はじめに 

 ダイオキシンや環境ホルモン、地球温暖化などに代表される「環境問題」は、たとえば「核の脅威」と同じようにひとびとが気づいていて知っているにもかかわらず、すぐに解決することは難しそうな問題である。
こうした状況の中でエコロジストたちは、地球環境がナチスドイツのユダヤ人収容所での毒ガス室を想起させる「うすい毒ガス室」になりつつある、と警告している。
「環境問題」を解決していくためにどういうアプローチがあるだろうか?

「環境問題」を科学的に解決しようとしてみよう。しかし、そもそも近代科学の立場そのものが引き起こしたものなので埒があかないように思える。
なぜなら、たとえばダイオキシンが発生しないようにする、といった命題を解くことはできるにしても、世界にそれを除去する現実的な方法を定着させるまではいたらないだろう。
科学的態度においては、ダイオキシンが多量に発生してしまう社会そのものについての価値判断や、その倫理的な側面での判断は対象外なのだから、である。
こうしたことは「核」 ― 爆弾のかたちであれ、発電所という平和利用のものであれ― を引き合いに出すまでもないだろう。
 
問題解決を市場経済に求めてみよう。しかしこれもまた現代につながる経済活動が「環境問題」を引き起こしたのではなかったのか!?
市場経済が、素直に消費者の欲望を反映するものとすれば、ひとびとがかしこい消費者になって、社会を少しずつ変えていくことも可能だろう。
例えばリサイクル可能な素材で、製造段階においても環境負荷のすくない工程でできた製品を、その他の製品より優先して購入することで市場を変えていくことが可能なようにも思える。しかし現代の市場経済を支えている消費者の「欲望」は、反面において市場経済が掻き立てているものでもある。

あるいは自然回帰の一部のひとびとが取り組んでいるように、都市からはなれた土地において、伝統的な生活に戻ることで解決できるものだろうか?
これもかつての「空想的社会主義運動」のように、一定の成果や、その他のひとびとに対する生活のモデルとはなりうるだろうが、すべてのひとびとが参加できるわけではない。

 

環境 1 エコロジーを愉しむ

 「環境問題」を生真面目に論議することばかりではなく、楽しみながら生活を活性化し、豊かにしながら地球環境というおおきな生命体のいのちのつながりに自覚的に参加していくことのほうが面白い。
 課題のありかは、日々の生活に活力をあたえ豊かにする「愉しみ」のルーツと本質をみきわめ、「環境」にたいする個々の変革のちからを発揮していけるように準備していくことにある。まずは、市場経済や現代社会がもたらす利便性と引き換えに、われわれから失われはじめた「自然」との交信能力を取り戻していくこと、そのためにかつてのひとびとが格闘し、残してきた遺産に気づくこと、回帰するのではなく、そうした遺産に現代の生活をつなげていくことからはじまるだろう。

 発見・再認識する愉しみ

 ・循環するもの

 人は齢を重ねることで、社会が発展してきた、ということを、どうも直線的で方向性をもった川の流れのような不可逆的イメージをもって捉えてしまう。

 ところが人が「生きて」いる瞬間とは、文学的に言いかえると「すでに知っているものが、違ったもののように見える」瞬間のことであり、ごく日常的な場面での「トルストイのソファーを拭く1」ような日ごろの習慣、日課などの自動化、反射化された反復作業での時間ではない。
そうした「瞬間」は、生と死の(=エロスとタナトス)のはざまで、人が人として感じ、あるいは発見するものであり、それらは時代を超えて、まさに人類としての体験が個人を通してあらわれるという面で非-歴史的であり、積み上げることも、あらかじめ予見することもできない、不連続で、非線形的なものである。
 こうした「発見」は、芸術 ―― 文学、絵画、演劇、建築… につなぎ止められている/いく。そしてそれらはふるいわけられ、継ぎ合わされて、まるで「神話」のようにひとびとに作用し、たとえば日本人の「自然」観についてのある種共通したイメージを育てている/いくのである。
 そして芸術のはたす主な作用は、その根源において「芸能」とふかく結びついている(しかし不連続にだが)。さらに「芸能」の祝祭性に深いかかわりがあるまつりごとは、もともと神をまつることから派生し、のちに政治のことをさすようになる。また一方では宗教(宗も教も仏教語で教義の流派をさしたもの)の母体でもある。
なにかのきっかけでこういう「芸能」に引き寄せられて行くこともあれば、気づかぬ間にこうした「色眼鏡」を着けていることもある。
いかに現代的な生活をおくっているように思い込んでいても、たとえば冠婚葬祭や季節の伝統的行事を思えば、こうしたある種の観念や気分、喚起される情景や既視感は、おそらく現代人のみならず、かつての人々も含めて、すべての人において循環的に思い起こされてきたことに違いない。
 以下、そのなかから「循環するもの」をキーワードに最近気になっていたこと、気づいたことを挙げてみる。
 

古代中国の地球物理学とでも言うべき風水思想では、白虎と青竜がめぐる「気」の流れが都市計画の根本となり、「胎風蔵水」の地が、繁栄を約束された国造りの拠点都市となる。
日本人のおおくは精神的なよりどころの都市として京都を指し示すだろう。この都市も注意深く風水にしたがって選定され計画されたものである。
『は基本的に“長寿(神仙)の宗教”なわけですが、それと密接にかかわりつつ発達した中国医学の「経絡」(の通路)や「」といった身体論 ―― これは風と水の流路を認識し、その地形の中心部に「穴」という気の溜まり場をみいだす「風水」地理学とまったくパラレルなものなんです。身体を診察し、ツボをみつけて針をさすというのも、だから環境を精査して「穴」の部分に人工的空間を建設するというのと、基本的に同じ行為なわけです。2』
風も水も流れていく、いわば動態的な関係性として身体と環境とのコスモロジーを媒介していく。中国において3世紀には宮廷付きの風水師や天文方が活躍していた。
その後体系的には「景観(地形)」学派と「方位」学派に分化していくこととなるが、『一方が「山のフォルム」(すなわち「風の流れ」)と「水の流れ」を重視し他方が(方位によって)「地磁気の流れ」に留意すると考えれば、これらはさまざまな現象形態をもつある種の「」に対する微分的感受性の科学として、共通のパラダイムで捉えることができる』
一年という循環現象、春に芽吹き、夏には台風によって生存を脅かされ、やがて秋の収穫を喜び、冬の寒さに耐えるという、不思議な自然現象の循環の法則を天体の運行に求め、方位や地形に適用して未来の徴候を読もうとすること。風水思想の起こる以前は「八卦」や「易経」がこの世界のの流れ(運気、天気・・)を読みとろうとしていたことに接続されている。

このことは一方で西欧の起源としてのギリシア・ローマでの都市計画を思わせる。
「バビュロニアの占星術天文学者は、天体の運行と出来事の循環回帰を古くから観測し記録していたが、そこでの彼らの関心はまったく実用的なものであった。暦、時間の測定、整然とした季節の推移 − これらはどれも、彼らが仕えていた宗教組織にとって必要不可欠な道具であった。
同様に、エジプト人が関心を抱いていたのも本質的には幾何学の実用面への応用であった。すなわち、建設への応用、また彼らの土地登記と課税の体系の不可欠な一部をなしていた耕地境界の測量への応用がそれである。縄や測定棒、水を使った一種の水準装置、直角を割り付けるための照準器つきの特性曲尺、(ごく簡単な試行錯誤法を用いて組み立てることのできる器具)以外の複雑な器具を使わずに、彼らは、直線誤差1000分の1以下、最大角度誤差1620分の1の精度で大ピラミッドの基部を割り付けることができた。3」
「ギリシャ人にとって、植民都市の創建は(中略)古代人の常として、そこには守らなければならない宗教儀式があった。そのひとつは敷地選定に関する神託伺いであり(中略)犠牲と祈祷を捧げるのが習わしであった。」
「ローマでも植民都市の創建は(本質的には実利的な性質を持っていたにもかかわ
らず)ローマ人も伝統主義者であり、農民だった祖先から受け継いだ多くの儀式と禁忌に強く固執していた(後略)」
ここで西洋と東洋との優劣や同相性を説明しようとしているわけではない。循環するものの不思議、驚き、おそれという契機によって、しいて言えば「自然」によって政治や文化というよろいを人類はつくりあげてきたということである。
問題なのは、そうしたフィルターがいったんできてしまうと、「自然」の姿が見えなくなってしまうこと、鈍感になってしまうことなのである。

原初の驚きの表現であった言葉というフィルターそのものに対しても鈍感になってしまう。われわれがなにげなく日常使用している言葉の中にも、例えば陰陽道の秘儀に由来する言葉もある。(あるいは後述するように、言葉となっているがゆえに見えなくなってしまうこともある)

 道教4の陰陽五行説5にいう「木火土金水」に太陽(=日)と月を加えれば曜日となり暦となって「巡るもの」となる。

十干(五×陰陽)十二支で十二支を5回(12年を5回)めぐると一周ということで「還暦」と呼ばれる。(もともと十二支は天文学から来ているので、周期的なものである)

 陽数である「七五三」、注連縄(または七五三縄)のように生活のなかにめぐってくるものもある。これらの類は枚挙にいとまがない。

暦や天文を大宝律令(7世紀)によって統べることになる天皇は農耕神であった。いうまでもなく新嘗の儀式や御田植によってもうかがわれるが、現代日本の象徴も農耕なのである。                
裏返せば、日本の芸能的側面=政治や文化、芸術や宗教などには、農耕にまつわる記憶が埋め込まれていることになる。
「五世紀ごろの古代統一国家の成立とともに(それまでの各地域勢力の神々は)大和朝廷の神々に服属し、天地地祇の序列がつくられた。この過程で、全国土のイネの豊饒をもたらす最高祭司である天皇の宗教的権威が確立し、これを基礎づける神話と儀礼が整えられた。6」
おもしろいことに、その後の仏教伝来と道教思想の流布による、神道と仏教の勢力獲得上の習合過程でイナリ信仰をその両者が取り合うこととなる7。
「稲荷の名は、稲が生えるイナナリの約とも、稲をになうイナニの訛りとも言われる。(中略)真言密教では、稲荷神をダキニ天と同一とした。8」たしかに稲の生育はひとびとの最大関心事であっただろうし、成るということも最大の神秘だったことだろう。

平安初期の9世紀ごろから、神道での神々を、それぞれ本地であるインドの特定の仏、菩薩が日本に跡を垂れ、仮に現れたもの(権現)とする本地垂迹説が展開されてくる。
鎌倉時代には「仏教系の天部諸神や陰陽道系の神々も神社に祭神として祀られ、広い信仰を集めるようになった。この種の祭神には、四天王、帝釈天、牛頭天王、聖天、夜叉、鬼子母神、妙見、金毘羅、ダキニ天(稲荷)、毘沙門天、大黒天、弁財天等の神々がある。9」
徳川家康は日本という農耕社会の祭司となることはかなわなかったが、こうした権現になることはできたのである。
あるいは代々木の地には近代日本の「明治」時代の依代として神宮がある。毎年おおくのひとびと(若者たちも)が初詣に訪れる。
こうした宗教や宗教行事、循環的に訪れる季節ごとの(例えば初詣や節句、盆踊りや月見の行事などの)体験のみならず、和歌などに代表される詩歌や、茶道、華道、万歳や鳥追、阿国おどりなどを起源をもつ能(田楽能、猿楽能、幸若能)、狂言や歌舞伎、(人形)浄瑠璃、小唄(中世では小歌といい、宮中の大歌と区別されていたらしい)などを通して、あるいはそれらに影響受けたものを通して日本のひとびとは日本人としての「色眼鏡」をもつ。
ということは、どんなに社会が農耕社会から離れようとも、繰り返すことになるが、人は祝祭性のなかで、農耕にまつわるさまざまな約束事(コード)を「非-歴史的に個人によって追認し、確証し、生きる」ことになっているのである。このシステムは、近代的な発展、進歩という直線的な歴史認識とはおおきく異なるものなのであり、不連続な文化的体験とは相反するが、ともに現代日本の日常の生活を支えているものでもある。
そうした「色眼鏡」がどういうわけだか今の「環境問題」につながっているわけだし、それがたんなる技術的な解決方法だけでは解消しないことが素描できたであろうか?

さて、かつて支配権力を手に入れ、維持していくのに必要で、ひとびとに畏れをもって受けとられていた「天文」についてすこし触れてみよう。ただし実利的側面にかぎって。(のちにパッシブソーラーハウスの技術的な課題で触れることになる。)

太陽との関係

周知のとおり、地球は、太陽の廻りを約365日で一周している(公転)。そして地球自身も約24時間で1回転している(自転)。
高倍率の望遠鏡なしに観測される水星、金星、火星、木星、土星(陰陽道の名残が感じられる)といった惑星と、はるか遠方にある恒星がある。

物理的な観念上で宇宙をとらえると何でもないことだが、公転し、自転している地球上で天体を観測すると、不可思議な現象に遭遇する。それは地球上からは、公転によって天体の一部が太陽のまばゆい光で次々にみえなくなるということ、自転によってとまっているように見える星(北極星など)を中心に、季節によって天空の広がりが違うことと関係している。
星の下に生まれるという、言い方。洋の東西を問わない占星術の流行。干支。まさにちょうどいい位置にあって、必然なのか偶然なのか生命を宿した惑星という地球。

地軸の傾き、夏と冬

こと地球規模の熱環境変動のみを考察するのであれば、一番の入力要素は太陽が発する熱流である。
地球にはこの入力側から電解層、中間層、成層圏(オゾン層)があり、生命に対して影響がある放射線などの多くはここまででシールドされる。成層圏の下には、地表面から約10〜15kmまでの対流圏があり、われわれが体験する気候の変化のほとんどがこの圏内でのことである。
反対に地球自身の体温は、マントル層の核側下層では5000℃あるものの、地下約2900km付近(ちなみに地球の半径は約6400km)では約1000℃、地表面ちかくではさらに冷却されており(温帯地域では地中約5mでその土地の年平均気温に等しいといわれている)大洋の海水と大陸、さらにその両方の下にある玄武岩質の岩などによって温度変動が安定化されている。(といっても成層圏上部ではほぼ0℃だが対流圏上部ではマイナス50℃と低い温度ではある)
地球断面構成の説明図では外気圏を含めた大気部分を誇張して描いてあるのが常で、実際は地球がバレーボール球だとすると、その表面の約1mmまでが成層圏で、あまりの薄さに不安になってしまう。
流入熱量が同じなのに、どうして夏と冬があるのか、それは地軸が公転面に対して傾いていることによる。(この説明は後述する)

地球規模の風(大気、空気)の流れ

風水師に説明を求めたいところだが、ごく単純な原理で言えば「大気を暖めると上昇する」→「上昇する方向に北半球ではネジを締める方向に気流が回転する10」(上から見ると反時計廻りなので、地図上で上に向かっている台風の進路の右側は強風になる)→「取り残された場周辺は気圧が低くなり、下部周囲からほかの大気を吸い込む」ということとなる。
大気には、おおむね水分が水蒸気として含まれているから、上昇して周囲の気温が低くなると飽和して条件によっては雨や雪、雹になる。
高気圧の場合は上記のちょうど反対のことがおこり、その空気に含まれる水蒸気量は相対的に少ないから乾燥し、晴天となる。

古くから「貿易風」の存在が知られていた。そして近年になって赤道西風がそれらに挟まれて存在することが知られるようになった。

「第1図をみていただきたい。これは、七月の降水量分布図であるが、低緯度にはアフリカの中央部から、インド、フィリピンを経てメキシコに至る明瞭な多雨の帯びが存在していることがわかる。そしてその多雨帯のなかでも、山脈の西斜面に多量の雨が降っていることから、そこに西風が吹いていることも理解される。(中略)降雨の主因は、西風そのものの性質にある。すなわち、この風は非常に多湿でしかも比較的気温が低い。この風は山脈にぶつかると、ただちに多量の雨を降らし、また山脈がなくとも、日中、大地が温められて上昇気流をおこすと雷雨となる。こらが赤道付近で知られるスコールである。11」
この赤道西風は、ヒマラヤ・チベット山塊が、冬には雪を帯びて白色となって太陽熱を反射し、夏には雪が解けて太陽熱を吸収して高温となる(さかんな上昇気流が発生する)という季節的な変化によって流れる位置を北に変える。
「第2図に示すように、赤道西風はエチオピア高原で向きを変え、南西の風となってインドに達するが、この気流の厚さは、せいぜい5000mであるので8000mのヒマラヤには完全に進路をはばまれて、そこから、東ないし、東南東に向きを変えて進む。
フィリピン付近が、ちょうどその経路にあたるため、第1図に見られるように、フィリピンの西斜面では、7月ころ大雨をみることになる。
ところで、この西風は、慣性のため、そのまま東南東に向かって進むことが多いが、ヒマラヤは、いつしかその高さを減じ、ついに南シナ海では気流の障害物がなくなってしまうために、ときにそこを抜けて北上することがあり、日本の西部や朝鮮半島に達することがある。(中略)この湿った空気は比較的低温のため、地表をはって北上するので湿舌と呼ばれる。12」
さて対流圏が風呂の水だとしよう、バランス釜で風呂の水を沸かし出すと、ボイラー部分で温められた温水は上の方の出口からでてきて、その分、下の方のまだ冷たい水が、下の吸入口からボイラー部分に入り込む、風呂桶の水面は一定である。
このように地球上のどこかに上昇気流があれば、その上昇する大気ぶん下降気流が存在するはずである。先に書いたように、北半球での流体は運動方向にネジを締める方向(時計廻り)に回転する。例えば日本の冬の気圧配置である西高東低になると、ちょうど洗車機のドラムのようなかたちで北西の冷たい大気を列島に吸い込む形となる。



「風土の構造」において鈴木秀夫は、赤道西風や、その流れに影響を与える成層圏下層を流れるジェット気流の蛇行現象、それによる高気圧の定常的な位置関係や、気流、海流の流れによって、大陸の西岸に形成されやすい大砂漠地帯、梅雨の範囲、氷河の分布、南極の氷の発生過程を明快に説明している。
この周期的に変化する「定常状態」=気象は、やはり地軸の傾きと公転、自転、その状態にふりそそぐ太陽の熱がもたらすものなのである。
地理学者、鈴木はこのあと「気候と離婚の関係」などを仮説的に論証していくが、(鈴木自身もハンティングトンの環境決定論を厳しく吟味しているにもかかわらず)こうしたある種の「自然→社会」の決定論は後述するオギュスタン・ベルクなどによって批判されることになる。

風から水に目を転じてみよう

水の循環

太陽熱の入力を地球表面で平衡化する大気の流れ(=風)と同時に、あるいは局所的な蓄冷、蓄熱の大きな要素として水も流れる。
その量たるやすさまじい、日常のなかでの一例として「台風はまさしく巨人の水がめである。一回の台風が水蒸気の形で運んでくる水量は400億−500億トンに達する(深川註、一辺が約3680mの立方体の水に相当する)が、これはセーヌ河のパリにおける流水量10年分に相当する。(中略)台風に伴う雨は、一日に500ないし600ミリほどである。(パリの年間降雨量に匹敵する)13」
放射冷却によって出力される熱損失以外の太陽熱は、その一部を光合成植物の成長エネルギーとして利用されたり、物質の光分解に作用する他は、風や水の運動エネルギーに変換されるが、入射熱の「約1/4の熱が地表での水の蒸発に使われている。14」
一方、原子爆弾15を起爆材として、水素の熱核融合を起こさせる水爆にも利用されるように、水素結合は水の沸点と融点を、その他の類似化合物より高くしているし、融解や蒸発時に廻りの熱を吸収する量も、他の液体よりたいへん多い。さらに密度の面でも特異なことに、4℃において最大密度となり、融点以下の氷の状態では水に浮く。
こうした性質によって、冷却されて海中深くに沈みこんで海表面の急激な温度変動をもたらすこともなく、たとえ氷となっても極付近でその大きな融解潜熱によって周囲を冷やしつづける蓄冷体としての機能が発揮されるし、洋上で湿った空気となることで(蒸発潜熱)、大量の熱が大気によって輸送されることにもなる。
「こうして地球表面の温度変化を小さくするとともに、地球の気温を平均化する役割をしている16」わけである。
もっともなことだが、こうした水の性質とその変化に対応して(あるいはその変化の範囲内において)、われわれを含む地球上の生命が誕生してきたし、維持されるのである。
 地球上を循環する速度を図aに示す。さらに地球上の水の分布を図bに示す。ここで指摘しておきたいのは「世界で年間に利用されている河川水の量は、(河川に貯えられている2000立方kmの淡水の)約2倍弱に相当する3500立方mに達」していることであり、(河川の平均滞留時間の約20日を勘案すると年間流量は約36500立方kmで、利用率は現在のところ約9%)であるにもかかわらず、その利用が可能なのは「地球上に蒸発と降水を繰り返す水の循環プロセスが存在するため17」ということである。
こうした水をわれわれは利用し、飲んでもいる。われわれを構成する水分もまた何万年もかかって流れているといわれる海底流とつながっているのである。

生物圏での循環

「植物や動物あるいは人間の死体や排泄物は、土の中や地表に住んでいる微生物によって分解され、土に育つ植物によって吸収されて生命の流れの大サイクルの中にはいってくるから、土の世話にならずに生存できるものはほとんどないといえる。18」
水中に棲息する魚介類も、最近「海の問題は山の問題」である、と指摘されているように、水の循環によって海に流れ込む土                   
壌養分に左右され、水中のなかでの食物連鎖につながっていくわけだから上記のことはなにも地上に限定されるわけではない。
地球上の生命が、ドミノ倒しのように次々に獲物を食べてしまうと地球上からは生命がいなくなってしまう。そうしたことにならないのは、やはり太陽の熱があって、その熱を直接生命維持に活用できる葉緑素をもった緑色生物がいるから、である。
「葉緑素をもたない他の生物はすべて、この緑色植物がつくってくれた太陽エネルギーの産物であるデンプン、油脂、センイ素などを直接食べるか、あるいは一度動物に食べさせ肉にして食べるかしなければならない。19」
「地上部のこの循環が順調に進むためには、地中での微生物の働きがなければならない。すなわち、植物の死体や動物の排泄物が土中で分解され、土壌の無機成分となって植物に吸収されることによって物質の循環が成り立つが、この地中の物質変化に要するエネルギーもまた、元をただすと太陽エネルギーの化身なのである。20」


植物相、動物相での循環

 「枝葉が地面に落ちて腐り、その中の養分が放出されて樹木に吸収される(中略)たしかに落ち葉や枯葉が完全に分解してしまうまでには長い年月がかかるのであるが、落ちて間もなく分解がはじまるから、少しずつ養分を放出しながら分解していくと考えて良い。だから、早く根に吸収されるものから大変長くかかるものまでさまざまである。再循環の土壌中での過程は複雑である。そして、それに大気からの降水や降下粉塵による養分の流入や窒素固定がおこる一方で、流出水や浸食などによる養分の流出がおこる。内部で閉じる再循環に外部循環が重なって森林の生活が営まれている。
 樹木は一方的に土壌の影響をうけているものではない。樹木が土壌をつくり、土壌が樹木をつくるという関係にある。しかもその関係のあり方は、条件によって違うと思われる。21」
小さな循環としては、植物が行う光合成に必要な窒素や希少ミネラル類のそれもある。(図e参照)窒素はガス態として大気中に大量にあるが、高等植物は直接それを利用できないので、微生物の活動の結果(かれらは大気中の窒素を体内に取り込む)による窒素固定を通じて樹体に取り込み、森
の中での再循環過程を作り上げる。
 ミネラル類(チッソ、リン酸、カリウム、ケイ酸、カルシウム、マグネシウム、イオウ、塩素など)の場合も樹木と土壌の間の循環があるが、この循環を成立させるためには土壌コロイド(岩石が風化してできた微細な粒子である粘土と、有機物が十分分解してできた腐食という微細な粒子)が発達していて土壌の陽イオン交換能が高いことが必要である。(図f参照)

土壌圏での循環

地表面または土壌粒子の表面および間隙中に生活する微生物には、細菌類・放線菌類・子嚢菌類・担子菌類・酵母菌類・藻類・原生動物などがある。先に紹介したように、植物は直接には大気中のチッソを利用できないし、動物もまた大気中から直接摂取することはできない。逆にタンパク質のようなチッソを含む有機物を分解、あるいは消化しても、最終的に空気中にそれを放出することもできない。土中の微生物はこうした物質循環の環をつなげていく役割をはたしている。「その一つは植物体や動物体あるいはその排泄物の複雑な有機化合物が土中にはいったとき、これを分解し、より簡単な化合物、あるいは酸化物にして、物質循環の中に組み入れるのである。いま一つは生合成によってより複雑な物質やあるいは有機化合物を合成することである。たとえば、ストレイプトマイシンのように合成物の構造がはっきりし、医療品として使われているものもいくつかあるが、これなどは土壌微生物の合成物質なのである。22」
  微生物類はこれまで紹介してきた「土」の表面や中に多く、たいへん肥沃な水田の土1グラムに43億個もの細菌が生育していたという報告もあるという。棲息している領域は土だけではなく、河川、湖、大気の中(地上4kmの上空で1立方m中に10−500個)、植物の葉(熱帯樹林の葉1平方cmに1000万個)、室内の空気(1立方m当り数百個)、夏における多汗性の人の脇の下(1平方cmに1万−10万個)、という具合である23。

・ 自然環境のなかで

さまざまな「循環」をめぐってきたが、こうした循環を通じて、生態系が維持されていると想定されている。
あやふやな言い方になるのは、生態系(エコシステム)とは人間にとっては、未解明の部分がおおく、すべての成員の役割と、地球環境との関係がわかっているわけではないからである。
土壌微生物の生態にもかかわり、自身も土壌の耕運運動をする昆虫類、それとかかわる動植物など複雑きわまりない。だからある種の昆虫の絶滅は地球環境の危機にも直接つながりうる危険性を秘めている。西欧的「動物愛護」倫理や、浅薄な共生思想上の利害から訴えているのではないということを、日本人の「感傷」=もののあわれの美的観念(自然認識)は、たやすく取り落としてしまう。

対象を区切って、その研究をする「科学的」態度は、対象のより深い理解を進めるという面では効果的ではある。反面、対象の区切り方次第で、その理解を規定してしまう危険性がある。 
観察する光によって研究対象が変化してしまうという素粒子の観察と同じように、エコシステムの研究も難しい。学的発展の一般的な形態は、研究対象の二次的モデルを作り出し、さらに対象の近隣対象をも説明可能な高次のモデルを作り出し------という方向であるが、おそらく隠喩的な表現では、ちょうどこの方向性と反対の方法でエコシステムの全貌が把握されるのであろうと思われる。
かつての風水思想の基盤は、こうした「事象のなか」に知識をかなぐり捨てて立ち向かえるか、ということにあるだろう。 
この文脈であえて言うなら、天文の循環を体験することによって理解できた「方位」の重要性が方位磁石という測定機の出現によって、この後の「方術=方位に対する禁忌」という堕落を生みだし、こうした「二次的モデル」が理解しやすくなった分、具体的な「自然」から極端に遠ざかってしまったのであろう。
さらに隠喩的に言えば、積分思考ではなくて、微分的な「気づき」にエコロジーの発想の本質がある。24
かつてのひとびとの神秘的な思い(それは禁忌や宗教的言説、ならわし、儀式のかたちでコード化される)はそういう超「自然」との交信、かかわりの上で「気づいていた」とも言えそうである。

生態系がその生育圏の環境に対応して、構成員の交代をしないで、長期間安定した状態を維持する場合を極相という。
少し長い引用になってしまうが、極相がどのように形成されていくかの表現を見てみよう。

極相について −「−生態学にいう<遷移理論>なるもの…サクセッションという概念を表象する一例を挙げてみよう。今、九州で火山が噴火して溶岩流が山腹を固めた場面を想定されたい。草木の種子が風で運ばれてきても、岩の上では生育すべくもない。辛うじてキゴケやハナゴケなどの地衣類、または、スナゴケなどの蘚苔類が岩の凹みに生え始める。しかし、夏場には岩肌が焼けるので枯れてしまう。このような過程が何年か繰り返されているうちに、コケの枯死体がバクテリアによって分解された有機成分や土中水分が蓄積され、夏場に耐える草が混じるようになる。が、そのような草は冬場には枯れる一年生である。腐植土がさらに肥厚してくると、タマシダやススキなど、多年生の草本が次第に繁るようになり、それまでの主役だった1年生の草本にとって代わる。やがて、クロマツやヤシャブシの幼木が成長し始め、何年か経つとヤシャブシ低木林ができて、そのなかではススキはきえてしまう。もっとも、今では、ヤシャブシ林の周辺部がススキの適地になっており、ススキの群落が林に押し出された恰好になる。ところで、ヤシャブシの低木林は、そのなかで育ったクロマツの高木林に覆われるようになり、日光が不足して枯死してしまう。クロマツ林も一代しか続かない。というのは、二代目のクロマツは日光の不足で成長が遅れ、日陰でも育つアラカシに先を越されてしまい、一代目の寿命が尽きたあとは、アラカシの林になるからである。しかも、このアラカシは、幼樹が日陰でも育つ最有力種であるため、代々再生産が続き、気象条件に激変がないかぎり、他種に取って代わられることはない。すなわち、当該地帯の日照量・降雨量・地質、等々、所与の自然的条件のもとでは、アラカシ林が「極相」をなす。(ちなみに、自然的環境が異なれば極相も別になり、例えば、北海道ではエゾマツ・トドマツ林が極相になる)25」

極相は森や林のみならず、その土壌、動植物、鳥類、昆虫類にも見られる。
先に挙げた「土壌」と「植物(樹木)」での物質循環のはたらきと同じように、極相内ではある程度閉じた物質循環が行われている。しかし自然の条件がかわったり、極相を動態的に固定していた、なにかの物質循環がかわると、当然「相」は変化する。

近代、現代以前にも地球上各地のさまざまな「相」は人間のかかわりによって変化してきた。極端にいえば、いま人が車に乗って、チッソ酸化物や二酸化炭素を排出すると、それは季節風の周期的な移動に影響を与え、それにより降水範囲を変化させ地球の一部を乾燥化させ、反対に降水によって熱帯林の物質循環に影響を与えているということは明確に因果関係があるとみなしていいだろう。
ということは、人との関係のなかで、「自然」もまた変化してきたということであり、風や水の循環の概観からいっても、無垢の自然というのはこの地球上にはありえないということになる。

・使っているものがどこからきているのか

おおまかに捉えると、産業革命以前の都市生活はその近郊で生産された運び込み可能な資材、食料の総量に応じて形成、維持されてきた、といえる。
輸送手段の高速化、大容量化に伴い、都市の規模は拡大し、おおきく変容する。そればかりかその生活様式は、消費文化として都市以外の地域をも巻き込んでしまった。
何をどういうふうに生活に利用していくのかということが、自然のメカニズムとはかけ離れた市場のメカニズムの形をまとって地球上を席巻している。このなかでは、効率的に、すばやく大量に、計画的に生産できること、すなわち自然のサイクルに左右されないことの方が望ましい。それゆえに石油由来物質が大量に使用されるし、一部の食料栽培にも効率を求めて、石油由来の燃料や、電気を使用することになる。
われわれがなにげなく使っているものは、一体どこからきているのだろうか。

熱源・電気

電力の消費−「公表された最新のエネルギー統計によると、1995年の国内の最終エネルギー消費の総量は8700億キロワット時で、そのうち家庭での消費量は2370億キロワット時と全体の27%を占めている。(中略、家庭の消費量は)わずか3年の間に16%も増加した。26」
現在の日本は、家庭内で消費するエネルギーとほぼ同量のエネルギーを自動車で消費している(1995年度エネルギー統計)。27
石油などは完全にといってよいほど輸入している。天然ガスもしかりである。オイルショック以降、石油依存体質から少しずつ原子力や天然ガス、水力発電の比率が増えているもののそれぞれ技術的側面、管理コスト面や環境負荷の面では問題をかかえたままである。
石油の埋蔵量はここ数十年前から30〜40年分といわれてきた。これは新たな油田が発見された、ということではなくて、採掘できなかった部分が新技術によって採掘可能になり可採量が見かけ上増えただけである。
「現在石油の確認埋蔵量は約40年分。しかし、究極埋蔵量はその2倍強と推定されている。だから90年(分になる)。石油は全エネルギーのうちの約4割。したがって、もし石油だけで暮らすとすれば(埋蔵量が一番多い石炭は二酸化炭素排出量もおおいので)37年分にしかならない。28」
石炭、天然ガスを含めた、いわゆる化石燃料の可採年数は約100年、しかしその量の84%を占める石炭を燃焼させると、熱効率は石油の約7割にしか達しないのに、約1.4倍の二酸化炭素を発生する。(同じ仕事量では石油の2倍のCO2発生量になる)

木材

日本は国内需要量の約75%を輸入木材にたよっている。1985年の林業動態調査によれば国内生産量は2882万立方mである(かつては約5000万立方mあった)から、およそ1億立方mの木材を産業用(木材チップ、パルプ製品など)を含めて国内で消費していることになる。
年間の成長量は約8500万立方mに達しているが、経済的な要因で輸入が増えているのが現状である。
量的にわかりやすくすると、日本国内に限っての木材収支は‘91年森林蓄積量=313800万立方m(一辺が約1465mの立方体)が年間成長8500万立方m(一辺が約440mの立方体)分増えて、そこから2882万立方m(一辺が約306mの立方体)を使い、5618万立法m分蓄積された。
ところがフローとして見れば、1500万立方mの入超なわけだから、一辺が約247mの立方体に相当する分、われわれ日本人は地球上から森を消しているのである。
もっとも、蓄積量の換算のしかたも推定だし、製材するときには丸太から分落ち分が発生するわけなので上記の試算は「森を消す」量を低く見積もっている可能性がある。
この問題は一方で日本の林業の問題へ、もう一方は輸入先のうちで、とりわけ南洋材の地域的な問題へとつながっていく。
そして先にとりあげた土壌と森林内の物質循環が教えてくれるように、森林内の極相段階の定常状態では、炭素は循環しているので、二酸化炭素の一方的な吸収体ではないこと。さらに炭素固定量が多い、若い森林を一から作り出すには150年から200年近くかかるという自然の摂理=循環サイクルの時間が重くのしかかってくる。

合板

ラワンの原木輸出禁止を10年ほど前にフィリピンとインドネシアがおこなったので、いまはマレーシアから輸入している。インドネシアは1988年にはアメリカに次いで合板生産第2位となり、日本の合板消費量の1/3を占めるようになったが、資源の減少のスピードは速い。
合板類の建築での使用は、木造住宅の床の下張りや屋根下地、あるいは2×4工法の構造壁に使われるほか、最終的には残らないが鉄筋コンクリート系などにも型枠材として大量に使われている。
私見だが、合板は接着面での通気を阻害しているため、床下や、壁、屋根面での通気障害を引き起こし、ひいてはその他の木部の腐れや白蟻被害を誘発して木質系住宅の寿命を著しく短命にしている可能性がある。
合板を使用することによって工期短縮、建設労働の軽減、コスト削減の各効果があるが、廃棄処理までを含めたライフサイクルコスト(LCC)を厳しく見直すと、接着剤類の環境影響度の評価、廃棄物としての処理、管理コストなどの観点に加えて、上記の短命を引き起こす合板使用は結局高い買い物をしているということになるだろう。

内燃機関の力によって、広大な範囲の木を切り倒すこと、運び出すこと、海上輸送することが簡単に行えるようになったから、たやすく外材を住宅にも使えるようになった。国内の木の蓄積量が漸増しているにもかかわらずにである。これが市場原理ではあるだろうが、本来割ってはいけないもの、あるいは掛けてはいけないものを行ってしまっているのではないだろうか?

・いったい何を消費しているのか

シム・ヴァンダーリンの「トマト」

 カルフォルニア・バークレー校の教授であり、建築家でもあるシム・ヴァンダーリンは著書「エコロジカル・デザイン」で、エコロジカル収支の例として北アメリカのトマトについての研究を挙げている。
「このトマトは、エヒドス、つまりメキシコ農民が伝統的に耕してきた共同体に属する農地で育てられた。(中略)この土地には現存する中でもっともオゾンを枯渇させる薬品のひとつである、臭化メチルが散布され、それから毒性のある農薬で満たされた。
トマトはプラスチックのトレイに置かれ、プラスチックのラップで覆われ、ボール紙の箱に入れられた。プラスチックはテキサス州ポイントコンフォートの塩素を使用して製造された。ポイントコンフォートの住民は塩素製造の副産物、毒性の強いダイオキシンにされされて健康をひどく害された。ボール紙はブリティッシュコロンビア州の樹齢300年の古い森林の一部として始まり、五大湖周辺で製紙され、ユナイテッド・トラッキング・カンパニーによってラテンアメリカの農場に輸送された。全プロセスはメキシコのキャンペッシュ湾でシェヴロン石油によって採油され、メキシコ国営石油会社であるぺメックスによって精製された石油が燃料になった。
箱詰めされたトマトそのものも、エーテルで人工的に熟されたものだった。味気なく栄養に乏しいトマトは、冷蔵車によって大陸中に送り出された。トラックと配送センターはオゾンを破壊するフロンガスによる冷房装置に依存している。そしてようやく、疲れきった水っぽいトマトはあなたのお皿のサラダとなって登場した。29」
これがハウス栽培のものであれば、さらにハウス維持、温度管理の燃料が生態系の循環サイクル外から投入されることとなる。こうした結果、いわゆるバイオマス=光合成活動によって植物体に貯えられる大気中の炭素とそれを動植物が使用する循環のサイクルが狂ってしまう。
人間がバイオマスをその成長量に見合う範囲で燃料として使用し、食べるという循環の環のなかで生活していた時代は、人間の吐く二酸化炭素の量はすべて太陽エネルギーの蓄積としての農産物、動物に貯えられたエネルギーだったのであるから循環の環のなかで差し引きゼロであった。
ところが現代は、生態系からみると掟破りのエネルギー源である石油(本来いまの地球環境を構成する何億年かの過程のなかで、大気中の炭素濃度を低減して大気温度変動巾を調節した、とも捉えることができる物質であり、海水に溶け込んでいる二酸化炭素と同様に大気中に再放出するべきものではなかったのである)を人間が使っていることによって、われわれはトマト(太陽)ではなくて石油を食べているのである。それも地球をすこしずつ温暖化させ、有害物質(環境ホルモン)という毒ガスで充填しながら。

エコロジー運動の流れ

・ エコの語源から

エコロジー30の語源がOekonomie(経済学=家政学)と同根のOekos(=一家)にあるという面でも裏書されるように、生きていくための資源の利用とその保護とは一方の面では経済的活動であると同時に極めて道徳的、倫理的な活動でもある。
稀少資源の分配のシステムという面では近代経済学へ、その倫理的な展開としてはルターやカルヴァンに遡るプロテスタンティズムへ、さらには自然に託された神の意志を理解するために神学から展開してきた近代科学へ(ニュートンは神学者でもある)といろいろな流れがさらに派生している。
道徳的、倫理的反応での直接的な担い手はイギリス・ヨーロッパ北部、アメリカのプロテスタントであり、その素地の上で政治的な展開として「グリーンピース」を代表とする活動がある。
イギリスの現代史家アンナ・ブラムウェルはその著書「エコロジー」(河出書房新社)においてエコロジーの定義の項で次ぎのように概観している。
「エコロジズムに明確な特徴は19世紀後半に生じ、二つの全く異なる要因から成立した。一つは、生物学の反機械論的で全体論的なアプローチであり、ドイツの動物学者エルンスト・ヘッケルに由来する。もう一つは、エネルギー経済学と呼ばれる経済学への新たなアプローチであった。これは、希少で再生できない資源の問題に焦点をあてている。これら二つの要因は、1970年代に結びついた。(後略)。」
「エコロジー理論が最も優勢であった国は、イギリス、ドイツ、北アメリカである。(中略)この三国とも教育をうけた多くの中流階級がおり、非常に自由主義的なプロテスタント文化をもっていた。(中略)ドイツでは、ドイツ人たることに不満と不確実性が存在した。国家の政治的、領土的境界の変化によって、より「本物で」大地に根ざしたアイデンティティが模索されたのである。反機械論的価値を探索することから、大規模な社会制度や、大きさを目的そのものとすることへの反対が意味を持つことになったのである。ドイツ・エコロジズムはドイツ国家社会主義よりずっと先行していた。ドイツのエコロジズムは、包括的な文化現象の一部を形成しており、部分的に方向転換して第三帝国の底流的テーマになったのである。そして第二次世界大戦後、これはより明確な左翼グループに再浮上した。イギリスでは、ドイツ国家のアイデンティティの不安定さに厳密な意味で類似していたわけではないが、イギリスの政治的エコロジストも文明批判だけでなくの遺産の喪失感覚があったことを実際に明らかにしている。エコロジズムが固有な展開を示した北アメリカの急進的な伝統は、その楽観主義という点で他の二国とは異なる。希少資源枯渇後にどのようにして豊かさを維持するかという理論と自由主義的なアナーキーの傾向が、アメリカのコミューン運動の特徴である。」
さらにそれらの傾向として、「他者の生産に対する利益団体の権利を調整し正当化する既存の機構すべてに対する否定がある。それは政治的関与を回避するオルタナティヴな姿勢であるが、人間より大きな単位、すなわち世界に対して仕えるよう位置づけられている。」
それゆえに回路を一つ間違えば、第三帝国にもポル・ポト派の指導理念にもそしてタオイズムにもいきついてしまう。
彼女の理論的な範疇において、エコロジズムの中核をなすものは西欧文化の伝統であり、その中での人間中心主義ではないプロテスタンティズムの遺産である。
しかし「地球環境」は西欧からの見かけ上の議論に終わることはない。たしかにそこに起源があるとしてもである。われわれが取り組むべきなのは、こうした近代をどのように採り入れ、なにを残し、なにを無視したのか、西欧近代の成果をどのように「換骨奪胎」したのかということについて地球環境を見据えるなかで検討することであろう。
思えば「エネルギーと資源」をめぐる西欧との拮抗情勢のなかで「大東亜共栄圏」の発想があったわけだし、同盟国ドイツのワンダーフォーゲル運動を起源とするさまざまな青年運動もこの国の風景に溶け込んでいる。そうした部分では国粋的な「自然」もまた存在しない。(ちなみに風水に関する知識は、日韓併合時の朝鮮総督府においてまとめられている)
伝統に回帰するのではなく、伝統から出発した展開を可能にするためにOekos(=一家の上手なやりくり)が今後どういうふうにありうるのか、という面で住宅の計画を「商品としての住宅」から明確に区別される方法で進めていくことが大事であろう。しかし、しんどいことにその作業は文化的な衣装をまとった政治的立場、宗教的理念と強く接続されているのである。

かかわりとつながりを発見していくために

トイレの排水
水洗トイレでは排水レバーを操作すると汚物は便器の奥に流れていって視界から消えていってしまう。とすると下流での浄水場や、そこでの最終的な汚泥のことまでの想像をすることはきわめて難しくなる。
こうした近代的な便利さによって、認識=それも身体的なもの、が「切断」されてしまい、ほんらい「つながっていた」ものについての想像力を大変努力して、うまく養っていかねばならない不便さの中にまさに今日の日常がある。
浅野弘光の「厠考」(教育出版文化協会)はサブタイトルで「基礎文化の崩壊」と謳っているように、かつて(といってもここ30年前くらい前まで)の厠をめぐる生活周辺の民俗学的な聞き込み調査をもとに、日本の文化を熟成させてきた厠文化を考察している。
「基層文化の一つを形成してきた糞尿に関わる伝承を厠文化と呼ぶならば、綺麗で美しく清潔な水洗便所が登場して以来、人々はあっさりと人糞への執着を忘れ<人糞熟成の方法><尻拭きの技術>などの厠文化を捨て去った。そして高級な水洗便所は、食物連鎖の系統から外れ、表層文化の仲間となり、長い間、農業生産をはじめとして、各方面で日本人を支えてきた厠文化を崩壊させつつある。この事実は、糞尿利用の農業の崩壊を指すだけでなく、人間として大切にしなくてはならない基層の文化を失っていく過程を示唆しているように思えてならない。」
かつて生きてきたひとびとの知恵からも、われわれの日常は「切断」されている。

・ 産業廃棄物、ごみ

 日本人はなにかの汚れを「ミソギ」という神事前の儀式のように「水に流す」という観念をもっている。こうしたいささかウエットな自然にたいする甘え、もしくは「日本の四季の変化」に対する感傷的な思い入れは、日本の文化的政治的、社会的なことどもの基礎になっているが、「環境問題」は水に流すことはできない。ながすさきがないからである。
 後に触れるように、それらの多くはエコシステムから隔離された扱いで、いわば循環の環から宙吊り状態にされているのが現状で、言いなおせばエコシステムとは「切断」されている。

 こうした「切断」をつなげていくことに自然エネルギー利用の運動の契機があろう。

・ 自然エネルギー事業協同組合レクスタ
参考例でとりあげる於保邸の計画段階で
知り合った人々、桜井さんや角田さん、バイオガスキャラバンの桑原さん、広島で自宅を環境共生住宅として自分で建てている石岡さんなど、自然エネルギーの普及を事業協同組合レクスタという組織で展開している。‘96年6月には「小川町自然エネルギー学校」に招かれ於保邸のスライドを紹介した。
 太陽光発電、太陽熱温水器、バイオガス、風力・水力発電などの自然エネルギーのことについて多くのことを教わった。(巻末にウェブサイト掲載31)

・ エコロジカルハウジングネットワーク

自然エネルギー事業協同組合レクスタに
参加されているアポロンシステムの角田さんに紹介されて、この研究会に参加している。
主宰役のアースキッズの小澤さんは10年近く前から「エコハウス研究会」を開いて勉強会を続けていたそうだ。最近の情勢の変化や、われわれ建築家の反応の変化などに対して「隔世の感」があるようで、草創期の苦労がしのばれる。
ネットワークメンバーには「健康な住まいを手に入れる本」(コモンズ)の共同執筆者である建築家の相根昭典さんもいる。(断熱材の選択に困っていた折、相根さんに相談したところ「施主に根野菜を食べるように言いなさい」と、本気とも冗談ともつかぬアドヴァイスをされた。こちらも文末にウェブサイト掲載32)

 エコロジカルデザインとはシム・ヴァンダーリンによれば『第一の役割は、私たちをトラブルに巻き込んでいる慣習に代わる方法を見つけることである。
 つまり農業、住居、エネルギーの利用、都市デザイン、輸送機関、経済学、共同体の型、資源の利用、林業、原生地域の重要性そして私たちの中心となる価値観を再考することが不可欠なのである』→重要な方法論として、ごく小さいスケールから大きなスケールまでつなげること、を挙げている。(地表の微生物から宇宙まで)

つまるところライフスタイルの変更を伴う新しい生活のイメージ作りが重要になってくるが、それは技術的な答え(技術的なブレイクスルー)や市場経済的な解決方法では解決できないことに行き着くこととなる。(技術的なブレイクスルーによって現在よりはるかにクールなエネルギーを利用できるようになると想定されるが、社会をエコ・システムに開くという面では、それはきっかけでしかありえないと思われる。
 
 エコハウス(=自然住宅、自然とのつながりを発見する住宅、環境共生住宅)とは、感覚的なイメージでいうと、禅宗の枯山水庭園のように「常に完成をめざしての模索の状態をあらわす」ような空間性の状態を作り出すことにあると思える。(裏返していえば、不完全さをたのしむ=完成品としての住宅商品を買って消費するのではなく、未完成なところをてまひまかけて、住み手主体で作り上げていくことにある)
 なにかが「ある」ことによってではなく、おおきな「不在」によって気づかされる「全体」の感覚。ひとつのことを示すことによって、その他のことが大きく揺らぐようなけはい。33

毛管浸潤トレンチやコンポストトイレ、太陽熱温水器、太陽光発電といった素材が「ある」ことによって「環境にも限界がある」というショックに対応するのではなく、21世紀を切り拓こうとする模索によって、われわれの価値観を剥き出しにし、価値や意味を「あじわい」や「おもむき」につなげていくようなはたらきを手伝うような建築、そういう空間性を目指したい。

石油由来のエネルギー源や、原子力発電にたよりきった現代文明よりも山村の伝統的な民家での生活の方がよりサスティナブルで天災や社会的動乱に対しては安全であるように思える。

いうなれば「エコロジカルなアプローチ」は「すむこと」を裸にするおもしろい試みなのである。

その目標は、起源にさかのぼること、原初に立ちかえることによって個人がひととしての「生きるちから」を発揮できるようにしておくこと、それによって社会的なつながりを再構築していくこと、そしてなにより「自然」との交信能力を、人間という生命体として取り戻していくことなのである。


1 トルストイは毎朝、執筆に入るまえに書斎のソファーを拭いていた。しかし毎日のことなので今日ソファーを拭いたかどうか分らなくなってしまう。そうしたことから彼は、日常化しているものに埋没してしまっている人生はなかったも同然だ。ソファーを拭くということに抵抗するもの、日常を新しくするもののなかに生がある」と記していたといわれている。
2 風水思想と東アジア P190
渡邉欣雄
人文書院
3 古代ギリシアとローマの都市
J・B・ワード=パーキンズ(北原理雄訳)
井上書院
4 道教は、不老不死で人間の願望を具象化した理想的存在である神仙を信仰し、修行を行う宗教であり、民間に普及して民衆道教が成立した。日本には、仏教伝来と前後して、4、5世紀に民衆道教が伝来し、神仙思想とともに道教の呪禁(じゅごん)が広まった。
(日本宗教辞典 村上重良 講談社学術文庫 837)
5 陰陽道は、中世以降、武士、農民、商工民の間に普及したが、天文、暦数の領域は形骸化して、呪術が主力になり、陰陽師の両家は秘伝を受けつぐ家元的存在となった。陰陽師は、やがて民間の呪術者の系列に流れ込み、民間の陰陽師は、農村、都市をめぐり、やがて唱門師や芸能を中心とする万歳、鳥追いなどの集団を形づくった。こんにちもなお盛んな日柄、方角、家相、相性、年まわり、干支等々の俗信は、封建社会で陰陽道が日本古来の多様な呪術と結びつき、複雑な禁忌をつくりだして定着したものである。(前掲書)
6 (5前掲書 同)

7 学生のときに町並み調査に入った大山街道(川崎市溝の口)で、奇妙な体験をした。
 それは街道筋のおおくの家に稲荷社を奉ってあり、それぞれが親子、兄弟姉妹、親戚、縁戚関係にあったのである。調査聞き取りに伺った家の人々がうれしそうに教えてくれたのを思い出す。おきつね様の都市に迷い込んだかような錯覚を覚えた。
8 (5前掲書 同)
9 (5前掲書 同)
10 コリオリの力による
11 風土の構造 p22
 鈴木秀夫
 講談社学術文庫
12 (11前掲書 同)
13 風土の日本
オギュスタン・ベルク
篠田勝英訳
ちくま学芸文庫
14 地球環境問題に挑戦する p30
黒田千秋・宝田恭之共編
培風館
15 核分裂性物質による核分裂連鎖反応
16 (14前掲書 同 p30)
17 (14前掲書 同 p32)
18 土壌の基礎知識
前田正男、松尾嘉郎 共著
農文協
19 (18前掲書 同 p20)
20 (18前掲書 同 p21)
21 森林の生活 p12
堤 利夫
中公新書
22 (18前掲書 同 p30)
23 発酵 p25〜29
小泉武夫
中公新書
24 微分・積分的認知ともいい、中井久夫によって導入された精神病理学的概念。
 微分回路→広く分裂病親和者にみられる先取り的構え。
 積分回路→メランコリー親和者の論理(=執着気質的職業倫理として顕現する)
→微分回路
「もっとも遠くもっとも微かな兆候をもっとも強烈に感じ・・・・変化の傾向を予想的に把握し・・・・微候から全体を推定」する兆候空間優位の傾向をいう。こうした認知機制は「入力の時間的変動部分のみを検出し・・・t=0における完全微分をもとめようとする」→変化に敏感に反応する反面ノイズに弱く、相手の初動に振り回されて過去のメモリーが生かせない欠点を持つ。
→積分回路
「過去全体の集積であり、つねに入力に出力が追い付けず、傾向の把握に向かないが、ノイズの吸収力が抜群」なのが積分回路。過去の記憶から離れられず、反復強迫的にかつてのパラダイムにしがみつく「自由度の少ない、心理的に拘束された実践者」となる。→農耕社会の気質

25 廣松 渉 生態史観と唯物史観
 講談社学術文庫 977
26 エコロジー・テスト
高月 紘 編著
講談社ブルーバックス
27 (25前掲書 同 p29)
28 地球環境問題に挑戦する p109
化学工学会
培風館 
29 エコロジカルデザイン ビオシティ
30 エコロジーという造語は1866年エルンスト・ヘッケルが「一般形態学」で行った。
31 自然エネルギー事業協同組合レクスタ
 http://www.rexta.or.jp
32 エコハウジングネットワーク
http://plaza24.mbn.or.jp/~earthkids/echo.html
33 「建築家」とはarch(アーチ)を架けるtech(技術者)で、一面は美学に、もう一面は技術に両足を突っ込んでいる存在で、技術科学的世界にとっては「こうもり」的存在である。そうした理由で、技術的解決(技術的ブレイクスルー)には多分に懐疑的な態度をとる傾向にあって、人々の本来的な結びつきの方から発想を深めていく、という頑なな態度を選択することになる。(禅宗の庭をたとえに挙げたのは、建築家の立場もそれにこだわる限りにおいて「とらわれている」ということへの戒めの含意もある)
 人々の結びつき、関係、離散状態、動き、の抜け殻(物象化)のあらわれとして「都市」に着目するという方法もあり、そこでは精神現象のひとつとしての都市が分析の対象となる。(この延長線上に、身体の延長としての環境=景観論へという道筋もある。隣接して和辻哲郎の「風土」<→文庫本が出ている>や、これに反応して研究された地理学者のオギュスタン・ベルクの「風土としての地球」=筑摩書房、がある。