で見た

何が出てくるやら…?!

 

 

犬も歩けばBowにあたる…

音楽を聴こう、紀行、寄稿…さて、

もちろん、これは注目~!の音楽家やCD等にめぐり合ったときはご紹介します。

 

時代はますます…、読書どこでは、とおっしゃる方も多いのかもしれないが、

音楽が好きな方々に読んでもらいたい本を時々紹介

 

音楽に直接…以外でも価値あるイヴェント等があれば…紹介しましょう。

 

ともかく、いいものは何でも紹介しましょう。

 

 

 

 

 

 

東日本大震災被災の皆様、心からお見舞い申し上げます

 

 

一人静かに詩を読みたくなるときがある

 

刹那的には事が解決できない過ぎ行く時間の中で、一人、

 

一つの詩と向き合うのも、いいのかもしれない

 

(旧仮名遣いは現代語に直させていただいている)

 

 

 

 

 

 

 

曇りなき 心の月を 先だてて

 

浮世の闇を 照らしてぞ行く

 

 

伊達貞山

寛永13(1636)

 

 

 

伊達政宗=貞山時世の句

東日本大震災復興祈念音楽会18回演目決定に想う……(2012.7.10

 

 

 

 

ふるさとに生きる ふるさとを生かすサトウハチロー

 

ふるさとに生きる

ふるさとを生かす

ふるさとをよく知り

ふるさとと語りあう

 

舌ざわりのよい ふるさと

肌ざわりのやわらかい ふるさと

言葉がヒフの毛穴からしみこむ ふるさと

同じ子守唄が どこの家からもきこえる ふるさと道ばたの小石にも

石垣の間から見える蟹のハサミにも

小魚のピリッと光る尾ひれにも

幼き日の思い出がつながる ふるさと

 

見なれた色

聞きなれた音

かぎなれた匂い

それが まじりあっているのが ふるさと ふるさと

 

だが ふるさとに甘えるなかれ

ふるさとはやさしく きびしく

ふるさとはなつかしく 悲しい

ふるさとには いつも うれしさと涙があるそれをみきわめて ふるさとを引き立て

ふるさとをはげまし

ふるさとのよさを押しすすめ

これがわがふるさとだと 胸をはれるふるさとにしたまえ

 

ふるさとをよく知り

ふるさとと語りあい

ふるさとに生きる

ふるさとを生かす

 

石巻の元木幸市先生に教えていただいたもの… -(2012.1.7

 

 

 

 

大阿蘇

三好達治

 

雨の中に馬がたっている

一頭二頭子馬をまじえた馬の群れが 雨の中にたっている

雨はしょうしょうと降っている

馬は草をたべている

草をたべている

あるものは草をたべずに きょとんとしてうなじをたれてたっている

雨は降っている しょうしょうと降っている

山は煙をあげている

中岳の頂からうすら黄いろい 重っ苦しい苦しい噴煙がもうもうとあがっている

空いちめんの雨雲と

やがてそれはけじめもなしにつづいている

馬は草をたべている

草千里浜のとある丘の

雨に洗われた青草を彼らはいっしんにたべている

たべている

彼らはそこにみんな静かにたっている

ぐっしょりとあめにぬれて いつまでもひとつところに 彼らは静かにあつまっている

もしも百年がこの一瞬の間にたったとしても なんの不思議もないだろう

雨が降っている 雨が降っている

雨はしょうしょうと降っている

 

(『春の岬』より)

 

熊本人の懐かしい声を聞いた日に… -(2011.11.24

                

 

 

千家元麿

 

暖かい静かな夕方の空を

百ぱばかりの雁が

一列になって飛んで行く

天も地も動かない静かな景色の中を、不思議に黙って

同じように一つ一つセッセと羽を動かして

黒い列をつくって

静かに音をたてずに横切ってゆく

側に行ったら羽の音が騒がしいのだろう

息切れがして疲れているのもあるのだろう

だが地上にはそれは聞こえてこない

彼らはみんなが黙って、心でいたわり合い助け合って飛んでゆく。

前のものが後になり、後のものが前になり

心が心を助けて、セッセセッセと

勇ましく飛んで行く。

その中に親子もあろう、兄弟姉妹も友人もあるにちがいない

この空気を柔いで静かな風のない夕方の空を選んで、

一団になって飛んで行く

暖かい一団の心よ。

天も地も動かない静かな景色の中を、汝ばかりが動いてゆく

黙ってすてきな速さで

見ているうちに通り過ぎてしまう。

 

(『自分は見た』より)

秋の晴れ間、燐の空を見つつ小さき頃を思い出しつつ…(2011.11.12

 

 

 

草野心平

 

波はよせ。

波はかへし。

波は古びた石垣をなめ。

日の照らないこの入り江に。

波はよせ。

波はかへし。

下駄や藁屑や。

油のすじ。

波は古びた石垣をなめ。

波はよせ。

波はかへし。

波はここから内海につづき。

外洋につづき。

はるか遠い外洋から。

波はよせ。

波はかへし。

波は涯しらぬ外洋にもどり。

雪や。

霙や。

晴天や。

億万の年をつかれもなく。

波はよせ。

波はかへし。

波は古びた石垣をなめ。

愛や憎悪や悪徳の。

その鬱積の暗い入り江に。

波はよせ。

波はかへし。

波は古びた石垣をなめ。

見つめる潮の干満や。

みつめる世界のきのふやけふ。

ああ。

波はよせ。

波はかへし。

波は古びた石垣をなめ。

 

(『絶景』)より

(2011.11)

 

 

 

月夜の浜辺

中原中也月夜の晩に、ボタンが一つ

波打際に、落ちていた。

 

それを拾って、役立てようと

僕は思ったわけではないが

なぜだかそれを捨てるに忍びず

ぼくはそれを、たもとに入れた。

 

月夜の晩に、ボタンが一つ

波打際に、落ちていた。

それを拾って、役立てようと

僕は思ったわけではないが

     月に向かってそれはほうれず

     波に向かってそれはほうれず

ぼくはそれを、たもとに入れた。

 

月夜の晩に、拾ったボタンは

指先に沁み、心に沁みた。

 

月夜の晩に、拾ったボタンは

どうしてそれが、捨てられようか?

 

『在りし日の歌より

-(2011..

 

 

 

ふるさと

室生犀星雪あたたかくとけにけりしとしとしとと融けにけり

ひとりつつしみふかく

やはらかく

木の芽に息をふきかけり

もえよ

木の芽のうすみどり

もえよ

木の芽のうすみどり

 

( 抒情小曲集より )

(2011.6.5

 

 

 

中野重治おまえは歌うなおまえは赤ままの花やトンボの羽根を歌うな

風のささやきや女の髪の毛の匂いを歌うな

すべてのひよわなもの

すべてのうそうそとしたもの

すべての物憂げなものを撥(はじ)き去れ

すべての風情を擯斥(ひんせき)せよ

もっぱらの正直のところを 

腹の足しになるところを

胸先を突き上げてくるぎりぎりのところを歌え

たたかれることによって弾(は)ねかえる歌を

恥辱(ちじょく)の底から勇気をくみ来る歌を

それらの歌々を

咽喉をふくらまして厳しい韻律に歌い上げよ

それらの歌々を

行く行く人々の胸郭にたたきこめ

 

大正十五年九月『驢馬より

(2011.5.9

 

 

星と花

土井晩翠同じ「自然」のおん母の  御手にそだちし姉と妹(いも)、み空の花を星といひ  わが世の星を花といふ。かれとこれとに隔たれど  にほひは同じ星と花。笑みと光を宵々に  かはすもやさし花と星。されば曙(あけぼの)雲白く  御空の花のしぼむとき、見よ白露のひとしづく  わが世の星に涙あり。

(明治32年4月出版、第一詩集『天地有情』より)

 

-2011.4.3

 

 

 

汚れっちまった悲しみに

中原中也

 

汚れっちまった悲しみに

今日も小雪の降りかかる

汚れっちまった悲しみに

今日も風さえ吹きすぎる

 

汚れっちまった悲しみは

たとえば狐の革ごろも

汚れっちまった悲しみは

小雪のかかってちぢこまる

 

汚れっちまった悲しみは

なにのぞむなくねがうなく

汚れっちまった悲しみは

倦怠のうちに死を夢む

 

汚れっちまった悲しみに

いたいたしくも怖気づき

汚れっちまった悲しみに

なすところもなく、日は暮れる…

 

(『山羊の歌』より)

 

-2011.4.2

 

 

 

 

 

 「リリー、モーツァルトを弾いてください」多胡吉郎

しばらくぶりで1冊紹介したい。リリー・クラウス…若い音楽ファンにはなじみが薄いだろうが、ピアノの名演奏家として著名だった。‘10、1月、被爆ピアノ平和コンサートin横浜で演奏させていただいて以後、「戦場のピアニスト」は映画モデルのスピルマン以外にいたのでは、…との興味、わかったのが彼女この本。大学の資料室でモーツァルト等よく聴いたりしたが…、戦争の最中、過酷な状況下に置かれ、命と向き合い音楽に向き合ったとは…、絶句だった。何と、日本が占領していたジャワ(現インドネシア)で、戦争末期に抑留されていたのだった。ユダヤ人の夫を飛び越え、彼女自身に嫌疑がかけられてしまってのノンフィクション、実際あった物語。出身のハンガリー平原を疾走する駿馬の、そしてMozartの短調ピアノ協奏曲でのアレグロ疾走にも似て、魂も何度か揺さぶられる。今、幸せな人、逆境にある人、苦しさを引きずって生きてきた人、音楽を愛する人、…多くの方々に是非読んでほしい、“信念、強さという優しさ、”を考えさせられる感動の書であろう。この種の書こそしっかり出版され、読んでもらいたい。(河出書房新社/305p/\1600

 

 

 

 

 

 

Would you like to singtwo nice songs,  

with prettyand beautifulJapanese by primary-school students

 

歌ってみたい方はメールでご連絡下さいませ!

 

2009年7月9日

北新庄小学校“ふれあいコンサート”における

児童作詩による全校児童歌唱発表新曲

 

私はお花係り

4年* 木下すみれ・詩

 

私はお花係り 毎日毎日 ひまわりの水 替えてるよ

そしたら ひまわりがにっこり ひまわりがにっこり 笑ったよ

だから毎日 しあわせ

 

私はお花係り 毎日毎日 アネモネに水 あげてるよ

そしたら アネモネがにっこり アネモネがにっこり 笑ったよ

だから毎日 しあわせ

*1年在学時作品)(星重昭・曲)

 

 

大空お絵描き

5年* 岩尾陽菜・詩

 

 雲を 雲を 雲を 雲を 雲を見ていると

いろいろな形に 見えるよ

猫みたいな雲 ソフトクリームみたいな雲 大きな怪獣にも見えるよ

まるで 何処までも続く 大きな紙に

絵を描いているみたいだ

 

雲を 雲を 雲を 雲を 雲を見ていると

いろいろな形に 見えるよ

お花みたいな雲 ふわふわベッドみたいな雲 大きな観覧車も見えるよ

まるで 何処までも続く 大きな紙に

絵を描いているみたいだ

*4年在学時作品)(星重昭・曲)

 

 

 

 

Are you reading the BOOK?

 

……近年出版された本、そしてかなり前の本、あなたも読んでみませんか? ……

 

☆ 「光炎に響く」中ぶんな

大正時代、岩手県盛岡の郊外の大田村で4人の若者たちによる弦楽四重奏団が生まれていた。西洋音楽がまだ東京で一部の人たちしか触れられない時代、在京の重要演奏家、そして文学人も巻き込んでのカルテットを中心とした洋楽挑戦の苦難の道と普及成果、その旋風の真っ只中で音に目覚めていく日陰で恵まれない小作の息子久作の物語は、日本のみならず世界の当時の楽壇のほか文学政治模様さえも映し出す中で進む。人間が生きていく時の根本の自然や農業の上に立っていて、社会問題についても考えさせられることが多い。音楽的には、重要な作曲家や作品は勿論、弦楽器を中心にピアノに関しても相当な技術的描写が織り込まれ、価値が高い。重要な人物、たとえば山田耕筰、近衛秀麻呂、クライスラー、エルマン、ジンバリスト、関屋敏子、宮沢賢治、芥川龍之介、岩手出身民間宰相原敬ほか、民謡の収集家研究家武田忠一郎も登場するなど、興奮する。カルテットの各人の職業や本業を他に持ちながらの手弁当的音楽普及にも心が打たれる。中心のセロ/Cello梅村保の創設したのが今は著者が主宰の宮古ジュニアオーケストラ、その精神は現在も立派に健在のようだ。フィクションの久作の上で見る感動が子供達の演奏にもきっとあるのだろう。都会で音楽をする人たちに是非読んでほしい一冊だ。(新風社/269p/\1950

 

☆ 「癒す心、治る力」アンドルー・ワイル/上野圭一・訳

この本、早く言えば、著者は自身、関るさまざまな分野にアプローチ修学し究めた上で、骨折や負傷手術等以外の臨床医学に見切りをつけ、自己の中にある自然治癒力を「自発的治癒力」としてクローズアップ、科学の力での対処療法の限界部分も明らかにされるのだ。未開地での祈祷のようなシャーマニズムをはじめ、手を当てるだけで治る例(手当てとはよく言ったもの!)などの神がかり的な療法/治癒の例をはじめ、自身がフィールドワークで見たり実体験したもの、そして、いろいろな患者さん達の自発的治癒の例を数多く紹介している。基本的には、患者が自身良くなっていくイメージを持つことが最も大事で、そこには、人間は根源的な治癒のための驚くべき力を持っていることに気付かされる。現代社会では、便利になった分だけ科学の対極にある/あった自然の恩恵/力は弱められる。そこで至近なものはなんといっても食、健康と治癒のための食はいかにあるのが望ましいか相当ページが割かれ、むろん、人間が健康のためにするべき食以外の部分もしっかり教えてくれる。

日本語訳が出版されて7年以上経ってから読んだわけだが、自分や周りがそこそこ元気で、健康や病気の治癒というものをあまり深刻に考えることが無かったのか、医者だけが病気を治すと強く思ってきたからか…現在第10版でとうに文庫本、こんないい本はもっと早く読むべきだったのだ。

個人的には、音楽療法を研究する上でも、とても役に立つと思われるものがいっぱい含まれていると思っている。耳から体の奥に入っていって気持ちよくなったり力が湧く点では、シャーマンの祈りや手を当てて治すのと大差はなさそう、は少し乱暴だが、本質はそこだろう。A.ワイルの著作は他にも数冊があるようだが、まずはこの本を、健康を考える人は是非読まれることをお勧めする。(角川文庫/463p/\840

 

 「賢治先生」長野まゆみ

宮沢賢治の童話や短編はたくさん出ていて、一度読んだものでもまた違った時や場所で読むとまた新たな感慨がある。基本的には作者は賢治の姿で登場しないがむろん、形を変えて登場したり何らかの人物や事象で主張したりするのだが・・・、さて。

この小さな本、賢治がメインで登場する「銀河鉄道の夜」的世界だが、いくつもの賢治作品を賢治という横糸でつないでいて、むろんジョバンニ、カンパネルラを主にその他たくさんが賢治に関わり登場する。この作者に限らず、今も賢治は字だけで人々の心に生き続けるのを再確認。1、2時間で終えるショートファンタジージャーニーは爽やかだ。作者が賢治作品を本当に愛しているのだろう、こんな再構築・新創造は大歓迎。賢治の代表作をみな読んだ人が読むのがいい、いや、まだほとんど読んでいない人もいいだろう。それにしても、賢治の一生は早く逝った妹に関わる苦悩と癒しの旅なのか…、人との関わり、生きる意味…、賢治文学は現代人に多くを考えさせるのだ。(河出文庫)

 

☆ 「風車小屋だより」ドーデー/桜田佐・訳

この小冊子に、疲れた多くの都会人は癒されるはず。知らん振りしてこっそり読むこと!“ね、ねねっあれもう読んだ~?!”などではなく…。

作者はプロヴァンスの片田舎にやってきてはしばし滞在ししたため、パリの友人達に一編ずつ送ったらしいが20数編、この短編集は計り知れない価値の素朴な宝石たちだ。草や花の香り、生活の匂い、生き物の声…、おおらかな自然の中に、悲しく、楽しく、可笑しく、哀しい人間模様が、生き生きと描かれている。「星」など、何度読んでも心が温か爽やかになる。ビゼーの音楽が有名な「アルルの女」をはじめいろいろな部分で、ファランドールなどの民俗音楽のリズムや調べが聞こえてくるようだ。(岩波文庫)

 

★ 「バッハの思い出」アンナ・マグダレーナ・バッハ/山下肇・訳

作品はよく知られている一方、その人となりは一般に知ることが少ない音楽聖人バッハ、この本はそれを十二分に知らしめてくれるだろう。

厳しさ、優しさ、強い意思や正義感、伴侶や子達、弟子たち、人々へのあふれる愛、苦悩、時に示す茶目っ気…、人間バッハに興味深く触れることができ、無論、素人とはいいながら最大音楽家の妻、音楽関係の興味深い記述も随所に申し分なくあり、大きな感動が得られよう。

国、官僚、市民、労働、芸術、勉学、その他諸々の事柄、市民の目から見た真実に、300年ほど経た今の社会でもうなずけることが多いだろう。

この本は単なる伝記、思い出本ではなく、ノンフィクションでかつ文学書、“美しき魂の書”、自らを含む現代社会の迷える子羊たちは必ず読みたい一冊だ。(講談社学術文庫)

 

☆ 「唱歌」という奇跡・12の物語」安田寛

サブタイトルは“賛美歌と近代化の間で”、時代は江戸から明治になり、それまでの“日本のうた・音楽”から、国の方針で作られ歌うように指導された「実は洋楽!“新しい”日本のうた・音楽?」への変化や、その後の影響、意義などが多角的に考察されている。著者は国立音大声楽科卒、山口芸術短大、弘前大、奈良大などで後進を指導、「唱歌と十字架」などいくつかの著作でも、明治初期からそれ以後の日本の唱歌源流とその意味意義を客観的な確実な観点で掘下げている。具体的には、曲がなく、欧米からメロディを輸入し日本の詞をつけた時代の唱歌、“蛍の光”“蝶々”、あくまでも日本風にこだわった“さくらさくら”etc、賛美歌を土台に作られるようになった “ふるさと”や “シャボン玉”などの唱歌や童謡、ここでの12のUTAを通し気づき学ぶことは多いだろう。‘04.11月に演奏したわけだが、熊本のジェーンズも登場するこの小さな本、昨今興味本位の記述で売る唱歌関連本と違い、腰を入れて読んで欲しい。(文芸春秋)

 

☆ 「海峡を渡ったバイオリン」陳昌鉉/語り(鬼塚忠・岡山徹/聞き書き)

1929年韓国生まれ日本在住の世界的弦楽器製作家、兄弟戦争南北日韓の狭間、波乱万丈の人生の中での、バイオリン、日本、仕事、英語、伴侶、名手や名器、いろいろな出会い、ついに巡ってくる幸運、独学で極めた名器製作人生物語は心を打つだろう。遠く離れた母や妹への思い、亡き母の墓でのやっと海を渡ったバイオリンの演奏、読者は随所で魂を揺さぶられるだろう。楽器、その値段の如何に関わらず、学習し演奏するもの、自然への畏敬や感謝、出来上がるまで人々の苦労を思い、身を引き締めたいと思った。某コミック誌で連載され、本国ではドラマ化されたそうである。(河出書房)

 

☆ 「モーツアルトの手紙」W.A. モーツアルト

モーツアルトは本を書いていた、ということではない。短い生涯の中で両親、姉、妻、そして友人や後援者他に書いた、たくさんの手紙の翻訳で、この天才作曲家に永年親しんでいる方はもちろん、最近何らかの曲を演奏する機会に恵まれた方なども是非読んでほしいものだ。音楽への新鮮な夢や発見、厳しい父優しい母への忠誠や愛情、姉、恋人、友人に見せる奇想天外な発想や破天荒な洒落、一転、音楽と生活苦の狭間での日々の葛藤など綴られた内容は、今の時代の多くの人に当てはまりそうでもある。メールなどなかった時代、書いたが発見されなかった手紙は多いはず、実は12年前、筆者は架空の手紙を掘り出し、それに沿って“201回目のプロローグ”なるコンサートを開いたが、新?手紙集/プログラムを見ると今でもニコニコしてしまうほどだ。2種類の文庫本、今回探してみたが何処にもないところを見るとおそらく誰かに貸したのだろう。手紙は貸してはいけないらしい。訳者によりダジャレが違ったりするのも面白いもの、探してみては?(岩波文庫、講談社学術文庫)

 

              チェロを弾く少女アニタ」アニタ・ラスカー=ウォルフィッシュ

最近NHKでドキュメント“死の国の音楽家たち”が再放送された。運命のいたずらによっては、この現代でさえ、罪の無い少女や少年が、一般の平和市民とは違うある特定の人、人たちによる戦争やテロの犠牲によって、無残に死ぬ、いや、殺される

“ユダヤ人の少女はなぜ絶滅収容所で生き延びることが出来たのか?”、この本はナチの時代、“アウシュヴィッツ”を生き抜いた女性の手記である。チェロが弾けたおかげで、ガス室送りを免れたのだ。

この本、以前から洋書店頭で見て気付いていたが、やっと翻訳を読むことが出来た。昔、20年程前だったか、“アウシュヴィッツの奇蹟”という本を読んだ。やはり楽団員は生き延びることが出来たというドキュメントだったが、ぼんやりとしか覚えていない。この種の内容はあまりにも残酷過酷で、忘れてしまいたい気持ちになるからだろう。

この本、チェロの師匠の中島隆久先生が驚いて教えてくださったが、なんとそのまた先生、今は亡きイタリアの巨匠ジュセッペ.セルミが何度も登場していたのである。著者はずっとイギリス室内菅の奏者として活躍、ご老体の今も、バッハのマタイ受難曲などではステージに立つそうである。

人それぞれ、自衛隊派遣等に何かを思う時、過去の歴史の事実真実に本を通して向き合ってみるのもいいことだろう。

 (原書房/¥1600

 

              「戒厳令の夜」五木寛之

「鳥の歌」を弾いた熊本の小さな音楽会のあと、M氏が“3人の巨星パブロの一人、カザルスがやっと現実になりました”と興奮気味にこの本について話してくれ、探し回った末、帰京直前に奥様の大切な上下巻を貸してくれた。

美の巨匠ピカソ、ノーベル賞詩人ネルーダとともに、大音楽家パブロカザルスは最重要人物の一人として登場、チェロを演奏し平和を訴える。

福岡に始まりやがて九州の各地が舞台、闇に葬られた美術名作を巡って展開する壮大なドラマは、日本、スペイン、タヒチ、やがてチリへ、その陰の大国、そして九州国、日本国、つまり真都九州、新都東京をも考えさせられるものだ。それはまた、世界の日本の歴史、政治、社会体制、地球の平和、人間の醜さや尊厳、あたかも現代のドキュメントのようでもある。四半世紀以上前の作品ながら、驚くほど「今」を感じる若い人など多いかもししれない。ということは世界や我々は何も進歩せず人々の心は全く前進していないのかもしれないのだが。四半世紀前の作品とは思えない瑞々しさだ。

(新潮社/新潮文庫)

 

★  「楽園“僕のリコーダー人生”」朝岡聡

爽やかな笑顔が人気のフリーアナウンサーの著者、かなりの人が知るミスターリコーダー、この本、“そこまでン”である。バッハ、ヘンデル、ヴィヴァルディはともかく、オットテール、ヤコブ・ファン・ダイクとなると一般人はほとんど“えっ?”で終る世界だろう。ピアノやオーケストラ曲と違い、リコーダーはもしかしたら皆さんにはそんな楽器の一つかも。“頼む、待ってくれ~!あんた達小学校で皆やったじゃないか、ちょっとだけ僕の話聞いてくれ、ちょっとだけ僕の人生覗いてくれ、きっと今気付かない幸せに気付くはずだよ”という感じの本だ。

 僕とリコーダーの関わりは深くはない。大学出たあと出合った友人の九州の音大で教鞭の川端正朗氏から2、3、4声体のその音楽、楽器、モーレンハウエル、ドルメッチの名前など聞いて身近だったぐらい。実はこの本、桂嶋女史の声楽のお弟子さんになられた飯野久之氏からいただいたもの。氏が世界的なリコーダーのコレクターだったのには読んでびっくりだったが、朝岡さんの先生は、近年、僕のリコーダーとギターの小品で知己を得た大竹尚之氏だったのにもびっくり。僕のレッスン場とDr.飯野のクリニック付属の素晴らしい音楽室はすぐ隣、この本で更に興味を持った名曲をこの楽器の名手であるお嬢様の演奏でまた楽しめる日が待ち遠しい(いつか本物の朝岡さんの演奏も?)。

 この本を読んでD.ラウリンとの楽しい会話も数年ぶりで蘇えり、F.ブリュッヘンの11枚のCD全集をくまなく聞くことが出来、ここ数週間、全く忙しいのに、何故かとても幸せである。

不思議な縁で幸せ、皆さんにとってこの本もそんな感じ、こんな世界、こんな時代だからいいのです。

 (東京書籍/¥1500

 

★ 「Never too late“…私のチェロ修行」ジョン・ホルト

一般的環境で育った普通の人が、ジャズやクラシックを夢中で聴くようになり、フルートを吹くようになりやがて挫折、しばらくしてチェロに出会い、はてはキャンプや演奏会の自己レポートである。著者は1923生まれの米人、原作は25年前の出版、日本語に訳されたのは昨年、なんと、実は「子供はどうしてつまずくか」ほか「子供はどうして」シリーズの著者。

場面がアメリカの古い時代でピンと来ない人も多いだろうが、好奇心、夢、現実の厳しい自覚、そこからの前進、初心者心理に共感する部分も多く、大人になってから楽器を始めるアマチュア愛好家には役に立つ一冊かもしれない。いろいろな状況で“そうそう”とか“え、そこまでやるの?”とか“私も同じ様に頑張るぞ!”とか思わせてくれる本ではある。でも、この種の本、全部信じ実行しようとせず少し離れて読むこと、言うなれば、止まらず楽しむウインドショッピングである。また、反面教師的とでも言うべきか、結果的には、特に指導者には勉強になる記述も多い。

大人の生徒さんたちにそっと言おう。“そこにも、あそこにもいつもレッスンで言っていることが書いてあるでしょ?!”と。そう、反面生徒的に役に立つ部分が多いのはもちろんである。全くの初心者にとって嬉しいのは、大いなる海原がどうなっていて、何処に向かって漕ぎ出せばがわかるような気がすることだろう。

個人的には、音楽・演奏は多くの人との感動の共有と考えるので、その点、もう一つ希薄さを感じるが、「チェロを弾く少女アニタ」と違った意味で、何か考える出発点になるだろう。

(春秋社/¥2200

 

★ 「童謡・心に残る歌とその時代」海沼 

前記2冊とは反対傾向かのようなこの本、数週間前出版されたばかり。内容的にはさらに古く、歌われなくなった童謡や唱歌が中心、書店で見つけたときはびっくりしたが、書いたのは「みかんの花咲く丘」等の愛唱歌で名高い同名の作曲家のお孫さん、お爺さんが亡くなった翌年生まれのバリバリの31歳だ。

借り物から始まった学校音楽の明治時代、独自の歌が生まれ、やがて大正は童謡の黄金時代、歌手による普及、戦争や復興と歌、放送と子供の歌、時代的背景の中で、素晴らしい歌が適切に紹介され、再確認される。邦楽の意識認識があるのも貴重。

最近はこの種の本がよく読まれるようで中には、わかりきった真実を面白おかしくメーキャップしの興味本位の本、題材や結論のものもちらほらなのだが、このように、若い本物の方々がこの種の我々のかけがいのない財産を愛し、再び水をあげ花を咲かせは嬉しいことだ。最後のほうは、現代のメディアが作る(から生まれ育つ?!)子供達(や大人達)の歌にも及んでいて意味深い。若い人にも読んでもらいたい、なかなか価値の高い本である。

出版の母体のメディアさんにも、このような内容や、この本の中の数々の歌もシリーズ放送してもらいたい。(各地の民謡などもシリーズ化していただきたいがまたあらためて

(NHK出版/¥1400

 

 

Remarkable MUSICIAN to your heart ?

 

☆ “菅沼ゆづき“最新レヴュー

ホルンのラデク.バボラクのリサイタルでの共演、Pf上田晴子との録音での演奏、サンクトペテルブルグ響とのチャイコ共演、その後フランス文化圏で研鑚後のリサイタルを聴いてから久しぶり、菅沼ゆづきのVnを聴いた。4~9重奏の管弦室内楽会だったが本物のヴァイオリニストを実感。

モーツアルトのハ長調の4重奏、そして名ヴァイオリニストシュポアの難曲9重奏という、あまり取り上げられない隠れた傑作を聴いたが、品のいい慎ましやかさをベースに時に熱くしっかり音楽を主張、曲を通して楽しさが溌剌軽やかに底辺に流れていて、この楽器に見られたりするいやらしさ?のようなものは微塵もない。技術がしっかりしている上に人間性も素晴らしいからなのだろう。アンサンブルの協調性も見事で、本当に、オーギュスタン.デュメイを聴くときの感興にちかいものがある。東京での本格演奏が始まったようで、彼女の名前を見つけたら足を運んでみたいもの。

‘04./28 JTアートホール「管と弦による室内楽の楽しみⅡ」

 

 

★  金亜軍(中国揚琴奏者)

琴、三味線、琵琶、篳篥、笙、尺八、胡弓、長い年月で姿は少し変わったわけだが、我が国の楽器の多くは、中国大陸からの伝来の陰が顕著だ。唯一、日本にその類型が見られないの揚琴であろうか。もともとペルシャに発生したものがサンテゥール、ハンガリーに行ってツィンバロン、中国で楊琴、その世界チャンピオンになったのが金亜軍。トレモロ、スタカートで旋律、リズム、アルペジォで伴奏、甘く、激しく、そして懐かしく、その音楽は、悠久の台地より出でて、澄み切った天空に舞う。新しいCDも含めライブ予定等は以下のHPで。1昨年5月、縁があり名古屋で共演できた。今年は10月に群馬及び栃木で共演予定、この共演は追って紹介! (以下‘3.10.10、11栃木県足利、群馬県高崎での共演コンサートプログラムから紹介)

御参考・金亜軍HP http://www.youkin.com

 「私達と中国音楽」

中国、東シナ海を隔て日本の西隣に位置する大陸の大国、

歴史的文化的にみて、とても縁深い国でありながら、今の私達の日常生活は、なにかと“欧米”、一般的には、“中国”の存在はとても薄いようである。

漢字や仮名文化がベースの文字や言葉に比べ、「音楽」部分はなお薄く、最近マスメディアを通して一面が伝わる姿はあるが、その自然な姿に触れる機会がとても少ない。

日本では、鎖国を解いた明治以来、ドイツ中心欧州の音楽を骨格として教育が行われ、第2次大戦後は、特にアメリカのポップスの大きな影響下で“今日の我々の音楽”がある。

少しは日本人の感性が含まれることもあるが、我々の生み出してきている音楽は、ほとんど欧米音楽と言っても差し支えないかもしれない。

一方で、細々と伝統伝承で歩んできている我々邦人の音楽「邦楽」のかなりの部分が、主として中国のものが直接か朝鮮半島を経由して入ってきて、長い鎖国時代に今の独自の形が出来上がったとされている。

日本や中国の音楽は、一般に五音音階といわれるが、中国で生みだされた三分損益法と呼ばれる12音律が、邦楽でも基本になっている。

ほぼ平均葎と考えても良いその調律による典型的中国民族楽器、それが揚琴なのである。

そんな音律を土台に中国の音楽は、七音音階の上に立っての五音を中心とした旋律の音楽が中心で、それは、広い国土風土の中で、数百年の時を経て醸造され、ある時は叙情的に、ある時はリズミカルに、今、変幻多彩な姿を見せてくれる。

実は大きくかけ離れた、我々を取り巻く一般的な今の日本の音楽、と「邦楽」、2つの音楽、それを違和感なく繋いでくれ、この現代の日本の中で、何故か懐かしく、ほっと癒される気分にしてくれるのが、本当の中国の音楽ではないかと思われる。

メソポタミア出生のサントゥールは西に行ってツィンバロン、東にきて揚琴になった。

数十個のアクションを経て、同時にいくつもの和音を可能にし、強音、止音、持続音などが指で容易に演奏できるように作り上げられたのが現代のピアノ、弦がハンマー/撥で打たれて音が出る、は同じながら、途中にアクションのないのが揚琴、我々をいろいろな世界にいざなってくれる興味深い楽器である。 (星 重昭)

 

 

 

Remarkable BOOKS to my heart !

 

     … … 時間がなくても?読みたい本、出てから間もないので手に入りやすいはず … …

★ 「江戸の恋」田中優子

以前紹介した本に「江戸の音」というのがあったが、これはそれよりかなり面白く、読みやすい。平成のこの時代に何故江戸なのか考えて欲しいが、考えて答えの出ない方もまあお読みなされえ!“八つぁん熊さん知らねぇそこのあんちゃんもねえちゃんも、さぁさぁ読んでみな、ってぇもんだ”という語り口ではもちろんないが、観点がそのような庶民的なところからなので楽しい愉しい。江戸の恋のほうが今より自由で楽しかったかも。ちょっとエッチな所もあるがなんとも爽やか、この大学教授、話のわかる?!くだけた!?女性のよう、いやいや大きな顔をして何にも役に立っていない人、国にとって、とても恐い、いや頼りたくなる方である。是非そのうちお会いしたいもの。それはともかく、「江戸の音」も未だの人は読んでね!。(集英社新書/¥680

 

 

 … …時間があったら読みたい本、出てから数年手に入りにくいかも … …

★ 「宮沢賢治の山旅」奥田博

サブタイトルが“イーハトーブの山を訪ねて”とある。宮沢賢治に少しでも興味を持つ人なら、イーハトーブが岩手はご存知と思う。著者は実直な音楽好きな山岳家、散策家、自然を愛する普通の人である。農業の傍ら、音楽をこよなく愛し「チェロ弾きのゴーシュ」等で知られる賢治、魅せられた著者は何年にも亘り住む福島県や首都圏から50回以上足を運び、賢治の詩や童話に登場する80あまりの岩手の山に登り歩き、木々や動物達と会話をしたようである。後書きに次のような一節がある。“ひとりで、ゆかりの山を歩き、星の降るような夜に野宿すれば、賢治に出会えるかもしれない”江戸の後の明治、そこに生まれ育ち、銀河にも思いを馳せた賢治に、今平成に平静でいられない私たちは何か学ぶべきかもしれない。

(東京新聞出版局/¥1400

 

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以前にも紹介したヴァイオリニスト

菅沼ゆづきの最新のコンサートがCD化されるにあたり、解説を書いた。

以下原文のまま紹介

 

菅沼ゆづきトッパンホールコンサートに想う

 

この8月に行われた菅沼ゆづきの最新のコンサートでの録音を聴いた。

ホルンのラデク.バボラクのリサイタルでの共演を手始めに何度か生で接し、楽器を越えて好ましい演奏家の一人だが、今回、確実に本物のヴァイオリニストに成長しているのを実感した。

慎ましやかであり、しっかり音楽を作っている。それでいながら、楽しさが溌剌軽やかに流れている。技術的にも音楽的にもドイツ的な良い面を充分ベースに持って、フランス文化圏で研鑚を積み活動しているわけだが、更にセンスが洗練されてきている。取ってつけたような技術、表現、音楽はほとんどなく、何時まで聞いても爽やかで疲れない。似た感じの奏者はちょっと日本人にはあまりいないようで、私の好きな一人、オーギュスタン.デュメイを聴くときの感興にちかいものがある。

 

晴れやかな式典の幕開け、さてこの会は、それこそ挨拶代わりに、エルガーの名小品ではじまった。

ドビュッシーのソナタ、この印象派の巨匠の最後の作品で、多くの演奏家に取り上げられている。3つの楽章を通し、秩序と発展、繊細で大胆、清純で官能、ここでは、作品のまさにフランス的洗練と、菅沼デュオの国を越えた演奏家としてのパフォーマンスががっちり一つになり素晴らしい音楽となった。特筆に価しよう。

 

大曲の後に、この日のピアニスト河地恵理子のソロで小品が演奏される。スラブの文化圏からパリに移住した偉大なショパンだが、サロンや演奏会場ではチェリスト・フランショームなど、当時の最高級の演奏家との共演も多かったようだ。そんな時、この日のこんな感じに、短いピアノソロで一息はあたりまえだったのである。菅沼ゆづきとの共演が楽しくて仕方がないの心を見るような演奏である。

 

そのあとのシューマンは、いわば、その二つの文化圏にはさまれたドイツの落ち着いた藝術の、かぐわしい一陣の香りである。

後のチャイコフスキーでも言えることだがYUZUKIの魅力の一つ、飾らない素朴な民話風な語り口がいい。

素敵な幼年時代を連想してしまう。

 

ヨーロッパ人が移住して作った国が生んだ、最もアメリカらしい作曲家がガーシュイン、2つの曲を通し、このヴァイオリニストは魅力の一面を鮮やかに見せてくれる。

リズムや旋律の表情を誇張したり、の変なジャズ風になることもなく、作者が、そして編曲者が楽譜に盛った夢を、YUZUKIらしく喜びに満ちて演奏していて、それがいいのである。演奏家それぞれのなにかいい面が出ることが曲と演奏の原点である。

 

ツィゴイネルワイゼンは、ある意味でガーシュインのジャズ曲の演奏と同じ意味を持つ。

原曲の現場では、哀しみ、激しさ、喜び当たり前ながら、ジプシー風といわれる音楽なのに、楽譜になり藝術音楽になると、実際の演奏では何か大切なものが欠けたものになりがちも事実である。

YUZUKIの演奏にはそれがある。何気ない小さい部分で、持って生まれた何かがそうさせる生き生き感が漂うのだ。しっかりした技術があればこそ、もそのとおりである。

 

落ちついた優雅さ、現代的な愉しさ、切れ味鋭い爽やかさ、みな菅沼ゆずきの魅力である。

聴くたびに彼女の魅力を感じる部分が増すだろう。

 

実は今回のプログラム、ピアニストが違ったが、2000年晩秋の東京は山王での演奏会と7割がた同じだった。

だが、その間の確かな熟成を感じないわけにはいかない。

 

メキシコの作曲家ポンセの最後の佳品「エストレリータ」は“小さな星”の意味、世界の多くの人々にとって、YUZUKIが、自然に、自然に、「大きな星」の存在になっていっているのは間違いない。

2002/08/29  横浜にて 星 重昭

*市販は予定されていません。星までお問い合わせください。

 

 

 

「阿蘇・生涯音楽活動の集い」

より、“みんなで歌おう”抜粋

 

古くから多くの日本人に歌われてきたいくつかの歌

実は、明治大正時代の輸入の歌で、残念にも最近はだんだん歌われなくなってきています。

外国では今でも、現役バリバリの歌なのです。

実は、それらの歌、1音1カナの日本の歌にするため、ほとんど異?訳なのです。

我々の環境が国際的になり、ラップ調の歌詞が自然になった今、なんとかしたいもの

もともとのドイツの原曲の意味に忠実に沿った日本語詞を紹介、広い年代で大変好評のようです。

少しだけここにご紹介します。(楽譜のほしい方はメールで御連絡ください)

 

 

色とりどりに(霞か雲か)

Alle Vogel sind schon da

 

色とりどりに 鳥は集う

囀り語る 口笛交わす

愉し春の日 うたうこだま

 

 

ぶんぶんぶん

Sum, sum, sum

 

ぶんぶんぶん はちが飛ぶ

いじめたりしないから ノンビリ遊んでお帰り

ぶんぶんぶん はちが飛ぶ

 

 

かわいいハンス坊や(ちょうちょう)

Hanschen klein

 

ハンスくんは 一人 出かけていくよ

お気に入りの竿と帽子で ご機嫌だ

でも、母さんは心配で ハンスがいないと泣いちゃうよ

優しい坊やは思う 早く家に帰ろうと

 

 

こぎつね

Fuchs, du hast die Gans gestohlen

 

小狐、君はガチョウを盗んだね 盗んだね   

すぐに返せば鉄砲なんかで撃ったりはしない   

すぐに返せば鉄砲なんかで撃ったりはしない 

  

可愛い小狐くんは泥棒なんかじゃない 泥棒なんかじゃない

君の口にゃガチョウの肉など似合いはしない

君の口にゃガチョウの肉など似合いはしない

 

 

星はいくつあるの

Weist du, wie viel Sternlein stehen

 

星はいくつあるの 広い空の中に         鳥はいくらいるの 夏の日のもとに

雲はどれだけ生まれ 何処の国へ行くの?      魚の数はいくつ? 澄んだ水の中に

神様、数えて 神様、教えて         名前を呼べば 楽しげに動き回る

一つも間違えずに 神様、教えて        神様、呼んであげてヨ 元気付けてヨ

 

<付録>

 

フニクリフニクラ/Funicli Funicla

青い空に阿蘇の山が 連なる (連なる)

緑の森に鳥達も 歌うよ (歌うよ)

広がる草の原に立ち 遊ぼう遊ぼう

煙たなびく頂きで 叫ぼう叫ぼう

行こう行こう火の山へ 行こう行こう火の山へ

フニクリフニクラ フニクリフニクラ

火の山へ フニクリフニクラ

 

豊かな泉生きるもの 潤す潤す

花が咲き蝶が舞い飛ぶ 楽園楽園

いつまでも山は優しく 微笑む微笑む

明日への力も夢も 膨らむ膨らむ

ィヤンモゥィヤンモゥコッパィヤンモゥィヤン

ィヤンモゥィヤンモゥコッパィヤンモゥィヤ

フニクリフニクラ フニクリフニクラ

コッパィヤンモゥィヤンフニクリフニクラ                                 

    

        

 

 

 

注目音楽会in 2002

 

 

★  プロアルテアンテクァプラハ(古典弦楽5重奏団)

 “交響曲をその時代のスタイルで演奏する弦楽5重奏団”念願のユニットを実際に、“ほしの目、耳で見、聴く”ことが出来た。その形態で、関係者や仲間内でいつでも楽しんだり披露したりのための、しっかりした編曲が作曲者の時代からあったのである。部分部分で、木管、金管、ティンパニーの音さえ聞こえて来るのは、あえて不安定なガット弦の楽器と奏法のなせる業、技であろう。「運命」、「英雄」永年聴いてきた曲が、オーケストラで聴くより“なるほど”と、作曲の本質が良く分かるようになるのが不思議である。“百聞は一見にしかず”、聴いたことのない方はCDでベートーベンの各交響曲を中心に多く出ているので是非、と言っても「合唱」の声に挑戦しているかどうか

チェコの弦の名手たちには今後共注目を!!! 1/30 カザルスホール

 

 

注目CD in 2002

 

★  ブラスカレンダー(カスタムブラスクインテット)  

 同じ五重奏ながらこちらは金管、これもなかなか良かった。実は、古典を中心とした、聴きたかった実際の演奏会は聴けず、CDとなった。その雰囲気が全く無い収録曲で、正直、あまり期待しなかったのだが雰囲気十分の洒落たポップス風のものなど、現代の曲で固めたこのアルバム、十分楽しめた。タイトルの“12ヶ月の組曲”が一番楽しいかな。全体として、金管の、濁りのない豊かな天国のような響きとは違い、どうしても、金管でもこんなことがやれる!の感じになるのはいたしかたないだろう。

N響などの5人の名手で作る純正調の本物の響き、次作では是非、古典物を聴きたいものである。 CACG-0020

 

  

Books Recommended !

時間があったら(なくても?)読みたい本、出てから間もないので手に入りやすいはず。

 

★ 「私の日本音楽史」團伊玖磨著

昨年惜しくも、ライフワークの旅先、中国で帰らぬ人になってしまった、我が国の歌劇の金字塔「夕鶴」で名高い、團伊玖磨氏の著書。随筆「パイプの煙」シリーズの、柔らかなウイットの語り口とはまた少し違った、ロイヤルファミリーの家庭教師的なとてもご丁寧な文章に、読者は気分を良くして読めるはずである。内容的にも、位置的な、時間的な「日本」の捉え方、その中での音楽の出来上がり方、などがとてもわかりやすくまとめられ、「現代社会の中での音楽」を考えさせてくれる点でも、広くお奨めできる一冊である。

NHKライブラリー/1070+税)

 

★ 「内なるミューズ」(上)”我歌う、ゆえに我あり” ヨン、ロアル、ビョルクヴォル著/福島信子訳

全く素晴らしい本である。それを単に「音楽」と説明せず、人間が持っている人間らしい特性「ミューズ」として読者にわからせてくれる。「ミューズ」は優しく、正直、快活で、人間的、創造的で、人文科学、そしてスポーツに至る全てのものの基本になるもの、エコロジーの中心にあるもの…とわかるだろう。ノルウェィの大学で音楽を教えている著者、母国、アメリカ、ロシアでの現場での子供の目線での観察、そして報告は鋭い、というよりとても自然だ。子作り前の人、子育ての最中の人、子供あるいは昔子供だった人を指導する人、子供から学びたいと人、子供らしさを失わせた人、失った人、そして、いつまでも溌剌たる純真な子供の心をもつ人も…、是非読んで欲しい。教育専門家は心して読んで欲しい。

NHKブックス/1120

 

★ 「日本音楽を学校で教えるということ」 日本学校音楽教育実践学会編

今春から、学校教育に日本の伝統音楽が大きく組み込まれることになっている。一般人、普通の洋楽関係者には縁遠いこの分野で、既に何年も前から、情熱を持って取り組んできた全国の学校現場での10の実例が紹介されていて、とても参考になる。例えば、石川県小松市の中学校では、16年前から輪番で地元題材の歌舞伎「勧進帳」の上演が行われてきて、演技、舞台、衣装等はもちろん、いまや演奏も何も全部中学生とのこと、学校現場の先生ならずとも興味深いだろう。この本の例ばかりではなく、東京の福生第2中学校の授業での三曲演奏、佐賀県千代田町での小学生による「高志狂言」の伝承発表など、最近身の回りでさえ、いくつか、地域と学校の協力による「日本の伝統文化の学習」を見聞きしている。これから国際社会の中で生きる日本人…、日本の文化を身近に置けるであろうか。

(音楽の友社/2000

 

★ 「江戸の音」 田中優子著

観点は変わっている("自然"というべきか…)が読んで欲しい本の1つ。法政大学で教えておられる著者は、全く音楽の専門家ではないのだが、逆に「音」から日本人、欧米人、日本の・欧米の文化、邦楽器、洋楽器、日本人が失って欲しくないもの(取り戻すべきもの)を見えるようにしてくれている。明治以来、完全に洋楽化された音楽との生活、時代が鎖国の江戸だったために日本の良さを育んだのだろうというのが興味深い。4分の1ほどが武満徹との対談集となっていて、なかなか面白い。

(河出文庫/580

 

 

★ 「嵐の中の灯台」  小柳陽太郎・石井公一郎監修

この本は、昭和20年代前半までの道徳や国語の教科書に実際に載った親子3世代で読める感動の物語が、小柳先生によって集められ、現代の人々用にリメークされたものである。青の洞門、など有名なもの、知られていないもの、海外のもの...18編の中には音楽が主題のものとして「笛の名人」、「心に太陽を」の2篇が入っている。友人の手紙に読後感が綴られているので紹介する。

“略・・・昨日もレッスン時間を5分さいて「語りべ」のように子供達に読んで聞かせたところ、物語の中に自分だけの世界、想像の世界に入っていく様子がありありと顔に表れ、目の輝きが違うのです。・・・略・・・大人がもうすこし子供に目を向け、常日頃このような機会を与えてあげ、学校、家庭で読んでほしいところですね。「焼けなかった町」は奇しくも娘の通った小学校があったところなのです。私は関東大震災の中にそういうことがあったということをこの本で初めて知りましたが、娘は自分たちの町(和泉町)をみんなのバケツリレーで救ったというお話しを知っていました。彼女は一致団結した住民の町で学んだ事に誇りを持っているようです。「嵐の中の灯台」は私の母(小柳先生と同じ大正12年生まれ)、私、娘・・・親子三代どころか、まだ4ヶ月の孫まで、四代のお宝本です。”

音楽には直接関係は無いが、日本の名曲などが風化されないように・・・と考え方は同じで、私達にもとても有意義な本であろう。

(明成社/¥1200

 

 

“日本人と音楽”を考える時、読みたい本がいくつかあり、中には完全に絶版も…、その場合図書館で…となるかもしれない。

その中から少し簡単に紹介してみよう。

 

★ 「音楽以前」 藤井知昭著

"我々の生活の中の音楽は日本の音楽ではなく西洋の音楽…"の認識から始まり、"それなら、回りの音楽はどうなっているのだろう"と、アジアの音楽の現場をフィールドワークし体験したものが報告される。"我々が音楽といっている以前の物って…?"の視点には考えさせられる部分が多い。

NHKブックスNo.325絶版)

 

★ 「音楽から見た日本人」 小島美子著

明治以前の日本の音楽的事象をしっかり見つめ、日本の音楽、日本人ってこうだったんだ、を探る本。現代の中でこれから"日本音楽はどのように進む?"も考えられ、洋楽化した一般の日本人には読みやすいものである。「音楽以前」と対になるといえるかもしれない。

NHKライブラリー/870+税)

 

★ 「音楽の風土」 五十嵐一著

音楽は西洋…の考え方を正すのに、日本からではなく「アラブの視点」で見るところがユニークである。(スウェーデン時代にイランからの友人にいろいろ文化、音楽について教わり実感を持っているが…)「音楽は、洋楽も、邦楽も、実はペルシャから…、文化全部が然り…」というのがわかる貴重な1冊。欧米の人々は今こそ中東の長い歴史の文化に目を向けねばならないのではないか。

(中公新書No.737

 

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