ラッテンベリー事件

        テレンス・ラティガン作
        海老沢計慶 能美武功 共訳

(題名に関する註 原題は Cause Celebre 「有名な事件」。モデルになった実際の事件の名を、翻訳の題名にした。)

  
  登場人物

アルマ・ラッテンベリー
フランスィス・ラッテンベリー
クリストファー・ラッテンベリー
アイリーン・リッグス
ジョージ・ウッド
エディス・ダヴェンポート
ジョン・ダヴェンポート
トニー・ダヴェンポート
ステラ・モリソン
ランドルフ・ブラウン
判事
オコナー(発音はコにアクセント。)
クルーム・ジョンソン
キャスウェル
モンタギュー
裁判所の事務官
ジョウン・ウエブスター
バグウェル巡査部長
ポーター
看守
検死官

(この芝居の舞台となるのは、一九三四年および一九三五年のボーンマスとロンドン。)
(この芝居はよく知られたある事件に触発されたものであるが、個々の人物に対応する各登場人物は、著者の想像に成るものであり、必ずしも事実通りではない。)

     第 一 幕

(舞台は色々な日時にわたり、場面もオールド・ベイリーにある裁判所の第一法廷からロンドンにある中央犯罪裁判所の別法廷、ボーンマスにあるヴィラ・マデイラ、ケンジントンにあるフラットの居間など、様々に転換する。場面転換は主に照明の変化によって行われる。従って、幕が下されるのは、第一幕と第二幕の最後のみ。)

(アルマとミスィズ・ダヴェンポートの上に各々スポット・ライト。やがて別の照明が裁判所の事務官の上にも非常に弱く射し込む。)

 裁判所の事務官 アルマ・ビクトリア・ラッテンベリー、あなたは一九三五年三月二十五日に起きたフランシス・モーソン・ラッテンベリー殺害の廉により起訴されていますが、自身の有罪を認めますか? 否定しますか?
(訳註 原文では二十八日になっている。後半に出て来る日付から、二十五日らしいので改めた。)
 アルマ(殆ど聞き取れない声で。)否定します。
(事務官、ミスィズ・ダヴェンポートの方に向きを変える。照明、ミスィズ・ダヴェンポートを照す。)
 裁判所の事務官 エディス・アメリア・ダベンポート、右手を聖書に載せ、このカードに書かれた言葉を読み上げて下さい。
(事務官を照していたライト、ゆっくりと消灯する。)
 ミスィズ・ダヴェンポート 私は全能なる神にかけて、私たちの君主たるイギリス国王と獄中の囚人を繋ぐこの裁判において、真に良く務め、証拠にのみ基づき真の評決を下すことをここに誓います。
(アルマとミスィズ・ダヴェンポートの上のスポットライト、徐々に消える。)

(ケンジントンにあるフラットの居間。ミスィズ・ダヴェンポートとステラ・モリソン。ステラはミスィズ・ダヴェンポートの妹で一、二歳、若い。)
 ステラ 陪審に召喚されるなんて! ぞっとするわ。ちょっと見せて。
(ミスィズ・ダヴェンポート、ステラに召喚状を手渡す。)
 ステラ(読む。)陪審へは本人自ら出席し・・・十五日間・・・なお、法規を無視し出席を拒んだ場合、本人の身に危険が及ぶことがある。あらあら!
 ミスィズ・ダヴェンポート(微笑みながら。)ええ、怖いわね。危険って何だと思う? 重労働? 足枷刑? それとも、ちょっと頭をこづく程度?
 ステラ きっと、罰金ね、それも相当高い。でも、払うだけの価値はあるかもしれないわね。あなた、召還が厭なら、私、うちの人に言ってあげるけど。
 ミスィズ・ダヴェンポート(召喚状を取返して。)その必要はないわ。召喚には応じるつもり。楽しみなくらいだわ。
 ステラ まあ、丸々二週間も?
 ミスィズ・ダヴェンポート ええ、私、近頃はそのくらいの時間はあるの。多分万引きね。どこかのお年寄がバーカーズで絹のストッキングを盗んだのよ。無罪を主張して、お年寄に慈善、そのくらいはしなくちゃ。
(訳註 ここではどんな裁判で召還がきているのか分らないので、犯罪の推測。)
 ステラ 万引き? 違うわね。ストリーキングよ。
 ミスィズ・ダヴェンポート ストリーキング? そんな事件だったら、女性が陪審員に召還されることはないでしょう?
 ステラ とんでもない。最近は何にだって女性が登場するのよ。
 ミスィズ・ダヴェンポート もしそうなら、その裁判には私、男のような態度で臨まなきゃ。でも、問題は日程。子供のクリスマス休暇を台無しにしたくないわ。五月に延期するよう頼むつもり。その頃なら何の障害もないから。
 ステラ カンヌでは、楽しくやってるかしら?
 ミスィズ・ダヴェンポート トニー? ええ。あの子、葉書にはそう書いてきたわ。でも、きっと父親に言われて書いた葉書。私を心配させまいとして。とにかく、ジョンがあの子と会うのもこれで最後だと思うとほっとするわ。
 ステラ 相変らず、離婚の決心は変らない?
 ミスィズ・ダヴェンポート ええ、変らないわ。
 ステラ でも、私がどう思ってるかは知ってるわね?
 ミスィズ・ダヴェンポート どうしても離婚しなきゃ。単なる別居では、トニーを正式には引き取れないわ。
 ステラ たとえ離婚したとしても、父親からあの子を完全には引き離せないでしょう?
 ミスィズ・ダヴェンポート いいえ、引き離してみせる。ジョンに打つ手はない筈。何しろ、あの女秘書の言うなりなんだから。それに、裁判所できちんとやってくれるわ。ジョンがどうやろうと、結局はこっちの勝。
 ステラ でも、その秘書以外には、例のあの女だけだったんでしょう?
 ミスィズ・ダヴェンポート いいえ。別居する前の五年間に、少なくとも他にも二人。そして、今度があの女秘書。
 ステラ それでも、五年でたかだか四人。それでジョンが青ひげ(訳註 「女たらし」の意。)だって言うは無理ね。性的関係を拒否する妻に対抗する夫としては、標準的なところじゃない?
 ミスィズ・ダヴェンポート あなた、また、私のせいだって言うのね。
 ステラ あなたが頭痛を口実にあのことを避け始めたのは、あの人がまだたった四十の頃でしょう? それでもう寝室が別・・・ちょっと早過ぎよ。
 ミスィズ・ダヴェンポート 私、もう我慢が出来なくなったのよ、ステラ。もともとああいうことが楽しいと思ったことはないの、私。それに、あの人ときたら、年をとるにつれて、余計しつこくなって・・・
 ステラ うちの人に聞かせてやりたいところだわ、それ。
 ミスィズ・ダヴェンポート 「お前があれを嫌がると、私はもっと欲しくなってね」って、よく言ってたわ。こんなの異常じゃない?
 ステラ ちょっとはね。でも私、やってみようかな、それ。あの人に効き目があるかしら。それでトニーは離婚のこと、どう思ってるの? あの子、父親にべったりだったんでしょう?
 ミスィズ・ダヴェンポート そう。でも今では全部あの子に話してあるから・・・全部って言ったって、必要なことだけよ・・・あの子だって私の気持、分ってくれている筈。でも、あの二人がカンヌにいたこの二週間が問題。あの子にあの人が何を吹き込んだか、知れたものじゃない。酷い男だから、あの人は。
(暗転。)

(訳注 以下、場面は英国内の空港ロビーに移る。)

 ダベンポート(ポーターに。)私を待っている車がある筈だ。私はダベンポート。その荷物を頼む。それが終ったら、こっちもだ。
 ポーター 畏りました。(退場。)
 ダベンポート じゃあ、トニー、どうやら、さよならだな。ヴィクトリア空港ターミナルまではシャトルバスで。そこからケンジントンまではタクシーに乗るといい。こっちは、まっすぐオフィスに戻る。
 トニー(早口で)分ってる。(間。)ねえパパ、またいつか会えるよね?
 ダベンポート ああ、次は法廷でな。
 トニー いや、その後で・・・裁判が済んでからも。
 ダベンポート それは、お母さん次第だ。
 トニー うん。もう一つ聞いてもいい?
 ダベンポート 何だ。
 トニー お母さんがいつも僕に話してること・・・いや時々かな。聞いたんだ、いろんな事、「あの女」のことを。
 ダベンポート そうか。
 トニー でも、本当はいないんだよね?「あの女」なんて。だって僕パパと、二週間、ずっと一緒にいたけど・・・「あの女」なんていれば、僕だって馬鹿じゃないんだ。だから分るさ、そのくらい。
 ダベンポート うん、お前は馬鹿じゃない。
 トニー まだ愛してるんだよね? ママのこと。
 ダベンポート(はっきりと。)うん、愛してる。
 トニー ねえ・・・それとも、本当はいるの?
(間。)
 ポーター 荷物は運びました。そちらの荷物もあの車ですか?
 ダベンポート いや、息子の方はシャトルバスだ。
 ポーター 畏りました。では、バスの座席を取っておきます。
 トニー 有難う。
 ダベンポート じゃ、私はこっちからだ。お前も元気でな、トニー。
 トニー うん。楽しい旅行だったよ、パパと一緒で。
 ダベンポート 退屈だったんじゃないのか。
 トニー カンヌは違う。あそこは最高だったよ。
 ダベンポート するとパリは駄目だったということか。
 トニー パパには悪いけど、パパ、約束してくれていたじゃない、パリで連れて行ってくれるって・・・例の、ほら・・・なんとかハウス・・・さ。
 ダベンポート 忘れていたんじゃないんだ、トニー。ただあそこは・・・パスポートを見せなきゃならないからな・・・
 トニー 売春宿にパスポートがいる?
 ダベンポート 未成年者に厳しいんだ。
 トニー(がっかりして。)酷いよ、それ。フランスでもそんなに? じゃ、トルコだ。・・・それとももっと他の国かな。
 ダベンポート(笑いながら。)何故、トルコなんだ? ここじゃいけないのか、このジャーミン街じゃ。
 トニー それは考えたよ。でも、ただ、ちょっと・・・
 ダベンポート 冗談、冗談。今はまだ早い。もう一、二年先の話だ。分るだろう?
 トニー でもパパ、僕はもう十七歳だよ。
 ダベンポート ああ、それでもまだ少し若すぎる。私でも二十歳過ぎてからが初めてだ。まあ、どうしてもって言うんなら、随分気をつけてやるんだな。いいね?
 トニー 気をつけるって、何を?
 ポーター バスの席は取れました。
 ダベンポート 有難う。(ポーターに半クラウン、与える。)
 ポーター 有難うございます。(退場。)
 ダベンポート さてと・・・。
 トニー ねえ、ママには何て言おう・・・「あの女」のこと。
 ダベンポート こう言うんだな。「僕は会わなかった。でも、パパはしょっ中、あの女と電話で話していた」って。自尊心の問題なんだ、これはお母さんにとって。じゃあな、トニー。

(ウッド、舞台を横切り、ラッテンベリー家の外に立つ。自転車の留金を閉め、鍵をポケットに入れる。)
(照明が灯り、ヴィラ・マデイラのホール、居間、階段が示される。アルマのメイド兼話相手のアイリーン・リッグス、小ホールに登場。メイドというより話相手に相応(ふさわ)しい服装。)
 アイリーン はい。何でしょう?
 ウッド 広告を見て、来ました。
 アイリーン あなたじゃ、年が行き過ぎ。
 ウッド でも、年齢は十四歳から十八歳って・・・
 アイリーン ええ、分かってる。あれは私が書いたんだから。年が行き過ぎてるのよ、あなたじゃ。
 ウッド 僕、十七ですよ。
 アイリーン でも駄目、あなたじゃ。帰って。
 アルマ(二階から声をかける。)誰なの? アイリーン。
 アイリーン(答えて。)広告を見て、来た子です。うちには合いません。
 アルマ(二階から。)なぜ?
 アイリーン(答えて。)年が行き過ぎてるんです。
 ウッド(二階へ聞こえる声で。)そんなことありません。僕、まだ、十七です。
 アイリーン(二階へ。)いいえ、見た所じゃ、もっとずっと上です。
 アルマ(短い間の後。)今、下りて行くわ。
 アイリーン(答えて。)いいえ、今、帰ってもらっている所です。
 アルマ(きっぱりと。)いけません。待って貰って。
 アイリーン(困り顔。ウッドに。)入れって。(舌打ちしながら。)まるでタイプじゃないのに。
(この間にアルマ、両足をベッドの外にひょいと投げ出してベッドから立つ。)
 アルマ(階下へ。)何か今、ひっかけてる所。今すぐね。
(アルマ、衣裳箪笥から「かなり毒々しい色とデザインの」ひと組の昼用パジャマを引っ張り出す。)
(階下のウッドはこの時までに室内へ進み、自分のホンブルク帽(訳注 つばが巻上り中央が窪んだ西ドイツのフェルト帽。)を捩ったりしながら、不安気にホールで待っている。)
 アルマ(階下へ。)ラウンジへどうぞってね、アイリーン。そこで「お楽に」って。
 アイリーン(居間の方を顎でしゃくる。)今の、聞こえたわね?
 ウッド(中へ進みながら。)あなたは、女中さん?
 アイリーン 話相手。
 ウッド 僕が嫌いなんですね?
 アイリーン 嫌いなんてことはないわ。ただ、タイプじゃないの。それだけ。
 ウッド タイプ・・・でもそれは、あちらの方が決めることじゃありませんか?
(ウッド、二階を顎でしゃくる。アイリーン、冷たい目で相手を見つめる。)
 アイリーン(やがて最後に。)そうね。
(アイリーン、通路を下りて姿を消す。ウッド、居間を見回し、椅子に腰を掛ける。二階のアルマはこの時までに着替えを済ませ、口紅を付けている。それから髪を軽く叩いて整える。ウッド、椅子から立上り、竪型ピアノの方へ進む。その譜面立には楽譜が一つ、開かれたまま置いてある。ウッド、楽譜を覗き込む。アルマ、スリッパを履いた足で急いで階段を下りて来る。ウッド、不意に現れたアルマに驚き、慌ててピアノから離れる。)
 ウッド(覗き見が露見して。)すみません。
 アルマ(笑いながら。)いいえ、構わないわ。楽譜が読みたければ、どうぞ。私の曲ですもの。
 ウッド 僕、楽譜は読めないんです。今、「私の曲」って言いました?
 アルマ 表紙を御覧なさい。
 ウッド(畏敬の念で。)これは、あなたの写真・・・
 アルマ ええ、ずっと以前のね、残念だけど。十二年前、その写真は。
 ウッド(読む。)ロザンヌ作曲、「黒い髪をしたマリー」。ミス・ロザンヌ・・・これがあなたの名前?
 アルマ いいえ、ロザンヌは私のペンネーム。(ウッドの当惑ぶりを見て。)自分の歌につける時の名前。本当の名前は、アルマ。あなたは?
 ウッド ウッドです。
 アルマ 何、ウッド?
 ウッド パース。ああ、本当はパースィーです。でも、親父が僕のことをパース、パースって呼ぶんで、それでパースです。
 アルマ お父さん・・・仕事は何?
 ウッド 建設業です、でも今は一時解雇されていて。仕事が入った時は僕も一緒に働きます。でも最近じゃ、その臨時の仕事も多くはありません。
 アルマ そう。分るわ。このところひどい不況。歌も売れない。恋もお金もさっぱりね。
 ウッド(楽譜に視線を向けて。)じゃあ、これは生活のため?
 アルマ いいえ、生活とは別、有難いことに。これが生活の糧(かて)だったら、今頃、失業手当のお世話になってるわ。ただ、作曲の依頼はまだあるの、時々。例えば、その歌・・・それは、ほんの一年前。BBCのために作ったもの。放送ではバリトンが歌ってたわ。
 ウッド(熱心に。)「囁きのバリトン」で、ですか?
 アルマ いいえ。ただのバリトン。さあ、その帽子をこちらに。
 ウッド ああ、すみません、ミス・ラッテンベリー。
(アルマ、帽子を受取り、それをピアノの上に置く。)
 アルマ ところで、私、ミスじゃないの。ミセス。ミセスが三度も・・・実は。
 ウッド 三度! 離婚で?
 アルマ(明るく。)ええ。一人は離婚。一人は死別。今は「ラッツ」・・・つまり、今の主人のラッテンベリー・・・と一緒になって七年。犠牲の多い人生なのよ、私。若くして結婚したから。もう十三になる子供がいるわ。あなたと殆ど年の変らない。
(アルマ、笑う。ウッド、礼儀正しく微笑む。)
 アルマ あなた、体格がいいわね。建設現場で働いてるせいね。
 ウッド それにしょっ中、自転車をこいでますから。
 アルマ そう。自転車ってとても身体にいいから。そう・・・あなたってどこから見ても一人前の大人・・・だわ。
(間。ウッド、この時までに、やっと、この将来の女主人が、自分に何を要求しているかに、ぼんやり気づく。)
 ウッド こちらの、アイリーンさんは、僕を「一人前の大人」過ぎる、と思っているんじゃないですか?
 アルマ そう、アイリーンはね。あの広告、二人共同で作ったの。アイリーンには考えがあって・・・そうね、もっとずっと小さな男の子を考えていたのね。あなたはあの人の下で働くことになるのよ、私の下じゃなくて・・・。そう、お給金のことを話しておいた方がいいわね。お給金のせいもあるの、小さい子を雇おうとしたのは。夫が週一ポンド以上は出そうとしないのよ。
 ウッド 住込で?
 アルマ いいえ、住込は駄目。空き部屋がないの。アイリーンの部屋の他には、部屋は一つしかなくて、そこには男の子二人が・・・十三の他にもう一人、まだ六つの小っちゃいのが・・・使っているの。つまり、学校が休みの間は。勿論、あなたがもっと小さな男の子だったら・・・広告に書いたように。それなら、あの子たちと一緒に寝てもらうこともできたでしょうけど・・・いえ、もしも、本当に小さな子供だったらの話だけど。でも、そうじゃないんだから・・・私とアイリーンが裸同然の姿で二階を歩きまわるのよ・・・あなた、困るでしょう?(変なことを言ってしまったかと、せかせかと言う。)いいえ、住込はとても駄目ね。
 ウッド いえ、聞いてみただけです。ところで、ラッツはどこで寝るんですか?
 アルマ 「ラッツ」は駄目。あの人のことはちゃんと、ミスター・ラッテンベリーと言って。アイリーンもそうしているんだから。
 ウッド 分りました。で、どこで寝るんですか? ミスター・ラッテンベリーは。
(間。)
 アルマ いろんなことを訊く子ね。でも、いいわ。その方が私、好き。あの人の寝室は、その向こうよ。
(アルマ、居間の中に見える寝室の扉を指差す。)
 アルマ あの人はもう階段が上れないの。
(間。)
 ウッド そうですか。
 アルマ(また少しの間の後、軽く。)それで、どう? やる? やらない?
 ウッド 週一ポンドじゃ、ちょっと・・・
 アルマ 別に二三シリング・・・時々。諸経費として。ただラッツには・・・ミスター・ラッテンベリーには言っちゃ駄目。あの人、お金のことには厳しいの。あなた、この近くに住んでるの?
 ウッド ボーンマスの向う側、自転車で三十分程です。二三シリングって・・・はっきり言えないんですか?
 アルマ(ウッドの腕を軽く叩いて。)必要な時にはそう言ってくれればいいの。
 ウッド 分りました。じゃあ・・・
 アルマ これで決り・・・良かったわ。じゃあ、交渉成立を祝って、軽く一杯、どう?
 ウッド あー、僕、飲めないんです。
 アルマ どうせ雇い主にはいつでもそう言っているんでしょう? ジン・アンド・イットでいい?
 ウッド 何ですか? それ。
 アルマ まあ! ジン・アンド・イットを知らないなんて、呆れた。(アルマ、自分のグラスに忙しく酒を注ぐ。)・・・ねえ、ちょっと嘗めるだけ。契約成立のしるし・・・ね? 
 ウッド どうしても、と仰るなら。
 アルマ どうしても、なんて言わないわ。決して私、無理強いはしない主義。でも、この一口だけ・・・。何にだって「初めて」という事があるわ、そうでしょ。
 ウッド ええ。
 アルマ 「好きな事はほどほどに」って言うのが私のモットー、それにその方がずっと体にもいいわ。元々、私達のこの世界は素晴しいの。そこで楽しみなさいって、私達はここに放り込まれたの。あなた、賛成しない?
(アルマ、ウッドに飲み物を手渡す。)
 ウッド 僕は賛成してもいいけど、親父は駄目だな。信仰心が厚いから。
 アルマ でも、主は、私達に愉しみを持つなとは言わなかったわ、ね? 主は水を葡萄酒に変えたの。葡萄酒を水に変えたんじゃないわ。もし今度、あなたのお父さんがうるさいことを言ったら、そう言ってみて。それに主は、人はお互いに愛し合わねばならないと言ったのよ。その通りだって、私思うの。
(アルマ、グラスをかかげて)
 アルマ さあ、パース・・・駄目ね、パースは。パースィーも変。あなた、ミドルネームはあるの?
 ウッド ジョージです。
 アルマ ジョージ・・・それならいいわ。さ、これからはジョージよ、あなたは。
(アルマ、再びグラスをかかげる。)
 アルマ ジョージに乾杯!
 ウッド(グラスをかかげて。)ミスィズ・ラッテンベリーに!
 アルマ いえ、アルマ・・・今だけじゃないの。これからずっと。
 ウッド アルマに乾杯!
 アルマ ジョージに!
(二人、飲む。ウッド、顔をしかめる。アルマ、笑って、ウッドの手からグラスを取上げる。)
 アルマ さあ、あなたはこれでおしまい。これ以上飲ませて、あなたを堕落へと誘(いざな)ったなんて言われたら困るもの。
(アルマ、ウッドのグラスの酒を一息に飲干す。)
 アルマ 私には水と同じ。ねえ、アルマってラテン語でどういう意味か知ってる? 昔大学の先生が教えてくれたんだけど、「命を授(さず)ける」とか「惜しみなく与える」って意味なんですって。それから、古代の人々は「アルマ」って言葉を、女神たちの形容に使っていたそうよ。例えばヴィーナスに。勿論私はヴィーナスじゃない・・・当り前・・・でも、アルマって、「親切な」とか「人に安らぎを与える」っていう意味もあって、私がそうなのよ、ジョージ。こんなことを言ったって誰も・・・
(ラッテンベリー、ホールに登場。)
 アルマ ラッツが来たわ。いいこと、大きな声で話すのよ。
(アルマ、居間の扉を開ける。ラッテンベリー、すぐにウッドに気付く。耳は遠いが、明らかに目はよく見える。アルマ、夫にキスする。)
 アルマ(大きな声で。)お散歩、どうでした?
 ラッテンベリー 東風が酷かった。言ってくれれば良かったんだ。
 アルマ あらまあ。じゃあ、冷えたのね?
 ラッテンベリー 一物(いちもつ)まで凍えたよ。
(ラッテンベリー、ウッドには注意を払わず、いつも通りに自分の肘掛け椅子に腰を掛ける。肘掛け椅子はフレンチウインドウに背を向けている。このことは後で重要になる。)
 ラッテンベリー ウイスキーをくれ。
 アルマ ウイスキー? ちょっと早いんじゃない?
(アルマ、ウイスキーを注ぎ始める。)
 ラッテンベリー お前のジンだって少し早いじゃないか。
 アルマ 普段あなたは、午前中はウイスキーはやらないわ。だから言っただけよ。
 ラッテンベリー 普段は一物が凍えるような目には合わないからな。(新聞のある記事を見せて。)また、株価が下った。
 アルマ まあ・・・ところで、こちらが誰か、あなたさっきから気になってるんじゃない?
 ラッテンベリー いや、別に。誰なんだ。
 アルマ 名前は、ジョージ・ウッド。新しいお手伝いさん。
 ラッテンベリー(むっつりと一啜りしてから。)アイリーンの話じゃ、少年だったぞ。
 アルマ 少年よ。まだ十七歳なんだから。
 ラッテンベリー フン。(あまり関心なく、ウッドをじっと見る。)こいつには推薦状はあるのか。
 ウッド いいえ。今までこの種の仕事はしたことがないんです。
 ラッテンベリー(聞えない。)ええっ?
 アルマ(夫の肩に手をかけて。)心配しないで、あなた。聞き取りは充分しましたから。申し分なし。私が請け合うわ。
(ラッテンベリー、妻を見上げる。「まあ、お前が決めることだ」など、黙許の呟き。グラスを妻に手渡す。)
 アルマ(グラスを指差して。)あっと言う間に胃まで落ちたわね。
 ラッテンベリー おれの株の落ち方ほどじゃないさ。(アルマがウッドの脇を通り過ぎるときに)こいつ、運転はできるのか?
 ウッド(大きな声で。)はい、できます。免許を持っています。
 アルマ(ウイスキーを持って戻って来て。)まあ、素敵!(夫に、大きな声で。)助かるじゃないの、あなた。うちにも運転手ができたわ。
 ラッテンベリー 「制服なし」のな。
 アルマ(大きな声で。)勿論、そんなもの要らないわ。(ウッドに、声を落して。)帽子、それに格好いいレインコートはどう? 良く似合うわあなた、帽子姿。
 ラッテンベリー おい、何を話してるんだ。
 アルマ 制服はいらないって説明してたのよ。(ウッドに。)さあ、もう行った方がいいわ。(大きい声で。)この子をちょっと、玄関まで送って来ます。
 アルマ(ウッドに)さあ。(夫に。)すぐ戻ります。
(アルマとウッド、ホールに進みながら。)
 アルマ やれやれ、これで終。運転できるなんて、ほんと良かったわ。帽子は自分で買ってきて。(アルマ、バッグの中を探って。)はい、十五シリング。これで、足りるわね?
 ウッド ええ、足りる筈です。
(クリストファー、登場。ボーイスカウトの制服姿。)
 クリストファー ママ、外にローハンドルの格好いい自転車が留めてあるけど・・・(ウッドを見て。)あれ、あなたのですか?
 ウッド そう。ローリー。(訳注:一八八七年創業の英国大手自転車メーカー)
 クリストファー 僕、乗っていいですか?
 ウッド 悪いね。今帰るところなんだ。
 アルマ この人、明日も来るのよ、クリストファー。明日も明後日も。毎日。これからは家族の一員。
 クリストファー ああ、いいな。
 アルマ だから、乗せて貰えるわよ。ちゃんとお願いすれば。
 ウッド そう。
 クリストファー 嬉しいな。有難うございます。ママ、お腹(なか)減っちゃった。お昼は?
 アルマ すぐよ。
 クリストファー アイリーン!(駆け出す。)
(クリストファー、二階に退場。)
 アルマ かわいいでしょ。(心から)私、子供に恵まれてるの。
 ウッド(感心して。)あの子、僕には丁寧な言葉遣いでしたね。(訳註 原文では、クリストファーはウッドに対し sirつきで話す。そのことを指す。)
 アルマ え?(訳註 sirつきで話されるのが苦手なのだと誤解して。)他人には「ございます」・・・学校で言われたのね。そのうちすぐ雑になるわ。
 ウッド 僕としては、このままの方がいいですけど。
 アルマ そう。じゃ、このままにするように気をつけるわ。
(アイリーン、物陰から現れる。)
 アルマ(慌ててウッドに。)じゃあ、さようなら。また明日ね。
 ウッド 時間は?
 アルマ 何時なの? アイリーン。
(間。)
 アイリーン(やがて陰気に。)七時・・・遅刻は許しません・・・一秒も。
 アルマ まあ、七時! 大丈夫?
 ウッド 簡単。・・・じゃ、また。
(ウッド、退場。アルマ、アイリーンと二人きりになり、相手がじっと自分を見つめているので落ち着かなくなる。)
 アイリーン(とうとう。)週末にはお暇を戴きます。
(アルマ、笑ってアイリーンを優しく抱擁する。)
 アルマ ええ、アイリーン。そう、お暇・・・きっと、お暇ね・・・
 アイリーン 私、真面目に言ってるんです。
 アルマ あなたはいつもそう。あの子ね、アイリーン、車の運転ができるのよ。これまであなたが選んだちっちゃなお手伝いさん達はみんな、車の運転は駄目だったでしょう? 
 アイリーン ええ。ですけど、あの子には車の運転以外にも出来ることがありますわ。
 アルマ アイリーン・・・。
 アイリーン お給金、四週間分たまってます。
 アルマ 六ポンドね?
(アルマ、バックの中を覗く。)
 アルマ あら、空っぽ。クリストファーにクリケットのバットも約束してあるのに。(居間の方を顎でしゃくり。)あの人はご機嫌斜め・・・でもアルコールが多少は入ってるんだから何とか・・・何かうまい言い方、ないかしら?
 アイリーン 存じません。
 アルマ じゃあ、せめて祈って頂戴。
 アイリーン はい。
(アルマ、居間へ戻る。アイリーン、退場。アルマ、ラッテンベリーに近付く。)
 アルマ(ラッテンベリーに、明るい調子で。)ねえ、ラッツ。あなた、もう少しは飲むわね? お昼にはまだ間があるわ。
(アルマ、今は空になった彼のグラスを取上げる。)
 アルマ(大きな声で。)ジョージに車を見せてきたわ。
 ラッテンベリー ジョージ? 誰だ。
 アルマ うちの新しい運転手のことよ・・・(酒を注いだグラスを彼に持っていき。)彼の話だと、コンディションは上々だそうよ。ちょっとした問題を除けば。(機嫌良く微笑んで腰を掛ける。)キャブレターを取替える必要がある、さもないと、動かなくなっちゃうって。そうなったら、今度は新しい車が要るってことになるわ。
 ラッテンベリー ふん、そうなったら、歩かなきゃならん、と言うべきだな。
 アルマ(陽気に笑いながら。)まあ、馬鹿なことを言って。
 ラッテンベリー(酒で喉をつまらせ。)こりゃあ、濃い!
(アルマ、グラスを取って水で薄める。)
 アルマ だからお昼が済んだら、小切手帳を出してサイン・・・ね?
 ラッテンベリー サイン? 駄目だ。
(アルマ、酒を持って戻る。夫の頭を優しく手でさすり。)
 アルマ いいえ、して下さるわ、あなた。厭なんてことないのよ。優しいあなた、愛しいあなた・・・ですものね。(頭の天辺にキスする。)愛してるわ、ラッツ。大好きな私のラッツ・・・
(照明、徐々に消える。)

 トニー ママ! この記事読んだ? ウッドっていうお手伝いとその女主人が、旦那さんの頭を木製のハンマーで、頭蓋骨が砕けるほど殴ったっていう・・・
 ミスィズ・ダベンポート ああ、あの残酷な殺人事件ね。タイムズにあんな記事が載るなんて・・・二、三年前だったら、とても考えられなかったことよ・・・お願いだから、トニー・・・(そんなことを話題にしないで・・・)
 トニー 僕が面白いと思ったのはね、これがボーンマスで起こったからなんだ。
 ミスィズ・ダベンポート それで何が面白いの?
 トニー ステラ叔母さんの門口(かどぐち)だ・・・ということは、僕らがこれから住もうとしている例の家のすぐ近くってことだよ。弁護士はどう対処するんだろう。ウッドの陳述によれば、その時彼はコカインで頭がフラフラだったって。女主人のミスィズ・ラッテンベリーの方は、警察の話では、ぐでんぐでんに酔っていたそうだし・・・
 ミスィズ・ダベンポート トニー、その話はもう止め。記事を読むのも止め。あなた、宿題があるんでしょう?
 トニー 終ったよ。ねえママ、一つ聞いていい?
 ミスィズ・ダベンポート どうぞ。
 トニー ママは離婚訴訟を始めたけど、あの時パパにもし、浮気の相手が一人もいなかったと分っていたら・・・それでも訴訟を始めた?
(間。)
 ミスィズ・ダベンポート でも、それはいるの。
 トニー いや、いない。僕には確信があるんだ。それに、パパは帰って来るよ、きっと。ママが頼みさえすれば。
 ミスィズ・ダベンポート あの人の条件が・・・
 トニー そんなこと知らない。
 ミスィズ・ダベンポート あの人の条件の話は、あなたには説明出来ないの、トニー。分らないわ、きっと、まだその年じゃ。
 トニー(思い掛けない激しさで。)僕の年で分る! 本当だ。ママが思ってるより、僕はもうずっと大人なんだ。
(間。)
 ミスィズ・ダベンポート ランドルフは家に来るの? それともあなたの方があっちに?
 トニー いや、向こうが来る。
 ミスィズ・ダベンポート(ハンドバッグから紙幣を一枚取出し。)十シリングで足りる?
 トニー うん、十分。
 ミスィズ・ダベンポート 映画の分も、これで大丈夫?
 トニー うん、ケンジントン劇場だからね、安いさ。
 ミスィズ・ダベンポート(鋭く。)何? 映画は。
 トニー 題は忘れた。たしか、アイリーン・ダンが出てた。
 ミスィズ・ダベンポート(ほっとして。)ああ、じゃあきっと面白いわ。この新しいドレス、どう? まだ何とも言ってくれてないけど。
 トニー いかすよ。それで誰を誘惑する気?
 ミスィズ・ダベンポート ウィットワース大佐、それから、その令夫人。もうすぐステラが迎えに来るわ。四人で晩餐会。
 トニー ああ、そうか。新しい家と何か関係があったんだったね?
 ミスィズ・ダベンポート 大佐はボーンマス・カントリークラブの社長で、あのあたりの土地は全てクラブの所有なの。ステラによると、年寄りの酷い俗物。だから今夜は私達、きっと酷い目に会うわ。痛風、クリケット、それに、庭師とのいざこざに関する下らない話、その類(たぐい)をいやという程聞かされて。
 トニー それだけの価値があるの?
 ミスィズ・ダベンポート ええ、そりゃあ勿論。とってもいい家なんだから。私達二人にはもってこいのね。だから今日はおとなしく、へまな答はしないよう、細心の注意を払うつもり。何しろ「最上級の人種」にしか家は貸さないっていう主義だそうだから。
 トニー じゃあ、ミスィズ・ラッテンベリーは駄目だ! (ゲラゲラっと笑う。)あっ、ご免。
(ミスィズ・ダベンポート、微笑む。)
 トニー ママはへまなんかしっこないよ。デザートのグレープフルーツ、素敵にさばいて食べちゃう。
 ミスィズ・ダベンポート 豆料理をナイフで食べるような下品なまねは絶対駄目ね?
 トニー 勿論。それに卑猥なネタが飛び出す、なんてこともなし。
(トニー、再び笑う。)
 ミスィズ・ダベンポート(トニーを抱き締めて。)いけない子ね。あら、髪。もう切らなきゃ。
 トニー 明日、行くよ。
(玄関でベルの音。)
 ミスィズ・ダベンポート ああ、ステラだわ。来たら挨拶して。それから、ちょっと二人だけにして。いい? (外を覗いて。)いらっしゃい、ステラ。車で来たの?
(夫人、退場。ホールで挨拶を交す声が聞こえる。トニー、読捨になったイブニングニュースをパラパラとめくり、例のページを抜取ると、それを畳んで胸のポケットに仕舞い込む。ステラ・モリソン、同じくイブニングドレス姿で登場。但し、ステラは金持ち。従って、ドレスは偽のモリノではなく、どうやら本物のシャネルらしい。)
 ステラ(登場しながら。)いいえ、駅までは列車。ロールス(・ロイス)は先に出しておいたの。駅でフィリップスに拾って貰えるように。列車は勿論、ベル(特別車輌)じゃなかったけれど、寝台はプルマン式のきちんとしたものだったわ。今日は、トニー。
 トニー 今日は、叔母さん。
(トニー、ステラのキスを受ける。)
 ステラ 会うたびに、いい男になってゆくわね。(姉に。)もうガールフレンドはいるの?
 ミスィズ・ダベンポート ええ、いるわ・・・でもみんなハリウッド、有難いことに。
 ステラ(トニーに。)もっと近場がいいんじゃない?
 ミスィズ・ダベンポート(きっぱりと。)早過ぎ、女の子は。
 ステラ まあ、冗談よ。ところで、知ってる? 例の殺人事件!
 トニー 会ったことがあるんですか? あの犯人に。
 ステラ ミスィズ・ラッテンベリーに? いいえ。でも、あり得たわ。そう思うと恐いわね。あなたの伯父さんのヘンリー、何て人でしょう。彼女に会ったことがあるだなんて、行く先々で自慢。どこかのカクテルパーティーで、自作の歌を歌ってたのを聞いた、だって。でも、どうせ眉唾よ。そうね、来週あたりになれば、彼女とは深い仲だった、なんて言うんじゃない?
 トニー それも・・・あったんじゃない?
 ステラ あの人じゃあ、無理ね。たとえ相手がミスィズ・ラッテンベリーでも。私、言ってやったのよ。「あなたの方こそ用心した方がいいわ。知らないでしょ、あなた。あなたが証券取引所に行って留守の間に、庭師の男の子と私がどんな事になっているか。私達、いつだってあなたの脳天を木槌でボカンとやれるのよ」ってね。
 トニー(興奮して。)二人は一緒にあれをやったと思う? それとも順番にやったのか・・・叔母さんはどう思う? つまり、ウッドが先に親父さんをぶん殴って、その後で、女主人が止(とど)めを差したのか、それとも・・・。
 ステラ ああ、それは勿論二人で一緒にやったのよ。イートン校の歌にあるでしょう? ちゃんと。
(ステラ、歌う。)
 ステラ 《そして僕らは、共に歌おう(swing を「歌う」と、「ぶん殴る」の両方に解釈)、心から、そして誓おう(swear を「誓う」と「死ね、などと冒涜の言葉を吐く」の両方に解釈)、学びの舎(や)》・・・学びの舎だったかしら? 違うわね。「海の中」? そう、「海の中」の方が合ってるわ。だって、警視総監の話じゃ床は一面、血の海で、それが数インチも溜ってたんですって。しかも女の方は、その中で踊り狂っていたそうよ。
 トニー まさか、本当?
 ステラ 素っ裸でね・・・そして警官全員にキスしようとしたらしいわ。「私がやったの、私が。私が殺したのよ!」って叫びながら。
 ミスィズ・ダベンポート(激しく。)もう止めて! お願い。
(ステラ、姉を不安気に見る。姉の気性をよく知っているため。)
 トニー ママには駄目なんだ、この話は。酷すぎて。
 ステラ ええ、勿論、そうでしょうね。もっとも、私達みんな、ショックを受けてるわ。(姉に。)でも、今回のようなおぞましい事件に対して、しかもそれがボーンマスのまん中で起った事に対して、私達にできることと言ったら、これを笑い話にしてしまうことくらいじゃないかしら。もし真面目にこの事件を考え始めたら、誰だって気が変になっちゃうわ。だって、使用人と共謀して、夫を! そこよ、ぞっとするのは。
 ミスィズ・ダペンポート トニー、自分の部屋へ行ってらっしゃい。
 トニー うん。(ステラにキス。)お休みなさい、ステラ叔母さん。
 ミスィズ・ダペンポート お休みなさい。(トニー、母親にキス。)社長とはうまくやるわ。あなたの恥にならないように。
 トニー うん、ぬかりはないさ、ママなら。
(トニー、退場。)
 ミスィズ・ダペンポート 私が本当に恐いと思ったのは、ウッドっていう子の年齢よ。丁度トニーと同じ年。
 ステラ その女と知り合った時はね。でも今は、一つ年を取って十八歳。絞首刑には十分ね。
 ミスィズ・ダペンポート 絞首刑! 法律って不公平。女の方よ、吊るされてしかるべきなのは。
 ステラ 勿論、女の方だってそうなるわよ、間違いなく。でも、雇い主を殺したのはその子なんだから、こっちも吊るされるのは確実ね。
 ミスィズ・ダペンポート(激しく。)その子もってことはないでしょう! 女の方こそ、リンチにかけられるべきなんだわ!
 ステラ そうなるわよ、たぶん。あなたも一度聞いて御覧なさい。ボーンマスの人たちがあの女のことを何て言ってるか。
 ミスィズ・ダペンポート 自分でもどうかしてるとは思うの。でも、あの恐しい事件のことを考えるたびに、私、考えずにはいられないのよ、トニーのことを。
 ステラ そう、あなた少しどうかしているわ。だって、トニーが中年の色気違いの女作詩家のために殺人を犯すなんて、ちょっと無理でしょう? それに、そんな女、他に捜そうったって、そうはいないわ、ボーンマスには。
 ミスィズ・ダペンポート(暗い声で。)去年、ディエップ(フランスの港市。)でクリスマスを過ごした時、三十過ぎで亭主持ちの女があの子に色目を使ったの。しかも相手はフランス女。
 ステラ それで、トニーはその気に?
 ミスィズ・ダペンポート その気にさせる暇なんか、与えるもんですか。すぐにホテルを変えたわ。
 ステラ まあ、あなたならね。でも、トニーには初めての女でしょう? 経験のある既婚女性・・・いいじゃない、安心で。それに、フランス流テクニック・・・最高・・・
 ミスィズ・ダペンポート ステラ!
(玄関扉のベルが鳴る。)
 ミスィズ・ダペンポート ちょっと待って。(退場。舞台の外で。)あら、今日は、ランドルフ。
 ブラウン(外で。)今日は。
 ミスィズ・ダペンポート(外で。)トニーは寝室。場所は分ってるわね。
 ブラウン(外で。)はい。お邪魔します。
 ミスィズ・ダペンポート(戻ってきて。)トニーの同級生、ランドルフ・ブラウン。司教の息子。いい友達。ウェスミンスター校で一番の親友。
 ステラ そろそろ、出掛ける?
 ミスィズ・ダペンポート ちょっと訊いていい? 夫とのことだけど、今日大佐に話すべきかしら・・・
 ステラ ベッドの中の話? まあ止めといたら?
 ミスィズ・ダペンポート まさか! 私がそんな・・・
 ステラ 冗談、冗談。とにかく今夜は離婚の話はなし。私に任せて。で、いつになったの? 裁判所の命令は。
 ミスィズ・ダペンポート まだ二、三箇月はかかるみたい。
 ステラ ボーンマス・エコー(訳注 地方新聞のこと。)に載らないといいんだけれど。
 ミスィズ・ダペンポート でもステラ、私の方には結局、何の落ち度もないんですからね。
 ステラ 落ち度のない人は離婚なんかしないことになっているの、ボーンマスでは。
 ミスィズ・ダペンポート 落ち度のない魅力的な女性で、離婚する者もいるってところを見せるしかないわね、それなら。
 ステラ(出て行きながら。)まあ無理ね、そんな話。
 ミスィズ・ダペンポート(寝室に呼びかける。)トニー、話は済んだわ。あと、お願い。
 トニー(舞台裏で。)分った。行ってらっしゃい。

(二人、退場。居間の照明が薄暗くなり、代って寝室が徐々に明るくなる。ランドルフ・ブラウン、坐ってイブニングスタンダードを熱心に読んでいる。眼鏡を掛けた勉強家。彼の横でトニー、坐って(先程ポケットに仕舞い込んだ)例のイブニングニュースを広げて読み耽っている。間。)
 ブラウン(ついに。)ロイヤルパレスホテルでの乱痴気騒ぎのところまで行った?
 トニー 二人は全部で何回やったんだ? そいつが知りたいよ。
 ブラウン それは、ウッドが住込みになった時からだから・・・この辺に(と云って新聞の該当記事を探す。)ああ、ここだ。「最初の交渉は、彼が雇入れられてから、ひと月後の事である。」
 トニー 交渉?
 ブラウン お役所言葉で「あれ」の事さ。
 トニー そうか、「交渉」とはまいったね。ひと晩に二回づつとして・・・(計算を始める。)
 ブラウン ひと晩に、たった二回だって? ラグビーの練習でくたびれている訳でもないんだぞ。
 トニー 自分ならもっとやれるって言うのか?
 ブラウン その二倍は軽いね。
 トニー 嘘だろう? ああ、ここだ。犯行の前日まで、一晩に二回づつ、計、三百十四回!
 ブラウン あれが始まって、君、ウッドは上、下、どっちだったと思う? まあ、下だったと思うな、俺は。
 トニー いや、真面目な話、ただ羨ましいの一言(ひとこと)だ。
 ブラウン うん、三百十四回・・・だけどウッドにはこれが一生分だ、可哀想に。俺は百万回はやるぞ、死ぬまでに。
 トニー 無理、無理。君に付いて来る女がそんなにいる訳がない。
 ブラウン 一人いれば十分さ。
 トニー 君のナニなら、八十になってもまだ十分、ジョーンズ・マイナー並みの働きはするだろうからな。(訳註 ジョーンズは男のいちもつの隠語。マイナーは「少し弱った」という意味か。)
 ブラウン やけに古い名前を持ち出したなあ。
 トニー じゃあ、今なら何て言うんだ。
 ブラウン シャトルワースさ。(訳注 シャトルが性行為を連想させるため、知合いの名前に引っ掛けて、ブラウンが咄嗟に言ったものと思われる。)
 トニー シャトルワース?(知らないなあ。)
 ブラウン 聖歌隊にいる奴のことさ。
 トニー ちぇ、君もいい加減だなあ、あんな奴を持ち出して。
 ブラウン いい加減さ。しかし、男は何かやらなきゃ。さもないと気が変になっちまう。
(間。)
 トニー 全く地獄だ、こいつは。
 ブラウン さあ、どうかな。何かもっといい事が見つかるまでは、こんなもんじゃないか?
 トニー 見つかるって、いつの話だ? 全く、十七歳ってのは地獄だ。十七で、イギリス人で、上流クラスで、そしてこの二十世紀に生きてるってことが、地獄なんだ。いつの時代でもこうだったって訳じゃないからな。ロミオは十七歳、ジュリエットはたった十三だったじゃないか。
 ブラウン うん、めちゃくちゃなことをやったな、あの二人。
 トニー でも、シェイクスピアの時代には、誰も二人が若すぎるなんて思わなかっただろう?
「まだ十七歳の少年と十三歳の少女。まあ、なんて嫌らしい!」(母親の声の真似。)
 ブラウン 君の母親?
(トニー、頷く。)
 ブラウン うまくないな、あまり。
(ブラウン、自分の父親の声をまねて。)
 ブラウン いいか、ランドルフ、淫らな考えが起きた時は、冷水浴だ。その後懸命にランニング。効き目はあらたかだ。
 トニー あの司教が?
 ブラウン そう、この話になると必ずこれだ。
 トニー 一体、親はどうすればいいと思ってるんだ、僕らが十三から二十一の間は。
 ブラウン 「一人ですればいい」と思ってるんだろう。さもなきゃ、冷水浴にランニングさ。
 トニー 馬鹿な話だ。勿論僕らには何も起らないと連中は思ってる。シャトルワースは例外だ。こいつのことは考えないようにしようってね。うちのお袋がミスィズ・ラッテンベリーのことを何て言ってるか・・・殺人のことは抜きにしても、まるでマクベス夫人扱いだ。ウッドより二十、年上だったというだけで・・・だけどそんなこと、関係ないだろう? 見てみろよ、(紙面を軽く手で叩く。)いかすよ、彼女。
 ブラウン うん、悪くない。
 トニー(呟く。)三百十四回か。そうだ、いいことがある・・・ママは外出中だし・・・今、いくら持ってる?
 ブラウン いいことって何さ。
 トニー やるんだ、今夜。
 ブラウン ミスィズ・ラッテンベリーとか?
 トニー 馬鹿を言うな。本物をだ。
 ブラウン ああ。(自分の金を数えて。)十七シリングと三ペンス。
 トニー こっちは十シリングだ。なあ、一ポンド七シリングと三ペンスで、足りると思うか?
 ブラウン 二人で行くのか?
 トニー やりたくないのか? 君は。
 ブラウン いや、遠慮しとくよ。十三シリングと七ペンス半の買い物じゃな。
 トニー じゃあ、それ、貸してくれないか?
 ブラウン 本気なのか?
 トニー ああ。
 ブラウン どうなっても知らないぞ。
(ブラウン、トニーに十五シリング渡す。)
 トニー 何だ? それは。何が起るって言うんだ。足りなきゃ、駄目だって言われるだけさ。(トニー、扉へ進み、神経質そうに立止まる。)君は一緒に来ないのか?
 ブラウン いいか、ミスター・ダヴェンポート、僕はこれでも司教の息子だ。僕がやる時は、ジャーミン街で、しかも財布には五ポンド紙幣を入れて行くよ。それに一つ警告しておくがね、ロミオとジュリエットのような訳には行かないぞ。いや、ウッドとミスィズ・ラッテンベリーにさえなりゃしない。それは覚悟して行くんだな。
(照明、暗くなり始める。)
 トニー(舞台の外で)ママが戻って来る前に、帰るんだ、いいな。
 ブラウン ああ、長居はしないさ!

(照明が徐々に灯り、誰もいない小さな独房を照し出す。金属性の扉の錠が開く音が聞こえる。)
 ジョウン(舞台裏で。)入って。
(アルマ、登場。再拘置の囚人であるため自分の服の着用が許されて、今は簡素だが洒落たドレスを着ている。アルマの後に続き、女性看守のジョウン、登場。ドラ声で愛想のない女性。アルマよりも若い。)
 ジョウン そこで待ちなさい。
(ジョウン、独房を横切って別の扉(観客からは見えない)へ進む。扉の開く音。ついで低い話声。やがて戻って来る。その間、アルマ、坐っている。)
 ジョウン 坐っていいとは言ってない。
 アルマ すみません。
(アルマ、立上がる。)
 ジョウン もし弁護士が着席を許可したら、それは弁護士が勝手にやること。私には囚人規則しかない。
 アルマ ええ、そうね。ところで、何とお呼びすればいいのかしら。
 ジョウン ウエブスター看守。
 アルマ ええ、でも、お名前は?
 ジョウン ここでは苗字だけ。
 アルマ でもフィリスは「フィリス」って。それにいつも私をアルマって呼んでくれてたわ。
 ジョウン フィリス? 誰。
 アルマ もう一人の女性。休暇を取った人。
 ジョウン ミスィズ・ストリンジャー。規則違反ね、あの人の。
 アルマ ああ、規則違反・・・でも、あの人、それはとっても親切な人で。(笑う。)いつも小さな息子さんのことを、うちの一番下の、ジョンと同い年のね、その男の子の話をしてくれていたわ。
(ジョウンからは何の反応もなし。)
 アルマ ああ、可哀想なジョン・・・そう、あの子はまだ何も知らないの。クリストファーは・・・一番上の息子なんですけど、あの子は勿論、知っています。でも・・・手紙の言葉はいつも明るい調子。
(ジョウンからは何の反応もなし。)
 アルマ 勿論、あの子だってちゃんとは分っていないの。
(アルマの声、次第に小さくなる。)
 アルマ 裁判はどのくらいかかるのかしら?
 ジョウン 教えられません、そういう事は。
 アルマ モンタギューさんは、五日くらいだろうって仰ってたけど。とてもいい人ね、あの方、それに男振りもなかなかだったし・・・ここでは、服はどんなものが許されてるのかしら?
 ジョウン あなたの場合は、好きなものを着る権利があります。
 アルマ パジャマでもいいかしら? 普段着ている。
 ジョウン 今着ているものの方がいいです。
 アルマ あら、冗談よ。フィリスだったら笑ってくれたわ。だから・・・ほら、いろんなものによく書いてあるでしょう? 「女囚は、青い、いかすアンサンブルを着て・・・」とか何とか・・・そう、とにかく、予備審問(訳註 公訴の提起を裏付けるだけの証拠が訴追側にあるか否かを審査する治安判事裁判のこと。)ではその通りだったわ。私、五日間もずっと青い、いかすアンサンブルを着てるなんて厭。だって、いくらいかす服だって五日目にはいき過ぎちゃって、しまいには、行っちゃうんじゃない?
(と言いながら、アルマ、げらげら笑い出す。ジョウン、にこりともしない。)
 アルマ(間の後。)どうして女性看守に? 自分でも適任だと思ったの?
 ジョウン 個人的な質問には答えられません。
 アルマ そう? フィリスはいつも話してくれたけど・・・
 ジョウン ミスィズ・ストリンジャーには別の考えがあったんでしょう。でも、わたしは規則に従います。
 アルマ そう・・・
(金属製の扉が開く音が聞こえる。)
 オコナー(外で。)ありがとう、守衛さん。
 ジョウン(厳しい命令口調で。)女囚、ラッテンベリー、起立。
 アルマ(かすかに悲しげに。)起立しています。
(オコナーとモンタギュー、登場。)
 オコナー(登場しながら。)分らんな・・・率直に言って、誰が出て来ようが、厄介な仕事になることだけは間違いない。もし結審が五月の末ということになれば、恐らくハンフリーが出て来るだろう。まあ、ゴダードにならない限りはな。・・・(ジョウンに)御苦労さん、後は我々だけでやりますから。
 ジョウン お願いします。
(ジョウン、衛兵の歩き方で退場。)
 オコナー お早うございます。
 アルマ お早うございます。
 オコナー どうぞ、お掛け下さい。ミスィズ・ラッテンベリー。
 アルマ あら、どうも・・・
(アルマ、坐る。二人の法廷弁護士は共にテーブルを挟んでアルマと向合う位置に坐る。オコナー、せかせかと自分の前に書類を配置する。若い方のモンタギューは煙草の箱を開け、それをアルマに勧める。)
 モンタギュー(煙草の「プレイヤーズ」を差出しながら。)どうぞ、ミスィズ・ラッテンベリー。
 アルマ プレイヤーズね。これ、私のお気に入り。あなた、とっても優しいわ、モンタギューさん。
(モンタギュー、箱ごとアルマに渡す。)
 モンタギュー これで暫くは間に合いますか?
 アルマ ええ。
 モンタギュー 何か他にお入り用の物がありませんか? 出来る範囲でお持ちしますが。
 アルマ ええ、でも、カーバイグリップスとか何とか色々言っても、男の方にはお分りにならないでしょうから。アイリーンの方で何とかしてくれますわ。
 モンタギュー 彼女は今でもこちらに面会に来るのですか?
 アルマ ええ。来るなと言ったって、来ますわ。
 オコナー さて、ミスィズ・ラッテンベリー。あなたは、今回の殺人事件に関して、あなたが警察で述べた種々の陳述が真実、嘘偽りのないものだと、あくまで主張されるおつもりですか?
 アルマ そうね、いったん言った以上、覆(くつがえ)すことはできないわ、そうでしょう?
 オコナー いえ、覆すことはいとも簡単です。実際、ミスィズ・ラッテンベリー、あなた御自身の命を守るためには・・・繰り返しますが、御自身の命を守るためには、そうして戴かなければなりません。
 アルマ ミスター・オコナー。あなたが私に望む事なら、大抵の事はその通りにしたいと思います。ええ、本当に、そう思っています。でも、その話は駄目。
 オコナー 宜しい。あなたが警察で述べた公式の陳述を一部、ここで読上げましょう。殺人のあった夜遅く、死体が病院に移された後で、あなたはミルズ警部にこう述べています。「私は夫とトランプをしていました。すると、夫が、『俺は死にたい。お前に俺が殺せるものなら殺して欲しいんだ。』と言ったのです。私が木槌(マレット)を取上げると、夫は『お前にはそんな勇気はないな』と言いました。それで私はその木槌で夫を殴ったのです。」この通りでしたか、あなたの言葉は・・・ミスィズ・ラッテンベリー、聞いていますか?
 アルマ ええ。ご免なさい。何ですって?
 オコナー この通りでしたか? ミルズ警部に話した言葉は。
 アルマ はい。
 オコナー 一言一句、この通りの言葉だったと覚えていますか?
 アルマ はい、覚えています。
 オコナー あなたはウイスキーを一壜、殆どあけてしまっていたのですよ。それでも?
 アルマ ええ、頭ははっきりしていました。この上なく。
 オコナー はっきりと、しかもこの上なく? 酔ったまま調書にサインしたのではありませんか? その三十分前には、あなたはボリュームいっぱいで蓄音器をかけ、殆ど半裸の状態で部屋中を踊り回り、駆けつけた警官たちの何人かにキスを迫っていたのですよ。
 アルマ まあ! 私、本当にそんなことを? 予備審問では、そんな話、出なかったわ。
 オコナー ええ、この話は公訴する側には、都合の悪い事実ですからね。しかし、今度の裁判ではそうはさせません。弁護側にとってこれは有利な話ですから。
 アルマ まあ 弁護側にとって有利? 半裸の状態で踊り回って、それから・・・。
(アルマ、顔と肩を手で覆う。)
 アルマ まあ! 私、一体どうしてそんなことを!
 オコナー つまり、全く記憶にないということですね?
 アルマ ええ、全然。そんなことはまるで。大勢人がいて、騒々しかったことだけ、そして、ただ忘れてしまいたくて・・・ああ、なんて恐ろしいことを! 私、どうしてそんなことを・・・。
 オコナー ご自分にとっても全くの驚きなのですね、こんな事は。
 アルマ ええ・・・
 オコナー 先ほど読上げた陳述は、その乱痴気騒ぎのほんの三十分後になされたものです。それでもあなたは、その一言一句をはっきり覚えていらっしゃると言うのですか? 警察によれば、その際、あなたはまだ飲み足りない、もっと飲まなきゃいられないと言ったそうです。それでも、頭はしっかりしていたと言うのですか?・・・ミスィズ・ラッテンベリー!
(アルマ、オコナーの誘導訊問に上手く乗せられてしまったと気づき、さっと顔を上げ、彼を見る。)
 アルマ(やっと。)三十分後には、はっきりしていた筈です。
 オコナー 法廷でもそう仰るつもりですか?
 アルマ ええ、そう言うつもりです。
 オコナー 宜しい。では、あなたはどこで、その木槌を見つけたのです?
(間。)
 アルマ そこらに転がってて・・・。
 オコナー 居間に、ですか?
 アルマ いいえ。居間にはなかった筈です。たしか、玄関ホールに行って。
 オコナー あれはウッドがあの日の夕方、父親から借りたものだったという事は御存知でしたか? 
 アルマ いいえ。
 オコナー 木槌はどうしました? あの事の後で。
 アルマ 隠しました。
 オコナー なぜ?
(アルマ、言うのをためらう。)
 オコナー もし、全てを告白するつもりだったのなら、なぜ隠したりなどしたのです?
 アルマ 恐ろしいものに見えて。
 オコナー 頭を叩き割られた夫の死体よりも、木槌の方がもっと恐ろしいものに見えたのだと?
 アルマ(半ば金切り声で。)止めて!
 オコナー 止める訳にはいきません。木槌はどこに隠したのです? ミスィズ・ラッテンベリー。
 アルマ 思い出せません、今でも。
 オコナー では、あなたではなく、何故ウッドが、その木槌の場所を知っていたのです?
 アルマ 知ってる筈ないわ。
 オコナー いえ、知っていました。あなたが逮捕された二日後に彼も逮捕されましたが、その際、彼は警察に自分がそれを庭に隠したのだと言い、そしてその場所の見取り図を正確に描いたのです。そして正にその場所でそれは発見されたのです。至る所、彼の指紋の付いている兇器がね。
 アルマ それは、そうでしょう。だって、父親の所からずっと手に持って来た訳ですから。
 オコナー では、なぜあなたの指紋は、そこになかったんです?
(間。)
 アルマ 手袋をしていました。
 オコナー 手袋はどこで見つけたんですか?
 アルマ 二階にあります、いくつも。
(間。)
 オコナー では、あなたのお話をまとめるとこうなりますね。あなたの夫があなたに自分を殺すよう頼み、あなたはそれに同意し、何か適当な道具を探しに玄関ホールに出て行く。そこでウッドがその晩父親から借りて来ていた園芸用の木槌を見つける。あなたはすぐその場では木槌を手に取らず、二階へ行き、手袋を選んで、再び階下へ降りて来る。そして、手袋をはめた手で木槌を取上げ、それで夫の後頭部を三度、叩いた・・・前からではなく後頭部を、そうですね、ミスィズ・ラッテンベリー。
 アルマ 止めて、もう止めて・・・。
 オコナー そして彼を殺した・・・あなたはその木槌を庭のどこかに隠すが、その場所は思い出せない。そしてその手袋は多分、寝室の引出しに戻し、それから警察に電話を掛けて、全てを告白した。
(アルマ、黙ったまま。相手の術中に嵌まり、かつ、それが自分でも分っている。)
 オコナー ミスィズ・ラッテンベリー、もし私が法廷で、今の話を話したとしたら、私の声は陪審員たちの笑い声で掻き消されてしまうでしょうな。
 アルマ(どうでも構わないと。)ええ、信じて貰えなければ、それはそれまで。
 オコナー いいえ、それはそんな訳にはいきませんよ、ミスィズ・ラッテンベリー。もし私が法廷で今の話をしたとすれば、陪審員たちはどう思うでしょう。彼らは、あなたのご主人を殺したのはあなたではなく、ウッドであり、正にそのためにウッドは、木槌を前もって準備したのだと思うでしょう。そしてウッドがそれを実行した背景には、あなたがそれを知っていて止めようとしなかったこと、つまりはあなたの影響が間違いなくあり、恐らくは何らかの教唆(きょうさ)があったせいだと考えるでしょう。その結果、あなた方は二人とも、共に有罪となり、ウッドを庇おうとするあなたの努力は、却って彼の首を絞め、また等しくあなたの首をも絞めることになります。分りますね?
 アルマ 脅(おど)かそうとしたって駄目。もし私があくまで私一人の犯行だと言ったら、それでも陪審員はウッドを有罪にできるかしら? できる筈ないわ。
 オコナー できます、いや、きっとそうなります。だから、ミスィズ・ラッテンベリー、どうか本当のことを話して下さい。
(アルマ、答に窮して平静を保つのがやっと。しかし、出て来た返事の声はしっかりと揺るぎのないもの。)
 アルマ 既にお話した通りです。私がラッツを殺しました。そして、ジョージはこの事件とは何の関わりもありません。
(間。オコナー、アルマをじっと見つめる。やがて書類を片付け始める。)
 オコナー モンタギュー君、今日はこれ以上は無理のようだ・・・。
 モンタギュー ミスター・オコナー、いいですか? 私が訊いてみても。
 オコナー うむ。では頼む。
(オコナー、書類の片付けを続ける。モンタギュー、微笑みながらアルマに向う。)
 モンタギュー ミスィズ・ラッテンベリー、私達はこの数週間、ずいぶん色々話してきて、お互いに分り合ってきたように思います。如何でしょう。
 アルマ ええ、そう。色々と。
 モンタギュー あなたと話してる内に一つ気が付いた事があります。それはあなたがとても愛情深い性格だということです。例えば女性看守・・・名前を忘れてしまいましたが・・・あなた、好きな人でしょう? その人のことが・・・
 アルマ フィリス? ええ、とてもいい人。
 モンタギュー そう。それに、アイリーン・リッグス。
 アルマ アイリーン・・・好きだわ、あの子。
 モンタギュー それから御主人。あなたがご主人をどれほど好きだったかという話も度々・・・
 アルマ オールドラッツを? (誠実に。)そう、変わった人、あの人。でも、私、好きだった。本当にとても好きだったわ。
 モンタギュー(優しく。)だからミスィズ・ラッテンベリー、私に信じろと言っても無理なんですよ、そんなあなたが、園芸用の木槌で、御主人の頭を、それも血が絨毯一面に飛び散るほど力一杯、殴った・・・
 アルマ 止めて・・・。
 モンタギュー それが最初の一撃で、そして次の一撃で彼の頭骸骨を打ち砕き・・・
 アルマ(飛上がって。)止めて、もう止めて!
 モンタギュー 割れた頭からは脳みそが露出し・・・
 アルマ(金切り声で。)いや、いや! もう止めて!
(アルマ、耳を手で覆う。モンタギュー、容赦なく続ける。)
 モンタギュー そこで握った手を持ち替えて、今度は頭部右側面を殴った。割れたこめかみから噴き出した血は部屋の床遠くまで達しています。あれでは仮に命が助かっても、盲(めくら)になっていた筈です。
(アルマ、手で耳を覆ったままどうしようもなく啜り泣く。)
 モンタギュー そしてあなたは、血まみれで息も出来ずに死にかかっている夫を椅子に残したまま、平然と兇器の木槌を庭に隠し、次に手袋を二階に戻しに行った・・・
(手のつけようもなく啜り泣くアルマ、今は出来るだけ相手から身を遠ざけようとする。が、モンタギュー、さらに迫って)
 モンタギュー 一体こんな話をあなたは私に信じろというのですか? それも、他の誰でもない、あなたのような愛情深い人がやったと・・・
(呻くのみでアルマ、返事をしない。モンタギュー、強く、アルマの手を耳から引き離す。)
 モンタギュー それにしても、こんなことをした男を未だに愛し、庇い続けるなんて、どういうことなんです。
(アルマ、啜り泣きながら身を椅子に沈める。モンタギュー、アルマの肩に優しく手をおく。)
(モンタギュー、オコナーの方に近寄る。オコナー、この時までこの場面を平静に眺めている。但し、一抹の悔しさあり。突破口を開いたのが自分でなく、部下だったから。)
(モンタギュー、看守を呼ぶためベルを押す。)
 オコナー(悔しいという気持は隠して。)いや、モンタギュー、よくやってくれた。うん。
(ジョウン、入室。)
 モンタギュー では、我々は帰ります。
 ジョウン はい。ラッテンベリー、起立。
 モンタギュー いやいや。少しこのままで。
 ジョウン(理由を理解して。)分りました。
 モンタギュー ミスィズ・ラッテンベリー、どうか命を粗末にしないで。人間、生きていればこそです。本当です。
(ジョウン、二人の弁護士と共に退場。)
 オコナー(舞台裏で。)しかし、タイミングが問題だぞ。ああいう突破口の開き方は、チャンスを失うと二度と戻っては来ない。頃合いを見計らって、またすぐ追求だ。・・・あ、どうぞ君、お先に・・・と言っても、その追求をあの状況ですぐ続けろというのは無理と分っているが・・・
(ガチャンと扉の閉まる音。ジョウン、戻る。アルマの涙は殆ど止まっているが、その小さなハンカチはぐっしょり濡れて玉になっていると分る。ジョウン、暫し無言で彼女を見守っているが、やがてその濡れた玉に手を伸ばし、自分自身の馬鹿でかい、しかし実用的なハンカチと交換する。)
 アルマ(坐ったまま。)ありがと。
(アルマ、目と顔を拭く。ハンカチを返そうとする。)
 ジョウン 取っときなさい。
 アルマ ありがとう、優しいのね。助かるわ、ウェブスター看守。
(アルマ、バックの中にその大きなハンカチを詰込んでから、立上がる。ジョウン、再びアルマを手荒く後ろへ押す。アルマ、しばらく手探りした後で煙草の箱を取り出し、それをジョウンに差出す。)
 ジョウン(やがて。)これ、どういうこと?
 アルマ いえ、別に。あの人たち、私に何かを言わせようとしているの。でも私は言わない。それだけ。
 ジョウン あの人たちはいつも、何が最善かよく知っています。
 アルマ 今回だけは別ね。今回だけは、何が最善か私が一番よく知っている。ねえ、ウェブスター看守・・・。
 ジョウン ジョウンでいいわ。
 アルマ じゃあ、ジョウン。あの人たち二人とも、私が命を惜しんでいないって思ってるようだったわ。「世界中のどんな人も、命なんか惜しいとは思わない。」って顔。特にこの私は勿論。でもそれは大違い。私だって命は惜しい。今だってずっと。
(ジョウン、同情して頷く。)
 アルマ ただ、問題はその命の代償・・・私が救われて、その時誰が血を流すか・・・
(アルマ、薄地の絹クレープの値段を話しているような調子。しかしジョウン、よく分っているかのような表情で、同情して頷く。照明、徐々に暗転。)

(照明、居間に灯る。)
 ステラ (トニーが落着かない様子なので。)何かあったの? トニー。
 トニー 何もない。ほっといて!
 ステラ(怪訝(けげん)な顔をする。が、トニーからミスィズ・ダヴェンポートに視線を移して。) 緊張してる?
 ミスィズ・ダベンポート そう。身が竦(すく)む思い。
 ステラ ラジオで言ってたわ。もう今から凄い人だかり。女性囚人には危害が及ぶ虞(おそれ)があり、明日は騎馬警官隊を出動させる・・・だって。あなたは、確か、第一法廷だったわね?
 ミスィズ・ダベンポート そう。
 ステラ 話すことは、もう準備出来てるの?
 ミスィズ・ダベンポート ええ、言うことは決めてる。私はこの女性を公平に裁くことは出来ない。そして、如何なる力も私に、そうさせることは出来ない。そう言うつもり。
 ステラ あなた、ほんとに欲しくない? コーヒー。
 ミスィズ・ダベンポート ええ、要らないわ、大丈夫。
 ステラ でも、お優しいこと、気がとがめるなんて。私だったら、出る所には出て、四五日の間、メモ用紙の隅っこで三目並べをして、あとは残りの十一人と一緒に有罪に一票入れて、帰って来るだけなんだけど。(ステラ、退場。)
 ミスィズ・ダベンポート トニー、あなた、どうしたの?  トニー 何でもない。
(間。)
 ミスィズ・ダベンポート 私には分かってる。
 トニー(ドキッとして。)分かってるって、何が?
 ミスィズ・ダベンポート あなた、アイリーン・ダン(訳注 映画女優の名。既出。)に手紙、書いたんでしょ? それで返事が来なかったのね?
(トニー、答えない。ミスィズ・ダベンポート、立上がって扉へ進む。)
 トニー ママ・・・僕はパパと会う。
 ミスィズ・ダベンポート 駄目よ・・・私の許しなしには。
 トニー だから、その許しが欲しいんだ。
(間。)
 ミスィズ・ダベンポート いつ?
 トニー 今。今夜。
 ミスィズ・ダベンポート 勿論、駄目。
 トニー 会わなきゃならないんだ。どうしても。生きるか死ぬかの問題なんだ。
 ミスィズ・ダベンポート 生きるか死ぬか・・・馬鹿な話。
 トニー 本当なんだ。本当に生きるか死ぬかの問題なんだ。それに、許しなんか貰えなくても、僕は行く。もしパパがいたら今。いなかったら、帰って来るまで待つ。
(間。)
 ミスィズ・ダベンポート 何なの? 一体。何があったって言うの。
 トニー それは言えない。
(間。)
 ミスィズ・ダベンポート 言えないことはないでしょ。どんな事情であれ、私には話すの。いいわね? トニー。
 トニー 死んだ方がましだ、話すぐらいなら。
 ミスィズ・ダベンポート(本気で言っているかどうか知ろうと。)そう、死んだ方がまし。
 トニー そうさ! ママには悪いけど、これは男同士でしか話せないことなんだ。
(間。)
 ミスィズ・ダベンポート あなた、男になったの? それ、いつ?
 トニー 覚えてる? ミスィズ・ラッテンベリーの記事を僕が読んでいた。そうしたらその新聞を取上げて、捨ててしまった。あの晩のこと。
(間。)
 ミスィズ・ダベンポート ええ。はっきり覚えてるわ。あれはあなたがランドルフと一緒にケンジントンへ行った晩でしょう。
 トニー そう。ただ僕は、映画には行かなかった。行ったのは・・・別の所で・・・自分でそう決めて・・・だからあいつのせいじゃないんだ。あいつはやめろって言ったんだ・・・行くのは止した方がいいって。
(ミスィズ・ダベンポート、黙ったまま動かない。)
 トニー 悪いけど、これ以上は話せない。
 ミスィズ・ダベンポート そんな筈ないわ。子供は何だって話せる筈よ、自分の母親になら。
 トニー 僕はもう子供じゃない。大人だ。酷く悪いなり方だったけど、とにかく男にはなった。それから医者に行って、それで分ったんだ、今のこの状態が。
 ミスィズ・ダベンポート 誰? その医者。
 トニー 名前なんかなしだ。こっちも名乗らない。セントジョージ病院の誰かがこっそりやっている所だ。地下鉄の駅の便所にビラが貼ってあった。昨日まで僕は行く勇気が出なかった・・・。
 ミスィズ・ダベンポート 行くんだったら、マッキンタイヤー先生の所だったのよ。
 トニー それなら、話がお母さんの耳にも入るからね。
 ミスィズ・ダベンポート いいえ、話だったら、もうあなたがしてくれたわ。
 トニー 全部はしてない。汚い、嫌らしい、細かいことがある。一日に二回、トイレでやらなきゃならない。いや、ここのトイレじゃやらない。それは、僕は決めたんだ。
 ミスィズ・ダベンポート(思いきって。)なぜ、うちのトイレじゃ駄目なの?
(トニー、にやりとして頭を振る。)
 ミスィズ・ダベンポート 家でしたって文句は言わない。
・・・そうね、その事はもう何も訊かないわ。それは約束する。・・・重くなくて、ただ治療すれば治るっていうのなら・・・
 トニー ママ・・・僕は一日に二回、それを六週間、いやそれ以上かも知れない、トイレに閉じ籠らなくちゃならないんだ・・・(言葉を途切らす。)ママはその水の音を聞いて、必ずこう思うんだ。「あの子は不潔で汚らしい行為に耽った。その報(むく)いで、不潔で汚らしい病気にかかって、不潔で汚らしい治療をやっている・・・」僕はそう思われて平チャラでいられると思う? 
 ミスィズ・ダベンポート(怒って。)でも、その通りなんだから仕方ないでしょう?
 トニー いや、違う。そりゃ、やったことは馬鹿げた行為と言われたっていい、ママがそう言いたければ。でも、あれは自然な行為だった。息をするのと同じぐらいね。(報いなんて言葉は当てはまらないよ。)もっとずっと楽しいことだったんだから。じゃ、僕は行く。お休み、ママ。
 ミスィズ・ダベンポート トニー、分ってるでしょ。明日は私、大変なの。行ってやらなきゃならない事があるのよ。だから、今、あなたを(パパの所へ)行かせる訳にはいかない。それは許しません。
 トニー ママに何が出来るっていうんだ! 警察に拘引令状でも出させるつもり? そんなことをしたら、僕はパディントンでのことを判事に話さなきゃならなくなる。それは厭だろう? 悪いけど、本当に悪いけど、ママには何も出来ないよ。(扉の方に進む。)僕を待ってないで。パパがいいって言えば、僕はあっちに泊る。
(トニー、退場。ミスィズ・ダベンポート、暫らくの間、じっと動かない。それから急に、激しく身震いをする。まるで急病に罹った人のように。)
 ステラ(入って来て。)トニーはどこ?
 ミスィズ・ダベンポート(支離滅裂な呟き。)あの・・・あの女・・・あの・・・。
(照明、徐々に消える。)

(「殺してしまえ!」「縛り首だ!」などの叫び声に混じって「縛り首ですむか! 鞭打ちだ! 殴り殺しだ!」という叫びも聞こえる。その間に警察官の大声。そして、それら全体を圧する、激高した女(ジョウン)の声が、群集を怒鳴り散らす。)
 ジョウン(舞台裏で。)道をあけろ。そこの女! どかないと、しょっぴいて臭い飯だぞ!・・・おい、そこの親父、それでも男か。お巡り! そいつをぶん殴れ! 何をやってるんだ。何のための警棒なんだ! 殴るんだ、さっさと、そいつの頭を。・・・そうだ、そこだ! 押せ、押し返せ! 追いかけろ!
(照明、独房に薄暗く灯る。一見したところでは女性看守に見える女性、中に駆込み、隅に縮こまる。観客からはこの女性の顔は見えない。)
 ジョウン(舞台裏で。)おい、その扉を閉めてくれ!
(ガチャンと扉が閉まる音がし、前より静かになる。)
 ジョウン(舞台裏で。)馬鹿どもめ、全く。どいつもこいつも!
(ジョウン、独房の中に入り、同時に電灯のスイッチを入れる。すると観客には、ジョウンの粋な企みが見て取れる。即ち、彼女は、ミスィズ・ラッテンベリーばりの女性らしいドレス、それに派手な帽子姿であることが分る。但し、その服は今や、引裂かれて殆ど脱げそうだし、目の周りには出来たばかりの青あざがあり、帽子は目の上へ垂下がっていて、折角のその服装の効果はあまりないのだが。)
 ジョウン(明るく。)ほーら、うまく行ったでしょう?
(女性看守の制服を着て縮こまっていた人影が身を起こす。それはミスィズ・ラッテンベリー。怯えて、当惑している。)
 ジョウン 女のハンドバックは武器。いつも言ってるけどね。
(ジョウン、バックをテーブルの上へ落す。ドンという鋭い音。)
 ジョウン さあ、こっちへ来て。制服は脱いで。あんたのドレスはここ。
(ジョウン、テーブルの上にドレスを投げ落す。)
 アルマ みんな叫んでたわ。「あんな女、殺してしまえ!」って。
 ジョウン 一々気にしちゃ駄目。世の中にはああいう無頼(ごろつき)が多いって事さ。誰よりもあたしが一番よく知っている。コーヒーはどう?
(ジョウン、バックから魔法瓶を取出す。バックにはレンガの塊も入っている。)
 アルマ ジョウン・・・。
 ジョウン なに?
 アルマ どうしてなの?
 ジョウン さあね。でも、ああいう連中はしょっ中さ。まあ、これほど酷いのは初めてだったけど。うん・・・妬(ねた)ましいのさ。あたしにはそうとしか思えない・・・ただのやっかみね。
 アルマ 今の私の、どこがそんなに羨(うらや)ましいって言うの?
 ジョウン このオールド・ベイリー(訳註 中央刑事裁判所のこと。その所在地に由来。)の中にいて、注目の的になってることがさ・・・でも勿論、今はそれが憎しみに、集団の憎悪に変わっちまった。この集団の憎悪ぐらい醜い、いかがわしい、おぞましいものはない・・・ハッ、こんなことを言ったりして。法王様でもあるまいし。さ、着替えましょう。こんな格好でいるのを、あの弁護士連中に見せたくないからね。
 アルマ(両手で顔を覆い。)憎まれてるなんて・・・恐ろしい!
 ジョウン 忘れるの、あんな連中のことは! ああいう連中から憎まれてるなんて、有難いぐらい。(ドレスをパッと広げて。)さあ、これが着たかったんでしょう?・・・法廷でこれを着たあなたの姿、さぞ絵になるでしょうね。

(二人が共にドレスに着替える間に、徐々に暗転。すぐに弁護士の着替え室の照明が灯る。そこに必要なものは数個のロッカーと長椅子一脚のみ。キャスウェル、自分の着替えを終える。同時にオコナー登場。)
 オコナー ああ、キャスウェル、丁度君に会いたいと思っていた所だ。敵さんはもう始めたのか?
 キャスウェル クルーム・ジョンソンのことですか? 丁度、証人たちの召集に出て行きました。
 オコナー かなり集めたんだろうな。どう見えた? 自信たっぷりか?
 キャスウェル(陰気に。)自信あるでしょう。それだけの理由が十分あるんですから。
 オコナー それはどうかな。君のぼうやはどうだ?
 キャスウェル ウッドですか? 今日はまだ会ってません。
 オコナー 非常に元気のいい男らしいな。
 キャスウェル 元気のいい? そうも言えますが、僕は生意気な、と言いたいですね。生意気で強情な男と。
 オコナー まづい組合わせだな。ところで、木槌を借りる件はどうなった? 女に絡(から)めて来る可能性が少しはあるのか?
 キャスウェル 大ありです。ウッドの父親の証言は、「息子が木槌を借りに来た時には既に女の方もその目的を知っていて、かつ、同意していたらしい」となるようです。
 オコナー 「らしい」じゃ何にもならん。そんな話は簡単に粉砕できる。ウッドが父親から木槌を借りた時、それが何に必要だからと言ったんだ? 正確には。
 キャスウェル 庭の、サンシェルターを建てるためだと。
 オコナー サンシェルターだって? あの日は、三月なのに、この一年で最も寒い日の一つだったんだぞ。
 キャスウェル そうなんですか?
 オコナー そうさ。
 キャスウェル 私が知っていなきゃならなかった事柄でしたか? それは。これは重要な事ですか?
 オコナー ああ、私にとってはな。
 キャスウェル なぜです?
 オコナー それはね、君、企業秘密さ。もしそれが君の弁護の役に立つとしたら、話してもいいが、まあ役には立つまい。
 キャスウェル(怪訝(けげん)そうに。)楽しそうですね。
 オコナー 私はいつも人からはそう見えるらしい。それが随分助けになっている。君も何とかしたらどうだ、その(陰気な顔。)・・・ちょっと頬紅でもつけるとか何とか。
 キャスウェル(鏡で、自分の顔を見て。)ゆうべは一睡もしてないんです。
 オコナー それはいかんな。私はゆうべはギャリック(訳註 英国ロンドンのクラブ。)で、たっぷり晩飯を喰ってから、血なまぐさい事件の事は忘れて、喫煙室で二時間ほど居眠りをした。その後は・・・家に帰ってぐっすりさ。いいかね、キャスウェル、私は必要もないのに君をやっつけるような真似はしたくない。しかし、もし少しでも陪審員に、女の方もあの木槌を振回したと思わせるような指摘があったら、覚悟しておくことだ。私は躊躇わずに陪審員に次の事実を指摘し、再考を促すだろう。我々の依頼人は、柔らかな泥炭の中に鉄の釘を打込むのにさえ、四十回以上も槌を振らなきゃならないような、弱い非力な女性なんだ。それに対して、君の依頼人は、以前は建築現場で働いていた筋骨たくましい男で、三回も槌を振れば、男の頭を叩き割ることぐらい容易な馬鹿力の持ち主だという事をね。
 キャスウェル(諦めたような溜め息をついて。)ええ。そして、実際、叩き割った。
 オコナー その通り。叩き割ったのだ。君は、ウッドが逮捕直後に警察に自白した彼の供述に疑いを差し挟むなどという事はしていないだろうな?
 キャスウェル そんな事ができますか?
 オコナー それは分らん。が、私は自分の依頼人の供述には、ひと言たりとも信を置いていない。うん、あのクルーム・ジョンソンの奴、ボーンマスの警官隊の連中を証言台に立たせて、三十分もすれば、あの七つの供述を手品のようにうまく操っているさ。きっと、君のぼうやがラッテンベリー老人の頭をぶん殴っている頃、我々のミスィズ・ラッテンベリーは、蓄音器を回して、野次を飛ばしながら、それをけしかけている、なんていう話に・・・
 キャスウェル ・・・なっているでしょう。しかしオコナーさん、あなたにはすみませんが、それがこっちの唯一のチャンスです。
 オコナー 何の?
 キャスウェル 過失致死罪を取るための。
(オコナー、くすくす笑う。)
 キャスウェル オコナーさん、一つ言っておきます。私は法廷であの女の道徳的腐敗がいかに酷かったか、またそれが少年にいかに悪影響を及ぼしたかを、徹底的に押して行くつもりですからね。
 オコナー まあ押すんだね、君。うんとそこを押すんだ。君がその方向なら、こちらはあの男の、すぐ気違いのようにカッとなる性格や、他人に無愛想かと思うと突然、発作的に暴力をふるうといった傾向を押すまでだ。君も文句はあるまい。
 キャスウェル 文句どころか、かえって歓迎ですよ。有罪、但し精神障害による減刑、に持って行けますからね。
 オコナー 判事がハンフリーでか? まあ、望みはないな、あの判事じゃ。何しろマクノートン法を枕の下に敷いて眠るほど、精神障害による刑事上の責任逃れを目の敵にしている男だからね。(以下、判事の口調で。)本件、殺害に関して、殺人の実行者はその行為の瞬間、自分が何をしているか、分っていたんじゃありませんか? もし、分っていたとすれば、自分のしている事が非道だという事も分っていたのではありませんか?
(訳註 マクノートン法 ある人が精神障害(mental disability)のため、行為の性質または善悪を弁別することができないときになされた行為については、刑事上責任を負わない、という法原則。)
(オコナー、法廷用の室内履きをはく。)
 オコナー 君のぼうやはそのどちらも、うすうすは分っていたと思うがね。
 キャスウェル 法廷ではいつもスリッパなんですか?
 オコナー ああ、いつもね。彼らのせいでここから上は(と言って胸のあたりを指差す。)不愉快な思いをさせられるんだから、せめて下の方は寛がせて貰ってもいいだろう。そうそうもう一つ。君はウッドが殺人を犯したのは、コカインの大量摂取が原因だなどと、まさか言うつもりなんじゃないだろうな。
 キャスウェル いや、言いますよ、それは。ああいう場合、意識が朦朧となるよりは、むしろ昂揚してはっきりするようなものをやるでしょう?
 オコナー コカインは止め給え。
 キャスウェル それはできません。「国選弁護士心得」の中にも、こういう場合、コカインが第一選択肢だと書いてあります。僕はこの心得に従うつもりです。
 オコナー(金言風に。)いいかね、我々はみんな心得には従わねばならん。ただ、時々、取り違える場合があってね。
 キャスウェル いや、コカイン以外は駄目です。
 オコナー じゃあ、そのコカインは何処で手に入れたんだ?
 キャスウェル ロンドンの何処かで、誰かから。はっきりと、誰、どこ、なんて、覚えていやしません。
 オコナー やれやれ。つまり彼は、全く何も君には話してないということだ。
 キャスウェル ええ、その点はまるで。(暗い顔で錠剤を二錠、飲込む。)
 オコナー 二日酔いか?
 キャスウェル いや、神経が昂(たかぶ)って。あなたは一錠で効きますか?
 オコナー 一錠で効く訳がない。それに、年とともに、何錠でも効かなくなる。
 キャスウェル え? これまで、あなたが苛々しているのを見たことなど、一度もありませんが。
 オコナー まあ、決して人に苛々を見せないことは、誰もが年とともに身につけることだ。しかし君、私の水差しは知っているね? いつも法廷で、目の前に置いている・・・君だってまさかあれがただの水だとは思っていないだろう?
 キャスウェル ジンですか?
 オコナー ウォッカさ。安全この上なしだ。一歩離れれば、まるで匂いはしない。ところで、死刑絡みの裁判は今回が初めてかね?
 キャスウェル いいえ。ただ、それ以外は全て、何とかなったんですが・・・。
 オコナー まあ、生きている限り望みはある。
 キャスウェル 逆でしょう。我々の望みは・・・彼らの命です。
(間。オコナー、ゆっくりと相手に向直る。)
 オコナー 君は、私がそれを一瞬でも忘れたことがあると思うのか?
 キャスウェル いいえ。まあ、コカインは別の何かにした方が良さそうですね。彼を説得してみます。
 オコナー その方がいい。幸運を祈る。(急に、乱暴に。)しかし、いいか、キャスウェル!
(キャスウェル、振返る。)
 オコナー もしほんの少しでも、あの男が何らかの薬物を私の依頼人から手に入れたなどという話が出たら最後、こちらは容赦せんぞ。私の哀れな依頼人は、そうでなくても不利な条件をわんさと抱え込んでいるんだ。これに加えて麻薬取引の罪まで着せられたんじゃ、踏んだり蹴ったりだ。(キャスウェルの腕を掴み。)いいか、薬なんて初めからやっちゃいないと言わせるんだ。あの二人の恥知らずな堕落と悪徳がもたらした結果だと言え。その方がずっと安全だ。それなら、こちらも反論できん。悪いことは言わない。これが私からの忠告だ。
 キャスウェル(溜息と共に。)まあ、大先輩からの忠告を無視するようじゃ、こっちも余程馬鹿です。色々どうも。
 オコナー どう致しまして。
(キャスウェル、出て行こうとするが、ある考えが閃く。)
 キャスウェル しかし、その忠告というのが、あの少年を不利な立場に追い込むものだったら?
 オコナー 同じ側に立っているんだろう? 我々は・・・
 キャスウェル いくら同じ側でも、そちらの依頼人がそれで助かるとなれば、躊躇わずにこちらの寝首を掻(か)くんでしょう?
 オコナー じゃ自分で自分の首を絞めるがいい、キャスウェル。私はわざわざこちらの弱点を、つまり、嘆かわしい道徳上の欠陥をそちらに攻撃したらどうかと申し出ているんだ。それで一体どうして君が寝首を掻かれることになるんだ?
(モンタギュー、登場。)
 オコナー ああ、モンタギューか、良かった・・・(無邪気な笑みを浮かべて。)我々の友人は無事到着したかね?
(オコナーとモンタギューの上の照明、徐々に消える。キャスウェル、暗い表情で小さな独房へ進む。その間、照明はそのままキャスウェルに当っている。独房ではウッド、辛抱強く坐っている。照明、彼を照し出す。この間に、既に法衣に着替えたオコナーとモンタギュー、視界から消えている。)

 キャスウェル(呼ぶ)看守!
 ウッド(嬉しそうな調子。)お早う、キャスウェルさん。聞きましたか? 僕がここに着いた時の群集のあの騒ぎを。「頑張れよ」、「お前を縛り首にさせるもんか」なんて叫んでくれて・・・
 キャスウェル ウッド君、君の命が掛った裁判はもうすぐ始まる。我々には後ほんの数分しか残っていない。君は今でも殺害の原因は、コカインだ、と私に法廷で説明しろと言うつもりなのか。
(間。)
 ウッド パース・ウッド。半端仕事しかやったことのない男。それが今じゃたいした大物だ。あなたのような法衣を着た紳士に「法廷でこう説明しろ」とこちらから指図する身分なんですからね。では、繰返し法廷でのあなたの台詞を指図しましょう。僕があの老人を殺したのは、コカインで頭がおかしくなっていた正にその時です。だから、僕にはその行為に対して何ら責任はない。こう言って下さい。僕が法廷で言う台詞も同じです。
 キャスウェル 君が法廷で喋ることはない。君を証言台には立たせないからね、私は。
 ウッド 立たせない? どうやって。
 キャスウェル 私が立たせなければ、それで終だ。
 ウッド 何故です。何故僕を立たせないんだ。立たせなきゃ駄目だ!
 キャスウェル 何故かというとね・・・ミスター・クルーム・ジョンソンは、検事の中でも特に痛烈な反対尋問をすることで知られている。彼はきっと、麻薬常用者になった経緯を正確に説明して下さいと君に訊くだろう。君がそれに対して、何も説明できず、答に窮している姿は見たくないのでね。
 ウッド 説明できるさ! それこそ自分を弁護できる絶好の機会じゃないか!
 キャスウェル では、聞くが、コカインとは一体どんなものだ? ミスター・ウッド。つまり、どんな色をしている。
 ウッド 色? (間の後。)茶色さ。
 キャスウェル 茶色ね。
 ウッド それに黒い斑点もあった。
 キャスウェル 黒い斑点・・・では、もし君が証言台にいたとしたら、君はミスター・クルーム・ジョンソンにもそう話すんだな?
 ウッド 勿論。
 キャスウェル 「コカインは隠語で、「雪」と呼ばれている。それは何故だ」と訊ねられたら、君は一体どう答えるつもりなんだ?
 ウッド どうって・・・雪だなんて知らなかった。
 キャスウェル コカインは雪と呼ばれている。それは色が白いからなんだ、ウッド君・・・本当に、真っ白なんだ。
(間。)
 ウッド 糞っ。
 キャスウェル まったくね。
 ウッド でも、コカインなしで、どうやって僕の弁護ができるって言うんです?
 キャスウェル それはもう話した筈だ、何度もね。
(間。)
 ウッド(凶暴に)駄目だ!
 キャスウェル 君は今では絞首刑の可能な年齢に達している、ミスター・ウッド。
 ウッド 知っています。
 キャスウェル じゃあ、死にたいのか? 君は。
 ウッド 死にたくなんかない。僕だって生きていたい・・・ああ、誰が死にたいものか。でも、あの人が僕にやらせたなんて、決して言うもんか。そんな事を言うくらいなら、八つ裂きにされた方がましだ!
 キャスウェル 君はまだよく分っていないようだね。
 ウッド(乱暴に。)分っちゃいないのは、あんたの方だ。アルマ・ラッテンベリー、あいつは色気違いで酔っぱらいの雌牛(めうし)、おまけに大嘘つきだ。それでもあいつは、僕がこれまでに知った唯一の、これまでに愛した唯一の女なんだ。その女を今になって「売る」、そんな事、出来るもんか! 分っていないのは、あなたの方です、ミスター・キャスウェル。誰も分っちゃいない。だけどあなたも分っちゃいないんだ。
(間。)
 キャスウェル そう、分っていないのか。じゃ後ほど、法廷で。

(キャスウェル、書類を手に取る。照明、暗転し、すぐに別の独房を照し出す。アルマの着替は済んでいる。)
 ジョウン さあ、もうじきよ。それ、よく似合ってる。言った通りよ。
(オコナーとモンタギュー、登場。法衣を着、かつらをつけている。)
 オコナー お願いします・・・ミスィズ・ラッテンベリーをこちらへ。
 ジョウン はい。
 モンタギュー(アルマに。)外の奴ら、酷いことを言ったでしょう。大丈夫でしたか?
 アルマ ええ、ちょっと酷くて・・・
 オコナー ミスィズ・ラッテンベリー、法廷ではもっともっと偏見は強いです。これは予め申上げておきます。
 アルマ ええ、分っています。
 オコナー ですから、証言台では、毒のある意地悪な質問が出ます。あなたはそれに答えなければなりません。いいですね?
 アルマ(あっさりと。)ああ、でも私、何も答えるつもりはありません。証言台に立ちませんから。その事は言いましたね? モンタギューさん。
(間。オコナー、モンタギューに目で合図を送る。モンタギュー、部屋からそっと抜け出す。)
 オコナー どうか、それはもう一遍、考え直して戴けませんか? 是非とも。
 アルマ ご免なさい。でも、それはできません。証言台に立つつもりはありません。宣誓までして、ジョージを見捨てるなんて、そんなことは決して。
 オコナー そうやって、彼から悲劇のヒロインに見られたいのですか? それほどあなたは、彼を愛しているのですか?
 アルマ 私が悲劇のヒロインに見られる? ジョージから? まあまあ、大変。私はあの子にとって、色気違いで嘘つきの、ただの酔っぱらいの雌牛。あの子、何度私にそう言ったことか。
 オコナー じゃ一体何故、そんな男のために自分を犠牲にするんです?
 アルマ 何故なら、それが正しいことだから。私に責任があるから。あなたも、他の誰でもなく、私に・・・
(モンタギュー、クリストファーを連れて独房の中へ入る。)
 クリストファー 今日は、ママ。
(アルマ、暫し棒立ちとなる。やがて猛然と振返り、オコナーに向かって。)
 アルマ あなたって人は! これ、どういうつもり?
 オコナー 親切のつもりです、ミスィズ・ラッテンベリー! 出廷される前の二三分、息子さんにお会いになりたいのではないかと思いまして。
(オコナー、モンタギューに軽く頷き、自分に続いて外へ出るよう促す。二人、退場。)
 クリストファー オコナーさんが何をしたの? ママ。何であんなに怒ったの?
 アルマ 何でもないの。(息子を抱き締める。)元気にしてた? クリス。
 クリストファー うん、元気だった。
 アルマ あの人たちが連れて来たの? 学校から。
 クリストファー 僕の方で来たかったんだ。(アルマを見ながら)普通の服なんだね・・・。
 アルマ ええ。どう、似合ってる?
 クリストファー うん、綺麗だよ。僕は・・・そういう服じゃなくて・・・
 アルマ 縞の囚人服だと思った? あれはまだ着ないの。
 クリストファー 監獄の中って、どんな風?
 アルマ ああ、ここはまだ本当の監獄じゃないのよ。それに女性看守は・・・ここの人達のことだけど、とっても親切なの。(突然、息子をぐっと掴んで。)あなた、まさかあの人たちの中を通って来たんじゃないでしょう?
 クリストファー あー、通って来たよ。でも、僕が誰かなんて、誰も気づかなかった。厭らしい人達ばかりだったけどね。
 アルマ 怒鳴っていたこと、聞いた?
 クリストファー(素早く。)聞かなかったよ、ママ。
(アルマ、再び息子をきつく抱き締める。やがて身を離し自由にさせる。)
 アルマ  ジョン坊やは元気?
 クリストファー うん。元気だよ。時々、ちょっと泣くけど。
 アルマ あの子は、この話、聞いてないわね?
 クリストファー うん、聞いてない。
 アルマ 私がいなくて、あの子、淋しがる?
 クリストファー ママがいなくて?
(間。)
 アルマ(努めてしっかりした声で。)ねえ、クリス、あなた、何を言うように頼まれたの?
 クリストファー(戸惑って。)頼まれたって、僕が?
 アルマ そう、オコナーさんに。
 クリストファー 頼まれてなんかないよ、何も。
 アルマ ほんとう? 何も?
 クリストファー だって、当り前のことだから。頼まれなくったって・・・
 アルマ 何? それ。
 クリストファー ママが法廷でジョージを裏切らないっていう話だから、僕は驚いたんだ。そんなことをしたら、陪審員はママを有罪にするって、あの人は言ってる。こんな言い方じゃなくて、あの人はもっとうまく話したけど。
 アルマ(挫(くじ)けそうになりながら。)うまくって、どんな風に?
 クリストファー 「君、中学生だろう? だから、友達を裏切らないのがどんなに大事かはもう分っている筈だ。・・・だけど、例外がある。それは分るね?・・・例外っていうのは、殺人の場合だよ。・・・本当の殺人の場合だ。陪審員が何を考えるか、知れたものじゃないからね。・・・勿論連中が、そんなことをしないってはっきり分っていれば話は別だけど・・・」ああ、ママ!
(クリストファー、アルマに駆寄る。アルマ、息子をしっかり抱き締める。息子が自分の胸の中で声を立てて泣くがままにする。)
 クリストファー ああ、僕、泣かないって決めてたのに!
 アルマ(やっと。)オコナーさんの話、他には?
 クリストファー 「君ももう大きくなっているんだから、分るね? 女の人が、恋人と子供のどっちか一人を選ばなきゃいけない時には、大抵まづ、恋人の方を選ぶんだ。」
(アルマ、外見上は心を動かされている様子なし。じっと動かず、息子の頭を見下ろしている。)
(オコナーとモンタギュー、戻って来る。アルマ、扉の音がしても動かない。)
 オコナー 判事から出廷の合図がありました。
(オコナー、クリストファーの肩に腕を置く。)
 オコナー さ、君も席について。いいね? 外にいるワトソンさんが君の隣の席に坐ってくれる。
 アルマ(愕然として。)クリストファーを法廷に入れるつもりじゃないでしょうね?
 オコナー 入れます、勿論。
 アルマ じゃあ、毎日、その席に?
 オコナー それは場合によります。さ、お母さんにさようならの挨拶をして。
 クリストファー さようなら、ママ、頑張って。
 オコナー モンタギュー、君は彼をワトソンの所へ・・・看守さん!
(アルマ、クリストファーのキスを受ける。そして、出て行く息子の頭をぼんやりと軽く手で叩く。クリストファー、モンタギューと共に退場。)
 アルマ(ようやく。)勝ったなんて思わないで、オコナーさん。
 オコナー ああ、私は今までどんな場合でも、一度だって、そんな風に考えたことはありません。結果が出るまでは。
              (幕) 


     第 二 幕
(場 第一幕の最初と同じ。照明が、アルマとミスィズ・ダヴェンポートにあたる。)
(次に照明が判事にあたる。)
 判事 ミスィズ・・・あー、ダヴェンポート、ベイリフ陪審員から報告を受けましたが、あなたは良心に関わるという理由で陪審員の役を降りたいという希望を出していると聞きましたが?
 ミスィズ・ダヴェンポート はい。この裁判に限って、今回のこの陪審だけはお断りします。他の、どんな裁判でもお引受けしますが。
 判事 良心の問題と聞きましたが、それは、この裁判が直接死刑に関わるものだからですか?
 ミスィズ・ダヴェンポート いいえ、違います。
 判事 では、良心はどこに関わっているのですか?
 ミスィズ・ダヴェンポート 判事様、私はあの女性に強い偏見があるのです。(ミスィズ・ダヴェンポート、被告席を指差す。)
 判事 女性の被告に?
 ミスィズ・ダヴェンポート そうです。
 判事 女性の被告、立って下さい。
(アルマ、立上がる。ミスィズ・ダヴェンポートを驚きの気持なく、見詰める。かすかに「理解出来る」という気分さえある。)
 判事 あなたは、この女性を個人的に知っているのですか?
 ミスィズ・ダヴェンポート いいえ。しかし、よく知っている人であるかのように思えます。
 判事 よく分りません、その言葉は。説明して下さい。
 ミスィズ・ダヴェンポート 新聞に書かれていることを読みましたので。
(間。)
 判事 それだけですか?
(照明が、弁護側二人に、やや暗くあたる。)
 ミスィズ・ダヴェンポート 失礼ですが、判事様がここにいらっしゃるのは、この女性が公正な裁きを受けられるために、ではありませんか? 
 判事 その通りです、マダム。従って、以下のことは私の義務であり、そして同様にあなたの義務でもあるのです。つまり、この事件に対する嘆かわしい世間の評判や勝手な憶測を、一度きれいに頭から洗い流して、この事件を純粋に・・・
 ミスィズ・ダヴェンポート 失礼ですが、判事様、私はそういう議論はよく存じております。私は法律について知るところがあるのです。父はインドで判事をしておりましたから・・・
 判事 ミスィズ・・・ああ、・・・しかし、その・・・
 ミスィズ・ダヴェンポート(強く。)私はここで判事様に、そしてこの女性を弁護する役にあたっている人々に強く警告いたします。私がここでどんな宣誓をしたとしましても、この女性に対する私の偏見を拭(ぬぐ)い去ることは、私には出来ません。私のこの女性に対する敵意ははっきりしているのです。
(間。ミスィズ・ダヴェンポートの誠意は明らかに判事に印象を与えている。判事、顔を顰(しか)め、次に弁護士席に問いかける。この間にスポットライト、アルマとミスィズ・ダヴェンポートだけにあたる。判事と弁護士のやり取りは小声で行われる。)
 判事 ミスター・オコナー、私の意見は了解しましたね? 私はこの人を外すつもりはありません。しかし、そちらで「支障あり」を適用する意図があるならば申出て下さい。こちらはそれを聞き届ける用意があります。
 オコナー ちょっと時間を戴きます。
(判事、頷く。オコナー、モンタギューに低い声で話す。二人、判事に背を向けて。)
 モンタギュー 切り札になります。
 オコナー 偏見ありとして?
 モンタギュー そうです。最後の弁論の時、この陪審員を材料に出来ます。
(オコナー、立上がる。)
 オコナー 判事殿、当方は「支障あり」を適用しません。
 キャスウェル こちらも適格とみなします。当該偏見は、私の弁護する人物に不利を与えると判断しません。
 判事 ミスター・クルーム・ジョンソン、あなたは検察側ですから、当然「支障あり」を適用しないでしょう。が、ただ、私の判断が正しいかどうか、その判定は如何でしょう。
(検察官、クルーム・ジョンソン、立上がる。)
 クルーム・ジョンソン 判事殿の、この件に対する判断は賢明であり、かつ正しいものと考えます。
(照明、判事にあたる。)
 判事 ミスィズ・ダヴェンポート、我々一同、あなたの不適格理由は根拠のないものであるという見解です。従って、宣誓を行うようお願い致します。
 法廷の事務官 右手でこの本を取り、このカードにある文章を読み上げて下さい。
(判事と弁護士にあたっていた照明、暗くなる。)
(法廷を横切って、女性二人だけに照明があたる。二人、向かい合う方向にいる。)
 ミスィズ・ダヴェンポート(厳かに、一瞬、間を置いて。聖書を右手に、左手でカードを持ち。)私は全能なる神にかけて、私たちの君主たるイギリス国王と獄中の囚人を繋ぐこの裁判において、真に良く務め、証拠にのみ基づき真の評決を下すことをここに誓います。
(照明、急に暗くなる。)

(ステラ・モリスンの居間。ステラが新聞を読んでいるのがぼんやりと見える。)
(オールド・ベイリー(中央刑事裁判所)の第一法廷に照明があたる。)
(法廷は現在休憩中。弁護士達が話している。)
 キャスウェル(クルーム・ジョンソンに。)素晴しい冒頭陳述、おめでとうございます。
 クルーム・ジョンソン ああ、有難う、キャスウェル。
 キャスウェル 非常に公平な陳述だと思いました。
 クルーム・ジョンソン うん、有難う。
 オコナー(少し離れた場所。モンタギューに。)公平が聞いて呆れる! クルーム・ジョンソンの奴、何が「少年」だ! 「成熟した女と少年の事件」・・・あんなことをもう一度言ってみろ。再審にかけてやる。
 モンタギュー 言ってやらないんですか、それを。面と向って。
 オコナー そして敵に手のうちを見せるのか? あっちはいい気になって、今度は「成熟した女と子供」とやって来るさ。
(クルーム・ジョンソン、近づいて来る。)
 オコナー(呼びかけて。)ああ、クルーム・ジョンソン、いい冒頭陳述だった。
 クルーム・ジョンソン 有難う。公平なものだと思ったが・・・
 オコナー 実に。期待通りの公平さだった。
 クルーム・ジョンソン それはご親切に。そうそう、あれは酷かったな・・・例の「偏見があるから陪審が出来ない」ってやつ。ああいうのを聞かされるのはたまらない。どうして異議を唱えなかったんだ?
 オコナー そう。やった方がよかったか・・・
 クルーム・ジョンソン(相手の手は見えている、という風に。)最終弁論でこれを持出そうっていう腹じゃないのかな?
 オコナー いやいや、それは酷く不謹慎だ。
 クルーム・ジョンソン 正直なところ、私の冒頭陳述で彼女の「偏見」の一部は解消されたんじゃないかと思っているのだが・・・
 オコナー うん。
 クルーム・ジョンソン 法廷は決して道徳をあれこれ言うところではない。起ったこと自体が何であったか、それを確認することに注意を払って欲しいと。
 オコナー(自分を抑えることが出来ず、つい。)この「成熟した女と、少年」の間にね。
 クルーム・ジョンソン ああ、「少年」という言い方が気に入らなかったのは喋っていて分ったよ。じゃ他に、どういう言い方がある? あの男に。被告席をちょっと陪審員が見さえすれば・・・(あいつが「少年」であることは・・・)
 オコナー あいつが立派な体格の・・・絞首刑にあっても文句のない・・・年の男で、女の方は、その姉といっても問題はない程若く見える女性だとね。
 クルーム・ジョンソン しかし、この事件で問題になるところは、二人の年の差だからね。どんなにこの事件がおぞましいものであっても、とにかく、心をしっかり落ち着けて、事実というものに直面して貰わなきゃならないんじゃないか?(自分の席に戻り、書類を纏(まと)める。)
 オコナー 厭な奴め! この間弁護士会のゴルフ・トーナメントに奴を誘ったんだ。奴が相手で、どうしても駄目だ。パットは全部長くなるし、やっと十四インチのパットが来たと思ったら、こいつもミスする。よし、どうしてもあの野郎には勝つぞ・・・(クルーム・ジョンソンが近くを通る。オコナー、にこやかに挨拶。)せいぜいここで勝つぐらいのことはやっておかなきゃ・・・

(法廷から弁護士達が去る。と、照明が消え、ステラの居間。ミスィズ・ダヴェンポート、疲れた足取りで登場。ステラ、ソファに仰向けに寝そべって、夕刊を読んでいる。)
 ミスィズ・ダヴェンポート うちの子、帰って来た?
 ステラ トニー? いいえ、まだ。
 ミスィズ・ダヴェンポート よーし、トニーはどんなことがあってもジョンの手には渡さない・・・決して、決して。(ソファに坐る。)
 ステラ エディー、あなた、今日は辛かったでしょう。お茶は如何?
 ミスィズ・ダヴェンポート お茶はいいわ。私、飲む・・・ウイスキー。
 ステラ まあ、珍しい。(ウイスキーを注ぐため立上がる。)じゃ、今朝、拒否はうまくいかなかったのね?
 ミスィズ・ダヴェンポート ええ、駄目。おまけに父親が判事だなんて馬鹿なことを言って・・・選挙の結果は、私が陪審員長。
 ステラ まあ、よかったじゃない。明日は何をやるの?
 ミスィズ・ダヴェンポート 証言の確認ね、また。ああ、ステラ、厭な仕事よ、全く。
(ミスィズ・ダヴェンポート、寝室に退場。ステラ、新聞を取り、電話のところに行く。)
 ステラ(隣の部屋に、大きな声で。)ねえ、エディー、ラッテンベリー事件の賭けの比率だけど、あの女が有罪になるオッズは今いくらになってる? ブックメーカーでは。
 ミスィズ・ダヴェンポート(舞台裏で。)オッズ? 酷いわね、裁判にオッズだなんて。
 ステラ ブックメーカーなんて非情なものよ。市内ではあの人が絞首刑になるかどうかでオッズを出しているわ。なるっていう確率がかなり高い。でも、有罪になるっていうのは・・・ここいらにあったけど・・・(新聞を見て。)そう、三ー一ね。(訳註 ブックメーカーに三千円払う。もし有罪になれば、四千円返ってくる。もし無罪ならば、払い戻し金は0円。)
 ミスィズ・ダヴェンポート(舞台裏で。)たった三ー一? あの女・・・酷いのに・・・
 ステラ おやおや、馬の口から直接裏情報が聞けたんじゃ・・・(受話器に。)もしもし・・・まだ会社?・・・ねえ、ヘンリー、ラッテンベリー事件のオッズだけど、三ー一で買えるでしょう? 今なら・・・(声を下げて。)エディーが今、法廷から帰って来たのよ。三ー一じゃ、大甘(おおあま)だって。あのひと、陪審員長になったのよ。だから勿論、発言権は大きいし・・・もうこれは確かよ。私には六百ポンド賭けて・・・ね?
(トニー登場。)
 ステラ 有難う・・・じゃあね、ヘンリー。(電話を切る。)トニー!
 トニー 今日は、叔母さん。
(ミスィズ・ダヴェンポート、部屋着を着て登場。)
 ミスィズ・ダヴェンポート トニー!
 トニー 今日は、ママ。
 ミスィズ・ダヴェンポート よかったわトニー、帰って来てくれたのね。
 トニー いや、僕は帰らない。パパも一緒に来た。
 ミスィズ・ダヴェンポート いいえ、私は会わないわ、あの人には。
(ダヴェンポート、登場。)
 ミスィズ・ダヴェンポート あなたには会えないことになっています。判事さんがちゃんと・・・
 ダヴェンポート 判事の言ったことはちゃんと覚えている。「いかなる連絡も禁止する」だ。ああ、ステラ。
 ステラ 今日は、ジョン。
 ダヴェンポート だからここに持って来たこの手紙も、私がここにいるのと同様、違反事項だ。
(手紙を差し出す。)
 ミスィズ・ダヴェンポート 読まないわ、私。
 ダヴェンポート そうだろうと思っていた。だから、私自身が配達しに来たんだ。
 ステラ 私、あっちに行ってる。
 ミスィズ・ダヴェンポート いいえ、ステラ、行かないで。
 ダヴェンポート ステラがいても私は構わない。トニー、お前は降りて、車のところにいなさい。いいね?
 ミスィズ・ダヴェンポート あなた、トニーを取って行く気?
 ダヴェンポート 別荘に連れて行く。
 ミスィズ・ダヴェンポート 行かせません。私が禁じます。
 ダヴェンポート さ、トニー、行くんだ。
 ミスィズ・ダヴェンポート 駄目です!
 トニー じゃね、ママ。悪いけど・・・明日僕、電話する。(退場。)
 ミスィズ・ダヴェンポート 警察に電話しさえすればすぐ・・・
 ダヴェンポート そう、「すぐ」だ。私は息子を何故ここから連れ出さねばならないか、判事にその理由を明確に述べる。勿論判事はその理由を不充分だと判定する。私は罰金を取られ、拘留され、トニーは君のところへ連れ戻される。一部始終は新聞に書かれ、トニーの学校の校長に読まれることになる・・・
 ミスィズ・ダヴェンポート 恐喝だわ、これ。
 ダヴェンポート うん、恐喝だ、多分。君が法に訴えればこうなるだろうという事を、そのまま、あからさまに述べると、今のようになる。
 ミスィズ・ダヴェンポート その校長先生にあなた、どんな嘘を話したの?
 ダヴェンポート 本当のことを話した。全部じゃないが。あの子が精神的なショックを受けていて、自殺をはかったと。
 ミスィズ・ダヴェンポート それは嘘!
 ダヴェンポート 嘘ではない。あの子が私に会いに来る前の晩、あの子は睡眠薬を飲んだんだ。
 ミスィズ・ダヴェンポート まさか。
 ダヴェンポート 信じられなかったら、浴室へ行って睡眠薬の瓶を見てみればいい。運よく七つか八つしか残っていなかったらしい。すぐに吐気をもよおして・・・
 ミスィズ・ダヴェンポート 吐く音がしたら、私、気づいた筈。
 ダヴェンポート あの子は心得ている。母親に気づかれまいと気をつかったんだ。それから浴室の床に寝そべって、きっと泣いたんだ。泣き声が聞えないよう、タオルに口を当てて・・・静かに。
 ミスィズ・ダヴェンポート そんなにその・・・あれが・・・酷かったっていうこと?
 ダヴェンポート 純粋に医学的には、何でもない。処置が早ければすむようなひどく軽い・・・あの子が克服出来ないでいるのは、心理的ショックだ。それで、ここにいる限りそれは治らない。ただ・・・
(間。)
 ダヴェンポート 私の手紙を読んでくれないか。
 ミスィズ・ダヴェンポート いいえ。
 ダヴェンポート それでは自分で読み上げる。(手紙を取り、開く。)「愛するエディー、トニーのために、そして私達二人のために、君の訴訟を取下げて欲しい。担当の判事にその旨の書類を出せば、簡単に取下げられる。
 私の人生で、女と言えば君しかいない。これは真実だ。たった一人といえども、他に女はいないということだ。君が知っている例の女性は、二三箇月前に私から去って行った。お互いに何のしこりもなくだ。彼女は私にとって重要ではなかった。「重要」と言えば、私にとって重要な女性はただ一人、君しかいない。私は時々の私の情事を君に白状する。それは私にとって必要なことなのだ。君はその理由を知っている。いつでも短いもので、金銭で解決している。
 君なしでは、エディー、そしてトニーなしでは、私は非常に淋しい男だ。君も私なしでは淋しいのだと私は信じている。どうか私を、君の人生の中に連れ戻して欲しい。もし連れ戻してくれるなら、私は出来る限り行儀よくする。この「出来る限り」というのは残念ながら、君の要求に応えるところまでは行かない。それは君の知っている通りだ。しかし、もし事務所からの帰りが時々遅いこと、それからクラブでの夕食で遅くなることを大目に見てくれるところまで譲歩してくれれば、誓って言う、君をその他のことで恥づかしい目にあわせることはない。私は君に対して、男としての権利はすっかり放棄する。しかし、君の愛する夫として私をもう一度認めて欲しい。このことを切に願う。  ジョン」
(ダヴェンポート、手紙を封筒の中に入れ、ミスィズ・ダヴェンポートに渡す。ミスィズ・ダヴェンポート、それを受取らない。ダヴェンポート、コーヒーテーブルの上にそれを置く。)
 ミスィズ・ダヴェンポート あなたの条件ね。
 ダヴェンポート 君の選択肢でもある。
 ミスィズ・ダヴェンポート 答は「ノー」。
 ステラ よく考えて、エディー。ね、よく考えて。
 ミスィズ・ダヴェンポート ステラ、あなた、何を言ってるの。この人、私に浮気を許せと言っているのよ。そんなこと、考えられる? 無理に決っているでしょう? 私はね、今までの基準を崩すつもりは毛頭ないの。その基準でこれまでずっと生きてきたんですからね。
 ダヴェンポート その基準が間違っているかもしれないんだ。時代遅れになってきているのは確かだからね・・・考え直してくれないか、エディー。
(返事なし。)
 ダヴェンポート では、さよなら、だ。(扉のところで。)ああ、そうだ。例のラッテンベリー夫人、彼女は僕の意見に賛成じゃないかな。
 ミスィズ・ダヴェンポート 話してはいけないことになっています。
 ダヴェンポート(微笑んで。)君が陪審席にいたんじゃ、あの人も助からないね。私はあの事件を詳しく知っている訳じゃない。新聞に書いてあることだけだ。あの人の悪徳は確かに悲しむべきものではあるが、人の賛同を得る何かがある。君の美徳は、賞賛すべきものかもしれないが、その実、何の意味もないものだよ。じゃ、失礼。
(ダヴェンポート退場。ミスィズ・ダヴェンポート、手紙を取上げ、それから、決然とひきちぎる。ミスィズ・ダヴェンポートが部屋を出ると、照明、薄暗くなる。ステラ、ちぎられた手紙を拾い、それから、坐る。)

(オールド・ベイリー(中央刑事裁判所)。公判二日目。バグウェル巡査部長が、クルーム・ジョンソンの訊問を受けている。法廷は見えない。)
 クルーム・ジョンソン 病院からその電話があったのは何時でしたか? メモを見てもいいです、反対がなければ。(キャスウェルと判事、同意の頷き。オコナーはモンタギューに忙しく何かを話しかけていて、この言葉には反応しない。)
 巡査部長 午前二時十三分です。死者を再生する手段はすべて失敗したという連絡です。
 クルーム・ジョンソン それで、次にしたことは?
 巡査部長 ヴィラ・マデイラに直行しました。現地に到着したのは、午前二時四十七分です。家の中から非常に大きな音が聞えていました。
 クルーム・ジョンソン どういう種類の音です?
(照明、暗くなり、スポットライトが巡査部長にあたる。)
 巡査部長 ボリュームをいっぱいに上げた蓄音機の音です。そして女性の笑うキンキン声が。玄関のベルを押しても何の返事もないので扉を押しました。扉は鍵がしてなく、すぐ開きました。私は居間に入り、夜着を着ているその被告席の女性と、二人の警官が、闘牛の真似をしているのを見つけました。女性は寝間着(ねまき)で、牛を誘う動作をしていましたから。私はすぐ二人の警官に、外へ出るように指示し、部屋の外でこれまでの状況を聞き、二人を署に返しました。それから私は再び部屋に入りました。
(舞台は、ヴィラ・マデイラの居間に照明があたる。アルマ、夜着を着て、寝間着を手に持ち、闘牛の真似をして一人で踊り跳ねている。蓄音機が大音を上げている。突然アルマ、自分一人でいることに気づく。)
 アルマ あら、しようがないわね、全く。(泣き声で。)どこへ行ったの? 返ってらっしゃい。楽しくやっていたんじゃない。
(明らかに、殆ど空になったウイスキー壜から直接に、グイと飲む。レコード、終になり、アルマ、レコードを替えに行く。非常に酔っている。巡査部長、扉のところに登場。開いている扉をノックする。アルマ、蓄音機のところで、巡査部長に背を向けたままでいる。)
 巡査部長 お邪魔します。ちょっとお聞きしますが・・・
 アルマ(喜びの金切り声を上げる。)ああ、さっきのとは違う警察の方ね! さあ、さあさあ、入って。今、面白いことをしていたの・・・
(耳を聾する音楽、再び始まる。)
 巡査部長(大声で。)あなたは、フランスィス・ラッテンベリーの奥さんですか?
 アルマ アルマでいいのよ、あなたなら。さ、早くダンスを・・・
(アルマ、巡査部長の首に両腕を回す。巡査部長、それを振りほどく。)
 巡査部長 音を消していいですか? 奥さん。
 アルマ 消す? どうして。音楽がなくちゃ、踊れないわ。
(アルマ、再び巡査部長を踊りに誘う。再び巡査部長、それを振りほどく。)
 巡査部長 失礼します、奥さん。お許しを。
(巡査部長、蓄音機のところへ行き、消す。)
 アルマ まあ、消したりして! どうして! 私、静かなのはいや!・・・いや! 静かなのは!
(アルマ、再び蓄音機に進む。巡査部長、優しくそれを止める。)
 巡査部長 失礼ですが、奥さん。近所の迷惑になりますから。
 アルマ(笑って。)ああ、それは大変。近所の邪魔・・・まあまあ・・・
 巡査部長 もう一度お聞きしますが、あなたはフランスィス・ラッテンベリー氏の奥さんですね?
 アルマ そうですよ。
 巡査部長 ということは、故フランスィス・ラッテンベリーの奥さんということです。
 アルマ 「故」ですって?
 巡査部長 旦那様の死については、まだお聞きになっていらっしゃらない?
 アルマ 酷い話をするのは止めにしましょう。さ、音楽を・・・ 
 巡査部長(アルマを止めて。)奥さん、私は旦那様の死について、あなたがご存知のことをお聞きしなければならないのです。
 アルマ 全部、ええ、私は全部知っています。(アルマ、震え、顔を両手で覆う。それから、両手をゆっくり下ろし、明るく微笑んで。)私がやったのです。お分りですね? 私一人で。一人だけで。(歌って、踊りながら。)一人で・・・たった一人で・・・
(アルマ、ウイスキー壜の方へ進む。巡査部長、アルマから壜を取上げる。)
 巡査部長 この家には、あなたの他に誰がいますか。
 アルマ アイリーンだけですわ。
 巡査部長 アイリーン?
 アルマ 女中です。私のお友達。あの人は二階に行くように言っておいたの。だから、何も知らない。私、ウイスキーが欲しい。
(アルマ、巡査部長から壜を取る。中は空の様子。)
 巡査部長 この家には、ですから、あなた以外にはアイリーンしかいない・・・
(アルマ、別の壜を捜そうとしていたが、この言葉を聞き、立上がり、ゆっくり振返る。)
 アルマ ジョージもいます。
 巡査部長 ジョージ?
 アルマ 私の運転手。まだ子供。何でもない子・・・ただのパートタイマー。
 巡査部長 どこにいるんです、その・・・ジョージは。
 アルマ 私が知る訳はありませんわ。母親じゃないんですから。・・・二階でしょう、きっと。あの子は若いんです、本当に・・・
 巡査部長 奥さん、以下の注意を申し上げておきます。あなたは質問を受けても、厭な場合は答える必要はありません。しかし、答えた場合には、書留められ、証拠に使用される可能性があります。お分りですか?
 アルマ ええ、ええ。あなた、結婚してらっしゃる? 女の子の遊び友達、沢山いるんでしょうね? お金、おいりよう? 十ポンドあげる・・・ああ、でも、これ、罪ね? 警察官にお金は・・・
 巡査部長 奥さん、どうか・・・
 アルマ あの人は死にたいって言ったの。あまり長く生き過ぎたって。それで、木槌を私に渡して、それで殺してくれって。だから私、やったの。
 巡査部長 その木槌はどこに?
 アルマ(あくびをしながら。)えっ? 何?
 巡査部長 木槌です。木槌はどこです。
 アルマ ああ、朝になったら思い出すわ。(立上る。)あ、寝ちゃ駄目だわ。夢を見てしまう。さっきの音楽にしましょう。
 巡査部長(ノートを閉じながら。)奥さん、私は電話をかけに行きます。外の公衆電話で。
 アルマ ここにありますよ、電話なら。寝室にもありますし・・・
 巡査部長 いいえ、公衆電話を使いますから。では。
 アルマ どうぞ御勝手に。ここにいた方が楽しいのに。
(巡査部長、退場。巡査部長がいなくなるとアルマ、蓄音機に進む。現実に戻り、顔を両手で覆って啜り泣く。それから、フラフラしながらターンテーブルにレコードを置きなおす。音楽が再び始まる。耳を聾する音。)
(アルマ、音楽にあわせて身体を動かす間に、照明暗くなり、法廷の場になる。巡査部長、証言を続けている。音楽が照明と暫く重なる。)
 クルーム・ジョンソン ミスィズ・ラッテンベリーの行動に関する一般的質問です。二、三時間前に夫がむごたらしく殺されたという事実から見て、彼女の今のこの態度を、あなたはどう感じましたか?
 巡査部長 うんざりでした。吐き気を催すほど、うんざり。
 クルーム・ジョンソン 一言で言うと、彼女の態度は?
 巡査部長(ちょっと考えて。)無慈悲なものです。全く、冷酷無残。
 クルーム・ジョンソン 以上です。有難う。
(クルーム・ジョンソン、坐る。)
 モンタギュー(オコナーに、こっそり。)ほら、新聞記者の奴、出て行きましたよ。見出しの文字、想像出来ますね。
 オコナー もく少し待っていればよかったのに。(立上がる。)巡査部長、あなたはこの仕事を始めてどのくらいになりますか。
 巡査部長 二十年です。
 オコナー その二十年間には、ぞっとするような恐ろしい事件に何度も出くわしたことでしょうね?・・・今のこのような・・・
 巡査部長 はい、何度も。
 オコナー それでは勿論、いわゆる「ショック」と呼ばれる医学的現象を目の当たりにしたことがおありでしょう。
 巡査部長 はい、「ショック」の状況を見たことがあります。
 オコナー 酷い「ショック」を?
 巡査部長 ええ、中には酷いものも。
 オコナー そういう時、そういう人達はどのような具合になりますか。
 巡査部長 「心ここにない」という・・・
 オコナー 「心ここにない」・・・つまり、周囲の状況に全く気づかず、興奮したり、酷くベラベラと喋ったり?
 巡査部長 そうです。
 オコナー ヒステリックに泣き、或はヒステリックに笑う・・・つまり、一般的に言うと、人格がなくなる状態になる・・・
 巡査部長 そうです。
 オコナー では何故、あの晩のミスィズ・ラッテンベリーの態度を「反吐が出るような」と表現したのです。
 巡査部長 あの晩の、夫人の状態が「ショック」であるとは思いません。とてもそんな・・・
 オコナー 「とてもそんな」? 自分の家で最愛の夫がむごたらしい殺され方をした・・・これ以上ショックを引き起こす事件が夫人に対して想像できますか? あなたは。
 巡査部長 夫人には全く取り乱した様子がありませんでした。先ほど申し上げましたように・・・笑っていたんです、そして、踊って、浮かれ騒いで・・・
 オコナー(力強く。)呆れたね。あんた・・・ヒステリーを知らないっていうの?
 判事 言葉遣いに注意して、ミスター・オコナー。
 オコナー 失礼しました。ヒステリーを知らないのですか? 巡査部長。
 巡査部長 いいえ、勿論知っています。
 オコナー どういう状態になりますか? ヒステリーの際。
 巡査部長 笑います。しかし、この夫人の場合、ヒステリーの笑い方ではありませんでした。
 オコナー あなたにどうしてそれが分ります。
 巡査部長 ヒステリーの笑いを見たことがありますから。
 オコナー あなたは「ショック」も見たことがある。それで、ちゃんと見てとれなかったのですか? 「ショック」の場合の処置は何ですか?(巡査部長が躊躇っているのを見て。)さあ、マニュアルをちゃんと覚えている筈です。どう書いてありますか。
 巡査部長 当の患者を暖めること。もしあれば毛布で。
 オコナー 夫人はあの時、着るものも着ていない状態だった。三月の夜だった。暖炉に火がありましたか?
 巡査部長 いいえ、ありませんでした。 
 オコナー 窓は開いていましたか。
 巡査部長 ええ、開いていました。
 オコナー ボーンマスでの、あの晩の気温を覚えていますか?
 巡査部長 いいえ、はっきりとは。
 オコナー きっと驚かれると思いますね。三月二十五日午前二時の、あのあたりの気温は、氷点下三度だったのです。
 巡査部長 確かに少し寒いとは思っていました。しかし、それほど寒かったとは・・・
 オコナー 「それほど」寒かったのです。で、居間の窓は開け放たれていたのですね?
 巡査部長 そうです。
 オコナー マニュアルに戻りましょう。もしショックを受けた人間が、暖かい服装をしていなかった時は、その人間はどうなるか、いや、どうなる可能性があるか・・・
 巡査部長 卒倒です。
 オコナー ミスィズ・ラッテンベリーは、その夜、その後、どうなりましたか?
 巡査部長 バタンと倒れました。で、ベッドに運びました。しかし、あれはウイスキーの飲み過ぎのせいで・・・
 オコナー ほう、なるほど。それで、ミスィズ・ラッテンベリーはあの晩、どのくらい飲んだのですか。
 巡査部長 はっきりとは分りません。壜から直接飲んでいましたから。・・・そして壜を空にしました。
 オコナー あなたの目の前でですか? 巡査部長。
 巡査部長 ええ。
 オコナー それをあなたは許した・・・
 巡査部長 他にどうしようもなく・・・
 オコナー どうしようもない? マニュアルにはどう書いてありますか? ショックを受けた人間に、何が何でも与えてはいけないものは?
(間。)
 巡査部長 アルコールです。
 オコナー 理由を知っていますか? 覚えていますか? 何故です。
(間。)
 巡査部長(記憶を呼び起こしながら。)何故なら、ショックを受けた人間に対して、アルコールは、ショック状態を促進する効果を持つ。また、あらゆる点で、著しく有害である・・・
 オコナー そして、「時々は命にかかわる」と。
 巡査部長 はい、そうです。
 オコナー この事件の場合、それはなかった。あなたは幸運だったと言えます。さもなければ、職務怠慢の廉(かど)で重大な過失責任を取らされたでしょう。以上です。
(オコナー、坐る。クルーム・ジョンソン、立上がる。)
 クルーム・ジョンソン 巡査部長、あなたの今までの経歴で、この事件を除いて、ショック状態にある人間が、性的な誘いをあなたに行ったことがありますか?
 巡査部長 いいえ、一度も。
 クルーム・ジョンソン それから、賄賂であなたを買収しようとした人間は?
 巡査部長 ありません。この事件以外は。
 クルーム・ジョンソン 有難う、巡査部長。
(巡査部長、証言台から降りる。)
 クルーム・ジョンソン 判事殿、これで検察側の訊問を終ります。(坐る。)
 判事 ミスター・オコナー、始めて下さい。
 オコナー はい。(オコナー、モンタギューの耳に何か囁く。そして肩をすくめる。それから立上がる。)判事殿、私は証言台に、一人、そしてただ一人の証人を喚問したいのです。即ちそれは、ミスィズ・ラッテンベリーその人であります。従って、判決後の最後の言葉の権利は・・・
 クルーム・ジョンソン(急に立上がって。)判事殿、弁護側のこの突然の戦略は、当方にとって非常に不利な立場を・・・
 オコナー 判事殿、正直なところ、私はことここに至っても・・・即ち、私が、ミスィズ・ラッテンベリーの弁護のため、ここに立上がっている現在でさえ、夫人が証言台に立ってくれるかどうか、覚束(おぼつか)ないのであります。即ち、もし夫人が証言台に立たないとなれば、不利な立場に立つのはこの私であります。
 クルーム・ジョンソン 判事殿、これは緊急事態であります。ここで私は一旦公判の中止、延期が適切な処置であると・・・
 オコナー(怒って。)何という馬鹿なことを。・・・失礼しました、判事殿。しかし、まさにこの瞬間、丁度この瞬間に、この公判の生命がかかっていると判断しております。どんな遅延も・・・それがたとえ三十分であろうと、この裁判の致命的な欠陥となるでありましょう。私の考えでは、ミスィズ・ラッテンベリーが自己の権利と、そして私がやっとのこと彼女に説得した、自己の義務、を果すべく証言台に立つことが、決定的重要事項であると判断致します。私は信じ、そして祈っております、夫人がこの瞬間に喚問に応じてくれることを、そして自己の義務を果してくれることを。判事殿、判事殿の許可を衷心より願い、ここに、被告アルマ・ラッテンベリーを召喚致します。
(間。アルマ登場。まるで夢の中にいるように歩き、証言台に進む。証言台で、紙と聖書が手渡される。)
 事務官 右手に聖書を持ち、私の後に言葉を繰り返して下さい。「私は全能の神に次のことを誓います」
 アルマ 「私は全能の神に次のことを誓います」
 事務官 私がこの法廷で行う証言は、
 アルマ 私がこの法廷で行う証言は、
 事務官 真実であり、真実以外の何物でもないことを。
 アルマ 真実であり、真実以外の何物でもないことを。
 オコナー あなたはアルマ・ヴィクトリア・ラッテンベリーですね?
 アルマ そうです。
 オコナー ミスィズ・ラッテンベリー、あなたはラッテンベリー氏と結婚して何年になりますか。
 アルマ 八年です。
 オコナー 彼との間に子供はありますか?
 アルマ はい。ジョンです。
 判事 ミスィズ・ラッテンベリー、よく聞えません。もう少し大きな声でお願いします。それから、陪審員にも、あなたが言っていることが分るよう、はっきりと。いいですね?
 アルマ すみません。申し訳ありません。
 オコナー ミスィズ・ラッテンベリー、そのジョンですが、何歳ですか?
 アルマ 六歳・・・(少し大きな声で。)六歳です。
 オコナー この結婚の前に、二度結婚の経験があるのですね?
 アルマ そうです。
 オコナー 二度目の夫との間に、子供がいますね?
 アルマ はい、クリストファーです。
 オコナー このクリストファーのことを、あなたは好きなのですね?
 アルマ はい。
 オコナー 非常に好き・・・?
 アルマ ・・・ええ、非常に。
 オコナー ミスィズ・ラッテンベリー、ここであなたの夫、ミスター・ラッテンベリーとの関係をお話し願いたいのですが、ジョンが生れてから・・・
 アルマ あのー・・・(傍聴席の方を見る。)
 オコナー 何か? ミスィズ・ラッテンベリー・・・
 アルマ いいえ、ただ・・・
 判事 何か不手際ですか? ミスター・オコナー。
 オコナー 失礼しました、判事殿。ちょっとしたミスを・・・判事殿のお許しを願って・・・
(オコナー、モンタギューに向き、囁く。「法廷からあの子を出して・・・」)
(モンタギュー、頷き、退場。)
 オコナー 失礼しました、判事殿。さて、ミスィズ・ラッテンベリー、あなたの結婚生活は幸せなものでしたか?・・・ミスィズ・ラッテンベリー!
 アルマ え? 何ですか?
(アルマ、傍聴席を見る。それから。)
 オコナー あなたの結婚生活は幸せなものだったと言えますか?
 アルマ ええ・・・悪いとも、いいとも・・・
(アルマ、手で「浮き沈み」の動作。)
 オコナー 喧嘩もした、ということですか?
 アルマ 沢山ではありませんが、小さなもので。・・・いつもお金のことで・・・あの人は少し・・・ええ、けちでしたので、請求書の支払いのために私、たびたび小さな作り話をして切り抜けました。
 オコナー 分りました。その話はまた後程・・・
(モンタギュー、戻って来てオコナーに、頭で合図。アルマ、再び傍聴席を見る。クリストファーはいなくなっている。)
 オコナー ミスィズ・ラッテンベリー、これから少し、亡くなったご主人との関係についてお訊きしなければなりません。どうか率直にお答え戴きたい。六年前、ジョンの誕生日以来、あなたとご主人との間で、夫婦の生活が営まれていましたか?
 アルマ いいえ。
 判事 ミスィズ・ラッテンベリー、どうかもう少し大きな声でお願いします。それから、陪審員もあなたの声が聞こえるように。いいですね?
 アルマ すみません。
 オコナー それ以来、お二人の間では全く夫婦の生活が営まれなかったのですね?
 アルマ はい。
 判事 ミスィズ・ラッテンベリー、今の質問の意味がちゃんと分っているのですね?
 アルマ はい。
 オコナー ラッテンベリー氏は、別の寝室で寝たのですね?
 アルマ はい。
 オコナー それは、ラッテンベリー氏の提案によるものでしたか? それとも、あなたの?
 アルマ あの人のです。
 オコナー あなたの方は、普通の結婚生活を送るのに異存はなかったのですね?
 アルマ ええ、勿論異存ありませんでした。
 オコナー しかし、彼の方で望まなかった・・・
 アルマ ええ、そう思います。
 オコナー それで、一九三四年十一月から、一九三五年三月まで、あなたはウッドと定期的に性関係を持ったのですね?
 アルマ はい。
(再びアルマ、傍聴席をちらりと見る。)
 オコナー あなたの夫は、この一連のあなたの行動に対して、どういう態度をとりましたか?
 アルマ 全く何もしませんでした。
 判事 つまり、知らなかったということですか?
 アルマ いいえ、夫は知っていたと思います。
 判事 それなら何かしたのではありませんか? 例えば、何も知らないというふりをしていたとか・・・
 アルマ あの人には、何の意味もないことだったのだと、私は思います。
(判事、この言葉をしっかりメモにとる。)
 オコナー ミスィズ・ラッテンベリー、私はこれから、あなたの夫の殺害に到る一週間前からの出来事を話して貰うつもりでいます。あなたは真実をもって、私に答えてくれますね? どうですか?
(アルマ、答えない。)
 判事 ミスィズ・ラッテンベリー、あなたは先ほど宣誓したのです。弁護士の質問に、必ず真実をもって答えねばなりません。いいですね?
(再びアルマ、答えない。)
 オコナー 三月十八日月曜日・・・これは殺人の六日前のことですが・・・あなたは夫にお金を要求しましたね?・・・ミスィズ・ラッテンベリー?
 判事 ちょっと待って下さい。ミスィズ・ラッテンベリー、あなたは「真実のみを、そして全ての真実を語る」と宣誓したのです。従って、法により、その宣誓通り行うのがあなたの義務なのです。それが分っていますか?
 アルマ はい、分ります。
 判事 それなら、弁護士の質問に答えて下さい。
 オコナー その時、いくら夫に要求しましたか?
(間。)
 アルマ 二百五十ポンドです。
 オコナー どういうその・・・さっきのあなたの言葉で言うと、「作り話」を・・・彼に話したのですか。
 アルマ ロンドンに、手術を受けに、と。
 オコナー それで、次の日、ロンドンに行ったのですね?
 アルマ はい。
 オコナー それで、ウッドとケンズィントンのホテルに泊った・・・
 アルマ はい。ロイヤル・パレスです。
 オコナー その間に、あなたはウッドに贈り物をしましたね?
 アルマ はい。絹のパジャマ、新しい背広、それに、私が貰うための指輪を。
 オコナー 殺人の数日前に二人でホテルに泊ったという事実は、非常に不吉な意味があるように思われます。これは、実際には、事前に行(おこな)ったハネムーンと言うべきものなのですか? 
 アルマ いいえ、全くそのようなものではありません。二人でホテルに行ったのは、これが最初ではないのです。あの子はとてもホテルが好きで・・・かしづかれたり、「サー」と呼ばれたりするのが・・・
 オコナー それであなたは、彼にそういう楽しみを与えたかった・・・
 アルマ はい。
 オコナー あなたに与えられることになっている指輪も・・・
 アルマ 指輪はお芝居です。
 オコナー 何の?
 アルマ 婚約した男女という・・・
 オコナー するとこのホテル泊は、ウッドを楽しませるためのただの気まぐれだったということになりますね? それであなたは? あなたはそれで楽しめましたか?
 アルマ いいえ、酷いものでした。
 オコナー どう酷いのですか? 
 アルマ 喧嘩です。
 オコナー 深刻なものですか?
 アルマ 表面ではたいしたことはありませんが、内実は深刻です。私は、もう終にしたいということを、あの子は感づいていましたから。
 オコナー 終にする・・・つまり、友人関係をですか?
 アルマ はい。
 オコナー 何故?
 アルマ 私の手に負えなくなったからです。
 オコナー ウッドにそのことは話したのですか?
 アルマ 何度話そうとしたか分りません。でも、年の差のためにそれが難しくて・・・ロンドンから帰った時、「永久に終」って言おうと決心していました・・・本気でです。あの子にはそれが分っていたのだと思います。ですからホテルでの生活がやけに酷く・・・失礼しました、判事様・・・堪え難いものに・・・
 判事 「やけに酷い」で構いません。しかし私にはどうもその話がよく分りません。あなたは二人の生活を打切りたいと思った。しかし出来なかった・・・それが年の差の理由によると・・・年の差があれば打切りは却って容易なのではありませんか?
 アルマ いいえ、判事様、年の差があると難しくなるのです。
 判事 しかし、年に差があれば、年長者が主導権をとれるのでありませんか?
 アルマ いいえ、判事様。私の場合それは逆でした。少なくとも、私とあの子の場合は逆だったのです。それから、大抵の普通の人の場合、そうではないかと思っています。勿論他人のことは本当は分りませんけれど。
 オコナー では、ミスィズ・ラッテンベリー。
 判事 ちょっと待って下さい、ミスター・オコナー。
(判事、メモに何かを書き終り、それから手で、オコナーに続けるよう合図。)
 オコナー ミスィズ・ラッテンベリー、今我々は、殺人の二日前の晩、二人がヴィラ・マデイラに戻ったところまで来ました。あなたの夫はウッドを見た時、あなたに何か困るような質問をしましたか?
 アルマ いいえ、全く。私が外泊などしていないような素振りでした。
 判事 手術の経過は勿論訊かれたでしょう?
 アルマ いいえ、それもありませんでした。
 オコナー つまり、ヴィラ・マデイラでは、全く通常通りだったのですね?
 アルマ ええ、とても仲良く・・・
 オコナー ウッドはどうでした。
 アルマ 少し不機嫌でした。もう少しホテルにいたかったのです。でも、時間が経つにつれて機嫌を取戻しました。
 オコナー その晩、性行為は行ったのですね?
 アルマ はい。さっきお話しした通り、全く通常通り・・・
 オコナー 分りました。さて次に、殺人の当日、日曜日の話に・・・
 アルマ いいえ・・・いいえ、駄目です。私、私は・・・
 オコナー ミスィズ・ラッテンベリー、お願いです、どうか・・・
 アルマ でも、駄目、駄目なのです、私・・・
 オコナー どうか・・・何とか・・・
(アルマ、沈黙。)
 オコナー 判事殿、判事殿のご覧の通りの状況です。それで私は、通常行われない手段をここで取りたいのです。即ち、判事殿の許可を願い、昨日ここで、検察側でなされた、ウッドの陳述を再びここで引用したいのです。被告人ウッドの逮捕時に行われた陳述、第二十七項ですが。
 判事 しかしそれは、検察側の、ウッドを告訴するための証拠としてあげられたものですよ。あなたはその証拠を、ミスィズ・ラッテンベリーの弁護に使用したいと言うのですか?
 オコナー そうです、判事殿。勿論ミスィズ・ラッテンベリーの不利になるように、などという意図はありません。
 クルーム・ジョンソン 判事殿、私は反対です。検察側の証拠がミスィズ・ラッテンベリーの擁護のために使用されるなどと・・私は強く反対します。ウッドの裁判に使用されたものは、法のもとに、ミスィズ・ラッテンベリーとは何の関係もないものです。ミスィズ・ラッテンベリーを攻撃することに使用出来ないのは勿論、擁護のためにも使用出来ないものです。弁護士諸氏がこのことをご存知ないとは到底思えませんが。
 オコナー 検察諸氏から法についての講義を受ける必要は、当方には全くありません。ただ私は、私の依頼人のため、この法廷が許す限りの、いかなる証拠も、使用する義務があることを知っています・・・いかなる証拠・・・つまり、いかなる種類のものであれ、その起源がいかなる証拠であれ・・・
 クルーム・ジョンソン 判事殿、今述べられた事に前例はありません。
 判事 分っています、ミスター・クルーム・ジョンソン。この判断は私に任されている事柄です。只今の発言通り、ミスター・オコナーから提案された処置は、非常に変則的なものです・・・しかし、生死にかかわる判決に対しては、法が許す限り便宜を図(はか)るのが我々の義務です。従って、私はミスター・オコナーの提案を受入れます。
 オコナー(非常に喜んで。)有難うございます、判事殿。
(クルーム・ジョンソン、坐る。「危険な前例となる、これは・・・」と呟きながら。)
(照明、オコナーにぼんやりあたり、判事にはもっと暗くあたる。)
 オコナー 判事殿、ウッドの殺人に関する供述の第三段落を御覧下さい。ウッドはこう言っています。「二人は彼女の部屋に上がっていて・・・」この二人というのは、ラッテンベリー夫妻です、判事殿。
 判事 はい、場所が分りました、ミスター・オコナー。
(判事に暗くあたっていた照明、消える。)
 オコナー お茶を持って上って行ってみると、扉には鍵がかかっていた。それで僕は、外で盗み聞きをした。それで僕には聞こえた・・・二人のキスの音、それに「あなた」という甘い声。それから二人でやっているのが聞こえた。丁度その最中の声を・・・それから、二人の話し声が聞こえた。ベッドから降りる音がした。それで僕は自分の部屋に入り、二人が部屋を出るのを待った。
(ヴィラ・マデイラに照明があたる。ウッド、自分の部屋に行く。寝室の扉が開いて、ラッテンベリー夫妻が出て来る。夫はジャケットを着ている。アルマは夜着姿。妻は夫が階段を降りるのを手伝う。夫、非常に用心深く降りる。)
 アルマ ゆっくりよ、ラッツ。そう・・・そうよ・・・じゃ私、ジェンクスさんに、明日からならいいって言うけど・・・いい?
 ラッテンベリー 連中、泊めてくれるって?
(ウッド登場。階段の一番上で、恐ろしい目つき。絹のシャツ姿。)
 アルマ(明るく。)勿論泊めて下さるのよ。いつだってそう言ってるんだから。何日ぐらいお願いする? 二日?
 ラッテンベリー 遠いからな、あそこまで。往復で随分ガソリンを食うぞ。折角だから一週間にしよう。
 アルマ 分ったわ、あなた。
 ウッド(呼ぶ。)アルマ、僕、あんたの顔が見たいよ。
 アルマ(見上げて。)じゃ、降りて来たら?
 ウッド(命令口調で。)いや、上がって来るんだ。今!
 ラッテンベリー(呟く。)アルマ、あの男にあんな口のきき方は止めさせないと。
 アルマ(肩をすくめて。)ちょっと機嫌が悪いだけ・・・すぐ元に戻るわ。
(アルマ、階段を上る。ウッド、怒って、アルマの両方の手首を握る。)
 ウッド ドアがロックされていた。どうしてなんだ。
 アルマ ロック? あら、そうだった?
 ウッド とぼけやがって!
 アルマ(笑って。)ジョージ、あなたまさか、私とラッツが・・・
(ウッド、アルマの寝室へ行き、扉を開け、中を見る。)
 ウッド そうだ、もうちゃんとベッドは綺麗にしたんだ。あんたがね。僕は聞えたぞ。たった今、二人でやっていたな!
 アルマ まあジョージ、あなたって何てことを言う人! あのラッツがそんなことを! 私、笑っちゃうわ。おかしくて死にそう。
(ウッド、アルマを強く殴る。)
 アルマ(怒って。)ジョージ、何てことをするの! こんなことをもう一度やってご覧なさい・・・
 ウッド 何をするって言うんだ。
 アルマ あなたをこの家から追い出して、もう戻さない・・・
(ウッド、ポケットからピストルを出す。)
 ウッド 殺そうと思えばすぐ殺せるんだぞ。
 アルマ(静かに。)そう、出来るでしょうね。でも、クリストファーの水鉄砲じゃ駄目。
(アルマ、ウッドから素早くピストルを取る。)
 アルマ ジョージ、あなた、大丈夫?
 ウッド(叫ぶ。)どうしてドアはロックされていたんだ!
 アルマ 静かに! ラッツだって、そんな声を出したら聞こえるわ。
(実際はラッテンベリーには聞こえない。彼は居間で落着いて新聞を読んでいる。)
 アルマ 窓が締まっていたでしょう? 締めてないと風でドアがカタカタ鳴るからよ。あなたよく知っているでしょう?(アルマ、ウッドの顔を優しくなでる。)馬鹿な子ね。
(アルマ、ウッドにピストルを返す。)
 ウッド 明日、ジェンクスっていう人のところへ行くのか。
 アルマ ええ。
 ウッド 僕が運転するのか。
 アルマ 勿論。
 ウッド フン、それで、僕はどこに寝る。
 アルマ あの家にはいっぱい部屋があるわ。
 ウッド 召使い部屋か。
 アルマ そうね、多分。でも、その中でもいいのを私が頼んであげる。
 ウッド 食べる時は、召使いだまりか。
 アルマ ジョージ、たった一週間のことでしょう?
 ウッド ラッツとあんたはゆうゆうとフカフカした大きなダブルベッドでね・・・
 アルマ(怒って。)馬鹿を言うのは止めなさい。いいわね、これで終ですからね。
 ウッド 分ったよ。分りましたよ、奥様。あやまりますよ。
(アルマ、ウッドに背中を向けて、電話器を取る。)
 アルマ(電話に。)ブリッドポート三十一をお願いします。こちらボーンマス三0九です。
 ウッド(アルマの手から受話器を取上げ。)いいか、あんた。(居間を指差して。)今すぐ下に行くんだ。そしてラッツに、明日のジェンクス行きは止めにしたと言うんだ。
 アルマ ジョージ、一体何? それは。私、本当に怒るわよ。
 ウッド いいか、そいつをやらなきゃ、僕は本当に酷いことをやらかすからな。本物の酷いことをだぞ。いいんだな。
 アルマ 水鉄砲に硫酸を入れて、私の顔に発射するのね。(ウッドから受話器を取上げる。電話に。)もしもし、(ウッドに。)さ、いい子だから、台所に行ってアイリーンの手伝いをしなさい。夕食の。
(ウッド、指図に従う。照明の外に消える。それから戻って来て盗み聞きする。)
 アルマ もしもし、ミスィズ・ジェンクス? こちらアルマ・ラッテンベリー・・・お言葉に甘えて、ラッツと私、五六日お宅にお邪魔しようと思って・・・(ウッドに。)早くあっちに行って。
 ウッド いいかアルマ、酷いことが起きるぞ。いいんだな?
 アルマ(受話器に。)ええ、明日。・・・もしそちらの都合がよろしければ・・・ああ、それは有難いわ。・・・ええ、運転して行きます。運転手はいるんです。・・・よかったわ。では明日。さようなら。
(ウッド、走って退場。)

(オコナーのみに照明があたり、あとは暗転。それから、少し暗い照明が判事にあたる。)
 オコナー ウッドの陳述は、続いて・・・
(判事の上にあたっていた照明、消える。)
 オコナー 僕はパパの家へ帰り、木槌を借りた。そして戻って来た。フレンチウインドウから二人を見た。クリベッジ(トランプの遊び。)をやっていた。それからアルマは二階へ上った。それで僕は居間に入り、彼の後頭部を木槌で三度、強く殴った。それから庭に行き、木槌を隠した。それから二階の自分のベッドに行った。
(オコナーにあたっていた照明、消え、ヴィラ・マデイラが現れる。居間の肘掛け椅子にぐったりとしたラッテンベリーの姿が、非常にぼんやりと見える。二階、アルマ、パジャマ姿、ベッドで本を読んでいる。)
 アルマ(呼ぶ。)ジョージ!
 ウッド(舞台裏で。)うん。
 アルマ 一晩中あなた、どこにいたの?
 ウッド(舞台裏で。)外。
 アルマ 今何してるの?
 ウッド(舞台裏で。)服を脱いでる。
 アルマ こっちに来ない?
(間。)
(ウッド、二階の廊下に登場。絹のパジャマ姿。アルマの部屋に行く。パジャマを脱ぎ、床に落ちたままにする。)
 アルマ(いとしそうに。)三ギニーもするパジャマを・・・まあまあ、何ていう扱いでしょうね。
(ウッド、ベッドに上る。アルマ、ウッドにキス。ウッド、仰向けになる。)
 ウッド 僕は困ったことになった。アルマ、本当に困ったことに・・・
 アルマ 本当に困ったこと? そんなことある訳がないの、この世に。いつも私、言ってるでしょう?
(ウッド、また、ごろりと動き、アルマに背を向け、泣き始める。)
 アルマ この世の中は素敵なの。だから私達みんな、そこで楽しまなくちゃ。さ、ほら、私を見て・・・
 ウッド 見られない。
 アルマ じゃ、とにかく、困ったことって何か話して頂戴。
 ウッド 駄目だ。・・・ラッツなんだ。
 アルマ あの人がどうかしたの?
 ウッド 僕は・・・殴ったんだ・・・
 アルマ 喧嘩をしたの?
 ウッド 喧嘩じゃない。・・・ああ、喧嘩だったら・・・
 アルマ ひどくあなた、殴ったの?
 ウッド うん、ひどくだ。
(突然ラッテンベリー、かすれたような声を出し、頭が前方へ落ちる。)
 アルマ(立上がる。)今の・・・あの人?
 ウッド 多分・・・僕は殺したんだ・・・きっと。
(アルマ、ベッドの上で坐る。)
 アルマ 何をしたの、あなた、あの人に。
(また下から音が聞える。)
 アルマ(呼ぶ。)今行くわ。ラッツ。今行きますからね、あなた。
(アルマ、ベッドの端に置いてあった青い着物を着る。ウッド、アルマの片手を捕まえる。)
 ウッド 降りないで。
 アルマ 行かなくちゃ、私は。傷が酷いなら、私、助けなくちゃ。
 ウッド アルマ、僕はやっちまったんだ。生き返らせるのは無理だよ。
 アルマ(階段を駆け下りる。)ラッツ、私が行くからね。ほら、私が行くから・・・
(アルマ、暗くなっている居間に降りる。暫く後でアルマ、大きな叫び声。)
(ウッド、パジャマを着る。そして手すりに寄りかかって下を見る。)
(アイリーン、自室から出て来る。)
 アイリーン(ウッドに。)どうしたの。
 ウッド 知らないよ、僕は。
(アイリーン、疑っている目つきでウッドを見る。それから階段を走り降りる。その時居間から、喘(あえ)ぎながら出て来たアルマと出逢う。)
 アイリーン どうしたんです。
 アルマ ラッツなの、アイリーン。あの人を誰かが殴って・・・ああ!・・・オドンネル先生を・・・そう、先生にすぐ来て貰って・・・急いで、アイリーン・・・急いで・・ラッツが死にそうだって・・・早く!
(アイリーン、玄関から走って退場。観客からはまだラッテンベリーの姿ははっきりとは見えない。が、アルマが椅子に近づくと、突然ラッテンベリー、椅子からドサッと落ちる。アルマ、息をのみ、少し走って逃げる。が、戻り、ラッテンベリーの傍に膝まづく。その時までにウッド、部屋に入って来ている。)
 アルマ ラッツ・・・あなた・・・今お医者様が来ますからね。生きていて、生きていて頂戴・・・ね、ラッツ・・・あなた、聞える?
(この時までにウッド、死体に近づいている。)
 ウッド 無駄だよ、アルマ。二階で言ったろう? 僕はやっちまったんだ。本当に。
 アルマ いいえ、いいえ、まだ死んではいないわ。そんなこと、あるわけが・・・ラッツ・・・ラッツ・・・
(ウッド、ウイスキーをいっぱいに注ぎ、アルマに飲ませる。アルマ、少し吐きそうになる。)
 アルマ どうしてこんなことをしたの? あなた。ね、何故。何故。
 ウッド どうしてもだ。僕から君を盗もうとしたんだからな。
 アルマ 盗む? 何て馬鹿なの、あなたって。この人、そんなことをしてやしなかったのに・・・そんなこと、出来っこなかったのに。・・・ああ、見て! この人・・・
(アルマ、ラッテンベリーのズボンを指差す。死ぬ前にラッテンベリーがもがいて、汚したズボンを。再びアルマ、吐きそうになる。)
 ウッド 酷いことをやるって、言っただろう?
 アルマ 私・・・私にやるのかと・・・ああ、私に酷いことをするんだとばかり・・・
(アルマ、着物を脱ぎ、ラッテンベリーにそれをかける。)
 アルマ ああ、神様。可哀想なラッツ。(ウッドに。)どうしてあなた、私を殺さなかったの?
(玄関にベルの音。)
 アルマ 二階に行きなさい。自分の部屋へ。あなたが呼びにやられるまで、降りて来ては駄目よ。それから、何も知らなかったんですからね、あなたは。全く何も知らないの。いいわね?
(また玄関のベルの音。)
 アルマ さ、二階へ。
(ウッド、振り向き、行きかける。)
 ウッド 連中には何て話すんだ。
 アルマ 何か思いつくわ。さ、行って。
 オコナー 「何か思いつく」・・・「何か思いつくわ」。そして彼女が思いついたものは、とんでもない気違いじみた、警察に話したあの話だったのです。あれが、落着いた、正気の、知性のはっきりした女性の話でしょうか。あれは、ショックを受けて、パニック状態になった女性の、それも、ウイスキーを何度も飲み、何が何でも自分の恋人の命を救おうと、絶望的な気持で思いついた作り話ではないでしょうか。
 クルーム・ジョンソン 異議あり! 判事殿、今のは陪審員に直接話しかけた言葉です。私は抗議します。これは規則違反です。
 判事 そう。私も賛成です。ミスター・オコナー、今の言葉は、検察側の指摘通り規則違反です。陪審員に直接語りかける事が許されるのは、もっと後です。今の言葉は規則違反です。
 オコナー 失礼しました、判事殿。勿論ご指摘通りでした。我を忘れてつい・・・ミスター・クルームジョンソンにお詫び申し上げます。また判事殿に。
 判事 ウッドの陳述の部分はこれで終ですね?
 オコナー はい、判事殿。
 判事 では、これからは通常の弁論の進め方に従うのですね?
 オコナー はい、そうです。
 判事 ではその前に、こちらから陪審員に話しておかねばなりません。重要な点を二、三、明らかにしておく必要がありますから。
 陪審員の皆さん、お分りのことと思いますが、たった今皆さんがお聞きになった陳述は、ウッドによってなされたものであります。従って、この陳述がミスィズ・ラッテンベリーの不利になるよう使用されることは、許されていない。そしてまた、この陳述の中に、ミスィズ・ラッテンベリーに不利な偏見を持つような部分が含まれていたとしても、それは忘れて戴かなければなりません。この点ははっきりしていることと思います。いいですね? では、ミスター・オコナー、続きをどうぞ。
 オコナー 有難うございます、判事殿。さて、ミスィズ・ラッテンベリー、大変大切な質問をこれから私は行います。今読み上げられたウッドの陳述に少しでも事実と違ったところ、或は正確でなかったところがありましたか?
 判事 ミスィズ・ラッテンベリー、質問に答えて下さい。
 オコナー 正確でなかったところがありましたか?
(アルマ、首を横に振る。)
 オコナー ミスィズ・ラッテンベリー、今の陳述に少しでも正確でなかったところ、或は事実と違ったところがありましたか?
 アルマ ・・・いいえ、ありません。
 オコナー 全く、なかったのですね?
 アルマ ええ、ありませんでした。
 オコナー 分りました。それから、さっきの「何か思いつく」話ですが、警察に話したあの馬鹿な、気違いじみた話は、結局あなたが「思いついた」話・・・
 クルーム・ジョンソン それは質問でしょうか。
 オコナー 質問です。ミスィズ・ラッテンベリー、あなたは生涯で、心身に受けたショックの中で、一番酷かったのは、あの晩、あなたの夫が、あなたの恋人によって殴り殺された・・・
 キャスウェルとクルーム・ジョンソン(同時に。)判事殿!
 オコナー 恐らくは、あなたの恋人によって殴り殺された、あの時だったのですね?
 アルマ ええ、生涯、あれほど酷いショックを受けたことはありません。
 オコナー 半裸の状態で踊ったり、警察官に言い寄ったり、蓄音機をボリュームいっぱいにかけたり・・・この話がつい三週間前にあなたにされた時、あなたにはそれは、驚きでしたか? それともそうでもありませんでしたか?
 アルマ 驚きでした。
 オコナー 聞いた時のあなたの心の中で、一番強い気持は何でしたか?
 アルマ 恥です。深い、深い、恥です。
(間。)
 オコナー ミスィズ・ラッテンベリー、最後に三つだけ質問を。第一。あなたはあなたの夫を殺しましたか?
 アルマ いいえ。
 オコナー あなたの夫の殺害の計画に、何らかの形で加わっていましたか?
 アルマ いいえ。
 オコナー ウッドが、二階の寝室で、あなたに「僕がやった」と言うまでに、あなたはこの殺人のことを知っていましたか?
 アルマ いいえ、もし知っていたら、私は未然に防いでいただろうと思います。
 オコナー 分りました。以上です。
(オコナー、坐る。アルマ、証言台から立とうとする。)
 クルーム・ジョンソン(素早く立上がって。)ちょっとお待ち下さい、ミスィズ・ラッテンベリー。まだ終っていません。ちょっと質問があります。いや、実は非常に多くの質問があります。
(照明、暗くなる。)
(照明、明るくなる。クルーム・ジョンソン、ミスィズ・ラッテンベリーに訊問を行っているところ。照明が暗くなったところから、既に二、三時間経っている。ミスィズ・ラッテンベリーは大変疲れている。)
 クルーム・ジョンソン ・・・ミスィズ・ラッテンベリー、あなたがウッドを自分の恋人として初めてヴィラ・マデイラに招いたのは、彼が何歳の時でしたか。
 アルマ 招いたのではありません。今、言われたような意味では、です。・・・ウッドは一緒に住むと言い張りました。
 クルーム・ジョンソン 言い張る?
 アルマ ええ、何か?
 クルーム・ジョンソン しかし、言い張ったところであなたは簡単に断ることが出来た筈でしょう? たった十七歳の少年なんです、相手は。
 アルマ いいえ、断るのは大変なのです。この公判が始まってから、私が何回も聞かされる言葉は、私がこの・・・少年・・・を、操っていた、ということです。でも、この件で「操る」という言葉が使われるとすれば、それは、ジョージが私を操ったのです。
 クルーム・ジョンソン なるほど、興味深い意見です。しかし、事実にあたって考えてみましょう。あなたは自分の恋人をロンドンに連れて行くために、かなりの金額を夫から騙しとった・・・このことはちゃんと認めましたね? これはウッドの指示のものに、彼に操られてしたものなのですか?
 アルマ それは、あの子の考えでした。
 クルーム・ジョンソン それから、ロイヤルホテルというホテルの選択・・・これも彼の?
 アルマ いいえ、それは私が選びました。
 クルーム・ジョンソン それから、婚約指輪を買うという考えは?
 アルマ あれは婚約指輪ではありません。
 クルーム・ジョンソン 何の指輪であるにしろ、それを買おうと言ったのは?
(間。)
 アルマ 私です。
 クルーム・ジョンソン なるほど。さて、殺人の夜にもう一度戻ることにしましょう。ウッドの調書の中の会話・・・あなたにウッドが殺人の告白を述べるところ・・・これはあなたの寝室で行われたのですか?
 アルマ そうです。
 クルーム・ジョンソン しかし、普段、二人の性行為は、ウッドの部屋で行われていた筈ですが?
 アルマ そうです。私の部屋にはジョン坊やが寝ていますから。
 クルーム・ジョンソン(少し疲れている。)するとあの晩には、その坊やは別の所にいたのですね?
 アルマ(こちらも疲れている。)いいえ、私の部屋にいました。
(法廷に、ザワザワという囁き。クルーム・ジョンソン、急に元気が出、判事も顔を上げる。オコナー、「まづい!」という顔。)
 クルーム・ジョンソン ジョン坊やは、その部屋にいたのですか?
 アルマ ええ。しかし、ぐっすり眠っていました。
 クルーム・ジョンソン あなた自身の子供が、同じ部屋でいる時、あなたの恋人がベッドに登って来る・・・
 アルマ でも、あの子はぐっすりと眠っていて・・・
 クルーム・ジョンソン こういうことは今までもあったのですか?
 アルマ ええ、時々・・・クリストファーが家にいる時には。
 クルーム・ジョンソン 六歳になるあなたの子供が同じ部屋にいる、そこへあなたの恋人がベッドに上って来て、あなたと性行為を行う・・・
 アルマ でも、あの子はよく眠る子で・・・
 クルーム・ジョンソン まだ夏を六回しか迎えていない、幼気(いたいけ)な子供の(いるところで)・・・
 オコナー 判事殿、今の弁論にいかなる意味があるのか私には分りません。勿論検察側の意図が、このジョン坊やを喚問して、母親の陳述を覆そうというのであれば、話は別ですが。
 クルーム・ジョンソン 判事殿、今の弁護側の発言は、酷く性質(たち)の悪いものであると思われます・・・
 オコナー 検察側の先ほどからの、ジョン坊やに関する発言の方が数段性質(たち)の悪いものであると判断致します。「夏を六回しか・・・いえ、秋を、冬を、春を、六回しか迎えない」・・・被告の道徳観念に対するこのような譏(そし)りは、性質(たち)の悪いものであるばかりでなく、非道徳的であり、不公平であり、また全く筋違いのものであると判断致します。誰がフランスィス・モーソン・ラッテンベリーを殺したか、これこそが、この法廷が解明するべき事柄であります。このために我々はここに召集されたのです。熟睡している子供から、いかほどの距離の地点において性行為、ないしはそのような行為がなされたかということは、ここでは議論の対象にはなっていない筈です。
 クルーム・ジョンソン 「いかほどの距離の地点において」・・・よく舌を噛まなかったものだ。
 オコナー いや、ご心配には及ばない。
 判事 双方とも、どうか・・・ここは法廷です。闘鶏場ではありません。検察側の申立て自体は、至極正当なものと認めます。しかしそれに対して被告は答え終っています。どうか続きの質問を。
 クルーム・ジョンソン 分りました、判事殿。では、ミスィズ・ラッテンベリー、これからは公平無私の姿勢でお訊き致します。
 オコナー(呟く。)公正無私?
 クルーム・ジョンソン あなたの坊やが隅っこにいるその部屋で、ウッドとあなたが・・・
 オコナー 判事殿!
 クルーム・ジョンソン まだ私は質問を終えていませんが?
 判事 質問をどうぞ、ミスター・クルーム・ジョンソン。
 クルーム・ジョンソン あの晩ウッドが木槌であなたの夫を殴ったという話をした時、あなたはそれを信じましたか?
 アルマ(疲れた呟き声。)いいえ、最初は信じませんでした。
 クルーム・ジョンソン 階下に行って、実際に夫が頭を殴られていたのを見た時、その時はウッドの言葉を信じましたか?
 アルマ 実際に見たんです。信じない人がいるでしょうか。
 クルーム・ジョンソン あなたがここにいるのは、質問に答えるためです。質問をするためではありません。
 アルマ 分りました。ウッドがやったのだと信じました。
 クルーム・ジョンソン ウッドがやったのは、あなたが彼にそれをしむけたからなのかどうか、あなたに訊くのが私の義務ですが?(間の後。)如何です?
 アルマ 失礼しました。今のは質問だったのですか?
 クルーム・ジョンソン ええ、そうです、ミスィズ・ラッテンベリー。それも非常に重要な質問です。
 アルマ それにはお答えしたと思っていました。でも、もう一度と言われるのでしたら・・・(声を大きくして。)私は私の夫の死を目論んだことはありません。夫の死は、私には非常なショックでした。私は生涯、人を傷つけたことは一度もありません。
 クルーム・ジョンソン 人を傷つけたことは一度もないというのですね?
(間。)
 アルマ(涙が出そうになる。)意図してやったことは・・・今まで一度も。
(判事、クルーム・ジョンソンに、続けるよう促す。)
 クルーム・ジョンソン ミスィズ・ラッテンベリー、あなたは弁護側の質問に答えて、もしウッドが殺害の意図を予めあなたに話していたら、それを妨げただろうと言いましたね。どのような方法によってですか?
 アルマ そんな悪いことをしてはいけない、と話したと思います。
 クルーム・ジョンソン それで充分だったと思いますか?
 アルマ 私の言い方で言えば充分だったと思います。
 クルーム・ジョンソン しかしあなたは、ウッドの方があなたを支配していたと言ったと思いますが?
(アルマ、答えない。)
 クルーム・ジョンソン そう・・・例えばその説得が成功しなかったとしましょう。あなたはどうしましたか?
 アルマ 警察に行きました、多分。
 クルーム・ジョンソン しかし、殺人の後、警察は家の周りにいくらでもいた筈ですよ。どうしてその時言わなかったのです。
 アルマ それは全く違います。
 クルーム・ジョンソン 何が違いますか。
 アルマ 夫はもう死んでいました。それに、私に責任があると思ったからです。
 クルーム・ジョンソン 今何と言いましたか?
 アルマ 私に責任があると思った、と言いました。
 クルーム・ジョンソン 責任がある・・・分りました。
(クルーム・ジョンソン、坐る。オコナー、立上る。あくびを噛み殺す動作。オコナーのいつもの手。)
 オコナー(物憂い様子で。)二つだけ質問を、ミスィズ・ラッテンベリー。(クルーム・ジョンソンの方をわざわざ向いて。)ただ二つだけ。「責任がある」という言葉であなたは、自分の夫の殺害に刑法上の責任があると言いたかったのですか?
 アルマ いいえ。
 オコナー あなたの恋人に対して、道徳上の責任があると言いたかったのですか?
 アルマ そうです。それが丁度言いたかったことです。
 オコナー 分りました、ミスィズ・ラッテンベリー、私の質問はこれだけです。被告ラッテンベリーに対する弁護の訊問は以上で終です、判事殿。
 判事 よろしい。時間も丁度良いようです。では今日はこれで閉廷します。
(アルマ、この瞬間、全く忘れられた存在になる。)
(弁護側、検察側、全員立上がる。伸びをし、書類を集める。その間に判事、儀礼的に三度頭を下げ、立上がり、退場する。)
(モンタギュー、この時までにアルマが被告席に取り残されているのを見ている。アルマが腰を上げる肉体的力も、或はその精神的力もないことを見て取る。オコナー他の者達が、自分のことに関(かかわ)っている間にモンタギュー、アルマに近づき、腕を差し出す。)
 モンタギュー よくやりました。・・・本当によくやりましたよ。
(アルマ、聞えていない様子。)
 モンタギュー(慰めるように。)これで終ったんですよ。
 アルマ(かすれた声で。)ええ。
(アルマその他、全員が退場する間に、暗転。)

(ミスィズ・ダヴェンポートの居間に照明があたる。ステラがソファに坐って、熱心に新聞を読んでいる。ミスィズ・ダヴェンポート、登場。)
 ミスィズ・ダヴェンポート トニーから電話はまだ?
 ステラ トニー? いいえ、かかって来ないわ。どうだったの? ミスィズ・ラッテンベリーは。
(ミスィズ・ダヴェンポート、立止る。しかし答えない。)
 ステラ そうよ、あの女、あの少年をいいように操っていたのよ。だって・・・
(ミスィズ・ダヴェンポート、鋭い笑い声をたてる。)
 ステラ 何? 何が可笑しいの。
 ミスィズ・ダヴェンポート そうね、見かけはそう見えるでしょうね。
 ステラ(呆れて。)見える・・・エディー、あなた、まさか・・・
 ミスィズ・ダヴェンポート まさかって、私、「見えるでしょうね」って言っただけよ。
 ステラ それで充分よ。あなたのことは私、よく分っている。「見えるでしょうね」・・・エディー、あの女は酷く酷く悪い女なのよ。あの少年と寝たりする女・・・それも、自分の子供のいる部屋で・・・
 ミスィズ・ダヴェンポート あの女が殺人罪を犯したかどうかに、それが何の関係があるの?
 ステラ 大ありよ。私、きっとあなたが・・・
 ミスィズ・ダヴェンポート それはただ、あなたが法律を知らないからよ。
 ステラ 私、あなたのことが分らなくなった・・・
 ミスィズ・ダヴェンポート まあ、分ってないでしょうね。あの言葉・・・「操っている」・・・これが鍵なのよ。しょっ中、しょっ中、検察の人は彼女に言っていた、「あなたは彼より二十も年が上なんです、マダッム。二十歳もですよ。ですから決っています、あなたがあの少年を操っていたんです。」それに対するあの女の答、あなた知ってる? 「年上の女が若い者を愛する時、操っているのは、若い者の方なのです。なぜなら、若い者の方がずっと与えるものが多いからなのです。」
(間。)
 ステラ それであなた、その時、トニーのことを考えていたのね?
 ミスィズ・ダヴェンポート 勿論。
 ステラ 呆れた。殺人犯人が無罪放免で釈放される・・・それも、陪審員の息子が母親を毛ほども思っていないからだけの理由で。
(間。)
 ステラ ご免なさい、これは言ってはいけなかったわ。
 ミスィズ・ダヴェンポート でもあなた、言った。
 ステラ トニーは電話をかけてきた・・・今日の午後。話したわ、長いこと。
 ミスィズ・ダヴェンポート その時言ったのね? あの子は私を愛していないって。
 ステラ(ミスィズ・ダヴェンポートを抱擁しようとしながら。)あなた、何てことを言うの。さっきあんなことを言ったのは、ただ私が怒ってたから・・・あなたに・・・とても・・・
 ミスィズ・ダヴェンポート あの子が何て言ったか、教えて。
 ステラ 百パーセント父親の保護に入るって。性の悩みね、トニーは。
 ミスィズ・ダヴェンポート あの子の望みは?
 ステラ 父親と暮すこと、勿論。
 ミスィズ・ダヴェンポート これからずっと?
 ステラ ええ。
 ミスィズ・ダヴェンポート 私が裁判で争うと言ったら?
 ステラ あちらも裁判に訴えるでしょうね。
 ミスィズ・ダヴェンポート 訴える理由は?
 ステラ トニーが判事に言うでしょうよ、あなたより父親と一緒に住みたいって。あなた、本当に争うつもり? あの人は言ってるのよ、休暇中、何日かはあなたと暮したいって。
 ミスィズ・ダヴェンポート お優しいこと。
 ステラ ねえエディー、家がひどいことになっているのは分るわ。でもとにかくこの裁判が終るまでは、家のことは忘れなきゃ駄目。さ、両足をテーブルに上げて、寛(くつろ)いで。何か飲み物を持って来るわ。辛いのは分るけど、あなた、明日は大変な責任があるのよ。家のことであの女に対する裁判が曇るなんて、そんなこと許されないのよ。分るわね?
 ミスィズ・ダヴェンポート ええ、分ってる。
(暗転。)

(照明がつく前に、キャスウェルの声が聞えてくる。それからスポットライトがキャスウェルの顔にあたり、もう一つのスポットライトがアルマにあたる。)
 キャスウェル ・・・この少年が、この女性に初めて会った時、彼は普通のイギリスの少年だったのです。それが、その四箇月後、一体どうなったでしょう。紛れもない姦通者、紛れもない泥棒、紛れもないコカイン常習者。何の影響によるものか。他ならない、このヒステリーの、嘘つきの、酔っぱらいの、異常性欲の持主の、道徳的観念の全くない、この女性のなせるわざなのであります・・・
(声が弱まり、自然にクルーム・ジョンソンの次の台詞が続く。)
 クルーム・ジョンソン ・・・このような女性の言うことを誰が一言でも信じ得ましょうか。自ら認めている嘘つき常習犯、自ら認めている不倫実行者、自ら認めている十七歳のうら若い少年の誘惑者・・・また、ロイヤルパレス・ホテルで自分の息子だと言っても通じるほど年の離れた少年と、四日間の性の乱痴気騒ぎをするために、自分の夫から多額の金額をせしめる・・・そういう女性の言うことを・・・
(この声に次のオコナーの声がかぶさる。)
 オコナー 陪審員の皆さん、皆さんの中に一人・・・勿論その名前は申上げません。当然そんなことはすべきでないことは分っています。しかし、私は、その女性こそ、皆さんの中で首席を占める女性・・・勇気のある強い性格の持主であると思っております。その人が、この裁判の陪審員になる資格がないと判事殿に訴えたのです。判事殿の「何故ですか」という質問に対し、その人は、「何故なら、私はミスィズ・ラッテンベリーの道徳的性格にあまりに偏見があるからです。そんな私が彼女に対して、どうして公平な判断を下すことが出来ましょうか」と、言ったのです。しかし皆さん、この人がこの女性に、どうして偏見を持たないでいられましょうか。この中年女性の、堕落した、淫らな・・・無垢の少年を誘惑し、性的荒廃に追い込んだ・・・この行為に、誰が嫌悪、そして吐気を催さずにいられましょうか。しかし皆さん、この女性が、この法廷で問われているのは、この点ではないのです・・・
(オコナーの声に判事の事務的な、抑揚のない声がかぶさる。)
 判事 そうです、これがその女性です。何という女性でしょう。英語の中で、この女性の形容に相応しい言葉を捜すのは困難な程です。しかし陪審員の皆さん、この女性に対して持つあなた方の嫌悪、それによって・・・私はここで繰返し申上げますが・・・その嫌悪によって、この女性を殺人の罪に落すことは出来ないのです。嫌悪の情があるからこそ、なおさら皆さんは、その感情に引きずられないよう、気をつけねばなりません。偏見、嫌悪、相手を認めない気持、こういうものは殺人を犯したかどうかとは無関係のことなのです。以上、私の言うべきことは終りました。どうぞ引き取って・・・
(照明消え、暗くなる。スポットライトが落着いた表情のアルマの顔を照し出す。公判の最中の彼女の性格に対する猛攻撃の間にも、その顔には全く何の変化も起らなかったのだが、今独房に入った時の彼女の表情も、非常に静かなもの。ジョウンが彼女に付き添っている。アルマ、固い椅子に、身じろぎもせず坐っている。)
 ジョウン 陪審の判定、きっと長いです。少し横になりませんか? 床の上ですけど、私、毛布二枚持って来ました。それに枕も・・・お楽にして上げられますよ。
(アルマから返事なし。ジョウンが話しかけたのが嘘のよう。)
 ジョウン トランプ、ありますよ。何かやりますか?
 アルマ(やっと。)何?
 ジョウン(トランプを見せて。)ちょっとトランプでも・・・きっと長いです。
 アルマ 有難う。でも、いいわ。
 ジョウン 何か飲物は? コーヒー? 紅茶?
 アルマ いいえ。
 ジョウン 何かたらして・・・も、いらないですか?
(間。)
(アルマの目、相変わらずじっと一箇所に留まったまま、何も見ていない。)
(モンタギュー登場。)
 モンタギュー(自分では気づかない陽気さあり。)ミスィズ・ラッテンベリー・・・どうです? 御気分は?
(アルマ、モンタギューが入って来たのも分らない。)
 モンタギュー(ジョウンに、小さい声で。)この人、大丈夫?
 ジョウン(嫌悪の表情。)あんなことを言われて大丈夫な人がどこにいますか。
 モンタギュー 予め言っておくんだったか・・・
(モンタギュー、アルマの椅子に自分の椅子を近づけて、アルマの腕に触れる。)
 アルマ(非常に明るく。)あら、ミスター・モンタギュー!
 モンタギュー ミスター・オコナーが、あなたについてあんな風なことを言いましたけれど、あれは理解して戴かなければ。でも聞くのはさぞお辛かったろうと・・・
 アルマ いいえ、たいしたことはありません。
 モンタギュー でも、ああいう風にミスター・オコナーも判事も、あなたを酷く悪く言っておいて、陪審員達にただ一つの事だけに注意を向けるようしむけたんですから。つまりあなたが殺人を犯したのかどうか、の一点だけに。そしてこの点は誰もがあなたが犯していないって言うことを知っているんです・・・
 アルマ あなたはそのことをご存知?
 モンタギュー 勿論です。ミスター・オコナーだって。
 アルマ それからクリストファーは?
 モンタギュー 彼は当然のことですよ。
 アルマ それなら陪審員がどう考えようと、たいした問題ではないのではありませんか?
(間。)
 モンタギュー ミスィズ・ラッテンベリー、これから数時間で・・・いや、数分しかかからないかもしれない・・・あなたはここから自由の身として出ることが出来る筈です。そうなったら、何をなさるおつもりですか?
(アルマ、何も言わない。)
 ジョウン 話し相手のアイリーン・リッグズさんが二三日自分の家にお泊めしようと言っています。
 モンタギュー ああ、それはいい。
 ジョウン あの方なら良いですね。この人もあの方がお好きなんですし。
 モンタギュー そうすれば、それからは今までのお仕事を続けておやりになれば・・・
 アルマ 今までの仕事?
 モンタギュー 歌の作曲を・・・
 アルマ ああ、歌・・・
 ジョウン(熱心に。)それは是非やらなくちゃ。きっと想像もつかないほどヒットするわ。
(アルマ、鋭い笑い声をあげる。モンタギュー、ジョウンに、「黙っていなさい」と命じる目つきをする。)
 看守(舞台裏で。)陪審員が戻りました。
 アルマ ミスター・モンタギュー、私、感謝しています。
 モンタギュー 感謝など不要です。こちらこそあなたの態度に敬意と感嘆の気持を持ってきました。そして、これからもこの気持は変らないでしょう。
 アルマ まあ、ご親切に。男の方々は昔よく私にそう言ってくれましたわ。
(三人退場する。ここで暗転。暗い中で、判事、検察側、弁護側、その他が法廷に入る音が聞える。法廷の事務官、登場。)
(照明が、ミスィズ・ダヴェンポートにあたり、法廷の事務官に少し暗くあたる。)
 事務官 陪審員諸氏、評決に到りましたか?
 ミスィズ・ダヴェンポート はい。
(照明が被告席に立っているアルマとウッドにあたる。)
 事務官 被告パースィー・ジョージ・ウッドの殺人に対する陪審の評決を聞きます。有罪ですか、無罪ですか。
 ミスィズ・ダヴェンポート 有罪です。但し、補足条項、「情状酌量の勧告」をつけ加えます。
 事務官 被告アルマ・ヴィクトリア・ラッテンベリーの殺人に対する陪審の評決を聞きます。有罪ですか、無罪ですか。
 ミスィズ・ダヴェンポート 無罪です。
(法廷は蜂の巣をつついたような騒ぎ。「恥を知れ」等々の怒号。但し観客にはそれは聞えない。(訳註 どういう演出をするのか、不明。)照明が判事に少し暗くあたる。)
 事務官(殆ど声が聞こえない。)この評決は、陪審員全員一致のものですね?
 ミスィズ・ダヴェンポート はい、そうです。
(ブーイングの声、明らかに、再び上がる。ミスィズ・ダヴェンポートにあたっていた照明、消える。)
 判事 この喧噪は堪え難い。
(騒ぎ、静まる。)
 事務官 パースィー・ジョージ・ウッド、あなたは有罪の評決を受けました。あなたは当法廷があなたを有罪としたことに対し、何か発言することがありますか。
 ウッド(アルマに微笑し。)何もありません。
 判事 パースィー・ジョージ・ウッド、陪審はあなたを情状酌量の条件づきで、有罪を評決しました。この補足条項は、私から関連機関へ提出され、そこで考慮されることになります。
(傍聴席から「心配するな、パースィー。死刑になんかさせるものか」等々の声が上がる。)
 判事 関連機関における審議がいかなるものであれ、私の義務は、あなたが犯したと評決された犯罪に対し、法律が述べている判決をここで伝えることにあります。
(法廷の事務官により、黒い三角の帽子が判事のかつらの上にのせられる。)
 判事 あなたに対する法廷の判決を読み上げます。「あなたはこの場所から、定められた監獄に移され、次に、刑を執行する場所に導かれ、そこで、死に到るまで首を吊られる。そしてその後、あなたの死骸は、刑が執行される直前にあなたが拘束された監獄の構内に埋められる。あなたの魂に神の恵みがあらんことを。」
(判事、事務官に、ウッドを連れて行くよう、顎で示す。アルマ、ウッドを引き留めようとするかのように、強くウッドの腕を掴む。)
 ウッド じゃあな、馬鹿な「雌牛」ちゃん。
(ウッド退場。)
 判事 アルマ・ヴィクトリア・ラッテンベリーの身柄を釈放するように。
(判事への照明、消える。)
(法廷に照明があたる。)
(モンタギュー、オコナーに暖かく握手。キャスウェル、オコナーにそれほど暖かくない握手。クルーム・ジョンソン、全く暖かくなく、オコナーに握手。)
(アルマ、その間呆然と被告席に立ちつくしている。)
(アイリーン・リッグズ、アルマに近づく。アイリーンの顔、うっとりした微笑。アルマを抱擁する。)
 アイリーン 私には分っていた! ちょっとだって疑ったことはないわ。さあ、ほら。(アルマにレインコートを拡げる。)これを着て。そうそう。スカーフをした方がいいわ。
(アルマ、言われるがままになる。ベレー帽を被る。)
 アイリーン それから、これ・・・家に着くまでの間・・・
(アイリーン、アルマの鼻に大きな角縁の眼鏡をかける。)
 アイリーン 警察の人が、特別な出口から出してくれるの。
 オコナー(振り返って。)ああ、ミスィズ・ラッテンベリー、実によかったですね・・・
 アイリーン さあ早く。警察の人が待ってるの・・・
(アルマとアイリーン、法廷を出る。)
 オコナー そう、クルーム・ジョンソン、素晴しい弁論だった。おめでとうを言わせて貰います。勿論この件は、そちらに歩(ぶ)のないものだったから・・・それにしても見事な戦いぶりだった・・・
 クルーム・ジョンソン 誉められるのは有難いが、警告しておくことがある。君は弁論の途中で陪審員を名指しで呼んだ。これは必ずどこかで問題にするつもりだ。
 オコナー 名指しで?
 クルーム・ジョンソン 第一女性・・・つまり陪審員長のことを・・・
 オコナー それは違う。私はただ「首席を占める女性」と言っただけだ。
 クルーム・ジョンソン それは「女性陪審員長」という意味だ。これは許し難い。問題にするつもりだ。
 オコナー やれやれ、「貧すりゃ鈍する」か。気をつけた方がいいぞ。最近ゴルフはやっているか?
 クルーム・ジョンソン やってない、あまり。失礼する。
(クルーム・ジョンソン退場。)
 オコナー(陽気に。)往生際の悪い男だ。いつも言う台詞だが。
 キャスウェル(近づいて。)いやあ、オコナーさん、素晴しかったです。やるもんですねえ、際どいことを。
 オコナー(くすくす笑って。)まあね、少しは危ない橋を・・・一、二度。
 キャスウェル あの女性は魔女だから焼き殺すべきだ、と判事に訴えているように聞えたところがありましたね。驚きましたよ。
(アイリーン、息せききって登場。)
 アイリーン ミスター・オコナー、あの人がいなくなったんです。アルマが・・・アルマが・・・
 オコナー(アルマと急に言われても分らない。)アルマ?
 アイリーン あの人、急に道路を走り渡って、そしていなくなったんです。
 モンタギュー どうしたんでしょう?
 アイリーン 丁度今です。バスが来ていて、乗るんだと思っていたら、急に・・・私、大声で呼びました。でも聞えていないのか・・・走って、走って・・・
 モンタギュー あなたの住所は知っているんでしょう? そこに来ますよ、結局。
 アイリーン 知らないんです、うちの住所は。
 モンタギュー じゃ、別れた所で待っているのが一番です。他に人が誰もいなくなってから戻って来るんですよ、その場所に。
 アイリーン いいえ、あの人だと分った人は誰もいなかった筈です。警察に言った方がよくはないでしょうか。
 モンタギュー 警察でも何も出来そうにありませんね。私が行きましょう。
(二人、退場。)
 オコナー あの階級の女性だ、パニックを起し易いからな。

(ミスィズ・ダヴェンポートのアパートの部屋に照明があたる。ステラが喧嘩腰で玄関の扉を見詰めている。今丁度そこに、ミスィズ・ダヴェンポートが登場したところ。)
 ステラ 何よエディー、一体どうしたって言うの!
(この時までにミスィズ・ダヴェンポート、飲み物のテーブルに真直ぐ進んでいて、ウイスキーをたっぷり注ぎ終わっている。)
 ミスィズ・ダヴェンポート 分ってるでしょう? ニュースで見て。
 ステラ 何て言い方、エディー、私、時間がないの。ねえ、どうしてあんなことになったの? 投票はどうなってたの。
 ミスィズ・ダヴェンポート どうだったのかしら・・・私がテーブルの一番上座、司会の役はそこに坐らせられるの。
 ステラ どうかしたの? あなた。酔ってるの?
 ミスィズ・ダヴェンポート ええ、少しね。(ぐーっと長く一息にウイスキーを飲む。)みんな一人一人、自分の意見を述べて、それから私が、票を投じてくれと言ったわ。それが私の役目ですからね。
 ステラ そう、だからその投票の結果よ。どうだったの?
 ミスィズ・ダヴェンポート(急に早口になって。)五票が有罪、六票が無罪。
(ミスィズ・ダヴェンポート、再び酒を注ぐ。)
 ステラ それであんたの一票で有罪を六にしたのね?
 ミスィズ・ダヴェンポート いいえ、私の一票で七ー五になった。それで全員譲った。
 ステラ あなたに?
 ミスィズ・ダヴェンポート そう。
 ステラ 呆れた。どうしてまた。
 ミスィズ・ダヴェンポート あの人、無罪だからよ。
 ステラ 無罪?
 ミスィズ・ダヴェンポート 殺人にはね。
 ステラ 無罪! 「あんな女、どんなことをされても当然。死刑になる価値は充分あるわ」って言ってたのは誰?
 ミスィズ・ダヴェンポート そう、死刑になる価値は充分ある。でも、していない殺人のせいで死刑になる価値はないの。
 ステラ どうせ死刑になる価値があるのなら、そんなことどうでもいいでしょう?
 ミスィズ・ダヴェンポート 私にはどうでもよくなかった。
 ステラ あなたのあのボーンマスにある小さな綺麗な家、今どんな値段になっているかしらね。
 ミスィズ・ダヴェンポート ボーンマスの人、誰一人知っているわけがないわ、私が陪審の・・・
 ステラ そんなの、知らない人は誰一人いないわ。
 ミスィズ・ダヴェンポート そう。じゃ、仕方がないわね。私、このアパートに住まなくちゃ。
 ステラ そのようね。
 ミスィズ・ダヴェンポート 厭なことだけど・・・ここに住むなんて。
 ステラ 分るわ。私、行かなくちゃ・・・(扉のところで。)可哀想なエディー、あなた一体どうなっちゃったのかしら。
(ステラ退場。アパートの部屋、部分的に暗くなる。その間ミスィズ・ダヴェンポート、グラスにかなり大量のウイスキーを注ぎ、ゆっくりと坐る。)

(その間にアルマ、よろめきながら舞台中央に進む。坐りこむ。暫くたって、やっとポケットの鉛筆としわくちゃになった封筒を取り出す。)
(アルマ、書き始める。)

(照明が、普通の机についている一人の小柄な男に、あたる。小柄な男、フォルダーに挟んだ紙を静かに読み上げる。)
 検死官 アルマ・ラッテンベリーの死亡に関する検死官の報告。クライストチャーチ教会区在住のウィリアム・メイフィールドは、次のように述べた。「六月四日、午後八時三十分、私は小川の流れている牧場を歩いていた。その時、小川の岸辺に、一人の婦人が坐って、何か書いているのを見た。それから私は、橋を渡って向う岸に行った。向う岸に着き、暫く歩き、振り返ると、さっきの婦人が手にナイフを持って立っているのが見えた。私は走って婦人の方に取って返した。が、その時までに婦人は、五、六度そのナイフで自分の身体を突いた。突き傷のうち三つは心臓に届いていた。私が婦人のところまで達した時、彼女は死んでいた。婦人の頭は水の中一フィートの所にあった。・・・私は死体の傍にあった書き物全てを読むつもりはない。それらは封筒その他の紙きれに鉛筆で記されていて、雑多な感想が殆どのように思われる・・・しかし、一つだけここで読み上げることにする。
 「私のこの行為は、私以外の誰にも責任はない。私は公判中、もしジョージが死刑の宣告を受けたならば、私は彼より長く生きることはしない、と決心したのだ。」
(検死官、法廷を見上げる。但し法廷は暗くなっているので、観客には分らない。)
 検死官 死刑囚ウッドに関するアルマ・ラッテンベリーのこの文章は、彼女に運がなかったことを思わせる。何故なら、もし彼女が、もう後、たった二三日生きのびていれば、内相より指示された、ジョージ・ウッドの刑の執行延期を聞いていたであろうからである。
(検死官、フォルダーの中の紙をめくる。)
 検死官 そしてここに、彼女が書いた最後の言葉と思われるものがある。何故ならこの紙は、彼女の死体の下にあり、鉛筆がその紙の上に載っていたからである。
 アルマ 八時だ。走って、走って、それから、歩きどおしだ。私はここに着いた。私はこの場所にどうしても来なければならなかった。ここはジョージと私が初めて契った所だから。ここは美しい。何て美しい世界に私達はいるのだ。もし私達がその気になって世界を見さえすれば。首を吊られる方が、自分で同じ仕事をするよりずっと楽だ。でも、私はその点ではついていなかった。どうか神よ、私を止めないで。そして神よ、私の子供達にお恵みを。そして、後の面倒を。この仕事は勇気がいる。でもここは美しい。そして私はたった一人だ。有難い。これでやっと平安が・・・

(ミスィズ・ダヴェンポート、ウイスキーを持ってよろよろと立上がる。非常に酔っているのが見てとれる。)
 ミスィズ・ダヴェンポート(突然叫ぶ。)だけど、あんたに命を与えてやったのは、この私だよ! この私なんだ、命をやったのは・・・
(ミスィズ・ダヴェンポート、ウイスキーを飲む。頭を振る。)
 ミスィズ・ダヴェンポート(ケンジントン流の声で。)そして、当のこの私は・・・被害甚大。・・・そう、正義なんてどこにもない・・・
(ミスィズ・ダヴェンポート、笑って、飲む。)

(アルマ、クリストファーのナイフを取上げる。アルマ、ナイフをじっと見詰めている。その間に、照明、消える。)
                    (幕)

    平成十九年(二00七年)六月十二日 訳了



謝辞 翻訳にあたり、中央大学法科大学院 柏木昇教授に 専門用語の解説をお願いした。ここに感謝の意を表する。



http://www.aozora.gr.jp 「能美」の項  又は、
http://www.01.246.ne.jp/~tnoumi/noumi1/default.html


Cause Celebre opened at Her Majesty's Theatre in London on Monday 4th July 1977, presented by John Gale.

The director of the production was Robin Midgley, the designer Adrian Vaux and the cast was:

Alma Rattenbury Glynis Johns
Fransis Rattenbury Anthony Pedly
Christopher Matthew Ryan or Douglas Melburne
Irene Riggs Sheila Grant
George Wood Neil Daglish
Edith Davenport Helen Lindsay
John Davenport Jeremy Hawk
Tony Davenport Adam Richardson
Stella Morrison Angela Browne
Randolph Brown Kevin Hart
Judge Patrick Barr
O'Connor Kenneth Griffith
Croom-Johnson Bernard Archard
Casswell Darryl Forbes-Dawson
Montagu Philip Bowen
Clerk of the Court David Glover
Joan Webster Peggy Aitchison
Sergeant Bagwell Anthony Pedley
Porter Anthony Howard
Warder David Masterman
Coroner David Glover



Rattigan Plays © The Trustees of the Terence Rattigan Trust
Agent: Alan Brodie Representation Ltd 211 Piccadilly London W1V 9LD
Agent-Japan: Martyn Naylor, Naylor Hara International KK 6-7-301
Nampeidaicho Shibuya-ku Tokyo 150 tel: (03) 3463-2560

These are literal translations and are not for performance. Any application for performances of any Rattigan play in the Japanese language should be made to Naylor Hara International KK at the above address.