だれかの基本方針

1.とにかく軽く、ひたすら軽く
なぜ画像(イメージ)や枠(フレーム)を使わないのか
個人的なことですが、使っている閲覧装置の関係で、 画像や動画があると、それらの取り込みが終わるまで 操作が出来ないのです。まあ、画像表示を解除すれば 済むことではありますけど、元から画像がなければ 手間が省けて なお宜しいわけで、計画当初から 「門」以外に画像は設けない方針で建てております。 (しかし「門」の存在を知っている人って、いるのかな?)
文字中心の方針を表明しているところは、他にもある。 Fuyukiさん、 大川総合研究所さん、 Fe2+ さん。 でも、これらは「だれかのつくった電子家」と違って、面白いぞ。

2.情報だけを載せる
なぜ個人的意見の陳述を控えるのか
世の中には、作成者の意見や思想を述べた電子家(サイト)も多くあります。
しかし、だれかは自分の愚かな意見でなく、読む人に役立つ 情報をこそ、広く知らせる価値があると考えたのです。
もちろん、意見の表明や思想の表現は、価値があることです。 そのための道具として、電網(ウェブ)が意義を持ち、 有効に活用しうるとも思います。 現にこの文も、自分の意見の表明以外の何者でもありません。 そもそも、他人の考えたことを聴くのは、 嬉しいこと、重要なことです。 また、自分の考えたことを伝え、 他の誰かに受け取ってもらうのも、 大変嬉しく、ありがたいことです。
それでも、「情報の紹介」と「意見の表明」と、両方を兼ねた 電子家を建てることは断念しました。 「意見の合わない人」が、紹介した情報を用いて くれなくなることを怖れたからです。 「意見」と「情報」と、どちらを伝えたいか考えて、 「情報」の方を採ったというわけです。
まあ、電網上の個人情報の公開は危険だという話がある というのも、理由の一つではありますがね。
でも、こういう方針を採っている現時点でも、 けっこう意見や感想、個人情報めいた内容は 多くなっていそうに思います。 これで積極的に何か言い始めたら、 止まらなくなって何でもべらべら喋ってしまいかねなくて、危険です。
ちなみにこの電子家の内容は、ほとんど知人に電子通信(メール) で送った内容の転載。
電子家開設の頃までは、 情報紹介系の通信内容が多かったので良かったのだが、 最近、自分の考えたことを 電子通信で他人に送りつけることが多くなってしまった。
すると、電子家に転載できる内容が少なくなってしまい、 改装が滞る原因になるわけだ。
意見の表明の方も載せた方がよいかな、という気もするなあ。

3.日本語にこだわる
なぜ「電子家」という名なのか
「日本語にこだわる」というのは、 「書く文章が日本語として正しいか、美しいか」に こだわっているという意味ではなく、 「意味の解らない片仮名文字を使わない」ということです。 サトウサンペイ『パソコンの「ぱ」の字から』(朝日新聞社、1998年) の執筆方針に賛同してのことです。
ウェブサイトでなく「電子家」、リンクでなく「接続」等という 妙な言葉を使うのには、そういう理由があったんですね。
でも「意味の解らない片仮名」に代わって 「意味の解らない漢字」が増えただけ、という気もするなあ。


この階の入口に戻る