第3号(2000・9・7)
■BS放送で、リアル・タイムで情報が入るようになって久しいが、25年ぶりに先だって訪れたザルツブルグが映ったのは、いささか感慨深かった。住んでいた時の夏毎日通った音楽祭。放送はウイーン・フィルの『春の祭典』。指揮者は今話題のゲルギエフ。衰退のロシアに留まりザンクト・ペテルブルグのキーロフ・オペラを一流に導いた人だ。偶然にも私は彼の熱演するマーラーを、今年東京池袋の芸術f劇場で聞いて、大変感心した。。また、『春の祭典』は、ホンの一時在籍していた慶応のワグネル・ソサイエティー・オーケストラで、練習したことがある。今はなくなった渋谷の河合楽器(のトイレ)で、この曲のホルンのパート譜を浚ったが、そもそも自分の吹いているのが合っているのかどうかもはっきりしなかった(放送でのウイーン・。フィルも、金管楽器が少しトチった位難易度の高い曲だ)。
後、英語の教職免許をとるのでジャズ評論で名高かった故鍵谷幸信氏の講義を摂ったが、現代英詩の授業の間中、「とにかくストラヴィンスキーの『春の祭典』は、オレのバイブルだ。ぜひ聴いてみてくれ」と強引に誘われ、言われたとおりマジメに実行した。だから、今ではたいていのパートのメロディーが頭に入ってしまい、尺八でも吹ける位だ(鍵谷先生の遺訓?は、私の頭の中で生きている!!)。
■ザルツブルグの話はたくさんありすぎて敢えてしないが、一つだけ・・・。
いつも自分の楽しみ中心に動いている小生が、珍しく現地滞在中は嫁ハン本位。希望を入れ、かつてのその下宿を訪れた。小さな街のバスの終点の近く。家主のシュパウン家は、シューベルトのパトロンだったこともあり、その離れには、大指揮者フルトウェングラーも泊ったという。幸いにも建物(亡くなったご主人の自作だという)が残っており、記念撮影していると、ジョギングの女性が来て「あら、私ンちの前で写真を撮っている」という。「あら、あなたサクコさん?」と即座に家内を識別し、家の中に招いてくれた。帰り際、「あなたはたまたま私がジョギングから還って来なかったら、玄関のベルを押さなかったんじゃない」と問われたが、図星。仮に、アト1分、われわれの写真撮影のタイミングがずれていたら、部屋を見せて貰うこともなかった。
25年前は近所に住み、今はその家の当主になった長男夫婦と、お茶をしながら話しているうち、「食事しよう」とか、「午後にはドライブに行かないか」と歓待がエスカレートしてきたので、頃合を見計らって退散した。当時2、3歳だった坊やは、お母さん(ジョギングしていたおばさん)の跡をついで医者になっているというから、光陰矢の如し。
■8月中旬,朝日新聞(朝刊)は、小さく「厚生省が、該当しない治療法で保険請求していた医院を摘発した」と報じた。
当該の甲府の佐野医院は、西洋医学が見放した癌の末期患者(ベッド19床)を全国から預かっていたという。
この院長は独自の哲学を持ち、本も何冊か出している人。何年か前、私は磁場共鳴(波動)予防医学を仕事として研究・実践していたとき、この院長のことを知り、そのうち訪ねて見たいと思っていた。πウオーターの件でも佐野氏は信頼のおける発言をされていたように記憶する。
御他聞にもれず、癌の末期患者にもさまざまな代替療法が行われている.私も自ら培った波動測定技術でいろいろ調べている。眉唾が多い民間療法ではあっても、一定の効果をあげ得るだろうと思わせるものも少なくない。どうも病気(特に癌など)には個性があるようだ。西洋医学では手術という方法で摘出しせいぜい転移を防ぐことしかできなくても、癌のタイプ(個性)とある種の民間療法との相性が合えば、劇的な好転をもたらすことは充分考えられる。こういった意味では、粉ミルク療法も佐野医院で行っていた療法も(在来医療で見放された人にとっては尚更)試してみる価値はあるのではなかろうか。
今回の摘発は、インチキ治療で高額を取ったというような,世にありがちなケースの逆だと思われる。厚生省ももっと大人げのある対応ができなかったのか、と思う。
医療も教育も、われわれの人生の大切な一部だから、専門家に依存しすぎるのはよくない。しっかり自己啓発して、悔いのない生き方(つまり、それは死に方でもあるのだが)をしたいものだ。
さて、佐野医院が癌の末期患者に指導してるいる療法とは何だとお思いか?それは、飲尿療法である。つまり、オシッコを飲むのだ。われわれ一般人は同じ排泄物ということで、尿と糞を同類視しがちだが、それは、まったくの間違い。15年にわたる私の飲尿療法についての研究・調査・実践経験では、飲尿療法は、「百利あって一害なし」の、素晴らしい健康法。これは人類の大いなる財産である。環境も汚さず、リサイクルの極地。むしろ奨励されて然るべきだと、私は思っている。
飲尿療法は、サナトロジー(死生学)の前の、烏骨鶏卵黄油の前の、波動予防医学の前の小生の関心の的だった。当時の資料など見つかり次第、改めて一項を設けてご紹介しようと思うが,ゼヒ実践したいと思われる向きはいつでもご連絡いただきたい。
9月4日朝日新聞は、「閉じこもり」の米人作家サリンジャーの暴露本が出ることを伝え、「新興宗教に凝って、飲尿や断食という奇行を繰り返す」と書く.飲尿も奇行か?その効用を知っている私にとっては福音でも、その実態を知らなければ、とんでもない行為に見えるのか?わが国中世では、時宗の上人の尿を民衆は競って有り難くいただいていた、というのに・・・。付言すれば、他人のものを飲んでも効果はなく、かつての中国の金持ちが、若い生娘の尿を回春?効果を信じて飲んだ、などというのは全く次元を異にする話だ。
■[偶然・coincidenceについて]」
さて、上記佐野医院摘発の記事が載ったのと前後して、一人の女性(看護婦さん・以下Sさんと呼ぶ)が訪ねてきた。ルルド(フランスの聖地で聖母マリアのお告げにより湧き出た水を飲んだり浸かったりすることで、世界中から集まる難病の人たちが奇跡的に救われる場所)の水を持ってきてくれたのだ。私が,波動測定で身体の健康(活性)状態や水や各種物質を調べているので、この奇跡の水を持参してくれたのだ。
わざわざ暑い中ルルドの水を持ってきてくれた感謝の気持ちをどのように伝えるか・・・と思いつつ,何げなく引出しを開けると、何年も目にしなかった「ババジのおしえ」というコピーが出てきた。ババジというのは、アメリカに初めてヨーガの教えを伝えたパラマハンサ・ヨガナンダの血脈の始まり・・・ヒマラヤで何百年も行きつづけているといわれる聖者だ。忘れないうちに、と彼女に見せると、大変喜んでもらえた。聞くとそれもそのはず、Sさんはヨガナンダのところの瞑想グループself
realization fellowship(自己実現同志会)の会員だというのだ。私は、驚き,喜んだ。ヨガナンダ(主著『あるヨーガ行者の一生』は邦訳あり)を私が知ったキッカケは、三井物産の某君が、恐れ多くも?「徳山さんはヨガナンダに似ている」と写真をみせてくれたのがキッカケだった。
ヨガナンダは、ラマナ・マハリシ、ラーマクリシュナ・パラマハンサと並び近世インドの生んだヨーガ行者(グル)の三傑。
私がアメリカで尺八の演奏会を開いたいくつかの町にはヨガナンダのアシュラムがあり、その静謐な雰囲気にどれだけ癒されたことか。その時気持ちだけドネイション(いくばくかの志)を置いたら、今だに時々案内をくれる。一時は自分の尺八の会を「自己実現同志会」に改称しようかと真剣に考えたほどだ。日本でここの会員に会ったのはSさんが初めて。驚くべき偶然で、(もはやどこから廻ってきたかも忘れてしまったような)「ババジのおしえ」のコピーは、ヨガナンダの若き日の凛々しい写真とともに彼女の手に渡った。
さて、前号で私がプラハの美しさに触れ,すっかりチェコフアンになったことは申し上げたと思う。少しづつだがチェコ語も勉強している.そんな昨今、別の精神世界大好き人間Kさんより、インドの料理と音楽の会の案内がきた。コピーの「日本人とチェコ人二人のグループ」とあるのに驚き、また、「彼等の出会いがインドの聖地アルナチャーラ山の麓だった」とあったのを目にして、もしや・・・と思い、まだ読んでいない一冊の本を引っ張り出してみると、案の定ここでも偶然が起こったのである。
私がこの4、5年、関西方面に滞在すると必ずといってよいほど訪れるのが三輪山の大神神社だ。ここは山そのものがご神体(これを神奈備山という)。前記インド真正グルの一人、マハリシの生涯信奉した神奈備山がアルナチャーラ山なのだ。マハリシについてより詳しく教えてくれた小谷君(社会人から京大印哲の院生になり、インドでヨーガ修行しようとしている尺八の弟子)の置いていった『沈黙の聖者、ラマナ・マハリシ』には、アルナチャーラ山の写真もあった。
この、インドの会にも行ってみようと思うが、『沈黙の聖者』には、小谷君からのコピーが一枚はさんであり、大分県宇自町(ととろの里で知られるという)のわき水がルルドの水とおなじ性質をもち、毎月2万人が利用していて、体調が良くなった人が続出しているというものだ。ここの水も検査の結果、電気がたまらない性質の分極率ゼロの水だという。雨水が地表の絶縁性の強い岩石に長い時間触れてでき、細菌やウイルスが繁殖しにくく、有機物を大量に含んでいるという。98年8月26日の京都新聞のこの記事で、ルルドの水に始まる一連のcoincidence〔偶然の一致〕は大団円を迎えた。
第2号(2000・8.8)
■六月下旬から8日間、ウィーン・ブダペスト・プラハ・ザルツブルグと廻ってきた。
週一回のウィーン直行便を利用.全日空とオーストリア航空の共同運航の飛行機はスタッフはほとんどオーストリア人。のっけからウィーンの雰囲気が漂った。
■ウィーン・スベヒャート空港には、日本人ガイドが運転手つきベンツで迎えに来てくれた(といってもベンツはタクシーで使っているのと同じタイプ、ガイドもここでおしまい)。
陽が長いので、荷物を置いて街にくりだす。昔の記憶では、ウィーンは堂々たる街のはずだったが、ファボリタ(お気に入り)というこの地域の名称の割にはイマイチ.後で調べてみたら、ここいら「10区」は、現地の人には住むのを敬遠されているという。
地下鉄の終点・ハイリゲンシュタットまで行ってみる.全くの思いつきだが,ベートーベンが遺書を書いたのはどんな所か、見てみたかった。ベートーベンゆかりの地はさらに乗り換えて行くような場所だと言うので断念。街中に戻る.■夕食は、ウィーン最古の建物の有名レストランで、オーストリアの名物料理シュニッエル(肉のフライ)を。ここの地ビールが最高にうまかった。9時過ぎてもまだまだ明るい。.
■翌朝は、幹線道路を5時間.ブダペストへ。ツアー客は他に3組。着いてすぐ昼食になったが、セットの食事を食べていたのはわれわれとマイアミからの老夫婦だけ。
「老後マイアミで過ごすのは、アメリカ人の理想的な生き方なんでしょ.羨ましいですね」と愛想をふりまく。昨日敢えて注文しなかったグラシュ・スープ(牛肉のゴッタ煮)にありつく。実にうまい.ただし「初めて食べてもこれほどおいしいと感じるだろうか」とも思った.私は、27年前に、安くて滋養豊富ということで来る日も来る日もこのスープを飲みつづけ、心身共にスープの馴染みになっていたのだ.この時の、トカイ・ワインも最高。ハンガリーにもおいしい食べ物がたくさんあった。
午後は、何と頼まずして日本語の通訳がついた。なるべく日本人や日本語に触れないようにしようと思っていたわれわれには、ちょっとした誤算。でも、押し付けがましくなく、大変感じの良い人だった.本来の英仏語とは別に、観光客の少ない冬の間に独学で日本語をマスターしたのだという。どこの国でも勤勉な人は勤勉だ。
そんなわけで、他の3組のツアー客とは一緒に行動しながらも別々だった。スペイン美人の奥さん(とだんな、娘さん)は、少し話しもしたので国籍もわかったが、もう一組(父子の5人組)にはびっくりした。オーストリア人と早飲み込みしていたが、話しかけたら相手の言うことが全く分からない。聞いてみるとみると、南アフリカからだと言う.彼等の言葉は、一種のオランダ語の方言だとのこと。知らなかった。
■ホテルに戻リ、昨日目ぼしをつけておいた近くの店に入る。トルコ人とおぼしき夫婦のやっている、テーブル3つだけの開け放たれた店。小柄な店主は同郷?の肉体労働者風の男と瓶ビールをガブ飲みしている。頼んだサンドイッチは半分食べてもまだ手に大きく余る。家内のはレバーが入っていたとみえて、くさい、と不評。私が忘れた上着を、巨体をゆすって駆け足で追っかけ届けてくれたオバちゃんの親切が身に沁みた。
■翌日は、ホテルに荷物を置いたままプラハへ。日帰りは無理で現地に一泊。
週に一回プラハ〜ウイーンを行き来するJALバスを利用する.今度ばかりは日本人団体客と一緒か、と覚悟して、集合場所のヒルトン・ホテル(ウイーンで一番高い)に向かう。ロビーにもチラホラ日本人らしき人がいたが、いざフタをあけてみると大きなバスに人5人。ガイドとドライバーを入れての話だ。われわれ以外の唯一の乗客K氏は、ニュー・ヨークの方から廻ってきた一人旅。気に入った場所を見つけては、急遽そこに泊まっているという。その割には、英語もかなり覚束ない風で、「あれで大丈夫かナ」と思っていたが、独特の根性のある人だった。
さて、附設のトイレを使わせてくれないのには閉口したものの、バスの旅は最高。ボヘミアの田園地帯の真っ只中を走り抜けてゆく。社会主義を排し、スロバキアとも袂を分かったチェコは、ビザも撤廃して、プラハを中心として、一大観光地に生まれ変わろうとしているようだ。世界自然遺産のチェスキー・クルムロフをたっぷり見て、昼食。牛肉にクリームなどを使っての甘い独特の味付けが、不思議とうまい。付け合わせの団子様の巨大な塊を欲しい数だけもらえるそうで、他のテーブルを見ると5つも6つも食べている現地の人もいたが、われれにはせいぜい2個がいいところ。お代わりなんてとんでもなかった。
■様々な時代様式の建物が残っているプラハに到着。もちろん大都会の喧騒はここにもあるが、数分歩くと旧市街。右も左も前も後ろもため息が出るような建物ばかり。このように街そのものが美しいと思ったのはパリを見て以来。カメラのシャッターを押し続ける。
下車する前に、実はガイドさんに「プラハは、怖いところだ。タクシーは必ずボリます。地下鉄では4〜5人に囲まれてひったくられることがあります。街中で地図を広げるのは、絶対止めてください」と散々言われていた。そりゃ、そういうこともあるかもしれないが、長い歴史を持つ法治国家で、そうそう理不尽なことも起こるまい。第一、あんまり否定的なことばかり考えていると、自分が楽しくなくなってしまうではないか。 街の美しさを目の当たりにして、私はすべてを忘れていた。
うっとりしながら、画家ミューシャの絵が飾ってあるレストランに入る。さすが料理はうまいが、この国も元社会主義の国ということで、サービスはイマイチ。あまり愛想の良くないウエイターが珍しく自分の方から寄ってきたと思ったら、「代金にはチップは含まれていませんのでよろしく」だと。期待に応えて地下鉄の駅めざして歩いてゆく。相変わらず写真ばかり撮っているのでちっとも進まないのだが、何とも間の悪いことに、カメラの電池が切れた。せっかくの美しい街をもっと撮りたいので、道行く人、おまわりさん、ウエイトレス、ホテル・マンと片っ端から聞いて廻った。ようく考えればカメラ用の水銀電池など、専門店ででもなければ売ってっこないのだが。夜10時でもまだ明るかったので、ついつい欲がでた。夕闇のプラハというのも、大変美しい。また、道聞きで間近にみたチェコ人は大変背が高かった。
■地下鉄でホテルに向かう。ホーム壁面の装飾に私は、感心してしまう。黄色から徐々に金色に至る円形の装飾なのだが、華美過ぎず又、地味でもないそのデザイン・色柄はいつまで見ても飽きない。3つ程地下鉄に乗り、降りてホテルを聞くと、次の駅だという。思えばこの時、この忠告を聞くべきだった。荷物もないので、歩いて向かったが、これが大きな間違いだった。あたりはどんどん暗くなり、周りに人気ガなくなってきた。中学生位のお兄ちゃんをつかまえて聞いてみたが、怪しげな英語で要領をえない。さらに歩いて公園にたむろしていたグループに聞き方角は間違っていないのは分かった。見ると、目の前に堂々たる巨大なホテル。今夜の宿は「タワー・ホテル」という、かつての共産圏では有名なところ。しかし、暗い中で道は曲がりくねり、さらに犬連れの中年夫婦に教えて貰ってやっとホテルに続く道に出れたわれわれの前に立ちはだかったのは、延々と続く巨大な橋だった。15分も歩いたろうか。渡ったところにホテルはあったガ、立派なエントランスは、眼下。今度は降り口が見つからない。と、そのとき明らかにホテルを目指してる様子の白人老夫婦が来た。シメタ、とその後をついて行くと、レストランの横口があり,前行者がノブを廻すも開かない。結局Uターンすることになり、今度は私が先頭。四人でメいっぱい迷った。やっと(私が!)降り口を見つけた時は、賞賛の嵐こそなかったが,それなりに喜ばれた。「ペイ・テレビやバーなどの利用に備えて、保証金をいくらか置いてくれ」とのフロントの要請を軽くいなして,部屋に着いたが、カード・キーの使い方がイマイチ分からず,4〜5分は,格闘したろうか。午後11時半頃やっと部屋に入れて見た、窓からの夕焼けがきれいで,カメラの使えないのが何とも少し恨めしかった(この項続かず)。
第1号(2000.6.15)
■四月、異業種交流20年の水雲会関西支部発足を祝って、京都で吹く。桜に魅かれ、円山公園の中に自分で旅館を開いた、東京の中川さんのお宿「吉水」に止宿。前日は奈良(室生穴穂神社)で偶然野性の鶴を見、午後から、石榴市(つばいち)の古跡を経て三輸山(大神神社)ヘ。大改修を経て本殿は立派になったが、神奈備山(かんなびさん=山そのものがご神体)である三輪山は、数年前襲った未曾有の台風で凄い荒れよう。宮司さんによると、参拝口の巨木は、直角に立つ社殿の僅かな隙間に倒れ、些かも建物を損なわなかったという。
■五月は、伊豆に5日程。この機会に栄養学の本を訳すべく辞書を引くも、医学やビタミンの知識を要して結構大変。つけっ放しのテレビで美輸明宏の歌を聴く。あまりの巧さに絶句(生で聴いたら、サゾカシ・・・)。飛行機が大幅に遅れたボリビアで「手持ち無沙汰の乗客に一時の慰みを」と竹を吹いた時、ジョイントしてきた若い白人女性や、交通事故でガタガタになった身体が癒されたという能の謡、二つのいずれも私の身体が反応して尾てい骨がビリビリ震えた。ヨーガでいうクンダリニ・シャクティの覚醒、キリスト教のいう聖霊の降誕が起こりうるかも。歌の癒しの効能はもっともっと認識されてよい。
■同じ伊豆のテレビで、「オーケストラの合併」(東フィルと新星日響、NHKクロ‐ズアップ現代)を見ていたら、案の定榑松さん(新星日響埋事、トロンポ‐ン奏者で、小生の高校・大学の先輩)が出てきた。池袋のロータリ一クラブで講演した時、先輩が来ていて、終演後二人で大いに会話が弾んだ時のことを思い出す。
■何年も前に、NHKのBSで偶然見たオ‐ストラリアの音楽映画『シャイン』。後に映画好きの娘がレンタル・ビデオを借りたのに便乗、全編見る。若く才能のあるユダヤ人ピアニストが、父の反対で留学できず精神を病むが、ピアノを通して社会復帰してゆくという話。アカテミー賞を取った実話だという。このヘルフゴット氏が東京で弾くというので11日聴きにゆく。歩き方や弾いている時のジェスチュアなど独特。膨大な量の花束は、多くのファンが彼の人生の来し方行く末をあたたかく見つめ、受入れていることの証のように恩えて、ジーンときた。
■iBDセミナ‐の頃からの友人チクリンは、カセットのジャケットや私のアメリカでの演奏会のマネ‐ジメントなど一手にやってくれていた(「セミナ‐なんかやってないで、徳山さんは尺八を吹いてた方がいいよ」というのが彼女の口癖)。今はサンタ・クル‐ズで東洋療術師として生活している。厳格なマクロビオティック(玄米菜食主義者)で、その「冷蔵庫のない生活」は朝日新聞にも紹介されたが、突然コンピュータを始めた。難病の友人が亡くなり、だいぶ後にそのことを知らされたが、友人たちはインタ-ネット(eメール)を通じて頻繁にコンタクトをとっていたという。
後にそのことを知ったチクリンは、遅まきながら?コンピータを人生に取り入れる決断をした。
この話も、どこかで私の耳に残っていて・・・
■この6月6日、私もeメール・アドレスを取得。またホ‐ム・ページも開設準備中である(ちゃんと軍師がいるので、「総選挙までには開設の運び」と一人決めしている)。
■最近波動で測ったいくつかの物質についてご報告しておこう。
○一保堂の新茶、可もなく不可もなく。普通の健康人が飲用して、不健康な(波動数値が低い)方に引っ張られる心配もない。特筆すべきは、ストレス低減効果が顕著なこと(みなさん緑茶をのみましょう!)。
○今話題の深層水、高知と沖縄のものを測定。波動数値はやや高めだが、世間でいうほどではない。2リットル700円位だと高いのでは。ただし、お金に余裕があって、本人が気に入って飲む分には、大変結構だと思う(そこまでやるなら自分の波動水を作って干倍希釈して、たくさん飲めば確実に効果はあるのだが←と、コマーシャル!!)。
■結婚25周年。夫婦出会いの地、ザルツブルグに旅行することになった。「見知った路地や裏道をサンダル履きでブラブラと」というようなイメージでいたのだが、せっかくだからプラハやプダペストヘも、と家内に押し切られる。ザルツの宿は1356年築。ヨ‐ロッパではペストが流行り、日本では南北朝の時代だ(楠木正成は死んだが足利尊氏はまだ生きている)。このホテル(「ヴァイセ・タウベ/白い鳩」)から宿泊OKのファックスが来たときは嬉しかった。
■出発が一日延びて、不在者投票の必要はなくなった。「大人が熱くなるものといったら政治(選挙)しかないんじゃないの」というのが私の立場。4割を超える人達が投票権を行使しない、とは驚きだ。大人権の放棄、自治(自ら自身を治めること)の喪失、国家という集合体への背信行為ではないのか。もっとも、投票に行っていても、企業ぐるみ選挙や義理や情実の投票では、これもまた困ったものだ。
英字新聞で「一票の格差が是正されれば政権交代がある」との記事を目にしたのは、昭和三十年代ではなかったか。今回も、東京と島根との一票格差はl対2.24だという。それでも、いや、それだからこそ、自らの権利と責任において投票することが望まれる(などと、高校で政経を教えていた頃は、選挙の度事に口角泡を飛ばして熱弁をふるい、生徒と模擬選挙などをやっていたがそれも25年前の事でした)。 |