歴史探検(2002夏季臨時号)


 毎日のように使っている携帯電話。この携帯電話をかける時に(従来の一般電話も同様に)我々日本人はなんと2〜3000年前の縄文・弥生時代の習慣をそのまま受け継いでいると言うことをご存知だろうか? その他にも色々なところに縄文弥生時代の習慣が残されている。今回は21世紀を迎えた日本に色濃く残っている現代日本人の直接の祖先である「縄文・弥生」人たちのの文化・習慣を見てみようと思う。


現代日本に残されている縄文・弥生時代の文化・習慣

電話をかける時の言葉は縄文・弥生時代の文化

 電話を受けるとき、何と言う言葉を使うだろうか? それは言わずと知れた「もしもし」だが、この「もしもし」こそが縄文弥生時代以来の言葉なのである。人を呼びかけるときや物を尋ねる時に「もし?」と言う言葉があるので、さほど古くは無いように思われるが、実は2000年以上も昔に使われていたものなのである。
 縄文時代は照明器具が無いために夜ともなれば月明かりや松明に頼る以外は真っ暗闇。しかし何かの用で森の中や人気の無い場所に行かなければならない時、向こうに誰が居るかも知れない、(人が居るのか獣なのかも判別しないほどの)暗闇では「誰か居るのか?」と言う意味を込めて「もし?」と言った。また当時は先祖の霊魂とかその他の霊的な事柄に関しての信仰が強く、そうした得体の知れないものを非常に恐れていた。そうした場合には緊急感を込めて「もし? もし?」と尋ねながら歩いたと言う。
 しかし時代が下ると照明器具も発達し、それほどの恐怖心もあまり無いような時代が続いた。だが19世紀末に電話が開発されると、今までの歴史では登場のしなかったもの、つまり音声が聞こえるものの姿形は全く見えないという物である。考えてみれば、人が居るのか獣なのかも判別しがたいものである。ここに至って2000年以上昔の日本人が使っていた「もしもし」と言う言葉が復活したのであった。今でこそ着信音や待ち受け画面の区別などで出る前から誰からの電話か分かるが、当時としては相当相手を気にした筈である。初めて電話を目にした日本人にとって向こうから誰がかけてくるか分からない物に対する返答ははるか昔の祖先たちが使っていた「もしもし」に行きついたのだろう。

  ※かける側が発する「もしもし」に関しては「申し上げる」の略語「申す」を重ねた「申す、申す」が転訛したものだという説もある。



日本人の食習慣にも多いに縄文弥生文化が残されている

 今度は毎日の食事の光景を思い浮かべて頂きたい。現代は忙しくて簡単に済ませてしまったり、外食などが増えている関係で必ずしも昔ながらの習慣には則っていないかも知れないが、茶碗やお椀、箸などは自分専用の物ではないだろうか? それぞれ家族全員が自分の物を決めて使ってはいないだろうか? これこそが縄文弥生時代からの習慣である。当時の日本人は文字を持たなかったので生活の様式などを記録として残さなかった。そのため当時の生活習慣を復元するのは容易ならざる作業であるが、他の文化と比べたり、副葬品などを調べることによってある程度は確認されている。それによれば、必ず茶碗と箸は遺体とともに副葬されているのである。これはいわゆる「あの世」での生活に困らないようにという考えからだが、その人自身のものを副葬することは今の日本人もそうである様に、自分の食器、家族の食器と区別していたようである。


現代日本語の中に残る弥生文化

 「濡れ衣を着せる」という言葉がある。これは罪の無い人に罪や責任を押し付けてしまう意味だが、これは弥生時代の「刑法」に関する習慣から出た語である。血縁的生活共同体(ムラ)で生活していた縄文時代から、それらムラが共同して「クニ」を作り上げ、強大なクニが弱小なクニを支配下において次第に国家として成長を続けた。国家となると人口も多くなり、犯罪やトラブルも絶えない。そこで政府は信賞必罰を定めなければならなくなった。そして原始的なものだが、容疑者多数で真犯人が誰だか分からない場合に文字通りみんなに濡れた衣服を着させて最後まで乾かなかった人物を犯人と決めた。この習慣から出た言葉である。考えてみれば犯人でもない人間が犯人にされてしまう恐れが多分にある方法だが、集められた人間はいずれも叩けばほこりの出る、何かしら犯罪の香りのする者ばかりであったようだ。誰が犯人に仕立て上げられてもおかしくは無いような感じだったと言う。
 以上現代日本に残る「縄文弥生時代」の習慣や歴史を見てみたが、改めて今の日本人の生活を見てみると他にも多くあることに気付く。遠い祖先から受け継いだこうした種の日本文化も大事に守り抜きたいものである。

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