歴史探検(第三十六回)


 「この紋所が目に入らぬか〜!」とはご存知某民放の時代劇「水戸黄門」のクライマックスで印籠に描かれた三つ葵の家紋を見せつけると一同は平伏するシーンである。しかし放送開始当初、テレビ局には「あれは水戸家の家紋ではなく尾張家の家紋だ」という助言の一報が入ったという。同じ三つ葵の家紋でもどのように異なっていたのか、また三つ葵に関する意外なエピソードを紹介する。


家柄によって幾つかの図案が存在した「三つ葵」の紋所

少なくとも4つは存在していた「三つ葵」

 一口に「三つ葵」と言っても幾つかの図案があることは前述の通りだが、大別すると4つに分けられる。すなわち一般的な「徳川葵(将軍家)」と御三家の「尾州葵」「紀州葵」「水戸葵」である。しかし厳密に言えばさらに多くの「三つ葵」が存在する。例えば同じ将軍であっても徳川家康・秀忠・家光の三代と徳川綱吉、徳川吉宗はそれぞれ独自のものを持っており、これだけで他に3つの紋がある。さらに徳川家の親戚である松平家が持つ「松平三つ葵」や会津藩松平家が持つ「会津三つ葵」などさらに多くの「三つ葵」が存在する。
 また同じ「三つ葵」でも丸いものばかりとは限らず、一例として御三家紀伊家の分家である伊予西条藩松平家が持つ「西条三つ葵」は八角形の「三つ葵」となっており、あらゆる図案の「三つ葵」が存在することがお分かりになるだろう。

徳川将軍家
徳川将軍家
尾張徳川家 紀伊徳川家 水戸徳川家
尾張徳川家     紀伊徳川家     水戸徳川家
伊予西条松平家
伊予西条松平家



「三つ葵」に関して庶民に加えられていた制限

葵の紋所に似た切り口 前述の時代劇「水戸黄門」では「葵の紋所」を見せ付けられた途端に皆が恐れおののいてしまう。では実際はどうだったのだろうか? これは「三つ葵」に限られたことでは無かったが、貴賎を問わず自分より高貴な家の家紋を持ったり、勝手に使用することは禁じられていた。そのため、あのように堂々と家紋を見せることが出来るのは、その人物がそれだけの人物なのだという証であり、やはり突然「葵の紋所」を見せつけられれば、恐れ入ったことであろう。
 ところで「三つ葵」の家紋の庶民の使用の制限に関しては信じられないような逸話も残されている。それは野菜の胡瓜(きゅうり)の切り方について。酢の物など生のまま食べられる胡瓜には色々な切り方があるが、江戸時代は胴切りにすることを禁じられていた。それはその切り口が「三つ葵」の紋所に似るためという理由だが、徹底して制限が加えられていたことが伺えるだろう。


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