■ ご相談の例そのT
  ■ ご相談の例そのU
 ご相談の例そのT
 Yさんと初めて会ったのは彼女が中3になった春のことでした。
 中学一年生までのYさんは、明朗活発で成績も良く、両親にとっては自慢の娘でした。しかし、中2になった頃から行動面が荒み始め、携帯で始終友達と連絡を取り合っては夜遊びするようになり、昼夜逆転の生活の結果,学校にも行けなくなってしまいました。
 父親は都内でブティックを経営しており、少し長髪で、上背もありどことなく俳優を思わせる雰囲気を持った人でした。母親は小柄で痩せておりきれいな人ですが、どことなくおどおどしていて落ち着きがありませんでした。彼女は専業主婦でほとんど家にいました。Yさんの下には、中学受験を控えている小五の弟がいて、家族は4人でした。閑静な住宅街の一画に新築されたばかりの家には外車が三台あり、経済的には恵まれた環境にあるようでしたが、その広い居住空間には何か寒々とした空気が漂っていました。 
 そもそも彼女が不登校になった原因は父親の度重なる浮気にありました。幼い頃から目に入れても痛くないほど可愛がってくれていた父親です。浮気を許せなかったのはもちろんのことですが、それ以上にYさんが許せなかったのは、その事実を父親と母親が二人してひた隠しに隠そうとしていたことにありました。中一といえば多感な年頃です。感受性が強く勘の鋭い彼女は、その怒りのはけ口を直接父親(腕力があるので)に向けないで弱い母親にぶつけていきました。いわゆる「家庭内暴力」です。母親が私と面談しているときに始終おどおどして落ち着きがなかったのは、嘘をつき続けている負い目とそれが原因で娘から毎日のように暴力をふるわれていたことにあったのです。その暴力についても母親は夫にひた隠しに隠し続けていました。
 父親は、月の半分は海外出張で家をあけるのですが、もともと交友関係が多彩な人で、家にいるときには休日ともなれば友人、知人を家に招き、そのたびに新築した家や家族の自慢をしていたそうです。そんな父親にYさんは強い嫌悪感を抱き続けていたといいます。 
 弟さんをのぞいた家族三人へのカウンセリングはまる一年続きました。忙しくてなかなか時間のとれない父親へのカウンセリングは夜の10時から明け方にまで及ぶこともたびたびでした。父親へのカウンセリングは内容に応じて母親に同席してもらうこともありましたし、2か月に一度はYさんにも同席してもらいました。
 Yさんは、中一の頃から既に20人を超す異性との肉体関係を経験しており、ドラッグに手を出したこともありますし、また無免許でバイクを乗り回して警察に補導されたこともありました。そんなYさんでしたからカウンセリングも一筋縄でいくはずもなく、、とっくみあいのけんかになって私の肋骨にひびが入ったこともありました。また、夜中に母親と大喧嘩をしてガラスのドアを蹴散らして大けがをしたYさんが電話で私に助けを求めてきたこともありました。母親と病院に行くのはいやだから私に連れて行ってくれというのです。真夜中、私は母親と一緒に、足のいたるところに破片が突き刺さったままの血だらけのYさんを救急病院へ連れて行きました。Yさんが在籍していた公立の中学校の担任の先生や教頭先生と話をしたこともありました。
 やがて半年ほどたった頃から時々Yさんがまっすぐに私の目を見て話してくれるようになりました。父親も母親もその頃になるとようやく、世間体を捨て去って娘の前に自分達夫婦の有り様をさらけ出して謝まらなければならないことを悟るようになっていました。考えを切りかえることは難しいことだけれど、そうなろうとご両親は努力を始めてくれました。
 それからここにもう一人、忘れてはならない大切な人物がいます。元暴走族だったのですが、足を洗って専門学校に行きながらバイトをしていたYさんのボーイフレンドの存在です。茶髪にピアス、服装なども普通でなく、一見不良のように見えますが、心根の優しい気持ちのしっかりした若者でした。彼の力添いがなければ、煙草をやめること、最低限の勉強をすること、高校に行くこと、この三点を彼女に守らせることはできなかったでしょう。高校受験を決めたとき、良い機会だからと、彼のことを父親に紹介したのですが、父親は彼を一度だけ思いっきり拳でなぐり、そしてその後、二人の交際を認めてくれました。
 現在、Yさんは都内の女子校に通っています。濃い化粧をしたり、茶髪に染めたり・・・今までしたい放題させてもらったからもう未練はない、お金も時間もかかるから馬鹿らしくなってきたといいます。今は、そんなお金があれば彼との連絡に使う携帯電話の料金に回すのだそうです。もちろん、両親のことも「てめえ」ではなく、「お父さん」「お母さん」ときちんと呼べるようになっています。
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 ご相談の例そのU
 Wさんは静岡にお住まいの小学生です。遠方であることやその他の事情のため、当初は電話のカウンセリングだけだったのですが、3ヶ月を過ぎた頃から月に一度の割合で宿泊に来られるようになりました。はじめの半年間は母親も同行されていましたが、6年生になってからはWさんが一人で新幹線に乗って来られるようになりました。  Wさんの母親から問い合わせを受けたのは2年前の5月でした。小学校の一年生から不登校が始まり、まる4年になるということでした。両親との確執があるわけでもなく、家庭内暴力があるわけでもなく、一人で外に出られないことを除けば何の問題もないというのです。Wさんの父親は地方の銀行に勤めるサラリーマンで、物静かで言葉数も少なく、仲が悪いわけではないが家庭ではあまり話をしない人だということでした。父親も一人っ子で、家には70歳と67歳になる父親の両親も同居していました。つまり一人っ子のWさんは、生まれたときから大人4人に囲まれて育ったわけです。Wさんの両親は結婚して10年間子宝に恵まれず、諦めかけた頃にやっとWさんが授かったということでした。母親が早い時期に妊娠中毒症にかかってしまったために2000グラムの小さい赤ちゃんだったそうです。無菌状態の保育器で育てられ、退院してからもはらはらどきどきの毎日が続いたそうで、今でもその頃の緊張感から母親自身が抜け出せていないような感がありました。よく熱を出す子で、夜中に病院に駆けつけたこともしょっ中だったそうです。歩けるようになってからも、公園などに連れて行っても、手から口へとばい菌が入ることを恐れるあまり、ブランコや滑り台はおろか、砂遊びや草むらでの虫探しなどもあまりさせなかったといいます。外から帰るとうがいと手を洗うこと、着ていた衣服まで着替えさせたといいます。
 問題は、Wさんのそうした生い立ちに拍車をかけた、母親の過度の潔癖症にありました。もともとが何もかもが自分に関わる物事が完璧でなければ気のすまない神経症的なところがあり、母親自身はじゅうぶんそのことを自覚しているのですが、厄介なのはそのことが回りの者たちに良いことだと彼女自身が思いこんでしまっていることでした。
 幼稚園に入ると、遊びを知らないWさんはなかなかお友達ができずいつもひとりぽっちでした。幼稚園でのWさんの「評価」が高かったのは、決まり事をきちんと守ったり、決して忘れ物をしないことなど母親の厳しい「監視」があってこそのことでした。小学校に上がってからも母親の「監視」は続きました。褒められた経験しか持たないWさんは、学校で何があったのか明かさないまま、ある日ぱったりと学校に行かなくなりました。先生に何か言われたのか、クラスの誰かから嫌がらせをされたのか、母親は何度も学校に電話を入れたり足を運んだりしましたが、原因は突き止められなかったそうです。Wさんにとっては、誠に遅まきながらの生まれて初めての母親への反抗でした。
初めてWさんに会ったとき、彼女はフリルがいっぱいついた可愛いブルーのワンピースを着ていました。小柄で痩せていて色がぬけるように白く、なにかお人形のような印象を受けたのですが、笑ったり驚いたり困ったりという表情の動きがないのがとても痛々しく、すべてを「管理」されて育った彼女の家庭の陰鬱な息苦しさを伺わさせました。
一度静岡まで出かけてご家族にお会いしたことがあるのですが、父親の寡黙さには何かを諦めてしまったような暗さを感じましたし、祖父母もやはり物静かな方達でした。何かにつけて万事そつなく家のことを取り仕切る嫁に対して頼り切っているようなところがあり、満足をしているというよりむしろ任せきって干渉しないといったふうでした。私はその日はこころゆくまで父親と話をするつもりで出かけたのですが、残念ながら父親の心根を探ろう探ろうとするのですが、そのたびに父親は口ごもり、話は途切れがちになってついには断念せざるをえませんでした。人と争うことを嫌うあまり、妻とも自然に口をきくことが少なくなっていったのかもしれません。
 それ以来、私は母親とのカウンセリングに重点を置くようになりました。気の強い者同士ですから喧嘩や言い合いになることも多々あり、一度など、「退会いたしますので、もうお電話はいたしません」と言ったきりピシャリと電話を切られたこともありました。それでも2年近く続いてきたのは、母親のこころの中に娘を何とかしたいという強い思いがあり、その一点で私と強く結びついていたからだと思えます。
 Wさんは、ここに一人きりで宿泊するようになってから少しずつ変わってきました。なによりもまずしなければならないことは、母親の「監視」からWさんを解き放ち、2日でも3日でもいいからこころの自由を取り戻させてあげることでした。勉強が一段落すると、一緒にスーパーに買い物に行き、その材料で食事の用意をし、ケーキを作ったり、ピアノを弾いてきかせたり、絵を描いたり、庭掃除をしたり、おむすびやサンドイッチを作ってドライブに出かけたり、ボーリングに連れ出したり・・・眠っている彼女の感性を引き出せないものかと模索しました。
 今年、Wさんは自分の意志で公立の中学校に進学することを決め、学力の遅れを取り戻そうと勉強に励んでいます。


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