that I didn't wish to be mixed up in any inquiry.

「それはね、ただ、変な訊問の対象になりたくないからなんだ。」

~~~Travers. Inquiry. Just because a little woman can't be found -

「訊問? だつてただ、老婦人が見つからないつて、それだけでせう?」

~~~Parker. That girl was making a fuss.

「あの女の子が大騒ぎをしてゐるんだ。」

If the woman had disappeared... and I'd admitted having seen her, we might become vital witnesses.

「もし本当にあの老婦人が消えてしまつて、それで僕が彼女を見たことがあるなんて言つてみろ、重要参考人にされてしまふ。」

My name might even appear in the papers, coupled with yours. Why, a scandal like that might lead anywhere. Anywhere.

「僕の名前が新聞に出る、おまけに君の名前と一緒にだ。こんな醜聞からどんなことになるか、知れたものぢやない。全く。」

~~~Travers. Yes. I suppose it might.

「さうね。あり得るわ。」

(トラヴァース、ニヤリと笑ふ。これをうまく利用してやれ、といふ気持)

(汽車、動き出す)

(こちら、アイリスとレッドグレイヴ)

~~~Redgrave. Nobody?

「誰も出なかつた?」

~~~Iris. Nobody.

「ええ、誰も。」

~~~Redgrave. Well, the only thing that came out my side was two bits of orange peel and a paper bag.

「こつち側で出たものは、オレンジの皮二つと、紙袋一個だけだ。」 

~~~Iris. I know there's a Miss Froy.(存在する)She's as real as you are.

「ミス・フロイはゐる。あの人、あなたと私、と同じ。現実の人間なの。」

~~~Redgrave. That's what you say, and you believe it, but there doesn't appear to be anybody else who's seen her.

「君はさう言つてゐる、そしてそれを信じてゐる。しかし、他に誰も彼女を見た人間がゐなくてはね。」

(そこへトラヴァース、やつて来て)

~~~Travers. I saw her, I think.

「私見たわ。私、見たと思ふ。」

~~~Iris. You did? A little woman in tweeds. Yes?

「あなた、見た? 背の低い、ツイードを着た・・・見たの?」 

~~~Travers. Wearing a three-quarter coat?

「スリー・クオーターのコートを着たね?」

~~~Iris. With a scarf?

「スカーフと。」

~~~Travers. That's right. I saw her with you when you passed the compartment.

「ええ、見た。あなたが私たちの部屋の前を通る時、見たわ。」

~~~Iris.(レッドグレイヴに)I knew I was right. But your husband said he hadn't seen her.

「ほらね、私、自分が正しいと分つてゐたわ。でもあなたの旦那様、見てゐないつて・・・」

~~~Travers. Oh, he didn't notice. But as soon as he mentioned it, I remembered at once.

「ああ、あの人は見なかつたのよ。でも、その人の話、聞いたとたん、私すぐ思ひ出したわ。」

~~~Redgrave. You win.(と、アイリスの右手を取つて、上に上げる)

「君の勝ちだ。」

You know, this calls for action. Are you prepared to make a statement?

「さあ、早速行動だ。君、声明を作る用意ある?」

~~~Travers. Of course. If it helps.

「勿論。それが何かの役に立つならね。」

(そこにハーツがやつて来て)

~~~Hartz. Ah. Pardon. My patient has just arrived. The most fascinating complication.

「ああ、失礼。今丁度、私の患者が到着しましたよ。これが実に複雑で、魅惑的な症状でしてね。」

~~~Iris. We've some news for you. This lady actually saw Miss Froy.

「あなたにお知らせすることがありますわ。このご婦人が、ミス・フロイを見たんですつて。」

~~~Hartz. So - We're going to have the train searched.

「ほほう。すると、汽車をくまなく捜査することになりますな。」

~~~Iris. You'll have to think of a fresh theory now, Doctor.

「あなたの理論、破れましたわ。新しく考へ直して下さらないと。」

~~~Hartz. It is not necessary. My theory was a perfectly good one.

「そんな必要はありません。私の理論は完璧です。」

The facts were misleading. I hope you will find your friend.

Excuse me.(と、去る)

「事実の解釈に誤りがあつただけです。あなたがご友人を発見なさることを期待してゐます。では、失礼。」

~~~Travers. I'll be in here if you want me.

「必要な時には、私、この部屋にゐますから。」

~~~Redgrave. Right you are. Come along.

「分りました。(アイリスに)さ、行かう。」

(トラヴァースとパーカー)

~~~Travers. Eric. I was only going to mention that I told that girl I'd seen her friend.

「エリック、私、あの娘(こ)に言つたわ、『あなたの友達を見たわ』つて。」

~~~Parker. What's that? Have you taken leave of your senses?

「何だ、それは。君は頭が狂つたのか。」

~~~Travers. On the contrary, I've come to them.

「いいえ、その反対。私、正気に戻つたの。」

~~~Parker. What do you mean?

「どういふ意味だ、それは。」

~~~Travers. If there's a scandal, there'd be a divorce. You couldn't let me down, could you?

「もし醜聞があれば、離婚になるわけでせう? その時あなた、私を放り出すなんて、しない筈。」

You'd have to do the decent thing as reluctantly as only you know how.

「あなた、その時には嫌々ながらでも、まともなことをする筈だわ。弁護士として正統なことをね。」

~~~Parker. You forgot one very important thing, Margaret... your husband would divorce you, no doubt.

「マーガレット、君は大事なことを一つ忘れてゐる。君の亭主は君を間違ひなく離婚するだらう。」

But my wife will never divorce me.

「しかし、私の妻は決して私を離婚しはしない。」

(こちら、レッドグレイヴとアイリス。二人、車掌を呼んで)

~~~Redgrave. It may seem crazy to you, but you're going to search the train.

「(車掌に)君には気違ひ沙汰に見えるかもしれないが、兎に角、君に列車中を捜して貰はないと。」

(アイリスのコンパートメントのアトーナ(帽子の男)やつて来て)

~~~Atona. Down there, they look for you. Your friend come back.

「あちらの部屋で、あなたを捜してゐます。あなたの友達が帰つて来たんです。」

~~~Iris. Come back?

「帰つて来た、ですつて?」

~~~Atona. Si, si.

「(イタリア語で)さうさう。」

~~~Iris. But what happened?

「でも、ぢや、何が起つたの?」

~~~Atona. You go see. She tell you.

「あなた、自分で、見る。あの人、あなたに、話す。」

~~~Redgrave.(車掌に)All right Athleston, relax. The crisis is over. Come on, let's join the lady.

「ああ、もう大丈夫だ、アスリーストン。安心してくれ。危機は終つた。その婦人のところへ行かう。」

(アイリス、自分のコンパートメントに来て、その女性に呼びかける)

~~~Iris. Miss Froy.

「ミス・フロイ。」

(女、アイリスの方を向く。が、ミス・フロイとは違ふ女)

~~~Iris. That isn't Miss Froy.

「この人、ミス・フロイとは違ふわ。」

~~~Redgrave. Isn't it?

「違ふつて?」

~~~Iris. No.

「ええ、違ふ。」

~~~Redgrave. It's silly to say, but are you Miss Froy?

「こんな質問は馬鹿げてゐますが、あなたはミス・フロイですか?」

~~~Kummer. No, I am Madame Kummer.

「いいえ、私は、マダム・クマー。」

(クマー、何か、ドイツ語で言ふ。レッドグレイヴ、それを訳す)

~~~Redgrave. She helped you into the carriage and went to see some friends.

「君を助けて、この車両に連れてきた。それから、友達に会ひに、出て行つた、と。」

(同じコンパートメントの眼鏡の女性、ドイツ語で何か言う。またレッドグレイヴ、訳す)

~~~Redgrave. As you spoke about an English lady she didn't connect her with Mme Kummer.

(アイリスが、「ぢやさつきは何故、そんな婦人はゐなかつたと言つたのか」といふ顔をするので、翻訳して、)

「あなたが、英国女性のことを話した時、私、このクマーさんのこととは思わなかった。」

~~~Iris. But she wasn't the lady. It was Miss Froy.

「でも、私の言つてたのはこの人ぢやないわ。私の言つてるのは、ミス・フロイよ。」

~~~Redgrave. Oatmeal tweeds, blue handkerchief...

「オートミールのツイード、青いハンカチ・・・」

~~~Iris. Yes, it's all the same, but it isn't her.

「ええ、それは同じ。でもこの人は違ふ。」

(そこへハーツ、やつて来て)

~~~Hartz. When did you say you first met this Miss Froy?

「そのミス・フロイといふ人に最初に会つたのはいつでしたか?」

~~~Iris. Last night at the hotel.

「夕べ、ホテルで。」

~~~Hertz. Was she wearing a costume like this?

「かういふ服装をしてゐたんですね?」

~~~Iris. Yes, I think she was.

「ええ、さうだと思ひます。」

~~~Hertz. Then I apologise. You did meet her. But not on the train.

「なるほど、それなら、私は謝ります。確かにあなたは彼女に会つた。しかし、この汽車で会つたのではありませんな。」

In your subconscious mind... you substituted the face of Mme Kummer with Miss Froy's.

「潜在意識の中で、マダム・クマーの顔を、ミス・フロイの顔と置き換へてゐたんです。」

~~~Iris. But I didn't. I couldn't have, I talked to her here.

「そんな、取り違へなんて。私、する筈がないわ。ここであの人と話をしたんですからね。」

~~~Redgrave. That's easily settled, there's a woman who said she saw her. If the lady wouldn't mind.

「これは簡単に白黒つけられますよ。あの女性を見たといふ人がゐますから。その人が厭がらなければ、の話ですがね。」

(レッドグレイヴ、クマーにドイツ語で、「一緒に行つていただけませんか?」ときく。クマー、承諾する)

(クマー、アイリス、レッドグレイヴ、ハーツ、パーカーの部屋に行く)

~~~Redgrave. Is this the woman you saw?

「この人が、あなたが見たといふ婦人ですか?」

~~~Iris. It isn't a bit like her, is it?

「全然、似ても似つかない人でせう?」

(トラヴァース、チラとパーカーを見てから)

~~~Travers. Yes, she's the woman.

「この人でしたわ、確かに。」

~~~Iris. But it isn't. I tell you it isn't.

「そんな。そんな筈ないわ。」

~~~Redgrave. Are you sure?

「(トラヴァースに)確かに見た人なんですね?」

~~~Travers. Perfectly.

「ええ、確かに。」

~~~Iris. She isn't. She isn't.

「そんな筈ないわ。そんなことつて!」

(クマー、「これでいいの?」とレッドグレイヴにきく。レッドグレイヴ、「どうぞおひきとりを」と。ドイツ語でやりとり。クマー、元の部屋に戻る)

~~~Redgrave.(トラヴァースに)I'm so sorry to have troubled you.

「お邪魔して失礼しました。」(二人、去る)

(パーカーの部屋)

~~~Travers. Aren't you going to say anything? You might at least gloat.

「あなた、何か言はないの? ほくそえむぐらゐのことはしていいと思ふけど?」

~~~Parker. What am I expected to say? You only did it to save your own skin.

「私に何か言はせたいのか? 結局君は、自分の面子を保つためにやつただけぢやないか。」

(アイリスとレッドグレイヴ、歩きながら)

~~~Iris. She was lying. I saw it in her face. They're all lying. But why?

「あの人、嘘をついてる。顔で分るわ。みんながみんな、嘘をついてゐる。だけど、どうしてなんだらう。」

~~~Redgrave. Why don't you sit down and take it easy.

「坐つて、気持を落着けた方がいい。」

~~~Iris. Do you believe this nonsense about substituting faces?

「あなた、あの例の『顔を入れ替える』なんて話、信じるつもり?」

~~~Redgrave. I think any change would be an improvement.

「君、とにかく君は気分を変えた方がいい。」

~~~Iris. Miss Froy was on this train, and nothing will convince me otherwise. Must you follow me round like a pet dog?

「ミス・フロイはこの汽車にゐたの。さうぢやないつて私に説得しようつたつて、それは無理。あなた、もう、私の後をペットの犬みたいにくつついて来なくていいわ。」

~~~Redgrave. A watch dog. I have better instincts.

「見張りの犬の役目だと思つてゐた。僕には僕の勘があつてね。」

~~~Iris. Goodbye.

「さよなら。」

(と、自分の部屋に入り、戸を閉める。部屋の人を見るごとに、ミス・フロイの顔が浮んで来る。たまらなくなり、アイリス、廊下に出る。まだレッドグレイヴ、ゐて)

~~~Iris. The Doctor was right. I never saw Miss Froy on the train. It didn't happen, I know now.

「あの医者の言ふ通りだつたわ。私、ミス・フロイなんかこの汽車で見たことはなかつたの。あれは起らなかつた。私、今はそれが分るわ。」

~~~Redgrave. Glad you're taking it like that. Forget all about it.

「君がそんな風に話すのを見ると嬉しいね。もう忘れるんだ、全部。」

Make your mind a blank. Watch me, you can't go wrong. What about a spot of something to eat?

「心の中を空つぽにするんだ。僕を見て。君にどこも悪いところなんかない。さうだ、何か食べない? 食堂車にでも行こう。」

~~~Iris. Anything.

「何でもいいわ。」

~~~Redgrave. That's right, come along.

「さう、その意気。さ、行かう。」

(二人、食堂車に来て、坐る)

~~~Redgrave. Would you like some air?

「少し新鮮な空気はどう?」

~~~Iris. Thanks.

「ええ、有難う。」

(レッドグレイヴ、窓を少し開ける。このために蒸気の関係で、ミス・フロイが以前書いた字が浮き出てくる)

~~~Redgrave. Could you eat something?

「何か食べる気、ある?」

~~~Iris. I could try.

「ええ、やつてみる。」

~~~Redgrave. That's the spirit. You'll feel a different girl tomorrow.

「その意気だ。食べさへすれば、明日はもう別の女になつてゐるよ。」

~~~Iris. I hope so. I don't want to meet my fiance a nervous wreck.

「さう願ひたいわ。ひどく落ち込んだ顔をして婚約者に会ひたくはないもの。」

~~~Redgrave. Your what?

「えつ? 今何て言つた?」

~~~Iris. I'm being married on Thursday.

「私、木曜日に結婚する予定。」

~~~Redgrave. You're sure you're not imagining that?

「それ、単なる思ひこみぢやない?」

~~~Iris. Positive.

「いいえ、これは確かなこと。」

~~~Redgrave. I was afraid so. Food?

「どうやらそのやうだね。食事は?」

~~~Iris. I couldn't face it.

「まだとてもその気にならない。」

~~~Redgrave. Do you mind if I talk with my mouth full?

「口に一杯物をつめて話してもいいかな?」

~~~Iris. If you must.

「それしか方法がないのなら、どうぞ。」

~~~Redgrave. Want to hear about my early life?

「僕の幼かつた時の話、していいかな。」

~~~Iris. I don't think so.

「あまり聞きたくないけど。」

~~~Redgrave. Since you press me, I'll begin with my father.

「さうせがまれちゃ、喋らないわけには行かないな。ぢや、父親の話から始めよう。」

It's remarkable how many great men began with their fathers. Something to drink?

「偉大な男といふものは、だいたい父親から始まつてゐる。この事実は驚くべきことだ。何か飲む?」

~~~Iris. No. Yes. A cup of tea, please.

「いいえ。あ、飲むわ。紅茶をお願ひ。」

(給仕、来る。レッドグレイヴ、給仕に)

~~~Redgrave. One tea and no soup for the lady.

「ご婦人には紅茶を、それから、スープはいらない。」

My father was a colourful character. Amongst other things, he was strongly addicted to you'll never guess.

「僕の父といふのは、それは変つてゐてね。変つてゐるところは沢山あるけど、君の想像も出来ないやうなものに凝つてゐた。」

~~~Iris. Harriman's Herbal Tea.

「ハリマンのハーブ茶ね。」

~~~Redgrave. No, double scotches.

「いや、スコッチのダブルだ。」

~~~Iris. A million Mexicans drink it.

「何百万人ものメキシコ人がそれを飲んでゐるのよ。」

~~~Redgrave. Maybe, but Father didn't.

「さうかもしれない。しかし僕の父はそのハーブ茶ではなかつたな。」

~~~Iris. Miss Froy gave a packet to the waiter.

「ミス・フロイはその箱を給仕に渡したわ。」

~~~Redgrave. A packet of what?

「箱? 何の箱?」

~~~Iris. Harriman's Herbal Tea. It was the only sort she liked.

「ハリマンのハーブ茶の箱。あの人、それだけだつたの、好きな茶は。」

~~~Redgrave. We agreed you were going to make your mind a complete blank.

「君、心の中を空つぽにするつていふ約束ぢやなかつたのかな。」

~~~Iris. It's so real. I'm sure it happened.

「でもあれ、本当に現実に見えた。あれ、本当に起つたことだわ。」

~~~Redgrave. Did we or did we not?

「約束、したのかな? しなかつたのかな?」

~~~Iris. We did. Sorry. Tell me about your father.

「約束したわ。ご免なさい。お父様のお話をどうぞ。」

~~~Redgrave. My father was a very remarkable man.

「父は凄い人間だつた。」

~~~Iris. Did he play the clarinet?

「お父様もクラリネットを吹いたの?」

~~~Redgrave. He did. In fact he never put it down unless it became absolutely necessary. I couldn't help inheriting his love of music.

「吹いた。本当に口からクラリネットを外す必要が生じるまで、決して離さなかつたね。僕が音楽好きになつたのはその遺伝だ。否応なしにね。」

~~~Iris. Why not?

「それは当然よ。」

~~~Redgrave. That was all he left me. You're remarkably attractive.

Has anyone ever told you?

「父が遺したものと言へばそれしかないんだ。君、君つて本当に魅力的だね。誰か君にさう言つた人ゐない?」

~~~Iris. We were discussing you.

「私たち、あなたの話をしてゐたのよ。」

~~~Redgrave. Yes, of course. Do you like me?

「さう、さうだ。君、僕のこと、好き?」

~~~Iris. Not much.

「あまり・・・だわね。」

~~~Redgrave. I paid my father's debts and went away before they cashed the cheques.

「父親の借金は全部片を付けて、連中が小切手を現金化する前に、僕は家を出た。」

I'm writing a book on folk dancing. Would you like to buy a copy?

「僕はフォーク・ダンスの本を書くつもりだ。君、一部、買つてくれる?」

~~~Iris. I'd love to. When does it see the light of day?

「勿論。その本、日の目を見るのはいつ?」

~~~Redgrave. In about four years.

「およそ4年後だな。」

~~~Iris. That's a very long time.

「随分長いのね。」

~~~Redgrave. It's a very long book. Do you know why you fascinate me? I'll tell you.

「うん。長い。君が僕を魅了したところつて、君、分る?」

You have the great qualities I used to admire in my father. You've no manners at all, and you're always seeing things.

「僕は親父を尊敬してゐたんだがね、その偉大な性質を、君が持つてゐるからなんだ。君には礼儀なんて何もない。だけど、物の本質を見てゐるんだ、常に。」

(アイリスがじつと窓ガラスを見てゐるので)

~~~Redgrave. What's the matter?

「どうしたの?」

(アイリス、窓ガラスに「FROY」と書かれてゐるのを見て)

~~~Iris. Look!

「見て!」

(汽車、トンネルに入り、FROYの字、見えなくなる)

~~~Iris. It's gone!

「消えちやつた!」

~~~Redgrave. What's gone?

「何が消えたつて?」

~~~Iris. Miss Froy's name on the window. You must have seen it.(大声で)She's on the train.

「ミス・フロイの名前よ。窓に書いてあつた。あなたにも見えた筈よ。あの人、この汽車にゐる!」

(レッドグレイヴ、慌ててアイリスを抑へて)

~~~Redgrave. Steady! Steady!

「落着け、落着け!」

~~~Iris. We've got to find her. Something's happening to her. Stop the train.

「どうしても見つけなくちや。あの人に何かがあつたに違ひないわ。汽車を止めて!」

(車両の前方に立ってみんなに話す)

Listen everybody. There's a woman on the train, Miss Froy... you must have seen her.

「聞いて下さい、皆さん。この汽車に女の人がゐます、ミス・フロイといひます。あなた方も見たことがある筈です。」

They hide her somewhere. I appeal to you all to stop the train. Please help me. Please stop the train.

「誰かがあの人をどこかに隠してゐます。汽車を止めるやう、私は皆さんにお願ひします。私を助けて下さい。どうか汽車を止めて。」

(ハーツ、レッドグレイヴ、アイリスに駆寄る)

~~~Iris. Do you hear me? Do something before it's too late!

「聞えますね、皆さん。手遅れにならないうちに、何かしなければ!」

I know you think I'm crazy, but I'm not. For heaven's sake, stop this train. Leave me alone. Leave me alone.

「私のことを気違ひだと思つてゐるんでせう。分つてゐます。でも私は気違ひではありません。どうかお願ひです。この汽車を止めて。(ハーツとレッドグレイヴに)放して、放して。」

(と、二人を引放して非常ベルに駆寄る。その紐を引張る。そして気を失ふ)

\\

(汽車、また走つてゐる。こちら、男1と男2

~~~1. Ten minutes late thanks to that girl. Any more tricks and we shall be late for the last day of the match.

「あの女の子のせゐで、10分の遅刻か。もうこれ以上遅れてみろ、クリケットの最後の試合に間に合はないぞ。」

~~~2. You couldn't put it to her in some way.

「あの女の子を責めるのは、ちよつと賛成出来ないね。」

put it to は、「賛成を求める」彼女のせいにする事は無理だね)

~~~1. What?

「何だつて?」

~~~2. People just don't vanish and so forth.

「人間がさう簡単に消えてなくなるなんて、あり得ないことだからな。」

~~~1. But she has.

「しかし彼女は消えた。」

~~~2. What?

「何だつて?」

~~~1. Vanished.

「消えたのさ。」

~~~2. Who?

「誰が。」

~~~1. The old dame.

「あの老婦人がだよ。」

~~~2. But how could she?

「しかし、どうやつて彼女・・・?」

~~~1. What?

「どうやつて彼女、何だつていふんだ。」

~~~2. Vanish.

「消えたんだ。」

~~~1. I don't know.

「知らないね。」

~~~2. That just explains my point. People just don't disappear into thin air.

「その『知らない』つていふのが、こつちの論点でもあるんだ。だいたい人間は、ただ空気中に消えるわけには行かないからね。」

~~~1. It's done in India.

「インドでは、あつたぞ。」

~~~2. What?

「何が。」

~~~1. The rope trick.

「縄の手品さ。」

~~~2. Oh that. It never comes out in a photograph.

「ああ、あれか。うん、あれは写真でも駄目だな、種(たね)は。」

\\

(こちら、アイリスの部屋。ハーツとレッドグレイヴとアイリス)

~~~Hertz. In half an hour we stop at Morsken, just before the border.

I will leave there with my patient for the National Hospital.

「一時間するとモルスケンに着きます。国境のすぐ前の駅です。そこで私は患者と一緒に降りて、国立病院に行きます。」

If you will come with me, you could stay overnight in a private ward. You need peace and rest.

「もしあなたが私と一緒に来て下さるなら、個人部屋に一晩泊ればいいんです。あなたには休養が必要ですよ。」

~~~Iris. Sorry, nothing doing.

「結構です。何をしても駄目です。」

~~~Redgrave. Isn't there anything we can do?

「何か我々に出来ることは?」

~~~Iris. Yes, find Miss Froy.

「あります。ミス・フロイを捜して下さい。」

(ハーツ、こつそりとレッドグレイヴに)

~~~Hertz. If she does not rest I will not answer for her. It will be best if you persuade her. She likes you.

「彼女が休養しないといふのなら、もう私は責任は持てません。あなたが説得するのが一番効果があります。あなたは気に入られてゐますから。」

~~~Redgrave. I'm as popular as a dose of strychnine.

「ストリキニーネ流の毒舌ならお手のものなんだが・・・」

~~~Hertz. If coated with sugar, she may swallow it.

「ストリキニーネでも、砂糖にまぶせば、彼女は飲み込むかもしれませんよ。」

(と、ハーツ、去る)

(レッドグレイヴ、廊下でパイプを吸ふ。その時コックがバケツのゴミを汽車の窓から捨てる)

(そのうちの一つの紙、レッドグレイヴの見てゐる窓ガラスにぺつたりくつつく。それはフロイの紅茶の箱の紙)

(レッドグレイヴ、部屋に入り、アイリスの横に坐る)

(アイリスに話しかける。部屋の他の乗客、こつちを見てゐる)

~~~Redgrave. Cosmopolitan train. People of all nations. I've just seen at least a million Mexicans in the corridor.

「国際的な汽車だ、これは。あらゆる国の人々が乗つてゐる。さつき廊下で僕は、少なくとも百万人のメキシコ人を見たな。」

Think over what Doctor Hertz said. If you feel like changing your mind, I'll be around.

「さつきドクター・ハーツが言つた言葉を考へてみた? 君、少しは気分が変つたんぢやないかな。聞きにきたんだ。」

(と、アイリスを廊下に誘ひ出す)

~~~Iris. What's all the mystery?

「何? さつきの訳の分らない言葉。」

~~~Redgrave. You're right. Miss Froy is on the this train. I've just seen that packet of tea. They chucked it out with the rubbish.

「君の言つてゐることが正しかつたんだ。ミス・フロイはこの汽車にゐる。さつきお茶の箱を、僕は見たんだ。連中、他のゴミと一緒に棄てたんだ。」

~~~Iris. You're late. She may be dead now.

「遅過ぎよ。今ごろもう、あの人死んでるわ。」

~~~Redgrave. Dead or alive...

「生きてたつて、死んでたつて・・・」

(と言ひかけるが、ミスィズ・クマーが来たので話題を変へる)

~~~Redgrave. Anyway, I remember once spending a bank holiday at Brighton...

「とにかくね、僕はあるとき休暇でブライトンに行つて・・・」

(クマーが去つたので、話をもとに戻す)

~~~Redgrave. Let's search this train. There's something definitely queer in the air.

「この汽車を捜すんだ。何かどうも厭な空気が立ちこめてゐる、ここは。」

(二人、ある車両に来て)

~~~Redgrave. It's a supply service for trunk murderers.

「トランク殺人の手品の装置だな、これは。」

(柳こおりの箱があり、それが独りでに動いてゐるので、アイリス)

~~~Iris. What's this?

「これ、何かしら。」

~~~Redgrave.(その箱の紐をときながら)It's all right, It's only us.

「(アイリスが心配してゐるので)大丈夫、誰も見に来やしない。」

~~~Iris. Hurry up. Quickly.

「急いで。お願ひ。」

(箱を開けると、それは子牛。二人、笑つて)

~~~Redgrave. Maybe it's Miss Froy bewitched.

「ミス・フロイが魔法にかけられて、子牛に変つたのかな。」

I refused to be discouraged. Faint heart never found old lady. Do you know anything about her?

「僕は諦めないぞ。諦めて彼女が捜せるわけないからね。あの人のこと、何か知つてる?」

~~~Iris. No. Only that she is a governess going home.

「いいえ。ただ、ここで家庭教師をしてゐて、イギリスに帰るところだつてことだけ。」

(箪笥のやうな大きな箱あり。アイリス、レッドグレイヴに訊く)

~~~Iris. What is this thing?

「これ、一体何?」

~~~Redgrave. Can't imagine. There might be something down here.

「想像もつかないね。ここにも何かあるな。」

(開けると、アイリスと同室のイタリア人の等身大の絵の広告。二人、びっくり)

~~~Iris. What on earth!

「まあ、何? これ。」

~~~Redgrave. Our Italian friend. I've got it. There. The Great Doppo.

「イタリアの、我々の友だ。分つた、これだ。グレイト・ドッポ。」

(グレイト・ドッポは、手品師の名前)

(と、レッドグレイヴ、そこいらを捜す。宣伝の紙をみつける)

~~~Redgrave. His visiting card. Look!

「彼の名刺だ。」

~~~Iris. What's it say?

「何て書いてある?」

~~~Redgrave. The Great Doppo. Magician, illusionist, mind reader...

he will appear in all the towns and cities.

「グレイト・ドッポ。手品師。魔術師。読心術。どんな町でも、都市でも、まゐります。」

See his fascinating act... The Vanishing Lady.

「彼の魅惑的な術を御覧下さい。『女性、消失』」

~~~Iris. The Vanishing Lady.

「『女性、消失』?」

~~~Redgrave. Perhaps that's the explanation.

「ははあ、これで説明がつく。」

~~~Iris. What?

「何の?」

~~~Redgrave. Maybe he's practising on Miss Froy.

「ミス・フロイに試してみたんだ。」

~~~Iris. Perhaps it's a publicity stunt.

「宣伝のためにね。」

~~~Redgrave. No. That wouldn't account for the Baroness or Madame Kummer.

「いやいや、それでは男爵夫人とマダム・クマーの言動を説明できない。」

   能美武功  1月22日

 

 

The Lady Vanishes 077

~~~Iris. What's your theory?

「あなたの考へは?」

~~~Redgrave. I don't know. My theory? I'll tell you.

「僕の考へ? 分らないな。いや、分つてる。今話すよ。」

(バタバタと鶏が飛ぶ。アイリス、床の上に何か見つけ、屈む。その間にレッドグレイヴ、隠れ箱を見つけ、その中に入る)

~~~Iris. Oh dear. I can't get this one. Where are you?

「あら、これ、どうなつてるの? あなた、どこ?」

~~~Redgrave. Here with a smell of camphor balls.

「ここだ、ここだ。樟脳の匂いの中だよ。」

~~~Iris. I can't see you.

「見えないわ、あなたのこと。」

(と、アイリス、隠れ箱の中に入る)

~~~Redgrave. I'm about somewhere.(と、レッドグレイヴ、出て来る)Here I am. Where are you?

「どこにゐたんだ、僕は。僕はここだ。君、どこ?」

~~~Iris.(箱の中から)I don't know.

「分らない。」

~~~Redgrave. That's what comes of not saying Abracadabra.

「アブラカダブラと唱へないと駄目らしいな。」

(アイリス、箱から飛び出て、倒れる。レッドグレイヴ、助け起して)

~~~Redgrave. Are you hurt?

「痛かつた?」

~~~Iris. Not much.

「さうでもないわ。」

   能美武功  1月23日

 

The Lady Vanishes 078

~~~Redgrave. Come and sit down over here.

「さあ、ここへ来て。坐つて。」

~~~Iris. What is this thing?

「これ、何なの?」

~~~Redgrave. In magic circles(魔術師の間では), we call it the disappearing cabinet. You get inside and vanish.

「手品師の間では、これは「隠れ箱」と言つてゐるものなんだ。中に入ると消えるからね。」

~~~Iris. So I noticed. You were about to tell me your theory.

「そのやうね。さうさう、あなたの考へを聞いてゐたところだつたわ。」

~~~Redgrave. My theory. My theory, dear Watson,

「うん、僕の考へね。さうだ、ワトスン君。」

(と、ディアー・ストーカー(帽子の名前。前と後ろにひさしがあります)があったので、それをかぶり) is that we are in very deep waters indeed.

「この考へ、実に深くてね。」

(アイリス、パイプを見つける。レッドグレイヴに渡す。シャーロック・ホームズらしくなる)

~~~Redgrave. Thank you. Let us marshal(整理する) our facts over a pipeful of Baker Street shag.

「有難う。ベイカー街流で、データーを整理してみよう。」

A little old lady disappears. Everyone that saw her says she wasn't there. Right?

「一人の老婦人が消えた。誰もが彼女を見たことがないと言つてゐる。さうだね?」

~~~Iris. Right.

「その通り。」

   能美武功  1月24日

 

The Lady Vanishes 079

~~~Redgrave. But she was. Therefore, they did see her. Therefore, they are deliberately lying. Why?

「見てないと言つても、彼女は実際はゐたんだ。つまり、連中は彼女を見てゐた。すると、連中はわざと嘘を言つてゐる。何故なんだ。」

~~~Iris. I don't know. I'm just Watson.

「私には分らないわ。私、ただ、ワトソンだもの。」

~~~Redgrave. Don't bury yourself in the part. I'll tell you why.

「役になりきる必要はないよ。よし、僕が理由を言はう。」

Because they daren't face an enquiry... because Miss Froy's probably still somewhere on the train.

「理由はね、訊問を受けるのが厭だからなんだ。ミス・フロイは、この汽車のどこかに、まだゐるんだからね。」

~~~Iris. I told you that hours ago.

「それ、私、もう何時間も前から言つてゐることだわ。」

~~~Redgrave. So you did. For that, my dear Watson, you shall have a trichonoply cigar.

「さう、確かに君はさう言つてゐた。その勲功により、親愛なるワトソン、君にこの三角獣印の葉巻を進呈しよう。」

(と、アイリスに葉巻を渡す)

~~~Iris. Thank you.

「有難う。」

~~~Redgrave. There's only one thing left to do. Search the train in disguise.

「従つて、残された課題はただ一つ。変装して、この汽車の中を捜すんだ。」

~~~Iris. As what?

「何に変装するの?」

   能美武功  1月25日

 

 

The Lady Vanishes 080

~~~Redgrave. Old English gentleman.

「イギリス老紳士に化けるのさ。」

(と、シルクハットを被る)

~~~Iris. They'd see through you.

「すぐ見破られるわ。」

~~~Redgrave. Perhaps you're right.(と、今度は鼻眼鏡をつける)

「さうかも知れないな。」

Will Hay.(これは不明。「訊問してやるんだ』か?)

"No, boys, which one of you has stolen Miss Froy? Own up."

「おい、君達、誰がミス・フロイを盗んだのかね。白状したまへ。」

(アイリス、その眼鏡を取って)

~~~Iris. Those glasses. Give them to me.

「その眼鏡、ちよつと貸して。」

~~~Redgrave. Why?

「どうしたの?」

~~~Iris. They're Miss Froy's.

「それ、ミス・フロイの眼鏡。」

~~~Redgrave. Are you sure?

「それ、確か?」

~~~Iris. They're the same. Gold rimmed. Where did you find them?

「ええ、確か。金縁で。それ、どこで見つけたの?」

~~~Redgrave. On the floor. The glass is broken. Probably in the struggle.

「床の上だよ。ガラスが壊れてゐる。もみあひしてゐるうちに壊れたんだな、きつと。」

~~~Iris. Pick up the glass.

「欠片(かけら)を拾つて。」

~~~Redgrave. Do you realise that this is our first piece of really tangible proof? That's the lot.

「君、分る? これは事実上、始めての彼女の存在を示す物的証拠だよ。これだけあれば充分だ。」

(この時後ろから手がのびて来る。それはアトーナ)

~~~Atona. Will you give me those spectacles. They belong to me. My spectacles.

「そのガラスを私にくれないかね。それは私のものだ。私の眼鏡なんだ。」

~~~Redgrave. Yours? Are you sure? Naughty. That's a very large nose for a very small pair of spectacles. Is that the game?

「お前の? 本当か? 馬鹿をいふな。そんなでかい鼻をしてゐて、こんな小さな眼鏡がはまるわけがない。冗談だろ?」

(二人、格闘)

~~~Redgrave. We'll see about that. These are Miss Froy's glasses.

She's been in here and you know it.

「確かめるんだ。これはミス・フロイの眼鏡なんだ。彼女はここにゐた、そしてそれをお前は知つてゐたんだ。」

(格闘中にレッドグレイヴ、アイリスに助けを求め)

~~~Redgrave. Well, don't stand hoping about like a referee, co-operate. Kick him.

「ぼやつとそこに、審判のやうにつつ立つてゐないで、手伝つてくれ。奴を蹴つとばして。」

(アイリスが間違へて自分の方を蹴るので)

That doesn't help. Quick, pull his ears back. Give them a twist.

「そつちぢやない。奴の耳を引つぱるんだ。捻つて、捻つて。」

(アトーナ、ナイフをポケットから出す)

~~~Redgrave. He's got a knife! Get hold of it before he cuts a slice off me.

「こいつナイフをもつてゐるぞ。僕が切り刻まれないうちに、君、そのナイフをなんとかしてくれ。」

~~~Iris. I can't reach it.

「届かないわ。」

(アイリス、箱を持つてきてその上に乗り、アトーナのナイフを持つた手を噛む。アトーナ、ナイフを放す)

(レッドグレイヴ、アトーナを殴る。隠し箱に入る。そこからフラフラになりながら出て来たアトーナを、今度はアイリスが棒で殴る。アトーナ、気絶。二人でアトーナを箱の中に入れ、その上に坐る)

~~~Redgrave. Well done. Hard work, but worth it. Let's have the evidence.

「よーし、いいぞ。かなりな仕事だつたね。しかしその価値はあつた。さ、証拠を見てみよう。」

~~~Iris. Evidence?

「証拠?」

~~~Redgrave. Yes, the glasses.

「さう。眼鏡のレンズ。」

~~~Iris. You've got them.

「あなたが持つてゐるんでせう?」

~~~Redgrave. No, I haven't got them.

「いや、僕は持つてない。」

~~~Iris. Oh!

「あら!」

~~~Redgrave. He's got them.

「奴だ。持つてゐるのは。」

(箱を開ける。アトーナ、ゐない)

~~~Iris. He isn't there.

「あつ、ゐない。」

~~~Redgrave. Snookered. It's a false bottom. The twister! He's a contortionist.

「ずらかつたな。底に仕掛けがあつたんだ。奴は手品師だ。蓋をあけて逃げたんだ。」

~~~Iris. He's gone all right.

「うまくやられてしまつたわ。」

~~~Redgrave. To find the others and make more trouble. We can't fight the whole train.

「他の人を味方につけて、もつと問題を大きくするんだ。二人だけで乗客全員を相手には出来ない。」

~~~Iris. But who can we trust?

「でも、信用できる人つて、誰がゐるかしら。」

~~~Redgrave. That's the snag.

「うん、それが問題だな。」

~~~Iris. There's the Doctor Hartz person.

「あのハーツつていふ医者、どうかしら。」

~~~Redgrave. Yes, you're right. He might help. Let's tell him the symptoms.

「うん、さうだね。彼なら助けてくれさうだ。状況を話してみよう。」

~~~Iris. All right. Wait a minute.

「ええ。ちよつと待つて。」

(二人、ハーツの部屋へ行く。扉の前で)

~~~Redgrave. This is the one.

「ここだな。」

(扉を開けて中を見る。ベッドの上に包帯をした患者、そしてその傍に尼の二人だけ。尼は向うを向いてゐる)

~~~Redgrave. He's not there. I've had a particularly idiotic idea.

「ハーツはあそこにゐなかつたね。ところで僕はひどく馬鹿げたことを思ひついたんだが・・・」

~~~Iris. I can't believe that.

「(レッドグレイヴの考へを自分でも考へて)それ、無理よ。」

~~~Redgrave. Suppose that patient in there is Miss Froy.

「あの床の中の患者がミス・フロイぢやないかつてね。」

~~~Iris. But it didn't come on the train until after Miss Froy had disappeared.

「だけどあの患者、外から運ばれて来たのよ。ミス・フロイではあり得ないわ。」

~~~Redgrave. That's why it's an idiotic idea. Let's find the doctor.

「うん、だから僕は馬鹿な考へだと思つたんだ。さあ、ハーツを捜さう。」

~~~Iris. No, wait a minute.

「いいえ、ちよつと待つて。」

~~~Redgrave. What is it?

「どうした。」

~~~Iris. Didn't you notice anything wrong with that nun?

「あの尼さんに、何か変なところがあると思はなかつた?」

~~~Redgrave. No.

「いや、別に。」

~~~Iris. I don't think she's a nun at all. They don't wear high heels.

「私、あの人尼さんぢやないと思ふ。だつて尼さんはハイヒールなんか穿かないもの。」

~~~Redgrave. You're right. Did you see Mme Kummer get on the train?

「その通りだ。マダム・クマーが汽車に乗るところを、君、見た?」

~~~Iris. No.

「見なかつた。」

~~~Redgrave. Supposing they decoyed Miss Froy into the luggage van and hid her. At the first stop the patient comes abroad.

「ミス・フロイを誘拐した後、荷物の車両に隠したかもしれない。最初の停車で、患者が外から入つてくる。」

Head injury, all wrapped up. The patient is Madame Kummer and she becomes Miss Froy... and Miss Froy becomes that.

「頭の怪我。顔はぐるぐる巻きだ。その患者が実はマダム・クマーで、彼女がミス・フロイになり、ミス・フロイがあのベッドにゐる。」

~~~Iris. But why go to all this trouble to kidnap a little harmless governess?

「でも、どうしてそんな手間までかけて、害のない家庭教師を誘拐しなきやならないの?」

~~~Redgrave. It isn't a governess at all. Perhaps it's some political thing. Let's investigate.

「家庭教師ぢやないのかもしれない。何か政治的なことなのかもね。さ、それを調べてみよう。」

(レッドグレイヴとアイリス、部屋に入る。レッドヴレイヴ、尼に、最初フランス語で、次にドイツ語で、「フランス語(ドイツ語)を話すか?」と訊く。尼、答へない)

~~~Redgrave. You'll just have to put up with it in English. Can we take a look at your patient, please? Thank you.

「では、しばらく英語で我慢してくれなくちや。この患者の顔を見たいんだが、いいかな? (相手の許可なしに)有難う。」

~~~Redgrave. (アイリスに)Keep an eye on the nun.

「尼さんを見張つてて。」

(と、レッドグレイヴ、患者の包帯を取り始める。そこにハーツ、入つて来て)

~~~Hertz. What are you doing here? Why are you in here? This is a most serious accident case. You have no business to be here.

「君達、ここで何をしてゐる。何故ここにゐるんだ。これは深刻な事故なんだ。君達には何の関係もない。」

~~~Redgrave. We want you to undo the bandages and let us see your patients face.

「この包帯を取つて、患者の顔が見たいんだ。」

~~~Hertz. Are you out of your senses? There is no face there.

Nothing but lumps of new flesh.

「顔が見たい? 気でも狂つたか。そこには顔など何もありはしない。(手術の後の)新しい肉がついてゐるだけだ。」

The case has lost so much blood...nothing but a transfusion can save him. What do you want me to do? Murder my patient?

「事故でその患者は出血多量だつたんだ。輸血でやつと助かつてゐる。それを君、何をしようといふんだ、私の患者を殺す気か。」

~~~Redgrave. You're sure that this is your patient?

「これ、本当にあなたの患者なんですか?」

~~~Iris. We believe it's Miss Froy.

「私たち、この人はミス・フロイだと思つてゐるんです。」

~~~Hertz. You can't be serious. What on earth put such ideas into your heads?

「全く、何てことを考へるんだ。その頭にどうしてそんな馬鹿な考へが浮んだんだ。」

(レッドグレイヴ、尼を頭で指し、「彼女が」という)

~~~Hertz. I understand she is deaf and dumb.

「ああ、彼女は唖でつんぼだと思つてゐたが。」

~~~Iris. But she may lip read.

「でも、唇の動きで、言葉は読めるかもしれませんわ。」

~~~Hertz. That's possible. In that case, perhaps you will join me in the dining car? I'll be with you in a moment.

「それはさうだ。分つた。詳しく話を聞かう。ちよつと食堂車で待つてゐてくれませんか。私もすぐ行く。」

I want to be certain my patient hasn't been disturbed.

「私の患者に別状がないか、確かめてから行きますから。」

(二人、部屋を出る。ハーツ、どこかの外国語で尼に「どうしてこうなつたんだ」と訊く。

~~~. How do I know how they cottoned on? Somebody must have tipped them off. You never said the girl was English.

「あの二人、どうして嗅ぎつけたのか、私には分りません。誰かが告げ口でもしたんでせう。この人がイギリス人だなんて、あなた、言ひませんでしたわ。(この言葉は、後になつて効いて来ますね。この尼さんは、熱烈なイギリス愛国者ですものね)」

~~~Hertz. What difference does it make? In a few minutes, I will order three drinks in the dining car.

「イギリス人だらうと何だらうと、何の関係がある。数分したら、食堂車で、飲物を三つ注文する。」

Mine will be Chartreuse. One of the stewards is working for us. Listen carefully.

「私が飲むのはシャルトルーズ(フランスワイン)だ。厨房で、我々の協力者がゐる。いいか、よく聞くんだ。」

(と、ハーツ、注射器に何か薬を入れる)

(こちら、レッドグレイヴとアイリス、食堂車に入る。男1と男2が坐つてゐる。男1が男2に)

~~~1. There's that girl again. Seems to have recovered. Lucky it blew over.

「ああ、さつきの女の子だ。治つたらしいな。良かつたよ、治まつて。」

(ハーツ、食堂車に来る。レッドグレイヴとアイリスの席に坐る)

~~~Hertz. You'll tell me what it's all about?

「さつきのこと、どういふことなのか、教へて欲しいな。」

~~~Redgrave. Have you actually seen your patient?

「あの患者の顔を、あなた、実際に見たんですか?」

~~~Hertz. No, I received a message to pick the case up and operate at Morsken.

「いや。電報を受けただけだ。この件を承知して、モルスケンで手術をして欲しいとね。」

~~~Redgrave. How do you know its not Miss Froy.

「あれがミス・フロイでないと、あなたにどうして分るんです。」

~~~Iris. We think there's been a change.

「人を交換してゐるんだと、私たちは思つてゐるんです。」

~~~Hertz. You think that someone has...

「といふことは、誰かが・・・」

(そこに給仕、来る)

~~~Hertz. I want a green chartreuse. Won't you join me?

「私は緑のシャルトルーズ。ご一緒に如何です?」

~~~Redgrave. I'll like a large brandy, please.

「僕はブランデー、ダブル。」

~~~Hertz. And you?

「(アイリスに)あなたは?」

~~~Iris. Nothing, thank you.

「何もいらないわ。」

~~~Redgrave. It'll do you good.

「飲めば気持が変るよ。」

~~~Hertz. You are very tired. It will pick you up.

「あなたは疲れてゐるんです。お飲みになつた方がいいです。」

~~~Iris. All right, just a small one.

「分りました。ぢや、ほんのちよつと。」

~~~Hertz.(給仕に)2 brandies and a Chartreuse.

「ブランデー二つにシャルトルーズ一つ。」

~~~Redgrave. Do you know anything about the nun who is looking after the patient?

「患者の面倒を見てゐる尼のことだが、君、彼女について何か知つてゐるのか。」

~~~Hertz. Nun? No. She is from the convent where the accident occurred.

「尼? いや。事故が起きた時、修道院からついてきた女性なんだ、あれは。」

~~~Redgrave. Don't you think it is curious that she's wearing high heeled shoes?

「彼女がハイヒールの靴を穿いてゐるのは変だとは思はないか?」

~~~Hertz. Is she? That is rather curious, isn't it?

「彼女が? ああ、それは少し妙だね。」

~~~Iris. A conspiracy. That's all it can be.

「何か企みがあるのよ。さうでなくちや、こんな変なことあるもんですか。」

These people on the train say they haven't seen Miss Froy. We know because in the luggage van...

「汽車の人みんなが、ミス・フロイを見たことがないだなんて。私たち、分つてゐるの、貨物の車両で見たんですから・・・」

(横でこのアイリスの言葉を聞いて、男1

~~~1. She's off again!

「あの女の子、まただぞ。」

~~~2. Puts the lid on our getting back in time, if she did.

「また騒ぎになるとおしまひだな。(また彼女が騒ぎだすと、間に合つて帰らうとしてゐるこちらの計画に蓋をされてしまふ)」

\\

~~~Iris. Then this fellow from the carriage, Doppo... he came along

「貨物の車両で、このドッポといふ人が現れてきて・・・」

~~~Redgrave. ... and grabbed the glasses. Then we went for him and had a fight.

「眼鏡の破片を取らうとした。それで、こちらも、奴に飛びかかり、格闘になつた。」

~~~Hertz. A fight?

「格闘?」

~~~Redgrave. We knocked him out.

「彼を二人でのしたんです。」

(そこにアトーナ(ドッポのこと)が通りかかり、にこやかに三人にお辞儀をする)

~~~Hertz. Seems to have made a speedy recovery.

「のしたにしては、素早い恢復のやうですね。」

~~~Redgrave. Yes. That's just bluff.

「さう。あの格好はただの空元気ですよ。」

(そこに給仕が来て、三人に飲物を置く。それを見届けてアトーナ、再びにこやかにお辞儀をして去る)

~~~Hertz. How could he be involved in a conspiracy? Look at the poor fellow. He's just a harmless traveller.

「(アトーナを見て)あんな奴が陰謀を企むつて? あり得ない。あの馬鹿な顔を見てみろ。ただの無害な旅行者だ、あれは。」

~~~Redgrave. He's a musical artist on a tour of Bandrika. The Baroness' husband is Minister of Propaganda.

「奇術をやつてあちこち歩いてゐる男だ。音楽家でもある。男爵夫人の夫は、宣伝大臣だ。」

One word from her and his tour would be cancelled.

「彼女のひと言があれば、アトーナの奇術のための旅行も、すぐに無効にされてしまふ。(男爵夫人に動かされてゐるかもしれない)」

~~~Hertz. I see.

「なるほど。」

~~~Redgrave. And the stewards would have got a nice cosy brick wall to lean against.

「給仕も充分に金をにぎらされたかもしれない。(寄りかかれる素晴しい煉瓦の壁を提供されたかもしれない)」

~~~Hertz. But tell me about the two English travellers. They also denied seeing her?

「しかし、二人のイギリス人はどうだ? あの二人だつて、彼女を見てゐないと言つてゐるぞ。」

~~~Redgrave. British diplomacy, doctor. Never climb a fence if you can sit on it. Old Foreign Office proverb.

「イギリス人一流の、外交術ですよ。危ない橋は渡らないつてね。諺にあるでせう?」

~~~Hertz. Why should someone want to dispose of the old lady?

「しかし、あの老婦人を消さうとする人物がゐるとはどういふことなんだ?」

~~~Redgrave. That stumps us. All we know is she was on this train and now she's...(と、グラスを取って、飲み)gone.

「さう、そこがこつちにも分らなくて。我々が知つてゐるのは、彼女がこの汽車にゐて、そして今は・・・ゐない、といふこと。」

~~~Hertz. If you're right, it means the whole train is against us.

「君の言つてゐることが正しいとすれば、この汽車全体が我々の敵といふことになる。」

~~~Iris. What are we going to do?

「私たち、どうすればいいんでせう。」

~~~Hertz. In view of what you've just told me, I'll risk examining my patient.

「今の話を聞いたからには、私は思ひきつて、あの患者の顔を調べてみなければ。」

(二人、喜んで立上らうとする)

~~~Hertz. We mustn't act suspiciously. Behave as if nothing had happened. Drink, that'll steady your nerves.

「我々は怪しまれるやうな行動をとつてはいけない。何事も起らなかつたといふ顔をしてゐなければ。さ、飲んで。神経を落着けるんです、それで。」

(と、グラスを取る。アイリスとレッドグレイヴもグラスを上げる)

~~~Hertz. To our health. And may our enemies, if they exist...

be unconscious of our purpose.

「では、我々の健康に。そして、敵が・・・もしゐればの話だが・・・我々の意図を感づいてゐないことを・・・」

(と、ハーツ飲む。レッドグレイヴも。アイリスは飲まない)

~~~Hertz. Let's go. We must hurry now.

「さ、行かう。かうなれば、急ぐ必要がある。」

~~~Redgrave.(アイリスに)Come on, drink up.

「さ、それを飲んで。」

(アイリス、グラスを飲み干す)

(三人、尼の部屋の方へ進む。ハーツ、尼の隣の部屋を指差して、二人に)

~~~Hertz. Wait in here. Right you are.

「ここで待つてゐて下さい。こちらの部屋で。」

(二人、隣の部屋に入る。ハーツ、尼の部屋に入る)

~~~.(ハーツに)Anything wrong?

「何かまづいことでも?」

~~~Hertz. Nothing. Except they noticed you were wearing high heels.

But it makes no difference. We shall reach Morsken in 3 minutes.

「いや、何もない。君がハイヒールを穿いてゐたのをみつかつてしまつたがね。しかしそれも、どうといふことはない。どうせモルスケンには、後3分で着くんだ。」(と、時計を見て)

Quite an eventful journey.

「いや、いろんなことのある旅だな、これは。」

(と、部屋を出て、隣の部屋へ行く)

~~~Iris. Well?

「どうでした?」

~~~Hertz. Yes, the patient is Miss Froy. She will be taken off the train in 3 minutes.

「ええ、仰る通り、あの患者はミス・フロイでした。彼女はあと3分で、この汽車から下ろされるでせう。」

She will be removed to the hospital there and operated on.

「そして病院につれて行かれ、手術を受けます。」

Unfortunately the operation will not be successful. I should perhaps have explained that the operation will be performed by me.

「残念ながら、手術は成功しません。これは予め申上げておいた方がよかつたやうですな。手術は私がやるのです。」

(二人、立上らうとする。が、ハーツがポケットの中でピストルを構へてゐるのが分る。二人、坐る)

~~~Hertz. I am in this conspiracy as you term it.

「私がこの陰謀・・・まあ、「陰謀」とは、あなた方がつけた名前ですが・・・私なんです、この陰謀の主犯は。」

You are a very alert young couple... but it's quite useless for you to think of a way out of your dilemma.

「お二人とも、随分鋭い頭の持主ですな。しかし、お二人とも、この罠から抜け出さうとしても、全く無駄ですな。」

The drink you've had now, I regret to say, contained a quantity of Hydrocin.

「あれだけのハイドロシンを飲めば、残念ながら、もう何をしても無駄です。」

Hydrocin is a very little known drug which has the effect...

「ハイドロシンはあまりよく知られてゐない薬で、次のやうな・・・」

of paralysing the brain and rendering the victim unconscious... for a considerable period. In a larger quantity, it induces madness.

「効果を有してゐます。つまり、かなり長い時間、その服用者の脳を麻痺させ、意識を失はさせます。大量に飲むと気違ひになります。」

However the dose was a normal one.(アイリス、気を失う)Soon you will join your young friend.

「しかしまあ、あの量なら、普通ですから、あなた方二人とも気絶だけですみ、すぐにまたご友人たちとの生活に戻れます。」

Need I say how sorry I am feeling to take such a melodramatic course. But your persistent meddling made it necessary.

「申し上げるのも不要でせうが、こんなメロドラマ調の手段を取らねばならなかつた点、お詫び申し上げます。そちらの執拗な干渉のために、どうしてもかうしなければならなかつたのです。」

(レッドグレイヴ、気を失う。ハーツ、部屋を出る)

(レッドグレイヴ、薄目を開け、次にしっかりと目を開けて、アイリスを抱き起す)

~~~Redgrave. Are you all right? You must have fainted.

「大丈夫か。気絶したんだね?」

There is a woman next door going to be murdered... and we've got to get moving before this stuff takes effect.

「隣の部屋で、女性が一人殺されさうなんだ。この薬が効き目を現さないうちに、何とかしなければ。」

~~~Iris. If you keep on the go you can stay awake.

「動き続ければ、目を醒してゐられるわ、きつと。」

~~~Redgrave. Right, come on, let's get going.(と、扉を開けようとする。駄目)It's locked. We can't go that way. We'll be spotted.

「うん。さ、行動だ。これは鍵がしてある。こつちからは駄目だ。どうせ見つかつてしまふ。」

(レッドグレイヴ、窓を開ける)

~~~Iris. You can't do that!

「そんなの無理よ。」

~~~Redgrave. Don't worry, it's only next door... you carry on keeping fit, touch your toes... stand your head, do anything but fall asleep.

「心配しないで。すぐ隣の部屋なんだから。いいか、動き続けるんだよ。足の指に触る(柔軟体操のことですね)頭をしやんと立てる。何をしてもいいけど、とにかく眠るのを避けるんだ。」

(レッドグレイヴ、両手で身体を支え、外から隣の部屋へ進み、窓から中へ入る)

~~~. You needn't be afraid, it is Miss Froy.

「心配はいりません。それはミス・フロイです。」

It's all right,(この間、レッドグレイヴ、ミス・フロイの包帯を解く)

you haven't been drugged. He told me to put something in your drinks but I didn't do it.

「あなた方は薬を飲まされてはゐません。ミスター・ハーツは、飲物の中に薬を入れろと私に命じましたが、私は入れなかつたのです。」

~~~Redgrave. Who the devil are you? He said you were deaf and dumb.

「一体君は何者なんだ。ハーツは君が、唖でつんぼだと言つてゐたが。」

~~~. Never mind about that now, if you want to save her you've got to hurry.

「そのことは今はおいておきませう。もしこの人を助けたいなら、急がなければ。」

(レッドグレイヴ、包帯を取る。中はミス・フロイ)

~~~. What's gonna happen now?

「これからどうなるんでせう。」

~~~Redgrave. Let's hold them off until past Morsken... the frontier's a few miles beyond the station.

「モルスケンを過ぎるまでなんとかもちこたへよう。駅を過ぎるともうすぐ国境になる。」

(そこへミス・クマーが入つて来る。レッドグレイヴ、取押える)

~~~. Come on, there's still time.

「さ、まだ時間があるわ。」

\\

(こちらハーツ。アトーナのいる部屋。ハーツ、アトーナに金を渡している。アトーナ、イタリア語で、「たったの5000? 少な過ぎる」傍にいた男爵夫人、ハーツに、「もっと渡してやりなさい」と。ハーツ、また財布を出す)

(こちらレッドグレイヴ。尼がミス・クマーに注射を打ち、顔中包帯にする)

~~~Redgrave. That's Morsken.(尼に)Have you finished?

「モルスケンに着いたやうだぞ。終つた?」

(レッドグレイヴ、ミス・フロイをさそふ)

~~~Redgrave. Come on, Miss Froy.

「さ、ミス・フロイ。」

(レッドグレイヴ、ミス・フロイと二人で隣の部屋に行く。アイリス、体操をしてゐる)

~~~Redgrave. Come on kid, you're not drugged, I'll explain later. Abracadabra.

「やあ、アイリス、君は薬を飲んではゐなかつたんだ。後で説明する。アブラカダブラ。」

~~~Iris.(ミス・フロイを見て) Miss Froy, I can't believe it!

「あら、ミス・フロイ、信じられない!」

~~~Miss Froy. Thank you. Thank you very much.

「有難う。本当に有難う。」

(レッドグレイヴ、ハーツの足音を聞き)

~~~Redgrave. Careful.

「気をつけて。」

(ハーツ、尼の隣の部屋を開けやうとするが、開けず、そのまま尼の部屋に行き、尼に)

~~~Hertz. Ready?

「準備はいいな。」

~~~. Yes.

「はい。」

(ハーツ、隣の部屋へ行く。アイリスとレッドグレイヴ、気を失つてゐる。ハーツ、廊下へ出て、車掌を呼ぶ)

\\

(こちら、レッドグレイヴとアイリス。レッドグレイヴ、戸棚を開ける。中にミス・フロイ、ゐる)

~~~Redgrave. Are you all right, Miss Froy?

「大丈夫ですか、ミス・フロイ?」

~~~Miss Froy. Yes, thank you. It's rather like the rush hour on the underground.

「ええ、有難う。これつて、ラッシュアワーの地下鉄ね、まるで。」

~~~Redgrave. We're slowing down.

「汽車はスピードを落し始めましたね。」

(と、窓を開ける。担架が外に運ばれる。これにはミス・クマーが入つてゐる)

(救急車に運ばれた担架の傍にハーツ、来て)

~~~Hertz. I'm sorry you've had such an uncomfortable journey, Miss Froy.

「ミス・フロイ、どうもご不便をおかけしましたね。すみませんでした。」

(ハーツ、何か様子がをかしい、と、包帯の中を覗く。中はミス・クマー。ハーツ、「糞つ」とドイツ語でいふ)

(ハーツ、汽車に近づく。丁度尼、降りようとしたところ。その尼にハーツ)

~~~Hertz. Get back on the train.

「列車に戻るんだ。」

(ハーツ、警官に近づき、何か指示を与へる。警官、敬礼)

\\

(こちら、その様子を見て、アイリスとレッドグレイヴ)

~~~Iris. I hope nothing goes wrong. Aren't we stopping rather a long time?

「変なことが起きたんぢやなければいいけど。ちよつと停車が長過ぎるんぢやない?」

~~~Redgrave. The ambulance is going. We'll be off in a jiffy.

「救急車は行つた。列車もすぐに動くだらう。」

(こちら、ハーツ。工夫、後方の車両を切り離す作業(らしい)をしてゐる。それを監視してゐるハーツと警官)

\\

(こちら、アイリスとレッドグレイヴ)

~~~Redgrave. Another couple of minutes, we'll be over the border.

「あれから2分経つたわ。まだ動かない。もう国境を越えてゐる時刻なのに。」

(尼のコンパートメント。尼、ハーツ、ミス・クマー。クマー、ドイツ語で尼に「よくも裏切ったわね」)

~~~. I've been well paid and I've done dirty work for it... but this was murder and she is an English woman.

「沢山報酬は貰ってきたわ、そしてそれに見合う汚い仕事もやつてきた。でもこれは殺人、それに、彼女はイギリス人。」

~~~Hertz. You are Bandrieken.

「お前はバンドリーク人ぢやないか。」

~~~. My husband was, but I'm English. You were going to butcher

her in cold blood.

「私の夫がバンドリーク人。でも私はイギリス人。そしてあなたは彼女を冷血に殺さうとしてゐる。」

~~~Hertz. Your little diversion made it necessary not only to remove the lady... but two others as well.

「お前の妙な裏切りのお陰で、女を一人殺すだけぢやすまなくなつた。あと二人も死んでもらはないと。」

~~~. You can' t do that.

「そんなことは出来ないわ。」

~~~Hertz. It'd be fool to permit the existence of anyone who cannot be trusted.

「信用出来ない人間を生かしておくのは馬鹿げてゐるからな。」

~~~. You wouldn't dare. I know too much.

「そんなの無理。私は知り過ぎてゐますからね。」

~~~Miss Kummer. Precisely.

「さう。知り過ぎてゐるの。」

(尼、その言葉を聞き、ギョッとする)

\\

(アイリスとレッドグレイヴ。尼の部屋の隣の部屋)

~~~Redgrave. I think we're over the border now. You can come out, Miss Froy.

「もう国境は肥えた筈だ。出て来ていいですよ、ミス・フロイ。」

(と、戸棚を開ける。ミス・フロイがいる)

~~~Miss Froy. Bless me. What an unpleasant journey.

「やれやれ、まあまあ。何て不愉快な旅なんでせう。」

~~~Redgrave. Never mind. You shall have a corner seat for the

rest of the way.

「まあ我慢して下さい。これからは、隅の席を確保できてゐますから。」

There you are. Now that it's over, you ought to tell us what it's all about.

「さ、そこです。さて、ことが終りましたから、これは一体何事だつたのか、説明して下さらなければ。」

(叫び声が聞える。これは尼の声)

~~~Redgrave. What was that scream?

「何だ、あの金切声は。」

~~~Iris. It was the train whistle.

「汽車の汽笛でせう?」

~~~Redgrave. It was the woman.

「いや、婦人の声だつた。」

(と、廊下に出る)

~~~Iris. Be careful.

「気をつけて。」

(レッドグレイヴ、廊下の窓から見ると、自分達の車両が支線に入つたと分る。レッドグレイヴ、部屋に戻り)

~~~Redgrave. We're on a branch line and they've slipped the rear of the train.

「この汽車は支線に入つてゐる。敵は列車の途中を切り離した。」

~~~Miss Froy. Oh dear!

「まあ!」

~~~Redgrave. Why are these people going to these lengths to get hold of you?

「連中はこれほどのことまでして、何故あなたを捕まへやうとしてゐるのですか?」

~~~Miss Froy. I haven't the faintest idea. I'm a children's governess... I think they've made some terrible mistake.

「私、まるで見当もつきませんわ。私なんか、ただの、子供の家庭教師ですからね。何かあの人達、ひどい間違ひをしてゐるんぢやないかしら。」

~~~Redgrave. Why are holding out on us? Tell the truth. You got us involved in this fantastic plot you might at least trust us.

「何故私たちにも隠さうとしてゐるんです? 本当のことを教へて下さい。アイリスと私は、こんな奇妙な目に遭つたんですよ。少なくとも本当のことぐらゐ教へて下さい。」

~~~Miss Froy. I really don't know...

「本当に私、何も・・・」

~~~Redgrave.(アイリスに) Is there anyone else?

「他に誰かゐない?」

~~~Iris. There's only the dining cart... but there won't be anybody there now.

「食堂車があるだけ。でも、そこには今、誰もゐない様子。」

~~~Redgrave. What do you make it, tea time? There will be English there. I'll go have a look. Come on. We'd better stick together.

「お茶の時間だよ、今。誰かはゐる。イギリス人の二人がゐるんぢやないかな。見てみよう。さ、一緒に。一緒の方がいい、かうなつたら。」

(食堂車。男1と男2、ゐる)

~~~1. There's the old girl turned up.

「あの老婦人、現れたぞ。」

~~~2. Told you there was lots of fuss about nothing. Bolt must have jammed.

「君の話だと、『何でもないことに馬鹿騒ぎして』だつたが、雷が突然鳴つたかな。」

(レッドグレイヴ、食堂車に入り、人々に)

~~~Redgrave. I've got something to say. Please listen. An attempt has been made to abduct this lady by force.

「みなさん、どうか話を聞いて下さい。力づくでこの婦人を誘拐しようとした者がゐるのです。」

I believe they are going to try again.

「(一旦はかうやつて取戻しましたが)連中は、誘拐を諦めてはゐません。またやる筈です。」

~~~1. What's the fellow drivelling about?

「何だあいつは。ガタガタと馬鹿なことを喋りをつて。」

~~~Redgrave. Look out of the window. This train's been diverted to a branch line.

「窓の外を見て下さい。この列車はもう支線に入つてゐます。」

~~~Parker. What are you talking about? Abduction, diverted trains...

「何を馬鹿な話を。誘拐だの、この列車が支線に入るだの。」

~~~Iris. We're telling the truth.

「本当です、これはみんな。」

~~~Parker. I'm not interested. You've annoyed us long enough with your ridiculous stories.

「そんな話、私には興味がない。さうでなくとも、君達二人は今まで、馬鹿な話で我々を悩ましてきたんだ。」

~~~1. You've got hold of the wrong end of the stick.

「君、何か勘違ひしてゐるんだ。」

~~~2. These things don't happen.

「かういふことは起らないものなんだ。」

~~~Miss Froy. We're not in England now.

「ここはイギリスぢやないのよ。」

~~~2. I don't see the difference.

「イギリスだらうとどこだらうと、起らないものなんです。」

~~~Iris.(外を見て)We're stopping.

「汽車、停まつたわ。」

~~~Redgrave. You see those cars? They're here to take Miss Froy away.

「あの車が見えますね? あの車はミス・フロイを誘拐するために来たんです。」

~~~2. Nonsense.

「馬鹿な。」

(ハーツとミス・クマーが歩いているのを見て)

There go a couple of people.

「あの二人、ゐるな。」

~~~1. The cars have come to pick them(ハーツとクマーのこと) up.

「ああ、あの二人を引取りにやつて来た車なんだ。」

~~~Redgrave. Then why uncoupling the train and diverting it.

「ではどうして列車を切り離して、こちらを支線に入れたんです。」

~~~1. Uncoupling?

「列車を切り離した?」

~~~Redgrave. There's no train beyond the sleeping car.

「寝台車の後ろには車両はないんです。」

~~~2. There must be. Our bags are in the First Class carriage.

「そんな筈はない。我々の荷物は一等車にあるんだ。」

~~~Redgrave. Not any longer.(と、「見て来い」と顎で示す)

「一等車も荷物も、もうないね。」

~~~2. Would you like to take a look? If this is a practical joke, I warn

you I shan't think it very funny.

「君も一緒に行くな? もしこれが冗談だとすれば、私は面白いなどとは言はんぞ。いいな。」

(男2とレッドグレイヴ、廊下に出ようとする。尼、猿ぐつわをはめられ、二人に倒れかかる)

~~~2. Good Lord!

「何だ、これは!」

(二人で尼を食堂車に運んで)

~~~2. Bring some brandy.

「ブランデーを。」

~~~1. You don't suppose there's something in this fellow's story, Caldicott.

「コールディコット、この男の話がまさか本当だとお前、言ふんぢやないだらうな。」

~~~2. Seems a bit queer. People don't go about tying up nuns.

「しかし、確かに少し変です。尼さんが縛られるなどといふのは、普通にある話ではありませんからね。」

(尼、ブランデーを飲む)

~~~Iris. Someone's coming.

「誰か、来るわ。」

~~~Parker. They can't possibly do anything to us. We're British subjects.

「連中が我々に何が出来るといふんだ。我々は英国国民なんだぞ。」

(将校、食堂車に入って来て)

~~~将校. I have come to offer sincere apologies. An extremely serious incident has occurred.

「お邪魔してまことにすみませんが、重大な支障が生じましたので、そのことをお話しに参りました。」

An attempt has been made to interfere with passengers on this train. Fortunately it was brought to the notice of the authorities.

「この列車を止めようとする悪質な陰謀が発生しました。幸ひにも、その筋のものにこの情報が入りましたので、未然に防ぐことが出来ました。」

If you will accompany me to Morsken...

「どうか、私と一緒にモルスケンまで御同行願ひます。」

I will inform the British Embassy at once. Ladies and Gentlemen, the cars are at your disposal.

「イギリス大使館には私からすぐに連絡致します。さあ、みなさん、どうか。車が外に用意してあります。」

~~~2. We're grateful. It's lucky some of you speak English.

「それは有難い。諸君の中に英語が話せる人間がゐたとはね。」

~~~将校. I was at Oxford.

「私はオックスフォード出です。」

~~~1. Really, so was I.

「ほう。私もだ。」

~~~Redgrave. This woman(尼のこと) is trying to say something. I don't understand but it may be important. Would you...

「この婦人が何か話したいやうです。私には理解できませんが、何か重要なことらしくて。代りにあなた、聞いてみて・・・」

~~~将校. Certainly.

「勿論。」

(と、尼に近づく。そこをレッドグレイヴ、椅子で将校の頭を殴る)

~~~1. That's fixed him.

「やれやれ、一丁あがりだな。」

~~~Redgrave. That's all right. He's only stunned.

「いや、死にはしません。ただ気絶しただけです。」

~~~1. What did you to that for?

「何のためだ、こんなことをして。」

~~~Redgrave. I was at Cambridge.

「私もケンブリッジ出なもので。」

~~~2. But you heard what he said, didn't you?

「こいつの言つたことを聞いたらう。それはどうなんだ。」

~~~Redgrave. I heard what she(尼のこと) said. That was a trick to get us off the train.

「この人の言葉を先に聞いてゐますからね。さつきのあの話は、単に我々を列車の外におびき出すための作り話なんですよ。」

~~~Parker. I don't believe it. The explanation was quite satisfactory.

「そんことは、私は信じない。あの説明は充分満足の行くものだつた。」

~~~1. This might cause a war. I'm going to tell them it's up to us

to apologise and put the matter right.

「このままで行くと戦争だぞ。私は外へ出て来る。状況を正常に戻すんだ。」

(と、男1、タラップに出る。ピストルで左手を撃たれる)

(男1、食堂車に入り、レッドグレイヴに)

~~~1. You were right. Do you mind?

「どうやら君の言つた通りだな。君、これ、いいか?」

(と、男2の胸ポケットのハンカチを取る)

~~~2. Certainly.

「勿論。」

~~~1. Looks as if they mean business.

「どうやら連中も本気らしいな。」

~~~Parker. It would mean an international situation.

「これは国際問題だな。」

~~~Miss Froy. It's happened before.

「国際問題なんて、いつものことよ。」

~~~Iris. They're coming.

「敵がやつて来るわ。」

~~~. Don't let them in. They'll murder us. They daren't let us go now.

「あの人たちを入れたら駄目。殺されるだけだわ。もう今となつては、逃がさうなんて気は全然ないわ。」

~~~Herts. I order you to surrender at once.

「(列車の外から)降参しろ、今すぐ。」

~~~Redgrave. Nothing doing. If you come any nearer I'll fire. I've warned you.

「問答無用だ。近づくと撃つぞ。もう警告は終つたからな。」

(と、窓から、立つている四人のうちの一人を撃ち殺す)

~~~Redgrave. Better take cover. They'll start any minute now.

「戦闘準備だ。すぐにでも敵は撃つて来る。」

~~~2. Nasty jam. Don't like the look of it.

「厄介な話になつてきたな。あまり気がすすまないが。」

~~~1. Got plenty of ammunition?

「弾薬はあるのか?」

~~~Redgrave. Whole pouch full.

「弾倉に、充分。」

~~~1. Good.

「さうか。それはよかつた。」

~~~Parker. Duck down, you. I'm not going to fight. It's madness.

「降参するんだ、君たち。私は戦ふなんて嫌だね。気違ひ沙汰だ。」

~~~Travers. It's safer to protest down here.

「こんなところで抗議するなんて、楽な話。」

~~~Redgrave.(敵の動きを見て) They're trying to work

round to the other side.

「どうやら敵は反対側から攻めて来る様子だな。」

~~~Parker. You're behaving like a pack of fools. What chance have we got against those armed men?

「馬鹿だよ、こんなことをおつぱじめるなんて。武装したあの連中に対して何の勝ち目があるといふんだ。」

~~~2. You heard what the Mother Superior said. If we surrender now, we're in for it.

「おつきの女性のさつきの言葉を聞いたらう? 降参するなら今しかないぞ。」

(撃ち合い、始まる)

~~~2. We'll never get to the match now.

「とても勝ち目はないな、この調子ぢや。」

~~~Travers.(パーカーのピストルを見て)Give it to me. Give it to me.

「私にかして、それを。貸して頂戴。」

~~~2. What's going on here?

「何だ? 喧嘩など始めて。」

~~~Travers. He's got a gun and he won't use it.

「ピストルを持つてるのよ、この人。でも使はうとしないの。」

~~~Parker. I won't be a party to this sort of thing. I don't believe in fighting.

「こんな争ひ事に巻き込まれるのは真平だ。戦ふのがよいと、私は思つてないのでね。」

~~~2. Pacifist? Won't work. Christians tried it and got thrown to the lions.

「平和主義者か? やれやれ。まるで動かうとしない。キリスト教徒で例があるな。それでライオンの群の中に放りこまれたのさ。」

(トラヴァースが撃たうとするので、男2が)

~~~2. Come on, hand it over. I'm not afraid to use it. Probably more used to it. I once won a box of cigars.

「おいおい、それはこつちに寄こせ。僕はピストルを使ふなんて、何でもない。まあ、僕の方が慣れているさ。一度は賞品に葉巻を取つたこともある。」

~~~男1.He's talking rot. He's a good shot.

「(葉巻の賞品などぢやないもつと大きな賞品を取つことを知つているので)馬鹿な冗談だ。こいつは本当に射撃はうまいんだ。」

~~~2. Hope the old hand hasn't lost it's cunning.

「昔取つた杵柄。腕が落ちていなければいいが。」

I'm inclined to believe... that there's some rational explanation to all this. Rotten shot, only knocked his head off.

「いつかは明らかになつて欲しいもんだな、こんな馬鹿な話、どうしてこんなことが起きたのか。(ピストルを撃つ。どうやら命中したらしい)糞つ。頭をぶち抜いただけか。

(これは勿論謙遜)」

(ミス・フロイ、レッドグレイヴに)

~~~Miss Froy. Would you mind if we talk for a minute?

「ちよつといいかしら、私、歩いてきて。」

~~~Redgrave. What, now?

「ええつ? こんなときに散歩?」

~~~Miss Froy. Please, it's very important.

「ええ。どうか行かせて。大事なことなの。」

(レッドグレイヴ、ピストルト男1に渡して)

~~~Redgrave. Hang on to this for me, will you?

「こいつを頼む。」

~~~1. All right. I'll hold the fort.

「よし。砦(とりで)は私が守る。」

(ミス・フロイ、奥の方を指して)

~~~Miss Froy. It's safer along here. You come in too.

「こつち側の方が安全。あなたも来て。」

(と、ミス・フロイ、レッドグレイヴ、アイリス、後ろの方へ行く)

~~~Miss Froy. I just wanted to tell you that I must be getting along now.

「お二人に言はうと思つたの、私、どうしても行かなければつて。」

~~~Iris. You'll never get away. You'll be shot down.

「ここから逃げるなんて無理。撃たれて死んでしまふわ。」

~~~Miss Froy. I must take the risk. If I'm unlucky and you get

through, take back a message... to Mr. Callendar at the Foreign Office.

「その危険は冒さなければならないの、私は。もし私がうまく出来なかつたら、そしてあなたがうまく逃げられたら、連絡文を持つて行つて欲しいの。外務省のミスター・チャレンダーに。」

~~~Iris. Then you are a spy.

「ぢやあ、あなた、スパイなのね。」

~~~Miss Froy. I think that is such a grim word.

「スパイつていやな言葉ですけどね。」

~~~Redgrave. What is the message?

「連絡文つて何なのです?」

~~~Miss Froy. It's a tune. It contains, in code... the vital clause of a secret pact between two European countries. I want you to memorise it.

「曲。暗号なの。ヨーロッパのある二国間での、不可侵条約の一番大事な一節。あなたに覚えておいて貰ひたいの。」

~~~Redgrave. Oh, go ahead.

「ぢや、やつてみて。」

~~~Miss Froy. The first part goes like this... (タタタッタータ、タッタッタと歌うが)I'd better write it down. Let me a piece of paper.

「最初のところはこれ。書き留めた方がいいわ。紙を頂戴。」

~~~Redgrave. I was brought up on music. I can memorise anything.

「私は音楽と一緒に育てられたやうなもんです。音符ならすぐ何でも覚えます。」

~~~Miss Froy. Very well.

「ああ、それならよかつた。」

(ミス・フロイ、歌い始める。それを遠くから男2、聞いて)

~~~2. The old girl's gone off her rocker.

「いよいよあのばあさん、頭に来たぞ。」

~~~Parker. Face it, those swines will go on firing till they kill us all.

「おい、冗談を言つてゐる場合か。連中は俺たちを全員殺す気だぞ。」

~~~Travers. For goodness sake, shut up, Eric.

「お願ひ、黙つて、エリック。」

(ミス・フロイ、歌ひ終つて)

~~~Miss Froy. Now we've got two chances instead of one. You're sure you'll remember it?

「さあ、これで、(情報が到達する)チャンスが一つ増えたわ。本当にあなた、覚えたのね?」

~~~Redgrave. I won't stop whistling it.

「ええ、覚えました。これからはそれを口笛で吹いておくことにします。」

~~~Miss Froy. I suppose this is my best way out?

「今ね? きつと、逃げるのに一番良い時は。」

~~~Redgrave. Yes, just about.

「ええ、そのやうですね。」

(窓を開ける)

~~~Iris. But even if you do get away they'll stop you at the frontier.

We can't let her go.

「でも、たとへここを抜け出せても、国境で止められてしまふわ。(レッドグレイヴに)この人を行かせるわけにはいかないわ。」

~~~Redgrave. You're taking a big risk.

「(ミス・フロイに)危険が大き過ぎますね。」

~~~Miss Froy. In this sort of job one must take risks. I'm grateful to you both for all you've done.

「かういふ仕事に危険はつきもの。さうさう、あなた方二人には随分お世話になつたわ、有難う。」

I do hope and pray no harm will come to you... and that we shall all meet again.

「祈つてるわ、あなた方二人に間違ひが起らないやうにと、それからまた三人で逢へますやうにつて。」

~~~Iris. I hope so too. Good luck.

「私も。幸運を。」

~~~Redgrave. Good luck.

「幸運を。」

~~~Miss Froy. Will you help me out?

「外へ出して下さらない?」

~~~Redgrave. Yes, rather. Take the weight, on top, right you are, I've got you.

「分りました。さ、体重をかけて、こつちに。さうさう。さ、足が着いたでせう?」

(と、ミス・フロイを地面に下す)

~~~Iris. Goodbye.

「さようなら。」

(敵、ミス・フロイを撃つ。ミス・フロイ、駆け出す)

~~~Iris. Was she hit?

「撃たれた?」

~~~Redgrave. I'm not sure.

「分らない。」

~~~2. That's the end of my twelve.

「(ピストルの弾がきれる)これでこちらの12個は終だ。」

~~~1. There's not much left here, either.

「こつちもあまり残つてない。」

(そこにレッドグレイヴ、来る)

~~~1. We've only got one chance.

「逃げる手はただ一つしかないな。」

~~~Redgrave. We've got to get this train going. Go back to the main line and try and cross the frontier.

「さう。この汽車を動かすんだ。本線に入つて、国境を越えるんだ。」

~~~1. That's a bit of a tall order. Those drivers are not likely to do as you tell them.

「かなり無茶な命令だな、それは。運転手たち、まあ我々の言ふことを聞いてはくれないだらう。」

~~~Redgrave. We'll bluff them with this.(とピストルを持つ)Who's coming?

「これでだますのはどうだ? 誰が後押しをしてくれるかな?」

~~~2. You can count on me.

「私を頼りにしてくれていいぞ。」

~~~1. Me too.

「私もだ。」

~~~Redgrave. We can't all go.(男1に)You stay here... If we have any luck we'll stop the train at the point... and you switch them over.

「三人では無理だ。君はここにゐて。運よく汽車を止められれば・・・(男1に)汽車を下りてポイントを変へて欲しい。」

~~~1. Okay.

「分つた。」

~~~Parker. You idiots, you're just inviting death.

「お前らみんな、馬鹿だ。死ぬだけだぞ、そんなことをして。」

(レッドグレイヴと男2、機関車の方へ進む)

~~~Parker. I've had enough. Just because I try and avoid being murdered... I'm accused of pacifist.

「こんなことはもう沢山だ。ただ殺されるのが厭で、それを避けやうとしただけで・・・「平和主義者」だと非難する。やれやれだ。」

I'd rather be called a rat than die like one. If we give ourselves up, they daren't murder us in cold blood.

「「平和主義者」と言はれるくらゐなら、鼠と言はれた方がまだましだ。降参しさへすれば、冷血に殺すなんてことはいくら連中でもしはしない。」

They're bound to give us a trial.

「裁判にかけなきやならないからな。」

~~~Travers. Stop gibbering. Nobody's listening to you.

「馬鹿なことをガタガタ言ふのはお止めなさい。誰もあなたの言ふことなんか聞いてないわ。」

~~~Parker. You go your way, I'll go mine.

「君は勝手にするがいい。私には私の道がある。」

~~~1. Where are you off to?

「おい、君、どこへ行くんだ。」

~~~Parker. I'm doing the only sensible thing.

「もつとましなことをやらうと思つてね。」

~~~1. Let him go if he wants to.

「やらせておけ、やりたいのなら。」

(パーカー、白いハンカチを持つてタラップへ出る。撃ち殺される)

(敵、近づいて来る。それを見てアイリス)

~~~Iris. They're coming towards us.

「敵がやつて来るわ。」

~~~1. Pity we haven't a few more rounds.

「もう二三回、ドンパチやつてみたかつたな。」

~~~Travers. It's funny. I told my husband when I left him that I wouldn't see him again.

「をかしい話。夫と別れてこつちへ来るとき、私、あなたの顔は二度と見ることないわ、つて言つたの。」

~~~Iris. Gilbert! Gilbert!

「ギルバート! ギルバート!」

(汽車、動き始める)

~~~1. By gad, we're off. This gives us a chance.

「いいぞ、これは。動き出した。チャンスがあるかも知れない。」

(機関車の中。機関手二人、レッドグレイヴに男2

(レッドグレイヴ、ピストルを構へて機関手に命令)

~~~Redgrave. Come on, keep going.

「さあ、そのまま進むんだ。」

(機関手二人、敵の弾にあたつて死ぬ。レッドグレイヴ、運転を続ける)

~~~2. Do you know how to control this?

「動かし方、君、知つてる?」

~~~Redgrave. I watched the fellow start it.

「この連中がやつてゐるのを見たからね。」

~~~2. I know something. Once drove a miniature engine in Dymchurch.

「僕は少しなら知つてゐる。昔、ディムチャーチでミニチュアの機関車を動かしたことがある。」

~~~Redgrave. Good. I'll look out for the points.

「ぢや、頼む。僕は切り替へのポイントを見張つてる。」

(こちら食堂車。トラヴァース、アイリス、男1

~~~Iris. Blighters are chasing us. Look.

「敵は追ひかけて来てゐるわ。ほら。」

~~~1. We can't have far to go. It's time for me to change the points.

「もう少しだ。もう少し行けばポイント切り替への場所に来る。」

(倒れていた将校、息を吹き返し、起上がる。ピストルを見て、手に取る)

~~~1. We shall be in neutral territory.

「さうすれば、中立国に入る。」

~~~将校.(ピストルを構えて)That's not necessary. The points will not be changed over. Please be seated.

「さうは問屋が卸さないね。ポイントは切り替へられない。さ、皆、坐つて。」

(三人坐る)

(ここ、映画では変なのですね。この将校の運命が分らないのです。後で三人とも生きてゐるので、三人が助かつたらしいことだけは分るのですけどね。)

(こちら、機関車。レッドグレイヴと男2

~~~Redgrave. There they(切換えのポイント) are, just ahead of us. Do you think you can stop it?

「ああ、あそこにポイントがある。ほら、あそこだ。君、切り替へ、できる?」

~~~2. Hope so.

「多分。」

(こちら、三人と将校。尼、将校に見られず、隠れてゐる)

~~~将校. You'll keep quite still until my friends arrive. If anyone leaves, I shall have to shoot.

「味方が来るまで、じつとしてゐて貰ひますよ。逃げやうとしたら、私は撃つしかない。」

(アイリス、立上り)

~~~Iris. There's one thing you don't know. There's only one bullet left, if you shoot me the others have a chance. You're in a difficult position.

「一つだけあなたの知らないことがあるわ。そのピストル、弾は一個だけしか残つてゐない。あなたがもし私を撃てば、他の人には逃げるチャンスがある。あなたの立場はあまり強力ぢやないわ。」

~~~将校. Sit down please.

「どうか、お坐りください。」

(アイリス、坐る)

\\

(この間に尼、汽車から降りてポイントを切替える。敵、撃つて来る。男2とレッドグレイヴ、尼を引上げる。尼、足を撃たれる)

~~~2. All right. Where the devil's Charters?

「よーし。ところで尼さんは?」

~~~Redgrave. Go ahead, she's done it.

「ポイントを切り替へてくれた。さ、行かう。」

~~~. It's all right, it's just my legs.

「私は大丈夫。足だけ、撃たれたのは。」

(こちら、敵方。クマー、外国語でハーツに何か言う)

~~~Herts. Or as they say in English, jolly good luck to them.

「フン、連中、やつたな。英語で言ふと「天恵」といふところか。」

(こちら機関車の中)

~~~2. I'm glad that's over. Heaven knows what the government will say about it.

「やれやれ、これで終か。政府が何といふか、それは分らないがね。」

~~~Redgrave. Nothing at all. They'll hush it up.

「政府が何も言ふわけがない。ただ黙つてゐるだけさ。」

(レッドグレイヴ、メロディーを口笛で吹いてゐる。男2、無意識に汽笛の紐を引いてゐて、うるさい。レッドグレイヴ、「それを止めてくれ」と言ふが、男2、聞えない)

~~~2. What?

「何だつて?」

~~~Redgrave. Take your hand off that thing. I've got to remember a tune.

「汽笛を鳴らさないでくれ。僕はこのメロディーを覚えておかなきやならないんだ。」

~~~2. Remember...

「メロディーを覚えるだつて・・・」

(レッドグレイヴとアイリス、立派な汽車に乗つてゐる)

(汽車、駅に止る。アイリス、化粧中。駅の赤帽が窓から)

~~~赤帽. Porter, sir?

「赤帽にご用はありませんか?」

~~~Redgrave. No, thanks.

「いや、結構。」

~~~Iris. We're home, Gilbert. Stop humming that awful tune. You must know it backwards.

「ギルバート、私たちもう帰つて来たのよ。その厭なメロディー、止めて。そんなに吹いてたら、もう逆からでも出来るでせう?」

~~~Redgrave. I'm not taking any risks. Charles will be here to meet you?

「いや、危険を冒すわけにはゆかない。さうさう、チャールズ(これが婚約者の名前でしたね?)、君を迎へに来てるんだらう?」

~~~Iris. I expect so.

「さう思ふけど。」

~~~Redgrave. You'll be pretty busy between now and Thursday.

「これから木曜日まで、ご多忙の毎日だね、君は。」

~~~Iris. I could meet you for lunch or dinner, if you'd like it.

「もしあなたがよければ、私、お昼でも、夕食でも、お会ひしていいけど。」

~~~Redgrave. Sorry, I didn't mean that. I've got to deliver this theme

song to Miss Froy... and then I'm going to Yorkshire and finish my book.

「いや、そんな意味で言つたんぢやない。僕はこのメロディーをミス・フロイに運ばなくちや。それから、ヨークシャーに行つて、本を書き上げなきや。」

~~~Iris. I see.

「さうね。」

~~~Redgrave. Ready?

「用意は出来た?」

~~~Iris. Yes.

「ええ。」

(二人、汽車を降りる。ホームの客の中にヒッチコックゐる)

~~~1. Ample time to catch the 6:50 to Manchester after all.

「結局、6時50分のマンチェスター行きには十分間に合ふな。」

(新聞売りが「TEST MATCH ABANDONED FLOODS

「テスト試合、洪水のため中止!」

と書いた紙をぶら下げてゐる)

(アイリスとレッドグレイヴ)

~~~Redgrave. Any sign of Charles yet?

「チャールズ、来てる?」

~~~Iris. No, I can't see him.

「いいえ。捜してるんだけどゐないわ。」

~~~Redgrave. Well, this is where we say goodbye.

「さてと、ここらでさよならを言はなくちやならないな。」

(と、握手の手を出す。アイリス、それを握らず、車の中に隠れる。レッドグレイヴも車に入り)

~~~Redgrave. What's the matter?

「どうした?」

(車の中から外を見る。人待ち顔の男がゐる。それを見て)

~~~Redgrave. Charles?

「チャールズ?」

~~~Iris. Yes, you heartless, callous, selfish, swollen-headed beast...

「さう。あなたつて厭な人。不親切で、粗野で、自分勝手で、頭でつかちの獣(けだもの)よ・・・」

(レッドグレイヴ、アイリスにキス)

~~~タクシーの運転手. Are you going anywhere?

「どこに行くんですか?」

~~~Redgrave. Foreign Office.

「外務省へ。」

\\

(外務省の部屋の中。アイリスとレッドグレイヴ)

~~~Iris. Where are we going on our honeymoon?

「新婚旅行はどこへ?」

~~~Redgrave. Somewhere quiet. Somewhere where there are no trains.

「どこか静かなところにしよう。汽車だけはご免だな。」

~~~外務省の役人.(入つて来て) Mr. Callendar will see you now.

「係の者、ミスター・キャレンダーがすぐに参ります。」

(二人、立上るが、レッドグレイヴ、アイリスの手を握り)

~~~Redgrave. Wait a minute. It's gone!

「待つて。あれ、どこかへ行つちやつた。」

~~~Iris. What's gone?

「どこかへ行くつて、何の話?」

~~~Redgrave. The tune. I've forgotten it!

「メロディーだよ。あのメロディー、忘れちやつた。」

~~~Iris. No! No!

「まさか、まさか!」

~~~Redgrave. Wait a minute. Let me concentrate.

「待つて。気持を落ち着ける。」

(レッドグレイヴ、何か口ずさむ)

~~~Iris. No, that's the Wedding March.

「駄目よ、それ。それは結婚行進曲。」

~~~Redgrave. It's awful. I've done nothing but sing it since that day.

Now I've forgotten it completely.

「ひどいことになつた。あの日から、あれを覚えることしかしてゐなかつたのに。」

(そのメロディーがピアノで聞えて来る)

(二人、役人に導かれて隣の部屋へ行く。ピアノを弾いてゐたのはミス・フロイ)

~~~Iris. Miss Froy!

「あら、ミス・フロイ!」

~~~Redgrave. Well, I'll be hanged.

「やれやれ、助かつた!(さうでなければ、首をつるところだつた)」

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~Fin)