諍い
        三幕の喜劇
       レオン・ベルナールに捧ぐ
          
          シャルル・ヴィルドラック 作
            能 美 武 功 訳

   登場人物
ガブリエッル・パン  五十歳
アンリ・デュマ   四十六歳
アンドレ・パン   ガブリエッルの息子、二十六歳
ブルダン・ラコット   代議士
製図士
ジャンヌ・デュマ   アンリの妻、四十歳
エリザベット・パン   ガブリエッルの妻、四十五歳
スィルヴェット・デュマ   アンリの娘、十九歳
マダム・デュマ   アンリの母、七十歳
女中

   第 一 幕
(アンリ・デュマの家。)
(近代的で居心地のよい居間。右手に、食堂に通じる扉。両開きの扉は現在、両方とも開いている。左手に壁。棚に本がずらりと並んでいる。舞台奥中央に扉。その他、ソファ、仕事机、お茶のためのテーブル。)

     第 一 場
(幕が開くと、女中がコーヒーの用意された盆を、テーブルの中央から少し左手の場所に置いているところ。最初ジャンヌ、食堂から登場。食堂からは、話し声が聞えて来る。次にデュマとブルダン・ラコット、登場。)
 ブルダン・ラコット いや、冗談は抜きにして、会議が二時半に始まる。もう二時二十五分だ。
 デュマ(自分の時計を見て。)まだですよ。それにタクシーなら十分で会議場に着きます。コーヒーを飲む時間はありますよ。おい、ジャンヌ・・・
(ジャンヌ、ブルダン・ラコットにカップと砂糖入れを出す。)
 ブルダン・ラコット(カップを受取って。)奥様、失礼しますよ。時間が・・・。洋裁店の売子(うりこ)がカウンターで急いでガブ飲みするような真似を私も・・・ただ一つ違いと言えば、女の子はカウンターに六スウ投げて行くでしょうが、私の方はそれもせず・・・
(ブルダン・ラコット、笑い、コーヒーをガブリと飲む。)
 デュマ 今日の議題は植民地の予算ですから、勿論あなたには一番の関心事でしょう。
 ブルダン・ラコット おいおい、デュマ君、私にとっては何もかもが一番の関心事だよ。裁判所の予算、或は文化庁の予算だって、今日の議題と同じように時間厳守で出席するつもりでいるさ。(デュマ、微笑む。)いやいや、冗談じゃない! 私は落花生業者を地盤に当選している議員だがね、同僚の他の議員達と同様私も、議会の使命は議員の能力を越えている・・・確かにそうだよ!
(ブルダン・ラコット、コーヒーを飲む。)
 ジャンヌ 議員の能力を越えているのは、議会の・・・野心・・・と仰いました?
 ブルダン・ラコット いやいや奥さん、議会の使命です、使命・・・(笑う。)勿論野心もですがな・・・うーん、実にいいコーヒーだ!
(エリザベット、パン、登場。)
 エリザベット(パンに、囁き声で。そんなぶっちょう面(づら)をしたら駄目!
 パン(囁き声で。)どんな顔をしようとこっちの勝手だ。
 エリザベット あなた、ひと言も口をきかなかったわ。
 パン その方が礼儀に叶っていたさ。
(エリザベットとパン、テーブルに近づく。マダム・デュマ登場。)
 マダム・デュマ(食堂の方を振り向いて。)ほら、あなた達! コーヒーが出ましたよ。
(マダム・デュマ、坐るために左手に進む。ジャンヌ、コーヒーカップをマダム・デュマの方に持って行く。アンドレとスィルヴェット、話をし、笑いながら、登場。スィルヴェット、ジャンヌの手伝いをし始める。)
 スィルヴェット(エリザベットに。)おばさま、お砂糖いくつ?
 エリザベット 二個お願い。
 ブルダン・ラコット どうかもう、私にはお構いなく。私はこれで終りました。
 デュマ(ブルダン・ラコットに、グラスとデカンタをもって近づき。)ブランデーをちょっと・・・如何です?
 ブルダン・ラコット いやいや、私はもう行かなければ。
 デュマ これはいけますよ、本当に・・・さあさあ、どうぞ一杯!
 ブルダン・ラコット(グラスを取って。)いや、断りきれませんな、これは。あ、あ、それで!(ガブリエッル・パンに。ブランデーを飲んだ後。)ガブリエッル・パンさん、あなたではなかったでしたかな? 私の友人の医者のフィロが、ポッスィーに建てた家の設計者は。
 パン(故意に言い淀(よど)んで。)私?・・・ええ、・・・まあ・・・
 ブルダン・ラコット いや、おめでとう。素晴しい家ですな。実に素晴しい!
 デュマ そうでしょう?
 パン(不機嫌に。)私は賛成しません、素晴しいというのは。設計の後、施主からいろいろな注文がでて、それが一つ一ついづれも設計の意図とは・・・(違っていて・・・)
 ジャンヌ(途中で遮って。)ブルダン・ラコットさん、この人の言うことを聞いては駄目ですよ。計画には全く変更がなかったのです。お施主のお医者さんの注文は、ほんの些細なものばかりだったんです。
 パン 些細な? 冗談じゃない!
 ブルダン・ラコット どうやらパンさん、あなたは細心の注意を払うお方のようですな。
 パン ええ、そう、私は細心です。細かいですよ、事(こと)が。
 エリザベット(囁き声で。)お止めなさい、あなた!
 パン(囁き声で。)さっきは喋らな過ぎると僕に言ったぞ!
 スィルヴェット(冗談に。パンに。)まあ、今日は怖いこと!
 ブルダン・ラコット(ジャンヌに。)奥様、実にその、申訳なくて、お詫びのしようもないのですが、この辺でおいとませねば。折角楽しくお話が出来るというのに・・・
 ジャンヌ いえいえ、どうぞ、お気になさらないで。よく分りますわ。
 ブルダン・ラコット そう、仕事ですからな。仕事、仕事、仕事!
 マダム・デュマ(ブルダン・ラコットに。)演説をなさいますの? 今日は。
 ブルダン・ラコット いいえ、議論に口を挟むことさえしないつもりでおります。今回の出席は、植民地の補助金を成立させるための票集めで、どうしてもすっぽかせないのです。ご説明をすると長くなりますので・・・あ、どうぞそのままで、奥様。これで失礼致します。
 マダム・デュマ(頭を下げて。)では、私はここで失礼します。
 ブルダン・ラコット(ジャンヌに。)おもてなし、どうも有難うございました。
 ジャンヌ では、これで。
(二人、握手。)
 ブルダン・ラコット(エリザベットとパンに。)お二方にお会い出来て光栄でした。(パンに。)いつかごゆっくりお話出来る機会を・・・
(ブルダン・ラコット、パンと握手。パン、身を固くする。)
 ブルダン・ラコット(スィルヴェットとアンドレに。)じゃ、お二人さん、さようなら。どうぞお幸せに。それで、結婚はいつ?
 エリザベット(はっきりとは言わず。)まだあと何箇月か・・・
 ジャンヌ 婚約したばかりですの。まだ時間はありますわ。
 デュマ 若いですから、時間はたっぷり!
 ブルダン・ラコット(若い二人に。)じゃ、急ぐことはない。よく言いますからね、婚約が花、結婚すると飽きが来るってね。
(ブルダン・ラコット、大声で笑う。若い二人、抗議の表情。)
 マダム・デュマ その反対のことも起きる場合がありますわ!
 ブルダン・ラコット それはそうです。でも、少しはからかってやらなきゃ。(スィルヴェットを見て、アンドレに。)素晴しいお嬢さんだ。君、おめでとう!(デュマに。)ではムスィユ・デュマ、失礼しますよ。どうぞそのまま。(こっそりと。)まあ、私に任せておくんだ。
 デュマ 有難うございます。では、失礼します。
(ブルダン・ラコット、舞台奥に退場。ジャンヌとデュマ、ちょっとの間、ブルダン・ラコットを送って退場。すぐ戻って来る。)

     第 二 場
 デュマ 何ていう人物だ!
 アンドレ あの人の一人舞台でしたね。
 エリザベット 食べている時だって、お喋りは止まらない・・・
 スィルヴェット そう、食べながら喋って、よく呑み込めるものね。
 マダム・デュマ あの人、どこの県から出ている人?
 アンドレ(デュマに。)ギュイエンヌからでしたね? たしか。
 デュマ 違う、ナイジェリアだ。
 マダム・デュマ あら、ナイジェリア出身の人?
(笑い。)
 デュマ いいえ、お母さん。リムザン出身ですよ。でもとにかく、ナイジェリアには選挙で一度は行かなきゃなりませんね。
 パン(突然、爆発するように。)それだって分りゃしない!
 デュマ ああ、ガブリエッルが怒り出すぞ。おい、ガブリエッル、ブランデーはどうだ?
 パン(不機嫌に。)貰うさ!
 デュマ 葉巻は?
 パン(不機嫌に。)いらない。
 スィルヴェット とにかく図々しい人、あのムスィユ・ブルダン・ラコット。
 ジャンヌ でも全く厭らしい人、とも言えないわね。もう少しで下品になるところを、すれすれで逃れているし、皮肉もよく効いているわ。
 パン あれで皮肉が効いている? 下品を逃れている? 冗談じゃない!
 デュマ おお、ガブリエッル・・・やっと目が醒めたか。やっと口がきけるようになったか。君、今までどこにいたんだ?
 パン(攻撃的に。)ブルダン・ラコットから、出来るだけ離れていようとしていたんだ。それでも僕には、あまりにも近過ぎた。
 デュマ それはそうだ。そうじゃないかと思っていた。
 パン もっと早くにそうじゃないかと思ってくれるべきだったんだ。そうして僕に、あいつが来ると言っておいてくれればよかった。そうすりゃ、僕は来やしなかった。
 デュマ うん、言ってたら君、来てなかったろう。分ってたよ。しかし僕は、君に来て欲しかった。あのブルダン・ラコットに、頑固一徹の君という人物を見せたかったんだ。
(パン、姿勢を正し、苛々している様子を示す。)
 スィルヴェット もういいわよ。またやり出すわ、議論を。
 エリザベット 議論はもう沢山・・・
 アンドレ さあみなさん、これから重量級の打ち合いが見られますよ。
 デュマ(自分の台詞の続きを言う。)だからもう少ししかめ面でない君の顔を彼に見せたかったんだが・・・
 ジャンヌ ええ、それはそう・・・
 デュマ そう、少し神妙な態度で、君の厭な性格を見せなかったら・・・
 パン(肩をすくめて。)どうでもいいよ、そんなこと。どうせあんなやくざな男と一緒に僕は仕事なんかしないんだから。
 アンドレ いいぞ、パパ。
(エリザベット、アンドレに黙るよう合図。)
 デュマ(パンに。)そんなことを言って。君には分ってないんだ・・・
 マダム・デュマ(パンの言葉にショックを受けて。)あの人、議員さんですよ、あなた。
 パン(デュマに。)いや、ちゃんと分ってる。だいたいこの僕が、そのことが分ってないんじゃないかと、君が思う方がどうかしているんだ!
 デュマ やれやれ、それであの態度か。君は冷や汗をかかせるね、僕に。
 スィルヴェット(デュマの言った台詞の重みにアクセントをつけて。)ボカッ!
(訳註 スィルヴェットは、二人の喧嘩を止めさせようとしている。二人の会話をボクシングに見立てて、「ボカッ」と言う。)
 ジャンヌ(スィルヴェットに、こっそりと。)スィルヴェット、お止めなさい!
 パン(デュマに。声を荒げて。)いいか、君、君がどんな与太者、不良、を君の家に招(よ)んだって、そんなことは君の勝手だ。それを僕が知れば、ただ君のことを可哀想な奴め、と思うだけ・・・
 デュマ(途中で遮って。)ご立派なこと!
 パン(続けて。)しかし、これが最後、僕の言いたいのは、そんな時に僕まで招(よ)んで来れるなということだ!
 ジャンヌ まあ!
 デュマ(傷ついて。)君の言う与太者、不良、悪党を、僕が家に招んでいるかどうか、僕には分らない。しかしガブリエッル、僕はもう君に良かれと思う人間関係も、新しく作るのは、これからはすっかり止めにする。君はあまりにも無作法だ。品がなさ過ぎる!
 エリザベット アンリ! あなた、ガブリエッルに人を紹介するのはいいことなのよ。でも、予め知らせなきゃ! 無理に会わせるのは駄目よ。この人の性格は分っているでしょう?
 デュマ 知っているからこそ・・・
 パン(途中で遮って。)僕が関りたくない人間もいるんだ!
 ジャンヌ 私達と親しい人でも? ガブリエッル。あなた、それ、随分よ! 私達を馬鹿にしているわ。それに、度量の狭い話! 人の善し悪しについてあなたの判断にみんなが従わなきゃいけないっていうのね? 私達、ブルダン・ラコットはあなたと同程度には良い人だと思っているのよ。それに、さっぱりしている。私達に迷惑をかけないわ、あの人!
 デュマ ブルダン・ラコットは、あれはあれで取り柄があるんだ!
 パン 取り柄? 君にはな。僕にはゼロだ、あいつなんか!
 デュマ いや、ある、彼には! 君だって僕の言っている意味は分っている筈だ。しょっ中我々のような会社に来ては、大小様々な仕事の話をしてくれる。それに、公けの力が必要な時には、ブルダン・ラコットに一肌脱いでもらうのが一番早道なんだ。それぐらいのことなら、君だって文句は言わないだろう。
 パン 厭だ、僕は。現場監督に食前酒を一杯・・・僕はこれが精一杯だ。とにかく僕は、自分の食卓に、友達と一緒にそんな汚(けが)らわしい奴を同席させる気は全然ないね。
 ジャンヌ 汚らわしい! まあ、良く言ったわね、ガブリエッル!
 デュマ 汚らわしい、の使い方のセンスが君、違うんじゃないか?
 パン センスが違うのは君の方だ、アンリ。いや、そのセンスが昔とは違ってきたんだ。十年前、まだ君が駆け出しの頃、僕と君とは「厭だ」という事に関しては何時だって気分は同じだった。ブルダン・ラコットのような、正直者とはほど遠い男とは、どんな口実があろうと席を一緒にするような君じゃなかったんだ。アルトー事件の時のあいつの役割、君だってちゃんと知っているだろう? それだけじゃない・・・
 デュマ おいおい、待ってくれ、ガブリエッル。十年前、私があのブルダン・ラコットに何が出来たって言うんだ。それから、今のその「汚らわしい」だが、僕だって嫌悪感はある、あいつに対して。・・・君と同じくらいあるかもしれない。それをわざわざ口に出して言わないだけのことさ。
 パン ほう、立派なものだな、その自制力は。
 マダム・デュマ(パンに。)あなた、あの人が出て行く時、少なくとも握手はしたわ。
 パン ええ、来た時にだって握手はしました。僕はアンリを許しませんよ、僕をこんな目にあわせたりして。
 ジャンヌ 許さないだって、そんな! たいしたことじゃないでしょう? ガブリエッル。
 デュマ 「目にあわせる」と言ったって、強制じゃないぞ。
 パン 今になって何を言うんだ! 君のジャンヌに恥をかかせないようにと考えれば、あれは強制に決っているだろう? 友達のところに来た客と握手しないとなれば、何か説明なしではすまされない。分り切っているじゃないか。
 デュマ ほほう、すると君はそういう初歩的かつまっとうなエチケットは心得ているという訳だ。
 アンドレ あまりに初歩的で、まっとうなエチケットとは言えないかもしれないが・・・
 スィルヴェット もうこの話、おしまいにして!
 ジャンヌ ええ、もうおしまい!
 エリザベット そう、おしまいよ! おしまい!
 アンドレ いつものように、これは引き分けだ。そう、減点はあるな、ムスィユ・アンリ・デュマに。ほんのちょっとの減点。ムスィユ・ガブリエッル・パンに、とんでもない出会いを予め知らせておくべきであった、と・・・何しろそのお陰で、当のガブリエッル氏は、ここで七面鳥を食わされるはめになったんだから。(笑う。)
 パン(デュマに。)もうこんなことは二度とご免だ、アンリ!
 デュマ ああ、安心するんだな、これからは。きっちり二人で計画したもの以外、君を煩(わづら)わすやうなことは決してしないよ。
 パン それはよかった。
 デュマ しかし、この話を打ち切るにあたって、一つ言っておきたいことがある、繊細なムッスィユ・ガブリエッル・パン。君だって相当いかがわしい人物のために仕事をしているんだ。ブルダン・ラコットよりもっと酷いね。
 エリザベット あら、誰、それ。
 デュマ 例えば弁護士の・・・
 パン(平静を装って。)ペルシュロン・・・
 デュマ そう、ペルシュロン、それに、コリネ・・・戦争中に小麦を買い占めて財を成した悪徳業者だ。
 パン(悪意を含んで。)アンリ、君に厭なことを言うはめになりそうだ、僕は。
 デュマ 堪忍袋の緒が切れた、か?
 ジャンヌ ああ、もう止めて!
 パン いいか、アンリ、僕は確かにコリネやペルシュロンの仕事をやった。その他この僕に損をさせるような悪党のためにだって仕事をしたことがある。ご承知の通りだ。勿論、正直な、まっとうな人のためにも仕事をしている。僕の助けが欲しいと言われれば、選り好みをせず引受ける。僕は建築家だ。医者や靴屋と何の変りもない。アイディアを出し、図面を引き、見積書を出し、建物を作る。僕は客におもねるようなことはしない。それに客の商売には、僕は無関心だ。僕は自分の腕だけが頼りで、それで食っているんだ。
 デュマ(酷く傷ついて。)そうか。それでこの僕には、腕がないと言いたいんだな?
 パン そう、君には腕はない! 君はインテリだ。仕事へのセンスはある。君は、地所を、不動産を、宝石など値打のあるものを、売り買いする。浜辺を、森を、分譲する。カジノを利用してミネラルウオーターを売込もうとしている。それはそれでいい。しかし君には、協力者、支援者、影響力のある人物が必要だ。だから好きでもない連中、内心嫌っているどんな奴とでもくっつかなきゃならない!
 デュマ(怒って。)僕は自分の好きにやっているんだ!
 パン 分ってる! しかし、僕まで巻添えにしないでくれ。僕にその気があるかのようにブルダン・ラコットに引き合わせたんだろう!
 ジャンヌ 「その気がある」? 何? それ。
 デュマ どういうことだ、「その気がある」とは。ちゃんと説明するんだ!
 パン あいつの前で君は、僕がカジノの仕事をしていると言っただろう。僕はあんな仕事、何も知らないぞ。
 デュマ 知らないだと?
 パン あの男に、どれだけ仕事が進んでいるかを見せようとしていたな。もう設計する人間も決めていると。
 デュマ そうさ。
 パン 君はこの僕を操り人形なみに扱ったんだ。自分の意図も、やり方も、僕には全く知らせないで。
 デュマ 意図もやり方もはっきりしていた。君も当然分っていた筈だ!
 ジャンヌ(パンに。)カジノの話を主人はあなたに、もうしていた筈よ。他の設計者が入って来る余地はないとか、そんな話が・・・
 マダム・デュマ 友達への感謝というものがなければ・・・
 エリザベット(ジャンヌに。)とにかくひと言うちの人には話しておいて下さった方がよかったのに・・・
(女達だけの会話が囁き声で続けられる。)
 デュマ こういうやり方で君に、今まででも何度仕事を頼んだか。それで君は、何も文句は言わなかったぞ。それに、君に悪い話じゃなかった。それは今回も同じなんだ。
 パン 悪い話じゃない。僕のためを思ってやってくれていることは分ってるさ。
 エリザベット アンリ、あなた、うちの人のためとは言っても、自分でもちゃんと儲けているんでしょう!
 デュマ それは、自分のためにも・・・
 マダム・デュマ(途中で遮って。)いつもではありませんよ!
 デュマ いや、自分のためだけを考えてやっておけばよかったよ。後悔する。それに、ガブリエッルへの感謝の気持も足りなかった。後悔しているよ。
 パン(途中で遮って。)馬鹿なことを言うな! それにエリザベット、お前ももう少し黙っているんだ!
 デュマ(続けて。)実に後悔しているよ、僕のような腕に職のない仲介屋の、宿無しの、寄生虫が、物づくりの人間の君、創造力によって社会を変えてゆく、ガブリエッル氏のような人に、馬鹿な間違いがあってはいけないからと、こちらから仕事の世話などしたのがいけなかった。そんなことをやったせいで、ガブリエッル氏は喧嘩腰の、突慳貪(つっけんどん)な男になってしまったんだから。
 パン 僕がか?
 デュマ そうさ。だから君は僕を許せないんだ。
 パン 君は議論をすり替えている。自分の思ってもいないことを口にしているんだ。
 デュマ いや違う。これが議論の底にあるものなんだ。
 パン 君に仕事の世話をして貰っているから僕が遠慮して、君に言いたいことを言わず、やりたいことをやっていないっていうのか?
 デュマ いや、そんなことを君はしていない。しかし最近、言いたいことを言う時、君は少し食ってかかるような口調になった。何かの敵(かたき)をとる時のようにね。
 パン そう、君は最近、僕に対して無遠慮な扱いをするようになった。僕への貸しを思い出させようとするかのようにね。
 ジャンヌ それはいけないわ、アンリ!
 デュマ 僕が何を言ったというんだ! そっちこそ言いがかりじゃないか。さっきの口調では、まるで僕が君を部下のように扱ったと言わんばかりだったぞ。
 パン ついついやってしまうんだ、君は。我にもあらずね。僕の仕事に嘴(くちばし)を入れるんだ。僕が君に金を借りているばっかりにだ!
(デュマ、憤慨して飛上がる。)
 エリザベット だからそれは当り前なの。私、いつもこの人にはそう言ってる。
 ジャンヌ まあ! エリザベット!
 デュマ 何が当り前だ! 何が! と言うことは、僕が友人としてよりも、債権者としてガブリエッルを見ている、と言いたいのか!
 エリザベット それは両方でしょうね。
 デュマ ああ、ガブリエッル、君がヘスダンの破産の煽(あお)りを食(くら)って困っていた時、僕が財政的に援助出来る余裕があったのは、何て不幸だったんだ! 違う、エリザベット、僕には債権者であることなんかどうでもいいことなんだ。それは二人ともよく知っている筈だぞ! あんな金なんか、糞食らえなんだ!
 パン 僕は違う!
 デュマ そう、君は違うかも知れない。最近なんだ、君にとってこの僕は友人でもあり債権者でもあることに気づいたのは。そのせいなんだ、誓ってもいい、君が出来るだけ早く返済出来ればいいと切に思うようになったのは!
 パン 金は近々返されるさ。僕の強い希望でもあるんだ!
 マダム・デュマ(パンに。)この人があなたに仕事を取り計(はか)らうのも、その返済が楽になるようにと思ってのことですよ!
 デュマ お母さん、黙って!
(ジャンヌ、低い声でマダム・デュマに、今のマダム・デュマの発言が不穏当なものであることを説明する。)
 パン(マダム・デュマに。)分ってます。充分過ぎるほど分っていますよ! ただこっちは返済の手伝いなどして貰いたくないんだ!
 エリザベット そこは間違っているわ、あなた!
 デュマ 生意気に!
 パン 生意気・・・生意気だ、きっと。しかし僕は借りた金をだしに、恩義まで着せられるのは真っ平だ。僕の前で保護者面(づら)をしたり、僕の大嫌いな仕事や業界に、僕を巻込むのは止めて欲しいんだ!
 デュマ 分ったよ、分った! これからはもう、君の協力は仰(あお)がないことにする。どこかの郊外で兎の小屋でも作っていればいいんだ!
 ジャンヌ(夫に、非難の調子で。)アンリ!
 デュマ もう君の手を煩(わづらわす)ようなことは止めだ!
 パン 何が兎の小屋だ! そっちが僕に作らせようとしているものこそ、兎の小屋じゃないか・・・やれやれ!
 デュマ(そのパンの台詞は聞かず、前の自分の台詞に繋げて。)そうした方が君の僕への返済はずっと早い時期に終るだろうさ。嫌いな僕の金の返済がね。
 スィルヴェット(ギョッとして、父親に。)パパ!
 パン(扉の方に進みながら。)そう、大嫌いだ、君の金など。じゃ、僕は失礼する!
 アンドレ(父親を抱きとめて。)パパ! 冗談じゃないよ!
 デュマ 僕は引き止めないね!
 パン エリザベット、アンドレ、行くぞ。じゃ、さよなら、ジャンヌ。失礼します、マダム・デュマ。さようなら、スィルヴェット。
 エリザベット(後を追って。)ガブリエッル! ガブリエッル! あなた、馬鹿よ!
 ジャンヌ ねえ、ガブリエッル!
 エリザベット(ジャンヌに。)お願い、ジャンヌ、あなたもあの人をとめて!
(エリザベットとジャンヌ、退場。二人の声。扉は半開きのまま。この場の終まで、エリザベット、ジャンヌ、パン、三人の声が観客に聞える。)
 スィルヴェット(アンドレに、泣きながら。)行かないわね? アンドレ、あなたは。パパ! アンドレを行かせていいの? ね!
 デュマ(苛々した動作。)ほっといてくれ、私を!(デュマ、左手へ進み、椅子を急に動かす。しかし坐らず、本棚の前にじっと立ち、呟く。)糞っ! あいつめ! あいつめ!
 アンドレ(スィルヴェットに、小声で。)ねえ、スィルヴェット、僕は今は行かなきゃ。必ず戻って来るけど、とにかく今は。今は目立つようなことをやっちゃ駄目だ。分るだろう? 今残ったら、僕は親父に楯ついたことになる。父親が出て行くのを邪魔したことになるんだ。(アンドレ、スィルヴェットの両手にキス。)さよなら、スィルヴェット。またね!
 エリザベット(奥の扉を少し開けて。)アンドレ、帰るわよ。
 アンドレ 分った。今行く。(しっかりと、スィルヴェットに。)ね? これはかなり深刻だ。でも何とかなる。いや、何とかしなくちゃ!
 スィルヴェット(事の成行きを嘆きながら。)ええ、そう!
 アンドレ 今晩なるべく早くに電話する。家の雰囲気を知らせるよ。
 スィルヴェット ええ、私もあなたに。
 アンドレ(マダム・デュマに。)では失礼します、マダム・デュマ。
 マダム・デュマ さようなら、アンドレ。早く行って!
 アンドレ(扉のところで。恐る恐る。)失礼します、おじさん。
 デュマ(びっくりして。飛上がるように。)ああ、さようなら、アンドレ。
(アンドレ退場。殆どすぐにジャンヌ登場。)

     第 三 場
 ジャンヌ(心の動揺を隠そうとするが、うまく行かない。)何て強情なの! 引き止めようとしたけど駄目。膝まづいてお願いするなんて、そんなことは私出来ない。
(ジャンヌ、小テーブルの上のハンドバッグを取り、そこからハンカチを取り出し、目を拭う。)
 デュマ(ジャンヌを見ずに。)引き止めようだなんて、どうしてそんな気を起したんだ。(ジャンヌの方を見て。)ジャンヌ! お前、泣いているのか。
 ジャンヌ 何でもないの。気が動転して・・・それに、あのつれない態度に・・・
 マダム・デュマ 全く品のない人! それに、恩知らず!
 デュマ 恩知らずなどどうでもいい。しかしあいつ、何だか今日は、今まで私が思ってもいなかった何かの苛々、何かの憎しみ、が籠っていたようだ。
 ジャンヌ それは違うわ。あの人一人から出てきたものではないわ、あの苛々は。
 デュマ あの、自分の正しさを主張する態度、自尊心、の奥に嫉妬がある。忌々しい気持がある。
 ジャンヌ 誇りよ。それだけ。あの連れ合いのエリザベットからしこまれた誇りよ。
 デュマ いや、エリザベットのせいでない、あいつ自身の考えもあいつは言った!
 スィルヴェット 私の考えはねパパ、二人ともいけないのよ。パパもガブリエッルも!
 デュマ 私一人が悪い、と言わないところはまだ救いがあるね、私に。公平に判断しようというその精神は見上げたものだ!
 マダム・デュマ 自分の親を悪く言う子供なんていませんよ、スィルヴェット。
 デュマ(スィルヴェットに。)とにかくお前、お前の大事なアンドレの父親がどういう話を私にしたか、そんなにしっかりとは聞いていないんだろう?
 スィルヴェット アンドレはこの話に何の関係もないの。それに、自分の父親が悪いと真っ先に認めるのはアンドレだと私は思ってる。
 マダム・デュマ(傍白。)やれやれ、今の子供は!
 スィルヴェット(続けて。)私が言いたいのは、あちらのおじさんに何も言わないであの一家とブルダン・ラコットを一緒によべば、こんな具合になるのは分っていたということ。
 デュマ すると奴が私に言うのも分っていたということか? この家はやくざのたまり場だ、それから、私の金は汚らわしくて触るのも厭だ、と。
 スィルヴェット そうは言わなかったわ。
 デュマ 内容は同じだ! 言葉は少し違っても。
 マダム・デュマ 厭なこと!
 スィルヴェット(負けて。)ええ。
 ジャンヌ(デュマに。)あのガブリエッルって、一旦怒るととんでもないことまで言い出す人。かっとなったはずみで、きついこと、過激なこと、自分自身も傷つくような、取返しのつかない言葉を言ってしまう。もっとも・・・
 デュマ もっとも・・・何だ。
 ジャンヌ 取返しがもうつかないというところまでは行っていないと思うけど。
 デュマ 今日のあのやりとりでお前、まだ取返しがつくと思っているのか!
 ジャンヌ 駄目でしょうけど、でも、まだ・・・
 スィルヴェット 言いあったのは今日が初めてじゃないわ・・・
 デュマ(途中で遮って。)何にでも限度というものがある! ガブリエッルに心底私が腹を立てたのはこれが初めてだ。出て行く時に握手しなかったのも初めて・・・そう、あいつが手を出したって、私は握りはしなかったろう!
 スィルヴェット そんな・・・
 デュマ(叫ぶ。)そうだ、あいつの手など握ってっこないぞ、差し出されたって!
 ジャンヌ(スィルヴェットに。)お止めなさい、スィルヴェット。(デュマに。)今日こうしていただろうなんて話は、もう大事じゃないんでしょう? それより、これから二人が出逢った時どうすればいいか、それを考える方が大事でしょう?
 デュマ そう簡単にあいつと再会などするものか!
(スィルヴェット、困ったような表情と動作。それをジャンヌ、抑える仕草。)
 マダム・デュマ(デュマに。)そう、あの人にはお灸が必要なの。
 デュマ 次の二つのうちどっちかだ。私のことをあいつは承知の上で侮辱して、出て行く時は決別のつもりだった。或は、最初はただ怒って、そして、油紙に火がついて止まらなくなった。
 ジャンヌ ええ、その二つのうちのどっちかね。
 デュマ そのどっちにしろ、こちらからは金輪際動かんぞ!
 マダム・デュマ それはお前、やり過ぎじゃない?
 デュマ こちらから動くなど、あり得ませんよ! 手紙なりなんなり、あちらから遺憾の意を表明して来なきゃ!
 スィルヴェット もしそれがなかったら?
 デュマ それは仕方がない。現状のままだ。いく辛くてもな。
 スィルヴェット(泣き声で。)じゃ、パパ、アンドレは?
 デュマ 何だお前、アンドレのことを考えていたのか。お前って奴は! いいか、古くからの友達だった男が、この私をやくざ者扱いにしたんだ。私も、お前の母親も、侮辱され、傷つけられ、腸(はらわた)が煮えくり返る思いをした。それなのにお前は、自分の瑣末(さまつ)な、下らないことにかまけていただけだったのか!
 スィルヴェット 瑣末な、下らないこと! 私、あの人を愛しているのよ! あの人も私のことを。お父様だってそれは分っている筈でしょう?
 デュマ その愛が、この試練に耐えられるかどうかを見ればいいんだ。それに、どうせアンドレはまだちゃんとした地位についちゃいない。
 スィルヴェット いいえ! 昨日もお父様、私に話したわ、あのアンドレは父親顔負けの腕を示しているって。
(デュマ、肩をすくめる。)
 ジャンヌ スィルヴェット、あなた、アンドレのことを話するのは明日にして頂戴。私達だってそのことは気になっているの! さ、このハンカチを使って!
 スィルヴェット いいえ、私、自分のがある。(立上がり、扉の方へ進む。出る前に父親に。)パパがいけないの。もう言い争いは終りそうって思ってた時に、またパパは蒸し返して、もっと怒らせるんだから。・・・あのペルシュロンの仕事をしただとか・・・
 デュマ(両手を空中に上げて。)やれやれ、悪いのはこの私か!
(スィルヴェット、勢い良く部屋を出、扉をバタンと閉める。)
 マダム・デュマ(立上がって。)あの子と話してやらなきゃ。
 ジャンヌ いいえ、お母さん、ほっといて!
 デュマ 少し泣かせておくのがいいんです。泣くと落着きます。
 マダム・デュマ いいえ、行ってやらなきゃ。
(マダム・デュマ、退場。)

     第 四 場
 ジャンヌ(間の後。)そう、あなたじゃないわ、間違ってたのは。でも、間違ってないっていうことが却って残念だわ。
 デュマ 何故。
 ジャンヌ あなたは間違っていたら、必ず自分で認めるから。それも立派にやってのける人。
 デュマ(おだてられて、誇り高く。)うん!
 ジャンヌ でしょう? それで全部終になってしまう。でも、あちらは違う。一部始終全部思い出しても、自分が酷かったなんて決して思わない。それどころか、思い出せば思い出すほど、あなたに恨みを持つわ。でしょう?
 デュマ まあいい。恨ませておくさ。
 ジャンヌ おまけにエリザベットもアンドレも、まづいことに、あの人が悪いっていう態度を示してしまった。
 デュマ 当然だ! それは。
 ジャンヌ(間の後。)そうね。あの人を引き止めようとして私が玄関まで出て行ったけど、本当はあなたが出て行った方が良かったのね。
 デュマ とんでもない。ご免蒙(こうむ)る!
 ジャンヌ いいえ、悪いのはあちらだからそうした方が良かったの! 玄関へ出て行って、さっと、あの人の帽子をヒ引ったくって、「誇り高きパン」「威張りやのパン」「なまいきなパン」って、いつものようにからかってやる。するとあの人、あなたのことを殴って来る。仲直りの印に。
 デュマ(溜息をついて。)今回は駄目だったろうな。ああいう言葉を聞いた後では、もう僕にはあいつを引き止める気持は失せてしまったよ。
(間。)
 ジャンヌ どうするの? これから。
 デュマ(陰気に。)何もしない。こっちからは決して動かんぞ!
 ジャンヌ(用心しながら。)喧嘩別れしたままでは困るでしょう? 第一、スィルヴェットとアンドレのことが・・・
 デュマ(苛々と。)分ってる、分ってる。困るなんてことはない、困るなんてことは。あいつらのことなら何とでもなる。第一、明日結婚式をあげる訳じゃないんだ。当面最大の問題は、カジノの建築家を見つけることだ。
 ジャンヌ 見つけるって、あなた・・・
 デュマ いや、あいつはもう、カジノには手をつけない。やりたくないのは分った。こっちだってお断りだ。意地というものがある。
 ああ、あいつめ! 全ての点で何もかも任せられる人間がどうしても必要な、この時に!
 ジャンヌ そのことをあの人に言ってやればよかったのに。
 デュマ 勿論言うつもりだったさ! 夕食の後。ブルダン・ラコットの前では駄目だったんだ。勿論・・・その後はもうそれどころじゃなくなった!(時計をポケットから出して、見る。)糞っ、遅刻してしまうぞ! ノイイに約束があるんだ。あーあ、厭なことになってしまったなあ。
 ジャンヌ ええ!
 デュマ(ジャンヌにキスしながら。)じゃ、行って来る。
 ジャンヌ(キスしながら。)二十年来の友達、とても素敵な人、その気になった時には。
 デュマ このところあいつ、その気になることが少なくなっていたなあ。そしてこれだ・・・
 ジャンヌ でもとにかくあなた、あの人のことが好きなんでしょう? 私達二人とも。結局はね。
 デュマ ああ、もう、それはどうかな。
 ジャンヌ(考えながら。)私達二人だって、あの人が会わせたのよ・・・
 デュマ(自分の台詞に続けて。)もう今じゃ、好きだかどうだか分らない。そのせいだ、あいつを許せないのは。じゃね。
 ジャンヌ じゃ。あなたもあまり考え過ぎないのよ。
 デュマ(扉を出る時、再び怒りがこみ上げて。)とにかく、今日、あいつは嫌いだ!
(デュマ退場。)
 
     第 五 場
 スィルヴェット(右手から登場。目を拭きながら。)今出て行ったの、パパ?
 ジャンヌ ええ・・・あら、あなたまで泣いてるの、スィルヴェット。でもね、そんなに悲しむ前に・・・
 スィルヴェット(途中で遮って。)私、おばあちゃんと散歩に行って来たの。あなた、コルネイユの芝居を見なくちゃ、だって。スィメーヌをお手本にって!
(ジャンヌ、ゲラゲラっと笑う。スィルヴェットも釣られて笑う。)
 ジャンヌ 可哀想なおばあちゃん!
 スィルヴェット 決闘でパパを殺しに来る前に、私、ロドリッグに電話しなくちゃ。
(スィルヴェット、左手の書き物机に進む。書き物机の上には電話あり。)
 ジャンヌ 電話にお父さんが出たら?
 スィルヴェット ああ、もしドン・ディエッグだったら、私、何も言わないで切る。もしもし・・・
                  (幕)

     第 二 幕
(ガブリエッル・パンの事務所。舞台前面、右と左に扉。舞台奥に大きな窓。その右手に机。机の上に電話器。別の窓が右手にあり。)
(設計用の机三つ。それぞれの架台の上に載っている。三つとも照明器具に直角に置かれてある。一つは右手窓の前、一つは真中、もう一つは左手の壁の傍。三つの机とも、図面、トレーシングペーパー、製図用器具で溢れんばかり。机にはスツールが一つづつついている。舞台前面には椅子(複数)あり。)
(部屋は非常に明るく、事務的。)

     第 一 場
(幕があくとパン、真中の机の左側に坐っている。ぼんやりと仕事中。エリザベットが、帽子、外套姿、パンの机の反対側に立って、肘をついている。)
(議論の途中で一息ついたところ、という雰囲気。)
 エリザベット ねえ。
 パン 何だ。
 エリザベット ママのところへ行く前に、私、ジャンヌに会いに行こうかしら。三時過ぎればアンリはもうきっと出ているわ。
 パン 駄目だ。そいつは止めてくれ!
 エリザベット あなたに知らせずに来たって、私言うわ。
 パン 残念ながら、僕はもう知ってる。行かないでくれ、頼む。
 エリザベット あなたの話はしないわ。
 パン どうせさせられる嵌めになるさ。
 エリザベット 私、繋がりだけは持っておきたいの。子供、子供の話だけを。アンドレがまだスィルヴェットに会いたいなら、少なくともジャンヌと私は、その点では了解しておきたいわ。日一日と傷を深めて、あの不幸な食事の日から、もう五日よ。
 パン 四日だ!
 エリザベット 今日を入れたら五日だわ。私、あの晩にも、あなたが和解の電話をかけたと思っていたのに・・・
 パン 子供達のことは今は心配ない。ジャンヌに会いに行って欲しいとアンドレに頼まれたのか。
 エリザベット いいえ。
 パン じゃあ、あいつが頼むまで待つさ。
 エリザベット 長く待つことになるわ。
 パン そういうことには、あいつは自分で手をうつ。それぐらいの年にはなっているさ。特に相手がジャンヌならな。
 エリザベット あなた、そんなこと言って。この結婚が駄目になった時、悔まないでしょうね! お願いしますよ!(間。)これと同じようないい相手が、アンドレに見つかればいいけど。
 パン いいかエリザベット、「これと同じようないい相手」のためにこそ、この際お前も私も、一切口を出さない方がいい、と思わないか。
 エリザベット そんなの馬鹿なことよ。
 パン 僕は気づいているが・・・いや、お前だって自分でよく言っている。お前がデュマ家に行くといつも嵌めを外してしまうんだ。
 エリザベット(抗議して。)まあ!
 パン いや、そうだ。もう二年前から、お前はあの二人を、とにもかくにも、結婚させたがっていた。時々は二人を「恋人達」と呼んで、連中の顔を赤くさせたりしたんだ。
 エリザベット だって、本当だから仕方ないでしょう?
 パン そう、確かに「恋人達」だ。二人はうまく行っていて、それは誰が見ても明らかだ。しかし、それを、お前のように、わざわざ言うことはない。僕は少なくとも二人に干渉しないという心遣いはしたつもりだ。
 エリザベット そう、私は結婚までを考えてやって来たわ。今でもそれでよかったと思っている! だいたい、アンドレをスィルヴェットに近づけるようにしたのは私ですもの、きっと。
 パン やれやれ!
 エリザベット そんな風に、資産のあるところへ自分の子供を近づけたことを、私、ちっとも恥と思っていない。そういう心配を息子に対してしてやるのは、母親として当然のことでしょう? 私、アンドレが自分の職業を少し有利な立場から始めて貰いたいと思った。私達のような、辛い出だしはさせてやりたくなかった。ええ、そうですとも、ムスィユ・ガブリエッル!
 パン それは僕だって・・・
 エリザベット 「僕だって」とは到底思えないわね! あのデュマ家との関係で、私、どれだけアンドレのためを思っていろんなことを辛抱しているか、恥を忍んでいるか。私、この間の水曜日、あなにも本当に辛抱して戴きたかったわ!
 パン ええっ? エリザベット、そいつはちょっと言過ぎじゃないか。だいたい君の方じゃないか、アンリのあの無遠慮な、高圧的な態度を、卑屈な姿勢で聞き過ぎていると、口が酸っぱくなるほど非難したのは。あれではまるで僕が、乞食の親、あいつに雇われている人間のようだと!
 エリザベット ええ、そうよ。私、あなたが価値のある人間であるところを見せて貰いたかった。それが出来ないあなたが悔しかったわ。
 パン 水曜日、あいつのところへ食事に行く前、お前から、僕はカジノのことで説教に次ぐ説教を受けた。だから、あっちに着いた時からもう、あいつに対し敵対心でいっぱいになっていたとしてもそれは・・・
 エリザベット ええ、あれは勿論私が悪かった。でも、あなたがあんなに向きになって、脱線して、取返しのつかないところまで行ったのは、私の責任じゃないわ!
 パン 僕は脱線などしない!
 エリザベット 私、何度も途中で、出来れば「黙って!」って言おうとしたわ!
 パン やっても無駄だったろうな! 僕は僕で、言ってさっぱりしたいことがあったんだ!
 エリザベット 私はさっぱりしないでいいっていうのね? あちらのお婆さんが、自分の息子を褒め讃えている時だって、私、毛ほども厭な顔は見せなかったわ。友達をどんなに助けたか、の自慢。結局私達ですけどね、その友達っていうのは。
 パン それが厭だったら、お前だって・・・
 エリザベット(途中で遮って。)それにあのお婆さん、私達がアンドレを甘やかし過ぎているって。あの子には贅沢癖がある、それに浪費・・・
 パン そこは間違っていない、あちらは。
 エリザベット 家に、デルクール一家を招待することになった時、ジャンヌは自分の家の料理女を使えと、うるさく言ったわ。これはどうなの?
 パン 親切じゃないか。お前が使っているマチルドじゃ、ちょっとしたことでもすぐお手上げだからな。
 エリザベット そんなことないわ。それに第一、私というものがちゃんといるのよ! それでもあちらが押しつけてっくる料理女を使わなきゃ仕方がなかった。だって、デルクールはアンリが見つけてくれた、あなたのお客さんですものね。
 パン あの時にはお前もあの交換条件で満足だったじゃないか。
 エリザベット ええ、大変満足。料理を出すのにお皿が少な過ぎるとぼやく料理女でね!
 パン(苛々しながら。)この話は僕がデュマ家でやったこととは何の関係もないぞ。少し論理的に考えてみろ、お前だってすぐ分る。
 エリザベット 私は論理的。私が言っているのは、アンリに言い聞かせたいことがあれば、それをうまくやるってこと。方法を考えて、あの人を傷つけないように。
 パン アンリと僕、こっちの方だ、余計に傷ついたのは。
 エリザベット あの議員さんとの関係を非難するのなら、それは最後にしたら良かったのよ。
 パン まづは議員さんのおでましを見てビックリ、そしてお食事に同伴出来るとは光栄至極、とやれというのか!
 エリザベット 違うわ。やり方はあなた、ちゃんと・・・
 パン(途中で遮って。)あの議員の野郎、お前にもいい所を見せようとしていたぞ!
 エリザベット(苛々して。)私にじゃないわ、あなたによ! ガブリエッル。
 パン あいつが僕にいい所を?
 エリザベット あんな頭で、何の印象を与えられるっていうの!
 パン(怒鳴る。)当り前だ! しかし、そうは言っても、あいつを椅子からつまみ出して、階段から叩き落とすわけには行かんぞ! 僕の家じゃないんだ、あそこは!
 エリザベット 階段から叩き落す・・・それよ! あなた、すぐ強気に出る。強気に出るっていうことは、私、よく言ってるでしょう? 弱いっていうこと! あなたはね、あのブルダン・ラコットを何でもないちっちゃな人物として扱ってやればよかったの。あの人が馬鹿なお喋りをしているとき、それを遮って、あの人よりもっと沢山喋ればよかったのよ。アンリに、あなたの仕事、計画・・・ええ、進行中のものも、これからのものも、まだ何も始まっていないものまで、洗いざらい。(パン、この間、怒って何か言おうとするが、それに構わずエリザベット、続ける。)今、あなたも、あなたの息子も、仕事があって身動きが取れないっていう印象を与えればよかったの。現在進行中の、あの公団住宅の話を大げさにやればよかったの・・・聞いてる? 私の話。
 パン ああ、聞いてるさ。
 エリザベット あの議員が帰ったら、それは確かに、自分と一緒に招待、のことで文句は言うべきだわ。でももっと調子を和(やわ)らげて、あれやこれや、話を飛ばさず、あの男と一緒にしたアンリの気配りのなさだけに非難を集中すべきだった。
 パン(大声で。)何を言ってる! 僕がやったのはそれだぞ!
 エリザベット やり方が乱暴過ぎるのよ。余計なことまで言って、議論を深みに嵌(はま)らせるようなことをして! もっと落着いて、しっかりと、ユーモアをまじえて、やるの。五分ですむわ。冗談めかしてやるのよ。アンリに不愉快な気持を与えないように気を配って。そう、こういうの、アンリの独壇場!
 パン アンリはアンリ、僕は僕だ!
 エリザベット(一語一語、力を込めて。)それに、あの人があなたにカジノのことを頼む時だって、結局はあなたに主導権があるように運ばなくちゃ!
 パン(皮肉をこめて。)そりゃ、そうだ!
 エリザベット あの人があなたに頼む、あなたは嫌々ながら引受ける。自分には他に仕事があるから、もう少し時間の余裕が欲しい。これを引受けるのは、あの人を喜ばせるためなんだ、ということをはっきりさせて・・・
 パン そんなことをしてみろ、とんでもないことになる。あいつは怒り狂うだろうし、こっちは自分にうんざりだ。いいかエリザベット、お前のその名案は、下品なんだ!(間。)僕はな、今まで、誰の前でも、そんな下手な芝居をうったことがない。アンリとジャンヌの前で、初めてお目にかけろと、お前が言ったって、ご免こうむる。それに、そんな見え透いた芝居、誰か引っかかるっていうんだ!
 エリザベット また、それ! 誰だってやることよ! あなたは違うけど・・・そして、誰もがそれを開けて通しているの。
 パン 僕は違う!
 エリザベット そう、あなただけ、違うのは! それに、アンリとジャンヌを「騙す」なんて、そんなことじゃないわ、これは。それに、何故そういうことをするか、それはあなたの利益のため、あなたの子供の利益のため、それに私達のささやかな自尊心のため・・・そう、私、口が酸っぱくなるほど言ってるけど、それはアンリに、あなたが、あの人なしでもやって行けるっていう印象を与えることが・・・
 パン(大声で、途中で遮って。)印象なんかであるもんか! 僕は一人でやって行ける! これからの僕を見てみりゃいいんだ!
 エリザベット(信用出来ない。)そう・・・
 パン そうさ! あいつなしでやって見せる!
 エリザベット(溜息をついて。)そうね、あなたには新しい車なしで、私には毛皮の外套なしで。(間。)アンドレにはスィルヴェットの持参金なして・・・やって行くのね。
 パン そう、そうだ! それに、今までよりもっと楽にだ!
 エリザベット(憤慨して。)何て生意気なの! そういう気持だからさっさとカジノのことからも手を引いて・・・
 パン(途中で遮って。)またカジノか!
 エリザベット 二百万フランの仕事なのに・・・
 パン 二百五十万だ。
 エリザベット(続けて。)それもただ、アンリに行儀を教えようと、それだけのために。何て無駄なこと! それに何て馬鹿げた。
 パン 無駄で馬鹿! そう、これで一銭も儲からないからな!
 エリザベット いい? あなた、あれであなたの社会的地位が一ミリでも上ったと思ったと思ったら、それこそ大間違いなんですからね!
 パン もう一度言うぞエリザベット、いいか? 僕はただ、古い友人に、僕の思っていることを言わなきゃならない。その要請に従ったまでだ。僕は政治家でも道化でもない。僕がアンリと喧嘩して損をしたというのなら、その損はアンリとの喧嘩のためだ。カジノのせいでもなければ、僕の社会的地位のせいでもない。ましてやスィルヴェットの持参金のせいでもない。アンドレの結婚だって、あいつ、持参金と結婚したい訳じゃなかろう。それから言っておく、アンリとの仲直りのためのどんな手だても、僕は講じない。だから一日中こんな話で僕を悩ませても全く無駄だ。お前が僕のことを思ってくれるなら、僕に落着いて働かせて欲しい、それだけだ。
 エリザベット ええ、ええ、分ったわ。仲直りなしね。じゃあ、私が一人でやきもきするのは無駄だったわ。でもとにかく、これからあなたがすることはこれではっきりしたわ。さようなら。
(エリザベット、部屋から出て行くふり。)
 パン これから僕がすること?
 エリザベット ええ、結局は仲直り、そして最初に足を運ぶのはあなた。
 パン 違う!
 エリザベット(皮肉に。)あなたの昔の友達に。
 パン 行くもんか!
 エリザベット いいえ、行きます! 役割は昔から変ってないの。
(右手からアンドレ登場。)
 パン(テーブルを拳(こぶし)で叩いて。)違う! 違う! 違う! アンリのところへなど、誰が行くものか!
 
     第 二 場
 アンドレ(テーブルの右手に、持って来た手提げ鞄を置いて。)お母さん、また? お願いだからパパにあの話をするのはもう止めて!
 エリザベット ええ、ええ、これが本当に最後。
 パン 毎日あれだ。
 エリザベット 行きます、私は、もう! じゃあね、あなた。
(エリザベット、パンに近づき、頬を差出す。)
 パン(不機嫌に、差出された頬にキスし。)じゃあな。
(エリザベット、左手の扉に進む。アンドレ、一緒について行きながら、自分の考えを低い声で言う。)
 アンドレ(低い声で。二人が扉に近づく時。)ママ、パパに言っちゃいけないことばかり言ってるじゃないか!
 エリザベット(低い声で。)いいえ、あなたは、私がパパに言ったことを分っていません。あなた、パパにスィルヴェットのことを話すのよ。それから、私があちらのお母さんと話すのを許してくれるように言うの。
 アンドレ(大きな声で。)じゃあね、お母さん!
 エリザベット お前のことで、あちらに話したいんだからって。
 アンドレ(扉の方へ母親を押して行き、「何も言うな」と身振りで示し。)じゃあね、ママ、おばあさんに僕からって、挨拶のキスをね。
(アンドレとエリザベット、キス。エリザベット退場。)

     第 三 場
(アンドレ、自分の製図机へ口笛を吹きながら近づき、坐る。机に坐ると右手の窓に顔を向けることになり、父親には背を向けた方向。)
 アンドレ ああ、僕、建築現場に行って来た。
 パン ああ、そうか?
 アンドレ 配管工がもう材料を運んでる。明日にも始めるよ、連中。
 パン 屋根裏の配管が最初だな?
 アンドレ ええ、勿論。
 パン モルタル塗り、ペルグランの奴、どこまで行った?
 アンドレ 今五階。だけどあいつ、馬鹿な間違いをしでかした。四階の踊り場のところで、扉用のスペースを五センチ低くしちゃって。間違いを認めさせるのに、その場でいちいち測ってみせて、やっと納得させたんだ。明日にでも直すよ、必ず。
 パン 四階だけだったのか? 他は大丈夫なのか?
 アンドレ うん、ちゃんと調べた。
 パン そんなこと、どうやって見つけたんだ。まだ指物大工(さしものだいく)は扉作りに入っていないんだろう?
 アンドレ まぐれ。運がよかったんだ。相棒と一緒に四階まで上って行って、そこの窓枠に坐って話をしていた時。
 パン 相棒?・・・建築家か?
 アンドレ いや。それでたまたま、何かのはずみで、壁に沿って腕を上げた。上で指にあたるから、目を上げて見たら、隅のところに指が届いているんだ。「あれっ」と、僕は不思議に思ってね。二メートル十三の扉だぞ、これは。僕が腕を上げた時の高さが丁度この長さなんだ。
 パン(笑って。)ほほう、お前、自分の身体のことを知ってるんだな、たいしたもんだ。
 アンドレ いや、たいしたことはないよ。ただ、時々は便利がいい、自分の身体を寸法に使うのは。とにかく僕が扉の高さを知っていたのは、褒めて。僕はすぐに思った。待てよ、このところ急に背が伸びたのかな? それともこのスペースが狭いのか、って。
 パン お前の相棒は驚いたろう。誰なんだ? そいつは。
 アンドレ 相棒? ああ、驚いてましたよ、かなり。
 パン 誰だったんだ?
 アンドレ それは・・・エー・・・スィルヴェット。
 パン ああ・・・
(間。アンドレ、机に向う。)
 アンドレ(溜息をついて。)一つ僕、困ったことがあるんだ。
(間。)
 パン(立上がって。快活に。)何だ? 困ったこととは。
 アンドレ(歌うように。)頼まれている、やかまし屋のあのデルクールの家、どこに風呂場を作ったものか。
(間。パン、再び自分の仕事に没頭する。)
 パン おい、アンドレ。
 アンドレ 何です?
 パン スィルヴェットは何て言ってる。その・・・いろんなことについて。
 アンドレ いろんなこと? 何?
 パン 知らんふりは止めろ。あの喧嘩についてだ。
 アンドレ 悲しいことだって思ってるさ。当り前じゃないか。
 パン それで、両親は何て言ってる。あれの母親は。
 アンドレ ああ、僕は知らない。
 パン おい、そんな返事はないだろう?
 アンドレ 知らないったら、知りませんよ! スィルヴェットには二三度会った。お互いに会って安心出来る時間だけね。日曜の朝ルーブル美術館に行ったのと。(間。アンドレ、両手で頭を挟んで。)風呂場は一階に作るとうまく行くんだがな。連中はそれを二階に持って行きたいんだ。縦五メートルに横七メートルの部屋を作って、廊下は三人並んでも通れる広さ、それに洗面所も欲しいと言ってる。
 パン 廊下の突当たりには何もないのか?
 アンドレ 衣装部屋。
 パン それは止めるんだな。廊下の突当たりを風呂場にするんだ。横に各部屋から四十センチづつ削ればいい。
(パン、立上がり、アンドレの図面を肩越しに見る。)
 アンドレ そうか。初歩的な問題だったな。すぐに思いついてもおかしくなかった。
(アンドレ、図面を描く。)
 パン うん、それから衣装部屋は小さいのを二つ、そこと、そこだ。
 アンドレ そして風呂場はここか。
 パン そう・・・(少し苛々と。)おいアンドレ、それはちょっとおいとけ。真面目に話したいことがある。
 アンドレ(パンの方を向いて。)いいよ。何の話? またあの喧嘩のこと? あれはだけど、黙っていた方がお互いに・・・
 パン(途中で遮って。)スィルヴェットとお前について話したいんだ。なあアンドレ、二人はうまく行っているのか? あんなことがあっても。
 アンドレ この話はしないんじゃなかったのかな。
 パン いや、今のこの私はお前の味方だ。何でも話してくれ。多分お前は水曜日からこっち、何度かあの子に会っている。その時何かは、あれについて話が出ている筈だ。それで、二人の間に齟齬(そご)は生じていないか? 冷たい雰囲気には?
 アンドレ 何もないよ、そんなものは。
 パン よかった。そいつはよかった。それだけが心配だったんだ。確かに今の若い者は・・・
 アンドレ 待って! 何も感じてないなんて思っちゃ、大違いだ、パパ。ああいうことが起ったのをスィルヴェットはとても悲しんでいる。とても、だ。金曜日・・・あのことがあって初めて会ったんだけど・・・あいつ、泣いていたよ。
 パン(心を動かされて。)ああ・・・
 アンドレ パパが贔屓(ひいき)なんだ、あいつは。だからよけいだよ。泣きながらパパのことを罵っていた。
 パン(身構えて。)何て言ってた。
 アンドレ ああ、可愛いことをね。パパを、泣きじゃくりながら殴っているようなもんだ。「何て厭な人! 私、あんなに好きなのに。あの人の言うことは何でも信じているのに・・・それなのに、何? あの暴言・・・ブルドッグよ、本当に。」とても優しくね、これを。僕はだから、「こんなこと、長く続きっこないよ。遅かれ早かれ、収まるに決ってる」って、説得に務めたよ。
 パン それで、あの子はそう思ったのか?
 アンドレ そりゃそうさ。そう思いたいと思ったさ。
 パン それで、お前はどう思ってる。
 アンドレ どう思ってるって、そりゃ、こっちがパパに訊きたいことだよ。(パン、後ろを向く。間。)まあ僕の考える最悪の事態は、あっちもこっちも全く動かず、五六週間、この状態が続くことだな。お互いに相手への思いやりは隠してね。
 パン 五六週間?
 アンドレ まあ、僕と彼女が結婚するってことになれば、二人は会わざるを得ないからね。
 パン うん・・・そうか。
 アンドレ そこまで二人が強情だと困るんだけど。(間。)ま、とにかく、パパの方が動くということはあり得ないからね。
 パン そうだろう? 私は何があっても・・・
 アンドレ ああ、パパは無理だ。いや、ひょっとして・・・いや、やっぱり無理だ。パパには。
 パン 私には出来ん。したくもない。(間。)つまり、彼女は、私が悪いと思っているんだな? 全部の責任はこの私にあると。
 アンドレ それは違う、今はもう。僕が弁護しておいたから。
 パン どうやって弁護した。
 アンドレ それは諄々(じゅんじゅん)と、あちらに非があることを説明して・・・。勿論彼女を傷つけないよう気をつけながら。
 パン 自分の父親の非は、そうおいそれとは認めないだろう。
 アンドレ いいえ、それはちゃんと。物わかりが良過ぎる程素直に。ただ、自分の父親のブルダン・ラコット招待は、非常に意識的に、そして冷静になされたものだったが、パパが怒った時には、自分の言っている事が分らなくなるほど興奮していたと。
 パン そうか。私は無意識で、従って、罪は軽いと見てくれた訳だ。
 アンドレ 僕はすぐ、それは間違っていると言った。そして、パパの非難の的確さ、事の重大さ、それに、わざと追求を緩めているところもあることを話して聞かせた。パパの怒りが、我を忘れたものではなかったことを強調し過ぎたために、少しはパパの言過ぎも認めなきゃならなかったけれどね。
 パパ 有難き幸せ、だな。
 アンドレ 言い過ぎって言ったって、家庭を愛する気持から来たものだ。スィルヴェットはそこはよく分ってくれたよ。
 パン まあ心の問題だな。
 アンドレ それで結局は喧嘩両成敗をやらなきゃならなくなった。両方の父親に誤りがあったと認めるということに・・・
 パン 何だって!
 アンドレ そう、両方に。誤りの重さは違うよ。だけどスィルヴェットも僕も、両方の家族の平和を乱したということでは、あちらの父親もパパも、酷く非難したな。
 パン(間の後。部屋を歩き回りながら。)うん、確かに私は間違っていた。こんな「間違っていた」などと、お前の母親に私は言いっこないが・・・だって、こんなことを言えば、どうせあいつは、私の弱さしか見ないだろうからな。しかし確かに私は、自分が抑えられなくなった。冷静さが足りなかった。人間、持って生れたものは変えられないものだ。(アンドレの前で立止まって。)私はあのブルダン・ラコットが嫌いだ。そういう時どうすればいい。あいつがそこにいないかのように振舞うか? あいつを見ず、あいつの話を聞かず、話しかけられても答えない。あいつが何か話すとすぐ口を挟み、微笑んでやる。ジャンヌやアンリを相手にしてはブルダン・ラコットの知らない事柄や人物の話をする・・・
 アンドレ そうだよ! 僕があの朝ママに言ったのもピッタリそのことだったんだ。
 パン それから・・・そう、あいつとは決して握手をしてはいけなかった! そう、それであいつが帰った後、私があいつを非難するんじゃなくて、アンリが私を非難する。それを待っていれば良かったんだ。そうしたら大笑いだ。五分間は続いたぞ、笑いは。あいつのことだ、「分った、分った、あんなへまはもうやらない。金輪際止めた」って言うことを、別の言い方でうまくこっちに伝えただろうよ。(間。)まあ、やり直しはきかんな。
 アンドレ 偉いよパパは、そこまで考えるの。それに、心底では相手に親切だし、礼儀に叶ってる。
 パン まあ、これは、ここだけの話だ。
 アンドレ 当り前だよ。
 パン しかしこれは、本題からそれている。お前の結婚の話に戻ろう。(間。)なあアンドレ、スィルヴェットは金持だ。両親から受継ぐもの以外に祖母からも受継ぐ。
 アンドレ ああ、知ってる!
 パン お前とあの子は愛情による結婚だ。二人は子供の時から好きだった。たとえあの子に一銭もなくても、お前は結婚する筈だ。
 アンドレ 勿論。
 パン そこでお前の頭に入れておいて貰わなきゃならんことがある。第一に、あの子の父親に借りている借金だ。第二に、こちらは親子二代の建築家、二人共あの子の父親の財力を支えに職を保っている。第三に、私自身、今まで、言うに言われぬ恩義を、あの子の父親に負うている。そこでだ、お前にはどうしても次の二つのことは守って貰いたいんだ。一つ、どんなに質素でもいい、お前がこの私から独立して、一人でやって行けるようになるまでは、結婚はしない。
 アンドレ(少し苛々と。)そんなこと、分ってるよ!
 パン それから後はどうせ、お前の舅(しうと)が仕事をくれることになるだろうからな。二つ、もしお前が結婚しても、あの子の持参金に手を触れないでいてくれれば、私は言うことなしなんだが。そして、もし可能なら、その持参金も拒否してくれれば! 
 アンドレ ああ、それは出来ないよ、パパ。僕はもうその問題は充分考えたんだ。
 パン お前の独立、お前の威厳を保つ、唯一の方法だぞ、それは。
 アンドレ 僕は丁度その逆だと思っている。
 パン いいかアンドレ、デュマ家のあのおばあさんの言葉だ。お前は一人前にもなっていない癖に、ネクタイに金をかけ過ぎている!
 アンドレ ママが言ったんだな! 余計なことを! 違うよ、パパ。ネクタイの値段は、あのおばあさんが子供の頃と比べて、ものすごい値上がりだ。話が違うんだ! それを言うなら、あのおばあさん、卵の値段だって、車の値段だって、文句をつけている。金本位制のフランの頃しか、あの人の頭にはないんだ。それから、パパのことを言えば、パパも、昔の立志伝「貧乏な若者が財をなす」を一歩も出ていないんだ。
 パン(抗議して。)おいおい、立志伝はないぞ・・・
 アンドレ(途中で遮って。)勿論スィルヴェットが文無しでも僕は結婚するさ。だけど、金があるのならもっといいじゃないか! 僕は自分の力だけでも多分何とか上へ這い上がって行けるだろうけど、踏台を提供してくれるっていう人がいれば、それを蹴っ飛ばすなんて馬鹿なことだ。いや、申出てくれる人にも悪い。僕がスィルヴェットに「そんな汚い金いるか」なんて言うの?
 パン いや、そんなことは言ってはいないが・・・
 アンドレ パパはお金を馬鹿にしているふりをしているけど、本当は気にしているんだ。気にしているどころじゃない、それに取り憑(つ)かれているぐらいだ。金なんて、取り憑かれるより、こっちが取り憑いてやった方がいいんだ。
 パン 取り憑くほど執着するということは、こちらが使われている身になることだ。スィルヴェットの持参金について言えば・・・
 アンドレ(途中で遮って。)スィルヴェットの年金について言えば、僕が持ってない、いや、僕が今は持っていない、偏見を、持っているふりをした方がいいって言うの?
 パン 偏見!
 アンドレ 僕は煙草がなくなるとパパのを貰う。・・・ああ、一本お願い。有難う。僕が持ってる時にはいつでも言って。・・・そう、だから僕は、今貰ったのをそんなに気にかけたりしないよ。百本貰ったから百五本返さなきゃなんて、そんな細かい話も抜きだ。
 パン 千フラン札(さつ)は煙草のようなわけには行かないぞ。
 アンドレ そう、札は火をつけるとすぐ燃えちゃう。
 パン やれやれ、心配なことだ。(間。)それに、お前を非難しているんじゃないが、私はお前の煙草はめったに吸わんぞ。だいたいお前は、持ってないからな。
 アンドレ(笑って。)パパはやっぱりけちだ! もう少し待ってて。僕はまだ二十六。輝かしい未来があるんだ。そのうち、僕の煙草を吸わせてあげる! さっきの持参金の話だけど、それに見合うものが僕にはちゃんとあるんじゃない? 建築士の免状、若さ、働き者、それに、ガブリエッル・パン氏の弟子はもう卒業している!
 パン まだまだ、そんな価値はないね、アンドレ君!
(電話、鳴る。)
 アンドレ(電話器に進み、受話器を取る前に。)その価値がないと自分では決して言えない価値なんだ、これは。もしないと僕が言えば、(電話、鳴る。)スィルヴェットの持参金を貰う資格が僕にないことになるからね。(電話、鳴る。)はい、もしもし。(間。)いいえ、息子です。(間。)ああ、ジャンヌおばさん!(パン、身震いする。)ええ、います。今呼びます。(パンに。)ジャンヌおばさん。話があるって。
 パン(躊躇って。また、困って。)ジャンヌ? 何なんだ。
 アンドレ(電話に出るよう促(うなが)して。)早く! ほら!
 パン(電話で。)もしもし・・・ああ、今日は、ジャンヌ。(間。)そりゃ、勿論。(間。)当り前だよ。(間。)ええ、勿論。(間。)とんでもない!(間。)いつ?(間。)分った。待ってる。(間。)ああ、息子は出るところ。(間。)いやいや、分った。うん、待ってる。(間。)製図室のところの階段を上って。その方が近い。そうそう、そう! では。(受話器を置く。アンドレに。)私に会いたいそうだ。私を非難するためだ、と言っている。長居はしない。水曜日の我々のあの態度からするとどうせ無理らしいからと。すぐ来るそうだ。そこの郵便局から電話をかけてきたんだ。
 アンドレ それはよかった。よかったよ!
 パン(心配そうに部屋を歩き回って。)お前の母親には、ジャンヌに会うことを禁じたんだ、私は。正しい判断だった・・・さ、ここに着く前にお前は出るな? 散歩に行って来い。
 アンドレ 了解!(間。)スィルヴェットだな? ここに来るのを勧めたのは。
 パン いや、私はジャンヌという女を知っている。あれは自分の判断で動く女だ。
 アンドレ 夫婦では考えを決めて来たんじゃないかな。
 パン 分らん。それもあり得る。とにかくアンリは、罰(ばつ)の悪い気分にはなっている筈だ。(間。)それにカジノがある。私の拒絶が最終的なものかどうかを知りたいだろう。あんな大きな仕事を私が故意に断るとは、あいつも思っちゃいまい。ジャンヌを寄越して偵察する気か。それとも私に救いの手か? あいつはともかく設計士を決めなきゃならん。
 アンドレ(用心しながら。)それでパパは・・・言ったことは変えないつもり?
 パン(急に苛々と。)そんな質問が何故出てくるんだ。水曜日にこっちがああいうことを言い、あっちがあんな返答をして、それで私が、いやしくも恥を知っていたら・・・
 アンドレ(途中で遮って。)分ったよ、パパ。分ってる。僕は何も言わない。
 パン 兎小屋のような仕事に追いやられて、それでちょっと甘い顔を見せられるとすぐのこのこ出かけて行く、そんなおっちょこちょいか、この私は。そんな操り人形か!(間。)もしジャンヌがカジノの話を持ち出したら、私はすぐ一歩退(ひ)く。やんわりと、しかしきっぱりと。その話は終ったものと思って欲しいと言う。アンリと私が仲直りするとしても、それは厳密に仕事抜きの、お互いの思い遣りを基礎にしなければいけない、と言う。私は言過ぎだった。それは認める。しかし、私の言ったこと、そのことは正直なところで、今でも何ら変るところはない。そう私は・・・
(右手の扉にベルの音。)
 アンドレ(父親の言葉を遮って。)あ、ベルだ。来た!
 パン うん、多分ジャンヌだ。お前は行け。ジャンヌとの話はきっとお前達二人のことになるだろうからな。
 アンドレ(帽子を取って。)それはそうなって欲しいな。(ちょっと躊躇った後。)ねえ、パパ・・・
 パン 何だ。早く言え!
 アンドレ おばさんスィルヴェットの持参金の話をするんだったら・・・
(建築設計所の仕事を着た製図士、ノックをして右手から登場。)
 パン(製図士に。)デュマ夫人?
 設計士 はい、そうです。
 パン ちょっと待って貰うように。
(製図士、退場。)
 アンドレ おばさんと持参金の話をして、僕が今さっき言った話があちらから出ても、驚かないで欲しいんだよ。僕は、僕の父親と同じでね、用心深い質(たち)なんだ。二三箇月前、あのおばさんと持参金の話をしてね、僕は面白い考え方をその時知ったんだ。
 パン ジャンヌと持参金の話を!
 アンドレ それで、さっき僕が話した、あの考え、あれはだいたい、おばさんが教えてくれたものなんだよ。出だしの例の煙草の話だってそうなんだ。じゃあね、パパ。さよなら!
 パン(拳骨でアンドレを殴るような仕草をしながら、一緒に扉の方に進みながら。)なあんだ、隠したりして、こいつ!(微笑みながらアンドレと握手して。)狡い奴だ! さあ、行け!
(アンドレ、笑いながら左の扉から退場。パン、右手の扉に急いで行き、退場。すぐにジャンヌと二人、登場。ジャンヌを通すため、脇へ寄る。)

     第 四 場
 パン ここの方が落着くから。
(パン、いそいそと前面右手にある椅子を取りに行き、設計用の机の傍に置く。パン自身は、この場の間中、テーブルに肘をついたり、ジャンヌの前にあるスツールの腰掛けたりする。)
 ああ、どうぞ坐って、ジャンヌ。ここ、少し暑くないかな?
 ジャンヌ(坐って。)ええ・・・(パン、ジャンヌが外套を脱ぐのを手伝う。)
 パン ポートワインを少し・・・どう?
 ジャンヌ いいえ、有難う、ガブリエッル。
 パン(机の方に進んで。)じゃあ、煙草は? お好きな銘柄があるけど?
 ジャンヌ いいえ。後で。(パン、ジャンヌの傍に戻る。)ああ、ガブリエッル、ここにやって来て一息ついたわ。そう、あなたのその、いつも変らない、優しくていそいそと人をもてなす姿、正常なあなたを見て、水曜日のガブリエッルを想像するなんて無理。まるであれは夢だったかのよう。(間。)アンドレは出て行った?
 パン うん、ちょっと。
 ジャンヌ 月曜日にはいつもエリザベットは母親に会いに出かける。それを知っているので、今日、私、来たの。あなたに、二人だけで話をしようと。
 パン アンリは知ってる? 君がここに来ることを。
 ジャンヌ いいえ、今夜話すつもり。私、あなたとは違うの、ガブリエッル。誰かを非難する時には、他に誰もいないところでやるの。
 パン そういう慎(つつし)みが僕になかったことは認めるよ、ジャンヌ。しかし、抑(おさ)えるところは抑えた。あのブルダン・ラコットのいる前では控えたからね。あの議員がいなくなってから、僕は口を開いたんだ。
 ジャンヌ それはそう! でも、私達全員の前で、抑えることはしなかった。それよ! 私が認めないのは。
 パン アンリと僕が議論するのはしょっ中だ。それで今回は一家全員の前で。
 ジャンヌ 今回のような議論ではなかったわ、アンリと二人での時の、どれをとっても。今回が初めて。あんな親しみのない、あんな、相手を思いやらない議論・・・
 パン(むっとして。)思いやりのないことを非難するのなら、アンリだって・・・
 ジャンヌ いいえ、聞いて、私の話を。あなたがアンリに言ったことは、とても無礼なこと。それもアンリの娘、母親、妻の前で言ったんですからね。その三人にとっても無礼なこと。特に私には酷く無礼なことだったわ、ガブリエッル。
 パン(びっくりして。)君に?
 ジャンヌ ええ、私に。とても残酷だったわ。だから私、こうしてお話する必要があるの。あなたがあんなに強い言葉でこちらを非難する謂(いわ)れが、私達の方にあったのか。あなたの言葉が理不尽なものだったのかどうか、それは暫く置くことにして・・・
 パン(遮って。)しかしアンリは・・・
 ジャンヌ(それを途中で遮って。)アンリの話は後。今は私の不満、それを聞いて戴きたいの。あなたは私を苦しめたの。そしてがっかりさせたの。
 パン ジャンヌ、もし僕が・・・
 ジャンヌ(強く。)いいえ、あなたは一瞬でさえ、あの家の主婦である、この私のことを思い遣っては下さらなかった。あなたの友達、一番古い友達、あなたを私の家に招待する女主人、その私が、「与太者」や「不良」を、自分の家によんだと、あなたは言ったの!・・・でも、私・・・
 パン(ジャンヌの両手を取って。)ジャンヌ!
 ジャンヌ(ゆっくりとその手を振りほどきながら。)あなたあの時言った一つ一つの言葉、それは全部、夫にあてつけて、実は私に、この私に恥をかかせようとして言われたことだった。
 パン ああ、僕はそんなこと、全く、全く、考えていなかった!
 ジャンヌ(憤慨して。)ほら御覧なさい、そんな失礼なことをいとも簡単に言ってのける! あなたが私のことを考えていなかった、そこなの、私が一番許せないのは!
 パン ああ、ジャンヌ、僕は怒っていた。僕はもう抑えがきかなくなっていたんだ。アンリのことですっかり頭にきて、我を忘れていた。そう、僕は君のことは全く頭になかった。許してくれ、僕は・・・
 ジャンヌ でも、あの時のあなたの言葉、それは全部、私個人に一番厳しく中(あた)るものだった。
 パン まさか、そんなこと!
 ジャンヌ いいえ、「まさか」ではありません! 私が「もう少しで下品になるところをすれすれで逃れている。皮肉も効いている」と言った時、あなた、怒鳴ったでしょう?(パンの真似をして。)「あれで皮肉が効いている!」
 パン そんなことを気にしたの? これぐらいのこと、誰でも言うじゃないか。
 ジャンヌ いいえ、気にします。それは、あなたの私への言葉でしたから。(間。)こういうことを、あなたから言われたのは、私、初めて。
 パン えっ、本当?(間。)ああ、そうかもしれない。ああ、君の今のその言葉は大きい。そうだったのか。
 ジャンヌ そして、あなたに不快な気持を抱いたのも、あの時が初めて。あなたの欠点が欠点として見えて、とても厭なものに見えたのも。
 パン(可笑しそうに。)じゃあ、それまでは、僕の欠点は面白かった?
 ジャンヌ(考えた後。)あなたの欠点で、心が和(なご)んだわね。あなたの、気持のおおらかさと切っても切れないもの、それがあなたの欠点ですからね。
 パン ここに来たのは僕に不快なことを言うために、じゃなかったのかな?
 ジャンヌ ええ、そう!
 パン どうやらそういう台詞は捜してもないようだ!
 ジャンヌ(半分冗談めかして。)何ですって! 私、「もうあなたのこと、好きじゃない」って言ってるのよ。
 パン 君は今、僕が全く気づいていなかったことに目を向けてくれたんだ。そう、僕ら二人が話題にする勇気がなかったあることに。
 ジャンヌ(パンを見ずに。)何? あることって。
 パン 僕らの友情ですよ。僕ら二人の間にある、「好き」っていう感情・・・
 ジャンヌ 駄目、「好き」なんて言ったら。好き・・・そんな言葉を使ったのも私、あなたを非難したかったからなんですからね。こんな言葉を使わないとあなたを非難出来ないような目に遭わせたあなたあなたのこと、私、嫌いなの。今まで一度もこういう言葉が出なかったのは、ちっとも二人に勇気がなかったせいじゃない。世の中にはとても微妙で、とても複雑な感情があるの。それに名前をつけたとたん、それを汚し、ぶち壊してしまう、そんな感情が。
 パン でも、全くそれについて二人が触れないというのは、何か臆病のせいだろう?
 ジャンヌ いいえ、違います。二人ともちゃんとそれには気づいているの。そして、その感情は口に出さない方がいいの。勿論なくしてしまうなんて一番駄目だけど・・・この間の水曜日の時のように。
 パン なくす! 意地悪だな。君が一番よく知ってるでしょう? 僕があんなことをやったのは仕方なくだってことは。君が原因じゃないんだ、勿論!
 ジャンヌ いいえ、気がついていないでしょうけど、あれは私が原因。
 パン そうだ、僕は君に友情を感じていただけじゃない、尊敬していたんだ、ジャンヌ。その心の底からの友情と尊敬、その気持の奥底を探って行けば・・・
 ジャンヌ(遮って。)黙って! それは。
 パン(続けて。)二十年間、変らぬその感情が・・・
 ジャンヌ(遮って。心を打たれて。)ああ、それは口にしないの。
 パン(小声で。)思い出させたのは君なんだ、ジャンヌ!(ジャンヌから離れて、わざと少し陽気に。)で、それでどうなの? ジャンヌ。何か僕達が恐れなきゃならないような真実でもあるっていうの? ね? 君には答えられるだろう? だって君は、賢い人、よい人、真直ぐな人、ジャンヌ・ダルク、ジャンヌ・デュマなんだから。
 ジャンヌ 褒め言葉、それだけ?
 パン 勿論まだある。でも、僕をもう好きじゃないんだから、ここどまり。
 ジャンヌ(パンの片手に触って。)ガブリエッル! 私、もっと厳しいことを言わなければならないの。
 パン まだ終ってないの? 裁く人、ジャンヌさま。
 ジャンヌ まだ始まったばかり。でも、次を、何から言えばいいか、困ってるの。
 パン でも、水曜日の、僕の、あの怒りが、君に分らない筈はないよ。アンリがあんなことをやったんだからね。
 ジャンヌ ええ。
 パン 水入らずの家族の集まりに、不意にあんな男を入れさえしなければ・・・
 ジャンヌ(遮って。)ええ、その他にも、アンリに落度はあるわ。私、あの人に言った。
 パン 納得した? それで。
 ジャンヌ(ちょっと躊躇った後。)それは言わない。いづれにせよ、それはアンリの過ち。それより私、自分のやった過ちの方がずっと大事。
 パン(驚いて。)過ちって、僕に対する?
 ジャンヌ アンリに対しても・・・ええ、そう、あなたに対しても。
 パン 驚いたなあ。一体何だろう。話して! 早く。
 ジャンヌ その前に煙草を一本下さらない?(パン、いそいそとジャンヌに一本渡し、火をつける。)有難う。ああ、美味しい。これ、どこの?
 パン カイロ。
 ジャンヌ アンリはもともと横柄な人だけど、あなたには特に親分風を吹かせることが多いわ。
 パン ああ、それは気がついている。
 ジャンヌ あなたが何か考えを述べると、あの人は故意に、それに実務的な意味づけをする。この「実務的センス」があなたに欠けているところだから。
 パン(抗議して。)僕に欠けている!
 ジャンヌ ええ、欠けているの。人それぞれ自分の得手(えて)がありますからね。あなたはね、ガブリエッル、詩人。アンリがあなたのために何かをやる。するとあなたは、その「何か」ではなく、その「やり方」で、自尊心が傷つくの。そう、ちょっと違った言い方をしましょうね。
 パン どうぞ。
 ジャンヌ 私の印象では、このことではエリザベットの方があなたより、もっと傷ついている。私には分るの。外に現れているものには、男より女の方が敏感なの。あなたは心の底では、アンリがあなたのことを好いているのをよく知っている。いえ、好きよりもっと・・・尊敬しているのを知っているの。(だから、外に現れているものをそんなに気にしない。)(間。)ねえ、ガブリエッル、アンリの無遠慮な熱意。自分の力の誇示、あなたの上に立っているという態度、これでエリザベットが傷ついているんだけれど、これはみんな、私に少し責任があるの。
 パン 君に責任?
 ジャンヌ 私ね、ガブリエッル、あなたの前で、アンリが引け目を感じるように常日頃(つねひごろ)しむけているの。「ああ、これはアンリ、ガブリエッルの方が上だわ」と私が感じると、すぐそれをあの人に話して。
 パン 僕の方が上? そんなものがある?
 ジャンヌ 何を言ってるの。しようがないわね。水曜日にあなた、ちゃんとその話をアンリにしたでしょう? 「君にはこれといった技術は何もない。物を作ることが出来ないんだ、って。あれはぐさりときたわ、あの人に。私のいるところで言ったんですからね。そうでなくても、普段から言われていることを。私があなたを芸術家として、設計士として、尊敬しているのを、あの人は知っている。おまけにあの人自身も、あなたを一段上に見ている。あなたのことを羨(うらや)んでいるのよ、ガブリエッル。
 パン まさか。
 ジャンヌ いいえ、そうなの。そして、あの人だって自尊心を持ちたいと思っているの。あなたに負けまいと。何かでは、あなたより上に立ちたいと。だからあなたが、どうしてもあの人の力を必要とする事態が生じると、あの人、とても嬉しいの。私の前で自慢するくらい。そしてそれを無意識のうちにあなたに感じとられてしまう。それがあの人の弱点。でもそんな弱み、あなたの持っている弱みと同じくらい愛せるものよ。それにあなた、恥づかしい? 友人にそういう弱みがあることが。
 パン ああ、僕には何が何だか分らなくなった。ねえジャンヌ、いろいろな点でアンリの方が僕よりずっと上だって、あいつ自身が思っていないなんて、それは無理だ、僕には。彼は僕より上なんだ! 素晴しい才能だ。「素晴しい」じゃ効かない。「危険なほど」と言ってもいい。
 ジャンヌ あなたになくってあの人にある才能なんて、全く価値のないものなの、あの人にとって。
 パン 僕は彼に、「君には技術がない」と言ったよ。だけどそれは、僕の方が思い知らされてきたからだ。彼の偉大さを、厭というほど!
 ジャンヌ あの人、自信があるものといったら、「力」しかないの。あなたがあれを言った時、どれだけあなたに思い遣りがなかったか、想像もつかないでしょう。あの人と二十年も一緒に仕事をしてきてあなた、あの人が分っていなかったなんて!
 パン いや、分っていた。変ったんだ、彼は、その時分の彼とは。
 ジャンヌ 根っこは変ってないの。変りようがないの! あーあ、あなたがあの人のことを、戻ってくる金のことを気にしている業(ごう)突く張りの金貸しだと思っているなんて!
 パン いや、彼が気にしているのは、金が戻ってくることじゃない。自分が債権者だということなんだ。それを拠(よ)り所にして相手を・・・
 ジャンヌ(遮って。)あの人が拠り所にしているのは何よりも、あなたの友情ですよ。あなたからの信頼なの!
 パン しかし、おばあさんはこの間、はっきりと言いましたよ、僕に・・・
 ジャンヌ(遮って。)あなた、あの母親の言葉をいつもそんなに本気で聞いていたの? 可哀想に、(こんな時に引き合いに出されて)お母さんも。それにあなた、借金って言ったって、あんなはした金、あなたの心のどこかが痛まなきゃならないの? 酷い話!
 パン(酷く苛々しながら。)痛んでいるのは僕の心じゃない!
 ジャンヌ そうね、主にエリザベット。でも、あなたも痛んでる! いいえ、「痛んでる」っていう言葉ぐらいじゃすまないの。あなたの心、この借金でいっぱい。これで気が狂うほどあなたの心にかぶさっているの。それはまるで・・・
 パン(遮って。)デュマはそのことで、僕にあてつけを言った。
 ジャンヌ いいえ!
 パン いや、言った!
 ジャンヌ 言ったとしても、あなたのその気持で言ったんじゃないわ。私達のような友達の間柄で、お金が問題になるなんて、そんなことある? 何かの偶然で、もしあなたがアンリの立場になって、あの人に同じだけの金額を貸すことになった時のことを考えてご覧なさい。
 パン ああ、それは・・・
 ジャンヌ あなたがいつもとっている態度を、その時に、同じ様にとったらどうなるの? 借りているアンリは、お金の重要性を思い知らされるだけよ。
 パン(微笑んで、自分の息子のことを思い出して。)ああ、それはそうだ!
 ジャンヌ 何故笑うの? 私は今言っていることは、本当の話。それにあなたには、今フランスで流行(はやり)の考え、貰った物と同じ金額のものを相手には返す、っていうけちな誇りがあるの。
 パン 大げさだ、それは。
 ジャンヌ あなたは誰かに夕食をご馳走になると、料理は同じ数、ワインも同じ程度のものでお返しの招待をしないと夜も眠れないたち。こんな計算、馬鹿げているの。友達同士だったらこんなこと、相手に対する侮辱よ。お互いに気楽に、自然にやりとりしなきゃ。アンリが煙草を切らしている時、あなたに貰うのをあの人・・・
 パン(ジャンヌを優しい微笑で眺めて。)僕のを簡単に借りるね。そして僕は彼の葉巻を吸う。
 ジャンヌ ね、そうでしょう?
 パン ねえジャンヌ、今の話に僕は反撃しようと思えば出来るけど・・・
 ジャンヌ 駄目よ、それ。
 パン うん、やらない。それは冒涜だ。それに、奥底まで行けば、君の意見は正しい。今はただ、その煙草一箱、あなたに持って行って、と頼むだけにする。お気に召したようだし、どこの煙草屋でもそれはない。密輸品だから。
 ジャンヌ(小声で。誘うように。)持って来て頂戴。アンリとの仲直りの印(しるし)。
 パン(急に元に戻って。)厭だ!
 ジャンヌ 私があれだけ話しても!(間。)アンリは今度のことで、とても心を傷めているのよ、分ってる?
 パン こっちだってそうだ。(間。)ジャンヌ、僕はアンリ自身から招待を受けない限り、君の家には決して行かない。それから、あのブルダン・ラコットとは会わないでいられる保証がなければ、決して。
 ジャンヌ あなたって馬鹿ね。好奇心いっぱいの人なのに。どうして見物(みもの)として観察しないの? あのブルダン・ラコットを。
 パン 無理だよ。もともとアンリがそう思って連れて来てはいないからね。
 ジャンヌ あの人の考えがどうであれ、あなたがそう見ればいいことでしょう? でもとにかく、ブルダン・ラコットを、これから先招待することはないわ。それは大丈夫。
 パン そう願いたいね。
 ジャンヌ サント・ファニに作るカジノの件で、約束を取りつけたかった、それだけのためですからね。
 パン(厭な話だ、というように。)それだけのため!
 ジャンヌ ねえガブリエッル、そんなにまっ正直な人とだけしか一緒に仕事が出来ないんじゃ、仕事なんかもともと出来はしないわ。砂漠にでも引込むしか手はないでしょう?
 パン ジャンヌ! いや、今日は少なくとも、そんな問題で君と議論をしたくない。君をこれ以上不快な目に遭わせるのは止めだ。それに、止めるものがもう一つ、あのカジノの件もきっぱり止めだ。
 ジャンヌ ねえガブリエッル、あなた、あんな調子であの人とのカジノの仕事を断るなんて! それからあの侮蔑の言葉、あんなに強い調子で! そういうあなた、私、厭。悲しいことだわ。アンリだってあんな風に、あんな強い言葉で貶(けな)される筋合いはないわ。勿論あなただって損。それだけの覚悟があっての反発だったんでしょうけど。
 パン(苛々して。歩きながら。)ああ、覚悟の話は止めだ。(間。)それでアンリは、誰かにもう、設計は頼んだ?
 ジャンヌ(悲しそうに。)ええ、もう。あれからすぐに。あなた、あの人に言ったこと、覚えているでしょう? ああ言われたら、ぐづぐづしてはいないわ。
 パン その方がいい。(間。)そっちが決まれば、仲直りするとなると、カジノがらみでなく純粋に友情からということになるからね。その方が簡単だ。
 ジャンヌ(溜息をついて。)簡単、ね。(間。)さ、あの煙草、一箱頂戴。
 パン 駄目だ、ジャンヌ。
 ジャンヌ あなたの方からの和解、っていうのが厭なのね?
 パン(弱く。)そういう訳でもない。
 ジャンヌ いいえ、そうなのよ、あなたは。よく胸に手をあてて考えてご覧なさい。誇り高きガブリエッル! 
 パン ねえジャンヌ、僕はね、その誇りのために、余計、こちらから先に和解を申しこむところだよ。しかしそれには・・・
 ジャンヌ しかし、それには・・・何?
 パン 分る筈だよ、君になら。女房さえいなければ、だよ。
 ジャンヌ ああ、そうね。それは考えていなかった。
 パン 君、知ってるね? うちのエリザベットを。僕がそんなことをしたら、あれは僕のことを、弱い男、卑怯者、と思うか、もっと悪いのは、結局僕は実務一本槍の男でしかなかったと思うか・・・彼女からのそんな侮辱は、僕はとても・・・
 ジャンヌ(遮って。)もういい、分ったわ。あなたの言う通り。あなたからの和解は駄目ね。待って、私やっぱり、煙草は戴く。内心はあなた、私に、持って行って貰いたいんでしょう? ね?(パン、曖昧な動作。)そう。(間。)私、そろそろ行く時間。エリザベットが帰って来るわ。あなたに言うこと、まだ沢山あるような気がする。子供のことも・・・
 パン(話題を変えて。)奇妙だね、ジャンヌ。
 ジャンヌ 何が?
 パン もう何年ぶりだろう、こんなに二人で、自由に、心を許して、話したのは。それが、結局はアンリとの喧嘩のお蔭だったとはね。
 ジャンヌ ええ・・・でも、ああいうことじゃなくてこういう機会が得られる可能性はあり得たんじゃないかしら。いい偶然か、悪い偶然か、それは分らないけれど、二人でのびのびと、自分の意見を言って、互いに知合う・・・そういう機会・・・
 パン うん、ただ、条件がある。君と僕二人だけで会って・・・丁度今のように・・・ああ、それにしても、二人だけっていうのは、もう随分昔の話だ・・・
 ジャンヌ(遮って。)ええ、随分昔の話、驚く程。
(間。)
 パン ねえ、ジャンヌ、僕はよく考えるんだ。僕らは人を愛する時、それぞれ違った風に愛している。だから、自分で秘密を作ってしまう。ある人に話をする時に、本能的に、その人に合う声、その人に合う言葉を、選んでしまうんだ。家庭でも、社会でも、自分自身の中にあるもののうち、丁度その場に居合わせている人に。だから、居合わせている人が多いと、その全部に相応しい、ほんの少しのことしか、言えない。その結果は、それは誰にも伝わらない。
 ジャンヌ ええ。
 パン だからなんだ、君と僕のように、しょっ中会っていても、二人だけでは全く会ったことがないと、昔からの友情、親しい気持はあっても、何だか遠くに、何だか離れているような感覚が湧いて来るのは。
 ジャンヌ(思いあたるように。)ええ・・・ええ、時々。
 パン 今日、こうやって君がやって来てくれたのでね、ジャンヌ、その、離れているような感覚をこれから暫くは感じないですむように思う。でも、このところ、二人とも、言わず語らずのうちに、少しづつ捨ててきてしまったんじゃないだろうか、二人の間に昔培(つちか)った、何事が起っても共有してきた共通の理解を・・・
 ジャンヌ(途中で遮って。)いいえ、それは違うわ!
 パン(前の台詞に続けて。)共通の理解、それは司法書士の言う、所謂(いわゆる)、二人の共有財産・・・
 ジャンヌ 違うわ、捨てたなんて、ガブリエッル。その反対に、私、私達が言わず語らずにいたものは、ある思い出への忠誠心、お互いへの深い尊敬、昔相棒だった二人の、相手に対する優しさ、じゃないかしら。それにだいたい、私に関して言えば、そんなに「言わず語らず」ではないわ。アンリを初めとして、私達の周囲の誰だって、あなたに「ジャンヌは君のことが好きでね」って言うし、私だってそれを隠しはしない。あなたに面と向ってそう言ったりもしてきたわ。
 パン やれやれ、みんなの前で、僕を好き、だって? そんなの勘定に入らないよ。みんなの前なら勘定に入らないって、さっき説明したばかりだろう?(冗談のように。)二人だけの時に「あなたのこと、もう好きじゃないの」って言われた方が何十倍も嬉しいね。
 ジャンヌ(心を打たれて。)悪い人!
 パン 君をほんの少し不愉快にさせる怖れはあるけれど、二年か三年に一度はアンリと喧嘩した方がよさそうだ。今日君から聞いた「もう好きじゃない」っていう言葉を言いに来て貰うためにね。
 ジャンヌ(陽気に。)もう私、決してその言葉言わない! それに私、「ほんの少し不愉快」なんてものじゃないの。本当に、心から不愉快なの! 悔しくって、悲しくって、もう取返しのつかない事、それが起ったんですからね。
 パン 何? それ。
 ジャンヌ あなたがカジノを降りたこと。
 パン(のんきに。気取って。)ああ、あれ。あんなこと、たいしたことじゃないよ!
 ジャンヌ 本当に馬鹿なこと!(間。)じゃ、これで!
(ジャンヌ、立上がる。)
 パン 誰? アンリが選んだ設計士。
 ジャンヌ(少し躊躇った後。)ラリュエッル。
 パン(眉をひそめて。)ラリュエッル? ポラン・ラリュエッル?
 ジャンヌ ええ。
 パン(大声で。)あいつ、イカサマなんだぞ! アンリの奴、気が違ったか! じゃあ、知らなかったのか? ラリュエッル! あいつは施主(せしゅ)から、いいように金を絞り取る。ゆすり、たかり、なんだ。そういうお手本をあいつは示してきたんだ。その噂は鳴り響いている! それでよいものが出来れば話は別だが、あいつの作るものは豚小屋だ! 設計士は捜せば他にいくらでもいる。ベイエに、ポンシャロ、プランタン兄弟。才能があって、良心的で、正直な! 十人ぐらいすぐだ。それを、ラリュエッル! あいつの悪評なら、いくらでも言える!
 ジャンヌ(嬉しさを隠した、抑えた顔で聞いていたが。)ねえガブリエッル、あなた、今のラリュエッルの話を、私からアンリに話してもいいかしら?
 パン 勿論!
 ジャンヌ それから、推薦のあった他の人達の名前も。
 パン どうぞ。でもアンリは知ってる。今言った連中のことは。
 ジャンヌ(ハンドバッグから鉛筆と手帳を出して。)さあ、それはどうだか。ベイエって言った? イ? それにエル二つ?
 パン(綴りを直して。)いや、ベ・ア・イグレック・ウ・テ。それから、プランタン兄弟。アヴィリ街の教会、それにヌヴェル・アルカザールを作った奴だ。それから、ポンシャロ・・・ジャン・ポンシャロ・・・
(玄関にベルの音。)
 ジャンヌ あっ、エリザベットだわ。私、行く。有難う。
(ジャンヌ、立上がり、ハンドバッグに手帳を入れる。)
 パン(出るのはどうかな? という気持。)どうして? いたら?
 ジャンヌ 駄目。また一から話さなきゃならなくなる。私、あっちから出る。
(ジャンヌ、右の扉を指差す。)
 パン まだ時間はある。あれはすぐにはここに来ない。君が来たことを話した方がいいかな?
 ジャンヌ(自信なさそうに。)その方がいいなら。自分で判断して。でも、とにかく、ここで二人で話したことは・・・
 パン(続けて。)二人の胸のうちに・・・勿論!(間。)いや、あいつには君が来たことは話さない。アンドレにも言っておく。
 ジャンヌ そう。エリザベットにはカジノの話も駄目よ。
 パン 分ってる。
 ジャンヌ(扉まで来て。)あ、煙草!
 パン(急いで。)失礼。
(パン、箱を渡す。)
 ジャンヌ 一本、吸わないでとっておくわ。
 パン どうして?
 ジャンヌ 記念。ここに来た。
 パン 有難う。
(パン、両手で握手。ジャンヌを引き寄せて、額にキス。)
(ジャンヌ退場。パン、ゆっくりと机に進み、煙草に火をつけ、坐る。ぼんやりと。暫くの間の後、エリザベット、左の扉から登場。)
 
     第 五 場
 エリザベット(この時までに、外套と帽子は脱いでいる。)只今。あなた、アンドレは出てるの?
 パン うん。お母さん、どうだった?
 エリザベット ええ、とても元気。でも私、あそこから直接家には帰って来なかったの。
 パン(顔を上げずに。)そう。
 エリザベット ええ、・・・ねえあなた、私、結局ジャンヌの家に行ったの。
 パン 僕に相談することもないからな。それで?
 エリザベット いなかったの、ジャンヌ。誰もいなかった。
 パン そいつはよかった。
 エリザベット(雄弁に。)でも、考えてみたら、この方がよかったんじゃないかって思うの。女中に、私が来たことは伝えたわ。こっちの意図を全く知らせずに、ただ行ったことははっきりしている。いい初手。こっちの有利になる動き。後はただ、待てばいいだけなんですからね。そうでしょう?
 パン(顔を上げて。一瞬エリザベットを見る。溜息をついて。)まあいいだろう。
                    (幕)

     第 三 幕
(場 第二幕と同じ。)

     第 一 場
(幕が開くと無人。左手からアンドレ登場。音がしないように扉を閉める。右手の扉に走って行き、そちらから人が入って来ないことを確認。それから電話器を取る。)
 アンドレ(電話に。)もしもし・・・(間。)マビロン八三ー一九(間。)そう。(間。)マビロン八三ー一九?(小声で。)スィルヴェット?(間。)ああ、スィルヴェット、返事は決めておいたじゃないか。「キュイ・キュイ」だ。やって。(間。)そうそう、こんちわ、スィルヴェット! 今、一人? 話出来る?(間。)僕もだ。パパは上で、製図士と一緒だ。そうそう、最初にこれを。いいかい? 誰か入って来たら・・・そっちでも、こっちでも、すぐに切るんだ。間違い電話だ。それで夜、十一時にかけ直し。(間。)よし、時計を合わせよう。(懐中時計を出して。)僕のは今、四時三十七分。いいね? ねえスィルヴェット、事態は今、停滞的だ。君のママが家に来てくれたけど、解決にはならなかった。来てくれたって話を、パパはママにしていない。話したが最後、あれやこれや、いろんなことを訊いてくる。それが厭だからしていない、と僕にはパパは説明している。まあパパの言う通りだ。カジノの設計士を誰にしたか、っていう話をわざわざ言いに来た、なんて、ママには分りっこないからね。(間。)いやいや、そんなことを言うために君のママは家に来やしないよ。今話したのは、パパが話すとしたら、そうとしか話せない、という話をしただけだ。だからもうそろそろ・・・(間。)そうなんだ。・・・そうだよ、スィルヴェット! 仰せの通りだ。嬉しいよ、そう言ってくれるの。この喧嘩、充分長く続いたよ。これ以上放っておくと、悪くなる一方だ。(間。)それは落着いてくるのは分ってるよ。でも、双方、依怙地(いこぢ)になるんだ。妙なしこりが出来たりね。まづいよ、それは。それだけは避けなきゃ。危機を脱するよう何か手をうつんだ。パパに君から手紙を出すのがいいと思ってる。そして僕が君のパパに。(間。)じゃ、下書きを書いて今夜聞かせてくれ。内容はこうだ。君は気も動転している。悲しくて死にそうだ。父親も断腸の思いでいるように見える。(間。)そうそう、少し大げさにやる。だからこっそり、こうやって手紙を書いて、ムスィユ・パンに救いを求めることにした、と。君の救世主、君の第二の父、君のアンドレの父親に、ね。(間。)まあまあ、冗談は抜きで。分るね? スィルヴェット。そっちからとこっちから、両側から、両方の父親へ手紙が交差して、それが救助のブイになるんだ。あの年でも涙もろいものなんだぞ。君は知らないかも知れないけど。(間。)そうそう、あの二人、すぐぐっとくる質(たち)だから・・・(アンドレ、びくっとする。話し止める。エリザベット、左手から登場。扉を閉める。アンドレ、声の調子を変えて。)いいえ、違います。もう一度言いますが、これは間違い電話です。
(アンドレ、受話器を置き、煙草に火をつけ、そこから離れる。)

     第 二 場
 エリザベット まだあなた、いたの? もう出たと思ってたわ。
 アンドレ もう行く。工事現場なんだ。
 エリザベット お父さんに頼みたいことがあるの。上?
 アンドレ うん。上に上がるんだったら、パパに言っといて、電話番がいなくなるからって。じゃね、ママ。行って帰って来るだけだから。
 エリザベット(キスして。)じゃあね、アンドレ。(何か含みのある言い方で。)あなたスィルヴェットに会うの?
 アンドレ いや、今日は会わない。じゃあ、また。
(アンドレ、左手から退場。一人になるとエリザベット、先程アンドレがやったように、左手の扉に行き、耳をすます。それから急いで電話器に進む。)

     第 三 場
 エリザベット(受話器に。)もしもし、マビロン八三ー一九を、お願いします。(間。)ええ、八三ー一九。そう。(間。)もしもし、スィルヴェット?(間。)ああ、ルイーズ? こちらマダム・パン。奥様いらっしゃる? お一人で?(間。)ああよかった。電話口までお願い出来るかしら?・・・(間。)ああ、ジャンヌ。(間。)お手紙戴いて。本当に優しいお手紙。私、どんなに嬉しかったか。お会い出来ていたら、私あなたに言おうと思っていた、丁度その通りの言葉をあなたから戴いて。お宅の方は如何? アンリ、スィルヴェット、それに、お母様・・・(間。)私の方も同じ。本当に悲しいこと。でも、何とかしましょう、私達二人、力を合わせて。こんなことになるなんて、酷い、馬鹿げているわ。・・・(間。)あら、何? 教えて、早く!(間。)まあ・・・そう?・・・それで?(間。驚く。)まあ、アンリが? こちらへ?(間。)勿論! ガブリエッルは在宅。今すぐ知らせるわ。だって、あなたが電話しようと思っていたんでしょう?(間。)それはちょっと危険じゃない? 喧嘩がよけい酷くなる可能性があるわ。(間。)ええ、それはそう。ただ放っておくよりは・・・(間。)ええ、それは期待するのね。じゃあ、後は全部、あの二人だけに任せて。(間。)え? それじゃ駄目?(間。)ああ、そうね。それはいい考え。じゃ、ベルは鳴らさないで。ノックして。それじゃ、あなたと私、隣の部屋で待ってるのね? あの二人、もし怒鳴り出したりしたら?(間。)ええ、ええ。分った。(パン、右手から登場。)じゃあね!

     第 四 場
 パン 誰?
 エリザベット(興奮して。)ジャンヌ。
 パン ジャンヌ?
 エリザベット そう、ジャンヌ。アンリがあなたに会いに来るって、今すぐ! もう家は出てる。今にでも着くわ。一昨日私、あちらに行っておいて、やっぱり良かった。留守だったけど、その甲斐あったわ。
 パン(少し残念そうな口調。)そうか、やはりアンリか、先に手を打って来るのは。
 エリザベット じゃ、あなたが向こうへ行きたかったの? でも待って、アンリはあなたのような気持で来るんじゃないかも知れないわ。腹を立てて、苛々して、喧嘩の白黒をつけようとやって来るのかも。それは勿論、あなたと同じ気持で来るって、期待はするけど・・・
 パン(途中で遮って。きっぱりと。)そう、僕は同じ気持なんだ、アンリと。一昨日からずっと、僕はこっちがやろうと思っていたんだ!
 エリザベット 「やろう」って? 何を。
 パン アンリに会いにだよ。あの問題は何とかしなくちゃ、と。
 エリザベット 残念だったわ。早く行動に移せばよかったのに。
 パン やらなかったのは、君のことを考えたからなんだ。
 エリザベット 私のことを考えたから? そんな話ってないわ。
 パン 僕が「アンリのところへ行く」などと言おうものなら、君はすぐ両手を空に上げるんだ。すると僕は、君が気の毒になる。アンリがここへ来ると決ってしまえば、君はすぐ、僕が先にあっちに行かなかったと残念がる。だから、どっちかと言うと、こっちの方が結局はいいんだ。
 エリザベット その前にまづ、あなたでしょう? 先に行かなかったことを後悔するのは。それに、あなたが先にあちらに行ったとしても、その時のあなたの態度、今からやるアンリの態度のような訳には行かないわ。
 パン その態度とやらを充分に見てやろうじゃないか!
 エリザベット とにかくジャンヌと私二人とも、希望はただ一つ、この間のような場面にならないこと。
 パン ジャンヌが言ったのか? お前に。
 エリザベット あっちも、こっちも、二人とも。どうしても今日仲直りして貰わなくちゃ。何が何でも!(パン、テーブルを指で叩く。この際、当らず触らず、がよいという顔。)あなたの議論は、ちゃんと計算して丸みをつけると、いつでも相当な迫力があるの。この間のは強過ぎだったでしょう? それに、自分の不満がこめられていたわ! あなた、卑屈になっちゃ駄目。時々なるけど。(パンの卑屈になった時の真似をして。)「言い方が激し過ぎた、この間は・・・」これは駄目。(無造作に、軽く。)「いやあ、この間は言い方が激し過ぎたよ。やっちゃったなあ、僕は」。分ってる?
 パン(自分を抑えて。)うん。
 エリザベット でもね、アンリはとても強引だから、それはあなた、気をつけなきゃ駄目よ。相手の雰囲気に飲み込まれちゃ駄目。それから、議論が長引いたり、いろんな方向に飛んで行ってしまうのも駄目。今度のこの話では、お互い、和解することだけが目的なんだから。それが終ったらすぐ終にすること。あなたが言うのよ、「ああ、ここまでにしよう。和解がすんだんだから、別の話だ。子供の話、それに・・・」
 パン(続けて。)・・・女房の話だ。うちの奴の忠告に従うとだね、アンリ、僕は君にこう言った方がいいらしいんだ、つまり・・・
 エリザベット(怒って。)酷い言い方。嫌味だわね。「うちの奴の忠告に従うと・・・」(途中で切って。)分った。もう言いません。
 パン(上機嫌で。)いやいや、もっと言ってくれ。
 エリザベット いいえ。(間。)そんな生意気なことを言ってたら、罰(ばち)が当るから!
 パン 君の意見にちょっとでも違うと「生意気」と来るからね。
(長い間。その間パン、窓に身体をつけて下を見ている。エリザベットは、わざとらしくアンドレのトレーシングペーパーや図面を並べかえている。)
 エリザベット もうちょっと私、言っていいかな?
 パン(振返って。)どうぞ。
 エリザベット 突然大きな声を上げたりしないわね? これ、私の思いつきだけなんだから。
 パン さっさと言うんだね。
 エリザベット 私があなただったら、カジノの話にはあまりこだわらないようにするわ。
 パン それで?
 エリザベット それは、その話に触れない訳には行かないわ。でも、それが喧嘩の原因だったから仕方なく、という具合に、ぼんやり、曖昧にやるの。
 パン 分った。
 エリザベット 最終的な業者決定の話まではしないようにして。(パン、苛々する。)二三日経って、わだかまりがすっかりとけたら、カジノの方も話がつくわ。アンリが家に来て、三拝九拝してあなたに・・・
 パン(突然怒鳴る。)あの話にはならん! おまえにはもう何度も言った筈だぞ! 僕はカジノはやらん! どんな理由があろうと僕は・・・
 エリザベット(両手を振って、溜息をついて。)分ったわ、あなた。分った。私、何も言わない。私、つい言い過ぎて・・・
 パン 言い過ぎもへちまもない。その話はいくらしても無駄なんだ。僕はカジノはやらない!
 エリザベット ええ、やらないのね。
(ベルの音。)
 パン ベルだ。アンリだ。
 エリザベット(心配して。)ええ、ここに来て貰う。ねえ、あなた、私、一緒にいた方がいいんじゃない?
 パン いや、いない方がいい!
 エリザベット 話が段々加熱して、仕舞に・・・
 パン(遮って。苛々と。)いいや、エリザベット、二人だけだ。いいな!
 エリザベット 分りました。ええ、分りました。
 パン さあ、早く行って。(エリザベット、右手から退場。一人になってパン、机を背に、観客の方を向き、扉の方に気を配る。それからうろうろと歩き始める。)あいつ、アンリに何を話してるんだ。
(パン、立上がり、耳をすます。ついに決心して、自らアンリを迎え出ようと、左手の扉へ決然と進む。扉に達するまでに、扉開き、アンリ登場。)
 エリザベット(扉のところで。)じゃ、お二人で。
(エリザベット、扉を閉める。)

     第 五 場
(この場の最初のうちは、二人少しぎこちない。誠意を示そうとする意欲はあるのだが、感情を抑える必要があり、必要以上の真面目さが、喋っている言葉とちぐはぐになる。しかし段々と普段の親密さが戻って来る。)
 デュマ やあ、ガブリエッル。
 パン(手を差出して。)やあ、アンリ。
(二人、握手。)
 デュマ お邪魔じゃなかった? 出かけるところじゃなかったかな?
 パン いや、ヴォジラールは気にかかっているが、あれは明日の朝行った方がもっといい。
 デュマ いや、邪魔だったら僕は・・・
 パン いやいや、邪魔じゃない、全然。
 デュマ そうそう、ヴォジラールと言えば、僕も昨日行って見た。君の建物、見たんだ。一箇月見ないうちに随分進んだじゃないか!
 パン うん。(煙草ケースを出して。)どう?
 デュマ(一本取って。)有難う。(パンも一本取る。)もう殆ど出来上がりだ、あの家は。(パンがマッチを捜しているので。)あ、こっちにある。(パンに火をつけてやる。)
 パン 水道とペンキ屋が急いでくれれば、あと二箇月で住めるようになる。
 デュマいや、あれはいい出来だよ、あの家は。
 パン そう、気に入った? まあ、坐って。
 デュマ ただ広(ぴろ)いだけの八階建てとは大違いだ。蛇腹(じゃばら)層で身軽になった、豪華な一区画が見えるだけだ。図面だけじゃ、僕には分らなかったな、あの蛇腹の効果は。それに、あの区切り方、広々とした雰囲気、立体感、いいね。
 パン(褒められて、心を打たれて。)じゃあ、成功しているという見立てだな?
 デュマ そりゃ、もう。
 パン ちょっと飾りを省(はぶ)き過ぎたんじゃないか? 冷たい感じは?
 デュマ いや、ない! 優美さがあるね。僕にはよく分らないが、釣合いの良さが原因らしい。そこいらに建っている四角い石鹸のような建物とは大違いだ。
 パン 褒められて嬉しいよ、僕は。
(間。)
 デュマ ああ、「大違い」で思い出した、ここに来た理由を。ラリュエッルは「大違い」だという話をジャンヌから聞いた。有難う。もう少しで・・・
 パン(遮って。)ラリュエッルを君、知らなかった?
 デュマ 個人的には知らなかった。ただ、腕の良さを示す建物も、あることはあるよ。
 パン(鋭く遮って。)まあ聞いてくれ! パレ・デ・フェット(祭りの宮殿)の件を知ってるだろう?
 デュマ うすうすは。
 パン そう、あれはラリュエッルなんだ!
 デュマ ああ!
 パン スィリッル社と組んでいたんだ。それから、委員会の役員と通じていた。見積りは三十パーセント以上の水増し、金はあっちにもこっちにもバラまき、自分でも懐(ふところ)に入れた。あいつが強請(ゆす)った会社が二つ、強請りそこなったのが一つ。会社の名前も僕は言える。とにかく、ラリュエッルは札つきだ。どこからでもボロが出る。会ったことはある?
 デュマ うん。カジノの場所の下見で、日取りまで決めた。その日が来る前に、ジャンヌが君と話して・・・
 パン(遮って。内緒のように。)なあアンリ、ジャンヌが僕を訪(たづ)ねて来てくれたことなんだが、実は僕は、女房にそのことを全く話してない。どうしてかと言うと・・・
 デュマ(了解していて。)分ってる。ジャンヌが言った。
 パン(困って。)分るな? 僕はその・・・
 デュマ(勢いよく。)分ってる、分ってる・・・それで、仕事の話だ。君に相談しなきゃならん。ラリュエッルはすぐ解雇した。君の推薦によれば、プランタン、ベイエ、ポンシャロだが・・・
 パン そう、プランタン兄弟は・・・
 デュマ(遮って。)ベイエは駄目なんだ。サント・ファニイの市長との繋がりが深過ぎる。この仕事について言えば、市役所側の人間だ。それでもベイエがこの仕事に関(かかわ)ろうとすれば、市役所側でややこしい話になる。君に説明するとなると長い話になるので止めるが、とにかく・・・
 パン すると、市役所側で、君にベイエを推薦してきたことは全然なかったということか?
 デュマ いや、それはあった。しかし、僕の方で、僕の会社にベイエの設計士が入るのは反対したんだ。実際、推薦してきた時、ベイエの人間を一人雇っていたが、それを外したぐらいだからね。(間。パン、宙を見詰める。)まあ、資金を持っているのはこっちだし、それがなきゃどうしようもないので、市長はそれ以上は押して来なかったがね。
 パン(力強く。)じゃあいい。プランタンはどうだ。あれは優秀だぞ。
 デュマ うん、プランタンがいる。ただその・・・
 パン ただ、何だ?
 デュマ プランタンなんだ、一番先に、僕がカジノの仕事をやることを嗅ぎつけたのは。それで、いの一番に応募してきた。三週間前の話だ。早いよ、奴は、動きが。僕は正直に言った、申出(もうしで)は有難いが、僕にはガブリエッル・パンという親友がいてね、と。ああ、奴はすぐ分ったよ。君が優秀だと、僕の前で褒めさえした。
 パン プランタンとのその話を、僕にしておいてくれたら良かったんだ
 デュマ(憂鬱な調子で。)何故?(間。)どうせ君には話していたさ、遅かれ早かれね。あの水曜日にだってすぐ・・・いや、勿論こうなってからは話すつもりはなかった。今日だって、こんなに困っていなけりゃ、話しはしなかったさ。分るだろう?
(間。)
 パン(声に当惑の調子あり。)プランタンがもう君のところへ来たというなら、わざわざまた呼びよせることはない。電話で、ちょっと例の友人のガブリエッル・パンは・・・(言葉を捜す。)
 デュマ(当惑の調子で。)・・・シマウマ狩りにでも行った・・・オットセイがいいかな。或は中国の万里の長城の修復の仕事があってそちらに・・・それが駄目なら、あっさりと、こっちの会社の重役の一人と意見があわなくて、サント・ファニイ・レ・バンの仕事はおりた、と言うか。そうなんだガブリエッル、ジャンヌから君の話を聞いた時、僕はすぐさまプランタンにかけあおうと思った。だけどちょっと考えて止めた。こっちの話など全く信用せず、ただ君が仕事をでっち上げて、それで僕の話を断った、としか思わないだろうからね。
 パン まさか!
 デュマ 仕事が入ってくれば誰だって、自分の成功、そして相手の失敗しか考えないものだ。敵の失敗を食い物にして、自分の成功を誰にでも吹聴(ふいちょう)する。この僕も宣伝の材料にされるだけさ。
 パン(次の台詞を言うが、本心とは思えない。)まあ、どうでもいいや、そんなことは。
 デュマ いや、違うだろうな。とにかく僕にはどうでもよくはない。(うちから出て来る感情を抑えられない。)どうでもいいどころか、僕には耐えられないんだ、ガブリエッル。
 パン うん・・・
 デュマ(落着きを取戻し。)もし君の名前を予めあげていなかったら、どうにかなったかもしれない。しかし連中は知っているんだ。ベイエは知っていたが、他の連中も、僕の知合い、友人関係をね。まあ、この業界では、少しは知られた存在なんだ、僕は。君の代りに別の設計士を使ったとたん、その変更の本当の理由など、連中は考えもしない。結論は簡単だ。僕が君をお払い箱にした、そう受取られるだけだ。勝手なものだ。どうやら喧嘩したらしいな。或は、何かの関係で君を犠牲にした、とね。これは最初、僕は想像もしていなかった話で、実を言うとジャンヌも僕もひどく反省しているんだ。
 パン(心を打たれて。両手をデュマの肩において。)アンリ、僕らは喧嘩なんかしちゃいない。それを連中に見せてやるんだ! こういう話をするためにここに入って来た君の姿を見ただけで、それは分るじゃないか。
 デュマ(苦しい口調。)それで分るということにしておくか。
(間。その間二人、煙草を吸う。)
 デュマ ここで僕ははっきりさせておきたい。君はこの件で、僕が君のことを勝手に扱ったと文句を言った。そう、その通りなんだ。君のことを勝手に扱ったんだ。それも、君に恩を売る、割のよい仕事で君に儲けて貰う、仕事の好き嫌いは別にして・・・ということより僕は、自分の面子(めんつ)のためにこれを手がけたんだ。僕は君を利用しようとした。君のためにではなく、僕のためにだ。僕はどうしても君の協力が必要だった。君に助けが! 僕はひどく厳しい仕事を引受けてしまった。今僕を取巻いているのは、インチキな連中ばかりだ。君もよく知っている。この間家に招(よ)んだ奴は、その中でも最もましな奴だ。罠がしかけてある契約でもサインしなければならない。仕事は中断する、引き延ばす、約束はすぐ破棄する。そういう連中だ。そういう連中に目を光らせてくれる人物、僕と一心同体となってくれる人物が、どうしても設計士にいてくれなきゃならないんだ。
 パン もっとそれを早く話してくれればよかったのに。
 デュマ いや、僕の性分でね。困ることが予想出来ていても、それが実際に起り、そしてそれを話すしか解決策はないと分るまでは、僕は喋らないんだ。このカジノの話も、ジャンヌには一言も話さなかった。それであの時君とやりあったからね。家ではそのあと大変だったよ。これ以上ジャンヌには心配をかけたくない。とにかくあの時の君の言葉、あれは効いたよ。
 パン アンリ! 君も分ってるだろう? ジャンヌも先刻承知だと思うけど、あの時に言った僕の言葉、ちゃんと取捨選択してくれなきゃ困るよ。取捨(しゅしゃ)の取(しゅ)の方はともかく、捨(しゃ)の方、捨てる方はきちんと捨ててくれなきゃ。
 デュマ しかし、取るべきものはあるんだろう? ちゃんと僕が聞いておかなきゃならないもの、本質は。
 パン 本質、それはブルダン・ラコットがいて、僕が苛々した。それだけだ。
 デュマ 彼を招ぶべきじゃなかった。今は分っている。君のために、君のことを思って、招ぶべきじゃなかったんだ。
 パン 僕のためじゃない。君自身のためにだ!
 デュマ 僕? 僕はそんな体裁を気にする男じゃない。ブルダン・ラコットを家に招ぶなど平気の平左衛門だ。もし仕事で必要とあればね。そういう人間のことを判断し、軽蔑出来なくなった時は、それは重大だがね。
 パン 君は連中を軽蔑する。しかし関わりは持つ。どう考えたらいいか・・・参るね。
 デュマ 関わりは持つさ、どんな奴とも。ピンからキリまでね。いいか、ガブリエッル、人は誰でも自分の意見、友情、それに、相手に対する共感、そういうものには責任を持つものだ。しかし、仕事の相手となれば、話は違う。君は仕事をする時、客を選ぶか?
 パン いや、こっちは選ばれるだけだ。
(間。)
 デュマ(溜息をついて。)そうか、君にとっては話が違うんだったな。勿論君は・・・
 パン(飛上がって。)ああ、あれか? 僕が芸術家、創造する人間・・・僕が水曜日に言ったことを考えているな? 君には腕がないと。アンリ! アンリ! とんでもないぞ。あんな馬鹿な話を真に受けたりしたら!
 デュマ ええっ? 馬鹿な話?
 パン そうじゃないか。このガブリエッル・パンが爆発すると何を言い出すか知れたものじゃない! 君に向って「お前のやっていることは暇人の遊びだ」なんて言ったことがあるぐらいだ。僕はあの日の後、自分でゲラゲラ笑ってしまったよ。そう、後からよく考えてね。ああ、アンリ、もし世の中に本当の芸術家というものがいたら、それは僕じゃない、君だよ。これは明らかだ!
 デュマ おいおい、何を言い出すんだ。
 パン そうだ、分り切ったことだ。僕は一昨日、ジャンヌにこの話をしたんだ。僕はジャンヌに分るようには話さなかったらしいな。
 デュマ(嬉しさで、驚いて。)えっ? 君、ジャンヌにこの話を?
 パン 君は肉体労働者じゃない。専門家でもない。物を右から左に、実際に動かす人間じゃない。が、何でもかんでも、建てる男なんだ。都市を建てる、借入金、予算、を建てる。砂漠の中に空港を建てる!
 デュマ(緊張がほぐれて。)馬鹿な!
 パン 君は物を造りあげるために生れてきたような男だ。人の気持を動かし、組織し、指揮する。人の長(をさ)たる素質がある。あらゆる人間から、その何を引き出せばよいか、これほど確かに知っている人間を僕は他に知らない。あらゆる考えを秤にかける。君自身の考えもだ。そして、いざ仕事にとりかかると、その態度は資本家であるよりもむしろ、芸術家だ。予想通りに運ぶか、その検証の楽しみ、自分の実力と創造力を駆使する喜び。
 デュマ うん、それは否定しない。
 パン ただね、僕が不満とするところは、君の世界、君の行動範囲なんだ。君がいろいろ取上げなきゃならない、ゴミ同然の仕事、またそれに群がって来る利権屋達につき合わねばならない君の姿。僕はね、君が本物のジャングルの中で仕事をしてくれたらどんなにいいか、全く未開拓の土地で、或はいっそのこと、遭難船の上ででもいい。その方がよっぽど君には似合うんだ。
 デュマ(間の後。)うん、僕だってその方がよっぽどいい。しかし、その選択の余地はなさそうだ。今やっている仕事を、今やっているように手がけて行くしかね。君だってそうだ。好むと好まざるとに関らず、我々は我々の時代に結びつけられている。今の世の中に仕えるように、我々は、この時代におけるある位置を与えられているんだ。
 パン それを我々がよしとするかどうかだ。
 デュマ(言い方を真似して。)我々がそこで存在していたいかどうかだ。そこで誰かとの接触が耐えられなかったり、ある汚れに我慢出来なかったりするなら、僕はその場所を離れるしか手はない。
 パン 或は場所を変えるか。
 デュマ その場所を、もとの未開拓の土地にする力は僕にはないからね。
 パン 土地はすべて、未開拓の土地だ、考えようによっては。
 デュマ しかし、その上にある空気を澄んだものにすることは、僕には出来ない。
 パン 出来るんじゃないか? やってみれば。
 デュマ そういうことを誰よりもうまくやるのが、たとえ僕だからといっても、普通の船を難破船に変えることは出来ない。
 そういう船にいて僕がどうなる? レストランの臭いとジャズバンドの音、そんな船の中にいて、僕はせいぜい、喫茶室に行ってそこにたむろしている連中とポーカーを一勝負するぐらいの金しかないとする。当った相手が僕より弱くて、こっちが勝てばよしとする、くらいが関の山じゃないのか?(パン、クスクス笑う。)どうした?
 パン いや、何でもない。
 デュマ 周囲とうまくやって行くことが必要だからな。そうだ、君、いつか言っていたな。どこか綺麗な田舎に「休暇のための、子供の楽園」を作るのが夢だって。
 パン うん。
 デュマ それはいつか作ることにしよう。しかし、今君の周囲が君に求めているのは、それとは違う。銀行の支店だとか、ダンスホール、賭博場だ。君はそれをやるんだ。情熱を傾けて。何て言ったって、建築家なんだ。まづは設計士、建築家!
 パン 勿論だ。
 デュマ そうだ、君がもしあの時、サント・ファニイのカジノ建設を引受けてくれていたら・・・
 パン(遮って。)何だって? 引受けてくれていたら? 僕はもう引受けているんだぞ!
 デュマ ええっ? あのカジノ・・・君、やってくれるのか?
 パン(ムッとして。)勿論じゃないか! さっき君がああ言って、どうして僕がやらない! 他の建築家にあんな風に言われて、どうして僕が放っておける! 
 デュマ(喜んで。)ああ、ガブリエッル・パン!
 パン 僕らが、ここまで連繋を強めて、それに、君が僕を必要としているんだ!
 デュマ(喜んで。)ガブリエッル! ガブリエッル・パン! 僕は嬉しい。嬉しい、嬉しい、嬉しい。分ってくれるね?
 パン 分ってる。もういいよ。
 デュマ(続けて。)君の拒絶にあって、僕がどんなにみっともない、馬鹿な立場に立ったか、他人の目からも、いや、自分自身から見たって・・・
 パン(相手の肩を叩いて。)もういい、もういいよ。それで、さっき言いかけていたのは?
 デュマ え? 僕が何て言ってた?
 パン もし僕がカジノを引受けていたら・・・
 デュマ ああ、そうそう、そりゃ、素晴しいものが出来ていたろうにって・・・
 パン 君のさっきのポーカーの腕なみだ。
 デュマ(笑って。)そうか、カジノはポーカーなみか。
 パン なあアンリ、ここだけの話だが、さっきの船の中での話、僕は相変らず君の話、納得が行かないね。例の、どんなやくざがやって来ても、そいつを相手にポーカーをする。そこのところだ。
 デュマ 僕だって納得しちゃいない。ただ、君よりは少し社交的だっていうことさ。それだけだ。
 パン 僕らみんな、社交的過ぎるんだ。おべっかの時代なんだ、今は。
 デュマ うん。実はこっそり君に言うとね、ガブリエッル、その点に関する君の僕への非難は、この点は酷くこたえてね、自問自答だった。君に賛成したり、僕流の考えになったり。
 パン(心をうたれて。)そうか、そうか・・・僕の方もこの数日、君の擁護だったな。
 デュマ 誰に対しての、だ。
 パン ああ、勿論、僕の言葉に対しての君の擁護だ。君の長所がどんどん大きく見えて来てね、僕は何て酷いことを言ったもんだと、クドクドと自分の言った言葉を繰返しては反省した。
 デュマ やれやれ!
 パン 結局、何故あんな酷いことになったかというと、女房と子供達の前で、僕が洗いざらい君にぶちまけたからだ。
 デュマ(同意して。)そう、連中の前、が、いけなかった。
 パン だいたい、もし我々二人だけだったら、議論はあんな方向には進まなかったんだ。観客を面白がらせようと、僕を煽(あお)るようなことを君はしなかったろうしね。
 デュマ それはそうだ。
 パン それに、二人だけだったら、一つ一つの言葉の意味が違ってくるんだ。あんな非難がましい意味は持たなくなるんだ。
 デュマ そうだ。もうこれからは、女房どもの前で議論するのは止めだ。アンドレの言う通り、ボクシングをやっているような具合になる。そいつは馬鹿げている。僕に理がある時でも、君は賛成しない。エリザベットが思うからね、君が譲ったと。それに、僕は君にやっつけられるところをジャンヌに見られるのは具合が悪いんだ。
 パン 分る。僕もジャンヌの前だとつい・・・
 デュマ そうだ。二人とも馬鹿な誇りがあるからな。
 パン(内緒のように。)うん、しかし、二人だけになったとたん、馬鹿な誇りは二人ともさっさと捨ててしまう。な?
 デュマ(内緒のように。)そうだよ、ガブリエッル!
 パン 仮面は脱ぎ捨てて、お互い、臍(へそ)のところまでシャツのボタンを外せるんだ。二人の悪ガキのようにね!
 デュマ そうだ。それで、ジャンヌが僕にこの間言ったことを思い出したんだ。全くあいつの言う通りだ。人は誰でも、相手によって、自分自身になるなり方が違う。
 こいつを説明するのにジャンヌの奴、音楽を例えにとって、実にうまくやったんだが・・・ちょっと思い出せない。分るだろう? 僕らが二人だけになったとたん、二人とも相手にピッタリ合う態度、そして、それ以外の誰にも合わない態度、をとる。それに、二人だけが共有している、ある動作、感情、思い出、がある。それで二人が否応無しに楽しめるんだ。
 パン(少し当惑しているが、それを抑えて。)ジャンヌはそれを、誰に当てはめて言ったって? 
 デュマ そんなの、分り切ってるだろう? 今話した通り、君と僕さ。ジャンヌは確信していたね、二人だけに共通の、あの領域に、二人が入りさえすれば、全てはうまく収まってしまうと。どうやらその予言通りだったようだ。それにジャンヌは、がっくりしているガブリエッルに、会いに来たんだったな、考えてみたら。
 パン(独り言のように。)ああ、よく来てくれたな・・・
(左手の扉にノックの音。そして、少し開く。)
 エリザベットの声 入ってもいい?
 パン(扉の方に行きながら。)いいよ。あっ、ちょっと待った。一分、一分だけだ、エリザベット。(扉、再び閉まる。デュマのところへ戻って。)連中にどう言おう。
 デュマ どう言う? だって、そりゃ、お互いに非を認め合った。僕が最初に。そう、僕が最初に、だ。いいな? その方を喜ぶさ、連中は。
 パン それは有難い。それから・・・カジノはどうする。
 デュマ エリザベットは喜ぶんだろう? 君がやるって聞けば!
 パン うん。ただ・・・僕はこの話はしないってあいつに約束したんだ。
 デュマ 喋ったのは僕じゃないか! 何とかやってくれと、僕から頼んだんだ。本当の話だぞ、これは!
 パン 君は僕に頼んじゃいない・・・
 デュマ 冗談じゃない。助けを求めて叫んでいたんだ! 君がやってくれると信じてはいたがね。
 パン キスしてくれ!
 デュマ よしきた!
(二人、キス。)
 パン 君、僕からって、ジャンヌにキスを頼む。
 デュマ 自分でやればいい。そこにいる筈だよ!
 パン おやおや、企(たくら)んだんだな。(左手の扉に走り、開け、大声で叫ぶ。)エリザベット! ジャンヌ!
 声(舞台裏から。)はーい!
(パン、デュマのところに戻る。スィルヴェットとアンドレ、登場。)

     第 六 場
(スィルヴェットとアンドレ、扉は開けたままにして、二三歩、恐る恐る進む。そして立止まり、パンとデュマを見る。)
 パン(デュマに。)ええっ、この二人もか?
 デュマ(ゲラゲラっと笑って。)何だ、これはシナリオにはなかったな!
 アンドレ(スィルヴェットに。)どうやらこれ、大丈夫そうだぞ。
 スィルヴェット(開いている扉に走って。)しんがりの人達、入って大丈夫!
(この時までにアンドレ、二人の方へ進んでいて、猛烈な握手。)
 デュマ で、大丈夫でなかった時には、どうするつもりだった?
 アンドレ スィルヴェットと二人で喧嘩を止めさせようと・・・
 スィルヴェット(この時までにアンドレの近くに来ていて。)そしてアンドレがパパに、娘との結婚の許しを求めるの。
 デュマ おやおや、またか。
 スィルヴェット(続けて。)そして私はお父様を苦しめるの、こうやって!
(スィルヴェット、パンの首に飛びつき、キスする。ジャンヌとエリザベット、登場。)
 パン いやあ、降参だ、降参だ。ああ、ジャンヌ!
 ジャンヌ それで?
 エリザベット 講和条約?
 デュマ 楽しい、嬉しい、講和。お互い、勝利なしの。
 パン ここにいる人物と、私の間には、一点、何の曇りもないよ。さ、ジャンヌ、キスだ!
(パンとジャンヌ、キス。)
 デュマ(エリザベットに。)さ、キスだ。
(デュマとエリザベット、キス。)
 アンドレ(スィルヴェットに。)さ、キスだ。
(アンドレとスィルヴェット、キス。)
 エリザベット なあに? 私達にキス出来るほど、とっくに仲直り? じゃあ、私達のことを、二人とも、待ちくたびれていたのね?
 パン(ジャンヌを見ながら。)そう、その通り!
 スィルヴェット(パンとデュマを指差して。)あら、ご当人の二人は? キスなし?
 デュマ もうとっくにすんでるよ!
 パン おあいにく様。言われてからやるようなトンマじゃないんだ、僕らは。
 アンドレ なあんだ、きっと、もう三十分も前から、二人で冗談を言って笑いあっていたんだぞ。こっちはハラハラドキドキ、気をもんでいたのに。
 エリザベット(真に受けて。)あら、そう?
 デュマ その通り。図星。
 ジャンヌ 冗談を言い合って、そして、二人、キス!
 パン 大正解!
 エリザベット そう。でも、ちょっと、どんな具合だったか、説明して下さってもよさそうなものだわ。
 パン ああ、まだだったぞ!
 デュマ 話し出したら終らないぞ、これは!
 スィルヴェット でもちょっとだけ。あらましを。
 アンドレ 僕は統一見解が聞きたいな。
 パン 駄目駄目。秘密。非公開!
 ジャンヌ いいでしょう。それならそれで。
 アンドレ なあんだ、二人とも説明する勇気がないらしいぞ。
 エリザベット そうらしいわね。
 スィルヴェット おばあさんに頼んで、あの二人に、白状するよう、そう言ってもらうの!
 デュマ(エリザベットに。)そうだ、エリザベット、話すよ、話す。君の旦那さんは、暴力にまで訴えたんだ。うちのマデイラがコルクの臭いがしたと言って、怒ってね。僕が、跪(ひざまづ)いて謝らないと許さないと言ってきかないんだ。最後には、ブルダン・ラコットの首を持って来いと言って。(皆笑う。)僕は言ったよ、ちょっと待ってくれ。栗に、奴の顔を彫ったら、持って行くってね。
 パン(パンの周りにいる、ジャンヌ、スィルヴェットとアンドレに。)違う違う、あの話は正確じゃない。こうなったら、君達には話すがね・・・
(パン、小さな声で喋る。皆、大笑い。)
 デュマ(エリザベットに。)はっはっは、それでね、こっちとしてもだ・・・ね?
 エリザベット(内緒のように。)ねえアンリ、それで、カジノは?
 デュマ(内緒のように。)そう、それだ。こっちとしても、ガブリエッルを拝(おが)み倒したんだ。あの拒絶の撤回をね。君の助けがなかったら、こっちはもう動きが取れなくなるだろうってね。
 エリザベット それであの人・・・引き受けて・・・?
 デュマ 多分。かなり大きな希望が持てる。
 エリザベット 大丈夫、引受けるわ。私に任せて!
 スィルヴェット(笑いの中から。)ええっ? 本当?
 パン お父さんに聞いてご覧。なあアンリ! 講和条約の条件の中に、みんな家(うち)で今夜食事っていうのがあったな?
 デュマ いや、ちょっと待って。それはよく覚えていないぞ。
 パン おいおい、約束は約束だぞ!
 デュマ うん、あったかもしれない。いや、あった、あった。
 エリザベット あら、じゃ、皆さん、夕食までお返ししないわ。ただちょっと、お客様用のおもてなしが出来ないのが残念・・・
 アンドレ そんなの、何でもないよ!
 ジャンヌ でも、私達、家で夕食の用意をさせて・・・
 パン ああ、それは僕が電話する。料理の人に、映画にでも行きなさいと。
 デュマ ああ、あれに、ここに来させて、得意のスフレを作らせよう。
 エリザベット(突然、困ったように。)いいえ、駄目よ、そんなの・・・私、絶対反対!
 ジャンヌ どうして?
 パン(勢いよく、エリザベットの口出しを制して。)レストランで!・・・僕持ちだ!
 エリザベット(安心して。)ええ、そう!
 スィルヴェット 素敵!
 デュマ(命令的に。)うん、もしここで食事でなければ、これはこっちのおごりだ。
 パン(声を上げて。)いやいやアンリ、それは駄目だ!
 デュマ おいおい、それは・・・
 パン 先に招待したのはこっちだ。任せるんだ!
 デュマ こんなのに後先(あとさき)はない、僕は今、招待する。
 パン おいおいアンリ、ここでまた、親分風は駄目だぞ。な?
 デュマ(ちょっと考えて。微笑んで。)分った。今は止める! もう言わない。君の話にのろう。
 パン よし、これできまりだ!
 デュマ じゃあ、電話を家に頼む。家の料理人にも、君の声を聞いて貰いたいからな。
 パン(電話器に行き。)もしもし、交換手? マビロン八三ー一九を頼む。
                   (幕)

 平成十九年(二00七年)十月二十二日訳了


Repesentee pour la premiere fois a la Comedie-Francaise le 1er decembre 1930.

Personnages
Gabriel Pain, cinquante ans... MM. Leon Bernard.
Henri Dumas, quarante-six ans... Andre Bacque.
Andre Pain, fils de Gabreil Pain, vingt-six ans... Jean Marchat.
Bourdin-Lacotte, depute... Lucien Dubosq.
Un Dessinateur... Chandebois.

Jeanne Dumas, femme d'Henri Dumas, quarante ans... Mlles Beatrice Bretty.
Elisabeth Pain, femme de Gabriel Pain, quarante-cinq ans... Catherine Fonteney.
Sylvette Dumas, fille d'Henri Dumas, dix-neuf ans... Helene Perdriere.
Madame Dumas, mere, soixante-dix ans... Jane Faber.
Une bonne.