古くて新しい建築理論のために

近代建築の特徴は、それまでの石やレンガ(日本の場合は木など)の素材によって建てられてきた建築を、鉄やコンクリート、ガラスといった新しい素材を使って、それらの可能性をうまく引き出すことで成立していました。
これらの新しい素材の出現によって、近代建築が成立したかのようによく言われていますが、そういう認識とは逆に、当時盛んになりつつあった新しい空間の認識のしかたに対応
するために、結果として新しい素材を使った、とするのがまとを得ています。

その”新しい空間の認識のしかた”に強い影響を与えたのが、他ならぬ日本でした。当時の、多くの西欧の画家が日本の浮世絵や錦絵を模写していたのはあまりにも有名です。1880年代から90年代にかけて、J‐ホイッスラー、E・マネ、C‐モネ、E・ドガなどが、その後にはP‐ゴーギャン、P‐ボナール、E‐ヴュイヤールなどが強い影響を受け、ビアズレーやムンク、ロートレックにも構図の上での影響がみられると言われています。


西欧の近世絵画              日本の近世絵画
立体の表現立体の平面的再構成    一方向からの光と影画面は総じて明るい
                                 (影はない)
単一の視点                 複数の視点充満された画面意味ある余白
遠近法                    多くの場合非遠近法
主題が中心                 主題が画面の中央からはずされる
具体的モチーフ               モチーフの省略化
緻密な前・近・背景             面的空問構成
                         シルェット的前景
全体と部分のなめ              断片性
らかな階調                  全体を表す部分
人工一自然の区別              人工一自然の区分がない
                          等質的全体
総合化                     単純化/抽象化

建築の分野で直接的に影響があると明言できる一つの道すじは、新橋にあった旧帝国ホテルを設計したF・W・ライトを通してのものです。彼が1910年に出版した自作の作品集の中の1枚の透視図は広重の影響を強く受けていると言われています。それは浮世絵の特質としての意味ある余白、中央からはずされた主題、シルエット的前景、単純化/抽象化を見て取れます。
その時代のライトは、アメリカで有数の浮世絵コレクターであり、広重の絵をトレースさえしていたと言われています。先に挙げた1910年の彼の作品集は、ヨーロッパで頭角を顕しつつあった後の近代建築の巨匠たち、フランスのル・コルビュジlェ、ドイツのミース・ファン・デル・ロー工、ヴァルター・グロピウスなどが所蔵し、良く研究していたと言われています。
この時期のライトの作品の平面図上の特質は、L型もしくは雁行の主空間があることです。

その中で1909年のF・C・ロビー邸は、1922年のフランスのル・コルビュジェのプノ邸、1929年のドイツのミース・ファン・デル・ロー工のバルセロナパヴィリオンに少なからず影響を与えています。さらにはミースの1935年のフッベ邸では、たとえば竜安寺石庭で借景を縁取る築地塀みたいな効果を狙った塀を背景とした、日本の伝統的建築に触発されたという”縁取られた眺望(FRAMED‐VlEW)”をもつ住宅が計画されています。

これらの住宅に込められた建築空間の特質は、日本の伝統的空問(寺社仏閣や離宮、茶室などの数寄屋建築、上流武家住宅)のもつそれとたいへん良く似ています。いずれも外部に対して開放的で、人が移動することによって見えがくれする、継起的な景観を持っており、それに伴って、おのおのの場所が固定的に閉鎖された単なる箱ではなくて多面的な豊かさを持っている点などです。

L型の平面型の空間の特質は中央コアがもっている特質と同じ様に、空間の実際的な広がりと、体験上の広がりとのギャップ(ズレ)をもたらします。中にいる人に、いわば錯誤をおこさせるしかけなのですが、これは日本の回遊式庭園で建仁寺垣や植栽の大かり込みなどで視線を止め、石組や見え隠れする断片的景観によって全体の広がりについての錯誤を起こさせるやり方と全く同じものだと考えています。

たとえば図3(未掲載)のA地点にいる人は、おそらく矢印方向に空問が広がっているために、頭の中では全体を図4の様にとらえているのですが、それは実際と違います。また、B地点にいる人は矢印方向にさらに空間が広がるために実際以上に広いように感じることでしょう。ここで各室を包括する空間を作ると物理的には広くなるにもかかわらず、各室を使えるようにすると、西欧の伝統的スタイルである分割型になってしまい人が動くことによって得られる景観の変化、つまり現象と実体との知覚/体験上の波動的弁証法とでも言うべき近代建築の大きな特質が失われてしまいます。

近代建築はコンクリートの箱であり無味乾燥な景観を作り出してしまっていると良くいわれますが、そもそもの近代建築の性格(19世紀後半から20世紀初頭の文化/社会的転換に関与的に対応する)特性は、先程述べた現象と実体との知覚/体験上の波動的弁証法という、極論すれば日本の庭園散策の目的や効果と同じ様に、人の関与よって多面的な展開を見せる”運動する空問”なのです。

冒頭に述べた様に、文化/社会に対応した建築空問と、単に鉄とコンクリートとガラスを使った建物とは峻別できます。それらの素材を使ってできているからといって、必ずしも近代建築ではないのです。逆にそれらの素材とは関係のない日本の伝統的空問の一部のもの、たとえばプルーノ・タウトが絶賛したという桂離宮や、あるいは修学院離宮の建物の数々など、さらには歩くことによって景観が狭くなったり、広がったりする回遊式庭園の一部のものは近代建築や近代芸術の特性そのものだと言い得るのです。

L型の図型は正方形の一部が取り去られたもの、あるいは長方形の一部が広がったものと言えます。この限りにおいて、L型の図形は正方形や長方形に対して不安定な部分、あるいは断片と言うことが可能です。このL型を注意深く建築的に立体化できた場合、それは浮世絵に込められた、宇宙にまで到る様な精神世界を暗示する、大いなる余白をもった”断片性”を獲得します。  

いにしえの南山大師の「古人の跡を求めず、古人の求めし所を求めよ」という点で、もう少し慎重に言うべきところなのですが、このL型の日本での祖型の一つを床の間に見ることができます。6帖や8帖のタタミの単純な箱に床の間を付け足すことを考え、最初にうまく実現できた瞬間は”運動する空間”という”古人の求めし所”だったのではないでしょうか。

それは壁であるにもかかわらず、精神的な広がりと方向性を示す”間戸”であり、人の動きと直接的に結びついたものであったと想像できます。後世、この床の間の諸形式が確立し、書院の付属物となった時点で”古人の跡”となり現在に到っています。(図7)
この様に凸型の空間であれば、すべて多面的で豊かな空間であるというわけではなく、現在の床の間が、脇床や仏壇、はては押入と隣接するというのはおそらく間違いであり、茶室の4帖半本勝手などのように床の間が出っ張っていたり(図8)たとえば桂離宮の中書院や新御殿にある床の間のように、L型のくびれ目に位置するもの(図9)が本来の姿なのではないでしょうか。

L型を中心に話しを進めてきましたが、これは近代建築のある側面での特徴にすぎません。さらに初期の近代建築の成果は、ほとんど住宅レベルでしか成功していません。その後の公共建築や都市諸施設のビルディングタイプの面では、必ずしも成功したとは言えず、たいへん複雑な展開になっており、L型図形うんぬんだけでは語り得ない課題をかかえています。そしてそもそも図型や言葉と、実際の建築空間とはやはり違います。

実際の空間を見ていただく機会があればよいのですが、だいたい以上の様なことを考えつつ設計活動を展開しております。またいつか、まとまった時間が取れた折に、サワリ部分だけではなくて、もっと具体的に書いてみたいと考えております。御感想寄せていただければ幸甚です。 930507
(深川良治)