*31番札所から土佐の国・<修行の道場>の続きを歩きます。

3月31日(第16日)

 昨晩は本当に懐かしい人物にお会いした。彼は、15年前からのパソコンおたくだったらしく、業務用のソフトを自分で作成して活用していた人でしたからとても話がはずみました。

 今日は、昨日のJR土佐一宮駅に戻り歩き始めました。三十一番札所まで約5kmのんびりと歩きました。市街地からはずれちょっとした山道に入り登って行くと、そこには牧野富太郎記念館の敷地内に入り記念館で休みました。牧野博士は植物図鑑でとても有名で、特に草花の日本名をつけた初めての人です。記念館は集成材とスチールパイプでの独特なものでしたが、中庭も静かで落着きました。ピッコロ石を敷詰めてその上に薄く水を張りちょっとした田んぼを意識したものでしたが、緊張感もあり、風でそよぐ水に光が反射して天井にあたります。この現代建築も100年以上維持されるとおへんろの旅ももっと違った形になるだろうなと期待しました。札所の間を歩くのはいいのですが、周辺の町や村が変化しているのだからそれにあわせて、もっと変化させても良いと思いました。

        

        


 記念館の正面に三十一番札所があり、おまいりをすませ、また歩きます。山を下り、川沿いの県道を歩き途中から右折して旧道に入ります。たんぼと農家の間のくねくねした道を歩いていると、二日前に無料宿泊所にいた青年に会いました。彼も私と一緒で日数をこだわらない旅しているのでしょう。一緒に歩き三十二番札所の山を登ります。

        

 このお寺にもお地蔵さんが沢山あり和尚さんに質問しました。このあたりでは昔から、子供が亡くなるとお墓はちゃんと作るのですが、お地蔵さんも作りお寺に預けるそうです。お寺に来るたくさんの人におまいりして貰うためだそうです。ですから、とても古いものから新品のものまでたくさんあったのです。

 
宿を予約していたので彼と別れ、お寺を出てまもなく雨になりました。宿まで約4km一時間半の距離で途中で暗くなり、道が分からなくなり電話をしたら車で迎えに来てくれました。晩飯を食べたら足の手入れも忘れてバタンキューでした。

JR土佐一宮・・三十一番札所竹林寺・・三十ニ番札所禅師峰寺・・海老庄旅館     




4月1日(第17日)


 今朝は、清々しい天気の朝で宿の周辺の街は以外ににぎやかで活気付いていました。朝食をすませ、三十三番札所へ向かいます。気持ちよく進んで行くと渡し舟という場所に着きました。車が三台と自転車6台が並んで待っています。フェリーなのですが街の人達の足代わりになっているのです。みな、普段の顔で乗っています。料金を払おうとしたら無料だとのことでした。最前列の車のおじさんに桂浜の場所を聞いたらいろいろと教えてくれました。



      

 三十三番札所雪渓寺も静かなお寺です。ここまで来たら桂浜は見ておこうと思い、荷物をお寺さんに預け門前の店で近道を尋ねました。そうしたらなんとママチャリを貸してくれました。歩いて往復2時間30分以上かかると思っていたので助かりました。桂浜で坂本竜馬の像をみて、海をながめましたが、今も激動の時代、この先は東南アジアとオーストラリアかとつまらないことを考えて戻ってきました。そうしたらまたまた昨日の青年に会いました。彼は、渡し舟でなく橋を渡って桂浜経由で来たのでした。三十五番で会おうと再会を約束して別れました。


 三十四番札所を目指し、農村風景の中を歩きます。やっぱり私は漁村より農村が好きです。海と山に挟まれ、風と波に押しつぶされそうな街より、一面の田んぼや畑はほっとします。遠くの方で誰かが農機具を操作していたり、クワで耕している人がいると、村全体が静かであっても生活感が実感出来ます。この種間寺は境内が狭く、お地蔵さん達も脇に控えて並べらています。ちょっと可愛そうでした。


・・三十三番札所雪渓寺・・三十四番札寺種間寺・・

 種間寺を出て、三十五番札所に向かいます。この辺りまで来ると歩きおへんろさんもはっきりと違いが出てきます。何度も回っている健脚のお年よりと区切り打ちの人達はとても元気で、どんどん先へ進んで行きます。なにをもたもた休んでいるんだという感じで、あっというまに追い越されてしまいます。きっと30日から40日で回る人たちです。私やさっきの青年は金は無いのに時間はある人種で、きっと同じペースでプラプラ歩いているのでしょう。ですからめぐり会うチャンスは少ないのです。

 今日は、あの青年と三十五番のお寺の境内が野宿出来るという情報で落合う予定にしました。夜までに着けばいいと、気を楽にして歩いて街の交差点で休んでいました。そうしたら、一台の車が止まり清龍寺まで乗りませんかと運転している女性が声をかけてくれました。残り5kmほど、川を渡り、高速道路を建設している現場の中を抜け、あっという間に到着してしまいました。

    

 ここで、お礼を言って別れようとしたらこの女性の自宅が次の三十六番札所へ行く途中にあり、三十六番まで送ってくれるというのでした。この元気のよいお母さんの発言でまたまた車に乗ってしまいました。このお母さんは、長男が競輪選手を目指す自転車競技の選手で伊豆の修善寺の競輪学校入学試験で2度コンマゼロイチ秒の差で失敗し、それを応援すべく八十八箇所を回ることにしたのでした。エステの店を経営していて、今日はたまたまキャンセルで客が来ないことが分かり、これもお参りをしろということと解釈して車で来たところだったのです。家族思いで美人の肝っ玉かあさんでした。

    

 結局20km近く車で移動して、丸一日分進んでしまいました。旅館に入り、ゆっくりと足の手入れや洗濯をして寝ます。

・・三十五番札所清滝寺・・三十六番札寺青龍寺・・・三陽荘




4月2日(第18日)

 今朝は、どんよりした曇り空でいつ雨が降ってもおかしくない状況です。次の三十七番札所までの距離は55kmです。一日では行けるはずがないし、いつもどおり泊まる寝床と相談しかない。ここ三日宿に泊まっているので、少し出費を抑える意味で駅を寝床にします。そこまでだったら22kmくらいで充分行けるでしょう。向こうで時間が余るかも知れない。その翌日に次のお寺の少し手前まで行けば、4月4日には三十七番札所へ挨拶をして川崎に行けるでしょう。

 ここは、浦の内湾という、幅は狭いが奥行きの深い海に沿って歩きます。対岸すぐ傍に見えますが、釣り人に尋ねると海の魚を釣っているのです。眺めは最高で、釣り舟やクルーザーなどで楽しんでいる人達もいます。湾の奥行きは13kmもあり、農村地帯に入ったのは昼過ぎでした。







      


 そして、さらに歩き峠のトンネルを越すといよいよ街に近づきます。そこに突然大きなモニュメントが出現しました。セメント工場のプラントがとてつもない大きさで目の前に現われたのです。この辺りが石灰石の産地か知りませんが、完成した当時は盛大なセレモニーがあったのだろうなと思いながら、これも現代建築を支えるセメントの生産拠点なのだからと複雑な気持ちになりました。

 今日は、多の郷(おおのごう)の駅に泊まる予定です。前のお墓の近くという例もあるので場所を確認して、街の中をうろうろしてみます。駅の周辺は日曜日ということもあって静かですが、国道に出てみるとネオンだらけでした。ここは大きな街なのだと初めて気がつきPHSを見ました。びっくり、接続可能でした。きっとここは車社会で、電車の駅より国道のバイパスの方が人が集まるのだと解釈しました。

三陽荘・・・須崎市 JR多の郷駅




4月3日(第19日)

 多の郷駅は朝が早い、5時15分には一番電車が来て乗客が3人乗って行きました。次は45分です。その間に身支度を整え出発することにしました。未だ、先は長いのでゆっくり休みながら歩きます。国道に出て須崎市のはじを通るのです。車が多く、得にトンネルは道が狭く恐いのは以前と同じです。赤いランプを点滅させながら進むことにします。






      


 街を出ると、広い太平洋岸にぶつかり海岸沿いを進みます。何日か前にサイクリングロードの”童謡の碑”の休憩所で追い越して行った老人が、「ここは、山道になるとトンネルがあってとても危険なので、案内書と違うが海岸沿いの旧道を歩いた方がいい」と教えてくれた場所です。

 国道から旧道に入り海岸線に沿って進みます。太平洋の眺望が一面の大パノラマになり、どんよりした雲と海が一線を引いて接している様子は見飽きません。途中で道路工事をやっていて40分間の足止めを食いましたが、急ぐ旅でないのでゆっくりと休みました。そこを通過して40分ほどして大きな港町に入りました。久礼の街で、結構活気のあるところでした。駅前で休んでいるときに、ふと「かつおの一本釣り」純平の町が久礼の町だったのを思い出しました。純平地蔵は、純平が死んだわけでないのであるはずがないと自分で納得して昼食をとりました。

 久礼の街から窪川までのルートは三つあります。新しい国道と、山越え道と一番楽な峠越えです。当然峠越えの道を選びます。この道は途中に桜の名所があり、今晩宴会をするためのござがそこかしこに敷詰めてあります。まだ、桜は二分咲きのようですが待ち切れないようすが伺えます。段々と山の奥へ奥へと進み、上を見ると国道が山の中腹を走っているのが見えます。あんな上を通らないで良かったと思いながら歩いて行きます。畑の脇、小さな小川の縁をとおり一番奥へと進み、最後の1kmの険しい山道を登ると国道にぶつかる七子峠に出ました。

 峠から先は国道を下ります。ここはもう四万十川の源流地帯のようです。四万十川源流合衆国という看板がいくつも立っていました。晩飯を食べてさらに歩きます。山間の農村地帯を緩やかな坂道を下へ下へと下っていきます。だんだんと暗くなり、周りはあっというまに真っ暗闇になりました。今晩泊まる予定の駅はまだ数キロ先ですが、一本道だしあまり心配していません。その暗闇の中に、突然コンビニの明かりがギラギラと輝いています。これも私にとっての休憩場所です。明日の朝食を買って、ゆっくりと休みます。三十七番札所岩本寺の5km手前の仁井田駅に着き時刻表を見るとなんと高知方面行きの電車(気動車でしょう)は一日に5本しかありませんでした。明日はどうなるのかなあと思い、すぐ寝ました。

 JR多の郷駅・・・くろしお鉄道 仁井田駅




4月4日(第20日)

 今日は、川崎へ帰る予定の日です。朝一番で出発し三十七番札所岩本寺を目指します。途中に「道の駅・あぐり窪川」という、高速道路のサービスエリアと同じようなものがあります。須崎の街を出たところにもありました。トイレや休憩場所そしてレストランや地元の野菜や食べ物を売っています。駐車場も広く沢山の車が駐車出来ます。車をターゲットにしていますが、歩きおへんろにとってもトイレや自販機など大事な施設です。
 三十七番札所は高知からかなり離れているせいか、大型バスはなく静かでした。ここで、今回のおへんろは中断します。よくお参りをして、弘法大師の像にまた来ることを約束して駅へむかいました。



     


ここで、小休止をします。再開は4月10日(月)、第21日としてこの三十七番札所からスタートする積もりです。

くろしお鉄道仁井田駅・・・・三十七番札寺岩本寺・・・小休止。


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