Yさんと初めて会ったのは彼女が中3になった春のことでした。
中学一年生までのYさんは、明朗活発で成績も良く、両親にとっては自慢の娘でした。しかし、中2になった頃から行動面が荒み始め、携帯で始終友達と連絡を取り合っては夜遊びするようになり、昼夜逆転の生活の結果,学校にも行けなくなってしまいました。
父親は都内でブティックを経営しており、少し長髪で、上背もありどことなく俳優を思わせる雰囲気を持った人でした。母親は小柄で痩せておりきれいな人ですが、どことなくおどおどしていて落ち着きがありませんでした。彼女は専業主婦でほとんど家にいました。Yさんの下には、中学受験を控えている小五の弟がいて、家族は4人でした。閑静な住宅街の一画に新築されたばかりの家には外車が三台あり、経済的には恵まれた環境にあるようでしたが、その広い居住空間には何か寒々とした空気が漂っていました。
そもそも彼女が不登校になった原因は父親の度重なる浮気にありました。幼い頃から目に入れても痛くないほど可愛がってくれていた父親です。浮気を許せなかったのはもちろんのことですが、それ以上にYさんが許せなかったのは、その事実を父親と母親が二人してひた隠しに隠そうとしていたことにありました。中一といえば多感な年頃です。感受性が強く勘の鋭い彼女は、その怒りのはけ口を直接父親(腕力があるので)に向けないで弱い母親にぶつけていきました。いわゆる「家庭内暴力」です。母親が私と面談しているときに始終おどおどして落ち着きがなかったのは、嘘をつき続けている負い目とそれが原因で娘から毎日のように暴力をふるわれていたことにあったのです。その暴力についても母親は夫にひた隠しに隠し続けていました。
父親は、月の半分は海外出張で家をあけるのですが、もともと交友関係が多彩な人で、家にいるときには休日ともなれば友人、知人を家に招き、そのたびに新築した家や家族の自慢をしていたそうです。そんな父親にYさんは強い嫌悪感を抱き続けていたといいます。
弟さんをのぞいた家族三人へのカウンセリングはまる一年続きました。忙しくてなかなか時間のとれない父親へのカウンセリングは夜の10時から明け方にまで及ぶこともたびたびでした。父親へのカウンセリングは内容に応じて母親に同席してもらうこともありましたし、2か月に一度はYさんにも同席してもらいました。
Yさんは、中一の頃から既に20人を超す異性との肉体関係を経験しており、ドラッグに手を出したこともありますし、また無免許でバイクを乗り回して警察に補導されたこともありました。そんなYさんでしたからカウンセリングも一筋縄でいくはずもなく、、とっくみあいのけんかになって私の肋骨にひびが入ったこともありました。また、夜中に母親と大喧嘩をしてガラスのドアを蹴散らして大けがをしたYさんが電話で私に助けを求めてきたこともありました。母親と病院に行くのはいやだから私に連れて行ってくれというのです。真夜中、私は母親と一緒に、足のいたるところに破片が突き刺さったままの血だらけのYさんを救急病院へ連れて行きました。Yさんが在籍していた公立の中学校の担任の先生や教頭先生と話をしたこともありました。
やがて半年ほどたった頃から時々Yさんがまっすぐに私の目を見て話してくれるようになりました。父親も母親もその頃になるとようやく、世間体を捨て去って娘の前に自分達夫婦の有り様をさらけ出して謝まらなければならないことを悟るようになっていました。考えを切りかえることは難しいことだけれど、そうなろうとご両親は努力を始めてくれました。
それからここにもう一人、忘れてはならない大切な人物がいます。元暴走族だったのですが、足を洗って専門学校に行きながらバイトをしていたYさんのボーイフレンドの存在です。茶髪にピアス、服装なども普通でなく、一見不良のように見えますが、心根の優しい気持ちのしっかりした若者でした。彼の力添いがなければ、煙草をやめること、最低限の勉強をすること、高校に行くこと、この三点を彼女に守らせることはできなかったでしょう。高校受験を決めたとき、良い機会だからと、彼のことを父親に紹介したのですが、父親は彼を一度だけ思いっきり拳でなぐり、そしてその後、二人の交際を認めてくれました。
現在、Yさんは都内の女子校に通っています。濃い化粧をしたり、茶髪に染めたり・・・今までしたい放題させてもらったからもう未練はない、お金も時間もかかるから馬鹿らしくなってきたといいます。今は、そんなお金があれば彼との連絡に使う携帯電話の料金に回すのだそうです。もちろん、両親のことも「てめえ」ではなく、「お父さん」「お母さん」ときちんと呼べるようになっています。 |