ハーレクィネイド

        テレンス・ラティガン作
        海老沢計慶 能美武功 共訳  
  登場人物

アーサー・ゴスポート
エドナ・セルビー
デイム・モード・ゴスポート
ジャック・ウェイクフィールド
ジョージ・チャドレイ
ハルバード兵 一
ハルバード兵 二
(訳註 ハルバードは斧槍。)
ミス・フィッシュロック
フレッド・イングラム
ジョニー
ミュリエル・パーマー
トム・パーマー
ミスター・バートン
ジョイス・ラングランド
警察官

(場面 ミッドランド・タウンにある劇場の舞台。照明が消えている状態で、幕が上がる。アーサー・ゴスポート、登場。照明、徐々に明るくなり、彼の優美な姿を浮かび上がらせる。ダブレット(十五〜十七世紀頃の男性用上着)を着、タイツをはいている。)
(訳註 この戯曲には、シェイクスピアの「ロミオとジュリエット」の台詞が多く使われている。劇中劇の台詞には福田恆存訳(新潮社シェイクスピア全集3)を使用した。)

 アーサー(肩ごしに叫ぶ。)傷を笑ふのは深手を負ったことがないからだ。
(照明に照らされて、今はアーサー、紛れもなくロミオ役になり切っている。同時に、彼のいる場所が非常に機能的な十五世紀のイタリア式庭園(邸宅の庭)であること、庭の片側の邸宅にはバルコニーがあって、その窓からは明るい光が漏れていることが見て取れる。)
 アーサー 静かに! あの窓から洩れる光は? あれは東、そしてジュリエットは太陽。昇れ、美しき太陽、あの妬み深い月を葬つてしまへ、悲しみのあまり早くも色青ざめてゐる月を、それに仕へる乙女、あなたの方が遥かに美しいからだ。もう月には仕へるな、あれは妬み深い女だ。そのお仕着せは青ざめた緑一色、阿呆のほかは誰も身につけぬ、脱いでしまへ。
(ジュリエット役のエドナ・セルビー、二階のバルコニーに現れる。)
 アーサー あれはジュリエット、おお、俺の恋する女、ああ、この心が通じないものか。
(エドナ、美しい溜め息を漏らし、悲しげに頭をひと振りする。)
 アーサー 何か話す、いや、何も言ひはせぬ。それがどうした? あの目が語つてゐるではないか、それに答へよう。
(アーサー、一歩前へ出る。が、すぐに後ろへ跳退(とびの)く。)
 アーサー いや、厚かまし過ぎる、俺に話しかけてゐるのではない。あの夜空に輝く最も美しい星が二つ、何の気紛れか、あの目に頼んだらしい、留守の間そこで代りに光つてゐてくれと。あの目が夜空に輝き、星がその顔に納(をさま)つてもよいではないか? 日の光を浴びた燈火さながら、その頬の輝きには星も恥らはう、そして夜空にかかる二つの目は隈なく辺りを照し出し、昼とも見紛ふ明るさに鳥が囀ることだらう。
(エドナ、再び美しい溜め息を漏らし、物思わしげに、頬を片手にのせる。)
 アーサー 見ろ、片手に頬を預けてゐる! ああ、その手を包む手袋になり、その頬に触れることが出来たら。
 エドナ ああ!
 アーサー 何か言つたな。もう一度物を言ってくれ、美しい天使、頭上にあつて闇夜に輝くその姿は、正に翼もつ天の使、後退りして目を見張つて仰ぎ見る人間共の頭上を、徐(おもむ)ろに流れる雲に乗り、天空を滑り行くかのやう。
 エドナ おお、ロミオ、ロミオ! なぜあなたはロミオなの? お父上に背き、その名を捨てておくれ、さもなければ、それが出来ぬのなら、せめて愛の誓ひを、さうしてくれさへしたらもうこの身はキャプレットではない。
 アーサー(傍白。)このまま聴いてゐようか、それともこちらから?
(アーサー、激しい感情の昂りから、庭の丸椅子の方へ少年のように軽々とジャンプする。エドナの視線は、登場以来ずっと劇場の上部空間に愁いを帯びて定まっていたが、アーサーのこの跳躍につられ、一瞬視線が、劇場の上部から下に、そしてまた上部へと動く。)
 エドナ 私の敵はあなたの名前だけ。モンタギューでなくても、あなたは矢張りあなたなのだもの。ああ、名前を変へて! モンタギューが何だと言ふの? ねえ、アーサー、今夜はそうするの?
 アーサー 何だって?
 エドナ 跳んだでしょ? 今。それを。
 アーサー うん。やって見ようと思ってる。なぜ? うまくない?
 エドナ いいえ、別に。ただ、やるって分ってればそれでいいの。
 アーサー うん、今夜はこれで行く。よし、少し戻ろう。(プロンプター席に。)はい!
 ジョニー(プロンプター席から。)私の敵はあなたの名前だけ・・・。 
 エドナ(鋭く。)違います。その台詞の前! ゴスポートさんがちょっと跳んだでしょ。あそこに戻って。そこの、私の、切掛けの台詞のところから。
 ジョニー(舞台裏で。)ちょっと跳んだって何です? ミス・セルビー。
 エドナ あの丸椅子の所で、ちょっと跳んだでしょ。
(ジョニー、登場。)
 ジョニー ゴスポートさんが? いえ、少しも跳んでませんよ、ミス・セルビー。(訳註 台詞のとびは全くないと言う意味。)
 エドナ いいえ、少し跳ぶんですって。ほら、さっき、少し跳んだでしょう?
 ジョニー 少し? 少しどころか、これまで一度だって、跳んだことなんてありませんよ。
 エドナ ええ、そう。これまでは「ちょっと跳ぶ」のはやったことがなかったわ。でも、今日はちょっと跳ぶことにするんですって。ほら、さっきやったように。
 アーサー あのね、僕は止めたよ、ちょっと跳ぶのは。
 エドナ いいえ、駄目よ、あなた。ちょっと跳ぶの、やらなきゃ。とっても魅力的、それに、若若しいわ。(プロンプター席に。)ゴスポートさんが「このまま聴いてゐようか、それともこちらから?」って言う、その直前に、丸椅子の方へちょっと跳ぶわ。それで、その前の私の台詞は?
 ジョニー(舞台裏へ行きながら。)もうこの身はキャプレットではない。
 エドナ(元のポーズに戻って。)さもなければ、それが出来ぬのなら、せめて愛の誓ひを、さうしてくれさへしたら・・・もうこの身はキャプレットではない。
(アーサー、再び跳ぶ。しかし、今回は、前回のような軽々とした跳躍にならない。)
 アーサー このまま聴いてゐようか、それともこちらから?
 エドナ 私の敵はあなたの名前だけ。モンタギューでなくても、あなたは矢張りあなたなのだもの。ああ、名前を変へて! モンタギューが何だと言うの?
(エドナ、この台詞を言う間も、平静を保とうと奮闘努力するが、アーサーの跳び方が下手だったため、結局、我慢し切れずゲラゲラっと笑う。)
 エドナ ごめんなさい。
 アーサー そんなにまづいか? それならもう、やるのは止す。
 エドナ ああ、そんなこと言わないで。やらなきゃ駄目よ。ね、ほら、もう一遍やってみましょう。
 アーサー いや、もうごめんだ。あれがそんなに大笑いの種になるんなら止めにする。僕はただ、あれが台詞の若々しさと釣合うと思っただけの事なんだから。
 エドナ そりゃ見えるわよ。ああやれば、とっても若々しく見えるわ。(プロンプター席に。)そうでしょう? ジョニー。
 ジョニー(舞台裏で。)ええ、とても若々しく見えます、ミス・セルビー。
 エドナ 私はただ、あなたがあんな風に突然、あれを入れたのが可笑しかっただけ。だって、これまで何百回も、この芝居をあなたと一緒にやってきたけれど、あんなジャンプはこの十五年間、一度だって見たことないんですもの。それも初日の幕が開く直前でしょ。
 アーサー 分った、分った。あれはもうすっかり御破算(ごはさん)だ! あの台詞を言う時は、苔むした岩のように微動だにせず、つっ立って言うことにする。そうすれば二まわりは老けて見えるだろうさ。事実そうなんだから・・・そうしよう!
 エドナ ねぇ、馬鹿なこと言わないで、アーサー。自分はロミオ役には老け過ぎてるだなんて。そんな風に考えちゃ駄目。コンプレックスを感じるだけでしょう?
 アーサー いや、事実、ロミオには老け過ぎてるんだ僕は。十七歳じゃないんだからね。
 エドナ あら、そんなこと言うんなら、私だって十三歳じゃないわ。でも今夜は私、そんな事少しも気にしない。・・・問題はここよ。(と言って額を軽く叩く。)ジャンプをするとかしないとか、そんな事は問題じゃないの・・・。
 アーサー しないと言ったら、しない。ジャンプも何も。その話はお仕舞い。もう止めだ! さ、続きをやろう。
 エドナ それに、若く見えないなんて、あなたどうかしているわ。そのかつらがそんなによく似合っているっていうのに。(エドナ、フットライトの光を片手で遮り、観客席に視線を移す。)あら、モード伯母さま! 客席にまわってらしたの?
(デイム・モード・ゴスポート、舞台袖より登場。堂々とした年配の女性。乳母役の扮装。)
(訳註 デイムは爵位をもつ女性に対する敬称。)
 デイム・モード ええ、丁度今、客席から見ていたところ。どうしたの?
 エドナ どう見えました? アーサー。
 デイム・モード 老け過ぎ。中年のロミオ。
 エドナ まあ。照明がきつ過ぎるのかしら?
 デイム・モード そう、照明もきつ過ぎ。
 アーサー エドナの方はどうです? モード伯母さん。どう見えました?
 デイム・モード 老け過ぎ。中年のジュリエット。
 アーサー そうか、そっちも照明がきつ過ぎるのかな?
 デイム・モード そう。照明がきつ過ぎ。
 エドナ モード伯母さま、目は大丈夫? よくお見えになります?
 エドナ(小声でアーサーに。)ねえ、伯母さまは最近、近視が進んでるんじゃないの? アーサー。
 デイム・モード(きっぱりと。)ええ、勿論。とても良く見えているわ。ちゃんと眼鏡をかけて、それに、舞台の袖からしっかりと。二人とも本当に老け過ぎ。(と言って、退場。)
 アーサー(よく通る声で。)ジャック! ジャック! 舞台監督はどこに行った?
(舞台監督のジャック・ウェイクフィールド、プロンプター席より登場。真面目な顔をした二十代後半の若者。)
 ジャック はい、何でしょう? ゴスポートさん。
 アーサー 馬鹿にきついな、このシーンの照明。照明プロットと違うんじゃないか? 何故こんな事になったんだ?
 ジャック たぶん、照明が余計に・・・二番と三番の照明が予定より早く点(つ)いたせいだと思います。(舞台上方の照明係に呼び掛ける。)ウィル・・・照明プロットの確認だ。二番と三番の照明は百パーセントじゃない、四分の一に落せ。
 ウィル(声のみ、天井裏から)オーケー。
 ジャック それにフットライトも強過ぎる。あれじゃ、ゴスポートさんの顔が焼けてしまう。
 エドナ こっちはどうなってるの? あっちのサーチライトで私の顔、テカテカよ。
 ジャック(眺めて。)ああ、それはバルコニーを照らしている照明です、ミス・セルビー。照明プロットに入っています。
 エドナ じゃあ、取り消して、それ。
 アーサー いや、そりゃ駄目だよ。このシーンは君に照明が当ってなくちゃ。いくら暗い方が二人にとって有難いと言っても、暗闇から僕らの声だけ聞かせる場面にする訳には行かないよ、ここは。
 エドナ でも、あなたがロマンチックな月の光の中で、こそこそ這いずり回ってる間、なぜ、私の方はバルコニーに突っ立って、真っ黒な消炭になるまで、エディストン灯台の明りを浴びてなきゃならないの? ちっとも分らないわ。
 アーサー よし、もう一度照明プロットを見せてくれ。
(デイム・モード、バルコニーに登場。エドナと並んで立つ。)
 デイム・モード 中断してるようだから、少しいい? このシーン、私、ちいっちゃなアドバイスが一つ二つあるの。いいでしょう? 言っても。私、このシーンを客席から見たのはさっきが初めて。それとも、年寄りの干渉なんてご迷惑かしら?
 エドナ(歓迎の気分を出し過ぎのように。)迷惑なんてとんでもない。私がいつもどんなに有難く思っているかよくご存知でしょう? モード伯母さまからの、そのちいっちゃなアドバイスを。
(ジャックとアーサー、デイム・モードには注意を払わず、照明の調整を続ける。)
 ジャック それは真直ぐ下に下げる、そうだ、ウィル・・・それでいい。
 デイム・モード(エドナに。)それでね、私がジュリエットをやった時は、手はこうして、頬の上に添えたものよ。(と言って、やって見せる。)指先だけちょっと、こうして頬に添えて。あなたの場合、そうね、少しロダンの「考える人」みたいに見えるんじゃないかしら。
 エドナ まあ。考える人みたいですって?
 アーサー(照明のことで。)あれじゃ低過ぎる。もう少し上げさせろ。
 ジャック もう少し上だ、ウィル。
 エドナ あの、ご存知かしら・・・モード伯母さま。伯母さまが、アーサーのお父上とジュリエットをなさった時と今とでは、観客の好みが少し変わって来ていますのよ。
 デイム・モード ええ、知ってるわ。悪い方にでしょう、残念なことに。
 エドナ 一九00年のことなんですの、お芝居に革命が起ったのは。
 デイム・モード 私がジュリエットをやったのは一九一四年。この年は私、よく覚えている。何しろ、宣戦布告のせいで私達の興行もほんとに酷い痛手を蒙ったんですから。
 エドナ その戦争の後、さらにまた戦争があって、伯母様には到底思いも寄らないことでしょうけど、ここ数年でお芝居はすっかり様変わりしてしまったんです。お分りになるかしら? すぐには無理でしょうけど。今日(こんにち)、演劇はついに、「社会的良心」を獲得、そして「社会的使命」を獲得したんです。そうでもなければどうして、こんなむさ苦しい芝居小屋で初日の幕を開けるんです? 当然マンチェスターのオペラハウスですよ、初日の幕は。
 デイム・モード おやまあ、じゃあ、こんな所で芝居をする嵌めになったのはみんな「社会的使命」のため? 私はてっきり芸術振興協会の斡旋だと思っていたわ。
 エドナ ええ、その芸術振興協会が「社会的使命」そのものなの。
 デイム・モード 本当? あらあら!
 アーサー(まだ照明の調整中。)上げろ、上げろ、天意に逆らひ・・・
 ジャック(照明係に呼び掛ける。)そう。ご不興を買ってはならん。
(訳註 ジャックのこの台詞は訳者としては、大変苦しい。原文は、「ウィル、高過ぎるぞ(Too high, Will)」で、これをジョージは、High will(天意)、英語なのでこれが文の最後に来て、次の出の切掛けとなっている。)
(年配の役者、ジョージ・チャドレイ、フルートを手に舞台へ登場。十五世紀のイタリアの農夫と分る服装。)
 ジョージ(大声で、ひと言ひと言はっきりと言う。)こいつは、笛をしまって帰ったほうがいい。
(訳注:この役は「ロミオとジュリエット」では第四幕第五場の楽師一に当る。道具方が言った「ご不興を買ってはならん」を、切掛けの台詞と勘違いして出て来る。)
 アーサー 何だって?
 ジョージ おやっ、間違えました? 切掛けの台詞が聞こえたんで、出て来たんですが。
 アーサー そんなものはないよ。下がって。
 ジョージ はい。でも、確かに切掛けの台詞が聞こえたんで。そうでなきゃ出て来ませんや。
 アーサー じゃあ、何なんです? 切掛けの台詞は。
 ジョージ はあ、それが本当は・・・みんなが話すのを止めて、間が出来た時なんですが。
 アーサー あー、ミスター・・・。
 ジョージ チャドレイです。ジョージ・チャドレイ。
 アーサー 間がきっかけ・・・ミスター・チャドレイ。間のたんびにあなたが舞台へ出て来て、さっきの台詞を言ったとしたら、何の話をやっているのかさっぱり分らなくなるんじゃありませんか?
 ジョージ わたしゃーただ、自分の切掛けが聞こえたから出て来ただけで。確かに「ご不興を買ってはならん」って・・・
 ジャック(涼しい顔で。)「この上天意に逆らひ、御不興を買ってはなりませぬ。」正しいんです、ゴスポートさん、この人の言っているのは。(ジョージに。)さっきのは確かに君の切掛けだが、君の出場(でば)は、次の次の次の幕だ。もう少し芝居の進行に注意を払って下さい。では、どうぞお引き取りを。こちらは忙しいんです。
 ジョージ はあ・・・そりゃー引込むのは構いませんが。言ったんでしょう? あれを。わたしゃ、はっきり聞こえたんで。勿論、わたしゃー思いましたよ。いつもより台詞を端折(はしょ)ったなって。だから、一つ二つって五つきちんと数えてから、出て来たんで。
 アーサー(ついに堪忍袋の緒が切れて。)いいからあんた、あんたは奥に引っ込んで!
 ジョージ(すぐにはかっとならないが、それでもむっとして。)引っ込め? そんな言い方は止して貰いましょーや、坊ちゃん。わたしゃーあんたの親父さんと芝居をやった仲なんだ。
 アーサー そんな事はどうでもいい。たとえ君が名優ギャリックの父親と芝居をした仲であろうともだ。さあ、奥に引っ込むんだ!
 ジョージ 坊ちゃん、口のきき方には気をつけて戴きます。そりゃーあんた、間違っとる。
(デイム・モード、間に割込んで来る。一方、エドナはこの騒動には背を向け、バルコニーで、新聞を読みながら坐っている。)
 デイム・モード あなた今、うちの兄と芝居をした仲だって言いました?
 ジョージ そうです。芝居も同じ、この芝居で。そん時はピーター(訳注 ジュリエットの乳母の召使い役。)をやりました。
 デイム・モード ああ、思い出したわ。ええ、よく覚えています、あなたのこと。相変らずなってないわね、あの頃とちっとも変わらない。
 ジョージ(小声で。)うるさい奴だ、このババア。
 デイム・モード(勝ち誇ったように。)ほーら、それ! それがいい証拠。そんな風だから、あなたはいつまでたってもまともな役者になれないの。いいですか? 今のがもしあなたの言うべき台詞だとしたら、吐出すように言うの、モゴモゴと口の中で言わないで。「このババア」・・・何て素敵な台詞。(明確に発音して。)こうやるの! このババア・・・このババア・・・このババア。
 アーサー もういいです、モード伯母さん。もう充分です。(ジョージに。)さあ、あなた、もう舞台の袖へ行って・・・言うことを聞いて・・・向こうで出番を。まだまだ長いこと待たなきゃあなたの出番は来ません。我々はその間、こっちの仕事を片付けないと。
 ジョージ いいえ、袖になんか行きません。わたしゃ馬鹿にされたんです。わたしゃ、辞めます。
 アーサー 何を馬鹿な。辞めるだなどと。
 ジョージ いいや、辞めます。わたしゃ、自分の権利のことは知っとります。それに、ここを辞めるだけじゃない、引退します。わたしゃ、六十七だ。この四月でもう、五十年舞台の上に立ってるんです。
 デイム・モード ねえ、ミスター・・・あー、ミスター・・・いいえ、とにかくあなた、辞めるなんて話、よくないわ。私がちょっと言っただけで・・・
 ジョージ(デイム・モードを払いのけて。)わたしゃーこれまで決していい役者じゃなかった。うまい役者を見ても、自分がそんな風になりたいなどと毛ほども思ったことはありません。それにわたしゃー、役者っていう仕事が好きじゃなかった。金もいりゃしませんでしたからね。一体全体何故こうも長い年月、虫の好かない連中と一つ楽屋を共にして、与えられる台詞、わずか一二行、それもまともに喋れず、暮してきたのか、我ながら呆れ返るばかりでさあ。ええ、もう金輪際、舞台にゃ立ちません。きっぱり終にします。ああ、これでどんなに晴れ晴れとした気分になれるか、分っちゃー貰えないでしょうがね。じゃー皆さん、お達者で。
(ジョージ、退場。)
(その後少し間。デイム・モード、その沈黙を破る。)
 デイム・モード(蔑むように。)退場一つ、うまく出来ないとはね。
 エドナ 映画の仕事ね、向いてるのは。
 アーサー よーし、楽師の役はエキストラにやらせよう。さ、お茶だ。休憩は一時間。セットは壊すな。このままだ。開演前に別れの場をさらっておきたいからな。
 ジャック はい、分りました。(全員に。)お茶の休憩、一時間! 五時半にもう一度集合。開演は七時半。いいな?
 アーサー その時、決闘の場もさらっておこう。
 ジャック はい、ゴスポートさん。
 アーサー それから「冬物語」に出る女の子たちにも会っておこうか。
 ジャック はい、ゴスポートさん。
 アーサー それから、もし時間があれば、ダンスの稽古、ジグをやる。
 ジャック はい、ゴスポートさん。
(舞台の袖へ行きかける。)
 デイム・モード ああ、ジャック・・・誰かにそう言ってサンドイッチをお願い。それとギネスも一本、いいかしら?
 ジャック はい、分りました。
 デイム・モード やっぱり、二本にして。ビール、腰にいいから。
 ジャック はい、デイム・モード。
(ジャック、退場。)
 デイム・モード じゃあ、また後で。私が見る限り、今回は素晴しい舞台になるわ。
(退場。)
(ジョニー、アーサーにサンドイッチを持って来る。それから退場。)
 アーサー サンドイッチ、食べる?
 エドナ(アーサーに。)いいえ、有難う。私は私達のお部屋でちゃんと二人のために買っておいたお茶を戴くことにするわ。
 アーサー それはどうも。
 エドナ 心配ないわ、アーサー。そのかつら良く似合ってる。それに例のジャンプ、やっても大丈夫よ、あなた。
 アーサー いや折角だが、あれは止めだ。なあ、エドナ、僕は老け過ぎちゃいないね? ロミオをやるのに。
 エドナ 勿論よ、お馬鹿さんね。もし、あなたが老け過ぎなら、私だってそうでしょう?
 アーサー でも、君の方が三つ、若いぞ。違う?
 エドナ 三つ! 三つなんて数のうちに入らないわ。
(エドナ、ジュリエットの寝室の窓をくぐって退場。)
(ジョニー、登場。)
(槍持(ハルバード兵)の衣裳をきた二人の若者、登場。互いにひそひそと内緒話をしながら、槍を引き摺って舞台後方を横切る。)
 アーサー ジョニー、そこのスイッチを引いて。休憩中にいくつか照明の切掛けを確認しておいてくれ。
 アーサー(フットライト越しに呼び掛ける。)ミス・フィッシュロック。僕の部屋まで来て欲しい。冬物語の注意点を二三、書取って貰いたい。
(振返り、通り掛った若者を見る。)ああ、そこの二人、ちょっとこちらへ。
(二人共、アーサーの言葉に機敏に従う。)
 アーサー(彼らの内の一人に。)ちょっと、言ってみてくれ・・・こいつは、笛をしまって帰ったほうがいい。
 ハルバード兵一(棒読み。軽いコックニーなまりあり。)こいつは、笛をしまって帰ったほうがええ。
 アーサー(もう一人に。)同じ台詞を。
 ハルバード兵二(声も身振りも兵一よりさらに酷い。)こいつは、笛をしもうて、帰ったほうがええー。
 アーサー(ハルバード兵一を指差して)よし。じゃ、君にやって貰おう。
 ハルバード兵一(有頂天になって。)ほんじゃー何かいのう・・・台詞が貰えるんかいのう? ゴスポートさん。
 アーサー そうだ。(台本を手渡す。)あと二三分したら、稽古を始めるからな。
(ミス・フィッシュロック、登場。)
 アーサー ああ、ミス・フィッシュロック。ロンドン事務所のミスター・ウィルモットとすぐに連絡を取って、こう伝えて。冬物語のためにそちらから派遣された女の子たちは、六人ともまるで話にならない、と。
 ミス・フィッシュロック はい、分りました。
 ハルバード兵一 わしも、了解よ!(ハルバード兵二に。)お前(ま)やー、運が悪かったのう、シリル。
(ミス・フィッシュロックとアーサー、退場。)
 ハルバード兵二(脇へ寄って、共に台本を覗き込む。)そうか、金曜日に駅であんた、ゴスポートさんの手袋を拾うてあげたろう? あのせいじゃ。(と言って退場。)
(ハルバード兵一、舞台を注意深く見回す。自分一人だと気付き、フットライトの側まで行く。)
 ハルバード兵一(しわがれた囁き声で、フットライト越しに。)母ちゃん! 母ちゃん、わしゃ、役が貰えたで!
(ジャック、現れる。ハルバード兵には見えていない。)
 ハルバード兵一 役が貰えたんよ。ほんの一言、一言だけよ。だけどな、大事なんよ、その役が。えかろうが(良かろうが)。の? の?
 ジャック(彼に近付いて。)誰に話し掛けてるんだ?
 ハルバード兵一(当惑して。)ああ、ウェイクフィールドさん。気が付きませんで。母ちゃんに、ちょっと。向こうにおるんで。(三階の桟敷席の方へ手を振る。)
 ジャック それならすまないが、出て行くように君から言ってくれ。リハーサル中は、関係者以外の立入は禁止だと。
 ハルバード兵一 ああ、でも、いけんかいのう。ちょっとだけなんよ。わしが台詞を言うのを聞いて貰えんかいのう。
 ジャック いや、駄目ですね。開演は七時半。その時に来て貰えばいい。
 ハルバード兵一 母ちゃんは今夜、バーミンガムに帰らにゃならんのよ。今日一日だけの休みだけぇ、夜はここにゃいられんのよ。
 ジャック(きっぱりと。)すまないが、規則は規則だ。それに、ゴスポートさん御夫妻もこの規則については特別に厳しい。とにかくここにいてはいけないんです。
(ジャック、横を向く。ティボルトの衣裳をきた男(フレデリック・イングラム)がソーセージロールとティーカップを手に舞台に上って来る。)
 イングラム(ジャックに。)一体、座長は俺に何の用だって?
 ジャック 決闘のシーンをもう一度。
 イングラム またか! 何度やったら気がすむんだ!
(ハルバード兵一、この間にフットライト越しに、ジャックがうるさいから帰ってくれと、非難まじりの身振りで母親に伝える。母親に話が伝わったらしく、ハルバード兵一、退場。)
 イングラム いま丁度、向かいのフェザーズで一杯ひっかけようとしてたんだ。まだ時間はあるだろう?
 ジャック 分りました、イングラムさん。でも、時間になったら呼びにやりますよ。
(イングラム、退場。)
(舞台監督助手のジョニー、顔を出す。)
 ジョニー あそこに・・・舞台袖の乳母車の中に赤ん坊がいますけど、これ、お芝居の小道具ですか?
 ジャック 赤ん坊? いらないな。芝居を大幅に書替えでもしなければ。で、生きてるのか? その赤ん坊。
 ジョニー さあ・・・ちょっと見てみます。
(ジョニーの頭、しばし引っ込む。赤ん坊が喉を鳴らす音、微かに聞こえて来る。ジョニー、再び顔を出す。)
 ジョニー はい。生きてます。とすると、これ、どうしたらいいんです?
 ジャック そのままにしておいた方がいいだろう。 そのうち持ち主が現れるさ。やれやれ! 客席には母ちゃん、袖には赤ん坊。これじゃまるでドレスリハーサルというより、家族団欒の週末だ。
(この間に地味でみすぼらしいなりをした二十歳前後の娘(ミュリエル)、十歳ほど年長の兵士に伴われ、おずおずと舞台に登場。あたりをきょろきょろ見回す。この間にジョニー、頭を引っ込め、退場している。)
 ジャック 何です? 誰を探してるんですか?
 ミュリエル(中部(ミッドランド)地方の訛り丸出しで。訳者より:ミュリエルの訛りは演出家らの工夫に任せ、以下、本訳文では普通の言葉使いとした。)わたし、わたしのパパと話がしたくて。
 ジャック パパ? パパとは誰だ?
 ミュリエル 役者なんです。
 ジャック この小屋じゃないね、それは。通りの向こうのバラエティー・パレスだ。
(この時までに、この劇場の支配人ミスター・バートン、登場。)
 バートン 今晩は、ミスター・ウェイクフィールド。
 ジャック 今晩は、バートンさん。
 バートン うちの劇場はお気に召しましたでしょうか。
 ジャック 予約の方はどうですか?
 バートン 悪くありません。出し物のことを考えれば、いいくらいです。勿論、ここではこれまでこのお二人に(アーサーとエドナのこと)ご出演戴いたことは一度もありませんが、何しろ、フレッド・イングラムさんが宣伝になりましたよ。映画に出ていらっしゃいましたからね。あの映画がここのスーパーという映画館でかかったんです。それで・・・
 ミュリエル(ジャックに)あの・・・やっぱり、この劇場だと思います。
 ジャック いいえ、違いますね。パレスですよ、お尋ねの人は。あそこではこの一週間寄席をかけていますから、きっとあっちです。そこのドアを通って、階段を上がれば通りです。さあ。
(ジャック、バートンの方に向き直る。ミュリエルと例の兵士、のろのろと退場。)
 バートン それにしても驚きました。ここを初日の幕開きにお選びになるとは・・・。
 ジャック 「社会的使命」ですよ、バートンさん。
 バートン 「社会的使命」? 何です、それは、分り易く言うと。
 ジャック 私の見解では、放っておくと映画に行く観客に、シェイクスピアを演じてみせる、ということですね。すると、放っておくとシェイクスピアに行く観客は行き場がなくなって、仕方なしに映画に行く。これは何か、例の「新生イギリス」という代物と関係があるんでしょう。良いアイディアかもしれません。
(アーサー、登場。今は部屋着姿。)
 ジャック ああ、座長のゴスポートです。座長の方が私よりその辺の事情に詳しいです。(アーサーに。)こちらがこの劇場の支配人、バートンさんです。
 アーサー ああ、初めまして。妻も私も、こんな素敵な劇場で、そしてこんな素敵な町で、初日の幕を開くことができ、嬉しい限りです。
 バートン 有難うございます、ゴスポートさん。お二人のような(著名な)方をこの劇場にお迎えできたことは、私共にとって実に名誉なことです。
 アーサー そう言って戴いて恐縮です。実際、ここではあなた方がいつも大変良くして下さるので、私たちもシェフィールドはとても気に入っているのです。
 バートン シェフィールド! あそこでの興行は、来週では?
 アーサー えっ! じゃあ、ここは? この町は?
 バートン ブラックリーです。
 アーサー ああ、そうだったな、勿論。途中一週間の追加公演が入ったんだ。(ジャックに。)全く、物を決定する連中ときたら!
 バートン いいじゃないですか、ゴスポートさん。決定権のある人達っていうのは、またどことなく抜けているものですよ。
 アーサー ブラックリーか、そうだった、そうだった・・・(突然、声の調子が変わって。)ええっ! ブラックリー? ここがか!
 ジャック 一体どうしたんです?
 アーサー 思い出すことがあってね。ブラックリー! 何てことだ!
 ジャック 何かまずいことでも?
(アーサー、ボーッと何か考えている様子。バートン、困惑の表情でジャックを見る。ジャック、(アーサーのいつもの空想僻が始まったと)額に手を当てる。バートン、頷く。)
 アーサー エーと、その、バーター・・・バート・・・さん、この町には、四角い広場がありませんか? ほら、天辺に不格好なドームのある、化粧レンガ造りの、見るからに不愉快な建物の立っている。
 バートン(疑わしげに。)市役所(街)?
 アーサー(せっかちに。)そう、そう。それに、丁度その反対側に、ガラスと白いコンクリートでできた建物がありませんか? どう見ても公衆便所としか見えない・・・
 バートン(酷く傷つき、抗議することさえ出来ず。)あれは、市の図書館です、ゴスポートさん。
 ジャック(慌てて。)では、ゴスポートさんはこの町のことをご存知なんですか?
 アーサー ああ、知り過ぎるぐらいね。
(ジャック、アーサーを肘でつつく。これまでにも酷いことを言っているので、注意させるため。)
 アーサー 知り過ぎるぐらい、良く知っている。若い時、ここで芝居をやらせて貰ったんだ。
 バートン それはいつのことですか? 正確には。(ノートと鉛筆を取出して。)はっきりした日付が分りませんか? 新聞社に電話しなきゃ。
 アーサー エーと、待って下さい。(と、考込む。)そうだ。思い出した。あれは、グラディス・クーパーが「扉の印」で大当たりを取った年だ。
 バートン と言われても、私にはさっぱり。(ジャックに。)分かりますか?
 ジャック いいえ。(アーサーに。)他には何か思い出せませんか? その年あったことを。戦争とか、何か。
 アーサー いや、戦争などなかった。待ってくれ・・・今、思い出す。あの年あったこと。そうだ、何かひと騒ぎあったな、そう言えば。
 ジャック ひと騒ぎ? 地震ですか?
 アーサー いや、そうじゃない。何か列車に関係があったな。そうだ、止まったんだ、列車が。新聞も。何の予告もなしに。そう、それで私は、地下鉄の運転をするはめになったんだ。どういう訳だか。
 ジャック 一九二六年。ゼネストです。
 アーサー ああ、そうだ! それそれ。あれは何というものだったか、すっかり忘れていた。ゼネストだ。ゼネスト。
 バートン(ノートに書留める。)一九二六年。
 アーサー では、失礼・・・お茶を一杯飲まないと。面接がありますから、その後。女の子たち、六人。
(アーサー、退場。)
 バートン  せわしない方ですな。
 ジャック ええ、凡人にはああは出来ません。
 バートン 私はもっと、知的な方だとばかり思っていたもので。
 ジャック あの人は役者ですよ、バートンさん。
 バートン そうだ、ゴスポート夫妻について、新聞種になるような話を教えて下さいませんか? 地方新聞のアーガスに載せたいんです。
 ジャック いいですよ。でも、急いで下さい。こっちもやらなきゃならない事が山ほどあるんです。
 バートン ご夫妻は結婚して何年になりますか。
 ジャック 十五年です。
 バートン お子さんは?
 ジャック 一人。バズィルという子が。
 バートン で、そのお子さんは今お幾つで?
 ジャック 十三です。
 バートン ここに一緒に?
 ジャック いえ。今は学校に。
 バートン 彼も役者を目指しているんですか?
 ジャック ええ。どうもそんな様子です。何せ、若年とは言え、ゴスポートの一族ですからね。
 バートン なるほど。それでゴスポート夫妻のことはどう書けばいいでしょう。演劇の世界で最も有名な夫婦だと書いて、差し障りはないんでしょうね?
 ジャック ゴスポート夫妻は嫌がらないでしょう。まあ、あの二人が嫌がらないという点が一番肝心なところですが。それに、そう書いたって、事実には違いありませんからね。
 バートン ご夫妻はいつも一緒に演じられるのですか?
 ジャック ええ。
 バートン いつも夫婦役を?
 ジャック いいえ。大抵は恋人同士の役です。観客にもその方が受けます。本当は二人が結婚してることを知ってますから、安心して、二人の恋の成行きを楽しめるという訳です。
 バートン 今回の旅公演、期間のご予定は?
 ジャック 十六週間。その後、ロンドンへ。
 バートン ほう。するとロンドンにも。
 ジャック 四週間だけですが。まあ、ウエストエンドで、もしそれより長くやるとすると、儲け主義になりますからね。
 バートン なるほど。それで、その後は?
 ジャック ベオグラード、ブカレスト、ワルシャワ、リガ、それから、モスクワです。
 バートン ほう。鉄のカーテンの向こうへも?
 ジャック ゴスポート夫妻の行く所、鉄だろうが何だろうが、カーテンは開きます。
 バートン 演目のご予定は?
(アーサー、お茶を手にふらりと登場。二人の背景で淡々と無駄骨折を始める。即ち、舞台上の造花の鉢を持上げ、別の場所へ移すが、すぐに気が変って、それを元の場所に戻す。)
 ジャック ロミオ、冬物語、マクベス。それと「リヴァイアサンを追え、我が父の墓までも」という、韻文で書かれた現代劇を予定しています。
 バートン それはどんな内容です?
 ジャック あ、ゴスポートだ。ゴスポートさんが話してくれますよ。
 バートン ゴスポートさん、新しい戯曲の内容をお聞かせ願いませんか。
 アーサー ああ、人が死ぬんです。この芝居では、一番いい役は妻がやることになっていて、私の出番は最後の幕だけ。鉛筆を削る男。それだけです。
(アーサー、再び花器を置き直し、ふらりと退場。)
 バートン まあ、私は劇評家じゃありませんからね。相手がアーガスの記者なら、もっと詳しく話して下さるんでしょうが。
 ジャック いや、同じでしょう。
(アーサー、再び登場。)
 アーサー おい、舞台の袖に赤ん坊がいるぞ。誰かにそっくりなんだが、一体あれはどこの子だ。
 ジャック さあ、見当も付きません。
 アーサー 舞台の袖に赤ん坊を置去りにするなんて、ぼんやりにもほどがある。折角の舞台を滅茶苦茶にしようというのか。あれじゃ誰だって、簡単につまずく。そして、退場のシーンは台無しだ。リハーサルの前に、ちゃんと移動しておいてくれ。
 ジャック はい、ゴスポートさん。
 アーサー それと、今後もし誰かがこの劇場に赤ん坊を連れて来たら、然るべき場所にお置き戴くよう手配してくれ。
 ジャック 分かりました。それで、それは何処に致しましょう。
 アーサー 分からん。君が考えてくれ。
(アーサー、再び退場。)
 ジャック 何かまだ他にお聞きになりたいことは?
 バートン いえ、他には特に。有難うございました。あとは私としては初日の舞台のご成功をお祈り申上げるばかりです。大丈夫、きっとそうなります。
 ジャック どうも有難うございます。
(二人、握手する。ミュリエルと例の兵士、ジュリエットのバルコニーに突然現れる。)
 ミュリエル(めまいに襲われる。)ああ、トム! 大変! 私たち、とんでもない所に出ちゃったわ。
 ジャック あなた! どうか今すぐ、出て下さい。お友だちも一緒に。
 ミュリエル それは出来ません。さっきもお話した通り、私、パパを探してるんです。
 ジャック だから、そんな人はここにはいないって、さっきも言ったでしょう。
 ミュリエル いいえ、いる筈です。バラエティー・パレスの方にはいません。あなたはさっきそう言ったけど。ここにいるんです。私、パパの名前、ここのポスターで見たんですから。
 ジャック でも、とにかく今は駄目です。念のため聞きますが、あなたのお父さんの名前は?
 ミュリエル ゴスポートです。
 ジャック ゴスポート?
 ミュリエル ええ、アーサー・ゴスポート。役者です。
 ジャック ああ、なるほど。
(ジャック、プロンプター席に緊急の合図を送る。ジョニー、登場。)
 ジャック つまり、あなたはここの座長であるアーサー・ゴスポート氏の娘だと、そういうことですか?
 ミュリエル ええ、そう。で、こっちが私の夫。
 トム やあ。
 ジャック お二人にお会い出来て、大変光栄です。これまでの失礼の段、重々お詫び申しあげます。(ジョニーに。)ああ、ジョニー。こちらの御婦人は座長のお嬢さんで、そちらはそのご主人だ。くれぐれも、あー、粗相のないように、あー、お二人をお世話して。劇場をご案内するんだ。
(ジャック、素早い激しい動作で親指を逆さに立てる。それはバルコニーにいる二人には見えない。ジョニー、頷く。)
 ジョニー 分りました、ウェイクフィールドさん。
(ジョニー、退場。)
 ジャック では、ミス・ゴスポート。
 ミュリエル(くすくす笑って。)ミスィズ・パーマーよ。
 ジャック ああ、これは失礼、ミスィズ・パーマー。お二人にどうかお願い致します。そこの扉を出て、階段を降りて下さい。係の者がいます。その者がお世話を致しますから。
 ミュリエル あら、ありがとう。あなた、いい人ね。さあ、こっちよ、トム。
(ミュリエル、視界から消える。トムも元気よくジャックに手を振って、消える。)
 バートン いやはや! いろんな手があるもんだ。次には何が出てくるか!
 ジャック 驚きましたね、全く。
 バートン(悲し気に頭を振って。)本当です。奇妙な世の中ですよ、実際。
 ジャック いやー、大笑いです、実に!
(ハルバード兵一、自分の台詞を言いながら登場。もごもご、不安気に。)
(バートン、退場。)
(ジャック、疲れたように頭を振り、ついで腕時計を見る。)
(ジョニー、再び登場。)
 ジャック あいつらは?
 ジョニー 階下の、どこかの部屋に閉込めておくつもりです。ドアマンがいないので、外へ追出しても、また入って来るでしょうから。
 ジャック それはそうだ。それで、どの部屋にする?
 ジョニー 三号室に。あそこには他にも六人、誰かを待っているようですが。
 ジャック(疲れた声で。)六人か・・・一体、誰の娘なんだろうな。オーケー、ジョニー。ありがとう。
(ジョニー、退場。ハルバード兵、ジャックに近付く。)
 ハルバード兵 ミスター・ウェイクフィールド、どっちがええんかいの? 「こいつは、《笛を》しまって帰ったほうがええ」と、「《こいつは》、笛をしまって帰ったほうがええ」と。
(訳注:原文では《 》に相当する言葉が強調された表記になっている。)
 ジャック こういうのはどうだ? こいつは、笛をしまって《帰ったほうがええ》。
(ジャック、《》の部分を大声で怒鳴る。)
 ハルバード兵 そりゃーええことないんじゃないかのう。
 ジャック じゅーぶん、ええことあるよ。ところで、君のお母さんはどうなった?
 ハルバード兵 ああ、あれはかえったけえ。
 ジャック(厳しく。)お母さんには、それが良かったんだ。
(非常に可愛らしい女性(ジョイス・ラングランド)、登場。洒落た服装。明らかに周囲の雰囲気におどおどしている様子。)
(ハルバード兵、相変らず台詞を呟きながら、退場。)
 ジョイス ジャック。
 ジャック(驚いて。)ジョイス!(彼女に近付き、優しくキスをする。)君、来るなら、どうして知らせてくれなかったんだ?
 ジョイス 時間がなかったの。
 ジャック 時間がなかったって、どういうこと?
 ジョイス 大ニュース! だから、どうしてもあなたに、自分で話さなくっちゃ、って。始発列車に飛び乗ったの。
 ジャック 何て凄い! 良かったね!
 ジョイス(がっかりして。)なんだ、もう分かっちゃったの。
 ジャック 君のお父さん、考えを変えたんだ。ああ、君は魔法使いだ。でも、どうやってやったの?
 ジョイス やったのはあなた。あなたの手紙にとても感銘を受けたのよ。
 ジャック 感銘してくれたのか・・・
 ジョイス それで私、あなたの軍隊での記録も話したわ。
 ジャック まづかったんじゃないかな、それは。
 ジョイス あなたが空軍殊勲十字章を取ったことを。
 ジャック あれは余興大会でやったパントマイムが司令官に受けただけのことなんだがな。それで僕たち、金持ちになった?
 ジョイス 税金も余分に取られるけど。
 ジャック 凄いよ、これは! それで僕は、もう働かなくていいんだね?
 ジョイス とにかく芝居の仕事だけはやらなくても。
 ジャック そう。でも、仕事はしなきゃならない?
 ジョイス 会社をやらせたいの、父は。
 ジャック そういうからくりか。
 ジョイス からくり・・・酷いわね。まさかあなた、お芝居の仕事を続けたい訳じゃないんでしょう?
 ジャック そりゃーそうさ! 辞められるものなら、明日にでも辞めるさ。
 ジョイス それなら、今がその時よ。
(間。この数秒前に舞台へふらりと来ていたハルバード兵、次の台詞でこの静寂を破る。)
 ハルバード兵 こいつは、笛を《しまって》帰ったほうがええ。
 ジャック おい、君。そいつはどこかよそでやってくれないか。私は今、考え事をしているんだ。
 ハルバード兵 すいませんです、ミスター・ウェイクフィールドさん。こがーにいい機会は滅多にありやせんで、わしは(わしゃー)失敗は出来んのよ。(ぶつぶつと。)こいつは、笛を《しまって》帰ったほうがええ。
(ハルバード兵、退場。)
 ジャック ねえジョイス、僕は、この旅公演だけは最後までやった方がいいと思うんだ。
 ジョイス(ぞっとして。)最後までって、四十六週間?
 ジャック いやいや。国内の巡業だけ。ロンドン公演がすめば、誰か代りにやって貰う。だけど、突然、何の予告もなしに辞めるなんてそんなことはできないよ。
 ジョイス それはそうね。でも、一つだけ心配なことがあるの、ジャック。それが何か、言いましょうか?
 ジャック 結局は辞める勇気がないんじゃないかってこと?
 ジョイス あのゴスポート夫妻から離れられないんじゃないかって。それだけじゃないの私が心配してるのは。あなた、演劇を離れられないんじゃないの?
 ジャック 僕にとっては、ゴスポート夫妻がそのまま演劇なんだ。ゴスポート夫妻を離れて、芝居は存在しない。
 ジョイス あなた、それは大袈裟だわ。
 ジャック 大袈裟じゃない。ゴスポート夫妻こそ永遠に不滅なんだ。最悪の出来でも最高の出来でも、彼らこそが芝居だ。真の演劇なんだ。あの自己中心主義、あの自己顕示欲、あの馬鹿さ加減、そしてあの、外界に対する非妥協性。
 ジョイス それなら、どうしてそんな非社会的な二人が、社会的な使命をもつ演劇を目指しているのかしら。
 ジャック 「社会的使命を持つ演劇」? やれやれ、そんなのはそもそも、言葉の矛盾だ。良き市民と良き演劇、それは両立しないんだ。かって両立したためしがない。そしてこの先両立することも決してない。演劇は、真の演劇は、ゴスポート夫妻のような、目が見えず、非社会的で、うぬぼれの強い、頭のおかしい人間が作ってきたんだ。リチャード・バーベッジ(註:シェイクスピアの同僚の俳優。1567ー1619)以来ずっと、何世紀にもわたってだ。何が言いたいかと言うと、ゴスポート夫妻から離れる勇気があるということは、演劇を止める勇気があるということなんだ。
 ジョイス そして、その勇気がある・・・
 ジャック そう、その勇気が僕にはある。演劇なんて糞くらえだ。後悔なんかするものか、これっきりお芝居とはお別れさ。そして、祝うぞ! 向う一週間、素面の息をつく間もないほど盛大にね。
 ジョイス(安堵の溜息をつき。)ええ、そしてそのお祝いの席であなたの隣にいるのは私。いいわね。じゃあ、あなた、今から行ってあの人たちにそう言うのね?
 ジャック 今?
 ジョイス ええ。だって、まだ休憩中でしょう?
 ジャック(ゆっくりと。)うん。これで僕の勇気が試されるという訳か。
 ジョイス ええ。
 ジャック 分った。確かに今、方(かた)をつけた方が良さそうだ。それに、今言えば、補充のための充分な準備期間があることになるし。
 ジョイス(微笑んで。)そうね、たっぷりね。
 ジャック(だんだん自信なく。)僕はあの二人なんか、ちっとも怖くはないんだ。分ってるね? 君は心配しているようだけど。
(エドナ、部屋着姿でサンドイッチを食べながら、袖からふらりと登場。)
 エドナ ねえ、ジャック、あのバルコニーのことだけど、少し心配だわ。何だか酷くぐらぐらするの。
 ジャック 後で見ておきます、ミス・セルビー。あー、ミス・セルビー・・・。
 エドナ(振返って。)何?
 ジャック ご紹介します、こちらミス・ラングランドです。
 エドナ まあ、初めまして。(ジョイスと握手。)賄(まかな)いの女中さんね?
 ジャック あー、いえ。彼女は劇団とはなんの関係もありません。実は、ミス・セルビー・・・僕の婚約者なんです。
 エドナ 婚約者! まあ、本当! なんてことでしょう! ああ、ジャック、こんな嬉しいことないわ。(ジャックを温かく抱擁する。ジョイスに。)そして、あなたにも。(ジョイスにキスする。)こんなに綺麗で、若くて、それに何て素敵なドレス! ああ、本当に良かったわ、二人とも。泣き出したいくらい、こんなメークをしてなきゃ。花婿の介添役は、勿論、アーサーが引受けるわ。そして、子供が出来たら、私がその子の名付親になる。それで式はいつなの?
 ジャック(ジョイスと目を見交わして。)地方巡業の後で・・・ロンドンに戻ったらと。
 エドナ いいわ!(ジョイスに。)あなた、大変ね。ずいぶん長いこと待ってなきゃならないわ。待ちきれない気持ね、きっと・・・四十六週間だもの?
 ジョイス(訳註 相手が「地方巡業の後」を「ヨーロッパ巡業の後」と間違えているので、驚くが、やっとのこと。)ええ、そうなんです。それが心配で。
 エドナ 心配しないの。待ちきれない気持は当り前。私だってそうだった、アーサーと結婚した時。(ジョイスの顔を撫でる。)可愛い人。お蔭で私まで幸せな気分。じゃあ、ヨーロッパへはあなたも一緒にいらっしゃるのね?
 ジョイス あー、いいえ、ミス・セルビー。私は行きません。
 エドナ あら? でも、ま、その方が賢明かも知れないわね。私達にしたって、長旅は楽じゃないんですもの。でも、その間ずっと離ればなれで淋しくない?
 ジャック えー、実はですね・・・仰る通り、僕も・・・あー・・・つまり、要するに・・・まだ確かじゃないんです、僕自身、ヨーロッパへ行くというのは。
 エドナ ヨーロッパへは行かないということ?(穏和な驚きの表情。ついで事情を悟ったように。)ああ、そういう事ね。あなた、いつかアーサーが言っていたこと、ロニー・ウィリアムズが舞台監督になるって話、あれを気にしてるのね。それでつい、毒蛇(へび)が心に忍び込んだんでしょう。でも、その事なら心配いらないわ。ロニー・ウィリアムズはかなり長いこと私達の舞台監督を勤めてくれていたの。それもあなたが生まれるずっと前よ。そして、アーサーは彼が職にあぶれてるって聞いたの、それだけの事なのよ。それに知っての通り、アーサーはああいう気の利かない人だから・・・でも、彼、本気で言ったんじゃないわ。ええ、そうですとも・・・。
 ジャック(必死に。)聞いて下さい、ミス・セルビー・・・先程の件はロニー・ウィリアムズとは何の関係もありません。
 エドナ ああ、傷ついちゃったのね、あなた。悪かったわ、ほんと。でも、これだけは本当に誓って約束するわ。あなたを私達がヨーロッパへ連れて行かないなんて事は、決して決してありませんからね。私達みーんなあなたが大好きなんだし、とっても尊敬してるのよ。
 ジャック それはどうも有難うございます、ミス・セルビー、しかし・・・。
 エドナ さあ、この話はもうお仕舞。これ以上聞きませんからね。何もかも忘れて、何もなかったことにして頂戴。あなたは私達と一緒にヨーロッパへ行くの。安心して。じゃあ、また後で。(エドナ、二人に優しく投げキスをする。)あなた達、そこにそうして立っていると、好(よ)くお似合よ。
(エドナ、退場。)
 ジャック(ジョイスに。)ドレスリハーサルの時にこういう話を切り出すのはまづいんだよ。明日の方が・・・或いは初日が済んでからの方がいいかも知れないね?
 ジョイス 或はシェフィールドの後? 或はロンドンの後? 或はヨーロッパツアーの後? そんなの駄目よ、ジャック。ねえ、私、胸騒がするの。もし今、この休憩中に言えなければ、あなた一生、言えないんじゃないかって。
 ジャック こういう場合、手紙で言えば・・・。
 ジョイス あなたさっき、あの人たちのことはちっとも怖くないって、言わなかった?
(アーサー、ふらりと登場。花器の方へ真直ぐ進み、それを舞台奥の別の場所へ移動する。)
 ジャック 分ってる。今、言うよ。実はあの人の方がミス・セルビーよりずっと扱い易いんだ。
 ジョイス(アーサーを指差して)それなら、ね、今がそのチャンスよ。
(ジャック、発奮する。気を引締め、ジョイスの手を取り、アーサーの方へ引張って行く。)
 ジャック ゴスポートさん!
 アーサー 何だ。
 ジャック ミス・ラングランドをご紹介します。
 アーサー ああ。初めまして。もう読みましたか? 冬物語は。
 ジョイス あー、いえ。まだ読んでません。
 アーサー まあ、難しい役じゃありません。娘は赤ん坊の時に父親に捨てられる。が、それから何年もたって、再びその父親と再会するという・・・。
 ジャック あー、ミス・ラングランドは冬物語のことでここにいるのではありません、ゴスポートさん。(揺るぎなく決然とした声で。)彼女は僕の婚約者です。地方巡業が済んだら、結婚するつもりです。そのためヨーロッパ公演へは御一緒できません。
 アーサー そうか。分った、うん。ところで、冬物語に出る女の子たちの方はどうなった? もう来てるのか?
 ジャック はい、そう思います。僕の言ったこと、聞こえました? ゴスポートさん。
 アーサー ああ、勿論。じゃあ、その女の子たちには今すぐ会っておこう。一人づつ、中へ通すように。(アーサー、花器をまた別の場所に置く。)
 ジャック はい。(呼ぶ。)ジョニー。冬物語に出る女の子たちは来てるな?
 ジョニー(舞台裏で。)はい。七人います。
 ジャック よし。今から一人づつここへ通せ。ゴスポートさんが見る。
 ジョニー(舞台裏で。)オーケー。
 アーサー(花器を指差して。)ここはどうかな? ジャック。
 ジャック ずっと良くなりました。
 アーサー(ジョイスに。)あなたはどう思います? ミス・アー・・・ハルンム。(訳註 「ハルンム」は、名前が分らないのでムニャムニャと誤摩化す音。)
 ジョイス あそこの方が見映がすると思います。
 アーサー いや。あそこじゃうまくないだろう。(思い直して花器を移動する。)
 ジャック ゴスポートさん、僕がさっき言ったこと、分ったんですか? そうは見えないんですが。
 アーサー(厄介な話だと思い、わざととぼけて。)勿論だとも。君はさっき花瓶はあそこの方がずっといいと言ってたが、やっぱりこっちの方が・・・。
 ジャック 違います。その前です。僕は結婚するつもりですと言いました。
 アーサー 結婚する? いやー、実にお目出度い話じゃないか。(ジャックと握手。)で、相手は?
(エドナ、登場。)
 アーサー エドナ、丁度いい。とても斬新な死に方を思い付いたよ
 エドナ あら、そうなの? わくわくするわ。
 アーサー 誰か、墓を持って来い。
 ジャック はい、ゴスポートさん。(呼ぶ。)ジョニー、墓を運ぶんだ、手伝ってくれ。
 ジョニー(登場し。)はい、ウェイクフィールドさん。
(ジャックとジョニー、墓を前面に持って来る。ジョニー、退場。)
 アーサー(ジョイスの方へ歩み寄り。)さ、お嬢さん・・・宜しければ、お手伝い願えますか。そう、あなたはそこを動かないで・・・有難う。(エドナに。)物事は単純なほど、美しいんだ。さてと、何か君が横になれるものが要るなあ。
(ジョイスの手からレインコートを取って、それを墓の上に広げる。エドナ、その上に横になる。)
 アーサー 有難う。
 ジャック あのー、ゴスポートさん、お話しなきゃならないことがあるんです。あなたが死んでしまう前に。
 アーサー もし、早変りが間に合わない場合は、ジュリエットはこの場面、ずっと黒のビロードを着てなきゃならんだろうなあ。
 ジャック しかし、ゴス・・・。
 アーサー どうってことはないな、よし。もうその話は終。これ以上、何も聞きたくはない。
(死にゆく姿勢を取りながら。)
 アーサー さ、この苦い手引を、お前の出番だぞ、飲みにくい案内人! さ、命知らずの水先案内、波に揉まれ疲れ果てたこの船を、今こそ堅牢無比の岩角へ打当てろ! この杯を、愛する妻の為に! (飲む。)おお、嘘はつかなかったな、薬屋! この効目の早さ。かうして口附けをしながら俺は死ぬ。
(見映えのする、観客の目を驚かす死に方。芝居に偏見のあるジョイスも、これにはびっくり。)
 ジョイス(ジャックに。)これ、素敵ね!
 アーサー(ジョイスの言葉を聞いて。)ああ、あなた、ミス・ハルンム・・・お気に召しましたか? 僕は嬉しい。ちょっとやり過ぎじゃなかったかな?
 ジョイス いいえ、ちっとも。・・・私、いいと思ったわ。
 エドナ(坐り直して、姿勢を真直ぐにして。)ジャック、あなたのお友達(ジョイスのこと)、寒いんじゃない? こんなすきま風の多い、寒いところで、薄手(うすで)のワンピースじゃ。暖かい楽屋のどこかにいて貰った方がいいわよ。
 ジャック(諦めて。)はい、ミス・セルビィ。(ジョイスに。)じゃ君、僕の部屋にいて。三階の十四号室なんだ。手があいたら僕も行くから。
 ジョイス 分ったわ。(立去りながら。)ジャック、お願いよ、さっきのこと、忘れないで。休憩が終るまでにはすませるのよ。
 エドナ あの子、可愛いわ。
 ジャック 分ってる。休憩が終るまでにね。約束するよ。
(ジョイス退場。)
 エドナ アーサー、今の素敵だったわ。でもちょっと・・・ほんのちょっと・・・長いわ。今夜やってみるのは駄目ね。
 アーサー(駄目だったらしいと分って。)分ったよ、エドナ。まあ、一度は見せておこうと思ってね。それだけだ。
(ハルバード兵一、登場。まだ台詞の練習をしながら。)
 ハルバード兵一 ああ、ゴスポートさん、わしの試験はまだですかいの?
 アーサー うん、まだだ。最初に女の子達を見てやらなきゃならないんだ。少しそこで待っててくれ。
 (アーサー、舞台の隅を指差す。ハルバード兵一、相変らず台詞をもごもご言いながら、坐る。)
 アーサー ジャック、いいぞ。「冬物語」の準備は出来た。
 ジャック(舞台裏に呼びかける。)ジョニー、いいぞ。最初の女の子を入れてくれ。
 ジョニー(舞台裏で。)オーケー。
 ジャック(舞台裏に。)最初の女の子、名前は?
(舞台裏でブツブツ訊いている声など。)
 ジョニー(舞台裏から。)ミュリエル・パーマー。
 ジャック(書きとめる。)ミュリエル・パーマー。
(ミュリエル・パーマー登場。二三歩離れて、兵士姿の夫、も続く。ジャック、書きとめるのに忙しく、すぐには顔を上げない。)
 ミュリエル(アーサーを指差して、喜びの声を上げる。)いた! いたいた! パパが! パパ、私、あなたの娘。あなたは私のパパよ!
 アーサー エーと、使っている台本はどれでしたっけ、ミス・・・あー・・・ハルンム。
 ジャック(素早く出て来て。)失礼します、ミスター・ゴスポート。この子は私、知っています。この子はずっとこちらの仕事の邪魔ばかりしていて。(ミュリエルに。)あの部屋から、どうやって出て来たんです?
 ミュリエル 若い男の人が、鍵を開けて入って来て、私と他の六人の女の子に、一人づつこちらに来るようにって。ミスター・ゴスポートが待っているから。
 ジャック そうか。まあ、仕方がない。ねえ君、何も言わずに、ここを立ち去ってくれないかな。そうしないと、僕は警察を呼ばなくちゃならなくなる。
 ミュリエル 警察を呼ぶ? いいでしょう。おやりになったら? 私、何も悪いこと、していないもの。平気。私、パパとちょっと話したいの。それだけ。これ、パパに違いないわ。だって、ピアノの上にある、ママと写っている写真の人、この人なんですもの。
 トム この國でも、娘が父親と話すのは許されているんでしょう? そんなことで警察に引っ張られちゃ、叶わないよ。
 ミュリエル 私を脅したって駄目よ、あなた。
 ジャック よし、分った。(呼ぶ。)ジョニー、警察に電話して、一人来て貰うように言ってくれ。もめごとだ。
 アーサー(ジャックに。)ジャック、ちょっと訊くがね、この御婦人は、私が父親だと言ってるのか?
 ミュリエル あなた、ゴスポートっていう名前なんでしょう?
 アーサー アーサー・ゴスポート・・・だけど?
 ミュリエル(多弁に。)じゃ私、あなたの娘、ミュリエルよ。そりゃあなた、私を見たことないわ。だって私、あなたがママをおいて出て行った後、生まれたんだから。これ、私の連合い、トム。だからこの人、あなたの義理の息子。
 トム 初めまして。
 ミュリエル それに私、あなたがきっと会いたいと思うものを連れて来たわ。トム・・・(と目で合図。)
 トム オーケー。
 アーサー ちょっと待って。(ミュリエルに。)今君、ママって言ったね? もっとはっきり話してくれないか。そのママっていうの、今、どこに住んでるの?
 ミュリエル 昔と同じところ。アッパー・ビーコン通り二十一番地。
 アーサー くすんだ、赤い、四角い建物、の前・・・「白髪(しらが)その身に混じり生(は)ゆれども、これを悟らず」と外に看板のかかっている建物・・・の前の家?
 ミュリエル そう。それはバプティスト教会。
 アーサー それで、君のママの名前はフローレンス?
 ミュリエル そう、フロッスィー。
 アーサー(唸る。)フロッスィー!(泣声で。)いや、違う、違う、そんなことは・・・
 ミュリエル いいえ、あるの、パパ。
 エドナ アーサー、あなた、まさか・・・
 アーサー いや「まさか」じゃない。その通りなんだ。今分った。(悲劇的にミュリエルの顔を指差しながら。)この顔を見さえすれば分る。あの母親の酷い顔、そのままだ。
 ミュリエル あら「酷い」って? でもいい言い方だわ、それ。
 ジャック(自分がここは処理しようと。)ちょっと、ミスター・ゴスポート・・・その酷い顔のお母さんの顔を私達は見たことがないんです。他のやり方でここは調べてみた方がいいんじゃありませんか?(ミュリエルに。)君、生まれたのは?
 ミュリエル 一九二七年一月十五日。
 ジャック(アーサーに。)フロッスィーと別れたのはいつなんです? ミスター・ゴスポート。
 アーサー 警察の真似は止めろ! そんなことは覚えていない。私に言えるのは、この子の言っているのは真実だということだけだ。これは私の娘、メイベルだ。
 ミュリエル ミュリエルよ。短くして、ミュー。
 アーサー 私の娘ミュリエル、短くしてミュー・・・
(アーサー、スツールにどっかりと坐る。両手で頭を抱える。エドナ、アーサーを慰めるために忠実にその傍へ進む。)
 アーサー 何故来た。何が望みなんだ。
 ミュリエル 望み? 望みなんか何もないわ。ただ「今日は」って言いに来たの、それだけ。二人で同じ町にいて、お互い、会いもしないって、おかしいでしょう? ママは行くなって言ったけど、私はパパが面白がるだろうと思ったの。私ってどういう女か、それに、義理の息子がどんな人かとね。それに、パパに驚かすことがあるんだから。(呼んで。)トム! パパ、あなたの孫に会わせてあげる。
(トム登場。みんなの前に乳母車を引いて来る。全員、驚いて立ちすくんだまま。)
 アーサー(やっと。)私の・・・孫?
 ミュリエル そうよ、パパ。ほら、来て・・・見て。
(非常にゆっくりとアーサー立ち上がり、エドナが片側に、その反対側にジャックが立ち、乳母車の中を覗く。ミュリエルとトムもその後から加わる。長い間。)
 アーサー(ゆっくりと。やっと。)何だか・・・(泣声。)ビアボーム・トゥリーに似ているな。
(訳註 ビアボーム・トゥリーは、英国の漫画家。)
 エドナ(絶望的に。)いいえ、違うわ、あなた。恐ろしいことにこの子、あなたにそっくり。
 アーサー それを言うな! エドナ。
 ミュリエル ね? そうでしょう? おぢいちゃんそっくり。ね? ほらほらほら、ババ・・・ブブ・・・チュチュチュ・・・おぢいちゃん、ほら、このポンポンに触って・・・
 アーサー 私はポンポンなんかに触らんぞ!
 エドナ(トムに。)いくつ? この子。
 トム 五箇月です。あなた・・・エドナ・セルビィ・・・ですね?
 エドナ ええ。
 トム 僕、あなたのシェイクスピアを見ました。バーミンガムで。あなたが女王で、ゴスポートさんがハムレット・・・でしたね?
 エドナ ええ、やりましたわ。
 トム(陽気に。)そうすると、この赤ちゃんのテッドの、曾祖母(ひいおばあさん)になるんですね? 見方によったら。
 エドナ いいえ、どんな見方でも、曾祖母(ひいおばあさん)にはなりません。そんなこと、言わないで下さい。(非難するように。)アーサー、何が可笑しいの!
 アーサー(乳母車を指差して。)僕はテッドには、責任はないよ。
 エドナ(ミュリエルを指差して。)でも、ミューには責任があるでしょう?
 アーサー(悲劇的に。)僕はただの子供だったんだ、あの頃。乱暴で、すぐかっとなる、無責任な、血の気の多い、子供だったんだ。十七歳のロミオだったんだ。
 エドナ そして、あなたのジュリエットはフロッスィー。
 アーサー 下宿のおかみの娘だった。一時期は本気で愛した。身も心もかけて。あちらもそうだった。彼女独特のやり方でだったが・・・しかし、充分には愛してくれなかった。僕の芝居を見に来たことは一度だってない。勿論早晩、終が来る運命だった、気違いじみた若気の至りの愛は。・・・結局はね。
 エドナ(乳母車を指差して。)ここまで来ることはなかったんじゃないのかしら。(訳注 「ここまで」は「赤ん坊まで」の意。)
 アーサー いや、そういうものなんだ。父親の罪は子供に、そして三代にも四代にも渡り脈々と・・・
 エドナ そんなに急に四代まで行くことはないでしょう?(乳母車を指差して。)私ね、過ぎたことをとやかく言う質(たち)じゃもともとないけど、でもやっぱりあなた、随分無茶なことをやったものだわ。(トムに。)これ、あっちに持って行って。
 トム オーケー。そっちがそういう気持なら・・・
 ミュリエル(赤ん坊に。)あんたが邪魔らしいわ。ね? アババ・・・ブブブ!(乳母車を引き始める。)じゃ、行きまちょうね。ほら、「ありがと、おぢいちゃん」って言って・・・
 アーサー(悲劇的絶望の所作をして。)ああ、エドナ、僕はどうすればいいんだ・・・
(再びエドナ、黙ってアーサーの手を取り、忠実に同情を示す。)
(間。ハルバード兵一、今までずっと舞台の隅っこで、その時起っていることには殆ど無関心に、自分の台詞をブツブツ呟いていたが、この時になって出て来て。)
 ハルバード兵一(新しい朗読の仕方を試みて。)こいつは、笛をしまって帰ったほうがええ。
 アーサー ジャック、私はどうしたらいい。
 ジャック(安心させるように。)大丈夫です、ゴスポートさん。あの人達は二十年間、ずっとあなたを放っておいてくれたんです。これからだって、何もしやしませんよ。
 アーサー それはそうだろうが・・・あの赤ん坊!(身震いする。)ぞっとするぞ、赤ん坊とは! 
 ジャック 誰も知る必要ないことですよ、それは。娘さ・・・いや・・・ミスィズ・パーマーに秘密にして貰うよう頼むんです。それから、こう言っては何ですが、時々あの子にプレゼントを送るんですね。
 エドナ 棗(なつめ)のお菓子を送るのね、青酸カリで味つけした・・・
 アーサー そんな冗談を言う時じゃないぞ、エドナ。それに、実際のところ、あれは僕の孫なんだ。(再び苦しみを込めて。)ああ、糞っ! 孫!
 エドナ 心配しないで、アーサー。こんなこと、誰にでも起ることなの。
 アーサー しかし、どうして選りに選ってロミオをやっている時に! 何故リアをやっている時じゃないんだ!
 エドナ それが人生っていうものよ。
 アーサー 勿論今回のこの公演は中止しなきゃ・・・
 ジャック ゴスポートさん、そんな必要はないんじゃありませんか?
 アーサー 舞台の袖に、私の孫がいて、私を馬鹿にした、厭な声を立てている・・・そんな時、十七歳の少年を私が演じている・・・いや、とても無理だ。
 ジャック 舞台の袖に赤ん坊なんかいないようにします。明日の朝一番でその・・・エー・・・ミスィズ・パーマーの母親のところへ私、行って来ますよ。もう一度その住所をお願いします。
 アーサー アッパー・ビーコン通り、二十一番地。
 ジャック(書留めて。)分りました。それで、名前は?
 エドナ フロッスィー。
 ジャック ええ、それは分っています。苗字ですけど、お訊きしたいのは。
 アーサー ゴスポート・・・だと思う。
 ジャック ゴスポート?
 エドナ まあ、偶然ね!
 ジャック ゴスポートさん、まさか・・・まさかあなた、フロッスィーと結婚を?・・・
 アーサー いや、結婚したんだ。あちらはそこをきちんと要求してね。よく覚えている。
 エドナ アーサー! あなた、あの娘(こ)が正式な娘だと?・・・
 アーサー そう。完全に正式な娘だ、あれは。
 エドナ(困って。)あら、そう? するとこの話、思ってたのとすっかり違ったことになるわ。私の立場が馬鹿なものに・・・それが本当だとしたら・・・
 アーサー あの話は随分昔のことだ。それに、全体としてはかなりいかがわしい話なんだ・・・君が困ることなど、何もない筈だよ。
 ジャック(静かに。)ゴスポートさん・・・その一番目の奥さんと離婚なさったのはいつなんですか?
 アーサー そう・・・まてよ・・・ああ、バーンズで「四階を通り過ぎて」のリバイバルをやった時、私はあそこを出たんだ。
 ジャック 離婚です、私の言ってるのは。これはかなり重要なことなんです、ゴスポートさん。あなた、離婚はされたんでしょう?
 アーサー そりゃ勿論、離婚したさ。私はよく覚えている。
 ジャック で、あなたが彼女を離婚したのですか? それとも、あちらがあなたを?
 アーサー それは、お互いにさ。
 ジャック 法律では、それはあり得ません、ゴスポートさん。離婚の仮判決(かりはんけつ)・・・つまり、ディックリー・ナイサイを、どっちが受けたんです? あなたですか? それとも、あちら?
 アーサー ディクリー・ナイサイ? 何だ、それは。
 ジャック 離婚判決には必ずあるものです。判事が夫か妻のどちらかに言い渡します。
 アーサー 判事が? 判事は覚えがない。判事が出て来たとすれば、私は必ず覚えている筈だ。弁護士は一人いた。それは覚えている。それから、沢山の書類にサイン・・・
 ジャック(真実が明らかになるにつれてジャックの声、怖れで震えてくる。)ゴスポートさん、弁護士一人と沢山の書類では離婚にはなりません。
 アーサー ねえ君、何も慌てることはない! 全て完全に合法的にやってある筈だ。それは保証する。
 ジャック それが別居手続きであって、離婚手続きではなかったらしいと思ったことは一度もなかったんですか? ゴスポートさん。
 アーサー 離婚に決っている。いや、離婚手続きの筈なんだ。弁護士の名前はジェンキンズだった。弁護士の免許もちゃんと額に入っていた。よく覚えている。
(ミュリエルとその夫、ぶらりと登場。)
 ミュリエル 今日は、パパ。私達、舞台をあちこち見て回ったわ。いいんでしょう?
 ジャック(性急に。)ミスィズ・パーマー、ぶしつけな質問をしますけど、答えて下さいますね?
 ミュリエル いいわよ。何?
 ジャック あなたのお母さんは、離婚しています?
 ミュリエル 離婚? ママが? 勿論離婚なんかしてないわ。
 ジャック(静かに。)有難う。そうじゃないかと思っていたんだ。
 ミュリエル そりゃママ、パパを離婚しようって何度も考えたわ。でも何故か、その決心までは出来なかったの。いいえ、パパを褒めようなんて気はこれっぽっちもなかったの。よく言っていたわ、「あの人は今まで私が会った中で一番怠け者の、一番役立たずの、一番自分勝手な人だった」って。それから、「あの人、最後は哀れな末路よ」って。私が小さい頃よく言っていたわ、「いいかいミュー、よく聞いておくんだ。お前のパパが最後には牢屋暮しをする目に遭わなかったら、私の名はフロッスィー・ゴスポートじゃないんだ」って。
 ジャック あなたのママはね、ミスィズ・パーマー、実に驚くべき予言者ですよ。ちょっとすみませんが、ミスィズ・パーマー、旦那様とご一緒にアッパー・ビーコン通り二十一番地に帰っていて下さいませんか? こちらはあなたのパパと重要な話があるんです。パパはそれがすみ次第、必ずあなたに会いにそちらに行きますから。
 ミュリエル オーケー。じゃあね、パパ。今日はこれで。
 アーサー じゃあね。木曜日のマチネに、三枚切符をとっておくよ。ミュリエルの名前で。
 トム 有難う、パパ。
 アーサー ・・・言っとくがね、私は君のパパじゃないんだ。
 トム 法律上の話。ね・・・法律上の。
(ミュリエルとトム、退場。)
(二人が出て行った後、少し間。)
 エドナ(アーサーに。)あなた・・・どうやらあなた、酷く不注意なことをやったようだわ。
 アーサー 何か重大な間違いがある、これには。こんな馬鹿なことは起りようがないんだ。ジャック、君、早速調べて手をうってくれ。
 ジャック ミスター・ゴスポート、ミス・セルビー・・・残念ながら、これは私でも手の打ちようがない事柄です。お二人とも酷く不愉快な目に遭うことになります。重婚の罪を犯しているのですから。
(また間。)
 アーサー(呼ぶ。)ミス・フィッシュロック!
 ミス・フィッシュロック(舞台裏で。)はい、ミスター・ゴスポート。
 アーサー ちょっとここへ来てくれないか?
(ミス・フィッシュロック登場。ノートと鉛筆を用意して。)
 アーサー ミス・フィッシュロック、どうやら、妻と私は重婚の罪を犯しているらしい。すぐにロンドンの事務所に電話して、ミスター・ウィルモットに知らせて欲しい。
 ミス・フィッシュロック(気が遠くなりそうになって。)はい、ミスター・ゴスポート。その・・・今何て仰いました? 犯した罪は。
 アーサー 重婚だ。
(ミス・フィッシュロック、微かにぐらっとする。そこを倒れないようにジャックが支える。ミス・フィッシュロック、ぐっと鉛筆を掴み、この「重婚」という致命的な文字を勇敢に書留める。或はそれは速記の文字かもしれない。)
 ミス・フィッシュロック はい、ミスター・ゴスポート。
 エドナ 馬鹿な言葉。まるで私とアーサーがとんでもない深刻な罪を犯したように聞えるわ。
 ジャック ミス・セルビー、余計な心配をおかけするのは本意ではありませんが、まさにその罪をミスター・ゴスポートは犯されたのです。
 アーサー すると私は、罰金を払うとか何か・・・そういうことなのか?
 ジャック(優しく。)ミス・フィッシュロック、君、ひょっとして、重婚の最大の罰則を知っているかい?
(ミス・フィッシュロック、震える下唇を噛んで、頷く。)
 アーサー 罰則は? ミス・フィッシュロック。
 ミス・フィッシュロック(囁き声で。)牢屋です・・・一生。
(重苦しい沈黙。)
 エドナ それで・・・私にもそれが課せられるの? ミス・フィッシュロック。
 ミス・フィッシュロック いいえ、ミス・セルビー、あなたは罪を犯してはいません。(殆ど泣涙声で。)ミスター・ゴスポートだけです。
 エドナ(呆気にとられて。)まさか私達、別居には・・・
 ジャック いいえ、別居ですね、これは、ミス・セルビー。
 エドナ いいえ、そんなの駄目よ。そんなのないわ。もしアーサーが牢屋行きなら、私も牢屋に行く。
 ジャック それが許されるとは思えません、ミス・セルビー。そうだな? ミス・フィッシュロック。
 ミス・フィッシュロック ええ、許されませんわ、ミスター・ウェイクフィールド。受刑者が妻を連れてもいいなんていう牢屋はどこにもないでしょう、多分。
(ミス・フィッシュロック、この考えに耐えられず、わっと泣き出し、舞台の袖に走って退場。)
 アーサー(ミス・フィッシュロックの後ろから声をかける。)ミス・フィッシュロック、ミス・フィッシュロック・・・あんなにヒステリックになって。馬鹿だよ、本当に。
 エドナ(アーサーに近づき、彼をかき抱いて。)ああ、あなた、私、どんなことがあってもあなたをそんな目に遭わせはしないわ。決して、決して。
 アーサー ねえ君、君がそんなに神経質になることはないんだよ。僕は公けに謝罪広告を出して、フロッスィーをちゃんと離婚して、君ともう一度結婚するんだから。
 エドナ でも、そんな・・・みんなに知れ渡るようなことを・・・
 アーサー 文化庁が何とかしてくれるさ。(突然、当座の仕事を思い出し。)いや、もうこんなことで時間を潰している暇はない。仕事に戻らなきゃ。
(アーサー、ハルバード兵一を見る。ハルバード兵一は、この時までずっと辛抱強くリハーサルに呼ばれるのを待っていた。)
 アーサー 君! じゃまづ、君の台詞を聞こう。(エドナに。)じゃエドナ、君は毒薬を飲む場を頼む。毒薬を丁度飲み終ったところ。
(アーサーがエドナを毒薬の場につけている間に、ジャック、ハルバード兵一に近づき。)
 ジャック おい、君、どこまで君は聞いた、今の話を。
 ハルバード兵一 大丈夫よ、ミスター・ウェイクフィールド。わしゃお喋りじゃなあけえ。それよりゃ、幸運を祈っちゃんさい。役者としてこれで芽が出るかもしれんのだけえ、わしに。
 アーサー(振り返って。)分った、分った。あー・・・ミスター・ハルンム。君、じゃ、やってみて。今私がきっかけを出す。
 ハルバード兵一 おおきに、ミスター・ゴスポート。
 アーサー 五秒待つ。それからベッドを見詰める。そこには死骸とおぼしき物が横たわっている。その時の君の表情から、観客には次のことが読み取れねばならない。つまり、君はこの女性のために芝居をする仕事を仰せつかった。ところが当のその女性は、自分の命を断ってしまっている。おそらくはパリスとの結婚に耐えられず、別の男への愛ゆえにだ。君の顔はそこで、この精神的愛が、この世の世俗的、卑俗な世界に挑戦している不滅の闘争、を理解していることを示さねばならない。
 ハルバード兵一 そがあないたしいこと・・・やれんのう。(「いたしい」は、「難しい」。「やれん」は、「辛い」。)
 アーサー それが出来ないなら、ただ悲しい顔をすればいい。それから振向いて、あの舞台裏にいると想定されている仲間の役者達に、例の台詞を言う。(舞台裏を指差す。)分ったな?
 ハルバード兵一 分りました。(「ま」にアクセント。」)
 アーサー よし、じゃ出て。ジャック、音楽だ。
(ハルバード兵一、走って退場。)
 ジャック 音楽!
 アーサー 何か仔細があつて神は御機嫌を損じたのでもあらう。さればこの上、天意に逆らひ御不興を買つてはなりませぬ。
(正確な間の後、ハルバード兵一、登場。ひどくぎこちない演技。エドナを見、悲しい顔をしようという努力。深く溜息をつき、頭を振る。それからゆっくりと振返り、ジョージ・チャドレイと顔を合わせる。ジョージ・チャドレイは、この時までにハルバード兵一の後にやって来ている。)
 ハルバード兵一とジョージ こいつは笛をしまつて帰つたはうがいい。
 アーサー ええっ? ああ、ミスター・ハルンム、君、戻って来ていたのか。
 ジョージ こんな悲しい事態がお二人に起ったのに、私がそれを放っておくというのはどうかと思いまして・・・
 アーサー 「お二人に悲しい事態」?
 ジャック 何だって? どうやって知ったんです!
 ジョージ フェザーズ(酒場)にいたんで。そうしたら、ここの連中がどやどやとやって来て、ゴスポートさん夫妻が重婚の罪で牢屋行きになりそうだって。
 ジャック ええっ! すると噂は今頃はもう、ブラックリイを越えてしまって・・・
(ジャック、走って退場。)
 エドナ(その後から、呼びかけるように。)大丈夫よ、ジャック、劇団が後ろ盾になってくれるわ。(ジョージに。)ミスター・チャドレイ、あなた、乱暴よ。あんなに急にここを出て行くなんて。勿論、分らないことはないのよ。でも・・・ああ、そうそう、私達みんな、急に神経のいらだちにかかってしまって・・・
 ジョージ 神経の・・・何ですって?
 エドナ「いらだち」よ、ミスター・チャドレイ。い、ら、だ、ち。さ、私と一緒にいらっしゃい。紅茶、濃く出したのを飲ませてあげる。
(二人、連立って退場。)
(この間アーサー、片手を顎にのせ、じっと舞台のセットを見ている。)
(その間ハルバード兵一、じっと、絶望的にアーサーを見詰めている。)
 ハルバード兵一 ミスター・ゴスポート。
 アーサー うん。
 ハルバード兵一 もうわしゃいらんのんかいの?
 アーサー えっ? ああ・・・そう。もういらない。
 ハルバード兵一 もう・・・いらん?・・・そがあな・・・ああ・・・やれんのう・・・わしにまた、何か台詞が回って来るこたあ、もうないんかいのう?
 アーサー(ぼんやりと。)ああ、君のことは覚えておく。
 ハルバード兵一(悲しそうに。)そりゃ、おおきに、ミスター・ゴスポート。
(アーサー退場。)
(ジャック、戻って来る。)
 ジャック もう後の祭だ! フェザーズは越えて、グリーン・ホースまで噂は飛んでいる。誰も彼もが知っている・・・
(ジャック、疲れた様子でスツールに坐る。ハルバード兵一、恐る恐るジャックに近づく。)
 ハルバード兵一 ミスター・ウェイクフィールド・・・
 ジャック 何だ?
 ハルバード兵一 わしゃ、お芝居は諦めた方がええんだろうか。
 ジャック 何故私に訊く。
 ハルバード兵一 あんたは人生ちうもんがよう分っとりんさるんだ思うて・・・
 ジャック 人生が芝居に何の関係がある。
 ハルバード兵一(舞台の袖の方へゆっくり進みながら。)あーあ、あの台詞がもう言えんようになったなあ、わしゃ運がなかった。あん時は丁度、ミス・セルビー、それに、デイム・モードも一緒に出とんさった時なんに・・・それに、少し間の後、あの、表情の演技も出来たんに・・・あれさえやりゃロンドンの批評家がきっとわしのことを・・・
 ジャック(同情的に。)さあ、それはどうかな。毒薬の場は、中休みのすぐ後に来るからな。
 ハルバード兵一 じゃ、これでわしゃ・・・
 ジャック じゃ、さよなら。
(ハルバード兵一、悲しそうに退場。)
 ジョニーの声(舞台裏から。)ミスター・ウェイクフィールド!
 ジャック(呼び返して。)何だ? ジョニー。
 ジョニーの声(舞台裏から。)楽屋のあなたの部屋にいる御婦人からこう言って頼まれたんです。「時間はもう来ています。約束は忘れていないでしょうね」って。
 ジャック(呼び返して。)オーケー、分った。有難う。
(デイム・モード登場。)
 デイム・モード 何一体、この酷い噂。
 ジャック ああ、デイム・モード。フェザーズにいらっしゃったんですか?
 デイム・モード ちょっと軽い物を食べて来ようと思って入ったら、何てこと! 酷い中傷! ジャック、あなた、この年寄りに同情して頂戴。そして嘘だって言って。
 ジャック 残念ながら、あれは嘘じゃないんです。
 デイム・モード そう、分っています、黒幕は。私には全てお見通し。あなた、黒幕、想像つく?
 ジャック いいえ、誰です。
 デイム・モード オールド・ヴィックよ。
 ジャック いいえ、私にはそうは思えません、デイム・モード。
 デイム・モード まあ、あなた、盲(めくら)じゃないの? 私にはそんなこと、火を見るより明らかよ。あの連中、ほんとに何でもないことをあるように言いふらすの。本当は全く何でもないことを。私、今すぐ電話してやる。私が連中をどう思っているか、ぶちまけてやるわ。
 ジャック いいえ、それはいけません、デイム・モード、本当にそれだけは決して・・・
 デイム・モード それに、サドラーズ・ウェルズの連中にも。
(デイム・モード退場。ジャック、それを追いかけて退場。)
(舞台は暫く無人。それから、制服の警官、しっかりした足取りで舞台の袖から登場。あたりを見回す。ジョニー、バルコニーの舞台装置にかかっていて、まだ仕事中だが、登場。)
 警官 ここの責任者は誰です?
 ジョニー ミスター・ウェイクフィールドです。もう少ししたら来ます。
(ジョニー、もう一度バルコニーを揺すって、それから退場。)
(ジャック登場。警官の姿を見て立ちつくす。)
 ジャック(呟く。)ああ、これは・・・
 警官 あなたがミスター・ウェイクフィールド?
 ジャック ええ、ええ、私はミスター・ウェイクフィールドです。そう、確かに私はウェイク・・・
 警官 警察に何か御用がおありだとか?
 ジャック 御用?
 警官 ここの誰かから電話があったんです。勝手に人が入って来て困っているとか・・・
 ジャック(ひどく安心して。)ああ、人が勝手に・・・ええ、そう、その通り。忘れていました。(ジャック、笑う。どことなくヒステリックに。)まあ、まあ、まあ、わざわざお運び下さって。まあまあ、でも実はその、あれは間違いでして・・・全くの誤解だったので・・・
 警官 厄介事はもうないということで?
 ジャック ええ、ええ、ええ、もう全く何も。そんなもの、欠片(かけら)もありません。万事、実に順調で。
 警官 すると私に、無駄足を運ばせたということですかな?
 ジャック ええ、ええ、それはもう幾重(いくえ)にもお詫び申上げます。署からわざわざこんな辺鄙(へんぴ)なところまで歩いて来て下さるなんて、考えただけでも・・・さあさあ、どうかお坐りになって。さあ。(スツールを持って来る。)さ、お楽になさって。今飲物をお持ちします。ぐーっと飲めるものを。何に致しましょう。ウイスキーでは?
(警官、頷く。)
 ジャック そう、それはウイスキーでなくっちゃ。さ、ここにじっとしていて下さいよ。動いちゃ駄目ですよ。芝居小屋にはいろんな仕掛けがありますから、何かにひっかかって怪我でもするといけない。じっと静かに坐って、楽にしていて下さい。今持って来ますからね、ウイスキー! たっぷりの、たっぷりと・・・
(ジャック、急いで退場。その間にもぐだぐだ言っている。)
(警官、スツールの上に辛抱強く坐っている。相手の愛想よさに少し驚いている様子あり。間。デイム・モード登場。ギネスの一杯は飲み終え、二杯目を手に持っている。最初、警官が目に入らない。警官を見たとたん、微かに、締めつけられたような声を上げ、その場に気絶して頽(くづほ)れる。警官、びっくりして立上がる。その時ジャック、ウイスキーを持って現れる。)
 警官 ああ、よかった。早く! ご婦人が、気絶を・・・
 ジャック 何ですって? ああ、デイム・モードです、そそれは。・・・大変だ、この人、あなたを見て・・・いやいや、・・・すぐ気絶するんです、デイム・モードは。ほんのちょっとしたことで。(坐る。)ジョニー、ジョニー、来てくれ。すぐ!
(ジョニー登場。)
 ジャック 手を貸してくれ。今運ぶから。
 ジョニー 気分が悪くなったのかな?
 ジャック 失神だ、いつもの。
 警官 手を貸しましょう。私は応急処置を知っています。
 ジャック いえいえ、どうぞ、お構いなく。本当にほうっておいて下さい。何でもない、いつものことなんです。もう百歳を越えていますから・・・可哀想に。どうぞ、どうぞ、お坐りになって、ゆっくりして・・・こちらには、どうぞお構いなく。
 デイム・モード(運ばれている間に。)何よ。気つけに一杯・・・さ、早く!
(ジャックとジョニー、舞台の袖にデイム・モードを運ぶ。)
(警官、再びスツールに坐る。間。エドナ、急いで登場。)
 エドナ ジャック・・・私達もうお別れになるの?
(エドナ、警官を見る。警官の立上がるのを見て、静かに棒立ちとなる。それから、非常にゆっくりと警官の方に進む。)
 エドナ(悲しそうに、諦めて、しかし台詞はしっかりと音楽的に。)ああ、そういうこと。じたばたして傷を大きくするなど、無駄なことっていう訳ね。
 警官 はあ? どういうことで?
 エドナ お巡(まわ)りさん、私、一つだけ申し上げておきたいことがあります。この十五年間、夫と私は、一晩として、一緒に過さなかった夜はありませんでしたの。
 警官(礼儀正しく。)はあ、一晩として・・・なるほど!
 エドナ ええ、一晩として。もし私達二人が別居になるようなことがあれば、私、すぐにでも死んでしまいますわ。
 警官 はあ、死ぬ・・・すぐに・・・
 エドナ よく覚えておいて戴きたいんですの、ですから。私達二人、どんなことがあっても別れるなんて、そんなことはあり得ません。どんなことがあっても。たとえお巡りさん、あなたが別れさせようと言ったって・・・もしあの人を連れて行くのなら、この私も連れて行って下さらなければ・・・
 警官(間の後、呆気にとられて。)なるほど、よく覚えておきましょう、このことは。
(ジャック、戻って来る。エドナが警官と一緒にいるのを見てギョッとする。)
 ジャック ああ、ミス・セルビー、デイム・モードがちょっと気を失って、あなたを呼んでくれと言っています。
 エドナ(悲劇的に。)そんなこと、どうして問題になるの? 私、今、お巡りさんに話しているところ・・・
 ジャック(急いで。)お巡りさん、本当に御親切なんです。ちょっと侵入者に手を焼いているところ、と言ったら、すぐ駆けつけて来て下さって・・・実際には侵入者も何もなかったんですから・・・ね?
 エドナ(だんだん分ってきて。)ああ、そう、そうだったの。お巡りさん、さっき言ったことはお忘れになって・・・
 警官 それは・・・忘れろと言われればそのようにしますが・・・
 エドナ 私達二人だけの秘密、いいわね?(ジャックに。)お巡りさんは項(うなじ)の線が、何てお綺麗なんでしょう。ね? ジャック。
 ジャック ええ、お綺麗です。
 警官 おいおい、君達!
 エドナ 有難う、お巡りさん。今示して下さった私達へのご親切、私、決して忘れませんわ。
(エドナ退場。)
 警官 あれは、エドナ・セルビーでしょう? ね?
 ジャック そうです。あの人があなたに何か奇妙なことを言ったかもしれませんが、あまりお気になさってはいけませんよ。あの人、初日の興奮で少し頭が変になっているんですから。
 警官 ほほう、初日だと、そんなに変るものですか。
 ジャック ええ、だいたいいつも。ああ、どうやらウイスキー、なくなったようですね。では、出ましょうか。お供します。
 警官 有難う。出口は分ります。
 ジャック いやいや、ここは入り組んでいて・・・それに、また役者達が奇妙なことを言って、面倒をおかけしてはいけません。
 警官 すると、役者というのは全員、初日にはあんな風に?
 ジャック ええ、殆ど誰でも。さあ、こちらから。私の後からどうぞ。
(ジャックと警官、舞台の袖の方へ進む。ジャック退場。)
(警官、どさくさでヘルメットをスツールの上に置き忘れ、それを取りに戻って来る。アーサー登場。)
 アーサー(爆発するように。)ええーっ、お巡りさん! 何て早手回しな! 酷いです、これは。少なくともこの公演が終ってから、ぐらいで充分な筈じゃありませんか。
 警官 ああ・・・これはゴスポートさん。エー・・・私はその、ここでしなければならないことが・・・
 アーサー しかしお巡りさん、だいたい私の妻が言ってることなど、あなた、まにうけてはいけないんですよ。私達は完全に離婚も同然なんです。これは間違いありません。
 警官 ほほう、これは驚いた。
 アーサー それに、とにかく、あのゼネスト以来、僕らはひと言も口をきいたことがないんですから。
 警官 それは困りましたな。しかし、奥様のお話では、それとは全く違うような・・・
 アーサー 勿論あれは違うことを言うでしょう。宣伝の仕事がありますからね、彼女には。しかしお巡りさん、私には例のことでは、別の話が・・・(内緒話のように。)私の子供が、本当は私の実の子供かどうか、疑わしいのです・・・
 警官 ほう! そうですか!
(ジャック、急いで登場。アーサー、バルコニーに上る。)
 ジャック またか! ミスター・ゴスポート、ミス・セルビーが「別れの場」で待っています。お巡りさん、こっちへ! どうぞ! どうぞこっちへ!(ジャック、警官をアーサーから引き離し、低い声で。)あの人の言うことも聞いては駄目です。いや、あの人の言う事は、特に聞いてはいけません。
 警官 初日のアレですな?
 ジャック あの人の場合、そんなものではきかないんです。全く、完全にイカレてしまうんです、あの人の場合は。実に、実に、残念なことですが。
 警官 ほほう! それでも芝居は出来るんですか?
 ジャック ええ、芝居は出来るんです。そう、芝居だけです、出来るのは。さあ、どうぞこちらへ。どうぞ。
(ジャック、警官を連れて退場。)
(ジョニー、この時までにバルコニーに来ていて、縄梯子をかけている。アーサーとエドナ、バルコニーに現れる。)
(ジョニー退場。頭を振りながら。)
 アーサー 「別れの場」の照明を頼む。
(薔薇色の、暁(あかつき)の効果、の照明、つく。)
 アーサー よし。・・・それなら捕はれてもよい。殺されてもよい。本望だ。それがあなたの望みなら。さう、あの薄明りは朝の目差(まなざ)しではない。月の女神の額の蒼白い照返しにすぎぬ、頭上高く空一杯に鳴渡るあの調べも雲雀(ひばり)ではない。いつまでもここにゐたい。帰りたくなどあるものか。来るがいい、死神、喜んで迎へてやるぞ! それがジュリエットの望みなのだ。どうしたジュリエット? さあ、ゆっくり話さう。まだ朝ではない。
 エドナ いえ、朝よ! 早くお帰りになつて、早く! あの調子はづれに歌つてゐるのは雲雀、あのうるさい耳障りな金切声は。雲雀は色々変つた音色を弾分けるといふ。でもあの雲雀は駄目。私達を引分けてしまふだけ。雲雀は忌はしい蟇蛙(ひきがへる)と目を取替へつこしたとか。ああ、序でに声も取替へてしまへばよかつたのに。私達の腕を引離すあの声こそ、朝を呼寄せあなたを追立てるのですもの。ああ、早くお帰りになつて! 段々明るくなつて来る。
 アーサー 外が明るくなれば、二人の心は暗くなるのだ。
(ミス・フィッシュロック、舞台の袖から突然飛び出して登場。ミス・フィッシュロックの顔、嬉しさで輝いている。そしてその顔がヴェローナに上る太陽の、薔薇色の光に反射している。)
 ミス・フィッシュロック(非常に興奮して。)ミスター・ゴスポート、ミス・セルビー、お邪魔しても許して下さると思いますわ。私、大事なお知らせがあるんです。
 アーサー 何です? ミス・フィッシュロック。
 ミス・フィッシュロック ミスター・ウィルモットに連絡したんです。そうしたら返事があって、・・・あの人、それは落着いていて、親切で、適切な返事を下さったんです。明日ブラックリーにご自身で一番の汽車で来て下さるそうです。
 エドナ まあ、何て親切!
 ミス・フィッシュロック それに先だって、予めお二人に伝言があります。お二人とも決して心配はいらないって。この件に関する法律はよく知っています。全く・・・全く、何の心配もありませんから、と。
 アーサー(勝ち誇って。)そうだろうと思っていたよ!
 ミス・フィッシュロック ただ、ミス・セルビーにサインして貰わなければならない書類があって、それは、「私がミスター・ゴスポートと結婚する時、ミスター・ゴスポートが既に結婚していることは、はっきりと分っていた」という文面です。この書類さえあれば、第二の結婚が全く無効となるのだそうです。
 アーサー ああ、それは素晴しい!
 ミス・フィッシュロック ですから、法律を犯したという問題は全く生じないとのこと。ああ、ミスター・ゴスポート、ミスター・ウィルモットって何て頼もしいんでしょう。続けてこうも言ってましたわ。その御婦人・・・例の・・・その人から離婚するのは訳もないことだって。それから、もしお二人がまだ結婚をお望みなら、それも可能なんですって。勿論大々的な宣伝は駄目ですけど・・・そう、これでこの件はすっかりお仕舞ってことになりますわ。(ミス・フィッシュロック、バルコニーを見上げて微笑む。その顔に、義務を果したという満足感あり。)
 エドナ まあ、ウィルモットって頭いいわね、アーサー。あんないいマネージャー、いないわ。ね?
 アーサー 有難う、ミス・フィッシュロック。よくやってくれた。感謝しているよ。
 ミス・フィッシュロック お二人とも御安心なさったでしょうね? ああ、ミスター・ゴスポート、私、嬉しいですわ。本当に。それから、おめでとうございます、ミス・セルビー。
 エドナとアーサー(呟く。)有難う、ミス・フィッシュロック。
(ミス・フィッシュロック退場。今回は喜びの涙を流して。)
 エドナ アーサー、あなた、ここで劇団の人達に、何かひと言言った方がいいんじゃない? 全員きっと大喜びだわ。
 アーサー ああ、そうだな。(呼ぶ。)ジャック、みんなを集めてくれないか。
(ジャック登場。)
 ジャック みんなはもう殆ど全員集まっています、ミスター・ゴスポート。(舞台の前面を見ながら。)さあみんな、そこに坐って・・・
 アーサー よし。(みんなに。)諸君、この重婚の件に関してひと言申上げます。喜んで下さい。危機は去りました、完全に。ミスター・ウィルモットが、私とミス・セルビーの結婚は無効であることを証明する手だてを見つけてくれたのであります。
(舞台の袖から、少し拍手の音が聞えてくる。)
 アーサー 有難う、有難う。そう、この機会を利用し、ミスター・ウィルモットに、私とそしてミス・セルビーの、感謝の気持を衷心より述べるものであります。ミスター・ウィルモットの協力と法律上の知識、それに・・・機転・・・がなければ、この結果は到底望むべくもなかったのであります。
(最初の時よりも大きい拍手。ミスター・ウィルモットの息がかかっている劇団員の多さがこれにより感じられる。)
 アーサー それに、ミス・フィッシュロックにも感謝を。ミス・フィッシュロックはいつもながら、地道な、着実な仕事ぶりを見せ、とても我々では期待出来ない結果を齎(もたら)してくれたのであります。
(ミス・フィッシュロックのためには、唯一人の拍手。)
 アーサー そして最後に諸君に。諸君はこの度の、ミス・セルビー及び私の危機に際し、その忠誠の気持を保持し、我々二人を支えて下さった。その、諸君全員に感謝の気持を捧げる。・・・さて、ここで一つ。私は、ご存知の通り芝居に対してやかましい男ではない。しかし、今日のこのお茶の時間により非常に長い時間が無駄に費やされたということだけははっきりさせておきたい。これからは決してこのようなことが起きないよう、細心の注意を払おう。さ、諸君、仕事だ!
(アーサー退場。)
 エドナ ちょっと待って、みなさん。私も報告することが一つあるわ。ミス・フィッシュロックが彼女独特の才能を発揮して、ついに国民保険を、この劇団の全員に適応出来るようにしてくれたの。
(アーサー登場して。)
 アーサー ブラーボ!(エドナに。)さあ、梯子(はしご)を降りる場面だ。
 エドナ ええ。
(アーサー、梯子を登る。)
 エドナ 私達の腕を引離すあの声こそ、朝を呼寄せあなたを追立てるのですもの。ああ、早くお帰りになつて! 段々明るくなつて来る。
 アーサー 外が明るくなれば、二人の心は暗くなるのだ。
 エドナ それなら、その窓から朝の息吹きを、その代りに私の命を吐出すがいい。
 アーサー ではこれで、さあ、お別れだ、もう一度口附けを、それを最後に降りて行かう。
(アーサー、梯子を降り始める。)
 エドナ このまま行つてしまふのね、・・・ああ、アーサー・・・私、酷い、酷いことを思いついたわ。
 アーサー 何を。
 エドナ バズィルのこと・・・子供の。
 アーサー バズィル?(呼ぶ。)ミス・フィッシュロック!
(ミス・フィッシュロック、再び慌てて登場。)
 ミス・フィッシュロック はい、ミスター・ゴスポート。
 アーサー ミスター・ウィルモットにすぐ電話してくれ。うちのバズィルが私生児になりはしないかって。
 ミス・フィッシュロック はい、分りました、ミスター・ゴスポート。
(ミス・フィッシュロック退場。)
 アーサー それに、この場面、ちょっと照明が強過ぎないか?・・・君、どう思う? エドナ。
 エドナ そう、そう思う。特にバルコニーは。
 アーサー(呼ぶ。)ジャック!
(ジャック登場。)
 アーサー 照明が強いぞ、ここが。それにあっちもだ。(手を右に左に動かして。)みんな。いいか? じゃ、頼む。
 ジャック これより照明を弱めたら、ゴスポートさん、真っ暗に・・・
 アーサー そんな馬鹿な。さあ、やって。
(中幕が引かれると、そこはヴェローナの場。二人のハルバード兵とジョージ・チャドレイ、それにイングラムがいる。)
 アーサー よし、揃ってるな? 決闘の場だ。
(デイム・モードがバルコニーに登場。)
 デイム・モード 丁度ここで止まってよかった。私また、ちいーっちゃなヒントがあるんだけど、言っていいかしら?
 エドナ ちょっと、伯母さま、それはまた・・・ええ、明日にして下さらない? 
 デイム・モード 明日じゃ遅過ぎるの。
 エドナ(全く相手を無視して。)まだバルコニー、明る過ぎよ、ジャック。
 ジャック(怒鳴る。)もう少し落すんだ、ウィル! ミス・セルビー、駄目です、これ以上は。
 エドナ 大丈夫な筈よ。照明は落ちたって、私達、落ちないんだから。
 アーサー(ヴェローナの場で。)おい、ティボルト、お返しと行かう、先刻貰つた「悪党め」の。マーキューショーの魂はまだこの頭の上をさ迷つてゐる。貴様の来るのを待つてゐたらしい。俺か貴様か、さもなくば二人共々、あの男の供をしなければならぬのだ。
 イングラム 若造め、この世での二人のいちやつきをあの世でも持込むがいい。
 アーサー それはこの手が決める。
 イングラム おい、こんな腰抜けを相手に剣を抜くのか? こつちを向けベンヴォーリオ、命は貰つたぞ。
(訳註 これは第一幕第一場の台詞。)
 ジョイス(喧噪の中をジョイスの声が鋭く響く。)ジャック! ジャック! 時間切れよ!
 ジャック 何? ああジョイス、そこをどいて。稽古だ。忙しいんだ!
 ジョイス いいえ、どきません。あなた、もう話したの?
 ジャック 話す? 何を? ああ、あれ。いや、まだだ。なあジョイス、もう少し待ってくれなきゃ。頼むよ。あの二人をこのまま放ってはおけない。今になって分ったんだ。鉄のカーテンの後ろで正気な人間が誰もいないままやりたいようにやらせることは出来ないんだよ。
 ジョイス 正気? あなたじゃないの、正気でないのは。あなたもみんなと同じ。気違いよ! この気違いの家があなたにまで伝染したのよ!
 ジャック 気違いの家? いや、そんなものじゃない、ここは。普通のドレスリハーサルだよ、今やっているのは。さ、そこをどいて、ジョイス。
 エドナ ジャック、まだここのバルコニー、照明が強過ぎよ。
 ジャック これ以上照明を下げたら、ミス・セルビー、フューズがとんじゃいますよ。
 エドナ それならとばせばいいでしょう?
 アーサー(ヴェローナの場で。)今のは早過ぎだ。もう一回。
 ジョイス もう駄目、ジャック。私、あなたとはお別れ。あなた、この精神病院からは抜け出られないの、一生。さようなら、ジャック。さようなら。
(ジョイス、舞台から退場。)
 ジャック ジョイス!
 デイム・モード(バルコニーから下を覗いて。)ああ、あの娘(こ)、才能があるわ。あれ、誰? アーサー、あの娘、誰なの?
 アーサー(相変らずヴェローナでの決闘の場面を指揮しながら。)知りません、モード伯母さま。ジャック、名前を調べるんだ。
 ジャック 名前は分っているんです、ミスター・ゴスポート。ジョイス・ラングランドです。あの娘は私の許嫁(いいなづけ)です。
 アーサー そうか。じゃ、「冬物語」で一回使ってみよう。おい、この決闘の場はどうも気が抜けてきたぞ。もう一回最初からだ。
 エドナ まだ照明が強過ぎよ、ジャック。
 ジャック 分りました、ミス・セルビー。おい、ウィル、もっと下げろ。きっかけ二、三、四、の雷と稲妻・・・はい!
(照明、急に消える。)
 ジャック 糞っ! フューズがとんだぞ。
(丁度夏の稲妻が、都合よく外から光る。)
 アーサー(怒鳴る。)劇場の灯り! 劇場の!
 バートン(必死の声。)灯りは消すんだ! 七時三十分です。観客が来ています。ほら、もう前の席に!
(バートン、指差す。舞台前面の役者達、前の席に坐っている観客をびっくりして見詰め、慌てて舞台の袖に走って退場。)
(劇場の灯り、消える。一瞬真っ暗。それから、外の稲光と雷の音。次に芝居用の照明がつき、外の舞台を照らす。アーサー、例の花器を持ってゆっくりと舞台に登場。)
 ジャック(舞台裏で、狂気のように、囁き声で。)ミスター・ゴスポート! ミスター・ゴスポート! もう観客は前の席にいるんです!
(ジャック、舞台の袖をアーサーに示す。他の役者達の顔も現れ、アーサーに観客のことを知らせようとする。が、アーサー、自分の行動に没頭、他のことに気づかない。アーサー、ゆっくりと例の花器の周りを回る。その形に不満があるらしく、再び花器を持ち上げ、ゆっくりと歩いて、退場。その間に「ロミオとジュリエット」の幕開けの音楽、響く。)
                 (幕)

 平成二十年(二00八年)十一月十七日 訳了


Harlequinade was first produced at the Phoenix Theatre, London, on September 8th, 1948, with the following cast:

Arthur Gosport... Eric Portman
Edna Selby... Mary Ellis
Dame Maud Gosport... Marie Loehr
Jack Wakefield... Hector Ross
George Chudleigh... Kenneth Edwards
First Halberdier... Peter Scott
Second Halberdier... Basil Howes
Miss Fishlock... Joel Dyson
Fred Ingram... Anthony Oliver
Muriel Palmer... Thelma Ruby
Tom Palmer... Patrick Jordan
Mr. Burton... Campbell Cotts
Joyce Langland... Henryetta Edwards
Policeman... Manville Tarrant

The play directed by Peter Glenville



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