NATURE
環境 2 自然に還える

 文字通りの「自然」とは観念のことでしかない。もはや「自然」の観念に対応する実際の場所は地球上にはないのである。それならば自然(しぜん)に回帰するのではなく、自然(じねん)自らもえる=はたらき=風土を形成してきた生成のメカニズムの場所に還えるために→「しぜんにかえる」

・伝統的な民家について

 さきに説明した太陽高度を、伝統的な草葺の民家の軒先に適用してみると絶妙な庇の高さ、開口部敷居との位置関係が析出する。
 例は九州、佐賀県の山間に位置する民家(佐賀県教育委員会、佐賀県の民家より)である。座敷南側の障子の敷居と庇とで構成される角度は65度。その障子の鴨居(障子の上の部分)と庇のなす角度は35度である。(佐賀の緯度は約32度)
 民家がこの断面図の切断面方向で南北に配置されているとする。サンチャート(ある位置から任意の季節、時刻に太陽がどの方向、高さにあるかを示したもの)でこの付近の緯度にもっとも近いもので検証してみると以下のことが分かる。
@ 敷居が庇によっておおわれて、室内側に太陽の直射日光があたらなくなるのは4月上旬からで、ちょうど気温があがり、直射が必要ではなくなり始めるころである。
A 逆に直射日光が室内に差し込み始めるのは9月中旬頃からである。
B つまり毎年9月下旬から3月下旬までは直射日光が室内に差し込み、
C 太陽高度がもっとも低い冬至には、室内に差し込む日差しの長さが最大となる。
D このとき障子上(鴨居)と庇先端の成す角度は冬至南中時の太陽高度角に近い。
(こうした効果をすこしばかり調整するためには磁石が示す南に=すこし東に建物を向けると良い。太陽の循環の中で夏至は6月だが、蒸し暑いのは8月から9月上旬にかけてであり、そのズレはサンチャート上では開口部をすこし東方向にずらすことで調整できることが分かる)
 描いていて次第に興奮していたが、考えてみれば当然なこと、つまり自然なことである。というのはこの民家が建てられた時代には扇風機もエアコンもない。自然の猛威、夏には蒸し暑く、冬は寒いという気象条件に、あらがわないやり方=夏の日差しはなるべく室内に入れず、冬は最大限入れる、というやり方をかつてのひとびとは気づいていた。
 よっぽど現代人の方がこういうことに疎くなっているから、こうした知恵に出会うとひどくビックリしてしまうことになる。むかしの人々は、われわれとは違った方法で自然と付き合っていたわけで、暑ければエアコンが必要だ、と考えるわれわれと、庇と窓(開口部)との相対的な位置を調整しなければ、と考えはじめるかつての人々とはその時代の普遍的情報に左右されていただけで、さしてどちらが偉いかととりたてて評価すべきものでもないだろう。
 とはいえ「自然」の循環のなかで考えていた、感じていたひとのほうがやはりおもしろそうな人生ではある。

 民家の屋根は藁葺きでは数年毎に、萱葺きだど7〜10年毎に葺きかえる必要がある。たしかに調整可能な形式であるし、その作業は近隣の人々の力も必要で、そのなかには知恵者もいたはずである。そして重要なことは現代の消費社会とは大きく違って、屋根葺き替えなどを自ら行い、決して他人任せにしていなかったことに注目したい。
 こうした伝統的な民家を吟味してみると、本来のすまいのありかたの基本がすべて備わっていることに気づく。
 簡略図を見ていただきたい。土間の配置
通風、採光、湿気対策、生活に必要なものの配置関係、生活で消費され、循環する水資源の扱い方、物質循環サイクルの中での厠の位置、水廻りの母屋からの離脱等々、きわめて手際良く、注意深く設えられている。庇の位置関係の例だけからも推測できるように、こうしたしつらえは試行錯誤の積み重ねによって育んできたものである。ここ数百年の知恵の積み重ね、厠に関しては数千年の積み重ねである。ひとりの人間が一朝一夕に改良でき得る環境ではない。われわれはどうしてこの資産を受け継がなかったのだろうか?

高度成長期の住宅

第二次世界大戦での敗戦後、戦後復興のなかで、それまでの木造建築の流れを変える法規的制限が設けられた。それは風や地震の水平方向の外力に抵抗する斜めの部材(筋違=すじかい)を設けることが義務付けられたのである(昭和31年)
粗く述べれば、限られた素材で合理的に住宅を建てる最低限の技術基準ではあるが、それは古来の伝統建築との断絶であったと言える。この時代、住宅を大量に供給するために小さい径の部材で、力学的に安全なものにするためには「筋違」がどうしても必要だったのである。筋違の使用は華奢な細い柱や梁を使わざるを得ない、ということが前提になっていた。
おそらく以前やっていたようには手間暇をかけられないという現実的な要請も手伝って、工法の簡素化、工期の短縮化が進められていく。伝統建築にとって、もっとひろく言えば「環境」とそれに関わる文化にとって不幸だったのは、こうした傾向が近代化、民主化という戦後解き放たれた考え方と一緒になって急ピッチで現実化した、ということだろう。この言だけで断じると、簡素化、短縮化によって、おおくの人々がたやすく「家」を手に入れることができるようになったが、それと引き換えに「自然」とかかわる文化を喪失し、かつてそうしたかかわりのなかで築き上げてきた「美学」的な風景(=風土)を傷つけつつ成立する「市場メカニズム」を成長させ肥大化させたに過ぎない、と言える。

 本来の近代化=モダニゼーションを無効化するやり口でしか戦後日本の近代は現実化しなかった。インドの人と話をしていて、「おまえのいうモダニズムとは、結局のところアメリカニゼーションAmericanizationのことだろ。それはわれわれにとってはウエスタニゼーションWesternizationのことだ。それとモダニズムとは分けて捉える必要がある」と指摘されたが、確かにその通りである。戦後日本における建築の裾野の領域においては、近代化の質は問われずに量的達成が優先されたのである。

・ 生産組織、素材供給、流通機構の変化

内田祥哉は「建築生産の過去・現在・未
来」(日仏建築会議基調講演 '88 日本建築センター)において以下のように建築生産の最近の事情を概観している。
 「(建築の)生産を支える職人には、屋根、左官、経師、建具、錺、たたみ等の専門があって、簡単な打合せによってそれぞれの仕事が独立で進められ、慣習に従えば現場での取合いにも大きな支障はない。(中略、こうした)サブシステムの組織は日本全国に分布し、多少の地域性を保ちながら、たがいに技術を交流し地域を越えて、協力し合う、極めて柔軟なオープンシステムであって、このサブシステムの存在が日本の伝統的住宅を支える特筆すべき特徴であると筆者は考えている。このシステムは、江戸時代末(19世紀末)には完成していて、明治大正時代(20世紀初め)に庶民的に普及したと考えられるが、それがそのままの形では現代社会の仕組みになじみ難いものである。それが今日でも、全住宅生産量の半ばを担っているということは、様々の体質改善を果たしていることに他ならない。(中略)伝統的木造住宅そのものは、欧米で開発された新しい材料、新しい工具・機械の中で導入できるものはすべて導入して、合理化を図る。その結果、現場の労務量は少しずつ減少して今日ある在来工法への過程を歩むことになる。
 この傾向に、最も大きな刺激を与えるのが建設業以外の企業も参加した、量産住宅であった。量産住宅が導入されるのは、1960年前後であるが、価格目標を在来の木造住宅に置いてコストダウンの努力を続ける。しかし量を増加すると、経費の負担に悩まされ、漸く目標に近づいたと思う頃には、在来木造住宅も又合理化が進行していて、価格の主導権は常に在来の木造住宅に握られていた。(中略)しかし、1970年代後半になると、量産住宅は次第に企業努力が実り、品質管理による社会の信用を獲得することになる。一方在来の木造住宅は、都市の一部では行き過ぎた合理化と、粗製濫造の傾向が指摘されるようになり、相対的に社会の信用を低下させた。その結果、地域の建設事情に疎い都市住民は、地域に密着した小規模な在来木造住宅の生産者よりも、広域に名の通った量産住宅のメーカーに信頼をよせるものが増加するに至った。
 そうして1980年代になると、その地位は漸く逆転し、今や価格の主導権も量産住宅の手に移りつつある。更に在来の木造住宅の生産を支える職人達は、老齢化に加えて若年労働力の獲得に悩み、その将来は決して明るくない。」とここ40年の経過を総括している。が、本当にこういう総括でいいのだろうか?
そもそも戸建て住宅が年間百数十万戸建築される、ということが戦前はなかったのではないのか?その量が必要なのは、それに住む住人が欲しているのではなくて、「資本主義の市場メカニズム」ではないのか?

 佐賀県の背振村で見聞きしたことで、民家の生産はこういうふうだったという。住宅を建てることを思い立ったとき、自分のあるいは近親の持っている山で材料となる木を定められた時期に切り倒す。(木六竹八という、ただし旧暦)倒したままで、葉をつけたまま(葉枯らし)あるいは主要な枝を落として乾燥させる。ここまで1,2年。建設地に運んでさらに乾燥させ、巡回製材所がやってくるのを待つ。製材してさらに乾燥させ、くせり(乾燥にともなう曲がりや反り)を出す。十分乾燥した頃合いで、大工に手間請けで(自分も手伝いながら)切りこみ加工(仕口=柱や梁の接点部分や、継手=梁などの長さ方向の接点部分)をやってもらう。壁土の準備と共に、基礎工事を地域の人々の手を借りて共同でやり、大工に主要な構造材部分を組みたててもらう。それからこれも地域の人々の手を借りて屋根を葺き、親類縁者、家族総出で壁の下地となる竹(小舞)を藁縄で編みつけ、自分たちで土壁の中塗りまでを行う。
取りあえず住めるようになるまで5年はかかっていた、という。それからもすこしづつ手を入れ、壁の仕上(上塗り)は息子が嫁をもらうとか、娘が嫁に出るとかの吉事のときに左官にたのんで漆喰を塗るというのが一般的であったという。自然のサイクルの時間に従い、そのサイクルのなかでうまく循環していたのである。

 木材は乾燥していると腐朽菌が増殖しにくい。腐朽菌がつきにくいということは、シロアリもまたつきにくい。管理を上記のように緻密に行えば防腐、防蟻処理は特別必要ではない。長い間そうしてきたのであるから。 
 ところが木材を製品として動かすには、固有の瑕疵がないほうがいい。ということで外国産の木材(虫害予防のために防虫剤を施すことが多い)ばかりでなく、現代は国産材のほとんどすべてに防腐剤が入念に施されている。それも運送エネルギーを使って、個別の顔(その木の肌理、組成、割れ、反り、巻き皮など)とは関係なく加工している(いわゆるプレカット工法)。

・ 省力化、効率化のみかえりに

1960年代に化粧合板(ベニヤ)など
の新建材類の使用の増加とともに、アルミサッシ、ステンレス製の流し、浄化槽の大型部品が流通するようになり、これは地域の大工さん達も省力化のために競って使うようになる。前回とりあげた「トイレの水」で触れたように、基底文化としての「厠文化」(糞尿への執着)からも、この時代から離れていくことになった。昭和30〜40年代のテレビマンガでの郊外の風景には「空き地に土管」があるというのが常だが、これはこの時代に下水道工事が全国的に行われていたからである。

 さらにその後、漂白剤などとして紙製品、衣料品などに大量に使われ、埋め立てやトンネル掘削において地盤の凝固剤(硬化促進剤)としても使用される苛性ソーダの生産量が増大するに従い、その副生産物質である塩素の捌け口として、住宅関連副資材が狙い撃ちされることになる。
ドイツでの調査では、1990年塩化ビニルが132万トン製造され、その内の約6割が建築・土木関連で使用されていた。ドイツの住宅では、塩化ビニル使用総量の約8割を配管、窓廻り、電線類、防水層などで使っていた1。
日本の塩ビ生産量は年間250万トンにも達している。かつて塩素を発生させないで苛性ソーダを生産する「水銀触媒法」で操業していたのはチッソ水俣工場である(また聞きなのでチト曖昧です)。水俣病を引き起こしたことによって、不幸なことにこの道筋は閉ざされてしまった。
ダイオキシン類はベンゼン環(いわゆる炭素類)に塩素が反応して生成する。その両方を含有する塩化ビニルは燃やすとダイオキシン類がたやすく発生してしまう。従来の公害の規制レベル、たとえば窒素酸化物などではppm(百万分の一)であったが、それがピコグラム=ppt(10のマイナス12乗=兆分の一のレベル)が問題となる。この測定も大変で、装置一式で約2億円ほど、サンプル採集、分析費用が約60万円ほどするという。
ダイオキシンに代表される、環境ホルモンの全貌はまだ解明途上にあるといってよいが、ごく微量で被害が想定されること、後の世代ほど、最小毒性量が小さくなるという世代間影響性、免疫系や生殖機能障害の可能性など、ひとを含む生態系への被害は甚大である。
こうした塩ビ以外の化学物質=合成樹脂、接着剤、塗料、着色剤、防腐剤、防蟻剤にも石油由来物質が含有している。省力化と引き換えに、こうした樣々なもの(人体に有害ばかりではなく、エコシステムの循環サイクルに溶け込まないもの、被害をもたらすもの)にわれわれは囲まれてしまっている。それはちょうどミノムシが赤い電線をねぐらの素材に使うように、異様でもあり、不気味ですらある。(先に触れたように、ごく身近な木材や、畳床にもいわゆる農薬が使われていることをほとんどの人は知らないし、これも前回、<トマトを食べているのではなく石油を食べている>と表現したように、住宅においても、われわれは石油の家に住んでいることになる=運用のエネルギーばかりではなく、例えばアルミサッシュの製造エネルギー=電気精錬を考えてみてもらいたい。)
住宅のこうした夾雑物は、その複雑な様相によって混乱してしまいやすい(廃棄時に分離回収しにくく、ほとんどが一般廃棄物として埋め立てられるし、可燃物は焼却処分され有害物質ごと環境にさらされることになる)が、こうしたことは戦後と近代化と重なる、ここ約40年間のできごとなのである。

・ 循環の環に溶け込むために

 建材を生産するエネルギー、建設時のエネルギー、運用期間のエネルギー、廃棄時のエネルギーをそれぞれ環境保全のために最小化しようとすると、なるべく自然材料(木、土、石、紙、柿渋や壁土、布苔などの発酵材)を使用して、高耐久性の建物を作ることに(必要なエネルギーを分子とすると分母の耐用年限を大きくすることに)なる。
 農薬類を使用しないで防蟻効果を高めるために土台や水切り金物、蟻返しにお金をかけることも有効である。初期コストを掛けた方が、安易に農薬類を散布、材料への注入を行うよりは環境負荷が少なく、ひいては運用、保全、廃棄時のコスト低減が図れるからである。概算するとこうした配慮に要する初期費用はそれをしなかった場合の工事費総額に対して数%アップでしかない。(壁、屋根の通気工法費用を含む)
 夜間断熱戸の日々の開け閉めなど、少しの労力でおおきな効果が明らかな場合、日々の生活のなかにとりいれていくということも大事なことである。これは後述するIAH邸でのパッシブソーラーハウスとしての熱環境特性の説明でさらに詳しく触れる。
 ホルムアルデヒド対策として合板を使わない、あるいはF1合板を使うなどの選択と、接着材を自然(天然樹脂)材料に置き換えるなどの手法がある。
こうした手法や、次ぎの世代まで利用できるように計画することなどによって、初期コストをライフサイクルコストの中で判断できるようにしていくことが必要であろう。

・ 環境共生住宅

「環境共生住宅」環境共生住宅推進協議会編 ビオシティ では、どういうふうに計画を進めていくのか、という計画編と、その評価編で構成されている。評価の方法も、総合計画チェック、基本性能評価、LLCCO2(=ライフサイクルCO2、建築の建設から運用・改修・廃棄に至る全ライフサイクルの各過程における二酸化炭素排出量の総計)に即したライフサイクル・インパクト評価、モデル事例の参考評価を扱っている。
 モデル事例と合わせて、KOH邸の評価を試みたものを添付する。(最終頁参照)

基本的にその土地で入手できる材料で作ることが望ましいことで、そうすることによって環境負荷も低減できる。こだわりのある大工さんなどは、建てるその敷地の湿度などの微気候に木材料を調整するために、敷地内で切りこみ(木の材料の加工)を行う場合がある。(敷地の状況に応じて、そりやねじれを修正する)

そして繰り返すことになるが『「自然」との交信能力を人間という生命体として取り戻していくこと』を発揮して、住み手がさまざまな発想で実験的な試みを挑戦していくこと、にも大きな可能性がある。
できるだけ石油や電気に頼らないで生活できるようにすれば、住宅のライフサイクルエネルギー総量の約3/4を占める運用時エネルギーの根本的な低減が達成できるし、その分ライフサイクル二酸化炭素の発生量も低減できることになる。

手始めに、冒頭の民家での庇位置の検討と同じように、自宅の庇の相対的な位置を検証してみてみるとか、夏の日差しを緩和するために落葉樹の大きさを検討してみていただきたい。方位磁石と、分度器におもりをつけた簡易な高度計があれば、おおよその検討ができるわけだから。
あとで紹介する、雨水利用タンクを設置してみる、という具体的な実践の方法もある。

 近代建築は、鉄とコンクリートとガラスという素材の、それぞれの製造技術の革新によって可能になったわけだが、本来はその当時に夢想された「20世紀の青写真」としてのなにがしかの「力」=理念、想い、構想、空間認識の方法、構成手法の革新など、「時代の予兆」と深い関係がある。鉄やコンクリートやガラスを結果として素材に使ったのである。
いいたいことは、技術的な成果をどのように、どういう立場で使うのかが大きな問題だということである。その後の近代建築の展開は、構成手法=技術的な解決方法のみが一人歩きをして、「たましい」のない巨大な「かたち」になり、人々の結びつきかたを大きく変え、ひいては景観を大きく変えてしまう。
環境共生住宅、あるいはエコロジカルデザインは、かつての近代建築と同じように、エコシステムに開くという「時代の予兆」に関わるある美学、21世紀を予兆するエコの美学とでも言うべきものを提示すべき段階に来ていると思っている。そしてかつての時代と同じように、建築の意味を再度社会にたずねるのである。


・ KOH邸でのこころみ
(以下の文章は配布説明用のもの)

 まず驚いたことは、自然との共生という点についてのOさんの徹底した態度だった。 
 いままで建て替えや新設のための打ち合わせで数多くのコンサルティングをおこなってきた。
 その多くは現状の改善点や、家族構成や会社組織の変化に伴う新たな要望についてがテーマとなり、それを実現していくための条件整理から手をつけていって、その中でプロジェクトのメインテーマともいうべきコンセプトを方向付けていく、という流れになることが多い。
 意地悪く言い換えれば、この社会にふさわしい規格化されシリーズ化され、さらに序列化された小さな欲望に突き動かされて、まるで商品を買うように建築をしようと人は思ってしまう。
 
建築家はそうした仮託された「欲望」の話されることはない背後のことを受け取りながら、この人々に即した空間を探るためにいろいろな努力をすることとなる。

ところがこのメモにこめられていたのは、住宅そのものの条件ではなく、住宅をつくるにあたっての条件、さらに住まい方についての条件を記したものであった。 規模や類似イメージなどのいわば静的なイメージにかかわるものではなく、その作用のしかた、廃棄される終末までも見込んだ「はたらき」についてのメモである。 注目すべきは  A.化学物質を使わない  B.環境への配慮  C.電気/石油にできるだけ依存しない  D.汚水は発酵させて畑に入れる という点で、さらにこうした「はたらき」をよりよく示す「家の見本」にすべきことが明記されていた。

建物のコンセプト・風土性の保持・安全  災害(水、風、地震、火)つまずきなど・健康  化学物質を使わない 湿気調節・環境への配慮 水循環 物質循環 省エネ (エネルギーの多様化 電気/石油にできるだけ依存しない)・坪50万 誰にでも建てられる家の見本をつくる 具体策・素材  地域にあるもの  廃棄の時に土にかえるもの 再利用できるもの  名尾和紙 木材 土 竹 藁・デザイン  地域性と風水・トイレ  発酵させて畑に入れる・生活雑排水 毛管浸潤システム→池・断熱  屋根、赤土+瓦  壁、土壁(厚20〜30p)  窓、二重窓(木のサッシ)網戸 雨戸(光が入るもの)・暖房   太陽熱→湯→床下暖房  補助で練炭、薪・冷房   風・床下   通風  冬→木製の戸を設ける・生活用水 井戸水・調理  プロパンガス 薪 炭→ストーブ 竈(内外)・電気   勉強用のスタンド ポンプ コンピュータ テレビ 換気 ランプ 蝋燭 庭→太陽発電
うんちやおしっこをどうするか

 うんちとおしっこをどうやって食べるのか、といったら多くの人にいやな顔をされそうだ。ところが古今東西さまざまな"糞尿譚"があるように、人々の生活があるところにはこの処理の問題がついてまわる。
 自然と人類とのかかわりをテーマとしてきたアニメ映像作家、宮崎 駿の次作の構想は「汚穢(おわい)戦争」だと聞いた。江戸時代、店子(たなこ)は長屋の共同便所で用を足すことが義務付けられ、大家はそのたまったものを近在の農家に売っていたという。
 学生時代に川崎市溝の口周辺の旧大山街道(東海道脇往還)のまちなみ調査に加わったことがあるが、そこでのかつての農家は夜明けまえに大八車に野菜を積んで東京の中心部に向かい、帰りは肥樽を持ち帰っていたという。
 おそらくそれは戦後もしばらくはつづいていた。この時代、うんちやおしっこは貴重な肥料として土にかえされ、都市の住人であっても大きな自然のシステムの一部として機能していた、といえる。   寄生虫や病原菌媒介などの衛生面や、においの問題解決のために下水道や浄化槽が普及してきたのはここ20〜30年のことである。ところがかつての人々はわれわれが想像するより高度な技術で寄生虫や病原菌対策をしていたと言われている。→「ひしゃく加減」
 産業廃棄物処理場と同じように、広大な下水処理場の建設場所の問題や、最終的に残る「汚泥」の処理方法(それは住宅などの浄化槽からも発生する)の問題、多量の水使用の問題などのシステム的な解決とともに、エコ・システムに開かれた処理方法も選択肢に加えられてしかるべきであろう。
 都市のみならず、住宅が点在する農村地域にも下水道を敷設するというのはコストとエクセルギーのかけすぎであるように見えるからである。
 くみ取り式の「におい」を解決した簡易水洗も、要するに水でにおいのフタをするわけだが、その分文字通り、くみ取り料の水増しをしているわけで、下水処理場まで運ぶ輸送コスト(ガソリンの消費量)を押し上げてしまう。

 田中先生のもとへ
エコ・システムに開かれたトイレ、し尿のリサイクルトイレ探しの第一歩として、太宰府にある福岡農芸高校で研究しておられる田中先生のもとに伺った。それは佐賀大学での市民大学講座での先生の話しを、Oさんが聴いていたことによる。浄化システムでの汚泥の最終処理方法について、多くのご教示をいただけた。先生が苦労の末発見された放線菌の一種は、後日テレビのニュースで知ったことだが、O-157の細胞膜をも分解したという。先生の研究も、やはりし尿処理の方向性はその肥料化に向いていた。1996年の段階ですでに汚泥を肥料化する装置(家庭用の小さな物)を実用化し、製品化されていた。

バイオガス
 Oさんから電話があり、雑誌「世界」(岩波書店)の'96年9月号(第626号)を読むように言われた。
 そこには「バイオガス - 地域自給の技術」という記事が掲載されていた。その原理は、原料として家畜糞尿、農作物の収穫屑、雑草、し尿などの有機物をタンクに入れ、酸素のない状態で活動する微生物によって発酵分解させるというものである。特筆すべきは、5,500〜6,000Kcal/立米という高カロリーの燃料ガス(メタンガス)が得られるということと、通常の堆肥とちがって元々の投入有機物の栄養素をほとんど失わず、ビタミン類や有用微量要素をも含み、さらには病害虫の防除効果も有する液体状の肥料が得られる点である。

 後日この記事の著者であり、この普及活動に農家として取り組んでおられる桑原さんのお宅に伺い、近くの実物を見る機会を得た。(埼玉県比企郡小川町) においがしないこと、バイオマスから引かれたガスコンロの強い火力、同じくバイオガスを使用したガス冷蔵庫など目を見張るものばかりであった。
 ところが残念なことに、4人家族用のトイレのシステムとしては大きすぎる。システムの安定のため(というよりタンクの中での微生物活動バランスのため)毎日一定量、たとえば牛2頭か豚3〜4頭を飼っているか、あるいはオカラ20kg相当の有機物が必要である。

おがくずトイレ
 これは太陽光発電について相談しにいった桜井さんに紹介してもらった。ステンレス槽のなかにおがくずを入れ、し尿や野菜屑などの生ゴミを、酸素が好きな微生物で分解するものである。
 内部の発酵熱は約60〜70℃に達し、有害菌を死滅させるとともに、水分を蒸発させる。必要な外部からのエネルギーは、初期立ち上がりと厳寒期の電気ヒーターと、微生物に空気を送り込むための撹拌スクリュー用モーター(トイレ使用後と一日3回、1〜2分の回転)、排気ファン用モーターで、約5kwh/日、月に約3,000円の電気代になる。これは下水道代の約半分、くみ取り代と同等である。
 その上2〜3ヶ月に一回、バケツ1〜2杯のコンポスト(有機肥料)が手に入る。KOH邸ではこれを採用した。 

土に戻る

 化学物質を含まず、廃棄したときに土にかえして支障がないものということになると、どういう材料でつくるのかということが一番の問題となる。 簡単に考えればそれこそむかしつくっていたようにつくる、木と紙と土でつくるということが最初に思いつく。そして結果的にそれに最も近いものになってしまったが、この誰もが思いつく結果に行きついた模索のプロセスこそが、このKOH邸を伝統建築から隔てる「家の見本」の一つになりうる「はたらき」になるだろう。 ふつうマンションや建て売り住宅の売り出しチラシでは、立地条件や周辺環境などのほかに、さまざまな便利な設備を装備していることがうたい文句になる。
 そこではオートロックや宅配ボックス、ウォシュレットや浄水器が ”ある”ということが意味をもつ。ところがKOH邸でははんたいに、”ない”ことが意味をもつ。
ひとが何かを選ぶときには、なにがしかの判断それも価値についての選択が生じる。何かをつかむこと、とはそれ以外のものを遠ざけることに近い。しかしここでの遠ざけかたは住宅展示場での選択のように、選ばなかったその他のモデル住宅によって価値づけられ、支えられているシリーズ化された差異としての意味ではない。

・鉄筋コンクリート そのままでは土に戻らないという理由で当初は退けられた。(最終的に地盤からの湿気処理のためと地耐力不足の補強のために使用せざるを得なかった。この判断については別に触れる)テレビ報道によると、再生コンクリートとしてコンクリート廃材を再利用するプラントがあるそうだが、まだ一般的ではない。          

・断熱材     
現在市場に流通しているもののうち、合成樹脂系ではないものはガラスウール系、ロックウール系、セルローズファイバー類、炭酸カルシウム系の各断熱材である。その他特殊なものでは、輸入品の羊毛断熱材や泡ガラス断熱材があるが、これらはたいへん高価なもの。一番注目したのが、「未来食」の大谷さん註1の話しを聴きに行ったときに教えてもらった北海道の蝦名林業さんが試作したという木質繊維の断熱材であった。 これらに有害物質を含んでいないか、リサイクルの面で有効かという二重のフィルターを透してみると残ったのは羊毛と泡ガラス、蝦名林業の試作品である木質繊維の断熱材だけだった。
 ガラスウール、ロックウールのパッケージ材は化学物質を含むし、セルロースファイバーは壁などに使った場合重力で垂れ下がらないように接着剤が含まれ、さらに防カビ、防炎剤も含まれていた。炭酸カルシウムにいたっては発泡、バインダー剤として塩化ビニール樹脂が使われていた。     住宅廃材のリサイクル利用が進まない限りガラスウールやロックウール系断熱材は使い捨て、という現状である。土に戻るという面では防炎剤として窒素系のものを利用した木質系繊維断熱材が、それが土に戻る過程で肥料にもなるという面で今後注目すべきであろう。

・ボード類
 合板類は何を基層材、表面材につかっているかにかかわらずメラミンユリアやユリア、フェノール樹脂などの接着剤が使用されている。日本は南洋材を大量に消費してきたが、ラワンの原木輸出禁止を10年ほど前にフィリピンとインドネシアがおこなったので、いまはマレーシアから輸入している。接着剤の方は人体に有害なホルムアルデヒドの放出を押さえたものを使用する傾向にある。 無機質ボード類は、おおむね環境に有害なものを含まないものが多いが、表面化粧材は注意を要する。そしてここでも断熱材と同じようにリサイクル利用の面で問題をかかえている。 現在それらはエコ・システムから隔離され、人工のブラックホールとしての「ゴミ」になってしまう。これから徐々にエコ・システムの面からは、まさに環境の中に「宙吊り」にされた領域(=産業廃棄物)のものをオープンにしていくこと(シム・ヴァンダーリンの言いかたでは「ゴミを食べる」こと)が広まることになるだろう。

・鉄板類 
大手製鉄メーカーの環境関係部署に電話で問い合わせしていて、素材にも微量ながら無機有害物質を含んでいることを知った。(情報は公開されていない。当方もこの点については専門知識がないので、どういう問題点となるかはわからない)そして表面処理剤の多くは有害なものである。その上に施される塗料の問題もある。
 (銅版葺きの検討もしていたが、景観面でとコスト高で見送った。緑青というのは常識と違って人畜無害というのが以外だった。)

・塩化ビニル製の設備配管材
ゴミ焼却時のダイオキシン発生の問題で塩化ビニル樹脂が注目されているが、水道の給水や排水用の配管材の多くは塩化ビニル管である。一方東京都がゴミ袋にポリエンチレンを主材料として採用しているように、焼却時にポリエチレンはベンゼン環を発生しても廻りに塩化物がなければダイオキシンをつくらない。 そこでようやく日本でも給水管として普及しつつあるポリエチレン管を排水にも使うという試みに挑戦した。(メーカーの担当者や技術者が言うところでは、日本初のこころみ)エルボ(つなぎ材)などの製品はまだないので、ほとんどをステンレス製のものを流用している。

・塩ビ被覆電線 現在屋内配線の多くは塩化ビニル被覆線が使用されている。今回そのすべてを代替することはできなかったが、できる限りガラスクロス被覆線を使用した。(98年に電線製造各社がポリエチレン被覆電線を製造し始めており現在は比較的入手が容易となった。ただし施工者の間ではまだ一般的ではなく、現場サイドでは抵抗に遭う。)熱とのたたかい

熱−夏の暑さや、冬の寒さをどうしのぐのかということについて、近年あまりにもエアコンにたよりすぎたきらいがある。 これは計画側の責任でもあるが、室内の水蒸気発生や室内汚染をもたらすかつての練炭あるいはガスストーブや灯油ストーブよりはエアコンの方がスマートであり、とくに夏の冷房機能では他の選択がないかのように思われていた。 ところがエアコンは日本の気候風土にはそぐわないものなのである。図(クライモグラフ)に示されるように、東京は夏になるほどに高温多湿になり、冬に向かえば低温低湿になる。一方ニューヨークは、一年を通じてだいたい65%から70%の湿度で、人体には適湿である。 エアコンはアメリカ生まれで、アメリカの環境の中でこそうまく機能するが、日本ではチグハグな作用をしてしまう。夏は冷房によってさらに相対湿度を押し上げることになってしまうし(実際は除湿機能で相殺されているが)、冬は暖房によってさらに相対湿度を押し下げることになってしまう。
 ヨーロッパの住宅には受け入れられなかったエアコンがなぜ日本に普及したのだろうか?

エクセルギー出入りの精密な計測器=人体
エアコン一辺倒の空調設備業界に対して、異を唱える建築設備設計者の書籍にめぐり合った。「天井冷暖房のすすめ(ちくまライブラリー44) 葉山成三」である。 そこでは気温・湿度・不快指数に注目していた時代から、気温・湿度・気流を考慮に入れた「有効温度」へ、さらに接触温度環境や輻射環境を含めた熱流理論への展開が語られ、環境エネルギーを利用したさまざまな実例が示されている。
「暑い」「寒い」とは、人が生命維持のために体温を発散する"速さ"に感応したことだとすると、エアコンに代わる環境エネルギーを利用した低品位の熱源でも快適な熱環境をつくり出すことができる。夏は人体の熱発散速度を速く、冬は遅くする、という考え方にたつとエアコンのように熱の局所偏在(頭熱足寒)がなく、室内外温度差もより少なくできることから、エクセルギーの観点からも「地球にやさしい」ことになる。

エネルギーからエクセルギーへ

宿谷昌則「光と熱の建築環境学(丸善)」によれば、建築内の部屋を暖めたり冷やしたりすることは、熱を加えたり引いたりすることではなく、「エクセルギーを食べて、エントロピーを排泄している」ことらしい。 今、ある部屋の暖房にある一定量の熱を加えつづけて、室温が落着いている状態としよう。この熱源の温度が50℃か70℃かにかかわらず、熱エネルギー収支上はフローで「ある一定の熱」の量が部屋の中を暖めつづけ、そしてその全量が室外に放出されている。(投入するエネルギーの量は、熱源の温度の違いを反映せずに同じ量として表現される。)
 エネルギーの観点からは見えないこうした熱源の質を明らかにするのがエクセルギーである。 宿谷氏の試算例では、70℃の熱源の場合は384W、50℃のものは283Wのエクセルギーとなり、前者のものが高い分エントロピーの生成も大きいことになる。これは、熱源として高エクセルギーなものほどエントロピーが増大することを示している。
 たとえばガスを熱源とした場合、必要な「ある一定の熱量の」エクセルギー換算量×約16(倍)に相当するエクセルギーを使っていることになり、電気の場合は約41倍にもなる。
 エアコンやガスヒーポンはエクセルギー的な見地からすると「バターを切るのに、原子力チェーンソーを使うようなもの」であるらしい。ヒートポンプを用いてもエクセルギー効率は10%以下しか低下しない。それだけ電気は高いエクセルギーである。
「“エネルギー問題”とは正しくは"エクセルギー問題"ということになる。エントロピーは"汚れ"を表わす指標とみなせるから、様々なシステムが周囲にエントロピーを出し過ぎ、それが処理できないと問題が発生する。「環境問題とは実はエントロピーの問題であった」宿谷前掲書

湿気とのたたかい

なにも防湿処理を施していない裸の床下地盤からは1m角の面積から1時間当たり4〜18gの水蒸気が出ている。40坪の建坪面積だと最大約2.3リットル、コップ13杯分の水蒸気が発生することになる。次ページの下の図はポリエチレンフィルムなどの防湿シートがある場合を示したものだが、その上のシートなしの場合に比べて斜線部分(床下湿度の範囲)が下に位置している。防湿シートによって床下の水蒸気量が著しく減っているがよくわかる。問題なのはシートがない方で、1/31近くは床下で結露をおこしていることである。
夏の高温多湿に基準を合わせてつくられてきた日本の伝統建築の内、とくに寺社仏閣建築は床高が高く、床下の空間はスッポンポンで外気そのものといったものが多い。(冬は寒いが・・・) 1950年に建築基準法と関係法令が制定され、コンクリートの布基礎を使うようになり、忍者が入り込めるような床下空間は姿を消すこととなる。さらに、1950年代後半になるとムクの床板にかわって合板が使われ始める。
近年、布基礎にところどころ開けられた床下換気口にかわる工法(fig.3)があらわれ、密集地での床下換気方法も幾分改善されてきつつあるが、まだ不十分であるように思える。何より床下換気口ばかりか布基礎そのものが美しくない。布基礎は、床下の防湿シートの工法を前提としている。昔のムクの床下やタタミにかわった合板床の接着材層が床下の水蒸気を室内側に浸透してくるのを阻害している。 不思議なことに、室内外の温度分布と湿度分布によって、温度−湿度勾配図を書くと、断熱材が厚くなればなるほど材料内部での結露が発生する。室内側に湿気を通しにくいものをはさむことになるが、ここで注意しないと内部滞留水が生じてしまう。室内から侵入した湿気を速やかに外部に排出するために室外側を湿度の面からは「開く」必要があるのだが、応々にして表層仕上材で「閉じ」られてしまう。特に木造の場合、木を長持ちさせる(木に呼吸をさせる)ためには断熱材の位置や留め付け方が難しい。その中でも、近年使用が義務づけられている構造上の補強金物とのとりあいが問題である。金物のサビを呼びやすいというばかりか、金物の接している周囲の木に腐食を呼ぶということが問題となる。

・生活排水をどうするか

バクテリアから動植物まで総動員し、山から川へさらには海へ、雨や雪となり、ときには台風となって循環している自然の水の流れと比べると、われわれ人類が築いてきた水路・給水・排水のシステムはエレガントさにおいてずいぶん見劣りがする。山の問題・海の問題はわれわれの人為的働きかけさえしなければ発生しなかったようにも思える。 計画地の南面は水田で、水田の方が低いから排水するとそちらにに流れてしまう。敷地脇の湧水のせせらぎに家庭用の雑排水を流し込むのは、Oさんでなくともためらうほど、その流れはきれいなものである。 ここで紹介する「毛管湿潤トレンチ」は敷地内で雑排水を浄化してしまう方法で、Oさんは今回の住宅計画のはるか前から、その実現を図っていたらしい。 敷地環境の特殊条件にきわめてふさわしいので、これが特殊なものに思われてしまいそうだが、土の状態が良ければ、たとえば都市の中でも活用可能な方法として見ていただきたい。以下はメーカーの説明書のうけうりである。

バクテリアは人類の先輩

 先カンブリア時代の海の中に生命体が生まれ、今から約20億年前にようやく光合成を行うことができる微生物が出現する。
 原始的な「土壌」が徐々に糸状菌や藻類によって用意され、約4億年前になって、初めて植物が上陸する。
 陸上に植物・動物・微生物の3者からなる生物圏(土壌圏)が成立したのは、草原が出現する第3記(約6000万年前)以降であって、それよりはるかに遅れて人類が出現する。

今、土壌中には、乾土1g当たり数千万から1億個近い微生物が生存している。この先輩たちに分解してもらおうというのが「毛管湿潤トレンチ」の方法である。 この先輩たちの多くが居住する地表50pの世界には、無機・有機の成分を含んだ土壌水(土壌溶液)、土壌の孔隙の中にある空気(土壌空気)、さまざまな大きさの土の粒(単粒/団粒構造)がある。人は作物の正常な生育のために土を耕して土壌空気の10%以上の入れようとするが、ミミズも耕運活動をする。 人が耕さない所でも、アリ・コガネムシ・セミなども土中にトンネルを掘り、鉱物質土壌を地表に持ち出し、地表の有機物を土中に引きずり込んでそれらを混合攪拌する。
 そうした地中活動が行われていれば、微生物の活動やミミズなどの排泄物などによって、土の粒はより多くの空気と水を含むようになる(土の団粒構造化)。
 団粒内部の小さなスキマには条件的嫌気性菌や好気性菌が多く分布し、団粒相互間の粗いスキマには原生動物・糸状菌・グラム陽生細菌などが住み分けしている。「毛管湿潤トレンチ」はこうした微生物が活発に活動できる条件を利用して、人に不要となった有機物を食べてもらい浄化する。 主に毛細管現象によって排水した水分をすくい上げ、バクテリアが食べやすいような条件にしておくのもこうした地中活動にたよっている。
 ここで人に出来るのはそうしたバクテリアのためのエサ場がどうしたら彼らにとって快適になりうるかという想像力(しいて言うならば、自分と自然とのこの数10億年の中での関わりかたについての想像力)を「働かせる」ことである。
生活排水(BOD 200r/l程度)を流しこんだ場合
BOD 10r/l以下、COD 10r/l以下、SS 10r/l以下 大腸菌群数30個以下、NH4−N10r/l以下、T−P1r/l以下 pH 5.8〜8.6、完全除去能力は最大50%程度

・ 必要な熱源をどうするか

石油や電気を極力使わないとなると、風
力、地熱、太陽光発電、太陽熱温水器、軽微な水力発電などの利用が考えられる。
 水は空気に触れるとか、太陽光を直接浴びなければ、藻や細菌、微生物類の増殖を押さえることができる。(昔の太陽熱温水器では藻が発生していた)あるいは水道直結式にして、すぐ使用することにすれば問題はない。
ところが床暖房やパネルヒーターなどの熱源として利用する場合、その回路は冬季のみの使用となるため、水抜きを行わないで済むように、給湯用の回路とは別に回路を組むことが多い。太陽熱利用の場合はこの回路と熱交換をすることとなる。

はなれの方は、冬季の暖房として薪ストーブを選定した。炉の後側に二次燃焼室があり、一時燃焼時に残った有機物やそれに含まれる有害物質をさらに燃焼させて、排出される煙の安全性に注意を払った製品である。くべる薪によりけりだが(堅い広葉樹がいいらしい)長時間、あらたな薪を追加しなくても燃焼しつづけることができる。
暖炉と同じように、煙突の吸引効果がシステムの重要な要素で、こうした「より良く燃やす」という知恵からもわれわれは隔たってしまっている。日本国内ではあまり例がないが、ペチカやカッヘルオーフェンなどは煙をぐるぐる回して、その熱による輻射熱で暖をとる。
KFH邸の計画段階で床暖房の打ち合わせの折り、韓国・朝鮮のオンドルが話題になったが、やはりそれも「うまく」あたためるにはそれ相当の「知恵」が必要だろう。 
なぜオンドルが渡来しなかったか話題になったが、その時は「畳」という一種の断熱材が日本にはあったから、という結果に落ち着いた。(しかし畳が一般庶民に普及したのはおそらく江戸時代であろう)
KOH邸の計画段階で、簡易なオンドルができないかと、韓国大使館や朝鮮総連に問い合わせして、練炭を使用する「セマウル・ボイラー」が入手できないか調べたこともある。(灯油やガスに取って代わっていた)
かつて「五右衛門風呂」や「鉄砲風呂」で湯を沸かすということで、よりよく燃やすこと、を人々は体験していた。かまどによる炊飯、調理の場面においてもそうである。
バイオマスの利用も、地球的なエネルギー事情、二酸化炭素発生量で考えると、開発途上国での森林破壊の面では慎重に成らざるを得ないが、KOH邸周辺は杉や檜の植林地帯で、その手入れにつながる間伐や下枝降しによって薪の入手は比較的容易である。二酸化炭素は発生してしまうが、太陽エネルギーの蓄積としてのバイオマスと、石油とはわけが違う。新たな炭素蓄積につながる活動で薪を使用する、ということが、KOH邸では可能で、この理由で薪ストーブ、薪炊きボイラー、薪炊き風呂(ステンレス製の高効率五右衛門風呂=商品名は次郎風呂)を選択した。
薪ボイラーも送風機(多少電気を使う)や吸気口の調整で、半日くらい加熱し続けることも可能だそうだ。このボイラーは貯湯槽を兼ねるので、これを蓄熱槽として、給湯、暖房、太陽熱温水器と熱交換している。暖房は当初は床暖房を検討していたが、乾式のシステム部材では「土にもどらない」ので(銅配管などで可能だったが、こういうシステムだと断熱材が必要で、土にもどる断熱材で適切なものがなかったから採用しなかった)温水ヒーターパネルを採用した。その分エクセルギーとしては高品位の(熱源温度が約20℃高くなる)ものになってしまった。


 夏場の冷房については、建物そのものの性能(通風、断熱、日射遮蔽、壁体内や屋根小屋裏内通気など)の向上や、土間空間利用やクールチューブなどによる冷熱源としての地熱利用、地下水利用などが考えられる。
井水が利用できれば比較的簡単な地熱(年平均気温に等しいので約15℃の冷熱源となる)利用の冷房ができる。ファン駆動を太陽光でやってみるとさらに環境にやさしいシステムとなる。
KOH邸では積極的に南北に通風を確保することを図り、屋根面に空気層を確保して日射による化粧野地板の温度上昇を低減し、冷熱源としての土間の空間を生かすこと(庇位置調整して直射日光をあてないこと)で、夏場の輻射温熱環境を整えている。(標高約300mに位置するので、積極的なパッシブクーリングは行っていない)



・ IAH邸でのこころみ

IAH邸は、部分的にKOH邸のはなれで採用したパッシブヒーティングのシステム的な完成と、その土間空間の現代的な読み替え作業に本格的に取り組んだ住宅である。'99/10月現在工事中で、基礎工事が終わり、蓄熱土間を打設しているところである。冬の日差しの直射熱をダイレクトに土間に蓄熱するシステムであるところから、こういうパッシブヒーティングの方式を「ダイレクト・ゲイン方式」と呼ぶ。
計画にあたって、敷地を見に行ったところ、アイデアを温めていた「ダイレクトゲイン」にまさに相応しい風景で、冬場の太陽光を遮るものがなかった。そこで「この敷地はパッシブソーラーハウスを建てるためにあるのです。」と説得して計画した。
クライアント(建て主)の意向は「スローガン=わが家のコンセプトは、ゆったりくつろげるリビング、カコクな子供部屋、です」というもので、後日これがファクスで送られてきたときは、小躍りしたものだ。

テーマを実現するのに、これほど適切なことはない。主題を明確にするには、その他の副旋律はひかえめが良い。なにごとも表現形式をとると、いえることはたった一つであって、あれもこれも、ではない。
民家(農家)や町屋の「美学」は途方もない試行錯誤の積み重ねで構成されてきた。こうしたかつての「美学」を戦後の近代化で一気に超越したかのように錯覚してしまっているが、こうした表現は特にそれがひとびとのかかわりを映し出す風景を形成したり、集合体として連鎖する町並みとして構成されたときに、その真価があらわれる。このレベルでは、一部の建築を除いて戦後の住宅はかつての「美学」をこえるものをなんら生み出してはいない、と言える。
もっと厳しく言うなら、リビングやダイニング、キッチンや浴室、それに寝室や子供部屋などをどれだけ懸命に寄せ集めても「家」にはならないのである。戦後の民主化の影響で、余裕があれば子供専用の空間を充実させるということになったが、なにか落としていないか?
戦後の日本人は、ほとんど子育てのためと、資産形成のために家を建てる。ということは「プライベート」な出来事であって、なんらパブリックな側面を持ち合わせていない。「公」がないのである。

この「おおやけ」に開かれた/開かれていた土間に照準をあてることができた、と考えている。

1 エコロジー建築
エコテスト・マガジン編
高橋 元訳
青土社